- 1 -平成17年(ワ)第1506号損害賠償請求事件(医療事件)主文 原告らの請求をいずれも棄却する。 訴訟費用は原告らの負担とする。 事実 及び理由第1請求被告は,原告らに対し,それぞれ5421万8982円及びこれに対する平成15年12月24日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2事案の概要本件は,原告らの娘であるAが,被告の開設する病院において急性喉頭蓋炎と診断され,気道確保のため気管切開を受けたが,術中,窒息し,その後気道が確保されて蘇生したものの,そのまま植物状態となり,その後死亡したことにつき,原告らが,担当医師は直ちに輪状甲状靱帯穿刺又は輪状甲状靱帯切開を実施して気道を確保すべき注意義務があったのに,気管切開術を選択・施行したことは過失に該当する等と主張して,被告に対し,債務不履行及び不法行為による損害賠償請求権に基づき,合計1億0843万7964円(原告らが各2分の1宛請求)及びこれに対する事故の翌日である平成15年12月24日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求めた事案である。 争いのない事実等( ) 当事者 ア原告Bと同Cは夫婦であり,A(昭和49年2月7日生)は,原告らの娘である。(争いがない)イ被告は,肩書地において総合病院「D病院」(以下「被告病院」という。)を経営している。(争いがない)- 2 -( ) 本件の診療経過 アAは,平成15年12月23日の昼ころには,のどの腫れがひどくなり,普通に声がほとんど出せない状態となった。 Aの熱はやや上昇傾向にあり,夕方には悪寒が激しくなり,震えるようになった。Aの状態が非常に悪かったので,原告らは,Aに病院へ行くように勧めた。(争いがない)イAは,平成15年12 態となった。 Aの熱はやや上昇傾向にあり,夕方には悪寒が激しくなり,震えるようになった。Aの状態が非常に悪かったので,原告らは,Aに病院へ行くように勧めた。(争いがない)イAは,平成15年12月23日(以下,特に年月日を記載しない限り,いずれも同日の出来事である。)の午後6時に家を出て,午後6時20分ころに被告病院に到着した。Aは,同日は一日中食事を取らなかったし,水すらもうまく飲めない状態であった。(争いがない)ウ午後6時45分に被告病院のE医師がAを診察した。Aは問診されても自分ではほとんど喋らず,原告CがほとんどE医師と受け答えをしていた。 (争いがない)エE医師は,Aの喉を診ようとしたが,Aは喉が腫れて自力で口が開かない状態であった。そこで,Aが手を使って口を開けようとしたところ,E医師はもうよいと言って制止した。(争いがない)オその後,Aはレントゲン写真の撮影を受け,その後,点滴を受けたが,Aは呼吸困難から寝ることができず,座ったまま点滴を受けていた。(争いがない)カ午後8時ころ,被告病院耳鼻咽喉科のF医師がAの診察を行った。F医師は,Aの喉にカメラを入れてモニターしながら診察を行った。(争いがない)キ午後8時40分ころ,F医師から呼び出しを受けた被告病院耳鼻咽喉科のG医師及びH医師が到着した。F医師は,G医師らに対し,Aの症状を説明し,G医師らは気管切開が必要であると判断した。そこで,G医師は,原告Cに対して,Aについて急性喉頭蓋炎という病気で窒息の危険があり,- 3 -早急に気管切開をする必要があること等を説明し,気管切開術を行うことにつき原告Cの承諾を得た。(乙A2,6,証人G)クG医師は,H医師,F医師とともに,午後9時10分ころ,Aに対し,気管切開術を開始した(執刀医はG医師)。手術は,半 説明し,気管切開術を行うことにつき原告Cの承諾を得た。(乙A2,6,証人G)クG医師は,H医師,F医師とともに,午後9時10分ころ,Aに対し,気管切開術を開始した(執刀医はG医師)。手術は,半座位の状態で行われた。(乙A2,6,証人G)ケAは,午後9時18分ころ,突然,窒息を来たし,意識消失,呼吸停止,血圧測定不能となった。G医師は,(Aが呼吸停止となった後,気管切開するまでの経緯には争いがある。)輪状甲状靱帯の下の気管を切開し,挿管チューブを挿入し,アンビューバックで換気を開始した。その後,自発呼吸が再開し,心電図も拍動を示した。(乙A2,乙A6,証人G)コ午後9時40分ころ,Aの自発呼吸がしっかりしてきたので,アンビューバックによる補助呼吸が中止された。その後,今後の気管カニューレ交換に備えて,通常の中気管切開を施行し,気管カニューレを挿入した。 (乙A2,6,証人G)サ午後10時20分ころに,手術が終了した。(争いがない)シAは,低酸素から脳が障害され植物状態となった。平成15年12月24日に被告病院のICUに移動したが,同日,脳外科のI医師は,原告らに対し,脳に血腫がある,現状は脳幹だけが生きており,脳の大部分はだめになっている旨説明した。(争いがない)スAは,平成16年1月29日ころから脳神経外科に移動したが,植物状態が続き,自発呼吸はあるものの,酸素吸入は必要であり,脳波はフラットのまま変動のない状態であるという状態が続いた。(争いがない)セAは,平成17年2月3日午後3時3分,多臓器不全で死亡した。(争いがない) 本件における基礎的な医学的知見急性喉頭蓋炎について(甲B2,10,15,16,18)- 4 -ア急性喉頭蓋炎は,ウイルスや細菌感染に伴う粘膜と粘膜下組織の急激な炎症反応によって, ない) 本件における基礎的な医学的知見急性喉頭蓋炎について(甲B2,10,15,16,18)- 4 -ア急性喉頭蓋炎は,ウイルスや細菌感染に伴う粘膜と粘膜下組織の急激な炎症反応によって,喉頭蓋や声門周囲の腫脹を来たす疾患である。 イ急性喉頭蓋炎の症状としては,初発症状として軽い上気道炎の症状に引き続いて,咽頭痛,嚥下痛が発症し,その疼痛は急速に高度となり,激しい嚥下痛のために嚥下困難に陥り,痛みのために唾液の嚥下も困難となり,流涎がみられるようになる。嗄声はないか,あっても軽度であるが,声門上で狭窄するため含み声を呈する。さらに進行すると呼吸困難を訴えるようになる。 成人の場合,初発症状が出現してから呼吸困難に進むまで2~3日かかることが多いものの,中には初発症状の嚥下痛が出現してから約5時間で呼吸停止にまで至った症例も報告されている。 仰臥位では重力によって腫大した喉頭蓋が後下方に落ち込むため,呼吸困難は仰臥位で増強し,座位で軽減する。したがって,患者は座位を好み,顎を出し,口を開けて舌を出す特有の体位を取る。全身症状としては,ほとんどの例で37℃以上の発熱を伴う。 ウ急性喉頭蓋炎の診断は,喉頭鏡や喉頭ファイバースコープによって,喉頭蓋の発赤・腫脹を観察して行う。初期の段階では,発赤した喉頭蓋の辺縁が丸みを帯びて観察されるが,進行すると喉頭蓋全体が丸く腫大して声門の観察が困難となる。成人では,喉頭蓋の発赤・腫脹に加えて凹凸が見られ,しばしば部分的に膿瘍が形成される場合や,発赤よりもむしろ浮腫性に蒼白に腫脹する場合がある。さらに進行すると披裂喉頭蓋襞,披裂部,仮声帯まで腫脹を認めるようになる。また,頸部側面X線撮影において腫大した喉頭蓋のシルエット(thumbprintsign)が認められ,CTでも腫脹した喉頭蓋を捉 行すると披裂喉頭蓋襞,披裂部,仮声帯まで腫脹を認めるようになる。また,頸部側面X線撮影において腫大した喉頭蓋のシルエット(thumbprintsign)が認められ,CTでも腫脹した喉頭蓋を捉えることができる。血液・生化学検査では,白血球数の上昇,CRPの上昇,血沈の亢進など細菌感染を反映する所見が認められる。 - 5 -エ急性喉頭蓋炎の治療方法としては,抗生剤の点滴静注を行い,膿瘍形成があるような症例には嫌気性菌感染も考慮してクリンダマイシンの併用を行う。また,気道狭窄がある症例では,ステロイドの全身投与も行われる。 呼吸困難が高度の際には,気道を確保することが大事である。気道確保の方法としては,気管内挿管,輪状甲状靱帯穿刺,輪状甲状靱帯切開及び気管切開がある。輪状甲状靱帯穿刺は,甲状軟骨と輪状軟骨の間にある輪状甲状靱帯に留置針を穿刺するもので,トラヘルパー(経費的気管穿刺針),ミニトラックⅡなどの輪状甲状靱帯穿刺キットを用いて行われることが多く,輪状甲状靱帯切開は,輪状甲状靱帯を切開して気管内チューブを挿入するものである。気管切開は,輪状軟骨下の気管を切開して気管内チューブを挿入するものである。急性喉頭蓋炎の場合,気管内挿管は,喉頭蓋の腫脹のため成功することが少ないとされている。 本件の争点( ) 被告病院担当医師は,気管切開術を行うに先立って,輪状甲状靱帯穿刺又 は輪状甲状靱帯切開を実施して,気道を確保すべき注意義務があったか否か。 ( ) 被告病院担当医師は,Aが呼吸停止となった際,トラヘルパーの施行を試 みたか否か。仮に,トラヘルパーの施行を試みたが呼吸が確保できなかった場合,その原因は,被告病院担当医師のトラヘルパーの施行方法に過失があったことによるものか否か。 ( ) 被告病院担当医師は,Aが呼吸停止となっ に,トラヘルパーの施行を試みたが呼吸が確保できなかった場合,その原因は,被告病院担当医師のトラヘルパーの施行方法に過失があったことによるものか否か。 ( ) 被告病院担当医師は,Aが呼吸停止となった後,輪状甲状靱帯切開を実施 して,気道を確保すべき注意義務があったか否か。 ( ) 損害の有無及び金額 争点に対する当事者の主張( ) 争点( )(被告病院担当医師は,気管切開術を行うに先立って,輪状甲状 靱帯穿刺又は輪状甲状靱帯切開を実施して,気道を確保すべき注意義務があったか否か)について- 6 -(原告らの主張)アAは,遅くとも平成15年12月22日の朝から喉の変調を訴え,呼吸が困難な状態であった。同月23日午後6時45分にE医師の診察を受けた時には,著しい呼吸困難を示し,起座呼吸となり,開口障害も存在した。 ファイバースコープ,CT画像による診察では,気道は著しい閉塞を示していた。したがって,Aの急性喉頭蓋炎は極めて重篤な状態であり,いつ窒息してもおかしくない状態であった。このような切迫した呼吸困難に対して,被告病院担当医師は,気管切開術を行うに先立って,輪状甲状靱帯穿刺又は輪状甲状靱帯切開を実施して,気道を確保する注意義務があった。 その理由は,以下のとおりである。 イ輪状甲状靱帯付近は,皮膚から気管までの距離が短く,血管も少なく,筋肉もほとんどない構造になっている。輪状甲状靱帯部から下に向かうに従って,気管の位置が深くなり,皮膚組織と気管との間に筋肉群も存在するため操作がしにくく,大きな血管が近くにあり,出血の危険が大きくなる。 そして,気管切開は,皮膚切開の後に筋肉をより分け,さらに甲状腺を移動させて気管を切開して挿管するという手順を踏むため,輪状甲状靱帯穿刺,輪状甲状靱帯切開よりも時間を要する。そのため 大きくなる。 そして,気管切開は,皮膚切開の後に筋肉をより分け,さらに甲状腺を移動させて気管を切開して挿管するという手順を踏むため,輪状甲状靱帯穿刺,輪状甲状靱帯切開よりも時間を要する。そのため,一般的には,緊急性が高く,時間に余裕がない場合には,輪状甲状靱帯穿刺,輪状甲状靱帯切開が選択される(甲B10号証1016頁には「挿管輪状甲状間膜穿刺や切開は気管切開に比べて手技が容易,迅速で特殊な器具を要しない。 合併症が少ないなどの利点があり,緊急時の気道確保に有用である。しかし,一時的な処置であり,vitalが落ち着いたら通常の気管切開を行う。」との記載がある。また,甲B19号証470頁には「気管切開は,前述の方法と比較し確実に気道確保が行えるという長所がある一方,ある程度の手術時間を要することは否定できず,さらに頸部の伸展が制限され- 7 -る例や…気道閉塞の恐れのある例や窒息を生じているような緊急時には不向きである。」との記載がある。)。 以上によれば,本件のようにいつ窒息が生じてもおかしくないほど緊急性が高い事例に対しては,原則として輪状甲状靱帯穿刺又は輪状甲状靱帯切開が選択され,その後に気管切開術が施されるべきであった。 ウしたがって,気管切開術に先立って輪状甲状靱帯穿刺又は輪状甲状靱帯切開を実施しなかった被告病院担当医師には過失がある。 (被告の主張)アF医師は,Aに対し,喉頭ファイバースコープ検査を行った結果,急性喉頭蓋炎で窒息の危険性があると判断し,その旨を説明した。また,Aの前頸部の著しい腫脹があり,頸部膿瘍の可能性も考えられたので,至急頸部のCTを行うよう説明し,少しでも呼吸困難を緩和するため酸素マスクの装着を行った。F医師は,開口障害があるので経口的気管内挿管が困難な上,前頸部腫脹が著しいため,トラヘルパーもか れたので,至急頸部のCTを行うよう説明し,少しでも呼吸困難を緩和するため酸素マスクの装着を行った。F医師は,開口障害があるので経口的気管内挿管が困難な上,前頸部腫脹が著しいため,トラヘルパーもかえって窒息の危険を助長する危険性が考えられ,気管切開が必要なのではないかと判断し,この処置にすぐれているG医師とH医師を至急呼び出すように病棟に指示をした。F医師は,午後8時40分ころに到着したG医師,H医師に今までの経緯と検査結果や,気道がかなり狭く,頸部の腫脹があるのに併せて,開口障害と座位でしか居られないなどの状況であることを説明した。G医師及びH医師も,病棟で緊急気管切開するしかこの緊急事態を打開する方法がないと判断し,Aに対し,気管切開術を行うことになった。 イなお,気道確保の方法としては,開口ができず頸部伸展位がとれないうえ,頸部軟部組織が腫脹していたため,気管内挿管,輪状甲状靱帯穿刺及び輪状甲状靱帯切開はいずれも困難であり,半座位での気管切開術を選択したものである。 急性喉頭蓋炎の過去10年間の本邦報告例において,気道確保の方法と- 8 -して気管切開が74.4パーセントを占めており,気道確保法の主体であり,急性喉頭蓋炎の気道確保については一般に気管切開術が第一選択とされている。また,輪状甲状靱帯切開は,適切な処置が行われない場合には,肉芽形成も含めて,後日,カニューレ抜去困難症などが発症する可能性が高くなる。緊急性があるとはいっても,輪状甲状靱帯穿刺,輪状甲状靱帯切開は,喉頭にダメージを及ぼす処置であるため,極力避けるべきである。 ウしたがって,G医師が,輪状甲状靱帯穿刺又は輪状甲状靱帯切開を行わないまま,気管切開術を選択したことが過失に該当するとはいえない。 ( ) 争点( )(被告病院担当医師は,Aが呼吸停止となった際 ウしたがって,G医師が,輪状甲状靱帯穿刺又は輪状甲状靱帯切開を行わないまま,気管切開術を選択したことが過失に該当するとはいえない。 ( ) 争点( )(被告病院担当医師は,Aが呼吸停止となった際,トラヘルパー の施行を試みたか否か。仮に,トラヘルパーの施行を試みたが呼吸が確保できなかった場合,その原因は,被告病院担当医師のトラヘルパーの施行方法に過失があったことによるものか否か)について(原告らの主張)ア被告病院担当医師は,Aが無呼吸となった時点で,トラヘルパーを使用して気道確保を図るべき注意義務があったのに,トラヘルパーを使用しなかった。 イ被告は,G医師はトラヘルパーを2回使用したが,急性喉頭蓋炎に合併した多発頸部リンパ節炎による炎症がその周囲の頸部軟部組織に波及した蜂窩織炎による頸部軟部組織腫脹によりトラヘルパーの先端が気道の中にとどかなかった可能性と,不十分ながら届いていたとしても気道内に粘調度の高い分泌物が貯留していて,それが内腔の狭いトラヘルパー内に詰まり十分な換気ができなかったことが可能性として考えられると主張する。 蜂窩織炎とは,細菌感染によって起こる皮膚と皮下組織の感染症であり,症状は痛みや腫れ,熱感,紅斑,水疱などであり,病巣部は赤く腫れ上がり,腫脹部分は激しく痛むという特徴がある。しかし,Aが疼痛を訴えたことはないし,喉の部分(外側)が赤く腫れ上がっているという事実もな- 9 -い。したがって,本件では蜂窩織炎の特徴を示す激しい疼痛,赤く腫れ上がる状況を示す証拠はないから,蜂窩織炎である旨の被告の主張は理由がない。 また,被告はAの頸部の腫脹が著しいものであったと主張するが,カルテには著しい腫脹を窺わせる記載等はない(乙A1号証の3頁には,頸部の図があり「腫脹」との記載はあるが,程度は明らかでな 由がない。 また,被告はAの頸部の腫脹が著しいものであったと主張するが,カルテには著しい腫脹を窺わせる記載等はない(乙A1号証の3頁には,頸部の図があり「腫脹」との記載はあるが,程度は明らかでなく,著明であれば表示されるはずである「++」の記載はない。乙A2号証12頁の説明の中にも,その後の原告Bに対する説明の中にも著しい腫脹について何ら記載はない。看護記録(乙A2号証10頁)にも腫脹に対する問題意識は示されていない。)。また,被告は,CT写真(乙A4)をもって,腫脹していると主張するが,急性喉頭蓋炎はウイルスや細菌感染に伴う粘膜,粘膜下組織の急激な炎症反応であるから,通常,頸部のリンパ節が炎症し,多かれ少なかれ喉が腫れてくるものであって,CT画像上,リンパ節部分が腫れていることをもって,本件症例が特別であるということにはならない。したがって,本件では,被告が主張する著しい腫脹というのはなかったというべきである。そうすると,トラヘルパーの使用を妨げるような腫脹はなく,腫脹によりトラヘルパーの先端が気道に届かないということもあり得ない。さらに,被告が主張する粘液の存在は立証されていないから,粘液によりトラヘルパーによる気道確保ができなかったともいえない。 さらに,耳鼻咽喉科入院診療録概要(乙A2p2)には,手術内容についての簡単な記載があるが,そこには「緊急気管切開施行」とあるだけでトラヘルパーを使用した事実は一切記載されていない。乙A2号証の12頁には,母親への事前事後の説明内容の記載があるが,事前説明部分においては,「気切が必要である」とされているだけで,気管切開のことだけの説明しかなく,緊急気管切開・穿刺の記載は一切存在しないし,トラヘルパーという言葉も記入されていない。手術後の原告Cへの説明部分につ- 10 -いても,気 とされているだけで,気管切開のことだけの説明しかなく,緊急気管切開・穿刺の記載は一切存在しないし,トラヘルパーという言葉も記入されていない。手術後の原告Cへの説明部分につ- 10 -いても,気管切開をして挿管したという記載がなされているだけで,トラヘルパーという言葉は記入されていない。輪状甲状膜の場所を見つけるためには,トラヘルパーを刺していく際の感覚が大事であるにもかかわらず,G医師は,「何に当たったとか,そういう感触は覚えていません。」という曖昧な供述しかしていないことも,トラヘルパーを使用した事実はないことをうかがわせるものである。 以上のようにトラヘルパーの使用が失敗するような事情はなく,トラヘルパーを使用したことを窺わせる記載もなく,トラヘルパーを使用したとするG医師の供述も曖昧なものであること,そしてトラヘルパーは輪状甲状靱帯をめがけて突き刺せば足りる簡単な作業であるから経験のある医師であれば失敗するような手技ではないことを考慮すると,G医師は,トラヘルパーを2回使用したが失敗したのではなく,そもそもトラヘルパーを使用していないと考えられる。なお,看護記録には,「留置を試みる」という記載があるが,その意味は具体性に欠けよくわからないから,同記載をもってトラヘルパーの使用があったということはできない。 ウ仮に,G医師がトラヘルパーを使用したとしても,2回実施したという証拠はないし,2回とも失敗したのであれば看護記録に記載するのが通常であるところ,そのような記載がないことからすると,それは1回限りであると見るべきである。 そして,上記のとおり,トラヘルパーは輪状甲状靱帯をめがけて突き刺せば足りる簡単な作業であるから経験のある医師であれば失敗するような手技ではないが,ただ,トラヘルパーの刺す角度を誤ると脇にそれて気道に達 ,上記のとおり,トラヘルパーは輪状甲状靱帯をめがけて突き刺せば足りる簡単な作業であるから経験のある医師であれば失敗するような手技ではないが,ただ,トラヘルパーの刺す角度を誤ると脇にそれて気道に達しないことがあることを考慮すると,G医師は,トラヘルパーを刺す角度を誤るという単純なミスをしたために,トラヘルパーによる気道確保に失敗したと考えられる。 エトラヘルパーが適切に実施されていれば,直ちに呼吸回復を図ることが- 11 -でき,Aが死亡するという結果を回避することが可能であった。 (被告の主張)G医師は,Aが窒息の状態となった後,トラヘルパーを2回使用したが,Aの頸部は,急性喉頭蓋炎に合併した多発頸部リンパ節炎による炎症がその周囲の頸部軟部組織に波及した蜂窩織炎により腫脹が著しかったため,トラヘルパーの先端が気道の中に届かなかったか,不十分ながら届いたとしても気道内に粘調度の高い分泌物が貯留していて,それが内腔の狭いトラヘルパー内に詰まり十分な換気ができなかった。 ( ) 争点( )(被告病院担当医師は,Aが呼吸停止となった後,輪状甲状靱帯 切開を実施して,気道を確保すべき注意義務があったか否か)について(原告らの主張)Aが無呼吸となった時の切開の程度については,証人Gの証言及び乙A1,2号証によれば,少なくとも甲状軟骨下辺から5cmの範囲について皮膚切開は終えていた状態であったと考えられる。そして,甲状軟骨付近には筋肉がほとんどないのであるから,甲状靱帯付近の組織は剥離されたといってよい状態にあり,G医師は,甲状軟骨,輪状軟骨の位置の見当をつけることは容易な状態であり,実際,G医師自身も甲状軟骨,輪状軟骨の位置の見当がついていた。このような状態の場合,靱帯部をねらって,甲状間膜にメスを到達させ,それを広げることはきわめ 位置の見当をつけることは容易な状態であり,実際,G医師自身も甲状軟骨,輪状軟骨の位置の見当がついていた。このような状態の場合,靱帯部をねらって,甲状間膜にメスを到達させ,それを広げることはきわめて単純なことであり,その操作は数十秒以内で行えるものである。 被告は,呼吸停止の時間を3~4分と主張するが,本件では,呼吸憎悪→座位→不穏状態→トラヘルパー留置(なお原告らは同事実を認めるわけではない。)→気管切開という経過をたどっているから,呼吸停止の時間が3~4分というのはありえない。そもそも,本件では,術前,Aはすでに呼吸不全となっていた。血中酸素濃度も減少しており,無呼吸に対する抵抗力が小さい状態にあった。こうした状態で無呼吸となれば,通常よりも短い窒息時- 12 -間で脳障害を生じる可能性があることは予見できた。 したがって,被告担当医師が,数十秒以内で実施できる輪状甲状靱帯切開を実施していれば,Aの死亡という結果を免れることができたところ,長時間を要する気管切開を選択したため,Aに脳症(その後死亡)という結果が生じたのである。 (被告の主張)G医師は,Aが呼吸停止となった直後にトラヘルパーを2回試みたが十分な換気が得られなかった。そこで,G医師は,腫脹の著しい炎症性軟部組織内での輪状甲状靱帯切開という確実性に欠ける操作に時間を費やすよりは,すでに進行している気管切開術の術野内の甲状腺峡部下方に気管切開をする方が確実で早期に気道確保ができると判断して,同方法を選択し,施行した。 したがって,G医師の判断に過失があるとはいえない。 なお,原告らは,輪状甲状靱帯切開をしていればAの死亡という結果を免れることができたと主張するが,上記方法を実施していたらAが救命可能であったか否かは不明というべきである。 ( ) 争点( )(損害の有無及び らは,輪状甲状靱帯切開をしていればAの死亡という結果を免れることができたと主張するが,上記方法を実施していたらAが救命可能であったか否かは不明というべきである。 ( ) 争点( )(損害の有無及び金額)について (原告ら)アAの損害Aの損害は,以下のとおり合計8643万7964円であるところ,Aの死亡により,原告らはそれぞれ4321万8982円宛相続した。 (ア) 治療費a被告病院における治療費(平成15年12月23日から平成17年2月3日)439万9980円bJ病院における治療費(平成16年5月24日から同年6月26日)56万2700円c高額医療費支給分△265万0317円- 13 -(イ) 付添看護費244万2000円(1日6000円×407日)(ウ) おむつ代等9万2702円(エ) 交通費11万7040円(オ) 書籍代等3万1800円(カ) 戸籍謄本代等3450円(キ) 葬儀代等224万0359円(ク) 仏具等107万7000円(ケ) 逸失利益4526万3253円Aは,死亡当時30歳であり,67歳まで38年就労が可能であり(ライプニッツ係数は16.868),その間,女子全年齢学歴別(短大卒)の平均給与額383万3400円の収入を得ることが可能であった(生活費控除は30パーセントが相当である。)。したがって,383万3400円×(1-0.3)×16.868=4526万3253円となる。 (コ) 慰謝料2500万円(サ) 弁護士費用785万7997円イ原告らの損害(ア) 慰謝料原告らにつき各1000万円婚姻前の若年のAを植物状態にされた多大な精神的苦痛,その後の植物状態のAの介護を余儀なくされた原告らの負担,さらに回復の見込みがない中で,最愛の娘がいつ死亡してしまう 原告らにつき各1000万円婚姻前の若年のAを植物状態にされた多大な精神的苦痛,その後の植物状態のAの介護を余儀なくされた原告らの負担,さらに回復の見込みがない中で,最愛の娘がいつ死亡してしまうかという多大な恐怖心,そして,その危惧が現実化してしまった娘の死亡に対する本来金銭に換算しえないほどのショック,精神的苦痛を考慮した。 (イ) 弁護士費用原告らにつき各100万円- 14 -(被告)争う。 第3当裁判所の判断 争点( )(被告病院担当医師は,気管切開術を行うに先立って,輪状甲状靱 帯穿刺又は輪状甲状靱帯切開を実施して,気道を確保すべき注意義務があったか否か)について( ) 上記争いのない事実等のとおり,Aは,平成15年12月23日午後6時 45分に被告病院のE医師の診察を受け,その後レントゲン写真の撮影を受けたこと,午後8時ころにAを診察した被告病院耳鼻咽喉科のF医師は,Aの喉にカメラを入れてモニターしながら診察を行ったこと,午後8時40分ころ,F医師から呼び出しを受けた被告病院耳鼻咽喉科のG医師及びH医師は,F医師からAの症状について説明を受け,気管切開が必要であると判断したこと,そこで,G医師は,原告Cに対して,Aについて急性喉頭蓋炎という病気で窒息の危険があり,早急に気管切開をする必要があること等を説明し,気管切開術を行うことにつき原告Cの承諾を得たこと,G医師は,午後9時10分ころ,Aに対し,気管切開術を開始したことが認められる。また,証拠(乙A6,証人G)によれば,手術に立ち会ったF医師はトラヘルパーを所持していたことが認められる。 上記認定のとおり,G医師による気管切開術が開始される前に被告病院担当医師による輪状甲状靱帯穿刺又は輪状甲状靱帯切開は実施されていないところ,原告らは,Aはいつ窒息が生じ していたことが認められる。 上記認定のとおり,G医師による気管切開術が開始される前に被告病院担当医師による輪状甲状靱帯穿刺又は輪状甲状靱帯切開は実施されていないところ,原告らは,Aはいつ窒息が生じてもおかしくないほど緊急性が高い状態であったのであるから,被告病院担当医師は,気管切開術を行うに先立って,輪状甲状靱帯穿刺又は輪状甲状靱帯切開を実施して,気道を確保する注意義務があったと主張する。 この点について,G医師は,頸部の腫脹が著しく,輪状甲状靱帯の部位を特定するのが不明確であったこと,頸部伸展をするような適正な体位がとれ- 15 -ないことから,気管内挿管や輪状甲状靱帯穿刺や輪状甲状靱帯切開ではなく,座位の状態で気管切開(ただし,首の上の方が腫れていることから,下方の気管(甲状軟骨の下縁辺りから下の部分)を切開した。)を試みた旨の説明をしている。 ( ) そこで,以下,この点について検討する。 ア上記争いのない事実等のとおり,平成15年12月23日午後6時45分からAはE医師の診察を受けたが,Aは喉が腫れて自力で口が開かない状態で,仰臥位の状態で呼吸することが困難であったことが認められる。 また,証拠(乙A3,4の1・2,6,証人G)によれば,喉頭ファイバーで,喉頭蓋に限らず喉頭破裂部も炎症により著明に腫脹し,中央に声門の気道空間がわずかに観察される状態であり,気道狭窄の程度は高度であったことが確認され,頸部CT写真によっても気道狭窄の程度は高度であり,頸部の軟部組織が左を主体として腫脹している(また,頸部のリンパ節が多数,かつ大きく腫れていた。)ことが確認されたこと,G医師らはAの症状は急性喉頭蓋炎であり,気道確保が必要であると判断したことが認められる。そして,後記2認定のとおり,Aの頸部の腫脹は通常の喉頭蓋炎における腫脹 腫れていた。)ことが確認されたこと,G医師らはAの症状は急性喉頭蓋炎であり,気道確保が必要であると判断したことが認められる。そして,後記2認定のとおり,Aの頸部の腫脹は通常の喉頭蓋炎における腫脹と比較するとその程度は著しいものであったと認められる。 上記本件における基礎的な医学的知見のとおり,急性喉頭蓋炎において,呼吸困難が高度の際には,気道を確保することが大事であるところ,急性喉頭蓋炎における気道確保の方法としては,輪状甲状靱帯穿刺,輪状甲状靱帯切開及び気管切開が考えられる。 G医師は,本件当時,被告病院の耳鼻咽喉科の講師であり,本件当時まで,急性喉頭蓋炎による気管切開は,自身が執刀医として行ったものが5,6例,助手として関与した例が15例くらい,喉頭蓋炎以外のものを含めると100例以上の気管切開の経験を有していたこと,トラヘルパーを使- 16 -用したのは2,3例,輪状甲状靱帯切開を行ったのは2,3例くらいであることが認められる(証人G)。 イ上記1の( )のア認定のとおり,Aの頸部の腫脹は,通常の喉頭蓋炎に おける腫脹と比較するとその程度は著しかったことが認められるから,かかる著しい腫脹のために輪状甲状靱帯の部位を明確に特定することが困難であった旨のG医師の供述は信用できるというべきである。 そして,G医師は,100例以上の気管切開の経験を有していたことを考慮すると,緊急時に備えてトラヘルパーを用意しつつ,確実に気道確保を行える気管切開の方法を選択したことが,医師として不合理な判断であったということはできないというべきである。 なお,輪状甲状靱帯穿刺,輪状甲状靱帯切開と気管切開について,「まず,アンビュバッグとマスクによる換気,気管内挿管を試み,換気ができない場合で,時間に余裕がなければ,輪状甲状靱帯穿刺,輪状甲状靱帯切 お,輪状甲状靱帯穿刺,輪状甲状靱帯切開と気管切開について,「まず,アンビュバッグとマスクによる換気,気管内挿管を試み,換気ができない場合で,時間に余裕がなければ,輪状甲状靱帯穿刺,輪状甲状靱帯切開で気道を確保し,その後に気管切開を選択するのが安全で確実な方法と考える。上記の方法がうまくいかない場合や,手技に熟達している場合には気管切開を行う。」とする文献(甲B18p28)や「気管切開は,…確実に気道確保が行えるという長所がある一方,ある程度の手術時間を要することは否定できず,さらに頸部の伸展が制限される例や,慢性甲状腺炎等により皮膚から気管までの長い例では操作にやや時間を要することもあり,気道閉塞のおそれのある例や窒息を生じているような緊急時には不向きである。」「上気道狭窄による呼吸困難,呼吸停止を生じた症例においては,その後の循環動態の変動,脳合併症などが予想されるため,可及的早期の気道確保,呼吸管理が必要となる。上記したように,気管切開ではある程度の手術時間を要すること,経皮的輪状甲状膜穿刺では十分な呼吸換気が困難であることを考えると,このような症例に対しては,経口・経鼻気管内挿管が困難である場合には,輪状甲状膜切開が第一選択かと考- 17 -える。」とする文献(甲B19p470~471)がある。 一方,「緊急気道確保に気管切開を挙げるのには若干の異論があるかもしれない。…緊急とはいってもある程度の時間的余裕があれば,患者の状態や術者の熟練度に依存はするものの,第一選択として可能な手技と考える。」とする文献(乙B11p13)もある。 結局,上記文献によれば,一般的には輪状甲状靱帯穿刺及び輪状甲状靱帯切開の方が気管切開よりも短時間に気道を確保することができること,しかし,常に輪状甲状靱帯穿刺又は輪状甲状靱帯切開を優先させるべきも 結局,上記文献によれば,一般的には輪状甲状靱帯穿刺及び輪状甲状靱帯切開の方が気管切開よりも短時間に気道を確保することができること,しかし,常に輪状甲状靱帯穿刺又は輪状甲状靱帯切開を優先させるべきものであるとはいえず,術者が気管切開に熟練している場合には,気管切開を選択することも許される場合があるとするのが相当である。 上記認定のとおり,本件においては,Aの頸部の腫脹は著しく,輪状甲状靱帯の位置を特定することは容易でなかった反面,Aはなお自力呼吸をしており,気管切開術の施行中に呼吸困難な状態に陥ることが明らかな状況であったとまではいえなかったのであるから,気管切開の経験が豊富なG医師が,緊急時に備えてトラヘルパーを用意しつつ,確実に気道確保を行える気管切開を選択したことが不合理な判断であるとはいえないというべきである。 ( ) したがって,争点( )に関する原告らの主張は理由がない。 争点( )(被告病院担当医師は,Aが呼吸停止となった際,トラヘルパーの 施行を試みたか否か。仮に,トラヘルパーの施行を試みたが呼吸が確保できなかった場合,その原因は,被告病院担当医師のトラヘルパーの施行方法に過失があったことによるものか否か)について( ) トラヘルパーの施行について アG医師は,Aが呼吸停止となった際,トラヘルパーの施行を2回試みたと供述するところ,カルテにも「トラヘルパー留置試みるも困難」(乙A2p35)と上記供述を裏付ける記載部分があることを考慮すると,トラ- 18 -ヘルパー施行を2回試みたというG医師の上記供述は信用できるというべきである。 原告らは,①トラヘルパーの使用が失敗するような事情はない,②トラヘルパーを使用したことを窺わせる記載はない,③トラヘルパーを使用したとするG医師の供述も曖昧なものである, きるというべきである。 原告らは,①トラヘルパーの使用が失敗するような事情はない,②トラヘルパーを使用したことを窺わせる記載はない,③トラヘルパーを使用したとするG医師の供述も曖昧なものである,④トラヘルパーは輪状甲状靱帯をめがけて突き刺せば足りる簡単な作業であるから経験のある医師であれば失敗するような手技ではないことを考慮すると,G医師は,そもそもトラヘルパーを使用していないと考えられると主張する。 上記①,④については,後記( )認定のとおり,本件においてG医師の 手技に過失がなくとも,トラヘルパーの施行が失敗する可能性のある事情が存在したと認められるから理由がない。 また,上記②については,上記のとおり,トラヘルパーの使用を裏付ける記載があり(原告らは,「トラヘルパー留置」という記載の意味は具体性に欠け不明であると主張するが,「トラヘルパー留置試みる」という記載自体,トラヘルパーの施行を試みたという趣旨の記載であることは明らかである。),また,入院歴欄(乙A2p2),手術後の原告らに対する説明を記載した部分(乙A2p12~14)にトラヘルパーに関する記載がないことは,説明・記載を省略したに過ぎないと考えられるから,上記結論を左右するものとはいえない。 また,上記③についても,トラヘルパーの使用に関するG医師の供述によれば,換気ができたか否かに注意を払っていたことが窺えるのであるから,トラヘルパーを刺した際の感触について記憶がはっきりしないことが直ちに不自然であるとはいえない。 したがって,原告らが主張する上記事情は,いずれも上記結論を左右するものではないから,G医師はトラヘルパーを使用していない旨の原告らの主張は理由がない。 - 19 -イまた,原告らは,仮に,G医師がトラヘルパーを使用したとしても,2回実施したという証 左右するものではないから,G医師はトラヘルパーを使用していない旨の原告らの主張は理由がない。 - 19 -イまた,原告らは,仮に,G医師がトラヘルパーを使用したとしても,2回実施したという証拠はないし,2回とも失敗したのであれば看護記録に記載するのが通常であるところ,そのような記載がないことからすると,それは1回限りであると見るべきであると主張する。 上記認定のとおり,カルテには「トラヘルパー留置試みるも困難」と記載され,回数についての記載はないことが認められる。 しかし,G医師が供述するようにトラヘルパーの施行を試みたところ失敗し,再度,その施行を試みるということが不自然であるとはいえないこと,トラヘルパーの施行を試みたが失敗したという結論のみを記載し,その回数を省略することが通常あり得ない事柄であるとまでは認め難いことを考慮すると,カルテに施行を2回試みたことの記載がないことは,上記結論を左右するものとはいえない。 したがって,原告らの上記主張は理由がない。 ( ) トラヘルパーの施行上の過失について 上記2の( )認定のとおり,G医師は,Aが窒息状態となった際,トラヘ ルパーの施行を2回試みたことが認められる。そして,G医師は,トラヘルパーを施行したものの,2回とも気道を確保できなかった(証人G)ことが認められる。 この原因について,原告らは,トラヘルパーは輪状甲状靱帯をめがけて突き刺せば足りる簡単な作業であるから経験のある医師であれば失敗するような手技ではなく,ただ,トラヘルパーの刺す角度を誤ると脇にそれて気道に達しないことがあることを考慮すると,G医師は,トラヘルパーを刺す角度を誤るという単純なミスをしたために,トラヘルパーによる気道確保に失敗したと考えられると主張する。 これに対し,被告は,Aの頸部は急性喉頭蓋炎に あることを考慮すると,G医師は,トラヘルパーを刺す角度を誤るという単純なミスをしたために,トラヘルパーによる気道確保に失敗したと考えられると主張する。 これに対し,被告は,Aの頸部は急性喉頭蓋炎に合併した多発頸部リンパ節炎による炎症がその周囲の頸部軟部組織に波及した蜂窩織炎により腫脹が- 20 -著しかったため,トラヘルパーの先端が気道の中に届かなかったか,不十分ながら届いたとしても気道内に粘調度の高い分泌物が貯留していて,それが内腔の狭いトラヘルパー内に詰まり十分な換気ができなかったと主張する。 Aの頸部が蜂窩織炎に罹患していたかは,蜂窩織炎の特徴(腫れ,疼痛,赤斑色)の全ての特徴が表れていたことを認めるに足りる証拠はないから,Aが蜂窩織炎に罹患していたと認めることはできない。 しかし,上記1認定のとおり,Aの頸部において,多数のリンパ節が,大きく腫れていたことが認められるところ,多数の症例を経験しているG医師の経験に照らしても,このように多数のリンパ節が,大きく腫れているということは余りないものであった(証人G)ことからすると,Aの頸部の腫脹は,通常の急性喉頭蓋炎における腫脹の程度よりは著しかったと認めるのが相当である。 また,トラヘルパーを含む輪状甲状靱帯穿刺キットについて腫脹が著しいことや分泌物や血液がつまることによるものではないかと考えられる失敗例も報告されている(甲B16,乙B6)。 以上によれば,本件においては,Aの頸部の腫脹が著しかったためにトラヘルパーが気道まで到達しなかったか,トラヘルパー内に分泌液や血液が詰まったことにより,トラヘルパーの施行が成功しなかった可能性を否定することはできず,他に原告ら主張の手技上の過失があったと認めるに足りる具体的な証拠がないことを考慮すると,トラヘルパーの施行が2回とも成功しなか り,トラヘルパーの施行が成功しなかった可能性を否定することはできず,他に原告ら主張の手技上の過失があったと認めるに足りる具体的な証拠がないことを考慮すると,トラヘルパーの施行が2回とも成功しなかったことが直ちに過失によるものであると認めることはできない。 したがって,原告らの主張は理由がない。 ( ) 以上のとおり,争点( )に関する原告らの主張は理由がない。 争点( )(被告病院担当医師は,Aが呼吸停止となった後,輪状甲状靱帯切 開を実施して,気道を確保すべき注意義務があったか否か)について( )ア上記争いのない事実等のとおり,Aは,午後9時18分ころ,突然, - 21 -窒息を来たし,意識消失,呼吸停止,血圧測定不能となった。 そして,上記2認定のとおり,G医師は,気管切開術の作業を中止し,トラヘルパーの施行を2回試みたが,いずれも気道確保ができなかったことが認められる。 そこで,G医師は,胸骨舌骨筋を正中で上下に剥離するところまで進行していた気管切開術の作業を再開し,上記作業に続いて胸骨甲状筋を左右に分け,甲状腺峡部を露出させ,その下方の気管をメスで約2cm縦切開し,挿管チューブを挿入し,アンビューバックで換気を開始した。その後,自発呼吸が再開し,心電図も拍動を示したこと,心肺停止してから気管切開までに要した時間は4分程度であったと認められる(乙A2,乙A6,証人G)。 イ原告は,Aが無呼吸となった時点では,少なくとも甲状軟骨下辺から5cmの範囲について皮膚切開は終えていた状態であり,甲状軟骨付近には筋肉がほとんどないため,甲状靱帯付近の組織は剥離されたといってよい状態にあったので,G医師は,甲状軟骨,輪状軟骨の位置の見当をつけることは容易な状態であったから(実際,G医師自身も甲状軟骨,輪状軟骨の位置の見当が ため,甲状靱帯付近の組織は剥離されたといってよい状態にあったので,G医師は,甲状軟骨,輪状軟骨の位置の見当をつけることは容易な状態であったから(実際,G医師自身も甲状軟骨,輪状軟骨の位置の見当がついていた。),数十秒以内で実施できる輪状甲状靱帯切開を実施すべきであったと主張する。 これに対し,G医師は,甲状靱帯切開を実施せず,気管切開を続行した理由について,トラヘルパーを2回試みて成功せず,甲状靱帯の場所の同定が不明確であったため,無用に時間を費やすよりは,より確実で頸部の支障の少ない気管で切開するのが有用だと判断したためである旨供述する。 そこで,以下,この点について検討する。 ( ) 上記1認定のとおり,一般的には,輪状甲状靱帯切開の方が気管切開より は短時間で気道を確保することができる。 しかし,上記3の( )認定のとおり,本件においては,気管切開の作業が - 22 -開始され,胸骨舌骨筋を正中で上下に剥離するところまで進行していたことから気管切開までに要する時間は,通常よりはかなり短縮できる可能性が高かったものである。 また,上記3の( )認定のとおり,甲状靱帯の場所の特定が容易でなかっ たのであるから,特定のために要する作業のために思わぬ時間を要する可能性は否定できない。なお,原告らは,Aが窒息状態に陥った際,少なくとも甲状軟骨下辺から5cmの範囲について皮膚切開は終えていた状態であったと考えられ,甲状軟骨付近には筋肉がほとんどないのであるから,甲状靱帯付近の組織は剥離されたといってよい状態にあり,G医師は,甲状軟骨,輪状軟骨の位置の見当をつけることは容易な状態であったと主張する。しかし,G医師の供述によれば,輪状甲状靱帯の位置は特定できてなく,その位置を特定するためには,おおよその見当を付けて切り開いていく作業が必要 の位置の見当をつけることは容易な状態であったと主張する。しかし,G医師の供述によれば,輪状甲状靱帯の位置は特定できてなく,その位置を特定するためには,おおよその見当を付けて切り開いていく作業が必要となることが認められる。そうすると,輪状甲状靱帯の位置を特定するために要する時間はなお不透明であり,思わぬ時間を要する可能性は否定できないというべきである。 上記のとおり,気管切開までに要する時間は通常よりかなり短縮できる可能性が高かった反面,輪状甲状靱帯の位置を特定するまでに思わぬ時間を要する可能性が否定できなかったと認められる。そうすると,かかる事情のもとにおいて,気管切開について豊富な経験を有するG医師が,気管切開術の続行を選択したことが,不合理なものであり誤りであったということはできない。 ( ) なお,原告らは,心肺停止の時間は3~4分というのはあり得ないと主張 する。 カルテ(乙A2p12)には,「緊急気管切開術を開始した(G,H,F)半坐位にて手術開始し,皮切,前頸筋の剥離中に突然無呼吸となり,心肺停止の状態となった。3~4分後(推測)に甲状腺下方にて下気管切開- 23 -をし,7Frのポーラックス挿管チューブを挿入,換気開始,ほぼ同時にボスミン静注した。約1分後モニター装着時には心拍回復していた。しばらくして自発呼吸再開した。」との記載(以下「記載A」という。)がある。 そして,カルテのうち,看護師が記載した部分(乙A2p35)には,21時18分の欄に「前頸筋のハクリ中,呼吸困難憎悪坐位とすSPO2測定不能顔面蒼白無呼吸となるトラヘルパー留置試みるも困難下気管切開し7Frポーテックス挿管チューブ挿入アンビューマスクにて換気開始心マッサージ施行」という旨の記載が,21時25分の欄には「心電図装着心拍数 となるトラヘルパー留置試みるも困難下気管切開し7Frポーテックス挿管チューブ挿入アンビューマスクにて換気開始心マッサージ施行」という旨の記載が,21時25分の欄には「心電図装着心拍数42血圧測定不可なるもy経A触知可」という旨の記載が,21時26分の欄には「ボスミン1ApIV」という旨の記載があることが認められる(以下,まとめて「記載B」という。)。 上記記載Aと記載Bによれば,Aは21時18分ころに呼吸困難が憎悪し,その後呼吸が停止し,心肺停止の状態となったこと,その後,トラヘルパーの施行(上記認定のとおり2回と認められる。)が試みられたが失敗したこと(G医師の供述によればトラヘルパーを用いた時間は10秒程度であると認められる。),そこで気管切開術を再開し,気管切開できたことから,ポーテックス挿管チューブを挿入し,アンビューバックにて換気を開始し,26分ころにボスミン静注をしたことが認められる。 上記認定事実によれば,Aが心肺停止の状態となってから気管切開に至るまでに要した時間としては,おおよそ4分程度であると認めるのが相当である。 ( ) また,K医師作成の意見書(甲B20)や同人の供述中には,気道確保に 要する時間は,輪状甲状靱帯切開の方が気管切開よりも短いのであるから,一刻も早く気道確保をする必要があった本件の場合においては,気管切開を続行したことは妥当な選択であったとはいえない旨の部分がある。 しかし,上記3の( )のとおり,気管切開までに要する時間は通常よりか - 24 -なり短縮できる可能性が高かった反面,輪状甲状靱帯の位置を特定するまでに思わぬ時間を要する可能性が否定できなかったという事情のもとにおいて,気管切開について豊富な経験を有するG医師が,気管切開術の続行を選択したことが,不合理なもので 輪状甲状靱帯の位置を特定するまでに思わぬ時間を要する可能性が否定できなかったという事情のもとにおいて,気管切開について豊富な経験を有するG医師が,気管切開術の続行を選択したことが,不合理なものであり誤りであったということはできない。 ( ) したがって,争点( )に関する原告らの主張は理由がない。 まとめ以上のとおり,被告病院担当医師に過失があった旨の争点( )ないし( )に関 する原告らの主張はいずれも理由がない。 したがって,争点( )(損害の有無及び金額)について判断するまでもなく, 原告らの請求は理由がないから,棄却すべきものである。 第4 結論 よって,主文のとおり判決する。 名古屋地方裁判所民事第4部裁判長裁判官永野圧彦裁判官田邊浩典裁判官奥田大助
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