平成14(行ウ)116 国家賠償等請求(追加的併合)事件

裁判年月日・裁判所
平成15年4月9日 東京地方裁判所 警察関係
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判決文本文57,769 文字)

主文 1 被告は、原告に対し、金950万円及びこれに対する平成14年3月29日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 2 原告のその余の請求(その余の主位的請求及び予備的請求1、2)をいずれも棄却する。 3 訴訟費用は、これを6分し、その1を原告の、その余を被告の各負担とする。 事実及び理由 第1 請求 1 主位的請求被告は、原告に対し、金1177万円及びこれに対する平成14年3月29日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 2 予備的請求1被告は、原告に対し、金1000万円及びこれに対する平成14年3月29日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 3 予備的請求2被告は、原告に対し、金420万円及びこれに対する平成14年3月29日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要 1 本件は、法務大臣による難民不認定処分及び退去強制手続における異議申出棄却裁決、並びに東京入国管理局成田空港支局主任審査官による退去強制令書発付処分を受けたため、これらの処分の取消しを求める訴訟を提起し、これらの処分を争っていたところ、その後、難民認定及び在留特別許可を受けるに至った原告が、「法務大臣による上記難民不認定処分等は、事実誤認に基づく違法な処分であり、これによって損害を被った。」などと主張して、国家賠償法に基づく損害賠償(主位的請求)、憲法29条3項の類推適用に基づく損失補償(予備的請求1)、憲法40条の類推適用に基づく損失補償(予備的請求2)、及び上記各金員に対する平成14年3月29日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。 2 前提事実以下の事実は、当事者間に争いがない( )、及び上記各金員に対する平成14年3月29日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。 2 前提事実以下の事実は、当事者間に争いがない(なお、処分経過等を時系列的に示すと別紙「処分経過等」に記載のとおりとなる。)。 1)原告は、昭和47年(1972年)6月17日、ミャンマーにおいて生まれ、ミャンマー国籍を有する外国人である。 2)第1回上陸申請原告は、平成8年9月2日、A名義の旅券を所持してタイ国経由で新東京国際空港に到着し、出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)6条所定の上陸の申請(以下)「第1回上陸申請」という。)をしたが、法7条1項2号に適合しないとして退去命令を受け、同日、バンコクに向け出国した。 3)第2回上陸申請(1) 原告は、平成9年12月26日、上記退去後にミャンマーにおいて新たに発給されたA名義の旅券に、平成10年2月23日付けで在ミャンマー大使館の査証を受けた上、同年3月29日、タイ国バンコク経由で新東京国際空港に到着し、東京入国管理局成田空港支局(以下「成田空港支局」という。)入国審査官に対し、法6条所定の上陸の申請(以下「第2回上陸申請」という。)をしたが、入国審査官は、原告が法7条1項所定の上陸のための要件に適合していると認定できないとして、原告を特別審理官に引き渡した。 (2) 特別審理官は、同日、原告に対し、法10条に基づく口頭審理を実施した結果、原告は、法7条1項2号に適合しない旨の認定をして、原告にこれを通知し、原告から所定の期間内に異議の申出がされなかったことから、同年4月2日、原告に対して退去命令書を交付し、出国便を日本航空717便(バンコク向け)と指定した。しかしながら、原告は、出国を拒否した上、同日、法61条の2第1項所定の 出がされなかったことから、同年4月2日、原告に対して退去命令書を交付し、出国便を日本航空717便(バンコク向け)と指定した。しかしながら、原告は、出国を拒否した上、同日、法61条の2第1項所定の難民認定申請をした(なお、原告が第2回上陸申請当初から難民であるとの主張をしていたのかどうかについては当事者間に争いがある。この点については、後に検討する。)。 そして、原告は上記のとおり上陸を拒否された一方で、難民認定申請をして出国を拒否したことから、同日以降、新東京国際空港内の上陸防止施設において起居をするようになった(以下、これを「本件上陸防止措置」という。なお、これが強制収容に当たるかどうかについては、後に検討する。)。 4)難民不認定処分及び退去強制令書発付処分の経緯(1) 難民不認定処分の経緯ア)東京入国管理局難民調査官は、同年4月6日及び同月7日、成田空港支局において、原告に対する事情聴取を行うなどし、法務大臣は、同年6月9日、原告について難民認定をしない処分(以下「本件不認定処分」という。)をし、同月12日、原告に対し、その旨の告知をした。 イ)原告は、翌13日、法務大臣に対して本件不認定処分に対する異議の申出をしたが、同年10月5日、異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件難民裁決」という。)を受けた。 (2) 退去強制令書発付処分の経緯ア)他方、成田空港支局入国審査官は、同年4月20日、成田空港支局入国警備官に対し、原告について法24条5号の2該当の容疑があるとの通報をした。入国警備官は、調査の結果、原告には法24条5号の2に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして、同月21日、成田空港支局主任審査官から収容令書の発付を受け(以下「本件収容令書発付処分」という。)、翌22日、これを執行して、原告を 24条5号の2に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして、同月21日、成田空港支局主任審査官から収容令書の発付を受け(以下「本件収容令書発付処分」という。)、翌22日、これを執行して、原告を成田空港支局収容場に収容した上、同日、原告を法24条5号の2該当の容疑者として成田空港支局入国審査官に引き渡した。 イ)成田空港支局入国審査官は、同日及び同月30日に違反調査を行った上、同月30日、原告は法24条5号の2に該当する旨の認定をし、原告にこれを告知した。これに対し、原告は、口頭審理の請求をしたため、成田空港支局特別審理官は、同年5月12日、口頭審理を実施した上、同日、入国審査官の上記認定に誤りがない旨の判定をし、原告にこれを告知した。原告は、同月13日、法務大臣に対し、異議の申出をした。 ウ)成田空港支局入国警備官は、同年6月1日、原告を東日本入国管理センターに移収した。 エ)法務大臣は、同月12日、原告の上記異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件退去裁決」という。)をした。そして、同裁決の通知を受けた成田空港支局主任審査官は、同日、原告に本件退去裁決の告知をするとともに、原告をミャンマーに送還する旨の退去強制令書を発付した(以下「本件退令発付処分」という。)。また、東日本入国管理センター入国警備官は、同日、退去強制令書を執行し、原告を引き続き収容した。 5)原告による訴訟の提起とその後の経緯(1) 原告は、平成10年7月27日、法務大臣及び成田空港支局主任審査官を被告として、本件退去裁決及び本件退令発付処分の取消しを求める訴訟(東京地方裁判所平成10年(行ウ)第148号。以下「退令関係訴訟」という。)を提起するとともに、同年11月18日には、再審査情願をし、また、平成11年1月8日には、法務大臣を被告として、本件 訴訟(東京地方裁判所平成10年(行ウ)第148号。以下「退令関係訴訟」という。)を提起するとともに、同年11月18日には、再審査情願をし、また、平成11年1月8日には、法務大臣を被告として、本件不認定処分の取消しを求める訴訟(同裁判所平成11年(行ウ)第1号。以下「難民関係訴訟」といい、退令関係訴訟と併せて「別件訴訟」という。)を提起した。 (2) 東日本入国管理センター所長は、平成11年3月4日、原告に対し、仮放免の許可をした。 (3) 法務大臣は、平成14年2月20日、別件訴訟の審理の結果、原告が難民であることが判明したとして、本件不認定処分を取り消し、同月23日、その旨の通知書を原告に郵送し、更に、東京入国管理局難民調査官の調査を経た上、同年3月14日、原告を難民と認定し(以下「本件認定処分」という。)、翌15日、難民認定証明書を原告に交付した。 (4) また、法務大臣は、同月14日、原告の再審査情願に基づく再審査を行った結果であるとして、原告に対し法61条の2に基づく在留特別許可(以下「本件在留特別許可」という。)をした。この通知を受けた成田空港支局主任審査官は、同日、本件退令発付処分を取り消し、同月18日、これを原告に告知した。法務大臣は、同日、原告に対し、本件在留特別許可の告知をするとともに、在留資格証明書を交付した。 (5) 原告は、同年3月4日、別件訴訟に本件国家賠償請求訴訟を追加する旨の訴えの追加的併合を申し立て、その後の同年7月19日、別件訴訟に係る訴えを、いずれも取り下げた。 6)被告による本件不認定処分取消し及び本件認定処分の理由被告は、本件不認定処分取消し及び本件認定処分の理由として、「原告は、諸般の証拠等に照らし、平成8年12月9日及び10日の両日、ヤンゴン大学付近で発生した学生デモの指導的立場にあり、そ 処分の理由被告は、本件不認定処分取消し及び本件認定処分の理由として、「原告は、諸般の証拠等に照らし、平成8年12月9日及び10日の両日、ヤンゴン大学付近で発生した学生デモの指導的立場にあり、そのため、ミャンマーの治安当局の追及を受けている可能性が多分にあり、本件不認定処分時において、政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあったものと認められる。」と主張している(被告準備書面(10))。この主張事実は、原告が、別件訴訟係属当時から一貫して主張していた事実と主要な点において一致しており、原告が、上記のような事由により難民と認められるべき者であることは、本訴においては、当事者間に争いのない事実となっている。 第3 争点と争点に関する当事者双方の主張本件の争点は、①被告は、原告に対し、国家賠償義務を負うかどうか、具体的には、難民不認定処分、本件退去裁決、本件退令発付処分、本件収容令書発付処分、及び本件上陸防止措置(以下、これらをまとめて「本件各処分等」ということがある。)が違法かどうか、違法である場合、担当公務員に過失があるかどうか、損害の有無と額の各点、②被告は、原告に対し、憲法29条3項の類推適用に基づく損失補償義務を負うかどうか、③被告は、原告に対し、憲法40条の類推適用に基づく補償義務を負うかどうかであり、これらの点に関する当事者双方の主張の概略は、次のとおりである。 1 国家賠償義務の有無について1)原告(1) 本件不認定処分の違法性と法務大臣の過失ア)難民該当性の認定のあり方について(ア) 我が国は、難民の地位に関する条約及び難民の地位に関する議定書(以下、前者を「難民条約」、後者を「難民議定書」といい、両者を併せて「難民条約等」という。)を批准しており、難民を庇護すべき国際的な義務を負っている。法の難民認定に関す び難民の地位に関する議定書(以下、前者を「難民条約」、後者を「難民議定書」といい、両者を併せて「難民条約等」という。)を批准しており、難民を庇護すべき国際的な義務を負っている。法の難民認定に関する規定等は、このような国際的な義務を果たすために制定されたものなのであるから、その解釈に当たっては、難民条約等の定めの趣旨に適合するような解釈が要求されることはいうまでもないところである。 ところで、難民の意義については、難民条約1条A及び難民議定書1条2項が明確に定めているところであり、難民条約等の締約国は、上記規定の定める難民に該当する者に対しては、庇護をすべき義務を負うのであって、国内法の定めにより、庇護すべき難民の範囲を限定してしまうようなことは許されないものというべきである。難民条約等は、難民認定手続をどのようなものにするかについての定めを置いておらず、各締約国が、各国の実情に応じた手続規定を置くこと(立法裁量)を許容しているものというべきであるが、これは、あくまでも認定「手続」についての立法裁量を許容しているのにすぎず、難民についての実体的要件を変容させることを許容しているものではない。また、上記の趣旨に照らしてみれば、締約国としては、難民に対し、難民該当性について過度の立証責任を課する等、難民に対して不当な不利益を課する手続規定を置くことによって、本来難民であるはずの者が、難民認定を受けることができないような事態を恒常的にもたらすような手続規定を置くことも、実質的に見れば、難民の範囲を限定する措置にほかならず、許されないというべきであり、法の解釈においても、このような観点からの配慮が要求されるものというべきである。 さらに、難民に対する庇護は、国際連合難民高等弁務官事務所(以下「UNHCR」という。)と協力し、締約国が協調し り、法の解釈においても、このような観点からの配慮が要求されるものというべきである。 さらに、難民に対する庇護は、国際連合難民高等弁務官事務所(以下「UNHCR」という。)と協力し、締約国が協調して行わなければならないものなのであるから、締約国が難民の庇護に関する法律を制定し、それを解釈運用するに当たっても、UNHCRの勧告等や、他の締約国、とりわけ先進各国における庇護の状況等を十分に考慮する必要があることもいうまでもないところである。 (イ) ところで、難民条約1条A及び難民議定書1条2項によれば、難民とは、「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護をうけることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護をうけることを望まないもの」等を意味するものとされている。 そして、UNHCRによる難民条約等の解釈や、先進各国における先例等も考慮すると、上記の要件のうち、「迫害」と「十分に理由のある恐怖」の要件については、次のように解すべきである。すなわち、まず、「迫害」については、生命、身体に対する侵害がこれに当たることは当然であるが、それに限られるものではなく、経済的・社会的自由に対する侵害や、精神的自由に対する侵害も、それ自体が迫害に当たるか、迫害を構成する重要な要素の一つになるものというべきであるし、また、個々の侵害行為は、それ自体としてみれば、迫害とまではいえないようなものであっても、そのような侵害行為が積み重なることによって重大な法益侵害がもたらされ、「迫害」状況が生ずる可能性も十分にあり得ることに配慮すべきである。また、「十分に理由のある恐怖」にいついては、難民認 っても、そのような侵害行為が積み重なることによって重大な法益侵害がもたらされ、「迫害」状況が生ずる可能性も十分にあり得ることに配慮すべきである。また、「十分に理由のある恐怖」にいついては、難民認定申請者の個別的状況、出身国における人権状況、過去の迫害、同様の状況に置かれている者の事情等を十分に考慮して認定すべきものであり、また、当該申請者が属する集団に対する一般的迫害状況があれば、当該申請者に対しても同様の迫害が行われる可能性は十分にあり得るのであるから、このような場合にも、当該申請者に対する迫害が存在するものと認めるべきであることにも配慮する必要がある。 (ウ) また、法61条の2第1項は、「法務大臣は、本邦にある外国人から法務省令で定める手続により申請があったときは、その提出した資料に基づき、その者が難民である旨の認定を行うことができる。」旨を定めており、この規定は、難民認定申請者において難民であることを立証すべき旨を定めているように見えるが、①(ア)において指摘したとおり、難民認定申請者に対し、過度の立証責任を課することによって本来難民であるはずの者が難民認定を受けられないような事態が生ずることは避けなければならないのであり、そうであるからこそ、法も61条の2の3第1項において、法務大臣は、難民認定申請者が提出した資料のみでは適正な難民の認定ができないおそれがある場合等には、難民調査官に事実の調査をさせることができる旨を定め、補充調査を要求しているものと解されること、②難民認定手続における難民性の立証の負担は、訴訟における立証責任とは異なるものというべきであること、③難民認定申請者は、迫害を避けるため、十分な資料も整えられないまま国籍国を脱出するのがむしろ通常であり、このような者に対して客観的、具体的な資料の提出を厳格に要求 異なるものというべきであること、③難民認定申請者は、迫害を避けるため、十分な資料も整えられないまま国籍国を脱出するのがむしろ通常であり、このような者に対して客観的、具体的な資料の提出を厳格に要求するのは不可能を強いるものであること、④難民認定申請者が、難民該当性の立証ができないとして出身国に送還された場合には、取り返しのつかない事態が発生することとなるのであるから、このような事態を避けるためにできるだけの配慮が必要であることなどの事情に照らしてみれば、上記条項は、難民認定申請者に対し、難民該当性について訴訟でいう意味での立証責任を課したものと解すべきではなく、難民認定権者においても、難民性の有無に関する積極的かつ十分な補充調査等を行う義務があるものというべきである。また、上記の点を考慮すると、調査の結果、当該申請者が置かれた状況に合理的な勇気を有する者が立ったときに、「帰国したら迫害を受けるかも知れない」と感じ、国籍国への帰国をためらうであろうと評価し得るような状況が認められる場合には、「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」と認めるべきものであり、通常の立証責任に関する考え方を形式的にあてはめて、「迫害を受けるおそれについての蓋然性が認められないから難民には該当しない。」といった判断をするのは相当ではない。 イ)原告の難民該当性と法務大臣の行為の違法性及び過失について(ア) 原告の難民該当性a)原告は、1972年6月17日に、本国のラカイン州マウンドゥ郡ドゥダン村に生まれ、イスラム式のロヒンギャ民族名として、B(B)を名乗っていた。 なお、原告が属するロヒンギャ民族は、現軍事政権下においては、同国の国民ではなく不法に滞在する外国人であるとされており、市民権を与えられないことはもちろんのこと、移動の自由を (B)を名乗っていた。 なお、原告が属するロヒンギャ民族は、現軍事政権下においては、同国の国民ではなく不法に滞在する外国人であるとされており、市民権を与えられないことはもちろんのこと、移動の自由を制限されている上、度々強制労働を強いられ、土地や財産を没収されるなど各種の迫害を受けている。 また、原告の民族名は、上記のとおりBであるが、大学に進学したころから、級友らからロヒンギャ民族名は発音しにくいなどといわれたため、A(A)という名も使用するようになった。そして、1995年11月ころ、身分証明書である国民調査カードの申請をしたところ、担当者から、ロヒンギャ民族のB名ではカードを発行することはできないが、他の民族名で申請すれば発行すると言われたため、カマン民族のA名でカードの申請をし、その発行を受けることができたため、以後、身分証明書上の氏名はAとなったものである。 b)原告は、高校を卒業した1988年、マウンドゥ出身でヤンゴン大学生のC(C)が帰郷し、学生連盟マウンドゥ支部を組織したことがきっかけとなって民主化運動に参加するようになり、同支部の組織部長や財政部長として活動に加わった。しかしながら、同年9月18日に現在の軍事政権がクーデターによって政権を握ると民主化運動参加者に対する捜査を始め、原告の家にも警察が来たため、半年ほど隠れ住んでいたが、その後、活動家に対する捜査が落ち着いたため、自宅に戻り、1990年には、ロヒンギャ民族出身の学生を構成員とするメイ・ユー開発進歩党を組織したほか、同年に行われた総選挙において、メイ・ユー開発進歩党として独自の候補者を擁立するとともに、民主化等を主張する国民人権民主党の候補者を支援するなどの活動を行った。 c)原告は、1991年11月、シットウェー・ディグリー大学理学部に入学し、2年間の過程を て独自の候補者を擁立するとともに、民主化等を主張する国民人権民主党の候補者を支援するなどの活動を行った。 c)原告は、1991年11月、シットウェー・ディグリー大学理学部に入学し、2年間の過程を終えた後、ヤンゴンにあるヤンゴン大学理学部の専門課程に進学することとなった。シットウェー・ディグリー大学理学部在学中は、政治活動に参加することはなかったものの、1993年11月20日、ヤンゴン大学進学のため飛行機でヤンゴンに向かおうとした際、空港での警察の手荷物検査において、所持していたノートにロヒンギャ民族の大量難民流出事件に関することや、原告の政治活動、政治的意見等が記載されているのを発見されたことから、ロヒンギャ民族の活動家であるとして警察に連行され、さらに、軍情報部に引き渡されて13日間留置され、全身を拳や棒、ベルトなどで殴られるなどの暴行を受け、大学の恩師の尽力によってようやく解放してもらうという事件に巻き込まれた。 d)原告は、ヤンゴン大学理学部進学後、勉強に専念していたが、1995年に入ったころから、同理学部の学生であるD(D)、E(E)、F(F)、G(G)ら(以下、原告を含む上記5名を「原告ら5名」ということがある。)とともに民主化運動を行うようになり、同年7月10日にアウンサウンスーチーが解放された後は、同人宅前の集会に参加を始め、そのうち、同人との面会も許され、同人から学生の間での組織作りや民主化運動のあり方についてアドバイスを受けるようになった。同人との面会は、3、4回に及んだ。ところが、同年8月中旬ころ、原告は、夜中に突然現れた軍情報部員によって連行され、2晩留置され、殴る蹴るの暴行を受け、どんな団体と連絡を付けて活動しようとしているのかなどの尋問を受けた挙げ句、もう政治活動はしない旨のB名義の誓約書を書かされてよう た軍情報部員によって連行され、2晩留置され、殴る蹴るの暴行を受け、どんな団体と連絡を付けて活動しようとしているのかなどの尋問を受けた挙げ句、もう政治活動はしない旨のB名義の誓約書を書かされてようやく解放された。 e)原告ら5名は、その後も活動を続け、同年8月下旬か9月ころには、ビルマ学生戦線(BurmaStudentsFront。後に、学生民主戦線-StudentsDemocraticFront-に名称変更。以下、前者を「BSF」、後者を「SDF」という。)を組織し、民主化、逮捕された学生や政治家の解放、学生の権利の確立等を目的とした活動を行うようになり、次第に組織を拡大させていったが、同年12月、軍事政権と、国民民主連盟(NLD、アウンサウンスーチーを代表とするミャンマー議会の野党第一党)との対立が深刻化し、軍事政権による政党政治家への逮捕拘束が始まり、翌年1月には、それが学生活動家にも及ぶようになったため、身の危険を感じてNLD副議長であるHに相談をしたところ、国外へ出た方が良いとして、日本行きを進められたため、ブローカーを通じてパスポートとビザを入手し、1996年9月2日、日本に向かって出国した(なお、他の4名は、パスポート等を入手する資金がなかったため、国境地帯等へ逃亡した。)。 これが原告の第1回上陸申請であるが、原告は日本への入国を許されず、空港で難民申請をすることができることも知らなかったため、出国を余儀なくされ、バンコクまで飛行機で帰った後、タイ南部のラノーンという町から、出稼ぎ労働者にまぎれて帰国した。なお、タイまで戻った際、そこで出会ったIというロヒンギャ民族の人物から、日本では、空港でも難民申請ができるが、それをした場合には、長期間身柄を拘束されてしまうこと、日本にはロヒンギャ民族のグループが存在する で戻った際、そこで出会ったIというロヒンギャ民族の人物から、日本では、空港でも難民申請ができるが、それをした場合には、長期間身柄を拘束されてしまうこと、日本にはロヒンギャ民族のグループが存在することなどを教えられた。 f)同年12月2日から、ヤンゴン工科大学の学生が中心となって、民主化等を要求するデモが開始された。原告ら5名は、このデモに参加しようと考え、SDFの代表として、ヤンゴン工科大学の学生らと話合いを進め、同月6日、7日には、ヤンゴン大学構内で、ビラ配りやオルグ活動、デモ等を行って民主化要求運動への参加者を募った。そして、同月9日、10日には、SDFが中心となってヤンゴン市内のレーダン交差点において、学生連盟の結成、学生自治の実現、逮捕されている学生の釈放、民主化を要求するデモ、座り込みを行った。10日午後4時ころ、治安部隊がやってきて原告らに対して解散命令を発令し、同日午後10時ころ、解散命令に応じず、スクラムを組んでいた原告ら約100名の学生に対し、放水を浴びせ、警棒で殴った上、学生をごぼう抜きにして次々と逮捕していった。 原告も逮捕され、ヤンゴンの衛星都市であるフラインターヤーにある軍の駐屯地に連行され、2日間にわたって尋問を受けることとなった。当初は、他の学生らと共に尋問を受けていたが、尋問を受けていた学生の1人が、原告がリーダーであると言ったため、別室で尋問を受けることとなった。そして、携帯していた学生証から以前にも逮捕された経歴があるBであることが発覚してしまい、政治活動をしないという誓約書にサインをしているのに、再び政治活動をしたことを咎められた上、「誰の指示を受けているのか。」、「組織の活動目的は何か。」などの点について尋問を受けた。その際には、殴る蹴るの暴行に加え、食事は2日間で1度しか与えられず、眠るこ 治活動をしたことを咎められた上、「誰の指示を受けているのか。」、「組織の活動目的は何か。」などの点について尋問を受けた。その際には、殴る蹴るの暴行に加え、食事は2日間で1度しか与えられず、眠ることも許されないなどといった虐待を受けた。 このような尋問の挙げ句、再び、政治活動をしないという誓約書に署名をさせられた上で釈放された。原告は、この際にも、B名で署名をしたため、以後、Bの名を使用することをおそれ、A名を日常的にも使用するようになった。 g)上記のデモから間もない同年12月ころ、ガバーエーパゴダで政府要人を狙った爆弾テロ事件が起こり、翌1997年4月にも、軍事政権の幹部であるティンウー第2書記宅で爆弾テロ事件が起きた。軍事政権側は、学生活動家がこれらの事件に関与しているのではないかと疑い、学生活動家に対する大量摘発を始め、4月の事件の後には、原告と共に活動していたDを逮捕した。更に、同年、ミャンマーがASEANに加盟したのをきっかけに、上記デモ後閉鎖されていた大学を再開する方針が決定されたが、それに先立ち、学生運動が再燃するのを防止するため、デモに参加していた学生を取り締まろうという動きも始まり、同年12月ころからは、上記デモ参加者らに対する摘発が開始されるという動きもあった。 このようなことから、原告も身の危険を感じ、Hに相談をした結果、再び日本へ脱出することを考えるようになり、同年10月ないし11月ころ、ブローカーにパスポートの手配を依頼するなど出国のための工作を始めた。そうしているうち、1998年1月、Eが逮捕されるに至り、同人の母親から、逮捕に来た官憲の人間は、上記のデモについて聞きたいといっていたこと、Eに対し、原告の居場所を知っているかと尋ねており、同人は知らないと答えたことなどを聞かされたため、危機感を強め、空港か 親から、逮捕に来た官憲の人間は、上記のデモについて聞きたいといっていたこと、Eに対し、原告の居場所を知っているかと尋ねており、同人は知らないと答えたことなどを聞かされたため、危機感を強め、空港からの出国に便宜を図ってくれる人間を捜すなどの工作を本格化させた。同年3月中旬には、原告が一時身を寄せていた親戚宅に対しても捜索が行われる(原告は、たまたま不在であった。)という事態も発生した。 このような状況の中で、原告は、同年3月28日に出国し、翌29日、第2回上陸申請に至ったのである。 h)以上のとおりであって、原告は、ロヒンギャ民族の一員として、また、民主化運動の学生活動家としてもミャンマー軍事政権からの迫害にさらされてきたのであり、難民に該当することは明らかである。そして、被告も、現在では、原告が、民主化運動の学生活動家であって難民に当たることを認めるに至っているものである。 (イ) 法務大臣の行為の違法性及び過失についてa)原告は、難民認定申請の当初から、上記のような事情を一貫して供述しており、その供述内容は、十分に信用に値するものであったから、原告に対しては、当然に難民認定がされるべきであった。しかしながら、難民調査官らの難民認定担当者は、当初から原告が不法入国を試みていると決めつけ、原告の供述内容を真摯に検討しようとせず、必要な補充調査も行わず、供述内容の間の些細な矛盾や変遷をあげつらい、しかも、その矛盾や変遷について原告に弁解の機会を与えることもないまま、違法な本件不認定処分をするに至ったものである。このような行為は、難民認定事務を担当する公務員としての法的義務に違反したものであって、その行為は違法であり、かつ過失も認められることは明らかである。 被告らは、「原告の供述には、様々な矛盾点や疑問点があり、難民認定申請当時におい 当する公務員としての法的義務に違反したものであって、その行為は違法であり、かつ過失も認められることは明らかである。 被告らは、「原告の供述には、様々な矛盾点や疑問点があり、難民認定申請当時においては、到底信用し得るようなものではなく、別件訴訟における審理等において判明した事情や、仮放免された後の原告の我が国における活動内容等の事情により、初めて原告が難民であることが判明した。」という趣旨の主張をする。しかしながら、次に述べるとおり、被告の主張は、極めて根拠の乏しいものといわざるを得ない。 b)まず、被告が、原告の供述内容の矛盾点や疑問点として主張している点は、後記2)、(1)、イ)、(ア)のとおりであるが、これらはいずれも、矛盾や疑問などと評価するに足りない些細な問題点ばかりであって、原告の供述内容が虚偽であると疑うに足りるようなものであるとは到底いい難い。しかも、供述内容に矛盾点や疑問点があるというのであれば、その点を原告に問い質し、原告がどのような弁解をするのかを見極めた上で、供述内容の真否を判断するというのが調査の基本的なあり方のはずであるにもかかわらず、難民調査官らは、このような作業を一切行っていないのである。このような調査姿勢は、難民該当性の有無を調査検討しようというのではなく、難民該当性を否定する理由を見付けるためにあら探しをしているとしかいいようのないものであり、難民認定事務を担当する公務員としての法的義務に違反するものであったといわざるを得ない。 c)また、被告が、処分後において判明した難民該当性を基礎付ける事情と主張しているのは、①原告が、別件訴訟において、1996年12月9日、10日のデモの内容について詳細な供述をし、その内容は、我が国での新聞報道等とも合致していたこと、②別件訴訟において、原告の出国後、原告の自 るのは、①原告が、別件訴訟において、1996年12月9日、10日のデモの内容について詳細な供述をし、その内容は、我が国での新聞報道等とも合致していたこと、②別件訴訟において、原告の出国後、原告の自宅や親戚宅に官憲の捜査が行われた事実が判明したこと、③1996年12月のデモに参加し、それを理由に身の危険を感じていたにもかかわらず、1998年3月に至って初めて出国したというのは不自然といわざるを得なかったところ、別件訴訟において初めて、この点に関する合理的な説明がされるに至ったこと、④迫害を受けている者が、自由にミャンマーを出国できたという点にも疑問があったところ、原告がB名とA名を使い分けていた事情の詳細が判明し、この点に関する疑問も氷解したこと、⑤原告は、仮放免後、在日ビルマロヒンギャ協会の中心メンバーとして活動するようになり、この事実は、原告が上記デモの中心メンバーであったことを裏付けるに足りる事情であったことの5点である。 しかしながら、これらの事情のうち、①、③、④の点は、難民調査官らにおいて、詳細な事情聴取を行っていれば容易に事情が判明し、あるいは疑問が氷解する類の問題であって、新たに判明した事情といえるようなものではない。また、②、⑤は新たに判明した事情とはいい得るものの、これらによって原告の難民該当性の有無が決定されるという性質のものではなく、精々補完的な事情という評価を与えられる程度のものでしかない。 このように考えていくと、被告の主張は、極めて根拠薄弱であるといわざるを得ず、新たな事情として、この程度の事情しか指摘できないということは、当初の調査がいかに杜撰なものであったかを自白しているのに等しいものというべきである。 d)なお、難民認定手続においても適正手続の要請が働くことは当然であり、この観点からすると、①難 ということは、当初の調査がいかに杜撰なものであったかを自白しているのに等しいものというべきである。 d)なお、難民認定手続においても適正手続の要請が働くことは当然であり、この観点からすると、①難民認定申請者に対して釈明の機会が与えられること、②処分に当たっては理由の付記がされること、③直接主義(難民認定の判断を行う者が、直接調査に当たること)、④難民問題に関する専門的知識を有した上で調査に当たること、⑤手続の透明性が図られることが重要であるといわなければならない。しかしながら、原告に対して釈明の機会が与えられなかったことは既に再三主張したとおりであるし、そればかりか、難民調査官は、身分を名乗って調査の目的を明確にすることも、原告の供述内容は秘密にされることを告げることもなく、原告が犯罪者であるかのような高圧的な態度で尋問を行い、原告が自由に供述をすることができるような雰囲気を作る配慮さえもしなかったのであって、原告が、自由に言い分を述べ、疑問点に対する釈明を行えるような手続が行われなかったことは明らかである。また、処分理由も、難民とは認められないという結論を記載したものにすぎず、処分に当たり、慎重な検討がされたとは到底いえないようなものであった。更に、直接主義、専門性、手続の透明性に対する配慮も極めて不十分であったのであり、このような適正手続の要請に反する難民認定のあり方が、本件のような、恣意的で杜撰な判断をもたらしていることも指摘しておく。 (2) 本件退去裁決の違法性と法務大臣の過失(1)で主張したとおり、原告は、難民であることが明らかであったのであるから、法61条の2の8に基づき、在留特別許可が与えられるべきであった。しかしながら、法務大臣は、(1)記載のとおり、難民認定担当者としての義務に違反した結果、誤った本件不認定処 かであったのであるから、法61条の2の8に基づき、在留特別許可が与えられるべきであった。しかしながら、法務大臣は、(1)記載のとおり、難民認定担当者としての義務に違反した結果、誤った本件不認定処分を行い、その結果、法61条の2の8の適用を考慮して在留特別許可を与えることもないまま本件退去裁決を行ったものであるから、この行為も公務員としての義務に違反するものであって違法であり、そのことについては過失があったものというべきである。 (3) 本件退令発付処分の違法性と成田空港支局主任審査官の過失法49条5項は、主任審査官は、法務大臣から異議の申出が理由がないと裁決した旨の通知を受けたときは、退去強制令書を発付しなければならない旨を定めているが、この規定は、退去強制令書の発付を義務付けたものではなく、主任審査官には、退去強制令書を発付するかどうかについての裁量が認められているものと解すべきである。そうすると、成田空港支局主任審査官としては、本件退去強制令書発付に当たり、改めて原告の難民該当性について検討をすべきであったものであり、(1)に記載した事情に照らしてみれば、この段階において、原告が難民に該当すると判断し、退去強制令書の発付を断念するのが当然であったといえる。したがって、この点を看過したまま本件退令発付処分を行ったのは違法であり、そのことについては過失があったものというべきである。 また、仮に同主任審査官には裁量がなく、本件退令発付処分を発令するほかはなかったとしても、難民である原告を、国籍国であるミャンマーに送還することは許されなかった(法53条3項参照)。しかしながら、主任審査官は、本件退令発付処分において送還先をミャンマーと指定したのであり、(1)に記載した点に照らしてみれば、この点には公務員の基本的義務に違反する違法があ た(法53条3項参照)。しかしながら、主任審査官は、本件退令発付処分において送還先をミャンマーと指定したのであり、(1)に記載した点に照らしてみれば、この点には公務員の基本的義務に違反する違法があり、そのことについては過失があったものというべきである。 (4) 本件収容令書発付処分の違法性と成田空港支局主任審査官の過失本件収容令書発付処分は、平成10年4月21日に発令されたものであった。 ところで、難民条約31条2項は、難民認定申請をした者に対しては、原則として身柄の収容を行ってはならない旨を定めたものと解すべきあるから、第2回上陸申請当初から難民認定の申請を行っていた原告に対しては、身柄の収容を行うべきではなかった。 仮にそのようにいうことはできないとしても、同月6日、7日には、難民調査官によるインタビューが行われており、この時点で得られた情報を基にし、正しい事実調査が行われていれば、上記両日の時点で原告が難民であることが明らかになっていたものというべきであり、難民である原告に対しては、難民条約31条2項に基づき、身柄の拘束が許されなかったことは明らかである。 したがって、本件収容令書発付処分はいずれにしても違法であり、(1)で指摘した点に照らしてみれば、成田空港支局主任審査官は、公務員としての基本的な義務に違反した結果、このような違法な処分を行ったものであり、そのことについては過失があったものというべきである。 (5) 本件上陸防止措置の違法性と担当者の過失原告は、同年3月29日に入国を拒否されてから同年4月21日に収容令書を執行されるまでの24日間、上陸防止措置を採られた結果、新東京国際空港内の上陸防止施設に収容され、部屋には外から鍵がかけられて自由に外に出ることはできず、シャワーは週に1回許されるのみで運動をすることもで れるまでの24日間、上陸防止措置を採られた結果、新東京国際空港内の上陸防止施設に収容され、部屋には外から鍵がかけられて自由に外に出ることはできず、シャワーは週に1回許されるのみで運動をすることもできず、インタビュー等で外に出る場合には、手錠を掛けられるという処遇を受けており、これは身柄の拘束にほかならない。 ところで、原告は、第2回上陸申請当初から難民であることを申し立てていたのであるから、このような難民認定申請者に対し、身柄の拘束を行うことは許されなかったものというべきである。また、原告の申立ては、法18条の2所定の一時庇護のための上陸許可の申立てと解釈することが十分に可能なものであったのであるから、原告の申立てを受けた入国審査官や特別審理官としては、一時庇護のための上陸許可をすべきであったにもかかわらず、原告の申立てを一切無視し、単に不法入国を企図した者として扱ったのであり、このような取扱いは、公務員としての義務に違反するものであり、そのことについて過失もあったものというべきである。 また、特別審理官は、同年4月2日、原告に対し退去命令書(乙7)を交付しているが、その期限は同日限りとされ、しかも、その後、法13条の2所定の施設にとどまることの許可もされていなかったのであるから、同月3日以降における上陸防止施設における収容は、法律上の根拠のない違法な身柄拘束であったことが明らかであり、このような法律上の根拠のない身柄拘束を行ったことについては、担当公務員の義務に違反する違法があり、かつ過失もあるものというべきである。また、原告は、上陸防止施設において、上記のような違法な処遇を受けたものであるところ、上陸防止施設の管理者は被告なのであるから、その処遇が被告の担当者の指示に基づいて行われたものであるかどうかを問わず、その責任は被告が負 施設において、上記のような違法な処遇を受けたものであるところ、上陸防止施設の管理者は被告なのであるから、その処遇が被告の担当者の指示に基づいて行われたものであるかどうかを問わず、その責任は被告が負うものというべきであるから、この面においても、被告の責任は免れないものというべきである。 (6) 原告の損害と損害額原告は、上記のような違法行為によって、①平成11年3月4日に仮放免を許可されるまでの間、身柄の拘束を受けたばかりではなく、仮放免許可後も、平成14年3月14日に本件在留特別許可を受けるまでの間、移動の自由を制限されるなど活動の制限を受け、②我が国において民主化活動を行う自由を侵害され、また、収容中、国会議員に充てて自らの窮状を訴える手紙を送付しようとしたところ、検閲を受け、内容を削除されるなど表現の自由も侵害され、③ミャンマーに送還されるのではないか、あるいは、再収容されるのではないかという恐怖にさらされ、精神的打撃を受けた。また、本件不認定処分や、その後の難民裁決に至る調査の過程で適正な処遇を受けられず、犯罪者扱いされたことによっても精神的打撃を受けた。 これらによって生じた精神的打撃には著しいものがあり、これを慰謝するための慰謝料の額は1000万円を下らないものというべきである。また、原告は、本件訴訟の提起を原告訴訟代理人らに委任したものであるところ、そのための弁護士費用の額は177万円が相当である。 したがって、被告は、原告に対し、上記の損害賠償金合計1177万円及び遅延損害金を支払う義務がある。 2)被告(1) 本件不認定処分の違法性及び法務大臣の過失の主張についてア)法務大臣の行為の違法性の判断基準(ア) 国家賠償法上の違法とは、民事上の不法行為における違法(権利侵害)とも、行政処分の取消訴訟におけ 定処分の違法性及び法務大臣の過失の主張についてア)法務大臣の行為の違法性の判断基準(ア) 国家賠償法上の違法とは、民事上の不法行為における違法(権利侵害)とも、行政処分の取消訴訟における違法とも異なり、公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違反することを意味するものであり(最高裁判所第一小法廷昭和60年11月21日判決、民集39巻7号1512頁参照)、そのような意味での違法があったかどうかを判断するに当たっては、当該公権力の行使がされた時点において当該公務員が収集していた資料や、当該公務員に対して通常要求される調査等をすれば収集し得た資料を総合勘案し、それに基づく合理的な判断過程を経た場合には、当該公権力の行使をすべきではなく、それにもかかわらず当該公権力の行使をしたことが、当該公務員の職務上の注意義務に違反したものといえるかどうかという観点から判断がされるべきものである。 したがって、本件においても、本件不認定処分が結果的に違法であったからといって、直ちに法務大臣に国家賠償法上の違法行為があったということはできず、上記のような意味での職務上の法的義務違反があったと認められるかどうかを判断する必要がある。 (イ) ところで、法61条の2第1項は、法務大臣は、難民認定申請があった場合、「その提出した資料に基づき、その者が難民である旨の認定を行うことができる。」と規定し、法61条の2の3は、提出された資料のみでは適正な難民の認定ができないおそれがある場合等には、「難民調査官に事実の調査をさせることができる。」と規定しており、これらの規定によれば、難民であることの立証責任は、難民認定申請者が負担するものであることが明らかである。そして、①難民認定処分は、受益処分に当たり、一般論としても、その要 きる。」と規定しており、これらの規定によれば、難民であることの立証責任は、難民認定申請者が負担するものであることが明らかである。そして、①難民認定処分は、受益処分に当たり、一般論としても、その要件該当性は受益処分を求める難民認定申請者が負うものと解されることや、②難民であるかどうかを判断するための事情の中には、難民認定申請者本人しか知り得ない事柄が少なくなくないことなどの事情に照らしてみれば、難民認定申請者が、難民該当性について立証責任を負うものとすることには合理的な根拠があるものというべきである。原告は、「難民認定申請者に難民該当性についての立証責任を負担させることは不当であり、難民条約等にも違反する。」という趣旨の主張をするが、難民認定申請者に立証責任を負わせることが不当ではないことは既に主張したとおりであるし、難民条約等においては、難民認定手続に関する規制は存在せず、どのような認定手続を定めるのかは締約国の立法裁量に委ねられられているのであるから、上記の規定が難民条約等に違反するものではないことも明らかである。 もっとも、難民申請者本人の供述や、その提出した資料のみによっては難民該当性の判断をするためには不十分であることが少なくない。このため、法61条の2の3は、難民調査官による事実の調査に関する規定を置いているし、実際の難民認定手続においても、必要な事実調査が行われるのが通常であるが、難民該当性を基礎づける事実の中には、当該難民認定申請者本人しか知り得ない事柄が少なくなく、事実の調査に限界があることは否定し難いところなのであるから、当該難民認定申請者本人が、矛盾した供述や、曖昧な供述を繰り返したり、調査に非協力であったり、必要な資料の収集提出等を怠ったりした結果、事実の調査を行っても、難民に該当するとの判断に至らないこと 、当該難民認定申請者本人が、矛盾した供述や、曖昧な供述を繰り返したり、調査に非協力であったり、必要な資料の収集提出等を怠ったりした結果、事実の調査を行っても、難民に該当するとの判断に至らないことがあり得るのはやむを得ない事柄であるといわなければならない。 (ウ) 以上に指摘した点を考慮すると、法務大臣は、難民認定申請に関する処分を行うのに当たり、申請者が提出した資料、難民調査官による事実の調査における申請者の供述、及び処分時までに収集し得た証拠資料に基づき、合理的な方法により難民の認定をすべき職務上の法的義務を負担しているものというべきであり、このような法的義務に違反があった場合には、国家賠償法上の違法があったと評価されるべきであるが、このような意味での法的義務違反があったとは認められない場合には、たとえ難民不認定処分が結果的に違法と評価されるものであったとしても、違法はないものというべきである。 そして、このような意味での法的義務違反があったと認められるかどうかを判断するに当たっては、申請者の申請内容や提出資料の内容、事実調査における申請者の供述内容、法務大臣による証拠収集の難易等の事情を総合考慮した上、法務大臣として要求される証拠資料の収集を怠り、あるいは明らかに不合理な証拠評価によって事実を誤認するなど、通常の難民認定業務としてはおよそ許容することができない職務上の法的義務違反があったかどうかが問題にされるべきものである。 イ)違法性と過失がないことについて上記の観点から考えた場合、法務大臣が、本件不認定処分を行ったことはやむを得ないものであり、違法性や過失はなかったものというべきである。その理由は、次のとおりである。 (ア) 原告は、「ロヒンギャ族に属し、学生の地下組織に参加していたために帰国すれば逮捕されて殺される」など いものであり、違法性や過失はなかったものというべきである。その理由は、次のとおりである。 (ア) 原告は、「ロヒンギャ族に属し、学生の地下組織に参加していたために帰国すれば逮捕されて殺される」などとして難民認定申請を行ったものである。 しかしながら、本件不認定処分が行われるまでに収集された資料は、原告による難民認定申請書(乙8)及び併せて提出された写真2葉(乙76)、平成10年4月6日及び7日に行われた原告に対するインタビューの結果等難民調査官による事実調査の結果(乙27、28の1。以下、前者を「4月6日調査」、後者を「4月7日調査」という。)、原告から追加提出された同月3日及び同月17日の供述録取書(J弁護士作成、乙26の1。以下「第1回弁護士録取書」という。)、同月27日の供述録取書(同弁護士作成、乙26の2。以下「第2回弁護士録取書」という。)、「経済社会理事会人権委員会1998年限定配布81改訂文書」(乙78)、及び「週刊BurmaToday」(乙79)であったところ、これらの資料に基づいて検討してみると、難民であるとする原告の主張には疑問点が多く、到底信用することはできないものといわざるを得なかった。その理由は次のとおりである。 a)第1回上陸申請の経緯に関する供述の問題点原告は、難民調査官に対し、「平成7年11月又は12月にNLDが憲法起草グループから脱退した時に、学生グループの一員が逮捕されたため、自分も逮捕されると思い、第1回上陸申請に至った。」という趣旨の供述をしていたが(乙28)、原告がミャンマーを出国し、第1回上陸申請をしたのは、危険を感じだしたという時期から約半年も経過した後であった上、他方で、平成8年6月にはSDFを結成し、組織を拡大させていたと述べるなど(乙28)、その行動は、逮捕をおそれている人間 申請をしたのは、危険を感じだしたという時期から約半年も経過した後であった上、他方で、平成8年6月にはSDFを結成し、組織を拡大させていたと述べるなど(乙28)、その行動は、逮捕をおそれている人間の行動とは思えないものであり、上記供述には信用性が認められなかった。また、原告は、「日本にはロヒンギャ族のグループがあると聞いているので、それに参加したいと思っていた。」とも述べていたのであるが、ロヒンギャ族のグループの存在を知った経緯につき、第1回弁護士録取書においては、「叔父のK(K)が日本にいるので、彼を通じてグループの存在を知った。」と述べているのに対し(乙26の1)、4月6日調査においては、「第1回上陸申請が認められず、バンコクに戻された際、バンコクで知り合ったロヒンギャ族のIに教えられた。」、「叔父とは連絡がつかず、連絡方法もない。」などと供述している。来日の目的となっているロヒンギャ族のグループを知った経緯は、そのような近接した時期に思い違いによって誤ることなどあり得ない明白な事実であって、もはや釈明を求める必要もなく、いずれかの供述は明らかに虚偽のものである。このような虚偽の供述がされた以上、法務大臣が原告の来日目的についての供述の信ぴょう性に疑いを抱くのは合理的である。また、日本にいる叔父との連絡の有無という真実経験した者にとって誤る余地もない明白な事実について、短期間のうちに矛盾した供述をしていたのであり、この点も、原告の供述を疑わせる事情といえた。 b)第2回上陸申請の経緯に関する供述等の問題点原告は、難民認定申請目的で来日したと主張していたが、第2回上陸申請当初は、商用目的で入国しようとしており、入国審査官から入国を拒否されても直ちに難民認定申請をしようとはせず、また、日本にいる叔父に連絡を取ろうともしなかったも したと主張していたが、第2回上陸申請当初は、商用目的で入国しようとしており、入国審査官から入国を拒否されても直ちに難民認定申請をしようとはせず、また、日本にいる叔父に連絡を取ろうともしなかったものであって、その行動は、もともと不信を抱かれても仕方のないようなものであった。 また、原告は、4月7日調査の際、出国を決めた時期につき、「1997年12月頃、漠然と日本行きを考えていた。そこで、新旅券を取得することに決めた。」と供述する一方で、「1998年2月初旬に、Eが逮捕され、その母親から自分も逮捕者リストに載せられていると聞かされ、出国し、日本での難民認定申請を決意した。」と述べる(乙28)など、矛盾した供述をしていた上、1997年12月26日には旅券の発給を受け(乙1)、商用を偽装し、上陸申請をするための書類(原告に対する招聘状等)も同月中には入手していた(乙23の1ないし8)ことに照らしてみれば、来日の動機については、前者の供述が客観的事実に合致すると認め、自分が逮捕者リストに載っていると聞いて身の危険を感じたことが今回の来日の動機である旨の後者の供述は、事実に反するものであって、信用のできないものと考えざるを得なかった。 c)本国における政治活動に関する供述の問題点原告は、本国における政治活動について、4月6日調査の際には、「アウンサウンスーチーとは面会できなかった。」と話したにもかかわらず(乙27)、第二回弁護士録取書においては、SDFのメンバーとしてアウンサウンスーチーに面会したと主張し(乙26)、矛盾した供述をしており、法務大臣は原告の供述に信ぴょう性がないと判断した。また、原告は、4月7日調査において、「自分は反政府活動家としてリストアップされており、帰国すれば逮捕されたり処罰されたりするおそれがある。」と主張してい は原告の供述に信ぴょう性がないと判断した。また、原告は、4月7日調査において、「自分は反政府活動家としてリストアップされており、帰国すれば逮捕されたり処罰されたりするおそれがある。」と主張していたが(乙28)、仮にそうであるならば、ミャンマー当局から、旅券の取得や出入国について制限を受けるのが通常であるにもかかわらず、何ら支障なく旅券の発給を受け、出入国しているのは不自然であり、このことのみをみても原告が難民に該当しないと考えざるを得なかった。さらに、1996年12月のデモに際しては、いったん逮捕されながら2日で解放されたにもかかわらず、それから約1年後の1997年12月になって、デモ参加者に対する摘発が行われたとする供述(乙26)も不自然であり、原告への迫害の危険の存在の理由となるものとは考えられなかった。 d)ロヒンギャ族としての受けた迫害についてまた、原告は、ロヒンギャ族に属していることを理由に迫害を受けたとも主張していたのであるが、民族に対する迫害の事実を裏付けるに足りる事実を見出すことはできなかった上、原告は、高等教育進学率が5パーセント程度にすぎないミャンマーにおいて(乙35)、大学に進学するなどむしろ恵まれた境遇にいたことがうかがわれ、原告個人に対し、ロヒンギャ民族としての迫害が行われた事実も認められないものと判断をせざるを得なかった。 e)以上のとおりであって、本件不認定処分当時の資料に基づき、合理的な判断をする限り、難民であると主張する原告の供述は信用することができないものといわざるを得なかったのであり、その判断に職務上の法的義務違反や過失が認められないことは明らかである。原告は、「上記の各疑問点は、原告に釈明の機会を与え、弁解を求めれば直ちに氷解する程度のものにすぎない。」と主張するが、難民調査官は、原告の弁 の法的義務違反や過失が認められないことは明らかである。原告は、「上記の各疑問点は、原告に釈明の機会を与え、弁解を求めれば直ちに氷解する程度のものにすぎない。」と主張するが、難民調査官は、原告の弁解も踏まえた上で、不自然な供述と判断し、あるいは、客観的事実に反する供述であって、釈明を求めるまでもないと判断したものであるから、上記主張は失当である。 (イ) 本件認定処分の根拠について原告は、「法務大臣は、本件不認定処分以後、特段の事情変更もなく、新たな事実が判明したこともなかったにもかかわらず、平成14年3月14日になって本件認定処分を行っていたものであり、この事実自体が、当初の不認定処分が杜撰な調査に基づく、誤ったものであったことを示している。」という趣旨の主張をする。 しかしながら、以下に述べるとおり、本件処分後に判明した事実によって初めて、原告の供述の信用性が裏付けられ、その難民該当性も肯定することができるに至ったのであるから、上記主張は失当である。 a)原告は、別件訴訟で実施された本人尋問において、SDFを結成した他のメンバーとともに、1996年12月9日、10日に参加したデモの様子を詳細に説明するとともに、アウンサウンスーチーと3、4回面会したことがあるとして、その面会の様子についても供述をした。これらの供述は、現場にいた者でなければ供述できないような具体的かつ詳細なものである上、デモの様子に関する供述は、新聞報道等とも合致しており、また、原告が学生による民主化運動のリーダー的存在であったことも納得させるに足りるものであった。そして、このような具体的かつ詳細な説明は、上記本人尋問において初めて行われたものであった。 b)原告は、上記本人尋問において、「尋問期日の約2週間前に叔父であるKの妻が来日し、同人から、原告が出国した後、官 のような具体的かつ詳細な説明は、上記本人尋問において初めて行われたものであった。 b)原告は、上記本人尋問において、「尋問期日の約2週間前に叔父であるKの妻が来日し、同人から、原告が出国した後、官憲がヤンゴンにある原告の叔母の家や、ラカイン州の父親宅に捜査に入り、父親は2ヶ月間ほど留置されたという話を聞いた。」という趣旨の供述をした。これによって、原告が捜査対象者となっていたことにを具体的に裏付ける事情が判明したものである。 c)原告は、上記本人尋問において、「1998年12月になって前年12月の学生デモ参加者に対する摘発が行われるようになったのは、ミャンマー政府が国際社会の圧力を受けて、閉鎖していた大学を再開せざるを得なくなったため、大学再開前に、学生活動家を摘発し、学生運動の再燃を防ぐことを目的としていたからであろう。」という趣旨の説明をした。この説明は、デモから参加者の摘発までの間に約1年の間があることについての納得するに足りるものといえたが、このような説明は、上記本人尋問において初めてされたものであった。 d)原告は、上記本人尋問において、「アウンサウンスーチーとの面会や、官憲に逮捕され尋問された際には、B名を使用していたが、旅券の発給を求める際には、A名を使用した。」と説明し、これによって、官憲から追及を受けていた原告が、旅券の発給を受けることができても不自然ではないことが判明した。これに対し、4月7日調査の際には、「反政府活動をするときはミャンマー名を用いていた。」という供述をしていたのであるから、本件不認定処分当時においては、原告の供述が不自然なものであると判断したのはやむを得ないものであった。 e)原告は、上記本人尋問において、「平成11年3月7日に在日ビルマロヒンギャ協会に加入し、平成12年には書記長、平成13年には委員 供述が不自然なものであると判断したのはやむを得ないものであった。 e)原告は、上記本人尋問において、「平成11年3月7日に在日ビルマロヒンギャ協会に加入し、平成12年には書記長、平成13年には委員長になった。」と供述し、このような活動実績は、他の客観的証拠からも裏付けることができるものであった。そして、このような我が国における活動実績は、本国において、学生運動の指導者として活動していても不思議ではないことを示すものと評価することができた。 (ウ) 適正手続違反の主張について原告は、「原告に対する調査手続は、適正手続の要請に反するものであった。」という趣旨の主張をしているが、適正手続の要請に反するような調査は行われておらず、その主張は失当である。なお、原告は、「難民調査官は、自らの身分や調査の目的も、供述内容は秘匿されることも説明せず、原告が犯罪者であるかのような高圧的な態度で尋問を行った。」とも主張するが、これらの主張は、事実に反するものである。 (2) 本件退去裁決の違法性と法務大臣の過失に関する主張について原告は、原告が難民であるとすれば当然に在留特別許可が与えられるべきであるという前提に立って、本件退去裁決の違法性や法務大臣の過失に関する主張をしているようである、しかしながら、法61条の2の8は、「法務大臣は、第49条第1項の規定による異議の申出をした者が難民の認定を受けている者であるときは、第50条第1項に規定する場合のほか、第49条第3項の裁決に当たって、異議の申出が理由がないと認める場合でも、その者の在留を特別に許可することができる。」と規定しているのにすぎず、難民であっても当然に在留特別許可が与えられるものではなく、在留特別許可を付与するか否かは諸般の事情を総合考慮して決定されるのであって、難民であっても第三国に送 できる。」と規定しているのにすぎず、難民であっても当然に在留特別許可が与えられるものではなく、在留特別許可を付与するか否かは諸般の事情を総合考慮して決定されるのであって、難民であっても第三国に送還すれば何ら人道に反しない場合もあり得るから、そのような場合には在留特別許可を付与する必要もないこととなる。また、難民条約等においても、難民は、希望する国に在留する権利があることまで認められているわけではないのであるから、上記のような規定を設けることが難民条約等に違反するものでもない。したがって、原告の主張は、その前提において誤りがあり、失当というべきである。 また、法務大臣が原告が難民には当たらないと判断したことはやむを得ないものであったことは(1)において主張したとおりであるから、原告の主張はいずれにせよ失当である。 (3) 本件退令発付処分の違法性と成田空港支局主任審査官の過失に関する主張について原告は、「本件退令発付処分の発令については、主任審査官の裁量権が認められる。」と主張するが、退令発付処分は、法務大臣が、異議の申出に理由がない旨の裁定をした場合、当然に発令されるべきき束処分であって、主任審査官には裁量の余地がないものであるから、上記主張は、その前提において失当である。 また、原告が難民には当たらないと判断したことはやむを得ないものであったことは(1)において主張したとおりであるから、送還先をミャンマーとしたこともやむを得ないものであり、この点について違法性や過失はない。 (4) 本件収容令書発付処分の違法性と成田空港主任審査官の過失に関する主張について法39条1項は、「入国警備官は、容疑者が第24条各号の1に該当すると疑うに足りる相当な理由があるときは、収容令書により、その者を収容することができる。」と定めているとこ 失に関する主張について法39条1項は、「入国警備官は、容疑者が第24条各号の1に該当すると疑うに足りる相当な理由があるときは、収容令書により、その者を収容することができる。」と定めているところ、原告は、上陸が許可されず、退去を命じられたにもかかわらず、速やかに退去しなかったのであって、法24条5号の2に該当し、収容令書発付のための要件が満たされていたことは明らかである。したがって、本件収容令書発付処分が違法となる余地はない。 原告は、「難民や難民申請者を収容することは難民条約31条2項に違反する。」という趣旨の主張をするが、収容令書に基づく収容は、同項にいう「必要な制限」に当たるのであるから、難民条約上も許容されるものであり、その主張は失当である。 また、原告が難民には当たらないと判断したことはやむを得ないものであったことは(1)において主張したとおりであり、この点からしても、原告の主張は失当というべきである。 (5) 本件上陸防止措置の違法性と担当者の過失に関する主張について原告は、「平成10年3月29日から同年4月21日まで、上陸防止施設に収容され、身柄を拘束された。」と主張するが、上陸防止施設は、退去命令を受けた者が、実際に退去するまでの間とどまる仮宿泊施設とでもいうべきものであって、扉に施錠はされず、物品購入も可能なのであるから、身柄収容施設とはいえない。したがって、原告の主張は、その前提において誤りがあるものというべきである。 また、原告は、「第2回上陸申請当初から、難民であることを申し立てていた原告の身柄を収容することは許されず、また、原告の申立てを一時庇護のための上陸許可申請として扱うべきであったのに、そうしなかったことも違法である。」と主張する。しかし、難民申請をしていたからといって身柄の収容が許されなくなる 許されず、また、原告の申立てを一時庇護のための上陸許可申請として扱うべきであったのに、そうしなかったことも違法である。」と主張する。しかし、難民申請をしていたからといって身柄の収容が許されなくなるものではないことは既に主張したとおりであるし、原告は、第2回上陸申請当初は難民であることを申し立てておらず、同年4月2日になって初めてその旨を申し立てたものであるから、原告の申立てを一時庇護のための上陸許可申請として扱わなかったのが違法であるとの主張も、その前提を欠くものである。 したがって、原告の主張は、いずれにせよ失当というべきである。 (6) 損害の発生及び損害額の主張について原告は、「本件不認定処分を受けたことにより、各種損害を被った。」という趣旨の主張をするが、我が国の法制度における難民認定処分の効果は、難民条約上の各種保護措置との関係でいえば、難民旅行証明書の発給を申請するための要件となる点にあるにすぎず、その他の各種保護措置を受けるために難民認定処分が要求されるものではない。また、難民旅行証明書は、法に基づいて適法に滞在する場合でなければ交付を受けられないものであるところ、原告は、本件在留特別許可を受けるまで適法な在留資格を有せず、難民旅行証明書の発給を受ける余地はなかったものである。したがって、本件不認定処分によっては、原告には何ら損害が発生していないものというべきである。 また、原告は、身柄の拘束を受けたことや、再度身柄の拘束を受けるかも知れないとの恐怖感を持たされることによって損害を受けたなどとも主張するが、原告の身柄の拘束は、法に基づいて行われたものであり、それに伴う苦痛の発生は、法が予定する範囲内のものであって、損害との評価に値するものではないといわざるを得ない。 したがって、原告には何ら損害が生じていないものと 、法に基づいて行われたものであり、それに伴う苦痛の発生は、法が予定する範囲内のものであって、損害との評価に値するものではないといわざるを得ない。 したがって、原告には何ら損害が生じていないものというべきであるから、原告の主張は、この点においても失当というべきである。 2 憲法29条3項の類推適用に基づく損失補償義務の有無について1)原告仮に本件各処分等が適法であると認められるとしても、原告は、難民であるにもかかわらず、本件各処分等によって、身柄の拘束を受け、我が国における活動を制限されるなど既に主張したとおりの損害を受けたものであって、これは、公権力の行使によって「特別な損害」を受けたものというべきである。そして、憲法29条3項は、直接的には、公権力の行使によって財産権の侵害を受けた場合に損失補償を行う旨を定めた規定であるものの、侵害を受けた権利が財産権であるか非財産権であるかによって損失補償の要否が異なるものではないのであるから、非財産権に対する侵害に対しても、同項の類推適用によって損失補償が認められるべきものである。 そして、既に主張した点に照らしてみれば、原告に生じた損失は1000万円を下回ることはないものというべきであるから、被告は、原告に対し、損失補償金1000万円及び遅延損害金の支払義務がある。 2)被告憲法29条3項が、「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。」として損失補償制度を定めているのは、適法な公権力の行使の結果として、国民に財産的な損害が生じることが当初から予定されており、このような意図された財産的損害の発生は、正当な補償があって初めて正当化され得ることを考慮しているからにほかならない。このように、憲法29条3項に基づく損失補償制度は、財産権の公的使用制度と密接に結びつ うな意図された財産的損害の発生は、正当な補償があって初めて正当化され得ることを考慮しているからにほかならない。このように、憲法29条3項に基づく損失補償制度は、財産権の公的使用制度と密接に結びついたものなのであって、本件のような退去強制手続によって身柄の拘束等がされる場合とは局面を異にすることは明らかであり、本件について同項を類推適用する余地はないものというべきである。 3 憲法40条の類推適用に基づく損失補償義務の有無について1)原告憲法40条は、人身の自由という基本的人権の重要性にかんがみ、身体を拘束されて起訴された者が無罪判決を受けた場合、単に無罪放免するだけでは正義・公平の観念に反することを考慮し、金銭による事後的救済を与えてその償いをすることにその趣旨がある。そして、人身の自由の侵害に対する事後的救済が必要であることは、刑事手続の場合に限らず、原告のように行政手続によって身体の拘束を受けた者に対しても同様にいえる事柄なのであるから、原告に対しても、同条の類推適用に基づく損失補償が認められるべきである。 そして、上記の点に照らすと、原告に対する補償額は、刑事補償法4条を類推適用して定めるのが相当であるから、原告が違法な収容を受けた平成10年4月3日から仮放免によって身柄を解放された平成11年3月4日までの336日に、1日当たり1万2500円を乗じた420万円が相当である。 したがって、被告は、原告に対し、損失補償金420万円及び遅延損害金の支払義務がある。 2)被告憲法40条は、あくまでも刑事手続において「抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたとき」に補償をする旨を定めているのであるところ、本件のような退去強制手続における身柄の拘束は、刑事手続とは全く性質を異にするものというべきである。したがって、本件において た後、無罪の裁判を受けたとき」に補償をする旨を定めているのであるところ、本件のような退去強制手続における身柄の拘束は、刑事手続とは全く性質を異にするものというべきである。したがって、本件において憲法40条の類推適用が認められる余地はなく、原告の主張はその前提において失当である。 また、仮に憲法40条の類推適用が認められる余地があり得るとしても、本件における身柄拘束は退去強制手続に基づく正当なものであって、事後的救済としての補償を要するものではないことは既に主張したところから明らかであるから、原告の主張はいずれにせよ失当である。 第4 争点に対する判断 1 本件不認定処分の違法性及び法務大臣の過失の有無1)法務大臣の行為の違法性に関する判断基準についてア)証拠(甲1、2、6、30の1ないし5、甲32ないし34、55ないし59、61、65、66、68ないし72、乙8、12ないし14、16、18、22、26の1、2、乙28(枝番を含む。)、30ないし33、41ないし46、48、53の2、乙54ないし60、77、78、原告本人尋問の結果)によれば、原告がミャンマーにおいて民主化を求める学生運動等に参加した経緯やその活動内容、ミャンマーの政権によって逮捕されるなどした経緯、ミャンマーでの迫害を避けるため、出国して来日し、難民認定申請をしようとして第1回、第2回上陸申請をするに至った経緯等は、原告の主張(第3、1、1)、(1)、イ)、(ア))のとおりであることが認められる(以下、ここで認定した事実を「難民該当事実」ということがある。 なお、原告は、ロヒンギャ民族としても迫害を受けたと主張しているが、後記のとおり、原告は、ミャンマーにおける民主化運動活動家として迫害を受けていたものであり、この点のみでも難民該当性が優に認められるのであ 原告は、ロヒンギャ民族としても迫害を受けたと主張しているが、後記のとおり、原告は、ミャンマーにおける民主化運動活動家として迫害を受けていたものであり、この点のみでも難民該当性が優に認められるのであるから、ロヒンギャ民族として迫害を受けた事実の有無については検討するまでもない。)。そして、上記の事実によれば、原告は、政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する者、すなわち、難民に当たるものというべきであり、現在においては、被告もこの事実を認めるに至っている。 したがって、本件不認定処分は、客観的にみれば違法であったというべきであるが、このことから直ちに法務大臣の行為が国家賠償法上も違法であったと評価されるものではなく、法務大臣が、原告に対して負う職務上の法的義務に違反したと認められる場合に初めて、その行為が違法と評価されるべきものであり、具体的には、本件不認定処分当時、法務大臣が収集し、あるいは収集すべきであり、また、収集し得たと合理的に認められる資料等に基づけば、原告が難民であったと認定すべきであったにもかかわらず、資料等の評価の誤りや、資料収集の不備等によってそのような認定に至らなかったものであり、この点に職務上の法的義務の違反(職務上の注意義務違反)があったと評価される場合に、国家賠償法上の違法があったと認められるべきものである(最高裁判所第1小法廷昭和60年11月21日判決、民集39巻7号1512頁、同小法廷平成5年3月11日判決、民集47巻4号2863頁参照)。 イ)ところで、被告は、「難民該当性については、原告に立証責任があるのであるから、このことを前提として法務大臣の行為の違法性の有無を判断すべきである。」と主張し、原告はこれを争っている。この点は、法務大臣の職務上の義務の内容に影響を及 いては、原告に立証責任があるのであるから、このことを前提として法務大臣の行為の違法性の有無を判断すべきである。」と主張し、原告はこれを争っている。この点は、法務大臣の職務上の義務の内容に影響を及ぼすものと考えられるので、まず、検討することとする。 法61条の2第1項は、法務大臣は、難民認定申請者の提出した資料に、基づき、その者が難民である旨の認定を行うことができる旨を定め、法61条の3第1項は、法務大臣は、難民認定申請者から提出された資料のみでは適正な難民の認定ができないおそれがある場合等には、難民調査官に事実の調査をさせることができる旨を定めているところ、これらの規定は、難民認定申請に当たっては、第一次的には、難民認定申請者自身が、自らが難民であることについての証拠を提出すべきことを定めたものと解される。そして、難民該当性を基礎付ける事情は、難民認定申請者自身が体験し、最も良く知っているはずである一方、これらの事情は、我が国の統治権が及ばない海外で生じているものが大部分であり、法務大臣において、このような海外における個別的な事情を調査し尽くすことは到底困難といわざるを得ないことに照らしてみれば、難民認定申請者に対し、難民であることについての第一次的な資料提出義務を課することはやむを得ないものといわざるを得ず、また、このことが難民条約等に違反するということもできない。 もっとも、国籍国において迫害にさらされており、国籍国への出入国にも困難を生じることが少なくないはずの難民が、難民該当性を裏付けるための客観的資料を十分に整えた上で国籍国を脱出し、難民認定申請に及ぶことは、むしろ期待し得ないのが通常であることからすれば、このような難民に対し、難民該当性に関する厳格な立証責任を課することは相当ではないし、当該難民認定申請者の国籍国におけ 出し、難民認定申請に及ぶことは、むしろ期待し得ないのが通常であることからすれば、このような難民に対し、難民該当性に関する厳格な立証責任を課することは相当ではないし、当該難民認定申請者の国籍国における一般的な政治状況や社会状況等については、法務大臣においても資料を収集することが可能であり、また、当該申請者自身の供述やその提出資料を手がかりとして資料を収集することも可能な場合があり得る。この点については、上記規定が制定される際の国会審議において、政府委員も「難民認定に際しまして、難民であるということを証明する挙証責任と申しますか、それはもちろん申請する人にあるわけでございます。その申請する人が行った陳述を客観的に裏づけるというのが難民調査官の仕事であると御理解くださって結構でございます。そのためには、難民認定申請者の陳述が十分でない場合には、調査官は、その友人であるとか、知人であるとか、親戚とか、そういう人たちに当たって、そういう人たちの出頭を求めていろいろ質問をすることもございましょう。さらにUNHCR、国連の難民高等弁務官事務所に連絡をとって、そうした人たちの持っているような知識を活用するということもございましょう。また、難民認定申請者の出てきた国々の事情というものをもっと知るためには、外務省を通じて在外公館の協力を得て資料を集める、こういう仕事もあろうかと思います。いずれにしましても、難民調査官の仕事は難民認定を申請した人の陳述を裏づけるためのいろいろな仕事をする、こうお考えくださって差し支えないと思います。」などと発言しているところである。 これらのことを考慮すると、上記規定が、難民認定申請者に対し、訴訟におけるのと同様の意味での立証責任を課したものであって、難民該当性についての立証義務は専ら当該難民認定申請者にあり、この義 ある。 これらのことを考慮すると、上記規定が、難民認定申請者に対し、訴訟におけるのと同様の意味での立証責任を課したものであって、難民該当性についての立証義務は専ら当該難民認定申請者にあり、この義務が尽くされない限りは、難民認定を受けられないものと解するのは相当ではなく、法務大臣においても、難民認定申請者自身の供述内容や、その提出資料に照らし、必要な範囲での調査を行う義務があるものというべきである。法61条の3第1項が難民調査官による調査に関する定めを置いているのも、その趣旨に基づくものであると解される。このように、法務大臣としては、まず、難民認定申請者の供述やその提出資料の内容を評価し、その信用性についての検討をするとともに、補充調査の必要性やその範囲を判断すべきこととなるが、その際には、調査の対象となっている者が、日本人とは、言語はもちろんのこと、社会、政治、文化的背景を異にする外国人であることや、国籍国における迫害から逃れ、見ず知らずの国において難民認定申請を行おうとする者は、正常人とは異なる心理状態に置かれていることも少なくないのであって、通常の人間と同様の合理的行動を行うとは限らないことに十分留意すべきである。すなわち、難民認定申請者の供述等を評価し、吟味するに当たっては、表面的、形式的な検討の結果、矛盾点や疑問点が生じた場合には、もはやその供述等は信用できないものとして排斥してしまえば足りるという態度で臨むのは相当ではなく、矛盾点や疑問点と感じられる点が、通訳の過程で生じた可能性はないか、言語感覚や常識の違いから生じたものである可能性はないか、難民に特有の心理的混乱や記憶の混乱によって生じたものではないかなどといった観点をも考慮した上で、慎重な検討を行う必要があるものというべきである(なお、このような慎重な検討の必要性 可能性はないか、難民に特有の心理的混乱や記憶の混乱によって生じたものではないかなどといった観点をも考慮した上で、慎重な検討を行う必要があるものというべきである(なお、このような慎重な検討の必要性は、供述や証拠の評価に当たっては、難民該当性の立証責任の帰属とは関わりなく、行政権限を行使する者に一般的に要求されている事柄であるといえる。)。 以上をまとめれば、難民認定に当たる法務大臣としては、当該難民認定申請者が置かれた状況に正当な配慮を与えた上で、その供述や提出資料について公正かつ慎重な評価、吟味を加え、必要があれば、補充的な調査を遂げた上で難民該当性についての判断を行うべき義務があり、このような義務は、申請権を与えられた当該難民認定申請者に対する法的義務でもあるというべきである。したがって、以下においては、本件不認定処分を行った法務大臣に、以上のような意味での法的義務違反があったかどうかを検討する。 2)本件不認定処分に至る経過について前提事実(第2、2)に証拠(甲1、2、乙1、5ないし19、20の1、2、乙23の1ないし8、乙24、25、26の1、2、乙27、28の1、乙28の2の1ないし8、乙28の3ないし5、乙29、90、原告本人尋問の結果)を併せると、原告による第1、第2回上陸許可申請から本件不認定処分までの経過は次のとおりであったことが認められる。 (1) 原告は、平成8年9月2日、A(A)名義の旅券を所持してタイ国経由で新東京国際空港に到着し、職業を「貿易商」、入国目的を「Visit」、予定滞在期間を2週間とし(乙28の2の2)、有限会社細田酒店代表取締役L名義の招聘日程、招聘理由書、身元保証書、及び株式会社イーストジャパンM名義の身元保証書(乙28の2の5ないし8)を提出して、第1回上陸申請を行ったが、入国審査官によ )、有限会社細田酒店代表取締役L名義の招聘日程、招聘理由書、身元保証書、及び株式会社イーストジャパンM名義の身元保証書(乙28の2の5ないし8)を提出して、第1回上陸申請を行ったが、入国審査官による入国審査の際、原告が供述する入国目的(観光)と、招聘理由書にある招聘目的(ミャンマーにおいて節約型の風呂を商品化、販売するための研修)とが食い違うなど、原告の供述に不自然な点が少なくなかったところから、虚偽申請の疑いを持たれて特別審理官に引き渡された(乙28の2の1)。そして、特別審理官による口頭審理の結果、法7条1項各号所定の条件に適合しないと認定され、異議申出放棄書に署名した上で退去命令を受け、我が国を出国した(乙3、4)。 (2) 原告は、平成9年12月26日、上記退去後にミャンマーにおいて新たに発給されたA(A)名義の旅券に、平成10年2月23日付けで在ミャンマー大使館の査証を受けた上、同年3月29日、バンコク経由で新東京国際空港に到着し、職業を「CompanyDirector」、渡航目的を「Business」、滞在予定期間を10日とし(乙22)、平成9年12月1日付けのセント・アズ株式会社役員N名義の招聘状(乙23の1)、同月8日付けの招聘理由書及び身元保証書(乙23の2、3)を提出して、第2回上陸申請を行ったが、前回と同様に、虚偽申請の疑いを持たれて特別審理官に引き渡された。そして、特別審理官において調査をした結果、①商用目的での入国であると供述していながら、取引の具体的内容についての説明ができなかったこと(乙5)、②招聘状や身元保証書に署名をしていたNに連絡をしたところ、同人は、招聘状等の作成日付である平成9年12月当時は既にセント・アズ株式会社を退職しており、原告を招聘したことはないという趣旨の回答をしたこと(乙24)、 証書に署名をしていたNに連絡をしたところ、同人は、招聘状等の作成日付である平成9年12月当時は既にセント・アズ株式会社を退職しており、原告を招聘したことはないという趣旨の回答をしたこと(乙24)、③空港には、Mという人物(同人は、第1回上陸申請の際の身元保証人の一人であった。)が、原告を迎えに来ていたものの、同人の説明内容にも不審な点がみられたこと(乙25)などから、法7条1項各号所定の条件に適合しないと認定され、その旨の認定通知書(乙5)の交付を受けた。 (3) これに対し、原告は、上記認定に対して異議申出をする旨の明確な意思表示はしなかったものの、異議申出放棄書に署名することを拒否し、出国の意思を示さなかったため、新東京国際空港内の上陸防止施設に留め置かれることとなった。そして、特別審理官による上記認定がされてから3日間(異議申出期間)が経過した4月2日、原告は、特別審理官から退去命令書(乙6)の交付を受けた。これに対し、原告が、難民認定申請をする旨の意思を表明したので、入国審査官は弁護士に電話で連絡し、原告は、この連絡に応じて面会に来たJ弁護士と相談した上、自分は、ロヒンギャ民族であり、かつ学生の地下組織の一員であって、これまでにも逮捕されたことがあり、帰国した場合には、逮捕され、殺されるおそれがあるという趣旨を記載した難民認定申請書(乙8)を作成し、提出した(乙12)。 なお、原告は、「この3月29日の時点で難民であることを申告していたのに聞き入れられなかった。」と主張し、その本人尋問においても、同旨の供述をしている。しかしながら、①同日時点において、原告が明確に難民であることを主張し、庇護を求めていたのに、難民認定申請をしたものとして取り扱われなかったというのは不自然といわざるを得ないこと(上記のとおり、4月2日の時点では ①同日時点において、原告が明確に難民であることを主張し、庇護を求めていたのに、難民認定申請をしたものとして取り扱われなかったというのは不自然といわざるを得ないこと(上記のとおり、4月2日の時点では、原告の申出に応じて入国審査官が弁護士への連絡をし、その結果、難民認定申請がされ受理されている。)、②原告は、4月2日に難民認定申請をした際、自ら作成した英文の書面(乙28の5)、同年4月7日の難民調査官による事情聴取(乙28)、退去強制手続の関係で行われた同月22日の入国警備専門官による事情聴取(乙12)、同年5月12日の特別審理官による事情聴取(乙16)等において、いずれも当初から難民であるとの主張をしたとの記載ないし供述をしておらず、むしろ、「空港で難民認定申請をすると、長期間身柄を拘束されてしまうと聞いていたので、難民であるとの主張はせず、商用であると主張して入国を求め続けた。」という趣旨の記載ないし供述をしていること、③原告は、第1回上陸申請を拒否された後、バンコクであったIという人物から、「空港でも難民認定申請はできるが、その場合、長期間身柄を拘束されてしまう。」という話を聞かされており、第2回上陸申請の際には、身柄拘束を避けるため、まず短期在留資格を得て日本への入国を果たし、その後難民認定申請をしようと考えていたものであり(原告本人尋問の結果)、そのような原告の意図からすれば、3月29日の時点においては、商用目的での入国であると主張し続けて入国を果たそうと試みたが認められず、4月2日になって退去命令を受けたため、もはやこのままではミャンマーに送還されると考え、真の目的である難民認定申請を行うこととしたというのは自然な流れであるといえることなどの事情に照らしてみると、上記主張や供述をそのまま採用することは困難であるといわざるを ャンマーに送還されると考え、真の目的である難民認定申請を行うこととしたというのは自然な流れであるといえることなどの事情に照らしてみると、上記主張や供述をそのまま採用することは困難であるといわざるを得ない。 (4) 原告が、難民認定申請をしてから、本件不認定処分が行われるまでに収集された資料は、原告による難民認定申請書(乙8)及び併せて提出された写真2葉(乙76)、難民調査官が、原告に対して行った4月6日(乙27)、4月7日各調査(乙28の1)の結果、原告の依頼を受けたJ弁護士から退去強制手続における口頭審理(5月12日実施)の際に提出された第1回(同月3日及び17日事情聴取)及び第2回(同月27日事情聴取、乙26の2)弁護士録取書、「経済社会理事会人権委員会1998年限定配布81改訂文書」(乙78)、並びに「週刊BurmaToday」(乙79)であり、原告に対する事情聴取がその主たる部分を占めている。 そして、原告の事情聴取に対する供述内容は、大筋においては、「ロヒンギャ民族として迫害を受けた上に、民主化を求める学生運動に参加し、逮捕されるなどしたことがあり、現在でも追及を受けている身なので、帰国すれば迫害を受けるおそれがある。」というものであるが、各供述間での不一致や変遷等もないわけではない。そこで、被告が、原告の供述の問題点として指摘している点を念頭に置きながら、各供述の内容を見ていくと次のとおりである。 ア)難民調査官による4月6日、4月7日各調査(乙27、28の1。これらは、連続して行われたものなので、一体として考えることとする。)において、原告は、1988年に、マンドゥー出身のヤンゴン大学生Cが帰郷し、学生連盟マンドゥー支部を設立したことがきっかけとなって学生運動に参加するようになったこと、同年9月から軍部による学生活動家の いて、原告は、1988年に、マンドゥー出身のヤンゴン大学生Cが帰郷し、学生連盟マンドゥー支部を設立したことがきっかけとなって学生運動に参加するようになったこと、同年9月から軍部による学生活動家の摘発が始まり、3か月間程度身を隠していたが、その後摘発が治まったので活動を再開させ、メイユー開発党を組織し、1990年に総選挙に候補者を擁立するなどの活動したこと、1991年11月にシットウェー・ディグリー大学理学部に入学した後は、学生運動に関与することなく過ごしていたが、1993年11月からヤンゴン大学に入学することが決まり、同月20日シットウェー空港からヤンゴンに向かおうとしたところ、手荷物検査で摘発され、国軍の兵士に連行されて情報部の施設に抑留され、同年12月2日まで、尋問を受けたり、暴行を受けたりしたこと(以上乙27)、ヤンゴン大学入学後は政治活動に関与していなかったが、1995年7月10日にアウンサウンスーチーが釈放されたことに勇気づけられて友人4名と学生組織を結成することにしたこと(以上乙28の1)、アウンサウンスーチー解放後、同人宅前で行われていた集会に参加するようになり、約1か月間集会に参加した後、同人と話をしたいと考え、近づこうとしたが話をすることはできなかったが、その夜、軍の情報部に連行されて2晩尋問され、今後政治活動には参加しないとの誓約書を書かされた後、解放されたこと(以上乙27)、結成を計画していた学生組織は、1996年5月に5人のメンバーで発足し、同年12月には、メンバーが約800人に増加していたこと、組織の名称は学生民主戦線(SDF)であり、リーダーは、D、活動目的は、民主化要求、逮捕された学生、政治家の解放、学生の権利の要求であったこと、1996年12月9日、10日にヤンゴン大学前でデモを開催し、参加者は約 主戦線(SDF)であり、リーダーは、D、活動目的は、民主化要求、逮捕された学生、政治家の解放、学生の権利の要求であったこと、1996年12月9日、10日にヤンゴン大学前でデモを開催し、参加者は約1000名に上ったが、軍部によって制圧され、同月10日午後12頃、約50名の学生とともに国軍の兵士に捕まり、軍の施設に連行されて2日間拘留され、尋問を受けたこと、尋問ではアウンサウンスーチーの関与の有無、組織の活動目的、軍事政権に対する考え方等を聞かれたこと、拘留中棒で殴られたことがあり、また、食事を与えられず、睡眠をとることもできなかったこと、最終的に政府批判のデモ参加や集団を組織することを禁止する誓約書に署名させられた上で解放されたこと、その後は目立った活動はしていなかったが、1997年4月にパゴダ爆発事件が起き、身の危険を感じたところから約2か月間身を隠し、また、同年7月にティン・ウ第2書記自宅で爆発事件が起き、組織のリーダーであるDが逮捕されたため、再び約3か月間身を隠したが、原告自身は一度も逮捕されなかったこと、そして、ヤンゴンでは命の危険があるので外国への脱出を考えるようになり、具体的には、1998年2月、学生組織結成に参加したメンバーであるEが逮捕され、その母親から「Eは、1997年のデモの指導者として逮捕された。逮捕予定者のリストに原告も登載されていた。ヤンゴンから逃げた方が良い。」といわれたため、海外脱出を決め、日本で難民認定申請をし、在日ビルマ・ロヒンギャ協会に入会し、ビルマの民主化実現に向けた活動をしようと決意したこと、来日は今回が2回目であり、第1回は、1996年9月2日であったが、入国を許可されず、バンコクに戻り、その後陸路でミャンマーに帰国したこと、この際も、1995年11月又は12月に政府とNLDとの対立が生 今回が2回目であり、第1回は、1996年9月2日であったが、入国を許可されず、バンコクに戻り、その後陸路でミャンマーに帰国したこと、この際も、1995年11月又は12月に政府とNLDとの対立が生じ、学生グループの一員が逮捕されたので、自分も逮捕されると思い出国したのであるが、難民認定申請ができることを知らなかったため、何もできずに帰国することとなり、タイに戻った際、空港で難民申請ができることを知ったこと(以上乙28の1)などを述べており、これらの供述内容は、学生組織の結成時期を1996年5月としている点(難民該当事実は、1995年9月にBDFを結成し、その後、SDFに名称変更したというものである。もっとも、原告は、その後の難民調査官との問答において、まずBDFを結成し、1996年3月にSDFに名称変更したとも述べている。)、アウンサウンスーチーには会えなかったとしている点、パゴダ爆発事件及びティン・ウ第2書記自宅の爆発事件の発生時期が異なる点(難民該当事実は、パゴダ爆発事件の発生が1995年12月、ティン・ウ第2書記自宅爆発事件が1996年4月である。)、2回にわたるミャンマー出国につきHに相談した事実を述べていない点、1996年12月の学生デモの様子について、詳しい説明がされていない点などを除けば、難民該当事実に概ね合致した内容のものとなっている。 上記の供述内容からすると、原告が今回の来日に当たって逃れようとした政治的迫害の原因は、原告が1996年12月の学生デモに参加したことにあることが明らかであるから、原告が難民に該当するか否かを判断するに当たっては、原告が当該デモに参加したか否か、参加したとしてどのような役割を果たしたのかを十分調査する必要があると考えられる。しかし、原告の供述を受けて行われた難民調査官との問答の主要な 判断するに当たっては、原告が当該デモに参加したか否か、参加したとしてどのような役割を果たしたのかを十分調査する必要があると考えられる。しかし、原告の供述を受けて行われた難民調査官との問答の主要な内容をみると、①「あなたは何故、軍の情報(原告が逮捕者リストに登載されていることを意味するものと思われる。)を知っているのか。」)の問いに対し、Eの母親から、Eが逮捕された際、原告のことも聞かれたという話を聞かされたので分かったという趣旨の回答をし、②「どうして、在日ビルマ・ロヒンギャ協会の存在を知ったのか。」という問いに対し、第1回上陸申請が認められず、バンコクに戻った後、バンコクにいたロヒンギャ族のIから聞いたと答えている程度にとどまり、上記のとおり、当該デモの具体的な内容や当日の原告の動静について、詳細な供述を求めた形跡はない。その上、被告が疑問点として指摘している、原告が身の危険を感じたという時期と第1回出国の時期とが違いすぎる点、第2回出国を決意した時期と旅券等の入手時期にずれがある(後者の方が早い。)点、原告の学生組織における地位が不明確な点、1996年12月のデモを理由に、その約1年後である1997年12月に学生の摘発が行われた理由が不明である点、当局からマークされている人間が、自由にミャンマーを入出国できたのは何故かという点等についても質問がされた形跡はうかがわれない。 むしろ、難民調査官は、旅券の入手経路や、ロヒンギャ名の原告がビルマ名の旅券を所持しているのは不自然ではないかという点、原告が、難民申請時に作成した書面(乙28の5)において、一方では商用目的で10日間の滞在を予定していると記載しながら、難民としての長期滞在を求めるとも記載しているのは矛盾していないかという点、難民申請をしたのは、弁護士に連絡をする前か後か、 )において、一方では商用目的で10日間の滞在を予定していると記載しながら、難民としての長期滞在を求めるとも記載しているのは矛盾していないかという点、難民申請をしたのは、弁護士に連絡をする前か後か、弁護士に連絡した後に難民申請を決意したのではないかといった点を中心に質問をしており、難民調査官としては、退去強制を逃れる目的で虚偽の難民認定申請をしたのではないかとの強い疑いを抱いていた気配がうかがわれる。もっとも、この点についても、難民認定申請をするつもりであった原告が、何故商用目的での入国を申請したのかという観点からの質問がされた形跡はみられない。 イ)その後提出された第1回弁護士録取書(作成日付は、平成10年4月20日、乙26の1)は、概ね4月6日、7日調査における供述に沿うものとなっているが、1995年8月ころから友人らと活動を始め、学生の地下組織のようなものを作ったとしていること、1996年12月のデモで逮捕された後、それまで使用していたB名を使うことをおそれ、A名を使用することとしたこと、A名は、ロヒンギャ名では国民登録が認められなかったため、国民登録の際に用いた名前であったことなどを供述している点は、難民認定事実に沿う供述の修正、追加といえるものである。もっとも、在日ビルマ・ロヒンギャ協会の存在を知った経緯については、「叔父のK(叔父も難民申請者である。)が日本にいるので彼を通じてロヒンギャの協会が存在していることはビルマにいるときから知っていた。」として、難民該当事実とも、4月6日、7日調査とも異なる内容の供述をしている。 ウ)第2回弁護士録取書(作成日付は、平成10年4月27日、乙26の2)においては、これまではNLDに迷惑をかけると思い話さなかったが、実はアウンサウンスーチーと面会したことがあり、その際、NLD副議長のO 回弁護士録取書(作成日付は、平成10年4月27日、乙26の2)においては、これまではNLDに迷惑をかけると思い話さなかったが、実はアウンサウンスーチーと面会したことがあり、その際、NLD副議長のOやHとも会っていたと供述した上、1996年12月のデモの経緯や状況について詳細な説明を追加している。 3)本件不認定処分の違法性の有無について以上に基づき、本件不認定処分の違法性の有無について検討する。 (1) ミャンマーにおいては、本件で問題となっている1988年から1996年当時、軍部による政権とNLD等の民主化を求めるグループとの間で対立が存在し、民主化活動家に対する逮捕、投獄等が行われていたことは我が国においてもしばしば報道されていた事実であり、また、原告が第2回出国を決意する原因となった1996年12月の学生デモについても、かなり詳しい新聞報道がされていたことが認められる(乙48、53の2)。したがって、本件においては、ミャンマーにおける民主化運動に対する抑圧状況という客観的な背景事情の存在は、比較的容易に認定することができたものということができるのであるから、原告が難民に該当するかどうかは、民主化運動に参加し、弾圧を受けたとする原告の供述にどの程度の信用性が認められるかという点にかかっていたものといえる(法務大臣が、最終的には、本件認定処分を行い、原告を難民であると認定したのも、原告の供述の信用性を認めたからにほかならない。)。 この観点から考えた場合、たしかに、原告が第1回上陸申請を拒否された際、難民認定申請もしないまま帰国したこと、第2回上陸申請の際にも、当初は、難民であることを主張せず、商用目的であるという不自然と受け取られても仕方のない主張に終始していたことは、法務大臣において、退去強制を逃れるための虚偽の難民認定申 、第2回上陸申請の際にも、当初は、難民であることを主張せず、商用目的であるという不自然と受け取られても仕方のない主張に終始していたことは、法務大臣において、退去強制を逃れるための虚偽の難民認定申請に過ぎないのではないかとして、原告の供述の信用性に疑いを抱いてもやむを得なかった側面があるといわざるを得ない。しかしながら、第1回上陸申請当時は、空港で難民認定申請をすることができるとは知らず、また、第2回上陸申請の際には、事前に空港で難民認定申請が可能であることを教えられていたものの、その場合には、長期間拘束されるとも聞いていたので、身柄の拘束をおそれ、まずは商用目的で入国を果たし、その後難民認定申請をしようと考えていたとする原告本人の供述は、上記の疑問点に対する弁解として納得するに足りるものなのであるから、上記の点を理由に原告の供述を虚偽と断定することはできないものというべきである。そして、この点を捨象して原告の供述内容を検討すると、2)、(4)において指摘した原告の迫害事実に関する供述は、難民該当事実に概ね合致し、しかも、ほぼ一貫した内容のものとなっており、十分に信用に値するものということができるのであるから、法務大臣としては、本件不認定処分に至るまでに収集した証拠、あるいは、収集することが可能であった証拠(迫害の直接の原因となるべき学生デモへの参加の点は、前記のとおり難民調査官の調査においては十分な質問がされていないから、適切な質問をすれば収集が可能であったというにとどまるし、2通の弁護士録取書は、退去強制手続において提出されたものであって難民認定申請手続に提出されたものではないが、法務大臣としては難民該当性の判断においても容易に参照し得る資料である。)に基づき、原告が難民であるとの認定に至ることは十分に可能であったものといわざる て難民認定申請手続に提出されたものではないが、法務大臣としては難民該当性の判断においても容易に参照し得る資料である。)に基づき、原告が難民であるとの認定に至ることは十分に可能であったものといわざるを得ない。 (2) これに対し、被告は、「原告の当時の供述には様々な疑問点があり、そのままでは到底信用することはできないものであり、その後判明した事情も加味して初めて難民であるとの認定が可能になった。」と主張するので、この主張について検討する。 ア)まず、被告は、「平成7年11月又は12月に、政府とNLDの対立が生じ、学生グループの一員が逮捕されたため、身の危険を感じたと供述しながら、翌平成8年9月になってようやくミャンマーを出国し、第1回上陸許可申請に至っていることや、翌平成8年6月には学生組織を拡大させたと供述しているのは不自然である。」と主張する。しかしながら、当局から抑圧を受けている者が、自由に出入国できるとは限らないことは、被告自身も主張している事柄なのであるから、直ちに出国しなかったことが不自然であると断定することができるものではないし、当局からの弾圧をおそれながらも祖国にとどまり、抵抗組織を強化しようとして活動をすることが不自然であるとも言い難いのであって、上記の点から、原告の供述が不自然であって信用できないと断定することは困難である。しかも、この点に関する原告の供述に疑問があるというのであれば、原告に対してこの点を問い質して弁解を求め、その弁解の内容も含めた評価、吟味を行う必要があったと考えられるにもかかわらず、そのための質問がされた形跡はみられない。 また、被告は、「原告が、在日ビルマ・ロヒンギャ協会の存在を知るに至った経緯について、矛盾した供述をしているのは不自然である。」とも主張するが、この点は、難民該当性を判断す た形跡はみられない。 また、被告は、「原告が、在日ビルマ・ロヒンギャ協会の存在を知るに至った経緯について、矛盾した供述をしているのは不自然である。」とも主張するが、この点は、難民該当性を判断するに当たってはさほど重要な事実であるとは言い難く、これを原告の供述の信用性を否定する根拠とするのは相当とは言い難い。 以上のように検討していくと、被告指摘の点を根拠として、原告の弁解を求めることもないまま、原告の供述の信用性を否定したことは、原告の供述内容を公正かつ正当に評価、吟味した上での判断であるとは評価することができないものといわざるを得ない。 イ)被告は、「原告が、第2回上陸申請に際し、直ちに難民認定申請をせず、商用目的での入国であると主張し続けたこと等は不自然である。」と主張するところ、このような原告の行動は、不信を抱かれてもやむを得ないものであったことは既に指摘したとおりである。しかしながら、原告の行動は、難民認定申請をすると身柄拘束を受けることになると聞かされていたため、それをおそれたことによるものであったことも既に指摘したとおりであり、難民調査官において、商用目的での入国であると主張した理由を問い質していれば、そのような説明が得られ(退去強制手続におけるものであるが、同年4月22日の入国警備専門官による調査の際、原告は、「日本の空港で難民であると申請すると、1か月は空港にいなければならないと友人から聞いていたため、日本国内へ入国し、その後弁護士に相談するつもりでいたのです。」と供述しており、難民調査官がこの点に関する質問をしていれば、原告においても、同様の説明をしたであろうことは間違いのないところであったといえる。)、この点のみを理由として原告の供述の信用性を否定することはできないとの判断に至ることができたものと認められるに 原告においても、同様の説明をしたであろうことは間違いのないところであったといえる。)、この点のみを理由として原告の供述の信用性を否定することはできないとの判断に至ることができたものと認められるにもかかわらず、難民調査官において、この点に関する弁解聴取や、弁解内容の評価、吟味をした形跡はみられない。 また、被告は、「原告は、出国を決めた時期につき、『1997年12月頃、漠然と日本行きを考えていた。そこで、新旅券を取得することに決めた。』と供述する一方で、『1998年2月初旬に、Eが逮捕され、その母親から自分も逮捕者リストに載せられていると聞かされ、出国し、日本での難民認定申請を決意した。』と述べるなど、矛盾した供述をしていた上、1997年12月26日には旅券の発給を受け、商用を偽装し、上陸申請をするための書類(原告に対する招聘状等)も同月中には入手していたことに照らしてみれば、後者の供述は、明らかに客観的証拠に反し、信用のできないものと考えざるを得なかった。」と主張する。しかしながら、被告が問題とする原告の供述は、全体としてみれば、1997年12月ころから、身の危険を覚え、出国のための準備を始めていたところ、1998年2月のEの逮捕をきっかけとして、もはや猶予はないものと考えて出国を決意したという趣旨に理解することが十分に可能なのであって、このように理解すれば、矛盾も客観的証拠に反する点もないものというべきである。したがって、この点に関する法務大臣の判断は、証拠の評価を誤ったものといわざるを得ないし、少なくとも、更に説明を求めることもないまま、信用性のない供述であると断定することは到底許されないものといわざるを得ない。 以上のとおり、この点に関しても、被告主張の点を根拠として原告の供述の信用性を否定したことは、原告の供述を公正かつ ま、信用性のない供述であると断定することは到底許されないものといわざるを得ない。 以上のとおり、この点に関しても、被告主張の点を根拠として原告の供述の信用性を否定したことは、原告の供述を公正かつ慎重に吟味した上での判断であるとは言い難いものといわざるを得ない。 ウ)被告は、「4月6日調査においては、アウンサウンスーチーに会えなかったと供述しながら、第2回弁護士録取書においては、SDFのメンバーとしてアウンサウンスーチーに面会したと矛盾した供述をしていた。」と主張する。しかしながら、第2回弁護士録取書においては、「以前、アウンサウンスーチーに会えなかったと供述していたのは、NDLに迷惑を掛けることをおそれたためである。」とも説明していたことからすれば、この点を供述の矛盾であると速断し、原告の供述の信用性を否定したことは疑問であるといわざるを得ない。しかも、アウンサウンスーチーの関係者であるかどうかは、難民該当性を判断する上で重要な事実であったと考えられることや、この事実は、4月6日、7日調査が終了した後に初めて現れた事実であることを考慮すると、難民調査官としては、改めて原告に対する調査を行って、アウンサウンスーチーとの関係を確認し直すとともに、当初からこのような供述をしなかった理由を問い質し、原告の供述の真偽を評価、吟味する必要があったものというべきであるのに、このような調査が行われた形跡はないのであって、この点には、事実調査における重大な欠陥があったものといわざるを得ない。 また、被告は、「反政府活動家としてリストアップされているという原告が、旅券を取得し、自由にミャンマーを入出国しているのは不自然であり、この点の原告の供述にも疑問があった。」とも主張する。しかしながら、この点についても、難民調査官において、原告に問い質し、そもそ が、旅券を取得し、自由にミャンマーを入出国しているのは不自然であり、この点の原告の供述にも疑問があった。」とも主張する。しかしながら、この点についても、難民調査官において、原告に問い質し、そもそも、原告の供述は、容易に旅券を入手し、自由に入出国をすることができたという趣旨に理解できるものなのかどうか、また、旅券の入手や入出国が可能となったのは何故なのかといった点について突っ込んだ確認をした形跡はうかがわれない。また、被告は、「その後、別件訴訟の原告本人尋問において、反政府活動の際には主としてB名を用い、旅券入手の際には、国民調査カードに登録されたA名を用いていたことが判明し、これによって上記の疑問が氷解するに至った。」と主張しているのであるが、1996年12月のデモに参加し、逮捕された後は、B名を使うことをおそれ、A名を用いるようになったことや、A名は、国民登録の際に用いたものであったことなどの基礎的情報は、既に第1回弁護士録取書に記載されていたのであるから、これらの情報を基礎として、改めて原告に対する確認を行っていれば、上記本人尋問の説明を待つまでもなく、本件不認定処分に至る前の段階で、上記の点にもそれなりの理由があり、原告の供述を信用できないものと断ずることはできないとの結論に達することができたものといわざるを得ない。 さらに、被告は、「1996年12月のデモで逮捕された後、いったん釈放されたにもかかわらず、その後約1年が経過した1997年12月になって、デモ参加を理由とする学生の摘発が行われたというのも不自然であり、信用できるものではなかった。」という趣旨の主張をするが、法の支配の完徹している法治国家においては、上記のような事態は不自然なものといわざるを得ないものの、政治的迫害が頻発している国家においては、そのような事態が はなかった。」という趣旨の主張をするが、法の支配の完徹している法治国家においては、上記のような事態は不自然なものといわざるを得ないものの、政治的迫害が頻発している国家においては、そのような事態が生ずることも何ら不自然とは考えられないし、証拠(甲69、72)によると、当該デモ参加者に対する処罰は、1997年末に至っても完結していなかったことが認められるのであるから、この時点でさらに摘発が行われたとしても、直ちに不自然とは認め難い。その上、4月6日、7日調査及び第1回、第2回弁護士録取書における原告の供述内容を総合的に評価すれば、いったんは、逮捕された学生の釈放が行われたものの、その後、パゴダ爆発事件、ティン・ウ第2書記自宅爆発事件等が起こり、これらの事件について学生の関与が疑われたことから、学生活動家に対する摘発が強化されるようになったという趣旨の理解が可能であり、上記の点を原告の供述の信用性を疑わせる問題点であると評価すること自体、疑問であったといわざるを得ないし、少なくとも、原告に対し、その理由を確認することもないまま、原告の供述の信用性を否定し去ることはできないものというべきであるのに、このような理由の確認がされた形跡はみられないのであって、この点についても、公正かつ慎重な評価、吟味に欠けるところがあったといわざるを得ない。なお、被告は、「原告は、別件訴訟の本人尋問において、ミャンマー政府当局は、閉鎖していた大学の再開を決断したが、再開後に学生運動が再燃するのを防止するため、予め学生運動家の摘発に乗り出したのであり、これが1997年12月になって学生運動家の摘発が始められた理由であると思われるという趣旨の説明をし、これによって疑問が氷解した。」とも主張しているのであるが、この点についても、何故、難民調査の段階で、原告に対して 2月になって学生運動家の摘発が始められた理由であると思われるという趣旨の説明をし、これによって疑問が氷解した。」とも主張しているのであるが、この点についても、何故、難民調査の段階で、原告に対して疑問点につての確認をし、説明を求めなかったのかという問題点を指摘せざるを得ないところである。 エ)被告は、「本件不認定処分後、①原告が、別件訴訟において、1996年12月9日、10日のデモの内容について詳細な供述をし、その内容は、我が国での新聞報道等とも合致していたこと、②別件訴訟において、原告の出国後、原告の自宅や親戚宅に官憲の捜査が行われた事実が判明したこと、③1996年12月のデモに参加し、それを理由に身の危険を感じていたにもかかわらず、1998年3月に至って初めて出国したというのは不自然といわざるを得なかったところ、別件訴訟において初めて、この点に関する合理的な説明がされるに至ったこと、④迫害を受けている者が、自由にミャンマーを出国できたという点にも疑問があったところ、原告がB名とA名を使い分けていた事情の詳細が判明し、この点に関する疑問も氷解したこと、⑤原告は、仮放免後、在日ビルマロヒンギャ協会の中心メンバーとして活動するようになり、この事実は、原告が上記デモの中心メンバーであったことを裏付けるに足りる事情であったことなどが判明し、これら事後的に明らかになった事情により、初めて原告の供述の信用性が確認されるに至った。」という趣旨の主張をする。しかしながら、この点に関する被告の主張も、採用することはできないものといわざるを得ない。 まず、①の点についてみると、先に指摘したとおり、1996年12月のデモは、原告の難民該当性を検討するのに当たり、極めて重要な事情であったといえるのであるから、デモが起きるに至った経緯や、原告がこれに参加す の点についてみると、先に指摘したとおり、1996年12月のデモは、原告の難民該当性を検討するのに当たり、極めて重要な事情であったといえるのであるから、デモが起きるに至った経緯や、原告がこれに参加するに至った経緯、デモの状況等について詳細な説明をさせ、その供述内容が、デモに参加した者でなければ供述できないような、具体性、迫真性を持つものであるか、新聞報道等によって認められる客観的事実と適合するものであるかどうかなどといった点を、多角的に評価、吟味し、原告の供述の信用性を検討するのが事実調査の常道というべきものであり、難民調査官においても、このような評価、吟味をすべき義務があったといわなければならない。そして、このような観点からの調査が行われていれば、別件訴訟における原告本人尋問を待つまでもなく、上記の点に関する具体的で詳細な説明が得られたはずであり、現に、第2回弁護士録取書における記述内容は、原告本人尋問における説明と比べても遜色のないものとなっていたのである。それにもかかわらず、本件不認定処分に至る調査の段階で、このような評価、吟味が行われていなかったのであるとすれば、それ自体が、事実調査の欠陥を示すものといわざるを得ない(なお、乙第33号証によれば、本件不認定処分に対する異議申出がされた後に行われた平成10年8月5日の調査においては、弁護士の申出に基づき、学生デモの様子等を撮影したビデオを視聴させた上、原告に対する質問が行われたことが認められるところ、同書証には、その際の原告の様子として、「デモのシーンが写し出されるやいなや気分が昂ぶった様子で、体を震わせ、また、涙ぐんでもいた。」との記述がされており、調査に当たった難民調査官にとっても、原告の様子が印象深いものであったことがうかがわれる。そして、本件不認定処分に至る調査の段階で た様子で、体を震わせ、また、涙ぐんでもいた。」との記述がされており、調査に当たった難民調査官にとっても、原告の様子が印象深いものであったことがうかがわれる。そして、本件不認定処分に至る調査の段階で、同様の方法による調査が行われ、あるいは、デモの様子に関する詳細な供述を求めていれば、その供述内容や、原告の供述態度等から、原告の供述は、真摯で迫真性に富んだものであるとの評価に至ることが十分に可能なのであったのではないかと考えられるのであり、この点からしても、調査の不十分さを指摘せざるを得ない。)。 また、②の点は、たしかに本件不認定処分後にしか入手し得ない情報であったといえるが、原告は、既に4月6日、7日調査及び第1回弁護士録取書において、「Eが逮捕された際、捜査担当者が原告の所在がどこかと追及していた。」という供述をしており、これも、原告が捜査対象者となっていることを裏付ける事実といえる。したがって、本件不認定処分後になって初めて、原告が捜査対象者になっていることについての具体的事実が明らかになったとするのは誤りであり、本件不認定処分前から、この点に関する事実は現れていたというべきである。 ③、④については、本件不認定処分前には解明できなかった事情であるとはいえず、むしろ、これらの事情を解明できなかったのは、事実調査の不備によるものといわざるを得ないことは既に指摘したとおりである。 このように検討していくと、結局、純粋に事後的事情であると評価し得るのは、⑤の点のみということになるが、難民として認めてもらうため、難民認定申請国において、殊更反本国政府活動に熱中する(熱中した振りをする)者も存在することは良く知られた事実であることなどからすれば、この点は、原告の難民該当性の有無を判断するのに当たり、重要な事実であるとはいえず、この点によっ 国政府活動に熱中する(熱中した振りをする)者も存在することは良く知られた事実であることなどからすれば、この点は、原告の難民該当性の有無を判断するのに当たり、重要な事実であるとはいえず、この点によって、原告の供述の信用性が左右されるというのは相当ではない。 (3) まとめ以上のとおり、本件不認定処分に至るまでの間にされた原告の供述内容は、決して信用性に乏しいものと断定してしまえるようなものではなく、むしろ、疑問点を問い質し、弁解の機会を与えた上で、公正かつ慎重な評価、吟味を加えれば、信用に値するとの判断に至ることが十分に可能であったものというべきである。当時の供述内容は、信用性に乏しく、事後に判明した事情を加味して初めて信用性を肯定することができたとする被告の主張は、採用することができないことも既に指摘したとおりであり、むしろ、2)、(4)、ア)において指摘した点に照らしてみれば、難民調査官は、原告の難民認定申請を退去強制を免れるためのものとの疑念にこだわり、これを解消させるに足りる事情が存したにもかかわらず、これに気付かず、当初の思い込みに影響され、原告の供述の疑問点や不審点にばかり目を向けた可能性が高く、その結果、難民該当性判断の核心をなすべき部分について十分な質問をすることすらせず、原告の供述についての公正かつ慎重な評価、吟味を欠いたまま、誤った判断に至ったものといわざるを得ない。 そして、以上に検討した結果に照らしてみれば、法務大臣が、このように難民調査官の調査結果に不十分かつ誤った点があったにもかかわらず、これを看過して自らも誤った判断に至ったのは、難民認定申請者が置かれた状況に対して正当な配慮を与え、その供述内容を公正かつ慎重に評価、吟味するという法務大臣の法的義務に違反したためであるといわざるを得ないのであり、 らも誤った判断に至ったのは、難民認定申請者が置かれた状況に対して正当な配慮を与え、その供述内容を公正かつ慎重に評価、吟味するという法務大臣の法的義務に違反したためであるといわざるを得ないのであり、したがって、法務大臣の行為には違法性があったものというべきである。 4)法務大臣の過失について以上のとおり、本件不認定処分を行った法務大臣には、難民認定に関する事務を行うのに当たって要求される法的義務に違反があったというべきところ、その判断の基礎となった難民調査官の調査結果に不十分かつ誤った点があることは、上記3)、(1)及び(2)に説示したことからすると、難民認定のあり方について正しい認識を有する者ならば容易に発見することが可能であったと考えられるのであるから、上記義務違反は、基本的、初歩的な義務違反であるといわざるを得ないものであることや、このような義務違反が生じたことがやむを得ないといえるような事情が存在することを認めるに足りる証拠もないことからすれば、法務大臣には過失もあったものといわざるを得ない。 5)法務大臣の責任とその範囲本件不認定処分は、国家賠償法上も違法であり、それについて過失も認められることになるのであるから、被告としては、本件不認定処分によって生じた損害を賠償すべき義務があることになる。 ところで、本件不認定処分によって生じた損害が何であるかを検討するに当たっては、誤った本件不認定処分がされず、原告に対して難民認定がされていれば、その後の原告の地位はどうなっていたかという点を考える必要があるので、まずこの点について検討する。 この点に関し、被告は、「難民認定手続と退去強制手続とは別個の手続であり、仮に、原告に対する難民認定がされていたとしても、在留特別許可が与えられたとは限らない。」という趣旨の主張をする。たしか 。 この点に関し、被告は、「難民認定手続と退去強制手続とは別個の手続であり、仮に、原告に対する難民認定がされていたとしても、在留特別許可が与えられたとは限らない。」という趣旨の主張をする。たしかに、法の解釈から導かれる一般論としては被告の主張のとおりであるし、難民条約も、締約国が合法的にその領域内にいるとは認められない難民を第三国に向けて追放することは禁じていないことからすると、そのような法の規定が難民条約に違反するとも認められない。しかし、難民認定がされるかどうかは、在留特別許可を与えるかどうかの判断に当たって重要な要素となることは否定できないところであり、実際にも、難民認定がされた者に対しては、在留特別許可が与えられるのが通常であることは周知の事実であって、現に、原告に対しても、本件不認定処分が取り消され、本件認定処分がされるのと同時に、本件退令発付処分が取り消され、本件在留特別許可が付与されている。すなわち、難民であると認められる者については、我が国の利益又は公安を著しく害すると認められるような例外的な場合を除き、迫害を受けるおそれのある本国へは送還することができないのであるから(法53条3項)、これをあえて送還しようとすると、本人の希望に応じて同条2項に列挙された第三国への送還を検討するほかないこととなる。しかし、我が国のような安全な第三国で既に難民認定申請が認められた者については、もはや他国が難民として受け入れる可能性は極めて低く、本人が我が国への入国当初から第三国での庇護を希望して予め当該国と交渉し、当該国も受け入れる姿勢を示しているといった特段の事情がない限り、実現困難なことといわざるを得ないことは、当裁判所に顕著な事実である。このような事情の下で、あえて送還先未定のまま退去強制令書を発付すると、現実に送還できる目 しているといった特段の事情がない限り、実現困難なことといわざるを得ないことは、当裁判所に顕著な事実である。このような事情の下で、あえて送還先未定のまま退去強制令書を発付すると、現実に送還できる目途のたたないまま、いたずらに長期間収容を継続するなど人道上の問題を生じかねないこととなる。上記のように難民認定がされた者について、通常、在留特別許可が付与されているのは、このような事態を避けるためにされるやむを得ない措置と考えられるのである。 そして、原告については、法53条3項所定の例外的な事情や第三国への送還が可能な特別の事情が存在するとも認め難いから、法務大臣は、本件不認定処分時に正しい判断をして難民認定をしたならば、同時に在留特別許可の付与を余儀なくされていたものと認めることができる。 そうすると、本件不認定処分がされず、難民認定がされていれば、原告に対しては、在留特別許可が与えられていたものと認めることができるものというべきであるから、本件退去裁決や本件退令発付処分は、違法な本件不認定処分の結果であって、これらの処分等が客観的に違法なものか否かにかかわらず、それらによって生じた損害も、本件不認定処分によって生じた損害であるというべきこととなる。したがって、被告は、本件不認定処分、本件退去裁決及び本件退令発付処分によって原告に生じた損害を賠償すべきこととなるから、もはや本件退去裁決及び本件退令発付処分の違法性の有無それ自体について検討する必要はない。 2 本件収容令書発付処分の違法性及び担当者の過失原告は、「難民又は難民認定申請者にであった原告に対し、本件収容令書を発付すべきではなかったのであるから、本件収容令書発付処分も違法であり、このような違法な処分をした成田空港支局主任審査官には過失がある。」と主張する。 たしかに、前記1、 原告に対し、本件収容令書を発付すべきではなかったのであるから、本件収容令書発付処分も違法であり、このような違法な処分をした成田空港支局主任審査官には過失がある。」と主張する。 たしかに、前記1、3)、(1)及び(2)で説示したとおり、難民調査官において当初から適切かつ十分な調査を行っていれば、この時点までには原告が難民に該当する可能性が高いとの判断に至っていたことも十分に予想されるところであり、このような判断が主任審査官に伝えられていたならば、今しばらく収容令書の発付を留保して上陸防止措置を継続すべきであったとも考えられる。 しかしながら、前記認定のとおり、このような正しい判断は主任審査官には伝えられなかったのであり、そのような場合にまで、主任審査官に原告の難民該当性の有無を独自に判断してそれに応じた行動を求めることは、主任審査官に対して、職務上の義務以上のものを求めるものというほかない。そして、原告は、特別審理官から退去命令を受けたにもかかわらず、退去に応じなかった者であって法24条5の2に該当し、法39条によれば、法24条の各号の一に該当すると疑うに足りる相当な理由があるときは、収容令書により、その者を収容することができる旨が定められているのであるから、原告がこの要件を満たすものとして収容令書を発付したことについては、当該処分が客観的にみて違法か否かはともかくとして、これを発付した主任審査官に職務上義務違反はないといわざるを得ず、これに国家賠償法上の違法性は認められない。 したがって、担当者の過失の有無について判断するまでもなく、この点に関する原告の主張は失当であるといわざるを得ない。 3 本件上陸防止措置の違法性及び担当者の過失について原告は、「本件上陸防止措置は、違法な身柄拘束であり、このような措置をした担当者には過失 点に関する原告の主張は失当であるといわざるを得ない。 3 本件上陸防止措置の違法性及び担当者の過失について原告は、「本件上陸防止措置は、違法な身柄拘束であり、このような措置をした担当者には過失がある。」とも主張する。 しかしながら、上陸許可を与えられなかったにもかかわらず、出国に応じなかった者については、上陸防止施設において起居させるほかはない筋合いであり、また、上陸防止施設は、身柄拘束施設とは異なるのであるから(原告は、上陸防止施設においては、外から施錠をされるなど身柄拘束と同様の扱いを受けたと主張し、その本人尋問においても同旨の供述をしているが、第2回上陸申請当初の状況に関しては、当初から難民認定申請をしていたとは認められないにもかかわらず、これをしていたと供述するなど、原告の供述には正確性に欠ける点があるものといわざるを得ないことを考慮すると、上記主張や供述をそのまま採用することはできない。)、これを違法な身柄拘束であるということはできないものといわざるを得ない。 また、原告は、「第2回上陸申請当初から、難民であると主張しており、その主張内容は、一時庇護のための仮上陸許可の申請と理解できるものであったのに、そのような取扱いをしないまま上陸を許可しなかったことも違法である。」という趣旨の主張をするが、原告が第2回上陸申請当初から難民であると訴えていたとは認められないことは既に説示したとおりである。したがって、この点に関する原告の主張は、その前提を欠き、失当といわざるを得ない。 なお、難民調査官が当初から適切かつ十分な調査を行い、その結果を入国審査官に通知していれば、早期に上陸防止措置を打ち切り、一時庇護のための上陸許可がされていた可能性もあると考えられるが、本件においては難民調査官からそのような通知はされていないのであるか 結果を入国審査官に通知していれば、早期に上陸防止措置を打ち切り、一時庇護のための上陸許可がされていた可能性もあると考えられるが、本件においては難民調査官からそのような通知はされていないのであるから、上記2における主任審査官と同様、入国審査官にも職務上の義務違反があったとは認め難い。 したがって、この点に関する原告の主張を採用することはできない。 4 損害と損害額について以上を前提として、原告の主位的請求に係る損害と損害額について検討する。 既に説示したとおり、本件不認定処分は違法であるというべきところ、第1項において検討した諸事情に照らしてみると、法務大臣が、その法的義務を尽くした上、正しい資料の評価、吟味を行っていれば、遅くとも、本件不認定処分がされた平成10年6月9日までには原告が難民に該当するとの判断に達することができたものであり、そうすれば、原告は、同日までに難民認定を受け、在留特別許可を与えられ、身柄を解放された上で、我が国での活動も許されることになったものと認められ、この認定に反する証拠はない。 ところが、原告は、本件不認定処分を受けるとともに、本件退令裁決、本件退令発付処分を受けた上、平成11年3月4日に仮放免を許可されるまでの約9か月間身柄拘束を継続され、また、その後も、平成14年3月14日に本件認定処分、本件在留特別許可を与えられるまでの約3年間、不安定な身分に置かれ、行動に制限を加えられるとともに、ミャンマーに送還されるかもしれないという恐怖にさらされ続けたものである。そして、これらによって、原告が精神的、肉体的苦痛を被ったであろうことは、容易に推測できるところであり、このような精神的、肉体的苦痛によって生じた損害を慰謝するための慰謝料の額は、800万円が相当である。 また、原告は、本訴提起を原告訴訟代理人らに 被ったであろうことは、容易に推測できるところであり、このような精神的、肉体的苦痛によって生じた損害を慰謝するための慰謝料の額は、800万円が相当である。 また、原告は、本訴提起を原告訴訟代理人らに委任したものであるところ、被告に負担させるべき弁護士費用の額は、150万円が相当である。そうすると、被告は、原告に対し、国家賠償法1条に基づき、以上の合計950万円の損害賠償金を支払うとともに、平成14年3月29日(本訴状送達の日の翌日)から支払済みまで、民法所定年5分の割合による遅延損害金を支払う義務を負うものというべきである。 なお、被告は、「難民認定処分によって生じる法的効果は難民旅行証明書の発給を受けられることのみなのであるから、逆に言えば、難民認定処分を受けられなかったことによる損害は生じない。」とか、「身柄拘束等、原告が被ったとする上記損害は、いずれも本件不認定処分による損害とはいない。」などといった主張をするが、これらの主張を採用することができないことは、既に説示したところから明らかである。 5 予備的請求1、2について以上のとおり、原告の主位的請求を一部認容することができる以上、予備的請求1、2についてはもはや判断の必要はないものともいえるが、これらの請求を、主位的請求においては損害賠償を認めなかった本件収容令書発付処分及び本件上陸防止措置によって生じた損失に対する補償を求めるものと理解すれば、主位的請求とは異なる請求を含むものと理解することも可能なので、念のため、これらの請求についても判断する。 まず、予備的請求1は、憲法29条3項の類推適用に基づく損失補償を求めるものであるところ、財産的損害に対する損失補償を規定した同項の規定を、非財産的損害に対してまで一般的に類推適用することができるかどうかについては疑問があるの 条3項の類推適用に基づく損失補償を求めるものであるところ、財産的損害に対する損失補償を規定した同項の規定を、非財産的損害に対してまで一般的に類推適用することができるかどうかについては疑問があるのみならず、本件収容令書発付処分が発令されたことについては、原告にもその原因の一端があったものといわざるを得ないこと、及び本件上陸防止措置は身柄拘束と断定することができるものではないことは既に説示したとおりなのであるから、これらの処分ないし措置によって生じた損失が、特別の損失として損失補償制度の対象になるものということができるかどうかにも疑問があるものといわざるを得ない。また、予備的請求2は、憲法40条の類推適用に基づく損失補償を求めるものであるところ、行政手続に基づく身柄拘束についても、広義の行政機関による身柄拘束という点で刑事手続と共通の面があることは否定できないから、これについて刑事補償と同様の制度を創設することは立法論としては十分に検討に値するが、同条は明らかに刑事手続のみを対象とした規定であるから、これを他の行政手続に基づく身柄拘束に類推適用することはできない。 したがって、原告の予備的請求1、2は、いずれも理由がなく、棄却するほかはないものというべきである。 6 以上のまとめ以上によれば、原告の本訴請求は、主位的請求のうち、950万円及び遅延損害金の支払を求める限度では理由があり、認容すべきであるが、その余の部分(その余の主位的請求及び予備的請求1、2)は、理由がないものとして棄却すべきである。 第5 結論よって、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法61条、64条を適用して、主文のとおり判決する。なお、仮執行の宣言は、相当ではないものと認め、付さないこととする。 東京地方裁判所民事第3部裁判長裁判官 つき、民事訴訟法61条、64条を適用して、主文のとおり判決する。なお、仮執行の宣言は、相当ではないものと認め、付さないこととする。 東京地方裁判所民事第3部裁判長裁判官藤山雅行裁判官鶴岡稔彦裁判官廣澤諭・処分経過等平8・9・2成田空港到着、第1回上陸申請→拒否され即日帰国平10・3・29成田空港到着、第2回上陸申請→拒否され上陸防止施設へ4・2  退去命令を受け、難民認定申請4・6  難民調査官による調査(第1回)4・7  難民調査官による調査(第2回)4・21本件収容令書発付処分4・22本件収容令書発付処分執行(成田空港支局収容場に収容)入国審査官による違反調査(第1回)4・30  入国審査官による違反調査(第2回)入国審査官、24条5号の2該当の認定→原告、口頭審理申立て5・12  特別審理官による口頭審理→認定に誤りがない旨の判定5・13  原告、上記判定に異議申出6・1  原告を東日本入国管理センターに移収6・9  法務大臣、難民不認定処分6・12  原告に難民不認定処分告知法務大臣による異議申出に理由がない旨の裁決とその告知主任審査官による退去強制令書発付処分とその告知6・13  原告、難民不認定処分に対する異議申出7・27  原告、6・12法務大臣裁決及び退去強制令書発付処分の取消訴訟提起10・5  法務大臣、難民不認定処分に対す その告知6・13  原告、難民不認定処分に対する異議申出7・27  原告、6・12法務大臣裁決及び退去強制令書発付処分の取消訴訟提起10・5  法務大臣、難民不認定処分に対する異議申出棄却裁決平11・1・8  原告、難民不認定処分取消訴訟提起3・4  原告に対する仮放免許可平14・2・20  法務大臣、難民不認定処分取消し2・23  原告に対し、取消しの告知3・4  本件国家賠償等請求訴訟提起(追加的併合申立て)3・14  法務大臣、原告の難民認定処分法務大臣、原告に対し、在留特別許可主任審査官、退去強制令書発付処分取消し3・15  法務大臣、原告に難民認定証明書交付3・18  原告に、退去強制令書発付処分取消し、及び在留特別許可を告知原告に、在留資格証明書を交付7・19  原告、難民不認定処分、法務大臣裁決、退去強制令書発付処分の各取消請求訴訟を取下げ

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