判決平成14年3月22日神戸地方裁判所平成12年(行ウ)第22号公務外認定処分取消請求事件 主文 1 被告が原告に対し,地方公務員災害補償法に基づき平成8年8月19日付けでなした公務外認定処分を取り消す。 2 訴訟費用は被告の負担とする。 事実及び理由 第1 請求主文同旨第2 事案の概要本件は,原告の夫であり,神戸市A消防署の管理係長であったBが,平成5年9月8日に自殺したところ,同人の自殺は,A消防署管理係長としての公務に起因するものであるとして,原告が被告に対し,地方公務員災害補償法に基づく公務災害の認定を請求したところ,被告が平成8年8月19日付で公務外の災害であると認定した(以下「本件処分」という。)ため,同公務外認定処分の取消しを求めた事案である。 1 争いのない事実等(証拠によって容易に認定できる事実を含む。)(1) Bは,昭和15年11月23日生まれの男性であり,昭和34年5月に神戸市消防士に採用され,その後,消防局及び各地の消防署において勤務し,平成3年4月1日より,A消防署管理係長として勤務していた。 原告は,Bの妻で,同人の死亡当時その収入によって生計を維持していた者である。 (2) うつ病Bは,平成3年7月16日,C病院精神神経科を受診し,その約1か月後の同年8月22日,同病院でうつ病と診断された(甲8,13)。 (3) Bの自殺Bは,平成5年9月8日,武庫川河川敷において農薬を服して死亡した。 (4) 本件処分及びその後の不服申立の経緯原告は,平成6年11月24日,被告に対し,B 殺Bは,平成5年9月8日,武庫川河川敷において農薬を服して死亡した。 (4) 本件処分及びその後の不服申立の経緯原告は,平成6年11月24日,被告に対し,Bの死亡は公務に起因するうつ病によるものであるとして,地方公務員災害補償法に基づき公務災害認定の請求をしたところ,被告は,平成8年8月19日付けで同請求は認められない旨の本件処分をした。 原告は,本件処分を不服として,同年10月23日,地方公務員災害補償基金神戸市支部審査会に対して審査請求をしたが,同審査会は,平成10年12月9日付けで同審査請求を棄却する旨の裁決をした。原告は,さらに,平成11年1月21日,地方公務員災害補償基金審査会に対し再審査請求をしたが,同審査会は,平成12年1月19日付けで同再審査請求を棄却する旨の裁決をした。 2 争点Bの自殺と公務との間に公務起因性(相当因果関係)があるか 3 原告の主張(1) 精神病(うつ病)の発症と公務起因性の判断基準ア労働省及び人事院は,平成11年7月から9月にかけて,それまでの精神障害等の労災認定の在り方について抜本的な改革を行った通達を出したが,その前提になった専門家による検討会の報告書が「精神障害等の労災認定に係る専門検討会報告書」(以下「専門検討会報告書」という。甲26)である。 そして,前記専門検討会報告書は,従前の行政実務においては,当該精神病が器質性(外因性)であるか,内因性であるか,あるいは心因性(反応性)であるかのいずれであるかが問われていたといえるが,現代精神医学においては,そのような分類はもはや古典的なものとなり,むしろ,精神障害の成因については,「ストレス-脆弱性」理論(環境からくるストレスと個 るかのいずれであるかが問われていたといえるが,現代精神医学においては,そのような分類はもはや古典的なものとなり,むしろ,精神障害の成因については,「ストレス-脆弱性」理論(環境からくるストレスと個体側の反応性,脆弱性との関係で精神的破綻が生じるかどうかが決まるという考え方で,ストレスが非常に強ければ,個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし,逆に脆弱性が大きければ,ストレスが小さくても破綻が生ずるとされる。)で理解することが多くの人に受け入れられるようになり,精神障害の分類も,そのような考えに立って,主として症状,状態像によってこれがなされるようになっているとしている。また,同報告書は,上記した精神障害は多元的原因で発病するとの今日の精神医学の認識に立ち,また,ほとんどの精神障害がその原因として心理的社会的原因が無視できないことから,器質性(外因性)精神障害は別として,業務による疾病と取り扱われ得るのはいわゆる心因性(反応性)精神障害に限るとする従前の労災認定の実務における取扱いについては,これを修正する必要があるともしている。 以上からすれば,精神障害(うつ病)は,脆弱性を持った個体側に一定のストレスが負荷としてかかったときに発症し,かつその発症は,ストレスと脆弱性の相関関係の中で決まるものといえる。したがって,ストレスとうつ病の発症との間の事実的因果関係は充分にこれが認められる。そして,公務に関連した心理的社会的ストレスは認められるが,それ以外には物理的化学的なストレスも,公務外の生活場面での心理社会的ストレスも認められないときには,脆弱性が大きい人の場合は別として,通常の公務を遂行する場合に比較して大きな心理的社会的ストレスが負荷としてかかっていたと考えるのが自然であるから,まったく通常の公務遂行の状態で られないときには,脆弱性が大きい人の場合は別として,通常の公務を遂行する場合に比較して大きな心理的社会的ストレスが負荷としてかかっていたと考えるのが自然であるから,まったく通常の公務遂行の状態で発症したことが証明されない限りは,うつ病の発症と公務との間には相当因果関係があるものと推定すべきである。 これに対し,被告が主張する平成11年9月14日付の「精神疾患に起因する自殺の公務災害の認定について」と題する地方公務員災害補償基金の通知は,前記専門検討会報告書において示された医学的知見を無視し,精神障害を発症させるストレスを極めて狭く解釈しようとするもので,画一的処理の必要を考慮したとしても,不当な内容である。 なお,心理的社会的ストレスは,個人差があるので,精神障害が発生した個人ではなく,通常人を基準にするべきであるとの議論があるが,心理的社会的ストレスの大きさには幅があり,客観的な数値化されたものがないから,恣意的でない基準は考えられない。仮に通常人との比較をする場合であっても,Bのように,同じ人を相手にした2度目の対人葛藤によるストレスを問題にする場合には,そのような前歴をもった通常人を想定する必要がある。 (2) Bのうつ病発症および自殺前の業務状況並びに自殺に至る経過ア Bは,平成元年4月1日よりA消防署予防査察係長,平成3年4月1日より同管理係長となり,庶務,経理,庁舎管理等通常の管理係業務の他,A消防署に特別なものとして神戸市防災コミュニティーセンター(以下「コミセン」という。)関連業務も行っていた。Bは,昭和34年5月に神戸市消防士に採用されてから,平成3年4月1日にA消防署管理係長に就くまで,現場での職務にのみ従事してきた。 イ平成3年4月1日付け う。)関連業務も行っていた。Bは,昭和34年5月に神戸市消防士に採用されてから,平成3年4月1日にA消防署管理係長に就くまで,現場での職務にのみ従事してきた。 イ平成3年4月1日付けでD署長がA消防署長となり,かつてD署長の下で勤務したとき,同人の態度に耐えかねて自ら転勤を希望した経過があったBは,極度に緊張して4月を迎えた。そして,D署長は,着任直後よりBに厳しく接することが多く,管理係長というBの立場を無視して同人の部下を直接呼び出して説明をさせたりするなど,Bを信頼して仕事を任せることがなく,同人を精神的に追い込む姿勢を取り続けていた。 ウ同年4月,5月は出納閉鎖の関係で管理係の業務が特に忙しくなったが,Bは,初めてA消防署全体の経理を扱ったこと,管理係の従前の経理担当者全員が配転されたため,前年度の経理内容を知る職員が一人もいなかったこと等から,職務を円滑に遂行することが困難になり,多忙を極めた。Bはそれに加えて,署長公舎の改修や駐車場の設置問題,コミセン関連業務,庁内のクーラー機器の故障等への対応などの業務が重なった。 エ D署長は,経理業務については,Bの管理係長の職責・存在を無視する行為をとったり,Bの部下の面前で大声でBを怒鳴ったり,追及したりし,また,署長公舎改修・駐車場設置にかかる近隣住民との調整及び予算措置等については,Bの立場を無視して独自に業者への督促や公舎内の備品等について購入指示を行ったり,Bが予定していた近隣住民への挨拶を取り止めさせる等したため,Bは精神的ストレスが極度に強まり,日常業務の処理が満足にできない状態となった。 オ Bは,D署長との関係について悩み,A消防署副署長Eに相談していたが,同副署長は積極的に悩みを聞くという姿勢ではなかった。同年5月 強まり,日常業務の処理が満足にできない状態となった。 オ Bは,D署長との関係について悩み,A消防署副署長Eに相談していたが,同副署長は積極的に悩みを聞くという姿勢ではなかった。同年5月中旬以降は,Bから話しに来ることが少なくなっていたが,Eからの働きかけはなかった。 カ Bは,上記管理係業務が山積みしているなかで,連日のように午後12時過ぎに自宅に戻り,自宅で持ち帰った書類を広げるが何もできず,翌日再び職場に持って行くことを繰り返した。このような状態は,平成3年4月ころから7月まで,日を追う毎にひどくなり,精神的疲労だけではなく,身体的疲労も加速度的に大きくなった。 なお,被告は,Bの残業時間数について,同年4月は38時間,同年5月は35時間,同年6月は20時間,同年7月は6時間であると主張するが,これは全く事実に反するものである。 A消防署に残されている残業時間の記録は,不正確である。残業に対する賃金補償の総額は,年間予算の中で決まっており,管理係長であるBが,署内の各係に賃金補償の対象となる残業時間数を割り振っていた。A消防署に残されている残業時間の記録は,残業手当の支給対象となった時間のみであるため,現実には,残業手当の対象にならない残業があったし,また,2時間単位で記録されていたことから,時間数は正確ではなかった。さらに,Bは残業時間割り振りの責任者であったことから,自己の残業が長時間に渡ったとしても,他の者より突出した残業手当の支給となるような措置はできないため,1人で残業をした場合には,残業時間として計上しないことが多かった。A消防署の管理係は,同じ階の他の係の職員から執務状況が見えないため,残業しているか否か分からないこと,管理係職員らが利用する出入り口には警 をした場合には,残業時間として計上しないことが多かった。A消防署の管理係は,同じ階の他の係の職員から執務状況が見えないため,残業しているか否か分からないこと,管理係職員らが利用する出入り口には警備員がいなかったこと,出入りの管理簿も備え付けられていないことから,Bが1人終電まで残業しても,誰も気づかない状況であった。 キ Bは,同年6月中旬以降,食べられない,眠れない,手が震えて字が書けない,早朝起きて仕事を辞めたいと泣き出す,うろうろしたり電話に神経を尖らせる等の状態で,思考力や集中力は低下し,焦燥感にとらわれ,また,体重は前年の60キログラムから3.5キログラムも減少し,身体的,精神的に極度に衰弱し,うつ病となった。 ク Bは,同年7月16日,原告に付き添われてC病院精神神経科を受診したところ,1か月の休養を要するとの診断を受け,約1か月経過後,再度同病院を受診し,うつ病と診断された。 ケその後も,辰巳は治療を受けていたが症状は改善せず,平成5年9月8日,武庫川河川敷で農薬を飲み自殺した。 (3) Bの自殺と公務との相当因果関係についてア前記専門検討会報告書は,業務によるストレスの強度の客観的評価の基準として,ストレス強度をⅠないしⅢに分類し(Ⅰは日常的に経験する心理的社会的ストレスで,一般的に問題にならない程度のストレス,Ⅲは人生の中で稀に体験するような強い心理的社会的ストレス,Ⅱはその中間に位置する心理的社会的ストレス),その上で,個別具体的な内容からその平均的評価を変更する必要がないか,出来事後の変化はどうであったか,出来事により発生した問題や変化はその後どの程度持続し,あるいは拡大し,あるいは改善したのかについて検討し,総合評価を行うことを提案している。 要がないか,出来事後の変化はどうであったか,出来事により発生した問題や変化はその後どの程度持続し,あるいは拡大し,あるいは改善したのかについて検討し,総合評価を行うことを提案している。 イ上記評価基準によって,上記(2)の各事実について,Bの心理的社会的ストレスの強度を検討する。 (ア) まず,配置転換があったことは,強度Ⅱである。しかも,Bの場合,管理係の仕事は初めてであり,その中心的仕事である経理部門の担当者も一緒に移動してきた者であったこと,管理係長はその後副署長に昇進する第一歩と考えられている職場であったこと等,ストレス強度は平均的大きさに比べて大きくなる要素があった。 (イ) 次に,上司とのトラブルがあったことも強度Ⅱである。Bは,昭和48年ころにもD署長と同じ職場であったが,その時もD署長との対人関係に苦しみ,自ら希望して転勤したことがあったのであり,D署長との間でトラブルが生じ,対人関係に悩むことはストレスを増幅させる要因である。また,D署長の言動は,Bの人格を無視し,同時に「仕事上の差別,不利益な扱い」にも当たるものであり,専門検討会報告書によれば,ストレス強度はⅡである。 (ウ) D署長は,BとDとの上記対立及び叱責の後,Bに直接指示を出さないようになったが,Bは,これを,自己の管理係長としての能力の欠如又は自己に対する嫌悪が原因と判断し,ストレスを増幅させた。また,Bは,D署長との前記対立及び叱責の後,集中力を欠き,仕事を処理できずに仕事量が溜まったため,ストレスは増大していった。 (エ) Bは,Eに悩みの相談をしていたが,同副署長が積極的に悩みを聞くという姿勢はなかった。平成3年5月中旬以降はBから話しに来ることが少なくなっていたが,Eか は増大していった。 (エ) Bは,Eに悩みの相談をしていたが,同副署長が積極的に悩みを聞くという姿勢はなかった。平成3年5月中旬以降はBから話しに来ることが少なくなっていたが,Eからの働きかけはなかった。また,D署長との人間関係の悩みを第三者に打ち明けて相談することもできず,ストレスの緩衝要因は全くなかった。 (オ) 前記専門検討会報告書は,常態的な長時間労働が精神障害の準備状態を形成する要因になっている可能性を指摘しているが,Bの場合,平成3年4月以降かなりの長時間労働が続いていたし,同年5月中旬以降は,深夜帰宅が顕著に多くなっていた。 (カ) 以上の事実からすると,Bが直面した平成3年4月の配転,同月から5月にかけてのD署長とのトラブルという出来事によるストレスの強度を,通常人を基準に評価した場合,ストレス強度Ⅲに近いⅡである。 ウ Bの場合,心理的社会的ストレスの要因となる出来事は公務と関係ある出来事であり,それ以外には存在しない。また,Bには,脆弱性を疑わしめる事実は存しない。メランコリー親和型性格であることはそのとおりであるとしても,マイナス評価を受けるものではなく,殊更に脆弱性を疑う必要のないものである。 Bに心理的社会的ストレスを与えた出来事の中心は,上司とのトラブルであった。前記のとおり,D署長は,Bの管理係長としての立場を無視し,能力の否定や人格的侮辱を意味する言動を伴い,厳しく叱責し,Bを解決不能の板挟み状況に追いやる等したものであり,D署長の言動は,上司が部下を指導する場合の言動の範囲を逸脱していたのであるから,通常人であればストレスと感じるようなものであった。 エ以上のとおり,Bのうつ病は,D署長との対人関係の葛藤から生じたス 上司が部下を指導する場合の言動の範囲を逸脱していたのであるから,通常人であればストレスと感じるようなものであった。 エ以上のとおり,Bのうつ病は,D署長との対人関係の葛藤から生じたストレスが原因で生じたものであり,公務との相当因果関係が認められる。 そして,Bは,そのうつ病によって自殺するに至ったものであるから,Bの自殺と公務との間には相当因果関係がある。 よって,これと異なる判断の上に立ってされた被告の本件処分は違法であるから,原告は,被告に対し,本件処分の取消しを求める。 4 被告の主張(1) 地方公務員災害補償法(以下「地公災法」という。)における「相当因果関係」(公務起因性)について地公災法第31条,43条は,職員が公務上死亡した場合に災害補償を実施すべきことを定めている。 「職員が公務上死亡した場合」とは,職員が公務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合であり,公務と死亡の間に「相当因果関係」がある場合でなければならない(最高裁第2小法廷昭和51年11月12日判決・判例時報837号34頁)。 地公災法が,使用者の支配管理下において労働者(公務員)が被った損害についての填補責任を,使用者の過失の有無にかかわらず負わせるものであるという災害補償制度の一環であることからすれば,同法上の「相当因果関係」は,民事上のそれとは異なり,単に公務が負傷又は疾病の併存する諸々の原因の一つあるいは引き金(きっかけ)となっているだけでは足りず,公務が他の原因と比べて,「相対的に有力な原因」となっている場合でなければ,これを認めることはできない。 そして,公務が相対的に有力な原因となっているか否かは,当該被災者を基準に ,公務が他の原因と比べて,「相対的に有力な原因」となっている場合でなければ,これを認めることはできない。 そして,公務が相対的に有力な原因となっているか否かは,当該被災者を基準に判断すべきではなく,日常業務(公務)を支障なく遂行できる健康状態にある者を基準として判断すべきものである。 また,災害と業務との間の「相当因果関係」の存在についての立証責任は,認定請求者側にある。 (2) 自殺の場合の相当因果関係(公務起因性)についての考え方ア労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)第12条の2の2の「故意」公務員が自殺した場合,死亡に至るにつき,当該公務員の故意が介在しているから,原則的には,公務と自殺との間に相当因果関係(公務起因性)は認められない。これは,労災保険法12条の2の2において「労働者が,故意に負傷,疾病,傷害若しくは死亡又はその直接の原因となった事故を生じさせたときは,政府は,保険給付を行わない」と規定されていることからも明らかである。 したがって,仮に,公務に従事して精神疾患に罹患した者が自殺をしたとしても,それが,当該精神疾患の症状の具現化として死亡するに至った場合(精神疾患に罹患した状態にあり,かつ,自殺を認識しない状態〔故意を認められない状態〕)でなければ,当該自殺は,被災職員の自由意思によるもので,相当因果関係はないと判断しなければならない。 イ自殺の公務起因性の具体的判断基準(ア) 自殺の公務起因性の具体的判断基準は,地方公務員災害補償制度においては,従前,以下のとおりの基準が定められていた(国家公務員災害補償制度または労働者災害補償制度においても概ね同様)。 a 被災職 の具体的判断基準は,地方公務員災害補償制度においては,従前,以下のとおりの基準が定められていた(国家公務員災害補償制度または労働者災害補償制度においても概ね同様)。 a 被災職員の従事した公務に精神疾患等の発症原因となりうる事態等が客観的に認められ,かつ,当該公務による精神疾患等の発症原因として十分強度の精神的負荷があったと認められるとき。 b 精神疾患の既往歴,性格特性等からみて,精神疾患等の発症の有力な原因となる具体的素因が認められないこと。 c 当該精神疾患等の有力な原因となる公務以外の精神的・肉体的負荷となるものが認められないこと。 d 当該精神疾患に罹患していたと医学的に認められ,かつ,当該精神疾患の症状の具現化として死亡したものと医学的に認められること。 (イ) また,上記基準は,平成11年9月14日付地方公務員災害補償基金の理事長の通知によって,次のとおりに具体化された(国家公務員災害補償制度においても概ね同様)。 a 自殺前に,公務に関連してその発生状態を時間的,場所的に明確にしうる異常な出来事・突発的事態に遭遇したことにより,驚愕反応等の精神疾患を発症したことが,医学経験則に照らして明らかに認められることb 自殺前に,公務に関連してその発生状態を時間的,場所的に明確にしうる異常な出来事・突発的事態の発生,又は行政上特に困難な事情が発生するなど,特別の状況下における職務により,通常の日常の職務に比較して特に過重な職務をおこなうことを余儀なくされ,強度の肉体的疲労,精神的ストレス等の重複又は重積によって生じる肉体的・精神的に過重な負担に起因して精神疾患を発症していることが,医学経験則に照らして て特に過重な職務をおこなうことを余儀なくされ,強度の肉体的疲労,精神的ストレス等の重複又は重積によって生じる肉体的・精神的に過重な負担に起因して精神疾患を発症していることが,医学経験則に照らして明らかに認められること。この場合において,精神疾患の症状が顕在化するまでの時間的間隔が,精神疾患の個別疾病の発症機序等に応じ,妥当と認められること。 c 被災職員の個体的・生活的要因が主因となって自殺したものではないこと(3) Bの自殺に公務起因性がないことについてア Bの経歴及び公務の内容・状況(ア) Bは,昭和34年5月,神戸市に消防士として採用された後,消防局及び各地の消防署において勤務し,昭和61年4月1日に水上消防署の予防査察係長に,平成元年4月1日にA消防署の予防査察係長に,平成3年4月1日にA消防署の管理係長になった。 (イ) 平成3年4月当時のA消防署長Dは,神戸市消防局に勤務して33年間,勤務態度等につき処分を受けたこともなく,D署長のBに対する態度は,格別厳しくも,また執拗でもなかった。 BがD署長の下で勤務した期間は,平成3年4月1日から同年7月15日ころまでの短期間であった。 BとD署長は,昭和46年4月1日から昭和51年3月31日までは,共に消防局消防課で勤務していたが,係が異なっており,昭和46年4月1日から同月20日までの消防課警防第1係及び昭和48年4月1日から同年9月30日までの消防課管制第2係を除いて,職場での直接の上下関係にはなかった。 (ウ) Bの職務(公務)の内容aA消防署における管理係の職務は以下のとおりである。 ①庶務 て,職場での直接の上下関係にはなかった。 (ウ) Bの職務(公務)の内容aA消防署における管理係の職務は以下のとおりである。 ①庶務②文書の収発,保存及び管守③職員の人事,給与,教養及び服務④職員の安全衛生管理に関すること⑤職員の公務災害補償事務に関すること⑥消防作業従事者等の災害補償事務に関することbA消防署における当時の管理係の職務で具体的なものは,①署長公舎の改修と駐車場設置問題②コミセン関連業務③庁内のクーラー機器の故障問題であった。 しかし,①については,Bは,公舎内部の改修及び家具・什器等の購入を施設課と交渉し,業者等に工事させ,その一環として公舎に駐車場を設置すべく関係機関等との連絡調整や付近住民に対する挨拶などを行っていたものであるが,関係機関や付近住民と特段困難な問題は生じていなかった。②については,コミセン用の予算獲得のための資料の作成業務及び日常の管理運営業務が主なものであったところ,解決あるいは対応困難な事態には遭遇しておらず,Bは管理係長になったばかりで要領を得なかった。③については,消防署の庶務の通常の仕事であり,当該故障が発生したのも平成3年6月になってからで,同年4月の人事異動から2か月後で繁忙期を経過しているばかりか,修理に関し特段対応に困難を伴ったこともなかった。 (エ) Bの職務の状況Bの従事した業務内容及び時間外勤務時間数は,以下のとおり,通常うつ病を発症させる程度の精神的・肉体的負荷とは言えない。 aBの (エ) Bの職務の状況Bの従事した業務内容及び時間外勤務時間数は,以下のとおり,通常うつ病を発症させる程度の精神的・肉体的負荷とは言えない。 aBの職場の人間関係Bは,前記のとおり,平成元年4月1日にA消防署の予防査察係長となり,平成3年4月1日に同署管理係長に異動となったもので,係長になって13年目であり,同署に赴任して3年目であった。同異動では,同署予防査察係に所属していたB,F及びGが共に同署管理係へ異動したものであり,お互い気心が知れていた。 また,BとEとの関係は良好で,同副署長もBの悩みの相談に乗っていた。さらに,Bの前任者であるHも,Bからの問い合わせに応じていた。 b 管理係の仕事は,経理,庶務及び機械に分けて係員が分担していた。経理はFとGが担当し,機械はI,庶務はJが担当していた。経理係の仕事のうち,Fが,公金管理とコミセン管理を,Gが消防団と防火協会を担当していた。 Bは,管理係長として連絡調整を行っていた。 当時の管理係員であったF及びGは,そのころ特に忙しかったり,解決困難な問題があったとは記憶していない。 cBの時間外労働の状況Bの時間外労働は,平成3年4月は38時間,同年5月は35時間,同年6月は20時間の合計93時間である。一方,Bの前任者の時間外労働は,平成2年4月は34時間,同年5月は26時間,同年6月は22時間の合計82時間である。 Bとその前任者の間において,時間外労働時間数に有意な差異は認められない。平成元年の時間外労働時間数に関する労働省の指針(平成元年労基発第65号)は 計82時間である。 Bとその前任者の間において,時間外労働時間数に有意な差異は認められない。平成元年の時間外労働時間数に関する労働省の指針(平成元年労基発第65号)は,1か月につき50時間であり,Bの時間外労働時間数は,同指針の3分の2に過ぎない。 イ Bのうつ病及びその具現化としての自殺と公務起因性(ア) 前記のとおり,うつ病が公務に起因するとは,単に公務がうつ病の原因の一つあるいは引き金となっているだけでは足りず,公務が他の原因と比べて「相対的に有力な原因」となっていなければならず,その判断に当たっては,日常業務(公務)を支障なく遂行できる健康状態にある者を基準としなければならない。 (イ) 原告は,Bが,公務に起因してうつ病になったと主張し,その公務として,多忙及び上司との人間的軋轢等を挙げている。 しかし,原告が主張する多忙とか人間的軋轢は,Bのうつ病の引き金にはなっても,相対的に有力な原因とはなり得ない。 K医師は,Bの症状を,心因によって誘発された内因性うつ病と表現している。内因性うつ病とは,「ひとりでに」「はっきりした理由がなく」特徴的なうつ状態が起こることであるとし,心因が引き金となって発生することはあるが,引き金によって生じたうつ病像は,内因性うつ病そのものであって,心因性うつ病の病像とは区別できるとしている。 従って,公務がBのうつ病に関連していたとしても,それは単なる「引き金」に過ぎないから,「相対的に有力な原因」とは言えず,公務起因性は認められない。 (ウ) Bの公務に関するストレスに関してa 原告は,Bに,公務に関し異常に大きなストレス ないから,「相対的に有力な原因」とは言えず,公務起因性は認められない。 (ウ) Bの公務に関するストレスに関してa 原告は,Bに,公務に関し異常に大きなストレスがかかったと主張するが,前記のとおり,Bの公務内容及び状況からすれば,公務にかかるストレスはいずれもさほど強くなく,長期間継続したものではない。 b また,管理係長への発令に関しては,前記のとおり,Bは,管理係長は初めてであったとしても,消防業務に習熟している上,係長として13年の経験を有しており,慣れ親しんだ職場・職員内での管理業務であり,直属の上司や前任者が相談に応じていたから,Bにそれほどのストレスは生じていなかった。 c 管理係長の業務は,確かに,平成3年4月ころは,人事異動直後であり多忙であったであろうが,それは,単にBにとって新しい業務であるからに過ぎず,また,管理係長の経験を有する直属の上司であるEに相談することができた。管理係の出納閉鎖,公舎の整備及び駐車場設置問題もそれほど困難な案件ではない。コミセンの業務は管理係の所管ではあるが,同センターには専務員を配置し,日常業務は同専務員が行っており,また係員としてFが担当していたため,Bにとってさほど困難な業務ではない。 d 経理関係業務をめぐるD署長の言動については,確かに,同署長はBに前年度の経理処理の不審点を問い質したり,経理関係書類の説明を担当者に直接求めたり,会計支出について署長が直接指示したりしたものの,Bにそれほどのストレスを蓄積させるものではなかった。 e 署長公舎の改修・駐車場設置については,BはEと相談しながら業務を遂行しており,経費面も本庁担当者と調整を行っており,さしたるストレスは生 レスを蓄積させるものではなかった。 e 署長公舎の改修・駐車場設置については,BはEと相談しながら業務を遂行しており,経費面も本庁担当者と調整を行っており,さしたるストレスは生じなかった。また,D署長は自ら決めていくことも多く,B自身で決定する苦労は少なかった。駐車場設置にかかる近隣対策については,D署長とBとの間で意見の衝突があったが,D署長は直後に,再度指示したり,Eに対しフォローするよう指示したり,その後冷却期間の意味を含めてBへの直接指示をできるだけ避けたりした上,その後はEがBとD署長との間で緩衝材の役目を果たした。したがって,D署長とBとの間に一時的ストレスが発生したとしても,漸次減少していった。 f 4月1日以降のBの身体的疲労原告は,Bが長時間超過勤務をした旨主張するが,そのような事実はない。Bの超過勤務は,平成3年4月で38時間,同年5月で35時間,同年6月で20時間であり,前任者と比べて有意な差異は認められない。また,月38時間の超過勤務は週10時間弱,1日にして2時間程度であった。肉体的過労等を生じさせるほどの超過勤務とは,週40時間を超える程度の超過勤務が数週間から1か月程度連続するような場合を言うものであり,Bの超過勤務時間数はそれには遠く及ばない。 さらに,Bが連日深夜まで超過勤務していたという目撃者も記録もなく,原告主張の事実を証明すべき証拠は全くない。 Bは,そつなくまた大過なく自己の職務を遂行し,公舎の改修・駐車場の設置問題をこなし,無事出納閉鎖を終えた。6月に入り,クーラーが不調だったので,住宅局営繕課や製造メーカーと折衝し,Fがクーラーの修理を行い,2週間で同修理は完了した。 し,公舎の改修・駐車場の設置問題をこなし,無事出納閉鎖を終えた。6月に入り,クーラーが不調だったので,住宅局営繕課や製造メーカーと折衝し,Fがクーラーの修理を行い,2週間で同修理は完了した。 たしかに,Bの体重は徐々に減少していたが,昭和63年5ないし6月ころから減少を始めていたのであり,平成3年4月から急激に減少したというものではない。 g 以上のとおり,Bの公務に係るストレスはさしたるものではなく,公務によって,Bが反応性うつ病に罹患したものではない。 (エ) Bのうつ病aBのうつ病は,反応性うつ病ではない。けだし,原告主張のような人的関係とか多忙等に反応してうつ病になったのであれば,それらの事象が解消した場合Bのうつ病は寛解しなければならないのに,かえって重症化しているからである。これは,Bに「脳のそういうことを起こしやすい素質」が伏在し,典型的なメランコリー親和型性格という内的因子と相まって発症したからである。 原告の主張によれば,Bのうつ病発症の引き金になった公務に関わる事象とは,①D署長との人間的あつれき,②管理係業務が初めてであったこと,③出納閉鎖で多忙だったこと,④コミセンの業務が特別であったこと,⑤署長公舎の整備及び駐車場設置問題,⑥クーラーの不調問題であると考えられるが,上記事象に関わるストレスは,その後,いずれも解消した。 まず,①のD署長との人間的あつれきに関するストレスについては,上記のとおり,D署長とBとの意見衝突後フォローしたり,Bへの直接指示を避けたり,Eが緩衝材の役目を果たしたり,さらには,平成3年10月1日にはBが市民防災総合センター(以下「防災センター」という。 上記のとおり,D署長とBとの意見衝突後フォローしたり,Bへの直接指示を避けたり,Eが緩衝材の役目を果たしたり,さらには,平成3年10月1日にはBが市民防災総合センター(以下「防災センター」という。)に配置換えになり,D署長との人的関係は完全に断たれたことにより,解消された。 ②の管理係業務が初めてであったことについては,Bの経歴によれば,管理係の業務にもさほど長期間を要せず習熟すると考えられるし,上記Bの防災センターへの配置換えによってストレスは解消された。 ③出納閉鎖で多忙であったことについては,出納閉鎖とは単なる経理上の残務処理に過ぎず,また,出納閉鎖は平成3年5月末日で完了しており,その後に当該業務に関するストレスが残ることはない。 ④のコミセンの業務が特別であったことについては,同センターには日常業務を担当する専務員が常駐しており,担当者はFであったから,Bにさしたるストレスは残らなかった。また,Bの防災センターへの配置換えによってストレスは解消された。 ⑤署長公舎の整備及び駐車場設置問題については,Fも担当しており,公舎の整備及び駐車場設置は平成3年5月20日ころには完了しており,その後に当該業務に関するストレスは残らないはずである。 ⑥クーラーの不調問題については,上記のとおり,Fが担当者であり,市役所本庁の住宅局や業者と連絡を取りながら,平成3年6月25日には修理が完了しており,その後に当該業務に関するストレスが残ることはない。 以上のとおり,いずれの事象も,遅くともBが防災センターに配置換えになった平成3年9月中には解消している。しかも,Bは,同年7月16日から するストレスが残ることはない。 以上のとおり,いずれの事象も,遅くともBが防災センターに配置換えになった平成3年9月中には解消している。しかも,Bは,同年7月16日から精神科に受診し,治療を受けたにもかかわらず,うつ病は寛解せず,ますます重症化し,平成4年5月8日からうつ病でL病院に入院し,寛解の兆しが見え,同年8月21日に退院したが,退院後特に原因がなく症状が再燃し,同年11月24日から再入院し,平成5年4月30日に退院となり,通院していたところ,同年9月8日に自殺したものである。 したがって,Bのうつ病は,辰巳自身の脳の「そういうことを起こしやすい素質の伏在」が基本となって,その強いメランコリー親和型性格と相まって発症した「内因性うつ病」であり,原告主張の公務というストレスは,内因性うつ病発症の「引き金」になったとしても,それは単なる「引き金」に過ぎず,「相対的に有力な原因」とはなり得ないものである。 bK医師は,その意見書においてBを内因性うつ病と診断し,内因性うつ病は,脳内の生化学レベルの神経伝達物質の異常が原因であるとし,その異常をきたす素因があるとするのは医学的に確定しているという。さらに,K医師は,Bのうつ病は,「性格反応型」のうつ病であり,「メランコリー親和型性格という特有の性格者が,ある特定のストレスによって起こしてくるうつ状態である」と推測しているが,脳の「そういうことを起こしやすい素質」の伏在が基本にあり,ストレスとか年齢とか性格は,「引き金的要素」と証言している。 K医師によれば,一般の人,すなわち「脳のそういうことを起こしやすい素質」の伏在しない健康体の人は,「配置転換」に伴う「対人葛藤」に誘発されてうつ状態 」と証言している。 K医師によれば,一般の人,すなわち「脳のそういうことを起こしやすい素質」の伏在しない健康体の人は,「配置転換」に伴う「対人葛藤」に誘発されてうつ状態が発症したとしても,再度配置転換する等治療によって,軽快し得るが,Bの配置転換に伴う対人葛藤は,通例と異なり深刻度が強く,対人葛藤主題へのこだわりにほとんど変化がなかった点が特異なものとされる。そして,K医師は,配置転換に伴う上司との対人葛藤をうつ病の「引き金」と重視すべきとしているが,引き金以上の有力な原因と認めるとはしていない。むしろ,Bのメランコリー親和型性格という特有な性格により,通例ではそのように反応しないのに,Bには,「脳のそういうことを起こしやすい素質」の伏在があったため,異常に反応したということと考えられるとしている。 一度職場を共にし,あまりよくない上下関係を経験していたことは,通例職場で日常的に見られることであり,このような上司と再度職場を共にすることも配置転換では通例であり,特段,特異な状況ではない。しかも,BとD署長が職場を共にしたのは昭和46年4月の約20日間と昭和48年4月から同年9月までの約6か月にすぎず,しかも,18年も以前のことにすぎなかった。しかも,本件配置転換とそれに伴う対人葛藤というストレスが生じたのは,平成3年4月ころであり,同年7月ころから医師によるカウンセリング,投薬といった治療を受け,ストレスの原因となった配置転換を解消し特定の人物との対人葛藤も解消したにもかかわらず,Bのうつ状態は解消せず,重症化し,2年5か月も経過した後,自殺をしたものである。K医師によれば,配置転換によって誘発されるサラリーマンのうつ病の場合は,配置転換先での対人葛藤は通例それほど深刻さを持たず 状態は解消せず,重症化し,2年5か月も経過した後,自殺をしたものである。K医師によれば,配置転換によって誘発されるサラリーマンのうつ病の場合は,配置転換先での対人葛藤は通例それほど深刻さを持たず,うつ病が発症したとしても,治療によって,心理的身体的エネルギー水準が回復してくると今まで牢固として抜きがたいような心理的葛藤へのこだわりもその程度を著しく減じ,何か月か先の配置転換を待つことができるのがほとんどであるとしている。そして,Bの本件配置転換と対人葛藤のストレスが極めて強かったとの事実も存在しない。 したがって,Bがうつ病になった有力な原因は,そのストレスやメランコリー親和型性格という特有の性格ばかりでなく,その基本に脳に「そういうことを起こしやすい素質」が伏在していたことに由来するものであり,公務が他の原因と比べて「相対的に有力な原因」となっている場合とはいえない。 ウ結論以上により,本件配置転換とそれに伴う対人葛藤は,Bのうつ病の相対的有力原因ではないので,公務起因性はなく,さらにうつ病の具現化としての自殺も公務起因性を欠くものである。 第3 争点に対する判断 1 前記第2の1の事実,証拠(甲2の2,3~5,6の1・2,7の1~3,8~14,15の1・2,16,17,20,21,23の2,26,乙1~4,8~12,証人K,同M,同F及び原告本人〔但し,乙1~4,11,12,証人F及び原告本人については一部〕)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。 (1) Bのうつ病発症に至る経緯ア Bの経歴及び性格等(甲2の2,3,5,6の1,7の1・2,8~14,17,23の2,乙1,11,12,原告本人)Bは,昭和34年5月に神戸市 Bのうつ病発症に至る経緯ア Bの経歴及び性格等(甲2の2,3,5,6の1,7の1・2,8~14,17,23の2,乙1,11,12,原告本人)Bは,昭和34年5月に神戸市に消防士として採用され,その後,消防局及び各地の消防署において勤務し,昭和53年4月1日に消防司令に昇任し,同日,灘消防署消防第2係長に発令された後,昭和61年4月1日,水上消防署予防査察係長に,平成元年4月1日,A消防署予防査察係長に,平成3年4月1日,同署管理係長に発令され,同日から同署管理係長として勤務していた。 Bは,昭和36年から昭和46年まで皆勤賞を4回受賞し,昭和42年から昭和51年まで優良職員及び勤務成績優良により5回表彰され,また,昭和54年及び55年には永年勤続功労者表彰を受けるなど,その勤務成績は優良であった。 Bの性格は,明るく,社交的で,仕事に積極的に取り組み,体力も頑健であり,負けず嫌いで自尊心が強い反面,自己中心的で部下をあまり信頼せず,細かいところまで指示したり,対人関係についても一旦嫌悪感を持つと対話をしないことがあり,そのために反感を持たれることもあった。 Bは,本件うつ病を発症するまで,精神疾患等に罹患したことはなく,身体疾患の既往歴についても,20歳のときに肝臓病を患った以外は認められず,Bの家系にも,うつ病,神経症,自殺などの遺伝的負因は認められなかった。また,Bは,平成元年及び平成2年の健康診断においても何ら著変は認められなかった。 イ Bの公務の内容(甲3,6の2,乙1,8,証人F)A消防署管理係の分掌事務は,神戸市消防署組織規程(甲6の2)によれば,庶務に関すること,文書の収発,保存及び公印の管守に関すること の公務の内容(甲3,6の2,乙1,8,証人F)A消防署管理係の分掌事務は,神戸市消防署組織規程(甲6の2)によれば,庶務に関すること,文書の収発,保存及び公印の管守に関すること,職員の人事・給与・教養及び服務に関すること,職員の安全衛生管理に関すること,職員の公務災害補償事務に関すること,消防作業従事者等の災害補償事務に関すること,経理に関すること,庁舎管理及び物品の出納保全に関すること,共済組合・共助組合その他職員の福利厚生に関すること,消防機械器具の保守管理に関すること,交通事故の示談解決に関すること,コミセンに関すること,他の係の所管に属しないことである。 ウ Bの公務の状況等(甲3,15の1・2,17,20,21,乙1~4,9~12,証人M,同F,原告本人)(ア) A消防署管理係の体制等A消防署管理係は,係長であったBを含む6名(係員4名,事務職員1名)で構成されていた。管理係では,上記分掌事務を,経理,庶務及び機械関係に分け,経理関係は,F,G及びNが担当し,庶務関係はJが担当し,機械等の保守管理関係はIが担当していた。経理関係は,A消防署の公金管理,コミセンの管理,防火協会等の事務を担当し,機械関係はA消防署に備え付けの各種機械及び器具の管理をし,庶務関係は,その他の種々の庶務を担当していた。係長であるBの主な仕事は,上記各事務の統括であった。 Bは,F,G及びJと共に,平成3年3月末まで約2年間,A消防署予防査察係に所属していたが,同年4月,同予防査察係から管理係に異動した。Bは,管理係の職務を初めて担当した。Fは,消防局の機械課通信係で市費の支出関係の職務に携わった経験があり,Gは,消防局庶務課及びO消防署で合計4年間,経 年4月,同予防査察係から管理係に異動した。Bは,管理係の職務を初めて担当した。Fは,消防局の機械課通信係で市費の支出関係の職務に携わった経験があり,Gは,消防局庶務課及びO消防署で合計4年間,経理事務を経験していた。その他,Nの前所属はP消防署管理係であり,機械担当のIの前所属は施設課消防機械整備事務所であった。 (イ) A消防署署長公舎の内部改装と駐車場の設置平成3年4月のD署長着任以前は,署長公舎が空き家であったため,内装及び家具・什器の汚損・欠落が著しかった。そのため,Bは,Fら経理担当係員と共に,公舎の改装と家具・什器の購入等の費用について,施設課との負担割合の調整を行った。また,Bが中心となり,内部改修工事に伴う監督及び駐車場設置のための電柱除去について消防局やNTTとの交渉等を行った。なお,Bは,駐車場設置工事日である同年5月17日以前に,施設課からの要請により,近隣住民約17軒に対し,挨拶回りを行ったが,後記のとおり,挨拶回りに行くことをD署長に反対され,Bと同署長との間で激しい口論となった。 (ウ) コミセンの運営予算獲得資料作成及び事務改善等コミセンは,A消防署の4階に併設されており,同署管理係が管理運営を行っていたが,コミセン用の予算は別途計上されていなかった。そこで,D署長は,他の消防署との比較上,コミセン用の予算を要求しなければならないとして,予算要求のための資料作成を管理係に命じたが,B及び経理担当係員は経験が浅く,また,コミセンは多目的ホールのため照明器具の種類が多く,耐用年数も分からず,手探り状態であった。 管理運営の実務上の業務処理法については,使用料金の減免に関する規定についての字句解釈の統一や,利用 ールのため照明器具の種類が多く,耐用年数も分からず,手探り状態であった。 管理運営の実務上の業務処理法については,使用料金の減免に関する規定についての字句解釈の統一や,利用申込及び許可書の記入要領,押印の統一等につき,内部監査による指導により,明確化することになった。 また,Bは,コミセンを管理する専務員(神戸市消防職員のO,C)から,マナーの悪いコミセン利用者を注意して欲しいとの要請を受けたり,逆に,利用者から専務員に対する苦情を受けたりしていた。 さらに,コミセンの駐車場には限りがあるため,自家用車による利用者が周辺道路に不法駐車することから,立て看板やチラシを貼付したり,利用申込み時に指導を行ったりしたが,効果が薄く,その対応に苦慮していた。 (エ) A防火協会総会の準備と資料づくりA消防署の外郭団体であるA防火協会が,毎年1回総会を開催していたが,A消防署管理係に事務局があったため,平成3年5月30日に予定されていた総会に向けて,時間的制約の中,総会開催通知の案内状送付,会議場のレイアウト,進行順序,資料作成(事業報告,事業計画案,決算報告,予算案等)等の事務を行なった。 (オ) クーラー点検及び修理平成3年6月初めころ,A消防署内のクーラーが故障し,コミセン利用者及び署員から苦情が出た。Bは,消防局施設課を通じて建築施工に当たった神戸市住宅局営繕課員及び製造メーカー係員の点検を受けたが,原因判明に時間を要したため,同月25日ころ修理が完了するまでの間,外部との折衝・応対に苦慮した。 Fは,同人がクーラー修理の直接の担当であった旨証言するが,甲15の1・2( 因判明に時間を要したため,同月25日ころ修理が完了するまでの間,外部との折衝・応対に苦慮した。 Fは,同人がクーラー修理の直接の担当であった旨証言するが,甲15の1・2(Bの業務日誌及びその翻訳文)によれば,クーラーの点検及び修理の関係については,6月7日の欄に「クーラーの件神戸設備TEL 局TEL」と初めて記載されてから,同月25日に「クーラー修理完了」との記載に至るまで,同月10日「全部つけてテストしたが異常なし(以下省略)」,13日「2F クーラー不調の件」,14日「BM クーラーテスト21℃設定」,15日(土曜日)「BM10:30佐々木,吉田住宅営ぜん恒菱(株)テストクーラー」,17日「10- クーラー点検」,18日(休との記載がある)「クーラー休」,19日「クーラー点検15-」,20日「クーラー打合せ13-」,21日「クーラー点検午前-午後」,22日(土曜日)「クーラーBM 午前中修理」,24日「クーラー修理2F~3F」との記載がなされており,また,同月14日のクーラーテストについては,別途,全館について詳細にテストの結果が記載されていることからすれば,B自ら消防局施設課への連絡,住宅局営繕課及び製造メーカー係員らとの交渉,点検への立ち会い等をしていたこと,また,この件にかなりの時間を費やしていたことが認められる。 (カ) D署長との軋轢aD署長とBは,昭和48年4月1日から同年9月末日までの間,消防課管制第2係で上司・部下の関係にあったが,D署長のワンマンぶりに我慢できず,Bから異動を申し出たことがあった。 bD署長は,常に大きな声で指示命令し,指示事項は直ちに遂行することを求め,部下が直ちに着手しない場合には自ら率先して行動する に我慢できず,Bから異動を申し出たことがあった。 bD署長は,常に大きな声で指示命令し,指示事項は直ちに遂行することを求め,部下が直ちに着手しない場合には自ら率先して行動するタイプであった。また,A消防署署員や元部下らは,D署長が部下を叱責する際の言葉及び口調はかなり厳しいと感じていた。 D署長が広域消防の消防長であった昭和57年ころ,Dは,同人の部下である広域消防職員の一人に対し,他の職員らの面前で,自尊心を傷つけるような厳しい言葉で叱責したこと等から,同職員は,Dを「殺したい。」と思うほどに精神的苦痛を受けたことがあった。また,Dを「絶対許せない。これから行って殺したる。」という言葉を発した他の職員もおり,Dに対し強い反感を持つ職員は少なくなかった。 cD署長は,平成3年4月1日の着任後,管理係については係長及び経理担当者が交替したため,自ら,経理事務全般について早期に把握しようと考え,経理関係事務の決裁の際には詳細なチェックを行い,疑問点が生じる度毎に,根拠及び考え方等についてBに詳しい説明を求めた。特に,前署長当時の会計帳簿に使途不明箇所があったことから,Bは,D署長から,この点について追及を受けていた。Bが十分に説明できなかったときには,D署長は,起案担当者であるFを呼び,Bの目の前で,Fに直接説明させたことが何度かあった。Bは,上記D署長の言動について,同年6月某日,知人に対し,「書類を持っていくと,記載について指導するより先に部下のいる前で,大声でどなり書類を机に叩きつけられた。はずみで書類が床に落ち散らばった。」と,涙をこらえながら話したことがあった。 また,Bは,原告に対しても,「D署長から,お前は管理職としての能力はないと言われた。」とか,「経理 机に叩きつけられた。はずみで書類が床に落ち散らばった。」と,涙をこらえながら話したことがあった。 また,Bは,原告に対しても,「D署長から,お前は管理職としての能力はないと言われた。」とか,「経理のことや決裁のことで難癖をつけて,部下を直接呼んできて説明を聞くというようなことをされ,決裁資料は机に叩きつけられて,床に散らばった書類を情けない思いで拾い上げて,男泣きに泣いた。」と語っていた。 D署長は,Bに対し,署長公舎入居に伴って必要となった扇風機,掃除機,座卓,物置,水屋,電気,蛍光灯,物干し,シャンデリア,カチット式ゴムホース15メートル,ほうき1本等の備品の購入を順次指示したため,Bは,その費用捻出に苦慮していた。また,D署長は,公舎の駐車場設置のために電柱を撤去する必要が生じた際,Bを介さず,NTTの担当者と直接交渉し,早急に移動するよう催促したり,NTTに赴いて早急の移設を依頼し,調整を図っていたBに対し,早くガレージを作るように施設課へ伝えるように指示したりした。 また,D署長は,同年5月14日,Bから,署長公舎の駐車場設置工事にあたって,消防局施設課からの依頼により,近隣住民への挨拶回りを行いたい旨の報告を受けた際,「行く必要はない。」と言ったところ,Bから,「施設課からの指示であるので,行かせて欲しい。」などと反論されたため,「施設課の指示に従うのか,署長の指示に従うのか,俺の指示に従え。」などと大声で叱責したことがあった。BとD署長との激しい口論が署長室外に漏れてきたため,Eは,Bを署長室から連れ出し,Bの話を聞いたところ,Bは,涙をこぼしながら,「決裁書類には難癖をつけて,挙げ句には担当者に持ってこさして説明させろといって部下より下に見られたのが悔しい,今日は今日 は,Bを署長室から連れ出し,Bの話を聞いたところ,Bは,涙をこぼしながら,「決裁書類には難癖をつけて,挙げ句には担当者に持ってこさして説明させろといって部下より下に見られたのが悔しい,今日は今日で行かなくてもよいといい,約束しているから行かせて欲しいと言っても,いかんと言うし,どうしたらよいのか判らなくなってきた,副署長どうしたらよいのですか。」と訴えた。 上記口論の後,D署長は,挨拶回りについて,「2,3軒ではどうか。」と再度指示したり,また,Bへの直接指示を極力避け,Eを通じて指示を行うようにした。 Bは,部下である管理係員に対しては,相談や悩みを打ち明けたりしたことはなかったが,同年5月中旬以降は,Eに対し,D署長との関係や職務内容について相談していた。また,Bは,原告に対し,自分がD署長から信頼されていないとか仕事を任せてくれないとか,D署長からの直接の指示もなくなったなどと訴え,落ち込んでいた。 (キ) 超過勤務の状況a Bは,平成3年4月以降は,帰宅が遅くなり,毎日ではないものの,深夜0時30分ころに帰宅したことがあったが,同年5月中旬以降は,深夜に帰宅することが多くなった。 Bは,原告に対し,「D署長が帰ってからでないと落ち着いて考えられない」とか「みんなのいるところでは仕事はできない」などと訴えていた。 Bは,公舎駐車場設置工事にあたっては,NTTに赴いて早急に電柱を移設するよう依頼したり,署長公舎に赴いて,消防局施設課及びNTTの担当者と電柱移動場所について打ち合わせたり,D署長から反対されながらも,公舎の近隣住民への挨拶回りを自ら行ったりと,業者との連絡・折衝のみならず, したり,署長公舎に赴いて,消防局施設課及びNTTの担当者と電柱移動場所について打ち合わせたり,D署長から反対されながらも,公舎の近隣住民への挨拶回りを自ら行ったりと,業者との連絡・折衝のみならず,自ら公舎に行くことが多かった。 また,Bは,コミセン駐車場の件については,コミセン利用者と専務員とのトラブルの処理に当たったり,利用者の不法駐車を防止するために立て看板を設置したりチラシを貼付する等していた。 クーラーの修理の件では,施設課,住宅局営繕課及び製造メーカーとの連絡・折衝に加え,自らも点検・修理に立ち会っていた。 以上の事実を総合すれば,Bは,管理係長としての係の統括事務のみならず,多くの雑務処理を行っていたこと,その業務は外部への移動を伴うものが多かったことが認められ,これらの事実に照らせば,Bが,勤務時間内に決裁書類の作成や管理係員の作成書類の決裁等の統括事務を終わらせることができず,A消防署に残されている記録によって認定できる時間外労働時間(平成3年4月・38時間,同年5月・35時間,同年6月・20時間。乙1)を超える超過勤務をしていたことが推認できる。 b これに対し,被告は,Bの超過勤務時間は,A消防署の記録によって認定できるとおりであり,前任者と比べて有意な差異は認められないし,また,Bが連日深夜まで超過勤務していたという目撃者も記録もないと主張し,これに沿う証拠(乙1,9,10及び証人F)も一応存在する。 しかし,乙1で認定の超過勤務時間数は,「命令簿」に拠るところ,超勤の記録は2時間単位で記入されており,「勤務終了時間」の記載に基づき,分単位で正確な超過勤務時間を計算すれば,かなりの誤差が出 しかし,乙1で認定の超過勤務時間数は,「命令簿」に拠るところ,超勤の記録は2時間単位で記入されており,「勤務終了時間」の記載に基づき,分単位で正確な超過勤務時間を計算すれば,かなりの誤差が出ること(4月は5時間,5月は6時間15分,6月は4時間30分,7月は1時間45分の誤差が生じる。),証人Fによれば,超過勤務の時間数は予算の関係上,各係員に対し予め時間割り当てがあったため,実際の超過勤務時間数と命令簿に記載された時間数は異なること,甲15の1・2(Bの業務日誌及びその翻訳文)と乙1を対照すれば,甲15の1・2には記載されているが,乙1には記録されていない超過勤務も認められること(例えば,4月18日(木曜日)の欄には「18:10 ハニー大浦氏総会資料とりに来た」と記載があること,同月21日(日曜日)には,Bがコミセン使用料返還の件について複数の者と連絡を取って調整を図ったという趣旨の記載があること,同月27日(土曜日)の欄には「18-出て残務セイリ」との記載があること,5月6日(休日)の欄には「17:00出勤~18:40」との記載があること,同月15日(水曜日)の欄には「PM8:30役員会」との記載があること,同月19日(日曜日)の欄には「16:00出勤とまり」との記載があること,6月15日(土曜日)の欄には「BM10:30佐々木,吉田住宅営ぜん恒菱(株)テストクーラー」との記載があること)が各認められ,これらの事実に照らすと,Bは,「命令簿」に記録された時間数より長く超過勤務を行っていたことが窺われるから,その限りにおいて乙1の認定は採用できない。 また,証拠(乙9,10及び証人F)によれば,A消防署の署員は受付勤務の者を除き,通常3階フロアで勤務していたこと,同フロアには,各係の間に仕切りが 認定は採用できない。 また,証拠(乙9,10及び証人F)によれば,A消防署の署員は受付勤務の者を除き,通常3階フロアで勤務していたこと,同フロアには,各係の間に仕切りがなかったこと,日直や消防係長らが,電話応対のため必ず何人かは居残っていたこと,1階の受付には24時間署員が勤務していたこと,にもかかわらず,A消防署員の間で,Bが平成3年5月ないし6月ころに,遅くまで残業していたという噂がなかったことが各認められるが,他方,証人Fは,管理係員は通常午後7時ないし7時30分には勤務を終えており,予防査察係でも1ないし2時間は残業していたが深夜までの残業はしていなかったこと,夜に受付を通らずに退庁することも可能であることも証言していること,原告は,Bが仕事の資料を持って帰宅しており,酒気を帯びてもいなかったと供述していることからすれば,これらの事実は,上記aの推認を妨げるものではなく,他に上記aの認定を覆すに足りる証拠はない。 (2) Bのうつ病罹患から自殺に至る経緯(甲3,4,7の3,8,9,10,11,13,14,17,23の2,原告本人)ア Bは,平成3年4月末ころから,原告に対し,疲れがとれないと訴えるようになった。そして,同年6月ころからは,Bは疲れて憔悴しきって夜は眠れなくなり,いらいらして食欲もなくなり,体重は1年前の60キログラムから56. 5キログラムに減少した。同年7月初めころには,Bは,夜中に起き出して「辞めたい」と言って泣き出した。 そこで,原告は,同月16日,BをC病院精神神経科に受診させたが,Bの希望から,内科も受診した。Bは,同日,同病院内科において,過敏性大腸炎,急性胃炎,高血圧症(本態性)の診断を受け,同病院精神神経科においては,食欲不振,下 BをC病院精神神経科に受診させたが,Bの希望から,内科も受診した。Bは,同日,同病院内科において,過敏性大腸炎,急性胃炎,高血圧症(本態性)の診断を受け,同病院精神神経科においては,食欲不振,下痢,便秘等の胃腸症状,気力減退,気分低下等を訴えた。Bは,同日午後,同病院神経科医師久保田拓志作成にかかる「過敏性大腸炎,急性胃炎,高血圧症(本態性)により1か月の休業・加療を要する」との診断書をEに提出し,翌日から休業した。 イ Bは,1か月の休業の最終日である同年8月16日が近づくと,不安が募り,落ち着かず,出勤できるか否か何度も確認したりしていた。同月16日,Bは,出勤したが,職場ではいらいらと不安と口の渇きで椅子にじっと座っていることができない状態であり,疲れて帰宅し,その後出勤拒否状態が続いた。 Bは,同月22日,出勤拒否の状態で,C病院精神神経科を受診した。 同病院神経科Q医師は,Bを診察し,意識障害,睡眠障害及び自律神経失調症状態から,うつ病と診断したが,うつ病の病前性格者が世間体を気にしたり,面目にこだわったりすることを配慮し,診断名を「急性胃炎,自律神経失調症」とし,3か月の休業・自宅療養を要するとの診断書を作成した。 同月末ころ,環境及び人間関係の軋轢が重なって病気になったのであるから,職場を変えることがBの精神的負担を軽減することになるかもしれないというQ医師の判断の下,Bは,人事課長に対し,同年10月の異動を申し出た。しかし,Bは,同年9月中旬ころまで,不安や焦燥感,不眠等の症状が続き,異動を申し出たことについて後悔していた。Bは,同月19日から約4日間出勤したが,同月24日,再度出勤拒否状態となった。同月28日,Bに対し,同年10月1日付で,防災センターへ異動の内示が出た き,異動を申し出たことについて後悔していた。Bは,同月19日から約4日間出勤したが,同月24日,再度出勤拒否状態となった。同月28日,Bに対し,同年10月1日付で,防災センターへ異動の内示が出たが,Bは,新しい職場に対する不安感から,「9月30日のA消防署への挨拶,荷物の整理,辞令の受け取りにも行けない。消防始まって以来,辞令も受け取れないのは自分一人だ。」と悔やみ,パニック状態になった。 原告は,同年9月30日,R病院心療内科にBを受診させたが,同病院医師は,不安,焦燥感,自殺念慮が強く,抑うつ気分も強いと診断し,ひとまず薬物投与により応急処置をし,同年10月1日には,主治医であるC教病院精神神経科を受診するように勧めた。 Bは,同年10月1日,Q医師を受診し,抗うつ剤の点滴を受けるようになり,また,自律神経失調症により2か月の休養を要するとの診断がなされ,防災センターへの異動後も引き続き休業した。 Bは,同年11月から休職扱いとなり,その後平成4年3月23日までC病院精神神経科に通院し,治療を継続した。 平成3年11月初めころには,Bの不安感,動揺,イライラ感,無気力,脱力感等の症状は多少軽快したものの,一進一退の状態であり,同年12月からは隔日毎に抗うつ剤の点滴のために通院した。平成4年1月から3月までの間は,D署長に対する怒りや恨みが強く表面化しつつも,症状自体は比較的落ち着いたが,これも長続きせず,不安や焦燥感,激しい動悸におそわれたり,便意を全く感じなくなったりと,症状の改善は見られなかった。 なお,Bは,平成3年12月27日及び平成4年1月10日,S病院を受診し,うつ病の診断を受け,抗うつ剤,抗不安剤を主とする薬物投与を受けた なったりと,症状の改善は見られなかった。 なお,Bは,平成3年12月27日及び平成4年1月10日,S病院を受診し,うつ病の診断を受け,抗うつ剤,抗不安剤を主とする薬物投与を受けた。 平成4年4月7日,Bが医師を変えたいと希望したことから,L病院精神神経科T医師を受診し,T医師は,Bの初診時の症状及び原告の陳述から,反応性うつ病と診断した。亡辰巳は同年5月8日から同年8月21日までの間入院し,その後同年11月23日まで通院加療を行ったが,退院後約1週間して原因なく症状が再燃し,抗うつ剤の副作用が出現したため,同年11月24日に再入院し,平成5年4月30日まで,入院加療を継続した。 Bは,職場復帰可能というT医師の判断を受けて,防災センター主幹H及びT医師と相談の上,同年5月1日から職場復帰した。Bは,備品や図書の整理,植木の手入れ等の責任の少ない仕事に従事していたが,義務感で出勤している状態であり,たいした仕事もできない,雑用しかできない,気分変動が激しいなどと訴えていた。同年6月15日,Bは,庭木の剪定作業を終えて事務所に帰る際,約1メートルのよう壁から転落し,全治3か月を要する左手首骨折の傷害を負い,約10日間休業したが,出勤後も左手首の痛みを訴え,同年8月ころからは,出勤すると自殺してしまうのではないかとの恐怖感に襲われ,出勤しなくなり,同年9月1日にT医師の診察を受けたのを最後に,同月8日,農薬を服して自殺した。 (3) Bのうつ病についての医学的意見ア Q医師の意見(甲13)精神医学の歴史上,うつ病は従来内因性の精神疾患に分類され,遺伝的素因,体質的素因が重要視されてきた。しかし,社会構造が複雑化し,人間関係が多様化した今日では,内 意見(甲13)精神医学の歴史上,うつ病は従来内因性の精神疾患に分類され,遺伝的素因,体質的素因が重要視されてきた。しかし,社会構造が複雑化し,人間関係が多様化した今日では,内因,心因,外因と疾患を機械的に分類することは実際的ではなく,今日では反応性うつ病と呼ぶにふさわしい症状が急激に増加している。すなわち,遺伝的,体質的に規定された内因性うつ病よりも,外部刺激,仕事上のストレスとうつ病親和性の特有な病前性格とのからみ合いの中で引き起こされるうつ病,うつ状態と呼ばれる病態が急速に増えてきている。 以上の視点から本件を見つめると,明らかに仕事上のストレスがBを発症に追い込んだと思われる。その主たる理由は,①既往歴,生活歴に見られるように,Bは,平成3年4月1日,A消防署管理係長に配属されるまでは何ら精神変調を来たす徴候が認められなかったこと,②その職務も,D署長との心理的葛藤状態に至るまで3年間はさしたる問題なくやりこなしていたこと,③平成3年8月22日当時,Bは,D署長について不平を述べていたこと,④発病に至る経緯を振り返る余裕が比較的あった平成4年1月6日には,D署長に対する攻撃感情が再三明らかにされていることである。 精神疾患の場合,同じストレス状況でも,個人の受け止め方,ストレスに対する耐性の違いなど不確定要素は少なくないが,本件の場合,上記のとおり,Bは,この職場及び仕事内容並びに上司との心理的葛藤に巻き込まれるまでは,精神障害の既往歴がないこと,業務以外の精神的負担がないこと,強度の精神的負担が公務と関連して存在することなどの点から,公務災害の可能性が大きい。 Bの病名は,配置転換による仕事上または人間関係のストレスに起因する反応性うつ病と考えられる 強度の精神的負担が公務と関連して存在することなどの点から,公務災害の可能性が大きい。 Bの病名は,配置転換による仕事上または人間関係のストレスに起因する反応性うつ病と考えられるが,この発症は,真面目,律儀,良心的,几帳面,責任感の強さ,他者配慮的といったメランコリー親和性性格が直属の上司との人間関係によって大きく揺さぶられ,存在基盤を失ったことによると考えられる。 イ T医師の意見(甲14)臨床像よりみて,Bが定型うつ病であることは明らかである。ESM-Ⅲの感情障害診断基準では,状況因性定型うつ病に該当する。Bの血縁等,遺伝的要因は否定される。また,Bはアルコール症ではなく,身体疾患の既往歴はなく,精密検査においても異常がない。Bは,昭和34年に神戸市消防局に就職して以来,34年間真面目に,仕事に誇りを持って勤めており,また,多趣味であり,社会適応は良好である。平成3年4月1日にA消防署管理係長に配属されて数か月後のうつ病の発症であり,また,比較的寛解期と考えられる時期に,上司に再三攻撃的感情を認めることなどから,Bのうつ病発症及び経過と予後に上司との心理的葛藤が重大な因子として作用していたと考えられる。 戦前から戦後にかけての困難な社会的状況下で誘発された多数の研究の結果,明らかに,状況の困難さに起因して反応的に起こるうつ病像が,その症状や経過の上から見ると,従来からいわれていた反応性うつ病というよりも,以前は身体的基礎から発生するとみなされていた内因性うつ病に相当することが注目され,内因の概念に対する再検討を促し,近年では,誘因の意味する範囲が広げられ,自己と世界との関係の生きられた状況が問題とされている。今日では,うつ病の病因や予後において病前性格と状況因が重 が注目され,内因の概念に対する再検討を促し,近年では,誘因の意味する範囲が広げられ,自己と世界との関係の生きられた状況が問題とされている。今日では,うつ病の病因や予後において病前性格と状況因が重視されている。 以上のような精神医学的見地よりみて,Bは,平成3年4月1日,A消防署管理係長に配属され,慣れた環境から新規の環境への移転,職務内容の変化,D署長との意見の相違や性格の相違などの仕事上のストレスにより反応性(状況因性定型)うつ病を発症し,自信欠乏,自己喪失感が強く反応性うつ病は慢性化・遷延化し,治療に抵抗し,社会的寛解に至らず,絶望的・衝動的に自殺に至ったものであると判断する。 ウ K医師の意見(甲12及び証人K)(ア) うつ病一般についてうつ病は,精神医学上,「脳器質性」,「内因性」,「心因性(反応性)」に3分類するのが一般である。 脳器質性うつ病とは,脳の解剖学的な変化(例えば老人になって脳が萎縮する場合)が原因で起こるうつ病をいう。 内因性うつ病とは,脳内の生化学的レベルでの伝達物質の異常が原因で起こるうつ病をいう。なお,脳の生化学レベルにおける変化の発生機序については,現段階では,ある種の素質をもとにして,神経伝達物質の動きが悪くなるという程度しか判明していない。 心因性うつ病とは,脳内の生化学レベルでの変化は生じていないが,例えば非常に悲しい出来事に遭遇した場合に心理的に沈んだ状態(心因)によって起こるうつ病をいう。 内因性うつ病と心因性うつ病は,症状の違いから区別できる。 内因性うつ病の場合,億劫になったり,不安が強度に起こったり,死 よって起こるうつ病をいう。 内因性うつ病と心因性うつ病は,症状の違いから区別できる。 内因性うつ病の場合,億劫になったり,不安が強度に起こったり,死んでしまいたくなったり,快という感覚が消えたりという特徴的な精神症状と同時に,睡眠障害の頻発,体重の減少,性欲の喪失,自律神経障害といった特徴的な身体的症状が起こるのに対し,心因性うつ病の場合は,特に大きな精神症状や身体症状が現れない。 また,内因性うつ病は,原則として,あまり心理的なきっかけなしに起こるものであり,この点が心因性うつ病と区別する際の一つの大きな目印になる。そして,内因性うつ病は,発病すれば,たとえ軽くとも3か月から6か月は回復に要する病気である。心因によってであれ,一旦誘発されてしまった内因性うつ病は環境調整だけで急速に回復することはないのが普通である。 内因性うつ病は,上記のとおり,原則として,ひとりでに,明確な理由がなく特徴的なうつ状態が起こるが,必ずしもそうとは限らず,一定の心理的身体的ストレスによって引き起こされることも稀ならずある。この場合のうつ病像は内因性うつ病のそれであり,このようなうつ病を「心因によって誘発された内因性うつ病」という。 この「心因によって誘発された内因性うつ病」は,「性格反応型」のうつ病とも言うことができ,メランコリー親和型性格という特有の性格者が,ある特定のストレスによって起こしてくる,主として単極性のうつ状態(躁状態を伴わない)である。その場合のストレスは,あまり顕著かつ悲劇的でないことが特徴で,それほど重くないストレスでも起こりうるものであり,主として,配置転換(昇任,転職,新就職を含む),家族のメンバーの変動(死去,別 ある。その場合のストレスは,あまり顕著かつ悲劇的でないことが特徴で,それほど重くないストレスでも起こりうるものであり,主として,配置転換(昇任,転職,新就職を含む),家族のメンバーの変動(死去,別居,誕生,結婚,その他の出立),生命に関わらぬ程度の身体疾患,心理的負担の急な増加と(逆の)急な減少,転居,改築,各種の喪失体験等が挙げられる。そして,心因の原因となる出来事が生じてから内因性うつ病が発症するまでの期間については,配置転換の場合について言えば,配置転換から3~4か月後にうつ病が発症することが多い。 (イ) Bのうつ病最近の国際分類や米国分類は,上記内因性うつ病と心因性うつ病とをそれほど区別しなくなっている。これは,今日の国際診断基準が疫学的に世界中で適用できる一定の病像を決めることを目的としていることによるが,原因を論じる場合には,従来の分類を使うことは有用である。 Bの淀川キリスト教病院の平成3年7月16日から平成4年3月23日までの約8か月のカルテによれば,Bの初診時の症状は,気力減退,集中力低下,気分の落ち込み,自信喪失,胃腸症状(毎日の下痢便秘),心臓部の痛み,喉の渇き,イライラ感,対人関係の障害(関係念慮)及び思考不全であるが,その後8か月の間に2度イライラ感が高まり,主治医はそれまで投与していた比較的マイルドな抗うつ薬に変えて,アナフラニールという本格的な抗うつ薬の,しかも内服のみならず点滴を隔日に行ったり,セレネースという向精神病薬の投与まで試みるに至っていること,8か月間のうち最も軽快に至ったと考えられるときでも,心理的抑制症状(億劫,根気が出ない,何をしても面白くない)が中等度に残存しており,一度も治癒状態に至っていないこと,Bは,35年間真面目に こと,8か月間のうち最も軽快に至ったと考えられるときでも,心理的抑制症状(億劫,根気が出ない,何をしても面白くない)が中等度に残存しており,一度も治癒状態に至っていないこと,Bは,35年間真面目に勤務しており,休業中も出勤を急ぎ,「皆に悪い」という発言をしていたことからすれば,小心,保守的,几帳面,仕事熱心,くそ真面目といった特徴を持つメランコリー親和型性格の持ち主と推測されること等に照らすと,Bは,上記分類のうち,「心因によって誘発された内因性うつ病」を発症し,その程度は,国際疾病分類によるところの,中等度から重症の間であったと思われる。 配置転換によって誘発されるサラリーマンの内因性うつ病の場合,対人葛藤は問題になっても,通例それほどの深刻さを持たないし,長続きもしない。 また,うつ病の治療が進むと,対人葛藤へのこだわりがそれほど深刻でなくなる場合がほとんどである。これに対し,Bの場合,深刻度が強く,抑うつという症状が少々軽快しても,対人葛藤主題へのこだわりにほとんど変化がなく,同じ強さで延々と訴え続けた点で平均的でなかったと推測される。したがって,Bの場合,内因性うつ病を誘発した心因は,「配置転換」と,それに伴う「かつて不幸な出会いを経験したことのある上司との再会という対人葛藤」であるといえる。 また,焦燥型(イライラ感の強い)うつ病には,自殺の危険性が高く,一旦快方に向かっても再悪化時に同じく焦燥が前景に出る危険性の高いこと,さらに,今日のうつ病の10~15パーセントが,十分な治療にもかかわらず,慢性化することからすれば,Bの自殺は,軽快しつつあったとはいえ内因性うつ病を背景にした自己破壊であるといえる。 2 前記認定の事実に基づき,Bの自殺の公務起因性の有無につき検討する。 ず,慢性化することからすれば,Bの自殺は,軽快しつつあったとはいえ内因性うつ病を背景にした自己破壊であるといえる。 2 前記認定の事実に基づき,Bの自殺の公務起因性の有無につき検討する。 (1) 公務起因性の判断基準地公災法31条の「職員が公務上死亡した場合」とは,職員が公務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいい,同負傷又は疾病と公務との間には相当因果関係のあることが必要であり,その負傷又は疾病が原因となって死亡事故が発生した場合でなければならない(最二判昭51年11月12日裁集民119号189頁,判時837号34頁参照)。そして,地方公務員災害補償制度が,公務に内在または随伴する危険が現実化した場合に,使用者に何ら過失はなくとも,その危険性の存在ゆえに使用者がその危険を負担し,職員に発生した損失を補償するとの趣旨から設けられた制度であることからすると,前記相当因果関係があると認められるためには,公務と負傷または疾病との間に条件関係があることを前提とし,これに加えて,公務が当該疾病等を発生させる危険を内在または随伴しており,その危険が現実化したといえる関係にあることを要するものと解すべきである。その場合,当該被災公務員が疾病発症の素因や基礎疾患を有していたとしても,当該公務員の素因や基礎疾患の程度,当該公務の内容,状況等を総合考慮し,社会通念上,公務の遂行が当該公務員にとって精神的及び肉体的に相当程度の負担と認められる程度の過重な負荷を加え,これによって,素因や基礎疾患が自然的経過を超えて急激に増悪し,発症したと認められる場合には,公務に内在する危険が現実化したということができるから,その疾病と公務との間に相当因果関係を認めることができるというべきである。 なお,この公務の加重性は 症したと認められる場合には,公務に内在する危険が現実化したということができるから,その疾病と公務との間に相当因果関係を認めることができるというべきである。 なお,この公務の加重性は,当該職員と同種の公務に従事し,又は当該公務に従事することが一般的に許容される程度の心身の健康状態を有する職員を基準として判断すべきものと解する。 また,本件のような精神障害に起因する死亡の場合には,①公務と精神障害との間の相当因果関係があること,すなわち精神障害の発症が当該公務に内在又は随伴する危険の現実化したといえることに加え,②当該精神障害と自殺との間に相当因果関係が認められることが必要である。 (2) 本件自殺の公務起因性ア本件うつ病の発症と公務との相当因果関係(うつ病の公務起因性)(ア) 専門検討会報告書(甲26)及び弁論の全趣旨によれば,従来,うつ病を含む精神障害は,器質性(外因性),機能性(内因性)及び心因性(反応性)の3つに分類されてきたところ,これが行政実務にも反映され,上記3つの分類に依拠したうえで,器質性(外因性)及び心因性(反応性)の精神障害が業務による疾病と取り扱われ得るものとされてきたこと,しかし,現代の精神医学では,精神障害の発病は,単一の病因によるものではなく,素因,環境因(身体因,心因)の複数の病因が関与し,多元的原因で発病するものであって,その成因を前記の3つに必ずしも截然と分類することはできないし,これを3つに分類することは実際的でもないと考えられていること,そして,精神障害の成因については,「ストレス-脆弱性」理論(環境からくるストレスと個体側の反応性,脆弱性との関係で精神的破綻が生じるかどうかが決まるという考え方で,ストレスが非常に強ければ,個体側 して,精神障害の成因については,「ストレス-脆弱性」理論(環境からくるストレスと個体側の反応性,脆弱性との関係で精神的破綻が生じるかどうかが決まるという考え方で,ストレスが非常に強ければ,個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし,逆に脆弱性が大きければ,ストレスが小さくても破綻が生ずるとされる。)によって理解することが多くの人に受け入れられていること,したがって上記3つの分類に依拠する行政実務のあり方の見直しが必要であり,専門検討会報告書(甲26)においても,上記の医学的見地に立って,ほとんどの精神障害がその原因として心理的社会的原因が無視できないことから,器質性(外因性)精神障害は別として,業務による疾病と取り扱われ得るのはいわゆる心因性(反応性)精神障害に限るとする従前の行政実務における取扱いはこれを修正する必要があるとの見解を示していることが認められる。 (イ) 前記1(3)で認定の各医師のBのうつ病についての意見は,ニュアンスの差はあるにしても,いずれも,Bのうつ病が,仕事上のストレスとメランコリー親和性性格等の内的要因とが相まって発症したうつ病であること,及び,その発症については仕事上のストレス要因が大きな要素を占めていることを認めるものであり,それらは,前記専門検討委員会で示された精神障害の成因についての現在の精神医学における理解・知見にも鑑みれば,Bのうつ病が,従前使われてきた器質性(外因性),機能性(内因性)及び心因性(反応性)の3分類によっては截然と分類しがたいうつ病であることを示すものにほかならないと考えられる。そうすると,Bのうつ病の症状及びその経過中に内因性うつ病のそれを示すものがあるからといって,これを内因性うつ病と分類し,そのことのみから直ちに公務起因性を否定するのは妥当ではなく,Bの有 られる。そうすると,Bのうつ病の症状及びその経過中に内因性うつ病のそれを示すものがあるからといって,これを内因性うつ病と分類し,そのことのみから直ちに公務起因性を否定するのは妥当ではなく,Bの有したうつ病についての内在的素因の程度,Bの従事した公務の内容,状況等を総合考慮し,社会通念上,公務の遂行がBにとって精神的及び肉体的に相当程度の負担と認められる程度の過重な負荷を加え,これによって,内在的素因が自然的経過を超えて急激に増悪し,うつ病を発症させたと認められるか否かによってこれを判断するのが相当である。そして,この場合の公務の加重性は,Bと同種の公務に従事し,又は当該公務に従事することが一般的に許容される程度の心身の健康状態を有する職員を基準として判断すべきである。 被告は,上記の考え方とは異なって,うつ病が公務に起因すると認められるためには,単に公務がうつ病の原因の一つあるいは引き金となっているだけでは足りず,公務が他の原因と比べて「相対的に有力な原因」となっていなければならないとしたうえで,Bのうつ病は,反応性うつ病ではなく,内因性うつ病であり,したがって,Bのうつ病の発症に公務が関連していても,それは単なる「引き金」に過ぎず,「相対的に有力な原因」とは言えないし,そのことは,Bのうつ病を「心因によって誘発された内因性うつ病」と表現するK医師の意見からも明らかであると主張する。 被告の上記主張は,うつ病を,器質性(外因性),機能性(内因性)及び心因性(反応性)の3つに分類してきた従来の考え方に依拠するものである。 しかし,前記のとおり,現代の精神医学では,うつ病は多元的原因により発病するものであり,それに関与する素因,環境因(身体因,心因)の複数の病因の相関関 に依拠するものである。 しかし,前記のとおり,現代の精神医学では,うつ病は多元的原因により発病するものであり,それに関与する素因,環境因(身体因,心因)の複数の病因の相関関係の中でこれを理解するとの考え方が多くの賛同を得るところとなってきており,上記分類方法はむしろ古典的な考え方とされるに至っていること,しかも,Bのうつ病は,その発症の契機,病状ないし病像及び症状の経過等からして,これを上記の3つに分類のいずれかに截然と分類することは難しいと思われること,前記の各医師の意見中,K医師は,Bのうつ病発症につき,その公務との関連を重視する一方で,Bのうつ病は,「心因によって誘発された内因性うつ病」という範疇に属する「内因性うつ病」であるとしており,その見解は,確かに,Bのうつ病に公務が関連しているとしてもそれは引き金に過ぎないとの被告主張を裏付けるものと言い得るが,K医師も認めるとおり,「内因性うつ病」の原因である脳内の生化学的レベルでの変化(伝達物質の異常)の発生機序はほとんど判明していないのであって,そうとすれば,その発生の機序に心因が及ぼす影響の度合いも未解明といわざるを得ないから,心因は引き金に過ぎず,その有力な原因となり得ないと一概にこれを断定することもできないのではないかと考えられるし,前記現代精神医学において多くの人によって支持されるところとなってきた考え方は,まさに,そのような理解に立って,うつ病の原因をこれに関与する素因,環境因(身体因,心因)の複数の病因の相関関係の中でこれを理解しようとするものと考えられること,K医師も,引き金とは表現しながらも,Bのうつ病にあっては,配置転換に伴う上司との対人葛藤がとりわけ深刻なものであったことを認めていること等を総合考慮すると,従来の3つの分類に依拠した被告 ること,K医師も,引き金とは表現しながらも,Bのうつ病にあっては,配置転換に伴う上司との対人葛藤がとりわけ深刻なものであったことを認めていること等を総合考慮すると,従来の3つの分類に依拠した被告の上記主張は,これを採用することができない。 (ウ) Bの素因の程度前記認定事実及び証拠(甲12及び証人K)によれば,Bは,メランコリー親和型性格であったこと,それに加えて,内因性うつ病を起こしやすい脳内の何らかの素質を有していたのではないかと認められる。 もっとも,前記認定事実及び証拠(甲12及び証人K)によれば,メランコリー親和型性格の持ち主は,社会適応上むしろ良好で,日本人に割合多くみられる性格であること,また,前記「内因性うつ病を起こしやすい脳内の何らかの素質」は,それ自体何であるのか判明していないことはもとより,それがどのような機序を経て,うつ病を発症させるに至る脳内の生化学的レベルでの変化(伝達物質の異常)を生じさせるのかもほとんど解明されていないし,その存在を客観的に証明することもできていないこと,そして,Bには,本件のうつ病発症に至るまで,何ら精神障害の既往歴はなかったし,家系的・遺伝的な要因も否定でき,アルコール症やその他の身体疾患の既往歴もなかったことが認められる。 (エ) 公務の内容・状況a 配置転換によるストレス前記認定事実によれば,Bは,昭和53年から各地の消防署において係長の役職にあったが,平成3年4月にA消防署管理係長の職に就くまでは,管理係の所管業務である経理,庶務等の業務を行ったことがなかったこと,D署長とBは,昭和48年4月1日から同年9月末日までの間,消防課管制第2係で上司・部 年4月にA消防署管理係長の職に就くまでは,管理係の所管業務である経理,庶務等の業務を行ったことがなかったこと,D署長とBは,昭和48年4月1日から同年9月末日までの間,消防課管制第2係で上司・部下の関係にあったが,D署長のワンマンぶりに我慢できず,Bから異動を申し出たことがあったことが認められ,これらの事実によれば,平成3年4月の管理係長への就任は,Bに対し,初めて携わる経理・庶務等の業務に対する不安及び緊張並びに過去に軋轢のある上司との人間関係に対する極度の不安及び緊張といった,通常の配置転換に伴う不安や緊張等のストレスを超えた,かなりの精神的負荷を与えたことが窺われる(なお,過去に軋轢のある上司と同じ職場になることは極めて稀なことではないから,これを相当因果関係の判断の基礎事情として考慮しうることは当然である。)。 bD署長がBにもたらしたストレスの強度(D署長との軋轢の程度)前記認定事実によれば,D署長が格別Bに対し嫌がらせやいじめを行う意図を抱いていた事実までは認められないものの,経理関係の決裁の際には逐一詳細なチェックを行い,Bに説明を求め,特に,前署長当時の会計帳簿の使途不明箇所についてBを追及し,Bが十分に説明できなかったときには,起案担当者であるFを呼び,Bの目の前で,Fら管理係員に直接説明させ,あるときは部下である管理係員の面前で大声で怒鳴り,書類を机に叩きつけたりしたこと,署長公舎の備品購入に際しては費用の捻出方法に配慮せず次々とBに指示したこと,駐車場工事についてはBを介さずに直接,業者に交渉・催促したりしたため,Bの事務量が増えたこと,署長公舎の駐車場設置工事に伴う近隣住民への挨拶回りの件では,Bとの意見の相違から大声で叱責したこと等,Bの自尊心を傷つけるような さずに直接,業者に交渉・催促したりしたため,Bの事務量が増えたこと,署長公舎の駐車場設置工事に伴う近隣住民への挨拶回りの件では,Bとの意見の相違から大声で叱責したこと等,Bの自尊心を傷つけるような指示・命令・叱責等を行ったため,Bに強度の心理的負荷を与えたことが認められる。 そして,D署長は,昭和57年ころに広域消防本部消防長であったときにも,部下であった広域消防職員に対し他の職員らの面前で厳しい言葉で叱責したこと等から,同職員に対し,Dを「殺したい。」と思わせるほどに精神的苦痛を与えたり,また,他の職員もDを「絶対許せない。これから行って殺したる。」という言葉を発するほどに反感を持たれていたこと,A消防署署員においても,D署長が部下を叱責する際の言葉及び口調はかなり厳しいと感じていたことも既に認定したとおりであり,これらの事実にも照らせば,D署長の指示命令及び言動は,Bと同種の公務に従事し,又は当該公務に従事することが一般的に許容される程度の心身の健康状態を有する職員を基準としても,強度の心理的負荷を与えるものであったものと認めるのが相当である。 この点,被告は,D署長は自ら決めていくことも多く,B自身で決定する苦労は少なかったし,駐車場設置にかかる近隣対策についてのD署長とBとの意見の衝突については,署長が直後に再度指示したり,副署長に対しフォローするよう指示したり,Bへの直接指示をできるだけ避けたり,副署長がBとD署長との間で緩衝材の役目を果たしたから,D署長とBとの間に一時的ストレスが発生したとしても,漸次減少していったと主張し,これに沿う証拠(甲3,乙1,2,4)も一応存在する。 しかし,前記認定事実に照らせば,D署長自らあるいはEを通じてとら が発生したとしても,漸次減少していったと主張し,これに沿う証拠(甲3,乙1,2,4)も一応存在する。 しかし,前記認定事実に照らせば,D署長自らあるいはEを通じてとられた善後策も結局は効を奏しなかったものであり,かつ,それらに対する反応も個人差があり,それら方策によって,その軋轢が必ず緩和されるものでもないことにも鑑みれば,それら被告主張は,前記認定,判断を左右するものとは認められない。 c 公務の加重性の程度前記認定事実によれば,Bの主な職務内容は,管理係長として,管理係の事務を統括することであったこと,しかしながら,Bが実際に従事した職務の内容は,上記管理係の統括に加え,D署長による経理等の決裁を受け,詳細な説明を求められたり,内容について厳しく追及されたり,署長公舎の近隣住民への挨拶回りを行ったり,公舎駐車場工事のために消防局や業者と連絡を取ったり,コミセンの資料の作成を行ったり,コミセン利用者らからの苦情処理をしたり,クーラー修理のために外部の業者らと連絡折衝を行ったり,工事に立ち会ったり等,多くの雑務処理を行っていたことが認められ,また,これらの職務は,その性質上署外での業務を伴うものが多いから,前記認定のとおり,決裁書類の作成や管理係員の作成書類の決裁等の統括事務を勤務時間内に終わらせることができず,超過勤務も相当多かったであろうことが推認され,これらの事実を総合すれば,Bがかなり多忙な状況にあり,加重な公務を遂行していたことが認められる。 これに対し,被告は,Bの従事した業務内容及び時間外勤務時間数は,通常うつ病を発症させる程度の精神的・肉体的負荷とは言えないと主張し,これに沿う証拠(乙11,12及び証人F)も一応存在 これに対し,被告は,Bの従事した業務内容及び時間外勤務時間数は,通常うつ病を発症させる程度の精神的・肉体的負荷とは言えないと主張し,これに沿う証拠(乙11,12及び証人F)も一応存在するが,前記認定のとおり,Bは管理係長としての係の統括事務のみならず,係員が従事する職務以外の多くの雑務処理を行っていたこと,Fら管理係員らは通常午後7時ないし7時30分には勤務を終えていたことに加え,証人Fは,Bの超過勤務時間数についての明確な記憶はなく,クーラーの故障の件については,Bは業者に連絡を取ったこと以外していないと思うと証言し,また,Bの業務を手伝った記憶がないから忙しくなかったと思うといった証言をしていることからすれば,Fらは上記Bの個々の事務内容について十分認識してはいなかったものと認められ,したがって証人Fの証言及び陳述(乙11)並びにGの陳述(乙12)をそのまま採用することはできず,他に上記認定を覆すに足りる証拠はない。 (オ) 以上の事実を総合すれば,Bがうつ病を発症するについては,そのメランコリー親和型性格等の素因が介在していたことは否定できないとしても,公務上のストレスがより大きな要因となって発症に至ったものと認めるのが自然であるし,かつ,上記認定の公務の内容・状況に照らせば,社会通念上,公務の遂行がBにとって精神的及び肉体的に相当程度の負担と認められる程度の過重な負荷を加え,これによって,素因が自然的経過を超えて急激に増悪し,発症したものと認めるのが相当である。そうすると,Bのうつ病の発症は当該公務に内在又は随伴する危険が現実化したものとして,当該公務とうつ病との間に相当因果関係を認めることができる。 イ本件うつ病と自殺との相当因果関係次に,うつ病とBの自殺との間 は随伴する危険が現実化したものとして,当該公務とうつ病との間に相当因果関係を認めることができる。 イ本件うつ病と自殺との相当因果関係次に,うつ病とBの自殺との間に相当因果関係があるかについて検討する。 たしかに,Bの自殺は,うつ病発症後,2年以上が経過してのものであり,その間にBは治療も受け,また,公務上も他の部署への異動といった配慮もなされていたことは前記認定のとおりである。しかし,前記認定事実及び証拠(甲11~14,証人K)によれば,それにもかかわらず,Bのうつ病は,平成3年11月初めころに多少軽快したものの,一進一退の状態を続け,また,平成4年1月から3月までの間は,D署長に対する怒りや恨みが強く表面化しつつも,症状自体は比較的落ち着いたが,これも長続きせず,症状の改善は見られず,平成5年5月1日には症状軽減をもって復職したが,出勤に対する抵抗感,緊張感が強く現場への適応困難な状況のため,復職に際し,不眠・焦燥感・抑うつ気分・意欲減退・自殺念慮が再燃し,その後も,症状は一進一退をたどったもので,結局そのうつ病はBの死亡まで治癒には至らなかったこと,その間,平成5年5月1日の復職及びそれに伴う仕事の変更やその後の同年6月15日の左手首骨折といったことにより生じたと思われる新たなストレスも,それらが独自にBを自殺に向かわせた要因になったものとまでは認められないこと,一般的にうつ病罹患者の自殺念慮は強く,とくに焦燥型(イライラ感の強い)うつ病には自殺の危険が高いこと,今日のうつ病の10~15パーセントが十分な治療にもかかわらず慢性化していることが認められ,その他本件うつ病以外にBを自殺に至らしめる事情があったことを窺わせるような証拠はないことをも総合すると,本件うつ病と自殺との間 15パーセントが十分な治療にもかかわらず慢性化していることが認められ,その他本件うつ病以外にBを自殺に至らしめる事情があったことを窺わせるような証拠はないことをも総合すると,本件うつ病と自殺との間には相当因果関係があるものと認めるのが相当である。 (3) 労災保険法の「故意」についてBの死亡は,自殺によるものであるから,Bの自殺の公務起因性を検討するに当たっては,労働者災害補償保険法12条の2の2第1項「労働者が,故意に負傷,疾病,障害若しくは死亡又はその直接の原因となった事故を生じさせたとき」に該当しないかが問題となる。 被告は,公務員が自殺した場合,死亡に至るにつき,当該公務員の故意が介在しているから,原則的には,公務と自殺との間に相当因果関係(公務起因性)は認められず,仮に,公務に従事して精神疾患に罹患した者が自殺をしたとしても,それが,当該精神疾患の症状の具現化として死亡するに至った場合(精神疾患に罹患した状態にあり,かつ,自殺を認識しない状態〔故意を認められない状態〕)でなければ,当該自殺は,被災職員の自由意思によるもので,相当因果関係はないと判断しなければならないと主張し,本件Bについても,相当因果関係を否定する趣旨と解される。 しかし,業務上の精神障害によって,正常の認識,行為選択能力が著しく阻害され,又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われたと認められる場合には,結果の発生を意図した故意には該当せず,労災保険法第12条の2の2第1項の「故意」によるものではないと解するのが相当である。 これを本件について検討すると,前記認定のとおり,一般的にうつ病罹患者の自殺念慮は強く,とくに焦燥型(イライラ感の強い)うつ病には 「故意」によるものではないと解するのが相当である。 これを本件について検討すると,前記認定のとおり,一般的にうつ病罹患者の自殺念慮は強く,とくに焦燥型(イライラ感の強い)うつ病には自殺の危険が高いこと,今日のうつ病の10~15パーセントが十分な治療にもかかわらず慢性化していることが各認められるところ,Bのうつ症状は,焦燥感と生気感情の喪失に支配され,平成3年7月16日の初診時から平成5年9月8日の自殺に至るまで,多少の軽快はあっても治癒には至らなかったことに鑑みれば,Bの自殺は,うつ病によって,正常の認識,行為選択能力が著しく阻害され,又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で行われたものと推認するのが相当であり,他にこれを覆すに足りる証拠はない。 したがって,Bの自殺は,上記「故意」に該当しないと解するのが相当であるから,被告の主張は理由がない。 (4) 以上のとおり,Bは,本件過重な公務によりうつ病に罹患し,その自殺念慮によって自殺したものといえるから,公務起因性を認めるのが相当であり,これを否定した本件処分は違法である。 3 結論よって,原告の本訴請求は理由があるから認容することとし,訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。 神戸地方裁判所第4民事部裁判長裁判官上田昭典裁判官太田敬司裁判官長谷部環 敬司裁判官 長谷部環
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