主文 1 原判決を取り消す。 2 被控訴人が控訴人に対し平成元年8月28日付けでした遺族補償給付等不支給決定を取り消す。 3 訴訟費用は,第1,2審を通じて,被控訴人の負担とする。 事実及び理由 第1 控訴の趣旨主文同旨第2 事案の概要 1 本件は,映画撮影技師(カメラマン)であるA(以下「亡A」という。)が映画撮影に従事中,宿泊していた旅館で脳梗塞を発症して死亡したことについて,その子である控訴人が,亡Aの死亡は業務に起因したものであるとして,被控訴人に対し,労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づいて遺族補償給付等の支給を請求したところ,亡Aは労働基準法(以下「労基法」という。)9条に規定する「労働者」ではないとの理由で不支給処分(以下「本件処分」という。)を受けたため,その取消を求めた事案である。 なお,呼称,略称等については,本判決で明記したもの以外についても,原判決の例によることとする。 2 原審裁判所は,亡Aは労基法9条に規定する「労働者」には当たらないと判断して,控訴人の請求を棄却したため,これを不服とする控訴人が控訴したものである。 3 争いのない事実,主たる争点及び当事者の主張等は,第3において,当審における当事者の主張を付加するほかは,原判決「事実及び理由」欄第二「事案の概要」の一ないし三(原判決4頁3行目から55頁末行まで。ただし,45頁6行目に「事由」とあるのを「自由」と改める。)記載のとおりであるから,これを引用する。 第3 当審における当事者の主張 1 控訴人の主張(1) 使用従属性について原判決は,「労働者」に当たるか否かについて,その実態が使用従属関係の下における労務の提供と評価するにふさわしいものであるかどうかによって判断すべきものとしており,これは正当と評価 従属性について原判決は,「労働者」に当たるか否かについて,その実態が使用従属関係の下における労務の提供と評価するにふさわしいものであるかどうかによって判断すべきものとしており,これは正当と評価できるが,使用従属関係の存否の判断に際しては,芸能関係に従事するスタッフであっても,これを一律に検討するのではなく,それぞれの労働の従事の仕方に応じて個別的に判断すべきであり,一部の事例を安易に一般化することは厳に慎まねばならず,また,映画産業においては,かつては正社員として映画製作会社に雇用されていたスタッフが合理化の一環として「業務委託契約」のように請負契約化させられ,これに対してスタッフが自らの立場を守るために労働者としての権利を主張してきたという,労使の利害対立が背景となっていることを十分に認識する必要がある。 また,原判決は,亡Aの使用従属性を否定する根拠として,映画製作の性質ないし特殊性を挙げるが,業務の性質ないし特殊性によるか否かは,労務提供の履行がその契約によって特定されているか否かによって判断すべきである。すなわち,契約当事者である労務提供者が,その債務の履行(労務提供の方法)の内容を自由に決定できる場合であれば,この関係は指揮監督関係にはないが,契約の内容に労務提供の場所や時間,業務遂行方法などが特定されている場合には,契約による拘束,すなわち「業務の性質ないし特殊性」による拘束になるのである。 (2) 亡Aの労働者性についてア仕事の依頼に対する諾否の自由について原判決は,一方では,亡Aが具体的な個々の仕事について拒否する自由を制約されていたものと認定しながら,他方でそうした制約は主として映画製作の性質ないしは特殊性を理由とするもので,使用者の指揮命令を理由とするものとは言い難いとした。 しかし,そもそも一般に,使 を制約されていたものと認定しながら,他方でそうした制約は主として映画製作の性質ないしは特殊性を理由とするもので,使用者の指揮命令を理由とするものとは言い難いとした。 しかし,そもそも一般に,使用者の指揮命令が当該業務の性質や特殊性などと無関係になされることなどあり得ず,むしろ常に業務上の指揮命令は,業務の性質や特殊性を含む,業務の内容による必要性からなされるのであり,使用者ないし監督者の主観的な自由によって指揮命令がなされることの方が稀である。原判決が挙げる制約は,多くの業務に共通のごく当たり前のことであって,映画製作に固有の特殊性によるものではない。どのような業務にもそれぞれにこの類の仕事上必要な制約はあるのであって,映画撮影に固有のものではない。原判決の論理によれば,あらゆる業務における諾否の自由の制約は,使用者の指揮命令とは直接に関係しないということになってしまうのであり,そのような論理が誤りであることは明らかである。 イ業務遂行上の指揮監督関係について原判決は,最終的な決定権限がB監督にあるのは,監督と撮影技師との職能ないしは業務分担の問題であって,使用者の指揮命令ではないとしたが,これは,映画撮影業務におけるそれぞれの職能の専門性,芸術的裁量性の問題と,労働契約上の指揮監督関係の問題とを混同するものである。その結果,原判決は,当該業務ごとに併存する「業務の内容上の特殊性」と「業務遂行上の指揮監督関係」のうち一方だけを取り出して強調し,他方を無視する誤りに陥っている。たしかに,映画製作は,専門的技術が集合したものであり,各スタッフには独立した職能があり,職能に応じて高度に専門的な技術等を発揮しながら協力協働して行うものではあるが,業務として作品を完成させるためには,相互の意見を調整する必要があるのであり,そのためには ッフには独立した職能があり,職能に応じて高度に専門的な技術等を発揮しながら協力協働して行うものではあるが,業務として作品を完成させるためには,相互の意見を調整する必要があるのであり,そのためには確固たる指揮命令,監督関係が不可欠であり,映画撮影においてはプロデューサーを除けば監督がその決定権を有するのである。このような指揮監督関係と業務の専門性の併存は,様々な分野において存在するものであり,専門性のゆえに指揮監督関係が否定されるものではない。このような監督の権限を,「職能ないしは業務分担の問題」であるとするのであれば,専門性を有する業務においては,およそ指揮監督関係は存在しなくなる。指揮命令関係の有無は,撮影技師がなした作業について,監督が指示できる権限を有していたかどうかで決すべきであり,監督は,撮影作業の結果について自己のイメージと異なるのであれば,撮り直しや方法の見直しなどを納得の行くまで繰り返し指示できるのであり,指揮監督関係があることは明らかである。撮影技師は,技術性や芸術性においては高い裁量を有しているが,これらは監督の指示から独立して発揮されるものではなく,監督の指示と違う撮影をすることは許されていないのである。 この点,原判決は,①「監督は,その仕事の細部に至るまでの指示ができる立場ではない。」,②「芸術性を追求する点では監督と撮影技師は同格であり」と判示するが,これは事実を誤認するものである。すなわち,①について,監督には撮影技術の知識がないため,細部についてまでは指示ができないことは否定できないが,それは職務権限がないことを意味するものではなく,監督は撮影技師に対し細かく指示することができる立場と権限を有しており,撮影技師は監督が納得するまで何度でも撮影を行わなければならないのである。②についても,芸術性を追求す とを意味するものではなく,監督は撮影技師に対し細かく指示することができる立場と権限を有しており,撮影技師は監督が納得するまで何度でも撮影を行わなければならないのである。②についても,芸術性を追求する熱意や意欲の点で同格であることは判示のとおりであるが,これが指揮命令関係がないという趣旨であれば,事実誤認にほかならない。 また,原判決は,撮影方法等についての亡Aの提案をB監督が採用したことがあったことをもって,指揮命令関係を否定する根拠とするが,このような提案を採用するか否かの決定権を監督が有していることが重要なのであり,採用されることがあったことは指揮命令関係を否定する理由とはならないというべきである。 ウ時間的・場所的拘束性について亡Aの受けていた場所的・時間的拘束は,原判決の認定するとおり高いものであったが,これは他の多くの業務に共通のごく当たり前のことであって,映画製作に固有の特殊性によるものではない。使用者はそれぞれの業務の性質,特殊性に応じた「指揮命令の必要性」から労働者に対して,それぞれの時間的・場所的な指揮命令を行うのである。 映画撮影において,ロケ出発からロケ終了まで起居寝食を共にし,常に一緒に行動することが求められるのは,映画製作の業務を遂行するために必要だからであって,業務の性質ないし特殊性を超えた拘束である。 エ労務提供の代替性について亡Aの労務提供に代替性がなく,亡Aが指揮命令を受ける関係にあったことは原審で主張したとおりである。 オ報酬の性格・額について原判決は,亡Aの報酬の性格・額について労務対償性を否定し,その前提となる亡Aの報酬について,撮影日数に多少の変動があっても報酬の変更がないものとされていたと認定したが,同認定は事実誤認である。実際には,C社長は,亡A死亡後の昭和61年8月7日か 否定し,その前提となる亡Aの報酬について,撮影日数に多少の変動があっても報酬の変更がないものとされていたと認定したが,同認定は事実誤認である。実際には,C社長は,亡A死亡後の昭和61年8月7日から11日までの追加撮影について,亡Aと同様のメインスタッフであり,一本契約であった照明技師Dを含むスタッフ全員に追加報酬(日当×撮影日数)を支払っているのであり,これは亡Aが追加撮影に参加した場合であっても同様である。したがって,当該労務の「日額単価×労務提供期間」で報酬が算定されるという点では,メインスタッフと撮影助手等のスタッフとの間で差異はなく,技量の差異や技師と助手の差異で単価が異なるだけなのである。この点,原判決は,「撮影の3分の2が消化したからというものであり,このことは亡Aの報酬に出来高的要素が強かったことを窺わせる。」としたが,3分の2とはまさしく撮影予定期間である50日の3分の2を消化したという意味であり,合意報酬額の120万円に3分の2を乗じて実際の報酬額を算定することは,労務提供期間を基準にしてその報酬を算定したものにほかならないのである。 また,労働者に対する賃金の支払い方法が「出来高制」であるからといって,その労務対償性が否定されるわけではないことは,労基法27条が「出来高払制,その他請負制で使用する労働者」と明定しているとおりである。 カ業務用機材等機械・器具の負担関係について亡Aが本件映画の撮影に使用した機材,フィルム,宿泊費用などはすべて株式会社青銅プロダクション(以下「青銅プロ」という。)が負担し,中尊寺金色堂の撮影についてのみ亡Aの所有していたカメラを使用したことは原判決の認定するとおりである。中尊寺金色堂のみ亡Aのカメラを使用したことは例外的であって,これをもって労働者性を否定する根拠とすべきものでは 影についてのみ亡Aの所有していたカメラを使用したことは原判決の認定するとおりである。中尊寺金色堂のみ亡Aのカメラを使用したことは例外的であって,これをもって労働者性を否定する根拠とすべきものではない。 キ専属性の程度について亡Aは,青銅プロの専属の撮影技師ではなかったことは,原判決の認定するとおりであるが,本件映画の製作についての労働契約期間中は,実際上他の映画撮影などの業務に従事することは不可能であった。また,専属性のない労働者は,臨時工,アルバイト,パート,契約労働者,フリーターなど多数存在しているのであり,専属性がないこと,又は低いことは労働者性を否定する根拠とはならないというべきである。 ク服務規律について亡Aに青銅プロの就業規則が適用されていないことは原判決の認定するとおりである。しかし,このことは,専門的技術及び知識を有する期間の定めのある労働者であれば通常である。労働者の種類に応じて,例えばパート用就業規則,契約社員用就業規則など,就業規則が複数ある企業は珍しくないのであって,青銅プロのような零細企業が亡Aなどのスタッフを想定した就業規則を整備していないことは労働者性を否定する根拠とはならないのである。 ケ公租などの支払について(ア) 事業所得としての申告について青銅プロは,「芸能人報酬に関する源泉徴収」をしている。映画製作スタッフをはじめとして,実際上は「芸能人報酬に関する源泉徴収」をするのが業界の慣行となっている。使用者がこの徴収をする以上,芸能スタッフは,給与所得者として確定申告することは制度上可能であったとしても,極めて困難である。したがって,事業所得として申告していたことをもって,労働者性を否定する根拠とすることは相当でない。 (イ) 労災保険料の算定について青銅プロは,労災保険料の算定基礎 としても,極めて困難である。したがって,事業所得として申告していたことをもって,労働者性を否定する根拠とすることは相当でない。 (イ) 労災保険料の算定について青銅プロは,労災保険料の算定基礎に亡Aに対する報酬を含めていた。このことは,使用者である青銅プロが,亡Aを少なくとも労災関係においては,労働者として認識していたことを示すものであって,労働者性を肯定する要素にほかならない。 2 被控訴人の主張(1) 使用従属性について使用従属性についての控訴人の主張はいずれも争う。控訴人の主張はいずれも独自の見解であり,原判決の判断は正当である。 (2) 亡Aの労働者性についてア仕事の依頼に対する諾否の自由についての反論本件映画の撮影に関しては,そもそも亡Aが,本件映画の撮影全体そのものを拒否する権限を有していたことが重要である。たしかに,亡Aは,会社が作成した予定表に従って行動しなければならず,また,B監督と行動を共にする必要があったのであるから,個別的な仕事の依頼に対する諾否の自由は制限されていたと認められるが,こうした制約は,日程が決まっているという映画製作の特殊性及びいったん応諾したことによって生ずるものと考えられ,そもそも重要なファクターとはいい難く,労働契約に基づく指揮監督関係を基礎づけるものとはいえない。 イ業務遂行上の指揮監督関係についての反論控訴人は,原判決の説示について,「映画撮影業務におけるそれぞれの職能の専門性,芸術的裁量性の問題と,労働契約上の指揮監督関係との問題を混同して論ずる誤りを犯している」と主張するが,両者が無関係であるという趣旨であれば,それは控訴人の独自の見解といわざるを得ない。 また,およそ一般論として職務の専門性を根拠に指揮監督関係を否定することができないとしても,特に撮影技師としての 両者が無関係であるという趣旨であれば,それは控訴人の独自の見解といわざるを得ない。 また,およそ一般論として職務の専門性を根拠に指揮監督関係を否定することができないとしても,特に撮影技師としての技術が高く,職務の独立性が強い亡Aについては,指揮監督関係がないことは明らかである。 また,最高裁平成8年11月28日判決・判例時報1589号136頁の判示するとおり,業務遂行上の指揮監督の有無を判断するためには,使用者から業務の内容及び遂行方法につき具体的な指示がなされていたことも重要な要素となるというべきである。この点,B監督の指示は,「注文者」が行う程度の指示であり,「使用者」からの具体的な指揮命令であったとはいえない。 さらに,控訴人は,原判決の「監督がその仕事の細部に至るまでの指示ができる立場にはない」,「芸術を追求する点では監督と撮影技師は同格であり,両者は意見を出し合って議論しながら撮影を進めていくものである」との認定が事実誤認である旨主張する。しかし,監督と撮影技師は,それぞれが独立して青銅プロとの間に映画の製作あるいは撮影1本につきいくらという一本契約(請負類似の契約)を締結し,監督はプロデューサーの意を受けて映画製作作業全体を統括するのであって,撮影技師に対しては,直接の契約関係に基づいて指示をするのではなく,映画製作における監督と撮影技師という立場関係から指示があるにすぎず,労働契約に基づいて指揮監督するという関係にはない。最終的にどの映像を使用して完成映画とするかという点についても,編集作業に関する責任が監督及びプロデューサーにあるということからの当然の帰結であって,撮影に関する指揮命令関係とは何ら関係がない。少なくとも,本件において,亡Aの撮影技術の高さ,経験の豊富さから,亡AはB監督と同格として扱われ,撮影業務に にあるということからの当然の帰結であって,撮影に関する指揮命令関係とは何ら関係がない。少なくとも,本件において,亡Aの撮影技術の高さ,経験の豊富さから,亡AはB監督と同格として扱われ,撮影業務に従事していたことは,関係者の供述からも明らかである。 ウ時間的・場所的拘束性についての反論本件撮影業務においては,会社で作成された予定表に従って集団で行動し,就労場所も指定されているから,時間的・場所的拘束性が存在することは間違いないが,本件映画製作の実行から生ずる当然の制約と考えられる。しかし,亡Aに対しては,始業終業時刻,労働時間,休日,休憩,服務規律,制裁等を定めた青銅プロの就業規則は適用されず,契約時においてもこの点についての取り決めはしていない。そして,実際にも,撮影現場においては,出勤簿やタイムカードはなく,時間外労働という観念もなく,労働時間管理が行われていなかったことは明らかであり,労働者性を否定する大きな要素というべきである。 エ労務提供の代替性についての反論亡Aの仕事そのものについて代替性がないことは原判決の説示するとおりであるが,原判決の認定する,亡AがいわゆるA一家から撮影助手,照明技師を青銅プロに推薦して採用されているという事実に照らすと,A一家から採用されなければ,亡Aは本件映画撮影を引き受けなかったであろうことが容易に推測され,こうしたことは,かかる契約形態が本件撮影業務を一括して請け負ったものであると評価することが可能であり,労務提供の代替性とは別の観点からも亡Aの労働者性を否定できる要素となる。 オ報酬の性格・額についての反論C社長には,亡Aを労働者として雇用するという認識は全くなかったことは,本件報酬について,「大体の期間は決めていましたけれど,多少多くなっても少なく終わっても契約金額を変えな 格・額についての反論C社長には,亡Aを労働者として雇用するという認識は全くなかったことは,本件報酬について,「大体の期間は決めていましたけれど,多少多くなっても少なく終わっても契約金額を変えないつもりでした。」という同社長の供述からも明らかである。 また,控訴人が,事実認定の誤りと主張する,原判決の亡Aの報酬についての評価についても,報酬につき明確に出来高払とも撮影期間計算とも定めていない契約において,撮影が中途に終わった段階で支払われた金額がいずれの趣旨で支払われたとしても,金額を整合的に説明できないということを指摘したにすぎない。とすれば,報酬がどのような性格をもっていたのかは不明であったというほかはなく,これを当然に撮影期間計算であって賃金性が高いとする控訴人の立論は誤りである。むしろ,撮影が中途に終わった場合の明確な規定がないことこそが,全体としての取り決めが行われたこと,換言すれば,報酬としての性格を強く裏付けるものといえる。 さらに,亡Aは,カンヌ映画祭審査員特別賞受賞作の撮影を担当したり,日本映画技術賞の審査員を務めたり等の経歴を有する実績のある優秀な撮影技師であり,一般の撮影技師とは別格として評価され,報酬の決定に当たっても監督に準ずる扱いを受けていたのであるから,他の撮影技師と比較することに意味はない。 カ業務用機材等機械・器具の負担関係についての反論亡Aは,本件映画撮影において,原則として青銅プロのカメラを使用したが,中尊寺金色堂の撮影について,特にきれいに撮るため,自己のカメラを使用した。これは,撮影技師としての裁量が認められていたことを示すものであり,労働者性を否定する一要素と考えられる。 キ専属性の程度についての反論本件契約は,昭和60年10月から昭和61年5月までの8か月間にわたるものである の裁量が認められていたことを示すものであり,労働者性を否定する一要素と考えられる。 キ専属性の程度についての反論本件契約は,昭和60年10月から昭和61年5月までの8か月間にわたるものであるが,撮影業務に従事するのは延べ50日間の予定であり,この期間中すべてを拘束されるわけではなく,他の仕事に従事することは自由であり,C社長の承諾を得る必要もなかった。 ク服務規律についての反論亡Aに対して,青銅プロの就業規則が適用されていなかったことは前述のとおりである。 ケ公租などの支払についての反論(ア) 事業所得としての申告についての反論亡A自身が,フリーの撮影技師として青銅プロをはじめとする芸能プロダクションと請負類似の一本契約を締結しているからこそ,その所得については従来から事業所得として申告しているのであり,同申告は,亡Aの意向に沿った合理的なものである。 (イ) 労災保険料の算定についての反論労災保険料の受領に関しては,使用者が,労働者でない者に対して支払った報酬を誤って賃金として算定して概算申告した場合に,翌年度の概算及び確定申告において,確定保険料額が申告済み概算保険料額より少ない場合には,その差引額(充当額)を翌年度の概算保険料額に充てることとなり,それでもなお余る場合には,使用者において還付請求することができる。したがって,青銅プロが,労災保険料の算定基礎に亡Aに対する報酬を含めていたことは,青銅プロが亡Aを労働者として認識していたことを示すものとはいえない。 第4 当裁判所の判断 1 当裁判所は,亡Aは労基法9条の「労働者」に該当し,労災保険法における「労働者」に当たると判断するものであり,その理由は,以下のとおりである。 2 亡Aの労働者性の判断の前提となる事実関係は,原判決「事実及び理由」欄第三「当裁判所の 働者」に該当し,労災保険法における「労働者」に当たると判断するものであり,その理由は,以下のとおりである。 2 亡Aの労働者性の判断の前提となる事実関係は,原判決「事実及び理由」欄第三「当裁判所の判断」の一(原判決56頁2行目から77頁3行目まで)に説示するとおりであるから,これを引用する。 ただし,原判決73頁2行目から9行目までを次のとおり補正する。 「 撮影技師としての亡Aが本件映画の撮影で行う仕事は、B監督が伝えるカメラのポジションや対象の撮り方などの基本的なイメージを忠実に表現することであった。撮影技師は,監督のイメージを把握して、自己の技量や感性に基づき、映像に具象化するのが仕事である。監督は、必ずしも撮影技術の詳細について知識を有するものではないから、撮影技術の細部に至るまでの指示をすることはできないとしても、撮影技師の専門性を重視し、その裁量を尊重しながら、自己の納得が行くまで撮影技師に対して撮り直し等を指示することができ、他方、撮影技師は、監督の指示の意図するところを把握してこれに沿うように撮影をすべき義務があった。もとより、芸術性を追求する点では、撮影技師も監督に劣るものではなく、両者は意見を出し合って議論をしながら撮影を進めて行くものであり、監督が撮影技師の意見を尊重することもあるが、映画製作に関する最終決定は、プロデューサーを別とすれば、監督が行うものであった。」 3 労災保険法上の「労働者」の意義について労災保険法の保険給付の対象となる労働者の意義については,同法にこれを定義した規定はないが,同法が労基法第8章「災害補償」に定める各規定の使用者の労災補償義務を補填する制度として制定されたものであることにかんがみると,労災保険法上の「労働者」は,労基法上の「労働者」と同一のものであると解するのが相当である。そ 補償」に定める各規定の使用者の労災補償義務を補填する制度として制定されたものであることにかんがみると,労災保険法上の「労働者」は,労基法上の「労働者」と同一のものであると解するのが相当である。そして,労基法9条は,「労働者」とは,「職業の種類を問わず,事業又は事務所に使用される者で,賃金を支払われる者をいう。」と規定しており,その意とするところは,使用者との使用従属関係の下に労務を提供し,その対価として使用者から賃金の支払を受ける者をいうと解されるから,「労働者」に当たるか否かは,雇用,請負等の法形式にかかわらず,その実態が使用従属関係の下における労務の提供と評価するにふさわしいものであるかどうかによって判断すべきものであり,以上の点は原判決も説示するところである。 そして,実際の使用従属関係の有無については,業務遂行上の指揮監督関係の存否・内容,支払われる報酬の性格・額,使用者とされる者と労働者とされる者との間における具体的な仕事の依頼,業務指示等に対する諾否の自由の有無,時間的及び場所的拘束性の有無・程度,労務提供の代替性の有無,業務用機材等機械・器具の負担関係,専属性の程度,使用者の服務規律の適用の有無,公租などの公的負担関係,その他諸般の事情を総合的に考慮して判断するのが相当である。 4 亡Aの労働者性について(1) 業務遂行上の指揮監督関係についてア原判決の認定した事実及び前記のとおり一部補正した認定事実を総合すれば,映画製作においては,撮影技師は,監督のイメージを把握して,自己の技量や感性に基づき,映像に具体化し,監督は,映画製作に関して最終的な責任を負うというものであり,本件映画の製作においても,レンズの選択,カメラのポジション,サイズ,アングル,被写体の写り方及び撮影方法等については,いずれもB監督の指示の下で行 製作に関して最終的な責任を負うというものであり,本件映画の製作においても,レンズの選択,カメラのポジション,サイズ,アングル,被写体の写り方及び撮影方法等については,いずれもB監督の指示の下で行われ,亡Aが撮影したフィルム(カットの積み重ね)の中からのカットの採否やフィルムの編集を最終的に決定するのもB監督であったことが認められ,これらを考慮すると,本件映画に関しての最終的な決定権限はB監督にあったというべきであり,亡AとB監督との間には指揮監督関係が認められるというべきである。 もっとも,本件映画の撮影に際し,亡Aの提案に従って撮影が行われた部分があること,カットの採否のためにラッシュをスタッフ全員で見て,各スタッフが自由に意見を述べ合うことが通例であったことは,いずれも原判決の認定するとおりであるが(原判決73ないし75頁),これらはいずれもB監督が最終的な意思決定をする際に,各スタッフの意見を尊重した結果にすぎないばかりか,かえって,B監督は,亡Aが独自に考えて撮影したものは採用しなかったという事実もあるのであって(原判決76頁),上記の事実もB監督の最終的な決定権限を否定するものとはいえない。 また,映画製作は,撮影,録音,演出等さまざまな専門的技術が集合したものであり,各スタッフにはそれぞれ独立した職能があって,専門的に分かれている自己の職能以外の仕事をするようなことは考えられず,その職能に応じて高度に専門的な技術等を発揮しながら協力協働して行っていくものであることも原判決の認定するとおりであるが(同64,65頁),業務としてこれを行う以上,これを統括し,調整することが不可欠であり,監督こそがその任にあるのであって,上記のような映画製作の特殊性もまた,B監督と亡Aとの間の指揮監督関係を否定する事情とはいえない。 さら れを行う以上,これを統括し,調整することが不可欠であり,監督こそがその任にあるのであって,上記のような映画製作の特殊性もまた,B監督と亡Aとの間の指揮監督関係を否定する事情とはいえない。 さらに,原判決の認定するとおり,亡Aの高度な技術と芸術性をB監督も評価していたこと(同56ないし58頁),また,亡Aは本件映画の撮影に際し,これまでの仏像撮影のパターンを打ち破ろうと考え,積極的に意見を述べるだけでなく,個々の撮影に関するポジションの決定等も指示していたこと(同74ないし75頁)からすると,亡Aが本件映画の撮影について相当程度の裁量を有していたことは認められるものの,同監督の指揮監督から独立した裁量を有していたとまでは認めることができず,このような亡A個人の特殊技能といった事実も,同監督と亡Aとの間の指揮監督関係を否定する要素となるものではない。 なお,B監督不在の間に亡Aと助監督のEのみで意見交換を行いながら撮影場所を決定して撮影を行ったこと,その際Eは亡Aの意向を尊重するようにしていたことは原判決の認定するとおりであるが(同76頁),これはそもそもB監督が,義母の急逝により帰郷したためにとられた措置であり,その際にも,B監督が「厳しい自然」というイメージを亡A及びEに伝えていることも原判決が認定するとおりであり,これも,亡AがB監督の指示を離れた裁量を有していたことを示す事情とはいえない。 イこの点に関し,被控訴人は,特に撮影技師としての技術が高く,職務の独立性が強い亡Aについては,指揮監督関係がないことは明らかである旨主張する。しかし,映画製作の最終決定を監督が行い,撮影技師は監督の意図に沿うよう撮影すべきものであることは前判示のとおりであり,いかに技術が高いからといって,撮影技師が監督の指揮監督を離れて技術や裁量を発揮す し,映画製作の最終決定を監督が行い,撮影技師は監督の意図に沿うよう撮影すべきものであることは前判示のとおりであり,いかに技術が高いからといって,撮影技師が監督の指揮監督を離れて技術や裁量を発揮する権限までを有しているものと認めることはできないのであって,映画の撮影技師である以上,技術が高いとの理由で職務の独立性が強いとすることはできない。 また,被控訴人は,最高裁平成8年11月28日判決を援用して,B監督の指示は,「注文者」が行う程度の指示であり,「使用者」からの具体的な指揮命令であったとはいえない旨主張する。しかし,B監督の指示が,具体的な指揮命令という形をとっていなかったとしても,それは亡AがB監督の意図を了解してこれに沿うように撮影したために指揮命令が顕在化しなかっただけであって,監督の指揮命令としての性質を有することを否定するものではない。被控訴人の援用する最高裁判決は本件とは事案を異にし,本件には適切でない。 さらに,被控訴人は,①監督と撮影技師は,それぞれが独立して青銅プロとの間に映画の製作あるいは撮影1本につきいくらという一本契約(請負類似の契約)を締結し,監督はプロデューサーの意を受けて映画製作作業全体を統括するのであって,撮影技師に対しては,直接の契約関係に基づいて指示をするのではなく,映画製作における監督と撮影技師という立場関係から指示があるにすぎず,労働契約に基づいて指揮監督するという関係にはない,②最終的にどの映像を使用して完成映画とするかという点についても,編集作業に関する責任が監督及びプロデューサーにあるということからの当然の帰結であって,撮影に関する指揮命令関係とは何ら関係がない,③少なくとも,本件において,亡Aの撮影技術の高さ,経験の豊富さから,亡AはB監督と同格として扱われ,撮影業務に従事していた ことからの当然の帰結であって,撮影に関する指揮命令関係とは何ら関係がない,③少なくとも,本件において,亡Aの撮影技術の高さ,経験の豊富さから,亡AはB監督と同格として扱われ,撮影業務に従事していた旨主張する。 しかし,これらについては,いずれも被控訴人の主張と同旨の原判決の認定(73頁2行目から9行目まで)を改めるべきであることは前記のとおりであり,映画撮影においては,撮影技師は,あくまでも監督の下で技術性,裁量性を発揮すべきものと認められ,指揮命令関係の観点からみて,本件におけるB監督と亡Aが同格として扱われていたということはできないから,被控訴人の上記主張も採用することができない。 (2) 報酬の性格・額について原判決の認定事実によれば,亡Aの本件報酬は,本件映画1本の撮影作業に対するものとして120万円とされており,撮影日数に多少の変動があっても報酬の変更はないものとされていたものの,青銅プロで決まっている日当と予定撮影日数を基礎として算定した額に打ち合わせへの参加等を考慮して決められたものであるから(原判決59頁,68頁),労働者性について疑う余地のない他の撮影助手,照明技師等について支払われていた報酬と本質的な差異があるということはできない。また,亡Aは,合計33日間本件映画の撮影等に従事してその途中で死亡しているところ(同72ないし73頁),撮影の3分の2を消化したという理由で84万円が支払われていたというのであるが(同60頁),33日間という日数は当初の撮影予定期間である50日の約3分の2に相当し,上記のような支払がなされたこともまた,他の撮影助手等について日当を基礎に日数に応じて報酬が支払われていたことと整合性を有するものといえる。 したがって,亡Aに支払われた報酬は,原判決の説示するような出来高的な要素の強い報 こともまた,他の撮影助手等について日当を基礎に日数に応じて報酬が支払われていたことと整合性を有するものといえる。 したがって,亡Aに支払われた報酬は,原判決の説示するような出来高的な要素の強い報酬というよりは,むしろ賃金の性格の強いものであったということができる。 被控訴人は,本件において,①報酬がどのような性格をもっていたのかは結局は不明であったというほかはなく,これを当然に賃金性が高いとする控訴人の立論は誤りである,②むしろ,撮影が中途に終わった場合の明確な規定がないことこそが,全体としての取り決めが行われたこと,換言すれば,報酬としての性格を強く裏付けるものである旨主張する。 しかし,前判示のとおり,亡Aに対しては,労務提供期間を基準としてその報酬を算定したものということができるのであって,撮影が中途で終わった場合の明確な規定がないからといって,必ずしも報酬としての性格が強く裏付けられるとはいえない。 (3) 仕事の依頼等に対する諾否の自由について原判決の認定事実によれば,亡Aには,本件映画の撮影を引き受けるかどうか,いい換えれば同撮影に関する本件契約を締結するかどうかの自由があったことは明らかであるが,いったん,契約を締結した以上,亡Aは,製作進行係(兼務助監督)EがプロデューサーであるC社長の指示の下に作成した予定表に従って行動しなければならなくなり(原判決69ないし70頁),また,前判示のとおり,撮影技師として本件映画についてのB監督のイメージを把握してこれを映像に具象化すべき立場にあったから,本件映画の撮影に関し,亡Aが具体的な個々の仕事についてこれを拒否する自由は制約されていたということができる。 この点に関し,原判決は,亡Aの,個別的な仕事の依頼に対する諾否の自由の制約は,主として映画製作の特殊性によって生ず 体的な個々の仕事についてこれを拒否する自由は制約されていたということができる。 この点に関し,原判決は,亡Aの,個別的な仕事の依頼に対する諾否の自由の制約は,主として映画製作の特殊性によって生ずるものであり,「使用者」の指揮命令を理由とするものではない旨説示し(同80ないし81頁),被控訴人もほぼ同旨の主張をする。 しかし,もともと使用者の指揮命令は,業務の性質や特殊性を含む業務の内容による必要性を通じて実現されることの方が多いのであって,個別的な仕事の依頼に対する諾否の自由の有無という被控訴人が主張する類の制約も多くの業務に共通するものであり,映画製作のみに固有のものではない。したがって,被控訴人の上記主張は採用することができない。 (4) 時間的・場所的拘束性について亡Aは,本件映画の撮影に従事することによりEの作成した予定表に従って集団で行動し,就労場所もロケ及びロケハンの現場と指定されていたものであって,時間的・場所的拘束性が高いものであったといえることは原判決の説示するとおりである(原判決86頁)。 もっとも,この点に関し,原判決は,このような拘束は映画製作の性質ないし特殊性による面が大きく,「使用者」の指揮命令の必要からされているものではない旨説示し(同頁),被控訴人も同旨の主張をする。 しかし,このような拘束について映画製作の性質ないし特殊性のみを強調することは相当ではなく,かかる時間的・場所的拘束も映画を製作しようとする使用者の業務上の必要性からなされるものとみるべきであることは前記のとおりである。したがって,被控訴人の前記主張も採用することができない。 (5) 労務提供の代替性の有無本件映画の撮影について,青銅プロは,亡Aの撮影技師としての技術に着目したB監督の推薦があったために,亡Aとの間で本件契約を締結 の前記主張も採用することができない。 (5) 労務提供の代替性の有無本件映画の撮影について,青銅プロは,亡Aの撮影技師としての技術に着目したB監督の推薦があったために,亡Aとの間で本件契約を締結するに至ったことは原判決の認定するところであり(原判決58頁),亡Aに,使用者の了解を得ずに自らの判断で他の者に労務を提供させ,あるいは補助者を使うことが認められていたとはいい難く,亡Aの仕事に代替性が認められているとはいえない。このことは,指揮監督関係を肯定する要素の1つである。 この点に関し,被控訴人は,本件における契約形態が本件撮影業務を一括して請け負ったものであると評価することが可能であり,労務提供の代替性とは別の観点からも亡Aの労働者性を否定できる要素となる旨主張するが,亡Aが,撮影助手としてF及びG並びに照明技師としてDを青銅プロに推薦したものの,同人らはいずれも青銅プロとの間で個別に契約を締結していることは原判決の認定するところであって(原判決67ないし68頁),本件撮影業務を一括して請け負ったことを示す証拠はないから,同主張はその前提において失当である。 (6) 機械・器具の負担関係について亡Aが本件映画の撮影に使用した撮影機材は,中尊寺金色堂の撮影について自己のカメラを使用したほかはすべて青銅プロのものであったものであり,この事実が亡Aの労働者性をうかがわせる要素といえることは,原判決の説示するとおりである(原判決91頁)。 被控訴人は,亡Aが上記のように中尊寺金色堂の撮影に自己のカメラを使用したことが,撮影技師としての裁量が認められていたことを示すものであり,労働者性を否定する一要素である旨主張するが,亡Aが自己のカメラを使用したのはごく例外的であったことは原判決も認定するとおりであって,上記主張は採用できない。 (7 められていたことを示すものであり,労働者性を否定する一要素である旨主張するが,亡Aが自己のカメラを使用したのはごく例外的であったことは原判決も認定するとおりであって,上記主張は採用できない。 (7) 専属性の程度について亡Aが経済的に青銅プロの仕事に依存していたということはできず,亡Aの青銅プロへの専属性の程度が低かったというべきであることは原判決の説示するところであり(原判決91ないし92頁),被控訴人も,亡Aが,本件契約の期間中すべてを拘束されるわけではなく,他の仕事に従事することは自由であり,C社長の承諾を得る必要もなかった旨主張し,亡Aの専属性の程度が低かったことを主張しようとするものと解される。 しかし,本件において,前記のとおり指揮監督関係が認められることに照らすと,専属性の程度が低かったとしても,このことが直ちに亡Aの労働者性の判断に大きな影響を及ぼすものとはいえないから,上記主張もまた採用できない。 (8) 服務規律の適用について亡Aには,従業員の就業時間,休憩時間,休日及び服務規律等を定めた青銅プロの就業規則は適用されず,亡Aの報酬の支払時期も,青銅プロの従業員と異なる時期とされたことはいずれも原判決の認定するとおりであるが(原判決92頁),これらの事実も指揮監督関係が認められる本件においては,労働者性の判断に大きな影響を及ぼすものではないというべきである上,原審証人Eの証言によれば,亡Aのみではなく,青銅プロの従業員であると否とを問わず,ロケの期間中は,撮影スタッフに対しては就業規則が適用されないのが通例であったことが認められるから,亡Aに対して,青銅プロの就業規則が適用されなかったことは,必ずしも亡Aの労働者性を否定する要素とはならない。 この点に関し,被控訴人は,亡Aに対しては,始業終業時刻,労働時間,休 認められるから,亡Aに対して,青銅プロの就業規則が適用されなかったことは,必ずしも亡Aの労働者性を否定する要素とはならない。 この点に関し,被控訴人は,亡Aに対しては,始業終業時刻,労働時間,休日,休憩,服務規律,制裁等を定めた青銅プロの就業規則は適用されず,契約時においてもこの点についての取り決めはしておらず,実際にも,撮影現場においては,出勤簿やタイムカードはなく,時間外労働という観念もなく,労働時間管理が行われていなかったことは明らかであり,労働者性を否定する大きな要素である旨主張するが,これらの事情も,本件において労働者性を否定する要素とはならないことは前記と同様である。 (9) 公租などの公的負担関係について原判決の認定事実によれば,亡Aの本件報酬に関しては,給与に関する源泉徴収ではなく,「芸能人報酬に関する源泉徴収」(所得税法204条1項5号参照)がされており,亡Aも本件報酬を事業所得として確定申告していることが認められる(原判決61頁)。しかし,所得税の申告形式のみを捉えて使用従属関係を否定することは相当ではない上,原審提出の甲36及び原審証人Hの証言によれば,事業所得として申告することは,労働者性の認められる他の撮影助手等の映画スタッフについてもほぼ同様であったことが認められるから,所得税の申告形式から労働者性を否定することはできない。 他方,原判決が認定及び説示するとおり,青銅プロが昭和60年4月から昭和61年3月まで労災保険料の算定基礎に亡Aに対する本件報酬を含めていたことは,亡Aの労働者性を肯定する要素であり(原判決61ないし62頁及び93頁),ただ亡A分を含めた労災保険料の納付が青銅プロの判断において行われたにすぎず,被控訴人の労働者性の判断に基づいて行われているわけではないから,そのことから直ちに亡A 決61ないし62頁及び93頁),ただ亡A分を含めた労災保険料の納付が青銅プロの判断において行われたにすぎず,被控訴人の労働者性の判断に基づいて行われているわけではないから,そのことから直ちに亡Aが「労働者」であったということができないことも原判決の説示するとおりであるが,しかし,この事実が,労働者性の判断において1つの要素となることは否定できない。 この点に関し,被控訴人は,事業者において報酬を誤って賃金として支払った場合の措置について主張するが,本件では,被控訴人の主張するような措置がとられた事例であることを認めるべき証拠はないから,同主張は上記の判断を左右しない。 (10) 以上(1)ないし(9)にみたとおり,亡Aの本件映画撮影業務については,亡Aの青銅プロへの専属性は低く,青銅プロの就業規則等の服務規律が適用されていないこと,亡Aの本件報酬が所得申告上事業所得として申告され,青銅プロも事業報酬である芸能人報酬として源泉徴収を行っていること等使用従属関係を疑わせる事情もあるが,他方,映画製作は監督の指揮監督の下に行われるものであり,撮影技師は監督の指示に従う義務があること,本件映画の製作においても同様であり,高度な技術と芸術性を評価されていた亡Aといえどもその例外ではなかったこと,また,報酬も労務提供期間を基準にして算定して支払われていること,個々の仕事についての諾否の自由が制約されていること,時間的・場所的拘束性が高いこと,労務提供の代替性がないこと,撮影機材はほとんどが青銅プロのものであること,青銅プロが亡Aの本件報酬を労災保険料の算定基礎としていること等を総合して考えれば,亡Aは,使用者との使用従属関係の下に労務を提供していたものと認めるのが相当であり,したがって,労基法9条にいう「労働者」に当たり,労災保険法の「労働者 算定基礎としていること等を総合して考えれば,亡Aは,使用者との使用従属関係の下に労務を提供していたものと認めるのが相当であり,したがって,労基法9条にいう「労働者」に当たり,労災保険法の「労働者」に該当するというべきである。 5 以上によれば,亡Aは,労災保険法における「労働者」に該当すべきこととなるところ,本件処分においては,亡Aの労働者性が否定されたのみで,死亡の業務起因性については未だ判断されていないから,裁判所としては,亡Aの死亡の業務起因性の有無について認定,判断を留保した上,本件処分を違法として取り消すべきものであるところ(最高裁平成5年2月16日判決・民集47巻2号473頁参照),これと結論を異にする原判決は取消を免れない。 第5 結論よって,原判決を取り消し,本件処分を取り消すこととして,主文のとおり判決する。 東京高等裁判所第21民事部裁判長裁判官石垣君雄裁判官大和陽一郎裁判官蓮井俊治
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