昭和27(う)2439 詐欺被告事件

裁判年月日・裁判所
昭和27年11月15日 東京高等裁判所 破棄自判
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【DRY-RUN】主    文      原判決を破棄する。      被告人を懲役拾月に処する。      この裁判の確定した日から参年間右刑の執行を猶予する。          理    由  弁護人戸村一正同荻野

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判決文本文2,205 文字)

主文 原判決を破棄する。 被告人を懲役拾月に処する。 この裁判の確定した日から参年間右刑の執行を猶予する。 理由 弁護人戸村一正同荻野弘明共同の控訴趣意は別紙記載のとおりで、これに対し次のように判断する。 論皆第二点について。 原判決の拳示する証拠のうち被告人作成のA宛「お願い」と題する書面の控は原審第三回公判期日に弁護人からその取調を請求したものであつて、右の証拠と証明すべき事実との関係(いわゆる立証趣旨)は公判調書の記載かちは明らかでないが、該書画の内容と当時の被告人側の主張とを対比してみれば、所論のように被告人の情状を立証するために取調を求めたものと推測するのが相当でおる。論旨は、かくのごとく情状を証するための証拠をもつて罪となるべき事実を認定することは違法であると主張し、その一つの論拠として罪となるべき事実についてはいわゆる厳格な証明を必要とするのに反しそれ以外の事実についてはその必要がないということを挙げている。しかしながら、論旨の引用する右の原則は、情状に関する事実のように罪となるべき事実以外の事実については、証拠能力がありかつ適法な証拠調を経た証拠以外のなんらかの証拠によつてもこれを認定することができるということを意味するだけであつて、そのことから直ちに、情状に関して取り調べられた証拠はすべて罪となるべき事実認定の資料としてはならない、という結論は出てこない。かかる証撫であつても、それが証拠能力を有しかつ適法な証拠調を経たものであれば、これによつて罪となるべき事実を認定しても、前述した原則との関係だけからいえば、少しも差支えないのである。 次に、論旨は立証趣旨という点からしても右の証拠を罪となるべき事実認定の資料に供することは許されないと主張する。これは、 認定しても、前述した原則との関係だけからいえば、少しも差支えないのである。 次に、論旨は立証趣旨という点からしても右の証拠を罪となるべき事実認定の資料に供することは許されないと主張する。これは、ことばをかえていえば、裁判所は証拠の立証趣旨に拘束されるかという問題にほかな<要旨>らない。そこで、この点につき考究するのに、極端な当事者主義の原則を貫ぬくならばあるいは論旨の結論を</要旨>正当なりとしなければならないかもしれないがわが刑事訴訟法は周知のごとく当事者主義をかなり強く採り入れてはいるもののなお職権による証拠調の制度を認めていること等からしても当事者主義のみに徹底しているものとは考えられない。そのような点を併せ考えると、刑事訴訟規則第百八十九条が証拠調の請求にあたり証拠と証明すべき事実との関係(立証趣旨)を明らかにすることを要求しているのは、さしあたり裁判所がその請求の採否の決定をするについてはその参考とするためであると解すべきであつて(このことは同条第四項に立証趣旨を明らかにしない証拠調の請求を却下することができる旨の規定があることからも窺うことができる。)立証趣旨なるものにそれ以上の強い効力を認めることは、法の精神とするところではないと解するのを妥当とする。いいかえれば、ある証拠調を請求した者は、その証拠が立証趣皆に従つて自己の側に有利に判断されることある反面、いやしくもこれが採用された限り自己の不利益にも使用されることのあるのを予期すべきものなのであつて、この解釈は、あたかも被告人の公判廷における任意の供述が自己の不利益な証拠ともなりうること(刑事訴訟規則第百九十七条第一項参照)とも照応するのである。ただ、強いていえば、次の二点には注意する必要があるであろう。第一は、当事者が証拠を刑事訴訟法第三百二十八条のいわゆる反証とし なりうること(刑事訴訟規則第百九十七条第一項参照)とも照応するのである。ただ、強いていえば、次の二点には注意する必要があるであろう。第一は、当事者が証拠を刑事訴訟法第三百二十八条のいわゆる反証として提出した場合で、この場合は証拠調の請求者が自らその証拠能力を限定したことになるから、これをもつて完全な証拠能力あるものとして罪となるべき事実を認定することは許されない。第二には、いわゆる伝聞法則との関係において、立証趣意のいかんによりその書証に対する同意の意味が異なる場合がありまた証人に対する反対尋問の範囲に相違を生ずることが考えられるので、それらの場合に証明すべき事実との関係で証拠能力の認められないことがありうる。しかし、これらはいずれも証拠能力の問題に帰着するのであつて、厳密にいうと裁判所が当事者の立証趣旨に拘束されたということはないのである。ところで、本件においては、前記「お願い」と題する書面は、もとより弁護人がいわゆる反証として提出したものではない。また、右の書面を証拠とすることに検察官が同意したのは、なんら留保を附せず無条件に同意しているのであるから、同意との関係において証拠能力を欠くともいえないわけであつて、以上説明したところからすれば、右の書証はその立証趣旨のいかんにかかわらず、被告人の罪となるべき事実認定の資料とすることになんら妨がないというべきであるから、原判決がこれを証拠として拳示したことは別段違法の点はなく、論旨は理由がない。 (その他の判決理由は省略する。)(裁判長判事大塚今比古判事山田要治判事中野次雄)

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