昭和56(あ)897 銃砲刀剣類所持等取締法違反、火薬類取締法違反、殺人教唆

裁判年月日・裁判所
昭和59年4月24日 最高裁判所第三小法廷 判決 破棄差戻 名古屋高等裁判所 金沢支部
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【DRY-RUN】主    文      原判決中被告人Aに関する部分を破棄する。      本件を名古屋高等裁判所に差し戻す。          理    由  (一)弁護人河村澄夫、同泉政憲、同菊池利光、同原田香留

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主文 原判決中被告人Aに関する部分を破棄する。 本件を名古屋高等裁判所に差し戻す。 理由 (一)弁護人河村澄夫、同泉政憲、同菊池利光、同原田香留夫、同西嶋勝彦、同後藤昌次郎、同角田由紀子、同佐々木静子、同島崎正幸、同渡邊俶治、(二)同後藤昌次郎、同西嶋勝彦、同角田由紀子、(三)同原田香留夫、同佐々木静子、同島崎正幸の各上告趣意は、末尾添付の各上告趣意書記載のとおりである。 職権をもつて調査すると、原判決中被告人Aに関する部分は、刑訴法四一一条一号、三号によつて破棄を免れない。その理由は、以下に述べるとおりである。 一原判決が是認した第一審判決の認定判示した犯罪事実の要旨は、「被告人は、B組系C組傘下D組組長であるが、福井県内を根拠地としてC組の傘下にあつたE組がC組から離反し、一方もとE組組員Fを中心に結成されたC組傘下G組内H会が福井市内に事務所を開設したのに対し、昭和五二年三月これがE組組員により襲撃されたことなどから、E組とC組傘下の各組との間に反目感情が激化していたところ、被告人はE組組長I(以下、Iという)の殺害を企て、同年四月一日午後七時ころ、大阪市a区b町c丁目d番e号所在の被告人方に、D組組員J(以下、Jという)を呼び寄せ、一階応接間において、同人に対し、『Iをやつてくれ、お前の他にもう一人つけるがお前がリーダーとなつてやつてくれ』と申し向けてIの殺害を命令し、よつてJに右殺害を決意させ、次いで同月五日ころ、同所において、同人に対し回転弾倉式けん銃二丁(三八口径と三二口径)及びその実包各六発を手渡し、Jをして、G組若頭補佐K(以下、Kという)、D組内L組組員M(以下、Mという)、H会石川県支部組員N(以下、Nという)と共謀のうえ、同月一三日午後一時ころ、福井県坂 )及びその実包各六発を手渡し、Jをして、G組若頭補佐K(以下、Kという)、D組内L組組員M(以下、Mという)、H会石川県支部組員N(以下、Nという)と共謀のうえ、同月一三日午後一時ころ、福井県坂井郡f町g字hi番地所在の珈琲専門店『- 1 -O』店内において、Iをけん銃で射殺するに至らしめ、もつて殺人の教唆をしたものである(なお、加えて、右けん銃及び実包の手渡しの際のこれらの所持が銃砲刀剣類所持等取締法違反及び火薬類取締法違反とされている。)。」というのである。 右事実中、被告人、J、K、M及びIの組織上の地位、各組織間の関係及び反目状況、並びにJら四名によるI殺害の点は記録上明らかであり、また、I殺害が実行行為者であるJら四名のみによつて計画立案されたものではなく、その背後に暴力団組織の上位の者からの指示命令があつたとしか考えられないことも、記録上明らかである。問題は、Jの背後にいた者が被告人であるか否かであるが、被告人は捜査段階から一貫してこれを否認しており、被告人の教唆等(けん銃及び実包の所持を含む)に関する直接証拠としてはわずかに第一審において刑訴法三二一条一項二号後段の書面として取り調べられたJ(一、二審相被告人)の検察官に対する昭和五二年六月二〇日付及び同月二一日付各供述調書(以下、この二通の調書をJ検面調書という)があるのみであり、これと大綱において同旨であるJの司法警察員に対する同年五月一六日付供述調書(以下、J員面調書という。その作成日付が争われているが、この点については後述する。)及びJ検面調書の内容の一部を裏付けるような供述を含むPの司法警察員に対する供述調書は、いずれも原審において刑訴法三二八条の証拠として取り調べられているにすぎない。一、二審判決とも、J検面調書の信用性を肯定し、第一審判決は被告人を懲役二 うな供述を含むPの司法警察員に対する供述調書は、いずれも原審において刑訴法三二八条の証拠として取り調べられているにすぎない。一、二審判決とも、J検面調書の信用性を肯定し、第一審判決は被告人を懲役二〇年(未決勾留日数三五〇日算入)に処し、原判決は被告人の控訴を棄却した(原審における未決勾留日数六五〇日算入)。 二原判決がJ検面調書の信用性を肯定すべき理由として指摘する事項は、おおよそ次のとおりである。 「1」Jの昭和五二年四月一日から同月七日ころまでの飲酒遊興等の行動は、上位者から突然自己の望まないI殺害の指令を受けた衝撃に起因するものとしてはじ- 2 -めて了解可能である。 「2」その際の逸楽の伴侶としては、右衝撃を与えた者やこれと密接な関係を有する者ではなく、内妻PやJを慕うMのようにJが愛惜の情を措く者を選定するのがむしろ自然の人情である。 「3」Jは、当初こそ、犯行関与者を実行行為者四名に限り、累を他に及ぼさないとの、逮捕前四名で打ち合せておいた筋書に従つて供述していたものの、逐次前供述の捏造部分や秘匿部分を明らかにしており、その供述が真相に近づいていく様子を看取できる。 「4」背後の関係者の名前を供述すればその者に対し捜査の手が伸びることは必至であることを十分に認識していたはずのJが、Q警部補(以下、Q警部補という)に対して、真実を述べるからとして一週間の猶予を求め、熟慮のあげく、被告人が教唆者であると供述し、高木康次検察官(以下、高木検事という)に対しても、涙ながらに同旨の供述をしたのであるから、Jが後に弁解するように、Q警部補の取調が執拗で堪えきれなくなり、いい加減な嘘をついておけば後ですぐ供述の虚偽性が証明されるからという軽い気持でしたものと認めることはできず、真実に反して義理も恩もある親分の名を述べたとは考 警部補の取調が執拗で堪えきれなくなり、いい加減な嘘をついておけば後ですぐ供述の虚偽性が証明されるからという軽い気持でしたものと認めることはできず、真実に反して義理も恩もある親分の名を述べたとは考えられない。 記録に照らし、右原判示について検討してみると、右「1」「2」「3」の点はともかくとして、「4」の点は、特段の事情がない限り、J検面調書の信用性の評価に際し、ほとんど決定的とも思われる点であつて、これのみで、右検面調書の信用性は、その細部についてはともかく、被告人が教唆者であるとする大綱において揺らぐことはないとしてよいくらいである。すなわち、組織的にみて、Jら実行行為者四名はいずれもC組傘下の各組に属し、被告人もJの直属の親分としてその組織系列の上位に属するのであつて、対立抗争中の他の組の親分を殺害するというD組にも影響が及ぶ重大事をJが親分である被告人に無断で敢行するということは通- 3 -常考えがたいところ、Jが捜査官の取調において教唆者として被告人を名指しした以上その信用性は極めて高いと考えられて当然であろうし、Jの公判供述も変遷を重ねているが、原審においても、教唆者は被告人以外の者であるとしながら、その人の名前はいえないと述べ、けん銃二丁の出所や約二〇〇万円の現金の調達方法については全くの作り話としか思えない供述を繰り返しており、しかも、何故捜査官に対し被告人が教唆者であると述べたのか納得のいく説明ができないでいるのである。 しかしながら、記録によると、J検面調書の信用性については次のような諸事情も認められるのであつて、全く疑問を容れる余地がないとも言い切れないのである。 第一に、J検面調書を信用できるものとしても、Jら実行行為者四名の背後関係の全貌が明らかになつたというにはほど遠いのであり、特に、同じC組傘下とはい 疑問を容れる余地がないとも言い切れないのである。 第一に、J検面調書を信用できるものとしても、Jら実行行為者四名の背後関係の全貌が明らかになつたというにはほど遠いのであり、特に、同じC組傘下とはいえ、所属組織を異にするJとKが結びついたのはどうしてかが明らかでなく、Jの背後にいた者として被告人を想定することが容易であるのと同程度に、Kの背後にいた者としてはその直属の親分にあたるG組組長Rや同副組長SことT(以下、Sという)が想定され、更に、そのまた背後に、被告人やRらより上位のC組関係者の存在が想定されなくもないのであるが、本件一、二審で取り調べられた証拠からはこれらはあくまで推測にとどまるのであつて、Jにしても検面調書においてこれらについて知つているすべてを供述しているものとは認めがたく、また、Kが自己の背後関係を秘匿していることも明らかである。したがつて、原判示の前記「3」の点もさほど重視することはできず、J検面調書中にも虚偽が含まれており、しかもJにおいて虚偽を述べた理由を秘匿し続けているという可能性を全く否定し去ることはできないといわなければならない。 第二に、Jに対する教唆者として被告人以外の者は全く考えられないか否かである。Jは、被告人と同じ呉市k町の出身で、昭和三〇年代中ごろ被告人の子分とな- 4 -つたのちも、G組の者らと親しく交わり、特にSとは早くから兄弟分の契りを結び親密な関係を保つており、昭和三六年ころU組とB組糸のV組とが北陸方面で対立抗争した際、被告人に無断でSらとともにV組の応援に駆けつけたため、被告人との間で気まずい雰囲気が生じ、被告人に対しG組に移籍することを認めてほしい旨申し入れて被告人の不興を買い、被告人から呉に帰つているように言われて事実上の破門処分を受け、被告人の許を離れたのであるが、昭和四 気まずい雰囲気が生じ、被告人に対しG組に移籍することを認めてほしい旨申し入れて被告人の不興を買い、被告人から呉に帰つているように言われて事実上の破門処分を受け、被告人の許を離れたのであるが、昭和四七、八年ころ被告人の許への復帰を許されるまでの約一〇年間は、Sから経済的援助を受けており、その後もSの紹介で同人の住居及び事務所の近くに居を構え、毎日のようにSの事務所に顔を出すなどして同人と親密な交際を続けていたのであつた。そして、E組と直接対峙していたH会はG組の組織下にあるものであり、G組内でも特にSは昭和五二年三月一日のH会の事務所開きに自己の配下の者二〇名余を引き連れて出席するなどしてH会を支援していたものであること(以上の事実の概略は原判決も認定している。)をあわせ考えると、Jが、原審において、I殺害は、名前を言えない人(「Aさん」)から頼まれたとしつつも、そのAさんについて、「親分(被告人)から破門を受けて行くところがなかつたとき随分世話になつて極道の義理として頼みを断れない人である。」旨のかなり具体的な供述をしていることを全く無視することもできない。原判示の前記「1」の点は、教唆者が被告人でなく他の者であるとしても説明できるのであり、同「2」の点も、飲酒遊興の相手方が内妻PやMのみではなくSを含むG組組員も含まれており、しかもSらによつてJの送別会まで開かれたりしているのであつて、これらの事実からすれば、Jの背後にいた者として、被告人以外の者が考えられなくはないということができよう。 第三に、J検面調書とJ員面調書との間には、四月一日の被告人からの呼び出しの電話があつた時刻、四月五日ころの被告人方訪問の回数、態様、被告人から渡されるときのけん銃、実包、現金の状態など必ずしも些細とはいえない点で供述のく- 5 -い違いがあり の被告人からの呼び出しの電話があつた時刻、四月五日ころの被告人方訪問の回数、態様、被告人から渡されるときのけん銃、実包、現金の状態など必ずしも些細とはいえない点で供述のく- 5 -い違いがあり、これらを単に記憶違いということで説明し尽くすことは困難ではないかと思われる。また、J検面調書では、延岡は四月一日も同月五日ころのいずれも、誰の案内も受けずに被告人方応接間に通り、応接間には被告人が一人で待つていたとなつているが、D組事務所となつている被告人方には、インターフオンが設置されており、組員であつても常駐している当番の組員の案内なしには応接間に入れないような仕組みになつていることと矛盾するといわざるをえないなど、供述内容に不自然なところもないではない。 第四に、J員面調書の作成時期について、Jは、一、二審公判を通じ、J検面調書作成の二、三日前(昭和五二年六月一七日か一八日ころ)である旨かなり具体的に供述しており、他方、Q警部補及び高木検事は第一審においてそれぞれJの右公判供述を否定する趣旨のJの供述経緯についての証言をしているところ、第一審判決はJ員面調書がその日付どおり昭和五二年五月一六日に作成されたものであるかどうか疑問が残る旨判示し、原判決も右Q証言及び高木証言はいずれも甚だしく不自然、不合理であつてそのとおりに措信することはできない旨判示している。そして、記録によれば、右各判示は是認できるのみならず、Jの右公判供述を排斥することは困難であるというほかない(原判決は、一方で右のように判示をしながら、結論としては、文字どおり五月一六日に作成された旨認定しているところ、証拠に基づく合理的な理由は示されていない。)。そうすると、Jは、昭和五二年四月一五日の逮捕以来約二か月間身柄拘束下でほとんど連日Q警部補らの取調を受けた後、はじめ 作成された旨認定しているところ、証拠に基づく合理的な理由は示されていない。)。そうすると、Jは、昭和五二年四月一五日の逮捕以来約二か月間身柄拘束下でほとんど連日Q警部補らの取調を受けた後、はじめて教唆者として被告人の名前を出したことになり、その間に、原判決が認定するようなQ警部補による延岡に対する便宜供与すなわち接見禁止中であるのに独断で内妻P(その後婚姻届を出した。)と長時間面会させるなどした事実が介在しているのであつて、この点もJ検面調書の信用性の評価において考慮されなければならない。 - 6 -このように、J検面調書の信用性は必ずしも確固不動のものであるとまではいいがたいのであつて、例えば有力なアリバイ立証などがあれば、右の諸事情と相俟つて、被告人が教唆者であるとするその核心部分の信用性まで根底から覆りかねないということができよう。 (なお、J検面調書の証拠能力についても、第一審以来争われており、原判決が判示するような理由によつてたやすくこれを認めることが許されるか否かについて問題がないわけではないが、いまこの点については、原判決の結論に従うとしても、少なくとも、その信用性の判断がいつそう慎重になされるべきことはいうまでもない。)三そこで、次にアリバイの成否について検討する。 1 前記のとおり、第一審判決は、昭和五二年四月一日の午後七時ころ被告人方において被告人がJにI殺害を教唆したと認定し(J検面調書中には四月一日ころという幅のある記載もあるが、高木検事は、Jは自己の面前で四月一日と明瞭に特定した供述をした旨証言している。)、原判決もこれを是認している。 被告人は、捜査段階及び第一審においては、四月一日の自己の行動につき記憶がない旨述べていたが、その後弁護人ら関係者に調査してもらつた結果明らかになつたとして、原審 )、原判決もこれを是認している。 被告人は、捜査段階及び第一審においては、四月一日の自己の行動につき記憶がない旨述べていたが、その後弁護人ら関係者に調査してもらつた結果明らかになつたとして、原審第六回公判期日以降右判示日時には大阪市l区m町i番地n内のスナツク「W」 (以下「W」という)において飲酒中であつた旨のアリバイを主張するに至つている。 その主張の要旨は、「被告人は昭和五二年三月二九日からX(不動産業等を営む知人)及び『忍』ことY(呉市で飲食店を営む者で被告人とはかねて親しい関係にあつた)とともに上京しており、Zホテルに滞在し三月三一日夕方大阪に帰つてきて、同夜はYと大阪市o区p町所在のホテルAaに泊まつた。翌四月一日は午後三時過ぎに起床し、当日はYの友人であるAbが『W』を新規開店する日で、Yは臨- 7 -時のホステスとして手伝うことにしており、被告人も開店祝に飲みに行くことを約束していたので、Yと二人で大阪ミナミで食事をして、心斎橋筋をぶらついて開店祝の品を買い求めるため何軒かの店を見てまわつた末、輸入雑貨小売店『Ac』北店でアラバスター製のオウム像を買い、二人でこれをさげて午後六時過ぎに『W』に赴いた。被告人は開店第一号の客で、Abやホステスたちのほか、マスターバーテンをも自席に招いて飲酒するうち、午後八時過ぎころになり、ようやく二番目の客(Adら)、三番目の客(Ae)が順次来店したので、Yを店に残したまま一人で近くの馴染みのクラブ『Af』、『Ag』に飲みに行き、『Ag』のホステスらを連れて『W』に戻つて飲み直し、更に近くのゲイバー『Ah』で飲んでいるところへ、『W』での手伝いをすませたYが迎えに来たので、同女と一緒に翌四月二日午前二時過ぎか三時ころホテルAaに帰つた。」というのである。 右アリバイについては、被告 ゲイバー『Ah』で飲んでいるところへ、『W』での手伝いをすませたYが迎えに来たので、同女と一緒に翌四月二日午前二時過ぎか三時ころホテルAaに帰つた。」というのである。 右アリバイについては、被告人の原審供述のほか、Y、Ab、X及びAdが右主張に沿う証言を原審でしているし、被告人の名前が一番はじめに記載されている「W」の売上帳(昭和五二年四月一日欄)や「W」に現存するアラバスター製のオウム像等の物的証拠も存する。2 原判決は、「W」が昭和五二年四月一日に新規開店したこと、及びYが当夜同店でホステスとして稼働していたことは認めつつも(記録上、右認定に疑問を入れる余地はない。)、右アリバイ主張を排斥しているが、その理由としては、「1」「W」の売上帳の正確性を確認することができないこと、「2」「Ac」北店で本件オウム像を販売したのは四月一日ではなく三月三一日であると認められることの二点をあげている。以下、順次その当否を検討する。 原判決は、「1」について、「スナツク店『W』では昭和五二年度売上帳のみは、昭和五五年に至るまで保存してあるものの、右売上帳は売上の都度作成する伝票を整理して記帳するものであり、しかもその伝票枚数も一年度分を合計しても保存上不便がある程の量には到達しないと断ずることができるのに、右伝票はすべて廃棄- 8 -してしまつてあり、売上帳に対応する仕入帳や、賃金等経費の記入資料は廃棄したか又は当初から全然記帳していないものと認められる。スナツク『W』の売上帳はこれと帳簿組織上関連を有する現金出納帳や売掛帳その他右売上帳の記載資料となつた筈の伝票類との照合突合せ等によつてその記載の正確性を確認するに由ないもので、直ちにAb、Y及び被告人の各供述を裏付け、被告人のアリバイを証明する資料とはなし難いものと断ずることができる。」旨 つた筈の伝票類との照合突合せ等によつてその記載の正確性を確認するに由ないもので、直ちにAb、Y及び被告人の各供述を裏付け、被告人のアリバイを証明する資料とはなし難いものと断ずることができる。」旨判示している。 しかし、記録によると、「W」は夫婦二人で経営している八坪程度のスナツクであり、個人経営で税法上の青色申告はしていないことが認められるところ、この程度の業態の店に、諸帳簿、伝票類の完全な整備保存を期待したり要求したりすることは、無理であるとも思われるのであつて、Abの「伝票は売上帳、掛売台帳への転記が済めば、その都度あるいは一月ぐらいたまつたものを処分してしまい、とくに保存していなかつた。仕入帳は必要性を感じなかつたから作つていなかつた。」旨の原審証言も必ずしも不自然ではないと思われる(なお、原判決は、「W」の売上帳は昭和五二年度分のみが保存してあり、五三年度分や五四年度分は保存していないと判示しているように読めないではなく、また、売掛帳も存在しないかのように判示しているが、記録によると、このように認めるに足りる証拠はみあたらず、かえつて、右各帳簿の存在をうかがわせるAbの原審証言がある。)。 のみならず、本件においては、売上帳が全体として正確に記載されているかどうか、すなわち全体的に記帳もれ、記帳の誤り、計算の誤り等があるかどうかが問題となつているのではなく、「W」が新規開店した当日である四月一日欄の一番はじめに被告人の名前が記載してあるのは、同日被告人が「W」に第一号の客として来たという事実があつたためであるか否かという点だけが問題なのである。したがつて、売上帳全体が偽造されたとか、右記載部分が改ざんされている疑いがあるのでない限り、伝票類や関連帳簿との照合ができなくても、売上帳の右記載はAbらの- 9 -原審証言を裏付 なのである。したがつて、売上帳全体が偽造されたとか、右記載部分が改ざんされている疑いがあるのでない限り、伝票類や関連帳簿との照合ができなくても、売上帳の右記載はAbらの- 9 -原審証言を裏付ける証拠価値を有するといわなければならないところ、記録上そのような偽造や改ざんを疑わせる証跡は存しない。 このように、売上帳の証拠価値に関する原判断は、検討不十分のそしりを免れないというべきである。 次に、原判決は「2」について、「『W』店内に開業日当日ごろから置かれているオウム石像は東京都港区q町所在のAi株式会社が昭和四八年度中にイタリヤから輸入し、昭和五一年九月一〇日大阪市l区r所在の株式会社Acに販売し、同株式会社には心斎橋筋に本店店舗と北店と称している本店の北方約一〇〇メートルの場所に所在する店舗とがあり、その北店一階売場において昭和五二年三月三一日午後五時ころ代金五万八、〇〇〇円で売り上げたことは確実不動の事実として認めることができる。」旨判示している。たしかに、原判決も挙示するとおり、右認定に沿うような原審証人Aj及び同Akの各証言があるうえ、「Ac」北店の売上ノート及び業務日誌に三月三一日にオウム像を五万八〇〇〇円で販売した旨の記載があり、北店一階のレジシートにもそれに該当すると思われる打刻があるが、四月一日については、北店と本店を通じて、そのような記載等はみあたらない(なお、「W」にあるオウム像がAi株式会社の取扱つたものであるとまで断定しうるかは疑わしい。)。 しかしながら、一見動かしがたいかのようにみえる右売上ノート等の物的証拠にも、次のような疑問点が存するのである。 第一に、問題の昭和五二年三月三一日と同年四月一日の売上ノート、業務日誌及びレジシートを比較対照してみると、相互間にかなりのくい違いがあることが明らか 拠にも、次のような疑問点が存するのである。 第一に、問題の昭和五二年三月三一日と同年四月一日の売上ノート、業務日誌及びレジシートを比較対照してみると、相互間にかなりのくい違いがあることが明らかである。すなわち、レジシートに打刻があつて売上ノート及び業務日誌に記載のないものが相当数あり、しかもそれは値段の安い品に限らないのであり(例えば、四万二〇〇〇円のバツグなどがある。)、また、業務日誌にあつて売上ノートにな- 10 -い品もある。のみならず、レジシートは販売したすべての商品が打刻されていなければならないはずであるのに、売上ノートや業務日誌に記載がありながら、レジシート上に該当する打刻がみあたらない商品も散見されるのである。これらの齟齬のうち、前者については、記載もれということで説明がつかなくはないが、後者についての合理的説明は困難であると思われる。 第二に、北店の前記両日の分であるとして原審で取り調べられているレジシートには「31MAR78」「1APR78」との打刻があるが、昭和五二年のものであるとすれば「78」は「77」でなければならないのである(ちなみに、業務日誌に貼付されていた昭和五二年六月一一日のレジシートは正しく「77」と打刻されている。)。この点につき、心斎橋「Ac」営業部長Ajは原審証言中で、「レジスターの日付用スタンプの日を変えたときに年の分も一緒に動くことがあり、それに気付かないで打つたのではないかと思う。」旨説明しているが、原審において、弁護人は、当時「Ac」北店が使用していたと思われるNCR電子レジスターの日と月の表示は機械の外側にある装置を操作するだけでこれを変えることができるが、年の表示は機械を開けて内部にある装置をドライバーで動かさない限り変えることはできない仕組みになつている旨主張して、右レジスタ の表示は機械の外側にある装置を操作するだけでこれを変えることができるが、年の表示は機械を開けて内部にある装置をドライバーで動かさない限り変えることはできない仕組みになつている旨主張して、右レジスターの使用説明書の取調を請求し、検察官の同意もあつたのに、原審はこの請求を却下し、更に、弁護人が右Aj証言を弾劾するため、刑訴法三二八条により右使用説明書の取調を請求したのに対しても、これを却下している。しかし、仮に弁護人の主張どおりの事実が認められるとすれば、別の合理的説明がない限り、このような年の表示の誤りを業務の通常の過程で自然発生的に生じたものとみることはできないことになると思われる。 第三に、売上ノート及び業務日誌の「オーム置物58、〇〇〇」の各記載場所をみると、売上ノートではその頁の最下欄の末尾であつて、後に追加して記入するのには便利な位置であり、業務日誌では通常品目の見出しが異なるごとに一、二行の- 11 -空行が置かれているのに、右記載は、インテリアの項の末尾にあつて、次の「(バツク)」という見出しの記載との間には空行がないので、これまた後に記入されたのではないかとの疑いを招きかねないのである。 以上のとおり、原判決がアリバイ否定の重要な拠り所としている右売上ノート、業務日誌及びレジシートには、その証拠価値をめぐるかなりの疑問が残されているのであつて、これら疑問点を解明しないまま、右レジシート等の記載に絶対的な信を措くのは相当でないといわざるをえない。 3 ところで、Y及びAbの各原審証言が信用できるとすれば、昭和五二年四月一日午後七時ころという本件教唆の時刻について被告人のアリバイが成立することは明らかであるところ、右各証言には格別不自然な点はみあたらず、前記のとおり「W」の売上帳にも偽造ないし改ざんを疑わせる証跡はみあたら 時ころという本件教唆の時刻について被告人のアリバイが成立することは明らかであるところ、右各証言には格別不自然な点はみあたらず、前記のとおり「W」の売上帳にも偽造ないし改ざんを疑わせる証跡はみあたらない。Yは被告人と特別な関係があるからともかくとしても、Abは被告人とさほど強い利害関係を有しているとは思われないが、同女の「被告人は開店第一号の客であり、被告人が来た状況について鮮明な記憶があつた」旨の証言内容からして、これが仮に真実に合致していないとすれば、単なる記憶違いということでは説明がつかず、被告人やYらとの打ち合せに基づく計画的な虚偽供述であるというほかなく、売上帳もこれに合わせて巧妙に細工されたものということになり、いわゆるアリバイ工作があつたといわざるをえないこととなろう。逆に、このようなアリバイ工作があつたとみることに疑問が残ることになれば、被告人のアリバイも軽々に否定し去ることはできないことになろう。 そこで、右アリバイ関係の証拠が提出されるに至つた経緯について検討するのに、弁護人らが原審以来主張するところの要旨は、「弁護人渡邊俶治は、原審段階になつて、被告人の検察官に対する昭和五二年九月二〇日付供述調書中で、被告人が、四月一一日から一五日までの間東京赤坂のホテルにいて、一四日電話でI殺害の件- 12 -を知つた旨述べている点に着目し、本件当時の被告人の行動を明らかにする鍵があるかもしれないと考えて、まず、その際の同行者の有無を調査したところ、Xが同行していたことが判り、同人から提出を受けたホテルの領収書によつて、右期間のほか、同年三月二九日から同月三一日までの間も被告人とXが東京赤坂のZホテルに泊まつていることが判明した。そこで、同弁護人が、被告人に右領収書及び添付の明細書を示して記憶の喚起を促しているうち、昭和五五 、同年三月二九日から同月三一日までの間も被告人とXが東京赤坂のZホテルに泊まつていることが判明した。そこで、同弁護人が、被告人に右領収書及び添付の明細書を示して記憶の喚起を促しているうち、昭和五五年一月一一日(原審第五回公判の日)金沢刑務所での接見の際、たまたま、領収書添付の電話票に話が及び、四月一二日から一四日の宿泊の際は、Xと被告人の双方の部屋から韓国ソウルへ電話されているのに、三月二九日から三一日の宿泊の際にはXの部屋からだけ韓国に電話していることが不審に思われたので、被告人に問いただしたところ、被告人は、『ひょつとしたら、広島の電話番号八〇〇〇番のクラブに勤めている女を連れて上京したのが三月二九日のことかもしれない。その女の友人が大阪のミナミでスナツク形式のクラブを開店するので、その手伝いに大阪に出てきて、一週間ほど上六のニユーオータニという連れ込みホテルに泊まつていたが、その間一緒に上京したことがあり、それがいつだつたかは覚えていない。広島の女はAl(D組組員)が知つており、そのスナツクヘはAlを連れて行つたことがあるが、名前は覚えていないので、Alに聞いてほしい。』旨答えた。その日の夕刻、渡邊弁護人は金沢から帰阪の車中で、同行していたAlから右スナツクが『W』であると聞き、更に同夜、AlからAm(D組若頭)を介し電話で『W』の開店日は昭和五二年四月一日であり、その日に被告人が開店第一号の客として『W』に行つたとの報告を受けた。そこで、渡邊弁護人は、翌一二日夜『W』へ赴いてAbに会い、事情を聴取したところ、右報告のとおりであつたので、同女から同店の昭和五二年四月一日から同年一一月二〇日までの売上帳一冊を借り受けるとともに、Alを通じて連絡してあつたYにも同日夜半『W』で会い事情を聴取した。右関係者らの供述により、四月一日- 、同女から同店の昭和五二年四月一日から同年一一月二〇日までの売上帳一冊を借り受けるとともに、Alを通じて連絡してあつたYにも同日夜半『W』で会い事情を聴取した。右関係者らの供述により、四月一日- 13 -に被告人とYが『W』に開店祝としてアラバスター製のオウム像を持参したこと及び被告人らがこれを買つたのは心斎橋の『Ac』という店であることが判明したので、渡邊弁護人は、アリバイ発見の翌々日である昭和五五年一月一四日『Ac』本店に赴き営業部長Ajに面会し、右オウム像の写真を示すなどして販売日時の確認を求めたが、即答が得られず、同月一六日同弁護人は大阪弁護士会を通じて照会をし、翌一七日の原審第六回公判期日で弁護人らはアリバイ主張をするに至つたが、その後再三の催促にもかかわらず、右照会に対する回答は得られなかつた。」というのである。 右アリバイ発見の経緯に関する主張については、被告人、Ab、Y及びAjが原審でそれぞれ部分的ではあるがこれに符合する供述をしているほか(右主張のすべてをカバーするものではない。)、原審において弁護人らは、右の点を全体的に立証するため、渡邊弁護人の証人尋問を請求しているが、原審はこれを却下(これに対する弁護人の異議申立も棄却)している。 アリバイ発見の経緯が右主張のとおりであるとすると、売上帳の偽造・改ざん、関係者の口裏合せを行う時間的余裕はなかつたといわざるをえない。また、オウム像の購入の点についても、右のように、渡邊弁護人は自ら「Ac」本店に赴くとか、弁護士会を通して照会するという調査方法をとり、しかも「Ac」からの協力が得られる見通しも立たない段階で、アリバイ主張に不可欠とも思えないオウム像の件をY及びAbは具体的に証言していることになるのである(右各証言は原審第七回公判期日でなされているし、「Ac」のレ 協力が得られる見通しも立たない段階で、アリバイ主張に不可欠とも思えないオウム像の件をY及びAbは具体的に証言していることになるのである(右各証言は原審第七回公判期日でなされているし、「Ac」のレジシート等は検察官によつて同第一二回公判期日に提出されていることが記録上明らかである。)。これらは、アリバイ工作が存在したとみることと両立しがたい事情というほかないと思われる。 なお、原審における被告人質問において、オウム像を購入した「Ac」の位置につき、弁護人は本店を念頭に置いた誤導的質問をしているが、検察官の求めに応じ- 14 -て被告人が作成した図面は、ほぼ正確に北店の位置を示しているのである。このことは、はからずも、アリバイに関する被告人の原審供述の信用性を否定しがたくする一事情となつており、また、アリバイ工作がなかつたことをうかがわせるということもできそうに思われる。 原審は、このように重要な意味を持つアリバイ判明の経緯について、前記のとおり弁護人からの証拠調請求を却下し、十分な審理を尽くしておらず、何らの判示もしていないのである。記録上、原審がこのような措置をとつた理由は必ずしも定かではないが、J検面調書の信用性には全く疑問をいれる余地はないと判断したほか(これが必ずしも是認できないことは、前述した。)、本件アリバイ主張が時期的に遅いという点を重視したのではないかとうかがわれなくもない。しかし、一般に、あまりに遅れたアリバイの主張及び立証は、それ自体不自然で疑わしいといわれてもやむをえないものであり、検察官側の反証も困難であつて、これを肯認するについては慎重であるべきであることはもちろんであるが、アリバイ発見の経緯に関する主張の当否等を検討することなく、ただ遅きに失しているという一事をもつてこれを軽視するのは相当でないというべ 肯認するについては慎重であるべきであることはもちろんであるが、アリバイ発見の経緯に関する主張の当否等を検討することなく、ただ遅きに失しているという一事をもつてこれを軽視するのは相当でないというべきである。 4 以上のように、アリバイの成否に関する原審の審理判断は粗略の感を免れず、結局、原審で取り調べられた証拠のみによつて被告人のアリバイ主張を排斥することは許されないといわなければならない。 四以上に説示したとおり、本件においては被告人のJに対する殺人教唆等についての唯一の直接証拠であるJ検面調書についてその証拠価値に疑問を容れる余地がないとはいえず、被告人のアリバイの成否については幾多の疑問が残されているのであつて、原審がその説示するような理由で、J検面調書の信用性を認めて本件につき被告人を有罪とした判断は、このままでは支持しがたいものといわなければならない。そうすると、原判決には、いまだ審理を尽くさず、証拠の価値判断を誤- 15 -り、ひいて重大な事実誤認をした疑いが顕著であつて、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。 よつて、各上告趣意につき判断を加えるまでもなく、刑訴法四一一条一号、三号により原判決中被告人Aに関する部分を破棄し、同法四一三条本文に従い、さらに審理を尽くさせるため、本件を原審である名古屋高等裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。 昭和五九年四月二四日最高裁判所第三小法廷裁判長裁判官横井大三裁判官伊藤正己裁判官木戸口久治裁判官 横井大三裁判官伊藤正己裁判官木戸口久治裁判官安岡滿彦- 16 -

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