令和6年5月24日宣告令和4年(わ)第1019号殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件判決 主文 被告人を懲役13年に処する。 未決勾留日数中450日をその刑に算入する。 理由 (罪となるべき事実)分離前の相被告人Aは甲会乙組組長、被告人は同組直若、Bは同組組長付、分離前の相被告人Cは同組直若事務局長であった者である。 Aは、かねて甲会と対立抗争関係にあった丙会に報復し、甲会内における乙組の地位向上を図るため、乙組を挙げて、丙会の幹部組員を襲撃して殺害しようと考え、平成18年6月頃、熊本市a 町の組事務所に被告人を含む配下組員を集合させ、その意思を伝えた。 被告人は、Aの上記意思を受け、同年10月頃から平成19年3月頃にかけて、他の組員らと共に、丙会関係者の氏名や住所等の情報を、その使用する車両の車種やナンバーの情報を基に割り出すなどの調査活動に従事した。また、Aは、最終的に、襲撃の実行役にBを指名して承諾させたが、被告人は、平成20年9月上旬頃、Bが犯行の際に犯行現場に赴くための車両を知人に依頼して手配するなどした。このようにして被告人は、A、B及びCと共謀の上、同月15日午前9時36分頃、不特定又は多数の者の用に供される場所である福岡県大牟田市bc番地d付近路上において、Bが、丙会会長補佐D(当時50歳)に対し、殺意をもって、所携の回転弾倉式けん銃で弾丸5発を発射し、そのうち3発をDの胸腹部等に命中させ、よって、同日午後0時47分頃、同市e 町f丁目g番地hの丁病院において、Dを射創に基づく胸腹部臓器損傷による出血性ショックにより死亡させて殺害し た。 (争点に対する判断)第1 争点及び判断の骨子公訴事実記載の日時及び場所 g番地hの丁病院において、Dを射創に基づく胸腹部臓器損傷による出血性ショックにより死亡させて殺害し た。 (争点に対する判断)第1 争点及び判断の骨子公訴事実記載の日時及び場所において、BがDを銃撃して殺害したこと(以下「本件犯行」という。)に争いはなく、証拠上も優に認められる。本件の争点は、本件犯行について被告人に共謀共同正犯が成立するかである。 関係証拠によれば、被告人が、①複数回にわたり、丙会関係者を対象とする調査活動に従事していた他の組員らから、車両の車種やナンバーを伝えられ、その情報を基に、運輸支局で車両の登録事項等証明書を取得し、その結果を同人らに伝えたこと(以下「①の行動」という。)、②本件犯行の直前に、Bが本件犯行の際に犯行現場に赴くための車両の手配を知人に依頼し、Bと共に引渡しを受けたこと(以下「②の行動」という。)が認められ、弁護人も争っていない。 当裁判所は、被告人が、①及び②の各行動のいずれにおいても、Aによる、丙会の幹部組員を銃撃して殺害するという乙組を挙げた襲撃計画に基づき、組織の一員としてこれに関与したと認めることができ、その果たした役割も重要といえるから、本件犯行について被告人に共謀共同正犯が成立すると判断した。以下、その理由を詳述する。 第2 前提事実関係証拠によれば、次の事実が認められ、弁護人も積極的には争っていない。 1 甲会と丙会との対立抗争状況等⑴ 甲会は、福岡県久留米市に本拠地を置く暴力団組織であり、平成20年当時、約790人の構成員を擁していた。他方、丙会は、かつて甲会の構成員であったE、F、Gらが、甲会における内部対立を理由に組織を脱退した後、Eを会長として平成18年6月に結成された暴力団組織であり、本拠地は福岡県大牟田市に置かれていた。丙会の結成と相前後 会の構成員であったE、F、Gらが、甲会における内部対立を理由に組織を脱退した後、Eを会長として平成18年6月に結成された暴力団組織であり、本拠地は福岡県大牟田市に置かれていた。丙会の結成と相前後して、甲会と丙会は対立抗争状態に突入し、後に丙会が 解散して抗争が終了する平成25年6月までの間に、本件犯行のような銃撃殺人事件を含む47件の対立抗争事件が発生した。こうした状況を受け、両組織は平成24年に特定抗争指定暴力団等に指定された(甲109、111)。 ⑵ 乙組は、甲会の二次団体であり、本件犯行当時、組長であるAを筆頭に約30名の組員が所属しており、熊本市のa町やi町に組事務所を構えていた(以下、それぞれ「a町事務所」、「i事務所」という。甲110[弁2]、111。)。 ⑶ 被告人は、平成17年頃、乙組若頭のHの若い衆(子分)として同組の組員となった。その後、平成19年8月にHが逮捕されて社会不在の状況となってからは、Aの直若(直属の若い衆)となり、自身を組長とする戊組を乙組内に立ち上げた。 2 乙組による対立抗争への参入及び丙会関係者を対象とする調査活動⑴ Aは、平成18年6月頃、a町事務所に乙組の配下組員を集合させ、「抗争が始まっとる。行ききる者はおるか。」などと発言し、乙組を挙げて、丙会の幹部組員を襲撃して殺害する意思を伝えた。この問いかけに対し、集まった組員のほとんどが手を挙げて応え、被告人も他の組員と同様に手を挙げて応えた(以下、この集会を「本件集会」という。なお、Aの発言に関する被告人の認識には、後述のとおり争いがある。)。その後、Aは、組員らと個別に面談を行う中で、丙会の幹部組員を襲撃して殺害する実行役として、IとJを指名した(K2~6頁、I7~9頁、C3~5頁、被告人5~7頁)。 ⑵ 本件集会以降、乙組では )。その後、Aは、組員らと個別に面談を行う中で、丙会の幹部組員を襲撃して殺害する実行役として、IとJを指名した(K2~6頁、I7~9頁、C3~5頁、被告人5~7頁)。 ⑵ 本件集会以降、乙組では、Aの指示により、丙会側からの襲撃に備えるため、防弾チョッキや防弾車を用意したり、自宅を知られているAが一時的に組員の住居で生活したりするなどの対策をとるようになった(C38~39頁、被告人8~9頁)。その一方で、J、I、C、K、L等の組員らは、Aの指示により、手分けして丙会関係者を対象とする調査活動を開始した。具体的には、丙会の本部事務所や、EやGを始めとする同会幹部組員の居宅を撮影して把握するなどしたほか、平成18年10月頃から平成19年3月頃にかけて、同会関係者が使用していると思われ る車両の車種やナンバーを確認し、その情報を基に熊本運輸支局で車両の登録事項等証明書の交付を受けることによって、車両使用者の名前や住所等に関する情報を収集した(甲66~71、K6~8、13~16頁、I13~16頁、C3頁)。この頃、被告人も、複数回にわたり、他の組員から伝えられた車種やナンバーの情報を基に熊本運輸支局で車両の登録事項等証明書を取得し、その結果を他の組員に伝えた(①の行動。K7~8頁、I13~14頁、被告人11~14頁。なお、①の行動をとった際の被告人の認識には、後述のとおり争いがある。)。 3 襲撃についての実行役の変更⑴ 平成20年1月頃、Iは、調査活動中に丙会の組員に見つかって拉致され、解放されたことを契機に、実行役を辞退した。また、同年4月から5月頃にかけて、同じくJも実行役の辞退を申し出たことから、Aは、新たにCを実行役として指名した。Cは、同年7月頃、Aの指示を受け、丙会の幹部組員であるFへの銃撃を試みようとしたが、警備が 4月から5月頃にかけて、同じくJも実行役の辞退を申し出たことから、Aは、新たにCを実行役として指名した。Cは、同年7月頃、Aの指示を受け、丙会の幹部組員であるFへの銃撃を試みようとしたが、警備が多いなどの理由で断念した(乙13、I19~21頁、C6~8頁)。 ⑵ それから間もなくして、Cは、Bが覚醒剤使用の嫌疑を受けて福岡県大牟田市内のアパートに身を潜めているという話をAから聞き、潜伏中のBの面倒を見るよう指示を受けた。そして、実際にCがBの身の回りの世話を始めてから間もなくして、Bは、Aから新たな実行役に指名されたことをCに打ち明けた(乙14、C9~11頁)。 4 襲撃対象の確定とその実行⑴ 平成20年7月から8月頃にかけて、Aは、熊本県玉名郡内のjインター近くの駐車場に、潜伏中のBとCを呼び出した上、Aの車の中で密会し、Bらの調査活動の状況等について確認した(以下、この密会を「本件密会」という。)。 本件密会は全部で5回程度あり、そのいずれかの機会で具体的な襲撃対象としてDの名前が挙がり、その次の機会で、Aは、BとCがいる車内で「Dば行け。」などと発言し、Dを銃撃して殺害するようBに指示した(乙16、C11~17頁。 なお、この場に被告人がいたかについては、後述のとおり争いがある。)。 ⑵ 平成20年9月15日、Cは、ダイハツムーブ(以下「本件ムーブ」という。)を運転して、D方のあるマンション付近の同人方玄関ドアを見通すことができる駐車場に赴いて待機し、Bは、スズキワゴンR(以下「本件ワゴンR」という。)を運転してD方のあるマンション1階出入口付近に赴き、待機した。Cは、Dが1人で自宅から出てきたことを確認すると、Bに携帯電話でその旨を伝え、Bは、Dを銃撃して殺害した(本件犯行)。Bは、本件犯行後、同マンションの1階 ンション1階出入口付近に赴き、待機した。Cは、Dが1人で自宅から出てきたことを確認すると、Bに携帯電話でその旨を伝え、Bは、Dを銃撃して殺害した(本件犯行)。Bは、本件犯行後、同マンションの1階出入口付近に駐車していた本件ワゴンRに乗って、現場から逃走した(甲112ないし114、116)。 ⑶ Bが本件犯行の際に使用した本件ワゴンRは、本件犯行に先立つ平成20年9月上旬頃、被告人が知人のMに手配を依頼し、MからBと共に引渡しを受けた車両であった(②の行動)。その名義人は、同年9月12日にMからBへと変更されていた(甲61、M7~9頁、被告人29~32頁)。 Cが本件犯行の際に使用した本件ムーブは、同年8月から9月頃にかけて、被告人とAが、乙組の組員であるNに依頼して手配させた車両であった。その名義人は、本件ワゴンRと同じく同年9月12日に第三者からCへと変更されていた(N1~6頁、C17~18頁、被告人44~46頁)。 被告人は、本件ムーブの手配に先立ち、Cが丙会関係者を対象とする調査活動等の場面で使用していたトヨタカレン(以下「本件カレン」という。)をCから回収し、Mから本件ワゴンRの引渡しを受けた当日ないしその数日後に、Mに本件カレンを解体処分するよう依頼して引き渡した。その後、Mは、同月15日に解体業者へ本件カレンを引き渡した(M9~13頁、被告人34~35頁。なお、これらの車両の手配及び処分に関与した際の被告人の認識には、後述のとおり争いがある。)。 第3 ①の行動(登録事項等証明書の取得等)の際の被告人の認識 1 はじめに 前記第2の2⑵のとおり、本件集会以降、平成18年10月頃から平成19年3月頃にかけて、Jら乙組組員が丙会関係者を対象とする調査活動に従事していた時期に、被告人は、複数回にわたり、他の組員ら 前記第2の2⑵のとおり、本件集会以降、平成18年10月頃から平成19年3月頃にかけて、Jら乙組組員が丙会関係者を対象とする調査活動に従事していた時期に、被告人は、複数回にわたり、他の組員らから伝えられた丙会関係者が使用する車両の車種やナンバーの情報を基に熊本運輸支局で車両の登録事項等証明書を取得し、その情報を同人らに伝えたこと(①の行動)が認められ、客観的に見れば、乙組が組織を挙げて行っていた丙会関係者を対象とする調査活動の一翼を被告人が担っていたことになる。 被告人は、①の行動の外形的事実は認めながらも、それが丙会の幹部組員の襲撃を目的とした下準備のための調査であることは知らなかったと供述する。すなわち、被告人は、丙会の幹部組員を銃撃して殺害する計画が乙組において組織を挙げて進行中であることも、J、I、Kらがその計画の実現に向けて調査活動に従事していることも知らず、Jからは、乙組の事務所周辺に出没する不審車両のリストを作るために、陸運局で車検証を取ってきてほしいと頼まれ、Jから渡された紙に書かれた車両のナンバーを基に、言われたとおりに書類を取得し、その結果を同人に伝えただけであると供述する(被告人11~16頁)。 2 本件集会への参加しかしながら、被告人は、前記第2の2⑴のとおり、Aが「抗争が始まっとる。 行ききる者はおるか。」などと発言した本件集会の場に、他のほとんどの組員と共に居合わせており、しかも、この問いかけに対し、他の組員らと同様に手を挙げて応えていたことが認められる。 本件集会が開かれたのは平成18年6月頃であるが、当時は、甲会と丙会が対立抗争状態に突入し、甲会系の組事務所や組員を狙った襲撃事件が頻発している状況であり、その中には6件の銃撃事件も含まれていた。Aの上記発言は、こうした緊迫した状況下において、 当時は、甲会と丙会が対立抗争状態に突入し、甲会系の組事務所や組員を狙った襲撃事件が頻発している状況であり、その中には6件の銃撃事件も含まれていた。Aの上記発言は、こうした緊迫した状況下において、配下組員のほとんどを集めた面前でなされたものであり、抗争の開始に言及した上で「行ききる者はおるか。」と問いかける言葉を素直に捉えれば、丙会関係者に対する襲撃を行う実行役として立候補する者がい るかを問いかける趣旨としか解釈のしようがない。さらに、先行する襲撃事件の内容も踏まえれば、襲撃の具体的方法の一つとして、関係者を銃撃して殺害するという手段が当然に想起されたはずであり、その対象として真っ先に想起されるのは、影響力の大きいEやGといった幹部組員であったはずである。現に、被告人と同じく本件集会に出席したK、I及びCは、いずれも、当公判廷において、Aの上記発言を、丙会の幹部組員を銃撃等により殺害する趣旨と理解したと供述している(K3頁、I7~8頁、C4頁)。 被告人は、本件集会当時は乙組に入ってから1年程度しか経っておらず、Aの「行ききる者はおるか。」という発言の意味は分からなかったと供述する。しかしながら、1年という期間は決して短いものとはいえないし、甲会と丙会との間の対立抗争事件が頻発し始めたのは平成18年5月以降であり、その時点で被告人は既に甲会乙組の一員であったのであるから、当時の緊迫した抗争の状況を知らなかったはずはなく、Aの上記発言の意味が分からなかったというのは考えられない。この被告人の供述は明らかに不自然、不合理である。 以上によれば、被告人は、本件集会に参加し、Aから、乙組を挙げて丙会幹部組員を襲撃する意思を告げられ、これに手を挙げて応えることで、組員としてその計画に従う意思を表明していたと認められる。 3 被告 上によれば、被告人は、本件集会に参加し、Aから、乙組を挙げて丙会幹部組員を襲撃する意思を告げられ、これに手を挙げて応えることで、組員としてその計画に従う意思を表明していたと認められる。 3 被告人のみが目的を知らずに調査活動に関与していたことの不合理性本件集会に乙組の一員として参加していた被告人に対して、Aや他の組員らが、襲撃計画の存在や調査活動の目的をあえて秘密にする理由は見当たらず、襲撃計画を実行するために複数の組員が手分けをして調査活動に従事しているのに、被告人だけがその目的を知らなかったというのは考え難い。むしろ、調査の進捗状況や結果については、Aを含めた組全体である程度の情報共有がなされ、目的についても共通認識があったと考えるのが自然である。現に、当公判廷において、Kは、Aからの指示を被告人から聞いたり、調査活動の成果を被告人に報告したりすることがあり、JやIからも被告人やAに調査結果を伝えていた(K8~1 0頁)、Iは、調査結果は被告人やAに報告していた(I13~17頁)と、それぞれ供述しているが、当時の状況と整合する自然な内容であり、信用できるというべきである。 4 小括以上によれば、被告人は、丙会の幹部組員を銃撃して殺害するという、乙組が組織を挙げて実現しようとしていた襲撃計画を認識し、これに応じる意思を表明した上、その計画の準備の一環として①の行動に及んだと認められる。 第4 ②の行動(Bのための車両の手配等)の際の被告人の認識 1 はじめに前記第2の4⑶のとおり、被告人は、本件犯行直前の平成20年9月上旬頃にかけて、知人のMにBのための車両の手配を依頼し、MからBと共に本件ワゴンRの引渡しを受けている(②の行動)。 被告人は、②の行動について、丙会関係者を対象とする襲撃計画の存在も、Bがその実 頃にかけて、知人のMにBのための車両の手配を依頼し、MからBと共に本件ワゴンRの引渡しを受けている(②の行動)。 被告人は、②の行動について、丙会関係者を対象とする襲撃計画の存在も、Bがその実行役に指名されたことも知らなかった、Bのための車両の手配をMに依頼したのは、Bから安い車がないかと聞かれたからであり、どこかで働くために車が必要なのだろうという程度の認識しかなかったと供述する(被告人27~29頁)。 しかしながら、前記第3で認定したとおり、Aから被告人が丙会の幹部組員を殺害する襲撃計画を告げられ、組員としてこれに応じる意思を表明していたことに加え、後述するとおり、本件犯行当時被告人がAの側近的立ち位置にあったことや、Cが供述する、実行役について被告人が認識していたことを示す状況に照らせば、被告人は、Bのための車両の手配をMに依頼した際、Bが襲撃の実行役に指名されたことを認識していたと認められる。そして、上記依頼をした時期が本件犯行の直前であることや、被告人がMに口止めをした上で車両の手配を依頼していることからすると、被告人は、Bが本件犯行の際に犯行現場に赴くために使用する車両を用意する目的で、本件ワゴンRの手配を依頼したものと認められ る。以下、詳述する。 2 BとCが襲撃の実行役に指名されたことの認識について⑴ 被告人がAの側近的立ち位置にあったことア前記第2の1⑶のとおり、被告人は、Hの若い衆として乙組の組員となり、平成19年8月にHが逮捕されて社会不在の状況となって以降はAの直若となり、乙組内に戊組を立ち上げたことが認められる。 その上で、Hが社会不在の状況となって以降の被告人の乙組内における立ち位置につき、当公判廷において、Kは、被告人が大体Aの近くにいたことや、被告人を通じていろいろな指示を受けて ことが認められる。 その上で、Hが社会不在の状況となって以降の被告人の乙組内における立ち位置につき、当公判廷において、Kは、被告人が大体Aの近くにいたことや、被告人を通じていろいろな指示を受けていたことなどから、被告人はAの側近だと思っていた、乙組の若頭で大黒柱の立ち位置のHが社会不在のときに、被告人が、Hと同じくらいのことをやれていたかは分からないが、Hの代わりという形でやっていたので、すごいなと思っていた(K37~38頁、79頁)、Iは、Aは金回りの良さなどを理由に被告人を重宝しており、被告人も運転手や部屋住みの組員とは別にいつもAと一緒にいたことなどから、被告人はAの側近という認識であった(I39~40頁)、乙組と戊組の組員でもあったOは、戊組には一時期20人くらいの組員がおり、乙組の約半数が戊組組員だった時期もあったため、Aは人が必要なときには戊組から人を出すよう被告人に連絡をとるなど、何かあれば「P、P」と言って被告人を呼んでいた(O4~6頁)と、それぞれ供述する。 このように、Kらは、被告人が、戊組の組長として多くの組員を率いており、金回りも良かったことからAに重用されており、日常的にAと行動を共にする側近のような立ち位置にいたという趣旨の供述をしている(以下、このような被告人の立ち位置を「側近的立ち位置」という。)。 Kらの供述は、互いに整合しており信用性を高め合っているだけでなく、当時のAとの関係性について、Aからは信頼されていなかったと思うとしつつも、金貸し等のシノギで経済的に組織を支えてほしいとAから言われていたという被告人自身の供述(被告人20~21頁)とも整合するものである。 なお、甲会組織における役職についてみると、理事の役職に就いていたK、I及び被告人の3人の中でも、Aの求めを受けて被告人だけが 人自身の供述(被告人20~21頁)とも整合するものである。 なお、甲会組織における役職についてみると、理事の役職に就いていたK、I及び被告人の3人の中でも、Aの求めを受けて被告人だけが常任理事に就任していたことが認められる(被告人20~21頁)。この昇格の事実は、本件犯行後のことであったとしても、Aが本件犯行当時から被告人を高く評価していたことをうかがわせる事情の一つといえる。 以上によれば、被告人は、本件犯行の前後、乙組内においてAの側近的立ち位置にあったことが認められる。 イ弁護人は、被告人の立ち位置について、被告人が乙組に入った時期はKやIのような他の直若の組員と比べても遅かったから、組員としての経歴の長さで上下関係が決まる暴力団組織の中では地位が低く、Aの側近的立ち位置にはなかったと主張する。しかしながら、この点については、Iが、被告人が乙組に入ってきた当初は自分より立場が低かったものの、抗争が始まって以降、被告人の下に人間が増えて、金回りもよくなったことで立場が逆転した(I50~51頁)、Oが、抗争中に戊組の組員が増えていったことで、被告人の乙組内での立場は上がっていった(O3~6頁)と、それぞれ供述するように、被告人が、抗争中に配下組員を多く集め、金銭的にも組織に貢献したことを理由にAから実力を評価され、経歴の長短に関わらず組織内での地位が上がっていったというのは経緯としてあり得る話である。 弁護人は、また、被告人は、乙組において一度も「組織委員長」という役職に就いたことはなく、Kら組員も証人尋問において「組織委員長みたいな」役職であったなどとあいまいな供述をしているにもかかわらず、捜査段階の各供述調書や検察官の冒頭陳述で被告人が「組織委員長」であったと記載されていることは、捜査段階での取調べにおいて、 員長みたいな」役職であったなどとあいまいな供述をしているにもかかわらず、捜査段階の各供述調書や検察官の冒頭陳述で被告人が「組織委員長」であったと記載されていることは、捜査段階での取調べにおいて、被告人の役職や地位について捜査官からの示唆や誘導があったことの証左である、と主張する。確かに、この点について捜査官による示唆等があった可能性は否定できないものの、被告人は少なくとも平成20年11月27日の時点では乙組内で「組織強化委員」という役職についていたこ とが明らかであり(弁10)、組員らの供述内容が事実と大きく異なっているわけではない上、役職の名称という名目的な事項に関するものにすぎず、被告人がAの側近的立ち位置にあったという各証人の供述の実質的内容について示唆や誘導があったという疑念を抱かせるものではない。 ⑵ 被告人が本件密会に居合わせていたことア Cは、前記第2の4⑴の本件密会の状況について、公判等において、要旨、平成20年7月から8月頃、jインター近くの駐車場でBと共にAと落ち合い、Bの近況や調査活動の状況等について話をするということが5回程度あった。そのうちの2、3回は被告人もその場に来ており、車の中でやり取りを聞いていた、と供述する(乙16、C11~17頁)。 イ Cの供述は、被告人がAの側近的立ち位置にあったという事実関係と整合する自然な内容である上、このような重要な場面に居合わせた人物について、Cが他の組員と被告人を混同しているとも考えにくい。また、Cは、本件犯行への自身の関与を認めて既に有罪判決を受け、確定しているところ、被告人が本件密会に居合わせていた事実を述べることは、自身の刑責を軽減させる関係になく、虚偽供述をする動機に乏しい。Cの供述は、十分信用できる。 ウ以上のとおり信用できるCの供述によれ るところ、被告人が本件密会に居合わせていた事実を述べることは、自身の刑責を軽減させる関係になく、虚偽供述をする動機に乏しい。Cの供述は、十分信用できる。 ウ以上のとおり信用できるCの供述によれば、被告人は、本件密会という、Aが襲撃の実行犯として指名されて潜伏中のBやCと秘密裏に落ち合って情報交換をするという重要な場に居合わせていたことが認められ、そのような場にAが事情を知らない者を同道させるとは考えにくいから、BやCが襲撃の実行役になったのを被告人が認識していたことを推認させるものといえる。 ⑶ 小括以上のとおり、被告人が、本件犯行当時、Aの側近的立ち位置にあったことや、本件密会に居合わせていたことを併せると、当時襲撃の実行役がBとCになった事実を知っていたことが強く推認でき、この推認を妨げる事情は何らうかがえないから、同事実を認定することができる。 3 Mが被告人の依頼を受けて本件ワゴンRを手配した際、被告人から口止めされたこと⑴ Mの供述についてMは、当公判廷において、要旨、次のように供述する。すなわち、平成20年9月上旬頃、被告人からの電話で、とにかく安い車を早急に見つけてほしいという依頼があったので、自身の経営していた中古車販売店で代車として使っていた本件ワゴンRを3万5000円で売却することを決め、依頼があった数日後にその旨を被告人に伝えた。その一、二日後、店を訪れた被告人とBに対し本件ワゴンRを引渡したが、この時に被告人から、車を購入したことは誰にも言わないようにと口止めをされた。本件ワゴンRの名義は、引渡しの一、二日後の同月12日に、M名義からB名義に変更した(M3~9頁)。 ⑵ Mの供述の信用性Mは、暴力団関係者ではなく、本件ワゴンRの購入に関し被告人が口止めをした事実について、報復のリ 渡しの一、二日後の同月12日に、M名義からB名義に変更した(M3~9頁)。 ⑵ Mの供述の信用性Mは、暴力団関係者ではなく、本件ワゴンRの購入に関し被告人が口止めをした事実について、報復のリスクを負ってまであえて虚偽を述べる動機があるとは考えにくい。また、Mによれば、本件犯行後の平成20年12月末から平成21年1月頃にかけて、捜査機関から本件ワゴンRの売却経緯を聞かれた際には、本件ワゴンRは一見の客に売ったと説明し(M15~16頁)、実際に被告人の依頼で売却した事実を隠していたが、これは被告人による口止めがあったという事実と整合的である。 弁護人は、Mは事件に関わりたくないという理由から捜査機関に被告人の存在を隠していたものの、その後の取調べでなぜ隠していたのかを説明する必要が生じたため、被告人から口止めをされたという虚偽の供述をしたと主張する。しかしながら、事件に関わりたくないという理由で被告人の存在を隠していたのであれば、素直にそう話せばよく、あえて被告人に報復されるリスクを犯してまで、口止めがあったといううその作り話をするとは考え難い。 弁護人は、また、Mは、口止めの具体的な内容に関し、本件ワゴンRを購入し た人物が被告人であるという事実を黙っておくよう言われたのか、それとも本件ワゴンRを売却した事実の存在自体を黙っておくよう言われたのか、はっきり覚えていないと述べるなど、都合が悪くなると、覚えていないという回答を繰り返しており、信用できないと主張する。しかしながら、10年以上前の出来事について、発言の具体的な表現等の細部を覚えていないのは無理からぬ面があり、弁護人の指摘は、Mの供述の信用性を根本的に揺るがすものとはいえない。 ⑶ 以上によれば、Mの供述は十分に信用することができ、被告人が、MにBのための車両の 部を覚えていないのは無理からぬ面があり、弁護人の指摘は、Mの供述の信用性を根本的に揺るがすものとはいえない。 ⑶ 以上によれば、Mの供述は十分に信用することができ、被告人が、MにBのための車両の手配を依頼した際、Mに口止めをした事実が認められる。 4 以上のとおり、被告人は、丙会の幹部組員を銃撃して殺害する襲撃計画の実行役と認識していたBのために、本件犯行直前の時期に、Mに口止めの上、車両の手配を依頼し、本件ワゴンRをBと共に受け取っており、その後実際に、Bが本件ワゴンRを運転してDのマンションに赴いて本件犯行に及び、犯行後同車で逃走したという事実関係が認められ、車両の手配が本件犯行の直前であったことからすると、それは、Bが本件犯行に使用するための準備であったことがうかがわれる。また、上記口止めの事実は、車両の手配に関し、被告人において何らかのやましい事情があったことを推認させるが、上記事実関係に照らせば、その事情とは、本件ワゴンRがBによって本件犯行の際に使用されることが予定されていたこととしか考えられない。当時被告人が乙組内においてAの側近的立ち位置にあったことも併せると、被告人が、本件ワゴンRがBによって本件犯行の際に使用されることを認識していたことを強く推認することができる。 5 被告人の供述の信用性⑴ 被告人は、MにBのために車両を手配した際、Bが本件犯行の実行役に指名されたことや、本件犯行に本件ワゴンRが使用されることを知らなかったと供述し、弁護側証人として出廷したBも、本件ワゴンRを購入した時点ではDを狙うことは決めておらず、単に自分の足代わりに使うために買ったのであり、その後Dを狙うと決めたこともC以外の組員には話していないなどと、概ね被告人の 弁解に沿う内容を供述する(B4、12頁)。 しかしながら、 ず、単に自分の足代わりに使うために買ったのであり、その後Dを狙うと決めたこともC以外の組員には話していないなどと、概ね被告人の 弁解に沿う内容を供述する(B4、12頁)。 しかしながら、被告人の供述は、前記のとおり認定した、被告人がAの側近的立ち位置にあったことや、被告人が本件密会に居合わせていたこと、MにBのための車両を手配した際、Mに口止めをしたことを合理的に説明できるものではなく、不自然、不合理なものといわざるを得ない。 また、Bの供述については、Bは平成21年に起訴された本件犯行に係る自身の刑事裁判から一貫して、Aによる指示の存在を否定するなど(甲114、B11頁)、乙組による組織を挙げて行われた犯行であることをひた隠しにして、本件犯行の責任を一身に引き受けようとする態度が明らかであって、その供述の信用性は低いといわざるを得ない。 ⑵ 弁護人は、本件ワゴンRの名義人がB本人に変更されていたところ、殺人事件を犯そうとする人間が、犯行に用いる車両を自己名義にするということは通常考えられないから、被告人もBが本件ワゴンRを犯行に用いるという認識を持つことはなかったと主張する。しかしながら、本件犯行は、実際に逮捕後のBがそうしたように、実行犯のBが単独犯として全ての責任を負うことが予定されていたと考えられ、通常の殺人事件とは異なり、Bの犯行への関与が明らかにならないように他人名義の車両を用意する必要性は乏しかったといえる。弁護人指摘の点は、本件ワゴンRが本件犯行に用いられるという認識を被告人が有していなかった疑いを生じさせるものではない。 6 小括以上によれば、被告人は、MにBのための車両の手配を依頼した際、同車がBによって本件犯行の際に使用されることを認識していたと認められ、本件犯行の準備のために、乙組の一員として はない。 6 小括以上によれば、被告人は、MにBのための車両の手配を依頼した際、同車がBによって本件犯行の際に使用されることを認識していたと認められ、本件犯行の準備のために、乙組の一員として、Bが犯行の際に使用する車両を手配したといえる。 第5 その他の検察官の主張する間接事実について 1 Kの供述について 検察官は、Kの供述によれば、被告人が、Kに対し、C及びBがAから本件犯行の実行役に指名された経緯等を説明するとともに、D方を含む、今まで調査していた場所をCに案内するよう指示し、Kが実際にC及びBを案内した事実が認められ、この事実は、被告人の故意及び共謀を推認させる、と主張するが、この点のKの供述はあいまいで、不自然、不合理な点があり、信用することができない。以下、詳述する。 ⑴ Kは、当公判廷において、上記に関し、要旨、次のように供述する。 平成20年1月頃にIが丙会の組員に拉致された後、Iが実行役を辞退したという話を被告人から聞いた。その後しばらくして、本件犯行の約1か月半前に、Jが実行役を辞退したという話も被告人から聞くとともに、D宅を含む、今まで調査していた場所をCに案内するように頼まれ、2回に分けて実際にCを車で案内したが、1回目にはBも来ており、一緒に案内した。これ以降、BとCを見かけることはほとんどなくなり、被告人からは、Cたちが潜っているから、相手にばれないように調査活動はもう行かなくていいとの指示を受けた。IとJの代わりにCとBが新たな実行役になったことは、それぞれが選ばれた経緯も含めて被告人から聞いたと思う(K24~29頁)。 ⑵ 確かに、Kの上記供述は、辞退したIとJの代わりにBとCが新たな実行役に指名され、Bは襲撃前の時期に潜伏生活をしていて、Cがその面倒を見ていたという、関係証拠か いたと思う(K24~29頁)。 ⑵ 確かに、Kの上記供述は、辞退したIとJの代わりにBとCが新たな実行役に指名され、Bは襲撃前の時期に潜伏生活をしていて、Cがその面倒を見ていたという、関係証拠から争いなく認められる事実経過に沿う内容である上、第4の2⑴で認定したように、被告人がAの側近的立ち位置にあって、襲撃計画の進捗状況や実行役の変更について知り得ておかしくない立場にあったという事実関係にも整合的である。 しかしながら、元々Kの上記供述には、「と思います」とか「確か聞きました」などと、あいまいな表現を使用する部分が多い上、Cは、Kから丙会の関係箇所を案内された旨の供述を全くしておらず、裏付けを欠いている。 さらに、Kの供述には、以下のとおり、看過し難い疑問がある。すなわち、K の供述を前提にすると、Kが被告人から今まで調査していた場所をCに案内するように言われたのは、本件犯行の約1か月半前、すなわち平成20年7月から8月にかけてと考えられ、1回目の案内にBが来ていたことからすると、Bが実行役に指名された後と考えられる。しかるに、前記第2の前提事実によれば、Cが実行役に指名されたのは、Jが実行役を辞退した直後の同年4月から5月にかけてであり、それ以降、Cによれば、当初はEやGを襲撃対象と考えていたが、同年6月頃、Aの指示で、Fを襲撃対象に変え、情報に基づき佐賀県内の海岸に頻繁に赴いてFが現れるかを監視したが、同年7月頃、警護が固すぎる等の理由で、襲撃をあきらめたというのであり、KのいうCとBを案内したというのは、その後の出来事と考えられる。しかしながら、Kの供述を前提にすると、何故被告人は、Cが実行役に指名された直後である同年4月か5月頃ではなく、それから約2、3か月も遅れ、しかも、上記のとおり、その間Cが実行役として動い えられる。しかしながら、Kの供述を前提にすると、何故被告人は、Cが実行役に指名された直後である同年4月か5月頃ではなく、それから約2、3か月も遅れ、しかも、上記のとおり、その間Cが実行役として動いて、今更調査結果を伝える必要もないと思われる時期に、Kに、CがJに代わる新たな実行役になった旨を説明して、関係箇所を案内するよう指示したのか、不可解といわざるを得ない。 ⑶ 以上によれば、Kの上記供述は、記憶が薄れて思い違いをしたり、事後に聞いた情報と混同して勘違いしたりしている可能性が否定できず、その信用性を認めるのは困難である。 2 本件カレンの処分と本件ムーブの手配への関与について前記第2の4⑶のとおり、Cは、丙会関係者を対象とする調査活動等の際に本件カレンを使用し、また、本件犯行の際には本件ムーブを使用していた。この点に関し、検察官は、被告人が、本件犯行直前の時期に本件カレンを処分するとともに、本件ムーブの手配にも関与していたことから、本件犯行についての被告人の故意や共謀が推認されると主張する。すなわち、本件ムーブの名義人がCに変更されたのは平成20年9月12日であり、本件カレンがMを通じて解体業者に引き渡されたのは同月15日であることからすると、本件カレンの処分と本件ム ーブの手配はいずれも本件犯行直前の時期に、Bへの本件ワゴンRの手配と並行してなされているところ、被告人は、調査活動の際から使用していた本件カレンを処分することで、丙会の組員がBとCの怪しい動きに気付いて本件犯行が失敗するなどのリスクを避けるとともに、本件ムーブについても、本件犯行の際にCが使用する車両としてこれを手配したと主張する。 しかしながら、本件カレンの処分については、本件カレンの存在が丙会の組員に把握されていたことを示す事情は証拠上うかがわれ についても、本件犯行の際にCが使用する車両としてこれを手配したと主張する。 しかしながら、本件カレンの処分については、本件カレンの存在が丙会の組員に把握されていたことを示す事情は証拠上うかがわれず、本件カレンを使用し続けることが襲撃計画の失敗のリスクを上げることになるかは不明というほかないし、そのリスクを避けるためには、本件カレンを使用せず、どこかに保管しておけば足りるように思われ、処分までする必要があったとは考えにくい。本件カレンの処分と本件犯行との関連性は強いものとはいい難い。 また、本件ムーブの手配についても、Bへの本件ワゴンRの手配が本件犯行後直ちに現場から逃走するために必要性が高かったのとは異なり、本件犯行との関係では、犯行現場からやや離れた見張り場所への行き帰りのためだけに使用される本件ムーブを、わざわざ新規に手配して入手する必要性がそこまであったとはいえない。C自身も、公判において、本件ムーブの手配を被告人に依頼したのは、本件犯行とは関係なく単に足代わりにする車両として必要であったからであり、本件犯行後も本件ムーブの使用は続けていたと述べており(C44~45頁)、この供述の信用性を否定するまでの事情は見当たらない。本件ムーブと本件犯行との関連性も強いものとはいい難い。 以上によれば、これらの事実は、本件犯行についての被告人の故意や共謀を推認させるものとはいえず、検察官の主張は採用できない。 3 本件犯行後のQへの発言について検察官は、乙組組員のQの供述に基づき、被告人が、本件犯行後の平成20年11月頃、刑務所から出所してきたQに対して、JとIが実行役を辞退し、代わりにBが実行役になった経緯を具体的に話していたという事実から、本件犯行に ついての被告人の故意や共謀が推認されると主張する。 しかしながら、 てきたQに対して、JとIが実行役を辞退し、代わりにBが実行役になった経緯を具体的に話していたという事実から、本件犯行に ついての被告人の故意や共謀が推認されると主張する。 しかしながら、Qの供述内容にはあいまいな部分が多い上、そもそもこの出来事は本件犯行から約2か月が経過した時点でのことであり、被告人が事後的にAや他の組員から聞いて知った事実を又聞きでQに話したという可能性を排斥できないから、推認力は乏しい。検察官の主張は採用できない。 第6 まとめ以上によれば、被告人は、丙会の幹部組員を銃撃して殺害するという乙組による組織を挙げた襲撃計画を認識した上で、他の組員らと共に、車両の情報を基に丙会関係者の氏名や住所等を割り出すなどの調査活動に従事し、その一部を担った。こうした調査活動は、襲撃計画の実現に向けた下準備として行われたものであることは明らかであり、それ自体で比較的重要な役割を果たしているといえるだけでなく、被告人が本件犯行の相当以前から組織の一員として襲撃計画の準備に関わっていたという関与の濃さを示すものである。その上で、本件犯行直前には、その実行役のBが本件犯行の際に犯行現場に赴くために使用する車両、しかも、襲撃の成功確率を上げるため丙会関係者にも知られていない車両を用意するために、本件ワゴンRを知人に依頼して手配しており、本件犯行の遂行上重要な役割を果たしている。このように、被告人は、Aの指揮の下に組織の一員として相当期間襲撃計画の実現に関与し、要所において重要な役割を果たしているのであって、自分の犯罪として、A、B及びCと意思を相通じ合って、本件犯行に及んだものと認められる。 したがって、被告人には、本件犯行について共謀共同正犯が成立する。 (量刑の理由)本件は、組長の指示の下、対立抗争関係に 及びCと意思を相通じ合って、本件犯行に及んだものと認められる。 したがって、被告人には、本件犯行について共謀共同正犯が成立する。 (量刑の理由)本件は、組長の指示の下、対立抗争関係にあった暴力団組織の幹部組員を襲撃対象とし、組を挙げて計画や準備を重ねた上、一般市民も居住するマンションの前で、 白昼堂々行われた銃撃殺人の事案である。暴力団特有の反社会的な動機に基づく凶悪な態様による犯行であり、一人の生命が失われたという結果は重大である。一般市民に与えた不安感等の社会的影響も大きい。本件は殺人の中でも特に重い部類に属する事案である(実行犯のBには無期懲役の判決が確定している。)。 被告人の関与の程度は、計画を主導したAや銃撃の実行犯であるBに比べると劣り、犯行当日に被害者が外出するタイミングをBに伝えたCと比較しても、関与は間接的なものにとどまるが、Aの指揮の下に組織の一員として相当期間襲撃計画の実現に関与し、要所において重要な役割を果たしているのであるから、その犯情をCと比べて大幅に軽く評価することはできない。 その上で、Cが捜査段階から上位者の関与も含めて具体的に供述し、暴力団による組織的な犯罪の事案解明に貢献したのとは異なり、被告人は本件への関与を否定して不合理な弁解に終始していることなどに照らすと、被告人は、懲役12年の判決が確定しているCと比較しても、より重い刑事責任を負うべきである。 以上により、被告人には主文の刑が相当と判断した。 (求刑・懲役15年)令和6年5月24日福岡地方裁判所第1刑事部 裁判長裁判官今泉裕登 裁判官志田健太郎 裁判官星野 徹 判長裁判官今泉裕登 裁判官志田健太郎 裁判官星野徹
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