主文 本件控訴を棄却する。 当審における未決勾留日数中130日を原判決の刑に算入する。 理由 本件控訴の趣意は弁護人環直彌,同日野久三郎,同永山忠彦,同江口英彦,同牧義行,同辻嶋彰,同石部奈々子,同日野明久及び同松本佐弥香が連名で作成した控訴趣意書並びに弁護人環直彌が作成した控訴趣意書訂正申立書に,これに対する答弁は検察官立澤正人が作成した答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから,これらを引用する。 原判決は,被告人(A)が分離前相被告人B,同C,同D,同E,同F,同G,同H,同I及び同Jと共謀の上,平成9年12月26日(以下,年の記載のないものは平成9年を指す。),法定の除外事由がないのに,①東京都港区a町の路上に停車中の普通乗用自動車内において,自動装てん式けん銃2丁及び回転弾倉式けん銃1丁をこれらに適合する実包21発と共に携帯して所持し,②同区b町所在の辛ビル植え込み付近路上において,自動装てん式けん銃1丁をこれに適合する実包6発と共に携帯して所持し,③同区c町の路上において自動装てん式けん銃1丁をこれに適合する実包6発と共に携帯して所持するとともに,けん銃実包1発を所持したとの事実を認定し,被告人につき共謀共同正犯の成立を認めている(以下,以上のけん銃5丁を「本件けん銃」といい,これに以上の実包を含めるときは「本件けん銃等」と表記する。)。これに対し,論旨は,要するに,本件において,被告人を共謀共同正犯に問擬するには,①被告人が実行犯らの犯罪事実を認識し,認容していること,②被告人が実行犯らとけん銃不法所持の犯罪を行うため,共同意思のもとに一体となって互いに他人の行為を利用し,各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議をしたことが,いずれも厳格に立証されなければな ,②被告人が実行犯らとけん銃不法所持の犯罪を行うため,共同意思のもとに一体となって互いに他人の行為を利用し,各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議をしたことが,いずれも厳格に立証されなければならないところ,これらの事実を認める直接証拠は存しないので,原判決は情況証拠による推認という方式をとって①の事実を認定しているが,原判決の情況証拠によるこの推認は,論理則,経験則に反するものであって,事実を誤認したものである上,刑訴法317条,318条にも違反するものである,また,②の事実を認めないで(もとよりそのような事実は存在しない。),①の事実のみにより被告人に共謀共同正犯の成立を認めた原判決は,刑法60条の解釈適用を誤ったものである,というのである。 しかし,原判決が挙示する関係証拠を総合すれば,原判示の事実を認めるに十分であり,原判決が(弁護人の主張に対する判断)の項において認定・説示するところもおおむね正当として肯認することができる。そして,この結論は,当審における事実取調べの結果によっても左右されない。以下,原判決が認定したところを敷衍しつつ,当審における事実取調べの結果をも参酌して検討する。 1 本件の基本的事実関係まず,原審で取り調べられた関係証拠によれば,以下の事実が認められる。 (1) 被告人や共犯者の所属組織,経歴・地位等被告人は,若いころから暴力団組員として活動し,昭和44,5年ころ,発足した三代目山口組初代山健組健竜会(会長K)の副会長になり,昭和57年ころ,健竜会会長に昇格し(Kは山健組組長に昇格),平成元年ころ,三代目山健組組長に昇格し(Kは五代目山口組組長に就任),その後五代目山口組若頭補佐に就任し,本件当時は,三代目山健組組長であると共に五代目山口組若頭補佐の地位にあり,配下組員数は総勢約3100名 三代目山健組組長に昇格し(Kは五代目山口組組長に就任),その後五代目山口組若頭補佐に就任し,本件当時は,三代目山健組組長であると共に五代目山口組若頭補佐の地位にあり,配下組員数は総勢約3100名余であった。 Cは,山健組兼誠会会長で被告人の秘書見習をしており,当番秘書と呼ばれる二日交替制の他の組長秘書とは異なり,被告人が用事で外出する際には常に共に行動し,被告人のスケジュール管理などをしていた。Bは,山健組兼昭会(秋田市内で活動)の会長であり,山健組の東北ブロック長(関東ブロック長とも呼ばれる。)として関東地域をも取り仕切っており,被告人が上京する際の東京側の受入れ責任者であった。Hは,Bの実兄であるところ,姉ヶ崎連合会佐藤二代目畠山組(東京都内で活動)の組長であると共に,山健組兼昭会の相談役であり,Bが普段は秋田市にいることから,被告人上京時の接待の具体的段取りを付けていた。Dは畠山組組員であり,これまでに10回ほど被告人の上京時の接待に参加して車の運転などをしていた。Gは,山健組二代目伊藤会から行儀見習として山健組本部に来ている者で,平成8年2月ころから,被告人専属のボディーガード(後記大阪スワット)をしており,平成9年10月ころから,その責任者的立場にあった。Eは,山健組鷲坂組組員で,平成6年10月ころから,山健組本部で行儀見習として被告人専属のボディーガードをしていた。Fは,山健組矢倉会組員で,平成9年12月から,被告人専属のボディーガードをしていた。Jは,山健組武道会組員で,平成2年ころから5年ころにかけて山健組本部に詰めて被告人専属のボディーガードをしていたことがあり,その後武道会に帰っていたが,平成9年12月から再び被告人専属のボディーガードをしていた。Iは,平成9年5月ころ山健組兼昭会奥山組組員となり,これまでにも被 属のボディーガードをしていたことがあり,その後武道会に帰っていたが,平成9年12月から再び被告人専属のボディーガードをしていた。Iは,平成9年5月ころ山健組兼昭会奥山組組員となり,これまでにも被告人の上京時に接待の手伝いをしたことがあった者である。 (2) 本件犯行前の被告人の上京と警察官による内偵,本件捜索までの経緯等ア被告人は,秘書らを伴って本件以前にも度々上京していた。被告人らは,警視庁が内偵して把握しているだけでも,2月10日,3月25日を始めとして平成9年には本件以前に合計7回上京している。また,被告人が上京した際の東京側の責任者は,前記のとおり,山健組関東ブロックの責任者をしている兼昭会会長のBであり,被告人の秘書らがBに対して被告人が上京する旨の連絡をし,Bが中心となって上京する被告人の出迎えや東京での接待等の準備をしていた。 イ被告人らの上京時の行動を見ると,被告人らが羽田空港に到着すると,Bの指示で,配下の組員らが車数台(おおむね5台から6台)をそれぞれ運転して被告人の到着先の羽田空港に赴き,被告人らをこれらの車に乗せるなどして都内を移動していた。その間の行動は,おおむね,1台目が被告人らの行く先での駐車スペース確保,不審者がいないかの確認等を担当する者が乗車した車(先乗り車),2台目が被告人が乗車した車の誘導に当たる車(先導車),3台目が被告人が乗車した車(A車),4台目がボディーガード(スワット)が乗車した車(スワット車。通常後記大阪スワットが乗車),5台目以降が雑用係が乗った車(雑用車)である。先乗り車を別として,その余の車両は常に一体として行動していた。以上のような被告人らの上京時の行動は毎回ほぼ同様であった。 ウ警視庁生活安全部銃器対策室所属の警察官らは,1月上旬,「山健組のA組長が時々 として,その余の車両は常に一体として行動していた。以上のような被告人らの上京時の行動は毎回ほぼ同様であった。 ウ警視庁生活安全部銃器対策室所属の警察官らは,1月上旬,「山健組のA組長が時々ボディーガードを引き連れて上京する。上京する際には,そのボディーガードがけん銃を所持して同組長をガードしている」旨の情報を得たことから,名前の出た人物の特定,被告人の上京の有無,被告人らが遊興したとされる店舗の所在確認,関係者の身元の調査等の捜査を開始した。 エその結果,2月10日,羽田空港に到着した被告人がボディーガード数人と共に行動し,東京都港区内のホテル甲に宿泊したことが確認されたのを始め,以後,3月25日に同様に上京するまでに4回の上京が確認された。特に,被告人が3月25日上京した際,羽田空港でボディーガードと認められる者のうち,Lがけん銃と認められるものを所持しているのが現認されたことから,被告人に随行していたボディーガードの身元の割り出しと同人らが使用していた車両の所有者の確認等の捜査が実施された。そして,3月25日までの内偵において,飲食店に入るのは,被告人,その時々の秘書,B,Lのほぼ4人で固定されていること,赴く飲食店についてはその都度異なることがあるが,最終的に行く店は,東京都港区a町にある乙店であって,その後は同店から宿泊先のホテルに帰ること,被告人らが店に入る前に,先乗り車が先行して店付近に駐車していることなどが確認された。また,その前後ころまでに把握できていた人物は,被告人,M(被告人の秘書),L,N(山健組秋田兼昭会奥山組組長),O(山健組木村一家政風会若頭補佐),G,E,Pらである。 オ 同警察官らは,これまでの内偵の結果によると,山健組組長である被告人が行動する際には,ボディーガードが一体として行動して 組組長),O(山健組木村一家政風会若頭補佐),G,E,Pらである。 オ 同警察官らは,これまでの内偵の結果によると,山健組組長である被告人が行動する際には,ボディーガードが一体として行動していたこと,これまでの他の事例からみてもボディーガードは当然けん銃等を所持していると考えられること,特に3月25日にLがけん銃と認められるものを所持していたところが現認されたこと等から,けん銃の共同所持を被疑事実として,7月11日付けで捜索差押許可状を請求し,その発付を得た(発付された令状は約120通で,うち車両分が約30台,その余は,被疑者らの自宅や組織の事務所などである。)。なお,警察官がこの時点でこれらの令状を請求したのは,被告人の7回目の上京に当たる5月29日早朝,被告人,共政会沖本組の組長,会津小鉄の会長の3名が「乙店」で飲食中,同店前でボディーガードの1人が発砲する事件が発生したため,至急捜索を実施する必要があると判断したからである。そして,これらの令状による捜索差押えについては,被告人が上京し,ボディーガードがそろって被告人をガードしているところを,一般人を巻き込まないような配慮をしてこれを実施する必要があると判断されたが,8月28日,山口組若頭(宅見組組長)のQが殺害される事件が発生したことから,被告人もしばらくは上京を控えると推測され,実際にその後被告人が上京した事実が確認されなかったことから,令状による捜索差押えの実施の機会がないまま推移した。 カ本件当日である12月26日午前4時20分ころ,警視庁警察官らは,総勢71名で,あらかじめ発付を受けていた被告人ら数名に対する銃砲刀剣類所持等取締法違反を被疑事実とする捜索差押許可状に基づく捜索差押えを実施すべく,東京都港区a町庚店前付近路上において検問を開始し,被告人一行の車 らかじめ発付を受けていた被告人ら数名に対する銃砲刀剣類所持等取締法違反を被疑事実とする捜索差押許可状に基づく捜索差押えを実施すべく,東京都港区a町庚店前付近路上において検問を開始し,被告人一行の車列が飯倉一丁目交差点方向から進行してきたところで,その車列の前後を警察車両で阻止し,車列を完全に停止させた。そして,同警察官らは,各捜索対象車両が確認できる位置に「令状による捜索を実施する。警視庁」の垂れ幕を掲げ,その旨拡声器を使用して告げつつ捜索を開始したが,令状による捜索の目的としたけん銃は発見することができなかったものの,Gらが乗った車両から本件のけん銃3丁と実包を発見したため,被告人らをけん銃等所持の現行犯として逮捕するとともに,これらのけん銃等を差し押さえた。なお,R及びIは,同日午前4時39分ころ,被告人が宿泊を予定していた同区a町所在のホテル甲別館玄関前車寄場において,上記けん銃等所持の共同正犯として現行犯逮捕された(なお,その後の捜索の結果,同区c町の民家の玄関前と同区b町のビルディング植え込み内からそれぞれ実包が装てんされた本件けん銃1丁ずつが発見・押収された。)。 (3) 被告人らが上京するまでの経緯等ア被告人を組長とする山健組には,被告人の秘書としてSら6人がいて,当番制で任務に就いていた。また,Cは,前記のとおり,被告人の秘書見習として,常時被告人と行動を共にしていた。山健組では,被告人を専属で警護するボディーガード役すなわち通称スワット(以下「スワット」という。)として数名の者が任命されていた。スワットは,襲撃してきた相手に対抗できるだけのけん銃などの装備を持ち,被告人が外出して帰宅するまで終始被告人の側に付き,敵の襲撃から被告人を警護する役割を担った者で,被告人の警護のみに専念し,それ以外の雑用を課されるこ た相手に対抗できるだけのけん銃などの装備を持ち,被告人が外出して帰宅するまで終始被告人の側に付き,敵の襲撃から被告人を警護する役割を担った者で,被告人の警護のみに専念し,それ以外の雑用を課されることがない。スワットは,山健組内の各組から「やる気のある人間」が厳選されており,本件当時は,G,E,F,Jらが選抜されており,Gが山健組スワットのリーダー格であった(以下,「大阪スワット」というときは,これらの被告人付きの専属のスワットを指す。)。 Cは,秘書見習として,被告人の行動のスケジュールの管理をし,被告人の身辺警護の態勢を決め,スワットであるGに指示を出すなどし,被告人が上京するときには,受入れ側であるBに対してその旨連絡して,被告人を出迎える態勢を整えさせていた。なお,大阪スワットに指示命令ができるのは,被告人のほかには秘書又は秘書見習のCだけである。 イ Cは,12月22,3日ころ,被告人から同月25日ころに上京する意向を有していることを聞き,直ちにその旨Bに連絡し,同月24日にはGに対し同月25日の東京行きの航空券の手配を指示するとともに,上京する大阪スワットの人数をGの意見を聞くなどして決め,Gに大阪スワットらに上京の準備をさせるように指示した。また,Cは,同月25日の昼ころ,再度Bに被告人の羽田空港への到着時刻等を連絡した。なお,大阪スワットは,これまでの被告人の上京に当たっても同行して警護についており,その都度,けん銃を携行していた。 ウ Bは,前記のとおりの地位(山健組兼昭会会長,山健組の東北ブロック長ないし関東ブロック長)にあり,被告人が上京するときの受入れ側である東京側の責任者でもあったところ,Cから被告人が12月25日に上京する旨の電話連絡を受けると,前記のとおりの地位(畠山組組長,兼昭会相談役)にある ック長)にあり,被告人が上京するときの受入れ側である東京側の責任者でもあったところ,Cから被告人が12月25日に上京する旨の電話連絡を受けると,前記のとおりの地位(畠山組組長,兼昭会相談役)にある実兄のHに電話して,「25日に親分が上京するみたいだから,今回はちゃんと車とか用意しておいてくれよな。ベンツは俺が用意するから」などと伝えた。兼昭会では,これまで10回くらい被告人の上京時の接待をしたが,Bは秋田県に居住し,常時東京にいないことなどから,Hに接待のための具体的な段取りを付けさせるとともに,これまで被告人が上京すると,いずれも兼昭会関係の組員(畠山組関係者を含む。以下同じ。)が10人くらい動員されて被告人の身辺警護等に当たっていた。BがHに指示した接待の段取りは,単に飲食の世話をするだけではなく,親分である被告人の身体の安全を護ることが当然のこととして含まれており,先乗り車,先導車,A車,スワット車,雑用車の運転担当者の選定,スワットら関係者の乗車区分の策定,車列の編成などが含まれている。そして,Bは,これまでも万全の警護態勢を敷いて被告人の警護に当たっていたが,今回の上京は,8月に山口組最高幹部のQ組長が殺害されるという非常事態が起こり,同じく山口組最高幹部の被告人の命を狙う者がいないとは限らない状況にあるとの認識から,一層慎重な警護が必要と判断されたため,Hに対しての依頼の中に,兼昭会としての被告人を迎える準備・段取りとして被告人を警護する者が使うけん銃の準備の点も含むものとしていた。そして,HもBの依頼にこの点が含まれているものと認識していた。なお,兼昭会関係の組員らは,被告人の上京の際の警護や雑用を「公用」と称して,兼昭会では重要な仕事と位置づけており,兼昭会には,「公用」に従事するボディーガードと雑用係がおり,このボディ 識していた。なお,兼昭会関係の組員らは,被告人の上京の際の警護や雑用を「公用」と称して,兼昭会では重要な仕事と位置づけており,兼昭会には,「公用」に従事するボディーガードと雑用係がおり,このボディーガードはここでもスワットとも呼ばれていた(以下,東京側のボディーガードを「東京スワット」と呼ぶことがある。)。 エ Gは,Cからスワットとして上京する準備をするように指示された。従前は3名のスワットが被告人の警護のため上京していたが,今回はG,E,Fに加え,Jもスワットとして参加することになった。Gは,4名のスワットで打合せをした上,山健組の地元の兵庫や大阪などでは,警察の警備も厳しく,けん銃を携行して上京するのは危険と考え,兼昭会のTに電話をかけてけん銃を3丁用意してほしい旨依頼し,Tはその旨をHに伝えた。 また,Gらは,これまで持っていかなかった防弾盾を大阪から持って上京することにし,Eが新幹線に乗ってこれを運んだ。特に防弾盾を持参することにしたのは,今回は,時期が時期だけに,いつ被告人が襲撃されるかもしれないと判断され,また,東京で被告人が乗る車は防弾仕様になっていなかったことなどからである。 オそこでHは,直ちに被告人の送迎・警護等に使用する車やこれらの車の運転手の手配,警護に当たる組員の振り分け等を行った。Hは,今回は5台の車を用意し,先乗り車は,Uが運転し,これに東京スワットとしてI,Rが乗車し,先導車は,Vが運転し,これにB,被告人の友人のLが乗車し,被告人が乗車するA車は,Tが運転し,これに被告人,S,Cが乗車し,スワット車は,Dが運転し,これに大阪スワットらが乗車し,雑用車はWが運転するなどの乗車区分を決めた。また,Hは,Dと共に,Hが所持していた本件のけん銃5丁にそれぞれ実包を装てんした上,これらのうち2丁をセカンド Dが運転し,これに大阪スワットらが乗車し,雑用車はWが運転するなどの乗車区分を決めた。また,Hは,Dと共に,Hが所持していた本件のけん銃5丁にそれぞれ実包を装てんした上,これらのうち2丁をセカンドバッグ,3丁をシューズバッグに入れ,Dに対し,「道具2丁が入った方のバッグはIに渡せ。もう一つのバッグはお前が運転する車に置いておけ」と指示し,Dは,指示どおり,けん銃3丁が入ったシューズバッグを,自分が運転し大阪スワットが乗車する予定のスワット車の運転席下に押し込み,けん銃2丁が入ったセカンドバッグを,Iに「道具だから車に積んでおけ」と言って渡した。 (4) 被告人らの上京と東京都内での行動等ア 12月25日,被告人は,大阪にある自宅から専属運転手の車に乗り,これにS,Cの2人が同乗して大阪伊丹空港に向かい,大阪スワットの乗った車両がこれに続いた。 そして,被告人,S,C及びGは東京行きの飛行機に乗った。また,大阪スワットのE,F,Jは,新幹線で東京に向かった。 イ一方,被告人らを出迎える東京側では,Iが,Dから渡されたけん銃等入りセカンドバッグを乗せた車を運転して午後4時ころ羽田空港に赴き,Dが,車を運転して東京駅に赴き,新幹線で上京したE,F,Jを乗せて羽田空港に向かったが,その車内で,DがEらに対してけん銃3丁を運転席の下に置いていることを伝えた。そして,羽田空港に到着すると,Eは,大阪から持参してきた防弾盾を被告人が乗車することになっているA車の後部中央の肘掛けの下に置いた。 ウ被告人は,S,C,Gと共に午後6時ころ羽田空港に到着し,同空港でB,Iら兼昭会関係者及びE,F,Jら大阪スワットが,被告人らを出迎えた。そして,被告人らは,Hがあらかじめ決めておいた乗車区分に従って車に分乗した。先乗り車は,Uが運転し,これに 到着し,同空港でB,Iら兼昭会関係者及びE,F,Jら大阪スワットが,被告人らを出迎えた。そして,被告人らは,Hがあらかじめ決めておいた乗車区分に従って車に分乗した。先乗り車は,Uが運転し,これに東京スワットとしてIがRと共に乗車し,先導車は,Vが運転し,これにB,L及びPが乗車し,被告人が乗車するA車は,Tが運転し,これに被告人,S,Cが乗車し,大阪スワットの乗るスワット車は,Dが運転し,これにG,E,F,Jが乗車して,高速道路を利用して都心に向けて出発した。Gらが乗ったスワット車では,車内に準備された3丁のけん銃をG,E,Fがそれぞれ身に着け,Jは,途中から先乗り車に乗り換えた。先乗り車にはR及び東京スワットとしてIが乗車していたが,Jは同車に乗り移ると,Iが渡したけん銃が2丁入ったセカンドバッグ内からけん銃1丁を取り出して身に着けた。Iは,所属の稲野辺組の副長Xから,Iも東京スワットとして参加するものであると告げられており,残ったけん銃1丁はセカンドバッグに入れたまま常時Iが所持していた。 エ A車を中心とした車列は,同日午後7時半ころ有楽町にある丙店に到着した。そのころ,Hは,X,δと共に,Wが運転する車に乗って,丙店のある壬前に到着し,その後は,上記車列に加わり行動を共にした。被告人は,S,C,B,Lらと共に同店で食事をし,同日午後8時半ころ同所を出て,銀座にある丁クラブに赴き,被告人らはここで飲酒した。被告人らは,さらに,午後10時ころ同所を出て,新宿歌舞伎町にある韓国クラブ戊に行き,ここでも同様に飲酒した。そのころ,Y(Lの兄)がLに頼まれて1人で車を運転して同所に赴き,以後,上記車列に加わり行動を共にするようになった。被告人ら一行は,翌日の12月26日午前零時ころクラブ戊を出て,赤坂にあるキャバレー己に赴き,午前2時こ Lに頼まれて1人で車を運転して同所に赴き,以後,上記車列に加わり行動を共にするようになった。被告人ら一行は,翌日の12月26日午前零時ころクラブ戊を出て,赤坂にあるキャバレー己に赴き,午前2時ころ同所を出て,a町にある乙店に赴いて午前4時過ぎころまで同所で飲酒した。そして,被告人らの一行は,先乗り車による先発隊を除き,宿泊先のホテルに車列をなして向かう途中,前記のとおり警察官による捜索が実施され,被告人らはけん銃等所持の現行犯人として逮捕された。 オ J,R,U,Iの乗った車(先乗り車)は,先に被告人の宿泊先であるホテル甲別館に赴いて玄関前車寄場に駐車し,被告人の到着を待っていたが,その情報を得た警察官らは,同車に対する捜索差押許可状に基づく捜索を実施するため同所に向かい,Iらに対する職務質問を開始し,さらにGらが乗った車両からけん銃等が発見されたことから,I及びRをけん銃及び実包の共同所持の現行犯人として逮捕した。なお,警察官が来たことを察知したIは,所持していたけん銃1丁等が入ったセカンドバッグをUに渡し,これを受け取ったUがその場から逃走し,また,Jはけん銃1丁等を持ったままその場から逃走して,同人らは,これらのけん銃等を同区c町の民家の玄関前と同区b町のビルディング植え込みに投棄したが,同日午前7時ころ各投棄場所からけん銃等が発見・押収された。 (5) 本件上京時の警護状況等ア被告人ら一行は,A車を中心に,先導車,スワット車,雑用車で車列を組み,これらの車の間に他の一般車両が入らないようにしながら移動した。その際,Dが運転するスワット車は,常にA車の直後を走行したが,A車の真後ろではなく,同車が左車線を走っているときは,右斜め後方を走り,右車線を走っているときは,左斜め後ろを走るなどして,A車の隣に他の車両が来な するスワット車は,常にA車の直後を走行したが,A車の真後ろではなく,同車が左車線を走っているときは,右斜め後方を走り,右車線を走っているときは,左斜め後ろを走るなどして,A車の隣に他の車両が来ないように警戒し,また,スワット車の斜め後方(A車の真後ろ)にも雑用車等の車が付いて走行し,A車の後方に他の車両が入らないように注意し,他の車両が車間に入りそうになるとその運転者に対して手で合図して車間から抜けるようにさせていた。 イ被告人らが遊興先の飲食店に到着すると,先導車,A車,スワット車が停車し,被告人が降車して店に入るまでと,店から出てから乗車するまでは,被告人の回りにSやCらが位置し,その外側から本件けん銃等を所持したGらスワットが警戒していた。なお,先乗り車は,2軒目の店から,被告人らが店から出る前に次の遊興先の店に赴き,A車の駐車スペースを確保したり,辺りを警戒したりしていた。そして,被告人が店に入る際は,SやCらが先に店内に入って不審な人物がいないかを確認するなどして警戒し,被告人らが飲食中は,Gらスワットが店の出入口付近などで本件けん銃等を所持して警戒に当たった。すなわち,Gらは,丙店では地下1階の入り口や地下通路付近で,丁クラブでは,同店が2階にあったことから入り口脇の非常階段付近や,同店入り口の道路反対側歩道付近で,クラブ戊では,店に下りる階段や付近の路上で,「乙店」では,同店入り口の道路反対側で,それぞれ辺りを警戒したが,キャバレー己では,同店が地下にあり,階段を下りるとすぐ店になっていて道路で警戒していては目立つため(以前職務質問を受けたことがあった。),大阪スワット4人全員が車の中で地下に下りる階段を見張って警戒した(キャバレー己での状況につき,同店従業員であるZは司法警察員に対する供述調書(原審甲98号証)に 職務質問を受けたことがあった。),大阪スワット4人全員が車の中で地下に下りる階段を見張って警戒した(キャバレー己での状況につき,同店従業員であるZは司法警察員に対する供述調書(原審甲98号証)において「先乗り車で駆け付けた者らが辺りを警戒しながら被告人の到着を待ち,間もなく被告人らが乗ったA車を含む車が同店前に到着し,A車は店の前で停車した。そして,同車のドアを同店従業員が開けると,先導車に乗ったBが素早く飛び出して従業員2名の後方に立って被告人が車から降りるのを待ち,さらに先導車からLが,A車からCとSが,スワット車からスワットの3人が素早い動作で降り,1拍置いて被告人が降りた。そして,被告人らが同店内に入ると,3台の車は,道路を挟んだ右斜め前にある駐車場に移動した。その間,各人がそれぞれの役割を承知し,素早く統制の取れた行動を取り,1分もかからなかった。被告人らが店を出る際も,同店従業員が上記車が駐車している駐車場に駆け寄り,被告人らが帰ることを知らせると,3台の車が同じ順序で店の前に移動し,間もなく店内から,被告人らが一団となって出てきてそれぞれが車に素早く乗り込んで出発した」旨供述している。)。 1 事実関係についての補足説明等以上の事実を総合するだけで,他に特段の事実がない限り,被告人が本件けん銃等を原判示の日時場所において配下のスワットの者らと共謀の上所持していた事実を優に推認することができる(警察官らが,被告人らの従前の上京時や今回の上京後の行動の観察等の捜査結果を踏まえて,被告人らを本件けん銃等所持の現行犯人として逮捕した措置は,適法なものとして是認することができる。)。この推認の点については,後に更に説明を加えるが,ここでは,上記の事実認定に関し所論が特に争っている点につき補足して説明するほか,上記推認を妨げる事実 置は,適法なものとして是認することができる。)。この推認の点については,後に更に説明を加えるが,ここでは,上記の事実認定に関し所論が特に争っている点につき補足して説明するほか,上記推認を妨げる事実の存否につき検討を加える。 (1) スワットについて所論は,「山口組ないし山健組には,組と組との抗争が激しかったころにはスワットと呼ばれる者がいたことはうかがわれるものの,現在ではスワットと呼ぶにふさわしい役割の者はおらず,ただスワットという言葉だけが残り,被告人の身の回りの世話や雑用などをする一部の付け人たちが,自分たちを格好よく呼ぶためスワットという言葉を使っていたことがあるだけで,その実態は,原判決がいうような『実包の装てんされたけん銃を携帯所持して組長と行動を共にし,敵の襲撃に対抗して専ら組長の警護のみに専従している者』とはほど遠いものである。被告人も山健組にこのようなスワットが存在しているとの認識はなく,特に,Gが自分の付け人であり雑用係として秘書と共に被告人に同行しているとの認識はあったものの,F,E,Jらについては,山健組の下部組織から行儀見習に来ている若い者という程度の認識しかなく,自分の警護は自分の身近にいるCやSら秘書の役割であると考えていたのであり,Gらに警護してもらおうという気持ちなど持っていなかった。クラブや飲食店は最も危険な場所の一つであるはずなのに,Gらは被告人と一緒に店内に入れないのだから,警護役としては何の役にも立たないのであり,被告人の認識は警護の実情にも合致している」旨主張する。 そして,Cは,検察官に対する平成10年1月7日付け供述調書(原審乙13号証)及び原審第6回公判期日(証人として)において「私が見習で入ったときは,そういうスワットはいなかったと思うが,周りの人が皆スワットという言い方をしてい 平成10年1月7日付け供述調書(原審乙13号証)及び原審第6回公判期日(証人として)において「私が見習で入ったときは,そういうスワットはいなかったと思うが,周りの人が皆スワットという言い方をしていたので,γ(被告人の秘書をしていたことがある者)との間で,スワットとはどういうものかというやりとりがあった。スワットという言葉は残っていたが,本当の意味のスワットがいたのは,大分昔の抗争のときという話をしていた。けん銃を持っていたのは,多分一和会との抗争のころで10年くらい前ではないかと思う。要するに,本来の意味でのスワットはなくなったが,現実にはスワットと呼ばれる者がいる。それは,親分付きの者らが,かっこよく言いたかったんではないかと思う」旨供述している。 しかし,原判示のような意味でのスワットが存在していたことは,関係者の供述から明らかである。すなわち,①秘書のSは,「本来のスワットというのは,けん銃などを持って,親分の回りに人知れず紛れ込み,親分が襲撃されたような場合に,どんな手段を使ってでも親分を護る者のことをいう。ただ,現在は,抗争華やかりしころと違い,それほど襲撃されなくなったことから,いつもスワットがけん銃を持ったりはしなくなった。もちろん,絶対に持たないというものではなく,彼らの判断で持たなければならないと思えば持つことも当然ある。自分の器量と判断でけん銃であろうが何であろうが用意して,親分を護るという責任を果たすことになる」旨(Sの検察官に対する平成10年1月9付け供述調書=原審甲106号証),「スワットは大体いつも5人くらいはおり,古いのではGとEがおり,あとは最近スワットになった連中が何人かいる。スワットというのは,親分を護るために専属で銃火器等を持って敵の襲撃に対抗する連中のことである。山健組の各組から,やる気のある ,古いのではGとEがおり,あとは最近スワットになった連中が何人かいる。スワットというのは,親分を護るために専属で銃火器等を持って敵の襲撃に対抗する連中のことである。山健組の各組から,やる気のある使える人間を厳選して出されてくるので,それなりに自分の器量で親分を護るために動ける人間がスワットになっている。ガードの方法はスワットに任されており,彼らの器量でどのようにガードするか判断している。スワットは,親分が家を出てから,帰るまでは親分にくっついてガードする。スワット専用車は2台あり,1台をスワット車,2台目を黒子などと呼んだりしている。スワットの中で,Gが一番親分の近くにいる。 私は3,4回親分に同行して上京しているが,そのときもスワットの何人かが付いてきていた」旨(Sの検察官に対する平成10年1月9日付け供述調書=原審甲105号証)供述している。そして,②大阪スワットのGは「平成8年2月から,A親分の秘書をしているC’の叔父貴(Cを指す。単に「C’」というときも同様。以下同じ。)から,A親分の専属ボディーガード,通称スワットをするように言われた。以来,今日までスワットとして,ボディーガードをしてきた。スワットというのは,普通に親分を護るのではなく,襲撃してきた相手に対抗できるだけのけん銃などの装備を持って,親分を護る者のことである。今回も,私,E,F,Jはけん銃を持って終始A親分の近くにいて,いつ敵から襲撃があってもA親分を護れるようにしていた。とにかくA親分のみを護るというのが仕事であり,それ以外の雑用は一切させられない。A親分が歩いているときは,大体私が親分の前,EとFが左右後方を歩いてガードし,親分の左右は2人の秘書が固めるというスタイルである。Jは,少し違う位置から,全体を見てガードしていた。私たちスワットは,一応選ばれた存在で は,大体私が親分の前,EとFが左右後方を歩いてガードし,親分の左右は2人の秘書が固めるというスタイルである。Jは,少し違う位置から,全体を見てガードしていた。私たちスワットは,一応選ばれた存在であり,大親分であるA組長を護れるということで,自分たちも光栄に思っている」旨(検察官に対する平成10年1月3日付け供述調書=原審乙46号証),「スワットになってからは,けん銃を持ってA親分の護衛をしなければならなくなり,けん銃の腕も磨かなければならないが,それは,上の者がいちいち訓練してくれない。射撃の腕もけん銃の管理もすべてスワットの個人の器量と責任で行う。けん銃を人に預けるような危険なまねはしない。A親分がスワットに対し,警護についていちいち具体的な指示をすることは決してない。直接口を利いてもらえることはあり得ない。スワットのメンバーの行動は,C’の叔父貴から指示されるのがほとんどだったが,護衛の細かな方法の指図はなかった。だから,護衛のとき,けん銃を用意しろとか,けん銃はこの護衛のときは使うなとかの具体的な指示はない。いつけん銃を持って護衛するかは,自分たちの器量と責任で決めていた」旨(検察官に対する平成10年1月9日付け供述調書=原審乙48号証),③同じくFは「昨年11月中旬,Gにスワットにしてくれるように頼んだ。決めるのはC’の叔父貴と思うが,Gに口利きしてもらおうと思った。12月中旬ころ,EかGから一度来るように言われ,それ以降,私もスワットとしてA親分の専属ボディーガードとなった。A親分をガードして上京したのは,今回までに2回ある」旨(検察官に対する平成10年1月4日付け供述調書=原審乙54号証),④同じくEは「平成6年10月から,本家山健組に行儀見習にきている。そのころから,A親分専属のスワットと呼ばれるボディーガードになった。 官に対する平成10年1月4日付け供述調書=原審乙54号証),④同じくEは「平成6年10月から,本家山健組に行儀見習にきている。そのころから,A親分専属のスワットと呼ばれるボディーガードになった。スワットは,大体5,6人いる。スワットは,主にC’の叔父貴の指示で動く。私とG以外は,逮捕の1,2週間の間にスワットになったため,私とGがどうしてもA親分と一緒に行動し,残りは大体2人が留守番になる。A親分が上京するときは何人付いて行くかは最終的にはC’の叔父貴が決めるが,今回は,Gと私で,C’の叔父貴に4人で行った方がいいと進言し,C’の叔父貴もこれを了承してくれた。4人で警護することになったのは,この時期は中野会がQ組長を殺した後であり,中野会会長はずっとA親分に出世で出し抜かれてきており,A親分に恨みを持っていて,血迷って親分を殺すことも十分考えられたからである」旨(検察官に対する平成10年1月4日付け供述調書=原審乙60号証),⑤同じくJは「親分の専属ボディーガードはスワットと呼ばれることがあった。近ごろは,相手がけん銃などを使って襲撃してくることも十分考えられ,素手では護りきれないこともあるので,A親分の専属ボディーガードをやる以上,けん銃などの武器を持って警護することになるから,武装しているという意味でスワットと呼ばれている。私が専属のボディーガードをしているとき,常にではないがけん銃を持って警護したこともあった」旨(検察官に対する平成10年1月4日付け供述調書=原審乙67号証)それぞれ供述している。さらに,⑥兼昭会のWは「ボディーガードにはスワットと呼ばれる者がいる。スワットの役目は,東京には山口組以外の組織がたくさんあり,東京にA親分が出てくれば,いつ,だれがその命を狙って攻撃してくるかもしれず,その時は,けん銃を使って攻撃して スワットと呼ばれる者がいる。スワットの役目は,東京には山口組以外の組織がたくさんあり,東京にA親分が出てくれば,いつ,だれがその命を狙って攻撃してくるかもしれず,その時は,けん銃を使って攻撃してきた者を撃ったりして反撃し,A親分を護ることにある。スワットには,関西から4,5人,関東から2,3人の若い者がなった」旨(検察官に対する平成10年1月8日付け供述調書抄本=原審甲113号証),「N組長から,スワットとは,ボディーガードで,けん銃を持ってA親分を警護している人であると教えてもらった。スワットの連中は素手ではA親分を護りきれないので,当然けん銃を持っていると思っていた。というのは,スワットがけん銃を持ってA親分を警護していると聞いていたし,A親分のガードの者が銀座で発砲事件を起こしたとN組長から聞いていたので,公用に参加した者の中に,けん銃を持っている者がいると思った」旨(検察官に対する平成10年1月11日付け供述調書抄本=原審甲114号証),⑦大阪スワットの乗った車の運転を担当したDは「私は,A親分が上京したとき,これまで10回くらい付いて回った。3,4回目から大阪スワットを乗せた車の運転をするようになった。A親分がホテルに戻った後,反省会があり,そのとき,スワットの意見を聞いた。NやP’(Pを指す)が中心になり,問題点などを話し合った。初めてスワット車を運転したときの反省会と思うが,P’から『お前はA組長の乗った車から離れすぎだ。もっとすぐ後ろにくっついて走れ』『お前の車にはスワットを乗せている。スワットは,A組長に万が一のことがあったら,大変だからいるんだ』と言われた。スワットは,けん銃を持ってA親分をガードする者と思った」旨(検察官に対する平成10年1月9日付け供述調書=原審乙38号証),「スワットには,東京サイドで用意するス ,大変だからいるんだ』と言われた。スワットは,けん銃を持ってA親分をガードする者と思った」旨(検察官に対する平成10年1月9日付け供述調書=原審乙38号証),「スワットには,東京サイドで用意するスワットと,A親分の専属スワットがいた。東京スワットは,大概,1人はRであり,Uもよくこれをやっていた。Iは今回が初めてのスワットである。私は,必ず,大阪の専属スワットの車の運転をしていた。大阪スワットは,20代の若い男2,3人であり,これまでは大阪からけん銃を用意してくることもあったが,今回は私の方で5丁のけん銃を用意した」旨(検察官に対する平成10年1月5日付け供述調書=原審乙35号証),⑧東京スワットを務めたIは「A組長が上京するときには,護衛が付けられる。山口組関係者の間では,組織の上の人の身辺警護をする役目をスワットと呼んでいる。護衛の中でも特別の護衛という意味で使っている。スワットには,けん銃が渡され,偉い人に危害が加えられる場合は,当然このけん銃で相手をやっつける役割が与えられている」旨(検察官に対する平成10年1月4日付け供述調書抄本=原審乙75号証)それぞれ供述している。 そして,これらの供述は,相互に符合し,その信用性に疑いを容れる余地はないというべきである。もっとも,これらの者も原審公判廷や当審において,これに反するような内容を供述するに至っているが,これらの者は捜査段階において一貫してスワットの存在について供述しておきながら,原審ないし当審においてその存在を希薄化し,あるいは否定するかのような供述をするに至ったものであって,到底信用することができない。所論は,スワット本来の意味とは異なる意味でスワットという言葉が用いられていたことを強調し,Fの「スワットとはアメリカ特殊部隊のこと」(上記検察官調書),Jの「スワットとは犯 用することができない。所論は,スワット本来の意味とは異なる意味でスワットという言葉が用いられていたことを強調し,Fの「スワットとはアメリカ特殊部隊のこと」(上記検察官調書),Jの「スワットとは犯人を射殺することもあるアメリカの武装警官のこと」(上記検察官調書)といったものとはほど遠いものであるというが,ここで重要なのは,被告人のボディーガードを務めるGらが本来の意味でのスワットと同様の訓練と装備のもとに配置されていたかどうかではなく,スワットと称されるGらボディーガードがけん銃を所持して被告人の警護の任に当たっていた事実の存在なのであって,G,F,Iらがボディーガードの実態とこれについての同人らの認識を述べた上記各供述は,いずれも十分に信用することができるのである。スワットに関してGらが供述するところを検察官による誘導,押し付けであるとする所論は失当であり,原判決のスワットに関する認定・説示は正当として是認することができる。なお,スワットの存在やスワットに警護されていることについての被告人の認識の点は,後述する。 (2) 警護の状況について所論は,被告人が上京した後の行動につき,原判決は,各店舗の出入口の状況,A車やスワット車の停車位置など,客観的な状況からの検討を全く行わないまま,あたかも,被告人の周りをGら付け人が取り囲んで移動する様子がはた目にも一目瞭然であるかのような認定をしているが,Gらは,被告人に常に接近して被告人を取り囲むような位置にいたことはなく,むしろ被告人から見えない位置にいた,という。 しかし,原判決は,前記1(5)と同様に,スワットらが被告人の移動に伴って常に移動し,被告人の飲食中は周辺で警戒に当たっていたことなどの状況を認定しているのであり,所論のように,車から降りた被告人をスワットらが常に取り囲むように と同様に,スワットらが被告人の移動に伴って常に移動し,被告人の飲食中は周辺で警戒に当たっていたことなどの状況を認定しているのであり,所論のように,車から降りた被告人をスワットらが常に取り囲むように警護していたなどとまで判示しているものでないことはその判文から明らかである。そして,被告人が自己を直接取り囲むような態様での警護を嫌っていたことは被告人自身の供述からも明らかである(Eは「C’の叔父貴から,常々親分は大勢に取り巻かれるのが嫌いだから,お前らは近くに寄るな,親分の目に付かないように離れていろと言われていた」旨供述している。Bらの第16回公判調書中のEの供述部分写)。ところで,警護の方法として,被告人を直接取り囲むような形態をとるか,被告人を遠巻きにしながらその回りを警戒する形態をとるかは,その時々の状況によるのであり,本件の場合のように,スワットが常に被告人を取り囲み,飲食店内にも同道して辺りを警戒するという形態ではなく,前記1(5)イのとおりの形態がとられたとしても,被告人の警護であることには何ら変わりはなく,被告人の警護として十分に意味のあるものと認められる。なお,店内については,SやCらが先に店内に入って不審者の有無等をチェックしている上,同人らが同席しており,また,店関係者も被告人が山口組内の大物組長であることは知っており,他の客についても注意を払っていることから,前記の所論とは逆に,店内の方が比較的危険は少ないともいえる。このことは,丁クラブの経営者であるαが「当店に暴力団関係者が出入りするのは好ましくない。それで,他の客からは目立たない場所に席を用意していた。当店には,関東の暴力団関係者も来るが,暴力団幹部と思われる人を警護するため若衆がいても,店の雰囲気が壊れるから若衆の入店は一切断っている。だから組長クラスだけが 目立たない場所に席を用意していた。当店には,関東の暴力団関係者も来るが,暴力団幹部と思われる人を警護するため若衆がいても,店の雰囲気が壊れるから若衆の入店は一切断っている。だから組長クラスだけが安心して,落ちついて飲んでいられる」旨供述している(検察官に対する供述調書=原審甲100号証)ことからもうかがうことができる。警護の状況に関する所論は,原判決を正解しないものというほかない。なお,被告人の認識の点については後述する。 (3) BからHへの指示内容所論は,BからHに対するけん銃準備の暗黙の指示はなかった,という。 しかし,BからHに対して,被告人の上京に備えての準備の依頼があり,その際,けん銃を準備することもその依頼の趣旨に含まれていたことは,B及びHが捜査段階で共に認めるところである。そして,これらの供述は,今回の上京に際しては,山健組本部では,Gらスワットに大阪からけん銃を携行して上京させることは,大阪での警察の警備状況からみて危険であると判断したことと符合するのであり,CがBに対して被告人の今回の上京予定を連絡した際,東京の兼昭会の方でけん銃を準備してくれるように依頼したものと認めるに足りる明白な証拠はないものの,これまでGらは大阪からけん銃を携行して上京し,警護に当たっていたと認められることに照らし,山健組本部の意向を受けてBらがけん銃を準備するに至ったものと推認されるのであり(山健組本部からの指示がないのに,今回の上京に限って兼昭会側独自の判断で5丁ものけん銃を準備するということは不自然である。),B及びHの捜査段階での供述は十分に信用することができる。 これに対し,同人らの原審及び当審における供述は,全体として,被告人の関与を極力薄めるための供述に終始していると認められるのであり,Bが事実を認めた理由に解任前の同人の 十分に信用することができる。 これに対し,同人らの原審及び当審における供述は,全体として,被告人の関与を極力薄めるための供述に終始していると認められるのであり,Bが事実を認めた理由に解任前の同人の弁護人らの示唆ないし指示があったかのように供述するところは,弁護人がそのような虚偽供述を指示するようなことは考えられないことに徴しても,到底信用することができない(Bの捜査段階の上記供述がBやHのみならず被告人にとっても不利に働くことは,極めて明白であって弁護士である弁護人にそれが見通せないはずはないし,弁護人が自己が弁護する被疑者に対して,そのような自爆的ともいえる虚偽供述を,弁護士倫理に反し,資格を停止されたり奪われたりするなどの危険を冒してまで指示等するとは考えられない。)。所論は採用できない。 (4) 被告人のけん銃に関する指示について所論は,被告人は,秘書や秘書見習のCに対し,周りの者はけん銃を持たないように指示していたものであり,本件けん銃等はGが勝手に準備したもので,被告人やCは全く予想していなかったものであるなどという。 確かに,被告人は,所論のとおりの供述をし,また,Cも検察官に対する平成10年1月7日付け供述調書(原審乙13号証)及び当審で取り調べたCの控訴審における供述調書等において「A親分は以前から道具を持つようなことがあってはならないと言っており,私もスワットの連中にはけん銃を持つなと言っていた。A親分や私がこのようなことを言っているということは,G,E,F,Jを始め,そのほか3人くらいいるスワットの連中は,全員間違いなく何度も聞いており知っているし,秘書ももちろん知っている。だから,今回スワットの連中がなぜけん銃を持っていたのか私には理解できない」などと供述している。もっとも,Cは,他方で,「今回,スワットが乗 く何度も聞いており知っているし,秘書ももちろん知っている。だから,今回スワットの連中がなぜけん銃を持っていたのか私には理解できない」などと供述している。もっとも,Cは,他方で,「今回,スワットが乗った車からけん銃が発見され,彼らがけん銃を持っていたことは間違いないが,なぜ持っていたのか私には分からない。東京の人間がけん銃を持つことについては親分を護るために持っていることもあり得ると思うが,これは東京が勝手にやったことであり私には関係ない。しかし,大阪のスワットに関しては,指示命令をするのは私の仕事であり,彼らにけん銃を持てとか持つなとか指示する者がいるとすれば私しかいないと思う。それなのに,Gたちスワットが実際けん銃を持っていたわけだから,私が指示したと言われても仕方がないが,私自身はスワットにはけん銃を持つなと言っていたのであり,けん銃を持って行くよう指示したりはしていない。スワットが私の命令を勝手に破って持ったぐらいしか考えられない。彼らが彼らなりの判断で自分たちの責任を果たすためけん銃を用意したのではないかと思う」(検察官に対する平成10年1月11日付け供述調書=原審乙14号証)とも供述している。 しかし,山健組関係者は,そろって山口組の御法度としてけん銃所持の禁止があることは聞いたことがないし,これまでけん銃を持つなという指示はなかったなどと供述している。すなわち,兼昭会組員のRは,「山口組での御法度としてけん銃を持つことがあるとは聞いたことがない」旨(検察官に対する平成10年1月4日付け供述調書抄本=原審甲118号証),大阪スワットのFは「けん銃所持の禁止は山健組では言われていない」旨(検察官に対する平成10年1月4日付け供述調書=原審乙54号証),同じくEは「けん銃については,一切親分や直参の叔父貴たちから指図されたことはな Fは「けん銃所持の禁止は山健組では言われていない」旨(検察官に対する平成10年1月4日付け供述調書=原審乙54号証),同じくEは「けん銃については,一切親分や直参の叔父貴たちから指図されたことはない。けん銃を持てとも持つなとも言われていない」旨(検察官に対する平成10年1月11日付け供述調書抄本=原審乙61号証),同じくJは「A親分が上京するのに,警護の者がけん銃を持たないなど考えられない。ボディーガードはけん銃を持たなければA親分を護れないので,けん銃を持つことが禁止されているなどということはない。当然,専属のGらにもけん銃が用意されていると思った」旨(検察官に対する平成10年1月4日付け供述調書=原審乙67号証)それぞれ供述している。そして,組長である被告人が指示した事項がこれらの組員に伝達されていないということは考えられず,現に東京スワットのみならず,被告人付きのスワットであるGらが本件けん銃等を携帯所持しているのであり,この点で被告人やCの所論に沿う供述は到底信用することができない。また,Jは自己の第一審公判廷においてさえ「以前組長付きのボディーガードをしていたときは,大雑把な指示はC’の叔父貴がしていた。当時同人からけん銃を持つなと指示されたことがたまにあった。けん銃は自分の判断で持っていたので,同人が持つなと言わないときは持っていた」旨(Bらの第17回公判調書中のJの供述部分写)供述し,必ずしもCからけん銃を持つなという一般的な所持禁止の指示を受けたとは供述していないし,Fも自己の第一審公判廷で,山健組ではけん銃を持つなという指示があったなどとは供述していない(Bらの第16回公判調書中のFの供述部分写)。そして,Gも自己の第一審公判廷において「C’の叔父貴がけん銃を持つなと言っていたことは確かであるが,実を言えば,C’の叔 あったなどとは供述していない(Bらの第16回公判調書中のFの供述部分写)。そして,Gも自己の第一審公判廷において「C’の叔父貴がけん銃を持つなと言っていたことは確かであるが,実を言えば,C’の叔父貴もそんなことは言いながらも,次の日には,親分は銃を持つなというけどな,みたいな,そういうあいまいなことを言うときもあった」旨(Bらの第17回公判調書中のGの供述部分写),けん銃所持の禁止命令とは相容れない内容の供述をしているのである。したがって,被告人やCの前記供述は,被告人の刑事責任を否定せんがための虚偽供述と認められる。 所論は,Fらの上記供述は,けん銃所持禁止の指示が不徹底に終わり,山健組の規則となるに至らなかったことからなされたものと考えられるというが,F,Eは被告人付きのスワットであり,まさに被告人の足下にいる者であって,このようなFらがけん銃所持禁止の命令があったのにこれを知らなかったなどとは考えられないのであり,単に指示が不徹底に終わったなどということで説明できるものとは思われない。さらに,所論は,GはCのけん銃を持つなとの指示に反して,勝手にけん銃の携帯所持を決め,自らの模索したルートでけん銃の準備をしたもので,これには被告人,C,Bの関与は全くないという。しかし,Gがけん銃を携行した理由として自己の第一審公判廷で述べるところは,「親分らが店の中に入っているとき,店の近くの路上で立って待つことが多いが,そういったときにチンピラや酔っぱらいが時々絡んでくることがある。そういったとき,相手が大勢で私たちがけんかで負けてしまっては立場がない。けん銃を使えば,相手は逃げていくから,そういった意味でもけん銃はあった方が私としては心強い気持ちだった」(Bらの第16回公判調書中のGの供述部分写),「けん銃など持つ必要がない情勢だったのに い。けん銃を使えば,相手は逃げていくから,そういった意味でもけん銃はあった方が私としては心強い気持ちだった」(Bらの第16回公判調書中のGの供述部分写),「けん銃など持つ必要がない情勢だったのに,自分の心細さをカバーするためけん銃を頼んでしまった。今回の事件は私の判断ミスとしか言いようがない」(Bらの第17回公判調書中のGの供述部分写)などというものであって,この程度の理由でけん銃所持禁止の命令に反して,わざわざ兼昭会にけん銃の準備を依頼し,Gらがけん銃を所持していることが警察官に発覚した場合の危険を冒してまでけん銃を所持するなどとは考えられないところであり,Gのこの点の供述は到底信用できない。上記認定のとおりの経過に徴すれば,Gらは,これまでの被告人の上京に際してもけん銃を所持して被告人の警護に当たっていたが,山健組本部においては,大阪での警察の取締りが厳しくなり,大阪からけん銃を所持して上京することが危険であることから,東京の責任者であるBをしてけん銃の準備をさせたものであり,その準備はCら山健組本部の意向に沿ったものであると推認することができる。 なお,被告人の供述を前提とすれば,本件でけん銃等を準備し所持した共犯者らは,いずれも組の御法度を破り,親分である被告人の指示にも違反し,被告人に多大の迷惑をかけた者ということになるが,山口組内や山健組内でその責任を追及されて処分を受けているようにはうかがわれないのみならず,控訴審においては,被告人と共通の私選弁護人6名による手厚い弁護を受けている。少なくとも監督責任は問われてしかるべきCについても同様である。 被告人のけん銃に関する指示についての所論は,失当というほかない。 (5) 警護の必要性について所論は,被告人が本件当時襲撃される危険がなく,被告人もそのような危険の認識がな ても同様である。 被告人のけん銃に関する指示についての所論は,失当というほかない。 (5) 警護の必要性について所論は,被告人が本件当時襲撃される危険がなく,被告人もそのような危険の認識がなかったことが,山口組Q若頭殺害事件後の客観情勢,被告人と中野会会長との関係,被告人のその事件後本件までの飲食遊興の実態等の証拠により立証されているのに,原判決は,不当にも共謀認定に重要な意味を持つこの点につき何らの判断も示していない,という。 確かに,被告人は,原審及び当審公判廷において,Q組長殺害後,中野会関係者が殺害したと見られていたが,自己と中野会会長βとの関係等から見て,被告人が中野会関係者から狙われることは考えられないなどと供述し,また,被告人が中国地方などで飲酒遊興をしたことが認められる。しかし,β会長との関係が被告人の供述するとおりであるかは,被告人が本件以前にCら配下の者に伝わるような形でそのような認識を明らかにしていた証跡は全くうかがわれない上,中野会関係者の供述も得られていないことでもあるから(もっとも,事柄の性質上供述が得られてもその信頼度には大きな限界がある。),そのままこれをすべて事実と認めることはできない。また,このような飲酒遊興が,被告人に対するどのような警護状況下で行われたかについても,被告人や山健組関係者の供述しかなく,被告人が警護に無関心であったとか,その必要性を感じていなかったなどと断定することはできない。むしろ,山口組内で大物組長であったQ組長が殺害されたことから,山口組内では出世競争で後れを取ったβ会長がQ組長を狙ったという見方が行われており,山健組内では,K山口組組長の直参で同組若頭補佐の地位にある被告人も同様に狙われるおそれがあると懸念する声もあったものであり,また,当審における事実取調べの結果に を狙ったという見方が行われており,山健組内では,K山口組組長の直参で同組若頭補佐の地位にある被告人も同様に狙われるおそれがあると懸念する声もあったものであり,また,当審における事実取調べの結果によれば,週刊誌等においても,被告人に対する中野会関係者による襲撃を予想する記事が繰り返し載せられていたことが認められるのである。そして,被告人の警護の必要性の有無は,真実中野会関係者が被告人を襲撃する計画を有していたかどうかではなく,被告人の側近である秘書見習のC,Gらスワット,Bら東京側の兼昭会関係者らがそのような襲撃が行われる可能性を予測していたか否かにかかるのであり,スワットら被告人の側近や東京側の組関係者が,このような不測の事態に備えて,これに対処すべく準備し行動していたことが認められるのである。そして,前記のような経歴で山口組の最高幹部の一人ともいうべき地位(組内の最大組織の大親分)に就いている被告人が,スワットらが,このような状況を予測して被告人の警護に当たっていたことを知らなかったということは,およそ考えられない(被告人は,秘書らを通じてけん銃を携帯しないように指示していたなどと供述しているが,この点の供述が信用できないことは,前記のとおりである。)。 もっとも,Cは,「一般的に,A親分が襲われる可能性は,普通の生活上それはないと思っている」(原審第6回公判期日における証人としての供述)などと供述し,Gもこれに沿う供述をしながらけん銃を所持した点に関し前記のとおり供述している。しかし,Gのこの点の供述が不自然で到底信用することができないことは前記のとおりである。そして,Eは自己の第一審公判廷においても「中野会が次はA組長を狙うのではないかと心配した。とにかくあのような襲撃事件が起こり,きな臭い感じになったので,心配な気持ちになっ とは前記のとおりである。そして,Eは自己の第一審公判廷においても「中野会が次はA組長を狙うのではないかと心配した。とにかくあのような襲撃事件が起こり,きな臭い感じになったので,心配な気持ちになった。週刊誌などの記事の影響もあったと思う」旨(Bらの第16回公判調書中のEの供述部分写)供述しているが,むしろ,このE供述が組関係者の意識に共通するところを述べているものと認められる。 なお,所論は,原判決が中野会の襲撃の危険性について触れていないことはその可能性を否定したと認められるところ,それにもかかわらず,原判決が被告人がGらのけん銃所持を認識していたと判断したのは不可解であるともいうが,中野会関係者による被告人襲撃の可能性の有無とこれを周囲の者がどのように認識していたかということは自ずから別問題であることは前記のとおりであり,原判決が中野会関係者の襲撃の可能性について触れずに,被告人がGらのけん銃所持の事実を認識していたと認定しても何ら異とするに足りない。 警護の必要性に関する所論に対する判断を要約すると,結局次のようになる。「論より証拠」という言葉があるが,本件当日Gらスワットが本件けん銃等を携行して被告人を警護しており,被告人もこれを受け入れていたことは,何よりも明白な動かし難い証拠というべきであって,これによれば,本件当時被告人や本件共犯者らが当時警護の必要性を感じていたか否かの論には明白に決着が付くのである。なお,被告人の認識の点については,さらに後述する。 (6) その他,弁護人らが控訴趣意書においてるる主張する点について,当審における事実取調べの結果を併せて検討しても,これらの点が上記1の事実認定及び2の(1)ないし(5)での認定・判断を左右するものとは考えられない。 2 被告人に対する共謀共同正犯の成立について ける事実取調べの結果を併せて検討しても,これらの点が上記1の事実認定及び2の(1)ないし(5)での認定・判断を左右するものとは考えられない。 2 被告人に対する共謀共同正犯の成立について(1) 前記1で認定した事実関係及び2で補足的に説明した事実関係を総合すれば,本件当時,スワットであるG,E,F,J,Iの5名は,被告人を警護するため,それぞれ本件のけん銃や実包を携行していたものであり,これらの本件けん銃等を実際に準備したのはHとDであり,これを準備するようにHに依頼したのはBであるから,これら8名の者につき,本件けん銃等の所持についての(共謀)共同正犯が成立することは明らかである。また,Cは,被告人の秘書見習として,終始被告人に付き従っており,被告人付きのスワットであるGらを指揮する立場にあるところ,今回の被告人の上京に当たっては,東京での被告人の接待・警護の責任者であるBへの連絡,Gらスワットに対する上京の指示等をしたものであり,CがGらに対しけん銃を携行することを直接的に指示したことを認めるに足りる証拠はないものの,Cも,Gらスワットがけん銃を所持して被告人の警護に当たることは当然の前提としていたものと優に推認されるものであり,Cについても,Gらの本件けん銃等の所持についての共謀共同正犯の成立を認めるに十分である。 さて,被告人に対する共謀共同正犯の成否について見ると,確かに,被告人は,今回の上京に際して,Gらへのけん銃所持の点を含め具体的な指示をした形跡は存しないところである。しかし,被告人は,山口組での最高幹部の1人であり,山口組内でも最大規模の山健組組長の地位にあり,このような被告人が今回の上京のように外出して遊び回るに際しては,万全の警護態勢が敷かれることは,山健組関係者には当然のこととして予想できるものと認めら 口組内でも最大規模の山健組組長の地位にあり,このような被告人が今回の上京のように外出して遊び回るに際しては,万全の警護態勢が敷かれることは,山健組関係者には当然のこととして予想できるものと認められるのであり,被告人の回りには,被告人の身辺の世話や警護を担当する秘書やスワットが置かれていることは前記のとおりである。そして,被告人は,若いころから暴力団組織に身を置き,自らも親分の警護役を担当した経験もあり,そのような経験や実績を積み重ねて現在の地位に登りつめている者であるから,自己についてこのような警護態勢が取られていることは,当然に了解しているところと推認される。 この点につき,被告人は,捜査段階において「親父には何があっても迷惑をかけてはいけないということが極道にとって最も大切なことの一つである。自分で親父の気持ちを汲み,正しい判断をし,それに基づいて親父のために尽くすことが器量であり腹である。 これは自分で覚えてゆくことである。このような考えだから,私は自分の配下たちに,直接細かな指示を出したり,小言を言ったりはせず,側近の者に大筋を指示するだけで,あとは各責任者たちに任せてやらせている。親分の警護や身の回りの世話は,下の者が気を利かして万全な体制でやることが当たり前のことであり,これができないようでは秘書や東京での責任者は務まらない。私も初代山健組組長の付け人として上京した折りもそうだった。このようなときの警護は,以前は,親分のボディーガードはけん銃を持って,ピッタリ親分に付き添い,常時襲撃してくる敵に備えていた。組長の秘書やボディーガードが敵の襲撃に備えて警護しなければならないのは当然だが,親分である私までけん銃の共同所持で逮捕されては何にもならないので,C’やSに対しては,『自分に密着するボディーガードはけん銃を抱いてはいかん ドが敵の襲撃に備えて警護しなければならないのは当然だが,親分である私までけん銃の共同所持で逮捕されては何にもならないので,C’やSに対しては,『自分に密着するボディーガードはけん銃を抱いてはいかん』と言っていた。警察に銃器対策課ができてから私なりに,いずれ側近やボディーガードにけん銃を持たせていたら,共同所持で親分まで逮捕される時代がくる,と考えていた。また,自分の乗った車からけん銃が発見されれば,共同所持の責任は逃れられないので,自分の車の中にいる者にはけん銃を持たせないようにしようと考えていた。そうなると,全く敵の攻撃に対し無力になる心配が出てくるが,そうさせないのが現場責任者の器量である。つまり,私を受け入れる側である東京のBの側では,偵察を始めとする情報収集と,警備体制をとり,時と場合によってはけん銃等による武装などの配慮をして,親分には迷惑をかけない形でその責任を果たすというのが極道の務めである。山健組の組長である私の立場で,東京のBに対してまで,『ああせい,こうせい』などと言うべきではないし,親分にそういうことを言わせてはならない。仮にけん銃を抱いて親分を護るとしても,陰ながらひっそりと親分を護るべきであり,目立って警察に捕まるような下手なことをしてはならない。そのため秘書を始め,Bら幹部には細かな指示もせず任せてやらせていた」旨供述している(検察官に対する平成10年1月11日付け供述調書=原審乙2号証)。被告人の上記供述は,子分は親分からいちいち指図されて動くのではなく,いかなる場合でも親分の気持ちをくみ取り,親分に迷惑をかけない形で最善の警護態勢をとるべきであり,場合によっては,けん銃を所持してでも親分を警護するのが付け人である子分の役割であるとの認識を被告人が有していたことを示すものというべきである。この点は,秘書であ 形で最善の警護態勢をとるべきであり,場合によっては,けん銃を所持してでも親分を警護するのが付け人である子分の役割であるとの認識を被告人が有していたことを示すものというべきである。この点は,秘書であるSが,「A親分は大親分で山口組の最高幹部であり,しかもQ組長が中野会に殺された後であり,A親分を狙うような者も多く,A親分を護るために子分がけん銃を持ったりすることもあると思うが,それは飽くまでその子分が自分の判断,自分の器量で親分のために用意するものであり,親分に迷惑がかからないように決して親分にけん銃を持っていることを報告したり,親分が知ったりするようなことはしない。もちろん,親分が自らけん銃を持つように指示したりするようなことは絶対にない。それが親分をガードする場合の基本であり,私も昔からそのように教えられてきている。今回,親分のボディーガードと雑用をするスワットと呼ばれる連中がけん銃を持っていたようだが,これはすべてスワットの連中が自分たちの判断で親分を護るため用意して持っていたものと思う」旨供述し(検察官に対する平成10年1月7日付け供述調書=原審甲103号証),また,大阪スワットであるJも「我々ヤクザは,いちいち親分の指図がなくても,常に親分の望むことを先回りして考え,親分の気持ちを察して親分の気持ちに沿った行動をとらなければならない。子分が親分のためすべての面で気を配るのが当たり前なので,親分もそれが分かっていて,細かいことを子分にいちいち指図などしない。今回のけん銃についても親分の気持ちを察して,親分の気持ちに沿った行動をとろうとして子分の判断で用意したと思う。親分の命を護るため,できるだけの準備をするのがヤクザとして当然の行動であり,ましてや,Q組長の事件があって間がなく,親分がけん銃で狙われる危険もあり,けん銃がなければ て子分の判断で用意したと思う。親分の命を護るため,できるだけの準備をするのがヤクザとして当然の行動であり,ましてや,Q組長の事件があって間がなく,親分がけん銃で狙われる危険もあり,けん銃がなければ親分は護れない」(検察官に対する平成10年1月10日付け供述調書抄本=原審乙68号証)旨供述しているところであり,これらの供述は,まさに,Gらがヤクザとして被告人の意を汲んで行動することを期待されていること,及びGらもそのことを認識しつつ,その期待に沿うべく行動していることを示すものである。 そうすると,被告人は,今回の上京に際し,被告人と行動を共にして,被告人を警護しているスワットと呼ばれる者らが,被告人を警護するために大阪から上京したり,東京側で準備されて,都内においてけん銃を携行して被告人の行く先に同行し,終始被告人の警護に当たっていることを当然に認識していたものと認められる。そして,被告人がこれらのスワットに対して直接けん銃を携行しての警護を指示していなかったとしても,スワットらのけん銃所持がまさに被告人の警護を目的としており,けん銃を所持しての警護を継続させるかどうかは被告人の意思にかかっているのであるから,被告人がけん銃を携行したスワットによる警護がなされていることを認識し,けん銃所持を認容して,スワットらと一体として行動している前記のような事実関係のもとにおいては,被告人がC,B,D,E,F,G,H,I及びJと共謀の上で,本件けん銃等を所持したものと認めることができる。 (2) 所論は,①原判決は,Gらが被告人と行動を共にし,専ら被告人の警護のみに専従している旨認定しているが,Gらが専ら警護のみに専従しているという事実はないし,被告人がこのようなことを認識していた事実もない,②仮に被告人が山健組にスワットが存在する事実を認識し の警護のみに専従している旨認定しているが,Gらが専ら警護のみに専従しているという事実はないし,被告人がこのようなことを認識していた事実もない,②仮に被告人が山健組にスワットが存在する事実を認識していたとしても,被告人は,今回の上京で東京都内を移動して遊興して回った際に,Gら5名のスワットがけん銃及び実包を所持していたことはもとより,同人らが同行しているとの認識さえなかった(スワットの存在の認識だけから,被告人が本件当時スワットによるけん銃携行を認識していたものと確定的に推認することはできない。),という。 しかし,①山健組本部では,専ら被告人に付き従い,その警護や被告人のための雑用のみに従事している,ボディーガード(スワット)と呼ばれる者が存することは前記のとおりである。同人らは,山健組傘下の組織から精鋭が選ばれたものであり,事務所当番等の雑用は免除されているのであって,このような者が被告人の警護に当たっていることは被告人も当然に認識していたものと推認される。②本件当時,Gらスワットが被告人と終始行動を共にし,その間,被告人の警護に当たっていることは,被告人が上京後のスワットを含む関係者の一連の行動経過に照らし,被告人も当然に認識していたものと推認される。すなわち,被告人が乗った車の前後にGらスワットを始め,組員らが乗った数台の車が被告人の行く先々まで随行し,被告人を中心としてこれらの者らが一体となって行動していることが明らかであり,しかも,このような形態での行動は,今回が初めてではなく,これまでの多数回に及ぶ上京時にも同様の形態で行動していることが認められるのであるから,被告人は,前記のような意味でのスワットの存在を認識していたことはもとより,今回の上京の際,自己の警護を目的としたスワットが随行して,これらが一体となって移動し,飲 ることが認められるのであるから,被告人は,前記のような意味でのスワットの存在を認識していたことはもとより,今回の上京の際,自己の警護を目的としたスワットが随行して,これらが一体となって移動し,飲食の間は,付近を警戒するなどの組織として一体として行動していたこと,及びGらスワットがけん銃を携行して被告人の警護に当たっていることをも認識しており,Gらスワットのこのような警護を当然のこととして受け入れていたものと,優に推認することができる。なお,被告人は,A車以外の車両の存在にも,スワットらの存在にも全く気付かなかったなどとも弁解しているが,よほど鈍感でなければそのようなことはあり得ないし,被告人ほどの地位の者がそのように鈍感な人物であるとは考えられない。所論はいずれも採用できない。 (3) 所論(法令適用の誤りの主張)は,被告人に共謀共同正犯の成立を認めるためには,Gらによる本件けん銃等の所持の事実を認識・認容していただけでは足りず,いわゆる謀議の事実(黙示的なものも含むが,具体的な謀議行為でなければならないとの趣旨と解される。)が厳格に認定されることが必要である,という。しかし,一概に共謀共同正犯といっても,その中には様々な類型があるのであって,実行行為の現場には全く登場しない黒幕ともいうべき者もあれば,実行行為の現場で指揮をしている者なども含まれるのであって,共謀共同正犯の成立を認めるには,常に必ず具体的な謀議行為の事実を特定して認定しなければならないとは解されない。被告人は,Gら本件けん銃等を携行している者らの暴力団組織における上位者であり,今回の上京後本件で現行犯逮捕されるまでGらと組織的に行動を共にしていたのであり,実行行為の現場にいた実行犯の上位者ということができる。そして,Gらによる本件けん銃等の所持は,被告人の警護のた り,今回の上京後本件で現行犯逮捕されるまでGらと組織的に行動を共にしていたのであり,実行行為の現場にいた実行犯の上位者ということができる。そして,Gらによる本件けん銃等の所持は,被告人の警護のためになされているのであって,被告人はその受益者なのであり,また,このような形態での警護をやめさせることができるのも被告人だけであったのである。このような被告人の地位,立場,共犯者らとの関係等の事情に徴すると,被告人がGらによるけん銃所持を認識し,これを認容していた事実が認められれば,被告人がGらに本件けん銃等を所持させ,自己を警護させていたものと評価できるのである(このことは,例えば,御輿に乗っている者は,乗っている事実を認識し,これを認容しているのであれば,御輿を担いでいる者にこれを担がせていると見られるのと同様なのである。)。Gらが被告人のために本件けん銃等を所持していたことはもとよりであるから,被告人の方に上記のような意思があったと認められる以上,被告人とGらとの間に本件けん銃等の所持という犯罪を共同遂行する合意が成立しているものといえるのであるし,本件けん銃等所持の犯行は,被告人にとっても自己の犯罪であり,被告人の正犯意思は十分に認められるのであって,被告人に共謀共同正犯が成立するのは当然のことというべきである。原判決もこれと同様の事実関係を認定して同旨の法解釈を示しているものと解されるのであって,所論は失当である。 (4) 所論は,仮に被告人がGらがけん銃を持っているとの未必的認識を有していたとしても,共謀共同正犯の成立に必要な実行行為者と被告人間の意思疎通行為があったといえるためには,未必的認識だけでは足りず,実行行為に匹敵するような意思の疎通が必要であるところ,被告人が「子分や親分からいちいち命令されて動くのではなく,親分の気 被告人間の意思疎通行為があったといえるためには,未必的認識だけでは足りず,実行行為に匹敵するような意思の疎通が必要であるところ,被告人が「子分や親分からいちいち命令されて動くのではなく,親分の気持ちを汲み,親分のために尽くすべきであり,親分から指示されるまでもなく,けん銃を抱いて親分を警護するのが付け人たるべきものの行動であるとの見解を有している」としても,けん銃を所持して被告人を警護することが,実行行為者・共謀者間に共通の認識になっていなければ,被告人の見解のみで共謀の存在を推認することはできず,むしろ,被告人がこのような見解を有しているということは,被告人の付け人らによるけん銃所持の認識が未必的なものにとどまっていたことの証左であり,この点は被告人と付け人らとの共謀がなかったことを裏付けるものである,という。 しかし,被告人のスワットの存在や本件当時のGらのけん銃所持についての認識が,いずれも肯認できることは前記のとおりである。所論は,被告人のスワットらがけん銃を携行していることについての認識が未必的なものであることを共謀が否定される根拠としているが,被告人が個々的にスワットら何名がどのようなけん銃を何丁所持しているのかを確認していないとしても(被告人自身がこのような確認をするはずはないし,秘書やスワットらも,進んで被告人にけん銃所持の事実を報告することはしないと述べている。),ただ単に,もしかしたらスワットらがけん銃を携行しているかもしれないと思っていたにすぎない,とは考えられない。被告人のけん銃に関する認識は,被告人を周辺で警護するために必要な限度でスワットら数名の者が数丁のけん銃を所持しているという程度の,ある程度概括的なものではあるが,その限度では確定的なものであったと推認できるのである。そして,被告人は,例えば車の運転を めに必要な限度でスワットら数名の者が数丁のけん銃を所持しているという程度の,ある程度概括的なものではあるが,その限度では確定的なものであったと推認できるのである。そして,被告人は,例えば車の運転を担当したにとどまるような立場の者とは異なり,スワットらによるけん銃所持は専ら被告人の警護のためであって,被告人はその受益者なのであり,また,このような形態での警護をやめさせることができるのも被告人だけであり,このような被告人の地位,立場,共犯者らとの関係等の事情に徴すれば,スワットらのけん銃所持を直接確認したり,報告を受けたりするなどして明確に認識していなかったとしても,すなわち,けん銃所持の点の認識が概括的なものにとどまっていたとしても(所論のように未必的認識にとどまるとはいえないことは前述したとおりである。),この点が共謀共同正犯の成立を妨げるものとはいえない。所論は採用できない。 (5) 所論(訴訟手続の法令違反の主張)は,原判決の情況証拠による被告人の共謀についての推認は,刑訴法317条の証拠裁判主義に違反するとともに,同法318条の自由心証主義に内在する法規に違反するものである,という。 弁護人らは,この点の所論を含め,被告人の共謀を否定するために大論陣を張っているが,本件は被告人の共謀を推認するための豊富な間接事実が確実に証明できている事案である。被告人が,周囲の状況に気付かない極めて鈍感な人物であり,かつ,山健組が,配下の者は親分である被告人の指示を平気で無視し,また指示違反に対する制裁もなされないという,統制が全くといってよいくらいにとれていないルーズな組織であるというのでなければ,被告人につき共謀共同正犯の成立を疑問とする余地はない。しかし,被告人はそのように鈍感な人物ではないし,山健組もそのようなルーズな組織であるとは認 とれていないルーズな組織であるというのでなければ,被告人につき共謀共同正犯の成立を疑問とする余地はない。しかし,被告人はそのように鈍感な人物ではないし,山健組もそのようなルーズな組織であるとは認められない。原判決及びこれを是認する本判決は,被告人が今回上京するまでの経緯,上京してからの状況,特に山健組本部から同行したスワット及び東京側である兼昭会関係の組員らによる警護の状況等,被告人の自己の警護の在り方についての認識等の事情を総合して,被告人と実行行為者らとの本件けん銃等所持についての共謀を認定するものであり,これは経験則や社会常識に即した当然の推論というべきであって,証拠裁判主義に反したり,自由心証主義に内在する推論の合理性等の要請に反したりするものとは到底考えられない。この点の所論が理由のないことは明らかである。 以上のとおり,原判決が被告人がほか9名と共謀の上で原判示の犯行に及んだ旨の事実を認定した点に,所論のような事実誤認,訴訟手続の法令違反,法令適用の誤りはない。論旨はすべて理由がない。 よって,刑訴法396条により本件控訴を棄却し,当審における未決勾留日数の本刑算入につき刑法21条を適用して,主文のとおり判決する。 平成13年12月20日東京高等裁判所第2刑事部裁判長裁判官安広文夫裁判官松尾昭一裁判官竹花俊徳
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