平成22(わ)5331 傷害致死被告事件

裁判年月日・裁判所
平成23年7月22日 大阪地方裁判所
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判決文本文6,867 文字)

主文 被告人は無罪。 理由 1 本件公訴事実は,「被告人は,平成22年9月19日午後6時54分ころ,大阪市a区bc丁目d番e号所在の自宅2階において,実弟のA(当時38歳)とけんかになり,同人に対し,その背後から左腕を首に回して締めつけ,よって,そのころ,同所において,同人を窒息により死亡させたものである。」という内容である。 2 被告人が公訴事実記載の日時場所において,公訴事実記載の行為によってAを死に至らしめたこと,被告人がこの行為に出る直前,Aから顔面を手拳で殴打されるなどの暴行を加えられたことは,関係各証拠から明らかである。そして,本件における大きな争点は,①被告人は,Aの首を締めていることを認識していたのか,②正当防衛ないし誤想防衛が成立するかである。 当裁判所は,被告人には,Aの首を締めていたという認識があったと認めるに足りる十分な証拠はなく,被告人は,Aの首の辺りを腕で押さえ込み,Aの動きを封じようとする認識にとどまっていたとの合理的な疑いが残ると判断した上,被告人は,防衛のため相当な行為をするつもりで誤ってその限度を超えたものであり,防衛行為が過剰であることを基礎づける事実の認識に欠けていたのであるから,被告人に対し,Aに対する傷害致死罪の故意責任を問うことはできず,被告人は無罪であると判断した。 以下,詳しく論じる。 3 被告人は,Aの首を締めていることを認識していたのか(1) 検察官調書(乙1号証)の任意性及び信用性についてまず,任意性について検討すると,殺意を否認する供述など,被告人の言い分が乙1号証に取られている上,被告人の公判供述によっても,一連の取調べで警察官や検察官が,被告人の主張を受け入れようと いてまず,任意性について検討すると,殺意を否認する供述など,被告人の言い分が乙1号証に取られている上,被告人の公判供述によっても,一連の取調べで警察官や検察官が,被告人の主張を受け入れようとせずに供述を押し付けたとか,被告人 が言ってもいないことを調書に取ったとか,被告人が全く反論する意欲のない状態にあり,これに乗じて警察官や検察官が調書を作成したなどの事実は認められない。 また,ある程度の時間,白井検察官による取調べが行われていることや,取調べを録音録画したDVDの冒頭部分における白井検察官と被告人との間のやり取りをも踏まえると,白井検察官が,被告人の警察官調書の内容を引き直して乙1号証を作成したとか,実質的な取調べは行われていなかったなどの事実は認められない。以上によれば,乙1号証の任意性を肯定できる。その他,弁護人が主張する諸点は,いずれも乙1号証の任意性判断に影響を及ぼすものではない。 しかし,信用性については,疑問が残るといわざるを得ない。乙1号証には,被告人がAとともに倒れ込んだ後,首を3分間くらい締めていたとの記載があるが,仮に,そのような体勢で被告人がAの首を3分間締め続けていたのであれば,側にいた被告人の母親Bがそれを止めなかったというのは明らかに不自然である。さらに,Bの証言は,特段虚偽の事実を述べていることをうかがわせる事情がなく,おおむね信用できるところ,現に,Bは,けんかを止めようとしてAのTシャツを後ろからつかんでいると,Aの立っていた力が急に抜けて,その瞬間,被告人とAと3人一緒に倒れ込んだが,すぐにAの異変に気付き,被告人に腕を放すように言ったと証言しており,乙1号証の内容は,このBの証言と矛盾している。この点,検察官も論告においては,被告人とAがお互いに立ったままの状態で,被告人が約3分 Aの異変に気付き,被告人に腕を放すように言ったと証言しており,乙1号証の内容は,このBの証言と矛盾している。この点,検察官も論告においては,被告人とAがお互いに立ったままの状態で,被告人が約3分間首を締めていたとの主張をしているところである。したがって,乙1号証のうち,被告人がAとともに倒れ込んだ後にAの首を締めていた客観的状況について記載された部分は信用できない。 そして,Aが倒れた後に首を締めたのか,それとも倒れる前に首を締めていたのかで,被告人とA双方の体勢や動きが異なることになり,この事情は,首を締めていることを認識することが被告人には容易にできたか,ひいては,被告人が首を締めていることを認識していたかといった点に大きな相違をもたらすといえる。この点,乙1号証が,Aの死因等から明らかに認められる客観的に首を締めていたとい う事実と主観的にその認識があったかどうかについて,明確に分けて問答をした上で作成されているのであれば,首を締めていた客観的状況についての供述部分が信用できなくても,主観的認識の供述部分には信用性を認める余地があるといえよう。 しかし,弁護人が指摘するように,乙1号証の読み聞かせが終了した後の対話においても,被告人が「結果的になってしまった。」と述べていることや,後述する捜査段階で首を締めていた認識がなかったと述べていない理由に関する被告人の公判供述に照らせば,Aの首の辺りを腕で押さえ込んでAの動きを封じようとする認識で行動していたものの,事後に客観的にはAの首を締めていたと知った被告人が,客観と主観の違いを明確に区別せず,その重要性を認識しないまま,さらに,あえて異を唱えるまでの意欲もないままに乙1号証の作成に応じた疑いが残るといわざるを得ない。 そうすると,首を締めていたことについて被告人の認識 確に区別せず,その重要性を認識しないまま,さらに,あえて異を唱えるまでの意欲もないままに乙1号証の作成に応じた疑いが残るといわざるを得ない。 そうすると,首を締めていたことについて被告人の認識があったかのように読める供述部分についても信用することはできない。 (2) 被告人の公判供述についてア公判供述の内容Aの首を締めていたことの認識について,被告人は,公判廷において,「Aともみ合いになり,後ろからAの首の辺りに左腕を回す形となり,右手で左手を持った。 向かってこられたので,Aの動きを止め,押さえようと思って,一杯一杯であり,Aの首に左腕が入って締める形になっていることは分からなかった。」という趣旨の供述をしている。 イ本件事件当時の状況による検討Bは,Aが被告人の方に向かっていき,手拳で1回被告人の顔面を殴打した後の状況について,主尋問で,被告人とAが殴り合い及び蹴り合いをしていたと証言したものの,その後,反対尋問等では,Aと被告人がけんかをしていると思ったので殴り合いだと思った,Aが被告人を殴っているところは見たが,被告人がAを殴るところを見たかはっきりしないと証言し,蹴り合いについても,実際に蹴り合って いるところを見たわけではなく,そう感じたと証言した。そうすると,Bの証言は,被告人がAを殴打したとか,Aと蹴り合っていたと認めるに足りる十分な証拠とはいえない。また,Aの右眼上縁部には皮下軟部組織内出血が認められるが,解剖医の法医学上の所見によっても,この傷は,被告人が手拳で殴打したこと以外の原因で生じた可能性を否定できない。以上のことからすれば,本件証拠上,被告人とAが殴り合いや蹴り合いをした事実を認定することはできない。 結局,Bの証言,被告人の公判供述その他の関係各証拠によれば,被告人がA 可能性を否定できない。以上のことからすれば,本件証拠上,被告人とAが殴り合いや蹴り合いをした事実を認定することはできない。 結局,Bの証言,被告人の公判供述その他の関係各証拠によれば,被告人がAの携帯電話を折って投げ捨てた直後,Aは被告人に駆け寄り,手拳で1回その顔面を殴打し,さらに,後退しつつ前かがみになった被告人の顔面等を手拳で複数回殴打し,なおも被告人を後方に追い込んでいったこと,Aの暴行により,被告人の右奥歯1本が折れていたこと,被告人とAは,転倒する前にリビングのドア前付近で壁やドアに数回ぶつかるなどしたことが認められる。 以上の事実に加え,Aが被告人よりも体格的に相当優位にあったこと,Aがけんか慣れをしていたといえるのに対し,被告人は全くの不得手であること,従前の被告人とAとのけんかにおいてもAが優勢であったことからすると,本件事件当時,被告人は,Aからほぼ一方的に,かつ,相当強い攻撃を受け,これに対応する過程でA共々激しく動いていたことが認められる。 このような緊迫した状況下にあったことからすると,被告人が,とにかくAの動きを制止しようとするのに必死であり,無我夢中でAの動きを制止しようとした結果,Aの首の辺りに左腕をかけ,右手で左手を持ち,首の辺りを押さえようとしていて,意図せず首を締める形になり,その状況を認識しないまま,Aを窒息死するに至らしめてしまったとしても,あながち不自然とはいえない。さらに,被告人にとっては,Aからの攻撃を避けるため,何よりもAの動きを封じることが頭にあったはずであり,そのために,両手を使って首の辺りを押さえ込もうととっさに考えることも十分にあり得る発想である。したがって,被告人の公判供述を排斥することはできない。 (3) 検察官の主張についてア首を締めていた体勢及び 首の辺りを押さえ込もうととっさに考えることも十分にあり得る発想である。したがって,被告人の公判供述を排斥することはできない。 (3) 検察官の主張についてア首を締めていた体勢及び時間検察官は,被告人がAの首を締めていた約3分間,左腕がAの首・顎に密着していたはずだから,首を締めている認識があったはずであると主張する。 確かに,弁護人は,Aが精神科等で処方される薬物を過剰に服用し,アルコールと併用していたので,一般的な場合よりも短時間で窒息死した可能性があると主張するが,法医学者である医師Cは,Aの心臓血からは薬物が検出されなかったこと,尿中や血中のアルコール濃度も軽度酩酊にとどまっていたこと,Aが本件事件当時,特段病気のない38歳の男性であったことなどを根拠に,Aが頸部圧迫に起因する窒息により致死的な状態に陥る時間が,平均的な成人男性についていわれる約3分間よりも極端に短かったとは考え難いという所見を述べており,これを疑うべき事情は見当たらない。 しかし,以上を前提としても,上記のとおり,本件事件当時,被告人とAは互いにもみ合いになって激しく動いていたこと,被告人が無我夢中でAを制止し押さえようとしていた状況等を考慮すると,Aの首を締めていることについて被告人が認識していなかったことが,社会常識に照らしあり得ないとはいい難い。 イ 119番通報時の発言検察官は,被告人が本件事件直後の119番通報において,「どうしても暴れて,どうしようもなかったんで,首ちょっとこう羽交い締めにしてたんで,それで息ができなくなったと思うんですけど」などと発言していることを,被告人が首を締めていたと認識していた根拠として指摘する。 しかし,被告人は,公判廷において,暴れるAを押さえるため後ろからつかんでいたというイメージで と思うんですけど」などと発言していることを,被告人が首を締めていたと認識していた根拠として指摘する。 しかし,被告人は,公判廷において,暴れるAを押さえるため後ろからつかんでいたというイメージで「羽交い締め」という言葉を使ったと説明しており,それが不自然とはいえないし,また,被告人の同発言は,結果として被告人がAの首を締めてしまったという客観的な状況を伝えたにとどまるという見方も可能である。さらに,119番通報時の極めて動転した被告人の様子は,首を締めている認識を欠 いていたという事実に沿うともいえよう。 ウ捜査段階における供述状況検察官は,被告人が捜査段階において,首を締めていた認識がなかったとは一言も述べていなかったことから,被告人に認識があったと主張する。 しかし,実の弟を自らの手で死なせてしまい,責任を強く感じていたと考えられる被告人の心情を考慮すれば,「結果的に首を締めて弟を死なせてしまったことは事実なので,それに対して反論をする気になれなかった」という被告人の公判供述は,納得できるものである。 (4) まとめ以上によれば,被告人には,Aの首を締めていたという認識があったと認めるに足りる十分な証拠はなく,被告人は,Aの首の辺りを腕で押さえ込み,Aの動きを封じようとする認識にとどまっていたとの合理的な疑いが残る。 4 正当防衛ないし誤想防衛が成立するか被告人は,Aが使っていたコップを床にたたきつけて割るとともに,水差しを床にたたきつけ,Aの携帯電話を二つに折って投げ捨てており(以下,これら被告人の一連の行為を「本件先行行為」という。),これがAの怒りを一定程度誘発するべき違法行為であったことは否定できない。しかし,Aはこれに対して,被告人に上記のような暴行を加えているのであり,物を壊す行為と人を傷つ を「本件先行行為」という。),これがAの怒りを一定程度誘発するべき違法行為であったことは否定できない。しかし,Aはこれに対して,被告人に上記のような暴行を加えているのであり,物を壊す行為と人を傷つける行為とを比較すれば,Aの行為は,被告人による物を壊す行為の違法性の程度を大きく超えているといえる。 また,本件先行行為は,上記のとおり,Aの怒りを誘発し得るものであったが,被告人とAが七,八年間,殴り合いの喧嘩をしておらず,その間,被告人とAとの間で暴力が振るわれたという事実は認められないことからすると,被告人にとって,Aが本件先行行為に応じて,被告人の歯が折れるほどの暴力を振るうなどということは,予想外の出来事であったと考えるのが自然であり,被告人が,Aの攻撃を予期していたという事実は認められない。さらに,既に述べたように,被告人はAの 首を締めることを認識していたとは認め難いこと,被告人の検察官調書(乙1号証)によれば,本件事件以前に被告人とAが殴り合いのけんかをした際,被告人はAに力では到底かなわないことを認識していた事実が認められ,そのような状況において,被告人が素手で,Aに対して積極的に攻撃を加えようと思い立つとは考え難いこと,被告人とAは普段は仲が悪いわけでは決してなかったことなどからすると,被告人が本件事件当時,Aに対して積極的に危害を加える意思を有していたとは認められない。 そして,被告人がAに対する怒りもあるものの,自己の身を守ろうという意思を抱いて行動していたことは明らかであり,もっぱらAに危害を加える意思であったとは到底認められない。 以上によれば,本件事件当時,被告人は,急迫不正の侵害に当たるAの攻撃に対して反撃が正当化される状況の下,防衛のために公訴事実記載の行為に及んだものといえる。 もっとも は到底認められない。 以上によれば,本件事件当時,被告人は,急迫不正の侵害に当たるAの攻撃に対して反撃が正当化される状況の下,防衛のために公訴事実記載の行為に及んだものといえる。 もっとも,人の急所である首を締めるという行為は,人の生命を侵害する重大な危険を含む行為であるから,Aの攻撃に対する防衛行為としては許容範囲を超え,相当性に欠けるものであった。 しかし,本件では,上記のとおり,被告人にAの首を締めているという認識があったと認定することはできず,被告人はAの首の辺りを腕で押さえ込み,Aの動きを封じようとする認識にとどまっていたという前提で判断せざるを得ない。そして,このような被告人の認識していた事実を基礎とし,本件事件当時被告人が置かれていた状況等を考慮すれば,被告人の認識上,被告人がAに対してした行為は,Aの攻撃から身を守る防衛行為として許容範囲を超えておらず,相当性を有するものと認められる。そうすると,被告人は,防衛のため相当な行為をするつもりで誤ってその限度を超えたものであり,防衛行為が過剰であることを基礎づける事実の認識に欠けていたのであるから,被告人の行為は誤想防衛に当たり,被告人に対し,Aに対する傷害致死罪の故意責任を問うことはできない。 5 結論以上のとおり,被告人の本件行為は,防衛行為としての過剰性を基礎づける事実の認識を欠くものであり,誤想防衛として罪にならないものであるから,刑事訴訟法336条により,被告人に対し無罪の言渡しをする。 (求刑懲役4年)平成23年7月22日大阪地方裁判所第6刑事部裁判長裁判官西田眞基 裁判官堤 雄二 裁判官十亀恵里 刑事部裁判長裁判官西田眞基 裁判官堤雄二 裁判官十亀恵里

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