- 1 -主文原判決を破棄する。 被上告人らの控訴をいずれも棄却する。 控訴費用及び上告費用は被上告人らの負担とする。 理由 第1事案の概要 被上告人らは,中華人民共和国の国民であり,第二次世界大戦中に中国華北地方から日本に強制連行され上告人の下で強制労働に従事させられたと主張する者(被上告人X,同X,亡A,亡B及び亡C。以下「本件被害者ら」という。)又 はその承継人である。本件は,被上告人らが,上告人に対し,上告人が本件被害者らを過酷な条件の下で強制労働に従事させたことは安全配慮義務に違反するものであるなどと主張して,債務不履行等に基づく損害賠償を求める事案である。 上告人は,強制連行又は強制労働とされるような事実はなく,また,上告人と本件被害者らとの間には安全配慮義務の基礎となる雇用契約又はこれに準ずる法律関係は存在しなかったなどとして,その責任原因を争うとともに,債務不履行に基づく損害賠償請求権につき消滅時効を援用し,また,いわゆる戦後処理の過程での条約等による請求権放棄の結果,上告人が本訴請求に応ずるべき法律上の義務が消滅している旨主張する。 被上告人らの主張する強制連行及び強制労働の実情に関し,原審の適法に確定した事実関係の概要は,次のとおりである。 (1)日本国は,昭和12年7月の廬溝橋事件をきっかけに中国との間で交戦状態に入り(以下これを「日中戦争」という。),昭和16年12月8日の真珠湾攻- 2 -撃をきっかけにいわゆる太平洋戦争を開始した。この戦争の遂行過程で,特に軍需会社の重筋部門(鉱山労働,土木建築,港湾荷役等)の労働力が枯渇するようになった。日本国政府は,このような労働力不足に対処するため,昭和13年4月に公布された国家総動員法等に基づいて国民総動員体制を築くとともに,当時日本国に併合して 港湾荷役等)の労働力が枯渇するようになった。日本国政府は,このような労働力不足に対処するため,昭和13年4月に公布された国家総動員法等に基づいて国民総動員体制を築くとともに,当時日本国に併合していた朝鮮半島から多数の朝鮮人労働者を日本内地に移入するなどの施策を講じたが,重筋部門における深刻な労働力不足は解消されなかった。 (2)石炭産業,土木工業等の産業界は,戦争の比較的早い段階から労働力不足が生ずることを見越して,外地労働力,特に中国華北地方の労働者移入を検討し,日本国政府にその実現に向けた要望を提出してきた。日本国政府は,これに応えて,昭和17年11月27日,「華人労務者内地移入ニ関スル件」と題する閣議決定をした。この決定では,「内地ニ於ケル労務需給ハ愈々逼迫ヲ来タシ特ニ重筋労務部面ニ於ケル労力不足ノ著シキ現状ニ鑑ミ左記要領ニ依リ華人労務者ヲ内地ニ移入シ以テ大東亜共栄圏建設ノ遂行ニ協力セシメントス」という方針の下,さしあたり試験的に一定数の中国人労働者の移入を行い,その結果を見て漸次本格実施に移すこととされた。この方針に基づき,昭和18年4月から11月にかけて1400人余りの中国人労働者の試験移入が実施された。 (3)日本国政府は,試験移入の実績を踏まえ,昭和19年2月,「華人労務者内地移入ノ促進ニ関スル件」と題する次官会議決定をもって,本格移入の実施要領,細目手続を策定するとともに,同年8月に閣議決定された昭和19年度国民動員実施計画をもって,朝鮮人労働者29万人の内地移入のほか,中国人労働者3万人の本格移入を実施する旨の方針を定めた。これらの決定に基づいて,同年3月から昭和20年5月までの間に,161集団3万7524人の中国人労働者が日本内- 3 -地に移入された。 (4)上告人(本件当時の商号はY’)は,中国大陸に進出 。これらの決定に基づいて,同年3月から昭和20年5月までの間に,161集団3万7524人の中国人労働者が日本内- 3 -地に移入された。 (4)上告人(本件当時の商号はY’)は,中国大陸に進出する日本軍の軍事行動に追随し,鉄道建設,道路工事等を多数受注するなどしていた土木建築会社であるが,広島県山県郡において,昭和18年6月から昭和22年3月までを工期として,安野発電所の建設工事を受注していた。ところが,この工事のために必要十分な労働者を確保することができなかったことから,その不足を中国人労働者で補うため,昭和19年4月,移入労働者の割当てと管理を所管することになっていた厚生省に対し,同発電所建設工事のための中国人労働者の移入の申請をし,300人の割当てを受けた。上告人は,これを受けて,現地で中国人労働者の供出機関として活動していた華北労工協会との間で中国人労働者の供出及び受入れに関する契約を締結した。そして,同年7月,青島において,日本軍の監視の下,華北労工協会から上告人に対し,中国人労働者360人が引き渡された。本件被害者らはこのうちの5名である。 (5)上記360人の中国人労働者らは,昭和19年7月29日,青島で貨物船に乗せられ,7日後に下関港に到着したが,この間3人が病死した。その後,中国人労働者らは,安野発電所事業場まで運ばれ,4グループに分けて収容施設に収容され,監視員と警察官によって常時監視されることとなった。上記中国人労働者らは,導水トンネルの掘削等の労働に昼夜2交替で従事することとなったが,1日3食支給される食事は量が極めて少なく,粗悪なものであったため,全員やせ細り,常に空腹状態に置かれることとなった。また,衣服や靴の支給,衛生環境の維持等が極めて不十分であった上,傷病者らに対する治療も十分行われず,昭和20 極めて少なく,粗悪なものであったため,全員やせ細り,常に空腹状態に置かれることとなった。また,衣服や靴の支給,衛生環境の維持等が極めて不十分であった上,傷病者らに対する治療も十分行われず,昭和20年3月には傷病により労務に耐えないとの理由で13人が中国に送還された。なお,同- 4 -年7月13日には,と殺した牛の肉の配分をめぐって中国人労働者間で争いが生じ,かねて日本人の現場監督に協力的で特別待遇を受けていたとみられ仲間から憎悪されていた中国人労働者の大隊長ら2名が撲殺されるという事件が発生した。この事件の被疑者16人は広島刑務所等に収監されたところ,同年8月6日の原子爆弾の投下により5人が死亡し,他の11人も被爆した。 (6)終戦後の昭和20年8月24日,上告人は,政府機関から安野発電所事業場における中国人労働者の稼働停止の指示を受け,その稼働を停止させた。その後,中国人労働者らは,連合国軍の指示により中国に送還されることとなり,同年11月24日上記事業場から搬送され,同月29日長崎県南風崎から中国に送還された。当初の360人のうち,このときまでに,前述した移入途中の死亡者3人のほか,26人が死亡していた。なお,中国人労働者を受け入れた全事業場を通じて,移入者総数3万8935人のうち,送還時までに死亡した者は,6830人(17.5%)である。 (7)終戦後,中国人労働者を受け入れた土木建設業者の団体は,中国人労働者を受け入れたことに伴ってもろもろの損害が生じたと主張して,国に対して補償を求める陳情を繰り返し,国も,昭和21年3月ころ,その要望を一部受け入れる措置を講ずることとなった。これにより,上告人はそのころ92万円余りの補償金を取得した。 (8)本件被害者らは,家族らと日常生活を送っていたところを,仕事を世話してやるなど の要望を一部受け入れる措置を講ずることとなった。これにより,上告人はそのころ92万円余りの補償金を取得した。 (8)本件被害者らは,家族らと日常生活を送っていたところを,仕事を世話してやるなどとだまされたり,突然強制的にトラックに乗せられたりして収容所に連行され,あるいは日本軍の捕虜となった後収容所に収容されるなどした後,上記のとおり,日本内地に移入させられ,安野発電所の事業場で労働に従事したが,日本- 5 -内地に渡航して上告人の下で稼働することを事前に知らされてこれを承諾したものではなく,上告人との間で雇用契約を締結したものでもない。 本件被害者らのうち,被上告人X(移入当時16歳)は就労中トロッコの脱線 事故により両目を失明し,被上告人X(同18歳)は重篤なかいせんから寝たき り状態になり,いずれも稼働することができなくなり,昭和20年3月に中国に送還された。亡A(同23歳)及び亡B(同21~22歳)は,上記(5)の大隊長撲殺事件の被疑者として収監中に原子爆弾の被害に遭い,Bは死亡し,Aは後遺障害を負った。亡C(同18~19歳)は,ある日,高熱のため仕事ができる状態ではなかったのに無理に仕事に就かされた上,働かないなどとして現場監督から暴行を受け,死亡した。 戦後処理における請求権の放棄等に関し,原審の適法に確定した事実関係の概要等(公知の事実を含む。)は,次のとおりである。 (1)日本国は,第二次世界大戦後,連合国の占領下に置かれたが,昭和26年9月8日,サンフランシスコ市において,連合国48か国との間で,「日本国との平和条約」(以下「サンフランシスコ平和条約」という。)を締結し,昭和27年4月28日の同条約の発効により独立を回復した。この条約は,第二次世界大戦後における日本国の戦後処理の骨格を定めることになったも 条約」(以下「サンフランシスコ平和条約」という。)を締結し,昭和27年4月28日の同条約の発効により独立を回復した。この条約は,第二次世界大戦後における日本国の戦後処理の骨格を定めることになったものであり,各連合国と日本国との間の戦争状態を終了させ(1条(a)),連合国が日本国民の主権を承認する(1条(b))とともに,領域(第2章),請求権及び財産(第5章)等の問題を最終的に解決するために締結されたものである。ただし,後述するとおり,中国(日中戦争を戦った国家としての中国をいう。以下同じ。)が講和会議に招請されなかったほか,インド等は招請に応ぜず,ソヴィエト社会主義共和国連邦等は署名- 6 -を拒んだため,すべての連合国との間の全面講和には至らなかった。 (2)サンフランシスコ平和条約には,戦争賠償及び請求権の処理等に関し,次のような規定がある。 ア日本国は,戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して,連合国に賠償を支払うべきことが承認される。しかし,また,存立可能な経済を維持すべきものとすれば,日本国の資源は,日本国がすべての前記の損害及び苦痛に対して完全な賠償を行い且つ同時に他の債務を履行するためには現在充分でないことが承認される(14条(a)柱書き)。 イ日本国は,現在の領域が日本国軍隊によって占領され,且つ,日本国によって損害を与えられた連合国が希望するときは,生産,沈船引揚げその他の作業における日本人の役務を当該連合国の利用に供することによって,与えた損害を修復する費用をこれらの国に補償することに資するために,当該連合国とすみやかに交渉を開始するものとする(14条(a)1。以下,この規定による役務の供与を「役務賠償」ということがある。)。 ウ各連合国は,日本国及び国民等のすべての財産,権利及び利益でこの条約の最初の効力発 交渉を開始するものとする(14条(a)1。以下,この規定による役務の供与を「役務賠償」ということがある。)。 ウ各連合国は,日本国及び国民等のすべての財産,権利及び利益でこの条約の最初の効力発生の時にその管轄の下にあるもの(戦争中連合国政府の許可を得て連合国領域に居住した日本人の財産等一定の例外を除く。)を差し押え,留置し,清算し,その他何らかの方法で処分する権利を有する(14条(a)2)。 エこの条約に別段の定がある場合を除き,連合国は,連合国のすべての賠償請求権,戦争の遂行中に日本国及びその国民がとった行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する(14条(b))。 - 7 -オ日本国は,戦争から生じ,又は戦争状態が存在したためにとられた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄し,且つ,この条約の効力発生の前に日本国領域におけるいずれかの連合国の軍隊又は当局の存在,職務遂行又は行動から生じたすべての請求権を放棄する(19条(a))。 (3)中国は,連合国の一員として,本来,講和会議に招請されるべきであったが,昭和24年に成立した中華人民共和国政府と,これに追われる形で台湾に本拠を移した中華民国政府が,いずれも自らが中国を代表する唯一の正統政府であると主張し,連合国内部でも政府承認の対応が分かれるという状況であったため,結局,いずれの政府も講和会議には招請しないこととされた。ただし,日本国の中国における権益の放棄(サンフランシスコ平和条約10条),在外資産の処分(同条約14条(a)2)に関しては,中国はサンフランシスコ平和条約の定める利益を受けるものとされた(同条約21条)。 (4)日本国政府は,その後,上記(2)イに基づく役務賠償 条),在外資産の処分(同条約14条(a)2)に関しては,中国はサンフランシスコ平和条約の定める利益を受けるものとされた(同条約21条)。 (4)日本国政府は,その後,上記(2)イに基づく役務賠償等に関する交渉を連合国各国と進めるとともに,サンフランシスコ平和条約の当事国とならなかった諸国又は地域についても,戦後処理の枠組みを構築する二国間平和条約等を締結すべく交渉を行うこととなった。この中で,最大の懸案となったのは,講和会議に招請されなかった中国との関係であるが,日本国政府は,昭和27年4月28日,中華民国政府を中国の正統政府と認め,同政府との間で,「日本国と中華民国との間の平和条約」(以下「日華平和条約」という。)を締結し,同条約は同年8月5日に発効した。この条約には,日本国と中華民国との間の戦争状態がこの条約の効力発生の日に終了すること(1条),両国間に戦争状態の存在の結果として生じた問題は- 8 -サンフランシスコ平和条約の相当規定に従って解決するものとすること(11条)等の条項があり,また,条約の不可分の一部をなす議定書の条項として,中華民国は,日本国民に対する寛厚と善意の表徴として,サンフランシスコ平和条約14条(a)1に基づき日本国が提供すべき役務の利益を自発的に放棄すること(議定書1(b))が定められている。さらに,この条約の附属交換公文において,この条約の条項が,中華民国に関しては,中華民国政府の支配下に現にあり,又は今後入るすべての領域に適用があることが確認されている。 (5)中国においては,その後も,中華人民共和国政府と中華民国政府が,ともに正統政府としての地位を主張するという事態が続いたが,日本国政府は,田中角栄内閣の下で,中華民国政府から中華人民共和国政府への政府承認の変更を行う方針を固め,いわゆる日中国 と中華民国政府が,ともに正統政府としての地位を主張するという事態が続いたが,日本国政府は,田中角栄内閣の下で,中華民国政府から中華人民共和国政府への政府承認の変更を行う方針を固め,いわゆる日中国交正常化交渉を経て,昭和47年9月29日,「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」(以下「日中共同声明」という。)が発出されるに至った。この声明中には,「日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は,この共同声明が発出される日に終了する。」(1項),「日本国政府は,中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する。」(2項),「中華人民共和国政府は,中日両国国民の友好のために,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。」(5項)等の条項がある。 両国政府は,昭和53年8月12日,「日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約」(以下「日中平和友好条約」という。)を締結し,この条約は同年10月23日に発効したが,この条約の前文においては,日中共同声明に示された諸原則が厳格に遵守されるべきことを確認する旨が規定されている。 原審は,次のとおり判断して,被上告人それぞれに対し各550万円及び遅- 9 -延損害金の支払を求める被上告人らの請求を全部認容した。 (1)上告人が,青島で引渡しを受けた本件被害者らを含む中国人労働者を日本に搬送し,安野発電所建設現場で過酷な労働に従事させた一連の行為は,強制連行及び強制労働とのそしりを免れないものである。 (2)上告人と上記中国人労働者とは直接の契約関係にはないが,特殊な雇用類似の関係にあり,上告人は,その付随的義務として,安全配慮義務を負っていたというべきである。そして,上告人がこの安全配慮義務を尽くさなかったことは明らかであるから,債務不履行責任を免れない。 (3) 似の関係にあり,上告人は,その付随的義務として,安全配慮義務を負っていたというべきである。そして,上告人がこの安全配慮義務を尽くさなかったことは明らかであるから,債務不履行責任を免れない。 (3)被上告人ら又はその被承継人らによる安全配慮義務違反を理由とする損害賠償請求権の現実的な権利行使が客観的に可能となったのは,1986年(昭和61年)2月に中華人民共和国公民出境入境管理法が施行され,これにより中国の一般市民に海外渡航の道が開かれた後であるというべきであり,上記請求権の消滅時効の起算点は同法の施行日と解すべきである。そうすると,本訴提起の時点では10年の時効期間が経過していたとはいえ,被上告人ら又はその被承継人らが上告人と補償交渉を開始した平成5年8月時点ではいまだ時効期間は経過していなかったことになる。そして,この間,被上告人ら又はその被承継人らは,経済的困窮,情報不足等のため,事実上権利行使が著しく困難な状況に置かれてきたということができること,このような経済的困窮,情報不足は,上告人による強制連行,強制労働によるものという面も否定できないこと,上告人は,中国人労働者の受入れに関して国家補償金を取得するなどして一定の利益を得ていること,上告人は,被上告人らとの補償交渉において,態度を明確にしないままこれを継続させ,結果として本件提訴を遅らせたといえること等を総合すると,上告人の消滅時効の援用は権利- 10 -の濫用として許されないというべきである。 (4)上告人は,日華平和条約又は日中共同声明による請求権放棄の結果,日本国及び日本国民が本訴請求に応ずるべき法律上の義務が消滅している旨主張するが,日中共同声明5項には,中国国民が請求権を放棄することは明記されておらず,中華人民共和国政府が放棄するとしたのは「戦争賠償の放棄」に 国民が本訴請求に応ずるべき法律上の義務が消滅している旨主張するが,日中共同声明5項には,中国国民が請求権を放棄することは明記されておらず,中華人民共和国政府が放棄するとしたのは「戦争賠償の放棄」にとどまること,日華平和条約は,日本国と中華民国との間で締結された条約であって,これをそのまま中華人民共和国の国民である被上告人らに適用できるか疑問であることからすると,上告人の上記主張を採用することはできない。 第2上告代理人樋口俊二,同高野康彦,同五百田俊治の上告受理申立て理由第4について 論旨は,原審の上記第1の4(4)の判断の法令違反をいうものであるところ,同判断のうち,日中共同声明による請求権放棄の抗弁を認めなかった部分は是認することができない。その理由は,以下のとおりである。 戦後処理の基本原則としての請求権放棄について(1)第二次世界大戦後における日本国の戦後処理の骨格を定めることとなったサンフランシスコ平和条約は,いわゆる戦争賠償(講和に際し戦敗国が戦勝国に対して提供する金銭その他の給付をいう。)に係る日本国の連合国に対する賠償義務を肯認し,実質的に戦争賠償の一部に充当する趣旨で,連合国の管轄下にある在外資産の処分を連合国にゆだねる(14条(a)2)などの処理を定める一方,日本国の資源は完全な戦争賠償を行うのに充分でないことも承認されるとして(14条(a)柱書き),その負担能力への配慮を示し,役務賠償を含めて戦争賠償の具体的な取決めについては,日本国と各連合国との間の個別の交渉にゆだねることとした- 11 -(14条(a)1)。そして,このような戦争賠償の処理の前提となったのが,いわゆる「請求権の処理」である。ここでいう「請求権の処理」とは,戦争の遂行中に生じた交戦国相互間又はその国民相互間の請求権であって戦争賠償と )。そして,このような戦争賠償の処理の前提となったのが,いわゆる「請求権の処理」である。ここでいう「請求権の処理」とは,戦争の遂行中に生じた交戦国相互間又はその国民相互間の請求権であって戦争賠償とは別個に交渉主題となる可能性のあるものの処理をいうが,これについては,個人の請求権を含め,戦争の遂行中に生じた相手国及びその国民(法人も含むものと解される。)に対するすべての請求権は相互に放棄するものとされた(14条(b),19条(a))。 (2)このように,サンフランシスコ平和条約は,個人の請求権を含め,戦争の遂行中に生じたすべての請求権を相互に放棄することを前提として,日本国は連合国に対する戦争賠償の義務を認めて連合国の管轄下にある在外資産の処分を連合国にゆだね,役務賠償を含めて具体的な戦争賠償の取決めは各連合国との間で個別に行うという日本国の戦後処理の枠組みを定めるものであった。この枠組みは,連合国48か国との間で締結されこれによって日本国が独立を回復したというサンフランシスコ平和条約の重要性にかんがみ,日本国がサンフランシスコ平和条約の当事国以外の国や地域との間で平和条約等を締結して戦後処理をするに当たっても,その枠組みとなるべきものであった(以下,この枠組みを「サンフランシスコ平和条約の枠組み」という。)。サンフランシスコ平和条約の枠組みは,日本国と連合国48か国との間の戦争状態を最終的に終了させ,将来に向けて揺るぎない友好関係を築くという平和条約の目的を達成するために定められたものであり,この枠組みが定められたのは,平和条約を締結しておきながら戦争の遂行中に生じた種々の請求権に関する問題を,事後的個別的な民事裁判上の権利行使をもって解決するという処理にゆだねたならば,将来,どちらの国家又は国民に対しても,平和条約締結- 12 きながら戦争の遂行中に生じた種々の請求権に関する問題を,事後的個別的な民事裁判上の権利行使をもって解決するという処理にゆだねたならば,将来,どちらの国家又は国民に対しても,平和条約締結- 12 -時には予測困難な過大な負担を負わせ,混乱を生じさせることとなるおそれがあり,平和条約の目的達成の妨げとなるとの考えによるものと解される。 (3)そして,サンフランシスコ平和条約の枠組みにおける請求権放棄の趣旨が,上記のように請求権の問題を事後的個別的な民事裁判上の権利行使による解決にゆだねるのを避けるという点にあることにかんがみると,ここでいう請求権の「放棄」とは,請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではなく,当該請求権に基づいて裁判上訴求する権能を失わせるにとどまるものと解するのが相当である。したがって,サンフランシスコ平和条約の枠組みによって,戦争の遂行中に生じたすべての請求権の放棄が行われても,個別具体的な請求権について,その内容等にかんがみ,債務者側において任意の自発的な対応をすることは妨げられないものというべきであり,サンフランシスコ平和条約14条(b)の解釈をめぐって,吉田茂内閣総理大臣が,オランダ王国代表スティッカー外務大臣に対する書簡において,上記のような自発的な対応の可能性を表明していることは公知の事実である。 被上告人らは,国家がその有する外交保護権を放棄するのであれば格別,国民の固有の権利である私権を国家間の合意によって制限することはできない旨主張するが,国家は,戦争の終結に伴う講和条約の締結に際し,対人主権に基づき,個人の請求権を含む請求権の処理を行い得るのであって,上記主張は採用し得ない。 (4)サンフランシスコ平和条約の締結後,日本国政府と同条約の当事国政府との間では,同条約に従って,役務賠償を含む き,個人の請求権を含む請求権の処理を行い得るのであって,上記主張は採用し得ない。 (4)サンフランシスコ平和条約の締結後,日本国政府と同条約の当事国政府との間では,同条約に従って,役務賠償を含む戦争賠償の在り方について交渉が行われ,その結果,二国間賠償協定が締結され(フィリピン共和国等),あるいは,賠償請求権が放棄された(ラオス人民民主共和国等)が,そこでは,当然ながら,個- 13 -人の請求権を含めた請求権の相互の放棄が前提とされた。日本国政府は,サンフランシスコ平和条約の当事国とならなかった諸国又は地域についても,個別に二国間平和条約又は賠償協定を締結するなどして,戦争賠償及び請求権の処理を進めていったが,これらの条約等においても,請求権の処理に関し,個人の請求権を含め,戦争の遂行中に生じたすべての請求権を相互に放棄する旨が明示的に定められている(「日本国とインドとの間の平和条約」6条,「日本国とビルマ連邦との間の平和条約」5条,「特別円問題の解決に関する日本国とタイとの間の協定」3条,「オランダ国民のある種の私的請求権に関する問題の解決に関する日本国政府とオランダ王国政府との間の議定書」3条,「日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言」6項,「日本国とポーランド人民共和国との間の国交回復に関する協定」4条,「日本国とインドネシア共和国との間の平和条約」4条,「日本国とシンガポール共和国との間の1967年9月21日の協定」2条,「太平洋諸島信託統治地域に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」3条等)。なお,「日本国とマレイシアとの間の1967年9月21日の協定」2条は,「マレイシア政府は,両国間に存在する良好な関係に影響を及ぼす第二次世界大戦の間の不幸な事件から生ずるすべての問題がここに完全かつ最終的に解決されたこ シアとの間の1967年9月21日の協定」2条は,「マレイシア政府は,両国間に存在する良好な関係に影響を及ぼす第二次世界大戦の間の不幸な事件から生ずるすべての問題がここに完全かつ最終的に解決されたことに同意する。」というやや抽象的な表現となっており,表現としては唯一の例外といえるが,同協定がサンフランシスコ平和条約やそれ以後の前記二国間平和条約における請求権の処理と異なった請求権の処理を定めたものと解することはできず,この条項も,個人の請求権を含めて戦争の遂行中に生じたすべての請求権を相互に放棄するサンフランシスコ平和条約の枠組みに従う趣旨のものと解される。 日華平和条約による請求権放棄について- 14 -(1)中国との関係での戦後処理に係る条約としては,上記のとおり,中華民国政府との間で締結された日華平和条約が存在する。同条約11条は,「日本国と中華民国との間に戦争状態の存在の結果として生じた問題」はサンフランシスコ平和条約の相当規定に従うものと規定するところ,その中には,個人の請求権を含む請求権の処理の問題も当然含まれていると解されるから,これによれば,日中戦争の遂行中に生じた中国及び中国国民のすべての請求権は,サンフランシスコ平和条約14条(b)の規定に準じて,放棄されたと解すべきこととなる。また,前記のとおり,議定書1(b)には,「日本国民に対する寛厚と善意の表徴」として,役務賠償も放棄する旨定められている。 (2)ところで,日華平和条約が締結された1952年(昭和27年)当時,中華民国政府は中国大陸を追われ台湾及びその周辺の諸島を支配するにとどまっていたことから,同政府が,日中戦争の講和に係る平和条約を締結する権限を有していたかどうか,疑問の余地もないではない。しかし,当時,中国の政府承認をめぐっては,中華民国政府を 島を支配するにとどまっていたことから,同政府が,日中戦争の講和に係る平和条約を締結する権限を有していたかどうか,疑問の余地もないではない。しかし,当時,中国の政府承認をめぐっては,中華民国政府を承認するアメリカ合衆国を始めとする諸国と中華人民共和国政府を承認するイギリスを始めとする諸国に二分されていたとはいえ,数の上では前者が後者を上回っており,また,国際連合における中国の代表権を有していたのも中華民国政府であったことは公知の事実であって,このような状況下で,日本国政府において中華民国政府を中国の正統政府として承認したのであり,そうすると,中華民国政府が日中戦争の講和に係る平和条約を締結すること自体に妨げはなかったというべきである。 (3)もっとも,前記のとおり,日華平和条約が締結された当時,中華民国政府は台湾及びその周辺の諸島を支配するにとどまっており,附属交換公文には,これ- 15 -を前提として,「この条約の条項が,中華民国に関しては,中華民国政府の支配下に現にあり,又は今後入るすべての領域に適用がある」旨の記載がある。この記載によると,戦争賠償及び請求権の処理に関する条項は,中華人民共和国政府が支配していた中国大陸については,将来の適用の可能性が示されたにすぎないとの解釈も十分に成り立つものというべきである。 したがって,戦争賠償及び個人の請求権を含む請求権の放棄を定める日華平和条約11条及び議定書1(b)の条項については,同条約の締結後中華民国政府の支配下に入ることがなかった中国大陸に適用されるものと断定することはできず,中国大陸に居住する中国国民に対して当然にその効力が及ぶものとすることもできない。そして,被上告人らは,中国大陸に居住する中国国民であることが明らかであるから,同人らに対して当然に同条約による請求権放棄の 陸に居住する中国国民に対して当然にその効力が及ぶものとすることもできない。そして,被上告人らは,中国大陸に居住する中国国民であることが明らかであるから,同人らに対して当然に同条約による請求権放棄の効力が及ぶとすることはできない。 日中共同声明5項による請求権放棄について(1)日中共同声明5項は,「中華人民共和国政府は,中日両国国民の友好のために,日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。」と述べるものであり,その文言を見る限りにおいては,放棄の対象となる「請求」の主体が明示されておらず,国家間のいわゆる戦争賠償のほかに請求権の処理を含む趣旨かどうか,また,請求権の処理を含むとしても,中華人民共和国の国民が個人として有する請求権の放棄を含む趣旨かどうかが,必ずしも明らかとはいえない。 (2)しかしながら,公表されている日中国交正常化交渉の公式記録や関係者の回顧録等に基づく考証を経て今日では公知の事実となっている交渉経緯等を踏まえて考えた場合,以下のとおり,日中共同声明は,平和条約の実質を有するものと解- 16 -すべきであり,日中共同声明において,戦争賠償及び請求権の処理について,サンフランシスコ平和条約の枠組みと異なる取決めがされたものと解することはできないというべきである。 ア中華人民共和国政府は,日中国交正常化交渉に当たり,「復交三原則」に基づく処理を主張した。この復交三原則とは,①中華人民共和国政府が中国を代表する唯一の合法政府であること,②台湾は中華人民共和国の領土の不可分の一部であること,③日華平和条約は不法,無効であり,廃棄されなければならないことをいうものである。中華人民共和国政府としては,このような考え方に立脚した場合,日中戦争の講和はいまだ成立していないことになるため,日中共同声明には平和条約 無効であり,廃棄されなければならないことをいうものである。中華人民共和国政府としては,このような考え方に立脚した場合,日中戦争の講和はいまだ成立していないことになるため,日中共同声明には平和条約としての意味を持たせる必要があり,戦争の終結宣言や戦争賠償及び請求権の処理が不可欠であった。 これに対し,日本国政府は,中華民国政府を中国の正統政府として承認して日華平和条約を締結したという経緯から,同条約を将来に向かって終了させることはともかく,日中戦争の終結,戦争賠償及び請求権の処理といった事項に関しては,形式的には日華平和条約によって解決済みという前提に立たざるを得なかった(日華平和条約による戦争賠償及び請求権の処理の条項が中国大陸に適用されると断定することができないことは上記のとおりであるが,当時日本国政府はそのような見解を採用していなかった。)。 イ日中国交正常化交渉において,中華人民共和国政府と日本国政府は,いずれも以上のような異なる前提で交渉に臨まざるを得ない立場にあることを十分認識しつつ,結果として,いずれの立場からも矛盾なく日中戦争の戦後処理が行われることを意図して,共同声明の表現が模索され,その結果,日中共同声明前文におい- 17 -て,日本国側が中華人民共和国政府の提起した復交三原則を「十分理解する立場」に立つ旨が述べられた。そして,日中共同声明1項の「日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は,この共同声明が発出される日に終了する。」という表現は,中国側からすれば日中戦争の終了宣言と解釈できるものであり,他方,日本国側からは,中華人民共和国政府と国交がなかった状態がこれにより解消されたという意味に解釈し得るものとして採用されたものであった。 ウ以上のような日中国交正常化交渉の経緯に照らすと,中華人民共和国 本国側からは,中華人民共和国政府と国交がなかった状態がこれにより解消されたという意味に解釈し得るものとして採用されたものであった。 ウ以上のような日中国交正常化交渉の経緯に照らすと,中華人民共和国政府は,日中共同声明5項を,戦争賠償のみならず請求権の処理も含めてすべての戦後処理を行った創設的な規定ととらえていることは明らかであり,また,日本国政府としても,戦争賠償及び請求権の処理は日華平和条約によって解決済みであるとの考えは維持しつつも,中華人民共和国政府との間でも実質的に同条約と同じ帰結となる処理がされたことを確認する意味を持つものとの理解に立って,その表現について合意したものと解される。以上のような経緯を経て発出された日中共同声明は,中華人民共和国政府はもちろん,日本国政府にとっても平和条約の実質を有するものにほかならないというべきである。 そして,前記のとおり,サンフランシスコ平和条約の枠組みは平和条約の目的を達成するために重要な意義を有していたのであり,サンフランシスコ平和条約の枠組みを外れて,請求権の処理を未定のままにして戦争賠償のみを決着させ,あるいは請求権放棄の対象から個人の請求権を除外した場合,平和条約の目的達成の妨げとなるおそれがあることが明らかであるが,日中共同声明の発出に当たり,あえてそのような処理をせざるを得なかったような事情は何らうかがわれず,日中国交正常化交渉において,そのような観点からの問題提起がされたり,交渉が行われた形- 18 -跡もない。したがって,日中共同声明5項の文言上,「請求」の主体として個人を明示していないからといって,サンフランシスコ平和条約の枠組みと異なる処理が行われたものと解することはできない。 エ以上によれば,日中共同声明は,サンフランシスコ平和条約の枠組みと異なる趣旨のものでは していないからといって,サンフランシスコ平和条約の枠組みと異なる処理が行われたものと解することはできない。 エ以上によれば,日中共同声明は,サンフランシスコ平和条約の枠組みと異なる趣旨のものではなく,請求権の処理については,個人の請求権を含め,戦争の遂行中に生じたすべての請求権を相互に放棄することを明らかにしたものというべきである。 (3)上記のような日中共同声明5項の解釈を前提に,その法規範性及び法的効力について検討する。 まず,日中共同声明は,我が国において条約としての取扱いはされておらず,国会の批准も経ていないものであることから,その国際法上の法規範性が問題となり得る。しかし,中華人民共和国が,これを創設的な国際法規範として認識していたことは明らかであり,少なくとも同国側の一方的な宣言としての法規範性を肯定し得るものである。さらに,国際法上条約としての性格を有することが明らかな日中平和友好条約において,日中共同声明に示された諸原則を厳格に遵守する旨が確認されたことにより,日中共同声明5項の内容が日本国においても条約としての法規範性を獲得したというべきであり,いずれにせよ,その国際法上の法規範性が認められることは明らかである。 そして,前記のとおり,サンフランシスコ平和条約の枠組みにおいては,請求権の放棄とは,請求権に基づいて裁判上訴求する権能を失わせることを意味するのであるから,その内容を具体化するための国内法上の措置は必要とせず,日中共同声明5項が定める請求権の放棄も,同様に国内法的な効力が認められるというべきで- 19 -ある。 (4)以上のとおりであるから,日中戦争の遂行中に生じた中華人民共和国の国民の日本国又はその国民若しくは法人に対する請求権は,日中共同声明5項によって,裁判上訴求する権能を失ったというべきであり (4)以上のとおりであるから,日中戦争の遂行中に生じた中華人民共和国の国民の日本国又はその国民若しくは法人に対する請求権は,日中共同声明5項によって,裁判上訴求する権能を失ったというべきであり,そのような請求権に基づく裁判上の請求に対し,同項に基づく請求権放棄の抗弁が主張されたときは,当該請求は棄却を免れないこととなる。 まとめ本訴請求は,日中戦争の遂行中に生じた中国人労働者の強制連行及び強制労働に係る安全配慮義務違反等を理由とする損害賠償請求であり,前記事実関係にかんがみて本件被害者らの被った精神的・肉体的な苦痛は極めて大きなものであったと認められるが,日中共同声明5項に基づく請求権放棄の対象となるといわざるを得ず,自発的な対応の余地があるとしても,裁判上訴求することは認められないというべきである。したがって,請求権放棄をいう上告人の抗弁は理由があり,以上と異なる原審の判断には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり,原判決は破棄を免れない。そして,以上説示したところによれば,その余の点について判断するまでもなく,被上告人らの請求は理由がないというべきであり,これを棄却した第1審判決は結論において正当であるから,被上告人らの控訴をいずれも棄却すべきである。 なお,前記2(3)のように,サンフランシスコ平和条約の枠組みにおいても,個別具体的な請求権について債務者側において任意の自発的な対応をすることは妨げられないところ,本件被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった一方,上告人は前述したような勤務条件で中国人労働者らを強制労働に従事させて相- 20 -応の利益を受け,更に前記の補償金を取得しているなどの諸般の事情にかんがみると,上告人を含む関係者において,本件被害者らの被害の救済に向けた努 件で中国人労働者らを強制労働に従事させて相- 20 -応の利益を受け,更に前記の補償金を取得しているなどの諸般の事情にかんがみると,上告人を含む関係者において,本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待されるところである。 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。 (裁判長裁判官中川了滋裁判官今井功裁判官古田佑紀)
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