主文 被告人は無罪。 理由 第1本件公訴事実本件公訴事実は「被告人は,かねてから,住居地において同居中の,実兄Vに対し,同人がたてる物音が原因で眠れないなどとして不満を募らせていたところ,更に同人から自己の生活態度を注意されたことに立腹し,平成18年10月6日午前7時15分ころ,前同所において,V(当時44歳)に対し,殺意をもって,洋出刃包丁(刃体の長さ約17. 5センチメートル)でその左背部を1回突き刺し,よって,同日午前9時20分ころ,同府東大阪市大阪府立a救命救急センターにおいて,同人を左肺刺創に基づく失血のため死亡させ,もって同人を殺害したものである」というのである。 。 第2当事者の主張検察官は,本件犯行当時,被告人は統合失調症に罹患していたものの犯行時には未だ心神喪失の状態には至っておらず,せいぜい心神耗弱の状態に留まっていたと主張し,被告人には殺意も認められると主張するのに対し,弁護人は被告人は心神喪失の状態にあり,殺意も認められないと主張するので以下検討する。 第3責任能力の有無について 被告人の家族歴,入通院歴及び生活状況について(1)関係証拠によれば,以下の事実が認められる。 ア被告人の家族歴について被告人の家族には,父A,母B及び兄のV(以下「被害者」という)がいる。被害者は,昭和56年精神症状を初発し,昭和59。 年5月幻聴や関係妄想が活発となり,以後定期的に通院しており, ときに数週間程度入院することもあり,統合失調症との診断を受けていた。Bは,平成16年6月,非定型精神病とパーキンソン症状等により入院し,本件犯行当時も同病院に入院していた。Aは,平成17年末ころから認知症が進行し始め,徘徊等の問題行動をとることがたびたびあった。 イ被告人の入通院歴について被告人は,短期大学 状等により入院し,本件犯行当時も同病院に入院していた。Aは,平成17年末ころから認知症が進行し始め,徘徊等の問題行動をとることがたびたびあった。 イ被告人の入通院歴について被告人は,短期大学を卒業後デザイン会社等で稼働していたが,遅くとも平成2年ころから幻聴,幻覚等の症状が現れ精神科を受診したところ,統合失調症と診断された。その病状は平成6年ころまで比較的安定していたものの,同年3月ころから,精神運動性興奮,激しい病的体験とそれによる自傷・他害行為等の行動化が現れ,以後平成16年11月までの約10年間,断続的に合計22回入院し,平成6年3月以降の通算入院期間は,6年弱にも及んでいる。また,退院後も精神科に通院しており,本件犯行当時まで通院や往診が絶えたことはない。主治医である甲病院のX医師は被告人を解体型統合失調症と診断し,病像は病的体験や精神運動性興奮を主とするものから,感情の平板化,自閉傾向,意欲低下等を主とするものになっていったと考察していた。 ウ被告人の生活状況について被告人は,平成16年6月にBが入院した後,自宅で,A及び被害者と3人で暮らしていた。被告人の病状は,同年11月退院後比較的安定していたが,平成17年5月ころから不眠が続くようになった。同年末ころからAの認知症の症状が進行し始めたが,平成18年6月には,Aの徘徊等の問題行動をきっかけとして,被告人がAの顔面を蹴り前頭骨骨折等の傷害を負わせることがあった。同年7月下旬以降,被告人は他人にAの介護による疲労を訴え,自らの 入院を希望することもあったが,被害者の負担を考え,入院には至らなかった。また,被告人は,同年8月上旬ころ,幻聴や幻覚を体験することがあったが,当時は,それらが幻聴や幻覚であると理解していた。 被告人は,同年8月下旬ころ,Aのヘルパー 負担を考え,入院には至らなかった。また,被告人は,同年8月上旬ころ,幻聴や幻覚を体験することがあったが,当時は,それらが幻聴や幻覚であると理解していた。 被告人は,同年8月下旬ころ,Aのヘルパーが被告人方を訪問した際,意味不明の発言をした。また,同年9月1日,Aに暴力を振るい,右足首骨折等の傷害を負わせた。同月下旬,被告人は,Aのケアマネージャー訪問時,ぐったりした様子で「ヘルパーが,蜘蛛の巣を灰皿に入れた「ご飯食べていいのか悪いのか分からな。」,い」などと話したり,イライラして自宅で大声を出したりするよ。 うになり,被告人がいつもと違い危険であると判断され,Aが急遽ショートステイを1泊だけ利用した。被告人は,その翌日,ケースワーカーに対し「調子が悪かったのは黄熱病のせいや」と話し,,。 独語も認められる状態であった。 Aは同年10月2日よりショートステイを利用しており,以後本件犯行当日まで,被告人は被害者と2人で住居地において生活していた。 被告人の最終退院後の家事については,週に2回程度ホームヘルパーが派遣され,食事の用意や洗濯,掃除等を行っていた。また,その他の家事については被害者がほぼ全てを行っており,被告人はほとんど外出せずに1日中テレビを見たり,横になったり引きこもった生活をしていた。生活費については,食費等生活に必要な金銭は被害者が管理しており,被告人は雑誌やたばこを買う際に自分の貯金を下ろして使っていた。被告人は本件犯行の1週間前くらいから昼夜逆転生活になっていた。 (2)以上のとおり,被告人は,遅くとも平成2年には統合失調症を発 症し,平成16年ころまでは陽性症状を主体として長期間にわたって断続的に入院を繰り返すなどしており,その症状は相当程度重かったと認められる。平成16年11月の退院後,被告人は には統合失調症を発 症し,平成16年ころまでは陽性症状を主体として長期間にわたって断続的に入院を繰り返すなどしており,その症状は相当程度重かったと認められる。平成16年11月の退院後,被告人は入院していないが,それは,統合失調症の進行によって陽性症状よりも陰性症状が主体となったため,社会的問題行動を起こすことがなくなったからと認められる。実際,被告人は,上記退院後も定期的に診察を受け続け,引きこもりで家事分担等も他の家族任せにするなど社会的生活の不適応さが目立っていたのであって,統合失調症の病状そのものが回復したり軽快していたとは認められない。それどころか,平成17年5月ころからは不眠の症状が出始め,平成18年以降,Aの認知症による徘徊等の問題行動にストレスを蓄積させる日々が続いていた。もっとも,Aの問題行動に具体的に対応していたのは被害者であり,陰性症状が主体となっていた被告人が具体的にAの問題行動に対応できていた形跡は認められない。それにもかかわらず被告人が周囲に訴えるストレスの度合いは強かったが,これは,統合失調症により被告人のストレス耐性が脆弱化していたからと推認される。その後,被告人は,ストレスの原因となったAに対し強度の暴力行為に及ぶなど易刺激的,衝動的,攻撃的な行動に出たり,幻聴,幻覚が出現し,次第にそれらを幻聴,幻覚と認識できなくなっており,被告人の周囲も被告人を危険と感じるときがあるほど,被告人の統合失調症の病状は悪化していった。そのため,Aは,ショートステイを利用したが,その後も被告人は昼夜逆転の生活を続けるなどしており,その病状が直ちに改善されたとは認められない状況であった。 犯行に至る経緯,犯行状況及び犯行後の行動関係証拠によれば,以下の事実が認められる。 (1)被害者は,平成18年10月以前に しており,その病状が直ちに改善されたとは認められない状況であった。 犯行に至る経緯,犯行状況及び犯行後の行動関係証拠によれば,以下の事実が認められる。 (1)被害者は,平成18年10月以前にも,被告人に対し,何度か家 事の分担を要求したことがあったが,被告人はその要求にほとんど応えていなかった。被害者は,同月5日の夕方ころ,被告人に対して米研ぎと皿洗いの家事を分担するように要求し,メモにその旨記載してカレンダーに貼り付けた。被告人は,その場では家事を分担することを了解し,その日の米研ぎと皿洗いをしたが,しんどいと感じ,これは無理だ,困ったことになったと考えた。同日午後9時ころ,被告人は,被害者を困らせようと思い,被害者の布団に小便をかけた。その日の夜,被告人は,これまで同様眠れず,考え悩むといったことはなかったものの,家事分担をきっちり決められて困ったという思いが頭に残り続けた。 (2)同月6日朝,被告人は,起きてきた被害者に対して昨日の家事分担の取決めを取り消すよう言ったところ,被害者はあっさり取り消した。しかし,被告人はまた被害者から家事分担のことを言われるのではないかと心配になり,被害者に対して家事分担を求めたことについて反省文を書くよう求めた。しかし,被害者は「そんなもん書かんで。 ,ええ」と言って,これを拒否した。被告人は,そのことに腹を立て台所の流し台から包丁を取り出し,台所からリビングにいる被害者に。 ,向かって「ええかげんにせえよ。殺すぞ」と大声で言った。すると被害者は屋外に逃げていった。被告人は,包丁を台所に戻し,被害者がベランダに干していた布団を1階に落としたり,自宅近くの自動販売機で缶コーヒーを買い,自宅でそれを飲んだり,たばこを吸ったりしたが,苛立ちは収まらなかった。 (3)被害者は,程な に戻し,被害者がベランダに干していた布団を1階に落としたり,自宅近くの自動販売機で缶コーヒーを買い,自宅でそれを飲んだり,たばこを吸ったりしたが,苛立ちは収まらなかった。 (3)被害者は,程なく自宅に戻り,被告人に「もう言わへんから許,して」と言ってきたが被告人は「うるさい。殺すぞ。土下座せ。 ,え」と言い返し,被害者が土下座して「もう許してくれや」など。 。 と言ったにもかかわらず,台所に行って,再度包丁を持ち出し,土下 座している被害者の背中めがけて包丁(刃体の長さ約17.5センチメートル)を1回振り下ろし,被害者の背中を深く突き刺した。 。 ,被害者は,その場でうずくまり「痛い。ひどすぎる」などと言い救急車を呼んで欲しいと頼んだが,被告人は「そんなもん,自分で,呼んだらええねん」と言い,血の付いた包丁を台所で洗って元に戻。 し,隣室のソファーで寝ていた。 (4)被害者は,自分で救急車を呼び,間もなく到着した救急隊員により搬送されたが,同日午前9時20分ころ,大阪府東大阪市所在の大阪府立a救命救急センターにおいて,左肺刺創に基づく失血により死亡した。 (5)なお,検察官は,被告人は,捜査段階では包丁は外に捨てた旨の虚偽供述をしていたことからすれば,包丁を洗った行為も証拠隠滅行為であったと考えられると主張する。しかし,被告人は,包丁を洗った後は,前記のとおり隣室のソファーで寝ていたというのであり,それ以外に証拠隠滅をうかがわせるような行為をしたり,被害者が救急車を呼ぶ際にもこれを制止したりしたことは全くなく,逃走を図ったりしたこともないことからすれば,被告人が証拠隠滅の目的で包丁を洗ったと考えるのは不自然である。また,検察官は,被告人は,被害者に対する怒りから被害者を放置したもので,救急車を呼ばなかった理由につ りしたこともないことからすれば,被告人が証拠隠滅の目的で包丁を洗ったと考えるのは不自然である。また,検察官は,被告人は,被害者に対する怒りから被害者を放置したもので,救急車を呼ばなかった理由についての公判での被告人供述は,殺意を認める供述を否定する弁解であって信用できないと主張する。しかし,被告人の精神鑑定をした医師Y(以下「Y医師」という)及び簡易鑑定を実施した医師。 。 ,Z(以下「Z医師」という)のいずれも,被告人のこの点について怒りを原因とした行動であるとは供述していない。すると,実の兄である被害者を包丁で刺した後に,被害者が救急車を呼んでくれるように頼んでいるにもかかわらず,これを無視して,隣室のソファーで寝 ているという被告人の行動を被告人が被害者に対して犯行後も強い怒りを持っていたことに直接結びつけるには疑問が残る。 動機の了解可能性について一連の経過に照らせば,被告人は,以前から被害者に家事分担を要求されていたところ,犯行前日,家事分担を強く求められ,そのことを非常に負担に感じ,犯行当日に,被告人の求めに従って家事分担の要求があっさり取り消されたにもかかわらず,また要求されるかもしれないと心配になり,家事分担を求めたことの反省文を書くよう求めたが,被害者からこれを断られたりしたことから,被害者に対する怒り・興奮を高め,その後被害者が土下座したものの,被害者を殺害するに至っている。 このように,被告人は,家事分担という被告人にとっては過重な負担と感じられる役割を要求してきた被害者に対する怒りから,その怒りの対象である被害者に対し攻撃を加えているのであって,その限度においては,本件犯行の動機は了解可能であるともいえる。 しかし,被告人の生活は,その病状のため基本的には被害者に依存しており,被告人は被害者が家事を 被害者に対し攻撃を加えているのであって,その限度においては,本件犯行の動機は了解可能であるともいえる。 しかし,被告人の生活は,その病状のため基本的には被害者に依存しており,被告人は被害者が家事を行ってくれていることについて感謝し,日常においては,両者の関係は良好であったことがうかがえる。そうすると,被告人自身の病状が優れなかったこともあって,被害者から強く家事分担を求められたがこれに応じることが困難であったという事情や,家事分担についてメモに記載され,これをカレンダーに張るなどこれまでになく強く家事分担を求められたといった事情を考慮しても,家事分担を求められたこと自体が被害者を殺害するに至る動機として十分了解可能であるかという点については,やや疑問が残るといわざるを得ない。 さらに,被害者は被告人から家事分担の約束を取り消すように求められ,無条件で即座にこれを取り消している。すると,家事分担の約束を撤回させるという被告人の要求は無条件に達成されているといってよい。 また,包丁を持ち出した被告人に対して,被害者はいったん屋外に逃れたものの,帰宅後被告人から土下座を求められ,これに応じていることからすれば,この点でも被害者に土下座させるという被告人の要求は達成されているといえる。結局,家事分担を巡る被害者とのやりとりを通じて,被告人の要求が達成されなかったのは,被害者に謝罪文を書かせるという点のみであるといってよいが,被告人は,そのことから被害者に対する怒り・興奮を一方的に増幅させ,その後被害者が土下座したにもかかわらず,その怒り・興奮を殺意にまで高め,殺意が生じるや躊躇することなく完全に無防備な被害者に対して包丁を深く突き刺している。 このように被告人の殺意形成は,了解困難な程度に一方的で急激なものであり,しかも,被告人は,そのよ 意にまで高め,殺意が生じるや躊躇することなく完全に無防備な被害者に対して包丁を深く突き刺している。 このように被告人の殺意形成は,了解困難な程度に一方的で急激なものであり,しかも,被告人は,そのようにして形成された殺意を一気に実行に移している。 以上のとおり,被告人の被害者殺害の動機は,被害者に対する怒りを原因として同人の殺害に至ったと単純化して考えれば一応了解可能であるとはいえるものの,本件犯行に至る殺意の形成過程を詳細に検討すると,被害者に対する怒りが生じた経緯や,その怒りが被害者殺害に至る程度にまで高まった機序等には不可解,不合理な点が多々存在し,動機には了解困難な部分が多いといわざるを得ない。 犯行前後の行動等について確かに,被告人は,本件犯行当時の記憶については明確に保持しているといえるし,犯行直前に被害者が屋外に逃げ出した際には,缶コーヒーを飲んで気持ちを落ち着けたり,逃げ出した被害者を屋外まで追いかけなかった理由についても,近所に恥ずかしいという気持ちから屋外まで追いかけなかったと供述しており,合理的な理由に基づく自然な行動をとっていると評価できる点もある。 しかし,被告人は,本件犯行前日,被害者から家事分担を求められた ことで不安になり,被害者を困らせようと,被害者の布団に小便をしている。このような行動は,被告人の年齢からして突飛で不可解な行動といわざるを得ない。 また,被告人は,被害者を突き刺した後,興奮は冷めたものの,しまったという考えは思い浮かばず,被害者が痛がり,救急車を呼ぶよう懇願されたものの,被害者を助けようとか,救急車を呼ぼうとは考えず,隣室のソファーで寝ていたというのであり,また,公判廷では,包丁を洗った理由についてヘルパーが来て料理等するときに困るだろうと考えた,救急車を呼ばなかった理由につ うとか,救急車を呼ぼうとは考えず,隣室のソファーで寝ていたというのであり,また,公判廷では,包丁を洗った理由についてヘルパーが来て料理等するときに困るだろうと考えた,救急車を呼ばなかった理由については,タンスの角で足の指をぶつけて痛かったこともあった,などと供述している。包丁を洗ったことが証拠隠滅行為とは評価できないこと,救急車を呼ばなかったことが被告人が被害者に対して犯行後も強い怒りを持っていたことを推認する根拠とならないことは,前記2(5)で説示したとおりであり,このような被告人の言動は,明らかに不可解な言動であって,統合失調症の陰性症状の影響により,自己の犯した行動や生じた結果に対して,何らの感情も生じず,平然と日常と同様の行動をとっていたと評価できる。 被告人の性格について被告人は,20歳くらいのときに,当時の稼働先の社長を殴り,さらに,その後就職した先の会社の従業員も殴り,いずれの会社もそれが原因で退職している。また,被告人は,平成18年6月以降Aに対して度々暴力を振るうことがあり,同年8月にはAに対してたばこの火を押しつけたり,9月には骨折するほどのけがを負わせている。 しかし,上記いずれの暴行も被告人が統合失調症を発症したと考えられる時期以降に行われたものであり,統合失調症を発症する以前に,第三者に対する粗暴性等は認められず,学生時代には,自らバレーボールクラブを設立するなどむしろ協調性や社交的な一面もうかがえる。この 点,被告人は,鑑定におけるY医師との面談において「中学時代つっ,ぱった仲間が増えた」と言っているが「けんかはしていない」とも。 ,。 話しており,非行歴も認められないから,被告人の生来の性格が暴力的であったとは到底認められない。 結局,被告人の暴力的傾向は,統合失調症の発症と同時に始まって が「けんかはしていない」とも。 ,。 話しており,非行歴も認められないから,被告人の生来の性格が暴力的であったとは到底認められない。 結局,被告人の暴力的傾向は,統合失調症の発症と同時に始まっているといえ,本件で被害者を刺した行為と結びつく粗暴性は生来の性格としては認められない。そして,被告人は過去に陽性症状が出現していた時期に粗暴性が認められることや,本件犯行直前は,陰性症状を主体としつつも,Aの介護によってストレスを蓄積させ同人に対し強い暴力を加えていたことからすれば,統合失調症の影響により,被告人の人格が,易刺激的,衝動的,攻撃的なものへと変化していったと認められる。 Y医師による鑑定及び証言について(1)Y医師の見解Y医師による被告人の精神状態に関する鑑定(以下「Y鑑定」という)の要旨は「被告人は,犯行当時統合失調症(鑑別不能型)に。 ,罹患していた。被告人は重度の統合失調症であり,犯行生起時精神状態は幻覚,妄想等の病的体験は活発ではないが,長期にわたる統合失調症の罹患によりストレスに対しての脆弱性や,衝動性を制御することの困難さを認め,短絡的な行動に移行しやすい状態にあった。動機は一見了解性があるように見えるが,その過程には長期間の統合失調症の罹患が大きく関係しており,犯行態様に計画性,作為性は認められない。犯行後の行動も感情の鈍磨や平板化を表すものであり,現在の暴力的な性格も,発病前の被告人の性格からすれば生来のものとはいえない。本件においては,統合失調症に罹患していることが犯行に至る過程に大きく影響を与えていることが明らかであり,本件犯行時の被告人は事物の理非善悪を弁識し,それに従って行動する能力は喪 失していた」というものである。 。 (2)Y鑑定の信用性アY医師は,裁判所が選任した鑑定人であ とが明らかであり,本件犯行時の被告人は事物の理非善悪を弁識し,それに従って行動する能力は喪 失していた」というものである。 。 (2)Y鑑定の信用性アY医師は,裁判所が選任した鑑定人であって,公平中立な立場から被告人の犯行当時の精神状態を鑑定しており,その鑑定経過,鑑定手法に,特段不合理な点はなく,その精神鑑定書の記載内容及び証言は基本的に信用に値するものである。 イ被告人の診断について(ア)被告人について,Y医師は,鑑別不能型の統合失調症であり,その程度は重度であると診断している。 (イ)これに対し,Z医師は,被告人が解体型の統合失調症の慢性期であったと診断した上で,被告人の症状についてのY鑑定は,①鑑定人が被告人と面談した際に話していた「被害者がフェレ,ットを抱えておりフェレットを刺そうと思った。被害者が黒魔術で見張っていた。イチジクになって地獄の鬼に食べられる」と。 の妄想を前提として診断を行っているが,当該妄想は犯行時以後に生じたものであり,犯行直後に診断した際には発生していなかったこと,②長期の身柄拘束というストレスが統合失調症を悪化させるという影響を考慮せずに診断されたものであることから,その診断には疑問があると供述し,検察官もY鑑定の信用性は低いと主張する。 (ウ)しかし,①について,Y医師は,被告人を鑑別不能型の統合失調症と診断した根拠について,面談時の会話内容以外にも,以前の症状,病像の経過等を合わせて診断し,その上で、経緯も今の症状も見て一番適切な診断名は鑑別不能型であると供述している(Y供述3頁,4頁。また,被告人が鑑定人との面談時に話)したフェレット等の妄想についても,鑑定書では「過去の出来, 事である本事件に対して,妄想的な解釈が加わった妄想追想である」として「事件生起時に ,4頁。また,被告人が鑑定人との面談時に話)したフェレット等の妄想についても,鑑定書では「過去の出来, 事である本事件に対して,妄想的な解釈が加わった妄想追想である」として「事件生起時に直接の関わりは認められない」と。 ,。 されている(鑑定書55頁。そうすると,Y医師が当該妄想を)前提とした診断や鑑定を行ったとのZ医師の指摘は,当を得たものとはいえない。 また,②については,身柄拘束状態が,被告人の統合失調症の病状に,どのような影響を,どの程度与えたかは証拠上必ずしも明らかではないことに加え,前述のとおり,Y医師は,面談時以前の症状等も考慮して診断していることからすれば,この点もY鑑定の信用性に疑いを生じさせるとはいえない。 (エ)また,Z医師は,被告人の病状について,被告人は,犯行当時,日常生活を他人の介助なしで行うことができない状態にまでは至っていないにもかかわらず,被告人を重度の統合失調症と診断したことは誤りであるとして,この点でも,Y医師の診断は信用できないと供述する。しかし,Y医師は,被告人が重度の統合失調症であると診断した根拠について,上記1(1)で認定したような被告人の日常での生活状況に加えて,被告人が病気を繰り返した期間が長期である点及びその結果として人格水準の退化を起こしていることを挙げ(Y供述15頁)これらを総合して判断しているのであるから,被告人の統合失調症の程度が重度であるとの診断は,格別不合理的であるとはいえず,この点が,Y鑑定の信用性を揺るがす事情になるとはいえない。 ウアルコールの記載についてZ医師は,被告人は,犯行以前からアルコールを日常的に摂取しており,飲酒しないと眠れないと供述していたことから,被告人は常習的に飲酒していたと評価でき,アルコールの影響によって暴力 的性 いてZ医師は,被告人は,犯行以前からアルコールを日常的に摂取しており,飲酒しないと眠れないと供述していたことから,被告人は常習的に飲酒していたと評価でき,アルコールの影響によって暴力 的性格が現れた可能性も否定できないところ,Y鑑定では,被告人がアルコールを摂取していたことの評価が一切記載されていないとして,同鑑定を論難する。 確かに,Y鑑定にはアルコールについての記載はなく,Y医師もこの点の記載を欠いたことについては,不十分であったと供述している。しかし,Y医師は,被告人との面談の中で被告人のアルコール習慣等を聴取するなどした上で,被告人がアルコール依存症の程度まで至っていなかったので,本件犯行にアルコールは関係しないと考え,特にその点の検討をしなかったと供述している。そして,被告人の日常の飲酒量は,被告人の供述によれば,500ミリリットルのビールを1,2本程度であったと認められ,このことからすれば,被告人がアルコール依存症程度まで至ってなく,アルコールの摂取が本件の責任能力の判断には関係しないというY医師の見解は,特段不合理とはいえない。 この点,Z医師は,被告人は,統合失調症の薬と一緒に飲酒していたので,アルコールの量が少なくても影響は大きい可能性があると供述するが,抽象的な指摘にとどまっているといわざるを得ない。 結局,アルコールについての記載が鑑定書にないことは,Y医師も認めるとおり,鑑定書の記載として不十分であるとしても,本件鑑定の信用性を否定するほどの事情であるとは評価できない。 エ検察官の主張(ア)検察官は,Y鑑定について,要するに,①近時2年間にわたる入院を要しない被告人の現実の病状を正視していない,②動機や介護ストレス等具体的事実関係に基づいた犯行に至る機序が説明されていない,③鑑定人が被告人に面談 定について,要するに,①近時2年間にわたる入院を要しない被告人の現実の病状を正視していない,②動機や介護ストレス等具体的事実関係に基づいた犯行に至る機序が説明されていない,③鑑定人が被告人に面談した際の被告人供述のみを重視しており,鑑定の判断資料の取捨選択に誤りがあるなど と主張する。 (イ)しかし,①について,Y医師は,鑑定書において「退院以,降は病的体験は目立たないが,不眠や昼夜逆転となる傾向があり,(中略)陰性症状が前面に出ていた(鑑定書51頁」と評価)。 しており,そのような評価に立った上で,被告人の犯行当時の精神状態を鑑定していることは明らかである。むしろ,検察官の主張は,本件の約1,2か月前から,被告人が,意味不明の言動をしたり,いつもと違って危険な状態であると判断されていた点を,ことさら無視するものといわざるを得ない。また,②については,鑑定書において「犯行の動機から,実際の行動にいたるまでに,は一見了解性があるように見える(鑑定書56頁」と記載し,)。 あるいは,公判廷においても,介護のストレスにより被告人が破綻をきたすのに十分であったという意味で了解可能性があるが,被害者に個人的怨恨を抱いていたということではないから,その意味での了解性はないなどと供述し,その上で,統合失調症による人格水準の低下によって,介護ストレスが一般人以上にストレスになって破滅的行動に及んだと供述しているのであって,犯行に至る機序について可能な限り説明を尽くしていると評価できる。 さらに,③については,上記のとおり,Y医師は,以前の症状,病像の経過等を合わせて診断したと証言しているし,被告人が面談時に語った妄想については,妄想追想として事件生起時に直接の関わりは認められないとしていることからしても,Y医師がことさら面談時 症状,病像の経過等を合わせて診断したと証言しているし,被告人が面談時に語った妄想については,妄想追想として事件生起時に直接の関わりは認められないとしていることからしても,Y医師がことさら面談時の被告人の供述のみを重視していたとは認められず,判断資料の取捨選択を誤ったとはいえない。 その他検察官が種々主張する点を考慮しても,鑑定書の信用性に疑いを生じさせるような事情はうかがえない。 オ小括以上のとおりであって,Y鑑定の内容及びY医師の供述は十分に信用することができる。 総合評価上記のとおり検討してきた諸事情を総合考慮すれば,被告人の本件犯行当時の責任能力については,次のとおり解するのが相当である。 すなわち,被告人は,長年にわたって入院生活を伴う統合失調症に罹患しており,本件犯行当時は,活発だった陽性症状は収まったものの,陰性症状の進行によって感情の鈍麻・平板化が著しくなり,規範意識が浅薄なものへとなる一方で,衝動性を制御することが困難で,易刺激的・攻撃的な性格へ変化していった。また,被告人は,統合失調症によりストレス耐性が脆弱化していたところ,平成17年5月以降不眠が続き,平成18年ころよりAの認知症による問題行動をきっかけに,ストレスを蓄積させ,ストレスの原因となったAに対する強い暴力行為に及んだり,幻聴・幻覚が出現するなどその病状は悪化していった。このような中,被告人は,当時の被告人にとっては加重な負担と感じられる家事分担を被害者から要求されたことをきっかけに,その後被告人の申入れにより家事分担の要求があっさり撤回された後も,了解困難な程度に一方的かつ急激に殺意を形成し,その形成された殺意を一気に実行に移し,本件犯行後も不可解な言動をとっている。なお,被告人は,本件身柄拘束後,拘禁反応の影響も否定はできないもの 後も,了解困難な程度に一方的かつ急激に殺意を形成し,その形成された殺意を一気に実行に移し,本件犯行後も不可解な言動をとっている。なお,被告人は,本件身柄拘束後,拘禁反応の影響も否定はできないものの,妄想追想を生じるに至っている。 これらのことからすると,本件犯行と統合失調症の結びつきは極めて強く,被告人は,統合失調症による人格水準の低下に加え,ストレス耐性が脆弱化しているところに過度のストレスがかかって病状が悪化し,統合失調症により変化した人格に基づいて本件犯行に及んだと理解され るのであり,本件犯行当時,是非弁別能力又は行動制御能力を有さない状態にあったとの合理的な疑いが残るといわざるを得ない。 第4 結論 よって,被告人の行為は心神喪失者の行為として罪とならないから,刑事訴訟法336条前段により,無罪の言渡しをする。 (求刑懲役7年)平成20年6月26日大阪地方裁判所第9刑事部裁判長裁判官笹野明義裁判官安永武央裁判官野村昌也
▼ クリックして全文を表示