令和2(ワ)244 国家賠償請求事件

裁判年月日・裁判所
令和6年3月29日 高知地方裁判所 棄却
ファイル
hanrei-pdf-92911.txt

判決文本文27,300 文字)

主文 1 原告らの請求をいずれも棄却する。 2 訴訟費用は、差戻前の第一審、控訴審及び差戻後の第一審を通じ、原告らの負担とする。 事実 及び理由 第1 請求 1 被告は、原告X1、原告X2、原告X3、原告X4、原告X5、原告X6、原告X7、原告X8、原告X9、原告X10、原告X11、原告X12、原告X13、原告X14、原告X15、原告X16、原告X17、原告X18、原告X19、原告X20、原告X21、原告X22、原告X23、原告X24、原告X25、原告X26、原告X27 及び原告 X28 に対し、各10万円及びこれに対する平成27年9月19日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 2 被告は、原告X29、原告X30、原告X31 及び原告X32 に対し、各2万5000円及びこれに対する平成27年9月19日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要本件は、原告らが、①内閣が平成26年7月1日に「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」と題する基本方針を閣議決定したこと、②内閣が平成27年5月14日に「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律」 (平成27年法律第76号。以下「平和安全法制整備法」という。)及び「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律」(平成27年法律第77号。以下「国際平和支援法」といい、平和安全法制整備法と併せて「平和安全法制関連2法」という。)に係る法律案を閣議決定したこと、③内閣が同月15日に平和安全法制関連2 法に係る法律案を国会に提出したこと及び④国会が当該法律案を可決したこ せて「平和安全法制関連2法」という。)に係る法律案を閣議決定したこと、③内閣が同月15日に平和安全法制関連2 法に係る法律案を国会に提出したこと及び④国会が当該法律案を可決したこ と(以下、これらの行為を併せて「本件各行為」という。)によって、平和的生存権、人格権又は人格的利益及び憲法改正・決定権を侵害され、精神的苦痛を被ったと主張して、被告に対し、国家賠償法(以下「国賠法」という。)1条1項に基づき、慰謝料各10万円(ただし、亡X33 の訴訟承継人であるX29、X30、X31 及びX32 については各2万5000円)及びこれに対する平和安 全法制関連2法の成立日である同年9月19日から支払済みまで民法(平成29年法律第44号による改正前のもの。以下同じ。)所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。 差戻前の第一審は、原告らが主張する権利又は利益が侵害されたとは認められないと判断して、原告らの請求をいずれも棄却した。これに対して原告 ら(差戻前の原告らのうち3名を除く者。)が控訴したところ、控訴審は、差戻前の第一審判決は、「基本となる口頭弁論に関与」(民訴法249条1項)しなかった裁判官による判決であり、「第一審の判決の手続が法律に違反したとき」(民訴法306条)に当たるから、第一審において更に審理を尽くす必要があるとして、差戻前の第一審判決を取り消した上で、当審に差し戻し た。 なお、差戻後の当審において、原告X29、原告X30、原告X31 及び原告X 32 は、同人らに係る訴えを取り下げたが、被告は、訴えの取下げに同意しなかった。 1 前提事実(証拠等の掲記のない事実は当事者間に争いがないか弁論の全趣旨 により容易に認めることができる。)⑴ 内閣は、平成26年7月1日 が、被告は、訴えの取下げに同意しなかった。 1 前提事実(証拠等の掲記のない事実は当事者間に争いがないか弁論の全趣旨 により容易に認めることができる。)⑴ 内閣は、平成26年7月1日、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」と題する基本方針を閣議決定した(乙A1。以下「平成26年7月閣議決定」という。)。 ⑵ 内閣は、平成27年5月14日、平和安全法制関連2法に係る各法律案を閣 議決定した(以下「平成27年5月閣議決定」という。)。 ⑶ 内閣総理大臣は、平成27年5月15日、内閣を代表して、前記各法律案を衆議院に提出した(以下「本件法律案提出行為」という。)。 ⑷ 平和安全法制関連2法に係る法律案は、平成27年7月16日に衆議院本会議で、同年9月19日に参議院本会議で、それぞれ可決され(以下、各議院の可決を併せて「本件可決行為」という。)、平和安全法制関連2法は、同日 に成立した。 ⑸ 平和安全法制整備法は、自衛隊法や「重要影響事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律」(以下「重要影響事態法」という。)を含む10の法律を改正することをその内容とする法律である。平和安全法制整備法の成立により、自衛隊法76条1項2号及び95条の2、国際連合平 和維持活動等に対する協力に関する法律3条5号ト、同号ラ及び同法26条等の定めがそれぞれ新設され、また、「周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律」の題名が重要影響事態法に改められるとともに、同法3条等が改正され、後方支援活動についての定めがされた。 ⑹ 平和安全法制関連2法は、平成27年9月30日に公布され、平成28年3 月29日から施行された。 2 争点 れるとともに、同法3条等が改正され、後方支援活動についての定めがされた。 ⑹ 平和安全法制関連2法は、平成27年9月30日に公布され、平成28年3 月29日から施行された。 2 争点⑴ 本件各行為の国賠法上の違法性、特に本件各行為によって原告らの権利又は法律上保護される利益が侵害されたか(争点1)⑵ 原告らが被った損害(争点2) 3 争点に関する当事者の主張⑴ 本件各行為の国賠法上の違法性、特に本件各行為によって原告らの権利又は法律上保護される利益が侵害されたか(争点1)(原告らの主張)ア総論 国会議員は憲法を尊重し擁護する義務を負っているところ、憲法に違反 する内容の法律の制定行為は、遵守すべき行為規範又は国民に対して負う明確な職務義務違反である。法令の立法過程において、当該法令に既に重大な違憲の疑義が生じている場合には、国会議員は、立法過程で既に生じた違憲の疑いを払拭すべく審議を重ね、少なくとも国民の多くが違憲の疑いを持たない程度には法案の修正などによって対応するべき職務上の注意義務 を負う。また、立法過程における内閣の閣議決定及びそれに基づく国会の立法行為は一連の行為である上、我が国が議院内閣制を採用していることからすれば、立法行為時に国会議員に課される上記注意義務は、内閣にも同様に課されるものである。 法律上の争訟に該当するために要求される当事者における権利義務又は 法的利益は、明確に「法的権利」と評価できるほどに個別具体性を有することまでは求められておらず、法律上の争訟に該当するか否かは、あくまで、事件性、すなわち法律上の争訟性が当該紛争に存在し、かつ司法審査が紛争解決において必要であるかという点により判断すべきである。そして、本件のような立法行為に関する国 訟に該当するか否かは、あくまで、事件性、すなわち法律上の争訟性が当該紛争に存在し、かつ司法審査が紛争解決において必要であるかという点により判断すべきである。そして、本件のような立法行為に関する国家賠償請求訴訟の場合には、当該立法行為の 違法性は、各権利ないし利益の法的権利としての具体性個別性ないし明確性という点のみではなく、立法の内容又は立法不作為が国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合、あるいは、憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約することが明白であるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたって その改廃等の立法措置を怠る場合に該当するかによって判断すべきである。 イ平和的生存権についてa 憲法前文は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」、また、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意し」、「全世界の 国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を 有することを確認する」と規定しており、平和的生存権が正に「平和のうちに生存する権利」であることを明確に示しているから、十分な権利性を有している。また、憲法9条は、戦争放棄という平和を保障するための具体的方法を規定したものであり、平和的生存権の保障を具体化し、これを支えるものである。さらに、憲法13条は幸福追求権として、 いわゆる新しい人権の根拠規定ともなる包括的基本権条項であるところ、憲法13条を始めとする憲法第3章には多くの基本的人権が規定されており、基本的人権は、自由と生存を確保し、尊厳性を維持するため不可欠なものとして保障されているが、自由と生存を確保し、尊厳性を維持するため 3条を始めとする憲法第3章には多くの基本的人権が規定されており、基本的人権は、自由と生存を確保し、尊厳性を維持するため不可欠なものとして保障されているが、自由と生存を確保し、尊厳性を維持するためには、そもそもの前提として平和が維持されているこ とが不可欠である。 このように、平和的生存権が、憲法前文により権利として宣言され、憲法9条により具体的に担保され、憲法13条を始めとする第3章の各人権条項の基底的権利となっていることからして、平和的生存権は、確固たる具体的権利となっていると解するべきである。平和的生存権 は、単に憲法の基本的精神や理念を表明したにとどまるものではなく、その侵害が生じた場合には、その保護・救済を求め、法的強制措置の発動を請求し得るという意味において、具体的権利性が存在する。 b 被告は「平和」の意味ないし概念が抽象的であると主張する。しかしながら、平和の意味は社会通念として明確であり、法律用語としても特 に定義規定を置くことなく使用されている。「平和」は、戦争状態や戦争準備をして対峙するような状態ではなく、戦争の恐怖や懸念から解放され、平穏に生活できる状態を意味していることは明らかであり、少なくとも、自国が武力行使をするおそれがなく、かつ、他国から武力行使を受けるおそれのない状態を指す限りにおいて、「平和」の概念は具 体的かつ明確である。憲法9条が平和を保障する具体的方法を示し、平 和の実現を具体的に担保しているものであって、同条に違反する国の行為を許さないという点において、平和的生存権の外延は明らかである。 また、日本国憲法の歴史的背景を踏まえれば、「平和的生存権」の内容は、政府の行為による「戦争」や「武力行使」により、個人の生命、 身体、健康が奪われたり脅かされ 権の外延は明らかである。 また、日本国憲法の歴史的背景を踏まえれば、「平和的生存権」の内容は、政府の行為による「戦争」や「武力行使」により、個人の生命、 身体、健康が奪われたり脅かされたりしない権利が中核的な内容となり、政府の行為が相手国からの攻撃を招くような事態をもたらさないことを政府に要求する権利や上記のような事態が発生するおそれから免れることも内容となる。 さらに、憲法前文は、上記のとおり、武力行使ではなく、平和を愛す る諸国民の公正と信義を信頼し、国民の安全と生存を確保しようとした旨を規定しており、これが、戦争を放棄し政府から軍事力を剥奪する憲法9条に帰結したといえる。憲法の下における平和達成のための手段方法は、同条を遵守することであり、手段方法が特定されていることは明らかである。 a 平和的生存権と憲法9条は一体的関係に立つため、同条違反の国家行為がなされた場合には、平和的生存権の侵害ないし制約が生じると解することになる。 この点、憲法9条は、日本に対する他国からの直接の武力攻撃があった場合に、個別的自衛権を行使し、最小限の武力を使ってこれを振り払 うことについては、「国際紛争を解決する手段として」の「武力の行使」には至らないと解する余地があるところ、集団的自衛権は、日本が直接に攻撃されていないにもかかわらず、同盟国等に対する武力攻撃が他国より行われたという理由で、日本も、日本を出て、同盟国等と他国との間の武力抗争状態について武力によって解決を図ろうとするもので あるから、「国際紛争を解決する手段として」の「武力の行使」にほか ならず、憲法9条1項に違反するものである。 また、集団的自衛権の行使は、同盟国に対する武力攻撃を一緒になって排除するというものであるから、現実の 決する手段として」の「武力の行使」にほか ならず、憲法9条1項に違反するものである。 また、集団的自衛権の行使は、同盟国に対する武力攻撃を一緒になって排除するというものであるから、現実の国家間における武力紛争を鎮圧するだけの効果があるものでなければならず、自衛隊の「実力」は、自衛のための必要最小限度を超える実力を有するに至っているから、 同条2項にいう「戦力」との評価を免れない。 さらに、政府は、昭和47年の政府見解において、「集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない」と結論付け、その後も、同様の見解を繰り返し、国会も、かかる政府解釈を踏まえ、憲法9条の下では集団的自衛権の行使はできないという前提で種々の活動を行っ てきたものである。上記の政府解釈を変更することは、憲法9条の規定及び憲法制定以来の憲法実践に明白に違反するものである。 また、後方支援活動についても、地理的制限なしに自衛隊の派遣を可能とし、支援対象も米軍に限られず外国軍隊の行う戦争を支援できるようになり、支援内容も弾薬の提供、戦闘作戦行動のために発進準備中 の航空機に対する給油・整備まで拡大された。このように後方支援の範囲が拡大されたことによって、他国軍との武力行使の一体化は免れず、活動内容も兵站活動そのものであるから、正に海外での武力行使である。 このように、平和安全法制関連2法のうち、集団的自衛権行使及び後 方支援活動等の実施を容認する部分は、いずれも憲法9条に一義的かつ明白に違反し、違憲であるところ、平成26年7月閣議決定から本件可決行為までの一連の立法行為によって、上記のとおり憲法9条の文言に一義的かつ明白に違反している平和安全法制関連2法が制定されたのであるから、本件各行為により原告らの平和的生存権が侵害さ 定から本件可決行為までの一連の立法行為によって、上記のとおり憲法9条の文言に一義的かつ明白に違反している平和安全法制関連2法が制定されたのであるから、本件各行為により原告らの平和的生存権が侵害され た。 b 平和的生存権は、政府の行為によって国民が戦争の惨禍に巻き込まれないようにする権利であるところ、戦争が開始され又はその開始が間近に迫ってから当該権利の侵害を訴えても、その時点から司法的救済を図ることは不可能であり、武力行使をし、又は武力行使を受けるおそれが生じれば、既にその状態は「平和」であるとはいえないのである から、武力行使を可能とする法令が制定されたこと自体をもって、当該権利が侵害されたとみるべきである。 現に、平和安全法制関連2法成立後の自衛隊の活動をみても、南スーダンにおけるPKOや、米軍の補給艦の防護活動では、自衛隊が武器使用を行う現実的可能性が認められるものであるから、平和安全法制関 連2法の成立のみで、原告らの平和的生存権は、明らかに侵害されたといえる。 さらに、ひとたび集団的自衛権が実際に発動され、あるいはその発動が切迫していることが客観的かつ具体的に予見される状況に至った場合には、裁判を通じて国賠法上の違法性を認定することは遅きに失す る上、政府による憲法解釈の変更により、政府による集団的自衛権行使が客観的かつ具体的に予見される状況であるか否かを判断することも従前よりはるかに困難となっているのであるから、平和的生存権が侵害される具体的危険の発生が客観的に予見されていなかったとしても、平和的生存権の侵害が認められるべきである。 ウ人格権ないし人格的利益についてa 人格権は、生命、身体を侵害されない権利、健康上の危険にさらされることなく平穏かつ安全に生 ても、平和的生存権の侵害が認められるべきである。 ウ人格権ないし人格的利益についてa 人格権は、生命、身体を侵害されない権利、健康上の危険にさらされることなく平穏かつ安全に生活する権利、人間らしくその尊厳を保ちつつ平穏な生活を営む権利、日常生活を破壊されずに当たり前の生活を営む権利、平穏で安全な生活を妨害されることによる精神的苦痛を 与えられない精神的権利、あるいは精神的な完全性への権利などの人 格的な権利の総体であり、仮に権利性まで認められないとしても、人格的な生存に不可欠な利益は、人格的利益として、法的に保護される(以下、原告らが主張するこれらを併せて「人格権等」という。)。人格権等が法的保護を受けるか否かは、個人の人格的生存に不可欠なものであるか否か、それを認めることによって他者の人権が侵害されるか否 か、害悪に対するものであるか否かといった要素を総合考慮して判断すべきである。 人格権等は憲法13条等の憲法第3章に基づく憲法上の権利、民法709条、710条等に基づく私法上の権利あるいは実定法の規定なくして承認されるべき基本的権利であり、その内容は、①戦後約70年 もの間、憲法9条の下で平和国家として存立してきた我が国の国民であることの名誉や尊厳(加害者にならない権利又は人格的利益)、②我が国が戦争の当事者となる危険性あるいは我が国が他国からの武力攻撃やテロ行為の標的となる危険性に対する不安や恐怖を抱くことなく平穏な生活を送る利益(被害者にならない権利又は人格的利益)、③法 研究や法教育を職業とする原告らについては、研究者又は教育者としての憲法の原理や解釈に対する理念である。そして、上記の三つの人格権等は、生命、身体及び健康への侵害又はその危険にさらされない権利(生命権) 法教育を職業とする原告らについては、研究者又は教育者としての憲法の原理や解釈に対する理念である。そして、上記の三つの人格権等は、生命、身体及び健康への侵害又はその危険にさらされない権利(生命権)、生命、身体及び健康への害を受ける恐怖又は不安から免れる権利、平穏な生活を害されない権利(平穏生活権)、内面における生 活(内心の静謐)を害されない権利、自律的な生き方を害されない権利、自己情報に関わる人格権(名誉権、プライバシー権及び肖像権など)並びに手続や契約が順守されることに関する期待権を、背景又は前提としている。 戦後約70年間平和国家として存立してきた日本の国民であること の名誉、尊厳や、日本が戦争当事者となる危険性、あるいは日本が他国 からの武力攻撃やテロ行為の標的となる危険性に対する不安や恐怖を抱くことなく平穏な生活を送ることは、個人の人格的生存の根幹というべきものである。また、法研究や法教育を職業とする者にとっては、立憲主義の尊重や、憲法9条の下では集団的自衛権は容認されないことなどの、憲法の原理や解釈に対する理念は、個人の人格的生存の根幹 となっている。このような名誉や尊厳、平穏な生活等を認めたとしても、他者の人権が侵害されることはあり得ないし、これらが戦争という人類史上最大の害悪や尊い人命を無差別に奪い去るテロ行為という戦争に匹敵する害悪に対して求めているものであることもまた明らかである。これに加えて、人格権等の侵害が問題となる紛争において、個人の 感情や感覚に強く依存する利益(主観的な利益)の保護が拡大しているという人格権の主観化の傾向に鑑みれば、上記①ないし③は、原告らの人格権等として保護されることは明らかである。 b 被告は、原告らの主張する人格権等は、漠然とした不安感を抱いたと 保護が拡大しているという人格権の主観化の傾向に鑑みれば、上記①ないし③は、原告らの人格権等として保護されることは明らかである。 b 被告は、原告らの主張する人格権等は、漠然とした不安感を抱いたというものに過ぎず、かかる程度の内容をもって具体的権利性が認めら れると解する余地はないなどと主張する。しかしながら、平和安全法制関連2法成立後初の適用となった南スーダンへの派遣において、自衛隊は、駆け付け警護等の任務によって、戦闘行為に参加し、自衛隊員が殺し、殺される事態が生ずる現実的危険が生じた。平和安全法制関連2法に基づき海外で武力行使を行う自衛隊は、名実ともに軍隊となり、同 盟国である米国の戦争に否応なく巻き込まれる蓋然性が極めて高くなったといえ、米国と戦闘状態にある国や集団から日本が武力攻撃やテロ行為の対象となる現実的危険性が生じている。そして、被告は、平和安全法制関連2法の立法事実として、日本が複雑かつ重大な国家安全保障上の課題に直面していることや、国際テロの脅威が世界のどの 地域において発生しても、我が国の安全保障に直接的な影響を及ぼし 得る状況にあることなどの危機を強調していたにもかかわらず、原告らの切実な不安を漠然とした不安感であると論難するのは、自己矛盾であるばかりか無責任の極みであり、到底許されない。 また、被告は、原告らの人格権等に係る主張は、平和的生存権に係るそれと実質的に同旨であり、平和的生存権には権利性が認められない ため、人格権等にも権利性が認められないなどと主張する。しかし、平和的生存権と人格権等は別個の権利利益であり、保護されるべき内容が重複することがあっても、人格権等の具体的権利性が失われるものではない。 原告らは、平成26年7月閣議決定から本件可決行為までの一連の 生存権と人格権等は別個の権利利益であり、保護されるべき内容が重複することがあっても、人格権等の具体的権利性が失われるものではない。 原告らは、平成26年7月閣議決定から本件可決行為までの一連の行 為によって、戦争とテロ行為に直面するおそれが現実化し、その生命、身体、精神、生活等の万般にわたって、危険に直面し、又は現に侵害を受ける恐怖を抱かされ、不安におののかされるなどして、人格権等を侵害された。 この点、多数決原理を基礎とする間接民主主義の下では、自己の信条や 信念と反する立法によって生ずる精神的苦痛は不可避的に生ずるものであり、社会通念上受忍されるべきであるとする受忍限度論による反論が考えられる。しかし、受忍限度論は、私人間での権利衝突を調整する場合に採用されるべきであり、国家の違憲、違法な行為が人格権等を侵害しているような場合、被侵害者が当該侵害を受忍すべきいわれは全くないか ら、受忍限度論を採用するのは誤りである。また、受忍限度論は、立憲主義が健全に機能している場合に採用されるべきであり、立憲主義そのものが侵害された状況における問題については、採用されてはならない。国民は、権力が憲法の枠を超えて行使されることを全く予定していないのであるから、違憲な立法行為によって国民に生じた精神的苦痛を社会通 念上受忍すべきなどという暴論で排斥することはできない。 エ憲法改正・決定権についてa 国民主権原理の下では、憲法制定権力を有する主権者たる国民は、いかなる内容の憲法を制定するかについての最終的権限を有しており、この憲法制定権は、憲法を現状のまま維持し続けるか、憲法所定の手続を経て憲法の内容を一部変更するかについての最終的決定権を当然に 含むものであるところ、具体的には、憲法制定 的権限を有しており、この憲法制定権は、憲法を現状のまま維持し続けるか、憲法所定の手続を経て憲法の内容を一部変更するかについての最終的決定権を当然に 含むものであるところ、具体的には、憲法制定権の憲法改正権への転化として、国民投票その他の具体的行動として権利が行使される。また、国民主権原理の下では、主権者たる国民は、選挙や国民投票による権利行使のみならず、憲法で保障された種々の権利を行使して政治に参加し、自らの意思を国政の場に反映することのできる権利を有している と解されるから、国民主権原理は、個々の国民に、代表者である国会議員を介しての間接的政治参加を保障しているのみならず、自らが主体的に直接政治に参加することのできる権利(参政権)をも保障していると解される。したがって、主権者である原告ら個々の国民は、憲法改正という国政のあり方を変更する重要な決定について、その結論の是非 を決める際に国民投票という形式でのみ関与し得るだけでなく、結論に至る討議の過程においても、自由かつ十分な意見表明(政治的表現の自由の行使)という形式で、能動的かつ積極的に政治参加することが憲法上保障されているといえ、憲法改正・決定権は、具体的な憲法改正課題が生じたときに、国民各人が、その賛否を最終的には国民投票制度を 通じて表明し、当該憲法改正の是非を決定する具体的権利であるといえる。 そして、上記のような一連の手続保障が要請される憲法規範の変更とは、憲法の明文の変更のみならず、既に解釈として確立した憲法規範の意味内容を根本から変更することも実質的な憲法の改正に当たる。 そうすると、主権者たる国民には、憲法改正について、国民的意思を形 成する過程に参加した上で自分たちの最終的意思を問われることなしに実質的な憲法改正を含 質的な憲法の改正に当たる。 そうすると、主権者たる国民には、憲法改正について、国民的意思を形 成する過程に参加した上で自分たちの最終的意思を問われることなしに実質的な憲法改正を含む憲法改正をされることがないという権利が、憲法前文、1条、96条及び99条に基づき保障されているというべきである。 憲法改正・決定権が具体化されるのは、①憲法改正について国会の発 議がなされ国民投票も実施されたが、同投票への参加が妨げられた場合、②国会による発議も国民投票も実施されないまま憲法改正が行われてしまった場合の二つの場面が想定されるところ、本件は後者の場面であり、憲法改正手続を完全に潜脱して憲法改正を成し遂げようとしている点において、後者の場面の方がより憲法改正・決定権に対する 侵害の程度は大きいといえるから、憲法改正についての国会の発議や国民投票の実施がなされていないことをもって、憲法改正・決定権の具体的権利性が否定されるものではない。 b 被告は、憲法改正・決定権が国民にあることは認めつつ、それは国家の主権者としての国民という抽象的な位置付けにとどまり、個別の国 民の具体的、個別的な権利ではない旨主張する。しかしながら、憲法改正・決定権は、重要な憲法改正問題が全く生起していない間は抽象的な権利として潜在しているにすぎず、憲法に関する重要な改正問題が浮上した場合若しくは憲法の規範的意味内容が変更され又は変更されようとした場合のように、問題が具体化した段階においては、憲法改正の ための国民投票の必要性の有無という問題も含めて、国民の憲法改正・決定権が具体的な問題として浮上することになる。そして、日本国憲法の改正手続に関する法律は、憲法改正手続における国民投票について、憲法96条の国民の承認に関する手続及 問題も含めて、国民の憲法改正・決定権が具体的な問題として浮上することになる。そして、日本国憲法の改正手続に関する法律は、憲法改正手続における国民投票について、憲法96条の国民の承認に関する手続及び国民が国民投票をする権利について具体的に定めており、かかる規定は、参政権と同様、具体的権 利の行使をする場合の手続を詳細に定めたものとして、憲法改正・決定 権が具体的権利として保障されていることを如実に示すものである。 そもそも、憲法改正の最終的判断権は主権者たる国民にあり、その権利は国民主権原理に基づく根源的権利であり、かつ、国会は憲法を尊重し擁護する義務を負っているから、憲法の明文が改正される場合でなくとも、憲法の重要な規範内容の変更がなされる場合には、国会は、発 議した上で国民投票を実施する憲法上の義務を負う。そして、国会が発議した場合には直ちに国民投票の手続に移行するのであるから、その段階で国民各人の国民投票権は国賠法上保護に値する具体的な権利となる。 a 平和安全法制関連2法は、従来の憲法9条の解釈に反し、集団的自衛 権の行使を容認するものであるところ、同条の確立した解釈を変更するという平成26年7月閣議決定及びこれに基づく立法行為は、同条の規定に抵触し、国の在り方と憲法秩序の基本となっていた確立した憲法の規範的意味内容を変更するものにほかならないから、憲法96条の定める手続によることなく行うことは許されない。そして、このよ うに憲法規範を明白に変更し、かつその変更が重大である場合には、憲法改正・決定権の具体的侵害が認められるとすべきである。 本件では、集団的自衛権行使を容認する平成26年7月閣議決定及び平成27年5月閣議決定によって国民の憲法改正・決定権が具体化し、平和安全法制関連2法 決定権の具体的侵害が認められるとすべきである。 本件では、集団的自衛権行使を容認する平成26年7月閣議決定及び平成27年5月閣議決定によって国民の憲法改正・決定権が具体化し、平和安全法制関連2法の制定時に原告らの同権利が侵害されたも のであり、原告らは、集団的自衛権行使の可否を問うための憲法9条にかかる改正手続が実施されれば、これに参加して反対の意思表示をしたにもかかわらず、国民投票が行われず、意見表明の機会を奪われた。 そうすると、本件各行為が、原告らの憲法改正・決定権を侵害するものであることは明白である。 b 被告は、平和安全法制関連2法は憲法の条文を改正するものではな いため、憲法改正・決定権の侵害はないと主張する。しかしながら、かかる主張によれば、憲法改正手続を経ることなく憲法規範の変更をなし得ることになり、憲法96条が定めた憲法改正手続の潜脱となることは明らかである。 また、憲法96条1項は、憲法改正につき、国会の発議に基づく国民 への提案と国民の承認を規定しているため、国会の発議に基づく国民への提案がない以上、憲法改正・決定権の侵害はないとの批判が考えられる。しかしながら、解釈として確立した憲法規範の意味内容を根本から変更する実質的な憲法改正が、国会の発議と国民の承認を経ずに行われ、当該改正に基づく立法が行われた場合、国民の根本的な権利であ る憲法改正・決定権が侵害されたことは明らかであり、かつ、侵害の程度は重大であるから、かかる場合に権利侵害を問うことができないとすることは非常に不合理であり、このような場合にも、憲法改正・決定権の侵害を認めるべきである。 さらに、被告は、憲法改正・決定権についての原告らの主張は、抽象 的に法令自体の憲法適合性審査を求めるものにほ 合理であり、このような場合にも、憲法改正・決定権の侵害を認めるべきである。 さらに、被告は、憲法改正・決定権についての原告らの主張は、抽象 的に法令自体の憲法適合性審査を求めるものにほかならない旨主張する。しかしながら、原告らは、主権者として国民投票等を通じて憲法改正の是非について最終的に自らの意思を表示し、これを実現するという機会を一切与えられることなく、憲法規範の意味内容の重大な改変という憲法の蹂躙、破壊行為に直面したことに対し、憲法改正・決定権 という具体的権利を侵害され、精神的苦痛を被ったことについての救済を求めているのであるから、抽象的な違憲審査を求めるものではない。 憲法改正・決定権の内容からすれば、当該権利の侵害を主張して訴訟提起が許される場合は、重要な憲法改正課題が国民的議論として生起 し、重要な権利侵害が発生しているにもかかわらずあえて立法行為等 が行われた場合に限られるところ、これは、憲法規範の明白な変更がなされ、かつ、かかる変更が重大である場合に限定されると解される。このように、厳格な要件の下でのみ認められると限定して解し、救済の必要性が極めて高い場合にのみ訴訟提起が許されるとすれば、抽象的違憲審査を認めたのと同じ結果とはならない。 オ小括以上のとおり、本件各行為は、原告らの平和的生存権、人格権等及び憲法改正・決定権をいずれも侵害するものである。 そして、平和安全法制関連2法は、従来の政府見解と明確に矛盾するものであり、審議の段階から一見して明白な違憲の疑いが強く生じていたとこ ろ、立法過程において既に重大な違憲の疑義が生じている場合、国会議員としては、違憲の疑いを払拭するべく審議を重ね、少なくとも国民の多くが違憲の疑いを持たない程度には法案の修正 生じていたとこ ろ、立法過程において既に重大な違憲の疑義が生じている場合、国会議員としては、違憲の疑いを払拭するべく審議を重ね、少なくとも国民の多くが違憲の疑いを持たない程度には法案の修正などによって対応するべき職務義務がある。また、国会の行為と内閣の行為は一連の行為であって、我が国が議院内閣制を採用していることからすれば、内閣と国会の連動した行為は いわゆる共同不法行為の関係に立つから、立法行為時に国会議員に課される職務上の注意義務は、同様に内閣にも課されるべきである。それにもかかわらず、上記のような対応をすることがなかったのであるから、本件各行為は、「立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというごとき、容易に想定し難いような例外的な 場合」に当たるといえるから、内閣及び国会による本件各行為が国賠法上違法であることは明らかである。 (被告の主張)国賠法1条1項の違法は、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背した場合に認められ るところ、かかる違法性判断の前提として、当該公務員の行為が原告らの具体 的な権利ないし法的利益を侵害していることを要し、同項に基づく請求が認められるためには、少なくとも、原告らに国賠法の救済が得られる具体的な権利ないし法的利益が存在し、かつ、これらが公権力の行使に当たる公務員の職務に関する行為により侵害されることが必要である。 ア平和的生存権について 憲法における平和とは、理念ないし目的を示す抽象的な概念であるため、それ自体が独立して、具体的訴訟において私法上の行為の効力の判断基準になるものとはいえない。また、平和をどのように定義するかはもとより、そ ける平和とは、理念ないし目的を示す抽象的な概念であるため、それ自体が独立して、具体的訴訟において私法上の行為の効力の判断基準になるものとはいえない。また、平和をどのように定義するかはもとより、その具体的な意味をどのように理解するかは、各人の思想、信条、良心、信教並びに歴史観ないし世界観及びこれに由来する社会生活上の信念等の主 観によって異なり得るものであること、平和を達成ないし確保する手段や方法も、常時変化する国際情勢によっても左右されるものであることからすると、平和的生存権の具体的な内容を一義的に確定することは困難である。さらに、憲法前文は、憲法の理念、基本原理を宣明したものにすぎないから、憲法前文に掲げられていることをもって、平和的生存権が直ちに基本 的人権の一つであるということはできない。そうすると、平和的生存権に具体的権利性を認めることはできない。 イ人格権等について原告らが人格権に基づくものとして主張する利益の内容は、極めて抽象的であり、具体的な権利内容、成立要件、法律効果等について一義性に欠け る極めて曖昧なものである上、原告らが主張する人格権の侵害の内容は、結局のところ、我が国が戦争やテロ行為の当事者になれば、国民が何らかの犠牲を強いられたり危険にさらされたりするのではないかといった漠然とした不安感を抱いたという域を超えるものではないから、原告らが主張する人格権等について、具体的権利性を認める余地はない。また、原告らによる 人格権等に関する主張は、自らの信条、信念、意見に相反する立法等が行わ れたことによりその主観的感情が害されたことをいうものであって、三権分立及び多数決原理を基礎とする間接民主主義を採用する日本国憲法の下で不可避的に生じ得る事態を人格権等の侵害と言い換え れたことによりその主観的感情が害されたことをいうものであって、三権分立及び多数決原理を基礎とする間接民主主義を採用する日本国憲法の下で不可避的に生じ得る事態を人格権等の侵害と言い換えたものにすぎず、憲法を最高法規とする我が国の法秩序の下では、これらを司法の場で具体的権利として認めることは想定されていない。加えて、原告らの主張が、戦 争やテロ行為に対する恐怖や不安を感じることなく平穏に生活する権利が侵害されたというものであれば、平和的生存権に係る原告らの主張と同旨のものにほかならず、平和的生存権に具体的権利性が認められないのと同様に、原告らの主張する人格権等にも具体的権利性は認められない。 ウ憲法改正・決定権について 憲法96条1項にいう国民とは、あくまで「国家の主権者としての国民」という抽象的な位置付けにとどまるものであり、原告らを含めた個別の国民に対し、憲法の条項と内容を決定するという具体的、個別的な権利ないし法的利益が認められているものではない。 原告らは、「具体的な憲法改正課題」が生じたときに具体的権利となる旨 を主張するが、かかる「具体的な憲法改正課題」が何を意味するのか全く不明である。また、原告らは、憲法改正・決定権の実現に際しては、表現の自由、政治活動の自由その他の権利が十分に尊重される必要があると主張するが、当該主張は、「国家の主権者としての国民」としての意見、意思の表明という国民主権ないし民主主義の原理、理念を言い換えただけにすぎな い。原告らが憲法改正・決定権の根拠規定として挙げる憲法96条等の条項は、いずれも憲法改正・決定権の根拠規定となるものではない。 そもそも、平和安全法制関連2法は、憲法の条文自体を改正するものではないから、憲法改正手続に関する原告らの具体的 挙げる憲法96条等の条項は、いずれも憲法改正・決定権の根拠規定となるものではない。 そもそも、平和安全法制関連2法は、憲法の条文自体を改正するものではないから、憲法改正手続に関する原告らの具体的、個別的な権利ないし法的利益への影響はなく、原告らの主張は、平和安全法制関連2法が憲法9条に 違反するとの主張を言い換えたにすぎない。 エ小括以上からすれば、原告らが被侵害利益として主張する平和的生存権、人格権等及び憲法改正・決定権は、いずれも国賠法上保護された権利ないし法的利益であるとはいえないから、本件各行為が国賠法上違法となる余地はない。 原告らの主張は、直ちに国民の具体的な権利ないし法的利益に影響を及ぼさない公務員の行為である本件各行為について、個々人の権利ないし法的利益を離れて、抽象的に法規範等の憲法適合性判断を求めるものにほかならず、付随的審査制を採る我が国の司法審査の在り方と乖離したものと言わざるを得ない。 ⑵ 原告らが被った損害(争点2)(原告らの主張)原告らは、いずれも平和を望む市民であり、平和安全法制関連2法の制定によって、前記⑴(原告らの主張)のとおり、種々の権利ないし法的利益を侵害され、精神的苦痛を受け、また、日常生活においても、テロ行為等による被害 の恐怖を抱かされた。かかる原告らの苦痛は次のように類型化し得るが、類型化できない原告らも、平和安全法制関連2法の制定等によって、精神的苦痛を受けたことはいうまでもない。 ア太平洋戦争で被害を受けた者及びその家族原爆被害者及びその家族、高知大空襲の被害者並びに中国等における残 留邦人及びその家族は、太平洋戦争によって精神的、肉体的苦痛を受けたものであるが、平和安全法制関連2法によって再び戦争に巻き込ま 爆被害者及びその家族、高知大空襲の被害者並びに中国等における残 留邦人及びその家族は、太平洋戦争によって精神的、肉体的苦痛を受けたものであるが、平和安全法制関連2法によって再び戦争に巻き込まれ、被害を受けるのではないかとの恐怖と苦しみを感じた。 イ自衛隊基地周辺の住民及び原子力発電所周辺の住民自衛隊基地及び原子力発電所は、自衛隊が出動する事態になった場合、 真っ先に相手国から反撃やテロ行為を受けることが予想され、その結果、こ れらの施設の周辺住民は、自己の生命、身体に被害が及ぶ危険性が極めて高く、そのことへの恐怖と不安に苛まれる日々を送らされた。 ウ地方公共団体、指定公共機関、交通機関及び運輸機関の労働者並びに医療従事者標記の者は、戦時においては、国民保護体制の措置を実施することを含め て、地方自治体や民間企業を含む指定公共機関等に協力することが義務付けられ、危険な業務に従事させられることになるため、かかる業務に従事した場合、自己が攻撃されたりテロに遭ったりするなどして、生命を失うのではないかとの恐怖を抱かされた。 エ憲法研究者 憲法研究者は、自ら研究し、社会のために理論構築して集団的自衛権の行使等は違憲であるとの憲法解釈の定着に注力してきた。しかしながら、平和安全法制関連2法の制定は、長年の研究成果を一顧だにせず、かつ、憲法改正手続も執らずに、集団的自衛権の行使等を容認するものであり、立憲主義破壊の暴挙に出たことにより、深い憤りと苦しみを味わわされ、学問的良心 を深く傷付けられた。 オ教育関係者教育関係者は、教育現場において、学習者が憲法の定める個人の人権を尊重し、平和で民主的な社会を形成する人格を完成できるよう日々努力しており、なかんずく、平和については、太平洋戦争 オ教育関係者教育関係者は、教育現場において、学習者が憲法の定める個人の人権を尊重し、平和で民主的な社会を形成する人格を完成できるよう日々努力しており、なかんずく、平和については、太平洋戦争で戦争に協力する教育を強 いられた苦い過去を反省し、平和を尊重する人格を目指し、平和教育等として努力してきた。平和安全法制関連2法は、日本を戦争をする国にし、平和を蔑ろにするものであって、教え子が戦争に行くかもしれないことになり、教育に携わる者として、表現できぬほど傷付けられ、苦しみを味わわされた。 カ女性や子を持つ親 女性や子を持つ親らは、平和安全法制関連2法の制定等により、日本が再 び戦争に巻き込まれ、女性が虐げられ、子が戦場に送られる恐怖を味わわされたが、戦争により最も被害を被るのは女性と子であるから、かかる恐怖はとりわけ大きいものである。 キ若者若者は、憲法が破壊されることへの怒りと、自己が戦争に送り込まれるこ とになるかもしれず、しかもそれがすぐ目の前に迫っていることを感じ、強い恐怖と不安を抱かされた。 ク小括以上のとおり、被告による本件各行為によって、原告らは精神的苦痛を被っており、これを慰謝するに足る金額は、それぞれ10万円を下らない。 (被告の主張)いずれも争う。 第3 争点に対する判断 1 争点1(本件各行為の国賠法上の違法性、特に本件各行為によって原告らの権利又は法律上保護される利益が侵害されたか)について ⑴ 原告らは、本件各行為は憲法前文、9条等に反するところ、本件各行為により、原告らの平和的生存権、人格権等及び憲法改正・決定権が侵害され、精神的苦痛を被った旨主張する。そこで、まず、本件訴訟において原告らの主張する権利又は利益が法律上保護される利益 ろ、本件各行為により、原告らの平和的生存権、人格権等及び憲法改正・決定権が侵害され、精神的苦痛を被った旨主張する。そこで、まず、本件訴訟において原告らの主張する権利又は利益が法律上保護される利益であり、本件各行為によりそれらが侵害されたといえるかについて、以下検討する。 ⑵ 平和的生存権についてア原告らは、憲法前文、憲法9条及び憲法13条を始めとする憲法第3章の各人権規定を根拠として、平和的生存権が具体的な権利として保障されている旨主張する。 憲法前文は、「日本国民は、恒久の平和を念願し」、「全世界の国民が、 ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有するこ とを確認する」旨宣言しており、憲法9条1項は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」すること、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」ことを規定し、同条2項は、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、 これを認めない」と規定し、第3章において、基本的人権の保障を規定しているところ、このような憲法の各規定を踏まえると、憲法が、全世界の恒久平和を念願し、基本的人権が実効的に保障される基礎として、国民が平和のうちに生存すべきとの理念を掲げていることは明らかである。 しかしながら、憲法前文は、その文言に照らせば、個別具体的な権利を 保障するものではなく、憲法全体に通ずる基本的精神・理念を宣明するものであることが明らかであり、その内容が憲法の各規定を解釈する上での指針となることは想定され得るとしても、憲法前文自体が、国民に対して具体的な権利又は法的利益を付与し、あるいはそれらを保障する規定であ あることが明らかであり、その内容が憲法の各規定を解釈する上での指針となることは想定され得るとしても、憲法前文自体が、国民に対して具体的な権利又は法的利益を付与し、あるいはそれらを保障する規定であると解することはできない。また、憲法前文の「平和のうちに生存す る権利」にいう「平和」とは、理念ないし目的としての抽象的概念であり(最高裁平成元年6月20日第三小法廷判決・民集43巻6号385頁参照)、個々人の思想や信条、世界観等の主観的な価値観により多様な捉え方が可能なものであること、世界にはそれぞれ主権を有する国家が存在するところ、国際情勢は常時変化する複雑なものであり、我が国の意 思・行動のみをもって左右し得るものではないことなどからすれば、憲法9条の規定を前提としても、「平和のうちに生存する権利」の内容を一義的に定めることは不可能であると言わざるを得ない。そうすると、憲法前文に「平和のうちに生存する権利」という文言から、国民の権利としての具体的な内容を特定することは困難である。したがって、憲法前文を根拠 として、個々の国民に対し、平和的生存権という具体的な権利又は法律上 保護される利益が保障されていると解することはできない。 また、憲法9条は、「国民の権利及び義務」を定めた第3章ではなく、「戦争の放棄」について定めた第2章に置かれた規定であること、及び、同条の文言に照らせば、国家の統治機構又は統治活動についての規範を定めたものと解するのが相当であって、国民の具体的な権利を直接保障 したものと解することはできないことからすれば、同条を根拠として、個々の国民に対し、平和的生存権という具体的な権利又は法律上保護される利益が保障されていると解することはできない。 さらに、憲法13条は、憲法上明示的に列挙され いことからすれば、同条を根拠として、個々の国民に対し、平和的生存権という具体的な権利又は法律上保護される利益が保障されていると解することはできない。 さらに、憲法13条は、憲法上明示的に列挙されていない個人の人格にまつわる利益を具体的な権利又は法的利益として保障する根拠となり得 る一般的包括的規定であるものの、上記のとおり、「平和」自体が理念ないし目的としての抽象的概念であり、「平和のうちに生存する権利」の具体的な内容を特定することは困難であることからすれば、同条を根拠として、個々の国民に対し、平和的生存権という具体的な権利又は法律上保護される利益が保障されていると解することはできない。 そして、これまで述べたとおり、憲法前文、憲法9条及び憲法13条はいずれも個々の国民に対し平和的生存権という具体的な権利又は法律上保護される利益を保障した規定であると解することはできないほか、これらを併せて考慮したとしても、やはり抽象的な精神・理念であって、その具体的な内容を特定することが困難であることは左右されないことか らすれば、やはり、平和的生存権が具体的な権利又は法律上保護される利益として保障されているものと解することはできない。 イ原告は、「平和」の概念は、自国が武力行使をするおそれがなく、かつ、他国から武力行使を受けるおそれのない状態を指す限りにおいて、また、平和的生存権の内容は、政府の行為による戦争や武力行使により、個人の 生命、身体及び健康が奪われたり脅かされたりしない権利を中核的なも のとし、政府の行為が相手国からの攻撃を招くような事態をもたらさないことを政府に要求する権利や、上記の事態が発生するおそれから免れることも含むという形で、それぞれ明確化されている旨主張する。 しかしながら、 行為が相手国からの攻撃を招くような事態をもたらさないことを政府に要求する権利や、上記の事態が発生するおそれから免れることも含むという形で、それぞれ明確化されている旨主張する。 しかしながら、そもそも、原告の主張する「平和」の概念や平和的生存権の内容が、それらの概念又は内容として適切なものであるかはさて措 き、原告らの主張する「平和」の概念や平和的生存権の内容を前提としても、「おそれ」、「おそれのない状態」、「招くような事態」など、個々人の思想や信条、世界観、情況等の主観的な価値観・感覚により大きく左右され一義的に特定することができない概念が含まれているのであって、結局のところ、「平和」の概念や平和的生存権の内容を説明するに際して、 一義的に特定することが困難な概念を用いざるを得なくなっていることからすれば、原告らの主張を前提としても、およそ「平和」の概念や平和的生存権の内容が明確なものとなっているということはできない。 ウ以上からすれば、原告らが主張する平和的生存権について、具体的な権利又は法律上保護される利益として保障されているということはできな いから、原告らの主張を採用することはできない。 ⑶ 人格権等についてア原告らは、戦後約70年もの間、憲法9条の下で平和国家として存立してきた我が国の国民であることの名誉や尊厳、すなわち、加害者にならない権利又は人格的利益を有し、これらは人格権あるいは人格的利益とし て法的保護を受けるものであるところ、本件各行為により、これらが侵害された旨主張する。 しかしながら、原告らの主張する、「平和国家として存立してきた我が国の国民であることの名誉や尊厳」、及び、「加害者にならない権利又は人格的利益」は、前記⑵で説示したところと同様に、その具体的な内容が しながら、原告らの主張する、「平和国家として存立してきた我が国の国民であることの名誉や尊厳」、及び、「加害者にならない権利又は人格的利益」は、前記⑵で説示したところと同様に、その具体的な内容が 一義的に定まるものではない上、個々人の思想や信条、世界観等の主観的 な価値観に大きく左右されるものであり、客観的にその外延を画することも困難であることからすれば、極めて抽象的な概念であると言わざるを得ない。 また、本件各行為は、内閣による閣議決定又は法案提出行為若しくは国会による立法行為であるところ、本件各行為がなされた以降に、本件各行 為に由来する我が国の行為によって、他国民の生命、身体又は財産を侵害する現実的かつ具体的な危険が生じたというような事情は見当たらない。 このように、原告らの主張は、結局のところ、自らの思想、信条、政治的見解等と相容れない内容である本件各行為が行われたことにより、精神的な苦痛を感じたというものであるところ、多数決原理を基礎とする 代表民主制を採用している我が国においては、多様な意見を有する国民が、表現の自由、政治活動の自由、選挙権等の権利を行使し、それぞれの立場・方法で国や政府による立法や政策決定過程に参画した上で、最終的には、全国民の代表者として選出された議員により組織される国会において個々の法令が制定されるのであるから、その結果として、ある個人の 思想、信条、政治的見解等とは相容れない内容の法令が制定されることは、全国民の意見が一致しているというおよそ想定し難い場面以外では、不可避的に発生する事態である。そうすると、自らの思想、信条、政治的見解等とは相容れない行為が行われたことで精神的苦痛を感じたとしても、そのような精神的苦痛は社会的に受忍しなければならないものとい 的に発生する事態である。そうすると、自らの思想、信条、政治的見解等とは相容れない行為が行われたことで精神的苦痛を感じたとしても、そのような精神的苦痛は社会的に受忍しなければならないものとい うほかない。 以上からすれば、原告らが主張する人格権等について、具体的な権利又は法律上保護される利益として保障されているということはできない。 イ原告らは、我が国が戦争の当事者となる危険性あるいは我が国が他国からの武力攻撃やテロ行為の標的となる危険性に対する不安や恐怖を抱 くことなく平穏な生活を送る利益、すなわち、被害者にならない権利又は 法律上保護される利益を有し、これらは人格権あるいは人格的利益として法的保護を受けるものであるところ、本件各行為により、これらが侵害された旨主張する。 原告らは、各陳述書又は各供述において、原告らやその関係者らが戦争やテロ行為に巻き込まれ、生命、身体及び財産等に被害を受けるのではな いかとの恐怖や不安を抱いた旨陳述・供述するところ、我が国が、戦争の当事者となったり、他国からの武力攻撃やテロ行為の標的となったりした場合は、国民の生命、身体又は財産等に多大な影響が及ぶことは明らかである。 しかしながら、原告らの主張する利益は、危険性という不確かな概念を 対象として、不安又は恐怖という抽象的な感情を抱くことを避け、平穏な生活という個々人により認識が大きく異なる概念を求める利益を主張するものであり、前記アと同様に、その具体的な内容が一義的に定まるものではなく、個々人の思想や信条、世界観等の主観的な価値観によりその内容は大きく異なるものであるから、全体として、極めて抽象的なものであ ると評価せざるを得ない。また、前記アと同様に、本件各行為がなされた以降に、本件各行為に由来する 主観的な価値観によりその内容は大きく異なるものであるから、全体として、極めて抽象的なものであ ると評価せざるを得ない。また、前記アと同様に、本件各行為がなされた以降に、本件各行為に由来する我が国の行為によって、他国民の生命、身体又は財産を侵害する現実的かつ具体的な危険が生じたというような事情は見当たらないことはもとより、本件各行為に由来して、我が国が他国からの武力攻撃やテロ行為の標的・対象となったというような事実も見 当たらない。 以上からすれば、原告らが抱いたとする不安や恐怖は抽象的かつ漠然とした危惧感にとどまるものというほかなく具体的な権利又は法律上保護される利益として保障されているということはできない。 ウさらに、原告らは、原告らのうち法研究や法教育を職業とする者が、研 究者又は教育者としての憲法の原理や解釈に対する理念について人格的 利益を有しており、これらは人格権あるいは人格的利益として法的保護を受けるものであるところ、本件各行為により、これらが侵害された旨主張する。 しかしながら、平和安全法制関連2法の内容及び本件各行為が立法に向けた一連の行為であることからすれば、本件各行為の効果は、原告らが 法研究や法教育を職業としているか否かによって左右されるものではなく、原告らの中に法研究や法教育を職業としている者がいるということは、本件各行為が、そのような原告らの思想、信条、政治的見解等とは相容れないことの背景事情とはいえるものの、原告らが法研究や法教育を職業としているか否かによって、人格権あるいは人格的利益として法的 保護を受けるか否かが左右されるものではない。 また、その点をさて措くとしても、前記ア及びイと同様、「研究者又は教育者としての憲法の原理や解釈に対する理念」は、その具 は人格的利益として法的 保護を受けるか否かが左右されるものではない。 また、その点をさて措くとしても、前記ア及びイと同様、「研究者又は教育者としての憲法の原理や解釈に対する理念」は、その具体的な内容を一義的に特定することはおよそ困難な、極めて抽象的な概念であるほか、研究者や教育者における理念、思想、信条、政治的見解等にも多種多様な ものが存在するところ、そのような理念、思想、信条、政治的見解等とは相容れない内容の法令が制定されるという事態が当然に生じ得ることなども、既に説示したとおりである。 さらに、本件各行為は、研究者や教育者が憲法の原理や解釈について何らかの理念を持つことを何ら否定し、また、制約を生じさせるものでもな く、このことは、原告らが本件訴訟において提出した書証(甲B15ないし21、26ないし29)の中で、様々な研究者が、自らが抱く憲法の原理や解釈についての理念に基づき、平和安全法制関連2法について自らの意見を自由に論じていることから明らかである。 エ以上のほか、原告らは、国家の違憲、違法な行為が国民の人格権等を侵 害する場合、それにより国民に生じた精神的苦痛について、社会通念上受 忍されるべきという論理により排斥することはできない旨主張する。 しかしながら、本件各行為によって、原告らが主張する具体的な権利又は法律上保護される利益である人格権等が侵害されたとは認めることはできないことは既に説示したとおりであるから、人格権等の侵害自体は肯定されることを前提とする原告らの主張は、その前提を誤っており、失 当である。 オ以上からすれば、原告らの主張する人格権等について、具体的な権利又は法律上保護される利益として保障されているということはできないから、原告らの主張を採用することは ており、失 当である。 オ以上からすれば、原告らの主張する人格権等について、具体的な権利又は法律上保護される利益として保障されているということはできないから、原告らの主張を採用することはできない。 ⑷ 憲法改正・決定権について ア原告は、憲法前文、1条、96条及び99条に基づき、具体的な憲法改正課題が生じたときに、国民各人が、その賛否を最終的には国民投票制度を通じて表明し、当該憲法改正の是非を決定する権利及び国民的意思を形成する過程に参加した上で自分たちの最終的意思を問われることなく実質的な憲法改正を含む憲法改正をされることがない権利が、憲法改正・ 決定権として具体的に保障されている旨主張する。 この点、憲法前文は、「日本国民は、(中略)ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」旨定め、憲法96条1項は、「憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特 別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする」旨を定め、同条2項は、「国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する」旨定め、憲法99条は、国務大臣及び国会議員等に憲法尊重擁護義務を課しているところ、これらの規定は、主権者である国民が憲法制定権力の主体であること、憲法 改正の最終決定権が国民にあることを示しているものである。 しかしながら、国民は、具体的権利として保障された政治活動の自由や選挙権等に基づき選挙を通じて国政に参加することが可能であるところ、憲法は、選挙により選出された国民の代表者である国会議員により構成されている国会が、唯一の立法機関として立法権を行使 治活動の自由や選挙権等に基づき選挙を通じて国政に参加することが可能であるところ、憲法は、選挙により選出された国民の代表者である国会議員により構成されている国会が、唯一の立法機関として立法権を行使する旨定めていること(憲法41条)、改正について定めた第9章にある憲法96条にお いて、憲法改正については、国会が憲法改正を発議した上で国民に提案してその承認を経なければならない旨明確に規定していることからすれば、憲法は、国民が憲法制定権力の主体であり、憲法改正の最終決定権が国民にあることを前提としつつ、憲法改正を発議するか否か及び発議する場合の具体的な内容については、国会に対してその専権として委ねている と解するのが相当である。そうすると、憲法改正に係る国会の発議がなされていない段階において、原告らが主張する実質的な憲法改正をされることがないというものが、何らかの具体的な権利又は法律上保護される利益として保障されているものと解することはできない。 イ原告らは、憲法96条に基づく改正手続が求められる憲法規範の変更 とは、憲法の明文の変更のみならず「実質的な憲法改正」をも含むことを前提とした上で、かかる実質的な憲法改正が行われる場合には、国会による憲法改正の発議がなくとも、憲法改正・決定権が、具体的権利として保障されている旨主張する。 しかしながら、原告らが主張する、「実質的な憲法改正」、すなわち、 「既に解釈として確立した憲法規範の意味内容を根本から変更する」場合や、具体的な憲法改正課題といった用語は、その意味内容が一義的に特定される文言ではなく、かつ、個々人の思想や信条、世界観等の主観的な価値観により、その内容が大きく左右されるものであることからすれば、原告らの主張する憲法改正・決定権の内容は、結局のところ抽象 に特定される文言ではなく、かつ、個々人の思想や信条、世界観等の主観的な価値観により、その内容が大きく左右されるものであることからすれば、原告らの主張する憲法改正・決定権の内容は、結局のところ抽象的なもの と言わざるを得ず、そうであれば、原告らの主張する権利が具体的な権利 として保障されているとはおよそ解することができない。原告らは、「具体的な憲法改正課題」という文言を普通に読めば「憲法改正を要するような重要な具体的テーマ」を指していることは明らかであるとも主張するが、原告らが言い換えた「憲法改正を要するような重要な具体的テーマ」という文言も、抽象的かつ個々人の思想や信条、世界観等の主観的な価値 観により大きく左右されるものであることに変わりはない。 また、原告らは、憲法96条に基づく改正手続が求められる憲法規範の変更とは、憲法の明文の変更のみならず実質的な憲法改正をも含むことを前提とした上で、憲法改正に係る国民投票への参加が妨げられた場合よりも、憲法改正に係る国会の発議や国民投票すらなされなかった場合 の方が、憲法改正・決定権に対する侵害の度合いは大きいとして、国会による発議や国民投票の実施の有無により憲法改正・決定権の具体的権利性は左右されない旨も主張する。 しかしながら、原告らの上記主張は、憲法改正・決定権に対する侵害の程度を根拠として憲法改正・決定権の具体的権利性を論じるものである ところ、そもそも、憲法改正・決定権が具体的な権利又は法律上保護される利益として保障されているとは認められないことは前記ア説示のとおりであるから、原告らの上記主張は、その前提を誤るものであり失当である。 さらに、原告らは、憲法の重要な規範内容の変更がなされる場合には、 国会は、発議した上で国民投票を実 ア説示のとおりであるから、原告らの上記主張は、その前提を誤るものであり失当である。 さらに、原告らは、憲法の重要な規範内容の変更がなされる場合には、 国会は、発議した上で国民投票を実施する憲法上の義務を負うのであり、国会が上記義務に違反した場合には、憲法改正・決定権の具体的権利性の有無にかかわらず、国賠法上違法となる旨主張する。 しかしながら、原告らの主張によれば何を発議するのか明らかではないが、その点をさて措き、国賠法1条は、公務員が職務を行う際に、違法 に他人に損害を加えたときに、国等が賠償責任を負うことを定めている ところ、具体的な権利又は法律上保護される利益が侵害されていないにもかかわらず、国賠法上違法となり、賠償責任を負うということはおよそあり得ない。原告らの主張は、独自の見解であり、採用の限りでない。 ウ以上からすれば、原告らの主張する憲法改正・決定権について、具体的な権利又は法律上保護される利益として保障されているということはで きないから、原告らの主張を採用することはできない。 2 したがって、本件各行為により原告らの具体的な権利又は法律上保護される利益が侵害されたと認めることができない以上、その余の点について検討するまでもなく、本件各行為が、国賠法上違法であると評価される余地はない。 第4 結論以上によれば、原告らの請求はいずれも理由がないからこれらを棄却することとして、主文のとおり判決する。 高知地方裁判所民事部 裁判長裁判官佐々木 隆 憲 裁判官梅本聡子 裁判官尾﨑充浩 裁判官梅本聡子 裁判官尾﨑充浩

▼ クリックして全文を表示

🔍 類似判例を検索𝕏 でシェア← 一覧に戻る