平成18(ワ)987 損害賠償請求事件

裁判年月日・裁判所
平成22年12月16日 さいたま地方裁判所
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判決文本文23,259 文字)

- 1 - 主文 1 被告は,原告らに対し,それぞれ220万円及びこれに対する平成14年6月15日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 2 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。 3 訴訟費用はこれを10分し,その9を原告らの負担とし,その余を被告の負担とする。 4 この判決の主文1項は,仮に執行することができる。 事実及び理由 第1 請求 1 被告は,原告らに対し,それぞれ3918万5537円及びこれに対する平成14年6月15日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 2 訴訟費用は被告の負担とする。 3 仮執行宣言第2 事案の概要 1 事案の要旨本件は,原告らの子で当時4歳であったDが,被告の経営する埼玉県a市所在のE歯科医院において虫歯治療を受けた際に,局所麻酔剤を原因とするアナフィラキシーショックにより呼吸循環不全に陥り,搬送先の病院で死亡したのは,被告が局所麻酔剤投与後にDのバイタルサインを観察する義務を怠ったこと又は被告が迅速かつ適切な救急処置を怠ったことが原因であるとして,原告らが,被告に対し,不法行為又は債務不履行に基づき,それぞれ3918万5537円及びこれに対するDが死亡した日である平成14年6月15日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。 2 前提事実(争いがないか,後掲の証拠及び弁論の全趣旨により認められる事実)- 2 -(1) 当事者ア原告A及び原告Bは,Dの両親である。 イ被告は,埼玉県a市において,E歯科医院を開設して経営する開業歯科医師である。 (2) 診療経過ア Dは,初診日である平成14年5月14日以降,E歯科医院にお 両親である。 イ被告は,埼玉県a市において,E歯科医院を開設して経営する開業歯科医師である。 (2) 診療経過ア Dは,初診日である平成14年5月14日以降,E歯科医院において歯科治療を受けていた。 原告Bは,同年6月15日午後4時20分ころ(以下,時刻のみを記載する場合は,同日の時刻を指すものとする。),予約をした上で,Dを連れてE歯科医院を訪れ,被告にDの治療を依頼した。 被告による診察の結果,Dは,右下顎第2乳臼歯の治療が必要であると診断された。 イそのほか,平成14年5月14日から同年6月15日までのE歯科医院におけるDの診療経過は,別紙診療経過一覧表「日時診療経過」欄(ただし,下線部は除く。)記載のとおりである。(別紙診療経過一覧表「証拠」欄記載の各証拠)ウ E歯科医院に到着した救急車は,Dを収容して午後5時6分にE歯科医院を出発し,午後5時7分にF病院に到着した。 同病院到着時,Dは心肺停止状態であった。同病院において,Dに気管内挿管,エピネフリン投与,心マッサージ等の心肺蘇生術が施されたが,午後5時42分,Dの死亡が確認された。(甲A7)(3) Dの死因Dの死因は,E歯科医院で使用された歯科用局所麻酔剤オーラ注カートリッジ(以下「オーラ注」という。)を原因とするアナフィラキシーショックによる呼吸循環不全であった。 (4) 医学的知見(甲A1,A2,B1ないしB8,B14の2,B15(G医- 3 -師作成の意見書。以下「G意見書」という。),乙B1,B3,B6,鑑定人Hの鑑定結果(以下,同人作成の鑑定書及び同人に対する補充鑑定の結果を総称して「H鑑定意見」という。),鑑定人Iの鑑定結果(以下,同人作成の鑑定書及び同人 書」という。),乙B1,B3,B6,鑑定人Hの鑑定結果(以下,同人作成の鑑定書及び同人に対する補充鑑定の結果を総称して「H鑑定意見」という。),鑑定人Iの鑑定結果(以下,同人作成の鑑定書及び同人に対する補充鑑定の結果を総称して「I鑑定意見」という。))アアナフィラキシーショック(ア) アナフィラキシーショックとは,肥満細胞や好塩基球に結合している抗体に抗原が結合することで起こる即時性反応により細胞内からヒスタミンやSRS-Aなどのケミカルメディエーターが遊離され,気管支の強い収縮,血管床の拡大をもたらし,高度の呼吸困難や血圧の低下からショック症状を発症させる状態をいい,重篤な状態になると急激な死亡に至る。(甲A2,乙B6)(イ) アナフィラキシーショックの発症にはIgE抗体が関与し,もともと素因をもつ患者に薬剤を投与すると,初回投与後に体内にIgE抗体が産生され,肥満細胞や好塩基球に結合する。2度目に投与される同種,同系の薬剤が抗原となり,IgE抗体に対してアレルギー反応を起こす。 IgE抗体と結合した肥満細胞や好塩基球が活性化され,ヒスタミン,セロトニンなどの化学物質を放出し,血管,粘膜,平滑筋などに作用して,以下の臨床症状を呈する。 アナフィラキシーショックの前駆症状として,口腔内の違和感,舌の熱感,四肢のしびれ,冷汗,生あくびの連発,皮膚症状などが発現する。 自覚症状には,顔面・全身の熱感,掻痒感,口唇・舌・四肢のしびれ,悪心,嘔気,呼吸困難感,視力減弱感,めまい感,頭痛,耳鳴り,全身虚脱感,尿意,便意などがある。他覚症状には,蕁麻疹,固定疹,水疱性発疹,血管神経性浮腫,嘔吐,下痢,失禁,気管支喘息様発作,チアノーゼ,咽頭・喉頭浮腫,呼吸不全,頻脈,不整脈,血圧低下,全身痙- 4 -攣,意識消失,心 。他覚症状には,蕁麻疹,固定疹,水疱性発疹,血管神経性浮腫,嘔吐,下痢,失禁,気管支喘息様発作,チアノーゼ,咽頭・喉頭浮腫,呼吸不全,頻脈,不整脈,血圧低下,全身痙- 4 -攣,意識消失,心停止などがある。もっとも,アナフィラキシーショックの症状は様々であり,これらの症状がすべて発現するとは限らない。 (甲B3,B6)(ウ) 歯科治療に使用する局所麻酔剤及び局所麻酔剤に添加されている防腐剤(メチルパラベン),酸化防止剤(ピロ亜硫酸ナトリウム)は,アナフィラキシーショックを引き起こす可能性がある。局所麻酔剤によるアナフィラキシーショックの症状は,注射後2,3分から15分で現れることが多い。(甲B3,B5,乙B1)重篤なアナフィラキシーショックでは症状の進行が非常に早く,局所麻酔剤投与から心停止までの時間の中央値は5分から15分である。 (G意見書)イ局所麻酔剤使用上の留意点(甲B4)オーラ注は,その投与によりまれにショックあるいは中毒症状を起こすことがあるので,使用の際には,常時,直ちに救急処置のとれる準備をしておくことが望まれる。 また,オーラ注の投与に際し,副作用を完全に防止する方法はないが,ショックあるいは中毒症状をできるだけ避けるために,患者の全身状態の観察を十分行うことに留意する必要がある。 ウバイタルサイン(甲B2)(ア) バイタルサインとは,いわゆる生命の徴候のことであり,その確認は,意識があるかないか,呼吸をしているかどうか,血液の循環があるかないかの3点を把握することで行う。 (イ) 意識の確認には,痛みの刺激に対する患者の反応を見る方法が汎用されるが,歯科治療中は,呼びかけに対する反応を見る方法もある。 呼吸の確認は,歯科治療のために患者を座位や水平位にして (イ) 意識の確認には,痛みの刺激に対する患者の反応を見る方法が汎用されるが,歯科治療中は,呼びかけに対する反応を見る方法もある。 呼吸の確認は,歯科治療のために患者を座位や水平位にしている場合には胸郭の動きを観察して行う。また,低酸素症のサインであるチアノ- 5 -ーゼの場合には口唇あるいは四肢の爪が青紫色に変化することから,これらの部位を観察する。また,手を患者の口や鼻の上にかざして呼気を直接感じたり,呼吸音,呼吸数も把握する。 循環動態の確認は,患者の身体に触り脈拍等を把握することで行う。 脈拍は,通常は橈骨動脈を触診して把握する。脈拍からは,患者の緊張感,身体のリズム,脈拍数などがわかり,さらに皮膚の性状や温冷感,浮腫の有無や皮膚弾性など,多くの所見から全身状態が推察できる。また,患者の顔色,動作などを観察することで,血色や運動機能,体格や四肢の動かし方など,心拍出量や血行動態の推定に必要な所見を得ることができる。 エアナフィラキシーショックに対する処置(甲B3,B5,B7)アナフィラキシーショックの症状の発現と同時に薬剤の投与を中止し,以下のとおり,呼吸・循環器系に対する処置を迅速に行う。アナフィラキシーショックの症状を疑った場合には,早期に,緊急薬剤投与のための静脈路確保の準備,エピネフリン,ステロイド静注の準備,気道確保と人工呼吸,酸素投与の準備を整える。 (ア) 循環器系症状に対する処置血圧上昇と心拍数増加を目的としてエピネフリン(ボスミン)1筒(1ml,1mg)を10倍に希釈(1筒を生食液10mlに希釈)し,1ml(0.1mg)ずつ緩徐に静注する。静脈路の確保が困難な場合や確保する時間がない場合は,希釈せずに0.3~0.5mlを筋注する。 (甲B3)あ 希釈(1筒を生食液10mlに希釈)し,1ml(0.1mg)ずつ緩徐に静注する。静脈路の確保が困難な場合や確保する時間がない場合は,希釈せずに0.3~0.5mlを筋注する。 (甲B3)あるいは,1000倍希釈のエピネフリン(0.3mg)を筋注または静注する。症状の改善のないときはこれを5~10分ごとに4~5回投与する。(甲B5)頸動脈の拍動を触知せず,血圧測定不能の場合には,非開胸式心マッ- 6 -サージを行う。 (イ) 呼吸器系症状に対する処置気道閉塞,呼吸停止の場合には,気道の確保を行う。徒手あるいはマスク・バッグ,エアウェイ,気管内チューブなどを用いるが,浮腫が原因で気道確保に難渋する場合は,直ちに副腎皮質ステロイド(ソル・コーテフ)100~200mgを静注または筋注する(なお,浮腫が強い場合などでは大量投与が推奨されており,1度に1000mgを静注する。)。 喘息様症状に対しては,アミノフィリン(ネオフィリン,1アンプル250mg)を生食液または糖液に希釈し,10~15分間を要して緩徐に静注する。 オ心肺蘇生法(甲B3,乙B3)(ア) 気道確保気道とは,鼻腔・口腔,咽頭,喉頭,気管,気管支,肺胞からなる空気の通り道である。気道の確保とは,何らかの原因で閉塞している気道を開通させ,その状態を保つことである。人工呼吸に際しては,確実に気道が開通されていなければならない。 気道が確保された時点で自発呼吸がなく,呼吸停止や心停止が認められたならば,速やかに人工呼吸,非開胸式心マッサージを行わなければならない。 (イ) 人工呼吸口対口人工呼吸法では,まず患者を頭部後屈,あご先挙上の状態にして気道を開通させ,拇指と示 ,速やかに人工呼吸,非開胸式心マッサージを行わなければならない。 (イ) 人工呼吸口対口人工呼吸法では,まず患者を頭部後屈,あご先挙上の状態にして気道を開通させ,拇指と示指で患者の鼻腔を塞ぎ,吹き込んだ空気が鼻腔から漏れないようにし,それから他方の手の拇指で患者の下唇を開いて開口させる。術者は十分に呼気をためて患者の口を完全に被い,胸郭の上がり具合を見ながら呼気を吹き込む。 - 7 -バッグ・マスクは,自動的にふくらむバッグとマスク及びこれを接続する非再呼吸弁からなる人工呼吸器を用いて行う人工呼吸法である。バッグ後部の酸素取り入れ孔を酸素ボンベに接続すれば,高濃度酸素の供給が可能となる。 (ウ) 非開胸式心マッサージ非開胸式心マッサージは,胸骨から脊柱方向に圧迫する力を加え,胸郭内の心臓を間接的に圧迫し,心室から肺動脈・大動脈へ血液を送り出す方法である。 非開胸式心マッサージは,患者を水平伏臥位とし,術者は患者の胸骨の中央部あるいはそのやや下方の部位に手の基部を当て,他方の手をその上に交叉させて行う。術者は肘を伸ばし,肩の位置が患者の胸骨の真上にくるように胸骨から脊柱の方向へ垂直に力を加える。この圧迫を1分間に80から100回の割合で繰り返す。 3 争点(1) バイタルサインを観察する義務を怠った過失(2) 迅速・適切な救急処置を行うべき義務を怠った過失(3) 過失とDの死亡との因果関係,相当程度の可能性(4) 損害額 4 争点に対する当事者の主張(1) 争点(1)(バイタルサインを観察する義務を怠った過失)についてア原告らの主張歯科治療の大部分は,患者の生体に対する侵襲となり,様々な生理的変化を引き起 に対する当事者の主張(1) 争点(1)(バイタルサインを観察する義務を怠った過失)についてア原告らの主張歯科治療の大部分は,患者の生体に対する侵襲となり,様々な生理的変化を引き起こし,生命を維持するための恒常性に影響を及ぼすものである。 とりわけ局所麻酔剤投与後は,患者がアナフィラキシーショックを起こす可能性があるから,歯科医師は,患者の意識,呼吸,循環等のバイタルサインを観察し的確に把握しなければならない。オーラ注の使用説明書(甲- 8 -B4)にも,「まれにショックあるいは中毒症状を起こすことがあるので,局所麻酔剤の使用に際しては,常時,直ちに救急処置のとれる準備が望ましい。」と記載されており,また,「重大な副作用」として,ショックが現れることがあるので患者の全身状態の観察を十分に行うべきことが明記されている。 さらに,Dは当時4歳であり,自己の状態を説明する能力が十分であったとはいえないこと,ラバーダムは患者の全身状態の把握に不向きであることからすれば,被告は,Dに対してラバーダムを使用するに際しては,Dと会話するよう心がけて,Dの意識・呼吸・循環の消失を直ちに把握できるように十分な観察をすべきであった。 患者のバイタルサインの確認は,意識があるかないか,呼吸をしているかどうか,血液循環があるかないかの3点を把握することで足り,その観察方法についても,高度な技術や機器が必要とされているものではなく,むしろ極めて簡単かつ当然のことが要求されているに過ぎない。 被告は,Dにオーラ注を使用するに当たって,アナフィラキシーショックが起こりうることを予測して,Dのバイタルサインを観察すべき注意義務を負っていたにもかかわらず,Dにオーラ注を投与した後,Dが急におとなしくなったのを眠ったものと軽信し,上記注意義務を怠 ーショックが起こりうることを予測して,Dのバイタルサインを観察すべき注意義務を負っていたにもかかわらず,Dにオーラ注を投与した後,Dが急におとなしくなったのを眠ったものと軽信し,上記注意義務を怠った。 被告は,統計上局所麻酔剤によるアナフィラキシーショックの発症確率が低いことをもって被告にアナフィラキシーショックを予見して治療に当たる義務はなかった旨を主張するが,アナフィラキシーショックにより患者の死亡という重大な結果がもたらされる危険があることからすれば,発症確率が低いなどという理由で上記注意義務を免れることができないことは明らかである。 イ被告の主張平成14年当時の医療水準では,一般の歯科医師は,アナフィラキシー- 9 -ショックの発症を抽象的に予見できたとしても,極めて発生率の低いアナフィラキシーショックの発症を予見して治療に当たることは困難であった。 アナフィラキシーショックの典型的な症状には,顔面から胸部にかけての蕁麻疹・掻痒感などの皮膚症状,嘔吐・失禁などの消化器症状,気管支喘息・呼吸困難などの呼吸器症状,血圧低下などの循環器症状があるところ,被告は,Dがアレルギー体質でないことの確認を行った上で治療を開始し,さらに,オーラ注1.0mlのうちごく少量を試験的に注射してDの様子を観察し,Dに上記アナフィラキシーショックの典型的な症状を含むアレルギー症状,中毒症状等が発症していないことを確認して残りのオーラ注を注射した。 その後,被告は,Dが麻酔の影響で眠ったものと判断して治療に専念した。Dの治療中は,バイトブロック(開口状態を保持するため口腔内に入れておく器具)を抑えるため手をDの下顎に触れさせ,これによりDの温もりを感じながら身体的変化を確認していたが,Dに身体的変化はなく,痙攣や喘息のような臨床症 ック(開口状態を保持するため口腔内に入れておく器具)を抑えるため手をDの下顎に触れさせ,これによりDの温もりを感じながら身体的変化を確認していたが,Dに身体的変化はなく,痙攣や喘息のような臨床症状もなかった。 また,被告は,Dに装着していたラバーダム(治療歯を唾液から守り,口唇,頬,舌などの障害物から隔離するゴム製シート)を外そうとした際に,Dの口周辺の異常を発見したが,この時点までに,Dに蕁麻疹,呼吸困難,血圧低下及びそれに伴う顔面蒼白,痙攣などのアナフィラキシーショックの臨床症状は,全く現れていなかった。なお,司法解剖では,Dに喉頭浮腫が生じていたことが明らかとなったが,同症状は体表に発生したものではないから,被告がこれを認識することは不可能であった。 以上のとおり,本件では,被告にDのバイタルサインの観察を怠った過失はない。 (2) 争点(2)(迅速・適切な救急処置を行うべき義務を怠った過失)について- 10 -ア原告らの主張被告は,アナフィラキシーショックへの対処として,症状発現と同時に薬剤の投与を中止し,血圧上昇と心拍数増加のためエピネフリンを投与し,気道閉塞,呼吸停止の場合には徒手,マスク・バッグ,エアウェイ,気管内チューブを用い,浮腫が原因で気道確保に難渋する場合には直ちにステロイド剤を投与すべきであった。これらの処置は,歯科医学文献(甲B3)で必要とされているものであり,本件においても全て実施されて然るべきものである。 しかるに,被告は,Dの異変に気付いた後,エア・ウエイ等の使用による気道・呼吸の確保やエピネフリン等による循環の確保を行わずに,Dの下を離れて酸素吸入器を取りに行ったもので,Dに迅速・適切な救急処置を行うべき注意義務を怠った。 イ被告の主張被告は,Dの異常事態に気付いた後,直ち ネフリン等による循環の確保を行わずに,Dの下を離れて酸素吸入器を取りに行ったもので,Dに迅速・適切な救急処置を行うべき注意義務を怠った。 イ被告の主張被告は,Dの異常事態に気付いた後,直ちにDの口腔内に異物がないことを確認し,Dの体位を仰臥位としてオトガイ挙上にして人工呼吸を行った。その後,被告は,患者としてE歯科医院に来院していた看護師のJが被告に代わってDの人工呼吸を始めたことから,酸素吸入器を取りに行き,これを組み立てて使用したが,Dが自発呼吸をしていなかったため,酸素吸入器の使用を中止してDに心マッサージ等の救急処置を行った。このように,被告は,Dに対し,一時的救命処置である気道の確保,人工呼吸,心マッサージを行っており,平成14年当時の医療水準において,歯科医師としてなし得る救急処置を尽くした。 これに対し,原告らは,エア・ウエイの使用やエピネフリンの投与をすべきであった旨主張するが,これらは二次的な救命処置であって,歯科医師が行うには限界があるし,オーラ注はそれ自体エピネフリンを含有するところ,Dに生じた異常の原因が不明であるのにエピネフリンを投与する- 11 -ことは,逆に救命可能性を著しく下げかねない行為である。 また,原告らは,被告がDに気管内挿管をすべきであった旨主張するが,平成14年当時,気管内挿管を歯科医師が行うことは医師法違反であり,また,歯科医師は気管内挿管の訓練を受けておらず,気管内挿管に必要な医療器具も備え付けていない。 以上のとおり,本件では,被告に迅速・適切な救急処置を行うべき義務を怠った過失はない。 (3) 争点(3)(過失とDの死亡との因果関係,相当程度の可能性)についてア原告らの主張(ア) 因果関係Dは,午後4時36分の時点で呼吸困難により泣いて暴れていたの 過失はない。 (3) 争点(3)(過失とDの死亡との因果関係,相当程度の可能性)についてア原告らの主張(ア) 因果関係Dは,午後4時36分の時点で呼吸困難により泣いて暴れていたのがその後急におとなしくなったこと,Dの異常発見後,Dが救命処置に全く反応しなかったことからすれば,午後4時36分の時点においてDがアナフィラキシーショックを発症しており,それから被告が治療を中断するまでの約20分もの間,Dが意識消失の状態にあったことは明らかである。被告は,オーラ注を使用した後,Dのバイタルサインを観察する義務を怠ったため,その後治療を中断するまでの約20分もの間,Dの異常に気づかず,アナフィラキシーショックの初期症状を看過したのである。 医学文献(甲B6,B8)には,アナフィラキシーショックに陥った患者の94%は完全な回復を示し,死亡率はわずか4.8%であること,発症後5分間の処置が予後を決定づけることが記されている。 また,Dの体内から検出された高濃度のヒスタミン値は,Dの死亡後の細胞崩壊によってヒスタミン濃度が急激に上昇した結果であり,Dのアナフィラキシーショックが重症であったことを示すものではない。Dの解剖所見(甲A2)からは,気道を塞ぐほどの浮腫の存在は認められ- 12 -なかったことなどからして,Dのアナフィラキシーショックは軽度のものであった。 したがって,被告がDのバイタルサインを観察していれば,Dの呼吸が停止した時点で直ちにDの異常を発見し,Dを救命することは十分可能であったし,被告がDの異常を発見してから直ちにエア・ウェイの使用及びエピネフリンの吸入ないし皮下注射等を行うことによっても,Dの救命は可能であった。 (イ) 相当程度の可能性仮に,被告の過失とDの死亡との間に因果関係が認められな ら直ちにエア・ウェイの使用及びエピネフリンの吸入ないし皮下注射等を行うことによっても,Dの救命は可能であった。 (イ) 相当程度の可能性仮に,被告の過失とDの死亡との間に因果関係が認められないとしても,上記(ア)の事情に加えてアナフィラキシーショックが生じた場合に早期の対処により多くの事例において患者の救命がなされていることなどからすれば,本件では,適切な医療が行われていたならばDがその死亡時においてなお生存していた相当程度の可能性は,十分に認められる。 イ被告の主張(ア) 因果関係原告らが根拠として挙げる救命割合のデータは,一般病院と専門病院の区別,救急救命処置のための専門設備の有無等をすべて捨象したものであり,本件事案においてDの救命可能性があったことを基礎付けるものではない。 本件では,Dのアナフィラキシーショックがどの時点で,どの程度重篤化していたかは証拠上明らかにされていないのであるから,被告が注意義務を尽くしていれば実際よりも早くDの呼吸循環不全に気づいていたとか,実際よりも早くDが搬送されていれば救命が可能であったなどと断定することはできない。 Dの体内で高濃度のヒスタミンが測定されていることなどからして,Dのアナフィラキシーショックは重症だったのであり,本件において被- 13 -告がDの異常に気がついたときはもちろん,仮に,被告がDの異常により早く気がついてから直ちに救命処置を施していたとしても,Dの救命可能性はなかった。 (イ) 相当程度の可能性仮に,被告が実際よりも早期にDの異常に気づき,救命処置を施して救急搬送をしていたとしても,Dが生存していた相当程度の可能性はなかった。 (4) 争点(4)(損害額)についてア原告らの主張(ア) 逸失利益 3177万10 ,救命処置を施して救急搬送をしていたとしても,Dが生存していた相当程度の可能性はなかった。 (4) 争点(4)(損害額)についてア原告らの主張(ア) 逸失利益 3177万1074円Dは,死亡当時満4歳であり,被告の医療過誤により死亡しなければ18歳から67歳まで49年間は就労可能であったと考えられる。そこで,賃金センサス平成14年第1巻第1表(産業計,全労働者)に基づき,Dの就労可能期間における逸失利益を計算(ライプニッツ方式,生活費控除3割として算定)すると,3177万1074円(494万6300円×(1-0.3)×9.176)となる。 (イ) 慰謝料 2800万円被告の医療過誤により幼くして命を奪われたDに対する慰謝料として相当な額は2800万円を下回らない。 (ウ) 葬儀費用 150万円(エ) 弁護士費用 610万円医療過誤訴訟は,弁護士に依頼せずに遂行することは困難であり,原告らが本件訴訟の終了後までに支払う弁護士費用のうち,上記(ア)ないし(ウ)の1割に相当する610万円については,被告の過失と相当因果関係がある。 (オ) 原告ら固有の損害各550万円- 14 -a 慰謝料幼い子の生命を奪われた原告らの精神的苦痛は,筆舌に尽くしがたく,少なくとも各500万円を下回らない金額によって慰謝されるべきである。 b 弁護士費用上記(エ)と同様に,上記aの1割に相当する50万円は,被告の過失と相当因果関係がある。 (カ) 以上によれば,上記(ア)ないし(エ)のDに生じた損害額の合計は6737万1074円であるところ,原告らは,Dの父母として相続により,各2分の1ずつDの損害賠償債権を承継した。こ る。 (カ) 以上によれば,上記(ア)ないし(エ)のDに生じた損害額の合計は6737万1074円であるところ,原告らは,Dの父母として相続により,各2分の1ずつDの損害賠償債権を承継した。これに上記(オ)の原告ら固有の損害額である各550万円を加算すると,原告らは,被告に対し,それぞれ3918万5537円の損害賠償請求権を有することとなる。 イ被告の主張損害についてはいずれも不知ないし争う。 第3 当裁判所の判断 1 認定事実(1) 証拠(甲A1ないし7,乙A1ないし8,証人J,証人K,原告A本人,被告本人)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。 ア原告Bは,平成14年5月14日,Dと共に,初診としてE歯科医院に来院し,被告の歯科治療を受けた。 被告は,同日,Dの歯科治療に先立ち,診療アンケート(乙A1)を実施してDのアレルギーの有無について確認したところ,Dに薬物アレルギーはないとの回答があった。 イ原告Bは,E歯科医院に電話をし,Dの歯科治療を同年6月15日午後4時20分に行うとの予約を入れた。 - 15 -原告B及びDは,同日,E歯科医院に来院し,4時20分ころ,E歯科医院の診療室に入室した。 ウ診療室に入室した際のDは,少し泣いている様子であった。 被告は,Dを診療台に座らせ,E歯科医院の歯科助手であるKに対し,Dをタオルケットでくるむように指示をした。Kは,被告の指示を受け,Dの体の下にタオルケットを敷き,その両端を左右からDの上に掛けてDの体をくるんだ。 診療台の上でタオルケットにくるまれたDは,診療を嫌がるように首を揺すってむずがる様子を見せていた。 原告Bは,被告から指示を受け,Dの診療中 の上に掛けてDの体をくるんだ。 診療台の上でタオルケットにくるまれたDは,診療を嫌がるように首を揺すってむずがる様子を見せていた。 原告Bは,被告から指示を受け,Dの診療中,診療台の横に膝をついて座り,Dの足下の方からDの体を押さえていた。 エ被告は,午後4時25分ころ,Dに対し,オーラ注1.0mgのうちごく少量を注射し,約30秒後,Dに異常な徴候が生じないことを確認し,さらに残量を注射した。 被告は,午後4時26分ころ,Dにラバーダムを装着しようとしたが,なかなかラバーダムを装着することができず,同日午後4時33分ころになってようやくDに緑色のラバーダムを装着した。 ラバーダム装着後,被告は,Dの歯科治療を開始した。 オ午後4時40分にE歯科医院で歯科治療を受ける予約をしていたJは,午後4時36分にE歯科医院に到着した。同時刻ころ,Jは,E歯科医院の待合室の椅子に座るとすぐに,診察室の方向からDの泣き声がするのを耳にした。 その後,Dは,歯髄除去が行われる午後4時38分ころには泣きやんだ。 同時刻ころ,被告は,Dがいつの間にか泣きやんだことに気がついたが,オーラ注の影響によりDが眠ったものと判断し,Dが眠っている間に治療を進めようと考え,呼びかけに対する反応を確認することはせず,また,- 16 -Dが鼻や口から呼吸をしているかどうかを確認したり,Dの脈を取ることもなく,Dの治療を継続した。 カ Dは,午後4時38分ころ,オーラ注を原因とするアナフィラキシーショックを発症し,直ちにアナフィラキシーショックを原因とする呼吸停止状態から低酸素血症による血圧低下を起こし,同時に,循環虚脱に陥り心肺停止状態となった。なお,Dのアナフィラキシーショックは,皮膚 ョックを発症し,直ちにアナフィラキシーショックを原因とする呼吸停止状態から低酸素血症による血圧低下を起こし,同時に,循環虚脱に陥り心肺停止状態となった。なお,Dのアナフィラキシーショックは,皮膚・粘膜等に症状が発現する間もなく,直ちに呼吸停止から循環虚脱に陥る重篤なものであり,Dにアナフィラキシーショックの皮膚所見は現れなかった。 被告は,Dの治療中,治療器具を変える度にDの顔や唇を観察し,手をDの下顎に触れながらDの治療を行っていたが,午後4時57分ころまでの間,Dの異常に気がつかなかった。 キ被告は,午後4時57分ころ,Dの顔面が蒼白になっていることに気がつき,Dのラバーダム及びバイトブロックを外して口腔内に異物がないかどうかを確認した。被告は,午後4時58分ころ,歯科助手に救急車を呼ぶよう指示した。 同時刻ころ,看護師経験のあるJは,被告の上記指示を聞きつけ,「看護師です。」と言って診療室に入室した。Jは,Dの症状について,顔面蒼白,白目,口唇チアノーゼ,呼吸停止があることを認め,Dの頸動脈が触れておらず,心肺停止状態であることを確認し,Dにマウス・ツー・マウスによる人工呼吸を施した。 被告は,E歯科医院の納戸に酸素吸入器を取りに行ったが,Dが自発呼吸をしていなかったため,酸素吸入器は使用せず,E歯科医院に救急車が到着する午後5時2分までの間,Jと共に,Dに人工呼吸及び非開胸式心マッサージを施した。 ク午後5時2分,E歯科医院に救急車が到着し,被告及び救急隊員によりアンビューバッグによる人工呼吸が行われた。 - 17 -E歯科医院に到着した救急車は,午後5時6分,Dを収容してE歯科医院を出発し,午後5時7分にF病院に到着した。 F病院では,Dに対し による人工呼吸が行われた。 - 17 -E歯科医院に到着した救急車は,午後5時6分,Dを収容してE歯科医院を出発し,午後5時7分にF病院に到着した。 F病院では,Dに対し,気管内挿管,エピネフリン投与,心マッサージ等の心肺蘇生術が施されたが,午後5時42分,Dの死亡が確認された。 ケ平成14年6月17日午前10時10分から午後12時16分までの間,L法医学講座解剖室において,Dの司法解剖が行われた。 司法解剖の結果,Dには,喉頭入口部の粘膜に軽度の浮腫が認められたほか,強度の肺水腫,広範囲にわたる肺出血,分泌物による気管の閉塞が認められた。また,免疫組織科学的検査では,Dの肺組織内の肥満細胞の顆粒及び静脈血内のヒスタミンの増加が認められた。Dの心臓血の血漿中のヒスタミン濃度は260nMol/L(正常値の170~350倍程度)であった。 (2) アナフィラキシーショックの発症時点ア上記(1)の認定に対し,被告は,Dのアナフィラキシーショックが治療中のどの時点で発症したかは明らかではないと主張する。 そこで検討するに,前記認定事実のとおり,本件では,被告が,治療中にDの顔や唇を観察していたにもかかわらず,午後4時57分ころまでの間,発疹等の皮膚所見を認めていないことから,本件でDが発症したアナフィラキシーショックは,皮膚所見を伴わないものであったと認められるところ,発症から短時間で死亡に至る重篤なアナフィラキシーショックでは,担当細胞(肥満細胞又は好塩基球)や化学伝達物質が皮膚症状を発現するような生体反応の時間がなく,皮膚所見が現れないことがあること(G意見書),Dは,オーラ注の注射から約30分後に被告及びJによる人工呼吸や心マッサージが行われたにもかかわらず,約75分後に死亡して るような生体反応の時間がなく,皮膚所見が現れないことがあること(G意見書),Dは,オーラ注の注射から約30分後に被告及びJによる人工呼吸や心マッサージが行われたにもかかわらず,約75分後に死亡していることなどからすれば,Dのアナフィラキシーショックが通常よりも重篤なものであったことは明らかである。 - 18 -イそして,前記医学的知見アのとおり,通常,局所麻酔剤によるアナフィラキシーショックは,注射後2,3分から15分以内に発症し,その中でも重篤なアナフィラキシーショックは,局所麻酔剤投与後5分から15分で心停止に至ることが多いとされていることからすると,Dは,遅くとも,オーラ注が注射された午後4時25分ころから15分後である午後4時40分ころまでにはアナフィラキシーショックを発症していたことが推察され,さらに,本件では,Dが午後4時38分ころに泣きやんで静かになり,その後,Dの状態の変化をうかがわせる事情が認められないことを併せ考えると,Dのアナフィラキシーショックは,午後4時38分ころに発症したとみるのが最も合理的である。 また,Dは,午後4時58分ころの時点で口唇チアノーゼを呈しており,同時刻ころより前に心肺停止状態に陥っていたことは明らかであるところ,上記のとおり,皮膚所見を伴わない重篤なアナフィラキシーショックは,局所麻酔剤投与後15分以内に心停止に至ることが多いとされていることに加えて,重篤なアナフィラキシーショックについては,異常発見時に既に心肺停止状態であった症例が相当数報告されていること(甲B7)に照らせば,Dは,アナフィラキシーショックにより,直ちに呼吸停止状態から低酸素血症による血圧低下を起こし,同時に,循環虚脱から心肺停止状態に至ったとみるのが相当である。 ウ以上によれば,前記認定事実のとおり, ,アナフィラキシーショックにより,直ちに呼吸停止状態から低酸素血症による血圧低下を起こし,同時に,循環虚脱から心肺停止状態に至ったとみるのが相当である。 ウ以上によれば,前記認定事実のとおり,Dは,午後4時38分ころ,オーラ注を原因とするアナフィラキシーショックを発症し,直ちにアナフィラキシーショックを原因とする呼吸停止状態から低酸素血症による血圧低下を起こし,同時に,循環虚脱に陥り心肺停止状態となったことが認められるのであって,発症時点が明らかでないとの上記被告の主張は,採用することができない。 2 争点(1)(バイタルサインを観察する義務を怠った過失)について- 19 -(1) 注意義務の存否及び内容アナフィラキシーショックが重篤な状態になると,患者が呼吸停止,心停止から急激な死亡に至ることがあるが,患者がこれらの重篤な症状に陥った場合でも,患者の気道を確保し,人工呼吸等により患者に酸素を投与した上で,静脈路を確保してエピネフリンを投与するなど,早期に緊急の救命処置を施すか,これらの処置を施すことのできる病院に患者を直ちに転送することにより患者の救命可能性が高まるということは,本件訴訟の証拠として提出された複数の医学文献及び鑑定結果から明らかである。 そして,アナフィラキシーショックを発症した患者に対してこのような緊急の救命処置やそのための患者の転送を行うためには,患者のアナフィラキシーショックの症状を早期に確知認識していることが前提となるところ,一般に,ショック症状などの偶発的症状を早期に確知認識するには,バイタルサインを中心とした患者の全身状態の観察が必要であるとされており(甲B3),オーラ注の使用説明書(甲B4)にも,「使用上の注意」として,「ショックがあらわれることがあるので観察を十 るには,バイタルサインを中心とした患者の全身状態の観察が必要であるとされており(甲B3),オーラ注の使用説明書(甲B4)にも,「使用上の注意」として,「ショックがあらわれることがあるので観察を十分に行い,血圧降下,顔面蒼白,脈拍の異常,呼吸抑制等があらわれた場合には,直ちに投与を中止し,適切な処置を行うこと。」と明記されている。 したがって,歯科医師は,副作用としてアナフィラキシーショックを発症する可能性のある局所麻酔剤を歯科治療に使用する場合には,治療中,患者が重篤なアナフィラキシーショックを発症した場合でもその症状を早期に確知認識することができるように,患者の観察等によりバイタルサインを確認すべき注意義務(以下「バイタルサイン観察義務」という。)を負っているというべきである。 (2) 注意義務違反の有無そこで,本件において,被告がバイタルサイン観察義務を尽くしていたかについて検討する。 - 20 -ア前記認定事実のとおり,被告は,初診時に診療アンケートを実施し,Dのアレルギーの有無を確認しているが,そもそもアンケートにより局所麻酔剤に対するアレルギーの有無を確認することは困難であることに加えて,局所麻酔剤によるアナフィラキシーショックはアレルギーの既往がなくても発症するとされていることからすれば(I鑑定意見),上記診療アンケートを行ってDのアレルギーの有無を確認したことにより被告がバイタルサイン観察義務を免れるということにはならない。 また,被告は,Dの治療に当たって,オーラ注を1.0mlのうちごく少量を試験的に注射してDのアレルギー反応がないことを確認しているが,この試験的な注射によりアレルギー反応がないことから直ちにその後の治療中にもアレルギー反応が現れないということにはな lのうちごく少量を試験的に注射してDのアレルギー反応がないことを確認しているが,この試験的な注射によりアレルギー反応がないことから直ちにその後の治療中にもアレルギー反応が現れないということにはならないから(H鑑定意見),上記確認により被告がバイタルサイン観察義務を免れないことは明らかである。 イ次に,前記認定事実のとおり,被告は,Dの治療中,手をDの下顎に触れているが,これは被告がDの体温の温もりを感じ,Dのバイタルサインを把握しながら治療を行うことを目的とした被告の治療上の配慮であるということができる。 しかしながら,前記医学的知見ウのとおり,バイタルサインの確認は,意識,呼吸状態,循環動態の3点を把握することで行うものとされているところ,体温のみからは,バイタルサインのうち特に呼吸状態を十分に把握することは困難であるし,循環動態についても,治療により手が動いたり,治療に集中することでDの変化を十分に把握できない状態及び時間帯が容易に生じうるのであるから,上記治療上の配慮により,被告がバイタルサイン観察義務を尽くしていたとはいい難い。 ウ本件では,Dの治療のためにバイトブロック及びラバーダムが使用されており,これらの器具を治療に使用している場合には,ラバーダムにより- 21 -患者の顔の一部,特に口唇が隠れ,さらにバイトブロックにより患者の下顎の開閉運動が制限され疼痛時の反応や睡眠中の不随運動が判明しにくくなるのであるから(I鑑定意見),被告は,通常よりも注意深くDのバイタルサインを観察し,さらに観察以外の方法も併用することにより,Dのバイタルサインを把握しておく必要があったというべきである。 特に,午後4時38分ころには,それまで泣いていたDが泣きやんだのであるから,同時刻ころにこ 外の方法も併用することにより,Dのバイタルサインを把握しておく必要があったというべきである。 特に,午後4時38分ころには,それまで泣いていたDが泣きやんだのであるから,同時刻ころにこのようなDの変化を察知した被告としては,Dに声をかけて無理に反応を見ようとする必要まではなかったものの,バイトブロック及びラバーダムを着用した状態のDの顔や唇を観察するだけではなく,Dの変化が入眠したことによるものなのか,何らかの異常が生じたことによるものなのかを鑑別すべく,Dの鼻や口に手をかざすなどの方法によりDが鼻や口のすき間から呼吸をしているかどうかを確認し,場合によっては手を止めて脈を取るなど,入念にDのバイタルサインの確認を行う必要があった。 しかるに,被告は,これらの方法によりDが泣きやんだ原因を確認することなくDが入眠したものと判断し,治療を継続したというのであるから,本件において,被告は,バイタルサイン観察義務を怠ったといわざるを得ない。 エなお,被告は,統計上局所麻酔剤によるアナフィラキシーショックの発症確率が極めて低いことをもって,その発症を予見することは困難であったと主張するが,前記医学的知見ア及びイのとおり,局所麻酔剤の副作用としてアナフィラキシーショックが生じうることは当時の医学的知見として確立しており,また,その発症により死亡という極めて重大な結果にまで発展しうることに照らせば,その発症確率の大小を問わず,被告が,Dの治療に局所麻酔剤を使用する場合に,Dのアナフィラキシーショックの発症を予見して治療に当たらなければならなかったことは明らかである。 - 22 -(3) 以上によれば,本件において,被告には,Dのバイタルサイン観察義務を怠った過失が認められる。 3 争点(2)(迅速・ に当たらなければならなかったことは明らかである。 - 22 -(3) 以上によれば,本件において,被告には,Dのバイタルサイン観察義務を怠った過失が認められる。 3 争点(2)(迅速・適切な救急処置を行うべき義務を怠った過失)について(1) 注意義務の存否及び内容ア前記医学的知見エのとおり,本件当時の医学文献によれば,治療中に患者がアナフィラキシーショックに陥った場合には,医師は,早期に,徒手あるいはマスク・バッグ,エアウェイ,気管内チューブなどを用いて患者の気道を確保し,人工呼吸,酸素投与,非開胸式心マッサージを行い,かつ,静脈路を確保してエピネフリン,ステロイドを静注するなどの処置を行わなければならないとされている。 もっとも,医師に要求されるべき治療行為の内容は,全国一律に定まるものではなく,当該医療機関の性格,所在地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮してこれを判断すべきであって,本件当時の医学文献に記載されていた治療行為が,そのまま被告の行うべき治療行為の内容となるものではない。 イそこで,Dに上記処置を行うべき注意義務の存否につき,本件当時被告が一般の開業歯科医師であったことを前提として検討するに,上記処置のうち,徒手あるいはマスク・バッグ,エアウェイによる気道確保,酸素投与,非開胸式心マッサージは,一般の開業歯科医師でも比較的容易になしうる処置であることから,本件においても,被告は,Dの異常に気がついた後,直ちにDに対してこれらの処置を行うべき注意義務を負っていたということができる。 他方で,本件当時の一般の開業歯科医師は,静脈注射や筋肉注射を日常的に行っていないため,患者の緊急時にこれらの処置を行うことができたかどうかは疑問であること,気管内挿管について できる。 他方で,本件当時の一般の開業歯科医師は,静脈注射や筋肉注射を日常的に行っていないため,患者の緊急時にこれらの処置を行うことができたかどうかは疑問であること,気管内挿管についても,口腔外科医や歯科麻酔医以外は大学卒前教育に受ける模型実習しか受けておらず,人体に緊急- 23 -的に実施することは極めて困難であること,静脈確保及びエピネフリンの静注は,認定された救命救急士と医師にしか認められていない医療行為であって,歯科医師には行うことができないことなどからすれば(I鑑定意見,H鑑定意見),本件において,一般の開業歯科医師である被告が,Dの異常に気がついた時点において,Dに直ちにエピネフリン,ステロイドを静注し,気管内チューブを用いて挿管を行うべき注意義務を負っていたとまではいい難い。 (2) 注意義務違反の有無以上を前提として,本件において,Dに適切かつ迅速な救急処置がなされたといえるかについて判断する。 ア上記(1)のとおり,被告は,Dの異常に気がついた後,Dにエピネフリン,ステロイドを静注し,気管内チューブを用いて挿管を行うべき注意義務を負っていたとはいえないのであるから,被告において,これらの処置が可能な医療機関にDを搬送すべく,歯科助手に救急車を呼ぶように指示したことは,適切な判断である。 イまた,前記認定事実のとおり,Jは,被告がDの異常に気がついた直後である午後4時58分ころに診察室に入室し,直ちにDにマウス・ツー・マウスによる人工呼吸を施しているところ,被告がDのバイトブロック及びラバーダムを外して口腔内の異物を確認する時間を考慮すれば,Dに対する人工呼吸は,異常発見後迅速に行われたということができる。 なお,本件では,被告自らが異常発見後直ちに人工呼 ロック及びラバーダムを外して口腔内の異物を確認する時間を考慮すれば,Dに対する人工呼吸は,異常発見後迅速に行われたということができる。 なお,本件では,被告自らが異常発見後直ちに人工呼吸を行っていないが,被告は,看護師経験のあるJが直ちにDの人工呼吸を開始したことを確認し,非開胸式心マッサージ等の人工呼吸以外の心肺蘇生措置を試みているのであるから,このような被告の一連の対応が,不適切であったとはいい難い。また,被告が必要であると判断して取りに行った酸素吸入器は,結果的には自発呼吸をしていないDの症状に適合しなかったが,緊急時で- 24 -あったことを考慮すれば,このような被告の判断が不適切であったとまではいえない。 そのほか,前記認定事実のとおり,被告は,納戸に酸素吸入器を取りに行った後,Jと共に,E歯科医院に救急車が到着する午後5時2分ころまでの間,人工呼吸及び非開胸式心マッサージを施していることからすれば,本件において,Dに対する気道確保,人工呼吸,酸素吸入及び非開胸式心マッサージは,Dの異常発見後迅速かつ適切に行われたということができる。 (3) 以上によれば,本件において,被告がDに対し,迅速かつ適切な救急処置を行うべき注意義務を怠った過失は認められない。 4 争点(3)(過失とDの死亡との因果関係,相当程度の可能性)について(1) 因果関係本件では,争点(1)で判断したとおり,被告にはDのバイタルサイン観察義務を怠った過失が認められるので,この過失とDの死亡との間に因果関係が認められるかについて検討する。 ア前記認定事実のとおり,Dは,遅くとも午後4時38分ころまでにはアナフィラキシーショックを発症し,呼吸及び心肺停止状態に陥っているところ,このうち められるかについて検討する。 ア前記認定事実のとおり,Dは,遅くとも午後4時38分ころまでにはアナフィラキシーショックを発症し,呼吸及び心肺停止状態に陥っているところ,このうち呼吸停止の症状は,鼻や口に手をかざすなどの方法により容易にこれを確知認識することができるのであるから,被告は,同時刻ころ,それまで泣いていたDが泣きやんで落ち着いたことに気がついた後,上記の方法によりバイタルサイン観察義務を尽くしていれば,遅くとも午後4時40分までには,Dがアナフィラキシーショックを発症し,呼吸停止状態に陥っていたことに気がつくことが可能であったということができる。 イそして,前記認定事実によれば,午後4時40分には,既にJはE歯科医院に到着しているのであるから,上記アのとおり,被告がバイタルサイ- 25 -ン観察義務を尽くし,同時刻にDの異常に気がついた場合には,本件と同様に,被告又はJにより,同時刻ころから直ちにDの人工呼吸及び心マッサージを行うことが可能であった。 また,本件では,午後4時57分ころに被告がDの異常に気がついてから,直ちに救急車の出動を要請し,午後5時2分に到着した救急車にDを乗せてから午後5時7分にF病院に到着するまでに約10分間が経過していること,心肺停止状態に陥った患者に対する救急処置の内容が早期発見の場合とそうでない場合とで異なるとは考え難いことからすると,上記アのとおり,午後4時40分に被告がDの異常に気がついた場合には,その約10分後の午後4時50分ころにDが同病院に到着し,その後,Dに対し,エピネフリン投与等の救急処置が行われていた可能性が極めて高い。 ウそこで,上記イのとおりDの搬送及び救急処置が行われていた場合に,Dの死亡時においてDが生存していた高 ,その後,Dに対し,エピネフリン投与等の救急処置が行われていた可能性が極めて高い。 ウそこで,上記イのとおりDの搬送及び救急処置が行われていた場合に,Dの死亡時においてDが生存していた高度の蓋然性があるか否かについて検討する。 (ア) まず,心マッサージは,単に心臓が止まっているという状態の患者に対しては有効な措置であるが,本件のDのように,ショックにより循環虚脱を起こしている場合には,相当量の輸液を行わなければ循環血液量を保てず,心マッサージを行っても,有効な拍出量が出ずに血圧を保つことができない(H鑑定意見)。したがって,本件において,上記イのとおりDに対する心マッサージの開始が早まったことにより,直ちにDの救命可能性が高まったとはいい難い。 これに対し,人工呼吸については,上記イのとおりDに対する人工呼吸が行われていれば,その時点におけるDの喉頭,声門の状態が不明であること及び咽頭痙攣等の可能性を考慮したとしても,本件よりは早期にDに酸素が供給されていたものと認められることから,Dの救命可能性が高まることは否定できない。 - 26 -また,ショックにより循環虚脱に陥った患者に対して有効な循環血液量を確保するためには,静脈確保を行って輸液,エピネフリンを投与し,血圧を上げる処置を講ずる必要があるところ(H鑑定意見),これらの救急処置は,E歯科医院ではなく搬送先の病院でなされるものであるから,上記イのとおりF病院への搬送が早まれば,それだけ上記救急処置がなされる時間も早まり,Dの救命可能性が高まることは明らかである。 (イ) しかしながら,H鑑定意見によれば,心肺停止に対するエピネフリンの投与は,心肺停止から2,3分以内に行われるのが効果的であるところ,エピネフリンの投与 が高まることは明らかである。 (イ) しかしながら,H鑑定意見によれば,心肺停止に対するエピネフリンの投与は,心肺停止から2,3分以内に行われるのが効果的であるところ,エピネフリンの投与が心肺停止から約10分後に行われた場合には,その治療効果は不明であるとされていることに加えて,Dのアナフィラキシーショックは,皮膚所見を経ることなく循環虚脱に至る重篤なものであり,また,アナフィラキシーショックにより循環虚脱が起きたときは,相当量の輸液を行わなければ循環血液量を保てず,血圧が上がらないこととされていることなどからすれば,仮に,被告がバイタルサイン観察義務を尽くし,Dの心肺停止から約10分後にF病院への搬送が行われ,同病院でエピネフリン投与等の救急処置が行われたとしても,その結果を予測することは極めて困難であり,上記救急処置によりDを救命し得たといえるかどうかについては,なお疑問が残るといわざるを得ない。 エ以上によれば,被告がバイタルサイン観察義務を尽くしていれば,Dの死亡時においてDが生存していた高度の蓋然性があるとはいえず,被告の過失とDの死亡との間に因果関係は認められない。 (2) 相当程度の可能性ア一般に,心肺停止状態に陥った患者がその機能を完全に回復するには,心肺停止から約4分までの間に心肺蘇生が行われる必要があり,4分を超えると大脳皮質が機能しなくなって障害が残るが,心臓を動かしたり呼吸- 27 -をさせる働きをする脳幹部は,心肺停止からから10分ないし15分は維持することができるため,脳幹部を維持できる間に心肺蘇生が行われれば,心臓を動かすことは可能である。これに対して,心肺停止から30分ないし1時間が経過すると,他の臓器が機能しなくなるため,心肺蘇生を行っても患者の生命を維持すること 持できる間に心肺蘇生が行われれば,心臓を動かすことは可能である。これに対して,心肺停止から30分ないし1時間が経過すると,他の臓器が機能しなくなるため,心肺蘇生を行っても患者の生命を維持することができなくなる(H鑑定意見)。 イしかるに,被告がバイタルサイン観察義務を尽くし,Dの心肺停止から約10分後にF病院への搬送が行われ,その後直ちに同病院においてエピネフリンの投与等の救急処置がとられた場合,上記アを前提とすれば,Dは,上記救急処置が開始された時点において,脳に障害が生じているものの,心肺蘇生を施すことにより脳幹を維持し,心臓を動かすことは可能な状態にあったということができる。 そして,エピネフリンの投与が心肺停止から約10分後に行われた場合には,その治療効果が不明であるとしても,これが全く奏功しないとの医学的知見は見当たらないことからすれば,本件において,Dの心肺停止から約10分後に行われるエピネフリン投与等の救急処置により再びDの心臓を動かすことができた可能性を否定することはできないというべきである(H鑑定意見によれば,仮に,本件のような重篤な症例に対して適切に静脈確保を行うことができる麻酔科医が対応して上記救急処置を行えば,5割以上は救命が可能であったとされている。)。 ウ以上によれば,被告がバイタルサイン観察義務を尽くしていれば,Dの死亡時においてDが生存していた相当程度の可能性があったものと認めることができる。 したがって,被告は,Dが適切な医療を受けていれば,その死亡時においてDが生存していた相当程度の可能性を侵害したといえることから,これによってDが被った損害を賠償すべき不法行為責任を免れない(最高裁判所平成12年9月22日第二小法廷判決,民集54巻7号2574号参- 28 -照)。 能性を侵害したといえることから,これによってDが被った損害を賠償すべき不法行為責任を免れない(最高裁判所平成12年9月22日第二小法廷判決,民集54巻7号2574号参- 28 -照)。 5 争点(5)(損害額)についてDは,本件当時わずか4歳であり,その生存可能性を侵害されたことによる精神的苦痛は察するに余りあるが,他方で,被告がDのバイタルサインに全く配慮していなかったとはいえないこと,Dのアナフィラキシーショックは重篤であり,被告が注意義務を尽くしていたとしても救命可能性の程度は必ずしも高かったとはいえないこと,また,仮に救命が可能であったとしてもDの完全な回復は望めなかったことなど,本件に現れた一切の事情を斟酌すると,その慰謝料額は400万円とするのが相当である(なお,原告らは,相続によりそれぞれ上記慰謝料に係る損害賠償債権の2分の1を取得したことになる。)。 また,本件訴訟は,高度の専門的知見を要する医療訴訟であり,原告らが弁護士に依頼することなく本件訴訟を追行することは困難であると認められることから,原告らそれぞれについて,本件訴訟に係る弁護士費用のうち20万円は,被告の不法行為による損害とみるのが相当である。 第4 結論以上によれば,原告らの請求は,それぞれ不法行為に基づく損害賠償金220万円及びこれに対するDの死亡した日である平成14年6月15日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。 よって,原告らの請求を上記の限度で認容し,その余の請求を棄却することとして,主文のとおり判決する。 さいたま地方裁判所第1民事部 裁判長裁判官佐藤公美 決する。 さいたま地方裁判所第1民事部 裁判長裁判官佐藤公美 裁判官瀬木比呂志 裁判官川﨑慎介

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