【DRY-RUN】目 次 主 文 理 由 第一 嘱託尋問調書の証拠能力をめぐる論旨 第二 請託及び行政指導に関する事実誤認の控訴趣意 (一) A1のB―七四七LR三機、昭和四七年度国内線転
目次 主文 理由 第一嘱託尋問調書の証拠能力をめぐる論旨第二請託及び行政指導に関する事実誤認の控訴趣意(一) A1のB―七四七LR三機、昭和四七年度国内線転用計画に関する論旨(二) A2の大型機運航能力に関する論旨(三) 大型機導入準備期間に関する論旨(四) リースによる大型機導入の可能性に関する論旨(五) A2の内部資料に基づき、A2に大型機運航能力がなかつたとする原判示の認定の誤りをいう論旨(六) B1が導入時期を昭和四九年と言うわけがない旨の主張を排斥した原判決部分の誤りをいう論旨(七) A2五ケ年計画説明会での航空局の指摘に関する論旨(八) B1のA1はけしからんとのB2部長に対する発言時期についての論旨(九) B1の「入れるときは一緒にという大臣の意向もある」との発言に関する論旨(一〇) 第二次空整といわゆる問合せとの関連に関する論旨(一一) 本件行政指導と被告人との関連についての論旨(一二) 結語第三金員の授受についての事実誤認に関する控訴趣意第四賄賂性の認識についての事実誤認の控訴趣意第五法令適用の誤りを主張する控訴趣意第六検察官の控訴趣意(量刑不当)略語表 主文 本件各控訴を棄却する。 当審における訴訟費用中、証人B3及び同B4に支給した分、ならびに同B5(但し、第一回及び第二回公判期日出頭分)に支給した分の二分の一を被告人の負担とする。 理由 本件各控訴の趣意は、弁護人稲川龍雄、同蓬田武、同関根栄郷、同石塚文彦共同作成名義の控訴趣意書、「検察官答弁書に対する反論意見書」「検察官の答弁書 人の負担とする。 理由 本件各控訴の趣意は、弁護人稲川龍雄、同蓬田武、同関根栄郷、同石塚文彦共同作成名義の控訴趣意書、「検察官答弁書に対する反論意見書」「検察官の答弁書に対する反論書」「検察官の答弁書に対する反論」と題する各書面、及び弁護人稲川龍雄作成名義の「控訴趣意追加申立」「控訴趣旨追加申立中訂正」「釈明申立書」と題する各書面、ならびに検察官吉永祐介作成名義の控訴趣意書及び検察官B27作成名義の「補充訂正申立書」と題する書面に記載されているとおりであり、これらに対する答弁は、検察官B27、同B24和昭、同飯田英男共同作成名義の答弁書及び検察官B27作成名義の「補充訂正申立書」と題する書面ならびに弁護人稲川龍雄、同蓬田武、同関根栄郷、同石塚文彦共同作成名義の答弁書に記載されているとおりであるから、これらを引用する。 (なお、以下の判示は、本判決の末尾に添付した略語表にしたがつて記載することとする。)第一嘱託尋問調書の証拠能力をめぐる論旨所論は、これを要するに『原審が昭和五四年一〇月三〇日付証拠採用決定(以下、「原決定」という。)により、C1、C2の嘱託尋問調書を刑訴法三二一条一項三号により証拠として採用し、事実認定の用に供したが、右措置は刑訴法二四八条、三二一条一項三号の解釈を誤り、ひいては憲法三一条、三八条一項、三七条二項に違反する訴訟手続の法令違反をおかしたものである』というのである。 C1、C2の嘱託尋問調書中被告人の関係で原審が取調べた部分は、本件犯罪事実の認定の決め手になるほどに証拠価値が大きいものではないが、C1分はL―一〇一一機のA2に対する売込の直接の窓口であつたE1のB6から、最終的に導入機種決定のために必要であるとして、被告人を含む六名の氏名と配付予定額を示され計三、〇〇〇 いものではないが、C1分はL―一〇一一機のA2に対する売込の直接の窓口であつたE1のB6から、最終的に導入機種決定のために必要であるとして、被告人を含む六名の氏名と配付予定額を示され計三、〇〇〇万円の裏資金の調達を要請され、これを承諾してC2に命じ日本円で三、〇〇〇万円をE1に届けさせた経緯、裏資金要求の主体がA2であると理解したこと、C2分はC1から説明指示をうけ資金を調達してE1に届けた経緯に関するものであり、本件贈賄の資金の出所などの事実に関し直接的証拠としての価値をもつほか、本件贈賄に関与したE1関係者や本件贈賄を発案したA2関係者の供述や供述調書の信用性を裏付ける間接的証拠としての価値を有するものであるという意味で刑訴法三二一条一項三号本文の「その供述が犯罪事実の存否の証明に欠くことができないものであるとき」に該当するものであると認められる。 弁護人の主張は多岐にわたるが、その根幹をなす主張は次の「1」ないし「3」の三つであり、その余の主張は根幹をなす主張の派生的主張と認められるので根幹をなす主張に対する判断の過程で派生的主張についても判断を示すこととする。 原決定が、「(一) 東京地検検事正、検事総長、最高裁判所による各宣明のなかで、証人らに対するわが国内における刑事訴追のおそれの存否に関連して法律上根拠を有し、直接の影響を及ぼすと考えられるのは、検事正のそれであり、他の各宣明はその趣旨を補強する性質のものである。 検事正の不起訴宣明は、証人らに対し、将来、その証言事項のなかに被疑事実となるべきものがあらわれることがあつても、その事項については、宣明の時点において確定的に、刑訴法二四八条に基づく訴訟効果を有する処分をする旨を決定したことを宣明したものである。したがつて、検事正の宣明による処分は通常の不起訴処分であり 、その事項については、宣明の時点において確定的に、刑訴法二四八条に基づく訴訟効果を有する処分をする旨を決定したことを宣明したものである。したがつて、検事正の宣明による処分は通常の不起訴処分であり、これを公訴権放棄等と解することはできない。検事総長の二回にわたる宣明は、検事正の宣明が検察の最高責任者と十分な協議をしたうえでの強い裏付けを有する不動の処分であることを示し(第一次宣明)、その遵守を最高裁判所に対して確約した(第二次宣明)ものであり、また、最高裁宣明は、わが国の司法慣行上、各証人が証言した事項に関して将来公訴を提起されることはあり得ないとの常態的判断を認知して明らかにしたものにすぎない。 (二) 米国における嘱託証人尋問手続において、証人が自己負罪のおそれを理由として証言拒否をした場合、自己負罪のおそれを法的に除き、少なくとも実質的に取り除いてそのおそれがないと同じ状態の保障のもとに供述を命じて作成された尋問調書でなければ、わが国の憲法、訴訟法の趣旨にも反し、右調書をわが国内で訴訟上の証拠として許容することができない。 しかし、本件においては、検事正の宣明は、刑訴法二四八条による処分である限り確定力はなく、法律上、その処分後の起訴を一切不適法とする等の法律上の効力を有するものではないが、証人らに対しわが国の裁判権、捜査権を及ぼすことのできる見込みは存せず刑事訴追のおそれは半ば消失しかかつていた素地があつた上、検察官による一連の不起訴宣明が対外的に、かつ公式に何度も確約されたことなどから、検察官が、公訴提起等の刑事上の制裁措置に出ることは国際上の信義則に照らしても、実際上あり得ないと通常考えられる状態に立ち至つたものと理解され、これを「累積した全体」として考察する際それはもはや個々的な措置の効力を越え、刑事訴追のおそれを消滅 とは国際上の信義則に照らしても、実際上あり得ないと通常考えられる状態に立ち至つたものと理解され、これを「累積した全体」として考察する際それはもはや個々的な措置の効力を越え、刑事訴追のおそれを消滅させる保障に準ずる効果を有すると認められるので、証人らの自己負罪のおそれによる供述拒否の権利を消滅させるに足りるものと考えられる。」旨説示している点について、「1」 『刑訴法二四八条による不起訴処分に覊束力がない以上、この不起訴処分について、対外的に、かつ公的に、検事総長が強い裏付けを有する不動の処分であることを宣言し、その遵守を最高裁判所に確約し、さらに最高裁判所が、わが国の司法慣行上、各証人が証言した事項に関して将来公訴を提起することはありえないとの常態的判断を認知してみたところで、右不起訴処分が覊束力のあるものに転化するいわれはなく、したがつて、刑事訴追のおそれを消滅させる保障に準ずる効果を有するにいたり、証人らの自己負罪のおそれによる供述拒否の権利を消滅させるに足りるものであつたとの原決定の判断は到底容認しがたい。』「2」 『右不起訴処分が内容的にみて証人らの刑事訴追のおそれを消滅させるに足りるものであつたとしても、刑事免責が与えられたことを理由に供述を強制することが許容されるのは、法律によつて裁判所にかかる権限が付与されている場合にかぎられるのであり、裁判所にかかる権限を与えていないわが国の刑訴法のもとにおいて、検察官の不起訴処分という形にせよ、実質的に刑事免責を与え、これを理由に供述を強制することは許されないところであるから、かかる違法な措置はやはり刑事免責の効果を生ずるに由ないものといわざるをえず、結局本件各嘱託尋問調書は刑事免責を与えることなくして証言を強制して作成されたものという他はなく、日本法の下では違法収集証拠 る違法な措置はやはり刑事免責の効果を生ずるに由ないものといわざるをえず、結局本件各嘱託尋問調書は刑事免責を与えることなくして証言を強制して作成されたものという他はなく、日本法の下では違法収集証拠に当り、供述者以外の第三者である本件被告人に対する不利益な証拠として取調請求がなされた場合に証拠能力を欠く。』「3」 『被告人側による反対尋問の機会を与えず、かつ当初より被告人に対する刑事手続中でも反対尋問のための証人調べがなされることのないことを予想して作成された本件嘱託尋問調書に刑訴法三二一条一項三号の要件を具備するとして証拠能力を付与したことは、憲法三七条二項に違反する。』以下当裁判所の判断を示す。 <要旨>(a) まず、所論判断の前提として、右各嘱託尋問調書が作成、伝達された経緯についてみると、原審ならび</要旨>に当審において取り調べられた関係各証拠によれば東京地方検察庁検察官は、昭和五一年五月二二日、東京地方裁判所裁判官に対し、右両名に対する証人尋問とその米国司法機関への嘱託を請求したが、右請求にあたつては、事前の右両名に対する事情聴取のための意向打診の結果等からみて、同人らが自己負罪拒否の特権を援用して供述を拒否するであろうと予想されたため、あらかじめ同月二〇日、検事総長名義の「右各証人の証言内容及びこれに基づき将来入手する資料中に、仮に日本国の法規に抵触するものがあるとしても、証言した事項については右三名を日本国刑訴法二四八条により起訴を猶予するよう、東京地方検察庁検事正に指示している。この意思決定は当職の後継者を拘束するものである。」旨の宣明書及びこれを受けた同月二二日付東京地方検察庁検事正名義の「右各証人の……あるとしても」までは前同文に続き、「証言した事項については右証人三名を日本国刑訴法二四八条によつて起訴を猶予 ある。」旨の宣明書及びこれを受けた同月二二日付東京地方検察庁検事正名義の「右各証人の……あるとしても」までは前同文に続き、「証言した事項については右証人三名を日本国刑訴法二四八条によつて起訴を猶予する。この意思決定は当職の後継者を拘束するものである。」旨の宣明書が各発せられており(以下、この二つを「第一次宣明」という。)、この事情が本件証人尋問請求に際し検察官側から東京地方裁判所の担当裁判官に伝えられたこと、そこで、右請求を受けた東京地方裁判所裁判官は、同日アメリカ合衆国裁判所に証人尋問を嘱託するにあたり、「日本国の検察当局は各証人の証言内容及びこれに基づき将来入手する資料中に仮に日本国の法規に抵触するものがあるとしても、日本国刑訴法二四八条によつて起訴を猶予する意思がある旨を証人に告げたうえ尋問されたい」旨を嘱託書に付記してこれを外交経路を経てアメリカ合衆国側に伝達したこと、右嘱託を受けたアメリカ合衆国の管轄裁判所(カリフオルニア州F1地区連邦地方裁判所)により、連邦法二八編一七八二条(a)にもとづき本件証人尋問を主宰する執行官(コミッシヨナー)に任命されたC3は、同年六月二五日、C1を同裁判所に出頭させて証言を命じたが、同人は日本国において刑事訴追を受けるおそれがあることを理由に証言を拒否し、そのころ、C2外一名も同様に証言を拒否する意向を右執行官に表明したので、前記各宣明書(謄本)がそのころ各証人に交付されたが、右宣明によつて日本国の法規上適法に免責が得られたか否かにつき、証人らの弁護人から異議申立等があつたため、証人尋問手続は一時停滞したこと、そこで同年七月六日、同裁判所の所長代行C4判事は、直ちに非公開で右証人らに対する尋問を開始するよう命ずるとともに、本件証人が右証言において明らかにしたあらゆる情報を理由として、また、右 したこと、そこで同年七月六日、同裁判所の所長代行C4判事は、直ちに非公開で右証人らに対する尋問を開始するよう命ずるとともに、本件証人が右証言において明らかにしたあらゆる情報を理由として、また、右証言の結果入手されるあらゆる情報を理由として、日本国領土内において起訴されることがない旨を明確にした、日本国最高裁判所のオーダーまたはルールを日本国政府が当裁判所に提出するまで、本件嘱託書に基づく証言調書を伝達してはならないことを命令したこと、右命令によつてアメリカ合衆国でのC1に対する尋問手続は進行し始めたが、証言調書の伝達に右のような条件が付されたので、日本側ではこれに対応する措置として、検事総長の名義で、先の宣明書の内容を再確認したうえ、「本件につき、捜査及び最終処理をする唯一の機関である東京地方検察庁の検事正が正式に右のような措置をとり、これが右各証人に伝達され、これにより当該証人尋問が実施された以上、かりそめにも、将来右の措置に反する公訴が提起されることは全くあり得ないものであり、当職は、ここに改めて前記三名の証人に対し、その証言及びその証言の結果として入手されるあらゆる情報を理由として、日本国領土内で公訴を提起しないことを確約する」旨記載した同年七月二一日付宣明書(以下、これを「第二次宣明」という。)を発するとともに、これを最高裁判所に提出し、最高裁判所はこれに基づき同月二四日、「検事総長の右確約が将来にわたりわが国のいかなる検察官によつても遵守され、本件各証人らがその証言及びその結果として入手されるあらゆる情報を理由として公訴を提起されることはないことを宣明する。」との宣明書を発し、右各宣明書の内容は同日中に外交ルートを経て前記アメリカ合衆国の裁判所に伝達され、同所長であるC5判事はこれらの宣明書によつて前記C4決定に定める条件 ることはないことを宣明する。」との宣明書を発し、右各宣明書の内容は同日中に外交ルートを経て前記アメリカ合衆国の裁判所に伝達され、同所長であるC5判事はこれらの宣明書によつて前記C4決定に定める条件が充足されたものと認め、同日、証言の録取及びC1について同月六日ないし九日に行われていた四日分の証言調書の交付を命じ、その後もC1の証人尋問は、日本国における刑事免責が適法に与えられたとの前提で手続が進められ、その証言を録取した調書が作成され、日本側に交付されたこと、一方、C2は、同年七月九日C3執行官から証言を命じられた際、日本国及びアメリカ合衆国内の双方で刑事訴追を受けるおそれがあることを理由に日本国憲法三八条一項、同刑訴法一四六条、一九八条、合衆国憲法修正五条を含む合衆国法を援用して、証言を拒否したが、その後前記C5判事の証言命令が確定した結果、日本国での刑事訴追のおそれを理由とする証言拒否は維持できなくなり、次いで同年九月一三日アメリカ合衆国における刑事免責付与及び証言命令が発せられたため、証言拒否の根拠をすべて失うに至り、爾後同人に対する証人尋問も、日本国及びアメリカ合衆国における刑事免責が適法に与えられたとの前提のもとに進められ、その証言を録取した調書が作成され、日本側に交付されたことが認められる。 (b) C2に関し、アメリカ合衆国法のもとでの刑事免責の付与につき、C5判事の証言命令発布の根拠となつた連邦法一八編六〇〇二条は、「証人が連邦の裁判所の手続において、自己負罪(拒否)の特権に基づき証言しまたはその他の情報を提出することを拒否した場合において、当該手続を統轄する者が本節に基づく命令を告知したときは、当該証人は自己負罪(拒否)の特権に基づき当該命令に従うことを拒否することはできない。ただし、当該命令に基づき強制された証言 した場合において、当該手続を統轄する者が本節に基づく命令を告知したときは、当該証人は自己負罪(拒否)の特権に基づき当該命令に従うことを拒否することはできない。ただし、当該命令に基づき強制された証言あるいはその他の情報(右証言またはその他の情報から直接間接を問わず入手したいかなる情報をも含む。)は、偽証・虚偽供述その他当該命令に対する不服従により訴追する場合を除き、いかなる刑事事件においても、これを当該証人に対し不利に用いてはならない。」というものであり、六〇〇二条にいう本節に基づく命令とは、連邦裁判所の面前又はこれに付随する手続についていえば、六〇〇三条所定の命令をいうものであつて、六〇〇三条は「(a) 連邦裁判所又は連邦大陪審の面前又はこれらに付随する手続において、証言又はその他の資料の提出を求められ又は求められる見込みがある者の場合には、その手続が行われ又は行われようとする裁判地区を管轄する連邦地裁は、本条(b)項に従い、その地区の連邦地方検事(検事正)の請求に基づき、その者が自己負罪拒否特権を根拠として証言し又は提出することを拒んでいる証言をし又はその他の資料を提出することを求める命令を発することができ、この命令は六〇〇二条に定めるとおりの効力を有する。 (b) 連邦地方検事は、(1) その者から証言させ又はその他の資料を提出させることが公益上必要であり、かつ、(2) その者が、自己負罪拒否特権を根拠として証言又はその他の資料の提出を拒み又は拒むおそれがあると認めるときは、司法長官、司法次官又は指名された司法省検事の承認を得て、本条(a)項による命令を請求することができる。」というものである。 そして、我国の憲法三八条一項に相当するアメリカ合衆国憲法修正五条の「何人も刑事事件において自己に不利益な証人となることを て、本条(a)項による命令を請求することができる。」というものである。 そして、我国の憲法三八条一項に相当するアメリカ合衆国憲法修正五条の「何人も刑事事件において自己に不利益な証人となることを強制されない」という規定は、連邦最高裁判所の判例により、公訴時効の完成、大赦、確定判決のあつた場合には右条項にもとづく証言拒否権は消滅しているので証言拒否は許されないが、証人に自己負罪拒否の特権を理由に証言拒否権があり、証人がこれを援用する場合にも、証言取得が公益上必要であるとの理由でした地方検事の請求にもとづき裁判所が証言命令を右六〇〇三条にもとづき発し証言を強制しても、真実を誠実に証言すればその代償として訴追免責が付与される旨の六〇〇二条の如き法律の定めがあれば、違憲ではないとされている。そして「この証言命令を発し、真実を誠実に証言すれば、その代償として訴追免責が与えられるという制度は、自己負罪拒否の特権という憲法の定めと、公益上必要な証言を獲得するため証言を強制する国側の適正な要請という対立的利益の合理的調整を図ることを目ざしているものである。 この種法律が存在していることは、証言というものの重要さを反映するものであり、また、訴追側に有用な証言を与えることのできる人は、その犯罪に連座したものに限られるという性格の多くの犯罪があるという事実を反映しているものである」と説かれている。 (c) 外国裁判所からアメリカ合衆国裁判所に証人尋問嘱託のあつた場合の司法共助について定めた連邦法二八編一七八二条(a)項末段には、「何人も法律上適用可能な特権を侵害して証言や供述をし、又は文書その他の物を提出するよう強制されてはならない」旨の定めがあり、嘱託国の法の下での適用可能な特権も含む趣旨のものになつているところから、日本国憲法三八条一項の自己負罪の 害して証言や供述をし、又は文書その他の物を提出するよう強制されてはならない」旨の定めがあり、嘱託国の法の下での適用可能な特権も含む趣旨のものになつているところから、日本国憲法三八条一項の自己負罪の証言を拒否する特権も含まれること及び日本には、連邦法一八編六〇〇二条に相当する規定のないことを慮つたC4判事は、異議申立手続についての決定中に、「当裁判所は、内閣総理大臣を含め日本政府の機関が事実上ということではなく、法律的に日本国憲法に基づいて免責特権を付与できる権限を有するか否かについて深刻に懸念している。熟慮の結果、日本の司法機関のみが日本国憲法三八条の免責付与の権限を有するというのが私の見解である」とし、証言調書の伝達を「本件証人が右証言において明らかにしたあらゆる情報を理由として、また右証言の結果入手されるあらゆる情報を理由として、日本国領土内において訴追されることがない旨の、事実上ではなく法律上明確にした日本国最高裁判所のオーダーまたはルールの提出にかからしめる」ことを命じたものである。 右決定は、その文言上、前記合衆国法一八編六〇〇二条に定める「当該証言及びこれに由来する証拠の当該証人に対する刑事手続上の不利益な使用の禁止」(いわゆるUDUイミュニテイ、USEANDDERIVATIVEUSEIMUNITY)同旨の確約をわが国に求めたものに他ならないが、これに対し、前述のように、検事総長が第二次宣明において「当職は、ここに改めて、前記三名の証人に対しその証言及びその証言の結果として入手されるあらゆる情報を理由として日本国領土内で公訴が提起されないことを確約する。」としているところは、右決定の求めている確約をあらためてアメリカ合衆国に与えたものであり、これを受けて最高裁判所が発した「前記の諸事情にかんがみ、検事総長の右確約 公訴が提起されないことを確約する。」としているところは、右決定の求めている確約をあらためてアメリカ合衆国に与えたものであり、これを受けて最高裁判所が発した「前記の諸事情にかんがみ、検事総長の右確約が将来にわたりわが国のいかなる検察官によつても遵守され、本件各証人らがその証言及びその結果として入手されるあらゆる情報を理由として公訴を提起されることはないことを宣明する。」旨の宣明は、検事総長の右確約が必ず遵守されるものであるとの最高裁判所の事実認識を公的に表現することにより、アメリカ合衆国に事実上の保証を与えたものに他ならない。 つまり、検事総長の第二次宣明は、右証人らの証言及びこれに由来する証拠にもとづき同人らをわが国で訴追しない旨のアメリカ合衆国に対する約束の宣明に他ならない(なお付言すれば、第一次宣明は、その文言上、いわゆる行為免責付与の申出を宣明したものと解せられる。)。 米国においては、右に述べた制定法による訴追免責の他に、検察官が共犯者に訴追をしない約束、あるいは、より軽い罪につき有罪の答申をすることを許す約束の申出をし、その共犯者がこの申出を受諾し、自己負罪の特権を放棄し、訴追される他の共犯者に対し、検察側の証人となる合意をするという、制定法によらない訴追免責(Nonstatutoryimmunity)という制度が行なわれている。そして、先に述べた訴追免責を定めた制定法のごとき法律による権限付与がないのに、検察側の証人となるべきものに、検察官が訴追免責を与える権限があるかどうかについて最近の判例は岐れているが、とあれ、この権限の有無の問題点は、(イ)検察官の約束を信じ、誠実完全に真実を証言したにも拘らず、その証人が訴追されたときに、検察官との間にかわされた約束ないし合意の存在を訴追障害と主張し、起訴状の却下(わが国でい 有無の問題点は、(イ)検察官の約束を信じ、誠実完全に真実を証言したにも拘らず、その証人が訴追されたときに、検察官との間にかわされた約束ないし合意の存在を訴追障害と主張し、起訴状の却下(わが国でいえば、刑訴法三三八条四号による公訴棄却の判決)を裁判所に求めうるか否かという局面、あるいは、(ロ)訴追免責の約束をとりつけ証言をする合意をした証人が、他の共犯者に対する裁判手続中で証言拒否をしたとき、裁判所は証言命令を発し不服従の該証人を裁判所侮辱に問えるかという局面で生ずる問題であるが、証人が検察官との合意をまもり証言拒否権を放棄して証言した場合には、その証言がなされるに至つた経緯を考慮に入れて証言の信憑性が判断されるが、証拠能力の問題とはならないと解せられている。 (d) 本件で前述した第一次宣明により東京地方検察庁検事正が提供を申出た免責なるものは、起訴便宜主義のとられているわが国の刑訴法のもとで、準起訴手続以外の場合には、起訴不起訴をきめる唯一の機関であり、かつ、本件事件担当の東京地検の代表者たる検事正が、検察官一体の原則のもとで検事総長の指示に従つてした、証人が誠実に真実を証言するにおいては、その証言した事項について該証人を訴追しないという確約であると解せられるのである。そして不告不理の原則のとられているわが国では、検察官が訴追しない限り、該証人が刑事訴追をうける虞はありえないものであるところ、この訴追免責の確約が、検事総長の指示にもとづく結果、わが国のすべての検察庁により遵守される性格のものであるので、訴追免責の約束の効果は絶対的に持続される性格のものである。 本件嘱託尋問調書は、証人らが自己負罪拒否の特権を放棄して供述したものを録取したものではなく、裁判所の証言命令に従つてした証言を録取したものであるので、憲法三八条一項に違反 れる性格のものである。 本件嘱託尋問調書は、証人らが自己負罪拒否の特権を放棄して供述したものを録取したものではなく、裁判所の証言命令に従つてした証言を録取したものであるので、憲法三八条一項に違反する手続で録取されたものではないかと争われているのであるが、該証言は脅迫、暴行、拷問により強制されたものではないうえ、第一次宣明に加え検事総長の第二次宣明により訴追免責の確約を受託国であるアメリカ合衆国の裁判所に表明したことにより、わが国としては、司法共助に関する国際慣行、国際信義上、将来にわたりこれを遵守すべき国際的義務を負つたものであるから、自ら宣明を発した検事正、検事総長においてはもとより、その後継者においてもこの確約に反し証人らの証言及びこれに由来する証拠にもとづき証人らを万一訴追することがあれば、それはわが国が国際的義務違反を犯すことになり、刑事司法の公正な運用の理念にも反し、国内法上もその適法性を認めがたくなるから(刑訴法一条、刑訴規則一条二項、憲法三一条、九八条二項)、刑訴法三三八条四号により公訴棄却の判決がなされるべきものと解せられる。 その結果として検事正の宣明による不起訴処分についてわが国の刑訴法上のいわゆる覊束力が付与、創設されたわけではないけれども、検事総長の第二次宣明と併せ、右証人らがわが国においてその証言及びこれに由来する証拠に基づき処罰されることがありえない法的状態が作出されたといわなければならず、第一次宣明のうえに、検事総長の第二次宣明が加わつたことは、右証人らの自己負罪特権にもとづく供述拒否の権利を消滅させるに十分なものというべきである。そうすると、原決定がこの点について説示するところは、これらの宣明が右証人らのわが国における刑事訴追のおそれを理由とする供述拒否の権利を消滅させるに足りるものとする結論におい ものというべきである。そうすると、原決定がこの点について説示するところは、これらの宣明が右証人らのわが国における刑事訴追のおそれを理由とする供述拒否の権利を消滅させるに足りるものとする結論においては、当裁判所のそれと軌を同じくするもので正当というべきであるから、憲法三八条一項違反をいう所論は理由がない。 なお、『最高裁判所の右宣明がC4決定の求めている「オーダーまたはルール」にあたらない』との弁護人らの主張についていえば、右宣明がC4決定に沿うものであるか否かの判断はアメリカ合衆国の裁判所の専権に属する問題であり、わが国の裁判所はその判断の当否を判定する立場にはないから、所論主張はその当否を案ずるまでもなく排斥を免れない。 また、弁護人らは、『昭和五一年五月二〇日付検事総長の、同年同月二二日付東京地方検察庁検事正の各宣明書による本件不起訴処分について、刑訴法二四八条の不起訴処分は、犯罪捜査の一応の終了をまつてはじめて行ないうるものであり、被疑者に対して何の取調べもしない段階で当該被疑者に対して不起訴処分をするなどということは同条の全く予想していないところというべきであり、贈収賄事件なのか、外為法違反事件なのか等の事件の特定も未だなされない段階で勿論収賄者の特定も捜査も全く着手されていなかつたのであつて、被疑事実は全体的な輪郭すら特定されておらず、捜査対象事実すら明らかでなかつた捜査の端緒段階において、右宣明書によりC1らに対してなされた起訴猶予処分ないしその宣明は、同条に基く起訴猶予権の逸脱濫用であり違法も甚しいものといわなければならない』と主張する。 東京地検検事正名義の第一次宣明には、「右証人三名を日本国刑訴法二四八条によつて起訴を猶予する」との文言が用いられており、五月二二日段階で起訴猶予処分をする意味と解する余地がないで と主張する。 東京地検検事正名義の第一次宣明には、「右証人三名を日本国刑訴法二四八条によつて起訴を猶予する」との文言が用いられており、五月二二日段階で起訴猶予処分をする意味と解する余地がないではないけれども、しかし東京地裁裁判官の発した嘱託書付属書類五項には、「日本国の検察当局は……、日本国刑訴法二四八条によつて起訴を猶予する意思がある旨を証人に告げたうえ尋問されたい」との記載のあること、並びに検事正の宣明中「起訴を猶予する」の公式訳文は、SHALLNOTBEINSTTUTEDANYPROSECUTIONとなつていることからすると、五月二二日段階で条件付起訴猶予処分をしたものであり、証人において真実を証言すれば刑訴法二四八条の起訴猶予の効力が発生することの表明がなされているものと解せられ、第一次宣明の主たる目的は、「証人の証言内容及びこれに基づき将来入手する資料中に、仮に日本国の法規に抵触するものがあるとしても、証言した事項については」刑事訴追をしない確約の提供(TENDEROFIMMUNITY)にあつたと解せられる。そうすると原決定が、「刑訴法二四八条により起訴を猶予する旨記載されているのは、同人らに対し、すでに不起訴処分をしたことの宣明ではないが、同証人らが将来尋問に応じて証言した場合、その証言事項のなかに被疑事実となるべきものがあらわれることがあつても、その事項については、―その時点で形式的に不起訴処分をする趣旨であるか否かは別として―証言内容の如何によつてあらためて訴追についての裁量判断をすることなく、宣明の時点において確定的に、刑訴法二四八条に基づく訴訟効果を有する処分をする旨の決定をし、その決定したところを宣明するというものと理解されるのである」と判断しているところは、相当である。たしかに、東京地方検察庁 いて確定的に、刑訴法二四八条に基づく訴訟効果を有する処分をする旨の決定をし、その決定したところを宣明するというものと理解されるのである」と判断しているところは、相当である。たしかに、東京地方検察庁検事正の宣明という形でなされた本件不起訴処分は、刑事免責を与えて証言を取得することをねらいとして未だ捜査が完了していない時点で証言内容にあらわれると予測される事実について起訴猶予の約束をした点で異例のものといわざるをえないけれども、アメリカ合衆国に在住し来日の見込みもなかつたのであるから、仮に同人らに対する処分を捜査終結まで持ちこしてみたところで同人らに対して公訴提起の措置をとることは実際上不可能であつたというべく、なお未だ捜査段階にあるとはいえ被疑事実の輪郭はすでに把握されていて、将来の捜査終了時における右証人らの本件事件における位置づけについての展望も可能であつた時点で本件不起訴処分がなされていること、後述のようにアメリカ合衆国裁判所のする証人尋問にあたり、右証人らに刑事免責を付与することが、わが国の法秩序に照らし受け容れがたいような不公正さを感じさせるものでもないことを併せ考えるとき、捜査終結前の時点で右証人らについて不起訴の宣明をしたことはやむをえないところと思料されるのであり、いまだ検察官においてその合理的裁量の枠を逸脱したものとはいえない。右主張は採用できない。 (e) 刑事手続に関する憲法の保障を没却するような重大な違法があつて取得された証拠について、これを証拠として許容することが将来における違法な捜査の抑制の見地から相当でないと認められる場合においては、その証拠能力が否定されるべきであるというのが、違法収集証拠の排除の理論である。 所論「2」は、『訴追免責が与えられたことを理由に、自己負罪拒否の特権を援用する証人に、証言命 られる場合においては、その証拠能力が否定されるべきであるというのが、違法収集証拠の排除の理論である。 所論「2」は、『訴追免責が与えられたことを理由に、自己負罪拒否の特権を援用する証人に、証言命令を発し供述を強制することが許容されるのは、立法によりかかる権限が裁判所に付与されている場合に限られるのであり、わが国の刑訴法の下では、訴追免責が与えられたことを理由に証言命令を発する権限は裁判所にないから、アメリカ合衆国の裁判所において証言命令により供述を強制され作成された本件嘱託尋問調書は、憲法三一条に照らせば日本法の下では違法収集証拠として証拠能力がない』と主張するものであると解せられる。 わが国の刑訴法は、証言強制命令の代償措置としての行為免責、あるいは証言に由来する証拠の使用免責にせよ、およそ訴追免責に関しては何らの規定をおいていないから、わが国においては、証人尋問手続の過程において証人から自己負罪のおそれを理由として正当に供述を拒まれた場合に、検察官の申出により裁判所が証言を命令し、訴追免責等を与えることは刑訴法の予定していないところである。 しかしながら、本件嘱託尋問調書については、国際的な司法共助により刑事免責制度を有するアメリカ合衆国の裁判所で行なわれた証人尋問の結果であるという特殊性に留意する必要がある。 外国司法機関との間で刑事訴訟に関する司法共助を認める以上、法制度のちがいから受託国においてわが国とは異つた訴訟手続がとられることはしばしばありうるところと予想されるのであるから、わが国の法制度とは異つた手続によつてなされた証拠調の結果は一切受け容れず、その証拠能力を否定するというのでは、そもそも国際司法共助を認めた趣旨を没却するものといわなければならない。もしも嘱託尋問が拷問、脅迫その他これに準ずるような証人の基本的人 調の結果は一切受け容れず、その証拠能力を否定するというのでは、そもそも国際司法共助を認めた趣旨を没却するものといわなければならない。もしも嘱託尋問が拷問、脅迫その他これに準ずるような証人の基本的人権を侵害する手段によつて取得されたものであるときには、たとえ受託国において適法とされていたとしても、わが国においては、著しく不公正で、虚偽供述誘発の可能性を濃厚に有している手続により取得されたものであつて、わが国の憲法の基本的な理念に牴触するものとして、被尋問者以外の刑事被告人に対し不利益な証拠として申請された場合にも、証拠能力が否定されるべきであろうが、そのような状況の存在しないかぎり、たとえわが国の訴訟法とは異つた手続によつて行なわれた証拠調の結果であつても、わが国の憲法の理念に抵触しないかぎり、違法収集証拠にはあたらず、その証拠能力は肯認されてしかるべきものである。たしかに、刑事免責制度の有無ということは、法制度上決してささいな差異とはいえないし、特にわが国においては刑事免責を与えて自己負罪による供述拒否権行使の根拠を失わせて供述を強制する制度は、厳正であるべき刑事裁判に処罰の断念と証言の取得という一種の取引を持ち込むものとして、違和感を禁じえないものがある。しかし、本件証人尋問調書についていえば、証人を日本国で訴追しないという訴追免責は、アメリカ合衆国の裁判所において、証人らが誠実に真実を証言すれば付与されるものとして提供され、次いで第二次宣明により訴追免責の確約がなされ、これを容認したアメリカ合衆国の裁判所が証言命令を発して証言をさせて作成させたものであるが、わが国の検察官が右証人らに対し刑事訴追をなしうる現実的な可能性はないに等しい状態にあつたのであるから、右刑事免責の確約が一般に有しているところの処罰の断念と証言の取得という取 させたものであるが、わが国の検察官が右証人らに対し刑事訴追をなしうる現実的な可能性はないに等しい状態にあつたのであるから、右刑事免責の確約が一般に有しているところの処罰の断念と証言の取得という取引の色彩は本件の場合きわめて薄いのであり、右証人らに対する尋問手続は、手続を主宰する執行官のもとで宣誓し、偽証の制裁を告知されたうえ、証人らの弁護人の立会のもとに進められており、手続的に虚偽の供述を誘発しにくいように担保されていること、右免責の確約は右証人らの証言内容とは無関係にこれに先んじてなされたものであるから、同人らが尋問者の意向に沿つた迎合的な供述をするおそれはなかつたと認められることなどの事情もあるのであり、これらの事情を併せ考えるとき、わが国の憲法の理念に照らしても許容し難いほど不公正な手続がなされたものではないし、虚偽の供述を誘発するおそれもなかつたというべく、その結果作成された証言調書は、日本国のした刑事免責の付与を理由にアメリカ合衆国の裁判所が証言命令による証言を録取したものであるという理由だけで、わが国の憲法の基本的理念に抵触し証拠として許容しがたい違法収集証拠にあたるとはいえない。 なお、弁護人らは、原決定がこの点につき、「本件嘱託証人尋問手続の場合についてみるのに、(イ) 関係者らの中で免責を与えられることになつたC1、C2らは、すでにみたとおり、証人尋問嘱託当時、米国に居住する米国人であつて、わが国の捜査権、裁判権が及ばず、それらの者に対する被疑事実について捜査を進めてみてもその目的を達することができない関係にあつたことが明らかであり、この現実を前提とする限り、それらの者に免責を与えて被疑事実の内容に関する重要な供述を得、これをわが国内を舞台として行なわれたとされる被疑事実全体の解明に役立てることは、わが国の社 が明らかであり、この現実を前提とする限り、それらの者に免責を与えて被疑事実の内容に関する重要な供述を得、これをわが国内を舞台として行なわれたとされる被疑事実全体の解明に役立てることは、わが国の社会的、大局的な観点からすれば、右被疑事実全体としての社会的重大性にかんがみ、むしろ刑事司法ないし訴訟法の趣旨にも合致すると考えられる一面をもつていて、免責対象者の選定をめぐり、不公正感等をもたせる点は存しないこと、(ロ) 尋問嘱託当時想定されていた被疑事実等のなかには、時効期間等の切迫しているものがあり、また内容的にも重大な違反を含んでいるうえ、自己負罪による供述拒否の態度を明らかにしていた右両名らから早急に供述を得るためには、これらの者に免責を与え迅速に尋問に応じさせる合理的な必要性がとくに強かつたと認められること、(ハ) 米国司法機関のもとで実際に行なわれた尋問手続は前に述べたとおりのもので(一部分は第四においても述べる。)、とくに偽証の制裁、証人らの弁護士の立会と補助、訴訟に似た尋問方式など、供述を求める手続は公正さの十分保たれた内容のものであつたということができる。加えて証人ら関係者は、刑事責任についての免責制度の趣旨や運用が社会的に適法なものとして承認され、これをめぐる慣行のでき上つているとみられる米国居住の米国人であつて、本件尋問手続中、与えられた免責によつてとくに他の場合の免責と違つて利益誘導的な影響を受け易いとか、虚偽の供述を迎合的に行ない易いとかの心配は存しない状況にあつたと認められること、(ニ) 言うまでもないことながら、証人らは尋間者側の意向に沿つた内容の供述をすることを求められたのではなく、証人らの記憶に忠実な内容と限度での供述を求められたにすぎないのであり、供述内容はすべて証人らの選択に委ねられていたもの 、証人らは尋間者側の意向に沿つた内容の供述をすることを求められたのではなく、証人らの記憶に忠実な内容と限度での供述を求められたにすぎないのであり、供述内容はすべて証人らの選択に委ねられていたものであること、等々の各事実を認めることができるのである。 本件嘱託証人尋問をめぐるこのような諸事情を総合考慮すると、C1、C2らに対する米国司法機関における尋問手続において、これらの証人に免責を与え、供述拒否権行使の根拠を失わせて証言を強制した右手続に、わが刑訴法の立場からみて許容できないような虚偽誘発の危険性や、刑事手続をめぐる一部の者との「取引」に似た不公正感ないし合理的理由のない不公平感を懐かせる点はなく、その結果作成された尋問調書に関して許容できない程の違法事由は見出し難いと考えるのが相当である。」と説示している部分について、『右説示の論法を押しすすめれば、社会的重大性のある事件であつて、その捜査が時効等により時間的に切迫している場合には、仮にとられた捜査手続が違法なものであつても是認すべきであるということになるのであり、ひいては事件の社会的重大性や処理の要緊急性についての捜査当局あるいは裁判所の恣意的判断を結果的に容認することにもなるのであるから、右説示のような見解は憲法三一条の適正手続の保障を根本的に没却するものである』とも主張する。 しかしながら、原決定は、その説示自体からして明らかなように、本件嘱託尋問調書について、「許容できない程の違法事由は見出し難い」としているのであり、本来は許容できない程の違法事由があるけれども、事件の社会的重大性や処理の要緊急性からして本件の場合は例外的に是認されるなどとは説示していないのであるから、弁護人らの右主張はその前提を欠くといわなければならない。 (f) 次に、弁護人らは、『C1、C2ら 重大性や処理の要緊急性からして本件の場合は例外的に是認されるなどとは説示していないのであるから、弁護人らの右主張はその前提を欠くといわなければならない。 (f) 次に、弁護人らは、『C1、C2らの本件証言は、共犯者であるこれらの者に不起訴の約束をして得られたものであり、いわゆる起訴猶予の約束による自白に証拠能力を否定した最高裁第二小法廷昭和四一年七月一日判決・刑集二〇巻六号五三七頁に照しても証拠能力を肯定しえないものというべきである』と主張する。 しかしながら、最高裁判所の右判決の事案は、起訴猶予になるかどうかは供述内容が取調べにあたつた検察官の意にかなうものであるかどうかにかかつているのであるから、かかる心理的強制のもとに被疑者に供述を求めるときは、被疑者から迎合的な虚偽の供述がなされる危険はきわめて大きいといわざるをえず、また、密室において取調官がこのような心理的強制の下に被疑者をおいたこと自体取調べの態様としても強い不公正感を与えるものであつて、さらに起訴猶予の約束を与えながら、後日この約束に違背して起訴している点で偽計性さえ帯びているのであるから、その自白が任意性に疑いがあるとされているのは当然というべきであるが、これに対し、本件嘱託証人尋問手続においては、証人らは、その供述内容が尋問を求める側の意に沿うものであるか否かにかかわらず、免責の約束が先んじて確定的に日本の検察庁を代表する検事総長及び事件担当庁を代表する検事正から与えられていたのであり、前述のように、公正な第三者を手続の主宰者として、宣誓のうえ、かつ、証人らの弁護人の立会補助のもとに偽証の制裁を告知されたうえ本件証人尋問が行なわれていることを併せ考えると、虚偽供述を誘発するおそれもなく不公正感を与えるものでもないのであり、最高裁判所の右判決の事案とは全く事案趣旨 会補助のもとに偽証の制裁を告知されたうえ本件証人尋問が行なわれていることを併せ考えると、虚偽供述を誘発するおそれもなく不公正感を与えるものでもないのであり、最高裁判所の右判決の事案とは全く事案趣旨を異にしているというべく、右判例は本件に適切ではないといわなければならない。 なお、弁護人らは、『右管轄裁判所において、右宣明がC4決定の「オーダー又はルール」にあたるか否かが検討論議された際、日本の検察官が、右宣明について、行為免責(TRANSACTIONALIMMU―NITY)を付与したものである旨見解を表明した結果右のような結論となつたものである』として、この点で日本の検察官が偽計、欺罔をしたかの如く主張するけれども、検事総長の第二次宣明が行為免責付与の申出と解される東京地方検察庁検事正の宣明と検事総長の第一次宣明をふまえてこれを再確認することにより証人にユース・イミユニテイを与えたものであり、これをふまえて出された最高裁判所の宣明はこれについての事実認識を表明したものであつたのであるから右の検察官が当時実質的には行為免責が付与されたものと理解していたこともそれなりに首肯しうるところというべきであるし、また、アメリカ合衆国におけるUDU免責制度の運用の実情が、強制証言後に独立の情報源から入手した証拠にもとづいてその証人を起訴した場合には、検察官に対しその証拠が独立の情報源から得られたもので、免責証言が直接的にも間接的にも後の訴追に使用されていないことについてのきわめてきびしい立証責任を課していることにかんがみれば、UDU免責と行為免責との間には実際上ほとんど径庭はないと考えられるのであるから、検察官の右見解表明を偽計、欺罔とみるのはあたらないというべく、弁護人らの右主張は前提を欠き採用できない。 (g) 弁護人らは、最高裁判所の右宣 は実際上ほとんど径庭はないと考えられるのであるから、検察官の右見解表明を偽計、欺罔とみるのはあたらないというべく、弁護人らの右主張は前提を欠き採用できない。 (g) 弁護人らは、最高裁判所の右宣明について、『具体的特定事件について、検察権の行使に実質的に加担、介入したものであり、司法行政の枠を逸脱した三権分立の原理に反するものである』とも主張する。 しかしながら、下級裁判所の司法権の行使の一種に他ならない本件嘱託証人尋問による調書が、受託国たるアメリカ合衆国の法制の制約のもとでわが国に交付されえない状況のもとにおいて、わが国の最高裁判所が受託国側の要請に沿う行動に出ることによりこの局面を打開するため、わが国の最高裁判所が右のような行動に出ることは、まさに最高裁判所が裁判所法一二条にもとづき有するところの、下級裁判所の裁判権の行使を適正かつ円滑ならしめる行政作用たる司法行政権の行使に他ならない。たしかに右証人尋問の嘱託は、検察官の請求によるものであり、検察官が右請求に及んだことは、検察官の立場からすれば、捜査活動の一環に他ならず、この面から前述のような経緯を眺めるとき、最高裁判所の右宣明が事実上右嘱託証人尋問調書の伝達を可能ならしめた役割を果たしていることにかんがみれば、最高裁判所が検察権の行使を援助し、これに協力したような観が全くないわけではなく、所論は、この点を指摘するものと思料されるのであるが、このことは、そもそも刑訴法二二六条自体がすでに、そのような観点からみるかぎり、捜査への助力という側面を帯有していることに由来するのであり、最高裁判所の右宣明が司法行政権の枠を逸脱していることをただちに意味するものではないのである。 刑訴法二二六条の証人尋問は、右のような側面、機能を有しているにせよ、同法一七九条にもとづく裁判官の証人尋問 判所の右宣明が司法行政権の枠を逸脱していることをただちに意味するものではないのである。 刑訴法二二六条の証人尋問は、右のような側面、機能を有しているにせよ、同法一七九条にもとづく裁判官の証人尋問等と同様、司法裁判権の行使に他ならず、最高裁判所の右宣明が、この下級裁判所の権限の行使を円滑に実施、遂行せしめることを目的としたものであり、また、前述のように、その内容も検事総長の第二次宣明についての最高裁判所の事実認識を表明したにとどまるものであつて検察官の有する犯罪捜査権、公訴権の行使に容喙するものでないから、右宣明は、その目的においても、その内容においても、検察権の行使に加担、介入したものとはいえず、所論は採用できない。 所論中には、また、本件嘱託尋問調書につき証拠能力を肯認するときは検察官に不当な利益を享受させることになるとも主張していると解される部分があるが、前述のように、国際司法共助においては、委託国と受託国との法制度のちがいから、委託国としては、本件のように、自国では許容されていない受託国の訴訟手続を利用できる場合もあれば、反対に自国では許容されている訴訟手続が受託国の法制度によつて許容されないという場合もあるのであり、こうしたことは、国際的な司法共助を認める以上何ら異とするに足りない事象というべきである。 (h) 憲法三七条二項は、第三者の供述を証拠とするには、その者を可能な限り公判において証人として尋問すべき旨を定めたものであつて、公判廷外における聴取書又は供述に代る書面をもつて証人に代えることが絶対に許されない趣旨のものではなく(最高裁昭和二三年七月一九日大法廷判決・刑集二巻八号九五二頁参照)、刑訴法の定める伝聞排斥に関する三二〇条の例外規定である同法三二一条の規定は、証人として尋問することを妨げるやむをえない事情があり (最高裁昭和二三年七月一九日大法廷判決・刑集二巻八号九五二頁参照)、刑訴法の定める伝聞排斥に関する三二〇条の例外規定である同法三二一条の規定は、証人として尋問することを妨げるやむをえない事情があり、かつ反対尋問の機会を与えず供述録取書を証拠とすることが必要な場合には、その証拠について反対尋問を経ないでも充分の信用性のある情況の存在する限り、供述録取書を証拠となしうる旨の定めであり、憲法三七条二項に反するものでもない(最高裁昭和二七年四月九日大法廷判決・刑集六巻四号五八四頁、最高裁昭和三〇年一月一一日第三小法廷決定・刑集九巻一号一四頁、最高裁昭和五〇年一一月四日第三小法廷決定・判例時報七九八号一〇一頁参照)。 被告人側による反対尋問の機会を与えず、かつ、当初より被告人に対する刑事訴訟手続中でも反対尋問のための証人調べのなされることのないことを予想して作成された本件嘱託尋問調書についても、この理は妥当するものであるから、この場合においては、その調書について反対尋問を経ないでも充分な信用性のある情況が存在するかどうかにつき特に精査検討の上、証拠として許容されるかどうかが判断されなければならない。 この見地に立つて原決定をみると、本件嘱託尋問調書に特信性ありとの結論に達した理由として説示しているところはすべて相当として肯認しうるのであり、違憲違法をいう所論は採用できない。 (なお、右証人らのため弁護人が立会つていたことが被告人らのための反対尋問権の行使の機能を代替しうるものではないとの弁護人らの主張についていえば、原決定は、右証人らのための弁護人の立会は右証人らの偽証の危険を防止するのに役立ち、証言の信用性を高める情況の一つとなつているとしているにとどまり、被告人らのための反対尋問権行使の機能を実質的には代替しているなどとは毫も説示して の立会は右証人らの偽証の危険を防止するのに役立ち、証言の信用性を高める情況の一つとなつているとしているにとどまり、被告人らのための反対尋問権行使の機能を実質的には代替しているなどとは毫も説示していないのであるから、弁護人らの右主張は前提を欠くといわざるをえない。)以上のように、所論はすべて当を得ないものであり、原決定により本件嘱託尋問調書の証拠能力を肯認して、これらを事実認定の用に供した原審の措置には、所論のような訴訟手続の法令違反はない。論旨はすべて理由がない。 第二、 請託及び行政指導に関する事実誤認の控訴趣意所論は、『被告人が当時A2の社長であつたB1から大型機の国内線導入を昭和四九年度まで延期するようA1に対し行政指導してほしい旨の請託を受けた事実はないのに、これを認めた原判決は事実を誤認したものである』というのである。そして、この請託の認定に関連して、当時のA1の動向、A2の大型機導入能力、B1をはじめとするA2首脳部の大型機導入に関する意向、当時の運輸省関係者の動向と航空行政の流れなどについて原判決が詳細に認定しているところに対しても弁護人らは逐一反論を展開している。 そこで、まず、弁護人らのこれらの間接事実に関する各主張について、当裁判所の判断を示すこととする。 (一) A1のB―七四七LR三機、昭和四七年度国内線転用計画に関する論旨(a) 弁護人らは、『原判決は、昭和四五年一二月二日にA1が得たB―七四七LR型機四機の取得認可は、A1がすでに国際線で使用しているB―七四七LR型機三機を昭和四七年度に国内線に転用することを前提としたものであると認定しているけれども、A1の右の大型機取得認可は大型機三機を国内線に転用する計画を承認したことにはならないのであるから、仮にA1が右大型機の取得認可を得たことをA2首脳 とを前提としたものであると認定しているけれども、A1の右の大型機取得認可は大型機三機を国内線に転用する計画を承認したことにはならないのであるから、仮にA1が右大型機の取得認可を得たことをA2首脳部が昭和四五年一二月当時知つたとしても、それが直ちにA1が国内線に大型機を導入してくることを意味するわけではないので、A2首脳部としてはその阻止のため運輸省関係者に対し陳情に奔走するなどということはありえない』と主張する(控訴趣意第一の一)。 しかしながら、本件取得認可が、A1の「四六~五〇年度長期計画」(甲二21)を具体化したものであり、すでに国際線で使用しているB―七四七LR型機三機の国内線転用計画の実行を前提とするものであることは、運輸省関係者の原審公判廷における各証言や航空局が右取得認可申請について大蔵省と協議するにあたり作成した「DC―八―六一型機(中古機#一~二)の取得及びB―七四七型三機の国内線転用について」及び「A1(株)の昭和四五年度機材発注計画について」等の説明資料の記載(甲二12中)により明白である(なお、当時運輸省航空局監理部長であつたB2は、原審公判廷において、「私自身の意見は四七年度に国内線に大型機を入れることに積極的ではなく、そこまでは踏み切つていなかつたので、本件取得認可をするにあたり、取得した機材の使い方は別途検討するということで認可したつもりであり、A1に対してもその旨監督課長に指示して言わせたと思う。」旨、本件取得認可が右国内線転用計画と関連していないとの趣旨とも受け取れる証言をしているのであるが、同人が、他方で、「前任の航空局長時代から引続き四七年度大型機導入が必要であるとの方向で作業を進めており、A1が一方的に買うことを決めたわけではなく、監督課長もある程度の了解を与えて進んでいた仕事であることを考 、「前任の航空局長時代から引続き四七年度大型機導入が必要であるとの方向で作業を進めており、A1が一方的に買うことを決めたわけではなく、監督課長もある程度の了解を与えて進んでいた仕事であることを考慮に入れて取得認可をした。」とか、「同人の検察官に対する同五一年九月二日付供述調書には、私が監理部長に着任した四五年六月ころ、既に航空局は四七年度に大型機を国内線に導入する方向で動いており、私はこれに異論を持っていたが、航空局の大勢が四七年度導入となつていたし、A1側からも右の認可を強く要求された事情もあつて、結局この取得認可を決裁することになつたという供述記載があるが、どうなのか。」との問に対し「そういうことでしよう。」とも証言していること、同人が前記説明資料等が添付された本件取得認可の決裁書<甲二12中の「空監第六二四号」の決裁書>に自ら決裁していることや、B7、B8、B9及びB10の原審公判廷における各証言内容などを併せ考えると、B2の前記証言は、同人が、個人的見解として、A1の本件転用を前提としたB―七四七LR四機購入計画部分に異論を抱いていたという趣旨にすぎず、航空局としては、やはり本件転用計画を前提として本件取得認可をA1に与えたものと認めるりが相当である。)。そして、A2首脳部においても、昭和四五年一二月当時運輸省航空局筋からこの情報を耳にしていたことも、B1の検察官に対する昭和五一年八月九日付及び同年同月三一日付各供述調書やA2内部資料「A2・A1機材計画〈幹線〉の比較」(甲二29中)の各記載に照しても明らかである。しかも、当時わが国では、いわゆる高度成長を背景として、国内線航空旅客需要が急激に増加しており(対前年比、昭和四二年度四一%増、同四三年度三〇%増、同四四年度三四%増、同四五年度三〇%増)、A1の座席利用率は昭和四三 は、いわゆる高度成長を背景として、国内線航空旅客需要が急激に増加しており(対前年比、昭和四二年度四一%増、同四三年度三〇%増、同四四年度三四%増、同四五年度三〇%増)、A1の座席利用率は昭和四三年以降八〇%前後という高率で推移していたが、他方、東京国際空港や大阪国際空港の輻輳が著しく、両空港での発着回数の規制がなされていたためA1としては在来機の増機によつて需要増に見合う供給力を確保することはできない情勢にあり、そのため、A1の供給力によりカバーしきれない旅客がA2に流れA2の座席利用率や市場のシエアは年々上昇し、A1は市場のシエアを年女減少させていたのである(B9の原審公判廷における証言)。こうした状況の下においては、A1としては、国内線に大型機を導入する必要があり、同四五年から国際線で使つていたB―七四七LRを取敢えず同四七年に三機国内線に転用する計画をたてたものであり、反面、同四五年一二月段階で昭和四七年度に大型機導入が至難の状況にあつたA2としては、A1が同四七年度に大型機を国内線忙導入すれば、大型機のパツセンジヤー・アピールと相まつて、A1に乗客を奪われ業績の低下を招くことが予測ざれたので、何としてもこれを阻止する必要がある情勢にあつたと認められ、右主張は失当という他はない。 (b) なお、『A1は、ジエツト機開幕期においてジエツト機の導入に立遅れた苦い経験があり、国際線における外国航空会社との熾烈な競争に遅れをとらないため、B―七四七LRを国際線用に大量発注する一環として本件取得認可を得たものである。』旨の弁護人らの主張(控訴趣意第一の二)について付言すると、当時A1においては、国際線用のB―七四七LRについて昭和四七年度第一・四半期七機、第二・四半期九機、第三・四半期一一機、第四・四半期一三機、同四八年度第一・四半期 意第一の二)について付言すると、当時A1においては、国際線用のB―七四七LRについて昭和四七年度第一・四半期七機、第二・四半期九機、第三・四半期一一機、第四・四半期一三機、同四八年度第一・四半期一六機を各保有する機材計画を立てていたのである(甲二21)が、A1が「四六~五〇年度長期計画」を策定した昭和四五年九月当時、すでに購入契約を締結していた一一機のうち、同年六月までに三機(一号機ないし三号機)の引渡を受け、残る八機(四号機ないし一一号機)についても同四七年三月までに引渡を受けることになつており、また、同四五年九月三〇日には一二号機を契約しこれを同四七年三月に引渡を受けることになつていた(当審で取り調べたD2社及びA1のPURCHASEAGREEMENT及びLETTERAGREEMENT控甲二11、12)のであるから国際線については同四七年末までにさらに一機を取得すれば、右機材保有計画の保有予定数を確保できたのである。したがつて、新たに四機の購入を内容とする本件取得認可が、昭和四八年には国際線に使用するがそれに先立つ昭和四七年に三機を国内線に臨時的に使用するという本件転用計画を含みとしたものであつて、国際線のみを念頭においたものではないことはこの点からも明らかであるといわなければならない。弁護人らの右主張も採用できない。 (c) また、弁護人らは、『A1のB―七四七LR型機三機の右国内線転用計画は、当初これを主に「東京=大阪」路線に投入するとされていたのに、国鉄新幹線の業績へのはねかえりを懸念した大蔵省から、右路線には導入しないことという条件が出されるや、A1は急拠右三機全部を「東京=札幌」路線に投入する旨の修正案を航空局に提出し、その後さらに当初の計画にはなかつた「東京=福岡」路線にもこれを投入するとの再修正案を同局に提出するな 条件が出されるや、A1は急拠右三機全部を「東京=札幌」路線に投入する旨の修正案を航空局に提出し、その後さらに当初の計画にはなかつた「東京=福岡」路線にもこれを投入するとの再修正案を同局に提出するなどまことに場当り的な計画変更をくりかえしているのであり、「東京=大阪」路線は国内幹線のほぼ四〇%を占めており、右路線をはずすならば、大型機の国内線導入のメリツト、実益はその大半を失うといつても過言でないこと、また、大阪空港への大型機導入は、前述のような大蔵省の意向を別にしても、同空港において航空機騒音の問題が大きな社会問題となり訴訟にまでなつていた当時の状勢の下では、にわかに実現できるような雲行きではなかつたこと、昭和四六年二月上旬にB11A1社長が大阪における記者会見において大型機の国内線導入を当初予定の昭和四七年度より一年前後延期する旨の談話を発表していること、運輸省が大型機導入延期のいわゆる問合せを行なつた後に、A1が前記取得認可にかかるB―七四七LR型機四機のうち一五、一六号機について正式購入計画を締結していることなどを併せ考えると、当時A1が本気で右転用計画を実行に移し大型機を国内線に導入する意図を有していたかどうか甚だ疑わしく、むしろA1としては、その就航路線についての十分なつめを行わないまま、B―七四七LR型機を価格の安い間にやみくもに確保しようとしていたものとみるべきである』と主張する(控訴趣意第一の二)。 しかしながら、A1が「東京=大阪」路線への大型機導入を断念したのは、所論も認めるように、国鉄新幹線の業績へのはねかえりを懸念した大蔵省の意向を運輸省航空局、A1が受け入れたためであり、その後「東京=札幌」路線の他に「東京=福岡」路線にも大型機を導入するよう計画を変更するにいたつたのも、発着回数が限界に達し発着規制を余儀な 大蔵省の意向を運輸省航空局、A1が受け入れたためであり、その後「東京=札幌」路線の他に「東京=福岡」路線にも大型機を導入するよう計画を変更するにいたつたのも、発着回数が限界に達し発着規制を余儀なくされていた東京国際空港の実情をふまえてなされたものであることはB9やB10の原審証言等から明らかであつて、これを場当り的な計画変更と評すべき余地はない。また、昭和四四年当時A1の総旅客数に占める「東京=大阪」路線の割合は三〇%程度で、昭和四六年には二三%程度に減少していたのに対し、「東京=札幌」路線の割合は三〇%前後、「東京=福岡」路線の割合は二〇%前後で毎年推移しており、「東京=大阪」路線の代りに「東京=札幌」、「東京=福岡」路線に大型機を導入しても、東京国際空港の輻輳緩和と全体的な輸送力の増強という所期の目的は十分に達成できる状況にあつたことは、原審で取調べられた全A1事業連合会発行の航空統計年報(昭和四四年)(甲二357)及び航空輸送統計年報(甲二358)によつて明らかであるから、「東京=大阪」路線への導入ができない以上、大型機導入のメリツトがほとんどなくなるとする所論も失当というべきである。さらに、所論指摘のB11発言も、昭和四七年度に国際線から国内線に大型機を転用するというA1の計画について言及したものではないことは、後述のとおりであつて、弁護人の右主張を支えるに足りるものではない。A1が前記取得認可にかかるB―七四七LR型機四機のうち一五、一六号機について、本件行政指導の後に正式購入契約を締結していることも、これらの購入をとりやめれば多額のペナルテイを支払わざるをえない以上当然のことであつて、何ら異とすべき点はない。 そして、本件行政指導後もA1が運輸省当局に強く反論を重ねていたこと、A1が当時すでに国際線でのB―七四七型機の 額のペナルテイを支払わざるをえない以上当然のことであつて、何ら異とすべき点はない。 そして、本件行政指導後もA1が運輸省当局に強く反論を重ねていたこと、A1が当時すでに国際線でのB―七四七型機の運航経験をふまえて直ちに国内線に大型機を導入するだけの能力を十分に持つていたこと、当時の航空界が「国内航空輸送需要が急速に増加し、過去三年間において年平均で旅客二四・二%、貨物二九・五%という伸びを示し……旅客の座席利用率は年平均七六・〇%(昭和四四年度)に達し、輸送力増強の相対的立遅れが目立つている……国内航空旅客輸送については、今後わが国経済社会の発展に伴う国民所得水準の向上、時間価値の上昇、地域間交流の活発化等により、比較的長距離の分野及び時間短縮効果の著しい区間の輸送において、航空への選り好みがますます高まり、昭和五〇年度には約四、〇〇〇万人(昭和四四年度一、一八〇万人)の国内航空旅客輸送需要が見込まれ……航空輸送力の増強を確保するためには、特に航空輸送需要の多い基幹路線について大型ジエツト機の導入を促進する必要がある」(甲二24―昭和四五年一〇月二一日付運輸政策審議会答申)実情にあり、大型機を国内線にも早期に導入する必要性が客観的にも強かつたこと、B1の昭和五一年八月三一日付検察官に対する供述調書中に「B11さんに直接確かめたところ七四七LR三機を国内線に転用することは本当だときかされた」旨の記載のあることを併せ考えると、当時A1が本件転用計画を実現する真意を有していたことはきわめて明らかであつて、弁護人らの右主張は採用できない。 (d) なお、当審証人B4は、A1の昭和四五年度予算原案中のエアバス購入用予備費について、昭和四五年一二月ころ、B2に対し、右予備費の計上を断念してほしい旨申し入れたところ、B2は「まあ、何とかしますよ なお、当審証人B4は、A1の昭和四五年度予算原案中のエアバス購入用予備費について、昭和四五年一二月ころ、B2に対し、右予備費の計上を断念してほしい旨申し入れたところ、B2は「まあ、何とかしますよ。」と答えた旨証言しているところ、弁護人らは、この点をとらえて、『大蔵省と運輸省との間に、この時点において、A1の昭和四八年度用の大型機購入を見送る合意が成立したのであり、同四六年二月の本件間合せはその結果であつて、被告人の指示にもとづくものではないことは明らかである』と主張する。しかしながら、たしかに右証人は、総合交通体系全体の中で航空機運送のあり方を検討すべきであり、また当時すでに斜陽化していた国鉄の立直しを図るためにも大型機の国内線導入を急ぐべきではないとの考えを当時個人的に有していた旨証言しているけれども、右証人がB2に対し右のように述べたのは、A1がもともと昭和四五年一一月末にいたつて、同年度A1認可予算の当初原案には予定していなかつた前記B―七四七LR三機の国内線転用を前提としたB―七四七LR四機を含む合計一二機の航空機の取得認可を運輸省から得たことにより、A1に機材的に相当の余裕が出たこと、A1の同年度予算に昭和四八年度就航用の大型機購入の予備費を計上するまでもないと考えたことによるものであることは、右証人の証言自体から明らかであつて、右証人とB2との右会話は、両者のこの時点での相互の認識を述べ合つたものにすぎず、大蔵省と運輸省との間に公式に大型機導入をとりやめる旨の合意が成立したとみる余地のないものであることは、右証人の証言などにより認められるところの右予算及び次年度予算の扱いをめぐるその後の経緯に照らして明らかであるのみならず、右予備費の問題は四八年就航予定の国内線専用の大型機の新規購入に関するものであり、A1の購入済のB 認められるところの右予算及び次年度予算の扱いをめぐるその後の経緯に照らして明らかであるのみならず、右予備費の問題は四八年就航予定の国内線専用の大型機の新規購入に関するものであり、A1の購入済のB―七四七LR三機の昭和四七年度における国内線転用とは全く無関係の事柄なのであるから、弁護人らの右主張は採用のかぎりではない。また、右証人がA1の昭和四六年度認可予算に関するやりとりについて証言するところも、右やりとりがすべて本件行政指導開始後に行われていることに徴し、何ら原判決のこの点に関する認定を左右するものではないといわなければならない。 (e) なお、弁護人らは、『B10及びB9の原審公判廷におけるこの点に関する各証言について、右B10が当時監督課第二係長の地位にあり、同係がいわゆる「A1係」ともいわれるようにA1側に立つて事務を処理していた者であり、右B9もA1の五ケ年計画策定に当つて運輸省航空局の事務担当者としてA1と協議を行ない、この間A1に引きずられていた疑いがあるので、直ちに信用しがたいものである』とも主張する。 たしかに、右証人らが当時所論指摘のようなポストにあつたことは所論の主張するとおりであるけれども、このことは右証人らがA1の内部事情に精通していたことを推認させるにとどまるのであつて、右証人らが原審証言に際してことさらA1側に有利に事実を歪曲して供述するという疑いを抱かせるに足りるものではない。 右証人らは、検察官の主尋問に対して何ら迎合的な供述態度をとつておらず、また弁護人の反対尋問に対しても回避的な供述態度をいささかも示すことなく供述しているのであつて、その供述内容も他の関係証拠、とくに証拠物たる書面ともよく符合していることと相まち、右証人らの各証言が高度の信用性を有することは明らかであり、所論は、容認しがたい主 ことなく供述しているのであつて、その供述内容も他の関係証拠、とくに証拠物たる書面ともよく符合していることと相まち、右証人らの各証言が高度の信用性を有することは明らかであり、所論は、容認しがたい主張という他はない。 (f) 弁護人らは、『当時のA1社長B11の昭和四六年二月二日及び九日の新聞記者に対する各発言は、需要の鈍化、米国の不況、大規模な設備投資の抑制を理由に、A1自らの意思で大型機の国内線導入を遅らせる意向を表明したものであつて、これをみてもA1が何としても昭和四七年度にB―七四七LR三機を国内線に導入しようとする意図がなかつたことは明らかであり、かかる状況下において、A2としては、被告人に対してA1の大型機国内線導入延期の行政指導を請託する必要など全くなかつたというべきであるし、また、右B11発言は、運輸当局のいわゆる「問合せ」に対しA1が強く反論していたとする原判決の認定とも矛盾するものである』と主張する(控訴趣意第一の九)。 しかしながら、所論のいわゆるB11発言は、B1が、原審公判廷において、右発言について、「全般的な大型機導入問題ということではなくてですね。」という問いに対し、「はい、はい、……まあ、あの大阪での記者会見でございますから、大阪のことを言つておいでになるんじやないかと思います。」と答えているように、直接には大阪空港への昭和四七年度大型機就航問題について述べたものであるが、それとの関連において、昭和四八年度に国内線にあらたに就航させるための大型機の新規発注及びその就航はしばらく見合わせるという趣旨であつて、昭和四七年度に国際線から国内線に既に所有しているB―七四七LR三機を大阪―東京間以外の路線に転用するという前記計画をも見合わせるという趣旨を含むものではないことは、新聞の報道内容(甲二292及び293 七年度に国際線から国内線に既に所有しているB―七四七LR三機を大阪―東京間以外の路線に転用するという前記計画をも見合わせるという趣旨を含むものではないことは、新聞の報道内容(甲二292及び293)それ自体及びB12らA1関係者の原審証言からしても明らかであるうえ、A1が昭和四六年六月ころまで本件行政指導に対し強く反撥し運輸省当局に反論をくりかえしていた事実及び東京―札幌、東京―福岡線にB―七四七を投入する修正案を出していた事実に徴しても疑いを容れないところというべきであり、現にB1らA2首脳部においても、当時右B11発言を昭和四七年度B―七四七LR三機の転用に言及したものではなく、昭和四八年度に使用する大型機新規購入見合せ及びB―七四七LRの大阪線投入中止について述べたものとして理解し受け止めていたことは、B1及びB5の各原審証言や、B1のB6に対する当時の発言(弁証一一一「B6氏とB1氏との会見ノート」中の「B11は七四七を大阪で使うという考えを完全にあきらめた。」との記載)に照らしても明らかである。弁護人らの右主張もまた採用できない。 以上述べたところからも明らかなように、弁護人らのその余の主張につき按ずるまでもなく、A1のB―七四七LR型機国内線転用計画について原判決の認定するところは、すべて原審ならびに当審で取調べられた関係各証拠によつて優に肯認できるといわなければならない。 (二) A2の大型機運航能力に関する論旨弁護人らは、『原判決は、第三の一の2の(一)において、当時A2においては、在来機の大量増機に必要な乗員や整備士等の養成に追われ余力のない状態であつたから、大型機の訓練にあてる乗員や整備士等の余裕人員を確保することはきわめて困難な状況にあつたと認定している(原判決三〇頁―三四頁)が、まず、乗員についていえば、 養成に追われ余力のない状態であつたから、大型機の訓練にあてる乗員や整備士等の余裕人員を確保することはきわめて困難な状況にあつたと認定している(原判決三〇頁―三四頁)が、まず、乗員についていえば、当時A2では、「昭和四六~五〇年五ケ年計画」(甲二112)の計画と実績(弁証五八)とを対比すれば右五ケ年計画の乗員計画をかなり上廻るジエツトパイロツトを保有していて大型機導入に必要な乗員の余裕があつたのであり、また、整備要員についていえば、A2では自社オーバーホール体制の一環として昭和四五年四月に子会社A2整備株式会社を設立し、E2株式会社の航空部門から整備経験者三六五名を採用し、同年七月にはE3株式会社から整備技術経験者だけでも一七四名を採用しており、同年一二月当時一、二五二名の要員を擁していたのであつて、整備の面でも大型機昭和四七年度導入に十分対処しえた状況にあつた』と主張する(控訴趣意第一の三、四)。 (a) 先ず乗員の余裕についてみてみると、大型ジエツト機乗員は、在来型ジエツト機の機長、副操縦士、航空機関士中から経験年数と将来の乗務年数を考慮して選抜されるものである(甲二46航務本部受入れ準備計画等)から、在来型ジエツト機乗務員の余裕があることが先ず前提となる。機材乗員数の実績を示す「数字によるA2実績推移」(弁証五八)の三二頁、三三頁の表一二、同一三によつて計算し、五ケ年計画(甲二21)が標準的必要乗員数としている一機につき機長四、コーパイロツト三・五人、航空機関士三・五人と対比してみると、昭和四二年から四四年の間は全般的にみて乗員不足の状態で、機長、コーパイロツトについては四五年度は一応標準を超え四六年、四七年度と漸増し(但し、五ケ年計画による四七年度及び四八年度のジエツト機保有数に比し実績は四七年度八機四八年度五機の減となつ 状態で、機長、コーパイロツトについては四五年度は一応標準を超え四六年、四七年度と漸増し(但し、五ケ年計画による四七年度及び四八年度のジエツト機保有数に比し実績は四七年度八機四八年度五機の減となつている。)、四七年度末にゆとりが出てきているが、航空機関士は、四四年度から四七年度の間は著しい不足状態にあつたと認められ、原審証人B13の「A2で乗員の余裕が出てきたのは、同四六年後半から四七年初めにかけてのことである」旨の供述は、機長、コーパイロツトについては数字上裏付けられるが航空機関士については四七年末まで漫性的不足状況にあつたと認められる。同四五年後半においては大型機の訓練に当てる乗員の余裕人員を確保することが困難な状態であつた旨の原認定は相当である。 (b) なお、弁護人らは、『原判決は、原審証人B13の「A2で乗員の余裕が出てきたのは昭和四六年後半から同四七年初めにかけてのことである。」旨の証言から、当時A2では大型機導入の準備にあてる乗員の余裕はなかつたと認定しているけれども、仮に右証言を信用し、これを前提とするとしても、A2がL―一〇一一を導入した際には、昭和四八年一一月に一二名のパイロツトの訓練を開始し、翌四九年三月から定期便に乗務させていることに徴すれば、昭和四六年後半から乗員の訓練を開始すれば同四七年初めには訓練が終了する筈であるから、同年四月にA2が大型機を導入することも、乗員の訓練養成との関係からは十分に可能であつたとみるべきである』と主張する。しかしながら、A2におけるL―一〇一一導入の際の乗員の訓練養成は、機長資格者については、同四八年四月からD3、D5などの外国航空会社で所定の訓練の後、同年一一月からD5社で訓練を受け、先発グループの一二名は同四九年二月末資格を取得し、インストラクター・コースに入り、残る一般 いては、同四八年四月からD3、D5などの外国航空会社で所定の訓練の後、同年一一月からD5社で訓練を受け、先発グループの一二名は同四九年二月末資格を取得し、インストラクター・コースに入り、残る一般機長資格者は、国内で実務訓練(OJT)を受け、同年七月初めまでに資格を取得したのであり、それまでに機種決定後二一ケ月を要しているのであつて(甲二46「航務本部受入準備計画書等」)、弁護人の右主張は、先発グループ一二名のD5社における訓練のみを取り上げて、短期間で乗員の養成が可能であるかの如く主張するものであり、所論は採用できない。 (c) さらに、弁護人は、『原判決がA2においては、昭和四六年度から同四八年度にかけてFR―二七型機を退役させる方針であつたことを、大型機導入のため乗員の余力がなかつたことの事情の一つとして指摘しているけれども、右FR―二七型機の運航は外人のキヤプテンが当つていたのであるから、その退役が大型機導入の支障となるような状況にはなかつた』と主張するのであるが、原判決は、前述の如く、A2においては昭和四六年度から同四八年度ころにかけてFR―二七型機を退役させ、これを在来のYS―一一型機で補充し、そのあとをジエツト機に置き換えるべく、B―七二七―二〇〇型機及びB―七三七を毎年合計一〇機前後増機する計画をたてていたため、ジエツト機の右大量増機に必要な乗員や整備士等の養成に追われ、それだけで余力のない状態であつたとして、大型機の訓練に充てる乗員や整備士等の余裕人員を確保することは極めて困難な状況にあつたと判示しており、FR―二七型機の退役そのものではなく、FR―二七型機の退役に伴うYS―一一型機及びジエツト機による補充について、乗員や整備士等の養成、手当てに追われていたことが余裕人員の確保を困難にしていたと指摘しているのであるか 役そのものではなく、FR―二七型機の退役に伴うYS―一一型機及びジエツト機による補充について、乗員や整備士等の養成、手当てに追われていたことが余裕人員の確保を困難にしていたと指摘しているのであるから、右FR―二七型機の退役そのものが大型機導入の何らの支障とはなつていなかつたとする弁護人の右主張は、原判決の説示に対する誤解にもとづくものというべく、やはり排斥を免れない。 (d) 次に整備の関係について検討すると、A2の保有機材は、昭和四二年度ジエツト7 プロペラ40四三年度ジェツト8 プロペラ52四四年度ジェツト17 プロペラ53四五年度ジェツト24 プロペラ55四六年度ジェツト35 プロペラ47四七年度ジェツト37 プロペラ39と推移し、四三年度以降四五年度までジエツト機が毎年度七機位ずつ増加した状態にあり、加えて幹線運航のみであつたジエツト機を四八年までに可成りの数のローカル線にも配備する計画となつていたため、昭和四四年度以降整備の質量とも増加する状態であり、同四五年五月のA2の有資格整備士数が、当時の保有機材の整備量からみてA1に比し著しく見劣りする状況になかつたとしても、四六年度以降のジエツト機の保有数の増加、ローカル線への配備を考慮すれば、整備の質量の増加に応じ整備陣の強化は緊急の課題であり、それであるからオーバーホールの自社体制確立のためのA2整備株式会社の昭和四五年の創設、A2の整備要員の昭和四五年以降の大量採用が行なわれたものと認められる。原審のB14証言などによると昭和四六年一〇月から四七年一〇月までの間ジエツト機整備要員にゆとりができたので、ジエツト機有資格者の訓練を行つたことは認められるが、これは、昭和四六年度ジエツト機保有三五機に対し四七年度は三七機と増加機数が少なか から四七年一〇月までの間ジエツト機整備要員にゆとりができたので、ジエツト機有資格者の訓練を行つたことは認められるが、これは、昭和四六年度ジエツト機保有三五機に対し四七年度は三七機と増加機数が少なかつたことによると推認されるが、前記弁証五八により昭和四四年度から五〇年度までの間のB―七二七、B―七三七ジエツト機の保有数と、右二機種のジエツト機の有資格整備士延数とを対比してみると、一機あたりの一等整備士延数は、昭和四四年度に比し、四五年、四六年度と漸減し、四七年度に至り四四年度の水準を上まわりその後毎年急増していることが認められ、昭和四五年当時のジエツト機整備陣が未だ弱体であつたことは否み難い。また昭和四五年当時のA2の整備能力に関し、A2常務会議事録(甲二48)にあらわれているところをみると、ほとんど毎回といつてよいほど、整備担当者から整備不良に起因すると思われる各種のトラブルが報告されており、しかもそのうち少なからぬものが原因不明であるとされていて、B1がしばしば業をにやして原因糾明を指示したり、「人員を採用してもSKILL不足だ。整備の強化は重大な使命。整備としても真剣に考えてくれ。」などと苦言を呈しており、これに対して、整備担当者からは、「A1は行き届いている。」などとA1の充実した整備力に対する羨望の表明ともいうべき発言がなされていること、昭和四五年七月二八日開催の第三回本委員会でB1が「一番長い準備を要するのは整備ではないか。」と発言し(甲二63)、当時経理部長であつたB15が同年一二月一六日の常務会で、大型機導入に関連して「整備力についても心配している。 ついていけるのか。」と発言し(甲二48)、原審公判廷においても、「整備については熟練度、いわゆるスキル度の問題があつて、やはり経験を積んでいく以外に方法がないので、(大型化 ついても心配している。 ついていけるのか。」と発言し(甲二48)、原審公判廷においても、「整備については熟練度、いわゆるスキル度の問題があつて、やはり経験を積んでいく以外に方法がないので、(大型化を)急げば急ぐだけその点についての若干の不安がある。」旨の証言をしていること、原審公判廷において、当時の運輸省関係者が、A2の大型機導入に関連して、異口同音に同社の整備力に懸念を抱いていた旨証言していることからも優に窺われるところである。 更に所論のA2整備についていえば、同社はきわめて小規模な陣容でスタートしたのであつて、所論のように設立当初から大量の整備経験者を擁していたわけではなく、またE3から採用した人員もその多くは無資格者であり有資格者は三〇名程度にすぎず(原審B16供述)、その後昭和四六年のB―七三七、四七年のB―七二七のオーバーホールの経験等により同四八年以降自社整備体制がととのうに至つたと認められる(弁証四三社報「H1」創立記念号」)(e) 以上述べた諸点に鑑れば、B1が検察官に対する昭和五一年八月九日付供述調書において「当時A2はG1をYS―一一などに入れかえることで手いつぱいであり、大型ジエツト機をむかえるためのパイロツトや整備士の訓練は、全く手がまわらない状態で、その後四八年初めごろからようやく訓練を開始したのが実情でした。」、「しかし、B17社長が退陣し、私が社長に就任した昭和四五年六月から七月ころにはA2としては四七年四月からの導入は相当無理だという意見が強くなつていました。その理由はいろいろありますが、最大の理由としては、新しい大型ジエツト機の整備担当者に対する訓練に最低二〇ケ月、できれば二年間が必要で、現に働いている整備士を何十人づつか交代でその二年間にメーカーへ派遣して、全員に技術を身につけさせなければなら 、新しい大型ジエツト機の整備担当者に対する訓練に最低二〇ケ月、できれば二年間が必要で、現に働いている整備士を何十人づつか交代でその二年間にメーカーへ派遣して、全員に技術を身につけさせなければならず、その間の穴埋めを考えなければならないわけで、これはとうてい困難なことでありました。」と供述しているところは、措信しうるものと認められ、四五年後半当時の状況についての原認定は相当である。 (f) なお、弁護人らは、原判決が、(弁護人の主張に対する判断)の第一の二の2の(一)の(2)中に「1」ないし「5」の事項をあげ当時A2には大型機を昭和四七年八月に導入するについてその準備にあてる整備要員(殊にジエツト機の有資格者)の余裕がなかつたものと認めるのが相当であると判示している(原判決二四三~二四六頁)点につき、以下のように「1」ないし 「5」につき反論するので判断する。 (イ) 「1」昭和四五年七月二八日開催のA2の第三回本委員会でB1が「一番長い準備を要するのは整備ではないか」と発言していること(甲二63)につき、所論は、『一般に導入準備期間は理想の期間なのであり、ある程度まではこれを短縮できる、いわば伸縮自在の面をもつ流動的なものであり、また、B1自身、同年九月一四日の本委員会において、昭和四七年八月導入ということで社内準備を進めるよう指示していることや、整備本部長のB26が「JUMBOを入れてS四八にA/Bを入れ」云々と述べていることに照せば、前記「1」のB1の発言をとらえてA2には昭和四七年八月に大型機を導入するだけの整備能力が昭和四五年七月当時なかつたことの一証左とみるのは相当ではない』と主張するのである。 「1」 のB1の発言についていえば、右発言が、その直前である昭和四五年七月二七日の第一一回総括部会において、大型機導入の準備 月当時なかつたことの一証左とみるのは相当ではない』と主張するのである。 「1」 のB1の発言についていえば、右発言が、その直前である昭和四五年七月二七日の第一一回総括部会において、大型機導入の準備期間について、「営業本部二〇ケ月、航務本部二二ケ月、整備本部二四ケ月、経理部一二ケ月」(甲二31。なお、昭和四五年九月七日の第一二回総括部会でも、昭和四七年四月に大型機を導入するための準備期間について、営業本部約二〇ケ月、航務本部約二二ケ月(シミユレーター自社養成の場合三〇ケ月)、整備本部約二四ケ月、経理部最低一年以上とされている<甲二29>。)とされていることをふまえてなされていることは明らかであり、このように、それまでの各専門部会における検討結果からも、大型機導入にあたり準備に最も長期間を要するのは整備部門であることが判明していること、右発言に引き続いて、B1が「B七二七導入時とは異る……、A2独自で準備し、それに期間が必要というのであれば、それだけの態度を示さなければならない。そしてA1をその中に巻き込んでいくことだ。」と発言していること、同年九月一四日の本委員会において、準備期間の関係から、同四七年八月の運航開始が限度であり、機種決定が遅れればこれも困難となるところから、同四七年八月導入案と同四八年度導入案の両案が検討された際、B1が、「A1は同四七年度からの導入を考えているとみるのが常識的であり、そのとおり実行されると困るので、A2と同一時期にするよう相談するのがよい。」との意向を表明した上、「相談するというのは遅らせるということだ。なるべく遅い方がよい。」旨発言し、A1との話合いにより導入時期をなるべく延ばしたいとの意向を明確にしていること(甲二64)や、前記の昭和四五年当時の諸事情を併せ考えると、B1が、当時、A2が大型機を早 く遅い方がよい。」旨発言し、A1との話合いにより導入時期をなるべく延ばしたいとの意向を明確にしていること(甲二64)や、前記の昭和四五年当時の諸事情を併せ考えると、B1が、当時、A2が大型機を早期に導入する場合に最も問題であるのは整備能力であることを十分に認識しており、右発言はその点についての強い危倶、不安を表明したものというべきである。B1が同年九月一四日の本委員会で、昭和四七年八月導入ということで社内準備を進めるよう指示していること等は所論指摘のとおりであるが、当時機種決定時期すら不確定な状況にあつたのであるから、右発言等は、A1の同年四月導入を阻止できないとすれば、「何とか無理をしてでもそれに間に合せたいし、また、遅れるにしてもできるだけ遅れを少なくしたいと考え」、「対社外的にもA2の準備がA1よりも大幅に遅れているという弱味を見せたくないという意味でたてまえを述べただけ」(B5の検察官に対する昭和五一年八月九日付供述調書)のものにすぎないものと認められる(なお、導入準備期間が理想の期間であり、伸縮自在な面をもつ流動的なものである旨の弁護人の主張についての判断は後述する。)。 (ロ) 「2」原審証人B2が「私は、A2から同四五年一二月策定の五ケ年計画の説明を受けて実行不可能であると感じ、その後間もないころ、私の部屋を訪れたB1に対し、A2ではA1に比べ整備要員中有資格者の占める割合がはるかに低いから、有資格者を増やして整備能力を充実させることが先決であることなどを指摘してA2の大型化計画は無理であると話し、B1もA2の整備面に問題のあることは自認していた」旨証言していることについて所論は、『同証人は他方でB1がA2としては昭和四七年度の大型機導入は可能であり、A2のパイロツトはA1のパイロツトに劣らない旨強調していたことをも証 ことは自認していた」旨証言していることについて所論は、『同証人は他方でB1がA2としては昭和四七年度の大型機導入は可能であり、A2のパイロツトはA1のパイロツトに劣らない旨強調していたことをも証言していることにかんがみると、B1が、整備要員についてA1に比べ有資格者の比率が低いという事実を自認していただけの趣旨に理解すべきであり、これをもつてB1が当時A2の整備能力について危惧、不安を持ち、A2の昭和四七年度大型機導入に消極的な気持を抱いていたことの証左とすべきものではない。』と主張する。 所論指摘のB2証言について、つぶさに吟味するに、昭和四五年一二月当時運輸省航空局監理部長であつた同証人は、原審公判廷において、A2の昭和四五年一二月策定の五ケ年計画につき、「まあ、A2の計画はですね、……、確かに、まあ、計画はできていましたけど、できておつたけれど、まあ、きわめて杜撰な計画であつてですね、とても、ああいう計画が実行できるというようには考えられなかつたわけです。」とか、「大変膨大な機材増強計画で……、とても、こんなことは実行不可能じやないかと、もし、これを実行するとすると、非常に、危いというか飛行機を落とす可能性も出てくるという感じを持つたわけです。」とか供述し、また、A2の整備能力についても、「まあ、わたし自身は、疑問を持つておつたわけです。まあ、さきほどお話したように、わたしは、四一年に監督課長になつて、その前に監督課長になる前に羽田B10の事故があり、監督課長在任中に、松山の事故、経験しているんで、まあ、A2の……、体制について、……、まあ、危惧を持つていたわけです。まあ、もつともわたしが監督課長になつてから監理部長になるまで二年間たつていますから、その後改善はされたとは思いますけれど、しかし大型機を早急に入れるだけの能力が 、まあ、危惧を持つていたわけです。まあ、もつともわたしが監督課長になつてから監理部長になるまで二年間たつていますから、その後改善はされたとは思いますけれど、しかし大型機を早急に入れるだけの能力がA2にあるかどうかについては、危惧を持つておつたわけです。」と述べ、A2が昭和四七年度から大型機を導入することについても、「まあ、A2は、さきほどお話したように前に、事故を起こしておりますし、まあ事故が、事故のあとの運航面とか、あるいは整備面の対策というものは、まあ、わたし自身は、完全にというか十分に、その段階までに行われてきたという感じは持つていなかつたわけです。……、従つて、大型機を導入するには、やはり、相当、運航面、整備面での体制整備が必要であるという感じを持つておつたわけです。まあ、A1の方は、その前から七四七、入れていますから、運航、整備面では、それほど問題はなかつたと思いますけれど、A2の場合には、大型機を入れるには相当の時間が必要であるというように見ておつたわけです。」と述べているように、右証人自身が当時のA2の大型機導入能力、とくに整備面でのそれに強い危倶感を抱いていたことを明確に証言しているのみならず、右証人は、「わたしは、確か、こんな計画は、とても、実行不可能だということをB1に対し言つたと思いますが……。」とか、「……、大型計画についても、なんか言つたかも知れませんが、言つたとすれば、やはり四七年の八月ですか、……、には、無理じやないかということを言つたんではないかと思います。……、これは、あの、その時言つたのか、あるいは、そのあとでB1さんに、が来た時に言つたのか知りませんけど、ああいう計画は非常に無理だということを、B1さんに言つた記憶があるわけです。」などと供述しているように、右証人はこうした危惧感、不安感を卒直に あとでB1さんに、が来た時に言つたのか知りませんけど、ああいう計画は非常に無理だということを、B1さんに言つた記憶があるわけです。」などと供述しているように、右証人はこうした危惧感、不安感を卒直に当時B1に話したというのであり、これに対するB1の反応についても、右証言によれば、たしかに、「(B1が)運航面では、A1のパイロツトに、、A2のパイロツトはA1のパイロツトに劣らないということを強調していたと思います。だから、まあ、なんとかやれるんじやないかということを言つておつたと思いますけど……。」と述ベているように、B1は、右証人の指摘に対し一応の反撥の姿勢を示したものの、整備面ではA2に弱点があることは明確に自認していたというのであり(右証人は、「これは、わたしの方が言つたからB1さん認めたんだと思いますけれど、A1とA2と、整備、比較しますと、いわゆる有資格者の数が、―数というか、比率ですね、整備関係に携わつている要員の内、資格を持つている人の率が、ですね、……、A2の場合には、A1に比べてはるかに低いわけです。まあ、そういう面で、有資格者を、どんどんふやさないと無理じやないかと、まあ、有資格者をふやすということが、整備能力を充実させる一つの方法ですから、そういう点について遅れているんじやないかということを指摘したわけです。」と証言している。)、こうしたB1の態度からして、右証人は、「B1さんとしては、やはり早く導入することはやつぱり問題はあるという認識は持つていたんじやないかというように感じられるわけです。ただし直接四七年の導入時期がA2にとつて無理だとか何とかいうようなことを言つたことはなかつたと思いますが、しかし、航空会社の社長というのはやはり当然安全ということを重点に考えるわけでしようからA2の実力では四七年の導入は難しい にとつて無理だとか何とかいうようなことを言つたことはなかつたと思いますが、しかし、航空会社の社長というのはやはり当然安全ということを重点に考えるわけでしようからA2の実力では四七年の導入は難しいというふうに感じておつたんじやないかと思います。」とか、「要するにA2としては四七年というのはちよいと難しいというのがやはりB1さんの本音であろうと、こういうことですか。」という問いに対し、「ええ、そうだと思います。しかし、それはB1さんの意見であつて私どもはそういう感じをもつたというだけです。さつき言つたA2の計画が非常に膨大なものだというのはA1に対抗するためにやむを得ず作つたという計画ではないかと思うんで経営者としてああいうような大きな計画が実際に実行できるかどうかやつぱり問題意識は当然持つておつたんじやないかと思います。」と答え、また、「A2ももちろんさつきお話が出てるような四七年から入れるという計画を持つておつたわけですけれど、やはり同一時期ということになるとA2とA1との整備能力、運航能力からいえばかなり差があるんで難しいという感じは持つていたんじやないかと思うんです。」と述べているように、B1も本音としてはA2の大型機導入能力、とくに整備能力について当時右証人と同様の認識を持つていると右証人自身は受け止めていたことを明言している(なお、右証人は、さらにB1が間接的ないい方ながら、A1の大型機導入についてはA1とA2との同時導入という線をくずさないようにしてほしい旨要請していたとも証言している。)のであるから、原判決がこの証言を重視したのは当然というべく、B1のこの際の反応について、A1に比べてA2は整備の有資格者の比率が低いという事実のみを認めたにすぎないとする所論は、右証言の内容に照らしておよそ採るをえないものである。 (ハ は当然というべく、B1のこの際の反応について、A1に比べてA2は整備の有資格者の比率が低いという事実のみを認めたにすぎないとする所論は、右証言の内容に照らしておよそ採るをえないものである。 (ハ) 「3」当時のA2経理部長B15が、昭和四五年一二月一六日開催のA2常務会において、A2の五ケ年計画に関連して「整備力についても心配している。ついていけるのか。」などと発言し、原審公判廷においても、「整備については熟練度、いわゆるスキル度の問題があつて、やはり経験を積んでいく以外に方法がないので、(大型化を)急げば急ぐだけその点についての若干の不安がある」旨証言していることについて、所論は、『B15は経理畑一筋を歩んできた者で整備についてはいわば素人なのであり、同人が昭和四五年九月の第一二回総括部会、同年一〇月五日の第一三回総括部会、同年一二月一六日の常務会などでも、大型機導入について消極論を述べ、A1がA2に先んじて大型機を国内線に導入することによりA2が受けるインパクトとA2がA1に対抗して同時期に大型機を導入することによりA2が受ける経理上のマイナスを比較すると、A2としてはむしろ前者の方が耐えやすいとか、昭和四七年度に大型機を導入するより同四八年に延ばし、昭和四七年度に導入するのであれば同年度はリースでまかなつた方が採算上有利であるとか、必要なのは高度成長よりも安定成長なのであり、大型機早期導入は資金調達能力、収益面で問題があり大型機早期導入がどうしても必要ならやむをえないけれども、無理があり正常な姿ではないなどと述べているが、これは大型機導入という大きな出費を要する、いわば社運を賭けるような決定には何としても赤字決算は避けたい、安全第一に行きたいとする、経理担当者にともすればありがちな退嬰的な姿勢からくる消極論に他ならず、同人の意 入という大きな出費を要する、いわば社運を賭けるような決定には何としても赤字決算は避けたい、安全第一に行きたいとする、経理担当者にともすればありがちな退嬰的な姿勢からくる消極論に他ならず、同人の意見がそのままA2首脳部の当時の一般的認識を代弁していたものとみるのは相当ではなく、現にB15自身も昭和四五年四月四日の総括部会では「資金調達の面でみるかぎり大型機導入と現有機増加とで大きなちがいはない。」旨述べていること(甲二53)、B1が昭和四五年一二月一六日の常務会において「安定成長といつても、安定して成長せずということもある」と述べていることや、B16が昭和四六年六月一〇日にA2管理職に対する講話の中で積極論を述べていることからもB1らA2のトツプがこの問題についてB15の消極論と異なる前向きの姿勢をとつていたことは明らかであり、これらのB15の発言をとらえてA2の整備能力に問題があつたとする原判決の認定は証拠の取捨選択を誤つたものである』と主張する。 右のB15証言についていえば、同人が当時経理担当者であつて、整備担当者ではなかつたこと、及び同人が大型機早期導入についてかなり強い疑問をもつていたことは、いずれも所論指摘のとおりであるが、前述のように、当時A2では、整備不良によると思われる各種のトラブルが頻繁に常務会で問題とされていたという状況の下においては、直接の整備担当者ならずともA2の整備能力が弱体であることについての十分な認識を有していたことは明らかであつて、B15の右発言は当時のA2首脳部の一般的認識を代弁したものと認めざるをえない。また、同人の大型機早期導入に対する消極論は、後述のように、在来機と大型機の採算性の比較、当時アメリカ合衆国がとつていたドル防衛政策の影響の分析や金融市場の今後の動向についての見通し、同社の資金調 また、同人の大型機早期導入に対する消極論は、後述のように、在来機と大型機の採算性の比較、当時アメリカ合衆国がとつていたドル防衛政策の影響の分析や金融市場の今後の動向についての見通し、同社の資金調達能力の検討、大型機早期導入の場合における自己資本比率、使用総資本利益率、償却負担、人件費へのはねかえりの分析から大型機早期導入に伴う労務管理上の問題の分析にまで及ぶ、多角的かつ綿密な大型機早期導入のメリツト、デメリツトの検討の結果にもとづく、当時のA2の実力を全社的に冷静に見据えた上で出された結論であつて、決して所論のいうように、経理担当者にありがちな、狹い視野からの目先の安全第一を単に願うだけの退嬰的な消極論ではないことは、同人の証言自体から明らかであるといわなければならない。なお、所論指摘のB1やB16の強気の発言が、A1におくれをとるまいとしてしやにむに右セクシヨンの尻をたたいていただけのもので、自社の実力に対する十分な自信にもとづく発言ではないことも、前述の「1」のB1発言についての検討において述べたとおりである。 (ニ) 「4」B8航空局監督課長が、昭和四五年後半当時のA2の大型化計画について、「当時A2はD2七二七の大きなタイプをどんどん導入している時期であり、一面自社整備体制がやつと確立しつつある状態であつたので、そうした段階で大型機を入れるのは、安全性の面で果して大丈夫かなという懸念を持つていた」旨証言していることについて、所論は、『右証言も、単にA1と比較してA2の整備能力が相対的に劣つていたことを指摘しているにすぎず、A2としては昭和四七年度に大型機を導入することが不可能であるとか、まして昭和四九年度まで延ばさなければならない状況にあつたとまでいつているわけではないから、原判決の前記認定の支えとなりうるものではない、む は昭和四七年度に大型機を導入することが不可能であるとか、まして昭和四九年度まで延ばさなければならない状況にあつたとまでいつているわけではないから、原判決の前記認定の支えとなりうるものではない、むしろ、同人は、大型機を国内線に導入する場合A1とA2が同時期に導入するということは航空局としては当然の前提であつたと述べているのであるから同人がA2について昭和四七年度における大型機導入が不可能であるという認識を持つていたとすれば、そして、原判決がいうようにA1の前記B―七四七LR型機四機の取得認可が、従来国際線に投入していた同型機三機の国内線転用を前提とするものであるとするならば、航空局がかかる取得認可をA1に与える筈はなかつたことは明らかであり、この点からしても、同人がA2について昭和四七年度大型機導入が可能との見通しを持つていたとみるべきである』と主張する。 右証言が、単にA2の整備能力がA1と比べて相対的に劣つていたというだけではなく、A2の整備能力が大型機を早期に導入した場合には安全性の面で問題が出てくるほど弱体であつたという趣旨であることは右証言自体から明らかであり、また、A1とA2に同時期に大型機を導入させることが航空局の方針であり、同人が、A2について昭和四七年度に大型機を導入することが不可能であるとの認識を持つており、かつ、A1の前記B―七四七LR型機四機の取得認可が従来国際線に投入していた同型機三機の国内線転用を前提とするものであるとすれば、航空局がかかる取得認可をA1に与える筈はなかつたとの弁護人の主張についていえば、そもそも航空局は、両社の過当競争を回避し、両社の競争力のバランスを維持するうえで両社が同時期に大型機を導入することがきわめて望ましいと考えていたことはたしかであるけれども、両社の大型機同時期導入ということ 航空局は、両社の過当競争を回避し、両社の競争力のバランスを維持するうえで両社が同時期に大型機を導入することがきわめて望ましいと考えていたことはたしかであるけれども、両社の大型機同時期導入ということが当時の航空行政における絶対的な既定方針として確立されていたわけではないことは後述のとおりであるうえ、B8が「A1に対する本件取得認可段階では、A2が同四七年度大型機導入に意欲的に取り組んでいたところから、A1との同一時期導入が実現される可能性があり、A2の右大型機導入を翻意させるだけの決定的要素があるとは考えていなかつたにすぎない。」とも証言していることからも明らかであるように、同人の前記証言は、A2が昭和四七年度に大型機を導入することが絶対的に不可能であるとまで考えていたわけではなく、A2が同年度に大型機を導入する場合には同社の整備能力にかなりの懸念、不安があると思つていたと述べているにすぎないのであるから、右主張はその前提を欠き、あるいはB8の前記証言の趣旨を歪曲したうえなされているものといわざるをえず、失当というべきである。 (ホ) 「5」B9が、昭和四五年一二月A2策定の経営五ケ年計画における同四七年夏からの大型機導入計画に関し、「当時A2はローカル線のジエツト化をどんどん進めており、D2七二七―二〇〇とか同七三七という機種を毎年かなり大量に購入していたので、新たに在来機に比しかなり大型の機種を導入するという点で、パイロツトなり整備陣に問題はないか検討しなければならないと考えていた」旨証言していることにつき、所論は、『B9は、A2では昭和四七年夏に大型機三機を導入する計画であつたが、大型機を三機入れたからといつて同社の経営に重大な影響があるとは思わなかつたとか、昭和四六年二、三月に導入大型機の機種が決まれば、昭和四七年夏の就航には 七年夏に大型機三機を導入する計画であつたが、大型機を三機入れたからといつて同社の経営に重大な影響があるとは思わなかつたとか、昭和四六年二、三月に導入大型機の機種が決まれば、昭和四七年夏の就航には間に合うと思つたとも述べているのであり、A2において昭和四七年八月に大型機を就航させることが不可能であるとの認識を持つていたわけではないことは明らかであり、これまた原判決の前記認定を支えうるものではない』と主張している。 しかし、大型機を三機入れたからといつて同社の経営に重大な影響があるとは思わなかつた等の所論指摘の同人の各証言部分が、A2の整備能力について当時抱いていた懸念を述べた同人の前記証言と何ら矛盾する内容を含んでいないことは明らかであつて、主張自体失当という他はない。そして同人が「A1が大型機を導入するには何らの支障もなかつたとする反面、A2は、A1との比較において幹線の競争力、運航・整備能力、財政能力の各般にわたり劣つており、A2の運航整備力については十分検討しなければならないと思つていた。」とも証言していることからも明らかなように、同人の前記証言が同人の当時A2の整備能力に対して抱いていた不安、危倶を述べたものであることは疑いを容れないところというべきである。 (g) なお、当審証人B18は、この点に関し、検察官の主張に反駁する形で、整備士については、有資格整備士数ではなく、常任の確認整備士数で比較すべきであるとか、各社は機種の違う機材を保有しているのであるから、整備士数を比較するためには、整備量を換算(等価換算方式)しないと適正な評価ができないのであつて、運輸省が同四五年四月右の方式により有資格整備士数を計算したところによると、A1は一機当たり二九・三人、A2は二八・九人で大差はないのであるから、A2がA1等に比べ整備要員数 ができないのであつて、運輸省が同四五年四月右の方式により有資格整備士数を計算したところによると、A1は一機当たり二九・三人、A2は二八・九人で大差はないのであるから、A2がA1等に比べ整備要員数において劣悪であつたとは言えないとか証言しているけれども、各航空会社の潜在的な整備力を含めた総合的な整備能力をみる場合、ライン配置の確認整備士の人数よりも、工場整備士あるいは一等整備士など国家試験に合格している者の人数を比較する方が合理的であることはいうまでもないところであるうえ、仮に、機材数当りの常任の確認整備士数を比較しても、A2のそれはA1と比べてかなり劣つた数値となること、及びA2はA1に比し一機あたりの整備要員数が三分の一であるのに、等価換算方式によると、A1とほぼ同一の数値になるのは、右比較の時点においてA2が一機あたりの整備量の比較的小さい航空機のみを保有していたことにもとづくのであるから、整備要員を拡充しない限り一機あたりの整備量が極度に大きくなる大型機を導入した場合には当然この数値が大巾にさがることになる筋合であつて、当時のこの数値がA2に大型機を導入するだけの整備要員上の人的余裕があつたことを意味するものではありえないことなどに徴すれば、右証言が原判断に影響を与えるものではない。 以上述べたところからも明らかなように弁護人らのその余の主張について按ずるまでもなく、原判決が当時のA2の乗員及び整備要員の状況や整備能力について判示するところは、すべて原審ならびに当審で取調べられた関係各証拠により肯認できるといわなければならない。 (h) なお、弁護人らは、『原判決はA2では当時在来機の大量増強に追われて大型機を導入する余力がなかつたと認定しているが、A2では昭和四七年度に大型機三機を導入しないことに決定した結果、昭和四七年度 h) なお、弁護人らは、『原判決はA2では当時在来機の大量増強に追われて大型機を導入する余力がなかつたと認定しているが、A2では昭和四七年度に大型機三機を導入しないことに決定した結果、昭和四七年度機材として当初五ケ年計画で予定されていたB―七二七、B―七三七の増機予定一二機を上廻る計一五機(B―七二七―八機、B―七三七―七機)の購入契約をしているのであり、このことに徴しても当時A2には大型機を昭和四七年度に導入する余力があつたことは明らかである』と主張する。 しかしながら、大型機と在来型ジエツト機とでは、資金負担、乗員、整備員の養成等の面で同列に扱いえないことはいうまでもなく、A2が在来機を当初の計画以上に購入したからといつて、当時A2に大型機導入能力があつたとは直ちになしえない筋合である。しかもA2が昭和四六年七月二七日付契約で五か年計画を上廻る機種を契約したのは、ローカル空港のジエツト化に伴うF―二七の退役及びB―七二七―一〇〇の売却分を補填するためであつて、大型機導入延期に伴う補填措置ではないことは、原審で取調べられたA2内部資料に徴して明らかであり、また、右購入契約自体も同年一一月二六日付でB―七三七につき七機購入のうち四機がキャンセルされ、三機購入に修正されているのである(弁証一三五の1、2)から、弁護人らの右主張も、また採用できない。 (三) 大型機導入準備期間に関する論旨(a) 弁護人らは、『原判決が(弁護人の主張に対する判断)の第一の二の2の(一)の(1)で二〇ケ月ないし二年の準備期間を要するというのは理想をいえばということであり、やり方によつては一年もあれば十分であつた旨のB1及びB5の原審証言、昭和四五年九月七日開催の第一二回総括部会(甲二79がその議事メモである。)での航務本部責任者B19の「準備期間は機種 ことであり、やり方によつては一年もあれば十分であつた旨のB1及びB5の原審証言、昭和四五年九月七日開催の第一二回総括部会(甲二79がその議事メモである。)での航務本部責任者B19の「準備期間は機種はどうあれ、大型機を入れるという時期が決まれば縮められる。」旨の発言や整備本部責任者B18の「整備も同じ。」、「会社として是非四六年に必要というのであれば何としてでもやる。」旨の発言について、各部門における所要準備期間が第一に重視されていたことは、航空会社が安全運航を至上命令とするものであることやA2の内部資料から窺える大型機導入に関する検討の経過に照しても明らかであり、また、運航開始時期は機種決定時期に準備期間を加えたものと考えるのが当然であつて、B5の右証言が機種決定時期と運航開始時期とが決まれば、準備期間はどのようにでも加減できるとまでいいきつた趣旨とは到底考えられず、B19及びB18の右発言も右総括部会の意見をまとめた総括部会事務局作成の昭和四五年九月九日付「総括部会意見要旨」(甲二29中)に「準備期間を考えると四七年八月運航開始が限度である。」旨記載されていることに徴すると、右両名の発言が右総括部会における大方の見解を代弁したものとは到底認めがたい旨判示している点(原判決二三二頁―二三六頁)につき、昭和四五年九月一四日の本委員会議事メモ(甲二53中)に「準備期間の各部案は理想の期間」、「導入時期を先ず決定し、機種はそのあとでも可。」とあり、B1が「四七・八導入ということで社内準備を進めたらよい。」旨発言した旨記載されていることに照せば、導入準備期間が流動的なもので、やり方によつてさらに縮めうるものであることは明らかであり、導入準備期間の点からA2が昭和四五年九月当時昭和四七年八月に大型機を導入することはきわめて困難であつたとする原 準備期間が流動的なもので、やり方によつてさらに縮めうるものであることは明らかであり、導入準備期間の点からA2が昭和四五年九月当時昭和四七年八月に大型機を導入することはきわめて困難であつたとする原判決の認定は事実を誤認したものである』と主張する。 しかしながら、原判決が説示しているように、安全運航を至上の使命とする航空会社において、在来機に比して格段に規模の大きい大型機を導入し、その自主運航にふみきるにあたつては、その準備に万全を期する必要があることはいうまでもないところであつて、所論は、導入時期と機種決定時期さえ決まれば準備期間はどのようにでもできるかの如くいうけれども、当時A2内部において、大型機導入のための各部門毎の所要準備期間がくりかえし入念に検討されていた(このことは、原審で取調べられた当時のA2内部資料から明らかである。)こと自体からしても、各部門における所要準備期間が導入時期を決定するうえでの最も重要なファクターであつたことは明らかであり、このことは、昭和四五年七月七日の総括部会意見要旨(甲二29)において、昭和四七年導入案について、「但し、準備期間(後記)を考えれば47年8月運航開始が限度であり、決定が遅れれば8月運航開始は困難となる。」とされ、準備期間について、「但し、早期に決定があれば、47年8月運航開始(9月に決定したとすると22ケ月)は可能である。」とされていること、同年同月二八日の本委員会で、B1が、「A2独自で準備し、それに期間が必要というのであれば、それだけの態度を示さねばならない。」と発言していること(甲二63)、同四六年四月二一日分本委員会議事メモ(甲二40)にも、「大型機受入れ準備期間は、MIN営本18ケ月~MAX整本20ケ月となつており、導入を4月中に決定しても自社で運航しうる体制がととのうのは4 )、同四六年四月二一日分本委員会議事メモ(甲二40)にも、「大型機受入れ準備期間は、MIN営本18ケ月~MAX整本20ケ月となつており、導入を4月中に決定しても自社で運航しうる体制がととのうのは48年1月以降となる。」と記載されていること、B1が当時B6に対し、「A2がトライジエツトを導入するには、購入時から最低二〇ケ月を要すると考えるが、部下はもつと長い時間がかかると言つている。」旨語つていること(弁証一一一・「B6氏とB1氏との会見ノート」)などからも十二分に裏付けられているというべきであり、B5が、検察官に対する昭和五一年九月二日付供述調書において、「新機種を導入するには機種の選定だけでなくて、その受入れの為のさまざまな準備が必要であり、しかも今回は在来機よりも格段に大きい大型機を新規に入れるものでありそれだけに我々にとつても新しい分野が多くその為選定と準備には二四ケ月必要であるというのが私共の一般的な考え方でありました。勿論無理をすれば二四ケ月よりも短い期間で導入することも不可能という訳ではありませんでしたが、しかし短くなる分だけ準備が不充分ということで安全性の面が弱くなる訳であり、安全性を充分確保する為にはどうしても二四か月の期間が必要であると考えていたのです。」の記載部分は合理的なものとして措信しうるものである。また、同四五年九月七日付総括部会事務局作成の「大型機選定に関する纏め(資料)」(甲二29)によれば、各専門部会では、それぞれ「通常の準備期間」として必要とする期間を提示したものである旨明記され、同日の総括部会で、「十分な準備期間が必要だ。」、「機体回りの附属機材とともにGSE(地上支援設備)が問題であり、営業としては最低限二〇か月必要だ。」、「大型機を入れて十分な体制が整わなければ大きなリスクを生ずる。」等の意見 備期間が必要だ。」、「機体回りの附属機材とともにGSE(地上支援設備)が問題であり、営業としては最低限二〇か月必要だ。」、「大型機を入れて十分な体制が整わなければ大きなリスクを生ずる。」等の意見が続出していること(甲二79選定委議事メモ)などからも右の準備期間が、単なる理想の期間であり、いかようにも短縮できるものであるなどとする所論が到底採用しえないものであることは明らかである。 なお、当審における証人B18のこの点に関する所論に沿う証言部分について付言すると、前記各事実に加えて、右証人自身が、大型機導入のための準備期間には、A2の努力によつて短縮することのできないメーカー側のリード・タイムが含まれており、右リード・タイムは機体につき通常一八ケ月ないし二四ヶ月、輸入工具ないしテストスタンド類につき一二ヶ月ないし一五ヶ月、予備エンジンにつき約一五ヶ月、補助動力装置につき約一四ケ月程度を要し、さらに右準備期間には右部品、工具を発注するにあたつての検討期間及び機材受領後の訓練期間を加えることが必要であるが、大型機の特色が電子機器を装置することにあり、右調査、検討や訓練の期間は相当の長期間が必要であることを認めていること(なお、甲二38「大型機受入準備計画について」参照)や、右証人が昭和四五年七月二八日の新機種選定委員会においては、B1から、「一番長い準備を要するのは整備ではないか。」と問われ、「最低二年は必要だ。当社の特異性(「昭和四一年ころに連続事故があつたため、運輸省から指導を受け改善を進めている状況下で外部からみて批判されない構えを示す必要性がある」ことを意味することは、右証人の証言自体から明らかである。)も考えねばなるまい。」と述べていること(甲二63)に照らして所論に沿う準備期間は如何ようにでも短縮しうる旨の供述部分は信用するに 性がある」ことを意味することは、右証人の証言自体から明らかである。)も考えねばなるまい。」と述べていること(甲二63)に照らして所論に沿う準備期間は如何ようにでも短縮しうる旨の供述部分は信用するに価しないものといわなければならず、右証人のこの点に関する証言も、原判決のこの点に関する認定を何ら左右するものではないことは明らかであるというべきである。これらの事情を総合すれば、所論指摘のB1、B19及びB18の強気の発言等も、A1が昭和四七年度に国内線に大型機を導入する腹をかためている状況下において、何とか無理をしてでもそれに間に合わせたいし、また遅れるにしてもできるだけ遅れを少なくしたいとの考えからなされているものではあるが、現に四五年中に機種決定に至らなかつた以上、四七年度中の導入は現に不可能な状態になつていたと認めざるをえない。 (b) また、弁護人らは、『準備期間が流動的なものであることは、現に昭和四七年一〇月三〇日にA2がL―一〇一一を決定し、同四九年三月一日に就航させている事実がこれを端的に証明している。』旨主張するが、最も長期の整備関係については、昭和四七年八月初旬に二〇数名のプロジエクトチームが編成され、同年一〇月中旬までに整備方式、管理方式、生産体制、訓練等について基礎的検討を行なつたうえ、「大型機受入れ準備に関する基本方針(案)」が作成され、常務会に報告了承されているのであつて、機種決定までに大型機導入のための第一段階の準備作業が終了していたのであり(甲二50のうち昭和四七年一〇月二四日常務会議事録及び当審で取り調べられた控甲二5「整備本部における大型機受入れ準備体制について」と題する書面)、A2の乗員訓練についても昭和四八年初めころから機械化した新しい訓練方法に移行したことから訓練期間が半減し、このうちL―一〇一一 二5「整備本部における大型機受入れ準備体制について」と題する書面)、A2の乗員訓練についても昭和四八年初めころから機械化した新しい訓練方法に移行したことから訓練期間が半減し、このうちL―一〇一一についてみても従来より座学の範囲が狹まり、地上演習機の性能が改良されたため、その点からも訓練期間が短縮したことが認められる(甲二49中の昭和四七年二月二三日常務会議事録、B1の検察官に対する昭和五一年八月九日付供述調書及び原審第九回公判調書中証人B20の供述部分)など、A2の機種決定が約二年近く後になされており、その間に諸準備が進渉しており、A2が昭和四九年三月に大型機を導入しえたのもこうした事情によることは明らかであるから、この事実をとらえて準備期間がどのようにも短縮できる流動的なものであることの証左とすることはできない。弁護人らの右主張もまた採用できない。 (c) なお、当審証人B3の「昭和四五年九月七日開催の選定委第一二回総括部会において、自分は、『営業の準備期間は二〇か月を必要とする。特に準備期間を要するものとしては、社外においてはフアシリテイ(空港施設)である。(右準備期間は)最低限ということだ。機体回りの付属機材と共にGSE(地上支援設備)が問題である。』旨発言したが、フアシリテイは国ないし空港ビル会社が管理するものであつて、A2側だけの努力によつて準備期間を縮めることはできないものの、旅客に対するサービスさえ無視すれば、右施設がなくても大型機に関する営業は可能である。付属機材やGSEなどの準備は、一年程度で整えることができる。」旨、また、「五か年計画策定後の同四六年一月段階における見通しとしては、同四七年八月に大型機を導入しても(営業活動としては)必要最小限度の施設だけ完成させ、例えば空港内においてバスで旅客を輸送するといつた方 、「五か年計画策定後の同四六年一月段階における見通しとしては、同四七年八月に大型機を導入しても(営業活動としては)必要最小限度の施設だけ完成させ、例えば空港内においてバスで旅客を輸送するといつた方法をとれば、対応できる見通しであつた。」旨の各証言について付言すれば、前記認定の諸事実に加えて、他社との厳しい競争関係におかれている航空会社にとつて、旅客へのサービスを無視するなどということができる筈もないことや、営業活動の拠点となるファシリテイは、その設置自体、国ないし空港ビル会社との折衝、許可等を要するものであり、右証人自身が「右折衝に要する期間は二〇ケ月というのが最低の条件である。」とか「右フアシリテイを含めGSE、営業システム等については、リースによつたとしても右準備期間を短縮することは期待できない。」などとも証言していることにかんがみれば、右証人の証言中所論に沿う供述部分は到底信用できないものという他はない。 以上述べたところがらも明らかなように、弁護人らのその余の主張につき按ずるまでもなく、原判決が大型機導入準備期間について説示しているところは、すべて原審ならびに当審で取調べられた関係各証拠によつて優にこれを肯認することができるというべきである。 (四) リースによる大型機導入の可能性に関する論旨さらに、弁護人らは、原判決が「A2は自主運航を前提として大型機の選定作業を進めていたのであつて、リースの方法は、あらゆる手段を講じても、A1の本件大型化計画を延期させることができなかつた場合に備えて第二次的に考慮することとされていたにすぎないことが認められるのであるから、A2がリースの方法により大型機の早期導入が可能であつたとしても、これをもつて、B1がA1の本件大型化計画を延期させるため被告人に対し請託をすることはありえなかつたと いことが認められるのであるから、A2がリースの方法により大型機の早期導入が可能であつたとしても、これをもつて、B1がA1の本件大型化計画を延期させるため被告人に対し請託をすることはありえなかつたとはいえない」と判示している点(原判決二三六頁―二三八頁)につき、『自主運航にいたるまでのつなぎとしてリースの方法をとることは従来からも行なわれてきたところであるし、現に昭和四五年九月当時D2社からA2に対し、同四六年七月に引渡が可能であるとして、その購入を条件とすることなく、B―七四七SR型機のリースの申出がなされていることとか、昭和四五年七月八日及び同年九月七日の各総括部会におけるB27の発言(甲二77、79―総括部会議事メモ)に徴しても、原判決の右認定が誤りであることは明らかである』と主張する。 たしかに、当時A2内部において、リースの方法による大型機導入についても検討されていたことは所論指摘のとおりであるが、例えば、B1が、原審公判廷において、「この前の七二七の時のように、直ちに、まあ、D2社に依頼して、全面的な応援を求めるというよりも、できれば、自主的にやつた方がベターであるというふうに考えられます……」、「できるだけ自社でやつていこうという考え方であつたことは事実である。できれば自社で自主的にやりたいという気持を整備の連中が持つていたことは確かである。」、「……、これ、リース機と、それから保有機というものについては、やはり、あの、一定の限界がございまして、……自社の飛行機でございますと、その、整備その他についてもですね、全部、自社で責任をもつて……、たとえば、償却資産として使うとか、まあ、いろんな問題ございますから、この、リース機だけで仕事をしていくということについては、非常な、やつぱり、これも、一つの、非常な危険性を伴うわけでご つて……、たとえば、償却資産として使うとか、まあ、いろんな問題ございますから、この、リース機だけで仕事をしていくということについては、非常な、やつぱり、これも、一つの、非常な危険性を伴うわけでございます。……、やはり、航空会社として成長していきますためには、自社機というものを、相当保有して、そうして、そのごく例外的な措置としてリース機を使うと、一時的な需要の増加というものについて、リース機を使うというのが本態でございますので、そういう意味では、やはりある程度の準備期間が必要であるというふうに考えられるわけでございます。」などと述べ、B5も、原審公判廷で「A2の将来にとつて大きな問題である大型機導入であるから、第一義的には新機を購入して飛ばすことを考えており、リースは第二義的な問題として考えていた。」旨などと述べていることや、昭和四六年五、六月当時、A1からA2に対し、A1のB―七四七型機の共同運航あるいはウエツトリースなどの申出がなされたのに対し、A2がこれらをにべなく拒否していること(B1の検察官に対する昭和五一年八月九日付供述調書参照)などに照せば、当時、A2首脳部としては、A1の大型機早期導入を阻止できず、自社の自主運航の形での大型機導入がA1に遅れをとる場合を慮つてリースについても検討していたというにすぎず、第一義的には、あくまでもA2の面子をかけてA1に張り合い、A1と同時期に自主運航の形での大型機導入を実現させたいと目論んでいたことは明らかであるというべきである。そして、このリースの形での大型機導入については、機体のみの、いわゆるドライ・リースの場合においても、A2としては、乗員や整備員の手当てに問題があることは前述のとおりであるし、乗員付の、いわゆるウエツト・リースの場合においては、A2では、当時乗員組合に対し、外人 るドライ・リースの場合においても、A2としては、乗員や整備員の手当てに問題があることは前述のとおりであるし、乗員付の、いわゆるウエツト・リースの場合においては、A2では、当時乗員組合に対し、外人パイロツトの導入は、いわゆるウエツト・リースの形態でも行わない旨約束させられており(甲二40選定委本委員会議事メモ)、右協約の存在がウエツト・リースの形態での大型機導入のネツクとなつていたことは看過しえないところであるし、また、このウエツト・りースによる大型機導入の場合でも、前述のようなA2の当時の整備能力の問題は画避できないうえ、営業部門における地上支援機材の購入や空港ビル等の施設拡充、整備部門における格納庫の設備建設などについては、自主運航の場合と全く同様の準備期間を要することはいうまでもなく、現に、昭和四五年九月七日の選定委員会総括部会において、リースの場合であつても、営業の準備期間二〇ケ月は最低限必要である旨の報告がなされている(甲二79―選定委本委員会議事メモ。なお、甲二4―1選定委本委員会議事メモ参照)のである。これらの事情を総合すれば、当時A2においてはリースの方法による大型機導入は第二次的に考慮されていたにすぎず、A2にリースの方法による大型機の早期導入の途があつたからといつて、B1がA1の大型機早期導入を阻止するための請託を被告人にする筈はなかつたとはいえないとした原判決の事実の認定は正当であつて、原判決に所論のような事実誤認はない。なお、弁護人らは、原判決が、第八回本委員会会議資料(甲二41)中「A1の四七年度B―七四七投入に対する当社方針(案)」をこの点の事実認定に用いていることをとらえて、『右本委員会は、すでに運輸省航空局から大型機導入延期についてのいわゆる間合せの後である昭和四六年六月三〇日に開催されているのであり、 当社方針(案)」をこの点の事実認定に用いていることをとらえて、『右本委員会は、すでに運輸省航空局から大型機導入延期についてのいわゆる間合せの後である昭和四六年六月三〇日に開催されているのであり、B1の被告人に対する請託の有無が問題とされている同年一月中旬当時とは航空行政の方針、動向が大きく変わつた同年六月当時の状況をふまえて検討、作成されたものであるから、これを同年一月中旬当時のA2の状況の認定に用いるのは不当である』と主張しており、たしかに右書証は大型機導入延期の行政指導(弁護人らは、行政指導ではなく単なる「問合せ」であると主張するのであるが、弁護人がこの「問合せ」という表現によつていかなる趣旨、内容のものを指称しようとしているのか必ずしも明らかではないけれども、運輸省航空局が同年二月にA1及びA2に対し大型機の国内線への導入時期を遅らせるために行なつた働きかけが、まぎれもない行政指導に他ならないことは、原判決が説示しているとおりである。)がなされた後である同年六月に作成されたものであることは所論指摘のとおりであるが、右の昭和四六年六月当時は、A1が右行政指導に従つて大型機の昭和四七年度国内線導入を断念するにいたつたわけではなく、むしろなお右行政指導に強く反対し、これに対し、大型機の国内線早期導入の必要性を訴えて右行政指導に対する反論をくりかえしていた段階なのであり、運輸省航空局の意向としては同四六年一月当時とはかなり変わつてはいるものの、なおA1の巻き返しによつて事態が逆転することも考えられる流動的な状況にあつたのであるから、大型機の国内線導入時期をめぐる問題について、情勢が同年一月当時と根本的に変わつていたとは到底いえず、したがつて、原判決が右書証をこの問題についてのA2首脳部の意向を窺わせる証拠として事実認定の用に供したこと 内線導入時期をめぐる問題について、情勢が同年一月当時と根本的に変わつていたとは到底いえず、したがつて、原判決が右書証をこの問題についてのA2首脳部の意向を窺わせる証拠として事実認定の用に供したことは何ら異とするに足りないというべきである。以上述べたところからも明らかなように、弁護人らのその余の主張につき按ずるまでもなく、原判決のリースについて説示するところは、すべて、原審で取調べられた関係各証拠によつて肯認できるといわなければならない。 (五) A2の内部資料に基づき、A2に大型機運航能力がなかつたとする原判示の認定の誤りをいう論旨(控訴趣意書第一の七)所論は、原判決が(弁護人の主張に対する判断)第一の二の1中に、「(一)大型機の機種選定作業の過程において……作成された。……A2の内部資料には次の記載がある」として列記する「1」乃至「12」(原判決書二〇六頁―二二一頁)に関し、大要後述する反論を述べ、『原判決は、内部資料の片言隻句にとらわれ、これに引きずられ証拠の評価を誤り、大型機運航能力に関し事実を誤認したもの』と主張する。 原判決を精読すると原判決が「1」乃至「12」の記載の存在を掲記しているのは、原判決が判決書一八六頁―二〇五頁に掲記しているB1およびB5の各検察官に対する供述調書中の記載の合理性を裏付ける間接証拠としてであり、右「1」乃至「12」から、大型機運行能力がなかつた旨判断しているわけのものではない。 この見地から所論の反論につき判断を加えることにする。 (イ) 所論が、「1」 昭和四五年七月八日開催の第一〇回総括部会の議事メモ(甲二77)に、B16運航課長の「二年は準備期間が必要だ、それはパイロツトに教えるものを作るということだ、トレーニングには十分な時間が必要だ」との発言、及びB21補給部長の「昭和四七年 の議事メモ(甲二77)に、B16運航課長の「二年は準備期間が必要だ、それはパイロツトに教えるものを作るということだ、トレーニングには十分な時間が必要だ」との発言、及びB21補給部長の「昭和四七年四月といえば一年半しかないので、その意味では非常に苦しい」旨の発言をしたとの記載「2」 総括部会事務局作成の同四五年七月一四日付「新機種選定に関する総括(案)」(甲二28中)に、導入時期として、「需要上は四七年七月導入が望ましいと見られるが、全般的なA2の受入れ準備期間としては今のところ二年程度必要であるとの意見があり、更に検討しなければならない」旨の記載「3」 同四五年七月二八日開催の第三回本委員会の議事メモ(甲二63)には、「ハンドリング面ではどうか」との問に対し、B5が「内部的外部的要因がある、内部的には二年間が欲しいとしている」旨発言し、B1及びB18整備部長が「(社長)一番長い準備を要するのは整備ではないか。(B18)最低二年は必要だ、当社の特異性も考えねばならない。(社長)B七二七導入時とは異なる。A1はすぐにでも入れられる態勢にある、しかしA2独自で準備し、それに時間が必要というのであれば、それだけの態度を示さねばならない、そしてA1をその中に巻き込んでいくということだ」というやりとりをした旨の記載につき、『「1」のB16発言についていえば、この総括部会において、B22整備部次長から「目的に合わせた準備が必要だ。」との反論がなされていることからも明らかなように、ここで問題とされているパイロツトに対する教材の作成のための準備期間はかなり流動的、浮動的なもので、右二年もさらに短縮することが十分に可能な期間なのであつて、決して固定的なものではない、「1」のB21発言も部品補給に不安があるといつているにすぎず、A2の運航能力その かなり流動的、浮動的なもので、右二年もさらに短縮することが十分に可能な期間なのであつて、決して固定的なものではない、「1」のB21発言も部品補給に不安があるといつているにすぎず、A2の運航能力そのものについて言及したものではない、「2」忙ついていえば、その後同年七月二八日の本委員会で「整備二年、条件により短縮可能」とされ(甲二53中)、同年九月七日の総括部会で、B18整備部長が「準備期間は二四ケ月あれば万全が期せるということだ。」と述べ(甲二79)、これらの準備期間が流動的なもので、理想の期間であることを明言していることに徴しても、「2」の記載をもつて直ちに昭和四七年度にA2が大型機を導入する能力を有しなかつたとするのは不当である、「3」のB5発言についても右委員会の議事メモ(甲二53中)に「条件により短縮可能」との記載があり、B18発言も最低二年といいつつ、「但し条件によつては短縮は可能である。」と付け加えており、B1が同年六月二三日の常務会で大型機についての多くのデータを意欲的に収集させようとしていることなど(甲二48中)を併せ考えるとき、これをもつて、A2に昭和四七年度に大型機を導入する能力がなかつたことの証左としているのは不当である』旨主張する各点についてみるに、各部門における準備期間が単なる理想の期間にすぎず、いかようにでも短縮しうるものであるとする所論が到底採用しえないものであることは、(三)において詳述したとおりであり、「1」のB16発言「2」「3」についての各反論は肯認し難いものである。「1」のB21発言が、所論のように、専ら同人の当時担当していた部品補給を念頭においたものであるとしても、右発言は大型機早期導入については部品補給のための準備期間という点からしても問題があることを指摘したものに他ならないのであつて、機種 同人の当時担当していた部品補給を念頭においたものであるとしても、右発言は大型機早期導入については部品補給のための準備期間という点からしても問題があることを指摘したものに他ならないのであつて、機種決定のない限りスタンダードスペツクにしたところで部品補給のプランニングを行なえないとの趣旨と理解されるものであり、この点の反論は肯認しえない。B1が昭和四五年六月二三日の常務会で大型機導入のため調査団を正式派遣する前に多くのデータを意欲的に収集させようとしていることは所論の通りであるが、データを集めない限り機種選定はできないのであり同人が大型機早期導入に意欲的であつたとは認められるが、このことからただちに昭和四七年度中に運航能力があつたということ、あるいはそれに十分な自信をもつていたことのあらわれということにはならない性質のものである。 (ロ) 所論が、「4」 同四五年九月二日開催の常務会の議事録(甲二48中)に、A1の国内線の機材計画の動きに関し、B5、B23、B1(社長)、B24、B16及びB25が、「(B5)―一〇〇はくり上げリタイヤをし、六一と七四七を投入する、これほCABの飛行場部へ説明したものである、四八年以降は一寸信用しかねる点があり、訂正がされると思える、B七四七のオーダーについてはフアーム一二機に対し、五機を追加する動きがある。場合によつては、四六年にも投入があると思える。(B23)対応策はどうか。(B5)九月一五日までのDC―一〇のオフアーと合せて検討する、大型化を促進することになろう、なお、A1は、四七年初頭で一一機、四八年二一機、五〇年で四八機にする。(社長)SR六機は全部か。(B5)四八年に六機SRを導入して、四七年の三機のBを転換するようだ。(B24)四六年に使うとしたらBだな。(B5)そうである、昼のあいてい 二一機、五〇年で四八機にする。(社長)SR六機は全部か。(B5)四八年に六機SRを導入して、四七年の三機のBを転換するようだ。(B24)四六年に使うとしたらBだな。(B5)そうである、昼のあいているときに使うだろうということだ、路線免許も楽だから計画になくても入つてくるということだ、こういう点を考えて対策をたてたい。(B16)来年の夏は入れてくるだろうな。(B25)今の六一と同じくらいには使つてくるだろう。(B5)六一とはインパクトが全然違うだろう」旨のA1の国内線機材計画についての情報交換をめぐるやりとりの記載「5」 総括部会事務局作成の同四五年九月七日付「大型機選定に関する纒め(資料)」(甲二29中)及び同資料に添付の総括部会事務局(企・企)作成の同月五日付「A2・A1機材計画(幹線)の比較」に、前回の本委員会(同年七月二八日)の以後に生じた外部情勢の変化の一つとして出てきたA1の大型機導入の動きに関連して、「A1が次期幹線用大型機材としてB七四七SRを導入することが確実視される。しかも昭和四七年度導入の計画をもつており、羽田の混雑を大義名分にその時期を更に一年早めることもあり得る」旨、導入時期に関し、同四七年四月を目標とすることの問題点として、「受入れ体制準備期間を各専門部会で検討した結果、通常の準備期間として、営業本部では約二〇ケ月、航務本部では約二二ケ月(シミユレーター自社養成の場合三〇ケ月)、整備本部では約二四ケ月、経理部では最低一年以上要するとされている」旨、「A1が航空局へ説明した資料によれば、A1の国内幹線の機材計画は、同四七年度は国際線用のB―七四七LR三機を転用して投入し、同四八年度にB―七四七SR六機を投入する等というものである」旨、及び右のA1の同四七年度大型機導入計画に関し、「幹線におけるA1との機材 同四七年度は国際線用のB―七四七LR三機を転用して投入し、同四八年度にB―七四七SR六機を投入する等というものである」旨、及び右のA1の同四七年度大型機導入計画に関し、「幹線におけるA1との機材格差は競争に重大な影響をもたらすことは明らかであり、A1の今回の大型機導入に対しては、これと対抗するか、阻止するかの二つの方法が考えられる。……A1と同等の機材(B七四七SR又はエアバス)で対抗する場合には、四七年四月の導入を引延ばすことは、当社にとつて営業販売上不利に落ち入ることが予想される」旨の各記載「6」 同四五年九月七日開催の第一二回総括部会における意見を取りまとめた総括部会事務局作成の同月九日付「総括部会意見要旨」(甲二29中)に、大型機導入時期に関し、「四七年導入案と四八年導入案があり、前者では、需要増への対処とA1との競争面からみて四七年度に導入する必要があるが、準備期間を考えれば、四七年八月運航開始が限度であり、決定が遅れれば八月運航開始は困難となるとされ、後者では、準備期間に余裕を見込む必要があり、また四六年度用ジエツト機の大量購入により償却負担が四七年は高いため四八年にくり延べる方がよいとされている」旨、及び準備期間に関し、「営業本部では二〇ケ月、航務本部では二二ケ月、整備本部では二四ケ月、経理部では最低一年以上とされている」旨の各記載に関し、『「4」および「5」のA2作成「A2・A1機材計画の比較45・9・5」中のA1の機材計画は、A1が空港整備、保安設備を担当する航空局飛行場部に提出した説明資料から得た情報に基づくものであり、空港整備等の推進を促すために多目の数字が記載されることが多く、必ずしも正確なものとはいえない、このA1の機材計画についてのA2常務会での検討が主にA1の昭和四六年度における大型機国内線導入に り、空港整備等の推進を促すために多目の数字が記載されることが多く、必ずしも正確なものとはいえない、このA1の機材計画についてのA2常務会での検討が主にA1の昭和四六年度における大型機国内線導入に対する対応という観点からなされており、A1の昭和四七年度大型機国内線導入については問題にしていないことや同四五年九月一四日の本委員会の議事メモ(甲二53中)に、B1が「47・8導入ということで社内準備は進めたらよい」と述べた旨の記載があり、B1が昭和四七年八月に大型機を導入する方向で余裕をもつて対応しようとしていたことなどからみても、A2が当時準備期間上昭和四七年度大型機国内線導入が不可能でなかつたことは明らかである。 「6」の記載も、右第一二回総括部会の議事メモ(甲二79)及び総括部会意見要旨に、準備期間が流動的なものであること、および、昭和四六年度導入を否定していない記載のあることなどを勘案して証拠価値を判断されて然るべきものである』と主張する各点についていえば、「5」のA2・A1機材計画比較表記載のA1四七年B―七四七三機という記載に関する限りA1が当時すでに昭和四七年四月を目途に従来国際線に使用していた大型機三機を国内幹線に転用する腹をかためていたことは前述のとおりであり、少くともこの点については右の記載がA1の意向を正確に反映していることは明らかであるから、所論は失当という他はない。なお、所論は昭和四五年九月一四日の本委員会におけるB1の発言などからしても、A2がA1の昭和四七年度大型機導入に神経をとがらせていたわけではないことは明らかであるともいうが、当時A2首脳部がA1の昭和四七年四月の大型機導入についてかなり神経をとがらせていたことは、「5」の資料の記載自体、あるいは「4」の昭和四五年九月二日の常務会におけるやりとりを見ただけで ともいうが、当時A2首脳部がA1の昭和四七年四月の大型機導入についてかなり神経をとがらせていたことは、「5」の資料の記載自体、あるいは「4」の昭和四五年九月二日の常務会におけるやりとりを見ただけでも疑いを容れないところというべきであり、これに対応するA2の方途は、可能性をさぐるだけで機種決定もなされず何ら具体化していなかつたことからすると、所論のいう最少の準備期間一八ケ月を前提にしても、同年中に機種決定のない限り「6」の「総括部会意見要旨」にあるように、四七年八月運航開始は困難となるのは当然のことと解せられる。 (ハ) 所論が、「7」 同四五年九月一四日開催の第四回本委員会の議事メモ(甲二64)に、B23、B5及びB26の、「(B23)準備が問題だ。(B5)準備は内と外がある。特に外で空港ターミナルハンドリングが大きい、内部において整本などから理想をいえば二〇ケ月でそれも短縮できるということだ、しかしそれは一年半が最低というのが感じだ、航本はシミュレーターで自分のところでやると三〇ケ月かかるといつている。(B26)大型ということで準備出来ることもあるが、機種が決まらないと準備出来ないことも多い」旨の発言、及びB1の「A1と相談して入れるのならいつしよにしたらと思う、急ぐ必要はない、A1は四六年にはDC―八―六一でまかない、四七年より導入が常識的だ。」、「相談するというのは遅らせることだ、なるべく遅い方がよい」旨の各発言の記載、「8」 総括部会事務局作成の同四五年一〇月三一日付「大型機懸案事項纒め」(甲二285中)に、大型機導入の時期に関し、九月七日の総括部会の意見では、「需要面、A1との競争面から四七年度に導入する必要がある(その場合準備期間を考えれば四七年八月が限度であり、決定時期が遅れれば更に遅れることもある)とする案と 関し、九月七日の総括部会の意見では、「需要面、A1との競争面から四七年度に導入する必要がある(その場合準備期間を考えれば四七年八月が限度であり、決定時期が遅れれば更に遅れることもある)とする案と四八年度導入案がある」旨、九月九日(甲二64によれば、九月一四日の誤記と認められる)の本委員会の意見では、「慎重でありたいのでA1との話し合いによつて導入時期を延ばしうるものなら延ばしたい、とされている」旨の各記載「9」 同四五年一一月二日開催の第一四回総括部会の議事メモ(甲二81)に、B5及びB27が、大型機の導入時期について、「(B5)昭和四六年についてはA1は本格投入までは考えていないようだ、しかし昭和四七年には本格的に国内線用機材として入れるようだ。(B27)慎重にということでA1と話合いをしながら、こちらではスタデイやるという二面作戦でやる以外にない」旨の各発言の記載「10」 同四五年一二月一六日開催の常務会の議事録(甲二48中)に、A2企画室が同年一二月に策定した判示経営五ケ年計画を審議するにあたり、B5が「大型機は四七年度に入れるのは難しいと思うが、諸準備を進めるため四七年度夏に入れるという線でいきたい」旨、B1が「航空局用と一本という理想は今回は難しい、社内的には現実的なものをもつとつめる、CABはあとから増すというのは難しいからひろげておいてよい」旨、その後で、B5が「局用とする、四六年度予算には大型機以外これでいく、大型機は来年一、二月に決定する」旨の各発言をしたとの記載に関し『「7」についても、やはりここで述べられている大型機導入のための準備期間が理想の期間であり、必ず最小限これだけの期間を要するという固定的なものではなく、当時A2では昭和四六年度大型機導入に備えB―七四七型機のリースを検討していたことや、B る大型機導入のための準備期間が理想の期間であり、必ず最小限これだけの期間を要するという固定的なものではなく、当時A2では昭和四六年度大型機導入に備えB―七四七型機のリースを検討していたことや、B1が、右委員会で、「A1と相談して入れるのならいつしよにしたらと思う。……A1はS64にはDC8―61でまかない、S47より導入が常識的だ。」と述べて、A1と歩調を合せてA2としても昭和四七年度大型機導入の方向で考える旨を表明し、B16も「各本部の準備期間からいくと四七年だ」と述べていることにかんがみれば、これまたA2が昭和四七年度に大型機を導入する能力がなかつたことを肯認する資料とはなしえないものである、B1が、右委員会で「一つはNOISEが見通しがつかないことだ。」と述べていることからも明らかなように、B1としては騒音の問題があるため大型機導入については慎重に対処したいと考えていたにすぎず、A2自体の大型機導入能力に懸念を抱いていたわけではないのであり、原判決がこのように発言の趣旨が歪曲されてしまうおそれのある形で同人の発言のごく一部を引用しているのは不当である、「8」は必ずしも総括部会ないし本委員会の結論ないし意見はそこでの一般的意見をそのまま記載したものではなく、また「A1との話合によつて導入時期を延ばしうるものなら延ばしたい」との甲二64の記載も昭和四七年八月導入の趣旨であるから原判決は証拠の評価を誤つているというべきである、「9」については、A1に対して慎重にということで話合いをし、A2内部ではスタデイしてリースによつてでも昭和四七年に導入を早める体制をとるということを表明したものにすぎない、「10」におけるB5の発言の意図が、各本部が準備期間を再検討し、昭和四七年八月導入のための体制をととのえて欲しいとの要望にあることは明らかで 入を早める体制をとるということを表明したものにすぎない、「10」におけるB5の発言の意図が、各本部が準備期間を再検討し、昭和四七年八月導入のための体制をととのえて欲しいとの要望にあることは明らかで、同人の「局用とする」云々は、単に、五ケ年計画を固定的な実行計画と考えないで、とりあえず航空局にはこのまま提出し、社内用として実行計画を別に作るという趣旨にすぎない』旨主張する各点については、「7」のB1発言も、右本委員会で、同人が「相談するというのは遅らせることだ。なるべく遅い方がよい。」と述べていることからも明らかなように、何とかして話合いによりA1をA2のペースに巻き込み、少しでもA1の大型機導入の時期を遅らせたい、できればA2が十分な準備をもつて大型機を導入できる時期までA1の大型機導入を延期させたいという趣旨であり、A2がA1に歩調を合わせて昭和四七年導入の方向でA1と話合うという趣旨ではないことは明らかである。また、B1は騒音の問題がはつきりした見通しがつかないことから大型機早期導入に躊躇していたにすぎず、A2自体の導入能力に懸念をもつていたわけではないとする所論についていえば、同人の「一つはNOISEが見通しがつかないことだ。」との発言自体や右委員会における同人の前後の発言からしても、同人のいわんとする趣旨が、専らNOISEの問題のため大型機導入には慎重に対処すべきであるというのではなく、A2自身の導入能力の問題に加えてNOISEの問題もあるという意味であることは明らかである。また、「8」の総括部会ないし本委員会での結論ないし意見がそこでの一般的な意見ではないとする所論についていえば、右意見がこれらの会議におけるA2首脳部の最大公約数的な意見に他ならないことは右資料の性格及び記載内容自体からしても優に肯認できるところであり、四 での一般的な意見ではないとする所論についていえば、右意見がこれらの会議におけるA2首脳部の最大公約数的な意見に他ならないことは右資料の性格及び記載内容自体からしても優に肯認できるところであり、四七年八月導入が実現可能となるためには、昭和四五年中に機種決定のなされることが不可欠であつた状況に鑑みれば、所論は採るをえない。「9」のB27発言についていえば、所論はその趣旨必ずしも明瞭ではないけれども、右発言が、話合いによつてA1をA2のぺ―スに巻き込むことにより少しでもA1の大型機導入を遅らせることに全力を傾けつつ、内部においては各部門における大型機導入のための準備を急ぎ、A1に対する立遅れを少しでも埋めようとする当時のA2のおかれていた、せつぱつまつた状況の中での苦しい対応策の表明に他ならないことは明らかであるというべきである。「10」のB5発言も、当時のA2内部における準備の立遅れの実情をふまえて、昭和四七年度に大型機を導入することを内容とする経営五ケ年計画を単に航空局向けのものとし、現実に昭和四七年度に大型機を導入するかどうかの決定は先送りにせざるをえないとするものであり、A2首脳部の苦肉の策であるといわざるをえない。 (ニ) 所論は、「11」 企画室企画課作成の同四六年四月二八日付「大型機に関する選定審議の総括」(甲二41中)に、導入準備期間に関し、「同四六年一月二八日の各専門部会最終報告書付属資料によれば、整備本部二〇ケ月、航務本部一九ケ月、営業本部一八ケ月とされている」旨の記載「12」 同四六年四月二一日開催の第七回本委員会に提出された企画室企画課作成同月一九日付の右肩に「四六・六・二一№7本委員会」と記載のある書面(甲二40中)に、導入する場合の社内体制の問題として、「大型機受入れ準備期間はミニマム営本一八ケ月、マキ 出された企画室企画課作成同月一九日付の右肩に「四六・六・二一№7本委員会」と記載のある書面(甲二40中)に、導入する場合の社内体制の問題として、「大型機受入れ準備期間はミニマム営本一八ケ月、マキシマム整本二〇ケ月となつており、導入を四月中に決定しても自社で運航しうる体制がととのうのは四八年一月以降となる。乗員、整備等を外人に依存すれば運航体制は早期にととのえられるが、その場合でも営本の準備期間一八ケ月により制限を受け、四七年一一月以降しか運航しえない。また、乗員組合とは外人乗員の採用はウエツトチヤーターでも行わないと約束がされている」旨の記載について、『「11」は、昭和四六年一月二八日総括部会議事メモ(甲二53中)に「準備期間、整備・B18、二四ケ月二〇ケ月一八ケ月、運航・B19、二二ケ月一九ケ月、営業・保住、二〇ケ月一七ケ月」とあることからも明らかなように、昭和四六年四月一九日に企画室が作成した「四六・四・二一№7本委員会」と書き込みのある書面(甲二40中)において誤つた記載をし、そのまま転載したものにすぎず、そこに記載された準備期間が固定的なものではない、「12」は、昭和四七年にDC―一〇を導入する必要があるかどうかを検討し、昭和四七年度には導入しないという結論となつたため、その結論を裏付けようとして必要以上にマイナス要因を強調し大型機の運航開始可能日を四八年一月以降としたものであり、直ちにA2に昭和四七年度大型機導入の能力がなかつたことを示すものではない、外人乗員を技術指導をかねて数ケ月間A2の乗員と同乗させることはウエツトチヤーターの概念には入らず、組合との間に何らの問題を生じさせるものではない』旨主張する。「11」の主張についていえば、各部門における大型機導入のための所要準備期間が、時の経過とともに短縮されたものとなつ ターの概念には入らず、組合との間に何らの問題を生じさせるものではない』旨主張する。「11」の主張についていえば、各部門における大型機導入のための所要準備期間が、時の経過とともに短縮されたものとなつてきていることは所論の指摘するとおりであり、これは大型機についての基本的知識が日時の経過に伴つてかん養され、当初見込まれていた基本的検討期間がより少なくてすむようになつたために他ならないが、中心となる乗員、整備士等の訓練期間には変動はみられない(B28の検察官に対する昭和五一年八月一一日付供述調書)のであるし、所論指摘の昭和四六年一月二八日分総括部会に出された数字を前提としても、昭和四七年八月以前に大型機を導入することが無理であることは明らかであるから、右主張もまた失当という他はない。「12」の記載も、当時の他のA2内部資料における諸記載に徴するとき、やはり大型機導入についての当時のA2首脳部の認識、見通しを記載したものと認めるの他はないのであつて、所論のように、昭和四七年度にダグラスの大型機を導入しないという結論になつたため、その結論に合せるべく、ことさら実際以上にマイナス要因を強調したものとは到底理解することはできない。また、「12」の記載のうち外人乗員に関する部分も、乗員を外人に依存すれば運航体制は早期にととのえられるが、組合との約束がネツクとなつていてこの方法はとれないという、前述のように、当時乗員不足に悩んでいたA2としては外人に依存したいけれども依存することができないという苦しい立場を表明したものに他ならないことは右記載自体からして明らかであり、仮に、所論のように右約束が技術指導のため数ケ月間外人乗員をA2乗員と同乗させることまでも禁ずるものではないとしても、かかる措置が、乗員の養成という面で一つの手段とはなりえても、乗員不足そ であり、仮に、所論のように右約束が技術指導のため数ケ月間外人乗員をA2乗員と同乗させることまでも禁ずるものではないとしても、かかる措置が、乗員の養成という面で一つの手段とはなりえても、乗員不足そのものを解消させる手だてとはなりえないことは自ら明らかであるから、右主張もまた失当といわなければならない。 (ホ) 以上要するに、原判決の指摘したこれらA2内部資料中の諸記載はいずれも、当時のA2首脳部の本音を吐露したもの、すなわち、当時の航空界の一般的趨勢及びこれを受けたA1の大型機早期導入の動向とA2自身の準備の立遅れとの板ばさみの中で対応に苦慮していたA2首脳部の掛値のない気持を表明したものに他ならず、これらに依拠して、前記各検察官に対する供述調書の記載を合理的であるとした原判断は相当であり、原判決がA2の内部資料の片言隻句に引きずられて証拠の評価を誤まつたものであるとする所論はすべて排斥を免れない。 (六) B1が導入時期を昭和四九年と言うわけがない旨の主張を排斥した原判決部分の誤りをいう論旨弁護人らは、原判決が、(弁護人の主張に対する判断)の第一の二の2の(三)の1で、「しかしながら、既に検討したように、同四五年後半当時におけるA2の大型機導入準備体制の実情が判示(第三・一・2・(一))のとおりであつたことに加え、A2では同年一二月末を経過してもなお大型機の機種が決定していなかつたことなどに徴すれば、B1、B5の各検察官調書における前記の『私は、A2としてはできるだけ導入時期を延期したほうがよいと考えていたが、G1をリタイヤさせた後、大型ジエツト機を導入することを考えていたので、昭和四六年初めころから二年間の予定でG1をリタイヤさせつつ、その間、これが軌道に乗つたところで、大型ジエツト機に関する整備員の訓練とかパイロツトの増員な 型ジエツト機を導入することを考えていたので、昭和四六年初めころから二年間の予定でG1をリタイヤさせつつ、その間、これが軌道に乗つたところで、大型ジエツト機に関する整備員の訓練とかパイロツトの増員なども並行させて行えばなんとかなると考えたので、四九年度導入ならよかろうと考えていた』旨(B1)、及び『四五年一二月ころ当時の状況ではどんなに早くても四八年四月以降にしてほしいと考えていたし、更に私自身は安全性の面を十分確保するためには四九年度導入としてもらえば一番よいと考えていた』旨(B5)の各供述記載には合理性があり、更に、前記B15の証言(二五回、一七四回)に甲二79、同80、同48中昭和四五年一二月一六日分等関係各証拠を総合すると、同四五年後半当時、A2の経理部門からは、同四七年度に大型機を導入すると、その減価償却負担とFR―二七のリタイヤ計画等による在来ジエツト機の新規増機による減価償却負担が重なつて収支面が悪化するうえ、資金調達の面からも、大型機の導入は同四九年度ころ以降に遅らせるべきことが強調されていたことが認められるところ、右事実をも合せ考えれば、B1は、同四六年一月ころには、A2としては、大型機の導入は同四九年度が最も好ましいと考えていたものと認めるのが相当である。 なお、弁護人は、右主張を支持するため、他にも種々の論拠を挙げているが、いずれも右認定を左右するに足りない。」と判示している点(原判決二七四頁―二七七頁)について、『機種決定の有無とA2の大型機導入能力とは関係がないのに、原判決は両者を混同して考え、昭和四五年一二月末を経過しても、なお、大型機の機種が決定していなかつたことをもつて、A2では昭和四九年度まで大型機導入をなしえない状況にあつたと認定する論拠としているのは不当であり、昭和四五年一二月一六日開催の常務会に しても、なお、大型機の機種が決定していなかつたことをもつて、A2では昭和四九年度まで大型機導入をなしえない状況にあつたと認定する論拠としているのは不当であり、昭和四五年一二月一六日開催の常務会において、B5が「大型機は同四七年度に入れるのは難しいと思うが諸準備を進めるため同年夏に入れるという線でいきたい」旨発言していること(甲二48)や昭和四六年一月二八日の合同委員会で、「整備本部一八ケ月、航務本部一九ケ月、営業本部一七ケ月」と従来より短縮した準備期間が報告されていること(甲二53)などからしても、A2としては昭和四七年夏に大型機を導入することは十分可能であつたし、その意志もあつたことは明らかである、A2内部において昭和四九年度大型機導入という考え方が出てきたのは、昭和四六年一月二八日の合同委員会におけるB15発言が最初なのであり、それ以前の時点ではそのような考え方をとる者はA2首脳部には一人もなかつたのであるから、同年一月中旬にB1が原判示のような請託、陳情を被告人にするということはありえない』と主張する。 しかしながら、(イ) 昭和四五年七月七日の総括部会意見要旨(甲二29)に、四七年度導入案について「決定が遅れれば8月運航開始は困難となる。」とされ、準備期間について「早期に決定があれば47年8月運航開始(9月に決定したとすると22ケ月)は可能である。(注……早期に決定が必要な理由は予算面のオーソライズがないと準備にかかれないという意味であり……)」とされており、昭和四六年四月二一日本委員会議事メモでも、「大型機受入れ準備期間はMIN営本18ケ月~MAX整本20ケ月となつており導入を4月中に決定しても自社で運航しうる体制がととのうのは48年1月以降となる。」とされていること(甲二40)などからも明らかなように、当時A2内部 N営本18ケ月~MAX整本20ケ月となつており導入を4月中に決定しても自社で運航しうる体制がととのうのは48年1月以降となる。」とされていること(甲二40)などからも明らかなように、当時A2内部においては、大型機導入可能時期は機種決定時期と各部門における所要準備期間との関連において割り出されるべきものとして検討されていたのであり、このことは、事柄の性質からしても当然のことというべきであつて、大型機導入可能時期が機種決定時期や各部門における所要準備期間とは全く無関係であるかの如く主張する右所論は、前述のA1の転用計画の場合のようにすでに国際線において大型機運航についての豊富な経験を有していて、これを国内線に転用するようなケースについては格別、本件のA2の場合のように、従来大型機運航について何らの経験、実績を有しない航空会社が新たに大型機を導入する場合については、到底あてはまらないところというべきである。 (ロ) また、所論は、昭和四九年度大型機導入論がA2内部に出てきたのは、昭和四六年一月二八日の合同委員会におけるB15発言が最初であり、それ以前にはそのような考え方をとる者はA2首脳部に一人もなかつたというけれども、B15の原審証言によれば、同人は右合同委員会のかなり前である昭和四五年春ころから、すでにA2が大型機を早期に導入した場合の経理面等への影響を検討しはじめ、「1」在来機であるB―七二七―二〇〇と大型機の座席キロ(座席キロあたりのコスト)を比較した場合には前者がまさり、したがつて、大型機を導入するよりB―七二七―二〇〇を買増した方が採算性がいいこと、「2」当時A2では年々自己資本比率が低下していたが、同年度中に大型機を導入した場合には、自己資本比率の急激な低下を招き、一五%を下廻りかねない状況であつたこと、「3」六%以上であ 算性がいいこと、「2」当時A2では年々自己資本比率が低下していたが、同年度中に大型機を導入した場合には、自己資本比率の急激な低下を招き、一五%を下廻りかねない状況であつたこと、「3」六%以上であることが望ましいとされる使用総資本利益率も、同年度中に大型機を導入する場合、この水準を下廻ることになる見通しであつたこと、「4」昭和四四年、四五年に大量の在来機を購入しており、この償却負担が同四七年度にピークとなることになつていたところ、昭和四七年度に就航させるため大型機を購入すれば、この大型機の償却負担が右の在来機の償却負担とかち合い、同年度の償却負担が過大となるが、昭和四九年度以降に大型機導入を遅らせれば、在来機の償却負担のピークが過ぎたところで大型機の償却負担をすればよく、両者がうまくかみ合い、償却負担が一時期に集中することが避けられること、「5」当時アメリカ合衆国がとつていたドル防衛政策のため大型機購入資金はその全額をアメリカ合衆国で調達できず、その二〇%は日本国内で調達手当てせざるをえない状況にあり、また、アメリカ合衆国の金融も当時しまつていたが、将来先に行くほどゆるみ金融条件も有利になる見通しであつたこと、「6」大型機導入を急げば、それまでの在来機の増機と相まち、大量の増員による人件費の急増膨脹を招くおそれもあり、また、若年層が急増することにより労務管理上のむつかしい問題が生ずるおそれもあることなどの分析結果を得、これにもとづき大型機導入はなるべく遅らせる方が経理その他の面でA2にとつて有利であるとの結論を得てこれをB1らに説明していたことは原審第二五回公判調書中証人B15の供述部分によつて明らかである。そして、A2が営利企業であつて採算性を度外視しえない以上、B15の右のきめのこまかい、かつ説得力に富む分析結果がA2首脳部におい は原審第二五回公判調書中証人B15の供述部分によつて明らかである。そして、A2が営利企業であつて採算性を度外視しえない以上、B15の右のきめのこまかい、かつ説得力に富む分析結果がA2首脳部において大型機導入時期を決定するにあたり重要なフアクターであつたことは容易に推認しうるところであり、現に、A2経営五ケ年計画(甲二112)の「3経営目標」の欄には、確保すべき水準として最低自己資本比率一五%、望ましい水準の目標として総資本経常利益率六%の記述のあることによつても裏付けられている。 (ハ) さらに、同四二年度以降同四五年度までのA1、A2の国内幹線における座席利用率を路線別にみると、A1は同四三年以降全般的に座席利用率が七〇%を超過し、需要の多い月、日、時間帯には積残し客を出し、供給が不足して、客の選り好みに応じられないことを示しているのに対し、A2は、東京・大阪線を除くと、ようやく六〇%~六五%といわれる適正値に達していたにすぎなかつたこと、これを路線別にみると、東京・札幌線は、A1が特に同四二年度以降七五%以上の高率であるのに対し、A2は六〇%前後と低迷し、しかも同四四年一一月は四〇・六%、同一二月は三八・九%、同四五年一一月は四二・七%、同一二月は四一・一%と極めて低率であつたのであり、また、東京・福岡線についても、A1が同四四、四五年度と八〇%近い座席利用率であつたのに対し、A2は同四五年三月に運航を開始したばかりとはいえ、同年度においては、年間を通じて半数以上の座席が空席のままで運航され、殊に同年一二月から翌四六年二月までは三か月間連続三〇%台の異常ともいえる低率に終わつていることは、原審で取調べられた関係各証拠によつて明らかであり、これらの数字からすればA2の幹線における航空需要はA1にかなり劣つており昭和四七年度に大型 連続三〇%台の異常ともいえる低率に終わつていることは、原審で取調べられた関係各証拠によつて明らかであり、これらの数字からすればA2の幹線における航空需要はA1にかなり劣つており昭和四七年度に大型機を導入しても、これに見合うだけの旅客を確保しえない状況にあつたこと、すなわちA2としては大型機導入は航空需要あるいはA1との競争力の面からしても遅ければ遅いほどよい状況にあつたことは明らかである。 (ニ) また、昭和四五年九月七日の総括部会の議事メモ(甲二29)に「しかしながら将来の航空再編成に伴いローカル線への第三勢力の進出に対抗するためにはローカル路線の充実強化を図らなければならず、ビームラインの強化、ローカル路線の便数増に積極的に取組む必要から幹線の便数増はA1との競争を意識しつつも最少限にとどめることも必要である。」とあるように、当時A2としては、第三勢力であるA3の抬頭に対抗するためローカル路線の充実強化を図らなければならず、幹線のみに精力を集中しえない状況にあつたことも、A2首脳部をして幹線への大型機導入が遅ければ遅いほどよいとの考えに傾かせた一つの要因であつたと思われる。 (ホ) 昭和四五年後半になると新機種決定は同四六年三月以降にずれこむ見込みが強くなり、三月末に決定があつたとし、準備期間二四か月を前提とすれば運航開始は、昭和四八年三月という計算になるのであり、作業面でも経費面でも無理をした最も少い準備期間一八か月乃至二〇か月に則れば、四七年一〇月乃至一二月が運航開始という計算になり、四七年八月の多客期には導入が間に合わないことになる状況にあつたこと、これらの諸事情に、前述のA2内部における大型機導入のための諸準備の立ち遅れの実情を併せ考えるとき、B1の検察官に対する昭和五一年八月九日付供述調書中「さらにA2において なる状況にあつたこと、これらの諸事情に、前述のA2内部における大型機導入のための諸準備の立ち遅れの実情を併せ考えるとき、B1の検察官に対する昭和五一年八月九日付供述調書中「さらにA2においては、昭和四六年初めころから二年間の予定で、従来就航している四〇人乗りのG1を六〇人乗りのYS―一一に入れかえ、G1をリタイヤーさせ、従来YS―一一を使つていた路線にはD2七二七―二〇〇型あるいは七三七型を入れる予定を立て、これを実行しようとしておりましたので、四七年に強いて大型ジエツト機を導入する必要性がなかつたのであります。」との供述記載、「私は、A2としてはできるだけ導入時期を延期したほうがよいと考えていましたが、先程申したようにG1をリタイヤーさせたのち、大型ジエツト機を導入することを考えていたので、昭和四六年初めころから二年間の予定でG1をリタイヤーさせつつ、その間、これが軌道に乗つたところで、大型ジエツト機に関する整備員の訓練とかパイロツトの増員なども並行させて行けばなんとかなると考えたので、四九年度導入ならよかろうと考えたのです。」との供述記載、B5の検察官に対する昭和五一年九月一日付供述調書中「A2ではこの時点つまり四五年一〇~一一月の時点では、もはや四七年四月導入は無理となつておりましたが、それだけでなく四七年度内つまり四八年三月以前に大型機を導入することすら困難となつておりました。」との供述記載などが高度の信用性を有するものであることは明らかであり、むしろ四九年度導入が最良というB1の判断は、民間航空企業たるA2社長としては適切妥当なものであると認められ、原判決には弁護人らの主張するような事実誤認はない。 なお、昭和四五年一二月一六日の常務会におけるB5の発言も、右常務会で、B1がA2五か年計画に関して、「(A2の実行計画 なものであると認められ、原判決には弁護人らの主張するような事実誤認はない。 なお、昭和四五年一二月一六日の常務会におけるB5の発言も、右常務会で、B1がA2五か年計画に関して、「(A2の実行計画案は)航空局用と一本という理想は今回は難しい。社内的には現実的なものをもつとつめる。CABはあとから増やすのは難しいからひろげておいてよい。」旨発言し、B5もこれを受け、「(右A2の五か年計画は航空)局用とする。同四六年度予算は、大型機以外これでいく、大型機は来年一、二月に決定する。」旨発言し、同四七年八月導入を社内の実行計画とはしなかつたことや、メーカーの製造期間を考慮すると、大型機を発注し、引渡しを受けるまでに約一八か月を要すること(原審証人B29の証言)に照せば、「会社の努力目標とA1との対抗上……掲げた」(B1の検察官に対する昭和五一年八月一日付供述調書)にすぎないものであることは明らかであり、また、昭和四六年一月二八日の合同委員会に報告された準備期間についていえば、整備本部の準備期間は一八か月案と二〇か月案が提示されたが、前者は昭和四七年八月導入を意識した無理な案であり、後者が通常ぺ―スの案であることはB28の検察官に対する昭和五一年八月一一日付供述調書の記載によつて明らかであるし、仮に前者によるとしても、航務本部は一九か月の準備期間を要するとしているので、この時点で機種決定をしても導入時期は同四七年九月以降となり、八月の多客期に間に合わず、また、当時米国に調査団を派遣する計画があり(甲二48)、直ちに機種決定をなし得る情勢でなかつたことは明らかであり、いずれも原判決の事実認定を覆えすに由ないものというべきである。弁護人らの右各主張はすべて理由がない。 (七) A2五ケ年計画説明会での航空局の指摘に関する論旨弁護人らは、原判決が 明らかであり、いずれも原判決の事実認定を覆えすに由ないものというべきである。弁護人らの右各主張はすべて理由がない。 (七) A2五ケ年計画説明会での航空局の指摘に関する論旨弁護人らは、原判決が「弁護人は、昭和四六年一月一一A1空局側はB2監理部長、B8監督課長らが、A2側はB1、B5らが出席して、A2が同四五年一二月に策定した経営五ケ年計画について、航空局に対する説明会が行われたのであるが、その席上B2からA2に対し、同四七年度からの大型機導入を延期したらどうか、との示唆があつたのであるから、B1がわざわざB2らに判示(第三・一・3)の陳情をする必要は全くなかつた旨主張する。しかしながら、B2の右示唆は、A2の大型機導入を延期したらどうかというものであつて、A1のそれを延期するというものではないから、弁護人の右主張は失当である。」と判示している点(原判決二六五頁~二六六頁)について、『昭和四五年一一月二〇日の閣議了解に盛り込まれている国内線大型化の方針については、当時運輸省当局としては、A1、A2が同時期に大型機を導入することが望ましいと考えていたのであるから、かかる経緯のもとでB2がA2の五ケ年計画説明会において「大型機を遅らせたらどうか。」と発言したことは、当然A2が承知すればA1に対しても同様の要請をすることを含みとした趣旨に理解すべきものであり、すでに運輸省当局がかような方針をとつている以上、A2としてはこのうえさらに被告人に対しA1の大型機導入を延期させるよう行政指導をしてほしいなどと請託をする必要など毫もなかつたのである』と主張する(控訴趣意第一の八)。 しかしながら、B2の右発言は、A2の五ケ年計画における機材計画が専らA1に張り合うという意図の下に策定された、同社の整備能力等からみて、いわゆる背伸びをしたものであ 張する(控訴趣意第一の八)。 しかしながら、B2の右発言は、A2の五ケ年計画における機材計画が専らA1に張り合うという意図の下に策定された、同社の整備能力等からみて、いわゆる背伸びをしたものであるとして直接的にはA2の大型機導入を延期してはどうかというものであり、A2において右示唆を受け入れればA1に対しても同様の示唆をすることを含みとしたものでもないこともB2の右原審証言自体から疑いを容れないところである。所論は、当時運輸省当局がA1、A2両社が同時期に大型機を導入することが望ましいと考えていたとして、両社の同時期導入が当時の航空行政の大前提であつたかの如く主張するのであるが、運輸省当局が両社の過当競争を回避し、両社の競争力のバランスを維持するうえでは、両社の同時期導入が望ましいと考えていたであろうことは推認するに難くはないけれども、両社の大型機同時期導入が当時航空行政の確立した指針となつていたわけではないことは、本件請託に先立つてB1らがB30、B7らに大型機導入は両社同時期にするようA1に働きかけてほしい旨要請した際に、B30らが「A1とよく話合うのは結構である。」と答えたにとどまり、要請を受け容れなかつたことに徴しても明らかである。 さらに付言すると、百歩譲りB2の右発言が所論のようにA1への同様の働きかけを含みとしたものであつたと仮定しても、B2の右示唆に対し、A2首脳部がこれを受け容れたというのであれば、さらにB1らが運輸省関係者に働きかけるまでもなく運輸省当局としてA1に同様の要請をするということになるであろうが、B1は、現に「A2は同四七年八月に大型機を導入することは可能である。」として、右示唆を拒否したのであるから、運輸省当局がA1への働きかけを当然にすることにはならない筋合いであり、所論は主張自体矛盾をはらんでい 「A2は同四七年八月に大型機を導入することは可能である。」として、右示唆を拒否したのであるから、運輸省当局がA1への働きかけを当然にすることにはならない筋合いであり、所論は主張自体矛盾をはらんでいるというべきである。論旨は理由がない。 (ハ) B1のA1はけしからんとのB2部長に対する発言時期についての論旨弁護人らは、原判決が、「B2の『A1が国内線のシエアを大幅に増やしたいとかいうことで、いろいろやつているのはけしからんというような言い方を(B1が)していたと思う。まあ、それは、A1が依然として国内線に大型機を入れたいということを言つておつたのをうけた話だと思うが』と証言しているのに対し、B2の認識では、(A1に対し)昭和四七年度転用を認めて取得認可を与えたものではなく、その旨A1に言つてあるはずなのに、A1が監督課長のもとへ四七年度からの大型機導入を求めてきているというのであり、したがつて、B2は右認識に基づき、右の証言をしたものと解するのが相当であり、B2の右証言は同四五年一二月から同四六年一月にかけてのころのこととして述べられたものとみるのが自然である。」旨判示している点(原判決二六六頁―二七四頁)について、『右B2の証言におけるやりとりは、いわゆる「問合せ」の後のこととしてなされたものである』と主張する(控訴趣意第七の一〇)。 しかしながら、B2の前記証言は、「同四五年一二月から翌四六年一月にかけて、B1から大型機導入に関連し、なにか言われたことはなかつたか。」との問に対するものであること、前記証言の前の尋問とこれに対する供述のやりとりの中には本件行政指導に関する事項は全くあらわれておらず、本件行政指導をめぐるやりとりは、B1の「A1はけしからん」云々のやりとりが終了した後に新たな事項として尋問が行われていることなどに やりとりの中には本件行政指導に関する事項は全くあらわれておらず、本件行政指導をめぐるやりとりは、B1の「A1はけしからん」云々のやりとりが終了した後に新たな事項として尋問が行われていることなどに徴しても、前記B1の言動は、昭和四六年二月の本件行政指導の前であつたことに疑いを差し狹む余地はない。弁護人の右主張は採用できない。 なお、所論は、昭和四五年一二月二日に発せられた取得認可後翌四六年二月上旬までの間にA1が昭和四七年導入を求める動きをしていないともいうが、A1は、同四五年一二月一四日付で航空局に対しB―七四七LR国内線投入予定路線として「東京―札幌」の外「東京―福岡」を加える旨の「四七年度国内線路線便数計画修正案」を提出するなど四七年度からのB―七四七LR国内線導入を求める動きをしていたものと認められる。 (九) B1の「入れるときは一緒にという大臣の意向もある」との発言に関する論旨次に、弁護人らは、原判決が、「弁護人は、B1の『入れるときは一緒にという大臣の意向もある』旨の発言の意味は次のとおりである。すなわち、被告人B9(運輸大臣)は、昭和四五年一一月五日、B1ら航空四社の社長に対し、同年一〇月二一日付の運政審答申を一部手直しした『航空輸送の運営体制について』を示達して協力方を求めた際、『A1、A2両社がよく話し合つて大型化を図ることを期待する』旨強調したのであるが、B1はそのことが念頭にあつて、常務会の席上で右の発言をしたものである旨主張する。そして、B1も当公判廷において、同四六年二月一〇日開催の常務会議事録のB1の右発言記載について、『B9大臣から入れるときは一緒にという言葉を聞いた記憶はないが、同大臣から協調してやれという言葉は何回も聞いているのでそういうことを常務会で発言したと思う。この速記には前提が抜けて 記載について、『B9大臣から入れるときは一緒にという言葉を聞いた記憶はないが、同大臣から協調してやれという言葉は何回も聞いているのでそういうことを常務会で発言したと思う。この速記には前提が抜けているのではないかと思う。』旨弁護人の右主張に沿うかのような供述をしている。 しかしながら、B1の右発言記載が、B1において、被告人B9から一般的な問題としてA1、A2両社の協調を言われていた旨を述べたことを記載したものであると解するのは、この記載自体に徴し無理であり、やはり、B1の検察官調書における『議事録の中で、私が<入れるときは一緒にという大臣の意向もある>という発言をしているのは、私が一月中旬にB9運諭大臣にお願いしてきたときのことを言つているのである。』旨の前記供述記載に合理性があると言わなければならない。」と判示している点(原判決二七七頁―二八〇頁)について、『B16が昭和四六年六月一〇日の副社長講話の中で、「実は昨年のことであるが、A2とA1に運輸省から話しがあり、大型機を競い合つて入れるというのはまずいではないか、入れる時期については両社で充分に相談し合い、できれば同じ時期に入れるのが望ましい。機種については運輸省は干渉しないが、できれば同一機種がベターである。これらのことをよく話し合えということであつた。両社長ともよく相談しますということで、A2では私が窓口になり、A1でも窓口担当者がB11前社長から指名をうけて、何回か話し合つてきました。」と述べているように、右の「大臣の意向」云々は、被告人が昭和四五年一一月五日に航空四社の社長に対して「航空輸送の運営体制について」を示達した際「A1、A2両社がよく話合つて大型化を図ることを期待する」旨強調したことがB1の念頭にあり、これを指したものである』と主張する(控訴趣意第一の一二) して「航空輸送の運営体制について」を示達した際「A1、A2両社がよく話合つて大型化を図ることを期待する」旨強調したことがB1の念頭にあり、これを指したものである』と主張する(控訴趣意第一の一二)。 しかしながら、B1の右発言は、それに続く「この約束は出来ると思う。……A1は国策会社だから変えられまい。……相手はいつでも入れられるといつても、国策会社としてはムリだ。破れまい。」との発言や前後の関係者の発言を併せ考えるとき、本件行政指導が他ならぬ被告人のイニシヤテイブによるものであること、すなわちB1が本件請託を被告人にした際に被告人から得た感触を暗にほのめかしたものと解する他はないのであつて、かねがね被告人から一般的にA1、A2両社の協調が要請されていたこととか、昭和四五年一一月五日に「航空輸送の運営体制について」を示達された際の「A1、A2両社がよく話合つて大型化を図ることを期待する。」旨の被告人の公の発言を指したものとは到底考えられない。なお、被告人やB7のA1、A2両社に対する協調の要請の結果昭和四五年一一月に設置された両社協議会について付言すれば、当時A1は国際線に就航させていた大型機三機を昭和四七年度に国内線に転用する腹をすでにかためており、他方A2においては、前述のとおり同年度中に大型機を導入することは実際上不可能であつたが、同年八月以降なら大型機導入が可能である旨運輸省に説明していたところから、表立つて大型機導入時期の延期を主張するわけにはゆかず、そのため何とか自社のペースにA1を巻き込んでA1の大型機国内線早期導入を阻止しようと目論んでいたのであり、両社のこうした思惑のちがいからして、そもそも右両社協議会において、大型機の導入時期につき、A1、A2両社の間に協調的な話合いがなされて、その結果両社の意思統一ができるとい と目論んでいたのであり、両社のこうした思惑のちがいからして、そもそも右両社協議会において、大型機の導入時期につき、A1、A2両社の間に協調的な話合いがなされて、その結果両社の意思統一ができるという素地は全くなかつたのであり、このことはB1をはじめとするA2首脳部としても、あらかじめ十分知悉していたところであり、現に右両社協議会は同年一二月ころまでに二回にわたり協議がなされたが、大型機導入時期の調整という意味では何らの実りある協議はなされなかつたのであつて(以上の事実は、当時のA2の各種内部資料や同人らの検察官に対する供述調書の各供述記載から明らかである。)、このように両社の利害は鋭く対立していたのであり、かかる状況の下においては、なおさらB1の前記発言が被告人の昭和四五年一一月五日の航空四社の社長に対する前記の公式発言を指すものとは到底考えられず、B1やB5の捜査段階における供述のとおり、被告人の政治力による事務当局に対する強い指示こそが本件行政指導の発端であることを暗にほのめかすとともに、被告人の右指示がB1自身の隠密裡の働きかけによるものに他ならないことをも暗に誇示したものと解する他はないのである。論旨はすべて理由がない。 (10) 第二次空整といわゆる問合せとの関連に関する論旨さらに、弁護人らは、『運輸省航空局がA1及びA2の両社に対し大型機導入延期のいわゆる「問合せ」を行なつたのは、当時運輸省航空局が推進実現しようとしていた第二次空港整備五ケ年計画に航空援助サービス料等の名目で多額の金を各航空会社から吸い上げようとの構想が含まれており、これに対し各航空会社が収益を大巾に圧迫し、各航空会社の経営基盤を危くするものであるとして強く反対していたため、大型機導入など航空会社の大規模な設備投資を抑制して財源を確保し右構想を各航空会 おり、これに対し各航空会社が収益を大巾に圧迫し、各航空会社の経営基盤を危くするものであるとして強く反対していたため、大型機導入など航空会社の大規模な設備投資を抑制して財源を確保し右構想を各航空会社にのませようとする意図にもとづくものであつた、このことは、(1)運輸省航空局が右航空サービス援助料等について各航空会社が反対していたのに、大蔵省主計局に対しては各航空会社は了承済みである旨報告するなど強引に右構想を実現しようとしていたこと、(2)B5が、昭和四六年二月一〇日のA2常務会において、右問合せの理由について、「航援サ、着陸料の値上げに対する財源がないのが狙いではないか。」と発言していること(甲二48)、(3)B1も、同年三月二五日E1株式会社のB6に対し、A1の標準型七四七、三機購入認可を航空局が留保している理由について、新しい航空援助規則の形で課そうとしている管理料金の増額分の支払にA1が反対しており、航空局がA1に対し高価な新大型ジエツト機の購入をやめれば、A1は必要な費用を負担することが可能であるとしているためであると述べていること(「B6氏のB1氏との会合ノート」弁証一一一)。(4)昭和四六年一一月一一日のA2の五ケ年計画説明会の席上、航空局側から、「大型機導入を遅らせたらどうか。」との発言、及び購入機材の償却を「定額法でやつてはどうか。」との発言が、それぞれA2に対してなされていることなどに徴しても明らかであるのに、原判決が右問合せと第二次空港整備五ケ年計画との関連を否定しているのは事実を誤認したものである』と主張する(控訴趣意第一の一三)。 たしかに、本件行政指導のなされた昭和四六年二月当時、所論の航行援助施設利用料の創設が航空行政における重要な問題の一つになつていたことは所論指摘のとおりであるが、運論省関係者及びA 第一の一三)。 たしかに、本件行政指導のなされた昭和四六年二月当時、所論の航行援助施設利用料の創設が航空行政における重要な問題の一つになつていたことは所論指摘のとおりであるが、運論省関係者及びA1関係者はすべて、原審公判廷において、この問題と本件行政指導の関連性がない旨明確に証言しているのであり、昭和四六年二月一〇日のA2常務会で、B5が所論のような発言をしたのに対し、B1はこれを肯定せず、かえつて、「入れるときは一緒にという大臣の意向もある。この約束は出来ると思う。……A1は国策会社だから変えられまい。……相手はいつでも入れられるといつても、国策会社としてはムリだ。破れまい。」と述べ、暗に本件行政指導が専ら被告人のイニシヤテイブに出たものであることをにおわせ、今後も、被告人の政治力によつてA1の大型機早期導入の意向を抑えてゆく方針を表明する発言をしていることや、現に本件行政指導が運輸省航空局の事務レベルでの検討の積み重ねの上に出てきたものではなく、被告人の運輸事務次官B30に対する指示を発端としてなされたという本件行政指導がなされるにいたつた経緯そのもの(この点については、後に(二)、(三)において詳しく判断を示す。)を併せ考えると、弁護人のその余の主張につき按ずるまでもなく、原判決に所論のような事実誤認はないことは明らかである。論旨は理由がない。 なお、この点に関する当審証人B5及び同B4の各証言について付言すると、右証人B5は、「第二次空整の財源としての航行援助サービス(施設利用)料を航空会社に負担させることになつたことから、大型機購入による航空会社の財政圧迫を緩和するため、運輸省が本件大型機導入延期の方針(本件行政指導)を打ち出したものと推測される。」旨証言し、その根拠として昭和四六年二月一九日付B23(A2専務取締役)作 入による航空会社の財政圧迫を緩和するため、運輸省が本件大型機導入延期の方針(本件行政指導)を打ち出したものと推測される。」旨証言し、その根拠として昭和四六年二月一九日付B23(A2専務取締役)作成の「航空機の償却方式に関する私見」及び同年三月一七日付「空港整備特別会計と航行援助サービス料」と題するA2内部資料(後者自体は、証人尋問の際に示されたが、証拠としては採用されていない。)の二点を挙げるのであるが、右証人は、検察官の反対尋問に対してはこの点について、「これはあくまでも自分達の推測であつて、局の方でどういうふうにお考えになつているか、そこまではわからない。」旨単なる推測にすぎないことを明言していること、右「航空機の償却方式に関する私見」の記載も、定額法がA1その他の航空会社の既に採用していた減価償却方法であり、航空局がA2に対し定額法を勧めたのは、運賃が定額法によつて算出されていたうえ航空各社の右償却方法が統一されている方が航空局にとつて航空各社の監督がしやすいという理由にもとづくものであることを右証人自身が自認していること、右「空港整備特別会計と航行援助サービス料」の記載も、昭和四六年三月一七日当時におけるA2経理部の推論にすぎないことが同日の常務会議事録(甲二48)の記載によつて明らかであるうえ、そもそも空港整備特別会計は利用者負担の自主財源によつて空港整備を行うという発想によつて設けられたものであつて、右特別会計に空港現業部門の人件費を計上することはむしろ当然であり(なお、当審で取調べられた昭和四六年度予算書によれば、維持運営費中に人件費の占める割合は昭和四五年度と翌四六年度とでほとんど変動がないことが認められる。)、しかも、A2としては、現に航行援助施設利用料の問題が発生した当初から同利用料の徴収によつて経営が圧迫されな に人件費の占める割合は昭和四五年度と翌四六年度とでほとんど変動がないことが認められる。)、しかも、A2としては、現に航行援助施設利用料の問題が発生した当初から同利用料の徴収によつて経営が圧迫されないような形での見返り措置の実現のために検討、陳情を重ね、最終的には往復割引料金制度の廃止という形でその見返り措置が購ぜられ、右航行援助施設利用料の新設がA2自体にさしたる経営上の圧迫を与えていないこと(原審で取調べた関係各証拠や右証人の証言自体から明らかである。)などに照らし、それ自体信用性を欠くものであることは明らかであるといわなければならない。また、当審証人B4も、弁護人から大型機導入延期と第二次空整の関連についての尋問に対し、「まあ、役人的な発想ではないと思います……私共の感覚からすると、うがちすぎた理屈だなという気がいたします。」と答えているのであつて、到底所論を支えるべき内容の証言ではないことは明らかである。 (二) 本件行政指導と被告人との関連についての論旨(控訴趣意第一の一四)(a) 弁護人らは、『原判決は、被告人が事務次官B30に対し、A1の昭和四七年度大型機導入を延期させることを検討するよう指示したことはない旨の弁護人の主張に関連して、B2の原審公判廷における「四六年二月上旬ころ、B7と私がB30から事務次官室に呼ばれた。その際、B30から『B9大臣から、大型機というのはいつぺんに三〇〇人も四〇〇人もの大量の客を運ぶわけで、事故でも起きると大変なことになるから、大型機の導入については、安全性を十分考え、慎重に検討した方がよい、と言われたが、どうしたらよいか』という話があり、私は『A1は四七年に大型機を入れたいと言つているが、共同運航とか運賃プール制といつた条件整備ができていないのに、A1だけ先に入れることは、(A2が四七 言われたが、どうしたらよいか』という話があり、私は『A1は四七年に大型機を入れたいと言つているが、共同運航とか運賃プール制といつた条件整備ができていないのに、A1だけ先に入れることは、(A2が四七年度大型機導入の能力がないのにA1と競争して無理にこれを導入しようとするなど)航空の安全面から問題があるから、私の方からA1に話をしましよう』と述べ、B7は『国内線は国際線のように外国のエアラインと競争しているわけではないから、運輸省の指導で過当競争が起きないように十分調整ができるわけだから急いで大型機を入れる必要はない』と言つた。B30も私とB7の右のような意見を了承し、条件整備ができない限り四七年度導入は認めないという方針が決まつたということである。」(一二二回)、「私は、B9大臣の右のような話を、前年の四五年以来の大型機を国内線に転用するという問題について、ちようどけりをつけるというか、方針を明らかにするいいチヤンスだということで受け取つたわけである。」(一二二回)、「要するにB9大臣から右のような話があつたことをきつかけとして、B30次官の部屋で検討し、四七年度はちよつと早過ぎるという結論になつたということである。」旨の各証言に言及し、これらの証言は前後一貫していて具体性に富んでおり、B2が被告人の刑事責任に関係する不利益な重要事実について殊更虚構のことを述べなければならない事情は全く窺えないとして信用できると判示しているのであるが、B30は原審公判廷で被告人から大型機導入時期について聞いた記憶はないし、B7、B2の両名に被告人の意向として大型機導入時期を話した記憶もなければ、三名で右の問題について話し合つた記憶もないと証言しており、B7も原審公判廷で、B30から被告人からの話として大型機の導入時期について聞いた記憶はないし、三名で 型機導入時期を話した記憶もなければ、三名で右の問題について話し合つた記憶もないと証言しており、B7も原審公判廷で、B30から被告人からの話として大型機の導入時期について聞いた記憶はないし、三名で右問題について話し合つた記憶もないと証言していること、B30の原審公判廷における証言中には、B2が昭和五一年の捜査当時B30に対し被告人の意向としてB30から聞いた確率は八〇%で、あとの二〇%はB7から聞いたような記憶であると述べた旨の供述があり、これによれば必ずしもB30から聞いたと断定していたわけではないこと、B30及びB7が日本国内航空と東亜航空の合併問題や援助サービス料問題については明確に供述しながら、この点について記憶がないとしているものであることを総合すれば、B2のこの点に関する原審証言は信用できず、原判示のような被告人の指示はなかつたと認めるのが相当である』と主張する(控訴趣意第一の一四)。 しかしながら、B30の原審公判廷における証言をつぶさに検討すれば、B30は「当時、私は事務次官でかなり守備範囲が広いが、B2は監理部長として航空関係の監督行政を中心にやつていたので、彼がはつきり覚えていると言うならあるいはそういうことだつたかもしれないということで私は否定しない。しかし肯定するだけの材料も私にはない。」旨述べているのであつて、B2の前記証言を否定しているわけではなく、また、B2が本事件の捜査当時B30に対し、被告人の意向としてB30から聞いた確率は八〇%であるなどと述べたというB30の証言についていえば、B30は、この点については、「B2君は八〇パーセントぐらいあなたから聞いたような気がするけれども、二〇パーセントぐらいB7さんかもしれない気がするんですよとか、あなたの言つている口調を覚えているんですと言つた。」旨証言して 「B2君は八〇パーセントぐらいあなたから聞いたような気がするけれども、二〇パーセントぐらいB7さんかもしれない気がするんですよとか、あなたの言つている口調を覚えているんですと言つた。」旨証言しているのであつて、B2はB30の口調まで覚えているというのであり、右事実は前記B2証言の信用性を補強しこそすれ、減殺するものとは到底いえないことは明らかである。B7も「B2に聞いてみたところ、四六年二月ころ次官に私と一緒に呼ばれ、B9大臣から大型機の導入について安全性を考え急ぐ必要はないんじやないかと言われたとのことである。B2は相当はつきりした記憶としてもつておるし、また、その際私が国際線については国際競争があるから急がなければならないが、国内線の場合にはそう急がんでもいいじやないかと言つたと言つているが、そういう言葉は、私はその時かどうかわからんが、どこかで言つた記憶がある。したがつて、もしか、その当時のことかもしらんという気はいたしている。」旨供述しているのであり、これまた、B2の前記証言の信用性をいささかも減殺するものではないというべきである。B2の前記証言は、尋問に対して言葉を濁すことなく明快に応答していて、きわめて歯切れのよいものであつて、その内容も前後一貫していて具体性に富んでいることは原判決の指摘するとおりであり、それ自体からも高度の信用性が十分に窺われるものというべきであるうえ、B30の「私自身の考えで、大型機導入を慎重にすべきであるとか、あるいは時期を延ばすべきだというように部下に対して指示することはあり得ない。」旨、「大臣から言われもしないのに、局長や部長に大臣から言われたと言つて話をすることは絶対にない。」旨の原審公判廷における各証言、B8、B9の「本件行政指導は、航空会社の監督、指導をその職責とする直接の責任者である監 もしないのに、局長や部長に大臣から言われたと言つて話をすることは絶対にない。」旨の原審公判廷における各証言、B8、B9の「本件行政指導は、航空会社の監督、指導をその職責とする直接の責任者である監督課長B8でさえ事前には何らの相談にあずかることもなく、上層部において決定された方針転換であつて、監督課は唐突な感じでこれを受けとめ、当然予想されたA1からの反発を受けるに及んで初めて事務的な検討を開始したものの、予想もしていなかつた延期という結論が既に上層部の意向として固まつていたためその理由付けに苦慮した」旨の各証言、B8の「B2から本件行政指導を行うよう指示された際、B2の一存でできることでないと感じた。」旨の証言を併せ考えるとき、その信用性はこれらの証言によつてさらに増強担保されていると認めるの他はなく、弁護人の右主張は排斥を免れない。 (b) なお、弁護人は、『B2の右証言中、B30が被告人から言われたといつたとの部分について、原判決は、伝聞供述であるが、被告人及び弁護人は右の点について何ら異議を述べていないのみならず、専ら右証言の証明力を争つているのであるから、右伝聞供述を証拠とすることに黙示の同意があつたと認めるのが相当であると述べ、その証拠能力を肯認しているのであるが、伝聞供述に対し同意があつたと認めるには、ただ単に、異議を申し立てなかつたというような消極的なものでは足りず、積極的に明確な意思表示がなされることが必要であると解すべきことは、最高裁判所昭和二八年五月一二日判決、刑集七巻五号一〇二二頁に照しても明らかであり、被告人及び弁護人が全面的に公訴事実を否認し、終始争つている本件においては、かかる重要な伝聞供述については、相当性を欠くものとしてこれを排斥するか、少なくとも被告人及び弁護人に対し同意の有無を積極的に確かめるべ 護人が全面的に公訴事実を否認し、終始争つている本件においては、かかる重要な伝聞供述については、相当性を欠くものとしてこれを排斥するか、少なくとも被告人及び弁護人に対し同意の有無を積極的に確かめるべきであつたのであり、原審がかかる措置に出でずして右部分の証拠能力を肯認したのは、判決に影響を及ぼすこと明らかな訴訟手続の法令違反というべきである』と主張するのであるが、原審弁護人が右証言の際異議の申立をしていないのみならず、反対尋問において、「A1、A2の両社に対し検討するように言つたのは正しい行政指導か。」とか、「やむを得ず指示に従つたという認識は持つているのか。」などと右伝聞供述に証拠能力があることを前提として、専らその証言の信用性を弾劾する態度に終始している本件においては、被告人及び弁護人が右伝聞供述に証拠能力を付与する意思を有していたとしてその証拠能力を肯認した原判決の判断は、何ら所論の指摘する判例と牴触するものではなく、本件がいわゆる否認事件であることを考慮しても、正当というべきであり、右証言の際裁判所が弁護人等に対し同意の有無を確かめるべきであつたなどとする所論は、当事者主義を基調とする現行刑事訴訟の基本構造にもとる独自の見解といわざるをえず、この点について、原判決に所論のような訴訟手続の法令違反はない(なお、最高裁判所昭和五九年二月二九日決定・集三八巻三号四七九頁参照)。弁護人の右主張も採用できない。 (c) 次に、弁護人は、『原判決が認定している具体的事実関係によつても、本件行政指導を行なつたのは運輸省事務当局なのであり、被告人は事務当局に「大型機というのはいつぺんに三〇〇人も四〇〇人もの大量の客を運ぶわけで、事故でも起きると大変なことになるから、大型機の導入については安全性を十分考え、慎重に検討した方がよい。」と述べたにす 当局に「大型機というのはいつぺんに三〇〇人も四〇〇人もの大量の客を運ぶわけで、事故でも起きると大変なことになるから、大型機の導入については安全性を十分考え、慎重に検討した方がよい。」と述べたにすぎず、被告人の右発言は、大型機導入については、航空の安全性確保に十分留意して慎重に検討するよう、航空行政の最高責任者としての当然の注意を与えたものであつて、被告人自身が本件行政指導を行なつたものでもなく、あるいはこれを行なうよう事務当局に指示したわけでもないことは明らかであるのに、原判決が他方で「同被告人はB1の請託を容れ、その線に沿つて或いはその趣旨に沿つて行政指導を行なつた」と認定しているのは、証拠にもとづかない認定という他はない』と主張する。 しかしながら、被告人の運輸省事務次官B30に対する、所論指摘の発言は、表現こそ露骨な命令的ニユアンスを含まない、やわらかいものであるけれども、航空行政についての最高の行政権限を有する運輸大臣の職にあつた被告人が、その職務権限にもとづき部下に対してなした公的な発言に他ならず、運輸大臣としての立場を離れて私的な立場にもとづいてした単なる提言、アドバイスと見る余地は全くないのであつて、被告人の右発言が、運輸大臣の職権にもとづき、大型機早期導入という従来からの行政方針の見直しを指示したものであることは明らかである。また、本件行政指導の具体的作業が直接被告人の手によつて行なわれておらず、運輸省航空局関係者によりなされていることは所論指摘のとおりであるけれども、事務当局が航空行政の最高責任者たる被告人の指示にもとづき行なつた行為は、法律的にはとりもなおさず被告人自身が行なつたことに帰することはいうまでもなく、したがつて、原判決が本件行政指導を行なつた旨判示しているのは、この趣旨を表現しようとしたものであり、 行なつた行為は、法律的にはとりもなおさず被告人自身が行なつたことに帰することはいうまでもなく、したがつて、原判決が本件行政指導を行なつた旨判示しているのは、この趣旨を表現しようとしたものであり、本件行政指導の具体的作業が被告人自身の手により行なわれたという趣旨ではないことは、原判決の判文自体からも自ら明らかである。弁護人の右各主張もまた採用できない。 (d) さらに、弁護人は、『被告人の事務当局に対する右指示がB1の請託にもとづくものとすれば、導入時期を延期せよとか、導入時期をA2とA1との話合いがまとまった段階にせよとかいうように、その指示内容が右請託の趣旨を反映したニユアンスのものとなつている筈であるのに、被告人の事務当局に対する右指示は、前述のように「大型機の導入については、安全性を十分考え、慎重に検討した方がいい」というにとどまるものであり、このことは被告人の右指示がB1の請託を受け入れ、これにもとづいたものではないことを窺わせるものである』と主張する。 なるほど、B2の原審公判廷における証言によると、被告人のB30に対する指示は「大型機というのは、いつぺんに三〇〇人も四〇〇人も大量のお客さんを運ぶわけで、事故でも起きると大変なことになるので、大型機の導入については安全性を十分考えて決めるべきだ。」というものであつたと認められ、B1の本件請託の表現をそのまま用いる表現になつていないことは所論指摘のとおりであるけれども、B1の本件請託を容れてB30に対し本件行政指導の指示に及んだ被告人としては、右指示がA2の働きかけによるものであることをありのままにB30に伝え、あるいはB30がこの事情を察知できるような表現で指示することは、運輸大臣の職権をかさにA2の利益を擁護すること、すなわち運輸大臣の職権を私することを自白することに ことをありのままにB30に伝え、あるいはB30がこの事情を察知できるような表現で指示することは、運輸大臣の職権をかさにA2の利益を擁護すること、すなわち運輸大臣の職権を私することを自白することに他ならず、被告人がこのような愚劣な挙に出ることは事柄の性質上ありえないところというべきであり、むしろ被告人としては、かかる事情は事務当局にできるだけ秘匿し、自己の主体的判断、運輸大臣としての己れの識見にもとづく考えてあるとして指示に及ぶのは当然というべく、したがつて、右指示の内容自体から本件請託と本件行政指導との関連性が十分に窺えないことは何ら異とするに足りないところと思料される。そして、本件行政指導が、B1の本件請託を受けいれたものに他ならないことは、B1の検察官に対する昭和五一年八月九日付、同月三一日付各供述調書の記載やB2、B8等当時の運輸省関係者の原審公判廷における各証言により十分に肯認できるところというべきであり、弁護人の右主張は失当という他はない。 なお、被告人は、当審において、自分は従来から一貫して航空の安全性を強調してきたのであつて、昭和四六年二月二〇日の衆議院予算委員会第五分科会における答弁も従来の答弁を踏襲したものにすぎず、何ら従来の答弁とトーンの変つたものではないとか、原判決の認定するようにB1からの請託にもとづき事務当局に指示したのであれば、事務当局に対し導入年度を明示した筈であり、導入年度も示さずに一方的な指示を行うことは考えられないなど弁解、供述しているので、この点について付言すると、原審で取調べられた関係各証拠によれば、被告人は、昭和四五年三月一〇日の参議院運輸委員会では、「(二、三年のうちに)国内輸送にいたしましても、いわゆる従来の一〇〇人前後の旅客を運ぶんじやなくて、やはりこのエアバス式のものが利用されるこ 被告人は、昭和四五年三月一〇日の参議院運輸委員会では、「(二、三年のうちに)国内輸送にいたしましても、いわゆる従来の一〇〇人前後の旅客を運ぶんじやなくて、やはりこのエアバス式のものが利用されることになるであろう。」と答弁しており、同年九月九日の右委員会においては、「やはり私の一つの基本的な思想は、これは国内航空であろうとも、国際航空会社であろうとも、いまや時代の趨勢は大型化にならざるを得ない。」とか、「(東京、大阪等の幹線拠点空港は)現在ですらも過密状態である。したがつて、これは業界自身も大型機に変わらざるを得ない。すなわちエアバスに変わらざるを得ない。」、「当面、国内空港の場合において、重要なるローカル線はエアバスに切り替えざるを得ないことは、これは航空会社も十分に承知いたしておるわけであります。」などと答えており、これらの答弁と昭和四六年二月二〇日の衆議院予算委員会第五分科会での答弁とを比較すると、航空の安全性を重視、強調するという点ではたしかに一貫しているものの、大型機導入についての姿勢という点ではかなりトーンを異にしていることは明らかであり、しかも右同日の衆議院決算委員会における被告人の答弁は、B7の「幹線空港は現在いずれも既に(大型機の)就航が可能である。」旨の直前の答弁を修正する形で、事務当局の予め用意していた想定問答の答弁要旨を無視して、「現在も空港整備の状態、また、各国での状態からみても、そうあわててこの問題の(大型機)導入を考える必要は、個人的の見解ですが、ないのではなかろうか。」と答えていること、また、仮に被告人が事務当局に対する指示において、「昭和四九年度まで」と導入年度を明示しなかつたからといつて、そのことが直ちにB1の本件請託の存在及び本件請託と右指示との関連性を否定する論拠とはなりえないことなどに徴し、被 局に対する指示において、「昭和四九年度まで」と導入年度を明示しなかつたからといつて、そのことが直ちにB1の本件請託の存在及び本件請託と右指示との関連性を否定する論拠とはなりえないことなどに徴し、被告人の右各弁解も採るに由ないものといわなければならない。 (三) 結語以上要するに、昭和四五、六年当時、わが国の航空業界は、わが国経済社会の発展に伴う国民所得水準の向上、時間価値の上昇、地域間交流の活発化等を背景として国内航空輸送需要が急速な伸びを見せており、東京国際空港や大阪国際空港の著しい輻輳の中で右需要に見合う航空輸送力を確保してゆくためには、特に航空輸送需要の多い基幹路線について大型ジエツト機の早期導入が強く要請されるという一般情勢にあつたこと、このうちA1についていえば、A1の座席利用率は昭和四三年以降八〇パーセント前後という著しい高率で推移していて、右両空港の発着回数の規制により在来機の増機によつてこの需要増に見合う供給力の増加をはかることができず、そのためA1の供給力によりカバーしきれない旅客がA2に流れ、A2が市場のシエアや座席利用率を年々上昇させていたのに対し、A1の市場のシエアは供給力の頭打ちによつて年々低下しており、A1としては可及的に速やかに大型機を国内線に導入する必要があり、現に昭和四五年七月から国際線で使用していた大型機三機を同四七年四月から国内幹線に転用就航させる計画を具体化させつつあり、航空界り右の一般的状況と当時の航空行政の動向からすれば、そのまま推移するにおいては、右計画がそのままの形で実現されることは不可避の情勢であつたこと、これに対し、A2でも、航空界をめぐる右のような趨勢から、大型機の早期導入のための準備を急いでいたが、各部門における大型機導入の準備は必ずしも思うように進捗せず、とくに整備部門 の情勢であつたこと、これに対し、A2でも、航空界をめぐる右のような趨勢から、大型機の早期導入のための準備を急いでいたが、各部門における大型機導入の準備は必ずしも思うように進捗せず、とくに整備部門の脆弱さや乗員不足がネツクとなつていて、A1に対抗して同年度中に大型機を導入することはきわめて困難な状況にあり、また、大型機の早期導入はA2の当時の経理状況からしても望ましくなく、大型機導入時期は遅らせれば遅らせるほど好都合であつたこと、当時のA2に対する幹線における航空需要はA1よりかなり劣つていて、大型機の導入により供給力の増加を図つたとしても、これに見合うだけの旅客を確保できないおそれが多分にあつたのみならず、前述のようにA1のオーバーフローによつて従来つかんでいた旅客さえもA1の大型機導入によつてA1に奪いかえされるおそれがきわめて強かつたこと、さらに大型機導入について、A1に遅れを取れば、大型機のパツセソジヤー・アピールによつてA1に大量に旅客を奪われ業績の急激な悪化を招くおそれがあつたこと(このことは、昭和四七年三月一六日の総括部会におけるB5の「A1が入れてA2が入れない場合は壊滅的な打撃を受けることは間違いない。」旨の発言(甲二84)、総括部会作成の同四七年三月二九日付「大型機選定に関する検討結果報告」(甲二42中)中の「大型機導入時期について」における、A2が同四九年度に大型機を導入する場合の問題点としての「A1の四八年ジヤソボ機投入を、阻止又は引き延ばし不可能の場合は、A1との格差が拡大し、A2導入後でも回復できない恐れがある」旨の記載、同人の検察官に対する昭和五一年八月九日付供述調書の記載や原審証人B22久頼及びB20の各証言などA2関係者の供述によつても十分に認められるところである。)、いいかえると、A2としては、A1 の記載、同人の検察官に対する昭和五一年八月九日付供述調書の記載や原審証人B22久頼及びB20の各証言などA2関係者の供述によつても十分に認められるところである。)、いいかえると、A2としては、A1に対抗して無理に大型機を早期に導入するにしても、A1が大型機を導入するのに在来機で対抗するにしても、A1が大型機を早期に導入する以上、業績の悪化は避けられない情勢にあつたことは明らかであり、かかる情勢の下においては、昭和四五年七月二八日の本委員会においてB1が「A1はすぐにでも入れられる態勢にある。しかし、A2独自で準備し、それに期間が必要というのであれば、それだけの態度を示さねばならない。そしてA1をその中に巻き込んでいくということだ。」と発言(甲二63)していること、昭和四五年九月一四日の本委員会においてB1が「A1と相談して一緒にしたい。相談することは遅らせることだ。なるべく遅い方が良い。」と発言していること(甲二64)、昭和四五年一一月二日の総括部会において、B27が「慎重にということでA1と話し合いをしながら、こちらではSTUDY)やるという二面作戦でやる以外にない。」と発言(甲二81)していることや、B5が検察官に対する昭和五一年九月一日付供述調書において、「私共としてはA2の選定及び準備が遅れる以上A1の方の大型機導入時期を何とか遅らせるようにしたいと考えるようになつたのです。」とか、「しかしA2としては四七年度内の導入が現実に不可能となつて来ていた訳ですからこの導入時期の調整という問題の協議の際に何とかA1をA2のペースに巻き込んでA1の大型機導入、つまり四七年度のB七四七―LRの国内線転用を四八年度以降に延期させようという腹づもりでこの会合に望んだのです。」と供述していることなどからも明らかなように、A2としては、何として 1の大型機導入、つまり四七年度のB七四七―LRの国内線転用を四八年度以降に延期させようという腹づもりでこの会合に望んだのです。」と供述していることなどからも明らかなように、A2としては、何としてもA1の右転用計画を阻止する必要があつたことはいうまでもない。そしてA1への右転用計画を延期させるための直接的な働きかけにも、運輸省事務当局に対する右計画延期の行政指導の依頼、慫慂にも失敗した昭和四六年一月当時においては、A2首脳部としては、当時運輸大臣であつた被告人に泣きつき、被告人の強力な政治力、イニシヤテイブによつて事務当局の意向を変えさせ、事態を逆転させる以外に途はなかつたことは明らかであり、B1の検察官に対する昭和五一年八月三一日付供述調書中被告人に対する本件請託についての供述記載部分は、右の事情をふまえ、かつ、B5の検察官に対する同年九月一日付供述調書の記載やB2、B8、B10、B9ら運輸省関係者の原審公判廷における各証言を併せ考えるとき、きわめて信用性の高いものであるといわざるをえず、B1の右供述調書にもとづき、B1の被告人に対する本件請託を肯認したうえ、原審において取調べられた関係各証拠を総合して、右請託を了承した被告人が運輸省事務当局をしてその趣旨に沿つた行政指導をさせようと考え、昭和四六年二月上旬ころ、運輸事務次官B30(以下、B30という。)に対し、大型機の導入は安全性確保の観点から慎重に検討するよう指示し、そのころB30は、運輸事務次官室に航空局長B7、監理部長B2を呼び、両名に被告人の右意向を伝えて意見を求めたところ、B2は、A2に同四七年度導入の能力がなく、しかも共同運航、運賃プール等A2との過当競争を防ぐ条件が整備されていない状況下でA1のみに同四七年度からの導入を認めるのは、A2もこれに対抗して早期導入を図るな 、A2に同四七年度導入の能力がなく、しかも共同運航、運賃プール等A2との過当競争を防ぐ条件が整備されていない状況下でA1のみに同四七年度からの導入を認めるのは、A2もこれに対抗して早期導入を図るなど安全面からも問題がある旨、B7は、国内線は国際線と違つて外国の航空会社との競争を考える必要はなく、運輸省の指導で十分調整できるわけだから何も急いで導入する必要はない旨それぞれ意見を述べ、協議の結果、同四七年度における大型機導入は認めないで、A1、A2両社に対し、同四七年度からの大型機導入を同四九年ころまで延期するよう指導することを決め、その旨の行政指導がなされたことを認定した原判決に所論のような事実の誤認がないことは、弁護人のその余の主張につき按ずるまでもなく明らかであるといわねばならない。論旨はすべて理由がない。 第三金員の授受についての事実誤認に関する控訴趣意所論は、『原判決は、被告人が秘書B31をして昭和四七年一一月一日ころE1東京支店においてE1社長室長取締役B32から現金五〇〇万円を受領させてこれを収受した旨を認定しているが、右は事実を誤認したものである』というのである。 (a) まず弁護人は、『B32の原審公判廷における証言中同人が被告人宅を訪問した旨の供述部分について、「1」被告人は当時J1党幹事長の要職にあり、総選挙を目前にしてきわめて多忙な状態であつたので被告人とのアポイントメントがすぐにとれたということはありえないし、また、当時の被告人の日程表作成の一般的手順からして、B32が述べるような、しかも具体的用件を切り出さないやり方で被告人とのアポイントメントがとれる筈はなかつたこと、「2」当時被告人宅を警備していた臨時交番の警察官が被告人宅に入る者をすべて厳重にチエツクしていたのに、B32が警察官に誰何されることなく り方で被告人とのアポイントメントがとれる筈はなかつたこと、「2」当時被告人宅を警備していた臨時交番の警察官が被告人宅に入る者をすべて厳重にチエツクしていたのに、B32が警察官に誰何されることなく被告人宅に入つたと証言していること、「3」当時被告人宅には書生風の男などいなかつたのに、B32が書生風の男が応待にあらわれたと証言していること、「4」被告人は当時早朝でもきちんとしたワイシヤツ姿でいたのに、B32が被告人はスポーテイでラフな格好であつたと証言していること、「5」B32は、被告人宅の外観について、「B9先生から受ける感じからして、日本風な建物だと予想して行つたら、白つぽい洋館建ての建物であつたので、その点は非常に明確に記憶している」旨証言しているが、従前一度もあつたこともない被告人から受ける感じからして被告人宅が日本風の建物であろうと予想したというのは不可解であり、また、被告人の経歴、風貌等からそのように予想したという趣旨であるとしても、被告人の経歴、風貌からして純日本的なものを連想していたという同人の証言は理解しがたいものであり、同人の右証言はことさらに証言の真実性を印象づけようとする作為をうかがわせるものでこじつけに他ならないこと、「6」被告人宅には門はないのに、B32が門があつたと証言していること、「7」被告人方玄関には、被告人の「B9」という表札は「B33」という表札の後に置かれており、このことは見る者をして被告人と「B33」なる人物との関係について疑問を抱かせる筈であるのに、B32は証言でその点については全くふれていないこと、「8」被告人宅の応接間には間仕切りがあつたのに、B32の原審証言調書に添付されている同人作成にかかる応接間見取図には間仕切りが記載されていないこと、「9」当時被告人宅応接間には、少し前に死去した 「8」被告人宅の応接間には間仕切りがあつたのに、B32の原審証言調書に添付されている同人作成にかかる応接間見取図には間仕切りが記載されていないこと、「9」当時被告人宅応接間には、少し前に死去した被告人の義母の黒枠の写真が葬儀用写真台に飾られて机の上に置かれ、その前に線香立と線香が用意され生花が供えられていたのに、B32は証言でこのことに全くふれていないし、また、当時、各新聞に被告人の義母の死亡記事、会葬御礼が掲載されていたのでB32はこのことを当然知つてた筈であるから、被告人と会えば弔意を表してしかるべきであるのに、同人の証言には右義母の死についての被告人とのやりとりが含まれていないこと、「10」B32が「長椅子みたいなものもあつたが、自分は一人だけが腰かけるようなゆつたりとした椅子に腰かけた。」と証言し添付図面でその位置を明らかにしているが、右図面の記載はB34の原審証言調書添付写真綴からうかがわれる被告人宅応接間の模様とも符合しないこと、「11」B32は、被告人宅の呼鈴を押したら秘書風の男が出てきたと証言しているが、被告人宅は呼鈴ではなく、インターフオンが設置されており、インターフオンで氏名、用件を告げなければ、人が出てきて玄関を開けるということはありえないし、また、当時インターフオンは常勤の事務員B34の部屋に通じていたからB32がインターフオンで氏名、来意を告げたとすればB34が玄関に出た筈であり、秘書風の男が出る筈がないこと、「12」被告人宅応接間は当時も黒いリノリュームが敷きつめられており、絨毯は敷かれていないのに、B32が絨毯が敷いてあつたと証言していること、「13」B32は、被告人方応接間のドアには普通のノブがついていたと証言しているが、右応接間には左右に開閉する大型の引戸がついていたことなど、客観的事実と符合しない 敷いてあつたと証言していること、「13」B32は、被告人方応接間のドアには普通のノブがついていたと証言しているが、右応接間には左右に開閉する大型の引戸がついていたことなど、客観的事実と符合しない点や不自然な点が多々あり、時のJ1党幹事長宅をはじめて訪問したというのであれば、被告人宅の内外の状況についても強い印象を受け、したがつて鮮明な記憶として残つている筈であるから、同人の証言にこのように多くの客観的事実に符合しない点やきわめて不自然な点が多々ある以上、被告人宅を訪問したとする同人の証言は到底信を措きえないものであることは明らかである』と主張する。 まず、「1」の点についていえば、B32は、「即座にアポイントメントがとれた」と証言しているのではなく、「アポイントはすぐとれたのか、あるいはすぐ折り返しご返事をいただいたか、とにかく前日までにはとれたんじやないかと思う。」旨証言しているのであり、①の前段の主張は、同人の証言を適確に把握してなされたものではないものという他はない。本件における用向きがきわめて秘匿を要する、たとえ相手が被告人の秘書であるにせよこれを具体的に告げにくい性質のものであることに徴すれば、B32が「A2さんからのご用件」という程度のいい方でアポイントメンートをとろうとしたことはむしろ当然であり、また、後述のように、被告人本人が本件請託とこれにもとづく本件行政指導について、この当時もなお強い印象、記憶を有していたことに照らせば、被告人としてもB32の右の程度の申し出で用向きをおおよそ察知しうるところであつたというべきこと、被告人とE1との従来からの関係(E1のK1会への継続的な政治献金もその一つのあらわれである。)や特に被告人とB35との親密さを併せ考えると、B32が右の程度の用向きの伝え方をしただけでそれ以上に用向 人とE1との従来からの関係(E1のK1会への継続的な政治献金もその一つのあらわれである。)や特に被告人とB35との親密さを併せ考えると、B32が右の程度の用向きの伝え方をしただけでそれ以上に用向きを具体的に述べなかつたとしても、被告人がB32のアポイントメント申出を受け入れたことは、当時被告人が多忙であつたことを考慮に入れても、決して不自然ではないということができるのであり、右後段主張も理由がないといわざるをえない。 次に、「2」の主張についていえば、原審証人B34の証言をつぶさに検討すると、所論のように、同女が「大体」という言葉を不用意に使う癖があるとは到底認められず、同女が断定しうることと、断定しえないことを明確に区別して、後者の場合のみこの言葉を使つていることは明らかであつて、当時被告人方臨時交番に詰めていた警察官が常に来客を誰何していたとは認め難く、B32は、警備の警察官が一寸はなれた所にいたぼんやりした記憶はあるが何も言われなかつたのでそれ以上の記憶はないと供述しており、臨時交番は玄関前ではなく車庫をへだてた一寸はなれた処に設けられていた事実と符合しており加えて右警察官は前日夕刻には翌朝の来訪予定者を知らされているのであるから(B36の原審証言等より明らかである。)、B32が被告人宅を訪れた際右警察官から誰何されなかつたとしても不思議はない。したがつて、B32が警察官に誰何されなかつたと述べていることは、まさにそのとおりであつたと認められ、この点をとらえてB32の被告人宅を訪れた旨の原審証言が虚構であるとする所論は到底採用できないものというべきである。 次に「3」の主張についていえば、B32の原審証言の際のこの点に関する弁護人とのやりとりは、「秘書風と、こういうようにあなたはおつしやつているんですがどういうことからそう ものというべきである。 次に「3」の主張についていえば、B32の原審証言の際のこの点に関する弁護人とのやりとりは、「秘書風と、こういうようにあなたはおつしやつているんですがどういうことからそういうように感じたんですか。」「もう、これは、一般の通念としまして、先生方のお宅には大体、いらつしやるのはそういう秘書の方であろう、こう、思つたわけであります。」「ただそれだけのことね。」「ええ、それだけでございます。」「一見して、この人が、その男の人が秘書のように見えると、こういうことじやないんですね。」「そうでございます。」というものであり(B32は所論のように「書生風」という表現は用いておらず「秘書風」という表現でやりとりが行われていることに留意すべきである。)、こうしたやりとりによれば、B32が、多分に、被告人のような社会的地位のある有力者ならば当然邸宅に秘書風の男がいるであろうとの先入感にもとづき供述している節がうかがわれるのである。また、原審で取調べられた被告人の検察官に対する昭和五〇年八月二七日付供述調書には、当時被告人の身辺警護の任にあたつていたB37警部補について、「B37警部補は表玄関をあがつた四畳間位の感じのロビーに椅子をおいて……予定された来客があるとB38に知らせてくれることがあります」との供述記載があるのであり、これによれば当時来訪者があれば同人が応対のため玄関に出ることもあつたことが窺われるのであるから、B32の来訪に際し同人が応対に出たということも十分に考えられるところというべきである。いずれにせよ、B32のこの点についての供述が、B32の証言の中心部分の信用性にいささかの疑問をさしはさましめるものではないことは明らかである。 「4」 についていえば、B32は原審証言の際弁護人からこの点について執拗な反対尋問を ての供述が、B32の証言の中心部分の信用性にいささかの疑問をさしはさましめるものではないことは明らかである。 「4」 についていえば、B32は原審証言の際弁護人からこの点について執拗な反対尋問を受けているのであるが、B32は、「あの、なんというんですか、朝早かつたせいもございまして、……、替ズボンにですね、この、スポーテイなシヤツをお召しになつていたんじやないかと思います。」「スポーツ・シヤツと申しましたらよろしいか、まあ、要するに、カラーとかスタイルまでよく覚えておりませんけれども、要するに、この、我々、今現在着ておりますような、こういうドレス・シヤツじやなくてスポーテイなシヤツをお召しになつて、ネクタイもおしめになつていらつしやらなかつたと、左様に思つております。」「ええ、そこまで覚えておりませんけれどもわたしが替ズボンと申しましたのは、私自身もスポーテイなシヤツを着ております時には、たいがい、まあ、カラーのいかんを問わずですね、背広のズボンだけじやない、ほかのズボン、いわゆる替ズボン、はいておりますから、そういうふうに申上げたんだろうと思うんですが……。」などと、被告人がネクタイをしめた背広姿ではなかつた旨を一貫して明確に供述しているのであり、同人の証言が、細かい点についてはあいまいな点があるものの、大筋においては被告人宅の客観的状況によく符合していることを併せ考えるとき、同人のこの点の供述も十分に信用できるものと認められるのであり、これに牴触する被告人やB34の原審公判廷における各供述は措信しえない。 「5」 についていえば、要するにB32のいわんとする趣旨は、被告人の風貌がむしろ純日本的な印象を人に与えるものであるところから、被告人宅についても日本風の建物を予想していたというにあると思われるが、たしかに被告人が日本的な風 にB32のいわんとする趣旨は、被告人の風貌がむしろ純日本的な印象を人に与えるものであるところから、被告人宅についても日本風の建物を予想していたというにあると思われるが、たしかに被告人が日本的な風貌であり古武士的な風格を感じさせるものであり、B32は大勢のパーテイその他で被告人の風貌を存じあげていたというのであるから、この点の主張も理由がないことは明らかである。 「6」 についていえば、たしかにB32は被告人宅には門があつたように思う旨供述していることは所論指摘のとおりであるが、B32の原審証言の際のこの点についての弁護人とのやりとりは、「門、というのはどういう門だつたか御記憶でございますか。」「そうですね。特に変つたといいますか、印象は、残つておりませんが。」「そうしますと門にも何か、木戸なり、ドァなりがあつて、そこをあけたてして、いわゆる敷地内にはいつてそれから玄関に達するこういうことですか。」「いや、門の門扉というのはなかつたのかあるいはあいておりましたのか、門の扉をあけてはいつたという記憶は、ない、はつきりいたしておりませんがないんじやないかというような感じでございますが。」というものであり、これを見るかぎり、B32が門があつたことについて明確な記憶があるといいきつているわけではなく、記憶に自信がないことを正直に認めながら、強いて問われれば門があつたように思うと供述しているにすぎないことは明らかであり、B32のこの点の供述は作為的なわざとらしさをいささかも感じさせるものではないのである。のみならず、原審で取調べられた弁護人提出の被告人私邸写真綴の各写真からすれば、被告人宅の玄関が路面から少し奥まつていて一見門があるような印象を与える構えになつていることが窺われるのであつて、被告人宅をわずか十分程度訪れたにすぎないB32が門が 私邸写真綴の各写真からすれば、被告人宅の玄関が路面から少し奥まつていて一見門があるような印象を与える構えになつていることが窺われるのであつて、被告人宅をわずか十分程度訪れたにすぎないB32が門があつたような漠然とした印象を抱いたとしても、そのことは十分納得できるのであつて、何ら異とするに足りないというべきである。いずれにせよ、B32のこの点の供述をとらえてB32の証言全体の信用性を減殺するものと見る余地は全くないといわなければならない。 「7」 についていえば、B32が被告人の表札と「B33」の表札との位置関係についてまで明らかな記憶がなかつたということはB32の証言が被告人宅訪問から六年近くも経過した後になされたものであり、しかもB32は被告人宅を訪れたのはこの時一度だけであり、その訪問もわずか十分間程度のものであつたことに照らせば、このようなささいな点についてまでB32に記憶がなかつたのはむしろ当然というべきであり、むしろ、B32が原審証言で被告人方玄関に被告人以外の姓の表札もあつたように思う旨供述しているのであつて、右供述はB32の被告人宅を訪問した旨の供述の信用性を強力に担保しているものというべきである。 「8」 についていえば、たしかに原審証言の際にB32が作成した略図に間仕切りが記載されていないことは所論指摘のとおりであるが、B32が、証言中では、「要するにまん中で仕切つてですね、二つに使つていらつしやるのか、そういうようなこともできるような部屋じやなかつたかという気もいたします」などとこの間仕切りについても明確に記憶していることを窺わせる供述をしていることに照らせば、B32が右略図に間仕切りを記載しなかつたからといつて、同人にこの間仕切りについての記憶がなかつたとすることができないことは明らかであり、かえつて、B34 とを窺わせる供述をしていることに照らせば、B32が右略図に間仕切りを記載しなかつたからといつて、同人にこの間仕切りについての記憶がなかつたとすることができないことは明らかであり、かえつて、B34の原審証言などからして、当時このアコーデイオンはバンドで固定されていたと推認される(現に弁護人らも、「9」の主張においては、このアコーデイオンがバンドで固定されていたことを前提として所論を展開しているのである。)ことに照らせば、B32が右略図にこのアコーデイオンを記載しなかつたのは、本件訪問の際右アコーデイオンがバンドで固定されていて被告人方応接室が二つに仕切られてはいなかつたことをB32が記憶していたが故であると認められるのであり、このことはB32の証言全体の信用性を増強するものでこそあれ、これを減殺するものではないといわなくてはならない。 「9」 の主張についていえば、B32はそれまで被告人とは相互に面識もなかつたのであるから、被告人の妻の母の死去を当時知らなかつたとしても何ら不思議ではないし、B32は被告人方応接室の入口を入つてすぐの左手に坐つたというのであるから、原審で取調べられた弁護人ら提出の被告人私邸写真綴の各写真や「B9家一階平面図」によつても、B32の坐つた位置からは、仮にアコーデイオン・カーテンがバンドで固定されていたとしても、所論の仮祭壇は死角に入つていて見えなかつたと推認される(所論指摘の被告人の原審公判廷における供述はこれらの証拠に照して措信しえないものであることは明らかである。)のであつて、この点についての原判決の認定に所論のような事実の誤認はないというべきである。 「10」 についていえば、B32が原審公判廷で作成した略図が原審で取調べられた弁護人ら提出の被告人私邸写真綴の各写真や「B9家一階平面図」から窺われる のような事実の誤認はないというべきである。 「10」 についていえば、B32が原審公判廷で作成した略図が原審で取調べられた弁護人ら提出の被告人私邸写真綴の各写真や「B9家一階平面図」から窺われる被告人方応接間の客観的状況と符合しない点が多々あることは所論指摘のとおりであるが、B32は原審証言の際弁護人から被告人宅の略図を書くように求められた際、「ええ、それは、その限りにおいて書けますけども、その、距離感とかなんとかというものはですね、非常に漠然としたものになろうかと思いますけれども……。」「ええ、書けないことはないと思いますが非常に漠然としたものじやないかと思いますが……。」などと述べ、略図を正確に書くだけの記憶がないことを自認しているのであり、右略図は弁護人らのたつての要求でB32がやむなく不鮮明な記憶をたどりつつ書いたものであることは、右略図を書かされた際の弁護人とB32とのやりとりに徴しても明らかであり、前述のように、B32は被告人宅を一度だけ、しかもわずか十分程度訪れたにすぎないというのであり、しかもそれから約六年も経過した時点で右略図を書かされていることを併せ考えると、右略図がこまかい点で被告人方応接室の客観的状況と符合しないところが多々あつたとしても何ら怪しむに足りないというべきであり、この点もB32証言全体の信用性をいささかも疑わしめるものではないといわざるをえない。 「11」 についていえば、B32は、弁護人の「それから、ベルを押して中にはいつたとこういう趣旨なんですがね。」という尋問に対し「はい。」と答え、さらに「中にはいるのが、B9の場合、インターフオンそういうことになつておるんですけれども、あなたはそういう意識ないんですね。」という弁護人の尋問に対し「ベルといいましても、私がいつておりますベルというのはインター るのが、B9の場合、インターフオンそういうことになつておるんですけれども、あなたはそういう意識ないんですね。」という弁護人の尋問に対し「ベルといいましても、私がいつておりますベルというのはインターフオンだとかそういうようなものを含めて申し上げているつもりでございました。」と答えていることからも明らかなように、B32はインターフオンではなく呼鈴であつたと供述しているわけではないのであるから、所論はその前提を欠く(なお、右主張のうち秘書風の男が玄関に出る筈がないとする点については、すでに「3」に対する説示においてふれたとおりである。)ものといわなければならない。 「12」 についていえば、B32は、弁護人の「この応接間ですが、床は、じゆうたんなんか敷いてあつたんですか。」という尋問に対し、「当然、敷いてあつたと思いますが……。」と答え、いわば弁護人の誘導尋問に乗る形で絨毯が敷いてあつたことを認めているにすぎず、加えて「床のことは特に記憶にない」とも述べているのであるから、自分から積極的に絨毯が敷いてあつたと述べているわけではないのであり、前述のようにこのようなこまかい点についてまでB32が記憶を有しなかつたとしてもそれはむしろ当然というべきであることを併せ考えると、B32のこの点の供述がB32の証言全体の信用性をいささかもそこなうものではない。 「13」 の主張についていえば、B32の原審証言における、所論指摘のやりとりは、「それは、記憶があるわけですか、ドアかなんかがある。」「ドアがあつたと思いました。」「どういうドァだつたか記憶していますか。」「はつきり覚えておりません。普通のドアじやなかつたかと思いますが、特別、印象に残つておりません。」「要するに、ノブをまわして、押すなり引くなりして……。」「じやなかつたかと思いますが……。」 。」「はつきり覚えておりません。普通のドアじやなかつたかと思いますが、特別、印象に残つておりません。」「要するに、ノブをまわして、押すなり引くなりして……。」「じやなかつたかと思いますが……。」というものであり、B32は、はつきりした記憶はないが、強いて問われるのであれば、ノブのついた普通のドアではなかつたかと思うといつているにすぎないのであつて、この点について明確な記憶があるといつているわけではないこと、当時この引戸が開かれていたと推認されること(B34は原審証言で右開き戸は常に開かれていた旨供述している。)ことからすれば、B32においてこの点につき特別の印象を抱くことがなかつたとしてもむしろ当然であると思料されることにかんがみれば、この点もB32の証言全体の信用性に疑問を投げかけるものではないことは明らかである。 以上要するに、B32の証言のうち所論指摘の供述部分は六年近くも前に被告人宅を一度だけ、わずか十分間程度訪れたという体験についてのものであつたことを考えれば、記憶に若干あいまいな点や不正確な点があつたとしても格別異とするに足りず、B32の原審証言を子細に検討すれば、同人が日時の経過に伴う記憶の不鮮明さの中でできるだけ正確に当時の状況を想起しようと努めながら尋問に答えていることが十分にうかがわれるのであり、しかもその供述内容は大筋においては被告人宅の客観的状況によく符合しているのであり、むしろ、右のような事情を考えれば、B32は、かなりこまかい点についてもよく記憶しているというべきであり、また、B32がことさら捜査官に迎合して訪れたこともない被告人宅を訪れたといい、被告人をおとし入れなくてはならないような関係がB32と被告人との間には全くないことにかんがみればそれ自体としても優に信用性があると判断できるものであるうえ、被 たこともない被告人宅を訪れたといい、被告人をおとし入れなくてはならないような関係がB32と被告人との間には全くないことにかんがみればそれ自体としても優に信用性があると判断できるものであるうえ、被告人宅を訪問した旨の右証言は、B1の検察官に対する昭和五一年八月九日付供述調書、B5の検察官に対する昭和五一年八月九日付供述調書、B39の検察官に対する昭和五一年八月九日付供述調書、B39、B6の原審証言、C1及びC2に対する証人尋問調書等他の関係者の供述およびC1メモ(甲二232ないし235)やB6作成の三〇ユニツト領収証(甲二237)、面会票(甲二241・242・165)、B31作成のノート(甲二283)などの証拠物などの関係各証拠によりその信用性を担保補強されているというべきであり、B32証言のうち右供述部分に対する原判決の信用性の判断には誤りはないといわなければならない。 (b) 弁護人らは、『L1に五〇〇万円を渡した旨を述べているB32の検察官に対する昭和五一年八月一〇日付供述調書にはB32作成にかかる官房長官公邸の略図が添付されているのに対し、被告人に五〇〇万円を渡した旨を述べたB32の検察官に対する供述調書には被告人宅の略図が添付されておらず、このことは右両調書が同一の検察官によつて作成されていることを併せ考えると、B32が官房長官の公邸の構造は知悉していたが、被告人宅の構造については何の知識も有していなかつたこと、すなわちB32が被告人宅を訪問したことがなかつたことを窺わせるものであり、また、取調検察官としても、官房長官公邸の構造は知りえても被告人宅の構造は知りえないところから誘導により被告人宅の略図をB32に書かせることもできなかつたことを意味している、B32が原審証言の際作成した被告人宅の見取図は、図面、説明文とも極めて りえても被告人宅の構造は知りえないところから誘導により被告人宅の略図をB32に書かせることもできなかつたことを意味している、B32が原審証言の際作成した被告人宅の見取図は、図面、説明文とも極めて乱雑で誤字もあり、B32が捜査段階で作成した官房長官公邸の略図、その説明が整然と書かれているのに対比するとき、到底同一人の筆蹟とは考えられないほどであり、このことは、全く経験していない虚構の事実について証言を求められたうえ訪問したこともない被告人宅の略図を書くことを求められたB32の心の動揺を如実に示している』と主張する。 しかしながら、B32が検察官から本件について取調べを受けたのは、B32が被告人宅を訪問したという時点から四年近くも経過した後なのであり、B32はこの時以外に被告人宅を訪問したことはなく、右訪問もきわめて短時間のものにすぎなかつたことを考えると、右取調べの際B32が被告人宅の細部についてまで明確な記憶を有していなかつたことはむしろ当然であり、何ら怪しむに足りないというべきである。B32が、原審証言において「道路からというよりも、なんか、応接間の中ですか、玄関からはいつた応接間の感じをですね。……これは、正式に書いたのか、なんか、私が、若干こう、メモ書きしたみたいにして、ご説明をしたのかどちらだつたか覚えておりませんが、なんか、そんな記憶がございます。」とか、「この時に、図面を書かなかつたのは、なんか、訳があるんですか。」という弁護人の尋問に対し、「いえ、別に、……訳はございません。訳といいましても、よくわかりません。わたしが、ご説明を、取調の検事の方にした時に、なんか、こう、さきほども申上げましたように、この、そういうものに添付されるような、ですね。この正式な、といいますか、どう申したらいいのか、わたし、一寸、よくわかりま を、取調の検事の方にした時に、なんか、こう、さきほども申上げましたように、この、そういうものに添付されるような、ですね。この正式な、といいますか、どう申したらいいのか、わたし、一寸、よくわかりませんが、そういうような形では、書いてなかつたかもわかりませんけれども、なんか、さきほど、説明をする用、説明書きといいますか、そういうような段階のものは、ですね、……書いたことがあるような気がいたします。」と供述していることに徴すれば、検察官が被告人宅についても略図を書かせようと試みたことは明らかであり、供述調書にこれが添付されていないことは、被告人宅の構造についてB32が当時略図を書くだけの記憶を有していなかつたことを意味するにすぎず、また、B32が当時被告人宅の構造について、同じころ訪問した官房長官公邸の構造についてほど鮮明な記憶を有していなかつたとしても、このことが直ちに同人の被告人宅訪問についての供述が虚構であることを疑わしめることになるわけではない。次に、取調べにあたつた検察官に予備知識がなかつたので極度の誘導により被告人宅についての略図をB32に書かせることができなかつたなどとする所論についていえば、B32が取調官に迎合してことさらに被告人に不利益な供述をしなければならないような関係がB32と被告人との間になかつたことは前述のとおりであるし、B32自身この点については、原審証言の際弁護人との間に、「逆に言つて、すでに書いてある図面を、検事の方から示されたということはないんですか。」「は、ございません。」「これがB9の自宅の応接間の模様であるということを、証人に見せられたという記憶はありませんか。」「それは、全然ございません。」「あるいは書かれている図面を見せられたということはございませんか。」「ございません。」というやりとりをしてい いうことを、証人に見せられたという記憶はありませんか。」「それは、全然ございません。」「あるいは書かれている図面を見せられたということはございませんか。」「ございません。」というやりとりをしていて、このような誘導、押しつけが取調官からなされたことを明確に否定している(そもそも、仮に検察官において、所論のように極度の誘導、押しつけによりB32の供述調書の中に被告人宅の構造についての同人の供述記載を盛り込みたいと考えたとすれば、検証なり捜索なりの手段によりいくらでも被告人宅の内部構造を把握することができた筈であり、本件において、B32の供述調書に被告人宅の内部構造についての供述記載がないことは、逆に、検察官において所論のような手段を用いて誘導や押しつけをしていないことを物語つているといわざるをえない。なお、所論は、B32が検察官の取調べの際官房長官公邸の略図を書いているのも検察官の極度の誘導、押しつけによるものであるとの趣旨をも含むものと認められるのであるが、果してそうであるとすれば、なぜ起訴の対象ともなつていないL1への金員供与についてこのような誘導、押しつけがなされ、肝腎の被告人に対する金員供与の関係についてこのようなことがなされなかつたのかという点について、所論はいかように考えているのか甚だ理解に苦しむところといわざるをえず、所論は主張自体不合理なものという他はない。)ことに照し、所論のような誘導がB32の取調べの際なされていないことは明らかであるといわなければならない。 次に、B32が原審証言の際作成した被告人宅の略図についていえば、たしかに右略図はあまり整然と書かれていないことは所論指摘のとおりであるけれども、右略図は、B32が証言の途中で突然弁護人から要求されて心急ぐままに書いたものであり(前述のようにB32自身略図を書く しかに右略図はあまり整然と書かれていないことは所論指摘のとおりであるけれども、右略図は、B32が証言の途中で突然弁護人から要求されて心急ぐままに書いたものであり(前述のようにB32自身略図を書くほど被告人宅の状況についてはつきりした記憶がないことを自認しているのであつて、右略図はB32のそのような供述にもかかわらず、弁護人のたつての要求によりやむなく同人が記載したものである。)、前述の如く、B32が被告人宅を訪問してからかなりの歳月を経過していてB32自身略図を書きうるまでに鮮明詳細な記憶を有しておらず、しかもマスコミ関係者を含む多くの傍聴人の注視する公開の法廷にあり、B32自身心理的にかなり緊張をしていたであろうことを併せ考えると、右略図が乱雑なものであることは何ら異とするに足りないところというべきである。B32のこの点の供述がきわめて信用性の高いものであることは前述のとおりであつて、この点のみを論拠に全く経験していない虚構の事実について供述を求められ、さらに訪問してもいない被告人宅の略図まで書くことを突然求められたことによる、己れの供述が虚構であることが暴露されるのではないかという同人の心理的動揺を反映しているとする所論は採用の限りではない。 (c) 次に、弁護人らは、被告人の事務所のB31の机から発見されたノート(甲二283、「メモB31」と表紙に記載されているもの。以下「B31ノート」という。)に「9・30B35社長、B32・取・社長室長10/303時~3時3010/312時以降「8・30」」等と記載され、B32の自宅の電話番号が記載されていることについて、『E1社長B35かその代行者がM1会代表として被告人に陳情のため面会したい旨の申入れがE1B39秘書課長からB31になされたことをメモしたものであり、右メモにある「9・ 記載されていることについて、『E1社長B35かその代行者がM1会代表として被告人に陳情のため面会したい旨の申入れがE1B39秘書課長からB31になされたことをメモしたものであり、右メモにある「9・30」という記載は一〇月三〇日午前九時三〇分にB39からB31に電話連絡がなされたことを意味し、「10/303時~3時3010/312時以降」とあるのは、E1側の申し出た面会希望時刻であり、「B32・社長室長「8・30」」及びB32の電話番号の記載は、一〇月三〇日午後八時三〇分にB32の自宅に電話で回答してもらつて結構であるという意味である』と主張する。 しかしながら、当時E1社長B35は渡米中であり、同人から被告人に対し面会のためのアポイントメントを求めるということはありえず、また、B35の代行者がM1会代表として被告人に面会を求めたというのであれば、代行者自身の氏名がB31ノートに記載されていてしかるべきであること、B39も、原審証言において一〇月三〇日ごろB31に電話したとは一言も述べていないこと、また、B39がB35あるいはその他のM1会代表のために被告人に対し面会のアポイントメントを求めたとすれば、B39の名がB31ノートに記載されていてしかるべきであるのに、B31ノートにはB39の名が記載されておらず、また、その回答はB39なりB35ら本人なりになされるべきであり、回答先としてB39がB32の電話番号を教えるというのもきわめて不自然といわざるをえないこと、B31は、原審第一五八回公判期日において、所論に沿う供述をしているのであるが、右供述は弁護人の強い誘導にしたがつてなされたきわめて迎合的なものであり、右供述自体からしてもその信用性にはかなり疑問があると認められるうえ、同人は原審第一三四回公判期日における証言ではB31ノートは昭 は弁護人の強い誘導にしたがつてなされたきわめて迎合的なものであり、右供述自体からしてもその信用性にはかなり疑問があると認められるうえ、同人は原審第一三四回公判期日における証言ではB31ノートは昭和四五年度のメモであり昭和四七年度のメモではないと言い張つていたのであり、同人のこの点の供述には重要な自己矛盾があること(しかも、右供述の変更は、原審の審理経過に徴すれば、B31ノートの所論指摘の記載の前後に記載されている事項が右記載事項にかかる面会申込者の証言により昭和四七年一〇月末のメモであることが明らかになり、所論指摘の記載もそのころのものであることを否定しえなくなつたことによるものであることは明らかである。)、B31は、原審第一三四回公判期日において、右「8・30」の記載につき申込電話をうけた時間であるといい当初朝の八時半のことであるといいながら、その後唐突に夜の八時半のことであると供述を変え、右供述の変更について何ら納得のできる説明をしていないこと、同人は、原審第一五八回公判期日においても、右記載について、夜の八時半とも朝の八時半ともいい、また「わからない」とも答えるなど、しどろもどろの供述に終始していること、B31は、右「9・30」の記載についても、原審第一三四回公判期日においては「わかりません。」と供述し、原審第一五八回公判期日においては、当初「朝の九時三〇分という記載かと思うがよくわからない」と述べながら、弁護人から「電話を受けた時間じやないか」と誘導されるや、ただちに右誘導に乗り、「ああ、そうかもしれません」と迎合しているのであり、この点の供述の変更についても何ら納得のできる説明をしていないこと、B31ノートの他の記載をみると、電話を受けた時刻は記載してないのに、右「9・30」のみ電話を受けた時刻というのも不合理であること この点の供述の変更についても何ら納得のできる説明をしていないこと、B31ノートの他の記載をみると、電話を受けた時刻は記載してないのに、右「9・30」のみ電話を受けた時刻というのも不合理であることなどの諸点を総合すれば、B31のこれら原審証言は到底信用できないものであることは明らかであり、B31のこれらの証言に立脚する弁護人らの右主張も到底容認しえないものという他はない。 B31ノートの右記載は、やはり、B32が、本件金員を被告人に供与するために被告人に面会を求めそれを受けたB31がメモしたものであつて、「10/303時~3時3010/312時以降」とあるのはB32が申し出た面会希望時刻であり、「「8・30」」とあるのは午前八時三〇分に会うという被告人側の回答を伝えたものと認められるのである(なお、「9・30」の記載の意味は必ずしも明らかではないが作成者たるB31自身が納得できる説明をしていない以上、このことは右認定を妨げるものではないというべきである。「B35社長」とあるのは、当時E1の社長室長であつたB32がB31に対し被告人との面会を求めた際に、自分がB35社長の下にある社長室長であると名乗り、B35の名前を出したことによるものと推認される。)。したがつて、B31ノートの右記載についての原判決の事実認定には、所論のような事実誤認はないといわざるをえない。 (d) 次に、弁護人らは、原判決が「B32の使用していた名刺整理箱(甲二282)の中にあつたB31の名刺(以下、「本件名刺」という。)は、B32の『B31に対し本件五〇〇万円を手交した際初対面であつた同人と名刺交換をしたと思う、同人とはその時一回だけしか会つていない』旨の証言(四七回、四九回)を裏付けるものである。」と判示している点について、『「1」B32は直接受取つた名刺に 際初対面であつた同人と名刺交換をしたと思う、同人とはその時一回だけしか会つていない』旨の証言(四七回、四九回)を裏付けるものである。」と判示している点について、『「1」B32は直接受取つた名刺には備忘のため日付を記載しているが、右B31の名刺には日付の書き込みがなく、このことは右名刺がB32の直接受取つたものてはないことを窺わせること、「2」被告人が本件金員の趣旨にかんがみ直接これを受取ることを回避し、後刻B31をしてこれを受領させたのであれば、B31が後日証拠ともなる名刺をB32に渡す筈がないこと、「3」B32は原審証言で、本件金員をB31に渡した際に右名刺を受取つたとまでは供述していないこと、「4」右名刺が入つていたB32の名刺整理箱には四七一枚の名刺が入つていたが、このうち日付の書き込みのあるものは三五二枚で残る一一九枚が日付の書き込みがないところ、日付の書き込みのあるものを年別に分類すると、昭和四七年の日付の書き込みのあるものには政治家関係のものが一枚も含まれておらず、このことはこの名刺整理箱にはB32が昭和四七年中に受取つたものが包含されていないことを意味するか、あるいは右名刺整理箱の中の名刺にB32によつて何らかの作為が加えられたことを示していること、「5」B36の原審証言によれば、同人は昭和四七年一一月二日ころ、B31からE1からの被告人の政治団体K1会への臨時会費二〇〇万円を受取つていることは明らかであるところ、被告人の秘書がK1会の会費受領のため会社を訪問する場合には受付に必ず名刺を出して担当者に面会を申し入れていたことなどを総合すれば、右名刺は、B31が同日ころK1会に対するE1の政治献金の増額を要請するためにE1を訪れた際か、右政治献金を受取るためにE1を訪れた際に受付を通じてE1秘書課長B39に渡したものであ を総合すれば、右名刺は、B31が同日ころK1会に対するE1の政治献金の増額を要請するためにE1を訪れた際か、右政治献金を受取るためにE1を訪れた際に受付を通じてE1秘書課長B39に渡したものであり、その後B39からその直接の上司であるB32に右経過が報告された際にB32に渡されたものと見るべきであるから、原判決の右認定は事実を誤認したものである』と主張する。 しかしながら、右「1」の主張についていえば、本件名刺に日付の記入がなされていないことは所論指摘のとおりであるが、右名刺整理箱の中には本件名刺の他に一〇〇枚以上もの日付の記入のない名刺があつたのであり、これらの中には日付のほかにも電話番号、用件などB32が備忘のために記入したと思われるさまざまな書きこみのある名刺が多数存在していることからすれば、本件名刺に日付の記入がなかつたということは、B32において本件名刺に備忘のため日付を記入しておく必要を感じなかつたということを意味するにすぎず(本件名刺が本件金員交付の際にB31からB32に交付されたものであるとすれば、A2から本件金員を含む三、〇〇〇万円の金員の配付を押しつけられたことについてのB32の後述のような心情からして、B32はむしろこのことを一日も早く忘れたいと考えたであろうことは推認するに難くはなく、いわんや本件名刺に備忘のために日付を記入しておく必要など全く感じなかつたであろうことは明らかであるから、本件名刺に日付の記入がなされていないことはむしろ当然なのであり、何ら異とするに足りないところというべきである。)、本件名刺がB31からB32に直接手交されたものであることをいささかも疑わしめるものではないというべきである。 次に、右「2」の主張についていえば、被告人があらかじめB32にB31の氏名を告げて同人に本件金員をとり らB32に直接手交されたものであることをいささかも疑わしめるものではないというべきである。 次に、右「2」の主張についていえば、被告人があらかじめB32にB31の氏名を告げて同人に本件金員をとりにやらせることにし、さらに同人もあらかじめ電話でB32にアポイントメントをとつていたとしても、B32とB31とは初対面なのであり、被告人から本件金員の性質、趣旨について具体的な説明を受けていたとも思われない状況下において、現金の受領に赴いた際に、B31がB32に名刺を出したのはむしろ当然であり、何ら異とするに足りない。被告人が右金員をB32から直接受領しないで後刻B31にとりにやらせるという方法をとつたことは、後日仮に本件金員の授受が明るみに出たとしても、被告人自身は知らなかつたことであるという弁解をする余地を残しておきたいという思惑にもとづくものであろうし、また、被告人としては、たとえ秘書の手を通じてにせよ、本件金員を受領したことは極力秘匿したいところであつたであろうことは推認するに難くはなく、本件で領収証の授受がなかつたのも、まさにそのために他ならないが、B31が本件金員の受領に赴いた際にB32に己れの名刺を渡したとしても、右名刺には本件金員の授受を窺わせる何らの記載もないのであり、商社の役員、とくに政治家との折衝を職務内容とする社長室長の手許から政治家の秘書の名刺が発見されたからといつて、それだけでは本件のような性格の金員の授受があつたのではないかという疑惑を招くというおそれは全くなかつたというべきであるから、仮にB31が本件金員の性質についてある程度の予備知識を有していたところで、同人が名刺をさし出すことは何らさしつかえがないと判断したであろうと思料されるのである(そもそも約四年近くも経過した後まで右名刺整理箱に本件名刺が保存され、し ある程度の予備知識を有していたところで、同人が名刺をさし出すことは何らさしつかえがないと判断したであろうと思料されるのである(そもそも約四年近くも経過した後まで右名刺整理箱に本件名刺が保存され、しかもそれが捜査機関の手で発見されて己れの刑事事件において本件金員受領の有力な証拠として用いられるということは、被告人自身にせよ、B31にせよ、本件当時夢想だにもしていなかつたところであつたと思われる。)。 右「3」の主張についていえば、B32が本件について検察官の取調べを受けたのはB31への本件金員の交付から四年近くも経過した時点なのであり、B32はB31の名前すら当初忘れていたのであるから本件金員をB31に交付した際にB31から名刺を受取つたかどうか、受取つたとして、本件名刺がそれであるかどうかについて記憶を失つていたとしても、それはむしろ当然であり、B32にその点の記憶がないからといつて、B31からB32に直接本件名刺が渡されていなかつたと推認すべき筋合いは毫もないといわなければならない。 右「4」の主張についていえば、右名刺整理箱の中に昭和四七年度の日付の記入のある政治家関係のものが一枚も含まれていないとしても、政治家関係以外の名刺には同年度の日付の記入のあるものが多数含まれていることや、政治家関係の名刺で日付の記入がないものの中には例えば国家公安委員長B40秘書B41の名刺など(右B40が国家公安委員長に就任したのが昭和四七年以前であることは、当審で取調べられた官報により明らかである。)そこに印刷されている政治家の肩書等から同年度中にB32の手に入つたものであることが明らかに認めうるものが含まれていることなどに徴しても、右名刺整理箱にはB32が同年度中に受取つた名刺が含まれていないとは到底いえないことは明らかである。また、所論は、右 の手に入つたものであることが明らかに認めうるものが含まれていることなどに徴しても、右名刺整理箱にはB32が同年度中に受取つた名刺が含まれていないとは到底いえないことは明らかである。また、所論は、右名刺整理箱の中の名刺にB32が何らかの工作をしているというのであるが、その趣旨は、甚だ明瞭を欠くものであるけれども、要するにB32が被告人をおとし入れるためにわざわざB31から直接受取つてもいない名刺を何らかの方法で入手して右名刺整理箱に入れておき、捜査機関にこれを発見させて、本件金員をB31を通じて被告人に渡したとする己れの供述の裏付けにしようと工作したというにあると思われる。しかしながら、B32と被告人との間にはB32がこのような陰湿な小細工をしてまで被告人をおとし入れなくてはならないような関係は全くなく、また、B32が本件金員を自己のために秘かに領得し、これを隠蔽するため被告人に本件金員を渡した旨虚偽の供述をしているということもありえないことは後述のとおりであつて、所論は、何ら証拠にもとづかずして、いたずらに臆測をたくましうするものといわなければならない。そもそも、本件名刺が後日司直の手により右名刺整理箱から発見され、本事件において証拠として用いられることになるなどとは、被告人、B31と同様、B32自身においても、当時夢想だにもしなかつたところというべきであつて、この点からしても所論は理由がないことは明白である。 右「5」の主張についていえば、たしかに、原審で取調べられた関係各証拠によれば、被告人が、昭和四七年一一月初めころ、B31の手を通じてE1から被告人の政治団体K1会への臨時会費として金二〇〇万円を受取つていることが認められることは、所論指摘のとおりであるけれども、当のB31自身が、原審公判廷で、本件名刺がその際E1の秘書課長B E1から被告人の政治団体K1会への臨時会費として金二〇〇万円を受取つていることが認められることは、所論指摘のとおりであるけれども、当のB31自身が、原審公判廷で、本件名刺がその際E1の秘書課長B39に渡されたものであると思うなど所論に沿う供述は一言もしておらず(B31は当時B39に会つたことさえ供述していない。)、むしろ「名刺はそのものそつくり印刷することができる。」などと、あたかも本件名刺がB31自身のものではなく何人かが勝手に印刷したものであるかのような、開き直つた供述をしている(右供述については、検察官から、「偽造したというわけですね。」とたたみかけられると、さすがに気がひけたのか、B31は「そのへんはわかりません。」と言葉を濁している。)こと、B39も原審公判廷で自分がB31に右二〇〇万円を渡したとは述べておらず、B31と名刺交換をしたのは初対面のときだけだつたと思うと供述している(右供述の趣旨については後に説示する。)ことを併せ考えると、本件名刺が右二〇〇万円を受領する際にB31からB39に渡されたものではないことは明らかである。弁護人らの右各主張はいずれも採用できない。 原審で取調べられた関係各証拠によれば、本件名刺は、B31が当時使用していたものであつて、まさにB31が本件金員の受領にE1に赴いたときにB31から直接B32に交付されたものであることは優に肯認できるのであつて、本件名刺は、B32の原審公判廷における本件金員をB31を通じて被告人に交付した旨の証言の真実性を担保するに十分なものといわなくてはならない。この点に関する原判決の認定に所論のような事実誤認はない。 (e) なお、弁護人らは、『原判決が、B39は「B31は四三、四年から来ていたが名刺交換をしたのは初対面のときだけである。B31の訪問を受け、私の都 原判決の認定に所論のような事実誤認はない。 (e) なお、弁護人らは、『原判決が、B39は「B31は四三、四年から来ていたが名刺交換をしたのは初対面のときだけである。B31の訪問を受け、私の都合で会えなくてB31が名刺を置いて帰つたということは、まずなかつたんじやないかと思う。」旨証言していることを理由に、右名刺はB39を通じてB32の手に入つたものではないと判示しているが、B39の右証言は、名刺交換をしたのは初対面のときだけであるというのであり、その後においてB31から一方的に名刺を受取つたことまで否定した趣旨ではないから原判決の右認定は誤りである』と主張する。 しかしながら、B39が、右証言に引きつづき、B31の訪問を受け、私の都合で会えなくてB31が名刺を置いて帰つたということはまずなかつたんじやないかと思うと供述していることや証言全体の流れからすると、B39の右証言は相互的な名刺交換のみならず、B31から一方的に名刺を受取つたことをも否定する趣旨を包含しているとみるべきものと思料されるのであり、前述のように、B39が、B31に右二〇〇万円を渡したとは供述しておらず、また、このころ廊下でB31とすれちがつた記憶はあるが、同人と面会したことはない旨供述していることや、B31も原審公判廷でこの頃B39と会つたとかB39に名刺を渡したとか供述しておらず、「名刺はそのものそつくり印刷することができる。」などと供述していること、B39も、原審公判廷でB31から名刺を受取つていればB32に渡しているであろうとは述べておらず(B32も同様である。)、また、仮に、K1会への献金をB39がB31に渡したとしても、右献金はすでにE1上層部において金額も含めて決裁されているのであるから、B39のB31への右金員の交付はすでに上層部において了解済 )、また、仮に、K1会への献金をB39がB31に渡したとしても、右献金はすでにE1上層部において金額も含めて決裁されているのであるから、B39のB31への右金員の交付はすでに上層部において了解済みの全く裁量の余地のない機械的な作業にすぎず、B39からB32にわざわざその際B31から受取つた名刺まで添えて報告がなされたとは考えがたいことなどを総合すると、やはり前述のように、本件名刺が右二〇〇万円を受領する際にB31からB39に渡され、さらにB39からB32に渡されたものであるなどとは到底認められず、まさに本件金員受領の際にB31からB32に直接渡されたものに他ならないと認めざるをえないのであり、弁護人らの右主張もまた失当というべきである。 (f) また、弁護人は、『B32が原審公判廷における証言の際、甲二の二六四の写真によつてはB31を識別しながら、B31との直接の面通しでは、「よくわからない」と答えていること、B32の証言によれば、B32がB31の名前を思い出したのは、B32の名刺整理箱が押収されてB31の名刺が発見され、右名刺やB31の写真を示されたのがB32のB31の名前を思い出したきつかけであるというのであるが、B32の検察官に対する昭和五一年八月九日付供述調書には「秘書の名前もその時はつきり私に言いました。その名前は確かB31と聞いた記憶があります。」とあり、右のような記憶喚起によるまでもなくB31という名前についてB32が明確な記憶を有していたような供述記載となつており、このことは右調書が取調検察官の極度の誘導による作文にすぎないことを物語つているといわざるをえないこと、B32が取調検察官によつて示されたB31の写真の裏面に「左側B31右側護衛警察官」と検事が書き入れてあり、このことは公判廷でB32に示した際B32が誤つ ことを物語つているといわざるをえないこと、B32が取調検察官によつて示されたB31の写真の裏面に「左側B31右側護衛警察官」と検事が書き入れてあり、このことは公判廷でB32に示した際B32が誤つてB31でない方の人物を指示することのないようあらかじめ工作したものといわざるをえないことなどを総合すれば、B32のB31に関する原審証言は到底信用できないところというべきである』と主張する。 しかしながら、所論指摘のB32の検察官に対する供述調書の供述記載は、押収された自分の名刺整理箱の中からB31の名刺が発見され、これとB31の写真とを取調官から示されてB31の名前を思い出した旨のB32の原審証言と何ら矛盾ないし相反するものではないのである。すなわち、右供述記載は、右証言のような経緯で喚起された記憶の内容のみを記載したもの(B32の記憶喚起の経緯をいわば端折つて録取したもの)にすぎず、右証言のような記憶喚起の過程を経るまでもなく取調べの冒頭からB31の名前について明確な記憶を有していたとする趣旨、すなわち右証言と牴触する趣旨を包含するものではないことは、「その名前は確かB31と聞いた記憶があります。」という、B32が記憶を喚起しつつ供述しているニユアンスを十分窺わせる右供述記載自体からして明らかであるというべきである。したがつて、右供述調書が検察官の極度の誘導による作文にすぎないとする所論は、その前提を欠くものといわざるをえない。 また、B32が写真においてはB31を識別しながら、B31との直接の面通しでは「よくわからない。」と答えている点も、B32はB31とは本件金員交付の際に一回だけ、しかもごく短かい時間会つたのみであるうえ、B32が本件金員をB31に交付した時から原審で証言した時までに八年もの歳月が流れていて、この間にB32の記憶 32はB31とは本件金員交付の際に一回だけ、しかもごく短かい時間会つたのみであるうえ、B32が本件金員をB31に交付した時から原審で証言した時までに八年もの歳月が流れていて、この間にB32の記憶もかなり薄れており、B31の風貌にも変化があつたであろうと推認されるのであるから、何ら異とするに足りないところというべきである。むしろ、B32が写真ではB31を識別しながら、直接の面通しに際しては「よくわからない。」と答えていることは、同人が自己の記憶に忠実に供述しており、己れの記憶を誇張して供述していないことを物語つているというべきである。そして、B32が本件金員交付があつたとされる時点から四年近くも経過した捜査段階において、写真によりB31を識別しえたということは、本件金員の交付という事柄が、B32にとつて、B31の人相等についてまでB32に強い印象を残すだけの特異な出来事であつたことを意味しており、本件金員を交付した相手がB31に他ならなかつたことの有力な証左であるといわなければならない。 また、B32が捜査段階で示されたB31の写真の裏面に所論のような記載がある点についていえば、右記載は取調官側において、B31と護衛警察官とを識別する必要からなされたものと推認されるのであり、この記載からしてB32をして面識のないB31を識別させるためのトリツクがなされたとする所論は、そもそもB32において、ことさらに検察官に迎合して一度も会つたことのないB31に会つたと虚偽の供述をし、被告人をおとし入れなくてはならないような関係がB32と被告人との間に全くないことの明らかな本件においては、採用の限りではない。 (g) さらに、弁護人らは、『B32が自己の裁量により本件金員を含む三、〇〇〇万円につき一、〇〇〇万円をL2に流用するなど配付先、配付金額を変 いことの明らかな本件においては、採用の限りではない。 (g) さらに、弁護人らは、『B32が自己の裁量により本件金員を含む三、〇〇〇万円につき一、〇〇〇万円をL2に流用するなど配付先、配付金額を変更していることなどに照すと、領収書を受取る必要のない金であることを奇貨として自己の利益のために他の用途に流用あるいは処分をしたものと推認される、このことは捜査段階においてB32の取調べにあたつたB11検事さえそのような心証を抱いていたことからも裏付けられているところというべきである』と主張する。 しかしながら、本件三、〇〇〇万円の配付先、配付金額がE1側の手で当初のA2側の意向とは異なつたものに変更されていることは所論指摘のとおりではあるけれども、当初のA2側の意向自体が配付先及び配付金額についてある程度まで変更することをE1側に許容することを含みとしたものであつたのであり、うち一、〇〇〇万円をE1側の意向でL2に供与することも当初のA2側の意向に牴触するものではなかつたことは、後述のとおりであるから、所論はそもそもその前提を欠くものであるうえ、本件金員の政治家への配付という仕事は、B32が個人としてではなくあくまでもE1の社長室長の業務の一環としてB6及びB42から引受けたものであり、ことは隠密を要するとはいえ、E1内部においても、B6、B42及びB39は事情を知つていたのであり、また、対外的にいえば、右仕事はE1がA2から請負つたものであり、その結果は、概括的にもせよA2側に報告しなくてはならないものであつたことに徴すれば、仮にB32が本件金員を自己のために費消、着服するが如き挙に出たとすれば、露見する危険も少なくなく、その場合、B32としては社内での信用を全面的に失う破目になるのみならず、E1自体の商社としての信用も失墜させ、少なくと 自己のために費消、着服するが如き挙に出たとすれば、露見する危険も少なくなく、その場合、B32としては社内での信用を全面的に失う破目になるのみならず、E1自体の商社としての信用も失墜させ、少なくともA2への今後のD1売込みには重大な悪影響が出るであろうことは誰の目にも明らかなところというべく、商社マンとして順調に昇進してきたB32がかかる愚劣な振舞に出るとは到底考えがたいところである。 また、B6、B42、B32及びB39が、A2から、D1を購入してもらうためにはその要求を呑まざるをえないE1の弱い立場につけこみ、このようなダーテイな仕事を押しつけられたことにひどく困惑しており、とくにB32は、なぜE1がA2のためにこのような形で手を汚さなくてはならないのかと右仕事を引受けることに強い抵抗感、不快感を抱いていたことは、後述のとおり、原審で取調べられた関係各証拠から明らかであるが、こうしたB32の当時の心境に照しても、B32が、A2から本件金員の配付依頼があつたのを奇貨として、所論のような挙に出るというが如きことは全くありえないところというべきである。 所論指摘のB32とB11検事とのやりとりも、右検事が所論のような疑いを抱いたからではなく、後日公判段階にいたり被告人側からそのような主張がなされることを慮り、いわば駄目を押す形でその可能性を完全に払拭し、否定し去つておくため、被告人側に先まわりした形で本人に確認したものに他ならないことは、右のやりとり自体からして明らかである。要するに、所論は、何らの証拠なくして、B32の人格にいわれなき中傷を加えるに等しく、到底容認できないものといわざるをえない(なお、弁護人らが、原判決が、B32と被告人との間には、B32が虚構をねつ造してまで被告人に刑事責任上不利益な証言をしなければならないような 加えるに等しく、到底容認できないものといわざるをえない(なお、弁護人らが、原判決が、B32と被告人との間には、B32が虚構をねつ造してまで被告人に刑事責任上不利益な証言をしなければならないような関係がなかつたと判示し、この点を同人の原審公判廷における証言の信用性を肯定する事情の一つとしているが、B32が被告人に五〇〇万円を渡していないとすれば、B32自身が右金員を着服したか、他に費消したかと疑われる関係にあり、B32と被告人との間にはやはり利害の対立する関係があり、B32が高邁高潔な人格者であり右金員を領得するようなことはありえないと原判決が考えたとすれば、それは誤まつた先入観念にもとづくものという他はない旨、暗に、B32が自ら右金員を領得したことを隠蔽するため、ことさら被告人にこれを渡したと供述しているかの如く主張する点についても、右説示からして、採用しえないものであることは明らかである。)。 (h) 弁護人らは、『当時被告人の事務所では、金銭を受領する場合、まず秘書のB43が領収証を作成して金銭受領に赴く者に手交し、その者は相手方から金員を受取るのと引換えにこれを相手方に渡すという方法がとられていたのであるから、B31が領収証を持参して先方に渡すことなく被告人のため金員を受領するということはありえないこと、B32の証言によれば、同人が被告人宅で被告人と会つた際同人が被告人に金額を告げていないし、被告人も同人に金額をさいていないというのであるが、被告人がB31に後で取りにやらせるというのであれば、B31に指示を与える必要や領収証を準備させる必要からしても被告人がB32に金額を尋ねる筈であり、B32としてもA2の使いとして被告人宅にきたものである以上、金額を被告人に明確に伝え、また領収証も受取る必要があつた筈であること、少なくとも る必要からしても被告人がB32に金額を尋ねる筈であり、B32としてもA2の使いとして被告人宅にきたものである以上、金額を被告人に明確に伝え、また領収証も受取る必要があつた筈であること、少なくとも被告人としてはB31を使いに出す前に電話でB32に金額を問い合わせるなりする筈なのに、B32の証言によればそのような問い合わせはなかつたというのであり、また、B31が被告人から金額もきかず、領収証を渡す必要の有無についての指示を受けることもなく本件金員の受領に出向き、受領金額を確認せず領収証を渡すことなくこれを受取り、B32としてもそれまで一面識もないB31に仮の領収証を徴することもなく他人から預かつた五〇〇万円もの大金を渡したとするB32の証言はまことに不自然といわざるをえないことなどを総合すれば、B32のこの点に関する証言が虚偽であることは明らかである』と主張する。 しかしながら、弁護人らのいう、被告人の事務所における金員受領の方法は、K1会への会費など正規の政治献金を受領する場合の取扱いについてのものであり、本件金員の如く、その授受を秘匿すべき性質の金員についてまであてはまるものではないことはいうまでもない(本件金員が、その授受を秘匿すべき、いかがわしい性質のものであること、及び被告人においてこの点についての十分な認識があつたことは、後述のとおりである。)。B32が被告人と面談した際にB32が被告人に本件金員の具体的金額を告げておらず、被告人もこれを尋ねていないこと(さらに被告人が後刻B31をして本件金員の具体的金額を照会させてもいないこと)、あるいはB31が領収証を渡す必要の有無について被告人の指示を仰がず、B32から本件金員を受領するにあたり、その具体的金額をB32に尋ねてもいないことも、本件金員がその授受を秘匿すべきもので、被告人 あるいはB31が領収証を渡す必要の有無について被告人の指示を仰がず、B32から本件金員を受領するにあたり、その具体的金額をB32に尋ねてもいないことも、本件金員がその授受を秘匿すべきもので、被告人においてその受領につき、多分にやましさ、後ろめたさを感ぜざるをえない性質のものであることからして当然であり、これらの事情は、本件金員の授受があつたとするB32の供述の虚構性をいささかも推認させるものではないというべきである。 (i) 所論指摘の点に関するB32の原審証言が高度の信用性を有することは前述のとおりであり、右証言にB31ノート(甲二283)、B32の名刺整理箱(甲二282)の中にあつたB31の名刺を総合すれば、B32が、昭和四七年一〇月三〇日に電話でB31から被告人とのアポイントメントを取り付けたうえ、右アポイントメントにしたがい、同年一一月一日ころの午前八時過ぎころ被告人宅に赴き、同邸応接間において被告人と会い被告人に対して名刺を渡して自己紹介し、間近に迫つた衆議院議員選挙の話をしながらころあいを見て、『A2からお預りしてまいりましたものです』と言いながら、持参した現金五〇〇万円入りのハトロン紙包みを取り出してテーブルの上に差し出したところ、被告人が『後程担当の秘書のB31に取りにやらせますから』と言つてその場ではこれを受け取らなかつたので、右包みを持つたまま被告人邸を辞去して、そのままE1東京支店に出社し、間もなくB31から電話連絡を受け、右金員受渡しの時間を打ち合せたうえ、同日午後の約束の時刻にE1東京支店を訪れた同人と一五階の応接室で会い、互いに名刺を交換した後、B31に対し、『朝、B9先生に申し上げておきましたものです』と言つて右現金五〇〇万円入りの包みを差し出したところ、同人はこれを受け取つて帰つた事実は優にこれを肯認 で会い、互いに名刺を交換した後、B31に対し、『朝、B9先生に申し上げておきましたものです』と言つて右現金五〇〇万円入りの包みを差し出したところ、同人はこれを受け取つて帰つた事実は優にこれを肯認することができるのであつて、原判決の認定に所論のような事実誤認はないことは明らかである。論旨は理由がない。 第四賄賂性の認識についての事実誤認の控訴趣意所論は、『本件金員は賄賂ではなく、また被告人にはB32から本件金員を受取つた際本件金員についての賄賂性の認識はなかつたのであるから、これを肯認した原判決には事実誤認がある』というのである。 (a) 弁護人らは、『原判決の依拠するB32の検察官に対する昭和五一年八月九日付供述調書の「実はA2からD5に決まつたお礼として届けるように私の方に依頼がありましたので預かつてまいりましたと述べた」という供述記載は、同人の原審公判廷における証言で覆えされ、「A2からお預かりしてまいりましたものですと述べたにすぎない」とされており、検察官調書の右記載については「これは先程も申し上げましたように、非常にその勾留期間も長くなつておりましたし、私としては、そういうことを皆さんが言つていることをず―つとあれしてみると、そういうことになつたに違いないんだ、そういうことを申したに違いないんだというふうに非常にしつこくいわれておりましたし、まあ、あまり抵抗せずにそのままになつちやつたんじやないかというように考えております」と証言(四七回、三九、四〇丁)し、取調検察官の誘導、強要による供述に他ならないことを明らかにしているから、原判決がB32の検察官に対する供述調書の供述記載を信用したのは証拠の評価を誤まつたものである』と主張する。 そこで、まず、B32のこれらの供述の信用性について吟味することとする。 B32は、原 、原判決がB32の検察官に対する供述調書の供述記載を信用したのは証拠の評価を誤まつたものである』と主張する。 そこで、まず、B32のこれらの供述の信用性について吟味することとする。 B32は、原審公判廷において、大筋においては検察官に対する供述調書の記載とほぼ同じ内容の供述をしているのであるが、三、〇〇〇万円供与の趣旨に関するB6やB42の説明内容、供与の趣旨について被告人に申し向けた口上の内容、これらの金員供与の趣旨についてのB32自身の認識内容、三、〇〇〇万円の供与先と配分額についてのA2側の意向と配分額が決まつた経緯(とくにL2に対する一、〇〇〇万円の供与の決定された経緯)については、右供述調書の記載とかなりきわだつて異なつた趣旨の供述を原審公判廷においてしているのである。B32の原審公判廷における証言の供述内容や供述態度をつぶさに検討すると、B32らの本件三、〇〇〇万円の供与先についての強い証言拒否の態度のほか、本件三、〇〇〇万円の供与の趣旨に関するB6の説明内容についての供述が捜査段階と公判段階とで相反している点について、B32が原審公判廷で何ら納得のできる説明はしておらず、捜査段階での供述について「認めたようなことはいわなかつたと思うが、徹頭徹尾そうじやないということもよういわなかつたと思う」などときわめてあいまいな供述をしており、また、この点については「調書は読んでもらつたが訂正を申し出るとか取り消してもらうという程の気力はなかつた」とも供述しているが、右供述は、B32が、供述録取の途中で検察官に対し、「いずれにしても、私からあれこれ積極的な意見や案をこの時にB42君にいつた記憶はありません」との文言を挿入してほしい旨申し出て、その旨録取されていることや、本件三、〇〇〇万円のうち一、〇〇〇万円をL2に供与したことについ あれこれ積極的な意見や案をこの時にB42君にいつた記憶はありません」との文言を挿入してほしい旨申し出て、その旨録取されていることや、本件三、〇〇〇万円のうち一、〇〇〇万円をL2に供与したことについて、B35の事後了承をえたか否かに関する供述記載を読み聞かされ、記憶よりやや表現が強い印象を受けるので訂正してほしい旨申し出て、その旨補足されていることとも明らかに矛盾しているといわざるをえないこと、本件三、〇〇〇万円の供与の趣旨についてB32は「民間会社が買うのに先生方にお礼というのは局外者としてみて、筋からいつてもおかしいのではないかという奇異な感じがした」などと、およそA2の依頼にもとづき本件三、〇〇〇万円の配付を担当した者の供述としては甚だ不自然で不合理な供述といわざるをえない供述をしており、また、検察官に対する右供述調書中の裏金云々という供述記載についても「私が供述した通りが一部分であり、違う部分、検事からいわれた部分も一部分ある」などときわめてあいまいで納得しがたい供述をしていること、本件三、〇〇〇万円の供与先と配分額に関するA2側の意向についての、捜査段階の供述と公判段階の供述との相反についても、一方で、「取調べのときにも、この件はA2さんのご意向であつて、E1の考えとは全然違うというふうに申し上げていたと思う。」と供述しながら、他方では、「当時は私自身が起訴されている事件との関連において、非常にE1がそういうことについていろいろ作用をしたんじやないかということを取調べのときにずい分いわれていて、その連続でそういうようなことになつたんじやないかと思う。」とか、「取調べ検事の方に一つの筋書があつてその筋書に合わせて適宜結びつけられたり、私の記憶のはつきりしないところは皆がこういつていると誘導されたりした結果、上記検察官調書のよう やないかと思う。」とか、「取調べ検事の方に一つの筋書があつてその筋書に合わせて適宜結びつけられたり、私の記憶のはつきりしないところは皆がこういつていると誘導されたりした結果、上記検察官調書のような供述になつた」などとこれと明らかに矛盾する供述をしていること、B32が、一方では、本件三、〇〇〇万円について、B6、B42らから依頼されたのは、A2がL―一〇一一型機の採用を決定した昭和四七年一〇月三〇日であり、右両名から「大事な取引先のA2からの依頼であるから断りきれなかつた」旨の説明を受け、かつ、右金員がD5社の出捐にかかるものであることを熟知していた旨証言しながら、他方では「A2における同機採用決定と政治家に対する金員贈与と関係があるとは考えなかつたか」との質問に対し、「::、その当時は、この、一〇月三〇日に決めたということをですね、私は、それをお届けする前後にどの程度聞いていたかどうかということは、私は、記憶がはつきりしておりませんでした」などと同機採用との関連すら全く意識していなかつた旨前後でくいちがう供述をしており、また、A2からの依頼をE1が引き受けざるを得ない事情についても、再三再四「釈然としなかつた」とか、「抵抗を感じた」とか、「もう一つ割り切れないものがあつた」とし、その点でB42を難詰したくらいであつたと証言していながら、これに応じた理由については、「私が、この、もう、はなはだ不本意ながら引き受けざるを得ないと思つたわけですから、これは、当然、(B6らから)その、いろんなご事情のご説明くらいはあつたんじやなかつたかと思います」と言葉をにごし、更にその説明内容については、「よく覚えておりません」、「具体的に、どういうことだつたのか、までは覚えておりません」と極めて不合理、かつ、一貫性を欠く証言をしていることや、更には、B 言葉をにごし、更にその説明内容については、「よく覚えておりません」、「具体的に、どういうことだつたのか、までは覚えておりません」と極めて不合理、かつ、一貫性を欠く証言をしていることや、更には、B32が質問されたわけでもないのに、当時E1がL―一〇一一型機の売込みに全社をあげて取組んでいたというようなことは全くなかつた旨、ことさら強調し、その理由をるる述べていること、検察官に対する右供述調書のうち、「A2からのお礼と言われた」との記載部分について、「そのようにはつきり聞いた記憶が残つていないが、絶対になかつたとも断言できない」などというような、極めて暖味な証言で終始していること、本件金員の趣旨を被告人へ伝達した状況についても、B32は「本件金員を被告人に手交しようとした際、B32は被告人に『実はA2からお預りしてまいりましたものです』といつてさし出し、被告人は『のち程秘書の者をとりにやらせますから』と応答しただけであつて、その他の説明や質問は一切なかつた」旨供述しているのであるが、E1のB32がA2から金員を預り持参したことを告げながら、A2が金員を供与する趣旨・理由を全く述べなかつたということ自体きわめて不自然であるというべきであること、B32は、前記のように本件金員の趣旨について説明を受けた記憶がないと強弁し、かつその趣旨をどのように理解していたのかとの質問に対し、「とにかく届ければいいんだということだけで、その理由を詮策しても仕方がないし、詮策するつもりもなかつた」、「趣旨については全くわからないまま供与方を引き受けた」などと証言しているが、他方では、A2がどういう意味でその金を国会議員に届けるのかについて全く考えなかつたのかとの質問に対しては、「少なくともお礼だというような感じはなかつた」旨証言しているのであり、趣旨不明のまま るが、他方では、A2がどういう意味でその金を国会議員に届けるのかについて全く考えなかつたのかとの質問に対しては、「少なくともお礼だというような感じはなかつた」旨証言しているのであり、趣旨不明のままで穿鑿しなかつたというのであるならば何故かように断言しうるのか全く不可解といわざるを得ず、両証言は明らかに矛盾しているといわざるをえないこと、本件金員の供与先と配分額の決定の経過についても、B32は「誰にいくらの金を届けるかについては、あらかじめ確定していたA2の意向に従つたまでだと確信しており、E1の判断にまかされたようなことはもとより、E1の判断を加えるような余地は全くなかつた」旨、繰り返し強調しているが、他方では、A2側の意向を伝えるB42からの話とこれに対するB32の応答について、「これこれでどうかと思うがそれでよろしいかというようなご案が提出されたんで、それについてとやかくこちらから申し上げるまでもございませんので、そのとおりでよろしいんじやないですか、と了承したわけですね」と述べているのであり、右のやりとりはA2側から供与先と金額が示されたが、それは一応の「案」にとどまり、それが妥当であるかどうかについてE1側に相談をもちかけ、意見を求める趣旨であつたと理解し得るのであつて、先の供述とは明らかに矛盾しているといわざるをえないことなどの諸点が認められるのであり、これらの諸点を総合すれば、B32の捜査段階における供述と原審公判廷における供述とが相反する部分については、同人の原審公判廷における供述が信用できないものであることは十分に裏付けられているというべきである。 これに反し、B32の検察官に対する右供述調書の供述内容を検討すると、もはや司直に露見した以上今更隠しだてをしても詮ないことであるという淡々とした心境から、ありのままを素 いるというべきである。 これに反し、B32の検察官に対する右供述調書の供述内容を検討すると、もはや司直に露見した以上今更隠しだてをしても詮ないことであるという淡々とした心境から、ありのままを素直に供述していることが窺われるのであり、金員供与の相手方及び金額等についてのA2からの依頼内容、更にはE1側関係者相互間におけるその伝達状況等に関するB6の証言と対比してみても、B32独自の記憶に基いてなされたものであることが明らかであつて、取調べ検察官がB6ら関係者の供述をもとに一定の方向に誘導しようとした形跡は認められず、捜査段階において既に死亡していたB42との一対一のやりとりに関する供述部分については、そもそもそのほとんどはB6らの供述に基づき誘導する余地のない事柄であること、「A2に頼まれたことの尻を秘書課に持込んでくる位なら、なぜ予め私などに一言了解を求めてくれなかつたのかと不満に思いましたが、それはぐつと私は押え、口には出しませんでした」などとB32本人でなければ語り得ない当時の心境とともに述べられており、供述の自発性に疑いを容れる余地は全くないこと、B32の「A2からのお礼と言われた」との供述記載は、B6の原審公判廷における「A2側と直接交渉に当たつていたB42から、今私はB5さんと会つている。(A2では)明日L―一〇一一を決定したいと思つているが、それに先立つてA2からこの件でお世話になつている方々にお礼をしたいんだということで……との電話報告を受けた」旨の証言(同人は、弁護人の反対尋問に対しても「お礼」という言葉が出たことは間違いない旨繰り返し明言している。)とも符合していることを併せ考えるとき、B32の検察官に対する右供述調書の供述記載がきわめて高度の信用性を有するものであることは明らかである。 そもそも、B32として ない旨繰り返し明言している。)とも符合していることを併せ考えるとき、B32の検察官に対する右供述調書の供述記載がきわめて高度の信用性を有するものであることは明らかである。 そもそも、B32としては、検察官に対して右供述をするにあたり、己れのこの点に関する供述が被告人の罪責に決定的な影響を及ぼすものであることを十分に認識しつつ供述したであろうことは事柄の性質上疑いを容れないところというべきであり、B32が被告人らに不利益な虚構を作為してまで被告人らをおとし入れなければならないような事情も全く窺われない本件においては、こうした事情に徴しても、B32の検察官に対する右供述調書の供述記載が高度の信用性を有することは明らかである。 所論は、信用しえないB32の原審公判廷における供述との相反を理由に同人の検察官に対する供述調書の供述記載の信用性を攻撃するものであり、採用しえない。 (b) 弁護人は、さらに『B32の検察官に対する右供述調書にある「イ」「B6常務から『B9幹事長などに金を届ける際にはA2からのお礼であるときちつと言つてください』と言われた記憶がある。」旨、「ロ」「B42は私に『今度D1に決まつたことで、世話になつた先生方にA2からお礼をすることになりました。A2の依頼で先生方に金を届ける役をE1とやることになりました』と説明し始めた。」旨、「ハ」「(B42と話し合つた後)私はB39を呼んでB42と三人で各先生方にだれが金を届けるか、その分担を決めた……私はL1、B9両先生は私が届ける。あとの先生方はB39君届けてくれ、と命じておいた。その際『この金はA2からのお礼であるとはつきり言つて渡して下さい』とB42から念を押されたと覚えている。」旨の各供述記載をも、被告人の賄賂性の認識を肯認する証拠の一つとしている点についても、B32 の際『この金はA2からのお礼であるとはつきり言つて渡して下さい』とB42から念を押されたと覚えている。」旨の各供述記載をも、被告人の賄賂性の認識を肯認する証拠の一つとしている点についても、B32が原審公判廷で右「イ」の点につき「A2から預かつてきたということは、はつきり申しあげてくれと言われたが(A2からのお礼であるとはつきり言つてくれというような)そこまではつきり言つていなかつたと思う。絶対なかつたとも断言できないが、そこまではつきり聞いた記憶はない」旨(四七回)、右「ロ」の点につき、「A2から三、〇〇〇万円を先生方にお届けすることを依頼され、重要な取引先でもあるから引き受けたという話で(今度D1に決まつたことで世話になつた先生方にA2からお礼をすることになつたというような)そこまではつきり聞いたかどうか覚えていない」旨(四七回)、「(B42からの)金の趣旨についての説明は、私ははつきりしていないんだが、前回の検察官の主尋問で、D1に決まつたお礼だと言われたのではないかと聞かれ、その記憶はたいと申し上げ、絶対になかつたとも断言できないと申し上げた記憶はある。あつたかもしれないということだが……あんまりそういうことを詮索するような気持ちもなく、とにかく届ければいいんだなという感じであつた」旨(五〇回)、右「ハ」の点につき「A2からのお礼であるとはつきり言うようにということは私も申したこともないと思うし、B42からそういう話が出たかどうかについてもB6の場合と同様はつきり聞いた記憶が残つていない。しかし、絶対になかつたとも申し上げられない」旨(四七回)とやや後退した供述をしているのみならず、そもそもB32のこれら捜査段階における各供述はB32がB6またはB42から本件金員がA2からのお礼であると聞いたというだけのものであつて、B32 (四七回)とやや後退した供述をしているのみならず、そもそもB32のこれら捜査段階における各供述はB32がB6またはB42から本件金員がA2からのお礼であると聞いたというだけのものであつて、B32が被告人に述べた内容ではないのであるから、原判決がこれらの供述記載を被告人の賄賂性の認識を肯認するための証拠として用いているのは不当である』と主張する。 しかしながら、B32の原審公判廷における証言中、同人の検察官に対する供述調書の供述記載と相反する右供述部分が措信できず、この点については、同人の検察官に対する供述調書の供述記載こそ信用すべきものであることは前述のとおりであるから、B32の検察官に対する供述調書のこの点についての供述記載が信用性を欠き、同人の原審公判廷における供述の方が信用性を有することを前提とする所論が採用するに由ないものであることは明らかである。また、B32の検察官に対する供述調書中、B32がB6、B42から本件金員の趣旨や本件金員を被告人を含む政治家に届ける際にいうべき口上について聞いた言葉を内容とする供述部分は、B6やB42の右発言がそのまま被告人の耳に入つたわけではないという限度では所論の主張するとおりではあるが、このように被告人を含む政治家に本件金員を届ける際の口上について、B6やB42からA2側の要望として「A2からのお礼」であることをはつきり言うよう重ねて念を押されたB32としては、同人らの要請により本件金員を届ける以上、同人らの要請どおりに被告人とL1に対し、「A2からのお礼」である旨を明確に告げたであろうことは容易に推認されるところであり、このように、B32がB6、B42から聞いた話の内容はB32が被告人に話した内容と密接に関連することはいうまでもないのであつて、両者を全く別問題であるとする弁護人の右主張 に推認されるところであり、このように、B32がB6、B42から聞いた話の内容はB32が被告人に話した内容と密接に関連することはいうまでもないのであつて、両者を全く別問題であるとする弁護人の右主張もまた失当という他はない。 (c) なお、弁護人は、『B32は検察官に対する右供述調書において、「B42君と私でこの時この三、〇〇〇万円の割りふりの話をしたわけですが、当初B42君はA2側の意向としてそれぞれの先生方に差し上げる金額がはつきり確定しているわけではなくE1の判断を加える余地のある幅をもつた金額を云われているように私に話していたように思います。またL2総理についてもE1の方で考えてお礼をする必要があると判断すれば、この三、〇〇〇万円の中から一部総理へのお礼に使つてもらつてもかまわないというようなA2側の意向もあると聞いたように覚えています」と述べているが、B6が原審公判廷で「B42から六人の先生方を特定され、その配分は七、七、四、四、四、四、と具体的に伝えられ、特にL1先生とB9先生は七〇〇万ずつであると云われた。」と証言し(第三九回)、「証人がB39氏に具体的な指示をされた時に、これはE1である程度裁量的なものなんだという趣旨のニユアンスの指示をされたんじやないんですか」との質問に対し「いえ私はそのように電話でも聞いておりませんので、そのような指示も致しておりません。」と証言していることからすれば、B32の右供述は到底信を措きえず、B42、B6の段階では配付先と各配付金額が確定していたことは明らかであり、B32が独断で右三、〇〇〇万円からL2に対するE1からのお礼に一、〇〇〇万円を流用し、他の六人に対する各配付額を削減したものであるといわざるをえないが、このようなB32が被告人に対し、「A2から、D5に決まつたお礼として届ける らL2に対するE1からのお礼に一、〇〇〇万円を流用し、他の六人に対する各配付額を削減したものであるといわざるをえないが、このようなB32が被告人に対し、「A2から、D5に決まつたお礼として届けるように私の方に依頼がありましたので預かつて参りました」などと自分が単なる使い走りにすぎないようなことをいうとは到底考えられず、むしろE1の立場、B32の立場を強調してA2の名前さえ出さなかつたと推認するのが合理的である』と主張する。 たしかに、当初A2側からE1に対してなされた依頼は、被告人とL1に各七〇〇万円を、L3、B44、B45、L4に各四〇〇万円をそれぞれ配つてほしいという内容のものであつたのに、その後E1側の手で右三、〇〇〇万円の配付先及び配分額が変更され、L2に一、〇〇〇万円、被告人及びL1に各五〇〇万円、B45及びB44に各三〇〇万円、L3及びL4に各二〇〇万円とされていることは所論指摘のとおりであり、また、B6の原審公判廷における証言中に所論指摘のような供述があることも所論指摘のとおりであるけれども、そもそもB1とB5とがE1ないしD5社の負担において被告人を含むA2が世話になつた政治家に金を贈る旨の共謀を遂げた際の右共謀の内容は、L2を除く右六名の政治家には必ず金を贈るということではあつたがその配付金額についてはE1側の意向も汲み入れ、ある程度その裁量にゆだねるものであつたのであり、また、E1側の意向で右六名の政治家以外の政治家に金を贈ることをも許容する含みをもつたものでもあつたことはB5の検察官に対する昭和五一年八月九日付供述調書の記載に照して明らかであり、このA2側の意向はB5からB42に伝達され、B42からさらにB32に伝達されていた(B32の原審公判廷における証言中この点に関する供述が信用できず、同人の検察官に対す の記載に照して明らかであり、このA2側の意向はB5からB42に伝達され、B42からさらにB32に伝達されていた(B32の原審公判廷における証言中この点に関する供述が信用できず、同人の検察官に対する供述調書の供述記載こそ信用できることは前述のとおりである。)のであるから、B32、B42が右三、〇〇〇万円の配付先、及び各配付金額を右のように変更したことは、何らA2側の依頼の趣旨に牴触するものではないことは明らかであり、B6の原審公判廷における証言中所論指摘の供述部分はA2側の細かい意向はB5からB42、B42からB32へと伝達されていてB6の耳には入つていないことを物語つているにすぎず、同人の右供述は何ら右認定の妨げとなるものではないのである。したがつて、弁護人の右主張は前提を欠くものといわざるをえない。そして、B32が右三、〇〇〇万円の金員の配付を請負つたのを奇貨として、もつぱらE1の立場、B32の立場を強調するに急であり、A2の名前すら出さなかつたとする所論は、B32がこの点については検察官に対する供述調書よりも後退した供述をしている原審公判廷における証言においてさえも「被告人に対し、A2から預かつてまいりましたと話した」旨証言していることや、後述のように、B32がB42やB6から右三、〇〇〇万円の配付の話を持ちこまれた際に困惑立腹し、やむなくこれを引受けたものの終始E1がこのようなことでA2のために手を汚さざるをえない破目に追いこまれたことに対して強い抵抗感、不快感を抱いていたと認められることに徴しても、いわれのない臆測にすぎないことは明らかである。弁護人の右主張もまた失当というべきである。 (d) 弁護人は原判決が「被告人B9は、B1から本件請託を受け、その趣旨に沿つて大型機導入延期の行政指導を行なつたのであり、これによりA2の らかである。弁護人の右主張もまた失当というべきである。 (d) 弁護人は原判決が「被告人B9は、B1から本件請託を受け、その趣旨に沿つて大型機導入延期の行政指導を行なつたのであり、これによりA2の要望に応じて尽力したという意識を有していたものと認められ、しかも、右指導の内容は、それまで運輸省がとつてきた大型化推進という基本方針に逆行するものであつたばかりでなく、運輸省事務当局において検討のうえA1に対し運輸大臣名で行なつた機材の取得認可を、わずか二ケ月余りで特段の事情の変化もないのに実質的に覆すという極めて異例のものであつて、同被告人においても、本件請託を受けた際B1から説明を受けるなどして右の事情を了知していたものと認められ、したがつて、右行政指導は、同被告人にとつて運輸大臣在任中体験したことの中でも強く印象に残る事柄であつたとみるのが自然であること」と認定している点について、『「1」A1の前記機材取得認可は、昭和三四年一月一六日運輸省訓令第一一条により航空局長が専決しており、被告人は右認可に関与していないし、被告人が右取得認可について事務当局から報告を受けたことを窺わせる何らの証拠はない、「2」原判決はこの点について、「同被告人においても、本件請託を受けた際B1から説明を受けるなどして右の事情を了知していたものと認められ」と判示しており、右はB1の検察官に対する昭和五一年八月九日付及び同年同月一〇日付各供述調書の「それまでの経過などを話したうえ」「右に申した経過などをお話ししたうえ」などの供述部分に依拠しているものと思われるが、B1のいう「それまでの経過」「右に申した経過」という右の表現は甚だ具体性を欠くものであり、これをもつてA1の前記機材取得認可の経緯をも包含する趣旨とは解せられず、したがつて、原判決のいう「右の事情」という 「それまでの経過」「右に申した経過」という右の表現は甚だ具体性を欠くものであり、これをもつてA1の前記機材取得認可の経緯をも包含する趣旨とは解せられず、したがつて、原判決のいう「右の事情」という表現も何を指すのかまことにあいまいであるが、原判決の右説示が、右取得認可の経緯をも包含する趣旨であり、B1から本件請託を受けた際に同人の説明によつて被告人が右経緯についての知識を得たとするのであれば不当という他ない、「3」昭和四五年一一月二〇日の閣議了解は、原判決のいうように単に航空機の大型化推進をうたつたものではなく、右閣議了解の基礎となつた運政審の答申に「特に、今後、航空企業が航空機材のジエツト化・大型化を推進するにあたつては、経営効率の向上等企業体質の強化を必要とするとともに、運航整備面の充実を期することが極めて緊要である。とかく航空輸送需要の増加と経営環境の好転がみられる時期には、これらの動向にげん惑され、地道な努力が忘れ勝ちであるが、このような時期にこそ、過去の事故に対し謙虚に反省し、安全性の確保を旨として地についた着実な事業の遂行を図り、国民の信頼と負託に応える必要がある。政府においても空港整備、航空保安体制等の各般にわたり安全対策の強化を推進し、航空発展の基礎を強固なものとすることを強く要請する。」、「航空企業内容の充実強化を図り、航空の安全性の基礎のうえに、航空機のジエツト化・大型化を推進する」とあり、右閣議了解自身にも「航空企業内容の充実強化を図り、航空の安全性の基礎のうえに、航空機のジエツト化・大型化を推進する」とあることからも明らかなように、あくまでも航空の安全性を第一とし、これをふまえたうえで航空機の大型化を推進することをうたつているのであるから、航空の安全性についての十分な見きわめがつくまで大型機の導入を見合わせると らかなように、あくまでも航空の安全性を第一とし、これをふまえたうえで航空機の大型化を推進することをうたつているのであるから、航空の安全性についての十分な見きわめがつくまで大型機の導入を見合わせるという本件行政指導(所論は、なおこれを「問合せ」であるとするが、行政指導に他ならないことは前述のとおりである。)は右閣議了解の方針にもとり、これに逆行するものではない、「4」被告人が本件行政指導について認識していたことを窺わせる何らの証拠はなく、かえつて、昭和四六年二月二〇日の衆議院予算委員会におけるB7航空局長や被告人の答弁において本件行政指導にふれられていないことに徴しても、被告人が本件行政指導について全く認識を欠いていたことは明らかであり、本件行政指導が、「被告人にとつて運輸大臣在任中体験したことの中でも強く印象に残る事柄であつたとみるのが自然である」とする原判決の認定が不当であることは明らかである、』などと主張する。しかしながら、右閣議了解は、国内航空に関する行政方針の一つとして、「航空企業内容の充実強化を図り、航空の安全性の基礎の上に、航空機のジエツト化・大型化を推進する。」との内閣の基本方針を決定したものであり、弁護人の主張するようなものでないことは、右閣議了解の文言、その前文の「……航空企業の運営体制については、下記の方針により施策を推進するものとする。」との文言や、右閣議了解にいう「航空機のジエツト化・大型化を推進する。」ことは、当時の国内航空行政上最大の課題であつた「増大する航空輸送需要に対処し、利用者の利便増進を確保する」ため、政府の基本方針として策定されたという背景(右閣議了解の基になつた甲二24中運輸政策審議会の同四五年一〇月二一日付「今後の航空輸送の進展に即応した航空政策の基本方針について」と題する答申参照)に照して の基本方針として策定されたという背景(右閣議了解の基になつた甲二24中運輸政策審議会の同四五年一〇月二一日付「今後の航空輸送の進展に即応した航空政策の基本方針について」と題する答申参照)に照しても明らかであり、本件行政指導が政府の右閣議了解の方針に逆行するものであることはいうまでもなく、また、被告人が運輸大臣として右閣議了解策定に関与している以上、被告人がこの点について十分な認識をもつていたことも容易に推認できるところというべきである。 なお、昭和四六年二月二〇日の衆議院予算委員会第五分科会において、大型機の国内幹線導入問題が審議された際の被告人の大臣答弁についていえば、被告人の右大臣答弁は、B7航空局長の「傾向としては、大型ジエツト機を国内線に導入していくべきであろうと考える。この時期や機種決定は空港の整備状況あるいは今後の需要動向を考え慎重に決定していかなければならないと思う。……千歳、羽田、名古屋、伊丹、板付は現在(大型ジエツト機)就航可能である。」旨の答弁の直後に、「政策問題として私の考えを申し述べる。」として、「飛行場の整備の必要もあり、それよりも先に大事なことは安全性の問題だと思う。もし万一のことがあると二台分、三台分の事故を起こすわけだから、この種の問題は消極的に考えていいのじやないか。私は、現在の空港整備の状態、また各国の状況からみても、そうあわてて導入を考える必要は、個人的の見解だが、ないのではなかろうか。」と述べたものであるが、B7航空局長の答弁よりさらに大型機導入についての消極的ニユアンスを強調したものであることは右答弁自体より明らかであること、被告人の右答弁は事務当局の用意した答弁要旨より大型機導入について後退したニユアンスのものであることは甲二109中「二月二十日「衆」予算委員会B46(社)」で始まるメモ 弁自体より明らかであること、被告人の右答弁は事務当局の用意した答弁要旨より大型機導入について後退したニユアンスのものであることは甲二109中「二月二十日「衆」予算委員会B46(社)」で始まるメモに徴して明らかであること、右答弁が同四六年二月上旬に行なわれた本件行政指導と時期を接してなされており、しかもその答弁内容がB2の原審証言から窺われる本件行政指導についての指示内容と完全に符合していることなどに照らせば、被告人の右答弁が、自らの指示にもとづき行なわれている本件行政指導を念頭におき、大型機早期導入にブレーキをかける意図にもとづいてしたものに他ならないことは明らかである。所論は、被告人が右答弁において本件行政指導に直接言及していないことから、被告人には本件行政指導についての認識が当時なかつたことを意味すると主張するけれども、本件行政指導については、A1が当時従来の行政方針と牴触するものであるとして本件行政指導に強く反論していたのであり、本件行政指導が右閣議了解に表明された政府の従来の行政方針に逆行し、また、右行政方針にしたがつてなされたA1の前記機材取得認可の後わずか二ケ月余に実質的にこれを覆えす形でなされたものであることにかんがみれば、被告人が右答弁において本件行政指導に言及するときには、A1側の意向も明るみに出ることになり、かえつて右の朝令暮改の行政ぶりを浮き彫りにする結果となることは火を見るより明らかなのであるから、被告人が右答弁において本件行政指導に具体的に言及しなかつたのはむしろ当然であり、また、そのことが被告人の本件行政指導に対する認識の欠如を意味するものでもないことはいうまでもない。 次に、B1の検察官に対する昭和五一年八月三一日付供述調書における、本件請託の際にB1が被告人に話したとされる「右に申した経過」についてい る認識の欠如を意味するものでもないことはいうまでもない。 次に、B1の検察官に対する昭和五一年八月三一日付供述調書における、本件請託の際にB1が被告人に話したとされる「右に申した経過」についていえば、B1は右調書三項においてその具体的内容を詳細に供述しており、その中には、「四五年一二月にはいつて間もなくのころ、B5君から、A1は運輸大臣の取得認可を受けて、あらたに七四七型機を発注したうえ、すでに国際線でつかつている七四七LRを四七年度から国内幹線へ転用して就航させることになつたということを聞いたので、これは大変なことになつたと思つた。」とあること(A1が大型機の導入を延期することを納得しないことを説明するためには、B1としては、右大型機導入問題をめぐるこれまでの経緯にかんがみ、その前提としてA1の本件転用計画や本件取得認可について触れざるを得ないことは明らかであり、右調書のこの点に関する供述記載は高度の信用性を有するといわなければならない。)に徴しても「右に申した経過」の中にこのA1の機材取得認可の経緯が包含されていること、むしろ、このA1の機材取得認可の経緯こそ「右に申した経過」の中核をなすものであることは明らかである。したがつて、被告人が右機材取得認可当時事務当局からこれについて了解を求められたり、その経緯について報告を受けることがあつたか否かを論ずるまでもなく、弁護人の右各主張はいずれも採用できない。 (e) 弁護人は、原判決が「本件金員の授受に際し、B32はあらかじめ『A2からの用件で先生にお目にかかりたい』旨申し入れた(B32証言<四九回>)うえ、早朝被告人B9宅を訪れ、同被告人に対し、右認定のように『実はD5に決まつたので、A2からお礼として届けるよう依頼されて預かつてきた』旨、A2が導入する大型機の機種を決定した機会 <四九回>)うえ、早朝被告人B9宅を訪れ、同被告人に対し、右認定のように『実はD5に決まつたので、A2からお礼として届けるよう依頼されて預かつてきた』旨、A2が導入する大型機の機種を決定した機会に、A2から贈られる謝礼の趣旨であることを明示して、本件金員を差し出しているのであり、しかして同被告人は、B1の請託を容れ、同人に対しA1にはA2と同一時期に大型機を導入させるようにするとの意向を表明し、その線に沿つてA2のため有利な行政指導を行なつたのであるから、A1とA2において同一時期に大型機を導入することが確定し、その結果D5社製のL―一〇一一を選定したA2が、その機会をとらえて前記行政指導に対する謝礼として本件金員を持参したものであることを容易に認識し得たものと認められること(なお、前記のようにA2が大型機の機種選定の過程で同被告人から他に格別の世話に預かつたことを認めるに足りる証拠は皆無である。)」と判示している点について、『原判決が「前記行政指導に対する謝礼として本件金員を持参したものであることを容易に認識しえたものと認められる」と表現し、「請託を受けたことに対する謝礼」であることを認識しえたとは表現していないのは原判決自身、本件金員につき被告人が「請託を受けたことに対する謝礼」であることを認識しえたという心証までは抱きえなかつた証左である、このことは、原判決が右認定において引用するB32の「実はD5に決まつたので、A2からお礼として届けるよう依頼されて預かつてきた」旨の口上が請託を受けたことに対する謝礼である趣旨を明示的に伝達したものではないことや原判決自身も右口上について「A2が導入する大型機の機種を決定した機会に、A2から贈られる謝礼の趣旨であることを明示して」というのみで、請託を受けたことに対する謝礼であることを明示した ではないことや原判決自身も右口上について「A2が導入する大型機の機種を決定した機会に、A2から贈られる謝礼の趣旨であることを明示して」というのみで、請託を受けたことに対する謝礼であることを明示したものとは判示していないことからも明らかである』と主張する。 しかしながら、原判決の「前記行政指導に対する謝礼」という表現が、被告人がB1の本件請託を容れ、その線に沿つてA2のために有利な本件行政指導を行なつたことに対する謝礼という意味を簡潔に表現したものに他ならないことは、原判決の右表現の前後における説示に照しても自ら明らかであつて、本件請託を容れたことに対する謝礼ではないが、本件行政指導に対する謝礼にはあたるという趣旨ではないことはいうまでもない。したがつて、所論は、原判決の右表現をいたずらに曲解してこれを論難するものに他ならないというべきである。 また、「A2からのお礼」という、所論指摘のB32の被告人に対する右口上の表現が、本件請託を容れ本件行政指導を行なつたことに対する謝礼の趣旨であることをあからさまに表現したものではないことは所論指摘のとおりであるけれども、A2が大型機の導入、あるいは機種決定の過程で他に被告人から格別に世話になつたという事情の全く窺われない本件においては、少なくとも当の被告人に関するかぎり、右口上の表現が本件請託を容れそれに沿つて本件行政指導を行なつたことに対する謝礼の趣旨であることを察知し了解するに十分なものというべく、また、A2の指示にもとづくB32の右口上が、この趣旨を露骨に表現するものではなく、これをほのめかすような表現にとどまつていることも事柄の性質上むしろ当然というべきであり、何ら異とするに足りないことはいうまでもない。弁護人のこれらの各主張もまた採用できない。 (f) 弁護人は、『原審で取調べられ うな表現にとどまつていることも事柄の性質上むしろ当然というべきであり、何ら異とするに足りないことはいうまでもない。弁護人のこれらの各主張もまた採用できない。 (f) 弁護人は、『原審で取調べられたB1の検察官に対する全供述調書をつぶさに検討しても、同人がB5に対し本件金員供与の趣旨について伝達しているところは、B1の検察官に対する昭和五一年八月九日付供述調書の「J1党の主だつた方々にお礼をしたいのでE1に話してくれ。金はE1でもD5でもどちらが出してくれてもいいのでE1に任せなさい。お礼を渡すときA2から持つてきたと必ず言つてくれるようE1に話してください」というくだりだけであり、B5の検察官に対する供述調書中にも、同人の検察官に対する同日付供述調書の「うちがD1に決めた時にはE1ないしD5社から航空関係議員その他然るべき政治家にA2の名前で然るべきあいさつをして貰えんだろうかということをE1に打診して返事を貰えんだろうか」、「なお社長は、B9先生以下六人の人達についてはA2側でお世話になつた方でA2から云われて来たということを言つて届けて貰いたいという話でしたが」、「それからE1の方にはA2はD1に決めたのでA2から云われてあいさつに来ましたと一言いつておいてくれと伝えてくださいとB1から云われた」というくだりがあるのみであり、これらの供述記載自体からしても、B1とB5との間において本件金員が被告人に対する本件請託を受けたことについての謝礼である趣旨はうかがわれない』と主張する。 しかしながら、B1及びB5の両名が、前判示のように、被告人がB1の本件請託を容れ、その線に沿つてA2にとつて極めて有利な本件行政指導を行なつてくれたことを知悉していた以上、この「お礼」「然るべき挨拶」という表現は、右両者間において、供与されるべき金員が がB1の本件請託を容れ、その線に沿つてA2にとつて極めて有利な本件行政指導を行なつてくれたことを知悉していた以上、この「お礼」「然るべき挨拶」という表現は、右両者間において、供与されるべき金員が、右の請託を容れ本件行政指導を行なつてくれたことに対する謝礼を含む意味のものであることを了解し合うに十分な表現であるというべく、弁護人らの右主張もまた失当という他はない。 (g) 弁護人は、さらに、原判決が引用しているB1及びB5の検察官に対する右各供述調書の供述記載について、『これらはすべてB1やB5自身の内心の思い、あるいはB5がB1の内心の思いの推測にすぎず、このうちB1の内心の思いがB5に伝達されているわけではなく、まして、B5からB42、B6、B32に伝達されているわけでもないのであるから、原判決がこれらの供述記載を被告人の賄賂性の認識の認定に用いているのは不当である』と主張する。 しかしながら、B1及びB5の検察官に対する各供述調書中のこれらの供述記載は、単に同人らの当時の内心の思い、あるいはB1の内心の思いについてのB5の推測にとどまるものではなく、B1のB5に対する指示内容に他ならないことは明らかであり、しかも、右指示における「お礼」「しかるべき挨拶」という表現が、同人らにおいて、供与されるべき金員が本件請託を容れて本件行政指導を行なつてくれたことに対する謝礼を含む意味のものであることを了解し合うに十分なものであることは前述のとおりである。そして、右の趣旨で金員を被告人に供与することについての同人らの共謀は、その後原判示のような経過をたどりB32の手により実現され、また、この際B32が「実はA2からD5に決まつたお礼として届けるように私の方に依頼がありましたので、預かつてまいりました。」と被告人に述べたことにより、B1とB5 たどりB32の手により実現され、また、この際B32が「実はA2からD5に決まつたお礼として届けるように私の方に依頼がありましたので、預かつてまいりました。」と被告人に述べたことにより、B1とB5との間の右共謀における供与されるべき金員の趣旨も被告人には十分了解可能なものになつているというべきである。弁護人らの右主張もまた失当という他はない。 (h) 弁護人は、『被告人は運輸大臣在任中広範な所管事項を掌理していたのであるから、運輸大臣をやめて一六ケ月も経過した、本件金員が授受されたとされる時点で、このような特異とするに足りない指示をしたことが被告人の記憶の中に残つている筈がない』と主張する。 しかしながら、原判決が詳細に説示しているように、被告人が主務大臣として、前記閣議了解に先立つ運政審に対する諮問をし、かつ、前記閣議了解についても主務大臣として関与していることに照らせば、本件行政指導が従来からの運輸省の大型化推進という基本的な行政方針に逆行するものであることは被告人において十分に知悉していたところというべきであるうえ、事務当局において十分な検討を経てA1に与えられた前記大型機四機の取得認可の経緯についてもB1から本件請託の際その概要について説明を受けていたと認められる被告人としては、本件行政指導が大型化推進という右行政方針を具体化したところの右機材取得認可をも、わずか二か月余で特段の事情もなく実質的に覆えすという異例なものであることを、本件行政指導を命じた当時十分に理解していたと認められるのであるから、被告人が、本件請託を容れて本件行政指導に及んだ経緯についてその後も久しく鮮明な記憶、A2のために一肌脱いでやつたという強い意識を有していたことは十分に推認できるところというべきであり、B32からあらかじめ「A2からの用件で先生にお 指導に及んだ経緯についてその後も久しく鮮明な記憶、A2のために一肌脱いでやつたという強い意識を有していたことは十分に推認できるところというべきであり、B32からあらかじめ「A2からの用件で先生にお目にかかりたい」旨の申出を受け、かつ、同人から「実はD5に決まつたので、A2からお礼として届け出るよう依頼され預かつてきた」旨の口上を聞いた際、被告人が、右口上等により本件請託及び本件行政指導の経緯を想起し、本件金員がA2がD5社製L―一〇一一導入を決定した機会に本件請託を容れて本件行政指導に及んだことに対する謝礼の趣旨を含め持参されたものであることを察知・了解したことは疑いをさしはさむ余地の全くないところといわなければならない。このことは、A2からこのような形で現金を受け取つたことは従来一度もなかつたのに、被告人が、B32から本件金員の入つた封筒を差し出された際、同人に対しA2から本件金員を贈られた理由やA2からの謝礼をE1が届けることになつた経緯について何の質問もしていないこと、しかも、折角B32が持参したのに、その場では受領せず、後刻わざわざ秘書のB31をE1東京支店のB32のもとに差し向け、同人に受領させていること、本件金員については、被告人を支持推薦する政治団体の収入として政治資金規正法所定の記帳、報告がなされていないのみならず、受領にあたつて領収証の交付さえなされていないこと(B32の「B9の指示を受けて本件金員を受け取りにやつて来たB31は、領収証を書く用意など全然していなかつた様子であつた。」旨の証言に照らせば、このことも、被告人において本件金員が授受を秘匿すべき性質のものであること十分に認識していたことを窺わせる事情というべきである。)、前述のように本件金員がB32を介してA2から被告人に渡されているのに、被告人がB32と いて本件金員が授受を秘匿すべき性質のものであること十分に認識していたことを窺わせる事情というべきである。)、前述のように本件金員がB32を介してA2から被告人に渡されているのに、被告人がB32との面会及び本件金員の受領を強く否認しており、本件金員の趣旨及び自己の本件金員の趣旨についての認識について何ら説明をしようとしていないことなどの諸事情によつても十二分に裏付けられているところというべきである。 なお、本件金員の賄賂性については、B5が、検察官に対する昭和五一年八月九日付供述調書において、B1がE1あるいはD5の負担において被告人を含め多くの政治家に金員を贈ることにした点について、「さすがに社長はうまいことをやるなあ。今の時期にこういうことをいえばE1も嫌とはいわんだろうし、さすが社長だなと思つた」、「A2としては他人のふんどしで相撲をとるようなもので手を汚さなくてもすむと思つた」旨、B1が、検察官に対する昭和五一年八月九日付供述調書において、「私はこのような金を差しあげることは悪いことで人に知られては困るものでありましたので、できるだけ自分の手を汚したくないという気持があつた」旨それぞれ供述しているように、いずれも本件金員を含めA2がE1の手を通じて政治家に渡される金員がその授受をも秘匿すべき汚れた金であるという明確な認識を有していること、A2の依頼により本件金員を含めA2のため政治家に金を渡すこととなつたE1関係者についてみても、B6の原審公判廷における証言やB32及びB39の検察官に対する供述調書(B32及びB39のこの点に関する原審公判廷における証言が信用できないものであり、同人らの検察官に対する各供述調書中の供述記載こそ信用できるものであることは、前述のとおりである。)によりB6、B42がA2からD1を購入してもらうた 審公判廷における証言が信用できないものであり、同人らの検察官に対する各供述調書中の供述記載こそ信用できるものであることは、前述のとおりである。)によりB6、B42がA2からD1を購入してもらうためにはこの要求を呑まざるをえないE1の弱い立場につけこみこのような申出が突然なされたことに困惑し、その対応に苦慮してその尻をB32、B39にもちこみ、B32、B39においてもB32が一たんは立腹してB42の申出を拒否しようとしたが、B6から事情の説明を受けてやむなく自分とB39とで政治家に対し本件金員を含む金員を届けることを了承したものの、このような仕事をE1がA2のためにしなくてはならなくなつたことに強い抵抗感、不快感を抱いていたこと、すなわち本件金員を含め政治家に渡される三、〇〇〇万円の金員が、後ろめたい金、いわゆる賭賂であることを十分に認識していたと認められること、B39が検察官に対する右供述調書において、本件金員を含め政治家にくばらたければならない三、〇〇〇万円の金について、「俗にいうわいろであり、早く渡してこんな嫌なことは早く忘れてしまいたい」旨述懐し、B32も検察官に対する右供述調書において、この三、〇〇〇万円について「裏の金であり領収証をもらうべき性質のものではないと思つた」旨供述し、かつ、被告人宅で被告人に対し本件金員をさし出した際の己れの心理状況についても、「何か被告人には話しにくいようなぎこちなさを感じ、とくに被告人から後刻B31にとりにやらせるといわれた時には、ばつの悪い思いというか、まの悪い感じというか、ともかくいやな後味の悪い思いがした」旨述懐していることに徴しても疑いを容れないところというべきである。 (i) 以上の各説示から明らかなように、原審で取調べられた関係各証拠によれば、本件金員が本件請託を容れて本件行政 い思いがした」旨述懐していることに徴しても疑いを容れないところというべきである。 (i) 以上の各説示から明らかなように、原審で取調べられた関係各証拠によれば、本件金員が本件請託を容れて本件行政指導に及んだことに対する謝礼の趣旨を含むもの、すなわち賄賂に他ならないこと、及び被告人が本件金員をB31を介してB32から受領した際に、被告人には本件金員が右のような趣旨を含むものであること、すなわち本件金員が賄賂であることの十分な認識があつたことを優に肯認できるのであつて、原判決のこの点に関する事実認定には所論のような事実の誤認はないといわざるをえない。論旨は理由がない。 第五法令適用の誤りを主張する控訴趣意所論は、『刑法一九七条一項後段は、一般的職務権限を異にする職務に転じた後、前の職務に関して金銭の収受が行われた場合には適用がないと解すべきであり、このことは、同条に「職務に関し」とあるのは、収受された金員が転職前の職務と関連するものであることのみならず、現在の職務権限との間にも関連性があること、いいかえると、転職前の職務と転職後の職務が一般的職務権限を同じうするものであることを要求していると解すべきこと、退職後、在職中の職務に関して金員を収受しても同法一九七条一項の収賄罪は成立せず、在職中に請託を受けて職務上不正の行為をなし、または相当の行為をしなかつたことに関して金員を収受した場合のみ同法一九七条の三第三項により処罰されることとされていることとの権衡、しかも、その刑が単純収賄の場合と同じ三年以下の懲役(昭和五五年法第三〇号による改正後の現行法は五年以下の懲役である。)であり、同法一九七条の三の枉法収賄の法定刑一年以上の有期懲役より一ランク低い法定刑が定められていることは、退職後に従前の職務に関して金員を収受した事後収賄が本来の収 現行法は五年以下の懲役である。)であり、同法一九七条の三の枉法収賄の法定刑一年以上の有期懲役より一ランク低い法定刑が定められていることは、退職後に従前の職務に関して金員を収受した事後収賄が本来の収賄罪と犯罪類型を異にすることを意味しているというべく、一般的職務権限を異にする職務に転じた後、前の職務に関して金銭を収受した場合は、この事後収賄の範疇に属するとみるべきこと、転職前の職務の公正を害したからといつてなぜ転職後の職務の公正をそこない、あるいは転職後の現在及び将来の職務の公正に対する信頼を害するおそれがあることになるのか、その論理的根拠が不明であることなどに徴しても明らかであるというべきであるのに、一般的職務権限を異にする職務に転じた後前の職務に関して金員の収受が行われた本件について、原判決が同法一九七条一項後段を適用したのは同条の解釈適用を誤つたものである』というのである。 そこで按ずるに、本件の如く、公務員が、ある職務行為をしたことに関し、一般的職務権限を異にする他の職務に転じた後に賄賂を収受した場合に、刑法一九七条一項の単純収賄罪あるいは受託収賄罪が成立するかどうかという点については、学説上は見解の分かれているところであるが、判例上は所論指摘のものの他、昭和五八年三月二五日二小決定(刑集三七巻二号一七〇頁)を含む一連の最高裁判例がいずれもこれを積極に解していて、すでに確立した判例となつていると認められるのであり、当裁判所も同条同項が右のような場合を除外する趣旨であるとは文理上解しがたいこと、すなわち、同条同項は、職務執行の時点で右職務執行について当該公務員に職務権限があることを要求しているにとどまるのであり、賄賂収受の時点においても当該公務員が職務執行の時点で有していたのと同一の職務権限を有することまで要求しているとは文理上 執行について当該公務員に職務権限があることを要求しているにとどまるのであり、賄賂収受の時点においても当該公務員が職務執行の時点で有していたのと同一の職務権限を有することまで要求しているとは文理上解しがたいこと、所論のようにこれを消極に解するにおいては、公務員の身分を失つた後に賄賂を収受した場合にも、「其在職中請託ヲ受ケテ職務上不正ノ行為ヲ為シ又ハ相当ノ行為ヲ為サザリシ」ときには同法一九七条の三第三項により処罰されることとなつていることと権衡を失することになること(あるいは、所論は、本件の如く、公務員が一般的職務権限を異にする他の職務に転じた後従前の職務に関して賄賂を収受した場合を、公務員が退職後賄賂を収受した場合と同視し、従前の職務に従事していた間に「請託ヲ受ケテ職務上不正ノ行為ヲ為シ又ハ相当ノ行為ヲ為サザリシ」ときのみ同法一九七条の三第三項により処罰されることとなると解することにより、この点の権衡を維持しようとするものとも思料されるが、同条同項が「公務員タリシ者」と規定していることからしても、かかる解釈は同条同項の文理に明らかにもとり、これから逸脱しているといわざるをえない。)、収賄罪は、職務執行の公正を確保し、さらに職務執行の公正さに対する社会の信頼を維持することを目的としていると解せられるところ、所論のようにこれを消極に解するにおいては、右の立法目的を全うしえず、そのかぎりでは右立法目的を没却することになるといわざるをえないことなどに徴し、消極説は到底採るをえないものであり右最高裁判例の見解を正当と考えるものである。 なお、弁護人らは、同法一九七条の三の一項と三項とで法定刑に差異があることを理由に、同条三項の立法趣旨ないし保護法益が同法一九七条や一九七条の三第一項のそれとは差異があるかの如くいい、これを前提として、本件のように 、同法一九七条の三の一項と三項とで法定刑に差異があることを理由に、同条三項の立法趣旨ないし保護法益が同法一九七条や一九七条の三第一項のそれとは差異があるかの如くいい、これを前提として、本件のように、一般的職務権限を異にする他の職務に転じた後に従前の職務行為につき賄賂を収受した場合は、同法一九七条の三第三項の範疇に属すると主張するのであるけれども、同条同項が同条一項より軽い法定刑を定めているのは、前者の場合、後者の場合と比較して、その保護法益を侵害する程度、すなわち職務執行の公正を害する程度及び職務執行の公正に対する社会の信頼を害する程度がやや少ないと考えられることによるものと認められるのであり保護法益それ自体としては同法一九七条の三第三項の事後収賄罪と同法一九七条一項の単純収賄罪、受託収賄罪あるいは同法一九七条の三第一項の加重収賄罪との間に何らの差異はないと思料されるのであり、また、一般的職務権限を異にする他の職務に転じた後であつても、依然として公務員たる身分を有する立場で賄賂を収受した場合には、公務員たる地位を失つた後に賄賂を収受した場合とは、右の被害法益の侵害という観点から実質的に考察するとき、これを同一に論じえないものがあるといわざるをえず、むしろ、この点では一般的職務権限には変更がないが、具体的職務の変更があつた場合に従前の職務について賄賂を収受した場合と径庭はないと思料されるのであるから、弁護人らの右主張は採用できない。 したがつて、本件について、昭和五五年法第三〇号による改正前の同法一九七条一項後段を適用した原判決には、所論のような法令適用の誤りはない。論旨は理由がない。 第六検察官の控訴趣意(量刑不当)所論は、被告人に対する原判決の量刑が不当に軽いというのである。 そこで、原裁判所が取り調べた証拠を調査し、当審 うな法令適用の誤りはない。論旨は理由がない。 第六検察官の控訴趣意(量刑不当)所論は、被告人に対する原判決の量刑が不当に軽いというのである。 そこで、原裁判所が取り調べた証拠を調査し、当審における事実の取調べの結果を参しやくして検討すると、本件は、運輸大臣の要職にあつた被告人がその在任中にA2社長B1から原判示のようにA1の大型機国内幹線導入を遅らせるよう行政指導をしてもらいたい旨の請託を受けるや、かかる行政指導が閣議了解等にも具体化されていた大型機国内幹線導入推進という、これまでの行政方針を一八〇度転換するものであり、現に約二か月前にA1に与えた大型機取得認可をも実質的に覆えすものであることを十分に認識しながら、当時A2にはA1と同じく昭和四七年度に大型機を導入するだけの社内準備体制ができておらず、A1が同年度に国内幹線に大型機を導入することとなれば、A2はこれに遅れをとり、A1に乗客を奪われ大巾な業績低下を招くこととなるところから、A2の利益の擁護になることを知りつつ右請託を受け入れて、事務当局をしてその旨の行政指導を行わせ、運輸大臣の職を退いた後衆議院議員の身分のある間に右請託の謝礼等の趣旨でA2からB32を介して現金五〇〇万円を収受したというものであり、右犯行は、航空行政という公共性のきわめて強い行政部門において、その最高責任者たる立場にある者が、国民から己れに信託されている職務権限に直接関係する事項について犯したものであり、国政に対する国民の信頼、国政にたずさわる公務員の廉潔性に対する国民の信頼を著しく傷つけ、ひいては国政一般、政治一般への国民の不信をも惹起したものであること、さらにA1の大型機国内幹線早期導入は、当時の旺盛な旅客需要に見合う供給を確保、、当時の空港の著しい過密化に対処するうえで、まととに望ましい措 般、政治一般への国民の不信をも惹起したものであること、さらにA1の大型機国内幹線早期導入は、当時の旺盛な旅客需要に見合う供給を確保、、当時の空港の著しい過密化に対処するうえで、まととに望ましい措置であつたのであり、しかも、A1は当時すでに国際線において大型機運航の豊富な経験を有していて、同社が国内線に大型機を早期に導入すること自体には運航の安全性確保の上で問題がなく、ただA2がA1に対抗して準備不足のまま大型機をA1と同時期に導入するにおいては、A2の運航に安全性確保のうえで問題が生じるというにすぎなかつたのに、本件行政指導は、この航空の安全性確保の必要性を不当に拡大一般化したうえ、これを大義名分として結果的にA1の大型機導入を阻止せんとしたものであり、ことは航空行政に関する高度の政策的判断にかかるものであるから、これを枉法とみることはできないとしても、被告人のこれらの職務行為は、運輸大臣の職権を濫用し、A1の犠牲においてA2の利益を不当に擁護するきわめて偏頗な振舞いといわざるをえないこと、本件行政指導の結果、A1は旺盛な旅客需要に応じきれなくなり、そのため多くの乗客がA2機に流れたことにより多額の得べかりし運賃収入を失つたであろうのみならず、前記取得認可にかかる大型機をしばらく就航稼動させることができず、高額の保管料等を支払つてD2社にいたずらにこれを保管させておくのやむなきにいたり、さらには大型機の導入が阻止されたため在来機をもつて運航せざるをえなくなり、事業計画に支障をきたし、パイロツト、整備士の養成計画にも大幅な狂いが生ずるなど多大の損害を蒙つたこと、これに対し、A2は業績の低下を防止しえたのみならず、A1機が旅客需要に応じきれず積み残さざるをえなかつた乗客を吸収することにより、国内航空運送におけるシエアを拡大し逆に業績を伸 損害を蒙つたこと、これに対し、A2は業績の低下を防止しえたのみならず、A1機が旅客需要に応じきれず積み残さざるをえなかつた乗客を吸収することにより、国内航空運送におけるシエアを拡大し逆に業績を伸ばすにいたつたこと、前述のように原審で取調べられた関係各証拠により被告人の罪状はすでに明白となつているのに、被告人が、今日にいたるも、収受した本件金員の趣旨のみならず、その収受やB1からの請託の事実をも否認し、いたずらに弁解のための虚偽の供述をくりかえし、原審公判廷における最終陳述でも自己の非を全く省みない態度に終始していることなどを併せ考えると、被告人の犯情はきわめて芳しくなく、政治の金権腐敗が民主政治そのものに対する国民の信頼を失わせ、民主政治そのものを危殆ならしめるものであることに鑑み被告人の罪責はきびしく追及されなくてはならない。 しかしながら、本件職務行為当時被告人に将来賄賂を収受しようとの意図まであつたとは証拠上認められず、また、収受した本件金員も被告人が陰に陽に要求したものではなく、A2の方から一方的に供与されたものであること、被告人が、高令であり、現在では政界の要職を離れており、今後再び同種事犯をくりかえすおそれはないと認められること、被告人が、本件が明るみに出たことにより長年培つてきた政治的勢力を失つたのみならず、本件発覚後今日まで多年にわたり被疑者、被告人の立場におかれ、この間国民一般からのきびしい非難の目にさらされ、一日として心安まる日のない生活、屈辱に満ちた生活を送らざるをえなかつたであろうことは推認するに難くはなく、その意味ではかなりの社会的制裁を受けたと評価できることなど被告人のため酌むべき事情をも斟酌するとき、被告人の罪責はまことに重大であるけれども事後審たる当裁判所としては、被告人を懲役二年六月、執行猶予三年 ではかなりの社会的制裁を受けたと評価できることなど被告人のため酌むべき事情をも斟酌するとき、被告人の罪責はまことに重大であるけれども事後審たる当裁判所としては、被告人を懲役二年六月、執行猶予三年に処した原判決の量刑はやむをえないところと思料するものであり、未だ不当に軽いとまでは断じえない。論旨は理由がない。 よつて、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却し、当審における訴訟費用を負担させることにつき刑訴法一八一条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。 (裁判長裁判官時國康夫裁判官礒邊衛裁判官日比幹夫)略語表<記載内容は末尾1添付><記載内容は末尾2添付><記載内容は末尾3添付>
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