平成12(ワ)309 損害賠償請求事件

裁判年月日・裁判所
平成15年9月2日 盛岡地方裁判所
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判決文本文21,926 文字)

主文 1 被告イカリ消毒盛岡株式会社は,原告に対し,金628万0461円及びこれに対する平成12年8月30日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 2 原告の被告イカリ消毒盛岡株式会社に対するその余の請求を棄却する。 3 原告の被告財団法人電気通信共済会に対する請求を棄却する。 4 訴訟費用のうち,原告と被告イカリ消毒盛岡株式会社との間に生じた分についてはこれを4分し,その3を原告の,その余を被告イカリ消毒盛岡株式会社の各負担とし,原告と被告財団法人電気通信共済会との間に生じた分については,原告の負担とする。 5 この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。 事実及び理由 第1 請求被告らは,原告に対し,連帯して金2620万6440円及びこれに対する平成12年8月30日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要本件は,被告財団法人電気通信共済会(以下「被告共済会」という。)の管理する施設において寮母をしていた原告が,その施設の厨房において被告イカリ消毒盛岡株式会社(以下「被告イカリ消毒」という。)により実施された害虫の防除作業後にその厨房で仕事をしたことから,有機リン中毒にり患したとして,被告共済会に対しては安全配慮義務違反に基づき,被告イカリ消毒に対しては不法行為に基づき,損害賠償を請求した事案である。 1 前提となる事実・原告(昭和16年12月21日生)は,被告共済会との間で以下の内容の独身寮運営委託契約を締結し,これに基づき,寮母として働いていた。 ア施設名 A株式会社B寮(以下「B寮」という。)イ期間平成9年4月1日から平成10年3月31日までウ業務入居者に対する食事の提供及び食事 て働いていた。 ア施設名 A株式会社B寮(以下「B寮」という。)イ期間平成9年4月1日から平成10年3月31日までウ業務入居者に対する食事の提供及び食事材料の仕入れ,衛生の保持,火災・盗難等の防止及び施設の監視,寮管理人又は寮長の補助作業・被告共済会は,訴外C株式会社との間で,平成10年3月9日,独身寮の厨房等のねずみ,ゴキブリ等の防除を目的として,害虫防除作業委託契約を締結し,この契約に基づき,同月20日,被告イカリ消毒がB寮の消毒(以下「本件防除作業」という。)を行った。 ・原告は,前項の消毒作業後,B寮の厨房(約18.2平方メートル。以下「本件厨房」という。)に入室し,食事の準備などをしたが,その後,原告に頭痛,全身倦怠感などの症状が現れた。 2 主たる争点・本件防除作業の実施について,被告イカリ消毒の注意義務違反の有無・本件防除作業の実施について,被告共済会の注意義務違反の有無・原告は有機リン中毒にり患したか否か・原告の損害 3 当事者の主張・被告イカリ消毒の注意義務違反の有無ア原告・被告イカリ消毒は,ねずみ,ゴキブリ等の防除作業に当たり,副作用の強いスミチオンVP乳剤,エクスミン水性乳液を使用するのであるから,これらの薬剤の危険性を認識し,作業の実施場所である本件厨房,食品庫の広さに応じた適量を使用し,作業終了に当たっては,使用薬剤をふき取るなどした上,適当な時間入室を禁止するなどし,作業後の残留薬剤に人が曝露されて中毒症状が引き起こされることがないようにすべき業務上の注意義務があるのに,これを怠り,これらの措置を講じることなく前記薬剤を使用した。 ・スミチオンは,フェニトロチオン5パーセント,ジクロルボ 状が引き起こされることがないようにすべき業務上の注意義務があるのに,これを怠り,これらの措置を講じることなく前記薬剤を使用した。 ・スミチオンは,フェニトロチオン5パーセント,ジクロルボス(以下「DDVP」という。)2パーセントを含有するもので,これらはいずれも農薬の分類としては有機リン剤である。フェニトロチオンは,日本では普通物に分類されているが,中毒例や死亡事故も多い(甲26ないし28)。WHOでは,毒性Ⅱ(分類は強い方から,Ⅰa,Ⅰb,Ⅱ,Ⅲとされている。)に,米国環境保護庁ではカテゴリーⅡ(毒性の強い方から,Ⅰ,Ⅱ,Ⅲ,Ⅳとされている。)に,それぞれ分類されているものであり,毒性が弱い薬剤ではない。米国では,1992年の農薬に関する労働保護基準で,24時間の暫定入場制限期間が定められている(甲48,50,51)。DDVPは,医薬用外劇物に指定されていて,その毒性はきわめて強い。蒸気圧が高く,空気中濃度が高くなりやすいという特性があり,中毒事故は,処理した後の室内に入って起こっている(甲49)。2種類以上の農薬を混ぜ合わせた場合の毒性については,通常より強化されるとされており,本件薬剤も「プレミアムスミチオンVP乳剤」と薬効が強化されたことを強調する命名となっている。 エクスミンは,ピレスロイド系の殺虫剤であり,ペルメトリンを成分する。ペルメトリンは,急性毒性物質で神経系に影響を与える(甲17)。 これらの薬剤の使用に当たっては,スミチオンについては「間違った使い方をすると健康を害する」とされ,「使用中は保護具(長袖の作業着,作業帽,保護メガネ,保護マスク,保護靴,ゴム手袋など)を使用し」,「身体の露出部を少なくして薬剤を浴びないようにすること」とされている(乙A2)。また,「薬剤の使用により頭 保護具(長袖の作業着,作業帽,保護メガネ,保護マスク,保護靴,ゴム手袋など)を使用し」,「身体の露出部を少なくして薬剤を浴びないようにすること」とされている(乙A2)。また,「薬剤の使用により頭痛,目や喉の痛み,咳,めまい,嘔吐,気分が悪くなった場合等には,直ちに使用を中止し,医師の診療を受けること。医師の診療を受ける際には,使用薬剤の名称,成分名,症状,被爆状況等についてできるだけ詳細に告げること」とされている(乙A2)。屋内での使用後は,必ず換気することとされている(乙A2)。 エクスミンについても,ほぼ同様の取扱注意となっている(乙A3)。 ・本件防除作業の内容は,①本件厨房内の棚,床等に薬剤をふりかける,②本件厨房内に霧状の薬剤を充満させるというものであったが,寮母に対する周知事項としては,食品,食器類等を他所へ移動すること,2時間程度入室しないこと,不明な点は技術員に問い合わせることという程度のものであった。 ・本件薬剤の散布量については,スミチオンは300ccを水にて10倍に希釈し,エクスミンについては15ccを10倍に希釈して使用したものである。N証人によれば,スミチオンについて農家がハウスで使用する場合,原液に比して2000倍ないし4000倍に希釈して使用しているのであり,本件では,農家が使用するものよりも10ないし20倍濃いものを使用しているのである。しかも,農家がビニールハウスに散布した場合,10時間は入場しないように指導しているとのことである(甲29の1頁)。本件ではいかに多量に使用していたのかが分かる。 被告イカリ消毒は,スミチオンの散布量につき,1平方メートル当たり50ミリリットルの標準量よりやや少なめに散布した,つまり,本件では73. 25平方メートルのところに30 のかが分かる。 被告イカリ消毒は,スミチオンの散布量につき,1平方メートル当たり50ミリリットルの標準量よりやや少なめに散布した,つまり,本件では73. 25平方メートルのところに300ミリリットルを散布したので,1平方メートル当たり45ミリリットルと少なめであるとする。しかし,この主張は,平成13年4月25日の被告イカリ消毒の主張の中で初めて出されたものであり,同被告は,原告や被告共済会の質問に対し,当初,通常の2倍散布したと答えている(乙A7の9頁)。また,本件直後に被告共済会により作成された資料(乙B1)によれば,作業場所は本件厨房の床18.2平方メートルと食品庫8.3平方メートルとされていて,被告イカリ消毒が主張する73.25平方メートルとは記載されていない。そもそも,添付文書(乙A2)によれば,「ゴキブリの潜み場所あるいはよくはい回る場所に残留散布又は噴霧する」とされ,床や壁面全体に散布するとはされていない。 また,散布後の状態についても,「床は水を全面に張ったようにビシャビシャの状態,低いところは水たまりとなっていた。棚板の裏側からは薬剤のしずくが垂れていた。引き出しの中もビシャビシャの状態。冷蔵庫の裏側,戸棚の裏側からはわたぼこりがふやけて浮いていた」(乙B1の1頁)。このような状態からすれば,本件の場合,標準量よりも大量に散布されたとみるのが素直である。 イ被告イカリ消毒・原告の主張は争う。本件防除作業を行うに当たり,被告イカリ消毒には,本件薬剤が中毒を惹起するという予見可能性がなく,また,使用方法においてなんらの過失もないのであるから,仮に原告の症状が有機リン中毒であったとしても,損害賠償責任を負うものではない。 ・被告イカリ消毒が本件防除作業に使用した薬剤は,プレミ た,使用方法においてなんらの過失もないのであるから,仮に原告の症状が有機リン中毒であったとしても,損害賠償責任を負うものではない。 ・被告イカリ消毒が本件防除作業に使用した薬剤は,プレミアムスミチオンVP乳剤(商品名。発売元・D製薬株式会社,製造元・E化学工業株式会社)300ccを水で10倍に希釈したもの,及びFエクスミン乳剤(商品名。発売元・G株式会社)15ccを水で10倍に希釈したものである。 被告イカリ消毒が本件防除作業に使用したスミチオン及びエクスミン(以下,両者を併せて「本件薬剤」という。)は,いずれも家庭用の殺虫剤にも使用されていたものであり,被告イカリ消毒は,これらを経口摂取したり,長時間接触したりした場合は別として,短時間これに触れたとしても,中毒を引き起こすようなものではないと認識していた。 本件薬剤に関するデータ及び注意事項の内容は,乙A第2号証,3号証,6号証のとおりであるが,その記載を見ても,本件薬剤が特に中毒性の強いものであって,特段の注意を要するということは記載されていない。使用上の注意を見ても,作業中には換気に注意をする等の記載があり,また,手に付着したら洗い流すようにすべきとの記載がされているが,これは薬品を使用するに当たっての一般的注意であり,一般人においても当然に知っている程度のことであるから,この注意書をもって,本件薬剤が短時間の接触により重大な中毒を引き起こすような薬品であると推測することはできない。 ・被告イカリ消毒は,スミチオンについては,壁際や食器棚,流し台等の際,あるいは家具の裏の壁面等に直接散布し,エクスミンについては,霧状にて空中に散布するという方法を用いた。したがって,壁際等の部分には薬剤の水溶液が残留するが,天井には散布していないので,天 等の際,あるいは家具の裏の壁面等に直接散布し,エクスミンについては,霧状にて空中に散布するという方法を用いた。したがって,壁際等の部分には薬剤の水溶液が残留するが,天井には散布していないので,天井から薬剤が垂れるということはない。 被告イカリ消毒の社員3名は,平成10年3月20日午前10時30分ころから本件防除作業を開始した。被告イカリ消毒では,消毒場所が薬剤の散布に適する状態であることを確認し,食器等の直接口にする物についてはこれを他の場所に移動し,作業の支障となる物はどかすなどの準備をすること,機材や薬剤の水溶液を用意することから開始するのが通常であり,本件防除作業の当日も同様の手順で作業が行われた。イカリ消毒の社員が,散布後,片づけをし,器具等を撤去して,本件防除作業を終了したのが同日午前11時30分ころである。 本件薬剤は,残留効果によりゴキブリ等を駆除するという効能を有するものであるから,被告イカリ消毒の社員が薬品等をふき取らなかったこと自体は,本件薬剤の当然の使用方法であり,過失ということはできない。 ・被告イカリ消毒は,製薬会社が各種の試験を行い,用法,用量を守れば安全であると確認し,かつ,国の機関が認可した本件薬剤を,指定の用法,用量を守って使用していたのであり,しかも,その知り得る範囲内において過去に用法,用量を守って使用して有機リン中毒になった事例はないのであるから,かかる使用状況において有機リン中毒になることの具体的な予見可能性はないというべきである。 ・被告共済会の注意義務違反の有無ア原告原告と被告共済会との関係は,委託契約の形をとってはいるものの,原告の行う仕事全体が被告共済会の指示に従ってされ,実際には,その指揮命令の下に従属的労働関係に服していた 無ア原告原告と被告共済会との関係は,委託契約の形をとってはいるものの,原告の行う仕事全体が被告共済会の指示に従ってされ,実際には,その指揮命令の下に従属的労働関係に服していたものである。このような場合,被告共済会は,原告の勤務する場所の設営,維持に関し,原告の生命及び健康等を危険から保護するように配慮する義務がある。ところが,被告共済会は,被告イカリ消毒に対し前記のような不完全な,ねずみ・ゴキブリ等の防除作業を実施させた。被告法人には,原告に対する安全配慮義務を怠ったことによる責任がある。 また,被告共済会は,専門業者に対し本件厨房内で殺虫剤を用いての防除作業を行わせるのであるから,防除作業の危険性について被告イカリ消毒から説明を受けるなどして安全に作業が行われるように措置すべき義務があった。しかし,被告共済会は,上記義務に違反して,被告イカリ消毒の説明を漫然と聞くだけで,例えば使用薬剤の添付文書(乙A2ないし4)すら要求せず,特に散布後の対応についてなんら指示をしなかった。その結果,原告が本件薬剤に曝露し,有機リン中毒を引き起こしたものである。 イ被告共済会原告の主張は争う。 被告共済会は,乙B第6号証及び乙B第7号証記載のとおり,C株式会社との間において,B寮を含む東北支部管内における独身寮の「害虫防除作業委託契約」を締結し,同契約に基づき,Cの依頼を受けた被告イカリ消毒がB寮の消毒を行ったのである。このように,被告共済会は,L局舎の害虫防除に実績があり,害虫防除の専門業者であるC株式会社に対し害虫防除を依頼したものであり,被告共済会としては注意義務を十分に果たしている。 また,被告共済会は,本件防除作業を実施するに当たり,薬剤の噴霧作業を行うこと,薬剤が食器,食 株式会社に対し害虫防除を依頼したものであり,被告共済会としては注意義務を十分に果たしている。 また,被告共済会は,本件防除作業を実施するに当たり,薬剤の噴霧作業を行うこと,薬剤が食器,食品類に付着しないようにすること,防除作業終了後2時間程度入室しないようにすることなどの注意事項を記載した書面(甲13)や,防除後の後始末として,「必要があれば通常のとおり換気扇により喚起をしてください」と記載した書面(甲14)を原告に対し交付した。このように,被告共済会は,専門業者であるC株式会社との打合せ,指導の下に,甲第13号証や甲第14号証の書面を作成し,原告らに配布し,注意を喚起していたのであるから,安全配慮義務を尽くしていた。 ・原告は有機リン中毒にり患したか否かア原告・平成10年3月20日以降の原告の症状は,以下のような経過をたどった。 a 平成10年3月20日(本件防除作業当日)「全身がだるく目も渋い」「頭も重く歩くのがつらい」午後7時30分に自室に戻ったとき「頭痛がして全身が鉛のように重い」b 同月21日「体がだるく,頭痛」「胃が重い」c 同月22日「頭痛と目の奥が痛い」「身体が重い」「胃のあたりもすっきりしない」夜「嘔吐」d 同月23日「身体が重く」「食欲もない」e 同月24日23日と同様,夜「嘔吐」f 同月25日H内科神経内科受診,点滴カルテに「吐き気,嘔吐」の記載(乙A7の7頁)g 同月26日被告イカリ消毒に電話し,散布薬剤がスミチオンとエクスミンであると教わる。医師に 経内科受診,点滴カルテに「吐き気,嘔吐」の記載(乙A7の7頁)g 同月26日被告イカリ消毒に電話し,散布薬剤がスミチオンとエクスミンであると教わる。医師にも連絡。カルテに「吐き気」の記載。 h 同月27日胃が痛む,「身体全体がだるく,特に下半身が重い」H内科神経内科で採血。カルテに「頭痛,吐き気」の記載i 同月28日H内科神経内科で,3月20日の殺虫剤散布と原告の仕事状況を説明。カルテに「頭痛,吐き気」の記載j 同年4月2日「筋痛」を訴える(乙A7の8頁)。 その後も,胸のむかつき,胃の不快感,全身のだるさがあり,4月13日から「下半身のだるさに加え,最近は股関節と筋肉の痛み,特に左足,左腕に力がなく脱力感」k 同月21日原告の主な訴えは以下のとおり。 ①下半身がだるい,②頭痛,③両下肢がだるい,④筋痛l 同年5月15日I医師による有機リン中毒の診断m 同年6月10日K病院に入院し,同年10月16日に退院して,筋力回復のリハビリを行う。 n 平成11年5月31日J医師により症状固定の診断。 原告の後遺症について,J医師の診断内容は,「有機リン中毒後遺症」の傷病名で,「咳,労作時息切れ,動悸,脳,背部痛,肩こり,頭痛,下肢筋肉痛,握力低下,下肢筋力低下,肺活量低下,胆石症,大腿四頭筋の筋萎縮」であり,「呼吸筋力の低下による拘束性喚起障害あり」とし,労働能力喪失率第5級2,3号に該当するとしている。 o 平成13年8月21日原告は,岩手県から「事 四頭筋の筋萎縮」であり,「呼吸筋力の低下による拘束性喚起障害あり」とし,労働能力喪失率第5級2,3号に該当するとしている。 o 平成13年8月21日原告は,岩手県から「事故による両上肢機能障害4級,事故による両下肢機能障害4級」で身体障害者第3級の認定を受けた。 ・有機リン中毒の症状a 有機リン中毒の症状として,次のような指摘がされている。 (a) 軽症倦怠感,違和感,頭痛,めまい,胸部圧迫感,不安感及び軽度の運動失調などの非特異的症状,嘔吐,唾液分泌過多,多量の発汗,下痢,腹痛,軽い縮瞳(b) 中等症  (軽症の諸症状に加えて)縮瞳,筋繊維性れん縮,歩行困難,言語障害,視力減退,除脈(c) 重症縮瞳,意識混濁,対光反射消失,全身けいれん,肺水腫,血圧上昇,失禁b 急性症状が治まった後に慢性中毒症状が生じることがあると指摘されているが(甲29の資料2),この慢性中毒障害としては,次のように分けられる。 (a) 遅発性多発性神経障害急性期を過ぎて2ないし4週間後に四肢(特に下肢)の知覚障害,運動麻痺を来たすもので,脊髄及び末梢神経の障害と考えられている。 (b) 急性中毒の慢性後遺症急性の曝露後,症状が数か月から年余にわたって続くものをいう。わずか1回ないし数回の曝露でも起こり得るが,症状が慢性的に残るため,しばしば慢性中毒と混同されやすい。症状としては,頑固な頭痛,視力障害,精神症状及び精神病的後遺症,中枢性神経障害,神経精神機能の低下などが多く見られる。 (c) 慢性的曝露による中毒連続して長期間曝露されることにより,長年のうちに中毒(障害)を 及び精神病的後遺症,中枢性神経障害,神経精神機能の低下などが多く見られる。 (c) 慢性的曝露による中毒連続して長期間曝露されることにより,長年のうちに中毒(障害)を起こしてくることをいう。 ・原告の症状原告は,前記・のとおりの症状経過をたどったものであり,本件防除作業後に本件厨房で作業をしたことにより,有機リン中毒にり患し,前記・b記載の急性中毒後遺症を残すことになった。 ・原告の中毒の程度原告は,全く保護策を取ることなく長時間作業していたのであり,呼吸や皮膚からかなりの薬剤に曝露されたと思われる。そして,作業直後から,発汗,全身のだるさ等の症状を呈しており,作業態様と合わせ考えると,かなりの量を曝露されたものと考えるべきである。N証人は,原告の曝露につき,初期症状としては「中等度」に近い症状であるとしている。 原告の症状について,N証人は,頭痛,筋痛・関節の痛み,胸痛は神経の痛みとして,また,全身の倦怠感・疲労感や筋力の低下,筋脱力は神経の障害の結果として,それぞれ生じるとしている。また,眼痛,思考力・集中力の低下も精神症状と合わせて後遺症と判断してよいとしている。 原告は,身体障害者として両上肢機能障害4級,両下肢機能障害4級で身体障害第3級の認定を受けている。両上肢,両下肢の機能低下は,本件中毒の結果生じたことは明らかである。有機リン中毒が末梢神経障害を生じ得ること,原告は,本件中毒の結果,他にも様々な症状を呈し,長期間の治療を必要とした。これらの結果,上記のような両上下肢機能低下を招いたとすれば,これは有機リン中毒の後遺症と考えるべきである。そして,これに加えて,原告は,上記のように頭痛,倦怠感,疲労,筋肉・関節痛に今なお悩まされ れらの結果,上記のような両上下肢機能低下を招いたとすれば,これは有機リン中毒の後遺症と考えるべきである。そして,これに加えて,原告は,上記のように頭痛,倦怠感,疲労,筋肉・関節痛に今なお悩まされ続けている。 原告は,本件中毒になるまで健康で体の機能に障害はなかった。また,これまでの生活歴を見ても,他に現在の症状を引き起こす原因となるものは考えられない。 イ被告ら・原告が有機リン中毒になったという証拠はない。 ・原告が有機リン中毒であったと主張する根拠に,当初の診断医であるI医師の診断があるが,その診断根拠は,甲第25号証にあるとおり,「全身倦怠,眼痛,吐き気があり,神経学的,血液,生化学的には異常所見はないが,現場状況から判断した」とするものであり,客観的な検査結果等に基づいて真の原因を特定する診断ではなく,患者の愁訴からの推測にすぎない。 乙A第45号証からも明らかなとおり,有機リン中毒になれば,軽症の場合でも倦怠感,違和感,頭痛,めまい,胸部圧迫感,不安感などの非特異症状,吐き気,嘔吐,唾液分泌過多,発汗,腹痛,軽い縮瞳が発生する。しかるに,乙A第7号証の7頁を見れば,吐き気,嘔吐,頭痛,食欲不振等の記載はあるが,それ以外の有機リン中毒に特有な症状,すなわち,唾液分泌過多,縮瞳等の有機リン中毒の症状についてなんらの記載もない。しかも,鈴木医師は,乙A第7号証の1頁の病名記載欄に有機リン中毒との記載をしていないし,コリンエステラーゼ値の検査も平成10年4月17日まで実施していない。このように,原告が有機リン中毒であるというI医師の診断は,さしたる根拠に基づくものではない。 I医師は,有機リン中毒の診断名により,原告をK病院へ紹介し,K病院はこれを受けて,有機リン中毒の診断 ,原告が有機リン中毒であるというI医師の診断は,さしたる根拠に基づくものではない。 I医師は,有機リン中毒の診断名により,原告をK病院へ紹介し,K病院はこれを受けて,有機リン中毒の診断名においてこれを前提として治療を開始しているにもかかわらず,原告に対し,なんら有機リン中毒の治療を施してないし,その診療録上,有機リン中毒を裏付ける症状の記載はなく,検査の結果等,有機リン中毒を裏付ける根拠もない。 I医師は,平成10年4月17日にコリンエステラーゼ値の検査を行っているが,この検査において,原告の数値は正常であった。有機リン中毒の場合,コリンエステラーゼ値が低下するのが通常であり,この低下が認められないということは,有機リン剤の中毒であることに対する疑いが否定される方向に働く。 乙A第7号証の冒頭の記載によれば,原告には,平成9年の段階において,心身症,背腰痛の診断名があり,かつ,腰椎に異常がある。また,原告の既往症として,肩こり,冷え等が記載されている。心身症が,原告の不定愁訴とほぼ同様な自覚症状を発症させることはよく知られている。原告は,既往歴として,頭痛,胃の痛み,冷え,肩こり等があると申告しているし(乙A8の13頁及び15頁),乙A第7号証を見ても,しばしば頭痛,食欲不振,吐き気等を訴えている。 このように,本件防除作業が実施される前の診療における原告のI医師に対する愁訴及びその症状は,本件防除作業後の原告の愁訴及び症状とほとんど変化はないのであり,このような既往症を持つ原告において,本件被曝前の症状と本件被曝後の症状とを明らかに区別できるとは言い難い。 ・仮に原告が有機リン中毒であったとしても,原告について後遺症の存在は否定されるべきである。 M証人は,コリンエステラーゼ値が 曝後の症状とを明らかに区別できるとは言い難い。 ・仮に原告が有機リン中毒であったとしても,原告について後遺症の存在は否定されるべきである。 M証人は,コリンエステラーゼ値が正常に復しても中毒症状が残存した例は経験がないとした上,急性有機リン中毒の重症患者については後遺症が残存する可能性までも否定するものではないが,原告については,その症状が極めて軽微であるから,後遺症は残存しないとしている。また,M証人は,原告の後遺症とされている握力低下については対照資料がなく,年齢的に見てもこれが低下しているとは判断できないし,大腿四頭筋の局所的な萎縮は有機リン中毒では生じないとしている。 有機リン中毒により後遺障害が残る事例はほとんどが自殺であり,散布による急性中毒によって後遺障害が残る例というのは例外である。 原告が主張する後遺症の大半は,原告自身の既往症や加齢によるものであり,本件防除作業とは直接関係のないものである。 ・原告の損害ア原告・医療費 46万8640円(K病院分)・入院雑費 19万5000円・入通院慰謝料 300万円・逸失利益 854万2800円原告は,寮母の仕事をして,1か月23万7300円の収入を得ていた。この仕事は,満60歳に達した年度の年度末(直近の3月31日)まで働くことができるので,本件事故がなければ,平成14年3月31日まで稼動することができた。 なお,事故の年度(平成11年3月31日まで)の休業損については,被告イカリ消毒から填補を受けたので,平成11年4月1日から平成14年3月31日まで36か月分の収入損を損害として請求する。 ・ お,事故の年度(平成11年3月31日まで)の休業損については,被告イカリ消毒から填補を受けたので,平成11年4月1日から平成14年3月31日まで36か月分の収入損を損害として請求する。 ・後遺障害慰謝料 1300万円・弁護士費用 100万円・合計 2620万6440円イ被告ら・原告の主張は争う。 ・被告イカリ消毒は,原告に対し,損害の填補として,以下のとおり合計355万1410円を支払った。 a 医療費  H内科神経内科 4万8830円K病院 74万8410円b 交通費 4万9700円(平成10年12月1日まで)c 休業損害 235万1000円(10か月分)d 雑費 3万3470円e その他(原告への直接支払)平成10年5月15日 7万円19日 5万円6月 2日  20万円第3 当裁判所の判断 1 証拠(甲1ないし3,4ないし21,24ないし35,43ないし47,48の1ないし6,甲49ないし54,乙A1ないし51,乙B1,2の1ないし3,乙B3の1ないし13,乙B4ないし7,証人O,証人N,証人M,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば次の事実が認められる。 ・被告共済会は,平成8年ころから食中毒が多発していたことから,食事を提供している施設において食中毒を発生させることがないように清潔な環境を保つことを目的として,平成10年3月から独 られる。 ・被告共済会は,平成8年ころから食中毒が多発していたことから,食事を提供している施設において食中毒を発生させることがないように清潔な環境を保つことを目的として,平成10年3月から独身寮のねずみ・ゴキブリ防除作業を実施することにし,同月9日,C株式会社との間で,害虫防除作業委託契約を締結した。 ・被告共済会は,前記防除作業の実施に当たり,東北5県の各営業所長及び各寮の受託者寮母にあてて同月5日付けで「ねずみ・ゴキブリ等防除作業の実施について」と題する文書(甲13)を発出し,同作業の実施を通知した。その文書の中には,実施内容及び周知事項が記載されていたが,周知事項の第5項には「ミスト・乳剤散布防除後については,2時間程度入室しないでください。長時間締め切っておくと効果がさらにあがります。」と,第7項には「実施作業後についての不明な点については,技術員に問い合わせてください。」と,それぞれ記されていた。 また,被告共済会は,C株式会社から本件防除作業の実施を更に委託された被告イカリ消毒の担当者との間で打合せをした上,各寮の受託者寮母にあてて同月13日付けで「ねずみ・ゴキブリ等防除の実施日程及び事前作業について」と題する文書(甲14)を発出した。これに添付された別紙には,防除後の後始末として,「厨房内の食器棚等に再収納する場合は,薬剤効果を高めるため,食器棚は水拭きをしないで紙(チラシの裏でも何でも良い)を敷き,食堂へ移した食器類をもとどおりに収納して下さい。」「流し台・ガステーブル等は水拭きを行って下さい。」等の打合せ事項が記載されていた。 ・前記・の害虫防除作業委託契約に基づき,C株式会社は被告イカリ消毒にその防除作業の実施を更に委託し,これを受けて,被告イカリ消毒の従業員3名は,平成10年3月20日午 事項が記載されていた。 ・前記・の害虫防除作業委託契約に基づき,C株式会社は被告イカリ消毒にその防除作業の実施を更に委託し,これを受けて,被告イカリ消毒の従業員3名は,平成10年3月20日午前10時30分ころ,B寮の厨房において害虫等の防除作業(本件防除作業)を開始した。 被告イカリ消毒が本件防除作業に使用した薬剤は,プレミアムスミチオンVP乳剤(商品名。発売元・D製薬株式会社,製造元・E化学工業株式会社)300ccを水で10倍に希釈したもの,及びFエクスミン乳剤(商品名。発売元・G株式会社)15ccを水で10倍に希釈したものであった。 プレミアムスミチオンVP乳剤の使用説明には,同乳剤の成分はフェニトロチオン5パーセント及びジクロルボス(DDVP)2パーセントであること,用法・用量として,ゴキブリに対して使用する場合には,1平方メートルにつき7ないし14倍液50ミリリットルの割合で重点的に,ゴキブリの潜み場所あるいはよくはい回る場所に残留塗布又は噴霧することなどが記載されている。Fエクスミン乳剤の使用説明には,同乳剤の成分はペルメトリン5グラム(100グラム中)であること,用法・用量として,ゴキブリ等に対し残留噴霧する場合,室内の床,畳の裏,畳の敷合せ目,部屋の天井,壁,押入など害虫の生息又は発生しやすい場所の全面に,あらかじめ噴霧するか,又は塗布すること,その希釈倍数は10ないし20倍であり,使用量は1平方メートル当たり50ミリリットルであることなどが記載されている。 被告イカリ消毒は,スミチオンについては,壁際や食器棚,流し台等の際,あるいは家具の裏の壁面等に直接散布し,エクスミンについては,霧状にて空中に散布するという方法を用いた。被告イカリ消毒の従業員は,同日午前11時30分ころ本件防除作業(後片 や食器棚,流し台等の際,あるいは家具の裏の壁面等に直接散布し,エクスミンについては,霧状にて空中に散布するという方法を用いた。被告イカリ消毒の従業員は,同日午前11時30分ころ本件防除作業(後片付けを含む。)を終了した。 ・スミチオンは,農薬取締法では「普通物」に分類され,一般に低毒性の薬剤という評価をする者もいるが,実際には,人体に強い作用を持つ場合があり,スミチオンの曝露により有機リン中毒を発現させた事故例も報告されているので,スミチオンの散布中及び散布後の処理については十分な注意が必要であるとの指摘がされている。 ・原告は,平成10年3月20日午後零時30分ころ,寮で給仕する夕食の準備をするため本件厨房に入った。原告は,本件厨房内に鼻をつく刺激臭があったため,喚起ダクトのスイッチを入れ,流し台の窓を開け,換気扇をつけ,さらに小窓と勝手口のドアを開けた。 本件厨房内の戸棚の棚板からは薬液が垂れ下がる状態であり,床にも薬液がたまっていて,辺り一面が濡れた状態であった。なお,本件厨房に排水溝は設置されていなかった。 原告は,このように残留した本件薬剤を拭き取らなければ,夕食の準備をすることも,食器類の収納をすることもできないと考え,まず,床にたまっている薬液をモップで拭き取り,そのモップを水を入れたバケツで洗い,洗ったモップを手で絞るという作業を繰り返した。次に,棚板のしずくをぞうきんで拭き取り,それをバケツで水洗いし,絞るという作業を繰り返した。その作業を終了するころ,原告は,頭痛,身体の重さ,膝から下のだるさを感じていた。 その後,原告は,調理器具,食器,食品類を本件厨房内に運び込み,午前中に仕込んであったカレーの鍋を火にかけ,食事の準備を行い,午後5時30分ころにはその準備ができあがった。 じていた。 その後,原告は,調理器具,食器,食品類を本件厨房内に運び込み,午前中に仕込んであったカレーの鍋を火にかけ,食事の準備を行い,午後5時30分ころにはその準備ができあがった。 原告は,午後7時30分ころ,翌日の朝食の準備と夕食の後かたづけが終了し,自室に戻ったが,そのころにも頭痛,全身の重たさ,足のだるさを感じていた。 ・原告は,その後数日間にわたり,頭痛や体の重さが消えない上,同月24日夜に嘔吐したことから,同月25日,H内科神経内科を受診し,点滴を受けるなどの治療を受けた。そのころから,原告は,体調不良の原因が本件防除作業にあるのではないかと考え始め,同月26日ころ,被告イカリ消毒に対し,散布した薬剤がどのようなものであったのかを電話で問いただし,スミチオンとエクスミンであるとの回答を得た。 H内科神経内科のI医師は,同月28日,原告の瞳孔系を診察したが,異常を認めなかった。 ・ I医師は,同年4月16日ころ,被告イカリ消毒の鈴木から原告のコリンエステラーゼ値の検査をしてほしいとの依頼があったため,同月17日,その検査をしたところ,その検査値に特段の異常は認められなかった。 同月21日,原告は,I医師に対し,・下半身のだるさ,・両目の奥の痛み,頭痛,・両上肢のだるさ,・臀部から大腿部にかけての筋痛などを訴えていた。 I医師は,同年5月15日,原告の症状について,消毒剤(エクスミン,スミチオン)によると思われる症状(頭痛,眼痛,全身倦怠,筋肉痛,食欲不振,胸痛,咳)が続いているとし,有機リン剤中毒であると診断した。 原告は,同月22日以降,B寮での仕事を完全に休んで療養に専念することにした。 原告が5月に入ってからI医師に対し胸痛,胸苦,咳などの症状を訴えたため, リン剤中毒であると診断した。 原告は,同月22日以降,B寮での仕事を完全に休んで療養に専念することにした。 原告が5月に入ってからI医師に対し胸痛,胸苦,咳などの症状を訴えたため,I医師は岩手県立P病院での検査を手配した。原告は,同年6月2日,岩手県立P病院で胸部CT検査等を受けたが,特段の異常は認められなかった。原告は,その後同月9日までH内科神経内科を受診した。 ・原告は,同月10日,K病院に入院し,治療を受け,同年10月16日,同病院を退院した。その後も,原告はK病院に通院した。 ・ K病院呼吸器科のJ医師は,平成11年5月31日,原告の有機リン中毒後遺症(咳,労作時息切れ,動悸,胸,背部痛,肩こり,頭痛,下肢筋肉痛,握力低下,下肢筋力低下,肺活量低下及び胆石症)は固定したものと診断した。また,同医師は,同年7月6日,原告の傷病名を有機リン中毒後遺症であるとし,咳,労作時息切れ,動悸,胸,背部痛,肩こり,頭痛,下肢筋肉痛,握力低下,下肢筋力低下,肺活量低下,胆石症,大腿四頭筋の筋萎縮,呼吸筋力の低下による拘束性換気障害などの症状が見られ,症状固定日は平成11年5月31日,労働能力喪失率は後遺障害等級別表の第5級2,3号に該当すると診断した。 ・原告は,平成13年8月21日,岩手県から「事故による両上肢機能障害4級,事故による両下肢機能障害4級」の障害名により身体障害者第3級の認定を受けた。 2 被告イカリ消毒の注意義務違反・被告イカリ消毒は,防疫消毒の施行などを目的とする会社であり,害虫等の防除作業に使用する薬剤の性質,用法を含め,防除作業実施における安全管理に通じているべきものであり,実際に,防除作業を実施する場合には,そこで使用する薬剤が人体に悪影響を及ぼすことがあり得るのであるから,現に 使用する薬剤の性質,用法を含め,防除作業実施における安全管理に通じているべきものであり,実際に,防除作業を実施する場合には,そこで使用する薬剤が人体に悪影響を及ぼすことがあり得るのであるから,現に防除作業をする者が薬剤の中毒になることがないようにするほか,防除作業実施後に,その場所を使用する者が残留した薬剤により中毒になることがないようにするため,その場所の管理者又は使用者に対して防除作業実施後における安全対策上の注意点を通知した上,薬剤の用法・用量を守って作業を行うなど,安全対策を十分に行うべき注意義務を負うものというべきである。 ・本件防除作業において,被告イカリ消毒は,薬剤としてプレミアムスミチオンVP乳剤300ccを水で10倍に希釈したもの,及びFエクスミン乳剤15ccを水で10倍に希釈したものを使用したのであるが,前記認定のとおり,本件防除作業後約1時間後に原告が本件厨房に入ったとき,本件厨房内の戸棚の棚板からは薬液が垂れ下がる状態であり,床にも薬液がたまっていて,辺り一面が濡れた状態であった。その点において,本件薬剤の用法が正しく守られていたとはいえないものというべきである。 しかも,被告イカリ消毒が被告共済会を通じて原告に事前通知した内容の中には,防除作業の実施後にその場所を使用する者に対し,薬剤の中毒になることがないようにするための注意事項が十分に記されていたものとは認め難い。被告共済会が各寮の受託者寮母にあてて同月5日付けで発出した「ねずみ・ゴキブリ等防除作業の実施について」と題する文書(甲13)には,実施内容及び周知事項が記載されていたが,周知事項の第5項には「ミスト・乳剤散布防除後については,2時間程度入室しないでください。長時間締め切っておくと効果がさらにあがります。」と,第7項には「実施作業後に び周知事項が記載されていたが,周知事項の第5項には「ミスト・乳剤散布防除後については,2時間程度入室しないでください。長時間締め切っておくと効果がさらにあがります。」と,第7項には「実施作業後についての不明な点については,技術員に問い合わせてください。」と,それぞれ記されていたのみであり,また,被告共済会が被告イカリ消毒の担当者との間で打合せをした上,各寮の受託者寮母にあてて同月13日付けで発出した「ねずみ・ゴキブリ等防除の実施日程及び事前作業について」と題する文書(甲14)には,防除後の後始末として,「厨房内の食器棚等に再収納する場合は,薬剤効果を高めるため,食器棚は水拭きをしないで紙(チラシの裏でも何でも良い)を敷き,食堂へ移した食器類をもとどおりに収納して下さい。」「流し台・ガステーブル等は水拭きを行って下さい。」等の打合せ事項が記載されていたにすぎない。 これらの文書の記載内容は,薬剤の効果をいかに高めるかという点を重視するものであり,防除作業実施後にその場所を使用する者が薬剤中毒にならないようにするという観点からすると,指摘事項としては極めて不十分なものであるといわざるを得ない。 ・プレミアムスミチオンVP乳剤及びFエクスミン乳剤は,いずれも製薬会社が検査の結果安全であると判断し,国家機関が認可した薬剤である。また,スミチオンは,農薬取締法では「普通物」に分類され,一般に低毒性の薬剤という評価をする者もいる。 しかし,そのスミチオンにしても,実際には人体に強い作用を持つ場合があり,スミチオンの曝露により有機リン中毒を発現させた事故例も文献上報告されているのであり,これを人体に安全無害な薬剤であると評価することはできない。 スミチオンを経口摂取して自殺を図り,死に至った事例の報告も少なくない(甲26ないし28)。 現させた事故例も文献上報告されているのであり,これを人体に安全無害な薬剤であると評価することはできない。 スミチオンを経口摂取して自殺を図り,死に至った事例の報告も少なくない(甲26ないし28)。このように,スミチオン及びエクスミンについては,その用法・用量いかん,あるいはそれに対する曝露の仕方によっては,それらの薬剤が人体に悪影響を及ぼすことがあるのであるから,これらの薬剤を使用して防除作業をする者は,その薬剤の危険性を認識し,防除作業実施後にその場所を使用する者が薬剤の中毒にならないように十分な安全対策を施すべきであり,本件防除作業に使用された薬剤がスミチオン及びエクスミンであるからといって,上記安全対策をすべき注意義務が軽減されるものではない。 ・以上によれば,被告イカリ消毒については,本件防除作業における本件薬剤の使用について,防除作業後にその場所を使用する者に対する関係で,必要な注意義務を尽くしていなかったものというべきである。 3 被告共済会の注意義務違反原告は,被告共済会について,・原告の勤務する場所の設営,維持に関し,原告の生命及び健康等を危険から保護するように配慮する義務があるにもかかわらず,被告イカリ消毒に対し前記のような不完全な,ねずみ・ゴキブリ等の防除作業を実施させ,原告に対する安全配慮義務を怠った,・専門業者に対し本件厨房内で殺虫剤を用いての防除作業を行わせるのであるから,防除作業の危険性について被告イカリ消毒から説明を受けるなどして安全に作業が行われるように措置すべき義務があるのに,これを怠ったと主張しているので,この点について検討する。 前記のとおり,被告共済会は,C株式会社との間において独身寮の「害虫防除作業委託契約」を締結し,同契約に基づき,C株式会社の依頼を受けた被告イカリ消毒が しているので,この点について検討する。 前記のとおり,被告共済会は,C株式会社との間において独身寮の「害虫防除作業委託契約」を締結し,同契約に基づき,C株式会社の依頼を受けた被告イカリ消毒がB寮の消毒を行ったのであるものである。このように,被告共済会は,害虫防除の専門業者であるC株式会社に対し害虫防除を委託したものであるから,その業者によって実施される害虫防除作業の安全性について一応の信頼を置くことができるものというべきであり,これによって,防除作業後にその場所を使用する者に対する関係においても注意義務を果たしているものと認めることができる。なお,本件において,被告共済会が上記注意義務を果たしていないことを疑わせる事情を認めるに足りる証拠はない。 また,被告共済会は,本件防除作業を実施するに当たり,被告イカリ消毒との打合せをした上,その結果を原告に配布し,注意を喚起していたのである。 すると,結果的に,被告イカリ消毒による本件防除作業の内容が同被告の負うべき注意義務に違反していたとしても,そのことが直ちに被告共済会の注意義務違反を裏付けるものではないというべきである。 以上によれば,原告の被告共済会に対する前記主張は採用することができない。 4 原告は有機リン中毒にり患したか否か・前記のとおり,原告は,本件防除作業後に本件厨房において薬剤のふき取り作業や夕食の準備を行ったときから,頭痛,全身の重たい感じ,膝から下のだるさなど訴え,その後においても,上記の症状に加えて,目の奥の痛み,筋痛,嘔吐などの症状が出たものであるが,これらの症状は,スミチオンによって引き起こされる有機リン中毒の症状に合致するものであり,他にこれらの症状を引き起こすような原因となる事情を認めることはできない。すると,原告は,本件防除作業後 るが,これらの症状は,スミチオンによって引き起こされる有機リン中毒の症状に合致するものであり,他にこれらの症状を引き起こすような原因となる事情を認めることはできない。すると,原告は,本件防除作業後に本件厨房において薬剤のふき取り作業や夕食の準備を行ったことにより,有機リン中毒にり患したものと認めることができる。 ・ア次に,原告の症状固定後の症状が有機リン中毒の後遺症に当たるのか否かについて検討する。 この点につき,原告は,・本件防除作業後,本件厨房において,全く保護策を取ることなく長時間作業していたのであり,呼吸や皮膚からかなりの薬剤に曝露された,・原告の症状のうち,頭痛,筋痛・関節の痛み,胸痛は神経の痛みとして,全身の倦怠感・疲労感や筋力の低下,筋脱力は神経の障害の結果として,それぞれ生じるのであり,また,眼痛,思考力・集中力の低下も精神症状と合わせて後遺症と判断してよいものである,・さらに,両上肢,両下肢の機能低下については,原告は,本件中毒の結果,他にも様々な症状を呈し,長期間の治療を必要としたため,上記のような両上下肢機能低下を招いたとすれば,これは有機リン中毒の後遺症と考えるべきであると主張し,これに対し,被告らは,原告について有機リン中毒の後遺症は否定されるべきであると主張している。 イ N医師は,原告が平成10年4月21日から平成11年3月1日までの間に訴えた症状のうち,脱力感,筋肉痛,全身倦怠感,胸の痛み,目の奥の鈍痛,物忘れ,集中力・思考力の減退,頭痛,下半身の痛み,全身のだるさなどについては,有機リン中毒との関係が疑われる症状であるとし,原告が平成13年5月の時点で自覚していた症状のうち,筋肉・関節の痛み,頭痛,眼痛,思考力・集中力の困難,全身の倦怠感・疲労については,有機リン中毒との関係が疑 中毒との関係が疑われる症状であるとし,原告が平成13年5月の時点で自覚していた症状のうち,筋肉・関節の痛み,頭痛,眼痛,思考力・集中力の困難,全身の倦怠感・疲労については,有機リン中毒との関係が疑われるとしている(甲29)。 このようにN医師が述べているとおり,原告の症状のうち,有機リン中毒の症状であると疑われる症状については,それがなお継続して発現している範囲で,有機リン中毒の後遺障害に当たるものと認めることができる。 これに対し,M医師は,有機リン中毒症例の中には中毒症状の遷延する例が散見されるが,それらの症例ではいずれもコリンエステラーゼ値の低値が持続しており,本件の原告のように,コリンエステラーゼ値が回復してもなお中毒症状が持続する例の経験はないこと,また,末梢神経麻痺については,重症の有機リン中毒で知覚や運動の末梢神経麻痺が持続することがまれにあるとされているが(甲9),原告の症状は重症の中毒ではないことなどから,原告が有機リン中毒にり患していたとしても,その影響は1,2週間にとどまり,4週間を超えて継続したとは考えられないとしている。しかし,コリンエステラーゼ値が回復しても急性中毒の後遺症が残る例がないとはいえないし,また,原告の症状が重症の中毒ではないとしても,それだけで後遺障害が発生しないとまでは認めることができない。 ウさらに,原告の後遺障害の程度について検討するに,前記のとおり,原告に有機リン中毒の後遺症として認められる症状は,いずれも原告の自覚症状を中心とするものであり,客観的な指標によってその程度を計ることは困難である。そして,原告がり患した本件防除作業後における本件厨房での作業の内容,その作業時間,原告の自覚症状の発現の仕方,原告の治療経過その他関連する事情に照らして考えれば,原告 程度を計ることは困難である。そして,原告がり患した本件防除作業後における本件厨房での作業の内容,その作業時間,原告の自覚症状の発現の仕方,原告の治療経過その他関連する事情に照らして考えれば,原告の労働能力の喪失率については,これを10パーセントと評価するのが相当である。 エなお,K病院呼吸器科のJ医師は,平成11年7月6日,原告の傷病名を有機リン中毒後遺症であるとし,咳,労作時息切れ,動悸,胸,背部痛,肩こり,頭痛,下肢筋肉痛,握力低下,下肢筋力低下,肺活量低下,胆石症,大腿四頭筋の筋萎縮,呼吸筋力の低下による拘束性換気障害などの症状がみられ,その労働能力喪失率は後遺障害等級別表の第5級2,3号に該当すると診断した。 しかし,このうち,「咳,労作時息切れ,動悸,胸,背部痛,肩こり」については,本件防除作業後にり患した有機リン中毒によるものであることを客観的に裏付ける資料に欠けるものといわざるを得ない。また,「胆石症」については,本件の有機リン中毒と関係があるものとは認められない。 次に,「握力低下」については,有機リン中毒にり患する以前の測定結果があるわけではなく,比較対照する資料がない上,その数値自体からすると,握力が低下しているものとは直ちに判断することができない。また,「大腿四頭筋の筋萎縮」については,有機リン中毒は前進的な疾患であり,それによる筋萎縮はかなり広範囲に生じるはずであるが,原告の大腿四頭筋の筋萎縮は局所的な筋萎縮であることからすると,有機リン中毒によって生じる性質のものではないと考えられるので,本件防除作業との因果関係があるものと認めることはできない。さらに,「肺活量低下」及び「呼吸筋力の低下による拘束性換気障害」についてであるが,これが有機リン中毒によるものであることを裏付ける客観的な資 件防除作業との因果関係があるものと認めることはできない。さらに,「肺活量低下」及び「呼吸筋力の低下による拘束性換気障害」についてであるが,これが有機リン中毒によるものであることを裏付ける客観的な資料はないものというべきである。 したがって,原告の症状固定時に存在したという症状を前提として,原告の労働能力喪失率は後遺障害等級別表の第5級2,3号に該当すると診断したJ医師の判断については,採用することはできない。 5 原告の損害・被告イカリ消毒の注意義務違反の結果として認められる原告の損害は,次のとおりである。 ア医療費 46万8640円(K分)弁論の全趣旨により認めることができる。 イ入院雑費 16万7700円1300円(1日当たり)×129日=16万7700円ウ入通院慰謝料 150万円エ休業損害 292万6700円本件不法行為の後の日であり,原告が仕事を完全に休んで療養に専念し始めた平成10年5月22日から症状固定であると診断された平成11年5月31日まで(12か月10日),1か月23万7300円の割合(甲35)による金員23万7300円×12+23万7300円÷30×10=292万6700円オ逸失利益 219万8831円ただし,労働能力喪失率を10パーセントとし,これが症状固定時(平成11年5月31日)から67歳に至るまでの間継続するものとして,ライプニッツ方式により年5パーセントの割合による中間利息を控除して算出した金額である。 23万7300円×12×0.1×7.7217=219万8831円カ後遺障害慰謝料 200万円キ既払 5パーセントの割合による中間利息を控除して算出した金額である。 23万7300円×12×0.1×7.7217=219万8831円カ後遺障害慰謝料 200万円キ既払金 355万1410円証拠(乙A52,53)及び弁論の全趣旨によれば,被告イカリ消毒が原告に対し,本件の損害の填補として合計355万1410円を支払ったことが認められる。 ク弁護士費用 57万円前記アないしカまでの合計926万1871円からキの既払金355万1410円を差し引くと,571万0461円になる。そして,本件と相当因果関係のある弁護士費用の額については57万円と認めるのが相当である。 ・前記・のとおり,原告の損害として認められるのは合計628万0461円である。 第4 結論以上によれば,原告の請求は,被告イカリ消毒に対し628万0461円及び不法行為後である平成12年8月30日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから,その範囲でこれを認容し,被告イカリ消毒に対するその余の請求及び被告共済会に対する請求はいずれも理由がないから棄却することにし,訴訟費用については民事訴訟法61条,64条本文を,仮執行宣言については同法259条1項をそれぞれ適用して,主文のとおり判決する。 盛岡地方裁判所第2民事部裁判官・橋譲

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