平成25(わ)4935 殺人被告事件

裁判年月日・裁判所
平成26年9月3日 大阪地方裁判所
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判決文本文5,044 文字)

主文 被告人は無罪。 理由 第1 本件公訴事実本件公訴事実は,「被告人は,知的障害を有し,全身性エリテマトーデスに罹患していた長女のA(当時29歳)を介護していたものであるが,自己及び長女らの将来を悲観するなどし,同人と無理心中することを決意し,平成25年10月8日午後1時頃から同日午後4時47分頃までの間に,大阪府吹田市a町b丁目c番dハイツe号室被告人方風呂場において,長女に対し,殺意をもって,同人を浴槽内の湯水に沈め,よって,その頃,同所において,同人を溺水による窒息により死亡させて殺害した。」というものである。 関係証拠によれば,被告人が,長女(以下「被害者」という。)と無理心中することを決意し,前記日時場所において,被害者を浴槽内の湯水に沈め,被害者を殺害したことが認められる(以下,この行為を「本件殺害行為」という。)。 第2 争点 1 本件の争点は,本件殺害行為時の被告人の責任能力である。 この点,検察官は,被告人は,本件殺害行為時うつ病にかかっており,それが本件殺害行為に大きく影響していたが,当時の状況から無理心中を選択したことは了解可能であるなどとして,本件殺害行為を自分の意思で思いとどまることが全くできない状態に至っておらず,心神耗弱の状態にあった旨主張している。弁護人は,被告人は,本件殺害行為時うつ病にかかっており,抑うつ状態の強い影響を受け,あるいは解離状態にあったため,本件殺害行為を自分の意思で思いとどまることができず,心神喪失であった可能性が残る旨主張している。 当裁判所は,本件殺害行為当時の被告人が置かれた状況は,被告人が無理心中を決意するほど絶望的な状況ではなく,他に被告人が無理心中を決意するよ うな事情も認められないから,被告人が抑うつ状態から状況を悲観的に捉え,突発的に無 告人が置かれた状況は,被告人が無理心中を決意するほど絶望的な状況ではなく,他に被告人が無理心中を決意するよ うな事情も認められないから,被告人が抑うつ状態から状況を悲観的に捉え,突発的に無理心中を決意して本件殺害行為に及んだものと考えられ,それまで被害者に愛情を注いで養育してきた被告人が本件殺害行為に及んだのは,被告人の元々の人格に基づく判断によるものでなく,うつ病の影響のみによる疑いがある,すなわち,被告人が本件殺害行為当時心神喪失の状態にあった疑いがあると判断した。以下,説明する。 2 本件殺害行為に至る経緯について重度の知的障害を有していた被害者は,平日は障害者作業所(以下「作業所」という。)に通所していたが,平成25年4月下旬以降,全身性エリテマトーデスのために作業所に通所できなくなった。被告人は,被害者の介護の負担が増す中で,うつ病を発症した。 同年9月中旬,被告人が,夫に「もう限界」と述べたことから,夫が同月27日から退職を前提に休職し,被告人と共に被害者の介護に当たるようになった。 同年10月2日夜に,被害者が大声を出して暴れ,被告人が「Aちゃんやめて」などと言って被害者を抱きしめることがあったことから,夫が作業所の職員に相談し,被害者の作業所通所再開について話し合うため,同月9日の被害者の通院に作業所の職員も同行することとなった。 同月8日朝,夫は所用のために出社し,作業所を運営する社会福祉法人の在宅介護ヘルパーが午前11時から午後1時まで被害者の介護のため被告人方を訪問した。夫は同日午前中に被告人に電話をかけたが,その時,被告人と被害者に変わった様子はなかった。また,上記ヘルパーによれば,被害者は昼食時に遊び食べの状況があったものの特に異常な状態はなく,被告人にも変わった様子はなかっ 告人に電話をかけたが,その時,被告人と被害者に変わった様子はなかった。また,上記ヘルパーによれば,被害者は昼食時に遊び食べの状況があったものの特に異常な状態はなく,被告人にも変わった様子はなかった。 ヘルパーが帰った後,被告人方には被告人と被害者しかいなかった。被告人は,ヘルパーが帰った後,被害者を浴槽で押さえつけて殺害した記憶はあるが, その他殺害の詳細な態様等に関する記憶は欠落している。 同日夕刻,夫が帰宅して,浴槽で亡くなっている被害者を発見した。被告人は,入水自殺を図り池の中に浮いていたところを救助された。 3 本件殺害行為時における被告人の精神障害が本件殺害行為に与えた影響について鑑定人B医師の公判供述(以下「本件精神鑑定」という。)によれば,被告人は,本件殺害行為時,大うつ病性障害にかかっており,その程度は比較的重度に近い中等症であったこと,その影響により重度の抑うつ状態にあり,物事を悲観的に捉える状況にあったほか,解離状態にあり,被告人の意識が狭さく状態であったこと,そのために本件殺害行為時の記憶が一部欠落していることが認められる。 また,本件精神鑑定によれば,被告人は元来明るい性格の人物であって,被告人の本来的な人格のみに基づいて,長期間にわたり愛情を注いできた我が子と無理心中を図るようなことは考えにくいから,被告人が被害者との無理心中を決意した過程には,被告人がかかっていた前記の大うつ病性障害が大きく影響していたと認めることができる。 4 被告人の責任能力について 検察官は,被告人が心神耗弱であった,すなわち,本件殺害行為を思いとどまることが全くできない状態に至っていなかったと認める根拠として,①本件殺害行為直前まで普段と変わらない生活を送っていた,②無理心中を図るという動機は当時の状 った,すなわち,本件殺害行為を思いとどまることが全くできない状態に至っていなかったと認める根拠として,①本件殺害行為直前まで普段と変わらない生活を送っていた,②無理心中を図るという動機は当時の状況から了解可能である,③本件殺害行為前後の記憶も断片的に残っており,違法性の意識も持っている,④本件殺害行為後の行動も無理心中として一貫性があり,合目的的であることを挙げている。  動機の了解可能性についてア検察官は,本件殺害行為当時の被告人を取り巻く状況,すなわち,被害者を介護することによる負担の増大や被害者の病状を悲観して,被告人が 被害者との無理心中を決意することは不合理ではなく,本件殺害行為の動機として了解可能である旨主張する。しかし,当裁判所は,本件殺害行為当時の被告人を取り巻く客観的な状況は,依然として被告人にとって厳しいものではあったものの,将来を悲観しなければならないほどのものではなく,知的障害のある被害者に長期間にわたり愛情を注いできた被告人が,被害者と無理心中しようと決意する理由としては合理性を欠くものと考えた。 イ被告人の介護負担について被告人は,従来は作業所に通所していた被害者を平成25年4月下旬頃から自宅で介護しており,その結果,知的能力が1歳4か月程度で,かつ,全身性エリテマトーデスにかかっていた被害者の面倒を被告人が常に見ることになり,本件殺害行為に至るまでの過程において,これが被告人にとって大きな負担となっていたことは言うまでもない。 しかし,被告人の夫は,同年9月27日から退職を前提に休職し,被告人と共に自宅で被害者の介護に当たるようになっていた。また,本件殺害行為翌日である同年10月9日には,作業所の職員が被害者の通院に同行した上,被害者の作業所への通所を再開することについて話し合う 告人と共に自宅で被害者の介護に当たるようになっていた。また,本件殺害行為翌日である同年10月9日には,作業所の職員が被害者の通院に同行した上,被害者の作業所への通所を再開することについて話し合うことが予定されていた。 このように,自宅で常時被害者を介護することが被告人にとって負担が大きかったとはいえ,本件殺害行為直前の頃には,その負担が軽減される可能性がある客観的状況にあったのであるから,この点から被告人が被害者と無理心中を図ろうと決意したことが合理的であると考えることは難しい。 ウ被害者の病状について被害者が,完治が難しいとされる全身性エリテマトーデスにかかり,その症状や投薬治療の副作用などにより被害者に大きな負担がかかっている のを目の当たりにし,被告人が被害者の将来に不安を感じていたことは想像に難くない。しかし,被害者の主治医によれば,本件殺害行為当時,被害者の病状は徐々に良くなっており,投薬量が徐々に減っていたほか,一時は減少していた被害者の体重も全身性エリテマトーデスにかかる直前頃の体重まで戻っていた。 そうすると,全身性エリテマトーデスが完治が難しい病気であったとはいえ,本件殺害行為当時,その病状は徐々に良くなっていたことを考えると,被害者の病状は将来を悲観しなければならないような状況にあったとはいえず,この点からも,被告人が被害者と無理心中を図ろうと決意したことを合理的に説明することは難しい。 エ以上のとおり,本件殺害行為当時の被告人を取り巻く客観的状況をみると,このような状況を悲観したことが,被告人が本件殺害行為に至る動機として合理的なものとはいえず,動機が了解可能であるとの検察官の前記②の主張は認めることができない。 なお,検察官は,被告人が,本件殺害行為の直後に「今まであんなことをしたこ 件殺害行為に至る動機として合理的なものとはいえず,動機が了解可能であるとの検察官の前記②の主張は認めることができない。 なお,検察官は,被告人が,本件殺害行為の直後に「今まであんなことをしたことないのに。」「そんなことする子じゃなかったのに。」などと述べていた事実を根拠として,本件殺害行為の直前に被告人が本件殺害行為を決意せざるを得ない何らかの出来事があったと考えられる旨主張しているが,前記被告人の発言を聞いたソーシャルワーカーの供述を前提としても,前記発言が何を意味するものかは一義的に定めることができないから,前記発言が,被告人が本件殺害行為を決意せざるを得ない何らかの出来事を示すものとまでは認定できない。  その他検察官は,本件殺害行為前後の被告人の行動に異常な点がない旨主張する。検察官が主張するように,被告人は,本件殺害行為後に濡れた衣服を着替えて玄関の鍵を施錠し,入水自殺を図った公園まで自転車で移動することができているが,終始愛情を持って養育していた被害者を,殺害後全裸 のまま浴槽に放置して外出していることは,日頃の被告人からはかえって不可解とも思える。このように,検察官が主張する②の動機が了解可能であること以外の事情をもってしても,被告人が自分の意思で思いとどまることが全くできない状態に至っていなかったとは認められない。 5 以上のとおり,検察官が,被告人が本件殺害行為を思いとどまることが全くできない状態に至っていなかったと認める根拠として主張する点はいずれも採用することはできない。 そして,証拠上,被告人がどのような出来事を直接的な動機として本件殺害行為に及んだかは必ずしも判明せず,夫やヘルパーが認識している本件殺害行為当日の被告人の様子に自殺に至るような事情もうかがえず,被告人は突発的に無理心中を決意 うな出来事を直接的な動機として本件殺害行為に及んだかは必ずしも判明せず,夫やヘルパーが認識している本件殺害行為当日の被告人の様子に自殺に至るような事情もうかがえず,被告人は突発的に無理心中を決意したと考えられ,それまで被害者に愛情を注いで養育してきた被告人が本件殺害行為を行った原因としては,大うつ病性障害の影響以外には考えることができない。したがって,被告人は大うつ病性障害の影響のみにより本件殺害行為に及んだ可能性を排斥できず,自分の意思で思いとどまることが全くできない状態に至っていなかったというには,合理的な疑いが残るとの判断に至った。 第3 よって,被告人の本件殺害行為は,心神喪失者の行為として罪とならないから,刑事訴訟法336条前段により無罪の言渡しをする。 裁判員6名とともに審理し,評議を尽くした結論は以上のとおりである。 (求刑懲役4年)平成26年9月19日大阪地方裁判所第8刑事部裁判長裁判官田口直樹裁判官小松本卓裁判官横井裕美

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