【DRY-RUN】主 文 本件上告を棄却する。 理 由 弁護人土井一夫の再上告趣意書及び同補充書は末尾に添附した別紙書面記載のと おりである。 按ずるに憲法第三二条は、何人も
主文本件上告を棄却する。 理由弁護人土井一夫の再上告趣意書及び同補充書は末尾に添附した別紙書面記載のとおりである。 按ずるに憲法第三二条は、何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪はれないと規定しているが、同条の趣旨は凡て国民は憲法又は法律に定められた裁判所においてのみ裁判を受ける権利を有し、裁判所以外の機関によつて裁判をされることはないことを保障したものであつて、訴訟法で定める管轄権を有する具体的裁判所において裁判を受ける権利を保障したものではない。従つて仮りに所論の如く、本件公判請求書は昭和二二年五月二日に福知山区裁判所において受理したものではなくて、同年同月五日京都地方裁判所福知山支部が受理したものであるとしても、その違法はただ管轄違の裁判所のなした第二審判決を原審が是認したという刑事訴訟法上の違背があるということに帰着するだけであつて、そのために原判決を目して憲法違反のものであるとはいい得ない。従つて原判決は憲法に違反することを主張する論旨は、再上告適法の理由とはならない。 よつて刑訴法施行法第二条旧刑訴法第四四六条により主文のとおり判決する。 以上は裁判官長谷川太一郎同沢田竹治郎同栗山茂を除く裁判官一致の意見である。 裁判官長谷川太一郎同沢田竹治郎同栗山茂の反対意見は次のとおりである。 裁判官長谷川太一郎の反対意見は次のとおりである。 憲法第三二条は何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪はれないと規定しているが、同条の裁判所は憲法又は法律の定めにより権限を有する裁判所のことであり裁判を受ける権利というのは、積極消極の両面があつて、積極の面は私権の保護を求めるため裁判所に対し訴を提起する権利即ち訴権であり、消極の面は裁判所の- 1 -裁判によるのでなければ刑罰を科せられな 裁判を受ける権利というのは、積極消極の両面があつて、積極の面は私権の保護を求めるため裁判所に対し訴を提起する権利即ち訴権であり、消極の面は裁判所の- 1 -裁判によるのでなければ刑罰を科せられないという、意味である多数説に従えば、同条は国民は憲法又は法律により定められた裁判所においてのみ裁判を受ける権利を有し、裁判所以外の機関によつて裁判されることはないことを保障したものであつて、訴訟法で定める管轄権を有する具体的裁判所において裁判を受ける権利を保障したものでないというのであるが、もし多数説どうりのものであるとすれば、法律上権限のある裁判所に対し訴を提起することのできる場合、又は権限ある裁判所に対し上訴をなすことのできる場合等において、故なく訴又は上訴を拒否されたに拘わらず訴訟法の規定によつては救済の道がない場合において憲法上の保護を求めることができないとすれば国民は所謂泣き寝入りの止むなきに至るわけであるが、それでは人権尊重について周到な注意を払つた憲法の精神を没却するものといわなければならないし、文理解釈上から見ても、裁判所の裁判といえば正式の裁判所即ち憲法又は法律の定めにより権限の有る裁判所の裁判を意味するものと解すべきは当然である、古来裁判所の組織と権限は之れを重要視し幾多変遷のある法制史上の沿革に徴するも、同条は単に裁判所以外の機関によつて裁判されることのないことを保障したに止まらず、権限ある裁判所の裁判を受ける権利を奪はれないことを保障したものといわなければならない、そして憲法第七六条第一項はすべて司法権は最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属すると規定しているので、その反面解釈により、国民は裁判所以外の機関によつては裁判されることはないといい得るから、憲法第三二条の趣旨が多数説のとおりであるとすれ めるところにより設置する下級裁判所に属すると規定しているので、その反面解釈により、国民は裁判所以外の機関によつては裁判されることはないといい得るから、憲法第三二条の趣旨が多数説のとおりであるとすれば同条は結局無用の蛇足を加えた形となるわけであるが、左様なものとは考えられない、従つて権限ある裁判所の裁判を受ける権利を侵害した第二審判決を是認した原判決は憲法第三二条に遠反することを主張する本件再上告は適法であるといわなければならない、記録に徴するに本件公判請求書の目附は昭和二二年五月二日であるが右公判請求書に対しては昭和二二年五月五日附の福知山区裁判所受附印を押印したる- 2 -後右受附印中の五日の部分を二日と訂正した(受附印中の5の上に2を書いて訂正した)ものであることは所論のとおりである。よつて当裁判所は旧刑訴法第四三五条により右受附印の目附訂正の事由を調査するため裁判官庄野理一を受命判事に指名し同裁判官は京都地方裁判所福知山支部より昭和二二年五月当時の第一審公判始末簿を同裁判所検事局よりは同年同月当時の記録逓付簿を取寄せ調査したるところ右各帳簿の内本件に関係ある部分の目附欄の記載は昭和二二年五月五日と記載した後五日を二日と訂正したことが判明したので当裁判所大法廷裁判長塚崎直義は京都地方裁判所に前記日附訂正事由の調査を嘱託し同裁判所判事増田幸次郎は昭和二三年七月二二日京都地方裁判所福知山支部において右公判請求書の受附事務に関係したC及びD並びに前記公判請求書を前記検事局より前記裁判所に逓付の事務に関係したE、Fの四名を証人として訊問した結果右E、Fの両名は前記公判請求書を福知山区裁判所が受附けたのは公判請求書記載の日附と同日即ち昭和二二年五月二日である旨を陳述したが信用できない。そしてCは前記公判請求書を受附けたのは自分であり受附 右E、Fの両名は前記公判請求書を福知山区裁判所が受附けたのは公判請求書記載の日附と同日即ち昭和二二年五月二日である旨を陳述したが信用できない。そしてCは前記公判請求書を受附けたのは自分であり受附けた日は同年同月五日に相違なき旨を陳述しDは右受附印の日附の内五日を二日と訂正したのは自分であると陳述しているので右C、D両名の陳述により本件公判請求書は論旨の如く同年同月五日京都地方裁判所福知山支部において受理したものと認めなければならないから、第二審手続は大阪高等裁判所でなすべきものであるにかかわらず、原審においては第二審裁判所として管轄権のない京都地方裁判所のなした第二審判決を是認し、被告人をして大阪高等裁判所において第二審手続により裁判を受くべき途をふさいだのは、憲法第三二条に違反することを主張する論旨は理由がある。従つて原判決はこれを破毀し大阪高等裁判所に差戻すべきものである。 裁判官沢田竹治郎の反対意見は次のとおりである。 最高裁判所が違憲法令審査について終審裁判所であることの他は、どういう事件- 3 -がどういら裁判所で裁判されるかということは、日本国憲法(以下単に憲法と略称する)には定めていないで、すべて法律の定めに一任していることはたしかである。 だからといつて、法律で、ある事件をある裁判所の裁判すべき事件と定めているのに拘らず、他の裁判所でその事件を裁判をするということがあつても、その裁判は裁判所の管轄を定めた法律に違反するものであるのにとどまつて毛頭憲法に遠反するものではないと断言することは早計であると信ずる。凡そ法律が管轄裁判所と定めている裁判所でない裁判所で裁判をするという場合には法律の定める管轄裁判所が地方裁判所又は合議裁判所であるのに、実際に裁判した裁判所は簡易裁判所又は単独裁判所である場合も含まれる。この場合 所と定めている裁判所でない裁判所で裁判をするという場合には法律の定める管轄裁判所が地方裁判所又は合議裁判所であるのに、実際に裁判した裁判所は簡易裁判所又は単独裁判所である場合も含まれる。この場合は、同一種類の事件でありながら、甲は地方裁判所又は合議裁判所で裁判を受けるのに、乙は簡易裁判所又は単独裁判所で裁判を受ける。即ち甲と乙とは、いわれなくして法の前で平等の取扱をうけないことの結果を生ずる。これは明らかに憲法第一四条の精神に正面から衝突して許容されないところである。又これが刑事の裁判で有罪を言渡したという場合であると、法律の定める手続によらなくては何人も刑罰を科せられないという憲法第三一条の精神にも違反するものであることも亦いうまでもない、管轄裁判所として高等裁判所又は最高裁判所と法律に定めてゐる事件を実際は地方裁判所又は高等裁判所で裁判をした場合にも亦同様に憲法第一四条同第三一条の精神に違背して容認されないところであることは多言を要しない。されば、憲法第三二条で保障している裁判を受ける権利とは、単に憲法や法律で設けられた裁判所においてのみ裁判を受ける権利、その裁判所以外の機関によつて裁判をされないことの権利であるにとどまるからたとい、法律で地方裁判所又は合議裁判所で裁判すると定めている事件を簡易裁判所又は単独裁判所で裁判をしたり、同じく高等裁判所又は最高裁判所で裁判すると定めている事件を地方裁判所又は高等裁判所で裁判をしたとしても、それは単に法律に違反するものであるに止まり憲法には毛頭違反しないというのは、憲法第一- 4 -四条や第三一条の規定が、裁判を受くる権利に関する限り空文に帰せしめられることを看過し、容認するものといわなくてならぬ。しかのみならず、何人も法律で定められた組織と権限を有する裁判所の裁判を受ける権利を享有す 一条の規定が、裁判を受くる権利に関する限り空文に帰せしめられることを看過し、容認するものといわなくてならぬ。しかのみならず、何人も法律で定められた組織と権限を有する裁判所の裁判を受ける権利を享有することを保障することは現代国家の憲法が軌を一にしているところである。我が憲法のこの第三二条の規定も現代国家の例外なく認めている憲法上のこの原則とその立法趣旨を一にしておる。即ち、何人も法の前には同等であるという現代国家の普遍的な憲法上の原則を実現するのに、何よりも先づ保障しなければならぬ基本人権として、この裁判所で裁判を受けるの権利を奪はれないと宣言したのであることは、我が憲法の制定の由来、経過とその憲法規定、就中基本的人権の尊重、擁護に関する周到、緻密の規定の設けられていることからも想像に難くはない。それなのにこの規定の保障している権利は、単に憲法や法律で設けられた裁判所で裁判を受ける権利及びその裁判所以外の機関によつて裁判されない権利にとどまるというのではこの規定は実の処憲法第七六条第一項で保障していることを、今一度言葉を替えて保障したのに過ぎない、極めて存在価値の乏しい規定だというのと毫も異るところがない。それのみでない、この規定を無条件に憲法や法律で設けられた裁判所で裁判を受ける権利であるとか、その裁判所以外の機関で裁判をされない権利であるとかを保障した規定だと解すると、この規定は憲法第七六条第二項の規定、即ち裁判所でない行政機関でも、終審でない裁判ならこれを禁止する趣旨でないと、解釈する余地のある規定と一部矛盾するのでないかという疑問が生ずる。これに反して、この規定は法律である裁判所の管轄と定めた事件はその裁判所で裁判を受ける権利及びその裁判所以外の裁判所(裁判所でない行政機関などは言うまでもない)でほ裁判されない権利を保障してい る。これに反して、この規定は法律である裁判所の管轄と定めた事件はその裁判所で裁判を受ける権利及びその裁判所以外の裁判所(裁判所でない行政機関などは言うまでもない)でほ裁判されない権利を保障しているのだと解するときは、この規定と憲法第七六条第二項との間に生ずる前に述べたような矛盾についての疑問は消滅してしまうのである。これ等のことがらを綜合して考えると憲法第三二条の裁判所の裁判を受ける権利を奪われない- 5 -という規定の意義は単に憲法や法律で設けられた裁判所で裁判を受ける権利及びその裁判所以外の機関で裁判をされないことの権利を奪われないというのではなく、法律である裁判所の管轄に属すると定められた事件はその管轄裁判所で裁判を受ける権利及びその管轄裁判所以外の裁判所では裁判をされない権利を奪われないという義に解するのが相当である。されば管轄裁判所と法律で定められた裁判所以外の裁判所で裁判をすることは単に訴訟法に違背するにとどまらず憲法第三二条にも違反するものである、ところが記録に徴するに本件公判請求書の日附は昭和二二年五月二日であるが右公判請求書に対しては昭和二二年五月五日附の福知山区裁判所受附印を押印したる後右受附印中の五日の部分を二日と訂正した(受附印中の5の字の上に2を書いて訂正した)ものであることは所論のとおりである、よつて当裁判所は旧刑訴法第四三五条により右受附印の日附訂正の事由を調査するため裁判官庄野理一を受命判事に指名し同裁判官は京都地方裁判所福知山支部より昭和二二年五月当時の第一審公判始末簿を同裁判所検事局よりは同年同月当時の記録逓付簿を取寄せ調査したるところ各帳簿の内本件に関係ある部分の日附欄の記載は昭和二二年五月五日と記載した後五日を二日と訂正したことが判明したので当裁判所大法廷裁判長塚崎直義は京都地方裁判所に前記 録逓付簿を取寄せ調査したるところ各帳簿の内本件に関係ある部分の日附欄の記載は昭和二二年五月五日と記載した後五日を二日と訂正したことが判明したので当裁判所大法廷裁判長塚崎直義は京都地方裁判所に前記日附訂正事由の調査を嘱託し、同裁判所判事増田幸次郎は昭和二三年七月二二日京都地方裁判所福知山支部において右公判請求書の受附事務に関係したC及びD並びに前記公判請求書と前記検事局より前記裁判所に逓付の事務に関与したE、Fの四名を証人として訊問した結果、右E、Fの両名は前記公判請求書を福知山区裁判所が受附けたのは公判請求書記載の日附と同日即ち昭和二二年五月二日である旨を陳述したがCは前記公判請求書を受附けたのは自分であり受附けた日は同年同月五日に相違なき旨を陳述しDは右受附印の日附の内五日を二日と訂正したのは自分であると陳述したのであるが右C、D両名の陳述により本件公判請求書は論旨の如く同年同月五日京都地方裁判所福知山支部におい- 6 -て受理したものと認められる、従つて所論の如く第二審裁判所は京都地方裁判所合議体ではなくて大阪高等裁判所であるといわなければならないから本件再上告は理由がある、従つて原判決は破毀を免かれないものである。 裁判官栗山茂の反対意見は次のとおりである。 憲法は裁判所の管轄について保障していない、管轄の問題は専ら訴訟法の範疇に属するものであるという多数意見には不幸にして賛同できない、およそ人の生命を奪い、その自由を制限し又はその他の刑罰を科しうるのには、国の法律を成規の手続で適用して初めてなしうるものであることは、法の支配を鉄則とする民主主義国民の長きに亘る経験の教ゆるところである(憲法第一三条、第九七条)。法律を成規の手続で適用することは、成規の裁判手続によることであり且裁判所が成規の手続による以上は、裁判所が他の国 とする民主主義国民の長きに亘る経験の教ゆるところである(憲法第一三条、第九七条)。法律を成規の手続で適用することは、成規の裁判手続によることであり且裁判所が成規の手続による以上は、裁判所が他の国家機関と同様にその権限を超えないこと即ち各裁判所がそれぞれ事物、人、土地について権限を有することが前提でなくてはならぬ。 具体的案件を審判する権限がない裁判所の裁判で刑罰を科したのでは適法な裁判ではないから、かかる裁判所の裁判は憲法第三一条にいわゆる「法律の定める手続」に該当しないものであり、そして同条の「法律に定める手続」に該当しないとすれば憲法第三二条の保障している裁判上の救済ともならないことは明である。(尤も茲に誤解してはならないことは、憲法第三一条の「法律の定める手続」は訴訟手続に関する法律の意味ではない、従つて技術的な手続法上の事項が凡て同条の保障するところでないことである。 元来憲法第三二条は、マグナカルタ第四〇節と同じに、司法を銭で売つたり、裁判を勝手に拒否して裁判所による正当な裁判上の救済の途を閉すことをしてはならないという保障であるが、かような保障をする以上は、管轄権がある裁判所による裁判でなければ裁判上の救済とはならないと同様に、管轄権があるのに管轄権がないとして裁判をしないとすれば、裁判を拒否するものであつて憲法第三二条に適合- 7 -しない結果となるのである。日本国憲法と同一系統である成文憲法が宣明している人権の保障いわゆる権利典章中ことに裁判に関する条項は、その沿革上それだけで適用するに十分であつて、即ちself-executingであつて、法律の規定をまつて初めて実行性があるというような、なまやさしい人権の保障ではないのである。 或は憲法第七六条同八一条で憲法は裁判所の管轄権は法律をして規定せしめることにしてあ tingであつて、法律の規定をまつて初めて実行性があるというような、なまやさしい人権の保障ではないのである。 或は憲法第七六条同八一条で憲法は裁判所の管轄権は法律をして規定せしめることにしてあるから憲法それ自体では裁判所の管轄権までも保障していないという見方があるかもしれない。しかしこれらの条項から見ても法律を以て下級裁判所が設置されることが要請されているのであるから法律が下級裁判所を設置する以上は、それぞれその管轄をも定めなければならないものである。そして、この事と憲法第三一条第三二条が管轄権ある裁判所の裁判を保障することとは矛盾するものではないのである。又反対に憲法としては単に司法裁判所の裁判を保障しているに止るとして、訴訟関係人が裁判所の管轄権を無視して、自己の勝手にどの裁判所えでも救済を求めうるというような保障は憲法上存在しないのである。 以上の理由によつて、本件は再上告の理由として適法である。そして、所論のように本件公判請求書が昭和二二年五月二日に福知山区裁判所において受理したものではなく、同年同月五日京都地方裁判所福知山支部が受理したものであるとすれば、第二審裁判所は大阪高等裁判所となるものであるから、京都地方裁判所合議体が第二審裁判所として審判したのは違法であり、そして右の違法は憲法第三一条及び第三二条の保障に反するものであるから、右違法を適法なりと判断した原判決も亦憲法の条規に適合しないものであつて破毀を免れないものである。 検察官宮本増蔵関与昭和二四年三月二三日最高裁判所大法廷- 8 -裁判長裁判官塚崎直義裁判官長谷川太一郎裁判官沢田竹治郎 裁判長裁判官塚崎直義裁判官長谷川太一郎裁判官沢田竹治郎裁判官霜山精一裁判官井上登裁判官栗山茂裁判官真野毅裁判官小谷勝重裁判官島保裁判官斎藤悠輔裁判官藤田八郎裁判官岩松三郎裁判官河村又介- 9 -
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