平成11(行ウ)57等 横浜北労基署長療養補償給付不支給処分取消

裁判年月日・裁判所
平成12年12月7日 横浜地方裁判所
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判決文本文16,560 文字)

主文 一被告が平成八年七月九日付けで原告に対してした、労働者災害補償保険法に基づく療養補償給付を一部支給しないとの処分は、平成四年一月一日から平成五年三月二八日までの請求期間についての給付に関する部分(請求金額計二九万七七七〇円)について、これを取り消す。 二訴訟費用は被告の負担とする。 事実及び理由 第一本件請求主文第一項同旨第二事案の概要等一事案の概要本件は、日雇労働者としての港湾荷役作業の業務に起因して変形性腰椎症に罹患し、その治療のため一般診療とはり・きゅう治療の併行施術を受け、労災保険法上の療養補償給付を受けてきた原告が、被告に対し、はり・きゅう治療費の労災給付を請求したところ、請求権の時効消滅を理由として一部不支給処分とされたことにつき、右処分は違法であるとして、不支給部分の取消しを求めている事案である。 二争いのない事実等次の事実は、当事者間に争いがないか、後掲の確実な証拠により認められる。 1(一) 原告は、長期間日雇労働者として港湾荷役作業に従事し、昭和六三年六月ころ同業務に起因して変形性腰椎症(以下「本件疾病」という。)を発症し、同月二七日から一般診療を、平成二年一一月一二日からはり・きゅう治療を受けた。 被告は、原告の療養に関し、一般診療については昭和六三年六月二七日から現在までの全部につき、はり・きゅう治療については平成二年一一月一二日から平成三年一一月一一日までの分につき、療養補償給付たる療養の給付を行った。 なお、本件疾病に対する治療としては、現在でも一般治療及びはり・きゅう治療の併行施術が必要である。 (二) 被告は、原告に対し、書面により、はり・きゅう施術については、政府が必要と認めた期間がまもなく満了するとして、満了日の翌日以降のはり・きゅう施術については、症状 療の併行施術が必要である。 (二) 被告は、原告に対し、書面により、はり・きゅう施術については、政府が必要と認めた期間がまもなく満了するとして、満了日の翌日以降のはり・きゅう施術については、症状固定後の後遺症状としてのはり・きゅう療養として最長一年間の給付を受ける以外、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)上の労災保険給付の対象とはならない旨を通知した。 (甲一三)しかし、原告は、満了日の翌日である平成三年一一月一二日以降もはり・きゅう施術を受け、平成四年一月一日から平成五年三月二八日までの間(以下「本件対象期間」という。)に、横浜市〈以下略〉所在の港町診療所(以下「本件医療機関」という。)に通院し、そのころ同診療所に対し、少なくとも計二九万七七七〇円のはり・きゅう治療費を支払った。 (乙一〇一の1、2)(三) 原告は、被告に対し、平成七年三月二九日、平成四年九月一日から平成六年九月三〇日までの間のはり・きゅう治療費の右自己負担分五一万一〇〇〇円について、療養補償給付たる療養の費用請求をした。 被告は、平成八年七月九日、右療養費用請求のうち、平成五年三月二九日から平成六年九月三〇日までに相当する三六万七九二〇円については支給したが、本件対象期間中の療養費用については、労災保険法四二条に基づき二年間の短期消滅時効により請求権が消滅したとして、原告の右療養の費用請求についていずれも不支給と決定した(以下「本件処分」という。)。 (四) 原告は、平成八年九月四日、神奈川労働者災害補償保険審査官に対し、審査請求をしたが、同審査官は、平成一〇年八月一〇日、本件処分の理由を維持したうえ、右審査請求を棄却した。原告は、同年九月二四日、労働保険審査会に対し、再審査請求をしたが、同審査会は、平成一二年四月二〇日付けで、同再審査請求を 平成一〇年八月一〇日、本件処分の理由を維持したうえ、右審査請求を棄却した。原告は、同年九月二四日、労働保険審査会に対し、再審査請求をしたが、同審査会は、平成一二年四月二〇日付けで、同再審査請求を棄却した。 (乙六、一〇二)2(一) 労働省労働基準局長は、昭和五七年五月三一日、「労災保険における『はり・きゅう及びマッサージ』の施術に係る保険給付の取扱いについて」と題する基発第三七五号通達及びその運用上の留意事項につき事務連絡第三〇号(以下「三七五通達等」という。)を発した。三七五通達等は、はり・きゅう治療に関する労災保険の支給対象、施術期間について次のとおり定めた(ただし、要旨に限り、必要部分以外は省略する。)。 (甲七、八)(1) 支給対象原疾患の個々の症例により、一般医療(主として理学療法)と、はり・きゅう施術を併せて行うことにより運動機能等の回復が期待しうるものとして、医師が必要と認め、治療目的を明記した診断書によって指示を与えたもの(以下「併行施術」という。)(2) 施術期間施術期間は、初療の日から九か月以内を限度とする。 初療の日から九か月を経過した時点において、はり・きゅう師に意見書及び症状経過表の提出を求め、さらに、医師に対してはり・きゅうの施術効果について、診断・意見を求め、その結果、施術効果がなお期待し得ると認めたときは、さらに三か月(初療の日から一二か月)を限度に延長することができる。 (3) 施術期間が初療の日から一二か月経過したものについては、次により取り扱う。 一般医療とはり・きゅうの施術を併せて行っている者については、初療の日から一二か月経過した以後のはり・きゅうの施術については、療養の対象としないが、この場合には、医師に一般医療の継続の要否等について意見を求めて対処する。 (二) 神奈川労働基準 者については、初療の日から一二か月経過した以後のはり・きゅうの施術については、療養の対象としないが、この場合には、医師に一般医療の継続の要否等について意見を求めて対処する。 (二) 神奈川労働基準局長は、昭和五七年六月一七日付けの書面をもって、神奈川県内の労災保険指定医療機関に対し、労働省が三七五通達等により同年七月一日以降、労災保険におけるはり・きゅう施術にかかる保険給付の取扱いを変更したことを通知した。また、被告などの労働基準監督署長は、三七五通達等に反した取扱いを継続した労災保険指定医療機関に対しては、個別に労働者氏名を特定して、労災医療としての診療を行わないよう求めるとともに、労災保険法一三条による療養の範囲とは認められない旨を通知した。 (甲一五ないし一七)(三) 労働省労働基準局長は、平成八年二月二三日、「労災保険における『はり・きゅう及びマッサージ』の施術に係る保険給付の取扱いの一部改定について」と題する基発第七九号通達(以下「七九通達」という。)及びその運用上の留意事項につき事務連絡第六号を発し、七九通達は、併行施術に関する労災保険の施術期間について三七五通達等を次のとおり改めた(ただし、要旨に限り、必要部分以外は省略する。)。 (乙一、二)(1) 医師が施術効果が認められると判断した場合に行われた施術については、保険給付の対象とする。 ただし、初療の日から六か月を経過したものについては、改めて診断書を必要とする。 (2) 初療の日から九か月を経過した時点において、はり・きゅう師の意見書及び症状経過表の提出を求め、さらに、医師に対し、はり・きゅうの施術について診断・意見を求め、その結果、施術効果がなお期待し得ると認めたときは、施術期間を更に三か月間延長することができる。 なお、初療及び一二か月以降の施術に係る診断書 師に対し、はり・きゅうの施術について診断・意見を求め、その結果、施術効果がなお期待し得ると認めたときは、施術期間を更に三か月間延長することができる。 なお、初療及び一二か月以降の施術に係る診断書を作成する際には、施術効果の評価表若しくは治療成績判定基準又は関節可動域表示並びに測定法による評価を行い、その結果については診断書に添付するものとする。 三争点及び争点に関する当事者の主張前示のとおり、本件においては、本件対象期間中の療養費用について、原告がはり・きゅう治療を受ける必要があったことは当事者間に争いがないから、本件対象期間に原告が受けたはり・きゅう治療に要した費用についての原告の被告に対する療養補償給付たる療養の費用請求権(以下「本件療養費用請求権」という。)が労災保険法四二条に基づき時効消滅したとした本件処分の適法性が問題となる。 よって、以下の二つが争点となる。 1 本件療養費用請求権の消滅時効の起算点はいつか。 (原告の主張)三七五通達等に定めた最長一年間の施術期間を超えてなされたはり・きゅう施術についての療養補償給付請求(以下「所定期間を超えた療養補償請求」という。)の場合、労働省及びその指揮監督下で労働災害補償保険事業を具体的に運用する被告などの全国の労働基準監督署長ら(以下「労働行政機関」という。)は、右請求権は政府が必要と認めた期間を超えてなされた以上、労災保険法上の給付請求権として成立せず、法律上の障害があるとの立場をとっていたため、仮に、本件対象期間中に被告に対して療養補償給付を求めたとしても、一律に右請求には応じなかったはずである。そのうえ、終始一貫して各労災保険指定医療機関や原告などの被災労働者に対して、右の立場から広報、通知をし、行政指導を行い、不支給処分に対する不服申立ても一律に同見解によってい じなかったはずである。そのうえ、終始一貫して各労災保険指定医療機関や原告などの被災労働者に対して、右の立場から広報、通知をし、行政指導を行い、不支給処分に対する不服申立ても一律に同見解によっていた。かかる立場に置かれた通常人である一般被災労働者にとって、労災給付請求を行ったり、消滅時効中断のために形式的に労働行政機関に対する労災給付請求をしておいたり、さらには不支給処分があればその処分取消しを求めて行政訴訟で争うことが現実的に期待し得ないことは明らかである。また、被告は、所定期間を超えるはり・きゅうの施術は労災保険の対象外であることを言明していたから、被災労働者に対して、右施術を受けるには自費又は健康保険によることを指導してきたことにほかならない。このため、被災労働者は、後者の手段を選択しなければ、他に右施術を受ける方途はないと認識したのであり、この点も参酌すると、本件は、権利行使を現実的に期待し得ないとして時効の起算点を遅らせることを認めた最高裁判所昭和四五年七月一五日大法廷判決(民集二四巻七号一五頁参照)の事案に比肩するものであり、原告の権利行使の困難性は甚だしい。 そうした中、大阪高等裁判所は、平成六年一一月三〇日、所定期間を超えた療養補償請求権についての不支給処分取消請求事件について、三七五通達等がはり・きゅう治療について労災保険給付の対象となる施術期間を一律に終了させる取扱いとする旨定めているのは、医学的知見に照らして合理的根拠を欠くというべきであるから、同通達等は労災保険法一三条二項に反し、違法であるとしたうえ、原判決を取り消し、右不支給処分を取り消すとの判決を言い渡し、同判決は確定した。 よって、原告など被災労働者にとって、療養補償給付請求権の行使が現実的に期待可能となったのは、早くとも右判決が確定し、三七五通達等 消し、右不支給処分を取り消すとの判決を言い渡し、同判決は確定した。 よって、原告など被災労働者にとって、療養補償給付請求権の行使が現実的に期待可能となったのは、早くとも右判決が確定し、三七五通達等の期間制限について否定的な評価が報道されるようになって以降というべきであるから、同時点をもって本件療養費用請求権の消滅時効の起算点と解すべきである。 (被告の主張)療養補償給付としての療養費用の支給を受ける権利は、労働者が療養を受けることによって法律上発生するものであるから、この権利の消滅時効期間の起算点は、原則として療養を受けた日であり、当該日が消滅時効の起算点となる。これは、所定期間を超えた療養費用請求権についても同様である。しかし、原告が、被告に対し、本件療養費用請求権につき支給申請したのは、いずれも右消滅時効起算点から二年間を経過した後であるから、労災保険法四二条、民法一六六条一項、会計法三一条一項により、同請求権は確定的に時効消滅した。 療養補償給付としての療養費用の支給を受ける権利は、労働者が労働基準監督署に保険給付請求書の提出を行うことにより請求権を行使し得るものであり、療養費用を支払い、又は支払うべき金額が確定すれば、権利を行使するについて法律上の障害はない。なるほど被告は、労災保険指定医療機関への三七五通達等の周知措置を採り、また、原告に対し、同通達等による療養期間満了の通知を発出しているが、これらは、労働者の立場を通知したものであって、これにより法律上の請求権の存否が確定されるものではないから、右通知等は、法律上の障害に当たらないことは明らかである。また、原告が指摘する昭和四五年の最高裁判決は、消滅時効が問題とされた権利の前提条件について当事者間に争いがあることにより、権利を行使することが権利者の本来の主張に矛盾すると いことは明らかである。また、原告が指摘する昭和四五年の最高裁判決は、消滅時効が問題とされた権利の前提条件について当事者間に争いがあることにより、権利を行使することが権利者の本来の主張に矛盾するという、性質上極めて特殊な関係にある権利に関する限定的な結論である。本件では、権利の前提要件に争いがなく、権利行使をすることが権利者の本来の主張と矛盾する関係にないから、権利の性質上、その権利行使が現実に期待できるものであることは明らかであり、右判決とは事案が異なる。 なお、審査請求前置主義が時効の進行を妨げるものではないことは明らかである。 2 被告が、原告に対し、本件処分及び本訴訟において本件療養費用請求権の時効消滅を主張することは、信義則違反あるいは禁反言法理にあたるとして制限されるか。 (原告の主張)(一) 被告は、三七五通達等に基づいて、一年間を超えてなされたはり・きゅう治療は、労災保険法が認める療養の範囲を超えるものとして請求権自体がないものと言明し、原告を含む被災労働者や医療機関に対してもそれを周知徹底させる措置を講じた。それは、請求の受理を直接物理的に拒むものではなかったとしても、請求をしても認められないと告知するものであり、実際三七五通達等施行直後の若干の例外を除いて、その趣旨は徹底され、被災労働者らは請求しても意味がないものと観念させられたため、本来必要かつ相当な療養であるにもかかわらず、療養補償給付の受給を断念して自費でその療養を行わざるを得ない地位に余儀なくされた。 右の先行行為を行っていた被告が、「自分たちが請求権はないよと言っていたときから既に時効は進行し、自分たちがそう言っている間に時効は完成した。」として当該請求権の時効消滅を主張するのは、先行行為に直接矛盾する行為である。しかも、その先行行為は誤りであり、被 言っていたときから既に時効は進行し、自分たちがそう言っている間に時効は完成した。」として当該請求権の時効消滅を主張するのは、先行行為に直接矛盾する行為である。しかも、その先行行為は誤りであり、被告は、誤った公権的解釈を社会的に通用させ、原告に請求権がないと思い込ませたのである。そう思い込んだ原告に落ち度や悪意は全くない。それは、善意の者の権利を自己の非を理由に否定する結果を容認するに等しく、信義則に反する行為と評価されるべきである。 そして、右の事情の下では、時効の進行そのものが開始しないと解すべきである。そうでなくとも、被告自らが右権利の存在の認識ないし権利の行使を積極的に妨げていた本件においては、禁反言の法理ないし信義則の効果として、被告は、原告との関係で、本件療養費用請求権の消滅時効が進行し、完成したと主張することが禁じられると解すべきである。 会計法三一条の規定も、個別事情による信義則の適用を排除するものではない。 ちなみに、労働者性等の前提問題が争われた事案では、労働基準監督署長自らが、後続請求につき、時効の主張を行わないものとされており、本件においても禁反言の法理は適用し得る。 (二) 本件対象期間当時において、仮に原告が、被告に対し、本件のようなはり・きゅう治療についての療養費用請求をしていたとしても、被告が、三七五通達等に従い、政府が必要と認めた期間を超えたものとして不支給処分をしたであろうことは明らかである。審査請求前置主義が採られている労災給付については、不支給処分にはその確定を妨げるため、必ず審査請求をしなければならないところ、審査請求手続においても、いかなる被災内容、病状、治療の必要性、効果の程度等の主張、立証にもかかわらず、同様の理由で審査請求棄却決定がされることは不可避であった。さらに、原告は、同決定に対 いところ、審査請求手続においても、いかなる被災内容、病状、治療の必要性、効果の程度等の主張、立証にもかかわらず、同様の理由で審査請求棄却決定がされることは不可避であった。さらに、原告は、同決定に対し再審査請求をすることとなるが、再審査請求に対しても三七五通達等適用の結果、間違いなく棄却裁決がされるはずであった。このように、原告が、不支給処分取消訴訟提起による療養補償給付請求権の消滅時効中断効を得るためには、制度上、労災給付請求、審査請求、再審査請求での二ないし三度の不支給処分あるいは棄却判断を受けなければならないのである。 被告は、右の実状を自ら作り出したのであるから、これを知悉していたことは明らかであり、右のような審査請求前置主義の採られている労災保険給付制度を前提とするとき、被告が、本件対象期間当時に原告が労災給付請求をしておくべきであったとして、同期間から二年間経過したことをもって本件療養費用請求権が時効消滅したと主張することは、実態とかけ離れた形式論理であり、被災労働者一般に無理を強いるものである。よって、被告の右主張は、禁反言の法理に照らし許されない。 (被告の主張)(一) 労働基準監督署の窓口では、請求人や会社担当者に指導、助言をし、その結果、処分の結論についての見込みを伝えることはあっても、請求を断念させることはあり得ず、請求人が請求の意思を有している請求書の提出がなされれば、必ずその請求書を受理するのであって、通達上不支給になることが明らかな事案であっても、支給申請がなされれば、これを受理しないということはあり得ない。そして、被告が三七五通達等に従い、所定期間を超えた療養については支払わない旨の態度を明らかにしていたという事情があったとしても、原告の本件療養費用請求権が時効消滅したのは、同請求権につき、原告が裁判上 て、被告が三七五通達等に従い、所定期間を超えた療養については支払わない旨の態度を明らかにしていたという事情があったとしても、原告の本件療養費用請求権が時効消滅したのは、同請求権につき、原告が裁判上の請求に及ばなかった結果である。被告は、原告に対し、時効による消滅はない等の言及をしたことはなく、本件における時効の主張は、前の行為に矛盾するものではない。 (二) そもそも信頼保護を中核とする信義則、禁反言の法理を行政庁側へ適用するためには、その前提として、第一に行政庁側の公的言動があったこと、第二に相手方がこの言動は適法又は存続すると正当に信頼したこと、第三に相手方の信頼が法的保護に値することが必要であるところ、本件は、次に主張するとおり、そのいずれも充たしていない。 第一に、被告は、三七五通達等の趣旨を広報しているが、これは同通達等を知らずに所定期間を超えるはり・きゅう施術を受けてしまい、その後不支給になるという、いわゆる不意打ちを避けることを目的としたものであり、何ら不当なものではない。また、右言動の内容は、三七五通達等の所定期間満了後については療養補償給付をしないというに止まり、これを超えて、原告の労災保険法一二条の八第二項の規定に基づく権利の行使の可否について何らかの言動をしたものではない。 第二に、原告は、被告が三七五通達等所定の期間を超えるはり・きゅう施術を療養補償給付の対象としないという立場にあったことを知り、かつ、他の療養方法が存在したにもかかわらず、はり・きゅう施術による療養を選択したから、原告が被告の言動を信頼して行動したということができない。 第三に、所定期間を超えるはり・きゅう施術が労災保険法上の療養補償給付の対象として認められるべきであるとする立場からはり・きゅう施術を選択したのであれば、被告への支給申請を行い うことができない。 第三に、所定期間を超えるはり・きゅう施術が労災保険法上の療養補償給付の対象として認められるべきであるとする立場からはり・きゅう施術を選択したのであれば、被告への支給申請を行い、不支給となっても、訴訟提起する方途もあったにもかかわらず、原告はそのような行動をとっていない。したがって、原告は、自らの権利不行使を被告の責任に転嫁するものであり、法的保護に値すべき立場にない。 そうだとすると、原告は、療養補償給付の対象外であっても自費で施術を受けることを納得の上、あえて他の療養方法によらず、はり・きゅう施術を受けていたと解されるから、本件について労災給付がされないという結論が必ずしも不当とは言えない上、被告において信義に反する行為があった結果生じたともいえないことは明らかである。 (三) さらに、公法関係における私法上の一般法理の適用可能性は、具体的事案における法律による行政との抵触を検討し、これが認められる事案においては、一般法理の適用には特に慎重でなければならず、制定法の規範的要件についての解釈基準や裁量統制として信義則が機能を果たすことはあっても、明確な制定法の要件に反することになる形態での一般法理の適用は、極めて厳格にされなければならない。本件について被告が禁反言により訴訟上時効の主張が制限されるというのは、被告に時効の利益の放棄を求めるものにほかならないところ、これは会計法三一条の規定に反して許されない。 第三争点に対する判断一前示争いのない事実等に基づき、争点1(本件療養費用請求権の消滅時効の起算点はいつか。)について検討する。 1 被災労働者が労働基準監督署長に対して労災保険法上の療養補償給付たる療養の費用を求める権利は、二年間の短期消滅時効により消滅するところ(労災保険法四二条)、同法には時効期間の について検討する。 1 被災労働者が労働基準監督署長に対して労災保険法上の療養補償給付たる療養の費用を求める権利は、二年間の短期消滅時効により消滅するところ(労災保険法四二条)、同法には時効期間の起算点に関する規定がないから、一般原則により民法が適用されることとなる。そして、右の権利は、不法行為に基づく損害賠償請求権ではないから、民法一六六条一項の適用があると解すべきである。また、同項にいう「権利ヲ行使スルコトヲ得ル時」とは、単にその権利の行使につき法律上の障害がないというだけでなく、さらに権利の性質上、その権利行使が現実に期待のできるものであることをも必要とすると解すべきである(最高裁判所昭和四五年七月一五日大法廷判決民集二四巻七号七七一頁参照)。 2 これを本件についてみるに、療養補償給付としての療養費用の支給を受ける権利は、被災労働者が療養を受け、療養費用を自ら支払い、又は支払うべき金額が確定することによって法律上発生するものというべきである。そして、前示のとおりはり・きゅう施術を受けたころに費用を支払った原告が本件療養費用請求権を行使するに際しては、期限未到来、条件不成就等の法律上の障害は一切ないことが明らかである。 次に、原告の権利行使が現実に期待することができるものであるかどうかを検討すると、労働省及びその指揮監督下にある労働行政機関は、昭和五七年以降、三七五通達等によりはり・きゅう治療について療養補償給付の対象となる施術期間を最長一年間に限るとの取扱いをしていたのであり、また、被告が原告に対して争いのない事実等1(二)に摘示の通知を発していたことから、本件対象期間当時、原告が被告に対して療養費用の給付を請求したとしても、被告が同通達等の存在を理由に支払を拒んだであろうことは明らかである。そして、原告は、被告による三七五 知を発していたことから、本件対象期間当時、原告が被告に対して療養費用の給付を請求したとしても、被告が同通達等の存在を理由に支払を拒んだであろうことは明らかである。そして、原告は、被告による三七五通達等の適用に関する言動のため、自費又は健康保険を用いた治療を受けることを余儀なくされたと主張する。しかしながら、原告の本件における請求は、そのようにして支弁した費用について療養補償請求するものであり、原告にとって本来の主張と矛盾する関係にある主張を行うものであると解することはできない。本件においては、単に原告と被告との間に所定期間を超えた療養補償請求にかかる療養費用請求権の存否あるいは権利行使の可否について争いがあるのに過ぎず、被告が右通達等の存在を理由に支払を拒んだからといって、原告の被告に対する療養費用請求権の行使が、その権利の性質上、現実に期待できないものであったとはいえない。本件は、前示の最高裁判所昭和四五年七月一五日大法廷判決や最高裁判所平成八年三月五日第三小法廷判決(民集五〇巻三号三八三頁)とは事案を異にするから、原告の右判決に関する主張は採用しない。 3 そうだとすると、本件療養費用請求権については、原告が本件対象期間中、本件医療機関において療養を受け、療養費用を自費で支払った日毎にその日についての療養費用の消滅時効が進行するものと解すべきであり、原告が裁判上の請求その他の時効中断措置を採っていない以上、右各起算点から二年間を経過したときに労災保険法四二条による消滅時効が完成し、会計法三一条一項の規定により、被告による消滅時効の援用を待たずに、本件療養費用請求権は消滅したものというべきである。 二次に、争点2(被告が、原告に対し、本件処分及び本訴訟において本件療養費用請求権の時効消滅を主張することは、信義則違反あるいは禁反言法 たずに、本件療養費用請求権は消滅したものというべきである。 二次に、争点2(被告が、原告に対し、本件処分及び本訴訟において本件療養費用請求権の時効消滅を主張することは、信義則違反あるいは禁反言法理にあたるとして制限されるか。)について検討する。 1 前示争いのない事実等によれば、被告は、本件対象期間当時、三七五通達等に基づいて、併行施術の場合における一年間を超えるはり・きゅう施術は、労災保険法一三条二項の「政府が必要と認めるもの」に該当せず、療養の給付の範囲を超えるから労災保険給付の支給対象とはならないことを前提として、労災保険指定医療機関に対し、取扱いの変更を広報して周知させるとともに、同通達等に基づく右の施術期間の制限を超えたはり・きゅう施術をする場合には、個別に被災労働者の氏名等を特定して労災保険による診療との扱いをせず、被災労働者の自費負担を求めるよう通知するなど、同通達等の趣旨を周知、遵守させる措置を講じ、原告などの被災労働者に対し、個別にはり・きゅう施術による療養開始から一年間が経過する直前に、療養対象期間満了の日を知らせ、その翌日以後のはり・きゅう施術については症状固定後の後遺症としてのはり・きゅう療養を受ける以外、労災保険の給付の対象とならないことを予め知らせたことが認められる。 よって、被告は、最長一年間の施術期間を超えてなされたはり・きゅう施術について原告から被告に対する労災給付請求が行われることを未然に防ぐ措置を講じていたことが明らかである。この点、被告は、右周知においては、所定期間満了後の施術については療養補償給付をしないことを言及していたに過ぎず、これを超えて、原告の権利の行使の可否について言及していないと主張する。しかし、右説示のとおり、被告は、所定期間満了後の施術については、労災保険法一三条二項の「政 しないことを言及していたに過ぎず、これを超えて、原告の権利の行使の可否について言及していないと主張する。しかし、右説示のとおり、被告は、所定期間満了後の施術については、労災保険法一三条二項の「政府が必要と認めるもの」に該当しないことを理由に、その給付をしないと説明していたのであり、所定期間満了後の施術については原告がこれを受けたとしても療養給付請求権を有しないと言及したものにほかならないのであり、したがって、右請求権の行使ができないことまで言及していたことは明らかである。 2 被告は、三七五通達等の所定期間を超えるはり・きゅうの施術につき、原告が被告への支給申請を行い、不支給となっても訴訟提起する方法があったと主張する。しかしながら、労災保険給付に関する決定の不服申立てについては、審査請求前置主義が採られていることから(労災保険法三七条)、原告は、少なくとも被告に対する労災保険給付請求をし、これに対する不支給処分を受け、その後神奈川労働災害補償保険審査官に対する審査請求をし、これに対する審査請求棄却決定を受け、労働保険審査会に対する再審査請求を行った上、同請求棄却裁決を受けるか、又は三か月間経過しても裁決がないときに初めて当裁判所に対して不支給処分取消訴訟を提起することが可能だったのである。しかも、前示争いのない事実等によれば、三七五通達等は、当時の労働省及びその指揮監督下にある労働行政機関の立場を表明した公式見解であって、労働基準監督署長、労働災害保険審査官、労働保険審査会は、法律上独立してその職権を行使することが保障されていたとはいえ、その判断を行う際には、法令のみならず、通達にも拘束される以上、三七五通達等に反する解釈、運用を行うことが許されなかったことは明らかである。したがって、本件対象期間当時において、原告が被告に対し、本件 の判断を行う際には、法令のみならず、通達にも拘束される以上、三七五通達等に反する解釈、運用を行うことが許されなかったことは明らかである。したがって、本件対象期間当時において、原告が被告に対し、本件対象期間にかかるはり・きゅう治療費の給付を求めたとしても、原告は、三七五通達等に従い、不支給処分を受けていたであろうことも明らかである。しかも、原告が同不支給処分に対し、審査請求の不服申立てをした場合、被災内容、病状、治療の必要性、効果の程度等の主張、立証が充分であったとしても、右審査請求は、三七五通達等の内容を理由として棄却され、かつ、同棄却決定に対して再審査請求の不服申立てをしたとしても、同様の理由で棄却裁決がされたことも避けられない。そうだとすると、原告は、その権利を行使するためには、著しく無駄な手続を数多く踏まなければならないことは明らかである。しかるに、被告は、右の事態になることを承知の上で三七五通達等による処理をしていたのである。 また、右のような事態となることから、原告は、被告の言動に従い自弁したはり・きゅうの療養費を被告に対して請求してこなかったものと推認することができ、原告が、三七五通達を、労働省及び被告といった労働行政機関の公式見解としてやむを得ないものと受け取り、右見解に従って本件療養費用請求権を断念してきたということができる。したがって、ある意味では、原告は被告の言動を正しいものと信頼して請求を断念したものと評価することができ、かつ、原告の右信頼は法的保護に値するというべきである。 なお、本件は、債務者が債権者に対し債務の存在を否定してその請求を拒んだ一事例ということができる。しかし、被告は、政府の一機関として、所定期間経過後のはり・きゅう施術は労災保険法一三条二項の「政府が必要と認めるもの」に該当しないと言明し 存在を否定してその請求を拒んだ一事例ということができる。しかし、被告は、政府の一機関として、所定期間経過後のはり・きゅう施術は労災保険法一三条二項の「政府が必要と認めるもの」に該当しないと言明してきたこと、及び、被災労働者のための不服申立手続である審査請求等においても同様の見解に従うべきものと通達されてきたことに鑑みれば、通常の債務者が法的主張を行って債権者からの請求を拒む場合にはない特別な事情があるものということができ、本件に禁反言の法理を用いることが許されるべきである。 3 弁論の全趣旨によれば、労働省は、東京高等裁判所が平成五年一二月二一日に言い渡した判決及び大阪高等裁判所が平成六年一一月三〇日に言い渡した判決がいずれも三七五通達等に定める施術期間の設定が医学的知見に照らして適当でないと判断したことを契機として、平成七年一月に労働省内に医学専門家等からなる労災医療専門家会議小委員会を設置し、労働省労働基準局長は、同年一二月に同委員会から報告された検討結果を基に七九通達を発したことが認められる。 そして、原告は、右一連の動きを知って、平成七年三月二九日に労災給付請求を行っており、適時にその権利を行使したことは明らかであり、その請求は、保護に値するものというべきである。 よって、労働行政機関たる被告が一年間を超えてはり・きゅう治療による施術を要した被災労働者の一人である原告の権利行使に予め否定的な公式見解を披瀝し、原告に対し、審査請求前置主義との関係から権利行使を萎縮させ、かつ、同見解が正しいものあるいはやむを得ないものと信頼させた以上、原告が労災保険法上の権利を以前に行使していなかった点を落ち度と指摘して原告の被告に対する本件療養費用請求権の時効消滅を主張することは、過去の言動に矛盾する言動であるというべきであるから、原告の 、原告が労災保険法上の権利を以前に行使していなかった点を落ち度と指摘して原告の被告に対する本件療養費用請求権の時効消滅を主張することは、過去の言動に矛盾する言動であるというべきであるから、原告の信頼保護に反し、信義則上許されないと解するのが相当である。 4(一) 右の判断に反し、被告は、原告に対し、本件対象期間中に時効にかからないかのように振る舞ったことはないから、本件処分または本訴訟において時効消滅を主張したとしても、被告には過去の言動と矛盾する行為は全くなく、禁反言の法理が適用できないと主張する。なるほど被告が過去に本件療養費用請求権が時効消滅しないとの態度を採ったことはないことが明らかであるが、同請求権がそもそも存在しないとの立場をとっていた被告が右の態度を採り得ないことは明らかであり、被告の現在の言動と矛盾する過去の言動の有無を検討するに当たって、被告主張のように狭義に捉えることは意味がなく、被告の右主張に理由がないことは明らかである。 (二) また、被告は、七九通達による改訂に伴って、同通達の施行期日の規定にもかかわらず、請求時から遡って二年分は支給したのであるから、画一的かつ公平に対応しているのであり、禁反言に触れるような行為もないと主張する。しかし、本件で問題となっているのは、三七五通達等の施行から七九通達施行による改訂に至るまで一三年余りの間、三七五通達等によらざるを得なかった被災労働者の救済であって、このうち最後の二年分の支払をもって公平な処理を行ったということができないことは明らかであり、被告の右主張は理由がない。 (三) さらに、被告は、原告の本件疾病に対する所定期間を超えた療養費用請求については、はり・きゅう施術以外の方法による療養も認めていたから、信義則に反しないと主張する。しかし、主治医が、原告に対し、は さらに、被告は、原告の本件疾病に対する所定期間を超えた療養費用請求については、はり・きゅう施術以外の方法による療養も認めていたから、信義則に反しないと主張する。しかし、主治医が、原告に対し、はり・きゅう施術をすることが必要であると認めたからこそ右施術をしたことが推認され、また、その必要性があったことは当事者間に争いがないのであるから、主治医の指示に逆らってまで他の療養を受けるべきことを主治医に求めなかったことを原告の責めに帰すのは酷であり、被告の右主張には理由がない。 (四) 被告は、本件対象期間当時、原告ははり・きゅう施術が労災給付の対象とならないことを知悉しながら、他の療養方法によらず、あえてはり・きゅう施術を選択したのに、訴訟提起もせず、自費診療を継続した以上、同期間について療養費用を給付しないとの結論が不当とは言えないと主張する。しかし、右指摘の各事情によっても、原告が療養を受けていた当時あるいはその後に本件療養費用請求権を放棄したものとは認められない上に、他の治療方法の存在については(三)に述べたとおりであるから、原告への療養費用の給付がないとの結論をもって正当とは認め難い。よって、被告の右主張には理由がない。 (五) なお、被告は、最高裁判所昭和六二年一〇月三〇日第三小法廷判決(裁判集民事一五二号九三頁)を指摘して、公法関係における私法上の一般法理の適用は特に慎重であるべきであると主張するところ、一般論としては、右主張に理由がないわけではない。しかし、本件においては、前説示のとおり、特別の事情があることから、禁反言の法理の適用は許されるべきである。この点、被告は、明確な制定法である会計法三一条の規定に反することになる形態での禁反言の法理の適用は許されないと主張するが、禁反言の法理は、そのような形式的な法規の適用の主張が正 されるべきである。この点、被告は、明確な制定法である会計法三一条の規定に反することになる形態での禁反言の法理の適用は許されないと主張するが、禁反言の法理は、そのような形式的な法規の適用の主張が正義に反する結果となる場合において、右法規の適用の主張を許さないとするものである。そして、本件において、従前における一方当事者の言動を理由として、禁反言の法理を適用した結果は、被告に時効の利益の放棄を求めた場合とは異ならないとしても、右法理の適用の結果、被告が会計法三一条の規定の適用を主張することを許さないとするに止まり、さらに進んで、被告に時効の利益の放棄まで求めるものではないから、被告の右主張には理由がない。 甲二二(労働基準局労災管理課長外一名作成の平成八年一一月一九日付け事務連絡)によれば、労災保険給付に係る事案の処理が長期間に及んだため、当該請求に対する行政処分が確定した時点では、後続する未請求部分の保険給付請求の時効が完成した場合について、労働保険審査会は、平成七年一月三一日、右後続請求について時効による権利消滅を認めるのは、著しく不合理であるので、監督署長は、時効期間を経過したという理由のみをもって時効の主張は行い得ないものと判断したことが認められる。このように、行政機関自らが会計法三一条の規定の適用を差し控えることもあるのであり、本件において被告が同条の規定の適用を主張することを許さないとしても何ら違法ではない。 三以上によれば、被告が本件処分及び本訴訟において、本件療養費用請求権について、労災保険法四二条、会計法三一条一項に基づき時効消滅したとの主張を行うことは、禁反言の法理ないし信義則違反により許されないというべきであるから、被告の本件処分は、本件対象期間の療養費用について不支給とした部分については取消しを免れない。 第四 消滅したとの主張を行うことは、禁反言の法理ないし信義則違反により許されないというべきであるから、被告の本件処分は、本件対象期間の療養費用について不支給とした部分については取消しを免れない。 第四結論よって、本件請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条を適用して主文のとおり判決する。 横浜地方裁判所第七民事部裁判長裁判官南敏文裁判官矢澤敬幸裁判官藤澤裕介

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