主文 被告人は無罪。 理由 第1 事案の概要等 1 公訴事実被告人は,平成24年4月8日午前7時30分頃,横浜市a区b町先路上において,A(当時30歳)に対し,その顔面をげんこつで多数回殴るなどし,よって,同人に全治約1か月間を要する右前頭骨骨折,右眼窩骨折の傷害を負わせたものである。 2 本件の前提となる事実関係関係証拠によれば,以下の事実が認められ,これらの点は当事者間にも特に争いはない。 A,その従兄弟であるB,C,その友人であるDらは,本件当日の午前7時頃,酒に酔った状態で,公訴事実記載の所番地に所在するビルの地下1階の飲食店甲(以下単に「店」ともいう。)に入店した。 なお,本件当日,店では,Aの知人であるEが店員として働いていた。 しばらくすると,Aらは,店長である被告人から店を出るように言われ,一旦店外に出た(以下「1回目の退店」ということがある。)。しかし,被告人と話すなどして再び店内に戻り,被告人からビールをおごってもらうなどした。その後,CとAは,再び被告人から店を出るように言われた。 C,A,B,被告人らが店を出て階段を上り,ビルから出たところ(以下「2回目の退店」ということがある。),被告人がビルの入口付近の路上で,Cの顔面を殴って路上に転倒させ,さらにBとももみ合いとなった。 その後,被告人は,Aの顔面を殴打するなどの暴行(以下「本件暴行」という。なお,殴打の回数等,その暴行の態様については若干の争いがある。)に及んだ。 Aは,本件暴行により公訴事実記載の傷害を負った。 3 争点と当事者の主張公訴事実自体はおおむね争いがない。本件の主たる争点は,正当防衛の成否であり,具体的には,とりわけ急迫不正の侵害及び正当防衛状況の有無について 事実記載の傷害を負った。 3 争点と当事者の主張公訴事実自体はおおむね争いがない。本件の主たる争点は,正当防衛の成否であり,具体的には,とりわけ急迫不正の侵害及び正当防衛状況の有無について争いがある。すなわち,検察官は,本件暴行の直前に,Aが被告人に殴り掛かろうとしたことはなく,仮にそうであったとしても,被告人がその前にCを殴ったことや,Aが全く反撃していないのに殴り続けるなどしたことに照らせば,本件は単なる喧嘩にすぎないから,急迫不正の侵害がないか,正当防衛が成立し得る状況にはなかった旨主張する。 これに対し,弁護人は,本件暴行の直前,Aが被告人に殴り掛かろうとしていたのであるから,急迫不正の侵害があり,また,被告人がCを殴ったのは,Cから殴られそうになったためであって,その後,Bに首を絞められて倒れ,立ち上がった際にAが殴ろうとしてきたことなどに照らせば,本件暴行は自招侵害や喧嘩闘争によるものではない旨主張する。 第2 当裁判所の判断 1 関係者の供述 Aの公判供述ア 1回目の退店の経緯について店に入った後,女性客にビールとサングラスを取られたので,被告人に頼んだところ,すぐにサングラスを返してくれ,ビールをおごってくれた。その後,知り合いの友人であるFがカラオケを歌っており,手拍子を打ったりしていたところ,店員Eから「被告人がAらの顔が気に食わないから出ていってほしいと言っている。」,「外の人たちもいろいろ言っているし,危険だから出た方がいい。」,「殺されるぞ。」,「被告人が悪い人たちを呼んでいる。」などと忠告され,店を出ることにした。ビルの外では,被告人から直接「出ていってほしい。出ないと 殺す。」などと言われた。理由を聞いたが,被告人は答えなかった。すると,Fが来て,仲裁に入ってくれ,再び店内 告され,店を出ることにした。ビルの外では,被告人から直接「出ていってほしい。出ないと 殺す。」などと言われた。理由を聞いたが,被告人は答えなかった。すると,Fが来て,仲裁に入ってくれ,再び店内に戻ることになった。 イ 2回目の退店の経緯について被告人からビールをおごられたが,5分もしないうちに店員Eがやってきて,「出ていってくれ。出ないと殺す。」などと言われたので,店からすぐに出た。被告人が自分たちの顔が気に食わないからだと思った。 ウ C及びAに対する暴行について自分に続いてCがビルの外に出てきたところ,被告人が走って追い掛けてきて,ズボンのベルトを調整していたCの顔面の左をいきなり殴り,Cは地面に倒れた。10メートルくらい離れた所にいた自分はそばに行き,失神していたCを二,三分ほど見続けていた。その時,Bと被告人が言い争いをしているのに気が付いた。被告人が誰かに倒された場面は見ていない。被告人がBに近づいてきて,殴ろうとしていたため,二人の間に入り,軽く肘を折り手のひらを被告人に向けて「ノー」と言いながら止めようとした。すると,被告人から顔を殴られ,その後10回ぐらい顔を殴られた。Fが被告人の手を押さえて止めてくれたが,被告人は,更に自分のこめかみに頭突きをした。自分は,全く反撃しなかった。 Bの公判供述ア 2回目の退店の経緯について退店するように直接は言われていないので,退店することになった理由は分からない。店を出ようとした際,Cらと被告人とが店の外にある階段の所でもめており,多分,一対一でやれよというような会話が出ていたと思う。DがCを抱えながら階段を上がっていき,被告人がその後を付いていったのを見て,自分も追い掛けた。 イ C及びAに対する暴行についてビルから路上に出ると,目の前で,泥酔 な会話が出ていたと思う。DがCを抱えながら階段を上がっていき,被告人がその後を付いていったのを見て,自分も追い掛けた。 イ C及びAに対する暴行についてビルから路上に出ると,目の前で,泥酔してふらふらの状態のCの顔 面を,被告人が後方からいきなりフックみたいに殴った。Cは1発で転倒して地面に頭を打ち,Dが介抱していた。自分は,すぐに被告人の体を掴んで止めに入り,被告人と一緒に倒れ込んだ。すると,誰かが自分と被告人とを引き離した。この間,Aがどこにいたのかは分からない。 自分と引き離された後も,被告人はかなり興奮した様子で,こちらに向かおうとしていた。自分も周りから制止されていた。離れた所から,被告人に対し,「何で後ろからやるんだ。汚いだろう。」などと言った。 被告人を止めに入ってから5分か10分後に,被告人の方を振り返ったら,遠くでAが被告人に殴られていた。 被告人の公判供述ア 1回目の退店の経緯についてAが店にいた客にサングラスを取られて困っていたので,ビールをおごった。その後,店にいた他の客がAらの態度について苦情を言ってきたので,Aらに対し,店員Eを通じて注意した上,ビールをおごった。それでもAらは,イラン人グループの客らを馬鹿にするような態度をとるなどし続けたため,イラン人らもAらがそのような行動をやめないと殺すなどと自分に言ってきた。そこで,自分がAらに店から出て行くようにお願いした。Aらはビルの外に出て,続いてイラン人らも外に出た。 店長として問題を解決するために,Aらやイラン人らと話すなどした後,態度を改めることを条件にAらが店内に戻ることを許した。 イ 2回目の退店の経緯について店内でAらにビールをおごったが,Aらの態度は直らなかった。そこで,まずCに対して,店から出ていくように伝え,さらに ることを条件にAらが店内に戻ることを許した。 イ 2回目の退店の経緯について店内でAらにビールをおごったが,Aらの態度は直らなかった。そこで,まずCに対して,店から出ていくように伝え,さらにAに近づこうとした時,Cから,うなじの辺りを力一杯叩かれたので,Cを店から追い出すため,その腕を掴んで店外に出た。Cは階段の所で自分に「殺す。」と脅してきたが,意味のない言葉だと思い,「殺せるもんなら, 殺してみろ。」などと言い返したりした。Aらのグループの者たちも,自分やスタッフに対し脅し文句を言いながら,自分の後を付いてきた。 ウ C及びAに対する暴行についてCをビルの外に出し,その次に自分が出た。すると,Cが,殴り掛かってきたので,左手で顔を軽く殴った。Cが倒れた後,後ろからいきなり首を絞められるなどして,地面に倒された。今は,それをやったのはBだと分かっているが,その時はやったのはAだと思っていた。立ち上がると,目の前にいたAが自分に殴り掛かろうとしてきたので,これに反応してその顔面を殴り,更に首辺りに手を回した上,利き手の右手で五,六回力一杯顔を殴った。Aがけがをしたので,自分で殴るのをやめた。頭突きはしていない。Aは抵抗しなかった。 2 争いのある事実関係に関する当裁判所の認定 Aらが店から出るに至った経緯についてAの供述によれば,被告人がAらの顔が気に食わないから,Aらに,店から出ていけと言ったり,殺すと脅したりしたことになる。しかし,被告人が,店長という立場にあり,しかも,店の経営者からも,そのまじめな仕事振りを評価されていたこと,Aらに何度かビールをおごっていたことに照らせば,このAの供述は,不自然,不合理であるといわざるを得ず,信用できない。 他方,被告人の供述は,事態の推移として自然であるばかりか,店 評価されていたこと,Aらに何度かビールをおごっていたことに照らせば,このAの供述は,不自然,不合理であるといわざるを得ず,信用できない。 他方,被告人の供述は,事態の推移として自然であるばかりか,店員Eの供述とも概ね符合しているのであるから,信用性が高いというべきである。そうすると,Aらは,店内での行状が悪く,他の客とトラブルになりそうになったため,被告人から退店させられたことが認められる。 Cを殴った状況についてA及びBの各供述は,被告人がいきなりCを殴ったという点では符合している。しかし,両者の供述には細部に軽視し難い食い違いが見られる。すなわち,Bの供述では,CにDが付き添い,転倒後には介抱したというのである が,AはDのことを述べていないし,Bの供述では被告人が背後から殴ったというのであるが,Aはそのようなことは述べていない。そうすると,両者の供述が相互に信用性を高め合っているとはいい難い。 Aの供述は,Aが,既に見たように,店を出るに至った経緯について自分たちに不利な供述を避けていること,被告人が殴るのを見ていた場所がCから少し離れていたことも併せ考えると,信用性が低いというべきである。 もっとも,Bの供述は,Cが殴られるところを間近で見ていたというものである上,内容も具体的である。 他方,被告人の供述も,軽く殴ったという点はCの転倒状況とやや整合しにくい面があるものの,Cが殴ろうとしてきたという点は,Aらの退店の経緯やCの言動に照らして,不自然とはいえない。 そこで,更に検討する。確かに,2回目の退店の際,被告人が店内で,Cに叩かれたり,Cに殺すと言われてやってみろなどと言い返したりしていたという事情はあるものの,被告人が,客同士のトラブルを避けるために,Aらを退店させようとしていたという経緯に照 被告人が店内で,Cに叩かれたり,Cに殺すと言われてやってみろなどと言い返したりしていたという事情はあるものの,被告人が,客同士のトラブルを避けるために,Aらを退店させようとしていたという経緯に照らすと,客であるCが路上に出て何ら攻撃しようとしていないのに,その顔面を被告人がいきなり殴打したというのは不自然さを免れ難い。また,Bは,Cが被告人を殴ろうとした一瞬の出来事を見逃したのではないかとの疑問を払拭できないし,Aと従兄弟同士でそのグループの一員であるBが,Aに不利になる供述を避けた可能性も否定し切れない。このように,Bの供述には信用性を弱める事情も存在する。 以上によれば,Bの供述によって被告人の供述を排斥することは困難というべきであるから,被告人の供述のとおり,被告人は,Cが殴り掛かろうとしてきたため,Cを殴ったことが認められる。 本件暴行の状況についてAは,自分の脇にいたBに被告人が向かってきたので,Bを守るために 止めに入ったと供述している。しかし,他方,Bは,被告人と引き離されから5分か10分後,被告人の方を振り返ったら,遠くでAが被告人から殴られているのに気付いたと述べるだけである。Bが供述する被告人との距離や時間経過を考えると,Aの供述は,Bの供述とは整合していないというべきである。 さらに,Aは,捜査段階では,倒れているCに被告人が殴り掛かろうとしていたことから,これを止めに入ったと述べていたのであって,被告人が誰に攻撃しようとしていたかという最も重要な部分について供述が変遷している。しかるに,Aは,その理由について,CとBが近い場所にいた旨述べるだけであり,変遷について合理的な説明をしているとはいい難い。 他方,被告人の供述は,Cを殴った後,何者かに倒されたという点についてはBの供述と符合し 理由について,CとBが近い場所にいた旨述べるだけであり,変遷について合理的な説明をしているとはいい難い。 他方,被告人の供述は,Cを殴った後,何者かに倒されたという点についてはBの供述と符合し,特に不自然な点は見当たらない。本件暴行の態様について利き手で数回力一杯殴ったことやAが抵抗しなかったことなど,自己に不利な内容も述べている。店員Eも,Aが被告人に殴り掛かろうとしていた旨,重要な点で符合する供述をしており,被告人の供述の信用性を高めている。 以上によれば,本件暴行の状況についても,Aの供述の信用性は高いとはいえず,これによって被告人の供述を排斥することはできないというべきである。そうすると,被告人の供述のとおり,被告人は,Aが殴り掛かってきたので,その顔面を1回殴打し,さらに,Aの首辺りを抱えて顔を五,六回力一杯殴ったという事実が認められる。 3 正当防衛の成否について上記2の認定事実を踏まえて検討する。 急迫不正の侵害等について本件暴行の直前に,Aが被告人に殴り掛かろうとしていたのであるから,基本的に急迫不正の侵害が存在したというべきである。 ところで,被告人は,Aの顔面を1回殴打した後,Aが全く抵抗しないのに,さらにその顔を数回殴っている。しかし,1回殴打した後,Aの反撃が全く不可能になったとも,Aの反撃意思が消失したともいえないのであるから,その後も侵害は継続していたと認められる。 正当防衛状況の有無について被告人は,客同士のトラブルを避けるため,Aらを退店させようとしたところ,店内でCから暴行を受け,さらに路上でもCから殴られそうになったため,Cの顔面を殴り,その後にBに押し倒されて起き上がったところ,Aから暴行を受けそうになったため,本件暴行に及んだものである。 確かに被告 ら暴行を受け,さらに路上でもCから殴られそうになったため,Cの顔面を殴り,その後にBに押し倒されて起き上がったところ,Aから暴行を受けそうになったため,本件暴行に及んだものである。 確かに被告人は,本件暴行の前に,Cを殴打し,Bとももみ合うなどしており,さらに,その前にCの脅し文句に言い返すなどしている。しかし,本件は,酔ったAらの店内での言動が他の客とのトラブルを招きそうになったことが発端となっており,被告人は店長として,これを避けるためAらを退店させようとしたのであるから,被告人の行動に非があったといえないことは明らかである。被告人がCとの喧嘩に応じるような言葉を発したのも,Cらに退店してもらうためであったと解する余地がある。 したがって,本件暴行は,自招侵害によるものとも,単なる喧嘩闘争中のものともいえず,正当防衛が成立し得る状況にはなかったとは認められない。 防衛行為の相当性についてAは,本件暴行により顔面,頭部に全治約1か月間を要する骨折の傷害を負っている。しかし,本件暴行は,素手による数発の顔面への殴打であって,連続した短時間内のものであることに鑑みると,Aが特に抵抗していなかったことや傷害結果がいささか重いことを考慮しても,防衛行為の相当性を逸脱した過剰なものとまではいえない。 小括 以上の検討によれば,被告人の本件暴行には正当防衛が成立するというべきである。 4 結論以上の次第で,本件公訴事実については犯罪が成立しないから,刑訴法336条により,被告人に対し無罪の言渡しをする。 (裁判長裁判官田村眞裁判官景山太郎裁判官満田悟) 長裁判官 田村眞 裁判官 景山太郎 裁判官 満田悟
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