令和6(わ)57 殺人未遂被告事件

裁判年月日・裁判所
令和7年3月11日 水戸地方裁判所
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判決文本文6,813 文字)

令和6年(わ)第57号 主文 被告人を懲役4年に処する。 未決勾留日数中270日をその刑に算入する。 理由 (罪となるべき事実)被告人は、自己が出産した男児であるAを殺害しようと考え、令和5年11月2日午前7時52分頃から同日午前8時33分頃までの間に、茨城県土浦市(住所省略)被告人方トイレにおいて、同トイレ便器内に出産した直後のAを同便器内に入れたまま水洗レバーを回して複数回水を流すとともに、トイレブラシでAの身体を押して排水口に入れ殺害しようとしたが、友人と連絡を取るなどする中でAの救命を決意し、同日午前9時17分頃、自ら119番通報してAに医療措置を受けさせるなどして犯行を中止したため、Aに最重度の精神運動発達遅滞等の後遺症を伴う全治不能の脳軟化症等の傷害を負わせるにとどまり、Aを殺害するに至らなかった。 (事実認定の補足説明)第1 争点判示記載の日時場所において、被告人が、自己が出産した男児であるAに対し、判示記載のとおりの行為を行って傷害を負わせたことに争いはない。 弁護人は、判示記載の被告人の行為は人を死亡させる現実的危険性を有するものではなく、不能犯が成立し、傷害罪が成立するにとどまること、また、本件犯行当時、被告人は少なくとも心神耗弱であったことを主張する。すなわち、本件の主な争点は、①不能犯の成否及び②完全責任能力の有無である。 当裁判所は、判示記載の被告人の行為は人を死亡させる現実的危険性を有する行為であり不能犯は成立せず、かつ、被告人は、本件当時、心神耗弱ではなく、完全責任能力を有していたと判断したので、以下、その理由を説明する。 第2 争点①について 1 被告人の公判供述及び証人B医師の証言を始めとする関係各証拠によれば、以下の事実が認められる。なお、以下時刻 していたと判断したので、以下、その理由を説明する。 第2 争点①について 1 被告人の公判供述及び証人B医師の証言を始めとする関係各証拠によれば、以下の事実が認められる。なお、以下時刻のみを表記するときは令和5年11月2日の時刻を指す。 ⑴ 令和5年11月2日の茨城県土浦市内の気温は、午前6時の時点で10.2℃、午前7時の時点で10.8℃、午前8時の時点で11.0℃であった。 ⑵ 被告人方トイレの水洗式の和式便器(以下「本件便器」という。)は、便器の上に洋式便座が置かれており、排水口及び便鉢に水が貯まる構造になっている。 水洗レバーを大へ回すと、本件便器内に約8リットルの洗浄水が流れ、洗浄後、洗浄タンクに再び洗浄水が貯まり切るまで約10分間を要する。 ⑶ 被告人は、早くとも午前7時52分頃から午前8時16分頃までの間に、本件便器内にAを出産し、本件便器の便鉢にうつ伏せの状態で頭部を排水口側に向けたAに対し、水洗レバーを回して複数回にわたり洗浄水を流し、その足の裏をトイレブラシで小突くなどした。そうしているうちに、Aはうつ伏せのまま、頭部を洗浄水の吐き出し部側に向けて顔を横向きにした状態になった。Aの身体の向きが変わった後も、被告人は、遅くとも午前8時33分頃まで、Aに対し、複数回にわたり洗浄水を流し、その左肩をトイレブラシで小突くなどし、最終的に、Aの下半身が排水口の封水に浸る状態になった。その後、被告人は、Aの身体を便鉢の上に引き揚げた。 Aは、当初、産声を上げていたものの、遅くとも午前8時16分頃には泣かなくなっていた。 ⑷ 被告人は、午前9時17分頃、119番通報し、通信指令センターからの指示に従い、Aを便鉢から抱き上げ、Tシャツで包むなどした。 ⑸ Aは、午前10時20分時点で自発呼吸をしておらず、低体温の ⑷ 被告人は、午前9時17分頃、119番通報し、通信指令センターからの指示に従い、Aを便鉢から抱き上げ、Tシャツで包むなどした。 ⑸ Aは、午前10時20分時点で自発呼吸をしておらず、低体温のため体温も測定できなかった。午後零時7分時点で初めて測定ができた際のAの体温は32. 6℃であった。 ⑹ Aは、被告人の⑶の行為によって、低酸素性虚血性脳症、脳軟化症、筋緊張亢進の傷害を負い、現時点において、最重度の精神運動発達遅滞等の後遺症が残存している。 2⑴ Aは、自由に身体に力を入れたり、動いたりすることができない産まれた直後の新生児であり、うつ伏せの状態であったことを踏まえれば、医学的知見のない者の見地から常識に照らしてみて、被告人の行為は、便鉢に貯まった水や流れてくる洗浄水のほか、流された洗浄水により一時的に水位が上がった排水口の封水がAの口や鼻に入るなどして、Aを窒息死させる危険性が十分に認められる。 また、本件犯行当時の気温は10℃程度と低く、産まれた直後の裸のままのAに対し、複数回にわたって洗浄水を流すなどして本件便器内で水に晒し続ける行為が、Aの体温を著しく低下させるものであることは明らかであり、凍死など体温の低下により人が死亡する危険性について一般に知られていることも踏まえれば、医学的知見のない者の見地から常識に照らしてみて、被告人の行為は、その具体的な機序はさておき、Aの体温を著しく低下させ、ひいては死亡させる危険性が十分に認められる。 ⑵ 弁護人は、Aの頭の位置や向きから、Aが顔面から吸水することはなかった、被告人がAを本件便器内に放置した不作為については実行行為とされていないところ、水を掛けた行為だけでは死亡させる現実的危険性はない、などと主張する。 しかしながら、Aの体勢等についての弁護人の主張を踏ま 人がAを本件便器内に放置した不作為については実行行為とされていないところ、水を掛けた行為だけでは死亡させる現実的危険性はない、などと主張する。 しかしながら、Aの体勢等についての弁護人の主張を踏まえても、被告人が行った、本件便器内にいるAに対し洗浄水を流したりした行為自体にAを死亡させる危険性が十分に認められることは前述のとおりであり、その後のAの放置行為はこの点の評価に影響を与えるものではない。弁護人の主張は採用することができない。 3 以上から、被告人の判示行為は人を死亡させる現実的危険性を有する行為と認められ、不能犯は成立しない。 なお、弁護人は、不能犯が成立することを前提として、殺人未遂罪の構成要件 該当性がない以上、被告人には殺意が認められないと主張するが、上記のとおりであり、弁護人の主張はその前提を欠く上、証拠上、被告人に殺意があることは優に認定できる。 第3 争点②について 1 被告人の公判供述を始めとする関係各証拠によれば、次の事実が認められる。 ⑴ 被告人は、マッチングアプリで知り合った不特定多数の男性と性交渉する中でAを妊娠し、令和5年春頃、強い吐き気を催したことから妊娠を疑った時期もあったが、逆流性食道炎によるものと考えるに至り、以後、妊娠の可能性は考えなかった。また、かねてから生理不順であったため、生理が来なくなったことと妊娠の可能性を結び付けることはなかった。 ⑵ 被告人は、令和5年11月2日の早朝から便意を催して排便を試みたものの、大便は出ず、少量の出血と腹痛があったことから、生理が来たと考えた。 ⑶ 被告人は、排便しようといきんでいるうちにAを出産した。 被告人は、便座から立ち上がると、本件便器の中にAがいたため、自らが出産したのではなく、下水道から逆流してきたと思い、下水道に戻そう ⑶ 被告人は、排便しようといきんでいるうちにAを出産した。 被告人は、便座から立ち上がると、本件便器の中にAがいたため、自らが出産したのではなく、下水道から逆流してきたと思い、下水道に戻そうと考え、水洗レバーを回そうと後ろに振り返った際に、自身の股から臍帯がつながっていることに気が付き、自らがAを出産したと認識するに至った。 ⑷ 被告人は、出産したことがわかれば、父や姉に怒られる、何とかしなければいけない、赤ちゃんを下水道にいち早く流さなければ、自分が何か疑われることがあったら困る、自分の人生がめちゃくちゃになってしまうなどと考え、Aを下水道に流そうと洗浄水を流し、Aの身体をトイレブラシで小突くなどの判示行為に及んだ。 ⑸ 被告人は、何とかしなければならないと思う一方、我が子を殺そうとしてしまったことを悔いるなどして、排水口の封水に下半身が浸かっている状態のAを便鉢に引き揚げた。 ⑹ その後、被告人は、インターネット検索で養子縁組をあっせんするNPO法人 の電話番号を調べ、対処方法を電話相談したところ、すぐに救急車を呼ぶように言われたため、素直に逮捕されろと言われていると感じ、電話を切った。 ⑺ そして、被告人は、LINEを通じて友人に対し、トイレで出産したこと、赤ちゃんポストという所に電話するとすぐに救急車を呼ぶように言われたこと、妊娠には気付かなかったこと等のメッセージを送った。被告人は、友人とのやり取りの中で、既に119番通報し、Aを本件便器から取り出して救急車を待っているとの嘘をついた。 ⑻ 被告人は、いずれかの段階で、再びNPO法人に電話を掛けた。 被告人は、最終的に自ら119番通報するに至った。 精神科医であるC医師は、本件犯行当時における被告人の精神障害の内容及び本件犯行に与えた影響について、 階で、再びNPO法人に電話を掛けた。 被告人は、最終的に自ら119番通報するに至った。 精神科医であるC医師は、本件犯行当時における被告人の精神障害の内容及び本件犯行に与えた影響について、被告人の精神鑑定(以下「本件鑑定」という。)を行っているところ、その鑑定の結果は、大要、以下のとおりである。 ア本件犯行当時における被告人の精神障害は、軽度知的障害のみである。 被告人は、軽度知的障害により、行動が衝動的でその瞬間の状況に対処することを優先し、将来への影響や結果を見通した上で行動できないといった影響はあるものの、本件犯行に直接の影響は与えていない。 イ被告人は、本件犯行当時、仕事や家庭環境に起因するうつ症状は認められず、適応障害と診断されない。 ウ被告人は、中学生の頃に発症した脳血管障害の後遺症として高次脳機能障害を有しているが、その影響は、軽度に注意障害が存在するのみである。 エ被告人は、Aの出産直後に左手がしびれ、両足に力が入らないなどの脳梗塞の症状が現れているが、本件犯行は、被告人が脳梗塞を発症して間もない急性期に行われていることからすると、本件犯行時において、被告人の認知機能に影響が生じていないと考えられ、仮に影響が生じていたとしてもその程度は軽微である。 Cは、精神科医として十分な専門的知識と経験を有しており、鑑定の前提条件や鑑定方法にも特段の問題は見られず、本件鑑定は十分に信用でき、本件当時の 被告人の精神障害の内容及び本件犯行に与えた影響は上記のとおりと認められる。 以上のような被告人の精神障害の具体的内容及び程度や本件犯行状況を前提に検討する。 被告人は、本件犯行当時、軽度知的障害を有していたことが認められるものの、自分が出産したことを認識した後、父や姉に知られると怒られると考え、A の具体的内容及び程度や本件犯行状況を前提に検討する。 被告人は、本件犯行当時、軽度知的障害を有していたことが認められるものの、自分が出産したことを認識した後、父や姉に知られると怒られると考え、Aを下水道に流してなかったことにしようと本件犯行に至ったという動機は十分に理解することができ、Aに対し、洗浄水を流したり、トイレブラシで排水口に押し込んだりして下水道に流そうとした行動は、その目的に沿ったものといえる。加えて、被告人は自らの行為が逮捕されるような行為であることも認識していたと認められる。また、被告人は、我が子を殺そうとしてしまったことを悔いるなどして、排水口の封水に下半身が浸かっている状態のAを便鉢に引き揚げているほか、NPO法人を検索して連絡をとったり、友人に相談するなどした上で、最終的に自ら119番通報するなど、状況に応じた行動をとることも出来ている。 以上に照らせば、被告人は、本件犯行当時、長期的な視点をもって行動を的確に選択できないといった軽度知的障害による影響があったとはいえ、自らの行っていることが悪いことであると認識したり、行為を思いとどまることができる能力が著しく低くなってはいなかったと認められる。 これに対し、弁護人は、被告人が、Aが下水道から逆流してきたと通常では考えられない誤信をし、排水口から流れるはずのないAを繰り返し流そうとする異常な行動をしていることなどから、少なくとも自らの行っていることが悪いことであると認識したり、行為を思いとどまることができる能力が著しく低くなっていたと主張する。 この点、被告人が自己の妊娠を認識しなかったことや、Aが下水道から逆流してきたと考えたことなどに軽度知的障害の影響があったことは否定できないものの、その直後にAを排水口から流そうと最初に水洗レバーに手を掛けた段階で自 己の妊娠を認識しなかったことや、Aが下水道から逆流してきたと考えたことなどに軽度知的障害の影響があったことは否定できないものの、その直後にAを排水口から流そうと最初に水洗レバーに手を掛けた段階で自らが出産した子であることを認識している。その上で、被告人は、排水口から下 水道に流せばAが死ぬことを十分に理解してその行為に及んでおり、単に本件便器の構造を理解していなかったためAを排水口から流すことができないと気が付くのに時間を要したにすぎないと考えられることからすると、当該行為が異常な行動であるともいえない。弁護人の主張は採用することができない。 4 以上によれば、本件犯行当時、被告人は心神耗弱ではく、完全責任能力を有していたと認められる。 第4 結論したがって、被告人には、殺人未遂罪が成立し、かつ、完全責任能力が認められる。 なお、被告人は、本件犯行後、友人と連絡を取るなどする中で我が子を殺そうとしたことを後悔してAを救命することを決意し、119番通報をした上でAを本件便器内から取り上げ、Tシャツで包み心臓マッサージをするなどし、Aが死亡することを防ぐために積極的な中止行為を行ったと認められるから、中止未遂が成立する。 (量刑の理由)被告人は、気温10℃程度の中、産まれた直後の裸のAに対し、相応の時間、本件便器内で洗浄水を流し掛けたり、トイレブラシで排水口に押し込もうとしたりしており、危険かつ執拗な態様で、慈しむべき我が子に対する無慈悲で残酷な犯行である。 Aは、幸いにも命を取り留めたものの、後遺症により今後も知的活動に最重度の支障を来たし、寝たきりの状態が見込まれるなど、その結果は殺人未遂の中で最も重大な部類といえる。 本件に至る経緯をみると、被告人が予期せぬ出産に至ったことには軽度知的障害によ 知的活動に最重度の支障を来たし、寝たきりの状態が見込まれるなど、その結果は殺人未遂の中で最も重大な部類といえる。 本件に至る経緯をみると、被告人が予期せぬ出産に至ったことには軽度知的障害による相応の影響がうかがわれ、被告人に有利に酌むべき事情といえるものの、被告人が予期せぬ出産に動揺していたとはいえ、Aを死亡させる危険性の高い行為に敢えて及んだことについては、軽度知的障害の影響を考慮しても、やむを得ない面 があったとはいえず、その意思決定は十分非難に値する。 また、被告人には中止未遂が成立するものの、自己保身により直ちには119番通報等をしておらず、Aの救護まで相応の時間を要したことなどを踏まえると、被告人に有利な事情として大きく考慮することはできない。 以上を踏まえると、本件は同種事案(処断罪は殺人未遂、単独犯、処断罪と同一又は同種の罪の件数1件、被告人から見た被害者の立場は子)の中で、重い部類に属し、執行猶予を付すべき事案とはいえない。 その上で、被告人は本件犯行を認め、被告人なりに反省の態度を示していること、被告人の父が出廷し、被告人の更生支援を約束し、現に、被告人の障害年金の受給手続やグループホームへの入所手続が進められていることなどの被告人にとって有利な一般情状を考慮しても、主文の刑はやむを得ないと判断した。 (検察官の求刑懲役6年)令和7年3月11日水戸地方裁判所刑事第1部 裁判長裁判官村山智英 裁判官君塚知弥子 裁判官福岡歳朗 裁判官君塚知弥子 裁判官福岡歳朗

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