平成15(う)61 業務上過失致死傷,業務上過失往来危険被告事件

裁判年月日・裁判所
平成15年12月9日 広島高等裁判所 広島地方裁判所 平成14(わ)257
ファイル
hanrei-pdf-3785.txt

判決文本文9,701 文字)

主文 原判決を破棄する。 被告人は無罪。 理由 本件控訴の趣意は,弁護人水中誠三作成の控訴趣意書及び控訴趣意書(補充1)に,これに対する答弁は,検察官見越正秋作成の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから,これらを引用する。 論旨は,要するに,原判決は,汽船甲に船長として乗り組み,Bに操舵させて操船業務に従事していた被告人が,平成12年11月18日午後4時58分ころ,広島市南区宇品灯台沖の海上を,速力約4ノットで航行していた際,右舷側約200メートルの海上に汽船乙を視認したのであるから,同船の動静を注視するのはもとより,Bに対し的確な指示を与えて進路の安全を確認しつつ航行し,同船との衝突を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り,乙が航行を開始することがないものと軽信し,同船の動静を注視せず,Bに対し何ら的確な指示を与えることなく,漫然航行した過失により,乙が甲の進路上に向け航行を開始したことに気付かず,乙が至近距離に迫って初めて同船との衝突の危険を感じたが,衝突回避の措置を講じる間もなく,同日午後5時ころ,乙の船首部と甲の右舷側外板中央付近を衝突させて両船に損傷を与え,もって,艦船の往来に危険を生じさせるとともに,衝突により,甲に乗船していたC(当時15歳)に対し,両側肺挫傷等の傷害を負わせて大量出血により死亡させ,D(当時15歳)に対し,加療約116日間を要する右腓骨内果骨折等の傷害を負わせたとの事実を認定したが,衝突時,乙は,原判決認定の速力約9ノットではなく,約15.2ノットまで速力を増速していたと考えられること,甲は,第1航路内を航行していたから,港則法14条1項により優先航行権があり,信頼の原則が適用されることなどからすると 速力約9ノットではなく,約15.2ノットまで速力を増速していたと考えられること,甲は,第1航路内を航行していたから,港則法14条1項により優先航行権があり,信頼の原則が適用されることなどからすると,停船中の乙が航行を開始し,後方から甲の航路上に進出するという不適切な行動まで予見して航行すべき義務はないから,予見可能性も予見義務もなかったし,被告人が乙との衝突の危険に気が付いても,衝突までには時間的余裕はなく,衝突を回避することはできなかったから,被告人には過失がなく,原判決には,判決に影響を及ぼす事実の誤認がある,というのである。 1 関係証拠によれば,本件事故に至る経緯は,概ね,以下のとおりであると認めることができる。 (1) 被告人は,平成12年4月,広島県立E高等学校に教諭として赴任し,ヨット部の顧問となり,同年5月,四級小型船舶操縦士の免状を取得した。被告人は,同年11月18日午前8時ころ,女子学生を乗船させて,甲に船長として乗り込み,ヨット部のコーチのBが甲を操舵し,ヨット3隻を曳航して坂漁港を出港し,午前10時ころから午後4時ころまで,観音マリーナ沖で開催された広島県総合体育大会新人戦を観戦した。なお,Bは,当時,船舶操縦士の免状を取得していなかった。 被告人は,午後4時30分ころ,船長として甲の船体中央右舷側に乗り込み,Bが操舵者として船尾左舷後端に乗り込み,船首側左舷先端部にC,船首側左舷にF,船尾右舷後端にDをそれぞれ乗船させて,女子学生2名ずつが乗船したヨット3隻を縦列に曳航して,観音マリーナ沖を出航し,速力約4ノットで坂漁港に向かった。 (2) 甲は,広島市南区宇品灯台沖を通過して,北東に向けて速力約4ノットで航行し,金輪島北沖の養殖牡蠣筏付近に近づいた。被告人は,宇品灯台から真方位50度約1220メートルの海上で 港に向かった。 (2) 甲は,広島市南区宇品灯台沖を通過して,北東に向けて速力約4ノットで航行し,金輪島北沖の養殖牡蠣筏付近に近づいた。被告人は,宇品灯台から真方位50度約1220メートルの海上で,牡蠣筏の中に船首を北方に向けて停泊している乙を発見し,そのころ,Bも,乙に気付いた。甲は,午後4時58分ころ,宇品灯台から真方位51度約1390メートルの地点にある黄色の灯火ブイの約10メートル北側付近で船首を右方向に旋回し,そのままの速力で十数メートル進行した。被告人は,午後4時58分30秒ころ,略西方から略東方に向けて,宇品灯台から真方位51度約1440メートルの海上を航行していた際,右舷側約200メートルの牡蠣筏の中に乙を再度視認し,そのころ,Bも,乙を見たが,乙は停泊したままであった。そして,甲は,同じ針路,速力のまま航行し続けたが,その際,被告人やBは,前方に視線を向け,右舷方向の乙から目を離していた。 (3) Aは,昭和51年6月,四級小型船舶操縦士の免状を取得している。Aは,本件当日午前8時30分ころ,知人1名を乗せて,実兄所有の乙を操船して広島市南区の丹那漁港を出港し,午後4時ころまで,宮島瀬戸付近で遊魚した後,Aの供述によると,機関回転数毎分約2000回転,速力約15ノットで丹那漁港に向けて航行した。帰港途中,Aは,午後4時30分ころ,魚の調理をするため,金輪島北沖の東西に連なった牡蠣筏の中央の列の西端付近まで乙を航行し,機関を停止して,宇品灯台から真方位58度約1540メートルの海上にある牡蠣筏に係留し,魚の調理を行い,午後5時数分前ころ,北方にある丹那漁港に向けて帰港することにした。 Aは,操舵室内で主機関を起動させ,甲板上で係留ロープを外すなどの作業をし,乙を牡蠣筏の間の水路のほぼ中央付近まで後退させ,宇品灯台から真方 ころ,北方にある丹那漁港に向けて帰港することにした。 Aは,操舵室内で主機関を起動させ,甲板上で係留ロープを外すなどの作業をし,乙を牡蠣筏の間の水路のほぼ中央付近まで後退させ,宇品灯台から真方位58度約1480メートルの海上から,機関を前進させて航行を開始し,ほぼ北に向かい,増速しながら航行した。その際,Aは,進路の前方のみを見て,左前方の見張りをしないまま,乙を操舵して航行し,衝突まで,甲には全く気付かなかった。 (4) 被告人は,午後5時ころ,後方のヨットに乗船していた女子学生の衝突の危険を告げる叫び声で,右方向から接近してくる乙を約5ないし10メートルの至近距離に発見したが,衝突を回避する措置を講じる間もなく,宇品灯台から真方位54度約1600メートルの海上において,甲の右舷側中央付近と乙の船首とが約45度の角度で衝突した。 (5) 本件の事故現場は,金輪島北沖の海上であり,金輪島西岸に沿ってほぼ南北に牡蠣筏が3列設置されており,その北西端には上記の黄色の灯火ブイが設置されている。 南北の牡蠣筏の東側には,水路を挟んで,金輪島北岸に沿ってほぼ東西に牡蠣筏が3列設置されている。そして,牡蠣筏の北沖には,広島港内第1航路がほぼ東西に通っている。 本件の衝突地点は,宇品灯台から真方位54度約1600メートルの金輪島北沖の第1航路内の海上で,南北の牡蠣筏列と東西の牡蠣筏列との間の水路を北側に抜けた付近であり,上記の黄色の灯火ブイからは,ほぼ東に向けて約220メートル,乙が前進を開始した上記地点からは,ほぼ北に向けて約160メートルである。 乙が係留していた位置からは,灯火ブイ付近から衝突地点付近まで航行する甲の船影を十分に見通すことができる。また,甲からも,見通しを妨げるものはなく,牡蠣筏付近の乙の船影を十分に見通すことができる。ま 乙が係留していた位置からは,灯火ブイ付近から衝突地点付近まで航行する甲の船影を十分に見通すことができる。また,甲からも,見通しを妨げるものはなく,牡蠣筏付近の乙の船影を十分に見通すことができる。また,衝突時は,日没前であり,まだ明るかった。 (6) 甲は,全長約6.5メートルの小型ボートであり,船尾に船外機を備え,監視船として使用されていた。衝突時,甲は,各ヨットに女子部員を2名ずつ乗船させてヨット3隻を曳航しており,甲の船首端から3隻目のヨットの船尾端までは約30メートルとなっていた。 甲の代替船が同一の条件により速力約4ノットでヨット3隻を曳航し,停止距離及び所要時間を測定したところ,約7.15メートルの距離で停止することができ,その所要時間は約7.8秒である。 (7) 乙は,全長約11.9メートルの和船型のディーゼル機関を備えた小型船舶である。 乙の速力は,検証の結果,最高機関回転数2500回転で約23.5ノット,常用機関回転数2000回転で約16.2ノットであった。 (8) 本件事故により,甲に乗船していたCが,両側肺挫傷等の傷害を負い,同日午後9時56分ころ,大量出血により死亡し,Dが,加療約116日を要する右腓骨内果骨折等の傷害を負った。 2 乙の衝突時の速力について原判決は,Aの供述の信用性は高く,衝突時の乙の速力は約9ノットであったと認定している。 なるほど,本件事故の翌日である平成12年11月19日,本件事故現場付近において,両船の衝突位置,航路などについて実況見分した際,Aは,乙は増速中であったが,衝突時は主機関回転数毎分約1300回転であった旨申し立て,乙を同回転数で航走させて速力を計測したところ,約9ノットであったことが認められる(実況見分調書(原審検第1号証))。また,平成14年1月28日に本件衝突事故発 毎分約1300回転であった旨申し立て,乙を同回転数で航走させて速力を計測したところ,約9ノットであったことが認められる(実況見分調書(原審検第1号証))。また,平成14年1月28日に本件衝突事故発生海域で実施された検証の結果によっても,乙を徐々に1300回転まで増速させる方法で2回航走させたところ,速力は8.85ノットと8.97ノットであり,平均約8.91ノットであった(検証調書(原審検第21号))。そして,Aは,乙は一気に回転数を上げたとしても,エンジンが空回りするだけで,速度が出ない,徐々に回転数を上げていくのが,短時間に速度を上げて効率的に発進させる方法であり,本件事故当時も,これまでと同様により効率的な加増程度で回転数を上げていった,ただ,発進場所の周囲には,牡蠣筏があり,急な発進により,波立たせ,筏を壊したり,牡蠣を落としたりすることのないよう,通常の場所に比べれば,ややゆっくりとした加速になるよう心掛けた,衝突直前の乙のエンジンの回転数は,毎分1200から1300回転程度だったと記憶しているが,誤差があったとしても,その程度は極めて小さいはずである旨供述している(検察官調書(原審検第36号証))。 しかしながら,上記検証は,A立ち会いのもと,検証補助者である海上保安官が乙を海上において航行させ,これに海上保安部の監視取締艦を並走させる方法により,乙の回転数,速力,所要時間等を検証したものであるところ,乙の速力は,最高機関回転数2500回転,約23.5ノット,常用機関回転数2000回転,約16.2ノットであること,乙を,停船状態から機関回転数を1300回転まで徐々に増速しながら160メートルの距離を航走させたところ,平均すると,全体の所要時間は約39.65秒であったが,1300回転(約8.91ノット)に到達するのに要する時間 機関回転数を1300回転まで徐々に増速しながら160メートルの距離を航走させたところ,平均すると,全体の所要時間は約39.65秒であったが,1300回転(約8.91ノット)に到達するのに要する時間は約10秒であり,その後の時間はそのままの回転数,速力で航走したことを認めることができる。また,平成12年11月20日に実施された実況見分においては,A自身が乙を操船して機関前進とし,徐々に約9ノットまで増速して約160メートルの距離を航行させ,その所要時間を2回計測したところ,36.5秒と39.8秒であり,平均約38.15秒であったことが認められ(実況見分調書(原審検第20号証)),上記の検証における所要時間とほぼ同じであった。 他方で,Aは,本件事故の翌日の実況見分においては,増速中であったが衝突時は主機関回転数毎分約1300回転であった旨申し立てている上,捜査段階においても,乙を前進発進させ,徐々に増速していったが,本件衝突時は,乙を増速する途中であった趣旨の供述をし,当審公判廷においても,発進から衝突まで,乙を徐々に増速していったが,途中,スロットルレバーを停止して増速を止めたことはない旨供述している。また,Aは,本件事故前,宮島瀬戸付近から金輪島北沖までは,乙を操船して,常用機関回転数の約2000回転,速力約15ノットで航行していた旨供述しており,約15ノットの速力で航行することが,Aが乙を航行させる通常の操船方法であったと認めることができる。そして,Aが乙を発進させた地点は,牡蠣筏の間の水路であったが,乙は,この水路を通り抜けた海上において甲と衝突しているのであって,Aは,前進開始後,乙の機関回転数が1300回転に上がってからも,更に増速をし続け,増速途中に甲と衝突したとの疑いが強いといわざるを得ない。 そうすると,本件衝突時 て甲と衝突しているのであって,Aは,前進開始後,乙の機関回転数が1300回転に上がってからも,更に増速をし続け,増速途中に甲と衝突したとの疑いが強いといわざるを得ない。 そうすると,本件衝突時の乙の速力に関するAの供述は,たやすく信用することはできない。そして,乙の常用機関回転数2000回転時の速力は約16.2ノットであること,乙を徐々に機関回転数2000回転まで増速させた時の速力の平均は,約14.7ノットであること(上記検証調書),乙は,本件事故前,一時係留場所に至るまでは,約15ノットの速力で航行していたこと,Aは,前方に航路の妨げとなる船舶はないと思って,乙を増速していたことなどに照らすと,風力や潮流などの影響がある程度はあるとしても,本件事故時の乙の速力は約15ノット前後であったと認めるのが相当である。 原判決は,Aは,乙の性能及び操船を熟知しているところ,本件事故について一貫して自己の過失を認めており,あえて乙の航路等について虚偽の供述をする理由が認められないこと,本件事故の翌日に行われた実況見分で特定された乙の衝突に至るまでの航路,衝突地点,衝突時の速度と合致していることなどを指摘し,Aの供述の信用性は高いと認められると説示する。 しかしながら,乙の衝突時の速力について,Aは,衝突直前の機関回転数が約1300回転であった旨供述するが,計器で回転数を確認していたわけではない上,乙の前進から衝突までの時間は,Aの供述を前提としても,約38.15秒と短時間であって,しかも,Aは,前進から衝突まで徐々に乙を増速し続けていたというのであるから,Aの供述の信用性については,より慎重な検討を要するといわなければならない。そして,Aの供述は,上記の検証結果と合致するとは言い難いことなどに照らすと,原判決が指摘する事情を考慮に入れて あるから,Aの供述の信用性については,より慎重な検討を要するといわなければならない。そして,Aの供述は,上記の検証結果と合致するとは言い難いことなどに照らすと,原判決が指摘する事情を考慮に入れても,その信用性には疑問があるといわざるを得ない。 また,検察官は,答弁書において,上記の検証には,立会人としてAが立ち会っているが,検証補助者である海上保安官が乙を操船しているのであり,Aは操船はおろか,本件事故当時の操船状況についての指示説明もしておらず,したがって,当然事故当時のAの操船状況を忠実に再現しているものではないし,検証時には,乙は約2か月前に船底を塗り替えるなどの点検整備をして機関回転数も本件事故当時より改善されて増幅していると認められるから,検証結果を,本件事故当時の乙の実際の速度を客観的に特定ないし確定するものとして,Aの供述の信用性を論難することは失当である旨主張する。 しかしながら,上記の検証調書と実況見分調書(原審検第20号証)との内容を比較すると,乙を停船状態から機関回転数を1300回転まで徐々に増速しながら160メートルを航走させる方法により,速力,所要時間等を測定しているが,海上保安官が操船した検証の場合とAが操船した実況見分の場合とでは,全体の所要時間はほぼ同じであることからすれば,上記検証は,Aが供述している乙の増速状況をほぼ忠実に再現しているものとみるのが相当である。したがって,本件衝突時まで増速を続け,衝突時の機関回転数は約1300回転であったとのAの供述は,上記検証の結果とはそぐわないといわざるを得ない。また,本件事故当時,乙の船底には,航行速力に影響するような付着物がなかったことは,平成12年11月21日に実施された乙の船底部等の実況見分からも明らかである。さらに,本件事故後,検証実施前に乙の機 また,本件事故当時,乙の船底には,航行速力に影響するような付着物がなかったことは,平成12年11月21日に実施された乙の船底部等の実況見分からも明らかである。さらに,本件事故後,検証実施前に乙の機関について整備がなされ,機関回転数が改善されたことを認めるに足りる証拠はないし,A自身も,当審においてこれを否定する供述をしている。そうすると,点検整備により,機関回転数が相当改善されるのは経験則上明らかな事実であるとする点も含めて,検察官の上記主張は採用できない。 以上のとおり,衝突時の乙の速力は約15ノット前後と認めるのが相当であるから,この点に関する所論は理由がある。 3 本件事故の発生に対する被告人の過失についてそこで,衝突時の乙の速力が約15ノット前後であったことを前提として,本件事故の発生に対する被告人の予見可能性及び回避可能性について検討する。 原判決は,被告人は,本件事故前に係留中の乙を発見した段階で,乙が航行を開始し甲の航路上に進出する可能性があることを十分に認識できたと認められるから,衝突を回避するため,乙の動静を注視して,進路の安全を確認しつつ航行すべき業務上の注意義務があったものである,と説示する。 被告人は,本件事故の約1分30秒前ころ,右舷側約200メートルの海上に停船中の乙を視認したが,その後は,本件事故の直前まで,乙の動静を注視していなかった。この間,Aは,乙の係留ロープを外すなどの作業をして,乙を後退させた後,乙を前進発進させたものであるが,甲は,一定の進路,速力で進行していたのであるから,甲と乙との衝突のおそれは,乙が発進後速力を約15ノット前後まで急速に増速させたことによって発生したものといわなければならない。そして,被告人が本件事故の約1分30秒前ころ,乙を視認した時点では,乙は牡蠣筏に係留さ おそれは,乙が発進後速力を約15ノット前後まで急速に増速させたことによって発生したものといわなければならない。そして,被告人が本件事故の約1分30秒前ころ,乙を視認した時点では,乙は牡蠣筏に係留されていて停船しており,そのままの状態では甲と衝突のおそれを発生させる危険性はなかったのであるから,その後,乙が発進して急速に甲の進路に進出することまでも予見することは困難であり,その様な事態の発生に備えて,乙の動静を注視し続け,これに対する措置を講じる義務があったとはいえない。 さらに,乙が前進を開始してから衝突までの時間については,乙の衝突時の速力を約9ノットとして測定した場合でも,約38.15秒であり,乙が約15ノット前後まで増速していたとすると,衝突までの時間は更に短くなる可能性がある上,乙が発進してから速力を増速して衝突のおそれを発生させた時点は,更に本件事故のわずか前であると認められる。しかも,乙は,甲の右舷後方から約45度の角度で進行してきたものである。そうすると,被告人において,客観的に,乙との衝突のおそれを生じた時点で,乙に気付いたとしても,約4ノットで航行した時の甲の停船距離は約7.15メートルであり,時間にして約7. 8秒を要すること,甲が3隻のヨットを曳航していたことを考慮すると,わずかな時間に乙との衝突を回避するための措置を判断して実行することが可能であったか否かについては,多大な疑問があるといわざるを得ない。 4 以上に検討したところによれば,原判決は,衝突時の乙の速力は約9ノットであると認定した上,被告人において,乙が甲の進路上に進出するおそれがあることを容易に予測できたものであり,乙との衝突を回避することも可能であったと認定しているが,被告人が乙との衝突を予見して回避する可能性があったと認めるには合理的な疑いがある 路上に進出するおそれがあることを容易に予測できたものであり,乙との衝突を回避することも可能であったと認定しているが,被告人が乙との衝突を予見して回避する可能性があったと認めるには合理的な疑いがあるといわなければならない。そうすると,本件事故について被告人に過失があったと認定した原判決には,事実の誤認がある。 論旨は理由がある。 よって,刑訴法397条1項,382条により原判決を破棄し,同法400条ただし書に従い,更に判決する。 本件公訴事実は,「被告人は,レース用ヨット3隻を縦列に曳航した汽船甲(船舶の長さ5.69メートル)に船長として乗り組み,Bに同船を操舵させて同船の操船業務に従事していたものであるが,平成12年11月18日午後4時58分ころ,広島市南区宇品灯台から真方位51度約1440メートルの海上を略西方から略東方に向け速力約4ノットで航行していた際,上記甲右舷側約200メートルの海上に,Aが操船する汽船乙が船首を略北方に向けているのを視認したのであるから,同船の動静を注視するのはもとより,上記Bに対し,的確な指示を与えて進路の安全を確認しつつ航行し,同船との衝突事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに,これを怠り,上記乙が航行を開始することがないものと軽信し,同船の動静を注視せず,上記Bに対し何ら的確な指示を与えることなく,前記針路,速力のまま漫然航行した過失により,上記乙が上記甲の進路上に向け航行を開始したことに気付かず,上記乙と至近距離に迫って初めて同船との衝突の危険を感じたが,衝突回避の措置を講じる間もなく,同日午後5時ころ,上記宇品灯台から真方位54度約1600メートルの海上において,上記甲の右舷側外板中央付近と上記乙船首部を衝突させて両船に損傷を与え,もって,艦船の往来に危険を生じさせるとともに 同日午後5時ころ,上記宇品灯台から真方位54度約1600メートルの海上において,上記甲の右舷側外板中央付近と上記乙船首部を衝突させて両船に損傷を与え,もって,艦船の往来に危険を生じさせるとともに,上記衝突により,上記甲に乗船していたC(当時15年)に両側肺挫傷等の傷害を負わせ,同日午後9時56分ころ,同区G病院において,上記傷害に基づく大量出血により死亡するに至らしめ,上記甲に乗船していたD(当時15年)に対し,加療約116日を要する右腓骨内果骨折等の傷害を負わせたものである。」というのであるが,上記のとおり,結局,本件公訴事実については犯罪の証明がないことになるから,刑訴法336条により被告人に対し無罪の言渡しをすることとして,主文のとおり判決する。 平成15年12月9日広島高等裁判所第一部裁判長裁判官久保眞人裁判官芦高源裁判官島田一

▼ クリックして全文を表示

🔍 類似判例を検索𝕏 でシェア← 一覧に戻る