昭和23(れ)397 銃砲等所持禁止令違反

裁判年月日・裁判所
昭和23年7月29日 最高裁判所大法廷 判決 棄却 大阪高等裁判所
ファイル
hanrei-pdf-56538.txt
🤖 AI生成要約2026/3/13

【DRY-RUN】主    文      本件上告を棄却する。          理    由  弁護人安田清治郎、山田鷹夫、十川寛之助の各上告趣意は末尾添付別紙記載の通 りである。以下各その論点につき理由なき所以を説

タグ

キーワード(AI生成)

判決文本文8,854 文字)

主文本件上告を棄却する。 理由弁護人安田清治郎、山田鷹夫、十川寛之助の各上告趣意は末尾添付別紙記載の通りである。以下各その論点につき理由なき所以を説明する。 弁護人十川寛之助の上告趣旨に付て。 第一点及び第五点に付ては後に安田弁護人の上告趣旨第五点と共に説示する。 第二点原判決には「九四式拳銃」とあり公判調書における被告人の供述中にも「九四式拳銃を所持して居た」とある。九四式拳銃といえばもと陸軍で使用して居た一定の型の拳銃で弾丸発射の機能を有する装薬銃砲であることが明である論旨は採用に値しない。 第三点弾倉はこれがなければ拳銃を使用することが出来ないもので拳銃の必要的附属品である。原審の趣旨は附属品等完備した拳銃の所持を罰する意であつて何等違法はない。 第四点人が自己の住宅内に置いておく物は特別の事情のない限り事実上支配し得る状態にあるものである。故に原判文に何等特別事情の記載もなく単に「自宅において所持して居た」と書いてある以上それで被告人の事実上支配し得べき状態にあつたことがわかるから所持の判示として欠ける処はない。論旨は理由がない。 第六点論旨摘録の「其の通り相違ありません」との供述のみならず、其他被告人供述の全体から見て被告人が特に弾倉と実包とを拳銃から分離して処分した事実は少し- 1 -も見られず拳銃と共に所持して居たことは十分認められるので論旨は理由がない。 第七点銃砲等所持禁止令は後に安田弁護人の上告趣旨第五点に付き説示する様に吾国民一般に対し許可なくして銃砲等を所持することを絶対に禁ずる趣旨である。許可の得られない者は所持しなければいいので不能を強ゆるものではない。原審も被告人が許可なくして拳銃を所持して居たことを罰せんとするものであつて何等違法 銃砲等を所持することを絶対に禁ずる趣旨である。許可の得られない者は所持しなければいいので不能を強ゆるものではない。原審も被告人が許可なくして拳銃を所持して居たことを罰せんとするものであつて何等違法はない。 第八点公判調書は論旨摘録の様な記載があれば吾国裁判所の慣行上大阪地方裁判所構内の特に法廷として築造せられた室において開廷せられたことがわかるのである。 しかのみならず刑事訴訟法第三百二十九条第一項にいう公判廷とは同条第二項所定の者が全部列席して開かれた審判廷をいうのである。故に、仮令所論の如く判事の事務室で開かれたとしても右第二項所定の人員が総て列席して開かれた以上それが即ち公判廷なのである、論旨は理由がない。 第九点に付ては後に山田弁護人の上告趣旨第三点と共に説明する。 第十点所論司法警察官意見書には「所持して居りたるもの」と書いてある。「所し居りたるもの」とは書いてない、論旨は右意見書の見誤りに基くもので理由がない。 第十一点刑事訴訟法第七十二条所定の字数記入が無くても挿入は必ずしも無効ではない、書類作成者が正当に挿入したものと認められる場合は有効となすべきである。所論挿入の箇所には作成者記名下の印と同じ職印が押捺してあるので作成者が正当に挿入したものと認められる、然る以上起訴事実の内容は明確であつて論旨は理由がない。 - 2 -第十二点前点に付て説示した処により本件起訴事実は拳銃不法所持の事実であることは明であろう、故に論旨は理由がない。 弁護人山田鷹夫の上告趣旨に付て。 第一点公判調書に特に公開しなかつた旨の記載がない限り公開したものと見るべきことは既に当裁判所の判例とする処であつてこれを改めなければならないとは思へない。(昭和二十三年六月十四日言渡同二十二年(れ)第二一九号事件判決)従つて論旨は の記載がない限り公開したものと見るべきことは既に当裁判所の判例とする処であつてこれを改めなければならないとは思へない。(昭和二十三年六月十四日言渡同二十二年(れ)第二一九号事件判決)従つて論旨は採用出来ない。 第二点に付ては後に安田弁護人の上告趣旨第三点と共に説明する。 第三点及び弁護人十川寛之助の上告趣意第九点に付て。 公判調書には事実上裁判長をした者が署名すればいゝので裁判長としての表示など無くても差支ない、所論公判調書によれば本件において判事三吉信隆が裁判長をしたので同人が署名して居ることがわかるから欠くる処はない、論旨は理由がない。 第四点仮令所論の様な掲示があつたとしても、それは一地方官庁の行政的処置に過ぎないので所論の様に刑事訴訟法第四百十五条に準ぜらるべきものではない。論旨は理由がない。(因に、右掲示にいう「米第八軍司令部の特別の御厚意」というのは、多分米第八軍司令部一九四八年二月二四日APO第三四三号の指示に記載されたものを指すものと思はれるのであるが、そうとすると掲示の字句は妥当でないのである。同指示は「(前略)本延長は、その期間中における申請には一九四六年勅令第三〇〇号により初めに定められた期間中の無登録のものに就ての充分にして簡明なる説明をも包含すべしとの条件附にて認可するものである。もしこの説明が各府県- 3 -警察当局により適当であり又信ずべきものと認められた場合は申請人に対し如何なる処罰行為も行わるべきものではない」というのであつて、例へば美術的価値あるもの等に付き疎開とか其他相当の理由があつて右勅令所定の期間内に登録出来なかつた者が其理由を説明し其説明が認められた場合に限り適用されるのである、本件の如き何等相当の理由なくして無許可所持をして居た者にまで適用される趣旨ではない。)弁護人安田 定の期間内に登録出来なかつた者が其理由を説明し其説明が認められた場合に限り適用されるのである、本件の如き何等相当の理由なくして無許可所持をして居た者にまで適用される趣旨ではない。)弁護人安田清治郎の上告趣旨に付て。 第一点は十川弁護人の上告趣意第十一及び十二点に対する説明で其理由のないこと明であろう。 第二点所論勾留は不適法ではない。(一)所論巡査の報告にいう執行したる場所とは巡査が刑事訴訟法第百三条第二項により、被告人に勾留状を示した場所を指すのであるから裁判所の指示した勾留すべき場所と異ることが有り得ることはいうを待たない、(二)所論執行したる日時として昭和二十二年十月十三日午前十時三十分とある、十月は九月の誤記であること勾留状の日附、巡査の報告日、欄外の拘置所の領収印がいずれも九月十三日である点から見て明である。(三)刑事訴訟法第百条第一項には「勾留状は検事の指揮に依り司法警察吏之を執行す」とあるから執行した者が巡査であることがわかればそれでいゝ巡査の属する官署の表示が無くてもそれによつて勾留そのものが不適法になるものではない。しかのみならず被告人は昭和二十二年九月二十六日保釈になつて居り原審が証拠に採つた被告人の自白は同二十三年二月十四日の原審公判廷における自白であつて保釈後四ケ月以上を経過した後のものである。かゝる自白は憲法第三十八条第二項等にいう「不当に長い勾留後の自白」という中に入らないものと解するのが相当だから此点で論旨は既に理由なきものである。 - 4 -第三点及び山田弁護人の第二点公判廷における自白は憲法第三十八条第三項及び日本国憲法の施行に伴う刑事訴訟法の応急的措置に関する法律第十条第三項の自白に含まれないものと解するを相当とする(昭和二十三年七月二十九日言渡同年(れ)第一六八号事件判決)から 第三十八条第三項及び日本国憲法の施行に伴う刑事訴訟法の応急的措置に関する法律第十条第三項の自白に含まれないものと解するを相当とする(昭和二十三年七月二十九日言渡同年(れ)第一六八号事件判決)から論旨は採用することが出来ない。 第四点論旨中(一)の点は其理由なきこと十川弁護人の上告趣意第八点及び山田弁護人の上告趣意第一点に付て説明した処で明であろう。(二)の論旨中「イ」の点は公判調書の原本には所論の箇所に認印してある。(ロ)(ハ)所論の文字は只字劃を明確にする為めに少し加筆した丈けで改竄ではない。所論公判調書は刑事訴訟法第七十二条に違反したものというべきでない、従つて論旨は理由がない。第五点及び十川弁護人上告趣旨第一及び五点銃砲等所持禁止令は銃器刀剣の蒐集に関する聯合国最高司令部信号隊メツセージ(一九四五年九月二日)の指示に基き吾国民一般に銃砲刀剣等の所持を禁止する趣旨で制定されたものである。論旨設例の様な所持の認識のない場合(かかる場合は犯意がない)及び法に特別の規定ある場合は別であるが、そうでない限り苟くも犯意があつて銃砲等を所持する者は総てこれを罰する趣旨である。而して此場合の犯意としては所論の様な使用する意思等は必要でない、所持の認識がありながら所持して居る場合ならば、それで犯意あつての所持といえるのである。所論の如く譲渡人に返還する意思、官庁に届出でる意思等があつたとしても、それは只引続き長く所持する意思がなかつたという丈けでそれによつて所持して居た間の犯意を否定することは出来ない。所論憲法の各法条が前記の如く聯合軍司令部の指示に基いて制定ぜられた刑罰法規に違反する行為を為した者に対し其法規所定の範囲内において裁判所が相当と認むる刑を科することを禁ずる趣旨でないことは論を待たない。而- 5 -して本件の場合被告人が 示に基いて制定ぜられた刑罰法規に違反する行為を為した者に対し其法規所定の範囲内において裁判所が相当と認むる刑を科することを禁ずる趣旨でないことは論を待たない。而- 5 -して本件の場合被告人が所持の認識があつたことは原判決挙示の証拠で明であり法に定むる例外の場合でないことも明であるから、これに対し令所定の刑を科した原審の措置は毫も違憲でない、其他原審の刑の量定を批難する所論は上告の理由とならない。論旨は採用出来ない。 仍て刑事訴訟法第四百四十六条に従い主文の如く判決する。 以上は弁護人山田鷹夫の上告趣意第二点及び同安田清治郎の上告趣意第三点公判廷の自白に関する裁判官塚崎直義、同沢田竹治郎、同井上登、同栗山茂、同小谷勝重の反対意見及び裁判官齋藤悠輔の補充意見並びに弁護人山田鷹夫上告趣意第一点弁護人安田清治郎上告趣意第四点「一」の部分の理由に対する裁判官真野毅の反対意見を除く外裁判官全員一致の意見である。 検察官十蔵寺宗雄関与。 公判廷の自白に関する裁判官塚崎直義、同沢田竹治郎、同井上登、同栗山茂、同小谷勝重の反対意見及び裁判官齋藤悠輔の補充意見は右昭和二十三年(れ)第一六八号事件判決に書いてある通りである。 弁護人山田鷹夫上告趣意第一点、弁護人安田清治郎上告趣意第四点(一)の部分の理由に対する裁判官真野毅の反対意見は左のとおりである。 新憲法の下においては、訴訟事件の審理及び判決が公開法廷で行われたことは、公判調書に記載されることを要する。それはいかなる理由によるか。(一)憲法第三十七条第一項においては、「すべて刑事々件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する」と規定して、「公開裁判を受ける権利」を基本的人権として実体法的に国民に保障している。(二)さらにまた憲法第八十二条第一項においては、「 被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する」と規定して、「公開裁判を受ける権利」を基本的人権として実体法的に国民に保障している。(二)さらにまた憲法第八十二条第一項においては、「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ」と規定して、訴訟事件の審理及び判決は公開法廷において行わるべきことを手続法的にも国民に保障しているのである。かくのごとく裁判の公開は、実体法的にも、手続法- 6 -的にも、憲法上の保障が二重になされているのであつて、いかに憲法が、人類の過去の歴史的経験を通じて、裁判の公正を担保するために裁判の公開を重要視しているかが窺い知られる。(三)そうして、刑訴第六十条においては、公判期日における訴訟手続についてはその明確を期するため公判調書を作成すべきものとし、特に一定の重要な事項についてはこれを必要的記載事項として記載すべきことを定めている。さらに、刑訴第六十四条によれば、公判期日における訴訟手続は、公判調書のみによつて証明することができるとされている。すなわち、訴訟手続の一定の重要事項は、公判調書に記載を要するものとし、若しその記載を欠くときはその事項の存在は当然否定され得る訳である。これによつて一定の重要事項はその履践が公判調書によつて保障されることとなつている。言いかえれば、公判調書制度の意義は重要な訴訟手続の履践を保障するにある。さて、裁判の公開は前述のごとく憲法の重要視するところであり、従つてまた訴訟手続における憲法的重要事項であるから、公判調書においてその履践が厳に保障されることが憲法上要請されるのである。 そこで、従来は旧憲法第五十九条にも裁判公開の規定はあり旧刑訴第二百八条第一号によれば「公ニ弁論ヲ為シタルコト又ハ公開ヲ禁ジタルコト及ビ其ノ事由」を公判始末書に記載すべき旨を定めていたが、現行 る。 そこで、従来は旧憲法第五十九条にも裁判公開の規定はあり旧刑訴第二百八条第一号によれば「公ニ弁論ヲ為シタルコト又ハ公開ヲ禁ジタルコト及ビ其ノ事由」を公判始末書に記載すべき旨を定めていたが、現行刑訴第六十条第四号においては「公開ヲ禁ジタルトキハ其ノ旨及理由」を公判調書に記載すべきことに改正された立法の経過は、多数意見の述べているとおりである。従つて、従来は公判調書に公開禁止の記載がない限り裁判の公開が行はれたものと解釈せられ、又裁判の公開は公判調書の必要的記載事項ではないと解釈せられていたことも多数意見の述べるとおりである。しかしながら、旧憲法時代にはおよそ違憲審査などということは深く考えられたこともなく、総て法律が万能であり至上であり裁判官は法律にのみ拘束されたのであるから前記のような立法並びに解釈が一般に何等の疑義もなく行われたことは、敢て怪しむに足らない。 - 7 -しかるに、新憲法は施行せられ、刑訴応急措置法第二条においては「刑事訴訟法は日本国憲法の制定の趣旨に適合するようにこれを解釈しなければならない」と規定し、また同第二十一条においては「この法律の規定の趣旨に及する他の法令の規定はこれを適用しない」と規定して、刑事訴訟法は全面的に憲法的見地から新な角度によつて批判され解釈さるべきことを要求している。これはまことに当然すぎるほど当然のことである。そこで、刑訴第六十条について再検討をすれば、同条列挙の各事項は、単に刑事訴訟法の要請に基く重要な事項として公判調書に記載し、その履践を公判調書上保障することを趣旨としている。しからば、裁判の公開は、前述のごとく憲法上極めて重要視されている事柄であるから、憲法の要請に基く重要な事項として公判調書に記載し、その履践を公判調書上保障することを必要とする。 これはすなわち、憲法的見地から 判の公開は、前述のごとく憲法上極めて重要視されている事柄であるから、憲法の要請に基く重要な事項として公判調書に記載し、その履践を公判調書上保障することを必要とする。 これはすなわち、憲法的見地から同条を批判し解釈することによつて当然生ずる結論である。しかのみならず、同条第十二条においては「被告人若ハ弁護人最終ニ陳述シタルコト又ハ被告人若ハ弁護人ニ最終ニ陳述スル機会ヲ与ヘタルコト」を公判調書の必要的記載事項としているが、これは同法第三百四十九条に「証拠調終リタル後、検事ハ事実及法律ノ適用ニ付意見ヲ陳述スベシ。被告人及弁護人ハ、意見ヲ陳述スルコトヲ得。被告人又ハ弁護人ニハ、最終ニ陳述スル機会ヲ与フベシ」とある規定と照応し、この規定の定める被告人側の最終陳述権を刑事訴訟法の要請に基く重要な事項として公判調書に記載し、その履践を公判調書上保障することを趣旨としたものである。従つて、若し公判調書にこの点に関する記載を欠くときは、仮令実際上においてはこの手続の履践があつたとしても、この手続の履践について公判調書以外の証明を一切許すことなく、この手続の履践が無かつたものとして訴訟手続は違法とされるのである。これが公判調書の保障力であつて、被告人はこの手続の履践のなかつたことを一々具体的に立証する必要はなく、公判調書にこの点の記載を欠くことを指摘すれば足りるのである。訴訟法において認められた被告人の- 8 -最終陳述権さえが、かゝる保護を与へられているのに対比すれば、上述のごとく憲法において認められ充分に保障されている被告人の公開裁判を受ける権利は、憲法の要請に基く重要な事項として公判調書に記載し、一層その履践が公判調書上においても保障さるべきものであると云わねばならぬ。従つて若し、公判調書に裁判の公開に関する記載を欠くときは、仮令実際上においては 要請に基く重要な事項として公判調書に記載し、一層その履践が公判調書上においても保障さるべきものであると云わねばならぬ。従つて若し、公判調書に裁判の公開に関する記載を欠くときは、仮令実際上においてはこの手続の履践があつたとしても、この手続の履践について公判調書以外の証明を一切許すことなく、裁判の公開が無かつたものとして訴訟手続は違法とされるのである。すなわち、被告人は裁判の公開の無かつたことを一々具体的に立証する必要はなく、公判調書に裁判公開の記載を欠くことを指摘すれば、訴訟手続を違法ならしめることができる。かく解してこそ憲法における裁判公開の基本的人権は訴訟法においても公判調書の保障力による保護を受け得るのである。 されば、多数意見のごとく、裁判の公開は公判調書に全然記載することを要せず、公開禁止の記載なき限り公開せられたものと解する説は、現在憲法及び訴訟法の解釈として是認することができない。若しかかる解釈を是認すれば、憲法における裁判公開の基本的人権は、公判調書の保障力による保護を毫も受けることを得ない。 けだし裁判公開が実際に行われず公判調書に公開について何等の記載がない場合においても、多数意見によれば裁判は公開されたものと推定され被告人は裁判の公開がなかつたことを一々具体的に立証する必要があるからである。かくのごとくであれば、裁判公開の憲法上の保障は空文化せられるのみならず、上述した公判調書制度の趣旨もまた全く没却せられることとなるに至るであろう。 次に、前記解釈と関聯して公判及び公判廷の意義について少しく述べる必要がある。公判は、一般に予審に対するものとして観念されている。予審に対する言葉としては、本来は本審(ハウプト・フエアハンドルング)という言葉が最も適切妥当であるが、近代刑事訴訟の本審においては、公開主義を中核とし基本原 に予審に対するものとして観念されている。予審に対する言葉としては、本来は本審(ハウプト・フエアハンドルング)という言葉が最も適切妥当であるが、近代刑事訴訟の本審においては、公開主義を中核とし基本原則とするも- 9 -のであるから、端的に公判(公開審判の略語)という名称が用いられたのである。 旧刑訴第二百八条第一号に「公ニ弁論ヲ為シタルコト」とあるのは、公開主義と弁論主義が行われたことを意味するのであつて、その「公ニ」とは公開主義の下にという意義を有するのである。しかし刑事訴訟法が現実に用いている公判という言葉には広狭の二つの意義があつて、狭義において公判とは、公開主義と口頭弁論主義に基く審理、弁論及び判決宣言の手続のみを指称し、広義において公判とは、この外これを準備する手続、公判期日外における手続、例えば検証、保釈決定、勾留更新決定等をも含む手続を指称する。そして、公判期日、公判手続、公判調書又は公判廷という場合には何れも狭義の公判すなわち公開主義と口頭弁論主義によつて行はるべき期日、手続調書又は法廷を意味するのである。しかし、それは必ずしも常に公開主義が現実に行はれることを必要とするものではない。公判廷は公開主義によつて行わるべき法廷を意味するものであるから、公判廷が開かれた旨又は公判を開廷した旨の記載があれば、そして他に特別の記載がない限り、公開主義による法廷が現実に開かれたことを十分窺い知ることができる。 そこで、本件について見るに、原審第一回公判調書には「昭和二十三年二月十四日大阪高等裁判所第五刑事部に於て……立会公判を開廷す被告人は公判廷に於て身体の拘束を受けず」との旨の記載があり、同第二回公判調書には「昭和二十三年二月二十一日大阪高等裁判所第五刑事部ニ於テ……立会公判ヲ開廷ス被告人ハ公判廷ニ於テ身体ノ拘束ヲ受ケス」との旨 公判廷に於て身体の拘束を受けず」との旨の記載があり、同第二回公判調書には「昭和二十三年二月二十一日大阪高等裁判所第五刑事部ニ於テ……立会公判ヲ開廷ス被告人ハ公判廷ニ於テ身体ノ拘束ヲ受ケス」との旨の記載があり、そして他に特別の記載がないのであるから、本件の審理及び判決言渡が現実に公開された法廷においてなされたことは、十分窺い知ることができる。よつて論旨は理由がない。 昭和二十三年七月二十九日最高裁判所大法廷裁判長裁判官塚崎直義- 10 -裁判官長谷川太一郎裁判官沢田竹治郎裁判官霜山精一裁判官井上登裁判官栗山茂裁判官真野毅裁判官島保裁判官齋藤悠輔裁判官藤田八郎裁判官岩松三郎裁判官河村又介裁判官小谷勝重は差支のため署名捺印することが出来ない。 裁判長裁判官塚崎直義- 11 -

▼ クリックして全文を表示

🔍 類似判例を検索𝕏 でシェア← 一覧に戻る