- 1 -主文 本件控訴をいずれも棄却する。 控訴費用は控訴人らの負担とする。 事実及び理由 第1当事者の求めた裁判 控訴人ら(1)原判決を取り消す。 (2)第1事件ア法務大臣が平成17年4月28日付けで控訴人P1に対してした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく同控訴人の異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す。 イ東京入国管理局主任審査官が平成17年4月28日付けで控訴人P1に対してした退去強制令書発付処分を取り消す。 (3)第2事件法務大臣が平成17年4月27日付けで控訴人P1に対してした難民の認定をしない処分を取り消す。 (4)第3事件ア東京入国管理局長が平成18年7月7日付けで控訴人P2に対してした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく同控訴人の異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す。 イ東京入国管理局主任審査官が平成18年7月13日付けで控訴人P2に対してした退去強制令書発付処分を取り消す。 (5)第4事件法務大臣が平成17年8月3日付けで控訴人P2に対してした難民の認定をしない処分を取り消す。 (6)第5事件- 2 -東京入国管理局長が平成17年8月15日付けで控訴人P2に対してした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分を取り消す。 (7)訴訟費用は,1,2審とも被控訴人の負担とする。 被控訴人主文同旨第2事案の概要等 控訴人P1(以下「控訴人夫」という)及び控訴人P2(以下「控訴人妻」と。 。),(「」。)いうはそれぞれ国籍国であるミャンマー連邦以下ミャンマーというを正規に出国し,マカオに滞在中に知り合い,平成14年に,それぞれ「短期滞在」の在留資格で日本に入国し,平成15年1月に,本邦において,ミ それぞれ国籍国であるミャンマー連邦以下ミャンマーというを正規に出国し,マカオに滞在中に知り合い,平成14年に,それぞれ「短期滞在」の在留資格で日本に入国し,平成15年1月に,本邦において,ミャンマーの方式に従って結婚誓約書に署名をした夫婦であり,いずれも在留期限を超えて本邦に在留しているところ,本件は,控訴人らが,ミャンマー及び日本国内において反政府活動を行ったこと等により,本国に送還されれば迫害を受けるおそれがあることから,難民条約上の難民に該当すると主張し,法務大臣らが控訴人らに対してした,出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく控訴人らの異議の申出は理由がない旨の各裁決(本件各裁決,難民の認定をしない旨の各処分(本)件各難民不認定処分)がいずれも違法であるとしてその取消しを求める(第1ないし第4事件)とともに,控訴人らを本国に送還することは,難民条約33条及び拷問等禁止条約3条が規定するノン・ルフールマン原則に違反するとして,東京入国管理局主任審査官が控訴人らに対してした各退去強制令書発付処分(本件各退令発付処分)が違法であるとして,その取消しを求め(第1,第3事件,控)訴人妻が,在留特別許可をしない処分(本件妻在特不許可処分)を取り消すよう求めた(第5事件)ものである。 原審は,控訴人らは,いずれも難民に該当しないものと認め,上記各裁決及び,。 各処分がいずれも適法にされたものと認め控訴人らの請求をいずれも棄却した- 3 -控訴人らは,これを不服として控訴した。 難民に関する法令の定め,本件の前提事実は,原判決事実及び理由「第2事案の概要」の1,2に記載のとおりであるから,これを引用する。 ,,, 本件の争点当事者の主張は次項において当審における主張を付加するほか「」「」原判決事実及び 及び理由「第2事案の概要」の1,2に記載のとおりであるから,これを引用する。 ,,, 本件の争点当事者の主張は次項において当審における主張を付加するほか「」「」原判決事実及び理由第2事案の概要の3及び同第3争点に対する判断中の主張を記載した部分(2(3,3(1)及び5(2)に記載のとおりであ))るから,これを引用する。 当審における主張(控訴人ら)(1)原判決は「難民」とされる「迫害を受けるおそれがあるという十分に理,由のある恐怖を有する」とは,その者が主観的に迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているだけでなく,通常人がその者の立場に置かれた場合に迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることをいうとしている。 しかし,この判断は,難民条約締結国の判例とは異なるものであり,難民条約及び出入国管理法の解釈を誤ったものである。 難民条約締結国の判例においては「十分に理由のある恐怖を有する」こ,との立証基準について,極めて緩やかな基準を定立し,迫害の危険性が10パーセントしかない場合でも,本人が抱く恐怖に十分な理由を否定する根拠とはならないとしている。これは,その対象が「恐怖」という主観的要素,それも理性的認識判断作用ではなく情緒的心理作用であることまた可,,,「能性(恐れ」を対象とすることによると考えられる。客観的に迫害を受け)る可能性があるか否かが重要ではなく,本人が迫害を受けるかもしれないと思っているか否かが問題となるのであり,通常人ないし合理的勇気を持つ人が同じ立場に立ったときに「迫害を受けるかもしれない」との恐怖・不安を感じるか否かが問題となるのである。 - 4 -したがって「十分に理由のある恐怖」の立証基準は,客観的な迫害の可,能性ではなく,主観的「恐怖 ったときに「迫害を受けるかもしれない」との恐怖・不安を感じるか否かが問題となるのである。 - 4 -したがって「十分に理由のある恐怖」の立証基準は,客観的な迫害の可,能性ではなく,主観的「恐怖」に十分な理由があることである。この「十分に理由がある」とは,合理的勇気を持つ人が「帰国したら迫害を受けるかもしれない」と感じ,帰国をためらうであろうと評価しうる場合をいうのである。 (2)控訴人らには,以下のとおり「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖」が認められる。 ア原判決は,上記判断を否定する方向に働く事情として,ミャンマー政府が「控訴人らを危険な反政府活動家であるとして脅威に感じていたり,殊」,「」更敵視したりしていたとは考え難いことを挙げ迫害を受けるおそれの判断において,ミャンマー政府において反政府活動家として把握されていることを要求するようであるが,このようなことを要求するのは誤りである。また,控訴人らが,自己名義旅券を取得し正規に出国したこと,長期間にわたり難民認定申請をしなかったこと,本邦滞在が就労目的である,,と推認されることを挙げ難民該当性を否定する方向に働く事情とするがこれも誤りである。 イ難民として認められるためには,過去に侵害を受けた経験や本人が本国政府から迫害対象として選別され,迫害の可能性が卓越していることは必要ではない。重要なのは,現在及び将来の迫害を受ける合理的な見込みの有無であり,過去の迫害の欠如は将来の迫害の不行使を保証するものではない。本国政府が行う迫害の矛先は,その権利を容易に侵害されやすい一般の党員に及ぶものであり,反対勢力のどのような行動も非寛容に抑圧するものである。本国政府にとって反政府的な活動とみなされる行動を行っているのであれば,その者が本国政府に認識さ 易に侵害されやすい一般の党員に及ぶものであり,反対勢力のどのような行動も非寛容に抑圧するものである。本国政府にとって反政府的な活動とみなされる行動を行っているのであれば,その者が本国政府に認識されているかどうかにかかわらず,迫害を受けるおそれがあると認められる。 ,()このことは一般的な抑圧状況多数の者が抑圧されているという状況- 5 -を理由とする難民申請が排除されるべきでないことからも明らかである。 「本国における極端な抑圧環境下で,ある申請者が他者から選り分けられた形でより劣悪な状態に追い込まれているか否か」は重要ではなく「本,国において集団的に行われている虐待等の一般的事情が,当該申請者個人にとって,十分に根拠を有する迫害の恐れを裏付ける要素となるか否か」を個別に判断し,それが認められる場合には,迫害の恐れが存すると解されるのである。 原判決は,控訴人らが中心的な役割を担っていたものであるとも認められないなど,控訴人らが指導的な立場でないことをもって,その難民該当性を否定する。しかし,日本の裁判例を見ても,指導的立場にあることを要するとの判断はされておらず,明らかに誤っている。 ウ原判決が難民該当性を否定する方向に働くとする事情について(ア)在日ビルマ人難民申請弁護団が扱った54件の難民認定事例中,正規の旅券や船員手帳を持って出国したのは50件で全ケース中の90パーセント以上が合法的に出国しており,このことは難民該当性を否定する事情には当たらない。 (イ)控訴人らが入国目的として観光・勉強を挙げたとしても,このことは難民該当性を否定するものではない。難民認定で立証を求められているのは「十分に根拠のある迫害の恐怖」であって,上記の経済的動機等の動機の不存在ではない。 (ウ)控訴人夫は,平成15年6月まで難民認定 民該当性を否定するものではない。難民認定で立証を求められているのは「十分に根拠のある迫害の恐怖」であって,上記の経済的動機等の動機の不存在ではない。 (ウ)控訴人夫は,平成15年6月まで難民認定申請制度を知らなかったから,長年難民認定申請をしなかったのはやむを得ないことである。控訴人妻も,早くても同年12月まで同制度を知らなかったのであるから,出国後,難民認定申請しなかったことはやむを得ないものであり,このことが否定の根拠になるものではない。 ,,。 エ原判決はミャンマーの情勢を正確に把握せずその評価を誤っている- 6 -(ア)ミャンマーでは,1988年(昭和63年)に大規模な民主化運動があったが,同年9月に軍事クーデターが起こり,軍事政権である国家法秩序回復評議会(SLORC)が政権を掌握し(その後,国家平和開発評議会(SPDC)に改組,1989年(平成元年)7月,民主化運。)動のリーダー的存在となったアウンサンスーチーを自宅軟禁とし,その政治活動を禁止した上で,1990年(平成2年)5月の総選挙を行ったが,アウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)が議席の81パーセントを占めて圧勝したにもかかわらず,SLORCは政権委譲を拒否し現在に至っている。 (イ)2003年(平成15年)5月30日,ミャンマー北部のディペインで,軍政の大衆団体であるP3のメンバーが遊説中のアウンサンスーチーらNLD党員・支持者を襲撃するという事件が起こり(ディペイン事件,多数の死傷者が出て,アウンサンスーチーは,インセイン刑務所)に拘束され,その後,釈放されたものの,自宅軟禁が課されている。アムネスティ・インターナショナルは,事件発生後,直ちにSPDCに対し,独立した全面的,効果的な調査の承認,この事件の責任者の処罰を強く要請した ,その後,釈放されたものの,自宅軟禁が課されている。アムネスティ・インターナショナルは,事件発生後,直ちにSPDCに対し,独立した全面的,効果的な調査の承認,この事件の責任者の処罰を強く要請した。しかし,SPDCは,調査を承認せず,これにより,国民全体に恐怖の風潮が広がり,治安部隊が処罰を受けないままになると,,,いう事態が起き表現の自由結社の自由を平和的に行使する人たちが身柄を拘束される数が急増し,確固たる容疑もないままに拘束され,公正な裁判の国際基準を満たさない深刻な欠陥裁判制度の下におかれている。 (ウ)すなわち,軍事政権下において,一般国民及び政治運動家の数時間から数週間,あるいはそれ以上に及ぶ「失踪」が相次いでおり,多くの人々が行方不明である。このような失踪は政府による一般市民の拘留によるものである。拷問を禁止する法律は存在するが,拷問やむち打ちは日- 7 -常的である。拘留の司法決定を行う際に考慮すべき規定はなく,恣意的,。 ,逮捕や軟禁拘留が行われている政治問題に関する裁判は公開されず基本的な法手続に関する権利が顧慮されることもない。また,多くの政治囚を生み出すことを可能にする,緊急事態法,非合法組織法,印刷出版登録法及び国家保護法が存在している。上記のとおりミャンマー国民の権利自由は抑圧された状況にある。 (エ)2007年(平成19年)8月15日,天然ガスと石油の公定価格が大幅に引き上げられた。このため,タクシー・バスの運賃が大幅に値上がりし,上昇が続く食料品等の物価水準に大きな影響が出た。これに対し,88世代学生グループが声明を発表し,国民が直面している経済社会的な苦境を打開するよう政府に求め,同月18日,ラングーンで抗議行動を行った。これは平穏な行動であったが,政府は直ちに上記グループの主要メ 世代学生グループが声明を発表し,国民が直面している経済社会的な苦境を打開するよう政府に求め,同月18日,ラングーンで抗議行動を行った。これは平穏な行動であったが,政府は直ちに上記グループの主要メンバー13名を逮捕・拘束した。88世代学生グループの動きが封じられた後も,NLDがその動きを引き継ぎ,NLDもまた弾圧を受け,多くの党員が逮捕された。その後,平和的な学生や僧侶の抗議行動が広がり,政府は,同年9月25日,夜間外出禁止令を出し,5人以上での集会や行進を禁止し,同月26日,兵士と暴動鎮圧部隊が,ラングーン市内の僧侶と市民の集合地点や要所に展開し,デモ隊との衝突が様々な場所で起き,治安部隊が空中やデモ隊に向け発砲し,デモ隊を襲い,5名の僧侶と2名の市民が殺害された。同日深夜から同年10月1日まで,僧院が襲撃され,僧侶への暴行が加えられ,僧侶が連れ去られる事態に至り,その後も,政府は,デモ参加者,外国報道機関が国内の政情不安と破壊行為を煽ったと非難し,容疑者の捜索を行い,民主運動家の逮捕と拘禁が続いている。 オ在日反政府活動の位置づけミャンマー政府は,海外における民主化活動への締め付けを強め,日本- 8 -は民主化運動が盛んな地域と認識し,その活動を政府に対する深刻な脅威と感じ,危険視し,日本における送金・デモ活動などを迫害の対象としている。軍事政権側は,雑誌「○○」で在日民主化活動家への批判を掲載し続け,掲載されている写真は豊富に存在している。在日本ミャンマー大使館(以下「大使館」という)前で活動家によるデモ行進が行われてきた。 が,大使館側は参加者にカメラを向け撮影を行い,参加者の確認を行ってきた。 在日反政府運動の中心はデモ活動であり,これによって世論を喚起することである。 日本から帰国したP4は,α空港で軍情報機関に身 ,大使館側は参加者にカメラを向け撮影を行い,参加者の確認を行ってきた。 在日反政府運動の中心はデモ活動であり,これによって世論を喚起することである。 日本から帰国したP4は,α空港で軍情報機関に身柄を拘束され,インターネット上に掲載されている名前や大量の写真を示されて反政府活動,日本の諸団体の活動,中心メンバー等について詳細な取調べを受けた。政府当局は,デモ参加者の写真を集め,その者について情報を集めており,デモ参加者を危険視していることは明らかである。 (3)控訴人夫について,(),,ア控訴人夫は1996年平成8年12月2日学生デモに参加し学生50名とともに軍用トラックに乗せられ,昔の競馬場で軍事施設に利用されているβ競技場に連行され,写真を写され,取調べを受け,もう一度デモに参加するなどしたら,今度は刑務所に放り込むぞと言われ,迎えに来た父が「政府反対のデモに参加させないように監督する」という誓約書にサインし,控訴人夫もそのサインの下にサインし,釈放された。控訴人夫は,同月6日のデモにも参加し,翌7日午前3時,銃声を聞いて,軍が学生に発砲していると思い,自宅に向かって逃げ,逮捕されることはなかった。控訴人夫は,同月9日,P5大学の学生寮の寮長が学生を実家に帰らせる方針を発表したことに抗議するデモに参加した。 イ控訴人夫の両親は,控訴人夫がデモに参加し逮捕されることを心配し- 9 -て,控訴人夫にピンマナ市のおじのもとへ行くように命じた。 軍情報部は,区長を通じて控訴人夫を監視し,区長が控訴人夫の実家を訪問し,息子がどこにいて,何をしているかを質問してきた。両親や控訴人夫は,控訴人夫がいつ逮捕されるやもしれないものと考え,両親が控訴人夫をマカオのおじのところへ行かせることとした。旅券は,両親がブローカーを がどこにいて,何をしているかを質問してきた。両親や控訴人夫は,控訴人夫がいつ逮捕されるやもしれないものと考え,両親が控訴人夫をマカオのおじのところへ行かせることとした。旅券は,両親がブローカーを通じて取得したものである。 ウ日本における活動(ア)控訴人夫は,ディペイン事件の当日,大使館前に駆けつけ,平成15年6月2日,デモに参加し,その後毎日のようにデモをし(甲B15,写真・ビデオに写された。 )(イ)控訴人夫は,P6の「ビルマに人権と民主主義を明確に保障する真の民主主義政府を組織するまで闘う「現在のビルマの政治,経済,」社会,教育,文化の実情を日本国民と世界中に知らせる」という目的に共感し,同年7月にP6に加入を申し込み,12月30日に加入が認められた。 ,,(),(ウ)控訴人夫は現在P6の執行委員社会福祉・会員担当を務めその中心的な役割を担っている。 (エ)控訴人夫は,平成16年12月ころ,マカオに住むおじから電話をもらい,ミャンマーで喫茶店を営んでいる両親のもとに軍情報部員が訪れ,控訴人夫に日本での反政府活動をやめさせるよう言わないと,おまえたちも危険な目にあうぞと脅されたとのことであった。その後のおじからの手紙(甲B8)には,両親に対しいろいろな方法を使って困らせていることが記載されていた。 (4)控訴人妻についてア控訴人妻は1996年(平成8年)10月にP5大学近くのデモに参加した。 - 10 -,,。 同月20日警察官が学生を殴った上逮捕するという事件が起こった控訴人妻は,同月22日,テレビで事件の報道が不正確にされ,学生デモが行われるものと思い,P5大学近くに出かけた。学生が約1000人,市民を合わせて約5000人が集まっていた。 控訴人妻は,同日夜から軍情報部がデモに参加 ,テレビで事件の報道が不正確にされ,学生デモが行われるものと思い,P5大学近くに出かけた。学生が約1000人,市民を合わせて約5000人が集まっていた。 控訴人妻は,同日夜から軍情報部がデモに参加した学生を取り調べていると聞かされ,従兄(母の兄の息子)のP7が民主化運動に加わり逮捕・拘束されていることもあって,自分も逮捕されるかもしれないと思い,授,。 業もなかったことからおばの経営するレストランを手伝うようになったイ控訴人妻の母が控訴人妻が大学に戻れば反政府活動に参加するものと心配し,親戚のいるマカオに出国するよう命じ,控訴人妻は2000年(平成12年)12月にマカオに出国した。 ウ日本における活動(ア)控訴人妻は,控訴人夫と共に,ディペイン事件の当日に大使館前に駆けつけ,平成15年6月2日,デモに参加し,その後毎日のようにデモをし,写真・ビデオに写された。 (イ)控訴人妻は,P6の目的に共感し,控訴人夫と共に同年7月にP6に加入を申し込み,12月30日に加入が認められた。 (ウ)控訴人妻は,平成16年から平成17年まで,P6の執行委員である会計担当補佐を務め,平成17年から平成18年まで,中央執行委員である会計担当を務め,中央執行委員は6名おり,その話し合いで重要事項を決めており,P6の中心的な役割を担っている。控訴人妻が上記地位にあることは機関誌に掲載され,大使館は間違いなく把握している。 (エ)P7から控訴人妻に宛てた手紙(甲B9の1)は,控訴人妻が反政府活動をしているため,軍情報部が何度も実家を訪れ,母が控訴人妻と縁を切ったことを新聞広告に掲載して発表したこと,反政府活動を行っている写真が,P8のインターネットサイトに掲載されていることを内容- 11 -とするものであった。 (5)控訴人らが帰国した場合, を切ったことを新聞広告に掲載して発表したこと,反政府活動を行っている写真が,P8のインターネットサイトに掲載されていることを内容- 11 -とするものであった。 (5)控訴人らが帰国した場合,投獄,拷問を受ける可能性は極めて高く,控訴人らは,特定の社会的集団の構成員であること及び政治的意見のため,国籍国の政府から迫害を受ける恐れがあり,国籍国の保護を受けられないのであって,控訴人らは難民に該当する。 控訴人らの置かれた状況からすれば,少なくとも逮捕・身柄拘束される。 ,ことは50パーセント以上の確率で推測される仮にそうでないとしても「迫害の可能性なし」といえるほどの明確な証拠はない。 そうであれば,合理的勇気を持つ者が「帰国したら迫害を受けるかもしれない」と感じ,ミャンマーへの帰国をためらうであろうと考えるのは当然であり,控訴人らが「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」ことは容易に認めることができる。 原判決は誤っており,取り消すべきである。 (被控訴人)(1)控訴人らは「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を,有する」とは,客観的な迫害の可能性ではなく,主観的に迫害を受けるおそれがあるという恐怖に十分な理由があれば足りる旨主張する。 しかし,単に迫害を受ける恐れがあるという抽象的な可能性が存するといった事情では足りず,迫害の恐怖を抱くような個別かつ具体的な事情が存在することが必要である。 そして,その立証は民事訴訟の一般原則に従うべきものである。 (2)控訴人らは「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖」,を判断するにあたり,ミャンマー政府において反政府活動の個別的な把握は無関係である旨を主張する。しかし,迫害の恐怖を抱くような個別かつ具体的な事情が存するか否かについて, 十分に理由のある恐怖」,を判断するにあたり,ミャンマー政府において反政府活動の個別的な把握は無関係である旨を主張する。しかし,迫害の恐怖を抱くような個別かつ具体的な事情が存するか否かについて,上記の個別的把握にかかわる事情は考慮されるべき重要な事情である。 - 12 -また,控訴人らが,自己名義旅券を取得し正規に出国したこと,本邦への入国目的が観光や勉強であって迫害からの逃避ではないこと,長期間にわたり難民認定申請をしなかったことを具体的かつ総合的に考慮すれば「迫害,を逃れて出国した者の行動としては不自然である」と判断でき,上記の事情は難民該当性を否定する方向に働くものと考えられる。 ,,控訴人らは原判決がミャンマーの情勢の評価を誤っていると主張するがどのように誤っているかを具体的に主張するものではないし2007年平,(成19年)夏に,ミャンマー政府が逮捕・捜索の対象としているのは,同年のミャンマーにおける抗議行動に参加ないし支援した者であり,在外ミャンマー人は対象とされていないのであるから,上記のミャンマー政府の反政府活動家に対する対応は控訴人らの難民該当性を基礎づける事情たり得ないものである。 (3)控訴人らは,本邦におけるデモ活動等を軽視していると原判決を批判するが,原判決は,本邦における反政府活動が迫害の対象とならないとしているのではなく,控訴人らの活動が多数の在日ミャンマー人のなかの一参加者の活動にすぎず,ミャンマー政府が反政府活動家として脅威に感じたり,殊更敵視したりしているとは考え難いとしたものである。 控訴人らは,ミャンマー大使館員が大使館前のデモ隊を撮影していることから,本国政府が本邦における反政府活動に強い関心を有している旨主張するが,その裏付けとして提出した写真(甲A43)は,相当前に撮影された は,ミャンマー大使館員が大使館前のデモ隊を撮影していることから,本国政府が本邦における反政府活動に強い関心を有している旨主張するが,その裏付けとして提出した写真(甲A43)は,相当前に撮影されたものであるし,仮に,撮影しているとしても,その目的がデモ参加者の個別把握であると認めるに足りる証拠はない。むしろ,控訴人らが大使館側が建造物不法侵入と威力業務妨害を理由に逮捕・拘留するなどの手段に出ていると主張していることからすれば,大使館の警備上の必要から撮影をしているとも考えられるところである。 (4)控訴人夫の難民該当性について- 13 -ア控訴人夫がミャンマーにおいてデモに参加し軍当局に連行されたことを裏付けるに足る客観的な証拠はない。また,上記の経緯を述べる控訴人夫の供述には変遷があり信用性が低いといえる。 仮に,その述べるとおりであったとしても,控訴人夫は2000人にものぼる多数の参加者とともに一般大衆的な活動をしたというにすぎず,政。 ,府から関心を持たれるほどの存在ではなかったことは明らかであるまた自己名義の旅券の発給を受けて出国するまでに9か月間が経過していることからすれば,差し迫る出国の必要がなかったことがうかがえ,控訴人夫には逮捕の危険性がなかったことのみならず,主観的にもそのおそれを感じていなかったことが推認できる。 イ控訴人夫は,ディペイン事件を契機に大使館前のデモに参加したことを主張する。 しかし,当時,多数の者が参加しデモや集会が行われ,控訴人夫はそのうちの1人にすぎなかったのであり,ミャンマー政府が控訴人夫に関心を寄せることは考え難い。控訴人夫は,ミャンマーにおいて身柄拘束を受けた以後,何らの活動をしておらず,平成15年に突如として政治活動を行ったことになるが,このころから不法滞在外国人の取締りが強 関心を寄せることは考え難い。控訴人夫は,ミャンマーにおいて身柄拘束を受けた以後,何らの活動をしておらず,平成15年に突如として政治活動を行ったことになるが,このころから不法滞在外国人の取締りが強化されていたことに照らせば,控訴人夫が真摯な政治的意思に基づいてデモ活動に参加するようになったかは疑わしいというべきである。 ウ控訴人夫のP6での活動は,多数の者と共にデモに参加し,寄付金集めをし,会合へ参加するにすぎず,執行委員としての活動も,会員への仕事の割当について最高指導部に意見を述べ,決定を会員に伝えるというものであり,原判決が指摘するとおり,他の者と容易に代替し得るものであるから,ミャンマー政府が危険な反政府活動家として脅威に感じたり,殊更敵視したりしているとは考え難い。 (5)控訴人妻の難民該当性について- 14 -アミャンマー政府が控訴人妻に対し反政府活動家として関心を抱いていることを示す客観的証拠は存在しない。 控訴人妻は,そのミャンマーにおける活動というのも,市民学生合わせて5000名に及ぶデモに1回参加したというだけであり,大衆的参加者の1人にすぎず,ミャンマー政府が反政府活動家として関心を寄せるとは考え難い。また,従兄のP7との関係で何らかの干渉を受けたという客観的な事実も認められない。控訴人妻が正規旅券の発給を受け出国できたことからすれば,P7との親族関係を理由に当局に関心を抱かれたとは考えられない。 イ控訴人妻は,ディペイン事件を契機に大使館前のデモに参加したことを主張するが,参加した多数のうちの1人にすぎなかったのであり,ミャンマー政府が控訴人妻に関心を寄せるとは考えられない。控訴人妻は,ミャンマーにおいてデモに参加した以後,何ら活動をせずに,平成15年に突如として政治活動を行ったことになるが,このこ たのであり,ミャンマー政府が控訴人妻に関心を寄せるとは考えられない。控訴人妻は,ミャンマーにおいてデモに参加した以後,何ら活動をせずに,平成15年に突如として政治活動を行ったことになるが,このころから不法滞在外国人の取締りが強化されていたことに照らせば,真摯な政治的意思に基づいてデモ活動に参加するようになったかは疑わしいというべきである。 ウ控訴人妻のP6での会計担当としての活動は,収支の管理や各種集会,行事等の資金の手当てであり,組織の活動内容を決定できるほどのものではなく,控訴人妻は指導者的立場にある者でもない。控訴人妻が執行委員から離職後,控訴人夫がその地位に就いたことからすれば,構成員が短期間に持ち回りで就任しているか,少なくとも会計担当という地位が他の者によって容易に代替し得るものであり,控訴人妻は一時的にその地位に就。 ,,いていたにすぎないまたP6の執行委員の一員になったというだけで直ちにミャンマー政府が反政府活動家として関心を寄せるものであると認められる客観的な証拠はない。 ,エ控訴人妻の母が控訴人妻と縁を切る旨の広告が新聞紙上に出されたのは- 15 -平成19年3月13日で(甲B9の2,本件妻難民不認定処分がされた1)年半以上も後のことであり,このことがその適法性の判断資料とはならないし,上記広告が難民認定を受けるための作為的なものである可能性を否定できない。また,上記広告がされた理由は明らかではなく,控訴人妻の本邦における政治活動が原因であるということはできない。控訴人妻の両親や弟妹は全員が以前と変わらない生活をしているというのであり(控訴人妻,控訴人妻がミャンマー政府によって反政府活動家として個別に把握)されているとは到底いえない。 (6)以上のとおり,控訴人らを難民と認めることができず, ない生活をしているというのであり(控訴人妻,控訴人妻がミャンマー政府によって反政府活動家として個別に把握)されているとは到底いえない。 (6)以上のとおり,控訴人らを難民と認めることができず,原判決には何ら誤りがないことが明らかである。 第3当裁判所の判断 当裁判所は,控訴人らの請求はいずれも理由がないから棄却すべきものと判断する。その理由は,次のとおり補正し,次項において当審における控訴人らの主,「」張に対する判断を補充するほか原判決事実及び理由第3争点に対する判断に記載のとおりであるから,これを引用する。 (1)原判決16頁12行目の次に,次のとおり加える。 「ミャンマーでは,1992年(平成4年)に新憲法の基本原則を審議する国民会議が設立され,平成5年から断続的に開催されたが,NLDは,1995年(平成7年)以来,政府が管理する国民会議への参加をボイコットし,1996年(平成8年)には国民会議は休止している。また,同年5月及び9月には,SLORCが,議員総会や党集会を前に,NLD党員を多数拘束し同年12月の学生による大規模なデモを押さえ込み1997年平,,(成9年)5月にも,総選挙勝利7周年記念の議員集会を阻止するために,NLD党員を多数拘束した。2001年(平成13年)の時点では,1990年選挙の選出議員20名を含む800名以上のNLD党員が拘束されており,1500名以上の政治犯が収監されている旨の報道がされていた。ミャ- 16 -ンマー政府は,アウンサンスーチーがヤンゴン市外に出ることを認めず,何度も連れ戻しを行って自宅で軟禁状態に置くなどの措置をとっていた。 (),,2002年平成14年5月アウンサンスーチーが自宅軟禁を解かれ人権状況の改善が期待されたが,同年末までには,アウンサンスーチ れ戻しを行って自宅で軟禁状態に置くなどの措置をとっていた。 (),,2002年平成14年5月アウンサンスーチーが自宅軟禁を解かれ人権状況の改善が期待されたが,同年末までには,アウンサンスーチーと政府との対話は暗礁に乗り上げた。そして,2003年(平成15年)5月30日,ミャンマー北部のディペインで,政府が支援する大衆団体であるP3の扇動により,遊説中のアウンサンスーチーらNLD党員・支持者一行が襲撃され少なくとも4名が死亡し数十名が負傷するという事件が起こりデ,,(ィペイン事件,現場にいたNLD書記長が支持者ら数十名とともに逮捕さ)れ,アウンサンスーチーは,インセイン刑務所に一時拘束され,その後NLD書記長ら幹部と同様に自宅軟禁が課されており,ミャンマーにおける人権。(,,,,,,状況は悪化した以上について甲A1ないし3 乙A12弁論の全趣旨」)(2)同16頁17行目の次に,次のとおり加える。 ミャンマーにおける治安立法として緊急事態法がありその5条は連「,,「邦国の安全もしくは治安回復に対して危害を加えることを意図した方法で多数国民や一部国民の倫理道徳,活動を犯す行動」をした場合,7年の懲役等に処することを定め,ディペイン事件における逮捕者はこの法律を根拠に逮。 ,,「,捕されたまた非合法組織法17条1は何人も非合法団体の一員になるあるいはその団体の集会に参加・遂行する,あるいはその団体のための資金を支払う・取得する・徴収する,あるいは何らかの方法でその団体の活動に協力した場合」は,2年以上3年以下の禁固刑等の執行を受けることを定めている(以上につき,甲A9,弁論の全趣旨」。 ) 控訴人らが難民とは認められないこと(1)控訴人らは,難民とされる「迫害を 力した場合」は,2年以上3年以下の禁固刑等の執行を受けることを定めている(以上につき,甲A9,弁論の全趣旨」。 ) 控訴人らが難民とは認められないこと(1)控訴人らは,難民とされる「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」とは,主観的に迫害を受けるおそれがあるという- 17 -恐怖に十分な理由があれば足りる旨,客観的に迫害を受ける可能性があるか否かが重要ではなく,本人が迫害を受けるかもしれいないと思っているか否かが問題となる旨を主張する。 しかしながら「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖,を有する」といえるためには,主観的に迫害を受けるおそれがあるという恐怖を有することについて,迫害を受ける恐れがあるという抽象的な可能性が存するといった事情があるだけでは足りず,迫害の恐怖を抱くような客観的な事情が存在することが必要である。したがって,ミャンマーにおいては,軍事政権下にあって,政治活動家のみならず一般国民においても不当な身柄拘束を受ける恐れがあり,拘束された者に対して政府当局が脅迫や拷問を加えているとされるなど,国民の権利自由が抑圧された状況にあることが認められるが,ミャンマーがこのような状況にあることだけでは,控訴人らに「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」ということはできない。上記のようなミャンマーにおいて行われている抑圧・虐待等の迫害が,控訴人らにも加えられる恐れがあるといえる客観的な事情があるか否かが重要であり,控訴人らのミャンマーにおける活動や本邦における活動等の個別事情によって,控訴人らが「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」といえるか否かを決すべきである。 判示の事実(原判決を引用)及び掲記の証拠によれば,次のとおり判断。 の個別事情によって,控訴人らが「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」といえるか否かを決すべきである。 判示の事実(原判決を引用)及び掲記の証拠によれば,次のとおり判断。 できる。 (2)控訴人らがミャンマーを出国し,本邦に入国するまでの経緯は次のとおりである。 ア控訴人夫は,P5大学の学生であった1996年(平成8年)12月に学生デモに参加したが,多数の参加者のうちの1人であり,いったん強制的に連行されたものの誓約書を差し入れて直ちに釈放されており,その後- 18 -約1か月間,祖父の弟の家に滞在し,1997年(平成9年)1月には両親宅に戻り両親の営む喫茶店の手伝いをして過ごしていたものであり乙,(B26,1996年(平成8年)12月12日,ヤンゴンで正規の旅券)(乙B1)の発給を受け,1997年(平成9年)9月12日にマカオに出国したものである。上記デモ以降,高等教育機関は閉鎖され,教師や学生には,騒乱に対して厳しい処罰があるとの警告がされ,学生の大多数が独学の道を選んだものである(甲A1。控訴人夫が上記出国までの間政)府当局による何らかの監視下に置かれていたことを認めるに足りる証拠はない。 イ控訴人夫は,ミャンマー出国後,約4年8か月間,マカオに滞在していたが,難民であるとして庇護を求めたことはなく,特に民主化運動や反政府活動を行ったこともなく,警備員として働き(乙B12,24,在香)港ミャンマー総領事館において,自己名義の旅券の更新手続を2度行い,マカオを出国し日本に入国したが,その理由については,観光や勉強の目的によるものであると述べており,本邦への入国はミャンマー政府の迫害を動機とするものではないことが明らかである。 ウ控訴人妻は,1996年(平成8年)に,P9大学の学生で,学生 ては,観光や勉強の目的によるものであると述べており,本邦への入国はミャンマー政府の迫害を動機とするものではないことが明らかである。 ウ控訴人妻は,1996年(平成8年)に,P9大学の学生で,学生デモに参加したが,多数の参加者の一員であり,同年に大学が閉鎖された後,2000年(平成12年)12月18日にミャンマーを出国するまで,母と同居しながら,叔母の経営する飲食店において稼働するなどしていたものである(乙B38。控訴人妻がこの出国までの間政府当局による何ら)かの監視下に置かれていたことを認めるに足りる証拠はない。 ,,エ控訴人妻は自己名義の旅券を用いて正規の手続でミャンマーを出国しマカオに滞在中,難民であるとして庇護を求めることはなく,警備員として働き,特に民主化運動や反政府活動を行ったことはなく(乙B38,)日本語や生け花・デザインを勉強する目的で日本への観光ツアーに参加- 19 -し,マカオを出国した旨述べており,本邦への入国はミャンマー政府の迫害を動機とするものではないことが明らかである。 控訴人妻の従兄P7は,民主化運動に加わり逮捕拘束されたが,控訴人妻が同人との親族関係を理由にミャンマー政府によって関心を抱かれたとうかがわれる事情は何ら認めることができない。 オ上記の各事実に照らせば,控訴人らについて,ミャンマー在国中,ミャンマーを出国し本邦に入国するまでの間における控訴人らの反政府活動や政治的意見等を理由に,ミャンマー政府から迫害を受けるおそれのある客観的事情が存在したと認めることはできない。 (3)控訴人らの本邦における活動等についてア控訴人らは,ディペイン事件が起こり,アウンサンスーチーに危害が及び,これがミャンマー政府によって仕組まれた陰謀であると思い,アウンサンスーチーの解放を求め,平成15年6 における活動等についてア控訴人らは,ディペイン事件が起こり,アウンサンスーチーに危害が及び,これがミャンマー政府によって仕組まれた陰謀であると思い,アウンサンスーチーの解放を求め,平成15年6月,大使館前のデモに参加し,(,,,このようなデモ活動に参加するようになった甲B15乙B12 35。 )イ控訴人らは,同年7月にP6に加入を申し込み,同年12月30日に加入が認められた。控訴人らは,P6の「ビルマに人権と民主主義を明確に保障する真の民主主義政府を組織するまで闘う「現在のビルマの政治,経」済,社会,教育,文化の実情を日本国民と世界中に知らせる」という目的に共感したことから,加入を希望したものである。 控訴人妻は,平成16年12月12日にその会計担当補佐に,平成17年12月25日に執行委員である会計担当に就任し,P6の収入と支出の管理をしていた。控訴人夫は,平成18年12月,P6の執行委員(社会福祉・会員担当)に選任され,控訴人妻は上記役職を離れた。控訴人らが上記役職についていることは,機関誌の「○○」に掲載されていた。 (以上につき,甲B1,2,10ないし12。 )- 20 -ウ乙A12(P10P11大学法科大学院教授(1992年(平成4年)から1996年(平成8年)までの国連人権委員会ミャンマー担当特別報告者)作成の陳述書)によれば,ミャンマー政府は,国の内外に広範な諜報網を拡げ,至る所にスパイや内通者を置いて,高度の監視システムを形,,成し日本に限らず国外で民主化運動や反政府活動に参加した者についてその氏名は言うに及ばず,その活動内容の実態についても,かなり正確に把握していると考えられること,ただし,その把握の対象者をすべて迫害の対象者とするわけではなく,国外で上記活動に参加する者は,少なく見 の氏名は言うに及ばず,その活動内容の実態についても,かなり正確に把握していると考えられること,ただし,その把握の対象者をすべて迫害の対象者とするわけではなく,国外で上記活動に参加する者は,少なく見てもおよそ数万人はおり,最小限の力で最大限の効果が得られるように,相手を選んで迫害しているといえ,著名な指導者であるなどその者に自由な活動を許すことが民主化運動全体を活発化させるような多大な影響を与える者を対象としているとみられ,本国での活動歴の有無や内容も迫害の危険性を計る上で重要な要素であり,政府が危険と考える政治犯に対しては,旅券が発給されないものと考えられる。 また,P6の設立に参加し,その初代議長になったP12は,本国外で自己の存在を隠すことなくミャンマー政府を批判する意見を表明する活動をしているミャンマー人は1万人以上に及び,匿名で参加する者を加えれば何万人にも及ぶこと,日本で民主化運動,反体制運動に参加しているミャンマー人はおよそ1000人近くいること,世界中の大使館前で,いわば日常的にデモが行われており,そうしたものをミャンマー政府が脅威に感じることはないこと,ミャンマー政府にとって,デモ活動よりもロビー活動が脅威となるとの意見を述べ,他のビルマ人や各国政治家に影響力を有することが重要であると述べている(乙A13。 )エそうすると,控訴人らが,ミャンマーの民主化を目的とする政治団体であるP6に加入し,その役員を務め,大使館前でのデモ活動に参加しており,これらの事実はミャンマー政府にとって好ましくない事実ということ- 21 -ができ,ミャンマー政府が上記事実を把握しているか,容易に把握できるものと考えられる。 しかし,P6がミャンマー政府に敵対する民主化運動の主体として,ミャンマー政府にとって脅威となっているとの事実に沿 でき,ミャンマー政府が上記事実を把握しているか,容易に把握できるものと考えられる。 しかし,P6がミャンマー政府に敵対する民主化運動の主体として,ミャンマー政府にとって脅威となっているとの事実に沿う証拠は見当たらないし,控訴人らは,P6の中心的なメンバーともいえないのである。 控訴人らが上記のようなデモ活動に参加し,P6の上記のような役員であることが,本国政府による迫害のおそれを生じさせる事情にあたると認めることは困難である。 オ控訴人らは,ミャンマーにおける家族に対し本邦における控訴人らの反政府活動をやめさせるよう脅迫や営業妨害が加えられている旨を主張するが,その事実を認めるに足りる的確な証拠はない。 カ上記のようなミャンマーにおける人権が抑圧された状況,控訴人らが主張するミャンマーの情勢を斟酌し,控訴人らの本邦における活動等をみても,本件各裁決,本件各退令発付処分及び本件各難民不認定処分の当時,控訴人らがその政治的意見等を理由にミャンマー政府から迫害を受けるおそれのある客観的事情が存在したと認めることはできない。 控訴人らを難民に該当しないものと認め,本件各裁決及び各処分がいずれも適法にされたものと認めた原判決の判断は相当である。 したがって,控訴人らの請求をいずれも棄却した原判決は相当であり,本件控訴は理由がないからいずれも棄却することとし,主文のとおり判決する。 東京高等裁判所第14民事部裁判長裁判官房村精一裁判官犬飼眞二- 22 -裁判官窪木稔
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