令和2(ワ)766 松橋事件国家賠償請求事件

裁判年月日・裁判所
令和7年3月14日 熊本地方裁判所
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判決文本文90,703 文字)

主文 1 被告国は、原告X1に対し、1190万5831円及びこれに対する平成31年3月28日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 2 被告国は、原告X2に対し、1190万5831円及びこれに対する平成31年3月28日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 3 原告らの被告県に対する請求及び被告国に対するその余の請求をいずれも棄却する。 4 訴訟費用は、原告らに生じた費用の8分の1及び被告国に生じた費用の4分の1を被告国の負担とし、原告ら及び被告国に生じたその余の費用並びに被告県について生じた費用を原告らの負担とする。 事実及び理由 第1 請求 1 被告らは、原告X1に対し、連帯して、4240万5404円並びにうち3106万3483円に対する平成31年3月28日から支払済みまで及びうち1009万8015円に対する令和元年11月9日から支払済みまで年5分の割 合による金員を支払え。 2 被告らは、原告X2に対し、連帯して、4240万5403円並びにうち3106万3482円に対する平成31年3月28日から支払済みまで及びうち1009万8015円に対する令和元年11月9日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要 1 以下の略語は、別紙1「略語一覧表」に記載のとおりである。また、日付は、特に断らない限り、昭和60年のものである。 本件は、熊本県下益城郡(現宇城市)松橋町内において昭和60年1月に発生した殺人事件(本件殺人事件)について、任意取調べを経て逮捕・勾留された上 で公訴を提起され、有罪判決を受けて服役した亡Aの相続人である原告らが、本 件殺人事件における熊本県警の警察官及び熊本地検の検察官による捜査活動並び 意取調べを経て逮捕・勾留された上 で公訴を提起され、有罪判決を受けて服役した亡Aの相続人である原告らが、本 件殺人事件における熊本県警の警察官及び熊本地検の検察官による捜査活動並びに熊本地検の検察官による公訴提起及び公訴追行等が違法に行われたため、亡Aが損害を被ったと主張して、⑴原告X1が、国賠法1条1項に基づき、被告県及び被告国に対し、連帯して、亡Aに生じた損害金4240万5404円並びにうち3106万3483円 に対する平成31年3月28日から支払済みまで及びうち1009万8015円に対する令和元年11月9日から支払済みまで民法(平成29年法律第44号による改正前のもの。以下同じ。)所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求め、⑵原告X2が、国賠法1条1項に基づき、被告県及び被告国に対し、連帯して、 亡Aに生じた損害金4240万5403円並びにうち3106万3482円に対する平成31年3月28日から支払済みまで及びうち1009万8015円に対する令和元年11月9日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。 2 前提事実(当事者間に争いのない事実並びに後掲証拠及び弁論の全趣旨により 容易に認められる事実)⑴当事者等亡Aは、昭和▲年▲月▲日生の男性であり、本件殺人事件について有罪判決を受けて服役した後、再審において無罪判決が確定した者である。 亡Aは、令和▲年▲月▲日に死亡し、その子である亡B並びに孫であるX1 及びX2が(代襲)相続して亡Aの訴訟上の地位を承継した。 また、亡Bは、令和▲年▲月▲日頃に死亡し、その姪であるX1及びX2が相続して亡Bの訴訟上の地位を承継した。 (甲A1~7、E3~19)⑵本 襲)相続して亡Aの訴訟上の地位を承継した。 また、亡Bは、令和▲年▲月▲日頃に死亡し、その姪であるX1及びX2が相続して亡Bの訴訟上の地位を承継した。 (甲A1~7、E3~19)⑵本件殺人事件の発生 ア亡Aは、1月5日の夜、知人であったC(被害者)、D及びその妻のEと共 に、D宅で宴会を開き、その後、4人で被害者宅へ移動してさらに飲食をともにした。 亡Aは、被害者宅での飲食の際、被害者と激しい口論になり、被害者から罵倒されるなどした。 (甲A5、乙164) イ被害者の友人であるFは、1月8日午前9時30分頃、被害者宅において、被害者の遺体を発見した。 熊本県警の警察官らが、Fから上記遺体発見の申告を受け、被害者宅に臨場すると、被害者は、居間において、刃物で頸部等を多数回刺されて死亡している状態であった。 (乙1、50、61、丙1)⑶本件殺人事件についての捜査ア熊本県警は、1月8日以降、現場付近の実況見分や参考人らからの事情聴取、被害者の遺体の司法解剖など、本件殺人事件についての捜査を実施した(甲B8、乙8、18等)。 イ亡Aは、1月8日から同月19日までの12日間のうちの8日(1月8日、9日、10日、12日、13日、14日、18日及び19日)にわたって、熊本県警から任意での取調べを受けた。 熊本県警の警察官らは、 月 日夜の状況(前記⑵ア)等から、亡Aが本件殺人事件の犯人である可能性があると考え、上記取調べに当たっていたが、 亡Aは、一貫して犯行を否認していた。 しかし、熊本県警の警察官らが、1月20日午前10時頃、亡A宅を訪れ、亡Aに対して更に任意取調べを 可能性があると考え、上記取調べに当たっていたが、 亡Aは、一貫して犯行を否認していた。 しかし、熊本県警の警察官らが、1月20日午前10時頃、亡A宅を訪れ、亡Aに対して更に任意取調べを行ったところ、亡Aは、同日午前10時40分頃、本件殺人事件の犯行を自白した。 (甲B6、B7、乙6、7、24、25、30、34、丙5~8) ウ亡Aは、前記イの自白の後の1月20日午後11時03分、殺人の被疑事 実で逮捕され、その後、同月22日から2月10日まで、同被疑事実で勾留された(甲A10、乙35)。 エ亡Aは、前記イの最初の自白以降、捜査段階では自白を維持していた(しかし、後記のとおり、自白の内容には一部変遷があった。)。 捜査の最終段階における亡Aの自白の内容は、要旨、「1月5日の夜、被害 者及びDE夫婦と4人で飲食していたところ、午後11時30分頃、被害者との間で口論になり、被害者から罵倒され、つかみかかられそうになるなどしたため、被害者に対する憎悪の念を深め、自転車で自宅に帰る途中、同人を殺害することを決意した。そして、自宅に着くや、そのまま2階の作業場に行き、木工用作業台の上から刃体の長さ約11センチメートルの切出小刀 (本件小刀)1本を取り上げ、同小刀の柄に血液が付着するのを防ぐため、同室内にあった古いシャツから切り取った布を幅約3センチメートル・長さ約30センチメートルほどに切り取って本件小刀の柄と刃の接合部分に巻き付け、両手に軍手2枚をそれぞれ重ねて着用し、再び自転車で被害者宅へ向かった。同月6日午前1時30分頃、本件小刀をジャンパーの右ポケット から取り出して右手に順手に持って被害者宅の室内に入り、「主しゃ、俺をなめとんね。」と言いつつ、コタツに座って 被害者宅へ向かった。同月6日午前1時30分頃、本件小刀をジャンパーの右ポケット から取り出して右手に順手に持って被害者宅の室内に入り、「主しゃ、俺をなめとんね。」と言いつつ、コタツに座ってテレビを見ていた同人の左側に近づくや、本件小刀で同人の左頸部、顔面等を続け様に十数回突き刺して同人を殺害した。犯行後には本件小刀を自宅で念入りに洗った後、砥石で研いだ。」というものであった。 (甲A5、乙30、31、34、36~38、45、49、52、53、57、65、80、93~95、108~110、134、137、139等)⑷確定審の審理経過等ア熊本地検の検察官は、2月10日、亡Aについて、殺人の罪(本件公訴事実)で公訴を提起した(本件公訴提起)。本件公訴事実の要旨は、被告人は、 昭和60年1月5日午後11時30分頃、被害者宅において、被害者、Dら と飲酒した際、同人らとトラブルになり、平素の被害者に対する憤まんの念が一挙に爆発し、激高の末、被害者を殺害しようと決意し、被告人宅から、刃体の長さ約11センチメートルの切出小刀(本件小刀)1本を持ち出し、同月6日午前1時30分前後頃、被害者宅において、本件切出小刀で同人の左頸部を目がけて十数回突き刺し、よって、その頃、同所において、同人を 左総頸動脈切損等に基づく失血により死亡させて殺害した、というものであった。 なお、検察官は、その後、亡Aについて、けん銃1丁及び実包10発を所持していたという銃刀法違反及び火薬類取締法違反の罪でも公訴を提起した。 亡Aは、4月8日の確定審第一審の第1回公判期日において、本件公訴事実の概要を認める陳述をした。 しかし、亡Aは、6月28日の第4回公判期日における被告人質問の途中から、被害者の殺害につい 亡Aは、4月8日の確定審第一審の第1回公判期日において、本件公訴事実の概要を認める陳述をした。 しかし、亡Aは、6月28日の第4回公判期日における被告人質問の途中から、被害者の殺害について曖昧な供述をするようになり、8月13日の第5回公判期日における被告人質問では、被害者の殺害について明確に犯行を 否認し、その後も一貫して否認し続け、捜査段階における自白の任意性及び信用性を争った。 熊本地裁は、昭和61年12月22日、第21回公判期日において、亡Aの捜査段階における自白の任意性及び信用性を肯定し、また、その他の証拠を総合して、殺人等の各公訴事実をついて亡Aをいずれも有罪とし、懲役1 3年に処する旨の判決を言い渡した。なお、本件の凶器とされた切出小刀(本件小刀)には、木製の柄の部分も含めて血液が付着していなかったが、この点について、熊本地裁は、要旨、「亡Aは、本件小刀の刃の付け根部分に布切れを巻き付けて本件犯行に及び、犯行後、同小刀を丹念に水洗いした上、砥石で研いだというのであるから、不自然、不合理ではない。」と判断した。 (甲A5、A8の1、A8の2、乙156、157、158) イ亡Aは、確定審第一審の判決を不服として控訴したが、福岡高裁は、昭和63年6月21日、控訴を棄却する判決を言い渡した。 亡Aは、確定審控訴審の判決を不服として上告したが、最高裁は、平成2年1月26日、上告を棄却する決定をしたため、確定審第一審における有罪判決が確定した。 (甲A6、7)⑸再審無罪までの経過ア亡Aは、前記⑷のとおり確定した有罪判決により服役し、平成 年 月25日に仮釈放され、その刑期は同年7月22 審無罪までの経過ア亡Aは、前記⑷のとおり確定した有罪判決により服役し、平成 年 月25日に仮釈放され、その刑期は同年7月22日付けで終了した。 平成24年3月2日、亡Aについて、成年後見開始の審判が確定した。 (弁論の全趣旨)イ亡Aの法定代理人成年後見人は、平成24年3月12日、本件殺人事件について無罪を言い渡すべき明らかな証拠をあらたに発見したとして、再審の請求をした。 熊本地裁は、平成28年6月30日、再審開始の決定をした。同決定の理 由は、要旨、「本件殺人事件については、亡Aと犯行を結び付ける決め手となる証拠は亡Aの自白以外には存在せず、確定判決は、捜査段階の亡Aの詳細な自白に依拠して有罪を認定した。しかし、弁護人が新証拠として提出した鑑定書等によれば、亡Aが犯行に用いたと自供した本件小刀では、被害者の創傷は成傷し得ないのではないかとの疑義が生じている。また、亡Aが本件 小刀に巻き付けて犯行後に焼却したという赤と茶のチェック柄のシャツの左袖部分の布片(本件袖片)が現存していることが明らかになったため、本件小刀に血液が付着しないように布を巻いたとの亡Aの自白(上記⑶エ)は事実ではないのではないかとの疑義が生じており、その結果、本件小刀に血液反応が認められなかったことについて不自然、不合理ではないとした確定 判決の判断に疑問が生じている。これらからすると、本件犯行の凶器の同一 性について合理的な疑問が生じているところ、犯行に用いた凶器が何であるかは、犯行に関する自白の核心部分の一つであって、その点に疑義が生じていることは、亡Aの自白全体の信用性を動揺させる。さらに、確定判決において自白の信用性を担保す ところ、犯行に用いた凶器が何であるかは、犯行に関する自白の核心部分の一つであって、その点に疑義が生じていることは、亡Aの自白全体の信用性を動揺させる。さらに、確定判決において自白の信用性を担保するとされた各補助事実についても、その証明力や証拠価値に疑問が生じており、亡Aの自白の信用性を支える根拠は相当に減 弱しているから、亡Aの自白に、これのみをもって確定判決の有罪認定を維持し得るほどの信用性を認めることはもはやできなくなったといわざるを得ず、確定判決の有罪認定には合理的疑いが生じている。以上によれば、本件の再審請求は、刑事訴訟法435条6号所定の有罪の言渡しを受けた者に対して無罪を言い渡すべき明らかな証拠をあらたに発見したときに該当す る。」というものであった。 検察官は、同決定を不服として即時抗告したが、福岡高裁は、平成29年11月29日、同即時抗告を棄却する決定をした。 検察官は、同決定を不服として特別抗告したが、最高裁は、平成30年10月10日、同特別抗告を棄却する決定をしたため、上記再審開始決定が確 定した。 (甲A1~3)ウ熊本地裁は、平成31年3月28日、亡Aが本件殺人事件の犯人であることを示す証拠はなく、亡Aが被害者を殺害したとは認められないとして、本件公訴事実について、無罪の判決を言い渡した。 当事者双方が上記再審無罪判決に対する上訴権放棄の申立てをしたため、同判決は、即日、確定した。 (甲A4、争いがない。) 3 争点本件における争点は以下のとおりであり、各争点についての各当事者の主張の 要旨は、別紙2「当事者の主張の要旨」のとおりである。 ⑴熊本県警による任意取調べに関する違法性の有無(争点1)⑵逮捕後の熊本県警及び 、各争点についての各当事者の主張の 要旨は、別紙2「当事者の主張の要旨」のとおりである。 ⑴熊本県警による任意取調べに関する違法性の有無(争点1)⑵逮捕後の熊本県警及び熊本地検による取調べに関する違法性の有無(争点2)⑶熊本県警及び熊本地検による補充捜査の懈怠に関する違法性の有無(争点3)⑷本件公訴提起に関する違法性の有無(争点4)⑸本件公訴追行に関する違法性の有無(争点5) ⑹損害(争点6)第3 当裁判所の判断 1 認定事実本件について、別紙3「事実経過一覧表」中の「認定事実」欄記載の各事実が認められる。同各事実を、「番号」欄記載の各番号を用いて、「認定事実1」など と記載することがある。 2 争点1(熊本県警による任意取調べに関する違法性の有無)⑴任意捜査の一環としての被疑者に対する取調べは、事案の性質、被疑者に対する容疑の程度、被疑者の態度等諸般の事情を勘案して、社会通念上相当と認められる方法ないし態様及び限度において許容されるものと解すべきである (最高裁昭和57年(あ)第301号同59年2月29日第二小法廷決定・刑集38巻3号479頁参照)。 ア熊本県警は、被害者の遺体が発見された1月8日から亡Aによる最初の自白の日である同月20日まで、亡Aに対する任意取調べを行った(前提事実⑶イ、認定事実5、7、8、10~12、15~18)。 上記任意取調べは、13日間のうちに9回と頻繁に行われ、その合計時間も約74時間(食事や休憩の時間を含む。)と相当に長時間にわたっている。 また、1月15日から同月17日の間は、取調べが行われていないが、熊本県警の警察官は、亡Aに対して「自宅におってくれ。」などと告げて松橋署と約300メートル を含む。)と相当に長時間にわたっている。 また、1月15日から同月17日の間は、取調べが行われていないが、熊本県警の警察官は、亡Aに対して「自宅におってくれ。」などと告げて松橋署と約300メートルの距離に位置する自宅で待機することを要請し、その間に 1度、亡A宅を訪れた(認定事実13)。さらに、同月18日には、警察官は、 ポリグラフ検査の結果によって亡Aの嫌疑が強まったと考え、同日の取調べにおいて、「被害者を殺したという話をすると言ったのだと思ったが。」とか、翌日の取調べにおいて、「明日話すというのは、被害者を殺したことを話すのか。」などと問いかけたり、「あんたはずるい。さっきから聞いているとどうも腹が立ってくる。」と述べたりしていた(認定事実14~16)。 他方で、上記期間中、熊本県警が種々の捜査活動を行っても、本件殺人事件と亡Aを直接に結び付ける目撃証言や物的証拠は収集されなかった。 以上の事実によれば、熊本県警は、亡Aの自白がなければ逮捕状請求は難しいと判断し、上記期間中、亡Aに対して追及的な取調べを継続していたものと推察され、そのような取調べを受けた亡Aは、肉体的にも精神的にも疲 弊していったものと考えられる。 イもっとも、本件は、殺人事件という重大事案であったところ、その犯行と犯人を結び付ける直接的な証拠は見当たらず、それゆえに、事件の全容を早期に解明するべく、亡Aを含む関係者を取り調べる必要性が高かったといえる。そのような中で、本件殺人事件発生の直前である1月5日の夜に亡Aが 被害者と口論するなどした事実や、従前から両者の関係が良好ではなかったとの事実が認められていたことからすると(認定事実2、3)、本件殺人事件について、亡Aに一定程度の嫌疑があったことは否定し難い。 本件の 口論するなどした事実や、従前から両者の関係が良好ではなかったとの事実が認められていたことからすると(認定事実2、3)、本件殺人事件について、亡Aに一定程度の嫌疑があったことは否定し難い。 本件の任意取調べが全体として相当の長時間にわたっていることは前記のとおりであるが、食事や休憩の時間は適宜に取られていた上、日ごとにみ ると、そのほとんどは深夜にまでは至らずに終了されていたし、1月18日や同月19日の取調べでは、亡Aが帰宅したい旨を述べると、そのしばらく後には取調べは終了されている(認定事実15、17)。そのほか、取調べに当たった警察官が、亡Aに対する暴力や恫喝に及んだとか、偽計を用いた取調べを行ったとの事情もうかがわれない。 また、亡Aは、上記任意取調べを経て、1月20日に最初の自白をしてい るが、亡A自身、確定審第一審で否認に転じた後の被告人質問において、嫌疑が向けられたと感じ始めた頃から、自白することを考え、自分が犯人であると信じてもらえるよう、捜査情報を頭に入れ筋書きを考えていたとか、自白をして逮捕されても、裏付け証拠がないから、最終的には不起訴となり釈放されると思っていたなどと繰り返し述べていたこと(認定事実63~6 8)、現に、最初の自白の段階から、相当に詳細かつ具体的に犯行状況及び犯行の前後の経緯を供述し、その後も詳細な自白を継続していたこと(認定事実18、26、28等)といった亡Aの本件殺人事件に対する態度などからすると、前記のように本件の任意取調べが追及的なものであったことを踏まえても、社会通念上相当と認められる方法ないし程度及び限度を超えていた とは認め難く、亡Aが、同取調べにおいて過度な心理的圧力を受けたことによって、自己の意思に基づかずに自白に至ったなどと認めることもできな 念上相当と認められる方法ないし程度及び限度を超えていた とは認め難く、亡Aが、同取調べにおいて過度な心理的圧力を受けたことによって、自己の意思に基づかずに自白に至ったなどと認めることもできない。 ウ以上の事情を総合すると、本件における任意取調べが、社会通念上相当と認められる方法ないし態様及び限度を逸脱した違法なものであったとまでいうことはできない。 ⑵原告らは、ポリグラフ検査の結果によって検査対象者の犯人性を推認することには慎重でなければならないのに、熊本県警の警察官は、1月18日の同検査の結果をもって亡Aが犯人であると決めつけ、亡Aに対して自白を強制したものであり、そのような取調べは、社会通念上相当とは認められず、違法であるとも主張する。 しかし、本件の捜査当時(昭和60年当時)、ポリグラフ検査結果回答書等の証拠能力を肯定した最高裁判例や下級審裁判例が複数存在しており(弁論の全趣旨)、ポリグラフ検査には一定の信頼性・有用性があると考えられていたことからすれば、この当時、熊本県警の警察官が、同検査の結果は亡Aの嫌疑を裏付ける証拠の一つであると判断し、取調べにおいてその検査結果を示して亡 Aを追求したことをもって、任意取調べとしての適法性が否定されるものとは いえない。また、警察官が、上記検査結果を示して亡Aを追及することにとどまらず、亡Aに自白を強制したとまで認めるに足りる事情や証拠もない。 よって、原告らの上記の主張は、採用することができない。 ⑶以上のとおり、熊本県警による上記期間における取調べは、任意捜査として適法にされたものであるから、国賠法上違法であるとは認められない。 原告らは、熊本地検の検察官が、熊本県警による違法な取調べについて指示又は指 よる上記期間における取調べは、任意捜査として適法にされたものであるから、国賠法上違法であるとは認められない。 原告らは、熊本地検の検察官が、熊本県警による違法な取調べについて指示又は指揮を行っていたことも違法であると主張するが、熊本県警による上記取調べは違法であるとは認められないから、同主張はその前提を欠き、採用することができない。 3 争点2(逮捕後の熊本県警及び熊本地検による取調べに関する違法性の有無) ⑴亡Aが犯行時に着用していたという軍手の処分方法についての供述を変遷させた点について(被告県関係)ア亡Aは、1月20日の最初の自白以降、犯行時に着用していた軍手は4枚重ねで丸めて自宅近くの大野川に投げ捨てて処分した旨供述していたが、2月4日の警察官による取調べにおいて、本当は軍手を自宅の風呂の焚口で焼 却したと供述し、従前の自白の内容を変遷させた(認定事実18、28、39、40)。 原告らは、熊本県警の警察官は、亡Aが捜査機関に迎合する状況を整えた上で、亡Aの迎合的な性格を利用し、強い誘導を用いて従前の供述を変更させ、虚偽自白を創出したものであって、このような取調べは国賠法上違法で あると主張する。 イ認定事実19、21、24、27、30、38ないし40によれば、亡Aが上記のように自白を変遷させたのは、熊本県警が、大野川に軍手を捨てた旨の亡Aの供述を受けて、大野川において4度にわたって検索を実施したものの、亡Aが説明した形状(4枚重ねで丸めた状態)の軍手は発見されず、 また、同形状の軍手を大野川に投棄して移動状況を確認する実験を実施した ものの、大野川の水流は、その軍手を検索範囲外に流出させるようなものではないことが明らかになったため、2月3日から同月4日の取調べ の軍手を大野川に投棄して移動状況を確認する実験を実施した ものの、大野川の水流は、その軍手を検索範囲外に流出させるようなものではないことが明らかになったため、2月3日から同月4日の取調べにおいて、それらの事実を示すなどして追及した結果であったことが認められ、警察官が亡Aを追及したことが上記自白の変遷の契機となったことは明らかである。 また、亡Aは、かかる自白の変遷理由について、捜査段階で、「99パーセントは犯人とわかっていても、血の付いた軍手が出ないことで無罪を勝ち取ることができるかもしれないと思っていた。しかし、警察での取調べや検証において詳細に説明したので、その望みもなくなり、観念して本当のことを言う気になった。」、「こと細かに事件のことを話すなど、ちぐはぐなことを してしまった。裏付け捜査も次々と進められ、どんどん証拠が集められているんだろうと思っていたところ、軍手のことを追及され、もはやこれまでと思い、真相を話した。」などと供述していたのであるが(認定事実41、47)、実際には、上記自白の変遷の時点では、亡Aが詳細に自白をする一方、亡Aの犯人性を示す客観的証拠の収集は進捗しているとはいえない状況に あったし、捜査機関が、亡Aに対し、証拠が収集されつつあるなどと虚偽の説明をしたというような事情もうかがわれない。そうすると、自白が信用できないとして起訴されないことを期待していたという亡Aにとっては、当初から企図していたとおりの状況になっていたのであり、そうであるにもかかわらず、「もはやこれまでと思い真相を話した」などという亡Aの供述は、供 述変遷の理由として、説得的であるとはいい難い。加えて、亡Aは、確定審第一審の公判において、捜査段階で詳細な自白をしたのは取調べ等で世話になった警察官への好 した」などという亡Aの供述は、供 述変遷の理由として、説得的であるとはいい難い。加えて、亡Aは、確定審第一審の公判において、捜査段階で詳細な自白をしたのは取調べ等で世話になった警察官への好意や温情があったからであるなどとも供述している(認定事実65、67)。これらの事情に照らせば、亡Aは、もはやこれまでなどと思ったために軍手の処分方法についての供述を変遷させたのではなく、自 白と客観的事実との矛盾を指摘する警察官に迎合し、その矛盾を解消できる 内容の供述を創作したのではないか、という疑念が残るところである。 ウもっとも、そもそも、捜査の結果判明した客観的事実と被疑者の自白の内容とが矛盾する場合に、捜査機関がその客観的事実を示して被疑者を追及すること自体は、取調べの手法として不適切であるとはいえないところ、2月3日から同月4日の取調べの状況(認定事実39、40)をみても、熊本県 警の警察官が、上記のような取調べ手法にとどまらず、捜査状況に関して虚偽の情報を告げたとか、亡Aが供述を変更するよう強いたとの事情は認められない。また、亡Aが警察官に迎合して供述を創作した疑念があることは前記のとおりであるが、仮に、原告らが主張するように、その供述の創作が亡Aの迎合的な性格によるものであったとしても、熊本県警の警察官が、その ような亡Aの性格的傾向を認識し、積極的にそれを利用して亡Aが供述を変更するよう誘導したと認めるに足りる事情もない(証拠(丙9の1)によれば、警察官は、1月21日、警察署間の移動中の車内で亡Aに煙草を吸わせたり、畳の上にあぐらをかかせたりした状態で取調べを行っていたことが認められ、警察官が亡Aの体調や持病の腰痛に配慮していたことがうかがえる が、これらの事情により、警察官が、亡Aが捜査 吸わせたり、畳の上にあぐらをかかせたりした状態で取調べを行っていたことが認められ、警察官が亡Aの体調や持病の腰痛に配慮していたことがうかがえる が、これらの事情により、警察官が、亡Aが捜査機関に迎合する状況を整えたということも困難である。)。 警察官が、2月3日、大野川の検索結果や実験結果を踏まえた推論等を示して自白との矛盾点を指摘した結果、亡Aは「今夜一晩考えてから話す」と述べ、その翌日には上記のように供述を変更したという経緯(認定事実39、 40)に照らせば、亡Aは、上記矛盾点について追及を受け、従前の供述を維持するかどうかを自分なりに熟慮した結果、自らの意思により、上記供述変更に至ったと認めるのが合理的である。 以上によれば、熊本県警の警察官が、亡Aの迎合的な性格を利用し、強い誘導を用いて亡Aの供述を変遷させたという原告らの上記の主張を採用す ることはできず、警察官による上記の取調べが国賠法上違法であるとは認め られない。 ⑵亡Aが巻き付け布自白をした点について(被告国関係)ア亡Aは、1月20日の最初の自白以降、一貫して、犯行の際は本件小刀を被害者に複数回突き刺して殺害し、血が付着した本件小刀は自宅で洗ったとだけ供述していたが(認定事実18、26、28等)、後に、自身がかつて着 用していた古いシャツ(本件シャツ)を、長さ30センチメートルくらい、幅3センチメートルくらいに破って切り、柄と刃のところに血が付かないよう本件小刀に巻き付けた上で被害者を刺したなどと述べ(巻き付け布自白)、供述を変遷させた(認定事実41~43)。 また、亡Aは、確定審第一審の第7回公判期日において、「警察では言って なかったが、検察官から、ナイフの柄に血が付くはずではないかと聞かれて、とっさに考 を変遷させた(認定事実41~43)。 また、亡Aは、確定審第一審の第7回公判期日において、「警察では言って なかったが、検察官から、ナイフの柄に血が付くはずではないかと聞かれて、とっさに考えて、ぼろ切れを三センチ幅に切ってぐるぐる巻いたんだということを思いつきで言った。その日の帰りになって、警察官から、どうして警察には言わなかったんだと言われ、その後に警察官に対して同様の供述をしたので、警察の調書では巻き付け布自白は一日遅れになっていると思う。」 などと供述した(認定事実64)。 原告らは、亡Aの同公判供述や、本件小刀についての鑑定が2月4日に着手され、同日中には科学捜査研究所から同小刀に血痕の付着がないことについて一定の回答が得られていたと推察されることを踏まえると、亡Aが巻き付け布自白をしたのは同日の検察官による取調べの際であることが明らか であると主張し、さらに、検察官は、同日の取調べで、亡Aの迎合的な性格を利用し、本件小刀を犯行に用いたのであれば柄に血が付くはずではないかなどと告げて亡Aを強く誘導して虚偽自白を創出したものであり、かかる取調べは国賠法上違法であると主張する。 イ本件小刀については、科学捜査研究所による鑑定の結果、血液の付着がな いことが明らかになっていたのであるが(認定事実51、54)、本件小刀を (そのまま)被害者に突き刺し、事件後に水洗いしたという亡Aの上記変遷前の供述のみを前提とすると、本件小刀の木製の柄の部分にすら血液の付着がなかったことは、不自然・不合理であった。他方で、亡Aが上記のとおり供述を変遷させ、巻き付け布自白をしたことにより、その不自然性・不合理性が解消される形となり、確定審第一審もそのように判断した 、亡Aが上記のとおり供述を変遷させ、巻き付け布自白をしたことにより、その不自然性・不合理性が解消される形となり、確定審第一審もそのように判断した(前提事実⑷ ア)。このようにみると、かかる供述の変遷も、軍手の処分方法に関する供述の変遷(前記⑴)と同様に、捜査機関からの追及等の契機があってなされたものではないかと考える余地はある。 しかしながら、証拠(甲B4・2枚目)によれば、科学捜査研究所が本件小刀についての鑑定に着手したのが2月4日であることは認められるもの の、同研究所が鑑定を終了し、松橋署に対して本件小刀への血液の付着を証明し得ない旨の回答をしたのは同月9日であって(認定事実51)、同研究所が、亡Aが巻き付け布自白をする前に、同旨の回答をしたことを示す証拠はないから、検察官が、同月4日時点で、既に、本件小刀に血液の付着がないことを把握していたとは認められない。 また、仮に、亡Aが公判で供述したとおり、2月4日の検察官による取調べの際に亡Aが巻き付け布自白をしていたのだとすれば、その内容の重要性からして、当然、供述調書にもそのことが記載されるはずであるが、同取調べにおいて作成された供述調書(乙95)にそのような記載はない。かえって、同月5日の取調べで作成された各供述調書(甲C2、3及び丙20)に は、亡Aが、同日、まず、警察官による取調べの際に巻き付け布自白をし、その後の検察官による取調べの際にも同様の供述をした旨が記載されており(認定事実41及び42)、巻き付け布自白を踏まえた補充捜査として布片等の発見を目的とした亡A宅の捜索が行われたのも、同月4日ではなく、同月5日である(認定事実44)。 以上によれば、 り(認定事実41及び42)、巻き付け布自白を踏まえた補充捜査として布片等の発見を目的とした亡A宅の捜索が行われたのも、同月4日ではなく、同月5日である(認定事実44)。 以上によれば、亡Aが最初に巻き付け布自白をしたのは2月5日の警察官 による取調べの際であったと認めるのが合理的であるから、検察官が、同月4日の取調べにおいて、本件小刀に血液の付着がない理由を説明するよう亡Aを誘導し、その結果、亡Aが巻き付け布自白をしたなどとする原告らの上記の主張は、前提を欠くものである。 なお、仮に、原告らの主張するように、検察官が、2月4日時点で、既に、 本件小刀に血液の付着がないとの認識を有しており、同日の取調べにおいて、本件小刀の柄に血が付くはずではないかなどと亡Aに尋ねた結果、巻き付け布自白がなされたとの事実の経過があったとしても、検察官が、捜査の結果判明した客観的事実と自白の矛盾点を指摘して亡Aを追及する(このような取調べ手法が不適切であるとはいえないことは前記⑴ウのとおりである。) にとどまらず、捜査状況に関して虚偽の情報を告げたとか、亡Aが供述を変更するよう強いたとの事情は認められないし、検察官が、亡Aが捜査機関に迎合するような性格であると認識し、積極的にそれを利用して亡Aが供述を変更するよう誘導したと認めるに足りる事情もない。 よって、検察官による上記の取調べが国賠法上違法であるとは認められな い。 4 争点3(熊本県警及び熊本地検による補充捜査の懈怠に関する違法性の有無)原告らは、本件において、熊本県警及び熊本地検は、捜査機関として通常要求される捜査である⑴起訴前における本件袖片に関する捜査(亡A宅の捜索)、⑵1月6日に被害者を目撃した旨 件において、熊本県警及び熊本地検は、捜査機関として通常要求される捜査である⑴起訴前における本件袖片に関する捜査(亡A宅の捜索)、⑵1月6日に被害者を目撃した旨のGの供述の裏付け捜査、⑶被害者が犯行現場に 存在したミカンを購入した日時に関する捜査を怠ったものであり、これらの捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料と、捜査機関が現に収集した証拠資料とを総合勘案した場合には、亡Aは確定審において無罪と判断されたはずであるから、熊本県警及び熊本地検の捜査活動には国賠法上の違法があると主張する。 そこで、上記⑴~⑶の各捜査活動が、捜査機関として通常要求される捜査であ るといえるか、以下で検討する。 ⑴起訴前における本件袖片に関する捜査(亡A宅の捜索)についてア亡Aは、2月5日、自身がかつて着用していた古いシャツ(本件シャツ)から切り取った布を巻き付けた状態の本件小刀を被害者に突き刺した旨を供述して、従前の供述を変更し(巻き付け布自白)、また、同月6日には、その布は、本件シャツの左袖を切り開いてウェスとして使っていたものであり、 犯行後、その布は自宅の風呂の焚口で燃やしたと供述した(認定事実41~43、46)。 この点について、原告らは、亡Aが2月6日に言及した本件シャツの左袖部分の布片が亡A宅に残存しているか否かは、亡Aの巻き付け布自白、ひいては、殺人の実行行為についての自白の信用性を判断する上で極めて重要な 事項であったといえるから、捜査機関は、通常要求される捜査として、起訴前の時点において、亡A宅の捜索を行わなければならなかったと主張する。 イしかし、熊本県警は、捜査の一環として1月21日に亡A宅の捜索を実施し、赤・茶・ 捜査機関は、通常要求される捜査として、起訴前の時点において、亡A宅の捜索を行わなければならなかったと主張する。 イしかし、熊本県警は、捜査の一環として1月21日に亡A宅の捜索を実施し、赤・茶・白色のチェックのスポーツシャツの布片3件の任意提出を受け、2月5日には上記巻き付け布自白を受けて再度亡A宅の捜索を実施し、更に もう1件の赤と茶のチェック柄の布片を差し押さえており(認定事実20、44)、これらの布片をつなぎ合わせると左袖が欠けた状態の本件シャツの形になることが確認された(認定事実46)。これにより、亡Aが本件小刀に巻き付けたという布片が切り取られる前のシャツが実在したものであることが明らかになり、同布片が既に焼却されているという亡Aの供述について も一定の裏付けが得られていたと認められ、他に、亡Aの上記供述とは異なり、同布片が亡A宅に残存している可能性があることをうかがわせる事情や証拠もなかったものである。 以上によれば、起訴前の時点において、上記の二度の捜索にとどまらず、捜査機関が、亡Aの上記供述が虚偽であるか、勘違いや記憶違いによるもの である可能性まで考慮し、亡A宅を更に捜索せねばならない状況にあったと は認め難いから、かかる捜査が、捜査機関において通常要求される捜査に当たるとは認められず、熊本県警が、起訴後の2月14日には、亡Aの勘違いや記憶違いの可能性があるとして、再度、亡A宅の捜索を行っていること(認定事実53)は、前記判断を左右しない。 ⑵1月6日に被害者を目撃した旨のGの供述の裏付け捜査について ア亡Aは、捜査段階において、被害者を殺害した日時は1月6日午前1時30分頃であると自白していた(認定事実18、29等)。 この点について、原告らは、亡Aの自白に係 付け捜査について ア亡Aは、捜査段階において、被害者を殺害した日時は1月6日午前1時30分頃であると自白していた(認定事実18、29等)。 この点について、原告らは、亡Aの自白に係る犯行時刻よりも後に被害者を目撃したとのGの供述が存在するから、熊本県警及び熊本地検は、Gの上記供述に係る被害者の目撃日時の裏付けのために、同日の熊本空港から東京 行きの飛行機の搭乗者名簿等の確認などの捜査をせねばならなかったと主張する。 イ(ア) しかしながら、熊本県警の警察官が本件捜査当時(1月24日)にGから事情聴取を行った際には、Gは、同月7日の午前11時頃、東京から遊びに来ていた孫を空港へ車で送る際の運転中、信号待ちをしていたところ、 4~5メートル先の距離にふと見えた男性が被害者であると思ったが、その顔をしっかりと確認してはおらず、歩き方や背格好等からとっさに被害者であると思ったに過ぎず、その男が実際に被害者であったのかは分からないし、今はその男は被害者ではなかったのだと思っていると供述していた(認定事実25)。 このような供述内容を前提とすれば、仮に、捜査機関が1月6日の熊本空港から東京行きの飛行機の搭乗者名簿等を確認し、Gによる上記男性の目撃日時が明らかになったとしても、その目撃に係る男性が被害者であったかどうかは判然としないし、Gは被害者とは小学校の同級生であったが、昭和44年ないし45年頃(本件発生の約15年前)に疎遠となり、その 後は歩行中の被害者を1回見かけたのみであり(認定事実25)、Gの被 害者の容姿や風貌についての記憶が曖昧であっても不合理ではないことも併せ考慮すると、かかる捜査を実施する必要性が高かったとはいえない。 したがって、上記のような捜査が、捜査機関において通常 害者の容姿や風貌についての記憶が曖昧であっても不合理ではないことも併せ考慮すると、かかる捜査を実施する必要性が高かったとはいえない。 したがって、上記のような捜査が、捜査機関において通常要求される捜査に当たるとは認められない。 (イ) これに対して、原告らは、Gが1月6日の朝に被害者を目撃したと供述 した旨の記載のある弁護士作成のメモ(甲D13)及び報告書(甲D14)の存在を指摘するが、これらの文書は、いずれも本件殺人事件から10年以上後に作成されたものであり、Gの記憶違い等の可能性が否定できないし、上記各文書の記載内容を前提としても、Gは、車で信号待ちをしている時、4~5メートルほど離れたところを歩く人物を瞬間的に見て、背格 好と歩き方から被害者だと思ったというのであるから、その視認条件が良好であったとはいい難い。これらの事情に加えて、上記(ア)で述べたとおり、Gが被害者とは本件発生の約15年前から疎遠となり、その後は、被害者を1回見かけたにすぎない(認定事実25)ことをも考慮すれば、上記各文書に記載されたGの被害者目撃供述を直ちに採用することはでき ない。 原告らは、Gは、当初、警察官に対しても、1月6日の朝に被害者を目撃したと明確に供述していたのに、警察官が、亡Aの自白と矛盾しない内容にするべく、Gに対して威迫というべき執拗な事情聴取を行い、人違いだと思うというような内容に供述を変更させたとも主張しており、上記報 告書(甲D14)には、これに沿う記載がある。しかし、上記のとおり、同報告書の作成時期を踏まえると、Gの記憶違い等の可能性が否定できず、本件全証拠を精査しても、原告ら主張の上記事実を認めるに足りる的確な証拠は見当たらない。 以上によれば、この点に関する原告らの主張は、いずれも採用す 踏まえると、Gの記憶違い等の可能性が否定できず、本件全証拠を精査しても、原告ら主張の上記事実を認めるに足りる的確な証拠は見当たらない。 以上によれば、この点に関する原告らの主張は、いずれも採用すること ができない。 ⑶被害者が犯行現場に存在したミカンを購入した日時に関する捜査についてア被害者の遺体解剖の結果、被害者は、ミカンを食べてから20~30分後に死亡したことが判明しており、実際に、被害者の遺体が発見された当時、被害者宅には、コタツの南東隅に赤色のネットに入ったミカン19個が存在し、また、コタツの机の上にミカン1個分の食べかすが存在したことが認め られる(認定事実4、6)。 この点について、原告らは、1月5日の夜の宴会の際に被害者宅でミカンを見た覚えはないなどのEの供述が録音された録音テープ(甲D16の1)の存在を指摘し、同日には被害者宅にミカンがなかったのであるから、事件後に被害者宅で発見された上記ミカンは、被害者が同月6日以降に購入した ものであるということになり、犯行日時は同月6日の未明であるという亡Aの自白には疑問が生じることになるため、熊本県警及び熊本地検は、被害者がミカンを購入したと考えられる商店(H商店)の店員の供述調書の作成や、同商店の仕入れ帳簿及び現金出納簿の確認などの捜査をせねばならなかったと主張する。 イしかしながら、本件捜査当時に作成されたEの供述調書(乙23、43、55、74、107等)には上記アのような供述の記載はなく、当時は、被害者が1月6日以降にH商店でミカンを購入したことをうかがわせる事情は存在しなかったというべきである。また、原告らが提出する弁護士作成に係るH商店の経営者(I)の供述録取書(甲D19)の記載を前提としても、 以降にH商店でミカンを購入したことをうかがわせる事情は存在しなかったというべきである。また、原告らが提出する弁護士作成に係るH商店の経営者(I)の供述録取書(甲D19)の記載を前提としても、 同商店の店番の女性は、事情聴取に来た警察官に対し、H商店では当時ミカンを販売しており、被害者が来店したこともあったことなどを話したのみであり、同商店の店員が、被害者が1月6日以降にH商店に来店してミカンを購入したことを警察官に伝えた等の事情はあらわれていない。 このような状況において、捜査機関が、H商店の店員の供述調書を作成し、 また、同商店の仕入れ帳簿及び現金出納簿を確認せねばならなかったなどと はいい難い(そもそも、これらの帳簿類にミカンの購入者を特定し得る情報が記載されていたとも考え難い。)から、そのような捜査が、捜査機関において通常要求される捜査に当たるとは認められない。 ⑷小括以上のとおり、原告らのいう⑴~⑶の捜査が、捜査機関として通常要求され る捜査に当たるとは認められない。 よって、熊本県警及び熊本地検による補充捜査に関する原告らの前記主張はいずれも前提を欠くものであって、採用することができない。 5 争点4(本件公訴提起に関する違法性の有無)⑴判断枠組み 刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで直ちに検察官の公訴の提起が国賠法上違法となるものではなく、公訴提起時の検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証と異なり、公訴提起時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りるものであるから、公訴の提起時において、検察官が現に収集した証 拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集 種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りるものであるから、公訴の提起時において、検察官が現に収集した証 拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば、当該公訴の提起は違法性を欠くものと解するのが相当である(最高裁昭和59年(オ)第103号平成元年6月29日第一小法廷判決・民集43巻6号664頁参照)。 ⑵本件公訴提起の違法性の有無を判断する際の証拠資料 原告らは、本件公訴提起前の時点において、捜査機関は、通常要求される捜査として、上記4記載の⑴~⑶の捜査をすべきであり、これらの捜査が遂行されていれば、Gの被害者目撃供述や、その裏付けとなる1月6日の飛行機の搭乗者名簿、被害者がミカンを購入したと考えられる商店(H商店)の店員の供述、同商店の仕入れ帳簿及び現金出納簿といった証拠資料を収集することがで きたから、これらの証拠資料は、通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た 証拠資料として、本件公訴提起の違法性の有無を判断する際の資料に含まれる旨を主張するが、原告らがいう上記⑴~⑶の捜査が捜査機関において通常要求される捜査に当たるとは認められないことは前記4において説示したとおりであるから、原告らの上記主張を採用することはできない。 ⑶本件公訴提起に関する違法性についての検討 ア公訴提起までに検察官が現に収集した証拠資料により認められた事実公訴提起までに収集された各種証拠資料によれば、①被害者がDを同人宅に送ったのは1月6日午前零時過ぎ頃であったこと(乙23、43、74)、②被害者は、同 した証拠資料により認められた事実公訴提起までに収集された各種証拠資料によれば、①被害者がDを同人宅に送ったのは1月6日午前零時過ぎ頃であったこと(乙23、43、74)、②被害者は、同月5日の夜に亡Aらとともに相当量の飲酒をしていたところ、解剖時の血中アルコール濃度からして、殺害時には正常な歩行が困難で思考 力が減退していたと思われる程の酩酊状態であったと推察されること(乙106)、③被害者は、几帳面な性格であり、普段は食後すぐに食事の片付けをしていたにもかかわらず、同人の死体発見時には、台所に食べ残しや汚れた食器等が残ったままであったこと(甲B8、乙50、62、78、79、102)、④被害者の自転車は、普段は被害者宅の勝手口前に置かれているの に、被害者の遺体の第一発見者であるFが同月6日午前11時頃に被害者宅を訪問した際には、同所に置かれていなかった(既に崖下に投棄されていた)上(甲B8、乙50)、自転車のサドル等から血液の反応が出ており、そのうちの一部には被害者と同じA型の人血が付着していたこと(乙18、19、20の1~20の3、106)から、犯人が本件犯行を行った後に自転車を 崖下に投棄したものと考えられたこと、⑤被害者宅の隣家の住人であるJは、同月5日の夜、被害者宅から喧嘩の声を聞いたが、同月6日の朝以降は、普段は聞こえていた被害者宅からのテレビの音や襖の開け閉め等の生活音を全く聞いていなかったこと(乙60)、⑥現場の状況からして、被害者は、就寝前又は起床後に居間のコタツに座っていたところを突然襲われて殺害さ れたと考えられたこと(甲B8、乙1)が、それぞれ認められる。これらの 事情を総合すると、本件捜査当時、被害者が殺害された日時は、1月6日深夜(午前0時過ぎ)から未明にかけ 殺害さ れたと考えられたこと(甲B8、乙1)が、それぞれ認められる。これらの 事情を総合すると、本件捜査当時、被害者が殺害された日時は、1月6日深夜(午前0時過ぎ)から未明にかけての時間帯であると強く推認されたところ、一人暮らしである亡Aには、同時間帯のアリバイが認められなかった。 また、被害者の遺体には15箇所もの創傷が認められ、特に、左頸部を中心に多数回刺されていたこと(乙8、106)や、被害者には特段の資産が なく、被害者宅内にも物色の痕跡がなかったこと(甲B8、乙61、78、79)からすると、本件犯行の動機は、強盗のような金品等を目的とするものではなく、怨恨に基づくものであると推認された。他方で、亡Aと被害者がかねてからお互いに良い感情を抱いておらず、特に、亡Aは、1月5日夜の宴会において、被害者と激しい口論になり、被害者から罵倒されるなどし ていたことからすると(認定事実2、3)、亡Aについては、上記のような動機(怨恨)につながる事情が、一応認められた。 以上によれば、公訴提起の時点において、それらのみでは亡Aの犯人性を肯定することはできないものの、その犯人性を一応は推認させる程度の客観的事情(間接事実)が、複数存在したといえる。 イ亡Aの自白について亡Aは、1月20日に最初に本件の犯行を自白して以降、その後も捜査段階において一貫して犯行を認めており、2月10日の本件公訴提起の時点における亡Aの自白の内容は、概要、前提事実⑶エのとおりであったところ、以下の(ア)~(ウ)の事情を総合すれば、本件公訴提起の時点においては、同自 白には信用性があると認められる状況にあったというべきである。 (ア) 自白の信用性を支える事情が存在したこと亡Aが自白し )の事情を総合すれば、本件公訴提起の時点においては、同自 白には信用性があると認められる状況にあったというべきである。 (ア) 自白の信用性を支える事情が存在したこと亡Aが自白した犯行日時(1月6日午前1時30分頃)は、前記のとおり公訴提起までに収集された他の証拠により推認された被害者殺害の日時(1月6日深夜から未明にかけて)と合致しており、また、亡Aが犯行 に使用したという本件小刀の形状は、被害者の司法解剖によって判明した 成傷器の形状(厚さ約0.2ないし0.3センチメートル、刃幅約2.5センチメートル、刃体の長さ8.5センチメートル以上の薄い刃の果物ナイフ様の刃物(認定事実49))と矛盾しなかった上、亡Aが自白した犯行態様(本件小刀で同人の左頸部、顔面等を続け様に十数回突き刺したというもの)も、被害者の創傷部位(1か所は顔面、10か所は左頸部、3 か所は胸部付近、1か所は手指(認定事実6))と整合していた。このように、亡Aの自白は、関係証拠から認められる客観的事実に沿うものであったことが認められる。 また、亡Aは、1月8日に行われたポリグラフ検査で、有罪意識の有無を判別する質問法である対照質問法において、被疑事件の犯罪事実を内容 とする質問である関係質問3問について顕著な特異反応又は特異反応を示し、個々の犯罪事実の認識の有無を判別する質問法である緊張最高点質問法において、被疑事件における詳細な犯罪事実を内容とする質問である裁決質問5問のうち4問について顕著な特異反応又は特異反応を示し、裁決質問以外の質問1問について顕著な特異反応を示しており(認定事実1 4)、これらも、亡Aの上記自白の信用性を支える事情と評価できるものであった(本件公訴提起の当時、検察官が、上記ポリグラフ検査の 問以外の質問1問について顕著な特異反応を示しており(認定事実1 4)、これらも、亡Aの上記自白の信用性を支える事情と評価できるものであった(本件公訴提起の当時、検察官が、上記ポリグラフ検査の結果は亡Aの嫌疑を裏付けるものであると判断していたとしても、それが不合理ではないことは、前記 ⑵において説示したのと同様である。 )。 さらに、亡Aは、①1月25日に、本件犯行の直前、被害者を尾行して K宅付近で待っていたところ、3匹位の犬がしきりに吠えており、その際、K宅の裏側居間の電灯はついていた旨供述し(認定事実26)、②同月31日には、警察に提出した自分の衣服から血液反応が出ないか心配になり、同月16日の夜、自宅にあった百科事典でルミノール反応の項目を調べた旨供述していた(認定事実37)。上記①の供述については、同月28日 のK、L、M、N及びOからの事情聴取並びに同月29日のE及びPから の事情聴取(認定事実31、32、34、35)によって裏付けが得られ、上記②の供述については、亡A宅にあった世界大百科事典1冊の指紋採取及びその鑑定の結果、表紙カバーのビニールから採取した指紋が亡Aの右示指の指紋に符合することが確認され、同百科事典の「ルミノールしけん」に関するページにも手で触れた痕跡が確認されたこと(認定事実45)か ら、裏付けが得られていた。これらの事情も、いわゆる秘密の暴露に該当するかどうかはともかく、亡Aの自白の信用性を一定程度支えるものではあると認められた。 以上の点について、原告らは、亡Aの自白が客観的事実と合致していたのは、取調官が亡Aの迎合的な性格を利用し、強い誘導によって、当時の 証拠に沿うような自白をさ あると認められた。 以上の点について、原告らは、亡Aの自白が客観的事実と合致していたのは、取調官が亡Aの迎合的な性格を利用し、強い誘導によって、当時の 証拠に沿うような自白をさせたからであると主張するが、そのような事実が認められないことは、前記3において説示したとおりである。 (イ) 自白の内容が相当に詳細かつ具体的であったこと亡Aは、犯行状況そのもののみにとどまらず、自宅で凶器として本件小刀を選んでジャンパーのポケットに入れたこと、被害者宅へ戻りDが自宅 に帰るのを待ったこと、被害者がDをD宅へ送り届けるのを尾行したこと、自宅へ戻った被害者を殺害する機会を被害者宅の裏側から窺っていたこと、被害者を殺害した後に被害者宅から自宅へ戻った際の状況、血が付着した着衣や本件小刀を自宅で洗ったこと、被害者殺害後に本件小刀を研ぎ直したことなど、犯行の前後の経緯にわたるまで、詳細かつ具体性に富ん だ自白をしていた(認定事実18、26、28等)。また、2月1日の検証の際には、亡Aは、犯行状況や犯行後の状況等を極めて詳細かつ具体的に、しかも自ら積極的に指示・説明しており(甲D12、乙87、認定事実38)、これらの事情を踏まえると、亡Aの自白には信憑性があると考え得る状況であった。 (ウ) 供述内容に変遷があったものの、自白の信用性を大きく減殺するもので はなかったこと認定事実40及び41のとおり、2月4日から同月5日頃にかけて、亡Aの自白には、軍手の処分状況や本件小刀に布切れを巻き付けた点について変遷がみられた。 この変遷の理由について、亡Aは、軍手が発見されなければ罪を免れる かもしれないと一縷の望みを持って嘘をついたが、検証などの際に自ら詳細に犯行状況等を説明してしまい、また て変遷がみられた。 この変遷の理由について、亡Aは、軍手が発見されなければ罪を免れる かもしれないと一縷の望みを持って嘘をついたが、検証などの際に自ら詳細に犯行状況等を説明してしまい、また、大野川から軍手が発見されないことを追及され、もはやこれまでと思い、正直に話すことにしたなどと述べていたところ、かかる説明が、供述変更の理由として説得的であるとまではいえないことは前記 ⑴において説示したとおりである。 他方で、亡Aは、実際に、2月1日の検証の際、詳細にかつ自ら積極的に犯行状況等を指示・説明し、また、上記供述変更と同じ頃、けん銃等の所持という別罪(銃刀法違反及び火薬類取締法違反)に当たる事実についても自ら供述し、後の捜査では同事実の裏付けも得られていた(認定事実43、48)。これらの事情を踏まえると、もはやこれまでと思って正直に 話すことにしたなどという亡Aの上記説明も、少なくとも本件公訴提起の時点においては、一応は了解可能なものであり、およそ不合理であると評価すべきであったとはいい難い。 そうすると、上記の供述の変遷が、それのみで、亡Aの自白の信用性を大きく減殺するものであったなどともいえない。 ウ小括前記ア及びイのように、本件公訴提起の時点では、亡Aの犯人性を一応は推認させる客観的な事情や証拠があり、さらには、亡Aは犯行を自白しており、かつ、その自白には信用性が認められる状況にあったこと、確定審第一審においては、公訴の提起までに検察官が現に収集した前記各証拠資料に基 づいて審理が行われた結果、本件公訴事実について亡Aに有罪判決が言い渡 され、控訴審及び上告審も同判決を維持したことに照らせば、本件公訴提起の時点において、検察官が現に収集した証 づいて審理が行われた結果、本件公訴事実について亡Aに有罪判決が言い渡 され、控訴審及び上告審も同判決を維持したことに照らせば、本件公訴提起の時点において、検察官が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案した合理的な判断過程によると、本件公訴事実について、亡Aには有罪と認められる嫌疑があったというべきであるから、本件公訴提起が国賠法上違法であるとは認められない。 6 争点5(本件公訴追行に関する違法性の有無)⑴裁判の結果に影響を及ぼす可能性が明白である証拠の法廷顕出義務について原告らは、刑事訴訟法1条や検察庁法4条等の法令の趣旨及び条理に照らせば、検察官は、手持ち証拠のうち、裁判の結果に影響を及ぼす可能性が明白で あるものについては、被告人に有利であると不利であるとを問わず、法廷に顕出すべき注意義務を負うと主張する。 しかしながら、原告らが上記注意義務を導く中心的な論拠として挙げる刑事訴訟法1条及び検察庁法4条は、刑事訴訟法の目的や検察官の職責について定めた一般的かつ抽象的な規定である。このような規定から、「裁判の結果に影 響を及ぼす可能性が明白である」などという抽象的な要件の下に、検察官があらゆる事件において一般的に負う職務上の法的義務として、原告らの主張する上記のような注意義務を導くことは、もとより困難といわざるを得ない。 また、そもそも、原告らのいう「証拠の法廷への顕出」という行為の意味するところは不明確であるところ、そのような行為の典型としては、検察官によ る証拠調べ請求や、弁護人又は被告人に対する証拠の開示といった訴訟行為があり得ると解されるが、刑事訴訟法は、検察官と被告人・弁護人が、公判において、対等な当事者として、それぞ は、検察官によ る証拠調べ請求や、弁護人又は被告人に対する証拠の開示といった訴訟行為があり得ると解されるが、刑事訴訟法は、検察官と被告人・弁護人が、公判において、対等な当事者として、それぞれ自己の主張を述べ、必要な証拠を提出し、相手方の主張を批判・反駁する機会を与えられ、それを基に裁判所が心証を形成していくという当事者主義を採用しており、自己の主張を基礎付ける証拠を 提出し、相手方の証拠の証明力を争うことは、原則として、各当事者の責任と され、したがって、検察官は、手持ちの証拠全てではなく、事件の審判について必要と認めた証拠について、取調べを請求しなければならないこととされている(刑事訴訟法298条、刑事訴訟規則193条1項)。 さらに、弁護人又は被告人に対する検察官の手持ち証拠の開示については、刑事訴訟法299条1項が「証拠書類又は証拠物の取調を請求するについては、 あらかじめ、相手方にこれを閲覧する機会を与えなければならない。」と定めるのみで、検察官が取調べを請求しない証拠について開示を義務付ける規定は存在せず、当時の刑事訴訟実務においても、上記の当事者主義の原則の下、検察官は、証拠調べを請求しない証拠一般について弁護人に開示すべき義務を負うものではなく、飽くまで、裁判所の訴訟指揮権に基づき証拠開示命令が発せ られた場合にのみ、当該証拠の開示義務を負うものと解されていた(最高裁昭和34年(し)第60号同年12月26日第三小法廷決定・刑集13巻13号3372頁、最高裁昭和43年(し)第68号同44年4月25日第二小法廷決定・刑集23巻4号248頁参照)。確定審の当時において、検察官が、原告ら主張の前記注意義務(裁判の結果に影響を及ぼす可能性が明白である証拠の 法廷顕出義務)を負っていたものと 日第二小法廷決定・刑集23巻4号248頁参照)。確定審の当時において、検察官が、原告ら主張の前記注意義務(裁判の結果に影響を及ぼす可能性が明白である証拠の 法廷顕出義務)を負っていたものと解することは、上記のような当事者主義原則や各最高裁判例を踏まえた当時の刑事訴訟実務のあり方と、およそ相容れないものといわざるを得ない。 以上を総合すれば、原告らの上記の主張は、採用することができない。 ⑵確定審第一審での検察官の公訴追行における具体的な訴訟行為についての 違法性の有無ア判断枠組み公訴追行時における検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証と異なり、公訴追行時における各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば足りるものと解される(最 高裁昭和49年(オ)第419号同53年10月20日第二小法廷判決・民 集32巻7号1367頁参照)。したがって、公訴追行に際して、検察官が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程によって有罪と認められる嫌疑があれば、当該公訴追行は違法性を欠くものと解するのが相当である。 他方で、当該公訴追行に際して、上記のような合理的判断過程により有罪 と認められる嫌疑があるとは判断できない状況に至った場合において、そうであるにもかかわらず、検察官が、職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と公訴追行をしたと認められるときは、当該公訴追行は、国賠法上違法であるというべきである。 イ本件公訴追行における検察官の注意義務違反の有無についての検討 (ア) 本件の公訴追行に際して、合理的判断過程により亡Aに有罪と認められる嫌疑があ あるというべきである。 イ本件公訴追行における検察官の注意義務違反の有無についての検討 (ア) 本件の公訴追行に際して、合理的判断過程により亡Aに有罪と認められる嫌疑があるとは判断できない状況に至っていたか前記5において説示したとおり、2月10日の本件公訴提起の時点においては、検察官が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案した合理的な判断過程によれば、本件 公訴事実について、亡Aには有罪と認められる嫌疑があった。 しかし、公訴提起後の2月14日、熊本県警が亡A宅を再度捜索したところ、亡Aの供述を前提とすれば焼却済みであるはずの本件シャツの左袖部分の布片(本件袖片)が発見され、3月1日には、本件袖片について血液の付着を証明し得ないことが判明し、その後、熊本地検は、4月5日、 熊本県警から、本件袖片等の証拠送致を受けた(認定事実53、55、58)。これらの事情を総合すれば、本件殺人事件の公判を担当する検察官も、同日頃には、血液の付着が認められない状態で本件シャツの左袖部分の布片(本件袖片)が残存している事実(以下「本件袖片残存の事実」ということがある。)を把握したものと考えられる。 そして、かかる事実は、本件シャツの左袖部分から切り取った布片を本 件小刀に巻き付けて被害者に突き刺し、その後、同布片を焼却したという亡Aの自白(認定事実46)とは矛盾するものであるから、この時点までに検察官が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案した合理的な判断過程によれば、亡Aの巻き付け布自白は亡Aの体験に基づく供述ではなく、亡Aが本件小刀に布を 巻き付けたとの事実は存在しなかったのではないかと 行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案した合理的な判断過程によれば、亡Aの巻き付け布自白は亡Aの体験に基づく供述ではなく、亡Aが本件小刀に布を 巻き付けたとの事実は存在しなかったのではないかという疑念が当然に生じるはずであり、そのような疑念を抱いてしかるべきである。また、仮に、亡Aが本件小刀に布を巻き付けた事実が存在しないのであれば、凶器であるはずの本件小刀から血液が検出されなかったことの不自然性・不合理性が復活することになる結果、凶器が何であったかという亡Aの自白の 核心部分というべき点についても、その信用性に疑念が生じることになる。 他方で、確定審第一審の公判においては、第5回公判期日以降、亡Aは、一貫して自身の犯人性を否認しており、捜査段階における亡Aの自白の信用性及び任意性が中心的争点となっていたところ、各種証拠調べや、亡Aに対する一通りの被告人質問等の審理を経ても、亡Aの自白の信用性につ いて生じていた上記のような疑念を払拭し得るような証拠資料(例えば、本件小刀に血液が付着していない理由を新たに説明する亡Aの供述及び同供述に対応する裏付け等が考えられる。)や、亡Aの自白を排除してもなお、他の証拠資料と併せて亡Aの犯人性を強く推認させることとなるような新たな証拠資料は、何ら得られていなかった(認定事実61~71)。 以上の事情を踏まえれば、確定審第一審において、各種証拠調べや一通りの被告人質問を経た後の、7月8日の第19回公判期日で検察官が論告をする頃(認定事実70)には、公訴提起の時点とは異なり、捜査段階における亡Aの自白に信用性があることを前提として同自白を亡Aの犯人性の有無の判断資料とすることは許されず、したがって、それらのみでは 亡Aの犯人性を肯定することが困難な、推認力に 、捜査段階における亡Aの自白に信用性があることを前提として同自白を亡Aの犯人性の有無の判断資料とすることは許されず、したがって、それらのみでは 亡Aの犯人性を肯定することが困難な、推認力に乏しい間接事実(前記5 ⑶ア)しか残らないという状況にあったものと認められる。 そうすると、遅くとも、確定審第一審の第19回公判期日で検察官が論告をする頃には、各種証拠資料を総合勘案した合理的な判断過程によれば、もはや、本件公訴事実について亡Aに有罪と認められる嫌疑があると判断することはできない状況に至っていたというべきである。 (イ) 確定審第一審の公訴追行における検察官の注意義務違反の有無上記のとおり、遅くとも、確定審第一審の第19回公判期日までには、もはや、本件公訴事実について亡Aに有罪と認められる嫌疑があると判断することはできない状況に至っていたものと認められるところ、その時点において、本件の公判を担当する検察官にはいかなる職務上の注意義務が あり、また、同検察官はその注意義務を怠ったと認められるのかについて、以下で検討する。 この点、検察官は、公益の代表者として、法の正当な適用を請求し、裁判所による真実の発見に協力すべき国法上の職責を負っているものと解される(検察庁法4条、刑事訴訟法1条、最高裁昭和34年(し)第60 号同年12月26日第三小法廷決定・刑集13巻13号3372頁参照)。 そうすると、前記のとおり、本件公訴事実について亡Aに有罪と認められる嫌疑があると判断することができない状況に至っており、確定審第一審における証拠構造の下では、巻き付け布自白を含む亡Aの自白が亡Aの有罪無罪を分ける中心的な証拠であり、本件袖片残存の事実がその自白の 信用性に重大な疑念を きない状況に至っており、確定審第一審における証拠構造の下では、巻き付け布自白を含む亡Aの自白が亡Aの有罪無罪を分ける中心的な証拠であり、本件袖片残存の事実がその自白の 信用性に重大な疑念を生ずるものであるにもかかわらず、本件袖片残存の事実の存在を前提とすることなく、その審理が継続していた以上は、上記のような職責を負う検察官としては、裁判所において、本件袖片残存の事実が明らかになったことを前提とした審理・判断がなされるよう、個々の訴訟行為をなすべき注意義務があったというべきである。 具体的には、本件の公判を担当する検察官は、各種証拠調べや一通りの 被告人質問を経た後、第19回公判期日で論告をする頃までに、例えば、刑事訴訟法311条3項に基づき、血液の付着が認められない状態で本件袖片が残存している理由等を亡Aに質問するなどして(被告人質問)、本件袖片残存の事実を公判廷において明らかにすべき注意義務を負っていたものである。 それにもかかわらず、検察官は、同注意義務に反して、上記のような訴訟活動をすることを怠り、第19回公判期日の論告においては、捜査段階の亡Aの自白に信用性が認められることを前提として、本件公訴事実の証明は十分である旨を主張したのであるから(認定事実70)、この点において、本件公訴追行は、国賠法上違法であったといわざるを得ない。 (ウ) 検察官の注意義務違反に関する原告らのその他の主張について原告らは、4月5日に本件袖片等の証拠が検察庁に送致され、検察官が、本件袖片残存の事実を把握し得る状況になった時点で、本件公訴事実については、全証拠資料を総合勘案しても、亡Aに対する有罪判決を到底期待し得ない状況に至っていたから、検察官は、本件の公訴を取り消すか、 又は、裁判所に対して審 況になった時点で、本件公訴事実については、全証拠資料を総合勘案しても、亡Aに対する有罪判決を到底期待し得ない状況に至っていたから、検察官は、本件の公訴を取り消すか、 又は、裁判所に対して審理の終結を求めた上で無罪の論告をすべきであったなどとも主張する。 この点、本件袖片残存の事実が明らかになったことによって、布を巻き付けた状態の本件小刀を被害者に突き刺したという亡Aの従前の自白について、その信用性に疑念が生じることとなったことは、既に説示したと おりである。 しかしながら、かかる疑念が生じたことを前提としても、本件袖片残存の事実が明らかになった後に開始された公判が行われた当時、各種の証拠調べや亡Aに対する被告人質問といった審理を経ることにより、上記疑念が払拭される余地がおよそ否定されるものとまでは認められないから、本 件袖片残存の事実が明らかになった時点で、本件公訴事実について亡Aに 対する有罪判決を到底期待し得ない状況に至っていたとはいえない。 よって、原告らの上記の主張は、採用することができない。 ウ被告国の主張について被告国は、①本件小刀に巻き付けたという布片を何から切り取ったかという点や、(それが本件シャツであるとして、)同布片を本件シャツのどの部位 (箇所)から切り取ったかという点についての亡Aの捜査段階の供述には曖昧さや変遷がみられ、亡A自身、同布片について明確な記憶があるとは認めがたい状況にあった上、亡A宅には同じような布切れが多数存在していたため、同布片は、本件シャツの左袖部分から切り取ったものであるとまでは特定できないと考えられたことや、②亡Aが、本件公訴提起後も第4回公判期 日までの間は公訴事実を認めており、否認に転じた後も、当初から否認しなかった理由につい から切り取ったものであるとまでは特定できないと考えられたことや、②亡Aが、本件公訴提起後も第4回公判期 日までの間は公訴事実を認めており、否認に転じた後も、当初から否認しなかった理由について合理的な説明をせず、また、第1回公判期日前の交替前弁護人との接見において亡Aが公訴事実を争いたい旨述べていたのか否かについて、交替前弁護人が証言するのを望まなかったという確定審における審理経過からすると、本件公訴提起後に本件袖片残存の事実が明らかになっ たことを踏まえても、検察官は、本件小刀に何らかの布片を巻き付けて被害者を刺殺したという限度では亡Aの自白は信用できると判断していたと考えられ、そのような検察官の判断は不合理ではない旨を主張するので、以下、これらの点について検討する。 (ア) 上記①の点について 本件小刀に巻き付けたという布片に関する2月5日及び同月6日の亡Aの供述をみると、まず、同布片を何から切り取ったかという点については、亡Aは、多少の表現の違いはあるものの、数年前まで着用していたという赤と茶のチェック柄のネル地の古いスポーツシャツ(すなわち、本件シャツである。)を念頭に置き、一貫した供述をしていたものと認められ (甲C2~5、乙108、認定事実41~43、46)、これらの供述に 曖昧さや変遷があるとは評価し難い。 次に、同布片を本件シャツのどの部位(箇所)から切り取ったかという点については、亡Aは、最初に巻き付け布自白をした2月5日の時点では、「背中の部分」であるとか(甲C3の9枚目、認定事実41)、「どこをどのように切ったか覚えていない」(甲C4の3枚目、認定事実43)な どと供述していたが、巻き付け布自白を受けて同日中に実施された亡A宅の捜索差押えにおいて赤と茶の 目、認定事実41)、「どこをどのように切ったか覚えていない」(甲C4の3枚目、認定事実43)な どと供述していたが、巻き付け布自白を受けて同日中に実施された亡A宅の捜索差押えにおいて赤と茶のチェック柄の布片1片が発見され(認定事実44)、翌日(同月6日)の警察官による取調べの際に、この布片1片と1月21日に亡A宅から押収された赤と茶と白のチェックのスポーツシャツの布片3片(認定事実20)をつなぎ合わせるとほぼシャツの型に なるが、左側袖が肩口から欠けていることが確認されると、亡Aは、この赤と茶と白のチェックのスポーツシャツの「左袖を切り開いてウェスとして使っていたものを、本件小刀の柄の部分に巻いた」旨供述するに至ったものである(甲C5の12枚目、認定事実46)。このように、この点に係る亡Aの供述には変遷がみられるが、こうした変遷の経過は、2月5日 に布片1片が発見されたことにより、左袖が欠けている状態で本件シャツが復元されたという経緯を踏まえて、記憶がよみがえったことによるものとみ得るものであり、同供述の変遷には合理的な理由があったものと認められる。また、その後の同月7日の検察官による取調べにおいては、亡Aは、同布片を本件シャツのどの部位から切り取ったかについて明確に特定 して供述してはいないが(乙110の10枚目、認定事実50)、他方で、同取調べの際にも、同月5日時点の上記供述のように、左袖以外の部位を特定して述べたり、どこから切り取ったか覚えていないと述べたりしているわけではないし、何より、前記のとおり、左袖という部位を特定するに至った契機が同月6日に明確に存在したことを踏まえると、亡Aは、同月 7日の検察官による取調べにおいても、同布片を切り取ったのは本件シャ ツの左袖部分からであるこ う部位を特定するに至った契機が同月6日に明確に存在したことを踏まえると、亡Aは、同月 7日の検察官による取調べにおいても、同布片を切り取ったのは本件シャ ツの左袖部分からであることを当然の前提として供述していたとみるのが自然かつ合理的であるし、取調べに当たった検察官も、そのように認識したと考えられる。 以上によれば、亡Aが本件小刀に巻いたという布片は、本件シャツの左袖部分から切り取ったものであるとして、十分に特定されていたというべ きである。 (イ) 上記②の点について亡Aは、確定審第一審の第5回公判期日において否認に転じた後、同公判の当初から否認しなかった理由について、㋐第1回公判期日の直前の接見において、公訴事実を争いたい旨を交替前弁護人に対し伝えていたが、 同弁護人から、無罪で争うのは困難である、弁護人の方針が了解できないのであれば別に私選の弁護人を立てたらどうか、などと言われ、経済的にも時間的にも余裕がなかったため、やむを得ず一旦は犯行を認めることとなったとか、㋑きちんと事実認定がされれば、自白していても第一審で無罪になると信じていたなどと供述していた(認定事実61)。 このうち、亡Aの上記㋐の言い分については、第1回公判期日前の接見時に亡Aの言うようなやり取りが実際にあったのだとすれば、亡Aが、経済的にも時間的にも余裕がなかったために、やむを得ず、公訴事実を認めるという弁護人の方針に従ったというのも、およそあり得ないこととはいえないし、上記㋑の言い分についても、亡Aの自白以外には亡Aの犯人性 を認める決め手となる証拠が存在しなかった本件殺人事件においては、証拠に関する素人的な判断として、あながち理解できないものではない。少なくとも、亡Aの従前の自白 Aの自白以外には亡Aの犯人性 を認める決め手となる証拠が存在しなかった本件殺人事件においては、証拠に関する素人的な判断として、あながち理解できないものではない。少なくとも、亡Aの従前の自白の信用性について前記のような疑念が生じているという状況にあっては、亡Aの上記言い分は、いずれも、直ちに排斥することができるようなものではなかったというべきである。 また、亡Aの上記㋐の言い分を踏まえて実施された交替前弁護人の証人 尋問において、同弁護人は、第1回公判期日前の接見時に亡Aが公訴事実を争いたい旨を述べていたのかどうかについて、亡Aの承諾がないため証言できないと述べたところ、亡Aは、Q弁護人と相談した上で、「それ以上の証言は望まない。」と答えたものであるが(認定事実69)、亡Aが、交替前弁護人に遠慮した可能性や、自身に不利な証言がされると考えた可能 性も相応にあることを考慮すれば、かかる事情も、亡Aの弁解(否認供述)が不合理であるという判断を直ちに導くものではなかったといえる。 (ウ) 小括以上のとおり、亡Aが本件小刀に巻いたという布片は本件シャツの左袖部分から切り取ったものであるとして十分に特定されており(上記①)、 また、第5回公判期日以降の亡Aの上記各言い分や弁解(否認供述)も、直ちに排斥することはできないものであった(上記②)。 そうすると、仮に、被告国が主張するように、公訴提起後に本件袖片残存の事実が明らかになった後の時点においても、検察官が、亡Aの従前の自白の信用性について疑念を抱かず(あるいは、その疑念は容易に排斥で きるとして)、同自白は、本件小刀に何らかの布片を巻き付けて被害者を刺殺したという限度で信用できると考え、さらに、亡Aが否認に転じ、 用性について疑念を抱かず(あるいは、その疑念は容易に排斥で きるとして)、同自白は、本件小刀に何らかの布片を巻き付けて被害者を刺殺したという限度で信用できると考え、さらに、亡Aが否認に転じ、各種証拠調べや一通りの被告人質問を経た後の第19回公判期日の頃においても、本件公訴事実について亡Aに有罪と認められる嫌疑があると判断していたのだとすれば、公訴追行時の検察官の心証が判決時における裁判 官の心証とは異なるものであることを前提としても、その判断は、合理性を欠くものであったといわざるを得ない。 よって、被告国の上記の主張は、採用することができない。 エまとめ以上のとおり、確定審第一審において、各種証拠調べや一通りの被告人質 問を経た後、検察官が第19回公判期日で論告をする頃には、検察官が現に 収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案した合理的判断過程によれば、本件公訴事実について、亡Aに有罪と認められる嫌疑があるとは判断できない状況に至っていたものである。 そうであるにもかかわらず、検察官は、職務上通常尽くすべき前記イ(イ) の注意義務を尽くすことなく、漫然と公訴追行をしたものと認められるから、その公訴追行は、国賠法上違法である。 7 争点6(損害)に対する判断⑴身体拘束期間中の損害 0円本件では、確定審第一審において、検察官が、血液の付着が認められない状 態で本件袖片が残存している理由等を亡Aに質問するなどして、本件袖片残存の事実を公判廷において明らかにしなかった点に、検察官としての職務上の注意義務違反が認められる。 仮に、検察官の上記注意義務違反がなければ、亡Aの従前の自白の信用性に疑念が生じているこ 存の事実を公判廷において明らかにしなかった点に、検察官としての職務上の注意義務違反が認められる。 仮に、検察官の上記注意義務違反がなければ、亡Aの従前の自白の信用性に疑念が生じていることが公判廷で明らかになり、前記6⑵において説示したと おり、同自白の信用性を肯定することはできない状況が生じていたはずである。 そして、同自白が亡Aの犯人性の有無の判断資料から排除され、それらのみでは亡Aの犯人性を肯定することが困難な、推認力に乏しい間接事実(前記 ⑶ア)しか残らないこととなる結果、確定審第一審の裁判所である熊本地裁は、本件公訴事実(殺人罪)については、亡Aの犯人性が合理的疑いを差し挟まな い程度には認められないとして無罪とし、その他の銃刀法違反及び火薬類取締法違反の公訴事実については、再審判決(甲A4)と同様に、有罪として懲役1年としつつ未決勾留日数を全て刑期に算入するとの判断をし、亡Aは、判決宣告の日(昭和61年12月22日(認定事実72))には釈放されたものと考えられる。 したがって、上記判決宣告の日の翌日である昭和61年12月23日から仮 釈放の日である平成11年3月25日(認定事実75)までの間の身体拘束期間中の亡Aの逸失利益(下記ア)及び精神的損害(下記イ)は、検察官の上記注意義務違反と相当因果関係のある損害であるといえる。 ア身体拘束期間中の逸失利益 2624万5395円亡Aは、逮捕当時は就労していなかったものの、ラジオ店の店員やS市役 所の職員、電気店経営者という経歴を有しており、電気店を廃業した後も、出稼ぎや日雇い労働に従事していたこともあったのであるから(認定事実 時は就労していなかったものの、ラジオ店の店員やS市役 所の職員、電気店経営者という経歴を有しており、電気店を廃業した後も、出稼ぎや日雇い労働に従事していたこともあったのであるから(認定事実1)、上記身体拘束期間を通じて、労働能力及び労働意欲があり、就労の蓋然性があったものと認められる。 そして、亡Aの逸失利益を算出する上では、基礎収入については昭和61 年12月23日(確定審第一審判決宣告の日の翌日)から平成11年3月25日(仮釈放の日)までの各年の賃金センサス産業計・企業規模計・中学卒・男子計による該当年齢の平均年収を基準として算定し、また、生活費控除率については50%を用いるのが相当である。 そうすると、上記期間中の亡Aの逸失利益は、以下のとおり同期間中の各 年の賃金センサスを用いて算出した亡Aの基礎収入(5249万0789円)に、生活費控除率(0.5)を乗じた、2624万5395円(小数点以下四捨五入)となる。 昭和61年(52歳) 430万7800円×(9/365日)= 10万6220円(小数点以下四捨五入) 昭和62年(53歳) 439万0500円昭和63年(54歳) 454万4400円平成元年(55歳) 423万3100円平成 2年(56歳) 455万8700円平成 3年(57歳) 480万8200円 平成 4年(58歳) 493万9700円 平成 5年(59歳) 509万7800円平成 6年(60歳) 381万9600円平成 7年(61歳) 377万8900円平成 8年(62歳) 385万1600円平成 9年(63歳) 384万9900円 平成10年(64歳) 378万1300円平成11 平成 7年(61歳) 377万8900円平成 8年(62歳) 385万1600円平成 9年(63歳) 384万9900円 平成10年(64歳) 378万1300円平成11年(65歳) 317万5800円×(84/365)= 73万0869円(小数点以下四捨五入)上記合計 5249万0789円5249万0789円×0.5(生活費控除率) =2624万5395円(小数点以下四捨五入)イ身体拘束期間中の精神的損害 2500万円亡Aは、昭和61年12月23日(確定審第一審判決宣告の日の翌日)から平成11年3月25日(仮釈放の日)までの約12年余の間、懲役刑による約9年の服役を含め、身体を拘束され、多大な精神的苦痛を被ったものと 認められるから、その慰謝料は2500万円とするのが相当である。 ウ刑事補償給付の控除 ▲6016万2500円刑事補償法5条3項は、他の法律によって損害賠償を受けるべき者が同一の原因についてこの法律によって補償を受けた場合には、その補償金の額を差し引いて損害賠償の額を定めなければならないと規定するところ、これは、 国賠法その他の法律に基づく損害賠償の対象となる損害のうち、刑事補償給付による填補の対象となる損害と性質が同一であり、かつ、相互補完性を有するものについて、損益相殺的な調整を図るべき旨を定めたものと解するのが相当である。 本件においては、令和元年9月13日、亡Aに対して、刑事補償金として 6016万2500円が給付されているところ(甲E1)、その填補の対象 となる損害は、前記ア及びイにおいて認定した昭和61年12月23日から平成11年3月25日までの間の逸失利益及び精神的損害に係る損 500円が給付されているところ(甲E1)、その填補の対象 となる損害は、前記ア及びイにおいて認定した昭和61年12月23日から平成11年3月25日までの間の逸失利益及び精神的損害に係る損害賠償金の元金に相当する部分と性質が同一であり、かつ、相互補完性があるものと解される。 したがって、刑事補償法5条3項に基づき、上記6016万2500円は、 前記ア及びイの損害額から控除されるべきである。 エ小括以上によれば、身体拘束期間中に亡Aが被った損害について被告国が賠償すべき金額は、0円となる(2624万5395円+2500万円-6016万2500円)。 ⑵仮釈放後の損害計2164万6965円ア仮釈放後の逸失利益 1664万6965円亡Aは、平成11年3月25日に仮釈放されて以降も就労していなかったものであるが、これは、確定審において一旦本件公訴事実について有罪が確定し、長期間服役したことで、亡Aが、仮釈放後も社会的な偏見にさらされ、 就労の機会が著しく制限されたことによる影響が大きかったものと考えられ、亡Aの従前の就労状況等(前記⑴ア)を踏まえると、上記の社会的な偏見がなければ、仮釈放後においても、亡Aには就労の蓋然性があったものと認められる。したがって、亡Aが仮釈放された日の翌日である平成11年3月26日から再審判決が確定した日の前日である平成31年3月27日ま での間の逸失利益は、検察官の前記注意義務違反との間に相当因果関係のある損害である。 そして、亡Aが仮釈放された平成11年における65歳男性の平均余命は17年であるから、仮釈放後の亡Aの就労可能期間は、その2分の1である8年6月後の平成1 当因果関係のある損害である。 そして、亡Aが仮釈放された平成11年における65歳男性の平均余命は17年であるから、仮釈放後の亡Aの就労可能期間は、その2分の1である8年6月後の平成19年9月26日までとし、その間の基礎収入額は、前記 ⑴アと同様、各年の賃金センサス産業計・企業規模計・中学卒・男子計によ る該当年齢の平均年収を基準として算定するのが相当である。 そうすると、上記期間中の亡Aの逸失利益は、以下のとおり同期間中の各年の賃金センサスを用いて算出した仮釈放後の亡Aの基礎収入(2498万7505円)から、同期間中に亡Aが受給した生活保護費の推計額(834万0540円(=月額8万1770円×102月))を控除した、1664万 6965円となる。 平成11年(65歳) 317万5800円×281/365=244万4931円(小数点以下四捨五入)平成12年(66歳) 302万5400円平成13年(67歳) 306万9800円 平成14年(68歳) 288万5300円平成15年(69歳) 289万2200円平成16年(70歳) 293万4100円平成17年(71歳) 282万3900円平成18年(72歳) 278万3900円 平成19年(73歳) 288万7400円×269/365=212万7974円(小数点以下四捨五入)上記合計 2498万7505円イ仮釈放後の精神的損害 500万円亡Aは、仮釈放により身柄を解放されてからも、平成31年3月28日に 再審無罪が確定するまでの約20年間、殺人罪で懲役13年の有罪判決を受けた犯罪者という不名 的損害 500万円亡Aは、仮釈放により身柄を解放されてからも、平成31年3月28日に 再審無罪が確定するまでの約20年間、殺人罪で懲役13年の有罪判決を受けた犯罪者という不名誉な地位を強いられて社会的偏見にさらされ、多大な精神的苦痛を被ったものと認められるから、その慰謝料は500万円とするのが相当である。 ウ日本弁護士連合会から受けた財政的支援の返還について 0円 日本弁護士連合会は、同会の人権擁護委員会内に設置された「松橋事件委 員会」に対して、本件殺人事件についての弁護団費用(鑑定費用、謄写費用、会議室利用料等)や、弁護人の交通費・宿泊費といった実費等として、総額2004万2042円を支給し、これを受けて、亡Aは、再審判決確定後である令和2年6月10日、日本弁護士連合会に対して、800万円を寄付した(弁論の全趣旨)。 原告らは、上記の亡Aの800万円の支出は、寄付という形式をとってはいるが、その実質は、同会からの支援金の返還であるから、検察官の注意義務違反との間に相当因果関係のある損害であると主張するが、本件全証拠を精査しても、亡Aが日本弁護士連合会から受領した支援金について返還義務を負っていたことを認めるに足りる証拠はなく、上記の亡Aの支出の法的性 質は、同会に対する贈与であると解されるから、同支出と検察官の注意義務違反との間に相当因果関係があるとは認められない。 ⑶弁護士費用 216万4697円前記の検察官の注意義務違反との間に相当因果関係のある弁護士費用としては、上記⑴及び⑵の合計額(2164万6965円)の1割の額である21 6万4697円(小数点以下四捨五入)をもって相当と認める。 ⑷ ある弁護士費用としては、上記⑴及び⑵の合計額(2164万6965円)の1割の額である21 6万4697円(小数点以下四捨五入)をもって相当と認める。 ⑷相続等以上によれば、亡Aは、被告国に対して、2381万1662円(=2164万6965円+216万4697円)及びこれに対する平成31年3月28日(再審無罪が確定した日)から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金 の請求権を有していたものと認められる。 そして、亡Aが令和▲年▲月▲日に死亡したことにより、亡Aの上記損害賠償請求権は、亡Bがその2分の1を、原告X1及び原告X2がそれぞれその4分の1を相続し、さらに、亡Bが令和▲年▲月▲日頃に死亡したことにより、亡Bが相続した亡Aの損害賠償請求権は、原告X1及び原告X2がそれぞれそ の2分の1を相続したため、原告X1及び原告X2は、それぞれ、被告国に対 して、元金1190万5831円及びこれに対する平成31年3月28日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の請求権を有しているものと認められる(甲E3~E19、弁論の全趣旨)。 第4 結論よって、原告らの請求は、主文1項及び2項記載の限度で理由があるから、そ の限度でそれぞれ認容し、その余は理由がないから、いずれも棄却することとして、主文のとおり判決する。なお、仮執行宣言については、相当でないから、これを付さないこととする。 熊本地方裁判所民事第2部 裁判長裁判官品川英基 裁判官片岡甲斐 裁判官川島堤 用語略語亡A(本件訴訟提起時点の原 基 裁判官片岡甲斐 裁判官川島堤 用語略語亡A(本件訴訟提起時点の原告)亡AC被害者亡B(亡Aの子)亡B昭和60年1月初旬に熊本県下益城郡(現宇城市)松橋町の被害者方で同人が刺殺された殺人事件本件殺人事件熊本地検の検察官が、昭和60年2月10日、本件殺人事件について、亡Aを被告人として公訴提起したこと本件公訴提起熊本地検の検察官が、本件公訴提起以降、第一審において、亡Aに係る本件殺人事件について、公訴を追行したこと本件公訴追行本件殺人事件について亡Aが有罪の確定判決を受けた刑事事件確定審確定審における殺人の公訴事実本件公訴事実国家賠償法国賠法銃砲刀剣類所持等取締法銃刀法熊本地方検察庁熊本地検熊本県警察熊本県警略語一覧表(別紙1) 熊本県警松橋警察署松橋署熊本地方裁判所熊本地裁福岡高等裁判所福岡高裁最高裁判所最高裁本件殺人事件の凶器とされた切出小刀本件小刀亡Aが本件殺人事件より前に着用していた、茶色と赤色のチェック模様のネル地シャツ本件シャツ本件殺人事件当時、熊本県下益城郡松橋町内に居住していたGG亡Aが、捜査段階において、本件小刀に血が付かないよう、古い布切れを破って同小刀に巻き付けた旨を自白したこと巻き付け布自白熊本県警が2月14日に亡A宅北側倉庫と住家の境付近角において発見した、本件シャツの左袖部分から切り取られた布片本件袖片確定審第一審の第5回公判期日まで、亡Aの国選弁護人を務めていた弁護士交替前弁護人 (別紙2)当事者の主張の要旨 1 争点1(熊本県警による任意取調べに関する違法性の有無)【 一審の第5回公判期日まで、亡Aの国選弁護人を務めていた弁護士交替前弁護人 (別紙2)当事者の主張の要旨 1 争点1(熊本県警による任意取調べに関する違法性の有無)【原告らの主張】 ⑴被告県関係熊本県警の警察官は、亡Aに対して、本件殺人事件の犯人であるという嫌疑をかけ、被害者の遺体が発見された昭和60年1月8日から逮捕の日である同月20日までの13日間、ほぼ連日、少なくとも計約74時間(食事や休憩の時間を含む。)という長時間にわたり、執拗に亡Aの取調べを行い、特に、同月 18日以降は、ポリグラフ検査の結果を見て亡Aが犯人であると決めつけ、執拗に自白を迫った。また、熊本県警の警察官は、取調べのない日も、亡Aに対して、松橋署と約300メートルしか離れていない自宅で待機することを命じ、さらには、いきなり亡A宅を訪れることなどもあり、亡Aを完全にその監視下に置いていた。 亡Aは、上記取調べを受ける中で、警察官から何度も自白を迫られ、取調べ中に帰宅を希望しても許されず、また、出頭を拒むと警察官が自宅へ押しかけてくるなどの厳しい追及を受け、逮捕してほしい旨を自ら申し出るほどに追い込まれていった。 以上のように、亡Aは、13日間、ほぼ連日にわたる精神的拷問というべき 取調べを受け続けて、自由な意思決定を著しく阻害され、警察官らの事実上の強制の下にほぼ連日の長時間の取調べに応じざるを得ない状況に置かれていたから、熊本県警による任意取調べは、手段・方法が著しく不当で、許容限度を超えるものであり、国賠法上違法なものであった。 ⑵被告国関係 検察官は、その職責として、警察における被疑者の取調べ等の捜査状況を的 確に把握し、そこに問題があれば直ちに是正するなどの り、国賠法上違法なものであった。 ⑵被告国関係 検察官は、その職責として、警察における被疑者の取調べ等の捜査状況を的 確に把握し、そこに問題があれば直ちに是正するなどの措置を講じなければならない。そして、重大事件である本件殺人事件においても、熊本地検の検察官は、熊本県警の警察官の亡Aに対する任意取調べの状況を把握し、適宜に指示又は指揮を行っていたとしか考えられない。 そうすると、上記のとおり違法な取調べについて、熊本地検の検察官が熊本 県警の警察官に対して指示又は指揮を行っていたこともまた、国賠法上違法というべきである。 【被告県の主張】熊本県警が、亡Aに対する任意取調べの期間中、取調べのない日も亡Aに対して自宅待機を命じたとか、亡Aが取調べ中に帰宅を希望しても認めなかったとい った事実はない。 事案の重大性、捜査段階における証拠の収集状況、生前の被害者と亡Aとの間の人的関係、1月18日に行われたポリグラフ検査の結果等の事情に照らせば、亡Aに対する任意取調べが、長期間又は長時間に及んだことや、その供述の曖昧な点や不合理な点等の追及にわたったことは、やむを得ないものであった。 本件における任意取調べの具体的な経過をみても、1月8日以降、3日間取り調べて1日休み、さらに3日間取り調べて3日間休み、次いで3日間と取り調べてその3日目の早々に自白を得たというものであり、しかもこの9日間の取調べは、昼食時間を避け、適宜休憩を取りながら実施されている上、ほとんど午後8時ないし9時前後には終了しているし、取調べの場所を取調べ室外や亡Aの自宅 とするといった配慮もされており、取調べの過程で、警察官が亡Aに対する暴力や恫喝に及んだとの事情もない。 さらに、亡Aは、否認に転じた後の確定審公判に 、取調べの場所を取調べ室外や亡Aの自宅 とするといった配慮もされており、取調べの過程で、警察官が亡Aに対する暴力や恫喝に及んだとの事情もない。 さらに、亡Aは、否認に転じた後の確定審公判において、嫌疑が向けられたと感じ始めた頃から、自白することを考え、自分が犯人であると信じてもらえるよう、捜査情報を頭に入れ筋書きを考えていたとか、自白をして逮捕されても、裏 付け証拠がないから、勾留期間が過ぎれば不起訴となり釈放されると思っていた などと供述し、取調べ時の警察官からの強制的圧力の存在にはほとんど言及せず、むしろ、取調べ官の追及に抵抗すらしていたものである。 以上のとおり、上記期間における熊本県警による亡Aに対する任意取調べは、事案の性質、亡Aに対する容疑の程度、亡Aの態度等の諸般の事情を勘案して相当と認められる方法ないし態様及び限度で行われたものであり、任意捜査として の手段・方法の相当性に欠けるものではない。確定審第一審判決においても、上記任意取調べが自白の任意性に疑いを抱かしめるほどのものであったとは認め難いと判断されている。 【被告国の主張】本件における警察官による任意取調べについて検察官が指示又は指揮を行っ ていたというのは原告らの憶測にすぎない。警察官と検察官は独立の捜査機関であって、当然、警察官は、検察官の指示又は指揮を要することなく随時適宜の方法で被疑者の任意取調べをすることができるのであり、本件においても、検察官が警察官の取調べの実施の可否や実施方法、内容等を指示又は指揮したというべき事情は何ら認められないから、この点が検察官の捜査活動についての国賠法上 の違法を基礎付けることはない。 2 争点2(逮捕後の熊本県警及び熊本地検による取調べに関する違法性の有無)【原告らの は何ら認められないから、この点が検察官の捜査活動についての国賠法上 の違法を基礎付けることはない。 2 争点2(逮捕後の熊本県警及び熊本地検による取調べに関する違法性の有無)【原告らの主張】⑴熊本県警の警察官が亡Aの自白を変遷させたことの違法性(被告県関係)1月20日の最初の自白以降、亡Aが一貫して犯行時に着用していた軍手は 4枚重ねで丸めて自宅近くの大野川に投げ捨てて処分した旨を供述していたことを受け、複数回にわたり大野川を検索したにもかかわらず、上記軍手が発見されることはなかったことから、警察官は、それまでの追及的な取調べは一旦やめて、警察署間の移動中の車内で亡Aに煙草を吸わせたり、亡Aの腰痛を気遣い、亡Aの希望どおり畳にあぐらをかいた状態で取調べを行ったりするな ど(丙9の1)、亡Aが警察官に迎合する状況を整えた上で、2月3日から4日 にかけて、亡Aに対して、本当に軍手を川に捨てたのであれば発見されないのはおかしいなどと告げて、再三にわたり軍手の処分方法をはっきり話すよう求め、最終的には、本当は軍手は自宅の風呂の焚口で焼却したと供述させ、従前の自白の内容を変遷させるに至った。 以上のように、熊本県警の警察官は、2月3日から4日の取調べにおいて、 亡Aの迎合的な性格を利用し、強い誘導を用いて虚偽自白を創出したものであり、このような取調べは国賠法上違法である。 ⑵熊本地検の検察官が亡Aの自白を変遷させたことの違法性(被告国関係)亡Aは、1月20日の最初の自白以降、一貫して、犯行の際は本件小刀を被害者に複数回突き刺して殺害したとだけ供述し、同小刀に布を巻き付けて被害 者に突き刺したなどとは供述していなかったが、熊本地検の検察官は、2月4日中には、科学 一貫して、犯行の際は本件小刀を被害者に複数回突き刺して殺害したとだけ供述し、同小刀に布を巻き付けて被害 者に突き刺したなどとは供述していなかったが、熊本地検の検察官は、2月4日中には、科学捜査研究所から、同小刀に血痕の付着がないことについて一定の回答を得たことから、同日の取調べにおいて、本件小刀を犯行に用いたのであれば柄に血が付くはずではないかなどと告げて亡Aを誘導し、亡Aに、本件小刀にぼろ切れを3センチ幅に切ってぐるぐる巻いたのだと供述させ(巻き付 け布自白)、従前の自白の内容を変遷させるに至った。 以上のように、熊本地検の検察官は、2月4日の取調べにおいて、亡Aの迎合的な性格を利用し、強い誘導を用いて虚偽自白を創出したものであり、このような取調べは国賠法上違法である。 【被告県の主張】 自白に至るまでの経緯に関する確定審第一審における亡Aの供述内容等によれば、亡Aが供述を変更したのは、飽くまで、上記矛盾を指摘された亡A自身において、供述を変更するかどうかを自分なりに熟慮した結果であるというべきであり、警察官が虚偽自白をするように誘導したことにより亡Aが自白を変遷させたとは認められない。 警察官らは、自白当初から軍手の投棄状況を具体的に供述していた亡Aに対し、 大野川の捜索結果や実験結果を踏まえた推論等を示すなどして、その時点での自白の内容との矛盾点を指摘したものであるが、捜査の結果判明した客観的事実と自白の内容とが矛盾する場合に、取調官がその客観的事実を示して被疑者を追及すること自体は、取調べの手法として不適切なものではない。 原告らは、警察官が亡Aの迎合的な性格を利用して自白を変遷させたなどと主 張するが、そもそも、亡Aにそのような性格的傾向があったことが客観的事実として明らかで 手法として不適切なものではない。 原告らは、警察官が亡Aの迎合的な性格を利用して自白を変遷させたなどと主 張するが、そもそも、亡Aにそのような性格的傾向があったことが客観的事実として明らかではない。また、再審開始決定も、亡Aは、自らの知識や見通しに基づき任意に自白供述を続けていたと認めるのが相当であると判断している(甲A1・79頁)。 以上のとおり、熊本県警の警察官が亡Aの迎合的性格を利用して虚偽自白を創 出したなどという事実はない。仮に、亡Aが、その特異な供述傾向(具体的かつ詳細で迫真性に富む亡Aの創作性)を基礎に、報道や経験等に基づきあるいは警察官らからの指摘を受けて、創造的に、自白をし、またその内容を変遷させた可能性があるとしても、警察官がその自白を強制し、変遷を押し付けたわけではない以上、警察官による取調べが国賠法上違法であるなどとはいえない。 【被告国の主張】原告らは、亡Aが最初に巻き付け布自白をしたのは2月4日の検察官による取調べにおいてであることを前提として、検察官が誘導して亡Aに同自白をさせた旨を主張するが、同日及び同月5日の取調べに関する各報告書(丙19、20)、同日付けの警察官調書(甲C3)及び同日付けの検察官調書(甲C2)の記載内 容や、2月4日には巻き付け布自白を踏まえた補充捜査が行われた形跡がないことからすると、亡Aが実際に最初に巻き付け布自白をしたのは同月5日の警察官による取調べにおいてであることが明らかであるから、原告らの上記主張は、その前提とする事実からして誤りである。この点について、本件の再審請求の即時抗告審である福岡高裁決定(甲A2)は、同月4日の検察官による取調べの際に 亡Aが初めて巻き付け布自白をした旨認定したが、誤った事実認定であるといわ について、本件の再審請求の即時抗告審である福岡高裁決定(甲A2)は、同月4日の検察官による取調べの際に 亡Aが初めて巻き付け布自白をした旨認定したが、誤った事実認定であるといわ ざるを得ない。なお、同決定も、亡Aが取調べにおいて捜査官に迎合して供述した可能性を挙げるにとどまるものであり、検察官による不当な誘導等の可能性を指摘しているものではない。 また、原告らは、2月4日に本件小刀について血痕の付着の有無等を明らかにするための鑑定が着手され、検察官が、同日中には、科学捜査研究所から、本件 小刀に血痕の付着がないことについて一定の回答を得たため、同日の取調べにおいて、亡Aに対して、本件小刀を犯行に用いたのであれば柄に血が付くはずではないかなどと告げて亡Aの自白の変遷を誘導したなどと主張するが、検察官が同日には本件小刀に血痕の付着がないことについて一定の回答を得たなどという原告らの上記主張には何らの証拠もなく、憶測にすぎない。上記鑑定が終了して、 警察官が、科学捜査研究所から、本件小刀への血液の付着を証明し得ない旨の回答を得たのは、同月9日である。 以上のとおり、熊本地検の検察官が亡Aの迎合的性格を利用して虚偽自白を創出したなどという事実はないから、検察官による取調べについて国賠法上の違法性はない。 3 争点3(熊本県警及び熊本地検による補充捜査の懈怠に関する違法性の有無)【原告らの主張】検察官は、公益の代表者として、事案の真相を明らかにする職責を負っており(刑事訴訟法1条、検察庁法4条)、当然、被告人に有利な証拠や、自白と矛盾する証拠を十分に収集することもその使命である。 また、最高裁の判例によれば、「刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで直ちに公訴の提起が違法となるという に有利な証拠や、自白と矛盾する証拠を十分に収集することもその使命である。 また、最高裁の判例によれば、「刑事事件において無罪の判決が確定したというだけで直ちに公訴の提起が違法となるということはなく、…(中略)…公訴の提起時において、検察官が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば、右公訴の提起は違法性を欠くものと解するのが相当である」 とされている(最高裁昭和59年(オ)第103号平成元年6月29日第一小法 廷判決・民集43巻6号664頁)。 そうすると、無罪の判決が確定した事案においては、捜査機関が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案した合理的な判断過程によれば無罪と判断される場合には、捜査官が通常要求される捜査をしなかったことについて国賠法上の違法性が認められると判断され ねばならない。 本件において、熊本県警の警察官及び熊本地検の検察官は、以下の⑴~⑶の捜査を怠ったものであり、これらの捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案した場合には、亡Aは無罪と判断されたはずであるから、熊本県警の警察官及び熊本地検の検察官の捜査活動には国賠法上の違法がある。 ⑴起訴前における本件袖片に関する捜査の懈怠本件殺人事件においては、犯行と亡Aを結び付ける目撃供述や決め手となるような物的証拠は存在しなかったから、亡Aの自白の信用性が重要であることは捜査機関も十分に認識していたはずであるところ、亡Aは、2月5日、被害者を殺害する際、古いシャツから切り取った布を巻き付けた状態の本件小刀を は存在しなかったから、亡Aの自白の信用性が重要であることは捜査機関も十分に認識していたはずであるところ、亡Aは、2月5日、被害者を殺害する際、古いシャツから切り取った布を巻き付けた状態の本件小刀を 被害者に突き刺した旨を供述し(巻き付け布自白)、また、同月6日には、その布は、同シャツの左袖部分から切り取ったものであり、犯行後、自宅の風呂の焚口で燃やした旨を供述した。 以上の経緯からすると、同シャツの左袖部分の布片が亡A宅に残存しているか否かは、亡Aの巻き付け布自白、ひいては、殺人の実行行為についての自白 の信用性を判断する上で極めて重要な事項であったといえるから、捜査機関は、通常要求される捜査として、起訴前の時点において、同シャツの左袖部分の布片が残存しているかどうかを確認するために、亡A宅の捜索を行わなければならなかった。 実際に捜査機関が亡A宅を捜索して本件袖片を発見・領置したのは、起訴後 の2月14日になってからであったが、この時に捜索が行われたのは、亡Aは 犯行時に本件小刀に巻いた布を燃やしたと供述しているものの、勘違いや記憶違いでその残片等が投棄又は放置されているおそれがあったことを理由とするものであり、捜査機関は、起訴前の時点においても、そのような可能性を考慮し、亡A宅の捜索を行わなければならなかった。 ⑵1月6日に被害者を目撃した旨のGの供述の裏付け捜査の懈怠 亡Aは、被害者を殺害した日時について、1月6日午前1時30分頃であると自白し、確定審第一審判決は、同自白に基づき、本件の発生日時は同時刻頃であると判示した。 しかし、小学校時代からの被害者の知人であり、当時、本件現場と同じ松橋町内に居住していたGは、本件発生後に警察官から受けた事情聴取において、 件の発生日時は同時刻頃であると判示した。 しかし、小学校時代からの被害者の知人であり、当時、本件現場と同じ松橋町内に居住していたGは、本件発生後に警察官から受けた事情聴取において、 1月6日の朝、東京在住の孫を熊本空港に送って行く途中に、被害者が交差点付近を歩いているのを目撃したと供述している(甲D13、14)。 殺害されたはずの被害者を、亡Aの自白に係る犯行時刻よりも後に目撃したという人物が存在したのであるから、捜査機関は、Gの上記供述にかかる被害者の目撃日時の裏付けのために、通常要求される捜査として、同日の熊本空港 から東京行きの飛行機の搭乗者名簿等の確認をせねばならなかった。 なお、1月24日付けのGの供述調書(甲D15)は、被害者らしき人物を同月7日に目撃したが、人違いだと思う、という内容になっているが、これは、熊本県警の警察官が、亡Aの自白のストーリーに沿うよう、Gを威迫し、Gの供述を変更させたためである(甲D14)。 ⑶被害者が犯行現場に存在したミカンを購入した日時に関する捜査の懈怠被害者の遺体の解剖の結果、被害者は、ミカンを食べた後20~30分後に死亡したことが判明していた。また、実際に、被害者の遺体が発見された当時、被害者宅には、コタツの南東隅に赤色のネットに入ったミカン19個が存在し、また、コタツの机の上にミカン1個分の食べかすが存在した。 しかし、1月5日の夜の宴会の際に被害者宅で食事の用意をしていたEは、 当時、被害者宅にはミカンはなかったと供述している(甲D16の1、16の2)。 そうすると、上記の各ミカンは、被害者が、1月6日以降に購入したものであるということになり、犯行日時が同日の未明であるという亡Aの自白には疑問が生じることに している(甲D16の1、16の2)。 そうすると、上記の各ミカンは、被害者が、1月6日以降に購入したものであるということになり、犯行日時が同日の未明であるという亡Aの自白には疑問が生じることになるから、捜査機関は、通常要求される捜査として、被害者 がミカンを購入したと考えられる店舗であるH商店の店員の供述調書の作成や、同商店の仕入れ帳簿及び現金出納簿の確認をせねばならなかった。 【被告県の主張】⑴起訴前における本件袖片に関する捜査について亡Aは、勾留満期(2月10日)を間近に迎えた同月5日になって初めて、 巻き付け布自白をしたものであるが、そもそも、熊本県警は、亡Aの供述に依存せず、捜査の一環として亡A宅の捜索を実施する中、1月21日の時点でシャツの布片3件の任意提出を受け、その後、2月5日には上記巻き付け布自白を受けて再度亡A宅を捜索して更にもう1件の布片を差し押さえており(甲B5)、これらにより、亡Aが被害者殺害の際に使用したという布片を切り取っ た元であるシャツが実在したものであることの裏付けが得られていた。 さらに、2月5日には、亡Aが同シャツの左袖部分の布片と同様に燃やしてしまったと供述した皮底靴について、残焼物である金具が発見され、亡Aの供述どおりにこれが燃やされていたことが明らかになっていた。 以上を踏まえれば、本件殺人事件の起訴前の時点において、亡Aの自白にか かるシャツの左袖部分の布片が燃やされずに残存しているのではないかなどと疑うべき事情はなかったから、それが残存しているかどうかを確認するために亡A宅の捜索を実施することが、捜査機関において通常要求される捜査などといえないことは明らかである。 ⑵1月6日に被害者を目撃した旨のGの供述の裏付け捜 残存しているかどうかを確認するために亡A宅の捜索を実施することが、捜査機関において通常要求される捜査などといえないことは明らかである。 ⑵1月6日に被害者を目撃した旨のGの供述の裏付け捜査について Gは、1月7日頃に被害者らしき人物を目撃した旨を述べていたため、熊本 県警の警察官は、同供述を信用するに足りる根拠があるかどうかを重要視し、何度かGからの事情聴取を行っていた。そうしたところ、Gは、同月24日、自身が目撃した男は、歩き方や背格好から被害者であると直感的に思ったが、被害者とは数年間顔を合わせていない上、目撃した人物の顔を確認してはおらず、それが本当に被害者であったかはわからない、などと供述したものである。 かかる経緯で、熊本県警は、Gが目撃した人物が被害者であったとは認められないと判断したのであって、その目撃した日時を特定するために飛行機の搭乗者名簿等を確認する必要性は乏しかったものである。 なお、原告らは、Gが1月6日の朝に被害者を目撃した旨供述したと記載されているメモ(甲D13)や報告書(甲D14)を提出し、熊本県警の警察官 がGを威迫し、Gが被害者らしき人物を目撃した日時は同月7日の午前11時頃であったというように供述を改変させたなどと主張する。しかし、Gが被害者らしき人物を目撃したのが同月6日の朝であろうが同月7日の午前11時頃であろうが、いずれにせよ、亡Aの自白に係る犯行日時である同月6日午前1時30分頃より後であり、同自白と矛盾することになるから、警察官が上記 目撃日時に関するGの供述を改変せねばならない理由は全く存在しない。また、上記メモ及び報告書においてすら、Gが上記目撃に係る人物を被害者だと思った根拠は背格好以外には挙げられておらず、目撃供述として 目撃日時に関するGの供述を改変せねばならない理由は全く存在しない。また、上記メモ及び報告書においてすら、Gが上記目撃に係る人物を被害者だと思った根拠は背格好以外には挙げられておらず、目撃供述としての信用性は認められない。 ⑶被害者が犯行現場に存在したミカンを購入した日時に関する捜査について 確かに、被害者はミカンを食べたすぐ後に死亡したことが判明していたが、本件捜査当時、ミカンの購入先や購入時期は問題になっていなかった。Eが、事件から約16年も経ってから、当時、被害者宅にはミカンはなかったと供述している点(甲D16の1、16の2)については、その供述の信用性に疑問があるし、H商店の経営者であったIも、被害者が事件当日にミカンを買いに 来たかどうかは分からないとしか述べておらず(甲D19)、被害者による上 記ミカンの購入先や購入時期は、そもそも不明としか言いようがない。 被害者宅に存在したミカンは、冬場の果物を取り扱う店舗であればどこで販売しているようなものであり、被害者がそのミカンをH商店で購入した事実が明確になっていなかった以上、同商店の仕入れ帳簿や現金出納帳を確認する必要性もないし、同商店の店員の供述調書を作成するまでもない。 ⑷その他そもそも、捜査機関は、原告らが取り上げる上記⑴~⑶の 点に限らず、現場等の丁寧な見分、被害者の推定死亡時期における不審な人物・物音や被害者の交友関係等一般的な聞き込み捜査に始まり、多数の関係者・参考人の聴取、聴取事項相互間の整合性確認、多数の押収・領置物件の鑑定、亡Aの自供内容 の裏付け捜査、再現実験などの膨大な量の捜査に当たっており、通常行うべき捜査を 査に始まり、多数の関係者・参考人の聴取、聴取事項相互間の整合性確認、多数の押収・領置物件の鑑定、亡Aの自供内容 の裏付け捜査、再現実験などの膨大な量の捜査に当たっており、通常行うべき捜査を怠ったとの誹りを受けるべきところはない。 【被告国の主張】原告らが指摘する最高裁の判例(最高裁昭和59年(オ)第103号平成元年6月29日第一小法廷判決・民集43巻6号664頁)は、飽くまでも検察官の 公訴提起についての国賠法上の違法性の有無についての判断枠組みを示したものであって、捜査をしなかったことが国賠法上違法となる場合の判断枠組みを示したものではない。 そもそも、国賠法1条1項にいう「違法」とは、公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違反することをいうところ (職務行為基準説)、検察官が個別の捜査をしなかったことは、それ自体では、捜査の対象者(本件では亡A)の権利・利益に何らの変動を生じさせることも、直接損害を与えることもないのであり、通常要求される捜査を怠った結果、公訴提起の判断を誤った場合に初めて権利・利益の変動等を生じさせることになるのであるから、検察官が、亡Aとの関係で、個別の捜査をすべき職務上の法的義務を 負担することはあり得ない。 よって、検察官が通常要求される捜査をしなかったこと自体が、公訴提起の違法性と離れて、独自に国賠法上の違法事由となることはない。 なお、検察官が、原告主張に係る⑴~⑶の各捜査をしなかったことが、通常要求される捜査の懈怠であるとはいえないことは、以下の⑴~⑶のとおりである。 ⑴起訴前における本件袖片に関する捜査について 2月5日以降の亡Aの供述によれば、本件小刀に巻き付けたという布片は既 ないことは、以下の⑴~⑶のとおりである。 ⑴起訴前における本件袖片に関する捜査について 2月5日以降の亡Aの供述によれば、本件小刀に巻き付けたという布片は既に焼却済みであり、起訴までの時点で、同布片が残存しているのではないかとの疑問を抱かせる事情は何ら存在しなかった。むしろ、燃やした時期及び対象は異なるものの、亡Aが焼却したと供述した皮底靴について、残焼物である金具が発見されており(乙99)、上記布片についても焼却済みであるという亡 Aの供述を裏付けると評価し得る事情が存在した。 そうすると、検察官が、亡Aの上記供述が虚偽である可能性までも考慮した上で、あえて上記布片が残存しているかを確認するために亡A宅をくまなく捜索する必要性が低かったことは明らかであるから、そのような捜査が、捜査機関として通常要求される捜査であるなどとはいえない。 ⑵1月6日に被害者を目撃した旨のGの供述の裏付け捜査についてGの供述調書(甲D15)によれば、Gが被害者らしき人物を目撃したのは1月7日であったと認められるのであり、それが同月6日であったなどという原告らの主張は誤りである。 また、Gは、当初は、目撃したその人物が被害者であると思ったものの、警 察官から、被害者は1月5日頃に殺害されていると聞かされるや、「歩き方格好等から直感的に被害者と思ったのでありしっかりと顔を確認したのではありませんので被害者ではないと思っております」と供述しており、目撃時の視認条件も良好とはいえなかったから、被害者らしき人物を目撃した旨の供述自体、信用性が低い。 以上によれば、検察官がG供述の信用性を確認するような捜査を実施する必 要性がなかったことは明らかであり、仮に、起訴前に検察官が らしき人物を目撃した旨の供述自体、信用性が低い。 以上によれば、検察官がG供述の信用性を確認するような捜査を実施する必 要性がなかったことは明らかであり、仮に、起訴前に検察官が上記G供述の信用性の確認のために、原告らが主張するような各捜査を実施したとしても、亡Aの自白の信用性に疑いを差し挟むに足りる有用な証拠を収集できたはずであるなどとは到底いえない。 ⑶被害者が犯行現場に存在したミカンを購入した日時に関する捜査について 捜査当時の関係証拠からすれば、被害者が殺害された日時は1月6日の深夜(午前0時過ぎ)から未明にかけてであることが優に推認され、犯行現場に存在したミカンの購入状況等に関する捜査をしたとしても、その事実が覆される余地はなく、そのような捜査をする必要性は全くなかった。 また、原告らが提出する証拠をみても、1月5日夜に被害者宅で飲食した際 にEがミカンを見た覚えがない旨(甲D16の1、16の2)や、H商店では当時ミカンを販売しており、被害者が来店したこともあった旨(甲D19、20)が記載されているにとどまり、原告らが主張するように、犯行現場に存在したミカンが同月6日以降に被害者によってH商店で購入されたものであることを裏付ける証拠は全くない。 以上によれば、被害者が犯行現場に存在したミカンを購入した日時に関する捜査が、捜査機関として通常要求される捜査であるなどとは到底いえない。 4 争点4(本件公訴提起に関する違法性の有無)【原告らの主張】最高裁の判例によれば、無罪判決が確定した場合における公訴提起の違法性に ついては、「公訴の提起時において、検察官が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪 た場合における公訴提起の違法性に ついては、「公訴の提起時において、検察官が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば、右公訴の提起は違法性を欠くものと解するのが相当である」とされている(最高裁昭和59年(オ)第103号平成元年6月29日第一小法廷判決・民集43巻6号664頁)。 本件の起訴前の時点において、捜査機関が、通常要求される捜査として、⑴起 訴前における本件袖片に関する捜査、⑵ 月 日に被害者を目撃した旨のGの供述の裏付け捜査及び⑶被害者が犯行現場に存在したミカンを購入した日時に関する捜査をすべきであったことは、前記3【原告らの主張】において主張したとおりであるところ、捜査機関がこれらの各捜査を遂行していれば、本件袖片並びに亡Aの自白に基づく本件の犯行日時を覆すこととなるGの被害者目撃供述、そ の裏付けとなる同日の飛行機の搭乗者名簿、被害者がミカンを購入したと考えられる商店(H商店)の店員の供述、同商店の仕入れ帳簿及び現金出納簿といった証拠資料を、当然に収集することができた。 そして、そもそも、公訴提起までに現に収集されていた証拠資料からすると、本件殺人事件の犯人を示す証拠は亡Aの自白以外にはなく、しかも、本件小刀に 布切れを巻き付けたこと、犯行時に着用していたとされる軍手の処分状況など、その自白の内容の基調となるべき部分が変遷していることが明らかになっていた。これらの事情と、上記の捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料とを総合勘案して合理的に判断すれば、本件公訴事実について亡Aを有罪と認めるに足り の基調となるべき部分が変遷していることが明らかになっていた。これらの事情と、上記の捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料とを総合勘案して合理的に判断すれば、本件公訴事実について亡Aを有罪と認めるに足りる嫌疑がなかったことは明らかである。 したがって、検察官による本件公訴提起は、国賠法上違法である。 【被告国の主張】⑴判断枠組みについて検察官による公訴提起については、その時点において各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑があれば、検察官に職 務上の法的義務違反は認められず、当該公訴の提起は違法性を欠くと解すべきである(合理的理由欠如説(最高裁昭和59年(オ)第103号平成元年6月29日第一小法廷判決・民集43巻6号664頁参照))。 そして、公訴提起の際の犯罪の嫌疑の存否についての検察官の判断は、各種の証拠資料を総合勘案して合理的な判断過程により有罪と認められる嫌疑が 存在するか否かという、証拠評価及び法的判断を含むものであるから、公訴提 起の際の合理的根拠の欠如の有無を検討するに当たっては、検察官が上記判断を行う際に不可避的に生ずる個人差による判断の幅をも考慮に入れなければならない。具体的には、検察官の公訴提起については、有罪と認められる嫌疑があると判断した検察官の証拠評価及び法的判断が、法の予定する一般的な検察官を前提として、通常考えられる検察官の個人差による判断の幅を考慮に入 れても、なお行き過ぎで、経験則、論理則に照らして到底その合理性を肯定することができない程度に達している場合に、初めて違法となると解すべきである。 ⑵本件公訴提起をした検察官の判断が合理的根拠を欠くものではなかったこと 以下のとおり、本件公訴提 ができない程度に達している場合に、初めて違法となると解すべきである。 ⑵本件公訴提起をした検察官の判断が合理的根拠を欠くものではなかったこと 以下のとおり、本件公訴提起時点で現に収集した証拠資料によれば、亡Aの犯人性を相当程度推認させる複数の間接事実が存在していた上、これらに合致していて信用性が高いと認められる亡Aの自白があったから、本件公訴事実につき亡Aに有罪と認められる嫌疑があるとした検察官の判断が合理的根拠を欠くものであったとはいえない。 ア亡Aの犯人性を推認させる間接事実亡Aは、本件犯行日時のアリバイがなく、他方で、被害者に対する怨恨という犯行の動機が認められ、また、ポリグラフ検査においては顕著な反応を示していた。 このように、亡Aについては、その犯人性を推認させる間接事実が複数存 在した。 イ亡Aの自白の信用性亡Aの自白は、関係証拠から認められる客観的事実(犯行時刻、創傷部位等)に合致しており、自白に至る経緯及び自白の内容にも自然性・具体性・合理性が認められ、秘密の暴露と評価し得る各種の事情による裏付けも得ら れていた。 また、同自白は、一部、内容が変遷していたが、その余は概ね供述内容が一貫しており、その変遷にも合理的な理由が認められた。 さらに、亡Aは、検察官等から追及されても、自己に有利な供述を変更することなく一貫して貫徹しており、取調官の誘導のままにそれに迎合して供述するという態度を見せていたわけでもなかった。 なお、亡Aの自白の信用性の検討に当たり、亡Aが凶器であると供述した本件小刀から血痕が確認されなかったことは、一応問題となり得るものであったが、亡Aは、あらかじめ本件小刀に布片を巻き付 た。 なお、亡Aの自白の信用性の検討に当たり、亡Aが凶器であると供述した本件小刀から血痕が確認されなかったことは、一応問題となり得るものであったが、亡Aは、あらかじめ本件小刀に布片を巻き付けて犯行に及び、犯行後には本件小刀を自宅で念入りに洗った後、砥石で研いだということであったから、本件小刀から血痕が確認されなかったとしても不自然・不合理とは いえず、この点は、亡Aの自白の信用性を疑わせるものではなかった。 以上の事情を踏まえれば、亡Aの捜査段階における自白には十分に信用性が認められた。 ウ小括以上のとおり、本件公訴提起時点で現に収集した証拠資料によれば、亡A に有罪と認められる嫌疑が存在していたことは明らかである。 ⑶原告らの主張する各種補充捜査は通常要求される捜査に当たらないこと原告らの主張する、⑴起訴前における本件袖片に関する捜査、⑵ 月 日に被害者を目撃した旨のGの供述の裏付け捜査及び⑶被害者が犯行現場に存在したミカンを購入した日時に関する捜査が、捜査機関において通常要求される 捜査であるとはいえないことは、前記3【被告国の主張】において主張したとおりである。 なお、上記⑴(起訴前における本件袖片に関する捜査)について、亡Aは、2月5日、被害者を殺害する際、古いシャツから切り取った布を巻き付けた状態の本件小刀を被害者に突き刺した旨を供述し、同月6日には、その布は、同 シャツの左袖部分から切り取ったものである旨を供述したのであるが、亡Aの 供述は、同布片を何から切り取ったかという点について、同月5日午前には「 を供述し、同月6日には、その布は、同 シャツの左袖部分から切り取ったものである旨を供述したのであるが、亡Aの 供述は、同布片を何から切り取ったかという点について、同月5日午前には「ねる地みたいな私の古いシャツ」(甲C3の6枚目)、「自分の古いシャツの布」(甲C2の8枚目)、同日午後には「ネル地様のスポーツシャツを何枚かに切り破って砥いだ物や油や手を拭いたりするボロぎれの端」(甲C4の2枚目)、同月6日には単に「ぼろ切れ」(乙108の7及び8枚目)、「近くにあった ウェス」(甲C5の5枚目)とそれぞれ供述しており、特定のシャツから切り取ったと一貫して供述していたわけではなく、曖昧さや変遷が見受けられた。 現に、亡A方の作業場には、当時、多数の布切れが存在しており、亡Aの自白によっても、本件小刀に巻き付けるものとして、特定の布片を殊更に選んだというのではなく、その場にあった複数の布切れの中からとっさに手に取ったに 過ぎないと認められた。また、同布片をシャツのどの部位(箇所)から切り取ったかという点についても、同月5日午前には「背中の部分」(甲C3の9枚目)、同日午後には「どこをどのように切ったか覚えていない」(甲C4の3枚目)、同月6日には「左袖を切り開い」た(甲C5の12枚目)とそれぞれ供述しており、やはり曖昧さや変遷が見受けられた上、さらに後の同月7日に 実施された検察官による取調べにおいては、亡Aは、「ネル地の様な布地のスポーツシャツを、かねて工作をする為に何枚かに切り破って研いだ物や油を拭いたりするのに使っていたもの」と供述するにとどまり、同シャツの左袖部分から切り取ったものと特定することはしなかった(乙110の10枚目)。これらの事情からすると、亡A自身、上記布片について、そもそも明確な記憶が っていたもの」と供述するにとどまり、同シャツの左袖部分から切り取ったものと特定することはしなかった(乙110の10枚目)。これらの事情からすると、亡A自身、上記布片について、そもそも明確な記憶が あるとは認め難い状況にあり、捜査機関としても、当時、この布片を特定することが困難であったものであり、したがって、本件公訴を提起した検察官もまた、同布片は本件シャツの左袖部分から切り取ったものであるとまでは特定できないと判断していたというべきであって、このような判断を前提とすれば、検察官は、本件小刀に巻き付けた布片に関する亡Aの供述の変遷は、自白の信 用性を揺るがすものではなく、本件小刀に何らかの布片を巻き付けて被害者を 刺殺したというという限度で亡Aの自白は信用できると判断して本件公訴提起に至ったものと考えられる。このことは、検察官が、①確定審第一審の第1回公判期日における冒頭陳述で、亡Aが本件小刀に巻いたのは「幅約三センチメートル、長さ約三〇センチメートルの布切れ」であるとのみ述べ(乙175)、②亡Aが否認に転じた後、弁護人から第6回公判期日においてその開示を求め られるまでは、亡Aが本件小刀に巻いた布片を切り取った本件シャツの部位は左袖である旨特定して供述した旨の記載がある2月6日付けの供述調書(甲C5)について証拠調べ請求をしていなかったこと、③第19回公判期日における論告での亡Aの自白の信用性に関する論証(乙173)において、亡Aが本件小刀に巻いたという布片について言及しなかったことにも表れている。 以上のような検察官の判断が、法の予定する一般的な検察官を前提として、通常考えられる検察官の個人差による判断の幅を考慮に入れても、なお行き過ぎで、経験則、論理則に照らして到底その合理性を肯定することができ ような検察官の判断が、法の予定する一般的な検察官を前提として、通常考えられる検察官の個人差による判断の幅を考慮に入れても、なお行き過ぎで、経験則、論理則に照らして到底その合理性を肯定することができない程度に達しているとは到底いえない。 ⑷まとめ 以上を総合すると、本件公訴提起時において、検察官が現に収集した証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠資料を総合勘案した合理的な判断過程によれば、本件公訴事実について亡Aには有罪と認められる嫌疑があったものといえる。 したがって、本件公訴提起に国賠法上の違法性はない。 5 争点5(本件公訴追行に関する違法性の有無)【原告らの主張】⑴裁判の結果に影響を及ぼす可能性が明白である証拠の法廷顕出義務についてア検察官は、公益の代表者として、事案の真相を明らかにする職責を負って おり(刑事訴訟法1条、検察庁法4条)、また、事件の審判に必要と認める全 ての証拠の取調べを請求せねばならないこととされている(刑事訴訟規則193条1項)。これらの法令の趣旨や条理に照らせば、検察官は、手持ち証拠のうち、裁判の結果に影響を及ぼす可能性が明白であるものについては、被告人に被告人に有利であると不利であるとを問わず、法廷に顕出すべき義務を負うものというべきである(東京地裁令和元年5月27日判決(以下「布 川事件国賠訴訟第一審判決」という。)参照)。 イ本件殺人事件においては、被害者殺害の犯人を示す証拠は亡Aの自白以外にはなく、したがって、亡Aの自白の信用性が、本件殺人事件の公判における最大かつほぼ唯一の争点であったところ、被害者は、左頸部等を十数回は刺されているにもかかわらず、凶器とされた本件小刀からは、柄 にはなく、したがって、亡Aの自白の信用性が、本件殺人事件の公判における最大かつほぼ唯一の争点であったところ、被害者は、左頸部等を十数回は刺されているにもかかわらず、凶器とされた本件小刀からは、柄の部分を含 めて一切血液の付着が認められなかったため、その矛盾を解消するものとして、本件小刀に本件シャツの左袖部分から切り取った布を巻き付けた上で被害者を刺したという亡Aの自白(巻き付け布自白)は、極めて重要な意味を有していた。 そして、亡Aの自白によれば、本件小刀に巻き付けるのに用いられた本件 シャツの左袖部分の布片は焼却されているため、存在しないはずであったが、実際には、本件公訴提起後になって、同布片(本件袖片)が発見され、しかも、血液の付着が認められないことが判明した。これらの事情に関する証拠である本件袖片及び本件袖片の鑑定書(乙149)は、上記のとおり本件において極めて重要な意味を有する巻き付け布自白に大きな疑問を突き付け る証拠であり、ひいては、亡Aによる殺人の実行行為に関する自白にも大きな疑問を突き付ける証拠といえる。 以上によれば、本件袖片及び本件袖片の鑑定書は、検察官の手持ち証拠のうち、裁判の結果に影響を及ぼす可能性が明白であるものに該当するといえるから、検察官には、これらの証拠を法廷に顕出すべき義務があった。にも かかわらず、検察官は、この義務に違反し、証拠隠しを行ったのであり、か かる行為は国賠法上違法である。 ⑵本件公訴追行の違法性公訴の提起後、公判において被告人の嫌疑を否定する証拠が提出され、または、裁判の結果に影響を及ぼす可能性が明白である証拠の存在が明らかになるなどして、当該訴訟追行時には、もはや全証拠資料を総合勘案しても到底有罪 判において被告人の嫌疑を否定する証拠が提出され、または、裁判の結果に影響を及ぼす可能性が明白である証拠の存在が明らかになるなどして、当該訴訟追行時には、もはや全証拠資料を総合勘案しても到底有罪 判決を期待し得ない状況に至っていたにもかかわらず、公訴追行を継続した検察官において、職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と当該公訴追行をしたと認められるような特段の事情がある場合は、検察官の公訴追行は国賠法上違法となる(鹿児島地裁平成27年5月15日判決参照)。 本件において、検察官は、遅くとも、本件袖片等の証拠が熊本地検に送致さ れたという4月5日には、亡Aの自白の基調となるべき部分を崩壊させる事実、すなわち、血液の付着が認められない状態の本件袖片が残存している事実を把握したのであり、この時点で、もはや全証拠資料を総合勘案しても到底有罪判決を期待し得ない状況に至っていたことが明らかである。 それにもかかわらず、検察官は、本件袖片等の証拠の存在を秘し、下記ア及 びイで主張するような各訴訟行為を行わず、漫然と公訴を追行してその職務上の注意義務に違反したのであるから、本件では、上記鹿児島地裁判決のいう「特段の事情」が認められ、その公訴追行は国賠法上違法である。 ア検察官が公訴取消し又は無罪論告をしなかった点公訴は、第一審の判決があるまでは取り消すことができるところ(刑事訴 訟法257条)、最高検察庁は、「いわゆる厚労省元局長無罪事件における捜査・公判活動の問題点等について(公表版)」と題する報告書(甲E21)において、重大な問題点が判明した場合、公判段階においても、公訴取消しも検討しなければならないことを明らかにしている。 また、公判中に証拠不十分であることが明らかになった場合には、無罪 E21)において、重大な問題点が判明した場合、公判段階においても、公訴取消しも検討しなければならないことを明らかにしている。 また、公判中に証拠不十分であることが明らかになった場合には、無罪の 論告をするのが通例とされており、最高検察庁も、上記報告書において、有 罪判決を期待し得ない状況に至ったときは、論告において有罪を求めないこと、すなわち、無罪の論告をすることも十分にあり得ることを指摘している。 前記のとおり、本件公訴事実については、公判段階において、もはや全証拠資料を総合勘案しても到底有罪判決を期待し得ない状況に至っていたのであるから、検察官は、公訴を取り消すか、無罪の論告をしなければならな かった。 イ検察官が、公判での各手続段階において、血液の付着のない本件袖片が残存している事実を明らかにしなかった点確定審第一審の公判において、検察官は、公訴取消し又は無罪論告をしないとしても、「事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正…に適用実現する」 ため(刑事訴訟法1条)、または、「裁判所に法の正当な適用を請求」するため(検察庁法4条)、①冒頭陳述において、血液の付着が認められない状態の本件袖片が残存していることに言及し、②本件袖片及び本件袖片の鑑定書について、事件の審判に必要な証拠(刑事訴訟規則193条1項)として証拠調べ請求をし、③被告人質問において、なぜ本件袖片に血液の付着が認めら れないのか、本件小刀に巻き付けた布切れは本件シャツの左袖部分の布片から切り取ったものであるとの自白に勘違いはないのか、本件小刀に布切れを巻き付けたことは間違いないのか、さらには、布切れを巻き付けた本件小刀で被害者殺害に及んだことは間違いないのか、といった点を確認し、④論告において、血液 の自白に勘違いはないのか、本件小刀に布切れを巻き付けたことは間違いないのか、さらには、布切れを巻き付けた本件小刀で被害者殺害に及んだことは間違いないのか、といった点を確認し、④論告において、血液の付着が認められない状態の本件袖片が残存していることに 言及した上で、裁判所の判断を求めなければならなかった。 【被告国の主張】⑴裁判の結果に影響を及ぼす可能性が明白である証拠の法廷顕出義務についてア最高裁昭和43年(し)第68号同44年4月25日第二小法廷決定(刑 集23巻4号248頁)は、「裁判所は、その訴訟上の地位にかんがみ、法規 の明文ないし訴訟の基本構造に違背しないかぎり、適切な裁量により公正な訴訟指揮を行ない、訴訟の合目的的進行をはかるべき権限と職責を有するものであるから、本件のように証拠調の段階に入った後、弁護人から、具体的必要性を示して、一定の証拠を弁護人に閲覧させるよう検察官に命ぜられたい旨の申出がなされた場合、事案の性質、審理の状況、閲覧を求める証拠の 種類および内容、閲覧の時期、程度および方法、その他諸般の事情を勘案し、その閲覧が被告人の防禦のため特に重要であり、かつこれにより罪証隠滅、証人威迫等の弊害を招来するおそれがなく、相当と認めるときは、その訴訟指揮権に基づき、検察官に対し、その所持する証拠を弁護人に閲覧させるよう命ずることができるものと解すべきである。」と判示しており、検察官に 対し、一般的かつ広範な証拠開示義務を課すのではなく、裁判所の訴訟指揮権に基づき、個別的に証拠の開示を命じて当該証拠の開示義務を課すという法律構成を採っている。 また、そもそも、刑事訴訟法は、戦前の旧法とは異なり、公判において、検察官と被告人及び弁護人は対等の当事者としてそれぞれ事 拠の開示を命じて当該証拠の開示義務を課すという法律構成を採っている。 また、そもそも、刑事訴訟法は、戦前の旧法とは異なり、公判において、検察官と被告人及び弁護人は対等の当事者としてそれぞれ事件に関し自己 の主張を述べ、必要な証拠を提出し、相手方の証拠を批判・反駁する機会を十分に与えられ、裁判所が訴訟を主宰しつつ、それら論争を聞き、証拠を調べ、心証を形成していくという当事者主義の制度を採っており、かかる制度の下では、自己の主張を基礎付ける証拠を提出し、相手方の証拠の証明力を争うことは、原則として各当事者の責任とされることになるし、当然、その 準備も各当事者が自ら行うべきであり、したがって、検察官は、原則として、自らの主張を維持するために必要な証拠を提出すれば足り、手元に被告人に有利な証拠があっても、当該証拠が真実に反し又は真実の立証に役立たないと判断すれば、それを提出するまでの必要はないと解される。 そうすると、裁判所からの証拠開示命令が発せられていれば格別、そうで ない場合において、検察官が事件の審判について必要と認めない手持ちの証 拠を法廷に顕出する義務があると解することは、上記最高裁昭和44年決定や刑事訴訟法の理念に反するものというほかない。 イ現に、検察官の証拠請求に関する刑事訴訟法規を通覧しても、検察官が証拠請求義務(又は法廷顕出義務)を負うのは、刑事訴訟法300条の場合を除けば、検察官が事件の審判について必要と認めた証拠(刑事訴訟規則19 3条1項)に限られるのであって、原告らが主張する、「裁判の結果に影響を及ぼす可能性が明白」な証拠を法廷に顕出すべきというような義務を導き得るような具体的な規定は存在しない。 原告らは、布川事件国賠訴訟第一審判決を引用しつつ、「裁判の結果に 「裁判の結果に影響を及ぼす可能性が明白」な証拠を法廷に顕出すべきというような義務を導き得るような具体的な規定は存在しない。 原告らは、布川事件国賠訴訟第一審判決を引用しつつ、「裁判の結果に影響を及ぼす可能性が明白」な証拠についての検察官の法廷顕出義務の根拠で あるとして、刑事訴訟法1条や検察庁法4条等の法令を指摘するが、刑事訴訟法1条や検察庁法4条のような一般的・抽象的な規定から、上記のような検察官の具体的な職務上の法的義務を導くことはできない。大阪地裁令和4年3月15日判決も、「改正前刑事訴訟法に基づく刑事訴訟実務下においては、検察官が、確定審において、弁護人の申入れにもかかわらず原告の取調 状況報告書を開示しなかった行為及び本件聞込み状況書及び本件GS報告書を証拠請求しなかったことが刑事訴訟法上違法であったとはいえず、したがって、国家賠償法1条1項の適用上違法ということもできない。」とした上で、「改正前刑事訴訟法による刑事訴訟実務の下において審理が行われていた確定審について、刑事訴訟法1条及び検察庁法4条に基づいて検察官の 証拠開示義務を導くことは、改正前刑事訴訟法の解釈上は、困難であるといわざるを得ない。」と判示し、布川事件国賠訴訟第一審判決や原告らがいうような、刑事訴訟法1条や検察庁法4条に基づく証拠開示義務又は証拠請求義務(法廷顕出義務)を明確に否定している。 ウなお、司法制度改革審議会等における議論を経て、平成16年に刑事訴訟 法が改正され、公判前整理手続及び期日間整理手続(以下、両手続を合わせ て「公判前整理手続等」という。)の下での証拠開示制度が創設されたが、かかる現行の証拠開示制度も、刑事訴訟法1条や検察庁法4条等の規定から検察官の証拠開示義務を導くような解釈が成り立 せ て「公判前整理手続等」という。)の下での証拠開示制度が創設されたが、かかる現行の証拠開示制度も、刑事訴訟法1条や検察庁法4条等の規定から検察官の証拠開示義務を導くような解釈が成り立たないことを前提に、具体的な制度設計について幅広い検討を行った結果、争点及び証拠の整理と関連付けた段階的な仕組みとして創設的に定められたものである。 原告の主張する法廷顕出義務は、争点や証拠の整理とは全く無関係に、あらゆる事件において検察官が一般的に負うものとして構成されているものであって、以上のような公判前整理手続等の機能や現行の証拠開示制度と全く相いれない、極めて不当なものである。 エ法廷顕出義務に関する原告らの主張が採用し得ないものであることを措 くとしても、以下のとおり、本件の公判担当検察官が本件袖片を法廷に顕出しなかったことは、国賠法上違法ではない。 すなわち、前記 【被告国の主張】⑶のとおり、亡Aが本件小刀に巻き付けたという布片に関する供述の変遷やその内容の曖昧さ等を踏まえると、検察官としては、同布片は本件シャツの左袖部分の布片の一部であるとまでは 特定できないが、本件小刀に布片を巻き付けて被害者を刺殺したというという限度では亡Aの自白は信用できると判断していたと認められるところ、そのような状況の下で、本件公訴提起後に血液の付着が認められない状態で本件袖片が発見されたため、公判担当検察官としては、むしろ、発見された本件袖片は亡Aが犯行の際に本件小刀に巻き付けた布片ではなく、亡Aが本件 小刀に巻き付けた布片は本件シャツの左袖部分の布片とまでは特定できないとの捜査段階における判断は正しかったと評価し、本件袖片の発見を踏まえても、本件小刀に布片を巻 た布片ではなく、亡Aが本件 小刀に巻き付けた布片は本件シャツの左袖部分の布片とまでは特定できないとの捜査段階における判断は正しかったと評価し、本件袖片の発見を踏まえても、本件小刀に布片を巻き付けて被害者を刺殺したというという限度で亡Aの自白は信用できるという点では何ら変わりがないため、本件袖片及び本件袖片の鑑定書を証拠として法廷に顕出する必要はないと判断したと考 えられる。 したがって、本件袖片及び本件袖片の鑑定書を法廷に顕出しなかった公判担当検察官の判断が不合理であったとはいえず、この点について国賠法上の違法性はない。 ⑵本件公訴追行の違法性についてア公訴追行に係る国賠法上の違法性の判断についても、合理的理由欠如説を 採用した最高裁平成元年6月29日判決の判断枠組みが妥当する(前記4【被告国の主張】⑴参照)。したがって、検察官による公訴追行は、公訴事実につき被告人に有罪と認められる嫌疑があると判断した検察官の証拠評価及び法的判断が、法の予定する一般的な検察官を前提として、通常考えられる検察官の個人差による判断の幅を考慮に入れても、なお行き過ぎで、経験 則、論理則に照らして到底その合理性を肯定することができない程度に達している場合に、初めて違法となる。そして、公訴提起が違法でないならば、原則としてその後の公訴追行も違法でないと解すべきである。 本件においては、公訴提起までに収集された証拠資料及び通常要求される捜査を遂行すれば収集し得た証拠によれば、本件公訴事実について、合理的 判断過程により亡Aに有罪と認められる嫌疑が存在したと認められ、本件公訴提起に至った検察官の判断は合理的根拠を欠くものではないことは、前記4【被告国の主張】のとおりであるから ついて、合理的 判断過程により亡Aに有罪と認められる嫌疑が存在したと認められ、本件公訴提起に至った検察官の判断は合理的根拠を欠くものではないことは、前記4【被告国の主張】のとおりであるから、原則としてその後の公訴追行も違法でない。 また、本件公訴提起後の事情をみても、亡Aは、第1回公判期日から第4 回公判期日までの間、公訴事実を認めた上で、殺意の発生時期や犯行前の状況、犯行の態様等を自らの言葉で具体的に供述していたものであり、その後、亡Aは、第5回公判期日以降、本件殺人事件の犯行を全面的に否認するに至ったが、他方で、検察官や裁判官から、当初から否認しなかった理由について質問されても何ら合理的な説明をしなかった。また、確定審第一審の途中 まで亡Aの弁護人を務めていた交替前弁護人は、第18回公判期日で実施さ れた自身の証人尋問の際、否認に転じた後の接見において、亡Aが、当初は争いたい旨を交替前弁護人に伝えていたが、同弁護人から、無罪で争うのは困難である、弁護人の方針が了解できないのであれば別に私選の弁護人を立てたらどうか、などと言われたためやむを得ず犯行を認めることとなったと述べた旨を証言したものの、第1回公判期日前の接見において亡Aが争いた い旨を本当に述べていたのかどうかについては、亡Aの承諾がないため証言できないとして証言を拒否した。第1回公判期日前の接見において亡Aが争いたい旨発言していたことは、第1回公判期日の罪状認否における亡Aの公訴事実を認める旨の陳述が虚偽であったことを推認させる事実であるから、仮に上記発言が真実であれば、亡Aとしては積極的にその旨を交替前弁護人 に証言してもらいたいはずであるが、裁判官が、亡Aに対し、同弁護人にこの点についての証言を求めるか確認したところ、亡Aは 仮に上記発言が真実であれば、亡Aとしては積極的にその旨を交替前弁護人 に証言してもらいたいはずであるが、裁判官が、亡Aに対し、同弁護人にこの点についての証言を求めるか確認したところ、亡Aは、「これ以上の証言は望みません。」と供述し、証言をさせなかったことからすれば、亡Aが第1回公判期日前の接見において上記発言をしたとはにわかに認め難い状況にあった。 以上のとおり、本件公訴提起までに収集された証拠資料及び公判段階において認められた事情を考慮すれば、血液の付着が認められない状態で本件袖片が発見されたことを踏まえても、公判を担当した検察官が、(捜査・起訴を担当していた検察官と同様に、)本件小刀に袖片を巻き付けたという限度で亡Aの捜査段階における供述は信用できると判断したことは、不合理であっ たとはいえず、本件の公訴追行に際して、亡Aに有罪と認められる嫌疑があると考えたことが不合理であったともいえない。 したがって、本件の公訴追行について、国賠法上の違法性はない。 イ原告らは、遅くとも本件袖片等の証拠が熊本地検に送致された4月5日の時点では、もはや全証拠資料を総合勘案しても到底有罪判決を期待し得ない 状況に至っていたから、検察官は、公訴取消し若しくは無罪論告をするか、 冒頭陳述(①)から被告人質問(③)、論告(④)までの各手続段階において血液の付着のない本件袖片が残存している事実を法廷で明らかにし、本件袖片及び本件袖片の鑑定書の証拠調べ請求(②)をしなければならなかった旨を主張する。 しかし、本件公訴提起までに収集された証拠資料及び公判段階において認 められた事情を考慮すれば、血液の付着が認められない状態で本件袖片が発見されたことを踏まえても、検察官が、本件小刀に袖片 しかし、本件公訴提起までに収集された証拠資料及び公判段階において認 められた事情を考慮すれば、血液の付着が認められない状態で本件袖片が発見されたことを踏まえても、検察官が、本件小刀に袖片を巻き付けたという限度で亡Aの捜査段階における供述は信用できると判断していたことが不合理でないことは前記アのとおりであって、4月5日以降の時点で、もはや全証拠資料を総合勘案しても到底有罪判決を期待し得ない状況に至ってい たなどとはいえないから、原告の上記主張は前提を欠く。 なお、原告らの上記主張のうち、本件袖片及び本件袖片の鑑定書の証拠調べ請求(②)について、「検察官は、まず、事件の審判に必要と認めるすべての証拠の取調を請求しなければならない。」とする刑事訴訟規則193条1項における「すべての証拠」とは、検察官が事件の審判に必要と認めたもの に限られる(刑事訴訟法321条1項2号後段により証拠とすることができる書面を除く(刑事訴訟法300条)。)と解されているところ、本件の公判を担当した検察官は、上記のとおり、血液の付着が認められない状態で本件袖片が発見されたことを踏まえても、本件小刀に袖片を巻き付けたという限度で亡Aの捜査段階における供述は信用できると判断し、その自白に基づい て公訴事実を証明しようとしたのであり、本件袖片及び本件袖片の鑑定書は事件の審判に必要と認めなかったものである。したがって、刑事訴訟規則193条1項に基づき同各証拠の証拠調べを請求する必要性はなかった。 また、第5回公判期日以降の被告人質問(③)においては、亡Aは、本件犯行を全面的に否認するに至っていたのであるから、仮に、検察官が、亡A に対し、原告らが主張するような本件小刀に巻いた布片の特定に関する質問 やその小刀で被害 おいては、亡Aは、本件犯行を全面的に否認するに至っていたのであるから、仮に、検察官が、亡A に対し、原告らが主張するような本件小刀に巻いた布片の特定に関する質問 やその小刀で被害者を殺害したことを確認する質問をしたとしても、亡Aが本件小刀に布片を巻き付けたことや殺害行為自体を否定する供述になることが明らかであって、そのような質問をする意義は見いだせない状況であった。したがって、検察官が、被告人質問において上記のような質問はしなかったのはむしろ当然であり、不合理ではない。 6 争点6(損害)【原告らの主張】⑴亡Aに生じた損害ア身体拘束期間(逮捕から仮釈放まで)中の損害2019万6030円(ア) 逸失利益 3035万8530円 6071万7060円(逮捕の日である昭和60年1月20日から仮釈放の日である平成11年3月25日までの間の各年の賃金センサス(産業計・企業規模計・中学卒・男子計)による平均収入)×0.5(生活費控除)=3035万8530円(イ) 慰謝料 5000万円 亡Aは、熊本県警及び熊本地検による違法な捜査により身柄を拘束され、熊本地検による違法な公訴提起及び公訴追行により有罪判決を受け、無実の罪で長期間の服役を強いられたものであり、その精神的苦痛は計り知れず、慰謝料として5000万円が支払われるべきである。 (ウ) 刑事補償金 ▲6016万2500円 再審無罪判決が確定した後、熊本地裁は、令和元年9月13日、亡Aに対する刑事補償として合計6016万2500円を交付する旨の決定をしたものであり(甲E1)、同金額は身体 500円 再審無罪判決が確定した後、熊本地裁は、令和元年9月13日、亡Aに対する刑事補償として合計6016万2500円を交付する旨の決定をしたものであり(甲E1)、同金額は身体拘束期間中の損害から控除される。 イ仮釈放後の損害 5464万6965円 (ア) 逸失利益 1664万6965円 亡Aは、仮釈放された当時は65歳であり、就労可能な年齢であった。 しかし、殺人犯として長期間服役したという状況にあっては、亡Aは、仮釈放後も、社会的な偏見にさらされることは避けられず、労働能力及び労働意欲があっても職を得ることが著しく困難であり、やむなく、生活保護を受給していたから、仮釈放後の損害として、以下の逸失利益が 認められるべきである。 2498万7505円(仮釈放後の就労可能期間である平成11年3月26日から平成19年9月26日までの間の各年の賃金センサス(産業計・企業規模計・中学卒・男子計)による平均収入)-834万0540円(同期間中に亡Aが受給したとみなし得る生活保護費)=166 4万6965円(イ) 慰謝料 3000万円亡Aは、仮釈放の日から再審無罪判決確定までの約20年間、無実であるにもかかわらず、殺人罪により懲役13年の有罪判決を受けた犯罪者という不名誉な地位を強いられた。それにより、亡Aは、社会的偏見 にさらされ、職に就くことができなかったほか、生活全般にわたって深刻な悪影響を受けてきたものであり、その精神的苦痛は計り知れず、慰謝料として3000万円が支払われるべきである。 (ウ) 日本弁護士連合会から受けた財 ができなかったほか、生活全般にわたって深刻な悪影響を受けてきたものであり、その精神的苦痛は計り知れず、慰謝料として3000万円が支払われるべきである。 (ウ) 日本弁護士連合会から受けた財政的支援の一部の返還 800万円日本弁護士連合会は、平成23年8月、本件殺人事件について支援決 定をし、総額2004万2042円もの財政的支援を行ってきた。 亡Aは、令和2年6月10日、上記財政的支援に対して、800万円を日弁連に交付した。この支出は、寄付という形式をとってはいるものの、その実質は、上記財政的支援に対する一部の返還であるから、本件における被告らの違法行為と相当因果関係のある損害である。 ウ弁護士費用(上記ア及びイの合計金額の約1割) 748万円 エ遅延損害金前記アについて、元金8035万8530円に対して、再審無罪が確定した日(平成31年3月28日)から刑事補償金の交付日(令和元年11月8日)まで年5分の割合による確定遅延損害金248万7812円と、刑事補償金が逸失利益及び慰謝料の元金に充当された後の元金2019 万6030円に対して、刑事補償金の交付日の翌日(同月9日)から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金が発生している。 前記イ及びウについて、元金6212万6965円(イ及びウの合計)に対して、再審無罪が確定した日(平成31年3月28日)から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金が発生している。 オ小括上記ア~エによれば、亡Aに生じた総損害は、8481万0807円並びにうち6212万6965円に対する平成31年3月28日(再審無罪判決確定の日)から支払済みまで及びうち2019 オ小括上記ア~エによれば、亡Aに生じた総損害は、8481万0807円並びにうち6212万6965円に対する平成31年3月28日(再審無罪判決確定の日)から支払済みまで及びうち2019万6030円に対する令和元年11月9日(刑事補償金交付日の翌日)から支払済みまで年5分 の割合による遅延損害金である。 ⑵相続ア亡Aは、令和▲年▲月▲日死亡し、亡Aの被告らに対する損害賠償請求権は、亡B、原告X1及び原告X2が、それぞれ下記のとおり相続した。 (ア) 身体拘束期間中の損害金(2019万6030円)及びこれに対する 令和元年11月9日(刑事補償金交付日の翌日)から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の請求権の相続亡B :1009万8015円及びこれに対する令和元年11月9日(刑事補償金交付日の翌日)から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の請求権 原告X1: 504万9008円及びこれに対する令和元年11月9 日(刑事補償金交付日の翌日)から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の請求権原告X2: 504万9007円及びこれに対する令和元年11月9日(刑事補償金交付日の翌日)から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の請求権 (イ) 仮釈放後の損害金及び弁護士費用(計6212万6965円)並びにこれに対する平成31年3月28日(再審無罪確定日)から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の請求権の相続亡B :3106万3483円及びこれに対する平成31年3月28日(再審無罪確定日)から支払済みまで年5分の割合による 遅延損害金の請求権原告X1:1553万1741円及びこれに対する平成31年3月28日(再審無罪確定日 する平成31年3月28日(再審無罪確定日)から支払済みまで年5分の割合による 遅延損害金の請求権原告X1:1553万1741円及びこれに対する平成31年3月28日(再審無罪確定日)から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の請求権原告X2:1553万1741円及びこれに対する平成31年3月2 8日(再審無罪確定日)から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の請求権(ウ) 身体拘束期間中の損害金に対する再審無罪確定日(平成31年3月28日)から刑事補償金の交付日(令和元年11月8日)までの間の確定遅延損害金(248万7812円)の請求権の相続 亡B : 124万3906円の請求権原告X1: 62万1953円の請求権原告X2: 62万1953円の請求権イ亡Bは、令和▲年▲月▲日頃死亡し、亡Bが相続した亡Aの被告らに対する損害賠償請求権は、原告X1及び原告X2が、それぞれ下記のとおり 相続した。 (ア) 身体拘束期間中の損害金(1009万8015円)及びこれに対する令和元年11月9日(刑事補償金交付日の翌日)から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の請求権の相続原告X1: 504万9007円及びこれに対する令和元年11月9日(刑事補償金交付日の翌日)から支払済みまで年5分の割 合による遅延損害金の請求権原告X2: 504万9008円及びこれに対する令和元年11月9日(刑事補償金交付日の翌日)から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の請求権(イ) 仮釈放後の損害金及び弁護士費用(計3106万3483)並びにこ れに対する平成31年3月28日(再審無罪確定日)から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の 金の請求権(イ) 仮釈放後の損害金及び弁護士費用(計3106万3483)並びにこ れに対する平成31年3月28日(再審無罪確定日)から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の請求権の相続原告X1:1553万1742円及びこれに対する平成31年3月28日(再審無罪確定日)から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の請求権 原告X2:1553万1741円及びこれに対する平成31年3月28日(再審無罪確定日)から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の請求権(ウ) 身体拘束期間中の損害金に対する再審無罪確定日(平成31年3月28日)から刑事補償金の交付日(令和元年11月8日)までの間の確定 遅延損害金(124万3906円)の請求権の相続原告X1: 62万1953円の請求権原告X2: 62万1953円の請求権⑶小括以上を総合すると、原告X1及び原告X2は、それぞれ、被告らに対して、 前記第 の の⑴及び⑵記載のとおりの損害賠償請求権を有することにな る。 【被告県の主張】⑴亡Aに生じた損害ア身体拘束期間中の損害(ア) 逸失利益について 亡Aは、昭和42年頃には自らS市役所を退職しており、その後に始めた電気店についても、昭和52年の暮れ頃以降は就労意欲を失ってこれを廃業し、しばらくは出稼ぎや日雇い人夫に出ることもあったが、昭和58年9月頃以降は、もはや仕事に出ることを辞め無為徒食の生活を送っていた(食費等については実妹の援助を受けていた。)というので あり、身体拘束期間中において、亡Aに就労の蓋然性があったとはいえないから、基 は、もはや仕事に出ることを辞め無為徒食の生活を送っていた(食費等については実妹の援助を受けていた。)というので あり、身体拘束期間中において、亡Aに就労の蓋然性があったとはいえないから、基礎収入を原告ら主張の額と認めることはできない。 また、仮に、本件殺人事件について、熊本県警の捜査活動等に国賠上違法な点が認められるとしても、いずれにせよ、亡Aは、銃刀法違反被告事件及び火薬類取締法違反被告事件については、本件再審判決におけ るのと同様に懲役1年の刑が宣告されていた蓋然性が高い。したがって、逸失利益が認められる期間は、どれだけ長くても、確定審第一審の判決が宣告された日から亡Aが仮釈放されるまでの日数から上記懲役刑の刑期1年(365日)を控除した日数とすべきである。 (イ) 慰謝料について 争う。 (ウ) 刑事補償金について争わない。 イ仮釈放後の損害(ア) 逸失利益について 仮釈放後の期間においても、身体拘束期間中と同様、亡Aに就労の蓋 然性があったとはいえないから、基礎収入を原告ら主張の額と認めることはできない。 (イ) 慰謝料について争う。 (ウ) 日本弁護士連合会から受けた財政的支援の一部の返還について 争う。 日本弁護士連合会からの財政的支援について、亡Aがこれを返還すべき義務を負担していたとは認められない(亡Aが日本弁護士連合会に対して800万円を交付していたとしても、その法的性質は贈与である。)から、同800万円の支出は、本件について相当因果関係のある損害と は認められない。 められない(亡Aが日本弁護士連合会に対して800万円を交付していたとしても、その法的性質は贈与である。)から、同800万円の支出は、本件について相当因果関係のある損害とは認められない。 ウ弁護士費用について争う。 エ遅延損害金について争う。 【被告国の主張】 ⑴亡Aに生じた損害 ア身体拘束期間中の損害 (ア) 逸失利益について否認ないし争う。 (イ) 慰謝料について争う。 (ウ) 刑事補償金について刑事補償金の額を差し引いて損害賠償の額を定めるべきであることは認める。 イ仮釈放後の損害 (ア) 逸失利益について争う。 亡Aが職に就かずに生活保護を受給していたとして、それが長期間服役したことや社会的偏見等によるものであるかは明らかでない。 (イ) 慰謝料について争う。 (ウ) 日本弁護士連合会から受けた財政的支援の一部の返還について争う。 亡Aは任意で日弁連に対して800万円の寄付を行ったものであるから、同支出は、相当因果関係のある損害とは認められない。 ウ弁護士費用争う。 エ遅延損害金争う。 ⑵相続 相続に関する事実については争わない。各相続人が相続したという損害賠償請求権の具体的な金額については不知。 【亡Aの経歴】 亡A(昭和▲年▲月▲日生) 事実については争わない。 各相続人が相続したという損害賠償請求権の具体的な金額については不知。 以上年月日番号認定事実認定根拠 【亡Aの経歴】亡A(昭和▲年▲月▲日生)は、中学校を卒業後、R高校別科1年課程を経て職業補導所で半年間職業訓練を受け、ラジオ店の店員として稼働した後、昭和26年3月以降、S市役所の職員として勤務し、昭和42年3月に同市役所を退職し、その後、T商会の屋号で電気店を始めた。 その後、亡Aは、昭和52年の年末頃、同電気店を廃業し、三重県や滋賀県などに季節工として出稼ぎに出たり、地元の道路工事の日雇い人夫などをして生活するようになったが、昭和58年9月頃からは就労することはなく、それ以降は、自宅1階の元店舗部分を倉庫として賃貸して賃料収入を得るなどしつつ、実妹方で食事をしたりして生活するようになった。 甲A5、乙164 【亡Aと被害者との関係性等】亡Aと被害者には、共通の知人としてDがいた。 亡Aは、昭和59年8月頃、D宅で被害者と顔を合わせた際、被害者から「若こうしとって店を潰して、もう一寸はまらんかい。乞食のような生活をしとって。」などと言われ、被害者と口論になったことがあった。 また、亡Aは、同年10月頃、将棋仲間から、亡Aが生活保護を受けていると聞いたが本当かなどと尋ねられ、憤慨し、そのような風説を流したのは被害者に違いないと考えたこともあった。 甲A5、乙164昭和60年(以下、「12月9日/番号66」まで同じ。)1月5日 亡A、被害者及びDE夫婦は、1月5日の夜、D宅で宴会を開き、その後、4人で被害者宅へ移動してさらに飲食をともにした。 被害者宅での飲食の際、亡Aは、被害者と激しい口論となり、被害者から罵倒され、つかみかかられそうになった。 その後、被害者は、Dからも怒鳴られ の後、4人で被害者宅へ移動してさらに飲食をともにした。 被害者宅での飲食の際、亡Aは、被害者と激しい口論となり、被害者から罵倒され、つかみかかられそうになった。 その後、被害者は、Dからも怒鳴られ、押し倒されるなどした。 甲A5、乙164 被害者の友人であるFは、午前9時30分頃、被害者宅を訪れたところ、被害者が同人方室内で死亡しているのを発見し、その後、松橋署に赴き、同署の警察官らに対し、被害者が死んでいるのを発見した旨申告した。 これを受けて、警察官らが被害者宅に臨場したところ、被害者は、居間において、コタツに足を入れたまま体の右側を下にして横向きの格好で倒れて死亡しており、頸部等に多数の刺創があり、着衣の首の部分は血に染まって凝血している状況であった。 また、当時、上記コタツの南東隅に赤色のネットに入ったミカン19個が存在し、また、コタツの机の上にミカン1個分の食べかすが存在した。 熊本県警は、検視等の結果、被害者について、死亡年月日時分を「昭和60年1月6日頃」、傷害発生年月日時分を「昭和60年1月6日頃(推定)」と判断した。 甲B8、乙1、2、50、61、丙1、2 熊本県警は、午後7時30分頃から午後11時56分頃にかけて(食事時間や休憩時間を含む。)、亡Aの任意取調べを行った。 亡Aは、1月5日夜の被害者らとの飲食や口論などの状況について供述した。 乙6、7、丙5、6 被害者の遺体の司法解剖が実施された。解剖医は、被害者に15か所の創傷(1か所は顔面、10か所は左頸部、3か所は胸部付近、1か所は手指)が認められ、死因は前頸左外側下部の創傷の左の総頸動脈の切損による失血死であること、成傷器は約0.2ないし0.3センチメートルの厚さの刃の果物ナイフ様の刃物一種類と思われ、死後2~4日位経過していると思われることなどの所見を示 下部の創傷の左の総頸動脈の切損による失血死であること、成傷器は約0.2ないし0.3センチメートルの厚さの刃の果物ナイフ様の刃物一種類と思われ、死後2~4日位経過していると思われることなどの所見を示した。 また、被害者の胃には未消化のミカン片のみがあり、大腸内にはネギの繊維片が認められたことなどから、食後3、4時間経過後に死亡したものと考えられること、ミカンを食べた後2、30分以内に死亡したものと考えられることなども判明した。 乙8、106、丙 熊本県警は、午前9時から午後9時頃まで(食事時間や休憩時間を含む。)、亡Aの任意取調べを行った。 亡Aは、1月5日に被害者宅で4名で飲食した際、被害者やDと口論になった状況や、被害者とDから咎められて追い出され、亡A一人で帰宅したことなどを供述した。 甲B6、B7、丙 1月10日 熊本県警は、午前10時25分頃から午後8時20分頃まで(食事時間や休憩時間を含む。)、亡Aの任意取調べを行った。 亡Aは、1月7日は朝からずっと家にいたことなどを供述した。 甲B6、B7、丙 1月11日 亡Aの取調べは行われなかった。 弁論の全趣旨1月12日 熊本県警は、午後0時10分頃から午後8時30分頃まで(食事時間や休憩時間を含む。)、亡Aの任意取調べを行った。 甲B6、B71月13日 熊本県警は、午前10時25分頃から午後8時20分頃まで(食事時間や休憩時間を含む。)、亡Aの任意取調べを行った。 亡Aは、自らの身上関係(学歴、職歴、家族関係等)や被害者の性格について供述したほか、1月5日の出来事について、同日の行動や、被害者宅へ移動して飲食し、口論となった状況、帰宅した後の状況等を供述した。 甲B6、B7、乙 1月14日 熊本県警は、午前9時頃から午後3時頃まで(食事時間や休 事について、同日の行動や、被害者宅へ移動して飲食し、口論となった状況、帰宅した後の状況等を供述した。 甲B6、B7、乙 1月14日 熊本県警は、午前9時頃から午後3時頃まで(食事時間や休憩時間を含む。)、亡Aの任意取調べを行った。 亡Aは、1月1日から同月8日までの行動など、これまでの補充となる供述をした。 甲B6、B7、乙 1月8日1月9日(別紙3)事実経過一覧表 1月15日~17日 亡Aの取調べは行われなかった。 ただし、亡Aは、熊本県警の警察官から、この3日間は「自宅におってくれ。」などと言われており、同3日間のうちのある1日、警察官が亡A宅を訪れた。 甲B7、乙6、26、101 熊本県警は、亡Aの同意を得たうえで、午前9時10分頃から同11時37分頃までの間、亡Aに対してポリグラフ検査を実施した。 亡Aは、被疑事件の犯罪事実に対する虚偽徴候の有無を判定する対照質問法において、関係質問3問のうち「被害者を刃物で刺したのはあなたですか。」という質問及び「被害者を刃物で刺し殺して逃げたのはあなたですか。」という質問に対して「++」の顕著な特異反応を示し、「1月8日死体で発見された被害者は誰が殺したのか知っていますか。」との質問に対して「+」の特異反応を示した。 また、亡Aは、詳細な犯罪事実に対する認識の有無を判定する緊張最高点質問法において、裁決質問5個のうち4個(被害者の殺されていた場所及び格好、殺される直前の被害者の行動、首以外に刃物が刺さった場所、犯人の犯行後の行動)について、それぞれ客観的事実に合致する質問に対して「++」の顕著な特異反応又は「+」の特異反応を示した。 さらに、亡Aは、凶器の所在についての探索質問のうちの「凶器は家の中に隠しているか知っていますか。」という質問に対して顕 に合致する質問に対して「++」の顕著な特異反応又は「+」の特異反応を示した。 さらに、亡Aは、凶器の所在についての探索質問のうちの「凶器は家の中に隠しているか知っていますか。」という質問に対して顕著な特異反応を示した。 乙27の1、27の2、丙7、8 熊本県警は、亡Aに対するポリグラフ検査の後、午後0時頃から午後11時15分頃までの間(食事時間や休憩時間を含む。)、亡Aの任意取調べを行った。 警察官は、ポリグラフ検査終了後、顔面蒼白で肩を大きく動かして呼吸し、動揺した様子で取調室に入ってきた亡Aを見て、「やっぱり犯人だ」と思い、亡Aを問いただし、また、同検査において犯人でないと知り得ない質問に顕著に反応していた旨を告げたが、亡Aは、犯行を否認した。 その後、亡Aは、午後11時前頃、「それでは話します。」と言って1月5日の夜のことを話し始めたが、従前と同旨の供述であったため、警察官が、「被害者を殺したという話をすると言ったのだと思ったが。」と問いかけると、約20分間の無言の後、亡Aは「明日話します。今日は帰して下さい。」などと述べた。これに対し、警察官が、「明日話すというのは、被害者を殺したことを話すのか。」と何度か確認したところ、亡Aは「はい。明朝8時半に出てきます。」などと述べ、同日の取調べは終了した。 甲B6、B7、乙27の1、27の2、丙7、8 熊本県警は、午前8時30分頃から午後9時15分まで(食事時間や休憩時間を含む。)、亡Aの任意取調べを行った。 警察官が、「昨夜、明日話すと言ったが。」と問うと、亡Aは、「私は、午後11時半頃被害者宅を出て、テレビを見た後、午前0時前にやすみ、翌朝10時頃起きた。」などと述べた。そこで、警察官が、「被害者を殺したのは、午前0時前にやすんでから翌朝10時に起きるまでの間か。」と尋ねると 被害者宅を出て、テレビを見た後、午前0時前にやすみ、翌朝10時頃起きた。」などと述べた。そこで、警察官が、「被害者を殺したのは、午前0時前にやすんでから翌朝10時に起きるまでの間か。」と尋ねると、亡Aは、「そういうことになるですね。」などと答えた。さらに、警察官が、「結局、君は被害者を殺してはいないということか。」と聞くと、亡Aはそのまま黙り込み、その後はほとんど質問に答えず、午前11時頃からは「言えません。」「言いたくありません。」などの返答をするようになり、これに対し、警察官は、同日午後、「あんたはずるい。さっきから聞いているとどうも腹が立ってくる。」などと述べた。 亡Aは、夕食後、「今はまだ言えません。言いたくありません。」などの供述を繰り返していたが、午後8時30分頃に取調室に入室してきたU警部に諭されると、涙を流し、肩を奮わせながら、「本当にすまないと思っています。すみませんが、今夜は帰してください。私にはもう耐えられません。」「ポリグラフ検査を受けた時から逮捕されることは覚悟していました。他に証拠も出そろっているでしょう。どうして逮捕してくれないのですか。」「自首したら、もう犯人だと決まってしまうけど、逮捕されただけではまだ犯人と決まったわけではないのだから、私は何も言わずに逮捕され、三日ぐらい経って世間が忘れたころに自白しよう、それなら新聞に出ないですむのではないかと考えて、何も言わず逮捕されるのを待っていたのです。」などと述べ、否認のまま逮捕されたいという趣旨の話を繰り返した。同日の取調べの終わり際に、警察官が「明日家に行ってもいいか。」と聞くと、亡Aは、「家に来るなら来てもいい。」旨の返事をし、取調べは午後9時15分頃に終了した。 熊本県警の警察官(3名)は、午前10時頃、亡A宅を訪れ、その後、午後2時30分頃ま もいいか。」と聞くと、亡Aは、「家に来るなら来てもいい。」旨の返事をし、取調べは午後9時15分頃に終了した。 熊本県警の警察官(3名)は、午前10時頃、亡A宅を訪れ、その後、午後2時30分頃まで(食事時間や休憩時間を含む。)、亡Aの任意取調べを行った。 警察官が、亡Aに対して、前日の約束どおり供述するよう求めたところ、亡Aはしばらくためらい、警察官との押し問答が続いた。午前10時40分頃、警察官が、「昨日話すと言っていたがどうか。」とさらに尋ねると、亡Aは、数秒沈黙した後、意を決したような顔つきになり、「私がやりました。」と答えて本件犯行を一気に自白し始め、犯行状況等については、「1月6日の午前1時30分頃、被害者宅のコタツの部屋に入り、小声で『わりゃ、俺を侮辱したな。』などと言って、右手に握っていた小刀を、被害者の首を狙って一気に突き刺した。被害者が声を上げようとしたので、左首を目掛けて十数回突き刺した。被害者が横向きに倒れて首から血がドクドクと流れ出たので、これで死んだなと安心して、被害者宅を出た。」などと供述した。 亡Aは、自白した理由について、概要、「本件殺人事件のニュースを見て名乗り出ようかとも思ったが、松橋町には親戚がおり、別れた妻子もいるので言えなかった。しかし、1月5日夜の被害者宅での出来事についての自分の供述がDE夫婦の話と食い違っていることや、ポリグラフ検査で犯人との反応が出たことなどから、警察官から諭され、犯人であることを話す気持ちになった。」と供述した。 さらに、亡Aは、「犯行後、自転車で帰宅中、右手の軍手に血が付いているのに気付き、両方の軍手を脱いで丸めた状態で大野川の橋左側の上流に投げ捨てた。」旨供述し、凶器については、2階の作業場に置いてあった木製の切出小刀(本件小刀)を指示し、「これでやった。犯行後には本件 のに気付き、両方の軍手を脱いで丸めた状態で大野川の橋左側の上流に投げ捨てた。」旨供述し、凶器については、2階の作業場に置いてあった木製の切出小刀(本件小刀)を指示し、「これでやった。犯行後には本件小刀を自宅で念入りに洗った後、砥石で研いだ。」などと供述した。 甲B6、B7、C1、乙30、31、34、丙7 熊本県警は、午後11時03分、殺人の被疑事実で亡Aを逮捕し、亡Aから本件小刀の任意提出を受けてこれを領置した。 また、熊本県警は、亡Aが犯行に使用した軍手の投棄場所であると供述した大野川を検索し(軍手の検索1回目)、片方のみの軍手が7片発見されたが、これらの軍手は、いずれも、亡Aが供述しているような丸められた状態のものではなかったことから丸められた状態の軍手を橋から大野川へ投棄して、その移動状況を確認する実験を開始した。 甲B1、B2、乙31、32、33、35、丙381月20日1月18日1月19日甲B6、7、乙6、丙7 熊本県警は、亡A宅の捜索を実施し、ナイフの鞘や砥石等を差し押さえたほか、立会人である亡Aの妹から、2階作業場に置かれていた赤・茶・白色のチェックのシャツの布片3片等の任意提出を受けた。 甲D1、D2、乙39~41、丙41~45 熊本県警は、大野川を検索した(軍手の検索2回目)。 乙33、42、丙48~50 熊本県警が、本件殺人事件を熊本地検に送致し、検察官が、亡Aの弁解録取を実施したところ、亡Aは、読み上げられた被疑事実について概ね認める旨の供述をした。 乙35、45 検察官は、本件殺人事件につき亡Aを勾留請求し、勾留状が発付、執行された。 勾留質問において、亡Aは、裁判官に対し、被疑事実を概ね認める旨の供述をした。 乙46 熊本県警は、大野川を検索した(軍手の検索3回目 件殺人事件につき亡Aを勾留請求し、勾留状が発付、執行された。 勾留質問において、亡Aは、裁判官に対し、被疑事実を概ね認める旨の供述をした。 乙46 熊本県警は、大野川を検索した(軍手の検索3回目)。 乙33、42、丙 1月24日 熊本県警は、小学生時代に被害者と同級生であったGからの事情聴取を行った。 この時に作成された供述調書には、「被害者とは小学校の同級生であったが、昭和44年ないし45年頃以降付き合いがなくなってからは、歩いているのを車から1回見かけたことがあるだけだった。 その後、今年の1月7日に、東京から遊びに来ていた孫を空港に送るため車で向かい、信号待ちをしていた際、4~5メートルの距離にふと見えた男性が被害者に見えたが、歩き方や格好等からとっさに思っただけなので、その男が実際に被害者であったのかは分からない。今、刑事さんから、被害者が死亡したのは1月5日頃と聞かされ、また、1月7日に見た男についても、しっかりと顔を確認したわけではなかったので、被害者ではなかったのだと思っている。」などと記載されている。 甲D15 熊本県警は、亡Aの取調べを行った。 亡Aは、1月5日の夜、被害者宅から自転車で自宅に戻る状況、自宅で凶器として本件小刀を選んでジャンパー右側ポケットに入れる状況、被害者宅へ戻りDが自宅に帰るのを待つ状況、被害者がDをD宅へ送り届けるのを尾行する状況、自宅へ戻った被害者を殺害する機会を被害者宅の裏側で窺う状況、被害者を殺害する状況、被害者宅から自宅に戻る状況について、詳細に供述した。 また、亡Aは、被害者がDをD宅へ送り届けるのを尾行していた際、D宅の隣のK宅付近で待っていたところ、3匹位の犬がしきりに吠えており、その際、K宅の裏側居間の電灯はついていたなどとも供述した。 乙57、丙12、13の2 熊 送り届けるのを尾行していた際、D宅の隣のK宅付近で待っていたところ、3匹位の犬がしきりに吠えており、その際、K宅の裏側居間の電灯はついていたなどとも供述した。 乙57、丙12、13の2 熊本県警は、1月20日から実施していた軍手の移動状況の確認のための実験(認定事実19)を終了した。その実験結果を記載した捜査報告書には、「大野川の水流は被疑者説明の手袋を検索範囲外に流出させる状態ではない」などと記載されている。 乙331月27日 熊本県警は、亡Aの取調べを行った。 亡Aは、被害者を刺殺した状況、その後、被害者宅の自転車を投げ捨てた状況、被害者宅から自宅まで帰る状況、橋から大野川へ軍手を捨てる状況、血が付着した着衣や本件小刀を自宅で洗う状況、小刀を研いで被害者殺害によって生じた「なぶれ」を元どおりにした状況等を供述した。 乙64、丙14 検察官は、亡Aの取調べを行った。 亡Aは、「1月6日午前1時30分少し前頃に被害者を殺害した。昨年5月頃、将棋をする仲間として被害者と話すようになったが、人を見下すような態度が不愉快だった。1月5日夜に飲んだ際に、被害者からひどく罵倒され、許せない、殺してやりたいと思うようになった。」などと供述した。 乙65 熊本県警は、大野川を検索した(軍手の検索4回目)。 乙33、68、丙 熊本県警は、D宅の隣に住むK及びLからの事情聴取を行った。Kは、「1月6日午前2時頃に起きた時、兄(L)の友人のMがK宅六畳居間の電気を点けたまま眠り込んでいるのに気付いたため、電気を消した。」などと供述し、Lは、「私は1月6日午前0時10分頃に自分の部屋に寝に行ったが、その際、友人のMは、居間に残って電気を点けてテレビを見ていた。」などと供述した。 熊本県警は、Mからの事情聴取を行った。Mは、「1月5日に 、「私は1月6日午前0時10分頃に自分の部屋に寝に行ったが、その際、友人のMは、居間に残って電気を点けてテレビを見ていた。」などと供述した。 熊本県警は、Mからの事情聴取を行った。Mは、「1月5日に遠縁のK宅に遊びに行き、1月6日午前0時過ぎ頃まで、K宅の六畳居間でテレビを付けながらLと酒を飲み、そのまま寝てしまい、同日午前8時頃に目が覚めて、帰った。テレビや電気を消した覚えはない。」などと供述した。 乙69~71、丙67、68 熊本県警は、D宅及びK宅の近隣に住むNからの事情聴取を行った。Nは、「N宅では3匹犬を飼っており、人が通るとよく吠えるが、特に1月5日午後11時頃から1月6日午前3時頃までの間、うち1匹が異常に吠えていた。」などと供述した。 熊本県警は、N宅の隣人であるOからの事情聴取を行った。Oは、「1月6日午前0時頃から午前3時頃までの間、隣のN宅の犬がやかましく吠えていた。」などと供述した。 乙72、73 松橋署は、本件小刀について、血液付着の有無などを鑑定事項として、科学捜査研究所に対して鑑定嘱託をした。 甲B3、B41月29日 検察官は、Eからの事情聴取を行った。 Eは、「1月5日夜の宴会の後、私は、一人で先に被害者宅からD宅に帰って寝た。その後、午前零時過ぎ頃、D宅に夫(D)を送ってきた被害者に起こされた。その際、近所迷惑が気になり、縁側からK宅を見ると、K宅裏の部屋の電気がついていた。また、近所の犬も何匹かやかましく吠えていた。」などと供述した。 乙741月22日1月21日1月25日1月28日 1月29日 熊本県警は、D宅の近隣に住むPからの事情聴取を行った。 Pは、「1月5日の夜、飼っている犬がやかましく吠えていたのを覚えている。いつもどおり1月6日は午前2時10分頃まで起きていたが、 29日 熊本県警は、D宅の近隣に住むPからの事情聴取を行った。 Pは、「1月5日の夜、飼っている犬がやかましく吠えていたのを覚えている。いつもどおり1月6日は午前2時10分頃まで起きていたが、いつもと違って何度注意しても犬が吠え続けていた。その夜は、K宅の犬も吠えていたと思う。N宅付近の犬も吠えていた。」などと供述した。 乙77 検察官は、本件殺人事件につき亡Aの勾留延長請求をし、同請求が認められて勾留期間が延長された。 甲A10 熊本県警は、亡Aの取調べを行った。 亡Aは、「警察に衣類を出しているため、血液反応が出るのではないかと思って、1月16日の夜、自宅にある平凡社世界大百科事典23巻のルミノール反応の項目を見たことがあった。」などと供述した。 乙85、86、丙 2月1日 熊本県警は、亡Aによる犯行状況等の再現のため、検証を実施した。 検証の際、亡Aは、それまでの供述とほぼ同内容(本件切出小刀で被害者を複数回にわたり刺して殺害した状況や、犯行時に付けてた2枚重ねの軍手を犯行後に4枚重ねて丸めて大野川に投げ捨てた状況等)の詳細かつ具体的な指示説明をした。 甲D12、乙872月3日 熊本県警は、亡Aの取調べを行った。 警察官が、亡Aに対し、4度の大野川の捜索を経ても亡Aが供述したとおりの状態(4枚重ねて丸めた状態)の軍手は発見されなかったことや、大野川の水流の状況(前記認定事実27)等を説明した上で、改めて、軍手の処分方法について説明を求めたところ、亡Aは、「今夜一晩考えてから、話します」などと述べた。 甲B6、乙33、94、丙182月4日 熊本県警は、亡Aの取調べを行った。 警察官が、亡Aが捨てたという軍手が大野川から発見されないことを再度説明し、亡Aに対して、「本当に川に捨てたのか。本当に捨てている 、94、丙182月4日 熊本県警は、亡Aの取調べを行った。 警察官が、亡Aが捨てたという軍手が大野川から発見されないことを再度説明し、亡Aに対して、「本当に川に捨てたのか。本当に捨てているのであれば川から出ると思うのだが。」などと尋ねると、亡Aは、「間違いなく川に捨てたので、もう1度探してほしい。」などと述べた。 しかし、警察官がさらに追及したところ、亡Aは、「本当は、軍手は自宅の風呂の焚口で焼却した」旨を述べ、従前からの供述を変遷させた。 亡Aは、従前、大野川に軍手を投棄した旨供述していた理由について、「真実を述べて軍手の燃えかすが見つかる可能性を危惧していた。証拠が出なければ罪から逃れられるかもしれないという一縷の望みがあって嘘を話していた。取調べが進むうちに今さら本当のことを言っても自分のことを信用してもらえなくなるという思いがあり、本当のことを言い出せなかった。」などと述べた。 その後、警察官が、他にまだ話していないことがあれば話してほしいと促すと、亡Aは、本件小刀を取りに自宅に戻った際、1月5日に最初に被害者宅に行ったときに履いていた靴から、足音がしないゴム底の靴へと履き替えた旨を供述した。 甲B6、乙33、丙19 熊本県警は、亡Aの取調べを行った。 警察官が、「軍手を燃やしたのは間違いないか。」と尋ねると、亡Aは、間違いない旨答えた上で、「言いそびれていたが、本件小刀を取りに帰った際、油を拭いたり研いだものを拭く時に使う、ねる地みたいな古いシャツ(本件シャツ)を、長さ30センチメートルくらい、幅3センチメートルくらいに破って切り、柄と刃のところに血が付かないように、本件小刀に巻き付けた(巻き付け布自白)。その布切れも、丸めた軍手の中に入れたまま風呂の焚口で燃やした。また、1月6日には、犯行時に使った自転車に血が付いてい り、柄と刃のところに血が付かないように、本件小刀に巻き付けた(巻き付け布自白)。その布切れも、丸めた軍手の中に入れたまま風呂の焚口で燃やした。また、1月6日には、犯行時に使った自転車に血が付いているかもしれないと思い、右側ハンドルを古い布で水を付けて拭いた。この古切れは、本件小刀に巻いたのと同じ布を使ったものだが、これもその日に一緒に燃やした。この古切れは、赤と茶のチェック柄ネル地シャツの背中の部分を切ってぼろ切れとして使っていたもので、この布の袖口などは、まだ家に残っていると思う。」などと供述した。 また、亡Aは、本当のことを話す気になった理由について、「99パーセントは犯人とわかっていても、血の付いた軍手が出ないことで無罪を勝ち取ることができるかもしれないと思っていた。しかし、警察での取調べや検証において詳細に説明したので、その望みもなくなり、観念して本当のことを言う気になった。」などと述べた。 さらに、亡Aは、「1月5日昼過ぎ頃にD宅に行った時には赤茶色皮靴を履いていたが、夜に被害者を殺そうと思って亡A宅に帰り、本件小刀を取って出る時、足音がしないゴム底の茶色皮靴に履き替えた。そのゴム底靴には血がついていないことを確認していたので、1月8日に警察に提出した。しかし、1月18日にポリグラフ検査を受け、犯人としての反応が出たのが分かり、明日は逮捕されると思った。その日に家で風呂を沸かしていた時、赤茶色皮靴が目につき、とっさに、この靴も焚口に入れて燃やした。灰かき棒で燃えた後の灰をかき混ぜ、靴底の中にあるアーチ保持金具を灰から取り出して靴を燃やしたことが判らないようにし、金具が冷えた後、庭にある石油缶の中に捨てた。」などとも供述した。 甲B6、C3、乙98、丙20 上記認定事実41の警察官による取調べの後、検察官は、亡Aの取調べを行った とが判らないようにし、金具が冷えた後、庭にある石油缶の中に捨てた。」などとも供述した。 甲B6、C3、乙98、丙20 上記認定事実41の警察官による取調べの後、検察官は、亡Aの取調べを行った。 亡Aは、軍手の処分方法について嘘をついた理由等について、警察官の取調べにおいての供述(前記認定事実40、41)と同様のことを述べた。 また、本件小刀に巻いた布について、亡Aは、「自宅二階作業場でかねてから油を拭いたり小刀を研いだ時に拭いたりして使っていた古切れだった。確か自分の古いシャツ(本件シャツ)の布を幅3センチメートルくらいのところで手で破って切り、長さ30センチメートルくらいの布を作った。」などと述べた。 甲C2、丙202月5日1月31日 上記認定事実42の検察官による取調べの後、警察官は、再度、亡Aの取調べを行った。 亡Aは、「自宅2階作業場で本件小刀を取った際、そこに置いていた、ネル地様のスポーツシャツ(本件シャツ)を何枚かに切り破って研いだ物や油や手を拭いたりするのに使っていたボロ切れの端を破って、それを切出小刀の柄と刃体の接合部に巻きつけた。犯行後、同じシャツの切れ端のボロ切れで自転車のハンドルを洗った。このボロ切れのスポーツシャツは、自分が昔着ていたシャツであった。シャツの生地はネル地のような肌色の柄に茶色・赤色など何色かのチェック模様の柄が入っていた。ボロ切れにしたのは、どこをどのように切ったか覚えていないが、幾つかの切れに切って使っていた。」などと供述した。 また、警察官が、なぜ犯行に関係のない赤茶色皮靴を燃やしたのか、道理から外れている感がある、などと追及すると、亡Aは、「刑事さん達の言われるとおり私も今考えると道理から外れておかしいと思います。でも、犯行に使ってない靴の方を燃やしたことは間違いありません。」と 道理から外れている感がある、などと追及すると、亡Aは、「刑事さん達の言われるとおり私も今考えると道理から外れておかしいと思います。でも、犯行に使ってない靴の方を燃やしたことは間違いありません。」と答えた。 さらに、この取調べの際、亡Aは、けん銃と実包を所持していること及びその保管場所を自白した。 甲B6、C4、乙100、丙20 上記各取調べの後、熊本県警は、亡A宅の捜索を実施し、赤と茶のチェック柄の布片1片、灰約5キログラム、亡A宅敷地内の一斗缶の中にあった靴の底部金具1個等を差し押えた。 甲B5、乙99、丙77~79、82~84、86、87 科学捜査研究所は、松橋署に対して、亡A宅にあった百科事典の表紙カバーのビニールから採取した指紋が亡Aの右示指の指紋に符合することが確認されたことや、同百科事典の「ルミノールしけん」に関するページにも手で触れた痕跡が認められることなどを回答した。 乙103の1、103の2 警察官は、亡Aの取調べを行った。 亡Aは、本件小刀に巻きつけた布について、「このウェスの元のシャツの型や柄は、ネル地様のワイシャツ式肌色地に茶色と赤色のチェック模様のシャツ(本件シャツ)であった。」旨述べた後、警察官から、1月21日に亡A宅から押収された赤と茶と白のチェックのスポーツシャツの布片3片(認定事実20)及び2月5日に亡A宅で差押えられた赤と茶のチェック柄の布片1片(認定事実44)を提示され、これらの布片をつなぎ合わせるとほぼシャツの型になるが、左側袖が肩口からない(欠けている)ことを確認し、「この左袖を切り開いてウェスとして使っていたものを、本件小刀の柄の部分に巻いたり、自転車のハンドルを拭いたりしたものであり、後で風呂の焚口で燃してしまった。」旨を説明した。 甲C5、乙108、109、丙 検 ェスとして使っていたものを、本件小刀の柄の部分に巻いたり、自転車のハンドルを拭いたりしたものであり、後で風呂の焚口で燃してしまった。」旨を説明した。 甲C5、乙108、109、丙 検察官は、亡Aの取調べを行った。 亡Aは、本件小刀に巻いた布片に関して、「本件小刀に布切れをきちっと巻き、右手で柄を握り、親指と人差し指をあてがい、布切れが外れないように持った。」などと述べた。 また、亡Aは、「軍手の処分方法について嘘をついたのは、やはり、自白したものの、できれば罪を逃れたいという気持ちがあったからであった。軍手を処分したと供述した川は水量も少なく、もし軍手を捨てれば必ずその付近から見つかることは知っていた。軍手が見つからないことと、本件小刀や事件当時着ていた服からは血痕が付着しているとの検査結果は出ないだろうということとが相まって、うまくすれば無罪を得られるのではないかという望みを抱いていた。しかし、一方で、こと細かに事件のことを話すなど、ちぐはぐなことをしてしまった。裏付け捜査も次々と進められ、どんどん証拠が集められているんだろうと思っていたところ、軍手のことを追及され、もはやこれまでと思い、真相を話した。それとともに、もはや隠しごとをしても無駄と思い、本件小刀にぼろ切れを巻いて刺したこと、自分の自転車のハンドルを拭いたこと、赤茶色の皮靴を燃やしたこと、自宅にけん銃などを隠し持っていたことを話した。分かってもらいたいのは、情状を良くしようと思ってそう述べたのではなく、最初に嘘をついた後、そのまま引っ込みが付かなくなって嘘を話し続けてしまっていたということである。」などと供述した。 甲C8、乙108 熊本県警は、亡A宅の捜索差押えを実施し、けん銃1丁、けん銃実包10発、弾丸19個等43点を押収した。 乙104、105、丙95、 いたということである。」などと供述した。 甲C8、乙108 熊本県警は、亡A宅の捜索差押えを実施し、けん銃1丁、けん銃実包10発、弾丸19個等43点を押収した。 乙104、105、丙95、96 検察官は、被害者の遺体の司法解剖を担当したV医師からの事情聴取を行った。 V医師は、凶器は一種類で、刃背部の厚さ0.2ないし0.3センチメートル、刃幅は2.5センチメートル内外、刃体の長さは8.5センチメートル以上の片刃の鋭刃器と思われ、本件小刀(刃背部の厚さ約0.3センチメートル、刃幅約2.2センチメートル、刃体の長さ約11センチメートル)は、本件殺人事件の凶器である可能性があること、被害者の血中アルコール濃度は約0.231パーセント、尿中アルコール濃度は約0.280パーセントであり、正常な歩行が困難で思考力が減退していたと思われることなどの所見を示した。 乙1062月7日 検察官は、亡Aの取調べを行った。 亡Aは、犯行後に被害者宅から自宅まで戻る際に乗った亡Aの自転車について、「自転車にも血が付いているかもしれないと思い、2階作業場にあったぼろ切れでハンドルを拭いた後、ぼろ切れは風呂の焚口に放り込んで燃やした。そのぼろ切れは、本件小刀の柄の根元に巻き付けるため、幅3センチメートル、長さ30センチメートルくらいに切り裂いた布切れの残りのものだったと思う。そのぼろ切れを選んだ理由は特になく、作業場に行った際、たまたま手近な所にあったので取っただけであった。なお、その古い切れというのは、自身が6年位前まで使っていたネル地のような布地のスポーツシャツ(本件シャツ)を、かねて工作をする為に何枚かに切り破って研いだ物や油を拭いたりするのに使っていたものであった。」などと供述した。 乙1102月5日2月6日 2月9日 科学捜査研 シャツ(本件シャツ)を、かねて工作をする為に何枚かに切り破って研いだ物や油を拭いたりするのに使っていたものであった。」などと供述した。 乙1102月5日2月6日 2月9日 科学捜査研究所は、松橋署に対して、本件小刀について、血液の付着を証明し得ない旨を回答した。 甲B4、乙67の 2月10日 検察官は、殺人の罪で亡Aを起訴した(本件公訴提起)。 甲A8の12月14日 熊本県警は、亡Aは犯行後に本件小刀に巻いたり自転車を拭いた布片を燃やしたと供述しているものの、これまでの捜索等で多数の布片が発見されたことから、勘違いや記憶違い等でこれらが放置又は投棄されている可能性があるなどと考え、亡A宅の北側倉庫壁付近通路及び垣根付近から亡A宅の東側畑地付近を捜索したところ、亡A宅北側倉庫と住家の境付近角において、赤と茶のチェック柄布1片(本件シャツの左袖部分の布片(本件袖片))及び汚れたタオル地の布片1枚を発見したため、これらにつき、立会人から任意提出を受けた。 さらに、松橋署は、科学捜査研究所に対し、上記のとおり発見された本件袖片について、血液付着の有無などに関する鑑定嘱託をした。 甲D5~D9、乙147、1482月20日 科学捜査研究所は、松橋署に対して、本件小刀について、血液の付着を証明し得ない旨を記載した鑑定書を交付した。 甲B4、乙67の 3月1日 科学捜査研究所は、松橋署に対して、本件袖片について、血液の付着を証明し得ない旨を記載した鑑定書を交付した。 甲D9、乙1493月8日 科学捜査研究所は、松橋署に対して、1月21日に任意提出を受けた①赤と茶のチェックのスポーツシャツの布片3片と、2月5日に差し押さえた②赤と茶のチェック柄の布片1片(本件袖片)について、①のうち1片に人血の付着を認め、そ 署に対して、1月21日に任意提出を受けた①赤と茶のチェックのスポーツシャツの布片3片と、2月5日に差し押さえた②赤と茶のチェック柄の布片1片(本件袖片)について、①のうち1片に人血の付着を認め、その血液型はA型と判定されたが、その他の2片及び②については、血液の付着を証明し得ない旨を記載した鑑定書を交付した。 甲D4、乙1453月30日 検察官は、銃刀法違反及び火薬類取締法違反の罪で亡Aを追起訴した。 甲A94月5日 熊本県警は、熊本地検に対して、本件袖片を含む布片5片を、これらが本件公訴提起後に発見された経緯等について記載した捜査報告書と合わせて、証拠品として送致した。 甲D5、丙93、94、弁論の全趣旨4月8日 確定審第一審の第1回公判期日が開かれた。 亡Aは、起訴状記載の本件公訴事実について、「『被害者の高慢な発言を亡Aがしたものと誤解したDから、押し倒されたり、あるいは殴りつけられるなどの暴行を受けたので、平素の被害者に対する憤まんの念が一挙に爆発し云々』とある点は、Dからそのような暴行を受けたのは事実ですが、それが直接の原因ではなく、被害者の言葉による暴力と申しますか、悪口雑言、あることないこと、おじ兄弟の悪口まで言われたことが私を逆上させたものです。Dが私に殴りかかったことは酔狂の上のことで、そのことで被害者を憎いと思ったことはありますが、それは本件に至るプロセスに過ぎず、被害者の罵倒の方が強い原因だと思います。その余の公訴事実は、殺意の点も含めてそのとおり間違いありません。」などと述べ、公訴事実を概ね認める陳述をした。 亡Aの弁護人(交替前弁護人)は、同公訴事実につき、飲酒による心神耗弱を主張した。 乙156、1756月25日 確定審第一審の第4回公判期日が開かれた。 亡Aは、被告人質問において、「被害 た。 亡Aの弁護人(交替前弁護人)は、同公訴事実につき、飲酒による心神耗弱を主張した。 乙156、1756月25日 確定審第一審の第4回公判期日が開かれた。 亡Aは、被告人質問において、「被害者を殺害した際の自身の行動について、ほとんど記憶がない。 殺害前後の自身の行動の一部につき記憶がない。」などと供述した。 乙1578月13日 確定審第一審の第5回公判期日が開かれた。 亡Aは、被告人質問において、本件殺人事件の犯行を全面的に否認し、また、否認に転じた理由については、「第1回公判より前の交替前弁護人との打ち合わせにおいて、否認したい意向を同弁護人に伝えたが、いろいろ協議した結果、第1回公判では認める方向の陳述となった。」「事実を認めてくれれば、無罪になると信じていた。」などと供述した。 乙1589月6日 交替前弁護人は、「国選弁護人辞任の申出書」と題する書面を提出した。 同書面には、「当弁護人は、第1回公判の前に、検察官の手持ち証拠を閲覧し、亡Aと打ち合わせた結果、本件公訴事実については基本的には争わず、亡Aの心神耗弱による犯行として刑の減刑を求める弁護方針を立て、一旦亡Aの了承を得た。」、「当弁護人が、亡Aに対し、なぜ第一回公判で犯行を認めたのか聞いたところ、亡Aは、当弁護人に争いたい旨のことを言ったところ、当弁護人から、無罪で争うのは困難であり、当弁護人の方針が了解できないのであれば別に私選の弁護人を立てたらどうかと言われたが、その余力はなかったので、やむを得ず第1回公判では認める旨の供述になった旨答えた。」などと記載されていた。 その後、交替前弁護人は、亡Aの弁護人を解任された。 乙15910月14日 確定審第一審の第6回公判期日が開かれた。 交替前弁護人に代わって新たに亡Aの国選弁護人となったQ弁護人は、本件公訴事 その後、交替前弁護人は、亡Aの弁護人を解任された。 乙15910月14日 確定審第一審の第6回公判期日が開かれた。 交替前弁護人に代わって新たに亡Aの国選弁護人となったQ弁護人は、本件公訴事実につき、亡Aの犯人性を争って、無罪を主張した。 亡Aは、被告人質問において、捜査段階で逮捕してほしい旨自ら申し出た理由について、「任意では、いつまで調べられるのか、蛇の生殺しみたいにきりがないし、逮捕状が出ると期限が限られるというようなことをおぼろげながら知っていた。このままだと1か月でも2か月でも取調べが続くんじゃないかとも思ったので、早く逮捕状を出してくれと言った。」などと述べ、他方で、「取調べが厳しくなった1月10日頃から、自白することを考え、自分が犯人であることを信じてもらえるように筋書きを考え、そのために、被害者が殺されていた状況などの捜査情報を頭に入れることに集中していた。」などと供述した。。 甲C6、乙160、丙101 11月12日 確定審第一審の第7回公判期日が開かれた。 亡Aは、被告人質問において、捜査段階で犯行を自白した理由について、「もう精神的にもまいっていたので、これは自白して楽になったほうがいいんじゃないかというような、やけくそのような気持ちが起こった。」などと述べ、他方で、「なにしろ証拠がないのだから、自白して逮捕されても、結局起訴まではもっていけないだろうと考えていた。」などと供述した。 また、亡Aは、捜査段階で巻き付け布自白をした理由について、「警察では言ってなかったが、検察官から、ナイフの柄に血が付くはずではないかと聞かれて、とっさに考えて、ぼろ切れを三センチ幅に切ってぐるぐる巻いたんだということを言った。その日の帰りになって、警察官から、どうして警察には言わなかったんだと言われ、その後に警察官に対して いかと聞かれて、とっさに考えて、ぼろ切れを三センチ幅に切ってぐるぐる巻いたんだということを言った。その日の帰りになって、警察官から、どうして警察には言わなかったんだと言われ、その後に警察官に対して同様の供述をしたので、警察の調書では巻き付け布自白は一日遅れになっていると思う。」などと供述した。 丙10211月25日 確定審第一審の第8回公判期日が開かれた。 亡Aは、被告人質問において、「捜査段階で虚偽の自白をしたのは、取調べの時、警察官からは良くしてもらい、世話になったので、温情というか、ほだされたというと語弊があるが、そういった気持ちがあったからだ。」などと述べ、他方で、「逮捕されても、証拠がないんだから、起訴はされないと思っていた。」などと供述した。 また、亡Aは、第4回公判期日までは本件殺人事件の犯行を認めていた理由について、「交替前弁護人に対しては、第1回公判の前の打ち合わせの際、自分には身に覚えがないということを伝えたが、同弁護人から、それでは私が困る、争うのであれば私選弁護人を立てなさいなどと言われ、公判まで時間的にも金銭的にも余裕がなかったし、ひとまずは同弁護人の顔を立てて、言われるとおりにやっておこうと思った。」などと供述した。 乙161、丙10312月9日 確定審第一審の第10回公判期日が開かれた。 亡Aは、被告人質問において、「第1回公判の後の交替前弁護人との打ち合わせでも、自分は無実であると伝えたが、そう言うと、同弁護人は、それなら私は弁護を引き受けないというので、それなら先生のおっしゃるとおりにしましょうということで、第2回、3回の公判へ進んでいった。」などと供述した。 また、亡Aは、「捜査段階では、自白が真実であると警察官に信じさせるため、細かく創作して話した。しかし、自白だけで起訴できるとは思っていなか で、第2回、3回の公判へ進んでいった。」などと供述した。 また、亡Aは、「捜査段階では、自白が真実であると警察官に信じさせるため、細かく創作して話した。しかし、自白だけで起訴できるとは思っていなかったので、結果的に起訴されたのは見込み違いであった。」などと述べた。 乙162、丙104昭和61年(以下、「12月22日/番号72」まで同じ。)1月13日 確定審第一審の第11回公判期日が開かれた。 亡Aは、被告人質問において、「捜査段階で自白する際は、取調べの時によくしてくれた警察官たちに信じてもらうために、真実味がある話をした。今考えると、何であんな馬鹿なことをしたのかと思う。」などと供述した。 丙1054月21日 確定審第一審の第16回公判期日が開かれた。 亡Aは、被告人質問において、「詳細に自白しても、いずれにせよ不起訴になると思っていたので、自白を調書にとられて、それが証拠になるとか、自分が不利になるとかはあまり考えなかった」、「1月10日か11日頃から、犯行状況や被害者の死亡推定時刻などについて、自白する内容の筋書きを考えていた。」などと供述した。 また、公判の当初は公訴事実を認めていた理由については、「第1回公判の前に交替前弁護人と打ち合わせをした際、自分としては否認したいと考えている旨を伝えると、同弁護人から、私は認めるということで聞いていたので、否認ということであれば弁護できないから、代わりの弁護士を紹介すると言われた。しかし、時間的にも資金的にも余裕がなかったので、とりあえず、心神耗弱を主張するという同弁護人の方針に従うこととし、数回の公判期日のうちに時間を稼ぎ、なんとか金策をするなりして、弁護人を替えられるものなら替えて闘おうと思った。」などと述べた。 丙1076月27日 確定審第一審の第18回公判期日が こととし、数回の公判期日のうちに時間を稼ぎ、なんとか金策をするなりして、弁護人を替えられるものなら替えて闘おうと思った。」などと述べた。 丙1076月27日 確定審第一審の第18回公判期日が開かれ、交替前弁護人の証人尋問が行われた。 交替前弁護人は、裁判官から、第1回公判期日より前の打ち合せの際に審理への対処方針等を亡Aと協議した点について証言可能か問われたのに対し、「いわゆる、弁護人と被告人の秘密交通権の範囲に属することについては、証言はできません。」と回答し、亡Aがその点について証言してほしいと言ったらどうかと問われたのに対しては、「証人としては苦痛ですけれども、本人が承諾するんであれば、やむを得ないと思います。」と回答した。 そこで、裁判官が、亡Aに対し、第1回公判期日より前の打ち合せで亡Aが交替前弁護人に話したことについて、同弁護人に証言してもらうことを望むか、と聞いたところ、亡Aは、Q弁護人と相談した上で、「以前に交替前弁護人から書面で出ているので、それ以上の証言は望まない。」と答えた。 また、交替前弁護人は、裁判官から、昭和60年9月6日付け「国選弁護人辞任の申出書」に記載された、「当弁護人が、被告人に対し、何故第1回公判で犯行を認めたのか聞いたところ、当弁護人に本当のことが言えなかった、当弁護人に争いたい旨のことも言ったが、当弁護人の意見では無罪で争うのは困難であり、当弁護人の弁護方針が了解できないのなら、別に私選の弁護人を立てたらどうかと言われたがその余力がなかったので止むを得ず第一回公判で認めた結果になったとの答であった」という内容は真実かと質問されたのに対し、「否認後、私が接見した際に、なぜ認めた結果になったか、という風に質問した際、被告人がそのように答えたのは事実です。そういう範囲では事実です。 それ以上、ちょっとお答 内容は真実かと質問されたのに対し、「否認後、私が接見した際に、なぜ認めた結果になったか、という風に質問した際、被告人がそのように答えたのは事実です。そういう範囲では事実です。 それ以上、ちょっとお答えできません。」と答えたほか、検察官からも、同じ点について質問されたのに対し、「否認後、そういうことを申しましたので、その通り書きました。それが事実かどうかについては、本人の承諾がなくては、証言ができません。」と答えた。 乙1747月8日 確定審第一審の第19回公判期日が開かれ、検察官は、各公訴事実の証明は十分であるとして、亡Aを懲役13年に処し、本件小刀等を没収する判決を求める意見陳述(論告・求刑)をした。 乙1738月5日 確定審第一審の第20回公判期日が開かれ、亡A及び弁護人が最終陳述をした上で、審理が終結(結審)された。 乙163 12月22日 確定審第一審の第21回公判期日が開かれ、熊本地裁は、亡Aにつき、公訴事実のいずれも有罪とし、懲役13年に処し、本件小刀等を没収する判決を言い渡した。 亡Aは、同判決を不服として控訴した。 甲A5、A6、乙 昭和63年6月21日 福岡高裁は、亡Aの控訴を棄却する判決を言い渡した。 亡Aは、同判決を不服として上告した。 甲A6、A7平成2年1月26日 最高裁は、亡Aの上告を棄却する決定をした。 これにより、確定審第一審における亡Aの有罪判決が確定し、亡Aは懲役刑に服することとなった。 甲A7平成11年3月25日 亡Aが仮釈放された。 争いがない。 平成24年3月12日 亡Aの法定代理人成年後見人は、本件殺人事件について再審の請求をした。 争いがない。 平成28年6月30日 熊本地裁は、本件殺人事件について、再審開始の決定をした。 検察官は、同決定を不服と 亡Aの法定代理人成年後見人は、本件殺人事件について再審の請求をした。 争いがない。 平成28年6月30日 熊本地裁は、本件殺人事件について、再審開始の決定をした。 検察官は、同決定を不服として即時抗告した。 甲A1平成29年11月29日 福岡高裁は、検察官の即時抗告を棄却する決定をした。 検察官は、同決定を不服として特別抗告した。 甲A2平成30年10月10日 最高裁は、検察官の特別抗告を棄却する決定をした。 これにより、再審開始決定が確定した。 甲A3平成31年2月8日 再審の第1回公判期日が開かれた。 争いがない。 平成31年3月28日 熊本地裁は、本件公訴事実について、亡Aが被害者を殺害したとは認められないとして、無罪の判決を言い渡し、同判決は、即日、確定した。 甲A4

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