主文 被告人を懲役3年に処する。 未決勾留日数中640日をその刑に算入する。 この裁判が確定した日から5年間その刑の執行を猶予する。 折りたたみ式ナイフ1本(平成14年押第28号符号2)を没収する。 理由 (犯行に至る経緯)被告人は,平成12年1月ころから,Aと付き合い始め,しばらくして同女と肉体関係を伴う親密な間柄になったが,当時,被告人には別居中の妻がいた。 平成14年5月ころ,Aが被告人の子を身籠もっていることが明らかになった。Aは,それまでに2度,被告人の子を身籠もって中絶したという経緯もあって,今度は子を生みたいと望み,被告人から中絶するように強く促されることもなかったことから,中絶をせずにいたものの,婚姻関係にない被告人の子を生み,育てることへの苦悩を募らせるとともに,同居していた母に妊娠がいつ露見するかと不安に思う日々を送るうちに,「いっそのこと,死んでしまいたい。」などと考えるようになって,そうした思いを被告人に話した。被告人は,当時,サラ金からの多額の借金を抱えてその返済に窮していたこともあって,A共々,次第に絶望的な気持ちになり,遂には心中をしようということになって,同年6月26日,Aと一緒に,死ぬ場所を求めてあてのない旅に発ち,以後,被告人の運転する車で各地を転々とする逃避行を続けた。もっとも,逃避行の途中,Aは,お腹の子が大きくなるにつれて,罪のない子を道連れにすることはできないとの思いを抱き,被告人に対して,子を生みたいなどと言うことがあり,これに対して,被告人が,できることなら生ませてあげたいなどと答えるということもあった。それでも,被告人は,心中の決意を放棄するには至らず,Aも,終始,被告人から一緒に死のうと言われれば死ぬほかないと思って,被告人に付き従い,逃避行を続け ませてあげたいなどと答えるということもあった。それでも,被告人は,心中の決意を放棄するには至らず,Aも,終始,被告人から一緒に死のうと言われれば死ぬほかないと思って,被告人に付き従い,逃避行を続けていた。 同年8月26日,被告人は,いまだAと共に逃避行を続けていたが,そのころになると,サラ金の手の者に追われているとの思いを強め,追っ手から逃れようと,同日からほぼ不眠不休で車の運転を続け,同月27日,被告人とAの地元である広島県三原市に戻ってきた。被告人は,運転する車の中で異臭がすると感じていたことから,同市内の知り合いを訪ねるなどして代わりの車を借りようとしたが,いずれの場所でも車を借りることができなかった。また,被告人らの所持金は,既に乏しくなっていた。 (罪となるべき事実)被告人は,第1 平成14年8月27日午後3時10分ころ,広島県三原市ab丁目c番d号所在の有限会社B南側車両置場において,交際相手のA(26歳)との間で交わしていた心中の約束を実行に移そうと決意し,同女を殺害しようと企て,被告人により殺害されることを暗に承諾している同女に対し,所携の折りたたみ式ナイフ(刃体の長さ約8.0センチメートル。平成14年押第28号符号2)で同女の左胸部を数回突き刺し,さらに,その右頸部を突き刺したが,同女に全治約1か月を要する右心室穿孔,左肋間動脈損傷,左血気胸,左肺刺傷,出血性ショック,播種性血管内血液凝固の傷害を負わせたにとどまり,殺害するに至らなかった第2 業務その他正当な理由による場合でないのに,前記日時場所において,刃体の長さ約10.5センチメートルの包丁1丁(同号符号1)及び刃体の長さが約8.0センチメートルで,開刃した刃体をさやに固定させる装置を有する上記折りたたみ式ナイフ1本を携帯したものである。 (証拠の標目)省 .5センチメートルの包丁1丁(同号符号1)及び刃体の長さが約8.0センチメートルで,開刃した刃体をさやに固定させる装置を有する上記折りたたみ式ナイフ1本を携帯したものである。 (証拠の標目)省略(争点に対する判断)第1 争点弁護人は,判示第1の事実(殺人未遂被告事件[平成14年(わ)第212号]に係る認定事実)について,①被告人は,被害者と心中すべく,被害者の同意の上,本件刺傷行為(以下,(争点に対する判断)においては,「本件」あるいは「本件犯行」という。)に及んだものであるから,本件は,自殺幇助罪もしくは同意殺人罪の未遂にあたり,仮に,被害者の同意を得ていなかったとしても,被害者が同意しているものと誤解したものであるから,自殺幇助罪もしくは同意殺人の未遂罪として処断されるべきである,②被告人は,本件犯行当時,多種多様の睡眠安定剤を常用していた上,60時間以上不眠不休で車を運転するなどして心身とも疲れ果てていたことから,心神耗弱の状態にあったものである,③被告人は,本件犯行直後,119番通報をして救急車を呼び,いまだ犯罪の嫌疑を持たない警察官に対し,本件の犯罪事実を自発的に申告しているから,自首にあたると主張し,被告人も上記各主張に沿う内容の供述をする。 他方,検察官は,大要,①については,本件犯行以前に被告人と被害者との間で,心中をしようという漠然とした話し合いがなされていたものの,本件犯行時に,具体的にそれを実行に移すことについての被害者の合意はなく,また,被告人自身,犯行直前に,被害者がその場で刺殺されることについての合意をしていないことを認識しながら,心中とは無関係に衝動的に同女を殺害するために刺傷行為に及んだものである,②については,被告人が,犯行当時,十分に自己の行為の是非善悪を弁別 されることについての合意をしていないことを認識しながら,心中とは無関係に衝動的に同女を殺害するために刺傷行為に及んだものである,②については,被告人が,犯行当時,十分に自己の行為の是非善悪を弁別し,それに従って行動をする能力を有する状態にあったことが客観的に認められる,③については,本件の事実関係に照らせば,被告人が自発的に犯罪事実を申告したと評価することはできないと主張し,弁護人の上記各主張には理由がないとする。 そこで,以下,上記の争点(①殺人未遂罪の成否,②心神耗弱の主張,③自首の成否)について,検討する。 第2 殺人未遂罪の成否(争点①) 1 判断の前提となる事実(犯行に至る経緯等)本件犯行に先立ち,被告人と被害者の間で心中をしようという話し合いがされていたことは,関係証拠上明らかであり,検察官もこれを争っていない。そこで,上記話し合いの状況を含む,本件犯行に至る経緯について検討すると,次の事実が認められる。 (1) 被告人は,平成12年1月ころから,被害者と交際をするようになり,しばらくして被告人と同女は肉体関係を伴う親密な間柄になった。当時,被告人には妻がいたが,既に別居状態となっており,他方,被害者は,独身で,被告人が離婚した後に結婚できればいいと考えていたことから,両名は交際を続けていた。 (2) 被告人は,被害者と付き合い始めた前後ころ,勤務先の倒産が原因で失業し,以来,ホテル等を転々とする日々を送り,そのうちに,生活費や被害者との交際費を賄うためにサラ金等からの借金を重ねるようになった。その一方で,被告人は,被害者との交際を続け,被害者は,平成12年7月と同年12月の2度,被告人の子を身籠もったが,婚姻関係にない被告人との間にできた子である上,被告人らには子を育てる経済的余裕もなかったことから,被告人は,同女を説得し 続け,被害者は,平成12年7月と同年12月の2度,被告人の子を身籠もったが,婚姻関係にない被告人との間にできた子である上,被告人らには子を育てる経済的余裕もなかったことから,被告人は,同女を説得していずれも中絶させた。被告人は,平成12年11月ころから,タクシー運転手として働き始めたが,借金の返済に収入が追いつかず,経済的困窮は増すばかりであり,他方,被害者の方にも,同年2月に両親が別居し,病弱な母親との2人暮らしをすることになったという事情があって,その生活は苦しいものであった。 (3) 平成14年5月ころ,被害者が被告人の子を身籠もっていることが判明した。 被害者は,今度は子を生みたいという気持ちを抱き,その思いを知った被告人も同女に中絶を促さなかったことから,同女は中絶をしなかったが,その一方で,被害者は,被告人には別居中の妻がある上,当時の生活状況等からすれば,経済的にも出産をするわけにはいかないとの思いも抱いていた。また,被害者は,同居していた母親に対し,これまでに2度中絶をしていることを告げておらず,3度目の妊娠も隠していたため,お腹が大きくなるにつれて,母親が被害者の妊娠に気付くのではないかという不安を募らせていった。他方,被告人も,そのころ,いよいよ借金の返済が苦しくなって心身共に疲弊し,死んで楽になりたいなどと思い詰めるようになった。このとおり,それぞれ思い悩んでいた被告人と被害者は,子が生まれても経済的に育ててはいけないなどと語り合ううち,将来への閉塞感を抱いて共に絶望的な気持ちとなり,遂には「一緒に死のう。」という話になって,同年6月26日,被告人の運転する軽四自動車に乗り,心中する場所を求めてあてのない旅に出発した。 その後,被告人と被害者は,関西,四国,東北,北陸などを転々としながら逃避行を続け,途中,心中する ,同年6月26日,被告人の運転する軽四自動車に乗り,心中する場所を求めてあてのない旅に出発した。 その後,被告人と被害者は,関西,四国,東北,北陸などを転々としながら逃避行を続け,途中,心中する場所やその方法等について話し合い,その際,被告人は北陸の海で溺れて死にたいなどと言い,被害者は山で首を吊って死にたいなどと応えた。被告人と被害者は,逃避行を始めてから本件に至るまでの間,実際に心中を試みるには至らなかったものの,被害者は,被告人のもとを去らずに一緒に旅を続け,同年8月23日ころには,被告人共々,同月26日付けの遺書を作成した。また,被告人は,旅の途中でロープを購入した。 (4) 同月26日,被告人と被害者は北陸地方にいたが,そのころ,被告人の携帯電話にしばしば知らない番号からの着信があり,被告人は,サラ金の手の者に追い掛けられている旨を口走るようになった。同日夜,被告人は,被害者と共に車で北陸地方を発ち,以後,ほぼ不眠不休で運転し続け,翌27日,広島県尾道市を経て,同県三原市に着いた。この道中,被告人は,所携の折りたたみ式ナイフを被害者に示し,同女に対し,サラ金に捕まるなどしたら,このナイフで同女を刺して自分も死ぬなどと申し向けたが,これに対し被害者は格別の応答はしていない。 被告人は,三原市に着くと,知人に会うために同市内のホテルに立ち寄った後,車内で異臭がすると感じていたことから,同日午後零時20分ころ,別の車を借りるために知り合いが営む自動車修理販売店に赴いた。しかし,被告人は,同所で車を借りることができず,その際,応対に出た者に対して,「わしゃ,もうだめじゃ。 死ぬんじゃ。迷惑掛けるなあ。」などと言った。 その後,被告人は,同市内にあるスーパーマーケットCに立ち寄り,同店駐車場に車を停めると,判示の折りたたみ式ナイフ1本と包 して,「わしゃ,もうだめじゃ。 死ぬんじゃ。迷惑掛けるなあ。」などと言った。 その後,被告人は,同市内にあるスーパーマーケットCに立ち寄り,同店駐車場に車を停めると,判示の折りたたみ式ナイフ1本と包丁1丁が入ったショルダーバッグを携え,被害者を連れて,徒歩で,元内妻から車を借りようとしてその勤務先病院を訪れたが駐車場に内妻の車が見当たらなかったためそのまま病院を後にした。 (5) 上記病院を出た後,被告人は,被害者と共に,本件犯行の現場となった判示車両置場まで歩いていった。当時,この車両置場には,数台の車がびっしりと詰めるように停められていたところ,被告人は,わずかな隙間を通って上記車両置場の奥へと立ち入った。続いて,被害者が,被告人に促されて,上記車両置場の奥まで入り,被告人の側に近付くと,被告人は,判示第1記載の態様で,本件犯行に及んだ。 (6) 本件犯行後,被告人は,自傷行為に及ぶことなく,自ら119番通報をし,臨場した救急車に同乗して病院まで被害者に付き添い,その後間もなく,同病院に駆け付けた警察官により警察署まで任意同行され,同日中に通常逮捕された。 2 被害者の供述内容について(1) 逃避行中の被害者の心情ア被害者は,上記逃避行中の心情について,公判廷において,要旨,「旅の途中,お腹の子が大きくなるにつれて,罪もないのに一緒に道連れにすることはできないなどと思うようになった。被告人に対して,その思いを言葉で伝えたことはないが,子を生みたいと言ったことはある。それに対して,被告人は,できるなら生ましてあげたいなどと言ってくれた。それでも,被告人から一緒に死のうと言われれば,死ぬつもりであった。被告人とずっと一緒にいたかった。お盆のころから三原に戻るころまでの間に,死ぬ気持ちはだんだん薄れていったが,2人で死のうという気持ちは も,被告人から一緒に死のうと言われれば,死ぬつもりであった。被告人とずっと一緒にいたかった。お盆のころから三原に戻るころまでの間に,死ぬ気持ちはだんだん薄れていったが,2人で死のうという気持ちはずっと残っており,死の決意が薄れていっているとの自分の思いを被告人には話さなかった。被告人がロープを購入したときも,いつ,それを使って自殺することになるのかなという気がしていた。」などと供述する。 イ被告人と被害者が上記逃避行に発った経緯,当時の被害者らの経済状態及び被告人と被害者の交際状況等に照らせば,被害者が,上記逃避行の間,被告人に言われるまま心中しようという心境でいることは十分にあり得ることである。しかも,被害者は,本件に至るまで約2か月間にわたって被告人に付き従い,あてのない旅を続けていたことに照らすと,被害者が,逃避行の間,終始,2人で死のうという気持ちは残っていた旨述べる部分に不自然さはない。さらに,被害者が,逃避行を続けるうち,懐胎した子が大きくなるに連れ,子を生んで育てたいという心情が強まる一方で,現実を直視すればそれは叶わぬ願いであると思い,また,被告人とずっと一緒にいたいという気持ちを抱き,積極的に死のうという気持ちが薄れたものの,被告人から死のうと言われれば一緒に死のうと思っていたと述べる部分などは,周囲から全面的に祝福されることを期待することはできない子を身籠もった女性の複雑な心境を吐露した迫真性に富むものであり,訥々と語るその証言態度に照らしても,当時の心境を率直に語る供述ということができる。これらの諸点にかんがみると,被害者の上記アの供述は,前記1摘示の事実関係とよく整合する自然かつ合理的なものというべきである。加えて,被害者の証人尋問は,第3回公判(平成15年2月12日)及び第13回公判(平成16年2月18日) 害者の上記アの供述は,前記1摘示の事実関係とよく整合する自然かつ合理的なものというべきである。加えて,被害者の証人尋問は,第3回公判(平成15年2月12日)及び第13回公判(平成16年2月18日)の2回にわたり実施されたものであるが,上記アの供述内容は,各証人尋問を通じて変遷することなく維持されている。なお,被害者は,検察官の取調べにおいて,「私は,旅立った時の心中しようという気持ちから,子供を生んで育てるということに前向きな考えになっており,自分から死のうという気持ちはもうありませんでした。」旨述べていたと窺われるが(検察官作成の平成15年9月16日付け証拠調べ請求書参照),その意味するところは,上記アの供述と同旨と理解する余地があり,この点を捉えて被害者の供述に有意な変遷があるとするのは相当でない。したがって,被害者の上記アの供述は,高い信用性を備えており,被害者は,その内容どおりの心境であったと認められる。 ウこれに対し,検察官は,①本件直前の被告人の行動をみると,被告人は,被害者と合意の上で心中するという考えすら念頭になくなって,ただひたすら「サラ金の回し者」から逃れることが行動の目的になりかわり,生への執着そのものに従って行動していたことが客観的に認められる,②しかも,被告人らが,地元である尾道,三原に戻った時点で,被告人自身が心中の合意を事実上放棄していたものと認められ,被害者も,かような被告人の行動からその時点で,被告人が心中の合意を放棄したものと認識して行動していたものと認めるのが合理的である,などと主張する。なるほど,上記1の事実関係をみると,本件当時,被告人が借金取りから逃れたいとの思いに突き動かされて行動していたことは明白である。しかし,当時においても,被告人と被害者に心中を決意させた社会生活上の困難は何一つ解 1の事実関係をみると,本件当時,被告人が借金取りから逃れたいとの思いに突き動かされて行動していたことは明白である。しかし,当時においても,被告人と被害者に心中を決意させた社会生活上の困難は何一つ解消されていなかったことに鑑みれば,被告人がサラ金の手の者から逃げることに必死になったり,一時,地元に立ち寄ったことを考慮しても,被告人と被害者は,なお心中をする意思を持って行動を共にしていたとみるのが自然であり,被告人が,サラ金の手の者から逃れることに汲々としていたことをもって,直ちに心中する気持ちがなくなっていたと断ずることには飛躍がある。そもそも,被告人が借金の返済に窮し,経済的に困窮していたことは,被告人と被害者に心中を決意させた事情の一つであったことを考えると,被告人がサラ金の回し者から追われているとの思いを募らせ,それから逃れようとする行動に出ることは,心中の決意と何ら矛盾するものではない。したがって,検察官の上記主張は,当を得たものではない。 エ以上によれば,被害者は,上記逃避行を続ける過程で,自ら積極的に死のうという気持ちこそ薄れていたものの,本件犯行直前になっても,被告人から心中を実行する旨言われれば,これを受け容れるつもりで,被告人に付き従って逃避行を続けていたものと認められる。 (2) 犯行当時の被害者の心情等次に,被害者は,本件犯行の状況及び当時の心情等について,公判において,「Cの駐車場から本件現場の車両置場までの間,被告人と特に会話はしていない。先に上記車両置場に立ち入っていた被告人から呼ばれたので,被告人の側まで行ったところ,被告人から抱きつくような感じで後ろに押され,胸の辺りに何かが刺さったような痛みを感じてしゃがみ込んだ。被告人に刺されてかなり驚いた。当時,自分よりも子供を助けたいという気持ちがあり,いつの ころ,被告人から抱きつくような感じで後ろに押され,胸の辺りに何かが刺さったような痛みを感じてしゃがみ込んだ。被告人に刺されてかなり驚いた。当時,自分よりも子供を助けたいという気持ちがあり,いつの時点かは分からないが,子供は助けてほしいと言って,お腹をかばうような態勢をとったと思う。」旨供述する。 関係証拠を検討しても,かかる供述の信用性を疑うべき事情はなく,その内容どおりの事実を認めることができる(なお,被告人は,Cから本件現場に至るまでの間に,被害者に対し,死ぬことになってもいいかなどと言ったところ,同女が無言で頷いた旨や,被害者を刺す直前,同女に対して「刺すぞ。」と言った旨を供述をしているが,これらが曖昧な記憶に基づくものであることは被告人自身が認めており,採用することができない。)。 3 被害者の殺害の承諾の有無について以上1,2で認定した事実を前提として,本件犯行当時,被害者が,被告人に殺害されることを承諾していたか否かについて,以下,検討する。 被告人は,本件犯行に際し,被害者の意思を改めて確認することもないまま,いきなり折りたたみ式ナイフで被害者を突き刺すなどしたものであって,突然,刺された被害者は,かなり驚愕した上,胎児をかばう言動をとるなどしているところである(なお,被告人は,被害者に向かって折りたたみ式ナイフを構えたところ,同女が驚愕の表情を浮かべるとともに,悲鳴を上げた旨供述している。)。このような本件犯行の態様及び被害者の言動等に照らすと,被害者が,本件犯行の際,被告人に殺害されることを真に承諾していたのか全く疑問がないわけではない。 しかしながら,上記のとおり,被害者は,本件の約2か月前,被告人と共に心中する場所を求めて旅に出発すると,以後,本件直前まで被告人と共にあてのない逃避行を続け,本件犯行直前においても, けではない。 しかしながら,上記のとおり,被害者は,本件の約2か月前,被告人と共に心中する場所を求めて旅に出発すると,以後,本件直前まで被告人と共にあてのない逃避行を続け,本件犯行直前においても,被告人から心中を実行する旨言われれば,これを受け容れるとの気持ちを抱いていたものである。しかも,被害者は,上記逃避行の過程で,被告人と心中の具体的方法を話題にしたり,被告人と一緒に遺書を作成するなどしているほか,被告人が首つりの道具と目されるロープを購入するのを目の当たりにして,いつ,それを使って自殺することになるのかなどと思っていたことなどに鑑みると,被害者が抱いた心中の覚悟は,相当程度具体的なものであったとみるべきである。加えて,上記逃避行の間,被害者は,被告人から,折りたたみ式ナイフを示された上,サラ金に捕まるなどしたら,このナイフで同女を刺して自分も死ぬなどと言われたということもあったというのである(しかも,被害者は,本件当時,被告人が,サラ金の手の者に追われている旨の追いつめられた心境を抱き,やや興奮状態にあることを認識していた。)。また,本件犯行時の被害者の言動については,被告人との心中を受容しつつも,現実に死の危険に直面したことで,子を生んで育てたいという自ら抑圧した願望が不意にあふれ出たものとして理解することができる。これらの諸点を総合勘案すると,本件犯行に際し,被害者が,被告人によって殺害されることを承諾する意思を有していたのではないかという疑問は,なお払拭することができないといわざるを得ない。 4 本件犯行の動機ないし被告人の認識について(1) 被告人は,捜査段階においては,おおむね一貫して,被害者は被告人と一緒に死ぬつもりであると認識していた旨供述している。そして,かかる供述は,上記1ないし3の検討に照らし,その信用性を ついて(1) 被告人は,捜査段階においては,おおむね一貫して,被害者は被告人と一緒に死ぬつもりであると認識していた旨供述している。そして,かかる供述は,上記1ないし3の検討に照らし,その信用性を否定することができない。 (2) もっとも,被告人は,公判においては,本件犯行時における被害者の心情についての認識を質された際に,「彼女も死ぬつもりだったのですが,人間誰だって,私だって,本人が死ぬつもりでも,いざとなれば死ねないんじゃあないんでしょうか。死にたくない,そういうことで。」「瞬間,刺す前に気が変わって死にたくなくなったんだと思う。」「自分が被害者を刺した後一緒に死ぬつもりだったのに死ねなかったのと同じように,子供は助けてほしいと被害者が言ったのであれば,やはり命が惜しくなった,子供を死なすのを嫌になった,心変わりしたのだと思う。 これは自然ではないでしょうか。」などと供述した(第10回)。そして,検察官は,被告人の上記公判供述を根拠に,本件犯行当時,被告人は,被害者が死ぬ気をなくし,ひいては被告人が同女を刺殺することについての合意は得られていないと認識していながら,本件犯行に至った旨主張する(なお,検察官は,本件直前の被告人の行動等を捉えて,被告人には被害者と心中する気持ちがなくなった旨の主張もしているが,これに理由がないことは,上記2(1)ウ記載のとおりである。)。 しかし,被告人の上記公判供述は,それ自体,回顧的,分析的な内容のものであり,被告人自身は「Aさんが子供を助けてほしいと言ったことがあるかも分かりません。それはどの段階かは覚えていません。」(Aから子供を助けてほしいと言われた記憶が残っているかとの質問に対し)「残っているかも分かりません。それだけです。それAさんが言われたんならそうでしょう。」(Aが子供を助けてほしいと いません。」(Aから子供を助けてほしいと言われた記憶が残っているかとの質問に対し)「残っているかも分かりません。それだけです。それAさんが言われたんならそうでしょう。」(Aが子供を助けてほしいと言った時期について)「彼女がもし言うんでしたら,私が刺す間でしょ。」と述べているにとどまるところ,検察官において,被告人が被害者を刺す直前に被害者が子供を助けてくれと述べたことを前提として,被害者の承諾と子供を助けたいとの被害者の言葉に矛盾がある旨問い詰めたのに対し,被告人が前述のように述べているのである。また,被告人は,被害者は死にたくなかったのであろうが,家に帰れず,子も生めないという現実に直面して死ななければならない状況にあったのだと思う旨を述べてもいる(第11回)。これらの事情を合わせ考えると,被告人が,公判において言わんとするところは,被害者は,諸般の事情から心中を決意していたものの,いよいよ心中を実行する段になって,自身や胎児の命を失いたくないという願望を露わにしたものであろうと現時点では想像できるという趣旨ではないかと思料される。したがって,被告人の上記公判供述を根拠に,本件犯行当時,被告人は,被害者が死ぬ気をなくし,ひいては被告人が同女を刺殺することについての合意は得られていないと認識していたものと認定することはできない。検察官の上記主張を採用することはできない。 (3) なお,本件については,被告人が,犯行後,自らの身体にはためらい傷一つつけることもないまま,自殺を断念したという事情が認められるが,真に心中の意図を有して殺傷行為に出た者が,自傷行為に及ぶには至らないということは,しばしば見られることであるから,上記事情のみをもって,被告人が,先の心中の合意とは無関係に本件犯行に及んだと評することはできない。 (4) したがって 者が,自傷行為に及ぶには至らないということは,しばしば見られることであるから,上記事情のみをもって,被告人が,先の心中の合意とは無関係に本件犯行に及んだと評することはできない。 (4) したがって,被告人は,本件犯行当時,被害者が被告人と心中する意思を有しており,被告人によって殺害されることを承諾しているものと認識していたと認められる。 5 結論以上のとおりであり,本件犯行については,被害者において,被告人によって殺害されることにつき黙示の承諾をしていたのではないかという合理的な疑いを払拭することができず,また,被告人は被害者において殺害されることを承諾していると認識していたものであるから,本件は殺人未遂罪ではなく,同意殺人未遂罪にあたるものである。 第3 心神耗弱の主張について(争点②)1(1) 本件犯行に至る経緯等は第2の1記載のとおりであり,被告人が,本件犯行直前まで,約2日半にわたり,長距離運転をほぼ不眠不休で続け,その間,サラ金の手の者に追われている旨を口走っていたことなどが認められる。そして,被告人は,公判において,①平成11年5月ころから,不眠症のため2つの病院から睡眠導入剤,精神安定剤等を処方してもらい,それ以外にも睡眠導入剤を購入して,それらを自己判断で混ぜ合わせるなどして服用しており,特に,逃避行の旅に出た平成14年6月ころからは,薬効が強くなるように服用する薬の量を増やすなどした上,ほぼ連日,睡眠導入剤等を服用していたこと及び同年8月24日の夜以降,一睡もしなかったため,本件当時は,もうろうとした状態であったこと,②同月26日に北陸地方を発った時には,心中を実行するために岡山の蒜山に行くつもりであったが,高速道路で車に囲まれて蒜山には行けなくなり,尾道で無理矢理に高速道路を降りたのであって,三原のホテルには, 月26日に北陸地方を発った時には,心中を実行するために岡山の蒜山に行くつもりであったが,高速道路で車に囲まれて蒜山には行けなくなり,尾道で無理矢理に高速道路を降りたのであって,三原のホテルには,自分のもうろう状態や幻覚状態を試すために立ち寄ったことなどを供述している。 (2) 確かに,上記事実関係に照らせば,本件当時,被告人が,睡眠不足や長時間・長距離の運転が原因となって,相当に疲労困憊した状態であったと窺われる上,被告人がサラ金に追いつめられた心境になって,必死に追っ手から逃れようとしている様には,奇異な面があることも否めない。また,被告人の薬の服用状況については,関係証拠上,被告人の上記供述(第3の1①)を前提とせざる得ない。 しかし,本件は,交際女性と心中を約束し,同女と共に約2か月にわたって逃避行を続け,所持金も乏しくなったという状況下において,心中の実行を決意して交際相手を殺害しようとしたという事案であり,実行の着手自体は唐突であるものの,全体としては動機ないし経緯が了解可能である。また,犯行に至る経緯及び犯行状況に関する被告人の記憶はかなり保持されている。しかも,被告人は,被害者の殺害を思いとどまると,自ら119番通報をした上,臨場した救急車に乗り込んで同女に付き添っていることに照らせば,当時,被告人は,本件における自己の行為や生じた事態の意味を十分に理解していたと認められる。加えて,任意同行及びその前後の状況における被告人の行動には,精神状態の異常を窺わせる点を特に見出せない。以上の諸事情を総合勘案すると,本件当時,被告人は,是非を弁別し,これに従って行動する能力が著しく減弱した状態にはなかったと認められる。 2 なお,被告人は,本件による逮捕後も,犯行時と同様にもうろう状態が続く中で取調べを受けた旨の弁解供述をし, 是非を弁別し,これに従って行動する能力が著しく減弱した状態にはなかったと認められる。 2 なお,被告人は,本件による逮捕後も,犯行時と同様にもうろう状態が続く中で取調べを受けた旨の弁解供述をし,弁護人は,主として被告人の弁解供述に依拠して,捜査段階で作成された被告人の供述調書(検39ないし70)については,精神が混乱し,正当な供述ができない状況下で作成されたものであるから,任意性がないなどと主張する。しかし,捜査段階で作成された被告人の供述調書は,大筋において,被告人の公判供述に沿う内容のものであることに加え,本件犯行翌日作成の被告人の供述調書(検41)をみると,被告人が,前日に作成された供述調書記載の自己の職歴について補足,訂正する趣旨の供述をする箇所があるほか,いくつかの供述調書について,被告人の申し出に従ってなされた加除,訂正が存すること,被告人の取調べに当たった各警察官は,被告人がもうろう状態にあると感じたことはない旨の証言をしており,むしろ被告人の取調べの大半を担当した警察官の証言によれば,被告人は供述調書の内容に対してかなりの注意を払っていたものと窺えることなどに照らせば,上記の被告人の供述調書が任意性を欠くものではないことは明白である。そして,これら供述調書等から窺える被告人の供述状況をみても,本件犯行当時,被告人が責任能力を備えていたことについて合理的な疑問は生じない。 3 以上のとおりであるから,本件犯行当時,被告人は心神耗弱の状態であったとする弁護人の主張は採用することができない。 第4 自首の成否(争点③)上記のとおり,被告人は,被害者の殺害を思いとどまると,自ら119番通報をした上,臨場した救急車に乗り込み,同女に付き添って病院に行っている。さらに,関係証拠(Dの公判供述等)によれば,被告人は,119 のとおり,被告人は,被害者の殺害を思いとどまると,自ら119番通報をした上,臨場した救急車に乗り込み,同女に付き添って病院に行っている。さらに,関係証拠(Dの公判供述等)によれば,被告人は,119番通報の際,自ら名前を名乗るとともに,「殺した」「自殺を手伝った」などと言っていること,その後,殺人未遂の被害者が同病院に収容された旨の110番通報を受けて,三原警察署勤務の警察官Dが,関係者の事情聴取のため同病院に赴き,身分を明らかにした上で,当該事件の関係者は誰かと尋ねたところ,待合室のソファーに座っていた被告人を指す者がおり,被告人自身も「僕です。」などと言って名乗り出たこと,そこで,同警察官が,被告人を見ると,その着衣及び身体には血痕らしきものが付着していたこと,続いて,同警察官が,被告人に対して,事の次第を質すと,被告人は,心中目的で被害者を刺し殺そうとした旨の説明をしたこと,その後,同警察官は,被告人に対し,三原警察署への任意同行を求めたところ,被告人は素直に応じ,その後の取調べを経て,同日,殺人未遂の容疑で通常逮捕されたことなどが認められる。 上記事実関係によれば,被告人自身による119番通報が,本件の捜査の重要な端緒となっていることは明白であるが,上記119番通報自体を捜査機関に対する犯罪の申告とみることはできない。また,被告人は,上記病院において,上記警察官の問い掛けに答えて,自分が本件の犯人である旨を認めているが,その場の状況及び応答の態様に照らせば,これをもって犯人が自発的に自己の犯罪事実を告げたとみることはできず,かつ,この時点においては,上記110番通報(通報内容に照らし,上記119番通報を受けた消防当局からの通報と推認できる。)により,既に本件の発生は捜査機関の認知するところとなっていたのであるから,この段階で自 点においては,上記110番通報(通報内容に照らし,上記119番通報を受けた消防当局からの通報と推認できる。)により,既に本件の発生は捜査機関の認知するところとなっていたのであるから,この段階で自首があったと認めることもできない。 したがって,本件では自首は成立せず,弁護人の主張は採用できない。 (法令の適用)罰条第1の行為刑法203条,202条後段第2の行為包括して,銃砲刀剣類所持等取締法32条4号,22条,折りたたみ式ナイフの携帯につき,さらに,同法施行令9条2号刑種の選択第1,第2の罪について,いずれも懲役刑を選択併合罪の処理刑法45条前段,47条本文,10条(重い第1の罪の刑に47条ただし書の制限内で加重)未決勾留日数の算入刑法21条執行猶予刑法25条1項没収刑法19条1項2号,2項本文(第1の犯行に係る物)訴訟費用の不負担刑事訴訟法181条1項ただし書(量刑事情)本件は,被告人が,交際相手との心中を実行しようと企て,被害者の黙示の承諾の下,確定的殺意をもって,折りたたみ式ナイフで同人の胸や首を突き刺して負傷させたという同意殺人未遂及びその際,上記ナイフ1本と包丁1丁を不法に携帯した銃砲刀剣類所持等取締法違反の事案である。 本件犯行に至る経緯等は,(争点に対する判断)で摘示したとおりであるが,被告人は,被害者との間に心中の約束をしていたとはいえ,同女から強く心中の実行を求められていたわけではなく,また,同女の体内には約7か月の胎児がいたのに,唐突に心中の実行を決意し,本件殺害行為に及んだものであるから,人命軽視の態度が甚だしい。また,本件殺害行為については,被害者の承諾があったと認められるものの,被害者には心中をためらう思いもあり,しかも,被告人か 行を決意し,本件殺害行為に及んだものであるから,人命軽視の態度が甚だしい。また,本件殺害行為については,被害者の承諾があったと認められるものの,被害者には心中をためらう思いもあり,しかも,被告人から最後の意思確認を受けることもないまま,突然,本件犯行に遭ったために,強い驚愕と死の恐怖を感じることになったのであるから,被告人の行為は,安易かつ自分勝手なものであって,被害者に対する思いやりの態度に欠けたといわざるを得ず,犯行態様は悪質というべきである。加えて,本件の経緯をみると,被告人の無計画かつ身勝手な生活状況や,年長者としての配慮に欠ける被害者との交際態度が,被害者に心中を覚悟させた面があるといわなければならず,被告人が本件に及んだ経緯ないし動機は,さほど同情できるものではない。 被害者は,本件殺害行為により,全治約1か月の重傷を負うとともに,愛しく思っていた胎児を失っている。したがって,被害者の母親の処罰感情が厳しいことはそれなりに理解し得るところである。 これらの諸事情に照らせば,被告人の刑事責任は重い。 しかしながら,他方,被告人は,本件犯行後,自ら119番通報をしており,これによって被害者の一命を取り留めた可能性もあること,幸いにして本件同意殺人は未遂に終わっていること,被害者は,公判廷において,「被告人に対して,憎い気持ちとかいうのは,今でも全然思ってないことは正直に言えます。」と述べ,被告人を宥恕する意思を明らかにしていること,被告人は,捜査・公判を通じ,凶器を用いて被害者の殺害を図ったこと自体は認めている上,相当長期間の身柄拘束を経て,反省悔悟の念を一層深め,公判においては,たとえ被害者と2人で死のうとしたにせよ,自分の我が儘で身勝手な点が多かったのであるから,すべて自分が悪く,被害者に対しては申し訳なく思っている旨を述べ て,反省悔悟の念を一層深め,公判においては,たとえ被害者と2人で死のうとしたにせよ,自分の我が儘で身勝手な点が多かったのであるから,すべて自分が悪く,被害者に対しては申し訳なく思っている旨を述べて改悛の情を示していること,被告人には前科がないことなど,被告人にとって酌むべき事情がある。 以上の諸事情を総合考慮すると,被告人には,主文のとおりの刑を科した上,刑の執行を猶予するのが相当であると判断した。 (公判出席検察官脇田純彦,同弁護人中川哲吉)(求刑懲役4年及び折りたたみ式ナイフ1本の没収)平成16年7月21日広島地方裁判所福山支部裁判長裁判官加藤誠裁判官中島経太裁判官荒木美穂
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