【DRY-RUN】主 文 本件控訴を棄却する。 当審における未決勾留日数中五五〇日を原判決の刑に算入する。 理 由 本件控訴の趣意は、弁護人野里房嗣及び被告人各作成名
主文 本件控訴を棄却する。 当審における未決勾留日数中五五〇日を原判決の刑に算入する。 理由 本件控訴の趣意は、弁護人野里房嗣及び被告人各作成名義の控訴趣意書ならびに同弁護人作成名義の控訴趣意補充書(第一緒言の部分を除く。)に、これに対する答弁は、検察官友野弘作成名義の答弁書に記載されているとおりであるから、これらを引用する。 法令適用の誤りをいう控訴趣意について所論は、爆発物取締罰則の定める「治安ヲ妨ケ」との文言はきわめて不明確であり、憲法三一条に違反して無効である、仮にそうでないとしても、右罰則の一条及び三条所定の各目的があるというためには、治安妨害、身体財産への加害という結果発生を確定的に認識し、かつ、右結果発生を意欲していることが必要であると解すべきであるのに、原判決は、「治安ヲ妨ケ」との文言が明確さを欠くものではなく、また、右各目的は、結果発生に対する未必的認識、認容で足りるとし、かつ、意欲も必要でないとして、被告人の原判示第二ないし第四の各所為を右罰則一条あるいは三条に問擬しているのはいずれも法令の解釈、適用を誤つたものであるというのである。 しかしながら、爆発物取締罰則の「治安ヲ妨ケ」との文言が明確さを欠き、したがつて憲法三一条に違反するものではないこと、及び、右罰則一条及び三条の各目的があるというためには、結果発生に対する確定的な認識や意欲を要するものではなく、結果発生に対する未必的認識、認容があれば足りるということについては、いずれも原判決摘示の諸判例を含む累次の判例が一貫して認めてきたところであつて、判例上すでに確定されているところというべきであり、当裁判所もこれらの判例の見解を正当と考えるものである。したがつて、弁護人のその余の主張につき按ずるまでもなく が一貫して認めてきたところであつて、判例上すでに確定されているところというべきであり、当裁判所もこれらの判例の見解を正当と考えるものである。したがつて、弁護人のその余の主張につき按ずるまでもなく、原判決に所論のような法令適用の誤りが存しないことは明らかであるといわなければならない。所論は採用できず、論旨は理由がない。 <要旨>事実誤認ないし法令適用の誤りをいう控訴趣意(一)について</要旨>所論は、原判示第一の事実について、被告人が放火しようとした平安神宮本殿や実際に点火した祭具庫、西翼舎等の建物と、放火当時人が現在ないし現住していた社務所や守衛詰所等の建物とは、東西各歩廊と同各外廻廊との間、東外廻廊と齋館・社務所との間、齋館と社務所との間で切れていて、それぞれ独立した別個の建物となつているのであつて一体性は認められないうえ、被告人には右両建物が接続していることの認識や社務所等への延焼につき認識・認容はなく、また、放火当時社務所や守衛詰所に人が現在ないし現住していたことについての認識もなかつたのであるから、いずれにせよ、本件では非現住建造物等放火罪しか成立しないところ、本件起訴時には既に同罪の公訴時効は完成しているから、免訴の判決がなされるべきであるというのである。 しかしながら、平安神宮社殿の配置、構造、とくに東西各内廻廊と東西各歩廊、東西各歩廊と東西各外廻廊、東外廻廊と齋館、社務所との接続の状況、一般参拝客の右社殿における礼拝の模様、本件当時の右社殿の宿直や警備の状況は、原判決が詳細、具体的に説示しているとおりであつて、これによれば、東西各歩廊と同各外廻廊との間、東外廻廊ン齋館・社務所との間及び齋館と社務所との間は、いずれも構造上両者が一体不可分のものとして密着して接続することが明らかであり、また、東西各内廻廊と同各歩廊との 東西各歩廊と同各外廻廊との間、東外廻廊ン齋館・社務所との間及び齋館と社務所との間は、いずれも構造上両者が一体不可分のものとして密着して接続することが明らかであり、また、東西各内廻廊と同各歩廊との間も物理的には右のように一体不可分とまではいい得ないにせよ、機能的、構造的にみれば、その物理的接続性は優にこれを肯認し得るものというべきであつて、被告人が放火した祭具庫、西翼舎、東西両本殿、内拝殿等の建物と宿直員の現住していた社務所、守衛詰所とはかなりの距離があるものの、堅固な造りの東西各内外廻廊や東西各歩廊等が中央の広場を囲むように方形に連なり、廻廊や歩廊づたいに各建物を一周し得る機能、構造となつているうえ、その途中には蒼龍楼その他の楼閣等が存しており、これらの建造物を全体としてみた場合、その接続性は優に肯認することができ、また、右廻廊、歩廊等は、前記のとおり、屋根及び柱、壁の一部に不燃材料が使用されているとはいえ、屋根の下地、透壁及び柱等に多数の木材が使用されているほか、蒼龍楼その他の楼閣等も木造のものであり、このような建物の構造、材質や本件火災時にみられる前記のとおりの焼燬状況などに鑑みれば、風向、風速、湿度その他の気象条件や火災の発見、消火状況等のいかんによつては、社務所や守衛詰所への延焼の可能性も否定し得ない状況にあり、被告人が放火した祭具庫、西翼舎、東西両本殿、内拝殿等の建物部分と人の現住していた社務所、守衛詰所の部分とは、これを一体のものとして、その全体について現住建造物性を肯定することができるものというべきである、との原判決の説示は、正当としてこれを是認することができるといわなければならない(なお、歩廊南端にある防火シヤツターや、鉄製扉が延焼予防設備として高度の有効性をもつており、この点からしても平安神宮社殿は歩廊と外廻廊との 正当としてこれを是認することができるといわなければならない(なお、歩廊南端にある防火シヤツターや、鉄製扉が延焼予防設備として高度の有効性をもつており、この点からしても平安神宮社殿は歩廊と外廻廊との間で切れていて接続性がないとの弁護人の主張についても、右歩廊及び外廻廊の連子窓の入つた透壁はいずれも土壁しつくい仕上げであるうえ、右歩廊の屋根の軒先は廊下両側にある柱よりも先まで張り出しており、しかも、右屋根は外廻廊の屋根の上まで延び、右各屋根の下地や歩廊南端にある梁の一部がいずれも木製であることなどからすれば、前記程度の防火シヤツター設備や鉄製扉等では、いまだ延焼防止の役割を完全に果すには不十分なものといわざるを得ず、右防火シヤツターの存在の一事をもつてして、その間の接続性を否定しうべくもないことも、原判決の説示するとおりといわなければならない。)。 また、被告人が、社務所、守衛詰所に人が現在または現住していること及びこれらの建物と放火地点である祭具庫等とが接続していることについて、十分な認識を有していたことも、被告人の実況見分の際の指示説明を含む捜査段階における供述(その具体的内容は、原判決の説示するとおりであるところ、これらの供述が大筋において十分に信用しうるものであり、これに反する被告人の原審公判廷における供述が到底措信できないものであることも、原判決が適切に説示しているとおりといわなければならない。)によつて十分に肯認することができるところというべきである。 以下、弁護人及び被告人の各主張に即して若干の説明を付加する。 弁護人あるいは被告人は、「1」原判決は、「右廻廊、歩廊等は、前記のとおり、屋根及び柱、壁の一部に不燃材料が使用されているとはいえ、屋根の下地、透壁及び柱等に多数の木材が使用されているほか、蒼龍楼その他の楼閣等も木 告人は、「1」原判決は、「右廻廊、歩廊等は、前記のとおり、屋根及び柱、壁の一部に不燃材料が使用されているとはいえ、屋根の下地、透壁及び柱等に多数の木材が使用されているほか、蒼龍楼その他の楼閣等も木造のものであり、このような建物の構造、材質や本件火災時にみられる前記のとおりの焼燬状況などに鑑みれば、風向、風速、湿度その他の気象条件や火災の発見、消火状況等のいかんによつては、社務所や守衛詰所への延焼の可能性も否定し得ない。 したがつて、以上を総合して考察すると、被告人の放火した祭具庫、西翼舎、東西両本殿、内拝殿等の建物部分と人の現住していた社務所、守衛詰所の部分とは、これを一体のものとして、その全体について現住建造物性を肯定することができるものというべきである。」と判示しているが、右判示は本件犯行当時の具体的な風向、風速、湿度等を捨象して、抽象的に一般論を述べているにすぎない。社務所、齋館、守衛詰所などと被告人が火をつけた祭具庫が単一の建造物の一部であるというためには、構造物、機能的一体性がそこになくてはならないことはいうまでもないが、さらに犯行時の風向きなどの具体的状況からして祭具庫への放火により右社務所等に火が及ぶ具体的現実的可能性、蓋然性がそこになくてはならないと解すべきところ、内廻廊と歩廊、歩廊と外廻廊、東外廻廊と齋館・社務所との間は完全に切れてはいないものの、相互の接触面積がきわめて僅小であり、その部分に多数の木材が使用されているとはいえ、棟木、縦桟部分には細材が用いられているものの、棟木も小さく、また相互にかなりの距離があるうえ、その多くは丸太のまま用いられ、しかもその少なからぬ部分がコンクリートに埋めこまれているなど延焼がきわめて困難な状況となつていること(現に歩廊に消火栓も設置されていないのであり、このことは歩廊が火災に 多くは丸太のまま用いられ、しかもその少なからぬ部分がコンクリートに埋めこまれているなど延焼がきわめて困難な状況となつていること(現に歩廊に消火栓も設置されていないのであり、このことは歩廊が火災により燃焼する危険がきわめて低いことを雄弁に物語つている。)、上部構造の屋根には木材が用いられてはいないこと、塀や廻廊は開放された空気の流通がきわめてよいところからして、いわゆるフラツシユ・オーバーの現象が生ずるとは考えられないこと、当日の風向き、風速からしても、被告人の放つた火が社務所等に及ぶということはありえなかつたところであること、多数の重要な文化財を抱えている京都市では、他の都市よりもはるかに消火体制が整備されており、平安神宮の所在する場所の具体的状況に照らすと、同神宮に火災が生じてもその発見と通報が敏速になされる筈であることと相まち、間違いなく火災が右社務所等にいたる相当以前に消火された筈であること、大極殿、迎廊群、齋館等が消防法上別個の建造物としての規制を受けていること、現に、本件犯行による焼燬の結果も内廻廊の延焼はきわめて軽微であり、桧皮葺き板張りの透塀でさえ、輻射熱によりそのわずかの部分が燃焼しているにすぎないことなどを併せ考えると、本件犯行により社務所等に火が及ぶことは、その当時のこれらの具体的状況にかんがみ、そもそもありえないところというべきである、原判決が抽象論のみをもつて本件犯行当時の具体的な事情を一顧だにせず、社務所等人の現在する場所に火が及ぶことの具体的蓋然性を吟味することなくして、これらの建造物を含む平安神宮社殿全体が単一の建造物であるとした原判決の判断は法令の解釈、適用を誤つたものである、「2」内廻廊と歩廊との間の部分についていえば、本件当時大規模な改修工事が行われていて、原判決の指摘する雨樋やしぶき止めが当時実 の建造物であるとした原判決の判断は法令の解釈、適用を誤つたものである、「2」内廻廊と歩廊との間の部分についていえば、本件当時大規模な改修工事が行われていて、原判決の指摘する雨樋やしぶき止めが当時実際にあつたのかどうかが全く検討されていないことに徴し、原判決のこの部分に関する説示は事実にもとづかない臆測にすぎない、などと主張する。 思うに、複数の建築物が廊下などで結ばれている一連の建造物群があり、そのうちの一部に人が居住し、あるいは現在している場合において、犯人がそのうち人が居住し、あるいは現在しない建造物に放火したときに、その全体が単一の建造物であつて、その所為が現住建造物放火罪にあたるのか、それぞれが別個独立の建造物であつて、その所為は非現住建造物放火罪にすぎないとみるべきかは、その構造上の接着性の有無・程度、個々の建物の間の機能的関結性の有無・強弱、及び相互の連絡、管理方法などに加えて、副次的にはその火災が人の居住の用に供されている建物部分に延焼する蓋然性や火災により発生した有毒ガスが右部分に波及する蓋然性などをも一つのフアクターとして考慮し、これらの諸事情を総合的に考察して決すべきものと思料されるのであるが、この場合における、その火災が人の居住の用に供されている建物に延焼する蓋然性なるものは、所論のように、その放火当時における風向、風速、気温、湿度、さらには右建造物群自体のその時点における消火態勢やその地域における消防署の一般的消火態勢の充実度とその時点における待機出動態勢などの一過的、現在的な具体的諸状況をふまえて、人の居住の用に供されている個所にまで延焼する現実的で切迫した蓋然性、危険性が果してあつたかどうかという角度から判定すべきものではなく、かかる犯行時の具体的状況を捨象して一般的、定型的に判断すべきものといわなければ れている個所にまで延焼する現実的で切迫した蓋然性、危険性が果してあつたかどうかという角度から判定すべきものではなく、かかる犯行時の具体的状況を捨象して一般的、定型的に判断すべきものといわなければならない(所論の如く犯行時における個々の具体的状況をふまえて判定すべきものとすれば、風向や風速などの気象条件の変化によつて、同一の建造物群が、日により時刻によつて、単一の現住建造物となつたり、それぞれが別個独立の建造物であることになつたりするという甚だ奇妙で、不合理、非常識な結果を招来することになろう。いわんや、その建造物群のある都市の消火態勢の充実度、右建造物群と消防署との距離関係、犯行時における消防署の待機出動態勢をも加味すべきであるとの所論の論法を押し進めるならば、例えば、その建造物群が消防署に隣接しており、消防署の待機出動態勢も万全のものであつて、延焼がひろがる前に直ちに消火活動が開始されることが予想されるかぎり、仮にその建造物群が最も可燃性の高い建材を用いて、きわめて密接に結ばれるという構造になつていたとしても、その建造物群は単一の建造物ではないというきわめて常識に背馳する結論に帰着せざるをえないであろう。)。また、その蓋然性なるものも、現住建造物放火罪が抽象的危険犯であることにかんがみるならば、原判決が説示しているように、延焼等の可能性が否定しえないという程度、いいかえると一般人において延焼の危倶感を禁じえない程度のものであることが必要であり、また、その程度で十分であるといわなければならない。いいかえると、その構造上の接着性、個々の建物の機能的関結性が強い場合においては、一般にそれだけで一体性を肯認するに十分であり、ただ例外的に火勢ないしは火災により発生する有毒ガスが他の居住の用に供されている部分に波及することが絶対にないか、あ 機能的関結性が強い場合においては、一般にそれだけで一体性を肯認するに十分であり、ただ例外的に火勢ないしは火災により発生する有毒ガスが他の居住の用に供されている部分に波及することが絶対にないか、あるいはほとんど稀有であると認められるときにはその一体性が阻却される場合があるにすぎないと考えられる。所論指摘の原判決の説示もまさにかかる観点から平安神宮社殿の一体性を吟味しこれを肯定しているのであり、もとよりその見解は当裁判所としても全面的に正当として是認しうるところといわなければならず、所論は、いたずらに独自の見解に立脚して原判決を論難するものにすぎない(なお、大極殿、迎廊群、齋館等が消防法上別個独立の建造物としての規制を受けているとの主張について付言すれば、かかる事情を窺わせる何らの証拠はなく、右主張はいたずらに臆測をたくましうするものといわなければならない。そして、平安神宮社殿に関する所論指摘のその余の事情の如きも、かかる一般的、定型的な社務所への延焼の蓋然性を否定し、あるいは疑いをさしはさましめるに足りるものではないことはいうまでもない。)。「1」の主張は採用できない。 「2」の主張についても、たしかに原審取調べにかかる関係各証拠によれば、本件放火当時、内拝殿、東翼舎、神饌所、内廻廊あたりを中心として鉄パイプによる足場が組まれ、改修工事が施行されていたことが窺われるけれども、右工事は屋根のふきかえを目的としたものにすぎず、したがつて雨樋やしぶき止めをとりはずすなどの措置までとられていたとは到底認められないのであつて、「2」の主張も採用できない。 次に、弁護人あるいは被告人は、「1」現住建造物であるとの認識があつたといいうるためには、現在しあるいは現住している人に危害が及ぶことについての認識、認容がなくてはならないが、本件において被告 。 次に、弁護人あるいは被告人は、「1」現住建造物であるとの認識があつたといいうるためには、現在しあるいは現住している人に危害が及ぶことについての認識、認容がなくてはならないが、本件において被告人にかかる認識、認容がなかつたことは明らかであり、この点からしても、被告人に現住建造物であるとの認識があつたとの判断が誤つているといわなければならない。「2」被告人は、本件当時の風向きからして人の現在する社務所、守衛詰所まで絶対に火が及ばないことを確信していた(被告人は、平安神宮の位置、同神宮自体の消火態勢や京都市の充実した消防態勢からしても、直ちに火災が発見され消火されることを予期していたものであつて、社務所や宿直詰所はもとより、それよりはるかに手前にある外拝殿にさえ絶対に火が及ばないことを明確に予見していたものである。)ものであり(本件当時北風が吹いていて社務所等に火が及ぶおそれがある状況であつたならば、被告人は本件犯行を決して敢行していなかつたであろう。)、かかる点を看過して、被告人に現住建造物であるとの認識があつたとした原判決の判断には論理の飛躍があるといわなければならない、「3」社務所、齋館は、本件犯行当時、屋根に飾りがついており、玄関に止め木が置かれ、かつ、標縄、しめかざりもあつたことなどからして、明らかに神社の建造物の一部であつて、一般の建物とは著しく異なる様相を呈していたのであり、この点からしても、被告人がそこに人は住んでいないと認識していたことは明らかであり、「齋館及び社務所は、その構造や屋根瓦、柱、壁等の色彩などが外拝殿、蒼龍楼、神楽殿、歩廊、廻廊などと一見して異つており、むしろ、一般の建物に類するものであることがそれぞれ認められる……」との原判決の説示は誤つている、そもそも被告人は社務所や齋館については全く関心を有して 神楽殿、歩廊、廻廊などと一見して異つており、むしろ、一般の建物に類するものであることがそれぞれ認められる……」との原判決の説示は誤つている、そもそも被告人は社務所や齋館については全く関心を有しておらず、したがつてその部分を見てもいないのである、「4」原判決は、「平安神宮では、夜間宿直員が勤務しており、社務所事務室内の螢光灯二本と婚礼受付所前の螢光灯一本は終夜点灯されており、被告人が夜間の下見で歩いた平安神宮南側のa通りから社務所方向を一瞥すれば、前記各電灯が点灯されて、右事務室内が明るくなつているのが明瞭に視認できる状況にあつたこと」をもつて、被告人に社務所に人が寝泊りしていることの認識があつたことの証左としているが、明りがついていることの認識があれば、直ちに、そこに人が寝泊りしていることの認識もあつたと推認してよいとの原判決の右説示には、論理の飛躍がある、「5」被告人の捜査段階のこの点に関する自白は、取調官が、思想的変遷によつて、一面では罪悪感にさいなまれ、また、他面では己れの思想の変遷を何とかして理解してもらいたいと考えていた被告人の心情、かつ、A1を何とかしてかばいたいと考えていた被告人の心情につけこみ、さらに結局は非現住建造物放火として不起訴処分にされるであろうことをにおわせるなどして、強い誘導、押しつけがなされ、被告人が右のような心情からやむなくこれに迎合したことにより引き出されたものであり、信用性を全く欠くものである(このことは、被告人が裁判官の勾留質問において否認していることからも明らかである。また、昭和五八年七月一八日付実況見分調書によれば、同月一五日に行われた本件現場の実況見分において、被告人が、齋館を指して、そこが神社関係者の居住するところだと思つたと述べたとされているが、被告人がそのようなことを述べる筈はないし 分調書によれば、同月一五日に行われた本件現場の実況見分において、被告人が、齋館を指して、そこが神社関係者の居住するところだと思つたと述べたとされているが、被告人がそのようなことを述べる筈はないし、また、右実況見分調書のNO.80の写真は、水屋の玄関の戸を指している写真にすぎず、とても接続状況を説明したものとは認められない。)などと主張する。 しかしながら、犯人に現住建造物であることの認識があつたといいうるためには、犯人に火が人の現在あるいは現住する部分に及ぶであろうことの認識、認容があることを要するとする筋合いは全くない。いわんや、そこにいる人に危害が及ぶであろうことの認識・認容まで要するものではないことはいうまでもない。現住建造物であるとの認識は、その建物が構造的、機能的に一体性を有しており、その構造や使用されている建材の性質からして、その一部での火災が全体に波及する一般的、定型的な可能性、蓋然性があることに関する生の諸事実と、現にその全部または一部に人が現在し、あるいは現住することについての認識があれば足りるのであつて、その建造物が規範的に現住建造物にあたることについての認識や、犯行の際の風向き、風速、湿度などの具体的状況からして、人の現在しあるいは現住する部分に火が及ぶであろうことの予見、認識まで要するものではないことは明らかであり、「1」及び「2」の主張は到底容認しえないところの独自の見解を展開するものに他ならず、採用のかぎりではない。 「3」 の主張についていえば、所論指摘の原判決の説示は、齋館、社務所が神社の建造物の一部という様相、外見を全く有していない、一般の民家と全く同様の外見を有しているなどとしているわけではなく、所論指摘のような諸事情からして一般の民家とは明らかに異なつた様相のものであること、すなわち、平安神宮 様相、外見を全く有していない、一般の民家と全く同様の外見を有しているなどとしているわけではなく、所論指摘のような諸事情からして一般の民家とは明らかに異なつた様相のものであること、すなわち、平安神宮の建造物の一部に他ならないことを前提としながら、なお、外拝殿、蒼龍楼、神楽殿などとはその外見の趣きが一見して異なつた、いわゆる居住性を備えたものであることを指摘しているものであることは右説示自体からして明らかであり、所論は原判決の右説示を正解せずしてこれを論難する的はずれなものという他はない。「3」の主張も採用できない。 「4」 の主張についていえば、原判決は、齋館及び社務所の構造、外見が外拝殿、蒼龍楼などとはかなり趣きを異にしたものであることと、被告人が夜間社務所事務室内と婚礼受付所前の螢光燈が点灯されていることを下見の際に容易に現認しえた筈であることとを併せて、被告人の捜査段階における、社務所等に人が現在することを認識していた旨の供述の信用性を裏付ける事情として重視、指摘しているのであつて、所論のように被告人が事務室に明りがついていたことの認識を有していたことのみから、被告人がその部屋に人の現在することの認識を有していたと推認しているわけではないのであり、所論は原判決の説示を正解せずしていたずらにこれを論難するものにすきない。そもそも平安神宮のような文化財として貴重な建造物に夜間、防火、防犯のための人員を全くおいていないなどということはおよそ考えられないところといわなければならず、「4」の主張も採用のかぎりではない。 「5」 の主張についていえば、被告人の捜査段階におけるこれらの点についての自白は、本件放火に至つた経緯、動機、下見等の準備段階の状況、犯行状況、犯行後の行動等右各供述部分以外の諸点についても、全般にわたつて極めて具体的か えば、被告人の捜査段階におけるこれらの点についての自白は、本件放火に至つた経緯、動機、下見等の準備段階の状況、犯行状況、犯行後の行動等右各供述部分以外の諸点についても、全般にわたつて極めて具体的かつ、詳細に述べたものであり、ヴイヴイツドな描写性を備えたものであるうえ、一貫性もあり、客観的事実ともよく符合すること、拝殿と本殿の接続状況、齋館・社務所と廻廊の接続状況、裏門から侵入した時点でのバツグの携帯状況、侵入した裏門の扉に有刺鉄線が張つてなかつたことなどについては、明確な記憶がなく推測で述べるものであるとして、明確な記憶にもとづく供述と単なる推測にもとつく供述とを峻別して供述していること、平安神宮の図面を案内板、パンフレツトなどで確認したかどうか、神苑の入場料、内拝殿の塀の高さ、夜の下見が一回目の下見であつたか、二回目の下見であつたか、ポリタンク、バツグを購入した店、犯行直前に見廻りをしたかどうか、犯行後のポリタンクの処分状況などさまざまな点につき己れの記憶があいまいであると述べており、この点からしても、己れの記憶に忠実にしたがつた供述に他ならないと推認されること、平安神宮の祭神が桓武天皇であることを知つた経緯、下見を二回行なつたこと、二回目の下見の理由、ガソリンの運搬方法、犯行前の時間待ちのための行動の具体的状況、犯行後の行動の具体的状況、二月一〇日に声明文を送りつけたことの意味など、あらかじめ検察官において予備知識を有し被告人を誘導したとは到底考、えられない多くの事項についての供述が含まれていることなどに徴し、所論のような誘導や押しつけが取調官によつてなされていないことは明らかであり、疑いをさしはさむ余地の全くないところといわなければならない(また、所論は、被告人の思想的変遷に取調官がつけ込んだかのようにいうけれども、そもそも被 取調官によつてなされていないことは明らかであり、疑いをさしはさむ余地の全くないところといわなければならない(また、所論は、被告人の思想的変遷に取調官がつけ込んだかのようにいうけれども、そもそも被告人の内面の心情の右のような変化は、逆に、被告人の取調官の誘導をまつまでもない自発的にして己れの記憶に忠実な自白をもたらすべき筋合いのものであることは、原判決が説示しているとおりであるといわなければならないし、また、結局は非現住建造物放火として不起訴処分にされるであろうことが取調官によつてほのめかされ、その結果として、まさに逆に本件が現住建造物放火罪として処罰されるにいたる有力な証拠となるべきこれらの点についての自白が引き出されたなどということは、その事柄の性質からしてもありえないところといわなければならない。取調官の立場からしても、本件よりもさらに兇悪な、爆弾による無差別テロを次々と反覆累行した被告人について、本件の真相に反してまで本件を何が何でも現住建造物放火罪に仕立てあげなくてはならないというような状況にはそもそもなかつたものといわなければならない。)。そして被告人が勾留質問において否認したという事情の如きは、前述のような諸事情にかんがみるならば、その時点ですでに己れの罪責をでぎるかきり軽減したいという心理が被告人に芽生えていたことを窺わせるにすぎないものであつて、被告人の捜査段階における、これらの点についての自白の信用性をいささかも減殺するものではないといわなければならない。また、同年七月一五日の本件現場の実況見分において、被告人が前述のように述べたことも、原審証人渡辺修の証言などからして明らかであるし、所論指摘の写真が水屋部分の接続状況とそれについての己れの認識を明らかにするための被告人の指示説明の模様を撮影したものに他ならないこと に述べたことも、原審証人渡辺修の証言などからして明らかであるし、所論指摘の写真が水屋部分の接続状況とそれについての己れの認識を明らかにするための被告人の指示説明の模様を撮影したものに他ならないことも、右実況見分調書の記載からして明らかであるといわなければならない。「5」の主張はすべて採用できない。 以上要するに、弁護人のその余の主張につき按ずるまでもなく、原判決に所論のような事実の誤認も法令適用の誤りも存しないことは明らかであるといわなければならない。所論は採用できず、論旨は理由がない。 事実誤認をいう控訴趣意について所論は、原判示第二(以下、「梨木神社爆破事件」という。)、第三の一ないし五(以下、原判示第三の一の事実を「B1爆破事件」、同二の事実を「B2一号館事件」、同三の事実を「B3社長宅爆破事件」、同四を「神社本庁爆破事件」、同五を「B4爆破事件」という。)の各事実について、いずれも被告人に爆発物取締罰則一条所定の目的(ただし、梨木神社爆破事件については、身体加害目的を除く。)はなく、また、B1爆破事件、B2一号館爆破事件及び神社本庁爆破事件についても、人身への暴行、傷害の故意はなかつたのに、これらをすべて肯認した原判決には事実誤認があるというのである。 しかしながら、これらの事件に用いられた各爆弾の構造、各現場の状況、被害状況、関係証拠から認められるところの各爆弾の威力に関する認識(いずれもその詳細は、原判決が具体的に説示するとおりである。)等を総合すれば、被告人に、治安を妨げ、人の財産を害することについては、確定的認識が、人の身体を害することについては(ただし、梨木神社爆破事件を除く。)、少なくとも未必的認識、認容があつたこと、負傷者の出た右の三つの事件については、人身への暴行、傷害の故意も有していたことは、いずれも 身体を害することについては(ただし、梨木神社爆破事件を除く。)、少なくとも未必的認識、認容があつたこと、負傷者の出た右の三つの事件については、人身への暴行、傷害の故意も有していたことは、いずれも明らかであつて、疑いをさしはさむ余地の全くないところといわなければならない。 以下、弁護人の主張に即して、若干の説明を付加する。 弁護人は、「1」B1爆破事件については、被告人が人通りのない時間帯を選び、B5ビルの南側に人通りのないことを確認し、かつ、爆風が事務所内の人間に直接向わない場所に爆弾を設置したこと、B2一号館爆破事件については、学生の少ない連休の谷間に、学生の出入りのない時間帯に袋小路となつていて厚い木製扉に遮蔽されて爆風により人が傷つく筈がない場所に爆弾を設置したことや、被告人は本件爆弾の横に新聞紙に包んだ声明文をおいたが、このことは被告人が爆発によつても声明文が無傷のまま残ると考えていたことの証左であること、B3社長宅爆破事件については、人通りも全くない深夜に門柱近くの門扉の道路側にアルミ圧力鍋を用いた密閉度の低い、したがつて爆発力が劣弱な爆弾を設置したこと、神社本庁爆破事件については、鉄製のロツカーなどに遮蔽されて爆風が事務所内に向わないような所にしかもその威力が主にその上下に向くような方向に爆弾を設置したこと、B4爆破事件については、被告人が爆発寸前まで現場にいて人が来ないのを確認したう、え、現場を立去つていることなどに徴し、とくに人の身体を害せんとする目的(負傷者の出た三事件については、人身への暴行、傷害の故意も)がなかつたことは明らかであると主張する。 まず、「1」の主張について按ずるに、B1爆破事件においては、そもそも現場周辺が商社、銀行等の事務所、飲食店や堂島地下商店街及びこれに通じる地下出入口等が混在する繁華 とは明らかであると主張する。 まず、「1」の主張について按ずるに、B1爆破事件においては、そもそも現場周辺が商社、銀行等の事務所、飲食店や堂島地下商店街及びこれに通じる地下出入口等が混在する繁華街であり、日中の人や車の通行の頻繁なところであること、被告人が爆弾を設置した地点とB6センター及びB7仕入センターの事務室との間にはコンクリート壁があるものの、右壁の中央南寄りのところに出入口があり、爆発当時その出入口の観音開きの鉄扉二枚は開放されていて、両開きのガラスドアがあり、右出入口から約二メートル入つたところのカウンターの出入口側にA2及びA3が座り、右カウンターを隔ててA4が座つていたほか、同室内には多数の従業員が執務をしていたこと、爆発の衝撃自体やそれにより生じた窓ガラスの破片等により現に原判示の六名が原判示のような傷害を負つたこととか、現場の爆発による原判示のようなすさまじい物的被害の状況と、それにより窺われるところの爆弾の威力など犯行の客観的態様(いずれも原審取調べの関係各証拠により明らかである。)それ自体からして所論指摘のような事情を十分に考慮に入れても、被告人に人身を害せんとする目的(人身への暴行、傷害の故意を含む。)があつたことは、被告人の自白の内容やその信用性を按ずるまでもなく、優にこれを肯認することができるところといわなければならない。 B2一号館爆破事件についていえば、被告人が爆弾を設置したのは同館三階C学部C2番教室東側階段踊り場北東隅付近であるが、本件爆発当時、右教室ではフランス法の講義が行われ、ち5ら約二五名の学生が受講していたほか、同館二階C学部二五番教室では約八〇〇名の学生が憲法の講義を受けており、その他の授業及び大学当局による一般事務も平常どおり行われていたこと、現にC学部C2番教室内にいたち5(その 受講していたほか、同館二階C学部二五番教室では約八〇〇名の学生が憲法の講義を受けており、その他の授業及び大学当局による一般事務も平常どおり行われていたこと、現にC学部C2番教室内にいたち5(その位置は爆心地からわずか約六メートルであつた。)が爆発の衝撃で吹きとばされて原判示のような傷害を負つたこととか、爆発によるすさまじい物的被害の状況と爆弾の構造、威力など(いずれも原審取調べの関係各証拠により明らかである。)その犯行の客観的態様それ自体からして、所論指摘のような事情があるにせよ、被告人に人身を害せんとする目的(人身への暴行、傷害の故意を含む。)があつたことは、被告人の自白の内容やその信用性を按ずるまでもなく、これまた明らかであつて疑いをさしはさむ余地の全くないところといわなければならない。なお、被告人が声明文一通を爆弾の設置場所に置いたことは所論指摘のとおりであるが、被告人は同じものを他に三通用意し、新聞社に郵送しているのであり、被告人において現場に置いた声明文が無傷で残ることを予期していたとするならば、かかる措置をとる必要は毫もなかつたというべく、したがつて、右事実が被告人において爆弾の爆発力がきわめて軽微なものと考えていたことの証左とする所論も採用できない。 次にB3社長宅爆破事件についても、たしかに被告人が爆弾を設置したのは門扉道路側ではあつたが、右社長宅の門扉は木製のものであり、そのわずか約二・五メートルのところに玄関があり、また、右爆心地から娘A6が就寝していた洋間の北西隅までもわずか約七メートルにすぎなかつたことや爆発による被害状況のすさまじさ(いずれも原審で取調べられた関係各証拠により明らかである。)から窺われる爆弾の威力などその犯行の客観的態様それ自体からして、被告人の自白の内容やその信用性を吟味するまでもなく、 害状況のすさまじさ(いずれも原審で取調べられた関係各証拠により明らかである。)から窺われる爆弾の威力などその犯行の客観的態様それ自体からして、被告人の自白の内容やその信用性を吟味するまでもなく、また、その余の所論につき按ずるまでもなく、被告人に人身を害することについての少なくとも未必的な認識、認容があつたことは明らかであるといわなければならない。 神社本庁爆破事件についても、被告人が爆弾を仕掛けたロビーとその東側の財務室との間にスチール製ロツカーが置かれていたことは所論指摘のとおりであるが、その北側にガラス製ドアとガラス製受付窓口(その下部及び南側もガラス張りの間仕切りとなつていたにすぎない。)があり、また、これらの上部にもガラス張りの天窓があつたにすぎず、右ロツカーがあつたからといつて、爆発の衝撃による被害が財務室に及ばないような状況ではなかつたことは、いずれも原審で取調べられた関係各証拠によつて明らかなところといわなければならない。原審取調べの関係各証拠から認められるところの関係者の受傷の状況や物的被害の状況とそれにより推認される爆弾の威力などを併せ考えるとき、これまた、被告人の自白の内容や信用性を按ずるまでもなく、また、爆弾が消火器を用いたもので爆発の力が上下方向により強く働くものであるとしても、被告人に人身を害することについての少なくとも未必的な認識、認容はあつたものと断ぜざるをえない。 B4爆破事件についても、現に爆発当時A7が唐戸を順次閉めており、爆発の直前まで三名の参拝客がいたのであり、爆弾の構造、威力、大師堂が木造であること、物的被害の状況(以上すべて、原審取調べの関係各証拠により明らかである。)などに照らすと、これまた被告人の自白の内容やその信用性を吟味するまでもなく、被告人に人身を害することについての少なくとも と、物的被害の状況(以上すべて、原審取調べの関係各証拠により明らかである。)などに照らすと、これまた被告人の自白の内容やその信用性を吟味するまでもなく、被告人に人身を害することについての少なくとも未必的な認識、認容があつたことは疑いをさしはさむ余地のないところといわなければならない。「1」の主張はすべて排斥を免れない。 さらに弁護人は、B4爆破事件について、「2」被告人は、親鸞の思想、教えに共鳴、心酔しており、B4の現状があまりにも親鸞の教えから逸脱した腐敗、頽廃の中にあることを憂慮し、これに警鐘を鳴らして親鸞の教えに立ちかえらせたいというやむにやまれぬ気持から本件犯行に及んだものであり、かかる動機ならびに親鸞の教えが他害をきびしくいましめるものであることに徴すれば、被告人に同罰則のいう、治安を妨げる目的も、人の身体を害する目的もなかつたことは明らかである、このことは、被告人がガソリン入りのポリタンク二個を接着しておくことにより内陣方面への被害を弱化しようと図つたこと、爆弾の威力が主に人のいない北北西、南南東に及ぶような方向に爆弾をおいたこと(被告人は、表中番のいた位置との間には柱があり、爆風等がこの柱に遮られて表中番に及ばないような位置に爆弾を設置したのであり、現に表中番は何らの負傷もしていない。)、大師堂の内部が広大な空間となつており、爆風が吹き抜ける構造であり、ガラス等も用いられておらず、そもそも爆風によるガラスの破片による人身への災害も考えられないことなどからしても明らかである、と主張する。 しかしながら、被告人が、B4爆破事件を敢行したのは、仏教が神社神道とともに、天皇制支配を宗教的に基礎づけ精神的に支えてきたものであり、なかでもB4はその中心的存在であつて、明治政府の行つた北海道開拓の際には、多額の資金を出し、道路を建 行したのは、仏教が神社神道とともに、天皇制支配を宗教的に基礎づけ精神的に支えてきたものであり、なかでもB4はその中心的存在であつて、明治政府の行つた北海道開拓の際には、多額の資金を出し、道路を建設するなどしてアイヌヘの侵略に加担し、国内被差別部落民の多数を信者として収奪を行い、戦争中は軍部と結託して朝鮮、中国等への侵略に加担してきたうえ、天皇制日本国家と癒着し、教団内部でも金脈問題等で紛争が絶えないなど堕落、腐敗しているとの認識に基づき、これを糾弾しようという考えによるものであつたことは被告人の捜査段階の自白(右自白が十分信用できるものであることは後述のとおりである。)からして明らかであり、これに反し、所論に沿う被告人の原審公判廷における供述は己れの行動を正当化せんがための弁解にすぎないことは明白である(そもそも所論のような動機からして、大師堂に対し本件のような破壊を企図するなどということは心理的に不可能であるといわなければならない。)。また、被告人がガソリン等を入れたポリタンクを爆弾とともに並べて置いたのは、大師堂が木造建造物であつたところから、爆弾による破壊のみならず、爆弾の爆発に伴うガソリンの燃焼によりその焼失を図つたがためなのであり、決して爆弾の爆発効果を減殺せんとの意図によるものではなかつたことは明らかであるから、この点の所論も採用できない。たしかに所論指摘の柱の存在がその方面への爆発による破壊を減殺する効果があつたこと、大師堂の内部が大きな空間となつており、閉塞された場所に比べれば、破壊力が小さいと思われること、大師堂にガラスが用いられておらず、ガラス片の飛散による被害が考えられないことは、いずれも所論指摘のとおりであるけれども、廻廊と内部とを画する障子が、南側を除きほぼ全面的に破れており、A7が閉めた北側の唐戸や右同「 用いられておらず、ガラス片の飛散による被害が考えられないことは、いずれも所論指摘のとおりであるけれども、廻廊と内部とを画する障子が、南側を除きほぼ全面的に破れており、A7が閉めた北側の唐戸や右同「18」と「19」の間の忌戸等も、爆風によりあおり錠や落し錠の破損を伴つて開け放たれたり、吹き飛ばされて横倒しになつたりしていること、爆心地のほぼ北に位置する唐戸には幅約四・五センチメートル、長さ約七センチメートルの貫通孔ができ、爆心地と右貫通孔を結ぶ線の延長線上にある北側廻廊の格子戸も破損し、右唐戸の西隣りに位置する板壁に消火器片が突き刺さつていることにかんがみれば、A7が受傷しなかつたことはむしろ僥倖といわなければならないのであり、B4爆破事件以前に、B1爆破事件、B2一号館爆破事件、B3社長宅爆破事件、神社本庁爆破事件と次々に犯行を重ねてきて、現にその多くの犯行において人身の傷害の結果を招来したにもかかわらず、被告人が原判示のように、その爆薬量などからみてその威力も決して、より小さいとはいえない爆弾を使用して本件犯行に及んだことに徴すれば、少なくとも被告人が人身の傷害という結果発生を未必的に認識、認容していたことは明らかであつて、疑いをさしはさむ余地のないところといわなければならない。 弁護人は、また、「被告人が太子堂内に入つた際にはなお三名の婦人が在室しており、これらは金障子が閉まる頃帰り始めてはいたが、仮にこれらの婦人が在堂したままであれば被告人は爆体にかぶさり自分の体を遮蔽物にして被害を与えないようにとさえ決意していたのである。」とも主張するが、原審公判廷における被告人の右主張に沿う供述は、被告人の捜査段階における供述に照らし、また、被告人が本件以前において原判示のように次々と兇悪な爆弾事件を敢行し、これによつて多くの人々に傷害を るが、原審公判廷における被告人の右主張に沿う供述は、被告人の捜査段階における供述に照らし、また、被告人が本件以前において原判示のように次々と兇悪な爆弾事件を敢行し、これによつて多くの人々に傷害を負わせてきたこと自体からしても、弁解のための弁解にすぎないことは明らかであり、右主張も採用のかぎりではない。「2」の主張はすべて採用できない。 次に、弁護人は、「3」原判決は、被告人が「D」や「E」を入手熟読していたことからも、被告人に治安を妨げ人身を害する目的があつたことの一証左とするが、被告人は、B3社長宅爆発事件やB4爆破事件においては、右の教本の指示に反して爆弾を開放された空間で用いており、また、B3社長宅爆破事件などでは火薬を詰める口に劣弱なものを用いていることなどからも明らかなように、被告人は右教本の指示に忠実にしたがつていない点も多々あるのであり、被告人がこれらの教本を熟読していたことから、直ちに被告人がこれらの爆弾の威力について十分な認識があつたことの証左とした原判決の判断には論理の飛躍がある、被告人はこれらの犯行を単なるプロパガンダとして敢行しようとしていたものにすぎず、治安を妨害し、人身を害する目的など毛頭なかつたものであると主張する。 しかしながら、原判決は、被告人がこれらの教本を熟読していたことのみをとりあげこれが、被告人に本件各爆弾の威力についての認識があつたことの証左があつたとしているわけではなく、被告人が爆弾闘争を決意するにいたつた心理的経過や当時発生したいわゆる連続企業爆破事件、北海道警察本部爆破事件、北海道庁爆破事件等多数の死傷者を出した爆弾事件について被告人がその内容、被害状況を十分に知悉していたこと、被告人が、爆弾事件を敢行したつど、その報道に注意を払い、当然被害状況についても各種の報道を通じて認識して 件等多数の死傷者を出した爆弾事件について被告人がその内容、被害状況を十分に知悉していたこと、被告人が、爆弾事件を敢行したつど、その報道に注意を払い、当然被害状況についても各種の報道を通じて認識していたものとみることができるところ、最初の梨木神社爆破事件において相当な物的被害が生じたにもかかわらず、B1爆破事件においては、爆薬量をほぼ倍増した爆弾を製造して、市街地の雑居ビルで白昼使用し、更に、右事件で六名の負傷者を出したにもかかわらず、東大爆破事件では容器も大幅に大型化し、B1爆破事件の約二倍近い爆薬を用いた爆弾を製造したうえ、これを使用して負傷者を出し、それ以降も、同種の爆薬を用いた爆弾を製造したうえ、繰り返し使用していることなど本件をめぐる一連の経緯などとの関連において、被告人がこれらの教本を熟読していることを重視しているのであり、これらの事情を総合して被告人に「本件各爆弾が人を殺傷し、あるいは建物を破壊する等の強大な威力を有するものであることを十分認識していたものというべきである。」と述べているのであつて、もとよりそこに何らの論理の飛躍はないのである。 また、捜査当局の目を盗んでの爆弾の原材料の入手、収集にもろもろの制約があつたであろうことや、被告人が爆発を企てた各現場の状況などからすれば、これらの教本の指示どおりの一〇〇パーセント理想的な形で被告人が爆弾闘争を敢行しえなかつたことも、もとより当然であつて、何ら異とするに足りない。また、前述のような各爆弾の構造、威力や爆発による甚大な被害状況に照らして、右各犯行が爆発物取締罰則所定の目的を欠く、単なるプロパガンダであるとの所論が到底採用しえないものであることもいうまでもない。「3」の主張も採用できない。 また、弁護人は、「4」被告人の捜査段階におけるこの点の自白が、被告人の思想 を欠く、単なるプロパガンダであるとの所論が到底採用しえないものであることもいうまでもない。「3」の主張も採用できない。 また、弁護人は、「4」被告人の捜査段階におけるこの点の自白が、被告人の思想の転換による動揺、反省の念に取調官がつけこみ誘導し被告人がこれに迎合したものであつて信用性を欠くものであ、原審公判廷における被告人の供述こそ信用できるものであると主張する。 しかしながら、被告人の捜査段階におけるこの点に関する自白が、各犯行の動機、下見や爆弾製造のための準備状況、各犯行当日の行動、各犯行後の状況等について、己れの心情をまじえながら詳細具体的に供述したものであり、実際の体験にもとづく供述のみが持つヴイヴイツドな描写性、迫真性を備えていること、その内容も客観的証拠とよく符合した合理的なものであること、被告人の有利な点や記憶のあいまいな点もそのまま録取されており、また、あらかじめ取調官において予備知識があつたとは到底認められず、被告人の自発的な自白にまたなければ録取されえなかつたであろう事項も少なからず録取されていて、取調官の誘導や押しつけがなされた形跡もその内容からして全く窺われないこと、被告人が、B8荘誤爆事件を起こして逃走中、ライヒの思想やラジニーシズムの影響を強く受け、自らの敢行してきた人身被害や建物破壊をもたらすような闘争が誤りであつたと自覚、反省し、反日思想から離脱してゆき、自らの闘争過程やその後の思想変遷をかつての友人たちに伝えたいとの願いなどから、全面的に自白するに至つたという自白にいたるまでの被告人の心情などにかんがみ、十分に信用できるものであること、これに反し、被告人の捜査段階の供述と符合しない、原審公判廷におけるこれらの点についての供述は、それ自体不自然不合理であり、かつ、捜査段階の供述とのくいちがいについて 分に信用できるものであること、これに反し、被告人の捜査段階の供述と符合しない、原審公判廷におけるこれらの点についての供述は、それ自体不自然不合理であり、かつ、捜査段階の供述とのくいちがいについて納得のできる説明がいささかもなされていないことからして到底信用しえないものであることは、いずれも原判決が説示しているとおりといわなければならない。「4」の主張も採用できない。 なお、弁護人は、これらの事件に使用された各爆弾が爆発物取締罰則一条の「爆発物」にあたることについても、これを争う原審の主張を維持しているものと思料されるのであるが、本件各犯行に使用された爆弾が、その構造や威力からして同罰則の「爆発物」にあたることは、原判決がるる説示しているとおりといわなければならず、この点の主張も排斥を免れない。 以上要するに、弁護人のその余の主張について按ずるまでもなく、原判決には所論のような事実の誤認はないといわなければならず、所論はすべて排斥を免れない。論旨は理由がない。 事実誤認ないし法令適用の誤りをいう控訴趣意(二)について所論は、原判示第四の一及び二の各事実(以下、「B8荘誤爆事件」という。)について、被告人が製造し所持していたところの時限式手製爆弾は爆発物取締罰則にいう爆発物にはあたらないのであり、これを同罰則の爆発物にあたるとした原判決には、事実の誤認ないし法令の適用の誤りがあるというのである。 弁護人は、同罰則のいう爆発物とは、同罰則がきわめて重い法定刑を定めていることや同罰則一条及び三条が「治安ヲ妨ケ又ハ人ノ身体財産ヲ害セントスルノ目的」による爆発物の使用、製造、所持を処罰するものであつて、治安妨害等をその内容とする目的犯とされていることなどに徴し、「広範囲かつ無差別に人の生命、財産に危害を及ぼす程度の威力を有するもの」に限ら 的」による爆発物の使用、製造、所持を処罰するものであつて、治安妨害等をその内容とする目的犯とされていることなどに徴し、「広範囲かつ無差別に人の生命、財産に危害を及ぼす程度の威力を有するもの」に限られると解すべきところ、本件爆弾は爆薬量も少なく、その容器も脆弱であり、誤爆時の被害状況も軽微であつたことなどにかんがみれば、右の「広範囲かつ無差別に人の生命、財産に危害を及ぼす程度の威力」は有しなかつたことは明らかであつて、同罰則のいう爆発物にはあたらないと主張する。 しかしながら、同罰則のいう爆発物とは、判例上「その爆発作用そのものによつて、公共の安全を乱し、または、人の身体財産を害するに足る破壊力を有するもの」(最大判昭和三一年六月二七日・刑集一〇巻六号九二一頁。)とされており、右定義はすでに判例上確立したものとなつていると解されるところ、当裁判所も右定義を正当なものと考えるものである。所論の爆発物の定義はいたずらにさらにこれをきわめて限定的に解釈せんとする独自の見解を展開するものであつて、爆弾のもつ危険性、瞬時にしてその強力な威力によつて生命財産を破壊し、かつ、社会の安寧秩序をもゆるがすその威力、有害性に照らすとき、所論の如き見解は、同罰則の立法趣旨を著しく没却するものといわなければならない。そして、本件爆弾の構造、爆弾容器の裂断及び飛散状況、被告人の自傷、付近住民の反応など本件誤爆時の状況ならびに鑑定人A8作成の鑑定書により認められるところの実験結果(その各具体的内容は、原判決が詳細適切に説示しているとおりである。)を総合すれば、本件爆弾は、少なくとも一メートル以内の近距離では、容器の破片の飛散等によつて、人の身体に重大な損傷を与える程度の威力を有するものであることは明らかであるといわなければならず、これが同罰則のいう爆発物にあたる 、少なくとも一メートル以内の近距離では、容器の破片の飛散等によつて、人の身体に重大な損傷を与える程度の威力を有するものであることは明らかであるといわなければならず、これが同罰則のいう爆発物にあたることについては疑いをさしはさむ余地の全くないところといわなければならない。なお、本件誤爆の際、こたつ板の上に置いてあつた物品や同室の窓ガラス、天井等も全く破損していないことや本件爆弾の直近にいた被告人の受傷も比較的軽微であり、こたつをはさんで向い側にいたA1は何らの傷害も受けていないことが、本件爆弾の威力のきわめて小さかつたことの証左であるとの弁護人の主張についていえば、本件爆弾はその容器であるスプレー缶の特性や爆弾の置かれた状況によつてその爆発の威力の及ぶ方向がかなり限定、集約されるものであること、すなわち、本件爆弾の場合、その威力は、主として横向きに置かれてあつた管体の下方(こたつ板の方向)及び西ないし西北方に強く及んだものと推認されること(被告人についていえば、たまたま本件爆弾の北側に座つていて、本件爆弾の威力が強く及ぶ方向から少しずれていたために、体の右側の一部に前記程度の傷害を受けたに止まつたのであるが、もし、右威力が被告人の方向に最も強く及び、被告人が破裂した管体や高熱化した多量の爆薬を体に浴びていた場合には、かなりの重傷を負つたであろうと推認される。)が、本件誤爆時の管体や爆薬の飛散状況、これによる家財等の破損状況によつて認められ、かつ、A8の実験結果によつても十分に裏付けられているところであるから、右の事情の如きは何ら本件爆弾が少なくとも一メートル以内の近距離では容器の破片の飛散等によつて、人の身体に重大な損傷を与える程度の威力を有するものであるとの前記認定と何ら矛盾、牴触するものではなく右主張も採用できないというべきである とも一メートル以内の近距離では容器の破片の飛散等によつて、人の身体に重大な損傷を与える程度の威力を有するものであるとの前記認定と何ら矛盾、牴触するものではなく右主張も採用できないというべきである。 ところで、弁護人は、原判決が、A8の実験にかかる爆弾F及びGと本件爆弾とが右実験結果と本件誤爆時の管体、爆発の飛散状況や家具等の破損状況とを対比検討したうえ、「本件爆弾は、右爆弾F・Gとほぼ同程度の威力を有していたものと認めるのが相当である。」と断定している点について、「1」右実験にかかる爆弾Gにおいては、缶頭部、胴体部、缶底部の各継ぎ目から裂断したのみならず、さらに胴体部も五片に分裂しているのに対し、本件爆弾は右各継ぎ目から裂断しているのみであること、「2」G爆弾の爆発においては、さらに爆体に接着したバツグ等の包装が細片化されているのに、本件爆弾の爆発においては、バツグ等の包装の細片化は生じていないこと、「3」本件爆弾のこたつ板への影響もF爆弾、G爆弾よりかなり小さなものであること、「4」F爆弾の爆発においては、布団が燃焼しているのに、本件爆弾の爆発においては布団は全く燃焼していないこと、「5」被告人の負つた火傷や袖口の焼損は火炎効果によるのではなく火薬の飛散によるものにすぎないからこそ軽微なものにとどまつたのであり、F爆弾の爆発にみられたような強力な火炎効果は全く見られなかつたこと、「6」本件爆弾の爆発においては、缶体側面は一・五メートル離れた地点に落下しているにすぎず、これにより何らの損傷も与えていないのに、F爆弾においては、缶体側面がベニヤ板を破損していることなどを指摘し、原判決はこうした点を看過し、あるいはことさらに無視して、爆薬の量がほぼ等しいということだけから本件爆弾の威力とF・G爆弾の威力とを安易に同程度のものであると臆 ヤ板を破損していることなどを指摘し、原判決はこうした点を看過し、あるいはことさらに無視して、爆薬の量がほぼ等しいということだけから本件爆弾の威力とF・G爆弾の威力とを安易に同程度のものであると臆断しているのであり、これらの諸事情に照らせば、本件爆弾はわずか一〇センチメートルの至近距離にある物を損壊する程度の威力しかないことは明らかであり、同罰則のいう爆発物とは到底いえないものであると主張する。 しかしながら、胴体部分が五片に分断されたのは爆弾Fの実験においてであり、爆弾Gの実験においてではない。「1」の所論はその前提において誤つているといわなければならない。また、「4」「5」「6」の主張についていえば、本件爆弾の誤爆においては、梱包されたバツグ等の破壊や糞尿入り容器の破損、飛散等に爆発力のかなりの部分が消費されているのに対し、爆弾Fの実験においては、かかる事情はないことにかんがみれば、本件爆弾の爆発時の状況と爆弾Fの実験における状況とにこの程度の差異が生じたことをもつて、本件爆弾と爆弾Fとの間に威力の差異があることの証左とすることはできないことは、原判決の指摘するとおりといわなければならない。次に、「2」の主張についていえば、たしかに爆弾Gの爆発実験においてはバツグ等の包装が細片化しているのに対し、本件誤爆においては、このような現象がみられていないことは所論指摘のとおりというべきであるが、他方において、爆弾Gの爆発においては缶頭部と胴体部分とは完全に裂断していないのに、本件誤爆においては、缶頭部と胴体部分とは完全に裂断していること、ポリ容器も、爆弾Gにおいては胴体部分が圧迫されて底部が破裂しその一部が欠損したにとどまるのに対し、本件誤爆においては火力で溶けて破損した状況になつていることなど、むしろ本件爆弾の方が爆弾Gより破壊力が大 器も、爆弾Gにおいては胴体部分が圧迫されて底部が破裂しその一部が欠損したにとどまるのに対し、本件誤爆においては火力で溶けて破損した状況になつていることなど、むしろ本件爆弾の方が爆弾Gより破壊力が大であつたのではないかと思われる事情も存するのであるから、所論指摘の事情のみをもつて本件爆弾の威力が爆弾Gより著しく劣つていたと速断することはできない。「3」の主張についていえば、本件誤爆の際のこたつ板の損傷状況と、爆弾Fの爆発実験の際のこたつ板の損傷状況を対比するとき、いずれも板部分が台形状にえぐりとられて穴があいているところ、その穴の幅が爆弾Fの爆発の場合の方がやや大であるものの(これは前述のように本件誤爆の際には爆発力の一部がポリ容器等の破損等消費されたことによると思科されるのであり、直ちに本件爆弾の威力そのものが爆弾Fに劣つていたことを意味するものではないことはいうまでもない。)、ほとんど同程度の損傷となつているのであり(爆弾Gの実験についていえば、こたつ板よりはるかに薄いベニヤ板が使用されているのであるから、その損傷状況から右爆弾と本件爆弾との威力を比較検討することはできない。)、所論のようにこの点からして本件爆弾の威力が爆弾F・Gに著しく劣つているとは到底いえないというべきである。なお、本件爆弾のような手製爆弾にあつては、同じ容器、同量の爆薬を用いても、その詰め方、密封状況、起爆装置の状況などによつてその威力は微妙に異なつたものとなるであろうことは容易に推認されるし、また、同じ威力の爆弾を用いても、爆発時の偶発的状況によりその破壊状況も微妙に異なつたものとなるであろうことも容易に推認されるところというべきである。したがつて、爆弾F・Gが本件爆弾と寸分ちがわない威力を有していたとまではもとより断じえないけれども、本件誤爆時の状況と爆 に異なつたものとなるであろうことも容易に推認されるところというべきである。したがつて、爆弾F・Gが本件爆弾と寸分ちがわない威力を有していたとまではもとより断じえないけれども、本件誤爆時の状況と爆弾F・Gの実験結果の比較対照からして、両者が近似的には同程度の威力があつたとする原判決の判断は正当といわなければならない。いわんや本件爆弾がわずか一〇センチメートルの至近距離にある物を損壊する程度の威力しかなかつたとする所論は、被告人の受傷の一事をもつてしても到底採るをえないものであるといわなければならない。右主張は採用できない。 また、弁護人は、「1」本件爆弾よりも威力の大きいG爆弾の爆発においても、缶頭部は何らベニヤ板に損傷を与えていないのであるから、本件誤爆により被告人方居室北東側壁面のH点(原判決添付図面「ハ」)の長さ約七センチメートル、深さ約〇・五センチメートルの凹損は本件爆弾の缶頭部の破片効果によつて生じたものではないことは明らかであり(缶頭部の大きさからいつても、本件爆弾の缶頭部によつて長さ七センチメートルもの凹損が形成される筈がない。)、右居室がもと物置として使用されていた老朽化した建物であることを併せ考えると、右H点の凹損は壁面のひび割れにすぎないとみるべく、原判決は、この点でも事実を誤認している、「2」原判決は、本件爆弾の爆発によつて、缶底部がF点(原判決添付図面「4」)にあたり、同点に長さ約四センチメートルの傷跡を生じさせてJ点まで飛んだと認定しているが、F点の長さ四センチメートルの傷跡は缶底部の大きさに符合しないこと、本件爆発後多数の人間が右居室にきたことからすれば、誰かが畳の上にあつた缶底部をJ点まで蹴りこんだことも十分に考えられることなどに徴し、右認定は事実を誤認したものである、などとも主張する。 しかしながら、 後多数の人間が右居室にきたことからすれば、誰かが畳の上にあつた缶底部をJ点まで蹴りこんだことも十分に考えられることなどに徴し、右認定は事実を誤認したものである、などとも主張する。 しかしながら、右のH点の凹損は、金属性ようのものが突きあたつてめりこんだような形状をしているのであり、この凹損の形状と本件爆弾の缶頭部の落ちていた地点とを併せ考えるとき、右凹損が老朽化による単なる壁面のひび割れなどではなく、本件爆弾の缶頭部の衝突によるものであることは明らかであるといわなければならない。爆弾Gの実験においては、缶頭部はベニヤ板に何らの損傷も与えていないことは、所論指摘のとおりであるけれども、右実験においては缶頭部は胴体部分と完全に分断しておらず、本件爆弾の容器の破裂状況とは全くその状況を異にしているのであるから、そのため缶頭部側のベニヤ板に缶頭部による損傷がないとしても何ら異とするには足りないというべきである。また、本件誤爆時における缶頭部の飛散が壁面に直角の角度ではなく、ある程度の角度をもつたものであつたと推認されること(H点の位置からして明らかである。)からすれば、缶頭部の壁面との衝突はやや壁面を擦過するような形で起つたものと推認されるのであるから、H点の凹損の長さが缶頭部の大きさを上廻つていることも、何ら異とするに足りないところといわなければならない。「1」の主張は採用できない。 次に、「2」の主張についていえば、F点の傷跡が金属性ようのものが突き刺さつたような形状であることに加えて、その北側の柱や土間の西側壁にも爆薬の一部が飛散していることに徴し、F点の傷跡が缶底部の飛散、衝突によつて生じたものであることは、疑いをさしはさむ余地のないところといわなければならない。F点の傷跡の長さと缶底部の大きさとの関係についての所論については、「1 に徴し、F点の傷跡が缶底部の飛散、衝突によつて生じたものであることは、疑いをさしはさむ余地のないところといわなければならない。F点の傷跡の長さと缶底部の大きさとの関係についての所論については、「1」において説示したところがそのままあてはまるというべきであるし、爆発後多数の人が右居室にきてそのうちの誰かが落ちていた缶底部を蹴るなど現場の状況をかえたものであるとの所論も、本件のような重大事犯においては、犯人の手がかりとなる有力な証拠が多数存在するであろう爆発現場について、その現状の保全にきわめて細心の配慮がなされるのが捜査の常道であり、現に、原審証人A9、同A10の各原審証言などにより現場の保存にはきわめて細心の配慮がなされていたことが認められるのであつて、所論はいたずらに臆測を逞うするものという他はない。「2」の主張も採用できない。 原判決に所論のような事実誤認ないし法令適用の誤りは存しない。所論は採用できず、論旨は理由がない。 事実誤認ないし法令適用の誤りをいう控訴趣意「三」について所論は、B8荘誤爆事件について、被告人は明治神宮という聖域に糞尿を飛散させ、これを汚すこと自体によりいわば象徴的に明治天皇の権威等を冒涜、失墜させることを企図したものにすぎず、人の身体、財産を害することまでは企図していなかつた(被告人が、従来の各犯行に使用した各爆弾よりはるかに威力の小さい爆弾を製造したうえ、これを糞尿入りのポリ容器と抱き合わせて梱包し、手提かばん等に入れたうえ、ある程度人から離れた所に設置して爆発させようとしたことがその証左である。)のであるから、被告人には、「治安ヲ妨ケ又ハ人ノ身体財産ヲ害セントスル目的」はなかつたというべく、この点においても原判決には事実の誤認ないしは法令適用の誤りが存するというのである。 しかしながら、本件爆 るから、被告人には、「治安ヲ妨ケ又ハ人ノ身体財産ヲ害セントスル目的」はなかつたというべく、この点においても原判決には事実の誤認ないしは法令適用の誤りが存するというのである。 しかしながら、本件爆弾闘争を決意するに至つた経緯・目的が原判示のとおりであること、設置予定場所及び日時が多数の初詣客で賑わう元旦の明治神宮拝殿近くであること、製造、所持した本件爆弾の威力が前記認定のとおりそれなりにかなり強力なものであり、かつ、被告人はもとよりA1についても、それまでの一連の爆弾闘争やこれに関する報道等により、右爆弾の威力についておおよその認識を有していたものと認められることなどの諸事情に加えて、その任意性、信用性に疑いをさしはさむ余地の全くないところの被告人及びA1の捜査段階における各供述の内容(これに反する被告人の原審公判廷における供述が信用するに足りないものであることは、原判決が説示するとおりであるというべきである。)を併せ考えるとき、被告人らにおいて本件爆弾を製造、所持している時点において、将来所論のような象徴的意味でのみこれを明治神宮において使用しようとしていたにとどまらず、初詣客の身体財産を害し、かつ社会の安寧秩序を阻害することをも認識、認容していたものと認めざるをえない(本件爆弾を布製手提かばんに入れるなど厳重に梱包して設置したことが、被告人に身体加害等の目的がなかつたことの証左であるとの所論についていえば、本件爆弾を明治神宮境内に設置しようと予定していた時刻やその時刻に予想されるところの初詣客の雑踏状況にかんがみれば、右のような措置を講じたことが、被告人に身体加害等の目的がなかつたことの一証左とは到底いえないことは原判決の指摘するとおりといわなければならず、右所論も採用できない。)。 なお、弁護人は、被告人が本件爆弾の威力を強烈 たことが、被告人に身体加害等の目的がなかつたことの一証左とは到底いえないことは原判決の指摘するとおりといわなければならず、右所論も採用できない。)。 なお、弁護人は、被告人が本件爆弾の威力を強烈なものであると考えていたとするならば、B8荘で誤爆させるような軽率なことはしなかつた筈であるとか、明治神宮の便所に一たん本件爆弾をセツトしたものの、これを断念したのは、本件爆弾の爆発の威力がさして大きくないため、爆発物に伴う群集の混乱も大したことにはならず、したがつて、即時自分達が犯人として追跡されるであろうと考えたためであるとか主張し、被告人が本件爆弾の威力をきわめて小さいものと認識していた旨強調するのであるが、被告人がB8荘においてこれを爆発させる意図の下にあえて爆発させたというのであるならば、あるいは被告人が本件爆弾の威力をきわめて低いものと考えていたことの証左となりえようが、B8荘における本件爆弾の爆発は被告人の意に反した誤爆なのであり、かかる誤爆を被告人が不注意により惹起したからといつて、このことが本件爆弾の威力についての被告人の認識に何らの消長をきたすものではないことはいうまでもない。また、被告人が明治神宮において一たん本件爆弾をセツトしながら断念したのは、参拝客が多く、爆弾設置後雑踏のため身体の衰弱しているA1と二人では逃走が困難であると判断したために他ならないことは、被告人の捜査段階における自白によつて明らかであり、決して所論のような動機によるものではなかつたのであり、右主張はすべて牽強付会のそしりを免れず、採用のかぎりではない。 弁護人のその余の主張につき按ずるまでもなく、原判決に所論のような事実の誤認も法令適用の誤りも存しないことは明らかであり、所論は採用できない。論旨は理由がない。 量刑不当の控訴趣意について所論 弁護人のその余の主張につき按ずるまでもなく、原判決に所論のような事実の誤認も法令適用の誤りも存しないことは明らかであり、所論は採用できない。論旨は理由がない。 量刑不当の控訴趣意について所論は、被告人に対する原判決の量刑が不当に重い、というのである。 そこで、原裁判所が取り調べた証拠を調査し、当審における事実の取調べの結果を参しやくして検討すると、被告人は、原判示のような経緯から、いわゆる反日思想を抱くようになり、自己の思想に反するものの糾弾、変革を目指してペンキゲリラその他の批判行動を行つたものの、社会から全く無視、黙殺されたところから、このことによる屈辱感も加わつて、この上は、より強力な闘争手段をとる他はないと決意するにいたり、まず手はじめに、深夜人の就寝している社務所と接続している平安神宮の社殿に多量のガソリンを散布して放火炎上させ、さらに梨木神社本殿、大阪市内の繁華街の雑居ビルにあるB1株式会社B6センター・同社B9センター事務室前フロア、B2一号館三階、B3工業株式会社社長A11宅、宗教法人神社本庁本館、B4大師堂と、手あたり次第に次々と強力な時限爆弾を仕掛けて爆発させ、これらの建造物の復興、修復に要した費用のみでも総額約一〇億円にものぼる財産上の損害を蒙らせ、かつ、全く無関係な一般市民を含む合計一二名の者に加療約三日ないし二週間の傷害を負わせ、あるいは初詣客で賑わう明治神宮境内で爆発させるべく住宅密集地にあるアパート(B8荘)で密かに爆弾を製造し所持しているうちこれを誤爆するにいたらしめた等の犯行に及んだものであつて、本件は一個入によつて敢行された連続爆弾事件としては、稀にみる大規模かつ多数回の犯行であるといわなければならない。また、その動機たるや、己れの思想、信条を絶対化したうえで、その貫徹を最も危険な無差別爆弾テ 一個入によつて敢行された連続爆弾事件としては、稀にみる大規模かつ多数回の犯行であるといわなければならない。また、その動機たるや、己れの思想、信条を絶対化したうえで、その貫徹を最も危険な無差別爆弾テロという形で図つたという、きわめて独善的、短絡的、微視的、自己中心的なものであり、社会の安寧秩序への最も悪質大胆な挑戦と評する他はない。 弁護人は、被告人の抱いていたいわゆる反日思想は日本の歴史や現状からすれば社会的にも正当なものとして是認されてしかるべきであり、私利私欲のためではなく、こうした思想からやむにやまれず本件各犯行に走つた被告人の純粋さは、それはそれなりに斟酌すべきものであるのに、原判決は、かかる点について一顧だにもせず、「自己の主義、主張を正当化し、その貫徹のためには、他人を犠牲にしてはばからないというやり方は、余りにも卑劣かつ独善的、自己中心的な所業であつて、その動機、目的には何らの酌量の余地も見出すことができない。」ときめつけているのは到底容認できないところであるとして、本件の動機となつた被告人の心情につきその正当性をるる主張する。もとより、いかなる思想、信条を抱懐しようとも、それは個人の自由であつて、裁判所としても、本件各犯行の動機縁由となつた被告人の思想そのものを内容的に評価あるいは批判すべき立場にはないことはいうまでもない。しかしながら思想、信条の自由とは、他面自己の思想、信条と異なる他人の思想、信条をも容認することによつて、はじめて民主主義的社会秩序を支える精神的支柱として健全に機能しうるのであり、自己の思想、信条のみを絶対視し、これと両立しない他者の思想、信条を問答無用的に暴力によつて抑圧、排除するなどということは、社会的に到底是認されないところというべきである。とくに本件においては、被告人は己れの思想を前述のよ 視し、これと両立しない他者の思想、信条を問答無用的に暴力によつて抑圧、排除するなどということは、社会的に到底是認されないところというべきである。とくに本件においては、被告人は己れの思想を前述のような最も兇悪にして危険きわまりない爆弾闘争という形で貫徹しようとしたのであつて、そこには一面被告人のある種のきまじめさが働いていることは否定できないにせよ、反面、被告人が右のような思想の抱懐から本件各犯行へと進んでいつた心理的なプロセスには、自己の無力感、挫折感に対する心理的補償という一面が濃厚に看取されるのみならず、そこには倒錯したヒロイズム、ナルチシズムさえ窺えるのであつて、被告人の心情が独善的で視野狭窄的なものであつたことは原判決の指摘するとおりといわなければならない。弁護人は被告人の心情を「純粋」と表現しているが、日本語としては甚だ不適切であつて、あえていうならば「狷介」というべきであろう。以上の点から所論はいたずらに被告人の心情を美化するものにすぎず、到底採用できない。 しかも、被告人は、これらの各犯行に先立つて、爆弾の製造技術等を習得し、密かにその原材料を集めたうえ、長時間をかけて爆弾を次々と製造し、また、あらかじめ現場を入念に下見して、放火地点や爆弾の設置場所、逃走経路等を事前に綿密に検討するなどきわめて強固な犯意と周到な準備のもとに本件各犯行を敢行しているのであつて(本件各犯行の行われた約二年間の被告人の全生活は、もつぱら本件各犯行の実行のみを目的としたものであるといつても過言ではない。)、計画性、執着性のきわめて強い犯行といわざるをえず、また、被告人が、捜査をかく乱するため多数のグループが相呼応して行なつた犯行に見せかけるべく、爆弾の構造や犯行後に出す声明文等に手の込んだ偽装工作を施すなどの措置をも講じていることや、B8荘 えず、また、被告人が、捜査をかく乱するため多数のグループが相呼応して行なつた犯行に見せかけるべく、爆弾の構造や犯行後に出す声明文等に手の込んだ偽装工作を施すなどの措置をも講じていることや、B8荘における誤爆による指名手配がなかりせば、おそらく被告人はその後も同様の犯行を延々と敢行し続けたであろうと推認されることなどを併せ考えるとき、被告人の心情はまことに兇悪かつ卑劣なものと評するの他はない。 また、本件の物的損害も、経済的にも前述のように莫大なものであるのみならず、本件犯行の対象となつた前述の神社、仏閣が、いずれも文化的遺産としてもすぐれたものであり、かつ、多くの人々のそれぞれ信仰の対象ともなつていたものであることにかんがみるとき、本件の損害には金銭的な評価のみでは、評価しつくしえない関係者の蒙つた精神的衝撃にもはかり知れないものがあるというべく、その結果はまことに重大であるという他はない。 加うるに本件においては、全く無関係な一般市民を含む一二名の者に前判示のような傷害を負わせその一部の者にはその後数年間にわたり肉体的、精神的苦痛を与えているのであつて、この人身の損傷による損害にも軽視しえないものがあるといわなければならない(なお、本件各犯行に使用された各爆弾の前述のような性能、威力にかんがみるとき、成行きによつては、本件によつてもつと重大な人身の損傷が惹起されたことも十分に考えられるところであつて、人身の損傷がこの程度にとどまつたことはむしろ僥倖というべきである。)。 次に、明治神宮境内における爆弾の使用という被告人の企図についていえば、右犯行は参詣客が多く、爆弾設置後雑踏のため身体の衰弱しているA1と二人では現場からの逃走が困難であるとの判断から一たん断念されたもののB8荘における誤爆がなかりせば、間違いなく、被告人の手で敢 、右犯行は参詣客が多く、爆弾設置後雑踏のため身体の衰弱しているA1と二人では現場からの逃走が困難であるとの判断から一たん断念されたもののB8荘における誤爆がなかりせば、間違いなく、被告人の手で敢行されていた筈のものであるが、右犯行は、体調をくずし、精神的に無気力状態に陥つていたA1の気持をふるいたたせることにより、その心身を回復させようとする甚だ自己中心的で身勝手な動機から決意されるにいたつたものであつて、その動機自体まことに不埓なものといわざるをえないところ、仮に被告人が企図していたとおりに、初詣客で賑わう明治神宮境内において右爆弾が使用されていたとするならば、右爆弾の爆発作用そのものによる人身の損傷に加えて、その爆発による初詣客の混乱、恐慌によつてきわめて多数の死傷者が生じたであろうとも推認されるのであつて、その予想される結果は思うだに戦慄を禁じえないものがあるといわなければならない。 このような理不尽な犯行により物心両面にわたり深い痛手を受けながら、十分な慰謝の措置を講じられていない関係各被害者らが、被告人に対して厳罰を求めているのは至極当然というべきである。なお本件各犯行は、いわゆる連続企業爆破事件その他多数の死傷者を出した爆弾事件が続発し、爆弾テロによる社会不安が醸成されていた時期に、これと呼応するかのように、京都、大阪、東京の各地で連続的かつ無差別的に敢行されたものであつて、当時の一般市民に与えた衝撃や恐怖感、不安感にも看過しえないものがある。一般に、この種爆弾事犯は小人数により大規模な破壊が可能であるうえ、爆発によつて犯人割出しの手がかりとなるべき証拠も散逸してしまうことが少なくなく、犯人検挙もきわめて困難であるところなどから模倣性も強く、一般予防の見地からしても、厳重な処罰が要請されている。以上の諸点を併せ考えると しの手がかりとなるべき証拠も散逸してしまうことが少なくなく、犯人検挙もきわめて困難であるところなどから模倣性も強く、一般予防の見地からしても、厳重な処罰が要請されている。以上の諸点を併せ考えるとき、被告人の犯情はまことに悪質であつて、その刑事責任はきびしく追及されなくてはならないというべきである。 したがつて、本件各爆破事件により現実に生じた人身の被害は、被告人が犯行に際しそれなりに配慮を払つたこともあり、幸いにして使用された爆弾の性能、威力と対比するとき比較的軽微であつたこと、被告人がその後原判示のような思想に触れて、それなりに一応の内省力らしきものを身につけるにいたり本件各犯行についての反省改悟の念から捜査段階においてそのほぼ全容を自白し、原審公判廷においても、一部弁解のための弁解をしているものの、右自白の大部分を維持し、被害者らに一応謝罪の意を表していること、傷害を負つた被害者の一部の者との間で示談が成立し、右被害者からは宥恕の意思が表明されていること、右のような被告人の現在の心境(いわゆる転向の心情と論理について当裁判所もこれを理解評価するに吝かではない。)などからして、将来被告人が本件のような犯行を再びおかすおそれはもはやないと認められること、身から出た錆とはいえ、被告人が長期間にわたる逃亡生活、潜伏生活を余儀なくされ、その間辛酸をなめてきたことは被告人にとつて一つの社会的制裁ともみうる一面を有すること、多数の知人等から減刑の嘆願がなされていることとか、被告人の年令、家庭の事情など所論指摘の点を含めて被告人のため酌むべき事情一切(なお、平安神宮放火事件、梨木神社、B1、B2一号館、B3社長宅各爆破事件について、自首が成立しないことは、原判決の説示するとおりといわなければならない。)を十分に考慮しても、前記のような犯情にか なお、平安神宮放火事件、梨木神社、B1、B2一号館、B3社長宅各爆破事件について、自首が成立しないことは、原判決の説示するとおりといわなければならない。)を十分に考慮しても、前記のような犯情にかんがみるとき、被告人を懲役一八年に処した原判決の量刑はやむをえないところと思料されるのであつて、これが重過ぎて不当であるとは到底いえない。論旨は理由がない。 よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における未決勾留日数の算入につき刑法二一条を、当審における訴訟費用を負担させないことにつき刑訴法一八一条一項但書を各適用して、主文のとおり判決する。 (裁判長裁判官石丸俊彦裁判官小林隆夫裁判官日比幹夫)
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