平成27(行ウ)37 「黒い雨」被爆者健康手帳交付請求等事件

裁判年月日・裁判所
令和2年7月29日 広島地方裁判所 その他
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判決文本文321,421 文字)

主文 1 広島市長が,別紙2原告目録記載の原告番号市1から57までの各原告がした,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(以下「被爆者援護法」という。)に基づく各被爆者健康手帳交付申請に対し,別紙4処分目録の「交付申請却下処分日」欄記載の日にした,各被爆者健康手帳交付申請却下処分をいずれも取り消す。 2 広島市長は,前項記載の各原告に対し,前項記載の各被爆者健康手帳交付申請に係る被爆者援護法2条3項の規定による被爆者健康手帳の各交付をせよ。 3 広島県知事が,別紙2原告目録記載の原告番号県1から31までの各原告がした,被爆者援護法に基づく各被爆者健康手帳交付申請に対し,別紙4処分目録の「交付申請却下処分日」欄記載の日にした,各被爆者健康手帳交付申請却下処分をいずれも取り消す。 4 広島県知事は,前項記載の各原告に対し,前項記載の各被爆者健康手帳交付申請に係る被爆者援護法2条3項の規定による被爆者健康手帳の各交付をせよ。 5 訴訟費用のうち,訴訟参加によって生じた費用は参加行政庁の負担とし,その余の費用は被告広島市及び被告広島県の負担とする。 事実及び理由 目次第1章請求 ............................................................. 5第2章事案の概要等 ..................................................... 5第1 事案の概要 ..................................................... 5第2 前提となる事実(争いがないか,掲記の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)......... ......................................... 5第2 前提となる事実(争いがないか,掲記の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)................................................... 6第3 主要な争点 ...................................................... 14第4 争点に関する当事者の主張 ....................................... 14 1 承継人らにおける訴訟承継の成否 ................................. 14 2 被爆者援護法1条3号にいう「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」の意義 ................................... 24 3 原告ら「黒い雨」体験者は,被爆者援護法1条3号にいう「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当するか(総論) ..................... 34 4 原告らは,被爆者援護法1条3号にいう「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当するか(各論) ..................................... 66 5 その他被爆者健康手帳交付申請却下処分の適法性 .................. 129 6 第一種健康診断特例区域指定の適法性 ............................ 131 7 第一種健康診断受診者証交付処分義務付けの訴えの適否 ............. 129 6 第一種健康診断特例区域指定の適法性 ............................ 131 7 第一種健康診断受診者証交付処分義務付けの訴えの適否 ............ 138第3章当裁判所の判断................................................. 140第1 認定事実 ....................................................... 140 1 放射線に関する基本的概念等 .................................... 140 2 広島市に投下された原爆 ........................................ 144 3 被爆者援護法の制定経過 ........................................ 146 4 「黒い雨」降雨域に関する経過,残留放射線に関する調査等について 177 5 その他本件に関連する知見,報告等 .............................. 203第2 争点1(承継人らにおける訴訟承継の成否)について .............. 212第3 争点2(被爆者援護法1条3号にいう「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」の意義)について .................. 218 第4 争点3(原告ら「黒い雨」体験者は,被爆者援護法1条3号にいう「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当するか(総論))について ....... 221 1 「黒い雨」と放射性微粒子について 子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当するか(総論))について ....... 221 1 「黒い雨」と放射性微粒子について .............................. 221 2 「黒い雨」降雨域について ...................................... 229 3 内部被曝の危険性に関する知見 .................................. 242 4 被爆者援護法における「黒い雨」の位置付け ...................... 243 5 「黒い雨」降雨の多寡による区別 ................................ 251 6 まとめ ......................................................... 254第5 争点4(原告らは,被爆者援護法1条3号にいう「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当するか(各論))について ....................... 254 1 砂谷村の原告らについて ........................................ 254 2 水内村(宇佐・久日市を除く)の原告らについて .................. 259 3 上水内村の原告らについて ...................................... 266 4 亀山村の原告らについて ........................................ 269 5 殿賀村の原告らについて .... ................ 266 4 亀山村の原告らについて ........................................ 269 5 殿賀村の原告らについて ........................................ 273 6 安野村(水内村宇佐・久日市の各地区を含む)の原告らについて .... 275 7 筒賀村の原告について........................................... 296 8 吉坂村(都谷村を含む)の原告について .......................... 297 9 緑井村の原告について........................................... 298 10 小河内村の原告について ...................................... 299 11 河内村の原告について ........................................ 300 12 八幡村の原告らについて ...................................... 302 13 観音村の原告について ........................................ 304 14 加計町の原告らについて ...................................... 304 15 まとめ ....................................................... 308第6 結論 ........................................................... 308別紙5 被 .................. 308第6 結論 ........................................................... 308別紙5 被爆者援護法第1条第3号に係る審査方針 ........................ 310別紙6 被爆者援護法第1条第3号に係る審査方針の運用のガイドライン .... 311別図表1 宇田雨域 ..................................................... 312別図表2 増田雨域 ..................................................... 313 別図表3 大瀧雨域 ..................................................... 314別図表4 各「黒い雨」降雨域........................................... 316 第1章請求第1 被爆者健康手帳に関する請求(主位的請求)主文第1項ないし第4項同旨第2 第一種健康診断受診者証に関する請求(予備的請求) 1 広島市長が,別紙2原告目録記載の原告番号市1から原告番号市57までの各原告がした,被爆者援護法に基づく各第一種健康診断受診者証交付申請に対し,別紙4処分目録の「交付申請却下処分日」欄記載の日付にした,各第一種健康診断受診者証交付申請却下処分をいずれも取り消す。 2 広島市長は,前項記載の各原告に対し,前項記載の各第一種健康診断受診者証交付申請に係る被爆者援護法施行規則附則2条4項の規定による第一種健康診断受診者証の各交付をせよ。 3 広島県知事が,別紙2原告目 長は,前項記載の各原告に対し,前項記載の各第一種健康診断受診者証交付申請に係る被爆者援護法施行規則附則2条4項の規定による第一種健康診断受診者証の各交付をせよ。 3 広島県知事が,別紙2原告目録記載の原告番号県1から原告番号県31までの各原告がした,被爆者援護法に基づく各第一種健康診断受診者証交付申請に対し,別紙4処分目録の「交付申請却下処分日」欄記載の日にした,各第一種健康診断受診者証交付申請却下処分をいずれも取り消す。 4 広島県知事は,前項記載の各原告に対し,前項記載の各第一種健康診断受診者証交付申請に係る被爆者援護法施行規則附則2条4項による第一種健康診断受診者証の各交付をせよ。 第2章事案の概要等第1 事案の概要本件は,原告ら(承継人らを含む。)が,昭和20年8月6日,広島市に原子爆弾(以下「原爆」という。)が投下されたことにつき,原告らは,原爆投下後のいわゆる「黒い雨」と呼ばれる降雨に遭ったから,被爆者援護法1条3号にいう「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当するなどと主張し,次のとおりの請求をする事案である。なお,原告らのうち本件訴訟の口頭弁論終結前に死亡した者については,それぞれ承継人が本件訴訟における当該者の地位を承継したと主張して,訴訟承継の申立てをした。 1 被爆者健康手帳に関する請求(主位的請求)原告らが,被告広島市又は被告広島県に対し,同市長又は同県知事が,原告らの被爆者援護法に基づく被爆者健康手帳交付申請に対してした被爆者健康手帳交付申請却下処分の取消しを求めるとともに,被爆者健康手帳交付処分 の義務付けを求める請求である。 2 第一種健康診断受診者証に関する請求(予備的請求)原告らが た被爆者健康手帳交付申請却下処分の取消しを求めるとともに,被爆者健康手帳交付処分 の義務付けを求める請求である。 2 第一種健康診断受診者証に関する請求(予備的請求)原告らが,被告広島市又は被告広島県に対し,同市長又は同県知事が,原告らの被爆者援護法施行規則附則に基づく第一種健康診断受診者証交付申請に対してした第一種健康診断受診者証交付申請却下処分の取消しを求めるとともに,第一種健康診断受診者証交付処分の義務付けを求める請求である。 第2 前提となる事実(争いがないか,掲記の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実) 1 当事者等別紙2原告目録記載の原告番号市1から市57まで,県1から県31までの原告らは,広島市長又は広島県知事に対し,被爆者援護法2条3項に基づく被爆者健康手帳及び被爆者援護法施行規則附則2条4項に基づく第一種健康診断受診者証の各交付申請を行った者である。 なお,別紙2原告目録記載の承継前原告らは,本件口頭弁論終結前に死亡し,各承継前原告に対応する別紙3承継人目録記載の承継人らが,本件訴訟における各承継前原告の地位を承継したと主張して,訴訟承継の申立てをした。 2 原爆の投下等⑴ 原爆の投下昭和20年8月6日午前8時15分頃,原爆が広島市に投下された。その爆心地は,原爆ドームの中心から南東約160m,現在の広島市中区大手町一丁目5番の島病院の敷地上空580m(±15m)であった。(甲A10・3頁,甲A30・3頁)⑵ 原告らの所在地原告らが原爆投下当時に所在していたと主張する地域は,いずれも被爆者援護法1条1号にいう「隣接する区域」として政令で定められている区域()や同条2号にいう「政令で定める区域」の範囲外にあり,また,同法附則17条,同法施 在していたと主張する地域は,いずれも被爆者援護法1条1号にいう「隣接する区域」として政令で定められている区域()や同条2号にいう「政令で定める区域」の範囲外にあり,また,同法附則17条,同法施行令附則2条,別表第3の第一種健康診断特例区域(後記4⑶ア記載のとおり)の範囲外にある。 3 被爆者健康手帳交付申請却下処分等⑴ 被告広島市関係 原告番号市1から市57までの各原告らは,広島市長に対し,別紙4処分目録の「交付申請日」欄記載の年月日に,被爆者援護法2条3項に基づく被爆者健康手帳の交付申請及び被爆者援護法施行規則附則2条4項に基づく第一種健康診断受診者証の交付申請をした。 広島市長は,前記各交付申請に対し,別紙4処分目録の「交付申請却下処分日」欄記載の日付けで,被爆者健康手帳交付申請却下処分及び第一種健康診断受診者証交付申請却下処分をした。 ⑵ 被告広島県関係原告番号県1から県31までの各原告らは,広島県知事に対し,別紙4処分目録の「交付申請日」欄記載の年月日に,被爆者援護法2条3項に基づく被爆者健康手帳の交付申請及び被爆者援護法施行規則附則2条4項に基づく第一種健康診断受診者証の交付申請をした。 広島県知事は,前記各交付申請に対し,別紙4処分目録の「交付申請却下処分日」記載の日付けで,被爆者健康手帳交付申請却下処分及び第一種健康診断受診者証交付申請却下処分をした。 4 被爆者援護法の制定及び同法の定め⑴ 被爆者援護法の制定昭和32年に原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(以下「原爆医療法」という。)が,昭和43年に原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(以下「原爆特別措置法」という。)がそれぞれ制定され,平成6年にこれらの法律を統合する形でこれらを引き継ぐ (以下「原爆医療法」という。)が,昭和43年に原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(以下「原爆特別措置法」という。)がそれぞれ制定され,平成6年にこれらの法律を統合する形でこれらを引き継ぐとともに,その援護内容を更に充実発展させるものとして被爆者援護法が制定された(いわゆる原爆三法〔原爆医療法,原爆特別措置法及び被爆者援護法〕を総称して,以下「被爆者援護法等」ということがある。)。 ⑵ 被爆者援護法の定めア目的被爆者援護法の前文には,法の目的に関し,「昭和20年8月,広島市及び長崎市に投下された原子爆弾という比類のない破壊兵器は,幾多の尊い生命を一瞬にして奪ったのみならず,たとい一命をとりとめた被爆者にも,生涯いやすことのできない傷跡と後遺症を残し,不安の中での生活をもたらした。このような原子爆弾の放射能に起因する健康被害に苦しむ被爆者の健康の保持及び増進並びに福祉を図るため,原子爆弾被爆者の医療 等に関する法律及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律を制定し,医療の給付,医療特別手当等の支給をはじめとする各般の施策を講じてきた。・・・国の責任において,原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ,高齢化の進行している被爆者に対する保健,医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ・・・」るため,この法律を制定する旨の定めがある。 イ被爆者の定義被爆者援護法において,被爆者とは,同法1条各号のいずれかに該当する者であって,被爆者健康手帳の交付を受けたものをいうとされている(同法1条)。 被爆者援護法1条各号の定めは,次のとおりである。 1号「原子爆弾が投下された際当時の広島市 あって,被爆者健康手帳の交付を受けたものをいうとされている(同法1条)。 被爆者援護法1条各号の定めは,次のとおりである。 1号「原子爆弾が投下された際当時の広島市若しくは長崎市の区域内又は政令で定めるこれらに隣接する区域内に在った者」前記の「これらに隣接する区域」は,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行令(平成7年2月17日政令第26号。以下「被爆者援護法施行令」という。)1条1項において,「(被爆者援護法1条1号の)政令で定める区域は,広島市又は長崎市に原子爆弾が投下された当時の別表第一に掲げる区域とする」と規定され,前記別表第一において,広島県については,「広島県安佐郡祇園町(1号),広島県安芸郡戸坂村のうち,狐爪木(2号),広島県安芸郡中山村のうち,中,落久保,北平原,西平原及び寄田(3号),広島県安芸郡府中町のうち,茂陰北(4号)」と規定されている。 2号「原子爆弾が投下された時から起算して政令で定める期間内に前号に規定する区域のうちで政令で定める区域内に在った者」前記の「政令で定める期間」は,被爆者援護法施行令1条2項により,広島市に投下された原爆については昭和20年8月20日までとすると定められている。また,前記の「政令で定める区域」は,被爆者援護法施行令1条3項及び同施行令別表第二において,「広島市のうち,楠木町一丁目,楠木町二丁目,楠木町三丁目,三篠本町一丁目,三篠本 町二丁目,横川町一丁目,横川町二丁目,横川町三丁目,打越町,山手町,南三篠町,福島町,中広町,上天満町,天満町,西天満町,東観音町一丁目,東観音町二丁目,西観音町一丁目,西観音町二丁目,観音本町,南観音町,広瀬北町,寺町,空鞘町,西引御堂町,広瀬元町,鷹匠町,錦町,横堀町, 島町,中広町,上天満町,天満町,西天満町,東観音町一丁目,東観音町二丁目,西観音町一丁目,西観音町二丁目,観音本町,南観音町,広瀬北町,寺町,空鞘町,西引御堂町,広瀬元町,鷹匠町,錦町,横堀町,北榎町,新市町,榎町,西九軒町,西大工町,十日市町,左官町,鍛冶屋町,油屋町,猫屋町,塚本町,堺町一丁目,堺町二丁目,堺町三丁目,堺町四丁目,西地方町,西新町,小網町,河原町,舟入町,舟入仲町,舟入本町,舟入幸町,舟入川口町,中島本町,材木町,天神町,木挽町,元柳町,中島新町,水主町,吉島町,吉島羽衣町,白島北町,白島中町,白島東中町,白島九軒町,白島西中町,西白島町,東白島町,基町,猿楽町,細工町,横町,鳥屋町,大手町一丁目,大手町二丁目,大手町三丁目,大手町四丁目,大手町五丁目,大手町六丁目,大手町七丁目,大手町八丁目,大手町九丁目,塩屋町,尾道町,紙屋町,研屋町,革屋町,立町,東魚屋町,八丁堀,上流川町,幟町,上柳町,鉄砲町,橋本町,石見屋町,胡町,東胡町,山口町,下柳町,銀山町,弥生町,薬研堀町,斜屋町,下流川町,堀川町,三川町,平田屋町,播磨屋町,西魚屋町,中町,鉄砲屋町,袋町,下中町,新川場町,小町,雑魚場町,国泰寺町,竹屋町,田中町,平塚町,鶴見町,宝町,冨士見町,昭和町,平野町,南竹屋町,東千田町,千田町一丁目,千田町二丁目,千田町三丁目,台屋町,京橋町,的場町,金屋町,比治山町,稲荷町,松川町,土手町,桐木町,段原大畑町,段原町,段原東浦町,比治山本町,皆実町一丁目,二葉の里,大須賀町,松原町及び猿猴橋町」と定められている。 3号「前2号に掲げる者のほか,原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」(以下,前記3号〔原爆医療法2条3号を含む 3号「前2号に掲げる者のほか,原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」(以下,前記3号〔原爆医療法2条3号を含む。〕の要件を充たす者を,「3号被爆者」と称する場合がある。) 4号「前3号に掲げる者が当該各号に規定する事由に該当した当時その者の胎児であった者」ウ被爆者健康手帳の交付 被爆者援護法2条1項は,被爆者健康手帳の交付を受けようとする者は,その居住地(居住地を有しないときは,その現在地とする。)の都道府県知事(広島市又は長崎市については当該市の長〔同法49条。以下同じ。〕。以下,前記市長を含め「都道府県知事等」という。)に申請しなければならないと定めており,同条3項は,都道府県知事等は,前記申請に基づいて審査し,申請者が被爆者援護法1条各号のいずれかに該当すると認めるときは,その者に被爆者健康手帳を交付するものとする旨定めている。 エ被爆者に対する援護被爆者援護法上の被爆者は,同法に基づき,所定の援護を受けることができる。主な援護は,次のとおりであり,同法により,被爆者であれば誰でも受けることのできる援護として定められているものと,被爆者のうち一定の要件を充たす者が受けることのできる援護として定められているものとがある。 健康管理a 健康診断都道府県知事等は,被爆者に対し,毎年,厚生労働省令で定めるところにより,健康診断を行うものとすると定められている(被爆者援護法7条)。 b 指導都道府県知事等は,前記健康診断の結果必要があると認めるときは,当該健康診断を受けた者に対し,必要な指導を行うものとすると定められている(被爆者援護 爆者援護法7条)。 b 指導都道府県知事等は,前記健康診断の結果必要があると認めるときは,当該健康診断を受けた者に対し,必要な指導を行うものとすると定められている(被爆者援護法9条)。 一般疾病医療費の支給被爆者援護法18条1項本文は,被爆者が,負傷又は疾病(一定の負傷又は疾病等を除く。)について,被爆者一般疾病医療機関から一定の医療を受けたときなどに,厚生労働大臣は,一般疾病医療費を支給することができる旨定めている。 健康管理手当の支給被爆者援護法27条1項及び4項は,都道府県知事等は,被爆者であって,造血機能障害,肝臓機能障害その他の厚生労働省令で定める障害を伴う疾病(原爆の放射能の影響によるものでないことが明らかである ものを除く。)にかかっているもの(ただし,医療特別手当,特別手当又は原子爆弾小頭症手当の支給を受けている者を除く。)に対し,毎月定額の健康管理手当を支給する旨定めている。なお,健康管理手当支給の対象となる障害は,造血機能障害,肝臓機能障害,細胞増殖機能障害,内分泌腺機能障害,脳血管障害,循環器機能障害,腎臓機能障害,水晶体混濁による視機能障害,呼吸器機能障害,運動器機能障害,潰瘍による消化器機能障害の11種類が定められている(被爆者援護法施行規則51条)。 同条2項は,同条1項に規定する者が,健康管理手当の支給を受けようとするときは,同項に規定する要件(支給要件)に該当することについて,都道府県知事等の認定(支給認定)を受けなければならない旨定めている。 原子爆弾小頭症手当,保健手当及び介護手当の支給都道府県知事等は,一定の要件を充たす被爆者に対し,原子爆弾小頭症手当(被爆者援護法26条),保健手当(被爆者援護法28条) いる。 原子爆弾小頭症手当,保健手当及び介護手当の支給都道府県知事等は,一定の要件を充たす被爆者に対し,原子爆弾小頭症手当(被爆者援護法26条),保健手当(被爆者援護法28条),介護手当(被爆者援護法31条)を支給するとされている。 医療の給付被爆者援護法10条1項は,「厚生労働大臣は,原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し,又は疾病にかかり,現に医療を要する状態にある被爆者に対し,必要な医療の給付を行う。ただし,当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射能に起因するものでないときは,その者の治癒能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現に医療を要する状態にある場合に限る。」と定めている。 被爆者援護法11条1項は,前記の医療の給付を受けようとする者は,あらかじめ,当該負傷又は疾病が原爆の傷害作用に起因する旨の厚生労働大臣の認定(以下「原爆症認定」という。)を受けなければならない旨定めている。 医療特別手当の支給被爆者援護法24条1項は,都道府県知事等は,原爆症認定を受けた者であって,当該認定に係る負傷又は疾病の状態にあるものに対し,医療特別手当を支給する旨定めている。 特別手当の支給 被爆者援護法25条1項は,都道府県知事等は,原爆症認定を受けた者に対し,特別手当を支給する(ただし,その者が医療特別手当の支給を受けている場合は,この限りでない)旨定めている。 ⑶ 健康診断の特例措置等ア健康診断特例区域の指定被爆者援護法附則17条は,「原子爆弾が投下された際第1条第1号に規定する区域に隣接する政令で定める区域内に在った者又はその当時その者の胎児であった者は,当分の間,第7条の規定の適用については,被爆者とみなす。」として,健 「原子爆弾が投下された際第1条第1号に規定する区域に隣接する政令で定める区域内に在った者又はその当時その者の胎児であった者は,当分の間,第7条の規定の適用については,被爆者とみなす。」として,健康診断の特例措置を定めている(なお,この措置は,昭和49年以降にとられるようになったものである。)。 現在において,前記の「政令で定める区域内」は,被爆者援護法施行令附則2条において,「法附則第17条の政令で定める区域は,同条に規定する者に対し行う厚生労働省令で定める健康診断の区分に応じ,広島市又は長崎市に原子爆弾が投下された当時の別表第三又は別表第四に掲げる区域(同表に掲げる区域にあっては,原子爆弾が投下された際の爆心地から十二キロメートルの区域内に限る。)とする」と規定され,広島市及び広島県については,「広島県山県郡安野村のうち,島木及び段原(1号),広島県佐伯郡水内村のうち,津伏,小原,井手ケ原,矢流,草谷,古持,森,下井谷,門出口,木藤及び恵下(2号),広島県佐伯郡河内村のうち,魚切,中郷,下城,上小深川及び下小深川(3号),広島県佐伯郡石内村(4号),広島県佐伯郡八幡村のうち,利松,口和田及び高井(5号),広島県安佐郡久地村のうち,宇賀,高山,本郷下,本郷中,三国,魚切,本郷上,小野原中,名原,小野原上,境原及び幸ノ神(6号),広島県安佐郡日浦村のうち,毛木二(7号),広島県安佐郡戸山村(8号),広島県安佐郡安村のうち,長楽寺及び高取(9号),広島県安佐郡伴村(10号)」が,被爆者援護法施行規則附則2条の第一種健康診断受診者証の交付を受けられる区域(以下「第一種健康診断特例区域」という。)として規定されている(なお,広島市及び広島県については,同条の第二種健康診断受診者証の交付を受けられる区域〔以下「第二種健康診断特例区域」と けられる区域(以下「第一種健康診断特例区域」という。)として規定されている(なお,広島市及び広島県については,同条の第二種健康診断受診者証の交付を受けられる区域〔以下「第二種健康診断特例区域」という。〕は規定されていない。)。 イ 402号通達による運用昭和49年7月22日衛発第402号各都道府県知事・広島・長崎市市 長あて厚生省公衆衛生局長通達(以下「402号通達」という。)により,現在においては,第一種健康診断受診者証を持つ者が,前記健康診断の結果,造血機能障害,肝臓機能障害,細胞増殖機能障害,内分泌腺機能障害,脳血管障害,循環器機能障害,腎臓機能障害,水晶体混濁による視機能障害,呼吸器機能障害,運動器機能障害,潰瘍による消化器機能障害があると診断された場合は,被爆者援護法1条3号に該当する者として,被爆者健康手帳の交付を受けられる旨の運用がされている。(甲A6) 5 「黒い雨」降雨地域広島市及びその周辺地域においては,原爆投下後,性状が黒色の雨滴を含む「黒い雨」の降雨があった(以下,実際に降った雨滴の色にかかわらず,昭和20年8月6日の原爆投下後から夕方にかけて降った雨のことを「『黒い雨』」という。)。「黒い雨」の降雨範囲については争いがあるところ,これまでに公表されている「黒い雨」降雨域の報告は次のとおりである。 ⑴ 宇田論文気象技師の宇田道隆(以下「宇田」という。)らは,昭和20年8月から12月までに収集した資料を取りまとめた成果である,「気象関係の広島原子爆彈被害調査報告」(以下「宇田論文」という。甲A33,乙1)において,広島原爆投下後,長径29km,短径15kmの楕円形の地域において降雨があり,さらにそのうち長径19km,短径11kmの地域において1時間以上の継続的な驟雨があ 」という。甲A33,乙1)において,広島原爆投下後,長径29km,短径15kmの楕円形の地域において降雨があり,さらにそのうち長径19km,短径11kmの地域において1時間以上の継続的な驟雨があった旨報告した(別図表1参照。同図のうち大きい楕円形の降雨域全体を指して「宇田雨域」といい,同図のうち1時間以上の降雨があったとされる小さい楕円形の降雨域(「大雨」とある部分)を「宇田強雨域」といい,宇田雨域のうち宇田強雨域を除いた部分(「小雨」とある部分)を,「宇田小雨域」という。)。広島における第一種健康診断特例区域の指定は,宇田強雨域に基づくものである。 ⑵ 増田雨域及び大瀧雨域「黒い雨」降雨域に関する報告としては,宇田論文の外,増田善信(以下「増田」という。)が,住民に対する聞き取り調査等に基づき,平成元年2月に公表した「広島原爆後の“黒い雨”はどこまで降ったか」(甲A34)において報告した降雨域(以下「増田雨域」という。別図表2),広島市が平成22年5月に公表した「原爆体験者等健康意識調査報告書」(以下「広島市報告書」という。甲A9)において報告された,大瀧慈(以下「大瀧」 という。)がアンケート調査結果を解析して得た降雨域(以下「大瀧雨域」という。別図表3)がある。 別図表4は,これら宇田雨域,増田雨域及び大瀧雨域の降雨範囲を一つの図で対照したものである。 第3 主要な争点 1 承継人らにおける訴訟承継の成否 2 被爆者援護法1条3号にいう「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」の意義 3 原告ら「黒い雨」体験者は,被爆者援護法1条3号にいう「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当するか(総論 た者」の意義 3 原告ら「黒い雨」体験者は,被爆者援護法1条3号にいう「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当するか(総論) 4 原告らは,被爆者援護法1条3号にいう「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当するか(各論) 5 その他被爆者健康手帳交付申請却下の適法性 6 第一種健康診断特例区域指定の適法性 7 第一種健康診断受診者証交付処分義務付けの訴えの適否第4 争点に関する当事者の主張 1 承継人らにおける訴訟承継の成否【承継人らの主張】⑴ 訴訟承継が認められるべきであること被爆者援護法による支給等の諸施策を受け得る同法所定の「被爆者」の地位は,「被爆者」固有のものであるが,被爆者の認定は,被爆者健康手帳の申請者が被爆した事実が存在したこと,すなわち,昭和20年8月の「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」ことを確認するものであって,被爆者健康手帳交付処分の効力発生日はその申請日に遡ると解される。 そうすると,被爆者健康手帳の交付申請をした申請者が申請後に死亡した場合であっても,被爆者援護法1条各号の該当性が認められ申請者が被爆者健康手帳の交付を受け得る地位にあったことが認められるときは,申請日に遡って申請者が生存していた間における一般疾病医療費の請求権が具体的な権利として発生する(被爆者援護法18条ないし20条)ところ,この具体 的な請求権は,申請者の一身に専属する権利ということはできず,相続の対象となるというべきであるし,また,死亡した被爆者の葬祭を執り行った者は,葬祭料の具体的請求権を 条)ところ,この具体 的な請求権は,申請者の一身に専属する権利ということはできず,相続の対象となるというべきであるし,また,死亡した被爆者の葬祭を執り行った者は,葬祭料の具体的請求権を取得するというべきである(同法32条)。 よって,承継前原告らの死亡によって訴訟が当然に終了することはなく,その相続人である承継人らがこれを承継すると解するのが相当である。 ⑵ 平成20年広島地裁判決も同旨の判決をしていることア広島地方裁判所平成20年7月31日判決・判例時報2046号59頁(以下「平成20年広島地裁判決」という。)は,「被爆者健康手帳の交付を申請した者が,その許否の審査がなされる前に死亡したとしても,都道府県知事のその許否に対する審査義務は消滅せず,都道府県知事は,これの審査をし,その交付申請を許可する場合は,申請日に遡って被爆者健康手帳を交付したものとし,死亡した申請者を法にいう被爆者として扱い,その葬祭を行った者に対し,葬祭料を支給しなければならないと解するのが相当である。」と判示している。これは,被爆者健康手帳交付処分の効力発生が,被爆者健康手帳の交付申請日に遡ることを前提とする平成29年最高裁判決と同旨であるから,申請者が被爆者健康手帳の交付申請後に死亡した場合であっても,当該申請者が被爆者援護法1条各号に該当し,被爆者健康手帳の交付を受け得る地位にある「被爆者」であることが認定できた場合には,当該申請者を「被爆者」として扱い,その葬祭を行った者に対し,葬祭料を支給しなければならない。 イこの点,被爆者援護法32条の葬祭料支給規定は,被告らが主張するように,「被爆者」が死亡した場合に,その葬祭を行う者に対して葬祭料を支給することにより,「被爆者」の生前の精神的不安を和らげ,もってその福祉を図ることを趣 2条の葬祭料支給規定は,被告らが主張するように,「被爆者」が死亡した場合に,その葬祭を行う者に対して葬祭料を支給することにより,「被爆者」の生前の精神的不安を和らげ,もってその福祉を図ることを趣旨した規定である(乙68)。 前記⑴記載の「被爆者」の理解に立てば,被爆者健康手帳の交付を受け得る地位にある「被爆者」が,被爆者健康手帳の申請をした後に死亡した場合であっても, そのような「被爆者」の葬祭を行った者に葬祭料が支給される取扱いが確保されておれば,当該「被爆者」が生前に自身の葬祭についての金銭的な心配をすることが軽減されることになる。 よって,被爆者健康手帳交付処分の効力発生を申請日に遡及させることは,当該「被爆者」の生前の精神的不安を和らげることになるという,被爆者援護法32条の趣旨にも合致するのである。 ⑶ 行政実務等においても被爆者健康手帳交付処分の効力は申請日に遡って発生するとされていること被爆者援護法1条各号の該当性が認められ,被爆者健康手帳の交付を受け得る地位にあることが確認されれば,当該「被爆者」には申請日に遡って被爆者健康手帳が交付され,被爆者援護法に定める一般疾病医療費の支給等を受けられることになるというのが,昭和37年4月16日衛発第278号通達(以下「278号通達」という。)及びそれに基づく行政実務の取扱いである。 また,昭和53年4月13日開催の第84回国会衆議院社会労働委員会において,その直前の最高裁判所同年3月30日第一小法廷判決・民集32巻2号435頁(以下「昭和53年最高裁判決」という。)を受けた審議の中で,政府委員が,被爆者健康手帳の申請日に被爆者健康手帳交付処分の効力が遡って発生し,申請日以降の一般疾病医療費等も当然支給されることになると明言している。 ⑷ 平成 う。)を受けた審議の中で,政府委員が,被爆者健康手帳の申請日に被爆者健康手帳交付処分の効力が遡って発生し,申請日以降の一般疾病医療費等も当然支給されることになると明言している。 ⑷ 平成29年最高裁判決と処理基準の発出についてア最高裁判所平成29年12月18日第一小法廷判決・民集71巻10号2364頁(以下「平成29年最高裁判決」という。)は,申請者が被爆者健康手帳交付及び健康管理手当認定の各申請をいずれもしている場合につき,健康管理手当の受給権が相続の対象となる旨を判示しているが,これは,当該事案において,健康管理手当の申請をしている点を捉えて,健康管理手当の受給権の具体的権利性に着目して判断した(健康管理手当は定額の金銭が支給されるから,相続性があると判示しやすかった)にすぎず,健康管理手当認定の申請がされていない限り,訴訟承継が認められないと解すべきではない。 イまた,従前,自治体が各種手当の申請をどの時点で受け付けるかについては明確なルールがなかった(但し,医療特別手当の申請は,原爆症認定申請と同時に受け付けていた)。被告広島市や長崎市などは,被爆者健康手帳の交付を受けていなければ各種手当は受給できないとの立場で,基本的には被爆者健康手帳の交付前に各種手当の申請を受け付けることはなかった。 しかし,平成29年最高裁判決を受け,厚生労働省健康局総務課長は,各都道府県・広島市・長崎市に対し,平成31年3月29日付け健総発0 329第1号通知「健康管理手当等の支給認定等の申請に係る事務取扱いについて」(甲A104。以下「本件通知」という。)を発出した。これにより,「法第2条の規定に基づく被爆者健康手帳の交付申請の際に,以下の手当等の認定等の申請を同時に受理して差し支えない」として,「法第27条 甲A104。以下「本件通知」という。)を発出した。これにより,「法第2条の規定に基づく被爆者健康手帳の交付申請の際に,以下の手当等の認定等の申請を同時に受理して差し支えない」として,「法第27条第2項の健康管理手当の認定の申請」等の各種手当の申請を被爆者健康手帳交付申請と同時に行ってもよく,自治体はこれを受理しなければならないとされた。 平成29年最高裁判決及びこれを踏まえて発出された本件通知が,被爆者健康手帳の交付申請をした者について,被爆者援護法1条各号該当性が認められ,被爆者健康手帳の交付を受け得る地位にある「被爆者」であることが確認された場合,申請日に遡って被爆者健康手帳交付処分の効力発生が認められることを前提としていることは明らかである。 ⑸ 第一種健康診断受診者証関係について第一種健康診断受診者証を有する者が,被爆者援護法上の「被爆者」に対して行われる健康診断を受けることができる法的利益は,「被爆者」固有のものである。 しかし,第一種健康診断受診者証を有する者が,健康管理手当の支給対象となる11種類の疾病を有するに至った場合には,いわゆる402号通達により,被爆者援護法1条3号の被爆者と認定され,被爆者健康手帳の交付を受け得る地位に立つのであるから,被爆者健康手帳の交付申請の場合と同様の理由で,第一種健康診断受診者証の交付を受け得る地位自体も相続性があるものと評価すべきである。 【被告らの主張】⑴ 被爆者健康手帳交付申請却下処分の取消しを求める法律上の利益(被爆者援護法上の「被爆者」の地位を受け得る利益)は,一身専属的な性質を有するものであり,これを相続人が承継する余地がないこと被爆者援護法は,「国の責任において,原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害と 利益)は,一身専属的な性質を有するものであり,これを相続人が承継する余地がないこと被爆者援護法は,「国の責任において,原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ,高齢化の進行している被爆者に対する保健,医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ」るものであり,「被爆者」が特別の犠牲を被ったことに鑑み,「被爆者」自身の健康の保持及び増進並びに福祉の向上を図ることを目的とするものである(前文)。被爆者援護法は,このような 目的を達するため,「被爆者」に対し,健康診断とそれに基づく必要な指導を行い(7条及び9条),所定の要件の下で必要な医療の給付又はこれに代わる医療費の支給をし(10条ないし15条,17条),一般疾病医療費を支給する(18条ないし20条)ことなどを定め,手当として,医療特別手当(24条),特別手当(25条),原子爆弾小頭症手当(26条),健康管理手当(27条)及び保健手当(28条)を規定している。このように,被爆者援護法は,「被爆者」の健康面に着目して公費により必要な医療の給付をすることを中心とする社会保障法というべきものであり,しかも,同法44条が譲渡又は担保を禁止し,同法施行規則8条が「被爆者」が死亡したときは,被爆者健康手帳を返還するものと定めていることを併せ考慮すると,被爆者援護法による支給等の諸施策を受け得る「被爆者」の地位は,「被爆者」固有のものというべきであり,「被爆者」としての地位を得る利益も,「被爆者」固有の利益のもの,すなわち,一身専属的な性質を有するものというべきである。 このように,被爆者援護法上の「被爆者」の地位を得る利益(被爆者援護法上の「被爆者」として保護される利益)が一身専属的な性質を有する 一身専属的な性質を有するものというべきである。 このように,被爆者援護法上の「被爆者」の地位を得る利益(被爆者援護法上の「被爆者」として保護される利益)が一身専属的な性質を有するものである以上,承継前原告らが被爆者健康手帳交付申請却下処分の取消しを求める法律上の利益も一身専属的な利益と解するほかないから,かかる利益を相続人が承継する余地はなく,承継前原告らの被爆者健康手帳交付申請却下処分の取消しを求める訴訟を承継人らが承継する余地もないというべきである。 ⑵ 平成29年最高裁判決は,本件とは前提となる事案を異にするものであり,同判決の射程は本件訴訟には及ばないこと平成29年最高裁判決は,被爆者援護法の法的性格や健康管理手当の目的及びその受給権が所定の要件を満たすことで得られる具体的給付を求める権利として法律上規定されていることに鑑み,「認定の申請がされた健康管理手当の受給権」の一身専属性を否定して相続の対象となると判示するものであるが,同判決が相続の対象をあえて被爆者援護法27条に基づく「認定の申請がされた健康管理手当の受給権」としていることなどからすれば,平成29年最高裁判決は,あくまで同法27条に基づく認定申請がされた健康管理手当の受給権について,相続の対象となり得る旨判示したものにとどまり,いまだ前記認定申請をしておらず,仮に被爆者健康手帳の交付を受けれ ば健康管理手当に係る認定も受け得るというような,抽象的な権利についてまで相続の対象となる旨判示したものではないものというべきである(この点について,最高裁判所調査官による平成29年最高裁判決の解説においても,同様の指摘がなされているところである。)。 したがって,平成29年最高裁判決は,本件とは事案を異にするものというべき いて,最高裁判所調査官による平成29年最高裁判決の解説においても,同様の指摘がなされているところである。)。 したがって,平成29年最高裁判決は,本件とは事案を異にするものというべきであり,承継前原告らのように,被爆者健康手帳交付申請はしたものの,いまだ健康管理手当認定申請をしていなかった者が,被爆者健康手帳交付申請却下処分及び第一種健康診断受診者証交付申請却下処分等の取消しを求めて訴訟を提起し,訴訟係属中に死亡した場合については,平成29年最高裁判決の射程は及ばないと解すべきである。 ⑶ 被爆者健康手帳交付の効力が申請日に遡ることはないことア被爆者援護法の定める「被爆者」の要件は,同法1条各号のいずれかに該当する者であること及び被爆者健康手帳の交付を受けたことであるから,被爆者健康手帳の交付を申請した者は,被爆者健康手帳の交付を受けたときに初めて「被爆者」になるのであり,被爆者健康手帳交付の効力は,正にその交付を受けた日に発生するというべきである。 イこのことは,被爆者援護法が,「被爆者」に対する各種手当については,支給決定日ではなく,申請日を各種手当の支給開始時期の基準とする旨明確に定めているにもかかわらず(同法24条4項,25条4項,26条4項,27条5項,28条5項),被爆者健康手帳の交付については,前記のような規定を置いていないことからも明らかである。 ウさらにいえば,被爆者援護法の前身である原爆医療法の附則2項は,「第2条各号の一に該当する者は,この法律の施行後3月間は,第2条の規定にかかわらず,被爆者健康手帳の交付を受けないでも被爆者とみなす。」と規定しているところ,この規定は,被爆者健康手帳の交付を申請した者が被爆者健康手帳の交付を受けたときに初めて「被 は,第2条の規定にかかわらず,被爆者健康手帳の交付を受けないでも被爆者とみなす。」と規定しているところ,この規定は,被爆者健康手帳の交付を申請した者が被爆者健康手帳の交付を受けたときに初めて「被爆者」になることを前提とした規定である。すなわち,前記規定の趣旨は,「この法律は,昭和32年4月1日から施行されたのであるが,この法律により医療等を受けうるものは,被爆者健康手帳の交付を受けたものとなっているので,手帳交付の手続の期間等を考慮して,昭和32年6月30日までは,法第2条各号の一に該当する者は,被爆者健康手帳の交付を受けないでも被爆者とみなす措置がとられ」たものである。 仮に,原爆医療法が,被爆者健康手帳の交付を申請した者は被爆者健康手帳の申請日に遡って「被爆者」となることを予定していたのであれば,附則に,手帳交付の手続の期間等を考慮して,「被爆者健康手帳の交付を受けないでも被爆者とみなす」旨の規定を設ける必要はなかったはずである。 エそもそも,行政手続において申請から行政庁の処分までに一定の期間を要するのは当然のことである。それにもかかわらず,行政庁の処分について,その効力を申請日に遡らせるような一般的な措置は執られておらず,処分の遅延防止等申請者の利益の確保に関しては,行政手続法第2章の各規定や,不作為の違法確認の訴えの制度が存在し,あるいは各種の法において個別に措置が執られているにとどまっている。そうであれば,行政庁の処分の効力が当然に申請日に遡るということは考え難い。 そして,前記のような行政庁の処分の効力を申請日に遡らせないという法律の一般原則を前提として,特に,被爆者援護法は,前記のような各種手当の支給開始時期について申請日を基準とする規定を置き そして,前記のような行政庁の処分の効力を申請日に遡らせないという法律の一般原則を前提として,特に,被爆者援護法は,前記のような各種手当の支給開始時期について申請日を基準とする規定を置き,原爆医療法の附則2項は,「被爆者健康手帳の交付を受けないでも被爆者とみなす」旨規定していたのであるから,法に明文の規定がないにもかかわらず,被爆者健康手帳交付の効力が申請日に遡ると解することはできないというべきである。 オまた,現在,被爆者健康手帳の交付は,申請日を交付日として取り扱われているが(以下「本件取扱い」という。),これは,法令上のものでも,通達上のものでもなく,あくまでも実務上のものにすぎない。 すなわち,被爆者援護法の前身である原爆医療法は,一定の「被爆者」を「特別被爆者」とし,特別被爆者に対して「特別被爆者健康手帳」を交付し,認定疾病でない一般疾病についても一般疾病医療費(健康保険等の自己負担分を国が支給するもの)を支給するようになったところ,278号通達は,かかる特別被爆者の範囲が年々拡大されていったことから発出されたものである。278号通達第2の1には,「特別被爆者健康手帳の交付年月日については,・・・従来一般被爆者健康手帳の交付を受けていない者が新たに申請した場合は,申請した年月日を交付年月日として交付すること。」との規定があるが,これは,既に一般被爆者健康手帳の交付を受けている者については,特別被爆者健康手帳の交付の申請を待つこと なく,一般被爆者健康手帳の際に提出された資料により被爆した場所を再確認し,特別被爆者健康手帳を切替交付することとされ(同通達第1の1(1)),速やかに特別被爆者健康手帳の交付がなされることとされていたところ(なお,便宜上,交付年月日についても昭 被爆した場所を再確認し,特別被爆者健康手帳を切替交付することとされ(同通達第1の1(1)),速やかに特別被爆者健康手帳の交付がなされることとされていたところ(なお,便宜上,交付年月日についても昭和37年4月1日付けとする扱い〔同通達第2の1〕とされた。),一般被爆者健康手帳の交付を受けていない者が新たに申請した場合には,特別被爆者健康手帳交付までに一定の期間を要する(同通達第1の1(3)参照)ことから,両者の均衡等を考慮して,便宜上,申請した年月日を交付年月日とする取扱いを認めたものである。しかしながら,昭和49年に全ての被爆者について一般疾病医療費が支給されることとなり,特別被爆者制度は廃止されており,現在では278号通達の意義は失われている。 したがって,本件取扱いは,既に廃止された特別被爆者制度存在当時の取扱いが,被爆者健康手帳に一本化された後も被爆者健康手帳の交付年月日を申請した年月日として取り扱うという形で実務上継続されてきたものにすぎず,法令に根拠を有するものではないから,本件取扱いを根拠に被爆者健康手帳の交付の効力が申請日に遡ると解することもできない。なお,特別被爆者制度が廃止された後に278号通達と同趣旨の通達等は発出されていない。 また,本件取扱いは,飽くまでも被爆者健康手帳の交付を受けた場合に,申請日を交付日と取り扱うことを実務上認めているにすぎず,申請後に死亡した者に対して被爆者健康手帳を交付することまで認めたものではないし,本件取扱いのきっかけとなった278号通達も,申請後に死亡した者に対して被爆者健康手帳を交付することまで予定しているものではない。 カさらに,平成29年最高裁判決は,被爆者援護法の法的性格や健康管理手当の目的及びその受給権が所定 た者に対して被爆者健康手帳を交付することまで予定しているものではない。 カさらに,平成29年最高裁判決は,被爆者援護法の法的性格や健康管理手当の目的及びその受給権が所定の要件を充たすことで得られる具体的給付を求める権利として法律上規定されていることに鑑み,「認定の申請がされた健康管理手当の受給権」の一身専属性を否定して相続の対象となると判示したものであって,被爆者健康手帳交付の効力の発生時期について何ら判示したものではないし,かかる効力が申請日に遡ることを前提として判示したものではない。 平成29年最高裁判決の後に出された本件通知も,被爆者健康手帳の交 付申請の際に,健康管理手当等の認定等の申請を同時に受理して差し支えない旨の実務上の取扱いを定めたものであって,本件通知によって,被爆者健康手帳の交付の効力が申請に遡ると解することもできないし,当然のことながら,本件通知における取扱いは,申請後に死亡した者に対して被爆者健康手帳を交付することまで認めたものではない。 ⑷ 平成20年広島地裁判決に依拠して,葬祭料の支給請求権を根拠に被爆者健康手帳の効力を遡及させるとすることはできないことア平成20年広島地裁判決は,その判示からすれば,「被爆者」の葬祭を行った者には固有の葬祭料の支給請求権があるから,申請者が死亡したことを理由に被爆者健康手帳の交付申請を却下することは許されず,死亡したことを考慮しないで審査を継続すべきものとするようである。 しかしながら,被爆者援護法32条は,「被爆者が死亡したときは…葬祭料を支給する。」として,死亡した者が同法1条所定の「被爆者」すなわち既に被爆者健康手帳の交付を受けていることを要件としているから,被爆者健康手帳の交付を受けないまま死亡した者が前記のとおり「被 祭料を支給する。」として,死亡した者が同法1条所定の「被爆者」すなわち既に被爆者健康手帳の交付を受けていることを要件としているから,被爆者健康手帳の交付を受けないまま死亡した者が前記のとおり「被爆者」となることがない以上,その者の葬祭を行った者は,葬祭料の支給請求権を取得し得ない。また,法32条所定の「被爆者」を法1条のそれと別異に解する根拠もない。 そもそも,葬祭料は,「被爆者」が死亡した場合に,その葬祭を行う者に対して葬祭料を支給するとすることにより,「被爆者」の生前の精神的不安を和らげ,もってその福祉を図るものである。 したがって,被爆者援護法の定める「被爆者」としての地位を取得しないまま死亡した後に,その葬祭を行った者に対して前記葬祭料を支給することとなったとしても,「被爆者」の地位を取得しないまま死亡した者の生前の精神的不安を和らげることはあり得ないから,その葬祭を行った者に対し,同法32条の「被爆者」の意義を同法1条のそれと別異に解釈してまで葬祭料を支給する理由はない。 そうすると,平成20年広島地裁判決のように,葬祭料の支給請求権を保障するために被爆者健康手帳の効力を遡及させると解することはできないというべきである。 イなお,承継前原告らは,本件取扱いによれば,当該申請者が死亡すれば,被爆者健康手帳の交付を受ける地位を承継した者が,申請日から死亡 日までの医療費や各種手当の支給を受けることになるなどと主張するが,被爆者援護法1条所定の「被爆者」の地位は,被爆者健康手帳の交付を受けることによって初めて取得されるものであって,それ以前の「手帳の交付を受けることのできる地位」にあることからは何らの法的効果も生じず,健康 法1条所定の「被爆者」の地位は,被爆者健康手帳の交付を受けることによって初めて取得されるものであって,それ以前の「手帳の交付を受けることのできる地位」にあることからは何らの法的効果も生じず,健康管理手当等の各種手当の支給を受けることができる権利も,同法1条所定の「被爆者」の地位を得て初めて請求し得るものであり,「手帳の交付を受けることのできる地位」に法的な意味はない(広島高等裁判所平成20年9月2日判決・平成18年(行コ)16号)。 また,承継前原告らは,被爆者健康手帳の交付の効力が申請日に遡って発生するということを40年以上前の国会審議において,当時の厚生省が明言しており,これに反する被告らの主張は論理破綻ないし矛盾しているなどとも主張するが,承継前原告らが指摘する政府委員の答弁は,被爆者健康手帳の発行日と医療費の支払時期についての質問に対して,実務上の取扱いとして「申請した時点にさかのぼる」旨答弁したものであり,被爆者健康手帳の交付の効力が申請日に遡るなどと明言したものではない。 ⑸ 第一種健康診断受診者証の交付申請却下処分の取消しを求める法律上の利益(被爆者援護法上の「被爆者」に対して行われる健康診断を受けることができる地位を得る利益)は,一身専属的な性質を有し,これを相続人が承継する余地がないこと被爆者援護法上の「被爆者」に対して行われる健康診断は,健康診断受診者証の交付を受けた者が,適正な健康診断を受けることによって,造血機能障害等の疾病発生の不安を一掃するとともに,障害等を有することが判明した場合には速やかに適当な治療を行ってその健康回復に努めることを可能とするものであり(被爆者援護法附則17条,被爆者援護法7条),かかる被爆者援護法等関連法令の定めや健康診断の性格からし とが判明した場合には速やかに適当な治療を行ってその健康回復に努めることを可能とするものであり(被爆者援護法附則17条,被爆者援護法7条),かかる被爆者援護法等関連法令の定めや健康診断の性格からして,同法上の健康診断を受けることができる法的利益は,「被爆者」固有のものであって,一身専属的な利益であることは明らかである。 402号通達も,第一種健康診断特例区域に所在した者が,健康診断の結果,特定の障害にあると診断された場合に,被爆者健康手帳の交付を受けることができるとして,実務上の取扱いを定めたものにすぎない。被爆者援護法附則17条は,飽くまでも同法7条所定の健康診断についてのみ,第一種健康診断特例区域に所在した者を「被爆者」とみなすとしているものであっ て,かかる健康診断を受ける法的利益は第一種健康診断特例区域に所在した者にのみ認められる一身専属の利益であるというべきであるし,「被爆者健康手帳の交付を受けることのできる地位」には何ら法的意味はない。 2 被爆者援護法1条3号にいう「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」の意義【原告ら(承継人らを含む。)の主張】次のとおり,被爆者援護法等の立法の背景となった事実関係から窺える法の趣旨からすれば,被爆者援護法1条3号に該当するか否かは,最新の科学的知見を考慮した上で,個々の申請者について,身体に放射線の影響を受けたことを否定できない事情が存するか否かという観点から判断されるべきものである。 ⑴ 原爆医療法2条3号の解釈ア原爆医療法の趣旨・目的原爆医療法は,原爆投下後10年以上が経過した当時においてもなお,被爆者に原爆に起因するとみられるような複雑困難な障害が起こる等の事態が生じており,そうした事象を解明す 療法の趣旨・目的原爆医療法は,原爆投下後10年以上が経過した当時においてもなお,被爆者に原爆に起因するとみられるような複雑困難な障害が起こる等の事態が生じており,そうした事象を解明する科学的知見が十分に確立されていない事実を踏まえ,被爆者に対する健康管理(健康診断等)を十分に行うことによって,前記のような障害を予防ないし軽減するとともに,被爆者の不安を一掃し,ひいては将来における科学的知見の蓄積・発展をもたらすことを主たる目的として制定された法律であったということができる。 この点,被爆者に原爆に起因するとみられるような複雑困難な障害が起こる等の事態が生じており,そうした事象を解明する科学的知見が十分に確立されていなかったことは,次のような点からも裏付けられる。 ① 昭和28年5月5日刊行の「原子爆彈災害調査報告集」において,原爆投下後に広島市に移動した者に,白血球の減少等の急性症状が生じた旨が報告されており,残留放射線の影響を無視することができないと示唆されていること② 於保源作(以下「於保」という。)による「原爆残留放射線障碍の統計的観察」(日本医事新報1746号。以下「於保論文」という。)において,㋐原爆投下後3か月以内に中心地(爆心地から1km以内)への立入 りがない場合には,有症率,各急性症状の発症率が被爆距離(爆心地から2km以遠を含む。)に反比例する形で減少していたこと㋑ 3か月以内に中心地への立入りがある場合には,㋐の場合よりも有症率が高くなったばかりか,原爆投下時に広島市内にいなかった者にまで急性症状が見られ(特に20日以内の立入りの場合や滞在時間が10時間以上の場合に有症率が高くなった。),有症率は必ずしも核爆距離に反比例しなかったこと㋒㋐及び㋑のいずれの場 いなかった者にまで急性症状が見られ(特に20日以内の立入りの場合や滞在時間が10時間以上の場合に有症率が高くなった。),有症率は必ずしも核爆距離に反比例しなかったこと㋒㋐及び㋑のいずれの場合でも,遮蔽がない状況(屋外)で被爆した者に,より症状が現れる傾向がみられたことが報告され,爆心地付近への立入りに伴う残留放射線の影響を軽視できないことが強く示唆されていること③ 都築正男(以下「都築」という。)は,「慢性原子爆弾症について」(日本医事新報1556号)において,原爆投下時に爆心地から2kmないし6km程度の位置にいたような者が,爆心地付近に入り救護活動等を行った場合,急性症状が生じた例があることを指摘し,残留放射線の強さ自体は微弱であるとしつつも,残留放射線が作用する時間が非常に長いため,その生物学的作用は一定の場合に無視することができないという考え方を示していること④ 原子爆弾傷害調査委員会(以下「ABCC」という。)の調査(「原子爆弾被爆生存者の寿命調査(第1報)医学調査サブサンプルにおける死亡率と研究方法の概略 1950年10月―1958年6月」。以下「第1報」という。)において,放射線によって加齢現象が生じること等が裏付けられたわけではなかったし,残留放射線の影響が重視されたわけでもなかったが,疾病の潜伏期の関係もあり,必ずしも放射線の影響について断定的な結論が出せる状況にないことが指摘されていたことそして,以上のような当時の科学的知見を受けて,「原子爆彈後障害症治療指針」(昭和28年度版,原爆症調査研究協議会)は,いかなる疾患又は症候についても一応被爆との関連性を考える必要があるため,被爆者の健康管理を系統化する,すなわち一定規格のカードを交付して,被爆者の軽微な変調について 版,原爆症調査研究協議会)は,いかなる疾患又は症候についても一応被爆との関連性を考える必要があるため,被爆者の健康管理を系統化する,すなわち一定規格のカードを交付して,被爆者の軽微な変調についても慎重に経過を観察する必要があると指摘し,また,都築も,原爆投下後に後障害が起こる場合には,特徴のない,種々雑多な障害が生じることを指摘した上,相当の放射能障害を被っている疑い が濃厚な者が不定の症状を発した場合には,原則として慢性原子爆弾症を疑うことが相当であると指摘しており,これらの指摘も踏まえて,被爆者に対する健康管理(健康診断等)と原爆障害者に対する医療の給付を基調とした原爆医療法が制定されるに至ったものである。 イ原爆医療法2条3号の制定経過原爆医療法2条3号の制定経過をみると,まず,厚生省の原案段階(「途中整理案」)から,同号に関し,放射線の影響を受けた「おそれ」という文言を用いることが検討されたところ,その後法案が成立するに至る過程の中で,同号の基礎となる考え方について実質的な意味での修正が加えられたとは認められない。また,原爆医療法案の策定過程において,厚生省が,3号被爆者の定義規定について当初予定していた政令への委任を取りやめ,あえて抽象的な文言の規定を設けた経緯からすると,原爆医療法2条3号への該当性を判断するに際しては,最新の科学的知見が考慮されるべきことが想定されていたことが窺われる。 ウ小括前記に述べた原爆医療法の趣旨・目的及び同法2条3号の制定過程から窺われる立法者の意思を勘案すると,原爆医療法2条3号に該当するか否かは,最新の科学的知見を考慮した上で,個々の申請者について,身体に放射能の影響を受けたことを否定できない事情が存するか否かという観点から判断する 意思を勘案すると,原爆医療法2条3号に該当するか否かは,最新の科学的知見を考慮した上で,個々の申請者について,身体に放射能の影響を受けたことを否定できない事情が存するか否かという観点から判断することが予定されていたといえる。 ⑵ 被爆者援護法1条3号の解釈の在り方には原爆医療法2条3号のそれがあてはまることア被爆者援護法制定に至る一連の法改正やその背景となった事情原爆医療法制定から被爆者援護法制定に至る一連の法改正やその背景となった事情を検討すると,次のような事情が指摘できる。 ① 原爆投下後約50年が経過していた被爆者援護法制定当時においても,依然として原爆放射線による晩発被害が収まらず,原爆被害の特殊性が以前にも増して顕著になった一方で,未だ放射線の影響の全貌は科学的に解明されておらず,更なる科学的知見の積み重ねが期待されており,このことは厚生大臣の諮問機関である原爆被爆者対策基本問題懇談会(以下「基本問題懇談会」という。)による報告書(以下「懇談会報告書」という。)において,「原爆放射線の身体的影響については,多く の事実が明らかにされているが,なお解明されていない分野がある。・・・このため,研究体制の整備充実を図ることにより周到な研究を進め,問題を逐次解明することが,被爆者に対する国の重大な責務であると同時に,世界における唯一の被爆国である我が国が国際社会の平和的発展に貢献する道といえるであろう」と指摘されており,基本問題懇談会,ひいては政府によっても十分に認識されていたといえること② 被爆者援護法制定に至るまでの間,健康管理のための施策の充実が図られるとともに,さらに,主として被爆者が健康診断や治療を安心して受けられるようにすることを目的として,被爆者に対する生活 ② 被爆者援護法制定に至るまでの間,健康管理のための施策の充実が図られるとともに,さらに,主として被爆者が健康診断や治療を安心して受けられるようにすることを目的として,被爆者に対する生活援護の強化も進められ,これらの成果を基礎として被爆者援護法が制定されたこと③ 被爆者援護法の前文が,放射能被害の特殊性に鑑み,国の責任において,高齢化の進行している被爆者に対する保険,医療等にわたる総合的な援護対策を行うことを目的に掲げていることイ被爆者援護法の趣旨・目的と同法1条3号の解釈の在り方前記アの諸事情を勘案すれば,被爆者援護法もまた,原爆医療法と同様に,放射線の身体に対する影響が完全には解明されていないという事実を踏まえ,被爆者に対する健康管理を十分に行って,被爆者の不安を一掃し,また,被爆者の障害を予防ないし軽減することを一つの目的とした法律であるということができる。 こうした被爆者援護法の趣旨・目的を的確に踏まえた上で,次の点を併せ考えれば,被爆者援護法1条3号の基本的な解釈の在り方については,原爆医療法2条3号の基本的な在り方について前述したところがそのまま妥当すると解すべきである。 ① 被爆者援護法1条3号に,原爆医療法2条3号の定義規定がそのまま引き継がれたこと② 原爆医療法制定以降,被爆者援護法の制定に至るまでの間,402号通達による第一種健康診断受診者証から被爆者健康手帳への切替え制度によって,第一種健康診断受診者証を所持する「黒い雨」被爆者が,原爆による放射能の影響によるものである可能性を否定できないとされる11種類の障害を伴う疾病(被爆者援護法27条,施行規則51条)を発症した場合に,「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情 射能の影響によるものである可能性を否定できないとされる11種類の障害を伴う疾病(被爆者援護法27条,施行規則51条)を発症した場合に,「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情 の下にあった」として3号被爆者として扱われる行政実務上の取扱いとなっており,この運用の改善によって3号被爆者と扱われる者の類型が拡大されたこと③ 被爆者援護法制定に至る経緯の中で,新たな科学的知見等を踏まえ,原爆医療法制定時と同様に,あるいはそれ以上に,いわゆる3号被爆者に生じる原爆障害が注目されていた経緯もあること⑶ まとめよって,被爆者援護法1条3号に該当するか否かは,最新の科学的知見を考慮した上で,個々の申請者について,身体に放射能の影響を受けたことを否定できない事情が存するか否かという観点から判断されるべきと解される。 ⑷ 被告らの主張についてア被告らが主張する解釈は,結局,特定の被爆態様によって現実に健康被害が発生したことを前提として,放射線被曝と健康被害との間に具体的かつ明確な関連性(リスク)が存在することが科学的に証明されるに至っていない場合には,健康被害が発症しうるか否か明らかでないという理由によって,「被爆者」として扱わないというのに等しい。 被爆者援護法は,原爆医療法と同様に,放射線の身体に対する影響が完全には解明されていないことを前提として,被爆者に対する健康管理を十分に行い,被爆者の不安を一掃し,また,被爆者の障害を予防ないし軽減することを一つの目的とした法律であるところ,「被爆者」と認定されて被爆者健康手帳の交付を受けることによって初めて健康管理等の援護施策を受けることができるようになるのであるから,原爆による放射線の影響を否定できない場合には広く「被爆者」と認定され 者」と認定されて被爆者健康手帳の交付を受けることによって初めて健康管理等の援護施策を受けることができるようになるのであるから,原爆による放射線の影響を否定できない場合には広く「被爆者」と認定されるべきであり,このような解釈が被爆者援護法の前記趣旨・目的に適うというべきである。 それにもかかわらず,被告らが主張するように,放射線の影響が科学的知見によって証明されなければ「被爆者」であると扱わないというのは,本末転倒であるといわざるを得ず,被爆者援護法の趣旨・目的に反するものであり,ひいては被爆者援護法が国の責任において被爆者に生じた特殊な健康被害を救済する国家補償的配慮に基づく法律であるという平成29年最高裁判決の解釈にも反するものである。 イさらにいえば,被爆者援護法1条3号の「被爆者」の認定に際し,放射 線被曝と健康被害との間に具体的かつ明確な関連性(リスク)が存在することを要求する被告らの主張は,402号通達による第一種健康診断受診者証から被爆者健康手帳への切替え制度に関する被告らの主張とも矛盾するといわざるを得ない。 すなわち,この制度は,第一種健康診断特例区域に所在したもので,かつ,現実に特定の疾病に罹患した者については,被爆者援護法1条3号に該当する3号被爆者として取り扱うものであるが,被告らが主張するように,第一種健康診断受診者証を所持する者(「黒い雨」被爆者)が,原爆の放射能の影響によるものである可能性を直ちには否定できない障害を伴う疾病を発症したという理由で,「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」として3号被爆者として取り扱われるということは,被爆者援護法1条3号該当性は,原爆の放射能の影響によるものである可能性を直ちには否定できない状態にある場合,すなわち, けるような事情の下にあった」として3号被爆者として取り扱われるということは,被爆者援護法1条3号該当性は,原爆の放射能の影響によるものである可能性を直ちには否定できない状態にある場合,すなわち,最新の科学的知見を考慮した上で,個々の申請者について,身体に放射線の影響を受けたことを否定できない事情が存する場合に認められるべきという,原告らの被爆者援護法1条3号の解釈と整合する一方,被告らの,放射線被曝と健康被害との間に具体的かつ明確な関連性(リスク)が存在することを要求する解釈と矛盾するものであることは明らかである。この意味でも,被告らの解釈は失当というほかない。 【被告らの主張】次のとおり,被爆者援護法1条3号は,特定の被爆態様によって現実に健康被害が発生した(「身体に原子爆弾の放射能の影響を受け」た)という科学的知見の存在を前提に,個々人の被爆態様を個別具体的に見て,実質的に前記科学的知見の基礎となった事実と同様の被爆状況にあった(「ような事情の下にあった」)と認められる場合を想定していると解すべきである。 ⑴ 被爆者援護法1条(原爆医療法2条)の趣旨・範囲ア被爆者援護法は,原爆医療法及び原爆特別措置法(以下「原爆二法」という。)を一本化し,被爆者に対する総合的な援護施策を実施する法律として制定された。被爆者の定義については,原爆医療法2条各号が被爆者援護法1条各号に,同一の文言のまま引き継がれており,原爆医療法施行令1条及び別表第1,2についても,被爆者援護法施行令1条及び別表第1,2にそれぞれ引き継がれ,その範囲に変更はない。 したがって,被爆者援護法1条の定める被爆者の趣旨ないし範囲は,原爆医療法2条のそれがそのまま妥当するといえる。 イ原爆医療法は,原爆投下後十 その範囲に変更はない。 したがって,被爆者援護法1条の定める被爆者の趣旨ないし範囲は,原爆医療法2条のそれがそのまま妥当するといえる。 イ原爆医療法は,原爆投下後十余年を経過してもなお,多数の要医療者を数えるほか,放射線による障害は,一見健康そうに見えても,突然発症し,死に至ることもあり,被爆者の健康状態は,医師による綿密な観察指導が必要とされたこと等を踏まえ,一定の「被爆者」に対して被爆者健康手帳を交付し,毎年健康診断及び必要な健康上の指導等の健康管理を行うことにより,疾病の早期発見その他被爆者の健康の保持を図るために制定されたものである。 このような原爆医療法の立法趣旨をより端的に表したものが,懇談会報告書における被爆者対策の基本理念である。すなわち,先の戦争においては,全ての国民がその生命・身体・財産等について多かれ少なかれ,何らかの犠牲を余儀なくされたといえるが,およそ戦争という国の存亡をかけての非常事態の下においては,国民がその生命・身体・財産等について,その戦争によって何らかの犠牲を余儀なくされたとしても,それは,国を挙げての戦争による「一般の犠牲」として,すべての国民が等しく受忍しなければならないものである。しかしながら,原爆放射線による健康上の障害には,被爆直後の急性原爆症に加えて,白血病,甲状腺癌等の晩発障害があり,これらは,被爆後数年ないし10年以上経過してから発生するという特異性をもつものであり,この点から,原爆被爆者の犠牲は,その本質及び程度において一般の戦争被害とは一線を画すべき特殊性を有する「特別の犠牲」であると考えられる。そのため,国が原爆被爆者に対し,広い意味における国家補償の見地に立って被害の実態に即応する適切妥当な措置対策を講ずべきものと考えられ,原爆 画すべき特殊性を有する「特別の犠牲」であると考えられる。そのため,国が原爆被爆者に対し,広い意味における国家補償の見地に立って被害の実態に即応する適切妥当な措置対策を講ずべきものと考えられ,原爆医療法の制定に至ったものである(これは,前掲昭和53年最高裁判決の考え方を踏襲するものである。)。 ウところで,懇談会報告書においても明らかにされているとおり,原爆被爆者に対する対策は,結局は,国民の租税負担によって賄われることになるのであるが,ほとんどすべての国民が何らかの戦争被害を受け,戦争の惨禍に苦しめられてきたという実情の下においては,原爆被爆者の受けた放射線による健康被害が特異のものであり,「特別の犠牲」というべきものであるからといって,他の戦争被害者に対する対策に比し著しい不均衡 が生ずるようでは,その対策は,容易に国民的合意を得難く,かつまた,社会的公正を確保することもできない。この意味において,原爆被爆者対策も,国民的合意を得ることのできる公正妥当な範囲にとどまらなければならない。 このような観点から,原爆医療法2条は,当該「被爆者」の具体的範囲について制定したものである。すなわち,同条1号は,専門家の意見や,放射能の威力の作用は大体半径4kmまでの地域に及んでいたとする「原子爆彈災害調査報告集」等の当時の科学的知見を参考に,爆心地から大体5kmくらいの範囲を基本に,同区域内で直接被曝をした者を対象としたものである。また,同条2号は,原爆投下から2週間以内に爆心地から2キロメートル程度の範囲内に入った者を対象としたものである。同条3号は,同条1号及び2号には当たらないものの,爆心地から5km程度離れた海上で被曝した者や,同条1号及び2号の区域外で被爆者の死体処理や救護を行った者にあっても,そ 者を対象としたものである。同条3号は,同条1号及び2号には当たらないものの,爆心地から5km程度離れた海上で被曝した者や,同条1号及び2号の区域外で被爆者の死体処理や救護を行った者にあっても,その後原子病を起こした人がいたことから,それを救うという意味で,同条1号及び2号以外で,原爆の放射能の影響を受けていると考えられる者を対象としたものである。同条4号は,1ないし3号の被爆者の胎児を対象としたものである。 エなお,同条1号及び2号における被爆地域の指定は,従来の行政区画を基礎として行われたため,例えば長崎市は南北に細長い形をしている結果,爆心地からの距離が比較的遠い場合であっても,同条1号の被爆地域の指定を受けることになる。しかし,これはあくまで「旧行政区で区切らざるを得なかった」という立法政策的な観点に基づくものであり,被爆者対策の基本的な在り方としては,被爆地域の指定は,本来原爆投下による直接放射線量及び残留放射線の調査結果など,十分な科学的根拠に基づいて行われるべきものであるとされ,このような科学的・合理的な根拠に基づくことなく,これまでの被爆地域との均衡を保つためという理由だけで被爆地域を拡大することは,関係者の間に新たに不公平感を生み出す原因となり,いたずらに地域の拡大を続ける結果を招来するおそれがあることから,被爆地域の指定は,科学的・合理的な根拠のある場合に限定して行うべきであると理解されているところである。 ⑵ 被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」の意義 ア以上のとおり,原爆医療法が,原爆放射線による特異な健康被害という「特別の犠牲」を被った者に対し,適切な健康診断及び指導並びに治療を行うために制定されたものであり,この趣旨は被爆 ア以上のとおり,原爆医療法が,原爆放射線による特異な健康被害という「特別の犠牲」を被った者に対し,適切な健康診断及び指導並びに治療を行うために制定されたものであり,この趣旨は被爆者援護法にもそのまま引き継がれているというべきであるから,同法の対象とされている被爆者は,このような原爆放射線による特異な健康被害という「特別の犠牲」を被った者でなければならないというべきである。 そして,同法1条3号は,「特別の犠牲」に対する援護政策を実質化する観点から,同条1号及び2号に定めた類型だけでは包摂されない特殊な被爆形態による被爆者を援護対象としたものである。 以上のような同条3号の立法経緯に照らすと,その趣旨は,同条1号にも2号にも該当しない場合において,海上で照射を受けた者や,爆心地から2キロメートル以上離れた場所で死体の処理に当たった看護婦や作業員の中に,いわゆる「原子病」を起こした者がいたと考えられたことから,これと同様な状況にあった被爆者を救うために設けたものである。これをさらに敷衍すると,このような被爆態様にあった者については,実際に放射線被曝による健康被害が現実化したと考えられたという事実の裏付けがあったことから,同種の被爆態様にある(しかも健康被害が現に生じていない)被爆者についても,健康診断を通じた健康管理等の援助施策を及ぼす必要があると考えられたのである。 また,厚生省が作成した原爆医療法案においては,同法2条3号は,「前二号に掲げる者のほか,これに準ずる状態にあつた者であつて,原子爆弾の傷害作用の影響を受けたおそれがあると考えられる状態にあつたもの」とされていたが,その後,内閣法制局における審査の結果,現在の被爆者援護法1条3号と同じ,「前二号に掲げる者のほか,原子爆弾が投下された際又はそ 響を受けたおそれがあると考えられる状態にあつたもの」とされていたが,その後,内閣法制局における審査の結果,現在の被爆者援護法1条3号と同じ,「前二号に掲げる者のほか,原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあつた者」との,より限定的かつ客観的な文言に改められるとともに,「おそれ」の有無ではなく,「事情」の有無にかからしめることとされた。 このような原爆医療法2条3号の制定経緯に照らせば,同号ないし被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」とは,特定の被爆態様によって現実に健康被害が発生した(「身体に原子爆弾の放射能の影響を受け」た)という科学的知見の存在 を前提に,個々人の被爆態様を個別具体的に見て,実質的に前記科学的知見の基礎となった事実と同様の被爆状況にあった(「ような事情の下にあった」)と認められる場合が想定されているものということができる。 そして,被爆者援護法は懇談会報告書を踏まえて制定されていることからすれば,同法で定められている被爆者対策について法解釈を行うに当たっては,懇談会報告書における被爆者対策の基本理念及びその基本的な在り方を踏まえてこれを行わなければならないというべきである。すなわち,被爆者対策が国民の租税負担によって賄われていることや,全ての国民が何らかの戦争被害を受けていること等の事情に鑑み,同条3号の「身体に放射能の影響を受けるような事情」が肯定されるためには,国民的合意を得ることが可能な程度の科学的・合理的根拠に基づくことが必要であると解すべきである。それゆえ,前記「特定の被爆態様によって現実に健康被害が発生したという科学的知見」についても,国民的合意を得ることが可能な程度に合 程度の科学的・合理的根拠に基づくことが必要であると解すべきである。それゆえ,前記「特定の被爆態様によって現実に健康被害が発生したという科学的知見」についても,国民的合意を得ることが可能な程度に合理性を有するものに限られるというべきである。 イこれを換言すれば,前記科学的知見には,放射線被曝によって,健康被害が発症し得るか否かも定かでないようなものは含まれないというべきである。 すなわち,例えば,現在の科学的知見においては,100mSvを超える放射線に被曝をすることで,癌を発症する可能性があることについて,科学者の間でコンセンサスが得られている。当該科学的知見の正確な意味は,仮に100mSvを超える放射線に被曝をした者が複数人いた場合,実際には癌を発症しない可能性もある(当該リスクが現実化しない場合もある)ものの,その中に放射線被曝の影響により癌を発症する者があり得るというものである。これは特定の被爆態様(100mSvを超える放射線被曝)によって現実に健康被害が発生した(「身体に・・・放射能の影響を受け」た)という科学的知見が存在することを意味することになる。 それゆえ,100mSvを超える放射線に被爆した場合は,いまだ癌を発症していない場合であっても,「現実に健康被害が発生したという科学的知見の基礎となった事実と同様の被爆状況にあった」(「ような事情の下にあった」)といえ,医師による綿密な観察を受けることができるようにするのが,被爆者対策の基本理念ないし基本的な在り方に合致するのである。 他方で,現在の科学的知見においては,100mSvを下回るような放射線に被爆した場合については,それによって健康被害が発症し得るか否かも定かでなく,そもそも人体に何ら健康影響を与えない可能性も十分にあり得ると考えられて 見においては,100mSvを下回るような放射線に被爆した場合については,それによって健康被害が発症し得るか否かも定かでなく,そもそも人体に何ら健康影響を与えない可能性も十分にあり得ると考えられている。実際,日本人は,年間約2.1mSvの自然放射線に被爆し,また,CT検査を1回受けると約10mSvの放射線に被爆するなど,日常的に低線量の放射線被曝をしているが,これらによって健康被害が生じ得るとは考えられていない。それにもかかわらず,原爆に被爆したという理由だけで,前記の100mSvを下回るような線量の放射線被曝の場合にまで,被爆者保護法の定める手厚い援護措置を適用することは,およそ公正妥当な範囲にとどまるものとは言い難く,国民的合意を得ることは困難である。確かに,ごく低線量であっても,原爆放射線を被爆したことによる漠然とした不安感や危惧感はあり得るかもしれない。しかしながら,被爆者援護法の援護措置が医療を根幹として成り立っていることからすれば,医学的ないし科学的根拠を離れた単なる主観的な危惧感のみでは,「特別の犠牲」ということはできず,同法の保護に値しないというべきである。 3 原告ら「黒い雨」体験者は,被爆者援護法1条3号にいう「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当するか(総論)【原告ら(承継人らを含む。)の主張】被爆者援護法1条3号「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当するか否かは,最新の科学的知見を考慮した上で,個々の申請者について,身体に放射線の影響を受けたことを否定できない事情が存するか否かという観点から判断されるべきである。 原告ら「黒い雨」被爆者は,原爆投下当時,大瀧雨域又は増田雨域内におり,原 申請者について,身体に放射線の影響を受けたことを否定できない事情が存するか否かという観点から判断されるべきである。 原告ら「黒い雨」被爆者は,原爆投下当時,大瀧雨域又は増田雨域内におり,原爆投下当日に降った放射性微粒子を含んだ「黒い雨」を浴び,又は「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取等することによって,身体に放射線の影響を受けたことを否定できない事情に置かれていたのであるから,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑴ 「黒い雨」被爆の機序ア原爆の炸裂と原子雲の形成等 放射性微粒子の形成等広島原爆は,炸裂,核分裂連鎖反応により,瞬間最高温度100万℃以上にも達する超高温のため,原子を構成する原子核と電子が一緒にいられなくなるプラズマ状態となり,火球を形成した。火球は,当初は強いイオン(電荷を帯びた原子核等)で満たされているが,直径約200mまでに拡大するとともに,温度が低下するにつれて,粒子の速度が減少し,火球に含まれていた核分裂生成原子核と電子が結合して原子が形成されるようになり,やがて,原子同士が衝突・結合して,分子が形成され,さらに,分子が他の分子(酸素分子等)と衝突・結合を繰り返して,放射性微粒子(放射性の埃あるいは塵)が形成される。このようにアトランダムでぶつかり合って形成された放射性微粒子の表面の状態は凹凸であり,光学的に見ると黒色に見えるものとなった。また,爆心地の火災による煤も発生した。 加えて,爆心地近くでは,核分裂連鎖反応で発生した中性子で誘導された中性子誘導放射化物質も存在した。これは,原爆炸裂の際に発射される中性子が日本家屋等に当たり,その中の土壁や屋根裏の粘土などに含まれるナトリウム, くでは,核分裂連鎖反応で発生した中性子で誘導された中性子誘導放射化物質も存在した。これは,原爆炸裂の際に発射される中性子が日本家屋等に当たり,その中の土壁や屋根裏の粘土などに含まれるナトリウム,マンガン,アルミニウム等を放射化したものである。 水分の凝集による原子雲の形成放射性原子から発射される放射線は,周囲にある原子に衝突して原子の中の電子(負の電荷)を吹き飛ばす「電離」を行う。電離された原子はプラス電荷を帯びたイオンとなり,放射性原子がたくさん凝集している放射性微粒子はプラス電荷を帯びることとなる。 これら電離されたイオンや電荷を帯びた放射性微粒子に,湿った空気中の水分子が引き寄せられ吸着して水滴ができ,火球周辺には巨大な雲が形成されることとなる。これが「キノコ雲」と呼ばれる原子雲である。 原子雲と放射性降下物の降下火球は膨張しながら上昇するが,巨大な原子雲の球形頭部からは上昇過程を通じて間断なく放射性微粒子が周囲に放出される。これらの微粒子は水滴の核になり雲を形成する。上昇しながら伸びる中心軸の周りにある放射性物質を大量に含む原子雲が地上風圏と偏西風圏の境界で浮力 を失って,横に広がることとなる。 このようにして水平方向に広がる原子雲を形成した放射性微粒子は,その後下降気流や雨と一緒になって地上に降り注いだ。これが「黒い雨」の実態である。原子雲から降る雨には放射性微粒子が含まれているが,地表面では雨にならなくても,雲から落下する水分が蒸発した放射性微粒子が埃として自然落下し,また,地表近くの下降気流に乗って地表に降り注ぐのである。 火災による積乱雲と放射性降下物の降下広島の場合,爆発から30分後には大火となって火事嵐が発生し,熱風が市内を吹き荒れた。中でも,最も火勢が激しかった午前11時から 地表に降り注ぐのである。 火災による積乱雲と放射性降下物の降下広島の場合,爆発から30分後には大火となって火事嵐が発生し,熱風が市内を吹き荒れた。中でも,最も火勢が激しかった午前11時から午後3時にかけて,市の中心部から北半分にかけて局所的に激しい旋風が発生した。火災で作られた炭素の微粒子その他が吹き上げられて上空の冷たい空気にあたり,その周りに水蒸気が凝結し積乱雲が発生する。 火事嵐にはしばしば雨を伴うというのはこのことであり,実際,広島でも放射能を帯びたいわゆる「黒い雨」が午前9時から午後4時にかけて爆心地の北部から西部にわたって移動しながら広範囲に激しく降った。 大瀧ら論文広島大学原爆放射線医科学研究所の大瀧,大谷敬子による「広島原爆被爆者における健康障害の主要因は放射性微粒子被曝である」と題する論文(以下「大瀧ら論文」という。)は,初期放射線の影響のみでは,広島の原爆被爆者の急性症状の発症状況や固形がん死亡の超過危険度を説明できず,残留放射能を含む放射性微粒子の曝露が大きく関与していることを結論とする。 原告ら「黒い雨」被爆者は,「黒い雨」と共に原告らの住んでいた地域に降下した原爆に由来する放射性降下物(核分裂生成物,ウランの未分裂のもの,原爆器材が中性子を受けて誘導放射能を帯びたものなど)から放出される放射線によって被曝する環境下にあった。のみならず,大瀧ら論文によれば,広島原爆の被爆者における癌死亡の超過の原因となったと思われる,爆心地近傍にあった日本家屋の土壁や屋根瓦の下に敷かれていた粘土に含まれていた安定型の元素55Mnが原爆による中性子照射を受けて放射化し,生成された放射性微粒子が遠方まで飛散し曝露影響を及ぼしたと考えられるというのであるから,この知見は,原 れていた粘土に含まれていた安定型の元素55Mnが原爆による中性子照射を受けて放射化し,生成された放射性微粒子が遠方まで飛散し曝露影響を及ぼしたと考えられるというのであるから,この知見は,原 告ら「黒い雨」被爆者にも当てはまるといえる。 小括以上のとおり,原爆投下により,原子雲と火災による積乱雲が発達し,これらから降る「黒い雨」により放射性微粒子が降下することとなったのである。ここでいう放射性微粒子を含んだ「黒い雨」には,原爆が炸裂した際にできた核分裂生成物や未分裂の原爆材料等の放射性降下物や,爆心地の地上付近で家屋に含まれる55Mnや27Al等を中性子放射化して生成された放射性核種56Mnや28Al等が,雨滴だけでなく,塵芥及び微粒子という形で地上に落下したものも含まれる。 イ被告らの主張について 昭和51年度・昭和53年度残留放射能調査について被告らは,日本公衆衛生協会が昭和51年度に行った残留放射能調査(以下「昭和51年度残留放射能調査」という。)及び昭和53年度に行った残留放射能調査(以下「昭和53年度残留放射能調査」といい,昭和51年度残留放射能調査と併せて,「昭和51年度・昭和53年度残留放射能調査」という。)を指摘して,「黒い雨」が降ったとされる地域に高線量の放射性物質(核分裂生成物)が降下したとの事実は認められなかったのであり,このような結果は軽視することができないと主張する。 しかし,放射性降下物(放射性微粒子)は埃であり風雨で散逸するので,原爆投下直後の放射能環境を維持することはできない。特に,広島では昭和20年9月17日に枕崎台風,同年10月10日に阿久根台風という2つの台風に襲われ,橋が20本以上も流失し,被爆地一面が床上1mの濁流に洗われ,原爆投下後3か月間で とはできない。特に,広島では昭和20年9月17日に枕崎台風,同年10月10日に阿久根台風という2つの台風に襲われ,橋が20本以上も流失し,被爆地一面が床上1mの濁流に洗われ,原爆投下後3か月間で900mmに達する雨に見舞われているのであるから,なおさらである。また,空中やその他の形で存在した放射性物質の測定はそもそもしていないしできない。事後的に採取した土壌試料が,「黒い雨」により放射性微粒子が降下した当時の放射能環境を再現するものではあり得ない。 加えて,原爆投下後に数多く繰り返されてきた大気圏での核実験によって生成された核分裂生成物が世界中にまき散らされ,広島にも降下していることから,原爆による残留放射能の推定が著しく困難になっていることも否定できない事実である。 したがって,事後的に採取した土壌試料から,定量的意味で放射能環境の強さを測ることはできない。 黒い雨専門家会議報告書について被告らは,被告広島市及び被告広島県が設置した「黒い雨に関する専門家会議」(以下「黒い雨専門家会議」という。)による報告書では,「黒い雨降雨地域における残留放射能の現時点における残存と放射線によると思われる人体影響の存在を認めることはできなかった」とされたことから,「黒い雨」降雨域に放射性降下物が降下した事実が認められないと主張する。 しかし,黒い雨専門家会議では,昭和51年度・53年度残留放射能調査の土壌調査データの見直し,土壌中ウラン235の測定,土壌以外の物質からの残留放射能検出の可能性として,屋根瓦及び柿木の測定が行われたが,これらに定量的な価値がないことは,前記る。したがって,これらの事後的な測定で原爆由来の放射性物質が確証できなかったからといって,「黒い雨」降雨域に放 能性として,屋根瓦及び柿木の測定が行われたが,これらに定量的な価値がないことは,前記る。したがって,これらの事後的な測定で原爆由来の放射性物質が確証できなかったからといって,「黒い雨」降雨域に放射性微粒子が降下しなかったということはできない。 また,黒い雨専門家会議の気象シミュレーションによる降下放射線量に関して,①原子雲のでき方や上昇について基本的には衝撃波の反射波であると捉えている点,②放射性微粒子と水との合体を意識せずに,砂漠モデルに基づいて,4.5km程度の幅の原子雲から放射性微粒子が拡散する前提で考察しているという点に問題がある。 まず,①については,黒い雨専門家会議は,原爆が炸裂したときに発生する衝撃波が地上に達して地上で反射した反射波が原子雲を上昇させたという前提で気象シミュレーションを行っている。しかし,原爆炸裂により形成された高圧壁(ショックフロント)は,進行方向の前方にも後方にも爆風をもたらすものであるところ,この構造は,これが地上に反射して上向きになっていく場合も全く同じ構造をとるから,黒い雨専門家会議が前提とするような,反射波が中心に集まるとか,一つの中心に集まった風が求心的にずっと上昇していくような構造は,全く物理的に考えることができない。 また,②については,黒い雨専門家会議は,シミュレーションの前提となる原子雲頭部の高度が半分で計算されているという誤謬に加え,原 子雲頭部の幅のみを問題とし,肝心の原子雲中心軸やそれが圏界面で広がった水平原子雲については一切考慮の対象としていないという誤謬を犯している。加えて,黒い雨専門家会議は,米軍が砂漠で行った核実験における放射性微粒の拡散に関するモデルである「砂漠モデル」に基づいてシミュレーションを行っているが, の対象としていないという誤謬を犯している。加えて,黒い雨専門家会議は,米軍が砂漠で行った核実験における放射性微粒の拡散に関するモデルである「砂漠モデル」に基づいてシミュレーションを行っているが,広島原爆では大量の水分を空気中に含む多湿度の状態中に原爆が投下されたため,核分裂によって発生した放射性微粒子に水滴が凝結して原子雲を形成し,放射性微粒子を核として水分子が凝結した水滴は,微粒子単独状態に比べて巨大な重い塊りを形成し,空気からは弾性抵抗と呼ばれる粘性抵抗とは全く異なる抵抗を受け,「ストークスの法則」とは全く別の機序で放射性微粒子が降下・拡散することになるのであるから,前記シミュレーションには根本的な誤りがある。 ⑵ 「黒い雨」被爆の人体影響放射性微粒子が降り注いだ「黒い雨」降雨域にいた人々は,「黒い雨」によってもたらされた放射性微粒子を浴び,又は黒い雨によってもたらされた放射性微粒子に汚染された畑の作物を食べたり,井戸や川水を飲んだり,汚染された空気を呼吸によって吸引したりすることで,放射性微粒子を体内に取り込んだ。原告らの被爆態様は,主として,放射性物質を体内に取り込むことによる内部被曝である。 ア内部被曝の機序内部被曝とは,放射線を出す原子(体内に取り込まれやすい放射性微粒子を含む)が体内に入り,例えば,血流を経て,骨,肝臓,脾臓等に沈着する等,人体が体内から放射線を浴びることをいう。空気中に放射性微粒子が漂っている場合,呼吸によって体に取り込んでしまう。また,放射性微粒子が水や食べ物に溶け込んでいる場合に,それを食べてしまうと体の中に取り込んでしまう。このようにして体内に取り込んだ放射性微粒子から放射線が出ることによって内部被曝が起こる。 内部被曝においては,アルファ線やベータ線といっ いる場合に,それを食べてしまうと体の中に取り込んでしまう。このようにして体内に取り込んだ放射性微粒子から放射線が出ることによって内部被曝が起こる。 内部被曝においては,アルファ線やベータ線といった透過力は弱いが,その範囲で集中した被曝をもたらす放射線による被曝が問題となる。アルファ線は,体の中ではたった40μmしか飛ばないが,その範囲では集中した被曝をもたらし,ベータ線は約2mm飛ぶが,ベータ線を発射する放射性原子の半減期が非常に短いものであるので,その範囲では非常に高い 電離の密度を持つ。このように内部被曝は,被爆態様として非常に危険性が高い。 イ内部被曝の人体影響放射性微粒子を体内に取り込むことにより,放射線による電離の結果,分子を切断する,組織が切断されるということがもたらされ,生命機能の不調をもたらすことになる。放射線による電離によって,DNA損傷,ミトコンドリアDNAの損傷,又は活性酸素を生み出す。この点,活性酸素は,体の中の3分の2ほどを占める水分子が分子切断されて生み出されるもので,切断されたものが化学的に非常に活性なものであるため,これが改めてDNAなどを損傷し,身体に危害をもたらすことになる。 このように電離によってDNA損傷などがもたらされる場合に,修復できる場合はよいが,アポトーシスと呼ばれる細胞死(体が害を避けるために損傷を受けたDNAなどを持っている細胞を自動的にシステム的に死亡させてしまうこと)が起こると,その細胞がなくなってしまうことになり,人体の生命機能に大きな影響を与えることになる。また,修復に失敗して結合し間違えたDNAなどが細胞の中に生き残ってしまうと,これが増殖して癌化することもある。 また,放射性微粒子には水溶性のものと不溶性のものがあるが, ることになる。また,修復に失敗して結合し間違えたDNAなどが細胞の中に生き残ってしまうと,これが増殖して癌化することもある。 また,放射性微粒子には水溶性のものと不溶性のものがあるが,水溶性のものは血液やリンパ液に乗って体中を被曝することになる。また,不溶性のものは大きいものは1か所にとどまり永久被曝を与えるようなこともあり,その例が,原爆投下後70年が経過している中で,黒い雨地域の女性の肺にとどまっているウラニウムからアルファ線が発射された瞬間をとらえた写真であり,この女性はウラニウムのアルファ線による電離のために細胞が癌化して肺癌を発症したものと考えられる。また,死亡した長崎被爆者の腎臓を米軍が資料として保管していたものを戦後60年ほどたって撮影した写真からは,腎臓の1箇所から2本のプルトニウムのアルファ線が発射されていることが確認できる。さらに,不溶性でも非常に小さい粒の放射性微粒子は,懸濁といって放射性微粒子のままでリンパ液,血液に乗って全身を被曝する作用をする。 ウ小括以上のように,放射性微粒子を体内に取り込むと,体の至る所あらゆる場所に放射能の影響が出てくるのであり,放射性微粒子たった1個で内部 被曝するだけで,「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情」が出現することは明らかである。 ⑶ 「黒い雨」降雨域の範囲原爆に伴う「黒い雨」降雨域の範囲については,宇田雨域,増田雨域及び大瀧雨域が発表されているところ,次のとおり,宇田雨域は資料の不十分さからくる限界を内包したものであり,その後の調査によりその範囲の見直し・拡大が期待されていたところ,大掛かりで綿密な聞き取りやアンケート調査等,精度の高い資料収集と,当該資料を基にした丁寧な分析ととりまとめをした増田雨域に であり,その後の調査によりその範囲の見直し・拡大が期待されていたところ,大掛かりで綿密な聞き取りやアンケート調査等,精度の高い資料収集と,当該資料を基にした丁寧な分析ととりまとめをした増田雨域によって,「黒い雨」降雨域の拡大がされ,さらに大瀧雨域によって,増田雨域とほぼ同一の,しかも増田が雨域の拡大の可能性を指摘していた爆心地の東側や南側の周辺地域でも「黒い雨」が降ったことが合理的に推定された。また,大瀧雨域及び増田雨域が,琉球大学名誉教授のPの理論的考察とも合致する。 したがって,放射性微粒子を含む「黒い雨」が降り注いだ範囲は大瀧雨域によるべきである。 ア宇田雨域について 宇田論文について宇田論文は,原爆投下当時,雨量計等の観測器機が整備されておらず,観測データが存在しないことを前提として,気象の専門家である宇田技師らができるだけ多くの原爆被害を受けた当事者に直接会って話しを聞き,主としてその供述内容を基にして原爆投下当日の地域別の状況を再現するという調査方法を採用し,記憶の誤り等も考慮して慎重に吟味がなされた結果,まとめられた気象関係の科学論文である。 また,聞き取り調査が行われたのが昭和20年8月ないし12月という原爆被爆直後の時期であったことから,宇田らによる体験談聴取録(原爆被害調査メモを含む。)は,被爆直後に収集された唯一の体系的な証言集として貴重なものといえる。 よって,宇田論文及びその元となった体験談聴取録(原爆被害調査メモを含む。)の内容は基本的に信用できるものである。 宇田論文の信用性の限界しかしながら,宇田論文は,原爆投下直後の昭和20年8月から12月までのごく短期間のうちに,原爆の被害を受け混乱の最中にあった広 島管区気象台のわずか6名の気 宇田論文の信用性の限界しかしながら,宇田論文は,原爆投下直後の昭和20年8月から12月までのごく短期間のうちに,原爆の被害を受け混乱の最中にあった広 島管区気象台のわずか6名の気象技師・技手らによって,文字通り足を使って調査されたものであった。しかも,途中から,調査範囲を当初予定になかった旧広島市外,西は佐伯郡石内村から伴村にかけて,北は可部町や広島から30km以上も山奥の山県郡安野村や殿賀村にまで調査範囲を広げたことにより,旧広島市外の調査地点はまばらであり,調査をしていない地域も多々ある。 したがって,宇田論文は,宇田技師らによって時間的・物理的制約のある中で行われた調査結果に基づくものであるから,必然的にそのような観点からくる限界を内包しているものであることは明らかであった。 特に,「黒い雨」降雨域の全範囲を確定させたり,あるいは大雨域と小雨域を確定的に線引きするには,資料が不十分であることは明らかであって,このような限界は,調査にあたった北技手も生前認めているところであった。 イ増田雨域について 増田雨域について増田雨域とは,長年気象庁予報部電子計算室と気象研究所に勤務し数値予報の研究に携わってきた増田が,平成元年に発表した「広島原爆後の“黒い雨”はどこまで降つたか」と題する論文(増田論文)によって提示された,「黒い雨」の新たな雨域である。 増田が基礎としたのは,宇田論文の基礎資料の他,広島県の調査資料(1万7369通回答したものの調査報告),72人からの聞き取り調査結果,アンケート調査結果1188枚,手記集・記録集から358点の資料など,2000を超える豊富なデータである。増田は,調査対象者の記憶の希薄化や原爆医療法に基づく健康診断特例区域の拡大運動による影響にも配慮し,信 査結果1188枚,手記集・記録集から358点の資料など,2000を超える豊富なデータである。増田は,調査対象者の記憶の希薄化や原爆医療法に基づく健康診断特例区域の拡大運動による影響にも配慮し,信頼性が確保されたデータの収集とそれに基づく細かな分析を試みようと,例えば,雨の降り方を3種類に分けたり(降雨の継続時間30分以内を小雨,30分以上1時間以内を中雨,1時間以上を大雨とする),聞き取り調査に参加した人にもさらにアンケートを提出してもらうなどの工夫をこらし,こうして集められたデータを,信用度の違いに配慮しながら吟味し,調査と分析の結果を大学ノート2冊にまとめ上げ,それを宇田雨域に替わる新たな雨域として示したものである。 静間ら報告との整合性広島大学大学院工学研究院特任教授の静間清(以下「静間」という。)らは,広島原爆投下3日後に仁科芳雄理化学研究所長(当時)らが爆心地から半径5km以内の地点で採取した22個の試料でセシウム137の精密測定を行い,11個のサンプルでセシウム137を検出した上で,降雨域と比較して報告を「広島原爆の早期調査での土壊サンプル中のセシウム137濃度と放射性降下物の累積線量評価」( 以下「静間ら報告」という。)としてとりまとめた。静間ら報告においては,サンプル18,22及び25からは,明確にセシウム137が検出されており,かつ,これらの資料の採取箇所は宇田雨域の外側に位置しているとともに,全て増田雨域の範囲内であるという解析結果であり,このことは,実際の「黒い雨」降雨域の範囲は宇田雨域よりも広いことを意味するとともに,増田雨域の正確性を科学的に裏付けていることになる。 サンプル2,3,13,14及び16については,セシウム137が「不検出」とされているが,これは 域よりも広いことを意味するとともに,増田雨域の正確性を科学的に裏付けていることになる。 サンプル2,3,13,14及び16については,セシウム137が「不検出」とされているが,これは,検出限界の値,すなわち,その測定検出方法の場合に化学反応や装置の電気信号として検出し得るとされた最低量を基準にすると,それより低いエネルギーが測定されたにすぎず,必ずしも,セシウム137が沈着していなかったということにはならない。また,前記各サンプルの採取地点は,増田雨域及び宇田雨域の双方に含まれる地点に位置しており,このことは,「黒い雨」の降雨域であっても,一様にセシウム137が沈着したわけでなくばらつきがあったことを示している。セシウム137が不検出となっているからといって,セシウム137が沈着していなかった,あるいは,降下しなかったとはいえないということになる。 藤原ら報告との整合性広島文理科大学物理学教室教授の藤原武夫(以下「藤原」という。)らは,昭和24年に旧ソ連が核実験を開始する前である昭和20年から昭和23年にかけて広島の残留放射能を調査した結果を「広島市附近における残存放射能について」(以下「藤原ら報告」という。)にとりまとめた。 この調査結果は増田雨域とよく符合し,増田雨域と矛盾しない形で等値線を引くことが可能である。 宇田雨域との齟齬被告らは,増田雨域は,主として地域住民からの聞き取り調査に基づいて作成されているところ,宇田雨域全体を健康診断特例区域に指定するように求める「広島県『黒い雨・自宅看護』原爆被爆者の会連絡会」(以下「黒い雨の会」という。)の協力を得て住民らからの回答を得ていることから,意識的にせよ無意識的にせよ黒い雨降雨地域を拡大する方向に偏っ 求める「広島県『黒い雨・自宅看護』原爆被爆者の会連絡会」(以下「黒い雨の会」という。)の協力を得て住民らからの回答を得ていることから,意識的にせよ無意識的にせよ黒い雨降雨地域を拡大する方向に偏った回答がされた可能性を否定することはできず,現に,例えば安野村宇佐は宇田雨域では小雨地域とされているのに,増田雨域では大雨域とされたり,爆心地南西方向は宇田雨域では雨が降らなかったとされているのに,増田雨域では小雨又は中雨が降ったとされていることなど矛盾が生じているのはその証左であるなどと指摘する。 しかし,いわゆる「黒い雨」の体験対象は,極めて非日常的な出来事であり,かつ,そこに評価等が介在する余地はほとんどなく,ありのままを単純な事実として容易に知覚,認識しうるものである。しかも,降雨の原体験者らのうち,原爆投下時点以降も,親族,友人,知人,地元地域住民等で,その原体験を断続的にであれ語ってきた経緯を有する者も多く,このような場合,原体験についての記憶が途切れたり混乱したりすることはなく,そのままの内容で記憶が定着していくことになる。 増田は,宇田の調査手法等を基本に据えた上で,調査対象の数を増やことによって,調査結果の正確性を高めていくという観点から大がかりな調査をし,その結果合計で2000を超えるデータを収集した。これら2000以上の情報が,全体として事実とは異なるものであるとか,さらには事実を捻じ曲げたものであるなどと評価することは,経験則に反するというべきである。 さらに,宇田雨域と増田雨域とで違いが生じているという指摘については,宇田雨域が時間的・物理的制約の中で行われた不十分な調査であったこと,増田雨域や,宇田論文の調査資料も含め,2000を超える豊富なデータをもとに,黒い雨の雨域について再考察したものである ついては,宇田雨域が時間的・物理的制約の中で行われた不十分な調査であったこと,増田雨域や,宇田論文の調査資料も含め,2000を超える豊富なデータをもとに,黒い雨の雨域について再考察したものであることから,雨の強弱や降雨の有無に違いが生じるのは,ある意味当然のことである。被告らは,宇田雨域の信用性についても疑義があるようなことを述べながら,他方で,増田雨域の信用性の検討の箇所では,宇田雨域との違いを指摘するのは,被告らのご都合主義である。 ウ大瀧雨域 大瀧雨域について大瀧雨域は,広島大学原爆放射線医科学研究所教授の大瀧が,被告広島市の実施した原爆体験者等健康意識調査(以下「広島市調査」という。)において,その際の調査資料に基づき,統計解析を行い,「黒い雨」降雨域の推定を行ったものであり,被告広島市が,平成22年5月に公表した,「原爆体験者等健康意識調査報告書」(以下「広島市報告書」という。)で「黒い雨」降雨域として示されたものである。 元々のアンケート調査の対象者は3万人程度であったが,体験時の時刻に関する正確な情報が回答用紙に記載されていたものというのは多くはなく,降り始めの時刻と降り止んだ時刻がそれぞれ記されていたのが1084名分,降り始めの時刻だけ記されていたものが481名分であり,その合計1565名分の回答が,統計的処理に耐え得る精度をもっていた。 以上のように得られた各種情報に関して,多様な観点からの解析を行ったところ,最も基本的なものが時刻ごとの降雨の状況の時空間分布(別図表3-2)であり,これはいつどこでどの程度の者が「黒い雨」を体験したかを地理マップで表現したものである。アンケート調査から,各個人がそれぞれ局所的な時空間区分に入っていたか否かが分かる 布(別図表3-2)であり,これはいつどこでどの程度の者が「黒い雨」を体験したかを地理マップで表現したものである。アンケート調査から,各個人がそれぞれ局所的な時空間区分に入っていたか否かが分かるので,地域と時間の区分を行い,1時間ごとにどの程度の者がその時刻で「黒い雨」を体験したかの比率を分数の形で表現した。 このようにして昭和20年8月6日の午前9時から午後3時までの1時間ごとの体験率の地理分布を,体験率で色分けして描いて作成した。 なお,「黒い雨」の降り始めについて回答した者を解析対象とし,さらに解析精度を保持させるため,回答者数が10人以上の地区に限定しており,解析対象者数は1413人である。この図より,黒い雨は,午前9時辺りから降り始め,午後2時くらいには終息していたこと,さらに最も多くの体験率を得られたのが,午前10時,すなわち原爆炸裂から約2時間後であることが分かる。体験率が高い領域が,午前9時には広島市の西の郊外の己斐・高須辺りから発生し,徐々に西ないし北の方角に拡大しつつ移動し,午後になって次第に消えていったことが分かる。 また,大瀧雨域(降雨の強さの時空間分布〔別図表3-3〕。雨の強 さについて回答した者を解析対象とし,解析精度を保持させるため,回答者数が10人以上の地区に限定されており,解析対象者数は1378人である。)と,宇田雨域及び増田雨域とを重ねて比較すると,宇田強雨域と大瀧雨域の強雨域はほぼ一致している。もっとも北西側の湯来町付近は宇田強雨域外になっているが,大瀧雨域ではこの辺りも強い雨が降ったということになる。増田雨域の雨域全体と,大瀧雨域全体は,若干の違いは見られるがほぼ一致する結果となったといえる。 被告らの主張について被告らは,「原爆 も強い雨が降ったということになる。増田雨域の雨域全体と,大瀧雨域全体は,若干の違いは見られるがほぼ一致する結果となったといえる。 被告らの主張について被告らは,「原爆体験者等健康意識調査報告書」等に関する検討会(以下「平成24年検討会」という。)の結果に基づいて,①郵送によるアンケート調査は,原爆投下後,60年以上も経過した後に行われている点で,増田雨域作成時の調査にもまして,回答者が正確な記憶に基づいて回答したか疑わしい,②同じ地域において「黒い雨」の体験率が50%を超える地域は未指定地域においては一部に限られる,③特に爆心地から20km以遠においてはデータ数が少ないから,大瀧雨域によって,「黒い雨」降雨域を確定することは困難であると主張する。 まず,前記①のアンケート内容及び大瀧雨域の推定の正当性については,長い時間を経た時点で行われるアンケート調査の結果として得られる回答の内容は,一般的には正確性という意味では限界がある。しかし,それは個々人のアンケート結果における不確かさという意味である。大瀧雨域は,一人一人の結果をそのまま使用したのではなく,複数人の回答結果を時空間的に局所的に平均化しながら得たものであり,解析結果としてそれなりの精度を保持していると評価できるのであり,十分に信頼できるものである。 また,前記②の体験率の指摘については,そもそもここでいう体験率は,降り始めの時刻を記載していた合計1565名分の回答のうち,さらに解析精度を保持させるために,回答者数が10人以上の地区に限定した1413名のアンケート回答を解析対象者としたものであり,アンケート回答から各個人がそれぞれどの局所的な時空間区分に入っていたか否かが分かるので,地域と時間の区分を行い,1時間ごとに 地区に限定した1413名のアンケート回答を解析対象者としたものであり,アンケート回答から各個人がそれぞれどの局所的な時空間区分に入っていたか否かが分かるので,地域と時間の区分を行い,1時間ごとにどの程度の者がその時刻で「黒い雨」を体験したかの比率を分数の形で表現したものである。したがって,トータルの体験率は,対象者全員が「黒い 雨」を体験しているので100%になる。このような意味での体験率であるのに,なぜ体験率が50%以上でなければならないのか,全く的を射ない指摘というほかない。 さらに,前記③の20km以遠のデータ数が少ないという点であるが,確かにデータ数が少ないことは否めないが,そのような中においても,大瀧は,解析精度を保持させるために,いずれも回答者数が10人以上の地区に限定して,降雨時間の地理分布,体験率の時空間分布,降雨の強さの分布図,雨の色の分布図について,複数人の回答結果を時空間的に局所的に平均化しながら現代的統計手法を用いてこれらの図を作成したのであり,解析結果としてそれなりの精度を保持していると評価でき,十分に信頼できるものである。 よって,被告らの指摘はいずれも失当である。 エ 「黒い雨」降雨域は水平原子雲の範囲と移動により説明できることさらに,原爆投下約1時間後の広島原子雲の写真について,当該写真の画像解析によって原子雲の高さをおよそ16kmと推定した研究報告も踏まえて考察すると,次のことが科学的に推定できる。 水平に広がる原子雲は,南南東秒速3mの地上風に乗って,約1時間後に約10km北北西に運ばれていく。原爆投下から約1時間後の原子雲を米軍が撮影した写真では,原子雲の中心が爆心地から北北西約10kmの地点まで移動しており,科学的推定と証拠 上風に乗って,約1時間後に約10km北北西に運ばれていく。原爆投下から約1時間後の原子雲を米軍が撮影した写真では,原子雲の中心が爆心地から北北西約10kmの地点まで移動しており,科学的推定と証拠写真が合致する。 さらに,大瀧雨域及び増田雨域は,前記のような水平原子雲の移動によって説明できる。まず,大瀧雨域の中心は,爆心地から10km大体北北西にずれており,写真から読み取れる原爆投下約1時間後の水平に広がる原子雲の中心とちょうど一致している。それから,この雨域の半径が大体18kmであり,この水平に広がる原子雲のサイズと一致する。加えて,増田雨域は,大瀧雨域と大体同じとみなすことができるが,さらに北北西の部分に雨の区域が延びている。これも水平に広がる原子雲が地上風に乗って更に移動していったという意味で,水平原子雲に関する考察と合致するものである。これに対し,宇田雨域は,原爆投下直後に調査して描かれたという意味では貴重なことであるが,狭きに失している。 また,大瀧雨域について降雨時間の長さの時空間分布(別図表3-1)も,水平に広がる雲が発生し活発化し最盛期を迎えて衰退していくプロセ スを経ると同時に北北西に移動していくことによって,合理的に説明ができる。さらに大瀧雨域について降雨強度を色分けした図(別図表3-3)があるが,同じように水平に広がる雲の発生,発達,衰退のプロセスと北北西への移動によって合理的に説明できる。 そういう意味で,水平に広がる原子雲が移動していきながら「黒い雨」をもたらしたという科学的推定が,現実に起こった「黒い雨」の現象と完全に合致する。 オ各村における降雨状況後記4【原告ら(承継人らを含む。)の主張】記載のとおり⑷ 「黒い雨」被爆者は被爆者援 的推定が,現実に起こった「黒い雨」の現象と完全に合致する。 オ各村における降雨状況後記4【原告ら(承継人らを含む。)の主張】記載のとおり⑷ 「黒い雨」被爆者は被爆者援護法1条3号に該当すること次のとおり,「黒い雨」被爆者は,被爆者援護法1条3号該当性が認められるべきであり,少なくとも大瀧雨域又は増田雨域も含めて第一種健康診断特例区域が指定され,これらの区域に所在した「黒い雨」被爆者が,「原爆の放射能の影響によるものである可能性を直ちには否定できない障害を伴う疾病」を発症している場合には,かかる「黒い雨」被爆者は被爆者援護法1条3号に該当する者と認められるべきである。 ア段階的に「黒い雨」被爆者の一部が被爆者援護の対象とされてきた経緯 特別被爆者等として扱われていたこと昭和35年原爆医療法改正によって新設された特別被爆者は,制定当時は,政令で爆心地から2km以内にいた者とその胎児等に限定されていたが,昭和37年には,爆心地から3km以内に拡張されるなど,徐々に適用対象が拡大されてきた。 ところで,昭和40年9月25日の原爆医療法施行令の改正により,爆心地から3km以遠の区域として,①広島市のうち,新庄町,三滝町,山手町,己斐町,古田町,庚午町及び三篠本町四丁目,②広島県安佐郡祇園町のうち,長束,西原及び西山本の各地域が「黒い雨」が降った残留放射能濃厚地区として特別被爆地域に指定され,これらの「黒い雨」による残留放射能濃厚地区内に所在した者等も特別被爆者とされるようになった。 さらに,昭和47年5月1日,原爆医療法2条1号の被爆地域ではあった広島市草津東町,草津濱町,草津本町及び草津南町が新たに特別被爆地域に指定されるとともに,安佐郡 れるようになった。 さらに,昭和47年5月1日,原爆医療法2条1号の被爆地域ではあった広島市草津東町,草津濱町,草津本町及び草津南町が新たに特別被爆地域に指定されるとともに,安佐郡祇園町のうち東山本,北下安,南 下安及び東原についても,被爆地域とするのみならず,特別被爆地域に指定されることとなった。すなわち,この改正により,広島県安佐郡祇園町の全域及び広島市のうち草津東町,草津濱町,草津本町及び草津南町にまで,「黒い雨」が降った残留放射能濃厚地区が拡大され,これらの地域に所在した「被爆者」は「特別被爆者」とされることになった。 その後,昭和49年6月17日の原爆医療法改正により,「特別被爆者」が廃止され,被爆者健康手帳が一本化され,全ての被爆者が,健康診断のみならず,一般疾病医療費の支給も受けられるようになり,これに従い,特別被爆地域について定めた原爆医療法施行令別表第3は削除された。 そして,「黒い雨」が降った残留放射能濃厚地区は,「特別被爆者」廃止後も,被爆地域とされ,同地域内に所在した「黒い雨」被爆者には被爆者健康手帳が交付され,健康診断のみならず一般疾病医療費が支給される等,被爆者援護の対象とされてきたのである。 健康診断特例区域に指定されたこと昭和49年6月17日の原爆医療法の改正に伴い,原爆医療法附則3項が設けられ,被爆地域に隣接する政令で定める区域(以下「健康診断特例区域」という。)内に所在した者について,暫定的な特例措置として,原爆医療法2条の被爆者に該当しないものについても原爆医療法の健康診断の規定の適用を認めることとなった。 なお,健康診断の特例が制定された約1か月後の同年7月22日,厚生省公衆衛生局長通達(いわゆる402号通達) しないものについても原爆医療法の健康診断の規定の適用を認めることとなった。 なお,健康診断の特例が制定された約1か月後の同年7月22日,厚生省公衆衛生局長通達(いわゆる402号通達)が発出され,健康診断特例措置の対象となった者が,健康管理手当の支給の対象となる造血機能障害,肝臓機能障害等の障害を伴う疾病を発症したと診断された場合には,「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律・・第2条第3号に該当する者として,被爆者健康手帳の交付を受けることができる」として,健康診断受診者証から被爆者健康手帳への切替え制度が規定されることになった。 そして,昭和51年9月,原爆医療法施行令の改正により,広島において,当時「黒い雨」降雨域を示したとされる唯一の調査結果であった宇田雨域のうち大雨地域が新たに健康診断特例区域に指定されることとなったのである。 小括以上のとおり,原爆医療法下においても,段階的に「黒い雨」被爆者の一部が「被爆者」として,被爆者援護の対象とされてきた。具体的には,「黒い雨」降雨域のうち,広島市新庄町,三滝町,山手町,己斐町,古田町,庚午町,三篠本町四丁目,草津東町,草津濱町,草津本町及び草津南町が,さらに広島県安佐郡祇園町の全域が,「黒い雨」による残留放射能濃厚地区として原爆医療法2条1号の被爆地域や特別被爆地域に指定され,これらの地域に居住していた者は,「被爆者」認定され被爆者援護の対象とされたのである。 そして,原爆医療法附則3項の健康診断の特例の規定の新設と原爆医療法施行令の改正により,宇田強雨域に含まれる地域が健康診断特例区域に指定され,当該地域に所在した者は健康診断受診者証を所持することにより原爆医療法の定める健康診断を受けることができると 設と原爆医療法施行令の改正により,宇田強雨域に含まれる地域が健康診断特例区域に指定され,当該地域に所在した者は健康診断受診者証を所持することにより原爆医療法の定める健康診断を受けることができるとともに,当該者が健康管理手当の支給の対象となる障害を伴う疾病を発症した場合に,原爆医療法2条3号の「被爆者」とみなされることにより,被爆者健康手帳制度による一般疾病医療費の支給等の被爆者援護の対象とされることになった。 しかし,その余の地域に居住していた「黒い雨」被爆者は,同じ「黒い雨」被爆者であるにもかかわらず,被爆者健康手帳や健康診断受診者証の交付の対象とされることはなく,被爆者健康手帳制度の手厚い援護施策を受けることができなかった。そして,「黒い雨」被爆者間の取扱いの違いは,その後も被爆者援護法の制定から現在に至るまで変わっていない。 イ行政実務の運用は被爆者援護の対象となる「黒い雨」被爆者を不当に制限している 「黒い雨」被爆者は被爆者援護法1条3号に該当する昭和47年の原爆医療法施行令改正によって,「黒い雨」による残留放射能濃厚地区として被爆地域や特別被爆地域に指定され,現在も被爆地域に指定されている広島県安佐郡祇園町や広島市草津町は,宇田論文で示された雨域の区分によれば,宇田強雨域だけでなく宇田小雨域又は宇田雨域外の地域も含まれている。 このように宇田小雨地域や宇田雨域外の地域も含まれている安佐郡祇 園町や広島市草津町が,「黒い雨」が降ったことによる残留放射能濃厚地域として被爆地域に指定されるのなら,同じように「黒い雨」が降った原告らが原爆投下時に現在していた大瀧雨域又は増田雨域が被爆地域に指定されるべきであり,現行の被爆者援護法1条1号の規定は,本来同号によっ て被爆地域に指定されるのなら,同じように「黒い雨」が降った原告らが原爆投下時に現在していた大瀧雨域又は増田雨域が被爆地域に指定されるべきであり,現行の被爆者援護法1条1号の規定は,本来同号によって「被爆者」とされ,被爆者援護の対象とされるべき「黒い雨」被爆者を規定しておらず不当である。 そして,このように大瀧雨域又は増田雨域が被爆地域に指定されていない現状を前提とするなら,少なくとも包括的な規定である被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」として,被爆者健康手帳が交付されるべきであるが,現在の行政実務の運用はそうはなっていない。 よって,現行の被爆者援護法の行政実務の運用は,本来,同号によって被爆者援護の対象とされるべき「黒い雨」被爆者を「被爆者」と認定しておらず,不当である。 被告らの主張について被告らは,①被爆者援護法附則17条の健康診断の特例は,原爆医療法附則3項を引き継いだものであるところ,当時の科学的知見に照らせば,原爆投下当時,当該区域に所在した者に原爆放射線による健康被害が生じたことについて必ずしも十分な科学的・合理的根拠までは認められず,当該区域を「被爆地域」として指定することはできないものの,その当時の科学的知見の内容や当該区域の住民の健康調査結果等を踏まえ,被爆者援護の観点から,暫定的措置として,当面の間,前記の者につき,特例区域について健康診断を受診することができるものである,②402号通達にいう疾病は現在において造血機能障害等の11障害を伴う疾病をいうものであるところ,これらの障害は,被爆者援護法上の被爆者に健康管理手当(被爆者援護法27条)が支給されることとなる11障害(被爆者援護法施行規則51条)と同じものであり,被爆者援 伴う疾病をいうものであるところ,これらの障害は,被爆者援護法上の被爆者に健康管理手当(被爆者援護法27条)が支給されることとなる11障害(被爆者援護法施行規則51条)と同じものであり,被爆者援護法27条1項において「厚生労働省令で定める障害を伴う病気(原子爆弾の放射能の影響によるものでないことが明らかであるものを除く)にかかっているものに対し,健康管理手当を支給する。」と規定されていることからも明らかなとおり,現在の科学的知見において,いずれも原爆の放射能の影響によるものである可能性を直ちには否定できない障 害を伴う疾病であることから,現実に当該疾病に罹患した者については,飽くまでも被爆者援護の観点から,「被爆者」として取り扱うことにより,健康管理手当(被爆者援護法27条)等の支給が認められるよう,行政実務上の特例措置を設けたものであると主張する。 このような健康診断の特例及び402号通達による第一種健康診断受診者証から被爆者健康手帳への切替え制度の理解からすれば,第一種健康診断特例区域の指定に当たっては,被爆地域の指定に当たって求められるほどの科学的知見がなくてもよいが,第一種健康診断受診者証の所持者が,原爆の放射能の影響によるものである可能性を直ちに否定できない11種類の障害を伴う疾病を発症すれば,原爆放射線による人体影響の可能性が否定できないとして,被爆者援護法1条3号に該当する者として被爆者健康手帳が交付されるということになる。 そうすると,11種類の障害を伴う疾病の発症という要件の加重はあるものの,健康診断の特例と402号通達による第一種健康診断受診者証から被爆者健康手帳への切替え制度を一連一体のものとして考えると,被爆者援護法1条3号による被爆者健康手帳の交付により,実質的には新 ものの,健康診断の特例と402号通達による第一種健康診断受診者証から被爆者健康手帳への切替え制度を一連一体のものとして考えると,被爆者援護法1条3号による被爆者健康手帳の交付により,実質的には新たな被爆地域の指定と同視できる効果をもたらしているということができるのであり,他方で,健康診断の特例についてのみ考えると,第一種健康診断特例区域の指定に当たっては,被爆地域の指定に当たって求められるほどの科学的知見がなくてもよいのだから,健康診断の特例は,被爆者援護策の出発点である健康診断の対象者について,被爆者健康手帳制度よりも,更に間口を広げる制度であるということができる。 そうであるとすれば,原爆投下当時にある地域に所在した者について,放射線の人体影響の可能性が懸念される一応の合理性をもった科学的知見があれば,当該地域を少なくとも第一種健康診断特例区域として指定し,安んじて健康診断を受けることができるようにすることが,原爆の放射能に起因する健康被害の特異性及び重大性に鑑み,被爆者の置かれている特別の健康状態に着目してこれを救済する目的から被爆者の援護について定めた被爆者援護法の趣旨・目的及び被爆者健康手帳制度において健康診断の対象者について間口を広げるという健康診断の特例措置の仕組みに合致するというべきである。 そして,被爆者援護法施行令附則2条別表第3によって,現行の第一種健康診断特例区域は宇田強雨域に該当する地域が指定されているところ,現在の科学的知見を踏まえると,宇田論文以降の「黒い雨」降雨域に関する調査結果として示されている,大瀧雨域又は増田雨域に,原爆による放射性微粒子が降下して,当該地域の住民らが,放射性微粒子から放出される放射線によって被曝する環境にあったというべきである。 放射性 する調査結果として示されている,大瀧雨域又は増田雨域に,原爆による放射性微粒子が降下して,当該地域の住民らが,放射性微粒子から放出される放射線によって被曝する環境にあったというべきである。 放射性微粒子を体内に取り込んで被曝する内部被曝に関する現在の科学的知見を踏まえると,これら地域に所在した者について,放射線の人体影響の可能性が懸念される一応の合理性をもった科学的知見があることは明白である。 それにもかかわらず,宇田雨域のうち大雨地域のみを第一種健康診断特例区域に指定している現行の第一種健康診断特例区域の指定(被爆者援護法施行令附則2条別表第3)は狭きに失し不当であり,「黒い雨」被爆者間で著しい不平等を招来しているといわざるを得ない。 よって,健康診断の特例について規定する被爆者援護法附則17条の委任の趣旨に従えば,宇田小雨域はもとより,大瀧雨域又は増田雨域も含めて,第一種健康診断特例区域に指定されるべきであり,これら「黒い雨」降雨域に所在した「黒い雨」被爆者が,「原爆の放射能の影響によるものである可能性を直ちには否定できない障害を伴う疾病」を発症している場合には,かかる「黒い雨」被爆者らは,「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」として3号被爆者と取り扱われなければならない。 【被告らの主張】⑴ 「黒い雨」を体験したことから,身体に原爆の放射能の影響を受けるような事情の下にあったとはいえないことア仮に,原告らが,実際に,いわゆる「黒い雨」を浴び,又は,その降雨地域において飲食等をし,生活していたとしても,当該「黒い雨」が現在の科学的知見に照らして健康被害を惹起し得ると合理的に認められる程度の放射線に被曝したといえるだけの具体的根拠はない。 イ確かに, 食等をし,生活していたとしても,当該「黒い雨」が現在の科学的知見に照らして健康被害を惹起し得ると合理的に認められる程度の放射線に被曝したといえるだけの具体的根拠はない。 イ確かに,広島原爆が核爆発した直後,前記核爆発により生成された放射性微粒子の一部は,降雨とともに地上へ降下したものと考えられているものの,原爆投下後に降ったとされているいわゆる「黒い雨」については, その本体は原爆により発生した二次火災による「煤」であり,色と放射性の強弱には直接的な関係はないものとされており,「黒くない雨」にも放射性微粒子が含まれていた可能性もあるし,反対に,「黒い雨」でも放射性微粒子を含まない場合もあり得るとされているところである。 このように,雨が黒いか否かと放射性微粒子が含まれているか否かとは全く関係がないのであるから,仮に原告ら(承継人らを含む。)の主張するとおりにいわゆる「黒い雨」が降っていたとしても,そのことから直ちに,原告らが遭ったという雨に放射性微粒子が含まれていたものとは認められないし,たとえ前記雨に放射性微粒子が含まれていたとしても,その量や濃度は全く明らかになっておらず,身体に影響を与えるほどの放射性微粒子が含まれていることについては何ら証明がされていない。 ウ実際に,広島原爆のいわゆる「黒い雨」については,これまで昭和51年度・昭和53年度残留放射能調査,黒い雨専門家会議及び平成24年検討会が行われているが,そのいずれの調査及び検討においても,いわゆる「黒い雨」が降ったとされる地域に高濃度の放射性物質(核分裂生成物)が降下したとの事実は認められていない。 すなわち,昭和51年度・昭和53年度残留放射能調査は,同種調査に伴う一般的な限界を踏まえつつ,昭和51年度残留放射能調査におい の放射性物質(核分裂生成物)が降下したとの事実は認められていない。 すなわち,昭和51年度・昭和53年度残留放射能調査は,同種調査に伴う一般的な限界を踏まえつつ,昭和51年度残留放射能調査においては,「⑴ 爆発直後から採取時点まで人畜などによって踏み荒らされた形跡がないこと,⑵地下水や雨水など自然の力による土砂の流入・流出がないこと等,爆発当時の状態を保持していると思われる地点から土壌試料を採取し」,昭和53年度残留放射能調査においても,「前回の調査では,各地点から1ヶずつの土壌試料を採取し,それらの放射能密度を測定し」,「ある地区から採取した多数の土壌試料から得た放射能密度の平均値は,その地区の放射能密度の代表値により近い値を示す。今回の調査では,このような考えのもとに,検討地区,対象地区などについて,各地区から10地点以上の土壌試料を採取して,それらの地区の放射能密度の平均値を算出」するなどして,可能な限り客観的な合理性を高める努力を払ったものである。 また,黒い雨専門家会議においては,土壌や屋根瓦などを試料とした原爆による残留放射能検出や気象シミュレーションによる降下放射線量の推定などを行い,平成24年検討会においては,放射線の健康影響等に関す る専門家による知見に加え,いわゆる「黒い雨」地域の線量推計を行った物理学者からのヒアリング,被告広島市が行った住民アンケートに関する推計を行った研究者などからのヒアリング等,多角的な検討が行われるなど,調査・検討について精度を高めるよう努められている。 このように,可能な限りで客観的な合理性を高める努力が払われた調査等が複数回にわたって行われており,その結果,いわゆる「黒い雨」が降ったとされる地域に高線量の放射性物質(核分裂生成物)が降下したとの事実は認められなかった 客観的な合理性を高める努力が払われた調査等が複数回にわたって行われており,その結果,いわゆる「黒い雨」が降ったとされる地域に高線量の放射性物質(核分裂生成物)が降下したとの事実は認められなかったのであり,このような結果を軽視することはできないというべきである。 エ以上からすれば,そもそも,いわゆる「黒い雨」を浴び,また,その降雨地域において生活していたことによって,現実に健康被害が発生したという科学的事実・知見が存在するものとはいえないというべきであるから,原告らが,いわゆる「黒い雨」を浴び,また,その降雨地域において生活していたとしても,そのことから,原告らが,身体に原爆の放射能の影響を受けるような事情の下にあったとはいえず,被爆者援護法1条3号の被爆者には該当しないというべきである。 ⑵ 原爆医療法及び被爆者援護法の改正経緯を踏まえても,いわゆる「黒い雨」を浴びるなどしたことから,現実に健康被害が発生したとまでは考えられていなかったことが明らかであること前記結論は,被爆地域に関する被爆者援護法等の改正経緯を踏まえても明らかである。 すなわち,昭和51年9月18日に原爆医療法施行令が改正され,宇田強雨域に含まれる地域が健康診断特例区域に指定されているところ,これは,当時,原爆放射線の広がりや人体影響等について必ずしも十分な科学的知見が蓄積されていなかったものの,昭和51年以前からの地元自治体からの強い要望を踏まえ,過去に当該地域内の一部で高濃度の放射能が検出された例の報告があったことや,宇田雨域内の地区の住民に対して行われたアンケート調査の結果を考慮して指定したものである(平成15年の政府参考人による国会答弁においても,前記原爆医療法施行令改正当時は,「原爆放射線の広がり及び原爆放射線の の地区の住民に対して行われたアンケート調査の結果を考慮して指定したものである(平成15年の政府参考人による国会答弁においても,前記原爆医療法施行令改正当時は,「原爆放射線の広がり及び原爆放射線の人体影響に関する科学的知見も必ずしも十分蓄積されていなかったものでございますが,指定の理由といたしましては,黒い雨地域内の一部で高濃度の放射能が検出された例の報告があったこと,広島市 及び周辺町村が昭和48年に行った住民に対するアンケート調査で有病者数等が4割であったことから,当該地域を健康診断特別区域に指定したものでございます。」とされている。)。 仮に,この当時において,「黒い雨」が降ったとの理由のみで,現実に健康被害が発生したという科学的事実・知見が存在し,それが国民的合意を得ることが可能な程度の合理的なものであったとされたとすれば,宇田強雨域は,健康診断特例区域としてではなく,原爆医療法2条1号の被爆地域として指定されていたはずである。そうであるにもかかわらず,実際には,前記のとおり健康診断特例区域として指定されたにすぎない。このことは,その当時,科学的・合理的根拠をもって,いわゆる「黒い雨」を浴びたことや,その降雨地域で生活していたことから,現実に健康被害が発生したとまでは考えられていなかったことの証左である。 そして,その後,複数回行われた各調査及び検討では,いずれも,いわゆる「黒い雨」が降ったとされる地域に,他の地域と比べ高濃度の放射性物質(核分裂生成物)が降下したとの事実が認められていない。その結果,前記健康診断特例区域は,その後被爆地域として指定されていないし,その余のいわゆる「黒い雨」が降ったとされる地域については,健康診断特例区域にさえ指定されていないのである。 ⑶ 原告らが原爆 前記健康診断特例区域は,その後被爆地域として指定されていないし,その余のいわゆる「黒い雨」が降ったとされる地域については,健康診断特例区域にさえ指定されていないのである。 ⑶ 原告らが原爆投下当時にいたとされる地点から考えても,原告らについて,およそ原爆放射線による障害作用が及んだとは考え難いこと以上に加え,原爆医療法における被爆地域の指定をするにあたって参考にされた「原子爆彈災害調査報告集」において,放射線の障害作用については,爆心地から大体半径4kmまでの地域に及んだものとされており,爆心地から2ないし4kmの地域内で被爆した被爆者は,軽度の障害を受けたものとされている。当該知見は,必ずしも,初期放射線に限ってその障害作用を記載したものではなく,残留放射線等も含めた原爆放射線によって生ずる障害作用について記載したものである。そして,このような知見等を踏まえて,原爆医療法の被爆地域は,おおむね爆心地から5kmの範囲を基本とする行政区画をもって定められたのである。 これに対し,原告らが原爆投下時にいた旨主張する地点(ただし,同主張を裏付ける客観的証拠は何ら提出されておらず,前記主張の正確性の担保もないというべきである)は,原告ら(承継人らを含む。)の主張を前提とし てもいずれも爆心地から5km以内にいた者はいないのであり,このことからしても,原告らに対して,原爆放射線による障害作用が及ぶものとは考え難いというべきである。 ⑷ 宇田論文をもって,原告らの被爆者援護法1条3号該当性を肯定する科学的根拠とすることはできないこと宇田論文に,具体的に,いつ頃,どの地点で,どのような方法によって調査がされたのか等が記載されておらず,現時点でこれを検証することは著しく困難であり,そうである以上,その内 することはできないこと宇田論文に,具体的に,いつ頃,どの地点で,どのような方法によって調査がされたのか等が記載されておらず,現時点でこれを検証することは著しく困難であり,そうである以上,その内容の信頼性にも疑義がないとはいうことができないし,宇田雨域の正確性自体にも疑義がある(原告らも,宇田の調査には時間的・物理的制約による限界があることを認めている。)。また,その内容に鑑みても,少なくとも,宇田論文からは,いわゆる「黒い雨」が降った全域において,人体等への影響がみられるような現象が生じていたとまでは認められない。さらに,原爆投下3日後に宇田雨域の5地点で採取された土壌サンプルからはセシウム137が検出されなかったことも明らかになっている。 また,仮に原告らがいわゆる「黒い雨」を浴びたとしても,あるいは「黒い雨」を浴びた食物等を飲食したとしても,そもそも雨が黒い色をしていたか否かとその雨に放射性微粒子が含まれているかは全く関係がなく,「黒い雨」に必ず放射性降下物が含まれていたことまで認められるものではないし,その「黒い雨」に人体の健康への影響を及ぼす程度の高線量の放射性降下物が含まれていたなどとは到底認められるものではない。 ⑸ 増田雨域及び大瀧雨域に関する研究報告をもって,被爆者援護法1条3号該当性を肯定する科学的根拠とすることはできないことア増田雨域に関する調査研究について 増田論文が前提とする調査結果は信用性に限界があること増田雨域は,主として地域住民からの聞き取り調査に基づいて作成されているところ,このような調査手法に起因する限界を避けることはできず,その正確性には疑問があるといわざるを得ない。 a すなわち,増田雨域は,昭和51年,宇田強雨域に含まれる地域が健康診断特例区域に指定さ ろ,このような調査手法に起因する限界を避けることはできず,その正確性には疑問があるといわざるを得ない。 a すなわち,増田雨域は,昭和51年,宇田強雨域に含まれる地域が健康診断特例区域に指定されたことに対し,宇田雨域全体を健康診断特例区域に指定するよう求める運動が起こり,昭和53年,黒い雨の会が作られた後,同会の協力を得て,大規模な聞き取り調査が行われ た上で,同調査に基づいて作成されている。 このように,増田雨域に係る調査は,調査対象者の記憶に依存して,その供述に基づき行われる性質のものであるところ,一般に,人の供述内容の信用性については,知覚,記憶,表現の各段階において誤謬が介在する余地があることは広く知られているところである。 b しかるところ,増田雨域に係る前記調査は,原爆投下後,約30年が経過した後に行われている点で,回答者の記憶の正確性には疑問が生じざるを得ない。現に,次のとおり,増田の調査においては,宇田雨域において全く雨が降らなかったか,僅かしか降らなかったとされた地域であっても,大雨地域として記載されており,宇田雨域との間に齟齬が生じている(なお,宇田雨域自体についても聞き取り調査を前提としている点で,前記のような誤謬の介在を避け得ないということはできるが,少なくとも宇田雨域に係る聞き取り調査については,主として比較的に調査対象者の記憶が新しい昭和20年8月から12月にかけて行われ,同調査に基づいて作成されている。)。 ⒜ 例えば,昭和20年8月から同年12月にかけて行われた宇田雨域作成に係る調査に際しては,原爆投下当時,山県郡安野村宇佐にいたとされる調査対象者から,「黒い色の小雨降る。」旨聴取されており,この結果等を踏まえ,宇田雨域においては,同地域は小雨域とされている。 作成に係る調査に際しては,原爆投下当時,山県郡安野村宇佐にいたとされる調査対象者から,「黒い色の小雨降る。」旨聴取されており,この結果等を踏まえ,宇田雨域においては,同地域は小雨域とされている。これに対し,昭和62年6月ないし8月頃に行われた増田の調査に際しては,原爆投下当時,「宇佐」にいたとされる調査対象者の多くが,大雨が降った旨回答したものと解され,これらの結果等を踏まえ,増田雨域において,「宇佐」は,大雨域とされている。 ⒝ 爆心地南西方向の地域についても同様の指摘が可能である。例えば,宇田雨域作成に係る調査では,爆心地南西方向にいたとする調査対象者らは,雨が降らなかった旨回答しているのに対し,増田の調査では,同一地域にいた調査対象者らは,小雨又は中雨が降った旨回答している。 c また,黒い雨の会の協力を得て行われているという増田雨域の作成経緯に照らせば,意識的にせよ無意識的にせよ,いわゆる「黒い雨」降雨地域を拡大する方向に偏った回答がされた可能性を否定すること はできない。 d この点については,増田の調査においても,特に「小雨域の周辺部の資料の数は極めて少ないので,今後の調査によって変更される可能性がある。」として,正確性について留保が付されている。 e したがって,このような調査の信用性には限界があるというべきであって,これに基づき被爆者援護法1条3号該当性を論じるのは相当でないといわざるを得ない。 増田雨域が科学的データと符合している旨の原告ら(承継人らを含む。)の主張に理由がないこと原告らは,増田雨域が静間ら報告及び藤原ら報告と符合しているなどとして,これをもって増田雨域の科学的信用性を高める事情として捉えて の原告ら(承継人らを含む。)の主張に理由がないこと原告らは,増田雨域が静間ら報告及び藤原ら報告と符合しているなどとして,これをもって増田雨域の科学的信用性を高める事情として捉えているようである。 しかしながら,次のとおり,静間ら報告及び藤原ら報告をもって,放射性降下物の検出時点と増田雨域とが符合しているということはできないし,また,前記各報告の対象範囲は増田雨域のごく一部に過ぎない。 したがって,前記各報告からは,必ずしも,増田雨域と符合する地域において放射性物質が検出されたなどとはいえないから,前記各報告をもって,増田雨域の正確性を推認することはできないというべきであり,原告ら(承継人らを含む。)の主張は理由がない。 a 静間ら報告におけるサンプル2,3,13,14及び16からはセシウム137が検出されていない。そして,前記サンプルは,いずれも増田雨域内で採取されたものである。 いわゆる「黒い雨」に必ず放射性降下物が含まれており,かつ,増田雨域が正しいとする原告ら(承継人らを含む。)の主張を前提にすれば,原爆投下の3日後に増田雨域内から採取された土壌からは,放射線核種が検出されて然るべきである。しかしながら,前記のとおり,原爆投下の3日後に増田雨域内で採取された土壌サンプルからも,セシウム137は検出されていないのである。 このように,静間ら報告が増田雨域と符合しているとは言い難く,静間ら報告によって,増田雨域の正確性が裏付けられたということはできないというべきである。 b 藤原ら報告については,原告が主張する等値線は増田が任意に記載 したもので,藤原ら報告の具体的な調査結果に基づくものではない上,「豪雨地 ことはできないというべきである。 b 藤原ら報告については,原告が主張する等値線は増田が任意に記載 したもので,藤原ら報告の具体的な調査結果に基づくものではない上,「豪雨地帯」内であり,かつ,増田雨域でも「大雨域」とされている地域内でも,自然バックグラウンド値以下の数値が検出されているなど,藤原ら報告を基に増田が作成した前記「等値線」と,増田雨域とが対応しているとする別件の民事裁判における増田の証言や,これに依拠し,「増田雨域とがよく一致する」などとする原告らの前記主張は誤りである。 そもそも,今中哲二「原爆直後の残留放射線調査に関する資料収集と分析」(以下「今中分析」という。)では,藤原ら報告に係る調査結果につき,「原爆由来の放射能によるものとは考えがたく,自然BGと測定のバラツキ変動と考えた方が無難であろう。」と指摘されているところである。したがって,藤原ら報告において観測されたとする残留放射能が,真に広島原爆放射線による放射能であるかについては疑義があるといわざるを得ず,その観測地点と増田雨域とが符合していたとしても,そのことから,必ずしも,増田雨域と放射性降下物が検出された地点とが符合していたとはいえない。そうである以上,藤原ら報告をもって,増田雨域の正確性を推認することはできないというべきである。 イ大瀧雨域に関する調査研究をもって,原告らの被爆者援護法1条3号の該当性を肯定する科学的根拠とすることはできないこと大瀧雨域は,主に平成20年に行われた郵送によるアンケート調査を基に作成されている。前記調査は,原爆投下後,60年以上も経過した後に行われている点で,増田雨域作成時の調査にも増して,回答者が正確な記憶に基づいて回答したか疑わしいといわざるを得 アンケート調査を基に作成されている。前記調査は,原爆投下後,60年以上も経過した後に行われている点で,増田雨域作成時の調査にも増して,回答者が正確な記憶に基づいて回答したか疑わしいといわざるを得ない。 この点については,前記アンケート踏査結果を分析した大瀧も,長い時間を経た時点で調査されるアンケート調査の結果については正確性に疑問があることや,様々な影響を受けることによって,実際には「黒い雨」を体験していなくても,体験した旨事実と異なる回答がされる危険性があることを認めている。 また,大瀧は,前記アンケート調査結果を解析するに当たり,「黒い雨」を体験した旨回答した者のみ解析対象としており,非体験者の回答は全く解析対象とされていない。かかる解析方法は,降ったか降らないかと いう点で考えれば,「黒い雨」体験率が100パーセントであることを前提にその統計を基にして解析をしているものであって,非体験者の地域別分布状況が全く考慮されていないことからすると,「黒い雨」降雨域を推測する方法としては適当とはいえないというべきであり,この点については,大瀧も,統計解析の理念からは,非体験者も含めた無作為抽出による回答に基づいて解析すべきであるとして,かかる統計手法に問題があることについて自認している。 実際,前記調査については,平成24年検討会におけるワーキンググループにおいて,その回答の正確性について検証が行われているところ,その結果は,「同じ地域において黒い雨の体験率が50%を超える地域は未指定地域(引用者注:被爆地域及び健康診断特例区域として指定されていない地域)においては一部に限られること,特に爆心地から20km以遠においてはデータ数が少ないこと,本人の60年以上前の記憶によっており,そ 引用者注:被爆地域及び健康診断特例区域として指定されていない地域)においては一部に限られること,特に爆心地から20km以遠においてはデータ数が少ないこと,本人の60年以上前の記憶によっており,その報告の正確性を本ワーキンググループで十分に明らかにできなかったことから,今回の調査データから黒い雨の降雨域を確定することは困難であると考えられた。」とされている。 ウまとめ以上述べたとおり,増田雨域及び大瀧雨域については,いずれもその正確性には合理的な疑いが残るというべきであるから,仮に,原告らが,原爆投下当時,いずれも原告ら(承継人らを含む。)の主張のとおりの地域にいたとしても,原告らが「黒い雨」を浴びたり,「黒い雨」を浴びた食物等を飲食した事実の存在があったとは認められないし,仮に「黒い雨」が降ったとしても,増田雨域及び大瀧雨域に係る調査研究から,「黒い雨」に身体に影響を与えるほどの高濃度の放射線微粒子が含まれていたことについて何ら明らかにされていないから,これらの調査研究から,被爆者援護法1条3号所定の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」者とは認められないというべきである。 ⑹ 原告らが依拠する大瀧ら論文は,原告らの被爆者援護法1条3号該当性を肯定する科学的根拠とすることはできないことア原告らが引用する大瀧ら論文は,専ら①於保論文,②広島大学原爆放射線医科学研究所の原爆被爆者コホートデータ(以下「ABS」という。)及び③原爆投下当日広島市内に入市した元陸軍船舶特別幹部候補生に対す るアンケート調査の結果について,独自に解析を行い,「広島原爆被爆者の急性症状発症状況や固形がん死亡の超過危険度は,初期放射線だけでは説明できず,残留放射能を含む放射性微粒子の曝露が大 るアンケート調査の結果について,独自に解析を行い,「広島原爆被爆者の急性症状発症状況や固形がん死亡の超過危険度は,初期放射線だけでは説明できず,残留放射能を含む放射性微粒子の曝露が大きく関与しているものと思われる。」旨報告するものであるが,次のとおり,前記各解析結果は,原爆投下当時,原告らがいたと主張する場所を対象とするものではなく,原告らに当てはまるものではない。 イまず,於保論文(前記①)は,原爆投下当時広島市内にいた被爆者及び原爆投下後3か月以内に広島市内に入市した非被爆者を対象に下痢や脱毛等の身体症状の発現の有無を,原爆投下から12年後である昭和32年1月から7月にかけて調査したものである。 もとよりこれらの身体症状は,原爆放射線に被曝したか否かにかかわらず発症し得るものであり,その全てが原爆放射線被曝による影響であるとまでは認め難い。加えて,本調査は,「入市をした人は危ない」等の話を様々な形で耳にしていた被爆者に,原爆投下12年後に,当時の症状を本人の記憶に基づいて調査した研究であることは,大瀧も認めるところであり,調査結果には非常に大きなバイアスがあるといわざるを得ない。 また仮に,前記対象者に一定程度原爆放射線被曝による影響が現れたという前提に立ったとしても,そのことから,そもそも原爆投下当時広島市内におらず,かつ,その後3か月以内に広島市内に入市したとの事情も認められない原告らに,同様の影響が及んだなどと推認できるものではない。この点については,大瀧も,於保論文の解析対象の条件が,厳密な数値的にいえば,原告らには当てはまらない旨認めているところである。 大瀧ら論文は,於保論文に更に独自の解析を加えたものであるが,その解析及びこれを基にした評価の当否を検討するまで の条件が,厳密な数値的にいえば,原告らには当てはまらない旨認めているところである。 大瀧ら論文は,於保論文に更に独自の解析を加えたものであるが,その解析及びこれを基にした評価の当否を検討するまでもなく,前記解析結果等から,原告らが「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」との事実を推認することはできないというべきである。 ウ次に,前記②については,ABSのうち爆心地から2km以内で被曝した者の固形癌死亡率と被爆地点との関係について解析されたものであり,原爆投下当時,爆心地から2km地点より外にいた者との関係については,何ら解析されていない。 また,前記解析の結果,「被爆距離が1.2~1.4kmでの初期放射線量(約700mSv前後)は,1.0~1.2kmでの初期放射線量 (約1.5Sv)の約50%程度であるが,SMR(引用者注:全日本を基準集団とした期待死亡数と観察死亡数を男女別年齢階級別に求めた比。 標準化死亡比〔甲A第54号証825ページ〕。)の値は男女ともほぼすべての被爆時年齢階層において被爆距離2.0km近傍での水準にまで急激に低下している。」とされている。大瀧ら論文図4によれば,ここでいう「被爆距離2.0km近傍での水準」とは,SMRがおおむね「1.0」である水準であり,これは,爆心地から1.2km以遠で被爆した被爆者の固形がん死亡数は,おおむね期待死亡数と変わらなかったことを意味する。実際,大瀧ら論文においても,「この現象は,見方を変えるとSMRの値は被爆時年齢が若い場合を中心に爆心地の1.2km以内の近傍領域で特異的に高値となっているという解釈もできる。」と評価されている。 さらに,大瀧は,ABSデータの解析方法について,その前提となるデータ自体が各デー 中心に爆心地の1.2km以内の近傍領域で特異的に高値となっているという解釈もできる。」と評価されている。 さらに,大瀧は,ABSデータの解析方法について,その前提となるデータ自体が各データを寄せ集めた総合データを解析したものにとどまることについて,かかる解析方法によって得られる結果の正確性には問題があること自体を認めている。 それゆえ,大瀧ら論文における前記解析及びこれを基にした評価の当否を検討するまでもなく,少なくとも,前記解析結果等から,原爆投下当時,原告らについて,「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」との事実を推認することはできないというべきである。 エ次に,前記③については,飽くまで,原爆投下当日,広島市内に入市した元陸軍船舶特別幹部候補生に対し,「急性症状」に係るアンケート調査を行った結果を解析したものとされている(ただし,アンケート調査の具体的内容や,その結果及び前記「急性症状」の内容は,大瀧ら論文には何ら示されておらず,詳細な検討ないし放射線影響に係る正確な医学的評価は不可能である。)のであって,仮に,前記調査対象者に原爆放射線による何らかの影響が認められたとしても,原爆投下当日,広島市内に入市したとは認められない原告らについて,同様の影響が及んだなどとは推認できない。 それゆえ,大瀧ら論文における前記解析及びこれを基にした評価の当否を検討するまでもなく,前記解析結果等から,原告らが「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」との事実を推認することはできないというべきである。 オ加えて,大瀧は,原告らの被爆の原因は,放射性微粒子による内部被曝であって,外部被曝であることは考えられないとしながら,内部被曝し を推認することはできないというべきである。 オ加えて,大瀧は,原告らの被爆の原因は,放射性微粒子による内部被曝であって,外部被曝であることは考えられないとしながら,内部被曝した放射線の線量を測ることは不可能であるとし,また,内部被曝についての定量的な知見はない旨述べている。同時に,自身の内部被曝に関する考え方が国際的なコンセンサスとは異なることを認めている。かかる供述からすると,「黒い雨」が原因で原告らが内部被曝した事実の存在に係る蓋然性についても全く明らかになっていないし,そもそも内部被曝に関する定量的知見がない以上,仮に原告らが原爆投下当時いた場所に「黒い雨」が降っていたとしても,それが原因で内部被曝した可能性を裏付ける科学的知見(科学的根拠)自体がないことになるから,大瀧の供述によっても,科学的根拠に基づき,「黒い雨」が原因で原告らが内部被曝した可能性ですら認めることができないというべきである。また,大瀧の述べる内部被曝の危険性については,国際的なコンセンサスとは異なる独自の見解であり,原告らのリスクを推定する上で合理的な知見でないことは明らかである。 カ以上のとおりであるから,大瀧ら論文における前記各解析結果等から,原告らが「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」との事実を推認することはできないというべきであり,結局,大瀧ら論文は原告らの被爆者援護法1条3号該当性を肯定する科学的根拠とはならないというべきである。 ⑺ P意見書をもって,原告ら被爆者援護法1条3項該当性を肯定する科学的根拠とすることもできないことア原告らは,増田雨域や大瀧雨域が正確であることを前提として,P意見書に基づき,原告らが放射性降下物を含む「黒い雨」を浴びたことにより,放射能の影 する科学的根拠とすることもできないことア原告らは,増田雨域や大瀧雨域が正確であることを前提として,P意見書に基づき,原告らが放射性降下物を含む「黒い雨」を浴びたことにより,放射能の影響を受ける環境にあったなどとるる主張する。 イしかしながら,増田雨域や大瀧雨域の正確性には問題があり,これらが原告らの被爆者援護法1条3号該当性を肯定する科学的根拠とはならない。 ウまた,P意見書は,「黒い雨」を降らせた雲の広がりや流れ方,「黒い雨」に放射性降下物が含まれることについて,一般的な機序を述べたものにすぎない上,当時の広島市の気象条件等に基づいて具体的にシミュレーションをしたり,計算ソフトを用いて雲の広がりを計算するなどしておら ず,また,原子雲と元々あった雲との識別方法も具体性に欠け判然としておらず,原爆投下当時の雲の広がりをいうものとしては,科学的根拠は薄弱であって,単なる仮説にとどまるというべきである。 エさらに,Pは,「黒い雨」降雨域の中でもセシウム137などの残留放射線が検出されていないことについて,昭和20年9月発生の枕崎台風による雨や洪水の影響で洗い流されたことが原因である旨述べるが,その一方で,放射性セシウムがしっかり土にしみついてしまう部分があるとも供述しており,なぜこれまでの各種調査において,原告らの居住区域内において残留放射線が検出されていないのかについて全く合理的な理由を述べていない。そもそもPの述べるとおり,「黒い雨」に放射性降下物が含まれているとするならば,いまだ枕崎台風が到来する前に採取された土壌からは放射性降下物が検出されるはずであるが,原爆投下後3日前に採取された爆心地から5km以内の土壌を調査した静間ら報告によれば,「黒い雨」が降ったとされる増田雨域の多く 到来する前に採取された土壌からは放射性降下物が検出されるはずであるが,原爆投下後3日前に採取された爆心地から5km以内の土壌を調査した静間ら報告によれば,「黒い雨」が降ったとされる増田雨域の多くの箇所(サンプル2,3,13,14及び16)からセシウム137は検出されていない。このことからも,「黒い雨」降雨域の中でセシウム137などの残留放射線が検出されていない理由について,昭和20年9月発生の枕崎台風による雨や洪水の影響で洗い流されたことが原因であるとするPの供述は,「静間ら報告」と矛盾しており,信用することはできない。 オ加えて,Pは,放射性微粒子が一粒でも含まれていれば,内部被曝のおそれがあるなどしているが,日常生活においても,1人当たり年間約2. 1mSvの自然放射線に被曝しており,また,CT検査を1回受けると約10mSvの放射線に被曝するものとされており,これらによる健康被害が発生するとはされていないというのが確立した科学的知見であるといえる。さらに,Pは,自身の内部被曝に関する見解について,国際的コンセンサスと異なる独自の見解に過ぎないことを自認している。Pの供述は,原爆による健康影響について,被爆した放射線量を全く考慮しておらず,日常生活における自然放射線や人工放射線による健康被害を肯定するものであるとともに,内部被曝についても国際的コンセンサスを得られていないP独自の見解を述べたものにすぎず,およそ科学的根拠となり得るものではない。 カ P意見書は,そもそもPの経歴,専門分野,知識及び研究手法等からし て,その信用性は乏しい上,その内容についても,確立した科学的知見とかけ離れ,他の研究者による検証や議論もされていない独自の見解によるものであるから,P意見書をもって,原告らが「身体に原子爆弾の て,その信用性は乏しい上,その内容についても,確立した科学的知見とかけ離れ,他の研究者による検証や議論もされていない独自の見解によるものであるから,P意見書をもって,原告らが「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」との事実を推認することはできず,P意見書は原告らの被爆者援護法1条3号該当性を肯定する科学的根拠とはならないというべきである。 ⑻ 402号通達について402号通達による特例措置とは,第一種健康診断特例区域は,原爆投下当時,当該区域内に所在した者に原爆放射線による健康被害が生じたことについて,必ずしも十分な科学的合理性があるとまでは認められない地域であるものの,各種調査及び検討結果を踏まえ,被爆者援護の観点から,行政実務上,原爆投下当時,同区域内に所在した者で,かつ,現実に特定の疾病に罹患した者については,「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」ものとして,3号被爆者として取り扱うこととしたものである。 広島における第一種健康診断特例区域の指定の範囲が不合理といえないことは,後記6【被告らの主張】で主張するとおりである。また,現実に特定の疾病に罹患したことをもって被爆者と取り扱うこととした点についてみると,前記特定の疾病とは造血機能障害等の11障害を伴う疾病をいうものであるところ,これらの障害は,被爆者援護法上の被爆者に健康管理手当(被爆者援護法27条)が支給されることとなる11障害(被爆者援護法施行規則51条)と同じものである。これらの障害は,被爆者援護法27条1項において「厚生労働省令で定める障害を伴う病気(原子爆弾の放射能の影響によるものでないことが明らかであるものを除く)にかかっているものに対し,健康管理手当を支給する。」と規定されていることから 1項において「厚生労働省令で定める障害を伴う病気(原子爆弾の放射能の影響によるものでないことが明らかであるものを除く)にかかっているものに対し,健康管理手当を支給する。」と規定されていることからも明らかなとおり,現在の科学的知見において,いずれも原爆の放射能の影響によるものである可能性を直ちには否定できない障害を伴う疾病といえる。そこで,第一種健康診断特例区域に所在した者のうち,現実に当該疾病に罹患した者については,飽くまでも被爆者援護の観点から,「被爆者」として取り扱うことにより,健康管理手当(被爆者援護法27条)等の支給が認められるよう,行政実務上の特例措置を設けたものにすぎない。 4 原告らは,被爆者援護法1条3号にいう「原子爆弾が投下された際又はその 後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当するか(各論)【原告ら(承継人らを含む。)の主張】原告らは,いずれも原爆投下当時,大瀧雨域又は増田雨域に含まれる地域に居住していた者であり,これらの地域には,放射性微粒子を含む「黒い雨」が降り注ぎ,放射性微粒子が地上に落下して,地上に積もったり,川水や井戸水に紛れ込んだりした。そのため,これらの地域で生活していた原告らは,川水,井戸水に混入したり,野菜に付着したりした放射性微粒子を摂取し,また,呼吸を通じて空気中に滞留している放射性微粒子を体内に吸引することにより,放射性微粒子を体内に取り込んで内部被曝をしたのであり,現に健康管理手当の対象となる11種類の障害を伴う疾病に罹患している又はしていたから,身体に放射能の影響を受けたことを否定できない事情が存する,すなわち,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情 11種類の障害を伴う疾病に罹患している又はしていたから,身体に放射能の影響を受けたことを否定できない事情が存する,すなわち,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当することは明らかである。 以下,原告個別の主張を記載している項においては,各項の見出しに記載した原告のことを指して,単に「原告」という。 ⑴ 砂谷村で被爆した原告らについてア砂谷村について砂谷村は,宇田雨域外となっているが,これは宇田らの調査の中で,住民1名が「雨は降っていない。紙片などがたくさん落ちてきた。」と供述したことに基づいていると思われるが,たった1名の供述で砂谷村全域に「黒い雨」が降らなかったとすることは不当である。 昭和46年11月6日に広島市が刊行した「広島原爆戦災誌第四巻」第二偏第五章第十一項「佐伯郡湯来町」(甲A75・753~757頁)には,当時の砂谷村に関して,「六日の朝,突然,一大音響が聴こえてきた。砂谷地区からは,山合いの関係で視野がきかず,炸裂のキノコ雲は見えなかったが,村民らは,火薬庫の大爆発か,よほど大きな砲撃かと感じた。わずかに雨がふってきた。」(同754頁)との記載があること,増田の調査では,砂谷村の全域で雨が降ったとの結果が得られており,砂谷村全域が大瀧雨域及び増田雨域に入っていること,そして,次の原告らの供述等から,砂谷村全域に「黒い雨」によって放射性微粒子が降下したことは明らかである。 イ原告番号市22原告は,昭和9年○月○日生まれであり,原爆投下当時,11歳で,a国民学校5年生であった。 原告は,原爆投下当日,自宅にいたところ,ゴロゴロと雷が鳴り始め,空がだんだん暗くなり,叩きつけるような大粒 和9年○月○日生まれであり,原爆投下当時,11歳で,a国民学校5年生であった。 原告は,原爆投下当日,自宅にいたところ,ゴロゴロと雷が鳴り始め,空がだんだん暗くなり,叩きつけるような大粒の灰色の雨が降ってきた。 原告は,母から言われ,田の草取りに来ていた近所の女性2人に蓑傘を持って行く際に,大雨で全身ずぶぬれになった。雨がやんだ後,空から,本や新聞が半分くらい焼け焦げたものなどがヒラヒラと飛んできたのを拾って見たり読んだりしていた。また,原告は,当時,横穴に通した鉄管から山水を取って飲んだり,野菜中心の食事をしていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆の後,6か月以内に,貧血で度々めまいがするようになる,歯肉が腫れて膿む,下痢をするということがあった。また,原告は,昭和44年には子宮頸がん,唾液腺の手術を受け,平成18年からは糖尿病を,平成26年には白内障,骨粗鬆症,脳梗塞等を患っていた。原告は,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害(2型糖尿病),循環器機能障害(高血圧性心疾患,慢性虚血性心疾患),運動器機能障害(両変形性膝関節症,変形性脊椎症,骨粗鬆症)を患っていたが,令和元年○月○日に死亡した。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ウ原告番号市25原告は,昭和17年○月○日生まれであり,原爆投下当時,2歳10か月であった。 原告は,原爆投下当日,音がした後,空から焼け焦げたような紙がいっぱい数え切れないくら ウ原告番号市25原告は,昭和17年○月○日生まれであり,原爆投下当時,2歳10か月であった。 原告は,原爆投下当日,音がした後,空から焼け焦げたような紙がいっぱい数え切れないくらい降ってきたこと,それを見た原告が「ヘビが降る」と言っていたこと,その後自宅敷地内の防空壕に逃げたことを直接見て記憶している。原告は,祖母や母からも当時の状況について聞いており,「黒い雨」については,祖母から,「雨が降ってきて外に洗濯物が干してあって,それに染みがついた」,「黒い染みがついた」と聞いている。ま た,原告は,当時,井戸から地下水を手押しのポンプで汲んで飲み,畑で採れたきゅうり,なすなどを食べていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,子供の頃は貧血や胃の調子が悪く,大人になってからは,胃潰瘍で吐血し2か月間X病院に入院し,また,変形性膝関節症のため,Y病院で,平成23年に右膝,平成24年に左膝に人工関節の置換え手術を受け,同年3月に,身体障害者手帳の3級を取得した。前記疾病のうち,原告が診断書を提出しているものは,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害(両変形性膝関節症)である。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 エ原告番号市27原告は,昭和10年○月○日生まれであり,原爆投下当時,10歳で,a国民学校b分校4年生であった。 原告は,原爆投下当日,学校にいたところ,しばらくすると,黒いキノコ雲がぐわぐわと 原告は,昭和10年○月○日生まれであり,原爆投下当時,10歳で,a国民学校b分校4年生であった。 原告は,原爆投下当日,学校にいたところ,しばらくすると,黒いキノコ雲がぐわぐわと空高く上ってきて,また少しすると,空から焼けた寺の経本など色々な物が降ってきた。原告は,先生から帰宅するよう指示され,友達5人くらいと一緒に帰宅途中,辺りが暗くなり,「黒い雨」が降りだしてびしょ濡れになり,原告の隣の家の人は,「外に白い洗濯物を干していたら真っ黒になった。」と言っていた。原告一家は,当時,家の北側の谷から湧いてくる川水を飲み,自宅で作った野菜を食べたりしていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引することによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,平成26年に脳梗塞を患い,以降血圧の薬と血流を良くする薬を出してもらっている。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる循環器機能障害(高血圧性心疾患)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の 影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 オ原告番号市28原告は,昭和13年○月○日生まれであり,原爆投下当時,7歳で,a国民学校2年生であった。 原告は,原爆投下当日,学校からの帰宅途中,真っ黒な雲が広島市の方から上がってきて,雨が降り出し,途中から大雨になり,ずぶ濡れになった。その後,雨が止んでから,紙の焼けたものが飛んできたが,原告は,紙の中には広島市内の横川町や小網町のものがあったと聞いている。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,また,当時の生活状 濡れになった。その後,雨が止んでから,紙の焼けたものが飛んできたが,原告は,紙の中には広島市内の横川町や小網町のものがあったと聞いている。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,また,当時の生活状況からすれば,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に目が悪くなった。また,原告は,二十三,四歳頃から不整脈と貧血を患い,平成28年には,癌が膵臓,胆管,胃,十二指腸に転移していることが分かり,摘出手術を受けていた。原告は,健康管理手当の支給対象となる細胞増殖機能障害(膵癌)を患っていたが,平成30年○月○日に死亡した。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 カ原告番号市35原告は,昭和13年○月○日生まれであり,原爆投下当時,7歳で,a国民学校の1年生であった。 原告は,原爆投下当日,学校から疎開先の家に一人で帰る途中,新聞や鳥の羽などの燃えかすのようなものがたくさん落ちてきて,その後,雨が降り出し,家に帰ってみると白いシャツが黒く汚れていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,また,当時の生活状況からすれば,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,30歳の頃,白血球の数値が異常に上がるということがあり,10年程度前からは高血圧が続いている上,健康管理手当の支給対象となる水晶体混濁による視機能障害(白内障術後)を れていた。 加えて,原告は,30歳の頃,白血球の数値が異常に上がるということがあり,10年程度前からは高血圧が続いている上,健康管理手当の支給対象となる水晶体混濁による視機能障害(白内障術後)を患ってい た。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 キ原告番号市44原告は,昭和10年○月○日生まれであり,原爆投下当時,9歳で,a国民学校4年生であった。 原告は,同日,学校から下校する途中,雨が降り出し,葛原郷の客人神社の辺りに来たときには大雨でびしょ濡れになった。その後,紙の焼け焦げた切れ端などがたくさん飛んで落ちてきたので,面白がってみんなで拾って集めたり,蹴って散らしたりして遊んだりしたが,雨は帰宅しても降り続けた。原告の祖父が,客人神社の側で笹刈りをしていて,「黒い雨」がヌルついて鎌で手を切るということがあった。原告一家は,当時,山の谷の水を飲料水に使い,また,農家であったので,自宅の畑で取れた野菜なども食べていた。さらに,原告は,吉島の家の様子や父の友人の様子を見に行くために,同月8月14日から15日頃に父と二人で知人に会いに行き,入市した。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,鼻血がよく出る,髪の毛を手で掻き上げたら抜ける,目やにがよく出て目が開かないといった症状が出た。また,原告は,昭和40年頃には甲状腺機能低下症と診断され,昭和46年頃には白内障となり,平成12年に脊柱管狭窄症で手術をし,平成18 げたら抜ける,目やにがよく出て目が開かないといった症状が出た。また,原告は,昭和40年頃には甲状腺機能低下症と診断され,昭和46年頃には白内障となり,平成12年に脊柱管狭窄症で手術をし,平成18年頃には高血圧を,平成21年には緑内障を患い,平成28年には右股関節に人工関節を入れる手術をした。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害(変形性股関節症,変形性腰椎症,変形性頚椎症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ク原告番号市46原告は,昭和5年○月○日生まれであり,原爆投下当時,14歳で,その年の3月にa国民学校を卒業し,家の農業の手伝いをしていた。 原告は,原爆投下当日,砂谷村伏谷の川角の交差点にあるバス停辺りにいたところ,突然,ピカッと光り,しばらくして,黒い雲が広島市方面から出てきて雨がひどく降り出した。雨が降り出した後に,新聞紙などの色々な紙切れがちぎれたり焦げたりして雨と一緒に降ってきた。原告は,ひどく濡れたので,皆で一度自宅に帰って着替えたが,自宅に帰るのまでの30分くらいの間,雨が降り続いていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,また,当時の生活状況からすれば,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,よく下痢と貧血に悩まされるようになった。また,原告は,20年以上前から高血圧,10年以上前からは血小板の数値が高いといった状態であり,前立腺の手術や,大腸のポリープを切除する手術を受けたりし,3 よく下痢と貧血に悩まされるようになった。また,原告は,20年以上前から高血圧,10年以上前からは血小板の数値が高いといった状態であり,前立腺の手術や,大腸のポリープを切除する手術を受けたりし,3,4年ほど前には,脳梗塞になる前の症状で救急車で運ばれたこともあった。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる循環器機能障害(高血圧性心疾患)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑵ 水内村で被爆した原告らについてア水内村について宇田らの調査によって,水内村久日市の住民1名から「黒い小雨がパラパラ降り,油かと思った。30―60分降った。50銭札の束などが飛んできた。」という供述が得られており,この供述等を基に,当時の水内村の爆心地よりの一部地域が宇田強雨域,その外縁が宇田小雨域,そしてそのさらに外縁が宇田雨域外となっている。しかし,宇田らの原爆被害調査は,時間的・物理的制約のある中で行われたものであり,とりわけ水内村のような山間部の調査は手薄なものにならざるを得なかったと解され,宇田雨域は,「黒い雨」降雨域の全域を確定するものではありえない。 むしろ,「広島原爆戦災誌第四巻」第二編第五章第十一項「佐伯郡湯来町」(甲A75・753~757頁)には,当時の水内村について,「水内村役場付近では,稲妻のような光と共に大音響がきこえ,役場の窓ガラス なども軽震程度の音をたてた。・・・爆発後,数分たって東北方面,祇園町方面の空かと思われる山頂から入道雲のような雲がムクムクとのぼり,次第に空一面をおおい,大粒の雨がパラパラと降って来た。十時から十一時ごろにかけて,広島通信局の文書らしいものが,夕やみのようにうす暗くな 空かと思われる山頂から入道雲のような雲がムクムクとのぼり,次第に空一面をおおい,大粒の雨がパラパラと降って来た。十時から十一時ごろにかけて,広島通信局の文書らしいものが,夕やみのようにうす暗くなった空から,黒焦げになってたくさん飛んで来た。」(同754〜755頁)などと記載されており,大粒の雨が降ったり,飛散物が飛んできたりした旨の記載があること,増田の調査では水内村の全域で雨が降ったとの結果が得られていること,大瀧雨域にも入っていること,原告らの供述から,水内村全域に「黒い雨」が降り放射性微粒子が降下したことは明らかである。 イ原告番号市6原告は,昭和19年○月○日生まれであり,原爆投下当時,生後11か月であった。被爆状況等については,原告が後日母から聞いた内容に基づくものである。 原告は,原爆投下当日,親戚の家から母に背負われて帰宅していたところ,その途中,原告の母が水内村大字和田の水内大橋を渡った付近で,突然水内川の山の後ろが雷のように光り,大きな音が轟き,やがて上空より焼けた紙切れや様々な物が降ってきた。しばらくすると,急に空が雲で暗くなり,黒い油が混ざったような雨が激しく降った。原告の母は,濡れながら大急ぎで原告を背負って家に帰った。原告の家族は農業をしており,田や畑で採れた米や野菜を食べていた。また,生活用水は家の傍の裏山の湧き水を家まで引いて貯めたものを使っていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,病気がちな虚弱体質となり,貧血もあった。また,原告は,成人後も十二指腸潰 よって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,病気がちな虚弱体質となり,貧血もあった。また,原告は,成人後も十二指腸潰瘍を患うなど胃腸が弱く,平成18年には,C型肝炎の肝臓癌が発覚して手術をし,令和元年には前立腺癌で手術をした。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害(変形性腰椎症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の 影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ウ原告番号市7原告は,昭和20年○月○日生まれであり,原爆投下当時,生後4か月であった。原告は,当時の記憶がなく,被爆状況等は平成17年頃に母から聞いた内容に基づくものである。 原告の母は,原爆投下当日,原告を背負い,自宅近くの祖父の実家から自宅へ帰る途中,長登路橋(水内村大字和田字向吉)付近にいた際に雨が降ってきて,濡れながら急いで家に帰った。また,原告一家は,飲料水,生活用水は,一帯が宇田強雨域に含まれる恵下谷の水を利用していた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,小学校入学までは,ひどく痩せており,歯が抜けやすく,また,平成23年には白内障の手術を受けている。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害(変形性腰椎症)に罹患している。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 エ原告番号市8 となる運動器機能障害(変形性腰椎症)に罹患している。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 エ原告番号市8原告は,昭和20年○月○日生まれであり,原爆投下当時,5か月であった。原告は,当時の記憶がなく,被爆状況については,平成24年頃に,姉(原爆投下当時12歳)や伯父から聞いた内容に基づくものである。 原告の母は,同日,原告を背負い近くの田圃で農作業をしていたところ,雨が降り出したので,ずぶぬれになりながら真っ黒な顔をして帰宅した。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,また,当時の生活状況からすれば,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,後頭部におできができて切開手術をし,65歳のときに右目の,68歳のときに左目の白内障の手術をし た。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる造血機能障害(多発性骨髄腫)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 オ原告番号市9原告は,昭和19年○月○日生まれであり,原爆投下当時,1歳4か月であった。 原告は,原爆投下当日,家の前を掃除していた母に背負われていたところ,「黒い雨」が降ってきて,母とともに濡れた。食べ物については,原告の両親が作っていた米や野菜を食べ,水については,山の湧き水を引いてきて,飲料水などに使っていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取した いては,原告の両親が作っていた米や野菜を食べ,水については,山の湧き水を引いてきて,飲料水などに使っていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,平成26年に前立腺癌の手術をし,脳幹病変で入院治療を受けた外,腰痛(脊椎変形),首痛(頚椎変形)の症状がある。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる細胞増殖機能障害(前立腺癌)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 カ原告番号市17原告は,昭和16年○月○日生まれであり,原爆投下当時,4歳であった。 原告は,原爆投下当日,母と一緒に自宅の隣の畑にいたとき,閃光と大きい黒い雲が上がっていた。雨が降り出したため,母は原告に雨が降っているから家に入ろうと言って原告の手を引き,家に帰った。自宅や近隣の家は,源泉を引き,冷泉の水を飲んだり,生活水として利用していた。 このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,平成21年に高血圧,平成23年 には左眼緑内障,平成27年に左眼白内障の治療を受けた。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる循環器機能障害(高血圧性心疾患)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の 眼緑内障,平成27年に左眼白内障の治療を受けた。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる循環器機能障害(高血圧性心疾患)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 キ原告番号市24原告は,昭和11年○月○日生まれであり,現場高等科当時当時,9歳で,c国民学校3年生であった。 原告は,原爆投下当日,c国民学校から帰宅し,友人4,5人と水内川の方に遊びに行ったところ,「黒い雨」が降り始めたので,皆帰宅した。原告は,新聞紙などの紙切れが空から降ってきたので,友人とそれを拾った。食べ物については,原告の家族の畑,田があり,野菜,米を作っていたので,原告はそれを食べていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,糖尿病を患い,週3回の人工透析が必要な上,右半身が麻痺し寝たきりの状態になった。原告は,健康管理手当の支給対象となる脳血管障害(脳出血),腎臓機能障害(慢性腎不全)を患っていたが,平成28年○月○日,死亡した。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ク原告番号市26原告は,昭和15年○月○日生まれであり,原爆投下当時,5歳であった。 原告は,原爆投下当日,自宅前で麦の出荷作業を手伝っていたところ,塵や灰のような黒い物,茶色や黒に焼けた新聞紙や雑誌の破片などが舞い落ちてきた。そのうち,空が真っ暗になり雨が降り始 歳であった。 原告は,原爆投下当日,自宅前で麦の出荷作業を手伝っていたところ,塵や灰のような黒い物,茶色や黒に焼けた新聞紙や雑誌の破片などが舞い落ちてきた。そのうち,空が真っ暗になり雨が降り始めた。当時,原告の家に井戸はなく,料理や洗濯などの水もお茶も,沢の水を使っていた。また,原告は,黒い雨を浴びた野菜を食べていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放 射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,よく鼻血が出て,なかなか止まらなくなった。また,原告は,平成14年には左眼,平成15年には右眼の白内障手術をし,現在も白内障と緑内障の治療のため眼科に通院している。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる水晶体混濁による視機能障害(両眼白内障),運動器機能障害(変形性腰椎症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ケ原告番号市38原告は,昭和14年○月○日生まれであり,原爆投下当時,5歳であった。 原告は,原爆投下当日,当時の水内村郵便局の前で遊んでいたところ,黒焦げた畳の破片,新聞紙,紙くず,鉛筆,ペンなどが落ちてきた。その後,「黒い雨」が降り始めたが,原告は,この雨により着ている服などが黒くなることから,家の中に走り込んだ。食べ物については,原告の母が雑貨屋をしており,客が代金の代わりに米や野菜を置いていくことが多かったので,それを食べることが多かった。近所の人たちが自分で作っていた野菜や米であった。飲料水については,付近 ついては,原告の母が雑貨屋をしており,客が代金の代わりに米や野菜を置いていくことが多かったので,それを食べることが多かった。近所の人たちが自分で作っていた野菜や米であった。飲料水については,付近の山から引いていた水を分けてもらい,飲んでいた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 原告は,「黒い雨」被爆後,ここ数年において,心房細動の手術を受け,高血圧で服薬を続けている。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる循環器機能障害(高血圧性心疾患)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 コ原告番号市39原告は,昭和9年○月○日生まれであり,原爆投下当時,11歳で,c国民学校5年生であった。 原告は,原爆投下当日,学校の運動場にいたところ,物が空から降って きたことから,それらを拾った。その後,原告は,恵下谷入口を通って下校しているとき,雨が降り始め,暑かったので,口を大きく開けて雨を飲むなどした。食べ物については,祖父母が作った米や野菜を食べ,水については近くの山から引いてきた水を使っていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,鼻血がよく出るようになり,頭痛の日が多くなった。また,原告は,約20年前からは耳鳴り,約10 けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,鼻血がよく出るようになり,頭痛の日が多くなった。また,原告は,約20年前からは耳鳴り,約10年前から高脂血症,約5年前から白内障にかかり,約1年前からは糖尿病,高血圧の症状もある。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害(2型糖尿病)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 サ原告番号市41原告は,昭和20年○月○日生まれであり,原爆投下当時,生後6か月であった。原告は,当時の記憶がなく,被爆状況については,後日,母や親戚から聞いた内容に基づくものである。 原告は,原爆投下当日,疎開先の母の実家で寝かされ,原告の母は,原告の子守をしながら家事をしており,そのとき,空がピカーと光り,ドーンと音がして,やがて空が暗くなり,空から紙の焼けたものなどが落ちてきて,「黒い雨」が降った。食べ物については,原告は,水内村で採れた米や野菜,近くの川で取れた魚を食べていた。水については,山から引いてきたり,井戸から汲んだりしたものを飲んでいた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,小学生の頃によく発熱し,42歳の頃にメニエル症候群を患い,64歳の時には両眼について白内障の手術をし,平成24年からは大腸のポリープを2回切除した。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害(変形性脊椎症)を患っている。 候群を患い,64歳の時には両眼について白内障の手術をし,平成24年からは大腸のポリープを2回切除した。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害(変形性脊椎症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 シ原告番号市45原告は,昭和9年○月○日生まれであり,原爆投下当時,11歳で,c国民学校5年生であった。 原告は,原爆投下当日,c国民学校から下校中,雲が上がってきて周囲が暗くなり雨が降り出し,濡れながら帰った。雨が止んだ後,原告は,外で遊ぼうと思い外に出ると,紙切れの焼けたものなどが飛んできたため,それらを拾ったりして遊んだ。原告は,当時,山から谷の水を引いて飲料水や生活用水として使い,また,自宅近くで作られた野菜なども食べていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,腹痛があり,下痢になった。また,原告は,約30年前に盲腸の手術を受け,現在も風邪をひきやすい状態が続いている。原告は,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害(変形性腰椎症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ス原告番号市51原告は,昭和3年○月○日生まれであり,原爆投下当時,16歳であった。 原告は,原爆投下当日,畳を外に出して家の中を大掃除していたところ,突然ピカーと光りドーンと大きな 原告番号市51原告は,昭和3年○月○日生まれであり,原爆投下当時,16歳であった。 原告は,原爆投下当日,畳を外に出して家の中を大掃除していたところ,突然ピカーと光りドーンと大きな音がし,そのうち,夕立のようにザーツと雨が降り始めたので,原告は,干している畳を濡れながら全部家の中に入れた。また,紙の焼けたものなどが落ちてきたが,飲料水,生活用水は川の水を利用しており,原爆投下以降も,利用し続けていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,昭和53年頃から,高血圧となり,平成8年には,胃癌になり3分の2を切除し,平成20年頃には,心臓疾患,不整脈,脳梗塞を患った。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害(糖尿病),循環器機能障害(高血圧性心疾患,慢性虚血性心疾患)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑶ 上水内村で被爆した原告らについてア上水内村について当時の上水内村は,宇田雨域外となっている。これは,宇田らの調査の中で,上水内村の住民1名から「太陽光線を鏡で反射したように感じ,7~8分?後爆風来。」という供述が得られたからと推察されるが,たった1名の供述で上水内村全域を「黒い雨」降雨域外とすることは不当である。 むしろ,「広島原爆戦災誌第四巻」第二編第五章第十一項「佐伯郡湯来町」(甲A75・753~757頁)には,当時の上水内村に関して,「上水内村では,・・・爆発音と 雨域外とすることは不当である。 むしろ,「広島原爆戦災誌第四巻」第二編第五章第十一項「佐伯郡湯来町」(甲A75・753~757頁)には,当時の上水内村に関して,「上水内村では,・・・爆発音と共に黒煙が東の空の方向の上空に立ち昇り,たちまちにして日蝕のように太陽も見えず,薄暗やみとなった。 正午前後,東方上空から薄暗やみの中を,小風に乗じて通信済みの郵便葉書,商店の伝票,その他広島市内からの紙片が,多数飛来した。」(同755頁)との記載があり,水平に広がる原子雲が上水内村まで到達し,紙片等の飛来物も確認されていること,増田の調査では上水内村の全域で雨が降ったとの結果が得られており,上水内村全域が増田雨域に入っていること,大瀧雨域にも入っていること,次のとおりの原告らの供述から,上水内村全域に「黒い雨」によって放射性微粒子が降下したことは明らかである。 イ原告番号市1原告は,昭和13年○月○日生まれであり,原爆投下当時,7歳で,d国民学校e分校1年生であった。 原告は,原爆投下当日,学校で朝礼を受けていたところ,強烈な光と強い爆音があった。そして,下校途中,空が暗くなり,たくさんの焼け焦げた物が降ってきて,その後,小雨程度の「黒い雨」が降り,原告は雨に濡れて帰宅した。原告は,帰宅後,飛来物が気になって,一人で黒 谷の方へ向かい,小原,松根油工場,石ヶ谷の方を通ってびしょ濡れになって家に帰った。また,原告は,毎日の飲料水,生活用水は,谷の水を使っていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された川水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月 染された川水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,たびたび下痢,発熱,歯茎からの出血,脱毛,貧血によるめまいなどの症状が出た。また,原告は,高校2年生の頃までは,貧血と鼻血の症状が続き,平成元年,胃癌と診断され,平成27年に白内障になった。原告は,現在,健康管理手当の対象となる細胞増殖機能障害(右尿管癌),腎臓機能障害(慢性腎臓病),水晶体混濁による視機能障害(白内障),運動器機能障害(脊柱管狭窄症)を患っていた。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ウ原告番号市19原告は,昭和10年○月○日生まれであり,原爆投下当時,9歳で,d国民学校e分校4年生であった。 原告は,原爆投下当日,学校で教師の話を聞いていたところ,鋭い閃光と大きな音がし,広島市方向の山の上から空が暗くなり,キノコ雲を見た。原告は,一旦,自宅に帰り,自宅から外に出て家の周りで遊んでいたところ,空から焼け焦げた新聞紙や布などが飛んできたので,他の人と拾ってみた。そのうち,「黒い雨」が降ってきた。原告宅では,川の水が飲用水・生活用水であり,毎日,川の水を飲んで生活していた。 このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された川水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,60歳頃から手が震えて字がうまく書けなくなり,また,現在は胃潰瘍を患い治療中である。原告は,現在,健康管理手当の 受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,60歳頃から手が震えて字がうまく書けなくなり,また,現在は胃潰瘍を患い治療中である。原告は,現在,健康管理手当の対象となる内分泌腺機能障害(2型糖尿病)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 エ原告番号市47原告は,昭和12年○月○日生まれであり,原爆投下当時,7歳で,f国民学校1年生であった。 原告は,原爆投下当日,自宅から少し上がった近くの山の中の広場で,子ども約10人が集まり,遊んでいたところ,閃光を見た。そして,しばらくして,周囲が暗くなり,大雨が降り始めた。雨が止んだ後,子どもらの顔に黒い線(スジ)が付いていた。また,焼けた新聞や紙などがヒラヒラと飛んできたので拾い集めたりした。原告は,当時は,川の水を毎日甕に溜めて飲んだり,生活用水として使用していた。 このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された川水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,頭痛や足が火照ってくすぐったい状態が続いた。また,原告は,約6年前には,黄色靭帯骨化症(難病指定)を患った。原告は,現在,健康管理手当の対象となる運動器機能障害(変形性腰椎症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑷ 亀山村で被爆した原告らについてア亀山村について昭和20年に行われた宇田らによる原爆被害調査にお の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑷ 亀山村で被爆した原告らについてア亀山村について昭和20年に行われた宇田らによる原爆被害調査において,当時の亀山村に関しては,同村の北西に位置する飯室村での調査における「古市では10分くらいぱらぱら雨が降った。紙片などは飛んでこなかった。」という供述に続いて,亀山村について,「敵機の落としたるもの(ゾンデ)3個,亀山村役場付近に落ちた」という供述が得られているだけであるが,飯室村での供述や,亀山村の南南西に位置する安村での「しばらくして黒雲空一面になり,光ってから1時間くらい経って雨が夕立のようにザーザー降り(伴の方はひどかったと思われる),大粒の雨が30分位も降った。相当出水があった。安川の水が澄みのようになり2日間位黒かっ た。」などの供述を基に,当時の亀山村の西側一部地域が宇田小雨域となっていることを除いて,その余の地域は宇田雨域外となっている。 また,「広島原爆戦災誌第四巻」第二編第五章第十九項「安佐郡可部町」には,「可部上空を敵の大型飛行機が通過,まもなく三つの大きな落下傘が,風に揺れてキラキラと輝きながら,だんだん落下し始めた。」とか,「炸裂後,朝の快晴はどこへやら,昼からどんより曇って今にも雨が降り出しそうな空模様となった。」などと記載していることからすれば,水平に広がる原子雲が亀山村まで到達したことは明らかである。「広島原爆戦災誌第四巻」に「黒い雨」が降った旨の記載がないのは,「黒い雨」が降った地域となると,差別の対象となることを人々が恐れており,この地域一帯で「黒い雨」について口止めがされていたからであり,実際にはこの地域にも「黒い雨」が降ってきた。 そして,増田の調査では亀山村の全域で雨 別の対象となることを人々が恐れており,この地域一帯で「黒い雨」について口止めがされていたからであり,実際にはこの地域にも「黒い雨」が降ってきた。 そして,増田の調査では亀山村の全域で雨が降ったとの結果が得られていること,大瀧雨域にも入っていること,次のとおりの原告らの供述から,亀山村全域に「黒い雨」が降り放射性微粒子が降下したことは明らかである。 イ原告番号市10原告は,昭和12年○月○日生まれであり,原爆投下当時,7歳で,g国民学校2年生であった。 原告は,原爆投下当日,学校から自宅まで1.5㎞くらいを歩いて帰る途中に雨が降り出し,びしょびしょに濡れた。原告は,その後も,小川の水を飲み,雨のかかった野菜を食べ(畑のきゅうりを切ったら黒い汁がでてきたこともある。),小川の水で風呂を沸かし,広島市内から避難してきた子供達とため池で一緒に泳いでいた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,10代の頃から胃が悪く,40歳の時,胃潰瘍の手術をし,58歳で胃癌,肺血栓を患った。原告は,現在,健康管理手当の対象となる細胞増殖機能障害(胃癌)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ウ原告番号市20原告は,昭和11年○月○日生まれであり,原爆投下当時,9歳で,h国民学校4年生であった。 原告は,原爆投下当日,午後から弟と山へ薪を取りに行く途中に雨が降り出し,そのうちにザーザー 原告は,昭和11年○月○日生まれであり,原爆投下当時,9歳で,h国民学校4年生であった。 原告は,原爆投下当日,午後から弟と山へ薪を取りに行く途中に雨が降り出し,そのうちにザーザーと降って,全身がびしょ濡れになったため,急いで薪を拾って家に帰った。その後も原告は,灰が降り「黒い雨」が降った小川の水を汲んで飲料・風呂に使い,ため池で泳いでいた。また,「黒い雨」のかかった畑の野菜・果物等をいつも食べていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,平成12年頃に肺炎になり,平成15年頃,白内障の疑い,無呼吸症候群と診断され,また,同じ頃から気管支ぜんそくを患っている。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害(変形性脊椎症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 エ原告番号市23原告は,昭和13年○月○日生まれであり,原爆投下当時,7歳で,g国民学校1年生であった。 原告は,原爆投下当日,学校から帰り始めたところ,雨が降り出し,学校から15分くらいかかる自宅までの道中,ずっと「黒い雨」が降っていて,ずぶ濡れになった。原告は,当時,家の飲料水や風呂の水は,近くの谷の水を汲んで使っており,原爆投下当日も,いつもと同じように水を汲みに行ったが,いつもと異なり水が黒ずんでいた。原告一家は,野菜は家の畑で育てたものを食べていたが,「黒い雨」が降った後,チシャなどの葉物の野 で使っており,原爆投下当日も,いつもと同じように水を汲みに行ったが,いつもと異なり水が黒ずんでいた。原告一家は,野菜は家の畑で育てたものを食べていたが,「黒い雨」が降った後,チシャなどの葉物の野菜には黒い斑点ができ,ジャガイモやサツマイモは腐りやすくなった。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,下痢・腹痛・貧血・眩暈に悩まされるようになり,歯を磨くと血が出て止まらなくなることが増えた。また,原告は,40歳を過ぎた頃から,メニエルを発症し,62歳の時に,子宮と卵巣の摘出手術,白内障の手術をした。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害(変形性腰椎症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 オ原告番号市40原告は,昭和12年○月○日生まれであり,原爆投下当時,7歳で,g国民学校2年生であった。 原告は,原爆投下当日,学校にいたときにピカッとした光,ドーンという音を感じ,学校の窓ガラスが割れるほどの衝撃を受けた。原告は,先生の指示で防空壕に入ったが,しばらくして防空壕から出たときには空が暗くなっていた。その後,雨が降り始め,原告は,学校から自宅(当時の安佐郡亀山村(以下省略))に帰るまでの間にびしょ濡れになってしまい,帰宅すると姉に「どうしたんねそれは」と怒られ,すぐに服を川で洗うよう言われ,着ていた服を川で洗濯した。原告は,「黒い雨」が降った小川の水を (以下省略))に帰るまでの間にびしょ濡れになってしまい,帰宅すると姉に「どうしたんねそれは」と怒られ,すぐに服を川で洗うよう言われ,着ていた服を川で洗濯した。原告は,「黒い雨」が降った小川の水を汲んで飲料・風呂に使い,「黒い雨」のかかった畑の野菜・果物等をいつも食べており,また,ため池で泳ぐこともあった。 このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,下痢が続くようになり,発熱もあった。また,原告は,昭和47年に卵巣腫瘍の手術をし,昭和48年に甲状腺機能低下症と診断され,平成17年に腸閉塞になり,平成26年には白内障の手術をした。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害(慢性甲状腺炎,甲状腺機能低下症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 カ原告番号市48原告は,昭和11年○月○日生まれであり,原爆投下当時,9歳で,h国民学校4年生であった。 原告は,原爆投下当日,昼過ぎ頃,避難していた自宅近くの山裾に掘った横穴から自宅へ帰ったが,地面には灰が積もり,「黒い雨」がザーザー降っていて,びしょ濡れになった。原告は,「黒い雨」が降った小川の水を汲んで飲料・風呂に使い,「黒い雨」のかかった畑の野菜・果物等をいつも食べており,また,ため池で泳ぐこともあった。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりするこ 菜・果物等をいつも食べており,また,ため池で泳ぐこともあった。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,下痢をよくするようになった。また,原告は,昭和23年頃には肺炎を,6年ほど前からは胃潰瘍や前立腺肥大を患うようになった。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる呼吸器機能障害(慢性間質性肺炎)及び運動器機能障害(骨粗鬆症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 キ原告番号市52原告は,昭和12年○月○日生まれであり,原爆投下当時,8歳で,h国民学校3年生であった。 原告は,原爆投下当日,家から50mくらいのところにある田んぼの草取りをしていた母に蓑を持って行った時に,「黒い雨」でびしょびしょに濡れた。原告は,服が黒く汚れていたので,近くの小川で服を下洗いした。また,原告は,当時,小川の水を汲んで飲料・風呂に使い,「黒い雨」のかかった畑の野菜・果物等をいつも食べていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,当日の夕方から頭痛がして発熱も始まり3日間ほど寝込んだ。また,原告は,小学校6年生の頃にメニエルと診断され,平成3年と平成9年には心筋梗塞で手術を受けた。原告は, 現在,健康管理手当の 当日の夕方から頭痛がして発熱も始まり3日間ほど寝込んだ。また,原告は,小学校6年生の頃にメニエルと診断され,平成3年と平成9年には心筋梗塞で手術を受けた。原告は, 現在,健康管理手当の支給対象となる循環器機能障害(慢性虚血性心疾患)及び水晶体混濁による視機能障害(両白内障)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ク原告番号県4原告は,昭和16年○月○日生まれであり,原爆投下当時,4歳であった。 原告は,原爆投下当日,自宅の庭で一人で遊んでいたところ,雨が降り始め,だんだんと強くなってきたことから,慌てて家に入った。家に入った原告を見て,母は「あんた,どこで墨をつけてきたんかい」と言っていた。雨が強く大粒になってきたので,母が傘を持って小学校へ兄達を迎えに行くことになり,原告はそれについて行ったが,雨がひどかったのでびしょびしょに濡れた。原告は,「黒い雨」が降った後も,小川の水を飲み,雨のかかった野菜を食べ,小川の水で風呂を沸かし,広島市内から避難してきた子供達とため池で一緒に泳いでいた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,17歳の頃に蓄膿症で1か月入院し,成人になってからも,メニエル病を患い,平成5年頃からはパーキンソン病を患っている。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害(変形性腰椎症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるよ ーキンソン病を患っている。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害(変形性腰椎症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑸ 殿賀村で被爆した原告らについてア殿賀村について当時の殿賀村の西調子近辺は,紙片などの飛撤降下物が雨と共に降ったとされ宇田小雨域となっているが,その余の地域は宇田雨域外となっている。これは宇田らの調査において,同村西調子で「大粒の雨がばらばら降った。雷鳴もした。紙片が飛んできた。」という供述が得られたことに基づいていると推察されるが,宇田らの原爆被害調査は,時間的・物理的制約のある中で行われたものであり,殿賀村のその余の地域は調査すらされ ていないのであるから,殿賀村における「黒い雨」降雨域を確定するものではあり得ない。 宇田らの調査方法を踏襲しつつも,さらに信頼性が確保されたデータの収集とそれに基づく細かな分析が試みられた増田の調査からは,殿賀村において,杉ノ泊,鵜渡瀬,西調子,草尾,明ヶ谷(堀の対岸)の各地域で降雨や紙切れの降下が確認されるなど,殿賀村の西調子以外の広範囲に「黒い雨」が降ったことが明らかになっている。さらに,殿賀村の広範囲が,大瀧雨域にも入っており,次のとおりの原告らの供述を併せ考慮すれば,殿賀村の広範囲に「黒い雨」が降り放射性微粒子が降下したことは明らかである。 イ原告番号県9原告は,昭和11年○月○日生まれであり,原爆投下当時,9歳で,i国民学校4年生であった。 原告は,原爆投下当日,学校の校庭を何人かで歩いていたところ,標高450~500mの山の方でピカッと光り,大きな音がして,すぐ雲がキノコ状に広がって,広銀と書いた で,i国民学校4年生であった。 原告は,原爆投下当日,学校の校庭を何人かで歩いていたところ,標高450~500mの山の方でピカッと光り,大きな音がして,すぐ雲がキノコ状に広がって,広銀と書いた封筒,焼け焦げた紙などのごみが空から飛んできた。その後,原告は,先生に帰れと言われ,帰宅中に真っ黒になった雨に濡れて帰った。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,当時の生活状況からすれば,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,下痢をよくするようになった。また,原告は,現在は,変形性膝関節症,脂質異状症,骨粗鬆症,甲状腺機能低下症で通院加療中であり,健康管理手当の支給対象となる水晶体混濁による視機能障害(白内障),運動器機能障害(両側変形性膝関節症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ウ原告番号県12原告は,昭和8年○月○日生まれであり,原爆投下当時,11歳で,j国民学校の6年生であった。 原告は,原爆投下当日,学校で朝礼後に空から破れた紙,焼けた紙がた くさん飛んできて,紙を拾いに行くなどした。また,原告は,勤労奉仕で学校から少し上流にある田んぼの草取りに行ったが,その最中,夕立のようにざーっと雨が降ってきて,雨を浴びて顔が真っ黒になりながらも草取りを続けるなどした。原告は,雨が降り出したことから草取りを止めて帰ろうとしたが,先生から「このぐらいの雨で止めてはいけない」と怒られ,原告は,友人とともに,雨が降る中,草取りを になりながらも草取りを続けるなどした。原告は,雨が降り出したことから草取りを止めて帰ろうとしたが,先生から「このぐらいの雨で止めてはいけない」と怒られ,原告は,友人とともに,雨が降る中,草取りを続けることになった。 このように,原告は,「黒い雨」を浴び,当時の生活状況からすれば,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,顔や腕や足の皮膚に水疱瘡のようなブツブツが出てきた。また,原告は,平成3年頃に甲状腺癌を患い,平成20年及び平成24年にも甲状腺癌を再発しており,現在,健康管理手当の支給対象となる細胞増殖機能障害(甲状腺癌)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 エ原告番号県31原告は,昭和8年○月○日生まれであり,原爆投下当時,12歳で,j国民学校6年生であった。 原告は,原爆投下当日,勤労奉仕で田んぼの草取りをしていたところ,空から焼け焦げた紙切れがどんどん降ってきて,その後,真っ黒い雲が山の向こうからもくもくと昇り,昼間とは思えないくらいに空一面が暗くなった。紙と一緒に雨がパラパラと降り出したが,原告は,その雨が降りしきる中草取りを続け,また,草取りの最中に「ユガヤ」(グワイのようなもの)を見つけては,その球根を田んぼの泥水で洗って食べていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定で 食べていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,ひどい頭痛に悩まされるようになった。また,原告は,平成19年には,右乳癌の手術を受 けた。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる循環器機能障害(高血圧性心疾患)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑹ 安野村(水内村宇佐・久日市の各地区を含む。)で被爆した原告らについてア安野村(水内村宇佐・久日市の各地区を含む。)について宇田らによる原爆被害調査において,当時の安野村(水内村宇佐・久日市の各地区を含む。)については,安野村の全域及び水内村の西部を除くほぼ全域が宇田雨域に含まれ,うち久地村及び戸山村に接している安野村の南側のごく一部地域及び水内村の南東部の一部地域のみ宇田強雨域とされている。そして,現行の被爆者援護制度は,宇田強雨域のみを健康診断の特例の対象としており,これに含まれている安野村の島木及び段原の各地区及び水内村の津伏,小原,井出ヶ原,矢流,草谷,古持,森,下井谷,門出口,木藤及び恵下の各地区が第一種健康診断特例区域に指定されているが,その余の安野村(水内村宇佐・久日市を含む。)の各地区は宇田小雨域に含まれているにもかかわらず,援護対象外となっている。 このように,安野村(水内村宇佐・久日市の各地区を含む。)全域に「黒い雨」が降り放射性微粒子が降下したことは明らかであるにもかかわらず,降った雨が大雨とされるか小雨 対象外となっている。 このように,安野村(水内村宇佐・久日市の各地区を含む。)全域に「黒い雨」が降り放射性微粒子が降下したことは明らかであるにもかかわらず,降った雨が大雨とされるか小雨とされるかによって,援護対象地域となるか否かを区別する合理的根拠は乏しいといわざるを得ない。 以上と原告らの供述を併せ考慮すれば,安野村(水内村宇佐・久日市の各地区を含む。)全域に広範囲に「黒い雨」が降り放射性微粒子が降下したことは明らかである。 イ安野村大字穴(船場地区)で被爆した原告らについて 原告番号市2原告は,昭和17年○月○日生まれであり,原爆投下当時,3歳であった。 原告は,原爆投下当日,母と生後7か月の妹と一緒に家にいたときにピカッとした光を目にし,その後,隣家の訴外Aと一緒に家の近くの河原の方に出ていたところ,空から焼け焦げた紙切れのようなものが落ちてきたことから,これを拾い,そして,それから少しして辺りが真っ暗 になり雨が降ってきたことからAの家まで戻り,その軒先で雨宿りをしていた。原告は,通りかかった姉に雨の中を連れて帰られ,着ていた服が黒くなった。原告一家は,当時,養蚕業の外,畑で野菜などを作っており,畑で採れた野菜を食べ,飲み水などの生活水は井戸水に頼っていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,小学校高学年の頃,高熱が出て,喉が腫れることがよくあり,鼻血や歯茎からの出血もよくあった。 原告は,20歳代の頃には,肺結核を3回患い, かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,小学校高学年の頃,高熱が出て,喉が腫れることがよくあり,鼻血や歯茎からの出血もよくあった。 原告は,20歳代の頃には,肺結核を3回患い,50歳代の頃に,脳卒中,大腸ポリープを患い,67歳で高血圧,69歳で前立腺癌,71歳で白内障を患った。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる細胞増殖機能障害(前立腺癌),脳血管障害(脳梗塞),水晶体混濁による視機能障害(左白内障)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号市5原告は,昭和15年○月○日生まれであり,原爆投下当時,5歳であった。 原告は,原爆投下当日,同じ船場の部落の子どもらと河原に出て渡し場で遊んでいたところ,空から紙の焼け残りといった黒い物が落ちてきたので,皆でこれを拾った。その後,辺りが暗くなってザーザー降りの雨が降ってきたことから,原告は,河原を出て家に帰ることとし,帰宅途中の家の軒先で雨宿りをしていたところ,通りかかった姉に雨に濡れながらも連れて帰られ,着ていた服は黒くなった。また,原告の家は,当時,養蚕業の外,畑で野菜などを作っており,畑で採れた野菜を食べ,飲み水などの生活水は井戸水に頼っていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,高校生の頃に肺炎となり,52 歳の頃に慢性気管支炎,67歳の頃に白内障,ブドウ膜炎を患った。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる水晶 れていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,高校生の頃に肺炎となり,52 歳の頃に慢性気管支炎,67歳の頃に白内障,ブドウ膜炎を患った。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる水晶体混濁による視機能障害(両白内障)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号市30原告は,昭和12年○月○日生まれであり,原爆投下当時,8歳で,k国民学校2年生であった。 原告は,原爆投下当日,船場の集落の子ども10人くらいで,追崎向の谷ぞいに「むしお」を採りに行っていたところ,ピカッという光を目にし,もくもくと普通の色ではないような感じの雲が山の向こうからどんどん上に上がっていくのが見えたため,家に帰ることになったが,その帰宅途中,急に雨が降り出し,家に帰るまでにはびしょ濡れになり,服の白い襟に黒の斑点がついた。また,原告は,外に出ていると,空から紙のようなものが落ちてきているのを見たが,大人が拾ってはいけないというので拾わなかった。原告一家は,当時,農業を営んでおり,畑で色々な野菜を作り,それを食べ,生活水は井戸水を利用していた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,15歳の頃に,結核と肋膜炎を併発し,結婚後も2回肺炎になった。また,原告は,76歳の頃にリウマチと診断され,その後,白内障になり,両眼の手術を受けた。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害(変形性腰椎症)を患っ ,結婚後も2回肺炎になった。また,原告は,76歳の頃にリウマチと診断され,その後,白内障になり,両眼の手術を受けた。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害(変形性腰椎症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号市31原告は,昭和11年○月○日生まれであり,原爆投下当時,9歳で,k国民学校4年生であった。 原告は,原爆投下当日,朝から追崎向の谷まで「むしお」を採りに行 っていたところ,急にピカッと辺りが光った後,山の方から雲がもくもくと上がってきて暗くなったことから,家に帰ることとしたが,その途中,雨がザーッと降ってきたので,濡れながら家に帰った。原告が着ていた白のシャツは油がついたように黒くなっていた。また,原告は,家に帰ってから,空から紙切れや焼けかけた襖(カラカミ)が落ちてくるのを見た。原告一家は,当時,農業を営んでおり,畑で色々な野菜を作り,それを食べ,生活水は井戸水を利用していた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,急に背中が痛くなり,病院で脊髄カリエースだと言われた。また,原告は,63歳のときには甲状腺癌の手術を,4年くらい前には白内障で両眼の手術を受けた。原告は,現在,健康管理手当の対象となる内分泌腺機能障害(甲状腺機能低下症,甲状腺癌術後),運動器機能障害(骨粗鬆症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原 術を受けた。原告は,現在,健康管理手当の対象となる内分泌腺機能障害(甲状腺機能低下症,甲状腺癌術後),運動器機能障害(骨粗鬆症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号市32原告は,昭和18年○月○日生まれであり,原爆投下当時,2歳であった。 原告は,原爆投下当日,空から焼けた紙切れなどが降ってきたため姉(原告番号市42)と一緒に近くの山まで拾いに行き,その途中で雨に当たり,肌や服が黒っぽくなった。原告一家は,当時,飲み水は共同の井戸を使い,洗濯は近くの川を利用していた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 原告は,「黒い雨」被爆後,小学校の時に貧血をよく起こし,25歳で甲状腺腫瘍摘出手術を,49歳で甲状腺及び副甲状腺を全て摘出する手術を受け,平成20年と平成23年には,大腸の腫瘍を摘出する手術を受けた。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる細胞増 殖機能障害(甲状腺癌),運動器機能障害(骨粗鬆症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号市33原告は,昭和9年○月○日生まれであり,原爆投下当時,10歳で,k国民学校5年生であった。 原告は,原爆投下当日,朝から「むしお」を採りに行っており,いつ,どこで体験したのかは明らかでないが,ピカっという光と大きな音を覚えている外,広島市内の方向から大きな入道雲ができ 5年生であった。 原告は,原爆投下当日,朝から「むしお」を採りに行っており,いつ,どこで体験したのかは明らかでないが,ピカっという光と大きな音を覚えている外,広島市内の方向から大きな入道雲ができ,その雲の上が赤く色づいていたこと,「むしお」採り作業を終えて家に帰り,太田川で遊んでいたときに雨が降ってきた上,焼けた紙切れや布きれも降ってきて,着ていた白いシャツには黒い染みがついていたことを覚えている。原告一家は,当時,近くで採れた野菜を食べ,生活水としては太田川の水を使っていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,下痢になり,頭痛の症状が出た。また,原告は,10年ほど前に胆石除去手術を,数年前に白内障手術を受けた。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる水晶体混濁による視機能障害(両白内障手術後)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号市34原告は,昭和9年○月○日生まれであり,原爆投下当時,11歳で,k国民学校5年生であった。 原告は,原爆投下当日,追崎の向かいの谷沿いで「むしお」を採っていたところ,稲光のように光った後,ドーンという大きな音を聞き,その後,帰宅することになったが,途中「黒い雨」が降り始め,濡れて帰った。原告は,帰宅後に姉と一緒に牛の餌にする草を刈っていたところ,焼けた紙や出席簿の表紙等が空から降ってきた。このように,原告 は,「黒い雨」を浴び,当時の生活状況か 降り始め,濡れて帰った。原告は,帰宅後に姉と一緒に牛の餌にする草を刈っていたところ,焼けた紙や出席簿の表紙等が空から降ってきた。このように,原告 は,「黒い雨」を浴び,当時の生活状況からすれば,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,橋本病と言われた甲状腺を手術し,現在も通院して治療を続けている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号市42原告は,昭和10年○月○日生まれであり,原爆投下当時,10歳で,k国民学校4年生であった。 原告は,原爆投下当日,朝から勤労奉仕のため,追崎の谷沿いまで「むしお」を採りに行っていたところ,突然空がピカッと光り,大きな音がし,雨が降り始めた。原告は,「むしお」採りが中止になったため,雨に濡れながら家に帰った。原告は,帰宅後,空から焼け焦げた紙切れが降ってくるので,妹(原告番号市32)や友達と近くの山の方まで拾いに行ったが,このときも雨は降っており,家に帰ると服に黒い染みのようなものが付いていたことから,母親に怒られた。原告一家は,当時,飲み水は共同の井戸を使い,洗濯は近くの川を利用していた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,よく貧血を起こすようになった。また,原告は,平成13年の頃に甲状腺手術を よって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,よく貧血を起こすようになった。また,原告は,平成13年の頃に甲状腺手術を受け,平成19年には,甲状腺全摘出手術を受け,平成20年には白内障の手術も受けた。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる細胞増殖機能障害(甲状腺癌)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号県11原告は,昭和9年○月○日生まれであり,原爆投下当時,10歳 で,k国民学校5年生であった。 原告は,原爆投下当日,k国民学校の男子生徒5,6人で川向うの「x部落」へ渡り,「むしお」を採っていたところ,8時過ぎに空がピカッと光り,4秒ぐらい後にドンと大きな音がしたことから,恐ろしくなって船場の自宅に帰ったが,しばらくすると屋根や空き地に焦げた紙切れや領収書などが落ちてきて,そのうち雨がバラバラと降り始め,白い半袖シャツに黒い斑点がついたことから,「黒い雨」だと思った。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,当時の生活状況からすれば,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,前立腺肥大を患い,また,肺の間に1cm位のものがあり,経過をみて治療することになっている。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害(両手指変形性関節症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該 ,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害(両手指変形性関節症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ウ安野村大字穴(澄合・早木・芦杉・本郷・修道の各地区)で被爆した原告らについて 原告番号市4原告は,昭和15年○月○日生まれであり,原爆投下当時,5歳であった。 原告は,原爆投下当日,兄と妹(原告番号県6)の3人で母を呼びに芋畑まで行き,yの芋畑から自宅に帰っていたところ,その途中で雨が降り出した。その日はとても暑かったことから,原告は,家に着くと服を脱ぎ,外に飛び出して雨を浴びた。原告は,雨水が黒ずんでいたことは分かっていたが,裸であったので後で洗い落とせばよいと気にすることなく,雨を浴び続けた。原告らが芋畑から帰ってくるときに着ていた衣服は,洗濯しても「黒い雨」の染みはなかなか落ちなかった。また,原告一家は,「黒い雨」が降ってからも,谷水を生活用水として利用し,「黒い雨」を浴びた芋や野菜を食べていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取し たり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,母は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,吐血するようになり,吐血の量が多く,洗面器一杯に吐血することもあった。また,原告は,中学生になった頃から高熱を出すようになり,体中に腫物ができて,これまで腫物の切開手術を5回受けている。原告は,関節が悪く運動ができず,その外,これまで尿管結石を2回,心筋梗塞,脳梗塞,帯状疱疹など様々な病気を経験してきていた。原告は,現在,健康管理手当の ,これまで腫物の切開手術を5回受けている。原告は,関節が悪く運動ができず,その外,これまで尿管結石を2回,心筋梗塞,脳梗塞,帯状疱疹など様々な病気を経験してきていた。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる循環器機能障害(狭心症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号市56原告は,昭和4年○月○日生まれであり,原爆投下当時,16歳で,k青年学校本科3年生で,農業の手伝いもしていた。 原告は,原爆投下当日,自宅近くの訴外B宅の広場で麦の出荷準備の作業を見ていたところ,突然,閃光がピカッと光り,その後ドーンと大きな音がした。その後,空がだんだん真っ黒な雲で覆われてきて,雨がパラパラと降り出した。原告は,濡れながら,B宅の横から200段以上の急な階段を走って,自宅に帰った。原告が自宅に帰ったときは,白いブラウスが黒く汚れていた。また,原告は,雨と一緒に飛んできた焼け焦げた紙切れや封筒を拾うこともあった。さらに,原告は,観音の三菱工場へ徴用に行っていた三女の世話をした。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,当時の生活状況からすれば,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,30年以上前からメニエル病を患っている。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害(糖尿病),循環器機能障害(高血圧性心疾患)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能 の影響を受けるような事情の下にあった者」 る内分泌腺機能障害(糖尿病),循環器機能障害(高血圧性心疾患)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能 の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号県1原告は,大正14年○月○日生まれであり,原爆投下当時,20歳で,農業をしていた。 原告は,原爆投下当日,叔父宅前の豊平線県道の路上で立ち話をしていたところ,青白い閃光が走って,地響きがするような大音響があった。その後,原告は,太田川の河原に行ってみると,空から焼けた紙切れが落ちてきて,その中に,千田町小学校生徒の名が入った絵や,本川町の企業の伝票があったのを覚えている。その後,原告は,田舎の百姓の習慣で自宅に戻って昼寝をし目を覚ましたところ,父から大雨が降ったと聞かされた。秋になって,原告は,翌年の堆肥にするために毎日山に行って草刈りをしたが,葉っぱが黒っぽくなっていたが,毎日やかんを持って行って,熊笹を火であぶって煎じて笹茶を飲んだりした。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された熊笹を煎じてお茶を飲んだり,当時の生活状況からすれば,汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,平成16年に赤血球中のヘモグロビンの数値が下がって入院し,また,視力の衰えも激しくなっており,両目白内障,網脈絡膜萎縮,左眼黄斑変性などで治療を続けている。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる造血機能障害(悪性貧血),運動器機能障害(両側変形性股関節症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の 治療を続けている。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる造血機能障害(悪性貧血),運動器機能障害(両側変形性股関節症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号県6原告は,昭和17年○月○日生まれであり,原爆投下当時,3歳であった。 原告は,原爆投下当日,兄(原告番号市4)らとyの畑に草取りに出ている母を呼びに行き,その帰宅途中に雨に降られた。原告の姉は,原爆投下直後の雨で白い服が黒くなり,ぬるぬるした感じになり,洗っていた洗濯物も黒くなって,その後に洗っても落ちなかった と,亡くなるまでことあるごとに言っていた。また,原告一家は,当時,裏山から引っ張ってきた水を飲んでいた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,物心ついたときには,原因不明の熱がよく出ていた。また,原告は,小学生のころ丹毒になり,長女出産時には乳腺炎になった。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる水晶体混濁による視機能障害(白内障),運動器機能障害(両側変形性膝関節症,骨減少症,変形性腰椎症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号県13原告番号県13は,昭和11年○月○日に生まれ,原爆投下当時9歳で,k国民学校3年生であった。 原告は,原爆投下当日,学校の指示で,友達と「むし った者」に該当する。 原告番号県13原告番号県13は,昭和11年○月○日に生まれ,原爆投下当時9歳で,k国民学校3年生であった。 原告は,原爆投下当日,学校の指示で,友達と「むしお草」の皮を採りに自宅近くの山辺に行っていたところ,広島市の方向から黒い雲が下から吹き上げてきて,空がだんだんと暗くなり,雨が降り出した。その雨が油っこくて黒かったことから,原告の身につけた着物は黒く染まり,後で洗濯しても汚れが落ちなかった。また,原告は,顔や手足など衣服に覆われていないところが雨に濡れて,黒くなった。 その後,原告は,爆心で被爆して避難してきた親族3人の看病をした。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,当時の生活状況からすれば,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,足の膝や腕の辺りが赤くなり,3~5cmくらいの地図のような模様ができた。また,原告は,原爆投下から20年を過ぎたころより,日夜頭痛が続き始め,そのうち両手のしびれなど身体全体に異常が出てきた。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害(変形性腰椎症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号県14原告は,昭和15年○月○日生まれであり,原爆投下当時,4歳であった。 原告は,原爆投下当日,外に出てみると,南東の山頂から,黒い雲のような大きな黒煙の塊が現れ,ものすごい量の物が次々と飛ぶように吹き出し,山に降り落ちたので,それを取りに行き,拾っ 4歳であった。 原告は,原爆投下当日,外に出てみると,南東の山頂から,黒い雲のような大きな黒煙の塊が現れ,ものすごい量の物が次々と飛ぶように吹き出し,山に降り落ちたので,それを取りに行き,拾ったりしていると,曇っていた空がにわかに暗くなり,ポツリポツリと「黒い雨」が降り出した。雨は次第に強くなったが,原告は,それでも濡れるのに任せて,しばらく山の上を見ていたので,びしょ濡れになって家に帰った。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,当時の生活状況からすれば,「黒い雨」によって汚染された水や野菜を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,二,三時間後にシャツから出ている身体の部分に湿疹が出たように赤くなって痒くなった。また,原告は,20歳代の頃に肝臓の腫れ,30歳代で足がもつれる,47歳で脊髄狭窄症となり,60歳で電動車いすでの生活になった。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害(変形性腰椎症,両膝変形性関節症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号県30原告は,昭和9年○月○日生まれであり,原爆投下当時,10歳で,l国民学校5年生であった。 原告は,原爆投下当日,学校から帰宅途中,だんだん黒い雲がでてきて,空が暗くなり,畳がちぎれて焦げたようなものや,紙切れなどが落ちてきたので,皆で拾ったりしていたところ,パラパラと雨が降り出したことから,雨に濡れて帰った。上に着ていた肌着は,雨に濡れて,黒い筋のようなものがついていた。原告一家は,当時,自然に流れる水を飲んで生活をし ,皆で拾ったりしていたところ,パラパラと雨が降り出したことから,雨に濡れて帰った。上に着ていた肌着は,雨に濡れて,黒い筋のようなものがついていた。原告一家は,当時,自然に流れる水を飲んで生活をしていた。このように,原告は,「黒い雨」を 浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,約10年前に直腸癌の手術を受けた。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害(糖尿病)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 エ安野村大字坪野(澄合・宇佐地区),水内村大字下(宇佐・久日市)で被爆した原告らについて 原告番号市16原告は,昭和17年○月○日生まれであり,原爆投下当時,3歳であった。原告は当時の記憶がほとんどなく,被爆状況については,母や姉から聞いた内容に基づくものである。 原告は,原爆投下当日,田んぼで仕事をする母と祖母の近くで妹(原告番号市18)の子守りをして遊んでいたところ,雨が降ってきたので,妹を連れて家に帰ったが,帰宅後,雨に濡れてしまっていたので,着替えをした。原告は,その日,家の前の芋畑に何か紙のようなものが空からひらひらと舞いながら落ちてきているのを見たことだけはかすかに覚えている。原告一家は,当時,田んぼで作った米や麦や野菜を食べ,裏山で筍や山菜を採ったり,川で魚やうなぎを採って食べたりし,また,裏山から水を引いて,風呂水や飲料水として使っていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された 菜を食べ,裏山で筍や山菜を採ったり,川で魚やうなぎを採って食べたりし,また,裏山から水を引いて,風呂水や飲料水として使っていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,中学生の頃によく鼻血が出ており,73歳の頃に慢性甲状腺炎と診断され,高血圧も指摘された。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる細胞増殖機能障害(甲状腺腫瘍(悪性)),水晶体混濁による視機能障害(白内障)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号市18原告は,昭和18年○月○日生まれであり,原爆投下当時,2歳の誕生日前であった。次の被爆状況は姉(原告番号市16)から聞いたものである。 原告は,原爆投下当日,姉と自宅近くの田んぼに草取りに出ていた祖母と母について行き,遊んでいたところ,雨が降り始めたことから,姉と一緒に家に帰った。なお,原告は,ヒラヒラと空から物が降ってくるのを見たことは,記憶に残っている。原告一家は,当時,田んぼで作った米や野菜を食べ,裏山で山菜を採ったりして食べたりし,また,裏山から水を引いて,風呂水や飲料水として使っていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,小学校高学年くらいのときに,急性扁桃炎で手術を受 た空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,小学校高学年くらいのときに,急性扁桃炎で手術を受け,30歳頃に,背中に脂肪の塊りのようなものができ,同じようなものが,肩と両肘,手首にもできた。原告は,35歳のときには,体の節々にガングリオンができて手術を受けて以後,慢性関節リューマチと診断された。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる循環器機能障害(高血圧性心疾患)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号市36原告は,昭和16年○月○日生まれであり,原爆投下当時,4歳であった。 原告は,原爆投下当日,父と姉訴外Cと一緒に家の外に出ていたところ,空から焼け焦げた新聞紙のようなものがたくさん落ちてきて,しばらくして,雨が降ってきたことから,原告は家の中に入った。原告の記憶ではいわゆるザーザーぶりであった。原告は,直接被曝した姉訴外Dが,昭和20年○月○日に死亡するまで,姉と一緒に蚊帳の中で寝ていた。原告一家は,当時,米,麦,きゅうり,さつまいも,なすび等の野菜を作り,食べ物については自給自足の生活をしていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を 摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告の両親は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,下痢が続いた。また,原告は,20歳の頃に胆のう症,平成24年に白内障,平成25年に高血圧と診断され,平成26年にも胆のう症と診断され た。 加えて,原告の両親は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,下痢が続いた。また,原告は,20歳の頃に胆のう症,平成24年に白内障,平成25年に高血圧と診断され,平成26年にも胆のう症と診断された。 原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる脳血管障害(脳梗塞),水晶体混濁による視機能障害(白内障術後)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号市37原告は,昭和8年○月○日生まれであり,原爆投下日当時,11歳で,m国民学校6年生であった。 原告は,原爆投下当日,学校から帰宅して自宅の周りで遊んでいたところ,焼けた新聞の切れ端みたいなものが空から降ってきた。その後,現在の津伏橋の辺りの川で遊んでいると,急に雨が降ってきたので,原告は,雨宿りをしたが,止みそうもなかったことから,宇佐の方に泳いで川を渡り,雨に濡れながら家に帰った。シャツは油を含んだ感じになっており,色も墨汁を垂らしたような灰色になっていた。原告一家は,当時,食べ物については,畑で採れた葉っぱ,とうきび,さつまいも,栗,そして母が山で採ってくる山菜を食べており,飲み水は,もっぱら裏山から引いてくる水を生活用水として使っていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,20歳で蓄膿症,25歳でアレルギー性皮膚炎と診断され,61歳のときに大腸がんの手術を,75歳で白内障の両眼の手術を受けた。その後も,原告は,78歳でめまいと耳鳴りが て,原告は,「黒い雨」被爆後,20歳で蓄膿症,25歳でアレルギー性皮膚炎と診断され,61歳のときに大腸がんの手術を,75歳で白内障の両眼の手術を受けた。その後も,原告は,78歳でめまいと耳鳴りがひどくなり,80歳のときに血液検査で腎臓の数値が悪いといわれた。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害(糖尿病)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能 の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号市43原告は,昭和10年○月○日生まれであり,原爆投下当時,10歳で,n国民学校5年生であった。 原告は,原爆投下当日,先生の指示で帰宅したところ,帰宅してしばらくしてから雨が降り始め,また,紙や障子の桟,新聞や畳の焼け残り,看板の焼け端などが飛んできた。原告は,「黒い雨」が降る中,山や川,田んぼや畑でこれらを友達と拾い集めて,村会議員の家に持って行った。原告は,家に帰ってから,母から「油のようなものが服について。いつこんなに汚して。」と言われた。原告一家は,当時,畑で作った芋やよもぎ,どんどろび,山の木の葉っぱなどを採って粉にしたもの,川で釣った稚魚など調味料もなく煮炊きして食べていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,腸が悪くなって,下痢が続いた。また,原告は,平成15年に大腸癌の,平成16年と平成17年に肝臓癌の手術を受け,平成23年には白内障の,平成26年には えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,腸が悪くなって,下痢が続いた。また,原告は,平成15年に大腸癌の,平成16年と平成17年に肝臓癌の手術を受け,平成23年には白内障の,平成26年には緑内障の手術を受けた。原告は,健康管理手当の支給対象となる細胞増殖機能障害(上行結腸癌,下行結腸癌,前立腺癌),内分泌腺機能障害(糖尿病)を患っていたが,平成30年○月○日,死亡した。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号県5原告は,昭和17年○月○日生まれであり,原爆投下当時,3歳であった。なお,原告は,具体的なことはほとんど覚えていないが,空から紙が降ってきたことについては,あまりに特殊な出来事であったので記憶に残っている。 原告は,雨についてはあまり覚えていないが,中学生くらいの頃,母が言いにくそうに「あんたも『黒い雨』を浴びたんよ」と原告に話してくれたことがある。また,原告は,兄(原告番号市37)から,兄が自 宅からほど近い太田川で水遊びをしていたとき,突然灰色で油のような雨が降ってきたと聞いた。原告一家は,当時,山から流れてくる水を生活用水とし,飲み水はもちろん,食材を洗ったり,服の洗濯にもその水を利用していた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,36歳の頃に白内障になり,10数年前から肩にアレルギー性皮膚炎を発症している。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる水晶体混濁による視機能障害( れていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,36歳の頃に白内障になり,10数年前から肩にアレルギー性皮膚炎を発症している。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる水晶体混濁による視機能障害(両眼白内障),運動器機能障害(変形性脊椎症,骨粗鬆症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号県29原告は,昭和6年○月○日生まれであり,原爆投下当時,14歳で,澄合部落内の高等科2年生であった。 原告は,原爆投下当日,学校から帰宅し外で遊んでいると,空から焼け焦げた紙切れが落ちてきて,紙切れを拾っているうちに雨が降り始め,白い服に点々と黒い跡がついた。原告一家は,当時,地元の野菜,山野で採れるものを食べ,井戸水を飲んでいた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,19歳のときに盲腸炎,55歳のときに椎間板ヘルニアと診断され,平成28年には右変形性膝関節症の,平成29年には左変形性膝関節症の治療を受けた。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害(両側変形性膝関節症,両側変形性肩関節症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 オ安野村大字坪野(坪野・光石地区)で被爆した原告らについて 原告番号市53 原告は,昭和8年○月○日生まれであり,原爆投下当時,12歳で,o国民学校6 。 オ安野村大字坪野(坪野・光石地区)で被爆した原告らについて 原告番号市53 原告は,昭和8年○月○日生まれであり,原爆投下当時,12歳で,o国民学校6年生であった。 原告は,原爆投下当日,筒賀村吉ヶ瀬で「むしお」を採っていたところ,坪野の方面から空が真っ暗になり,しばらくして「黒い雨」が降り始めたことから,雨に濡れながら走って向光石の吊り橋を渡って津浪地区の杉か檜の林の中に入って雨宿りをし,その後,空が明るくなってから学校に寄って自宅へ帰った。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,当時の生活状況からすれば,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,急に疲れやすくなり,鼻からポタポタと血が出るようになった。また,原告は,平成19年に両眼白内障の手術を受け,平成23年頃には胃癌の手術を受けた。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる細胞増殖機能障害(胃癌術後),内分泌腺機能障害(糖尿病),循環器機能障害(高血圧性心疾患)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号市54原告は,昭和14年○月○日生まれであり,原爆投下当時,5歳であった。 原告は,原爆投下当日,弟(原告番号県17)と一緒に遊びに外へ出て自宅の裏の農道で遊んでいたところ,焼け焦げた紙切れが降ってきた。その後,空が真暗くなってポツポツと泥みたいな雨が降り始め,途中でザーと激しい雨になり,原告の履いていた草履やブラウスがぐちゃぐちゃ 自宅の裏の農道で遊んでいたところ,焼け焦げた紙切れが降ってきた。その後,空が真暗くなってポツポツと泥みたいな雨が降り始め,途中でザーと激しい雨になり,原告の履いていた草履やブラウスがぐちゃぐちゃになり,泥のような色がついた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,当時の生活状況からすれば,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,歯茎から血が出 るようになったり,両手の平に水膨れができて痛痒かったり,頭の髪を洗う際に髪の毛がたくさん抜けたりした。また,原告は,大人になって以降,高血圧,糖尿病,白内障・緑内障を患った外,平成21年に大腸癌の手術を受けた。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害(糖尿病)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号市55原告は,昭和11年○月○日生まれであり,原爆投下当時,9歳で,o国民学校4年生であった。 原告は,原爆投下当日,外で遊んでいたところ,ドーンという大きな音がした後,紙の燃えかすが数え切れないほど舞いながら降ってきた。 原告がその後も外で遊んでいると,空が暗くなって雨が降ってきた。原告は,雨に濡れた手にポタポタと黒い点がついたが,「黒い雨」が降る中,遊び続けた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,当時の生活状況からすれば,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定でき は,「黒い雨」を浴び,当時の生活状況からすれば,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,高血圧症を患い,六,七年前に大腸ポリープを取った。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる循環器機能障害(動脈硬化性心疾患),水晶体混濁による視機能障害(両眼白内障術後)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号市57原告は,昭和9年○月○日生まれであり,原爆投下当時,11歳で,o国民学校6年生であった。 原告は,原爆投下当日,「むしお」を採りに加計町大字津浪の「あさで」の谷沿いを登っていたところ,ピカッと光り,地響きがするような大きな音がした。原告は,段々と辺りが薄暗くなり雨が降ってきたので,トンネルで雨宿りをしていたが,「黒い雨」の降る中を帰宅し,帰るまでに「黒い雨」でびしょびしょに濡れた。その後,原告は,山や畑 に飛んできた紙切れ等を妹達と拾って遊んでいた。原告は,「黒い雨」が降った後,「黒い雨」が付いた畑のトマトやきゅうりを食べ,「黒い雨」が降り注いだ川で毎日泳ぎ,風呂の水もその川の水を汲んで使っていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,鼻血がよく出るようになった。また,原告は,昭和32年には虫垂炎に,平成8年には胃 体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,鼻血がよく出るようになった。また,原告は,昭和32年には虫垂炎に,平成8年には胃癌,平成13年には腸閉塞,平成15年には脊髄狭窄症になった。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害(腰部脊柱管狭窄症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号県15原告は,昭和10年○月○日生まれであり,原爆投下当時,10歳で,o国民学校3年生であった。 原告は,原爆投下当日,学校から2.5㎞くらい離れた砂ケ瀬に「むしお」を採りに行く途中のトンネルを歩いていたところ,ピカッと光り,地響きするような大きな音がし,そのうちに空一面から焼け焦げた紙切れが大量に落ちてきて,空が暗くなった。その後,原告は,夕立のようにザーザーと「黒い雨」が降り始めたので帰宅したが,長い道のりのため,帰るまでに「黒い雨」でびしょびしょに濡れた。原告は,「黒い雨」が降った後,「黒い雨」が付いた畑のトマトやきゅうりを食べたり,「黒い雨」が降り注いだ川で毎日泳ぎ,風呂の水もその川の水を汲んで使っていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,身体中に湿疹がでて痒くなり,肺炎にもかかった。また,原告は,小学校6年生の頃には腎臓病になり,中学校1年生の頃には足が腫れて歩けない状態になっ た。原告は い雨」被爆後,6か月以内に,身体中に湿疹がでて痒くなり,肺炎にもかかった。また,原告は,小学校6年生の頃には腎臓病になり,中学校1年生の頃には足が腫れて歩けない状態になっ た。原告は,昭和55年に腎盂炎に,昭和57年に大腸炎に,昭和61年には腎臓病になり,平成元年からは人工透析を続けている。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる腎臓機能障害(慢性腎不全)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号県16原告は,昭和14年○月○日生まれであり,原爆投下当時,5歳7か月であった。 原告は,原爆投下当日,一人で自宅の母屋と納屋の間の空き地で遊んでいたところ,ドーンと突然大きな音がした。しばらくして,太田川の向こう(広島方面)の山の上空から黒い雲が上がり,沢山の焼け焦げた紙切れや小学校のテスト用紙などが飛んできた。その後,「黒い雨」が降り始め,原告は雨に濡れ,着ていたシャツが黒ずんでいた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,当時の生活状況からすれば,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,50歳の後半頃から高血圧,心房細動に罹り,平成26年に膀胱癌,平成28年に慢性心不全になった。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる細胞増殖機能障害(膀胱癌)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号県17原告は,昭和17年○月○ 癌)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号県17原告は,昭和17年○月○日生まれであり,原爆投下当時,2歳9か月であった。原告には,自宅の近所に住んでいた女性から聞いたことと,原告が体験したことの区別がつかない部分もあるが,原告の記憶にある被爆の状況は,次のとおりである。 原告は,原爆投下当日,自宅の裏の農道で,姉(原告番号市54)と一緒に遊んでいたところ,色々な紙が空から降ってきて,ポツポツと雨が降り始め,途中からザーザーと降り出したが,原告は,雨の中でずっ と遊んでいた。また,姉の着ていた白いシミーズには黒い点々がたくさんついていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,当時の生活状況からすれば,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,30年くらい前からアレルギー性鼻炎を患っており,その他,高血圧,腰痛,前立腺肥大,頭痛,糖尿病がある。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害(糖尿病),循環器機能障害(高血圧性心疾患)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号県18原告は,昭和11年○月○日生まれであり,原爆投下当時,9歳で,o国民学校3年生であった。 原告は,原爆投下当日,畑になっていた学校のグランドで作業をしていたところ,原爆投下から一,二時間ほどすると,紙切れや焦げた紙幣,布などが降っ ,原爆投下当時,9歳で,o国民学校3年生であった。 原告は,原爆投下当日,畑になっていた学校のグランドで作業をしていたところ,原爆投下から一,二時間ほどすると,紙切れや焦げた紙幣,布などが降ってきて空も曇り始めた。原告は,雨が降っている中,家まで七,八分歩いて帰ったが,服はびしょ濡れになり,着物が黒ずんだ。原告一家は,食べ物については,原爆投下後も,自分たちの田畑で作ったものを食べ,魚は近くの太田川で捕って食べていた。水は家にあった井戸から汲んでいた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,身体が弱くなり,風邪を良く引く体質になり,学校を休むことが多くなった。また,原告は,30歳過ぎの頃,若年性高血圧と診断された。原告は,健康管理手当の支給対象となる循環器機能障害(急性心筋梗塞)によって,平成30年○月○日,死亡した。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号県19 原告は,昭和7年○月○日生まれであり,原爆投下当時,13歳で,k尋常高等小学校の高等科2年生であった。 原告は,原爆投下当日,八幡神社横の小道で「むしお」を採っていたところ,空が曇り始め,空から焼け焦げた紙切れなどが落ちてきて,その後,「むしお」採りをしている間に,雨が降り始めた。この時着ている衣服が黒い点々がべっとりついていた。原告一家は,食べ物については,自分たちで作っていた農作物,配給された物を食べ,近くの川で ,その後,「むしお」採りをしている間に,雨が降り始めた。この時着ている衣服が黒い点々がべっとりついていた。原告一家は,食べ物については,自分たちで作っていた農作物,配給された物を食べ,近くの川で捕った魚を食べることもあった。水は,家のそばの谷水を飲料に使っていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,二十四,五歳頃に肝機能が悪くなり,10年くらい前から高血圧,脳梗塞,脳軟化症などで治療を受けている。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる脳血管障害(右放線冠脳梗塞),水晶体混濁による視機能障害(白内障)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号県20原告は,昭和12年○月○日生まれであり,原爆投下当時,8歳で,o国民学校2年生であった。 原告は,原爆投下当日,下校の指示を受けて下校していたところ,空から新聞紙や本の切れ端などの無数の紙切れが降ってきた。原告は,昼前頃に帰宅して昼食をとった後に畑仕事を手伝っていると,北東の太田川沿いの山の空が暗くなり雨が降り始めたことから,家に帰ったが,雨に濡れた。後日,母は,シャツが黒く染まって洗濯しても取れないと言っていた。原告一家は,食べ物は,配給で受ける物の他は,自分の田畑で作った物を食べ,時々,太田川で捕った魚を食べることもあった。水は家の庭にあった井戸から飲料水を取っていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂 の田畑で作った物を食べ,時々,太田川で捕った魚を食べることもあった。水は家の庭にあった井戸から飲料水を取っていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体 に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,平成20年に胃癌,食道癌の手術をし,平成26年にも胃癌の手術をした外,十二指腸潰瘍,大腸ポリープの治療を受けている。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる細胞増殖機能障害(早期胃癌,早期食道癌)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号県21原告は,昭和8年○月○日生まれであり,原爆投下当時,12歳で,k国民学校高等科1年生であった。 原告は,原爆投下当日,「むしお」を採りに自宅の北側の山道に入り歩き始めたところ,南東方向から突然ピカッと光って,続いてドオンと地響きする音がし,その後,空が急に黒く曇りなり,焼け焦げた紙切れが少し落ちてきた。原告は,山へ行くのを止めて,自宅の縁側にいたところ,雨が降り始め,また,紙も一緒に落ちてきた。原告は,雨に濡れながら洗濯物を取り込む手伝いをした。その後,雨は大降りになったり,小降りになったり,少しやんだりしながら,午後2時頃まで雨が降っており,雨が止んでからも紙類がいろいろ飛んできた。原告一家は,食糧確保のために農地を耕作していた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを 地を耕作していた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,37歳のときに中心性網膜炎と診断され,60歳くらいの頃に,目が悪くなり,医師から眼底が濁っていると言われた。原告は,平成27年に脳梗塞で倒れた。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる脳血管障害(小脳梗塞)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号県22原告は,大正13年○月○日生まれであり,原爆投下当時,21歳で,農業をしていた。 原告は,原爆投下当日,家の畑で草取りをしていたところ,空から紙切れが飛んできて,その後,「黒い雨」が降ってきた。原告は,家に帰って,干していた洗濯物を家の中に入れたが,着ていた服にも雨がかかって黒くなり,着替えて洗濯しても黒い汚れは取れなかった。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,当時の生活状況からすれば,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,50歳くらいのときから糖尿病にかかっている。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害(糖尿病),循環器機能障害(虚血性心疾患)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番 糖尿病),循環器機能障害(虚血性心疾患)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号県23原告は,昭和17年○月○日生まれであり,原爆投下当時,3歳であった。原告は,被爆当時のことは,家の前で遊んでいたときに,ピカッという光を見たこと,隣の1歳下の友達と遊んでおり,その後,家に帰るよう言われたことくらいしか記憶がないが,父から次のように聞いている。 原告は,原爆投下当日,家の前で遊んでおり,原告の家の近くでもその日に雨が降った。原告一家は,田では米を作り,畑では,麦,いも,その他色々な野菜を作っており,採れた物を家族で食べていた。また,家には井戸があり,井戸水を生活用の水として使っていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,30歳の頃に蓄膿症,70歳の頃に白内障と言われた。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害(頚椎症性神経根症,両変形性膝関節症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号県24原告は,昭和14年○月○日生まれであり,原爆投下当時,5歳であった。 原告は,原爆投下当日,家の中にいて,広島方向の山の方を何気なく見ていると,真っ黒い雲が立ち上っているのが見え,空から紙切れが舞うように落ちてきたので,家から20~ 原爆投下当時,5歳であった。 原告は,原爆投下当日,家の中にいて,広島方向の山の方を何気なく見ていると,真っ黒い雲が立ち上っているのが見え,空から紙切れが舞うように落ちてきたので,家から20~30mのところにあったo国民学校の校庭に拾いに行った。紙切れが降っているときに雨も降っていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,当時の生活状況からすれば,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,60代の頃に狭心症,64歳のときに悪性リンパ,65歳のときに白内障,74歳のときにうっ血性心不全と診断された。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害(糖尿病),循環器機能障害(虚血性心疾患,高血圧性心疾患)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 原告番号県27原告は,昭和11年○月○日生まれであり,原爆投下当時,9歳で,o国民学校4年生であった。 原告は,原爆投下当日,採草をしながら,吉ヶ瀬から筒賀村に入り,向光石に差し掛かったところ,突如強烈な閃光とドンと響く爆音がし,食草採取は直ちに中止になり,学校の校庭に集合していたときには,空からたくさんの紙などが落ちてきた。また,坪野の方の空がどんよりと曇ってきて,雨が降り始めた。雨の色は黒色で,雨脚は強くなく,30分程度で止んだが,友達や自分の白いシャツに黒っぽい染みがついた。 その後,原告は,毎日のように遊んでいた太田川へ泳ぎに行った。原告一家は,当時,自宅の水路で米を研ぐなど,水路の水を生活用水として 分程度で止んだが,友達や自分の白いシャツに黒っぽい染みがついた。 その後,原告は,毎日のように遊んでいた太田川へ泳ぎに行った。原告一家は,当時,自宅の水路で米を研ぐなど,水路の水を生活用水として利用していた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によ って汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,平成15年にパーキンソン病の診断を受けて以降闘病生活を送っていた。原告は,健康管理手当の支給対象となる腎臓機能障害(尿管結石性腎盂腎炎)を患っていたが,平成31年○月○日,死亡した。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑺ 筒賀村で被爆した原告らについてア筒賀村について宇田らによる原爆被害調査において,筒賀村のほぼ東側に位置する佐伯郡水内村久日市で「黒い小雨がバラバラ降り,油かと思った。30-60分降った。50銭札の束などが飛んできた。」という供述が,また筒賀村のほぼ北側に位置する殿賀村西調子で「大粒の雨がばらばら降った。雷鳴もした。紙片が飛んできた。」という供述が,それぞれ得られていることから,これらの供述を基に,当時の筒賀村の大字中筒賀近辺は宇田小雨域となっているが,その余の地域は宇田雨域外となっている。しかし,筒賀村については宇田らによる調査は全くされていないのであるから,宇田らの調査をもって筒賀村の宇田小雨域外の地域を「黒い雨」降雨域外とすることは不当である。 増田の調査では筒賀村の大字中筒賀以外の地域でも雨が降ったとの結果が得られていること,大瀧 ,宇田らの調査をもって筒賀村の宇田小雨域外の地域を「黒い雨」降雨域外とすることは不当である。 増田の調査では筒賀村の大字中筒賀以外の地域でも雨が降ったとの結果が得られていること,大瀧雨域でも筒賀村の広範囲で降雨があったとされていること,そして,次に述べる原告らの供述から,筒賀村の広範囲に「黒い雨」が降り放射性微粒子が降下したことは明らかである。 イ原告番号県25原告は,昭和13年○月○日生まれであり,原爆投下当時,7歳で,p国民学校1年生であった。 原告は,原爆投下当日,母と妹と一緒に隣家の庭にいたところ,突然山がピカッと光り,大きな音がした後,空が赤く染まったり黒い煙のような色に染まったりし,空一面から焼け焦げた紙切れや焼けた物が落ちてきた。その後,原告が畑に行っていたときに雨が降り始め,母が洗濯物を取 り込みに家に戻ったが,自宅の庭に干してあった洗濯物は黒くなっていた。また,自宅周辺の畑の野菜も黒くなっていた。原告は,「黒い雨」が付いた畑の野菜を食べ,「黒い雨」が降り注いだ川で毎日泳ぎ,風呂の水もその川の水を汲んで使っていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,母は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,貧血がひどくなり,寝てばかりいるようになった。また,原告は,平成9年頃から高血圧・糖尿病,狭心症を患っている。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌線機能障害(糖尿病)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるよう 狭心症を患っている。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌線機能障害(糖尿病)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ウ原告番号県26原告は,昭和20年○月○日生まれであり,原爆投下当時,生後8か月であった。原告自身は当時の記憶は何一つないが,幼少の頃から一番仲が良く面倒を見てくれた姉(原告番号県25)から聞いたことは,次のとおりである。 原告は,原爆投下当日,隣家の庭で母と姉(原告番号県25)といたときに,空が赤く染まったり黒い煙のような色に染まったりし,空一面から焼け焦げた紙切れや焼けた物が落ちてきた。雨が降った後,自宅の庭に干してあった洗濯物が黒くなっていた。また,自宅周辺の畑の野菜も黒くなっていた。原告一家は,「黒い雨」がついた畑の野菜を食べ,風呂の水も川の水を汲んで使っていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,よく発熱するようになり,47歳のときに乳癌となり,現在は高血圧である。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害(2型糖尿病)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑻ 吉坂村で被爆した原告についてア吉坂村について宇田らによる原爆被害調査において,当時の吉坂村大字吉木字戸坂(原告番号市50が居住していたところ)は,殿賀村西調子が「黒い雨」の西 ⑻ 吉坂村で被爆した原告についてア吉坂村について宇田らによる原爆被害調査において,当時の吉坂村大字吉木字戸坂(原告番号市50が居住していたところ)は,殿賀村西調子が「黒い雨」の西側の北限としたら,「黒い雨」の東側の北限として位置付けられており,吉坂村大字吉木字戸坂の近辺は宇田小雨域となっているが,その余の吉坂村の地域は宇田雨域外となっている。しかし,吉坂村について宇田らによる調査が大字吉木字戸坂の1地点しかされていないのであるから,宇田らの調査をもって吉坂村の宇田小雨域外の地域を「黒い雨」降雨域外とすることは不当である。 むしろ,増田の調査では,吉坂村の大字吉木字戸坂以外の地域でも広範囲に「黒い雨」が降ったとの結果が得られていること,吉坂村の広範囲が大瀧雨域にも入っていること,原告番号市50の供述から,吉坂村の広範囲に「黒い雨」が降り放射性微粒子が降下したことは明らかである。 イ原告番号市50原告は,昭和17年○月○日生まれであり,原爆投下当時,3歳であった。原告は,当時の記憶はないが,次のとおり聞いている。 原告は,原爆投下当日,母とともに自宅の近くの畑に出かけていたところ,自宅の辺りにも,「黒い雨」が降り,紙片など色々な物が飛んできた。なお,原告の父は,昭和40年発刊の亀田正士著『ああ広島の原爆』という本の中に,家の近くに登ってみたキノコ雲の様子や飛来物のことや黒い雨のことを絵と文章で書いている。また,原告一家は,原爆投下後も,山の水を飲んだり,雨に濡れた農作物を食べたり,川の「はや」等の魚を食べたりして過ごした。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できな ごした。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,咽頭痛や肺炎になるなどしていた。また,原告は,19歳のときに筋炎を,平成19年には急性肺塞栓症を発症し,現在も肺塞栓症と糖尿病の治療を続けている。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害(糖尿病)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑼ 緑井村で被爆した原告についてア緑井村について原爆投下当時,原告番号県28が所在していた地点は,宇田雨域外となっている。これは,宇田らの調査結果には,緑井村とその近辺の八木村及び古市町で,黒い雨が降ったとの聞き取りの報告がなかったことに基づいているものと思われる。 しかし,宇田論文の基となった原爆被害調査メモ(甲A69)及びその転記(甲A70)を具に検討すると,以下の記述がある。すなわち,緑井村については「緑井村デハ閉メタ硝子戸ハ二階ノ分殆ンド皆破レタ一階ハ余リ破レテナイ開ケタ所ハ破レテナイ光ト音トノ間隔十秒位,熱感ヲ感ジタモノアリ 30分位後ニ雷鳴驟雨」(甲A69,甲A70の各3頁目)との,さらに古市町については「真っ赤な雲がうようよ湧いて雨が降ったが,入道雲が西方へ流れた。その方の山手では雨が降った模様。」(甲A69,甲A70の各4頁)との,いずれも「黒い雨」が降った旨の供述が得られている。これらは,原爆被害調査メモを基に体験談聴取録をまとめたり,あるいは降雨域を確定 方の山手では雨が降った模様。」(甲A69,甲A70の各4頁)との,いずれも「黒い雨」が降った旨の供述が得られている。これらは,原爆被害調査メモを基に体験談聴取録をまとめたり,あるいは降雨域を確定する作業をしている際に,誤って見落とされたものと推測されるところ,緑井村及びその南側の古市町でも「黒い雨」が降っていたことは明らかである。 また,増田による調査では,緑井村では中雨が降ったと結論付けられていること,緑井村は大瀧雨域にも入っていること,次のとおりの原告の供述から,緑井村全域に「黒い雨」が降り放射性微粒子が降下したことは明らかである。 イ原告番号県28原告は,昭和16年○月○日生まれであり,原爆投下当時,4歳であった。原告は,当時のことはほとんど覚えておらず,被爆状況等については,小学生時代等に母から聞いた内容である。 原告は,原爆投下当日,祖母,姉と自宅付近の田んぼにいたところ,原爆投下の爆風で,自宅の窓ガラスや障子が壊れた。自宅にいた母は,原告や姉が爆風で飛ばされたのではないかと心配になり,そこら中を必死になって探し,ようやく原告たちを見つけ,安心して自宅まで帰り着いたこ ろ,空から紙などが落ちてきて,雨も降ってきた。雨の色は黒色で,干していた洗濯物に黒い染みがついた。また,飲料水や生活用水は,原告が物心ついた頃も,家族全員,古川の水を使って生活した。 このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,平成29年に大腸のポリープの摘出をした。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる運 体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,平成29年に大腸のポリープの摘出をした。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害(両変形性膝関節症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑽ 小河内村で被爆した原告についてア小河内村について宇田らによる原爆被害調査において,当時の小河内村での聴取結果はないようである。もっとも,原爆被害調査では,小河内村と太田川を挟んで南西に位置する久地村瀬谷,小河内村の南東に位置する飯室村古市,小河内村の北東に位置する都谷村長笹の各地において,「黒い雨」や降下物に関する供述が得られている。このような供述を基に,小河内村の北東の西ケ迫近辺を除く地域が宇田小雨域とされたものと推察される。 しかし,小河内村については宇田らによる調査が全くされていないのであるから,宇田らの調査をもって小河内村の宇田雨域外の地域を「黒い雨」降雨域外とすることは不当である。 むしろ,その後の増田による調査の結果,西ケ迫を含む小河内村の全域で「黒い雨」が降ったとされていること,大瀧雨域にも小河内村の全域が含まれていること,次のとおりの原告番号市29の供述から,小河内村の全域に「黒い雨」が降り放射性微粒子が降下したことは明らかである。 イ原告番号市29原告は,昭和10年○月○日生まれであり,原爆投下当時,9歳で,q国民学校r分校4年生であった。 原告は,原爆投下当日,朝から学校の供出用の「むしお」を採りに近くの山に行っていたところ,木の間からピカッという光が差し,ドンという音がし, ,9歳で,q国民学校r分校4年生であった。 原告は,原爆投下当日,朝から学校の供出用の「むしお」を採りに近くの山に行っていたところ,木の間からピカッという光が差し,ドンという音がし,帰宅することになった。原告は,帰宅してから,空から落ちてき た紙切れの焼けたようなものを拾い,その後,太田川に行って遊びに行った際,急に雨がザーザーと降ってきたが,すぐには家に帰らず,そのまま遊び,太田川の対岸の宇賀の川岸辺りでも遊んだ。原告一家は,農業を営み,採れた作物を食べ,生活水は,家の裏の山の湧き水を利用していた。 このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,昭和30年頃に尿管結石で手術を受け,平成20年頃に高血圧となり,平成22年には脳梗塞で入院した。 原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる脳血管障害(脳梗塞)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑾ 河内村で被爆した原告らについてア河内村について当時の河内村は,宇田論文においては,河内村の東側の上小深川,下小深川,魚切,上河内付近が同じく宇田強雨域,その西側の上河内の一部が宇田小雨域とされ,さらにその西側の下河内は宇田雨域外とされている。 これは,宇田らの調査の中で,石内村及び砂谷村での供述及び雲が北西に移動していったこと等を踏まえ導かれている。 しかし,宇田らの調査は,時間的・物理的制約のある中で行われたものであり,「黒い は,宇田らの調査の中で,石内村及び砂谷村での供述及び雲が北西に移動していったこと等を踏まえ導かれている。 しかし,宇田らの調査は,時間的・物理的制約のある中で行われたものであり,「黒い雨」降雨域の全域を確定させるものではあり得ない。 むしろ,「広島原爆戦災誌第四巻」第二編第五章第二節第六項「佐伯郡五日市町」(甲A75の目次,甲A89・724~734頁)には,原爆投下日の同町に関して,原爆投下時の閃光,爆風,衝撃波の記載に続いて,「午前十時半ごろから,約一時間にわたって紙や布の破片が,龍巻のあとのように,灰や塵と一緒になって,町全域に降って来た。また,二,三時間後,雨が強く降りはじめ,かなり長く降り続いた。」との記載があること,増田の調査では河内村の全域で雨が降ったとの結論が得られていること,河内村の全域が大瀧雨域にも入っていること,次のとおりの原告番号市12の供述から,河内村全域に「黒い雨」が降り放射性微粒子が降 下したことは明らかである。 イ原告番号市12原告は,昭和17年○月○日生まれであり,原爆投下当時,3歳6か月であった。 原告は,原爆投下当日,親戚の女の子が疎開してきていたので,家の外の道で絵を描いていたところ,ピカっと,ピンクの光,稲光のような青い光が光り,ドーンという大きな音と爆風,振動が伝わってきた。己斐の方向にキノコ雲が現れ,どんどん大きくなり,塵や埃,紙や燃えかすが飛んできて,谷合を吹き上げてやってきた。その後,「黒い雨」が降り,原告は自分が濡れたのか濡れていないのかは分からないが,雨は姉3人が連れ立って帰る頃からひどくなり姉は頭からびしょ濡れになって帰って来た。 その後も雨は降っていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,当時の生活状況からすれば,「黒 のかは分からないが,雨は姉3人が連れ立って帰る頃からひどくなり姉は頭からびしょ濡れになって帰って来た。 その後も雨は降っていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,当時の生活状況からすれば,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,身体がだるくなった状態が続くようになり,半年くらいしてから,百日咳になった。また,原告は,23歳のときに甲状腺機能低下症と,60歳のときに糖尿病と診断され,68歳のときには脳梗塞で倒れた。72歳のときに骨髄異形成症候群の前段階と診断された。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害(2型糖尿病,甲状腺機能低下症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑿ 八幡村で被爆した原告らについてア八幡村について宇田らの調査によれば,当時の八幡村は,八幡村での供述と,その南の五日市町及び西の観音村での供述と雲が北西に移動していったこと等を踏まえて,八幡村の東側の利松,口和田,高井地区の東側が宇田強雨域,その西側が宇田小雨域とされ,さらにその西側の保井田,寺田,中地等各地域は宇田雨域外とされている。しかし,宇田らの調査は,時間的・物理的制約のある中で行われたものであり,「黒い雨」降雨域の全域を確定させるものではあり得ない。 むしろ,「広島原爆戦災誌第四巻」第二編第五章第二節第六項「佐伯郡五日市町」(甲A75の目次,甲A89・724~734頁)には,原爆投下日の同町に関し ものではあり得ない。 むしろ,「広島原爆戦災誌第四巻」第二編第五章第二節第六項「佐伯郡五日市町」(甲A75の目次,甲A89・724~734頁)には,原爆投下日の同町に関して,原爆投下時の閃光,爆風,衝撃波の記載に続いて,前記⑾アで指摘した記載があること,増田の調査では八幡村の全域で雨が降ったとの結論が得られていること,八幡村の全域が大瀧雨域にも入っていること,次のとおりの原告らの供述から,八幡村全域に「黒い雨」が降り放射性微粒子が降下したことは明らかである。 イ原告番号市11原告は,昭和15年○月○日生まれであり,原爆投下当時,4歳11か月であった。 原告は,原爆投下当日,家の前の川(汲み路)で砂遊びをしていたところ,突然,ピカッと光ったのを感じて,近くにあった堆肥小屋にすぐに避難したが,爆音と爆風で堆肥小屋は壊れ,原告一家が住んでいた家屋も,ガラス窓が割れて,家の中はガラスだらけで,家の中の襖まで吹き飛んでいた。その後,原告は,同じ地区に住んでいた遠い親戚の家を目指して農道を山の方へ歩いて行ったが,その際,稲妻や雷が鳴りだし黒い雲が出て辺りは暗くなった。灰がひらひらと雪のように落ち,見上げると真っ黒い雲に灰が黒く見えるのが不気味に見えた。帰ると母が近所の人と縁側に座って外を見ており,大きな焼け焦げた紙が落ちてきた。このように,原告は,雨に濡れたという明確な記憶はないが,灰が降ってきていたのであるから,「黒い雨」を浴び,当時の生活状況からすれば,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,頭の頭頂の部分にオデキができ された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,頭の頭頂の部分にオデキができるようになった。また,原告は,小学校5年生のときに結核にかかり,18歳のときには貧血で倒れ,25歳でメニエルになり,平成12年に白内障の手術をし,平成14年からは緑内障が進行し,平成19年からは座骨神経痛を患っている。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる循環器機能障害(高血圧性心疾患),運動器機能障害(変形性頚椎症,変形性腰椎症,変形性肩関節症,変形性膝関節症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の 影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ウ原告番号市13原告は,昭和7年○月○日生まれであり,原爆投下当時,13歳で,s国民学校高等科1年生であった。 原告は,原爆投下当日,弟の子守りをしながら添い寝をしていたところ,ドーン,バリバリと障子は倒れ,天井はめくれ,家の東側の雨戸が全部内側に押し込まれるような感じで,ばらばらになって壊れ,その奥にあった障子もばらばらになって,異変に気づいた。原告は,びっくりして外の様子を見に出たところ,ごみや焼け焦げた紙が沢山落ちてきて,灰や塵が降ってきた。異変が起こってから,30分から1時間程度たったころ,バリバリと激しく「黒い雨」が降り出し,原告は,着ていたシャツが黒くなることから,走って家に帰り軒下で雨の降るのを見ていた。また,原告一家は,八幡川の水を,顔を洗ったり野菜を洗ったりするのに使い,飲み水は,隣家の井戸水をもらってきて甕に入れて使っていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等 一家は,八幡川の水を,顔を洗ったり野菜を洗ったりするのに使い,飲み水は,隣家の井戸水をもらってきて甕に入れて使っていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,6か月以内に,顔が腫れて目が開かなくなり,医師に腎臓病と言われ,また,手や足,体の上までデキモノ(赤い斑点が皮膚に現れる)ができた。また,原告は,55歳で胃潰瘍に,60歳で前立腺肥大になり,72歳で前立腺癌が見つかった外,ヘルニア,座骨神経痛等にもなった。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる循環器機能障害(慢性虚血性心疾患)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⒀ 観音村で被爆した原告らについてア観音村について当時の観音村は,その全域が「黒い雨」が降ったとされている宇田雨域外となっている。これは,宇田らによる原爆被害調査において,当時の佐伯郡観音村近辺については,観音村の東に位置する五日市地毛や観音村坪井で,飛散降下物はあったものの「黒い雨」は降っていない旨の供述が得られていることに基づいているものと思われるが,たった2名の供述で観 音村全域を「黒い雨」降雨地域外とすることは不当である。 むしろ,「広島原爆戦災誌第四巻」第二編第五章第二節第六項「佐伯郡五日市町」(甲A75の目次,甲A89・724~734頁)には,原爆投下日の同町に関して,原爆投下時の閃光,爆風,衝撃波の記載に続いて,前記⑾アで指摘した記載があるこ 二編第五章第二節第六項「佐伯郡五日市町」(甲A75の目次,甲A89・724~734頁)には,原爆投下日の同町に関して,原爆投下時の閃光,爆風,衝撃波の記載に続いて,前記⑾アで指摘した記載があること,増田の調査では観音村の全域で雨が降ったとの結論が得られていること,観音村の全域が大瀧雨域にも入っていること,次のとおりの原告番号市14の供述から,観音村全域に「黒い雨」が降り放射性微粒子が降下したことは明らかである。 イ原告番号市14原告は,昭和16年○月○日生まれであり,原爆投下当時,4歳であった。 原告は,原爆投下当日,家の中にいたところ,部屋の中が強烈な光に照らされ,その後,大音響と振動で襖や障子が内側に押し壊されるようにして,めちゃくちゃに壊れ,棚の上の物は落ち,ガラスは割れた。原告が泣きながら庭に出て,広島市の上空あたりの様子をみると,赤,黄色,緑とイルミネーションのように変化し,爆撃から20分から30分程度で辺りは暗くなり,焼け焦げた紙が原告の家の庭に落ちてきた。その後,原告は,平成24年に,冊子『黒い雨内部被曝の告発』の作成に大きくかかわったが,その中に,原告の近所に住んでいた寺本氏の「夕立のような雨が降った」などの証言や原告の家の近くを通って自宅に帰った田中貞子氏の「灰がたくさん降ってきて,ほこりが充満していた」などの証言から,原告も,広島市内からの飛来物や「黒い雨」によって被爆していると思った。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,当時の生活状況からすれば,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,小学生の頃に,腋や鼠蹊 したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,小学生の頃に,腋や鼠蹊部のリンパ腺が腫れ,病院で3回も切除してもらうこともあり,50歳代くらいから高血圧と指摘されるようになり,数年前には白内障で両眼を手術した。 原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる循環器機能障害(高血圧性心疾患)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の 影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⒁ 加計町で被爆した原告らについてア加計町について加計町については,宇田らの原爆被害調査での調査結果はないが,加計町の周辺に位置する安野村澄合,安野村宇佐,水内村久日市,都谷村長笹,殿賀村西調子において,黒い雨や紙片・ソギ板が降った旨の供述が得られていることから,これらの供述を踏まえ,当時の加計町の南半分が宇田雨域の北限とされ,北半分は宇田雨域外とされている。 しかし,加計町については,宇田らによる調査が全くされていないのであるから,宇田らの調査をもって加計町の宇田雨域外の地域を「黒い雨」降雨域外とすることは不当である。 むしろ,「広島原爆戦災誌第四巻」第二編第五章第四二項「山県郡加計町」(甲A91・868~874頁)には,当時の加計町等に関して,「爆発の閃光・音響・衝撃を感じたあと,しばらくして,太田川の下流方向にあたる南方の山上に,キノコ型の雲が湧きあがるのが,加計町一帯から望見された。これが午前八時二十分から三十分ころまでのことで,山から田から皆驚いて家路に帰ったという。そのキノコ型の雲が崩れるにつれて,快晴の夏の朝であ キノコ型の雲が湧きあがるのが,加計町一帯から望見された。これが午前八時二十分から三十分ころまでのことで,山から田から皆驚いて家路に帰ったという。そのキノコ型の雲が崩れるにつれて,快晴の夏の朝であった加計町一帯が,急に異様な暗さにつつまれたから,人々は不審に思った。炸裂後二,三時間たったころ,大つぶの油まじりのような雨が降って来た。白い衣服は,この雨に濡れてみな黒い斑点で汚れた。また,この時間ごろ,加計町方面一帯にかけて,広島市から舞いあがったいろいろの物が飛んで来た。帳簿のページ切れ・伝票類・電車の切符・その他の紙片や,屋根のソギの破片などが,なかには一部焦げて欠けた形のものもまじって,たくさん落下してきた。」と,加計町一帯においても降雨や降下物があったことを示す具体的な事実が記載されていること,増田の調査では加計町一帯に「黒い雨」が降ったとの結果が得られていること,大瀧雨域にも加計町の広範囲が入っていること,次のとおりの原告らの供述から,加計町の広範囲に「黒い雨」が降り放射性微粒子が降下したことは明らかである。 イ原告番号県2原告は,昭和7年○月○日生まれであり,原爆投下当時,13歳で,t国民学校6年生であった。 原告は,原爆投下当日,v公民館で草取りの勤労奉仕をしていたところ,ピカッと光り,地鳴りがして振動を感じた後,すぐ公民館の近くにあったセキトウ河原と呼ばれていた丁川(ようろがわ)のt国民学校の指定水泳場に降りていき,水泳をした。多くの子供らと泳いでいたところ,午前中のうちに急に暗くなり雨が降ってきたので河原にあがると,シャツに黒い筋がついており,驚いて家に帰った。当時,原告の家は,農業を営んでいたことから,採れた作物を食べていたことは明らかである。このように,原告は,「黒 なり雨が降ってきたので河原にあがると,シャツに黒い筋がついており,驚いて家に帰った。当時,原告の家は,農業を営んでいたことから,採れた作物を食べていたことは明らかである。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された川水や野菜を体内に取り込んだり,汚染された空気を呼吸により吸引することによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,平成13年に前立腺肥大と診断された。原告は,健康管理手当の支給対象となる細胞増殖機能障害(悪性黒色腫,転移性肝癌)を患っていたが,平成30年○月○日,死亡した。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ウ原告番号県3原告は,昭和12年○月○日生まれであり,原爆投下当時,8歳で,t国民学校の2年生であった。 原告は,原爆投下当日,丁川(ようろがわ)の淵と呼ばれるt国民学校の指定水泳場に,原告番号県2を含む友達5人と泳ぎに行っていたところ,広島市内の方からもくもくとあがる大きな雲を見た。その後,突然,雨が降り始め,大雨になったことから,原告は,河原に上がり服を着てみると,皆の顔に付いた雨粒が黒ずんでおり,着ていた服も黒ずんでいた。 原告は,家に帰り,山に紙切れがいっぱい落ちていたので,それを拾いに行った。原告一家は,当時,農業を営んでおり,また,生活水は谷からの水を利用していた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後 よって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,小学校5,6年生の頃からぜんそくの症状が出始め,十六,七歳の頃には突然ケロイドが出てきて,除去手 術をした。また,原告は,平成19年には前立腺癌の手術を受け,深部静脈血栓症で入院し,平成23年には鼠径ヘルニアで入院するなどした。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害(変形性脊椎症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 エ原告番号県7原告は,昭和3年○月○日生まれであり,原爆投下当時,17歳で,t実業学校3年生であった。 原告は,原爆投下当日,朝8時頃からの学校の朝礼に出ていたが,突然,ドンという大きな音が響き,広島の方から立ち上る煙のようなものを見た。原告が学校近くの林に避難すると,急に空が曇り,空から,葉書,名刺,文書の焼け焦げたようなものがパラパラと落ちてきた。原告は,午前9時過ぎ頃から,近くの果樹園に移動して作業を始めたところ,雨がパラパラと降ってきて,着ていた白いシャツに黒い斑点が付いたが,作業を継続し,黒い雨に濡れた梨を食べた。原告は,当時,安野村大字穴にあった実家を離れて寄宿舎生活であった(週末には実家に戻っていた。)が,寄宿舎では実習で収穫した物を食べ,百姓をしていた実家でも家でとれた物を食べて暮らし,また,実家では,裏山の湧き水を生活水として利用していた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引し 物を食べて暮らし,また,実家では,裏山の湧き水を生活水として利用していた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,平成11年に再生不良性貧血と診断され,現在はリウマチにもかかっている。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる造血機能障害(再生不良性貧血),運動器機能障害(変形性膝関節症)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 オ原告番号県8原告は,昭和6年○月○日生まれであり,原爆投下当時,13歳で,t国民学校高等科2年生であった。 原告は,原爆投下当日,国民学校高等科の先生の引率により,w部落で草刈りの勤労奉仕をしていたところ,広島の上空にB29が飛んできたのを見た後,しばらくしてから大きな音がした。その後,黒い煙が上がって空が真っ黒になり,大量の紙切れや電車の切符などの燃えかすが降ってきた。またしばらくすると,今後は灰色の雨が降ってきたが,原告は,涼しくなってよいと思い,そのまま約1時間半くらい草刈りを続けた。原告一家は,水道も井戸もなかったことから,生活水は,全て山の谷水を使っていた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,白内障,糖尿病,弁膜症,高脂血症,高血圧などの持病があり,継続的に治 したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,白内障,糖尿病,弁膜症,高脂血症,高血圧などの持病があり,継続的に治療を続けている。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害(糖尿病),水晶体混濁による視機能障害(白内障)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 カ原告番号県10原告は,昭和9年○月○日生まれであり,原爆投下当時,11歳で,u国民学校の6年生だった。 原告は,原爆投下当日,学校の教室で教育勅語の朗読をしていたところ,東山の方がピカッと光った後,ドンという大音響があり,先生の指示で竹薮に避難して1時間くらいジーッとしていた後,帰宅するよう指示を受けた。原告は,6人の友人と一緒に家に帰っていると,破れた新聞紙,紙幣の切れ端,ぼろきれ,紙切れなどが落ちてきたので拾っていると,雨がぽつりぽつりと落ちてきたが,気にしなかった。原告は,しばらくしてから本格的に雨が降ってきたことから家に帰ったが,帰る途中に雨に濡れ,雨水は黒ずんでいた。原告一家は,当時,畑で採れた作物を食べ,生活水としては井戸水を利用していた。このように,原告は,「黒い雨」を浴び,「黒い雨」によって汚染された水や野菜等を摂取したり,汚染された空気を呼吸により吸引したりすることによって,身体に放射線の影響を受けることを否定できない事情に置かれていた。 加えて,原告は,「黒い雨」被爆後,昭和35年に扁桃腺肥大の摘出手術を受け,平成16年に狭心症と診断された。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる循環器機能障害(高血圧性心疾患,慢性虚血性心疾患)を患っ 告は,「黒い雨」被爆後,昭和35年に扁桃腺肥大の摘出手術を受け,平成16年に狭心症と診断された。原告は,現在,健康管理手当の支給対象となる循環器機能障害(高血圧性心疾患,慢性虚血性心疾患)を患っている。 よって,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 【被告らの主張】原告らが主張する被爆状況等については,これを裏付ける資料がなく,不知(ただし,原告番号市37が,津伏にわたって遊んでいたという点については,同原告が当該区域に立ち入ったことが確認できないため,否認する。)。 なお,原告らの中には,原告本人の記憶ではなく,母親等からの伝聞に基づくものもあるところ,その内容について直ちに信用することはできない。また,原告が放射線に被曝したとする主張については否認する。 5 その他被爆者健康手帳交付申請却下処分の適法性【原告ら(承継人らを含む。)の主張】⑴ 審査基準が定められていないこと被告広島市及び被告広島県の被爆者援護法1条3号該当性の審査基準は,救護・看護などのために,被爆して負傷した者がいる収容施設に相応の時間とどまったり,あるいは被爆して負傷した者に接触したりしたことを前提とした基準に過ぎず,「黒い雨」被爆者は,3号被爆者の類型として一切考慮されていない。 この点,行政庁は,許認可等の判断に必要な審査基準を定め(行政手続法5条1項),行政上特別の支障があるときを除き,事前に公にすることを義務付けられる(同条3項)。審査基準は,「許認可等の性質に照らしてできる限り具体的なもの」でなければならない(同条2項)のであるから,被告広島市及び被告広島県が,「黒い雨」被爆者についての3号被爆者該当性の判断に必要な審査基準を定めていないことは 性質に照らしてできる限り具体的なもの」でなければならない(同条2項)のであるから,被告広島市及び被告広島県が,「黒い雨」被爆者についての3号被爆者該当性の判断に必要な審査基準を定めていないことは,手続的瑕疵である。 ⑵ 被告広島市及び被告広島県は意思能力のない状態であったこと被告広島市と被告広島県等3市5町の首長は,平成22年5月に被告広島市が取りまとめた広島市調査等に基づき,同年7月,国に対し,大瀧雨域を第一種健康診断特例区域に指定するよう要望し,また,広島市長は,平成28年8月6日の平和宣言で,「日本政府には,平均年齢が80歳を超えた被 爆者をはじめ,放射線の影響により心身に苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い,その支援策を充実するとともに,『黒い雨降雨地域』を拡大するよう強く求めます。」と同旨の要望をするなどしている。 この点,憲法92条の地方自治の本旨,地方自治法1条の2の規定からすると,被告広島市及び被告広島県が被爆地の地方自治体として,独自に大規模な調査を行い,内部被曝等の最新の科学的知見も踏まえて,大瀧雨域を第一種健康診断特例区域に指定するよう要望しているのであるから,本件各申請に対する対応についても,国(厚生労働省)は被告広島市及び被告広島県の自主性及び自立性を尊重すべきであった。 それにもかかわらず,国(厚生労働省)は,被告広島市及び被告広島県に対し技術的助言と称する指揮監督により本件各却下処分を強制したのであるから,国(厚生労働省)の指揮監督は県・市の自主性・自立性ひいては住民自治・団体自治を侵害する違法な行為と評価すべきであり,そのような国(厚生労働省)の度を超えた指揮監督により被告広島市及び被告広島県は事実上「意思能力」のない状態に置かれていたのだから本件各却下処分は無効である。 害する違法な行為と評価すべきであり,そのような国(厚生労働省)の度を超えた指揮監督により被告広島市及び被告広島県は事実上「意思能力」のない状態に置かれていたのだから本件各却下処分は無効である。 【被告らの主張】⑴ 審査基準が定められていることア被告広島市は,被爆者援護法1条3号に係る審査基準として,次のとおり定め,これをホームページ上で公示している。 ① 15人以上(病室などの閉鎖された空間の場合は5人以上)の被爆して負傷した者が収容されている収容施設等におおむね2日以上とどまった方② 被爆して負傷した者5人以上(1日当たり)と接触した方③ ①②には該当しないが,それらに相当する被爆事実が認められる方被告広島県は,被爆者援護法1条3号に係る審査基準として,別紙5「被爆者援護法第1条第3号に係る審査方針」及び別紙6「被爆者援護法第1条第3号に係る審査方針の運用のガイドライン」のとおり定め,これをホームページ上で公示している。 イ被告広島市及び被告広島県は,いずれも被爆者援護法1条3号に係る審査基準について,それぞれ前記アのとおりできる限り具体的にこれを定めており,かつ,これらを各ホームページ上で公示しているのであって,何 ら行政手続法5条に違反するところはない。 原告ら(承継人らを含む。)の主張は,いわゆる「黒い雨」を浴びるなどした者について一律に同号該当性が肯定されるべきであるとの理解を前提に,審査基準においてそれに沿う規定が定められていないことを論難するものであるが,行政手続法5条2項は,審査基準として,「許認可等の性質に照らしてできる限り具体的なものとしなければならない。」と規定するにとどまり,審査基準の内容の妥当性を問題とするもの を論難するものであるが,行政手続法5条2項は,審査基準として,「許認可等の性質に照らしてできる限り具体的なものとしなければならない。」と規定するにとどまり,審査基準の内容の妥当性を問題とするものではない。 よって,原告らの前記主張はそれ自体失当といわざるを得ない。 ⑵ 不当な干渉はないことそもそも,原告らが主張する「事実上『意思能力』のない状態」がどのような状態を指し,どのような法的根拠に基づいてそのように主張しているのか,また,どのような法的根拠に基づいて前記状態に置かれた場合に本件各処分が無効となる旨主張しているのか等については何ら明らかでなく,その趣旨も判然としないものといわざるを得ない。 また,仮にこの点をおくとしても,原告らが前記主張の根拠として挙げる各行政文書(甲A57の1ないし甲A66)の内容に鑑みても,被告広島市及び被告広島県が本件各処分をするに当たり,国がこれに不当に関与して本件各処分を強制した事実や,度を超えた指揮監督をした事実が認められないことは明らかである。よって,少なくとも原告らの前記主張は理由がないというべきである。 6 第一種健康診断特例区域指定の適法性【原告ら(承継人らを含む。)の主張】⑴ 健康診断の特例措置の制度趣旨健康診断の特例措置が設けられた背景には,被爆地である広島・長崎からの被爆区域拡大の要望がある。すなわち,原爆投下当時,被爆区域外に所在した者であっても,被爆者と同様に,原爆の放射線に起因すると思われる障害に苦しむ者がいた。特に「黒い雨」被爆者にはそのような後障害に苦しむ者が多々いたことから,そのような「黒い雨」被爆者に健康診断を受診させて健康管理を行い,放射線による健康不安を取り除くために,いわゆる大雨地域に限って健康診断特例区域という形で被爆区域として指定 む者が多々いたことから,そのような「黒い雨」被爆者に健康診断を受診させて健康管理を行い,放射線による健康不安を取り除くために,いわゆる大雨地域に限って健康診断特例区域という形で被爆区域として指定し,被爆地からの要望を一部変則的な形で制度化したものが,健康診断の特例措置である。健康診断の対象者について,被爆者健康手帳制度よりも間口広げる制度 であるから,第一種健康診断特例区域の指定に当たっては,被爆地域の指定に当って求められるほど原爆放射線による人体影響に関する十分な科学的・合理的根拠がなくともよいはずである。 そうであるとすれば,原爆投下当時にある地域に所在した者について,放射線の人体影響について一応の合理性をもった科学的知見・根拠があれば,当該地域を少なくとも第一種健康診断特例区域として指定し,安んじて健康診断を受けることができるようにすることが,「原子爆弾の放射能に起因する健康被害の特異性及び重大性に鑑み,被爆者の置かれている特別の健康状態に着目してこれを救済する目的から被爆者の援護について定めた」被爆者援護法の趣旨・目的,及び被爆者健康手帳制度において健康診断の対象者について間口を広げるという健康診断の特例措置の仕組みに合致するというべきである。 ⑵ 大瀧雨域又は増田雨域も含めて,第一種健康診断特例区域に指定されるべきこと現在の科学的知見を踏まえると,原告らが原爆投下当時住んでいた地域に原爆による放射性微粒子が降下し,原告ら住民は,放射性微粒子から放出される放射線によって被曝する環境にあったといえる。そして,内部被曝に関する現在の科学的知見を考慮すると,原爆投下当時,大瀧雨域又は増田雨域に所在した者については,身体に放射線の影響を受けたことを否定できない事情があることは明らかであるから,放射線の人体影 部被曝に関する現在の科学的知見を考慮すると,原爆投下当時,大瀧雨域又は増田雨域に所在した者については,身体に放射線の影響を受けたことを否定できない事情があることは明らかであるから,放射線の人体影響について一応の合理性をもった科学的知見・根拠があるといえる。このように,現在の科学的知見・根拠を踏まえると,大瀧雨域又は増田雨域を第一種健康診断特例区域として指定し,被爆者援護法7条に基づく健康診断を受診できるようにして,健康管理を十分に行うことが,健康診断の特例措置を規定する被爆者援護法附則17条の趣旨・目的及び仕組みに合致するというべきである。 それにもかかわらず,現行の第一種健康診断特例区域の指定は狭きに失し不当であり,「黒い雨」被爆者間で著しい不平等を招来している。宇田小雨域はもとより,大瀧雨域又は増田雨域も含めて,第一種健康診断特例区域に指定されるべきであり,これら「黒い雨」降雨域に所在した「黒い雨」被爆者は,第一種健康診断受診者証を所持する資格がある。 ⑶ 昭和51年当時の科学的知見を前提としても,第一種健康診断特例区域の指定が不合理であること なお,宇田強雨域が第一種健康診断特例区域に指定された昭和51年当時の科学的知見を前提としても,少なくとも宇田雨域全体が区域指定されるべきであったといえる。 すなわち,宇田論文の元になった昭和20年当時の調査においても,「黒い雨」が少なくとも宇田雨域全域に降ったこと,そして「この雨水は黒色の泥雨を呈したばかりでなく,その泥塵が強烈な放射能を呈し人体に脱毛,下痢等の毒性生理作用を示し,魚類の斃死浮上その他の現象をも現わした。そしてその後も長く(2,3ヶ月も)広島西部地区の土地に高放射能性をとどめる重要原因をなした」などと「黒い雨」による放射性降下物から放出される放射 用を示し,魚類の斃死浮上その他の現象をも現わした。そしてその後も長く(2,3ヶ月も)広島西部地区の土地に高放射能性をとどめる重要原因をなした」などと「黒い雨」による放射性降下物から放出される放射線の人体等に対する影響が現実に発生したことが窺われる事実が報告されていた。 これに加え,昭和51年当時,広島の第一種健康診断特例区域で高濃度の放射能が検出されたという報告があったり,あるいは第一種健康診断特例区域を含む宇田雨域内の住民を対象とした昭和48年のアンケート調査で,被爆当時急性症状を発症した者も一定数存在したことに加え,住民のうち約4割の健康状態が「弱い」又は「病気」という結果であったというのである。 これらの報告や事実から,少なくとも「黒い雨」が降った宇田雨域内の住民については,原爆による放射性降下物から放出される放射線によって被曝する環境下にあり,そのため人体等に影響が及ぶこともあるということについて一応の合理性をもった科学的知見・根拠があったといえる。 そうであるとすれば,昭和51年当時の科学的知見・根拠を踏まえても,宇田雨域全域を第一種健康診断特例区域として指定し,同地域の住民が,原爆医療法4条に基づく健康診断を受診して,健康管理を十分に行えるようにすることが,健康診断の特例措置を規定する原爆医療法附則3項の趣旨・目的及び仕組みに合致するというべきであった。 【被告らの主張】⑴ 被爆者援護法施行令附則2条別表第3は,同法附則17条の委任の趣旨を逸脱・濫用したものではないことア委任命令の法令適合性の判断基準について委任命令の法令適合性,すなわち,同命令が法律による委任の範囲内か否かは,①授権規定の文理,②授権規定が下位法令に委任した趣旨,③授権法の趣旨,目的及び仕組みとの整合性及び④委任 委任命令の法令適合性,すなわち,同命令が法律による委任の範囲内か否かは,①授権規定の文理,②授権規定が下位法令に委任した趣旨,③授権法の趣旨,目的及び仕組みとの整合性及び④委任命令によって制限され る権利ないし利益の性質等の考慮要素を総合して判断すべきである。 イ被爆者援護法施行令附則2条別表第3が同法附則17条の委任の趣旨を逸脱・濫用したものではないこと 被爆者援護法附則17条の文言(前記ア①)被爆者援護法附則17条は,「原子爆弾が投下された際第1条第1号に規定する区域に隣接する政令で定める区域内に在った者又はその当時その者の胎児であった者は,当分の間,第7条の規定の適用については,被爆者とみなす。」と規定するのみである。前記文言からは「第1条第1号に規定する区域に隣接する・・・区域」であるという制限以外に委任の範囲を読み取ることはできない。 被爆者援護法附則17条の趣旨及び同条が同法施行令附則2条に委任した趣旨(前記ア②及び③)被爆者援護法附則17条は,原爆医療法附則3項を引き継いだものであるところ,「特別被爆者」を廃止し,被爆者健康手帳を一本化した際に,原爆医療法2条1号に規定する区域に隣接する政令で定める区域(健康診断特例区域)について,当分の間,原爆投下時に当該区域に所在した者について健康診断を公費で行うものとされたものである。これは,その当時の科学的知見に照らせば,原爆投下当時,当該区域に所在した者に原爆放射線による健康被害が生じたことについて必ずしも十分な科学的・合理的根拠までは認められず,当該区域を「被爆地域」として指定することはできないものの,その当時の科学的知見の内容や当該区域の 者に原爆放射線による健康被害が生じたことについて必ずしも十分な科学的・合理的根拠までは認められず,当該区域を「被爆地域」として指定することはできないものの,その当時の科学的知見の内容や当該区域の住民の健康調査結果等を踏まえ,暫定的措置として定められたものである。 そして,原爆医療法及び被爆者援護法が,具体的な被爆地域について政令で定めるものとしたのは,被爆地域の判断が高度の専門技術的かつ政策的判断を要する事項であり,この点につき判断能力を有する行政機関に一定の裁量を認めた趣旨と解される。すなわち,原爆放射線の人体影響についての科学的未解明性に鑑みれば,どのような者に対して援護施策を講ずるべきかの判断には,高度の専門技術的な検討が不可欠である。また,原爆被爆者の受けた放射線による健康被害が特異のものであり,「特別の犠牲」というべきものであるからといって,他の戦争被害者に対する対策に比し著しい不均衡が生ずるようであっては,その対策 は,容易に国民的合意を得難く,社会的に公正ともいえないことから,援護施策を講ずるべき範囲を判断するに当たっては,他の戦争被害者や一般の国民の生活状況等をも考慮しなければならない。したがって,この点についても高度の専門技術的な検討と,それに基づいた政策的判断が不可欠である。 このような事情に鑑みれば,原爆医療法及び被爆者援護法が,具体的な健康診断特例区域及び第一種健康診断特例区域について政令で定めるものとしたのは,前記のような高度の専門技術的かつ政策的判断を要する事項について,判断能力を有する行政機関に一定の裁量を認めた趣旨であると解するのが相当である。 委任命令によって制限される権利ないし利益の性質(前記ア④)原爆投 項について,判断能力を有する行政機関に一定の裁量を認めた趣旨であると解するのが相当である。 委任命令によって制限される権利ないし利益の性質(前記ア④)原爆投下当時,第一種健康診断特例区域として指定された区域内に所在した者は,被爆者援護法7条の規定の適用については,被爆者とみなされ,健康診断を受けることができる上,その結果,特定の疾患が認められれば,被爆者健康手帳の交付を受けることができ,同法上の被爆者として,援護措置を受けることができる。そのため,原爆投下当時,自己が所在した区域が第一種健康診断特例区域として指定されるか否かで,前記恩恵を受けることができるか否かが左右されることとなる。 しかしながら,前記規定は,飽くまで受益的規定であり,個人の権利ないし利益を制限するものではない。自己が所在した区域が第一種健康診断特例区域として指定されないことにより前記恩恵を受けることができないとしても,それは,事実上の不利益にすぎないというべきである。 被爆者援護法施行令附則2条,別表第3が,被爆者援護法附則17条の委任の趣旨を逸脱・濫用したものではないこと以上のとおり,被爆者援護法附則17条の文言からは,必ずしも委任の範囲は明らかでないし,第一種健康診断特例区域の指定は,高度の専門技術的かつ政策的判断を要する事項である。そして,第一種健康診断特例区域の指定は,受益的な規定であり,指定された区域に所在した者に恩恵が生ずるものの,指定されないことで殊更不利益が生じるものでもない。このような事情からすれば,第一種健康診断特例区域の指定に関しては,行政機関に広範な裁量が与えられているものと解するのが相 当である ,指定されないことで殊更不利益が生じるものでもない。このような事情からすれば,第一種健康診断特例区域の指定に関しては,行政機関に広範な裁量が与えられているものと解するのが相 当である。 そして,いわゆる「黒い雨」降雨域に関しては,昭和51年9月18日,過去の科学的知見とアンケート調査の結果等を踏まえて,宇田強雨域が健康診断特例区域として指定されたものの,その後の各調査及び検討では,いずれも,その余のいわゆる「黒い雨」が降ったとされる地域に高濃度の放射性物質(核分裂生成物)が降下したとの事実が認められなかった。そうである以上,原爆投下当時,前記地域に所在した者に対し,健康診断を公費で行い,その健康状況を観察することとしなかったとしても,被爆者援護法附則17条の趣旨に反することとならないというべきであるし,少なくとも,行政機関に与えられた広範な裁量に逸脱したとまではいうことができないというべきである。 よって,既に指定済みの区域以外に,いわゆる「黒い雨」降雨地域を第一種健康診断特例区域として指定していないことを理由に,被爆者援護法施行令附則2条,別表第3が被爆者援護法附則17条の委任の趣旨を逸脱・濫用したということはできないというべきである。 ⑵ 広島における第一種健康診断特例区域の範囲の指定が不合理とはいえないことア健康診断特例区域を指定した趣旨被爆者援護法附則17条の健康診断の特例は,原爆医療法附則3項を引き継いだものであるところ,健康診断特例区域(被爆者援護法施行令附則2条)については,当分の間,原爆投下時に当該区域に所在した者について健康診断を公費で行うものとされたものである。これは,当時 引き継いだものであるところ,健康診断特例区域(被爆者援護法施行令附則2条)については,当分の間,原爆投下時に当該区域に所在した者について健康診断を公費で行うものとされたものである。これは,当時の科学的知見に照らせば,原爆投下当時,当該区域に所在した者に原爆放射線による健康被害が生じたことについて必ずしも十分な科学的合理性まで認められず,当該区域を「被爆地域」として指定することはできないものの,後記イで述べるその当時の科学的知見の内容や当該区域の住民の健康調査結果等を踏まえ,被爆者保護の観点から,あくまでも政策的な暫定措置として定められたものである。 イ第一種健康診断特例区域の指定当時の科学的知見に照らしても,広島における当該区域の範囲の指定が不合理とはいえないこと広島においては,宇田論文において原爆投下直後に相当激しい雨が降ったとされる,いわゆる宇田強雨域が第一種健康診断特例区域に指定さ れた。 その理由等については,政府参考人が述べるとおり,原爆放射線の広がり及び原爆放射線の人体影響に関する科学的知見は必ずしも十分蓄積されていなかったものの,「黒い雨」降雨地域内の一部で高濃度の放射線が検出された例の報告があったことや,広島市及び周辺町村が昭和48年に宇田雨域内の地区に居住する住民に対して行ったアンケート調査において健康状況が「弱い」又は「病気」と回答した住民が約4割いたことを踏まえ,被爆者援護の観点から,宇田強雨域を第一種健康診断特例区域に指定したものである。 なお,前記政府参考人が指摘する「『黒い雨』降雨地域内の一部で高濃度の放射能が検出された例の報告」というのが具体的にいかなる報告を指すのかについて,答弁上は明らかでないが,第一種健康診断特例区域を指定した昭和51年9月時点でされていた前記のよ 地域内の一部で高濃度の放射能が検出された例の報告」というのが具体的にいかなる報告を指すのかについて,答弁上は明らかでないが,第一種健康診断特例区域を指定した昭和51年9月時点でされていた前記のような例の報告としては,広島市付近における残存放射能について調査した藤原ら報告,大阪帝国大学(当時)グループによる報告,京都帝国大学(当時)グループによる報告及び理化学研究所グループによる報告が存在することからすると,これらの報告を指すものと解される。 宇田強雨域を含む「黒い雨」降雨域の一部から高濃度の放射能が検出されたことについては,前記各報告の中で示されていたものの,当該検出結果が「黒い雨」によるものか否かについては,十分な科学的・合理的な裏付けを欠くものであり,かつ,それが人体に影響を及ぼしたか否かについても十分な科学的・合理的根拠を欠くものであった上,前記宇田雨域内の地区の住民に対して行ったアンケート調査結果も,過去の一時点において実施された調査の結果にすぎないこともあり,十分な科学的・合理的根拠を欠くものであったことから,原爆放射線の広がり及び原爆放射線の人体影響に関する科学的知見は必ずしも十分蓄積されているとはいえなかった。 そのため,宇田強雨域を含め,宇田雨域全域を被爆地域として指定することはできなかったが,その一方で,前記のとおり,「黒い雨」降雨域内の一部で高濃度の放射能が検出された例の報告があったことや,広島市及び周辺町村が昭和48年に行った宇田雨域内の地域の住民に対して行ったアンケート調査で有病者数等が約4割であったことのほか, 「黒い雨」には放射能を含んだ灰が入っており,これが人体に影響を及ぼすのではないかと危惧されていたこと,さらには,被告広島市や被告広島県から国に対してされた要望の内容をも踏まえ,被 , 「黒い雨」には放射能を含んだ灰が入っており,これが人体に影響を及ぼすのではないかと危惧されていたこと,さらには,被告広島市や被告広島県から国に対してされた要望の内容をも踏まえ,被爆者援護という政策的判断から,あくまでも暫定措置として,「黒い雨」降雨域の中でも,より人体に影響を及ぼすのではないかと危惧された宇田強雨域に限り,これを第一種健康診断特例区域に指定したものであって,その当時の科学的知見に照らしても,かかる指定が不合理であるとはいえない。 ウ現在の科学的知見を前提としても,広島における第一種健康診断特例区域の範囲の指定が不合理とはいえないこと昭和51年9月に広島における第一種健康診断特例区域を指定した後も,「黒い雨」降雨地域に係る残留放射能についての調査が行われたが,「黒い雨」降雨域において,広島に投下された原爆に由来する残留放射能の残存も放射線によると行われる人体影響の存在も認めることはできなかったものであり,現在の科学的知見によっても,宇田強雨域も含め,「黒い雨」降雨域に滞在していたことのみをもって原爆放射線による健康被害が生じたと考えることは困難であるといわざるを得ない。 また,平成24年検討会においても,放射線の健康影響に関する専門家により,研究者などからのヒアリング等,多角的な検討が行われたが,結論として,被告「広島市等が第一種健康診断特例区域への指定を要望した地域において,広島原爆由来の放射性降下物は確認されておらず,従って,これによる内部・外部被ばくがあったとも確認できない」とされているところであり,宇田強雨域外の地域において,広島原爆由来の高濃度の放射性物質が降下したとは認められないし,現在のところ,これを覆すに足る科学的知見も存在しない。 できない」とされているところであり,宇田強雨域外の地域において,広島原爆由来の高濃度の放射性物質が降下したとは認められないし,現在のところ,これを覆すに足る科学的知見も存在しない。 以上のとおりであるので,広島の第一種健康診断特例区域の範囲の指定は,現在の科学的知見を前提としても,不合理といえないことは明らかである。 7 第一種健康診断受診者証交付処分義務付けの訴えの適否【原告ら(承継人らを含む。)の主張】第一種健康診断受診者証の交付を求める義務付けの訴えは,申請型義務付け訴訟(行政事件訴訟法3条6項2号)であるが,申請型義務付け訴訟の勝訴要件は,「行政庁がその処分をすべきであることがその処分の根拠となる法 令の規定から明らかであると認められ又は行政庁がその処分をしないことがその裁量権の範囲を超え若しくはその濫用となると認められるとき」と規定されている(行政事件訴訟法37条の3第5項)。 この点,前記第5【原告ら(承継人らを含む。)の主張】のとおり,現行の被爆者援護法附則17条が委任する被爆者援護法施行令附則2条別表第3は,委任の趣旨を逸脱・濫用したものではあるものの,原告らが所在した地域を第一種健康診断特例区域と指定するものではなく,原告らに第一種健康診断受診者証を交付すべき明文上の根拠はない。 しかしながら,被爆者援護法附則17条が自ら第一種健康診断特例区域の指定をせずに「政令」に委任した趣旨・目的は,「黒い雨」降雨域に所在した者には原爆由来の放射能によって被害が及ぶ又は及ぶ可能性があることを前提に,「黒い雨」降雨域の範囲の確定や「黒い雨」による人体影響に関する科学的知見の結果を踏まえて,柔軟かつ迅速に健康診断特例区域の指定に反映させるためであり,将来の科学的知見の集積により,政令改正に 提に,「黒い雨」降雨域の範囲の確定や「黒い雨」による人体影響に関する科学的知見の結果を踏まえて,柔軟かつ迅速に健康診断特例区域の指定に反映させるためであり,将来の科学的知見の集積により,政令改正により健康診断特例区域が拡大されることが予定されていたのである。そして,この規定を合目的的に解釈すれば,被爆者援護法附則17条は,厚生労働省が,同条の要請に反し,適切かつ迅速に政令改正をしない場合は,本来の被爆者援護法の趣旨に基づいて,被爆者援護法附則17条は,最新の科学的知見の結果を踏まえて,原爆由来の放射能による健康上の影響が及ぶ又は及ぶ可能性のある「黒い雨」降雨域を,第一種健康診断特例区域として指定する規定であると解釈されるべきである。 したがって,原処分庁である被告広島市及び被告広島県としては,被爆者援護法附則17条でいうところの「政令」について,違法無効な現行の政令,すなわち被爆者援護法施行令附則2条別表第3ではなく,本来あるべき適法な政令,つまり大瀧雨域又は増田雨域も加えた区域指定がされたあるべき政令に基づいて,第一種健康診断受診者証交付申請に対する審査を行うべきであり,大瀧雨域又は増田雨域に所在した原告らに対しては第一種健康診断受診者証を交付しなければならなかったというべきである。同地域で被爆した原告らに第一種健康受診者証を交付すべきであることは「法令の規定から明らか」である。 【被告らの主張】原告らに対する第一種健康診断受診者証交付申請却下処分は適法であるか ら,同交付処分の義務付けの訴えは不適法である。 第3章当裁判所の判断第1 認定事実前記第2章第2「前提となる事実」並びに後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。 1 放射線に関する基本的概念等⑴ 放射 3章当裁判所の判断第1 認定事実前記第2章第2「前提となる事実」並びに後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。 1 放射線に関する基本的概念等⑴ 放射線の種類等(甲A31,42ないし45,122,乙2ないし7,証人P)ア放射線の種類放射線とは,運動エネルギーを持って飛び回っている小さな粒(素粒子)のことをいう。 放射線には,アルファ線,ベータ線,ガンマ線及び中性子線等があり,一般に電荷を持つ放射線(アルファ線及びベータ線)は,物質透過中に急速にエネルギーを失うため,物質を透過する力が小さく(アルファ線は薄い紙1枚で遮断され,ベータ線は薄いプラスチック板1枚で遮断される。),電荷を持たない放射線(ガンマ線及び中性子線)は,物質中を透過する際,エネルギーを失う割合が小さいため,透過性が大きいとされる。 なお,放射能とは,不安定な原子核が放射線を出しながら別の原子核に変わっていく(壊れていく)性質のことであり,原子核の崩壊を意味するものであり,人体に直接影響を及ぼすのは,放射線である。 イ半減期放射性物質は,放射線を出しながら原子核を崩壊させ,放射線を出す能力が減少する。 このような崩壊の速度(起こりやすさ)は,各放射性物質によって厳密に決まっており(崩壊確率),放射性物質ごとに決まっている放射能が半分になるまでの期間のことを(物理的)半減期という(放射性物質によっては,複数回崩壊するものもある。)。半減期が短い放射性物質は,その含まれる原子核が,それだけ高確率に放射線を放出することになるから,それだけ多くの放射線を放出することになる。一般には,アルファ線を放出する放射性物質は,多くの場合,非常に長い半減期となっており,ベータ線を放出する放射性物質は比較的短 線を放出することになるから,それだけ多くの放射線を放出することになる。一般には,アルファ線を放出する放射性物質は,多くの場合,非常に長い半減期となっており,ベータ線を放出する放射性物質は比較的短い半減期となっているとされる。 他方,放射性物質が人体に取り込まれた場合,その放射性物質が人体外 へ排出され,人体内の放射性物質の量が半分になるまでの期間のことを生物学的半減期という。 ウ電離作用原子は,その中心にある原子核と,周囲を回っている電子に分かれる。 原子は,原子同士が結合して分子となり物質を形作る。この原子と原子の結合は,原子の周囲を回っている電子の軌道が重なり合うことで,電子と電子の間に相互作用が生まれ,電子がペアを組み(ペア電子),原子と原子を繋ぐ強力な結合力が生じることになる。 このような電子に放射線があたると,電子はエネルギーを与えられ,その軌道からはじき出され,分子から飛出し,原子がプラス電荷を持つイオンとなる。 こうした現象を電離といい,アルファ線,ベータ線及びガンマ線はいずれもこのような電離作用を持つ。 エ放射線の量放射線の量のことを「線量」といい,さらに,吸収線量,等価線量等と使い分けられる。 ベクレル(Bq)ベクレルとは,放射能を表す単位で,原子核が毎秒1個の割合で崩壊するときの放射能を1Bqという。 グレイ(Gy)グレイとは,放射線の量を図る単位で,吸収線量ともいわれる。1Gyは,物質kgあたり1Jのエネルギーを吸収した時の線量である。なお,吸収線量の単位としては,以前はラド(Rad)が用いられており,1Gyは100Radと等しい。 シーベルト(Sv)シーベルトは,放射線の種類や被曝した部位を考慮した,被 ある。なお,吸収線量の単位としては,以前はラド(Rad)が用いられており,1Gyは100Radと等しい。 シーベルト(Sv)シーベルトは,放射線の種類や被曝した部位を考慮した,被爆の影響を表す単位である。 シーベルトを用いる場合には,①組織,臓器一般の平均吸収線量に,放射線の種類によって重み付けされた係数(放射線荷重係数)を乗じて求められる等価線量を表す場合と,②等価線量に,組織ごとの放射線感受性を表す組織荷重係数を乗じて求められる実効線量を表す場合がある。 アルファ線の放射線荷重係数は20であり,ベータ線やガンマ線の放射線荷重係数は1である(なお,ベータ線とガンマ線の係数は同じであるとされていることについて批判があるとされる。)。 ⑵ 原爆放射線の概要原爆の空中爆発によって生ずる放射線は,爆発後1分以内に放射される初期放射線と,それ以後のある期間,地上で観測される残留放射線の二つに大別できる(甲A10・8ないし11頁,甲A30・34ないし49頁,乙7・2頁)。 ア初期放射線初期放射線は,爆発直後から1分以内に空中に放出される放射線であり,アルファ線,ベータ線,ガンマ線,中性子線の4種類がある。 アルファ線は,核分裂しなかったウランやプルトニウムから放出され,ベータ線は,爆発の際に作られた核分裂生成物から放出されるが,これらは空気中での透過力が弱いため,空気中に吸収されて地上まで到達しない。 これに対して,ガンマ線と中性子線は透過力が非常に強く地上に到達し,人体や動植物の内部にまで影響を及ぼす。 中性子線には,速い中性子と遅い中性子とがあり,原爆により放出される中性子のほとんどは,核分裂と同時に放出された速い中性子であり,その大部分が空 達し,人体や動植物の内部にまで影響を及ぼす。 中性子線には,速い中性子と遅い中性子とがあり,原爆により放出される中性子のほとんどは,核分裂と同時に放出された速い中性子であり,その大部分が空中に放出される。地上に到達した中性子が原子核に衝突してそれに吸収されると,放射能を帯びる物質もある(放射化)。 イ残留放射線残留放射線は,核爆発に伴って生成された放射性物質から発生する放射線であり,誘導放射能からの放射線と放射線降下物(大気中に拡散した放射性微粒子〔フォールアウト〕)からの放射線に分類される。 誘導放射能からの放射線原爆の核分裂と同時に放出された中性子は,空気中の窒素の原子核に一部吸収されるが,吸収を免れて地上に達した中性子が,地上の物質の原子核と衝突し,それに吸収されると,吸収した物質のあるものは放射能を帯び(誘導放射能),ベータ線,ガンマ線などの放射線を一定期間放射し続ける(なお,物質に誘導放射能を生成するのは主に遅い中性子である。)。 誘導放射能の強さや半減期は物質によって異なる。アルミニウム28(28Al),マンガン56(56Mn),ナトリウム24(24Na)は,放射能は強いが半減期は短く,100時間以後はほとんど消滅している。それに対して,スカンジウム46(46Sc),コバルト60(60Co),セシウム134(134Cs)は,放射能は弱いが,半減期は長い。この中で,28Alの半減期は2.2分と短く,約1時間で消滅する。また,134Csは生成量が少なく,線量率が無視できるほど小さいため,これらの誘導放射能が原爆投下後の入市者に影響を与えた可能性は小さいとされる。 広島市の場合,爆心地の地上1mのところで,爆発後1~100時間までの誘導放射能によるガンマ線の ほど小さいため,これらの誘導放射能が原爆投下後の入市者に影響を与えた可能性は小さいとされる。 広島市の場合,爆心地の地上1mのところで,爆発後1~100時間までの誘導放射能によるガンマ線の総線量は,約1Gyとなる。また,爆心地からの距離が遠くなれば,中性子の総個数が急激に減少するので,誘導放射能によるガンマ線の総線量も,例えば,500mで0.2Gy,1000mで約0.01Gyに減少する。これらのことから,爆発1時間後に爆心地付近に入り,5時間程度そこにとどまった場合,誘導放射能による被曝線量は約0.2Gy,翌日に爆心地域に8時間とどまった場合,0.1Gy以下になると推定される。 放射性降下物からの放射線放射性降下物は,広島原爆の場合,ウラニウム235(235U)の核分裂生成物,また分裂しないで飛散したウラニウム,原爆器材が中性子を受けて誘導放射能を帯びたものなどが含まれる。これらは,爆発に伴う高温で一旦気化した後,再冷却の過程で微粒子となり,その微粒子は空中に高く吹き上げられ,大気中に広く飛散し,次第に地上へと降下した。放射性降下物には,徐々に降下するものと,特定の地域に集中的に降下するものとがある。 ⑶ 放射線被曝の態様放射線に人が被曝する態様には,大きく分けて,外部被曝と内部被曝の二つがある(甲A31・84ないし86頁,甲A43・5,23,24頁,甲A122・9ないし11頁,乙7,証人P5頁)。 ア外部被曝外部被曝とは,身体の外に存在する線源からの被曝をいう。外部被曝に寄与する放射線は,主に透過性の放射線(ガンマ線及び中性子線)であ る。 イ内部被曝内部被曝とは,体内に取り込まれた線源による被曝をいう。内部被曝の態様としては,①吸入摂取 放射線は,主に透過性の放射線(ガンマ線及び中性子線)であ る。 イ内部被曝内部被曝とは,体内に取り込まれた線源による被曝をいう。内部被曝の態様としては,①吸入摂取,②経口摂取及び③皮膚から侵入(特に傷口から)が考えられる。 内部被曝に至る具体的な経路としては,地上に降った放射性微粒子(放射性降下物)の一部が飲料水や野菜を汚染することにより直接摂取される場合,放射性降下物中の放射性ヨウ素が牧草を汚染し,それを飼料とした牛によって再濃縮された牛乳を摂取したことによる場合などがある。 ⑷ 放射線の確定的影響と確率的影響放射線による影響は,発生確率の観点から,低レベルの被曝でもある確率で発生する「確率的影響」と,ある量(閾値)以上の放射線を被曝しないと起こらない「確定的影響」 に大別できる(甲A45・12ないし14頁)。 ア確定的影響確定的影響は,放射線による影響が現れる最小の線量,すなわち閾値が存在し,被爆線量が閾値を超えると影響が現れる確率が増加し,1となるような影響(つまり,必ず起こる影響)のことをいう。 急性障害は,従前から,確定的影響であると考えられており,発がんや遺伝子影響以外の放射線障害は概ね確定的影響に含まれるし,放射線を大量に浴びて死に至るという現象も確定的影響である。 イ確率的影響確率的影響とは,放射線によるDNAの突然変異や,染色体変異により引き起こされる影響のことをいい,発癌や遺伝的影響を含むものであるとされる。確率的影響の場合,被曝線量の増加とともに影響が現れる確率が増大し,かつ影響の程度は,被曝線量とは無関係であるとされる。 2 広島市に投下された原爆⑴ 原爆投下広島原爆は,昭和20年8月6日午前8時15分頃,原爆 増加とともに影響が現れる確率が増大し,かつ影響の程度は,被曝線量とは無関係であるとされる。 2 広島市に投下された原爆⑴ 原爆投下広島原爆は,昭和20年8月6日午前8時15分頃,原爆ドームの中心から南東約160m,現在の広島市中区大手町一丁目5番の島病院の敷地上空580m(±15m)で爆発した(前記第2章第2の2⑴)。 ⑵ 原爆の威力広島原爆は,ウラニウム235の原子核に高速中性子を衝突させて爆発的 な核分裂連鎖反応を起こさせ,それによって大きなエネルギーを発生させた。広島原爆の爆発によって,通常の火薬で代表的なTNT(トリニトロトルエン)火薬に換算して約1万5000t分のエネルギーが放出された。放出されたエネルギーの形態別の構成は,爆風(衝撃波)として50%,熱線として35%,放射線として15%であったと推定されている。(甲A10・6頁,甲A30・8頁)⑶ 火球と熱線爆発前には長さ3m,直径0.7m程度のものであった広島原爆は,瞬間最高温度は100万℃にも達し,爆発物やその容器など原爆を構成する全ての物質はほとんど蒸発・気化し,電離気体となり,火球が形成された。 非常に高圧になった火球は,爆発後すぐに外の低い気圧に向けて急速に膨張を開始し,爆発後1万分の1秒(0.1ミリ秒)後には半径14mにまで広がり,温度は全体が均一に約30万℃近くとなり,15ミリ秒後にその表面温度は約1700℃まで一旦下降したものの,その後再び上昇を続け,0.3秒後には約7000℃に達した後下降した。火球の中心部は,爆発1秒後に最大半径約140mに達したが,10秒で光輝は消滅した。なお,熱線による焼夷作用はこの間に行われた(甲A10・6,7頁,甲A30の8ないし12頁)。 ⑷ 衝撃波と爆風原爆の ,爆発1秒後に最大半径約140mに達したが,10秒で光輝は消滅した。なお,熱線による焼夷作用はこの間に行われた(甲A10・6,7頁,甲A30の8ないし12頁)。 ⑷ 衝撃波と爆風原爆の爆発とともに,爆発点のあらゆる物は蒸発し,数十万気圧という超高圧の気体が生じ,衝撃波が発生した。 原爆の全エネルギーのうち約50%が爆風のエネルギーになると考えられている。最大風速秒速440mにも達する爆風は,人や物を殺傷するとともに,広範囲にわたる建造物に壊滅的被害を与え,さらに倒壊家屋からの火災の発生を招き,消火施設も破壊されて大火をもたらした(甲A10・7,8頁,甲A30・13ないし24頁)。 ⑸ 火事嵐の発生原爆による火災には,熱線によって起こる直接発火(一次的発火)と,爆風で建物が破壊され,それに伴って発生する間接発火(二次的発火)とがあるが,この大火によって空気が急激に熱せられ,四方から冷たい空気が中心に向かって吹き込む火事嵐現象が発生し,火災が一層増幅された。 広島の場合,爆発から30分後には火事嵐が発生し熱風が市内を吹き荒れ た。中でも,最も火勢が激しかった午前11時から午後3時にかけて,市の中心部から北半分にかけて竜巻が発生し,その結果,半径約2km以内のものをことごとく灰燼に帰し,さらに半径3km以内でも,約90%以上の建物が焼失・破壊された。広島における焼失面積は約13km2にも及んだ(甲A10・8頁,甲A30・25頁)。 ⑹ 「黒い雨」の降雨広島では,原爆投下後,高度500m以上の上空では秒速3m程度の南東の風が吹き,夕方にかけて,爆心地から北西方向に降雨があった。この雨の中には,粘り気のある黒色の性状を有する雨滴も含まれたが,通常の雨滴もあった。これらの「黒い雨」には,放射性微 秒速3m程度の南東の風が吹き,夕方にかけて,爆心地から北西方向に降雨があった。この雨の中には,粘り気のある黒色の性状を有する雨滴も含まれたが,通常の雨滴もあった。これらの「黒い雨」には,放射性微粒子が含まれていた可能性があるとされる(甲A10・11頁,甲A30・41頁,甲A33・5ないし7頁,甲A125・14頁,乙1・102,103,119,120頁,乙7・2頁,証人大瀧7頁)。 3 被爆者援護法の制定経過⑴ 原爆医療法制定に至る経緯及び同法の定め等ア原爆医療法制定に至る経緯 請願等a 請願昭和28年7月,長崎・広島両市長及び両市議会議長は,原爆による諸種の身体障害者の治療が必要であるが,障害者の大部分は治療費の負担に堪えられない人々であり,その治療費は相当多額となり,市費のみによって賄うことが著しく困難であるため,原爆障害の特殊性に鑑み,国費による援助救済をお願いしたい旨の「原子爆弾による障害者に対する治療費援助に関する請願」を行い,同請願は,同年8月3日に衆議院で,同月6日に参議院でそれぞれ採択された(甲A10=乙9・80頁)。 b 陳情書被告広島市及び長崎市は,昭和31年11月5日,原爆障害の症状は特異であり,治療に長い期間と多額の費用を必要とすることから,個々の患者が負担することは極めて困難であること,原爆障害は,国の責任において遂行した戦争による犠牲で,治療や健康管理は国家の責任で行われるべきことを指摘し,医療費の負担を国に求める「原爆 障害者援護法制定に関する陳情書」を策定した。 また,前記陳情書に添付された「原爆障害者援護法案要綱(試案)」においては,次のとおり記載されていた(甲A12=乙10・644ないし 障害者援護法制定に関する陳情書」を策定した。 また,前記陳情書に添付された「原爆障害者援護法案要綱(試案)」においては,次のとおり記載されていた(甲A12=乙10・644ないし648頁)。 「一,国は原爆障害者に対して医療を行い,被爆者に対しては,健康管理を行うものとすること。 ○ 原爆障害者とは,昭和20年8月広島市又は長崎市に投下された原子爆弾の影響により受けた政令で定める障害を有する者をいう。 ○ 被爆者とは,昭和20年8月広島市又は長崎市に原子爆弾が投下された時又はそれに引続く政令で定める期間内に,政令で定める区域内にあった者及びその者の胎児であった者をいう。」昭和28年当時の科学的知見等a 原子爆彈災害調査報告集総括編(昭和26年8月1日発行)(乙11)放射能の威力とその障害作用について,爆心直下から半径1kmの地域内では想像に絶する多量の放射能が到達し,殊に,戸外で作業中であった人々には全ての放射能威力が障害を与えたこと(乙11・4頁),コンクリート建物内の遮蔽された場所又は堅固な防空壕内等にあった人々はある程度ガンマ線と中性子との作用を受けたが,十分に遮蔽された人々は障害の程度が比較的軽かったようであること(同4頁),放射能威力の作用は,大体半径4kmまでの地域に及んでおり,戸外にいたものの方が障害を受けた程度が強かったこと(同4頁),放射能威力の人体に与えうる障害について,大体爆心直下から半径1kmの地域圏内にいたものは高度の障害(数日ないし2週間までに死亡),1ないし2kmの地域内にあった者は中度の障害(2ないし6週間の間に重篤な症状を発して多くの死亡者を出す。),2ないし4kmの地 kmの地域圏内にいたものは高度の障害(数日ないし2週間までに死亡),1ないし2kmの地域内にあった者は中度の障害(2ないし6週間の間に重篤な症状を発して多くの死亡者を出す。),2ないし4kmの地域内のものが軽度の障害(死を免れるが,数か月にわたって色々な故障が起こりやすい。)を受けたものと思われること(同4,5頁)が指摘されている。 b 原子爆彈災害調査報告集第一分冊及び第二分冊(昭和28年5月5 日)(甲A15,16)広島原爆に関しては,原爆投下後広島市に移動したため,当日の降雨には遭遇しなかった者にも,①相当の時間が経過した後に白血球数が減少し,かつ一定時間後に減少していた白血球が増加した場合があったこと,②程度の差はあったが,原爆症状に類似する症状が相当多数生じた場合もあったことが報告された(甲A15・391頁)。 c 原子爆彈後障害症治療指針(昭和28年度版〔甲A17〕,昭和30年度版〔甲A18〕。)⒜ 前記の指針には,以下のような記述がみられる。 「被爆者に限り,如何なる疾患又は症候についても一応被爆との関連を考え,その経過及び予後について特別な配慮を以て当たる。そのためには被爆者の健康管理を系統化する。即ち一定規格のカードを交附して,彼等の軽微な変調についても慎重に経過を観察する。」(甲A17・189頁)「従来一般放射線障害に対する対策としては,予防的な面に止まり積極的な治療法は行われていない。それで原爆被爆者に対しては保険診療の制限の枠を超える充分な全身補強的処置によりその変調の快復を促進すると共に,次に進展すべき不測の重篤な疾患の予防をはからねばならない。」(同190頁)⒝ 一方で,前記の指針には,「被爆後既 枠を超える充分な全身補強的処置によりその変調の快復を促進すると共に,次に進展すべき不測の重篤な疾患の予防をはからねばならない。」(同190頁)⒝ 一方で,前記の指針には,「被爆後既に10年を経過した今日に於ては,もはや恐るべき障害が来ることは極めて稀であり,健康生活の維持によって何の心配がないことを説き,医師の手で不安神経症の誘発することがないように努める。」という記述もみられる(甲A18・678頁)。 d 都築「慢性原子爆彈症について」(昭和29年,日本医事新報1556号,甲A19)⒜ 慢性原子爆弾症の定義都築は,原爆投下後時間が経過してから障害が起こる場合,種々雑多な障害が起こり,定まった特徴がないということを踏まえて,原爆に遭った人々が,それから何年かを経た後に訴えている症状を一括して慢性原子爆弾症と呼ぶものとした。 都築は,慢性原子爆弾症の具体的な症状として,①常に疲れやす く仕事をする意欲がわかない,②記憶力が減退する,③胃腸障害,特に下痢に悩むといった,初老期又は更年期の症状,あるいは終戦後の生活環境が不良であったときに多くの者が訴えた症状と同様の症状を指摘した(甲A19・3頁)。 ⒝ 放射能の影響に関する見解等都築は,慢性原子爆弾症の者の中に,①第一次放射能以外に,②誘導放射能(特に体外誘導放射能)の影響や,③原子核分裂破片の作用を蒙ったと考えるべき者がいたことを指摘した上,「第二次的ともいうべき放射能」(前記②③を指す。)の強さ自体は極めて微弱であるものの,第二次放射能が作用する時間が非常に長いために,第二次放射能の生物学的作用は,一定の場合には,無視することができないという考えを示した(甲A19・3頁 を指す。)の強さ自体は極めて微弱であるものの,第二次放射能が作用する時間が非常に長いために,第二次放射能の生物学的作用は,一定の場合には,無視することができないという考えを示した(甲A19・3頁)。 そして,都築は,具体的には,自身が数年にわたり広島及び長崎の状況を観察したところを根拠に,①第一次放射能の作用をまったく受けなかった者が,第二次放射能だけで重篤な症状を発現したり慢性原子爆弾症に罹ったりした例はあまりなかったこと(例えば,原爆投下時に爆心地から10km以上離れたところにいたが,直後に爆心地付近に入り込んで,救護作業や死体処理の作業に従事した人々の中には,急性症状を発症した者や慢性原子爆弾症を発症した者は少なかったと思われること),②原爆投下時に,爆心地から2kmないし6km程度の位置にいた者の場合,そのことだけでは急性放射線症は現れなかった(ただし,一部の者は,「潜伏性原子爆弾傷」の状態であったとされる。)ものの,前記の者が,直後に爆心地付近に出入りして作業したり,あるいは生活したりするようなことがあると色々の意味の第二次放射能の影響が併せ加わり,中度の傷害が生じ,急性放射線症を発症した例が少なくなかったことを指摘するとともに,③原爆放射線は,爆心地から1kmまでの地域では高度の傷害を,1kmから2kmまでの地域では中度の傷害を,2kmから4kmまでの地域では軽度の傷害を与えたようであると指摘した(同3,4,8頁)。 ⒞ 慢性原子爆弾症の診断ⅰ 都築は,慢性原子爆弾症の診断に当たっては,①被爆当時,ど のくらいの第一次放射能の傷害を受けたか,②急性放射線病の症状を発したか否か,発した場合はその程度はどうであったか,③被爆直後1か月ないし2か月の間に,第二次 たっては,①被爆当時,ど のくらいの第一次放射能の傷害を受けたか,②急性放射線病の症状を発したか否か,発した場合はその程度はどうであったか,③被爆直後1か月ないし2か月の間に,第二次放射能の影響を受ける機会が濃厚であったかが重要であると指摘した(甲A19・7頁)。 具体的に,都築は,①の点について,戸外では爆心地から2km以内,木造家屋内では1.5km以内,コンクリート建物内では1kmまでの範囲が,それぞれ後障害状態が起こり得る限界であるとした(甲A19・8頁)。また,都築は,③の点について,原爆投下後1か月ないし2か月の間に,特に原爆投下直後の1週間ないし2週間のうちにしばしば爆心地に入り込み,被爆地の整理,負傷者の救護等に従事した人,とりわけ中心地区の廃墟内に寝宿して前記の仕事に従事した人は放射能の影響を受けているらしいと指摘した(同8頁)。 ⅱ 都築は,前記の3点からみて,相当の放射能傷害を蒙っている疑いが濃厚である人が,何年か後になって色々な苦しみを訴え,あるいは不定の症状を発症した場合には,医師による診察の結果,それらの症状等を説明するに足るだけの他の疾患又は状態が発見されない限り,ひとまず慢性原子爆弾症の可能性を疑うことが相当であると指摘した(甲A19・8頁)。 ⅲ 都築は,被爆者が,平穏な生活が続けられるよう,医療の面でも社会保障の面でも手当てが必要であると指摘した(甲A19・8頁)。 e 於保「原爆残留放射線障碍の統計的観察」(昭和32年,日本医事新報1746号。於保論文。甲A20)⒜ 於保論文における調査対象は,広島市内の一定地区(爆心地から2kmないし7kmの範囲)に住む被爆生存者全部である(甲A20・21,22頁)。 新報1746号。於保論文。甲A20)⒜ 於保論文における調査対象は,広島市内の一定地区(爆心地から2kmないし7kmの範囲)に住む被爆生存者全部である(甲A20・21,22頁)。 於保論文は,まず,原爆投下の瞬間に広島市内にいた者(於保論文で「被爆者」と定義されているのは前記の集団である。)を,原爆投下直後から3か月以内に中心地(爆心地から1km以内)に出入りしたか否かで区分し,更に原爆投下の瞬間に広島市内にい なかった非被爆者で原爆投下直後から3か月以内に入市した者(「直後入市者」)についても,3か月以内に中心地に出入りしたか否かで区分して,被爆時における遮蔽状態(屋内にいたか,遮蔽物があったか,どのような建造物の中にいたか),中心地に出入りした場合にはその滞在時間等をも考慮に入れた上,それぞれへの障害(3か月以内における急性症状)の程度について分析した(同22頁)。 ⒝ 調査結果は,下記のとおりである(甲A20・22ないし24頁)。 ① 原爆投下直後に中心地に入らなかった屋内被爆者有症率(原爆放射障害及び同熱障害を発症した率)は20.2%であり,被爆距離に反比例して有症率が高くなった。急性原爆症の各症候の発現率も被爆距離に反比例していた。 ② 原爆投下直後に中心地に出入りした屋内被爆者有症率は36.5%であり,必ずしも被爆距離に反比例して有症率が高くなったわけではなかった。 ③ 原爆投下直後に中心地に入らなかった屋外被爆者有症率は44.0%であり,被爆距離に反比例して有症率が高くなった。急性原爆症の各症候の発現率も被爆距離に反比例していた。 ④ に中心地に入らなかった屋外被爆者有症率は44.0%であり,被爆距離に反比例して有症率が高くなった。急性原爆症の各症候の発現率も被爆距離に反比例していた。 ④ 原爆投下直後に中心地に入った屋外被爆者有症率は51.0%であり,必ずしも被爆距離に反比例して有症率が高くなったわけではなかった。被爆距離が4km程度であっても28.8%の有症率があった。 ⑤ 原爆投下直後に入市した非被爆者の場合中心地に入らなかった者の有症率は0%であったが,これに対し,中心地に入った者の有症率は43.8%であった。特に,1945年(昭和20年)8月7日及び同月8日の午前8時に入市し,数日にわたり,横川町(爆心地から1.5km)から爆心地を経て山口町(爆心地から1km)に至る間の被爆者の救助と道路疎開作業を行った消防団員の中に,帰村後すぐに発熱,下痢,粘血便,皮膚粘膜の出血,全身衰弱等を来し臥床するに至った者 が多数あった(家族が同様の病気にかかった者はなかった。)。なお,原爆投下から20日以内に中心地に出入りした者の有症率が高く,1か月後に中心地に入った者の有症率は極めて低かった。 また,中心地での滞在時間が4時間以下の場合には有症者が少なかったが,10時間以上の場合には有症率が高かった。 ⒞ 以上の調査結果を踏まえて,於保は,仮に赤痢の流行によって発熱や下痢が生じているのだとすれば,被爆距離が短いほど発熱・下痢の頻度が高く,被爆距離が長くなるほど規則的に頻度が低くなっている傾向や非被爆者の中でも中心地に入った者に発熱や下痢がみられる傾向を説明することができないと述べた(甲A20・25頁)。 fABCCによる調査 的に頻度が低くなっている傾向や非被爆者の中でも中心地に入った者に発熱や下痢がみられる傾向を説明することができないと述べた(甲A20・25頁)。 fABCCによる調査⒜ ABCCによる調査は,昭和33年頃,「原子爆弾被爆生存者の寿命調査(第1報)医学調査サブサンプルにおける死亡率と研究方法の概略 1950年10月-1958年6月」(第1報。甲A22)という形でまとめられた。前記にまとめられたABCCの調査結果の初期のものは,厚生省に提出され,1957年(昭和32年)の原爆医療法制定の一助ともなった(甲A21・3頁)。 ⒝ 第1報の内容ⅰ ABCCは,動物実験によって,放射線に加齢現象を促進する作用があることが知られていたことから,被爆者における寿命短縮の有無を確認するべく,死亡を対象項目として研究を実施することとした(甲A22・2頁)。 その結果,爆心地から2km未満で被爆した者の生存者数は,爆心地から2km以遠の生存者数よりもはるかに少ないということが判明した(同8頁)。しかし,早期入市者と後期入市者の間に死亡率の差があるとは考えられなかった(同38頁)こと等から,放射線のために人類の死亡率(全死因)が影響を受けるという仮説を実質的に裏付けることはできなかったとされた(ただし,被爆後長い潜伏期間を経て発病する疾病を発見するには時期が早すぎることも考えられるため,人間の死亡率に対する放射線の一般的影響を確認することも否定することもできない旨が指摘 された(同20頁)。また,非被爆者の死亡率は,日本全国の平均と比較しても異常に低かったことから,対照群の設定が適当でなかった旨も指摘された(同35頁)。)。 ⅱ 第1報においては, された(同20頁)。また,非被爆者の死亡率は,日本全国の平均と比較しても異常に低かったことから,対照群の設定が適当でなかった旨も指摘された(同35頁)。)。 ⅱ 第1報においては,広島市で登録された悪性腫瘍の事例を解析した結果,近距離被爆者中の悪性新生物罹患率は,遠距離被爆者あるいは非被爆対照者より有意に高率であったという報告がある旨が指摘された(甲A22・29頁)。 ⅲ 第1報においては,「放射性降下物と二次放射線については,議論の余地もあるが,著者はこれらを二義的の放射線源と見なしたい。初期入市者(原爆投下直後に市に入ってきたもの)と非被爆者の死亡率を比較すると統計的に有意の差を認めることができなかった。したがって本報告では,一次放射線量だけを基礎として被爆の程度を現わすように分類した。」という記述がみられる(甲A22・6頁)。 ⅳ 第1報においては,脱毛,口腔咽頭部病変,紫斑,点状出血,その他の出血といった急性放射線症は,放射線を大量に受けたと考えられる群を選び出すために用いるのが相当であるとされた(甲A22・5頁)。 政府部内における検討等a 原爆医療法制定に当たって参考にされた科学的知見原爆医療法の制定に当たっては,日本学術会議の発行した原子爆彈災害調査報告集(及びb)やその他の専門家の意見が参考とされた(乙12・22頁)。 b 「原爆被爆者の医療等に関する法律案」(第1次原案)(昭和31年12月12日付け)厚生省が作成した前記法律案(第1次原案)2条は,「被爆者」について,「この法律において『被爆者』とは,昭和20年8月広島市又は長崎市に原子爆弾を投下された時,広島市,長崎市及び政令で定めるこれに隣 生省が作成した前記法律案(第1次原案)2条は,「被爆者」について,「この法律において『被爆者』とは,昭和20年8月広島市又は長崎市に原子爆弾を投下された時,広島市,長崎市及び政令で定めるこれに隣接する地域内にあった者(当時その者の胎児であった者を含む。)並びに原子爆弾が投下された時以後に爆心地(広島市細工町及び長崎市松山町とする。)付近に立ち入った者等政令で定める者であって,都道府県知事の登録を受けた者をいう。」旨記載していた (甲A13=乙13・44頁)。 c 原子爆弾被爆者の医療等に関する法律案(昭和32年2月7日付け)厚生省が作成した前記法律案2条は,被爆者について,次のとおり記載されていた(甲A13=乙13・6,7頁)。 「この法律において「被爆者」とは,次の各号の一に該当する者であって,被爆者健康手帳の交付を受けたものをいう。 1 原子爆弾が投下された際当時の広島市若しくは長崎市の区域内又は政令で定めるこれらに隣接する区域内にあった者 2 原子爆弾が投下された時から起算して政令で定める期間内に前号に規定する区域のうちで政令で定める区域内にあった者 3 前2号に掲げる者のほか,これらに準ずる状態にあった者であって,原子爆弾の傷害作用の影響を受けたおそれがあると考えられる状態にあったもの 4 前各号に掲げる者が当該各号に該当した当時その者の胎児であった者」d 法律案の提出前記cの法律案が作成され,各省庁との協議が開始された後,前記3号は,内閣法制局による予備審査における指摘を踏まえて,「前二号に掲げる者のほか,原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能 案が作成され,各省庁との協議が開始された後,前記3号は,内閣法制局による予備審査における指摘を踏まえて,「前二号に掲げる者のほか,原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」という文言に修正された。前記法律案は,昭和32年2月21日,政府により国会に提出された(甲A12=乙10・658頁,甲A13=乙13・15頁)。 原爆医療法に関する国会審議の状況原爆医療法は,第26回国会における衆議院及び参議院の各社会労働委員会での審議及び本会議の審議等を経て,昭和32年3月31日に成立したものであり,国会審議の状況については,次のとおりである(甲A12=乙10・658,659頁)。 a 昭和32年2月22日に開催された衆議院社会労働委員会(第26回国会)における審議状況 前記社会労働委員会において,厚生大臣は,原爆医療法の提案理由として,「昭和20年8月,戦争末期に投ぜられました原子爆弾による被爆者は,十余年を経過した今日,なお多数の要医療者を数えるほか,一見健康と見える人におきましても突然発病し死亡する等,これら被爆者の健康状態は,今日においてもなお医師の綿密な観察指導を必要とする現状であります。しかも,これが,当時予測もできなかった原子爆弾に基くものであることを考えますとき,国としてもこれらの被爆者に対し適切な健康診断及び指導を行い,また,不幸発病されました方々に対しましては,国において医療を行い,その健康の保持向上を図ることが,緊急必要事であると考えるのであります。・・・被爆者の現状にかんがみますれば,今後全国的にこれが必要な健康管理と医療とを行い,もってその福祉に資することといたしたいと考え,ここに原子 を図ることが,緊急必要事であると考えるのであります。・・・被爆者の現状にかんがみますれば,今後全国的にこれが必要な健康管理と医療とを行い,もってその福祉に資することといたしたいと考え,ここに原子爆弾被爆者の医療等に関する法律案を提出した次第であります。」旨の説明をした。 その上で,厚生大臣は,法律案の要点の1つとして,「第一は,原子爆弾が投下された当時広島市長崎市に居住していた者その他原子爆弾の放射能の影響を受けていると考えられる人に対しまして,その申請に基き都道府県知事において被爆者健康手帳を交付し,毎年健康診断及び必要な健康上の指導等の健康管理を行うことにより,疾病の早期発見その他被爆者の健康の保持を図ることとしたのであります。」旨の説明をした(乙14・2頁)。 b 昭和32年3月25日に開催された衆議院社会労働委員会(第26回国会)における審議状況前記社会労働委員会において,原爆医療法が規定する被爆者の範囲について審議されたが,その際,政府委員は,次のとおり答弁した(乙A15・17頁)。 「この法律を適用されます被爆者と申しますのが一,二,三,四に該当するものでございまして,第一は,投下されたそのときに,広島市,長崎市または政令で定める区域-これは爆心地から大体5キロくらいの区域を考えておるわけでございます。 それから第二は,その爆弾が投下されたときには,この広島市,長崎市にはおりませんでしたけれども,・・・2週間の期間 の間に入ってきて,そうして遺骨を掘り出したとか,あるいは見舞にあっちこっち探して回ったとかいうような人を考えております。その際には,爆心地から2キロくらいというふうに考えております。これも専門家の意見を聞いて,大 そうして遺骨を掘り出したとか,あるいは見舞にあっちこっち探して回ったとかいうような人を考えております。その際には,爆心地から2キロくらいというふうに考えております。これも専門家の意見を聞いて,大体そういうふうに考えておるわけでございます。 第三は,その一にも二にも入りませんが,たとえば,投下されたときに,爆心地から5キロ以上離れた海上でやはり照射を受けたというような人も,あとでいわゆる原子病を起してきております。そういう人を救わなければならないということ,それからずっと離れたところで死体の処理に当った看護婦あるいは作業員が,その後においていろいろ仕事をして,つまり二の方は2キロ以内でございますが,それよりもっと離れたところで死体の処理をして,原子病を起してきたというような人がありますので,それを救うという意味で三を入れたわけでございます。 それから第四は胎児でございます。」c 昭和32年3月21日に開催された参議院社会労働委員会(第26回国会)における審議状況前記社会労働委員会において,原爆医療法による補償の対象について審議され,政府委員から,前記aと同様の原爆医療法の提案理由及び原爆医療法の要点が説明され,その際,さらに次のとおり説明された(乙16・5頁)。 「本法律案の原爆被爆者としての対象は,爆弾が投下されました当時,広島市並びに長崎市に所在をしておられました方々,それから投爆されましてから二週間以内にお見舞いあるいはまた,救出作業等に参りまして原爆患者になられた方,そういう方が中心でございまして,その他の方は対象になっておりません。」「原爆関係の原子病にかかられた方に対しましては,的 作業等に参りまして原爆患者になられた方,そういう方が中心でございまして,その他の方は対象になっておりません。」「原爆関係の原子病にかかられた方に対しましては,的確な資料の摘出が非常にむずかしいということと,それから原爆の患者でなくても実は原子病というものはあるということから,調査をいたしますのに非常に確実性が得られませんので,ただいまのところ,そういう患者を選び出します際に的確な資料を得られるもの,そういう点から長崎市並びに広島市に限定をした次第でござ います。」イ原爆医療法の制定及び同法の定め原爆医療法は,昭和32年3月31日に成立し,同年4月1日から施行された。原爆医療法の概要は次のとおりである(乙19)。 目的(1条)原爆医療法は,「広島市及び長崎市に投下された原子爆弾の被爆者が今なお置かれている健康上の特別の状態にかんがみ,国が被爆者に対し健康診断及び医療を行うことにより,その健康の保持及び向上をはかることを目的とする」ものである。 昭和32年5月14日発衛第267号厚生事務次官通達(乙20)は,原爆医療法の目的について,「原子爆弾による被爆者には今日においてなお多数の要医療者を数え,また,一方,健康と思われる被爆者の中からも突然発病し,死亡する者が生ずる等被爆者の置かれている健康上の特別の状態にかんがみ,国においてこれら被爆者の健康診断及び医療等を行うべく制定されたものである」と述べている。 被爆者の定義a 原爆医療法2条の定め「この法律において「被爆者」とは,次の各号の一に該当する者であって,被爆者健康手帳の交付を受けたものをいう。 1 原子爆弾が投 a 原爆医療法2条の定め「この法律において「被爆者」とは,次の各号の一に該当する者であって,被爆者健康手帳の交付を受けたものをいう。 1 原子爆弾が投下された際当時の広島市若しくは長崎市の区域内又は政令で定めるこれらに隣接する区域内にあった者 2 原子爆弾が投下された時から起算して政令で定める期間内に前号に規定する区域のうちで政令で定める区域内にあった者 3 前2号に掲げる者のほか,原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者 4 前3号に掲げる者が当該各号に規定する事由に該当した当時その者の胎児であった者」b 政令で定める当時の広島市に隣接する区域原爆医療法2条1号にいう,政令で定める広島市に隣接する地域は,原子爆弾被爆者の医療等に関する法律施行令(昭和32年政令第75号。以下「原爆医療法施行令」という。)1条1項,同別表第1 により,次の地域とされた。 ・広島県安佐郡祇園町のうち,長束,西原及び西山本・広島県安芸郡戸坂村のうち,狐爪木・広島県安芸郡中山村のうち,中,落久保,北平原,西平原及び寄田・広島県安芸郡府中町のうち,茂陰北また,同法2条2号にいう期間については,同法施行令1条2項により,広島市に投下された原爆に関しては昭和20年8月20日までと定められた(乙21)。 被爆者健康手帳の申請(3条)被爆者健康手帳の交付を受けようとする者は,都道府県知事(ただし,広島市あるいは長崎市の居住者の場合には市長,以下同様であ られた(乙21)。 被爆者健康手帳の申請(3条)被爆者健康手帳の交付を受けようとする者は,都道府県知事(ただし,広島市あるいは長崎市の居住者の場合には市長,以下同様である。)に対して交付申請をしなければならない(3条1項)。都道府県知事は,同条1項の申請に基づいて審査し,申請者が2条各号のいずれかに該当すると認めるときは,その者に被爆者健康手帳を交付する(3条2項)。 健康診断(4条)都道府県知事は,被爆者に対し,毎年,厚生省令で定めるところにより,健康診断を行うものとする。 医療の給付(7,8条)厚生大臣が,被爆者について,原爆の傷害作用に起因して負傷し又は疾病にかかり,現に医療を要する状態にあると認定した場合,あるいは,その者の治癒能力が原爆の放射線の影響を受けているため現に医療を要する状態にあると認定した場合(以下,前記のような状態を「原爆症」といい,前記認定を「原爆症認定」という。)には,当該被爆者(以下「認定被爆者」という。)は,医療の給付を受けられるものと定められた(同法7条,8条)。 ウ原爆医療法につき発出された通達・通知 昭和33年8月13日衛発第727号厚生省公衆衛生局長通達「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律により行う健康診断の実施要領について」前記通達は,原爆医療法により行う被爆者の健康診断の実施要領であ り,次のことを定めている(乙22)。 「昭和20年広島及び長崎の両市に投下された原子爆弾は,もとより,世界最初の例であり,従って核爆発の結果生じた放射能の人体に及ぼす影響に関しても基礎的研究に乏しく明らかでない点がきわめて多い。 しかしながら被爆者のうちには,原子爆弾による熱線又は爆風により熱 最初の例であり,従って核爆発の結果生じた放射能の人体に及ぼす影響に関しても基礎的研究に乏しく明らかでない点がきわめて多い。 しかしながら被爆者のうちには,原子爆弾による熱線又は爆風により熱傷又は外傷を受けた者及び放射能の影響により急性又は悪急性の造血機能障害等を出現した者の外に,被爆後10年以上を経過した今日,いまだに原子爆弾後障害症というべき症状を呈する者がある状態である。 特に,この種疾病には被爆時の影響が慢性化して引き続き身体に異常を認めるものと,一見良好な健康状態にあるかにみえながら,被爆による影響が潜在し,突然造血機能障害等の疾病を出現するものとがあり,被爆者の一部には絶えず疾病発生の不安におびえるものもみられる。 したがって,被爆者について適正な健康診断を行うことによりその不安を一掃する一方,障害を有するものについてはすみやかに適当な治療を行い,その健康回復につとめることがきわめて必要であることは論をまたない。 しかしながら,いうまでもなく放射能による障害の有無を決定することは,はなはだ困難であるため,ただ単に医学的検査の結果のみならず被爆距離,被爆当時の状況,被爆後の行動等をできるだけ精細には握して,当時受けた放射能の多寡を推定するとともに,被爆後における急性症状の有無及びその程度等から間接的に当該疾病又は症状が原子爆弾に基くか否かを決定せざるを得ない場合が少なくない。 したがって,健康診断に際してはこの基準を参考として影響の有無を多面的に検討し,慎重に診断を下すことが望ましい。 昭和33年8月13日衛発第726号厚生省公衆衛生局長通達「原子爆弾後障害症治療指針」前記通達は,原爆医療法に基づき医療の給付を受けようとする者に対し適正な医療が行われるよう原爆の傷害作用に起 8月13日衛発第726号厚生省公衆衛生局長通達「原子爆弾後障害症治療指針」前記通達は,原爆医療法に基づき医療の給付を受けようとする者に対し適正な医療が行われるよう原爆の傷害作用に起因する負傷又は疾病 (原子爆弾後障害症)の特徴及び患者の治療に当たり考慮されるべき事項を定めた指針であり,次の定めがある(甲A12・763ないし770頁)。 「原子爆弾の後障害症を医学的にみると,原子爆弾投下時にこうむった熱線又は爆風等による外傷の治癒異常と投下時における直接照射の放射能及び核爆発の結果生じた放射性物質に由来する放射能による影響との二者に大別することができる。・・・後者は,造血機能障害,内分泌機能障害,白内障等によって代表されるもので,被爆後10年以上を経た今日でいまだに発病者をみている状態である。」「原子爆弾被爆者に関しては,いかなる疾患又は症候についても一応被爆との関係を考え,その経過及び予防について特別の考慮がはらわれなければならず,原子爆弾後障害症が直接間接に核爆発による放射能に関連するものである以上,被爆者の受けた放射能特にX線及び中性子の量によってその影響の異なることは当然想像されるが,被爆者のうけた放射能線量を正確に算出することはもとより困難である。この点については被爆者個々の発症素因を考慮する必要もあり,また当初の被爆状況等を推測して状況を判断しなければならないが,治療を行うに当っては,特に次の諸点について考慮する必要がある。 ・・・被爆地が爆心地から概ね2キロメートル以内のときは高度の,2キロメートルから4キロメートルまでのときは中等度の,4キロメートルをこえるときは軽度の放射能を受けたと考えて処置してさしつかえない。・・・被爆後における急性症状の有無 ートル以内のときは高度の,2キロメートルから4キロメートルまでのときは中等度の,4キロメートルをこえるときは軽度の放射能を受けたと考えて処置してさしつかえない。・・・被爆後における急性症状の有無及びその状況,被爆後における脱毛,発熱,粘膜出血,その他の症状を把握する事により,その当時どの程度放射能の影響を受けていたかを判断する事のできる場合がある。」⑵ 原爆医療法の改正等ア昭和35年の原爆医療法の改正原爆医療法の制定後,仕事を休んでまで健康診断等を受けようとしない者が多くいることが判明し,生活保護の必要性が浮き彫りとなった。 広島原爆障害対策協議会は,昭和33年2月,「原爆障害者生活援護費 給付規程」を制定し,「原爆被爆者にして低額所得のため原爆医療を受けることにより生活を脅かされるおそれのある者」に対し,一定の生活費を支給することとした(甲A10=乙9・104,105頁)。 昭和34年9月7日,広島市長は,広島市議会厚生委員会において,原爆医療法について,原爆障害(原爆症)の認定範囲が狭いため,多くの被爆者が自己負担で診療を受けていること及び入院治療が受けたくても生計が維持できなくなるため恩恵が受けられない人がいること等の問題点を挙げ,医療の範囲拡大や被爆者手当の支給等の被爆者援護の拡充を求める陳情要綱を提案し,同委員会はこれを採択した。この頃から,被告広島市の原爆医療法改正要求の取組みは本格化した(甲A10=乙9・108頁)。 こうした社会情勢を背景に,昭和35年8月1日,原子爆弾被爆者の医療等に関する法律の一部を改正する法律(昭和35年法律第136号)及び原子爆弾被爆者の医療等に関する法律施行令の一部を改正する政令(昭和35年政令第224号)等が施行された(以下,前記法改正を「 医療等に関する法律の一部を改正する法律(昭和35年法律第136号)及び原子爆弾被爆者の医療等に関する法律施行令の一部を改正する政令(昭和35年政令第224号)等が施行された(以下,前記法改正を「昭和35年改正」という。)(乙23の1,2)。なお,昭和35年改正の趣旨について,政府委員は,昭和35年4月5日に開催された衆議院(第34回国会)社会労働委員会において,次のとおり説明している(乙25・3頁)。 「原子爆弾の放射線を多量に浴びた被爆者にありましては,放射能の影響により,一般的に負傷または疾病にかかりやすいこと,負傷または疾病が治癒しにくいこと等の事情にあるのみならず,それらの疾病にかかったことによって原爆症を誘発するおそれもあるのであります。従って今回これらの被爆者に対しましては,原爆症以外の負傷または疾病についても国が必要な医療の給付を行うことによって,その健康の保持,向上をはかろうとするものであります。 また,いわゆる原爆症患者につきましては,現行法によって,国が必要な医療の給付を行っているのでありますが,今回,さらに一定の所得以下の者については,その医療を受けている期間中毎月二千円を限度として医療手当を支給することとし,これらの被爆者が安んじて医療を受けることができるようにしようとするものであります。」 昭和35年改正による改正点は,大きくは,次の2点である(甲A10=乙9・110頁)。 「特別被爆者」と一般疾病医療費の新設原爆医療法上,「被爆者」そのものの定義は従来どおりであるが,新たに「特別被爆者」という制度が設けられた。これは,従前,援護施策として認定被爆者のみに医療の給付が認められていたものについて,新たに,被爆者のうち特別被爆者に認定さ の定義は従来どおりであるが,新たに「特別被爆者」という制度が設けられた。これは,従前,援護施策として認定被爆者のみに医療の給付が認められていたものについて,新たに,被爆者のうち特別被爆者に認定された者について,原爆症認定を受けた疾病以外の一般疾病で医療を受ける場合にも医療費の自己負担分(一般疾病医療費)を国費から支給するというものである(原爆医療法14条の2。乙23の1)。 この「特別被爆者」については,「原子爆弾の放射線を多量に浴びた被爆者で政令で定めるもの」とされ(原爆医療法14条の2),これを受け,前記政令(乙23の2)では,「特別被爆者」について,①原爆投下の際,爆心地から2km以内にいた者とその胎児,②原爆医療法8条1項により厚生大臣の認定を受けた者,③原爆医療法2条1号及び同条2号に該当する者であって,同法4条の規定による健康診断の結果,造血機能障害,肝臓機能障害その他厚生大臣が定める障害(原爆の放射能の影響によるものでないことが明らかである障害を除く。)があると認められた者と定められた。なお,この特別被爆者には,特別被爆者健康手帳が交付されるものとされた(原子爆弾被爆者の医療等に関する法律施行規則の一部を改正する省令(昭和35年厚生省令第24号)。乙24)。 医療手当の新設(原爆医療法14条の8)認定被爆者(ただし,一定の所得に満たない者に限る。)に対し,その治療期間中,月額2000円を限度として,医療手当を支給することができるものとされた。 イその後の特別被爆者の認定要件の緩和 その後も,特別被爆者の認定要件について,地元関係者に不満が募り,昭和36年12月,広島,長崎両市長及び両市議会議長は,2km以内の被爆者に制限する規定の撤廃等を要 者の認定要件の緩和 その後も,特別被爆者の認定要件について,地元関係者に不満が募り,昭和36年12月,広島,長崎両市長及び両市議会議長は,2km以内の被爆者に制限する規定の撤廃等を要望する内容の陳情書を作成するなどし,陳情運動を行った(甲A10=乙9・117頁)。 これらの社会情勢を受けて,昭和37年3月31日,原爆医療法施 行令が改正され,特別被爆者の定義に関し,前記の①について,「2キロメートル以内」とされていたのが,「3キロメートル以内」に拡張されるとともに,同③については,「及び」とされていたのが,「又は」とされ,原爆医療法2条1号又は同条2号のいずれかに該当する者であることが要件とされた(原子爆弾被爆者の医療等に関する法律施行令の一部を改正する政令〔昭和37年政令第89号〕)(乙26)。 広島市議会は,昭和38年9月28日,特別被爆者としての距離の制限撤廃及び入市者救済を内容とする原爆医療法の改正を求める「原爆医療法の拡大強化と被爆者救援に関する決議」を採択するなどし,原爆医療法の改正を求めた。この決議の採択にあたっての趣旨説明においては,周辺地区の人々が市内の人々を救援に来たり,死体収容等をして,二次放射能の強烈な影響を受けていながら,これらの人々が救済の対象とされていないこと,爆心地から3キロメートル以上離れたところにいた人々についても,甚大な放射能の影響が医学的に現れている例があることが指摘された(甲A10=乙9・118頁)。 これを受けて,昭和39年3月30日,原爆医療法施行令の改正が③のうち,原爆医療法2条1号又は2号に該当する者であるという要件が撤廃された(原子爆弾被爆者の医療等に関する法律施行令の一部を改正する政令〔 受けて,昭和39年3月30日,原爆医療法施行令の改正が③のうち,原爆医療法2条1号又は2号に該当する者であるという要件が撤廃された(原子爆弾被爆者の医療等に関する法律施行令の一部を改正する政令〔昭和39年政令第47号〕)(乙27)。 さらに,被告広島市では,昭和39年4月に,広島原爆被爆者援護強化対策協議会が設置され,同年12月,特別被爆者の範囲拡大について,政府・与党幹部への陳情,折衝が続けられた(甲A10=乙9・119,120頁)。 これを受けて,昭和40年9月25日,再び原爆医療法施行令が改正され,入市被爆者に関しては,原爆投下後3日以内に原爆が投下された当時の同施行令別表第2に掲げる区域内(爆心地から2km以内)に所在した者及びその胎児が特別被爆者に加えられるとともに,「黒い雨」が降った一定の地域が残留放射能濃厚地区とされ,当該地域内に所在した者及びその胎児(原爆が投下された際当時の同施行令別表第3に掲げる区域〔爆心地から3km以内の区域を除く。〕内に 所在した者及びその胎児)が新たに特別被爆者に加えられた(原子爆弾被爆者の医療等に関する法律施行令の一部を改正する政令〔昭和40年政令第311号〕)。 「黒い雨」が降った残留放射能濃厚地区として,前記別表第3に掲げられた区域は,次のとおりである(甲A10=乙9・154頁,乙28)。 ・広島市のうち,新庄町,三滝町,山手町,己斐町,古田町,庚午町及び三篠本町四丁目・広島県安佐郡祇園町のうち,長束,西原及び西山本⑶ 原爆特別措置法の制定及び同法の定めア原爆特別措置法の制定経過原爆医療法に対しては,特別被爆者の範囲,医療手当の金額や受給手続,生活 町のうち,長束,西原及び西山本⑶ 原爆特別措置法の制定及び同法の定めア原爆特別措置法の制定経過原爆医療法に対しては,特別被爆者の範囲,医療手当の金額や受給手続,生活援護に対する措置の欠如などが問題点とされていた。また,原爆医療法の改正とは別に,生活援護等をも求める陳情活動等は継続して行われており,昭和43年4月2日には,広島・長崎双方の県,県議会,市,市議会の八者(これらは,「八者協」として,種々の陳情を重ねてきた。)の連名で,「原子爆弾被爆者特別措置法」の制定を求める陳情が政府に対して行われた。 このような陳情活動等を背景に,昭和43年4月2日,原爆特別措置法案が国会に提出され,厚生大臣からは,同日に開催された衆議院本会議(第58回国会)において,同法の趣旨について,次のとおり説明がされた(乙29・418頁)。 「原子爆弾の傷害作用の影響を受けた者の中には,身体的,精神的,経済的あるいは社会的に生活能力が劣っている者や,現に疾病に罹患しているため,他の一般国民には見られない特別の支出を余儀なくされている者等,特別の状態に置かれている者が数多く見られるところであります。したがって,これら特別の状態に置かれている被爆者に対する施策としては,医療の給付等の健康面に着目した対策のみでは十分ではなく,これらの被爆者に対してその特別の需要を満たし,生活の安定をはかることが必要であると存じます。・・・ここに原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律案を提案することといたした次第であります。」 同年5月17日,原爆特措法が成立し,同年9月1日施行された(甲A10=乙9・124,131,134ないし137頁)。 イ原爆特別措置法の定め(乙30の 次第であります。」 同年5月17日,原爆特措法が成立し,同年9月1日施行された(甲A10=乙9・124,131,134ないし137頁)。 イ原爆特別措置法の定め(乙30の1) 目的(1条)原爆特別措置法は,「広島市及び長崎市に投下された原子爆弾の被爆者であって,原子爆弾の傷害作用の影響を受け,今なお特別の状態にあるものに対し,特別手当の支給等の措置を講ずることにより,その福祉を図ることを目的とする」ものである。 特別手当の新設(2,3条)都道府県知事等は,原爆医療法8条1項の認定(原爆症認定)を受けた者であって,同項の認定に係る負傷又は疾病の状態にあるものに対し,特別手当を支給するものとされた。なお,特別手当の支給には,所得制限規定が設けられた。 健康管理手当の新設(5,6条)都道府県知事等は,原爆医療法14条の2第1項に規定する特別被爆者であって,一定の要件に該当するものに対し,健康管理手当を支給するものとされた。健康管理手当の支給には,所得制限規定が設けられた。 なお,健康管理手当の趣旨について,前記衆議院本会議において,厚生大臣は次のとおり説明している(乙29・418頁)。 「特別被爆者,すなわち,原子爆弾の放射線を多量に浴びたと認められる者であって,造血機能障害,肝臓機能障害その他の原子爆弾の影響との関連が想定される障害を伴う疾病にかかっている六十五歳以上の者,一定の身体上の障害がある者または母子世帯の母もしくはこれに準ずる者に対し,月額三千円の健康管理手当を支給することといたしております。」医療手当の増額(7,8条)都道府県知事等は,原爆医療法2条に規定する被爆者であって,同法7 れに準ずる者に対し,月額三千円の健康管理手当を支給することといたしております。」医療手当の増額(7,8条)都道府県知事等は,原爆医療法2条に規定する被爆者であって,同法7条1項の規定による医療の給付を受けているものに対し,その給付を受けている期間について,医療手当を支給するものとする。なお,医療手当の支給には,所得制限規定が設けられた。 ⑷ 被爆地域及び特別被爆地域の拡大ア被告広島市及び被告広島県は,昭和46年6月,国に対し,宇田強雨域に含まれる地域を被爆地域及び特別被爆地域とするよう範囲拡大等を求める旨要望した(乙31)。 この要望を踏まえ,昭和47年5月1日,「黒い雨」が降った残留放射能濃厚地区として,広島県安佐郡祇園町のうち,従前から被爆地域及び特別被爆地域として指定されていた長束,西原及び西山本以外の区域についても,被爆地域及び特別被爆地域に指定され,また,広島市のうち,草津東町,草津濱町,草津本町及び草津南町が特別被爆地域に指定された(原子爆弾被爆者の医療等に関する法律施行令の一部を改正する政令(昭和47年政令第134号))。 これにより,原爆医療法施行令別表第1(被爆地域),別表第3(特別被爆地域)のうち,広島については,次のとおりとなった(甲A10=乙9・154頁,乙32)。 (別表第1)・広島県安佐郡祇園町・広島県安芸郡戸坂村のうち,狐爪木・広島県安芸郡中山村のうち,中,落久保,北平原,西平原及び寄田・広島県安芸郡府中町のうち,茂陰北(別表第3)・広島市のうち,新庄町,三滝町,山手町,己斐町,古 保,北平原,西平原及び寄田・広島県安芸郡府中町のうち,茂陰北(別表第3)・広島市のうち,新庄町,三滝町,山手町,己斐町,古田町,庚午町,草津東町,草津濱町,草津本町及び草津南町・広島県安佐郡祇園町イ 「特別被爆者」の廃止特別被爆者とこれに該当しない被爆者を区別して取り扱うことに対する批判を受け,昭和49年6月17日,原子爆弾被爆者の医療等に関する法律及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律の一部を改正する法律(昭和49年法律第86号)。乙33)が制定され,同年10月1日に施行された。 これにより「特別被爆者」が廃止され,被爆者健康手帳が一本化され,全ての被爆者が,健康診断と一般疾病医療費の支給を受けられるよ うになった。これに伴い,特別被爆地域について定めた原爆医療法施行令別表第3も削除された(甲A10=乙9・154,155頁)。 ウ被爆者援護法制定に向けた動き原爆医療法及び原爆特措法(原爆二法)の下でも,被爆者に対する生活援護が不十分であり,また,我が国が高度経済成長を遂げる中で被爆者の生活面での苦労が目立っているなどとして,原爆二法の拡充強化の要望が高まった。 広島・長崎双方の県知事,県議会議長,市長,市議会議長の八者は,原爆二法の一本化を打ち出し,前記要望の実現を求め,これを皮切りに,「被爆者援護法」を求める運動が盛り上がり,国会では,毎年のように「被爆者援護法」が議員提案されたが,廃案や継続審議が繰り返された(甲A10=乙9・148頁,乙9・336ないし338頁)。 ⑸ 健康診断特例区域の新設ア長崎県,長 ように「被爆者援護法」が議員提案されたが,廃案や継続審議が繰り返された(甲A10=乙9・148頁,乙9・336ないし338頁)。 ⑸ 健康診断特例区域の新設ア長崎県,長崎市,長崎県西彼杵郡長与町及び同時津村は,昭和46年から昭和48年にかけて,数度にわたり,国に対し,被爆当時の長与村及び時津村の地理的状況や当時の風向き,住民の健康調査結果などを根拠に,同地区の全域を被爆地域として指定するよう要望した(乙42の1の1ないし乙42の3)。 この要望に対し,被爆地域の範囲は拡大されなかったものの,昭和49年6月17日の原爆医療法の改正(前記⑷イ)の際,附則3項として,次のとおり健康診断の特例措置が設けられた(原子爆弾被爆者の医療等に関する法律及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律の一部を改正する法律(昭和49年法律第86号)。乙33)。これは,原爆が投下された際に原爆医療法2条1号に規定する被爆地域に隣接する政令で定める区域(健康診断特例区域)内に所在した者についての暫定的な特例措置として,原爆医療法2条の被爆者に該当しない者についても原爆医療法の健康診断の規定(同法4条)の適用を認めるものである。 「3 原子爆弾が投下された際第2条第1号に規定する区域に隣接する政令で定める区域内にあつた者又はその当時その者の胎児であつた者は,当分の間,第4条の規定の適用については,被爆者とみなす。」 その上で,前記法改正と同日(昭和49年6月17日),原子爆弾被爆者の医療等に関する法律施行令の一部を改正する政令(昭和49年政令第210号)が制定され,同施行令附則2項により,長崎県西彼杵郡時津村及び同長与村の一部につき,健康診断特例区域が定められた(乙 爆者の医療等に関する法律施行令の一部を改正する政令(昭和49年政令第210号)が制定され,同施行令附則2項により,長崎県西彼杵郡時津村及び同長与村の一部につき,健康診断特例区域が定められた(乙43)。 イまた,昭和49年7月22日,次の内容の「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律の一部を改正する法律等の施行について」と題する各都道府県知事,広島・長崎市長宛て厚生省公衆衛生局長通達(昭和49年衛発第402号〔402号通達〕)が発出された(乙44)。 「健康診断の結果,次に掲げる障害があると診断された者については,原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(括弧内省略)第2条第3号に該当する者として,被爆者健康手帳の交付を受けることができるものであるので,その旨教示されたいこと。1造血機能障害,2肝臓機能障害,3細胞増殖機能障害,4内分泌腺機能障害,5脳血管障害,6循環器機能障害,7腎臓機能障害,8水晶体混濁による視機能障害,9呼吸器機能障害,10運動器機能障害」この結果,健康診断特例措置の対象となった者が一定の疾病を発症した場合には,原爆医療法2条3号に該当する者として,被爆者健康手帳の交付を受けることが可能となった(なお,402号通達の取扱いの対象となる障害は,後に潰瘍による消化器機能障害が追加され,11種類となった。)。 ⑹ 広島における健康診断特例区域の指定ア広島市議会は,昭和48年10月1日付けで,内閣総理大臣,厚生大臣あて「特別被爆区域の是正に関する意見書」を提出し,宇田強雨域の中で,草津及び ⑹ 広島における健康診断特例区域の指定ア広島市議会は,昭和48年10月1日付けで,内閣総理大臣,厚生大臣あて「特別被爆区域の是正に関する意見書」を提出し,宇田強雨域の中で,草津及び祇園地区は特別被爆地域に指定されながら,他の地域が特別被爆地域外とされているとして,広島市井口町,安古市町,沼田町及び安佐町を特別被爆地域に編入することを強く要望した(乙45)。 イ被告広島市及び被告広島県は,前記のとおり国に対し,宇田強雨域に含まれる地域を被爆地域とする裏付け資料を得るため,昭和48年11月20日から同年12月20日までの間,宇田雨域内の地域を対象に,「黒い 雨」の降った状況や健康状況等についてアンケート調査を行った(以下,このアンケートを「昭和48年アンケート調査」という。)。その結果,前記調査対象地域の住民のうち,約4割は,健康状況が「弱い」又は「病気」であった(乙46)。 ウ広島市沼田町,安古市町及び安佐町は,昭和49年6月14日,これらの地域が,「黒い雨」の降雨地域に当たるとして,被爆地域に指定することを陳情した(乙47)。 エ広島市長及び広島県知事は,昭和50年6月,宇田雨域に含まれる石内村,河内村,八幡村(一部),砂谷村(一部),水内村,加計村,殿賀村(一部),筒賀村(一部),吉板村(一部),都谷村(一部),安野村,伴村,戸山村,久地村,日浦村,小河内村,鈴張村(一部),飯室村,亀山村(一部),古市村(一部),安村,緑井村(一部),戸坂村,井口村(以上,当時の旧町村)を被爆地域に加えるよう要望した(乙48)。 オこれらの要望等を踏まえ,昭和51年9月18日,原子爆弾被爆者の医療等に関する法律施行令の一部を改正する政令(昭和51年政令第243 村)を被爆地域に加えるよう要望した(乙48)。 オこれらの要望等を踏まえ,昭和51年9月18日,原子爆弾被爆者の医療等に関する法律施行令の一部を改正する政令(昭和51年政令第243号)が施行され,宇田強雨域に含まれる次の地域が新たに健康診断特例区域として指定された(乙49)。なお,この改正により,健康診断特例区域が原爆医療法施行令別表第3として記載されることとなった。)。 ・広島県山県郡安野村のうち,島木及び段原・広島県佐伯郡水内村のうち,津伏,小原,井手ケ原,矢流,草谷,古持,森,下井谷,門出口,木藤及び恵下・広島県佐伯郡河内村のうち,魚切,中郷,下城,上小深川及び下小深川・広島県佐伯郡石内村・広島県佐伯郡八幡村のうち,利松,口和田及び高井・広島県安佐郡久地村のうち,宇賀,高山,本郷下,本郷中,三国,魚切,本郷上,小野原中,名原,小野原上,境原及び幸ノ神・広島県安佐郡日浦村のうち,毛木二・広島県安佐郡戸山村・広島県安佐郡安村のうち,長楽寺及び高取・広島県安佐郡伴村⑺ 昭和51年度・昭和53年度残留放射能調査 ア原爆医療法制定後,被爆地域が拡大し,また,健康診断特例区域が設定されたことで,同法2条3号の被爆者として認められる者の範囲が拡大していったことを踏まえ,改めて,被爆地域拡大に科学的根拠があるのかを確認する必要があるとされた。そこで,昭和51年,広島及び長崎の残留放射線について調査が行われ(昭和51年度残留放射能調査), 大していったことを踏まえ,改めて,被爆地域拡大に科学的根拠があるのかを確認する必要があるとされた。そこで,昭和51年,広島及び長崎の残留放射線について調査が行われ(昭和51年度残留放射能調査),「広島,長崎の残留放射能調査報告書昭和51年度」(乙50)が取りまとめられた。その結論においては,原爆に起因すると思われる明らかな異常放射能は認められなかった,宇田雨域と他の地域とで137Csの地表面放射能密度に有意差はなかったなどとされた(乙18・26~29頁,乙50・11,12頁)。 イ昭和51年度残留放射能調査において,残留放射能が有意に高いと思われる地点があったことから,昭和53年,それらの地点を含む地区の土壌中の残留放射能が有意に高いかどうかの調査が行われ(昭和53年残留放射能調査),「昭和53年度広島,長崎の残留放射能調査報告書」(乙53)が取りまとめられた。 これらの調査では,昭和51年度残留放射能調査において残留放射能が有意に高いと思われる2か所について,対象地区の放射能密度との比較がされたところ,結論として,いずれも対象地区とは有意差はなかったとされ,「今回の結果で特に両検討地区に原爆からの核分裂生成物が残留しているとはいえない。」とされた(同7頁)。 ⑻ 原爆被爆者対策基本問題懇談会ア原爆被爆者対策基本問題懇談会設置の経緯等最高裁判所昭和53年3月30日第一小法廷判決・民集32巻2号435頁(昭和53年最高裁判決)において,原爆医療法は被爆者の健康面に着目した社会保障法ではあるが,国家補償的配慮が根底にあるとの判断が示されたことを契機として,国会等において被爆者援護策の基本理念を明確にすべきであるとの指摘があった。そこで 療法は被爆者の健康面に着目した社会保障法ではあるが,国家補償的配慮が根底にあるとの判断が示されたことを契機として,国会等において被爆者援護策の基本理念を明確にすべきであるとの指摘があった。そこで,厚生大臣は,広く国民的合意の得られる結論を得るため,各分野の第一人者により十分な検討を行うこととし,昭和54年6月に,厚生大臣の私的諮問機関として原爆被爆者対策基本問題懇談会(基本問題懇談会)を設置した(乙34,35・2ないし4頁)。 基本問題懇談会は,原爆被爆者対策の基本理念及び原爆被爆者対策の 基本的在り方について,被爆者団体や関係自治体の代表その他学識経験者からの意見聴取及び現地視察をも踏まえ,同月から昭和55年12月までの間に,合計14回にわたって検討を行い,同月,厚生大臣に対し,次の内容の「原爆被爆者対策の基本理念及び基本的在り方について」と題する報告書(懇談会報告書)を取りまとめた(乙34)。 イ被爆者対策の基本理念懇談会報告書においては,被爆者対策の基本理念として,「今次の戦争による国民の犠牲はきわめて広範多岐にわたり,すべての国民がその生命・身体・財産等について多かれ少なかれ,何らかの犠牲を余儀なくされたといっても言い過ぎではない」,「およそ戦争という国の存亡をかけての非常事態のもとにおいては,国民がその生命・身体・財産等について,その戦争によって何らかの犠牲を余儀なくされたとしても,それは,国をあげての戦争による『一般の犠牲』として,すべての国民がひとしく受忍しなければならない」ことを前提に(乙34・1,2頁),「原爆放射線による健康上の障害には,被爆直後の急性原爆症に加えて,白血病,甲状腺がん等の晩発障害があり,これらは,被爆後数年ないし10年 受忍しなければならない」ことを前提に(乙34・1,2頁),「原爆放射線による健康上の障害には,被爆直後の急性原爆症に加えて,白血病,甲状腺がん等の晩発障害があり,これらは,被爆後数年ないし10年以上経過してから発生するという特異性をもつものであり,この点が一般の戦災による被害と比べ,際立った特殊性をもった被害であると言うことができる。」,「原爆被爆者の犠牲は,その本質及び程度において他の一般の戦争被害とは一線を画すべき特殊性を有する『特別の犠牲』であることを考えれば,国は原爆被爆者に対し,広い意味における国家補償の見地に立って被害の実態に即応する適切妥当な措置対策を講ずべきものと考える。」とされた(同2ないし5頁)。そして,「原爆被爆者に対する対策は,結局は,国民の租税負担によって賄われることになるのであるが,殆どすべての国民が何らかの戦争被害を受け,戦争の惨禍に苦しめられてきたという実情のもとにおいては,原爆被爆者の受けた放射線による健康被害が特異のものであり,『特別の犠牲』というべきものであるからといって,他の戦争被害者に対する対策に比し著しい不均衡が生ずるようであっては,その対策は,容易に国民的合意を得がたく,かつまた,それは社会的公正を確保するゆえんでもない。 この意味において,原爆被爆者対策も,国民的合意を得ることのできる公正妥当な範囲に止まらなければならない」と指摘された(同6頁)。 ウ被爆者対策の基本的な在り方懇談会報告書においては,被爆者対策の基本的な在り方として,「ひとしく原爆被爆者と称せられる者は,すべて『特別の犠牲』を余儀なくされた者と理解すべきものとしても,放射線被曝の程度には人によって差があり,多量の線量を被曝した者から被曝の可能性があったにすぎない者ま く原爆被爆者と称せられる者は,すべて『特別の犠牲』を余儀なくされた者と理解すべきものとしても,放射線被曝の程度には人によって差があり,多量の線量を被曝した者から被曝の可能性があったにすぎない者まで含まれている。また,被曝による放射線障害の程度についても,原爆による放射線障害であると明らかに認められる者から放射線障害の生ずる可能性のある者に至るまで,まちまちであり,これに対する対策の必要性は,人によって著しく異なる。したがって今後の対策は,画一に流れることを避け,その必要性を確かめ障害の実態に即した適切妥当な対策を重点的に実施するよう努めるべきである」とされ,「『公平の原則』は絶えず考慮しながらも,『必要の原則』を重視し,現実の必要に応じ手厚い行き届いた対策を講ずべきである」とされた(乙34・8,9頁)。 被爆地域拡大の要求が関係者の間で強い点については,「被爆地域の指定は,本来原爆投下による直接放射線量,残留放射能の調査結果など,十分な科学的根拠に基づいて行われるべきものである。」,「これまでの被爆地域の指定は,従来の行政区域を基礎として行われたために,爆心地からの距離が比較的遠い場合でも被爆地域の指定を受けている地域があることは事実であるが,上述のような科学的・合理的な根拠に基づくことなく,ただこれまでの被爆地域との均衡を保つためという理由で被爆地域を拡大することは,関係者の間に新たに不公平感を生み出す原因となり,ただ徒らに地域の拡大を続ける結果を招来するおそれがある。被爆地域の指定は,科学的・合理的な根拠のある場合に限定して行うべきである。」とされた(同10,11頁)。 エ懇談会報告書を踏まえた被爆地域の指定についての政府の姿勢昭和57年3月1日に開催された衆議院 る場合に限定して行うべきである。」とされた(同10,11頁)。 エ懇談会報告書を踏まえた被爆地域の指定についての政府の姿勢昭和57年3月1日に開催された衆議院予算委員会第三分科会(第96回国会)において「被爆地域の不均衡」に関する質問に対し,厚生大臣は,次のとおり答弁した。(乙12・22,23頁)。 「被爆地域の指定については,従来の行政区域に配慮した面もございますが,基本的には原爆の放射能の大きさを基準として定めておるというようなこともございます。したがって,今後におき ましても,原爆基本問題懇談会が指摘しているとおり,被爆地域の指定については『科学的・合理的な根拠のある場合に限定して行うべきである。』非常に回りくどい言葉でございますけれども,そう簡単に変えられないということでございます。」また,その際,政府委員は,前記厚生大臣の答弁に加え,次のとおり答弁している。 「当初の被爆地域の指定に際しましては,日本学術会議の発行いたしました原子爆彈災害調査報告集やあるいはその他の専門家の意見も参考にいたしまして,爆心地から大体5キロメートルの範囲といたしまして,その際に既存の行政区画の範囲も考慮に入れたということでございます。その後の放射線に関します研究を見ますと,一生の間に一度被曝する場合の最大許容線量というのは,国際放射線防護委員会の勧告によりますと25レムでございまして,これは広島におきましては爆心地から1.7キロ以内・・・ということになるわけでございます。また,被曝線量がゼロになる距離というのは,ABCCの調査研究によりますと,爆心地から大体3キロメートル以内ということでございまして,現在の被爆地 キロ以内・・・ということになるわけでございます。また,被曝線量がゼロになる距離というのは,ABCCの調査研究によりますと,爆心地から大体3キロメートル以内ということでございまして,現在の被爆地域の設定というのは,私ども十分な安全性を持ったものではないかというふうに思っておるわけでございます。」「一昨年の暮れの原爆被爆者対策基本問題懇談会の御報告にもありますように,これからの地域拡大というのは科学的な合理性を持ったものでなければならぬという御意見もいただいておりまして,もしまたこれを見直すとなりますと,また科学的合理性がなしにやりますと新しい不公平感というものを生み出すのじゃないかというふうに私ども思っておるわけでございます。」⑼ 増田雨域の公表と黒い雨専門家会議昭和62年5月26日,元気象研究所予報研究室長増田により,新たに「黒い雨」降雨域が発表されたこと(なお,増田は,平成元年2月頃,増田論文において,昭和62年に発表された降雨域よりもさらに大きな広がりを示す増田雨域を発表した。)等を踏まえ,被告広島市及び被告広島県は,昭和63年8月25日に,医学,物理学及び気象学の研究者ら10人で構成され,いわゆる「黒い雨」の実態と,それによる人体影響などについて検討す る「黒い雨に関する専門家会議」(以下「黒い雨専門家会議」という。)を設置した。黒い雨専門家会議では,土壌や屋根瓦などを試料とした原爆による残留放射能検出や気象シミュレーションによる降下放射線量の推定などの調査研究が3年間続けられ,平成3年5月13日,10回目の会合で報告書がまとめられた(甲A10=乙9・177,178頁,乙55)。 前記報告書では,まとめとして,「黒い雨降雨地域における残留放射能の現時点における残存と放射線によると思われる人体影響の 会合で報告書がまとめられた(甲A10=乙9・177,178頁,乙55)。 前記報告書では,まとめとして,「黒い雨降雨地域における残留放射能の現時点における残存と放射線によると思われる人体影響の存在を認めることはできなかった。」とされた(乙55・8頁)。 ⑽ 被爆者援護法の制定及び同法の定めア被爆者援護法の制定に至る経緯 平成6年11月22日,被爆者援護法案が国会に提出された(乙9・340,341頁)。 同月25日に開催された衆議院本会議(第131回国会)において,厚生大臣は,被爆者援護法の趣旨について,次のとおり説明している(乙37・1頁)。 「被爆者の方々に対しましては,原子爆弾被爆者の医療等に関する法律及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律に基づき,医療の給付,手当等の支給を初めとする各般の施策を講じ,被爆者の健康の保持増進と福祉を図ってきたところでありますが,高齢化の進行など被爆者を取り巻く環境の変化を踏まえ,現行の施策を充実発展させた総合的な対策を講ずることが強く求められてきております。 こうした状況を踏まえ,被爆後50年のときを迎えるに当たり,恒久の平和を念願するとともに,国の責任において被爆者に対する保健,医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ,あわせて,国として原爆死没者のとうとい犠牲を銘記するため,この法律案を提出することとした次第であります。」 平成6年12月1日に開催された衆議院厚生委員会(第131回国会)では,被爆者の範囲を定めることに関連し,被爆地域拡大に関する質問がされたが,政府委員は次のとおり答弁している。(乙38・1 平成6年12月1日に開催された衆議院厚生委員会(第131回国会)では,被爆者の範囲を定めることに関連し,被爆地域拡大に関する質問がされたが,政府委員は次のとおり答弁している。(乙38・12頁)「被爆地域の指定の問題,あるいは拡大をするかしないかとい う問題は,今先生お触れになりました基本懇の報告にもございます,科学的,合理的な根拠のある場合に行うべきであるというのが私どもが従来からとってきた立場でございます。長崎のことについてお触れになりましたけれども,長崎につきましては,具体的なデータについて厚生省に設けました研究班において今議論をいたしております。近く結論がまとめられるのではないかと思いますが,いずれにいたしましても,科学的あるいは合理的ということを念頭に置きつつ,この問題については私どもは対応していきたいと思っております。」平成6年12月8日に開催された参議院厚生委員会(第131回国会)では,委員から被爆者援護法の性格等に関して質問がされたことに対し,内閣総理大臣は,次のとおり答弁した(乙39)。 「ただ,今申し上げましたように,いろんな角度からいろいろな問題点を出し合いながら慎重な上にも慎重な検討を加え,広島,長崎等々の実情も十分踏まえた上で出された最善の策だというふうに私どもは申し上げておるわけであります。これは具体的には,今御指摘のありました原爆被爆者対策基本問題懇談会の考え方に基づきまして,恒久の平和を念願するとともに,国の責任において被爆者に対する保健,医療及び福祉にわたる総合的な被爆者援護対策を講じ,あわせて国としての原爆死没者のとうとい犠牲を銘記しようとするものでございまして,私はこの基本懇の考え方を踏まえて今度の案というものはつくられておるというふ にわたる総合的な被爆者援護対策を講じ,あわせて国としての原爆死没者のとうとい犠牲を銘記しようとするものでございまして,私はこの基本懇の考え方を踏まえて今度の案というものはつくられておるというふうに理解をいたしております。」平成6年12月9日,被爆者援護法が成立した。 イ被爆者援護法の概要被爆者援護法は,原爆二法を一本化し,これらの諸施策を基本的に引き継いで被爆者に対する総合的な援護政策を実施する法律として制定されたもので,被爆者の総合的な援護対策のほか,核兵器の廃絶,恒久平和などを盛り込んだ前文が設けられるとともに,新たに特別葬祭給付金の支給,平和を祈念するための事業,福祉事業の実施と補助,調査及び研究に対する補助等が規定された。また,原爆特措法において規定されていた,特別手当(被爆者援護法25条),健康管理手当(同法27条),保健手当(同 法28条)及び介護手当(同法31条)の支給について所得制限も撤廃された(乙9・342ないし344頁)。 ウ健康診断特例区域健康診断の特例に関して,被爆者援護法附則17条は,原爆が投下された際,被爆者援護法1条1号に規定する区域に隣接する政令で定める区域内に所在した者又はその当時その者の胎児であった者は,当分の間,同法7条の規定(健康診断に係る規定)の適用については被爆者とみなす旨定め,前記「政令で定める区域」については,被爆者援護法施行令附則2条及び別表第3により,前記⑹オと同じ区域が定められた。 その後,平成14年4月1日,被爆者援護法施行令が改正され,新たにいわゆる第二種健康診断特例区域が設けられた。これは,長崎原爆投下当時,爆心地から12km以内に所在した者を,被爆者援護法施行令附則2条及び別表4として,被爆者援護法附則 法施行令が改正され,新たにいわゆる第二種健康診断特例区域が設けられた。これは,長崎原爆投下当時,爆心地から12km以内に所在した者を,被爆者援護法施行令附則2条及び別表4として,被爆者援護法附則17条の対象とするものであり,第二種健康診断受診者証を交付するものとされた。これに伴い,それまでの健康診断特例区域は第一種健康診断特例区域とされた(被爆者援護法施行令の一部を改正する政令(平成14年政令第148号)。402号通達は,第一種健康診断特例区域において被爆した者に対してのみ適用するものとされ,第二種健康診断特例区域において被爆した者が,健康診断の結果,402号通達の列挙した障害があると診断されたとしても,被爆者援護法1条3号の被爆者に該当する者としては扱われていない(乙56,57))。 エ被爆者援護法1条3号に係る審査基準被告広島市は,被爆者援護法1条3号に係る審査基準として,次のとおり定め,これをホームページ上で公示している(乙41)。 ① 15人以上(病室などの閉鎖された空間の場合は5人以上)の被爆して負傷した者が収容されている収容施設等におおむね2日以上とどまった方② 被爆して負傷した者5人以上(1日当たり)と接触した方③ ①②には該当しないが,それらに相当する被爆事実が認められる方被告広島県は,被爆者援護法1条3号に係る審査基準として,別紙5「被爆者援護法第1条第3号に係る審査方針」及び別紙6「被爆者援護法第1条第3号に係る審査方針の運用のガイドライン」のとおり定め, これをホームページ上で公示している(乙40の1ないし3)。 4 「黒い雨」降雨域に関する経過,残留放射線に関する調査等について ガイドライン」のとおり定め, これをホームページ上で公示している(乙40の1ないし3)。 4 「黒い雨」降雨域に関する経過,残留放射線に関する調査等について⑴ 当日の気象概況昭和20年8月6日の原爆投下当日,広島は高気圧におおわれ天気はよく,風も弱かった。 午前8時15分頃に原爆投下があり,爆発と同時に上空に大きな積乱雲が出現し,500m以上の上空では,秒速3m程度の南東の風が吹き,夕方にかけて,爆心地から北西方向に降雨があった。火災は午後2時頃から弱まっていき,上空の雲は夕刻になって変形し層積雲となって翌朝に及んだ。広島市の南部から南方にかけては終日青空が見えていた(甲A10・11頁,甲A30・41頁,甲A33・5ないし7頁,甲A125・14頁,乙1・102,103,119,120頁,乙7・2頁,証人大瀧7頁)。 ⑵ 宇田論文気象技師の宇田は,広島管区気象台の台員等の協力を得て,昭和20年8月から12月までに収集した資料を基に,「気象関係の広島原子爆彈被害調査報告」(宇田論文)を取りまとめた。「黒い雨」降雨域に関する調査結果は,別図表1記載のとおりであり,長径19km,短径11kmの楕円形ないし長卵形の区域において降雨継続時間1時間以上であり,長径29km,短径15kmに及ぶ長卵形の地域において数分程度であっても降雨があったとされた(甲A33,乙1)。 ア調査に至る経緯文部省は,広島,長崎に投下された原爆被害を調査研究するために,昭和20年9月14日,学術研究会議に,「原子爆弾災害調査研究特別委員会」を設置し,学術分野ごとに9分科会を設け,翌年3月まで現地調査を実施するなどした。 宇田は,同月中旬頃,原爆による気象関係の一般被害状況の 14日,学術研究会議に,「原子爆弾災害調査研究特別委員会」を設置し,学術分野ごとに9分科会を設け,翌年3月まで現地調査を実施するなどした。 宇田は,同月中旬頃,原爆による気象関係の一般被害状況の調査を行い,報告をまとめるように命じられ,宇田を中心として,最終的には,広島管区気象台の台長であった菅原芳生技師,同気象台員北勲技手,山根正演技手,西田宗隆技術員,中根清之技術員の合計6名により,調査が行われた(甲A10・36,37頁)。 イ調査手法宇田らは,市内外各所の聞取書と実地踏査による資料を収集し,疑問の 点は再査して確認するようにした。ただし,実地踏査については,徒歩又は自転車によることも多く,その調査範囲は,西は佐伯郡石内村から伴村にかけて,北は可部町や広島の中心部から30km以上も山奥の山県郡安野村や殿賀村まで及んだ(甲A32,72,甲A33・1頁,乙1・99頁)。 ウ報告内容の要旨(甲A33・12ないし23頁,乙1・105ないし109頁) 降雨状況「黒い雨」の降雨範囲(別図表1参照)は,広島市中心の爆心付近に始まり,広島市北西部を中心に降って,北西方向の山地に延び遠く山県郡内に及んで終わる長卵形をなしている。降雨継続時間1時間以上を強雨域とし,それ以外の少しでも雨が降った地域を小雨域とすると,長径19km,短径11kmの楕円形ないし長卵形の地域が強雨域となり,長径29km,短径15kmに及ぶ長卵形の地域が小雨域となる(ただし,宇田は,降雨継続時間2時間以上を豪雨域,1時間以上を大雨域,30分以上を中雨域,それ未満を小雨域と区分している〔別図表1では,大雨域と豪雨域とを区別せずに「大雨」と示され,小雨域と中雨域とを区別せずに「小雨」と示されている。〕。)。 始雨 以上を大雨域,30分以上を中雨域,それ未満を小雨域と区分している〔別図表1では,大雨域と豪雨域とを区別せずに「大雨」と示され,小雨域と中雨域とを区別せずに「小雨」と示されている。〕。)。 始雨時は爆撃の閃光があった後20分後ないし1時間後に降り始めたものが多い。終雨時は,当日の午前9時ないし午前9時半から,午後3時ないし午後4時頃までにわたっており,夕方までに終わったが爆心から北西方向に向かって順遅れになっている。 降雨域,降雨継続時間,始雨時,終雨時のいずれの分布を見ても,爆心位置から北西に引いた線に対し著しく北側に偏り,前線帯を中軸とするような特殊の分布をしている。このことは爆撃及び火災による円心性上昇気流が爆心付近を中心とする上空に生じ,これが上層の一般気流によって北西に流されつつ降雨を生じたと共に前線性の持続的な上昇気流による降雨によって強化されたものと考える。 雨水の性状a 黒雨(泥雨)始雨時の小雨の雨粒に特に黒い泥分が多かったため粘り気があり,白い衣服が緋状になったり,あるいは笹の葉などに黒焦が残った りした。当時は「油を落とした」と騒がれたが,匂いもなく油とは異なっていた。谷川を轟々と流下する黒雨による出水は真っ白い泡を立てて流れ,流れる川水は墨を溶いたように黒かった。 池の鰻や川の鰻等が黒雨水の流入によって繁死浮上したり,牛が泥雨のかかった草を食べて下痢をしたり,また,水道破壊のため井戸水,地下水を飲用したと考えられる己斐高須方面の人は,爆発後約3か月にわたって下痢するものがすこぶる多数に上った(水道破壊のため,井戸水や地下水を飲用したことが関与するものと推察される。)。 宇田の自宅の雨戸(爆発当時爆風により路上に吹き飛んで雨に打たれたもの)に付着した泥分を採集し, すこぶる多数に上った(水道破壊のため,井戸水や地下水を飲用したことが関与するものと推察される。)。 宇田の自宅の雨戸(爆発当時爆風により路上に吹き飛んで雨に打たれたもの)に付着した泥分を採集し,理化学研究所調査班に分析してもらったところ,放射能がすこぶる強大であって,爆発後2か月経過しても50Nat.と爆心地の数倍であった。学童疎開から帰ってきた宇田の次男が,その雨戸の傍らに寝ていたところ,脱毛し始めたことから,驚いてその雨戸を片付けた。 b 白雨と泥の本体1時間から2時間黒雨の降った後は続いて白い普通の雨が降った。黒雨に含まれた泥の成分は爆撃時に黒煙として昇った泥塵と火災による煤塵を主とし,これに放射性物質体など爆弾に起源して空中に浮遊しあるいは地上に一旦落ちた物質塵をも複合したものとみられる。大気中の塵挨は1~2時間の雨により概ね除去されこれが地上に降ったため,この降下量の多い地区即ち広島市西方の高須,己斐方面に高放射能性を示すに至ったのであろう。 降雨の機序著しく激しくかつ持続的な豪雨となった点から見て,単純に爆撃及び火災による旺盛なる上昇気流にのみ起因するものと異なり,これらの因子に加えて何等か原爆の炸裂による放射性物質の分裂壌変に伴う放射線(ベータ線あるいは中性子のごときもの)の射出が働いてあたかも巨大なウィルソン霧箱内におけるように大気中の塵を連続的に多数のイオンに化しこれらが凝結核となって大気中に浮遊するため引き続いて激しい降雨を呼び起こすようになったのではあるまいかと考える。 飛散降下物五日市,八幡村,古田町北西など雨域の外周数kmの範囲まで黒い灰 埃が降っており,南瓜の葉などが真っ黒く見えた。降下物は焼トタン板,屋根のソギ板,蚊帳片,綿片, 飛散降下物五日市,八幡村,古田町北西など雨域の外周数kmの範囲まで黒い灰 埃が降っており,南瓜の葉などが真っ黒く見えた。降下物は焼トタン板,屋根のソギ板,蚊帳片,綿片,布片,紙片切符,名刺,紙幣,債券,埃など軽重大小様々雑多のものが無数にあり,トタン板のような重い物が4km以上も北西に降ったのは一見不思議なほどである。爆風で灰紳楽のように立ち昇った灰,紙片などの外に焼け焦げたものの多いのは火災の盛時に都心の旋風および上昇気流で昇騰したものであろう。 降下物の中で最も多かったのは紙片であってその範囲は30km北方まで拡がっており,紙片の中には官庁,銀行,郵便局の伝票,帳簿の紙などが目立って多く,発源所在の明らかなものを調べると悉く爆心より1km以内の市中心部にあり,紙屋町,八丁堀,革屋町方面のものが多い。ここから拾得された所まで直線で結ぶと約北北西の気流で流され飛散されたことが判る。紙片は山中や田圃の中へ数限りなくヒラヒラ落ちて来て農山村の人々を驚かした。 降下物の分布区域は広島市内に少なく,爆心より3km以上離れた市北西方山岳地帯を主として(山脈の峠を越えた所から多い)雨域よりも広く,砂谷村,八幡村,五日市,亀山村にわたる。 爆発後の高須,己斐方面の放射能の著大な分布は,降雨による持続的な放射性降下物による高放射能物質の混在と南東気流による降灰中に放射性物質を含有しそのもっとも強く高須,己斐方面に指向されたためであろう。 ⑶ 原爆投下後間もない時期における残留放射線を調査した報告等ア大阪帝国大学グループによる調査(「広島原子爆彈災害報告」〔乙71〕)大阪帝国大学理学部物理学教室の浅田常三郎教授らは,日本海軍からの要求により,主として昭和20年8月11日に広島市内各所で採取し 学グループによる調査(「広島原子爆彈災害報告」〔乙71〕)大阪帝国大学理学部物理学教室の浅田常三郎教授らは,日本海軍からの要求により,主として昭和20年8月11日に広島市内各所で採取した試料(砂)につき,ガイガー計数機を用いて放射線量を測定した。その測定結果は別図表8記載のとおりである。 前記報告書は,己斐地区において激しい降雨があったことに関して,「原子核分裂の生成物及び爆発時に生じたイオンが雨滴の核となることは考えられることから,降雨があった地点では放射能は大きいであろうと考えられたが,この考えは前記測定により確かめられた」旨報告している(乙71・4頁)。 イ京都帝国大学グループによる調査(「爆発後数日間に行なえる広島市の放射能学的調査に関する報告」〔乙72〕)京都帝国大学理学部物理学教室の荒勝文策教授らは,昭和20年8月10日から14日にかけて,試料(土壌)を採取し,ガイガーミュラー計数管を用いて放射線を測定した。第一次調査では,同月10日に採取した市内十数か所の土壌の測定が行われ,第二次調査では,同月13,14日に市内外約100か所から土,金属,ガラスなどの試料を採取し,同月15日,16日に放射線を測定した。なお,同年9月15日から第三次調査も行われたが,同月17日の枕崎台風の被害に遭って死者を出し,調査は中止された。 前記報告においては,馬骨や鉄磁石,セメント,アルミ板など様々な資料がベータ線放射能を示し,広範囲のエネルギー帯に属する中性子が爆発に伴って放出されたと考えられるとされた。また,広島市周辺部で収集された試料の放射能は別図表9記載のとおりであり,前記報告は,番号16「旭橋東詰」で強い放射能が見られたのは,爆弾の分裂片が地上に落下したためであろうと想像されると推測して また,広島市周辺部で収集された試料の放射能は別図表9記載のとおりであり,前記報告は,番号16「旭橋東詰」で強い放射能が見られたのは,爆弾の分裂片が地上に落下したためであろうと想像されると推測している(乙72・9頁)。 ウ理化学研究所グループによる調査理化学研究所の仁科芳雄は,大本営調査団の一員として,昭和20年88月9日に広島市内で金属や土壌などの試料を採取し,また,同研究所の玉木英彦らは,ローリッツェン検電器2台を携えて,同月14日から17日まで滞在し,広島市内各所の放射線量を測定し,試料を採取した(甲A39)。 さらに,前記研究所の山崎文男らは,陸軍軍医学校から委嘱され,昭和20年9月3,4日に広島市内外においてローリッツェン検電器を用いて放射線量を測定し,そのうち己斐から草津に至る国道上における結果を分析した(「原子爆彈爆発後,広島西方に残った放射能について」。乙73)。その結果,別図表10記載のとおり,己斐から草津に至る山陽道国道上において,古江東部に極大をもつ爆央付近に見たと同程度のガンマ放射線の存在が確認された。その理由について,前記報告書は,原爆が爆発した当時,広島では東風が吹いており,約30分後にはこの地区に多量の降雨があり,しかもその雨粒が黒く汚れていたといわれていること,家屋の雨樋に溜った土砂に特に強い放射能を認めたことから,原爆爆発に際し て生じたウラニウム核分裂生成物が降下したためであると考えられると結論付けた(乙73・25頁)。 エ広島文理科大学グループによる調査・藤原ら報告(「広島市附近における残存放射能について」〔甲A38〕)広島文理科大学物理学教室の藤原教授らは,昭和20年9月,昭和21年8月,昭和23年1月ないし6月にローリッツェン検電器を用い ・藤原ら報告(「広島市附近における残存放射能について」〔甲A38〕)広島文理科大学物理学教室の藤原教授らは,昭和20年9月,昭和21年8月,昭和23年1月ないし6月にローリッツェン検電器を用いて,広島市内及び近郊の放射線量を測定した。その測定結果のうち,「黒い雨」降雨域に関連するものは,別図表6-1記載のとおりであり,これを地図上に表したものが別図表6-2である(なお,豪雨地帯などとあるのは,宇田論文に基づいている。)。 藤原ら報告は,「降雨地帯特に豪雨地帯での放射能は第Ⅲ回測定時において他より幾分強い傾向を示している。しかも同一の岐路又は川筋に沿って測定点を採った場合,海抜の小さい地点ほど放射能が強くなっている傾向がある―但し・・・己斐峠の場合の如く逆傾向の一例もあるが。」とあるとしつつ,他方で,「電気計の精度から言て断定的な帰結とは言えないが,興味ある問題だと思われる。」との問題提起をするにとどまっている(甲A38・83頁)。 ただし,「原爆直後の残留放射線調査に関する資料収集と分析」(今中分析。甲A39)は,「黒い雨」のような放射性降下物が地表沈着した後は,時間とともに放射線量率が減衰するが,昭和20年10月に40μR/hという有意な放射線量があったとしても,昭和21年春には自然バックグランドレベルまで減衰してしまうことを踏まえ,藤原らの調査結果につき,「原爆由来の放射能によるものとは考えがたく,自然BGと測定のバラツキ変動と考えた方が無難であろう。」として,原爆由来であることには消極の意見を示している(甲A39・7頁)。 オ静間ら報告(「広島原爆の早期調査での土壌サンプル中のセシウム137濃度と放射性降下物の累積線量評価」〔甲A37の1,2〕)広島大学大学院工学研究院静間特任教授らは,平成8年頃 オ静間ら報告(「広島原爆の早期調査での土壌サンプル中のセシウム137濃度と放射性降下物の累積線量評価」〔甲A37の1,2〕)広島大学大学院工学研究院静間特任教授らは,平成8年頃,理化学研究所の仁科芳雄らによって広島原爆投下3日後に爆心地から半径5km以内で収集された土壌サンプルを用いて,セシウム137の再測定を行った。 各サンプルの採取場所及び検出された単位面積当たりのセシウムの沈着量は,別図表5―1のとおりであり,これを地図上に表したものが別図表5 -2である(サンプル2,3,8,13,14,16,20,23,24,26及び27については,セシウム137が検出限界より低く,不検出となった。)。 静間ら報告は,原爆投下3日後に,爆心地から5km以内で収集された22の土壌サンプルのうち,11のサンプルからセシウム137が検出され,その放射能は測定時に0.16~10.6mBq/gの範囲であったとした上,別図表5-3のとおり,その測定結果と宇田雨域又は増田雨域と重ね合わせ,「セシウム137の沈着と広島市内の降雨域の比較から,降雨域は以前提案されたものよりも広いことを示している。」とした(甲A37の2・1頁)。 ⑷ 特別被爆地域の拡大,健康診断特例区域指定に至る経過等ア昭和35年の原爆医療法改正の際に新設された特別被爆者については,昭和40年9月25日に原爆医療法施行令が改正された際,広島市のうちの新庄町などが,「黒い雨」が降った残留放射能濃厚地区として,特別被爆地域に加えられた。 さらに,宇田強雨域に含まれる地域を被爆地域及び特別被爆地域とするよう範囲拡大等を求める旨の被告広島市及び被告広島県の要望を受け,昭和47年5月1日,広島県安佐郡祇園町のうち,従前から被爆地域及び特別被爆 宇田強雨域に含まれる地域を被爆地域及び特別被爆地域とするよう範囲拡大等を求める旨の被告広島市及び被告広島県の要望を受け,昭和47年5月1日,広島県安佐郡祇園町のうち,従前から被爆地域及び特別被爆地域として指定されていた長束,西原及び西山本以外の区域についても,「黒い雨」が降った残留放射能濃厚地区として,被爆地域及び特別被爆地域に指定されるなどし,これらにより,原爆医療法施行令別表第1(被爆地域),別表第3(特別被爆地域)のうち,広島については,次のとおりとなった(前記3⑷ア)(別表第1)・広島県安佐郡祇園町・広島県安芸郡戸坂村のうち,狐爪木・広島県安芸郡中山村のうち,中,落久保,北平原,西平原及び寄田・広島県安芸郡府中町のうち,茂陰北(別表第3)・広島市のうち,新庄町,三滝町,山手町,己斐町,古田町,庚午町,草津東町,草津濱町,草津本町及び草津南町 ・広島県安佐郡祇園町イ広島市議会は,昭和48年10月1日付けで,内閣総理大臣,厚生大臣あて「特別被爆区域の是正に関する意見書」を提出し,宇田強雨域の中で,草津及び祇園地区は特別被爆地域に指定されながら,他の地域が特別被爆地域外とされているとして,広島市井口町,安古市町,沼田町及び安佐町を特別被爆地域に編入することを強く要望した(前記3⑹ア)。 ウ被告広島市及び被告広島県は,昭和48年11月20日から同年12月20日までの間,宇田雨域(別図表1)を基本として設定した地区を対象に,「黒い雨」の降った状況や健康状況等についてアンケート調査を行った(昭和48年アンケート調査)。こ 年11月20日から同年12月20日までの間,宇田雨域(別図表1)を基本として設定した地区を対象に,「黒い雨」の降った状況や健康状況等についてアンケート調査を行った(昭和48年アンケート調査)。この調査の概要は次のとおりである(乙46)。 調査の目的「黒い雨」は油状を呈し,その雨量は土砂降りの豪雨地区においては1~3時間の間に50~100mmにおよび,その雨に含まれた泥塵が強烈な放射能を含んでいたため人体に脱毛下痢等放射能による急性症状を示すとともに牛馬魚類等に対しても大きな被害があった。 このことは地元住民および日本学術会議が昭和20年9月から調査した『原子爆彈災害調査報告集』その他の文献によっても明らかなため,広島県市としてはかねてから降雨地区の被爆地域指定を国に対し要望してきたがその実態についてのその裏付け資料を得るためこの調査を実施した。 調査の方法アンケート方式による世帯調査降雨状況,健康状況降雨状況については,別図表7―1のとおりであり,健康状況については,別図表7―2及び7-3のとおりである。 エ広島市沼田町,安古市町及び安佐町は,昭和49年6月14日,これらの地域が,いわゆる「黒い雨」の降雨地域に当たるとして,次のとおり,被爆地域に指定することを陳情した(乙47)。 「当地区のように,原子爆弾による多くの被害を受けながら,未だに被爆地域としての指定がなされず,長年にわたり多くの住民が苦しんでいる地域が存在していることは,公平を失するとともに誠に遺 憾に堪えないところであります。 当地区(広島市沼田町,安古市町,安佐町)は,広島市(旧市域)の北西約8km~15kmの距離に扇状に拡がった地域でありますが,原子爆弾投下の際,爆風による建物の損傷(硝子戸 ります。 当地区(広島市沼田町,安古市町,安佐町)は,広島市(旧市域)の北西約8km~15kmの距離に扇状に拡がった地域でありますが,原子爆弾投下の際,爆風による建物の損傷(硝子戸,板戸の倒壊,天井の吹上げ,柱の傾き,屋根瓦の損傷)や爆発せん光のほか,死の灰といわれる爆塵は,またたく間に南東の気流にのって地区上空をおおって降下し,又時余を経て原爆雲は,激しいしゅう雨となり,停滞する大気中の死の灰とともに,黒い雨となって降り地区全体を汚染しました。このため,地区住民は,爆風,せん光を受けた者,死の灰,黒い雨を被るなどにより,脱毛や激しい下痢,おう吐の症状を呈する者数知れず,数日を経て死亡した者も確認されるなどのほか,黒い雨のため増水した河川,ため池の魚が大量に斃死浮上するなど,原子爆弾が当地区の人畜に及ぼした影響は極めて大なるものがあります。」オ昭和49年6月17日,原爆が投下された際に原爆医療法2条1号に規定する被爆地域に隣接する政令で定める区域(健康診断特例区域)内に所在した者についての暫定的な特例措置として,原爆医療法2条の被爆者に該当しない者についても原爆医療法の健康診断の規定(同法4条)の適用を認める旨の原爆医療法の改正がされ,法改正当初は,長崎県西彼杵郡時津村及び同長与村の一部につき,健康診断特例区域が定められるにとどまった。 また,昭和49年7月22日,402号通達が発出され,健康診断特例措置の対象となった者が一定の疾病を発症した場合には,原爆医療法2条3号に該当する者として,被爆者健康手帳の交付を受けることが可能となった(前記3⑸)。 カ広島市長及び広島県知 ,健康診断特例措置の対象となった者が一定の疾病を発症した場合には,原爆医療法2条3号に該当する者として,被爆者健康手帳の交付を受けることが可能となった(前記3⑸)。 カ広島市長及び広島県知事は,昭和50年6月,「長期にわたり降雨地域に,高度の残留放射能を留めることとなり,当時,嘔吐,眩暈,脱毛等放射能による急性症状を呈した者が多くなかには,これが原因で死没者も出ております。」,「最近の健康状況調査においても,この地域の関係住民の有病率は,他の地域のそれと比較して著しく高い結果を示しており,放射能の影響があったことは認められるところであります。」などとして,宇田雨域に含まれる石内村,河内村,八幡村(一部),砂谷村(一部),水内 村,加計村,殿賀村(一部),筒賀村(一部),吉板村(一部),都谷村(一部),安野村,伴村,戸山村,久地村,日浦村,小河内村,鈴張村(一部),飯室村,亀山村(一部),古市町(一部),安村,緑井村(一部),戸坂村,井口村(以上,当時の旧町村)を被爆地域に加えるよう要望した(乙48)。 キこれらの要望等を踏まえ,昭和51年9月18日,原子爆弾被爆者の医療等に関する法律施行令の一部を改正する政令(昭和51年政令第243号)が施行され,宇田強雨域に含まれる次の区域が新たに健康診断特例区域として指定された(乙49)。なお,この改正により,健康診断特例区域が原爆医療法施行令別表第3として記載されることとなった。)。 ・広島県山県郡安野村のうち,島木及び段原・広島県佐伯郡水内村のうち,津伏,小原,井手ケ原,矢流,草谷,古持,森,下井谷,門出口,木藤及び恵下・広島県佐伯郡河内村のうち,魚切,中郷,下城,上小深川及び下小 ・広島県佐伯郡水内村のうち,津伏,小原,井手ケ原,矢流,草谷,古持,森,下井谷,門出口,木藤及び恵下・広島県佐伯郡河内村のうち,魚切,中郷,下城,上小深川及び下小深川・広島県佐伯郡石内村・広島県佐伯郡八幡村のうち,利松,口和田及び高井・広島県安佐郡久地村のうち,宇賀,高山,本郷下,本郷中,三国,魚切,本郷上,小野原中,名原,小野原上,境原及び幸ノ神・広島県安佐郡日浦村のうち,毛木二・広島県安佐郡戸山村・広島県安佐郡安村のうち,長楽寺及び高取・広島県安佐郡伴村クなお,宇田強雨域に含まれる地域が新たに健康診断特例区域として指定された根拠については,次のとおり説明されている。 昭和53年4月13日に開催された衆議院社会労働委員会において,社会党の議員が,「・・・黒い雨地域等は直接放射能というのがある。残留放射能,二次放射能というのがあって,二次放射能が雨と一緒に人体に影響を及ぼしたという科学的な根拠がある。放影研や占領軍の調査もある,そういうことですね。そういうふうに理解してよろしいか。いままで言ったことは間違いないか。」 と質問したのに対し,政府委員は次のとおり答弁している(乙70・26頁)。 「確かに先生のおっしゃるとおり,黒い雨地域は放射能を含んだ灰が入っているということで,これが人体に影響を及ぼすのではないかということで地域に指定したわけでございます。」 平成15年3月17日に開催された参議院予算委員会において,政府参考人は次のとおり るということで,これが人体に影響を及ぼすのではないかということで地域に指定したわけでございます。」 平成15年3月17日に開催された参議院予算委員会において,政府参考人は次のとおり説明している(乙58・38頁)。 「当時は,原爆放射線の広がり及び原爆放射線の人体影響に関する科学的知見も必ずしも十分蓄積されていなかったものでございますが,指定の理由といたしましては,黒い雨地域内の一部で高濃度の放射能が検出された例の報告があったこと,広島市及び周辺町村が昭和48年に行った住民に対するアンケート調査で有病者数等が4割であったことから,当該地域を健康診断特例区域に指定したものでございます。」⑸ 昭和51年度・昭和53年度残留放射能調査等ア原爆医療法制定後,被爆地域が拡大し,また,健康診断特例区域が設定されたことで,実質的に同法2条3号の被爆者として認められる者の範囲が拡大していったことを踏まえ,改めて,被爆地域拡大に科学的根拠があるのかを確認する必要があるものとされた。そこで,昭和51年,広島及び長崎の残留放射線について調査が行われ(昭和51年度残留放射能調査),報告書が取りまとめられた(前記3⑺ア)。 前記調査では,広島及び長崎において,爆心地から30kmの範囲内で,爆心地から2kmごとに同心円を描き,その同心円上に6点をとることを基準として,できるだけ均等に採取地点を分散させ,土壌の採取を行った。「原子爆彈災害調査報告集」(乙11)で特に指摘された広島の宇田雨域及び長崎の「西山地区」などについては,特別の土壌採取地点が設けられた上で,広島については107か所,長崎については98か所の土壌試料の放射能が測定された。 前記報告書は,昭和20年の原爆に由来する核分裂生成物と,その後31年間に 別の土壌採取地点が設けられた上で,広島については107か所,長崎については98か所の土壌試料の放射能が測定された。 前記報告書は,昭和20年の原爆に由来する核分裂生成物と,その後31年間に行われた核実験からの核分裂生成物とは全く区別できないこと,昭和20年の原爆による核分裂生成物が深さ10cm程度(昭和51年度残留放射能調査において採取した土壌の深さ)までにとどまっているか明 らかでなく,樹木や草などが群生していればセシウムがこれらに吸収されることもあり,平坦部であっても長い年月の間には豪雨などにより地中のセシウムが流出したりすることも想定されること(乙50・10頁)を指摘した上,「測定された137Csの放射能は1945年の原子爆弾と核実験の両方によるものである。ここに示した平均値は核実験からの放射性降下物を含むものであり,原子爆弾に起因すると思われる明らかな異常放射能は認められなかった。」,「爆心を中心に放射線状に30km程度まで拡げた帯状地域について,137Csの地表面放射能密度を比較したが,西山地区を除いては有意差は認められなかった。」,「『黒い雨降雨域』についても他の地域での137Csの地表面放射密度との間に有意差はなかった。」と結論付けた。 なお,前記調査では,土地を採取した地点でのセシウム137の地表面放射能密度の間に有意に大きな値があるかどうかについても調べられたところ,広島では2地点について有意に大きかったものとされているが,「これらの有意に高いと思われる地表面放射能密度が,確かに1945年の原子爆弾による残留放射能によるものと結論することはできない。」とされた(乙50・11,12頁)。 イ昭和51年10月14日に開催された衆議院社会労働委員会(第78回国会)において,宇田強雨域だけが健康診 よる残留放射能によるものと結論することはできない。」とされた(乙50・11,12頁)。 イ昭和51年10月14日に開催された衆議院社会労働委員会(第78回国会)において,宇田強雨域だけが健康診断特例区域として指定され,宇田小雨域については指定されなかったことにつき,後者についても,健康診断特例区域として指定すべきではないかとの指摘がされた。 これに対し,政府委員は次のとおり答弁している(乙51・26頁)。 「小雨地域につきましては,いろいろと問題がございますので,本年度土壌の残留放射能の調査を実施いたしております。 そろそろその結果もまとまってまいりますので,その状況などをよく判断した上で,どうするか決定いたしたいと考えております。」ウ広島市長及び広島県知事は,昭和53年7月,「この黒い雨は,核分裂によって生じた強烈な放射能を帯びた塵埃を含んでいたため,人体に原爆放射能障害特有の急性症状を発現させ,その後も長く高度の残留放射能をとどめたことは,日本学術会議の『原子爆彈災害調査報告集』によっても明らかなところであります。」,「このため,黒い雨降雨地域の住民には,今なお放射能障害特有の症状が見受けられ,また,健康調査の結果を みても,被爆者と同様の疾病傾向がうかがわれます。」などとして,宇田雨域に含まれる地域を被爆地域に加えるよう要望した(乙52)。 エ広島県環境保健部の調べでは,昭和53年3月末までの健康診断受診者証の交付者は広島県内で2,733人で,うち27.8%が厚生大臣が定める10疾患に当てはまるとして手帳を受けている。同じ10疾患で健康管理手当を受けている被爆者は,手帳の所持者の31.4%であった(甲A10=乙9・177頁)オ昭和51年度残留放射能調査において,残留放射能が有意に高いと思 手帳を受けている。同じ10疾患で健康管理手当を受けている被爆者は,手帳の所持者の31.4%であった(甲A10=乙9・177頁)オ昭和51年度残留放射能調査において,残留放射能が有意に高いと思われる地点があったことから,昭和53年,それらの地点を含む地区の土壌中の残留放射能が有意に高いかどうかの調査が行われ(昭和53年残留放射能調査),「昭和53年度広島,長崎の残留放射能調査報告書」(乙53)が取りまとめられ,その結果は,昭和54年5月12日に発表された(前記3⑺イ)。 前記調査では,昭和51年度残留放射能調査において残留放射能が有意に高いと思われる2か所について,対象地区の放射能密度との比較がされたところ,結論として,いずれも対象地区とは有意差はなかったとされ,「今回の結果で特に両検討地区に原爆からの核分裂生成物が残留しているとはいえない。」とされた(乙53・7頁)。 カ昭和54年5月22日に開催された参議院社会労働委員会(第87回国会)において,被爆地域の拡大に関して,厚生大臣は次のとおり答弁している(乙54・13頁)。 「やはり国の行政として地域拡大を行うとすればそれなりの根拠がなければなりません。これは51年当時,また53年の調査を行います前段階において,本院の社会労働委員会におきましても,また衆議院の社会労働委員会におきましても,同様な見地からその調査を実施するということで政府は調査の実施に踏み切ったわけでありますが,その結果として,確かに51年の調査の結果としては,長崎の西山地区を除いては広島,長崎ともに残留放射能が特に高い地区というものは認められなかった。また53年の調査結果からは,広島,長崎ともに特に調査地区について原爆からの核分裂生成物が残留しているとは言えないという報告がなされております。とい 射能が特に高い地区というものは認められなかった。また53年の調査結果からは,広島,長崎ともに特に調査地区について原爆からの核分裂生成物が残留しているとは言えないという報告がなされております。ということは,この2回の調査からまいります限り,現在指定されております地域を拡大す べき放射能の影響というものは認められていないということでありまして,する意思があるとかないとかの問題ではなく,その調査の結果からは,地域拡大を行う必要性があるという結論が出てこなかったということでございます。」⑹ 増田雨域ア元気象研究所予報研究室長増田は,昭和62年5月26日,日本気象学会春季大会において,「黒い雨」は,宇田雨域より約2倍の広い範囲に降っていたとの調査結果(増田雨域)を発表した。 この発表は大きな反響を呼び,佐伯郡湯来町,山県郡の加計町,豊平町,筒賀村などの住民から,国,県,広島市への陳情が相次ぎ,湯来町議会は,同年6月26日,広島市議会は同年7月7日,内閣総理大臣と厚生大臣あてに黒い雨降雨地域の実態調査と地域の見直しを国に求める意見書を可決した。 増田は,さらに同年6月から8月にかけて,山県郡までの広い範囲で住民から聞き取り調査などをしていくに従い,先の学会で発表した範囲の外の住民からも黒い雨が降ったとの証言が寄せられた。この間,被告広島市と被告広島県は,増田の資料を入手し分析を行うこととし,専門家の意見を聞きながら,地域指定拡大の科学的論拠を探る方法の検討を進めた(甲A10=乙9・177,178頁)。 イ増田は,平成元年2月頃,「広島原爆後の“黒い雨”はどこまで降ったか」(増田論文。甲A34)を発表し,別図表2のとおり,宇田雨域の約4倍の降雨域(増田雨域)を新たに提示した。 78頁)。 イ増田は,平成元年2月頃,「広島原爆後の“黒い雨”はどこまで降ったか」(増田論文。甲A34)を発表し,別図表2のとおり,宇田雨域の約4倍の降雨域(増田雨域)を新たに提示した。 調査手法増田は,宇田論文の基礎資料,昭和48年アンケート調査の際の回答書のうち残された個人別回答123人分,同アンケートの回答を湯来町役場が部落ごとに集計した結果,増田自身による聞き取り調査79人分を含む111人からの聞き取り調査結果(なお,昭和62年以降に実施された聞き取り調査は,広島県北部から北西部にかけての湯来町,豊平市,加計町,安古市町,五日市町,山県郡芸北町,同戸河内町,佐伯郡吉和村及び同佐伯町等で行われ,調査者が住民から調査事項を直接聞き取る方法に拠っていた。),アンケート調査結果1188枚,手記集・記録集から358点の資料などを整理,分析した。なお,聞き取り調査及 びアンケート調査は,「広島県『黒い雨・自宅看護』原爆被害者の会連絡会」(以下「黒い雨の会」という。)の協力を得て行われたが,聞き取り調査の中には,黒い雨の会とは無関係に,住民が自発的に集会を開いて供述をテープに録音し,これを増田に提供したものも含まれていた。 分析に当たって,増田は,調査対象者の記憶の希薄化や原爆医療法に基づく健康診断特例区域の拡大運動による影響にも配慮し,信頼性が確保されたデータの収集とそれに基づく細かな分析を試みようと,例えば,雨の降り方を3種類に分けたり(降雨の継続時間30分以内を小雨,30分以上1時間以内を中雨,1時間以上を大雨とする),聞き取り調査に参加した人にもさらにアンケートを提出してもらうなどの工夫をし,こうして集められたデータを,信用度の違いに配慮しながら検討した(甲A34,甲A36・10ないし18 以上を大雨とする),聞き取り調査に参加した人にもさらにアンケートを提出してもらうなどの工夫をし,こうして集められたデータを,信用度の違いに配慮しながら検討した(甲A34,甲A36・10ないし18頁)。 報告内容の要旨少しでも雨が降った地域は爆心から北北西約45kmの広島県と島根県の県境近くまで及び,東西方向の最大幅は36kmに達した。その面積は約1250km2で,宇田雨域の約4倍に相当する。その形は宇田雨域のような単純な長卵形ではなく,やや複雑な形をしており,特に大雨域の形は複雑である。しかし,いずれにしろ新しい大雨域は,宇田小雨域と匹敵するくらいの広がりをもっていることが推定された。 今回の調査によって,今までは降雨がなかったと考えられていた爆心の南側でも弱い雨があったことが明らかになった。 なお,原爆投下後既に43年近く経過しているため,被爆体験者の記憶も薄れてきているであろうが,前記結論は,かなり多くのアンケートを用い,しかも各種の資料を総合的に使って得られたものであるので,今後の再調査によってもそれほど大きな変更はないであろう。ただし,小雨域の範囲はわずか数個の資料で推定されているので,今後の調査によって変えられる可能性がある。しかしそれは,おそらく雨域が一層広がる方向に変えられるであろう。 ウなお,昭和62年,「BLACKRAIN 検証・黒い雨」と題する番組がテレビ放映され,同番組においても,廿日市町や五日市町,湯来町,安佐町,口田南の複数の住民が,「黒い雨」が降った旨供述していた(甲A88の1,2)。 ⑺ 黒い雨専門家会議ア概要増田によって新たな「黒い雨」降雨域が発表されたこと等を踏まえ,被告広島市及び被告広島県は,昭 た旨供述していた(甲A88の1,2)。 ⑺ 黒い雨専門家会議ア概要増田によって新たな「黒い雨」降雨域が発表されたこと等を踏まえ,被告広島市及び被告広島県は,昭和63年8月25日に,医学,物理学及び気象学の研究者ら10人で構成され,いわゆる「黒い雨」の実態と,それによる人体影響などについて検討する「黒い雨に関する専門家会議」(黒い雨専門家会議)を設置した。黒い雨専門家会議では,土壌や屋根瓦などを試料とした原爆による残留放射能検出や気象シミュレーションによる降下放射線量の推定などの調査研究が3年間続けられ,平成3年5月15日,10回目の会合で報告書がまとめられた(前記3⑼)。 イ検討の要旨次のとおり,結論においては,「黒い雨」降雨地域における残留放射能の現時点における残存と放射線によると思われる人体影響の存在を認めることはできなかったとされた(乙55)。 残留放射能についてa 昭和51・53年度調査データの見直し昭和51・53年度に採取された試料は昭和30年以降の原水爆実験による放射性降下物(137Cs)を多量に含んでおり,測定値間の有意差についても広島原爆の放射性降下物によるものと断定する根拠は見当たらなかった。 さらに,あえて昭和51・53年度の測定結果と宇田・増田両降雨地域との相関の有無を検討したところ,土壌中の残留放射能値は両降雨地域とも相関がみられないことが判明した。 b 土壌中235U/238Uの測定自然界におけるUの同位体存在比が一定であること(235U/238U=0・007)を利用して,広島原爆235Uを検出することを試みた。宇田雨域と増田雨域を考慮し,4点の土壌試料(昭和51 自然界におけるUの同位体存在比が一定であること(235U/238U=0・007)を利用して,広島原爆235Uを検出することを試みた。宇田雨域と増田雨域を考慮し,4点の土壌試料(昭和51・53年度土壌調査時試料)について二重集束型質量分析計を用いて測定したが,有意な結論は得られなかった。 c 土壌以外の物質からの残留放射能検出の可能性⒜ 屋根瓦(137Cs)屋根瓦中に含まれる137Csの含有量について7か所の対照地点 瓦及び30か所の測定点瓦を用いて検討したが,試料によって吸水性に大きな差があり,有意差を見出すことができなかった。 ⒝ 柿木(90Sr)年輪はそれを形成した時期の環境を反映するため,放射性物質や化学物質の各年輪内蓄積を測定することにより当時の環境を推測することが可能な場合がある。北西11~21km地点の4か所より柿木2本,栗木2本を採取し,5年ごとの年輪区分として灰化し,放射性ストロンチウム分析法及び原子吸光測定法により残留90Srの測定を行った。極めて長時間の処理が必要であり,一部の結果しか得られていないため,黒い雨との関連は確定できなかった。 気象シミュレーション法による降下放射線量の推定についてa 気象シミュレーションによる放射性降下物質とその地上での分布原爆からの放射性降下物となる線源として,火球によって生じた原爆雲,衝撃波によって巻き上げられた土壌などで形成された衝撃雲及び火災煙による火災雲の3種について検討した。 原爆投下当日の気象条件,原爆の爆発形状,火災状況等,種々の条件を設定した拡散計算モデルを用いたシミュレーション法によって,広島原爆の放射性降下物の降下量とその効果範囲について検討を行った。その結果,原爆雲 日の気象条件,原爆の爆発形状,火災状況等,種々の条件を設定した拡散計算モデルを用いたシミュレーション法によって,広島原爆の放射性降下物の降下量とその効果範囲について検討を行った。その結果,原爆雲の乾燥大粒子の大部分は北西9~22km付近にわたって降下し,雨となって降下した場合には大部分が北西5~9kmに落下した可能性が大きいことが分かった。また,衝撃雲や火災雲による雨(いわゆる黒い雨)の大部分は北北西3~9km付近にわたって降下した可能性が大きいと判断された。気象シミュレーション計算法を用いた降雨地域の推定では,これまでの降雨地域(いわゆる宇田雨域)の範囲とほぼ同程度(大雨地域)であるが,火災雲の一部が東方向にはみ出して降雨落下しているとの計算結果となった。 この気象シミュレーション法を用いて推定した長崎の降雨地域は,これまでの物理的残留放射能の証明されている地域と一致することが確認された。 b 気象シミュレーション法に基づいた降下放射線量の推定気象シミュレーション法によって得られた放射性降下物量,その地 上での分布データ及びネバダ核実験値を用いて,最大被曝線量を推定した。原爆雲による爆発12時間後の最大放射能密度は約1600mCi/㎡,照射線量率12.7R/hr,衝撃雲では24Naで最大放射能密度約270μCi/㎡,照射線量率15mR/hr,火災雲では最大放射能密度約90μCi/㎡,照射線量率5mR/hrであった。 これらの最大値は,いずれも異なる地点であるので,広島原爆の残留放射能による照射線量率は,炸裂12時間後で約5R/hr(最大積算線量:無限時間照射され続けたと仮定した場合は約25rad)と推定される。 体細胞突然変異及び染色体異常による放射線被 留放射能による照射線量率は,炸裂12時間後で約5R/hr(最大積算線量:無限時間照射され続けたと仮定した場合は約25rad)と推定される。 体細胞突然変異及び染色体異常による放射線被曝の人体影響について「黒い雨」に含まれる低線量放射線の人体への影響を,赤血球のMN血液型決定抗原であるグリコフォリンA蛋白(以下「GPA」という。)遺伝子に生じた突然変異頻度及び末梢血リンパ球に誘発された染色体異常頻度について検討を行った。GPAに関しては己斐町,古田町,庚午町,祇園町など(降雨地域)に当時在住し「黒い雨」に曝された40名(男性20名,女性20名)と宇品町,翠町,皆実町,東雲町,出汐町,旭町など(対象地域)に当時在住し「黒い雨」に曝されていない53名(男性21名,女性32名)について調査したが,降雨地域に統計的有意な体細胞突然変異細胞の増加を認めなかった。染色体異常に関しては,体細胞突然変異検討と同様に降雨地域60名(男性29名,女性31名),対象地域132名(男性65名,女性67名)について検討したが,どの異常型においても統計的有意差は証明されなかった。 ⑻ 「黒い雨」降雨域に関する議論ア平成15年3月17日の参議院予算委員会(第156回国会)における政府参考人の答弁平成15年3月17日の参議院予算委員会(第156回国会)において,広島の第一種健康診断特例区域について質問がされた際,政府参考人は,広島の第一種健康診断特例区域が指定された理由等について,次のとおり答弁している(乙58・38頁)。 「広島の健康診断特例区域につきましては,昭和51年に広島の北 西部,長径約19キロメーター,短径で10キロメーターの楕円形の地域をいわゆる黒い 8・38頁)。 「広島の健康診断特例区域につきましては,昭和51年に広島の北 西部,長径約19キロメーター,短径で10キロメーターの楕円形の地域をいわゆる黒い雨,大雨地域として指定しております。当時は,原爆放射線の広がり及び原爆放射線の人体影響に関する科学的知見も必ずしも十分蓄積されていなかったものでございますが,指定の理由といたしましては,黒い雨地域内の一部で高濃度の放射能が検出された例の報告があったこと,広島市及び周辺町村が昭和48年に行った住民に対するアンケート調査で有病者数等が4割であったことから,当該地域を健康診断特別区域に指定したものでございます。」「黒い雨の降雨地域で,大雨が降ったところと小雨のところと,これは聞き取り調査によるものでございますが,そのうちで,その小雨のと言われている領域については適用しておりません。」「この広島の黒い雨の小雨地域の放射線の影響につきましては,これまで様々な調査研究が行われてきたところでございます。昭和51年及び53年の厚生省調査研究委託により日本公衆衛生協会が実施いたしました調査におきましては,小雨地域においては原爆からの核生成物が残留しているとは言えないという結果が出ております。これは,爆心地から放射状にずっとサンプルを取りまして残留放射性物質を分析したものでございます。また,現在の時点におきまして,一般国民におきましても,例えば,ただいま申し上げましたような例えば呼吸機能障害とか,それから白内障であるとか,加齢現象とともに増加しておりまして,例えばそういうふうなものを足し合わせれば,国民生活基礎調査等で見ましても,おおよそ,これ重複はあるわけですが,75%の一般の日本人の方は大なり小な であるとか,加齢現象とともに増加しておりまして,例えばそういうふうなものを足し合わせれば,国民生活基礎調査等で見ましても,おおよそ,これ重複はあるわけですが,75%の一般の日本人の方は大なり小なりそういう病気にかかっていらっしゃいます。そういうふうなこともございまして,小雨地域において原爆放射線による健康影響があるというふうな科学的合理的根拠は今のところ認められていないものと承知しております。」イ平成22年3月9日の参議院予算委員会(第174回国会)における厚生労働大臣の答弁また,平成22年3月9日に開催された予算委員会(第174回国会参議院)において,いわゆる「黒い雨」と第一種健康診断特例区域との関係に関して質問された際,厚生労働大臣は次のとおり答弁している(乙59・27頁)。 「その区域(注:第一種健康診断特例区域)をどうやって決めたのかというのは,これは昭和20年,ちょうど原爆が落ちた直後に宇田博士という方がいらっしゃいまして,その方が聞き取り調査を数か月にわたって直後からされて,いろいろな状況を勘案をしてその地域の骨格ができ,その後も昭和51年度,昭和53年度にも当時の厚生省の委託研究ということで,これもいろんな土を分析をするなどして,この中心の大雨地域というのと,周辺の通称小雨地域というものの中から核分裂生成物が残留するとは言えないということで,そういうような研究もありましてそういうような線引きにさせていただいているというふうに聞いております。」⑼ 「原爆体験者等健康意識調査報告書」(広島市報告書)及び大瀧雨域ア広島市報告書の概要被告広島市は,原爆被害の一層の実態解明を進めるため,平成13年度から有識者による広島市原子爆弾被爆実態調査研究会を組織し,平 識調査報告書」(広島市報告書)及び大瀧雨域ア広島市報告書の概要被告広島市は,原爆被害の一層の実態解明を進めるため,平成13年度から有識者による広島市原子爆弾被爆実態調査研究会を組織し,平成14年度には,原爆に関わる体験とこれに伴う心身の状況について把握するため,約1万人を対象としたアンケート調査を実施してきたところ,更なる実態解明を進めるため,平成19年度から有識者によるワーキング会議を開催して調査対象者や調査手法等について再検討を行い,翌年の平成20年度から広島市原子爆弾被爆実態調査研究会を再組織し,同年6月から,原爆体験者等健康意識調査を実施した。被告広島市は,平成22年5月,調査の結果を取りまとめた,「原爆体験者等健康意識調査報告書」(広島市報告書)を公表した。 前記報告書において,広島大学原爆放射線医科学研究所大瀧教授は,アンケートデータの集計,統計解析を行い,「黒い雨」降雨域の推定を行い,大瀧雨域を提示した(甲A9)。 イ調査方法郵送自記式質問紙調査による基本調査と,基本調査結果を検証するための個別面談調査である。 解析対象となったデータは,昭和20年6月時点において,①広島市内又は県域の一部(安芸太田町及び北広島町の一部)に,原爆投下前から居住し続けている者,及び②広島市内又は県域の一部に,昭和25年1月1日から昭和27年12月31日までに転入し,居住し続けていると思われ る者で,かつ,原爆投下前に生まれた被爆者以外の者の合計3万6614人に対して実施した郵送によるアンケート調査により収集されたもので,そのうちの約74%にあたる2万7147人から得られた回答である(甲A9・1,2頁)。 ウ 「黒い雨」体験状況について解析する「黒い雨」関係の調査項目は,「黒い雨」の体験(「黒い雨 たもので,そのうちの約74%にあたる2万7147人から得られた回答である(甲A9・1,2頁)。 ウ 「黒い雨」体験状況について解析する「黒い雨」関係の調査項目は,「黒い雨」の体験(「黒い雨」を浴びたり,触れたり,口にしたり,見たりしたことをいう。)の有無,体験場所,雨の降り始めと降り止んだ時刻(時単位),雨の強さ(強い,中程度,弱い),雨の色(真っ黒,黒っぽい,茶色,透明に近い)についてである。 解析対象者は,「黒い雨」を体験したと回答した者のうち,その「黒い雨」を体験した場所(場所情報)を回答している者で,心身の健康影響と同様に記憶の明確さを考慮して,調査時の年齢が71歳以上の者に限定した。 また,場所情報については,概ね旧町村単位(市内中心部については体験者が一定数集まる範囲)で統合し,その地域の代表地点(中心地の役場や学校)の位置情報(経度と緯度)に変換を行った。 「黒い雨」は,午前10時頃をピークに1~2時間程度降ったと回答した者が多かった。解析の方法としては,「黒い雨」の体験者については,その場所毎に類別され,それぞれの調査項目について,回答結果について平均値や比率により要約を行った。さらに,その要約値に対して局所線形回帰モデルに基づいたノンパラメトリック回帰分析を適用し,「黒い雨」の各特性値に関する昭和20年8月6日当時の時空間分布を推定した(甲A9・19ないし23頁)。 降雨時間の長さについて「黒い雨」体験者で,雨の降り始めと降り止んだ時間を回答した者を解析対象として,降雨時間の地理分布を求めた。なお,解析精度を保持させるため,地区別回答者数が10人以上の場所のみを解析の対象とした(解析対象者数903人)。 推定された降雨時間の長さは,別図表3-1記載のとおりであり,降雨があった(降雨時 ,解析精度を保持させるため,地区別回答者数が10人以上の場所のみを解析の対象とした(解析対象者数903人)。 推定された降雨時間の長さは,別図表3-1記載のとおりであり,降雨があった(降雨時間>0時間)と推定された地域は,いわゆる宇田雨域よりも広く,場所によっては増田雨域の外縁部に近似する結果が得 られた。 比較的長い降雨時間が推定された地域は,宇田雨域の北西部及びその周辺部であり,その時間は1時間半から2時間程度と推定された。 時刻ごとの降雨の状況について「黒い雨」体験者で,雨の降り始めについて回答した者を解析対象とした。解析精度を保持させるため,回答者数が10人以上の地区に限定した(解析対象者数1413人)。 降り止んだ時間を回答していない者については降雨時間を降り始めから1時間として解析した(降り止んだ時間を回答した者の中では,降雨時間は1時間と回答した者が最も多かったため。)。 時刻ごとの「黒い雨」の体験率(厳密には,条件付き体験率というべき)の地理分布は,別図3―2記載のとおりであり,「黒い雨」は,午前9時頃に広島市西方近郊から降り始め,その後北西に拡がり午前10時~11時頃に最も広い範囲で降り,その後縮小し,午後3時頃加計付近で消失している。 降雨の強さ「黒い雨」体験者で,雨の強さについて回答した者を解析対象とした。解析精度を保持させるため,回答者数が10人以上の地区に限定した(解析対象者数1378人)。 推定された降雨強度の最大値の地理分布は,別図3―3記載のとおりであり,「強い雨で土砂降りに降った」と推定された地域は,宇田大雨地域のほぼ北半分を含み,さらにその北西側(湯来町東部)にも分布している。 降雨の色「 ―3記載のとおりであり,「強い雨で土砂降りに降った」と推定された地域は,宇田大雨地域のほぼ北半分を含み,さらにその北西側(湯来町東部)にも分布している。 降雨の色「黒い雨」体験者で,雨の色について回答した者を解析対象とした。 解析精度を保持させるため,回答者数が10人以上の地区に限定した。 (解析対象者数1248人)雨の色についての地理分布は,別図表3―4記載のとおりであり,真っ黒い雨の降った領域は広島市の北西近郊(沼田地区,湯来町東部)と推定された。 エその他結果の要旨なお,指定地域群とは,被爆地域又は健康診断特例区域として指定され た地域のことを指す。 被爆者及び「黒い雨」体験者の心身の健康影響a 基本調査の結果,被爆群(直爆,入市,救護・看護の各被爆者)と「黒い雨」体験群(指定地域群,未指定地域群)のいずれも,比較対象群(非被爆者で「黒い雨」も体験していない群)に比べて,心身の健康面が不良であった。 個別調査の結果,被爆群においては,近距離直爆群,遠距離直爆群,間接被爆群(入市,救護・看護)の間では差はなかった。また,「黒い雨」体験群では,未指定地域群が全般的に心身健康面が不良であった。 b 基本調査の結果,心身健康面の不良に最も強く影響を与えていた要因は,「放射線による健康不安」と「差別・偏見体験」であった。 個別調査の結果においても,この二つの程度は,心身健康機能の不良と有意に関連していた。 c 基本調査の結果,特に,「放射線による健康不安」は,現時点においても,被爆群,「黒い雨」体験群のそれぞれ4~5割もが有しており,比較対照群と比べて,明らかに高い割合であった。 d 基本調査の結果,「黒い雨」体験者全体の8割以上が直接 不安」は,現時点においても,被爆群,「黒い雨」体験群のそれぞれ4~5割もが有しており,比較対照群と比べて,明らかに高い割合であった。 d 基本調査の結果,「黒い雨」体験者全体の8割以上が直接曝露した体験を有していた。また,個別調査の結果では,「黒い雨」体験者の75.5%が,「黒い雨」には放射線を含有していたと認識していた。これらの傾向については,「黒い雨」体験群の指定地域群と未指定地域群との間で差は認められなかった。 e 個別調査の結果,「黒い雨」の未指定地域群が比較対照群と比べて心身健康面,心的外傷性ストレス症状のいずれも不良であった。また,不良の程度は,被爆群と匹敵するほど大きいことが窺われた。 f 「黒い雨」の未指定地域群の健康不安は,「黒い雨」の指定地域群,比較対照群よりも高く,間接被爆群データに近いものであった。 未指定地域群においては,健康不安のために心身健康面が不良な結果となったことが示唆された。「黒い雨」の未指定地域群については,現在まで「黒い雨」の実態やその健康影響が十分に解明されていない中で,健康不安を増大させていた可能性がある。 身体的な症状について a 自覚的な急性症状の有無について基本調査結果から,自覚的な急性症状の有無(「原爆の直後からおよそ2か月間に出現する,発熱,鼻・歯茎・腸などからの出血,皮下出血,下痢,脱毛などで,1週間程度続いたもの」の自覚の有無)について回答がある者で,71歳以上の者(記憶の明確さを考慮)を解析対象とした。 性別及び年齢の効果を調整した上で,自覚的な急性症状発生における被爆状況依存性を定量化するために,ロジスティック回帰分析を行った。自覚的急性症状の有無を目的変数とし,原爆体験内容をダミー変数で表現し,比較対象群を 果を調整した上で,自覚的な急性症状発生における被爆状況依存性を定量化するために,ロジスティック回帰分析を行った。自覚的急性症状の有無を目的変数とし,原爆体験内容をダミー変数で表現し,比較対象群を基準群として,性別と年齢の2変数を加えて説明変数とした。 その結果,被爆群,「黒い雨」体験群のいずれも,比較対照群に比べて有意に高かった。 b 現在治療等を行っている病気について基本調査結果から,「現在,病院で診断・検査や治療を受けている病気」として,「貧血など造血機能の病気」,「肝硬変など肝臓の病気」,「がん(悪性新生物)」,「脳出血,脳梗塞など脳の病気」,「糖尿病,甲状腺機能低下症など内分泌腺の病気」,「高血圧性心疾患,心臓病,心筋梗塞など心臓の病気」,「腎炎,腎不全など腎臓の病気」,「白内障など目の病気」,「肺気腫,慢性間質性肺炎など呼吸器の病気」,「変形性関節症,変形性脊椎症,骨粗鬆症など関節や骨の病気」,「胃潰瘍,十二指腸潰瘍など胃や腸の病気」,「不眠,うつ,ストレスなどこころの病気」,「婦人科の病気」のいずれかに○の記載がある者全員を解析対象とした(解析対象者数2万0133人)。 この中で,調査時年齢が71歳未満群と71歳以上群とに分け,性年齢階級別の疾病別頻度を確認した。 その結果,「現在,病院で診断・検査や治療を受けている。」と回答した者の割合は,多くの病気に関して,直接被爆群が最も高くなっていた。調査時年齢が71歳未満の場合,造血機能,関節や骨の病気が,また,調査時年齢が71歳以上の場合,造血機能及び脳の病気が,被爆群及び「黒い雨」体験群で比較対照群に比べて有意に高くなっていた。なお,癌については,71歳未満の場合,直接被爆群が比 較対照群に比べて有意に高くなってお ,造血機能及び脳の病気が,被爆群及び「黒い雨」体験群で比較対照群に比べて有意に高くなっていた。なお,癌については,71歳未満の場合,直接被爆群が比 較対照群に比べて有意に高くなっており,71歳以上の場合,直接被爆群と入市被爆群が比較対照群に比べて有意に高くなっていたが,それ以外では比較対照群との間に有意差はなかった。 オ広島市報告書を踏まえた要望被告広島市,被告広島県及び周辺自治体は,平成22年7月,国に対し,広島市報告書における調査の結果,①「黒い雨」降雨域は宇田雨域よりも広いこと,②健康診断特例区域未指定地域で「黒い雨」を体験した者は,心身健康面が被爆者に匹敵するほど不良であり,「放射線による健康不安」がその重要な要因の一つであることが明らかになったなどとして,大瀧雨域全域を第一種健康診断特例区域として早急に指定すること,大瀧雨域は広島市などの限定された地域を対象とした調査の結果であり,実際の「黒い雨」降雨域はさらに広かった可能性が否定できないことから,国において,「黒い雨」の降雨状況についてさらなる実態解明を進めることを求める「原子爆弾被爆地域拡大に関する要望書」(甲A2)を提出した。 ⑽ 平成24年検討会による検討等ア概要国は,前記要望を受け,前記5のとおり,基本問題懇談会において,被爆者対策の基本的な在り方について,被爆地域を拡大するためには,科学的,合理的な根拠が必要である旨指摘されていることを踏まえ,前記要望を受けた地域における広島原爆による健康影響について,科学的に検証するための「原爆体験者等健康意識調査報告書」等に関する検討会(以下「平成24年検討会」という。)を設置した。 平成24年検討会は,放射線の健康影響等に関する専門家によって構成されており,平成22年12月28日から 験者等健康意識調査報告書」等に関する検討会(以下「平成24年検討会」という。)を設置した。 平成24年検討会は,放射線の健康影響等に関する専門家によって構成されており,平成22年12月28日から平成24年7月9日まで合計9回開催され,前記専門家による知見に加え,「黒い雨」降雨域の線量推計を行った物理学者からのヒアリングや,被告広島市が行った住民アンケートに関する推計を行った研究者などからのヒアリング等,多角的な検討が行われた。そして,最終的に「原爆体験者等健康意識調査報告書」等に関する検討会報告書(以下「平成24年検討会報告書」という。乙60)が提出された。 イ広島市報告書に対する検討 平成24年検討会報告書は,次のとおり指摘して,広島市報告書の報告は,要望地域における広島原爆由来放射線による健康影響としての合理的根拠とはならないと結論付けた。 「黒い雨」を体験したと回答した者の健康状態被告広島市等により調査が行われた内容は主として精神的な影響に関する評価尺度を用いての検討であり,身体疾病に関しては,設問設定に方法論上の限界があり,影響の有無についての解釈が困難であった。したがって,身体的健康影響について科学的に評価することは調査設計上困難であった。被告広島市等から提出された調査報告から,「黒い雨」を体験したと自己申告した者において,主に精神的な評価指標(神経過敏に感じたか,絶望的だと感じたか,そわそわ落ち着かなく感じたか等の精神的な自覚症状)の悪化が見られ,この原因は「黒い雨」の体験そのものではなく,「黒い雨」が放射能を含むのではないかという思いによる放射線被ばくへの不安や心配によるものと説明される可能性があると考えられた。 「黒い雨」の地理分布等推定された のものではなく,「黒い雨」が放射能を含むのではないかという思いによる放射線被ばくへの不安や心配によるものと説明される可能性があると考えられた。 「黒い雨」の地理分布等推定された降雨域及び「黒い雨」体験の回答の確からしさの検証を行ったが,同じ地域において「黒い雨」の体験率が50%を超える地域は未指定地域(注:被爆地域及び健康診断特例区域として指定されていない地域)においては一部に限られること,特に爆心地から20km以遠においてはデータ数が少ないこと,本人の60年以上前の記憶によっており,その報告の正確性を十分に明らかにできなかったことから,今回の調査データから「黒い雨」の降雨域を確定することは困難であると判断した。 なお,「黒い雨」の降雨の如何によらず,放射線による健康影響が確認できないという結論は変わらない。原爆投下直後の降雨の有無と,放射性降下物の降下や原爆放射線による健康影響は直接に結びつくものではないことに留意すべきである。また,精神的な評価指標の悪化については,地域に依拠しているのではなく,むしろ,個々人が「黒い雨」を体験したことを記憶していたかどうかに依拠している可能性があると考えられる。 要望地域における広島原爆由来の残留放射能等の程度 今回,被告広島市等が第一種健康診断特例区域への指定を要望した地域において,広島原爆由来の放射性降下物は確認されておらず,したがって,これによる内部・外部被曝があったことも確認できない。当該地域においては,原爆からの直接の放射線又は誘導放射能は問題とならないことから,要望地域において健康影響の観点から問題となる広島原爆由来の放射線被曝があったとは考えられない。 エ平成27年3月5日の衆議院予算委員会(第189回国会)における 放射能は問題とならないことから,要望地域において健康影響の観点から問題となる広島原爆由来の放射線被曝があったとは考えられない。 エ平成27年3月5日の衆議院予算委員会(第189回国会)における厚生労働大臣の答弁平成24年検討会の報告を踏まえて,平成27年3月5日に開催された衆議院予算委員会(第189回国会)において,平成22年の被告広島市等の要望書に関する質問に対し,厚生労働大臣から,次のとおり説明がされた(乙61・45頁)。 「原子爆弾の被爆者援護法に基づく被爆地域の指定,これに当たりましては,科学的,合理的な根拠が必要でございますので,御指摘の広島市等からの要望を受けまして,平成22年,2010年に,厚生労働省におきまして,放射線の健康影響等に関する専門家から構成をされます検討会,『原爆体験者等健康意識調査報告書』等に関する検討会という検討会を設置いたしまして,広島市などからの実態調査の結果を科学的に検証させていただきました。その結果でございますけれども,平成24年7月の検討会の報告におきまして,まず,拡大要望がございました地域においては,広島原爆由来の放射性降下物は確認をされておらず,当該地域におきまして,健康影響の観点から問題となる放射線被曝があったとは考えられない,そして,黒い雨を体験した方におけます精神的健康状態の悪化は,放射線被曝を直接の原因とするものではなく,黒い雨によります放射線被曝への不安や心配を原因としている可能性があるというふうにされておりまして,被爆地域の拡大を行う科学的,合理的な根拠は得られないというふうに判断をされたところでございます。」 5 その他本件に関連する知見,報告等⑴ 内部被曝の危険性に関する知見等ア肥田舜太郎「内部被曝」(甲A ,合理的な根拠は得られないというふうに判断をされたところでございます。」 5 その他本件に関連する知見,報告等⑴ 内部被曝の危険性に関する知見等ア肥田舜太郎「内部被曝」(甲A44)低線量の放射線を長時間浴びせ続けると,高線量を短時間照射したとき よりも合計の放射線量がはるかに小さい放射線で,細胞膜が壊れるというペトカウ効果は,放射線によってフリーラジカル(放射線の電離作用によって電気を帯びた活性酸素)という物質が体内に作られることが原因である。ペトカウ効果は,低線量被曝による人体への影響について,次の点を明らかにした。 ① 低線量の放射線は,活性酸素(フリーラジカル)を体内に発生させ,それが細胞膜の脂質と反応して過酸化脂質を作り,細胞膜を傷つける。 ② ペトカウ効果によって,免疫システムが阻害され,感染症の危険が増加する。 ③ 低線量の放射線は,放射線による直接の被害からは予想もつかない,様々な病気を引き起こす。 また,最近の研究では,放射線によるDNAの損傷について,低線量を長時間かけて与えると,高線量を短時間で与えるよりも,多くの突然変異を生み出すことができるという逆線量率効果が認められている。この逆線量率効果は,遺伝的な障害についても,一度に大量に被曝したときよりも,低線量・長時間被曝の方がリスクが高いことを意味している。 イ西尾正道「がんセンター院長が語る放射線健康障害の真実」(甲A45)人体が放射線を受けたときの影響は,放射線感受性に関するBergonie―Tribondeauの法則として知られており,細胞分裂の盛んな細胞,未分化な細胞及び細胞再生系臓器ほど放射線の影響を受けやすく,一般的には,大人よりも成 は,放射線感受性に関するBergonie―Tribondeauの法則として知られており,細胞分裂の盛んな細胞,未分化な細胞及び細胞再生系臓器ほど放射線の影響を受けやすく,一般的には,大人よりも成長期にある子どもの方が,放射線による影響を受けやすい。 単なる一過性の外部被曝(照射)と,放射性物質からの被爆では影響は異なると考えられ,内部被曝の問題を無視することはできない。人体に取り込まれた放射性物質から放出されたアルファ線やベータ線は粒子線であり,飛程はごく短いが周囲の細胞に影響を与える。そのためこうした内部被曝では,核種により生物学的半減期は異なるが,長期にわたる継続的・連続的な被曝となり,人体への影響はより強いものとなると考えられる。 したがって,被爆時当初の放射線量は同じでも,人体への影響は異なると考えるべきである(甲A45・45ないし47頁)。 低線量の放射線でも細胞に長期間当てると大きな障害が起こることは「ペトカウ効果」として有名であるが,最近の研究では低線量内部被曝の影響も明らかにされつつある。主なものは,①バイスタンダー効果(放射線を照射された細胞の隣の細胞も損傷されることがある),②ゲノムの不安定性(細胞及びその子孫内の継続的,長期的突然変異の増加),③ミニサテライト突然変異(遺伝で受け継いだ生殖細胞系のDNAが変化する)などである(甲A45・57頁)。 ⑵ 静間「広島平和記念資料館所蔵の『黒い雨』壁面に含まれる原爆フォールアウト」(甲A53)静間は,爆心地から3.7kmに位置する広島市西区高須に所在した家屋の壁の一部(「黒い雨の壁」として,資料館に展示されている。)から,平成12年及び平成14年に小片サンプルを採取し,低バックグラウンドGe検出器を用い .7kmに位置する広島市西区高須に所在した家屋の壁の一部(「黒い雨の壁」として,資料館に展示されている。)から,平成12年及び平成14年に小片サンプルを採取し,低バックグラウンドGe検出器を用いてガンマ測定をし,さらに京都大学原子炉実験所の協力で微量元素分析を行った結果,「黒い雨の壁」から核分裂生成物であるセシウム137(半減期30年)と広島原爆材料として使われ,核分裂を起こさず飛散したウラン235(半減期7億年)が検出されたことを報告した。 前記報告書は,235Uは半減期7億年であるので,原爆の後と現在で放射能はほとんど変わらないが,137Csは半減期30年であるので放射能は原爆の後に比べて現在では5分の1に減少している,原爆投下直後の「黒い雨の壁」には137Csだけでなく多くの短寿命の核分裂生成物が含まれていたといえると結論付けている。 ⑶ P意見の要旨琉球大学名誉教授のPは,自らの著書(甲A31,43),意見書(甲A76),証人尋問等において,要旨,次のとおりの意見を述べている(甲A122,証人P)。 ア放射性降下物の降下機序 黒い放射性微粒子群が原子雲となったこと原爆を構成した全ての個体は,核分裂連鎖反応後,超高温となり瞬時にして気体となり,火球を形成した。火球が断熱膨張する間に温度が下がり,核分裂生成原子核と電子が結合して原子が再構成され,やがて,ぶつかり合う原子同士が衝突・結合するようになり,放射性微粒子が構成された。 ベータ崩壊する放射性微粒子はプラス電荷を帯びて大気中の水分を付着させやすくなり,また,電荷を持たない放射線は,周囲にある原子に衝突して原子中の電子を吹き飛ばす「電離」を行い,電離された原子はプラス電荷を帯びたイオンとなる。また,放射性 帯びて大気中の水分を付着させやすくなり,また,電荷を持たない放射線は,周囲にある原子に衝突して原子中の電子を吹き飛ばす「電離」を行い,電離された原子はプラス電荷を帯びたイオンとなる。また,放射性原子がたくさん凝集している放射性微粒子はプラス電荷を帯びることとなる。 これら電荷されたイオンや電荷を帯びた放射性微粒子に,湿った空気中の水分子が引き寄せられて水滴ができ,巨大な雲が形成され,さらに高温気団が高熱による強い浮力で上昇することにより,キノコ雲と呼ばれる原子雲が形成された。 水平原子雲の形成原子雲頭部の高温気団は,対流圏を断熱的に上昇し成層圏に突入するが,これに対し,原子雲の中心軸の外周辺部分は浮力が弱く(周囲との温度差が少なく),対流圏内における地表風圏と偏西風圏の境界で(地表風圏内では高度の上昇とともに大気温は低下するが,地表風圏の上に位置する偏西風圏では暖かい空気が流れてきていて温度が地表風圏より高い。したがって,圏界面に到達する前,対流圏内の地表風圏と偏西風圏の境界で浮力を失う。),周囲と等温になり上昇できなくなる。そこで浮力を完全に失い水平方向に押し出され同心円的に広がり,水平の原子雲を形成した。そして,原子雲は,中心軸部分よりも,周辺部分の方が放射性微粒子の濃度が高いことから,水平原子雲等によってもたらされた「黒い雨」には,たっぷりと放射性微粒子が含まれていた。 「黒い雨」雨域を作る放射性物質を多量に含む水平原子雲は,放射性微粒子を核にして水滴を形成し,やがて落下する。水滴の大きさと温度の兼ね合いで,この水滴落下は降雨となるか,空気温度が高い場合には,雨滴が途中で蒸発し高湿度の空気となって地上に充満する。放射能微粒子は空気より重いことから,微粒子単体であっても地上に降下する。これ 兼ね合いで,この水滴落下は降雨となるか,空気温度が高い場合には,雨滴が途中で蒸発し高湿度の空気となって地上に充満する。放射能微粒子は空気より重いことから,微粒子単体であっても地上に降下する。これらは原子雲の半径約18kmの同心円内を放射能環境とする。 イ 「黒い雨」降雨範囲広島原子雲の写真の解析結果米軍機により撮影された広島原子雲の写真において,水平原子雲の上に原子雲頭部の影がはっきりと写っているのが見てとれるところ,この 雲の半径は約18kmであると測定できる。 当時対流圏では南南東の毎秒3mの風が吹いていたとされるところ,前記写真は原爆投下1時間後に撮影されたものであり,1時間でこの風が運ぶ距離は約11kmであるから,水平原子雲は11kmほど北北西に中心からずれていると予測される。 したがって,前記写真からは,半径18kmほどの水平原子雲が北北西に11kmほど移動したものとして理解できる。 水平原子雲が「黒い雨」降雨域の範囲を決した水平原子雲と「黒い雨」との関わりは,以下のように論理的に理解することができる。水平原子雲ができ成長し半径約18kmまでに伸び,これが南南東の風に流され北北西に進む。「黒い雨」も,水平原子雲中心付近から降り始め,その降雨範囲は時間と共に北北西に移動するところ,「黒い雨」は,早くて原爆投下後15分くらいで降り始め,最も盛んに降り始めたのは1時間後~2時間後とされることからすれば,降雨の場所と時間は,1時間から少し後の原子雲の位置の時を最も盛んなものであったとして理解できる。その前に降ったものもそれ以降に降ったものもあるが,「黒い雨」の時間的分布も地域的分布も投下後1時間かそれより少し後の水平原子雲の位置が中心であり,この中心域は風と共に北北西に移動していっ できる。その前に降ったものもそれ以降に降ったものもあるが,「黒い雨」の時間的分布も地域的分布も投下後1時間かそれより少し後の水平原子雲の位置が中心であり,この中心域は風と共に北北西に移動していった。水平原子雲の広がりをシミュレーションしたものではないが,前記論理的理解と,広島市調査の結果(大瀧雨域)はほぼ一致する。 ウ 「黒い雨」の人体影響 「黒い雨」による内部被曝「黒い雨」の降る空間には放射性微粒子が充満するため,雨に打たれても打たれなくとも呼吸による内部被曝がもたらされる。また,「黒い雨」は大地に生育される野菜などの表面に付着し農作物を汚染し,さらに,「黒い雨」が土壌を汚染し,放射性微粒子が根から吸収され農作物を汚染する。これら食物を食べることで,内部被曝をもたらす。加えて,「黒い雨」が流れ込んだ池や川の水に接すると水が媒体となって内部被曝をもたらす。つまり,水に浸けた物には放射性微粒子が付着し,水を飲むと内部被曝する。 内部被曝 内部被曝は,外部被曝に比べ,以下のような特徴を持ち,より危険性が高いということができ,放射性微粒子たった一個内部被曝するだけで,可能性としては,身体に原爆の放射能の影響を受ける事情が出現することになる。 ① 内部被曝では,外部被曝ではほとんど起こらないアルファ線・ベータ線による被曝が生じ,アルファ線及びベータ線は,飛程が短く,全てのエネルギーを電離等に費やす。 ② 1μmの放射性微粒子から放出される放射線の飛程はガンマ線が数十cmであるのに対し,アルファ線は40μm,ベータ線は2mmであり,ガンマ線と比較すると,アルファ線及びベータ線は局所的な被曝であるために分子切断の範囲が狭く,放射線到達範囲内の被曝線量が非常に大きくなる。 ③ 放射性微 ァ線は40μm,ベータ線は2mmであり,ガンマ線と比較すると,アルファ線及びベータ線は局所的な被曝であるために分子切断の範囲が狭く,放射線到達範囲内の被曝線量が非常に大きくなる。 ③ 放射性微粒子が極めて小さい場合,呼吸で気管支や肺に達し,飲食を通じて腸から吸収されたり,血液やリンパ液に取り込まれたりして身体のいたるところに循環し,親和性のある組織に入り込み,停留したり沈着する。 ④ 身体中のある場所に定在すると,放射性微粒子の周囲にホットスポットと呼ばれる集中被曝の場所を作る(ホットスポットのある不均一な被曝状況は均一の場合より大きな危険を含んでいるとされる。ただし,異論もある。)。バイスタンダー効果等を考慮すると,DNAに変性を繰り返させ,癌に成長させる危険を与える。 ⑤ 放射性物質が体外に排出されるか減衰しきるまで,継続的に被曝を与え続ける。 ⑥ 外部被曝の場合には低線量と評価される状態であっても,内部被曝する場合にはけた違いの大きな被曝を与える。 エ残留放射能の調査結果について「黒い雨」に含まれる放射性物質の量を測定するためには,降った雨を雨量計に溜めて測定しなければならない。土壌中に放射性物質を測定しても,降った雨が流れてしまえば,それだけで現場保存はできなくなる上,台風や雨,大気圏内核実験などでもたらされた外的な放射能が原因となり,過小評価となる。また,空中やその他の形で存在した放射性物質の測定はそもそもしていないしできない。 したがって,残留放射能調査における土壌試料が,「黒い雨」により放射性降下物が降下した当時の放射能環境を再現するものではあり得ない。 ⑷ 大瀧意見の要旨広島大学名誉教授の大瀧は,広島市調査,自らの論文「広島原爆被爆者における健康障害の主要因は放射性微粒子 物が降下した当時の放射能環境を再現するものではあり得ない。 ⑷ 大瀧意見の要旨広島大学名誉教授の大瀧は,広島市調査,自らの論文「広島原爆被爆者における健康障害の主要因は放射性微粒子被曝である」(大瀧ら論文,甲A54),証人尋問等において,要旨,次のとおりの意見を述べている(甲A125,証人大瀧)。 ア広島市調査について解析対象のデータは自書式アンケートデータであり,60余年も昔の記憶を辿ることにより記述されたもので,各回答内容には高い正確性は期待できない。しかし,広島市調査での統計処理は,個人単位のデータの曖昧さの問題を織り込んだ解析方法であり,確率の概念を使って表示された解析結果は十分に信頼できるものである(甲A125・13頁)。 降っていないと回答した者のデータには時刻別所在地情報が得られていないことから,降ったと回答した者と降っていないと回答した者の分布の比較は不可能である(なお,大瀧自身は,広島市調査のアンケート項目の設定には関与していない。甲A125・13頁,証人大瀧40頁)。 広島市調査においては,推定された降雨時間の長さ,時刻ごとの「黒い雨」の体験率,推定された降雨強度の最大値の地理分布,降雨の色について時空間分布を推定しているところ,どの程度の被曝を受けたかは,井戸水を利用していたかなどの居住状況,諸々の環境によって異なってくるが,概ねこれらの分布が示す辺りに所在すれば,放射性微粒子を体内に取り込んでいた可能性があり,実際に「黒い雨」に接触したかどうかは本質的な問題ではない(証人大瀧39頁)。 前記時空間分析に用いられたデータは1000人から1500人程度のものであり,滑らかさを前提に統計処理をしていることから,詳しい複雑な降雨状況は再現できず, ではない(証人大瀧39頁)。 前記時空間分析に用いられたデータは1000人から1500人程度のものであり,滑らかさを前提に統計処理をしていることから,詳しい複雑な降雨状況は再現できず,大雑把なものしか得られていない(証人大瀧40頁)。 イ内部被曝について大瀧ら論文の概要広島大学原爆放射線医科学研究所の大瀧,大谷敬子(当時)は,於保論文(前記3⑴e)における急性症状発症実態調査に示されたデー タを統計解析して,急性症状発症危険度が,①距離が近いほど高値,②屋外で被爆した場合は屋内で被爆した場合に比べ高値,③原爆直後に市内に入った人は遠くで被爆した人ほど高値との結果を得た。 また,広島大学原爆放射線医科学研究所の原爆被爆者コホートデータベース(ABS)に登録されている広島原爆の被爆者のうち,60歳未満のときに爆心地から2000m以内で被爆し,昭和35年1月1日の時点で広島県内に居住(生存)していた1万8154人(男性6815人,女性1万1339人)を解析対象として,昭和35年から平成22年までの41年間における全日本を基準集団とした期待死亡数と観察死亡数の比(SMR)を,男女別年齢階級別,被爆地点方向別に求めたところ,SMRの値は被爆時年齢が10歳代の男性の場合には,爆心地近傍を含めて爆心地から西側では被爆距離が遠くなるとともに増大し,2.0km付近に限ってみると,西側の方が東側よりも高い傾向が認められるなど,初期放射線の線量よりも被爆距離の方が,固形がん死亡危険度を左右していることに適合的であり,初期放射線以外の遮蔽の影響を受けにくい曝露要因が広島原爆被爆者の固形がん死亡の超過リスクに大きく影響していることを見出した。 大瀧らは,放射性微粒子の吸飲による内部被曝がこれらの要因であるとの仮説の 射線以外の遮蔽の影響を受けにくい曝露要因が広島原爆被爆者の固形がん死亡の超過リスクに大きく影響していることを見出した。 大瀧らは,放射性微粒子の吸飲による内部被曝がこれらの要因であるとの仮説の下,原爆投下当日広島市外で召集され,その日の午後(正午頃から夕方5時頃にかけて)原爆被爆者の救護のため広島市内に入市した陸軍船舶特別幹部候補生3期生142名を対象とし郵送によるアンケート調査を行った(有効回答者数は64名)。作業場所及び作業中の粉塵曝露の有無により,A群(2km以遠で作業,粉塵曝露無(22名)),B群(2km以遠で作業,粉塵曝露有(9名)),C群(2km以内で作業,粉塵曝露無(12名)),D群(2km以内で作業,粉塵曝露有(21名))の4群に分け,急性症状の発症の有無及びがん罹患既往歴の有無について,A群を基準とする各群のオッズ比を算出したところ,D群において,急性症状様の症状の発症危険度やがんの既往歴危険度が10倍を超える高い上昇を検出した。 大瀧らは,以上の統計解析を踏まえ,爆心地近傍にあった日本家屋の土壁や屋根瓦の下に敷かれていた粘土に含まれていた安定型の元素55Mn及び27Alが原爆による中性子照射を受けて放射化し生成された 放射性微粒子が,衝撃波と爆風により一瞬にして空中に舞い上がり,その一部は上空の東風に運ばれて飛散し,半減期が短い28Alの影響は爆心地近傍(1.2km以内程度)に限局された一方,56Mnは原爆炸裂の5時間後でも約1/4の放射能の強さを保持していたために,近距離で被爆した直接被爆者だけでなく遠距離被爆者や入市者に対し,ホットパーティクル効果を引き起こし,急性症状の危険度を高くしていたことも考えられるなどとして,広島の原爆被爆者の急性症状の発症状況や固形がん死亡の超過危険度には,残留 遠距離被爆者や入市者に対し,ホットパーティクル効果を引き起こし,急性症状の危険度を高くしていたことも考えられるなどとして,広島の原爆被爆者の急性症状の発症状況や固形がん死亡の超過危険度には,残留放射能を含む放射性微粒子の曝露が大きく関与していると結論付けた。 ただし,於保論文や広島大学のABSは,入市者を研究対象としたものであるので,本件訴訟の原告らのような「黒い雨」降雨体験者に直接当てはまるものではない(証人大瀧32,33頁) その他大瀧の意見放射線影響研究所の研究グループが平成13年に発表した論文(StableChromosomeAberrationRateinA-bombSurvivors (Kodamaetal., RadiationResearch, 2001))において示された安定型染色体異常率と骨髄線量の関連に関する研究結果では,同じ被曝線量であっても,家の中で被爆した方が,家の外で被爆した場合よりも染色体異常率が高くなっている。大瀧が,これを回帰分析により定量的に解析したところ,家の中で被爆した方が,家の外で被爆した場合と比較して,44%程度染色体異常率が高いということが統計的に有意な結果として得られた。ここからは,初期線量は屋根や壁による大きな遮蔽効果が見込めるものの,非初期線量による曝露の場合には同様な効果が期待できないこと,原爆被爆者においては,放射性微粒子の吸入により大きな内部被曝があったにもかかわらず,これが正当に評価されていないことが結論として導かれる(甲A125・25ないし28頁)。 原告らにおける放射性微粒子曝露の機序としては,爆心地の地上付近の家屋に含まれる55Mnなどが中性子による放射化により,放射性核種が生成され,これが粉塵と共に上空 25ないし28頁)。 原告らにおける放射性微粒子曝露の機序としては,爆心地の地上付近の家屋に含まれる55Mnなどが中性子による放射化により,放射性核種が生成され,これが粉塵と共に上空に巻き上げられ拡散しつつ風に乗って流され,雨滴や塵灰に交じって地上に落下したもの,また,核分裂生成物や未分裂原爆材料が放射性降下物として降下したものを,呼吸やこれらが含まれた井戸水や野菜等の摂取により体内摂取したことで内部 被曝したと想定される(甲A125・48頁)。 第2 争点1(承継人らにおける訴訟承継の成否)について 1 健康管理手当認定申請に係る訴訟が伴う場合について被爆者援護法に基づく被爆者健康手帳交付申請及び健康管理手当認定申請の各却下処分の取消しを求める訴訟並びに同取消しに加えて被爆者健康手帳の交付の義務付けを求める訴訟において,訴訟の係属中に申請者が死亡した場合には,その相続人が当該訴訟を承継する(平成29年最高裁判決)。 すなわち,被爆者援護法は,被爆者の健康面に着目して公費により必要な医療の給付をすることを中心とするものであって,いわゆる社会保障法としての他の公的医療給付立法と同様の性格を持つということができるが,他方で,同法は,原爆の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が,他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることに鑑みて制定されたものであって,このような特殊の戦争被害について,戦争遂行主体であった国が自らの責任によりその救済を図るという一面を有しているといえ,そうした制度の根底には,実質的にみて国家補償的配慮が存在するというべきである。 また,同法に基づく健康管理手当は,原爆の放射能の影響による造血機能障害等の障害に苦しみ続け,不安の中で生活している被爆者に対し,毎月定額の手当を支給する 家補償的配慮が存在するというべきである。 また,同法に基づく健康管理手当は,原爆の放射能の影響による造血機能障害等の障害に苦しみ続け,不安の中で生活している被爆者に対し,毎月定額の手当を支給することにより,その健康及び福祉に寄与することを目的とするものであるところ(同法前文,27条参照),同条は,その受給権に関し,被爆者であって,所定の疾病に罹患しているものであれば,同条2項所定の都道府県知事の認定を受けることによって,当該認定の申請をした日の属する月の翌月から一定額の金銭を受給することができる旨を定めており,同手当に係る受給権は,所定の各要件を満たすことによって得られる具体的給付を求める権利として規定されていると考えられる。 したがって,同条に基づく認定の申請がされた健康管理手当の受給権は,当該申請をした者の一身に専属する権利でなく,相続の対象となるものであるから,被爆者健康手帳交付申請及び健康管理手当認定申請の各却下処分の取消しを求める訴訟並びに同取消しに加えて被爆者健康手帳の交付の義務付けを求める訴訟において,訴訟の係属中に申請者が死亡した場合には,当該訴訟は当該申請者の死亡により当然に終了せず,その相続人がこれを承継すると解される。 2 被爆者健康手帳交付処分の効力発生日に関連する事情について ⑴ 被爆者援護法の規定等アところで,被爆者援護法の定める「被爆者」とは,同法1条各号のいずれかに該当する者であって,被爆者健康手帳の交付を受けたものをいうところ,同法は,被爆者に対する諸手当(医療特別手当,特別手当,原子爆弾小頭症手当,健康管理手当及び保健手当)については,支給決定日でなく申請日を各種手当の支給開始時期の基準とする旨明確に定めているにもかかわらず(同法24条4項,25条4項,26条4項,2 ,原子爆弾小頭症手当,健康管理手当及び保健手当)については,支給決定日でなく申請日を各種手当の支給開始時期の基準とする旨明確に定めているにもかかわらず(同法24条4項,25条4項,26条4項,27条5項,28条5項),被爆者健康手帳の交付については,そのような規定を置いていない。 イまた,被爆者援護法の前身である原爆医療法の附則2項は,「第2条各号の一に該当する者は,この法律の施行後3月間は,第2条の規定にかかわらず,被爆者健康手帳の交付を受けないでも被爆者とみなす。」と規定していたところ(乙19),同規定の趣旨については,「この法律は,昭和32年4月1日から施行されたのであるが,この法律により医療等を受けうるものは,被爆者健康手帳の交付を受けたものとなっているので,手帳交付の手続の期間等を考慮して,昭和32年6月30日までは,法第2条各号の一に該当する者は,被爆者健康手帳の交付を受けないでも被爆者とみなす措置がとられ」たものである(乙67・17頁)とされている。 ⑵ 行政実務の取扱い ア一方で,原爆医療法は,昭和35年改正により,一定の「被爆者」を「特別被爆者」とし,特別被爆者に対して「特別被爆者健康手帳」を交付し,認定疾病でない一般疾病についても一般疾病医療費(健康保険等の自己負担分を国が支給するもの)を支給するようになったところ,その後,このような特別被爆者の範囲が拡大されていったことから,278号通達が発出され,「特別被爆者健康手帳の交付年月日については,・・・従来一般被爆者健康手帳の交付を受けていない者が新たに申請した場合は,申請した年月日を交付年月日として交付すること。」とされた。同通達は,既に一般被爆者健康手帳の交付を受けている者については,特別被爆者健康手帳の交付の申請を待つことなく, 者が新たに申請した場合は,申請した年月日を交付年月日として交付すること。」とされた。同通達は,既に一般被爆者健康手帳の交付を受けている者については,特別被爆者健康手帳の交付の申請を待つことなく,一般被爆者健康手帳の際に提出された資料により被爆した場所を再確認し,特別被爆者健康手帳を切替交付することとされ(同通達第1,1(1)),速やかに特別被爆者健康手帳を交付する取扱いがされていたところ(なお,便宜上,交付年月日についても昭和 37年4月1日付けとすること〔同通達第2,1〕とされていた。),一般被爆者健康手帳の交付を受けていない者が新たに申請した場合には,特別被爆者健康手帳交付までに一定の期間を要する(同通達第1,1(3)参照)ことから,両者の均衡等を考慮して,便宜上,申請した年月日を交付年月日とする取扱いを認めたものである。 昭和49年に全ての被爆者について一般疾病医療費が支給されることとなり,特別被爆者制度は廃止されたことから,前記通達の意義は既に失われており,その後,前記通達と同趣旨の通達等は発出されていないが,行政実務においては,現在でも,被爆者健康手帳の交付につき申請日を交付日とする前記取扱いが継続されている(弁論の全趣旨)。 イまた,昭和53年4月13日,衆議院(第84回国会)社会労働委員会において,最高裁昭和53年3月30日第一小法廷判決・民集32巻2号435頁(昭和53年最高裁判決)が当該事件の原告(被上告人)に被爆者健康手帳を交付すべき旨の判断を示したことを受けた質問に対し,政府委員は,被爆者健康手帳交付の効力は申請日に遡る旨答弁している(乙70・16頁)。 ウさらに,平成29年最高裁判決の以前は,自治体がいつ各種手当の申請を受け付けるかについて明確な決まりがなく,被告広島市や長崎市などは, の効力は申請日に遡る旨答弁している(乙70・16頁)。 ウさらに,平成29年最高裁判決の以前は,自治体がいつ各種手当の申請を受け付けるかについて明確な決まりがなく,被告広島市や長崎市などは,被爆者健康手帳の交付を受けていなければ各種手当の申請をできないとの立場で,基本的には被爆者健康手帳の交付前に各種手当の申請を受け付けていなかった(甲A105)。 これに対し,厚生労働省健康局総務課長は,平成31年3月29日付け健総発0329第1号通知「健康管理手当等の支給認定等の申請に係る事務取扱いについて」(本件通知。甲A104)を発出し,被爆者健康手帳の交付申請の際に,被爆者援護法11条1項の認定の申請,24条2項の医療特別手当の認定の申請,25条2項の特別手当の認定申請,26条2項の原子爆弾小頭症手当の認定の申請,27条2項の健康管理手当の認定の申請,28条2項の保険手当の認定の申請,31条の介護手当の支給の申請を同時に受理して差し支えないことを通知した。 3 一般疾病医療費及び葬祭料について⑴ 被爆者援護法18条1項は,厚生労働大臣は,被爆者が,一定の負傷又は疾病につき,被爆者一般疾病医療機関から医療を受けるなどした場合に は,その者に対し,当該医療に要した費用の額を限度として,一般疾病医療費を支給することができる旨定めている。すなわち,被爆者健康手帳を所持する被爆者が被爆者一般疾病医療機関で医療を受けた場合には,厚生労働大臣は,一般疾病医療費として当該被爆者に支給すべき額の限度において,その者が当該医療に関し当該医療機関に支払うべき費用を,当該被爆者に代わり,当該医療機関に支払うことができ(同条3項),被爆者が緊急その他やむを得ない理由により被爆者一般疾病医療機関以外の者から医療を受けた場合には,当該被 医療機関に支払うべき費用を,当該被爆者に代わり,当該医療機関に支払うことができ(同条3項),被爆者が緊急その他やむを得ない理由により被爆者一般疾病医療機関以外の者から医療を受けた場合には,当該被爆者は,厚生労働大臣に対して,一般疾病医療費の支給を請求することができる(同条1項)。 同条に基づく一般疾病医療費は,原爆の放射能に起因する健康被害に苦しみ続け,不安の中で生活している被爆者に対し,所定の一般疾病医療費を支給することにより,その健康及び福祉に寄与することを目的とするものであるところ(同法前文,18条参照),同条は,被爆者であって,所定の要件を充たす医療を受けるなどした者であれば,所要の手続を経ることによって,当該医療に要した費用の額を限度として,一般疾病医療費を受給することができる旨を定めており,このような規定に照らすと,一般疾病医療費の受給権は,所定の各要件を満たすことによって得られる具体的給付を求める権利として規定されていると解される。 ⑵ また,被爆者援護法32条は,都道府県知事は,被爆者が死亡したときは,葬祭を行う者に対し,政令で定めるところにより,葬祭料を支給する旨定めており,この葬祭料は,被爆者が死亡した場合に,その葬祭を行う者に対して葬祭料を支給することにより,被爆者の生前の精神的不安を和らげ,もってその福祉を図るものであって(乙68),かかる同法の性格及び葬祭料の目的に鑑みると,葬祭料に係る受給権についても,所定の各要件を満たすことによって得られる具体的給付を求める権利として規定されているということができる。 4 訴訟承継の成否について⑴ 前記2⑴アに認定のとおり,被爆者援護法において,被爆者健康手帳の交付については,健康管理手当等の諸手当と異なり,その効力を交付申請日とする旨の規定が置かれていない 4 訴訟承継の成否について⑴ 前記2⑴アに認定のとおり,被爆者援護法において,被爆者健康手帳の交付については,健康管理手当等の諸手当と異なり,その効力を交付申請日とする旨の規定が置かれていないこと,同イに認定のとおり,被爆者援護法の前身である原爆医療法において,被爆者健康手帳交付の手続に一定の期間がかかること等を考慮し,一定の期間に限り被爆者健康手帳の交付 を受けないでも被爆者とみなす旨の規定が置かれていたことなど,本件において,被爆者健康手帳交付処分の効力が交付処分日に発生すると解すべきことに親和的と思える事情を指摘できないではない。 ⑵アしかしながら,前記2⑵アに認定のとおり,特別被爆者制度を創設した原爆医療法の昭和35年改正に際し,特別被爆者健康手帳の交付年月日について,従来一般被爆者健康手帳の交付を受けていない者が新たに申請した場合は申請した年月日を交付年月日として交付することなどを規定した278号通達が発出されたが,その後に特別被爆者制度が廃止されて278号通達の意義が失われてからも,行政実務においては,依然として被爆者健康手帳の交付処分の効力を申請日に遡らせる取扱いがされており,同イに認定のとおり,国会における政府委員の答弁も,この取扱いを前提とするものであって,かつ,現在に至るまで,そうした行政実務における前記取扱いの改変が具体的に検討された形跡も存しないのであり(弁論の全趣旨),被爆者健康手帳の交付処分の効力を申請日に遡らせる前記取扱いは,既に確立した行政実務となっている。 イまた,平成29年最高裁判決は,前記1に認定のとおり,被爆者健康手帳交付申請と健康管理手当認定申請が共にされた事案における判断であって,健康管理手当の認定申請がされていない本件について,直ちに射程が及ぶものではないが,平成 は,前記1に認定のとおり,被爆者健康手帳交付申請と健康管理手当認定申請が共にされた事案における判断であって,健康管理手当の認定申請がされていない本件について,直ちに射程が及ぶものではないが,平成29年最高裁判決は,そのような事案についても,健康管理手当が認定申請の日の属する月の翌月に遡って支給されると解したものと解されるのであり,少なくとも健康管理手当の受給権との関係においては,被爆者健康手帳の交付の法的効果が申請日に遡って生じるとの理解を論理的前提にしているというべきである。 ウ加えて,平成29年最高裁判決後に発出された本件通知が,被爆者健康手帳の交付申請と同時に健康管理手当等の申請を受理して差し支えないとしているのも,これら諸手当の受給権との関係では,被爆者健康手帳の交付の法的効果が申請日に遡って生じるとの理解に立脚したものと解されるのであって,そうした解釈は,前記イの平成29年最高裁判決の立場や,前記アの行政実務における確立した取扱いに副うものである。 エ原爆に被爆したという事実は被爆者健康手帳の交付の有無によって左右されるものでなく,諸手当の受給権等との関係において,被爆者健康手帳 の交付の法的効果を申請日に遡って生じさせることは,特に国家補償的配慮のもとに原爆による特殊の被害の救済を目する被爆者援護法の制定趣旨に適うところであって,健康管理手当の受給権に限られることなく,広く被爆者援護法が規定する諸手当の受給権等との関係で,被爆者健康手帳の交付の法的効果は,交付申請日に遡って生じると解するのが相当である(被告らは,前記2⑴アに認定のとおり,医療特別手当,特別手当,原子爆弾小頭症手当,健康管理手当及び保健手当について,支給決定日ではなく申請日を各種手当の支給開始時期の基準とする旨の規定が明示的に (被告らは,前記2⑴アに認定のとおり,医療特別手当,特別手当,原子爆弾小頭症手当,健康管理手当及び保健手当について,支給決定日ではなく申請日を各種手当の支給開始時期の基準とする旨の規定が明示的に置かれている点を指摘し,被爆者健康手帳の交付に同様の規定がない以上,その法的効果が申請日に遡って生じると解することができないと主張するが,同前記2⑵ウに認定のとおり,本件通知では,遡及効に関する明文規定がない介護手当の認定申請についても,被爆者健康手帳の交付申請と同時に受理して差し支えないとしており,これまでの行政実務においても,必ずしも被告らの主張するような解釈が取られていたとはいえず,先の説示を左右しない。)。 ⑶ 平成29年最高裁判決の事案と異なり,被爆者健康手帳の交付申請に併せて健康管理手当の認定申請がされていない場合であっても,前記3⑴に認定のとおり,一般疾病医療費の受給権が所定の各要件を満たすことによって得られる具体的給付を求める権利として規定されており,被爆者健康手帳の申請者が被爆者健康手帳の交付を受けるまでの間に被爆者一般疾病医療機関等から医療を受けた場合には,当該申請者は交付申請日以降に受けた医療に係る一般疾病医療費を受給することができるのであって,一般疾病医療費の受給権は,当該申請者の一身に専属する権利ということはできず,相続の対象となるものということができる。また,同⑵に認定のとおり,葬祭料の受給権も,所定の各要件を満たすことによって得られる具体的給付を求める権利として規定されており,死後であっても当初の交付申請に基づき被爆者健康手帳の交付がされた場合には,申請者は,当該交付申請日に遡って,将来死亡した場合には葬祭を行う者に対して葬祭料が支給されるという法的地位を取得していたことになり,葬祭を行う者は,葬祭料の支 爆者健康手帳の交付がされた場合には,申請者は,当該交付申請日に遡って,将来死亡した場合には葬祭を行う者に対して葬祭料が支給されるという法的地位を取得していたことになり,葬祭を行う者は,葬祭料の支給が認められないという法律状態を生じさせている行政処分の効力を排除するために,被爆者健康手帳交付申請却下処分の取消訴訟を承継するものと解される。 したがって,被爆者健康手帳交付申請の却下処分の取消しを求める訴訟及び同取消しに加えて被爆者健康手帳の交付の義務付けを求める訴訟において,訴訟の係属中に申請者が死亡した場合には,当該訴訟は当該申請者の死亡により当然に終了するものではなく,その相続人等がこれを承継するものと解するのが相当である。 5 本件についての検討本件訴訟記録によれば,別紙3承継人目録記載の者は,これに対応する「原告番号」欄記載の原告の相続人等であると認められるから,本件訴えのうち,少なくとも被爆者健康手帳交付申請却下処分の取消し及び同交付処分の義務付けを求める部分については,前記原告らの死亡により当然に終了せず,その相続人等が承継するというべきである。 第3 争点2(被爆者援護法1条3号にいう「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」の意義)について 1 前記第1の認定事実を踏まえ,原爆医療法及び被爆者援護法の制定趣旨等を敷衍すると,次のとおり指摘できる。 ⑴ 昭和32年に,広島市及び長崎市に投下された原爆の被爆者が今なお置かれている健康上の特別の状態に鑑み,国が被爆者に対し健康診断及び医療を行うことにより,その健康の保持及び向上を図ることを目的として原爆医療法が制定され,昭和43年には,前記原爆の被爆者であって,原爆の傷害作用の影響を受け,今なお特別の状態にあるも 健康診断及び医療を行うことにより,その健康の保持及び向上を図ることを目的として原爆医療法が制定され,昭和43年には,前記原爆の被爆者であって,原爆の傷害作用の影響を受け,今なお特別の状態にあるものに対し,特別手当の支給等の措置を講ずることにより,その福祉を図ることを目的として,原爆特別措置法が制定されたところ,平成6年,これら原爆二法を統合する形で,前記の各制定趣旨・目的を引き継ぐとともに,その援護内容を更に充実発展させるべく,被爆者援護法が制定された。その前文には,「国の責任において,原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ,・・・被爆者に対する保健,医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ」るため,この法律を制定する旨が掲げられている。 被爆者の定義を定めた被爆者援護法1条は,原爆医療法2条の規定をそのまま引き継いでおり,被爆者援護法1条3号及び原爆医療法2条3号(原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者)の意義は,同一である。 ⑵ 原爆医療法は,原爆の被爆者が置かれている健康上の特別の状態に鑑み,国が被爆者に対して健康診断を行うことを一つの目的としている(前記第)ところ,その趣旨は,当時,放射線の身体に対する影響が未解明ではあったが,被爆後10年以上を経た原爆医療法の制定当時においても,健康と思われる被爆者の中から突然発病する者が生ずるなど,被爆者が健康上の特別の状態に置かれており,その中には絶えず発病の不安に怯える者もみられたことから,被爆者に対して健康診断を行うことにより,その不安を一掃するとともに,障害を有する者については速やかに治療を行い,その健康回復に努め ており,その中には絶えず発病の不安に怯える者もみられたことから,被爆者に対して健康診断を行うことにより,その不安を一掃するとともに,障害を有する者については速やかに治療を行い,その健康回復に努めることにあったと解される。そして,被爆者援護法も,原爆医療法と同様に,原爆放射線の身体に対する影響が完全には解明されていない状況下において,被爆者の不安を一掃し,被爆者の健康障害を予防・軽減するため,被爆者に対する健康診断を含む健康管理を行うことにしたものである。 ⑶ 原爆医療法2条3号(被爆者援護法1条3号)の制定過程をみると,次のとおり指摘できる。 ア厚生省が作成した原爆医療法の法律案(第1次原案)2条においては,被爆者を直接被爆者及び入市被爆者と規定しており,原爆医療法2条3号(被爆者援護法1条3号)に対応する規定は置かれていなかった(前記第)が,その後の立案過程において,原爆医療法2条3号の規定(「・・・身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」)が設けられる)。その趣旨は,同条1号にも2号にも該当しない場合でも,例えば,爆心地から5km以上離れた海上で照射を受けた人や,爆心地から2km以上離れた場所で死体の処理に当たった看護婦や作業員のうちに,後になっていわゆる原子病を発症した事例があるので,そうした被爆者を救済することにあった。 イ原子爆弾被爆者の医療等に関する法律案(昭和32年2月7日付け)2条3号(後の原爆医療法2条3号及び被爆者援護法1条3号に対応するもの。前)では,「前2号に掲げる者のほか,これらに準ずる状態にあった者であって,原子爆弾の傷害作用の影響を受けたおそれがあると考えられる状態にあったもの」と規定されており,その後の修正過程において,内閣法制局の指摘を踏まえて,「前2 か,これらに準ずる状態にあった者であって,原子爆弾の傷害作用の影響を受けたおそれがあると考えられる状態にあったもの」と規定されており,その後の修正過程において,内閣法制局の指摘を踏まえて,「前2号に掲げる者のほか,原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射 能の影響を受けるような事情の下にあった者」という文言に改められた(同d)が,その際に,原爆医療法2条3号(被爆者援護法1条3号)に該当する者の範囲を実質的に変更するという意味合いで前記修正が行われたことを窺うべき特段の事情は,証拠上見当たらない。 2 ところで,原爆医療法は,被爆者の健康面に着目して公費により必要な医療の給付をすることを中心としており,いわゆる社会保障法としての他の公的医療給付立法と同様の性格を有するが,被爆者のみを対象として特に前記立法がされた理由としては,原爆の被爆による健康上の障害がかつて例をみない特異かつ深刻なものであることに加え,このような障害が遡れば戦争という国の行為によってもたらされたものであり,しかも被爆者の多くが今なお生活上一般の戦争被害者よりも不安定な状態に置かれていることから,そのような特殊な戦争被害について,戦争遂行主体であった国が自らの責任によりその救済を図るべきことを指摘できる。その意味で,原爆医療法は,実質的にみて国家補償的配慮から被爆者援護のための諸制度を規定したものというべきであって,被爆者援護法も,これと同様の複合的性格を有していると解される。 すなわち,戦争中から戦後にかけての国の存亡にかかわる非常事態にあっては,国民の全てが,多かれ少なかれ,その生命,身体,財産の犠牲を堪え忍ぶことを余儀なくされており,その補償の要否及び在り方は,事柄の性質上,財政,経済,社会政策等の国政全般にわたった総 事態にあっては,国民の全てが,多かれ少なかれ,その生命,身体,財産の犠牲を堪え忍ぶことを余儀なくされており,その補償の要否及び在り方は,事柄の性質上,財政,経済,社会政策等の国政全般にわたった総合的政策判断によって行われるべきものであり,基本的には,国家財政,社会経済,戦争によって国民が被った被害の内容,程度等に関する資料を基礎とする立法府の裁量的判断に委ねられるべき事項であるが(最高裁平成5年(オ)第1751号同9年3月13日第一小法廷判決・民集51巻3号1233頁参照),立法府がそのような裁量的判断として被爆者を対象として被爆者援護法等を制定したのは,「原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であること」(被爆者援護法の前文),すなわち,被爆による健康上の障害の特異性と重大性に着目し,国家補償的配慮に基づき被爆者の救済を図るためであったというべきである。 3 以上のとおり,「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」との原爆医療法2条3号の規定が,当初の法律案(第1次原案)には存在しなかったにもかか わらず,その後の立案過程において設けられたのは,原爆放射線の身体に対する影響については未解明の部分が多く残されているものの,同条1号や2号に該当しない者がいわゆる原子病を発病したと思われる事例があったことを踏まえ,そのような者についても「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」といえる場合があり,かつ,その場合に看過し難い健康被害を生ずる可能性があることを考慮したからであって,そのような基本認識は被爆者援護法にも引き継がれているものというべきである。被爆者援護法は,原爆投下の結果として生 かつ,その場合に看過し難い健康被害を生ずる可能性があることを考慮したからであって,そのような基本認識は被爆者援護法にも引き継がれているものというべきである。被爆者援護法は,原爆投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であること(被爆による健康上の障害の特異性と重大性)に着目して,国家補償的配慮等に基づき被爆者援護のための諸制度を規定しているのであって,直接被爆者及び入市被爆者のみならず,同法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に対しても,被爆者健康手帳を交付して援護を受けられるようにしたのは,そのような者について原爆の放射線により他の戦争被害とは異なる特殊の被害である健康被害を生ずる可能性があることを考慮したものと思料される。また,被爆者援護法が,原爆放射線の身体に対する影響が未だ解明されていない状況下において,被爆者の不安を一掃し被爆者の健康障害を予防・軽減するべく,原爆の被爆者が置かれている健康上の特別の状態に鑑みて,国が被爆者に対して健康診断等を行うことを規定しているのも,健康被害を生ずるおそれがあるために不安を抱く被爆者に対して広く健康診断等を実施することが,被爆者援護法の趣旨ないし理念に適うからであるということができる。 以上によれば,被爆者援護法1条3号にいう「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」とは,原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある事情の下にあったことをいうものと解すべきである。 第4 争点3(原告ら「黒い雨」体験者は,被爆者援護法1条3号にいう「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当するか(総論))について 1 「黒い雨」と 」体験者は,被爆者援護法1条3号にいう「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当するか(総論))について 1 「黒い雨」と放射性微粒子について⑴ 残留放射能調査等についてア原爆投下後間もない時期に採取した試料を測定した報告原爆投下直後に広島での残留放射能を調査した調査報告としては,大 阪帝国大学グループ,京都帝国大学グループ及び理化学研究所グループの各調査があり,また,理化学研究所が採取した試料を用いて後日に放射能の測定をした報告として,静間ら報告がある。 大阪帝国大学グループの調査においては,別図表8記載のとおり,爆心地から西へ3.5km程度の距離にある己斐駅付近で強い放射能が測定されており,「黒い雨」が降った地点で放射能が大きいとの推論が成り立ち得ると結論付けられている(前記第1,4⑶ア)。京都帝国大学グループの調査報告では,別図表9記載のとおり,爆心地から西へ3. 5km程度の距離にある旭橋東詰めで特に強い放射能が確認されており,その理由について,爆弾の分裂片が地上に落下したためであろうと推測されている(同イ)。また,理化学研究所の山崎らによる調査においては,別図表10記載のとおり,己斐方面の古江東部で爆央付近と同程度のガンマ放射線の存在が確認されている(同ウ)。宇田論文でも,家屋の雨樋に溜った土砂から強い放射能が測定され,「黒い雨」によって原爆爆発の際に生じたウラニウム核分裂生成物が降下したものと考えられると指摘されている(。 静間ら報告では,別図表5-1及び同2記載のとおり,原爆投下3日後に爆心地から5km以内で収集された22の土壌サンプルのうち,11のサンプルからセシウム137が検 指摘されている(。 静間ら報告では,別図表5-1及び同2記載のとおり,原爆投下3日後に爆心地から5km以内で収集された22の土壌サンプルのうち,11のサンプルからセシウム137が検出されたところ,その放射能は測定時に0.16~10.6mBq/gの範囲であったとされており,特に爆心地から南西へ4km程度の距離にある古江で高い数値が測定されたと指摘されている(同⑶オ)。 これらの調査報告は,総じて,己斐・高須付近に降った「黒い雨」に放射性微粒子が含まれていたことを示す結果とみて不合理でないものということができる。 その他の調査報告についてa 藤原ら報告においては,別図表6-1及び同2のとおり,放射線量が測定されているところ,宇田強雨域に含まれる安佐郡伴村前原で最も高い2.5という数値が測定されている。藤原らは,分析の結果,「黒い雨」が強く降った地域で測定された放射能が幾分強いという傾向がみられること,しかも,同一の岐路又は川筋に測定点をとった場合に,海抜の低い地点ほど放射能が強くなる傾向があることから, 「黒い雨」が放射線量に影響を与えた可能性があると指摘している(前記第1,4⑶エ)。 もっとも,藤原ら報告については,藤原ら自身が,電気計の精度からして断定的な帰結とはいえないと指摘していること,また,今中分析において,放射性降下物が地表に沈着した後は時間とともに放射線量率が減衰するため,昭和20年10月に40μR/hという有意な放射線量があったとしても,昭和21年春には自然バックグランドレベルまで減衰したはずであって,藤原ら報告における前記の分析結果について,自然バックグラウンドと測定結果とのバラツキ変動と考えた方が無難であるとされていることに照らし,藤原ら報告の信頼性につ ドレベルまで減衰したはずであって,藤原ら報告における前記の分析結果について,自然バックグラウンドと測定結果とのバラツキ変動と考えた方が無難であるとされていることに照らし,藤原ら報告の信頼性については慎重に捉える必要がある。 b 一方で,昭和51年度残留放射能調査においては,宇田雨域に含まれる地域とその他の地域とでセシウムの地表面放射能密度に有意差がなかったとされている。また,広島では,いずれも宇田小雨域に含まれるとされる2地点で有意に高い地表面放射能密度が認められたものの,昭和53年度残留放射能調査では,前記両地区で,原爆からの核分裂生成物が残留しているとはいえないとの結論が示されている(前記第1,4⑸ア及びオ)。 しかしながら,昭和51年度残留放射能調査自体が指摘するところであるが,昭和20年の原爆による核分裂生成物が,被爆後30年余が経過した調査当時まで,地表面から深さ10cm程度(昭和51年度残留放射能調査においてサンプルを採取した土壌の深さ)の範囲の土壌中にとどまっていたかは明らかでなく,その間に土壌中のセシウムが樹木や草等に吸収された可能性があるし,平坦部であれ長い年月の間に土壌中のセシウムが豪雨等によって流出した可能性も否定できない(同ア)。また,昭和51年度・昭和53年度残留放射能調査においては,爆心地から30kmの範囲内を2kmごとに同心円を描き,できる限り均等に採取地点を分散させて土壌中の残留放射能を調査しているが,それらの調査結果は,直接的には,各採取地点における土壌中の残留放射能調査で有意な結論を得ることができなかったことを意味するにすぎないのであって(同ア),宇田雨域に放射性微粒子が降下したとの推論を積極的に否定する論拠ということはできな い。 c 静間は,高 有意な結論を得ることができなかったことを意味するにすぎないのであって(同ア),宇田雨域に放射性微粒子が降下したとの推論を積極的に否定する論拠ということはできな い。 c 静間は,高須地区にあった家屋の壁の一部を採取し,微量元素分析を行った結果,核分裂生成物であるセシウム137と,原爆材料として使われ核分裂を起こさずに飛散したウラン235が検出されたことを報告しているところ(前記第1,5⑵),同報告の結果は,記載の調査報告と同様に,高須地区に降った「黒い雨」に放射性微粒子が含まれていたことを示唆するものである。 放射性微粒子の分布について以上によれば,「黒い雨」に放射性微粒子が含まれていた可能性を十分合理的に推論し得るということができるが,一方で,査報告においても,相対的に強い放射線が確認されたのは調査範囲の一部に限られていること,また,静間ら報告において,サンプル2,3,13,14及び16の採取地点は宇田雨域及び増田雨域のいずれの降雨域に含まれているものの,当該各地点におけるセシウム137の調査結果は検出限界より低かったこと(前記第1,4⑶オ)を指摘でき,放射性微粒子が「黒い雨」降雨域の中で一様に沈着していたわけではなく,その分布が一様でなかったことが窺えるというべきである。 イ放射性降下物について広島原爆の場合,原爆の炸裂により,ウラニウム235の核分裂生成物や,分裂しないで飛散したウラニウム,原爆器材が中性子を受けて誘導放射能を帯びたもの等が,爆発に伴う高温で一旦気化した後,再冷却の過程で微粒子となった。ベータ崩壊した放射性微粒子は,プラス電荷を帯びて大気中の水分が付着しやすくなり,また,電荷を持たない放射線も大気中の原子を電離作用でイオン化して水分が付着し,そう 再冷却の過程で微粒子となった。ベータ崩壊した放射性微粒子は,プラス電荷を帯びて大気中の水分が付着しやすくなり,また,電荷を持たない放射線も大気中の原子を電離作用でイオン化して水分が付着し,そうした水滴が合わさって原子雲を形成した(前記第1,5⑶ア)。 原爆の炸裂によって生じた放射性微粒子は,大気中に拡散して次第に地表に降下した外,前記のような原子雲に含まれる雨滴として地表に降下したものと推認される。 その他放射性微粒子について原爆爆発後,地上においては,熱線によって起こる直接発火(一次的発火)に加え,爆風で建物が破壊され,それに伴って発生する間接発火 (二次的発火)が生じ,これらによって空気が急激に熱せられ,四方から冷たい空気が中心に向かって吹き込む火事嵐現象が発生し,爆発から30分後には熱風が市内を吹き荒れる状況となった(前記第1,2⑸)。そうした火災によって生じた煤が上昇気流に吹き上げられ,雨滴に付着するなどした外(乙7・2頁,弁論の全趣旨),原爆の爆発から生じた大規模な衝撃波や爆風により(前記第1,2⑷),中性子によって放射化された爆心地付近の家屋や土壌等に含まれる物質が粉塵となって,煤と共に上空に巻き上げられ,雨滴に付着したり,雨滴に付着しないまま大気中に拡散して次第に地表に降下したものと考えられ,そのような推論は,専門家等の知見にも副うものということができる(前記第 ウ小括以上のとおり,「黒い雨」が降った己斐・高須地区の土壌等から高濃度の放射能が検出されたという複数の報告があったことに加え,「黒い雨」に放射性微粒子が含まれるべき機序について,経験則上十分に合理的と考えられる推論が成り立つことから,原爆投下後に降った「黒い雨」には,核分裂生成物や,分裂しないで飛散したウラニウム, え,「黒い雨」に放射性微粒子が含まれるべき機序について,経験則上十分に合理的と考えられる推論が成り立つことから,原爆投下後に降った「黒い雨」には,核分裂生成物や,分裂しないで飛散したウラニウム,誘導放射化された原爆器材の外,誘導放射化された粉塵等の放射性微粒子が含まれていたことが推認できる。一方で,「黒い雨」中の放射性微粒子の分布は必ずしも一様ではなく,「黒い雨」降雨域の全域で放射性微粒子が降下したと認めることはできない。 ⑵ 「黒い雨」に関する被害報告等以下のとおり,原爆投下後間もない時期から,「黒い雨」に起因すると疑うべき複数の被害報告がある。 ア宇田論文(昭和20年)宇田論文の作成に当たっては,気象技師の宇田らにより住民に対する聞き取り調査が行われているところ,同調査は,原爆投下直後の昭和20年中に実施されており,相応の信を措くことができる。 宇田論文においては,池の鰻や川の鰻等が黒雨水の流入によって斃死浮上したこと,牛が泥雨のかかった草を食べて下痢をしたこと,水道が破壊されたために井戸水や地下水を飲用していた己斐・高須方面の居住者のうちに,原爆投下後約3か月にわたって下痢するものがすこぶる多数に上っ たことが報告されている。また,宇田自身の経験として,自宅の雨戸(爆発当時爆風により路上に吹き飛んで雨に打たれたものであった。)に付着した泥分を採集し分析したところ,強い放射能が検出されたこと,山奥の学童疎開から帰ってきた宇田の次男が雨戸の傍らに寝ていたところ,脱毛し始めたため,驚いてその雨戸を片付けたことが報告されている。 さらに,己斐上町(爆心地から北西約2.5km)や,打越町(爆心地から北西約1.9km),高須農業会出張所(爆心地から西約3.2km),石内村湯戸東端(爆心地から を片付けたことが報告されている。 さらに,己斐上町(爆心地から北西約2.5km)や,打越町(爆心地から北西約1.9km),高須農業会出張所(爆心地から西約3.2km),石内村湯戸東端(爆心地から西北西約8km),伴村字大塚(爆心地から北西約7km),安村相田の村役場(爆心地から北約8.5km)において,池や川の魚が死んだ例があったこと,己斐上町で下痢により死亡した者がいたこと,石内村湯戸東端で黒い雨が付着した草を食べた牛が腹を壊すという例があったことが報告されている(乙1・126,130,133ないし135頁)。 イ昭和48年アンケート調査昭和48年アンケート調査においては,「その雨に含まれた泥塵が強烈な放射能を含んでいたため人体に脱毛下痢等放射能による急性症状を示すとともに牛馬魚類等に対しても大きな被害があった」ことが指摘されている。 また,宇田雨域を基本として設定した地区を対象にアンケート調査を行ったところ,健康状態に関するものとして,別図表7-2及び7-3各記載のとおり,回答者の約4割が現在の健康状態が「弱い」又は「病気」と回答し,回答者の約2割が急性症状(「血便,脱毛,歯茎出血,皮膚に斑点」,又は「めまい,発熱,下痢,おう吐」)を訴えている(前記第1,4⑷ウ)。 ウ沼田町等の陳情(昭和49年6月14日)広島市沼田町,安古市町及び安佐町の住民が,「黒い雨」降雨地域であり被爆地域に指定されるべきであると陳情したところ,同陳情では「脱毛や激しい下痢,おう吐の症状を呈する者数知れず,数日を経て死亡した者も確認されるなどのほか,黒い雨のため増水した河川,ため池の魚が大量に斃死浮上するなど,原子爆弾が当地区の人畜に及ぼした影響は極めて大なるものがあります。」と指摘されている(前記第1,4⑷エ)。 も確認されるなどのほか,黒い雨のため増水した河川,ため池の魚が大量に斃死浮上するなど,原子爆弾が当地区の人畜に及ぼした影響は極めて大なるものがあります。」と指摘されている(前記第1,4⑷エ)。 エ被告広島県の調査 広島県環境保健部の調査によると,昭和53年3月末までの健康診断受診者証の交付者(広島県内で2,733人)のうち27.8%に当たるものについて,健康管理手当の対象疾病に罹患しているとして402号通達に基づき被爆者健康手帳の交付がされており,また,当該対象疾病に罹患して健康管理手当を受給している被爆者は,被爆者健康手帳の所持者のうち31.4%であった(前記第1,4⑸エ)。 オ被告広島市による調査平成22年5月に公表された広島市報告書によると,第一種健康診断特例区域においては,男性で15.1%,女性で16.6%が急性症状を自覚したと回答し,第一種健康診断特例区域外では,男性で9.6%,女性で11.1%が急性症状を自覚していたと回答している。また,現在治療を行っている病気をみると,造血機能や脳,骨の病気等で有意に高い有病率を示している。 もっとも,広島市報告書中の身体疾病に関する調査結果については,平成24年検討会報告書において,広島市報告書の作成に際し実施された調査は主として精神的な影響に関する評価尺度を用いた検討であり,身体疾病については設問設定に方法論上の限界があることから影響の有無についての解釈が困難であって,身体的健康影響について科学的に評価することが困難であるとの指摘がされており,その信頼性は比較的低いと考えられる(前記第1,4⑼,⑽)。 カ小括以上のとおり,「黒い雨」降雨域において,住民に下痢や脱毛等の「黒い雨」に由来すると思われる急性症状が発生して の信頼性は比較的低いと考えられる(前記第1,4⑼,⑽)。 カ小括以上のとおり,「黒い雨」降雨域において,住民に下痢や脱毛等の「黒い雨」に由来すると思われる急性症状が発生していたこと,家畜にも同様の健康上の被害がみられたこと,被爆直後に実施された聞き取り調査を含め,同種の事象を指摘する複数の報告ないし調査が存することに照らし,「黒い雨」に放射性微粒子が含まれ,これによって健康被害を生ずる可能性があることが認められる(一般論としては,前記のような下痢等の健康被害について,「黒い雨」に由来するものではなく,当時の食糧事情の悪さ等から生じた結果である可能性が否定できないが,当該症状が原爆投下直後に発生したことに加え,その当時から,科学者等の専門的知見を有する者の中で前記症状と「黒い雨」との関連性が強く疑われていたことに照らし,前記説示を左右しない。)。 ⑶ 被爆者援護法等の制定等に関する経緯以下にみるとおり,我が国における被爆者の援護に関する諸立法においては,「黒い雨」に放射性微粒子が含まれる蓋然性があることを当然の前提としてきたということができる。 ア残留放射能濃厚地区の特別被爆地域の指定原爆医療法の昭和35年改正により,被爆者のうち原爆の放射線を多量に浴びた被爆者を「特別被爆者」と位置付け,一般疾病医療費等を支給する制度が創設されたが,昭和40年に原爆医療法施行令が改正された際に,広島市のうち新庄町等の,当初から被爆地域として指定され,かつ,宇田強雨域に含まれる地域のうち比較的爆心地に近い地域が,「黒い雨」が降った残留放射能濃厚地区として特別被爆地域に加えられた(前記第1,3⑷ア)。これは,「黒い雨」に放射性微粒子が含まれる蓋然性があることを前提として,前記地域の者について, 近い地域が,「黒い雨」が降った残留放射能濃厚地区として特別被爆地域に加えられた(前記第1,3⑷ア)。これは,「黒い雨」に放射性微粒子が含まれる蓋然性があることを前提として,前記地域の者について,「黒い雨」に遭ったことを考慮要素の一つとして,その他の被爆者と比較して原爆の放射線を多量に浴びた蓋然性があると考えたものと理解でき,その後に広島市等の要望を受けて宇田強雨域に含まれる他の地域が特別被爆地域に追加指定されたところも,これと同様の理解に立ったものということができる。 イ 402号通達による取扱い昭和49年の原爆医療法改正によって健康診断特例措置の制度が創設され,ほどなくして,402号通達により,同制度の対象となった者が一定の疾病(健康管理手当の認定対象となる疾病と同様である。)を発症した場合には,同法2条3号に該当する者として被爆者健康手帳の交付を受けることとなった(前記第1,3⑸)。 その後,広島市長及び広島県知事が,昭和48年アンケート調査を踏まえ,宇田雨域に含まれる地域を被爆地域に加えるよう要望したのを受けて,当時においても「黒い雨」による原爆放射線の人体影響に関する科学的知見は必ずしも十分に蓄積されていなかったが,「黒い雨」降雨域の一部で高濃度の放射能が検出された例の報告があったこと,昭和48年アンケート調査で有病者数等が4割であったこと,「黒い雨」に放射能を含んだ灰が含まれており,これが人体に影響を及ぼすのではないかと考えられたこと等を根拠として,昭和51年に原爆医療法施行令が改正され,宇田強雨域に含まれる区域が健康診断特例区域(現在の第一種健康診断特例区 域)として指定された(前記第1,4⑷カ及びキ)。これにより,「黒い雨」降雨域のうち被爆地域として指定されない地域に所在した者についても, 健康診断特例区域(現在の第一種健康診断特例区 域)として指定された(前記第1,4⑷カ及びキ)。これにより,「黒い雨」降雨域のうち被爆地域として指定されない地域に所在した者についても,一定の要件の下に3号被爆者と認定されるようになり,このような取扱いが現在まで継続されている。 ウ小括以上のとおり,「黒い雨」降雨域に含まれる地域に所在した者は,その降雨継続時間の長短(宇田雨域は,降雨継続時間により小雨域,大雨域等に区分されている。)等に応じ,一部の地域においては多量に放射線を浴びた(特別)被爆者として,また,一部の地域においては放射線の影響を否定できない一定の疾病に罹患することを要件に3号被爆者として,それぞれ認定されてきたのであって,そうした取扱いの根拠法令である原爆医療法等の被爆者の援護に関する諸立法は,「黒い雨」降雨域に降った「黒い雨」に放射性微粒子が含まれる蓋然性があることを当然の前提にしてきたということができる(なお,被爆者援護法における「黒い雨」の位置付けについては,後記4で詳論する。)。 ⑷ まとめ以上のとおり,「黒い雨」には放射性微粒子が含まれていたと認められるところ,「黒い雨」降雨域の全域で放射性微粒子が降下したとはいえないことから,被爆の際又はその後において「黒い雨」降雨域に所在したというのみで,「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」,すなわち,原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある事情の下にあったとはいえないが,「黒い雨」降雨域に降った「黒い雨」には原爆に由来する放射性微粒子が含まれており,そうした「黒い雨」によって健康被害を生ずる可能性があることは十分首肯され,原爆医療法や被爆者援護法も,そのような考えを前提に,「黒い雨」に遭ったことを は原爆に由来する放射性微粒子が含まれており,そうした「黒い雨」によって健康被害を生ずる可能性があることは十分首肯され,原爆医療法や被爆者援護法も,そのような考えを前提に,「黒い雨」に遭ったことを3号被爆者の認定根拠の一つとしてきたものということができる。 2 「黒い雨」降雨域について⑴ 宇田雨域についてア概要宇田雨域は,「気象関係の広島原子爆彈被害調査報告」(宇田論文)で報告された降雨域(別図表1)であり,原子爆弾災害調査研究特別委員会の指揮下に,気象技師の宇田らが,聞き取り調査等に基づき,原爆による気 象関係の一般被害状況の調査報告を取りまとめた結果である。 イ基本的な信用性宇田らは,昭和20年8月から12月までの原爆投下後間もない時期に調査を実施し,その際には,住民からの聞き取りと市内外各所の実地踏査によりデータを収集し,疑問の点は再査して確認するなどして正確を期したものであって,前記1⑵アに説示したとおり,その調査結果には相応の信を措くべきである。そして,宇田論文は,当該調査結果を基に,学術研究会議に設置された原子爆弾災害調査研究特別委員会において,気象関係における一般被害状況の調査を目的として作成されたものであって,宇田雨域について,第三者としての立場から一定の科学的知見に基づいてされた合理的な内容といえなくはない(前記第1,4⑵ア及びイ)。 ウ調査方法の限界しかしながら,宇田論文における聞き取り調査は,昭和20年8月から12月までのごく短期間に,原爆の被害を受けて混乱のさなかにあった広島管区気象台所属の数名の気象技士・技手らによって行われたものであって,その調査対象は,爆心地から,遠いところでは八木村(北北東11km),海田市駅( 間に,原爆の被害を受けて混乱のさなかにあった広島管区気象台所属の数名の気象技士・技手らによって行われたものであって,その調査対象は,爆心地から,遠いところでは八木村(北北東11km),海田市駅(東7.5km),賀茂郡下黒瀬町(東18km),五日市北方観音村坪井(西10km),玖波町役場(南西27km),安野村宇佐(北北西20km),四合国民学校(北西33km)等までに及ぶ広範囲の区域であり,加えて,宇田雨域の外縁部については非常に簡潔な聞き取りしか実施されていない(中心部と比較すると対照的である。前記第1,4⑵ア及びイ。甲A69,70,乙1・122ないし135)。 この点,当時,広島管区気象台気象技手として宇田とともに調査をした北勲も,「気象台からみた原爆・黒い雨」(甲A32)において,次のとおり述べて,宇田雨域が,乏しい材料に基づいて作成した,非常に不確実な一応の線引きにすぎないものであると評価している 。 「範囲が非常に広いものですから,資料のあるところや,バラついていてこれをどうするかということで,しばらく議論したんですが,何か一つ目で見てわかるようにしないことには話はできないし,あとから使う人も困るからというんで,一応線引きをしようじゃないかというんで,非常に不確実なというか,少ない材料で,意見をたたかわしながら引いていったんです。そしてできたのがこの長径で約10キ ロメートルくらいの線とかあるいは30キロメートルくらいの線とか大雨とか小雨とかいう線を一応引いたんです。その当時からこれは暫定的なもので,これだけで全部を言ったものではないという感じは,自らで全部持っておったわけです。」(同11頁)社会一般の経験則に照らしても,実際の降雨域が宇田雨域が示すような整った卵型になるとは考え難く, 全部を言ったものではないという感じは,自らで全部持っておったわけです。」(同11頁)社会一般の経験則に照らしても,実際の降雨域が宇田雨域が示すような整った卵型になるとは考え難く,宇田雨域は,当時収集できた限りの資料を基に,「黒い雨」降雨域の一応の目安を示すという目的から作成されたものにすぎないというべきである。 エその他資料との整合性また,宇田雨域については,以下のとおり,複数の資料との整合性に欠ける面がある。 「広島原爆戦災誌第四巻」(甲A75,77,91)標記の書籍は,広島市が昭和46年11月6日に刊行したものであるところ,以下のとおり,宇田雨域に整合しない降雨状況が記載されている(同書籍は,地方公共団体が被爆による被害を後世に残すべく相応の裏付け資料を基に刊行したものであって,その記載内容は,信用することができる。)。 a 湯来町(当時)に関する記載湯来町(当時)は,昭和31年に砂谷,上水内,水内の3村が合併してできた地域であるところ,前記書籍には,「(砂谷地区において)わずかに雨が降ってきた。」,「爆発後,数分たって東北方面,祇園町方面の空かと思われる山頂から入道雲のような雲がむくむくとのぼり,次第に空一面をおおい,大粒の雨がパラパラと降って来た。」と記録されている(甲A75・753ないし755頁)。 これに対し,宇田雨域においては,砂谷村住民から「雨は降っていない」旨の供述がされ(甲A69,70・46頁),上水内村住民からも雨が降ったとの供述が得られなかったこと(乙1・135頁)等から,上水内村全域,砂谷村の大部分及び水内村の一部が降雨域に含まれておらず,前記書籍の記載に整合しない。 b 五日市町(当時)に関する記載五日市町(当時 れなかったこと(乙1・135頁)等から,上水内村全域,砂谷村の大部分及び水内村の一部が降雨域に含まれておらず,前記書籍の記載に整合しない。 b 五日市町(当時)に関する記載五日市町(当時)は,昭和30年に五日市町,観音村,八幡村,石内村,河内村の5か町村が合併してできた地域であるが,前記書籍に は,「午前十時半ごろから,約一時間にわたって紙や布の破片が,龍巻のあとのように,灰や塵と一緒になって,町全域に降ってきた。また,二,三時間後,雨が強く降りはじめ,かなり長く降り続いた。」と記載されている(甲A89・724・725頁)。 これに対し,宇田雨域においては,五日市町の住民ら複数名から降雨がなかった旨の供述がされたこと(乙1・130,131頁)等から,五日市町(前記合併前),観音村は全域が宇田雨域に含まれておらず,前記書籍の記載に整合しない。 c 加計町に関する記載前記書籍には,加計町に関して,「そのキノコ型の雲が崩れるにつれて,快晴の夏の朝であった加計町一帯が,急に異様な暗さにつつまれたから,人々は不審に思った。炸裂後二,三時間たったころ,大つぶの油まじりのような雨が降ってきた。白い衣服は,この雨に濡れてみな黒い斑点で汚れた。」と記載されている(甲A91・870,871頁)。 これに対し,宇田雨域において,加計町住民に対する聞き取り調査は存在せず,周辺に所在する殿賀村西調子における「大粒の雨がばらばら降った」旨の供述や,都谷村長笹における「黒い色の小雨が降った」旨の供述(乙1・135頁)等から,加計町域の一部で小雨が降ったにすぎないとされており,前記書籍の記載に整合しない。 昭和48年のアンケート調査被告広島市及び被告広島県が昭和48年に宇田雨域に含まれる地域の住民に対して 小雨が降ったにすぎないとされており,前記書籍の記載に整合しない。 昭和48年のアンケート調査被告広島市及び被告広島県が昭和48年に宇田雨域に含まれる地域の住民に対して行ったアンケート調査において,降雨状況について,小雨(パラパラ降った),中雨(ザーザー降った),大雨(どしゃ降りだった)の3段階で回答を求めたところ,別図表7―1記載のとおりの回答結果が得られた(前記第1,4⑷ウ)。 前記アンケート調査は,原爆投下から約28年後に実施されているが,それが原爆投下という極めて特異な事象に関連する事項について問うものであることに照らし,対象者の記憶は,当時においても相応に保持されていたと考えられる。なるほど,昭和48年当時は,宇田強雨域に含まれる地域の一部が特別被爆地域に指定されるにとどまっていたことから,対象者が降雨の事実を含む調査事項につきやや誇張して表現し た可能性は否定できないものの,「黒い雨」が降らなかったにもかかわらず,これが降った旨等の明らかな虚偽回答をする者が多数存したとは考え難く,そのような可能性を窺うべき特段の根拠も存しないのであり,先のような一般的,抽象的な虚偽回答の可能性によって,合計5106名もの多数から得た回答に基づく統計上の信用性が損なわれるとはいえないのであって,前記アンケート調査は,相応の信用性を有するというべきである。 そして,前記アンケート調査によれば,宇田雨域に含まれない(が,増田雨域及び大瀧雨域に含まれる)砂谷村,安佐町鈴張,戸坂村において相当の範囲で降雨があったことが窺われ,宇田小雨域の安佐町飯室,同日浦でも中雨が降ったとの結果となっているところ,宇田雨域は,こうした昭和48年アンケート調査に整合しない。 静間ら報告(「広島原 で降雨があったことが窺われ,宇田小雨域の安佐町飯室,同日浦でも中雨が降ったとの結果となっているところ,宇田雨域は,こうした昭和48年アンケート調査に整合しない。 静間ら報告(「広島原爆の早期調査での土壌サンプル中のセシウム137濃度と放射性降下物の累積線量評価」。甲A37)静間ら報告は,原爆投下3日後に,爆心地から5km以内で収集された22の土壌サンプルのうち,11のサンプルからセシウム137が検出され,その放射能は測定時に0.16~10.6mBq/gの範囲であったとした上,別図表5-3のとおり,その測定結果と宇田雨域又は増田雨域と重ね合わせ,「セシウム137の沈着と広島市内の降雨域の比較から,降雨域は以前提案されたものよりも広いことを示している。」と結論付けている(前記第1,4⑶オ)。 この点,「黒い雨」降雨域全体を評価するにはサンプル数が十分とはいえないが,自然由来の物質でないセシウム137が土壌中に沈着しているということによれば,それが「黒い雨」降雨域に由来する事象である可能性を想起してよい。そして,セシウム137が検出されたサンプル18(1.38±0.37),22(0.65±0.40)及び25(0.88±0.30)は,増田雨域に含まれているが,宇田雨域には含まれておらず,サンプル11(0.87±0.24)と21(0.64±0.30)は,増田雨域に含まれているが,宇田雨域の境界上にある。これらの結果は,実際の降雨域が宇田雨域より広いものであった可能性を示唆するということができる。 オ小括 以上のとおり,宇田論文の作成の際に実施された聞き取り調査について,それが被爆直後の混乱期に限られた人手によって個別に住民から聞き取り等を行うという手法に拠ったものである以上,調査 以上のとおり,宇田論文の作成の際に実施された聞き取り調査について,それが被爆直後の混乱期に限られた人手によって個別に住民から聞き取り等を行うという手法に拠ったものである以上,調査範囲や収集し得るデータの量等には自ずから限界があったといえ,特に宇田雨域の外縁部については非常に乏しい資料しか入手できていない。宇田雨域は,そうした限られた調査結果を基に,「黒い雨」降雨域を視覚的に明らかにするべく一応の目安を示す趣旨から概括的な線引きをしたものであって,他の資料と整合しない箇所も複数指摘できることから,宇田雨域を主要な根拠として,宇田雨域以外の区域では「黒い雨」が降らなかったとか,宇田雨域以外の区域に「黒い雨」が降ったというためには新規の調査結果による相当の科学的知見に基づく必要があるなどということはできない。したがって,宇田雨域については,少なくとも同雨域内では「黒い雨」が降ったであろうとの推論の根拠とする限度で斟酌すべきものと解される。 ⑵ 増田雨域についてア概要増田雨域は,元気象研究所予報研究部の増田が,住民に対する聞き取り調査及びアンケート調査等を踏まえ,平成元年に公表した「黒い雨」降雨域であり(別図表2),その降雨域の広さは,宇田雨域と比較して約4倍もの範囲に及ぶ。 増田雨域の基となった資料は,増田自身による聞き取り調査79人分を含む111人からの供述やアンケート調査の結果1188通の外,宇田らが作成した原爆被害調査メモを含む宇田論文の基礎資料,昭和48年アンケート調査の回答書のうちその当時まで保存されていた個人別回答123人分と,湯来町役場が同アンケート調査の回答を集落ごとに集計した結果,手記集や記録集等から抽出した358点の資料等である。昭和62年以降に実施された前記聞き の当時まで保存されていた個人別回答123人分と,湯来町役場が同アンケート調査の回答を集落ごとに集計した結果,手記集や記録集等から抽出した358点の資料等である。昭和62年以降に実施された前記聞き取り調査は,広島県北部から北西部にかけての湯来町,豊平市,加計町,安古市町,五日市町,山県郡芸北町,同戸河内町,佐伯郡吉和村及び同佐伯町等で行われ,調査者が住民から調査事項を直接聞き取る方法に拠っていた(前記第1,4⑹イ)。 イ聞き取り調査等の信用性について 増田が,増田雨域の外周線を設定する際に根拠とした資料は,主として昭和62年以降に実施された前記聞き取り調査及びアンケート調査で ある。これらの結果については,住民等からの聞き取りないしアンケートという性格上,客観的な裏付けを伴うものでなく,被爆後40年弱という時間の経過により調査時点で回答者の記憶が相応に減退していたであろうことも否定できない上,これらの調査が国による援護対象の区域拡大を求めて活動していた「黒い雨の会」の協力を得て実施されたことから,「黒い雨」降雨域を拡大する方向でのバイアスがかかった回答が混在したおそれも全く否定することはできない。 しかしながら,増田は自分自身で79人の住民に対する聞き取り調査や1188通ものアンケート調査を行っており,しかも,前記111人の供述には「黒い雨の会」と無関係なものが含まれているのであって(前記第1,4⑹イ),これら多数の住民が,揃って,「黒い雨」が降らなかったのに降った旨の内容虚偽の回答をしたとは考え難く,また,そのような可能性を窺うべき特段の証拠も存しない。少なくとも「黒い雨」が降ったか否かという核心部分に関する限り,先に指摘したところによって,前記聞き取り調査及びアンケート調査が根本的 え難く,また,そのような可能性を窺うべき特段の証拠も存しない。少なくとも「黒い雨」が降ったか否かという核心部分に関する限り,先に指摘したところによって,前記聞き取り調査及びアンケート調査が根本的な信用性に欠けると断じることはできないというべきである。増田は,聴取対象者の記憶の希薄化や,健康診断特例区域の拡大運動による影響に配慮した上で,前記聞き取り調査及びアンケート調査に加え,宇田論文の基礎資料や昭和48年アンケート調査の回答その他の資料を十分斟酌し,増田雨域を作成したのであって(同前),その結果には相応の信を措くべきものと解される。 これに対し,被告らは,前記第2章,第4,3【被告らの主張】⑸アb記載のとおり,増田による調査は宇田による調査と矛盾すると主張するが,被告らの指摘するところは,以下のとおり,いずれも増田雨域の信用性を減殺するには足りない。 a 宇佐周辺について宇田らの調査では,安野村宇佐にいた聴取対象者から,「黒い雨の小雨降る」旨の供述が得られた(乙1・135頁)のに対し,増田の調査では,宇佐にいた聴取対象者の多くが大雨が降った旨回答している(別図表2,甲A35の1・193ないし195頁)。 しかしながら,宇田らが安野村宇佐に関して得た供述は前記のもの一つしか残されておらず,これがどの程度増田による調査結果と矛盾 するのかは定かでない。また,宇田らの聞き取り調査からしても,近接する水内村久日市では「30から60分程度の降雨があった」旨の供述が得られており(乙1・135頁),宇田雨域上も,宇佐地区の辺りが小雨域と大雨域(降雨継続時間1時間以上2時間未満の雨域)との境目になると思料される。増田は,自身の聞き取り調査の結果に加え,宇田らによる聞き取り (乙1・135頁),宇田雨域上も,宇佐地区の辺りが小雨域と大雨域(降雨継続時間1時間以上2時間未満の雨域)との境目になると思料される。増田は,自身の聞き取り調査の結果に加え,宇田らによる聞き取り調査の結果や,「黒い雨の会」の会長であった花本兵三が,昭和53年の「黒い雨の会」結成に先駆けて行った湯来町と加計町の一部を対象にした調査の結果等を踏まえ,宇佐地区を1時間以上の降雨があった大雨に区分した(甲A35の1・193ないし195頁)のであり,同付近に関する宇田雨域の際の前提資料と比較して,豊富な資料に基づき増田雨域を作成したということができる。 b 舟入・江波周辺について宇田らの調査では,南観音町や舟入南町などの爆心地南方向において「雨が降らなかった」旨の供述が得られた(甲A69,70・16,49頁)のに対し,増田の調査では,同一地域の住民が小雨又は中雨が降った旨回答している。 しかしながら,宇田らの調査でも,江波電車終点において,「雨が夕立のようにぱらぱらと1時間くらい降った」旨の供述が得られていたのであって(甲A69,70・14頁),爆心地南方向の舟入や江波の地域で降雨がなかったとする宇田雨域の線引きが,不正確であった可能性が十分ある。 ウ静間ら報告(「広島原爆の早期調査での土壌サンプル中のセシウム137濃度と放射性降下物の累積線量評価」。甲A37)について一方で,原告らは,記載のとおり,静間ら報告が増田雨域と符合すると主張する。 しかしながら,静間ら報告の内容及び評価については,前記⑴エに認定説示したとおりであって,実際の降雨域が宇田雨域より広かったことを示唆する内容とはいい得るものの,静間ら報告により測定された土壌サンプルは,いずれも爆心地 の内容及び評価については,前記⑴エに認定説示したとおりであって,実際の降雨域が宇田雨域より広かったことを示唆する内容とはいい得るものの,静間ら報告により測定された土壌サンプルは,いずれも爆心地から5km以内で採取されており,静間ら報告によって爆心地より遠方の地域における降雨状況を的確に推量することはできないというべきであって,静間ら報告は,増田雨域の積極的な裏付けに なるものとはいえない。 エ藤原ら報告(「広島市附近における残存放射能について」。甲A38)についてまた,原告らは,前記第2章,第4,3【原告ら(承継人らを含む。)の主張】記載のとおり,増田雨域が藤原ら報告と符合すると主張する。 しかしながら,藤原ら報告自身が,その測定結果に関し,電気計の精度からして断定的な帰結を導くことは困難である旨述べている上,今中分析において,藤原ら報告において強い放射能が検出されたことについて,自然バックグラウンドと測定のバラツキ変動とみるのが相当であるとされていること(前記第1,4⑶エ)からすれば,藤原ら報告は,増田雨域の裏付けになるものとはいえない(原告らは,今中分析で原爆由来の結果であることが否定されたのは別図表6-1の地点番号63だけであると主張するが,そのように解すべき具体的根拠は定かでなく,採用できない。また,別件の訴訟における証人尋問で,増田が,増田雨域と藤原ら報告の測定結果に一定の対応関係がある旨証言している(甲A36・48頁)ところも,必ずしも具体的根拠を伴うものでなく,採用できない。)。 オその他資料との整合性増田雨域は,「広島原爆戦災誌第四巻」の各記載(前記⑴エといえる。 カ小括以上のとおり,増田雨域は,他の同種の調査結果に比べて相対的に豊 オその他資料との整合性増田雨域は,「広島原爆戦災誌第四巻」の各記載(前記⑴エといえる。 カ小括以上のとおり,増田雨域は,他の同種の調査結果に比べて相対的に豊富な資料に基づいており,関係資料との整合性も首肯できる上,被告らの指摘にかかわらず,増田雨域の信用性を大きく損なうべき事情も認め難い。 したがって,増田雨域は,「黒い雨」降雨域を推知する際の有力な資料の一つとして位置付けられるべきものと解される。 ⑶ 大瀧雨域についてア概要大瀧雨域は,被告広島市が実施した原爆体験者等健康意識調査(広島市調査)を基に,広島大学原爆放射線医科学研究所教授(当時)の大瀧が,調査資料の統計解析を行い「黒い雨」降雨域を推定したものである。 解析対象となったデータは,平成20年に原爆投下前から現在の広島市 内及び周辺部に住み続けている者3万6614人に対して実施した郵送によるアンケート調査により収集され,そのうちの約74%にあたる2万7147人から得られた自書式回答である。「黒い雨」関係の調査項目は,「黒い雨」体験の有無,雨の降り始めと降りやんだ時刻(時単位),雨の強さ,雨の色,飛遊物の有無であった。 解析対象については,「『黒い雨』を体験した」と回答した者のうち,体験時にいた場所を回答している者で,調査時の年齢が71歳以上の者等に限定され,降雨時間の長さ(解析対象者数903人),時刻ごとの降雨の状況(解析対象者数1413人),降雨の強さ(解析対象者数1378人),降雨の色(解析対象者数1248人)について,ノンパラメトリック回帰分析を適用して各時空間分布を推定しており,その結果は,別図表3-1ないし3-4各記載のとおりである(前記第1,4⑼)。 イ平成 色(解析対象者数1248人)について,ノンパラメトリック回帰分析を適用して各時空間分布を推定しており,その結果は,別図表3-1ないし3-4各記載のとおりである(前記第1,4⑼)。 イ平成24年検討会報告書を踏まえた検討 平成24年検討会は,「『原爆体験者等健康意識調査報告書』等に関する検討会報告書」(平成24年検討会報告書)を公表し,広島市調査について,同じ地域において「黒い雨」の体験率が50%を超える地域が未指定地域(注:被爆地域及び健康診断特例区域として指定されていない地域)の一部に限られていること,爆心地から20km以遠においてデータ数が少ないこと,調査対象者本人の60年以上前の記憶によっており,その正確性を十分検証することができないことから,広島市調査によって「黒い雨」降雨域を推知することは困難と判断している(前記第1,4⑽)。 なお,平成24年検討会のワーキンググループに参加した大瀧は,「未指定地域の一部に黒い雨の体験率が50%を超える地区が存在し,それらの地区の中には宇田の小雨地域に含まれない区域を持つ地区が含まれたことから,宇田雨域の外側でも黒い雨が降った地区が存在する可能性が示されたことは重要である」との意見を述べている(乙60・28頁)。 広島市調査については,前記のとおり,調査時まで相当長期間が経過していることやデータ数の不十分さ等の諸事情を指摘でき,これを基に解析した結果である大瀧雨域についても,その信用性には自ずから限界があるといえる。 しかしながら,大瀧は,記憶の明確さを考慮して調査時の年齢が71歳以上の者に限定し,地区別回答者数が10人以上の区域のみを解析の対象とするなど統計としての解析結果の精度を高めるための工夫を行っており,被爆後相 ,大瀧は,記憶の明確さを考慮して調査時の年齢が71歳以上の者に限定し,地区別回答者数が10人以上の区域のみを解析の対象とするなど統計としての解析結果の精度を高めるための工夫を行っており,被爆後相当年数が経過した後に「黒い雨」の降雨域を推知するというやむを得ない制約の中で,可能な限りの配慮をして統計解析を行ったものであって,その結果としての大瀧雨域について,その基となった調査に前記のような限界があることを踏まえつつ,「黒い雨」降雨域の検討に際してこれを相応に斟酌することが許されないということはできない。 また,原爆投下の当時,上空には秒速3mの南南東の風が吹いており(前記第1,2⑹),原爆投下後に発生した雲は,こうした風に流されて広島市内から北北西方向に移動していったであろうと推認できるところ,宇田らの調査によると,原爆投下後20分から1時間後に雨が降り始めた例が多かったとされること(甲A33・12頁,乙1・106頁)からすれば,降雨の範囲は,降雨開始時には,爆心地から北北西方向に4kmから10km程度の地点にあったと推測することができようが,この点,大瀧が示した統計解析の結果は,前記推測の結果と概ね符合するといってよいのであり(Pも同旨の意見を述べている。前記第1,5⑶イ),大瀧雨域は,当時の気象状況を踏まえた論理的な推論の結果にも,整合しているということができる。 さらに,「黒い雨」の体験率(ここにいう体験率は,「原爆投下時にいた場所の記載がある者について,同じ地域において降雨を体験した者の割合」をいう〔乙60・26頁〕。)が50%を下回るとの指摘について, 宇田らが聞き取った各供述(甲A69,70,乙1)や被告広島市が刊行した「広島原爆戦災誌第四巻」(甲A75,77,91)によれば,同じ地域内でも「黒い雨」 〕。)が50%を下回るとの指摘について, 宇田らが聞き取った各供述(甲A69,70,乙1)や被告広島市が刊行した「広島原爆戦災誌第四巻」(甲A75,77,91)によれば,同じ地域内でも「黒い雨」が一様に降ったわけではなく,「黒い雨」が降った場所もあれば,降らなかった場所もあったことが窺われるのであって,増田雨域(別図表2)においても「黒い雨」降雨域が相当複雑に分布する結果となっている。したがって,大瀧雨域において,一定の地理的区分を基に算定した「黒い雨」体験率が50%を下回っていたとしても,当該地区における「黒い雨」を体験した旨の回答の信用性が直ちに否定されることはなく,統計解析の結果としての大瀧雨域に根 本的な疑念を呈すべきには当たらない。 ウ小括以上によれば,大瀧雨域についても,その基となった調査に限界があることを踏まえつつ,「黒い雨」降雨域を推知するに際して相応に斟酌すべきものと解される。 ⑷ 黒い雨専門家会議報告書についてア概要黒い雨専門家会議報告書は,増田雨域の公表を受け,「黒い雨」に関する専門家会議(昭和63年8月25日に設置され,医学,物理学及び気象学の研究者ら10人で構成されたもの)が「黒い雨」の実態とそれによる人体への影響等について検討した報告書である。 黒い雨専門家会議報告書は,気象シミュレーション法による降下放射線量の推定に関して,火球によって生じた原爆雲,衝撃波によって巻き上げられた土壌などで形成された衝撃雲,火災煙による火災雲の3種に区分し,拡散計算モデルを用いたシミュレーション法によって,放射性降下物の降下量とその降下範囲について検討を行った結果,「原爆雲の乾燥大粒子の大部分は北西9~22km付近にわたって降下し,雨となって降 し,拡散計算モデルを用いたシミュレーション法によって,放射性降下物の降下量とその降下範囲について検討を行った結果,「原爆雲の乾燥大粒子の大部分は北西9~22km付近にわたって降下し,雨となって降下した場合には大部分が北西5~9kmに落下した可能性が大きい」,「衝撃雲や火災雲による雨(いわゆる黒い雨)の大部分は北北西3~9km付近にわたって降下した可能性が大きい」などとした上,「気象シミュレーション計算法を用いた降雨地域の推定では,これまでの降雨地域(いわゆる宇田雨域)の範囲とほぼ同程度(大雨地域)であるが,火災雲の一部が東方向にはみ出して降雨落下しているとの計算結果となった。」と結論付けている(前記第1,4⑺)。 イ気象シミュレーションについてこうした黒い雨専門家会議報告書の結論によれば,原爆によって生じた放射性微粒子の大部分は,宇田強雨域内に降下したことになる。 しかしながら,黒い雨専門家会議報告書の気象シミュレーションについては,高度4km以上にある原子雲頭部が浮力を受ける根拠を求心的に集まる衝撃波の反射波としていること,米国の砂漠地帯で実施された核実験のデータから作成された放射性降下物の分布モデルを,これと気象条件が異なる広島でのシミュレーションに採用していること等の科学的合理性を 欠く面があると指摘されている(証人P13,18,19頁)。また,水平原子雲の形成等に関するPの意見は,少なくとも一般論に関する部分に限り,ごく常識的な推論等であって,その信用性に疑義を容れるべき具体的証拠は存しないが,黒い雨専門家会議報告書の気象シミュレーションにおいては,そうした水平原子雲の存在が考慮されておらず(前記第1,5⑶ア),これを考慮しないことに関する明確な説明も特に見当たらない。 以上を踏まえる ,黒い雨専門家会議報告書の気象シミュレーションにおいては,そうした水平原子雲の存在が考慮されておらず(前記第1,5⑶ア),これを考慮しないことに関する明確な説明も特に見当たらない。 以上を踏まえると,黒い雨専門家会議報告書の結論をもって,増田雨域ないし大瀧雨域の信用性に関する先の説示を左右するには足りないというべきであるし,宇田強雨域を超えた範囲に放射性微粒子が降らなかったという根拠とすることもできないというべきである。 ⑸ 「黒い雨」降雨域に関するまとめ以上に説示したところによれば,「黒い雨」降雨域について,以下のとおりいうことができる。 まず,「黒い雨」降雨域は宇田雨域にとどまるものでなく,より広範囲に「黒い雨」が降った事実を確実に認めることができる。そして,「黒い雨」降雨域を推定する研究結果としては,これまで宇田雨域,増田雨域及び大瀧雨域が公表されているところ,いずれも,基本的には,「黒い雨」体験者から得た降雨体験に関する供述等を基に,これを地図上に落とし込んでおおよその降雨域を推定するという手法に拠っているが,そうした手法の限界として,外縁部について,偶々その付近で降雨体験に関する供述等が得られたか否かによって(聞き取り調査等の対象から偶々こぼれ落ちた場合もあったであろうし,被爆後相当年数が経った後に調査が実施されたため,その間に外縁部付近にいた「黒い雨」体験者が死亡した場合もあったと考えられる。また,「黒い雨」体験を語ることで,社会生活上のいわれのない差別を受けるのではないかという恐れ等から,あえて聞き取り調査等に応じなかった者が一定数いたであろうとも推測できる。),線引きの在り方が大きく異なるという不確実さが伴っていることを指摘できるのであって,これらの研究結果から,直ちに「黒い雨」降雨域の全体 調査等に応じなかった者が一定数いたであろうとも推測できる。),線引きの在り方が大きく異なるという不確実さが伴っていることを指摘できるのであって,これらの研究結果から,直ちに「黒い雨」降雨域の全体像を明らかにすることは困難といわざるを得ない。 本訴において原告らが「黒い雨」に遭ったかを認定するに当たっては,宇田雨域,増田雨域及び大瀧雨域のいずれかに単純に依拠することなく,原告らが被爆当時又はその後に所在した場所を確定し,当該場所と宇田雨域,増 田雨域及び大瀧雨域の位置関係を手がかりに,原告らがその当時所在した場所に「黒い雨」が降った蓋然性について検討の上,そうした蓋然性の有無及び程度を踏まえつつ,原告らの「黒い雨」に遭ったという供述等の内容が合理的であるかを吟味し,他に供述等の信用性を阻害すべき具体的事情がないかを検討した上で,個々の原告らが「黒い雨」に遭ったかを判断するのが相当である。そして,宇田雨域,増田雨域及び大瀧雨域の位置関係を手がかりに,「黒い雨」に遭ったと供述する者が所在した場所に「黒い雨」が降った蓋然性を検討するに際しては,①宇田雨域については,少なくとも同雨域内で「黒い雨」が降ったであろうとの推論の限りにとどめるべきであり,宇田雨域以外の区域で「黒い雨」が降らなかったとの前提を立てるべきでないこと,②増田雨域については,他の同種の調査結果に比べて相対的に豊富な資料に基づいており,関係資料との整合性も首肯できることから,有力な資料として位置付けることができ,増田雨域に「黒い雨」が降ったことにつき相当程度の蓋然性を首肯できること,③大瀧雨域についても,その基となった調査に限界があるものの,これを相応に斟酌すべきであること,④以上の各雨域に含まれない地域についても,その故に,直ちに「黒い雨」が降った事 蓋然性を首肯できること,③大瀧雨域についても,その基となった調査に限界があるものの,これを相応に斟酌すべきであること,④以上の各雨域に含まれない地域についても,その故に,直ちに「黒い雨」が降った事実を否定すべきではなく,各雨域の外周線から若干外れた地域に所在した者についても,そうした事情を斟酌しつつ,当該供述等の信用性を慎重に吟味すべきことに留意すべきである。 3 内部被曝の危険性に関する知見⑴ 内部被曝とは,体内に取り込まれた線源による被曝をいうところ,内部被曝には,外部被曝と異なり,次の点で危険性が高いとする知見がある。 すなわち,内部被曝では,外部被曝ではほとんど起こらないアルファ波やベータ波による被曝が生じるところ,アルファ波やベータ波は,飛程が短く,電離等に全てのエネルギーを費やし,放射線到達範囲内の被曝線量が非常に大きくなること,放射性微粒子が,呼吸や飲食を通じて体内に取り込まれ,血液やリンパ液にも入り込み,親和性のある組織に沈着することが想定されること,内部被曝のリスクについて,放射性微粒子の周囲にホットスポットと呼ばれる集中被曝が生じる不均一な被曝は均一な被曝の場合よりも危険が大きいと指摘する意見や,放射線を照射された細胞の隣の細胞も損傷されるというバイスタンダー効果,低線量でも細胞に徴期間放射線を当てると大きな障害が起こり得るというペトカウ効果,低線量・長時間被曝の方が, 一度に大量に被曝したときよりもリスクが高いという逆線量率効果などの知見が存在することが認められる)。 ⑵ 「黒い雨」が人に健康被害をもたらす過程として,放射性微粒子を含む「黒い雨」を直接浴びたことや,そのような「黒い雨」が付着した物に接すること等による外部被曝に加え,放射性微粒子を含む「黒い雨」が混入した井 」が人に健康被害をもたらす過程として,放射性微粒子を含む「黒い雨」を直接浴びたことや,そのような「黒い雨」が付着した物に接すること等による外部被曝に加え,放射性微粒子を含む「黒い雨」が混入した井戸水等を飲用等すること,そのような「黒い雨」が付着するなどした食物を摂取すること等による内部被曝を想定できることから,「黒い雨」に遭った者について,これに含まれる放射性微粒子から受けるおそれのある健康被害の程度を評価するに当たっては,降雨の状況等,その者の降雨前後の行動及び活動内容並びに降雨後に生じた症状等を踏まえ,放射性微粒子を体内に取り込んだことによる内部被曝の可能性がないかという観点を加味して検討する必要があり,そのような検討に際しては,内部被曝による身体への影響には外部被曝と異なる特徴があり得るという前記知見が存することを念頭に置く必要があるというべきである。 4 被爆者援護法における「黒い雨」の位置付け⑴ 被爆者の範囲の経過ア原爆医療法制定当初,被爆地域としては,爆心地から4ないし5km程度の範囲内の区域が指定され,広島においては,広島市に加え,広島市に隣接する区域として,次の地域が定められるにとどまった(前記第1,3)。その趣旨は,「原爆放射線は,爆心地から1kmまでの地域では高度の傷害を,1kmから2kmまでの地域では中度の傷害を,2kmから4kmまでの地域では軽度の傷害を与えたようである」などとする都築の知見(同d)等を踏まえ,概ね爆心地から5km程度までの地域を被爆地とすることにしたものであるb)。 ・広島県安佐郡祇園町のうち,長束,西原及び西山本・広島県安芸郡戸坂村のうち,狐爪木・広島県安芸郡中山村のうち,中,落久保,北平原,西平原及び寄田 島県安佐郡祇園町のうち,長束,西原及び西山本・広島県安芸郡戸坂村のうち,狐爪木・広島県安芸郡中山村のうち,中,落久保,北平原,西平原及び寄田・広島県安芸郡府中町のうち,茂陰北イ原爆医療法の昭和35年改正の際,被爆者のうち,原爆の放射線を多量に浴びた者を特別被爆者と位置付け,一般疾病医療費を支給するなど特に手厚い施策を講じるものとする特別被爆者制度が創設された(前記第1, 3⑵ア)。この特別被爆者の範囲は,当初は爆心地から2km以内にいた者等とされていたが,昭和37年には,爆心地から3km以内にいた者等とされるなど拡大された。 その後,爆心地から3km以上離れたところにいた人々にも,医学上放射能の影響が人体に現れる例が報告されたことから,昭和40年の原爆医療法施行令改正の際,広島市のうちの新庄町等の地域が「黒い雨」が降った残留放射能濃厚地区として特別被爆地域に加えられた)。 これは,「黒い雨」に放射性微粒子が含まれることを前提に,前記地域に「黒い雨」が降ったことを考慮要素の一つとして,前記地域の者は,その他の被爆者と比較して原爆の放射線を多量に浴びたという理解に立ったものである(前記1⑶ア)。 さらに,被告広島市及び被告広島県が,昭和46年6月,宇田強雨域に含まれる地域を被爆地域及び特別被爆地域とするよう範囲拡大等を求める旨要望したのを受け,昭和47年,原爆医療法施行令が改正され,「黒い雨」が降った残留放射能濃厚地区が被爆地域及び特別被爆地域に加えられ,原爆医療法施行令別表第1(被爆地域),別表第3(特別被爆地域)のうち,広島については,次のとおりとなった(同⑷ア)。 (別表第1)・広島県安 えられ,原爆医療法施行令別表第1(被爆地域),別表第3(特別被爆地域)のうち,広島については,次のとおりとなった(同⑷ア)。 (別表第1)・広島県安佐郡祇園町・広島県安芸郡戸坂村のうち,狐爪木・広島県安芸郡中山村のうち,中,落久保,北平原,西平原及び寄田・広島県安芸郡府中町のうち,茂陰北(別表第3)・広島市のうち,新庄町,三滝町,山手町,己斐町,古田町,庚午町,草津東町,草津濱町,草津本町及び草津南町・広島県安佐郡祇園町 前記のとおり,原爆医療法制定当初は「黒い雨」による被爆は想定されていなかったものの,その後,「黒い雨」に放射性微粒子が含まれることを前提に,「黒い雨」が降ったことを考慮要素の一つとして,「黒い雨」が降った残留放射能濃厚地区の者は,その他の被爆者と比較して原爆の放射線を多量に浴びており,原爆の放射線により健康被害を生ずる 可能性がある事情の下にあったといえると理解されるようになったということができる。 なお,残留放射能濃厚地区に所在した者は,被爆者援護法1条1号(原爆医療法2条1号〔及び同法14条の2〕)によって被爆者(特別被爆者)に認定されてきたのであるから,前記第3で検討した被爆者援護法1条3号等にいう「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」との関係が問題となり得る。この点に関し,被爆者援護法1条1号等は,「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当することの立証を容易にする趣旨から,その者が原爆投下当時いた場所が含まれる行政区画で区分 点に関し,被爆者援護法1条1号等は,「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当することの立証を容易にする趣旨から,その者が原爆投下当時いた場所が含まれる行政区画で区分し,当該行政区画に所在した者を「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当するとみなし,被爆者として援護の対象としたものと解される。以上のとおり,「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」ことは,同条1号ないし3号に共通する同法所定の「被爆者」の基本概念であって,被爆地域(特別被爆地域)の指定に際し「黒い雨」が降ったことを考慮要素としたことは,被爆者の援護等に係る諸法令において,当該事実を「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」との認定について考慮すべき事情の一つとしたことを示すものというべきである。 また,宇田強雨域に含まれる地域が,一部は被爆地域(特別被爆地域)に指定されつつ,その余は第一種健康診断特例区域に指定されるにとどまったのも,原爆投下後間もない時期に公表された大阪帝国大学グループ,京都帝国大学グループ,山﨑ら,藤原らの各調査報告(前記第1,4⑶アないしウ,オ)から,「黒い雨」に含まれた放射性微粒子の分布は一様でないと理解されたものというべきである。 以上によれば,被爆者援護法等は,「黒い雨」に含まれる放射性微粒子の分布が一様でないという理解を前提としつつも,「黒い雨」が降ったことを考慮要素の一つとして,宇田強雨域のうち比較的爆心地に近い地域に所在した者について,原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある事情,すなわち,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」と類型的に認定すべきであるとの立場に立ったもの 原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある事情,すなわち,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」と類型的に認定すべきであるとの立場に立ったものと解するのが相当である。 ⑵ 健康診断特例措置の制度と402号通達についてア昭和49年の原爆医療法の改正によって,特別被爆者制度が廃止されるとともに,健康診断特例措置の制度が創設され,ほどなくして,402号通達により,健康診断特例措置の対象となった者が一定の疾病を発症した場合には,原爆医療法2条3号に該当する者として被爆者健康手帳の交付を受けることが可能となった(前記第1,3⑸)。なお,健康診断特例措置の制度は,昭和49年当時の科学的知見に照らせば,原爆医療法2条1号に規定する被爆地域に隣接する政令で定める区域(健康診断特例区域)については,原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性があったとまでは認められず,当該区域を被爆地域として指定することはできないものの,当時の科学的知見や当該区域の住民の健康調査結果等を踏まえた措置として定められたものである。 イところで,402号通達に基づく3号被爆者の認定の趣旨について,402号通達で定められた一定の疾病は,健康管理手当の支給要件である障害を伴う疾病と同一とされているところ,昭和43年の原爆特措法制定により新設された健康管理手当は,造血機能障害,肝臓機能障害その他の原爆の影響との関連が想定される障害を伴う疾病に罹患するなどした者に対して支給されるものである(前記第1,3⑶イ)。したがって,402号通達における取扱いは,健康診断特例区域に指定された地域に所在したというだけでは原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性があったと認められない(3号被爆者として認定する イ)。したがって,402号通達における取扱いは,健康診断特例区域に指定された地域に所在したというだけでは原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性があったと認められない(3号被爆者として認定するには足りない。)ものの,これに加えて,造血機能障害,肝臓機能障害等の原爆の影響との関連が想定される障害を伴う疾病に罹患したという結果の発生を併せ考慮することによって,類型的にみて,原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある,すなわち被爆者援護法1条3号(原爆医療法2条3号)の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当すると認めるべきとの立場を示したものということができる。 そして,平成14年の被爆者援護法施行令の改正により,新たに第二種健康診断特例区域が設けられ,それまでの健康診断特例区域は第一種健康診断特例区域とされ,402号通達は,当面の間,第一種健康診断特例区域に所在した者についてのみ適用するとされたのは,新たに第二種健康診断特例区域として指定された区域については,当時の科学的知見等を前提 とすると,当該区域に所在したことに加え,健康管理手当の対象となる障害を伴う疾病に罹患したことを考慮しても,「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」と認めるには足りないと考えられたためと解される。 ウこの点,被告らは,402号通達による特例措置に関し,第一種健康診断特例区域は,原爆投下当時その区域内に所在した者に原爆放射線による健康被害が生じたことについて必ずしも十分な科学的合理性があるとまでは認められない地域であるものの,各種調査及び検討結果を踏まえ,被爆者援護の観点から,行政実務上,原爆投下当時その区域内に所在した者で,現実に特定の疾病に罹患したものを,「身体に原子爆弾の放射 までは認められない地域であるものの,各種調査及び検討結果を踏まえ,被爆者援護の観点から,行政実務上,原爆投下当時その区域内に所在した者で,現実に特定の疾病に罹患したものを,「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」として,3号被爆者として取り扱うこととしたと主張し,あたかも402号通達による特例措置が被爆者援護法1条3号(原爆医療法2条3号)の要件充足性を脇に置いた行政における事実上の対応にすぎないかのように主張する。 しかしながら,法律上の根拠に基づくことなく,単なる行政における事実上の対応として,ある者を被爆者援護法(原爆医療法)所定の被爆者と認定し,被爆者健康手帳を交付して被爆者に認められる各種手当等の支給等を行うことが,法律による行政の原理の下で許されるはずはない。402号通達に基づく特例措置は,混乱期に生じた一時的な対応等でなく,同通達が発出された後においても,健康診断特例区域の拡大や平成6年の被爆者援護法の制定を経て,平成14年の被爆者援護法施行令の改正により,第一種健康診断特例区域と第二種健康診断特例区域との区分が創設され,402号通達の適用範囲を第一種健康診断特例区域に所在した者に限る旨の手当てがされるなど,確固たる制度として長年にわたり整備,拡充が続けられてきたものであって,その間,法令上の根拠等に係る疑義が指摘されるなどしたことはなく(弁論の全趣旨),以上は,402号通達に基づく特例措置が,前記イ記載のとおり被爆者援護法1条3号(原爆医療法2条3号)の認定の在り方に整合し,その合理性を肯定できるからであったというべきである。その他本件において,前記説示を左右すべき証拠はない。 ⑶ 「黒い雨」の位置付けについてア広島市長及び広島県知事が,昭和48年アンケート調査を踏まえ,宇田 るからであったというべきである。その他本件において,前記説示を左右すべき証拠はない。 ⑶ 「黒い雨」の位置付けについてア広島市長及び広島県知事が,昭和48年アンケート調査を踏まえ,宇田 雨域に含まれる地域を被爆地域に加えるよう要望したのを受け,当時においても,「黒い雨」による原爆放射線の人体影響に関する科学的知見は必ずしも十分に蓄積はされていなかったものの,「黒い雨」降雨域の一部で高濃度の放射能が検出された例の報告があったこと,昭和48年アンケート調査で有病者数等が4割であったこと,また,「黒い雨」には放射能を含んだ灰が含まれており,これが人体に影響を及ぼすのではないかと考えられたことから,昭和51年に原爆医療法施行令が改正され,宇田強雨域に含まれる地域が健康診断特例区域(第一種健康診断特例区域)として指定された(前記第1,4⑷カないしク)。これにより,「黒い雨」降雨域に所在した者について,概ね宇田強雨域内という地理的制約はありながらも,所定の要件の下に,3号被爆者と認定されるようになった。 イ以上を前記⑵の説示に即して敷衍すると,宇田強雨域内に所在したことに加え,造血機能障害,肝臓機能障害等の原爆の影響との関連が想定される障害を伴う疾病に罹患したという結果の発生を考慮することによって,類型的にみて,原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある,すなわち「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」ということができると理解されたものということになる。 ウこのような402号通達に基づく特例措置の理解に対しては,被告らが前記第2章,第4,3【被告らの主張】⑴記載のとおり主張するように,「黒い雨」には放射性微粒子が含まれていた蓋然性が認められるにすぎないのであって,放射性微粒子の分布も一 の理解に対しては,被告らが前記第2章,第4,3【被告らの主張】⑴記載のとおり主張するように,「黒い雨」には放射性微粒子が含まれていた蓋然性が認められるにすぎないのであって,放射性微粒子の分布も一様ではなかったから,宇田強雨域内に所在したことや,原爆の影響との関連が想定される障害を伴う疾病に罹患したことによっても,3号被爆者を認定するに足る十分な科学的根拠を認めることができないとの指摘があり得るところである。 しかしながら,前記⑴ウで検討したとおり,原爆医療法においては,特別被爆者制度が創設された後,昭和40年の原爆医療法施行令改正により,宇田強雨域に含まれる一部の地域を残留放射能濃厚地区として特別被爆地域に指定し,当該地域に所在した者を原爆の放射線を多量に浴びた被爆者に当たるものとして取り扱ってきたのであり,その際に前記各地域に降った「黒い雨」中の放射性微粒子の有無や構成,放射線量等を具体的に問うことはなかった。そもそも個々に降った「黒い雨」に放射性微粒子が含まれていたか,含まれていたとしてその構成や放射線量等の如何を客観 的な根拠に基づいて具体的に特定することはおよそ不可能な事柄といえ,前記施行令改正は,原爆放射線の人体に対する影響が科学的に未解明の状況下で被爆者に対する援護施策を行うという原爆医療法の趣旨を踏まえ,「黒い雨」に含まれる放射性微粒子の有無や構成,放射線量等の特定が不可能であることを当然の前提にした上で,なお「黒い雨」が降った一定の地域を残留放射能濃厚地区とし,当該地域内に所在した者等を特別被爆者に加えることとしたのである。その後も,昭和47年の同施行令改正によって「黒い雨」が降った残留放射能濃厚地区が拡充され,健康診断特例措置の制度が創設された後は,402号通達による特例措置に基づき,「黒い雨」 ととしたのである。その後も,昭和47年の同施行令改正によって「黒い雨」が降った残留放射能濃厚地区が拡充され,健康診断特例措置の制度が創設された後は,402号通達による特例措置に基づき,「黒い雨」降雨域に所在した者について,概ね宇田強雨域内という地理的制約はありながらも,所定の要件の下に3号被爆者と認定される措置が講じられてきたものである。現時点において,そのような被爆者の援護に関する諸立法における認識を改めるべき具体的な根拠が生じたわけでもないのに,本訴においてのみ,個々に降った「黒い雨」に中の放射性微粒子の有無や構成,放射線量等の如何を特定することが困難であることを殊更重視するのは相当でなく,前記説示を左右しないというべきである。 エ原爆医療法における特別被爆地域の拡大や,402号通達による特例措置としての3号被爆者の認定については,内部被曝に関する知見からもその合理性を説明することができる。 すなわち,放射性微粒子を体内に摂取することにより生じる内部被曝に関しては,前記3⑴に指摘したとおりの知見が認められ,これらによれば,比較的少量の放射性微粒子を摂取したにすぎない場合であっても重大な障害を引き起こすおそれがあるということができる。「黒い雨」に放射性微粒子が含まれていた場合には,地上に降った雨滴中の放射性微粒子が,川水に混ざったり土壌に染み込んで地下水に混入するなどし,或いは,農作物等の飲食に供せられるものに付着等したであろうとの推論が許されてよく,「黒い雨」降雨域に生活していた者が,放射性微粒子が混入した井戸水等を飲用するなどしたことや,放射性微粒子が付着等した食物を摂取するなどしたことによって内部被曝した可能性を容易に想定できるのであって,そのような場合に内部被曝により健康被害を生ずる可能性があることを否定することは たことや,放射性微粒子が付着等した食物を摂取するなどしたことによって内部被曝した可能性を容易に想定できるのであって,そのような場合に内部被曝により健康被害を生ずる可能性があることを否定することはできず,前記1⑵に認定した「黒い雨」によるものと疑われる健康被害についても,一部にそのような内部被曝がもたら した結果を含むものとして合理的に理解できるところである。 オ以上によれば,「黒い雨」体験者について被爆者援護法1条3号の被爆者に該当するかを判断するに当たっては,402号通達による特例措置に基づく取扱いが確固とした制度として長年行われてきたという経緯を踏まえた上で,その者について,「黒い雨」の曝露に関し,宇田強雨域に含まれる第一種健康診断特例区域に所在したとの事実と同程度の事情が認められるかを検討し,これが肯定される場合には,進んで,健康管理手当支給の対象となる障害,すなわち,原爆の影響との関連が想定される障害を伴う疾病に罹患したという結果発生が認められるかを判断し,これを要件として,原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある事情の下にあったとして,被爆者援護法1条3号に該当すると認めるのが相当である。 ⑷ 基本問題懇談会についてア昭和54年6月に設置された基本問題懇談会は,昭和55年12月,懇談会報告書を取りまとめているところ,同報告書は,被爆者対策の基本的な在り方として,次のとおり述べている。 「被爆地域の指定は,本来原爆投下による直接放射線量,残留放射能の調査結果など,十分な科学的根拠に基づいて行われるべきものである。」「これまでの被爆地域の指定は,従来の行政区域を基礎として行われたために,爆心地からの距離が比較的遠い場合でも被爆地域の指定を受けている地域があることは事実であるが,上述のよ べきものである。」「これまでの被爆地域の指定は,従来の行政区域を基礎として行われたために,爆心地からの距離が比較的遠い場合でも被爆地域の指定を受けている地域があることは事実であるが,上述のような科学的・合理的な根拠に基づくことなく,ただこれまでの被爆地域との均衡を保つためという理由で被爆地域を拡大することは,関係者の間に新たに不公平感を生み出す原因となり,ただ徒らに地域の拡大を続ける結果を招来するおそれがある。被爆地域の指定は,科学的・合理的な根拠のある場合に限定して行うべきである。」イ懇談会報告書は,「原爆被爆者対策も,国民的合意を得ることのできる公正妥当な範囲に止まらなければならない」と指摘するところ,一方では,昭和55年当時における被爆者の範囲自体を縮小すべきとの意見を述べるものでなく,現に懇談会報告書が発表されて以降に被爆者の範囲が拡大されることも縮小されることもなかったことに照らし,現在の被爆地域並びに第一種健康診断特例区域の指定及び402号通達による特例措置に 基づく3号被爆者の認定については,懇談会報告書も「国民的合意の得ることのできる公正妥当な範囲」にあるものとして是認していたということができるのであって,前記説示を左右しない(なお,懇談会報告書において,被爆地域の指定は科学的・合理的な根拠のある場合に限定して行われるべきと指摘されたことについて,仮にそれが,当該地域に降った「黒い雨」中の放射性微粒子の有無や構成,放射線量,被爆に至る機序等が具体的に特定されない限り,その地域に所在した者を被爆者援護法等の被爆者と認定すべきでないとする趣旨であれば,少なくとも被爆者援護法等の解釈としてみる限り相当といえないことは,先に説示したとおりである。)。 5 「黒い雨」降雨の多寡による区別⑴ 等の被爆者と認定すべきでないとする趣旨であれば,少なくとも被爆者援護法等の解釈としてみる限り相当といえないことは,先に説示したとおりである。)。 5 「黒い雨」降雨の多寡による区別⑴ 被爆者援護法等における取扱い宇田強雨域に含まれる地域に所在した者が一定の疾病に罹患したことを要件として3号被爆者と認定されるという402号通達による特例措置に基づく取扱いについては,前記4で検討したとおりであるが,進んで,被爆者援護法1条3号の解釈上,宇田強雨域外の「黒い雨」降雨域に含まれる地域に所在した者に対しても,同様の取扱いをすることを是認してよいかが問題となる。 この点,「黒い雨」に放射性微粒子が含まれる機序は,前記1⑴イに認定のとおりであって,ベータ崩壊した放射性微粒子がプラス電荷を帯びて大気中の水分が付着しやすくなり,また,電荷を持たない放射線も大気中の原子を電離作用でイオン化して水分が付着し,そうした水滴が合わさって原子雲を形成し,雨滴となって地表に降下し,或いは,中性子によって誘導放射化された爆心地付近の物質が粉塵となって雨滴に付着し,地表に降下するなどしたのであって,以上からすれば,「黒い雨」の降雨継続時間が長く降雨量が多いほど,また,爆心地からの距離が近いほど,より多くの放射性微粒子が地表に降下したであろうとの推論が一応成り立つ。被爆者援護法等が,宇田強雨域に含まれる地域のうち比較的爆心地に近い地域について,「黒い雨」が降った残留放射能濃厚地区として被爆地域(特別被爆地域)としつつ,宇田強雨域に含まれるその余の地域については,健康診断特例区域(第一種健康診断特例区域)とするにとどまったことも,以上と同旨の理解によったものと推察することができる。 ⑵ 「黒い雨」降雨継続時間の長短による区別の合理性 の地域については,健康診断特例区域(第一種健康診断特例区域)とするにとどまったことも,以上と同旨の理解によったものと推察することができる。 ⑵ 「黒い雨」降雨継続時間の長短による区別の合理性 しかしながら,以下に述べるとおり,少なくとも前記4⑶オに説示した枠組みによる3号被爆者の認定に関する限り,「黒い雨」の降雨継続時間の長短によって取扱いを異にすべき十分な合理性があるとはいえない。 アすなわち,降雨継続時間に比例して多くの放射性微粒子が降下したとの推論を直接裏付けるような残留放射能調査の結果は存しない。また,「黒い雨」に含まれる放射性微粒子の分布が一様でなかったことは,これまで再々指摘したとおりであって,「黒い雨」の降雨継続時間の長短と地表に降下した「黒い雨」中の放射性微粒子の量が比例するともいえない。加えて,「黒い雨」に遭ったことによる健康被害については,外部被曝の外,内部被曝の可能性を念頭に置くべきことは,前記4⑶エに指摘したとおりであって,内部被曝については,前記3⑴のとおり,低線量であっても細胞に長時間放射線が当たることで大きな障害が起こり得ること,低線量・長時間被曝の方が,一時に大量被曝に遭った場合より健康被害へのリスクが高いこと等の知見があることを踏まえると,「黒い雨」の降雨継続時間の長短によって「黒い雨」中の放射性微粒子による健康被害の可能性を推量することは,不合理であると考えられる。 イまた,宇田雨域を基本として設定した対象地区の住民に対して実施した昭和48年アンケート調査の結果をみると,別図表7-2及び同3記載のとおり,急性症状(「血便,脱毛,歯茎出血,皮膚に斑点」,又は「めまい,発熱,下痢,おう吐」)については,全域が第一種健康診断特例区域に指定されている石内村,伴村,戸山村で 図表7-2及び同3記載のとおり,急性症状(「血便,脱毛,歯茎出血,皮膚に斑点」,又は「めまい,発熱,下痢,おう吐」)については,全域が第一種健康診断特例区域に指定されている石内村,伴村,戸山村では,母数4552人のうち,血便等の症状を訴えた者が389人(8.5%),めまい等の症状を訴えた者が904人(19.9%)であるのに対し,全域が第一種健康診断特例区域に指定されていない砂谷村,殿賀村,吉坂村,都谷村,筒賀村,小河内村,鈴張村,飯室村,井口村(なお,砂谷村,吉坂村,鈴張村,井口村は,概ね宇田雨域にすら含まれていないが,増田雨域及び大瀧雨域には含まれている。)では,母数5575人のうち,血便等の症状を訴えた者が197人(3.5%),めまい等の症状を訴えた者が691人(12. 3%)であって,一見,両者に有意な差があるようにも思える。しかしながら,前者の割合が高いのは,石内村で健康被害を訴えた者の割合が突出して高いことによるものと考えられるのであり(血便等が156人(13.8%),めまい等が368人(32.6%)),同じ第一種健康診断特 例区域に指定されている戸山村では,血便等が4.7%,めまい等が10.7%であって,同区域に指定されていない後者の割合と顕著な差はなく,全体としてみれば,宇田強雨域とそれ以外の降雨域との間で健康被害の状況に有意な差があるとまではいえないと解される。 現在の健康状況についても,前者に属する石内村,伴村,戸山村では,母数4352人のうち,健康状況が「弱い」又は「病気」と回答した者が1777人 (40.8%)であるのに対し,後者に属する砂谷村,殿賀村,吉坂村,都谷村,筒賀村,小河内村,鈴張村,飯室村,井口村では,母数5332人のうち,同様に回答した者が2024人(38.0%)であって (40.8%)であるのに対し,後者に属する砂谷村,殿賀村,吉坂村,都谷村,筒賀村,小河内村,鈴張村,飯室村,井口村では,母数5332人のうち,同様に回答した者が2024人(38.0%)であって,前者に属する戸山村単体でみると,1444人中,前記と同様に回答した者が552人(38.2%)であることを踏まえると,やはり宇田強雨域とそれ以外の降雨域との間で健康被害の状況に有意な差があるとはいえない。 その他,宇田強雨域か否かで住民の健康状態に有意な差があることを示す調査報告は存しない。 ウ加えて,「黒い雨」が降った残留放射能濃厚地区の特別被爆地域への指定は,必ずしも「黒い雨」の降雨継続時間の長短に応じたものとなっていない。 すなわち,昭和40年に「黒い雨」が降った残留放射能濃厚地区が初めて特別被爆地域に指定された際,広島県安佐郡祇園町については,同町のうち長束,西原及び西山本のみが特別被爆地域とされたにすぎなかったが,その後昭和47年の原爆医療法施行令改正に際して,同町の全域が被爆地域及び特別被爆地域として指定されるに至った。しかしながら,広島県安佐郡祇園町は,一部が宇田強雨域に含まれていたものの,祇園町派出所で10分位パラパラ降った旨の供述があったこと(乙1・127頁)等から,その余の部分は宇田小雨域又は宇田雨域外とされており,同町を被爆地域及び特別被爆地域として指定するに当たり,「黒い雨」の降雨継続時間の長短によって異なる取扱いをすることはしていない。 ⑶ 小括以上によれば,少なくとも前記4⑶オに説示した枠組みによる3号被爆者の認定に関する限り,「黒い雨」の降雨継続時間の長短によって取扱いを異にすべき十分な合理性があるとはいえず,「黒い雨」体験者について当該枠 組みに 4⑶オに説示した枠組みによる3号被爆者の認定に関する限り,「黒い雨」の降雨継続時間の長短によって取扱いを異にすべき十分な合理性があるとはいえず,「黒い雨」体験者について当該枠 組みにより3号被爆者と認定し得るかの検討に当たっては,その者が遭った「黒い雨」降雨継続時間の長短等を重視すべきものではないというべきである。 6 まとめ以上に説示したところによれば,「黒い雨」と被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」の認定の関係について,以下のとおりいうことができる。 すなわち,「黒い雨」降雨域に降った「黒い雨」には原爆に由来する放射性微粒子が含まれており,そうした「黒い雨」によって健康被害を生ずる可能性があること,前記4⑶オに説示した枠組みによる3号被爆者の認定に関する限り,「黒い雨」の降雨継続時間の長短によって取扱いを異にすべき十分な合理性があるとはいえないことからすれば,第一種健康診断特例区域に所在した者で,健康管理手当の支給対象となる11種類の障害を伴う疾病に罹患していると診断されたものが,被爆者援護法1条3号に該当する者として被爆者健康手帳の交付を受けることができ,被爆者とされるのと同様に,第一種健康診断特例区域外であっても,原爆が投下された際及びその後において「黒い雨」に曝露した者は,前記11種類の障害を伴う疾病に罹患したことを要件として,被爆者援護法1条3号に該当すると解するのが相当である。 そして,内部被曝に関する前記説示に照らし,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」を直接浴びるなどしたり,「黒い雨」降雨域で生活したりしていた場合には,「黒い雨」に曝露したものとして,前記枠組みにより被爆者援護法1条3号の被爆者と認定され得るものというべきである いて,「黒い雨」を直接浴びるなどしたり,「黒い雨」降雨域で生活したりしていた場合には,「黒い雨」に曝露したものとして,前記枠組みにより被爆者援護法1条3号の被爆者と認定され得るものというべきである。 第5 争点4(原告らは,被爆者援護法1条3号にいう「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当するか(各論))について以下では,原告個別の認定判断を記載している項においては,各項の見出しに記載した原告のことを指して,単に「原告」という。 1 砂谷村の原告らについて⑴ 砂谷村について砂谷村は,概ね宇田雨域には含まれないところ,これは,主として,砂谷村住民から,「雨は降っていない」旨の供述(甲A69,70・46頁)がされ,上水内村住民から,雨が降った旨の供述が得られなかったこと(乙 1・135頁)に基づくものと考えられ,雨域確定の基礎となった聞き取り調査の数は極めて乏しい。 他方で,砂谷村は,昭和31年9月30日,上水内村及び水内村と合併して佐伯郡湯来町となったところ,昭和46年11月6日に広島市が刊行した「広島原爆戦災誌第四巻」(甲A75)には,砂谷村に関して,次の記述がある。 「六日の朝,突然,一大音響が聴こえてきた。砂谷地区からは,山合いの関係で視野がきかず,炸裂のキノコ雲は見えなかったが,村民らは,火薬庫の大爆発か,よほど大きな砲撃かと感じた。わずかに雨がふってきた。」(同754頁)また,増田による調査においても,多数の住民が降雨があった旨回答していて(甲A35の1・153頁),砂谷村は,その全域が増田雨域に含まれ,大瀧雨域にも含まれている。 加えて,原爆投下当時,砂谷村に所在した原告番号市25は,本人尋 民が降雨があった旨回答していて(甲A35の1・153頁),砂谷村は,その全域が増田雨域に含まれ,大瀧雨域にも含まれている。 加えて,原爆投下当時,砂谷村に所在した原告番号市25は,本人尋問において,要旨,防空壕に逃げたこと以外は記憶がない,母や祖母から,雨が降ってきて洗濯物に黒いしみがついたと聞いたと供述する(原告番号市25本人)ところ,被告ら代理人の反対尋問を経ても,雨が降ったという同供述の核心部分を信用できないとする事情は窺われない。そして,原告番号市25以外の砂谷村の原告らについても,雨が降った旨の陳述書の内容に不自然不合理な点はないから,陳述書作成時点において既に原爆投下から70年以上が経過していたことを踏まえても,その核心部分は相応の信用性を備えている。 以上によれば,砂谷村に「黒い雨」が降ったことを認定できるのであって,同地域が宇田雨域に含まれないことはこれを左右するものでなく,砂谷村に所在した原告らについて,以下のとおり認定することができる。 ⑵ 原告番号市22ア証拠(甲B市22〔枝番を含む。〕,乙A22)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和9年○月○日生まれであり,原爆投下当時,11歳で,a国民学校5年生であった。自宅は広島県佐伯郡砂谷村(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営み,一家は,横穴に鉄管を通して採取した山水を飲み,野菜中心の食生活を送っていた。 原告は,当時,学校には登校せず自宅にとどまっていたところ,原爆投下があってから,雷が鳴り始め,空がだんだん暗くなり,その後,雨が降ってきた。 原告は,2型糖尿病,高血圧性心疾患,慢性虚血性心疾患,両変形性膝関節症,変形性脊椎症,骨粗鬆症を患っていたが,令和元年○月○日, め,空がだんだん暗くなり,その後,雨が降ってきた。 原告は,2型糖尿病,高血圧性心疾患,慢性虚血性心疾患,両変形性膝関節症,変形性脊椎症,骨粗鬆症を患っていたが,令和元年○月○日,死亡した。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,健康管理手当の支給対象となる内分泌機能障害を伴う疾病(2型糖尿病),循環器機能障害を伴う疾病(高血圧性心疾患,慢性虚血性心疾患),運動器機能障害を伴う疾病(両変形性膝関節症,変形性脊椎症,骨粗鬆症)に罹患していたことからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ウなお,原告については,承継人番号市22が訴訟承継した。 ⑶ 原告番号市25ア証拠(甲B市25〔枝番を含む。〕,乙A25,原告本人)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和17年○月○日生まれで,原爆投下当時,2歳10か月であった。自宅は広島県佐伯郡砂谷村(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営み,一家は,地下水を手押しのポンプで汲んで飲み水とし,畑で採れたきゅうり,なすなどを食べていた。 原告は,原爆投下があったときは自宅にいたが,ピカッと光りドーンと音がして,外に出た。原告は,防空壕に逃げ込み,その後,雨が降ってきた。 原告は,現在,両変形性膝関節症を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害を伴う疾病(両変形性膝関節症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放 において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害を伴う疾病(両変形性膝関節症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑷ 原告番号市27ア証拠(甲B市27(枝番を含む。),乙A27)によれば,次の事実が認 められる。 原告は,昭和10年○月○日生まれで,原爆投下当時,10歳で,a国民学校b分校4年生であった。自宅は広島県佐伯郡砂谷村(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営み,一家は,谷から湧く川水を飲み,自宅で作った野菜を食べる生活を送っていた。 原告は,原爆投下があったときは学校にいたが,その後,先生の指示により友人と一緒に学校から帰宅していたところ,雨が降り出し,びしょ濡れになったので,途中の家の軒下に避難した。 原告は,現在,高血圧性心疾患を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる循環器機能障害を伴う疾病(高血圧性心疾患)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑸ 原告番号市28ア証拠(甲B市28〔枝番を含む。〕,乙A28)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和13年○月○日生まれであり,原爆投下当時,7歳で,a国民学校に通っていた。自宅は広島県佐伯郡砂谷村(以下省略。当時)に所在し,両親は山仕事や農業を営んでいた。 原告は,原爆投下があったときは学校にいたが,その後先生の指示 時,7歳で,a国民学校に通っていた。自宅は広島県佐伯郡砂谷村(以下省略。当時)に所在し,両親は山仕事や農業を営んでいた。 原告は,原爆投下があったときは学校にいたが,その後先生の指示により帰宅したところ,帰宅後に雨が降ってきた。 原告は,平成30年○月○日,膵頭部癌(腺房細胞癌)により死亡した。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,健康管理手当の支給対象となる細胞増殖機能障害を伴う疾病(膵頭部癌)に罹患していたことからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ウなお,原告については,承継人番号市28が訴訟承継した。 ⑹ 原告番号市35ア証拠(甲B市35〔枝番を含む。〕,乙A35)によれば,次の事実が認 められる。 原告は,昭和13年○月○日生まれで,原爆投下当時,7歳で,a国民学校に通っていた。原告は,姉とともに祖父の自宅がある広島県佐伯郡砂谷村(以下省略。当時)に疎開していた(なお,広島市内に住んでいた両親らも,原爆投下後に疎開先に避難してきた。)。 原告は,原爆投下があったときはa国民学校にいたが,その後先生からの指示により帰宅していた途中,雨が降ってきた。 原告は,平成28年に白内障の手術を受けた。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,健康管理手当の支給対象となる水晶体混濁による視機能障害を伴う疾病(白内障)に罹患していたことからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に 理手当の支給対象となる水晶体混濁による視機能障害を伴う疾病(白内障)に罹患していたことからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑺ 原告番号市44ア証拠(甲B市44〔枝番を含む。〕,乙A44)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和10年○月○日生まれで,原爆投下当時,9歳で,a国民学校4年生であった。原告は,一家で祖父の自宅がある広島県佐伯郡砂谷村(以下省略。当時)に疎開していたところ,祖父母及び父親は農業を営み,一家は,畑で作った野菜等を食べ,谷の水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったときはa国民学校にいたが,その後生徒は皆下校することとなり,その道中,雨が降り出し,雨は帰宅後も降っていた。 原告は,現在,変形性股関節症,変形性腰椎症,変形性頚椎症を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害を伴う疾病(変形性股関節症,変形性腰痛症,変形性頚椎症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑻ 原告番号市46 ア証拠(甲B市46〔枝番を含む。〕,乙A46)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和5年○月○日生まれで,原爆投下当時,14歳であった。原告は両親とともに農業を営み,自宅は広島県佐伯郡砂谷村(以下省略。当時)に所在した。 原告は,原爆投下があったときは砂谷村伏谷川角の交差点にあるバス停でバスを待って 14歳であった。原告は両親とともに農業を営み,自宅は広島県佐伯郡砂谷村(以下省略。当時)に所在した。 原告は,原爆投下があったときは砂谷村伏谷川角の交差点にあるバス停でバスを待っていたところ,突然ぴかっと光った後,しばらくして黒い雲が出てきて雨が降り出したので,一旦帰宅した。 原告は,現在,高血圧性心疾患を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる循環器機能障害を伴う疾病(高血圧性心疾患)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 2 水内村(宇佐・久日市を除く)の原告らについて⑴ 水内村(宇佐・久日市を除く)について水内村(宇佐・久日市を除く)は,一部が宇田雨域には含まれないところ,これは,主として,砂谷村の住民から,前記1⑴記載のとおりの供述がされ,上水内村の住民から,「太陽光線を鏡で反射したように感じ,7~8分?後爆風来」との供述(乙1・135頁)がされ,また,殿賀村西調子の住民から,「大粒の雨がばらばら降った。」との供述(同前)がされたことから,「黒い雨」降雨域の外延を線引きしたものにすぎないと考えられ,雨域確定の基礎となった聞き取り調査の数は極めて乏しい。 他方で,昭和46年11月6日に広島市が刊行した「広島原爆戦災誌第四巻」(甲A75)には,水内村に関して,次の記述がある。 「水内村役場付近では,稲妻のような光と共に大音響がきこえ,役場の窓ガラスなども軽震程度の音をたてた。被害は別になかったが,村民は互いに戸外に飛び出し,広島方面が爆撃されたのではないかと話しあった。」「爆発後,数分 稲妻のような光と共に大音響がきこえ,役場の窓ガラスなども軽震程度の音をたてた。被害は別になかったが,村民は互いに戸外に飛び出し,広島方面が爆撃されたのではないかと話しあった。」「爆発後,数分たって東北方面,祇園町方面の空かと思われる山頂から入道雲のような雲がムクムクとのぼり,次第に空一面をおおい,大粒の雨がパラパラと降って来た。 十時ごろから十一時ごろにかけて,広島通信局の文書らしいものが,夕やみのようにうす暗くなった空から,黒焦げになってたくさん飛んで来た。」(同754〜755頁)また,増田による調査においても,水内村の広い範囲内の多数の住民が降雨があった旨回答していて(甲A35の1・181ないし192),水内村はその全域が増田雨域に含まれている。 加えて,原爆投下当時,水内村に所在した原告番号市26は,本人尋問において,要旨,自宅前で麦の出荷作業の手伝いをしていたところ,きのこ雲が広がって空が暗くなり,その後,雨が降り出した,大雨が降ったというのははっきりと覚えていないなどと供述する(原告番号市26本人)ところ,被告ら代理人の反対尋問を経ても,雨が降ったという同供述の核心部分を信用できないとする事情は窺われない。そして,原告番号市26以外の水内村(宇佐・久日市を除く)の原告らについても,雨が降った旨の陳述書の内容に不自然不合理な点はないから,陳述書作成時点において既に原爆投下から70年以上が経過していたことを踏まえても,その核心部分は相応の信用性を備えている。 以上によれば,水内村(宇佐・久日市を除く)に「黒い雨」が降ったことを認定できるのであって,同地域が宇田雨域に含まれないことはこれを左右するものでなく,水内村(宇佐・久日市を除く)に所在した原告らについて,以下のとおり認定すること を除く)に「黒い雨」が降ったことを認定できるのであって,同地域が宇田雨域に含まれないことはこれを左右するものでなく,水内村(宇佐・久日市を除く)に所在した原告らについて,以下のとおり認定することができる。 ⑵ 原告番号市6ア証拠(甲B市6〔枝番を含む。〕,乙A6)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和19年○月○日生まれで,原爆投下当時,まだ1歳になる直前であった。自宅は広島県佐伯郡水内村大字和田(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営み,一家は,両親が作った米や野菜を食べ,裏山の湧き水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったときは,伯母宅(広島県佐伯郡砂谷村〔以下省略。当時〕)から母に背負われて帰宅する途中であったが,その道中,雨が降ってきた。 原告は,現在,変形性脊椎症,変形性膝関節症を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒 い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害を伴う疾病(変形性脊椎症,変形性膝関節症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑶ 原告番号市7ア証拠(甲B市7〔枝番を含む。〕,乙A7)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和20年○月○日生まれで,原爆投下当時,生後4か月であった。自宅は広島県佐伯郡水内村和田(以下省略。当時)に所在した。一家は,近くの谷の水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったときは,自宅近くの祖父の実家から母に背負われて帰宅する途中で 広島県佐伯郡水内村和田(以下省略。当時)に所在した。一家は,近くの谷の水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったときは,自宅近くの祖父の実家から母に背負われて帰宅する途中であったが,その道中,雨が降ってきた。 原告は,現在,変形性腰椎症を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害を伴う疾病(変形性腰椎症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑷ 原告番号市8ア証拠(甲B市8〔枝番を含む。〕,乙A8)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和20年○月○日生まれであり,原爆投下当時,生後5か月であった。自宅は広島県佐伯郡水内村大字麦谷(以下省略。当時)に所在し,祖父母や母は農業を営んでいた。 原告は,原爆投下があった後,雨が降る中,母に背負われて帰宅した。 原告は,現在,多発性骨髄腫を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる造血機能障害を伴う疾病(多発性骨髄腫)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑸ 原告番号市9ア証拠(甲B市9〔枝番を含む。〕,乙A9)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和19年○月○日生まれであり,原爆投下当時,1歳4か月であった。自宅は広島県佐伯郡水内 ア証拠(甲B市9〔枝番を含む。〕,乙A9)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和19年○月○日生まれであり,原爆投下当時,1歳4か月であった。自宅は広島県佐伯郡水内村大字和田(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営み,一家は,両親が作った米や野菜を食べ,水は山の湧水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったときは,自宅の庭の前にいた母に背負われていたが,そのうちに雨が降り出し,原告と母は家の中に入った。 原告は,平成26年に前立腺癌による前立腺全摘手術を受けた。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,健康管理手当の支給対象となる内分泌線機能障害を伴う疾病(前立腺癌)に罹患していたことからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑹ 原告番号市17ア証拠(甲B市17〔枝番を含む。〕,乙A17)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和16年○月○日生まれであり,原爆投下当時,4歳であった。自宅は広島県佐伯郡水内村大字和田(以下省略。当時)に所在し,同居の祖父母と母は農業を営み,一家は,祖父母らが作った米や野菜を食べていた。 原告は,原爆投下があったときは,自宅横の畑で草取りをするなどしていたところ,雨が降り出したため,母に連れられ,家に戻った。 原告は,現在,高血圧性心疾患,糖尿病,白内障を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌線機能障害を伴う疾病(糖尿病),循環器機能 を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌線機能障害を伴う疾病(糖尿病),循環器機能障害を伴う疾病(高血圧性心疾患),水晶体混濁による視機能障害を伴う疾病(白内障)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑺ 原告番号市24 ア証拠(甲B市24〔枝番を含む。〕,乙A24)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和11年○月○日生まれであり,原爆投下当時,9歳で,c国民学校の3年生であった。自宅は広島県佐伯郡水内村大字和田(以下省略。当時)に所在した。一家は,田畑で作った米や野菜を食べていた。 原告は,原爆投下があったときは学校にいたところ,先生の指示により下校,帰宅した後,水内川へ遊びに行ったが,雨が降り始めたことから,帰宅した。 原告は,平成28年○月○日,慢性腎不全を原因とする肺炎により死亡した。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,健康管理手当の支給対象となる腎臓機能障害を伴う疾病(慢性腎不全)に罹患していたことからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ウなお,原告については,承継人番号市24が訴訟承継した。 ⑻ 原告番号市26ア証拠(甲B市26〔枝番を含む。〕,乙A26,原告本人)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和15年○月○日生まれであり,原爆投下当時,5歳であ ⑻ 原告番号市26ア証拠(甲B市26〔枝番を含む。〕,乙A26,原告本人)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和15年○月○日生まれであり,原爆投下当時,5歳であった。自宅は広島県佐伯郡水内村大字麦谷(以下省略。当時)に所在し,一家は,沢の水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったときは,麦の出荷作業を手伝っていたところ,その後,弟と自宅前の道路で遊んでいると,雨が降ってきた。 原告は,平成14年及び平成15年に白内障の手術を受け,現在,変形性腰椎症を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,かつて,健康管理手当の支給対象となる水晶体混濁による視機能障害を伴う疾病(白内障)に罹患し,現在,運動器機能障害を伴う疾病(変形性腰椎症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような 事情の下にあった者」に該当する。 ⑼ 原告番号市38ア証拠(甲B市38〔枝番を含む。〕,乙A38)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和14年○月○日生まれであり,原爆投下当時,5歳であった。自宅は広島県佐伯郡水内村大字和田(以下省略。当時)に所在し,一家は,近所の人が作った米や野菜を食べ,山から引いてきた水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったときは,母と一緒に水内村郵便局にいたが,その後,自宅の周りで遊んでいると,雨が降り出した。 原告は,現在,高血圧性心疾患を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健 で遊んでいると,雨が降り出した。 原告は,現在,高血圧性心疾患を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる循環器機能障害を伴う疾病(高血圧性心疾患)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑽ 原告番号市39ア証拠(甲B市39〔枝番を含む。〕,乙A39)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和9年○月○日生まれであり,原爆投下当時,11歳で,c国民学校5年生であった。自宅は広島県佐伯郡水内村大字和田(以下省略。当時)に所在し,同居の祖父母は農業を営み,一家は,祖父母が作った米や野菜を食べ,近くの山から引いた水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったとき,学校にいたが,その後,先生の指示で下校していたところ,その道中,雨が降り出し,濡れながら帰宅した。 原告は,現在,2型糖尿病を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害を伴う疾病(2型糖尿病)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるよ うな事情の下にあった者」に該当する。 ⑾ 原告番号市41ア証拠(甲B市41〔枝番を含む。〕,乙A41)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和20年○月○日生まれであり,原爆投下当時,生後6か月であった。原告は,母の実家である広島県佐伯郡水内村麦谷(以 枝番を含む。〕,乙A41)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和20年○月○日生まれであり,原爆投下当時,生後6か月であった。原告は,母の実家である広島県佐伯郡水内村麦谷(以下省略。当時)に疎開しており(戦後も水内村内で生活していた。),一家は,近隣で採れた米や野菜等を食べ,山から引いてきた水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったとき,母の実家で寝かされていたが,自宅周辺には雨が降った。 原告は,現在,変形性脊椎症を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害を伴う疾病(変形性脊椎症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑿ 原告番号市45ア証拠(甲B市45〔枝番を含む。〕,乙A45)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和9年○月○日生まれであり,原爆投下当時,11歳で,c国民学校5年生であった。自宅は広島県佐伯郡水内村大字和田(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営み,一家は,自宅近くで作られた野菜等を食べ,谷の水を引いてきた水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったときは学校にいたが,その後,先生の指示により下校していたところ,その道中,雨が降り出し,濡れながら帰宅した。 原告は,現在,変形性腰椎症を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害を伴う疾病(変形性腰椎症) 性腰椎症を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害を伴う疾病(変形性腰椎症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるよ うな事情の下にあった者」に該当する。 ⒀ 原告番号市51ア証拠(甲B市51〔枝番を含む。〕,乙A51)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和3年○月○日生まれであり,原爆投下当時,16歳で,病気療養のため自宅に帰っていた。自宅は広島県佐伯郡水内村和田(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営み,一家は,川の水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったとき,自宅の掃除をしていたところ,そのうちに雨が降り出し,外に干していた畳を雨に濡れながら家の中に入れた。 原告は,現在,糖尿病,高血圧性心疾患,慢性虚血性心疾患を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害を伴う疾病(糖尿病),循環器機能障害を伴う疾病(高血圧性心疾患,慢性虚血性心疾患)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 3 上水内村の原告らについて⑴ 上水内村について上水内村は,宇田雨域には含まれていないところ,その理由は,前記2⑴と同様であると考えられ,その基礎となった聞き取り調査の数は極めて乏しい。 他方で,増田による調査においても,上水内村の広い範囲内の多数 田雨域には含まれていないところ,その理由は,前記2⑴と同様であると考えられ,その基礎となった聞き取り調査の数は極めて乏しい。 他方で,増田による調査においても,上水内村の広い範囲内の多数の住民が降雨があった旨回答していて(甲A35の1・172ないし180),上水内村はその全域が増田雨域に含まれている。 加えて,原爆投下当時,上水内村に所在した原告番号市1は,本人尋問において,要旨,学校から帰宅する途中に雨が降り出した,一旦帰宅後,黒谷川や小原,石ヶ谷などへ行ったが,石ヶ谷にきたときに土砂降りになって帰宅したなどと供述する(原告番号市1本人)。この点,原告番号市1については,増田の調査において,「降雨が降った経験はないが,小雨程度は降っ た。」と回答した旨記録されている(甲A35の1・178頁)ところ,その趣旨は必ずしも判然としない部分もあるが,少なくとも原告番号市1は,増田に対して,小雨程度の降雨があった旨述べていたことが認められるから,原告番号市1の前記供述については,降雨の強弱において,供述に変遷があり,信用性に欠けるといわざるを得ない。しかしながら,これを踏まえても,雨が降ったという同供述の核心部分を信用できないとする事情は窺われない。そして,原告番号市1以外の上水内村の原告らについても,雨が降った旨の陳述書の内容に不自然不合理な点はないから,陳述書作成時点において既に原爆投下から70年以上が経過していたことを踏まえても,その核心部分は相応の信用性を備えている。 なお,昭和46年11月6日に広島市が刊行した「広島原爆戦災誌第四巻」(甲A75)には,上水内村に関して,次の記述があり,「黒い雨」が降ったとはされていないが,前記記載の内容に照らし,その後に降雨があったことと矛盾する内容とはいえない 行した「広島原爆戦災誌第四巻」(甲A75)には,上水内村に関して,次の記述があり,「黒い雨」が降ったとはされていないが,前記記載の内容に照らし,その後に降雨があったことと矛盾する内容とはいえない。 「上水内村では,山林などで作業中の者が,人体に何かサァーとあたる風と青光りを感じた。草木も風でなびいたが,別に被害はなかった。 爆発音と共に黒煙が東の空の方向の上空に立ち昇り,たちまちにして日蝕のように太陽も見えず,薄暗やみとなった。 正午前後,東方上空から薄暗やみの中を,小風に乗じて通信済みの郵便葉書,商店の伝票,その他広島市内からの紙片が,多数飛来した。」(同755頁)以上によれば,上水内村に「黒い雨」が降ったことを認定できるのであって,同地域が宇田雨域に含まれないことはこれを左右するものでなく,上水内村に所在した原告らについて,以下のとおり認定することができる。 ⑵ 原告番号市1ア証拠(甲B市1〔枝番を含む。〕,乙A1,原告本人)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和13年○月○日生まれであり,原爆投下当時,7歳で,d国民学校e分校1年生であった。自宅は広島県佐伯郡上水内村(以下省略。当時)に所在し,祖父及び両親は農業を営み,谷の水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったとき,学校にいたが,先生の指示により帰 宅する途中,雨が降ってきた。 原告は,平成29年に白内障の手術,右尿管癌による右腎尿管全摘出手術を受けた。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,健康管理手当の支給対象となる水晶体混濁による視機能障害を伴う疾病(白内障),細胞増 手術を受けた。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,健康管理手当の支給対象となる水晶体混濁による視機能障害を伴う疾病(白内障),細胞増殖機能障害を伴う疾病(右尿管癌)に罹患していたことからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑶ 原告番号市19ア証拠(甲B市19〔枝番を含む。〕,乙A19)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和10年○月○日生まれであり,原爆投下当時,9歳で,d国民学校e分校4年生であった。自宅は広島県佐伯郡上水内村(以下省略。当時)に所在し,一家は,川の水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったとき,学校にいたが,その後一旦帰宅後,外で遊んでいるうちに,雨が降ってきた。 原告は,現在,2型糖尿病を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害を伴う疾病(2型糖尿病)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑷ 原告番号市47ア証拠(甲B47〔枝番を含む。〕,乙A47)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和12年○月○日生まれであり,原爆投下当時,7歳で,f国民学校1年生であった。自宅は広島県佐伯郡上水内村(以下省略。 当時)に所在し,両親は林業を営み,一家は,川の水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったとき,近所の広場で遊んでいたところ, であった。自宅は広島県佐伯郡上水内村(以下省略。 当時)に所在し,両親は林業を営み,一家は,川の水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったとき,近所の広場で遊んでいたところ,しばらくしてから,雨が降り出した。 原告は,現在,両変形性膝関節症,腰部脊柱管狭窄症,両肩関節周囲炎を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害を伴う疾病(両変形性膝関節症,腰部脊柱管狭窄症,両肩関節周囲炎)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 4 亀山村の原告らについて⑴ 亀山村について亀山村は,西側の一部地域を除いて宇田雨域に含まれていないところ,これは,主として,飯室村の住民から,「古市では10分くらいバラバラと雨が降った」旨の供述がされ(乙1・135頁)のに対し,亀山村の住民から,「敵機の落としたもの(ゾンデ)3個,亀山村役場付近に落ちた」旨の供述(甲A69,70・95頁)がされたにとどまり,降雨があったとの供述を得られなかったこと,八木村において,「雨が降らなかった」旨の供述が得られたこと(乙1・128頁)などに基づくものと考えられ,基礎となった聞き取り調査の数は極めて乏しい。 他方で,増田による調査においても,多数の住民が降雨があった旨回答していて(甲A35の1・133,134頁),亀山村は,増田雨域に含まれ,大瀧雨域にも含まれている。 加えて,原爆投下当時,亀山村に所在した原告番号市40は,本人尋問において,要旨,防空壕から出てきた後,校庭で ・133,134頁),亀山村は,増田雨域に含まれ,大瀧雨域にも含まれている。 加えて,原爆投下当時,亀山村に所在した原告番号市40は,本人尋問において,要旨,防空壕から出てきた後,校庭で待っているときに雨が降ってきた,びしょぬれになった記憶があると供述する(原告番号市40本人)ところ,被告ら代理人の反対尋問を経ても,雨が降ったという同供述の核心部分を信用できないとする事情は窺われない。そして,原告番号市40以外の亀山村の原告らについても,雨が降った旨の陳述書の内容に不自然不合理な点はないから,陳述書作成時点において既に原爆投下から70年以上が経過していたことを踏まえても,その核心部分は相応の信用性を備えている。 なお,昭和46年11月6日に広島市が刊行した「広島原爆戦災誌第四巻」(甲A77)には,亀山村に関して,「炸裂後,朝の快晴はどこへやら,昼からどんより曇って今にも雨が降り出しそうな空模様となった。」(同78 6頁)との記述があり,「黒い雨」が降ったとはされていないが,前記記載の内容に照らし,その後に降雨があったことと矛盾する内容とはいえない。 以上によれば,亀山村に「黒い雨」が降ったことを認定できるのであって,同地域が宇田雨域に含まれないことはこれを左右するものでなく,亀山村に所在した原告らについて,以下のとおり認定することができる。 ⑵ 原告番号市10ア証拠(甲B市10〔枝番を含む。〕,乙A10)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和12年○月○日生まれであり,原爆投下当時,7歳で,g国民学校2年生であった。自宅は広島県安佐郡亀山村(以下省略。当時)に所在し,母は農業を営み,一家は,畑の野菜等を食べ,小川の水を利用して生活していた。 原告は,原 下当時,7歳で,g国民学校2年生であった。自宅は広島県安佐郡亀山村(以下省略。当時)に所在し,母は農業を営み,一家は,畑の野菜等を食べ,小川の水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったとき,学校にいたが,先生の指示により防空壕に避難した後,しばらくして外に出て帰宅する途中,雨が降り出し,濡れながら家に帰った。 原告は,平成8年に胃癌による胃全摘出手術を受けた。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,健康管理手当の支給対象となる細胞増殖機能障害を伴う疾病(胃癌)に罹患していたことからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑶ 原告番号市20ア証拠(甲B市20〔枝番を含む。〕,乙A20)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和11年○月○日生まれであり,原爆投下当時,9歳で,h国民学校4年生であった。自宅は広島県安佐郡亀山村(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営み,一家は,畑の野菜等を食べ,小川の水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったとき,弟と二人で自宅の裏山にいたが,その後,弟と山へ薪を取りに行くときに雨が降り出し,びしょ濡れになって家に帰った。 原告は,現在,変形性脊椎症を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害を伴う疾病(変形性脊椎症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあ り,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害を伴う疾病(変形性脊椎症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑷ 原告番号市23ア証拠(甲B市23〔枝番を含む。〕,乙A23)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和13年○月○日生まれであり,原爆投下当時,7歳で,g国民学校1年生であった。自宅は広島県安佐郡亀山村(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営み,一家は,畑で作った野菜等を食べ,近くの谷の水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったとき,学校にいたが,先生の指示により一旦防空壕に入った後,帰宅する途中,雨が降り出し,濡れながら帰宅した。 原告は,現在,変形性腰椎症を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害を伴う疾病(変形性腰椎症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑸ 原告番号市40ア証拠(甲B市40〔枝番を含む。〕,乙A40,原告本人)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和12年○月○日生まれであり,原爆投下当時,7歳で,g国民学校2年生であった。自宅は広島県安佐郡亀山村(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営み,一家は,畑で作った野菜等を食べ,川の水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったとき,学校にいたが,先生の指示により一旦防空壕に入った後,帰宅する途中,雨が降 親は農業を営み,一家は,畑で作った野菜等を食べ,川の水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったとき,学校にいたが,先生の指示により一旦防空壕に入った後,帰宅する途中,雨が降り出し,濡れながら帰宅した。 原告は,現在,慢性甲状腺炎,甲状腺機能低下症を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害を伴う疾病(慢性甲状腺炎,甲状腺機能低下症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑹ 原告番号市48ア証拠(甲B市48〔枝番を含む。〕,乙A48)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和11年○月○日生まれであり,原爆投下当時,9歳で,h国民学校4年生であった。自宅は広島県安佐郡亀山村(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営み,畑で作った野菜等を食べ,川の水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったとき,自宅で妹と弟の子守をしていたところ,母に言われ山裾に掘った横穴に避難し,その後,自宅に戻る際に,雨が降っていて濡れた。 原告は,現在,慢性間質性肺炎,骨粗鬆症を患っていたが,令和元年○月○日に死亡した。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる呼吸器機能障害を伴う疾病(慢性間質性肺炎),運動器機能障害を伴う疾病(骨粗鬆症)に罹患していたことからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の 健康管理手当の支給対象となる呼吸器機能障害を伴う疾病(慢性間質性肺炎),運動器機能障害を伴う疾病(骨粗鬆症)に罹患していたことからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ウなお,原告については,承継人番号市48が訴訟承継した。 ⑺ 原告番号市52ア証拠(甲B市52〔枝番を含む。〕,乙A52)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和12年○月○日生まれであり,原爆投下当時,8歳で,h国民学校3年生であった。自宅は広島県安佐郡亀山村(以下省略。当時)に所在し,家は農業を営み,一家は,畑で作った野菜等を食べ,川の水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったときは学校にいたが,帰宅してからしばら くすると,雨が降り出したことから,自宅近くの田んぼで草取りをしていた母に蓑を持って行き,びしょ濡れになった。 原告は,平成31年に白内障の手術をし,現在,慢性虚血性心疾患を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,かつて,健康管理手当の支給対象となる水晶体混濁による視機能障害を伴う疾病(両白内障)に罹患し,現在,循環器機能障害を伴う疾病(慢性虚血性心疾患)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑻ 原告番号県4ア証拠(甲B県4〔枝番を含む。〕,乙B4)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和16年○月○日生まれであり,原爆投下当時,4歳であった。自宅は広島県安佐郡亀山村(以下省略。当 証拠(甲B県4〔枝番を含む。〕,乙B4)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和16年○月○日生まれであり,原爆投下当時,4歳であった。自宅は広島県安佐郡亀山村(以下省略。当時)に所在し,母は農業を営み,一家は,畑で作った野菜等を食べ,川の水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったとき,自宅の庭で遊んでいたが,その後,雨が降り出したことから,家に入った。 原告は,現在,変形性腰椎症を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害を伴う疾病(変形性腰椎症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 5 殿賀村の原告らについて⑴ 殿賀村について殿賀村は,南東側の一部地域を除いて宇田雨域に含まれていないところ,これは,主として,殿賀村西調子の住民から,「大粒の雨がばらばら降った。雷鳴もした。紙片が飛んできた。」旨の供述がされ(乙1・135頁),戸河内町国民学校において,「窓が真っ赤になって焼けた紙がたくさん河に落ちた。それを皆が『ビラだー』と拾った。」旨の作文が存した(甲A6 9,70・83頁)が,そこに雨が降ったとの記載がなかったことに基づくものと考えられ,基礎となった聞き取り調査の数は極めて乏しい。 他方で,増田による調査においては,杉ノ泊など西調子以外の地域においても,複数の住民が降雨があった旨回答していて(甲A35の2・25ないし27頁),殿賀村は,増田雨域に含まれ,大瀧雨域にも含まれている。 加えて,原爆投下当時, 泊など西調子以外の地域においても,複数の住民が降雨があった旨回答していて(甲A35の2・25ないし27頁),殿賀村は,増田雨域に含まれ,大瀧雨域にも含まれている。 加えて,原爆投下当時,殿賀村に所在した原告番号県12は,本人尋問において,要旨,学校で朝礼を終えた後,田んぼで草取りをする際に雨が降り出したと供述する(原告番号県12本人)ところ,被告ら代理人の反対尋問を経ても,雨が降ったという同供述の核心部分を信用できないとする事情は窺われない。そして,原告番号県12以外の殿賀村の原告らについても,雨が降った旨の陳述書の内容に不自然不合理な点はないから,陳述書作成時点において既に原爆投下から70年以上が経過していたことを踏まえても,その核心部分は相応の信用性を備えている。 以上によれば,殿賀村に「黒い雨」が降ったことを認定できるのであって,同地域が宇田雨域に含まれないことはこれを左右するものでなく,殿賀村に所在した原告らについて,以下のとおり認定することができる。 ⑵ 原告番号県9ア証拠(甲B県9〔枝番を含む。〕,乙B9)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和11年○月○日生まれであり,原爆投下当時,9歳で,i国民学校に通っていた。原告は,広島県山県郡加計町(以下省略。当時)の祖父母宅に疎開していた。 原告は,原爆投下があったとき,学校にいたが,先生の指示により帰宅している途中,雨が降り出し,濡れながら帰った。 原告は,現在,白内障,両側変形性膝関節症を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる水晶体混濁による視機能障害(白内障),運動器機能障害を伴う疾病(両側変 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる水晶体混濁による視機能障害(白内障),運動器機能障害を伴う疾病(両側変形性膝関節症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑶ 原告番号県12 ア証拠(甲B県12〔枝番を含む。〕,甲B県31の1,乙B12,原告本人)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和8年○月○日生まれであり,原爆投下当時,11歳で,j国民学校6年生であった。自宅は広島県山県郡殿賀村(以下省略。当時)に所在し,家は農業を営んでいた。 原告は,原爆投下があったときは学校にいたが,その後,田んぼの草取りをしていた際,雨が降り出し,濡れながら草取りを続けた。 原告は,平成3年及び平成20年に甲状腺癌による甲状腺切除手術を受けた。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,健康管理手当の支給対象となる細胞増殖機能障害を伴う疾病(甲状腺癌)に罹患していたことからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑷ 原告番号県31ア証拠(甲B県31〔枝番を含む。〕,甲B県12の1,2,乙B31,原告番号県12本人)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和8年○月○日生まれであり,原爆投下当時,12歳で,j国民学校6年生であった。原告は,父の実家である広島県山県郡殿賀村(以下省略。当時)に疎開しており,一家は農業を営んでいた。 原告は,昭和8年○月○日生まれであり,原爆投下当時,12歳で,j国民学校6年生であった。原告は,父の実家である広島県山県郡殿賀村(以下省略。当時)に疎開しており,一家は農業を営んでいた。 原告は,原爆投下があったときは学校にいたが,その後,田んぼの草取りをしていた際,雨が降り出し,濡れながら草取りを続けた。 原告は,現在,高血圧性心疾患を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる循環器機能障害を伴う疾病(高血圧性心疾患)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 6 安野村(水内村宇佐・久日市の各地区を含む)の原告らについて⑴ 安野村(水内村宇佐・久日市の各地区を含む)について安野村は,全域が宇田雨域に含まれ,また,増田雨域及び大瀧雨域に含まれている。 加えて,原爆投下当時,安野村船場地区にいた原告番号市2,安野村澄合地区にいた原告番号県1,及び安野村坪野地区にいた原告番号県20は,それぞれ本人尋問において,原爆投下があった後,雨が降ったなどと供述する(原告番号市2,県1,県20各本人)ところ,被告ら代理人の反対尋問を経ても,雨が降ったという同供述の核心部分を信用できないとする事情は窺われない。そして,前記原告ら以外の安野村(水内村宇佐・久日市の各地区を含む)の原告らについても,雨が降った旨の陳述書等の内容に不自然不合理な点はないから,陳述書等作成時点において既に原爆投下から70年以上が経過していたことを踏まえても,その核心部分は相応の信用性を備えている。 以上によ ,雨が降った旨の陳述書等の内容に不自然不合理な点はないから,陳述書等作成時点において既に原爆投下から70年以上が経過していたことを踏まえても,その核心部分は相応の信用性を備えている。 以上によれば,安野村(水内村宇佐・久日市の各地区を含む)に「黒い雨」が降ったことを認定できるのであって,同地域に所在した原告らについて,以下のとおり認定することができる。 ⑵ 安野村大字穴(船場地区)の原告らについてア原告番号市2 証拠(甲B市2〔枝番を含む。〕,甲B市5の1,2,乙A2,原告本人)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和17年○月○日生まれであり,原爆投下当時,3歳であった。自宅は広島県山県郡安野村船場(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営み,畑で作った野菜等を食べ,井戸水を利用して生活していた。 b 原告は,原爆投下があったときは母と自宅にいたが,その後,隣家のAとともに河原へ行ったところ,雨が降ってきた(なお,交付申請書〔乙A2〕には,原爆投下当時は河原にいた旨の記載があるが,原告は当時の記憶が断片的にしか残っていないこと(原告本人12頁)などからすれば,陳述書及び原告本人の供述に基づき,前記のとおり認定すべきである。)。 c 原告は,現在,前立腺癌,脳梗塞,白内障を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる細胞増殖機能障害を伴う疾病(前立腺癌),脳血管障害を伴う疾病(脳梗塞),水晶体混濁による視機能障害を伴う疾病(白内障)に罹患してい ることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下 を伴う疾病(脳梗塞),水晶体混濁による視機能障害を伴う疾病(白内障)に罹患してい ることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 イ原告番号市5 証拠(甲B市5〔枝番を含む。〕,甲B市2の1,2,乙A5,原告番号市2本人)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和15年○月○日生まれであり,原爆投下当時,5歳であった。自宅は広島県山県郡安野村船場(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営み,畑で作った野菜等を食べ,井戸水を利用して生活していた。 b 原告は,原爆投下があったとき,自宅近くの河原で遊んでいたところ,しばらくして雨が降ってきたことから,家に帰った。 c 原告は,現在,白内障を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる水晶体混濁による視機能障害を伴う疾病(白内障)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ウ原告番号市30 証拠(甲B市30〔枝番を含む。〕,甲B市31の1,2,乙A30)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和12年○月○日生まれであり,原爆投下当時,8歳で,k国民学校2年生であった。自宅は広島県山県郡安野村船場(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営み,畑で作った野菜等を食べ,井戸水を利用して生活していた。 b 原告は,原爆投下があったとき,谷に「むしお」を採りに行っていたところ,その後,家に帰る途中, 時)に所在し,両親は農業を営み,畑で作った野菜等を食べ,井戸水を利用して生活していた。 b 原告は,原爆投下があったとき,谷に「むしお」を採りに行っていたところ,その後,家に帰る途中,雨が降り出し,濡れながら帰宅した。 c 原告は,現在,変形性腰椎症を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害を伴う疾病(変形性腰椎症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響 を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 エ原告番号市31 証拠(甲B市31〔枝番を含む。〕,甲B市30の1,2,乙A31)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和11年○月○日生まれであり,原爆投下当時,9歳で,k国民学校4年生であった。自宅は広島県山県郡安野村船場(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営み,畑で作った野菜等を食べ,井戸水を利用して生活していた。 b 原告は,原爆投下があったとき,谷に「むしお」を採りに行っていたところ,その後,家に帰る途中,雨が降り出し,濡れながら帰宅した。 c 原告は,平成11年に甲状腺癌の手術を受け,現在,甲状腺機能低下症,骨粗鬆症を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,かつて,健康管理手当の支給対象となる細胞増殖機能障害を伴う疾病(甲状腺癌)に罹患し,現在,内分泌腺機能障害を伴う疾病(甲状腺機能低下症),運動器機能障害を伴う疾病(骨粗鬆症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法 となる細胞増殖機能障害を伴う疾病(甲状腺癌)に罹患し,現在,内分泌腺機能障害を伴う疾病(甲状腺機能低下症),運動器機能障害を伴う疾病(骨粗鬆症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 オ原告番号市32 証拠(甲B市32〔枝番を含む。〕,甲B市42の1,2,乙A32)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和18年○月○日生まれであり,原爆投下当時,2歳であった。自宅は広島県山県郡安野村大字穴船場(以下省略。当時)に所在し,一家は,井戸水や川の水を利用して生活していた。 b 原告は,原爆投下があった後,姉とともに自宅近くの山に空から降ってきた紙切れを拾いに行ったところ,その際に雨が降っていた。 c 原告は,平成4年に甲状腺癌による甲状腺摘出手術を受け,現在,変形性脊椎症を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,かつて,健康管理手当の支給対象となる細 胞増殖機能障害を伴う疾病(甲状腺癌)に罹患し,現在,運動器機能障害を伴う疾病(変形性脊椎症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 カ原告番号市33 証拠(甲B市33〔枝番を含む。〕,乙A33)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和9年○月○日生まれであり,原爆投下当時,10歳で,k国民学校5年生であった。自宅は広島県山県郡安野村大字穴船場(以下省略。当時)に所在し,一家は,自宅近くで採れた野菜等を a 原告は,昭和9年○月○日生まれであり,原爆投下当時,10歳で,k国民学校5年生であった。自宅は広島県山県郡安野村大字穴船場(以下省略。当時)に所在し,一家は,自宅近くで採れた野菜等を食べ,川の水を利用して生活していた。 b 原告は,原爆投下があったとき,「むしお」を採りに行っていたが,その後しばらくしてから,雨が降り出した(なお,交付申請書〔乙A33〕には,自宅前の太田川に泳ぎに行っていた旨の記載があるが,原告の陳述内容,他のk国民学校に在籍していた原告らの陳述内容からすれば,前記のとおり認定できる。)。 c 原告は,平成13年及び平成17年に白内障の手術を受けた。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,かつて,健康管理手当の支給対象となる水晶体混濁による視機能障害を伴う疾病(白内障)に罹患していたことからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 キ原告番号市34 証拠(甲B市34の1,2,乙A34)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和9年○月○日生まれで,原爆投下当時,11歳で,k国民学校5年生であり,自宅は広島県山県郡安野村大字穴船場(以下省略。当時)に所在していた。 b 原告は,原爆投下があったとき,谷沿いで「むしお」を採っていたが,その後帰宅途中に雨が降り始め,帰宅後には,焼けた紙や出席簿の表紙などが空から降ってきた。 c 原告は,遅くとも本件口頭弁論終結時までの間に,橋本病により甲 状腺を手術した(原告につきこれに副う診断書の証拠提出はないが,弁論の全趣旨によ 紙などが空から降ってきた。 c 原告は,遅くとも本件口頭弁論終結時までの間に,橋本病により甲 状腺を手術した(原告につきこれに副う診断書の証拠提出はないが,弁論の全趣旨によれば,そのように認定できる。)。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害を伴う疾病(橋本病)に罹患していたことからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ク原告番号市42 証拠(甲B市42〔枝番を含む。〕,甲B市32の1,2,乙A42)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和10年○月○日生まれであり,原爆投下当時,10歳で,k国民学校4年生であった。自宅は広島県山県郡安野村大字穴船場(以下省略。当時)に所在し,一家は,井戸水や川の水を利用して生活していた。 b 原告は,原爆投下があったとき,谷に「むしお」を採りに行っていたが,その後,雨が降り出したことから,濡れながら帰宅した。 c 原告は,平成19年に甲状腺癌による甲状腺全摘出手術を受けた。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,健康管理手当の支給対象となる細胞増殖機能障害を伴う疾病(甲状腺癌)に罹患していたことからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ケ原告番号県11 証拠(甲B県11〔枝番を含む。〕,乙B11)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和9年○月○日生 な事情の下にあった者」に該当する。 ケ原告番号県11 証拠(甲B県11〔枝番を含む。〕,乙B11)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和9年○月○日生まれであり,原爆投下当時,10歳で,k国民学校5年生であった。自宅は広島県山県郡安野村船場(以下省略。当時)に所在していた。 b 原告は,原爆投下があったとき,「むしお」を採りに行っていたところ,帰宅後しばらくすると,雨が降ってきた。 c 原告は,現在,両手指変形性関節症を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において, 「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害を伴う疾病(両手指変形性関節症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑶ 安野村大字穴(澄合,早木,芦杉,本郷,修道の各地区)の原告らについてア原告番号市4 証拠(甲B市4〔枝番を含む。〕,甲B県6の1,乙A4)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和15年○月○日生まれであり,原爆投下当時,5歳であった。自宅は広島県山県郡安野村大字穴字澄合(以下省略。当時)に所在し,一家は,畑で作った芋や野菜等を食べ,谷水を利用して生活していた。 b 原告は,原爆投下があった後,妹(原告番号県6)とともに芋畑から自宅に帰っていたところ,雨が降り出し,濡れながら帰った。 c 原告は,現在,狭心症を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手 降り出し,濡れながら帰った。 c 原告は,現在,狭心症を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる循環器機能障害を伴う疾病(狭心症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 イ原告番号市56 証拠(甲B市56〔枝番を含む。〕,乙A56)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和4年○月○日生まれであり,原爆投下当時,16歳で,k青年学校本科3年生で,農業の手伝いもしていた。自宅は広島県山県郡安野村大字穴(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営んでいた。 b 原告は,原爆投下があったとき,自宅近くの広場で麦の出荷準備を見ていたところ,その後,雨が降り出したことから,濡れながら帰宅した。 c 原告は,現在,糖尿病,高血圧性心疾患を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害を伴う疾病(糖尿病),循環器機能障害を伴う疾病(高血圧性心疾患)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ウ原告番号県1 証拠(甲B県1〔枝番を含む。〕,乙B1)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,大正14年○月○日生まれであり,原爆投下当時,20歳であった。自宅は広島県山県郡安野村大字穴(以下省略。当時)に所在し,父は薪 ,乙B1)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,大正14年○月○日生まれであり,原爆投下当時,20歳であった。自宅は広島県山県郡安野村大字穴(以下省略。当時)に所在し,父は薪炭業を営んでいた。 b 原告は,原爆投下があったとき,自宅近くの叔父宅前の路上で話をしていたが,その後帰宅して睡眠をとっていたところ,その間,外では雨が降っていた。 原告は,その後も,山で採った熊笹を用いて笹茶を飲んでいた。 c 原告は,現在,悪性貧血,両側変形性股関節症を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる造血機能障害を伴う疾病(悪性貧血),運動器機能障害を伴う疾病(両側変形性股関節症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 エ原告番号県6 証拠(甲B県6〔枝番を含む。〕,甲B市4の1,2,乙B6)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和17年○月○日生まれであり,原爆投下当時,3歳であった。自宅は広島県山県郡安野村大字穴字澄合(以下省略。当時)に所在し,一家は,畑で作った芋や野菜等を食べ,谷水を利用して生活していた。 b 原告は,原爆投下があった後,兄(原告番号市4)とともに芋畑から自宅に帰っていたところ,雨が降り出し,濡れながら帰宅した。 c 原告は,現在,白内障,両変形性膝関節症,(骨粗鬆症)骨減少症を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管 c 原告は,現在,白内障,両変形性膝関節症,(骨粗鬆症)骨減少症を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる水晶体混濁による視機能障害を伴う疾病(白内障),運動器機能障害を伴う疾病(両変形性膝関節症,骨減少症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 オ原告番号県13 証拠(甲B県13〔枝番を含む。〕,乙B13)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和11年○月○日に生まれ,原爆投下当時9歳で,k国民学校3年生であった。自宅は広島県山県郡安野村大字穴(以下省略。当時)に所在し,父は農業を営んでいた。 b 原告は,原爆投下があったときは,「むしお」を採りに行っていたところ,その後,雨が降り出し,濡れながら帰宅した。 c 原告は,現在,変形性腰椎症を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害を伴う疾病(変形性腰椎症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 カ原告番号県14 証拠(甲B県14〔枝番を含む。〕,乙B14)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和15年○月○日生まれであり,原爆投下当時,4歳であった。自宅は広島県山県郡安野村大字穴(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営んでいた。 b 原告は,原爆投下があった a 原告は,昭和15年○月○日生まれであり,原爆投下当時,4歳であった。自宅は広島県山県郡安野村大字穴(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営んでいた。 b 原告は,原爆投下があったとき,自宅で弟と遊んでいたところ,その後,家の外に出て,飛んでくる物を拾っていたところ,雨が降り出し,これに濡れた。 c 原告は,現在,変形性腰椎症,両膝変形性関節症を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害を伴う疾病(変形性腰椎症,両膝変形性関節症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 キ原告番号県30 証拠(甲B県30〔枝番を含む。〕,乙B30)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和9年○月○日生まれであり,原爆投下当時,10歳で,l国民学校5年生であった。自宅は広島県山県郡安野村大字穴(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営んでいた。 b 原告は,原爆投下があったときは,学校にいたが,先生の指示により一旦竹藪に避難した後,解散となり帰宅途中,雨が降り出し,濡れながら帰宅した。 c 原告は,現在,糖尿病を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害を伴う疾病(糖尿病)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 支給対象となる内分泌腺機能障害を伴う疾病(糖尿病)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑷ 安野村大字坪野(澄合,宇佐地区),水内大字下(宇佐,久日市)の原告らについてア原告番号市16 証拠(甲B市16〔枝番を含む。〕,甲B市18の1,2,乙A16)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和17年○月○日生まれであり,原爆投下当時,3歳であった。自宅は広島県佐伯郡水内村大字下(以下省略。当時)に所在し,祖父母と母は農業を営み,一家は,畑で作った野菜等を食べ,裏山から引いた水を利用して生活していた。 b 原告は,原爆投下があったとき,家から庭に出たところであり,その後,田んぼで草取りをする母や祖母の近くで,妹(原告番号市18)の子守をしていたところ,雨が降り出したことから,濡れながら 家に帰った。 c 原告は,現在,甲状腺腫瘍(悪性),白内障を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる細胞増殖機能障害を伴う疾病(甲状腺腫瘍(悪性)),水晶体混濁による視機能障害を伴う疾病(白内障)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 イ原告番号市18 証拠(甲B市18〔枝番を含む。〕,甲B市16の1,2,乙A18)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和18年○月○日生まれであり,原爆投下当時,1歳11か月であった。自宅は 証拠(甲B市18〔枝番を含む。〕,甲B市16の1,2,乙A18)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和18年○月○日生まれであり,原爆投下当時,1歳11か月であった。自宅は広島県佐伯郡水内村大字下(以下省略。当時)に所在し,祖父母と母は農業を営み,一家は,畑で作った野菜等を食べ,裏山から引いた水を利用して生活していた。 b 原告は,原爆投下があったとき,家から庭先に出たところであり,その後,田んぼで草取りをする母や祖母の近くで,姉(原告番号市16)と遊んでいたところ,雨が降り出したことから,濡れながら家に帰った。 c 原告は,現在,高血圧性心疾患を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる循環器機能障害を伴う疾病(高血圧性心疾患)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ウ原告番号市36 証拠(甲B市36〔枝番を含む。〕,乙A36)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和16年○月○日生まれであり,原爆投下当時,4歳であった。自宅は広島県山県郡安野村大字坪野字宇佐(当時)に所在し,両親は農業を営み,米,麦,野菜等は自給自足であり,裏山から引いてきた水を利用して生活していた。 b 原告は,原爆投下があったとき,自宅の庭で遊んでいたところ,その後しばらくして,雨が降り出したことから,家の中に入った。 c 原告は,平成24年及び平成27年に白内障の手術を受け,現在,脳梗塞を患っている。 以上のとおり,原 ころ,その後しばらくして,雨が降り出したことから,家の中に入った。 c 原告は,平成24年及び平成27年に白内障の手術を受け,現在,脳梗塞を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,かつて,健康管理手当の支給対象となる水晶体混濁による視機能障害を伴う疾病(白内障)に罹患し,現在,脳血管障害を伴う疾病(脳梗塞)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 エ原告番号市37 証拠(甲B市37〔枝番を含む。〕,甲B県5の1,2,乙A37)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和8年○月○日生まれであり,原爆投下当時,11歳で,m国民学校6年生であった。自宅は広島県佐伯郡水内村宇佐下(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営み,一家は,畑で作った野菜等を食べ,裏山から引いた水を利用して生活していた。 b 原告は,原爆投下があったとき,先生に引率され,畑で農作業をしていたところ,作業が中止となり,一旦帰宅した後,自宅近くの川で遊んでいると,雨が降り出したことから,濡れながら帰宅した。 c 原告は,現在,虚血性脳血管障害を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる脳血管障害を伴う疾病(虚血性脳血管障害)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 オ原告番号市43 証拠(甲B市43〔枝番を いることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 オ原告番号市43 証拠(甲B市43〔枝番を含む。〕,乙A43)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和10年○月○日生まれであり,原爆投下当時,10歳で,n国民学校5年生であった。自宅は広島県佐伯郡水内村大字下(以下省略。当時)に所在し,父は兼業で農業を営み,一家は,畑で 作った野菜等を食べて生活していた。 b 原告は,原爆投下があったとき,大歳神社で授業を受けていたところ,先生の指示で帰宅した後,しばらくしてから雨が降り出した。 c 原告は,上行結腸癌,下行結腸癌,糖尿病,前立腺癌を患っていたが,平成30年○月○日,死亡した。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,健康管理手当の支給対象となる細胞増殖機能障害を伴う疾病(上行結腸癌,下行結腸癌,前立腺癌)に罹患していたことからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 なお,原告については,承継人番号市43が訴訟承継した。 カ原告番号県5 証拠(甲B市37の1,2,甲B県5〔枝番を含む。〕,乙B5)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和17年○月○日生まれであり,原爆投下当時,3歳であった。自宅は広島県佐伯郡水内村宇佐下(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営み,一家は,畑で作った野菜等を食べ,裏山から引いた水を利用して生活していた。 b 原告の自宅周辺では,原爆投下があった 広島県佐伯郡水内村宇佐下(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営み,一家は,畑で作った野菜等を食べ,裏山から引いた水を利用して生活していた。 b 原告の自宅周辺では,原爆投下があった後,雨が降った。 c 原告は,現在,白内障,変形性脊椎症,骨粗鬆症を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる水晶体混濁による視機能障害を伴う疾病(白内障),運動器機能障害を伴う疾病(変形性脊椎症,骨粗鬆症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 キ原告番号県29 証拠(甲B県29〔枝番を含む。〕,乙B29)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和6年○月○日生まれであり,原爆投下当時,14歳であった。自宅は広島県山県郡安野村坪野(以下省略。当時)に所在し,一家は,地元で採れた野菜等を食べ,井戸水を利用して生活して いた。 b 原告は,原爆投下があったとき,「むしお」を採りに行っていたところ,先生の指示により帰宅してから外で遊んでいるとき,雨が降り出した。 c 原告は,現在,両側変形性膝関節症,両側変形性肩関節症を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害を伴う疾病(両側変形性膝関節症,両側変形性肩関節症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当 動器機能障害を伴う疾病(両側変形性膝関節症,両側変形性肩関節症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑸ 安野村大字坪野(坪野・光石地区)の原告らについてア原告番号市53 証拠(甲B市53〔枝番を含む。〕,甲B市54の1,甲B市55の1,甲B県17の1,乙A53)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和8年○月○日生まれであり,原爆投下当時,12歳で,o国民学校6年生であった。自宅は広島県山県郡安野村大字坪野(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営んでいた。 b 原告は,原爆投下があったとき,「むしお」を採りに行っていたところ,しばらくして雨が降り出し,雨宿りをしてから帰宅した。 c 原告は,平成23年頃に胃癌の手術を受け,現在,高血圧性心疾患,糖尿病を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,かつて,健康管理手当の支給対象となる細胞増殖機能障害を伴う疾病(胃癌)に罹患し,現在,内分泌腺機能障害を伴う疾病(糖尿病),循環器機能障害を伴う疾病(高血圧性心疾患)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 イ原告番号市54 証拠((甲B市53の1,甲B市54〔枝番を含む。〕,甲B市55の 1,甲B県17の1,乙A54)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和14年○月○日生まれであり,原爆投下当時,5歳であった。自宅は広島県山県郡安野村大字坪野( 1,甲B県17の1,乙A54)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和14年○月○日生まれであり,原爆投下当時,5歳であった。自宅は広島県山県郡安野村大字坪野(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営んでいた。 b 原告は,原爆投下があったとき,自宅にいたが,その後,弟(原告番号県17)と自宅裏の農道で遊んでいたとき,雨が降り出したことから,濡れながら帰宅した。 c 原告は,現在,糖尿病を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害を伴う疾病(糖尿病)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ウ原告番号市55 証拠(甲B市53の1,甲B市54の1,甲B市55〔枝番を含む。〕,甲B県17の1,乙A55)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和11年○月○日生まれであり,原爆投下当時,9歳であった。自宅は広島県山県郡安野村大字坪野(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営んでいた。 b 原告は,原爆投下があったとき,自宅前で縄跳びをしていたが,その後も外で遊んでいたとき,雨が降ってきた。 c 原告は,平成28年に白内障の手術を受け,現在,動脈硬化性心疾患を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,かつて,健康管理手当の支給対象となる水晶体混濁による視機能障害を伴う疾病(白内障)に罹患し,現在,循環器機能障害を伴う疾病(動脈硬化性心 投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,かつて,健康管理手当の支給対象となる水晶体混濁による視機能障害を伴う疾病(白内障)に罹患し,現在,循環器機能障害を伴う疾病(動脈硬化性心疾患)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 エ原告番号市57 証拠(甲B市57〔枝番を含む。〕,乙A57)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和9年○月○日生まれであり,原爆投下当時,11歳で,o国民学校6年生であった。自宅は広島県山県郡安野村大字坪野(以下省略。当時)に所在し,母は農業を営み,一家は,畑で作った野菜等を食べ,川の水を利用して生活していた。 b 原告は,原爆投下があったとき,「むしお」を採りに行っていたところ,そのうちに雨が降り出してきたことから,濡れながら帰宅した。 c 原告は,現在,腰部脊柱管狭窄症を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害を伴う疾病(腰部脊柱管狭窄症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 オ原告番号県15 証拠(甲B県15〔枝番を含む。〕,乙B15)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和10年○月○日生まれであり,原爆投下当時,10歳で,o国民学校3年生であった。自宅は広島県山県郡安野村字光石(当時)に所在し,両親は農業を営み,一家は,畑で作った野菜等を a 原告は,昭和10年○月○日生まれであり,原爆投下当時,10歳で,o国民学校3年生であった。自宅は広島県山県郡安野村字光石(当時)に所在し,両親は農業を営み,一家は,畑で作った野菜等を食べ,川の水を利用して生活していた。 b 原告は,原爆投下があったとき,「むしお」を採りに行っていたところ,そのうちに雨が降り出してきたことから,濡れながら帰宅した。 c 原告は,現在,慢性腎不全を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる腎臓機能障害を伴う疾病(慢性腎不全)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 カ原告番号県16 証拠(甲B県16〔枝番を含む。〕,乙B16)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和14年○月○日生まれであり,原爆投下当時,5歳であった。自宅は広島県山県郡安野村坪野(以下省略。当時)に所在し,母は農業を営んでいた。 b 原告は,原爆投下があったとき,自宅にある空き地で遊んでいたところ,そのうちに雨が降り出し,濡れたので,家の中に入った。 c 原告は,平成25年頃に膀胱癌の手術を受けた。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,健康管理手当の支給対象となる細胞増殖機能障害を伴う疾病(膀胱癌)に罹患していたことからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 キ原告番 増殖機能障害を伴う疾病(膀胱癌)に罹患していたことからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 キ原告番号県17 証拠((甲B市53の1,甲B市54の1,甲B市55の1,甲B県17〔枝番を含む。〕,乙B17)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和17年○月○日生まれであり,原爆投下当時,2歳9か月であった。自宅は広島県山県郡安野村大字坪野(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営んでいた。 b 原告は,原爆投下があったときは自宅にいたが,その後,姉(原告番号市54)と自宅裏の農道で遊んでいたとき,雨が降り出したことから,濡れながら帰宅した。 c 原告は,現在,糖尿病,高血圧性心疾患を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害を伴う疾病(糖尿病),循環器機能障害を伴う疾病(高血圧性心疾患)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ク原告番号県18 証拠(甲B県18〔枝番を含む。〕,乙B18)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和11年○月○日生まれであり,原爆投下当時,9歳で,o国民学校3年生であった。自宅は広島県山県郡安野村大字坪野 (当時)に所在し,同居の祖父母は農業を営み,一家は,畑で作った野菜等を食べ,井戸水を利用して生活していた。 b 原告は,原爆投下があったときは学校にいたところ,勤労奉仕 野 (当時)に所在し,同居の祖父母は農業を営み,一家は,畑で作った野菜等を食べ,井戸水を利用して生活していた。 b 原告は,原爆投下があったときは学校にいたところ,勤労奉仕の作業終了後も校舎内にいると,雨が降り出し,濡れながら家に帰った。 c 原告は,平成30年○月○日,急性心筋梗塞により死亡した。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,健康管理手当の支給対象となる循環器機能障害を伴う疾病(急性心筋梗塞)に罹患していたことからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 なお,原告については,承継人番号県18-1,同18-2及び同18-3が訴訟承継した。 ケ原告番号県19 証拠(甲B県19〔枝番を含む。〕,乙B19)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和7年○月○日生まれであり,原爆投下当時,13歳で,k尋常高等小学校高等科2年生であった。自宅は広島県山県郡安野村大字坪野(以下省略。当時)に所在し,一家は,畑で作った野菜等を食べ,自宅近くの谷水を利用して生活していた。 b 原告は,原爆投下があったとき,「むしお」を採りに行っていたところ,そのうちに雨が降り始めた。 c 原告は,現在,白内障,右放線冠脳梗塞を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる脳血管障害を伴う疾病(右放線冠脳梗塞),水晶体混濁による視機能障害を伴う疾病(白内障)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1 い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる脳血管障害を伴う疾病(右放線冠脳梗塞),水晶体混濁による視機能障害を伴う疾病(白内障)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 コ原告番号県20 証拠(甲B県20〔枝番を含む。〕,乙B20)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和12年○月○日生まれであり,原爆投下当時,8歳 で,o国民学校2年生であった。自宅は広島県山県郡安野村大字坪野(当時)に所在し,一家は,畑で作った野菜等を食べ,井戸水を利用して生活していた。 b 原告は,原爆投下があったとき,学校にいたところ,先生の指示で帰宅した後,母の畑仕事を手伝っていると,雨が降り出し,濡れながら帰宅した。 c 原告は,平成22年に食道癌の手術を,平成25年に胃癌の手術を受けた。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,健康管理手当の支給対象となる細胞増殖機能障害を伴う疾病(食道癌,胃癌)に罹患していたことからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 サ原告番号県21 証拠(甲B県21〔枝番を含む。〕,乙B21)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和8年○月○日生まれであり,原爆投下当時,12歳で,k国民学校高等科1年生であった。自宅は広島県山県郡安野村坪野(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営んでいた。 b 原告は,原爆投下があったとき,「むしお」を採りに 下当時,12歳で,k国民学校高等科1年生であった。自宅は広島県山県郡安野村坪野(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営んでいた。 b 原告は,原爆投下があったとき,「むしお」を採りに行く道中であったが,帰宅することとなり,自宅にいると,そのうち雨が降り出した。 c 原告は,現在,小脳梗塞を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる脳血管障害を伴う疾病(小脳梗塞)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 シ原告番号県22 証拠(甲B県22〔枝番を含む。〕,乙B22)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,大正13年○月○日生まれであり,原爆投下当時,21歳 で,家族とともに農業を営んでいた。自宅は広島県山県郡安野村坪野(以下省略。当時)に所在していた。 b 原告は,原爆投下があったとき,畑で草取りをしていたところ,草取りを続けているうちに雨が降り始めたことから,帰宅した。 c 原告は,現在,糖尿病,虚血性心疾患を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害を伴う疾病(糖尿病),循環器機能障害を伴う疾病(虚血性心疾患)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ス原告番号県23 証拠(甲B県23〔枝番を いることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ス原告番号県23 証拠(甲B県23〔枝番を含む。〕,乙B23)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和17年○月○日生まれであり,原爆投下当時,3歳であった。自宅は広島県山県郡安野村坪野(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営み,一家は,畑で作った野菜等を食べ,井戸水を利用して生活していた。 b 原告は,原爆投下があったときは,家の前で遊んでいたが,その後,自宅周辺でも雨が降った。 c 原告は,現在,頚椎症性神経根症,両変形性膝関節症を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害を伴う疾病(頚椎症性神経根,両変形性膝関節症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 セ原告番号県24 証拠(甲B県24〔枝番を含む。〕,乙B24)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和14年○月○日生まれであり,原爆投下当時,5歳であった。自宅は広島県山県郡安野村坪野(以下省略。当時)に所在 し,両親は農業を営み,一家は,畑で作った野菜等を食べ,自宅裏の湧水を利用し生活していた。 b 原告は,原爆投下があったとき,自宅の中にいたところ,その後,o国民学校に空から落ちてくる紙きれを拾いに行った際には雨が降っていた。 c 原告は,現在,糖尿病,虚血性心疾患,高血圧性心疾 原告は,原爆投下があったとき,自宅の中にいたところ,その後,o国民学校に空から落ちてくる紙きれを拾いに行った際には雨が降っていた。 c 原告は,現在,糖尿病,虚血性心疾患,高血圧性心疾患を患っている。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害を伴う疾病(糖尿病),循環器機能障害を伴う疾病(虚血性心疾患,高血圧性心疾患)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ソ原告番号県27 証拠(甲B県27〔枝番を含む。〕,乙B27)によれば,次の事実が認められる。 a 原告は,昭和11年○月○日生まれであり,原爆投下当時,9歳で,o国民学校に通学していた。自宅は広島県山県郡安野村坪野(以下省略。当時)に所在し,一家は,水路の水を利用して生活していた。 b 原告は,原爆投下があったとき,食草の採取をしていたが,食草採取は中止となり,学校に戻って校庭にいたところ,雨が降り始め,これに濡れた。 c 原告は,平成31年○月○日,尿管結石性腎盂腎炎に伴う敗血症により,死亡した。 以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,健康管理手当の支給対象となる腎臓機能障害を伴う疾病(尿管結石)に罹患していたことからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 なお,原告については,承継人番号県27が訴訟承継した。 7 筒賀村の原告について 条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 なお,原告については,承継人番号県27が訴訟承継した。 7 筒賀村の原告について⑴ 筒賀村について筒賀村のうち,筒賀村の原告らが所在したと主張する場所は,いずれも宇田雨域に含まれ,また,増田雨域及び大瀧雨域に含まれている。 加えて,原爆投下当時,筒賀村にいた原告番号県25は,本人尋問において,要旨,隣家の庭で遊んでいると,ぴかっと光り大きな音があってしばらくした後,畑にいた際に,雨が降ってきたと供述する(原告番号県27本人)ところ,被告ら代理人の反対尋問を経ても,雨が降ったという同供述の核心部分を信用できないとする事情は窺われない。そして,原告番号県26についても,雨が降った旨の陳述書の内容に不自然不合理な点はないから,陳述書作成時点において既に原爆投下から70年以上が経過していたことを踏まえても,その核心部分は相応の信用性を備えている。 以上によれば,筒賀村に「黒い雨」が降ったことを認定できるのであって,同地域に所在した原告らについて,以下のとおり認定することができる。 ⑵ 原告番号県25ア証拠(甲B県25〔枝番を含む。〕,甲B県26の1,乙B25,原告本人)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和13年○月○日生まれであり,原爆投下当時,7歳で,p国民学校1年生であった。自宅は広島県山県郡筒賀村(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営み,一家は,畑で作った野菜等を食べ,川の水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったときは自宅の隣家の庭で話をしていたが,その後,畑にいたときに雨が降り出した。 原告は,現在,糖尿病を患 等を食べ,川の水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったときは自宅の隣家の庭で話をしていたが,その後,畑にいたときに雨が降り出した。 原告は,現在,糖尿病を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害を伴う疾病(糖尿病)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑶ 原告番号県26ア証拠(甲B県25の1,甲B県26〔枝番を含む。〕,乙B26,原告番 号県25本人)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和20年○月○日生まれであり,原爆投下当時,生後8か月であった。自宅は広島県山県郡筒賀村(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営み,一家は,畑で作った野菜等を食べ,川の水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったときは自宅の隣家の庭で母に背負われていたが,その後,自宅周辺には雨が降った。 原告は,現在,2型糖尿病を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害を伴う疾病(2型糖尿病)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 8 吉坂村(都谷村を含む)の原告について⑴ 吉坂村(都谷村を含む)について吉坂村(都谷村を含む)は,南西側の一部地域を除いて宇田雨域に含まれていないところ,これ に該当する。 8 吉坂村(都谷村を含む)の原告について⑴ 吉坂村(都谷村を含む)について吉坂村(都谷村を含む)は,南西側の一部地域を除いて宇田雨域に含まれていないところ,これは,主として,都谷村長笹の住民から,「黒い色の小雨が降った」旨の供述がされ(乙1・135頁),これを北限として線引きをしたことに基づくものであると考えられ(なお,別図表1中に「戸坂」とあるのは,前記供述を基に記載したものと解される。),基礎となった聞き取り調査の数は極めて乏しい。 他方で,増田による調査においては,戸谷地区本郷など長笹以外の地域においても,複数の住民が降雨があった旨回答していて(甲A35の2・1ないし9頁),吉坂村(都谷村を含む)は,概ね,増田雨域に含まれ,大瀧雨域にも含まれている。 加えて,原爆投下当時,吉坂村に所在した原告番号市50は,陳述書において,要旨,当時の記憶はないが,両親から,自宅辺りにも雨が降ったことや紙片など色々な物が飛んできたことを聞いていると記載する(甲B市50の1)ところ,当時町会議員をしていた父は,昭和40年頃に刊行された「ああ広島の原爆」と題する書籍における「吉坂村で体験した原爆」と題する手記において,「小夕立」があったことを記載している(甲B市50の2)。 これらからすれば,前記陳述書作成時点において既に原爆投下から70年以上が経過していたことを踏まえても,その核心部分は相応の信用性を備えているというべきである。 以上によれば,吉坂村(都谷村を含む)に「黒い雨」が降ったことを認定できるのであって,同地域が宇田雨域に含まれないことはこれを左右するものでなく,吉坂村(都谷村を含む)に所在した原告について,以下のとおり認定することができる。 ⑵ 原告番号 降ったことを認定できるのであって,同地域が宇田雨域に含まれないことはこれを左右するものでなく,吉坂村(都谷村を含む)に所在した原告について,以下のとおり認定することができる。 ⑵ 原告番号市50ア証拠(甲B市50〔枝番を含む。〕,乙A50)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和17年○月○日生まれであり,原爆投下当時,3歳であった。自宅は広島県山県郡吉坂村(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営み(なお,父は町会議員もしていた。),畑で作った野菜等を食べ,山の水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったとき,家の近くの畑に出かけていたが,その後,自宅周辺に雨が降った。 原告は,現在,糖尿病を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害を伴う疾病(糖尿病)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 9 緑井村の原告について⑴ 緑井村について緑井村は,概ね宇田雨域には含まれていないところ,これは,主として,緑井村周辺で雨が降ったとの供述がされなかったこと(乙1・128頁)に基づくものと考えられるが,その基礎となった聞き取り調査の数は乏しい。 しかしながら,増田による調査においては,緑井村に接する川内村においても,複数の住民が降雨があった旨回答していて(甲A35の1・125頁),緑井村は,増田雨域に含まれ,大瀧雨域にも含まれている。さらに,前記4記載のとおり,爆心地からみて,緑井村よりもさらに北方にある亀山村においても,降雨 った旨回答していて(甲A35の1・125頁),緑井村は,増田雨域に含まれ,大瀧雨域にも含まれている。さらに,前記4記載のとおり,爆心地からみて,緑井村よりもさらに北方にある亀山村においても,降雨があったと認められる。 加えて,原爆投下当時,緑井村にいた原告番号県28は,陳述書において,要旨,当時の記憶はないが,母から,母が田んぼにいた祖母や原告番号県28を探しに行き,見つけて帰宅した頃,雨が降っていたなどと記載している(原告番号県28の1)ところ,雨が降った旨の陳述書の内容に不自然,不合理な点はない。 これらからすれば,前記陳述書作成時点において既に原爆投下から70年以上が経過していたことを踏まえても,その核心部分は相応の信用性を備えているというべきである。 以上によれば,緑井村に「黒い雨」が降ったことを認定できるのであって,同地域が宇田雨域に含まれないことはこれを左右するものでなく,緑井村に所在した原告について,以下のとおり認定することができる。 ⑵ 原告番号県28ア証拠(甲B県28〔枝番を含む。〕,乙B28)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和16年○月○日生まれであり,原爆投下当時,4歳であった。自宅は広島県安佐郡緑井村(以下省略。当時)に所在し,一家は,川の水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったとき,祖母に連れられ自宅近くの田んぼに行っていたが,その後,母に連れられ帰宅した頃,雨が降ってきた。 原告は,現在,両変形性膝関節症を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害を伴う疾病(両変形性膝関節症)に罹患して ている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害を伴う疾病(両変形性膝関節症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 10 小河内村の原告について⑴ 小河内村について小河内村は,概ね全域が宇田雨域に含まれており,また,増田雨域及び大瀧雨域にも含まれている。 加えて,原爆投下当時,小河内村に所在した原告番号市29は,陳述書において,要旨,当時,自宅近くの山に「むしお」を採りに行っていた,近くに爆弾が落ちたと思って,「むしお」採りをやめ,帰宅した,帰宅してしば らくしてから,友達と太田川で遊んでいると,急に雨が降り出した旨記載する(甲B市29の1)ところ,雨が降った旨の陳述書の内容に不自然不合理な点はない。 これらからすれば,前記陳述書作成時点において既に原爆投下から70年以上が経過していたことを踏まえても,その核心部分は相応の信用性を備えているというべきである。 以上によれば,小河内村に「黒い雨」が降ったことを認定できるのであって,同地域が一部宇田雨域に含まれないことはこれを左右するものでなく,小河内村に所在した原告について,以下のとおり認定することができる。 ⑵ 原告番号市29ア証拠(甲B市29〔枝番を含む。〕,乙A29)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和10年○月○日生まれであり,原爆投下当時,9歳で,q国民学校r分校4年生であった。自宅は広島県安佐郡小河内村(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営み,一家は,自宅裏の山の湧水を利用して生活していた ○月○日生まれであり,原爆投下当時,9歳で,q国民学校r分校4年生であった。自宅は広島県安佐郡小河内村(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営み,一家は,自宅裏の山の湧水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったとき,「むしお」を採りに行っていたところ,作業が中止となり,一旦帰宅後,自宅近くの太田川で遊んでいるとき,雨が降り出した。 原告は,現在,脳梗塞を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる脳血管障害を伴う疾病(脳梗塞)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 11 河内村の原告について⑴ 河内村について河内村は,東側の一部が宇田雨域(うち,魚切,中郷,下城,上小深川及び下小深川は宇田強雨域に含まれ,第一種健康診断特例区域に指定されている。)に含まれているにすぎないが,これは,主として,井口村,五日市村,観音村では雨が降ったとの供述が得られなかったこと(乙1・130,131頁。なお,観音村では,雨が降らなかったとの供述が得られてい た。)から,砂谷村,水内村などの聞き取り調査結果との整合性も踏まえ,降雨域の線引きを行ったことに基づくものと考えられるが,その基礎となった聞き取り調査の数は極めて乏しい。 他方で,原爆投下当時の佐伯郡河内村は,昭和30年4月1日,五日市町・観音村・八幡村・石内村・河内村の五か町村が合併して,五日市町となったところ,昭和46年11月6日に広島市が刊行した「広島原爆戦災誌第四巻」第二編第五章第二節第六項「佐伯郡五日市町」(甲A7 市町・観音村・八幡村・石内村・河内村の五か町村が合併して,五日市町となったところ,昭和46年11月6日に広島市が刊行した「広島原爆戦災誌第四巻」第二編第五章第二節第六項「佐伯郡五日市町」(甲A75の目次,甲A89・724~734頁)には,原爆投下時の閃光,爆風,衝撃波の記載に続いて,以下の記述がある。 「午前十時半ごろから,約一時間にわたって紙や布の破片が,龍巻のあとのように,灰や塵と一緒になって,町全域に降って来た。 また,二,三時間後,雨が強く降りはじめ,かなり長く降り続いた。」また,増田による調査においては,河内村下河内の複数の住民が降雨があった旨回答していて(甲A35の1・141頁),河内村は,増田雨域に含まれ,大瀧雨域にも含まれている。その上,前記1記載のとおり,爆心地からみて,河内村よりもさらに西方にある砂谷村においても,降雨があったと認められる。 加えて,原爆投下当時,河内村に所在した原告番号市12は,陳述書において,要旨,当時,家の外の道で絵を描いていた,紙や燃えカスが飛んできた後,黒い雨が降った,姉たちがびしょ濡れになって学校から帰ってきたと記載する(甲B市12の1)ところ,雨が降った旨の陳述書の内容に不自然,不合理な点はない。 これらからすれば,前記陳述書作成時点において既に原爆投下から70年以上が経過していたことを踏まえても,その核心部分は相応の信用性を備えているというべきである。 以上によれば,河内村に「黒い雨」が降ったことを認定できるのであって,同地域が宇田雨域に含まれないことはこれを左右するものでなく,河内村に所在した原告について,以下のとおり認定することができる。 ⑵ 原告番号市12ア証拠(甲B市12〔枝番を含む。〕,乙A12)によれば,次の事実が とはこれを左右するものでなく,河内村に所在した原告について,以下のとおり認定することができる。 ⑵ 原告番号市12ア証拠(甲B市12〔枝番を含む。〕,乙A12)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和17年○月○日生まれであり,原爆投下当時,3歳であった。自宅は広島県佐伯郡河内村(以下省略。当時)に所在していた。 原告は,原爆投下があったとき,自宅の外の道で絵を描いていたところ,そのうちに雨が降り,姉たちがびしょ濡れになって学校から帰ってきた。 原告は,現在,2型糖尿病,甲状腺機能低下症を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害を伴う疾病(2型糖尿病,甲状腺機能低下症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 12 八幡村の原告らについて⑴ 八幡村について八幡村は,東側の一部が宇田雨域(うち,利松,口和田及び高井は宇田強雨域に含まれ,第一種健康診断特例区域に指定されている。)に含まれているにすぎない。 しかしながら,前記11⑴で説示したところに加え,増田による調査においては,宇田雨域に含まれていない地域の八幡村の複数の住民が降雨があった旨回答していて(甲A35の1・142ないし144頁),八幡村は,増田雨域に含まれ,大瀧雨域にも含まれている。 加えて,原爆投下当時,八幡村にいた原告番号市11は,本人尋問において,要旨,当時家の前の汲み路で砂遊びをしていた,自身は濡れなかったが,郵便局に勤めていた兄が土砂降りに も含まれている。 加えて,原爆投下当時,八幡村にいた原告番号市11は,本人尋問において,要旨,当時家の前の汲み路で砂遊びをしていた,自身は濡れなかったが,郵便局に勤めていた兄が土砂降りにあって,服が真っ黒になって帰ってきたと供述する(原告番号市11本人)ところ,被告ら代理人の反対尋問を経ても,兄が雨に降られたという同供述の核心部分を信用できないとする事情は窺われない。そして,原告番号市13についても,雨が降った旨の陳述書の内容に不自然不合理な点はないから,陳述書作成時点において既に原爆投下から70年以上が経過していたことを踏まえても,その核心部分は相応の信用性を備えている。 以上によれば,八幡村に「黒い雨」が降ったことを認定できるのであって,同地域が宇田雨域に含まれないことはこれを左右するものでなく,八幡村に所在した原告らについて,以下のとおり認定することができる。 ⑵ 原告番号市11ア証拠(甲B市11〔枝番を含む。〕,乙A11,原告本人)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和15年○月○日生まれであり,原爆投下当時,4歳であった。自宅は広島県佐伯郡八幡村(以下省略。当時)に所在していた。 原告は,原爆投下があったとき,自宅の前の汲み路で砂遊びをしていたところ,灰が降り出し,稲妻や雷が怖くて,家に帰り,その後,郵便局に勤めていた兄が土砂降りにあって,濡れて帰ってきた。 原告は,現在,高血圧性心疾患,変形性頚椎症,変形性腰椎症,変形性肩関節症,変形性膝関節症を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる循環器機能障害を伴う疾病(高血圧性心疾患),運動 を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる循環器機能障害を伴う疾病(高血圧性心疾患),運動器機能障害を伴う疾病(変形性頚椎症,変形性腰椎症,変形性肩関節症,変形性膝関節症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑶ 原告番号市13ア証拠(甲B市13〔枝番を含む。〕,乙A13)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和7年○月○日生まれであり,原爆投下当時,13歳で,s国民学校高等科1年生であった。自宅は広島県佐伯郡八幡村(以下省略。当時)に所在し,両親は農業を営み,八幡川の水や井戸水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったとき,学校を休んで弟の子守を押していたところ,びっくりして外の様子を見に行き,そのうち雨が降り出したことから,走って帰宅した。 原告は,現在,慢性虚血性心疾患を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる循環器機能障害を伴う疾病(慢性虚血性心疾患)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 13 観音村の原告について⑴ 観音村について観音村は,全域が宇田雨域には含まれていない。 しかしながら,前記11⑴及び12⑴で説示したところに加え,増田による調査においては,爆心地からみて観音村よりさらに西方に位置する廿日市町 観音村は,全域が宇田雨域には含まれていない。 しかしながら,前記11⑴及び12⑴で説示したところに加え,増田による調査においては,爆心地からみて観音村よりさらに西方に位置する廿日市町の複数の住民から降雨があった旨回答していて(甲A35の1・147ないし150頁),観音村は,増田雨域及び大瀧雨域に含まれている。 なお,原爆投下当時,観音村にいた原告番号市14は,本人尋問において,要旨,当時自宅にいて,庭では母が洗濯物を干していた,ドーンという音と同時に振動して,障子やふすまが倒れるなどして,泣きながら外へ出た,外の様子を窺っていたが,雨が降ったかははっきり覚えていないと供述する(原告番号市14本人)が,原告番号市14は,自らの聞き取り調査において,多数の周辺住民から雨が降った旨の供述を得ていた(甲A90,原告番号市14本人)。 以上によれば,観音村に「黒い雨」が降ったことを認定できるのであって,同地域が宇田雨域に含まれないことはこれを左右するものでなく,観音村に所在した原告について,以下のとおり認定することができる。 ⑵ 原告番号市14ア証拠(甲B市14〔枝番を含む。〕,乙A14,原告本人)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和16年○月○日生まれであり,原爆投下当時,4歳であった。自宅は広島県佐伯郡観音村(以下省略。当時)にあった。 原告は,原爆投下があったときは,自宅にいて,しばらく軒下で外の様子を見ていたが,原告の自宅周辺では雨が降っていた。 原告は,現在,高血圧性心疾患を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる循環器機能障害を伴う疾病(高血 在,高血圧性心疾患を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる循環器機能障害を伴う疾病(高血圧性心疾患)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 14 加計町の原告らについて⑴ 加計町について 加計町のうち,加計町の原告らが所在したと主張する場所は,いずれも概ね宇田雨域に含まれており,増田雨域及び大瀧雨域にも含まれる。なお,宇田らが,加計町の南側の一部のみを宇田雨域に含めたのは,殿賀村西調子と都谷村長笹で降雨があった旨の供述が得られた(乙1・135頁)ことから,これらを降雨域の外縁として線引きしたからにすぎず,加計町の宇田雨域に含まれていない地域において,降雨がなかったとの供述が得えられていたわけではない。 また,昭和46年11月6日に広島市が刊行した「広島原爆戦災誌第四巻」(甲A91)には,加計町に関して,次の記述がある。 「炸裂後二,三時間たったころ,大つぶの油まじりのような雨が降ってきた。白い衣服は,この雨に濡れてみな黒い斑点で汚れた。」(同871頁)加えて,原爆投下当時,加計町にいた原告らは,陳述書等において,いずれも雨が降った旨記載しているところ,その内容の核心部分に不自然不合理な点はない。 これらからすれば,前記陳述書等作成時点において既に原爆投下から70年以上が経過していたことを踏まえても,その核心部分は相応の信用性を備えているというべきである。 以上によれば,加計町に「黒い雨」が降ったことを認定できるのであって,同地域が宇田雨域に含まれないことはこれを左右するものでなく,加 ても,その核心部分は相応の信用性を備えているというべきである。 以上によれば,加計町に「黒い雨」が降ったことを認定できるのであって,同地域が宇田雨域に含まれないことはこれを左右するものでなく,加計町に所在した原告らについて,以下のとおり認定することができる。 ⑵ 原告番号県2ア証拠(甲B県2〔枝番を含む。〕,甲B県3の1,2,乙B2)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和7年○月○日生まれであり,原爆投下当時,13歳で,t国民学校6年生であった。自宅は広島県山県郡加計町(以下省略。当時)に所在していた。 原告は,原爆投下があったとき,公民館の草刈り作業をしていたところ,作業終了後,学校指定の水泳場(丁川)で,原告番号県3らと泳いでいるうちに雨が降り出した。 原告は,平成30年○月○日,転移性肝癌に伴う肝不全により死亡した。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,健康管理手当の支給対象となる細胞増殖機能障害を伴う疾病(肝癌)に罹患していたことからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ウなお,原告については,承継人番号県2が訴訟承継した。 ⑶ 原告番号県3ア証拠(甲B県3〔枝番を含む。〕,甲B県2の1,2,乙B3)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和12年○月○日生まれであり,原爆投下当時,7歳で,t国民学校2年生であった。自宅は広島県山県郡加計町(以下省略。当時)に所在し,母は農業を営み,一家は,谷の水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があった後,学校 当時,7歳で,t国民学校2年生であった。自宅は広島県山県郡加計町(以下省略。当時)に所在し,母は農業を営み,一家は,谷の水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があった後,学校指定の水泳場(丁川)で,原告番号県2らと泳いでいたところ,雨が降り出した。 原告は,現在,変形性脊椎症を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる運動器機能障害を伴う疾病(変形性脊椎症)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑷ 原告番号県7ア証拠(甲B県7〔枝番を含む。〕,乙B7)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和3年○月○日生まれであり,原爆投下当時,17歳で,t実業学校3年生であった。原告は,広島県山県郡加計町のt実業学校の寄宿舎に入居しており,実習で収穫した野菜等を食べて生活していた。 原告は,原爆投下があったとき,学校にいたところ,しばらく林の中に避難した後,草刈り等の作業をしているうちに雨が降り出したが,そのまま作業を続け,作業終了後に学校に戻った。 原告は,現在,再生不良性貧血,変形性膝関節症を患っていたが,令 和元年○月○日,死亡した。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる造血機能障害を伴う疾病(再生不良性貧血),運動器機能障害を伴う疾病(変形性脊椎症)に罹患していたことからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響 理手当の支給対象となる造血機能障害を伴う疾病(再生不良性貧血),運動器機能障害を伴う疾病(変形性脊椎症)に罹患していたことからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ウなお,原告については,死亡により,相続人である承継人番号県7が訴訟承継した。 ⑸ 原告番号県8ア証拠(甲B県8〔枝番を含む。〕,乙B8)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和6年○月○日生まれであり,原爆投下当時,13歳で,t国民学校高等科2年生であった。自宅は広島県山県郡加計町(当時)に所在し,一家は,山の谷水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったとき,w部落で草刈りをしていたところ,しばらくしてから雨が降り出したが,そのまま作業を続け,作業終了後に帰宅した。 原告は,現在,糖尿病,白内障を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる内分泌腺機能障害を伴う疾病(糖尿病),水晶体混濁による視機能障害を伴う疾病(白内障)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 ⑹ 原告番号県10ア証拠(甲B県10〔枝番を含む。〕,乙B10)によれば,次の事実が認められる。 原告は,昭和9年○月○日生まれであり,原爆投下当時11歳で,u国民学校6年生であった。自宅は広島県山県郡加計町(以下省略。当時)に所在し,一家は,畑で作った野菜等を食べ,井戸水を利用して生活していた。 原 原爆投下当時11歳で,u国民学校6年生であった。自宅は広島県山県郡加計町(以下省略。当時)に所在し,一家は,畑で作った野菜等を食べ,井戸水を利用して生活していた。 原告は,原爆投下があったとき,学校の教室にいたところ,先生の指示によりしばらく竹藪に避難した後,帰宅する途中に雨が降り出した。 原告は,現在,高血圧性心疾患,慢性虚血性心疾患を患っている。 イ以上のとおり,原告は,原爆が投下された際及びその後において,「黒い雨」に曝露しており,現在,健康管理手当の支給対象となる循環器機能障害を伴う疾病(高血圧性心疾患,慢性虚血性心疾患)に罹患していることからすれば,原告は,被爆者援護法1条3号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する。 15 まとめ以上のとおり,原告らはいずれも被爆者援護法1条3号の被爆者に該当すると認められる。 したがって,広島市長又は広島県知事が原告らの被爆者援護法に基づく被爆者健康手帳交付申請を却下したことは,違法であって,各却下処分を取り消すべきである。 また,広島市長又は広島県知事が原告らに対して被爆者健康手帳交付処分をすべきことは,明らかと認められるから,各交付処分を義務付けることとする。 第6 結論よって,原告らの主位的請求(被爆者健康手帳関係)は,いずれも理由があり,認容すべきである。 広島地方裁判所民事第2部 裁判長裁判官高島義行 裁判官久保田 寛 也 裁判官塚本友樹 ※ 別紙1から別紙4まで 高島義行 裁判官久保田 寛 也 裁判官塚本友樹 ※ 別紙1から別紙4まで及び別図表5から別図表10まで,省略。 本文中,原告らを原告番号で呼称し,原告番号市1から同市57まで及び同県1から同31までのものを指して,「各原告」ないし「原告ら」という。原告番号市22,同市24,同市28,同市43,同市48,同県2,同県7,同県18及び同県27は,いずれも口頭弁論終結前に死亡した承継前原告であり,承継前原告から訴訟承継をした承継人を承継人番号で呼称する(市22などの番号については,原告番号と承継人番号はそれぞれ対応する番号とする。ただし,原告番号県18は,承継人が3名存在するため,承継人番号をそれぞれ県18-1,同県18-2及び同県18-3とする。)。また,原告らのうち承継前原告らを除く者及び承継人らを併せて,「原告ら(承継人らを含む。)」という。 なお,原告番号市3,同市15,同市21及び同市49については,死亡に伴い訴えを取り下げた。 別紙5 被爆者援護法第1条第3号に係る審査方針 原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(以下「法」という。)第1条第3号に規定する,「前二号に掲げる者のほか,原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」についての審査方針を,被爆者救済の立場に立って,次のとおり定める。 次の1から3までのいずれかに該当する者は,法第1条第3号に該当すると認めることとする。 また,1から3までに該当しない被爆状況については,1から3までに相当する被爆事実が認められるかについて個別に審査を行うこととする。 該当する者は,法第1条第3号に該当すると認めることとする。 また,1から3までに該当しない被爆状況については,1から3までに相当する被爆事実が認められるかについて個別に審査を行うこととする。 なお,これらの判断は,別に定める「被爆者援護法第1条第3号に係る審査方針の運用のガイドライン」によることとする。 原子爆弾が投下されたその後 1 原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行令(以下「政令」という。)第1条第2項に定める期間内に,原子爆弾が投下された当時の政令別表第二に掲げる区域以外の区域において,被爆して負傷した者が多く集合していた環境に相応の時間とどまったと認められる者 2 被爆して負傷した者が収容されている環境にいたが,1に該当しないものについては,政令第1条第2項に定める期間内に,原子爆弾が投下された当時の政令別表第二に掲げる区域以外の区域において,被爆して負傷した者との接触により,1に該当する者と同程度以上の被爆状況にあったと認められる者 3 被爆した者の輸送又は被爆した者の死体の処理に従事し,被爆して負傷したものと接触があった者については,政令第1条第2項に定める期間内に,原子爆弾が投下された当時の政令別表第二に掲げる区域以外の区域において,1に該当する者と同程度以上の被爆状況にあったと認められる者 別紙6 被爆者援護法第1条第3号に係る審査方針の運用のガイドライン 1 被爆者援護法第1条第3号に係る審査方針(以下「審査方針」という。)の1の「被爆して負傷した者が多く集合していた環境」について次の環境(屋外を除く。)を「被爆して負傷した者が多く集合していた環境」に該当するものとする。 ⑴ 15名以上の被爆して負傷した者が収容されている収容施設等⑵ 5名以上の被爆して負傷した 次の環境(屋外を除く。)を「被爆して負傷した者が多く集合していた環境」に該当するものとする。 ⑴ 15名以上の被爆して負傷した者が収容されている収容施設等⑵ 5名以上の被爆して負傷した者が収容されている病室等(出入口以外は壁等で閉ざされ,比較的狭小な部屋等として独立している空間に限る。) 2 審査方針の1の「相応の時間とどまった」について次の場合を「相応の時間とどまった」に該当するものとする。 ⑴ 2日以上収容施設等にいたことが確認できる場合⑵ 1日であっても午前及び午後に収容施設等にいたことが確認できる場合 3 審査方針の2及び3における「1に該当する者と同程度以上の被爆状況」について被爆して負傷した者と1日当たり5名以上の接触が認められる場合を「1に該当する者と同程度以上の被爆状況」に該当する者とする。 4 個別の審査について⑴ 次の場合を個別の審査を行う対象とする。 ア海上被爆の場合イその他前記1から3までの運用により審査方針の1から3までに該当しない場合⑵ 個別の審査は,申請者の被爆の状況を総合的に勘案して判断するものとする。 別図表1 宇田雨域甲A33・11頁より 別図表2 増田雨域甲A34・19頁より 別図表3 大瀧雨域別図表3-1 降雨時間の長さ 別図表3-2 時刻ごとの降雨の状況 別図表3-4 降雨の色 透明茶色黒っぽい弱い雨中程度の雨強い雨降雨強度真っ黒雨の色 別図表4 各「黒い雨」降雨域甲A41・2頁より 中程度の雨強い雨降雨強度真っ黒雨の色 別図表4 各「黒い雨」降雨域甲A41・2頁より

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