平成17(わ)142 現住建造物等放火被告事件

裁判年月日・裁判所
平成19年2月26日 釧路地方裁判所
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判決文本文14,064 文字)

主文 被告人は無罪。 理由 第1本件公訴事実は「被告人は,釧路市内のa所有にかかる木造亜鉛メッキ鋼,板葺2階建家屋に父B,母C,妹D及び同Eと同居していた者であるが,平成17年7月9日午後3時30分ころ,前記家屋2階南西側洋室において,食用油を浸したティッシュペーパー数枚にライターで火を点け,同ティッシュペーパーを同室南東側に敷かれた布団上に置いて火を放ち,同布団を介して,その火を同室壁,天井等に燃え移らせ,よって,前記B及びその家族が現に住居として使用する前記洋室(床面積合計約16平方メートル)を全焼させて,これを焼損した」というものである。 。 責任能力の点を除き,被告人がこの公訴事実記載のとおりの行為(以下「本件犯行」という)をしたことは,当公判廷で取り調べた各証拠によりこれを。 認めることができる。 第2ところで,責任能力につき,検察官は,本件犯行当時,被告人は統合失調症にり患していたものの,心神耗弱であったと主張するのに対し,弁護人は,心神喪失であったと主張するので,この点につき判断する。 ,, 前掲証拠のほか関係各証拠によれば被告人の責任能力の判断の前提として以下の事実が認められる。 生育歴,生活状況等ア被告人は,父B,母Cの長男として出生し,1歳年下の妹Dと,8歳年下の妹Eがいる。被告人は,釧路市内の公立中学・高校を卒業後,工場の作業員やガソリンスタンドの従業員等として稼働し,平成15年2月ころから,釧路市内の中学校で臨時用務員として稼働するようになった。 イ被告人は,幼少のころから大人しく内向的な性格で,強い指導を受けると極度に萎縮することがあった。学生時代の成績は総じて振るわず,同級生などからいじめを受けたこともあったが,目立った欠席などはなく学校。 ,,「」,「」,に通っていた被告人は 導を受けると極度に萎縮することがあった。学生時代の成績は総じて振るわず,同級生などからいじめを受けたこともあったが,目立った欠席などはなく学校。 ,,「」,「」,に通っていた被告人は学校関係者から明朗・快活非常に素直「善悪の判断ができる「何事にも努力する姿勢がある「温和でまじめ」,」,な性格「決められたことをしっかり守る」などの評価を受けていた。 」,ウ被告人は,平成16年4月の人事異動で釧路市内のb小学校に勤務する,,,ようになったが遅くとも平成17年4月ころには仕事に対し無気力で指示された簡単な作業も上手くこなせない状態となり,理由もなく独り笑いを浮かべたり,空き教室に入って下を向いたままぼうっとしているなど奇異な行動が見られていた。また,このころから,自宅でも,大音量で音楽を聴く,意味もなく独り笑いを浮かべる,独り言を言う,冷たいシャワーを浴びる,家族に対して極端に丁寧な言葉遣いをするなど奇異な言動が見られるようになった。 エこのころ,被告人が,出張先の父の携帯電話に電話をかけ,唐突に「昨日の件なんだけど「テレクラに行ったこと」などと話し始めたことがあ」,り,被告人の話に心当たりのなかった父が母に指示して被告人に内容を確認させたところ「自分は犯罪を犯した,昨日テレクラに行って電話が来,た相手はb小学校のcだかd先生だった,先生は『A(被告人の氏)君でしょう明日学校でバラしてやる』と言われた,今日,学校に行ったら周。 りの先生から『A,犯罪犯したのに反省してない』と言われた」などと興奮した様子で話したことがあった。被告人は,勤務先小学校の教頭に対しても,これと同旨の話をしたことがあり,教頭からそのような教師が同校には実在しないと指摘されても,帰宅後に改めて教頭に電話をかけ「や,っぱ で話したことがあった。被告人は,勤務先小学校の教頭に対しても,これと同旨の話をしたことがあり,教頭からそのような教師が同校には実在しないと指摘されても,帰宅後に改めて教頭に電話をかけ「や,っぱりあれはc先生です」と話したりもした。 オまた,学校に出勤するのを嫌がって布団から出ようとしなかった被告人を父が叱ったところ,被告人が「死ねぇ「来い」などと大声を出して殴」,りかかり,父が被告人の頬を叩くと,急に大人しくなって謝るということもあった。また,在宅中に,実際には車が自宅付近に来た事実などないのに,母に対し「今,車,停まったっしょ,b小学校の先生だよ」と言っ,たり,突然,靴を持って居間にやって来て「隣の叔父さんが『殺す』と,言うからベランダから逃げるんだ」と言い出したこともあった。 カそして,同年5月に入ってからは,仕事を無断欠勤・無断早退することが多くなり,同年6月2日付けで同学校を退職した。 両親は,このような被告人の様子に異常を感じ,被告人を精神病院に連れて行こうとしたが,被告人がこれを拒否したため,母一人で精神病院に相談に行った当日,被告人が本件犯行に及んだ。 本件犯行状況等本件犯行当日,被告人は朝から自宅にいた。父は仕事で外出しており,妹Dは前日から札幌に出かけていた。午後2時45分ころ,母が被告人に告げずに一人で精神科に出かけ,午後3時30分ころ,妹Eも知人女性と連れだって近くのスーパーマーケットに買い物に出かけた。自宅に一人残った被告人は,ティッシュペーパーに食用油をしみこませ,これとライターを持って2階のDの部屋に赴き,このティッシュペーパーにライターで火をつけて,Dのベッドに敷かれた掛け布団の上に置き,本件犯行に及んだ。 犯行後の経過等ア被告人は,布団が燃える様子をしばらく見ていたが,自分の部屋に戻っ 赴き,このティッシュペーパーにライターで火をつけて,Dのベッドに敷かれた掛け布団の上に置き,本件犯行に及んだ。 犯行後の経過等ア被告人は,布団が燃える様子をしばらく見ていたが,自分の部屋に戻ってライターを置いてから,家の外に出て,その後は自宅付近にたたずみ,自宅が燃える様子を見ていた。 被告人は,駆け付けた消防隊員に自分が火をつけた旨を申告したが,その際にも,被告人は「目がうつろでボーッとし」た様子であった。犯行直後に現場に臨場した警察官が,警ら用車両内で事情を聴取した際,被告人は「e通りの隙間から教職員や家族に僕の様子をのぞかれたので腹が立った」と本件犯行の理由を申し立て,逮捕直後の警察官に対する弁解録取及び警察官の取調べにおいて「仕事をやめ,お父さんからは,もう口をき,かない等と言われ,なんだか自分や全部が嫌になり,家に火をつけて燃やしてしまおうと思い,やりました」と述べた。 。 本件犯行の翌日(平成17年7月10日,被告人は,警察官の取調べ)において「犯罪をしてきたこと「隙間から見られていること」が嫌に,」,なったと述べた。問答の末,被告人は「犯罪をした」とは,テレクラに,行ったことを意味し「隙間から見ている」というのは,向かいのマンシ,ョンの隙間からb小学校の教師たちが見ていることを意味し,そのことは声が聞こえるので分かると述べた。 その翌日(同月11日,被告人は,検察官に対し「自分のことが嫌に),なって,自分の家に火を付けました。どうして妹の部屋に火を付けたかというと,妹のDが普段から私のことを『仕事ができないから』などと生意気なことを面と向かって言ってきて,気に入らなかったからです」旨述。 べた。 ,,イ検察官から鑑定の嘱託を受けたX医師は同年7月20日に約2時間半同月21日に約1時間半の間被告 ら』などと生意気なことを面と向かって言ってきて,気に入らなかったからです」旨述。 べた。 ,,イ検察官から鑑定の嘱託を受けたX医師は同年7月20日に約2時間半同月21日に約1時間半の間被告人を診察した。 X医師は,同月25日付け簡易精神鑑定書において,上記診察時の被告人の反応が非常にもどかしく「打てば響く」の正反対であったと指摘し,た上,被告人が初期の統合失調症にり患しており,是非を十分に弁別し,その弁別に従って自己の行動を合理的に統御する能力が尋常であったとはみなし難い,との結論を示した。 ウ同月22日,被告人が家族宛に発信した手紙の中には,本件犯行現場の屋内を示すと思われる図の中に「d先生」の文字がある。 エ被告人は,同月26日,検察官の取調べの際,本件犯行の動機について「妹が生意気だったから」と説明し,Dから「死んで欲しい「口を聞か」,ないから」と陰口を言われた経緯を述べた上,本件犯行はDを困らせてやろうと思ってやったことだとし,また,父から「口を聞かない」と言われた事実はなかったと述べて従前の供述を訂正した上「自分が嫌になって,いました。全部嫌になっていました。人生をあきらめていました」と述。 べた。 同月29日,被告人は公訴を提起された。 オ同年10月4日に行われた第2回公判期日において,被告人は,上記ウの手紙を示されて「火をつけたときにd先生は1階にいたんですか」と。 問われた際「はい,いました」と答えた。また,本件犯行の動機につい,。 ては「今回,家に火をつけた原因は,テレクラに行ってしまい,性格が,変わり,そのせいで火をつけてしまいました「もう駄目だと思って火。」,をつけました」などと述べた。また,隙間からのぞかれていたことは本。 件犯行とは関係ないとして,従前の供述を変更した。Dのベッドに り,そのせいで火をつけてしまいました「もう駄目だと思って火。」,をつけました」などと述べた。また,隙間からのぞかれていたことは本。 件犯行とは関係ないとして,従前の供述を変更した。Dのベッドに火をつけた理由については「長女(D)が好きじゃないから」と述べ,Dに対,。 し嫌悪感を抱いた理由については,Dの性格が悪い,人の悪口を言うなどと説明した。しかし,なぜDの性格が悪いと思うのかについては「親の,口,きかないからです」とだけ答え,検察官から「親に口答えをすると。 いうことですか」と問われれば「はい,そう」と肯定するものの,それ。 。 以上の具体的な説明はなかった。また,Dから悪口を言われた具体的状況について問われた際も,答えに詰まり,覚えていないと供述するばかりであった。 カ同年11月11日から同年12月9日までの間,被告人は,鑑定留置された上,当裁判所が選任した鑑定人Yの精神鑑定を受けた。Y鑑定人は,同年12月9日付け精神鑑定書において,被告人が,Y鑑定人に「火を点けたときに,家にd(あるいはc)先生はいたのですか」と問われた際,「はい,いました」と答えたこと,鑑定留置されていた間の同年11月。 25日被告人がペットボトルを壁に投げつけ表情をこわばらせてb,,,「小学校の先生の声で『のぞいているぞ』と聞こえてきた。前にも聞こえていたが,今日は特に強く聞こえてきた」と述べたことを指摘した上,被。 告人が本件犯行当時,統合失調症による幻覚妄想状態にあったもので,責任無能力であったと考えられる,との結論を示した。 キX医師は,平成18年2月20日,検察官の取調べにおいて,Y鑑定人作成の精神鑑定書を踏まえても,被告人が幻聴や妄想に直接支配されて放火したわけではなく,犯行時期を主体的に選んでいることなどから,責任能力が ,平成18年2月20日,検察官の取調べにおいて,Y鑑定人作成の精神鑑定書を踏まえても,被告人が幻聴や妄想に直接支配されて放火したわけではなく,犯行時期を主体的に選んでいることなどから,責任能力が十分であったとはいい難いものの,心神喪失の段階にまでは達していたとは全く思わないと述べた。 クY鑑定人は,同年4月14日に行われた第3回公判期日において,被告人の統合失調症は,発病して10年,20年過ぎて,治療しているのに症状が治まらないものという意味での重症には当たらず,一般的に言えば軽症であり,善悪の認識はある程度保たれていたとは思われるが,病的な衝動に動かされ,それが動機となり,悪いことだという認識を超える大きな力の影響を受けて行った行為であるという意味で責任能力はなかったと考える旨供述した(以下「Y鑑定」という。 ,。)ケ同年6月8日から同年8月18日までの間,被告人は,鑑定留置された上,当裁判所が選任した鑑定人Zの精神鑑定を受けた。Z鑑定人は,同月21日付け精神状態鑑定書において,被告人の疎通性が十分でないことから,同年6月16日から抗精神病薬による治療をしたところ,疎通性が改,,,,善しその後の問診時において被告人が家に火を点けることについて「悪いことだと思っていた」とも「悪いことだと思っていなかった」。 ,。 とも述べることが複数回あったことを指摘した上,本件犯行当時,被告人は統合失調症にり患していて,その程度は中等度であり,事理の弁識能力及びその弁識に基づいて自己の行動を制御する能力は失われていた,との結論を示した。 Z鑑定人は,同年10月24日に行われた第4回公判期日において,時,,間経過と病状の程度とは必ずしも一致しないものであって本件犯行当時被告人は寛解期にはなく,むしろ病勢が著しかった時期にあり 。 Z鑑定人は,同年10月24日に行われた第4回公判期日において,時,,間経過と病状の程度とは必ずしも一致しないものであって本件犯行当時被告人は寛解期にはなく,むしろ病勢が著しかった時期にあり,思考障害も含めた人格水準の低下の病状が,横断的にみて決して軽症であったとはいえず,事理弁識能力及び行動制御能力の双方が失われていたと判断する旨供述した(以下「Z鑑定」という。 ,。)コX医師は,同年12月20日に行われた第5回公判期日において,簡易鑑定後の5回の診察を踏まえ,被告人の統合失調症の陽性症状は初期としては活発にあったと思われるが,火をつける以外に,激しく興奮したり,突発的に他人に危害を加えるような重症ではなく軽症であり,妄想はあったもののこれに直接的には支配されておらず,動機も誤った基礎の上から出発したものとはいえ了解可能で,火をつける時期を選択していることに照らし,行動を制御する能力もあったといえるから,心神喪失とは考えていない旨供述した(以下「X鑑定」という。 ,。) 責任能力の判断生物学的要素についてX鑑定,Y鑑定及びZ鑑定によれば,被告人は,本件犯行当時,初期のいわゆる破瓜型(ないし解体型)の統合失調症にり患していたと認められる。 また,その発症時期についても,遅くとも平成17年4月ころには明らかな症状が確認されるようになったことについてほぼ争いがない。 ところで,被告人の統合失調症の重症度については,軽症とするもの(X鑑定,Y鑑定)と中等度とするもの(Z鑑定)に分かれる。 ,,,このうちY鑑定は被告人の統合失調症の発症が平成17年4月ころで本件犯行は,それからさほど時間が経過しておらず,発症から長期間を経たものではないという意味において重症ではなかったというにすぎない。Z鑑定は,発病からの期間の長 失調症の発症が平成17年4月ころで本件犯行は,それからさほど時間が経過しておらず,発症から長期間を経たものではないという意味において重症ではなかったというにすぎない。Z鑑定は,発病からの期間の長さとは別に,横断面としての病勢が著しい時期とそうでない時期があるとしているが,その点は,X鑑定も認めるところである。 Z鑑定及びX鑑定は,時間軸と横断面とを総合的に評価した結果,重症度の判断について見解が異なっているが,いずれも,その判断過程が著しく不合理であるということはできない。 この点,検察官は,Z鑑定の鑑定時には,X鑑定の鑑定時や,ひいては本件犯行時よりも病状が進行していたため,重症度について見解が異なったのではないかと指摘する。しかし,Z鑑定は,上記の重症度を判断するに当たっては,本件犯行前後にみられた妄想や幻覚の状況,社会的機能の低下の度合い等を総合して判断しており,必ずしも鑑定時の状況のみに基づく判断とはいえない。 また,前記認定のとおり,初期の統合失調症ながら,被告人には妄想や幻覚の存在をうかがわせる奇異な言動が多数確認されており,X鑑定においても,被告人には本件犯行前に初期の統合失調症としては活発な陽性症状があったとしている。したがって,本件犯行時の被告人の統合失調症が寛解期にはなく,むしろ病勢の著しい時期にあったという限度では,両鑑定の見解はおおむね一致しているといえる。 心理学的要素についてア動機について被告人は,前記のとおり,いくつかの犯行動機を供述しているが,X鑑定,Y鑑定及びZ鑑定のいずれもが,被告人があえて虚偽の供述をすることは考えられないとしていることに照らし,供述の変遷は意図的なものではないと認められる。 前記供述経過に照らすと,自己への嫌悪感を中心とする供述と,妹への嫌悪感を理由とする供述は,捜査・公 をすることは考えられないとしていることに照らし,供述の変遷は意図的なものではないと認められる。 前記供述経過に照らすと,自己への嫌悪感を中心とする供述と,妹への嫌悪感を理由とする供述は,捜査・公判を通じてほぼ一貫しており,相対的に信用性は高いといえる。しかし,隙間からのぞかれていたとする供述についても,被告人が本件犯行直後にこれと同旨の発言を自発的かつ具体的にしていることに鑑みると,その後の供述変遷を考慮してもなお,犯行の契機となった一因であった可能性は否定できない。 そこで検討すると,まず,被告人のいう「自己への嫌悪感」が,捜査段階の供述のとおり,仕事もせずに自宅にひきこもっている自分をだらしないと感じたことから生じたものであり,このことから何だか全部嫌になって放火したというものであれば,犯行の動機は一見了解可能にも思える。 しかしながら,被告人が供述する自己への嫌悪感を抱いた具体的契機となる前提事情については,いずれも,客観的裏付けを欠くものである上,以下に述べるとおり,通常人には理解し難いものである。 ,「」。 第一に被告人は父から口をきかないと言われたことを挙げているしかし,客観的に父が被告人に対してこのような発言をした事実は認められず,また,被告人がほかにも父から「死ね」と言われたなどと極端に被害感の強い認識を示していることも考慮すると,統合失調症による被害妄想である可能性が高いといえる。 第二に,被告人は公判廷では,自己を嫌悪した理由についてもっぱら前記テレクラでの一件に関連付けて説明している。しかし,被告人が語るテレクラでの一件は,客観的事実に基づかない不合理な確信であるのに,被告人自身は,訂正の機会を与えられても認識を改めようとしなかったものであり,まさに真正の妄想と認められ,これを犯罪と捉えること自体も通常人 の一件は,客観的事実に基づかない不合理な確信であるのに,被告人自身は,訂正の機会を与えられても認識を改めようとしなかったものであり,まさに真正の妄想と認められ,これを犯罪と捉えること自体も通常人からは容易に理解し難いものである。 ゆえに,いずれの供述を前提としても,被告人が自己を嫌悪した理由として挙げる事情は,客観的事実とは異なる不可解なものであり,妄想による誤った事実認識が影響したものと考えられる。 次に,被告人が「妹に対する嫌悪感」を抱き,妹Dのベッドに火をつけたとするならば,これも動機としては一見了解可能である。しかし,妹に嫌悪感を抱いたとする理由について,被告人は,Dから悪口や陰口を言われた,同人の性格が悪いなどと説明するが,被告人とDとは近年交流が少なく,同人が被告人に対し悪口や陰口を言った事実も客観的には認められない。なお,本件犯行前にDが父と口論になったことがあり,被告人が偶然これを耳にし,自己に対する非難と誤解した可能性もあるが,第三者間のやりとりを自己に対する非難と捉える発想自体が,極端に被害感の強い曲解であって,通常人からは容易に理解し難いものである。 検察官は,被告人が公判廷において,Dについて,親に口答えして生意気であると述べた点を捉えて,こうした理由から同人を嫌悪する心理は十分に了解可能だと主張する。しかし,検察官が指摘する被告人の発言自体は「親の口,きかないからです」という,口答えして生意気であるとい,。 う意味か否か必ずしも判然としない意味不明なものであって,捜査段階でも同旨の供述はなかったことをも考慮すれば,本件犯行当時の認識をそのまま述べたものとはにわかに信用し難い。結局,これらの供述を総合しても,被告人がDの部屋に放火するほどに同人を嫌悪した理由を合理的に理解することは困難であり,妄想や幻覚等に 本件犯行当時の認識をそのまま述べたものとはにわかに信用し難い。結局,これらの供述を総合しても,被告人がDの部屋に放火するほどに同人を嫌悪した理由を合理的に理解することは困難であり,妄想や幻覚等による誤った事実認識が根底にあったと考えられる。 そして,被告人が隙間からのぞかれていたと供述する点は,供述内容自体が非現実的であり,まさに,統合失調症に典型的な注察妄想と考えられる。 そうすると,被告人が語る動機の前提事情は,統合失調症に伴う妄想や幻覚に基づく誤った事実認識が基盤となったものであり,動機を形成する過程に精神疾患の影響があったことは明らかである。 加えて,被告人は公判廷では,これら動機の前提事情について供述することがあっても,その前提事情が何故に放火という行為に結びつくのかを明確に供述しているわけではない。総じて,被告人の公判廷における供述態度は,個々の質問に対し言葉少なに答えるだけで,論理的にまとまった説明をすることはなく,全体としてひどくまとまりを欠いたものである。 本件犯行後11日目及び12日目に被告人を診察したX医師も,前記のとおり,診察時の被告人の反応は非常にもどかしく「打てば響く」の正反,対であったと指摘することに照らすと,捜査段階での被告人の供述態度も同様のものであったと推認される。放火行為の本質的動機が何かについて被告人の供述は曖昧模糊として,証拠上,確たるものを指摘できる状況にはない。 イ犯行態様等について前記のとおり,被告人はティッシュペーパーを導火材とし,これを食用油に浸した上,燃えやすい布団を選んで火を放っており,犯行態様は一見すると合理的かつ合目的的である。また,被告人は犯行当時の記憶をおおむね保持しており,犯行時の意識が清明であったことが推認される。 しかしながら,Z鑑定によれば,重い統合失調症患 おり,犯行態様は一見すると合理的かつ合目的的である。また,被告人は犯行当時の記憶をおおむね保持しており,犯行時の意識が清明であったことが推認される。 しかしながら,Z鑑定によれば,重い統合失調症患者であっても必ずしも支離滅裂な行動をとるものではなく,表面的にはかなり計画性のある行動を取ることもあるというのであるから,行動が一見合理的であるからと。 ,いって直ちに一定の判断能力を有していたとすることはできない同様に犯行時の意識が清明であることも,判断能力が存することの前提条件であることは間違いないが,その一事をもって被告人に判断能力が残っていたと結論づけることはできない。 むしろ,被告人が犯行後,自己の犯罪であることを知らしめるように本件犯行に用いたライターを自室に置きに行ったこと,犯行現場から逃走するでもなくぼう然と自宅付近にたたずみ,駆け付けた消防隊員に犯行を申告した際にも目がうつろでぼうっとした様子であったことなどは,放火という重大犯罪を行い終わった者の行動としておよそ現実感に乏しく,精神疾患の影響が色濃くうかがわれる。 なお,検察官は,被告人が主体的に家人の留守を選んで放火に及んでいると指摘し,こうした行動は被告人に一定の判断能力が存したことの証左であると主張する。 確かに,被告人は,捜査段階で「僕は,家族を火事に巻き込むつもり,はありませんでした。この日は,午後から家族が僕以外家からいなくなりました。そこで,僕は,この日に火を点けることにしました」旨述べた。 と供述調書に記載されている。しかし,公判廷では「あなたが火をつけ,て(中略)死亡者が出てしまう。そういうのは嫌だったんですか,それ,とも,それでも構わないという気持ちだったんですか」との問いに,い。 ったん「・・・はい,そう,そうです」と答え,検察官から,どちら (中略)死亡者が出てしまう。そういうのは嫌だったんですか,それ,とも,それでも構わないという気持ちだったんですか」との問いに,い。 ったん「・・・はい,そう,そうです」と答え,検察官から,どちらの。 趣旨かと問い返されて,ようやく「それは嫌だったです」と述べたにす。 ぎず,犯行時期の選択に関して主体的に説明したものとはいえない。こうした被告人の供述態度に照らすと,捜査段階で,家族を巻き込むことは嫌だったという程度の供述がなされたことは事実としても,調書に記載されたとおりの論理的な説明がなされたとはにわかに信用し難い。 もっとも,被告人は公判廷で,自分以外の人が家にいたなら犯行には及ばなかった,そういうことをすると親に怒鳴られるなどと述べており,少なくとも被告人にこの程度の発想はあったと認められる。しかし,被告人はその一方で,本件犯行当時,自宅1階にd(c)先生がいたと述べており,自分以外の人がいたなら犯行に及ばなかったとする先の供述とは明らかに矛盾した供述をしている(なお,検察官は,被告人が捜査段階では本件犯行時にd先生がいたとは述べておらず,本件犯行時に真にそのような認識があったかは疑問であるとするが,同供述に沿う内容が,本件犯行後間もない平成17年7月22日に被告人が家族宛に発信した手紙の中にも記載されていることからすると,被告人が事後的に誤った認識を持つようになったものとは考えられず,同供述は,本件犯行時の認識をそのまま述べたものとして信用できる。そうすると,少なくとも本件犯行当時の被。)告人の主観面では,犯行当時に自宅に人がいると認識しながら犯行に及んでおり,自分以外の者がいないと認識したから犯行に及んだという関係にはない。被告人の上記供述も,本件犯行が人に見とがめられる行為だという抽象的な認識があったことの証左では ると認識しながら犯行に及んでおり,自分以外の者がいないと認識したから犯行に及んだという関係にはない。被告人の上記供述も,本件犯行が人に見とがめられる行為だという抽象的な認識があったことの証左ではあっても,本件犯行当時,人のいない時期を選んで犯行に及ぶという判断があったことを裏付けるものとはいえない。 責任能力に関する各鑑定の検討アX鑑定は,被告人が妄想による誤った事実認識を有していたとしても,それが放火という犯行に直接結びつくものではなく,不快感やいらいらを解消するために短絡的に放火に及んだというにすぎないのであれば,動機は一定程度了解可能であると指摘する。そして,被告人が観念的には善悪の判断を有していることなどを考慮し,事理弁識及び行動制御能力が減退した状態にあったとしても,これを全く欠いていたとはいえないとする。 確かに,本件は統合失調症による幻聴や妄想により直接命令され,支配された犯行でなく,従って,妄想や幻覚の影響は間接的ともいえる。 しかし,Z鑑定が指摘するように,不快感やいらいらを解消するためだけに放火に及ぶという行動様式は,元来,内向的で大人しく,決められたことを守るなどと評価される人物であった被告人の行動としては,かなり異質なものであり,本件犯行にみられる衝動性・短絡性が,被告人本来の人格の発露として了解できるものとはいい難い。かえって,前記認定のとおり,被告人が本件犯行当時,隙間からのぞかれ,あるいは実在しない人物が自宅にいるなどと不合理で歪んだ現実認識に囚われていたのであるから,そこから生じる圧迫感や不快感は,本人の主観面において,制御不能な精神的負担を強いるものであったとも考えられる。 また,X鑑定は,鑑定留置を経たものではなく,限られた診察時間に基づくものであるし,統合失調症患者の責任能力について,妄想や幻 観面において,制御不能な精神的負担を強いるものであったとも考えられる。 また,X鑑定は,鑑定留置を経たものではなく,限られた診察時間に基づくものであるし,統合失調症患者の責任能力について,妄想や幻覚に支配された犯行でなければ原則として心神喪失には相当しないという基本的立場に立つもので,こうした立場に立った場合,責任無能力を認める範囲が限定されすぎるのではないか,という疑念を抱かざるを得ない。 イY鑑定は,被告人が本件犯行当時,統合失調症に基づく幻覚妄想状態にあり,本件犯行は幻覚妄想に基づいて行われたものであるとして,被告人。 ,,が心神喪失であったと結論付ける同鑑定は犯行態様や犯罪性の認識等犯行動機以外の要素についての検討が十分でない面があるものの,長年にわたる精神科医師としての知識及び臨床経験に裏打ちされた見解であり,犯行当時の幻覚や妄想の程度が著しかったことから,被告人が心神喪失であった可能性を示唆するものとして,無視することはできない。 ウZ鑑定は,本件犯行が妄想や幻覚に影響されたものであることを前提とし,かつ,被告人が統合失調症に基づく思考障害により,本件犯行当時,物事の善悪を論理的に考える能力を失っていた可能性があることなどを理由に,心神喪失との見解を示す。 被告人は,捜査・公判を通じて,本件犯行は悪いことであったと繰り返,。 し述べており観念的には本件犯行の犯罪性を認識していたと考えられる,,,しかしZ鑑定は被告人は質問の仕方によって答えが変わる傾向があり本件犯行についても,悪いことだと言ってみたり,悪いことだとは思わないと言ってみたり,またその供述の矛盾を何とも思っていない様子が見られることを指摘し,これは統合失調症にみられる思考障害に基づくアンビバレンツであるとする。そして,本件犯行当時もこのように思考 わないと言ってみたり,またその供述の矛盾を何とも思っていない様子が見られることを指摘し,これは統合失調症にみられる思考障害に基づくアンビバレンツであるとする。そして,本件犯行当時もこのように思考障害が著しい状態であったとすれば,論理的に行為の是非を判断する能力は失われた可能性があるとする。 ,,,Z鑑定は被告人を鑑定留置し投薬等により疎通性の改善を図りつつ十分な時間をかけて問診等を行った結果であり,鑑定手法も合理的なものである。鑑定の実施時期が本件犯行から1年近く経過した時点であったため,犯行当時の被告人の精神状態については,犯行時から鑑定時までに著しい病状の変化がないことを前提として鑑定時の精神状態から推認することを余儀なくされたが,こうした判断手法自体は適切なものである。 これに対し,X鑑定は,簡易鑑定時にはZ鑑定の鑑定時よりも被告人の疎通性が良く,本件犯行については悪いことだと一貫して供述していたとし,Z鑑定時には,本件犯行から相当時間が経過し,病状も進行していたため,被告人の記憶が不鮮明になり,供述が後退した可能性があると指摘する。検察官も,被告人が捜査段階では一貫して本件犯行の犯罪性を認める供述をしていたと主張し,Z鑑定の指摘は必ずしも本件犯行当時の被告人の精神状態に妥当するものではないと主張する。 しかし,本件犯行から約3か月しか経ない第2回公判期日においても,被告人は「本件犯行を悪いことだと思うか」と誘導的に尋ねられればそ,う思う旨の答えはするものの,本件犯行についてどう思うかなどと自由な回答を求められると,返答できない状態であったことが認められ,質問の仕方によって供述が変わる傾向があるというZ鑑定の指摘がよく当てはま。 ,,,るまた捜査段階における供述にも従前の供述を理由なく変更したり前後に相矛盾する い状態であったことが認められ,質問の仕方によって供述が変わる傾向があるというZ鑑定の指摘がよく当てはま。 ,,,るまた捜査段階における供述にも従前の供述を理由なく変更したり前後に相矛盾する供述がまま見受けられ,被告人の思考が相当混乱していたことがうかがわれる。前記Z鑑定の指摘は,鑑定時に被告人の病状が進行し,供述状況が変わっていたために判断を誤ったものというよりも,むしろ,鑑定人の丁寧な問診の結果,被告人の思考の状態が的確に把握された結果であると考えられる。ゆえに,Z鑑定の指摘するとおり,本件犯行当時,被告人は統合失調症に伴う活発な幻覚・妄想の影響から思考障害に陥り,論理的に行為の是非を判断する能力,すなわち,観念的な善悪の問題を自己の直面する現実に当てはめ,当該行為の是非を判断する能力が失われていた可能性があると認めるのが相当である。 まとめ既にみてきたとおり,被告人は初期の統合失調症にり患しており,本件犯行当時は活発な妄想や幻覚が存し,病勢の著しい時期にあったと認められる。本件犯行の動機は,こうした妄想や幻覚が多分に影響して形成されたものと考えられ,通常人の心理から了解できる範囲を超えている。そして,被告人が観念的には是非善悪の判断を有していたとしても,統合失調症に伴う思考障害のために,観念的な善悪の問題を自己の直面する現実に当てはめ,当該行為の是非を論理的に判断して行動する能力が失われていた可能性がある。これらの事情に照らすと,犯行態様が一見すると合理的であることなど,検察官が指摘する事情を最大限考慮しても,被告人が本件犯行当時,是非弁識能力及び行動制御能力を欠いた状態にあったという合理的疑いを払拭し得ない。よって,刑事訴訟法336条により被告人に対し無罪の言渡しをすべきものとして,主文のとおり判決する。 【求刑 行当時,是非弁識能力及び行動制御能力を欠いた状態にあったという合理的疑いを払拭し得ない。よって,刑事訴訟法336条により被告人に対し無罪の言渡しをすべきものとして,主文のとおり判決する。 【求刑-懲役3年】平成19年2月26日釧路地方裁判所刑事部裁判長裁判官本田晃裁判官本村曉宏裁判官石田佳世子

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