昭和60(ラ)6 倉田学園降職

裁判年月日・裁判所
昭和63年8月9日 高松高等裁判所
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【DRY-RUN】主   文 本件抗告をいずれも棄却する。 抗告人らの当審における仮処分申立てをいずれも却下する。 当審における訴訟費用は抗告人らの負担とする。        理   由 第一 当事者の申立て及び主張

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判決文本文93,330 文字)

主文 本件抗告をいずれも棄却する。 抗告人らの当審における仮処分申立てをいずれも却下する。 当審における訴訟費用は抗告人らの負担とする。 理由 第一当事者の申立て及び主張一本件抗告の趣旨及び理由 1 抗告の趣旨(一) 原決定中、抗告人らと相手方に関する部分を取り消す。 (二) 相手方が抗告人らに対し、昭和五七年三月三一日付けでした非常勤講師に降職する旨の意思表示の効力を停止する。 (三) 相手方は、抗告人らをそれぞれ教諭として取り扱い、かつ(1) 抗告人P1に対し金一九六三万六六二一円(2) 抗告人P2に対し金一七〇八万〇九四七円(3) 抗告人P3に対し、金一四六四万四八五六円をそれぞれ支払え。(当審における各仮処分申立て)(四) 訴訟費用は、原審及び抗告審を通じて相手方の負担とする。 2 抗告の理由別紙一の(一)ないし(三)記載のとおりである。 二右一に対する相手方の答弁 1 抗告の趣旨に対する答弁(一) 本件抗告を棄却する。 (二) 当審における抗告人らの仮処分申立てを却下する。 (三) 抗告費用は抗告人らの負担とする。 2 抗告の理由に対する答弁別紙二の(一)ないし(三)記載のとおりである。 第二当裁判所の判断一抗告人らに対する本件降職処分がなされるまでの経緯、抗告人P1及び同P2に対する本件命令が有効であり、右抗告人らが本件命令に従わないことが本件就業規則に定められた懲戒事由に該当すること、抗告人P3が本件部誌を発行配付したことが本件就業規則に定められた懲戒事由に該当することについての当裁判所の認定及び判断は、次のとおり補足及び訂正するほか、原決定の理由中の抗告人らと相手方とに関する該当部方の説示(抗告人ら全員と相手方とに関する部分が原決定二枚目表一〇行目から四枚目表四行目まで、抗告人P1及 び判断は、次のとおり補足及び訂正するほか、原決定の理由中の抗告人らと相手方とに関する該当部方の説示(抗告人ら全員と相手方とに関する部分が原決定二枚目表一〇行目から四枚目表四行目まで、抗告人P1及び同P2と相手方とに関する部分が四枚目表六行目から一一枚目表二行目まで、抗告人P3と相手方とに関する部分が一三枚目裏一一行目から二一枚目表一行目までである)と同じであるから、それらを引用する。 1 原決定二枚目裏九行目の末尾の次に「高松校の学生及び生徒のクラス数は昭和五六年度で一八クラスであつた。」と加え、四枚目表三行目の「債権者」から四行目の末尾までを「昭和六〇年三月三一日までの間は、抗告人らを非常勤講師として取り扱い、同年四月一日以降は同年三月三一日の経過をもつて各非常勤講師の雇用期間(一か年)の満了により雇止めとなつたとして、被雇用者としての取り扱いをしていない。」と、五枚目裏四行目の「年間」を「同年四月二〇日までに、玄関前を除く校内の数か所で毎朝午前八時一五分から八時五〇分までないし九時四〇分まで服装検査等を実施することを内容とする年間」とそれぞれ改め、七枚目表一〇行目の下向括弧の次に「抗告人P2は、原審第一回審尋の結果で、P4は本件命令に当初から従つたと思うと述べ、」と、同行目の「P1は」の次に「、原審第二回審尋の結果で、」とそれぞれ加え、八枚目表四、五行目の「審尋」を「原審第一回審尋の結果」と改め、九枚目表七行目の「こと」の次に「ないし、このメモが相手方の組合対策についての相談等の内容を摘記したものであること」と加える。 2 原決定一四枚目表四行目の「五二」から五行目の「回」までを「五三年五月ころから五六年三月ころまでに前後六回にわたり(第一号ないし第六号)」と改める。 二抗告人らは、本件各降職処分は労働契約の基本的内容を当事者の 表四行目の「五二」から五行目の「回」までを「五三年五月ころから五六年三月ころまでに前後六回にわたり(第一号ないし第六号)」と改める。 二抗告人らは、本件各降職処分は労働契約の基本的内容を当事者の一方の意思のみによつて不利益に変更するものであるから許されないと主張するので、この点について判断する。 1 疎明資料によれば、次の事実が一応認められる。 (一) 本件就業規則には職員の懲戒に関し次のような規定がおかれている。 (1) 当校は職員に対し、この規則により懲戒する(六六条)。 (2) 懲戒の種類は左の通りとする。 一譴責イ訓告書面で注意する。 ロ戒告書面で注意し将来を戒める。 ハ厳告書面で注意し将来を戒め且つ始末書を提出させる。 二減給始末書を提出させ、労働基準法九一条による減給をする。 三出勤停止始末書を提出させ、三〇日以内の出勤を停止する。 出勤停止期間は勤続年数に加算しない。 四降職始末書を提出させ、身分又は職階を下げ若しくは剥奪する。身分又は職階に対し特に支給した給与は、降職により支給しない。 五懲戒解雇労働基準法第二〇条を適用して解雇する。(六七条)(3)イ当校は、職員が左の各号の一にあたる場合には、降職、出勤停止、減給又は譴責に処する。 一一四条一号に違反し、不正不義の行為をしたとき。 二一四条二号に違反し、当校の名義職員の身分又は資格を詐り、若しくは之を濫用したとき。 (略)五一四条五号に違反し、正当な事由なく遅刻、早退又は欠勤したとき。 (略)九業務上の命令又は指示に違反したとき。 一〇 勤務の怠慢により業務を阻害したとき。 (略)一三その他、前各号に準ずる行為があつたとき(六八条)ロ当校は、職員が左の各号の一にあたる場合には、懲戒解雇に処する。但し情状により降職又は出勤停止に 務の怠慢により業務を阻害したとき。 (略)一三その他、前各号に準ずる行為があつたとき(六八条)ロ当校は、職員が左の各号の一にあたる場合には、懲戒解雇に処する。但し情状により降職又は出勤停止にとどめることがある。 一採用の際経歴を詐り、又は不正の方法を用いたことがわかつたとき(略)四一四条九号に違反し、秘密を洩らしたとき。 五一四条一〇号に違反し業務を妨害し、もしくは当校の名誉又は信用を傷けたとき。 (略)七一四条一二号に違反し、当校内で業務外の掲示をし、若しくは図書又は印刷物等の頒布又は貼付をしたとき。 (略)一〇 教育に関する法令に違反し、又は当校の教育方針に違反したとき。 (略)一四前条各号に当たる行為でその情状が重いとき。(六九条)(二) 次に、本件にかかる教諭及び非常勤講師の地位は、次のようなものである。 (1)職員の身分及び職階は、①教育職員、②その他の職員、③雇員に大別した上、①教育職員については、校長、教諭、養護教諭、助教諭、講師に、②その他の職員については、事務職員、技術職員に分かれることが就業規則に明記されている(本件就業規則五二条)ほか、①教育職員については、更に、校長と教諭との中間に、副校長、教頭、教頭補佐の職階が設けられ、講師につき常勤講師と非常勤講師とに区分されている。 (2) 非常勤講師の職務内容は、教科指導に関しては教諭と差異がないけれども、生徒指導その他の校務については、教諭と異なり、部活動・クラブ活動の一部業務に携わる例外的場合以外には、これらを分掌しない。 そして、待遇面においては、教諭の雇用期間が満六〇歳までと定められているのに対し、非常勤講師の雇用期間は一年の期間を定めた契約であり、更新されない限り、右期間の経過によつて終了する。また、教諭が月給制であり、年一回の昇給があり、 雇用期間が満六〇歳までと定められているのに対し、非常勤講師の雇用期間は一年の期間を定めた契約であり、更新されない限り、右期間の経過によつて終了する。また、教諭が月給制であり、年一回の昇給があり、教職調整手当、教員特別手当、家族手当、住居手当、勤勉手当があるのに対し、非常勤講師は時間計算給であり、右の各手当は支給はされない。また、非常勤講師には、教諭と異なり、退職金制度の適用はなく、年次有給休暇、特別休暇も与えられない。 2(一) 右の事実関係によると、教諭と非常勤講師とは、雇用期間、賃金、休暇など労働契約の基本的な要素において大きな差異があるから、教諭として採用された者がその後に行われた懲戒処分に伴ない非常勤講師として就労する場合は、これを処分前の教諭としての労働契約と同一の労働契約を維持したまま、その労働条件の一部を変更したものとみるベきではなく、処分前の教諭としての労働契約は処分により終了し、新たに非常勤講師としての労働契約が締結されたものと評価するのが相当である。 (二) そして、一般に、使用者は、労働契約(それは当事者対等という根本理念にしたがい規律されるベきものである)とは別個に、労働者に対する懲戒権を有するものでなく、したがつて、労働者は、懲戒処分により、使用者から処分前の労働契約と社会通念上同一性を欠く労働契約の締結を強制され、使用者の意思のみにより、処分以降の新たな労働契約に従う就労を当然に義務付けられるいわれはないというベきである。 しかし、懲戒として解雇に値する程の非違行為が労働者に存在する場合において、懲戒権の行使が硬直化するのを避け、被処分者の不利益を緩和する手段として処分前の労働契約を一挙に終了させる(懲戒解雇)にとどめず、被処分者の自由な意思が受容する限り、新たな労働契約を締結する余地を残すことは、当事者 直化するのを避け、被処分者の不利益を緩和する手段として処分前の労働契約を一挙に終了させる(懲戒解雇)にとどめず、被処分者の自由な意思が受容する限り、新たな労働契約を締結する余地を残すことは、当事者対等の根本原則に背馳するものでなく、これを禁ずべき理由はない。したがつて、懲戒として解雇に値する程の非違行為の存在が肯定される場合で、かつ新たな労働契約の締結を強制するものでない限り、使用者が労働者に対する懲戒処分として、従来の労働契約をいつたん終了させ、同時に新たな労働契約の締結を労働者の自由な意思で選択する機会を与える趣旨の降職処分を設定し、そのような処分をすることは許されるというべきである。 (三) これを本件についてみるに、本件就業規則で規定されている降職は、使用者が設定した懲戒処分全体の中で、懲戒解雇に次ぐ重い処分として位置付けられているものであるし、降職により変動する前後の職階及び身分につき特段の制約規定がないから、処分前に教諭であつた者を非常勤講師として新たに雇用することも予定しているものと解される。 そして、前記認定事実に徴すると、抗告人らには、いずれも懲戒として解雇に値する程の非違行為があり、相手方は、これらの非違行為を理由として、本件各降職処分をしたことが肯認され、かつ本件各降職処分は、被処分者である抗告人らにおいて、非常勤講師として新たに雇用されることを拒絶して、処分前の労働契約を終了させ、被雇用者であることをやめる方途を、その自由な意思で選択することを許さないものであるとは解されない。 3 以上の事実及び説示によると、本件各降職処分に抗告人ら主張の違法があるとは認められない。 三当裁判所は、本件各降職処分は懲戒権の濫用及び不当労働行為のいずれにも当たると認めるに足りないと認定判断するものであり、その理由は、原決定一一 職処分に抗告人ら主張の違法があるとは認められない。 三当裁判所は、本件各降職処分は懲戒権の濫用及び不当労働行為のいずれにも当たると認めるに足りないと認定判断するものであり、その理由は、原決定一一枚目裏一〇行目の「両名は、」の次に「その自由な意思で非常勤講師の職につくことを受容しなければ一挙に被用者の地位を失うし、その職につくことを受容した場合でも、」と加え、一二枚目表六行目の「処分」から七行目の「機会にも」までを「処分を受け、それらにより再三にわたり本件命令に従う機会があつたのに終始」と、二一枚目表二行目の「債権者ら」を「抗告人P3」とそれぞれ改めるほか、原決定の理由中の抗告人らと相手方に関する該当部分の説示(抗告人P1及び同P2と相手方に関する部分は原決定一一枚目表三行目から一三枚目裏八行目までであり、抗告人P3と相手方に関する部分は二一枚目表二行目から二二枚目表一〇行目までである)と同じであるから、それらを引用する。 四以上の説示によると、抗告人らの本件各仮処分申立て(当審における各申立てを含む)は、いずれも被保全権利の疎明がないから、これらを失当として却下すべきである。 よつて、原決定は相当であり、本件抗告はいずれも理由がないからこれらを棄却し、当審における抗告人らの仮処分申立てをいずれも却下し、当審における訴訟費用の負担につき民訴法四一四条本文、九五条、八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり決定する。 (裁判官柳澤千昭滝口功市村陽典)(別紙一の(一))一原決定の基本的問題点 1 原決定は、学園のなしたP1らに対する懲戒処分が形式的に就業規則に違反するか否についてとりだてしている。そもそも就業規則は労働条件を定め、業務、すなわち「教育が円滑に、かつ効果的に行われること」を期して作成されたものであるから、仮 る懲戒処分が形式的に就業規則に違反するか否についてとりだてしている。そもそも就業規則は労働条件を定め、業務、すなわち「教育が円滑に、かつ効果的に行われること」を期して作成されたものであるから、仮に、その懲戒規定を適用するのであれば、具体的にいかなる教育的障害があつたのか明らかにされた上で、適用されるべきである。しかるに原決定は、具体的には何ら教育的障害があつた事実について明らかにせず、単に形式的に就業規則に違反していると断ずるのみで決定を下している。 2 右のように、教育的に何らの障害のないP1らの行為に対し、学園が懲戒処分を行うには、それ相応の学園の意図するところはあつたはずである。P1らは、学園の狙いは組合活動の中心的役割を担つていたP1らの学園からの排除を狙つたものであると、主張してきたところである。しかしながら、原決定はP1らの主張を省みず、かかる学園の不当労働行為について、事実関係を明らかにする努力を怠り、学園の企図するところを明らかにしないまま、判断を下している。 3 すでに香労委から三件にも及ぶ不当労働行為が認定され、そのうち一件については中労委でも追認されており、現在でも同種の不当労働行為が続けられている。 なかんずく、P5教頭(当時)のメモは不当労働行為意思を明示した確たる証拠である。同証拠について、P5教頭がその存在を否定した上で、同僚として席を同じうするを快しとしないとまで言つたにもかかわらず、後日具体的物件をつきつけられて、認めるに及んだことからして、その証拠として高く評価されるべきである。本件処分はかかる背景の下にP1らを学園から排除する目的で行われたものである。しかるに、原決定はかかる背景を一顧だにせず、不当労働行為であるとのP1らの主張を、却けているのである。 4 降職処分の狙いはP1らを学園から排除するとこ を学園から排除する目的で行われたものである。しかるに、原決定はかかる背景を一顧だにせず、不当労働行為であるとのP1らの主張を、却けているのである。 4 降職処分の狙いはP1らを学園から排除するところにあつたことは右に述べたとおりであるが、果たして昭和六〇年三月末日をもつて、P1らは学園より解雇されるに至つている。また原決定に基づき、復職されたP6については、一切の教育活動を禁止され、一日中、副校長、教頭らの監視の下におかれ、席を立つことすら自由に行えないというしうちを受けている現状は、とりもなおさず、学園の意図するところが具体的に実行されたものである。 5 仮に、P1らの行為に何らかの非違があつたとしても、あくまで形式的のものにすぎず、右に述べたごとく、教育上何らの障害も生じたわけでないから、社会通念上、解雇に相当する非違行為があつたとは到底判断できない。原決定は、P1らの教師の良心と責任において止むにやまれずとつた行為に対する処分が、著しくバランスを欠く苛酷なものであるという視点をも欠落させている。 6 P1らの行為は、いずれも教育にかける情熱から発したものであることは、右に述べたとおりであるが、P1らの教育実践においては、何らの誤りも認めることはできない。事実、教育現場においては、いかなる混乱も障害も生じることなく教育活動が営まれているし、学園もいかなる支障が生じたのか、明らかにするところではない。校長の思いと異にする言動が、P1らにあつたというにすぎず、いわば教育の周辺における理由だけで、解雇相当の懲戒処分が行われ、かつ、昭和六〇年三月末に解雇されたのである。これは、建学の精神をその教育方針のよりどころとする私学の特殊性をもつてしても、許容されるものでなく、明らかに懲戒権の濫用があつたとみなされるべきである。 二 P1・P2処分に に解雇されたのである。これは、建学の精神をその教育方針のよりどころとする私学の特殊性をもつてしても、許容されるものでなく、明らかに懲戒権の濫用があつたとみなされるべきである。 二 P1・P2処分についての原決定の誤り 1 生徒指導については、かねてより生徒指導部が中心となり、指導方針を決定し、実施してきた事実(一) 生徒指導は、本来、生徒の学校生活(場合によれば家庭生活も含む)のすべての分野にわたつており、クラブ活動、生徒会活動、その他教科外活動、カウンセリングなどを、その範疇に含むものと解されているが、高松校においては「大学進学」の名分の下に、それらの活動が極端にせばめられていたため、生徒指導部の仕事は、もつぱら「規制」に対する「とりしまり」役として位置づけられていた。 (二) 従つて、P7校長も日頃から生徒指導についての関心は稀薄で、生徒指導部の会合にP7校長が参画して、その指導方針をたてるということは皆無であつた。また同時にP7校長より生徒指導部のたてた指導方針について、異議のはさまれることも皆無であつた。 (三) 全国的な生徒の荒廃のあおりをうけて、大手前でも、昭和五四年~五五年頃より例外でなく、指導困難な生徒が出はじめたため、同年初めて生徒指導主事となつたP8は、生徒指導部の会合を定例化し(以下、単に「生徒指導部会」という)集団的な指導体制を確立させた。原審において、P7校長は「昭和五五年頃から、服装指導の必要性を感じていた」(第一回審尋調書六)と述べているが、生徒指導部会に参画して意見を述べることはなかつた。 同部会では、重点的な指導事項について、指導月間、指導週間を設けたり、生徒の風紀委員会、交通委員会などを活用した指導を試みるなど、積極的な指導を打ち出していつた。その間、六か月間の長期間にわたり、生徒指導部教師の輪番によ 導事項について、指導月間、指導週間を設けたり、生徒の風紀委員会、交通委員会などを活用した指導を試みるなど、積極的な指導を打ち出していつた。その間、六か月間の長期間にわたり、生徒指導部教師の輪番により遅刻指導にあたつている。 (四) 昭和五五年度末の生徒指導部の反省会では、輪番制について、遅刻指導に関しては成果があつたことを確認、生徒の遅刻者が減少したと同時に、指導部教師がそれぞれに直接指導したため、遅刻の実態や原因について把握でき、共通認識が生まれ、集団的取り組みがいつそう深められたことが高く評価された。 また、次年度の指導部のあり方をめぐつては、遅刻指導に合わせて、服装指導も輪番制により指導していくことが良策であると意見一致がみられた。 (五) こうした経過と実態を無視して、昭和五六年四月三日、P7校長よりP1、P2、P4に対し、八時一五分から登校してくる生徒の服装指導に指示が出されようとしたのである。 2 高松校の生徒指導の問題点(一) 昭和五四年P7校長が就任以来、特に生徒への管理が強化されたことはすでに述べたとおりであるが、「寝る時と食事以外は、すべて勉強せよ。それで人格形成はできる」というP7校長の言に代表されるように、受験勉強にすべての時間と労力を集中させ、それ以外の活動については、次々に制限を加えていつた。またP7校長の受験一本やりの教育体制は、同時に受験勉強に適応を示さない生徒の切り捨てとなり、学力別クラス編成をして、成績の劣るクラスの学級担任に「あんたのクラスの生徒は、おらんようになつてもいい」とまで、言つているのである。 こうしたP7校長の教育姿勢は、敏感に生徒に反映され、教育の浸透が人格的なふれあいによつてなされるという観点から、生徒にその浸透が図られることは極めて困難な状況ではあつた。 (二) 高松校の生徒の服 こうしたP7校長の教育姿勢は、敏感に生徒に反映され、教育の浸透が人格的なふれあいによつてなされるという観点から、生徒にその浸透が図られることは極めて困難な状況ではあつた。 (二) 高松校の生徒の服装については、昭和五四年度、生徒指導部でも次年度の指導課題としてあげられていたが、その指導内容としては、制服に着装する名札、校章等を付けているか否かという問題がほとんどであり、制服そのものについての基準違反はほとんど例を見なかつた。 (三) したがつて、服装そのものについての指導よりは、生活全体の指導が必要とされており、学習に意欲の向かない生徒をどのように指導するか、学校行事に消極的な生徒をどのようにして積極的にとりくませるかなど外面的なものではなく、生徒の内面にたち入つての指導が要請されていたのである。その意味では、総合的な生活指導が要請されていたのである。指導の在り方としては、教師と生徒の意思疎通が図られることが急務であり、「管理・とりしまり」を専とする指導の在り方は、むしろ教育困難な生徒に対する指導をいつそう難しくするものであつた。 3 昭和五六年四月三日の職員会議の経緯と、校務分掌決定の問題点について(一) 分掌の決定について(1) 校務分掌は、学校運営上の必要性から決定されているものであるが、その任命に当たつては、適材適所にわりあてられること、教職員がそれぞれに意欲をもつて取り組めることなど、学校運営が円滑に、かつ、効果的に行われるよう決定されなければならない。 (2) そのために、教職員個々人の意思が尊重され、かつ、教職員の総意が反映されたものにならなければならない。 (3) P7校長就任前は、本人の希望が尊重され、学園は組合とも分掌組織について話し合い、さらに職員会議において必要な場合には変更されるなど、教職員の意見が反映されたも ものにならなければならない。 (3) P7校長就任前は、本人の希望が尊重され、学園は組合とも分掌組織について話し合い、さらに職員会議において必要な場合には変更されるなど、教職員の意見が反映されたものになつていた。 (4) しかし、昭和五六年度、分掌決定については秘密裡に行われ、特に生徒指導に関して新たに、校内係、校外係を設けたことは、生徒指導の中心を担う生徒指導部、或は、生徒指導主事たるP8にとつても、晴天の霹靂の分掌任命と分掌内容の指示であつた。 また、P1、P2、P4を八時一五分より指導にあたらせるという点については、P5教頭ですら前日になつてはじめて知らされるという(P5審尋調書三四)経緯をたどつており、P5教頭も対応しかねたのであつた(同)。 このことは、その指示内容が教職員の合意を得られないということを承知しての処置であつたことを物語つている。 (二) 職員会議の経過について(1) P5教頭は、職員会議の前日、右のP7校長の決定を聞き、「職員会議で少しは意見が出るだろうと思つて、細かい点については、時間を改めて説明すれば了解が得られると思い」(P5審尋調書三七)職員会議に臨んでいる。即ち、① 教員の反対意見が出るであろうことを承知の上での決定であり、② 細かい点については全く配慮されていず、後に説明を要すること③ 職員会議では、討議しないことを物語つており、職員会議で討議すれば、その不合理性からして実施にいたらないことを予想して、討議させない決意で職員会議に臨んだのである。 (2) 果たして昭和五六年四月三日、職員会議において、P7校長から校務分掌が発表され、P1、P2、P4の三名に、一年間、八時一五分に出勤して、登校する生徒の服装指導に当たるよう指示が出されようとした。しかし、その際、生徒指導部の従来からの指導方針との関 校長から校務分掌が発表され、P1、P2、P4の三名に、一年間、八時一五分に出勤して、登校する生徒の服装指導に当たるよう指示が出されようとした。しかし、その際、生徒指導部の従来からの指導方針との関連、目的、方法について一切説明されず、予想される教育上の問題点についても触れられることがなかつた。 (3) 同職員会議では、P5教頭が予想し、P7校長も組合員から異議が出ることを予想していたとおり、P1、P2、P4の三名から質問が出され、その他数名の教員からも質問が集中する結果となつた。P7校長は、それらの質問には全く答えず、「あとでお話ししましよう」とのみ答え、これに呼応してP5教頭がかねての算段に従い、「詳細はあとで連絡します」「校長と調整がつくと思います」と結論を留保し、議事を進行させたのである。 (三) このような分掌の隠密裡の決定と強引な会議の進行は、その分掌決定と内容が教育的見地からは説明のしようのないものであることを証明しており、それはとりもなおさず、既に述べてきたとおり、組合対策上行われたもので、組合員に対する差別的扱いとして出されようとした指示であることは言をまたない。昭和五六年二月二三日にP5メモが発見されているが、この指示は、まさにP5メモの方針を実現させようとしたものである。 (四) 教育的見地からする指導のあり方について高松校の生徒の実態と服装の実態については、既に述べたとおりであり、その指導のあり方についても、総合的に配慮して行われなければならないのも既述のとおりであるが、服装指導を行つてならないというものでないことは当然である。ただ、その方法において服装だけを誇大にとらえて対応を誤つてはならない。 したがつて、P7校長が指示しようとした指導方法が唯一絶対のものではなく、不足があれば従来の指導方法を改良することも可 ある。ただ、その方法において服装だけを誇大にとらえて対応を誤つてはならない。 したがつて、P7校長が指示しようとした指導方法が唯一絶対のものではなく、不足があれば従来の指導方法を改良することも可能であるし、いかなる方法をとるかについては、目的をはずすことがなければ、検討の余地は残されていたはずである。 いずれの方法をとるにせよ、生徒の実態把握と分析、教職員の協力体制、指導結果の予測と対応などの視点を欠落させては、効果的な指導が行えないのであるから、それらの点に十分配慮して行われなければならない。 P7校長はそうした視点を欠き、教職員の理解を得る努力を全くしないまま、他の方法について検討することもなかつたのである。 (五) 生徒指導部の輪番制指導が行われていた事実について原決定は、生徒指導部の輪番制指導をP7校長が許可していなかつたと認定しているが、以下の事実関係から校長が輪番制指導を認めていたことは明らかである。 (1) 高松校では毎日全教員を対象にして職員朝礼が行われるが、その席上、生徒指導主事のP8、ないしは同校内指導係主任のP4から、輪番制により実施された生徒の登校指導の結果報告、ないしは各学級担任への要請等を行つている。 (2) 当該年度の最初の指導は昭和五六年四月一三日より行われたが、それに先だつて、四月九日職員朝礼でP8指導主事が「来週よりヘルメット、服装などの指導をはじめます。今週中に担任の方で指導しておいて下さい」と発表し、輪番制で指導に当たつたのである。その後、同年五月一九日、九月一日、一一月一七日、一二月一日、一二月二日、一二月一二日、昭和五七年二月一五日、同年三月二〇日にも輪番制に関して、職員朝礼で周知、報告の発表が行われ、昭和五七年一月五日には職員会議でも報告されているのである。 (3) さらにP8は各学期の 、一二月一二日、昭和五七年二月一五日、同年三月二〇日にも輪番制に関して、職員朝礼で周知、報告の発表が行われ、昭和五七年一月五日には職員会議でも報告されているのである。 (3) さらにP8は各学期の始業式、終業式においても、全生徒に対し、登校指導について生徒の注意を喚起させてもいるのである。 また指導結果報告についても、全教員に印刷物として配布している。 このように当該年度においては年度末にいたるまで、随時、輪番制で登校指導が行われ、その計画ないしは実施結果報告についても、全職員に行われたのであつて、P7校長がひとり後になつて「認めてなかつた」などと証言するのは、明らかに、ためにするものであつて、事実には反するのである。 (4) こうした結果、昭和五七年二月一五日には職員朝礼の席上P8から「服装について、先生方の協力により、よくなつた」という報告が行われてもいるのである。 (六) 輪番制指導に対するP7校長の対応について(1) 輪番制指導については、右のとおりP7校長も同席した職員朝礼、及び、職員会議等で周知、報告等されながら、通年的に行われたのであり、P7校長もそのことについて特段の異議を示していないのである。したがつてP7校長も了承の上行われたものであることは、動かしようのない事実である。 (2) P7校長はP1、P2が八時一五分までに来ていないことについて「四月の終わりか、五月になつてきていないことに気がついた」(第一回P7審尋調書三七)と述べている。しかし、P1、P2は輪番制指導の自らの当番日以外は、八時三〇分からの職員朝礼に参加しており、同席していたP7校長は両名が指導部の計画に従つて指導にあたつていることを承知していたのである。 事実は五月一日、P1がP9労務担当に団体交渉を申し入れた際、P7校長がたまたま居合わせたために、 、同席していたP7校長は両名が指導部の計画に従つて指導にあたつていることを承知していたのである。 事実は五月一日、P1がP9労務担当に団体交渉を申し入れた際、P7校長がたまたま居合わせたために、P1がP7校長に申し入れの趣旨を伝えようとすると、団交申し入れを中断させようとして、登校指導の件を持ち出したのである。 (3) その間、校長にはP1らに登校指導させようとしたことについての興味も関心もなく、生徒指導部の係が、生徒の登校指導の計画を校長に提示しても「詳しく見ない」(第一回審尋調書三六)ままに、放置しておくという状態であつたのである。この事実からしても、四月三日に出そうとした指示が、組合対策上出されたことは明らかである。 (4) この件に関してP7校長は、第二回目の輪番制実施案である四月二〇日からの週における指導案には服装指導がはずれているのは自ら指摘したためであると主張しているが、四月一三日提示された指導案を詳しく見ず、四月の終わりか五月になつて気がついたとするP7校長自身の証言に照らしても、P7校長が指摘した事実など存在しようはずがない。 事実は四月一三日からの週において遅刻者が多かつたために(平均一八名)、生徒指導部が遅刻指導に重点を移したためで、その結果五月末週には激減している(平均三名)。その間も輪番制指導は服装指導を放置したものでなく、重点的指導項目としては一時期はずしたが、並行して行つていたものである。 (七) 特定教師に登校指導に当たらせることの問題点についてP7校長は昭和五七年度以降、今年度に至るまで特定教師を各年三名ずつ指名して、P1らと同様の指示を与えており、P1らがかかる不当な処分を受けているために、被指示者は非教育的な方法と知りつつも、P7校長の指示に従つてきているのであるが、そのことについて以下のような 指名して、P1らと同様の指示を与えており、P1らがかかる不当な処分を受けているために、被指示者は非教育的な方法と知りつつも、P7校長の指示に従つてきているのであるが、そのことについて以下のような問題が起こり、反省が行われている。 (1) 昭和五七年度以降、P7校長は登校指導についてその内容を指定するようになつた。例えば、服装違反者については違反者の指名と違反点を記録し、毎日校長に報告すること、或は、服装違反者はいつたん帰宅させて服装をかえさせて登校し直させること等である。 (2) 現場で最前線にある教師が、生徒の現状や意識を十分に把握した上での指導方法であればともかく、こうした押し着せ的なやり方では生徒に指導内容が十分浸透するはずもなく、逆に生徒の反発を買い、心理的な摩擦を生じさせ、教育の根幹とも言える信頼関係すらそこないかねないものになつていつた。 (3) さらにP7校長、P9教頭補佐らが交替で登校指導する教員につき添い、昭和五八年にはP9教頭補佐が複数日にわたつて、登校指導する教員の横に、服装違反生徒を地面に正座させ、また、P7校長が、自転車置場に自転車を置いて教室に入ろうとする生徒にヘルメットをかぶらせるよう、登校指導の教員に指示させようとして「なんで歩く時にもヘルメットをかぶらんといかんのや」という生徒の反発を買うなど、生徒の不満は登校指導に集中した。 (4) こうしたことから昭和五八年九月一七日には生徒指導部室の窓ガラスが石で割られるという暴力事件が起こつた。関係者の話によると、登校指導にうらみを持つものの行為であることは明らかである。 (5) こうした生徒指導の在り方に対して、教職員の間から当然のこととして批判が生まれていた。昭和五八年四月二日に開かれた職員会議では、中学部の団長でもあり、交通指導係の主任であつたP10教諭が「 (5) こうした生徒指導の在り方に対して、教職員の間から当然のこととして批判が生まれていた。昭和五八年四月二日に開かれた職員会議では、中学部の団長でもあり、交通指導係の主任であつたP10教諭が「三名だけがやるんでなく、全部の先生が協力してやらんと効果がないんです。」と意見を述べたが、意見途中で発言を止められた。P10教諭は県中学校の校長会の会長を務めたこともあるベテラン教師で、生徒指導についても経験の深い教師である。 (6) 生徒指導部でも、昭和五七年度、同五八年度、同五九年度の登校指導について、それぞれ反省、報告を作成しP7校長に提出した。 昭和五七年度の報告書には「ヘルメットが単なる通行手形になつてしまつていた」と記述されており、指導が形骸化して生徒の中に浸透しなかつたことがあげられており、指導教師のいる前では服装を正すが、その他の時と場所においては徹底されていなかつたことが反省されている。 昭和五八年度の報告書では「全教職員の意志一致を図り、服装の基準を明確にすること」が必要で「持ち回り制にするなど全教職員が一体となつて取り組まなければ効果のないこと」があげられている。この点については、昭和五七年度の報告書も同様の趣旨のことを反省している。 (7) 生徒の行動としては、登校時玄関前を通行する時には懲罰があるため、服装を正すが、登校途中、あるいは校舎内においては制服のカラーやホツクをはずしたり、胸につけられることになつている名札をはずすなどの行動が頻発し、自転車通学者に義務づけられているヘルメツト着装についても指導教師のいる前だけでかぶり、本来必要とする路上ではほとんど着用しないというケースがほとんどで、持つてくるのを忘れたものは、例外なく道端に自転車を放置して徒歩通学者のふうをして玄関を通り抜けるか、指導教師が居なくなるまで待 り、本来必要とする路上ではほとんど着用しないというケースがほとんどで、持つてくるのを忘れたものは、例外なく道端に自転車を放置して徒歩通学者のふうをして玄関を通り抜けるか、指導教師が居なくなるまで待つて登校するなどという卑劣な行動をとらせるに至つていたのである。一方授業を受ける態度等については、依然として好ましからざる状況が続いていたのである。 (8) 右のような生徒の実態と教師の意見を総合すれば、P7校長の出した三名の者に対する登校指導の指示は極めて非教育的なもので、妥当性を欠くものであつた。 (八) 生徒の荒廃が顕著になつた昭和五〇年頃より、教育関係者、諸団体、諸機関において生徒の生活指導のあり方について、さまざまな論議と研究が行われ、今日、ほぼその結論めいたものが出されはじめているが、それによれば、生徒指導は処罰主義であつてはならず、生徒の人格に深く立ち入つて行われる必要があり、しかも教職員の一致した取り組みが重要であるとされている。 このことについて文部省は、その編になる生徒指導研究資料第二集、第六集、第一〇集、第一一集に次のように述べている。(要旨)(1) 生徒指導の意義と方法について生徒指導とは生徒の人格にかかわるあらゆる面を網羅するものであり、当然その活動が総合的であるべきなのは言うまでもない。つまり、身体的、知的、情緒的諸側面とかかわり、学校教育全体の根底に流れるものである。したがつて、生徒指導の最大の目的は生徒が充実した学校生活を送れるよう、教師が援助、助言して、生徒の自発性、自律性、自主性を育成することである。そのことを通じて、心身の健全な発達や学業への意欲、集団の一員としての社会性等が生まれるのである。最近の全国的な傾向としてみられる中学生、高校生の様々な問題行動は、生徒指導の本来的意義を見失うことなく対処しな じて、心身の健全な発達や学業への意欲、集団の一員としての社会性等が生まれるのである。最近の全国的な傾向としてみられる中学生、高校生の様々な問題行動は、生徒指導の本来的意義を見失うことなく対処しなければその解決は期待できない。 今日の中学生、高校生の共通した傾向として、① 生徒の多様化が進んでいること② 無気力化や非社会的な傾向が生じていること③ 様々な問題行動が発生していること④ そのような傾向に学校が対応しきれていないことなどがあげられる。このような状況への対応として非行対策などの事後処理としての消極的な意味での生徒指導に重点がおかれるのではなく、むしろ積極的に生徒一人一人にとつて、或は集団としての生徒にとつて、学校生活が充実したものになるような生徒指導をめざさなければならない。そのような積極的な意味での活動の場を作つていく生徒指導こそが根本的に非行化、無気力化等を解決することにつながるのである。 ややもすると、教師は生徒に対し権力的に命令、強制するという形態をとりがちになる場合が多くみられるが、生徒をそのように「支配」することで、自発性、自律性、自主性が育たないのは明白である。管理的な手段としての罰や懲戒は、幼少の子供の場合とは異なり、中学生、高校生ともなれば反感を招き、教師と生徒の信頼関係が損なわれて教育的効果はあまり認められない。むしろ問題を抱えた生徒には、その根本原因をとりのぞくような指導が大切であり、その総合的な発達のために、教師が調査、分折をし、方向性を誤らないようにしなければならない。 さらにこうした基本的な姿勢に立つて、教師が共通認識を持ち、協力体制を確立して指導にあたらねばならない。そのためにも教師の研修や討議の場が保障され、教師それぞれの自主性もまた尊重されねばならないのは言うまでもない。 (2) 生徒指 て、教師が共通認識を持ち、協力体制を確立して指導にあたらねばならない。そのためにも教師の研修や討議の場が保障され、教師それぞれの自主性もまた尊重されねばならないのは言うまでもない。 (2) 生徒指導における校長と教師の関係校長は生徒への愛情を土台に、教師間でのぞましい協力体制がつくられるように配慮し、全教師にのぞましい生徒指導観や共通認識が育つようにしなければならない。そのためには調査、情報等を利用して教師間で議論をし、行きづまりがあれば校長が指導助言を与え、協力体制づくりを常に心がけていくベきである。たとえば、会議に臨む管理者の基本的姿勢としては、校長自らの管理者としての立場からの意見を述べるのは控え、議論を熟させるように心がけるべきである。また校内に生徒の問題がおこつた時には、むしろその問題を全教師に考えさせ、協力体制づくりの面も考慮して対応すべきである。また、生徒指導上の問題の原因について「生徒相互の連帯感が欠けていないか」「教師間の共通理解はあるか」「ホームルーム等の組織的活動はできているか」「教師の側の指導が叱責にたよりすぎてはいないか」などの側面からも問題提起してみる必要がある。こうした教育、並びに生徒指導の特質にかんがみ、現場教師の議論が大前提であり、校長の役割は、その調整、まとめ役にあり、現場教員の討議が何より重要なもので、力点が置かれるベきである。 4 就業規則第一五条但し書きと原決定の誤り(一) 就業規則第一五条但し書きの解釈P7校長は就業規則第一五条但し書きを適用して、P1、P2、P4に勤務時間変更を命じたと主張するものであるが、但し書きに定められた内容は、本来臨時的な必要が生じた場合適用されるものと解されるのが相当である。従来から宿泊訓練や入学試験業務等で勤務時間を越えて勤務が必要とされるケースがあり、か るものであるが、但し書きに定められた内容は、本来臨時的な必要が生じた場合適用されるものと解されるのが相当である。従来から宿泊訓練や入学試験業務等で勤務時間を越えて勤務が必要とされるケースがあり、かかる短期的、一時的な勤務時間変更にのみ適用されるべきすじ合いの条項である。 (二) 労働基準監督署の見解高松労働基準監督署(以下、単に「監督署」という)では、同一人が一年間を通じて勤務時間の変更を行うというケースであるので、恒久的な措置であると解され、恒久的な措置であるならば、細部にわたる規定が必要となるので、就業規則第一五条但し書きを適用できないという見解を示した。この見解は、組合が昭和五六年六月一五日、並びに同七月九日に監督署を訪れて明らかにされたのであるが、監督署がその直後学園に是正指導をしており、学園もこの監督署の見解を承知していたのである。 学園は昭和五七年一二月六日、監督署より、年休を取得したことに関して賃金カツトした事件について、賃金未払い分を支払えとの勧告を受けているが、この勧告を未だに実施しておらず、監督署の指導、勧告に対し、自己の主張を言い張つて譲らないという姿勢をとつてきており、本件についても監督署の指導が行われていたのであるが、それを無視するという態度をとりつづけたのである。 (三) 勤務時間変更に関して学園が団体交渉を拒否したことについて組合では昭和五六年五月六日、並びに同年五月一九日に、それぞれP1、P2が校長室に呼び出され、八時一五分に登校して生徒指導に当たらせようとした同年四月三日のP7校長の指示について、P7校長が実施させようとしているという意思が確認されたため、同年五月二二日に、この件について団体交渉を申し入れた。以後、同年一一月一四日までに一八回にわたり団体交渉を申し入れているが、いずれも、個人の問 が実施させようとしているという意思が確認されたため、同年五月二二日に、この件について団体交渉を申し入れた。以後、同年一一月一四日までに一八回にわたり団体交渉を申し入れているが、いずれも、個人の問題であるから交渉項目にはなじまないとして、団体交渉を拒否しているのである。 勤務時間の変更は、労働者にとつては重大な問題であり、まして、勤務時間全体が明確にならず、矛盾点も多いわけであるから、当然団体交渉を行つて労使間で協定して労務につかせるのが、当然の筋道である。学園はこうした組合の当然の要求についても交渉を拒否したのである。学園の団交拒否の真の理由は、組合員であることをもつて登校指導にあてようとしたP7校長の意図が露見することを恐れたところにある。学園の団交拒否が不当労働行為であり、香労委、中労委から不当労働行為救済命令が出されていることは前述したとおりである。 P7校長はこのように話し合いを拒否した上で、指示に従つていないとして、七月には警告書を出し、八月には出勤停止処分に付し、翌年三月には非常勤講師への降職処分を行つたのである。 (四) 指示を守らせるための条件が整備されていなかつたこと校長の指示は、一年間を通して八時一五分から玄関に立つて登校指導に当たれというものであるが、通年的にその時間帯について一か所に拘束されるということについては、以下のとおり、さまざまな矛盾と齟齬をきたす事態が生じるのである。 (1) P1、P2は当該年度、時間割係となつており、各人毎週一回八時三〇分までに当日の授業時間割について、円滑に実施できるよう時間割の変更ないしは欠講時間の交替教師をわりあてる勤務があり、通例八時二〇分前後には、欠勤等の連絡があるために、登校指導に立てば、その業務ができなくなる。 (2) 生徒指導部の指導計画の中にP1、P2の活動が組 いしは欠講時間の交替教師をわりあてる勤務があり、通例八時二〇分前後には、欠勤等の連絡があるために、登校指導に立てば、その業務ができなくなる。 (2) 生徒指導部の指導計画の中にP1、P2の活動が組み込まれるため、たとえば、遅刻指導などについては円滑にその指導に当たれない。 (3) 八時三〇分から八時三五分まで行われる職員朝礼に出席できず、学校運営全般について諸連絡が全く受けられず、また、行えず、教育上重大な支障となること、また、私学共済組合やその他労働条件に関する連絡も受けられず、多大の不利益を被ることなどが考えられる。 (4) P1、P2はいずれもクラス副担任であり、生徒に対する生活全般に対する指導について、それぞれ学級担任とともにあたることになるのであるが、その中核をなすのは毎朝のシヨートホームルーム指導で八時四〇分から八時五〇分(実質的には八時五〇分より授業が始まるので二、三分前には終了する)までの間行われている。かりに、八時四〇分まで登校指導を行わねばならないのであれば、八時四〇分からのシヨートホームルームに参加することは不可能である。実際、P1、P2はいずれも毎週一回学級担任にかわつてシヨートホームルームを担当していた。 (5) 八時一五分から八時三〇分までは、本来、P1、P2のプライベートな時間利用ができるものとして労働契約を結び、かつ、それまでそうしてきたのである。 P1、P2はそれぞれ幼児を抱えており、保育園、幼稚園に幼児を通わせる時間など、出勤前の時間はそれぞれ貴重なものであり、効果的に用いられていた。したがつて、それらを変更するためには相当の苦心と犠牲とを強いられるのであり、両名に対し、事前に何らかの協議があつてしかるべきである。 このように、さまざまな問題点が生じることが予想されるのであるにもかかわらず、P7校長は同 ためには相当の苦心と犠牲とを強いられるのであり、両名に対し、事前に何らかの協議があつてしかるべきである。 このように、さまざまな問題点が生じることが予想されるのであるにもかかわらず、P7校長は同年四月三日の発表の事前にも事後にも調整をはかる努力を一切行つていない。かりに登校指導が必ず必要なものであるならば、それら条件整備に努力すべきであり、かりに条件が整わないものであるなら、P1、P2に固執することなく、他の教員にわりあてるなど、臨機応変の態度が取られるベきであつたのである。 5 校長の指示、並びに降職処分が不当労働行為であること(一) P1、P2が組合の中心的な役割を務めてきたことP1は、組合結成以来一貫して組合三役を務めてきており、昭和五九年まで副委員長を四期、書記長を三期つとめている。P2も、書記長を二期、書記次長を一期、執行委員を三期、会計監査を一期つとめてきた。 書記長は、学園との交渉の組合側折衝委員となつて、校長、P9労務担当に団体交渉開催を申し入れ、かつ、開催するよう積極的に交渉し、職場集会の届出を行い、集会の進行をしたり、また内部的には、情報宣伝の責任者として組合ニユースを発行し、組合員相互の連絡を図るなど、表面的にも内部的にも、組合活動の中心を担う職責を負つていた。副委員長は、渉外担当として、昭和五三年に始まつた香労委での不当労働行為審査について、審査活動の維持促進につとめてきた。また書記長とともに、学園との交渉にあたつてきた。 (二) 右諸活動に対する学園の対応すでに述ベたとおり、学園は職場内組合活動については、これを一切許さないという態度を貫いてきており、また団体交渉についても拒否を重ねるということを続けてきたのであるから、学園との交渉の矢面に立つ副委員長、書記長と学園との間の摩擦は相当のものがあり、ニユ を一切許さないという態度を貫いてきており、また団体交渉についても拒否を重ねるということを続けてきたのであるから、学園との交渉の矢面に立つ副委員長、書記長と学園との間の摩擦は相当のものがあり、ニユース配布を妨害するP9労務担当の行動を中止させるため抗議し、また職場集会を認めないという学園との間で交渉し、団交拒否をつづける学園にたびたび開催を申し入れ、抗議要請活動を行うなど、学園と組合との対立点がことごとく彼ら二人に集中したのである。学園のP1、P2に対する嫌悪はひとかどでないものがあり、過去において、P1、P2の組合活動を理由として、本件までに、P1には一二回、P2には一五回の懲戒処分が行われている。 (三) P2の年休に対する賃金カツト事件について昭和五六年一二月一七日、P2ら五名は、同日行われる高松地裁での弁論を傍聴するために年休を取得した。しかし、翌年一月一七日になつて、P2、P11二名について、年休は認めていなかつたにもかかわらず、無断で職場を離れたとして訓告処分を発令し、同月分の賃金より相当時間分の賃金をカツトした。この事件について、監督署では昭和五七年一二月六日、学園の年休時季変更権は行使されたとは言えないとして、学園に未払い賃金支払いの勧告を行い、また、昭和五九年一一月二八日、香労委からも、有給休暇の取得は有効に成立していたとして、訓告処分の撤回と未払い賃金の支払いを学園に命じている。この事件では、学園が「年休」というゴム印を押している出勤簿を改ざんしてまで処分を行い、賃金をカツトするということを行つており、P2に対する嫌悪感を露骨に表した事件であつた。 (四) また一時金について、学園が差別的支払いを行つているのはすでに述ベたとおりであるが、P1、P2については、一度として平均基準を上回つて支払われたことはなく、一支払 露骨に表した事件であつた。 (四) また一時金について、学園が差別的支払いを行つているのはすでに述ベたとおりであるが、P1、P2については、一度として平均基準を上回つて支払われたことはなく、一支払い期について数万円も基準額より差し引かれることも少なくなかつた。 (五) 以上のように、かねてから学園はP1、P2両名に対して、組合の中心的な活動家である由縁をもつて、その存在を嫌悪し、懲戒処分を乱発し、一時金の差別的支払いを行うなど不利益取り扱いを行い、ひいてはP1、P2を学園から排除しようと狙つたのである原決定後の昭和六〇年三月二九日、学園は両名に対して解雇するとの意思表示を行つたが、そのことが何よりも学園の真意の所在を明らかにしている。本件降職処分はそうした学園の意図から発したものであつて、不当労働行為であるから無効である。 6 本件降職処分は懲戒権の濫用であること(一) 本来、懲戒権の行使については使用者に委ねられているとはいえ、決して恣意的な行使を許すわけでなく、客観的に妥当なものでなければならないのは言うまでもないところであつて、特に懲戒処分中、懲戒解雇は従業員を企業外に排除する最も重い処分であるから、その違反行為が重大、かつ悪質なもので、違反者をそれ以下の軽い処分に付する余地を全く認めがたい場合に限つて許されるものである。 (二) 本件降職処分は右限界を逸脱したものであること高松校就業規則においても、学園の懲戒権についてはその定めるところである。 しかしながら、本件降職処分はすでに述べてきたとおり、P1、P2の行為によつて職場が混乱したり、教育活動が停滞するなどの事実が全くなく、むしろ、P1、P2の参加した生徒指導部を中心とした生徒指導により好ましい効果まで出ているのであるから、P1、P2の行為をもつて、右懲戒の範疇に属するとは り、教育活動が停滞するなどの事実が全くなく、むしろ、P1、P2の参加した生徒指導部を中心とした生徒指導により好ましい効果まで出ているのであるから、P1、P2の行為をもつて、右懲戒の範疇に属するとは、とうてい言えないというべきである。 P1、P2への処分は詳述したとおり、学園の不当労働行為の一環として行われたものであり、違法行為を為す目的で行われた処分であり、無効である。 三 P3に対する原決定の誤り原審においては、P3降職処分について、在学中の生徒に関わる問題から疎明をひかえていた点もあつたが、本件抗告では新事実を加えながら、原決定の誤りを指摘するものである。 原決定では、「NET・IN」七号(以下「本件部誌」という)についての内容をことさら曲解し、P3がそのなかで「秘密を漏洩し」、「学校を批判し」たことで、「その信用を傷つけた」と評価している。 ところが、P3はバドミントン部の指導を通じて倉田学園の建学の精神の実現に努めながら質の高い教育を行つてきており、「NET・IN」もその指導の一環として、継続発行されていたものである。 1 P3のバドミントン部部活動指導(一) 部活動の教育的意義さて学校教育における子どもたちへの生活指導は、教科指導が科学的系統的な知識や技術、芸術的能力、健康と運動能力などの教科外活動のなかで行動やこれと結びついた、ものの見方・考え方を指導することをとおして、子ども・青年に民主主義社会の主権者たるにふさわしい人格の基礎を形成するところにある。つまり、この教科外活動(特別教育活動)は、子どもたちに実生活のなかで人間的な成長を促がす作用として非常に重視されている。 大手前の建学の精神には「品位ある人格の陶冶と力の教育を伝統とし、知性・情操の両全をめざし、公共の福祉に貢献できる指導的社会人を育成する」とある 間的な成長を促がす作用として非常に重視されている。 大手前の建学の精神には「品位ある人格の陶冶と力の教育を伝統とし、知性・情操の両全をめざし、公共の福祉に貢献できる指導的社会人を育成する」とあるが、その実現には特別教育活動は重要な位置を占めているといわなければならない。とりわけ特別教育活動の少ない高松校においては、特別教育活動のうちで放課後の部活動(クラブ活動)が、子どもたちの人格形成や自立性の育成、自立的な集団生活の形成の面に多大な効果をあげてきた。 部活動については、「生徒の団体意識を高め、やがてそれが社会意識となり、より公民としての資質を養うことになる。また、秩序を維持し、責任を遂行し、自己の権利を主張し、いつそう進歩的な社会をつくる能力を養うこともできる」「目標としては、①健全な趣味や豊かな教養を養い、個性の伸長を図る②心身の健康を助長し、余暇を活用する態度を養う。③自主性を育てるとともに、集団生活において協力していく態度を養う」とこれまでの文部省学習指導要領では位置づけられており、大手前高松高校でも子どもたちが「共通の」興味・関心を追求することで自然に集団行動がとれるようになり、また自立的・自主的な態度や能力が身につくことで、教科学習の面にも効果をあげていた。 人間的なつながりという点でも、子どもたちのなかには、部活動の顧問教師との間に自由で許容的な人間関係をもち、部活動の内容をこえて個人的なことまでうちあけ相談をもちかけている例も多いし、そこには子どもへの生活指導への道も開かれている。 以上述ベたように、部活動は学校教育において、子どもにとつては主に人間形成、教師にとつては子どもたちへの生活指導として、教育現場においては必要欠くべからざる教育活動として位置づけられており、それは高校・大学入試の内申書評価や、各県の教 いて、子どもにとつては主に人間形成、教師にとつては子どもたちへの生活指導として、教育現場においては必要欠くべからざる教育活動として位置づけられており、それは高校・大学入試の内申書評価や、各県の教員採用試験で部活動の経験が重視されていることでも、明白である。 (二) P3のバドミントン部指導(1)P3は、大手前高松高校赴任以来バドミントン部の顧問として同僚のP12とともに、(一)でのべた趣旨に沿つて① バドミントンを絆として同じ集団の一員としての自覚をたかめる。 ② 集団生活を通じてお互いに認め合う。 ③ 社会的に必要とされる習慣・規律を身につける。 ④ 上級生がリーダー・シツプを発揮し、全員が積極的に自主的にクラブを運営する。 ⑤ 目標にむかつて技量をたかめ、積極性、判断力、集中力を養成すること。 等を念頭におき、子どもたちの全人格的な成長を願い指導してきたものである。 (2) 技術的な練習内容についても、P3自身が高松高校・広島大学(主将を経験)時代の部活動で会得したものや、昭和四九年東京で開催された教員養成系大学バドミントン部指導者講習会や、昭和五六年香川県バドミントン協会主催の指導者講習会で学んだ指導法を参考にしながら創意工夫をこらしていた。 また度胸や自信を子どもたちにうえつけるために、学校の了承をえて他校との練習試合を積極的に企画し、中学・高校とも総合体育大会や新人戦で、大手前の他の部ではみられないような輝かしい戦績(県大会準優勝など)をのこし、大会の参加やマスコミの報道を通じて、進学校の大手前においても全人格教育がなされているとの印象を地域に与えており、生徒募集にも少なからず寄与してきたところである。 (3) 一方、子どもたち自身も、大手前の代表として試合に出場することにより、愛校心や誇りをもつようになつた。P3は日常において を地域に与えており、生徒募集にも少なからず寄与してきたところである。 (3) 一方、子どもたち自身も、大手前の代表として試合に出場することにより、愛校心や誇りをもつようになつた。P3は日常においては子どもたち自身に練習ノートを毎日つけさせたり、P3が毎年二回程度発行していたバドミントン部通信「NET・IN」の原稿を書かせたり、ハイキングなどのレクレーシヨンを計画することによつて、子どもたちの部活動への参加意識を高めていつた。 (4) 他方、P3は、進学校としての高松校における部活動であるとの点についても十分配慮してきた。全般の活動は学校の方針内の活動であることはもちろん、部活動が子どもの学業に支障が無いようにすることや、試合のメンバーの決定についても単に技術的に優れている者を優先させるのではなく、練習への積極性を尺度にするなどP3の指導は、部活動の教育的本質を見失うものではなかつた。 父母にはバドミントン部通信「NET・IN」で子どもたちの活動の実態を理解してもらう一方、父母が最もきがかりな学習と部活動の両立については、子どもたちにミーテイングや個人指導を通じて、常に学習への心構えをといたり、教科の学習についてもできるだけアドバイスを与えてきた。また、一時的に成績が低下したり、部活動をすることが負担になつてきた子どもについては、一定期間休部をさせて学習意欲の向上をはからせるなど細かく配慮をしてきた。事実、バドミントン部の子どもたちの進学成積をみても、香川医科大、筑波大、高知大、愛媛大、早稲田大、立命館大、京都外大、松山商科大、東邦大など大手前高松校のなかでは上位から最上位の成績を収めており、バドミントン部の部活動が、進学校としての大手前での学習に何ら弊害を与えるものではなかつた。 (5)以上述べたように、P3と、同顧問であつたP12とが 松校のなかでは上位から最上位の成績を収めており、バドミントン部の部活動が、進学校としての大手前での学習に何ら弊害を与えるものではなかつた。 (5)以上述べたように、P3と、同顧問であつたP12とがてがけてきたバドミントン部の指導は、部員である子どもたちに様々な有形、無形の教育効果を与えてきた。これらのことは、顧問と子どもたちの人間的結びつきが強いことも含めて、バドミントン部通信「NET・IN」にしるされている子どもたちの気持ちが如実にそれを物語つている(6の(二)で詳述)。P3らはまさに、教育基本法の理念や大手前の建学の精神の実現に努めていたわけで、その指導は大手前の他の子どもたちや、同僚教師にも高く評価されていた。 2 P3と「NET・IN」問題「NET・IN」は、1の(二)で述べたように、子どもたちへの部活動への意識を高揚させてバドミントン部の活動を活発にし、学習や生活態度など学校生活全般にも好影響を与えること、子どもたちの部活動に対する熱意や、活動状況を父母に理解してもらい、協力をうることを目的として、P3がP12と共同で編集、発行してきたものである。 第一号…昭和五三年五月発行。五ページ第二号…昭和五三年九月発行。一〇ページ第三号…昭和五四年六月発行。一一ページ第四号…昭和五四年一〇月発行。一〇ページ第五号…昭和五五年六月発行。一六ページ第六号…昭和五六年三月発行。一三ページ第七号…昭和五六年七月発行。一四ページ以上七冊の「NET・IN」からは、P3やP12が1の(二)で主張した方針で子どもたちを指導していたことや、子どもたちがいずれも生き生きと、部活動や学校生活について述べていることから、バドミントン部が教育的に質の高い活動をしていたことがうかがえる。子どもたちは、「NET・IN」という他の部にはみられない部誌が ちがいずれも生き生きと、部活動や学校生活について述べていることから、バドミントン部が教育的に質の高い活動をしていたことがうかがえる。子どもたちは、「NET・IN」という他の部にはみられない部誌が発行されていることで、バドミントン部の活動に自信をもち、またそのことを通して学校における生活の自負にもつながつていつたし、顧問との人間的結びつきも強くなつていつた。 まさに右通信活動は、P3らの部活動指導方針の一環として、子どもたち個々の人格形成や学力の向上に大きく貢献しており、学内の教師、子どもたち、父母に高く評価されていた非常に有益性の高い教育活動であつた。「NET・IN」各号の構成は、どれも以下のようになつている。 まず冒頭に顧問(P12またはP3)が顧問の立場から「指導方針」「クラブ紹介」「子どもたちの活動状況」「子どもたちへのメツセージ」を書き、残りのページは主に子どもたちで分担して、「主将としての抱負」「戦績」「試合参加の反省・感想」「入部して」「高校バドミントン部生活をふりかえつて」などその折々のテーマを定めて原稿を書いている。 P3の降職処分事由となつている本件部誌についても、前六号と同様の構成になつており、とりたてて前号に異なる体裁をとつたものではない。つまり本件部誌も、従前の六冊の「NET・IN」同様、バドミントン部顧問の指導の一環として発行されているのである。 学園が本件で問題にしているP3執筆の記事は、昭和五七年度に部活動に関する学校の方針が変更されたため、そのことを伝えたり、ある女生徒が突然大会に参加できなくなつたことで、当人や他の部員たちがシヨツクをうけていたために励ましたり、父母の意見を求めるために書かれたものである(4の(三)(四)(五)で詳述)。 それを学園はことさらとりあげて、解雇に匹敵する降職処分を 、当人や他の部員たちがシヨツクをうけていたために励ましたり、父母の意見を求めるために書かれたものである(4の(三)(四)(五)で詳述)。 それを学園はことさらとりあげて、解雇に匹敵する降職処分を発令することは別の意図があつたとしか考えられず、原決定でも「NET・IN」に対する教育的評価や、P3の記事にあらわれた教育的意図を黙殺しているのは重大な誤りである。 3 本件部誌の発行は、就業規則第一四条第一二号違反にあたらないこと(一) 原決定の主旨原決定の「NET・IN」配布に対する判断は以下の通りである。 学校の認める正式の部活動を顧問として指導することが教諭の業務内の範囲であることと同様、右指導の一環として部誌(「NET・IN」)を発行することも業務の範囲内であり、大手前高松校の就業規則第一四条第一二号「書面による許可なく、当校内で業務外の掲示をし、若しくは図書又は印刷物の貼布をしないこと」でいわれる「書面による許可」は要しないものである。 しかし本件部誌については、他の目的に利用するために部誌に仮託したという視点から、P3が執筆部分で、業務上の秘密を漏洩し、かつ、学校の教育方針を公然と批判しているので、全体的にみれば業務文書とは認めがたいとしている。 (二) 本件部誌が業務文書にあたること2で述べたように、本件部誌の発行目的は、顧問の立場から指導上の意見を書いたことも含めて、従前に発行された六冊の「NET・IN」同様、教育効果を高めるために顧問の立場で執筆・編集・発行されたものである。 またP3の執筆内容についても後述(4の(三)(四)(五))するように、秘密の漏洩や、方針批判には該当しない。仮に学園が表現上いきすぎた部分があるとうけとつたにせよ、大手前高松校の六年制コースを根本から否定するために本件部誌を利用して悪宣伝をしよ (五))するように、秘密の漏洩や、方針批判には該当しない。仮に学園が表現上いきすぎた部分があるとうけとつたにせよ、大手前高松校の六年制コースを根本から否定するために本件部誌を利用して悪宣伝をしようとしたものであるとはとうてい認められず、P3の「NET・IN」発行による教育効果を勘案すれば、本件部誌も、全体的にみれば業務文書にあたる。 (三) 従来、教育活動を効果的たらしめるための印刷物の発行は、校長等の許可を要しなかつたこと従来、高松校では教育活動を効果的たらしめるための印刷物の発行は、教師の自主的、自発的な判断にゆだねられており、校長等の許可を要するものとされていなかつた。 P3は昭和五四年度より中学生、高校生を対象に教科通信「HISTORY」「WORLD・HISTORY」を自主的に発行していた。P7校長は昭和五五年三月よりP3が前記教科通信を発行していたことを知つていたが、昭和五八年一〇月二〇日までP3に校長の許可を求めるよう指示をしたことはなかつた。以上事実から、P3が降職処分をうけた昭和五七年三月三一日当時、教育活動を効果ならしめるための印刷物の発行は、校長等の許可を要するものとされていなかつたことは明白である。 以上(二)(三)で述べたように、P3が発行した本件部誌は業務文書で「書面による許可」は要しないもので、本件就業規則第六九条第七号の懲戒事由に該当しないというべきである。 4 学園の部活動方針とN子・P12問題(一) 学園の部活動方針と六年制コース(1) 学園の部活動方針高松校では、部活動の目的について、内規により、従来より、左記の如く定められている。 「前文・・・課外教育としての部活動については、生徒の学習面に支障のないよう、また事故の発生防止上以下の通り定める。 総則1・・・課外教育としての部活動は 、従来より、左記の如く定められている。 「前文・・・課外教育としての部活動については、生徒の学習面に支障のないよう、また事故の発生防止上以下の通り定める。 総則1・・・課外教育としての部活動は、生徒が自主的・自発的に活動を行い、社会性を養い、余暇を善用する態度を養つて、心身の健康を助長することをもつて目的としている」また部顧問については、「総則2・・・クラブには顧問教師を学校長が任命する。顧問教師の任命されていないクラブは認めない。 総則4・・・顧問教師はクラブ活動中の生徒の自主的活動を助長するとともに、心身の安全について万全の処置を行い、その活動が円滑に遂行されるよう適切な指導・監督にあたらねばならない。顧問教師はクラブ活動中はその現場に必ずいること。 附則7・・・職員会議、その他で顧問教師が現場に出られないときは、クラブ活動を中止、または停止させること。ただし、他の教師で監督にあたれる場合は、適切な指示をして、お願いしてもかまわない」この他、クラブ活動時間延長、対外試合・練習試合・対外活動、休日の練習などについて事前に校長に許可申請をすることなどが規定されている。 (2) 六年制コースにおける部活動の効果高松校において六年制コース(中学よりの入学者)は、「定員一五〇名」で、生徒を募集している。しかし入学者数は、例年五〇名に及ぶことはなく、定員に満たず、六年制コースの充実をはかるための方策が常々真剣に考えられていた。 昭和五四年一二月一一日、P7校長、中学校の担任・副担任、その他授業担当者などで、「六年制の充実を考える」をテーマに会議が催された。その席上、まず現状について、① 生徒募集が容易でない理由公立の制度が充実してから、高松校が六年制一貫教育を主張したこと。 親が本校を選択するのは、ほとんど高校に無試験 テーマに会議が催された。その席上、まず現状について、① 生徒募集が容易でない理由公立の制度が充実してから、高松校が六年制一貫教育を主張したこと。 親が本校を選択するのは、ほとんど高校に無試験で入学できるからで、大手前の教育方針に共鳴するのは少数であること。 ② 学力の問題点基準点以下の生徒がおちこぼれていき、上下の学力差ができること。 ③ 六年制生徒の欠点無気力で、甘えがあり、依頼心が強いこと。 六年間の中途で中だるみ傾向がある。 自己中心的で集団行動がとれず、井の中の蛙的存在である。 生活の基本的習慣が一般に乏しい。 ④ 制度上の問題点中学校校舎が独立していない。 視聴覚教材の充実がはかられるべき。 担任もちあがり制の是非。 高校時のカリキユラムが不明確で、三年制コースと同じになつている。 生徒募集の基準点を上げれば、生徒の粒は揃うが、人数は減少する。 などの分析がおこなわれた。 そして、これらの問題点を解消するために① 学力の開きについては、上位を伸ばしながら、下位者にも手をのべることにも留意する。 ② 六年制生徒の欠点を解消するためには、高一で学級編成をし直す。 対外的な学力だめしに参加する。 生徒同士教え合わせる。 躾かたを工夫する。 クラブ活動や生徒会活動を充実させる。 ③ その充実をはかるために、学級PTAを開き、教師の熱意や、生徒・父母の学ぶ姿勢をかみあわせる。 教師も授業の進め方を工夫し、成績に関係なくどの子にも会話をして、教師と生徒の信頼感を育てる。 勉学とスポーツを通じて、生徒が生活の時間配分を工夫し、頭をきりかえて勉学ができるような集中力を養成する。 ことなどが話し合われた。 この会議の主旨から明らかなように、六年制コースの生徒の実態をふまえれば、学習のための集中力や自主性、協調性を養つ し、頭をきりかえて勉学ができるような集中力を養成する。 ことなどが話し合われた。 この会議の主旨から明らかなように、六年制コースの生徒の実態をふまえれば、学習のための集中力や自主性、協調性を養つたり、基本的な生活習慣を身につけさせたり、集団訓練の場を提供していくうえで、部活動は重要な役割を担つており、ことに六年制コースの生徒には、不可欠の教育活動であるとの合意が行われた。 また六年制コースの子どもたちの父母も、部活動の意義については充分認識しており、子どもに積極的に部活動をするようすすめていた。 そのことは六年制コースの父母の一人であるP13氏が、昭和五五年から昭和五九年までのPTA会長在任中、入学式の都度その挨拶のなかで新入生や父母に対し、「私の息子も運動(野球またはテニス)をしているんだが、君たちも部活動は是非やりなさい。お父さん、お母さんたちもそのことをすすめて下さい」と発言していること、昭和五七年四月のPTA評議員会で、P7校長の部活動縮小方針に対し、再考するよう意見をのべた父母がほとんど六年制コースの父母であつたことにもあらわれている。 (3) 六年制コース生徒の大会参加について大手前高松校においては、子どもたちが部活動を続けていく期間について何ら制限はなかつたが、対外試合の参加については、六年制コース(中学よりの入学者‥全校生徒の約二割)の子どもは高校一年まで、三年制コース(高校よりの入学者‥全校生徒の約八割)の子どもについては高校二年まで、ただ大学入試の際体育学部を志望する場合には参加時期の延長をはかる、とされていた。 しかし、部活動のあり方、活動内容に関して、六年制コースと三年制コースの差異がとくに大会参加時期の制限のみに限定されていたので、六年制コースの生徒たちが三年制コースの生徒たちと同様の条件で大会に参加し かし、部活動のあり方、活動内容に関して、六年制コースと三年制コースの差異がとくに大会参加時期の制限のみに限定されていたので、六年制コースの生徒たちが三年制コースの生徒たちと同様の条件で大会に参加したがつており、(2)で述べたように六年制コースの生徒に部活動をさせることによつて様々な教育活動を効果的にすすめることができるようになることなどを考慮して、志望学部の中に体育学部を含ませるという処置を講じて、大手前では大会参加時期の延長を図つてきたのである。これまで、当該生徒、父母、部顧問、学級担任四者の了解があれば、学園は何ら異議を唱えることはなかつた。 昭和四六年には、六年制クラスの高校二年一組でテニス部に所属していたP14他一名が国体香川県予選に出場する際、体育学部志望のことにふれずに、顧問のP12が学級担任のP9教諭の同意を得たことだけで、当時のP15校長が出場を認めた例もある。 原決定では、六年制コースが学園の生徒募集の柱であつたので、部活動のあり方も六年制コースが特別かの如き扱われていたかのように認定しているが、大会参加についても以上述べたように教育的な配慮がなされていたのである。 (二) N子の協会杯大会参加問題の経緯について(1) 昭和五六年四月中旬、P3は同月二六日(日曜日)の高校生を参加対象として香川県バドミントン協会杯大会に八名の部員を出場させるため、当該生徒の父母とP5教頭の了解をえて、香川県バドミントン協会に参加を申し込んだ。そのうち六年制コースの生徒は二名であり、かつ、高校二年一組の女子二名(うち一名がN子)については、体育学部にも受験の意志があるということで、P5教頭と学級担任であるP16教諭の事前の出場の承諾を得ていた。 学園への正式の出場許可申請は、同月一八日に行い、その際に体育学部志望生徒の親の「体育学部 育学部にも受験の意志があるということで、P5教頭と学級担任であるP16教諭の事前の出場の承諾を得ていた。 学園への正式の出場許可申請は、同月一八日に行い、その際に体育学部志望生徒の親の「体育学部志望を理由とした大会参加への同意書」を添付した。 (2) 従来、教頭への了解をえていれば、校長が異議をはさんで生徒の試合出場をとり消すことはなかつたが、大会前日の同月二五日になつてP7校長より「二名のうちN子については、親が医者であり、体育学部志望とは認めない」ので不許可にする旨の連絡があつた。同日P3は「今回は試合が明日にせまつているので、教育的配慮から明日の大会には出場させてほしい」旨校長に申し入れたが、いれられなかつた。 そこでP3は校長の方針をN子に伝えたが、N子は大会出場を断念しきれずすぐに自宅に連絡をとつた。N子の叔母が、改めて親が書いた「第一志望が東京女子医大、第二志望が東京女子体育大学で、第一志望が駄目であれば、体育学部に行かせる」との承諾書をもつて学校に駆けつけた。 N子の叔母はN子とともに翌日の大会に出場できるようP7校長に許可を求めたが、P7校長は、どうしても出場したいなら学校を変わりなさいと言わんばかりで、「体育学部と言つておきながら、あとになつてそうでないと言つても、内申書は書かないよ」と強い調子でN子にせまつた。N子は結局大会出場を断念したが、強いシヨツクをうけ顔を泣きはらしていた。 P3は、N子の気持ちをやわらげようと、校長室から出てきたN子に、「これに挫けることなく、今後も勉強にクラブに学校生活を前向きにとりくんでいこう。明日は出場できなくて辛いかもしれないが、みんなの応援には行こう」と励ました。結局N子は協会杯大会には出場せず、応援だけに行つた。 (3) N子はその後も大会には出場できなかつたが、同学年の他の う。明日は出場できなくて辛いかもしれないが、みんなの応援には行こう」と励ました。結局N子は協会杯大会には出場せず、応援だけに行つた。 (3) N子はその後も大会には出場できなかつたが、同学年の他の三年制コースの生徒と同様、高校二年生終了時までバドミントン部での部活動を続けた。 (4) 原決定では、昭和五六年四月二五日のP7校長の指導、説得により、結果的にN子は同大会に出場できなかつたことについて十分納得していたかのように事実を認定している。 しかし事実は右の通りであつて、それまで体育学部を併願するならば、大会出場時期の延長は認められていたこと、また同日の自分へのP7校長の指導の仕方が非常に乱暴で一方的であつたことから、N子は校長の指導を理解、納得しているものではなかつた。 その後も、昭和五六年一〇月一四日(日曜)の高校生の新人大会に参加する同級生の応援に行こうとしたN子を、P3が大会出場者とともに引率しようとP7校長に許可を求めたところ、「N子は応援には行つてはいけない」と認められなかつたこともあり、N子はP7校長への不信をつのらしていつた。 (三) P3が「NET・IN」のなかでP7校長のN子への指導を記載したことは、業務上の秘密漏洩にあたらないこと(1) P7校長のN子への指導は、業務上の秘密にあたらないこと原決定では、P7校長がN子に対して行つた個人指導(以下「本指導」という)の内容は、大会参加に関する学校の方針とも関連する極めて微妙な問題を含んでおり、生徒個人のプライバシーの問題もあるので、その内容の是非はともかくとして、本来こういう形で一般に公表すべき事柄ではなく、業務上の秘密に属すると認定している。 しかし、大会参加に関する学校の方針に関するものであれば公にされてしかるべきであるし、個人指導の内容が公表されることで、 いう形で一般に公表すべき事柄ではなく、業務上の秘密に属すると認定している。 しかし、大会参加に関する学校の方針に関するものであれば公にされてしかるべきであるし、個人指導の内容が公表されることで、生徒個人のプライバシーがどう侵害されたのか全く疎明されておらず、業務上の秘密とした原決定は、説得力に欠けるものである。 学園は原審において、本指導は公表されるべきでないことの根拠として、その指導がカウンセリング的な個人指導であつたからだと主張している。 しかし、カウンセリング的な指導とは、教育現場では悩みや問題をもつ子どもに対し、子ども自身が自分の胸の内を明らかにし、その問題をのりこえられるよう教師が柔軟性をもつて指導していくことで、教師が何よりもその子どもに理解を示し、お互いの信頼関係の上に行われることが大切とされている。されば、本件でP7校長が「体育学部と言つておきながら、その後になつてそうでないと言つても、内申書は書かないよ」とN子に強い調子でせまつたことは、とうていカウンセリングを行う方法とは言えず、むしろ学校の方針を明らかにしたと受けとつて、当然の対応であつたと言える。 そもそも子どもへの教育は、教師と子どもとの間の直接の人格的な接触を通じ、子どもの個性に応じて弾力的に行わなければならない(昭和五一年五月二一日最高裁学テ判決)ものであり、P7校長がN子に一方的に厳しい調子で接して、校長の結論を押しつけ、翌日の大会参加をあきらめさせたのは、教育的カウンセリングに属するとみなすことはできない。 次にこの指導が本件部誌に公表されたことで、N子自身のプライバシーが侵害されたか否かについて検討するが、N子は、本指導が明らかにされ、問題が解決されることをむしろ望むという態度であつたと評価する方が適切であろう。そのことは、N子自ら本指導を複 自身のプライバシーが侵害されたか否かについて検討するが、N子は、本指導が明らかにされ、問題が解決されることをむしろ望むという態度であつたと評価する方が適切であろう。そのことは、N子自ら本指導を複数名の教師に相談し、バドミントン部をはじめとする友人に話していたことからうかがえることであつて、N子にとつてもプライバシーに属することではなかつた。事実、P3が本件部誌で本指導を公表した後、P3はN子から公表したことで抗議をうけたことはない。仮にN子がP3に抗議をしなくても、自分自身のプライバシーが侵害されたと感ずれば、以後N子のP3への信頼関係は失われる筈であるが、N子が大手前卒業後、高校生活を回顧して部活動のおかげで充実した学校生活をおくれたことで、P3に感謝の念を抱いていると、P3への手紙で申しのべている。このことからN子のP3への信頼感は強い形で存在しており、むしろこの事件を通して、N子のP3に対する信頼はいつそう強まつたというべきである。 また、本件部誌でP3が本指導をバドミントン部の部員や、その父母に公表したのは、事件が起こつて二か月以上も経過した後である。その間本指導は、N子などの口からバドミントン部関係者に広く知れわたつており、P3が本件部誌によつて、秘密とされていたものを突如公表したという性格のものではない。 (2) P3は、P7校長の方針変更を周知するために、P7校長のN子への指導を本件部誌で記載したこと4の(一)でのべたように、六年制コースの大会参加問題については、六年制コースの生徒が三年制コースの生徒と同様の条件で大会に出場したがつていたこと、六年制コースの生徒に部活動をさせることが様々な教育効果をうむことから、志望学部の中に体育学部を含むという形で、従来大会参加時期の延長は認められていた。 ところがP7校長は突然 たがつていたこと、六年制コースの生徒に部活動をさせることが様々な教育効果をうむことから、志望学部の中に体育学部を含むという形で、従来大会参加時期の延長は認められていた。 ところがP7校長は突然N子をきつかけとして、体育学部志望は専願でなければならないこと、また体育学部志望で大会に参加しても、後日他学部へ志望変更した場合は、内申書は書かないと従来の方針を変更してきたわけである。右の如く学園の方針変更があつた以上、それは学内の子どもや父母に周知されるべきもので、P3は事実の誤認がおこらないように、本件の事実の経緯と、方針の変更内容を正確に記述して、大会参加時期が延長されるためには、体育学部専願でなければならないこと、また体育学部から他学部への志望変更は認められないことがあるので、体育学部志望は慎重に決定してほしい旨を伝えたものである。 以上(1)(2)で述べたように、P3はP7校長の方針変更をバドミントン部の子どもや父母に周知するために、本件部誌に本指導の内容を、記載したものである。この指導内容はN子のプライバシーを侵害する目的で書かれたものでないことはもちろん、かつ本件部誌発行前よりバドミントン部関係者には広く知れわたつていたものであるところから、業務上の秘密に属しているべきだとは言えず、秘密漏洩とした原決定の判断は誤つている。 仮に本指導が秘密に保たれるべきものであるなら、P7校長は本指導の内容と他に口外しない旨を部顧問であるP3に当然伝えなければならないわけで、そうする努力を怠つておきながら、本指導内容を漏らしたとして、一方的にP3を責めることはできないというのが理である。 またP7校長が「内申書を書かない」と言つたことが仮に本意から出たものでないにしても、P7校長は常々教師に「私の言うことは全て業務命令です」「私の方針が、 めることはできないというのが理である。 またP7校長が「内申書を書かない」と言つたことが仮に本意から出たものでないにしても、P7校長は常々教師に「私の言うことは全て業務命令です」「私の方針が、学校方針である」と公言していたことや、大手前高松校のあらゆる校務で、P7校長の方針が上意下達式に実施されていたことを考慮すれば、P3がこの校長発言を学校方針ととらえたとしても無理からぬことである。 (四) 本件部誌の内容は、学校の方針を公然と批判したものではないこと(1) 「顧問として出してやりたい」と書いたことについてまずP3が「顧問として出してやりたい」と書いた記事は、従来ならN子も許可されていたという前提のうえで、大会の前日にN子が突然出場できなくなつて本人も含めてシヨツクをうけていたバドミントン部の子どもたちに対し、励ます意味で書いたP3の指導上の意見である。 (一)の(3)で述べたように、六年制コースの子どもたちは、部活動の練習が三年制コースの子どもたちと同様にできるなら、大会についても同様の条件で出場したいと強く願つていた。また、教育課程、学習内容、進度についても六年制コースと三年制コースの差異はほとんどみられず、高校課程に進級してからは、三年制コースの子どもたちと同様に扱われているので、なおさらであつた。 六年制コースの生徒であるN子が、大会の前日に参加できなくなつた経緯は(二)で述べたが、大会を目標に苦楽をともにしてきたN子の落胆ぶりを他の部員たちは痛々しく感じており、顧問としてのP3がいかなる心情でこの事件をとらえているのか、強い関心をもつてP3を眺めていた。 そこでP3は本件部誌のなかで、顧問としては出場させてやりたいという率直な気持ちをあらわすことによつて、沈みがちな子どもたちを励まして、部活動や学校生活に再び意欲的 関心をもつてP3を眺めていた。 そこでP3は本件部誌のなかで、顧問としては出場させてやりたいという率直な気持ちをあらわすことによつて、沈みがちな子どもたちを励まして、部活動や学校生活に再び意欲的にとりくませようと意図したものであつて、右意見は顧問としての教育的配慮にもとづく指導上の意見であつた。 とくにN子については、本事件後もP3は暖かくつつみこみながら指導を続け、本人も他の三年制コースの子どもたちと同様高校二年末までバドミントン部の部活動を続け、現役での大学合格を実現したのであつた。N子は大学でも中学時代県大会ベスト四の実力をいかんなく発揮し、バドミントン部で活躍しており、高校時代P3との関係において培われた競技への愛着を現在も抱き続けているのであり、高校生活を回顧して部活動のおかげで充実したものとなつたとのべているのは、(三)の(1)で明らかにした。 N子にとつては、P3が同冊子で率直な気持ちをあらわしたり、部活動を通じてのN子への指導や励ましが今日も生きつづけているのであり、生徒ひとりの成長を助けるか疎外するかという岐路に立つて、P3の行つた選択は、N子に教師に対する信頼を植えつけ、学校生活に対する熱意をよびもどしたのであるから、同冊子を発行したP3の教育活動は高く評価することこそあれ、学校の方針批判と断定した原決定は誤りというほかない。 (2)「六年制コースのメリツト? デメリツト?」「お父さん、お母さんたちはどう思われますか」と書いたことについて「六年制コースのメリツト? デメリツト?」「お父さん、お母さんたちはどう思われますか」の記載についても、学園が社会的にその教育内容で信頼を高めていくために、P3が子どもや父母の意見を入れて、充実したものにしようとする積極的な姿勢を示したものであり、つまり、P3は標題に「六年制 すか」の記載についても、学園が社会的にその教育内容で信頼を高めていくために、P3が子どもや父母の意見を入れて、充実したものにしようとする積極的な姿勢を示したものであり、つまり、P3は標題に「六年制のメリツト? デメリツト?」という表現を用い、父母の注意を喚起し、この大会参加問題について、「お父さん、お母さんたちはどう思われますか」と最後を結ぶことによつて、どうすれば六年制コースの長所をいかして教育的効果をたかめていくことができるのか、ここで父母に問うたわけである。 P3のかかる姿勢こそ、大手前の建学の精神の実現のために子どもや父母の意見を日常の教育活動にいかそうとするもので、社会に支持され、信頼される学校づくりの観点から評価されてしかるべきである。 P3は、教師が全体の奉仕者であること(教育基本法第一条)をふまえ、私立学校が健全に発達するよう(私立学校法第一条)との願いで書いたもので、P3の教育的配慮を黙殺し、学校の方針批判と断定した原決定は誤つている。 学園は、原審でP3の意見なるものは、六年制コースにはメリツトはなく、むしろ三年制コースにおとるというもので、公然と学校方針を批判・中傷し、学校の信用を傷つけ、その業務を妨害するものであると主張し、原決定も同様の判断を示している。 しかしP3は、自身が六年制コースの私立進学校(愛知県滝中学校)に在学した経験があり、とくに高松校のなかでも六年制コースの子どもたちへの愛着は一層強く、六年制コースの教育には力を注いできた。授業は、赴任時の昭和五一年度より昭和五五年度まで、中学校の「歴史」を担当した他、高校課程でも六年制クラスの「世界史」も担当してきており、そのなかで生まれた教科通信「HISTORY」「WORLDHISTORY」を中心に充実した授業づくりに意欲的にとりくんできた。P3は た他、高校課程でも六年制クラスの「世界史」も担当してきており、そのなかで生まれた教科通信「HISTORY」「WORLDHISTORY」を中心に充実した授業づくりに意欲的にとりくんできた。P3は、教室は無論のことあらゆる教育の場で何よりも人間的なふれあいを重視して子どもたちに接触していたので、多くの子どもたちに慕われており、休み時間には、とくに六年制コースの子どもたちが職員室のP3の机に子どもたちがよく集まつていた。学園もこの点は十分に承知しており、昭和五四年度、昭和五五年度には、P3を中学校二年生の副担任に命じている。P3も副担任として子どもたちの悩みの相談に応じたり、クラスマツチにむけて子どもたちと一緒にソフトボールやバレーボール、バスケツトボールの早朝練習をするなど子どもの期待に応える活動を続けた。また、部員の大半が六年制コースの子どもであつたバドミントン部の顧問としての指導にも、1の(二)でのべたように積極的にとりくんできた。とくに六年制コースの女子生徒については、ほとんど全員がバドミントン部に入部するという伝統もあり、バドミントン部と六年制コースの結びつきは強いものがあつた。 以上のべたように、P3が六年制コースのなかで重要な役割をつとめ、かつ、大手前の教育活動のなかでも、とりわけ六年制コースの子どもたちへの教育に力点をおいていたことは明らかで、それだけにP3に六年制コースを誹謗・中傷する意思があつたとは考えられない。本件部誌のなかの大会参加問題で、「顧問として出してやりたい」と書いたのは、(1)で述べたように、その大会参加問題のみに限定して、六年制コースを三年制コースと同様に扱つてほしいとP3が書いたものであり、それは学園における教育の質の向上の願いからでたもので、別に虚偽の事実を前提としたり、学校の運営について建設的な に限定して、六年制コースを三年制コースと同様に扱つてほしいとP3が書いたものであり、それは学園における教育の質の向上の願いからでたもので、別に虚偽の事実を前提としたり、学校の運営について建設的な視点をかくものとは思えない。このような事実から、P3が六年制コースそのものがメリツトはなく、三年制よりおとると本件部誌に書くとはとうてい考えられず、P3の記事が学園を誹謗・中傷とした原決定は誤りである。 (3) 「P12先生、早くもどつてきてください」と書いたことと、P12の住所、氏名を住所録に記載したことについてP3が大手前丸亀校へ転任したP12の住所、氏名を本件部誌のなかの住所録に記載したことや、P12に早く高松校にもどつてクラブを指導してほしいという子どもたちや父母の願いを書いたことは、学校という教育現場では、右の如く強い教師と子どもの絆がある点で、積極的に評価されるものだが、逆にあたかも顧問かのように扱つており、そのことは学園の人事批判につながつているとした原決定は、全く理解しがたいもので、重大な誤りがある。 P12は、大手前高松校で一〇年以上にもわたつてバドミントン部を指導しており、P12とバドミントン部員との間は強い絆で結ばれていた。そのことは、P12が丸亀校へ転任した昭和五六年春に、子どもたちが色紙や記念品を贈つていることや、P12が転任後も高松校の子どもたちの試合の応援にかけつけてくれた際、子どもたちが喜んでいたことからもうかがえる。 P3は、以上のべたP12のバドミントン部部活動に果たした役割や、転任後の子どもたちとの結びつきを考慮して、住所録にP12の氏名、住所を記載したのである。 なおP12がバドミントン部顧問でないことは、本件部誌三ページ左下で、「P12先生は四月より丸亀へ転任」とP3は明示している。 次に原決定で 考慮して、住所録にP12の氏名、住所を記載したのである。 なおP12がバドミントン部顧問でないことは、本件部誌三ページ左下で、「P12先生は四月より丸亀へ転任」とP3は明示している。 次に原決定では、「P12先生、早くもどつてきて下さい」の文言について、生徒らの気持ちを表現したものと認めるに足りる疎明はないとしているが、前述のP12に贈られた色紙の中に、「早くもどつてきてください」とした記述があることから、これが生徒の意思であつたことは明らかである。 またP12は、丸亀校転任を言いわたされた際にP7校長から「丸亀へ行つて、そのいいところを知り、高松に反映させて下さい」と言われており、この丸亀校への転任が高松校への帰任を前提とされていた事実があり、学園の方針と矛盾するものではない。 以上をとらえて、P3が学園の人事政策を批判したとする原決定は、当然起こりうるであろう子どもたちの気持ちを全く考慮せずに判断をなしたるものであり、子どもたちの気持ちを視点から全く欠落させている。これは本件降職処分の判断全般に共通するものである。 以上(1)(2)(3)でのべたように、本件部誌の内容は、学校の方針を公然と批判したものではない。学園は、上記(1)(2)(3)の他に学校の方針批判の記述箇所として、P7校長が年度途中にもかかわらず練習時間などのクラブの方針を変更したことや、バドミントン部の勉強合宿を禁止したという事実に基づくP3の記載をとりあげ、読者にP7校長が悪いことをしているような印象を与えたとしている。これらも学校に対する方針批判でないことは明らかだが、このように事実を記載するだけでそれを処分事由として歪曲する学園の姿勢に、本件降職処分の不当性が存在しているというべきである。 (五) 本件部誌の記事が、対外的に学校の信用を傷つけ、生徒募集に大き 、このように事実を記載するだけでそれを処分事由として歪曲する学園の姿勢に、本件降職処分の不当性が存在しているというべきである。 (五) 本件部誌の記事が、対外的に学校の信用を傷つけ、生徒募集に大きな影響を与えた事実はなかつたことについて原決定では、P3が大手前高松校の教諭並びに部顧問という立場で、本件部誌の記事を書いたことで、対外的な学園の信用を傷つけたとしている。 また学園は、原審でさらにその結果、六年制コースの生徒募集にも大きな影影を与えたと主張している。しかし、P3の本件部誌の記事が対外的にいかなる印象を与えたか、またそのことがいかなる形で生徒募集に悪影響を与えたのか具体的な疎明は全くなされていない。 仮に、昭和五六年七月発行の本件部誌のなかで学園が方針批判とうけとめた記述があつたにせよ、バドミントン部関係者だけに配布された本件部誌の内容が、香川県民や中学校、小学校関係者に伝わるものでなく、大手前の生徒募集に悪影響を与えうるはずもなかつた。また仮に、バドミントン部の父母が本件部誌をみて、六年制コースの大会出場問題についてのP3の意見に同調したとしても、父母は総合的に六年制コースを評価しているのであるからこそ子どもたちを入学させたのであつて、何ら生徒募集に支障がおこるものではない。 六年制コースについては、数年来、毎年二〇名以下の入学者しかなく、生徒減の傾向がみられるが、それは昭和五六年四月より、P7校長が入試の合格基準点をひきあげて中学入学試験の合格発表をしたこと、また翌年より女子の募集を停止したことに起因する。同冊子発行の昭和五六年七月以前である同年四月の六年制コースの入学者は、すでに一四名にまで落ち込んでいたのであり、この点からも生徒減と同冊子のなかの記事と無関係なことは明白である。 現にP3発行の本件部誌が学校の信 六年七月以前である同年四月の六年制コースの入学者は、すでに一四名にまで落ち込んでいたのであり、この点からも生徒減と同冊子のなかの記事と無関係なことは明白である。 現にP3発行の本件部誌が学校の信用を傷つけ、生徒募集に影響を与えたという話が当時学園内でなされた事実はない。逆に大手前高松校では部活動を縮小させる方向ではなく、逆にP3が考えていたように部活動を積極的にやらせることが生徒募集にも好影響を与えるとの共通認識が生まれていた。以下具体例を述べる。 (1) 昭和五八年一一月、高校募集のための中学校関係者への大手前の入学説明会である中高連絡会が開催されたとき、会議前のP17事務長が、P18事務員、P8生徒指導主事との雑談のなかで、「やはり、今外にいる先生(組合の解雇者、降職処分者)を学校にもどして、クラブなどを活発にせんと、高松校の生徒募集もうまくいかんなあ」と発言した。 (2) 昭和五九年三月渉外主任(生徒募集主任)であるP19教諭(組合未加入者)が、学年末考査中に開かれた高松校の全教諭が出席する現職教育の会議の席上で、「大手前では、クラブ活動が活発でないこと、授業時間が七校時であること、夏休みが少ないことが生徒募集の際の支障になつている」と発言した。 以上述べたように、ここ数年来の六年制コースの生徒減は、P7校長の入試合格基準点のひきあげや女子生徒の募集停止がその原因であり、それを生徒の全人格的な成長を願つたP3の熱心な部活動の所産である本件部誌に学園が責任転嫁しているのは、この処分がまさに「ためにする以外」何ものでもないことを示している。 5 本件降職処分の不当労働行為性について(一) 昭和五六年二月P5メモ発見後から、本件降職処分までの学園の不当労働行為学園は大手前高松高校教職員組合の正当な組合活動に目をつけて、数々の不当労 5 本件降職処分の不当労働行為性について(一) 昭和五六年二月P5メモ発見後から、本件降職処分までの学園の不当労働行為学園は大手前高松高校教職員組合の正当な組合活動に目をつけて、数々の不当労働行為をくり返してきたが、その不当労働行為もP7校長赴任時代からエスカレートし、とくにP5メモ発見後の昭和五六年二月から、メモに記された施策に従つて、組合員に対する不当処分、不利益取り扱いがなされてきた。 昭和五六年三月に、翌年度主任予定者のP8、P20組合員への脱退強要がP7校長からなされ、年度末人事では、P12、P21、P22組合員が丸亀校へ配転させられた他、P24委員長が生徒減を理由に一年間の休職処分、P25組合員が常勤的非常勤講師から非常勤待遇にきりさげられるなど年度末人事に名をかりた学園の組合弾圧があつた。 また八月に入つてもP26、P6組合員が担当クラスの塩江山の家合宿の引率が不許可になつた他、P1、P2組合員が登校指導の件で五日間の出勤停止処分をうけたり、P26組合員がP27理事長から脱退強要をうけるなど学園の組合員への不当労働行為はやまず、九月になつてP3が本件部誌の件でP7校長から呼び出しをうけたことも、その一環であつた。 そして翌昭和五七年三月末日には、学園はP24委員長を休職から非常勤講師へ、P25執行委員を非常勤講師から解雇へ、P1書記長、P2執行委員、P6執行委員ならびにP3を教諭から非常勤講師に降職し、組合活動家を処分することにより、組合潰滅を一気にもくろんできたのである。 (二) P3の組合活動歴P3は昭和五二年九月の組合結成以来、本件降職処分をうけるまで、財政部、書記局、教研部、情宣部の仕事をしてきた。 財政部では昭和五三年度の組合会計、書記局では昭和五三年度の組合ニュースの執筆、編集、印刷を担当、教研 月の組合結成以来、本件降職処分をうけるまで、財政部、書記局、教研部、情宣部の仕事をしてきた。 財政部では昭和五三年度の組合会計、書記局では昭和五三年度の組合ニュースの執筆、編集、印刷を担当、教研部では年二回の教研合宿の司会、情宣部では、昭和五六年六月二六日から昭和五八年八月まで発行した組合教育通信「わだち」全二二冊の執筆、編集、印刷を担当した。また昭和五五年四月よりは、組合活動の写真記録係を今日にいたるまで続けている。以上の専門部の仕事の他にも、職場集会、団交要請、解雇者の就労闘争の支援、学外の教育研究集会にも必ず参加し、若手組合員(P3は組合員の内では二番目に若い年齢)の活動家として組合内はもちろん、学園にも認識されていた。 活動家であるP3が、執行委員に選任されたのは昭和五六年九月からで、組合結成後四年が経過している。時期的には遅かつたが、それはP3が昭和五三年一〇月より十二指腸潰瘍を悪化させて三か月間欠勤したことで、異常な組合弾圧が続けられているなかで、執行委員に選出されると、再び健康をそこねかねないとの配慮がなされていたからである。 なお、P3は昭和五八年九月の第七回定期大会で書記長に選任され現在にいたり、組合の要として重要な役割を果たしている。 (三) 学園がP3の組合活動を注視した理由学園は、学内の組合活動は原則的に認めない姿勢をもつていたが、それゆえ積極的に組合活動をする活動家については、その活動に必要以上に注視し、不当な扱いや処分をおこなつてきた。 P3の場合、学園がP3のどのような活動を注視してきたか以下述べる。 (1) 写真記録係としての仕事組合は結成当初、学内の活動について写真による記録は行つていなかつた。ところが昭和五四年四月にP7校長が赴任してから以後同年四月に組合がひらいた職場集会より、その様子を ) 写真記録係としての仕事組合は結成当初、学内の活動について写真による記録は行つていなかつた。ところが昭和五四年四月にP7校長が赴任してから以後同年四月に組合がひらいた職場集会より、その様子をP7校長とP9労務担当がカメラで撮影し始め不当な警告処分を乱発するにいたつたので、組合としても対抗上活動実態を正確に記録する必要性が生じ、昭和五五年四月より、P3が写真記録係の仕事を担当することになつた。 これまでP3は、様々な学園による組合活動への不当な妨害を撮影してきた。具体的にはP9労務担当による職場集会の妨害、組合ニユース回収、校外で登校時の生徒に教育通信「凱風」を配布していたP28組合員への暴力事件(昭和五五年八月二九日)、P7校長とP9労務担当両者による組合掲示板からの掲示物撤去などで、これら写真の総数は八〇〇枚以上にも及んでいる。 これらの写真は、裁判所や地方労働委員会の証拠として採用されたり、組合の情宣ビラに活用するなど、学園の不当労働行為を明らかにするのに役立つてきた。 学園にすれば、これらの写真によつて自らの不当労働行為を社会的に明らかにされれば、不利な状況に追いこまれることになるだけに、P3の写真記録係としての仕事に注視し(四)で述べるような不当な取り扱いを行つてきたものである。なお写真撮影そのものについても、P3は昭和五五年一一月、昭和五七年五月の二度にわたりP9労務担当から肩をわしづかみにされるなど写真撮影を妨害されている。 (2) P28の教育通信「凱風」への支援活動P28は昭和五五年三月末に不当に解雇されて以来、大手前高松高校に登校してくる生徒に毎朝教育通信「凱風」を配布している(昭和六〇年六月二〇日現在一二六〇号を発行)。その通信の記事は、試験前の学習の進め方、HR・生徒会づくり、国語学習講座、クラブ活動など 松高校に登校してくる生徒に毎朝教育通信「凱風」を配布している(昭和六〇年六月二〇日現在一二六〇号を発行)。その通信の記事は、試験前の学習の進め方、HR・生徒会づくり、国語学習講座、クラブ活動など生徒の学校生活に密着したものや、新聞をにぎわしている社会問題などをテーマに書かれている。P28は毎朝八時一〇分から八時四〇分までの時間帯で「凱風」を生徒に配布しているが、学内の組合員は八時一〇分から八時二〇分までの間に「凱風」の配布場所に立ち、P28と話をしたり、生徒と朝の挨拶をかわしている。 学園は、この「凱風」配布について、P9労務担当がP28の配布を暴力をふるつて妨害したり、支援組合員の写真を撮つたりするなど牽制している他、P28を「凱風」配布場所にきて激励する組合員の氏名を毎日記録しており、連日支援行動に参加してP3に注視し、(四)で述べるような不当な扱いをしてきた。 なお、連日「凱風」支援に参加している一一名の組合員は、全員左記の如く不当な取り扱いをうけている。 ① P1組合員… 昭和五六年四月登校指導に立つよう言われる。翌年三月に降職処分。昭和六〇年三月に解雇。 ② P2組合員… 同右。 ③ P3組合員… 昭和五七年三月に本件降職処分。昭和六〇年三月末に解雇。 ④ P29組合員… 一時金のマイナス査定が組合員ではトツプ・クラス。 ⑤ P30組合員… 昭和五七年度登校指導。 ⑥ P31組合員… 昭和五七年度、昭和六〇年度登校指導。 ⑦ P26組合員… 昭和五七年度、昭和五九年度登校指導。 ⑧ P11組合員… 昭和五八年度、昭和六〇年度登校指導。 ⑨ P32組合員… 昭和五八年度登校指導。 ⑩ P33組合員… 昭和五八年度、昭和六〇年度登校指導。 ⑪ P34組合員… 昭和五九年度登校指導。 学園が組合員ばかりを登校指導に立つよう言つてきたことの不 P32組合員… 昭和五八年度登校指導。 ⑩ P33組合員… 昭和五八年度、昭和六〇年度登校指導。 ⑪ P34組合員… 昭和五九年度登校指導。 学園が組合員ばかりを登校指導に立つよう言つてきたことの不当性は、二で述ベたが、昭和五七年度から現在にいたる四年間のベ一二名のうち、一名(組合員)を除いては右にあげた「凱風」の支援者ばかりで、そのことは学園がいかに「凱風」の支援者に注視していたかを物語つている。 (3) 団交時の待機行動や学園への申し入れ行動に積極的であつたこと団体交渉は通常放課後、会議室で二時間程度開かれていた。執行部が団体交渉に出席する場合は、一般組合員は一九時三〇分ごろまで、小会議室や職員室に待機し、随時中途報告をうけていた。 団交終了後、一般組合員は執行部とともに帰宅するが、P9労務担当は常に一号館二階ロビーで待機して、待機していた組合員の氏名を記録していた。団交の時間が長くなると、家庭の都合でやむをえず帰宅する組合員もいたが、P3は常に団交の報告が行われる最後までのこり、団交終了後の執行部と行動をともにしていたことで、学園から注視されていたものである。 また学園が団交拒否や、組合員に対し不当な取り扱いをしてきたときは、組合は昼休みの休憩時間や就業時間外を利用して全員で学園に即時やめるよう申し入れてきたが、その場合にもP3は前面に立つことが多く、このことも同様に注視され、(四)で述ベるような不当な扱いをうけたものである。 (4) 組合教育通信「わだち」の発行を主宰していたこと組合員教育通信「わだち」は、昭和五六年九月より、学内、学外の教育問題についての組合員の意見発表、教育雑誌の論文紹介、各種教育集会の報告の場として発行されていた。P3は他の組合員や自分の原稿を編集、清書して印刷する立場にあり、そのことは「わだち」の文 学外の教育問題についての組合員の意見発表、教育雑誌の論文紹介、各種教育集会の報告の場として発行されていた。P3は他の組合員や自分の原稿を編集、清書して印刷する立場にあり、そのことは「わだち」の文章の筆跡により、学園は十分承知していたものである。 全二二冊の具体的なテーマは第一号…「大手前に低学力問題はないのか」第二号…「大手前教育を担う一員として」第三号…「登校拒否の子をもつ親の会とともに」「教師にとつて責任とは」第四号…「今の子どもたちー香川民研調査よりー」「学校を生徒の活動の場に」第五号…「教職員に勤務について」第六号…「第二回中四私研報告」第七号…「平和教育について」第八号…「三五点未満者組替え制度を考えよう」第九号…「ぼろぼろな駝鳥」第一〇号…「私が先生になつたとき」第一一号…「卒業生の君に」第一二号…「あの日八月一五日」第一三号…「鳴子全私研特集」第一四号…「生活指導を考える」第一五号…「私立学校法第一条をめぐつて」第一六号…「いま、鳴いておかなければ」第一七号…「いま、教師たちに求められるのは」第一八号…「会議を建設的な場に」第一九号…「ゆとりのある授業」第二〇号…「人間を考えるー今、親と教師が忘れていること」第二一号…「P1・P2・P3・P6処分の教育学的考察」第二二号…「下呂全私研特集」となつている。 この組合教育通信「わだち」は月刊で発行されていたが、学内では全教職員に昼休みの休憩時間中または就業時間外に職員室の各自の机上に配布されていた。しかし学園は、P9労務担当が配布された「わだち」を机上から回収したり、破り棄てるなどの不当な行為をなしており、組合の教育通信である「わだち」を主宰、発行していたP3をも、学園がことさら注視していたことは明らかである。 以上(1)(2)(3)(4)で述べた 収したり、破り棄てるなどの不当な行為をなしており、組合の教育通信である「わだち」を主宰、発行していたP3をも、学園がことさら注視していたことは明らかである。 以上(1)(2)(3)(4)で述べたように、学園は、P3が組合の写真記録の仕事をしていたこと、P28の「凱風」配布の支援活動をしていたこと、団交時の待機行動や学園への申し入れ行動に積極的であつたこと、組合教育通信「わだち」の主宰者であつたことなど積極的に組合活動に参加し、また自らその活動を担つていたことを注視し、本件降職処分を含めた数々の不当労働行為に及んだものである((四)で詳述)。 (四) 学園のP3に対する不当労働行為(1) P3の組合活動に対する不当労働行為① P3の正当な組合活動に対し、不当な取り扱いをしたものを列挙すると左の通りである。 日付処分理由昭五四・五・七訓告学費凍結署名運動昭五六・八・二四訓告校長への要請行動昭五六・一〇・三一訓告職場集会の開催校長への要請行動昭五八・一・一九訓告ニユース配布昭五八・三・一九戒告ニユース配布昭五八・五・四厳告校長への要請行動昭五八・六・一八減給職場集会の開催昭五八・六・二七通告「凱風」への支援昭五八・一二・五通告校長への要請行動これら九件の処分は、いずれも第三で詳述したように不当労働行為である。 ② まず、昭和五四年五月の訓告処分は、昭和五四年三月に組合が在学生の父母に対して行つた翌年度の学費凍結署名運動について出されたものである。学園は組合が学費が値上げされるのを知りながら、あえてその反対の行動を提起し、業務妨害をはかつたとして、P3など組合員全員を処分してきた。元来、学費値上げに対して取り組むことは、正当な組合活動である。また昭和五四年度の学費が職員はもちろん、対外的 てその反対の行動を提起し、業務妨害をはかつたとして、P3など組合員全員を処分してきた。元来、学費値上げに対して取り組むことは、正当な組合活動である。また昭和五四年度の学費が職員はもちろん、対外的に公表されたのは、同年四月になつてからで、組合が署名運動を実施した同年三月の時点で、学費が値上げされることを知る由もなかつた。 事実、学費凍結署名集約後の昭和五四年三月一九日の団交で、組合が学園に、昭和五四年四月以降の学費が決定されたか否かを問うたとき、P7校長は「三月二一日に召集される新入生の数をみて決定する」と答えている。 ③ 昭和五六年八月二四日付の訓告処分は、同年八月四日昼休みに出されたP1書記長、P2執行委員への出勤停止処分について(この出勤停止処分の不当性については、二で詳述)、P3が他の二、三名の組合員とともにP7校長に充分に説明することや、不当な処分であるから撤回するよう申し入れたことについて不当な扱いをうけたものである。 ④ 昭和五六年一〇月三一日、昭和五八年一月一九日、昭和五八年三月一九日、昭和五八年六月一八日付のニユース配布、職場集会開催を理由とした処分は、これら二つの活動に対する学園の介入が、香労委昭和五三年(不)二号事件で不当労働行為であると認定されている事実からしても、P3に対する不当な取り扱いであることは明白である。 ⑤ 昭和五六年一〇月三一日と昭和五八年五月四日付の処分の理由となつた昼休みのP7校長への要請行動は、組合員全員が、学園に組合員に対する不当な扱いをやめることや、組合の団交申し入れに応じるよう求めたことである。しかし、香労委昭和五三年(不)二号事件で、組合が昼休みに理事長におこなつた要請行動への学園の訓告処分を、不当労働行為と認定していることから、これらの処分も、P3に対する不当な取り扱いであることは明 かし、香労委昭和五三年(不)二号事件で、組合が昼休みに理事長におこなつた要請行動への学園の訓告処分を、不当労働行為と認定していることから、これらの処分も、P3に対する不当な取り扱いであることは明白である。 ⑥ 昭和五八年六月二七日の通告書については、就業時間前に学外でP3がP28の「凱風」を支援していることを妨害する目的で出されたものであるし、昭和五八年一二月五日の通告書についても、同日組合員にだけ年末一時金が支払われなかつたことで、組合員全員が勤務時間外にやむを得ず、P7校長の自宅へ支払い要請にいつたことを、不当に牽制したものである。 ⑦ 上記九件の処分は、組合活動に参加した一組合員としてのP3の活動をとらえたものばかりであるが、昭和五八年三月一九日付の戒告、同年五月四日付の厳告、同年六月一八日付の減給処分は、三役を除外すれば、同様に活動に参加した組合員と比較して不当に重い処分となつており、P3が活動家であることを注視して、不当な扱いを行つてきた学園の姿勢があらわれている。 (2) P9労務担当のP3への暴力行為についてP3が組合の写真記録係であることを注視していたことは、(三)の(1)で述べたが、P3は昭和五五年一一月一八日と、昭和五七年五月一一日の職場集会のおり、写真撮影をしている最中、P9労務担当から肩をわしづかみにされたり、押し倒されそうになるなどの暴力行為をうけている。 他にも、昭和五六年一〇月二六日組合員全員で昼休みに校長室に要請に行つた際、P3はP9労務担当に腕をつかまれて、体を激しく壁に押しつけられたり、昭和五八年一月二六日に、P3が同日職員室で配布された組合ニユースを回収しないように、P9労務担当に申し入れたところ、体を何度もつかれたりしたこともあつた。 教育現場である学校で、教頭補佐(現在は教頭)の重職にあるP 日に、P3が同日職員室で配布された組合ニユースを回収しないように、P9労務担当に申し入れたところ、体を何度もつかれたりしたこともあつた。 教育現場である学校で、教頭補佐(現在は教頭)の重職にあるP9労務担当が、同僚の教員に暴力行為に及ぶなどもつての他であるが、P3は学園からこのような形で危害を加えつづけられていたのである。 (3) P3の勤務や服装についての差別扱い① P3は、昭和五七年一月二八日、車を修理するため外出願をP9労務担当に提出したが、認められなかつた。高松校では従来授業に支障がなければ外出は認められていたので、これは明らかにP3に対する差別扱いである。 ② P3は昭和五八年の一学期の中間試験の最中に、たまたまバドミントン部のユニフオームでもあるニツトシヤツを着て仕事をしていたところ、P7校長から「そんなものを着てはこまる」と言われた。体育科教師が日常着用している体操服と同様のものであるし、生徒も同じユニフオームを着用して放課後は部活動をしているものである。学校では、清潔感を与え、活動しやすいなどの利点から、教師が体操のユニフオームを着用するのは多々みられ、P3が注意をうけたことは、未加入者も含めた他の教員が「どうしてその服装で注意をうけるのか」と言つていたことからして、P3が学園から着目され、不当な扱いをうけていたことを示している。 (4) P3の校務分掌上での差別① P3は、昭和五一年三月に西日本の教員養成系大学の中心的存在である広島大学を卒業して、大手前高松高校に赴任し、高松校での教育は、他の教員や父母、生徒から高い評価をうけていた(ちなみに組合結成は昭和五二年九月である)。 ② ところが赴任してから六年間、P3自身が希望していたにもかかわらず、学園より一度も担任を任命されたことはなかつた。学園は活動家である組合員を学級 ていた(ちなみに組合結成は昭和五二年九月である)。 ② ところが赴任してから六年間、P3自身が希望していたにもかかわらず、学園より一度も担任を任命されたことはなかつた。学園は活動家である組合員を学級担任や、その他重要な分掌から排除しているが、P3も同様の扱いをうけてきた。 ちなみに組合未加入者(教諭)で担任の未経験者は皆無で、昭和六〇年度などは、前年度の昭和五九年四月に赴任した若手三名の教員を、学園は一斉に担任に任命している。 ③ 昭和五五年度から、学園は組合の活動家を学園の生徒募集の主眼となつていた六年制コースの担任や、教科担当からの排除を始めた。例えば、担任について言えば、昭和五四年度には中学、高校あわせた六クラスのうち半数の三クラスを組合員が占めていたが、昭和五五年度から昭和六〇年度まで、のべ三六クラスの担任のうち、組合員はわずか四クラスにとどまつている。 P3の場合は、昭和五一年度より昭和五五年度までの五年間、六年制コースである中学校の歴史の授業を担当していた。昭和五六年度も、持ちあがりとして担当することになつていた中学二年の歴史の授業を、P3自身や生徒が希望し、社会科教科内でも認められていたにもかかわらず、P7校長は認めず、P9労務担当に一年間担当させた。 P9労務担当はP3が赴任してから今日まで一〇年間、中学校の授業を担当したのは右の件一度のみで、もちあがりを希望していたP3を排除し、その一年間だけ、組合弾圧対策としてP9労務担当を配置させたことや、P5メモ発見直後の人事決定であることから、P3を六年制コースから排除しようとした不当な人事配置であることは明らかである。 ⑤ P3の通信活動についての不当な取り扱い本件降職処分はバドミントン部通信「NET・IN」の発行が処分事由になつているが、学園は本件降職処分以後、P3の 当な人事配置であることは明らかである。 ⑤ P3の通信活動についての不当な取り扱い本件降職処分はバドミントン部通信「NET・IN」の発行が処分事由になつているが、学園は本件降職処分以後、P3の教科通信に不当な取り扱いをしてきたことを以下述べる。 ① P3は組合結成以来、「生徒にわかりやすい授業」を行うことを意識するようになり、社会科の教科通信の発行にとりくんできた。そのとりくみは、昭和五四年度の中学一年、二年で始まつたが、昭和五五年度にはそのなかで子どもたちの質問に答えたり、エピソードを紹介したりしてさらに充実したものにしあげ、中学一年で五五号、二年で八一号を発行し、中学生の間には教科通信「HISTORY」が定着していた。 このように継続的に教科通信を発行しているのはP3だけだが、昭和五六年度には、高校生にも「WRLDHISTORY」という標題でとりくみ、資料を掲載したり、学習の仕方なども記事に加え、高校二年で六一号、三年で四〇号を数えた。以後、P3は昭和五七年度には高校三年で五八号、昭和五八年度には高校二年で八九号を発行している。 ② P7校長から教科通信のことでP3が最初に呼ばれたのは、昭和五五年三月一七日であつた。P7校長は「HISTORY」の内容をみて「歴史では唯物史観などいろいろあると思うが、あなたはどれで教えているか」「どんなことをノートさせるのか」「レーニンをこんなにとりあげる必要はないのでないか」とP3に尋ねてきたが、少なくともこのときには、学園はP3が通信活動を行つていることを知つていた(P3は教科通信の発行についてP7校長の許可をえていなかつたが、それはプリント類の発行が教師の自主性に任されていたからで、このときもP7校長から無断発行したとして、注意をうけることはなかつた)。 ③ 教科通信の内容については、降 7校長の許可をえていなかつたが、それはプリント類の発行が教師の自主性に任されていたからで、このときもP7校長から無断発行したとして、注意をうけることはなかつた)。 ③ 教科通信の内容については、降職処分後昭和五七年五月一二日をはじめにして、P7校長から不当な扱いをP3はうけてきた。このときは、P3が学習指導要領の「広い視野に立つて、社会と人間についての理解と認識を深め、民主的、平和的な国家、社会の有為な形成者として必要的な公民的資質を養う」立場にたち、一〇フイート運動の映画試写会を高校生に「WORLDHISTORY」で紹介したところ、P7校長から「これが受験に関係するのか」「近代史の学習中に、プリントを書いてまで原爆を扱う必要があるのか」「これは、生徒に紹介するに値しない市民運動だ」と言われた。 ④ 一年後の昭和五八年四月に「WORLDHISTORY」の題名と、プリントの通し番号を削るように、P3はP7校長から言われ、P3や生徒は書類整理上の不便さを強いられるようになつた。 ⑤ 昭和五八年一〇月二〇日より、P3は「WORLDHISTORY」の原稿を事前にP7校長に提出するように言われた。当時、高松校ではそのような慣行になつてなかつたので、P3は「なぜ私にだけこんなことを校長が言われるのか」とP5教頭に尋ねたところ、P5教頭は、「まず、P3先生(から始める)だと思う」としか答えなかつた。 ⑥ 以後半年間、「WORLDHISTORY」の内容について、「見出しが大きい」「学習の仕方は、プリントする必要なし。口頭で言えばよい」「発行部数が多い」「試験前に、プリントで年代をまとめてやる必要なし」「『定期考査がんばろう』の表現は不要」などと細々とした点まで及んで、P7校長から指示され、P3はその都度修正、削除を余儀なくされた。これらの指示は 「試験前に、プリントで年代をまとめてやる必要なし」「『定期考査がんばろう』の表現は不要」などと細々とした点まで及んで、P7校長から指示され、P3はその都度修正、削除を余儀なくされた。これらの指示はどれも理由のないものばかりである。 ⑦ そしてついに昭和五九年四月より、必要ないとの理由で、P3の「WORLDHISTORY」発行は、認められなくなつた。P5教頭もP3に「先生が熱心にやつているのは、じゆうぶん承知している」とP3の教育活動を評価していただけに、P3だけの通信活動を認めないのは、まさに理由のない不当な扱いである。 (6) P3のバドミントン部部活動指導への不当な扱い① 学園は、P3が組合活動家であることに注視して数々の不当労働行為を行つてきたが、放課後の部活動を最も熱心に行つていたバドミントン部の活動への不当な扱いを以下述ベるが、これは本件降職処分の一背景でもある。特にこれがP5メモ発見後の昭和五六年二月よりあらわれている。 ② 昭和五六年四月二五日、従来体育学部志望であれば、六年制コースの生徒の大会出場は認められたが、P7校長はN子については許可しなかつた。(4の二で詳述)。 ③ 昭和五六年五月三日(休日)に、午後よりバドミントン部で親睦を深めようと栗林公園に行くことを計画したが、許可されなかつた。本来、右部活動は部員同士や、教師との絆を強くする点でも推奨されてしかるベきものである。現に、未加入者のP16教諭はクラスの生徒を峰山公園に引率して親睦を深めており、明らかに差別である。 ④ P3は、P7校長の赴任した昭和五四年度に「練習合宿は認められないが、勉強合宿なら許可する」と言われていたので、昭和五六年の夏休み期間中に、他教師の協力を得て塩江向学寮で勉強合宿を計画した。これは大手前高松高校が進学校であり、部活動と勉強との両立 は認められないが、勉強合宿なら許可する」と言われていたので、昭和五六年の夏休み期間中に、他教師の協力を得て塩江向学寮で勉強合宿を計画した。これは大手前高松高校が進学校であり、部活動と勉強との両立を顧問の立場から配慮したものだが、P7校長は「バドミントンという競技以外の活動は必要はない」と前言を翻して認めなかつた。部員の学力の向上をはかることは推奨されるベきであるし、未加入者のP19教諭が顧問をする野球部では、学内で定期試験直前に勉強会をすることを学園より認められており、P3へのP7校長の発言と矛盾している。 ⑤ 昭和五六年九月八日、P3は本件部誌の発行で従来から自主的に発行してきたにもかかわらず、P7校長に呼ばれ、始末書を提出するよう言われた。 ⑥ 昭和五六年一一月末、P3は高校生の新人大会(休日開催)に、中学生部員を応援に行かせることにした。中学生の応援は従来認められてきたが、P7校長は「中学生は、高教生の大会の応援には関係ない」ということで突然不許可にしてきた。高校生の試合を見学することは技術的にも、目標を設定させる上でも効果があるし、また仲間意識や愛校心を育てることで、推奨されるベきものである。P3は、結局P5教頭から「子どもたちが個人的にいくことは構わない」として了承をえた。 またP3は坂出で開催される同大会に生徒を引率するため、早朝高松駅を出発するので、六時五〇分から一七時までの時間帯について、P5教頭に出張申請をした。ところがその申請をみたP9労務担当は、「超勤だから、当日の細かい勤務予定表を分単位で出してくれ」と言つてきた。現実的に分単位の試合の進行状況など予測できる筈もなかつたが、P9労務担当は提出できなければ認めないと言いはつた。そこでP3はP5教頭と相談して、八時から一七時まで出張申請をするが、行き帰りの事故につい に分単位の試合の進行状況など予測できる筈もなかつたが、P9労務担当は提出できなければ認めないと言いはつた。そこでP3はP5教頭と相談して、八時から一七時まで出張申請をするが、行き帰りの事故については、労働災害保険、学校安全会が適用されるとの約束がえられた。 ⑦ P3は降職処分後の昭和五七年四月以降はバドミントン部の顧問に任命されなかつたが、子どもたちや当時の顧問の願いもあつて、ときおりバドミントン部の練習を見に行つたり、アドバイスをしていた。しかし、P7校長からバドミントン部の練習には関与しないように言われたので、P3はバドミントン部の練習には行けなくなつた。 それでも、バドミントン部の生徒たちとの人間的なつながりは継続しており、子どもたちの強い要望もあり、昭和五七年六月二九日には、バドミントン部の卒業写真の撮影に、当該学年の顧問担当教師として、新顧問となつていたP35教諭、P36教諭とともに加わつた。ところが学園は、P9労務担当を介して写真屋に指示し、撮影した写真から、P3のみを修正、削除せしめた。この処置は、まさに冷酷、無残な処置であるが、P3のみを陰湿に迫害しているばかりか、卒業生からも痛憤、失望、失笑をかつた。とくに、この昭和七年度に卒業していつたバドミントン部部員たち(N子も含む)は、バドミントン部卒業生のなかにP3が写つてないことについて、昭和五八年三月一〇日の卒業式終了後、思い余つて以下の文面の手紙をもつて、P7校長に話にいこうとした。 「三年間どうもありがとうございました。今日は先程頂いたアルバムの件でお話にまいりました。アルバムのバドミントン部の部分を御覧下さい。そこには私達と共に写るべき先生が写つてないのです。私達は確かにその先生とアルバム用の写真を写しました。その先生は、その写真の中で右端に写つているはずでした。 バムのバドミントン部の部分を御覧下さい。そこには私達と共に写るべき先生が写つてないのです。私達は確かにその先生とアルバム用の写真を写しました。その先生は、その写真の中で右端に写つているはずでした。それがどうしてか、このアルバムでは、カツトされているのです。その先生に私達は、たいへんお世話になりました。長い月日の中で私達がその先生に出会わなかつたら、現在の私達はあり得なかつたと思います。そんな先生が私達と共にアルバムに写つてないのは非常に悲しいことです。私達は、ある先生方の反感をかおうとしてここに来たのではありません。ただ…ただ…私達としてはそんなことが残念であると思つてここに参りました。私達のこんな意見を一部の先生方が聞いて少しは、…少しはわかつてくれてこれから、こんなこともう二度となかつたらいいのになあ! なんてそんなこと思つてます。そしてもう一度、校長先生を初めそれぞれの先生方に、このアルバムは、一体誰のためのものであるか、それを考え直して頂きたいのです。 学校のためのものなんかじやけつしてありません。 私達、生徒達のためのものじやありませんか。 以上三月十日バドミントン部卒業生一同」しかし、卒業する部員たちが学園の処置について、P7校長に申し入れをすることで逆に、学園の方針に反抗したとして、バドミントン部の子どもたちが以後不当な扱いをうけることになるので、P3や他の教師たちが子どもたちに思いとどまらせた。 (現に、昭和五七年三月末に、六年制コースの大手前高松中学から広島市内の中学校へ転校していつたP37が、生徒本人がP3を慕つていたことや、両親も学校での悩み事をP3に相談をよくもちかけていたことを学園が察知し、転校時の書類に虚偽の事実を捏造して、不当な扱いを行つたことがある。経緯は、以下の通りである。 転校してまもない昭 たことや、両親も学校での悩み事をP3に相談をよくもちかけていたことを学園が察知し、転校時の書類に虚偽の事実を捏造して、不当な扱いを行つたことがある。経緯は、以下の通りである。 転校してまもない昭和五七年一学期中途にP37の母親が学校に呼び出された。そこで学級担任と校長より、「P37君については大手前から送られてきた書類では、大変な問題児であるかのように書かれている。しかし、転校以来のP37君を観察していると、そんな気配はまつたくなく、逆にクラスのまとめ役としてがんばつてくれている。だから、私たちは今後、この書類については全く白紙でのぞみたいと思つている」と言われた。 教育の場である学校では、仮に生徒の素行が悪い場合でも、保存用や、対外的な書類については、生徒の将来を配慮し、不利になるようなことは書かないという暗黙の合意がある。にもかかわらず、あえて指導要録に問題あり、と記載されているので、昨今騒がれている校内暴力の中心にもなりかねない問題生徒だと、転校先の中学校がP37を誤解したわけである。 P37は、大手前高松中学時代バドミントン県大会で準優勝するほどの実力をもち、部内では他の仲間を積極的にひつぱつていたリーダー的存在で、クラス内でも問題をひきおこすということも全くなかつたのである。 P37は、高校は広島市内の公立進学校である国泰寺高校に入学し、クラスやバドミントン部のリーダーとして活躍している。バドミントンの大会では高校一年秋より三年連続で広島県の大会で優勝し、全国大会にも出場した他、昨夏には全国から選ばれた他の高校生とともに、中華人民共和国へ遠征もしている。 このように模範的な生徒であつたP37が、学園から右に述べた不当な扱いをうけたことは、もつぱらP3の部活動全体を注視していたからにほかならない。)⑧ 以上の他、P3は降 民共和国へ遠征もしている。 このように模範的な生徒であつたP37が、学園から右に述べた不当な扱いをうけたことは、もつぱらP3の部活動全体を注視していたからにほかならない。)⑧ 以上の他、P3は降職処分後、生徒ばかりでなく、余暇時間を学校の体育館で、他の教員とバドミントンを楽しむことさえも学園から認められなくなつた。このように、組合活動家であるP3に着目した学園は、P3が顧問をしていたバドミントン部の活動について、さまざまな事柄に及んで不当な扱いをしてきたものである。 (7) P3のその他の教育活動についての不当な扱いP3は非常勤講師降職後も、教諭のときと同様、授業以外の場でも子どもたちと人間的な結びつきを強めることに、気を配つていた。遠足に一緒に行つたり、クラスマツチや体育祭に教師の選手として参加したりしたが、昭和五八年度以降は、いずれについても認められなくなつた。 (8) 職員会議におけるP27理事長の、P3への不当な発言昭和五六年七月一七日の職員会議の冒頭で、P27理事長は、大手前高松高校の教員に対し「大手前のやり方がいやだという人はどうか、今のうちに自分の故郷に帰る採用試験をうけて下さい。そのとき私がひきとめるような教員になつて下さい。 三月になつて、わあわあ言うよりは自分で今の時期に考えて下さい。そういうメドがたてば早く知らせて下さい」と発言した。 この発言は組合員を意識したもので、「三月になつて、わあわあ言うより……」というのは、大手前のやり方がいやだという者にたいしては、年度末人事で、大きな支障がでることになりかねないが、そのときに大騒ぎしても遅すぎるとの趣旨であり、組合員の活動を不当に牽制したものである。 この会議の席上、P3はP7校長に質問をしたり意見を述べたりしていたが、P27理事長はそれをみて、「うちの学校だけ きに大騒ぎしても遅すぎるとの趣旨であり、組合員の活動を不当に牽制したものである。 この会議の席上、P3はP7校長に質問をしたり意見を述べたりしていたが、P27理事長はそれをみて、「うちの学校だけをみないで、たとえばP3先生、上戸に一年間行つてみるかね。給与はこつちで出すから。上戸が遠かつたら、中央でもいいよ」とP3を制したが、このことは校長の方針について意見を述ベる者は、学園から追放するという学園の姿勢が露骨にあらわれている。 (五) 本件降職処分の不当労働行為性いわゆるP5メモが発見された昭和五六年二月以降、学園の組合員への不当な扱いが顕著になつたことは、(一)で述べた通りである。 P3について言えば、P5メモのいう「組合に対する姿勢」「徹底的に差別待遇」がとられ、P5メモの発見後、昭和五六年八月二四日、同年一〇月三一日付で正当な組合活動に訓告処分がだされたこと、同年一〇月二六日にP9労務担当から暴行をうけたこと、昭和五七年一月二八日の外出願が許可されなかつたこと、分掌上では中学二年の「歴史」の授業担当が認められず、P9労務担当が例外的に代行したこと、バドミントン部部活動への不当な取り扱いがほとんどこの時期におこつたこと、また昭和五六年七月一七日の理事長発言に、P3を学園から排除しようとする意思がみられることなど、数々の学園の不当労働行為があつた。 そして、P3が昭和五六年九月八日にP7校長に呼ばれて始末書を書くように言われたことは、結局はP3の部活動指導に対する不当な扱いの一端であるし、降職処分後、学園がさらにP3発行の教科通信に注視し、介入をしてきた内容の不合理性をみれば、本件部誌についての介入も同質のものである。 されば、本件部誌の「無断配布」「P12・N子問題」は、あくまでも処分のための口実であり、実際は組合の活動家で し、介入をしてきた内容の不合理性をみれば、本件部誌についての介入も同質のものである。 されば、本件部誌の「無断配布」「P12・N子問題」は、あくまでも処分のための口実であり、実際は組合の活動家であるP3を排除することで組合の弱体化を意図したもので、明らかに不当労働行為であり、本件降職処分は無効である。 なお、書記長であるP3が昭和六〇年三月二九日、非常勤講師の雇い止め通知をうけたことにより、現に組合は多大な打撃を蒙つている。 6 本件降職処分は、懲戒権の濫用である。 (一) 懲戒権濫用の法理本来懲戒権の行使については、使用者に委ねられているとはいえ、決して恣意的な行使を許すわけではなく、客観的に妥当なものでなければならないのは、いうまでもないところであつて、とくに懲戒処分中、懲戒解雇は、従業員を企業外に排除する最も重い処分であるから、その違反行為が重大かつ悪質なもので、違反者をそれ以下の軽い処分に付する余地を全く認めがたい場合に限つて許されるものである。 (二) P3の部活動における教育熱と子どもたちの心情P3が大手前高松高校のバドミントン部部活動指導に熱心に指導にあたつてきたことについては、1の(二)、2、4の(1)で述べた通りである。 そのバドミントン部の部活動について子どもたちがどのようにうけとめたかは、「NET・IN」第六号の一〇、一一ページ、「OURBADMINTONLIFE ’80」のなかで昭和五七年三月に卒業していつた部員が、「P38‥ ぼくにとつてバドミントン部は何もない大手前のなかで数少ない楽しみの一つでした。二年間足らずのクラブ活動練習自体かなり厳しかつたし、やめようと思つたことも一度あつたけど、最後まで続けてよかつた。 P39‥ 中一、高一に贈る言葉『なんとしても、P3先生、P12先生について行つて下さ 足らずのクラブ活動練習自体かなり厳しかつたし、やめようと思つたことも一度あつたけど、最後まで続けてよかつた。 P39‥ 中一、高一に贈る言葉『なんとしても、P3先生、P12先生について行つて下さい。そうすれば、後で何かいいことがある』P40・・でもあの頃は最高。まわりはおもろい奴ばかり。クラブの思い出は一生忘れないだろう」などと、バドミントン部部員として顧問や仲間たちとすごした二年間は有意義であつたこと、是非後輩たちにもがんばつてほしい主旨のことを書いている。 また、「NET・IN」七号の九ページ、一〇ページでは昭和五六年春に入部した高校一年生の声をとりあげてみても、「P41‥ みんなまじめに取り組んでいたし、練習も厳しそうだつた。 P42‥ 今後の課題としては良き先生や先輩がたのおつしやることを聞いて、先輩に追いつき、追いこしたいと思う。 P43‥ やさしい(?)先輩や中学生と過ごしている時間は本当に短い。短いなかでも、学校生活のなかで一番充実している時間だと思う。『バドミントン部は一番きびしい』とか『一番まとまつている』と他の先生もおつしやるが、そのようなバドミントン部の一員として続けていきたい。 P23‥ P3先生のたびたびの観(勧)誘に、「まあ体を動かすぐらいなら」というごく軽い気持ちから入部しました。でもひとたび入部してみると部員、先生ともども真剣に練習している姿をみて、そんな気持ちで入部してきた自分を恥ずかしく思いました。 P44‥ そのなかで感じたことは、女子の数が男子にくらべて多いせいか明るい感じがする。そんなバドミントン部だからできる限りの努力をし、またまじめに一生懸命とりくんでいきたい」と子どもたちには、バドミントン部の活動が他のクラブに比べてすぐれていると評価、認識されており、これは顧問であるP3の ミントン部だからできる限りの努力をし、またまじめに一生懸命とりくんでいきたい」と子どもたちには、バドミントン部の活動が他のクラブに比べてすぐれていると評価、認識されており、これは顧問であるP3のゆきとどいた指導によつていることが読みとれる。 また生徒の学習成績についても、P3が配慮していたことは、1の(二)で述べたとおりである。例年東京大学に二〇名前後合格させている全国でもトツプ・クラスの進学校、神戸の甲陽学院(六年制コース)では、「積極的な部活動、とくに体育系の部活動が鍛えられた体力が受験勉強にもプラスになる。それは、知力、体力、徳性は、いずれか一方にかたよりすぎても良くない。すべてのものが、その人格のなかで程よくバランスするように、伸びるべきで、スポーツと勉学の両立は、非常に困難であると考えるより、それが両立しうるように努力し、また指導もなされるべきである。また学校教育では、教科学習と部活動のような教科外学習が程よく調和されて、充実した学校生活になる。どの学校でも積極的に指導の手段として部活動に力をいれている筈だし、私達の学校では、毎日の時間を有効に利用する習慣、頭のきりかえ、気持ちの転換の訓練の場としており、授業、部活にそれぞれ集中、熱中させることにより、効果をあげている」とされているが、P3もまさに右観点から、子どもたちを指導し、子どもたちが志望大学に進学できるようサポートしており、部顧問であるP3が子どもたちの学習状況や、進路について常に把握し、気にかけてくれていたことを、子どもたちは非常に喜んでいた。 (三) P7のN子への不手際な発言本件降職処分の発端は、昭和五六年四月二五日にP7校長がN子を呼んで協会杯大会出場をあきらめさせた指導内容にあるが、原決定では「その内容の是非についてともかく」と判断を避けている。 翌 際な発言本件降職処分の発端は、昭和五六年四月二五日にP7校長がN子を呼んで協会杯大会出場をあきらめさせた指導内容にあるが、原決定では「その内容の是非についてともかく」と判断を避けている。 翌二六日の大会出場のために、それまで熱心に練習してきたN子を前にして、P7校長は「体育学部と言つておきながら、あとになつてそうでないと言つても、内申書は書かないよ」と一方的に強い調子で指導したわけだが、教職の経験が深い校長であれば、より愛情あふれる指導がなされたはずである。N子がその場で目を真つ赤に泣きはらすほどシヨツクをうけていたことや、その後にいたつても、P7校長の指導を疑問視していた事実からすれば、もつと子どもたちの心を大切にする姿勢があつてしかるべきである。 (四) 本件降職処分について非常勤講師は給与体系も教論とは別個であり、かつ契約期間も一年間であり、更新請求権はないので、一年経過後学園の意思によつて更新されない限り、雇用関係を終了させられるのであつて、本件降職処分は、形式上降職とはいうものの、実質的には懲戒解雇に匹敵する処分であることは、原決定の認定どおりである。現に、P3は契約期間満了を理由として、昭和六〇年三月二九日付で、雇いどめ解雇となつている。 本件降職処分の処分事由として、P3が学園に本件部誌を「無断配布し」、そのなかで「業務上の秘密を漏洩し」、「学校の教育方針を公然と批判し」、かつ「学園の信用を傷つけた」という点については、3、4で述べたようにためにするものであつて、本件降職処分は懲戒権の濫用である。 仮に本件部誌のなかに、学園が方針批判や秘密漏洩としてうけとめるようなP3の記載があつたとしても、本件部誌が多数不特定の者ではなく、大手前高松高校のバドミントン関係者という少数特定者に配布されたものであること、N子自信 、学園が方針批判や秘密漏洩としてうけとめるようなP3の記載があつたとしても、本件部誌が多数不特定の者ではなく、大手前高松高校のバドミントン関係者という少数特定者に配布されたものであること、N子自信がP7校長からうけた指導は秘密性があると認識していなかつたこと、P3はバドミントン部の生徒たちを励ますために自分の意見を書いたこと、父母の意見をいれようとしたのは大手前の教育を充実するためにしようとしたからであつたこと、事件の発端となつたN子の件についてはP7校長も不手際な発言があつたこと、P3は教育熱心でそのことについては他の教師、父母、生徒から高く評価されていたこと、P3はそれまでも学校の教育方針には従つてきたこと等を勘案すれば、P3の違反行為が重大かつ悪質なもので、懲戒解雇に匹敵する非常勤講師への降職処分に相当するものとはとうてい判断できず、本件降職処分は懲戒権の濫用であり、無効である。 (別紙一の(二))一、P1は昭和四六年四月一日、P2は昭和四八年四月一日、P3は昭和五一年四月一日それぞれ、学園との間において、高松校教諭として勤務することを基本とした労働契約を締結し、その職務に従事していたものであるが、学園のなした本件各降職処分は、右労働契約の基本的内容を相手方当事者の不利益に変更するものであつて、契約の一方当事者である学園の意思のみによつて、なしえないことは明白である。すなわち法の下に平等たるべき契約当事者において、労働契約の一方当事者である使用者が、他方当事者である労働者に対し、懲戒する権限を有することの認められる法的根拠は、労使間における個別的または集団的合意に求められるものであるから、懲戒事由や懲戒の形態さらにはその限界等が契約理論によつて吟味されなければならないのは当然のことである。 なお、懲戒の形態として、通常見 間における個別的または集団的合意に求められるものであるから、懲戒事由や懲戒の形態さらにはその限界等が契約理論によつて吟味されなければならないのは当然のことである。 なお、懲戒の形態として、通常見られる「懲戒解雇」と戒告とか減給とかのその他の「一般的懲戒」との間には、注目しておくべき差異が存する。すなわち、懲戒解雇の場合は、労働者を雇用の立場から排除することを主要な内容とするものであるから、契約理論上は債務不履行にもとづく契約解除の法理が働くが、一般的懲戒の場合は、労働者に反省を促してより良好な雇用関係を維持することを目的とするものであるから、労働契約の履行の法理が働くことである。 ところで、学園側は、職業規則に「降職」との用語が使用されていることに藉口して、P1らを一教諭から後に詳述するとおり職務内容、職務権限、労働条件等に重大な差異を有する講師にする扱いに変更しているのであるが、かかる労働契約の基本的内容を不利益に変更する権限まで、包括的に使用者に予め付与する旨の合意が、労使間においてなされていると考えることは到底出来ない。 二、ちなみにいえば、香川県下における私立学校の就業規則の懲戒に関する規定は、左記のとおりであつて、右のごとき「降職」を懲戒形態として規定している例はない。 なお、公立学校の教職員についても、地方公務員法の規定にもとづく条例上、懲戒の種類は、「戒告」「減給」「停職」「免職」に限定されているのである。 1 藤井高等学校就業規則「(懲戒の種類)第六九条懲戒は、譴責、減給、出勤停止および懲戒解雇の四種とする」 2 寒川高等学校就業規則「(懲戒の種類)第六九条懲戒は、譴責、減給、出勤停止および懲戒解雇の四種とする」 3 学校法人明善学園就業規則(第八章表彰及び懲戒)「第三五条懲戒処分は情状により譴責、減 学校就業規則「(懲戒の種類)第六九条懲戒は、譴責、減給、出勤停止および懲戒解雇の四種とする」 3 学校法人明善学園就業規則(第八章表彰及び懲戒)「第三五条懲戒処分は情状により譴責、減給、停職、解雇の四とする」 4 上戸学園就業規則「(懲戒)第三一条職員が次の各号の1に該当する場合においては、これに対して懲戒処分として譴責、出勤停止又は懲戒解雇の処分をすることができる」 5 高松中央高等学校就業規則「(七章表彰及び懲戒)第二六条懲戒は、これを譴責、減給及び懲戒解雇とする。 6 学校法人花岡学園就業規則(坂出第一高等学校・坂出第一高幼稚園)「(懲戒)第三七条教職員が左の各号の一に該当する場合にはその情状により減給、無給、昇給停止の懲戒を行い、反省しないときは解雇する。」 7 尽誠学園就業規則「(第六章表彰及び懲戒)第二九条職員が次の各号の1に該当する場合においては、これに対して懲戒処分として譴責、出勤停止、又は懲戒解雇の処分をすることができる。」 8 四国学院大学就業規則「(第七章賞罰)第一七条賞罰については別に定めるところによる。」* 就業規則には右の如く規定されているが、現在四国学院大学には賞罰についての定めはない。 三、学園の就業規則上の「降職」は、身分または職階を下げ若しくは剥奪すること(同規則第六七条四号)とされているが、ここにいう「身分または職階」を下げるとは、労働契約の基本的内容たる身分または職階の限度内において、その上位から下位に下げることを意味している。 P1らは学園との間で、就業規則上の教育職員のうちの教諭としての「身分」(同就業規則第五二条一号ロ)を基本的内容とする労働契約を締結しているのであつて(この事実については争いがない)、講師も含めた地位にあるものとしての契約を 規則上の教育職員のうちの教諭としての「身分」(同就業規則第五二条一号ロ)を基本的内容とする労働契約を締結しているのであつて(この事実については争いがない)、講師も含めた地位にあるものとしての契約を締結したものではないから、仮に「降職」が許されるとしても、教諭としての限度内で上位から下位に下げることが認められるに止まるのである。 教諭の身分にある者の「降職」が認められる場合としては、副校長や教頭、教頭補佐(これらは就業規則上の身分ではない。同規則第五二条第一号参照)の地位を剥奪していわゆる平教諭に下げる場合等が想定されるのであつて(したがつてこの場合は、「身分」ではなくて「職階」を下げることに当たる)、本件のごとき教諭から講師(しかも非常勤)にする取り扱いを想定しているものではない。 仮に、学園側が主張するように、教諭としての身分を内容とする労働契約を締結している者に対しても、講師の身分に下げることまでも含めた内容の懲戒を規定しているとするならば、かかる就業規則は信義則もしくは公序良俗違反として無効といわなければならない。 四、大手前高松高等(中)学校における教諭、常勤講師、及び非常勤講師の職務内容の差異について 1 就業規則上「教諭…学生又は生徒を教育する。 講師…教諭の職務を代行する」なお、常勤講師、非常勤講師の区別はなし。 (1) 教諭、常勤講師、及び非常勤講師の職務内容の実態<07870-001><07870-002><07870-003><07870-004>なお、現在P7校長を除く三名の管理職のうち、一名は常勤講師である(P5副校長)。 (2)(1)の一覧表で明らかなように高松校においては、常勤講師は教諭と全く同一の職務内容・職務権限をもつているが、非常勤講師については学級担任などの校務分掌からは一切除外されて (P5副校長)。 (2)(1)の一覧表で明らかなように高松校においては、常勤講師は教諭と全く同一の職務内容・職務権限をもつているが、非常勤講師については学級担任などの校務分掌からは一切除外されている(疎甲第一一九号証の一記載の校務を担当することはない)。 五、教諭、常勤講師、及び非常勤講師の学園からうける処遇の差異について<07870-005><07870-006><07870-007> 2 雇用期間については定年まで勤続できる教諭と、一年契約の常勤、非常勤の講師では、全く労働条件を異にする。 しかも、1の一覧表で明らかなように、特にP1ら三名が受けた非常勤講師の処遇は、教諭と比較して給与、賞与の賃金面で極端な不利益を被つている。(別紙一の(二)別表参照) 3 元来高松校における講師は、ほとんどが公立学校を退職して年金を受給したり、他に本務をもつておりながら、高松校の教員として勤務しているものである。 (別紙の一の(三))抗告人等は、それぞれ教諭として取り扱われるべきものであるので、教諭として得ベき給与等の額の支払いを別紙一覧表(省略)のとおり、支払いを求めるものである。昭和五七年四月より昭和六〇年三月までは非常勤講師として得た給与との差額を請求し、解雇された昭和六〇年四月より昭和六二年二月までは、教諭として得べき額を全額請求するものである。 (別紙二の(一))別紙一の(一)(以下「準」という)の主張に対する認否及び反論一1 準一1は争う。 P1らの非違行為は、単に形式的に就業規則に違反するに止まらず、具体的に職場規律を乱したものであり、このまま放置すれば一部職員の間に業務命令無視、職場秩序紊乱の気風を醸成するおそれが大であつたので、本件処分がなされたものである。P1らは、実害がなかつたので処分ができないかのようにも主張する あり、このまま放置すれば一部職員の間に業務命令無視、職場秩序紊乱の気風を醸成するおそれが大であつたので、本件処分がなされたものである。P1らは、実害がなかつたので処分ができないかのようにも主張するが、見当違もはなはだしいものというべきである。 学園は職場規律違反自体も業務の具体的阻害と考えるが、かりに右が認められないとしても例えばP1らの度重なる命令不服従の如き規律違反はそれ自体業務の重大なる阻害であり、かりに右を目して阻害といえないとしても、これが業務阻害に至る重大な危険性を蔵していることはいうまでもない。 学園がかかる業務阻害を生ぜしめ、あるいはこれに至る重大な危険性を帯びる非違行為をなした者に対して、相応の懲戒処分をなし得ることは疑問の余地はなく、かかる非違行為がさらにエスカレートしてさらに重大な業務阻害が発生するまで学園が手を拱いて処分を差控えておかねばならない理由などないのである。(なお以上の点についてはP1、P2らにつき段階を追つて懲戒処分を行つて来たが、両名らが何ら反省せず命令不服従を継続したので、学園は止むを得ず降職処分としたことも併せて考慮されるべきである。)又、P1、P2の両名については、校長の命に従つて服装指導をしなかつたため服装指導(これも教育業務の一つである。)に支障が長期間にわたつて生じ、生徒の服装がなかなか改善されるに至らなかつた。 さらに、P3については、その学園の六年制一貫教育に対する中傷により学園の名誉・信用を傷つけたばかりか、学園の右の点を中心とする在校生父兄を通じての生徒募集業務に重大な支障を生ぜしめた。 2 準一2は争う。 P1らの非違行為は業務命令に対する執拗な不服従、反抗という重大な規律違反であり、あるいは、学園の六年制一貫教育という経営の根幹をなす政策の対外的な中傷というこれまた しめた。 2 準一2は争う。 P1らの非違行為は業務命令に対する執拗な不服従、反抗という重大な規律違反であり、あるいは、学園の六年制一貫教育という経営の根幹をなす政策の対外的な中傷というこれまた悪質なものであり、学園の規律維持、対外的名誉保持のためには看過し得ない性格のものである。 かかる非違行為は教育的に障害がないどころか、これを放置するときは、教育の大前提である職場規律自体を崩壊させこれを前提とする個々の教育業務の遂行自体を不能にし、無意味とする類のものである。 学園が本件懲戒処分を行つたのは、かかる観点より職場の規律維持をはかるためであり、P1らが単に組合活動家であるとの一事を以つてその責を免かれることができないことは勿論である。 P1らは、自己らが組合活動家であるから本件処分がなされたかのように主張するが、全く倒錯した議論であつて、組合活動家であるからといつて本件の如き非違行為が直ちに正当化されるはずもないのである。 3 準一3は争う。 P1らの主張する地労委等の命令はいずれも現在不服申立により係争中であり、いずれも確定するに至つていない。 又、P5メモなるものも、P1らの主張する趣旨のものとは全く異る。 4 準一4は、P1らにつき、昭和六〇年三月末日の経過により雇止めをなしたことを認め、その余は争う。 5 準一5は争う。 P1らは、本件非違行為が「教師の良心と責任において止むにやまれずとつた行為」であると自己弁護しているが、右の主張自体、同人らが、如何に独善的に教育を私物化し、上司の命令にかえて、自己の「良心と責任」なる恣意的な基準を優先させて暴走したかを如実に物語るものである。 6 準一6は争う。 P1らは、自己の非違行為を「校長の思いと異にする言動」とか「教育の周辺における理由」に基づくものとか説明するが、P1らの 基準を優先させて暴走したかを如実に物語るものである。 6 準一6は争う。 P1らは、自己の非違行為を「校長の思いと異にする言動」とか「教育の周辺における理由」に基づくものとか説明するが、P1らの行為は、社会的存在としての組織体(学園もこの一つである。)の基本的規律を犯すものであつて、教育の周辺どころか教育業務の大前提をなす学園という組織体の根幹を侵害する悪質な行為であつて、学園としては個々の教育業務の一局面の阻害と同等あるいはこれ以上に、これを放置することはできないものである。 又、P1らは、自己の非違行為が単に「校長の思い」と異なるなどと称しているが、P1らの行為が違反したのは、校長個人の単なる思いなどではなく、上司としての校長からの業務命令等であり、P1らはこれを単に校長の個人的見解との対立にすりかえて、自己の行為の非違性を隠蔽しようとしているものにすぎない。 二1(一) 準二1(一)は争う。なお、生徒指導は教科指導とともに校長がこれを適切に行われるよう指導決定して来たものである。 (二) 準二1(二)は争う。P7校長は前校長と同様、生徒指導部会の会合には殆ど出席はせず(これは他校でも同様)、生徒指導主事を通じて指導方針を決定、周知して来た。 (三) 準二1(三)は争う。 昭和五五年当時、毎週生徒指導部会を含む定例の一四部会が開かれており、生徒指導部会のみが例外であつたわけではない。又、右のいずれの部会も校長が決定して業務を行うさいの補助的、諮問機関的役割を担う性質のものである。 これに反して、P1らは、「集団的な指導体制」と称して生徒指導についての校長の権限を弱体化、形骸化させ生徒指導部会の活動を校長の指揮監督の下からはずすよう目論んでいたので、自らすすんで校長の業務命令を一貫して無視し続け、手前勝手の行為に固執したものである 導についての校長の権限を弱体化、形骸化させ生徒指導部会の活動を校長の指揮監督の下からはずすよう目論んでいたので、自らすすんで校長の業務命令を一貫して無視し続け、手前勝手の行為に固執したものである。 生徒指導部会における指導案、計画がすべて校長の許可、了解の下でのみ実施されるべきものとされて来たことはいうまでもない。 (四) 準二1(四)は争う。 昭和五五年度末において、遅刻につき、生徒指導部の輪番制による指導が成果をあげたとの報告がなされたことはない。遅刻指導は主として各ホームルームで行われていたものである。 また、次年度につき服装指導も輪番制により指導していくことが良策との意見一致がみられたこともない。 (五) 準二1(五)は争う。 前述の如く、P1らの主張するような「経過と実態」などそもそも存していないのである。 2(一) 準二2(一)は争う。 P7校長は、主として高三の生徒を対象として「寝る時と食事以外は勉強する位が受験生の生活」と発言したことはあるが、これは進学校として当然のことである。 また「あんたのクラスの生徒はおらんようになつてもいい」などと発言したことはない。 P1らは、右のように校長の発言を文脈から切りはなして歪曲したり、ありもしない発言をありとしてこれを捏造し、これに基づく議論をするが、全く根拠のない空中楼閣にすぎない。P1らがしばしば言及するP5メモなるものも、以上の延長線上にあることはいうまでもない。 (二) 準二2(二)は、昭和五四年度においても従前同様「制服そのものについての規準」が存し、その違反が生じ得る可能性があつた点のみを認め、その余は争う。 昭和五四、五五年度頃にも制服の規準に対する違反者は存し、毎年の指導項目にも必ずこれが入つている。 なお、P1らは、原審において、服装指導を命じられても、 性があつた点のみを認め、その余は争う。 昭和五四、五五年度頃にも制服の規準に対する違反者は存し、毎年の指導項目にも必ずこれが入つている。 なお、P1らは、原審において、服装指導を命じられても、その基準自体が不明確ないしは存在しないから、校長の服装指導の命令が効力を発生し得ないかのように主張していたが、前言を翻し、すくなくとも制服については基準の存することを自白するに至つたものである。 (三) 準二2(三)は争う。 高松校においては、生徒指導は生徒の内面に立ち入つたものも併せ行つて来たものであり、「教育困難な生徒に対する指導をいつそうむずかしくする」ような状況は特になかつた。 3(一)(1) 準二3(一)(1)は認める。 学園は右のような観点で分掌を決定して来たものであり、教職員は、偶々自己の希望と異なる分掌事務を命ぜられても、これに意欲を以つて取り組むべきである。 (2) 準二3(一)(2)は争う。 「教職員の総意」なるものは存せず、教職員個々人の意思のみで校務分掌が決定できるはずもなく、またそうすべきでもない。 高松校においては、P15校長時代の昭和五三年度より現在に至るまで教職員個々人につき、校務分掌決定の参考にするため、希望調査を行つて来ているが、希望が特定のポストに偏つてしまうのが現実である。 (3) 準二3(一)(3)は争う。 分掌の希望調査はP15校長時代より行われて来たことは前述のとおりであるが、この時期も現在同様希望が偏より希望どおりの決定が不可能であつた。P7校長時代になつて事情は何ら変化したわけではなく、職員会議では、すでにそれまでに校長の決定した校務分掌がその席上発表されるのが通例であり、職員会議では、両時代を通じて、例えば、兼務する職務の性格が矛盾し、あるいは時間的に両立し得ないなどの場合に限り例外的に必 すでにそれまでに校長の決定した校務分掌がその席上発表されるのが通例であり、職員会議では、両時代を通じて、例えば、兼務する職務の性格が矛盾し、あるいは時間的に両立し得ないなどの場合に限り例外的に必要最小限の手直しが行われるに止まつている。 なお、校務分掌は、校長がその権限に基づき、諸々の事情を考慮に入れて決定するものであり、本人の希望もそのうちの一つの事情にすぎない。 (4) 準二3(一)(4)は争う。 すでに昭和五五年度において、生徒指導部は実際上、校内係、校外係に分けられて活動していたものであるから、昭和五六年度にこれを成文化しても「晴天の霹靂」ということにはならない。 (二)(1) 準二3(二)(1)は争う。 前述の如く、職員会議は、校長の決した校務分掌が発表される場であつて前述の如き例外的場合に限り、校長がその場でこれを手直しする場合があるに止まるのである。 当時一部職員(主として組合員)は、職員会議を校長への諮問協賛機関としてではなく、実際上これを校長の意思をも拘束、統制する最高決議機関化しようと企図して、事毎に職員会議において学園の方針、決定に異を唱えていたので、P5は、今回もその動きがあるであろうと予想していただけのことである。 (2) 準二3(二)(2)中、職員会議において校務分掌が発表され、P1ら三名に校長より服装指導の指示が出たことは認め、その余は争う。校長は右指示のさい、前年度の反省として服装が乱れていることを指摘し、その対策として三名に玄関前の指導を命じたものであり、これは従来の生徒指導方針と何ら矛盾せず、(もし万が一、矛盾する点があるなら、生徒指導方針は、右校長の指示に矛盾しないように解釈して実施すべきである。)その目的も右のとおり明確であり、その方法についてもとくにそれ以上に説明を要するものではない。 (3 、矛盾する点があるなら、生徒指導方針は、右校長の指示に矛盾しないように解釈して実施すべきである。)その目的も右のとおり明確であり、その方法についてもとくにそれ以上に説明を要するものではない。 (3) 準二3(二)(3)は、P5が質問があれば後にして欲しい旨の発言をしたこと、P1、P2両名から発言があつたことのみを認め、その余は争う。 学園は、右の職員会議で、分掌の決定を留保したことはなく、P1らは自己が異議を唱えた一事でもつて留保ありと強弁しているにすぎない。 (三) 準二3(三)は争う。 人事の決定が隠密裡になされることは、他校も、また、社会の他の組織体も同様であつて、高松校に固有のことではない。P1らは右のような常識に反してまで、自己の非違行為を弁護しようとしているものであり、またP1らの主張するような趣旨のP5メモなど存しないのである。 (四) 準二3(四)は争う。 校長は、服装指導の方法につき種々検討して、自らの権限内でその裁量により、P1らに前記指示を出したものであり、P1らは右指示が特に違法、不当のものでないかぎりこれを遵守すべきであつたのである。 ところが、同人らは当時より校長の施策方針に対しては意識的に事毎に反対し学校運営を混乱させ、学校運営を自ら牛耳ろうとしていたものであり、本件についても右のような意図、動機より、これに反抗したものである。 (五) 準二3(五)は争う。 昭和五六年度中に、短期に校長許可の下に輪番制指導が何回か行われたことはあるが、これらはいずれもP1ら三名の八時一五分からの玄関前指導と矛盾しない態様のもののみが認められたものであり、職員朝礼で結果報告等がなされたのも、右に関してである。 八時一五分からの三名の指導に代わるものとしての輪番制指導を校長が許可したことは一切なく、例えば、昭和五六年四月一 みが認められたものであり、職員朝礼で結果報告等がなされたのも、右に関してである。 八時一五分からの三名の指導に代わるものとしての輪番制指導を校長が許可したことは一切なく、例えば、昭和五六年四月一三日から一八日までの案はかかるものとしてP5教頭を通じ校長により却下されている(P5審尋調書五三項)。 (六) 準二3(六)は争う。 この点については前記(五)を参照されたい。 なお、校長が放置した指導計画案なるものは、P5教頭に生徒指導部より提出されたものを同人と校長が検討して前記(五)の如くP5を通じて却下したものと内容的に全く同一の紙面が指導部より直接校長に重複して出されていたものである。 (七) 準二3(七)は争う。 (1) 同(1)については、校長がより詳細な指導方法を定めたものであり、とくに不当なものではない。 (2) 同(2)については、指導を受ける生徒との間に多少の心理的摩擦が生じるのは止むを得ず、これがあるからといつて生徒指導を断念すべきではない。 (3) 同(3)については、管理職が手本を示すのは望ましいことであつて批難すべきことではない。又、登校中かぶつて来たヘルメツトを自転車置場では脱がせず着用したまま玄関前の服装指導係の前を通行させることは、着用の実効性に良い影響が出ると判断してそのように指示したものである。 (4) 同(4)については、投石の犯人は不明であり登校指導との関係も不明である。 (5) 同(5)については争う。P10がP1ら主張の如き発言をしたことはなく、仮りに他の人間がそのような発言をしたとしても、一般的な教員の心構を述べただけであつて、三名の張り番体制より輪番体制がよいなどという趣旨のものではないことは明らかであろう。 (6) 同(6)については、ヘルメツトを自転車置場で脱がせるよりも、着用をより実効的にす 述べただけであつて、三名の張り番体制より輪番体制がよいなどという趣旨のものではないことは明らかであろう。 (6) 同(6)については、ヘルメツトを自転車置場で脱がせるよりも、着用をより実効的にする観点から、前記(3)の如き措置をとつたものであり、このことによりヘルメツトを単なる通行手形にはさせない努力が払われたのである。又、五八年度報告中の「全教職員の意志一致を図り、服装の規律を明確にすること」の文言も、このことが直ちに持ち回り制(輪番制)をよしとするものでもなければ、高松校の服装の基準、方針は従来より明確で全職員に周知されているので右表現は必ずしも妥当でない。 (7) 同(7)については、極く少数の生徒については、あるいは認められることかも知れぬが、このような考え方はつきつめると生徒指導無用論に通じるであろう。 学園は、右のような考えには同調しないものである。 (8) 同(8)は争う。 前述のところより明らかな如くP1らの主張するところはすべて根拠を欠き、自らの非違行為を正当化するため、校長の指示を「非教育的」などと中傷非難しているにすぎない。 (八) 準二3(八)については、これがP1らの主張する文部省の文献の忠実なる要約であることは、争う。とくに、校長は単なる連絡調整にとどまらず、職員を管理監督する立場にあることは、学校教育法二八条三項に規定するところである。 全国のとくに公立の多数の小・中学校においては、校長等の管理職の人事権、施設管理権等が一部教員により無視され軽視される事態が続いた結果、職場規律は乱れ教員の放恣な勤務態度、職務命令不服従等により職場規律は乱れ教育現場は荒廃した。このような傾向は各地の私立高校等にも見られるが、他校に比し高松校においては幸い右の如き現象は最少限に喰い止められている。 しかしながら、不幸にし 令不服従等により職場規律は乱れ教育現場は荒廃した。このような傾向は各地の私立高校等にも見られるが、他校に比し高松校においては幸い右の如き現象は最少限に喰い止められている。 しかしながら、不幸にして校長の権限を侵し学校方針に反抗するP1らの非違行為が何ら制裁を加えられることなく放置されることになれば、高松校の教育現場もたちまちにして荒廃するに至るであろうことは火を見るより明らかである。 教員としては、教育現場の秩序を尊重し、学園、校長の教育方針を体して生徒の教育に当たるべきことは当然であり、文部省の前記文献も右の如き事態を前提として、生徒指導のいわゆる全員協力体制を論じているものであることはいうまでもない。なお、高松校においても、教員の研修や議論の場は十分に保証されているものである。 4(一) 準二4(一)は争う。 学園の就業規則の当該条項の適用は、全く適正かつ相当なものである。 (二) 準4(二)は争う。 学園は、監督署より本件につき就業規則一五条但し書を適用できないなどという指導を受けたことはない。むしろ、学園は、監督官よりP1ら三名につき昭和五六年度につき右条項を適用したことは特に問題がない旨の話を聞いている。 未払賃金に関する勧告については、学園は事実認定に疑義ありとして同署に申入れを行つており、その後の進展はないが、勿論これは本件とは全く関係のない事柄である。 (三) 準二4(三)は争う。 学園とP1らとの労働契約の内容として、学園が就業規則一五条但し書の範囲内で始終業等の時刻を変更し得ることも当然含まれ、予想されていたものであるから、右に基づき変更がなされても、そもそも団交の対象たる労働条件の変更ではなく、右につき学園に団交をする義務などは存しないのである。 なお、P1ら又はその所属する組合によつては、現在に至るまで右の ら、右に基づき変更がなされても、そもそも団交の対象たる労働条件の変更ではなく、右につき学園に団交をする義務などは存しないのである。 なお、P1ら又はその所属する組合によつては、現在に至るまで右の点を団交拒否として地労委に提訴するなどの措置は一切とられていない。 (四) 準二4(四)は争う。 (1) 同(1)については、時間割係となつている日(週一回)は、それを優先させるよう昭和五六年四月中旬に校長よりP9を通じて指示がなされている。 (2) 同(2)については、校長の四月三日のP1らに対する指示の後で、これと矛盾する計画を生徒指導部がたててもそれは無効である。 (3) 同(3)については職員朝礼の議題連絡事項は黒板にも書かれるので朝礼後これをみればよく、特に重要なものは、後から個人的に通報されることになる。 さらに、職員朝礼の議題の殆どは、その後行なわれるシヨートホームルームでの周知事項なので、クラス担任でないP1らには不要である。 (4) 同(4)については、シヨートホームルームは学級担任に行わせる建前になつており副担任であるP1らにはこれは義務づけられてはいない。 (5) 同(5)については、一五分程度の早出であり十分各家庭で調整の出来るものであり、前出(三)に述べた如く就業規則一五条但書も同人との労働契約に含まれていたものである。 5 準二5は争う。 (一) 同(一)については、P1らの組合役員歴、組合活動等の詳細は不知。 (二) 同(二)については、学園が職場内組合活動は原則として許さない方針をとつてきたが一切許さないというものではなく、又、団交になじむ議題については団交に応じてきている。P1、P2の処分はいずれもそれ相応の非違行為に基づくものである。 (三) 同(三)については、監督署には異議を申立てており、香労委命令については再審査 になじむ議題については団交に応じてきている。P1、P2の処分はいずれもそれ相応の非違行為に基づくものである。 (三) 同(三)については、監督署には異議を申立てており、香労委命令については再審査を申立て現在中労委に係属中である。なお、出勤簿は、事実に合致するよう訂正しただけである。 (四) 同(四)については、P1らの勤務態度により査定した結果、同人ら主張の如き結果となつたものである。 (五) 同(五)は争う。 6 準二6は争う。 P1らに対する本件処分は、その非違行為に相応した正当妥当な処分である。 三1(一) 準三1(一)において、教育現場で「部活動」が必要欠くべからざる教育活動として位置づけられているとの主張は争う。 文部省の教育課程に定められた「クラブ活動」が時間割に組み込まれ正規の授業である(勿論高松校においてもこれを実施している。)のに対し、「部活動」は教育課程に組まれていず、各学校によりこれを実施するか否かは全くその自由とされ、これを実施するときも放課後、休日等に行なわれ、生徒も全く部活動を行なわない自由があり(クラブ活動の場合必ずそのうちの一つを選択する要あり)、現にこれを行なわない生徒も多い。 高松校においては、本来の教育課程を履習したうえなお余力ある者につき部活動への参加を許して来たものであり、高松校の方針としては、従来より、① 勉強に支障がないこと② 運動部は対外試合での優勝、選手養成が目的ではなく、大学入試で成功する体力を養成する程度に行なうこと③ 規律を守つて良い生活習慣をつけることの方針を建ててこれを履践している。 P3が顧問をしていたバドミントン部は右の意味での運動部に属する「部活動」である。 (二)(1) 準三1(二)(1)はP3が高松校赴任以来、バドミントン部顧問であつたことを認め、顧問としての る。 P3が顧問をしていたバドミントン部は右の意味での運動部に属する「部活動」である。 (二)(1) 準三1(二)(1)はP3が高松校赴任以来、バドミントン部顧問であつたことを認め、顧問としての指導内容の詳細は不知。 (2) 準三1(二)(2)は争う。 バドミントン部の活動が生徒募集に少なからず寄与したという事実はない。 (3) 準三1(二)(3)については、NET・INの発行、ハイキングをバドミントン部として行なうについては学校当局の許可を得て行なうべきところ、これらについては事前、事後の報告すらない。 (4) 準三1(二)(4)については、NET・INを父母に配布するについては校長の許可が必要であるが、P3は無断でこれを行なつたものである。 又、バドミントン部の活動が進学校としての学習に何ら弊害を与えていないとは云えず、バドミントン部の全員がP3主張の大学に進学できたわけではなく、これに進学した生徒でも浪人したりあるいは目標以下の大学に進学した者もいる。 (5) 準三1(二)(5)は争う。 学校に無断でNET・INを父母、生徒に配布したり、ハイキングに生徒を連れて行くようなP3らが、教育基本法や大手前の建学の精神の実現に努めていた筈がない。 2 準三2は争う。 P3らにより発行されたとされるNET・INの各号は、いずれも学園に無断で発行されたものであり、とくに父兄をも対象としたものであれば当然校長の許可を得るべきものである。 右NET・INの内容性格が、もしP3の主張する如く、生徒の部活動その他の教育に関するものであり、業務上の文書であれば、当然のことながら、同人は校長の提出命令に応ずべきであり、これを拒む理由もないはずである。 しかるに、同人は昭和五六年八月に無断発行を知つた校長よりそれまでに発行されたNET・IN全号の提出を ば、当然のことながら、同人は校長の提出命令に応ずべきであり、これを拒む理由もないはずである。 しかるに、同人は昭和五六年八月に無断発行を知つた校長よりそれまでに発行されたNET・IN全号の提出を命ぜられたにかかわらず現在に至るも合理的な理由を述べることなくこれを拒否し続け、本件降職処分直後の昭和五七年四月頃P3がさらにバドミントン部の生徒に校長に無断で文書配布したさい、校長がその提出を命じても、これも又「考えてみます」と云つたまま現在に至るまで拒否し続けている。 以上の経緯によつても、本件の処分理由とされたNET・IN七号の内容が校長、学園方針の中傷等を内容とする点で業務外文書であることが明らかである外、NET・INの一ないし六号も業務外文書であることが充分推量し得るものと云うべきである。 3(一) 準三3(一)は、それが原決定の一部と大要において一致することは認める。 原決定は、本件処分の事由として、(一)P3がNET・IN七号において業務上の秘密を漏らし学園の教育方針を公然と批判し、かつ、学園の信用を傷つけたこと、(二)P3の右(一)の執筆部分を含むNET・IN七号(全体的にみれば業務文書と認められず、業務外文書)を無断発行したことの二点を認定し、本件処分の有効性を是認しているものである。 又、原決定は、部誌は原則として、業務文書であるから書面による許可を要しないとも判断するが、右は校長が部誌内容を検討・指導する権限を有することまで否定すると解すべきではなく、校長は教員に対し事前、事後に部誌の提出を求め、内容の不適切なものについては、その発行を差止める権限を有すると解すべきことは勿論である。 (二) 準三3(二)は争う。 P3は、卑劣にも業務文書の体裁をとつて、学園方針の中傷を行なつたものであり、学園への背信行為もはなはだ 、その発行を差止める権限を有すると解すべきことは勿論である。 (二) 準三3(二)は争う。 P3は、卑劣にも業務文書の体裁をとつて、学園方針の中傷を行なつたものであり、学園への背信行為もはなはだしいものと云うべきである。 (三) 準三3(三)は争う。 「HISTORY」、「WORLDHISTORY」については、各昭和五五年三月一三日と昭和五七年五月一一日に、その無断発行が発見された直後、P3に対し、校長よりその内容につき注意し、許可を求めるよう指示している。 4(一)(1) 準三4(一)(1)は、大要において認める。 P3の引用する従来の部活動の内規においては、総則3として「練習の時間は午後五時までとする」と規定され、附則6として「対外試合、練習試合、対外活動は許可願いを提出し、学校長の許可を得なければならない」ものとされている。 (2) 準三4(一)(2)は争う。 昭和五四年一二月一一日の会議において「部活動が六年制コースの生徒には不可欠の教育活動であるとの合意が行なわれた」事実はない。 P3は右会議の経過、内容等を歪曲して伝えているものであり、とくに同人が「クラブ活動……を充実させる」などと称している個所は、実際においては、「クラブ活動においては限界に挑むという考え方と文武両立は不能という考え方の双方が議論されたものであり、前者の考え方では大学入試にどう影響するかが心配であるとの指摘もなされたのである。 又、部活動は実際上中学生の問題である(高校生は部活動どころではない。)が、右会議では、勉学とスポーツの頭の切り換え(時間配分)が充分できていない点が問題であるからこの点を解決する必要がある旨の指摘がなされたのに、P3は論旨をすりかえ、前述の如く、部活動それ自体が六年制コースに不可欠との合意があつたなどと臆面もなく虚構の事実を述 きていない点が問題であるからこの点を解決する必要がある旨の指摘がなされたのに、P3は論旨をすりかえ、前述の如く、部活動それ自体が六年制コースに不可欠との合意があつたなどと臆面もなく虚構の事実を述べている。 又、P13氏は昭和五五年より昭和五八年までのPTA会長であるが、同氏が医者として自己のスポーツ観を個人的立場において述べたことはあるが、勿論これは父母全体の意見ではない。 さらに、昭和五七年四月P7校長は、前出内規に基づく活動時間の延長を制限的に行なうことを述べたものであり、本来の練習時間までを短縮したものではなく、これにつき父母より二、三質問は出たが、いずれも学園の説明を聞きその場で納得している。 (3) 準三4(一)(3)は、第一文を認め、その余は争う。 六年制コースの生徒中には、三年制コースと同様の大会参加をしたがつた者もいたかも知れぬが、もしいたとしても、P3は高松校の教員として、学園方針に従がい、これを思いとどまらせる努力をする義務があるのである。 P3の主張するが如き「志望学部に体育学部を含ませるという処置を講じて」の右学園方針の潜脱など到底許されるはずもなく、学園がかつてこのようなことを許容した例もない。 昭和四六年のP14外の件については、P12がP9に「本人は体育学部志望である」と申告したので、P9が同意したものであり、P3の主張は虚偽である。 P3は、学園方針を貫徹すべき部顧問の立場にありながら、右をなし崩し的に変更することを企てたものであり、同人にはこの点につき教育的配慮など何ら存しない。 (二)(1) 準三4(二)(1)は争う。 学校当局がN子の出場につき事前に正式に許可したことは絶対にない。しかしながら、従来より正式の許否を決する前に、時間的関係でとりあえずエントリーのみはさせておく例はあつたので、 二)(1)は争う。 学校当局がN子の出場につき事前に正式に許可したことは絶対にない。しかしながら、従来より正式の許否を決する前に、時間的関係でとりあえずエントリーのみはさせておく例はあつたので、本件についても、暫定的にエントリーのみをさしていた可能性はあるが、勿論そのことにより学園が必ず正式に許可することまで約束したわけではない。 (2) 準三4(二)(2)は争う。 P7校長は、N子の志望が医大であり体育学部志望でないことを知つており、クラス担任のP16、さらにP16を通じて同人の親よりこの点を確認したうえで不許可とした。 N子本人はそれでも依然大会出場を断念せず、同人の叔母と共に校長と会つたが、叔母は、出場を求めるどころか、N子の要望が理由のないことを認め、この点を校長に謝り恐縮の様子を示していた。 又親の書いた承諾書なるものを校長は見ていない。 (3) 準三4(二)(3)自体は認める。 (4) 準三4(二)(4)は争う。 N子は昭和五六年五月七日頃、P16宅に電話し校長の指導を理解納得したことを告げて来た。 昭和五六年一〇月一四日のP3がN子を大会応援者として引率しようと申請して来た点については、応援者の引率など前例がなく不許可としたが、これが対外試合と実質上学習に与える影響の点で同一であることからしても、きわめて不当であり、P3が依然N子を動揺させ学園方針をなし崩しにしようとする意思を執拗に持ち続けていたことを示すものである。 (三)(1) 準三4(三)(1)は争う。 原決定の認定はきわめて正当であり、何ら非難に値しない。 P3は学校の方針に関するものであれば公にされてしかるべきものであるとも主張するが、学校の方針それ自体ならともかく、それを具体的ケースに適用する詳細な経緯内容、しかも、カウンセリング的な生徒指導の詳細まで 学校の方針に関するものであれば公にされてしかるべきものであるとも主張するが、学校の方針それ自体ならともかく、それを具体的ケースに適用する詳細な経緯内容、しかも、カウンセリング的な生徒指導の詳細まで公表されてしかるべきなどとする考えは、通常人の理解を絶する特異な議論と言わざるを得ない。 P3は又、P7校長が、N子の意思を確認して同人を指導するため「体育学部志望と言つていながらあとになつてそうでないと言つても他の学部には内申書は書かないからね」と云つて強い態度でN子に対応したことをカウンセリング的指導とは云えないとも主張するが、生徒のカウンセリング、指導には、訓育的なものと、相談的なものがあり、望ましい行動の在り方について教師が生徒に指示し、逆に望ましくない場合に叱責するなどの規制的な方法で生徒の考え方や行動を改善していこうとする前者の方法も、後者の方法と同様その有効性を認められ近年推奨されて来ているのであつて、校長の指導はまさにこのような観点よりなされたものでありまさにカウンセリングないしはカウンセリング的性格の指導そのものに外ならない。 生徒のプライバシーの点についても、N子がこの点を公開してもよいとしていた証拠は何らなく、P3の主張するN子の挙動が実際にあつたか否かはさておき、かりにこれが認められたとしてもN子が公開を望み、あるいは許容していたと解することはできない。 又、かりに百歩を譲つて真実N子が右の点を許容していたとしても、本件指導については、生徒の係累、校長、学級担任等多数の者が教育業務に関する学校方針の適用をめぐり未成年者であるN子の心理を考慮しつつ複雑な話合等を行なつたものであるから、事案の性質上、本来公表すべき性格のものとは到底考えられず、逆にこれを業務上の秘密として守ることによつてこそ学園の教育業務が円滑に遂行され N子の心理を考慮しつつ複雑な話合等を行なつたものであるから、事案の性質上、本来公表すべき性格のものとは到底考えられず、逆にこれを業務上の秘密として守ることによつてこそ学園の教育業務が円滑に遂行され得るものと考えるべきである。 さらに、P3は、本件指導が広く知れわたつていたから最早その秘密性もないかのようにも主張するが、そのようなことはなく、かりに広く知れわたつているのであれば、P3がNET・INにより知らせる実際上の必要もなかつた筈である。 (2) 準三4(三)(2)は争う。 真実その意思がないのに便宜上「志望学部の中に体育学部を含むという形で従来大会参加時期の延長は認められていた」というのは、P3の虚言にすぎない。 「内申書を書かない」と云つたのは、前述のN子への指導中での発言であり、校長が文字どおりこれを実行し得るものでもなく又そのつもりもなかつたことは勿論であり、N子の個人指導においてはその具体的状況下において右発言は本人の意思確認の手段として正当化し得るが、これを具体的状況よりきりはなして公表すべきものではない。校長が従来の方針を変更したものでないことも明らかである。 校長が大会出場を不許可にしたさい、部顧問のP3に対してもN子を校長と同じ立場で指導するよう校長から指示したが、P3は、六年制だけダメという規則について職員会議にかけ話合いをし、とりあえずN子の今回の出場は認めるべきであると反抗的な立場をとり反省の態度がなかつたので、校長はN子を指導するさいP3を立会させず学級担任のP16立会の下にこれを行ない、P3にはその指導内容を伝達していない。P3は右内容をN子より無断で聞き出したものであり、これを公表するに先立ち校長の前記発言のなされたさいの状況、真意等を確かめることもしなければ、公表についての了解をとることもなく、NE していない。P3は右内容をN子より無断で聞き出したものであり、これを公表するに先立ち校長の前記発言のなされたさいの状況、真意等を確かめることもしなければ、公表についての了解をとることもなく、NET・IN上にこれを発表したものである。P3が常識ある人間であれば、右指導内容が業務上の秘密に属すること位直ちに分る筈であつて口外しない旨の特別の指示がないから公表してもよいなどというのは単なる詭弁にすぎない。 (四)(1) 準三4(四)(1)は争う。 P3は「従来ならN子も許可されていたという前提のうえで」記事を書いたと称するが、従来においても詐術を弄しないかぎりN子と同様の立場の生徒の大会出場は許可されていない筈である。 又、P3は六年制と三年制とで教育過程、学習内容、進度について差異はほとんどみられないというが事実に反する。前者においては英数国については中学時代より高校教材に入り高校に入つてからも三年制より進度が早く、学習内容もちがつている。 (2) 準三4(四)(2)は争う。 原決定が「六年制のメリツト? デメリツト?」と題する記事を学園の教育方針を批判したものと評価したのは極めて正当である。 P3が六年制コースの教育に力をそそいできた事実はない。 昭和五四年、五五年にP3を中二の副担任としたのは、高松校の六年制一貫教育のシステムを理解させるためであつたが、同人はバドミントンの指導ばかりに力点を置き、六年制の対外試合の規則(高一まで出場可能)を理解しようとせず自己の功名心にかられて高二の生徒に規則違反をさせてまで対外試合に勝つことを企図していた。 (3) 準三4(四)(3)は争う。 P12が転任のさい生徒より記念品を貰つたとか、応援にきたさい子供達が喜んだとか、の事実をあげてP3はP12とバドミントン部員間の強い絆の証拠としている いた。 (3) 準三4(四)(3)は争う。 P12が転任のさい生徒より記念品を貰つたとか、応援にきたさい子供達が喜んだとか、の事実をあげてP3はP12とバドミントン部員間の強い絆の証拠としているが、かかる事例など教員、生徒間に通常見られる関係であつて、右の事情からしてバドミントン部員が「P12先生早くもどつてきて下さい」と直ちにその気持を表わすことになるか否かは大いに疑問であり、右の文言が生徒の気持に仮託したP3の意見なることは疑問の余地がない。 又校長は、P12転任のさい、P3主張の如き発言はしていない。 (五) 準三4(五)は争う。 P3は原決定も認める如く、高松校の教諭、部顧問という立場において学園の基本的方針を批判したことにより学園の対外的な信用を傷つけたものである。 又、P3は父兄がNET・INをみて本件記事を見たとしても総合的に六年制コースを評価して入学させているから何ら生徒募集に影響がないとも主張するが、学園は現実に在籍している生徒の父兄を不安におとし入れ、これが将来の生徒募集に悪影響を及ぼす点を問題にしているのである。 さらに、生徒募集に関するP3主張のP17、P19の発言なるものは存しない。 5(一) 準三5(一)は争う。 P3らの主張するが如き趣旨のP5メモなど存しない。 P8、P20に対する主任発令に伴ない、組合を脱退するのが当然である旨告げたこと、P12らの丸亀校への異動について、学園側に不当労働行為意思はなかつた。 昭和五六年四月より、P12(国)、P21(英)、P22(数)を丸亀校へ異動させ、P24(社)に一年間休職を命じ、P25(理)を常勤的非常勤講師(同人については昭和五四年より昭和五六年三月まで、本来は非常勤待遇とすべきところ、私立共済の組合員資格を継続させるため恩恵的に、常勤的非常勤の待遇を与えて 休職を命じ、P25(理)を常勤的非常勤講師(同人については昭和五四年より昭和五六年三月まで、本来は非常勤待遇とすべきところ、私立共済の組合員資格を継続させるため恩恵的に、常勤的非常勤の待遇を与えていた。)より非常勤待遇としたのは、高松校においては、生徒数が昭和五三年一〇一一名、昭和五四年九〇八名、昭和五五年八三一名、昭和五六年七一八名、と急激に減少したため人事政策上止むを得ずとられた措置であり(なお、以後昭和五七年、昭和五八年も、各六一九名、五八二名とその減少が続いた)、他方丸亀校においては教員を必要としたので、前記三名を転勤させたものである。 昭和五六年八月のP26、P6の塩江合宿引率の件については、当時、屋島への生徒合宿引率の件に関して超勤手当の問題につき監督署が調査中であり、この問題につき右両名は学園と見解が対立していたので、塩江の件についても超勤につき労基法違反の問題が生ずるおそれがあつたので右引率を一応屋島の件で結着がつくまで不許可としたものである。 昭和五六年八月にP1、P2の出勤停止処分がなされたのは、本件で問題となつている校長の玄関前での服装指導の指示に従わなかつたためである。 又、P26は理事長より脱退強要を受けていない。 昭和五七年三月末P24は休職期間満了により退職となつたのを非常勤講師として再雇用したものであり、P25はこれを一年の雇用期間経過により雇止めとしたものである。P1、P2、P3、P6の降職処分は、原審において学園が主張した事由に基づきなされたものである。 P3は、以上の措置が組合潰滅を企図したものと主張するが見当違いもはなはだしいものと云うべきである。 P3は、学園の処分等の結果を、その処分事由等の原因から切りはなして主張し、これと自らの組合員歴、役員歴等(これらの詳細につき学園は不知)とを短 するが見当違いもはなはだしいものと云うべきである。 P3は、学園の処分等の結果を、その処分事由等の原因から切りはなして主張し、これと自らの組合員歴、役員歴等(これらの詳細につき学園は不知)とを短絡的に結びつけ、自己らの組合活動等があつたが故に、これら処分がなされたかのような倒錯した議論を展開しているが、全く失当というの他はない。 学園は、その人事政策上、丸亀校への配転等を行ない、又、P3らの重大な目に余る非違行為があつたので同人らを処分したまでである。 P3の主張するが如き右のような議論が通用するなら、組合員、組合役員等は、就業規則、職場規律、校長等の指示を無視し、自らの正しいと盲信するところに従い勝手気儘に振舞い、これについて懲戒処分がなされたとしても、右が組合活動であるとか、自らが組合員であるということをマジツクワードの如く濫発しさえすれば、救済されるという結果になつてしまうであろう。P3らは正に右の事態を実現せんとしているのであつて、勿論右の如き事態が許されるなどと正気で信ずる者などP3ら以外には居ないのである。 (二) 準三5(二)については、学園は、P3の組合役員歴、活動歴等は不知。 (三) 準三5(三)は争う。 (1) 準三5(三)(1)は争う。 組合は、昭和五三年一二月一〇日丸亀市<以下略>のP7校長私宅に組合員多数で押しかけさせ、校長不在で応待に出た同人の産後間もない妻に対して口々に怒鳴り、カメラのフラツシユをあびせかけるということをした。組合員は、このときあたりより、学園の組合による違法集会、文書配布等の制止という、正当の業務活動についてまで、学園の警告を無視して、カメラを持参して撮影して威嚇し、その写真を事実関係を歪曲して学園を中傷する手段として利用して来た。 学園による違法集会の制止、ニユース回収、掲示板からの 務活動についてまで、学園の警告を無視して、カメラを持参して撮影して威嚇し、その写真を事実関係を歪曲して学園を中傷する手段として利用して来た。 学園による違法集会の制止、ニユース回収、掲示板からの掲示物撤去は、いずれも正当なものである。 なお、学園側は右制止等のさい暴力等を用いたことは一切なく、昭和五五年八月二九日P9がP28に暴力を振つたということもない。 (2) 準三5(三)(2)は、P28が昭和五四年三月二〇日降職処分を受け昭和五五年三月末雇用期間経過により雇止めとなつたこと、同人が以来、学園に無断で、サブタイトルとして「大手前教育通信」なる名称を冒用して「凱風」なる文書を配布し生徒にその受取を強制し、P3を含む一部組合員が、これを支援していることのみを認め、その余を争う。 右文書中には、学園を批判したり、P28らが自己に対する処分、組合員の転勤について学園を非難したり、P9のP28に対する暴行事件という架空の事件を捏造して中傷するという内容が含まれており、P3の主張する生徒に対する教育活動(これも学園がP28らに依頼しないかぎり、同人らが大手前在校生に対しては、本来遂行することができない業務である。)なるものは、単に右の学園に対する非難中傷活動を隠蔽するための口実にすぎない。 P28は、かかる性格の文書を生徒に強制的に受け取らせているものであり(P28は生徒が任意に受取つていると弁解するであろうが、生徒は同人が大手前高松校の前教員であり、又、支援者が現教員であるから止むを得ずこれを受け取つているのであり、後者についてはまさに資格地位の濫用の問題も生ずる。)、組合も、地労委における審理において、右がいわゆる「就労闘争」の一環なることを自認している。 組合活動に生徒を巻き込まないことは、良識ある組合の初歩的常識に属すると解さ の濫用の問題も生ずる。)、組合も、地労委における審理において、右がいわゆる「就労闘争」の一環なることを自認している。 組合活動に生徒を巻き込まないことは、良識ある組合の初歩的常識に属すると解されるが、P3らにはこの点についての良識が全く欠除しているのである。 又、登校時の服装指導要員として学園はこれを指名するにつき、学級担任を除き、男子で健康な教員を選んでおり、「凱風」支援者か否かはこれと全く無関係である。 (3) 準三5(三)(3)については、組合が団交と併行し、かつ、団交後、無許可で、小会議室を使用して集会を開いていたこと、学園が団交終了後、施設管理上の観点よりP9を全員下校するまで留まらせたことは認める。 なお、右集会あるいは、団交要請、処分撤回要求等と称して組合員が校長室におしかけ、校長の業務を妨害するなどしたのは、P3のみに限られていたものではなく、この点で特に同人を注視していたわけでもない。 (4) 準三5(三)(4)中、P3の筆蹟の「わだち」が職員室内で多数回無断配布されたことのみを認め、その余は争う。 (四)(1) 準三5(四)(1)は争う。 ① 同①列挙の月日頃に、同列挙の処分があつたことは認めるが、同列挙の理由は、各処分の事由を正確に記述していずこれを歪曲するものである。 ② 同②の昭和五四年三月の学費凍結署名運動なるものは、P3らが自らの高松校における教諭たる地位を濫用し、署名依頼書にその肩書を明記したうえ、同書上に、父兄より納入される学費が教育とは無関係の使途に用いられていると学園を中傷したうえ、学費凍結署名を父兄に訴えているものであり、学園は右の点を理由として訓告処分としたものであり、P3主張の点など周辺的な事柄にすぎない。 ③ 同③の昭和五六年八月四日の件は、校長への要請程度のものではなく、P3らが校長室にお ているものであり、学園は右の点を理由として訓告処分としたものであり、P3主張の点など周辺的な事柄にすぎない。 ③ 同③の昭和五六年八月四日の件は、校長への要請程度のものではなく、P3らが校長室におしかけドアの前で口々に話しかけ怒号し、シユプレヒコール、拍手をなし、P3が写真をとるなどして要請名下に校長業務を妨害したものである。 ④ 同④については、これらの配布、集会がその時期からして昭和五三年の不当労働行為救済申立の対象になり得る筈もなく、昭和五三年(不)第二号事件で不当労働行為と認定されることなどあり得ないのである。 ⑤ 同⑤の要請行動なるものも、前記③同様、校長室に押しかけ話合を強要したものであり、いずれも業務妨害である。又、これらが、その前に提起された昭和五三年(不)第二号事件において不当労働行為と判断されることはあり得ない。 ⑥ 同⑥中、「凱風」配布については、前述の如き内容の点の問題の外、自転車通学の生徒にその受取を強制している点でその交通安全性に問題があるので、通告書を出したものであり、昭和五八年一二月五日の通告書もP3の称する如く単なる要請などではなく、これに藉口した威嚇行為である。 ⑦ 同⑦はP3が活動家である点を重視して不当に処分した事実はない。 (2) 準三5(四)(2)は争う。 P9がP3に暴行を加えたことなど一切ないが、逆にP3は、昭和五八年一月二六日P9が職員室内でニユースを回収したさい、その前に立ちはだかつてこれを妨害した。 (3) 準三5(四)(3)は争う。 ① 同①の昭和五七年一月二八日の件は、職員朝礼直後、P3よりP9に「車の修理のため午前中外出」する旨の願が出されたので、P9より車の修理のさいは常識的に業者に電話して車をとりに来て貰つているので、P3にもわざわざ外出せずそうすればよいと指導しただけであり、授 に「車の修理のため午前中外出」する旨の願が出されたので、P9より車の修理のさいは常識的に業者に電話して車をとりに来て貰つているので、P3にもわざわざ外出せずそうすればよいと指導しただけであり、授業に支障なければ外出は従来認められていたとのP3の主張は虚偽である。 ② 同②の件は、昭和五八年七月九日のことと思われるが、同日、P3は白地に胸部に緑の太横線の入つたシヤツを着ていたので、P5教頭を通じて注意したところ、P3は別に悪いとは思わぬなどと述べ他の組合員もそれは組合員に対する弾圧ですかなどと見当違いのことを述べてこれに反撥した。 (4) 準三5(四)(4)は争う。 ① 同①についてはP3の教育が特に高い評価を受けていた事実はない。 ② 同②については、学園は学級担任、教科担任等の任命のさい組合員を意識的に排除したことはない。 ③ 同③については右2を援用する外、持ち上りの問題については、学校全体の計画で決定されることであり、必ず持ち上りが実現されるとは限らない。 (5) 準三5(四)(5)は争う。 ① 同①については、学園は「HISTORY」「WORLD・HISTRY」が無断発行されていたことを知らず、その発見直後、校長よりP3に注意指示した。 なお、発見時までのこれらの発行の実態は学園としては不知。 ② 同②については、昭和五五年三月一三日(一七日ではない)に、校長がP3を呼び出し、同人主張の如き質問をしたが、これはこの少し前「HISTORY」の無断発行が発見されたためである。なお、右質問に対しP3は「校長は授業の内容に干渉するな」という趣旨の発言をして退室している。 ③ 同③については、昭和五七年五月一一日と一二日、この少し前に「WORLD・HISTORY」の無断発行が発見され、その内容に必ずしも妥当でない点(原爆についての「10フイート をして退室している。 ③ 同③については、昭和五七年五月一一日と一二日、この少し前に「WORLD・HISTORY」の無断発行が発見され、その内容に必ずしも妥当でない点(原爆についての「10フイート映画運動」についての宣伝の特集)があつたので、校長より次の点を指摘した。すなわち、a 現在授業で仏革命直前を教えているクラスで原爆の話を教えるのは妥当でない。 b 大学受験を目前にひかえる高三クラスで右のような文書を配布するのは、内容的に問題がある。 c 右文書で10フイート映画運動という市民団体の試写会があるから見に行きなさいと生徒に宣伝しないで貰いたい。 d「教科通信」については必ず校長の許可を得て行なうこと。 右の校長の指摘、指示は、授業がどのように行なわれているかその内容形態等につき監督指導するのが校長の職責である点からして当然至極のことであるが、P3は、このときも右の点につき校長から指図を受ける義務がないという非常識な態度をとつた。 ④ 同④については、昭和五八年四月ではなく同年五月七日、校長がP5教頭を通じてそのような指示をしたことはあるが、これはタイトル等を付すと、自主教材と称して不心得な教員により、副教材以外の目的に濫用されるおそれがあるからであり、現に前記③のP3の10フイート運動の宣伝などそのおそれが現実化した一例である。 ⑤ 同⑤については月日は不詳であるが、昭和五八年頃、P3に対しその主張のような指導をしたことはあるが、これはそれまでの経緯より同人についてはプリントの内容に問題が多かつたので特に事前に原稿をチエツクすることにしたものであり、校長の授業内容に対する監督権等よりして相当なものである。 ⑥ 同⑥については、高三の大学受験という大目的に適した副教材の作成が要請されていたものであるが、P3のプリントはこれを充たさぬ ものであり、校長の授業内容に対する監督権等よりして相当なものである。 ⑥ 同⑥については、高三の大学受験という大目的に適した副教材の作成が要請されていたものであるが、P3のプリントはこれを充たさぬ点が多数あつたので、これを指摘しつつとりあえず年度途中でもあつたので、教材プリントの発行を年度末まで許したものである。 ⑦ 同⑦については、右6と同様の観点より判断してP3作成の教材プリントは不適当と判断し、年度初めよりこれを中止させ、かわりに問題演習を行なわせることにした。 (6) 準三5(四)(6)は争う。 ① 同①は争うが、いわゆるP5メモについては既述のとおりである。 ② 同②についてはN子につき、従来の学園方針を適用したのみである。 ③ 同③については「部活動」として休日校外に親睦に行くことは実例がなく、これを許可した例もない。学級担任であるP16がクラスの生徒を引率して行くことは右と全く別個の問題であつて、組合員、非組合員で差別しているわけではない。 ④ 同④については、P3は、合宿とそれ以外のものとを混同しているのである。 又、校長は勉強合宿ならすべて認めるなどと発言したことはない。 一般に合宿については、夜間の生徒の指導、安全確保に問題があり、従前より学校方針としてクラス毎の合宿のみを許可して来たものであり、又、バドミントン部がバドミントン以外の勉強のための合宿などそもそもその必要性が認められないので不許可とされたものである。 又、P19は何も合宿をしたわけではなく、校内で野球部員を集めて勉強させただけであつて、P3の企図したバドミントン部の勉強合宿とは異質のものである。 ⑤ 同⑤については、P3は「NET・IN七号」の提出命令が、昭和五六年九月八日、同人に突然出されたかのように主張するが、これは虚偽である。 前記(5)②にも述べる如 勉強合宿とは異質のものである。 ⑤ 同⑤については、P3は「NET・IN七号」の提出命令が、昭和五六年九月八日、同人に突然出されたかのように主張するが、これは虚偽である。 前記(5)②にも述べる如く、部誌等についてはおそくも昭和四三年頃より校長の検閲許可を経ることになつていたものであるが、P3は無断で「NET・IN」を発行していたものである。 昭和五六年八月二一日NET・IN七号の存在が学園に知られるところとなり、校長が同年九月八日P3を呼びその内容の不当なる点を指摘し、始末書を提出するよう要求したが、同人はこれに応じず、さらに同月二一日までに教頭を通じて二度始末書を提出するよう求めたがP3はこれに応じなかつた。そこで、校長はさらに同年一二月一一日同人を呼び出し始末書を出すよう指示したが、P3は「別に悪かつたとは思わないので出さない」との返事をした。 このようにP3は、「NET・IN七号」で学園を中傷、非難等した行為については学園が何度もその機会を与えたにかかわらず一切反省するところがなかつたものである。 ⑥ 同⑥については、それまでにも中学生を高校生の応援に引率した例もないので、突然と云うことにはならない。 又、当時、労基署で超勤の問題がとり上げられていたのでP5教頭の指導で、P3が出張時間を八時からと改めて、許可を得た事実はあるが、P9が「分単位で出してくれ」と云つた事実はない。 ⑦ 同⑦については、昭和五七年四月校長よりP3に対し「顧問ではないのでバドミントン部の部活に近よらないよう」言い渡されているにかかわらず、P3はその後もしばしば無断で参加していた(昭和五七年四月には部員の父兄あての文書すら出している)ので、同年六月一日にも再び校長より同様の指示をした。 しかるにP3は、昭和五七年六月、九月には大的場健康センターに何名か ば無断で参加していた(昭和五七年四月には部員の父兄あての文書すら出している)ので、同年六月一日にも再び校長より同様の指示をした。 しかるにP3は、昭和五七年六月、九月には大的場健康センターに何名かの部員を集めるなどのこともしている。 P3の卒業式写真への割り込みも右のような事情の下で生起したものであるが、当日P9が撮影の場にて写真の写る所に来ないように注意したにもかかわらず、P3はこれを無視して強引にカメラの前に立ちカメラに納まつたものであるが、P9がアルバム編集のさい写真屋に指示してP3の写つていない写真を使用したものである。 P3は人間的つながりが続いていたとか、子供たちの強い要望があつたとか主張するが、きわめて疑問であり、かりにかかるものが多少感じられたとしても、すでに公的には自己が顧問を退き、後任の顧問も発令されすでに三ケ月も経過しているのであるから、自己の感情等を抑えていわば公的行事である卒業写真に写らないようにするのが教員として当然のことであろう。しかるにP3は、右のようなことも守れないほど公私の混同がはなはだしいのである。 卒業生が昭和五八年三月に校長のところに写真の件で話に来ようとしたか否かは不知。 また、P37について、学園が同人を「大変な問題児であるかのように」記載したことは一切ない。 ⑧ 同⑧については、昭和五七年四月以降、校長の指示に反して、体育館のバドミントン部活動の場にしきりに出入してその指導に介入し、校外でも部員を集めてその歓心を買い、学園に無断で生徒、父兄に文書を配布するなどしたので、本校体育館に一切近ずかぬよう命令したことはある。 (7) 準三5(四)(7)は争う。 高松校では、従来より非常勤講師には、遠足を除き、クラスマツチ、体育祭等に参加させていず、P3についても昭和五七年度以降は同様である。 ぬよう命令したことはある。 (7) 準三5(四)(7)は争う。 高松校では、従来より非常勤講師には、遠足を除き、クラスマツチ、体育祭等に参加させていず、P3についても昭和五七年度以降は同様である。 しかるに同人は、昭和五七年度においては右に参加を試み、生徒の周辺をうろつき話しかけ写真をとつてやつたりなどしてその歓心を買おうとしていたが、昭和五八年度以降は同人が参加しなくなつたというだけであり、そもそも昭和五七年度から参加は認められていないのである。 (8) 準三5(四)(8)は争う。 昭和五六年七月一七日の職員会議での理事長発言は、組合結成よりはるか以前の昭和四〇年頃より、例年公立に変る職員が居たので、変るのであれば、八月中に公立の試験があるので早めに言つて貰わなければ高松校の人事政策上困るという点から毎年一学期最終の職員会議で話されてきたのと同旨の話がなされたものにすぎない。ただこのときは、翌年三月に生徒が一〇〇名位減る見通しを述ベて、それでも優秀な教員と理事者がしつかりしておりしばらく我慢すれば生徒数も将来増えるであろうことも述ベて軽々に公立に変る気持など起さないようにも勧告しているのである。右発言が組合員を意識したものでもなく、その言動を牽制したものでもないことは明らかである。 又、右会議において、自分の学校である高松校の生徒、教育につき余りにも最悪であるかの如く発言する教員(P3か否かは不知)が居たので、これをたしなめるため「よその学校へ一度勤務して比較したらどうか」という趣旨の理事長の発言はあつたが、勿論学園より追放するという趣旨のものではない。 (五) 準三5(五)は争う。 前述のところによりP3の主張の理由なきことは明らかである。 6(一) 準三6(一)は争う。 前記の如く、P3の本件「NET・IN七号」による中傷等自 のものではない。 (五) 準三5(五)は争う。 前述のところによりP3の主張の理由なきことは明らかである。 6(一) 準三6(一)は争う。 前記の如く、P3の本件「NET・IN七号」による中傷等自体きわめて悪質であり、しかも、校長は数回にわたつてP3に始末書を出して反省するよううながしたが、同人は全くこれを反省しなかつたものであり、これらの点を考慮すれば本件降職処分の相当性は明らかと云うベきである。 (二) 準三6(二)は争う。 P3は「NET・IN」より自己の都合のよい箇所を引用して自画自賛しているが、右部誌はそもそも自己の編集した冊子であるので、自己に不利な記事などのる筈はなく、P3の云うところの自己の有能さ、高い評価などの立証の点では、その証明力は皆無であることは云うまでもない。 又、甲陽学院の教育方針をあたかも高松校のそれに代置した方がよいかの如く主張する点についても、各私立学校の置かれている諸条件を全く無視するものであつてきわめて説得力に欠けるものである。 さらに、P3は「子どもたちが志望大学に進学できるようにサポートしておる」とも云うが、右サポートなるものも高松校の教員である以上それ独自の方針に沿つてこれを実現すベきであるのに、前述N子の例にみられるように、P3はこの方針を覆そうとしたのである。 (三) 準三6(三)は争う。 P3は「N子がその場で目を真つ赤に泣きはらすほどシヨツクをうけていた」などと皮相な現象をとらえて、いかにも校長の指導が妥当でないかのような印象を与えようとしているが、失当であり、その後にN子が指導を疑問視していたなどとも指摘するが、このような事実もない。N子が校長の指導を感謝する電話をしたことは前述のとおりである。 P3は又如何にも自己が生徒指導に経験があるかの如き印象も与えようとしているが、こ ていたなどとも指摘するが、このような事実もない。N子が校長の指導を感謝する電話をしたことは前述のとおりである。 P3は又如何にも自己が生徒指導に経験があるかの如き印象も与えようとしているが、これ又全く根拠がない。 そもそもN子は校長が呼んだのではなく、担任のP16を通じてN子が校長と会うことを希望したものであり、又、愛情あふれる指導なるものもP3の示唆するようなその場かぎりの生徒に迎合するような表面的なものに終るものであつてはならないのであり、場合によつては前述訓育的側面も持たさなければならないのである。 N子は結局校長の指導を受入れたからこそ現役で目ざす医学部に進学できたのであり、もし、P3の誘導どおり大会出場をしていたとすればそれも不可能であつたおそれが大である。 P3は、高松校教員として充分右事情を理解すべきであつたのである。 (四) 準三6(四)は争う。 P3が懲戒権の濫用と考えられる事由としてあげるものは、その事実がないか、趣旨不明のものばかりである。 とくに、「NET・IN七号」はバドミントン関係の相当数の生徒、父兄に配布されたものであり、N子の指導の秘密性については未成年者のN子本人がどうであつたかはともかく、N子の叔母、P16担任等通常の常識を具えた成人であれば当然理解し得た筈である。 又、P3は生徒をはげますためとか、大手前の教育を充実させるため問題の記事を書いたとも云うが、かかる主観的動機さえあれば、学園を中傷する文書を作成し配布しても正当化、免責されるかのような議論を未だに主張すること自体、P3が本件非違行為を全く反省せず、機会あれば今後とも必ずくり返す危険を有していることを如実に物語るものと考えられる。 (別紙二の(二))別紙一の(二)(以下「抗準」という)の主張に対する認否及び反論一一項は争う。 く反省せず、機会あれば今後とも必ずくり返す危険を有していることを如実に物語るものと考えられる。 (別紙二の(二))別紙一の(二)(以下「抗準」という)の主張に対する認否及び反論一一項は争う。 P1らは、要するに、懲戒の形態を「懲戒解雇」と「一般的懲戒」に二分し、前者を雇用関係からの排除として、また、後者を雇用関係の維持を前提とするもの(しかも、当初労働契約の基本的内容《基本的内容とは何かも実は必ずしもP1らの主張からは明確ではない。》を変更しない形態に限る。)として、各把握し、「降職処分」なるものがこのいずれのカテゴリーにも属さないから、その正当性、妥当性は疑わしいとの印象を与えようとしているものにすぎない。 しかしながら、一旦「懲戒解雇」するに足りるだけの条件が備つている場合において、これを緩和する措置としてかつ労働者がこの下げられた職に拘束されない(降職が不満なれば辞職できる)場合に、「降職処分」が許されることは、いわば社会常識にも属する当然の事理であつて、以上に反するような見解を筆者は知らないものである(有斐閣刊、法律学全集47、有泉亨著「労働基準法」二二三頁(d)項、二三二頁(4)項等参照)。 原決定も、本件降職処分が実質的には懲戒解雇に準ずる処分であることを認め(同決定一一丁裏~一二丁表、懲戒解雇するに足りる処分事由ありとしてP1らに対する降職処分の有効性を是認しているものである。 二二項は不知。 三三項は争う。 学園高松校における教育職員の主たる階梯は、次のとおりである。 1 校長 2 副校長 3 教頭 4 教頭補佐 5 教諭 6 助教諭 7 講師a 常勤講師b 非常勤講師右の1、校長以下4、教頭補佐までの各階梯については、5、教諭以下7、講師までの各階梯の職員がこれらに充てられあるいはこれらを兼任する 教諭 6 助教諭 7 講師a 常勤講師b 非常勤講師右の1、校長以下4、教頭補佐までの各階梯については、5、教諭以下7、講師までの各階梯の職員がこれらに充てられあるいはこれらを兼任することは要求されておらず(学校教育法五〇条一項、四項等参照)、この点で、教諭をもつて充てることとされている各種主任(同法施行規則二二条の三、四、五二条の二、三、五五条、六五条参照)とは異なる。 右のうち、2、3、4および7の小区分aおよびb(7自体は就業規則上に規定あり)は、就業規則(疎乙第六四号証の二)五二条一号に規定されていないが、これら分類が右1、5、6等の分類と質的に異なつているわけではなく、前者が「身分」であつて、後者が「職階」であるなどとP1ら主張の如く単純に結論できないことは言うまでもない。 就業規則六七条四号が降職の定義として「身分又は職階」を下げ若しくは剥奪することをあげているのは、むしろ、前述教育職員の全階梯について、それが身分か職階かなどという概念操作のトリビアリズムを抜きにして、降職処分が許されることを規定しているものと解すべきである。 勿論、懲戒解雇に付するに足りる処分事由あるとき初めて許される降職処分といえども、公序良俗等に反する例外的な場合はこれが許されないこともあろうが、右の如く懲戒解雇事由の存在を要件とし、前述の如く労働者にこの場合辞職の自由があることを考慮すれば、余程のことがないかぎり右のような公序良俗違反等による無効を結果することは稀であると考えられる。 P1らは、前述の如き階梯を具備したシステムである学園高松校の教育職員体系の一員として、まず出発点を5、教諭として採用されたものであるが、懲戒解雇事由に匹敵する事由あるときは、懲戒解雇は勿論のこと、その緩和措置としての降職処分、しかも、階梯の最下段7、 校の教育職員体系の一員として、まず出発点を5、教諭として採用されたものであるが、懲戒解雇事由に匹敵する事由あるときは、懲戒解雇は勿論のこと、その緩和措置としての降職処分、しかも、階梯の最下段7、非常勤講師へのそれも、懲戒処分としてなされることもあることを予想して採用されたものであり、かつ、こう解することにつき何ら不合理な点も見当らない。本件降職処分は、P1らを、就業規則五二条一号の教育職員のカテゴリーの中で降職するものであつて、同条二号の事務職員、技術職員、同条三号の雇員等に発令するものではないのである。 四高松校における教諭、常勤講師および非常勤講師の職務内容の実態は、差異等は別表第一記載のとおりであり、抗準四項は右と一致する限度で認め、矛盾する限度で否認ないし争う。 五高松校における教諭、常勤講師および非常勤講師の学園からうける処遇の実態、差異等は別表第二記載のとおりであり、抗準五項は右と一致する限度で認め、矛盾する限度で否認ないし争う。 別表第一教諭、常勤講師、非常勤講師の職務内容の実態本校では教諭、常勤講師は常勤教員として取扱つている。これらと非常勤講師の全ての職務はいずれも校長の指揮監督、業務命令の下に実施されるものである。 <07870-008><07870-009><07870-010>なお、P7校長を除く三名の管理職のうちP5は「常勤講師」とは異なる階梯の「副校長」であり、P9、P45の両名はいずれも「教頭」の階梯にある。右の一覧表で明らかなように高松校に於ては常勤講師と教諭は、職務内容、職務権限において必ずしも同一とはいえない。 別表第二教諭、常勤講師及び非常勤講師の学園からうける処遇の差異について<07870-011><07870-012>なお、高松校における講師のうち『公立学校を退職して年金 同一とはいえない。 別表第二教諭、常勤講師及び非常勤講師の学園からうける処遇の差異について<07870-011><07870-012>なお、高松校における講師のうち『公立学校を退職して年金を受給したり他に本務をもつておりながら、高松校の教員として勤務している者』は半数に満たない。 (別紙二の(三))別紙一の(三)(以下「準」という)の主張に対する認否及び反論一(相手方は、抗告人らに対する各降職処分はいずれも理由があり、有効であるので、そもそも抗告人らには右記載の如き金銭支払請求権はないものと考えるが、かりに何らかの理由で右処分が効力を有しないと判断される場合に、予備的に認否する。)準別紙一覧表については争う。 二抗告人らは現在、学習塾を経営して講師として働いており、抗告人P1、同P3において月収各約二三万円ずつ、坑告人P2においては月収各約三〇万円ずつを得ているものであり、右学習塾の経営、授業準備のためには、学園の教諭として勤務しているとすれば拘束されるであろう時間帯(午前八時三〇分より午後五時一五分まで)の全部又は大部分を費やしていると考えられる。 右の結果として、抗告人らは学習塾経営等による月収を得ているものであるから、右月収は損益相殺により、抗告人らの請求金額より控除されるべきである(疎乙第四八号証)。 三又、抗告人らは、右二の月収を得ているものであり、いずれも当面その生活に支障を来たすおそれがないから、抗告人らの金銭支払請求は、保全の必要性を欠き、却下されるべきである(疎乙第四八号証)。

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