令和5(行ウ)25 懲戒免職処分取消請求事件

裁判年月日・裁判所
令和7年3月6日 静岡地方裁判所
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判決文本文14,478 文字)

主文 1 静岡県教育委員会が原告に対し令和元年8月20日付けでした懲戒免職処分を取り消す。 2 訴訟費用は被告の負担とする。 事実 及び理由 第1 請求の趣旨主文と同旨第2 事案の概要 1 事案の要旨本件は、静岡県内の公立小学校の教諭であった原告が、平成29年3月10日 夜に酒気を帯びて自動車を運転して物損事故を起こしたこと(以下「本件懲戒事由」という。)を理由として、静岡県教育委員会(以下「県教委」という。)から令和元年8月20日付けで懲戒免職処分(以下「本件処分」という。)を受けたことについて、原告は、本件懲戒事由とされた運転当時、せん妄で酒気帯び運転の認識を欠いていたものであり、県教委の本件処分には、懲戒事由を欠くとと もに、裁量を逸脱、濫用した違法があると主張し、県教委の所属する被告に対し、本件処分の取消しを求める事案である。 2 前提事実(争いがない事実並びに掲記の証拠等及び弁論の全趣旨により容易に認定できる事実)⑴ 当事者等 ア原告は、平成14年4月1日、県教委に公立学校教員として任用され、平成28年4月にa小学校の教諭に補職された者である(乙8の4)。 イ県教委は、被告が処理する教育に関する事務として、その所管に属する学校の職員の任免その他の人事に関することを管理し、執行する行政庁である(地方教育行政の組織及び運営に関する法律21条3号)。 ⑵ 本件懲戒事由とされた当夜の経緯 ア原告の飲酒及び運転代行サービスの利用原告は、平成29年3月10日(以下、特記しない限り、午後の時刻は同日、午前の時刻は翌11日のものである。)、原告の自動車(以下「本件自動車」という。)で静岡県藤枝市内の飲食店(以下「本件飲食店」という。)に赴き、 3月10日(以下、特記しない限り、午後の時刻は同日、午前の時刻は翌11日のものである。)、原告の自動車(以下「本件自動車」という。)で静岡県藤枝市内の飲食店(以下「本件飲食店」という。)に赴き、午後6時20分頃から同僚と酒食した。 原告は、午後9時30分頃、運転代行サービス業者(以下「本件代行業者」という。)を呼び、同業者の運転する本件自動車で焼津市内の原告の自宅の西方数百mの場所にある寺院の駐車場(以下「本件駐車場」という。)まで送り届けてもらった後、午後10時8分頃、本件代行業者との代金精算を終えて、同業者は離脱した。 イ原告による運転及び物損事故の発生原告は、その後、本件駐車場から本件自動車を運転して、午後11時19分頃、自宅のカーポートに本件自動車を駐車したが(以下、この間の運転を「本件運転」という。)、その途中の午後11時10分頃、自宅から南西方向数百mの道路脇の民家のブロック塀及び電柱に本件自動車を衝突させて 破損する物損事故(以下「本件事故」という。)を起こした(甲13)。 ウ原告による警察への通報及びアルコールの検知原告は、本件自動車が損傷していたことから、午後11時30分頃、自ら警察に110番通報をし、臨場した警察官が、午前1時06分頃、原告に対し飲酒検知を実施したところ、呼気1リットルにつき0.4mgのアルコー ルが検出された。 ⑶ 本件処分及び行政不服審査請求ア県教委は、原告に対し、令和元年8月20日付けで、原告の本件運転が道路交通法(以下「道交法」という。)の禁止する酒気帯び運転に該当し、本件事故を起こしたものと認定せざるを得ないところ、こうした行為(本件懲 戒事由)は地方公務員法33条(信用失墜行為の禁止)に違反し、かつ同法 29条1項1号及び3号 び運転に該当し、本件事故を起こしたものと認定せざるを得ないところ、こうした行為(本件懲 戒事由)は地方公務員法33条(信用失墜行為の禁止)に違反し、かつ同法 29条1項1号及び3号の懲戒事由たる非行に該当するとして、懲戒処分として免職する旨の処分(本件処分)をした(甲1、8、乙6の1・2)。 イ原告は、令和元年11月18日付けで、静岡県人事委員会に対し、本件処分の取消し又は修正を求めて審査請求(以下「本件審査請求」という。)をしたところ、同委員会は、令和5年3月27日付けで、本件処分を承認する 旨裁決した(乙5)。 ⑷ 本件訴えの提起(顕著な事実)原告は、令和5年9月23日、本件訴えを提起した。 ⑸ 関連処分ア静岡県公安委員会は、原告に対し、この間の平成29年8月24日付けで、 酒気帯び安全運転義務違反を理由として、運転免許取消し及び欠格期間指定の処分をした(乙2の2、乙8の8)。 原告は、これらの処分の取消しを求めて訴訟(以下「別件行政訴訟」という。)を提起したが、その請求をいずれも棄却する旨の静岡地方裁判所の判決に対する原告の控訴を棄却する東京高等裁判所の判決が、本件処分直前の 令和元年8月9日に確定した(乙1の2・3)。 イまた、原告は、平成29年4月2日に本件事故の被害者との間で示談したところ、静岡地方検察庁検察官は、原告に対し、平成30年2月14日、本件運転及び本件事故に係る道交法違反被疑事件について、公訴を提起しない処分をした(甲3、乙2の1・3、乙8の7・9)。 3 争点及び当事者の主張本件の争点は、本件運転当時のせん妄による認識障害の有無を中心とする本件懲戒事由の懲戒事由該当性及び本件処分に係る裁量権の逸脱・濫用の有無であり、これらに関する当事者の主張は、以 及び当事者の主張本件の争点は、本件運転当時のせん妄による認識障害の有無を中心とする本件懲戒事由の懲戒事由該当性及び本件処分に係る裁量権の逸脱・濫用の有無であり、これらに関する当事者の主張は、以下のとおりである。 (原告の主張) ⑴ 原告は、本件運転当時、せん妄で見当識及び記憶が障害された状態にあり、 自らがアルコールを摂取した状況にあることを認識することができない状態にあった。 したがって、本件運転は、酒気帯び運転の認識を欠いていたもので、道交法65条に該当する事実がなく、原告には、非違行為として評価することができる事由が存在しないことから、信用失墜行為があったとはいえないのに、本件 処分は、懲戒処分の要件を満たさないにもかかわらずなされたものとして違法である。 また、県教委は、本件処分をするに際して、本件運転当時、原告がせん妄の影響下、アルコールを摂取していることを認識できないままに運転したものであるということを考慮しておらず、懲戒処分の量定に当たっても、故意又は過 失の度合いに関わる重要な考慮要素となる上記事情を一切考慮しなかった点において、裁量の逸脱・濫用の違法がある。 ⑵ 被告は、原告が、本件事故前後、知人や同僚とのメッセージや本件代行業者とのやり取りをできていたことや、飲酒の記憶を有していたことを指摘するが、せん妄とは、何らかの原因により生じた急性の脳機能障害で、注意や集中、見 当識を保てなくなり、認知機能に障害が生じる疾患であって、見当識の保たれた単純酩酊又は複雑酩酊とは質的に全く異なる状態である。メッセージの送信や自動車の運転、帰宅等は、手続記憶に基づいてせん妄による認知機能障害の下でも可能な行為であるものの、原告が実際にやり取りした内容は支離滅裂で、むしろせん妄の影響を受けて 態である。メッセージの送信や自動車の運転、帰宅等は、手続記憶に基づいてせん妄による認知機能障害の下でも可能な行為であるものの、原告が実際にやり取りした内容は支離滅裂で、むしろせん妄の影響を受けていたといえるし、飲酒行為については、長期記憶 として定着していたものが、経時による血中アルコール濃度の低下によって想起が可能になると考えられ、飲酒検知時に想起できたとしても本件運転時に想起できたことを示すことにはならない。なお、原告は、飲酒検知時においても、認知機能を完全には回復しておらず、飲酒検知についての記憶も有していない。 ⑶ せん妄の原因としては、患者自身の要因のほか、薬理学的要因及び環境的要 因があり、本件では、花粉症用に処方されていたアレルギー薬のフェキソフェ ナジンの摂取に加えて、たまたまアルコールもせん妄を引き起こした要因の1つではあったものの、原告において、飲酒前に、それによって自らがせん妄状態に陥ることを予見することはおよそ困難である。ましてや、原告は、本件運転当夜、運転代行サービスに依頼して帰宅しようとしたのであり、自宅以外の自宅近くの場所まで運転を代行してもらった後、そこから自宅まで自分で運転 して帰宅する行動を予測することなどできたはずもなく、現に原告は本件代行業者に運転の代行を依頼して帰宅しようとしたことからして、本件自動車で酒席に赴いたことをもって非難に値するとはいえない。 (被告の主張)⑴ 原告は、本件運転当日、本件飲食店にて相当な量の飲酒をしており、⑤呼気 1リットルにつき0.4mg程度という酒気帯び運転の閾値を大きく超えるアルコールが検知された午前1時06分時点で、原告が飲酒した酒の種類、その量を概ね認識していたことからすれば、原告は、その時点で、一定以上の量の飲酒をした 程度という酒気帯び運転の閾値を大きく超えるアルコールが検知された午前1時06分時点で、原告が飲酒した酒の種類、その量を概ね認識していたことからすれば、原告は、その時点で、一定以上の量の飲酒をしたことにより、その体内アルコールを保有した状態であったことを認識していたといえる。そして、その前後も、原告が、①本件代行業者を呼んだ 際に自力で歩行していたこと、②本件代行業者の離脱直前までメッセージアプリで知人と会話ができていたこと、③本件代行業者に対して適切に支払を済ませていること、④帰宅時もそのような状態は特段変わらず、本件車両が破損している状況を認め、警察に110番通報していること、⑥本件事故発生翌未明の午前2時25分頃には同僚に対して「事故った」などとメッセージを送信し ていて、自身の起こした本件事故を認識していたことからすると、原告は、本件運転の始期及び終期において、自身の置かれた状況に合わせた対応することができていたといえるから、本件運転中の本件事故時において、自身の状況を認識ないし理解することができる状態であったというべきであり、原告が本件運転と本件事故の部分についてのみ記憶がないとするのは不自然である。 したがって、原告は一定量以上のアルコールを身体に保有した状態であるこ とを認識、理解した上で本件運転を行ったものと認めるのが相当である。 ⑵ 本件運転時、原告がせん妄であったとする原告の医学的立証は、せん妄症状と考えて矛盾しないとの診断であるにとどまり、他の可能性をすべて排除できるかについて、確定的な証拠をもって除外認定しているものとは認められない。 仮に原告の主張するように、本件運転時、原告がせん妄であったとしても、 原告は、自らが過去に飲酒後に記憶をなくし、不可解な行動をしたことが何度 拠をもって除外認定しているものとは認められない。 仮に原告の主張するように、本件運転時、原告がせん妄であったとしても、 原告は、自らが過去に飲酒後に記憶をなくし、不可解な行動をしたことが何度かあること等を認識していた以上、酒席に本件自動車で赴くこと自体に飲酒運転の認容があると認められ、結果的に酒気帯び運転の故意が認められる。原告が、自らフェキソフェナジンとアルコールを摂取して、アルコール中毒又はせん妄を招いた以上、民法713条ただし書の要件にも欠けるところはない。 ⑶ とりわけ原告が過去に飲酒により記憶を失くすなどの経験があったのであれば、広く注意障害、意識障害が生じるほどの状態に自らを追い込むような飲酒の仕方を安易に行ったこと自体に対する非難の程度はより大きく、仮にせん妄症状下にあったとしても、それを理由に原告に対する非難の程度は減じられるものではなく、むしろ加重されるべきである。現に原告が本件事故後に現場 を立ち去っているのは、記憶があればいわゆる当て逃げとして強い非難に値するし、記憶がなかったとしても判断能力が著しく低下した非常に危険な状態の運転で人身事故の危険性も高かったことからやはり強い非難に値する。原告が起訴猶予の不起訴処分を伝えられた平成30年2月以降既に原告に対する懲戒処分の妥当性・適法性はあったところ、別件行政訴訟で酒気帯び運転の故意 がなかったと認められると懲戒処分の判断に影響を与える可能性があることから、県教委において、原告の利益のために同訴訟の判決が確定するまで待つなど懲戒権の行使を自制し、その逸脱・濫用をできるだけ避けるべく慎重に慎重を重ねた上で原告を免職した本件処分は、裁量の範囲内に属し、適法かつ妥当である。 第3 争点に対する判断 1 判断の枠組み公務員 の逸脱・濫用をできるだけ避けるべく慎重に慎重を重ねた上で原告を免職した本件処分は、裁量の範囲内に属し、適法かつ妥当である。 第3 争点に対する判断 1 判断の枠組み公務員に対する懲戒処分について、懲戒権者は、懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等のほか、当該公務員の上記行為の前後における態度、懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響等、諸般の事情を総合考慮して、懲戒処分をすべきかどうか、ま た、懲戒処分をする場合にいかなる処分を選択すべきかを決定する裁量権を有しており、その判断は、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用したと認められる場合に、違法となるものと解される(最高裁昭和52年12月20日第三小法廷判決・民集31巻7号1101頁、最高裁平成24年1月16日第一小法廷判決・裁判集民事239号253頁、最高裁令 和4年6月14日第三小法廷判決・裁判集民事268号23頁参照)。 2 認定事実前提事実、証拠及び弁論の全趣旨によれば、本件運転前後の原告の行動について、以下の事実が認められ、これらに反する証拠はない。 ⑴ 本件運転当夜の酒食(甲15、乙8の5・6、前提事実⑵ア) 本件運転当夜、原告は、病気で休職し、自身が学年主任を引き継ぐこととなった同僚が医師から飲酒を許されるようになったとの知らせを受けて、他の同僚1名を含めた3名の酒席を設け、本件自動車を運転して遅れて赴いた藤枝市内の本件飲食店で、午後6時20分頃から酒食した。その席で、原告及び同僚らは、各自生ビール一、二杯と3人で焼酎の5合瓶1本を空ける程度の酒量を 飲んだが、原告は深酒したり口調が激しくなったりすることもなく、終始会話ははっ 分頃から酒食した。その席で、原告及び同僚らは、各自生ビール一、二杯と3人で焼酎の5合瓶1本を空ける程度の酒量を 飲んだが、原告は深酒したり口調が激しくなったりすることもなく、終始会話ははっきりし、足取りもしっかりしていた。原告は、その途中、午後7時36分には、休職中の同僚を知っている別の同僚に対し、メッセージアプリで「経過もいいみたい。とりあえず、安心しました。」とメッセージを打ち込み、これに当該同僚が「楽しんできてね。」と直ぐに返してきたのに対し、午後7時 56分に「ありがとう。でも長居はしません」と応じた(甲17)。 ⑵ 帰路における運転代行サービスの利用と車内での動向(甲16、前提事実⑵ア)原告は、午後9時30分頃、自ら店員に依頼して本件代行業者を呼び、同業者の運転する本件自動車に同僚ともども乗って帰路に就き、数分で到着した休職中の同僚宅前で当該同僚を降ろし、原告も一旦下車して当該同僚の妻に挨拶 したところ、その際、特に不自然なやり取りは見られなかった。もう1名の同僚は、そこから程近い自宅に徒歩で帰ることとし、原告のみが本件自動車に再度乗って、東方の焼津市の自宅方面のランドマークを本件代行業者に指示した。 (甲13、15、乙8の6)原告は、その車内で居眠りしたりする様子もなく、スマートフォンを操作し ている様子であったところ、酒食中にもメッセージアプリでやり取りしていた同僚から、午後9時44分に「もう次の予定が入ったの(笑)お見舞いはすんだのか?」とメッセージが入ったのに対して、午後9時56分に「帰ります。」と返答し、これに直ぐに「充分長居したね」と折り返されたのに対して、午後10時01分に「ん。いろいろあるんだとさ。卒業式とかはいろいろあるんだ ってさ。」と返信した(甲17)。 ります。」と返答し、これに直ぐに「充分長居したね」と折り返されたのに対して、午後10時01分に「ん。いろいろあるんだとさ。卒業式とかはいろいろあるんだ ってさ。」と返信した(甲17)。 本件代行業者は、原告に指示された本件駐車場で本件自動車を止め、午後10時8分頃、原告から代金の精算を受けて離脱したところ、同所は、別紙地図の縮尺のとおり、原告の自宅から西方に200ないし300m離れた位置だった(甲13、18)。 ⑶ 本件運転及び本件事故(甲13、18、前提事実⑵ウ)その後、本件代行業者離脱前にも本件自動車が通っている、本件駐車場南西方向に道のりで約1.2km離れた街道沿いのサークルK(別紙地図参照。以下「本件コンビニ」という。)の防犯カメラに、原告が運転して西から東に向けて走行する本件自動車が映っているのが確認されているところ、本件自動車 は、それから間もなく当該街道を北側に離れ、原告の自宅に向かう道と本件駐 車場に向かう道とに分かれる交差点までの道すがら、午後11時10分頃に、南方から道路脇の民家のブロック塀及び電柱に衝突した(本件事故。別紙地図参照)。本件自動車は、その後さらに原告が運転して午後11時19分頃に原告の自宅に到着し、カーポートに駐車された。 ⑷ 本件事故後の状況 原告は、その後自宅に入るなり、妻に対し、車の窓が割れていると述べてこれに驚いている様子であったため、妻とも連れ立って本件自動車の状態を確認した後、午後11時30分頃、自ら110番通報をして、運転代行サービスを利用して帰ってきたら本件自動車の窓が割れている旨を相談した。すると、警察官が臨場してくれることになり、原告は、午前1時06分頃、呼気検査を受 けたところ、呼気1リットルにつき0.4mgのアルコールが検出さ きたら本件自動車の窓が割れている旨を相談した。すると、警察官が臨場してくれることになり、原告は、午前1時06分頃、呼気検査を受 けたところ、呼気1リットルにつき0.4mgのアルコールが検出された。(甲14、前提事実⑵ウ)原告は、午前2時25分頃、先にメッセージアプリでやり取りをしていた同僚に「事故った」とメッセージを送り、夜が明けて午前6時55分には「代行が事故だけど、ちょっともめています。」、午前6時57分には(ハンドルを) 「握ってないよ。どこからどこまでを代行に頼んだのか、今日現場検証します。」と午前7時01分には「気がついたら事故っていました。そこの記憶は曖昧です。」などと送信した(甲17)。 3 せん妄の医学的知見と専門医の診断(甲9、証人b)⑴ せん妄の病態の概要 せん妄とは、患者の個体的要因のほか、薬理学的、環境的要因などにより生じる急性の脳機能障害であり、その臨床上の中核症状として、注意欠陥が97%以上、見当識障害及び記憶障害が90パーセント前後の高率で生じるほか、思考過程の異常、知覚障害(幻覚)も半数以上で生じる。もっとも、慣れた機器の操作等の日常生活動作には支障のない場合も多い。薬剤を原因とするもの が最も多いが、通常複数の原因があることが多い。発症は急で数十分以内に症 状が発現することもあるが、せん妄から回復した後にせん妄状態であったときのことを尋ねると一連の過程を一部又は全部覚えていないこともある。睡眠薬の服用後15分程度で意味不明な言葉を発するようになり、徘徊して夜通し大騒ぎした後、朝に就寝して起床した後は前夜のことを全く覚えていないといった症例もあるが、このような過活動型のほか、おとなしく休んでいるように見 えるものの、問診すると意識障害、注意障害、健忘な 騒ぎした後、朝に就寝して起床した後は前夜のことを全く覚えていないといった症例もあるが、このような過活動型のほか、おとなしく休んでいるように見 えるものの、問診すると意識障害、注意障害、健忘などが認められる低活動型、これらが入り混じりつつ精神運動活動の水準は正常である活動水準混合型の3タイプの症例に分かれ、後二者は診断上も見落とされやすい。 ⑵ 診断基準このように、せん妄は医療従事者にとっても見落とされやすい病態であるた め、客観的な指標を用いて再現性のある形で評価する必要があり、患者ができることだけを見てせん妄ではないと判断してはならないところ、科学的、国際的に権威を有する米国精神医学会策定の診断・統計マニュアル(DSM-5)によるせん妄の診断基準は以下のとおりであり(以下、各項目ごとの基準要件を冒頭のアルファベットを用いて「A基準」のようにいう。)、これに加えて、 双極性障害、抑うつ障害、急性ストレス障害、詐病、作為症、他の神経認知障害などのせん妄以外の診断名が付かないことを確認する鑑別診断を行う。 A 注意の障害(注意の方向付け、集中、維持、転換する能力の低下)及び意識の障害(環境に対する見当識の低下)B その障害は短期間(通常数時間ないし数日)のうちに出現し、元となる注 意及び意識水準からの変化を示し、さらに1日の経過中で重症度が変化する傾向があるC さらに認知の障害を伴う(例として、記憶欠損、失見当識、言語、視空間認知、知覚)DA基準及びC基準に示す障害は、他の既存の確定した、又は進行中の神経 認知障害ではうまく説明されないし、昏睡のような覚醒水準の著しい低下と いう状況下で起こるものではないE 病歴、身体診察、臨床検査所見から、その障害が他の医学的疾患、物質中毒 認知障害ではうまく説明されないし、昏睡のような覚醒水準の著しい低下と いう状況下で起こるものではないE 病歴、身体診察、臨床検査所見から、その障害が他の医学的疾患、物質中毒若しくは離脱(乱用薬物や医薬品によるもの)、又は毒物への曝露のいずれかあるいは複数の病因による直接的な生理学的結果により引き起こされたという証拠がある ⑶ 専門医の診断せん妄の専門医であるb医師は、前記2に認定したような本件運転前後の原告の行動を分析したほか、原告が、本件運転当日、通常朝夕食後に服用するよう処方されていたアレルギー専用鼻炎薬であるフェキソフェナジンを、午前7時頃の朝食後と、鼻炎の症状が出始めたため、普段は服用しない午後4時頃に 服用したことを聴取した(甲14、20)上で、要旨、以下のとおり、前記DSM-5による診断基準に当てはめて、さらに他の精神神経学的疾患や詐病等の可能性もないとして、原告が、フェキソフェナジンの血中濃度がピーク近くにあるときにアルコール摂取を開始したことにより、本件飲食店を出てから本件運転時や警察官対応時を含む翌日の朝方まで、活動水準混合型のせん妄を発 症していたものと臨床診断した(以下「本件診断」という。)。 ア本件飲食店における酒食開始時に意識障害は認められないが、午後9時頃から記憶が途切れ途切れになって注意障害が生じており、本件駐車場に本件代行業者を誘導するなど環境に対する失見当の低下が認められ、注意障害及び意識障害が認められることからA基準を満たす。 イ午後4時頃にフェキソフェナジンを服用し、午後6時半の酒食開始時になかった意識障害が酒食後の午後9時頃から発生し、アルコール摂取後2時間半という急な経過で発症し、その次に気が付いたのは(自宅で)本件自動車の外に立っ ソフェナジンを服用し、午後6時半の酒食開始時になかった意識障害が酒食後の午後9時頃から発生し、アルコール摂取後2時間半という急な経過で発症し、その次に気が付いたのは(自宅で)本件自動車の外に立っていた時であるが、その後の妻との会話、警察への110番通報、警察官とのやり取り、友人へのメールを覚えていないなど症状は変動してお り、短期間の発症と症状の変動というB基準を満たす。 ウ午後9時過ぎに本件飲食店を出てから、午後11時過ぎに本件自動車の外に立っているまでの記憶が欠損しており、また、その後の記憶も欠損しており、C基準を満たす。 エ原告は、数年前に適応障害の診断で治療を受けたことがあるものの、当時教員として問題なく働いており、既存の確定した又は進行中の神経認知障害 は認められないし、昏睡のような覚醒水準の著しい低下もなく、D基準を満たす。 オアルコールの中枢神経系に対する作用は自明であるほか、フェキソフェナジンの最高血中濃度到達時間が2.02時間、半減期が5.183時間で、12時間経過後も血中濃度は残り、血中濃度が零になるのは24時間後であ る薬物動態を踏まえ、軽度であるが眠気や倦怠感という精神神経系に対する副作用も生じていたと考えられ、E基準を満たす。 4 本件診断の合理性上記3のとおり、専門医が、前記2に認定したような本件運転前後の原告の行動を踏まえ、フェキソフェナジンの薬物動態についても検討した上で、本件運転 当時、原告がアルコールとの相互作用によるせん妄を発症していたとの本件診断をしているのに対し、被告は、原告について、①本件代行業者を呼んだ際の自力歩行、②本件代行業者の運転する本件自動車内におけるメッセージアプリでの知人との会話の成立、③本件代行業者に対する代金支払の完遂、 ているのに対し、被告は、原告について、①本件代行業者を呼んだ際の自力歩行、②本件代行業者の運転する本件自動車内におけるメッセージアプリでの知人との会話の成立、③本件代行業者に対する代金支払の完遂、④帰宅時の110番通報、⑤飲酒検知時における飲酒の記憶の喚起、⑥本件事故発生翌未明の送信 メッセージに見て取れる本件事故の認識といった各事実を挙げて、原告が本件運転と本件事故の部分について記憶していないとする弁明の不自然性を指摘する。 しかしながら、そもそも前記2⑵の診断基準をもって定義、鑑別され、同⑴に認定したような病態としての特徴を有するせん妄と診断されているのに対して、意識しなくても行うことができるだけの手続記憶(比喩的には、自転車の乗り方 のようなものであると解される。)によって行える行為ができていたこと(①、 ③、④及び②のうちメッセージアプリの利用操作部分)を指摘しても有効な反論とはなり得ないし、そもそもせん妄の診断基準自体に重症度の変化傾向(B基準)が含まれている以上、ある特定の時点において記憶が喚起されていた(⑤及び⑥)からといって、それ以前の時点での記憶欠損の不存在を推認できるという関係にもないから、これらも、原告が本件運転及び本件事故当時せん妄を発症していた との本件診断を覆す事情とはなり得ない。また、このうち⑥のメッセージ内容について付け加えれば、原告は、未明午前2時25分に「事故った」とのメッセージを送信しているものの、午前7時前後のメッセージでは、本件事故が自身の運転による事故ではないとの前提に立つメッセージも送信しているところ、未明のメッセージは、これが送信された時間帯や経緯からして、警察官にその可能性を 指摘されて自身が本件事故を起こしたかもしれないという認識の下で送られたも 立つメッセージも送信しているところ、未明のメッセージは、これが送信された時間帯や経緯からして、警察官にその可能性を 指摘されて自身が本件事故を起こしたかもしれないという認識の下で送られたものであった可能性はあるにせよ、原告自らの記憶に基づいて送信された内容といえるかには疑問を差し挟む余地があるというべきである。さらに、②のうちメッセージで会話が成立していたとする部分については、その送受信内容の実際は、前記2⑵に認定したようなもので、当日の酒席の趣旨等に鑑みると必ずしも支離 滅裂とまではいえないにしても、「長居したね」というメッセージに対して「いろいろあるんだ」とする返答は、認知機能正常時のメッセージ交換の内容としてはいささか噛み合っていない内容のものであることは否めず、合理的な会話として成立していたということは必ずしもできない。 以上のように、被告の指摘は、本件診断の立証に対して効果的な反論を構成し ているとはいい難いが、その指摘の趣旨に鑑み、さらに進んで原告が自身の記憶をとぼけているだけの詐病の可能性についても検討すると、まず、そもそも原告は、本件代行業者を呼んで飲酒運転を避ける行動をとっているのであるから、あえてこれを自宅から離れた本件駐車場に誘導して離脱させた上で、さらに自ら本件自動車のハンドルを取って本件運転に及ぶ合理的な理由が見当たらず、運転代 行サービスを利用することと詐病することとは相矛盾する行動であるといわざ るを得ない。また、前記2の認定事実⑶によれば、原告は、本件運転開始後も本件駐車場から自宅に帰るのに、一度自宅とは反対方向に向かい、本件コンビニの前を通るなど、全く無意味に遠回りして帰宅したことになるところ、これは隠れて飲酒運転をしようとする者の行動としても理解不能な行動であ 場から自宅に帰るのに、一度自宅とは反対方向に向かい、本件コンビニの前を通るなど、全く無意味に遠回りして帰宅したことになるところ、これは隠れて飲酒運転をしようとする者の行動としても理解不能な行動である。さらに、原告は、本件運転後、自ら警察に110番通報しているが、これが自首的な通報だ とすれば殊更詐病する動機がないといわざるを得ないところ、むしろその行動は、その後の警察官による事情聴取(甲18)や翌朝のメッセージアプリにおいて、本件代行業者が事故を起こした旨を原告が申告していることと整合的である。これらの本件に特有の事情に照らすと、原告が本件運転当時の自身の記憶について詐病している可能性は考え難いというべきであって、この点においても本件診断 の内容に不合理な点は認められない。 本件診断は、以上のような原告の言動を十分踏まえたものであるほか、フェキソフェナジン及びアルコールの摂取というせん妄の薬理学的原因についても十分検討を加えた上での診断であるといえる。被告は、これについて、他の可能性をすべて排除できる除外認定をしているものではないと主張するが、以上のよう な原告の首尾一貫しない不合理な言動の説明としてはむしろ合理的というべきであり、これに対して被告は何ら医学的な反証を示せていないことからすると、原告が本件運転当時せん妄に陥っていたことが高度の蓋然性をもって認められ、これを覆すに足りる事情はないというべきである。 5 本件処分の適否 以上のとおり、原告は、せん妄に陥り、事理弁識能力を欠く状態で本件運転に及んでいたものと認められるところ、証拠(甲12、乙8の1、乙8の2)によれば、県教委は、本件処分に際して、本件懲戒事由とされた原告の行為時に、原告がせん妄により事理弁識能力を欠いていた点を考慮することなく、一般 と認められるところ、証拠(甲12、乙8の1、乙8の2)によれば、県教委は、本件処分に際して、本件懲戒事由とされた原告の行為時に、原告がせん妄により事理弁識能力を欠いていた点を考慮することなく、一般的な酒気帯び運転と同様の事情によるものと捉えた上で処分の量定をしたものとうか がわれる。 しかるに、本件懲戒事由当時原告がせん妄であったか否かは、事理弁識能力を欠く状態にあったとしても、全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあったものとしてなお地方公務員法上の懲戒事由に当たる可能性は残るとしても、少なくとも責任能力等の観点から非難可能性の程度を左右する事情であると考えられ、実際、本件運転当時(乙9の1)及び本件処分当時(乙9の3)を通じて「静岡 県教職員懲戒処分等の基準」に掲げられた非違行為の「故意又は過失の度合い」(第1⑶イ)にも関わることから、県教委が、原告に対し、懲戒処分をするか否か、処分をするとしていかなる処分を選択するかの判断に影響を及ぼす重要な考慮事項であったということができる。現に県教委が、原告の酒気帯び運転を認定した別件行政訴訟の判決の確定を待って本件処分を決定したのも、このことを示 唆するものである。なお、証拠(甲9)及び弁論の全趣旨によれば、本件診断は、本件処分後の本件審査請求に際して新たに証拠として提出された専門医の意見書において初めて提示されたものであって、本件運転時の原告の事理弁識について、別件行政訴訟と本件訴訟における判断が異なることには相応の理由がある。 そして、本件処分時に既に存在した事情について、本件処分の適否の判断資料と してその後に提示された本件診断を踏まえることは許されるというべきであるし、県教委自身、本件審査請求手続中に本件診断が提示されたことを踏まえて、本件処分を ついて、本件処分の適否の判断資料と してその後に提示された本件診断を踏まえることは許されるというべきであるし、県教委自身、本件審査請求手続中に本件診断が提示されたことを踏まえて、本件処分を自ら見直す機会はあったというべきである。 以上によれば、本件処分は、考慮すべき事項を考慮に入れないままされたものとして、裁量権を逸脱し又はこれを濫用した違法があるというべきである。被告 は、原告が過去に飲酒後の記憶がなくなるような不可解な行動をしていたこと等を自ら認識していたことをもって、本件懲戒事由について、一般の故意による酒気帯び運転と同等の非難可能性があるとする趣旨の主張をするところ、確かに、さらに調査をした内容次第ではそのような評価に至ることも考えられようが、過去の不可解な行動の原因を原告自身認識して是正する機会があったのかや、本件 診断においても薬理学的に意味を持つ重要な事情として指摘されている酒食の 2時間半前にフェキソフェナジンを服用した経験の有無などを踏まえなければ、処分の量定の適正さを確保する事情としては不足しているといわざるを得ず、これらの調査を踏まえずに本件処分に至っている点において、なお本件処分には裁量権を逸脱し又は濫用した違法があるといわざるを得ない。本件処分は一旦取り消した上、上記の点については改めて行政庁の1次的判断権に委ねるのが相当で ある。 第4 結論よって、本件処分の取消しを求める原告の請求は、以上の趣旨を述べるものとして理由があるからこれを認容することとし、主文のとおり判決する。 静岡地方裁判所民事第2部 裁判長裁判官平山馨 裁判官杉森洋平 裁判官溝口航平 静岡地方裁判所民事第2部 裁判長裁判官平山馨 裁判官杉森洋平 裁判官溝口航平 (別紙地図省略)

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