【DRY-RUN】主 文 本件各控訴を棄却する。 当審における訴訟費用中、証人Aに支給した分は、被告人B、同C、同 D、同Eの連帯負担、証人F、同Gに支給した分は、被告人B、同Cの各連帯負担、 証人Hに支給した分は、被
主文本件各控訴を棄却する。 当審における訴訟費用中、証人Aに支給した分は、被告人B、同C、同D、同Eの連帯負担、証人F、同Gに支給した分は、被告人B、同Cの各連帯負担、証人Hに支給した分は、被告人Eの負担とし、証人I、同J、同K、同L、同M、同N、同長Oに支給した分は、被告人Bの負担とする。 理由<要旨>検察官の控訴趣意第一点の一、二について。</要旨>所論は、被告人Bらの本件企画及びその準備行為は、その謀議の経過、同志糾合工作、武器装備の調達工作、動員準備、自衛隊工作等の人的、物的諸般の進捗状況からみても、すでにその計画の実行を可能又は容易ならしめる程度に達していたものというべきであつて、被告人Bらの所為は、破防法第三九条の殺人の予備、同法第四〇条の騒擾の予備に該当するものであるのに拘わらず、原判決は「予備」の解釈を誤つてあまりにもその成立範囲を狭く解したため、本件諸般の準備がすべて本件犯行の準備行為そのものであり、とりもなおさず「罪となるべき事実そのもの」であるのに、その一部につきこれを下準備であるとか、罪となるべき事実に関連する行動として認定しているのみならず、被告人Bが元陸軍少将Aをして行なわせた自衛隊工作、ならびに、P塾々生らが陸上自衛隊Q射撃訓練場で行なつた射撃訓練の事実を全く認定していないのである。 原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈適用の誤りとともに事実誤認の違法がある、と主張する。 おもうに、本件は、いうまでもなく破防法第三九条、第四〇条の殺人および騒擾の各予備を訴因として起訴された、相当長期間にわたり、かつ、多数被告人らの関与する複雑な事実関係を要素とし、かつその当時における微妙な社会情勢を背景とする特異な条件であつて、すでに前にも若干ふれたように、物の考え方や性格、経歴や生活態度にかなりの 、かつ、多数被告人らの関与する複雑な事実関係を要素とし、かつその当時における微妙な社会情勢を背景とする特異な条件であつて、すでに前にも若干ふれたように、物の考え方や性格、経歴や生活態度にかなりの差のある被告人らが、P主義政策を首唱し、R革命の到来必至の見通しの下にその事前にいち早く決起して、実力行動による国家革新の断行を考えていたB、あるいはBとほぼ同様の考え方でこれと表裏一体の動きを示していたCを中心にして、直接、間接にBの思想や抱負にふれ、その一部の者らは、理解の程度の差こそあれ、いずれもこれに同調し、多数の武装勢力をもつて開会中の国会を急襲してこれを占拠することを当面の目標とし、そのための騒擾ないしその過程における人身の殺傷もやむを得ないとしてこれを認容のうえ、逐次その目的に向つて諸般の行動をとりつつあつたのであるが、騒擾の成立過程ないし形態について原判決の行なつた分析方法をとるとすると、本件は、その第一の範疇すなわち、共通の目的の下にある程度組織化された集団を前もつて形成しておくことを予定し、これを前提として諸般の動員準備等がかさねられていた事案である。 そこで、いま、証拠上認められる本件諸般の準備状況をつぶさに検討してみると、本件動員の中核隊として考えられていたS工業の従業員、P塾々生の大多数は、かつてBとの雇用関係にもとづく経済的従属関係にあつたか、あるいは、B、Cから若干の経済的援助をうけていたかの関係しかなく、S工業従業員に対しては、B、CからT、UあるいはV、Wらを介して一方的、部分的な人選がなされていたにすぎないし、P塾々生らの大多数についても、B、Cらの思惑はともかくとして、未だ相互的に命令一下危地に赴くような心理的連繋関係ができていたものとは思われず、とくに、P塾々生の幹部として指導的立場にあつたX、Gらが、昭 らの大多数についても、B、Cらの思惑はともかくとして、未だ相互的に命令一下危地に赴くような心理的連繋関係ができていたものとは思われず、とくに、P塾々生の幹部として指導的立場にあつたX、Gらが、昭和三六年一一月頃から、P塾に対する資金援助が円滑を欠き始めるとともに、漸次、B、Cらの言動に対して不信の念を抱くに至り、同人らの企図に同調する気持を弱めつつあつたことを看過すことができない。他方、また、Cが画策奔走していた宗教団体「Y団」、あるいは「Z会」への動員工作も、いわば立ち消えに終つており、旧陸士関係者ないし自衛隊関係者らへの働きかけも、Aまでをわずらわし、かつ、被告人らにおいてもそれぞれの立場で努力したにも拘わらず、結局は、同調の期待もむなしく、単なる打診、それも、むしろ、悲観的な見とおしを伴うような打診の程度をこえなかつた模様であり、さらに、映画撮影のエキストラ名義で集めたアルバイト学生らも、集合前にすでに第一次の決行予定日が延期されていたため、ただちに解散し、なお、その他の同志糾合工作も何ひとつとして成功するには至らなかつたようである。また他方、武器、装備の調達関係についてみると、P塾にあつたライフル銃二挺や、塾生甲が乙大学に射撃部を創るため、練習用に購入したという空気銃一挺、Bが入手した国防色作業服一〇〇着、作業帽一〇〇個、ヘルメット二八八個、防毒マスク一〇〇個、移動無線車一台およびP塾にあるジープ、トラック各一台は、いずれも本件計画実現のため客観的には、一応、利用可能な状態にあつたものと認められるが、P塾のライフル銃二挺は、いずれも、本件陰謀が未だ法的には成立したものと認められない時期である昭和三六年八月頃C独自の思惑で、なんの事情も知らないX、Gらに保管又は購入させておいたもので、その後の本件各会合においても、この二挺の 、本件陰謀が未だ法的には成立したものと認められない時期である昭和三六年八月頃C独自の思惑で、なんの事情も知らないX、Gらに保管又は購入させておいたもので、その後の本件各会合においても、この二挺のライフル銃や空気銃ないしP塾のジープ、トラックの件については、未だ編制および装備についての具体的話題にさえのぼつていない模様であり(ちなみに、右ライフル銃に用いる実弾も、同年一二月初頃Cの独断で行なつた丙山におけるP塾生の合宿訓練の際、その事前に購入した数十発をほとんど使い尽した後は、どこからも現実に入手するに至つていない。)その他の作業衣、ヘルメット、防毒マスク等のほか、さらに、ユースホステル宿泊予約の件なども、前述のように同志糾合工作やその他の動員工作が行きつまつているため「多衆」獲得の成算が立たない状況のもとにおいては、国会周辺一帯を騒乱状態におとし入れるための態勢としては、未だ必ずしもその目的達成のため実質的に重要な準備がなされたものとはいいがたく、その他の武器、装備等の調達についても、現実に入手できていたものはひとつもなく、すべて入手依頼又はそのための調査の段階にとどまつていたのであり、被告人Bの乗用車に取り付けられた無線機も当初一週間ぐらいは調子が良好であつたが昭和三六年一〇月下旬以降はその機能を十分に発揮できない状態のまま放置されていたようであり、また、同年七月頃丁がDに命ぜられて行なつた国会付近の見取図の作成や国会の電源等の調査、ならびに同年九月中旬頃から一〇月末にかけてB、C、D、Eらが行なつた国会周辺の視察などが、いずれも、本件の計画に資するためのものであつたことは否定できないが、それらが本件の計画策定についていかに現実的に活用されたものであるかは必ずしも明らかではなく、要するに、以上を通覧すれば、本件において、準備のため 計画に資するためのものであつたことは否定できないが、それらが本件の計画策定についていかに現実的に活用されたものであるかは必ずしも明らかではなく、要するに、以上を通覧すれば、本件において、準備のための工作、奔走そのものは相当行なわれていたとしても、未だ実質的にはほとんどみるべき効果を挙げてはいなかつたといつてもよい状況であつた。ところで、原判決が、「破防法第三九条、第四〇条にいう予備の概念は、刑法上の概念を基礎に規定されたものと解されるが、刑法上の予備の概念についての判例の見解が明確を欠き、学説もわかれている現状においては、破防法成立の経緯や同法第二条の趣旨等にかんがみ、同法にいう予備については、その範囲をできるかぎり厳格に解すべきである。」との立場に立ち、「予備行為自体に、その達成しようとする目的との関連において相当の危険性が認められる場合、すなわち、各犯罪類型に応じ、その実現に重要な意義を持つか、又は、直接に役に立つと認められる準備が整えられたとき、すなわち、実行に着手しようと思えばいつでもそれを利用して実行に着手しうる程度の準備が整えられたときに、予備罪が成立する、と解するのが相当である。」との見解のもとに、本件諸般のうごきを未だ陰謀の段階にとどまるものと判断したことは、その判文自体により明らかである。 所論は、予備行為がその実現せんとする目的との関連において、目的実現のために役立ちうること、つまり、有益性さえ備わつておれば予備罪が成立するものと解すべきであるとして、昭和三六年一一月二七日名古屋高等裁判所が言い渡した判決(高刑集一四巻九号六三五頁以下)を援用するけれども、同判決は、理論上、予備罪にも幇助がありうるとしても、本来、予備罪における予備行為は、基本的構成要件と異なり、きわめて無定型であり、また無限定であつて、これの幇助 号六三五頁以下)を援用するけれども、同判決は、理論上、予備罪にも幇助がありうるとしても、本来、予備罪における予備行為は、基本的構成要件と異なり、きわめて無定型であり、また無限定であつて、これの幇助ともなれば、その無定型性は一層甚だしいものとならざるを得ないから、たとえば内乱予備の幇助のごとく、とくに明文の処罰規定のないかぎり、予備の幇助は処罰すべきではないことを判示するとともに(原審が、無罪を言渡した戊、己、とくに戊について、敢て陰謀幇助罪の成否をうんぬんしなかつたのは、この判例と同趣旨の見解をとつた結果であると思われるが、この点は、当裁判所も全く同意見である。)、正犯と従犯との区別基準を示したものであつて、とくに予備罪の成立要件について判示したものではなく、その理由中の傍論においても所論の見解の裏づけとみられるようなものはなんら示されてはおらず、しかも、右判決の事案は、殺人の目的を有する者から毒物の入手を依頼され、その使途を認識しながら青酸ソーダを入手して依頼した者に手渡した、という同じ殺人といつても本件とは全く異質な事犯なのであつて、その所為の危険性、直接性に徴しても、予備罪の成立することが明白な案件なのである。 おもうに、「予備」は、一般には、犯罪の実現を目的とする行為でその実行に着手する以前の準備段階にあるもの、と解されており、犯罪の具体的決意もしくは犯人二人以上の場合における犯罪の具体的合意の程度をこえ、実行着手に至るまでの間における実践的準備行為をいうものであることは異論を見ないところである。そして、予備行為のかかる性格上、その態様は千差万別であつて、きわめて無定型、無限定であることもその特徴の一つであろう。ただ、ここで注意しなければならないと思われるのは、元来、犯罪の企画段階である予備又は陰謀というものは、犯罪の完成から 様は千差万別であつて、きわめて無定型、無限定であることもその特徴の一つであろう。ただ、ここで注意しなければならないと思われるのは、元来、犯罪の企画段階である予備又は陰謀というものは、犯罪の完成からは比較的遠いところにあり、犯罪の類型や規模によつては、その完成までの途中において、種々の迂余曲折により犯罪意思がしばしば動揺を示して不安定であることが多く、したがつて一般には刑法上も不可罰として扱われ、保護法益がとくに重大であるかあるいは予備行為等それ自体の危険性が極めて大きい場合にのみ、その可罰性が認められている、ということである。そして、ここに保護法益がとくに重大であるといい、また、予備行為等それ自体がとくに危険であるといつても、それは、要するに当該犯罪類型の重い可罰性とその犯罪類型との関連においてその予備行為等それ自体のもつ客観的危険性(つまり、実行の着手可能という観点からみて、客観的に重要と思われる程度の実質的な準備がされたこと。)に着目すればこそ、その可罰性が認められる、という意味を表現していることにほかならない。とすれば、犯罪実現のためにするすべての準備行為のことごとくが予備罪としての可罰性をもつわけではなく(もとより、予備罪等を処罰する規定のある犯罪類型についていうことであるが)そこにおのずからなる一定の限界があると考えるのが妥当であろう。原判決が、実行に着手しようと思えばいつでもそれを利用して実行に着手しうる程度の準備が整えられることを要するというのも、結局は、騒擾罪という特異な犯罪類型を念頭におきつつ、右と同一の趣旨を判示しているものとも解せられるが、それはともかくとして、すくなくとも、実行行為着手前の行為が予備罪として処罰されるためには、当該基本的構成要件に属する犯罪類型の種類、規模等に照らし、当該構成要件実現(実行の着手 とも解せられるが、それはともかくとして、すくなくとも、実行行為着手前の行為が予備罪として処罰されるためには、当該基本的構成要件に属する犯罪類型の種類、規模等に照らし、当該構成要件実現(実行の着手もふくめて)のための客観的な危険性という観点からみて、実質的に重要な意義を持ち、客観的に相当の危険性の認められる程度の準備が整えられた場合たることを要する、と解するのが、前述のような予備行為の態様の無定型と無限定という特徴を把握する一方、罪刑法定主義の要請をも顧慮する目的論的解釈の立場からみて、もつとも当を得たものと思われる。 所論は、なお、原判決は、いわゆる「明白にして、かつ、現在の危険」の原則を採用したため、それが「予備」の観念を不当に狭く解釈するひとつの原因となつたもののようにいうけれども、いうまでもなく、右原則は、言論等表現の自由の保障の枠内にあるものと、右の枠を逸脱し、いわゆる「公共の福祉」に反すると目されるに至るものとの限界基準、つまり、「公共の福祉に反する」ということをより具体的に、実質的に宣明した基準なのであつて、原判決が右の原則を採用したのも、被告人らの本件言動が、もはや言論等表現の自由に関する憲法上の保障の枠を逸脱したものと判断するについて、その基準をここに求めた趣旨であつて、「陰謀」と「予備」との区別についてまで右原則に依拠したわけでないことは、原判文上、疑いの余地はない。 ところで、本件は、先にも述べたとおり、被告人らが、現に行なわれていると考えた政上の施策に反対し、みずから正しいと考えた新たな政治上の施策を推進する目的のもとに、実力による非常手段をもつてする国家革新を企図し、相当の長期間にわたつて、人的、物的両面にわたる具体的方策の検討をくり返えし、一進一退のうちに迂余曲折を経ながらも、逐次、犯行の実現を目指して進ん 、実力による非常手段をもつてする国家革新を企図し、相当の長期間にわたつて、人的、物的両面にわたる具体的方策の検討をくり返えし、一進一退のうちに迂余曲折を経ながらも、逐次、犯行の実現を目指して進んでいつたかなり微妙で複雑な要素をはらむ事案であるが、その全過程をつぶさにみると、当初の計画内容そのものが会合の回をかさねる過程のうちにおいていわゆる実行部隊の編制内容や、集合場所、さらには国会議事堂への突入をめぐる兵力配備等について一再ならぬ修正変更を余儀なくされ、本件の検挙直前においても、なお、計画実行に必要な人的集団の現実的把握ないし支配についての確たる見通しもついていないばかりか、犯行の企図実現のための具体的方策そのものが全体的には未だ確定の域に至つておらずそれにまつわる諸般の物的準備も本件計画発足以後検挙直前に至るまでの間において、なお、実質的に重要な進捗状況を示しているものとはみられなかつたのである。 おもうに、本件のような、幅広い周到綿密な人的および物的用意を必要とすると思われる相当規模の大きい犯行の計画においては、たとえば、単なる殺人とか放火とかいうような構成要件の比較的単純な犯行におけるばあいとは異なり、二人以上の者の間に一応の通謀がなされると、ただちにそれで陰謀の段階が終了し、爾後何らかの物的あるいは人的な準備行為がなされれば、すべて、それが予備の範疇に入るというような簡明な進展形態を示さないのが通常であつて(もつとも、単純な殺人のばあいにも、殺害用の毒物を購入すれば、殺人予備罪が成立することは明らかであるが、毒物に混用する砂糖だけをまず、用意したからといつて、それだけでただちに殺人の予備行為があつたとみることは困難であるというような微妙なニュアンスの差異があることはいうまでもない。)、ある程度の工作を進めては計画を練り、また まず、用意したからといつて、それだけでただちに殺人の予備行為があつたとみることは困難であるというような微妙なニュアンスの差異があることはいうまでもない。)、ある程度の工作を進めては計画を練り、また、情勢の推移によつてはそれに応じた新たな方策を考え、これに関連する一応の手筈を進め、さらにこれについて再び検討を加えるため、会合協議するというように、謀議それ自体が相当長期にわたり、その間これに見合うある程度のいわゆる下準備的な動きと相交錯しながら迂余曲折を経て断続的に進められて行くのが自然でもあり、また、常態でもあろうと考えられる。したがつて、このようなばあいに、事態の経過が、すでに陰謀の段階を脱して予備の域にまで達したものであるかどうかは、個々の動きを見逃すことなく、適確にこれを把握すべきはもち論であるが、なおそれに止まらずして、計画そのものの熟否の程度ないしはこれに見合う人的、物的の準備工作の実質的進捗状況を全体的、客観的立場から観察し、それらが、近く、所期の目的の達成を目指す実行着手の域にまで至りうる程度に危険性が具体化しているかどうかを基準として、これを判定するのが相当であろう。 本件における具体的な準備工作の状況は、すでに見たとおりであつて、本件計画の発足後において一部の装備が用意された事実はあるけれども、「多衆」の現実的な把握ないし支配もなければまた、その見込みも不明であるばかりでなく、加えて計画そのものが、総じてなお、流動的な様相を呈している状況もとにおいては、本件被告人ら一部の少数者が、中心となり、わずか二挺の銃器を携え、同志抱込みに失敗した自衛隊その他治安当局の組織的鎮圧態勢を予想しながら、開会中の国会急襲の実行に踏み切れるものとは到底考えられず(それだからこそ、Bらは、他に相当数の銃器の入手方を求めていたのである。)、 に失敗した自衛隊その他治安当局の組織的鎮圧態勢を予想しながら、開会中の国会急襲の実行に踏み切れるものとは到底考えられず(それだからこそ、Bらは、他に相当数の銃器の入手方を求めていたのである。)、多衆の現実的把握ないし、その相互間における「多衆の威力の利用」の認識を必要とする騒擾、ならびにその過程における殺人という犯罪の実現(しかも、本件においては、一定の目的達成のための武装集団の決起という大がかりな組織的方法によつて、これを実現しようとするのである。)からは、なお、あまりにもほど遠いものがあり、そのいわゆる「決行予定日」なるものも、関係者らの緊迫した主観的心情そのものはともかく、客観的には一種の努力目標とみられないこともない(現に、この時期は、当初、昭和三六年一〇月末と予定されていたが、その後、同年一二月上旬、さらに翌年一月中旬と、回をかさねて比較的簡単に変更されている。)。なるほど、P塾にはライフル銃二挺が保管されていた。そして、ライフル銃の威力を、それがわずか二挺の少数であるからといつて、いたずらに軽視することは許されない。しかし、これらの銃は、前にも述べたように、本件陰謀発足前に、なんの事情も知らないX、GがCから預かり、あるいはその指示によつて購入しておいた、いわば既存のものであり、しかも、その後行われた各謀議の席においても、これらの銃のことが話題にのぼつた形跡もないし、また、とくに、本件犯行の実現にそなえて、Cらがこれを他に移転し、あるいはことさらに保管の方法を変えて秘匿しようとした事蹟も見当らない。とすると、これら銃器の存在も、他のヘルメット、防毒面、作業衣、トラック等の準備、あるいはホステルの予約等と同様、「多衆」の現実的把握ないし支配の態勢が相当程度ととのつているばあいには、これと合して騒擾の予備を構成することにな のヘルメット、防毒面、作業衣、トラック等の準備、あるいはホステルの予約等と同様、「多衆」の現実的把握ないし支配の態勢が相当程度ととのつているばあいには、これと合して騒擾の予備を構成することになるであろうが、それを欠くばあい、それだけでは、未だその予備にあたらないものと解するのを相当とする、(騒擾罪について、「多衆」の現実的把握ないし支配の態勢が本質的な重要性をもつていることは、刑法が、いわゆる多衆不解散の規定を設けて、騒擾罪の可罰的予備形態を定型化していることも、一応の参考に値する。)。そして、このことは、単に騒擾についてのみならず、事実上これと密接不可分の関係にある本件殺人についても、また、同様に解すべきであると考える。要するに、本件は、陰謀と予備との限界に関する困難な問題を包蔵する事案であり、したがつて、検察官所論の趣旨も、それ自体として、十分これを理解することができるし、また、これを是認する理論的見解も立ちうると思うが、本件陰謀形態とそれをめぐる諸般の工作との微妙なからみ合いという特異な様相に着目して、事案の全貌を客観的、全体的立場において観察すると、予備の観念をとくに破防法についてのみ厳格に解すべきものとする見解の当否はともかく、少なくとも本件のばあいにおける被告人B、同C、同Dらの行為がすでに予備の段階に入つたものと断ずるについては、被告人Bらの企図を諒解してこれに賛同し、同一のグループに属する者として、ある程度の行動をしているものと認められる他の数名の者らに対してはすでに陰謀罪としての有罪判決が言い渡され、その裁判が確定しているという点は、しばらくこれを措くとしても、なお、そこに疑問を入れる余地なしとしないのである。 してみると、原判決が、被告人Bらの間に行なわれていた本件陰謀形態およびその具体的な進展状況の特殊な様 いるという点は、しばらくこれを措くとしても、なお、そこに疑問を入れる余地なしとしないのである。 してみると、原判決が、被告人Bらの間に行なわれていた本件陰謀形態およびその具体的な進展状況の特殊な様相に着目し、本件はその諸般の準備工作とみられるものをふくめ、事案の全体的考察の観点から、未だ予備の段階に達しないと判断したことにつき、それが、法令の解釈、適用を誤つたものと断定することはできない。また、所論指摘の各事実を、予備罪における予備行為として認定せず、下準備もしくは罪となるべき事実に関連する動きとして判示したのも、各行為者らの主観的意図はともかくとして、破防法第三九条、第四〇条の殺人および騒擾の予備罪における予備行為として評価するについては、少なくとも騒擾罪の実現に「重要な意義をもつ」あるいは「直接役立つ」と認められる程度の客観的な危険性が看取されることを要するという解釈上の基準によるものと察せられ、この見解それ自体は、相当と思われるから、所論右判示が事実の誤認を招いたものとは解せられない。もつとも、原判決は、所論指摘のように、Aによる自衛隊幹部らに対する打診工作や、昭和三六年九月一九日頃に行なわれたP塾々生らの陸上自衛隊Q射撃訓練場における、狭搾弾使用による射撃訓練の事実についての判示を欠いているけれども、原判決の関係証拠の挙示そのものからみても、原判決が右各事実を全く考慮のそとに逸しているものとは考えられないし、いわんや、ことさらにこれを判示からはずしたものとみるべきふしは記録上見当らない。そして、この二個の事実について考えてみても、Aの老躯をひつさげての自衛隊幹部らに対する打診工作も、結局、不得要領に終り、当のA本人も、本件計画をそのまま実行に移すことの到底不可能なることを見抜いて、その後まもなく、Bに挨拶もしないで単身離京してい 躯をひつさげての自衛隊幹部らに対する打診工作も、結局、不得要領に終り、当のA本人も、本件計画をそのまま実行に移すことの到底不可能なることを見抜いて、その後まもなく、Bに挨拶もしないで単身離京していること、また、Q射撃場における射撃訓練も、もとよりそれ自体として、決して軽視することはできないが、その時期も本件陰謀計画発足後まだ間もないことであり、その参加者らの顔ぶれや人数等からいつても、また、その訓練の状況からみても、いわゆる実戦に直接備えるというような組織的かつ大規模なものではなくて、むしろ、CらがP塾々生らの士気を昂揚し、将来のための下地をつくつておくことを主たる狙いとして行なつたものとも受けとれないことはないこと等を考えると、これらの事実があるからといつて、本件における関係被告人らの言動を予備と見るか、陰謀と解するかの判断に決定的な影響を及ぼすものとも思われない(なお、本件において昭和三六年一二月初旬頃、P塾々生らが行なつた丙山における合宿訓練も、その行なわれた時点や、現実にライフル銃による実弾発射訓練がなされている点からみて、決して軽視できないものがあるけれども、これは、全くCの独断専行によるものであり、現にその件については一二月四日の十二社温泉会館の会合で、BとCの間に激論が交されているくらいであるが、右合宿訓練が同時に、実質的に、P塾々生の慰安をも兼ねていたことは否定できないようであつて、前述のように、本件における「多衆」の現実的な把握ないし支配がなされたものとは認められないことをも合せて考えると、このP塾々生の合宿訓練の事実も、本件における関係被告人らの言動を予備と見るか、陰謀と解するかの判断にそれほど実質的な影響を及ぼすものとは思われない)から、論旨は理由がない。 (その余の判決理由は省略する。)(裁判長判事樋口勝判 における関係被告人らの言動を予備と見るか、陰謀と解するかの判断にそれほど実質的な影響を及ぼすものとは思われない)から、論旨は理由がない。 (その余の判決理由は省略する。)(裁判長判事樋口勝判事関重夫判事金末和雄)
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