主文 1 被告は,原告X1に対し金5023万6648円,同X2,同X3,同X4及び同X5に対しそれぞれ,金1255万9162円及び前記各金員に対する平成9年8月9日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。 2 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。 3 訴訟費用はこれを10分し,その7を被告の,その余を原告らの負担とする。 4 この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。 事実及び理由 第1 請求被告は,原告X1に対し金6930万642円,同X2,同X3,同X4,同X5に対しそれぞれ金1845万159円及び前記各金員に対する平成9年8月9日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要本件事案の概要は次のとおりである。H(以下「亡H」という)は,平成9年8月7日,喉の痛みや呼吸困難等を訴え,被告が経営する総合病院J(以下「被告病院」という)で医師の診察を受けたが,診察後の点滴中に病態が急変し,翌8日,低酸素症による肺機能及び脳機能等の低下が原因で死亡した。亡Hの相続人である原告らは,亡Hが死亡したのは,①被告病院の医師が,亡Hの咽喉頭部の異常を予見することが可能であったのにこれを怠り,適切な検査及び治療を行わなかったことにある,②被告病院の医師及び看護婦(以下「被告医師ら」という)は,亡Hの急変後,直ちに,亡Hに対し,気管切開等の適切な気道確保手段をとるべきであったのにこれを怠ったことにあるなどと主張して,被告に対し,診療契約の債務不履行に基づき,損害賠償請求をしている。 1 争いのない事実等(証拠等によって認定した事実は末尾に当該証拠等を掲記する。なお,以下の出来事は,特段の断りがない限り,すべて平成9年の出来事であるので,平成9年を ,損害賠償請求をしている。 1 争いのない事実等(証拠等によって認定した事実は末尾に当該証拠等を掲記する。なお,以下の出来事は,特段の断りがない限り,すべて平成9年の出来事であるので,平成9年を省略する。)(1) 当事者等ア亡Hは,昭和12年12月20日に生まれ,平成9年8月8日,被告病院において死亡した(死亡当時59歳)。 イ原告X1(以下「X1」という)は亡Hの妻であり,同X2(以下「X2」という),同X3(以下「X3」という),同X4(以下「X4」という),同X5(以下「X5」といい,上記原告5名を併せて「原告ら」という)は,いずれも亡Hの子である。 ウ被告は,医療施設を経営する医療法人社団であり,東京都豊島区ij丁目k番l号において,被告病院を開設,経営している。 (2) 亡Hの被告病院受診前の事実経過の概略ア亡Hは,8月6日,喉の痛みを訴え,Kクリニック(内科)の医師K(以下「K医師」という)の診察を受けた。K医師は,亡Hの症状を急性咽頭炎と診断し,タリビット(化学療法薬),ロキソニン(解熱,鎮痛,抗炎症薬)などの内服薬を処方した(甲2,10【2丁表】,乙2【3頁】,3【9頁】,弁論の全趣旨)。 イ亡Hは,8月7日午後4時ころ,L耳鼻咽喉科の医師L(以下「L医師」という)の診察を受けた。亡Hは,診察の際,L医師に対し,「喉が痛くて話ができない」旨記載したメモを持参した。L医師は,診察の結果,亡Hの症状を急性咽頭炎と診断し,セフゾン(抗生物質),ニフラン(解熱,鎮痛,抗炎症薬)を投薬した(甲2,10【2丁表】,乙2【3頁】,弁論の全趣旨)。 ウ亡Hは,L耳鼻咽喉科から帰宅した後,自宅で横になっていたが,8月7日午後8時ころ,X2に対し,息が苦しいから救急車を呼んでほしいと訴えた(甲10【14丁表】,12【2 3頁】,弁論の全趣旨)。 ウ亡Hは,L耳鼻咽喉科から帰宅した後,自宅で横になっていたが,8月7日午後8時ころ,X2に対し,息が苦しいから救急車を呼んでほしいと訴えた(甲10【14丁表】,12【2頁】,乙2【12頁】,3,X2本人)。 エ X2は,L耳鼻咽喉科に電話で対処方法を尋ねたが,はっきりしなかっため,亡Hは,X3の運転する車で被告病院に行った(甲10【14丁表】,乙2【12頁】)。 (3) 亡Hの急変前における事実経過の概要(なお,被告病院における出来事は,特段の断りがない限り,すべて8月7日の出来事であるので,8月7日という日付の記載を省略し,以下同様の表記をする)ア亡Hは,午後8時18分ころ,被告病院に到着した。亡Hは,看護婦から記入を求められた問診票(以下「本件問診票」という)に,「のどがとても痛くて生ツバものめない。時々急に苦しくなる。PM6:30頃薬を飲んだ。とても痛くがまんしてのむ。熱さましを飲んでから粉がからんでとても苦しくなった。少し熱があると思う。」等と自らの症状を記載した(甲9【18丁裏】,乙1【6頁】)。 イ被告病院では,救急外来の当直医であった医師N(以下「N医師」という)が亡Hを診察した(以下「本件初診」という)。N医師は,本件初診の結果,亡Hの症状について,急性咽頭炎と診断した(甲4【4頁】,証人N【11頁】)。 ウ N医師は,看護婦に対し,KN3B(維持液)500ml,ホスホマイシン(抗生物質)2gとハイドロコートン(リン酸ヒドロコルチゾンナトリウム,糖質副腎皮質ホルモン)200mgを前腕へ点滴し(以下「本件点滴」という),更に,メナミン(消炎鎮痛剤)25mgを筋肉注射するよう指示した(乙4【2頁】,弁論の全趣旨)。 エ看護婦は,午後8時25分ころ,処置室(以下「本件処置室」という)で,亡Hに対し 件点滴」という),更に,メナミン(消炎鎮痛剤)25mgを筋肉注射するよう指示した(乙4【2頁】,弁論の全趣旨)。 エ看護婦は,午後8時25分ころ,処置室(以下「本件処置室」という)で,亡Hに対し,本件点滴を開始し,更に,午後8時40分ころ,メナミン25mgを筋肉注射した(甲9【19丁表】,乙1【7頁】)。亡Hは,点滴を受けている際,本件処置室のベッドに横になり,いびきをかいて眠ったりしていた(甲9【19丁表,24丁表】,乙1【7頁】)。 (4) 亡Hの急変後における事実経過の概要(なお,被告は,亡Hの急変後における各処置の具体的時間について争うが,証拠〔甲9【26丁】,証人N【29頁】,証人M【47,48頁】〕によれば,証人Mが,原告らに対する説明に用いたメモにおける経過表は,急変時に本件処置室にいたN医師ら関係者から事情聴取して作成したことが認められ,その記載に不合理な点はないから,以下,この経過表【甲3】の記載をもとに認定することとし,特段の断りがない限り,認定に供した書証である甲3を掲記することは省略する)ア亡Hは,午後9時40分ころ,看護婦に対し,痰が出るのでティシュペーパーをとってほしいと述べ,看護婦から渡されたティシュペーパーに白色の痰を喀出したが,再度,痰を喀出しようとしたところ,うまくいかず,そのうち,「息苦しい,息苦しい」と訴えるに至り,手爪にもチアノーゼ(血中の酸素含量が正常以下に減少し,還元ヘモグロビンが増加した結果,粘膜や皮膚が青くみえる現象)が出現した(以下「本件急変」という,甲9【19丁表,24丁表】,17【65頁】,乙1【7頁】,弁論の全趣旨)。 イ看護婦は,午後9時42分ころ,被告病院の地下1階にある当直室に電話し,当直室にいたN医師に対し,亡Hの呼吸がおかしいのですぐ来てほしいと求めた。このころ 頁】,乙1【7頁】,弁論の全趣旨)。 イ看護婦は,午後9時42分ころ,被告病院の地下1階にある当直室に電話し,当直室にいたN医師に対し,亡Hの呼吸がおかしいのですぐ来てほしいと求めた。このころ,亡Hが呼吸停止様の状態に陥ったため,看護婦は,亡Hに対し,直ちに,心臓マッサージを行った(甲9【19丁表,24丁表】,乙1【7頁】)。 ウ N医師は,午後9時43分ころ,本件処置室に到着した。この時点で亡Hにはチアノーゼが認められ,自発呼吸も弱かった。そのため,N医師は,亡Hの下顎を挙上するとともに,アンビューバックにより酸素を送り込み,換気を開始した。更に,N医師は,看護婦に対し,応援のために人員を集めるよう指示した(甲9【19丁表】,乙1【7頁】,4【3頁】,証人N【23頁】)。 エ N医師は,午後9時50分ころ,亡Hに対し,気管内挿管を試みたが,喉頭の展開が困難で,喉頭鏡を使用しても声門が確認不能で挿管することができなかった(乙4【3頁】,証人N【25頁】,以下「1回目の挿管」という)。 オ N医師は,午後9時55分ころ,亡Hに,心電図モニターを装着した。心電図モニターによれば,心拍数は123であった(甲10【14丁表】)。この頃,N医師は,Hに対し,喉頭鏡を用いて,気管内挿管を試みた(乙4【3頁】,証人N【31頁】,以下「2回目の挿管」という)が,喉頭の展開が困難で声門の確認ができないため,挿管を断念し,再びアンビューバックでの換気に戻った(弁論の全趣旨)。 カしかし,アンビューバックでの換気は不十分であったため,N医師は,午後9時58分ころ,亡Hに対し,気管内挿管を試みた(乙4【4頁】,証人N【31頁】,弁論の全趣旨,以下「3回目の挿管」という)。N医師は,挿管後,亡Hの呼吸音を確認し,正常に気管内へ挿管されたと判断したが,3回目の挿 亡Hに対し,気管内挿管を試みた(乙4【4頁】,証人N【31頁】,弁論の全趣旨,以下「3回目の挿管」という)。N医師は,挿管後,亡Hの呼吸音を確認し,正常に気管内へ挿管されたと判断したが,3回目の挿管は食道への誤挿管であった。 キ被告病院の副医院長をしていた医師M(以下「M医師」という)は,看護婦から,午後9時50分及び同55分にポケットベルで呼出しを受け,午後9時58分ころ,本件処置室に到着した。M医師が本件処置室に到着した時点での亡Hのパルスオキシメーターによる酸素飽和度測定値(以下「SPO2」という)は23%(正常値は95ないし97%)であり,腹部膨満,チアノーゼも顕著に見られた。M医師は,N医師から,挿管部を覗いてほしいと求められ,喉頭鏡で確認したが,喉頭蓋の浮腫のために,気管内に挿管されているか否かを確認することはできなかった(甲3,9【24丁】,弁論の全趣旨)。 ク亡Hは,午後10時00分ころ,心停止状態に陥り,同人に対し,心臓マッサージが開始された(甲3,9【24丁】)。 ケ午後10時05分ころ,3回目の挿管により,挿管されていたチューブから吐物が逆流し,3回目の挿管が食道への誤挿管であったことが判明した。M医師は,直ちに,気管内にチューブを挿管し,これに成功した(甲3,証人M)。 コ M医師による気管内挿管により,亡Hの心拍は再開し,血圧も安定したため,亡Hは,病棟に移送され人口呼吸器により全身管理が行われた。その後,亡Hは,一時,自発呼吸ができるまでに回復したが,血圧,SPO2が徐々に低下し,肺や胃から出血が生じ心停止にいたり,8月8日午前5時08分,低酸素症による肺機能,脳機能の低下等が原因で死亡した(甲9【25丁】,10【4丁表】,乙2【5頁】)。 (5) 亡H死亡後の事実経過の概要ア原告らの申入れ り,8月8日午前5時08分,低酸素症による肺機能,脳機能の低下等が原因で死亡した(甲9【25丁】,10【4丁表】,乙2【5頁】)。 (5) 亡H死亡後の事実経過の概要ア原告らの申入れにより,亡Hは,東京都監察医務院において,東京都監察医O(以下「O医師」という)により解剖された。 イ東京都監察医務院が作成した亡Hの死体検案書(以下「本件死体検案書」という)には,亡Hの直接の死因について「気道口閉塞による窒息(推定)」とされ,その原因として,「急性咽・喉頭炎」が記載されている。また,解剖(主要所見)欄では,咽・喉頭部の膿瘍形成と出血・浮腫の存在が指摘されている(甲1,乙3)。 ウ 8月15日,被告病院において,亡Hに対する治療経過等に関する説明会が開催された。被告病院からは,M医師とN医師が出席し,原告らに対し,報告書(甲3)を用いて,概略「宮崎Hの治療に関しての照会」と題する書面(甲4)記載のとおりの説明がされた。M医師が記載したメモ(甲9【25丁】)には,この説明会で,解剖の報告を待たないと確定はできないものの,亡Hは急性咽喉頭炎,咽後膿瘍により喉頭が圧迫され窒息したこと,救命処置が十分的確に実施できず無酸素症となり肺機能,脳の機能が低下し死に至ったと推認できること,確実な挿管が早期にできていたら救命できた可能性があること等が確認されたとの記載がある(甲3,4,9,弁論の全趣旨)。 2 争点(1) 亡Hの本件急変の原因は何か。N医師は,遅くとも本件急変以前に,亡Hの喉頭部の異常を予見することが可能であったか。また,予見可能であった場合,N医師が,亡Hに対し,直ちに適切な検査及び治療を開始していれば,亡Hは死亡を免れたか。 【原告らの主張】ア亡Hは,急性喉頭炎ないし咽後膿瘍による気管の閉塞により窒息を起こした後, あった場合,N医師が,亡Hに対し,直ちに適切な検査及び治療を開始していれば,亡Hは死亡を免れたか。 【原告らの主張】ア亡Hは,急性喉頭炎ないし咽後膿瘍による気管の閉塞により窒息を起こした後,被告病院の医師らによる気道確保の措置が異常に遅れ,食道への誤挿管により数分間にわたり完全な気道閉塞状態に置かれ,その結果,死亡したものである。 イ亡Hは,本件初診時,N医師に対し,呼吸困難を訴えており,その他,高熱や白血球数値の異常,嚥下困難の症状がみられた。したがって,N医師が,亡Hの呼吸困難の訴えを真摯に受け止め,亡Hに対し,咽喉頭部の詳細な観察,血液ガス検査,レントゲン検査等の必要な検査を実施していれば,N医師は,遅くとも本件急変以前に,亡Hについて,膿瘍や浮腫などの咽喉頭部の異常,それに伴う低酸素症を診断することが可能であった。 ウそして,診断後直ちに,亡Hに対し,酸素投与,消炎治療,密度の高い経過観察,気管切開の準備等の必要な処置をしていれば,亡Hは死亡を免れた蓋然性が高い。よって,被告には,亡Hの主訴とその原因究明のための十分な検査の実施による解明義務の不履行並びに解明義務の不履行に起因する咽喉頭部の炎症に対する治療の不履行がある。 【被告の主張】ア解剖所見及び臨床経過に照らすと,亡Hは,膿瘍・浮腫によって狭小化していた気道が,喀痰の排出困難を契機として気道通過障害に陥ったため,本件急変が発生し,その後,気道口閉塞により窒息死するに至ったものであると推認できる。 イ亡Hは,本件初診時,N医師に対し,喉の痛みを中心とする不安感及び苦痛感を訴えており,本件初診時及びその後の本件点滴中に,亡Hに呼吸困難は認められていない。また,N医師は,亡Hの中咽頭を観察したが,喉頭部の炎症は認められず,咽頭喘鳴のような異常音も聴取されなかった 感を訴えており,本件初診時及びその後の本件点滴中に,亡Hに呼吸困難は認められていない。また,N医師は,亡Hの中咽頭を観察したが,喉頭部の炎症は認められず,咽頭喘鳴のような異常音も聴取されなかった。 ウ耳鼻科専門医ではない夜間二次救急当直医の医療水準を前提にすれば,前記ア程度の症状の場合に,喉頭鏡を使用した喉頭部の観察をすることまでは要求されておらず,前記イのとおり,亡Hには呼吸困難の症状は認められなかったのであるから,N医師が,亡Hに対し,血中酸素濃度の測定,レントゲン検査等を実施しなかったことをもって,注意義務違反があったということはできない。 エまた,N医師は,念のため,亡Hに対し,抗生剤の投与と鎮痛剤による疼痛緩和を図り,被告病院内で経過観察を行っており,このN医師の判断に誤りはなく,診察時及びその後の経過に照らしても,喀痰困難を契機とする突然の気道通過障害を予見することは不可能であった。 (2) 本件急変後における被告医師らの処置に注意義務違反は認められるか。また,被告医師らが,亡Hに対し,適切な措置をとることにより,亡Hは死亡を免れたか。 【原告らの主張】ア本件急変直後に看護婦の採った措置について呼吸停止に際してまず第一に行うべきことは,気道の確保である。しかるに,看護婦が,本件急変後,最初に亡Hに対し採った措置は心臓マッサージであり,気道の確保のための措置は採っていない。よって,看護婦の前記措置には過失がある。 イ気道確保方法の選択について亡Hの咽・喉頭部は,浮腫のために気管内挿管ができない状態であり,この場合に,N医師がとるべき選択肢としては,何としても気管内挿管を成功させるか,あるいは,経皮的気管穿刺法(以下「気管穿刺」という)ないし気管切開を実施するしかない。ところが,N医師は,気管内挿管が失敗した後,不 師がとるべき選択肢としては,何としても気管内挿管を成功させるか,あるいは,経皮的気管穿刺法(以下「気管穿刺」という)ないし気管切開を実施するしかない。ところが,N医師は,気管内挿管が失敗した後,不十分であることを知りながら,アンビューバックによる換気を継続しており,N医師には,気道確保方法の選択を誤った過失がある。 ウ食道への誤挿管について(ア) 気管内挿管に際しては,挿管チューブが間違いなく気管に入っているか否かの確認が絶対に必要であるところ,本件では,3回目の挿管が食道への誤挿管であったにもかかわらず,被告医師らは,亡Hを,そのまま約7分間放置した。 (イ) しかし,3回目の挿管後,亡Hには,腹部膨満及びチアノーゼが顕著にみられ,聴取した呼吸音も弱かったこと,内圧が高く十分な換気ができていないことなど,食道への誤挿管を示す様々な兆候が存在していたのであるから,被告医師らにおいて,3回目の挿管が食道への誤挿管であることを確認することは十分可能であった。 (ウ) 救急外来においては,心停止・呼吸停止を起こしている患者の診察が日常的に求められており,挿管後の呼吸音の確認は医師としての基本的な技量である。よって,呼吸音を誤認し,食道への誤挿管のまま放置した被告医師らの措置には過失がある。 エ以上のとおり,亡Hの呼吸が停止した午後9時42分からM医師によって気管内挿管がされた午後10時07分ころまでの間,被告医師らの過失により,亡Hに対し,十分な気道確保の措置がとられず,そのために,亡Hは,極度の低酸素症の状態が継続し,諸臓器に回復不能の重大な損傷を受けたのであるから,被告は,原告らに対し,損害賠償責任を負う。 【被告の主張】ア本件急変後の看護婦の採った措置について亡Hは,突然,呼吸停止の状態に陥った。看護婦は,突然の緊急事態に動 損傷を受けたのであるから,被告は,原告らに対し,損害賠償責任を負う。 【被告の主張】ア本件急変後の看護婦の採った措置について亡Hは,突然,呼吸停止の状態に陥った。看護婦は,突然の緊急事態に動転し,とっさの状況判断ができずに,心停止になっていると思いこみ一時的にアンビューバックによる換気ではなく,心臓マッサージをしたにすぎない。亡Hの呼吸停止から数十秒後に駆けつけたN医師により,アンビューバックによる換気が開始されており,当該看護婦の措置をもって過失とまでいうことはできない。 イ気道確保方法の選択について(ア) 本件は,急変直後の状態で,喉頭の展開が困難であり,かつ,膿瘍・浮腫による狭窄のために,気管内挿管が困難な状況にあった。N医師は,挿管操作を3回試みているが,それぞれの挿管操作を長く継続しないで,挿管が困難と判断された段階で,一旦,マスクを用いたアンビューバックによる換気に戻りながら,挿管を試みており,その措置に誤りはない。 (イ) 気管内挿管以外の気道確保の方法としては,気管切開があるが,夜間の外来という環境と突然の気道閉塞という事態,あるいは,看護婦しかいないという状況,そして,気管切開に伴う出血などの合併症を考えて,N医師は,その場で緊急気管切開を行うという決断はできなかった。そこで,N医師は,十分とはいえないまでも,マスクを用いたアンビューバックによる換気ができている状況下では,気管内挿管による気道確保の方が安全であると判断したものであり,このN医師の判断に過失はない。 (ウ) 原告らが気道確保の方法として主張する輪状甲状靱帯切開法は,出血等の合併症が生じた場合を考慮すると,状況が一気に悪化するおそれがあるもので,本件においては適当な方法とはいえない。 ウ食道への誤挿管について(ア) N医師が,3回目の挿管に失敗 帯切開法は,出血等の合併症が生じた場合を考慮すると,状況が一気に悪化するおそれがあるもので,本件においては適当な方法とはいえない。 ウ食道への誤挿管について(ア) N医師が,3回目の挿管に失敗し,食道へ誤挿管したことは認めるが,視野が確保できない緊急時の挿管という悪条件の中,N医師が挿管時に行った手技自体に誤りはないから,N医師には過失はない。 (イ) また,被告医師らが,食道へ誤挿管されたチューブから送り込まれた空気が胃や食道から逆流する際の音を呼吸音と誤認したことは認める。しかし,本件において,被告医師らは,換気に注力し,その後に起こった心停止により,心臓マッサージに移行したために,挿管に関する他の確認方法をとることができなかったのであり,被告医師らは,短時間に置かれた状況下で亡Hの救命に努力した。 (ウ) また,仮に,3回目の挿管が食道への誤挿管であると直ちに判明したとしても,それまでに経過した時間の影響は否定できず,3回目の挿管以前の状況に照らすと,亡Hの死亡と被告医師らの措置との間には,相当因果関係は存在しない。 エ以上のとおり,亡Hの急変の背後にある病態を予測することが困難な状況で,しかも,夜間当直下の,耳鼻咽喉科専門医や麻酔専門医が存在しない中での突然の急変時に,N医師が,気管内挿管を何度か試みたこと,挿管操作の合間に,マスクを用いたアンビューバックによる換気を実施したことは急変時の対応として適切なものであった。また,3回目の挿管の後,呼吸音を確認し,それまでの経過を考慮し,直ちに,換気を行い,その後,食道への誤挿管を発見した時点で,再挿管を行ったという経過は,本件の具体的な臨床経過,環境と病態を前提にする限り,やむを得なかったといわざるを得ず,本件急変後の被告医師らの措置に過失はない。 (3) 原告の被った損害額 した時点で,再挿管を行ったという経過は,本件の具体的な臨床経過,環境と病態を前提にする限り,やむを得なかったといわざるを得ず,本件急変後の被告医師らの措置に過失はない。 (3) 原告の被った損害額,過失相殺の規定の類推適用の当否【原告らの主張】被告の債務不履行により,原告らは,以下のとおりの損害を被った。 ア亡Hの損害(合計1億1860万1278円)(ア) 逸失利益(9260万1278円)亡Hは,P株式会社(以下「P会社」という)のオーナー経営者であり,本件事故により,死亡することがなければ,少なくとも70歳まで働くことが可能であった。よって,亡Hは,被告の債務不履行により,11年間分の収入を失った。 亡Hの平成8年度給与所得控除後の所得金額は1540万円であること,亡Hには被扶養者として原告ら5人がおり,生活費控除率は30%が相当であることに照らすと,亡Hの逸失利益は9260万1278円が相当である。 また,現在の各種利率,中間利息控除の趣旨等に照らすと,中間利息を控除する際の利率としては,年3%程度をもって上限とすべきである。 (イ) 死亡慰謝料(2600万円)亡Hは,被告医師らの過失により,妻及び4人の娘を残して死亡したもので,その無念さ,精神的苦痛は筆舌に尽くし難い。よって,亡Hが被った精神的苦痛に対する慰謝料は2600万円が相当である。 (ウ) 原告らは,亡Hの前記(ア)及び(イ)の各損害を法定相続分に基づき,X1が5930万642円を,X2,X3,X4及びX5がそれぞれ1482万5159円を相続した。 イ原告ら固有の損害(合計1150万円)(ア) X1の損害(350万円)a 葬儀費用(150万円)X1は,亡Hの死亡に伴い,同人の葬儀及び納骨を行い,150万円を出損した。 b 慰謝料(200万円)X1は,被告医師ら 1150万円)(ア) X1の損害(350万円)a 葬儀費用(150万円)X1は,亡Hの死亡に伴い,同人の葬儀及び納骨を行い,150万円を出損した。 b 慰謝料(200万円)X1は,被告医師らの過失により,人生の伴侶である亡Hを失ったものであり,その被った精神的苦痛は甚大である。X1が被った精神的苦痛に対する慰謝料は200万円が相当である。 (イ) X2,X3,X4及びX5の損害(各200万円)X2,X3,X4及びX5は,被告医師らの過失により,父親を失った。その精神的苦痛に対する慰謝料はそれぞれ200万円が相当である。 ウ弁護士費用(1300万円)本件は,医療事故に関する訴訟として,医学的,法律的な知識,情報,資料を収集し,これを駆使することが必要不可欠であり,その訴訟遂行には弁護士の介助が必須である。したがって,弁護士費用も,被告の行為によって原告らが被った損害というべきであり,この内,被告が負担すべき弁護士費用は賠償金額合計の10%に当たる1300万円が相当である。 【被告の主張】ア原告らが主張する損害についていずれも争う。 イ中間利息控除の利率について将来の金利変動率を予測することは困難であって他に的確な指標がないこと,損害賠償金元本に附帯する遅延損害金については,民事法定利率が年5%とされていることとの均衡,個々の事案ごとに個別に利率を認定することは困難を伴い同種事案との均衡を図るという意味においても必ずしも適切とはいえないこと,将来得べかりし利益を現在価格で一時に支払を受けた場合には,資産の購入その他の運用方法如何によっては,法定利率を超える割合の資本収入を得ることも考えられること等に照らせば,中間利息控除の利率は年5%とするのが相当である。 ウ過失相殺の規定の類推適用仮に,本件において,医療行為に過失が存 っては,法定利率を超える割合の資本収入を得ることも考えられること等に照らせば,中間利息控除の利率は年5%とするのが相当である。 ウ過失相殺の規定の類推適用仮に,本件において,医療行為に過失が存在すると評価された場合であっても,本件の背後に存在した急激な死への転帰を辿りうる病態,疾患そのものが亡Hの死亡という結果発生に大きく寄与していたことに照らすと,公平の見地から,民法722条2項の規定を類推適用し,損害額を減額すべきである。 第3 争点に対する判断 1 争点(1)(亡Hの急変の原因,N医師の予見可能性等)について(1) 前記争いのない事実等及び証拠(甲4,13,14,乙3,14,証人N)並びに弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。 ア亡Hの症状(ア) 亡Hは,午後9時40分ころ,本件処置室で,看護婦に対し,痰が出るのでティシュペーパーをとってほしいと述べ,看護婦から渡されたティシュペーパーに白色の痰を喀出したが,「息苦しい,息苦しい」と訴えるに至り,手爪にもチアノーゼが出現した(前記争いのない事実等(4)ア)。 (イ) 看護婦は,午後9時42分ころ,当直室に電話し,N医師に対し,亡Hの呼吸がおかしいのですぐ来てほしいと伝えた。このころ,亡Hが呼吸停止様の状態に陥った(前記争いのない事実等(4)イ)。 (ウ) N医師は,午後9時43分ころ,本件処置室に到着した。N医師が,本件処置室に到着した時,亡Hは,ベッドにあお向けで寝ており,全身が紫色にチアノーゼを呈しており,自発呼吸がほとんどみられない状態であった(証人N【23,25頁】)。 (エ) N医師は,亡Hに対し,3回にわたり気管内挿管を試みたが,喉頭が非常に腫れており,気管内へ挿管することができなかった。亡Hの一番腫れていた部位は喉頭蓋で,喉頭鏡を使用しても声帯 25頁】)。 (エ) N医師は,亡Hに対し,3回にわたり気管内挿管を試みたが,喉頭が非常に腫れており,気管内へ挿管することができなかった。亡Hの一番腫れていた部位は喉頭蓋で,喉頭鏡を使用しても声帯が確認できない状態であった(前記争いのない事実等(4)エ,同オ,同カ,甲4【2頁】,証人N【25頁】)。 (オ) 亡Hは,8月8日午前5時8分,死亡した。原告らの申入れにより,亡Hについて,東京都監察医務院で,O医師により解剖が行われた(前記争いのない事実等(5)ア)。 (カ) 東京都監察医務院が作成した亡Hの死体検案書(以下「本件死体検案書」という)には,亡Hの直接の死因について「気道口閉塞による窒息(推定)」とされ,その原因として,「急性咽・喉頭炎」が記載されている。また,解剖(主要所見)欄では,咽・喉頭部の膿瘍形成と出血・浮腫の存在が指摘されている(前記争いのない事実等(5)イ)。 (キ) 解剖記録に添付された亡Hの写真によれば,喉頭蓋とその周辺の炎症が本件病態の中心であることが認められる(乙3【11,12頁】,14【3頁】)。 イ医学的知見(ア) 喉頭とは前頸部中央第3ないし第6頸椎の間にあって,三角漏斗状をした器官であり,上は喉頭口によって咽頭に,下は喉頭気管口によって気管に連なっている。また,咽頭とは鼻腔,口腔の後で頸椎の前にあって円筒型をした器官であり,下方は食道及び喉頭に続いている(弁論の全趣旨)。 (イ) 喉頭の内,喉頭蓋と声門下腔は,荒い結合織と豊富なリンパ管から形成されているので,炎症性刺激が加わると容易に浮腫性腫張が発生し,気道狭窄の原因となる(乙14参考資料1【68頁】)。 (ウ) 喉頭の急性炎症による病変(急性喉頭炎)のうち,喉頭蓋の炎症を急性喉頭蓋炎といい,喉頭蓋が高度に腫脹し,喉頭腔が狭窄又は閉塞して,呼吸不 道狭窄の原因となる(乙14参考資料1【68頁】)。 (ウ) 喉頭の急性炎症による病変(急性喉頭炎)のうち,喉頭蓋の炎症を急性喉頭蓋炎といい,喉頭蓋が高度に腫脹し,喉頭腔が狭窄又は閉塞して,呼吸不全を起こす炎症性の疾患である(乙14参考資料1【68頁】)。急性喉頭蓋炎は,少児,成人ともに発生する細菌感染症であるが,日本では成人に多い疾患であるとされている(乙14参考資料9【397頁】)。 (エ) 急性喉頭蓋炎では,39度ないし40度の発熱とともに,咽頭痛,喉頭痛で始まり,嚥下痛,嚥下困難が増強し,発症から3ないし5時間で喉頭蓋に発生した浮腫状腫張による気道狭窄,呼吸停止へと短時間に増悪する例もある。浮腫状腫脹は,披裂喉頭蓋ひだ,披裂部に及ぶこともある(乙14参考資料1【69,70頁】)。 他覚的には,喉頭鏡,喉頭ファイバースコープにより,赤く腫脹した喉頭蓋を観察することができる(乙14参考資料1【70頁】)。 (オ) 咽後膿瘍とは,咽頭後壁で,頸椎前腔の疎性結合組織に生じる膿瘍のことをいい,呼吸及び嚥下困難,発熱などの症状を伴い,咽頭後壁に表面平滑な赤色,波動性腫瘤がみられる(甲13,14)。 (カ) 閉塞に至らない狭窄でも気道への負担は増加し,気道粘膜の損傷から感染を引き起こし易くするから,亡Hの死亡時にみられた膿瘍は,気道狭窄の過程で創出されたものと推認することができる(甲17【68頁】。 ウ以上の認定事実に加え,本件全証拠を検討するも,本件急変時において,亡Hの気道が浮腫により完全に閉塞していたとまで認めるに足りる証拠は存在せず,また,本件急変に先行して亡Hは喀痰困難の症状を呈していたことに照らすと,亡Hは,喉頭蓋を主とする喉頭部の炎症が進展し,声門が狭小化していたころ,痰の喀出困難を契機として,気道の閉塞を生じ,本件急変に至った 急変に先行して亡Hは喀痰困難の症状を呈していたことに照らすと,亡Hは,喉頭蓋を主とする喉頭部の炎症が進展し,声門が狭小化していたころ,痰の喀出困難を契機として,気道の閉塞を生じ,本件急変に至ったものと推認するのが相当であり,他にこの判断を左右するに足りる証拠は存在しない。 (2) ところで,本件において,被告の責任が認められるためには,まず第1に,N医師が,本件初診時又は遅くとも本件急変以前に,本件急変及び窒息死の原因である咽・喉頭部の異常(前記(1)のとおり急性喉頭蓋炎であると推認できる)を予見することができたか否かという点が問題となる。この点に関し,原告は,亡Hの症状及び検査結果等から予見可能性があったと主張し,被告はこれを否定するので,以下,N医師の予見可能性の有無について検討する。 前記争いのない事実等及び証拠(甲3,4,6,9,16,18,乙1,4,証人N)並びに弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。 ア本件初診時における亡Hの症状等(ア) 本件問診票の症状記入欄には,X2が亡Hに代わり「息苦しい」と記載し,その後,亡H自ら,「のどがとても痛くて生ツバものめない。時々急に苦しくなる。PM6:30頃薬を飲んだ。とても痛くがまんしてのむ。熱さましを飲んでから粉がからんでとても苦しくなった。少し熱があると思う。」等と記載した(前記争いのない事実等(3)ア)。 (イ) 本件初診時前に計測した亡Hの体温は38.3度であった(甲9【19丁表】,乙1【7頁】)。 (ウ) 亡Hは,本件初診時,N医師に対し,声があまり出ず,咽頭の方が苦しいこと,歩くことはできるが呼吸困難が恐いこと等を訴えた(甲3,9【18丁裏,19丁表,24丁表】,乙1【6,7頁】,弁論の全趣旨)。 (エ) N医師は,亡Hの舌を舌圧子で押して,中咽頭を観察したところ, と,歩くことはできるが呼吸困難が恐いこと等を訴えた(甲3,9【18丁裏,19丁表,24丁表】,乙1【6,7頁】,弁論の全趣旨)。 (エ) N医師は,亡Hの舌を舌圧子で押して,中咽頭を観察したところ,咽頭に発赤が見られたが,扁桃は膨張しておらず,咽頭部の浮腫,白苔の付着などの異常な狭窄を示す所見は認められなかった。また,N医師は,亡Hの胸部に聴診器を当てたが,呼吸音に異常はなく,喘鳴も認められなかった(甲4【4頁】,9【19丁表】,乙1【7頁】,4【1頁】,証人N【8頁】)。 (オ) 本件初診後に亡Hに対して実施された血液検査の結果によれば,白血球が1万4200,赤血球が457万,ヘモグロビンが14.6g/dl,ヘマトクリットが42.1%,血小板が14万であり,白血球の数値には感染を疑わせる異常がみられた(甲9【2丁頁】,乙1【11頁】)。この血液検査の結果は,本件点滴が開始された後である午後8時40分ころ判明し,N医師に伝えられた(証人N【10頁】,弁論の全趣旨)。 (カ) 亡Hは,本件点滴中,看護婦に対し,喉の痛み等を訴えておらず,本件処置室のベッドに横になり,いびきをかいて眠ったりしていた(前記争いのない事実等(3)エ,証人N【46頁】)。 イ医学的知見(ア) 呼吸困難とは,呼吸に際して,不快・苦痛を自覚し,自分の思うように呼吸ができないため,呼吸することに大きな努力をしなければならない病態をいう。呼吸困難は自覚症状であるため,痛みと同様に客観的に把握するのが難しく,また,感覚的・心理的因子の影響を受けるので,患者によってその訴え方は大きく異なるとされる(甲18【46頁】)。 (イ) 呼吸困難を来す疾患・病態には,上気道閉塞,呼吸器疾患,心疾患,神経・筋疾患,中枢神経疾患,心因性疾患,代謝性疾患,血液疾患などがあり,そのうち,上気 く異なるとされる(甲18【46頁】)。 (イ) 呼吸困難を来す疾患・病態には,上気道閉塞,呼吸器疾患,心疾患,神経・筋疾患,中枢神経疾患,心因性疾患,代謝性疾患,血液疾患などがあり,そのうち,上気道閉塞,呼吸器疾患,心疾患,心因性疾患は呼吸困難が主訴となることが多い。また,上気道閉塞の原因としては,気道内異物,仮性グループ,喉頭浮腫を挙げることができる(甲16【125頁】)。 (ウ) 自覚症状として,呼吸困難を訴える患者を診察する上で,まず必要なことは,呼吸困難を惹起している病態とその緊急度,重症度を正確に把握することであるとされている(甲16【125頁】)。 (エ) 呼吸困難の確認方法としては,意識状態,血圧・脈拍の変化,呼吸状態(呼吸数,呼吸パターン,呼吸音の異常),チアノーゼ,体位の異常(起坐呼吸など),発熱などがある(甲16【125,126頁】)。 (オ) 喉頭部の急性炎症の場合,診断の上で最も重要な点は,通常の急性(単純性)喉頭炎とグループや喉頭蓋炎などの呼吸障害を来す疾患との鑑別であるとされる(甲6【309頁】)。 (カ) 急性(単純性)喉頭炎とは,ウイルス感染を主たる原因とする喉頭粘膜の急性炎症である。主症状は嗄声,発作性咳嗽,喉頭痛であり,軽度の発熱や嚥下痛を伴うことがある。喉頭所見は,喉頭粘膜の発赤,肥厚等である(甲6【309,310頁】)。 これに対し,急性咽頭炎とは,いわゆるかぜ症候群の部分症で,発熱,咽頭痛を伴い,咽頭粘膜に強い発赤,腫脹を見る疾患をいう(弁論の全趣旨)(キ) 成人の急性喉頭蓋炎では,呼吸困難が引き起こされる。間接喉頭鏡による喉頭所見により診断されるが,喉頭側面のレントゲン写真も参考になる。呼吸困難に対応できる準備が必要であり,気道確保のため,直ちに気管内挿管あるいは気管切開に移行しなければならな る。間接喉頭鏡による喉頭所見により診断されるが,喉頭側面のレントゲン写真も参考になる。呼吸困難に対応できる準備が必要であり,気道確保のため,直ちに気管内挿管あるいは気管切開に移行しなければならないことがある(甲6【311頁】)。 ウ以上の認定事実を前提に,本件初診時,N医師において,亡Hが喉頭部に異常(急性喉頭蓋炎)を持ち,その後急変するおそれがあることを予見できたか否かについて検討する。 (ア) 確かに,前記ア(ア)ないし(ウ),(オ)で認定したとおり,亡Hは,本件初診時,呼吸困難を訴えていたこと,体温は38.3度であり,白血球の数値も感染を疑わせる異常を示していたことが認められ,これらの事情は,N医師が,亡Hの喉頭部における異常を予見することが可能であったことを窺わせる事情であるとも考えられる。 しかし,前記イ(ア)で認定したとおり,呼吸困難は自覚症状であるため,痛みと同様に客観的に把握するのが難しいところ,証拠(証人N)及び弁論の全趣旨によれば,亡Hの意識状態は明瞭であり,チアノーゼも見られなかったことが認められる。そうだとすると,亡Hが,N医師に対し,呼吸困難を訴えていたことから直ちに,N医師において,亡Hの喉頭部の異常を予見することができたと推認することは困難である。 さらに,前記(1)イ(エ)記載のとおり,急性喉頭蓋炎では,39度ないし40度の発熱が見られるところ,亡Hの前記体温はその数値から直ちに急性喉頭蓋炎を窺わせるものとまでは認められず,白血球の数値の異常もそのことから直ちに喉頭部の異常を示すものとは認められない。 (イ) かえって,前記アで認定した事実及び証拠(甲12【3頁】,乙4【2頁】,証人N【2,7,10頁】,X2【4頁】)並びに弁論の全趣旨によれば,①亡Hは,本件初診時,診察室に一人で入室し,診察用の椅子 かえって,前記アで認定した事実及び証拠(甲12【3頁】,乙4【2頁】,証人N【2,7,10頁】,X2【4頁】)並びに弁論の全趣旨によれば,①亡Hは,本件初診時,診察室に一人で入室し,診察用の椅子に着席してN医師の診察を受けていること,②亡Hは,受診後,一人で廊下に出て,X3に対し,家族に連絡しなくてよい旨伝えていること,②気道の狭小化の兆候があれば何らかの異常音が聴取されるのが一般であるところ,本件初診時において,亡Hには努力呼吸,喘鳴,奇異呼吸などの異常呼吸は認められなかったこと,③亡Hの顔色は,本件初診時,特別問題がなかったこと,④亡Hは,本件点滴開始から本件急変までの間,気道の閉塞を疑わせるような異常はみられなかったこと等の事実が認められる。 (ウ) そして,本件では,亡Hは,本件初診から4時間ほど前に耳鼻咽喉科専門医であるL医師の診察を受けているところ,L医師は,亡Hの症状について急性咽頭炎と診断しており,亡Hの症状は,耳鼻咽喉科専門医でも診断困難なものであったと窺われること,急性喉頭蓋炎の臨床症状は,主として発熱と咽頭痛というもので,急性咽頭炎ないし感冒の症状としてよく見られるものであること(乙13【117頁】,14【4頁】),間接喉頭鏡や喉頭ファイバースコープは一般病院の当直外来中に日常使われる器具ではないこと(証人N【45頁】)等本件に顕れた諸事情に照らすと,耳鼻咽喉科専門医ではないN医師が,本件初診時及び点滴中の亡Hの症状から,亡Hの喉頭部の異常を予見することは困難であったものと認めるのが相当である。 (エ) また,前記争いのない事実等(3)ウ及び証拠(証人N【10,11頁】)並びに弁論の全趣旨によれば,N医師は,本件初診後,細菌感染の可能性も考えて,亡Hに対し,抗生物質を含んだ本件点滴をしながら,看護婦の監視の下 のない事実等(3)ウ及び証拠(証人N【10,11頁】)並びに弁論の全趣旨によれば,N医師は,本件初診後,細菌感染の可能性も考えて,亡Hに対し,抗生物質を含んだ本件点滴をしながら,看護婦の監視の下,経過観察を行っており,N医師がとったこれらの措置は,夜間当直下の当直医として要求される医療水準に照らして,適切な処置であったと認めるのが相当であり,これを覆すに足りる証拠は存在しない。 (3) 小括以上によれば,本件初診時から本件急変時までの間に,亡Hの喉頭部の異常を予見できなかったことに関し,N医師に注意義務違反は認められない。よって,その余の点を判断するまでもなく,この点に関する原告らの主張は理由がないということになる。 2 争点(2)(本件急変後の措置に関する被告医師らの過失)について(1) 原告らは,次に,亡Hの急変後における被告医師らの処置には過失があると主張する。そこで,以下,本件急変後の被告医師らの処置に関し,当時の医療水準に照らして注意義務違反が認められるか否かについて検討する。 前記争いのない事実等及び証拠(甲4,5,16ないし18,乙14,証人N,同M)並びに弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。 ア亡Hの急変後の症状と被告医師らの処置(ア) 亡Hは,午後9時40分ころ,本件処置室で,看護婦に対し,痰が出るのでティシュペーパーをとってほしいと述べ,看護婦から渡されたティシュペーパーに白色の痰を喀出したが,「息苦しい,息苦しい」と訴えるに至り,手爪にもチアノーゼが出現した(前記争いのない事実等(4)ア)。 (イ) 看護婦は,午後9時42分ころ,当直室に電話し,N医師に対し,亡Hの呼吸がおかしいのですぐ来てほしいと伝えた。このころ,亡Hが呼吸停止様の状態に陥ったため,看護婦は,亡Hに対し,心臓マッサージを開始した は,午後9時42分ころ,当直室に電話し,N医師に対し,亡Hの呼吸がおかしいのですぐ来てほしいと伝えた。このころ,亡Hが呼吸停止様の状態に陥ったため,看護婦は,亡Hに対し,心臓マッサージを開始した(前記争いのない事実等(4)イ)。 (ウ) N医師は,午後9時43分ころ,本件処置室に到着した。N医師は,アンビューバックによる換気を開始するとともに,看護婦に対し,応援のために人員を集めるように指示した。更に,N医師は,午後9時50分ころ,ボスミン1アンプルを静脈注射し,1回目の気管内挿管を試みたが,喉頭の展開が困難で,喉頭鏡を使用しても声門が確認できず挿管することができなかった(前記争いのない事実等(4)ウ,同エ,証人N【25頁】,弁論の全趣旨)。 (エ) N医師は,1回目の気管内挿管を試みた後,アンビューバックによる換気に戻ったが,午後9時55分ころ,Hに対し,2回目の気管内挿管を試みた(前記争いのない事実等(3)オ,弁論の全趣旨)。しかし,この時も,喉頭の展開が困難で声門の確認ができなかったため,気管内挿管を断念し,アンビューバックによる換気に戻った(弁論の全趣旨)。 (オ) N医師は,午後9時58分ころ,亡Hに対し,3回目の気管内挿管を試みた。この際も,N医師は,亡Hの声門を確認することができなかったが,挿管後の呼吸音の確認から,正常に気管内に挿管されたと判断し,挿管されたチューブを通じ亡Hに対し酸素を供給した(前記争いのない事実等(4)カ,証人N【35頁】)(カ) M医師は,午後9時58分ころ,本件処置室に到着した。M医師が本件処置室に到着した時点における亡HのSPO2は23%であり,亡Hには腹部膨満及びチアノーゼが顕著に見られた。M医師は,N医師から,挿管部を覗いてほしいと求められ,喉頭鏡で確認したが,喉頭蓋浮腫のために挿管でき した時点における亡HのSPO2は23%であり,亡Hには腹部膨満及びチアノーゼが顕著に見られた。M医師は,N医師から,挿管部を覗いてほしいと求められ,喉頭鏡で確認したが,喉頭蓋浮腫のために挿管できているか否かを確認することはできなかった(前記争いのない事実等(4)キ)。 (キ) 亡Hは,午後10時00分ころ,心停止状態に陥った。そのため,被告医師らは,亡Hに対し,心臓マッサージを行った(前記争いのない事実等(4)ク)。 (ク) 午後10時05分ころ,亡Hに挿管されていたチューブから吐物が逆流し,3回目の挿管が食道への誤挿管であったことが判明した。M医師は,直ちに,チューブを気管内に挿管し,これに成功した(前記争いのない事実等(4)ケ)。 (ケ) M医師による気管内挿管により,亡Hの低酸素状態が改善されたために,亡Hは,心拍が再開し,血圧も測定することができるようになった(証人M)。 イ医学的知見(ア) 救命処置を必要とする呼吸困難の症状としては,意識の消失,チアノーゼの出現,呼吸様式の変化(無呼吸ないし頻呼吸),頻脈,血圧低下,胸部・上腹部が動かないこと等が挙げられる(甲18【50頁】)。 (イ) 患者の呼吸困難の症状が強いときには,医師は,患者に対し,まず酸素吸入などを行うが,呼吸機能や心機能の著しい低下又は停止がみられるときには,心肺蘇生法が適応となり,気道の確保,人工呼吸,循環の改善などが必要となる(甲16【19頁】,乙14参考資料9【76頁】)。 (ウ) そして,呼吸運動が停止していたり弱い場合や,エアウェイあるいは鼻チューブを挿入しても有効な換気が行えない場合は,気管内挿管を行うべきであるとされている(甲5【128頁】,18【5頁】)。 (エ) 気管内挿管には,経口的気管内挿管と経鼻的気管内挿管とがあり,気道確保の ブを挿入しても有効な換気が行えない場合は,気管内挿管を行うべきであるとされている(甲5【128頁】,18【5頁】)。 (エ) 気管内挿管には,経口的気管内挿管と経鼻的気管内挿管とがあり,気道確保の基本は経口的気管内挿管であり,気道確保に要する時間が比較的短く,気管内吸引も容易であるため,緊急の場合には経口的気管内挿管が選択される場合が多いとされている(甲5【128頁】,17【73頁】)。 (オ) 気管内挿管の手順は,まず,100%酸素による人工呼吸を行い,吸引器の準備をする。挿管の際には,必ず声門を確認し挿管する。気管内挿管自体は1分以内にできるとされている(甲4【4頁】)。また,気管内挿管が行われるまでの間は,下顎挙上法により気道を確保しポケットマスクやアンビューバックを用いた人工呼吸を行うとされている(甲16【127頁】,17【63頁】)。 (カ) 気管内挿管が正しく行われた否かを確認する方法としては,①胸郭を圧迫し,気管チューブからの空気の流出を確認する方法,②アンビューバックを加圧しながら聴診し呼吸音の左右差を確認する方法,③アンビューバックを加圧しながら胸郭の拡張の有無を確認する方法,④全身のチェック(チアノーゼ,バイタルサイン,尿量,皮膚の乾湿,温感),⑤血液ガス分析,⑥胸部X線写真等の方法がある(甲4【5頁】,5【129,130頁】,17【74頁】,証人M【14頁】)。 (キ) 気道確保の方法としては,気管内挿管の他に,気管穿刺や気管切開がある。このうち,気管穿刺とは,気管内挿管や気管切開による気道確保ができない緊急の場合に,気管に経皮気管穿刺針(トラヘルパー)を穿刺して気道を開通する方法のことをいい,穿刺する場所は輪状甲状靭帯付近であるが,輪状甲状靱帯の部分は,比較的血管が少ないため容易に行うことができるとされている( に経皮気管穿刺針(トラヘルパー)を穿刺して気道を開通する方法のことをいい,穿刺する場所は輪状甲状靭帯付近であるが,輪状甲状靱帯の部分は,比較的血管が少ないため容易に行うことができるとされている(甲18【56頁】)。次に,気管切開とは,手術により気管に開口部を設け,開口部から気管カニューレを挿入する方法をいい,緊急度の高い場合の気管切開は,輪状甲状膜切開術が行われる。輪状甲状膜は頸部正中に位置し,重要な神経,血管を欠き,容易に気管腔に到達できるとされている(甲18【56頁】,乙14参考資料10【100頁】)。 (ク) 気道を確保するに当たり,気管内挿管を行うべきか,気管切開を行うべきかという点については,どちらを選択するかについて絶対的な基準があるわけではない。したがって,患者の個々の症例に合わせて,気管内挿管と気管切開の選択を行うべきであるとされている(乙14参考資料9【399頁】)。 (2) 以上の認定事実を前提に,本件において,被告医師らの処置に,二次救急の当直医及び看護婦に要求される注意義務違反が認められるか否かについて検討する。 ア看護婦の処置について前記(1)で認定した事実及び証拠(甲19【10頁】,証人N,同M)並びに弁論の全趣旨によれば,医療機関は,呼吸停止に陥った患者に対し,直ちに気道確保を行い,その後に人工呼吸,心臓マッサージを実施すべき注意義務を負っていたことが認められる。 これを本件についてみるに,前記争いのない事実等(4)イで認定したとおり,本件処置室にいた看護婦は,本件急変後,亡Hに対し,気道確保及び人工呼吸の措置を採らずにいきなり心臓マッサージを開始しており,本件急変後の看護婦の採った措置は,呼吸困難に陥った救急患者に対し行うべき救命処置手技に関する当時の医療水準に照らして,不適切な措置であると認めら 置を採らずにいきなり心臓マッサージを開始しており,本件急変後の看護婦の採った措置は,呼吸困難に陥った救急患者に対し行うべき救命処置手技に関する当時の医療水準に照らして,不適切な措置であると認められる。 以上によれば,本件急変直後の看護婦の措置には,注意義務違反が認められる。 イ気道確保の方法の選択(ア) 原告らは,本件急変後における亡Hに対するN医師の処置について,気管内挿管が失敗した後,不十分であることを知りながら,マスクとアンビューバックによる換気を継続したもので,気道確保の方法の選択を誤った過失があると主張するので,以下,この主張の当否について検討する。 (イ) 前記(1)イ(ク)で認定したとおり,呼吸困難に陥った患者に対し,いかなる気道確保の手段を講じるかについては,絶対的な基準があるわけではなく,個々の患者の症例に併せて選択すべきものであることが認められる。 したがって,呼吸困難に陥った患者に対し,どのような気道確保手段を選択するかについては,第一次的には,医療機関(医師又は看護婦)の裁量に委ねられていると解することができる。しかし,個々の患者の症状に照らして,気管内挿管が著しく困難であることが明白であり,直ちに,気管穿刺又は気管切開を行わないと患者が死亡してしまう危険性がある場合には,医師には気管穿刺又は気管切開を行うべき注意義務が課されており,このような義務が課されているにもかかわらず,気管穿刺又は気管切開による気道確保を怠った場合には,そのために生じた結果に対し,損害を賠償する義務を免れないというべきである。 (ウ) そこで,まず,N医師が,気管穿刺あるいは気管切開ではなく,2回目の気管内挿管を試みたことについて検討する。 a 前記争いのない事実等及び証拠(甲18【54頁】,乙14参考資料9【76頁】)並びに弁論の全 ,まず,N医師が,気管穿刺あるいは気管切開ではなく,2回目の気管内挿管を試みたことについて検討する。 a 前記争いのない事実等及び証拠(甲18【54頁】,乙14参考資料9【76頁】)並びに弁論の全趣旨によれば次の事実が認められる。 (a) 気管内挿管ができない場合は,緊急気管切開や経皮的穿刺針による気道の確保が急務であるとされている(甲17【74頁】,乙14参考資料1【70頁】,同参考資料9【76頁】)。 (b) 技術不足を含めて,気管内挿管が不能のときには,ためらわずに輪状軟骨下に18G(ピンク針)を3,4本指し,針から十分な酸素を投与しつつ,気管切開の準備を進めるべきであるとする文献(甲19【151頁】)や,緊急気管切開や経皮的穿刺針の用意がないときには,輸血針を数本甲状軟骨と甲状軟骨との間に刺入するととりあえず呼吸が可能となるとする文献(乙14参考資料9【76頁】)が存在する。 (c) 急性喉頭蓋炎では喉頭蓋がしばしば斑状に黄色や赤色調に腫れあがるために,閉塞しそうな気道に挿管するには経験と技術を要し,緊急気管切開が必要とされる場合があるとされている(乙14参考資料6)。 (d) 急性喉頭蓋炎は適切な治療を施せば完治しうる疾患であり,気道確保の方法として,気管内挿管か気管切開かという問題があるが,気道の確保を必要とする高度の呼吸困難症例に対しては,挿管が困難なことが予想され,気管切開を行うことが多いとする文献(乙14参考資料2【212頁】)や急性喉頭蓋炎は声門上域が浮腫を起こしているため,気管内挿管が困難であり,気管切開が好ましいとする文献(乙14参考資料11【270頁】)が存在する。 b これを本件についてみてみるに,前記争いのない事実等(4)エ及び証拠(証人N【35頁】,同M【33頁】)並びに弁論の全趣旨によれば,1回目の気 献(乙14参考資料11【270頁】)が存在する。 b これを本件についてみてみるに,前記争いのない事実等(4)エ及び証拠(証人N【35頁】,同M【33頁】)並びに弁論の全趣旨によれば,1回目の気管内挿管を試みた時点において,亡Hの喉頭部は浮腫のために挿管手技も困難な状況であったところ,N医師は,1回目の気管内挿管の際に,①窒息による急変直後であり喉頭の展開が困難であること,②喉頭部のむくみが原因で声門の確認ができないから気管内挿管は困難であること,③早期に気道確保しないと亡Hの救命は難しいことを認識していたことが認められる。 そうだとすると,N医師には,1回目の気管内挿管に失敗した後,直ちにアンビューバックによる換気に戻るとともに,気管穿刺ないし気管切開の準備を行い,再度気管内挿管を試みても挿管が困難であると判明したときには,直ちに,気管穿刺ないし気管切開を行うべき注意義務を有していたと認めるのが相当であり,そうだとすると,このような措置を行わなかったN医師の措置には注意義務違反があったというべきである。 c これに対し,被告は,本件急変は,夜間の外来で突然起こったものであり,N医師のほかには,看護婦しかいないという状況や,気管切開に伴う出血などの合併症を考えると緊急気管切開を行うという決断はできず,気管内挿管による気道確保の方が安全であると判断したものであるからN医師の判断に過失はないと主張する。 しかし,証拠(甲3,9【19丁表】,乙1【7頁】)及び弁論の全趣旨によれば,被告病院は第二次救急病院であるから緊急時の二次救急処置に関して,N医師及び看護婦には高度の技術が求められていたというべきであるし,本件処置室には,N医師のほかに3名の看護婦がおり,気管穿刺又は気管切開に伴う出血に対応することもできたと認めるのが相当であるから, 医師及び看護婦には高度の技術が求められていたというべきであるし,本件処置室には,N医師のほかに3名の看護婦がおり,気管穿刺又は気管切開に伴う出血に対応することもできたと認めるのが相当であるから,この点に関する被告の主張は採用することができない。。 d そして,耳鼻咽喉科専門医向けではない文献(甲17ないし19)にも,気道確保の方法として,気管切開が挙げられていること,気道確保は医師に要求される必須の手技であり,日頃から十分に訓練を積んでおく必要があると指摘されていること(甲16【127頁】),被告病院では,N医師は,外科専門医であるから,緊急時の気管穿刺及び気管切開の技術を当然に身につけていたものと推認できること等に照らすと,N医師には遅くとも2回目の気管内挿管を試み,これに失敗した時点で,気管穿刺ないし緊急気管切開を行うべきであったと認めるのが相当である。 (エ) 以上の検討によれば,N医師には,2回目の気管内挿管を試み,これに失敗した時点で,亡Hに対し,気管穿刺ないし緊急気管切開を実施すべきであったのに,これを怠った点に注意義務違反が認められ,この判断を覆すに足りる証拠は存在しない。 ウ食道への誤挿管の過失(ア) 本件において,3回目の挿管が食道への誤挿管であったことは当事者間に争いがない。また,証拠(証人N【50頁】,証人M【52頁】)及び弁論の全趣旨によれば,患者に自発呼吸がない場合には,食道に挿管することで患者に対する酸素供給が完全に断絶してしまうこと,気道の確保ができていなければ,心臓マッサージを行っても無意味であることが認められる。そうだとすると,気管内挿管を試みた医師は,挿管後,チューブが正常に気管内に挿管されていることを確認すべき注意義務,具体的には,①胸郭を圧迫し,気管チューブからの空気の流出を確認する方法,② れる。そうだとすると,気管内挿管を試みた医師は,挿管後,チューブが正常に気管内に挿管されていることを確認すべき注意義務,具体的には,①胸郭を圧迫し,気管チューブからの空気の流出を確認する方法,②アンビューバックを加圧しながら聴診し呼吸音の左右差を確認する方法,③アンビューバックを加圧しながら胸郭の拡張の有無を確認する方法,④全身のチェック(チアノーゼ,バイタルサイン,尿量,皮膚の乾湿,温感)を行うべき注意義務を負っていたものと認めるのが相当である。 (イ) これを本件についてみてみるに,証拠(甲3,4,9【25丁】,証人M【14,34頁】)及び弁論の全趣旨によれば,N医師は,3回目の挿管に当たって,亡Hの声門を十分に確認することができなかったことが認められ,そうだとすると,N医師には,通常の気管内挿管の時にも増して,挿管後の慎重な確認が求められていたものというべきである。この点,N医師は,当法廷において,3回目の挿管後,アンビューバックで空気を逆送して,胸郭の上下の動きを確認したと証言する(証人N【37頁】)が,これを裏付けるに足りる的確かつ客観的な証拠は存在せず,証人Nの前記証言を採用することは困難である。 さらに,前記争いのない事実等(4)キ及び証拠(証人M【51頁】)によれば,M医師が本件処置室に入室した時点で,亡Hには,①腹部の膨満及びチアノーゼが顕著に見られたこと,②換気が行われた場合には数値が急激に上昇するとされるSPO2の数値が23%という低い数値を示していたこと,③アンビューバックの内圧にも異常がみられたことが認められ,これら本件に顕れた諸事情は,3回目の挿管が食道への誤挿管であることを疑わせる事情であるということができる。 そして,証拠(証人N【1,49,50頁】,証人M【16,17,31,33頁】)及び弁論の全 ら本件に顕れた諸事情は,3回目の挿管が食道への誤挿管であることを疑わせる事情であるということができる。 そして,証拠(証人N【1,49,50頁】,証人M【16,17,31,33頁】)及び弁論の全趣旨によれば,①被告病院では外科医が日常的に挿管操作を行っていたこと,②N医師は,気管内挿管を200例以上経験し,緊急時の気管内挿管についても20ないし30例の経験を有し,正常な気管内挿管と食道への誤挿管の場合との呼吸音の違いも認識していたこと,③1回目及び2回目の挿管も食道への誤挿管であり,N医師は,アンビューバックによる換気がうまく行われなかったために抜管していること,④M医師は,本件処置室に到着してすぐに亡Hについて誤挿管の可能性があるのではないかと疑っていることが認められる。 (ウ) 以上によれば,3回目の挿管後,亡Hの呼吸音のみを確認して,チューブが気管内に挿管されたと判断したN医師には,挿管後の確認を怠った過失及び食道へ挿管したまま亡Hを放置した過失がそれぞれ認められる。 (3) 被告医師らの過失と亡Hの結果との間の因果関係についてア以上検討したとおり,本件急変後の被告医師らの処置には,①急変後直ちに気道確保すべきであったのに怠った過失,②気道確保の手段を誤った過失,③気管内に挿管すべきところ,食道へ誤挿管し,挿管後の確認を怠ったまま放置した過失がそれぞれ認められる。 しかし,本件において,被告の債務不履行責任が認められるためには,被告医師らが,亡Hに対し,適切な処置を施すことにより,亡Hの死亡という結果を回避することができた,換言すれば,被告医師らの過失と亡Hの死亡という結果との間に相当因果関係が認められることが必要である。そこで,以下,相当因果関係の有無について検討を進めることにする。 前記争いのない事実等及び証拠(甲18 ,被告医師らの過失と亡Hの死亡という結果との間に相当因果関係が認められることが必要である。そこで,以下,相当因果関係の有無について検討を進めることにする。 前記争いのない事実等及び証拠(甲18,19)並びに弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。 (ア) 気道が完全に閉塞すると,酸素欠乏により,4ないし6分で不可逆的な脳障害が起こり,その状態が10分ないし15分継続すると心臓が障害されて死に至るとされている(甲18【46頁】,弁論の全趣旨)。 (イ) 心停止が起きると約45秒で瞳孔の散大がみられ,約1分45秒前後で最大となる。この状態に陥ると,意識回復の可能性は低くなるとされている(甲18【46頁】)。 (ウ) 低酸素血症は致命的で,救命できても後遺症を残すことがあるから,医師は患者についてチアノーゼが持続するような状態を避ける必要があるとされている(甲19【153頁】)。 イ以上の認定事実を前提に,本件において,被告医師らの行為と亡Hの死亡との間に相当因果関係が認められるか否かについて検討する。 (ア) 前記争いのない事実等(4)ウ及び弁論の全趣旨によれば,N医師は,本件処置室到着後,直ちに,亡Hに対し,アンビューバックで換気を開始しており,看護婦が換気の代わりに心臓マッサージを実施していたのは,数十秒間にとどまることが認められる。そうだとすると,この看護婦の過失(いきなり心臓マッサージを実施した過失)と,亡Hの死亡との間に因果関係を認めるのは困難であり,他に,この判断を左右するに足りる証拠は存在しない。 (イ) 他方,前記争いのない事実(4)ク及び証拠(甲4【7頁】)によれば,本件において,亡Hが心停止に至ったのは,食道への誤挿管中の午後10時00分ころであり,心停止状態に陥った直接の契機は食道への誤挿管によって無酸素状態 事実(4)ク及び証拠(甲4【7頁】)によれば,本件において,亡Hが心停止に至ったのは,食道への誤挿管中の午後10時00分ころであり,心停止状態に陥った直接の契機は食道への誤挿管によって無酸素状態が長時間継続したことにあると強く推認することができる。そして,証拠(甲10【14丁表】,乙2【12頁】,証人N【36頁】)及び弁論の全趣旨によれば,①2回目の気管内挿管を試みた当時の亡Hの心拍数は123であり,危機的な状態とまでは認められないこと,②3回目の挿管以前には,アンビューバックでの換気により不十分ながらも酸素が送り込まれていたこと,③午後9時58分ころのSPO2の数値は23%と低いが,これは3回目の挿管が食道への誤挿管で酸素の吸入が完全に遮断したことにより急激に数値が低下したのではないかとの推認が可能であること,④M医師による気管内挿管成功後,亡Hの無酸素状態が改善されて,心臓が動き出したこと,⑤N医師は,その証言の中で,亡Hについて,長い時間無酸素状態ではなかったと証言していること(証人N【49頁】),⑥亡Hにみられた上気道閉塞の場合は,気道を確保できればほとんど救命可能であるとする文献(甲19【151頁】)もあること,急性喉頭蓋炎の患者についても,早期に気道が確保された事例では救命されている例もあること(乙11,12)が認められる。そうだとすると,N医師が,亡Hが心停止に至る午後10時00分以前に,亡Hに対し,気管穿刺ないし緊急気管切開を実施し,気道確保を図っていれば,亡Hを救命できた蓋然性は高いと認められ,この判断を覆すに足りる証拠は存在しない。 (ウ) 以上のとおり,本件において,N医師が,午後10時00分以前に,気管穿刺ないし緊急気管切開等の必要な措置を行い気道を確保していれば,亡Hは死亡を免れた蓋然性が高いのであるから は存在しない。 (ウ) 以上のとおり,本件において,N医師が,午後10時00分以前に,気管穿刺ないし緊急気管切開等の必要な措置を行い気道を確保していれば,亡Hは死亡を免れた蓋然性が高いのであるから,被告医師らの過失と亡Hの死亡との間には相当因果関係があると認めるのが相当である。 3 争点(4)(原告らの被った損害額等)について(1) 亡Hの被った損害ア亡Hの逸失利益(ア) 前記争いのない事実等及び証拠(甲2,11,12,24,X1本人,X2本人)並びに弁論の全趣旨によれば,亡Hは,昭和12年12月20日に生まれた男子であり,死亡当時,P会社の代表取締役として格別支障なく稼働し,平成8年分の給与所得控除後の所得金額は1540万円であったこと,亡Hは,死亡当時,一家の支柱として妻であるX1及び子である同雅子を扶養し,また,X2,同淳子及び同和子と同居していたことが認められる。 (イ) 前記(ア)で認定した各事実に照らすと,亡Hの就労稼働年数を死亡時から8年(67歳まで)とし,生活費控除率を30%,中間利息の控除をライプニッツ式係数を用いて6.4632とするのが相当であり,そうだとすると,亡Hの逸失利益は次のとおり,少なくとも6967万3296円を下らないと認めるのが相当である。 15,400,000×6.4632×(1-0.3)=69,673,296(ウ) なお,原告らは,中間利息の控除の割合について,現在の金利等に照らすと年3%程度が上限であると主張する。確かに,現在の実質金利及び公定歩合によれば,定期預金等による資金運用によっても年5%の割合による複利の利回りで運用利益を上げることが困難であることは否定できず,原告らの主張も理解できなくはない。しかし,民法所定の民事法定利率の規定は,当事者間に利率の合意がない場合の利息,法定利率 割合による複利の利回りで運用利益を上げることが困難であることは否定できず,原告らの主張も理解できなくはない。しかし,民法所定の民事法定利率の規定は,当事者間に利率の合意がない場合の利息,法定利率を超える利率の約定がされていない場合の遅延損害金などについて統一的に適用されるものであり,法定利率と実際の金利情勢との著しい乖離が長期間見込まれる場合には,本来民法404条の改正という立法上の手当が行われるべきである。そのような手当がされていない現在においては,法的安定及び統一的処理の見地から,法定利率年5%により中間利息の控除をすることが相当であり,他に,本件において,中間利息の控除の割合を年3%を上限としなければならない特段の事情も認められない。よって,この点に関する原告らの主張は理由がなく採用の限りではない。 イ亡Hの死亡慰謝料亡Hは,気道の確保が実施されていれば亡Hは確実に死を免れたこと,一家の支柱として原告らの生計を支える存在であったこと,亡Hは,妻及び4人の娘を残して死亡していること,被告医師らの注意義務違反の態様は軽いとはいえないこと等本件に顕れた諸事情に照らすと,亡Hが被った精神的苦痛に対する慰謝料は,少なくとも2600万円を下らないものと認めるのが相当である。 ウ前記ア及びイによる損害額の合計は9567万3296円であるところ,X1は,亡Hの妻として,その2分の1である4783万6648円を,X2,X3,X4及びX5は,亡Hの子として,その8分の1である1195万9162円をそれぞれ相続していることが認められる。 (2) 原告らが被った損害について原告らは,亡Hの損害に加えて,原告らが被った固有の損害として葬祭費及び原告ら自身の慰謝料を請求している。しかし,本件において,被告と診療契約を締結したのは亡Hであるから, らが被った損害について原告らは,亡Hの損害に加えて,原告らが被った固有の損害として葬祭費及び原告ら自身の慰謝料を請求している。しかし,本件において,被告と診療契約を締結したのは亡Hであるから,診療契約上の注意義務違反による損害として葬祭費及び原告ら固有の慰謝料を認めることは困難であり,この点に関する原告らの請求は理由がない。 (3) 過失相殺の類推適用の当否についてア被告は,本件において,仮に,被告医師らの医療行為に過失が存在すると評価された場合であっても,本件の背後に存在した急激な死への転帰を辿りうる病態,疾患そのものが亡Hの死亡という結果発生に大きく寄与していたことに照らすと,公平の見地から,民法722条2項の過失相殺の規定を類推適用し,損害額を減額するのが妥当であると主張する。 イしかし,前記2で詳述したとおり,本件は,被告医師らにより,気道の確保が適切になされていれば亡Hは救命されていた蓋然性が高く,亡Hの疾患が,死亡という結果に大きく寄与していたと認めることは困難であるから,被告がその主張の前提とする結果発生への寄与という事実を欠く。そして,亡H及び原告らには何らの過失が認められないこと,他方,被告医師らの過失は軽いとはいえないことなどを総合的に考慮すると,本件において,民法722条2項の過失相殺の規定を類推適用しなければ,公平を失するとはいい難い。 ウ以上によれば,本件に過失相殺の規定を類推適用すべきであるとの被告の主張は,理由がないということになる。 (4) 弁護士費用前記(1)及び(2)で認定したとおり,X1には4783万6648円の,X2,X3,X4及びX5にはそれぞれ1195万9162円の請求権が認められるところ,これら認容額及び本件事案の内容並びに本件紛争経過を考慮すると,X1は240万円,X2,X3, 3万6648円の,X2,X3,X4及びX5にはそれぞれ1195万9162円の請求権が認められるところ,これら認容額及び本件事案の内容並びに本件紛争経過を考慮すると,X1は240万円,X2,X3,X4及びX5はそれぞれ60万円の各弁護士費用が,本件死亡事故と相当因果関係のある損害と認めるのが相当であり,その余の弁護士費用の請求は理由がない。 第4 結論以上のとおりであるから,原告らの請求は,X1に対し5023万6648円,X2,X3,X4及びX5に対しそれぞれ1255万9162円及び前記各金員に対する亡Hが死亡した日の翌日である平成9年8月9日から支払済みまで民法所定の年5%の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある(少なくとも本件のような診療契約に基づく債務不履行により,人の命を害したことによる損害として請求される場合でもその賠償義務の履行期に関しては不法行為による損害として請求される場合と実質上区別すべき合理的理由がないので,損害の発生後直ちにこれを賠償すべきものと解するのが相当である。ちなみに弁護士費用についても同様の考慮からこれを認めた。)からこれを認容し,その余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することにする。 東京地方裁判所民事第36部裁判長裁判官難波孝一裁判官足立正佳裁判官富澤賢一郎
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