平成30(わ)353 傷害

裁判年月日・裁判所
平成30年12月26日 名古屋地方裁判所
ファイル
hanrei-pdf-88631.txt

判決文本文6,200 文字)

判決 主文 被告人を懲役1年6月に処する。 未決勾留日数中190日をその刑に算入する。 この裁判が確定した日から3年間その刑の執行を猶予し,その猶予の期間中被告人を保護観察に付する。 理由 (罪となるべき事実)被告人は,平成29年12月4日午後0時30分頃から同日午後2時43分頃までの間に,愛知県大府市a町b丁目c番地のdA方において,長男であるB(当時2歳)に対し,呼吸抑制作用等を有するエチゾラムを含有する錠剤約1錠を同人の口に入れて飲み込ませ,同錠剤十数錠及び脈拍抑制作用等を有するプロプラノロール塩酸塩を含有する錠剤約3錠を粉末状に砕いて溶かした水溶液を同人の口に入れて飲み込ませ,さらに,血圧低下作用等を有するアセトアミノフェンを含有する坐剤約4個を同人の直腸内に挿入し,よって,同人に入院加療約3日間を要する急性薬物中毒の傷害を負わせたものである。 (弁護人の主張に対する判断) 1 弁護人の主張及び当裁判所の結論弁護人は,被告人は,犯行当時,愛着障害及びその二次的症状である大うつ病性の状態などにより,思考停止の状況に陥り,被害者を殺害する以外の選択肢を検討することができなくなっており,行動制御能力を欠いていた又は著しく障害されていたとして,心神喪失又は心神耗弱の状態にあった旨主張する。 当裁判所は,被告人が犯行当時に完全責任能力を有していたものと判断したので,以下,その理由を説明する。 2 関係証拠によれば,以下の事実を認めることができる。 ⑴ 犯行に至るまでの状況 被告人は,平成 告人が犯行当時に完全責任能力を有していたものと判断したので,以下,その理由を説明する。 2 関係証拠によれば,以下の事実を認めることができる。 ⑴ 犯行に至るまでの状況 被告人は,平成29年8月下旬頃,夫が適応障害のため休職したことを受けて経済的に不安を感じるようになり,また,長男(当時2歳)である被害者に関し,幼児教室で指示の入りにくさを指摘されたことなどから発達障害や聴覚障害があると思い込み,その将来を悲観するようになっていた。これらのほかにも,実父の透析治療が開始されたことなどから家族の介護が差し迫ってきたと感じたり,自身の脳梗塞を疑って脳外科を受診したりするなど,この頃被告人は,日常生活に多くのストレスを感じるようになっており,これらストレスのはけ口として,被害者の頬をたたいたり,首を絞めたり,腕や足を強く握るなどの行為に及ぶようになった。 被告人は,同年11月8日,ストレスから衝動的に被害者の首を絞めてしまい,このときは被害者が泣き出したことからかわいそうに思ってすぐにやめたものの,いつか自分が被害者を殺してしまうのではないかと不安に思い,愛知県大府市が運営する子どもステーションに電話をかけ,被害者の首を絞めてしまったことを申告した。そして,被告人は,相談を受けて被告人方を訪問した同ステーションの職員に対し,どうしていいのか分からない,8年子どもができなくてこんなはずではなかった,クレジットカードも使い一家離散だな,自分が生活習慣を教えないから被害者の発達が遅れたなどと,泣きながら自己の窮状や被害者の将来に対する不安を訴える状況であった。 同月30日には,C児童・障害者相談センターの児童福祉司が,第三者の通報により被告人方を訪問した。被告人は,この訪問について,近隣住民が虐待の通報をしたためで,被害者が施設に 訴える状況であった。 同月30日には,C児童・障害者相談センターの児童福祉司が,第三者の通報により被告人方を訪問した。被告人は,この訪問について,近隣住民が虐待の通報をしたためで,被害者が施設に保護されるものと思い込み,当面は被害者を一時保護するつもりはないと伝える同児童福祉司に対し,被害者と離れたくない旨を繰り返し述べていた。 この頃から被告人は,障害のある被害者が施設に保護されるようなことになれば,被害者はいじめられて辛い思いをする,施設職員にも迷惑をかけるなどと思い込んで被害者の将来を更に悲観し,日常生活上の種々のストレス とも相俟って,被害者を死なせた方が楽になる,自分もこの窮地から脱したいと考えるようになった。 ⑵ 犯行状況被告人は,本件当日である同年12月4日も,朝から被害者を殺してしまおうかと思い悩んでいたところ,クリスマスや被害者の誕生日が近いのに,お金がなく十分なことをしてあげられないという気持ちが大きくなり,同日昼過ぎ頃,被害者を殺めるしかないと考えるに至った。 被告人は,まず被害者の首を絞めたが,被害者が泣き出したためかわいそうに思い,これを断念した。次いで被告人は,被害者を安らかに死なせてあげようと思い,呼吸抑制作用を有し,被告人の夫が精神安定剤として処方されたエチゾラム錠1錠を被害者に飲ませた。その後,同錠剤十数錠と,脈拍抑制作用を有し,被告人の頻脈時のとん服薬として処方されたインデラル錠約3錠を,被害者が飲みやすいようにと,すり鉢に入れてすりこぎで粉末状に砕いて水で溶き,これを飲んだら,おやつにチーズかまぼこをあげるなどと被害者を説得しながら,その水溶液をおもちゃの注射器で吸い上げ,被害者に飲ませた。さらに,血圧低下作用を有する小児用の解熱鎮痛剤であるアセトアミノフェン坐剤4個を被害者に ーズかまぼこをあげるなどと被害者を説得しながら,その水溶液をおもちゃの注射器で吸い上げ,被害者に飲ませた。さらに,血圧低下作用を有する小児用の解熱鎮痛剤であるアセトアミノフェン坐剤4個を被害者に挿肛したが,その際,一気に挿肛すると痛いだろうと考え,時間を置いて2個ずつ入れた。こうして被告人は,手元にあった薬剤を全て被害者に服用・挿肛した。 なお,被告人が被害者に服用・挿肛した薬物の量は,客観的には致死量に遠く及ばない。また,被告人は,看護師資格を有しており,犯行当時も前記各薬剤の効能を正しく認識していた。 ⑶ 犯行後の行動同日午後3時頃,近隣に住む両親と実弟が被害者の異変に気付き,何か飲ませたのではないかなどと被告人を問い詰めたところ,被告人は,当初は否定していたが間もなく事実を認めるに至り,一方,被害者は病院に搬送され て急性薬物中毒と診断された。 被告人は,被害者の搬送先の病院において,看護師に対し,お金がないから,今後生きていてもかわいそう,何で死んでくれなかったんだろう,こんなことになってしまって,家に帰ると児相が来て被害者は保護されてしまって,会えなくなってしまう,警察が来たら自分は逮捕されてしまう,逮捕されると看護師資格もはく奪されるなどと語った。 3 起訴後に被告人の精神鑑定を実施したD医師は,被告人は犯行当時「愛着障害」を有しており,「ストレス反応としての二次的なうつ状態」にもあった(以下,併せて「愛着障害等」ということがある。)と診断している。また,被告人が本件犯行に至った精神医学的機序について,愛着障害者特有の育児困難,ストレス耐性や情報処理能力の低さから,平成29年になって,父親が透析を開始したこと,夫が休職したこと,長男が幼児教室で指示の入りにくさを指摘されたことなどから,強いストレスを感じ, 有の育児困難,ストレス耐性や情報処理能力の低さから,平成29年になって,父親が透析を開始したこと,夫が休職したこと,長男が幼児教室で指示の入りにくさを指摘されたことなどから,強いストレスを感じ,精神的視野狭窄,現実検討能力の低下,易怒性・衝動性の亢進,抑うつ状態に至り,現実から逃げたい,他者から愛情を得たいという気持ちから,被害者の殺害を決意し犯行に及んだものである,としている(以下「D鑑定」という。)。 D医師は十分な専門的学識経験を有する精神科医であり,その診断の根拠とした資料の検討や判断過程に不合理な点は見当たらないから,責任能力判断は,基本的にD鑑定を尊重して行うこととする。 なお,捜査段階で被告人の精神鑑定を実施したE医師は,その鑑定書において,犯行時,被告人は「大うつ病性障害」にり患していたと診断した上で(D医師が操作的診断基準にいう「大うつ病エピソード」を満たす症状を被告人が呈していたと述べていることにかんがみ,E医師とD医師の各診断との間で,診断名が異なるものの,実質的にみて看過できないような齟齬があるとはいえない。),責任能力の評価に関し,未熟な人格傾向を有する者は,短絡反応という行動制御能力の低下に基づく行動を取ることがあるが,「自我」や「理性」といったより 高次の抑制機能が働いている限り,行動制御能力に問題ありとしないと考えるべきである旨述べる。しかし,かかる見解は,法的判断である弁識能力や行動制御能力との関連性についての判断方法として,近時,通用性を有するか疑問があるから,当裁判所の採用するところではなく,翻って,不可分の前提をなすべき精神症状及び精神医学的機序に対するE医師の考察についても採用しない。 4 そこで,前記認定事実及びD鑑定を前提に,本件犯行に至る動機・経緯,犯行状況,犯行後の言動 ,翻って,不可分の前提をなすべき精神症状及び精神医学的機序に対するE医師の考察についても採用しない。 4 そこで,前記認定事実及びD鑑定を前提に,本件犯行に至る動機・経緯,犯行状況,犯行後の言動等を検討し,被告人の愛着障害等が犯行当時の弁識能力及び制御能力に与えた影響の有無及び程度を判断する。 被告人の当時の客観的経済状況は,夫の休職などもあって余裕はなかったものの,差し迫って困窮していたわけではなかった。被害者にも実際には発達障害など認められない。それにもかかわらず,被告人は,これらを過度に案じ,8年経ってようやく授かった長男を殺そうと考えたものである。 これらの点を踏まえて本件犯行に至る動機・経緯について検討すると,D鑑定のいうように,被告人の不安は,愛着障害者特有の育児困難(愛着障害者には,子供は好きだがどう接したらいいか分からずに困難を抱えやすく,また,ストレスが相手との関係自体に破壊的に作用する傾向がみられるとされる。)やストレス耐性等の低さから,精神的視野狭窄,現実検討能力の低下,易怒性・衝動性の亢進,抑うつ状態に至り,その結果,被告人は,究極的には自分が窮地から脱したいがために,被害者に死んでもらった方が被害者にとっても自分にとっても楽だという思考にとらわれ,本件犯行に及んだと認めるのが相当である(なお,被告人があくまでも長男の殺害だけを考え,差し迫った自殺念慮は生じていなかったという点で,抑うつ状態から拡大自殺を図ったような事案とは区別される。)。 この意味で,本件犯行に至る動機・経緯には,被告人の愛着障害等に影響された面があると評価できる。 しかし,このように,犯行動機について,成育歴などの環境要因に負うところの多い愛着障害と実在するストレス原因によって説明することができ,これ自 体,本件犯行には被告人 面があると評価できる。 しかし,このように,犯行動機について,成育歴などの環境要因に負うところの多い愛着障害と実在するストレス原因によって説明することができ,これ自 体,本件犯行には被告人の本来的な人格に根差した面があることを示している。 その上,被告人は,①犯行に際し,被害者の首を絞めたが,被害者が泣き出したために断念し,最終的には種々の薬を服用・挿肛させる方法を選択するなど,状況に応じ,なるべく被害者を苦しませずに殺害しようとしたとみられること,②犯行後,被害者が搬送された病院において,前記認定のとおり,こんなことになってしまって,家に帰ると児相が来て被害者は保護される,警察が来て自分は逮捕される,看護師資格もはく奪されるなどと語るなど,行為の違法性のみならず,その社会的意味合いをも正しく理解していたと認められることからすると,犯行の際,被告人には正常心理に基づく判断を行っていた部分が相当程度残されていたと認められる。 なお,①に関し,D鑑定は,被告人が被害者の首を絞めたと供述する部分は客観的事実ではなく,自らの窮状をアピールするための愛着障害者特有の心理に基づく被告人の虚言である可能性も否定できないとして,鑑定の前提事実から除外している。しかし,このような認定・評価に限っては当裁判所の採用するところではなく,ひいては,被告人の愛着障害が本件犯行に対して直接的に与えた影響についても,当裁判所は,D鑑定よりもやや限定的に評価するものである。 5 結論以上によれば,被告人は,犯行当時,愛着障害等の影響により弁識能力及び制御能力がある程度制限されていた可能性は否定できないものの,これらが失われていた,あるいは著しく減退していたとまではいえず,完全責任能力を有していたものと認められる。 (量刑の理由)本件は,愛着障害を る程度制限されていた可能性は否定できないものの,これらが失われていた,あるいは著しく減退していたとまではいえず,完全責任能力を有していたものと認められる。 (量刑の理由)本件は,愛着障害を有する被告人が,経済的不安等から長男の将来を悲観し,また,自らの窮状を脱するため,長男を殺害しようと考え,致死量に遠く及ばない精神安定剤等の薬剤を飲ませるなどしたという傷害の事案である。 本件犯行は,いたいけな被害者の身体を危険にさらす行為であることに疑いはな く,被告人がこのような行為に及んだ点は非難されてしかるべきであるとはいえ,被害者を死亡させる危険性まではなく,実際に生じた傷害結果も幸い入院加療約3日間の急性薬物中毒にとどまっているから,法益侵害の度合いは大きくない。また,被告人は,ようやく授かった長男である被害者を大切にしたいという気持ちを持ちながらも,自身の成育歴等を背景とする愛着障害の影響を受けて犯行に及んだものであるから,責任非難の程度も限定的である。そうすると,被告人に懲役刑の実刑を科すべきとはいえない。 以上に加え,被告人は,身勝手な犯行であったと後悔し,今後は父親の指示に従い精神科の病院へ通院する旨述べていること,夫とは離婚に至ったものの,被告人の父親が出廷して今後は同居の上,被告人を監督・サポートする旨誓約していること等の酌むべき事情も考慮して,主文の刑を定めた上,その刑の執行を猶予するのが相当であると判断した。 ただし,被告人は,本件犯行に及んだこと自体の影響もあって,現在も不安定な精神状態にあると考えられ,監督態勢が十分とはいえない被告人に対し今後の治療等に対する支援が必要であるから,その猶予の期間中,保護観察に付することとした。 (求刑懲役1年6月)平成30年12月27日 主文 勢が十分とはいえない被告人に対し今後の治療等に対する支援が必要であるから、その猶予の期間中、保護観察に付することとした。 (求刑懲役1年6月)平成30年12月27日名古屋地方裁判所刑事第1部 裁判長裁判官山田耕司 裁判官須田健嗣 裁判官島﨑乃奈

▼ クリックして全文を表示

🔍 類似判例を検索𝕏 でシェア← 一覧に戻る