昭和22(れ)219 強姦致傷、強盗致傷

裁判年月日・裁判所
昭和23年6月23日 最高裁判所大法廷 判決 棄却 広島高等裁判所
ファイル
hanrei-pdf-70516.txt
🤖 AI生成要約2026/3/13

【DRY-RUN】主    文      本件上告を棄却する。          理    由  被告人A弁護人上原隼三上告趣意第一点について。  (イ)裁判が、公開の法廷において、公正な裁判所によつてなさるべきことは

タグ

キーワード(AI生成)

判決文本文7,024 文字)

主文 本件上告を棄却する。 理由 被告人A弁護人上原隼三上告趣意第一点について。 (イ)裁判が、公開の法廷において、公正な裁判所によつてなさるべきことは、所論のごとく憲法の明定するところである。ただ公の秩序又は善良の風俗を害するおそれがある場合には、裁判官の全員一致で、対審を公開しないで行うことができることは、憲法第八二条第二項の定めているところである。そして、本件記録を調査すると、(イ)所論のように、「裁判長は合議の上、爾後の審理は、風俗を害する虞あるにより、公開を禁止する旨を告げ非公開とした」との記載が、昭和二十二年九月三十日の公判調書に明記されている。かくのごとく裁判所が非公開で審理をした場合には、「裁判官の全員一致で」公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決定した旨を明確な表現で調書に記載しておくことが大切である。そこで、本件調書に「合議の上」風俗を害する虞あるにより公開を禁止した旨を告げ非公開としたとの記載は、厳格にいえば、稍不正確の嫌があるが、しかしなお、裁判所法にいわゆる評議を経て、裁判官全員の意見が合致して非公開を決定したものと認め得るのである。強いて所論のように、評議の結果多数決をもつて公開を禁止したものと解すべき根拠は、全記録の何処にも見当らない。されば、この点の論旨は理由なきものである。 (ロ)裁判の対審判決を公開すべきことは旧憲法も保障するところであつて、旧刑事訴訟法第二〇八条は「公ニ弁論ヲ為シタルコト」を公判始末書に記載しなければならぬことを規定して、裁判は特に公開が禁止されない限り必ず公開すべきものとしている。このことは、わが国においても既に長年間違なく実行されてきて、裁判の公開が常識となり、公開の禁止はごく稀な例外となつている。従つて、公判の調- 1 -書 されない限り必ず公開すべきものとしている。このことは、わが国においても既に長年間違なく実行されてきて、裁判の公開が常識となり、公開の禁止はごく稀な例外となつている。従つて、公判の調- 1 -書に公開禁止の記載がなければ公判の公開されたことはおのずから調書上明かであるので、現行刑事訴訟法第六〇条は旧規定を改正して、単に「公開ヲ禁シタルトキハ其ノ旨及理由」を公判調書に記載すべきことゝした。すなわち、裁判を公開した場合は当然のことゝして公開したことを調書に記載する必要のないものとし、たゞ公開を禁じた場合だけを公判調書に記載すべきことに改正したのである。裁判公開の保障は、裁判の公開されたことが公判調書上おのずから判明すれば十分であつて、公開したことを特に調書に明記する必要はない。もし、不法に公開を禁じた場合には上告審において刑事訴訟法第四三五条によりその事実を取調べることができるからである。かえつて、公開したことを調書の必要的記載事項とすると、裁判は実際には公開されたのに調書がその記載を欠いた場合に、刑事訴訟法第六四条により公判調書以外の証明が許されないため、上告審においてはその手続による裁判を無用に破毀しなければならない不当の結果を生じる。以上の解釈は新憲法施行の後においても同じことである。新憲法は基本的人権保障の一つとして、公開裁判の原則を規定した裁判の対審及び判決を公開法廷で行うことは新憲法上重要な人権の保障であるこというまでもないが、審判を公開したことを特に公判調書に明記しなければならないことは、憲法のどの条規にも規定されていない。されば新憲法の下においても裁判の公開は公判調書上おのずからそのことが判明すれば十分であつて、特に公開したことを調書に明記しなくとも憲法の違反とはならない。従つて、従前の解釈は「日本国憲法の施行に伴う刑事 憲法の下においても裁判の公開は公判調書上おのずからそのことが判明すれば十分であつて、特に公開したことを調書に明記しなくとも憲法の違反とはならない。従つて、従前の解釈は「日本国憲法の施行に伴う刑事訴訟法の応急的措置に関する法律」第二条にも違反するところはない。本件において、原裁判所は、その審理が風俗を害する虞があるとして、公判の公開を禁じたことは、原審の公判調書によつて明かなので、本件での公開の禁止は、事件の審理に限定された趣旨であると解釈しなければならない。従つて、結審後の判決宣告期日の公判においては公開の禁止は解かれていたこと明かである。そして、判決宣告期日の公判調書には公開を禁じたことの記載がな- 2 -いのであるから、前述したとおり、原判決の宣告は公開法廷で行われたものと公判調書上認めることができる。されば、原判決には所論のような憲法及び刑事訴訟法の違反はなく、論旨は理由がない。 同第二点について。 しかし、原判決の挙示している証拠によれば、本件強姦が原判決の事実認定のごとく被害者の力一杯の反抗に遭い障害未遂であつたことを肯認することができる。 所論のように、中止未遂であつたことを認めなければならぬ根拠は、全記録の何処にも存在しない。又論旨は、被害者が強姦行為に対し力一杯反抗した証拠と被害者が畏怖し抗拒不能となつているのに乗じて左手の腕時計をもぎ取つて強取した犯罪事実との間に重要な齟齬があるというのであるが、本件被害者は「ぐずぐずしておれば、強姦され私の一生は台無にされると思い私は力一杯の元気を出して反抗しました処相手は私に馬乗りになつた儘左手にはめていた腕時計をもぎ取り」し旨を供述しているのであつて、婦人が強姦に対し本能的に強く反抗したからといつて、前記状態において畏怖を感じ腕時計の強奪に対し抗拒不能であつたと原審が認定し なつた儘左手にはめていた腕時計をもぎ取り」し旨を供述しているのであつて、婦人が強姦に対し本能的に強く反抗したからといつて、前記状態において畏怖を感じ腕時計の強奪に対し抗拒不能であつたと原審が認定したことは、常識上むしろ当然であつて毫も所論のような齟齬は存在しない。されば、この点の論旨も理由がないのである。 少数意見上告趣意第一点(ロ)の部分の理由に関する裁判官真野毅、同庄野理一の少数意見は次のとおりである。 新憲法の下においては、訴訟事件の審理及び判決が公開法廷で行われたことは、公判調書に記載されることを要する。それはいかなる理由によるか。(一)憲法第三七条第一項においては、「すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する」と規定して、「公開裁判を受ける権利」を基本的人権として実体法的に国民に保障している。(二)さらにまた憲法第八二- 3 -条第一項においては、「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ」と規定して、訴訟事件の審理及び判決は、公開法廷において行わるべきことを手続法的にも国民に保障しているのである。かくのごとく裁判の公開は、実体法的にも、手続法的にも、憲法上の保障が二重になされているのであつて、いかに憲法が、人類の過去の歴史的経験を通じて、裁判の公正を担保するために、裁判の公開を重要視しているかが窺い知られる。(三)そうして、刑訴第六〇条においては、公判期日における訴訟手続についてはその明確を期するため公判調書を作成すべきものとし、特に一定の重要な事項についてはこれを必要的記載事項として記載すべきことを定めている。さらに、刑訴第六四条によれば、公判期日における訴訟手続は、公判調書のみによつて証明することができるとされている。すなわち、訴訟手続の一定の重要事項は、公判調書に として記載すべきことを定めている。さらに、刑訴第六四条によれば、公判期日における訴訟手続は、公判調書のみによつて証明することができるとされている。すなわち、訴訟手続の一定の重要事項は、公判調書に記載を要するものとし、若しその記載を欠くときはその事項の存在は当然否定され得る訳である。これによつて一定の重要事項はその履践が公判調書によつて保障されることとなつている。言いかえれば、公判調書制度の意義は重要な訴訟手続の履践を保障するにある。 さて、裁判の公開は前述のごとく憲法の重要視するところであり、従つてまた訴訟手続における憲法的重要事項であるから、公判調書においてその履践が厳に保障されることが憲法上要請されるのである。そこで、従来は旧憲法第五九条にも裁判公開の規定はあり、旧刑訴第二〇八条第一号によれば「公ニ弁論ヲ為シタルコト又ハ公開ヲ禁ジタルコト及ビ其事由」を公判始末書に記載すべき旨を定めていたが、現行刑訴第六〇条第四号においては「公開ヲ禁ジタルトキハ其ノ旨及理由」を公判調書に記載すべきことに改正された立法の経過は、多数意見の述べているとおりである。従つて、従来は公判調書に公開禁止の記載がない限り裁判の公開が行われたものと解釈せられ、又裁判の公開は公判調書の必要的記載事項ではないと解釈せられていたことも多数意見の述べるとおりである。しかしながら、旧憲法時代にはお- 4 -よそ違憲審査などということは深く考えられたこともなく、総て法律が万能であり、至上であり、裁判官は法律にのみ拘束されたのであるから、前記のような立法並に解釈が、一般に何等の疑義もなく行われたことは、敢て怪しむに足らない。 しかるに、新憲法は施行せられ、刑訴応急措置法第二条においては「刑事訴訟法は日本国憲法制定の趣旨に適合するようにこれを解釈しなければならない」と規定し もなく行われたことは、敢て怪しむに足らない。 しかるに、新憲法は施行せられ、刑訴応急措置法第二条においては「刑事訴訟法は日本国憲法制定の趣旨に適合するようにこれを解釈しなければならない」と規定し、また同第二一条においては「この法律の規定の趣旨に反する他の法令の規定はこれを適用しない」と規定して、刑事訴訟法は全面的に憲法的見地から新な角度によつて批判され解釈さるべきことを要求している。これはまことに当然すぎるほど当然のことである。そこで、刑訴第六〇条について再検討をすれば、同条列挙の各事項は、単に刑事訴訟法の要請に基く重要な事項として公判調書に記載し、その履践を公判調書上保障することを趣旨としている。しからば、裁判の公開は、前述のごとく憲法上極めて重要視されている事柄であるから、憲法の要請に基く重要な事項として公判調書に記載し、その履践を公判調書上保障することを必要とする。これはすなわち、憲法的見地から同条を批判し、解釈することによつて当然生ずる結論である。しかのみならず、同条第一二号においては「被告人若ハ弁護人最終ニ陳述シタルコト又ハ被告人若ハ弁護人ニ最終ニ陳述スル機会ヲ与ヘタルコト」を、公判調書の必要的記載事項としているが、これは同法第三四九条に「証拠調終リタル後、検事ハ、事実及法律ノ適用ニ付意見ヲ陳述スベシ。被告人及弁護人ハ、意見ヲ陳述スルコトヲ得。被告人又ハ弁護人ニハ、最終ニ陳述スル機会ヲ与フベシ」とある規定と照応し、この規定の定める被告人側の最終陳述権を刑事訴訟法の要請に基く重要な事項として公判調書に記載し、その履踐を公判調書上保障することを趣旨としたものである。従つて、若し公判調書にこの点に関する記載を欠くときは、仮令実際上においてはこの手続の履践があつたとしても、この手続の履践について公判調書以外の証明を一切許すことなく ることを趣旨としたものである。従つて、若し公判調書にこの点に関する記載を欠くときは、仮令実際上においてはこの手続の履践があつたとしても、この手続の履践について公判調書以外の証明を一切許すことなく、この手続の履践が無かつたものとして訴訟- 5 -手続は違法とされるのである。これが公判調書の保障力であつて、被告人はこの手続の履践のなかつたことを一々具体的に立証する必要はなく、公判調書にこの点の記載を欠くことを指摘すれば足りるのである。訴訟法において認められた被告人の最終陳述権さえが、かかる保護を与えられているのに対比すれば、上述のごとく憲法において認められ充分に保障されている被告人の公開裁判を受ける権利は、憲法の要請に基く重要な事項として公判調書に記載し、一層その履践が公判調書上においても保障さるべきものと言わねばならぬ。従つて若し、公判調書に裁判の公開に関する記載を欠くときは、仮令実際上においてはこの手続の履践があつたとしても、この手続の履践について公判調書以外の証明を一切許すことなく、裁判の公開が無かつたものとして訴訟手続は違法とされるのである。すなわち、被告人は、裁判の公開の無かつたことを一々具体的に立証する必要はなく、公判調書に裁判公開の記載を欠くことを指摘すれば、訴訟手続を違法ならしめることができる。かく解してこそ憲法における裁判公開の基本的人権は、訴訟法においても公判調書の保障力による保護を受け得るのである。されば、多数意見のごとく、裁判の公開は公判調書に全然記載することを要せず、公開禁止の記載なき限り公開せられたものと解する説は、現在憲法及び訴訟法の解釈として是認することができない。若しかかる解釈を是認すれば、憲法における裁判公開の基本的人権は、公判調書の保障力による保護を毫も受けることを得ない。ただし、裁判公開が実際に 、現在憲法及び訴訟法の解釈として是認することができない。若しかかる解釈を是認すれば、憲法における裁判公開の基本的人権は、公判調書の保障力による保護を毫も受けることを得ない。ただし、裁判公開が実際に行われず公判調書に公開について何等の記載がない場合においても、多数意見によれば裁判は公開されたものと推定され被告人は裁判の公開がなかつたことを一々具体的に立証する必要があるからである。かくのごとくであれば、裁判公開の憲法上の保障は空文化せられるのみならず、上述した公判調書制度の趣旨もまた全く没却せられることとなるに至るであろう。 次に、前記解釈と関連して公判及び公判廷の意義について少しく述べる必要があ- 6 -る。公判は一般に予審に対するものとして観念されている。予審に対する言葉としては、本来は本審(ハウプト・フエアハンドルング)という言葉が最も適切妥当であるが、近代刑事訴訟法の本審においては、公開主義を中核とし基本原則とするものであるから、端的に公判(公開審判の略語)という名称が用いられたのである。 旧刑訴第二〇八条第一号に「公ニ弁論ヲ為シタルコト」とあるのは、公開主義と弁論主義が行われたことを意味するのであつて、その「公ニ」とは公開主義の下にという意義を有するのである。しかし刑事訴訟法が現実に用いている公判という言葉には広狭の二つの意義があつて、狭義において公判とは、公開主義と口頭弁論主義に基く審理、弁論及び判決宣言の手続のみを指称し、広義において公判とは、この外これを準備する手続、公判期日外における手続、例えば検証、保釈決定、勾留更新決定等をも含む手続を指称する。そして、公判期日、公判手続、公判調書又は公判廷という場合には何れも狭義の公判すなわち公開主義と口頭弁論主義によつて行わるべき期日、手続、調書又は法廷を意味するのである。しかし も含む手続を指称する。そして、公判期日、公判手続、公判調書又は公判廷という場合には何れも狭義の公判すなわち公開主義と口頭弁論主義によつて行わるべき期日、手続、調書又は法廷を意味するのである。しかし、それは必ずしも常に公開主義が現実には行れることを必要とするものではない。公判廷は公開主義によつて行わるべき法廷を意味するものであるから、公判廷が開かれた旨の記載があれば、そして他に特別の記載がない限り、公開主義による法廷が現実に開かれたことを十分窺い知ることができる。 そこで本件について見るに、判決は公開法廷で行うべきものであること及び非公開の判決言渡は常に憲法違反となることは、所論の指摘するとおりである。しかし、本件において判決の言渡された昭和二十二年十月七日の公判調書によれば、「検事本位田昇立会公判を開廷した。被告人は公判廷において身体の拘束を受けない」との記載があり、そして他に特別の記載がないのであるから、本件判決が現実に公開された法廷において言渡されたことは、十分認めることができる。本件のごとく非公開審理と判決言渡とが別個の公判期日において行われた場合においては、必ずし- 7 -も常に所論のように対審期日の公開禁止を判決言渡前に特に解除することを必要とするものと考えることはできない。よつて、この点の論旨も理由なきものである。 よつて、刑訴第四四六条に従い主文のとおり判決する。 この判決は、真野裁判官、庄野裁判官の少数意見の部分を除き、裁判官全員の一致した意見である。 検察官安平政吉関与昭和二三年六月一四日最高裁判所大法廷裁判長裁判官三淵忠彦裁判官塚崎直義裁判官長谷川太一 法廷裁判長裁判官三淵忠彦裁判官塚崎直義裁判官長谷川太一郎裁判官沢田竹治郎裁判官霜山精一裁判官井上登裁判官栗山茂裁判官真野毅裁判官庄野理一裁判官小谷勝重裁判官島保裁判官斎藤悠輔裁判官藤田八郎裁判官岩松三郎- 8 -

▼ クリックして全文を表示

🔍 類似判例を検索𝕏 でシェア← 一覧に戻る