平成13年10月10日判決平成12年(ワ)第2475号公正証書遺言無効確認等請求事件 主文 1 原告の請求をいずれも棄却する。 2 訴訟費用は原告の負担とする。 事実及び理由 第1 請求 1 京都地方法務局所属公証人甲作成に係る平成12年第20号遺言公正証書によるAの遺言が無効であることを確認する。 2 別紙物件目録記載の不動産が原告の所有であることを確認する。 3 被告は,原告に対し,別紙物件目録記載の不動産を明け渡せ。 第2 事案の概要本件は,同一の遺言者及び同一の物件について,新旧2回の公正証書遺言により遺贈がなされた事案であり,旧遺言による受遺者である原告は,新遺言は遺言者の遺言能力を欠く状態でなされたものである等と主張して,新遺言による受遺者を被告として,新遺言の無効確認及び原告が旧遺言により別紙物件目録記載の各不動産の所有権を取得したことの確認を求めるとともに,所有権に基づき,現在被告が占有している上記各不動産の明渡しを求めた。 第3 当事者間に争いのない事実 1 亡A(明治42年3月18日生)は,平成5年11月22日,京都地方法務局所属公証人乙作成に係る平成5年第676号遺言公正証書により,別紙物件目録記載の各不動産(以下「本件不動産」という。)を含め,その所有する一切の財産を原告に遺贈する旨の遺言をした(以下「第1遺言」という。)。 2 Aは,平成12年1月24日,同法務局所属公証人甲作成に係る平成12年第20号遺言公正証書により,別紙物件目録記載2及び3の各不動産を含め,その所有する一切の財産を被告に遺贈する旨の遺言をした(以下「第2遺言」という。)。なお,Aは,その当時,90歳であった。 3 Aは,かつて脳梗塞を罹患したことがあった上,平 び3の各不動産を含め,その所有する一切の財産を被告に遺贈する旨の遺言をした(以下「第2遺言」という。)。なお,Aは,その当時,90歳であった。 3 Aは,かつて脳梗塞を罹患したことがあった上,平成9年3月19日の時点において軽度の痴呆があったところ,平成10年11月14日,慢性心不全の急性増悪等により自宅で倒れ,救急車で医療法人回生会京都回生病院(以下「回生病院」という。)に搬送されて,以後,同病院に継続的に入院して治療を受けていたが,平成12年5月14日,同病院において,脳梗塞により死亡した。 第4 争点 1 第2遺言作成当時のAの遺言能力の有無 2 第2遺言の適式性 3 被告の本件不動産に対する占有の有無第5 争点に関する当事者の主張 1 争点1について(1) 原告の主張Aは,回生病院に入院後,痴呆状態が進行して,異常行動,不潔行為等が見られるようになり,また,平成11年10月16日に実施された長谷川式簡易知能評価スケールによる検査結果では4点(非常に高度な痴呆)という結果が出ていたのであって,Aは,第2遺言作成当時,高度な痴呆の状態にあり,遺言能力を欠いていた。 (2) 被告の主張Aの痴呆の症状は,回生病院入院後,症状が良い時とそうでない時の波があったものの,Aは,第2遺言作成当時,遺言をするのに十分な意思能力を有していた。 2 争点2について(1) 原告の主張第2遺言は,次のとおり,公正証書遺言の法定の要件を欠いており,無効である。 ア Aは,第2遺言作成に当たり,公証人に対して遺言内容を口授する能力を有しておらず,公証人の質問に対して,「はい。」「そうです。」などの反応を示したにすぎなかったから,第2遺言については,遺言者であるAの口授がなかった。 イ Aは,第 遺言内容を口授する能力を有しておらず,公証人の質問に対して,「はい。」「そうです。」などの反応を示したにすぎなかったから,第2遺言については,遺言者であるAの口授がなかった。 イ Aは,第2遺言作成に当たり,利き手である右手に障害がなく,署名することができたにもかかわらず,「病気のために」との理由により,Aの署名がなされなかった。 ウ第2遺言作成の際,被告は,七,八メートルあるいは10メートルくらい離れた,Aから姿の見える位置にいたものであり,このような事態は,受遺者が遺言の証人及び立会人として欠格であることを定めた民法974条の趣旨にもとるものである。 (2) 被告の主張原告の主張を否認ないし争う。 3 争点3について(1) 原告の主張被告は,現在,本件不動産を占有している。 (2) 被告の主張原告の主張を否認する。 第6 判断 1 認定事実(1) Aの痴呆の進行について証拠(甲3の2,甲16,17)によると,次の各事実が認められる。 ア Aは,回生病院入院後の平成10年12月から平成11年2月にかけて,経管栄養チューブを自分で抜去したり,便を壁につけるなどの不潔行為等が頻回に見られた。 イ Aは,その後,上記のような問題行動をさほど見せなくなったが,平成11年10月ころから布団を頭からかぶって寝ていることが多くなり,簡単な発語はあるが,活気がなくなってきた。また,同月16日に実施された長谷川式簡易知能評価スケールの結果は,年齢と場所の見当識はそれぞれ1点と保たれていたが,日時の見当識,3つの言葉の記銘,計算,数字の逆唱,5つの物品記銘,言葉の流暢性はいずれも不正解で0点,3つの言葉の遅延再生も6点満点の2点であり,総点数は30点満点の4点であった。 れていたが,日時の見当識,3つの言葉の記銘,計算,数字の逆唱,5つの物品記銘,言葉の流暢性はいずれも不正解で0点,3つの言葉の遅延再生も6点満点の2点であり,総点数は30点満点の4点であった。 ウ Aは,同年11月12日夜から翌13日午前中にかけて感情失禁(ナースコールに応じて看護婦が訪床すると,笑っていたり,涙を流していたりする。),襁褓を自ら除去しての尿失禁その他の不潔行為,暴力行為等が見られ,さらに,同年12月に,同様の不潔行為や暴力行為が見られたほか,同月下旬には昼夜逆転傾向や妄想が出現したり,意味不明の発語があったり,ベッドや床にごみやティッシュペーパーを散らかす行動などが見られた。 エ平成12年1月に入ってから第2遺言作成(同月24日)までに見られたAの異常行動や暴力行為は,概略,次のとおりである。 ① 1月2日ベッド上にごみを散らかしていた。 ② 1月3日ティッシュペーパーを散らかしていた。 ③ 1月5日検温時,両腕に力を入れ,体温計を入れさせようとせず,少しヒステリー気味に「もうええ。」と言って拒絶した。 ④ 1月6日箸を握りしめて布団をかぶり横になっていた。 ⑤ 1月7日ゴミ箱の袋を取り,千切って遊んでいた。 ⑥ 1月10日ベッド上で頭部を逆にして寝ており,看護婦が体位を元に戻しても,すぐに逆に寝てしまった。 ⑦ 1月11日清拭用タオルを抱えて離さず,また,シーツ交換時に介護職員の腕に噛み付いた。 ⑧ 1月13日ゴミ箱を抱えて,袋の中身をベッド上にばらまいた。 ⑨ 1月16日クッキーをベッド上にまいており,看護婦が片づけよう 護職員の腕に噛み付いた。 ⑧ 1月13日ゴミ箱を抱えて,袋の中身をベッド上にばらまいた。 ⑨ 1月16日クッキーをベッド上にまいており,看護婦が片づけようとすると,興奮状態となった。 ⑩ 1月19日ゴミ箱に入ってあったジャムをなめ,盛んに空腹を訴えた。 ⑪ 1月21日「かわいらしいからな。」と言って,ゴム人形を口の中に入れる様子が見られた。 オ Aの主治医は,平成11年12月29日及び平成12年1月12日,カルテに,Aの痴呆が強い旨記載した。 カ Aは,平成11年12月から平成12年1月24日までの間,看護婦との間で,次のような会話をした。 ① 12月12日「おいしかったわ。またおくれやす。」(お菓子の羊羹を与えられての会話)② 12月30日「カーテンこれでいい。明るい方がよい。」(看護婦が日差しよけカーテンを閉めようとしたのに対し)③ 1月16日「目が見えにくい。最近見えんようになってきた。」(なお,看護日誌(甲16)の同日の記載欄には,左目瞳孔白濁ありとの記載が付記され,また,カルテによると,翌日付けで老人性白内障の診断名が付されている。)④ 1月19日「ここからドテーと落ちたんや。アハハ。どこも打ってへん。おおきにすみませんなー。」「強いていえば,足が痛いけど,どうもない,アハハ」⑤ 1月23日「かゆいのましや。あんたのおかげや。ホッホッホッ。また,おやつもって来とくれやすな。ホッホッホッ。」(Aは,平成11年5月に老人性皮膚掻痒症と診断され,継続的に治療を受けていた。)(2) Aと原被告の関係並びに第1遺言及び第2遺言の作 ホッ。また,おやつもって来とくれやすな。ホッホッホッ。」(Aは,平成11年5月に老人性皮膚掻痒症と診断され,継続的に治療を受けていた。)(2) Aと原被告の関係並びに第1遺言及び第2遺言の作成経緯について証拠(甲2,3の2,甲7,8,17,乙1ないし3,4の1ないし3,乙5,6の1ないし4,乙7,8の1ないし3,乙9ないし13,証人甲,同B,同C,被告本人)によると,次の各事実が認められ,これを覆すに足りる証拠はない。 ア原告の父Dは,Aの遠い親戚に当たり,Aとは古くから付き合いがあった。Aには,亡Eとの間に一人娘のFがあったが,Fが昭和39年12月6日に死亡したため,跡継ぎがいなくなったことから,Aは,親しい付き合いのあった正覚寺の住職を通して,2回にわたり,Dに対して養子縁組をしたいと申し入れたことがあったが,Dの兄弟の反対で,養子縁組は実現しなかった。 イ一方,Eと被告の祖父がいとこ同士であったことから,被告とAも遠い親戚の関係にあった。Eは,かつて染かえの行商をしていたことがあり,昭和15年から昭和25年ころまでの間,福井県遠敷郡a町にある被告の生家を宿代わりにして年に数回泊まったことがあり,Aも,昭和15年ころ,E,Fとともに,被告の生家に泊まったことがあった。さらに,被告は,京都市内の組紐店に勤めていた昭和27年ころから約4年間,年に数回,EとAの自宅を訪れていた。 ウその後,被告が三重県上野市内の組紐店に勤めるようになったため,被告とE,Aとの交際は年賀状のやりとりをする程度になったが,昭和60年ころ,Aの自宅の近隣に被告の取引先ができたことから(被告は,そのころ,上野市内で独立して組紐卸店を営むようになっていた。),被告は,Aの自宅を月に2,3回の頻度で訪れて,Aの身の回りの世話をす 年ころ,Aの自宅の近隣に被告の取引先ができたことから(被告は,そのころ,上野市内で独立して組紐卸店を営むようになっていた。),被告は,Aの自宅を月に2,3回の頻度で訪れて,Aの身の回りの世話をするようになった(なお,Eは,昭和57年1月13日に死亡した。)。そして,平成二,三年のころには,Aが被告の娘と養子縁組をしたいと申し入れたことがあったが,被告の娘本人にその意思がなかったことから,養子縁組は実現しなかった。 エ Aは,平成5年ころ,正覚寺の住職を通じて,Dに対し,Dと妻Cの二男である原告と養子縁組をしたいと申し入れ,原告もこれを承諾したが,原告は当時17歳であったため,Aと原告との養子縁組には家庭裁判所の許可が必要であったところ,DとCが大阪家庭裁判所を訪れ,その手続について説明を受けた際,担当の職員から「家のためだけに未成年者を養子にすることはできない。」と説明されたことから,Aは,養子縁組はだめでも,財産をあげるから墓を守ってほしいと希望し,同年11月22日,公証人役場を訪れ,原告を受遺者とする第1遺言を作成した。なお,DとCは,その後も,年に数回,Aの自宅を訪れたり,正覚寺でAと顔を合わせたりしていた。 オ Aは,平成9年3月の時点において,軽度の痴呆があり,準寝たきり状態(屋内での生活は概ね自立しているが,介助なしには外出しない状態をいう。)であったことから,医師の指示により,同月19日から,「医療法人回生会訪問看護ステーションかいせい」所属のホームヘルパーの訪問看護を受けるようになった。被告は,平成9年3月ころ,ホームヘルパーのGから連絡を受け,Aに代わって訪問看護の利用申込みをしてほしいとの申し出を受け,その手続を行うとともに,Aに対し,ホームヘルパーに買い物や掃除を手伝ってもらうように話をした。 また, ームヘルパーのGから連絡を受け,Aに代わって訪問看護の利用申込みをしてほしいとの申し出を受け,その手続を行うとともに,Aに対し,ホームヘルパーに買い物や掃除を手伝ってもらうように話をした。 また,被告は,そのころ,老人ホームでAの世話をしてもらうことも検討し,京都市下京福祉事務所の担当者と相談したことがあったが,Aに老人ホーム入所の意思がなかったことから,それ以上の手続はしなかった。 カ被告は,平成10年11月15日,回生病院から,Aが同病院に入院したとの連絡を受け,翌16日,回生病院を訪れ,入院のための手続をするとともに,入院保証金として金8万円を回生病院に支払った。 キ被告は,平成11年2月15日,Aの主治医から,Aの病状が安定してきたことから療養型の病院への転院を勧められ,Aに対し,被告の自宅のある上野市内の病院へ転院しないかと話をしたが,Aが京都を離れることをいやがったことから,結局,Aはそのまま回生病院での入院生活を継続することとなった。 ク一方,DとCは,同年1月下旬になって初めてAが回生病院に入院したことを知り,そのころ,Aを見舞いに訪れたが,その後,Dが経営する不動産仲介業に税務調査が入ったり,Dの持病の糖尿病が悪化してうつ状態になったりしたことから,Cは同年5月3日までAを見舞うことができなかった。そして,DとCは,同年6月下旬ころ及び同年7月下旬ころにAを見舞ったが,Dのうつ状態が悪化して同年9月15日に入院することとなったことから,DとCは,その後,平成12年3月までAを見舞うことがなかった。 ケ被告は,平成11年10月29日,回生病院医事課の担当者から,Aの治療費と洗濯代の支払いが同年8月分から滞納していることを聞くとともに,通帳と印鑑を預けるので,Aの貯金を引き下ろしてきて,治療費の 被告は,平成11年10月29日,回生病院医事課の担当者から,Aの治療費と洗濯代の支払いが同年8月分から滞納していることを聞くとともに,通帳と印鑑を預けるので,Aの貯金を引き下ろしてきて,治療費の支払いをしてほしいと依頼され,また,Aからも同様の依頼があったことから,郵便局へ行き,Aの貯金30万3332円のうち,金30万円を引き下ろし,これに,Aの手持ちの現金9万6100円及び自分の手持ちの現金1万円を併せて,Aの治療費等の支払いをした。なお,Aの治療費等は毎月約金十二,三万円かかったが,Aには特に蓄えはなく,年金の給付が2か月ごとに金十四,五万円あったにすぎなかったことから,被告は,その後も,上記の年金に自らの手持ち金で不足額を補ってAの治療費を支払っていた。また,被告は,同年11月5日にはAに代わって固定資産税・都市計画税として金1万2000円を納付した。 コそのころ,Aは,被告に対し,「A家のことは一切Hさんに任せたい。 財産はHさんに譲りたい。遺言をするので,手続をする人に頼んでほしい。」と,遺言書の作成を依頼された。そこで,被告は,そのころ,公証人役場を訪れ,京都地方法務局所属公証人甲(以下「甲公証人」という。)と面談し,遺言公正証書の作成手続について説明を受けて,Aにその内容を伝えたところ,Aから手続を進めてほしいと依頼されたことから,かねて商売上の付き合いのあったBとI(以下,両名を併せて「Bら」という。)に証人となってもらうことにし,平成11年12月あるいは平成12年1月上旬ころ,再び,甲公証人と面談し,同月24日に回生病院においてAの遺言公正証書を作成することとなった。また,遺言公正証書の作成に必要な実印等については,被告が,Aから保管場所を聞いた上,隣人の立会の下に,Aの自宅から持ち出した。なお,被告は,その 病院においてAの遺言公正証書を作成することとなった。また,遺言公正証書の作成に必要な実印等については,被告が,Aから保管場所を聞いた上,隣人の立会の下に,Aの自宅から持ち出した。なお,被告は,その当時,Aが第1遺言をしたことを知らず,また,DやC,原告の存在も知らなかった。 (3) 第2遺言の作成状況について証拠(乙1,9,証人甲,同B,被告本人)によると,次の各事実が認められる。 ア甲公証人,Bら及び被告は,平成12年1月24日午後,回生病院を訪れ,同病院2階にある廊下続きの待合所において,Aと面談した。そして,被告が同所から七,八メートル離れた廊下の椅子に移動した後,甲公証人は,Bらの立会の下,遺言公正証書の作成に取りかかった。 イまず,甲公証人は,Aに対して,氏名と生年月日を尋ねたところ,Aは,これに正しく答えた。 ウ次に,甲公証人は,Aの自宅の土地建物(別紙物件目録記載2及び3)の登記簿謄本の内容を読み上げ,Aに対し,これらの不動産はAが所有するものであるかを尋ねたところ,Aは「はい,そうです。」と答えた。 エ次に,甲公証人は,Aに対して,「今の土地,建物その他の財産を誰に引き継いでもらいたいか。」と質問したところ,Aは「Hさんです。」と答えた。そして,その場からHの姿が見えたことから,同公証人は,Hを指さして,Aに対し,「Hさんとは,あそこにおられる方ですか。」と尋ねたところ,Aは,振り向いてHの方を見て,「はい,そうです。」と答えた。 オ甲公証人は,引き続き,Aに対して,「あなたが不動産等をHさんに引き継いだ場合,名義変更の手続等は誰にしてもらったらいいですか。」,「葬式は誰に責任を持ってやってもらえばいいですか。」と質問したところ,Aは,いずれについても,「H 「あなたが不動産等をHさんに引き継いだ場合,名義変更の手続等は誰にしてもらったらいいですか。」,「葬式は誰に責任を持ってやってもらえばいいですか。」と質問したところ,Aは,いずれについても,「Hさんです。」と答えた。 カ甲公証人はあらかじめ作成して持参していた遺言公正証書の記載事項を読み上げ,1項目ずつAに内容を確認したところ,Aはいずれも「はい。」と答えた。 キしかる後,甲公証人は,Aに対して,上記の遺言公正証書に署名押印するよう求めたが,Aが「右手の具合が悪いので,字が書けません。」と申し述べたことから,同公証人は,Aの氏名を代署し,さらに,同公証人が朱肉をつけた印鑑をAの手に持たせ,Aの手の上から自分の手を添えて押捺するという方法で押印した。 ク最後に,以上の経緯を見届けたBらが証人として上記遺言公正証書に署名押印した。 ケ甲公証人は,Aとのやりとりの際,Aが発問に対して回答を躊躇したり,言い淀んだりすることがなかったことから,Aの遺言能力には疑問を抱かなかった。なお,同公証人は,被告から,Aの病状につき,脳梗塞と説明を受けていたものの,痴呆のことは聞いていなかったため(被告自身もAの痴呆のことは医師から説明を受けていなかった。),Aの遺言能力の点に関し,診断書を求めることはしなかった。 (4) 第2遺言の内容について証拠(甲1,証人甲)によると,第2遺言の遺言の本旨は3か条から成り,その内容は,第1条が,Aの所有する自宅の土地建物を含む一切の財産を被告に遺贈する旨,第2条が,被告を遺言執行者に指名する旨,第3条(付言事項)が,葬儀等は被告の責任において執り行ってほしい旨というものであり,このうち,第3条は,打ち合わせの際,被告から「本人から頼まれているので,この言葉は入 を遺言執行者に指名する旨,第3条(付言事項)が,葬儀等は被告の責任において執り行ってほしい旨というものであり,このうち,第3条は,打ち合わせの際,被告から「本人から頼まれているので,この言葉は入れてください。」と申入れがあったものである。なお,Aの署名押印部分には,「遺言者は病気のため本公証人代署押印した。」との記載と同公証人の押印がなされている。 2 争点1について(1) 本件においては,痴呆性高齢者の遺言能力の有無をいかに考えるべきかが最大の問題とされているところ,痴呆性高齢者であっても,その自己決定はできる限り尊重されるべきであるという近時の社会的要請,及び,人の最終意思は尊重されるべきであるという遺言制度の趣旨にかんがみ,痴呆性高齢者の遺言能力の有無を検討するに当たっては,遺言者の痴呆の内容程度がいかなるものであったかという点のほか,遺言者が当該遺言をするに至った経緯,当該遺言作成時の状況を十分に考慮した上,当該遺言の内容が複雑なものであるか,それとも,単純なものであるかとの相関関係において慎重に判断されなければならない。 (2) そこで,まず,第2遺言作成時点におけるAの痴呆の程度をみると,前記認定事実(1)によると,Aは,平成9年3月の時点で既に軽度の痴呆が見られていたところ,回生病院入院後の平成10年12月ころには,経管栄養チューブを自己抜去したり,不潔行為等が頻回に見られるようになり,その後,いったん,問題行動が収まったものの,平成11年11月16日に実施された長谷川式簡易知能評価スケールの結果は30点満点中4点と非常に低い得点であり(なお,長谷川式簡易知能評価スケールにおいては,一般に,20点以下を痴呆,21点以上を非痴呆とした場合に最も高い弁別性が得られるとされ,また,痴呆の重症ごとの平均得点に照らすと 常に低い得点であり(なお,長谷川式簡易知能評価スケールにおいては,一般に,20点以下を痴呆,21点以上を非痴呆とした場合に最も高い弁別性が得られるとされ,また,痴呆の重症ごとの平均得点に照らすと,4点は「非常に高度」の場合のほぼ平均点に相当する。),さらに,同年12月から平成12年1月にかけては,再び,不潔行為や暴力行為,異常行為等が見られるようになっていたことが認められるから,第2遺言作成当時,Aの痴呆は相当高度の重症であったことが明らかである。 しかしながら,他方,前記認定事実(1)カに記載のAが平成11年12月から平成12年1月24日までの間に看護婦と交わした会話の内容をみると,Aは,第2遺言作成当時,他者とのコミニュケーション能力や,自己の置かれた状況を把握する能力を相当程度保持していたと考えられる。 (3) 次に,Aが第2遺言をなすに至った経緯をみると,前記認定事実(2)によると,被告はAの遠い親戚で,昭和15年ころからAと付き合いがあり,昭和27年からの約4年間は年に数回,昭和60年以降は月に2,3回の頻度でAの自宅を訪れ,Aの身の回りの世話をしていたこと,平成二,三年には,Aが被告の娘と養子縁組をしたいと申し入れたこともあったこと,平成9年からは,Aの訪問看護の利用申し込みをしたり,老人ホーム入所のために社会福祉事務所の担当者と打ち合わせをしたこと,回生病院からの連絡により,回生病院を訪れ,Aの入院手続をするとともに,入院保証金を支払い,その後も,Aの治療費の一部を自己の手持ち金で支払ったこと,これに対し,DとCは,年に数回,Aの自宅を訪れるにすぎず,Aを初めて見舞ったのは平成11年1月のことで,その後,同年5月,同年6月,同年7月に各1回見舞ったものの,その後は,平成12年3月まで見舞いに訪れなかったことが認めら ,Aの自宅を訪れるにすぎず,Aを初めて見舞ったのは平成11年1月のことで,その後,同年5月,同年6月,同年7月に各1回見舞ったものの,その後は,平成12年3月まで見舞いに訪れなかったことが認められる。すなわち,Aは,昭和60年ころからは,DやCとより,むしろ,被告との付き合いが頻繁であったところ,被告は,平成9年ころから,Aの介護について何くれとなく世話を焼くようになり,殊に,Aが平成10年11月に回生病院に入院した後は,主として被告がAの世話を見ていたのであって,加えて,前記認定事実(2)記載のとおり,Aがかねてから家の跡取りあるいは自分が死亡した後の墓守りをどうするかについて,あれこれ悩んでいたことも併せ考慮すると,自分の老い先が短くなった平成11年の暮れころにおいて,自分のことを最も親身になって世話をしてくれている被告に対し,自分の財産を引き継がせるとともに,自分の墓を守ってくれるように託すことを思い付いたのは,Aにとっては自然なことであったというべきであり,そこに短慮の形跡を窺うことは困難である。 (4) 次に,第2遺言作成時の状況をみると,前記認定事実(3)によると,Aは,甲公証人に対して,自己の財産の継承や葬儀の執行など,後のことは一切被告に任せるとの意思を明確に示し,同公証人の発問に対して躊躇したり,言い淀んだりすることもなかったことが認められる。 (5) 最後に,第2遺言の内容をみると,前記認定事実(4)によれば,第2遺言は,わずか3か条から成るものにすぎず,また,自分の一切の財産は被告に遺贈し(なお,第2遺言において明示されたAの財産は,Aの自宅の土地建物だけであった点も留意されるべきである。),葬儀の執行も被告に任せるという,比較的単純な内容のものであったことが認められる。 (6) 以上に検討したところ 明示されたAの財産は,Aの自宅の土地建物だけであった点も留意されるべきである。),葬儀の執行も被告に任せるという,比較的単純な内容のものであったことが認められる。 (6) 以上に検討したところを要するに,Aは,第2遺言作成当時,痴呆が相当高度に進行していたものの,いまだ,他者とのコミュニケーション能力や,自己の置かれた状況を把握する能力を相当程度保持しており,また,Aが第2遺言を作成するよう思い立った経緯ないし動機には特に短慮の形跡は窺われず,さらに,第2遺言の内容は比較的単純のものであった上,甲公証人に対して示した意思も明確なものであったことが認められるのであって,これらの事情を総合勘案すると,Aは,第2遺言の作成に当たり,遺言をするのに十分な意思能力(遺言能力)を有していたものと認めるのが相当である。 したがって,争点1についての原告の主張は採用することができない。 3 争点2について(1) まず,前記認定事実(3)によると,Aは,甲公証人から,自宅の土地建物その他の財産を誰に引き継いでもらうか,遺言執行者には誰を指名するか及び葬式は誰に任せるのかと質問され,被告の名前を明示的に挙げて答えたことが認められるから,第2遺言の作成については,民法969条2号に定める口授の方式に何ら欠けるところはないと解される。 (2) また,Aが第2遺言作成時において署名することができたと認めるに足りる証拠はない。 (3) さらに,前記認定事実(3)によると,被告は,Aと甲公証人及びBらとが面談していた場所から七,八メートル離れた場所にいたこと,上記面談場所から被告の姿が見えたことが認められるが,被告は,上記面談場所の間近にいたものではなく,また,Aに対し,自己の思いのままの遺言をするように威迫あるいは誘導を加えることができた いたこと,上記面談場所から被告の姿が見えたことが認められるが,被告は,上記面談場所の間近にいたものではなく,また,Aに対し,自己の思いのままの遺言をするように威迫あるいは誘導を加えることができたような状況であったとも認められない。 (4) したがって,第2遺言の適式性に関する原告の主張はいずれも採用の限りでない。 4 結論以上のとおりであるから,第2遺言は,Aの遺言能力の点からも,適式性の点からも,その無効を来すべき事由が存在せず,有効であると認めるのが相当であるから,その余の点を判断するまでもなく,原告の請求はいずれも理由がない。 京都地方裁判所第4民事部裁判官佐藤英彦(別紙)物件目録 1 土地所在京都市下京区b町地番 c番地目宅地地積 18.01平方メートル 2 土地所在京都市下京区d町地番 e番地目宅地地積 92.29平方メートル 3 建物所在京都市下京区d町e番地家屋番号 2番構造種類木造瓦葺2階建居宅床面積 1階 49.58平方メートル2階 19.83平方メートル附属建物符号構造種類木造瓦葺平家建居宅店舗床面積 30.41平方メートル符号構造種類木造瓦葺平家建工場床面積 3.96平方メートル以上 以上
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