令和6年4月16日宣告令和4年(わ)第588号業務上過失致死被告事件判決【被告人の表示省略】 主文 被告人は無罪。 理由 第1 公訴事実の要旨及び争点被告人に対する本件公訴事実の要旨は、「分離前相被告人a は、仙台市【住所省略】に当時の本店及び仙台事業所を置き、電気通信機器用電気磁気材料、部品及びその応用製品の製造販売等を営む事業者、分離前相被告人b は、a のマグネティック・センサ&アクチュエータ事業本部生産推進部製造グループ(マグネット)マネージャーとして同グループの作業における労働者の安全を管理していたもの、被告人は、令和元年8月16日まで前記b の前任者として同グループマネージャーを務め、その後、前記マグネティック・センサ&アクチュエータ事業本部材料製品技術部マグネットグループマネージャーに就任してからも、前記生産推進部製造グループ(マグネット)において、マグネット製造で用いられる焼結炉の修繕・点検などの非定常作業を行う際は、同作業の指揮監督を行っていたものであるが、被告人は、前記仙台事業所LM第1工場において令和2年7月29日に行われたマグネット製造で用いられるL-5焼結炉の焼結室に前記生産推進部製造グループ(マグネット)所属のc(当時50歳)及び前記材料製品技術部マグネットグループ所属のd(当時26歳)らを立ち入らせ、脱落した部品の有無を確認し、これを回収するなどの作業(以下「本件作業」という。)に先立つ同月28日、前記仙台事業所において、前記生産推進部製造グループ(マグネット)所属のe から 同室上蓋に断熱材を取り付ける部品が脱落する不具合が生じた旨報告を受けた際、非定常作業である同室の修繕・点検が必要であると判断したのであるから、自ら 部製造グループ(マグネット)所属のe から 同室上蓋に断熱材を取り付ける部品が脱落する不具合が生じた旨報告を受けた際、非定常作業である同室の修繕・点検が必要であると判断したのであるから、自ら修繕・点検の作業手順を策定すべきであり、かつ、同手順の策定に当たっては、同室に立ち入って作業を行うことが想定されたから、同室に立ち入る場合は、あらかじめ、同室の空気中の酸素の濃度を18パーセント以上に保つ換気措置及び同室における空気中の酸素の濃度を測定する酸素濃度測定を行い、同室に立ち入っても酸素欠乏によって窒息するおそれのない状態であることを確認した上で、同室に立ち入って作業をするよう前記b 又は同グループ作業員らに指示すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、前記e に対し、同室の修繕・点検作業の準備として同室上蓋の開放を指示したのみで、修繕・点検の作業手順を自ら策定せず、前記b 又は同グループ作業員らに対し、そのほかに何ら指示を与えず、指揮監督を行わないまま、漫然、前記c 及び前記d に同室に立ち入らせて前記作業を行わせた過失により、同月29日午前8時50分頃、同室において、前記c 及び前記d に酸素欠乏空気を吸入させて昏倒させ、よって、即時、同所において、両名を酸素欠乏による窒息により死亡させた。」というものである。 本件公訴事実記載の日時場所において、c 及びd が死亡する事故(以下「本件事故」という。)が発生したことに争いはなく、証拠上も容易に認められる。本件の主な争点は、被告人に過失があったか、である。 第2 当裁判所の判断 1 証拠上認められる事実関係各証拠によれば、以下の事実を認めることができる。 (1) a 及びその事業体制等ア a には、マグネット、フェライト等の磁性材料の製造等に関す 1 証拠上認められる事実関係各証拠によれば、以下の事実を認めることができる。 (1) a 及びその事業体制等ア a には、マグネット、フェライト等の磁性材料の製造等に関する業務を行うマグネティック・センサ&アクチュエータ事業本部(以下「MSA事業本部」という。)という部署があり、その下には前記生産推進部及び前 記材料製品技術部を含む7つの部門が置かれていた。 そのうち生産推進部は、製造業務や、生産設備・治工具の計画および設計、維持管理等を、材料製品技術部は、新製品の商品化、市場調査および技術動向調査や、所管設備の保全管理等を行っている。 イまた、a は、製品カテゴリに応じた11のグループ(金属グループ、マグネットグループ等)によって前記各部門を横断した連携を図る、いわゆるSBU制度を採用していた。 SBU制度の下でも、従業員間の指揮命令関係は、部門ごとに存在し、同じグループに所属していたとしても、別の部門に所属する者に対する指揮命令権限はないものとされていた。もっとも、各部門のマネージャーが同じグループに所属する別の部門の者に対して業務に関する指示を出すことはあった。 ウ生産推進部製造グループ(マグネット)は、本件事故当時、仙台事業所でマグネットの製造を行っていた。同グループの従業員らは、マグネットの製造工程に応じて焼結、紛調、プレス、加工、検査、仕上をそれぞれ担当していた。 (2) a の従業員等ア被告人は、平成元年4月、a に入社し、マグネットの製造等に関する業務に携わり、平成25年5月、当時のEMC事業部生産推進部マグネットグループのマネージャーに就任し、平成30年11月1日、生産推進部製造グループ(マグネット)マネージャーに就任した。その に関する業務に携わり、平成25年5月、当時のEMC事業部生産推進部マグネットグループのマネージャーに就任し、平成30年11月1日、生産推進部製造グループ(マグネット)マネージャーに就任した。その後、b が同マネージャーに就任したことから、被告人は、令和元年8月16日、材料製品技術部マグネットグループのマネージャーに就任した。 イ b は、昭和59年11月、a に入社し、主にフェライトに関する業務に携わってきたが、平成30年11月1日、生産推進部製造グループ(マグネット)の主任となり、令和元年7月1日には、同グループのマネージャ ーに就任した。 ウ f は、昭和62年、a に入社し、主にマグネットに関する業務に携わり、本件事故当時、生産推進部製造グループ(マグネット)の焼結工程においてリーダーを務めていた。 エ e は、昭和61年頃、a に入社し、本件事故当時、生産推進部製造グループ(マグネット)において焼結工程を担当していた。 オ c は、平成3年、a に入社し、本件当時は、生産推進部製造グループ(マグネット)において焼結工程を担当していた。 カ d は、平成31年4月、a に入社し、本件事故当時は、材料製品技術部マグネットグループに配属されていた。 (3) b が生産推進部製造グループ(マグネット)マネージャーに就任した経緯ア a は、b が、生産推進部製造グループ(マグネット)に配属される前の部署において、生産性の向上等の成果を上げていたことから、生産推進部製造グループ(マグネット)の士気を高め、生産性を向上させることを目的として、生産推進部製造グループ(マグネット)に配属した。 イその当時、同グループのマネージャーを務めていた被告人は、製造管理、労務管理に加え、技 の士気を高め、生産性を向上させることを目的として、生産推進部製造グループ(マグネット)に配属した。 イその当時、同グループのマネージャーを務めていた被告人は、製造管理、労務管理に加え、技術面や設備面に関わる業務を担っており、その負担が過大となっていた。一方、b は、長年にわたってフェライトに関する業務に携わっており、マグネットの製造、特に焼結工程に関する専門的な知識が乏しかった。そのような事情から、a は、b を同グループのマネージャーに任命し、b が、通常の製造管理、労務管理等を行い、被告人が、焼結炉の修繕等の非定常作業についてb を支援する体制をとることにした。 b が同マネージャーに就任する際、被告人は、生産推進部の部長であるg から、焼結炉の修繕等の非定常作業に関してb を支援するよう伝えられていた。 そのため、b は、同グループに異動した後、被告人から同マネージャーの通常業務等に関する引継ぎを受けたが、焼結炉や焼結炉内での作業に関する業務について引継ぎを受けることはなく、被告人は、b が同マネージャーに就任した後も、焼結炉の修繕等に関して従業員に指示を行っていた。 (4) L-5焼結炉の構造等ア L-5焼結炉は、装入室(材料を挿入する部屋、製品ケースの積載室)、保管室(装入室で積載されたトレー及び製品ケースの保管)、脱ワックス室(圧粉体〔処理品〕内に保有しているワックスを取り除く脱気処理)、脱ガス室(圧粉体〔処理品〕から放出される不純ガスの廃棄)、焼結室(製品の焼き固め処理)、急冷室(高温となった製品の加圧冷却処理)、後部保管室(処理の完了したトレー及び製品を保管)の金属製の7つの部屋が1列に連なった構造で、粉末状の材料を押し固めた成形品を真空状態にして焼き固める連続横型 室(高温となった製品の加圧冷却処理)、後部保管室(処理の完了したトレー及び製品を保管)の金属製の7つの部屋が1列に連なった構造で、粉末状の材料を押し固めた成形品を真空状態にして焼き固める連続横型真空焼結炉である。焼結炉に入れられた材料は、各部屋における工程が終了すると自動的に次の部屋に移動し、最終的に製品が搬出される。焼結炉は、全室密閉構造であり、室内から空気などの気体が抜け出ることはほとんどなく、室外から室内に他の気体が入り込むこともない。 イ焼結炉の焼結室上部には3枚構造の上蓋があり、最も内側にある蓋には断熱材が6本のピン(以下、断熱材を取り付けているピンを単に「ピン」という。)で取り付けられている。 ウ焼結室の中に入るためには、焼結室上部の上蓋を開け、昇降装置を使って焼結室内に降りる方法と、後部保管室から急冷室を通って焼結室に入る方法があるが、いずれの方法を取る場合でも、焼結炉内の温度が下がっていること、焼結炉内の換気を行い酸素濃度を確実に測定することが必要である。 具体的な換気の手順は、焼結室背面のピラニ測定子を抜いて空気の通り 道をつくる、焼結室下室の側面に取り付けられた円形状の蓋ようのもの(フランジ)を開けて通気口を作り、送風機で空気を送る、さらに、焼結室と急冷室、急冷室と後部保管室との間の各扉を開けて3つの部屋を一つに繋げ、後部保管室から空気を送る、というものである。 エ L-5焼結炉は、令和元年7月から本件事故発生以前までの間、11件の修繕が行われたが、焼結炉内に入って行う修繕は1回のみであった。また、同期間において、その他の焼結炉を含む焼結炉について、焼結炉内に入って行う修繕がされたのは10件であり、そのいずれについても被告人又はf が立ち会い、換気をした上で修繕を行って のみであった。また、同期間において、その他の焼結炉を含む焼結炉について、焼結炉内に入って行う修繕がされたのは10件であり、そのいずれについても被告人又はf が立ち会い、換気をした上で修繕を行っていた。 (5) 本件事故発生に至る経緯等ア生産推進部製造グループ(マグネット)の焼結工程を担当する従業員は、午前8時30分から午後4時45分までのA勤務、午後4時30分から翌午前0時45分までのB勤務、午前0時30分から午前8時45分までのC勤務という3交代制をとり、24時間体制で稼働していた。 本件事故にかかる令和2年7月28日及び同月29日(以下、同月28日を「本件前日」、同月29日を「本件当日」といい、午後の時刻のみを示すものは本件前日の、午前の時刻のみを示すものは本件当日の時刻を指す。)は、e がA勤務に、f 及びh がB勤務に、c がC勤務にあたっていた。 イ e は、午後2時頃、L-5焼結炉の後部保管室から焼結加工されて出てきた製品の上にピンが乗っているのを発見した。 e が被告人に対してピンが落ちていたことを報告したところ、被告人は、ピンを直すために蓋を開ける必要があるから、焼結炉のヒーターを切っておくこと、予備のピンの在庫を確認しておくことを指示し、その際、ピンが何本か落ちているかもしれないので、いずれ取りに行かないといけないと言った(被告人は、公判廷において、e に対し、いずれ取りに行かない といけないとは言っていない旨供述するが、e は、b やf に対し、被告人がそのような発言をした旨述べており、その供述が一貫していることに照らすと、被告人がそのような発言をしたと認められる。)。 その後、e は、b に対し、同様の報告をしたが、b から具体的な指示はなかった。 た旨述べており、その供述が一貫していることに照らすと、被告人がそのような発言をしたと認められる。)。 その後、e は、b に対し、同様の報告をしたが、b から具体的な指示はなかった。 ウ被告人は、e から報告を受けた後、本件当日に予定されていた会議の資料を作成していたため、e やf を含む生産推進部製造グループ(マグネット)の従業員らに対して本件作業に関する何らかの指示をすることはなく、遅くとも午後8時頃には退勤した。 エ e は、午後4時30分頃、B勤務への引継ぎの際、f に対し、ピンが落ちていたこと、被告人から焼結室の蓋を開けるよう指示を受けたことを伝えた。f は、焼結室の蓋を開けるのは、断熱材及びピンの状態を点検するとともに断熱材を修理するためと考えていた。 オ b は、午後6時頃、f に対し、e から報告された内容を尋ねたところ、fは、まずは焼結炉の温度を冷まさないといけないことを伝えた。 カ f は、焼結炉を冷ますためにアルゴンガスを注入し、午前0時頃には、焼結室の上蓋を外した。その際、f は、ピンが4本脱落しているのを発見した。また、f は予備のピンを作成した。 キ f は、C勤務への引継ぎの際、c に対し、ピンが脱落していたこと、被告人から蓋を開けるよう指示があったことから焼結室の上蓋を開けたことを伝え、被告人が出勤してくる時間にあたるA勤務において断熱材を修繕するよう依頼した。また、f とc との間で、作成したピンが上手くはまらない場合には、脱落したピンを取りに行くことになり、その際には、d に入ってもらえばよいのではないかという話があった。 ク c は、A勤務への引継ぎの際、e に対し、f がアルゴンガスを用いて焼結炉を急冷し、焼結室の上蓋を開けたことを伝えた。 の際には、d に入ってもらえばよいのではないかという話があった。 ク c は、A勤務への引継ぎの際、e に対し、f がアルゴンガスを用いて焼結炉を急冷し、焼結室の上蓋を開けたことを伝えた。また、c とe の間で、 前記キのとおり、c とf との間でd に焼結室内に入ってもらえばよいのではないかという話をしたという話があった。 ケ e は、前記クのc との会話で、被告人からf に対して焼結室の中にピンを拾いに行くよう指示があったと考えたことから、午前7時30分頃、bに対し、焼結室内に入る許可を求めるとともに、作業をするために必要な人員の確保を依頼した。 e の依頼を受けたb は、C勤務であったc に残業を依頼するとともに、d に作業を手伝わせる許可を被告人の上司であるSBU長のi から得た。 コ他方、被告人は、午前8時頃には出勤する予定であったが、起床した際、パニック障害の発作が生じ、i に欠勤する旨連絡した。その際、i から本件作業についての連絡はなく、被告人が何らかの指示をすることもなかった。 サその後、e、c 及びd が本件作業を行い、本件事故が発生した。 2 争点について(1) 被告人が注意義務を負うべき立場にあったかア b が生産推進部製造グループ(マグネット)マネージャーに就任した経緯は前記1(3)のとおりであるが、検察官は、そのような経緯や、被告人が材料製品技術部マグネットグループマネージャーに異動した後も非定常作業について焼結担当の従業員に指示命令をしていたことなどから、本件事故について注意義務を負うべき立場にあったと主張し、弁護人は、被告人が所属する同グループは本件作業を所管しておらず、生産推進部製造グループ(マグネット)の従業員に対する指揮命令権限がなか ら、本件事故について注意義務を負うべき立場にあったと主張し、弁護人は、被告人が所属する同グループは本件作業を所管しておらず、生産推進部製造グループ(マグネット)の従業員に対する指揮命令権限がなかったことなどから、注意義務を負うべき立場にはなかったと主張する。 イまず、被告人が、材料製品技術部マグネットグループマネージャーの地位に基づき本件作業に関する指揮命令を行う権限があったかを検討する。 本件作業は、生産推進部が分掌する「生産設備・治工具の計画および設 計、維持管理」に該当するものであること、a における指揮命令関係はあくまで部門ごとに生じるものであったことから、材料製品技術部に所属する被告人と生産推進部に所属する従業員との間に指揮命令関係はなく、被告人が、材料製品技術部マグネットグループマネージャーという地位に基づき本件作業に関する指揮命令を行う権限はなかったと認められる。 ウ前記1(3)のとおり、b にはマグネットの製造過程のうち特に焼結工程に関する専門的な知識が乏しく、生産推進部製造グループ(マグネット)における焼結工程の中で専門的な知識が必要となる焼結炉の修繕等の非定常作業に関しては被告人がb を支援することとされており、現に、被告人が、b が同グループのマネージャーに就任してからも指示をしていたと認められる。 そうすると、a の仙台事業所におけるマグネットの製造に関して、焼結工程に関する専門的な知識を有していたのはマネージャーでは被告人のみであり、そのことを前提とした業務分担に基づき、材料製品技術部マグネットグループマネージャーに異動した後も生産推進部製造グループ(マグネット)の焼結工程を担当する従業員に指示を行っていたのであるから、同グループのうち特に焼結工程における非定常 材料製品技術部マグネットグループマネージャーに異動した後も生産推進部製造グループ(マグネット)の焼結工程を担当する従業員に指示を行っていたのであるから、同グループのうち特に焼結工程における非定常作業については、同グループのマネージャーであるb に加え、被告人においても、従業員らの生命身体に危険が生じないよう注意義務を負うべき立場にあったといえる。 もっとも、b が、同グループのマネージャーに就任し、マグネットの生産工程全体の管理を行うようになったこと、被告人は、材料製品技術部マグネットグループマネージャーに異動して、マグネットの製造に関する技術的な課題への対応や進捗管理に伴う顧客とのやり取りなどの従前と異なる職責を負うようになったことなどからすると、被告人が負うべき注意義務の程度は、生産推進部製造グループ(マグネット)マネージャーが本来負うべき注意義務の程度とは異なるというべきである。すなわち、b は、 マグネットの生産工程全体の状況を踏まえて焼結炉の修繕等の作業をどの時点で行うのかなどの決定をすることができるのに対して、あくまで焼結工程に関する専門的な知識に基づいて指示を行う被告人は、どのような修繕を、どのような工程で行うのかといった技術的な決定を行うものであり、被告人が負うべき注意義務も、そのような決定を行うにあたって課されるものであるといえる。 なお、e 及びf は、被告人が材料製品技術部マグネットグループマネージャーに異動した後も従前と同様の指示を行っていたと証言する。しかし、e においては本件作業に関してb にも報告を行っていること、f においては本件作業についてb の許可なく行えるものであったかはわからないと証言していること、同人らは、捜査段階において、被告人が同マネージャーに異動した後に してb にも報告を行っていること、f においては本件作業についてb の許可なく行えるものであったかはわからないと証言していること、同人らは、捜査段階において、被告人が同マネージャーに異動した後に行っていた指示はあくまでアドバイスにとどまるものであったと供述していることなどを踏まえると、被告人が従前と同様の指示を行っていたとしても、その性質が生産推進部製造グループ(マグネット)マネージャーの地位に基づく指揮命令と全く同じものであったとみることはできない。 (2) 被告人が本件事故の結果発生を予見できたか(予見可能性)ア前記(1)で検討した被告人が負うべき注意義務の程度、性質を前提として、午後2時頃にe からピンが脱落しているとの報告を受けてから午後8時頃に退勤するまでの間に、被告人において、従業員がL-5焼結炉の焼結室内に立ち入って作業を行うことが予見できたか、検討する(検察官は、被告人は本件前日の退勤までに注意義務を尽くすべきであったと主張しているから、遅くとも退勤までには予見可能であったと主張していると解される。また、前記1(5)コ記載のとおり、被告人は、本件当日、パニック障害の発作により出勤できなかったのであるから、およそ注意義務を尽くすことができる状態でなかったことは明らかである。)。なお、適切な措 置がないまま焼結室内で作業が行われれば酸素欠乏の危険があることを予見できたことに争いはなく、証拠上も容易に認められる。 この点、検察官は、L-5焼結炉では、本件事故以前にもピンが脱落する不具合が発生し、その際、従業員らが焼結室内に入って作業を行ったこと、被告人が、e に対し、ピンを取りに行かないといけないと言ったことなどから、従業員がL-5焼結炉の焼結室内に立ち入って作業を行うことが予見できたと の際、従業員らが焼結室内に入って作業を行ったこと、被告人が、e に対し、ピンを取りに行かないといけないと言ったことなどから、従業員がL-5焼結炉の焼結室内に立ち入って作業を行うことが予見できたと主張するので、以下、検討する。 イ f の証言、被告人の公判供述を含む関係各証拠によれば、L-5焼結炉においてピンが脱落する不具合が生じた場合の作業の手順は以下のとおりであると認められる。 (ア) 焼結室上蓋を開けるために焼結炉の温度を下げる。なお、自然に冷めるのを待つ方法と、アルゴンガスを注入して温度を下げる方法があり、冷めるのが早いのは後者である。 (イ) 焼結炉の温度が下がった時点で、焼結室の上蓋を開け、断熱材及びピンの状態を点検する。 (ウ) 断熱材及びピンの状態等に応じた修繕を行う。 a 断熱材が焼結室内に脱落していた場合、焼結炉内の製品の搬送に干渉し、焼結炉の稼働に支障が生じるため、そのような状態を解消するために焼結室内に入り、必要な修繕を行う。 b 断熱材は焼結室内に脱落していないが、複数のピンが脱落していた場合、まずは予備のピンを用いて修理を行うが、予備のピンで修理ができない場合や脱落したピンが製品の搬送に干渉している場合には、焼結室内に入り、脱落したピンを拾う。 c 断熱材が焼結室内に脱落せず、脱落したピンが搬出された一本のみであった場合には、脱落したピンの修理を行う。 なお、e は、焼結室の蓋を開けた場合には、必ず焼結室の中に入るこ とになると証言し、f は、ピンが焼結炉内に脱落した場合、焼結室の蓋を開けた場合には、ピンを回収していたと証言する。しかし、f は、焼結室の蓋を開けて断熱材だけを直す作業を行うこともあったと証言し、捜査段階に 言し、f は、ピンが焼結炉内に脱落した場合、焼結室の蓋を開けた場合には、ピンを回収していたと証言する。しかし、f は、焼結室の蓋を開けて断熱材だけを直す作業を行うこともあったと証言し、捜査段階においては、焼結室の中に入ってピンを拾うのは最終的な手段であると供述していること、f はe よりも焼結工程における経験が長いことに照らすと、前記e 及びf の証言から、焼結室の蓋を開けた場合には必ず焼結室の中に入るものであったとは認められない。 ウ前記イのとおり、ピンが脱落していた場合に想定される作業の内容や被告人のいずれピンを取りに行かないといけないという発言からすると、被告人が、e からピンが脱落しているとの報告を受けた時点で、今後、事態の推移によっては、焼結室の中に入って作業を行う可能性があることは予見できたと認められる。 もっとも、e の報告を受けてから被告人が退勤するまでの間に、焼結室に立ち入って作業をすることが確定したわけではない上、被告人としては、本件当日も出勤して焼結室への立入りの要否等について判断をする予定だったから、被告人が退勤する時点では、客観的にも、被告人の認識としても、焼結室への立入りの要否の判断は留保されていたといえる。立入りの要否の判断が留保されているにもかかわらず、単に、いずれ焼結室内で作業を行うことが予見可能であることを根拠として、被告人に、直ちに修繕・点検の作業手順を策定し、かつ、窒息のおそれのない状態で作業するよう指示するという公訴事実記載の注意義務があったとした場合には、焼結室内での作業をする可能性が生じた場合には常に注意義務が生じることになり、前記(1)で検討した被告人が負うべき注意義務の内容を踏まえると、刑法上の過失責任を基礎付ける注意義務としては過大といえ相当ではない。注意義 る可能性が生じた場合には常に注意義務が生じることになり、前記(1)で検討した被告人が負うべき注意義務の内容を踏まえると、刑法上の過失責任を基礎付ける注意義務としては過大といえ相当ではない。注意義務が被告人の退勤時までにあったというためには、単に、焼結室内で作業を行うことを抽象的に予見できただけでは足りず、従業員が 焼結室内に立ち入ることを具体的に予見できたと認められる必要があるというべきである。 以上の認定に反する前記検察官の主張はその前提を欠く。 エ(ア) さらに進んで、前記の内容の予見可能性が認められるかを検討する。 被告人は、この点に関し、公判廷において、焼結室内の作業の要否は、焼結室の蓋を開け、断熱材やピンの状態等を点検した上で、生産推進部製造グループ(マグネット)マネージャーであるb や生産推進部の従業員らと相談して決めることであったと供述する。 この点について、e は、本件作業に当たり、被告人からf に対して焼結室の中に入ることを前提とした指示があったと思っていた旨証言し、f は、本件作業に当たり、被告人から何らかの指示が出ており、被告人からのアドバイスなく焼結室の中に入ることはないと思っていた旨証言している。これらの証言は、従業員において、被告人の指示がなければ焼結室内に立ち入らないと認識し、そのような運用がされていたことを示すものであり、被告人の公判供述と整合的である。また、被告人の公判供述は、b が、生産工程の管理のために焼結炉の修理に関する報告を求めていたことなどとも整合しており、これらによれば、その信用性は高い。 (イ) 他方、被告人は、捜査段階において、被告人が不在で被告人の指示がなければ、現場の作業員の判断で焼結炉内に入っての作業はしないと思っていたが、その可能性が全く 、その信用性は高い。 (イ) 他方、被告人は、捜査段階において、被告人が不在で被告人の指示がなければ、現場の作業員の判断で焼結炉内に入っての作業はしないと思っていたが、その可能性が全くないと考えていたかと言われると、可能性が全くないとは思っていなかったと供述し、本件事故について責任があることを認める旨供述している。 しかし、前記供述は、可能性が全くないとはいえないというものにとどまり、基本的には可能性はないと考えていたという趣旨のものと理解できるから、この供述を根拠に、被告人がそのような可能性を認識して いたと認定することはできない。 (ウ) 被告人の公判供述によれば、焼結室内の作業は、焼結室の蓋を開け、断熱材やピンの状態等を確認し、被告人が焼結室の中に入る必要があると判断した場合に行うものであったと認められる。これに加え、前記イのとおり、ピンが脱落していた場合に想定される作業の内容も踏まえると、e の報告を受けてから退勤するまでの間に、被告人において、被告人による断熱材やピンの状態の確認及びそれを踏まえた指示を待つことなく、従業員が焼結室内に入って作業を行うことを予見できたと認めるに足る事情はうかがえず、被告人に予見可能性があったと認定するには合理的な疑いが残るといわざるを得ない。 オこれに対し、検察官は、①被告人が自らの指示がなければ焼結室内での作業が行われないと考えていたとしても、被告人の指示がなければ焼結室内での作業を行わないことを含めた作業手順を策定する必要があった、②被告人が、従前、焼結室の蓋を開けた際には焼結室内に立ち入って内部を確認するようe に指示しており、本件前日にも、e に対し、蓋を開けるよう指示したことに照らすと、本件作業は被告人の指示に基づくものであるとい 前、焼結室の蓋を開けた際には焼結室内に立ち入って内部を確認するようe に指示しており、本件前日にも、e に対し、蓋を開けるよう指示したことに照らすと、本件作業は被告人の指示に基づくものであるといえると主張する。また、③従前経験したことのある修繕や技術的な判断を要しない修繕については被告人の指示等がなく従業員のみで行われることがあったことや、④生産推進部製造グループ(マグネット)の焼結工程では3交代制がとられていたから、従業員の交代に際しては適切な引継ぎが必要であるにもかかわらず、口頭で場当たり的な引継ぎがなされていたことなど安全管理の杜撰さを認識していた以上、被告人の指示を待つことなく従業員が焼結室内に入って作業を行うことを予見できたとも主張する。 しかし、①について、前記エのとおり、被告人の指示がなければ焼結室内の作業は行わないという運用がされていたのであるから、更に被告人の 指示がなければ焼結室内での作業を行わないことを含めた作業手順を策定する注意義務があったとはいえない。②について、前記イで検討したところによれば、焼結室の蓋を開けた場合でも、焼結室の中に入る必要がない場合には、その中に入らないこともあったから、蓋を開けるよう指示したからといって、焼結室内に立ち入るよう指示したとはいえない。③について、そもそも、前記エのとおり、被告人の指示がなければ焼結室内での作業を行わないという運用がされていたのであるから、焼結室内の作業に従事したことがあるからといって、被告人の指示なく焼結室内に立ち入るとはいえない。また、ピンを回収すること自体はさほど困難な作業ではないとしても、その前提として、焼結室の断熱材やピンの状態等を点検した上、焼結室の中に入る必要があるかを判断する必要があるのであるから、本件作業が技術的な判断 回収すること自体はさほど困難な作業ではないとしても、その前提として、焼結室の断熱材やピンの状態等を点検した上、焼結室の中に入る必要があるかを判断する必要があるのであるから、本件作業が技術的な判断を要しない修繕作業であるとはいい難い。④について、a においては従業員に対し十分な安全教育がなされていなかったと認められ、また、焼結工程を担当する従業員らが被告人の指示を誤解することがあり、被告人もそのことは認識していたと認められるものの、少なくとも、被告人の指示がなければ焼結室内には立ち入らないという運用はされていたのであるから、検察官の主張する点は、被告人の指示を待つことなく、従業員らが独断で作業を進めることを予見できたと認めるに足りる事情ではない。検察官の主張は、いずれも採用できない。 (3) 小括以上のとおり、e の報告を受けてから退勤するまでの間に、被告人において、従業員が焼結室に立ち入ることを具体的に予見できたと認めるには合理的な疑いが残る。そうすると、本件前日に退勤するまでの被告人に検察官の主張する注意義務を課すことはできないから、被告人に過失があったとは認められない。 3 結論 よって、被告人については犯罪の証明がないから、刑訴法336条により、無罪の言渡しをする。 (求刑罰金60万円)令和6年4月16日仙台地方裁判所第1刑事部 裁判長裁判官宮田祥次 裁判官石橋直幸 裁判官東尾和幸は、転補のため署名押印できない。 裁判長裁判官宮田祥次 田祥次
▼ クリックして全文を表示