令和2年1月21日宣告広島高等裁判所判決令和元年(う)第130号殺人,殺人未遂,銃砲刀剣類所持等取締法違反原審広島地方裁判所平成30年(わ)第188号 主文 本件控訴を棄却する。 当審における未決勾留日数中120日を原判決の刑に算入する。 理由 1 控訴趣意本件控訴の趣意は,弁護人廣田茂哲作成の控訴趣意書及び同補充書に記載されているとおりであるから,これらを引用する。論旨は,①被告人は本件犯行当時,統合失調症の悪化のため心神耗弱の状態にあったから,原判決には,被告人に完全責任能力を認めた点で,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があり,②仮に完全責任能力であったとしても,被告人の統合失調症及び知的障害が本件犯行に与えた影響が非常に大きいことからすれば,被告人を懲役27年に処した原判決の量刑は重過ぎて不当であるというのである。そこで,記録を調査して検討する。 2 事実誤認の論旨について⑴ 原判決の要旨原判決は,被告人が,所携の包丁で,バス停付近の路上にいた被害者2名を相次いで突き刺し,1名を死亡させたという殺人,殺人未遂,銃砲刀剣類所持等取締法違反の事実を認定した。そして,行為当時の責任能力を争う弁護人の主張について,(争点に対する判断)の項において要旨以下のとおり説示して,完全責任能力を認定した。 ア統合失調症の本件に対する影響について(ア) 起訴前鑑定を行った甲医師の「被告人の統合失調症は,治療によって病状が治まった寛解状態にあった。通所していた施設(以下「本件施設」という。)にお ける不適切な介入により精神的に不安定になっていたが,幻覚や幻聴,妄想等(以下「幻聴等」という。)はなかった。」との鑑定内容は信用で った。通所していた施設(以下「本件施設」という。)にお ける不適切な介入により精神的に不安定になっていたが,幻覚や幻聴,妄想等(以下「幻聴等」という。)はなかった。」との鑑定内容は信用できる。 (イ) 被告人は,本件犯行前,本件施設の職員(以下「施設職員」という。)に対し,電話で「人を殺して自分も死ぬ」などと述べ,本件犯行後には,本件施設の通所者で思いを寄せていた女性(以下,「通所者A」という。)にLINEメッセージで「ありがとう」という言葉とスタンプを送信した後,施設職員に電話で「とうとうやったよ。本当に刺したよ。」と述べている。このような通所者Aや施設職員とのやりとりの間,被告人は幻聴等につき全く言及しておらず,このことは幻聴等の不存在を裏付けるものといえる。また,被告人は,本件犯行の際,包丁3本をそれぞれタオルでくるんだものを手提げ鞄に入れて自宅を出て,最初に見つけた被害者乙の後をつけ,バス停についた後に犯行に及んでいる。このような合理的な行動経過からすると,被告人は,自己の意思,判断によって行動していたことがうかがえ,幻聴等に支配されていたとは考え難い。 (ウ) 被告人の捜査段階の供述調書には,幻聴等をうかがわせる記載がない一方,誰も相手にしてくれないと思って精神的に「しんどい」と感じ,もう死んで消えてしまいたいと思い,人を殺して死刑になろうと思った旨の供述の記載がある。そのうち,誰からも相手にされずしんどいと感じたという点は,当時の被告人の置かれた状況から自然なものであるし,通所者AとのLINEメッセージのやりとりや施設職員との会話とも整合しており,本件犯行に至った心情を述べるものとして自然であって信用できる。 (エ) 以上のような甲医師の鑑定の内容,被告人の犯行前後の行動からすれば,犯行当時,被告人には 設職員との会話とも整合しており,本件犯行に至った心情を述べるものとして自然であって信用できる。 (エ) 以上のような甲医師の鑑定の内容,被告人の犯行前後の行動からすれば,犯行当時,被告人には犯行に影響を及ぼすような幻聴等はなく,被告人の統合失調症が本件犯行に与えた影響はない。 イ知的障害の本件に対する影響について甲医師の証言によれば,被告人には中等度の知的障害(軽度知的障害に近い知的レベル)があり,本件犯行には知的障害による想像力の弱さが影響していることが 認められる。被告人が通所者Aに送信したLINEメッセージの内容等からすれば,被告人は,少なくとも,殺人が重大な犯罪であり,許されない行為であることを明確に認識しており,物事の善悪を弁識する能力が大きく低下していたとはいえない。 また,誰にも相手にされず「しんどい」と感じた被告人が,現状を打開するための適切な手段を選択できず,本件犯行に及んだことには,知的障害による想像力の乏しさが影響した可能性があるが,前記のとおり合理的に犯行に及んでいることからすれば,自らの行動を制御する能力が大きく低下していたともいえない。 ウ結論甲医師の証言によれば,被告人には,人からの愛情がないと感じると不安になって「死ぬ」「人を殺す」といった言葉で人の気を引いたり,精神的に不安定になると暴力行為に走ったりする傾向があると認められる。本件犯行は,そのような傾向がある被告人が犯行を決意する判断過程に,中等度の知的障害が一定程度影響したに過ぎないから,被告人が心神耗弱又は心神喪失の状態にあったとは認められず,犯行当時,完全責任能力であったと認められる。 以上の原判断に,論理則・経験則等に照らし不合理な点はない。 ⑵ 所論の検討所論は,被告人が平成20年に精神科病院を退 あったとは認められず,犯行当時,完全責任能力であったと認められる。 以上の原判断に,論理則・経験則等に照らし不合理な点はない。 ⑵ 所論の検討所論は,被告人が平成20年に精神科病院を退院してから本件犯行に及ぶまでの間も,本件犯行後の捜査や鑑定留置の期間中も,統合失調症の病状に由来する言動が確認できないとする甲医師の鑑定について,本件施設の不適切な介入による大きなストレスの存在や,被告人が本件犯行当時に薬を服用していなかった可能性があることからすれば,犯行当時には病状が悪化していた可能性がある,本件犯行後の捜査・鑑定留置の期間中は服薬しており,本件犯行当時より病状が改善していた可能性が高いから,統合失調症の病状に由来する言動がその間に確認できないことをもって病状悪化の可能性を排斥することはできない,「(犯行前に)呪いやら悪魔とか何か,いろいろ入ってきて」という被告人の公判供述からは,被告人が幻聴等を認識していたと考えられる,などとして甲医師の前記鑑定は完全責任能力を認定 するには不十分な内容であると主張する。 しかしながら,被告人の前記公判供述については,捜査段階での取調べの際には言及がなく,鑑定留置中に甲医師から鑑定の見通しを告げられた後から急に話し始めた内容であることが,甲医師の証言により認められる。甲医師は,その話の内容や被告人の言動等に照らし,本件犯行当時,被告人に統合失調症による幻聴があったとは思われない旨供述しているところ,その信用性を疑うべき事情はない。本件犯行直前・直後ころの被告人の発言(通所者Aに送信したLINEメッセージや,施設職員との会話内容)に幻聴等の影響がうかがわれないこと等も併せ考慮すると,被告人の前記公判供述は信用できないというべきである。犯行当時,本件犯行に影響を及ぼすような幻聴 たLINEメッセージや,施設職員との会話内容)に幻聴等の影響がうかがわれないこと等も併せ考慮すると,被告人の前記公判供述は信用できないというべきである。犯行当時,本件犯行に影響を及ぼすような幻聴等はなかったとした原判決に誤りはない。また,甲医師は,所論が指摘する前記ストレス等は統合失調症の再燃の原因になりうるものであることを肯定した上で,犯行時に統合失調症が発症(再燃)していたことを鑑定の際に見逃した可能性はすごく低いと考える旨供述し,被告人の統合失調症は寛解状態にあったとして,本件犯行に影響したものからこれを除外しているのであって,その専門的知見は十分信用できる。したがって,本件犯行の動機や経緯が,被告人の行動傾向(人からの愛情がないと感じると不安になって「死ぬ」「人を殺す」といった言葉で人の気を引いたり,精神的に不安定になると暴力行為に走ったりする傾向)と整合的であり,犯行を決意する過程に知的障害による想像力の欠如が影響した可能性があるに過ぎないとの原判決の評価は正当である。所論は採用できない。 3 量刑不当の論旨について本件は,被告人が,殺人を決意して包丁3本を自宅から持ち出し,そのうち1本を使用して,突如,バス停付近の路上で被害者2名に殺意をもって次々に襲いかかり,1名の左背部等を多数回突き刺して背部刺創等の傷害を負わせ,もう1名の腹部を突き刺して大動脈切開による失血により死亡させたという殺人,殺人未遂,銃砲刀剣類所持等取締法違反の事案であるところ,原判決の(量刑の理由)の項における説示の内容はおおむね正当として是認できる。 所論は,心神喪失又は心神耗弱にまで至らないとしても,本件犯行には統合失調症及び知的障害が強く影響しており,被告人が健全な自己肯定感や他者への共感力を十分に育むことができなかったのは,両親 所論は,心神喪失又は心神耗弱にまで至らないとしても,本件犯行には統合失調症及び知的障害が強く影響しており,被告人が健全な自己肯定感や他者への共感力を十分に育むことができなかったのは,両親の離婚や父親との死別など不遇な成育歴によるところが大きく,本件施設による不適切な介入等が被告人に精神的なダメージを与えたことも本件に強く影響したから,これらの点を考慮すると懲役27年という量刑は重過ぎて不当であるという。しかしながら,本件犯行に統合失調症の影響がなかったことは前示のとおりであり,本件施設の不適切な介入等による精神的な不安定さや知的障害の影響等について,原判決が考慮したことは判文上明らかであり,その考慮の仕方・程度にも誤りはない。その他所論に鑑み検討しても,原判決の量刑が重過ぎて不当であるとはいえず,論旨は理由がない。 4 結論よって,刑訴法396条により本件控訴を棄却し,刑法21条を適用して当審における未決勾留日数中120日を原判決の刑に算入し,当審における訴訟費用は刑訴法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととして,主文のとおり判決する。 令和2年1月21日広島高等裁判所第1部 裁判長裁判官多和田隆史 裁判官水落桃子 裁判官廣瀬裕亮
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