主文 1 一審原告らの一審被告三井鉱山株式会社及び被控訴人国に対する各控訴をいずれも棄却する。 2 一審被告三井鉱山株式会社の控訴に基づき,(1) 原判決中,一審被告三井鉱山株式会社の敗訴部分を取り消す。 (2) 一審原告らの一審被告三井鉱山株式会社に対する各請求をいずれも棄却する。 3 訴訟費用は,第1,2審を通じ,すべて一審原告らの負担とする。 事実及び理由 第1 控訴の趣旨 1 一審原告ら原判決を次のとおり変更する。 (1) 被控訴人国及び一審被告会社は,連帯して,一審原告らに対し,それぞれ原判決別紙謝罪広告目録記載の広告を,西日本新聞,朝日新聞,毎日新聞,読売新聞,日本経済新聞及び産経新聞並びに人民日報,中国青年報,解放日報,河北日報,明報,山西日報,遼寧日報及び中国電視報の各朝刊の全国版下段広告欄に,2段抜きで1回掲載せよ。 (2) 被控訴人国及び一審被告会社は,連帯して,原告番号1ないし14の一審原告らに対し,それぞれ2300万円及びこれに対するア原告番号1ないし8の一審原告らについては平成12年5月26日から,イ同9ないし11の一審原告らについては同13年5月22日から,ウ同12ないし14の一審原告らについては同年11月15日から,各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 (3) 被控訴人国及び一審被告会社は,連帯して,原告番号15の1ないし5の一審原告らに対し,それぞれ460万円及びこれに対する平成12年5月26日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え(当審における訴訟承継に基づき変更)。 2 一審被告会社(1) 原判決中,一審被告会社の敗訴部分を取り消す。 (2) 一審原告らの一審被告会社に対する各請求をいずれも棄却する。 第2 事案の概要 審における訴訟承継に基づき変更)。 2 一審被告会社(1) 原判決中,一審被告会社の敗訴部分を取り消す。 (2) 一審原告らの一審被告会社に対する各請求をいずれも棄却する。 第2 事案の概要等 1 本件事案の概要及び本件控訴に至る経緯は,次のとおりである。 (1) 本件事案の概要中華人民共和国の国民である原告番号1ないし15の一審原告らは,ア被控訴人国は,日中戦争及び太平洋戦争を遂行する過程で生じた,主として軍需産業の重筋労働部門における労働力不足を補うため,産業界から働きかけを受けて中国人労働者を日本国内に移入するとの政策決定をし,イ一審被告会社とともに,ウ一審原告らを,(ア) その意思に関わりなく日本に強制的に連行し,(イ) 過酷な労働条件の下で,一審被告会社の田川鉱業所及び三池鉱業所において奴隷的な労働を強制し,(ウ) 戦後も,上記事実を正面から認めず,証拠を隠滅する等して,一審原告らの権利行使を妨害し,現在に至るも謝罪,慰謝料の支払等,なすべき義務を果たしていない等と主張して,エ被控訴人国及び一審被告会社に対し,連帯して,(ア) 謝罪広告の掲載(第1の1(1)参照)(イ) 並びに不法行為及び債務(保護義務)不履行に基づき,慰謝料・弁護士費用及びこれに対する遅延損害金の支払(第1の1(2)・(3)参照)を求めた。 (2) 原審は,ア一審被告会社に対する慰謝料・弁護士費用の各一部及びこれに対する遅延損害金の支払のみを認め(原判決主文第1項),イ(ア) 一審被告会社に対するその余の各請求(同第2項)(イ) 及び被控訴人国に対する各請求(同第3項)をいずれも棄却した。 (3) 本件控訴ア一審原告らは第1の1のとおり,イ一審被告会社は第1の2のとおりそれぞれ控訴した。 2 A〔15〕の イ) 及び被控訴人国に対する各請求(同第3項)をいずれも棄却した。 (3) 本件控訴ア一審原告らは第1の1のとおり,イ一審被告会社は第1の2のとおりそれぞれ控訴した。 2 A〔15〕の訴訟承継A〔15〕は,当審における訴訟係属中に死亡し,相続に伴う訴訟承継があったので,第1の1(3)のとおり,原告番号15の1ないし5の一審原告らは,請求の趣旨を一部変更した。 第3 前提となる基本的事実(1){一審原告らを含む中国人労働者が日本に移入され,一審被告会社等で労働に従事した経緯とその概要}当事者間に争いがない事実,公知の事実並びに適宜掲記した証拠及び弁論の全趣旨によれば,一審原告らを含む中国人労働者が日本に移入され,一審被告会社等で労働に従事した経緯とその概要は,次のとおりである(おおむね,原判決「事実及び理由」中の「第3 前提となる事実」欄(2頁20行目から8頁19行目まで)及び「第5 認定事実」中の「1 中国人労働者移入政策の実際」欄から「4 原告ら各自に関する事情」欄まで(39頁初行から62頁13行目)のとおりであるが,一部用語が不統一であったり,時期的に矛盾すると誤解され兼ねない部分があるので,その部分を修正するとともに,判断に必要な限度で,事実を一部付加したものである。 1 中国人労働者移入政策の背景と政策決定に至る経緯(甲1,33の1ないし5,35ないし40,68,92ないし99,101ないし105,120ないし130,134,135,乙ロ16)(1) 戦争遂行過程における労働力不足ア日本は,1931年(昭和6年)の満州事変,1932年の満州国建国を経た後,1937年7月7日,廬溝橋事件をきっかけに,当時中国全体を実効支配していた中華民国との全面戦争(以下「日中戦争」という。)に突入した。 イ日本は, )の満州事変,1932年の満州国建国を経た後,1937年7月7日,廬溝橋事件をきっかけに,当時中国全体を実効支配していた中華民国との全面戦争(以下「日中戦争」という。)に突入した。 イ日本は,1941年(昭和16年)12月8日,真珠湾攻撃をきっかけに,アメリカ合衆国(以下「アメリカ」という。)及びイギリスにも宣戦布告し,太平洋戦争を開始した。 ウ両戦争は,当初は順調に推移するかに見えたものの,日中戦争は中華民国の領土が広大なこと等から次第に持久戦の様相を示し,また,太平洋戦争は戦域を南方にも拡大したため,日本は,年を経るごとに兵力を増強せざるを得なくなった。 エそのため,日本国内では,労働力が不足するようになり,特に戦争遂行のために重要な位置を占める軍需会社の重筋部門で労働力が枯渇するようになった。 (2) 政府及び企業の対応ア戦争は,単に兵力のみの問題ではない。これを支える大規模な軍需産業の存在が必要である。その生産の基礎をなすのは,オートメーション化の進んでいなかった当時においては,何より,人的労働力であった。 イ軍需産業の側からも,資本主義である以上,いかに戦時中ではあっても,生産をし,そこで利潤を得ることができなければ,再生産,拡大再生産をすることはできない。したがって,安価な労働力の確保は企業にとっても必要不可欠であった。 ウ被控訴人国は,上記労働力不足の事態に対処するため,国内において,次のとおり法制を整備する等して,戦争遂行のための戦時経済体制を整えた。 (ア) 1938年(昭和13年)4月,「国家総動員法」を制定して(施行日は同年5月5日),勅令により国民を徴用できること等を定め,1939年7月,政府は「国民徴用令」を発して,国民総動員体制を築いた。 (イ) 1941年(昭和16年)8月,同法に基づき,「 て(施行日は同年5月5日),勅令により国民を徴用できること等を定め,1939年7月,政府は「国民徴用令」を発して,国民総動員体制を築いた。 (イ) 1941年(昭和16年)8月,同法に基づき,「重要産業団体令」を制定して,鉄鋼,石炭等,軍需関係の重要物資を取り扱う9業種について12の統制会を順次設立し,その業種に属する各企業をこれに加盟させて,経済を軍需産業にシフトさせた。 (ウ) 1943年(昭和18年)10月「軍需会社法」を,同年12月「軍需会社徴用規則」を制定して,企業に対する国家の支配を強めるとともに,資材,資金,労働力を軍需会社に優先的に割り当てた。 エしかし,国内の若年男子労働者は,かなりの者が戦争にかり出されていたため,労働力,特に重筋部門の労働力を国内在住者のみで賄うことは不可能であった。 オ国は,この事態に対処するため,まず,当時植民地として支配していた朝鮮人の労働力を活用することとし,1939年(昭和14年),「国家総動員法」を朝鮮人にも適用し,さらに,1942年2月(昭和17年),「朝鮮人労務者活用に関する方策」(カタカナ表記は適宜ひらがな表記にする。以下同じ。)を閣議決定し,多数の朝鮮人労働者を日本内地に移入した。 カしかし,重筋部門における労働力不足は,これによっても解消されることはなかった。 (3) 中国人労働者移入政策の決定ア 1942年(昭和17年)閣議決定に至るまでの経過石炭産業界その他の産業界は,早い段階から労働力不足が起こることを見越し,外地労働力,特に中国華北地方の労働者移入を真剣に検討して,日本政府に政策を提案する等し,国も,これに応えて,労働事情の調査その他,中国人労働者の内地移入に向けての具体的準備を行った。 その主な経過は次のとおりである。 (ア) 1939年,北海道土木工業 て,日本政府に政策を提案する等し,国も,これに応えて,労働事情の調査その他,中国人労働者の内地移入に向けての具体的準備を行った。 その主な経過は次のとおりである。 (ア) 1939年,北海道土木工業連合会内外坑労働者移入組合は,厚生,内務両大臣に対し,「支那労働者移入に関する方法並びに処遇方案」と題する書面を提出した。 (イ) 1940年3月,国は,商工省燃料局内に,「華人労務者移入に関する官民合同協議会」を設置し,石炭産業界における中国人労働者の移入方策の是非について以後官民一体となって協議,検討を進めることとした。 (ウ) 1941年8月,石炭鉱業連合会と金属産業連合会は,企画院総裁,商工大臣及び厚生大臣にあてて,連名で,「鉱山労務根本対策意見書」と題する文書を提出し,外地労働力の移入を具体的に提案した。 (エ) 1942年(昭和17年)8ないし9月,興亜院(対中国政策一元化のために設置された機関)は,「華北労務者の対日供出に関する件」と題する極秘文書を作成し,その内容を関連企業に説明し,華北地方の労働者採用希望の有無を調査した。 (オ) 同年10月,財団法人土木工業協会は,「華北労務者使役に関する件」と題する文書を作成し,華北地方の労働力を現実に使用することを視野に入れて「移入要領」を定め,来たるべき中国人労働者移入に向けて具体的な準備を開始した。 (カ) 同月1日,石炭統制会も,各支部に向けて「炭鉱に俘虜並に苦力使用の件」と題する文書を発し,近い将来に中国人労働者移入が可能になる見通しがある旨を告げ,各支部における準備を促した。 (キ)a 同年12月,企画院の主催で各官庁関係者と石炭統制会等各産業団体の希望者が参加して「華北(北支)労働事情使節団」が組織され,同月から翌1943年3月にかけて華北地方の労働事情の視察と労働者の素 a 同年12月,企画院の主催で各官庁関係者と石炭統制会等各産業団体の希望者が参加して「華北(北支)労働事情使節団」が組織され,同月から翌1943年3月にかけて華北地方の労働事情の視察と労働者の素質の調査,及び華北労工協会等中国内における関係諸機関との協議が行われた。 b 一審被告会社においても,田川鉱業所の労務管理課長代理が同視察団に参加した。 イ 1942年閣議決定(ア) 1942年(昭和17年)11月27日,日本政府は,「華人労務者内地移入に関する件」と題する閣議決定(1942年閣議決定。 別紙2)を行い,中国人労働者を日本国内に移入して重筋労働部門における労働力不足を補う政策を採用し,差し当たり試験的に一定数の中国人労働者の移入を行い,その結果を見て漸次本格実施に移すこととした。 (イ) 同日,企画院は,「華人労務者内地移入に関する件第三措置に基く華北労務者内地移入実施要領」(企画院実施要領。別紙3)により,試験的に移入される中国人労働者の使用条件等について具体的実施細目を定めた。 ウ試験移入の結果(ア) 1943年(昭和18年)の4月から11月にかけて,試験移入として,港湾荷役関係では伏木港に,石炭産業界では一審被告会社の田川鉱業所に,合計1420人の中国人労働者を受け入れた。 (イ) その結果は予想以上に良好であった。 エ 1944年次官会議決定そこで,日本政府は,いよいよ中国人労働者を本格的に移入することとし,(ア) 1944年(昭和19年)2月28日,「華人労務者内地移入の促進に関する件」と題する次官会議決定(1944年次官会議決定。 別紙4)を行って,(イ) 中国人労働者を毎年度国民動員計画に計上することとし,(ウ) その実施細目として「華人労務者内地移入手続」(別紙5。甲99)を定め 会議決定(1944年次官会議決定。 別紙4)を行って,(イ) 中国人労働者を毎年度国民動員計画に計上することとし,(ウ) その実施細目として「華人労務者内地移入手続」(別紙5。甲99)を定めた。 2 1942年閣議決定,1944年次官会議決定及び企画院実施要領等その細目で掲げられた方策(甲33の1ないし5,甲35)中国人労働者移入政策の細目は,別紙2ないし5のとおりであるが,これを本件に関係する華北労働者及び石炭産業界を中心に概観すると,次のとおりであった。 (1) 移入方策ア移入計画(ア) 試験移入約1000名を契約期間1年で荷役業及び炭鉱業に配置することとし,華北運輸会社から荷役工を,華北労工協会から炭鉱労働者を供出させる。 (イ) 本格移入1944年度国民動員計画において3万名を計上し,主として華北地方から華北労工協会の供出・あっせんのもとに,訓練を受けた元俘虜又は元帰順兵を受け入れるほか,募集によって,これを集める。 イ移入機構(ア) 現地機構試験移入に際しては,華北労工協会がその任に当たり,本格移入に際しては,中央の計画に基づき,大使館,現地軍及び新国民政府(華北寄りの場合は華北労工協会)がこれに当たる。 (イ) 中央機構a 官庁側では,移入連絡は大東亜省が,労務の割当てと管理は軍需省と運輸省の協議のもとに厚生省が,取締りには内務省が当たる。 b 民間側では,華北労工協会と関係統制会がその連絡・あっせんに当たる。 ウ移入条件(ア) おおむね40歳以下の心身健全な男子労働者を選抜し,一定期間訓練を施すことを原則とする。 なお,本格移入においては,実際の供出の可能性に配慮し,元俘虜又は元帰順兵の移入を主目標とし,このほかに一般募集もする。 (イ) 就労期間は,第一次試験移入の際は1年間と を施すことを原則とする。 なお,本格移入においては,実際の供出の可能性に配慮し,元俘虜又は元帰順兵の移入を主目標とし,このほかに一般募集もする。 (イ) 就労期間は,第一次試験移入の際は1年間とすることが考えられたが,その後は原則として2年間とされた。なお,労働者は,単身で来日する。 (ウ) 就労に当たっては,中国人の習慣に急激な変化を生ぜしめないように留意し,食事は米食とせず,中国人労働者の通常食を給する。 (エ) 労働時間及び賃金は,内地の例によるが,留守家族への送金もできるよう考慮して定め,家族への送金及び持帰金については原則として制限を設けない。 エ供出方法供出方法としては,次の4つの方法が策定された。 (ア) 行政供出中国側行政機関の供出命令に基づく募集で,各省,道,県,郷村へと,上級庁から下部機構に対し供出員数を割り当て,責任数の供出を行わせるもの。 (イ) 訓練生供出日本現地軍が作戦により得た俘虜,帰順兵で,一般良民として釈放しても差し支えないと認められた者,及び中国側地方法院において微罪者として釈放した者を,華北労工協会において下渡しを受け,同協会の有する各地の労工訓練所において,一定期間(約3か月),渡日に必要な訓練をした者を供出するもの。 (ウ) 自由募集主要労工資源地において,条件を示して希望者を募るもの。 (エ) 特別供出現地において,特殊労務に必要な訓練と経験を有する特定機関の在籍労働者を供出するもの。 (2) 配置方策試験移入においては,荷役業及び炭鉱業に配置することとし,本格移入においては,国民動員計画産業中の鉱山業,荷役業,国防土木建築業及び重要工業その他特に必要と認めるものに配置する。 (3) 処遇についてア処遇について,中国人労働者は,気候,風土,習慣を異にする外国 おいては,国民動員計画産業中の鉱山業,荷役業,国防土木建築業及び重要工業その他特に必要と認めるものに配置する。 (3) 処遇についてア処遇について,中国人労働者は,気候,風土,習慣を異にする外国で就労するものであることに意を用い,次の点に留意する。 (ア) 事業場(移入された中国人労働者の使用を認められた事業場のこと。以下同じ。)に到着後まず休養を与え,必要な指導訓練を施した後,徐々に普通の労務に服させる。 (イ) 労働時間と作業内容は,日本人及び朝鮮人と比較し,過激かつ危険にならないようにする。 (ウ) できるだけ供出時の編制を利用し,作業に関する命令は,日系指導員及び華系責任者を通じて発し,直接は行わない。そのため,事業場は現地から同行した日系指導員を中国人労働者の直接の責任者として連絡世話に当たらせる。 (エ) 食事は米食とせず,中国人労働者の通常食を給する。 (オ) 住宅は,湿気予防に留意する。 (カ) 慰安及び娯楽施設には意を用い,適当な施策をとる。 (キ) 4大節のほか,旧正月3日及び,端午節,中秋節各1日は必ず公休日とする。 (ク) 就労時間は日本国内の例による。 (ケ)a 賃金は,日本国内における賃金を標準とするが,日本国内と中国現地の賃金及び物価の間に甚だしい相違がある実情を考慮し,中国に残留している家族に対する送金及び持帰金を確保するため,必要な措置を講じる。 b 賃金については,その後,特に,「昭和19年度華人労務者給与規定要綱」(1945年2月5日次官会議報告)が定められ,郷里への送金及び持帰金を考慮し,食事の給与のほか,就業1日につき平均5円とし,事業主としては,上記基準に従い,能率に応じて日本における賃金統制の基準により支給し,上記の額が5円に満たないときは不足額を国庫において負担することとされ,1944年 ,就業1日につき平均5円とし,事業主としては,上記基準に従い,能率に応じて日本における賃金統制の基準により支給し,上記の額が5円に満たないときは不足額を国庫において負担することとされ,1944年4月1日にさかのぼって実施されることとされた。 イしかし,外国人を移入するという点に留意し,逃亡防止,防諜その他の観点から,別紙6の「移入華人労務者取締要領」を定め,次のとおり,厳しい態度で臨むこととされた。 (ア) 移入労働者は集団的に就労させ,日本人,朝鮮人とは作業箇所を峻別する。 (イ) 作業場においては,朝鮮人,俘虜,満州人及び中国人船員と接触しないよう警戒する。 (ウ) 住宅は,防諜及び公安風俗上支障のない場所を選定し,朝鮮人労働者住宅とは接近しないよう,一線を画して設置する。 (エ) 宿舎には関係者以外の出入りを禁止し,特に在留中国人との連絡は厳断する。 (オ) 移入した中国人労働者の思想動向,経歴を十分調査し,その動静に注意して,不穏な動きや計画の察知に努める。 (カ) 外出は団体で行うものとし,よほどやむを得ないときでない限り個人での外出を認めない。 (キ) 通信の発受は事業者が取りまとめて行い,これを検閲する。 (4) 送還方策ア 2年の契約期間が満了した時は,事業場が旅費,実費を負担して,移入労働者を集結地まで送還する。 イ同一人を継続使用する場合は,2年経過後の適当な時期に一時帰国を認める。 ウ疾病その他の理由により就労を継続できない者については,中途でも帰国させる。 3 中国人労働者の移入と就労及び処遇と送還の実際-全体の状況-(甲1,2の1・2,33の1ないし5,34の1の1・2,34の2,35,36,39,40,68,80ないし83の各1・2,86ないし88,89の1・2,92ないし96,104,105,11 況-(甲1,2の1・2,33の1ないし5,34の1の1・2,34の2,35,36,39,40,68,80ないし83の各1・2,86ないし88,89の1・2,92ないし96,104,105,113ないし116,129,131ないし133,167の1ないし32,B〔1〕・C〔3〕・D〔4〕及びE〔10〕各本人)中国人労働者がどのような方法で日本に移入され,そこでどのような労働に従事し,処遇されたかについては,終戦後間もない時期に,外務省が,中国人労働者が実際に働いた関係事業場から報告を徴した上,調査員を派遣して現地調査をし,その結果をまとめた外務省報告書(甲33の1ないし5)が存する。 同報告書は,甲163の52等によると,1946年(昭和21年)初めころ,当時の中華民国当局から中国人労働者の日本における就労状況について調査がなされることに備え,これに対処するため作られたものである可能性が強く,その作成経緯から見て保身的傾向があり,完全に正確なものとはいい難い。また,後述するとおり,実際には日本に移入されて事業場で働いたのに,各事業場が外務省の指示に基づき作成し,提出したいわゆる事業場報告書(甲34の1の1・2,34の2)の名簿の記載から漏れている者もいるので,現実の数字はもっと多いのではないかとも推察される。しかし,外務省報告書及び事業場報告書中の統計的数値は最低限の数値は明らかにしていると解されるから,概況は十分把握することができる。 そこで,以下において,主として外務省報告書を中心とし,適宜他の証拠によって修正を加えながら,中国人労働者の移入事情と就労事情の全体像を認定していく。 (1) 実際の移入状況ア供出人員(ア) 全体数中国人労働者は,1943年(昭和18年)4月から1945年5月までの間,試験移入及び本 人労働者の移入事情と就労事情の全体像を認定していく。 (1) 実際の移入状況ア供出人員(ア) 全体数中国人労働者は,1943年(昭和18年)4月から1945年5月までの間,試験移入及び本格移入を合わせて,合計3万8935人が供出された。 (イ) 地域別の人数地域別に見ると,華北地域が約9割の3万5778人を占め,華中地域が2137人,満州が1020人であった。 (ウ) 華北出身者の詳細華北出身者について見ると,華北労工協会がその97%の3万4717人を供出した。同協会からの供出者は,行政供出が2万4050人(約69%),訓練生供出が1万0667人(約31%)で,自由募集と特別供出による者はいない。 イ中国人労働者の素質等(ア) 年齢a 本来の計画では,おおむね40歳以下の男子,素質優良,心身健全な者を選抜することとし,なるべく30歳以下の独身男性を優先的に選抜するよう努力することとされた。 b 実際には,20歳から29歳までの者が1万7044名(43. 78%)と最も多いものの,40歳以上の者も7329名と18. 82%を占め,15歳以下も157名(0.4%),70歳以上も12名(0.03%)を数えた。 c 行政供出された労働者の年齢構成には問題が多く,最年少は11歳,最高齢は78歳に及び,40歳以上の者が19.6%を占め,年齢構成は非常に高かった。 (イ) 健康状態a 特別供出及び自由募集による者はおおむね良好であった。 b 行政供出及び訓練生供出による者,特に,1944年後半以降に行政供出の方法により供出された者は,健康状態が極めて悪く,多くの疾患を有していた。そのため,衰弱が激しく,本邦上陸時には辛うじて歩行できる程度の者が多数見受けられた。 (ウ) 職業・学歴a 職業は,圧倒的に農業が多く,次いで商業が多 康状態が極めて悪く,多くの疾患を有していた。そのため,衰弱が激しく,本邦上陸時には辛うじて歩行できる程度の者が多数見受けられた。 (ウ) 職業・学歴a 職業は,圧倒的に農業が多く,次いで商業が多かったが,無職者も相当数あった。 b 学歴も,文盲の者,専門学校又は大学を卒業した者,医師の資格を有している者など様々であった。 ウ華北労工協会からの行政供出者に素質不良者が多かった理由(ア) 供出方法それ自体による矛盾a 特別供出の方法により供出された労働者は,荷役,造船等の分野である程度の経験を有している半熟練工であった。 b 自由募集による者は,自ら応募してきたのであるから,それなりに労働に対する能力と意欲を有していた。 c 行政供出は,とかく頭数をそろえる必要があったことから,そもそも供出方法それ自体に,供出者の意欲や体質等に十分意を用いないで供出される危険があった。 (イ) 供出機関側の事情a 華北労工協会(1941年7月設立)の使命は,まず第1に,華北での労働者自給と満州への供出であり,内地への供出に専念することができなかった。 b 地域に根を張った労働者募集組織を有しておらず,業務の中心は中央において労働者の割当てその他の事務をすることであって,募集能力も高くなかった。 (ウ) 支配地域の縮小加えて,1943,4年ころには,連合国の対日反攻にも助けられて八路軍が華北で抗日根拠区を拡大することに成功し,華北での日本軍の支配地域が20%程度に狭まり,これに伴って,華北労工協会が活動できる区域も縮小の一途をたどっていた。 (エ) 当時の華北地方の経済状況華北では,1941,2年ころ,インフレが進行し,農民の出稼意欲は極端に冷え込んでいた。その結果,自由募集に応じる者はほとんどおらず,一定人数の供出者を確保するには,行 当時の華北地方の経済状況華北では,1941,2年ころ,インフレが進行し,農民の出稼意欲は極端に冷え込んでいた。その結果,自由募集に応じる者はほとんどおらず,一定人数の供出者を確保するには,行政供出の方法に頼らざるを得なかった。 (オ) まとめa 以上の結果,華北労工協会では,1944年1月に同年の供出労働者総数を85万人と計画したが,実際に供出できた労働者は,1年間で44万2000人にとどまった。 b しかし,内地への労働者供出は国民総動員計画の一環として定められたものであるから,計画人数はどうしても守る必要があった。 c そこで,華北労工協会は,日本軍の協力も得て,行政供出の人数確保に努力することとなった。 d このようにして,本人の意思を問うことなく,とかく供出人数を確保することが第1目的と化したため,華北労工協会から行政供出の方法によって供出された労働者の質は,他と比べて劣ることとならざるを得なかった。 エ訓練(ア)a 外務省は,外務省報告書を作成するに当たり,中国に人を派遣する等して調査をすることをしていない。 b 同報告書は,中国人労働者が故国へ送還された後に作成されたものであって,実際に働いた中国人に対して調査が行われているわけでもない。 c したがって,日本政府が当初立てた計画では,中国人労働者は,移入に先立ち,できる限り,一定期間(華人労務者内地移入手続では1か月以内)現地の適当な機関において必要な訓練をすべきこととされていたものの,実際に現地でどのような訓練がされたのか,あるいはされなかったのかについては,これを知る十分な証拠がない。 (イ)a 当時,日本は太平洋戦争遂行過程で保有する船舶の数が減り,いつ乗船できるか綿密な予定を立てることができなかったので,船待ち期間の予定が立たず,訓 ついては,これを知る十分な証拠がない。 (イ)a 当時,日本は太平洋戦争遂行過程で保有する船舶の数が減り,いつ乗船できるか綿密な予定を立てることができなかったので,船待ち期間の予定が立たず,訓練所での生活の期間もこれに左右され,計画的な訓練をすることはそもそも困難な状況にあった。 b 既述のとおり,移入された中国人労働者の中には,本邦上陸時点で既に健康を害している者も多く,そのことは,現地における待遇が相当に悪く,訓練どころではなかった事情を推測させる。 c① 一審原告ら及び第二次訴訟原告らの陳述録取書(甲41ないし49,85ないし88,91,113ないし116,167の1ないし32)には,一部に船待ち中に駆け足訓練をさせられた等の記載があるものの,その大半には組織的な訓練を受けたことを示す記載がない。 ② それどころか,大半の者は,乗船前には日本に行くことをきちんと知らされていなかったとの記載になっている。 ③ だとすると,その他の移入労働者も日本行きをきちんと知らされていなかった可能性が強く,そのような状態で適切な就労前訓練がされたとは考え難い。 d 外務省報告書中の「華人労務者移入・配置及送還表」(別表1はそのうち田川鉱業所や三池鉱業所の状況を抜き刷りしたもの。甲35-278頁以下)には,訓練地の記載のない移送集団が数多くある。 (ウ) 以上によれば,全体の状況として,日本に向かう前に現地で適切な訓練が行われたとは認め難い。 オ輸送(ア)a 既述のとおり,当時,日本は,船舶事情が逼迫していた。 b その結果,中国人労働者の輸送については,船待ちの予定がつかず,食糧その他の準備が不十分のまま急きょ乗船せざるを得なくなったり,逆に,予定以上に船待ちをして,乗船前から備蓄食糧が不足してしまったりすることがままあった。 ( 送については,船待ちの予定がつかず,食糧その他の準備が不十分のまま急きょ乗船せざるを得なくなったり,逆に,予定以上に船待ちをして,乗船前から備蓄食糧が不足してしまったりすることがままあった。 (イ)a 公海はすべて戦場であり,航海は大変な危険を伴ったことから,輸送期間も見通しが立たず,一応は10日以内の航海が予定され,速いものでは4日で日本に到着した船もあったが,集団輸送169件中,48件は10日から19日の航海を要し,20日以上かかったものが6件,30日以上かかったものも3件あり,最高で39日を要した。 b 長期間の航海はそれ自体が中国人労働者の健康に悪影響を与えたほか,そのような船舶では,航海途中に飲料水や食糧が欠乏することが度々あった。 (ウ) そのほか,通常の航海においても,慢性的な食糧事情の悪さ(ないしは中国人軽視)から,食糧,特に白麺には,砂のような不純物が混入することがあった。 (エ)a 航海には本来客船を使用することが予定されていたが,大陸からは,石炭,塩等多量の原料を輸入しており,その要請も充足する必要があった。 b そこで,航海には貨物船が利用されることも多く,その場合には,移入労働者は長期間,船倉内の石炭,塩,鉱石等の上に寝起きしなければならず,衛生上多大の問題があった。 (オ) 最初のうちは船上輸送に医師の付添いがあったが,後半はその付添いもなくなった。 (カ) 中国人労働者は,上陸後直ちに配置先の事業場まで長時間汽車等による輸送を受けた。 (キ) 以上の諸事情から,輸送は中国人労働者の健康を大いに損ね,a 3万8935人の乗船人数に対し,船中において564人(1. 5%),事業場到着前において248人(0.6%),合計812人が死亡し,b 日本には到着したものの,その時点で既に健康を損ね,疾患を有 万8935人の乗船人数に対し,船中において564人(1. 5%),事業場到着前において248人(0.6%),合計812人が死亡し,b 日本には到着したものの,その時点で既に健康を損ね,疾患を有していたり,衰弱が甚だしい者も多く,事業場到着後3か月以内に死亡した者の数は2282人(5.86%)の多きを数えた。 (2) 配置事情ア 1943年(昭和18年)4月に最初の試験移入が行われて以来,輸送途上で死亡した者を含め,3万8935人の中国人労働者が,35事業者,135事業場に配置された。 イこれを,産業別業者,事業場及び移入業者別にみると次のとおりである。 業者数事業場数移入数鉱山業 15 47 16,368土木建築業 15 63 15,253造船業 4 4 1,215港湾荷役業 1 21 6,099合計 35 135 38,935ウ一審被告会社には,10の事業場に5517人の中国人労働者が配置され,その数は,日本港運業会に次ぎ,2番目に多かった。 (3) 就労事情ア中国人労働者は,先に認定したとおり,鉱業会社,土建会社,造船会社及び港運業界に配置されたが,一部の経験者を除き,その作業内容は,物の運搬その他土木補助的労務が大部分であった。 イ元来の素質に輸送途中の疲労が加わり,事業場到着時には,疾病を有していたり,虚弱となって就労に耐え得なくなった者も多く,実際の就労人員は約74%にとどまった。 ウ平均在留日数は271日であるが,疾病その他により就労できな 労が加わり,事業場到着時には,疾病を有していたり,虚弱となって就労に耐え得なくなった者も多く,実際の就労人員は約74%にとどまった。 ウ平均在留日数は271日であるが,疾病その他により就労できない期間も多く,平均実労働日数は217日で,稼働日数も約80%にとどまった。 (4) 処遇の実情ア各事業場から提出された事業場報告書は,作成された経緯を反映して保身的な内容のものが多く,これをまとめた外務省報告書の内容は,すべてを真実と認められるかどうかは疑わしい。 イしかし,外務省報告書によっても,実際の処遇は,次のとおりであり,その実情は,処遇に当たっては,中国人労働者の民族性,慣行を十分尊重する,労働条件については日本人及び朝鮮人と差異を生じることがないよう平等に取り扱うという本来予定された理念(2(3)ア参照)とは相当にかけ離れたものであった。 (ア) 食糧a 戦時下においては,日本国内全体において食糧その他諸物資が不足していた。 b 中国人労働者には,平均して1日2500キロカロリー前後が支給されたとみられるが,食用油,獣肉の支給の点を含めて考えれば,中国人の通常食としては,十分ということはできず,重筋労働を行う労働者に対するものとしても到底足りないものであった。 c 冬季には生鮮野菜が不足し,ビタミン類の欠乏を招く傾向がみられた。 d ごく一部には,食糧の横流しにより栄養状態に支障を生じた事例もあった。 (イ) 衣料衣料の支給も十分とはいえず,地下足袋等の支給が遅れたことにより,凍傷にかかる者があった。 (ウ) 住宅a 宿舎は,中国人労働者のために特設したものが多く,135事業場のうち67を占めたが,それまであった宿舎を改造,転用した例もあった。 b 居室は1人当たり平均0.63坪で,畳敷のものが45 住宅a 宿舎は,中国人労働者のために特設したものが多く,135事業場のうち67を占めたが,それまであった宿舎を改造,転用した例もあった。 b 居室は1人当たり平均0.63坪で,畳敷のものが45%,アンペラ敷のものが27%,その他ゴザ敷,板敷のものがあった。 c しかし,逃走防止のため,窓等は少なく,通風採光は十分とはいえず,移入労働者が現地で暮らしていた当時の住居と比べると悪いとはいえないものの,全体として設備は十分ともいい難かった。 (エ) 医療衛生a 戦時下で全般に医師,薬品その他衛生材料が不足がちであったが,附属病院や専門の医師がいる事業場もあり,設備としては,大きな問題はなかった。 b ただし,現実にどの程度医師の診療を受けていたかとなると,死亡者数に比して受診者数が極めて少ない事業場もあり,医療に対する事業場側の措置に問題がないとまではいうことができないものであった。 (オ) 労働時間1日当たり平均9ないし10時間の事業場もあったが,実労働時間はおおむね7時間以内であり,時間に関しては,無茶な労働強制はなかった。 (カ) 指導取締りa 敵国人を使用するという性質上,防諜及び逃走防止の観点から,2(3)イに従い,厳重な取締りが行われた。 b 外務省報告書には戦後になると多くの事業場でそれまでの不満等を原因として暴動が多発したことが報告されている。これからすれば,戦前,警察当局は相当峻厳に取締りを行ったこと,各事業場でも厳しい指導,生活規制が行われたことが推測される。 (キ) その他a 末端においては,中国人責任者に私刑を行わせたり,食糧その他の支給品を減配,横流しする等,不正常な事態も散見された。 b 異民族の労働者を取り扱うことに不慣れであったこと等から,関係が適切を欠き,それが原因で虐待等が行われた事例も を行わせたり,食糧その他の支給品を減配,横流しする等,不正常な事態も散見された。 b 異民族の労働者を取り扱うことに不慣れであったこと等から,関係が適切を欠き,それが原因で虐待等が行われた事例もあった。 c 概して,中国人労働者には処遇についての不満が大きく,どの事業場でも逃亡は何度も起こっており,秋田の花岡鉱山では,日頃の取扱いへの不満が爆発し,数十名が監視者を殺害の上,集団で逃走する等,戦時中でも集団的な暴動,紛争に発展した事例(以下「花岡事件」という。)もあった。 (5) 死亡と疾病に関する事情ア死亡人数供出された中国人労働者の総数は3万8935人であったが,そのうち,812人が事業場に到着するまで,5999人が事業場において,19人が終戦後送還前に死亡した(総計6830人)。これは移入中国人労働者総数の17.5%を占めている。平均在留日数がわずか271日であること,移入された労働者の中心は20代ないし30代の青年男子であったことを考えると,これは相当に高い数値である。 イ供出機関との関連(ア) 供出機関別では,華中の日華労務協会からの自由募集により来日した労働者の死亡率が24.4%と最も高い死亡率を示している。そのほかはおおむね5%前後であり,唯一,華北労工協会のみが18. 3%と高い死亡率となっている。 (イ) ところで,日華労務協会から供出された者の死亡はその大半(87.36%)が事業場到着後3か月経過後の死亡であるから,これは事業場の側に問題があるというべきであり,死亡に同協会の労働者選別の在り方ないし輸送前の待遇がかかわっていたとは考え難い。 (ウ) これに対し,華北労務協会から供出された労働者は,輸送中ないし事業場到着後3か月以内の死亡者が他の供出機関の者に比べて圧倒的に多い。具体的には,事業場 の待遇がかかわっていたとは考え難い。 (ウ) これに対し,華北労務協会から供出された労働者は,輸送中ないし事業場到着後3か月以内の死亡者が他の供出機関の者に比べて圧倒的に多い。具体的には,事業場到着前の死亡者は合計812人であるが,そのうち華北労工協会からの供出者は804人であり,事業場到着後3か月以内の死亡者は合計2282人であるが,そのうち華北労工協会からの供出者は2211人である。 (エ) なお,華北労工協会から供出された者のうちでも,供出方法別では行政供出の者に,供出時期としては1944年後半以降に供出された者に,年齢別では中年以上の者に,死亡率が高い傾向が認められた。 (オ) 以上によれば,華北労工協会からの供出,特に,1944年後半以降の行政供出は,一定数の供出を確保するため,労働者の素質を十分検討せずにとかく頭数をそろえたり,乗船前の待遇も適切を欠く等,相当問題があったことが窺われる。 ウ死亡原因(ア) 総死亡者数6830人のうち,疾病死は6434人(94.2%),傷害死は322人(4.7%),その他自殺者が41人及び他殺者が33人であった。疾病死中,船中において死亡し,病名不詳の者は583人,一般疾病による者は3889人,伝染病又は伝染性疾患による者は1962人であった。 (イ)a これを病種別に見ると,一般疾病においてはほとんど呼吸器病及び消化器病であって,前者は1271人,後者は1180人である。呼吸器病中では肺炎が圧倒的多数を占めて976人に上り,気管支炎が187人でこれに次ぎ,消化器病は胃炎及び腸炎が954人である。伝染病又は伝染性疾患では大腸カタルが最も多く662人,肺結核が360人,赤痢,敗血症,肺浸潤及び肋膜炎がこれに次いで多い。 b 以上によれば,疾病による死亡の原因は,生来の病気というよ 人である。伝染病又は伝染性疾患では大腸カタルが最も多く662人,肺結核が360人,赤痢,敗血症,肺浸潤及び肋膜炎がこれに次いで多い。 b 以上によれば,疾病による死亡の原因は,生来の病気というよりは,疲労,衰弱及び衛生状態の不良がその原因であることが窺われる。 (ウ) 傷害死のうち,公傷死は267人,私傷死は55人である。公傷死のほとんどは,炭坑及び発電所の建設作業に従事していた者で,原因は落盤,落石,側壁崩壊及びガス爆発によるものが多かった。私傷死55人中35人は戦災死であって,渡船転覆の事故による者も10人を数えた。 エ疾病,傷害及び不具廃疾(ア) 員数輸送中又は事業所内において疾病を被った者の数は5万8954人(うち重症は4万4288人),傷害を負った者の数は6778人(うち重症は1448人),疾病又は傷害により不具廃疾となった者の数は467人である。 (イ) 内訳と不具廃疾の程度a 不具廃疾となった者のうちでは,失明が圧倒的に多く,217人を数え,46.4%を占めた。次いで,16.9%に当たる79人に視力障害が生じた。 b 肢指欠損又はその機能障害は合計162人を数え,34.6%に及んだ。そのうち,153人は全く労働能力を失い,残りの9人も過激な労働には耐えられないようになった。 (ウ) 評価平均在留日数がわずか271日であること,移入された労働者の中心は最も壮健な年齢層である20代ないし30代の青年男子であったことを考えると,当時の中国では衛生観念が日本より発達していなかったことを考慮しても,疾病,傷害及び不具廃疾者の数は相当に高い数値である。 (6) 送還に関する事情ア終戦前の送還(ア) 本格供出は1944年(昭和19年)から開始されたため,1年の契約期間で試験移入され,その期 病,傷害及び不具廃疾者の数は相当に高い数値である。 (6) 送還に関する事情ア終戦前の送還(ア) 本格供出は1944年(昭和19年)から開始されたため,1年の契約期間で試験移入され,その期間が満了した者が一部あるものの,契約期間の2年を満了した者はごく少なかった。 (イ) しかし,1年ないし2年の契約期間を終えた試験移入者についてもそのまま継続使用した例が多く,終戦前に期間満了により送還した集団は5つにとどまり,健康上の理由等で就労不能となった者を送還したのも1回にとどまった。 イ終戦後の送還(ア) 戦争終結日本は,1945年(昭和20年)8月14日,ポツダム宣言を受諾し,翌15日,太平洋戦争は終結した。 (イ) 華人労務者の取扱いの件日本政府は,同月17日,内務省主管防諜委員会幹事会を開き,中国人労働者全員を帰国させることを基本方針とする「華人労務者の取扱の件」を決定し,一審被告会社を含む135の事業主が中国人労働者に対して差し当たり採るべき措置を次のとおり定めた(甲35-393頁)。 a 作業続行を中止し,現在地において保護収容する。 b 中国人労働者に対して,契約による賃金,衣食を給し,可及的に処遇改善を図る。 c 中国人労働者に対する危害,暴行を厳に戒め,傷病者の看護に意を用いる。 d 犯罪容疑をもって留置取調中の者は釈放する。 e 食糧も,米,油,肉を支給するなど改善に努める。 (ウ) 戦後における送還中国人労働者は,同年10月ころから,新潟,博多,室蘭,長崎等の港を出発地として,日本船により1万0924人が,米軍の上陸用船艇により1万9686人が,集団で中国に送還され,127人が個人で帰国した。 その結果,同年12月7日までには集団送還が終わり,翌1946年1月末には個人送還も完了した。 ウ残留 軍の上陸用船艇により1万9686人が,集団で中国に送還され,127人が個人で帰国した。 その結果,同年12月7日までには集団送還が終わり,翌1946年1月末には個人送還も完了した。 ウ残留者1946年2月末時点でなお日本に残留している中国人労働者は188人であった。うち100人は入院やその付添い,希望残留等であったが,88人は途中で逃亡した者等であり,その所在が不明であった(その中に,後記する(第5の2(2)参照)Fがいた。)。 エ賃金等について(ア) 華人労務者帰国取扱要領日本国政府は,終戦後間もなく,「華人労務者帰国取扱要領」(甲35-369頁以下)を策定し,帰国する中国人労働者の労働条件に関する各事業場の義務等について,次のとおり定めた。 a 契約期間と休業手当① 1945年8月15日現在の雇用主は労働者が帰国するまで雇用契約を継続し,この間の給与は従前どおり支給する。 ② 就労しない場合の休業手当は,上記同日前3か月間の平均月収に相当する額の6割以上(その日額が3円に達しないときは3円)とする。この休業手当については国家補償の方途を講じることもある。 b 賃金等に関する雇用主の義務① 帰国に際して,雇用主は契約上の義務を完全に履行し,保管中の貯金の返還その他の清算を完結する。 ② 雇用主は,契約上の義務を履行するほか,手当,賞与など可及的に優遇の方途を講じる。 ③ 給与の支給に当たっては,可及的に現物によるよう努める。 c 持参金に関する措置① 帰国に際し持参金は換金を行う。 ② 貨幣換算率は,北支では51倍,中支では71倍とし,上陸地において指定銀行で両替をすることができる。 d 監査上記各事項の実施につ 金に関する措置① 帰国に際し持参金は換金を行う。 ② 貨幣換算率は,北支では51倍,中支では71倍とし,上陸地において指定銀行で両替をすることができる。 d 監査上記各事項の実施については,外務省,内務省,厚生省,運輸省,華北労工協会などが必要な監査を行なう。 (イ) 華人労務者送金要綱日本政府は,さらに,具体的な持参金の送金要領につき,次のとおり「華人労務者送金要綱」(甲35-373頁以下)を策定した。 a 中国人労働者の持帰金は,雇用主が一括して所属統制会あてに送金する。 b 統制会は,送金を受けた金額を正金銀行で?銀券建送金為替に組み,為替受取人を北京日本大使館あてとし,その為替を中国人労働者が帰国する船に同行する監督者に持参させる。 c 雇用主に自己の持帰金を預けた個々の中国人労働者は,下船後正金銀行天津支店に行き,雇用主より受取った預金預証を提出し,邦貨の51倍に該当する額面の?銀券を受け取ることができる。 (ウ) 持参金処理方針の変更しかし,「華人労務者送金要綱」は,1945年10月20日,連合国最高司令部の指示により,次のとおり変更された(甲35-377頁)。 a 中国人労働者の持帰金は,一人当たり1000円を限度とする。 b 現地通貨との換算率は,?銀券については日本円と等価とする。 c 1000円の限度額を超える金額については,日本政府が責任をもって保管に当たることとし,出港地の海運局がその任に当たる。 d 中国人労働者には,1000円を超過する金額について,各人あてに保管証を交付する。 (エ) 実際の措置本件全証拠によるも,賃金が支払われたかどうか,支払われたとしてどのような方法で支払われたか,支払われたにもかかわらず,中国人労働者に渡らなかった場合は,それが中国側の事情によるものか,日本の雇用 本件全証拠によるも,賃金が支払われたかどうか,支払われたとしてどのような方法で支払われたか,支払われたにもかかわらず,中国人労働者に渡らなかった場合は,それが中国側の事情によるものか,日本の雇用主側の事情によるものか,不明である。 4 一審原告らが来日した経緯等(甲33の1ないし5,34の1の1・2,34の2,35,41ないし49,B〔1〕・C〔3〕・D〔4〕及びE〔10〕各本人)(1) 一審被告会社(本件で問題となる田川鉱業所及び三池鉱業所)と華北労工協会との契約ア試験移入について(ア) 試験移入については,田川鉱業所がその対象の一つとなった。 (イ) 一審被告会社は,1943年(昭和18年)6月18日,華北労工協会との間で,次の内容の契約を締結した。 a 供出人員隊長1名,副隊長1名,労働者210名の合計212名とする。 b 供出方法華北労工協会において,石門教習所に在留中の者から適格者を選抜する。 c 引渡し同月20日,塘沽において引き渡す。 d 供出及び輸送にかかる経費一審被告会社の負担とする。 e 使用条件① 契約期間事業場到着後2年間とする。 ② 賃金訓練期間(最初の6か月間)は1日当たり1円とし,その後は出来高払いとする。ただし,就業1日につき1円を最低保障とする。 ③ 労働時間日本人と同じとする。 f 到着後の訓練到着後6か月間は訓練期間とし,特に最初の1か月間は坑内作業を行わず,生活指導,日本語訓練,現場教育等に充てる。 g 外出最初の3か月間は認めず,4か月目から集団的に引率者を付して外出を認める。 h 送還田川鉱業所が責任者を付けて実施し,塘沽において現地機関に引き渡す。 イ本 場教育等に充てる。 g 外出最初の3か月間は認めず,4か月目から集団的に引率者を付して外出を認める。 h 送還田川鉱業所が責任者を付けて実施し,塘沽において現地機関に引き渡す。 イ本格移入について(ア) 一審被告会社は,本格移入に際して,北海道及び九州において10の事業所で中国人労働者の移入を受け入れた。 (イ) そのうち,本件と関係する田川鉱業所と三池鉱業所については,田川鉱業所が1944年(昭和19年)5月5日及び同年7月21日,三池鉱業所が同年4月25日,それぞれ華北労工協会との間で,おおむね次の内容の契約を締結した。 a 供出方法華北労工協会において,適格者を選抜する。 b 引渡し中国国内の集結地において引き渡す。 c 供出及び輸送にかかる経費一審被告会社の負担とする。 d 使用条件① 契約期間事業場到着後2年間とする。 ② 賃金訓練期間(最初の3か月間。田川鉱業所では1か月間)は1日当たり2円とし,その後は5円及び出来高払い(田川鉱業所では5円又は出来高払い)とする。 ③ 労働時間日本人と同じとする。 e 到着後の訓練訓練期間は,生活指導,日本語訓練,現場教育等に充てる。 f 外出最初の1か月間は認めず,2か月目から集団的に引率者を付して外出を認める。 g 送還一審被告会社が責任者を付けて実施する。 (2) 田川鉱業所と三池鉱業所に対する供出の実態田川鉱業所と三池鉱業所に供出された労働者の人数と来日時期,在留中の死亡等に関する事情等は,別表1の「一審被告会社の九州内事業所関係中国人労働者移入・配置・送還表」のとおりであるが,その概要は次のとおり 業所と三池鉱業所に供出された労働者の人数と来日時期,在留中の死亡等に関する事情等は,別表1の「一審被告会社の九州内事業所関係中国人労働者移入・配置・送還表」のとおりであるが,その概要は次のとおりである。 ア供出機関・供出方法・移入数(ア) 供出機関と供出方法田川鉱業所と三池鉱業所に供出された中国人労働者は,すべて,上記(1)の契約に基づき,華北労工協会が供出機関となって,行政供出又は訓練生供出の方法により行われた。 (イ) 供出人数田川第二坑に対してが372人,田川第三坑に対してが297人,三池宮浦坑に対してが574人,三池萬田坑に対してが1907人であった。 イ移入時期,訓練地,乗船地及び上陸地等(ア) 田川鉱業所と三池鉱業所に移入された中国人労働者の中国国内における集結地(訓練地),乗船地,出港日,上陸地及び上陸人数は別表1のとおりである(甲35-307頁)。同表からも明らかなとおり,三池鉱業所へ配属された労働者は,中国国内においては訓練地さえ決められていないから,いきなり塘沽へ集められたのではないかと推測される。 (イ) 田川鉱業所と三池鉱業所に移入された中国人労働者は,すべて塘沽を出港して門司に到着しており,この間航海におおむね10日前後を要しているが,中には1か月近くを要したものもある。 (ウ) 出港して事業場に着くまでの間に,110人が船中等で死亡した。 (エ) その結果,実際に受け入れた労働者の数は,田川第二坑が371人,田川第三坑が297人,三池宮浦坑が570人,三池萬田坑が1802人の合計3040人にとどまった。 (オ) なお,三池萬田坑で受け入れた労働者のうち694人は,事業場到着後直ちに,三池四山坑に転出した。 (3) 一審原告らの来日の経緯等ア概観一審原告らが来日した時期とその とどまった。 (オ) なお,三池萬田坑で受け入れた労働者のうち694人は,事業場到着後直ちに,三池四山坑に転出した。 (3) 一審原告らの来日の経緯等ア概観一審原告らが来日した時期とその経緯は,別表2中の「来日の経緯一覧表」のとおりである。 イ来日の経緯に関する具体的な事情(ア) B〔1〕は,八路軍の活動をしていて,日本の意向を体した中国人の武装団体に拘束された。 (イ) G〔5〕とH〔7〕の2人は,突然家に押し入ってきた日本兵に銃を突きつけられ,理由も行く先も告げられないまま,徐水県の焼酎工場ないし徐水駅に連れて行かれた。 (ウ) I〔12〕は,村の役人から国民党に入るよう勧められ,これを断ったことをきっかけに,何の説明も受けることなく,ライ水県の駅に連れて行かれた。 (エ) J〔13〕は,農作業中,日本の意向を体した約30人の銃を持った中国人の役人に,何の説明も受けることなく,ライ水県の駅に連れて行かれた。 (オ) その余の一審原告らは,いずれも,村の役人から,好条件の待遇を提示され,あるいは義務であると言われて,保定市の飛行場造り等中国国内での労働にいそしむつもりで村を出た。 (カ) 一審原告らのうちには,村を出る際,日本で働くことを聞かされていた者は一人もいない。 ウ日本で働くことについての承諾の有無(ア)aB〔1〕,G〔5〕,H〔7〕,I〔12〕及びJ〔13〕は,いずれも,上記のとおり,働くことを目的として村を離れたものではない。 b その余の一審原告らは,いずれも,中国国内で労働に従事するつもりで村を出た。 (イ) 日本に行くことになると聞かされた,ないし噂その他でこれを知ったのは,B〔1〕は集結地の石家庄(石門)において,I〔12〕は塘沽に向かう列車内で,C〔3〕,D〔4〕,K〔9〕,E〔10〕は塘 イ) 日本に行くことになると聞かされた,ないし噂その他でこれを知ったのは,B〔1〕は集結地の石家庄(石門)において,I〔12〕は塘沽に向かう列車内で,C〔3〕,D〔4〕,K〔9〕,E〔10〕は塘沽で船待ちをしているとき,その余の一審原告らはようやく日本に向かう船中においてである。 (ウ) しかも,日本へ向かう船に乗り込むまで,一審原告らは,いずれも,中国人警察官ないし日本兵の厳重な監視下にあり,逃亡しようとする者は,処罰の対象とされる等,自らの意思を行動に移すことはもちろん,表明することもできない環境にあった。 (エ) 上記諸事情を考えれば,一審原告らは,いずれも,塘沽等中国国内で華北労工協会の担当者から一審被告会社の担当者に引き渡された時点で,日本に行き,一審被告会社において炭鉱労働に従事することを承諾していたとは認め難い。 エ日本に向かう船に乗り込むまでの待遇(ア) 一審原告らは,直ちに塘沽に連れてこられたか,それまでにどこかの場所で収容生活を送ったかについては違いがあるが,いずれも,塘沽で,船待ちその他のため,一定期間収容所生活を送った。 (イ) 塘沽での生活は,いずれも,中国人警察官ないし日本兵が見張りをし,電流を通した鉄条網で囲まれた区域での拘束生活であり,逃亡しようとする者は,銃で撃たれたり,殴られたりした。 (ウ)a 塘沽では,滞在中に何人もの労働者が死亡した。 b 船中及び上陸後事業場到着前に110人もの労働者が死亡した。 c 何とか事業場に到着できた労働者のうちにも,健康を害した者が数多くいた。 d 以上によれば,塘沽での生活は,栄養,衛生,いずれの面でも適切を欠く,不十分なものであったと推認される。 5 一審原告らが田川鉱業所や三池鉱業所で受けた処遇及び従事した労働の実態(甲33の1ないし5,34の1の1・ 沽での生活は,栄養,衛生,いずれの面でも適切を欠く,不十分なものであったと推認される。 5 一審原告らが田川鉱業所や三池鉱業所で受けた処遇及び従事した労働の実態(甲33の1ないし5,34の1の1・2,34の2,35,41ないし49,61ないし67,70,74,75,80ないし83の各1・2,86ないし88,89の1・2,90,113ないし116,129,167の1ないし32,証人α,B〔1〕・C〔3〕・D〔4〕及びE〔10〕各本人)(1) 田川鉱業所及び三池鉱業所における処遇ア移入された中国人労働者の人数と年齢構成(ア) 田川鉱業所a 田川鉱業所では,別表1のとおり,第二坑には1943年7月と1944年7月の2次にわたり計371人,第三坑には1944年10月と同年11月の2次にわたり計297人の中国人労働者が事業場に到着し,労働に従事した。 b その年齢構成は,第二坑においては,16歳から47歳まで(平均年齢36歳),第三坑においては,13歳から60歳まで(平均年齢31歳)であった。 (イ) 三池鉱業所a 三池鉱業所では,別表1のとおり,1944年5月から1945年3月まで,6次にわたり,合計2372人の中国人労働者が事業場に到着し,労働に従事した。その内訳は,宮浦坑が570人,萬田坑が1802人,四山坑が694人(ただしすべて萬田坑から転入)である。 b 年齢は,13歳から61歳まで(平均年齢31.7歳)であった。 イ宿舎(ア) 田川鉱業所a 日本人住宅を改築し,あるいは,中国人労働者用に宿舎を新築して,1人当たり1.5畳(0.75坪)の広さの板張りの宿舎が提供された。木製の大きな二階建ての建物で,二段ベッドが部屋の両側にあった。 b 寝具としては,事業場報告書では,毛布又は代用アンペラ,ゴザ及び綿入れ布団上下2枚 0.75坪)の広さの板張りの宿舎が提供された。木製の大きな二階建ての建物で,二段ベッドが部屋の両側にあった。 b 寝具としては,事業場報告書では,毛布又は代用アンペラ,ゴザ及び綿入れ布団上下2枚を提供したとされているが,一審原告ら及び第二次訴訟原告らの陳述録取書の多くには,毛布と掛布団が提供されたのみで,板の上に直接寝たとの記載があり,事業場報告書の記載と一審原告ら及び第二次訴訟原告らの記憶とは一致していない。以上からすると,真実布団が上下2枚提供されたかは疑わしい。 c 宿舎は,日本人,朝鮮人の住宅とは区画を別にし,周りを板塀で囲われていた。玄関には監視室があり,常に監視されている状態であった。 (イ) 三池鉱業所a 宮浦坑と萬田坑については,従前あった宿舎を改築して中国人労働者用に提供され,四山坑では,中国人労働者を受け入れるに当たって,新たに宿舎が新築された。 b 労働者一人当たりの広さは,宮浦坑は0.6畳,萬田坑は0.38畳,四山坑は0.9畳で,日本人や朝鮮人の宿舎が1.5畳の広さであったのと比べるとかなり狭い構造となっていた。 c 宮浦坑と萬田坑は畳敷で,四山坑は板張りであった。 d 寝具は1人当たり1枚若しくは2枚が与えられたにとどまった。 e 周囲には2メートルを超える外柵が張り巡らされ,宿舎内には警察官が駐留する場所も設けられていた。 ウ食糧(ア) 事業場報告書によれば,少なくとも田川鉱業所では,作業面及び健康保持を考慮し,深甚の注意を払い,県当局等と連絡し,中国人用の特別配給として主食と食用油のあっせんに努力したので,食糧事情は日本人及び朝鮮人より良好であったとされている(甲34)。 (イ) 一審原告ら及び第二次訴訟原告らの陳述録取書によれば,食事の内容については,饅頭が2つ配られるだけであったとする者もあれば 糧事情は日本人及び朝鮮人より良好であったとされている(甲34)。 (イ) 一審原告ら及び第二次訴訟原告らの陳述録取書によれば,食事の内容については,饅頭が2つ配られるだけであったとする者もあれば,白湯のようなスープと漬け物がついていたとする者もあり,また,米のご飯を食べていたとする者もあって,その記憶は必ずしも一致していない。 (ウ) しかし,上記陳述録取書によれば,一審原告ら及び第二次訴訟原告らは,事情聴取をした訴訟代理人弁護士らに対し,一様に,日本における生活で何よりつらかったのは空腹であったこと,道端の野草を採ったり,ネズミを捕まえて食べたりする者があったこと,E〔10〕は自らもネズミを捕まえて食べたことがあることを述べ,見つかると,食事の量を減らされたり,殴られたりしたと語っている。 (エ) 当時は,日本人自身も十分に食糧を摂取することができなかった時代である。この時に中国人労働者のみが十分な栄養をとることができていたとは考え難い。 (オ) 既述したとおり,事業場報告書は作成の経緯からみて保身的傾向のあることを避け難い。 (カ) 以上によれば,事業場報告書の記載には保身的脚色があり,中国人労働者に与えられた食事は重筋労働に従事する者に対するものとしては十分ではなかった,少なくとも,中国人の慣習からすると十分ではなかったと推認するのが相当である。 エ衣料(ア) 事業場報告書によれば,作業服や支那服等を相当回数,十分に支給したことになっている(甲34)。 (イ) しかし,この点についても,一審原告ら及び第二次訴訟原告らの陳述録取書のほとんどには,作業衣,タオル,地下足袋等を1回支給されたのみであるとの記載があり,その記憶と事業場報告書の記載は内容を異にする。 (ウ) 客観的にみても,当時は日本人自身の衣料事情も貧しかったので とんどには,作業衣,タオル,地下足袋等を1回支給されたのみであるとの記載があり,その記憶と事業場報告書の記載は内容を異にする。 (ウ) 客観的にみても,当時は日本人自身の衣料事情も貧しかったのであるから,敵国の中国人に対し十分な衣料が提供されたとは考え難い。 (エ) 以上によれば,事業場報告書の記載には衣料に関する部分についても保身的脚色があり,中国人労働者に与えられた衣料品は十分でなかったと推認するのが相当である。 オ労働の内容とその実態(ア) 職種としては,坑内では,主として,採炭,掘進,仕繰に,坑外では炊事その他の雑役に使用された。 (イ) 職場は,日本人及び朝鮮人と厳密に区別され,坑内への移動及び宿舎への帰還には日本人の送迎がつき,中国人労働者と日本人の職制のみの職場で労働に従事した。 (ウ) 労働時間は,原則として三交代8時間勤務であったが,現実にはこれを超える労働時間となることもあった。 (エ)a 休日は,事業場報告書では毎月3,4日とされている。 b しかし,一審原告ら及び第二次訴訟原告らの陳述録取書の大半には,休みは正月を含め,全くなかったとの記載があり,B〔1〕,C〔3〕,D〔4〕及びE〔10〕は,それぞれ,本人尋問において同様のことを述べている。 c 以上からすると,現実の休みは事業場報告書の記載よりはかなり少なかったのではないかと推察される。 (オ) 日本人管理者との関係は,事業場報告書においても,作業熱心や言語不通のため些細なことで小紛争を惹起したとされており,一審原告ら及び第二次訴訟原告らの陳述録取書にはその多くに,何かあると殴られた等の記載があることにかんがみても,田川鉱業所及び三池鉱業所では,肉体的暴行を含め,日常的に不当な取扱いが横行していたと推認される。 カ賃金(ア) 賃金については,滞日中 に,何かあると殴られた等の記載があることにかんがみても,田川鉱業所及び三池鉱業所では,肉体的暴行を含め,日常的に不当な取扱いが横行していたと推認される。 カ賃金(ア) 賃金については,滞日中は全額積立金として事業場において保管することとし,消耗品は一審被告会社から支給されたため,終戦までは支払われていない。 (イ) 終戦後の持帰金等についての取扱いは3(6)エのとおりであるが,現実にどのように取り扱われたかについては,明確な証拠がなく,支払われたか否か,支払われたとしてどのような方法により支払われたか,少なくとも,大半の労働者は現実に賃金を取得していないが,それが中国側の事情によるものか,日本側の事情によるものかは証拠上明らかでない。 キ死亡者,傷病者の実態(ア) 田川鉱業所における死亡者a 田川鉱業所では,別表1のとおり,受入労働者668人中,26人(3.89%)が死亡した(甲34,35‐541頁)。 b 田川鉱業所で労働に従事した期間は,第1次受入れの134人は2年1か月,第2次受入れの237人は1年1か月,第3次受入れの179人は10か月,第4次受入れの118人は9か月にしかすぎないのであるから,その期間の長さを考えると,死亡率は極めて高い。 c 死因は,落盤等労働災害による者が5人,病死が20人,その他が1人であるが,病死の者でも入院して病院で治療中に死亡した者は9人しかおらず,しかもそのうちの4人は終戦後の死亡であるから,終戦までは,病気になっても,なかなか治療の対象としてもらえず,入院して治療を受けることとなったのはごくわずかであることが窺われる。 (イ) 三池鉱業所における死亡者a 三池鉱業所では,別表1のとおり,受入労働者2372人中,383人(16.15%)が死亡した(甲34,35‐542頁,543頁 くわずかであることが窺われる。 (イ) 三池鉱業所における死亡者a 三池鉱業所では,別表1のとおり,受入労働者2372人中,383人(16.15%)が死亡した(甲34,35‐542頁,543頁)。 b 三池鉱業所で労働に従事した期間は,宮浦坑第1次受入れの231人は1年3か月,第2次受入れの339人は10か月,萬田坑第1次受入れの412人は1年3か月,第2次受入れの551人(四山坑への転出者272人を含む)は6か月,第3次受入れの538人(四山坑への転出者273人を含む)は5か月,第4次受入れの301人(四山坑への転出者149人を含む)は5か月にしかすぎないのであるから,その期間の長さを考えると,死亡率は極めて高い。 c 死因は,落盤その他労働災害による者が68人,病死が315人である。 (ウ) 公傷(甲35の630頁,514頁)a 田川鉱業所では,落盤その他の公傷により,19人が重傷を,191人が軽傷を負った。 b 三池鉱業所では,同じく,124人が重傷を,161人が軽傷を負った。 c そして,田川鉱業所では3人が,三池鉱業所では26人が肢指欠損その他の機能障害を負い,不具廃疾となった。 d これも上記実質的な労働期間からすると,極めて高い数字である。 ク終戦後における不満の爆発田川鉱業所,三池鉱業所のいずれにおいても,終戦後は,中国人労働者の不満が一気に爆発した。その結果,紛争が多発し,一部では戦勝気分も手伝ってか,集団的な略奪事件も発生した。 (2) 一審原告らの具体的な就労状況と処遇状況ア配属地と労働期間一審原告らの具体的な配属先と実際に労働に従事した期間は,「処遇状況一覧表」(別表3)のとおりである。 (ア) B〔1〕は,試験移入により,1943年7月11日から田川第二坑で働いた 原告らの具体的な配属先と実際に労働に従事した期間は,「処遇状況一覧表」(別表3)のとおりである。 (ア) B〔1〕は,試験移入により,1943年7月11日から田川第二坑で働いた。本来の契約期間は2年であったが,これを超えて1945年8月24日まで労働に従事したので,労働期間は,約2年1か月である。 (イ) L〔2〕,C〔3〕及びA〔15〕は,田川第三坑において,1944年11月19日から1945年8月24日まで労働に従事した。その労働期間は,約9か月である。 (ウ) D〔4〕,G〔5〕,H〔7〕,M〔8〕及びK〔9〕は,萬田坑において,1944年5月16日から1945年8月24日まで労働に従事した。その労働期間は,約1年3か月である(M〔8〕については甲34の2中の名簿に該当する名前がないが,出身地,年齢,名前の近似性,船が途中大連に1泊したとの記憶が他の同時期に来日した一審原告らの記憶と一致すること及び弁論の全趣旨〔当審第9回口頭弁論期日における意見陳述〕からみて,同名簿中のM’がこれに当たると認められる。)。 (エ) E〔10〕,・N〔11〕及び・O〔14〕は,宮浦坑において,1944年5月26日から1945年8月24日まで労働に従事した。その労働期間は,約1年3か月である。 (オ) J〔13〕は,宮浦坑において,1944年10月30日から1945年8月24日まで労働に従事した。その労働期間は,約10か月である。 (カ) P〔6〕とI〔12〕は,甲34の1の1・2及び34の2のいずれの名簿中にも該当する名前がないが,いずれも,日本に連れてこられた経緯及び働いた場所が三池鉱業所であるということについては鮮烈な記憶を有しており,日本で受けた処遇についての記憶も,他の三池鉱業所で働いた一審原告ら及び第二次訴訟原告ら ずれも,日本に連れてこられた経緯及び働いた場所が三池鉱業所であるということについては鮮烈な記憶を有しており,日本で受けた処遇についての記憶も,他の三池鉱業所で働いた一審原告ら及び第二次訴訟原告らのそれとおおむね一致しているから,具体的な就業場所と労働に従事した期間は特定できないものの,三池鉱業所において一定期間働いたことが認められる。 イ宿舎,食糧,衣料(ア) 宿舎,食糧及び衣料について一審原告らの受けた処遇の具体的な状況は,別表3の該当欄に記載のとおりである。 (イ) その記憶は,細かな部分では食い違っているが,おおむね(1)イないしエで認定したとおりである。 (ウ) 特徴的であるのは,全員が口をそろえて,空腹が一番耐え難かったと述べていることである。 ウ労働(ア) 一審原告らは,事業場到着後数日間ないし20日間,道具の名前と使い方を教えられた。 (イ) その後,体力,年齢等により,採炭,掘進,坑道ないし炭車の修理,維持作業に従事させられた。 (ウ) 一部昼間のみ労働する者もあったようであるが,大半の者は三交代8時間労働であった。 (エ) 休日については,一審原告ら及び第二次訴訟原告らの陳述録取書中には,休日は正月も含めて全くなかったとするものもあるが,何人かは,10日おきくらいに休みがあったとしている。三交代の勤務が休みなしに行い得るとは解し難いことからすると,1か月に3日程度の休みはあったのではないかと推察される。 (オ) 作業は,日本人職制の指導,監督のもとに行われたが,意思疎通が不十分で,うまくいかなかったり,目標の仕事を達成できなかったときには,殴られたり,蹴られたりの暴行を受けることがあった。殊に,E〔10〕はナタあるいはこれに類する工事用具で殴りつけられて右足大腿骨を骨折し,今でもその後遺症が残 目標の仕事を達成できなかったときには,殴られたり,蹴られたりの暴行を受けることがあった。殊に,E〔10〕はナタあるいはこれに類する工事用具で殴りつけられて右足大腿骨を骨折し,今でもその後遺症が残っている。 (カ) 落盤でけがをした者も多く,H〔7〕と・O〔14〕は手術まで受けた。 エ賃金等(ア) 就労中に支給を受けた者はいない。 (イ) 帰国後1万元の支給を受けたとする者があるが,全員ではなく,これが賃金か,それとも中華民国政府ないし国民党からの支給金かは証拠上明らかでない。 (3) 稼働の停止と帰国ア 1945年8月24日,田川鉱業所及び三池鉱業所では,関係官庁から中国人労働者の稼働停止の指示を受け,直ちに,一審原告らの就労を停止した。 イ同年11月22日,一審原告らは,各事業場を出発し,同月24日,故郷へ帰るべく,日本を出国した(P〔6〕とI〔12〕は名簿に記載がないので,証拠上明確でないが,二人だけが別の扱いを受けたとは考えられず,同時期に事業場を出発し,出国したと認められる。)。 6 企業に対する国家補償(甲33の1ないし5,34の1の1・2,34の2,35,40)(1) 全体像中国人労働者を受け入れた事業場は,就労の成果が上がらなかった,戦後仕事を中止してから帰国するまでの間の中国人労働者に対する休業補償に多額の費用を要した,戦後中国人労働者による紛争事件が相次ぎ,施設その他に損害が生じた等として,国に対して国家補償を要求し,国もその要望を一部受け入れる措置を執ることとした。 (2) 一審被告会社の受領額一審被告会社は,この措置に基づき,田川鉱業所に関して97万6631円,三池鉱業所に関し360万8619円の支給を受け,その余の事業所を合わせ合計774万5206円の国家補償を受けた。 第4 前提となる基 告会社は,この措置に基づき,田川鉱業所に関して97万6631円,三池鉱業所に関し360万8619円の支給を受け,その余の事業所を合わせ合計774万5206円の国家補償を受けた。 第4 前提となる基本的事実(2){戦時下における軍需会社を巡る経済法制と労働法制}当事者間に争いのない事実,公知の事実並びに甲52の2,76,78,79,92ないし94,101ないし103,120ないし128,135,乙ロ15ないし20及び弁論の全趣旨によれば,戦時下の経済情勢,軍需会社を巡る経済法制,労働法制として,次のとおり認められる。 1 日本経済の疲弊満州事変以来,日本は大陸へ進出したが,戦争遂行のため,経済は著しく軍需産業偏重となり,アメリカ及びイギリスの対日禁輸措置等もあって,経済,特に一般の消費経済は疲弊の度合いを強めた。 2 国家総動員法(1) 1938年(昭和13年)5月5日,被控訴人国は,国家総動員法を施行し,次のとおり定めて,国防目定達成のために国の全力を発揮し得るよう,国家総動員体制をとって人的,物的資源を統制,運用することとした。 ア 「政府は…国家総動員上必要あるときは勅令の定むる所に依り帝国臣民を徴用して総動員業務に従事せしむること」ができる(4条)。 イ 「政府は…国家総動員上必要あるときは勅令の定むる所に依り従業者の使用,雇入若は解雇,就職,従業若は退職又は賃金,給料其の他の従業条件」について必要な命令をすることができる(6条。ただし,昭和16年法律19号による改正後のもの)。 ウ 「政府は…国家総動員上必要あるときは勅令の定むる所に依り総動員業務たる事業に属する工場,事業場,船舶その他の施設…の全部又は一部を管理,使用又は収用すること」ができる(13条1項)。 (2) なお,石炭は総動員物資であるとされ,一審被告会社も同 所に依り総動員業務たる事業に属する工場,事業場,船舶その他の施設…の全部又は一部を管理,使用又は収用すること」ができる(13条1項)。 (2) なお,石炭は総動員物資であるとされ,一審被告会社も同法の適用を受けた。 3 国民徴用令1939年(昭和14年)7月15日,日本政府は,国家総動員法4条に基づき,国民徴用令を施行し,以後,毎年「国民労務動員計画」を作成して労働力不足に対処することとした。 4 重要事業場労務管理令(1) 1941年(昭和16年)2月24日,被控訴人国は,重要事業場における労務管理の指導,監督のため,国家総動員法6条に基づき,重要事業場労務管理令を定め,次のとおり定めた。 ア 「事業主は命令の定むる所に依り従業規則を作成し厚生大臣の認可を受け」なければならず,厚生大臣は必要があると認めるときにはその変更を命じることができる(4条)。 イ 「事業主は命令の定むる所に依り賃金規則,給料規則及昇給内規を作成し厚生大臣の認可を受け」なければならず,厚生大臣は必要があると認めるときにはその変更を命じることができる(10条)。 ウ 「厚生大臣は国家総動員法第31条の規定に基き重要事業場の労務管理の状況に関し事業主より報告を徴し又は当該官吏をして重要事業場…に臨検し帳簿書類を検査」させることができる(21条)。また,その前提として,重要事業場には労務管理官を置く(20条)。 (2) 一審被告会社の田川鉱業所と三池鉱業所は,いずれも重要事業場に指定されたので,両鉱業所においては,以後,労働条件の決定及び労務管理は被控訴人国が掌握することとなった。 (3) なお,日本国政府は,同令に基づき,鉄鋼,石炭,鉱山等の重要9業種について実質上のカルテルとして12の統制会を設立することとし,当該産業部門の企業にはこれに強制加入させるこ ることとなった。 (3) なお,日本国政府は,同令に基づき,鉄鋼,石炭,鉱山等の重要9業種について実質上のカルテルとして12の統制会を設立することとし,当該産業部門の企業にはこれに強制加入させることとしたが,石炭部門については,同年10月に石炭統制会を設立し,以後各企業への目標生産量の割当て,資材,労働力の配分や価格,利潤の決定を同統制会を通じて一元的に行った。 5 軍需会社法(1) 1942年(昭和17年)12月17日,被控訴人国は,軍需会社法を施行し,次のとおり定めて,経済の軍需化を一層進めるとともに,軍需会社に対する国の支配を強めた。 ア 「軍需事業に従事する者は国家総動員法により徴用せられたるものとみなす」(6条1項)。 イ(ア) 「軍需会社は命令の定むる所に依り生産責任者を選任」しなければならない(4条1項)。 (イ) 「生産責任者は本店…事業場における業務に関し生産担当者を任命すること」ができる(5条1項)。 (ウ) 生産担当者は政府に対して生産責任者の指示に従い担当業務遂行の責任を負う(5条2項)。 ウ 「政府は軍需会社に対し期限,規格,数量…を指定し軍需物資の生産,加工又は修理を命ずること」ができる(8条)。 エ 「政府は勅令の定むる所に依り…勤労管理…に関し必要なる命令を為すこと」ができる(10条)。その違反には罰則が伴う(23条)。 オ 「政府は勅令の定むる所に依り軍需会社に対し定款の変更…合併若は解散…其の他の処分に関し必要なる命令を為すこと」ができる(12条)。 カ 「軍需会社の業務執行,株主総会…其の他軍需会社の運営に関しては…勅令をもって別段の定を為すこと」ができる(14条)。 キ 「政府は軍需会社に対し監督上必要なる命令を発し又は処分を」することができる(16条)。 ク 「政府は軍需会社の業務及び財産の状 に関しては…勅令をもって別段の定を為すこと」ができる(14条)。 キ 「政府は軍需会社に対し監督上必要なる命令を発し又は処分を」することができる(16条)。 ク 「政府は軍需会社の業務及び財産の状況に関し報告を徴し又は当該官吏をして…帳簿書類,設備その他の物件を検査」させることができる(18条)。 ケ 「政府は…軍需会社の取締役若は監査役を解任し又は業務を執行する社員の業務執行権を喪失」させることができる(19条)。 (2) 1944年4月27日,一審被告会社は,軍需会社に指定され,同法の適用を受けた(一審原告ら及び一審被告会社は,いずれも,同月17日と主張するが,甲92,乙ロ20によれば,同月27日であると認められる。)。 6 労働者保護法制戦時下における経済法制は以上のとおりであるが,他方,次のとおり労働者保護法制もなおその効力を有していた。 (1) 労働者募集規則(1940年厚生省令第50号)(甲79)1940年(昭和15年)11月15日に制定された労働者募集規則は,違反者に刑罰を科すこととして,23条で次の行為を禁止していた。 ア事実を隠蔽し,誇大虚偽の言辞を弄し,その他不正の手段を用いること(2号)イ応募を強要すること(4号)ウ応募者の外出,通信若しくは面接を妨げ,その他応募者の自由を拘束したり,過酷な取扱いをすること(12号)エ応募者の所在を隠蔽したり,偽ったりすること(13号)(2) 強制労働禁止条約(甲52の2)ア被控訴人国は,ILOが1930年6月10日に採択したILO29号「強制労働禁止条約」に1932年10月15日批准,同年11月21日ILOに批准登録し,同条約は,同年12月6日公布され,同条約28条により批准登録から12か月後の1933年(昭和8年)11月21日発効した。 イ同条約は,2条 10月15日批准,同年11月21日ILOに批准登録し,同条約は,同年12月6日公布され,同条約28条により批准登録から12か月後の1933年(昭和8年)11月21日発効した。 イ同条約は,2条1項において,強制労働を「或者が処罰の脅威の下に強要せられ且右の者が自ら任意に申出でたるに非ざる一切の労務を謂ふ」と定義し,1条1項において,「本条約を批准する国際労働機関の各締盟国に能ふ限り最短き期間内に一切の形式に於ける強制労働の使用を廃止することを約す」と規定すると共に,25条において,「強制労働の不法なる強要は刑事犯罪として処罰せらるべく又法令に依り科せらるる刑罰が真に適当にして且厳格に実施せらるることを確保することは本条約を批准する締盟国の義務たるべし」と定めている。 第5 前提となる基本的事実(3){外務省報告書等の作成から公表に至る経緯及びこれに関する日本政府の対応}2に補足するほか,基本的な事実は原判決「事実及び理由」中の「第5 認定事実」中の「5 外務省報告書等の作成から公表に至る経緯及びこれに関する日本政府の対応」欄(62頁14行目から68頁10行目まで)のとおりであるから,これを引用する。 なお,1で原判決の認定事実を要約し,前記認定の事実に,当審で調べた書証(甲150ないし152,162及び163の1ないし60)を併せて,2に補足認定する。 1 原判決認定の要約(1) 外務省管理局は,連合国側からの戦犯追及に備えるために,中国人労働者が移入されるに至った経緯とその実情及び各事業場で実際に受けた処遇等について中国人労働者を就業させた135の事業所から事業場報告書を提出させ,調査員らによる現地調査報告の結果をまとめた現地調査報告書及び日本政府の関係資料を踏まえ,1946年(昭和21年)夏ころまでに,外務省報告書と を就業させた135の事業所から事業場報告書を提出させ,調査員らによる現地調査報告の結果をまとめた現地調査報告書及び日本政府の関係資料を踏まえ,1946年(昭和21年)夏ころまでに,外務省報告書として取りまとめた。 (2) 外務省報告書は,合計30部作成され,極秘扱いとされていたが,その後,外務省は,戦犯追及に備える必要性がなくなったと判断し,その基礎資料を含めすべて焼却した(ただし,この点に関しては,2で述べるとおり,1部だけは一定時期まで残されていた,あるいは現在も外務省に残されている可能性を否定できない。)。 (3)ア外務省報告書の作成に携わった調査員の幾人かは,将来,世に問うことがあるかもしれないと考え,外務省報告書及び事業場報告書を密かに持ち出し,1950年(昭和25年)ころ,東京華僑総会にその保管を委託した。 イ東京華僑総会は,その後,上記両報告書を公表することによって,本件にかかわった者が戦犯として追及されることや,日中間に新たな紛争が生じることを危惧し,公表を控えてきた。 (4)ア国会その他では,戦時中の中国人労働者の移入問題につき,表面的には殉難者慰霊や遺骨送還問題等の形をとりながら,中国人労働者の意思に基づかずに行われた強制連行・強制労働ではないか等の追求がなされた。 イ被控訴人国は,資料がないため詳細はつまびらかでないとしながらも,1993年(平成5年)5月までは一貫して,中国人労働者らの就労は自由な意思による雇用契約に基づくものであった旨の答弁を繰り返してきた。 (5) その後,外務省報告書等が東京華僑総会に保管されていることがNHK記者に明らかとなり,1993年(平成5年)5月17日,「クローズアップ現代」でスクープ報道され,同年8月14日,「NHKスペシャル」(甲2の1・2)において,外務省報告 保管されていることがNHK記者に明らかとなり,1993年(平成5年)5月17日,「クローズアップ現代」でスクープ報道され,同年8月14日,「NHKスペシャル」(甲2の1・2)において,外務省報告書の存在及びその内容について詳細な報道が行われた。 (6) そこで,外務省は,再度調査検討し,1994年6月22日,国会において外務省報告書の存在を公式に認め,中国人労働者の日本への移入が半強制的であったと評価する答弁を行った。そして,外務省報告書のコピーを外務省外交資料館において保管し,国民の閲覧に供することとした。 2 当審で調べた書証等により補足認定する事実(1) 遺骨送還問題ア日本に移入された中国人労働者3万8935人のうち,5999人は,事業場において死亡した(第3の3(5)ア参照)。 イそのうちのかなりの者については,遺骨がそのまま放置され,少なくとも故国である中国へ送還されていなかった。 ウ東京華僑総会等は,1950年(昭和25年)ころから,主として花岡事件の犠牲者の遺骨を送還するよう日本政府に要求する等してこの問題について運動を展開してきた。 エ 1953年(昭和28年)3月,日本赤十字社を含む15団体により,より広汎な運動を行うものとして,「中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会」が結成された。「殉難者」を「慰霊」するというのであるから,日本に来た労働者は被害を受けたものとの認識が背景にあると解される。 オ同月,中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会は,「花岡事件など中国人俘虜殉難事件の概要」と題する小冊子を発行し,中国人労働者は食事その他の処遇や労働の内容等で残虐な扱いを受けたとして問題にした。 カ(ア) 上記のとおり,遺骨送還運動は,単純な遺骨送還問題にとどまるものではなかった。 (イ) 日本政府は当初この問題に積極的でなかったが の処遇や労働の内容等で残虐な扱いを受けたとして問題にした。 カ(ア) 上記のとおり,遺骨送還運動は,単純な遺骨送還問題にとどまるものではなかった。 (イ) 日本政府は当初この問題に積極的でなかったが,世論の盛り上がりには配慮すべきものがあったほか,中国在留の日本人引き揚げ問題とも関連せざるを得なかった。 (ウ) 結局,種々経過はあったが,日本政府も一定程度この問題に取り組むこととなり,赤十字船により一定数の遺骨は現実に中華人民共和国に送還されることとなって,運動はそれなりの成果を上げた。 キ 1954年(昭和29年)2月,警察庁は,遺骨収集問題に関する内部資料を作成したが,同資料中には外務省報告書と同一内容の記載が多くみられることからすると,警察庁は公式か非公式かは別として,何らかの方法で外務省報告書の全部又は一部を入手し,その内容を了知していたと推認される。 (2) F事件ア 1958年(昭和33年)2月9日,北海道の山中で中国人のFが発見された。 イ同人は,戦時中,1942年閣議決定及び1944年次官会議決定に基づいて日本に移入され,明治鉱業株式会社昭和坑で働いていたが,終戦直前の1945年(昭和20年)7月ころ同坑を脱出し,その後,戦争が終結したことも知らず,13年間近く,山中で逃亡生活を続けてきた。 ウ(ア) 同人は,発見され,保護された後,支援団体の支援を受けて,日本軍に拉致されて連行されて来日し,その意思に基づかずに強制的に労働に従事せしめられたと主張して,被控訴人国に対して補償を要求した。 (イ) 被控訴人国は,この要求に対し,資料がないので詳細は明らかでないとしながらも,「Fは契約によって北海道で働いていたものである」との立場を崩さず,「気の毒であった」,「帰国後はゆっくり静養されたい」との官房長官談話を発表し 対し,資料がないので詳細は明らかでないとしながらも,「Fは契約によって北海道で働いていたものである」との立場を崩さず,「気の毒であった」,「帰国後はゆっくり静養されたい」との官房長官談話を発表し,見舞金は交付することとしたが,補償要求に応じることをしなかった。 エしかし,この問題をきっかけに,日本政府も,中国人労働者移入の問題を「調査する所存である」と答弁するようになった。 (3) 「遺骨調査」要求の高まりと日本政府(外務省)の対応ア(ア) Fの登場により,戦時中来日した中国人労働者は強制的に徴発され,その意思に基づかずに働かされていたのではないか,という議論はより現実味を帯び,遺骨送還運動は,再度盛り上がりを見せた。 (イ) 1958年3月12日,中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会その他の4団体が,政府に対し,外務省報告書が存在するはずである等として,これに基づき正確な殉難者の名簿を提示されたいとの要望を行った。 イ同年6月ころ,日本政府は,これに対応して,以後,厚生省が遺骨の調査・発掘業務を,外務省が慰霊・送還業務を行うことを決定した。 ウ厚生省は,上記職務分担に基づき,各都道府県に指示して実態調査等を行い,同年から翌59年にかけて遺骨の名簿等を作成した。 エ(ア) 中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会は,① 1960年(昭和35年)3月初旬ころ,恐らくは外務省報告書を基礎として,厚生省作成の名簿より正確な名簿を作成し,② 同月12日,内閣総理大臣あてに自らが作成した名簿を提示し,同年4月に慰霊祭を実施するので,その正確性を確認するよう求めるとともに,政府において更にこれを補充することを要望した。 (イ) 同委員会にかかわる国会議員の一部も,同名簿を国会に提出してその確認を求める姿勢をとった。 (ウ) これに対し,外務省は,国会 るとともに,政府において更にこれを補充することを要望した。 (イ) 同委員会にかかわる国会議員の一部も,同名簿を国会に提出してその確認を求める姿勢をとった。 (ウ) これに対し,外務省は,国会でこの問題が取り上げられることは中華人民共和国を刺激し,賠償問題にまで発展し兼ねないので,質問は行わないようにされたいと与党首脳に働きかける等,一定の工作をした。 オ(ア) 名簿確認は厚生省の所管であったが,その基礎資料は,外務省報告書であると考えられた。 (イ) 厚生省は,当時,外務省報告書を三分冊まで入手していたが,中国人俘虜殉難者慰霊実行委員会が作成したエ(ア)の名簿の詳細さからすると,同委員会は五分冊くらいまで外務省報告書を所持しているのではないかと推察されたので,外務省に対し,同報告書の存在につきどう答弁するのかを慎重に検討されたい旨を提言した。 カ(ア) 同年(昭和35年)3月17日,外務省は,オ(イ)の提言に応じ,中国課において,当時の担当課長β(以下「β課長」という。)から事情を聴取した。 (イ) β課長は,外務省報告書の作成経過等につき,次のとおり述べた。 a 同報告書は,1946年初め,中華民国の関係者が戦時中我が国で就労した中国人労働者の実情を調査するため来日するとの噂があったので,その場合に備えて管理局経済部大陸課で作成した。 b 華北労工協会の関係者も作業に参加した。 c 同報告書作成後間もなく,戦犯関係資料として使われるおそれが生じ,官民双方の関係者に影響が及ぶことが考えられたので,1部を除き,焼却した。 d 二世の米軍人が一度持ち出したことがあるが,その後返却を受けた。 (ウ) アジア局長は,(イ)を受け,以後,同報告書に関しては,次のとおり答弁することとしたいと方針を明らかにした。 a 外務省が同報告書を作 人が一度持ち出したことがあるが,その後返却を受けた。 (ウ) アジア局長は,(イ)を受け,以後,同報告書に関しては,次のとおり答弁することとしたいと方針を明らかにした。 a 外務省が同報告書を作成したことは事実である。 b その直後,戦犯問題に利用されるおそれが生じたので,中国人労働者を就労させた事業場の関係者等に迷惑がかかることを避けるため,全部焼却した。 c 現在,外務省には同報告書は1部も残っていない。 d したがって,部外に流出したとされる同報告書の真偽についてもこれを確認することはできない。 キ(ア) 上記経過を踏まえ,1960年(昭和35年)4月7日,内閣,厚生省及び外務省の関係者が一堂に会して,打合せ会が持たれた。 (イ) その席上,外務省からは,遺骨問題が国会等で表面化すると,中華人民共和国からの対日賠償要求の問題にまで発展し兼ねないとして,少なくとも当時開催中の国会終了までは政府が巻き込まれないよう手を尽くすべきであるとの希望が表明された。 (ウ) そこで,厚生省は,外務省の希望を勘案して,やむを得ない範囲内で情報を小出しにして矛先をかわしていくこととした。 ク上記議論の経過を踏まえ,(ア) 外務事務官(アジア局長)γは,同年5月3日,衆議院日米安全保障条約等特別委員会において,外務省には現在外務省報告書は1部も残っていないと答弁し(原判決66頁5行目から12行目までのとおり),(イ) 内閣総理大臣岸信介は,同月6日付けで,衆議院議長にあてて,「戦時中我が国に渡来した中国人労務者が,国際法上捕虜に該当する者であったか否かについては,当時の詳細な事情が必ずしも判明していないので,いずれとも断定し得ない」との答弁書を提出した(原判決66頁13行目から17行目までのとおり)。 第6 前提となる基本的事実(4 あったか否かについては,当時の詳細な事情が必ずしも判明していないので,いずれとも断定し得ない」との答弁書を提出した(原判決66頁13行目から17行目までのとおり)。 第6 前提となる基本的事実(4){戦後における日本と中華人民共和国及び中華民国との外交関係}甲142,166の1・2,168ないし170,171及び172の各1・2,乙ロ1,2並びに弁論の全趣旨によれば,次のとおり認められる。 1 中華人民共和国の建国と中華民国との関係(1) 日中戦争当時,いわゆる中国は,中華民国が正統性を有する国家としてこれを支配していた。 (2) しかし,中国国内では,日本がポツダム宣言を受諾し,中国大陸及び台湾島等から兵力を撤退した後,蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる共産党とが覇権を争い,1949年(昭和24年)10月1日には毛沢東らによって中華人民共和国の建国が宣言されて以後,両政権がそれぞれ正統性ある国家であると主張しあう状態が継続することとなった。 (3) 両政権は,いずれも,中国全体を代表する国家であると主張したが,上記同日の時点で,中華民国が実効的に支配をしているのは,台湾と澎湖列島だけにとどまり,大陸については,中華人民共和国がこれを実効的に支配していた。 2 サンフランシスコ平和条約の締結(1) 世界全体をみても,第二次世界大戦後,植民地の独立運動の発展と軌を一にして,東欧や朝鮮半島では社会主義国家の樹立が相次ぎ,アメリカを中心とするいわゆる西側諸国とソビエト社会主義共和国連邦(以下「ソ連」という。)を中心とする社会主義諸国とが対峙し,冷戦状態に入った。 (2) そのような情勢下,日本国内では,平和条約をどの国との間で締結するかを巡って,単独講和か全面講和かといった論点で議論が沸騰した。 (3) 日本政府は,最終的に,いわゆる全面講 状態に入った。 (2) そのような情勢下,日本国内では,平和条約をどの国との間で締結するかを巡って,単独講和か全面講和かといった論点で議論が沸騰した。 (3) 日本政府は,最終的に,いわゆる全面講和ではなく,単独講和の途を選ぶこととし,1951年(昭和26年)9月8日,第二次世界大戦における連合国(以下「連合国」という。)中の45か国との間で,日本との間の戦争状態を終了させ,日本の主権を完全に回復するとともに,領域,政治,経済並びに請求権及び財産などの問題を最終的に解決するため,サンフランシスコ平和条約を締結した。 (4) 同条約には,世界の有力国であるソ連は参加しなかったし,中国についても,中華民国と中華人民共和国のいずれが正統性を有する国家か,諸国の間で意見が分かれたので,そのいずれも,同条約締結に先だって開催されたいわゆるサンフランシスコ会議に招待されず,同条約の締約国とはならなかった。 (5) 同条約は,1952年(昭和27年)4月28日公布され,即日発効した。 3 サンフランシスコ平和条約の主な内容45か国との間で締結された同条約中,本件と関係する重要な部分の内容は次のとおりであった。 (1) 賠償を行う方向での条項ア日本国は,戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して,連合国に賠償を支払うべきことを承認する。同時に,日本には,すべての損害及び苦痛に対して完全な賠償を行いかつ同時に他の債務を履行するためには,その資源が充分でないことも併せて承認する(14条(a)柱書)。 イ日本国は,その領域が日本軍隊によって占領され,かつ,日本国によって損害を与えられた連合国が希望するときは,生産,沈船引揚げその他の作業における日本人の役務を当該連合国に供すること(いわゆる役務賠償)によって,与えた損害を修復する費用をこれらの国に 日本国によって損害を与えられた連合国が希望するときは,生産,沈船引揚げその他の作業における日本人の役務を当該連合国に供すること(いわゆる役務賠償)によって,与えた損害を修復する費用をこれらの国に補償することに資するために,当該連合国とすみやかに交渉を開始する(14条(a)1)。 ウ各連合国は,外交及び領事財産等,一定の例外を除き,各連合国がこの条約の最初の効力発生の時にその管轄下に有する日本国及び日本国民等の財産,権利及び利益等を差し押さえ,留置し,清算し,その他何らかの方法で処分する権利を有する(14条(a)2)。 エ日本国は,日本国の捕虜であった間に不当な苦難を被った連合国軍隊の構成員に対する償いをする願望の表現として,戦争中中立であった国又は連合国と戦争状態にあった国にある日本国及びその国民の資産又は,日本国が選択するときはこれと等価のものを赤十字国際委員会に引き渡すものとし,同委員会は,これを清算した結果生じた資金を捕虜であった者及びその家族のために,適当な国内機関に対して分配する(16条)。 (2) 請求権の行使を妨げる方向での条項他方,14条(b)は,「この条約に別段の定がある場合を除き,連合国は,連合国のすべての賠償請求権,戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する」と規定している。 (3) 日本国民の請求権について19条(a)は,「日本国は,戦争から生じ,又は戦争状態が存在したためにとられた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄する」と規定している。 (4) 中国との関係中国(中華人民共和国を指すのか,中華民国を指すのかについては解釈に疑義がある。)は,サンフ その国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄する」と規定している。 (4) 中国との関係中国(中華人民共和国を指すのか,中華民国を指すのかについては解釈に疑義がある。)は,サンフランシスコ平和条約の当事国とならなかったが,同条約14条(a)2の利益を受ける権利を有することとされた(21条)。 4 サンフランシスコ平和条約前後の中華人民共和国首脳の発言サンフランシスコ平和条約締結に際して開催されたサンフランシスコ会議に関し,中華人民共和国の周恩来首相兼外相は,「中華人民共和国中央人民政府は,日本が平和経済を健全に発展させ,また,中日両国間の正常な貿易関係を回復,発展させ,日本人民の生活が二度と戦争の脅威や損害を受けず,本当に改善されることのできる可能性があることを証明されることを望むものである。同時に,かつて日本に占領され,甚大な損害を被ったことがあり,しかも自力で回復することの困難な国々は,賠償を要求する権利を保有すべきものである」と述べた。また,同国政府は,外交部スポークスマンを通じて,「日本軍国主義者が,中国侵略戦争の期間中に,一千万人以上の中国国民を殺戮し,中国の公私の財産に数百億米ドルに上る損害を与え,また,何千何万もの中国人を捕らえて日本に連れて行き,奴隷のようにこき使ったり,殺害したりした。日本政府は,中国人民がその受けた大きな損害について,賠償を要求する権利を持っていることを理解すべきである」と表明した。 5 日華平和条約(1) 日本と中華民国は,1952年(昭和27年)4月28日(サンフランシスコ平和条約の発効日),両国間の戦争状態を終了させるため,日華平和条約を締結した。 (2) 同条約は,同年8月5日公布され,即日発効した。 (3) 同条約11条は,「この条約及びこれを補足する文書に別段の定が 約の発効日),両国間の戦争状態を終了させるため,日華平和条約を締結した。 (2) 同条約は,同年8月5日公布され,即日発効した。 (3) 同条約11条は,「この条約及びこれを補足する文書に別段の定がある場合を除く外,日本国と中華民国との間に戦争状態の存在の結果として生じた問題は,サンフランシスコ平和条約の相当規定に従って解決するものとする」と規定している。 (4) 同条約の附属交換公文には,「この条約の条項が,中華民国に関しては,中華民国政府の支配下に現にあり,又は今後入るすべての領域に適用がある」との記載がある。 6 日中共同声明(1) その後も,中国においては,台湾と澎湖列島を中華民国が,香港を除く大陸を中華人民共和国が実効的に支配し,それぞれが全土について主権を有する正当な国家であると主張しあい,世界情勢としても,一部の国は中華民国を正当な国家と認めて同国と国交を結び,また一部の国は,中華人民共和国を正当な国家と認めて同国と国交を結ぶという対立状態が続いた。 (2) 日本国政府は,その後,アメリカの対中国政策の転換等を受けて,中華人民共和国政府を中国を代表する唯一の合法政府であると承認し,1972年(昭和47年)9月29日,中華人民共和国政府とともに,日中共同声明に署名した。 (3) 同声明5項には,「中華人民共和国政府は,中日両国国民の友好のために,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」旨が記載されている。 7 日中平和友好条約(1) 日本と中華人民共和国は,その後,更に友好を深め,1978年(昭和53年)8月12日,日中平和友好条約に署名した。 (2) 同条約は,同年10月23日公布され,同日発効した。 (3) 同条約前文には,日中共同声明が両国間の平和友好関係の基礎となるものであること及び前記の共同声明に示 ,日中平和友好条約に署名した。 (2) 同条約は,同年10月23日公布され,同日発効した。 (3) 同条約前文には,日中共同声明が両国間の平和友好関係の基礎となるものであること及び前記の共同声明に示された諸原則が厳格に遵守されるべきことを確認するとされている。 8 中華人民共和国民の海外渡航の可否等について(1) 中華人民共和国には,従前,日本における出入国管理法に相当する法律がなく,同国民は,私事の理由によっては出国することができなかった。 (2)ア 1985年11月22日,中華人民共和国でも,公民出国入国管理法(甲166の1)が制定され,翌1986年(昭和61年)2月1日から施行されて,同国国民もようやく私事により出国することが可能となった。 イしかし,渡航の要件は厳しく,現在においても,同国国民は容易に出国を認められない状態がなお続いている。 第7 前提となる基本的事実(5){Aの死亡と相続}次の事実については,被控訴人国及び一審被告会社はいずれも特に争うことをしないので,弁論の全趣旨によりこれを認めることができる。 1 Aは,2002年(平成14年)10月22日死亡した。 2 Aの相続人は,妻であるA1〔15-1〕,子であるA2〔同-2〕,A3〔同-3〕,A4〔同-4〕及びA5〔同-5〕の5人である。 3 中華人民共和国相続法では,相続分は相続人全員が均分である。 4 A1〔15-1〕,A2〔同-2〕,A3〔同-3〕,A4〔同-4〕及びA5〔同-5〕の間では,Aの遺産につき,いまだ遺産分割の協議はされていない。 第8 争点次のとおりである。 1 責任原因(1) 戦前の不法行為責任(第9の1(1)参照)(2) 戦前の保護義務違反(同1(2)参照)(3) 戦後の保護義務違反(同1(3)参照)(4) 戦後の不法行為責任( とおりである。 1 責任原因(1) 戦前の不法行為責任(第9の1(1)参照)(2) 戦前の保護義務違反(同1(2)参照)(3) 戦後の保護義務違反(同1(3)参照)(4) 戦後の不法行為責任(同1(4)参照)ア共同不法行為となるものイ被控訴人国のみの単独不法行為となるもの 2 国家無答責の法理(同2参照。被控訴人国のみ主張) 3 時効と除斥期間(同3参照)(1) 1(1)に基づく損害賠償請求権の民法724条の期間経過による消滅ア前段(一審被告会社のみ主張)イ後段(2) 1(2)に基づく損害賠償請求権の時効消滅(一審被告会社のみ主張) 4 戦後処理を巡る諸問題(同4参照) 5 因果関係と損害(同5参照)(1) 賠償すべき損害額(2) 謝罪広告の当否第9 争点に関する当事者の主張争点に関する当事者の主張は,次のとおりである。 1 責任原因の有無(1) 戦前の不法行為責任(第8の1(1)参照)一審原告らを日本に移入し,一審被告会社において労働に従事せしめたこと及びその間の諸事情が被控訴人国と一審被告会社の共同不法行為を構成するか否かについて(一審原告ら)ア強制連行の事実と被控訴人国及び一審被告会社のこれへの関わり(ア)a 被控訴人国は,1942年閣議決定及び1944年次官会議決定に基づき,日本国内において軍需産業に従事させる目的で,一審原告らを,別表2中の「来日することとなった時期(年月)」欄の時期に,同表「来日することとなった経緯」欄の態様で,その意思に基づくことなく家族のもとを離れさせ,集結地及び塘沽で,同表「集結地での待遇とそこで過ごした期間等」欄及び「塘沽での待遇とそこで過ごした期間等」欄の処遇をした後,同表「乗船時期(年月日)」欄の時期に日本に向けて出航し,強制的に日本に連行した。 b① 表「集結地での待遇とそこで過ごした期間等」欄及び「塘沽での待遇とそこで過ごした期間等」欄の処遇をした後,同表「乗船時期(年月日)」欄の時期に日本に向けて出航し,強制的に日本に連行した。 b① そのうち,G〔5〕とH〔7〕の連行には,日本兵が直接関与した。 ② 被控訴人国は,その余の一審原告らの連行には直接かかわっていないが,同人らは,現地軍,大使館の協力により労働力を供出するとの政策のもとに,傀儡機関である華北政務委員会が50%出資して設立された華北労工協会が行政供出したものであるから,同人らが家族のもとをその意思に基づかずに離れたことには,被控訴人国の関与があったというべきである。 c 塘沽までの輸送,その間の集結地での監視,及び塘沽での監視は日本軍がこれを行った。 (イ) 一審被告会社は,次のとおり,上記強制連行に深く関与し,一定の役割を果たした。 a 一審被告会社における労働力不足を解消するため,石炭産業界の中核として,中国人労働者を移入することを被控訴人国に積極的に働きかけ,上記政策形成に深く関与した。 b 1942年閣議決定及び1944年次官会議決定に基づき,中国人労働者割当てを希望してその割当てを受けた。 cB〔1〕については,1943年(昭和18年)6月石門で,その余の一審原告らについては,別表2中の「乗船時期」欄の年月日の少し前に塘沽で,いずれも華北労工協会の担当者から引渡しを受けて,田川鉱業所や三池鉱業所に輸送した。 イ強制労働の事実と被控訴人国及び一審被告会社のこれへの関わり(ア) 一審被告会社は,1942年閣議決定及び1944年次官会議決定に基づいて,一審原告らの供出を受け,田川鉱業所や三池鉱業所において,別表2中の「到着日時」欄の時から1945年(昭和20年)8月24日まで,別表3中の「 942年閣議決定及び1944年次官会議決定に基づいて,一審原告らの供出を受け,田川鉱業所や三池鉱業所において,別表2中の「到着日時」欄の時から1945年(昭和20年)8月24日まで,別表3中の「宿舎」欄以下の処遇環境のもとに,一審原告らを,その意思に基づかず,強制的に炭鉱労働に従事せしめた。 (イ) 被控訴人国は,a 国家総動員法,重要事業場労務管理令,軍需会社法その他によって軍需会社に指定された一審被告会社の経営,人事を支配し,労務管理権を有していたところ,b 石炭統制会を通じて一審被告会社に生産目標を明示し,国策として採炭事業を行わしめるに当たり,c 一審原告らを国家要員と位置付けて過酷な労働を強いた。 d そして,「移入華人労務者取締要領」等に基づき,内務省が官憲を派遣し,事業場関係者と定例的に会議を開きながら,田川鉱業所及び三池鉱業所において,一審原告らの日常警備と取締りに当たった。 ウ評価(ア) 強制連行についてa 一審被告会社を含む産業界は,中国人労働者の日本への移入を望み,これをも受けて決定された国策に基づいて,強制連行が行われた。 b 被控訴人国が,だまし,あるいは脅して,身体の自由を拘束し,輸送途上で多数の死者が出るほど悪い栄養状態や衛生状態の下で,一審原告らを隷属下において他国に連行した行為は,逮捕・監禁罪その他の犯罪にも該当する違法なものである。 c 一審被告会社は,一審原告らが家族のもとを離れることに直接関与したものではないが,石門ないし塘沽からは一審原告らの輸送に関わっており,その意思に基づかずに来日するものであることは十分了知しえた。 d したがって,被控訴人国及び一審被告会社は,いずれも,一審原告らを日本に強制的に連行したことについて責任がある。 (イ) 強制労働について づかずに来日するものであることは十分了知しえた。 d したがって,被控訴人国及び一審被告会社は,いずれも,一審原告らを日本に強制的に連行したことについて責任がある。 (イ) 強制労働についてa 宿舎に見張り所を設け,官憲の武力による威嚇のもと,多数の労災死亡者,傷害者を出す等安全衛生に意を用いない環境下で,十分な食事を与えないばかりか,減食処分をも制裁の一内容とし,E〔10〕に至ってはナタあるいはこれに類する工事用具をふるって大腿骨を骨折させる等,暴力と暴言の恐怖によって,隷従のもとに一審原告らを炭鉱労働に従事させた行為は,強制労働禁止条約その他戦前の労働法制にも違反し,違法である。 b 被控訴人国は,軍需会社法その他により,一審被告会社に強い支配権を有しており,官憲を派遣して具体的な取締りにも当たっていた。 c したがって,被控訴人国及び一審被告会社は,いずれも,一審原告らに強制労働させた責任がある。 エまとめよって,被控訴人国と一審被告会社は,民法709条,715条及び719条により,強制連行・強制労働により一審原告らが被った損害について,連帯して,これを賠償する責任がある。 (一審被告会社)ア強制連行について(ア) 一審被告会社は,一審原告らが中国から日本に供出される過程に一切関与していない。確かに,日本の産業界が中国人労働者の移入を国策とするように要請したことはあるが,欺罔又は脅迫を用いてでも中国人労働者らの意思に反する形で強制的に連行して移入するように要請したのではない。 (イ) 1942年閣議決定その他の中国人労働者移入政策を決定したのは,戦争目的遂行のために国家総動員体制下において国民動員計画を策定した被控訴人国である。一私企業にすぎない一審被告会社が被控訴人国又は軍と共同してこれに関与すること 国人労働者移入政策を決定したのは,戦争目的遂行のために国家総動員体制下において国民動員計画を策定した被控訴人国である。一私企業にすぎない一審被告会社が被控訴人国又は軍と共同してこれに関与することは法制度(建前)上も事実上も全く不可能であった。今日の視点で,日中戦争・太平洋戦争当時の個々の民間企業の立場を評価するのは誤りである。そもそも,当時において,官民一体ということはあり得なかった。 (ウ) よって,一審原告らがその意に反して日本に強制的に連行された事実があったとしても,一審被告会社には,この点について何ら責任はない。 イ強制労働について(ア) 一審原告らが田川鉱業所や三池鉱業所で働いた事実を強制労働と評価し得るかa 本件は50年以上前の出来事である。一審被告会社には当時の資料は全く残っていないから,一審原告ら主張の事業所で受けた処遇及び労働の実態については,具体的に認否することができないし,反証しようにもその手掛かりさえない。原判決の認定上も,一審被告会社のどのような行為をもって強制労働と判断しているか明らかでない。 b① 居住,食糧及び衣料に関する事情は,処遇条件であって,一審原告らが従事した労働が強制労働であったかとは直接関係しない。 ② 関係するとしても,当時は日本人も,食糧事情,居住事情及び衣料事情が良好でなく,一審原告らの故郷である中国の事情と比較しても,水準が下がったとはいい得ないものであったから,不法行為を構成するほど劣悪なものであったとはいうことができない。 c けがその他の傷病は労働災害として捉えるべきものであって,強制労働として損害賠償の対象となるものではない。 d① 暴力については,中国人労働者は国策として労働力を期待されて移入されたのであるから,労働意欲低下の原因となる暴力が組織的に行われたと あって,強制労働として損害賠償の対象となるものではない。 d① 暴力については,中国人労働者は国策として労働力を期待されて移入されたのであるから,労働意欲低下の原因となる暴力が組織的に行われたとは考え難い。 ② 仮に,一部で暴力があったとしても,それは個人的な問題にすぎない。 e よって,一審原告らが田川鉱業所や三池鉱業所で労働に従事したことを強制労働であると評価することはできない。 (イ) 戦時経済体制における一審被告会社の裁量の有無a 石炭は,国家総動員法における総動員物資とされたので,一審被告会社は同法の適用を受け,1938年(昭和13年)5月5日の同法施行後は,自らの利潤追求のためではなく,戦争遂行のため,事業を行うべきこととなった。 b 被控訴人国は,1942年(昭和17年)2月,重要事業場労務管理令を定め,一審被告会社の田川鉱業所と三池鉱業所をいずれも重要事業場に指定したので,両鉱業所においては,「従業規則」(同令4条),「賃金規則,給料規則及昇給内規」(同令10条)を定めて厚生大臣の認可を受けるべきこととなり,更には,労務管理官を派遣されて,直接従業員等の監督指導を受けることになったから,両鉱業所においては,以後,労働条件の決定及び労務管理は被控訴人国が完全に掌握することとなった。 c① 被控訴人国は,1942年(昭和17年)10月,軍需会社法を制定したが,同法は,「軍需会社の営む軍需産業に従事する者は国家総動員法により徴用せられたるものとみなす」(6条)として,軍需会社の従業員は被控訴人国の徴用によって就労するものであるとその性格を明確にし,「政府は…軍需会社に対し其の勤労管理…に関し必要なる命令を為すことを得」(10条)と定めて,被控訴人国が軍需会社の従業員に対して直接労務管理を行い得ることを明確にした。 とその性格を明確にし,「政府は…軍需会社に対し其の勤労管理…に関し必要なる命令を為すことを得」(10条)と定めて,被控訴人国が軍需会社の従業員に対して直接労務管理を行い得ることを明確にした。 ② のみならず,「政府は勅令の定むる所に依り軍需会社に対し定款の変更…合併若は解散…其の他の処分に関し必要なる命令を為すことを得」(12条),「軍需会社の業務執行,株主総会…其の他軍需会社の運営に関しては,…勅令をもって別段の定を為すことを得」(14条),「政府は…軍需会社の取締役若は監査役を解任し又は業務を執行する社員の業務執行権を喪失せしむることを得」(19条)等として,軍需会社については企業そのものに対する統制も強化した。 ③ 一審被告会社は,1944年(昭和19年)4月17日,軍需会社に指定され,同法の適用を受けた。 d 中国人労働者の割当て① 1944年次官会議決定の細目である華人労務者内地移入手続は,事業主が「華人労務者移入雇用願」を厚生省に提出し,厚生省が中国人労働者の割当てを決定することにより,中国人労働者の意思にかかわらず,事業主との間に労使関係が生じることを定めた。 ② 中国人労働者は国家総動員計画として計上された者であり,軍需会社法6条の趣旨等にかんがみても,一審被告会社には割り当てられた労働者について,素質その他を考慮してこれを拒否する自由はなかった。 e まとめ① 以上のとおり,一審被告会社は,1944年(昭和19年)4月27日に軍需会社に指定されてからは,国策会社の一つとして,その経営権や人事権を被控訴人国に握られ,また,それ以前からも,中国人労働者の採用,労働条件の決定等については,重要事業場労務管理令その他の関係法規によって,被控訴人国の指示に従うほかなく,全く裁量権を有していなかった。 ② 一審被告 ,また,それ以前からも,中国人労働者の採用,労働条件の決定等については,重要事業場労務管理令その他の関係法規によって,被控訴人国の指示に従うほかなく,全く裁量権を有していなかった。 ② 一審被告会社は,このような経済環境と労働事情のもと,被控訴人国の生産督促に従い,目標量の石炭生産を成し遂げるべく事業を行ってきた。 ③ したがって,仮に,一審原告らの従事した労働を強制労働と評価し得る余地があるとしても,一審被告会社は被控訴人国の全面的な統制下,労務管理官の監督を受けながら,その指示する労働条件で一審原告らを使役したものであるから,違法なものではなかった。その責任を負うべきは被控訴人国であり,一審被告会社には一審原告らを強制労働させた責任はない。 ウよって,一審被告会社には,強制連行・強制労働のいずれにも責任はない。 (被控訴人国)ア一審原告らが来日した経緯に関し,仮に,被控訴人国の行為が不法行為を構成するとしても,後記のとおり,戦前の権力作用たる行為については責任を負わない(いわゆる国家無答責の法理)という法理があった。よって,被控訴人国は,強制連行については,具体的な認否をしない。 イ一審原告らが田川鉱業所や三池鉱業所で労働に従事した際の処遇環境等は専ら一審被告会社との問題であるから,被控訴人国は,その点についてはそもそも責任を負わない。 (2) 戦前の保護義務違反(第8の1(2)参照)(一審原告ら)ア総論(ア) 保護義務を含意する安全配慮義務は,「特別な社会的接触の関係に入った当事者」間において一方又は双方が相手方に対して負うべき信義則上の付随義務である(最高裁判所第三小法廷昭和50年2月25日判決・民集29巻2号143頁。以下「昭和50年判決」という。)。 (イ) 最高裁判所第一小法廷平成2年11月8日判決・裁 負うべき信義則上の付随義務である(最高裁判所第三小法廷昭和50年2月25日判決・民集29巻2号143頁。以下「昭和50年判決」という。)。 (イ) 最高裁判所第一小法廷平成2年11月8日判決・裁判集民事161号191頁(以下「平成2年判決」という。)及び同小法廷平成3年4月11日判決・裁判集民事162号295頁(以下「平成3年判決」という。)からも明らかなとおり,直接の契約関係にない当事者間であっても,「指揮監督権行使により実質的に労務を受ける関係」や「指揮・監督を受けて稼働する関係」にあれば,安全配慮義務は発生する。そこでは,当事者間に法律関係が存在することは必要でないし,仮に,何らかの法律関係が必要であるとしても,「契約関係ないしこれに準じるような強固な法的結合関係」までは必要ない。 (ウ) 要するに,労働を巡る法関係における安全配慮義務の発生根拠は,a 使用者が被用者を自己の指揮監督下に置いて,自己の提供する施設・器具を利用して労務を提供させている事実と,b そのようにして他人に労務を提供させようとする使用者の意思の二要件の充足に求められるべきである。 平成2年判決及び平成3年判決は,その趣旨を正面から認めたものと解すべきであるから,本件のように,労働者が強制労働その他労働に従事することを承諾しておらず,雇用契約の存在が認められない場合であっても,上記二要件が充足されているときには,安全配慮義務の成立を認めるのが相当である。 イ本件における「特別な社会的接触関係の存在」(ア) 一審被告会社との関係a 一審被告会社は,軍需生産による利潤の帰属主体として,一審原告らを田川鉱業所と三池鉱業所へ配置し,両鉱業所において一審原告らを直接使役し,その労働力を利用してきた。 b 1942年閣議決定及び1944年次官会議決定 需生産による利潤の帰属主体として,一審原告らを田川鉱業所と三池鉱業所へ配置し,両鉱業所において一審原告らを直接使役し,その労働力を利用してきた。 b 1942年閣議決定及び1944年次官会議決定では,本来は割当てを受けた事業主と中国人労働者の間で雇用契約が締結されることが予定されており,適正な手続がとられていれば,一審被告会社と一審原告らとの間には雇用契約が締結されていたはずである。これが行われなかったのは,一審原告らがその意思に基づいて労働に従事するものでないことを熟知していた,専ら一審被告会社側の事情によるものである。 c したがって,両者の間に,いわゆる安全配慮義務適用の前提となる「特別な社会的接触の関係」があることは明らかである。 (イ) 被控訴人国との関係a 被控訴人国は,国家総動員法に基づき,中国人労働者3万名を1944年度国民動員計画に計上した。 b① 1944年(昭和19年)4月27日には田川鉱業所と三池鉱業所を軍需会社法における軍需会社に指定した。 ② その結果,上記両鉱業所については,同日以降,被控訴人国が人事・懲戒権を有し,その指揮,命令のもとで生産が行われることとなった。 c 被控訴人国は,「移入華人労務者取締要領」等に基づき,官憲を派遣して,自ら一審原告らの宿泊所の警備,監視に当たる等していた。 d 「特別な社会的接触の関係」の存在してみると,被控訴人国は,一審原告らを国家総動員法及び軍需会社法上の「国家要員」と位置付けて,これを支配従属する関係に立ち,一審原告らをして両鉱業所での軍需生産に当たらせてその労働力を利用したのであるから,公法上の関係があったというべきであり,被控訴人国と一審原告らの間には,当初から,あるいは遅くとも1944年(昭和19年)4月27日以降,いわゆる安全配慮 たらせてその労働力を利用したのであるから,公法上の関係があったというべきであり,被控訴人国と一審原告らの間には,当初から,あるいは遅くとも1944年(昭和19年)4月27日以降,いわゆる安全配慮義務適用の前提となる「特別な社会的接触の関係」が形成されたというのが相当である。 e 「労務の支配管理性」の存在被控訴人国は,① 当初は,国家総動員法及び重要事業場労務管理令により,従業規則その他を介して,② 一審被告会社を軍需会社に指定した後は,労務管理官を派遣する等して直接,現場における生産遂行の状況を常時考査し,指導,監督しただけでなく,③ 当初の試験移入の時から一貫して,「移入華人労務者取締要領」等に基づき,内務省において官憲を派遣し,事業場関係者と定例的に会議を開きながら,一審原告らの日常警備と取締りに当たったのであるから,「労務の支配管理性」もあったというのが相当である。 ウ戦前における保護義務の内容(ア) 被控訴人国は,1942年閣議決定,1944年次官会議決定及びその細目で,事業場が中国人労働者を使用する場合の契約期間,賃金,就業時間,休日,衣食住,安全衛生等の使用条件に関する基準,指針を定め,一審被告会社は,この基準,指針に基づいて,「華人労務者対日供出実施細目」等を定めて使用条件の細目を決定し,華北労工協会との間で移入契約を締結した。 (イ) してみると,被控訴人国及び一審被告会社は,「特別な社会的接触関係」に基づき,いずれも,一審原告らに対し,(ア)の決定,細目等に定められた使用条件を最低水準として,その提供した労務に見合う賃金を支払うとともに,その生命,健康の保全に配慮し,適切な労働環境のもとに,意に沿わない労働が強制されることのないよう,一審原告らを保護すべき信義則上の義務を負 準として,その提供した労務に見合う賃金を支払うとともに,その生命,健康の保全に配慮し,適切な労働環境のもとに,意に沿わない労働が強制されることのないよう,一審原告らを保護すべき信義則上の義務を負っていたというのが相当である。 エ保護義務違反しかるに,被控訴人国及び一審被告会社は,一審原告らを,別表2中の「到着日時」欄の時から1945年(昭和20年)8月24日まで,全体としては第3の5(1)のとおり,個別には別表3中の「宿舎」欄以下の処遇環境のもとに,その意思に基づかず,強制的に炭鉱労働に従事せしめ,いずれも,上記義務を履行しなかった。 オまとめよって,被控訴人国及び一審被告会社は,民法1条2項,415条及び416条に基づき,一審原告らに対し,連帯して,保護義務違反による損害賠償をすべき責任を負う。 (被控訴人国の反論)ア総論(ア) 安全配慮義務は,「ある法律関係に基づいて特別の社会的接触の関係に入った当事者間において,当該法律関係の付随的義務として当事者の一方ないし双方が相手方に対して信義則上負う義務」である(昭和50年判決)。 (イ) これは,契約関係における信義則を根拠に,主たる債権債務とは別に,一定の付随義務を認めるものであるから,契約責任の内容を拡大する側面を有する。 (ウ) また,私法上の直接の契約当事者の関係にある者に限らず,第三者を介して実質的に契約当事者類似の関係にある者や,公法上の法律関係に基づき契約類似の関係に入った当事者間においても,信義則上,契約上の債権債務と同様の規範を設定し,その違反を債務不履行として規律するものであるから,狭義の契約責任の主体の範囲を実質的に拡大する側面も有する。 イ要件(ア) しかし,安全配慮義務は債務不履行を理由とする賠償責任であって,最高裁判所判例 務不履行として規律するものであるから,狭義の契約責任の主体の範囲を実質的に拡大する側面も有する。 イ要件(ア) しかし,安全配慮義務は債務不履行を理由とする賠償責任であって,最高裁判所判例のいう「特別な社会的接触の関係」とは,不法行為規範が妥当する無限定な社会的接触関係を意味するものではないから,安全配慮義務が認められるためには,当事者間に,雇用契約ないしこれに準ずる法律関係が存することが必要である(最高裁判所第一小法廷昭和55年12月18日判決・民集34巻7号888頁(以下「昭和55年判決」という。)参照)。 (イ) また,安全配慮義務は,労務ないし公務遂行に当たって支配管理する人的及び物的環境から生じうべき危険の防止について信義則上負担するものである(最高裁判所第二小法廷昭和58年5月27日判決・民集37巻4号477頁(以下「昭和58年判決」という。)参照)から,その成立が認められるためには,当事者間に事実上の使用関係,支配従属関係,指揮監督関係が成立していて,使用者の設置ないし提供する場所・施設・器具等が用いられ,これらの物的側面ないし労務の性質が,労働者の生命,健康に危険を及ぼす可能性がある場合等当該労務に対する直接具体的な支配管理性が認められることが必要である。 (ウ) したがって,債務不履行の有無を論じる際の安全配慮義務は,当事者間に「雇用契約ないしこれに準ずる法律関係」が存在し,かつ,当事者間に「直接具体的な労務の支配管理性が存在する法律関係」が認められる場合に初めて成立するというのが相当である。 ウ本件について(ア) 一審原告らと被控訴人国とは,直接の契約関係に立っていなかった。 (イ) また,被控訴人国が,軍需会社法により,一審被告会社の選任した生産責任者や生産担当者の指導,監督をすることができ (ア) 一審原告らと被控訴人国とは,直接の契約関係に立っていなかった。 (イ) また,被控訴人国が,軍需会社法により,一審被告会社の選任した生産責任者や生産担当者の指導,監督をすることができ,同法,国家総動員法,重要事業場労務管理令及び国民徴用令により,一審原告らの一審被告会社における労働条件等について公権的な介入を行い,これを規律し得たとしても,それはあくまで私企業の自主的経営を前提とし,国民に対する一方的な処分として行うものにすぎないから,これをもって一審原告らと被控訴人国との間に,安全配慮義務成立の前提となるに足る「雇用契約ないしこれに準ずる法律関係」が存在したともいうことはできない。 (ウ) 被控訴人国は,私企業の自主的経営を前提とし,一審被告会社の選任した生産責任者や生産担当者の指導,監督を介して,戦力の増強を図ろうとしたにすぎず,具体的な生産現場において労働者の労務を直接的かつ具体的に支配するものとはいえないから,そこには,「直接具体的な労務の支配管理性が存在する法律関係」があったと認めることもできない。 エしたがって,一審原告らと被控訴人国との間には,安全配慮義務が発生する根拠がなかったから,その違反が問題になる余地はない。 オなお,一審原告らは,(ア) 平成2年判決及び平成3年判決を引用して,安全配慮義務の発生を認めるに当たっては,「ある法律関係に基づいて」いるか否かは事実上捨象することができ,当事者間に「契約関係若しくはこれに準ずる法律関係」が存することは必要でない,とか,(イ) 松本克美教授の説に依拠して,安全配慮義務が発生する根拠は,使用者が労働関係を設定し,労務の提供を請求するという事実上の関係それ自体にあり,必ずしもそこに労働契約関係が存することを要しない等とも主張するが,上記最高裁判 て,安全配慮義務が発生する根拠は,使用者が労働関係を設定し,労務の提供を請求するという事実上の関係それ自体にあり,必ずしもそこに労働契約関係が存することを要しない等とも主張するが,上記最高裁判所判例の趣旨を正解しない,独自の見解であって,いずれも失当である。 (一審被告会社の反論)アいわゆる安全配慮義務の総論及び要件については,被控訴人国の反論ア,イと同じであるから,これを援用する。 イ一審被告会社と一審原告らは雇用契約を締結したものではなく,あくまでその関係は事実上のものにすぎないから,契約ないしそれと同視するに足る強固な法的関係を前提とする債務不履行責任である安全配慮義務違反を論じる余地はなく,不法行為規範が適用されるべきである(そして,不法行為責任もないことは前記した。)。 ウ仮に,安全配慮義務を論じる余地があるとしても,一審被告会社は,一審原告らに対し,当時の日本人の食糧事情,衣料事情,居住事情と比較して遜色ない処遇をしており,その水準は一審原告らの故国におけるものと比べても低下してはいなかったし,組織的に暴力を用いたり,長時間労働や危険な労働に従事させたことはないから,一審被告会社は十分に安全配慮義務を尽くしていた。 (3) 戦後の保護義務違反(第8の1(3)参照)(一審原告ら)ア労働契約ないしそれに準ずる関係に基づく保護義務(ア) 日本は,1945年(昭和20年)8月14日,ポツダム宣言を受諾し,一審原告らを含む一切の俘虜,被抑留者を解放するとともに,これを保護し,手当を支給し,給養し,送還する義務のあることを認めた。 (イ) そして,第3の3(6)イ(イ)及びエのとおり,同月17日,内務省主管防諜委員会幹事会において「華人労務者の取扱」を申し合わせ,「華人労務者帰国取扱要領」を定めて,中国人労働者を雇 めた。 (イ) そして,第3の3(6)イ(イ)及びエのとおり,同月17日,内務省主管防諜委員会幹事会において「華人労務者の取扱」を申し合わせ,「華人労務者帰国取扱要領」を定めて,中国人労働者を雇用した事業主に対し,賃金の精算と契約不履行事項の実施,慰霊祭の執行と傷病者の介護等の措置を講じるよう義務付け,関係官庁がこれを指導,監督することとした。 (ウ)a 被控訴人国は,1942年閣議決定及び1944年次官会議決定では,中国人労働者と受入先企業は雇用契約を締結することを念頭に置いていた。 b 一審被告会社は,本来,国の政策に従い,受け入れる労働者とは雇用契約を締結すべきものであった。 c (イ)の政策は,本来あるべき姿たる労働契約ないしこれに準ずる関係の存在を前提としている。 (エ) 以上によれば,被控訴人国及び一審被告会社は,いずれも,一審原告らに対し,少なくとも戦後においては,その受けた被害を回復するため,a 未払賃金の支払と必要な衣食・物資の支給,b 帰郷費用の支給を含め,帰還のために必要な措置を講じること,c 傷病した一審原告らに対する十分な治療や療養の給付と補償,d 強制連行及び強制労働による肉体的,精神的苦痛に対する慰謝,e 破壊された生活を回復し,家族関係と家庭生活を修復していくための補償及び敵国に労務を提供したとの非難に対する名誉回復のための措置,f 強制連行及び強制労働の経過と実情についての事実関係の情報の提供を行うこと等をその内容とする保護義務を負っているというべきである。 イ戦前の先行行為に基づく原状回復義務としての保護義務(ア) 被控訴人国と一審被告会社が一審原告らをその意思に基づかず,強制的に中国から連行し,田川鉱業所や三池鉱業所において強制的に労働に従事せしめた行為は,(1)にお 原状回復義務としての保護義務(ア) 被控訴人国と一審被告会社が一審原告らをその意思に基づかず,強制的に中国から連行し,田川鉱業所や三池鉱業所において強制的に労働に従事せしめた行為は,(1)において述べたとおり,不法行為を構成する。 (イ) したがって,被控訴人国及び一審被告会社は,一審原告らに対し,先行行為に基づく原状回復義務として,その被害を回復するため,ア(エ)の保護義務を負っている。 (ウ) 仮に,戦前においては国家無答責の法理が適用され,国は戦前においては不法行為責任を負わないとしても,1946年(昭和21年)11月3日,日本国憲法が制定され,1947年(昭和22年)10月27日には国賠法が制定されて,旧憲法下における国家無答責の法理は根本から否定されたから,少なくとも戦後においては,被控訴人国も上記先行行為に基づく原状回復義務としての保護義務を負う。 ウ戦後における保護義務の不履行しかるに,被控訴人国及び一審被告会社は,一審原告らをそれぞれの故郷ではなく塘沽に送り届けたのみで,賃金の精算を含め,上記保護義務を全く履行していない。 エまとめよって,被控訴人国及び一審被告会社は,民法1条2項,415条及び416条に基づき,一審原告らに対し,連帯して,保護義務違反による損害賠償をすべき責任を負う。 (被控訴人国の反論)ア(ア) 一審原告らは,いわゆる安全配慮義務の一内容として「保護義務」を主張する。 (イ) しかし,一審原告らと被控訴人国との間に安全配慮義務を発生せしめるに足るような「ある法律関係に基づく特別の社会的接触関係」を認めることができないことは,(2)の保護義務違反の項で述べたとおりである。 (ウ) よって,一審原告らの主張は,その点だけをとっても失当である。 イ(ア) 仮に,安全配慮義務(保 的接触関係」を認めることができないことは,(2)の保護義務違反の項で述べたとおりである。 (ウ) よって,一審原告らの主張は,その点だけをとっても失当である。 イ(ア) 仮に,安全配慮義務(保護義務)を観念し得るとしても,a 同義務は信義則に根拠を置くものであるから,その内容を確定するに当たっては,敗戦国である我が国の社会,経済情勢,技術水準等,当時の諸般の事情を踏まえ,一審原告らそれぞれの状況を具体的に検討し,当時,我が国が信義則上何らかの具体的な対応が容易であり,これを行うことが一審原告ら個々人に対して,法的な義務として想定される程度のものであったかが検討されなければならないところ,b 若槻泰雄・戦後引揚げの記録(乙イ第16号証-258ないし267頁)からも明らかなとおり,当時日本は,戦争の結果,工業設備の多くが失われ,主要都市の建物密集地区の40%は破壊され,全国の都市人口の30%は家と家財を焼失し,経済活動の低下によって多くの失業者が生じ,しかもそれは増加の一途をたどり,食糧需給も,動物として耐え得る限界に近づきつつあった。そして,そこへ若年層を中心とする600万人以上の海外からの復員軍人と一般在留邦人が引き揚げてくるという状況であった。 (イ) 一審原告らが主張する義務内容は,上記のような終戦直後の我が国の国民の生活状態等をも踏まえて検討されたものではなく,当時の安全配慮義務(保護義務)に係る主張としては失当である。 (一審被告会社の反論)ア一審被告会社と一審原告らは雇用契約を締結したものではなく,あくまでその関係は事実上のものにすぎないから,そもそも,両者間に安全配慮義務(保護義務)の観念を入れる余地はない。 イ仮に,これを論じる余地があるとしても,一審原告らが「労働契約ないしそれに準ずる関係に基づく保護義 実上のものにすぎないから,そもそも,両者間に安全配慮義務(保護義務)の観念を入れる余地はない。 イ仮に,これを論じる余地があるとしても,一審原告らが「労働契約ないしそれに準ずる関係に基づく保護義務」として論じる部分は,日本政府がポツダム宣言の受諾を踏まえて中国人労働者の取扱いについて定めた内容をその根拠としているものであるところ,これは,一審原告らを含む中国人労働者と一審被告会社との直接の関係を規律するものではなく,一審被告会社の一審原告らに対する義務としては発生していないから,その点でも,一審原告らの主張は失当である。 (4) 戦後の不法行為責任(第8の1(4)参照)(一審原告らの主張)ア不法行為の事実(ア) 終戦直後の措置被控訴人国は,日本建設工業界その他に対し,終戦直後の1945年(昭和20年)8月16日,中国人労働者移入に関する統計資料,訓令,その他の重要書類の焼却を命じて,組織的な証拠隠滅工作を行った。 (イ) 外務省報告書及び事業場報告書作成過程における不法行為の事実a 被控訴人国は,1946年夏,各事業場から提出された事業場報告書を基礎として外務省報告書をまとめたが,これは,中国人労働者を強制的に日本に連行し,強制的に労働に従事せしめたことについて,連合国側,特に当時の中華民国から戦犯その他として責任追及されるのをおそれてのことであった。 b 一審被告会社は,責任追及を免れる観点から事業場報告書をまとめ,正確には真実を明らかにしなかった。 c 被控訴人国は,現地調査を行った調査員の報告中,戦犯追及に不利益な部分についてはこれを採用しない等,真実を覆い隠す欺瞞に満ちた外務省報告書を作成した。 (ウ) 戦犯追及を免れた後の証拠資料の隠滅a 被控訴人国は,その後,外務省報告書を,1通を除き,焼却した。 b また いてはこれを採用しない等,真実を覆い隠す欺瞞に満ちた外務省報告書を作成した。 (ウ) 戦犯追及を免れた後の証拠資料の隠滅a 被控訴人国は,その後,外務省報告書を,1通を除き,焼却した。 b また,各事業場に命じて,事業場報告書もすべて焼却せしめた。 c 花岡事件をきっかけに,殉難者慰霊,遺骨収集・返還運動が活発になると,さらに中国人労働者の強制連行・強制労働が再燃することをおそれ,この活動をも妨害した。 d 一審被告会社は,その従業員が三池鉱業所における中国人労働者処遇の実態等を調査しようとすると,不利益配転をする等して,調査活動を妨害した。 (エ) 虚偽の国会答弁a 国会では,戦時中の中国人労働者の移入問題につき,表面的には殉難者慰霊や遺骨送還問題等の形をとりながら,中国人労働者の意思に基づかずに行われた強制連行・強制労働ではないか等との追求がなされ,外務省報告書の存否等が問題とされた。 b しかし,政府閣僚は,1993年(平成5年)にNHKがスクープ報道をするまで,一貫してその存在を否定する虚偽の答弁を繰り返した。 c そして,外務省報告書が明るみに出ていないことを奇貨として,確かめるすべはないとしながらも,中国人労働者は自らの意思により来日し,契約に基づいて労働をしていたはずである等と虚偽の答弁を繰り返した。 (オ) 外務省報告書の存在発覚後の不当な対応a 被控訴人国は,NHKの報道その他により,外務省報告書の存在が公になると,これが真正なものであることは認めたが,その後も,中国人労働者の移入及び日本での労働は半強制的なものであったというあいまいな態度に終始し,強制連行・強制労働の事実を正面から認めることをしない。 b そして,本件訴訟においては,一審被告会社とともに,事実認否すらせず,誠実な対応をしない。 (カ) 加害企業 というあいまいな態度に終始し,強制連行・強制労働の事実を正面から認めることをしない。 b そして,本件訴訟においては,一審被告会社とともに,事実認否すらせず,誠実な対応をしない。 (カ) 加害企業に対する補償と刑事罰の不履行a 他方で,被控訴人国は,中国人労働者を受け入れた企業には,中国人労働者に対し終戦後休業補償をしたとか,終戦後に不当要求や暴行事件が起こって損失が生じた等とする企業の主張を容れ,その要求に従って,総額5672万5474円の損失補償をし,一審被告会社にもその13.6%に当たる774万5206円を支払った。 b にもかかわらず,被控訴人国は,現在に至るも,いずれの受入企業に対しても,強制労働禁止条約25条に定められた強制労働の実施者の刑事訴追と処罰を行っていない。 イ不法行為の成立(ア)a 上記のとおり,被控訴人国及び一審被告会社は,戦後,一審原告らに対し,中国人労働者強制連行・強制労働の事実を解明し,一審原告らに情報を提供し,それに基づいて誠実に謝罪するとともに,一審原告らないしその遺族が被った損害を賠償する保護義務を負っている。 b その義務を履行しないこと自体が不法行為を構成する。 (イ) ア(ア)ないし(エ)の各行為は,一審原告らを含め日本に強制連行された中国人労働者がその権利を行使することを妨害するものであるから,その意味でも不法行為を構成する。 (ウ) ア(カ)bの行為は,強制連行及び強制労働の事実の究明,関係者の処罰及び謝罪を待ちわびてきた一審原告らの期待を裏切るものであり,単なる刑事訴追義務違反にとどまらず,一審原告らに対して新たな精神的損害を加えるものであって,それ自体が不法行為を構成する。 (エ) (ア),(イ)は,被控訴人国と一審被告会社の共同不法行為であり,(ウ)は被控訴人国の単独の不法 ず,一審原告らに対して新たな精神的損害を加えるものであって,それ自体が不法行為を構成する。 (エ) (ア),(イ)は,被控訴人国と一審被告会社の共同不法行為であり,(ウ)は被控訴人国の単独の不法行為であるが,その損害の内容は同一である。 ウまとめよって,一審被告会社と被控訴人国は,連帯して,民法709条,715条及び719条により,一審原告らが被った損害を賠償すべき責任を負う。 (一審被告会社)ア一審原告らの主張中,ア(イ)b及び(ウ)dの事実をいずれも否認する。 イ同ア(ウ)b及び(オ)bの事実は,本件は50年以上前の出来事を問題とするものであり,正確な事実を把握することができないから具体的な認否を控えているだけのことであって,非難されるいわれはない。 ウその余の事実はすべて被控訴人国の行為である。これらの事実が一審被告会社の不法行為を構成する余地はない。 (被控訴人国)一審原告らの主張は,前提としていかなる義務に違反しているのか明らかでなく,不法行為を構成するものではない。 2 国家無答責の法理について(第8の2参照)(被控訴人国の主張)(1) 一審原告らが戦前の不法行為として主張するところの国の行為は,国賠法施行前に戦時政策の一環として行われた国家の権力的作用に基づく行為である。 (2) しかし,国賠法施行前においては,公務員が職務を行うについてされた行為が,国家の権力的作用に該当する限り,ア民法の不法行為の規定の適用が排除され,イまた,他に賠償責任を認める法令上の根拠もなかったから,国家の権力的作用に基づく行為の結果,個人に損害が生じても,国の損害賠償責任は認められないという実体法上の法理が確立していた(最高裁判所第三小法廷昭和25年4月11日判決・裁判集民事3号225頁(以下「昭和25年判決」という。 結果,個人に損害が生じても,国の損害賠償責任は認められないという実体法上の法理が確立していた(最高裁判所第三小法廷昭和25年4月11日判決・裁判集民事3号225頁(以下「昭和25年判決」という。)参照。国家無答責の法理)。 (3) 日本国憲法17条に基づいて制定された国賠法は,その施行後の国の権力的行為について損害賠償請求が可能なことを認めたが,附則6項において,「この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による」(「従前の例による」との法令用語は,法令を改正又は廃止した場合に,改廃直前の法令を含めた法制度をそのままの状態で適用することを意味する(有斐閣「法律用語辞典」1041~1042頁)。)として,国賠法施行前の行為には国家無答責の法理が適用されることを明らかにし,国は責任を負わないことを定めているところ,同項が実体法であることは昭和25年判決より明らかである。 (4) したがって,国賠法施行前の国家の権力的作用に基づく行為を問題とする1(1)における一審原告らの主張は法的根拠を欠く。 (5) 国家無答責の法理の合理性の有無の判断につき,問題とすべきは現行法下におけるそれではなく,行為時におけるそれである(合理性の有無を判断すべき基準時が行為時であることにつき,最高裁判所第二小法廷平成15年4月18日判決・民集57巻4号366頁,同大法廷昭和35年4月18日決定・民集14巻6号905頁参照)ところ,戦前の英米独仏諸国はもとより,1980年代初頭の中華人民共和国においても,国家無答責の法理がとられていた。すなわち,国賠法施行前においては,国家無答責の法理には合理性もあった。 (6) ちなみに,現行憲法17条の下においても,国家賠償責任の要件の定立は「立法府の政策判断」にゆだねられているところ(最高裁判所大法廷平成 行前においては,国家無答責の法理には合理性もあった。 (6) ちなみに,現行憲法17条の下においても,国家賠償責任の要件の定立は「立法府の政策判断」にゆだねられているところ(最高裁判所大法廷平成14年9月11日判決・民集56巻7号1439頁),立法府は,その政策判断として,国賠法附則6項において,同法の遡及的適用の規定を設けなかった。 (一審原告らの反論)(1) いわゆる国家無答責の法理(正確には「公権力無責任の原則」というべきものである。)とされる法理論は判例の所産にすぎず,裁判所の判断を一般的に拘束するものではないから,裁判所は具体的な事案に即し,責任を認めるか否かを判断すべきである。 ア実定法上の根拠の有無(ア) 民法715条の規定と特別法の有無a 国が不法行為責任の主体となるかどうかは現行民法制定の過程で議論の対象となった。 b この点につき,起草者は,公権力の行使の結果,個人に損害が生じ,これが不法行為に当たると判断されるときには,国ないし公共団体は官吏の使用者としてその責任を負う,これを免除するのであれば,例外的に特別法を制定して対処すべきであると考えていた。 c しかし,結局において,公務員の権力行使に関する不法行為責任に関しては,これを免除する特別法は制定されていない。 d 民法715条の文理を素直に読む限り,同条は,国ないし公共団体が権力的作用によって個人に損害を及ぼしたときに,不法行為責任の主体となることを排除していない。 (イ) 行政裁判法16条についてa わずかに,行政裁判法16条は「行政裁判所は損害要償の訴訟を受理せず」と規定している。 b しかし,これは,行政裁判所へは損害賠償請求を提訴できないことを定めた手続規定にすぎず,国又は公共団体の権力的作用による損害について,国又は公共団体に損 要償の訴訟を受理せず」と規定している。 b しかし,これは,行政裁判所へは損害賠償請求を提訴できないことを定めた手続規定にすぎず,国又は公共団体の権力的作用による損害について,国又は公共団体に損害賠償責任を負わないことを定めた実体法上の規定ではない。 (ウ) 旧民法についてa 旧民法については,その制定過程において,当初,草案の段階では不法行為責任の主体に「公の事務所」も含まれていたのが,最終的には削除された経過がある。 b しかし,旧民法も,「委託者は…受任者が受任の職務を…行ふに際し加へたる損害につき其責に任ず」として,国又は公共団体が不法行為責任を負う余地をなお残している。 (エ) まとめ以上によれば,国又は公共団体が不法行為に基づいて損害賠償責任を負うか否かについては,実定法上の規定はなく,その解釈は裁判所の判断にゆだねられていたと解するのが相当である。 イ戦前の判例そこで,国又は公共団体の不法行為責任に関する戦前の判例を概観すると,(ア) 国と公共団体の活動のうち,営利を伴ういわゆる私経済作用に起因する損害については,当初から司法裁判所が民法を適用して国又は公共団体の損害賠償責任を認めてきた。 (イ) 公的な行政作用に起因する損害についても,a 当初は,国又は公共団体の損害賠償責任をすべて否定していたが,b 徳島市立小学校遊動円棒事件の大審院大正5年6月1日判決(民録22輯1088頁。以下「遊動円棒事件判決」という。)において,徳島市に工作物責任があることを認め,c 以後,非権力的公行政については,これを私法関係とみて民法を適用するようになった。 ウ評価実定法に定めがあれば,解釈が変遷することはあり得ないのであるから,戦前,「国又は公共団体は,不法行為により個人に損 政については,これを私法関係とみて民法を適用するようになった。 ウ評価実定法に定めがあれば,解釈が変遷することはあり得ないのであるから,戦前,「国又は公共団体は,不法行為により個人に損害を生じさせたとしても,これが権力的作用に起因するものであるときには,賠償責任を負わない」とする解釈が行われていたとしても,それは実定法上の根拠を有する法理ではなく,判例による法解釈の所産にすぎないというべきである。 エ国家に責任を認めない場合があり得るとしてその基準について(ア) 現憲法は,個人の尊厳を最大の価値として,これを踏みにじる残虐非道な行為を許さない。 (イ) 旧憲法においても,正義は,自然法ないし条理として,その前提をなし,かつ,旧憲法を超える価値を有していた。したがって,国又は公共団体の行為が著しい不正義に当たるときには,旧憲法下にあっても,自然法ないし条理に反するものとして許されなかったというべきである。 オ本件について(ア) 被控訴人国が一審原告らに対して行った行為は,別表2,3のとおり,家族とともに平穏な暮らしをしていた外国人を,何ら理由もないのに日本に強制的に連行し,劣悪な環境下,十分な食事も与えず,暴力,暴言,食事制限等で畏怖させて,意に反して強制的に労働に従事させたものであって,その行為は残虐非道で,被害は極めて甚大である。 (イ) 上記は,現憲法の定める個人の尊厳の理念に著しく反するのはもちろん,旧憲法下においても,その根底にある条理ないし自然法に背くものであるから,これを容認する国家無答責の法理は著しく正義に反する。 (ウ) したがって,いわゆる国家無答責の法理が判例解釈の所産にすぎないものである以上,本件については,その残虐非道性,被害の甚大性にかんがみ,個人の尊厳を崇高の価値とする現憲 しく正義に反する。 (ウ) したがって,いわゆる国家無答責の法理が判例解釈の所産にすぎないものである以上,本件については,その残虐非道性,被害の甚大性にかんがみ,個人の尊厳を崇高の価値とする現憲法の観点,あるいは旧憲法においても,旧憲法より高い価値を有していた条理ないし自然法に基づき,被控訴人国の責任が肯定されるべきである。国の権力的作用に起因する損害については,その内容いかんにかかわらずこれを認める余地はないとする被控訴人国の主張は失当である。 (2) 国家無答責の法理は,「国家と国民の利益は完全に一致するのであるから,国家無答責の法理は,同時に国民の利益と考えられていた」点に理論的な根拠がある。すなわち,同法理は,もともと国王の不可謬論に基づくものであり,王制下にない国家においては「治者と被治者の自同性」「国家と法秩序の自同性」の考え方が根底にある。このような利益の一致を擬制できるのは,当該国家とその国民との関係及び自発的に当該国家の管轄に服する外国人との関係に限定されるべきである。したがって,同法理を我が国の統治権に服さない中国人に対する加害行為には適用できない。 (3) 仮に,国家無答責の法理が認められるとしても,その要件は限定的に解釈すべきであり,本件では適用されない。その理由は,次のとおりである。 ア国家無答責法理適用の要件仮に,国家無答責の法理が実体法上の根拠を有するとしても,同法理は,実質的には,「国家(王)は悪をなさず」との思想を背景に,私人の損害より,行政活動に麻痺,障害が生じるデメリットを重視するものであるから,これは謙抑的に適用されなければならず,上記実質的根拠にかんがみれば,同法理適用には,次の要件が必要である。 (ア) 権力的作用に基づくものであること(イ) 法律の授権があり,適法に行使されれば ら,これは謙抑的に適用されなければならず,上記実質的根拠にかんがみれば,同法理適用には,次の要件が必要である。 (ア) 権力的作用に基づくものであること(イ) 法律の授権があり,適法に行使されれば適法な公権力の行使と評価され得るものであること(ウ) 自国の主権が及ぶ範囲内(領土内)の,自国民ないし主権に服する者に対する行為であること(エ) 国民の幸福を増進するために行われる,私人の権利を犠牲にしても保護するに足る公務であることイ要件の欠如(ア) 公務の非権力性a 中国人労働者の移入は,戦争遂行過程における重筋労働部門における労働力不足を解消するため,1942年閣議決定及び1944年次官会議決定に基づいて行われたものであるが,両決定及びその実施細目である企画院実施要領及び華人労務者内地移入の促進に関する件は,自由意思に基づき,契約によって移入と雇用がなされることをその前提理念としており,方法としても募集とあっせんが考えられているのであって,国民徴用令等に基づく徴用等の権力的契機は念頭に置かれていない。 b したがって,一審原告らを対象とする中国人移入政策は本来非権力的な行政作用であって,同政策に基づき,被控訴人国が一審原告らをその承諾なく,日本に強制的に連行した行為及びその後田川鉱業所や三池鉱業所においてその意思に基づかず,強制的に労働に従事させた行為は,たとえ,その過程で事実上の強制力が行使されたとしても,本来の性格を見る限り,非権力的作用であるといわなければならないから,その過程で行われた不法行為について国家無答責の法理を適用して国の責任を認めないとすることはできない。 (イ) 適法な公権力行使権限を欠くこと及び他国民に対する行為であること仮に,一審原告らを移入等した行為が権力的なものであるとみる余地が 法理を適用して国の責任を認めないとすることはできない。 (イ) 適法な公権力行使権限を欠くこと及び他国民に対する行為であること仮に,一審原告らを移入等した行為が権力的なものであるとみる余地があるとしても,a そもそも,法律上,外国人たる中国人に対し,日本国が公権力を行使することはできない。現に,日本政府は,これまで中国人労働者らの移入を契約関係に基づくものと答弁してきた。 b 国家総動員法は自国民を対象とするものであるから,中国人である一審原告らに対して行使し得る適法な公権力の由縁とはならない。 c 1942年閣議決定及び1944年次官会議決定は,首相及び関係閣僚らが合議して決定したものにすぎず,法律ではない上,そこで認められているのはあくまで契約(自主意思)に基づく移入のみであるから,本件で問題となっているような強制力の行使を基礎付ける適法権限とはなり得ない。 (ウ) 保護するに足る公務とはいい得ないこと1942年閣議決定及び1944年次官会議決定が契約(自主意思)に基づく移入政策を定めたものである以上,事実上の強制力を用いて行われた一審原告らに対する連行行為が保護すべき公務とはいえない。 ウまとめよって,一審原告らに対する行為は,権力的作用ということができないし,仮に,権力的作用であるとしても,他国民に対する,法律に基づかない行為で,保護すべき公務であるということもできないから,国家無答責の法理が認められるための要件を充足しておらず,本件においてこれを適用する余地はない。 エ被控訴人国の再反論に対する再々反論被控訴人国は,(ア) 国家無答責の法理は既に終了した行為が損害賠償の対象となるか否かを問題とする評価規範であって,これから行うべき公務が適法か否かが問題となる行為規範ではないから,なすことを得る 控訴人国は,(ア) 国家無答責の法理は既に終了した行為が損害賠償の対象となるか否かを問題とする評価規範であって,これから行うべき公務が適法か否かが問題となる行為規範ではないから,なすことを得るかという意味での適法か否かとは関係なく,問題となる行為が権力的作用であればすべて責任は発生しないとか,(イ) 権限外の行為がされたとすれば当該公務員の個人責任が発生するだけで国ないし公共団体の責任が発生する余地はないと主張するが,暴論である。 (4) 強制労働禁止条約との関係ア被控訴人国は,1932年(昭和7年)10月15日,強制労働禁止条約を批准し,同条約は,同年12月6日公布され,その時点で国内法化された。 イ同条約は,強制労働を禁止し,刑罰をもってしてもこれを行わせてはならないことをその内容とする。 ウ国家無答責の法理が認められ,被控訴人国の責任が否定されるとこれと矛盾する結果が生じる。 エしたがって,被控訴人国が国家無答責の法理を主張することは背理であるから,国は同主張をすることはできない。 (5) 正義・公平の原則との関係ア一審原告らが強制的に連行された態様と日本において受けた処遇は,別表2,3のとおり,人間としての尊厳を根本から否定するものであり,被控訴人国が行った加害行為の残虐性,非道性には目を覆わんばかりのものがある。 イ他方,被控訴人国は,中国人労働者を受け入れた企業には,総額で合計5672万5494円,一審被告会社に対しても,田川鉱業所と三池鉱業所の関係だけでも,458万5240円,会社全体では774万5206円の国家補償をした。 ウのみならず,被控訴人国は,既述のとおり,本件についての重要資料である外務省報告書を1部だけ残して焼却し,国会においては資料が存していないから確認のしようがない等と答弁して 円の国家補償をした。 ウのみならず,被控訴人国は,既述のとおり,本件についての重要資料である外務省報告書を1部だけ残して焼却し,国会においては資料が存していないから確認のしようがない等と答弁して,中国人労働者の移入政策が結局においてその意思に基づかない強制連行・強制労働であったことを認めず,一審原告らががその権利を行使することを妨害した。 エ上記各事実は,法の基本理念たる正義・公平の原則に著しくもとる。 オしたがって,本件においては,仮に,被控訴人国がなした不法行為が国家無答責の法理の要件を満たすとしても,正義・公平の原則から,被控訴人国が同法理の適用を主張することは許されない。 (6) 国賠法附則6項の解釈についてア(ア) 国賠法附則6項の「従前の例」は,法令をいうものであり,判例を含まない。 (イ) 既述のとおり,いわゆる国家無答責の法理は判例の所産にすぎない。 (ウ) よって,同法理は,「従前の例」には含まれない。 (エ) 同項は,国賠法施行前の公務員の公権力の行使の違法を理由とする国又は公共団体の賠償責任に関しては,同法の遡及適用はないことを規定したにとどまり,不法行為に関する規定が適用されるかについては民法の解釈にゆだねたと解するのが相当である。 イ(ア) 「従前の例」が国家無答責の法理を含むとすれば,これは,憲法13条(個人の尊厳),98条(憲法の最高法規性)及び憲法の理念たる民主主義及び国民主権主義に著しく反する。 (イ) したがって,現憲法下においては,そのような解釈をとり得る余地はない。 (ウ) 昭和25年判決は,国賠法附則6項の「従前の例」は国家無答責の法理を含むとし,その後も同判例を踏襲する判例が存するが,憲法の趣旨に反する解釈であり,改められるべきである。 (7) 法解釈は最新の知見に基 25年判決は,国賠法附則6項の「従前の例」は国家無答責の法理を含むとし,その後も同判例を踏襲する判例が存するが,憲法の趣旨に反する解釈であり,改められるべきである。 (7) 法解釈は最新の知見に基づいて行うべきものである。国家無答責の法理を完全に放棄している現在において,本件不法行為時を基準時として同法理を適用するのは,正義・公平の原則にも反し,誤りである。 (被控訴人国の再反論)(1) 国家無答責の法理が実体法上の根拠を有することア国又は公共団体の権力的作用による損害について,国又は公共団体に損害賠償責任を負わせるか,負わせるとしてどの範囲で負わせるかは,各国がどのような法政策をとるかによって決定されるすぐれて政策的な問題である。 イ我が国は,次に述べるとおり,国家は権力的作用にも,非権力的作用にも賠償責任を負わないとの法政策を採用し,その前提のもとに旧民法,行政裁判法及び裁判所構成法を制定した。 (ア) 旧民法ボアソナードは,当初,旧民法草案において,不法行為責任の主体に「公の事務所」を含めて記載し,国又は公共団体の権力的作用にも民法を適用することとして旧民法の草案を作成した。しかし,種々議論の結果,その部分の規定は削除された。 (イ) 行政裁判法行政裁判法16条は,「行政裁判所は損害要償の訴訟を受理せず」と規定し,個人は,行政裁判所に対して損害要償の訴えを提起できない旨を定めた。 (ウ) 裁判所構成法同法の草案では,国又は公共団体に対する損害賠償請求については司法裁判所が管轄権を有するとされていた。しかし,種々議論の結果,その部分の規定は削除された。 ウ(ア) これらはすべて国家無答責の法理をその前提として考案されたものである。 (イ) 以上のように,行政裁判法及び旧民法の制定過程を考慮 かし,種々議論の結果,その部分の規定は削除された。 ウ(ア) これらはすべて国家無答責の法理をその前提として考案されたものである。 (イ) 以上のように,行政裁判法及び旧民法の制定過程を考慮すれば,立法者意思が,国家は権力的作用にも非権力的作用にも賠償責任を負わないとするものであったことは明らかであり,1890年(明治23年),両法が公布された時点で,公行政については国家無答責の法理を採用するとの法政策が確立されたというのが相当である。 (ウ) したがって,国家無答責の法理は,判例法上の所産にとどまらず,実定法上の根拠を有していた。 エ(ア) 判例も,当初は,権力的作用,非権力的作用を問わず,国と公共団体の賠償責任を否定していた。 (イ) 確かに,その後,判例は,大正5年の遊動円棒事件判決以来,非権力的公行政を私法関係とみて民法を適用する判断を下すようになった。 (ウ) しかし,これは,判例法の所産として非権力的公行政の分野については,民法の不法行為の規定を拡大して適用することとし,従前は認められなかった責任が認められるようになったとみるべきである。 (エ) 一審原告らは,上記判例等をあげながら,国家無答責の法理は判例によって生み出されたものであると主張するが,相当でない。 オ(ア) 上記アないしウの経過後,国ないし公共団体に対する賠償請求は公法的性格を有し,これを認めるか否かは特別法で論じるべきものであって,民法の適用はないとの認識が確立した後に,現行民法(715条)は制定された。 (イ) 起草者らも,特別法の制定がない限り,判例は民法の適用を認めることはないと述べていたところ,実際,判例はそのとおりの運用をしてきた。 (ウ) よって,民法715条は,国家無答責の法理と矛盾しない。 (2) 国賠法附則6 がない限り,判例は民法の適用を認めることはないと述べていたところ,実際,判例はそのとおりの運用をしてきた。 (ウ) よって,民法715条は,国家無答責の法理と矛盾しない。 (2) 国賠法附則6項の解釈についてア国家無答責の法理が実定法上の根拠に基づくものである以上,同法附則6項の「従前の例」が国家無答責を意味することは,当然である。 イ昭和25年判決以来,下級審判例はもちろん,最高裁判所(乙イ19,44)も,一貫してこの旨を認めてきた。 (3) 国家無答責の法理の適用要件が欠如しているとの主張についてア適法な公権力行使の個別的権限の存在の必要の主張について(ア) 一審原告らは,国家無答責の法理が適用されるためには,その前提として,当該公務員に適法に行使すれば適法な公権力の行使と評価されるような個別的な権限が法律上与えられていることが必要であると主張する。 (イ) しかし,公務員が権限を全く有しない行為をした場合には,私事に関する行為として当該公務員が個人として責任を負うのみである。 そのような場合にまで国ないし公共団体の責任が問題となる余地はない。 イ権力の人的,場所的限界をいう主張について(ア) 次に,一審原告らは,国家無答責の法理が適用されるのは主権の及ぶ自国民に対しての領土内の行為だけであるとも主張する。 (イ) しかし,外国における外国人に対する行為であっても,これが公権力の行使であることには変わりはない。 (ウ) そもそも,同法理が問題となるのは,既に行われた行為について損害賠償責任を負担すべきかという評価の場面においてであって,これから行おうとする行為が公権力の行使として適法かが問題となる行為規範の場面においてではない。 ウ保護に足る公務か否かとの主張について(ア) 国又は公共団体が賠償責任を負うか否かは公法 あって,これから行おうとする行為が公権力の行使として適法かが問題となる行為規範の場面においてではない。 ウ保護に足る公務か否かとの主張について(ア) 国又は公共団体が賠償責任を負うか否かは公法的性格を有するものであり,これについてどのような態度をとるかは立法政策の問題である。 (イ) 既述のとおり,戦前の日本は,1890年(明治23年),行政裁判法及び旧民法が公布された時点で,公権力の行使について,国及び公共団体は損害賠償責任を負わないという法政策を確立した。 (ウ) そこでは,公権力の行使か否かのみが問題となるのであって,保護に足る業務か否かは要件とされていない。 エ要件についてのまとめ以上,要するに,国家無答責の法理は評価規範であるから,1890年(明治23年)に確立された法政策に基づき,公務員の行為が不法行為に該当する場合であっても,権力的作用である限り,国又は公共団体に責任の生じる余地はないというべきである。 オ一審原告らに対する行為が権力的作用に基づくものであること一審原告らの来日は,1942年閣議決定ないし1944年次官会議決定に基づいて行われたものであるから,これが権力的作用に基づくものであることは明らかである。 カまとめ以上,国家無答責の法理の適用要件が欠如しているとの主張は,いずれも失当である。 (4) 強制労働禁止条約の国内法化に関する主張についてア強制労働禁止条約が国内法化されても,被控訴人国の行為を国家無答責の法理の適用のない非権力的な作用に変える効果を持つものではない。 イまた,個人が加害者に対して損害賠償をするためには,それを基礎付ける何らかの法的根拠が必要であるが,同条約の国内法化は個人に損害賠償請求権を認める法創造機能を持つものでもない。 ウしたがって,この点に関する一審原 者に対して損害賠償をするためには,それを基礎付ける何らかの法的根拠が必要であるが,同条約の国内法化は個人に損害賠償請求権を認める法創造機能を持つものでもない。 ウしたがって,この点に関する一審原告らの主張は失当である。 (5) 正義・公平の理念により国家無答責の法理の適用を制限すべきであるとの主張についてア戦争は,勝敗とは無関係に,当事国相互の膨大な数の人間の,生命・身体・財産等を傷つける紛争である。 イその解決は本来国家間において集団的になされるべきものであり,いかに正義・公平の理念を持ち出そうとも,安易に個別的救済がされるべきものではない。 ウしかも,戦争状態の終結後,賠償の問題を被害者間に公平に,また,戦後世界の実情に即して適正に解決できるのは,国家のみである(乙イ9)。 エ一審原告らの主張は安易に正義・公平の理念に頼るものであり,失当である。 (6) 国賠法附則6項の「従前の例」が国家無答責の法理を含むとすれば,憲法に違反するとの主張についてア一審原告らは,国賠法附則6項の「従前の例」が国家無答責の法理を含むとの解釈は憲法に違反すると主張する。 イ国賠法は憲法17条の授権により制定されたものであるが,同条は,国賠法施行前の行為に憲法の各規定ないしその根本精神を遡及して適用すべきことを定めたものではない。 ウまた,一般に,法令は,その施行後の行為に適用されることを予定して制定されるものであり,法的安定性にかんがみても,施行前の行為に適用されることは予定されていない。 エしたがって,(ア) 立法府が国賠法制定の際に,同法施行前の行為については国家無答責の法理が適用されることを前提に,「この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による」と定めて,国賠法の遡及的適用の規定を設けなかったことは合理的裁 法施行前の行為については国家無答責の法理が適用されることを前提に,「この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による」と定めて,国賠法の遡及的適用の規定を設けなかったことは合理的裁量の範囲内である。 (イ) 最高裁判所判例が戦後一貫して「従前の例」に国家無答責の法理を含めて解釈していることも,何ら憲法13条,98条及び民主主義,国民主権の理念に反するものではない。 3 時効と除斥期間(第8の3参照)(1) 一審被告会社の主張する民法724条前段の期間経過の仮定抗弁(一審被告会社)ア消滅時効期間の経過とその援用(ア)a 一審原告らは,遅くとも1945年(昭和20年)11月22日,日本を出国し,同月29日ころ塘沽に到着し,そのころまでに不法行為状態を脱した。 b また,遅くとも終戦から1年後の1946年8月15日までには,故郷に帰り着いて不法行為状態を脱した。 c 日本国と中国は,1978年(昭和53年)10月23日,日中平和友好条約を締結し,正式に国交を回復した。 (イ) 一審原告らの本訴提起は,上記各時点から3年以上経過後である。 (ウ) 一審被告会社は,本訴において,上記消滅時効を援用する。 (一審原告らの反論)ア消滅時効期間の起算点(ア) 基本的考え方a 消滅時効の存在理由の一つには「権利の上に眠れる者を保護しない」という考え方があるが,これは,客観的に権利を行使し得るのにこれを放置したとの事情があって初めて妥当する。 b したがって,上記消滅時効の起算点は,被害者が,客観的に権利行使が可能な状況の下において,具体的な事実関係に基づいて加害者に対する権利行使ができることを認識した時と解すべきである。 (イ) 本件における考慮事情本件において時効の起算点をいつとすべきかを判断するに当たっては,次 て,具体的な事実関係に基づいて加害者に対する権利行使ができることを認識した時と解すべきである。 (イ) 本件における考慮事情本件において時効の起算点をいつとすべきかを判断するに当たっては,次の事情を考慮する必要がある。 a 一審原告らが中華人民共和国の国民であることに基づくもの① 日本と中華人民共和国の間には,1972年(昭和47年)9月29日の日中共同声明署名に至るまで国交がなかった。 ② 国交正常化後も,中華人民共和国民は,1986年(昭和61年)2月1日に公民出国入国管理法が施行されるまで,私事を理由としては出国することができなかった。 ③ 中華人民共和国は,すべての地域を外国人に開放することをしない等,きびしい入国規制を設けており,日本人の側から一審原告らに接触を試みることも困難であった。 b 日中共同声明との関係① 日中共同声明5項には,「中華人民共和国政府は,中日両国国民の友好のために,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」と,個人としての損害賠償請求はできないと受けとられ兼ねない記載があった。 ② 本人の意思に基づかずに日本で強制労働に従事させられた一審原告らが,被控訴人国や加害企業に対し損害賠償請求をすることが政治的,社会的に可能となったのは,1995年(平成7年)3月9日,銭其シン外相が,「対日戦争賠償問題について,日中共同声明で放棄したのは国家間の賠償であって,個人の賠償請求は含まれず,賠償の請求は国民の権利であり,中国政府は干渉すべきでない」旨発言した時であった。 c 証拠との関係① 一審原告らは,どこで働くかも知らされずに来日したものであり,国交がなかったこともあって,一審被告会社の正確な名称さえ知りえない状態であった。 ② 手掛かりとなるのは,唯一,外務省報告書と事業場報 一審原告らは,どこで働くかも知らされずに来日したものであり,国交がなかったこともあって,一審被告会社の正確な名称さえ知りえない状態であった。 ② 手掛かりとなるのは,唯一,外務省報告書と事業場報告書のみであったが,被控訴人国は,戦後一貫して外務省報告書の存在を否定し,その存在が公的に認められたのはようやく1993年(平成5年)5月17日にNHKがスクープ報道をしてからであった。 d 法律家との接触の困難① 被控訴人国及び一審被告会社は,資料がない等として一審原告らが強制連行され,強制労働に従事させられたことを認めないから,損害賠償請求権を行使するには訴訟によるほかなかった。 ② しかし,aないしcの事情により,一審原告らが日本人の弁護士に接触することは客観的に不可能であり,本件訴訟代理人らに本訴遂行を依頼することができたのは,ようやく2000年(平成12年)4月になってであった。 (ウ) 時効の起算点以上によれば,一審原告らとの関係では,民法724条前段の時効の起算点は,一審原告らが本件訴訟代理人らに面談し,訴訟提起を依頼した2000年(平成12年)4月と解すべきである。 イ信義則違反ないし権利濫用(ア) 総論加害者が時効を援用することが信義に反し,その結果が,著しく正義・公平に反するときは,当該援用は権利の濫用として排斥されるべきである。 (イ) 判断基準a 時効の存在理由は,① 権利の上に眠れる者を保護しない② 立証採証の困難性③ 法的安定性の3点である。 b 上記時効の存在理由と時効は権利消滅という重大な効果をもたらすものであるという点を併せ考えると,権利濫用が認められるための判断基準(要件)は,次のとおり考えるのが相当である。 ① 権利不行使につき,「権利の上に眠る者」との評価が 消滅という重大な効果をもたらすものであるという点を併せ考えると,権利濫用が認められるための判断基準(要件)は,次のとおり考えるのが相当である。 ① 権利不行使につき,「権利の上に眠る者」との評価が妥当しないこと② 義務の不履行が明白で,時の経過による「攻撃防御・採証上の困難」がないこと③ 権利の性質や加害者と被害者との関係等から,時の経過の一事によって権利を消滅させる「公益性」に乏しいこと(ウ) 運用の在り方そして,運用の在り方としては,時効が権利消滅という重大な効果をもたらすものであることを考えれば,(イ)bの判断基準(要件)を満たすときには,積極的に時効援用を制限するのが相当である。 (エ) 本件において考慮すべき諸事情a 権利の上に眠れる者との評価が妥当するか一審原告らが反論した(ア(イ)d②参照)とおり,その権利を行使することは,2000年(平成12年)4月に至るまで客観的に不可能であった。 したがって,一審原告らは,「権利の上に眠れる者」ではない。 b 義務の不履行が明白で,時の経過による攻撃防御・採証上の困難がないか① 被控訴人国及び受入企業が中国人労働者に対し被害回復のために賠償義務を尽くすべきことは,これを具体化した「華人労務者帰国取扱要領」が定められたこと等からも明らかなとおり,少なくとも終戦直後においては,一般的な認識であり,義務の存在は明白である。 ② 一審被告会社は,各人個別の事情は別として,外務省報告書及び事業場報告書により,全体としての状況はこれを把握することができる。 ③ 本件は不法行為に基づく損害賠償を求めるものであるから,反証はともかく,弁済その他の抗弁は考えにくく,加害者側の立証にそれほど意を用いる必要がない。 ④ 以上によれば,本件は,義務の不履行が明白であって, 不法行為に基づく損害賠償を求めるものであるから,反証はともかく,弁済その他の抗弁は考えにくく,加害者側の立証にそれほど意を用いる必要がない。 ④ 以上によれば,本件は,義務の不履行が明白であって,時の経過による攻撃防御・採証上の困難がない。 c 権利を消滅させることの相当性① 一審原告らが強制的に連行された態様と日本において受けた処遇は,別表2,同3のとおりであって,加害行為は人間としての尊厳を根本から否定する残虐,非道なものであり,一審原告らの被った損害は甚大である。これを救済する必要は極めて大きい。 ② これに対し,一審被告会社は,既述のとおり,被控訴人国とともに,一審原告らがその権利を行使するのを妨害ないし阻害した。 ③ にもかかわらず,一審被告会社は,被控訴人国から,774万5206円(現在の貨幣価値に換算すると,数十億円に当たる。)の損失補償を受けた。 ④ 両者の関係を考えると,時の経過の一事をもって一審原告らの不法行為に基づく損害賠償請求権を消滅させることの公益性は乏しい。 (オ) まとめ以上の諸事情を総合判断すると,一審被告会社が本件において民法724条前段の時効を援用することは信義則に反し,権利の濫用に当たるというべきである。 (2) 一審被告会社及び被控訴人国が主張する民法724条後段の期間経過の仮定抗弁(一審被告会社)ア一審原告らが主張する不法行為は,遅くとも1945年(昭和20年)8月15日までには終了し,一審原告らは,それから一年後の遅くとも1946年(昭和21年)8月15日までに不法行為状態を脱した。 イ 1966年8月15日(昭和41年)の経過により,上記不法行為の時から20年が経過した。 ウ民法724条後段は,不法行為による損害賠償請求権は不法行為の時から20年を経過し 為状態を脱した。 イ 1966年8月15日(昭和41年)の経過により,上記不法行為の時から20年が経過した。 ウ民法724条後段は,不法行為による損害賠償請求権は不法行為の時から20年を経過した時に消滅する旨規定する。 エこれは,最高裁判所第一小法廷平成元年12月21日判決・民集43巻12号2209頁(以下「平成元年判決」という。)及び同第二小法廷平成10年6月12日判決・民集52巻4号1087頁(以下「平成10年判決」という。)が判示するとおり,不法行為によって発生した損害賠償請求権の除斥期間を定めたものである。 オしたがって,一審原告らの一審被告会社に対する不法行為に基づく損害賠償請求権は,1966年(昭和41年)8月15日の経過により消滅したところ,一審原告らの本訴提起は,同消滅後のものである。 (被控訴人国)ア平成元年判決及び平成10年判決が判示するとおり,民法724条後段の規定は,不法行為によって発生した損害賠償請求権の除斥期間を定めたものである。 イしたがって,不法行為による損害賠償を求める訴えが除斥期間経過後に提起された場合には,裁判所は,当事者からの主張がなくても,除斥期間の経過により当該請求権が消滅したものと判断すべきである。 ウ一審原告らが戦前の不法行為として主張するところは,明らかに本件提訴より20年以上前の行為を問題とするものである。 エ一審原告らは,平成10年判決の射程距離を考えずに,民法158条ないし161条に規定する権利行使を不能ないし困難ならしめる事由を全く主張しないで,著しく正義・公平の理念に反する場合には上記除斥期間の効果が排除されるべきであると主張するにすぎない。 オよって,一審原告らの求める不法行為に基づく損害賠償請求権は,仮に,その成立が認められるとしても,上記除斥期間の経過によ る場合には上記除斥期間の効果が排除されるべきであると主張するにすぎない。 オよって,一審原告らの求める不法行為に基づく損害賠償請求権は,仮に,その成立が認められるとしても,上記除斥期間の経過により,本訴提起の時点で既に消滅している。 (一審原告らの反論)ア民法724条後段の定める期間の法的性質同条後段の沿革,立法趣旨,法文の文言,不法行為責任について時効として二重の期間制限を設けている諸外国の立法例,及び被害者の権利行使は予期しない外部的事情により妨げられることが多いこと等を考慮すると,同条後段は,長期時効期間を定めたものと解すべきである。 イ同条後段の定める期間の起算点(ア) 総論a 同条後段は長期時効を定めたものである。 b 時効制度の存在理由の一つには,権利の上に眠る者を保護しないという思想がある。 c したがって,いまだ権利が発生していないときは,いかなる権利も行使のしようがないのであるから,その起算点は,不法行為時ではなく,損害が発生し,被害者の権利行使が客観的,一般的に期待できる状況になった時と解すべきである。 (イ) 本件における起算点a 被控訴人国及び一審被告会社の加害行為は,「1(4) 戦後の不法行為責任」中の(一審原告らの主張)「ア不法行為の事実」のとおり,現在も継続している。 b また,損害は現在も拡大し続けている。 c したがって,被控訴人国及び一審被告会社に対する不法行為に基づく損害賠償請求権は,同条後段の関係ではいまだ時効が進行を始めていない。 ウ民法724条後段の効果制限(ア) 総論a 仮に,同条後段の定める期間が除斥期間であるとしても,除斥期間の適用の結果が著しく正義・公平に反し,その効果を制限することが条理にかなうと認められる場合は,除斥期間の効果は制限されるべ 論a 仮に,同条後段の定める期間が除斥期間であるとしても,除斥期間の適用の結果が著しく正義・公平に反し,その効果を制限することが条理にかなうと認められる場合は,除斥期間の効果は制限されるべきであるところ,平成10年判決はその理を認めたものである。 b 正義・公平の理念の重要性にかんがみれば,同判決は除斥期間の効果が制限される場合を例示したものであって,これを限定的に解すべきではない。 (イ) 判断基準a 除斥期間の効果を制限するのは,法的安定性を犠牲にしても,被害者を保護すべき事情が存する場合に対処するためである。 b したがって,その判断基準(要件)は,時効の援用が信義則ないし権利濫用として制限される場合と同じく,次のように考えるべきである。 ① 権利不行使につき,「権利の上に眠る者」との評価が妥当しないこと② 義務の不履行が明白で,時の経過による「攻撃防御・採証上の困難」がないこと③ 権利の性質や加害者と被害者との関係等から,時の経過の一事によって権利を消滅させる「公益性」に乏しいこと(ウ) 運用の在り方そして,除斥期間は,中断も停止も認めず,時の経過という一事をもって権利消滅という重大な効果を生じせしめるものであるから,(イ)の判断基準(要件)を満たすときには,積極的に除斥期間の効果制限を認めるのが相当である。 (エ) 本件において考慮すべき諸事情(1)中の(一審原告らの反論)イ(ウ)と同旨である。 (オ) まとめ以上によれば,本件においては,被控訴人国についても,一審被告会社についても,民法724条後段の効果は制限されるべきである。 (3) 戦前の保護義務違反の主張に対する一審被告会社の仮定抗弁(一審被告会社の主張)ア仮に,一審被告会社と一審原告らとの間に,事実上の契約関係に基づく保護義務 段の効果は制限されるべきである。 (3) 戦前の保護義務違反の主張に対する一審被告会社の仮定抗弁(一審被告会社の主張)ア仮に,一審被告会社と一審原告らとの間に,事実上の契約関係に基づく保護義務が発生していたとしても,同関係は,一審原告らが日本から出国した1945年(昭和20年)11月22日には終了した。 イその時から,1955年(昭和30年)11月22日の経過により10年が経過した。 ウ一審被告会社は,本訴において,上記消滅時効を援用する。 (一審原告らの反論)ア時効の起算点保護義務違反の関係でも,(1)中の(一審原告らの反論)アと同様,時効の起算点は,一審原告らが本件訴訟代理人らに面談し,訴訟提起を依頼した2000年(平成12年)4月と解すべきである。 イ信義則違反ないし権利濫用(1)中の(一審原告らの反論)イと同じ。 4 戦後処理を巡る諸問題(第8の4参照)(被控訴人国の主張)(1) 戦争によって個人に生じた被害を回復する方法についての総論ア戦争による被害は,勝敗とは無関係に,戦争当事国及び相互の国民の広範囲に発生する。 イかかる戦争行為によって生じた被害の賠償問題は,戦後の講和条約によって解決が図られるが,一般的に,賠償その他戦争関係から生じた請求権の主体は,国際法上の他の行為により生じた請求権の主体と同様,常に国家である。すなわち,国民個人の受けた被害は,国際法的には国家の被害と解され,国家が相手国に対して固有の請求権を行使することになるのであって,国民が個人として請求権を行使し得るのは,例外的に,条約で,被害者である国民個人に対して,請求権者として直接必要な措置をとる方法を設けた場合のみである。 ウ現実にも,第二次世界大戦後は,戦後賠償問題の解決に当たって,当事国内部の利害を調整した上で, 約で,被害者である国民個人に対して,請求権者として直接必要な措置をとる方法を設けた場合のみである。 ウ現実にも,第二次世界大戦後は,戦後賠償問題の解決に当たって,当事国内部の利害を調整した上で,当事国が国家及びその国民が被った被害を一体としてとらえ,相手国と統一的に交渉することによって賠償問題に最終的な決着を図ることとされ,個々の国民の被害については,原則として,賠償を受けた当該当事国の国内問題として,各国がその国の財政事情等を考慮し,救済立法を行うなどして解決が図られている。 (2) サンフランシスコ平和条約の締結とこれによる連合国国民に対する被控訴人国の損害賠償義務の消滅ア日本国は,上記理解のもと,1951年(昭和26年)9月8日,連合国中の45か国と,サンフランシスコ平和条約を締結した。 イ同条約14条(b)は,「この条約に別段の定がある場合を除き,連合国は,連合国のすべての賠償請求権,戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する」旨を規定している。 ウこれは,連合国の国民が個人として有する請求権を失わしめるものではないが,仮に,連合国の国民が国内法上の請求権に基づき請求をしても,被控訴人国はこれに応じるべき法律上の義務がないこと,その義務は同条約が効力を生じることにより消滅することを定めたものである。 エ同条約は,1952年(昭和27年)4月28日公布され,効力を生じた。 (3) 日華平和条約の締結と中国国民の請求に応じるべき義務の消滅ア中華民国は,サンフランシスコ平和条約の当事国とはならなかったが,日本国と中華民国は,同条約発効日の上記1952年4月28日,両国間の戦争状態を終了させるため,日華平和条約に署名した。 イ 滅ア中華民国は,サンフランシスコ平和条約の当事国とはならなかったが,日本国と中華民国は,同条約発効日の上記1952年4月28日,両国間の戦争状態を終了させるため,日華平和条約に署名した。 イ日華平和条約11条は,「この条約及びこれを補足する文書に別段の定がある場合を除く外,日本国と中華民国との間に戦争状態の存在の結果として生じた問題は,サンフランシスコ平和条約の相当規定に従って解決するものとする」と規定した。 ウここでいう「サンフランシスコ平和条約の相当規定」には,当然,同条約14条(b)も含まれるから,被控訴人国は,これにより,日華平和条約が発効したときには,中華民国の国民に対する関係でも,同国民のする国内法上の請求権に基づく請求に応じるべき法律上の義務を負わないことになった。 エ(ア) 当時,中華民国政府は,中国大陸についての実効的支配を失い,台湾及び澎湖列島を実効支配するにすぎなかった。 (イ) しかし,戦争は,国家と国家との関係として捉えられるべき事柄であり,終戦処理の一部である賠償及び請求権の問題も国際法上の当事者としての国家間において最終的に処理されるべき事項であるから,国家内における適用地域による限定を受ける性質のものではない。 (ウ) 当時,中華民国政府は,同政府が中国を代表する正統政府であると主張し,被控訴人国は,これを承認して日華平和条約を締結したのであるから,同条約は,当時中華人民共和国が実効的に支配をしていた大陸に在住する中国人との関係でも効力を有する。 オ日華平和条約は,1952年(昭和27年)8月5日,公布され,効力を生じた。 (4) 日中共同声明による再確認ア日本国と中華人民共和国は,1972年(昭和47年)9月29日,日中共同声明に署名した。 イその5項には,「中華人民共和国政府は,中 公布され,効力を生じた。 (4) 日中共同声明による再確認ア日本国と中華人民共和国は,1972年(昭和47年)9月29日,日中共同声明に署名した。 イその5項には,「中華人民共和国政府は,中日両国国民の友好のために,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」旨うたっている。 ウ(ア) しかし,戦争状態の終了,賠償,財産及び請求権の問題は一度限りの処分行為である。 (イ) 日本国政府は,中華民国との間で日華平和条約を締結したのであるから,先の大戦にかかる日中間の戦争状態の終了,賠償,財産及び請求権の問題は,同条約により法的に完全かつ最終的に解決済みである。 エ(ア) そこで,日本国政府は,日中共同声明に署名するに先だち,上記認識を明確に表明し,その旨を主張して交渉をした。 (イ) 中華人民共和国は,その趣旨を十分理解した上,日中共同声明に署名した。 オしたがって,同声明5項は,中国国民が国内法上の請求権に基づいて日本国に請求をしても,被控訴人国のこれに応じるべき義務は日華平和条約が効力を生じる時に消滅するとの同条約11条の趣旨を再確認したものである。 (一審被告会社の主張)(1) 個人は戦争賠償の主体とはなり得ないことア戦争により国民個人の受けた被害は,国際法的には国家の被害である。 イ戦争行為に基づく損害の賠償請求権は,原則として国家が国家に対し行使すべきものであって,個人には国際法上主体性が認められず,これを行使することはできない。 ウしたがって,個人として損害賠償を求める一審原告らの請求は失当である。 (2) 請求権の放棄ア日本と連合国は,1952年(昭和27年)4月28日,サンフランシスコ平和条約を締結し,連合国国民は,これにより,戦争遂行過程で被った損害の賠償を求める権利を放棄した。 (2) 請求権の放棄ア日本と連合国は,1952年(昭和27年)4月28日,サンフランシスコ平和条約を締結し,連合国国民は,これにより,戦争遂行過程で被った損害の賠償を求める権利を放棄した。 イ(ア) 日本は,中華民国との間で,1952年4月28日,日華平和条約を締結した。 (イ) 同条約11条は,「この条約及びこれを補足する文書に別段の定がある場合を除く外,日本国と中華民国との間に戦争状態の存在の結果として生じた問題は,サンフランシスコ平和条約の相当規定に従って解決するものとする」と規定する。 (ウ) 中華民国国民は,これにより,戦争遂行過程で被った損害の賠償を求める権利を放棄した。 ウ(ア) 日本と中華人民共和国は,1972年(昭和47年)9月29日,日中共同声明に署名し,1978年(昭和53年)8月12日,日中平和友好条約に署名し,同年10月23日発効した。 (イ) 同声明の5項には,「中華人民共和国政府は,中日両国国民の友好のために,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」とうたっており,この定めは日中平和友好条約の前文において,厳格に遵守されるべきことが確認されている。 (ウ) 中華人民共和国の国民は,(ア)及び(イ)により,戦争被害の賠償を求める権利を最終的に放棄した。 (3) まとめ以上のとおり,一審原告らの損害は,国家としての中華人民共和国の被害として国際法上取り扱われるべきものであるところ,かかる被害に関する損害賠償請求権の問題は,日中共同声明及び日中平和友好条約により解決済みである。 よって,個人として被害の回復を求める一審原告らの請求には理由がない。 (一審原告らの主張)(1) 被控訴人国及び一審被告会社の「個人は国際法上の法主体となり得ない」とする主張についてア一審原告らは,個人 して被害の回復を求める一審原告らの請求には理由がない。 (一審原告らの主張)(1) 被控訴人国及び一審被告会社の「個人は国際法上の法主体となり得ない」とする主張についてア一審原告らは,個人として日本の国内法上の請求権に基づいて本訴請求をしているものであって,国際法上の賠償請求権を主張しているものではない。 イしたがって,被控訴人国及び一審被告会社のする「個人は国際法上の法主体となり得ない」との主張は,一審原告らの主張を正解しないものであり,理由がない。 (2) 国家は国民固有の損害賠償請求権を放棄できないこと,ないし被害国民からの請求に応じるべき被控訴人国の義務は消滅しないことア個人が自国政府を通じることなく,直接外国に賠償を請求することは個人固有の権利である。 イ国家は,当該国家が他の国家に対して有する国家としての賠償請求権や自国民の権利に関する外交保護権を条約で放棄することはできるが,国民が個人として有する賠償請求権は,個人の承諾がない限り,条約によっても,これを勝手に処分し,放棄することはできない。 ウよって,サンフランシスコ平和条約及び日華平和条約ないしは日中共同声明によって,一審原告らの被控訴人国及び一審被告会社に対する個人としての賠償請求権は放棄されたとする主張には理由がない。 エ被控訴人国の主張が「請求権そのものが消滅するのではなく,被控訴人国が請求に応じる義務が消滅する」とするものであるとしても,請求権を行使し得ないという点では効果は一緒であるから,やはりその主張には理由がない。 (3) 日華平和条約は一審原告らに対して効力を有しないことア日華平和条約が締結されたのは,1952年(昭和27年)4月28日である。 イその時点では,(ア) 中華人民共和国が成立しており,一審原告らは,同国 は一審原告らに対して効力を有しないことア日華平和条約が締結されたのは,1952年(昭和27年)4月28日である。 イその時点では,(ア) 中華人民共和国が成立しており,一審原告らは,同国に帰属していて,中華民国の国民ではなかったし,(イ) しかも,中華民国が実効的に支配をしていたのは台湾及び澎湖列島のみであって,一審原告らが居住する大陸はこれを支配していなかった。 ウしたがって,仮に,日華平和条約によって中華民国国民の被控訴人国ないし一審被告会社に対する請求権が消滅する,ないしは被控訴人国の中華民国国民の国内法上の請求権に基づく請求に応じる義務が消滅すると解し得る余地があるとしても,これが効力を有するのは,中華民国が実効的な支配をしている地域内に居住する同国国民についてのみであるから,同条約の効力は一審原告らには及ばない。 (4) 日中共同声明においては国民の請求権は放棄されていないことア日中共同声明5項は,単に,「中華人民共和国政府は,…日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」とのみうたい,サンフランシスコ平和条約,日華平和条約及びその他の多数の国々との間の講和条約とは異なり,「国民の」請求権を放棄するとはうたっていない。 イ一審原告らは中華人民共和国の国民であるから,本件においてまず検討されるべきは,日本国と中華人民共和国との間の戦争賠償に関する唯一の合意文書である日中共同声明である。 ウしたがって,一審原告らが個人として被った被害についての賠償請求権は,同声明によっては,放棄されていないし,被控訴人国のこれに応じる義務も消滅していない。 (5) 被控訴人国の主張は禁反言の法理に反することア日ソ共同宣言6項には,「日本国及びソ連は,…戦争の結果として生じたそれぞれの国,その団体及び国民 人国のこれに応じる義務も消滅していない。 (5) 被控訴人国の主張は禁反言の法理に反することア日ソ共同宣言6項には,「日本国及びソ連は,…戦争の結果として生じたそれぞれの国,その団体及び国民のそれぞれ他方の国,その団体及び国民に対するすべての請求権を,相互に,放棄する」と規定されている。 イ日本政府は,従前,サンフランシスコ平和条約19条(a)や日ソ共同宣言6項における請求権放棄条項の解釈について,「我が国が放棄した請求権は,国家としての我が国自身の請求権及び外交保護権であり,日本国民が個人として有する請求権は放棄していない」との主張を繰り返してきた。 ウ被控訴人国の本訴における請求権放棄条項に関する主張はこれまでの国の主張と矛盾するものであり,条約当事者としての国際信義の観点からみても,禁反言の法理に反し,許されない。 5 因果関係と損害(第8の5参照)標記に関する当事者の主張は,原判決27頁10行目から28頁2行目までのとおりであるから,これを引用する。 第10 当裁判所の判断 1 戦前の不法行為責任の成否(第8の1(1)及び第9の1(1)参照)(1) 強制連行責任の有無先に認定した事実によれば,次のとおり認定判断される。 ア一審原告らの来日は強制連行か(ア) 一審原告らのうち,aB〔1〕は,八路軍の活動をしていて,日本の意向を体した中国人の武装団体に拘束され,bG〔5〕とH〔7〕は,突然家に押し入ってきた日本兵に銃を突きつけられ,理由も,行く先も告げられないまま,徐水県の焼酎工場ないし駅に連れて行かれ,cI〔12〕は,村の役人から国民党に入るよう勧められ,これを断ったことをきっかけに,何の説明も受けることなく,ライ水県の駅に連れて行かれ,dJ〔13〕は,農作業中,日本の意向を体した約3 cI〔12〕は,村の役人から国民党に入るよう勧められ,これを断ったことをきっかけに,何の説明も受けることなく,ライ水県の駅に連れて行かれ,dJ〔13〕は,農作業中,日本の意向を体した約30人の中国の役人(銃を持っていた。)に,何の説明も受けることなく,ライ水県の駅に連れて行かれ,e その余の一審原告らは,いずれも,村の役人から,保定市の飛行場造り等中国国内で労働に従事することについて,破格の好条件を提示され,あるいは義務であると言われ,欺罔されて,いずれもその真意に基づかず,家族のもとを離れた。 (イ) 一審原告らは,いずれも,日本に向かう船に乗り組むまでの段階で,日本に赴き,一審被告会社の田川鉱業所や三池鉱業所で働くことを承諾していない。 (ウ)a 一審原告らは,故郷を出た後,一部の者は石門等の集結地で一定の時を過ごし,また,一部の者はいきなり塘沽に連行され,日本に向かう船に乗船させられたが,その間,中国人の警察官や日本軍の兵士に周りを監視され,特に塘沽では,電流を通した鉄条網で周囲を囲まれた区画内で,逃亡しようとする者は殴られたり,銃で撃たれたりする環境のもとで拘束を受けて過ごさせられた。 b そのため,たとえ,この間に日本に連れて行かれる可能性が高いと判明しても,これを拒否する等,自らの意思を行動に移すことはもちろん,表明することさえ不可能であった。 (エ) 以上の諸点を踏まえ,第3の3(1)及び4(2)で認定した諸事実を総合すると,自国で家族とともに平穏に暮らしていた一審原告らが田川鉱業所や三池鉱業所で労働に従事するために日本に連れてこられたことは,これを人倫にもとる行為であり,強制的な連行であると評価せざるを得ない。 イ被控訴人国の責任の有無(ア) 一審原告らを含む中国人労働者の国内移入は,1942年閣 ために日本に連れてこられたことは,これを人倫にもとる行為であり,強制的な連行であると評価せざるを得ない。 イ被控訴人国の責任の有無(ア) 一審原告らを含む中国人労働者の国内移入は,1942年閣議決定,1944年次官会議決定等,被控訴人国の政策に基づいて行われた。 (イ)aG〔5〕とH〔7〕は日本兵によって拘束された。 bB〔1〕とJ〔13〕は日本の意向を体した中国人の武装団体に拘束された。 c その余の一審原告らも,日本の意向を体した日本と関係の深い中国行政機関の役人から欺罔され,あるいは脅迫されて家族のもとを離れた。 d 以上によれば,被控訴人国は,一審原告らが家族のもとを離れたことに密接不可分の深い関わりを持ち,直接ないし間接に一定の大きな役割を果たしたというべきである。 (ウ) 塘沽への輸送及び塘沽での監視には日本軍が一定の大きな役割を果たし,乗船するまでの一審原告らの身柄拘束にも深く関与した。 (エ) 一審原告らは,いずれも,華北労工協会によって,供出された者であるが,華北労工協会は,日本の意向を体した機関である華北政務委員会と北支那開発株式会社が折半で出資をして設立した機関であるから,同協会の行為は被控訴人国の指示下においてなされたと評価することができる。 (オ) 供出方法をみても,aB〔1〕は俘虜として訓練生供出されたものであるから,まさに被控訴人国によって供出されたと評価することができる。 b その余の一審原告らは,行政供出の方法によって供出されたが,当時これを担当した中国側行政機関はいずれも日本の意向を体した機関であったから,これも間接的には被控訴人国によって供出されたと評価することができる。 (カ) 以上によれば,被控訴人国は,一審原告らを日本へ強制連行した一連の過程で,直接ないし間接に大きく関与し, 関であったから,これも間接的には被控訴人国によって供出されたと評価することができる。 (カ) 以上によれば,被控訴人国は,一審原告らを日本へ強制連行した一連の過程で,直接ないし間接に大きく関与し,大きな役割を果たしたものとして,不法行為責任がある。 ウ一審被告会社の責任の有無(ア)a 企業は戦時下にあっても利潤をあげない限り,再生産及び拡大再生産を繰り返すことができない。 b 中国からの安価な労働力の移入は産業界もこれを熱望してきたところであった。 c 一審被告会社は当時日本有数の鉱業会社であり,石炭産業界の中核として,第3の1(3)アで認定したとおり,1942年閣議決定及び1944年次官会議決定等の政策が決定されるに当たって,これに深く関わった。 (イ)a 一審被告会社は,少なくとも本格移入に際しては,1944年次官会議決定の細目である華人労務者内地移入手続に従い,華人労務者移入雇用願を厚生省に提出し,中国人労働者の供出割当てを受けた。 bB〔1〕を除く一審原告らは,一審被告会社が希望して割当てを受けた者である。 (ウ)a 一審被告会社は,華北労工協会との契約書からも明らかなとおり,石門ないし塘沽で中国人労働者の引渡しを受けた後は,日本への輸送に責任者としてかかわった。 b 石門から塘沽への輸送が日本軍兵士の監視下で行われたこと,中国人労働者は少なくとも数日間を塘沽で過ごしたが,その間,日本軍及びその意向を体した中国人警察官の厳しい監視を受け,逃亡しようとした者は銃で撃たれる等,きびしい処遇を受けた。 c 一審被告会社の担当者は,輸送責任者としてこの状況をつぶさに見てきたのであるから,中国人労働者のすべて(ないし少なくともそのほとんど)が自らの意思に基づいて来日するのでないことは当然知り得る状況にあった。 (エ) ま は,輸送責任者としてこの状況をつぶさに見てきたのであるから,中国人労働者のすべて(ないし少なくともそのほとんど)が自らの意思に基づいて来日するのでないことは当然知り得る状況にあった。 (エ) また,一審被告会社の担当者は,輸送の責任者として,石門から,あるいは少なくとも塘沽から,自らの意思で来日するのでない一審原告らの輸送に実際にかかわり,これに深く関与した。 (オ) 以上によれば,一審被告会社は,一審原告らが家族のもとを離れることには直接関与していないとしても,日本へ強制的に連行された経緯を全体で捉えれば,これを十分知った上で,承認し,後日の自己の事業場における受入れと後記労働につながるものであるから,被控訴人国とともに上記強制連行の主要部分を一部共同して実行したものと評価することができる(民法719条1項)。被控訴人国と共同不法行為責任があるというのが相当である。 エまとめよって,一審原告らの来日は,これを強制連行であると評価するのが相当であり(以下「本件強制連行」という。),具体的な実行行為者を特定することはできないが,一審原告らを日本へ連行した一連の過程で,その実行に,(ア) 被控訴人国は,直接ないし間接に大きく関与し,大きな役割を果たしたものとして,(イ) 一審被告会社は,深く関与し,被控訴人国とともにその主要部分を一部共同したものとして,いずれも,民法709条,715条及び719条1項に基づき,共同不法行為責任を負うというのが相当である。 (2) 強制労働責任の有無先に認定した事実によれば,次のとおり認定判断される。 ア田川鉱業所や三池鉱業所で労働に従事したこと及びその間に受けた処遇は強制労働か(ア) 承諾の有無一審原告らは,いずれも,日本に向かう船に乗り組むまでの段階で,日本に赴き,一審被告会社の田 ア田川鉱業所や三池鉱業所で労働に従事したこと及びその間に受けた処遇は強制労働か(ア) 承諾の有無一審原告らは,いずれも,日本に向かう船に乗り組むまでの段階で,日本に赴き,一審被告会社の田川鉱業所や三池鉱業所で働くことを承諾していない(第3の4(3)アないしウ参照)。 (イ) 宿舎の環境a 宿舎には,防諜及び逃亡防止のため,見張り所が設けられた。 b 現場への往復は,職制の監視のもとで行われ,自由な外出も認められなかった。 c 逃亡する者があると,武力で制圧され,厳しい処分を受けた。 (ウ) 食事一審原告らは,第3の5(1)ウ,(2)イ及び別表3「食事」欄のとおり,重筋労働に従事するに足る十分な量と質の食事を与えられず,空腹に耐えながら,減食処分をも制裁の一内容とされて労働に従事せしめられた。 (エ) 安全衛生a 職場環境は,第3の5(1)オのとおり,死亡者と病人が続出する安全衛生に意を用いない劣悪なものであった。 b 第3の5(2)ウ(カ)及び別表3「その他特記事項」欄のとおり,H〔7〕と・O〔14〕は,落盤でけがをし,手術まで受けた。 (オ) 暴言と暴行a 一審原告らは,いずれも,日本語を解さず,一審被告会社の職制との間との意思疎通は極めて困難であった。 b 一審被告会社の職制は,第3の5(1)オ(オ),(2)ウ(オ)及び別表3「その他特記事項」欄のとおり,目標が達成できなかったり,うまく指示どおりに作業が行われなかったりすると,一審原告らに対し,「チャンコロ」,「バカヤロウ」等と暴言を吐いたり,殴ったり,蹴ったりする暴行を加えた。 cE〔10〕に至っては,ナタあるいはこれに類する工事用具をふるって大腿骨骨折までさせられた。 (カ) まとめa 確かに,一審被告会社が指摘するとおり,食事や宿舎等職場環境は,待 を加えた。 cE〔10〕に至っては,ナタあるいはこれに類する工事用具をふるって大腿骨骨折までさせられた。 (カ) まとめa 確かに,一審被告会社が指摘するとおり,食事や宿舎等職場環境は,待遇の問題であって,労働が強制されたものかと直接結びつくものではないし,疾病やけがは労働災害の問題であって,労働が意思に基づくものかとは直接結びつかない。 b しかし,好んで悪い処遇条件の下で働く者も,安全衛生に意を用いない劣悪な職場環境を是とする者もいない。待遇に不満を述べることすらできず,安全衛生を改善するよう要求することすらできず,唯々諾々と労働に従事しなければならなかったのは,一審原告らが地理もわからない異国(しかも敵国)に連れてこられ,見張りをつけられ,自由な外出もできない隷従状態で,逃亡した場合には官憲が武力により拘束する威嚇的な環境のもとで生活せざるを得なかったからであった。 c 一審原告らは,そのような環境の下,暴力と暴言により,自由な意思を表明することもできず,減食処分すら制裁の一内容とされながら,敵国のために,その意思に基づかない労働に従事せざるを得なかった。 d 以上の諸点に,第3の5の認定事実を併せると,一審原告らは,田川鉱業所や三池鉱業所において,敵国の国家要員と位置付けられて意に沿わない労働に従事させられたに等しく,このことは,人倫にもとる人間の尊厳を著しく傷つける違法な行為であり,強制労働であると評価せざるを得ない。 e 一審被告会社は,当時は日本人も食糧事情が悪かったとか,当時の中国の事情と比較すると,一審原告らの待遇は決して劣悪なものではなかったとも主張する。しかし,貧しくとも,自らの意思で,家族その他知己に囲まれて送る生活と,他国に無理やり連れてこられ,敵国のために労働に従事せざるを得ないのとでは らの待遇は決して劣悪なものではなかったとも主張する。しかし,貧しくとも,自らの意思で,家族その他知己に囲まれて送る生活と,他国に無理やり連れてこられ,敵国のために労働に従事せざるを得ないのとでは,同じ生活条件でも,質的な差があり,精神的満足度は明らかに異なる。一審原告らは,人間性を疎外する処遇を受けていたというべきであり,その点を見ない一審被告会社の主張は失当であり,採用できない。 イ一審被告会社の責任の有無(ア) 一審被告会社は,一審原告らを直接支配して処遇条件を定め,労働に従事させた。 (イ) この点につき,一審被告会社は,軍需会社法その他の戦時経済法制をあげ,当時一審被告会社は軍需会社に指定され,労働条件は被控訴人国の指示に従わざるを得ず,一審被告会社には裁量の余地はなかったから,何らの責任もないと主張する。 (ウ)a 確かに,国家総動員法,重要事業場労務管理令,軍需会社法その他の戦時経済法制は,被控訴人国が軍需会社に対し一定の支配権を有することを定めてはいるが,あくまで私企業が自主的に経済的活動を行うことを前提としている。 b 実際,田川鉱業所と三池鉱業所が華北労工協会と交わした契約書によれば,いずれも一審被告会社が軍需会社に指定された後の契約でありながら,両者では,支払うべき賃金の額が異なっている(第3の4(1)ア(イ)e②及びイ(イ)d②参照)。また,宿舎の規格や,食事の内容も両鉱業所では完全に同一ではなく,一審原告らが食事その他の処遇について体験したところにも両鉱業所間で幾分のずれがある。 c 全体を通覧しても,外務省報告書によれば,具体的な処遇条件は,全国の各事業所で相当に異なっていた。 (エ) 以上によれば,一審被告会社は,一審原告らを,自己の責任において,直接使用したものとして,一審原告らを,「或者が処罰 報告書によれば,具体的な処遇条件は,全国の各事業所で相当に異なっていた。 (エ) 以上によれば,一審被告会社は,一審原告らを,自己の責任において,直接使用したものとして,一審原告らを,「或者が処罰の脅威の下に強要せられ且右の者が自ら任意に申出でたるに非ざる一切の労務」(強制労働禁止条約2条1項は強制労働をこう定義している。)に該当するような労働をさせたものというべきであり,強制労働と評価することができる(以下「本件強制労働」という。)。一審被告会社の(イ)の主張は,採用できない。 ウ被控訴人国の責任の有無(ア) 被控訴人国は,一審原告らを直接使用したものではない。 (イ) しかし,一審原告らは,戦争を遂行するに当たって,軍需産業の重筋労働部門の労働力不足を補うため,国策として労働に従事せしめられた。 (ウ) 被控訴人国は,国家総動員法,重要事業場労務管理令,軍需会社法その他によって,建前上では,軍需会社に指定した一審被告会社の経営,人事を支配し,労務管理権を有していた。 (エ) 内務省は,「移入華人労務者取締要領」等に基づき,官憲を派遣し,事業場関係者と定例的に会議を開きながら,田川鉱業所及び三池鉱業所において,実際にも一審原告らの日常警備と取締りに当たった。 (オ) 以上によれば,被控訴人国は,一審被告会社が一審原告らを田川鉱業所や三池鉱業所で強制的に労働に従事せしめるに当たって,それを幇助したものと評価することができる(民法719条2項)から,一審被告会社と共同不法行為責任があるというのが相当である。被控訴人国が,強制労働の内容につき,異を唱えていれば,一審被告会社が上記強制労働を強い得たはずがない。本来,悪をなし得ない,なしてはいけない高い道義性が要求されるのが,国の在るべき姿である。 一審原告らを使用したのは被控訴人国では ,異を唱えていれば,一審被告会社が上記強制労働を強い得たはずがない。本来,悪をなし得ない,なしてはいけない高い道義性が要求されるのが,国の在るべき姿である。 一審原告らを使用したのは被控訴人国ではないと主張して,本件強制労働に関する責任を回避しようとする弁解は,現在はもちろん当時も許されるべきではない。 (3) 不法行為責任の成否(まとめ)以上によれば,次のとおり判断される。 ア家族とともに平穏に暮らしている外国人を,その意に反して他国に強制連行した上,安全衛生に十分な意を用いない劣悪な職場環境で,十分な食事を与えず,食事制限をも制裁の一内容として,暴力と暴言により,人を隷従させて敵国のために強制労働させることは,(ア) ハーグ陸戦条約,(イ) 労働者募集規則その他の労働者保護法制,強制労働禁止条約等の解釈を待つまでもなく,人間の尊厳に著しく背く行為である。 イしかも,本件強制連行・強制労働は,手段・目的として不即不離の関係にあった。 ウしてみれば,被控訴人国と一審被告会社は,民法709条,715条及び719条1,2項により,連帯して,本件強制連行・強制労働により一審原告らが被った損害を賠償する責任があるというのが相当である。 2 国家無答責の法理について(被控訴人国のみ主張)(第8の2及び第9の2参照)そこで,進んで,国家無答責の法理により,被控訴人国は本件強制連行・強制労働の責任を負うことはない,との主張について判断する。 (1) 旧憲法下(正確には国賠法施行前。以下同じ。)において,複数の事例において,大審院判例は,民法の不法行為に関する規定は公務員の権力的作用には適用がないとの解釈をとり,国家の権力的作用に基づき,個人に損害が生じても,国に不法行為責任を認めていなかったことは被控訴人国の主張するとおりである。 (2 行為に関する規定は公務員の権力的作用には適用がないとの解釈をとり,国家の権力的作用に基づき,個人に損害が生じても,国に不法行為責任を認めていなかったことは被控訴人国の主張するとおりである。 (2)ア公権力の作用に基づく不法行為は,公権力の行使の適否が判断の対象となるという意味では公法的な色彩を有している。 イ公務員の権力的作用に基づいて個人に損害が発生したときに国又は公共団体に責任を負わせるか,負わせるとして,それにどのような要件を定め,どの範囲で責任を負わせるかは,各国の立法裁量にゆだねられていることも,被控訴人国主張のとおりである。 ウその意味では,旧民法の立法過程における諸議論及び民法715条の立法過程における諸議論をあげて,特別法を設けて責任を認めなかった以上,国家に責任を認める余地はないとする被控訴人国の主張には傾聴すべきものがある。 (3)アしかし,公務員の権力的作用に基づく不法行為は,私人の権利を侵害し,その被害回復が問題となっているという意味では,私法的な側面も有している。 イしたがって,旧憲法下で行われた公務員の権力的作用に基づく行為であっても,少なくとも現憲法下において判断をする限りにおいてもすべて国家は責任を負わないかは,いかに公益的側面を重視するとしても,慎重に考える必要がある。 (4) そこで検討するに,ア民法715条は,文理上,公務員の権力的作用に基づく行為を同条の適用から排除していない。 イ行政裁判法16条は,実体法上は公権力の行使に違法があった場合に国に損害賠償責任が生じることを前提としながら,行政裁判所は損害賠償請求訴訟を受理しないという訴訟手続上の定めをおいたものと解釈する余地がある。 (5)ア旧民法の制定過程で,当初の草案では「公ノ事務所」として国又は公共団体も不法行為 ながら,行政裁判所は損害賠償請求訴訟を受理しないという訴訟手続上の定めをおいたものと解釈する余地がある。 (5)ア旧民法の制定過程で,当初の草案では「公ノ事務所」として国又は公共団体も不法行為責任(使用者責任)を負うこととされていながら,後にこれが削除されたのは,公務員の権力的作用に基づく不法行為については特別の配慮を要すると考えられたためであると解される。 イしかし,我が国は成文法国家である。 (ア) 戦前も,原則的な規定としての民法709条,715条は存在していた。 (イ) 法理とは,字義どおりには,法の原理であるから,例外を許さないものを意味すると解される。 (ウ) しかし,公務員の権力的行為に基づく不法行為に関してはすべからく国の責任を否定すべきであるということについては,a 明確な実定法規定はなかったし,b 一種の法の欠缺であったと解することまでは許されようが,cbを超えて,当然に実体法上も,責任の成立要件がすべからく消極的に加重されている(公務員の権力的行為に基づかないもの)と解するのは法解釈としては異例である。 ウ(ア) すなわち,a 民法715条が公務員の権力的作用に基づく不法行為責任の発生する余地を文理上排斥しておらず,b 行政裁判法16条はともかく,実体法としての特別法が制定されていない以上,c 公務員の権力的作用に基づく不法行為について民法715条を適用するか否かの解釈は,国賠法施行前においても,判例にゆだねられたものと解さざるを得ない。 (イ) 大審院の判例が,当初は権力的作用と非権力的作用を問わず,私経済的作用を除くすべての公務員の行為に責任を認めていなかったのに,大正5年の遊動円棒事件判決以来,非権力的作用については民法の適用を認め,不法行為責任を肯定するように変遷してきたことも,そのよう 経済的作用を除くすべての公務員の行為に責任を認めていなかったのに,大正5年の遊動円棒事件判決以来,非権力的作用については民法の適用を認め,不法行為責任を肯定するように変遷してきたことも,そのように解して初めて合理的に説明し得る。 エ戦前の有力な学説も,国家無答責の法理につき,一致して支持していたわけでもなければ,異論がなかったわけでもない。 (6) 以上によれば,旧憲法下における事例であっても,すべての権力的作用に基づく行為について民法が適用されないとする法理があったというのは相当でなく,戦前の判例法理を前提としても,特段の事情がある場合には,国は不法行為責任を負わなければならないと解釈する余地は残されていたと解するのが相当である。 (7) そこで,本件をみるに,ア本件強制連行は,外国において,外国人に対し,しかも,B〔1〕を除いては,戦闘員でない平穏な暮らしをしている一般の市民に対して行われた行為である。 イ一審原告らを家族のもとから離れさせた目的は,敵国で働かせることであり,人間の尊厳に反するばかりか,たまたま一審原告らは,日本国の敗戦という出来事によって,いわば辛うじて生き残って祖国に帰ることはできたものの,多くの仲間は,連行の途中又は労働の過程で命まで失っており,そこには個人の生命,身体を尊重するという姿勢は全くといってよいほどかいま見ることができない。一審原告らが被った被害は甚大である。 (8)ア確かに,違法か否か,公序に反するか否かは,行為当時の法令と公序に照らして判断すべきものである(最高裁判所第二小法廷平成15年4月18日判決・民集57巻4号366頁,同大法廷昭和35年4月18日決定・民集14巻6号905頁参照) 。 イしかし,旧憲法下においても,個人の尊厳,人間的価値は否定されてよいものではない。 4月18日判決・民集57巻4号366頁,同大法廷昭和35年4月18日決定・民集14巻6号905頁参照) 。 イしかし,旧憲法下においても,個人の尊厳,人間的価値は否定されてよいものではない。 ウ平穏な暮らしをしている日本国の主権に服しない中国人を,いわば故意に暴力や欺罔を用いて家族のもとから切り離し,敵国に連行して強制的に労働に従事させることは,個人の尊厳,人間的価値を否定する,甚だしく人倫にもとる行為である。旧憲法の基礎をなす自然法に違背し,著しく正義・公平に反している。 エしてみると,本件強制連行・強制労働は,公務員の権力的作用に基づく行為ではあるが,正義・公平の理念に著しく反し,行為当時の法令と公序に照らしても許されない違法行為である。国家無答責の法理を適用して責任がないというのは不当であり,民法により不法行為責任が認められるべきものである。 (9) しかるに,被控訴人国は,国賠法附則6項が「この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による」と定めている点を捉え,戦前の行為には国家無答責の法理が適用され,国は責任を負わないと主張するので,次に判断する。 ア(ア) 一般に,法令の制定又は改廃があった場合において,新しい法令を一挙に適用すると,従来の法令の下で形成されてきた社会関係は大きな打撃を受けることがあるので,スムースに新しい制度に移行することができるように,一定の限度において旧制度を存続させたり,旧法令の効力を持続させたりする必要が生ずる。このために,法令の附則に置かれるのが経過措置を定めた経過規定であるが,「なお従前の例による」と「なおその効力を有する」は,ともにその経過規定の中において用いられる法令用語であり,前者は,旧法令又は改正前の法令の規定は完全に効力を失っており,「なお従前の例による が,「なお従前の例による」と「なおその効力を有する」は,ともにその経過規定の中において用いられる法令用語であり,前者は,旧法令又は改正前の法令の規定は完全に効力を失っており,「なお従前の例による」という規定だけが適用の根拠となっているのに対し,「なおその効力を有する」という場合には,この規定によって効力を有するものとされた旧法令又は改正前の法令の規定そのものが生きており,それが適用されるのである。したがって,「なお従前の例による」とは,改廃直前の法令を含めた法制度をそのままの状態で適用することを意味する(以上について,改訂版「最新やさしい法令用語の基礎知識」(田島信威著)508~509頁,有斐閣「法律用語辞典」649頁,1041~1042頁)。「なお従前の例による」との法令用語の身近な例として,他に,民事訴訟法附則4条1項以下がある。 (イ) 我が国は成文法国家ではあるものの,最上級審の判例は成文法を補うもの(としての法源)であると解されるから,ここにいう法制度とは判例上確立したものも含まれると解される。 (ウ) しかし,判例といっても,同種の事実,事件に対して事実上拘束力を持つにすぎないことに想到すれば,民法715条が公務員の権力的作用に基づく行為を文理上排斥せず,ほかにこれを否定する実定法がない以上,いわゆる国家無答責の法理は,実定法上の根拠に基づくものではなく,同法理を採用した判例も,国賠法施行前の当該事案限りの解決を示した事例判決であったと解するのが相当である。 イしかして,本件事案は,過去の国家無答責の法理の適用事例とされた事案とは全く異なっている。 ウしたがって,本件については,(ア) 国賠法が遡及適用されることはないが,(イ) 同法附則6項によっても,本件がいわゆる国家無答責の法理の適用対象となるか否かは,当 事案とは全く異なっている。 ウしたがって,本件については,(ア) 国賠法が遡及適用されることはないが,(イ) 同法附則6項によっても,本件がいわゆる国家無答責の法理の適用対象となるか否かは,当該事案の内容に即して判例の解釈するところにゆだねられているというのが相当であり,「従前の例による」との法令用語の意味が,被控訴人国の主張を根拠付けるものとは解されない。 エしてみると,国賠法施行前の判例の解釈としても,(ア) 本件強制連行・強制労働は民法の適用対象たり得るところ,(イ) 上記附則の存在にかかわらず,被控訴人国は民法上の責任を負うべきものと解するのが相当である。 オエの判断は,(ア) 戦前の判例法理によっても,本件においては不法行為責任が認められる余地があるとした上で,(イ) 昭和25年判決及びその他最上級審判例の事案とも,事実関係が異なるのであるから,それら判例に反するものでもない。 カ被控訴人国は,最高裁判所大法廷平成14年9月11日判決・民集56巻7号1439頁を引用して,現行憲法17条の下においても,国家賠償責任の要件の定立は「立法府の政策判断」にゆだねられていたと主張して,国家無答責の法理を根拠付けるかのようである。しかしながら,同判決は,国家賠償責任の要件の定立は立法府に無制限の裁量権を付与したものではなく,郵便法68条,73条の規定のうち,書留郵便物について,郵便業務従事者の故意又は重大な過失によって損害が生じた場合にも不法行為に基づく国の損害賠償責任を免除し,又は制限している部分は,憲法17条に反し無効であるといっている事例判決である。上記法理を根拠付けるものではない。 (10) 以上のとおりであって,本件についてはいわゆる国家無答責の法理は適用されず,1(3)ウの被控訴人国の責任は左右されない であるといっている事例判決である。上記法理を根拠付けるものではない。 (10) 以上のとおりであって,本件についてはいわゆる国家無答責の法理は適用されず,1(3)ウの被控訴人国の責任は左右されない。 3 時効と除斥期間について(第8の3及び第9の3参照)(1) 判断の順序ア一審被告会社は,請求権消滅の主張関係で,民法724条前段と後段の双方を主張している。したがって,どちらを先に判断すべきかは両者の法的性格,論理的関係をどう考えるのかともかかわって,問題のあるところである。 イしかし,両者は請求権消滅という点では効果を同じくするから,同条後段の期間経過により請求権が消滅していると判断されるなら,あえて同条前段の主張について検討する必要はない。 ウ被控訴人国は,請求権消滅の主張関係で,同条前段の主張はせず,同条後段のみを主張している。 エそこで,本件においては,まず,同条後段について判断し,その主張が認められないときに同条前段について判断を加えることとする。 (2) 民法724条後段の法意ア一審原告らは,民法724条後段(20年の期間)は長期時効を定めたものであると主張する。 イ確かに,同条前段において3年の短期時効期間を定め,同条後段では,「20年を経過したるとき亦同し」として長期の期間を定めている文言の体裁,立法者意思その他立法の沿革,母法であるドイツ民法が長期の期間制限(30年)を消滅時効期間としていること,諸外国の立法例及び被害者保護の観点等を勘案すると,有力な学説が論じるとおり,同条後段の期間は長期時効を定めたものであるとする一審原告らの主張は傾聴に値する。 ウしかし,極端な例ではあるが,百年前,二百年前のことでも,証拠さえはっきりしていれば,裁判上の請求が認められる可能性があるというのでは,法的 ものであるとする一審原告らの主張は傾聴に値する。 ウしかし,極端な例ではあるが,百年前,二百年前のことでも,証拠さえはっきりしていれば,裁判上の請求が認められる可能性があるというのでは,法的安定性を欠き,いかにも不適切である。 エしかして,法の目的の一つは,法的安定性を創り出すことにあることから分かるとおり,法的安定性は大変重視すべき考慮要素である。一定の時の経過により,どこかの時点で権利(請求権)が消滅すると規定するのは,法的安定性という別の意味での正義の一顕現としての法政策として,十分合理性があり,容認し得るところである。 オとすると,民法724条について,平成元年判決が判示するとおり,(ア) 同条前段の3年の時効は,損害及び加害者の認識という被害者側の主観的な事情によってその完成が左右されるが,(イ) 同条後段の20年の期間は,被害者側の認識いかんを問わず,一定の時の経過によって法律関係を確定させるため,請求権の存続期間を画一的に定めたもの(すなわち除斥期間)と解することには十分合理的な理由がある。 カ最高裁判所が,平成元年判決において民法724条後段の期間を除斥期間であると判示し,その後,学説から猛烈な批判が浴びせられても,第三小法廷平成2年3月6日判決(裁判集民集159号199頁),平成10年判決及び平成13年(受)第1760号第三小法廷平成16年4月27日判決とも判断を変えていないのは,その所以であろう。 キ以上の次第で,同条後段の期間は不法行為によって発生した損害賠償請求権についての除斥期間を定めたものと解するのが相当である。 (3) 民法724条後段の期間の起算点(1945年8月24日)ア民法724条後段を除斥期間と解する以上,法的安定性は重視すべきである。その起算点は同条後段の法文に従い,「不 るのが相当である。 (3) 民法724条後段の期間の起算点(1945年8月24日)ア民法724条後段を除斥期間と解する以上,法的安定性は重視すべきである。その起算点は同条後段の法文に従い,「不法行為の時」と解すべきであるが,本件強制連行・強制労働という一連の不法行為についての起算点としての「不法行為の時」は,後記(5)イ(ア)dで述べるとおり,本件強制連行に引き続き継続した本件強制労働が終了した1945年(昭和20年)8月24日と解するのが相当である。 イ(ア) 一審原告らは,行使できない権利が消滅するのは背理であるとして,同条後段の期間も,事実上,法律上の権利行使可能性を考慮して,その起算点を判断すべきであると主張する。 (イ) しかし,同条後段の除斥期間は,a 前記したとおり,法的安定性の見地を第一義的に重要視し,被害者側の認識いかんを問わず,一定の時の経過によって法律関係を確定させるため,請求権の存続期間を画一的に定めるものであるから,その起算点については,時効と違って,被害者側の認識や権利行使可能性(民法166条1項参照)を考慮すべきではない。 b (ア)の主張は,法文(民法166条1項,724条)の文理解釈からも,法的安定性の見地からも,採用できない。 (4) 裁判所による民法724条後段の効果制限アところで,民法724条後段の期間を除斥期間と解すれば,被害者の有する真実の権利は,不法行為時から一定の期間が経過したという一事をもって消滅してしまうから,いかに法的安定性を重視するにしても,20年という期間は短きに過ぎるとの感を免れない事案もあろう。 イ法的安定性も重視すべき要素ではあるが,真実の権利者保護も司法に課せられた重要な使命である。法の目的は,法的安定性を創り出すとともに,正義を実現することにもあるからで を免れない事案もあろう。 イ法的安定性も重視すべき要素ではあるが,真実の権利者保護も司法に課せられた重要な使命である。法の目的は,法的安定性を創り出すとともに,正義を実現することにもあるからである。 ウ殊に,権利を行使する側に20年の除斥期間内に権利を行使することがおよそ不可能な事情があり,単に期間が経過したという一事情のみをもって権利が消滅したとすることは,国民の正義・公平の感情に著しく反する場合もあり得よう。 エ平成10年判決について同判決は,(ア)a 昭和27年5月19日に出生し,同年10月20日受けた集団予防接種により,同月27日ころから種々の症状が発症し,同35年1月ころには,高度の精神障害,知能障害,運動障害及び頻繁なけいれん発作を伴う寝たきりの状態になっていた被害者(心神喪失の常況にある。)が,同49年12月(上記接種後約22年2月経過),国家賠償請求訴訟を提起し,同59年10月19日(上記接種後約32年経過),被害者は禁治産宣告を受けて父親が後見人に就職し,同後見人が改めて同一弁護士に訴訟追行を委任し,同年11月1日(禁治産宣告後13日目),二審にその旨の訴訟委任状を提出し,同弁護士が以後の訴訟手続を追行した事案において,二審が民法724条後段(除斥期間)に基づき,請求権が消滅したと判断したのに対し,b 民法724条後段の規定を字義どおりに解し,不法行為の被害者が不法行為の時から20年を経過する前6か月内において心神喪失の常況にあるのに後見人を有しない場合にも,20年が経過する前に不法行為による損害賠償請求権を行使することができないまま請求権が消滅することになれば,被害者は,およそ権利行使が不可能であるのに,単に20年が経過したということのみをもって一切の権利行使が許されないこととなる反面,心神 求権を行使することができないまま請求権が消滅することになれば,被害者は,およそ権利行使が不可能であるのに,単に20年が経過したということのみをもって一切の権利行使が許されないこととなる反面,心神喪失の原因を与えた加害者は,20年の経過によって損害賠償義務を免れる結果となり,著しく正義・公平の理念に反する,このような場合にあっては,当該被害者を保護する必要があり,民法724条後段の効果を制限することは条理にもかなうとしたものである。 (イ) 正義・公平の観点を,法的安定性よりも重視すべき事案があり得ることの一例を示した事例判決であるといえよう。 オ民法724条後段(除斥期間)の効果制限についての解釈の指針(ア) 正義・公平といっても多義的であるし,法的安定性もその一顕現である。平成元年判決が判示するとおり,同法724条後段の20年の期間は,被害者側の認識いかんを問わないのであるから,法的安定性を重視して除斥期間を定めた民法の趣旨からして,平成10年判決の趣旨を安易に拡張して,裁判所による除斥期間の効果を制限することも相当ではない。 (イ) しかし,平成10年判決の事案と比較し,それに匹敵するような特段の事情がある場合には,著しく正義・公平の理念に反するものとして,法的安定性を犠牲にしてでも,民法724条後段の効果を制限することは条理にもかなうと解するのが相当である。 (ウ) 特段の事情としての考慮要素平成10年判決の事案を参考にすれば,特段の事情としての考慮要素を,次のとおり解するのが相当である。 a 加害行為の態様が悪質で,かつ,生じた被害も甚大で,看過し得ないこと(以下「要素A」という。)b 被害者が不法行為の時から20年を経過する前6か月内において心神喪失の常況にある等,除斥期間経過前に権利を行使することが客観的に不可能で 害も甚大で,看過し得ないこと(以下「要素A」という。)b 被害者が不法行為の時から20年を経過する前6か月内において心神喪失の常況にある等,除斥期間経過前に権利を行使することが客観的に不可能であること(以下「要素B」という。)c 加害者が積極的に証拠を隠滅し,又は提訴を妨害した等,除斥期間経過による権利消滅の利益を享受させることを不相当とする事情が存すること(以下「要素C」という。)d 被害者が,権利行使が可能になって速やかに権利を行使したこと(以下「要素D」という。)(エ) そこで,(ウ)にいう特段の事情としての考慮要素の有無について検討するが,重要な問題をはらむので,次に,項を改めて論じる。 (5) 本件における特段の事情としての考慮要素の有無前記認定判断及び適宜掲記した証拠によれば,次のとおり認定判断される。 ア被害の甚大性と行為態様の悪質性-救済の必要性-(要素A関係)(ア) 本件は,平穏な暮らしをしている中国人を,暴力や欺罔を用いて家族のもとから切り離し,敵国に強制的に連行した上,強制的に労働に従事させた甚だしく人倫にもとる不法行為である。 (イ) 本件訴訟と直接の関係はないが,強制的に連行された上,強制的に労働に従事させられたという意味では同様の境遇にあったFは,強制労働に耐え兼ねて,終戦直前,酷寒の北海道山中に逃亡し,その後戦争が終結したことも知らず,同山中で13年間もの逃亡生活を過ごした。同人に代表されるとおり,移入された中国人労働者は,日本人に著しく畏怖し,恐怖していた。 (ウ) 一審原告らも同じく中国から移入されてきた。塘沽では電流を通した鉄条網で囲まれた区域で,逃亡しようとすると銃で撃たれる等,輸送途中の状況は,極めて峻烈なものであった。その恐怖は田川,三池の各事業所に到着後も鮮明な記憶として 移入されてきた。塘沽では電流を通した鉄条網で囲まれた区域で,逃亡しようとすると銃で撃たれる等,輸送途中の状況は,極めて峻烈なものであった。その恐怖は田川,三池の各事業所に到着後も鮮明な記憶として消えなかったであろうことは想像に難くない。 (エ) 加えて,一審原告らは,E〔10〕が工事用具で殴りつけられて大腿骨を骨折させられたことで代表されるとおり,田川鉱業所や三池鉱業所においても,暴力と暴言により隷従的状態で労働に従事させられた。 イ除斥期間内に権利行使することの困難性(要素B関係)(ア) 帰国前a 一審原告らと一審被告会社との間では契約が結ばれていなかった。 b 一審原告らは,一定期間を田川鉱業所や三池鉱業所で過ごしたことから,三井や三池の名前を覚えているが,正式には,自分が何という法人で働かされたのかも正確に教えられていない。 c 日本に上陸後はそのまま直接事業場に輸送され,以後外出が禁じられていたので,場所についても正確な記憶はない。 d 不法行為の終了時(1945年(昭和20年)8月24日)から同年11月22日,事業場を出発し,同月24日,故郷へ帰るべく船に乗船するまでには約3ヶ月の期間があるが,アの諸事情を勘案すると,その間に上記不法行為に基づく請求権を行使し得る状態にはなかったし,そのための準備として,加害者名を調べたり,背景事情を調査したりすることも事実上不可能であった。 (イ) 帰国後a 一審原告らは,そのような状態の中,とるものもとりあえず,あわただしく帰国した。 b 当時,中国では既に内戦が起こり始めていた。一審原告らは,いずれも大陸に住んでおり,中華人民共和国の国民となったが,日本は,同国を承認せず,両国は国交が途絶した。 c 1972年(昭和47年)9月29日,日中共同声 こり始めていた。一審原告らは,いずれも大陸に住んでおり,中華人民共和国の国民となったが,日本は,同国を承認せず,両国は国交が途絶した。 c 1972年(昭和47年)9月29日,日中共同声明への署名により,ようやく両国の国交は回復したが,その後も,中華人民共和国では,1986年(昭和61年)2月1日に公民出国入国管理法が施行されるまで,私事による出国が認められず,その後も,自由な渡航は事実上困難な状態が続いた。 d したがって,一審原告らは,客観的にみて,少なくとも1986年2月1日前までは,その権利を行使することが現実問題として事実上困難であった。 ウ証拠との関係等(要素B・C関係)(ア)a① 1944年次官会議決定の実施細目である華人労務者内地移入手続は,中国人が就業地に到着した時には,事業主は,管轄の国民職業指導所に,出身地,氏名,年齢を記載した名簿を提出することを義務付けていた。 ② また,帰国する時には,やはり名簿を作成し,下船地,予定日等を庁府県,内務省,厚生省及び大東亜省に報告すべきこととされていた。 ③ そして,一審被告会社と被控訴人国は,終戦の時点では,いずれも,一審原告らが一審被告会社で働いたことを証する名簿を保管していた。 〔以上,甲33の2,35〕b 一審原告らには雇用契約書等は交付されていないから,上記名簿は,一審原告らが日本に強制連行され,一審被告会社で働いたことを証する客観的な唯一の証拠であった。 c しかるに,軍需省は,終戦翌日の1945年(昭和20年)8月16日,中国人労働者を受け入れたという意味で一審被告会社と同様の立場にある日本建設工業会に対し,中国人及び朝鮮人に関する統計資料,訓令その他の重要書類の焼却を命じ,これを焼きせしめた。 (イ)a ところで,外務省は,そ け入れたという意味で一審被告会社と同様の立場にある日本建設工業会に対し,中国人及び朝鮮人に関する統計資料,訓令その他の重要書類の焼却を命じ,これを焼きせしめた。 (イ)a ところで,外務省は,その後,1946年夏ころまでに,中華民国からの調査に備えるため,中国人労働者の移入を受けた全事業場から詳細な事業場報告書の提出を受け,外務省報告書を作成した。 b その一部である甲34の1の1・2及び34の2には,各労働者の氏名,出身地,年齢等が記載された名簿が付されているので,外務省報告書と事業場報告書は,一審原告らを含む中国人労働者が来日して一審被告会社で働いたこと,及びその際受けた待遇等を証する極めて重要な証拠であった。 c しかるに,被控訴人国は,外務省報告書作成後間もない時期に,戦犯関係資料として使われるおそれが生じたとして,官民双方の関係者に影響が及ぶことに配慮し,同報告書を1部を除き,焼却した。 d そして,原判決63頁24行目から68頁10行目までのとおり,1993年(平成5年)5月にNHKがスクープ報道をするまで,外務省報告書は存在しないと強弁を続けた。 エ被控訴人国の行動の問題性(要素C関係)(ア) 上記のとおり,外務省報告書及び事業場報告書は,一審原告らがその権利を行使する上で,極めて重要な証拠であった。 (イ)a 被控訴人国は,一審被告会社のものを含む事業場報告書をすべて保有していることを,当審において自認するに至った。 b 甲163の39によれば,警察庁には外務省報告書のうち,少なくとも第1分冊の要旨の原本ないし写しが存在していたことが認められるし,甲163の46によれば,厚生省も第3分冊までは所持していたことが認められる。 c β課長(当時)がいうところの「1部を残して焼却した」という1部が,要旨の写し が存在していたことが認められるし,甲163の46によれば,厚生省も第3分冊までは所持していたことが認められる。 c β課長(当時)がいうところの「1部を残して焼却した」という1部が,要旨の写しのみであるのか,全部であるのかは現在に至るも明らかでないが,a,bによれば,他官庁が所持するものを含めれば,当時被控訴人国は,外務省報告書のかなりの部分を所持していたと推認される。 (ウ)a にもかかわらず,被控訴人国は,遺骨送還運動やF事件に関連して,国会その他で外務省報告書の存在を追及されても,事業場報告書を含め,文書としての資料は一切残っていないと虚偽の答弁を続けた。 b 甲163の54等によれば,その動機は,この問題が表面化すると,中華人民共和国との間で賠償問題に発展し兼ねないという事情である。 (エ)aFは,1958年(昭和33年),北海道の山中で発見された時,はっきりと補償等を要求した。 b その時点であれば関係者も生存していたのであるから,中国人労働者移入政策の実態はこれを調査することが十分可能であった。 c しかし,被控訴人国は,資料がないとして補償等に応じることをしなかったし,必要な調査もしなかった。 オ提訴時期(要素D関係)本件訴訟を提起したのは,(ア) 原告番号1ないし8及び15の1ないし5の一審原告ら(15の1ないし5の一審原告について,提訴したのは被相続人のA)は2000年(平成12年)5月10日,(イ) 原告番号9ないし11の一審原告らは2001年(平成13年)5月10日,(ウ) 原告番号12ないし14の一審原告らは同年10月30日である(以上は本件記録から明らかである。)。 (6) 被控訴人国関係でのまとめ以上によれば,さらに,次のとおり判断される。 ア要素Aについて一審原告らが被 4の一審原告らは同年10月30日である(以上は本件記録から明らかである。)。 (6) 被控訴人国関係でのまとめ以上によれば,さらに,次のとおり判断される。 ア要素Aについて一審原告らが被った被害は甚大であり,被侵害利益の面からみても,その被害は容易に看過し得ないところ,この被害は,本来悪をなしえず,また,高い道義性を求められる被控訴人国の極めて悪質な不法行為に起因するのであるから,要素Aを具備していると評価することができる。 イ要素Cについて被控訴人国は悪質な証拠隠滅活動をしたといわざるをえないから,要素Cを具備していると評価することができる。 ウ要素Bについて・その1(1972年(昭和47年)9月29日前まで)日本国と中華人民共和国とは,上記同日,日中共同声明に署名するまで国交が途絶しており,一審原告らは,同日前までは,権利を行使することが客観的に不可能であったから,平成10年判決の事例の除斥期間経過直前6か月内における心神喪失の常況にも匹敵する事情があったといえよう。同日前までは,要素Bを具備していたと評価することができる。 エ要素Bについて・その2(1986年(昭和61年)2月1日前まで)日中国交回復後も,1986年2月1日,中国で公民出国入国管理法が施行されるまでは,同国国民は,私事による出国が認められていなかったから,一審原告らは,同日前までは,権利を行使することが事実上極めて困難で,不法行為の時から20年を経過する前6か月内において心神喪失の常況にある場合に匹敵する事情があったといえる余地がある。同日前までは,やはり要素Bを具備していたと評価する余地がある。 オ要素Bについて・その3(1986年2月1日以後)(ア) 上記同日,公民出国入国管理法施行後は,一審原告らも私事による出国が認 同日前までは,やはり要素Bを具備していたと評価する余地がある。 オ要素Bについて・その3(1986年2月1日以後)(ア) 上記同日,公民出国入国管理法施行後は,一審原告らも私事による出国が認められるようになった。 (イ) ところで,a ウ,エで認定した証拠の不足ないし証拠収集の困難は,勝訴の可能性を低下せしめる事情ではあるが,権利行使それ自体を客観的に不可能ならしめる事情ではないし,b 同法施行後も自由な渡航が事実上困難な状態が続いていたとしても,それは中国国内の内部事情であって,被控訴人国は関係ないことである。 いずれも,要素Bの理由になるとはいい難い。 (ウ) してみると,1986年(昭和61年)2月1日以後は,権利を行使することが事実上極めて困難で,不法行為の時から20年を経過する前6か月内において心神喪失の常況にある場合に匹敵する事情があったとはいい難い。要素Bを具備しているとは評価し得ない。 カ要素Dについて(ア) 一審原告らは,三次にわたり本件訴えを提起したが,そのうち最も早い2000年(平成12年)5月10日にしても,a 1986年(昭和61年)2月1日から約14年が経過し,b 本件不法行為が終了した1945年(昭和20年)8月24日,またはその後,故郷へ帰るべく船に乗船し,日本を出国した同年11月24日からは,実に約55年(すなわち半世紀以上)が経過している。 (イ) 平成10年判決は,被害者に後見人が就職し,被害者の権利行使が可能になった後13日目に適法に権利行使をした事例について除斥期間の効果制限を認めたものである。同事案と比較しても,本件では客観的に提訴が可能となった時点から現実に提訴されるまでの時間は相当に長い。 (ウ) したがって,本訴が最初に提起された2000年5月10日の時 限を認めたものである。同事案と比較しても,本件では客観的に提訴が可能となった時点から現実に提訴されるまでの時間は相当に長い。 (ウ) したがって,本訴が最初に提起された2000年5月10日の時点では,要素Dを具備しているとは評価し得ない。 キ以上を総合すれば,本件で,除斥期間の効果を制限することを相当ならしめる特段の事情があると解するのは困難であるところ,他に同事情を認めるに足りる証拠は見出し難い。 してみれば,本件強制連行・強制労働という不法行為に基づく一審原告らの被控訴人国に対する損害賠償請求権は,遅くとも2000年5月10日前に,民法724条後段の20年の除斥期間の経過により消滅したといわざるを得ない。 (7) 一審被告会社関係でのまとめア (4)及び(5)で説示したことは,(5)ウ,エを除き,一審被告会社の関係でも妥当する。 イ (5)ウ,エは,専ら,被控訴人国との関係で問題となる事情である。 この点に関して,一審被告会社が関係したことを認めるに足りる証拠はない。 ウとすると,一審被告会社との関係では,被控訴人国との関係以上に,法的安定性は考慮すべき要素である。 エよって,本件強制連行・強制労働という不法行為に基づく一審原告らの一審被告会社に対する損害賠償請求権は,遅くとも2000年5月10日前に,民法724条後段の20年の除斥期間の経過により消滅したことに帰する。 オ一審被告会社が戦後被控訴人国から774万5206円の補償を受け,これが現在の貨幣価値に換算すると数十億円に相当する(原判決82頁20行目から24行目まで参照)とすれば,確かに考慮に値する事情ではあろう。しかし,長年月の経過により,同補償の相当性の有無につき,正確に判断する資料はない。当審において,上記補償金額を過大に評価することは差し控え 目まで参照)とすれば,確かに考慮に値する事情ではあろう。しかし,長年月の経過により,同補償の相当性の有無につき,正確に判断する資料はない。当審において,上記補償金額を過大に評価することは差し控えざるを得ない。ここにも,除斥期間の存在理由の合理性をかいま見ることができよう。同補償の点を考慮に入れても,なお,エの結論を左右しないのである。 4 一審被告会社の戦前の保護義務違反の成否(第8の1(2)及び第9の1(2)参照)そこで,次に,一審被告会社に標記保護義務違反を認める余地がないかについて検討する。先の認定判断によれば,さらに,次のとおり認定判断される。 (1) 総論ア安全配慮義務は,ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において,当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務であり(昭和50年判決参照),イその後の最高裁判所判例においても,(ア) 主として,雇用関係,労働契約関係において事故が発生した場合の債務不履行責任を念頭において論じられてきた義務であるが(昭和55年判決及び昭和58年判決参照),(イ) 私法上の直接の契約当事者の関係にある者に限らず,第三者を介して実質的に契約当事者類似の関係に立つ者や公法上の法律関係に基づき契約類似の関係に入った当事者間にも,信義則上,契約上の債権債務と同様の規範を設定し,その違反を債務不履行として規律しており(平成2年判決及び平成3年判決参照),かかる意味では,安全配慮義務は,狭義の契約責任の主体を実質的に拡大する機能を有している。 ウ一審原告らが請求の根拠としているのも,債務不履行責任である。 エその中身を,安全配慮義務と呼ぶか保護義務と呼ぶかは別として,ある当事者間に債務不履行責任が発生するというためには, いる。 ウ一審原告らが請求の根拠としているのも,債務不履行責任である。 エその中身を,安全配慮義務と呼ぶか保護義務と呼ぶかは別として,ある当事者間に債務不履行責任が発生するというためには,単に不法行為規範が妥当する程度の接触関係があるだけでは足りず,それを超えて,債務不履行責任を負わせることを相当ならしめる,直接の契約関係があるのと同視し得るような関係が必要であるというべきである。 (2) 一審被告会社と一審原告らとの間に,債務不履行責任を負わせることを相当ならしめる実質的な関係があるかア一審原告らは,一審被告会社において働くことを承諾していたわけではないから,両者間に雇用契約が成立していたと認めることはできない。 イしかし,1942年閣議決定及び1944年次官会議決定は,本来,中国人労働者を受け入れる事業所と労働者間には,雇用契約が締結され,移入された労働者は契約に基づきその労働力を提供することが予定されていた。 ウ(ア) 一審原告らは,その意思に基づかずに日本へ連れてこられ,どこで働くかもきちんと知らされないまま,来日直後から田川鉱業所や三池鉱業所で労働に従事した。 (イ) 日本軍や中国人警察官の監視のもとに日本に輸送され,田川鉱業所や三池鉱業所到着後は官憲の監視を受けた(少なくともそうすることが予定されていた。)。 (ウ) 一審原告らには労務提供を拒む自由はなかったところ,雇用契約が締結されなかったことについて,一審原告ら側に落ち度はなかった。雇用契約が締結されなかったのは,専ら一審被告会社側の事情,強いていえば,恣意に基づくものであった。 エにもかかわらず,一審原告らは,いずれも,事業場到着以来1945年8月24日に稼働を停止するまで,ほとんど休みをとることもなく,田川鉱業所や三池鉱業所において えば,恣意に基づくものであった。 エにもかかわらず,一審原告らは,いずれも,事業場到着以来1945年8月24日に稼働を停止するまで,ほとんど休みをとることもなく,田川鉱業所や三池鉱業所において,一審被告会社の指揮・監督の下に労働に従事し,雇用契約を締結された場合に労働者が負うべき基本的義務に相当する労務提供は,すべてこれを尽くした。 オ(ア) 使用者側が,雇用契約を締結せずに労働を実質上強制することは不法行為を構成することはいうまでもない。 (イ) 不法行為責任と債務不履行責任は重畳的に存在し得るところ,本来の規律に基づき,雇用契約を締結していれば債務不履行責任を負う実態にあるのに,自らの事情で雇用契約を締結しなかった使用者側が,労働者側を,直接支配・管理しながら義務の提供を実質上強制したときは,不法行為責任を負うのみで,債務不履行責任は一切これを免れるというのは肯認し難い不条理である。 カ 「特別の社会的接触の関係に入った当事者」との評価(ア) 安全配慮義務は,信義則上の付随義務としての,相手方の身体,生命,健康及び財産等に対する保護義務であると解されるから,その違反は,一種の不完全履行であるところ,本来,事故が発生した場合に債務不履行責任を負わせるべき付随義務として論じられてきた概念であるから,事故が起こったことを前提に損害賠償請求をしているのではない本件において,安全配慮義務という言葉を使用することは適切を欠くきらいがあるが,a 一審被告会社は,本来締結すべき雇用契約を自らの事情ないし恣意で締結しないまま,一審原告らを直接支配・管理し,自らの提供する道具等を使用させながら,これを指揮・監督して,雇用契約が締結されたと同等の労働の提供を受けたのであるから,両者の間には,債務不履行責任を負わせることを相当ならしめるに 支配・管理し,自らの提供する道具等を使用させながら,これを指揮・監督して,雇用契約が締結されたと同等の労働の提供を受けたのであるから,両者の間には,債務不履行責任を負わせることを相当ならしめるに足る,直接の契約関係があるのと同視し得るような関係が存していたというべきである(平成2年判決及び平成3年判決参照)。 b 換言すれば,一審被告会社と一審原告らは,本来は雇用契約を締結すべきであったし,事実上締結していたと評価することができる実態関係にあったから,一審被告会社と一審原告らとの間には,債務不履行責任を負わせることを相当ならしめる実質的な関係があり,「ある法律関係に基づいて」,一審被告会社は,直接の指揮・監督の下に,一審原告らを支配・管理して,一審原告らから,雇用契約と同等の義務の提供を受けたという「特別の社会的接触の関係に入った当事者」であるというのが相当である。 (イ) 一審被告会社は,被控訴人国の主張を援用し,昭和55年判決の趣旨からして,一審被告会社と一審原告らには,雇用ないしこれに準ずる法律関係がないから,「特別の社会的接触の関係に入った当事者」関係にはないと主張するが,同判決は,遺族固有の慰謝料について判示したものであって,本件とは事実関係を異にする。(ア)a,bの結論は左右されない。 (3) 一審被告会社の責任の有無ア保護義務の内容一審被告会社は,本来,1942年閣議決定,1944年次官会議決定に従い,その細目たる企画院実施要領,華人労務者移入手続及び一審被告会社が華北労工協会と締結した契約において遵守すべきことを約束した「華人労務者対日供出実施細目」に基づく処遇条件及び労働条件の内容に沿って,一審原告らを処遇し,賃金の支払その他の労働条件を遵守すべき義務を負っていたのであるから,「特別の社会的接触の関係に した「華人労務者対日供出実施細目」に基づく処遇条件及び労働条件の内容に沿って,一審原告らを処遇し,賃金の支払その他の労働条件を遵守すべき義務を負っていたのであるから,「特別の社会的接触の関係に入った当事者」として,信義則上,一審原告らに対し,その身体,生命,健康及び財産等に対する保護義務を含意する安全配慮義務を負っていたというのが相当である。 イ保護義務違反(ア) ところで,戦前,殊に本件強制労働が行われていた時代,中国国民はもちろん,日本国民一般も,今日からは想像もできないような大変な窮乏生活をしていたのも公知の事実であるが,かかる時代環境,場所的・歴史的条件を十分考慮に入れても,一審被告会社が,しかるべき報酬も支払わず,安全衛生に十分な意を用いない劣悪な職場環境で,重筋労働を行うに足る十分な食事を与えず,食事制限をも制裁の一内容として,暴力と暴言により,一審原告らを隷従させ,積極的には承諾していない労働に強制的に従事せしめた実態は,保護義務に違反したものと解するのが相当である。 (イ) 一審被告会社は十分に安全配慮義務(保護義務)を尽くしていたと主張するが,これを認めるに足りる証拠はない。 ウまとめしたがって,一審被告会社は,一審原告らに対し,保護義務という債務の不履行によって生じた損害を賠償すべき義務を負うと解するのが相当である。 5 4で認めた損害賠償請求権の消滅時効援用による消長(第8の3(1)ア及び第9の3(1)ア参照)(1) 一審被告会社の主張一審被告会社は,上記請求権は,一審原告らが日本を出国した1945年11月22日から10年を経過した1955年(昭和30年)11月22日に消滅時効の完成により消滅したとして,本訴において,同時効を援用するので,次にその当否について検討する。 (2) 時効期 年11月22日から10年を経過した1955年(昭和30年)11月22日に消滅時効の完成により消滅したとして,本訴において,同時効を援用するので,次にその当否について検討する。 (2) 時効期間の起算点ア消滅時効は,「権利を行使することを得る時」から進行する(民法166条1項)。 イ 「権利を行使することを得る時」とは,権利を行使するについて法律上の障害がなくなった時のことをいい,(ア) 原則として,事実上の障害はこれに含まれない(最高裁判所第二小法廷昭和49年12月20日判決・民集28巻10号2072頁参照)が,(イ) 事実上の障害であっても,権利を行使することが,現実には期待し難い特段の事情がある場合(最高裁判所大法廷昭和45年7月15日判決・民集24巻7号771頁,同第三小法廷平成8年3月5日判決・民集50巻3号383頁,同第一小法廷平成15年12月11日判決・裁判所時報1356号1頁)には,その権利行使が現実に期待することができるようになった時以降において消滅時効が進行すると解するのが相当である。 ウしかして,先に認定判断したとおり,(ア) 一審被告会社と一審原告らは,雇用契約を締結しておらず,一審原告らは,三井や三池の名前を覚えてはいるものの,自分が何という法人で働かされたのかも正確に教えられていないし,外出も禁じられていたので,場所についても正確な記憶を有していない。 (イ) 日本と中華人民共和国は,1972年(昭和47年)9月29日に日中共同声明への署名がなされるまで国交が途絶していたし,その後も,中華人民共和国では,1986年(昭和61年)2月1日に公民出国入国管理法が施行されるまで,私事による出国が認められていなかったから,一審原告らは,1986年2月1日前は,上記損害賠償請求権を行使するについて, は,1986年(昭和61年)2月1日に公民出国入国管理法が施行されるまで,私事による出国が認められていなかったから,一審原告らは,1986年2月1日前は,上記損害賠償請求権を行使するについて,a 法律上の障害があった,b あるいは,少なくとも,その権利行使を現実に期待し難い特段の事情があったと解するのが相当である。 エ以上の諸点を勘案すると,(ア) 1986年2月1日に公民出国入国管理法が施行され,中国においても,私事による出国が認められるようになって初めて,一審原告らに上記損害賠償請求権の行使を現実に期待することができるようになったと解される。 (イ) 確かに,一審原告らが一審被告会社で働いたことを証するものとして,外務省報告書は重要な資料であったところ,その存在は,1993年(平成5年)5月17日にNHKが東京華僑総会がこれを保持していることをスクープ報道するまで,公には認められず,どこに存するのかも明らかでなかったことは,一審原告らにとっては大きい障害であった。 (ウ) しかしながら,a 外務省報告書の隠蔽に,一審被告会社が関与したことを認めるに足りる証拠がないことは前記した。 b 上記1993年5月17日まではその権利を行使することが「事実上困難であった」とまではいえるが,これを超えて,「権利を行使することが,現実には期待し難い特段の事情がある場合に当たる」と解するのは困難である。 (エ) したがって,(イ)の事情をもってしても,(ア)の結論は左右されない。 オ一審原告らが本件訴訟を提起した最も早い日は,2000年(平成12年)5月10日である。 (3) 消滅時効完成についてのまとめアしてみると,1986年2月1日から起算すれば,2000年5月10日でさえ14年余が経過しているから,民法167条1項所定の10 2年)5月10日である。 (3) 消滅時効完成についてのまとめアしてみると,1986年2月1日から起算すれば,2000年5月10日でさえ14年余が経過しているから,民法167条1項所定の10年の消滅時効が完成していることになる。 イ一審被告会社が本件訴訟において,同時効を援用していることは本件記録から明らかである。 (4) 時効援用の信義則違反ないし権利濫用についてそこで,次に,(3)イの時効援用が信義則違反ないし権利濫用として許されないとの一審原告らの主張について検討する。 ア一審原告らは,(ア) 一審原告らが受けた損害は甚大であるところ,その加害行為は,人間としての尊厳を根本から否定する残虐,非道なものであり,これを救済する必要は極めて大きいこと,(イ) これに対し,一審被告会社は,被控訴人国とともに,一審原告らがその権利を行使するのを妨害ないし阻害したこと,(ウ) しかも,一審被告会社は,被控訴人国から,774万5206円の損失補償を受けたが,これを現在の貨幣価値に換算すると,数十億円に当たること,以上両者の関係を考えると,時の経過の一事をもって一審原告らの戦前の不法行為に基づく損害賠償請求権を消滅させることの公益性は乏しく,一審被告会社が消滅時効を援用するのは,信義則違反ないし権利濫用になると主張する。 イところで,消滅時効の援用が,信義則違反ないし権利濫用に当たる場合とは,援用権者たる債務者側が,債権者の権利行使その他の時効中断行為を妨げるような行為にでた場合のように,債務者に帰責事由があり,債権者が時効中断の措置を執らなかったことを理由に,債務者に消滅時効の援用を容認することが,社会的相当性を欠き,一般的に許容し難いと解されるような特段の事情がある場合を指す(例えば,最高裁判所第二小法廷昭和54年9月 置を執らなかったことを理由に,債務者に消滅時効の援用を容認することが,社会的相当性を欠き,一般的に許容し難いと解されるような特段の事情がある場合を指す(例えば,最高裁判所第二小法廷昭和54年9月7日判決・裁判集民集127号415頁,同第三小法廷昭和51年5月25日判決・民集30巻4号554頁参照)と解するのが相当である。 ウそこで,上記特段の事情の有無につき判断するに,(ア) 一審被告会社は,戦後,被控訴人国から774万5206円の補償を受けているところ,これが現在の貨幣価値に換算して数十億円に相当するとすれば,確かに考慮に値する事情ではある。しかし,長年月の経過により,その補償の相当性を正確に判断する資料もなく,判断できない当審において,このことを過大に評価することは差し控えざるを得ないことは前記したが,このことはここでも妥当する。 (イ) また,ここで問題にしているのは,一審被告会社が,保護義務という債務に違反し,事業場における一審原告らの健康等に十分配慮しなかったこと(債務不履行)に基づく損害賠償責任である。一審被告会社は十分に安全配慮義務(保護義務)を尽くしていたと主張するが,これを認めるに足りる証拠がないことは前記したが,一審被告会社は,50年以上という長時間の経過により立証しようにもその資料がないと主張しているところ,その主張には,それなりの道理があることも承認せざるを得ない。ここにも,長期時間の経過による問題性をかいま見ることができよう。 (ウ) しかも,一審被告会社が,一審原告らの権利行使その他の時効中断行為を妨げるような行為にでたことを認めるに足りる証拠はないことも前記した。 (エ) 以上の諸点を総合すれば,上記特段の事情があったと認めるのは困難であるところ,他に同事情を認めるに足りる証拠はない。 エしてみ うな行為にでたことを認めるに足りる証拠はないことも前記した。 (エ) 以上の諸点を総合すれば,上記特段の事情があったと認めるのは困難であるところ,他に同事情を認めるに足りる証拠はない。 エしてみれば,一審被告会社による消滅時効の援用が信義則違反ないし権利濫用に当たるとの一審原告らの主張は採用できない。 6 被控訴人国の戦前の保護義務違反の成否(第8の1(2)及び第9の1(2)参照)そこで,次に,被控訴人国に標記保護義務違反を認める余地がないかについて検討する。 (1) 4(1)で一審被告会社について述べたことは,被控訴人国との関係でも妥当する。 (2) そこで,次に,被控訴人国と一審原告らとの間に,債務不履行責任を認めるに足る実質的な関係があるかについて検討するに,先の認定判断によれば,ア(ア) 一審原告らは,国の戦争遂行過程における労働力不足を補うものとして,人的,物的資源を,国家総動員法等に基づく国家総動員体制下において統制,運用する国策のもとに,一審被告会社の事業場において本件強制労働に従事させられたし,(イ) 被控訴人国は,軍需会社法その他により,建前上では,一審被告会社に強い支配権を有しており,官憲を派遣して具体的な取締りにも当たっていたし,上記事業場では,国の官憲を派遣して監視し,少なくともそうすることが予定されてはいた。 イしかし,一審被告会社が,1942年閣議決定,1944年次官会議決定に従い,その細目たる企画院実施要領,華人労務者移入手続及び一審被告会社が華北労工協会と締結した契約において遵守すべきことを約束した「華人労務者対日供出実施細目」に基づく処遇条件及び労働条件の内容に沿って,一審原告らを処遇し,賃金の支払その他の労働条件を遵守すべき義務を履行したか否かはさておき,(ア) 一審被告会社の事業場にお 華人労務者対日供出実施細目」に基づく処遇条件及び労働条件の内容に沿って,一審原告らを処遇し,賃金の支払その他の労働条件を遵守すべき義務を履行したか否かはさておき,(ア) 一審被告会社の事業場における現場での実態は,一審被告会社の指揮・監督の下に,一審原告らは,日々の労働に従事し,一審被告会社が具体的な処遇に当たっていたものであり,(イ) 被控訴人国が,一審原告らの日々の労働や処遇に,具体的に関与していたことを認めるに足りる証拠はない。 ウ以上の諸点に,平成2年判決及び平成3年判決の事実との比較を踏まえて検討すれば,(ア) 被控訴人国は,a もともと,一審原告らと雇用契約類似のものを締結すべきことを予定していたのでもなければ,b 一審原告らを直接支配・管理し,自ら提供する道具等を使用させながら,これを指揮・監督して,雇用契約が締結されたと同等の労働の提供を受けていたわけでもない。 (イ) その実態も,元請・下請関係に匹敵するように,間接的にでも,一審原告らを支配・管理し,自らの提供する道具等を使用させながら,これを指揮・監督して,雇用契約が締結されたと同等の労働の提供を受けていたというにはほど遠い。 (ウ) すなわち,被控訴人国と一審原告らとの実態関係は,a 本来は雇用契約を締結すべきであったとか,事実上同契約を締結していたと評価することができる実態にあったとかいうわけではないから,b① 両者間には,債務不履行責任を負わせることを相当ならしめる実質的な関係があり,② 「ある法律関係に基づいて」被控訴人国が,一審原告らを支配・管理して,一審原告らから,雇用契約と同等の義務の提供を受けたという「特別の社会的接触の関係に入った当事者」であるということもできない。 (エ) 被控訴人国は,一審被告会社に強い支配権を有していたのではあ て,一審原告らから,雇用契約と同等の義務の提供を受けたという「特別の社会的接触の関係に入った当事者」であるということもできない。 (エ) 被控訴人国は,一審被告会社に強い支配権を有していたのではあるが,これに一審原告らが主張する義務違反に該当する事実を併せしんしゃくしても,被控訴人国において,一審被告会社とともに,あるいは,一審被告会社を跳び越えて,一審原告らとの間に債務不履行責任を負わせることを相当ならしめるような関係,もしくは直接の契約関係があるのと同視し得るような関係があったとまでいうのは困難であり,(ウ)の結論は動かない。 エしたがって,被控訴人国に戦前の保護義務違反を認めることはできない。 7 一審被告会社の戦後の保護義務違反の成否(第8の1(3)及び第9の1(3)参照)この点に関する一審原告らの主張は,必ずしも明らかでないが,これを措くとしても,第9の1(3)中の(一審原告らの主張)ア(エ)のうちa・b・cは,戦前の保護義務に包摂されるものであるし,一審被告会社と一審原告らの関係は,一審原告らの帰国により基本的に終了していて,戦前のように債務不履行責任を負わしめるに足る,直接の契約関係があるのと同視しうる関係を認めることができないから,その余の事項については,保護義務の発生及びその違反を認める余地がない。 一審原告らの戦後の保護義務違反の主張は失当であるといわざるをえない。 8 被控訴人国の戦後の保護義務違反の成否(第8の1(3)及び第9の1(3)参照)先の認定判断によれば,被控訴人国は,一審原告らとの間に,戦前においても債務不履行責任を負わせることを相当ならしめる,直接の契約関係があるのと同視し得るような関係があったとはいえないのであるから,戦後も,一審原告らが主張する内容の保護義務を認める余地はない においても債務不履行責任を負わせることを相当ならしめる,直接の契約関係があるのと同視し得るような関係があったとはいえないのであるから,戦後も,一審原告らが主張する内容の保護義務を認める余地はない。したがって,一審原告ら主張の上記違反に基づく請求は理由がない。 9 戦後の新たな不法行為の成否(第8の1(4)及び第9の1(4)参照)(1) 一審原告らの主張する戦後の新たな不法行為の内容は,要するに,ア被控訴人国及び一審被告会社は,中国人労働者移入に関する資料を焼却する等して,一審原告らが権利を行使するのを困難ならしめた,イ(ア) 被控訴人国は,国会で虚偽の答弁をしたり,外務省報告書の存在が明らかになっても,中国人労働者の移入を強制連行・強制労働であると正面から認めず,他方で一審被告会社には補償をし,(イ) 一審被告会社はこれを受領する等,その対応が不誠実である,ウ強制労働の実施者に刑事訴追と処罰を行わないのは,強制労働禁止条約25条に違反するというものである。 (2) (1)ア,イの主張について同主張は,いかなる法的義務に違反したというのか,その内容自体が明らかでないのみか,請求する慰謝料との関連(法的保護に値する被侵害利益及び相当因果関係)も明らかでない。 (3) (1)ウの主張について(ア) 強制労働禁止条約25条に基づく義務は,他の締約国に対して負うべき国際法上の義務であって,強制労働を課せられた個人に対する義務ではないから,一審原告らとの関係で不法行為を構成するものではない。 (イ) 国内法的にみても,犯罪の捜査及び検察官の公訴権の行使は,国家及び社会の秩序維持という公益目的で行われるものであって,犯罪被害者の被侵害利益ないし損害の回復を目的とするものではない(最高裁判所第三小法廷平成2年2月20日判決・裁 検察官の公訴権の行使は,国家及び社会の秩序維持という公益目的で行われるものであって,犯罪被害者の被侵害利益ないし損害の回復を目的とするものではない(最高裁判所第三小法廷平成2年2月20日判決・裁判集民事159号161頁参照)から,犯罪捜査の遅滞,捜査の不開始は,特段の事情がない限り,原則として犯罪被害者に対する不法行為となるものではないところ,本件では,上記特段の事情の存在を認めるに足りる証拠はない。 (ウ) よって,(1)ウの主張も理由がない。 (4) (1)の主張は,いずれも採用できない。 結論 以上によれば,その余の点について判断するまでもなく,(1) 一審原告らの,被控訴人国及び一審被告会社に対する各請求は,いずれも理由がなく,棄却を免れない。 (2) よって,原判決中,(1)と一部異なり,ア一審原告らの一審被告会社に対する各請求のうち,金員請求の一部を認容した部分(原判決主文第1項)は不当であり,イ一審原告らの(ア) 一審被告会社に対するその余の各請求をいずれも棄却した部分(同第2項),(イ) 及び被控訴人国に対する各請求をいずれも棄却した部分(同第3項)はいずれも相当である。 (3) したがって,(2)の趣旨に従い,ア一審原告らの一審被告会社及び被控訴人国に対する各控訴は理由がないから,これをいずれも棄却し,イ一審被告会社の控訴に基づき,(ア) 原判決中,一審被告会社の敗訴部分(原判決主文第1項)を取り消して,(イ) 一審原告らの一審被告会社に対する各請求をいずれも棄却し,ウ訴訟費用は,第1,2審を通じ,すべて一審原告らに負担させることとして,主文のとおり判決する。 福岡高等裁判所第1民事部裁判長裁判官簑田孝行 通じ,すべて一審原告らに負担させることとして,主文のとおり判決する。 福岡高等裁判所第1民事部裁判長裁判官簑田孝行裁判官駒谷孝雄 裁判官藤本久俊は,差し支えのため,署名押印することができない。 裁判長裁判官簑田孝行(別紙等添付省略)
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