ひき逃げ死亡事故の事案において,被害者は,事故により即死したが,死亡していることが一見明白な状態にはなかったから道路交通法72条1項前段の救護義務の対象となる「負傷者」にあたるとして,救護義務違反罪の成立を認めた事例なお,検察官は,当初,報告義務違反罪のみを起訴し,救護義務違反の点は訴因に掲げなかったが,検察審査会において,2度にわたり,不起訴不当,起訴相当の議決がなされたのを受けて訴因変更された。 平成16年11月10日宣告平成15年(わ)第155号判決要旨被告人甲 主文 被告人を懲役2年に処する。 この裁判確定の日から4年間その刑の執行を猶予する。 訴訟費用は被告人の負担とする。 理由 (罪となるべき事実)被告人は,第1 平成14年12月19日午前1時20分ころ,業務として普通貨物自動車を運転し,静岡県清水市内(現在の静岡市内)の道路を静岡方面から富士方面に向かい時速約70キロメートルで進行するに当たり,前方左右を注視し,進路の安全を確認しながら進行すべき業務上の注意義務があるのに,これを怠り,前方を十分注視せず,進路の安全確認不十分のまま漫然前記速度で進行した過失により,A(当時33歳)が路上に転倒しているのを前方約8メートルの地点に迫って発見し,急制動の措置を講じたが間に合わず,同人を右後輪で轢過し,よって,間もなく同所において,同人を頭蓋骨粉砕骨折等の多発損傷により死亡させた第2 前記日時場所において,前記自動車を運転中,前記Aを轢過する交通事故を起こしたのに,直ちに車両の運転を停止して同人を救護し,道路における危険を防止する等必要な措置を講ぜず,かつ,その事故発生の日時及び場所等法律の定める事項を直ちに最寄りの警察署の警察官に報告しなかったものである。 (争点に対する判断)弁護 救護し,道路における危険を防止する等必要な措置を講ぜず,かつ,その事故発生の日時及び場所等法律の定める事項を直ちに最寄りの警察署の警察官に報告しなかったものである。 (争点に対する判断)弁護人は,判示第2の事実のうち,救護義務違反の点について,被害者は判示第1の犯行により即死しており,しかも,一見して死亡が明らかな状態であったから,被告人に救護義務違反罪は成立しない旨主張するので,以下検討する。 前記の関係証拠によると,被告人は,前記のとおり,自己が運転する普通貨物自動車で,A(以下「被害者」という。)を轢過する交通事故を起こしたのに,直ちに同車を停止して被害者を救護するなどの措置を講ずることなく,その場から走り去っていることが明らかである。 そして,道路交通法72条1項前段の救護義務の対象となる「負傷者」とは,死亡していることが一見明白な者を除き,車両等の交通によって負傷したすべての者を含むものと解すべきところ(最高裁判所昭和44年7月7日第二小法廷決定,刑集23巻8号1033頁),関係証拠によれば,被害者は,被告人車両に轢過されたことにより,心臓が挫裂し,肺や脳が挫滅するとともに,頭蓋骨の粉砕骨折,肋骨多発骨折等の高度の損傷が多数発生し,多発損傷によってほぼ即死したこと,外見上も,頭部が変形して前頭部の骨が突出し,左右の目がやや離れているような状態であったことなどが認められるものの,身体の重要部分が切断されてしまっていたり,内臓が飛び出してしまっているというような状況にはなかったもので,死亡していることが一見明白な状態にはなかったと認められるものである。もっとも,搬送先の病院で被害者の死亡確認をしたB医師は,検察官に対し,被害者の顔面や頭部を見れば,医学的知識のない一般人でも,被害者が死亡していると判断したと思う旨供述して と認められるものである。もっとも,搬送先の病院で被害者の死亡確認をしたB医師は,検察官に対し,被害者の顔面や頭部を見れば,医学的知識のない一般人でも,被害者が死亡していると判断したと思う旨供述しているところであるが,被害者の司法解剖を担当したC医師は,被害者にしっかり目を近づけて,つぶさに見れば一般人が見ても死亡していると分かるかもしれないが,道に倒れている被害者を一見しただけでは,すぐに死んでいるとは判断できないと思う旨証言している。被告人の直後に現場に差し掛かったDも,被害者が「うつ伏せにピクリとも動かず倒れていたことから」「これはもう駄目だな」と思ったと述べてはいるが,これは一見して明らかに死亡していると判断できたという趣旨のものとまでは解されない。Dに引き続いて現場に差し掛かったE及びFらも被害者が路上に倒れているのを見ているものの,既に死亡していると思ったとは述べていない。また,被害者を病院に搬送した救急隊員のGは,被害者が明らかに死亡していると判断することができない状態であったこと,被害者に対して蘇生術の心臓マッサージを施したことを述べている。これらによると,被害者が死亡していることが一見して明白な状態ではなかったと優に認められるところである。 したがって,被告人には救護義務違反の事実も認められるのであり,弁護人の主張は採用できない。 (法令の適用)罰条第1の行為刑法211条1項前段第2の行為のうち救護義務違反の点道路交通法117条,72条1項前段報告義務違反の点同法119条1項10号,72条1項後段科刑上一罪の処理判示第2の罪について,刑法54条1項前段,10条(1罪として重い救護義務違反の罪の刑で処断)刑種の選択いずれも懲役刑を選択 法119条1項10号,72条1項後段科刑上一罪の処理判示第2の罪について,刑法54条1項前段,10条(1罪として重い救護義務違反の罪の刑で処断)刑種の選択いずれも懲役刑を選択併合罪の処理同法45条前段,47条本文,10条(犯情の重い判示第1の罪の刑に法定の加重)刑の執行猶予同法25条1項訴訟費用の負担刑事訴訟法181条1項本文(量刑の理由)本件は,トラックを運転していた被告人が,進路の安全確認不十分のまま漫然進行した過失により,路上に転倒していた被害者を轢過して頭蓋骨粉砕骨折等の多発損傷を負わせて死亡させる人身事故を起こしたにもかかわらず(判示第1の犯行),直ちに停車して被害者を救護する等必要な措置をとることも,最寄りの警察署の警察官に事故内容を報告することもしなかった(判示第2の犯行)というひき逃げ死亡事故の事案である。 判示第1の犯行(業務上過失致死)についてみると,過失の内容は,前方左右を注視し進路の安全を確認して進行するという運転者として最も基本的な注意義務を懈怠したものである。これにより,被害者の尊い命が失われたのであって,生じた結果の重大性はいうまでもない。家族らを残して突如としてこの世を去らなければならなかった被害者の無念は察するに余りあるし,残された家族らの心情や生活に与えた影響もかなり深刻である。しかも,被告人は,犯行の発覚を恐れる余り,運転者としての基本的な義務に違反して判示第2の犯行に及んでいるのであって,犯情はかなり悪質である。遺族らの被害感情が非常に厳しいのも当然である。また,被告人には,前科こそないものの,本件の直近5年間だけで赤色信号無視などの交通違反歴5件を数え,行政処分歴も1回有していたのであり,本件各犯行とこれらの事情も併せると,交通法規 当然である。また,被告人には,前科こそないものの,本件の直近5年間だけで赤色信号無視などの交通違反歴5件を数え,行政処分歴も1回有していたのであり,本件各犯行とこれらの事情も併せると,交通法規軽視の傾向も窺われるところである。これらによると,被告人の刑事責任には重いものがあるといわなければならない。 しかしながら,他方で,被告人は,進路前方にオートバイを発見してこれを避けようと車線変更したところ,そこに倒れていた被害者を轢過してしまったもので,全く前方を見ていなかったという訳ではない上,飲酒の上オートバイを運転しようとして路上に転倒した被害者にも相当大きな落ち度があることは否定できないこと,被告人は,本件各犯行を認め,当公判廷においても反省の弁を述べ,遅きに失する感はあるものの,数回にわたり遺族のもとを訪れ,直接謝罪する姿勢を見せていること,また,被告人が運転していた車両には対人賠償無制限の任意保険が掛けられていることから,いずれは相応の賠償がなされる見込みがあること,被告人の父親が当公判廷に出廷して被告人のために証言していること,被告人には前科がないことなど,被告人に酌むべき事情もある。 そこで,以上の事情を総合考慮し,被告人に対しては,主文掲記の刑に処した上,今回に限り,その刑の執行を猶予し,社会生活を送る中で本件に対する自省を深めさせるのが相当と判断した。 (求刑懲役2年6月)平成16年11月10日静岡地方裁判所刑事第1部 裁判長裁判官竹花俊德 裁判官植村幹男裁判官多田尚史 植村幹男 裁判官 多田尚史
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