主文 原判決を破棄し,本件を名古屋高等裁判所に差し戻す。 理由 第1 本件の概要 1 原審の確定した事実関係の概要は,次のとおりである。 (1) 上告人らの子であるD(昭和45年9月24日生)は,平成2年8月17日午後0時10分ころ(以下日時の記載はすべて平成2年である。),勤務先で就労中,鋼材を圧延する高熱の金属プレス機のローラー部分に両手を挟まれて両手圧挫創の傷害を負い,午後0時40分ころ,救急車で被上告人の開設するE附属病院(以下「本件病院」という。)に搬送された。その時点におけるDの両手は,高度のはく脱挫滅を来し,受傷時に着用していた手袋の繊維やローラーの機械油などにより著しく汚染された状態であった。 (2) 本件病院の救急部は,同日午後0時40分ころ,Dのバイタルサインのチェック,両手に付着していた手袋繊維の除去,イソジン液,ヒビテン液を用いた消毒などの措置を採り,午後1時30分ころ,抗生剤テストを実施し,これにより適応の認められた抗生剤フルマリン及びセフメタゾンを投与し,創洗浄を行った。 (3) Dは,同日午後2時ころ,本件病院の整形外科に入院し,同科の研修医であるF医師が主治医として治療を担当することになった。午後2時45分ころから,緊急手術が開始され,本件病院の医師らは,Dの右手の圧挫創につき,ヒビテン液を用いてガーゼ,ブラシにより軟部組織,骨片,機械油状のものなどを洗浄,消毒した上,右上肢を駆血して壊死組織,挫滅組織を切除し,さらに生理食塩水による再度のブラッシングを行うなど,約2時間を費やして術前の創傷清拭(デブリードマン)を行った。その後,同医師らは,午後4時55分ころから午後9時5分ころまで,右手の有茎植皮術等の手術を施行し,左手についても,ヒビテン液による- 1 - 間を費やして術前の創傷清拭(デブリードマン)を行った。その後,同医師らは,午後4時55分ころから午後9時5分ころまで,右手の有茎植皮術等の手術を施行し,左手についても,ヒビテン液による- 1 -洗浄,汚染された挫滅組織の除去の後,縫合による創閉鎖が行われた。さらに,術後,感染予防を目的として,パニマイシン,セフメタゾン,フルマリン,モダシン,ペントシリン等の抗生剤が投与された。上記手術の終了時点で,右手については感染が,左手については母指,示指,小指の壊死が懸念されたが,本件病院の医師らは,Dの手指の機能をできるだけ保存,再建する方向で治療に当たることにした。 (4) 同月18日,Dの右手に多量の黄色のしん出液が認められ,左手にも多量の出血が認められた。翌19日には,右手の植皮部,とう骨側の色がくすんでいる状態が認められた。また,同月18日及び20日に採取した血液によるCRP検査の値(炎症や組織破壊性病変の発生によって血流中に急激に増加するたん白の量を測定する検査。正常値0.4未満)は,それぞれ3.6,13.2であった。Dには,同月21日及び22日に,38℃を超える発熱があり,翌23日にはたん白,潜血を伴う尿混濁が認められた。 同月18日から23日までの間,セフメタゾン2g及びパニマイシン50㎎が1日2回投与され,さらに,創の状態に応じて後者の創部への直接散布も併用された。 同月24日からパニマイシンの投与が中止されると共に,セフメタゾンに代えてフルマリン2gが1日2回投与された。 セフメタゾンは,ブドウ球菌に有効であるほか,有効範囲が広く,パニマイシンは特に緑のう菌に有効とされている。フルマリンは,グラム陽性菌及び陰性菌に有効とされている。 (5) 同月25日に採取した血液によるCRP検査の値は,2.59であった。 Dには,抗生 ,パニマイシンは特に緑のう菌に有効とされている。フルマリンは,グラム陽性菌及び陰性菌に有効とされている。 (5) 同月25日に採取した血液によるCRP検査の値は,2.59であった。 Dには,抗生剤が変更された同月24日以降も,37℃から38℃を超える発熱が認められた。 (6) 同月30日,Dの右手に刺激臭を伴う黄緑色のしん出液が多量に認められ,F医師は,担当教授から感染に対する処置を的確に採るよう指示された。同日,- 2 -Dの創部に緑のう菌に有効とされるゲンタシン軟こうが塗布され,うみの細菌学的検査が行われた。 (7) 9月1日,抗生剤の投与がモダシン1gの1日2回投与に変更され,パニマイシンの創部への散布が行われた。モダシンは緑のう菌に有効とされている。 (8) 同月3日,Dには呼吸困難が認められ,翌4日には,8月30日に行われた細菌検査の結果が判明し,Dの創部より緑のう菌及び腸玉菌が検出された。そこで,9月6日から,モダシンの投与に代えて,感受性テストの結果最も感受性の認められたペントシリン2gが1日2回投与され,創部への散布が併用された。ペントシリンは特に緑のう菌及び腸玉菌に対して強い感受性が認められる。Dの発熱は徐々に減退し,同月4日以降は,多少の例外はあるものの,37℃未満の平熱に落ち着くようになり,右手のしん出液及び刺激臭も徐々に減少し,同月6日には消失した。 (9) Dの両手各部に壊死が進行したため,同月10日,顕著な壊死部を中心に,ヒビテン液を用いて,ブラシ,ガーゼによる消毒,壊死部の除去が行われ,右手の皮弁切離術及び左手小指の小指断端形成術がそれぞれ施行された。しかし,翌11日のCRP検査の値は,2.95と高く,同日から壊死が認められ,同月13日には,左手に顕著な壊死,右手に壊死ないしその傾向が認められた。 び左手小指の小指断端形成術がそれぞれ施行された。しかし,翌11日のCRP検査の値は,2.95と高く,同日から壊死が認められ,同月13日には,左手に顕著な壊死,右手に壊死ないしその傾向が認められた。 (10) 同月21日,Dの右手に緑黄色のしん出液が認められ,感染の可能性が疑われたので,右手の壊死部の切除が行われ,同日及び翌22日には,ペントシリンの創部への散布が行われた。この結果,同月23日には,右手の緑黄色のしん出液は消失した。 (11) 同月26日の時点で,Dの両手各部に顕著な壊死が認められたため,同日,F医師は,ヒビテン液を用いて洗浄をしつつ,右手の壊死組織を除去し,右母指の再建のための処置を施行した後,両手の有茎植皮術を施行した。 - 3 -(12) Dは,翌27日から発熱し,以降,10月1日まで最高体温38℃から41℃の発熱が継続し,とう痛や悪寒を強く訴えた。9月28日からペントシリンの投与と併行して抗生剤アミカシン200㎎の追加投与が開始された。同月29日には右手掌部側の創部に緑色のガーゼ汚染が認められ,ペントシリンの投与量が1日3回(合計6g)に増量された。翌30日には,右手掌部側の創部から刺激臭が認められ,10月1日夜,悪寒,戦りつ,吐き気,けん怠感も著明となり,41.1℃の高熱が認められた。 (13) 同月2日午前10時ころ,右手創部のガーゼ一面に緑ないし水色の汚染が認められ,悪寒,戦りつが著明で,1分間30回の頻呼吸が認められ,頭痛及び胸部不快の強い訴えがあった。午後3時20分ころには,頻呼吸とともに軽度の呼吸困難が認められ,呼びかけに対する反応は鈍く,意識レベルの低下が認められ,午後3時30分ころには,けいれん発作とともに意識を消失した。午後3時40分ころ,本件病院内科のG医師が診察したところ,Dの状態は, 認められ,呼びかけに対する反応は鈍く,意識レベルの低下が認められ,午後3時30分ころには,けいれん発作とともに意識を消失した。午後3時40分ころ,本件病院内科のG医師が診察したところ,Dの状態は,けいれんは治まっていたものの,呼名に反応せずに体を動かしている,いわば不穏状態であり,瞳孔は散大し,対光反応が認められず,左右の眼振が著明であった。G医師は,エンドトキシンショックを疑い,抗生剤チエナム及びステロイドの投与等を行ったが,午後4時30分ころから,呼吸の不規則性の増悪,おう吐がみられ,四肢が冷たくチアノーゼが認められた。 (14) Dは,同日午後7時ころ,呼吸停止及び心停止状態となり,午後7時57分死亡が宣告された。翌日,Dの病理解剖が行われ,その結果,両肺無気肺(ただし左肺一部換気),敗血症性脳内小血管炎,脳浮しゅ,感染脾,全身うっ血傾向,右鎖骨窩血しゅ,右胸水の各剖検診断が示されている。 2 上告人らは,本件病院の医師には,細菌感染症に対する適切な予防措置を講ずべきであったのにこれを怠り,細菌検査を長期間行わず,感染していた緑のう菌- 4 -に有効な抗生剤を投与しなかったことなどの注意義務違反があり,そのためDが死亡するに至ったと主張して,主位的に債務不履行,予備的に不法行為に基づき,被上告人に対して損害賠償を請求している。 第2 上告代理人加藤良夫,同多田元の上告理由第三,三について 1 上告理由は,本件病院の医師が講ずべきであった細菌感染症に対する予防措置に関するものである。 2 原審は,次のとおり判示して,本件病院の医師に細菌感染症に対する予防措置についての注意義務の違反はなかったと判断した。 (1) Dの直接の死因は,緑のう菌を起炎菌とする敗血症のり患に伴って急激に出現した細菌毒素性脳症と敗血症性ショック症候群 細菌感染症に対する予防措置についての注意義務の違反はなかったと判断した。 (1) Dの直接の死因は,緑のう菌を起炎菌とする敗血症のり患に伴って急激に出現した細菌毒素性脳症と敗血症性ショック症候群であり,両者の優劣はつけがたい。 (2) Dの両手の挫滅の程度は高度であり,かつ,機械油や手袋の繊維などが付着していたなどの悪条件の下で,本件病院の医師は,若年のDの手の機能をできるだけ残す方針の下,その時点で相当と考えられる手段を尽くして感染を防ぐ措置を講じたものと認められるから,結果的に,8月17日以降,感染によると思われるしん出液,発熱等の症状が発現したとしても,直ちに本件病院の医師の注意義務違反を認定ないし推認することはできない。 (3) Dの治療期間における本件病院の医師による消毒及びガーゼ交換の措置に注意義務違反があるとは認められない。 (4) 結果的に緑のう菌感染が生じた本件において,セフメタゾン及びフルマリンの投与は意味がなかったことになり,特に8月24日から30日までの間に投与された抗生剤はフルマリンだけであったから,その時点では有効な抗生剤の投与がなかったことになる。しかしながら,最も適切な抗生剤はある程度の試行錯誤を経て発見されるのが通例であるところ,同月24日の抗生剤の変更は同月23日に行- 5 -った尿検査の結果パニマイシンによる腎機能障害が疑われたことによるもので,その時点における判断としてはやむを得ないものであったと考えられ,さらに,同月30日まで創部の細菌検査が実施されなかったことについては,できる限り早期の検査実施が望ましいとはいうものの細菌感染を疑わせるうみ状のものや刺激臭が現れていなかった以上,不適切な措置とまではいえない。9月4日に細菌検査の結果が出され,Dの創部から緑のう菌及び腸玉菌を検出するや 実施が望ましいとはいうものの細菌感染を疑わせるうみ状のものや刺激臭が現れていなかった以上,不適切な措置とまではいえない。9月4日に細菌検査の結果が出され,Dの創部から緑のう菌及び腸玉菌を検出するや,直ちに感受性の認められたペントリシンの投与に切り替えられ,その結果,Dの創部の刺激臭及びしん出液はほぼ消失するに至っていることを考慮すると,有茎植皮術が行われた同月26日までの治療期間中における本件病院の医師による抗生剤投与は適切であったと認められ,本件病院の医師の注意義務違反を認めることはできない。 3 しかしながら,原審の上記2の(4)の認定判断は是認することができない。 その理由は,次のとおりである。 (1) 本件記録によれば,次の医学的知見がうかがわれる。 ア外傷の治療において,開放創からの感染の防止がまず絶対に必要であり,外傷初期治療の原則である。 イ傷治療の最終目的は,開放している創を閉じて一次的に治癒せしめることにあるが,創には異物や細菌の混入の危険が常にあることを考えると,創汚染を見落として放置したままいかに創をうまく閉じてみても無意味であるばかりでなく,むしろ創を悪化させることになる。被害を受けた組織は細菌にとって格好の生息培地となり,容易に創化のうという事態に連なるから,損傷を受けた組織の修復に先立って創を清浄化することが必要不可欠である。 ウ手術の後2,3日間は,体温が1,2℃上昇するが,これは代謝系の反応によるもので,放置しても次第に正常な体温に回復する。もし手術創の感染が起きれば,さらに体温が上昇し,かつ長く持続する。 - 6 -エ緑のう菌は自然界に広く存在する常在菌の一種であり,その感染力は極めて弱く,健康者では表在部を除いて余り感染が起こらないが,免疫機能の低下した患者等などには,菌交代症や院内感 る。 - 6 -エ緑のう菌は自然界に広く存在する常在菌の一種であり,その感染力は極めて弱く,健康者では表在部を除いて余り感染が起こらないが,免疫機能の低下した患者等などには,菌交代症や院内感染を起こしやすく,創傷感染では,普通局所の化のうをもたらすのみであるが,ときには血流に入って敗血症を起こすこともある。 緑のう菌感染の治療には,抗生剤(抗菌剤)の投与が有効である。 (2) 上記の医学的知見によれば,重い外傷の治療を行う医師としては,創の細菌感染から重篤な細菌感染症に至る可能性を考慮に入れつつ,慎重に患者の容態ないし創の状態の変化を観察し,細菌感染が疑われたならば,細菌感染に対する適切な措置を講じて,重篤な細菌感染症に至ることを予防すべき注意義務を負うものといわなければならない。 前記事実関係によれば,①受傷時のDの創は,著しく汚染された状態であり,本件病院の医師が,8月17日に行われた緊急手術の終了時点で,細菌感染の懸念を有しており,②翌18日に右手に多量の黄色のしん出液が認められ,③抗生剤が投与されている状態の下で,緊急手術後1週間経過してもなお37℃から38℃を超える発熱が継続するなど細菌感染を疑わせる症状が出現しているにもかかわらず,緊急手術後13日目に当たる同月30日になって初めて創部の細菌検査を実施したというのであり,更にDの看護記録の同月27日の欄には,「何の熱か,感染?」との細菌感染を懸念する趣旨の記載があることがうかがわれることにもかんがみれば,本件病院の医師には,現実に細菌検査を行った同月30日より前の時点において,創の細菌感染を疑い,細菌感染の有無,感染細菌の特定及び抗生剤の感受性判定のための検査をし,その結果を踏まえて,感染細菌に対する感受性の強い適切な抗生物質の投与などの細菌感染症に対する予防措置を講 ,創の細菌感染を疑い,細菌感染の有無,感染細菌の特定及び抗生剤の感受性判定のための検査をし,その結果を踏まえて,感染細菌に対する感受性の強い適切な抗生物質の投与などの細菌感染症に対する予防措置を講ずべき注意義務があったものというべきである。そして,前記事実関係によれば,9月6日にいったん緑のう菌感染による症状が消失し,再び同月21日ころに現れた同様の症状も同月23日- 7 -ころまでに消失しているが,本件記録によれば,Dの敗血症の原因となった緑のう菌感染は,同月26日の有茎植皮術において生じたとは考えにくく,抗生剤によって症状が抑えられていたものの8月に既に感染していた緑のう菌が耐性を持って再び活動し始めた可能性があることがうかがわれるのであって,本件において,本件病院の医師が,同月30日より前の時点において,創の細菌感染を疑い,細菌感染症による重篤な結果を回避すべく,前記の措置を講じていれば,Dが本件死亡時点においてなお生存していたがい然性を直ちに否定することはできないというべきである。 そうすると,【要旨】前記事実関係の下において,8月30日まで細菌感染を疑わせるうみ状のものや刺激臭が現れていなかった事実をもって,本件病院の医師による細菌感染症に対する予防措置についての注意義務違反を否定した原審の認定判断には,本件病院の医師において,緑のう菌等の細菌感染を予見し,それに対応した適切な細菌感染症予防措置を講ずべきであった時期についての認定を誤り,ひいては法令の解釈適用を誤った違法があるといわざるを得ず,この違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。これと同旨をいう論旨は理由があり,その余の論旨について判断するまでもなく,原判決は破棄を免れない。そして,本件については,本件病院の医師においてDの細菌感染を予見し得べきであ すことが明らかである。これと同旨をいう論旨は理由があり,その余の論旨について判断するまでもなく,原判決は破棄を免れない。そして,本件については,本件病院の医師においてDの細菌感染を予見し得べきであった時期及びその予見に基づき重篤な細菌感染症を免れるために講ずべき予防措置並びにその予防措置が講じられていたならばDがその死亡時点においてなお生存していたがい然性の有無,程度等につき更に審理を尽くさせる必要があるから,本件を原審に差し戻すこととする。 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。 (裁判長裁判官亀山継夫裁判官河合伸一裁判官福田博裁判官北川弘治裁判官梶谷玄)- 8 -
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