令和4年3月23日判決言渡同日原本領収裁判所書記官平成30年(ワ)第26750号北朝鮮帰国事業損害賠償請求事件口頭弁論終結日令和3年10月14日判決主文 1 本件訴えのうち別紙訴え却下目録記載部分に係る訴えをいずれも却下する。 2 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。 3 訴訟費用は原告らの負担とする。 事実 及び理由第1 請求 被告は、原告らに対し、それぞれ1億円及びこれに対する令和3年9月29日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 第2 事案の概要 1 昭和34年から昭和59年までの間に、本邦に居住していた在日朝鮮人及びその配偶者らを対象として、朝鮮民主主義人民共和国(以下、地域として称す る場合には単に「北朝鮮」ということがある。)への集団帰国を推進する、いわゆる北朝鮮帰国事業(以下「帰国事業」という。)が実施された。 本件は、①原告らが、被告は、帰国事業において北朝鮮が地上の楽園であるなどと虚偽の宣伝を行って北朝鮮への渡航を勧誘し、それに応じて昭和35年から昭和47年までに北朝鮮に渡航した原告らを北朝鮮内に留め置いた行為が 国家誘拐行為であって原告らの移動の自由等を侵害したものであるなどと主張する(以下「本件不法行為1」という。)とともに、②原告Aが、被告が北朝鮮内に居住する原告Aの家族が北朝鮮から出国することを妨害し続けている行為が原告Aの家族と面会交流する権利を侵害するものであると主張して(以下「本件不法行為2」という。)、被告に対し、不法行為に基づき、原告一人当 たり慰謝料1億円及びこれに対する令和3年9月29日(訴状送達日の翌日) から支払済みまで民法(平成29年法律第44号による改正前のもの。以下「改正前民法」とい 行為に基づき、原告一人当 たり慰謝料1億円及びこれに対する令和3年9月29日(訴状送達日の翌日) から支払済みまで民法(平成29年法律第44号による改正前のもの。以下「改正前民法」という。)所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。 2 前提事実(当裁判所に顕著な事実及び掲記の証拠により容易に認められる事実) ⑴ 当事者ア原告Aは、昭和35年、本邦を出国して北朝鮮へ渡航し、平成15年、北朝鮮を出国した者である。(甲1の1)イ原告Bは、昭和36年、本邦を出国して北朝鮮へ渡航し、平成15年、北朝鮮を出国した者である。(甲1の2) ウ原告Cは、昭和38年、本邦を出国して北朝鮮へ渡航し、平成15年、北朝鮮を出国した者である。(甲1の3)エ原告Dは、昭和36年、本邦を出国して北朝鮮へ渡航し、平成13年、北朝鮮を出国した者である。(甲1の4)オ原告Eは、昭和47年、本邦を出国して北朝鮮へ渡航し、平成13年、 北朝鮮を出国した者である。(甲1の5)カ被告は、国際連合加盟国であり、日本国政府が国家として承認していない、いわゆる未承認国家である。(甲5及び弁論の全趣旨)⑵ 帰国事業の概要日本国は、昭和27年4月28日、「日本国との平和条約」(サンフラン シスコ平和条約)の発効に伴い、主権を回復した。日本国政府は、それまで日本国籍保持者と扱っていた在日朝鮮人について、同条約の発効に伴い朝鮮国籍を取得し日本国籍を離脱した外国人であると位置付けた。(甲2・40頁、甲11・212頁)本邦に在留していた朝鮮人の中には、上記位置付けの変更に加え、自らの 帰属意識や当時の本邦における生活状況などから、郷里である朝鮮半島への 帰国を希望する者が現れるようになった 12頁)本邦に在留していた朝鮮人の中には、上記位置付けの変更に加え、自らの 帰属意識や当時の本邦における生活状況などから、郷里である朝鮮半島への 帰国を希望する者が現れるようになった。これを受け、日本赤十字社は、日本国政府に対し、希望者の帰国の推進を働き掛けたところ、日本国政府も、昭和34年2月13日、帰国事業の実施を正式に閣議了解した。(甲2・102、149~163頁、甲11・331、338頁、甲23)赤十字国際委員会(以下「ICRC」という。)、日本国政府及び被告等 との間で諸条件の調整が行われた後、日本赤十字社と朝鮮民主主義人民共和国赤十字会(以下「北朝鮮赤十字会」という。)は、同年8月13日、ICRCの仲介の下、「日本赤十字社と朝鮮民主主義人民共和国赤十字会との間における在日朝鮮人の帰還に関する協定」(以下「帰還協定」という。)を締結し、同年12月、帰国事業が開始された。同協定では、帰国者について、 「希望する在日朝鮮人、その配偶者(内縁関係を含む。)、その子、その他それに扶養されている者で帰還を望む者」とされた(以下、在日朝鮮人以外の者の北朝鮮への渡航についても「帰国」ということがある。)。(甲2・118頁、甲11・366頁、甲23)帰還協定は、期間の延長を重ねてきたが、日本赤十字社と北朝鮮赤十字会 との交渉が決裂したため、昭和42年11月12日に期間の更新がされずに満了し、終了した。これにより、帰国事業は、同年12月22日に緊急措置として帰国希望者を帰国させた以降昭和46年に至るまで中断されていた。 (甲2・197~199頁、甲11・408、409、414頁、甲24)しかしながら、日本赤十字社と北朝鮮赤十字会は、同年2月5日、概ね帰 還協定と同様の内容である「帰還未了者の帰還に関 た。 (甲2・197~199頁、甲11・408、409、414頁、甲24)しかしながら、日本赤十字社と北朝鮮赤十字会は、同年2月5日、概ね帰 還協定と同様の内容である「帰還未了者の帰還に関する暫定措置の合意書」及び「今後新たに帰還を希望する者の帰還方法に関する会談要録」を締結し、同年5月14日、帰国事業が再開された。その後、帰国事業は、昭和59年7月25日の帰国を最後に集団で帰国を希望する者が現れなくなったため、自然消滅し、終了した。(甲2・199、200頁、甲11・414、41 5、426頁) 帰国事業が行われた昭和34年から昭和59年までの間に、帰国事業により本邦から北朝鮮へ渡航した者は、9万3340人に上った。(甲2・255、甲11・434頁)第3 原告らの主張 1 本案前の主張 ⑴ 本件訴えの管轄権が日本の裁判所にあることア本件不法行為1について民訴法3条の3第8号による管轄権が認められること民訴法3条の3第8号にいう「不法行為があった地」とは、加害行為地と結果発生地の双方を含むと解されるところ、後記3のとおり、本件 不法行為1は、帰国事業における被告の目的を達成するために、当初から一貫した計画の下に、原告らに対し、北朝鮮の内情について虚偽の宣伝をして帰国事業への参加を勧誘し(以下「勧誘行為」ともいう。)、原告らをして被告がいわば「地上の楽園」であるとの錯誤に陥らせ、錯誤に基づき帰国した原告らを強制的に北朝鮮内に留め置いた(以下「留 置行為」ともいう。)というものであり、これらは一体性を有する継続的不法行為である。したがって、本件不法行為1の加害行為地は、被告が在日本朝鮮人総聯合会(以下「朝鮮総連」という。)と共に又は朝鮮総連を通じて虚偽の宣伝をした地である本邦であ らは一体性を有する継続的不法行為である。したがって、本件不法行為1の加害行為地は、被告が在日本朝鮮人総聯合会(以下「朝鮮総連」という。)と共に又は朝鮮総連を通じて虚偽の宣伝をした地である本邦である。そして、同3条の9にいう「特別の事情」は存しないことから、本件不法行為1に係る訴 えの管轄権は日本の裁判所にある。 緊急管轄について仮に本件不法行為1のうち勧誘行為と留置行為との一体性が認められないとしても、以下のとおり、留置行為に関する訴えの管轄権は日本の裁判所にあるというべきである。 緊急管轄とは、国際裁判管轄の消極的抵触から生じる裁判の拒絶を回 避するために例外的に認められる管轄権を指す。民訴法上、緊急管轄についての明文の規定がないが、そのことは緊急管轄を認めない趣旨とは解されず、かえって、民訴法3条の7第4項等の規定や、立法過程からすれば、緊急管轄を許容する趣旨であると解される。 ところで、仮に、本件不法行為1のうち留置行為に関する訴えについ て日本に管轄権が認められない場合、被告の裁判所に提起するほかない。 しかしながら、同訴えの性質や、後記3⑶のとおり、被告による人権の侵害状況に照らせば、同訴えの提起により原告らの生命が脅かされる危険すらある。このことからすれば、原告らが同訴えを被告の裁判所に提起することは不可能であるから、緊急管轄として日本の裁判所に管轄権 が認められるべきである。 イ本件不法行為2について原告Aは、後記4のとおり、本件不法行為2により家族と面会交流をする権利を侵害され続けているところ、当該侵害の結果が発生しているのは、原告Aが現に居住する本邦である。したがって、本件不法行為2の結果発 生地は、本邦といえる。 なお、出国妨害行為には、北朝鮮外に居住する者の面 ているところ、当該侵害の結果が発生しているのは、原告Aが現に居住する本邦である。したがって、本件不法行為2の結果発 生地は、本邦といえる。 なお、出国妨害行為には、北朝鮮外に居住する者の面会交流権の侵害が必然的に付随するから、被告は、自身の出国妨害により本邦に居住する原告Aの面会交流権を侵害することを予見し得たといえ、民訴法3条の3第8号括弧書きの適用はない。そして、同3条の9にいう「特別の事情」は 存しないことから、本件不法行為2に係る訴えの管轄権は日本の裁判所にある。 ⑵ 被告が我が国の民事裁判権から免除されないこと外国等に対する我が国の民事裁判権に関する法律(以下「対外国民事裁判権法」という。)4条は、「外国等」は我が国の民事裁判権から免除される と規定する。「外国等」とは、日本国及び日本国に係るものを除く「国及び その政府の機関」を指すところ、ここでいう「国」とは、日本国政府が承認する国家を指し、いわゆる未承認国家は含まれないと解すべきである。 そうであるところ、被告は、日本国政府が承認していない、いわゆる未承認国家であるから、我が国の民事裁判権から免除されることはない。 2 本件不法行為1の準拠法について ⑴ 本件不法行為1の結果発生地について法例11条1項にいう「原因タル事実ノ発生シタル地」とは、法益侵害の結果が発生した地、すなわち結果発生地を指すところ、本件不法行為1により侵害された原告らの権利は、居住場所及びそれに伴う国家体制を自ら選択する権利である。そのため、本件不法行為1による原告らの権利の侵害発生 が開始したのは、原告らが被告による虚偽宣伝により被告への帰国を決意した時点であるところ、同時点では原告らのいずれも本邦に居住していた。また、帰国事業では、日本赤十字社及び の権利の侵害発生 が開始したのは、原告らが被告による虚偽宣伝により被告への帰国を決意した時点であるところ、同時点では原告らのいずれも本邦に居住していた。また、帰国事業では、日本赤十字社及びICRCによる帰国の意思確認が行われていたが、これが意思変更の最後の機会であり、この後は、帰国を翻意することが認められず、帰国船に乗り北朝鮮へ渡航するほかなかった。そうで あれば、遅くともかかる意思確認の時点で原告らの居住場所及びそれに伴う国家体制を自ら選択する権利の侵害発生が開始したといえる。したがって、本件不法行為1の結果発生地は本邦である。 なお、原告らが被告に渡航した後、被告が原告らの出国を許さなかったため、北朝鮮内においても権利侵害が継続したのであるから、北朝鮮も本件不 法行為1の結果発生地である。 ⑵ 準拠法が日本法であることア本件不法行為1は、前記1⑴アのとおり一体性を有する継続的不法行為であり、上記のとおり結果発生地が複数の地にわたっているところ、このような場合の準拠法については、最も重大な結果が発生した地の法によ るべきとする説と、最初の結果が発生した地の法によるべきとする説が存 する。 もっとも、原告らが北朝鮮への帰国を決断しなければ、北朝鮮からの出国の自由の侵害も発生しなかったという関係にあるから、本件不法行為1における最も重大な権利侵害は、原告らの居住場所及びそれに伴う国家体制を自ら選択する権利の侵害であるといえる。そうであるところ、上記⑴ のとおり、かかる権利侵害が生じたのは本邦であることから、最も重大な結果が発生した地は本邦であり、また、最初の結果が発生したのは本邦である。したがって、本件不法行為1に係る準拠法は、上記のいずれの説によっても日本法となる。 イ仮に本件不法行 とから、最も重大な結果が発生した地は本邦であり、また、最初の結果が発生したのは本邦である。したがって、本件不法行為1に係る準拠法は、上記のいずれの説によっても日本法となる。 イ仮に本件不法行為1のうち勧誘行為と留置行為との一体性が認められな い場合には、留置行為については、法例11条1項によってその準拠法となるべき法が北朝鮮法となるが、裁判所が採りうる合理的な調査方法によっても、被告において、国家の権力的作用による権利侵害について、被害者が被告に補償を求めることができるのかは、法律上一切不明である。このように準拠法となるべき外国法の内容が不明の場合には、法廷地法によ るべきであるから、留置行為についても、法廷地法である日本法が準拠法となる。 3 本件不法行為1の成立⑴ 帰国事業における被告の目的社会主義体制を採る被告は、冷戦下における西側諸国、すなわち、大韓民 国(以下「韓国」という。)を含む資本主義体制の諸国に対し、資本主義体制下で生活する多数の在日朝鮮人が被告へと移住したとの事実をもって社会主義体制の優越性を示すとの政治的目的の下、帰国事業を実施していた。それに加え、被告は、帰国事業の実施に当たり、在日朝鮮人の帰国に伴う労働力の補充や資産、物資及び技術の導入という経済的目的も有していた。 ⑵ 被告による欺罔行為 ア総論被告の当時の代表者である金日成は、昭和31年4月、朝鮮労働党の第3回党大会において、在日朝鮮人の学生を被告で受け入れること並びに同学生に対する衣食住の提供及び学費の無償化を正式に表明した。その後、被告は、同年6月20日、「日本から帰国する朝鮮公民の生活安定に関し て」と題する内閣命令を発出し、帰国者に対して生活条件を保障し、生活準備金の支給などを規定するとと を正式に表明した。その後、被告は、同年6月20日、「日本から帰国する朝鮮公民の生活安定に関し て」と題する内閣命令を発出し、帰国者に対して生活条件を保障し、生活準備金の支給などを規定するとともに、今後、在日朝鮮人が帰国する場合にも同様とする旨を定めた。そして、金日成は、昭和33年9月8日、共和国創建10周年記念慶祝大会において、「在日朝鮮人の帰国を熱烈に歓迎し、全ての条件を保障する。」と発言した。 朝鮮総連は、昭和33年9月1日、「悲惨な境遇に苦しむ在日朝鮮人が地上の楽園へと変わりつつある祖国に一日でも早く帰り、祖国の暖かい懐の中で幸福な生活を営もうという希望に立ち上がっている。」との声明を公表して以降、上記金日成の発言等の被告の意を受けて、帰国事業への勧誘を開始した。 具体的には、昭和33年8月から昭和34年9月までの間に、帰国実現のための集会を延べ1万9400回開催し、参加者延べ235万人を動員した。また、朝鮮学校を通じ、あるいは書籍や映像を用いて、被告が「地上の楽園」であると宣伝した。さらに、朝鮮総連から「一人でも多く本国に送り込め。」との指示を受けた活動家が、連日にわたり在日朝鮮人の家 庭を訪問し、北朝鮮への帰国を勧誘した。 このように、被告は、真実は後記5のとおりであったにもかかわらず、朝鮮総連と共に、又は朝鮮総連を通じて、原告らを含む在日朝鮮人及びその配偶者らに対し、被告には食糧が豊富にあり、衣食住その他の生活に必要な条件は全て保障されているなどと、あたかも被告が地上の楽園である かのように虚偽の宣伝をし、原告らをして、被告は衣食住その他の生活条 件が十分に保障された国であると誤信させた。 イ原告らに対する勧誘原告Aについて朝鮮総連は、原告Aが京都朝鮮中高級学校(以下 虚偽の宣伝をし、原告らをして、被告は衣食住その他の生活条 件が十分に保障された国であると誤信させた。 イ原告らに対する勧誘原告Aについて朝鮮総連は、原告Aが京都朝鮮中高級学校(以下「京都朝鮮学校」という。)に入学した昭和33年頃から、連日にわたって開催された大会 や集会において、在日朝鮮人に対し、①被告は物質的に豊かであり、栄養のある食糧が十分に配給され、最新の設備を整えた住宅に皆が住むことができる、②年齢又は性別を問わず、働きたいところで働くことができ、勉強をしたい人は大学などで勉強することができる、③被告においては全ての権利及び一切の自由が保障されており、日本のように差別さ れることなく、平等な社会の一員として生活することができるなどと、被告における生活に関する宣伝を行い、帰国するよう勧誘していた。また、朝鮮総連は、北朝鮮において地上の楽園での生活が待っているのであるから、日本において差別を受けつつ貧困の中で生活する必要などなく、特に子供の前途のためにも北朝鮮へ帰国すべきであるなどとも勧誘 していた。これに加え、朝鮮総連は、帰国後一定の期間が経過したら日本にいる家族に自由に会いに行くことができるとも述べていた。 京都朝鮮学校の教員も、原告Aを含む生徒に対し、帰国を勧誘し、生徒の家族や近隣の住民にも帰国を呼び掛けるように述べた。 当時の在日朝鮮人は、上記宣伝の内容が真実であると信じており、原 告Aも、北朝鮮では全ての自由も生活も被告政府によって保障されると誤信した。 これにより、原告Aは、昭和35年、新潟港から出港し、北朝鮮へ渡航した。 原告Bについて 朝鮮総連の会員は、連日、原告Bの自宅を訪問して、原告B及び原告 Bの養父母に対し、北朝鮮に帰国すれば、職業及び住居のあ 年、新潟港から出港し、北朝鮮へ渡航した。 原告Bについて 朝鮮総連の会員は、連日、原告Bの自宅を訪問して、原告B及び原告 Bの養父母に対し、北朝鮮に帰国すれば、職業及び住居のあっせんを受けられるし、学費及び医療費は無料であると述べるとともに、しゃれた住宅の写真を示すなどして北朝鮮への帰国を勧誘した。勧誘を受け、原告Bの養父母は、北朝鮮に帰国する意思を固め、帰国申請をした。また、原告Bも、北朝鮮に帰国することを希望するようになった。 帰国事業の開始から約1年半後頃、北朝鮮は地上の楽園とは程遠く、電灯がないところもあるなどといったうわさが流れるようになり、これを聞いた原告Bの養父は、帰国申請を取り下げようとした。そうしたところ、朝鮮総連の会員が、原告Bの養父に対し、再び、帰国の勧誘をしたため、原告Bの養父は、仮に被告がうわさどおりの貧しい国だとして も、万人平等の社会主義祖国には未来があると誤信して、北朝鮮への帰国を決意した。 これにより、原告Bは、同人の家族と共に、昭和36年、新潟港から出港し、被告へ渡航した。 原告Cについて 原告Cは、北朝鮮へ渡航した昭和38年当時3歳であったことから、当時、法定代理人であった原告Cの母に対する勧誘行為について不法行為の成否を判断すべきである。 朝鮮総連の会員は、原告Cの母に対し、「3人の子供を連れてどうして生活していけるのか。北朝鮮へ行けば心配なく生活できるし、日本で 受けるような差別もない。北朝鮮へ帰る方がよい。」、「3年経てばまた日本に戻ることもできるのに、誰一人日本に戻ってきてはいないのですよ。」、「北朝鮮へ行けば心配なく生活できる。」などと告げた。原告Cの母は、かかる説明が真実であると誤信し、被告が地上の楽園であるとの錯誤に陥った。 できるのに、誰一人日本に戻ってきてはいないのですよ。」、「北朝鮮へ行けば心配なく生活できる。」などと告げた。原告Cの母は、かかる説明が真実であると誤信し、被告が地上の楽園であるとの錯誤に陥った。 これにより、原告Cは、同人の母と共に、同年、北朝鮮へ渡航した。 原告Dについて朝鮮総連の会員は、昭和36年初め頃から、原告Dの自宅を訪問し、原告Dに対し、北朝鮮ではアパート、病院、学校等、何にも金を使わないで済むから何も持たないで帰国すればよいなどと述べるとともに、きれいなアパートの写真を示して、誰でもこのようなアパートに住め、不 自由のない生活ができ、アパートの台所の瓶には米が十分に入っているし、仕事もすぐに決まるからただ行くだけでよい、北朝鮮においては差別もないなどと述べ、北朝鮮への帰国を勧誘した。原告Dの夫及び義父は、かかる説明が事実であると誤信し、北朝鮮への帰国を決意した。 原告Dも、病弱であった夫の医療費がかからないという点に魅力を感 じていた。また、同会員は、原告Dに対し、「日本人妻は、3年経ったら日本に戻ることができる。」と述べた。これを受け、原告Dは、3年経てば日本に帰国できるのであれば、北朝鮮に行くのもやぶさかではないと考えるようになった。また、原告Dの夫が、自らの子供を絶対に北朝鮮へ連れていくという考えであったため、原告Dは、自らの子供と離 れたくないことから、帰国することを決意した。 このように、朝鮮総連は、原告Dに対して、被告が裕福な国家であり、日本人妻は3年で帰国できるという虚偽の事実を執拗に述べ、被告が往来自由な地上の楽園であると誤信させた。 これにより、原告Dは、同人の家族と共に、同年、北朝鮮へ渡航した。 原告Eについて原告Eの長兄が、昭和47年、退去強 事実を執拗に述べ、被告が往来自由な地上の楽園であると誤信させた。 これにより、原告Dは、同人の家族と共に、同年、北朝鮮へ渡航した。 原告Eについて原告Eの長兄が、昭和47年、退去強制処分を受けたため、原告Eの次兄が長兄に帯同して韓国に行く予定であったが、原告Eの姉が北朝鮮への帰国を希望した。原告Eの寄宿舎の費用を支払っていたのが姉であったため、原告Eは、姉が北朝鮮へ帰国すれば原告E自身が生活拠点を 失うため北朝鮮へ帰国することとした。 原告Eの姉は、朝鮮総連の系列の朝鮮新報社で勤務しており、被告の宣伝する内容が真実であると誤信していた。また、原告Eも、朝鮮学校において、被告が素晴らしい国だという教育を受けており、同様に誤信していた。 これにより、原告Eは、同人の兄姉と共に、昭和47年、北朝鮮へ渡 航した。 ⑶ 被告による留め置き被告は、無許可での出国を犯罪と定めており、被告の治安機関が中華人民共和国(以下「中国」という。)の領土内で被告の国民を拘束し、強制的に帰国させることもある。 また、被告は、許可の有無にかかわらず、事実上、被告の一般国民が出国することを完全に禁止しており、厳しい国境警備によってかかる禁止令の実行性を確保している。北朝鮮国外への脱出を企てた者がこれに失敗し、警備隊に拘束され又は強制送還された場合、被告当局から組織的な拷問を受けることとなる。 ⑷ 小括以上のとおり、被告は、上記⑴のとおりの帰国事業における被告の目的を達成するために、当初から一貫した計画の下に、原告らに対し、北朝鮮の内情について虚偽の宣伝をして帰国事業への参加を勧誘し、原告らをして被告がいわば「地上の楽園」であるとの錯誤に陥らせ、錯誤に基づき帰国した原 告らを強制的に北朝鮮内に留 原告らに対し、北朝鮮の内情について虚偽の宣伝をして帰国事業への参加を勧誘し、原告らをして被告がいわば「地上の楽園」であるとの錯誤に陥らせ、錯誤に基づき帰国した原 告らを強制的に北朝鮮内に留め置いた。これにより、原告らは、居住場所及びそれに伴う国家体制を自ら選択する権利を侵害されたのであって、かかる行為は、国家誘拐行為ともいうべき一体性を有する継続的不法行為である。 4 本件不法行為2の成立親子は、夫婦と並んで社会の人的結合の最も基本的かつ最小限の単位であり、 親子の面会交流は、自然の情に基づくものであって、法律上保護された利益で あるというべきである。市民的及び政治的権利に関する国際規約17条1項及び同24条1項も、同様の趣旨を規定したものと解される。 そうであるところ、上記3⑶のとおり、被告は、事実上被告の一般国民の出国を完全に禁止しており、原告Aの子4名及び原告Aの孫5名が北朝鮮から出国することができない。これにより、原告Aは、自身が平成15年に北朝鮮を 出国して以降、本邦において上記の自身の子や孫と面会できず、家族と面会交流する権利を侵害されたのであるから、被告による原告Aの子孫に対する出国妨害行為は、原告Aに対する不法行為となる。 5 損害の発生及びその金額⑴ 原告Aについて ア差別大学受験における差別原告Aは、被告へ帰国した後、金日成総合大学への進学を希望したところ、居住地域から同大学を受験できる5名のうちの1名として選抜されたため、同大学を受験した。 しかしながら、同大学には、当時、金正日が在学していたため、金正日と日本からの帰国者のような信用できない者とを同時に在学させることはできないとの理由で、原告Aを含む日本からの帰国者5名のみが不合格となった。その後、 学には、当時、金正日が在学していたため、金正日と日本からの帰国者のような信用できない者とを同時に在学させることはできないとの理由で、原告Aを含む日本からの帰国者5名のみが不合格となった。その後、原告Aは、市の朝鮮労働党教育課の担当者から、同大学以外の大学ならどこへでも進学させると告げられたため、他の大 学に進学した。 婚姻・家族関係北朝鮮では、「成分(ソンブン)」と呼ばれる社会的身分により管理されており、原告Aを含む帰国者は最も低い身分とされていた。そのため、北朝鮮の国民と帰国者とが婚姻した場合、当該国民も朝鮮労働党員 になることができなくなった。労働党員でなければ人にあらずというよ うな風潮のある北朝鮮において、労働党員になれないということは、前途を全て放棄することに等しかった。それにもかかわらず、原告Aの夫は、昭和40年、原告Aと結婚した。同年頃、帰国者と婚姻した者も労働党員になれるようになったが、出世の見込みはなかった。 原告Aは、義母と約10年間同居したが、その間、義母は、原告Aに 対し、離婚させようと嫌がらせをした。また、北朝鮮において、日本は帝国主義で野蛮な侵略者であると広く信じられていたため、原告Aは、自らの子に対し、日本出身であることを告げられなかった。 イ職業選択、移転の自由及び出国の自由の否定原告Aは、被告により、自らの意思に反して平壌から500キロメート ルほど離れた地方都市を居住場所として指定され、同市の唯一の高校に編入した。就職先も一方的に機械工場に指定され、職業を選択する自由はなかった。また、一時的に出国することさえ許されなかった。 ウ生存権の否定劣悪な食糧事情 原告Aが帰国した直後、高校の寄宿舎で提供された食糧は、塩で味付けしただけのジャガイ 自由はなかった。また、一時的に出国することさえ許されなかった。 ウ生存権の否定劣悪な食糧事情 原告Aが帰国した直後、高校の寄宿舎で提供された食糧は、塩で味付けしただけのジャガイモやトウモロコシなどであった。これらは食糧として不十分であり、自ら嗜好する食事がとれなかった。闇市でお金を作り食堂に行くこともあったが、食堂での食事も栄養が豊富というわけではなかったから、常に空腹に耐えていた。 平成6年頃からの大飢饉原告Aが帰国した当時から北朝鮮の経済状態は既に非常に悪かったが、これに加え、平成6年に大飢饉に見舞われた。健康な心身を維持するための最低限度の食糧を手に入れることも保障されていなかった。 エ思想及び良心の自由の否定 思想の自由の否定 北朝鮮では、体制に不満があるとみなされると粛清の対象となった。 また、手紙等の信書も検閲の対象となっており、自由な表現をすることができなかった。そのため、原告Aを含む帰国者は、北朝鮮の実情や不満を記した手紙を出すことができなかった。また、上司や地位が上の人間に不服を述べるだけで収容所に送られるおそれがあり、密告も奨励さ れていたので、自由な意思を表明することは不可能であった。 政治的自由の否定原告Aが帰国してから数年後、帰国者も労働党員になることができるようになった。もっとも、原告Aは、労働党員になるつもりはなかったため、労働党員になりたいふりをしつつ、転職を繰り返すなどして、労 働党員の候補から外れ、労働党員にならなかった。北朝鮮では、労働党員以外の者を差別して扱うことで、国民を思想的に統制、拘束していた。 ⑵ 原告Bについてア生存権の否定原告B及びその家族は、その意思に反して、一方的に北朝鮮の北部に居 住地を指 働党員以外の者を差別して扱うことで、国民を思想的に統制、拘束していた。 ⑵ 原告Bについてア生存権の否定原告B及びその家族は、その意思に反して、一方的に北朝鮮の北部に居 住地を指定された。割り当てられた住居は、6畳一間で他人の住居への居候であり、トイレは共同で、ガスも引かれていなかった。風呂も自宅になく、公衆浴場は遠すぎたため利用が困難であった。また、食糧の配給も規定量どおりにされることはほぼなく、肉や魚は1年に数回手に入ればよい方であった。さらに、衣料品も入手困難で、靴は養父のものを履いていた こともあった。 このように、原告Bは、衣食住全ての面において生存権が侵害されていた。 イ思想及び信教の自由の否定原告Bの養母は、仏教を信仰しており、北朝鮮においても、仏壇様のも のを作って毎日読経していた。しかしながら、北朝鮮においては宗教信仰 を禁じられており、信仰が周囲に知られると身の危険が生じるおそれがあった。そのため、原告Bの養父は、原告Bの養母に対し、読経を禁じざるを得なかった。 ウ労働権の否定原告Bの養父は、これまで経験したことのない農業に従事させられ、過 酷な労働環境のために10か月ほどで精神を患ってしまった。このように、本人の希望や能力を一切考慮せずに一方的に指定した業務に従事させた。 ⑶ 原告Cについてア差別原告Cは、日本でいう小中学校に当たる人民学校に通うようになると、 同級生から「チョッパリ」、「パンチョッパリ」などと蔑称で呼ばれるとともに、日本から持ってきた衣服を着ていると「チョッパリの服だ。」、「思想が悪い。」などといわれ、服を脱がされたり、服を破られたりして、いじめを受けた。同学校の教員は、これらのいじめを容認し、是正しなかった。 た衣服を着ていると「チョッパリの服だ。」、「思想が悪い。」などといわれ、服を脱がされたり、服を破られたりして、いじめを受けた。同学校の教員は、これらのいじめを容認し、是正しなかった。 イ移動の自由及び生存権の否定原告Cは、大学講師として勤務していた平成8年に、原告Cが金を貸していた男性が被告当局の処罰対象となったところ、連座制によって原告Cも処罰対象となった。そのため、原告Cは、大学講師を解雇され、原告Cの2人の子供と共に農村部へ追放された。これにより、原告Cは、自身の 成分を敵対階層とされた。また、北朝鮮からの脱出に失敗した後は、意に反して、いわゆる追放区域における居住を強いられた。農村部及び追放区域においては、生命を維持するのに最低限の生活しか送ることができなかった。 ウ恣意的拘禁、拷問等 原告Cは、平成15年1月に北朝鮮からの脱出を試みたが、失敗して中 国政府に拘束され、被告に引き渡された。原告Cは、一か月ほど独房に入れられ、その後、雑居房に移された。当初、看守は、原告Cの生死を確認する程度であったが、原告Cの体力が回復してきたとみるや拷問を開始し、気絶するまで殴る蹴るなどの暴行を加えた。原告Cは、平成15年4月頃、拷問と栄養失調により、肛門が開き、舌が伸びた状態となったところ、病 院に搬送され、同年5月に釈放された。 ⑷ 原告Dについてア生存権の否定原告Dにあてがわれた住居は、8畳一間でトイレや風呂などの設備もなかった。米も1キロほど釜に入っていたのみであり、物々交換で食糧を手 に入れるほかなかった。 また、原告Dの夫が吐血するようになったため、病院に行ったものの何らの治療薬も得られなかった。 このように、原告Dは、衣食住全てにおいて困窮する生活を余儀なくされ に入れるほかなかった。 また、原告Dの夫が吐血するようになったため、病院に行ったものの何らの治療薬も得られなかった。 このように、原告Dは、衣食住全てにおいて困窮する生活を余儀なくされ、生存権が侵害されていた。 イ労働権の否定原告Dの夫は、職業の希望を聞かれることなく、会社での勤務を命じられた。原告Dも、亜麻糸作り、キムチ漬け、薪集め及び薪割りを担当させられ、原告Dの夫が体調を崩してからは、代わりに原告D自身が仕事に出なければならず、強制労働に従事されているような状況であった。 ⑸ 原告Eについてア差別原告Eは、保衛部の監視員から、帰国後約10年間、監視下にあったことを告げられた。その際、「今は監視が終わったから安心しても良いけれど、ちゃんとしていないと今後も何があるか分からないぞ。」と告げられ た。 このように、原告Eは、帰国者であることをもって差別的な監視を受けていた。 イ移動の自由の否定原告Eは、中国国境付近の白頭山付近に配置された。厳寒の地で、原告Eは、耳及び手足の指が凍傷になった。被告は、帰国者を配置した場所か ら移動させることは原則としてせず、移動するには許可を得る必要があった。贈賄により許可を得ることは不可能ではなかったが、そうした場合、監視が強化されることになる。そのため、原告Eは、過酷な環境であるのにもかかわらず、当該地に留まらざるを得ず、移動の自由を侵害された。 ウ生存権の否定 原告Eが配置された地域では、肉や卵などの配給がなく、衛生的に劣悪かつ少量の食事をとることしかできなかった。これにより、胃や肝臓を患い、以来後遺症に苦しんでいる。また、平成6年頃、大飢饉に見舞われ、食糧がなかった。 原告Eは、帰国後から北朝鮮を脱出するまでの かつ少量の食事をとることしかできなかった。これにより、胃や肝臓を患い、以来後遺症に苦しんでいる。また、平成6年頃、大飢饉に見舞われ、食糧がなかった。 原告Eは、帰国後から北朝鮮を脱出するまでの間、食糧事情が劣悪な環 境に置かれ、生存権を侵害された。 エ思想及び良心の自由の否定原告Eは、気の置けない帰国者の知人と会話する際は、日本語を用いていたが、屋外で日本語を用いると逮捕されるため、屋外で日本語を用いることができなかった。また、日本のラジオを自由に聴くこともできなかっ た。自身の思想や日本に帰りたいという意思を持ち、それを口にすることすら許されない環境に置かれていた。 オ拷問原告Eは、平成10年頃、ある女性が中国から持参してきた荷物を売却するという仕事を手伝ったところ、当該女性が人身売買の仲介をもしてお り、原告Eも人身売買の被疑事実で拘束された。そして、原告Eは、人身 売買をしていないのにもかかわらず、自白を求められ、5名の保衛部員から、明け方まで繰り返し暴行を受けた。 ⑹ 小括原告らは、本件不法行為1により多大な精神的苦痛を受けたほか、上記⑴ないし⑸のとおり、被告により、数十年にわたり、基本的人権を侵害され続 けてきた。これに加え、原告Aは、本件不法行為2により、家族と面会交流する権利を侵害され続けている。 原告らに生じた精神的苦痛を慰謝するのはおよそ不可能であるが、慰謝し得るとしても、その金額は各自1億円を下らない。 6 不法行為1のうち勧誘行為による原告らの損害賠償請求権について改正前民 法724条後段の規定が適用されないこと仮に本件不法行為1のうち勧誘行為と留置行為との一体性が認められないとしても、勧誘行為について改正前民法724条後段の規定は適用されない。その 前民 法724条後段の規定が適用されないこと仮に本件不法行為1のうち勧誘行為と留置行為との一体性が認められないとしても、勧誘行為について改正前民法724条後段の規定は適用されない。その理由は、以下のとおりである。 ⑴ 平成29年法律第44号による改正後の民法724条後段の法的性質につ いては、消滅時効であることが明らかにされたところ、改正前民法についても、被害者救済等の観点や同規定の文言、不法行為法体系の整合性等に照らし、消滅時効と解すべきである。 そうすると、勧誘行為による原告らの損害賠償請求権は、被告による消滅時効の援用がないことから、改正前民法724条後段によって消滅していな い。 ⑵ 改正前民法724条後段の法的性質が除斥期間であると解するとしても、後記アないしエの各事実からすれば、勧誘行為による原告らの損害賠償請求権について同規定を適用することについては、著しく正義・公平の理念に反する特段の事情がある。 ア勧誘行為の態様は、前記3及び5のとおり悪質かつ被害が甚大で看過し 得ないものであり、原告らを救済する必要性は非常に高い。 イ原告らは、いずれも、勧誘行為後20年を優に超える期間、北朝鮮から出国することができなかったから、原告らが除斥期間経過前に上記損害賠償請求権を行使することは客観的に不可能であった。 ウ原告らが除斥期間経過前に権利を行使できなかったのは、原告らが出国 することを被告が許さなかったからにほかならないから、被告に除斥期間経過による権利消滅の利益を享受することを不相当とする事情が存在する。 エ原告らは、平成13年ないし平成15年に北朝鮮を脱出したが、その後も、北朝鮮で家族が拷問・処刑されないように、被告に動向を知られることを恐れてひっそりと息を潜めて暮ら 当とする事情が存在する。 エ原告らは、平成13年ないし平成15年に北朝鮮を脱出したが、その後も、北朝鮮で家族が拷問・処刑されないように、被告に動向を知られることを恐れてひっそりと息を潜めて暮らしていた。このような状態であった 原告らが、北朝鮮からの出国後短期間で被告に対する損害賠償請求権を行使することはできない。 第4 当裁判所の判断 1 前記前提事実に加え、掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。 ⑴ 帰国事業の実施ア朝鮮総連の設立に至るまでの経緯昭和20年8月15日、いわゆる太平洋戦争が終結し、その2か月後である同年10月、在日本朝鮮人聯盟と称する団体が結成された。 それから約3年後の昭和23年8月には、朝鮮半島の南側に韓国政府 が樹立され、大統領として李承晩が就任し、同年9月には、同半島の北側に被告政府が樹立され、首相として金日成が就任した。 在日本朝鮮人聯盟は、被告政府の樹立を祝し、これを支持するなどしたため、韓国政府を朝鮮半島唯一の合法的な政府とする連合国軍最高司令官総司令部と対立し、昭和24年9月、日本政府による団体等規正令 に基づく解散命令を受け、解散した。(甲2・29、33~35頁、証 人F・5頁)昭和25年6月、いわゆる朝鮮戦争の開戦に伴い、在日朝鮮人の多くは、各々の思想に従い、韓国又は被告政府を支援する活動を行った。この一環として、昭和26年1月9日、被告を支持する団体として、在日朝鮮統一民主戦線と称する団体(以下「民戦」という。)が結成された。 民戦の結成当時、その活動には日本共産党の方針が反映されており、いわゆる三大騒擾事件に関与し、後に刑事被告人となった者もいた。(甲2・37、38頁、甲11・147~151頁、証人F・7頁) 民戦の結成当時、その活動には日本共産党の方針が反映されており、いわゆる三大騒擾事件に関与し、後に刑事被告人となった者もいた。(甲2・37、38頁、甲11・147~151頁、証人F・7頁)ところで、日本政府は、太平洋戦争の終結後、在日朝鮮人について、日本国民として扱うことを基本方針としつつも、その参政権を制限し、 あるいは外国人登録令において外国人とみなすなどしており、在日朝鮮人の日本における法的地位は不明確なままであった。これに関し、日本と韓国の両政府は、終戦に伴い在日朝鮮人が回復すべき国籍という点を含めて会談を実施したものの、回復すべき国籍について合意に至らないまま、サンフランシスコ平和条約の効力発生日である昭和27年4月2 8日を迎えた。 そのため、日本政府は、同日、同条約の発効に伴い、同条約2条を根拠として、それまで日本国籍を有するとされてきた在日朝鮮人について、一律に日本国籍から離脱し「朝鮮国籍」(韓国籍又は北朝鮮籍とは異なる。)を回復したものと扱った。これにより、在日朝鮮人は、日本 において法的に外国人と扱われることになった。(甲2・40、41頁、甲11・113、114、121、122、157~161頁)民戦で活動していた韓徳銖は、日本共産党の方針に疑問を抱き、昭和27年12月2日、北朝鮮へ連絡員を派遣し、金日成と面談させた。金日成は、この面談後、当時の日本共産党書記長であった徳田球一に対し て、在日朝鮮人を日本での革命に利用すべきではない旨記載した手紙を 送付した。これを受けた徳田球一は、毛沢東及びヨシフ・スターリンに対して意見を伺ったところ、両名とも金日成の意見を尊重したため、徳田球一も、日本での革命を視野に入れて活動していた民戦の方針を変更することに同意した。もっ 徳田球一は、毛沢東及びヨシフ・スターリンに対して意見を伺ったところ、両名とも金日成の意見を尊重したため、徳田球一も、日本での革命を視野に入れて活動していた民戦の方針を変更することに同意した。もっとも、直ちにかかる方針が転換されたわけではなく、それは日本共産党においても同様であった。(甲2・51~5 3頁、甲11・195、196頁、証人F・6、7頁)昭和28年7月27日、いわゆる休戦協定が成立し、朝鮮戦争が休戦となった後、民戦は、強制送還されることが決定したにもかかわらず未だ送還されていない在日朝鮮人を北朝鮮に帰国させるよう要請した。ところが、日本共産党が、民戦が行った上記要請を批判したため、民戦は、 朝鮮戦争により荒廃した北朝鮮の復興支援や北朝鮮への訪問団の派遣運動を行うこととし、在日朝鮮人に対して旅券を発給するよう要請する運動などを行った。(甲2・42~44頁、甲11・170~174頁)昭和29年10月12日、中国及びソヴィエト社会主義共和国連邦(当時。以下「ソ連」という。)は、日本との間での国交正常化を望む 旨を含む「対日関係に関する中ソ共同宣言」を発出し、前記にいう方針の転換を明らかにした。これを受け、日本共産党は、民戦に対し、昭和30年1月、政治活動の方針として、日本の内政に干渉するのではなく、朝鮮半島の統一独立と被告公民としての権利を守る運動をすべきである旨を明示した。 韓徳銖は、日本共産党の方針の転換に伴い、民戦の指導部を批判し、民戦の構成員からの支持を集めた。このため、民戦においても、従前の方針を転換すべきと考え、昭和30年5月24日、新たな組織の結成を前提に、民戦を解散するとの宣言がされた。 民戦の解散宣言がされた日の翌日である同月25日、朝鮮総連の結成 大会が開催され の方針を転換すべきと考え、昭和30年5月24日、新たな組織の結成を前提に、民戦を解散するとの宣言がされた。 民戦の解散宣言がされた日の翌日である同月25日、朝鮮総連の結成 大会が開催され、新たに朝鮮総連が結成された。(甲2・53、54頁、 甲11・200~206頁、甲20・5、6頁、甲42・165、166頁、証人F・7、8頁)イ朝鮮総連結成後の帰国運動金日成及び被告の外務大臣であった南日(ナム・イル)は、昭和30年10月頃、北朝鮮を訪問した本邦の国会議員団に対し、在日朝鮮人の うち、傷病者、労働意欲のある失業者及び大学への進学希望者について、被告で引き取る用意がある旨を表明した。 また、南日は、同年12月29日、「在日朝鮮公民の合法的権利の保障、生活安定、民族教育の保障ならびに大村収容所に抑留されている朝鮮公民の問題にかんして」と題する声明を発表した。同声明には、進学 希望の学生に対し、生活と学業を保障する旨、事情により北朝鮮への帰国を希望する者に対してこれを受け入れ生活を安定させる旨、及び、大村入国者収容所(外務省の外局である出入国管理庁により長崎県大村に設置された収容所。以下、「大村収容所」という。甲11・155頁)の収容者で北朝鮮への送還を希望する者の釈放と北朝鮮への帰国を求め る旨が記載されていた。 朝鮮総連は、昭和30年12月30日、上記声明を支持し、これを実現させるために強力に闘うとの声明を発表した。(甲2・63、64頁、甲11・246、251、253頁)日本赤十字社及び北朝鮮赤十字会は、昭和31年1月から2月末日に かけて、平壌市において、公式又は非公式の会談を行った。両者は、同会談において、北朝鮮に残留している邦人のうち36名を本邦に引き揚げさせる旨の合意をし 十字会は、昭和31年1月から2月末日に かけて、平壌市において、公式又は非公式の会談を行った。両者は、同会談において、北朝鮮に残留している邦人のうち36名を本邦に引き揚げさせる旨の合意をした一方、在日朝鮮人については、問題の解決が切実な関心事として残っていることを確認するにとどまった。 上記合意に従い、日本赤十字社は、同年4月17日、「こじま」と称 する練習船を北朝鮮に向けて出航させ、同月22日、上記残留邦人36 名を「こじま」に乗船させて本邦に帰国させた。(甲2・69~71、73頁、甲11・255~260、262頁)昭和31年4月6日、帰国を希望する在日朝鮮人の一団が、日本赤十字社の建物前に集結し、残留邦人を迎えに行く「こじま」に乗船させるよう要望した。日本赤十字社は、韓国から、本邦を出港する「こじま」 に旅客及び貨物を乗せないとの条件で安全な航行を妨げないとの保証を得ていたことから、上記要望に応じず、同月17日、「こじま」を出航させた。 上記一団は、同月16日に一度解散したものの、同月20日には再度日本赤十字社の前で座り込みを開始し、同年6月18日まで座り込みを 継続した。(甲2・71~73、甲11・260~262頁、証人F・10頁)上記のとおり座り込みをしていた一団は、日本赤十字社に対し、昭和31年5月28日、自費での帰国を希望し援助を求めた。しかしながら、朝鮮総連は、日本政府には在日朝鮮人の帰国を援助すべき責任があ るのであって、自費での帰国という前例が作出されれば費用を負担できない在日朝鮮人の帰国を不可能にするとの理由で、自費帰国の方針に反対した。 また、韓国も、在日朝鮮人に対する統治権が侵害されるおそれがあるとして、北朝鮮への帰国に反対した。 このため、上記 い在日朝鮮人の帰国を不可能にするとの理由で、自費帰国の方針に反対した。 また、韓国も、在日朝鮮人に対する統治権が侵害されるおそれがあるとして、北朝鮮への帰国に反対した。 このため、上記一団は、同年7月に出国することができなかったものの、日本赤十字社のあっせんにより、同年12月14日に23名が、昭和32年4月4日に28名が、それぞれ北朝鮮へ帰国した。(甲2・76~82頁、甲11・275、278~286頁)ウ帰国運動の大規模化 昭和33年6月26日、大村収容所に収容されていた在日朝鮮人のう ち北朝鮮への帰国を希望する者が、ハンガーストライキを開始した。大村収容所における在日朝鮮人の問題が継続する中、同年8月11日、朝鮮総連のA支部中留分会において、金日成に対して帰国を希望する旨を記載した手紙を送付する旨及び日本政府に対して早急な帰国の実現を求める旨の決議がされた。 その二日後である同月13日、朝鮮総連は、在日朝鮮人の集団帰国の方針と早急な対策を日本政府に要求する旨の決議を行った。 上記朝鮮総連の活動に呼応し、金日成は、同年9月8日、「共和国創建10周年記念慶祝大会」において、「日本の岸政権が在日同胞の民族的権利を認めずに、収容所の抑留者を李承晩一党との政治的取引に利用 しようとする非人道的な行為を行っている。」などと日本国政府を批判した上、「日本で生活の道を失い、祖国の懐に戻ろうとする同胞の念願を熱烈に歓迎する。」と宣言した。 上記宣言を受け、朝鮮総連は、同月19日、「悲惨な境遇にあえいでいる在日朝鮮人が、地上の楽園にかわっている祖国へ、一日も早く帰っ て、祖国の暖かい懐の中で幸福な生活を営もうと希望してたちあがっている。」との声明を発表し、日本政府に対し、帰国に向けた具体的措置 日朝鮮人が、地上の楽園にかわっている祖国へ、一日も早く帰っ て、祖国の暖かい懐の中で幸福な生活を営もうと希望してたちあがっている。」との声明を発表し、日本政府に対し、帰国に向けた具体的措置をとるよう要求した。(甲2・89、92、93頁、甲11・309、315~317頁)ところで、金日成は、昭和33年7月14日及び同月15日、当時の ソ連臨時大使であったペリシェンコと会談した。ペリシェンコは、この会談において金日成が話した内容を、以下のとおり記録していた。(甲11・841、842頁)「 現在、日本には朝鮮国籍を持つ朝鮮人が60万人住んでいる。わが国の党や政府は植民地支配という条件によって一時的に祖国を捨てな ければならなかったこれらの朝鮮人に常に大きな注意と気遣いを示し てきた。 彼らは物質的に厳しい暮らしをしており、彼らの中には完全または半失業者が多くいる。日本政府は朝鮮人には法的権利を保障していないので、彼らの子供たちは必要不可欠な教育を受けることが出来ない。 このことに関して、我々は日本在住の朝鮮人問題に関する政府の声 明を出す予定である。我々は日本在住のすべての同胞が自ら祖国に帰ってくるよう勧めており、この問題で日本政府と合意に達したいと希望している。次の二点について、我々は近く声明を出す。朝鮮民主主義人民共和国に帰ってきたすべての朝鮮人は、住居と仕事、すべての政治的、経済的権利を得て、彼らの子供たちは共和国の学校、大学で 教育を受けることになると強調するつもりである。 金日成は続けた。さかのぼれば、1955年に我々は在日朝鮮人問題に関して朝鮮民主主義人民共和国外務省が声明を出し、在日朝鮮人に通常の生活環境と民主的な民族の権利を保障するよう日本政府に要求を突きつけたが、今は彼ら さかのぼれば、1955年に我々は在日朝鮮人問題に関して朝鮮民主主義人民共和国外務省が声明を出し、在日朝鮮人に通常の生活環境と民主的な民族の権利を保障するよう日本政府に要求を突きつけたが、今は彼ら全員を朝鮮民主主義人民共和国に帰国さ せることが重要である、と金日成は話した。2~3年前、我々の経済的な状況では、日本に住む朝鮮人約10万世帯を朝鮮民主主義人民共和国に帰国させて彼らに住居と仕事を与えるという問題を提起することができなかった。現在では、我々はある一定の期間内にこれらの家族に仕事と10万室のアパートの部屋を与えることが出来る。 彼らには、労働力の不足が感じられる平壌やその他の地方で、産業部門、特に石炭業、そして農業の部門で、また住宅建設や工業建設の仕事を与えることができるだろう。 我々は、日本からの朝鮮人を多く受け入れるに際して、その中に様々な反動人員やスパイが送られてくるかもしれないということも考え ている。しかし、しかるべき組織がきちんと機能しているかぎり、我 々はそれを恐れることはない、と金日成は付け加えた。」「 我々は、この最初のステップに大きな政治的意味を見出す、と金日成は強調した。実現すれば、朝鮮民主主義人民共和国に政治的、また経済的に大きな利益をもたらすであろう。」また、金日成は、昭和33年8月12日、再度ペリシェンコと会談し た。ペリシェンコは、この会談において金日成が話した内容を、以下のとおり記録していた。(甲11・843頁)「 金日成同志に、ソヴィエトは在日朝鮮人問題の声明に北朝鮮政府が踏み切る可能性について朝鮮側の意見に同意すると伝えた。 朝鮮側の依頼を受けて、こちら側は在日朝鮮人居住地の状況に関し てしかるべき情報が得られるよう対策を講じていると話した。 に北朝鮮政府が踏み切る可能性について朝鮮側の意見に同意すると伝えた。 朝鮮側の依頼を受けて、こちら側は在日朝鮮人居住地の状況に関し てしかるべき情報が得られるよう対策を講じていると話した。 金日成同志は感謝の意を表し、この件について中国の同志たちからも肯定的な意見をもらっていると述べた。 その後、金日成同志は在日朝鮮人問題の政府による声明に踏み切るためのしかるべき準備をどのような順序で進めるかについて話した。 朝鮮労働党中央委員会連絡部は、独自のチャンネルで、すでにある期間にわたって在日朝鮮人の間で必要な作業を行っている。日本からの朝鮮人の帰国に関する問題提起において、積極性を発揮するのは日本に住む朝鮮人自身となる。そして朝鮮総連が日本政府と朝鮮民主主義人民共和国政府にしかるべき要望をするのである。その後に共和国政 府による声明が続くことになる。」エ日本政府による閣議了解被告の副首相であった金一(キム・イル)は、昭和33年10月16日、被告が在日朝鮮人の帰国に必要な旅費全てを負担し、配船する用意があること、及び、被告において在日朝鮮人の受入準備が整っているこ とを表明した。(甲11・319頁) 昭和33年10月以降、朝鮮総連の支部が本邦の地方自治体の議会に対して請願をしたことに伴い、在日朝鮮人の帰国を促進する旨の決議が多数採択された。また、社会党及び日本共産党を中心として、同年11月17日に「在日朝鮮人帰国協力会」と称する団体が結成された。 このように、本邦においても在日朝鮮人の帰国を支援する活動が活発 化していた。(甲2・95頁、甲11・321~324頁)以上の状況に加え、日本赤十字社からの働き掛けを受けたことから、日本政府は、昭和34年2月13日、帰国事業の実施を正式に る活動が活発 化していた。(甲2・95頁、甲11・321~324頁)以上の状況に加え、日本赤十字社からの働き掛けを受けたことから、日本政府は、昭和34年2月13日、帰国事業の実施を正式に閣議了解した。 これを受け、被告は、同月16日、日本政府の方針決定を歓迎すると ともに、帰国者の生活の保障のために迎接委員会を組織すること、及び、帰国問題と関連する問題を北朝鮮赤十字会に委任することを表明した。 (前提事実⑵、甲11・345頁)オ帰還協定の締結北朝鮮赤十字会及び日本政府から依頼を受けた日本赤十字社は、昭和3 4年4月13日から、ICRC本部において会談を行った。 帰国の実施に際し、ICRCの立会の下、帰国希望者に対する意思確認をすべきと主張する日本赤十字社と、これに反対する北朝鮮赤十字会との間で約2か月にわたり交渉が行われた。その結果、日本赤十字社及び北朝鮮赤十字会は、同年6月10日、ICRCの関与は助言を限度とする旨の 合意をし、同月24日、帰還協定の草案をICRCに提出した。日本赤十字社は、正式な調印をするのはICRCの承認を得てからという方針を取っていたため、同日、上記草案に仮調印をするにとどめた。 ICRCは、同年7月30日、帰国事業に協力するとの決定をし、同年8月7日、日本赤十字社に対して正式に協力する旨を伝えた。そこで、日 本赤十字社及び北朝鮮赤十字会は、同月13日、帰還協定を締結した。帰 還協定には、以下の条項が存在した。(甲2・110~120頁、甲11・355、356、359、365~367頁、甲23、甲37)第2条 1 帰還を希望する者は、日本赤十字社の定める様式による帰還申請書を本人自身が直接日本赤十字社に提出し、所要の帰還手続きを取 らなければならない。 365~367頁、甲23、甲37)第2条 1 帰還を希望する者は、日本赤十字社の定める様式による帰還申請書を本人自身が直接日本赤十字社に提出し、所要の帰還手続きを取 らなければならない。 申請は自由意志に基くものであり、かつ本協定に掲げる条件を満たすものでなければならない。 2 帰還申請書を提出した本人から個別的事情によって帰還しないとの要請を受けた場合には、日本赤十字社がこれを処理する。 帰還意思の変更は乗船前一定時間まで許される。 第6条 6 朝鮮側は、帰還者が乗船した以後の輸送及び食事、宿泊費等一切の費用を負担し、医療上の服務を無償で提供する。また帰還者の帰還後の生活安定のため、その住宅、職業、就学等すべての条件を保 障する。 カ帰国事業の開始昭和34年12月14日、ソ連船籍の帰国船2隻が、新潟港から出港し、同月16日、清津港に入港した。 これを受け、金日成は、同帰国船で帰国した第一次帰国者に対し、同月 21日、「世界史において、海外公民たちがいわば『自由世界』から社会主義社会に集団的に移住した実例はありません。国が南北に分かれているという我が国の条件において、在日同胞たちが共和国北半部の社会主義祖国へ集団的に帰ってくるということは、我が党と人民の勝利だけではなく、全ての社会主義国の勝利となるのです。」と語った。 また、金日成は、第二次帰国者に対し、同月30日、「今日、みなさん が祖国に帰ってきたというこの事実は、私たちの同胞愛的な提議が『宣伝』ではないという良い証拠になると思います。南朝鮮の失業者たちは、皆さんが祖国に帰ったという話を聞いて(中略)北半部にさらに来たがることでしょう。彼らが来さえすれば、私たちはすべて受け入れるでしょう。」と語った。(甲2・125~1 います。南朝鮮の失業者たちは、皆さんが祖国に帰ったという話を聞いて(中略)北半部にさらに来たがることでしょう。彼らが来さえすれば、私たちはすべて受け入れるでしょう。」と語った。(甲2・125~127、134~136頁、甲11・375、 489、492、493頁)キ自由往来を求める運動朝鮮総連は、昭和38年4月9日「在日朝鮮人祖国往来要請委員会」を結成し、同年5月1日に「祖国との往来の自由のための決議」を採択した。 また、これに続き、被告政府も、同年7月15日、「在日朝鮮公民の祖 国への往来に関して」と題する声明を発表し、日本国政府が在日朝鮮人に対してのみ国外への往来の自由を制限していることは不当な差別であると批判するとともに、在日朝鮮人の往来の自由を実現するよう要請した。 さらに、朝鮮総連は、ICRCに対して、昭和39年1月29日付け嘆願書を送付し、日本と北朝鮮との間での自由往来の実現を求めた。 これを受け、日本国政府は、昭和40年12月28日、在日朝鮮人2名の再入国を許可し、「第1次祖国訪問団」が渡航した。 以降、日本国政府は、在日朝鮮人の往来についての制限を徐々に緩和していった。(甲11・398~401、405、432頁)ク日本人配偶者の自由往来を求める運動 昭和49年4月、帰国事業に伴い北朝鮮へ渡航した、いわゆる日本人妻の親族が、「日本人妻自由往来実現運動の会」を結成した。同会は、日本国政府に対し、相互主義に基づき日本人妻の自由往来を実現するよう求めた。これを受け、外務省が、北朝鮮赤十字会などを通じ、被告に対し、日本人妻の安否確認などを求めたところ、北朝鮮赤十字会は、昭和57年1 0月1日になって初めて、日本人妻9名の消息を回答した。 北朝鮮赤十字会は、今後も安否調査に を通じ、被告に対し、日本人妻の安否確認などを求めたところ、北朝鮮赤十字会は、昭和57年1 0月1日になって初めて、日本人妻9名の消息を回答した。 北朝鮮赤十字会は、今後も安否調査に協力する姿勢を示したものの、帰国事業が自然終了するまで特段の進展はなかった。(甲2・202~204頁、甲11・420~426頁)ケ北朝鮮における飢饉被告は、昭和末期頃から、既に十分な量の食糧を配給することができな くなっていた。平成6年7月8日に金日成が死去したのと前後して、北朝鮮では、大飢饉となり、路上には餓死者の遺体が多数放置されていた。被告は、平成7年になって初めて食糧の国際援助を要請したが、平成9年頃まで路上に餓死者の遺体が放置される状況が続いた。(甲1の1~5、甲3の2・11頁、原告A本人、原告B本人、原告C本人、原告D本人、原 告E本人)コ日本人配偶者の本邦への一時帰国日本赤十字社及び北朝鮮赤十字会は、平成9年9月9日に行われた連絡協議会において、一か月以内を目途として日本人妻の本邦への一時帰国を行う旨の合意書に調印した。 これに基づき、同年11月8日から同月14日までの間、日本人妻15名が第一陣として本邦へ一時帰国した。また、平成10年1月27日から同年2月2日までの間、日本人妻12名が第二陣として本邦へ一時帰国した。(甲11・652頁)⑵ 原告Aについて(甲1の1、原告A本人) ア原告Aは、昭和17年、京都府において、在日朝鮮人の父母の第一子として生まれた。 原告Aは、京都府所在の公立小学校及び公立中学校を卒業した後、本邦の公立高等学校へ進学することを希望したが、家庭の経済事情からこれを断念せざるを得ない状況であった。そのような状況下で原告Aの自宅を訪 問した朝鮮総 公立小学校及び公立中学校を卒業した後、本邦の公立高等学校へ進学することを希望したが、家庭の経済事情からこれを断念せざるを得ない状況であった。そのような状況下で原告Aの自宅を訪 問した朝鮮総連の活動家は、原告Aに対し、東京に朝鮮大学校が設立され ており、金日成奨学金と称する奨学金制度があること、朝鮮学校一校につき一人または二人を特待生とし、無料で就学できることなどを説明し、京都朝鮮学校を受験するよう勧めた。これに従い、原告Aが同校を受験したところ、特待生として同校への入学が許可されたため、同校に進学した。 原告Aは、京都朝鮮学校において、連日、被告が地上の楽園であるとの 宣伝を受けるとともに、周囲の在日朝鮮人に対して同様の宣伝をするよう告げられたため、これに従っていた。もっとも、原告Aは、自ら宣伝する被告における社会主義について、実体験を伴っていないことに疑問を抱いたため、社会主義を実際に経験する目的で北朝鮮へ帰国することを決意した。原告Aの両親は、北朝鮮への帰国に消極的であったが、原告Aの決意 が固かったため、原告Aとの間で、原告Aが北朝鮮に渡航してから一年後に渡航するとの約束をした。 こうして、原告Aは、昭和35年、新潟港で帰国船に乗り、北朝鮮へ渡航した。 イ原告Aが乗る帰国船が北朝鮮の清津港に入港した際、原告Aは、清津港 が煤煙により黒く煤けて見えたこと、及び清津港において帰国船の到着を歓迎する人々が皆、痩せ細り粗末な着衣を身に着けていることに驚いていたところ、清津港の岸壁にいた者から、帰国船から降りずにそのまま日本に戻るよう怒鳴られた。 もっとも、帰国船から降りようとしない者は、その場で強制的に下船さ せられており、下船せずに日本に戻ることはできなかった。 ウ原告Aは、清津港で見た にそのまま日本に戻るよう怒鳴られた。 もっとも、帰国船から降りようとしない者は、その場で強制的に下船さ せられており、下船せずに日本に戻ることはできなかった。 ウ原告Aは、清津港で見た光景から京都朝鮮学校で受けた宣伝の内容が虚偽であったと感じたが、その後、二、三か月北朝鮮で生活する中で、原告Aの家族が約束どおり北朝鮮に渡航したら全員死亡してしまうと考え、両親に帰国の中止を勧告することとした。 しかしながら、被告では検閲が行われていたことから、これを免れ両親 に真意を伝えるため、原告Aは、北朝鮮へ渡航した当時小学4年生であった自身の弟を引き合いに出し、同人が大学を卒業し、結婚した後に会いましょうなどと、敢えて遠い将来の事項を記載した手紙を書き、帰国を思いとどまらせようとした。 原告Aが北朝鮮へ渡航して3年が経過した頃、原告Aの母の知人が北朝 鮮へ渡航した。同人が、原告Aに対し、原告Aの母から手紙の内容にも触れ、帰国を思いとどまるよう言われたことを伝えたため、原告Aは、原告Aの両親が手紙の真意を理解していたことを確認した。 エ原告Aは、5人の子供に恵まれたが、前記アのとおり、自らの意思で北朝鮮に帰国したことから、日本にいる両親に援助を求めることができず、 配給されたトウモロコシやジャガイモをおかゆにしたもの以外を口にすることができなかった。そのため、子供らは、常に栄養失調状態であり、秋になると、赤とんぼを捕まえてそれを乾かしたものを食べていた。 かかる子供らの状況を見た原告Aの友人が、原告Aに対し、なぜ日本にいる両親に援助を求めないのかと叱責したこともあったが、原告Aは、両 親に援助を求めることをはばかった。 オ上記⑴ケのとおり、平成6年頃、北朝鮮では大飢饉が発生した。原告Aは、上記の 本にいる両親に援助を求めないのかと叱責したこともあったが、原告Aは、両 親に援助を求めることをはばかった。 オ上記⑴ケのとおり、平成6年頃、北朝鮮では大飢饉が発生した。原告Aは、上記のような状況にもかかわらず、金正日が錦繍山議事堂(後の錦繍山太陽宮殿)を金日成の墓地として使用するために改装するなど、国民をないがしろにする被告の下で生活することはできないと考え、北朝鮮から 脱出する決意をした。 原告Aは、平成15年、北朝鮮から中国へ脱出し、その後の平成17年頃、本邦に入国した。 カ北朝鮮に残留している原告Aの子や孫は、原告Aに対し、一年に一度程度、北朝鮮と中国との国境付近から電話を掛け、金員や食糧の援助を求め てきていた。そのため、原告Aは、原告Aの子らに対し、一年に三度程度、 食糧等を送っていた。 しかしながら、被告が、令和2年1月頃、いわゆる新型コロナウイルスの蔓延に伴い国境を封鎖したため、原告Aは、原告Aの子らと連絡を取ることができなくなった。 ⑶ 原告Bについて(甲1の2、原告B本人) ア原告Bは、昭和25年、在日朝鮮人夫妻の養子となり、広島市において出生届が提出された。 昭和34年、原告Bの養母が脳出血を発症し、寝たきりとなったため、原告Bの家族は次第に困窮するようになった。これに伴い、原告Bは、自身が通う小学校の給食費を支払うことができず、羞恥の念を覚えた。 そうしたところ、前記⑴カのとおり帰国事業が開始された同年12月頃、朝鮮総連の会員が原告Bの自宅を訪問し、北朝鮮が地上の楽園である旨の宣伝を行い、帰国の勧誘をし始めた。具体的には、同会員は、北朝鮮では職業や住居のあっせんが受けられ、学費や医療費が無料であると告げるとともに、北朝鮮のとある地域で高層ビルが立ち並んでい 園である旨の宣伝を行い、帰国の勧誘をし始めた。具体的には、同会員は、北朝鮮では職業や住居のあっせんが受けられ、学費や医療費が無料であると告げるとともに、北朝鮮のとある地域で高層ビルが立ち並んでいる様子を撮影した 写真が掲載した雑誌を提示して帰国の勧誘をした。 原告Bの養父は、医療費が無料である旨の宣伝に心惹かれ、原告Bは、給食費で悩まなくてよい上、提示された写真のようなところで生活できると考え、それぞれ北朝鮮への帰国を希望するようになった。 もっとも、原告Bが生活していた集落は、韓国系の団体の会員が多かっ たことから、北朝鮮への帰国に反対する者が多く、原告Bの養父も北朝鮮へ帰国するか否か逡巡した。しかしながら、原告Bの養父は、朝鮮総連の会員の勧誘も踏まえ、北朝鮮での生活が困窮したものだとしても、日本で苦労するより北朝鮮へ渡り社会主義体制の建設に貢献したほうがよいと考え、昭和36年、新潟港で帰国船に乗り、原告B及び原告Bの養母と共に 北朝鮮へ渡航した。 イ原告Bが乗る帰国船が北朝鮮の清津港に入港した際、原告Bは、煤けた港の風景と朝鮮総連の会員から提示された写真とが全く異なることに落胆した。 また、清津港には、原告Bに先んじて帰国した友人の母が歓迎に来ていたが、同人は、一見して判別がつかないほど、顔が黒ずみ痩せ細っていた。 原告Bは、友人の母の様子に違和感を覚えたものの、その当時は、深刻に考えはしなかった。 ウ原告Bの居住地は、咸鏡北道と指定され、住居は、母屋の片隅にある6畳一間があてがわれた。 また、原告Bは、帰国当初、住居に備えてあった白米を食事にしていた が、すぐになくなったため、粗挽きの小麦粉及び小成のジャガイモを食事にしていた。 エ原告Bの養母は、日本から神棚様のものを持ち 、原告Bは、帰国当初、住居に備えてあった白米を食事にしていた が、すぐになくなったため、粗挽きの小麦粉及び小成のジャガイモを食事にしていた。 エ原告Bの養母は、日本から神棚様のものを持ち帰り、住居に設置して祈祷をしていた。ところが、帰国から数か月後、原告Bの住居に被告の職員が現れ、原告Bの養父母に対し、金日成のみを信仰するよう告げた。これ を受け、原告Bの養父は、神棚様のものを撤去してしまった。 オ原告Bの養父は、想定と異なり原告Bの養母の治療も満足にされなかったことや、慣れない農作業に従事したことが原因となり、昭和37年、精神病にり患し、入退院を繰り返すようになった。 カ平成15年2月頃、原告Bの息子が北朝鮮から脱出した後、原告B及び 原告Bの娘に対し、北朝鮮から脱出するよう仲介者を差し向けた。原告Bは、当該仲介者の指示に従い、平成15年、北朝鮮から中国へ脱出し、その後、遅くとも、平成16年には本邦に入国した。(弁論の全趣旨)⑷ 原告Cについて(甲1の3、原告C本人)ア原告Cは、昭和35年、大阪市において、在日朝鮮人の父母の第二子と して生まれた。 原告Cは、昭和38年、原告Cの母と共に、新潟港で帰国船に乗り、北朝鮮へ渡航した。 後に、原告Cの母は、原告Cに対し、朝鮮総連の会員から「3人の子供を連れてどうして生活していけるのか。北朝鮮へ行けば心配なく生活できるし、日本で受けるような差別もない。北朝鮮へ帰る方がよい。」、「3 年経てば、また日本に戻ることもできるのに、誰一人日本に戻ってきてはいないのですよ。」、「北朝鮮へ行けば心配なく生活できる。」などと説得されたために北朝鮮への帰国を決断した旨を述べた。 イ原告Cが乗る帰国船が北朝鮮の清津港に入港した際、原告Cの義兄は、下 てはいないのですよ。」、「北朝鮮へ行けば心配なく生活できる。」などと説得されたために北朝鮮への帰国を決断した旨を述べた。 イ原告Cが乗る帰国船が北朝鮮の清津港に入港した際、原告Cの義兄は、下船を拒否し、日本に帰ると騒ぎたてた。そうしたところ、被告の職員が、 治療すると述べて原告Cの義兄を連れ去った。 原告Cは、昭和43年5月頃、連れ去られた原告Cの義兄と面会するため、原告Cの義兄が入院しているとされる「第49号病院」と称する精神科病院を訪ねたところ、同病院の看守が、二重格子の部屋の中から原告Cの義兄を引き連れてきた。原告Cの義兄は、一人で起立することができず、 看守の手につかまれており、髪は伸び放題でうつろな目をし、異臭を漂わせていた。このため、原告Cの義父は、一見して原告Cの義兄であるとは認識できなかった。 昭和46年頃、原告Cの義父の下に原告Cの義兄の死亡通知が届いた。 そのため、原告Cの義父は、せめて原告Cの義兄の遺体だけでも引き取っ て弔おうと考えたが、それがかなわなかった。 ウ昭和51年3月頃、原告Cの義父が失踪した。原告Cの義父の知人によれば、レンガ工場に送られたとのことであった。後に原告Cの義父は、原告Cに対し、自身が朝鮮労働党への入党を拒否したことから日本のスパイではないかとの疑いをかけられたこと、それにより、レンガ工場において、 コンクリート壁で四方を囲まれた場所で食事も与えられず拷問を受け、自 白を迫られたことを語った。 同年8月31日、原告Cの義父が帰宅した。原告Cの義父の着衣にはのみやしらみが多数ついており、原告Cの義父自身は、会話もできず、目も開けず、着衣を脱いだら臀部が壊疽を起こして骨が見える状態であった。 エ原告Cは、昭和60年から平成8年までの間、H大学におい のみやしらみが多数ついており、原告Cの義父自身は、会話もできず、目も開けず、着衣を脱いだら臀部が壊疽を起こして骨が見える状態であった。 エ原告Cは、昭和60年から平成8年までの間、H大学においてI講座の 講師をしていた。その間の平成7年5月、大飢饉による餓死者が増加し、路上にも遺体が多数放置されていたため、大学生がその遺体の処理に動員されることになった。 原告Cは、動員された大学生の監督を命ぜられたことから、大学生と共に遺体の処理に携わることとなった。しかしながら、遺体を運搬する自動 車がなかったことから、原告Cは、自費で自動車を購入し、処理作業を行った。 この頃から、原告Cは、社会主義体制を貫く被告の方針に疑問を抱くようになった。 オ原告Cは、日本からの仕送りを受けられず困窮していた帰国者に対して 金員を貸し付けていたことがあった。 ところが、同人が所属する会社の船をめぐって被告当局から問題視される事態が発生し、船に関与した者全員が処罰されることになった。原告Cも、同人に対して金員を貸し付けたことを理由として、大学の講師の職を解任され、農村に追放された。 追放が理不尽であると考えた原告Cは、北朝鮮を脱出する決意をした。 カ原告Cは、平成12年11月、原告Cの子らと共に、鴨緑江を越えて北朝鮮を脱出し、中国に入国した。 しかしながら、中国の公安局は、平成15年、原告Cらが北朝鮮を脱出したことを認知した。そこで、公安局は、原告Cを含む50人ほどの脱北 者を拘束し、その一部を北朝鮮へ送還した。 北朝鮮へ送還された原告Cは、被告の保衛部員から逆さ吊りにされて殴打されるなどの拷問を受けた。これにより、原告Cは、足がボールのように腫れあがり、血塗れになって意識を失った。そうすると、水を浴び 北朝鮮へ送還された原告Cは、被告の保衛部員から逆さ吊りにされて殴打されるなどの拷問を受けた。これにより、原告Cは、足がボールのように腫れあがり、血塗れになって意識を失った。そうすると、水を浴びせられ、再び拷問を受けた。 原告Cの死亡により類が及ぶことを恐れた原告Cの親族が、原告Cを開 放するよう保衛部員に対して贈賄をしたため、原告Cは解放された。しかしながら、原告Cは、意識がはっきりしなかったことから、解放されてから3ないし4か月が経った頃に保衛部から解放されたことを認識した。 キ原告Cは、上記カの経験から、北朝鮮には骨も埋めたくないと考え、再度北朝鮮を脱出することとし、平成15年11月、再び鴨緑江を越えて北 朝鮮を脱出し、中国に入国した。 そして、原告Cは、平成17年7月、本邦に入国した。 ⑸ 原告Dについて(甲1の4、原告D本人)ア原告Dは、昭和16年、日本人の父母の子として生まれた。 原告Dは、昭和33年、韓国籍のGと結婚し、福井県鯖江市で生活し始 めた。 昭和34年頃から、朝鮮総連の幹部であったアライと名乗る人物が、原告Dの自宅を訪れ、G及び原告に対し、北朝鮮に帰国するよう勧めた。アライは、原告Dに対し、北朝鮮は地上の楽園であって、何の心配もせず身一つで北朝鮮へ帰国すればよい、日本人は渡航から3年経過すれば日本に 戻ることができるなどと説明し、帰国の勧誘をした。 Gの兄の配偶者(原告Dの義姉)も原告Dと同様に日本人であったところ、同人及び原告Dは、自身の子が幼いことや、日本人は3年経過したら日本に戻ることができるという説明も踏まえ、昭和36年初頭頃、北朝鮮へ帰国することを決めた。そのため、原告Dらは、自宅を売却し、朝鮮学 校で生活して渡航の準備をした。 もっとも、原告D 本に戻ることができるという説明も踏まえ、昭和36年初頭頃、北朝鮮へ帰国することを決めた。そのため、原告Dらは、自宅を売却し、朝鮮学 校で生活して渡航の準備をした。 もっとも、原告D及び原告Dの義姉は、新潟港で帰国船に乗る前に、北朝鮮に帰国するか否かの意思確認がされる旨説明を受けていたところ、いずれも幼い子を連れていたため、その意思確認の際に帰国を拒否しようと考えていた。 しかしながら、原告Dらが帰国船に乗る前、日本赤十字社の担当者と思 われる人物が、原告Dの義父を呼び、「行きますね。」とだけ尋ねて確認を終えたため、原告D及び原告Dの義姉は、帰国を拒否することができなかった。そのため、原告Dらは、同年6月、新潟港で帰国船に乗り、北朝鮮へ渡航した。 イ原告Dが乗る帰国船が北朝鮮の清津港に入港する直前、船内では、もう すぐ入港するためデッキに集まるよう船内放送が流れた。原告Dは、これに従いデッキに行ったところ、港には、上半身は服を着ているものの下半身は服を着ていない子供がいるのを見付けた。その後、腕章をつけていない人には荷物を渡さないよう船内放送が流れた。 これを受け、原告Dは、日本で受けた勧誘と実際の北朝鮮の様子が異な ることから、騙されたと感じた。 ウ原告Dの居住地は、両江道と指定され、住居は、4階建てのアパートの一室があてがわれた。もっとも、この部屋には、水道が引かれていなかった。 また、住居には、三つのかめがあり、うち一つには米が、うち一つには 小麦粉が入っていた。しかしながら、原告Dは、入居した日に米を全て消費してしまったため、翌日以降、近隣の住民と物々交換をして食事を確保したものの、満足に食事をとることはできなかった。 エ昭和57年頃、Gが結核を患い、吐血するようになった。G 居した日に米を全て消費してしまったため、翌日以降、近隣の住民と物々交換をして食事を確保したものの、満足に食事をとることはできなかった。 エ昭和57年頃、Gが結核を患い、吐血するようになった。Gの看病のため、原告Dは、汽車に用いる石炭を窃取して自宅に持ち帰り、暖をとった。 また、原告Dは、Gの職場にもこの石炭を持っていき、暖を取れるように した。 しかしながら、Gは、結核のため、平成6年に亡くなった。 オ前記⑴ケの大飢饉の頃、食糧を確保するため、原告Dは、工場に勤めていた者から、同人が工場の機械を破壊して窃取した銅線を買い取り、それを転売し始めた。銅線を所持していることが警察官に発覚すると銅線を没 収されるため、原告Dは、ゲートル状のものを作りそれを体に巻き付け、その間に銅線を隠して運んでいた。 平成8年又は平成9年頃、原告Dが銅線を隠し持って満員の汽車に乗っていたところ、同じ車両に乳児を抱えた女性がいたことから、原告Dは、周囲の者に対し、乳児がいるから押さないよう頼んだ。もっとも、その乳 児は、満員の車両であるにもかかわらず、全く泣かなかったことから、原告Dは、おとなしい乳児であると考えていた。 そうしたところ、同じ車両に乗り合わせていた警察官が、原告D及び乳児を抱えた女性に対し、車掌室に来るよう命じたため、原告Dとその女性は、これに従い車掌室で待機し、汽車が駅に到着した後、警察署に連行さ れた。 原告Dは、腰に隠していた銅線を没収されたが、警察官から日本人かと尋ねられ、そうであると答えたところ、釈放された。その後、警察官が乳児を抱えた女性に対し、乳児を下ろすよう命じたところ、その女性は泣き出し、これに応じなかった。そのため、警察官が乳児を下ろし、机の上に 寝かせたところ、乳児の着衣が された。その後、警察官が乳児を抱えた女性に対し、乳児を下ろすよう命じたところ、その女性は泣き出し、これに応じなかった。そのため、警察官が乳児を下ろし、机の上に 寝かせたところ、乳児の着衣が血塗れであった。警察官が乳児の着衣を脱がせると、乳児の腹部に穴が開いており、そこに銅線が詰め込まれていた。 これを見た原告Dは、乳児が泣かなかったのは単におとなしいからではなく、既に死亡していたためであったと悟るとともに、乳児の腹部に銅線を詰め込まなければならなかったその女性の心情を慮った。 カ平成13年2月頃、原告Dは、鴨緑江を越えて北朝鮮を脱出し、中国に 入国した。原告Dは、中国で会った人物から日本国籍を有しているかと尋ねられたため、有している旨答えたところ、戸籍の写しを入手することができた。これにより、原告Dは、日本国政府の保護を受けることができ、同年8月、本邦に入国した。 ⑹ 原告Eについて(甲1の5、原告E本人) ア原告Eは、昭和33年、東京都大田区において、在日朝鮮人の父と日本人の母の第4子として生まれた。 昭和47年頃、原告Eの長兄が強制退去となることが決まった。当時、朝鮮国籍の者は、強制退去の際、退去先を韓国とするか北朝鮮とするか選択することができたため、原告Eの長兄は、韓国を希望していた。しかし ながら、朝鮮新報社に勤務していた原告Eの姉は、北朝鮮に帰国することを強く希望した。 原告Eも、朝鮮小中級学校に在学していたところ、金日成に忠誠を尽くすことが朝鮮人の正しい道である、北朝鮮においては、皆平等であり、貧しくても皆が平等に生活しているなどといった教育を受けていたため、い わば在日朝鮮人の義務として北朝鮮へ帰国しなければならないと考えていた。そのため、原告Eは、友人から、北朝鮮はお前 あり、貧しくても皆が平等に生活しているなどといった教育を受けていたため、い わば在日朝鮮人の義務として北朝鮮へ帰国しなければならないと考えていた。そのため、原告Eは、友人から、北朝鮮はお前が考えているほど楽な生活ではなく、帰国すると後悔するときが来る旨の忠告を受けたり、原告Eの姉の同僚などから、生活の足しになるからセイコーの時計などを買えるだけ買って帰国するよう進言を受けたりしたものの、気にも留めず、北 朝鮮が豊かではないとしても自身だけが楽をするわけにはいかないなどと反論するなどしていた。 これを見かねた原告Eの姉の同僚は、原告Eが帰国する際、原告Eに対し、セイコーの時計を10個ほど贈った。 そのため、原告Eは、上記時計を持って、同人の兄姉と共に、昭和47 年、新潟港で帰国船に乗り、北朝鮮へ渡航した。 イ原告Eの居住地は、両江道と指定された。同地域は厳寒地域であり、冬季の平均気温が氷点下30度ほどであった。 原告Eは、防寒帽子を支給されていたにもかかわらず、耳に凍傷を負った。耳は普段の数倍に腫れあがり、腫れが落ち着くまでに3日ほど要した。 また、原告Eらに配給された米は収穫から数年経ったものであり、量も 少なかったため、原告Eの姉の同僚から贈られた時計を換金して食糧を確保していた。しかしながら、原告Eらは、食糧も足りず、不衛生な環境であったため、大腸炎を発症した。被告では医療費が無料であるものの、医療水準の高い治療が無料で受けられることを意味せず、支給された薬では大腸炎が治らなかった。そのため、原告Eらは、上記時計を換金し、高価 な薬を購入したところ、大腸炎が治癒した。 ウ原告Eの姉は、北朝鮮で大学へ進学できると信じていたものの、帰国直後、21歳の女性が今更大学へ入ることはできないと らは、上記時計を換金し、高価 な薬を購入したところ、大腸炎が治癒した。 ウ原告Eの姉は、北朝鮮で大学へ進学できると信じていたものの、帰国直後、21歳の女性が今更大学へ入ることはできないと告げられた。このことや、上記イのとおりの生活状況によってショックを受けたからか、原告Eの姉は、昭和49年頃から妄想の症状が出るようになった。原告Eの姉 の症状は快方に向かわず、昭和51年頃には精神分裂病との診断を受けた。 その後、原告Eの姉は、入退院を繰り返したものの、平成3年頃、入院中に亡くなった。 エ前記⑴ケの大飢饉の頃、原告Eは、中国の長白朝鮮族自治県の者と物々交換を行い、自身の食糧とする目的で家畜の餌を入手していた。長白朝鮮 族自治県の者は、当初、豚の餌を提供していたが、より安価な鶏の餌を提供するようになった。鶏の餌は、鶏の消化を助けるため、砂利が混ぜてあり、一口目から砂利が口にさわった。 また、大飢饉の頃は、毎日朝になると路上に遺体が横たわっていた。これらの処理は、当初被告の行政府が行っていたものの、処理が追い付かな いため、被告は、遺体の発見地の管理者が処理をするよう命じた。もっと も、誰も遺体処理に費用を掛けたがらないからか、原告Eは、夜間、遺体を足で近隣の土地まで転がしている様子を目撃した。その遺体は、同様に転がされ、最終的には鴨緑江の岸辺に集まっていた。 さらに、原告Eは、餓死寸前の子が、パンを与えられていたものの、そのパンすら口に運ぶことができずにこと切れる様子を間近で目撃した。こ れを見て、原告Eは、子供を救えないことに忸怩たる思いを抱くとともに、その一方で自身の子をないがしろにして見ず知らずの子供を助けるわけにはいかないという葛藤を抱いた。 オ平成12年頃、被告では、人工衛星と称し Eは、子供を救えないことに忸怩たる思いを抱くとともに、その一方で自身の子をないがしろにして見ず知らずの子供を助けるわけにはいかないという葛藤を抱いた。 オ平成12年頃、被告では、人工衛星と称して弾道ミサイルの実験を行うようになった。原告Eは、北朝鮮で多数の餓死者が出ているにもかかわら ず、かかる実験を行ったとの報道に触れ、今後の北朝鮮での生活に不安を覚えた。 そのため、原告Eは、平成13年、北朝鮮を脱出し、中国に入国した。 その後、原告Eは、中国で一年程過ごし、平成14年、本邦に入国した。 2 本件訴えの管轄権の有無について ⑴ 総論民訴法3条の3第8号にいう「不法行為があった地」とは、加害行為そのものが行われた地(以下「加害行為地」という。)と加害行為によって惹起された結果が発生した地(以下「結果発生地」という。)の双方を含むと解される。 また、日本国内に住所等を有しない被告に対し提起された不法行為に基づく損害賠償請求訴訟につき、「不法行為があった地」が日本国内にあるとして日本の裁判所の管轄権を肯定するためには、原則として、被告がした行為によって原告の法益について損害が生じたとの客観的事実関係が証明される必要があると解される(最高裁平成12年(オ)第929号、平成12年 (受)第780号同13年6月8日第二小法廷判決・民集55巻4号727 頁参照)。 これらの事項を前提として、以下検討する。 ⑵ 本件不法行為1についてア原告らの主張原告らは、被告が、社会主義体制の優位性を示すといった政治的目的及 び労働力の確保や技術の導入といった経済的目的の下、朝鮮総連と共に又は朝鮮総連を通じて、日本国内において、被告は全ての権利が保障された地上の楽園であるなどと虚偽の勧誘をし(勧誘行為 治的目的及 び労働力の確保や技術の導入といった経済的目的の下、朝鮮総連と共に又は朝鮮総連を通じて、日本国内において、被告は全ての権利が保障された地上の楽園であるなどと虚偽の勧誘をし(勧誘行為)、原告らをして錯誤に陥らせて北朝鮮へ帰国させ、北朝鮮へ帰国した原告らを北朝鮮内に留置し(留置行為)、もって原告らの居住場所及びそれに伴う国家体制を自ら 選択する権利を侵害したとして、本件不法行為1が一体の継続的不法行為であると主張する。そして、本件不法行為1の加害行為地は本邦であるから、本件不法行為1に係る訴えの管轄権が日本の裁判所にあると主張する。 イ勧誘行為について上記認定事実⑴ア及びイによれば、朝鮮総連は、日本共産党の方針 に従っていた在日本朝鮮人聯盟及び民戦と異なり、少なくとも、昭和30年の結成時から帰国事業が実施されていた間、被告政府と意を通じる組織であったと認められる。 そして、上記認定事実⑴ウによれば、朝鮮総連は、昭和33年6月に在日朝鮮人の早急な帰国の実現等を求める決議を行うなど帰国運動を大 規模化させていたところ(同)、これらの活動については朝鮮労働党も関与していたこと(同)、金日成が、朝鮮総連の上記活動に呼応し、同年9月8日、在日朝鮮人の帰国を歓迎する旨の宣言をし、これを受けて、同月19日には、朝鮮総連が日本政府に対して在日朝鮮人の帰国に向けた具体的措置をとるよう求めたこと(同、)が認められる。 以上の事実を含む上記認定事実⑴の経緯に加え、帰国事業の規模を併 せ考慮すれば、被告は、朝鮮総連と共に、又は、朝鮮総連を通じて、主体的に帰国事業を推進していたものと認められる。 また、上記認定事実⑴ウによれば、朝鮮総連は、被告の意を受けて、その会員等を通じて、北朝鮮を「地 告は、朝鮮総連と共に、又は、朝鮮総連を通じて、主体的に帰国事業を推進していたものと認められる。 また、上記認定事実⑴ウによれば、朝鮮総連は、被告の意を受けて、その会員等を通じて、北朝鮮を「地上の楽園」と表現するなどして、被告が衣食住等の環境に恵まれた国である旨の宣伝をし、帰国事業の勧誘 を行ったと認められる。 しかしながら、上記認定事実⑵イないしエ、⑶イ及びウ、⑷イ、⑸イ及びウ並びに⑹イによれば、帰国事業実施当時の北朝鮮における生活水準は、本邦におけるそれよりも明らかに劣るものであり、朝鮮総連の宣伝内容は事実に反するものであったことが認められる。そして、上記認 定事実⑵ないし⑹各アによれば、原告らは、朝鮮総連の会員等から、北朝鮮における状況について、上記のとおり事実と異なる宣伝による勧誘を受け、少なくとも、本邦での生活を継続することと比して、良い環境において生活できると認識したことなどを主な動機として、北朝鮮への帰国を決断したものと認められる。 上記及びを踏まえると、本件不法行為1のうち、勧誘行為については、被告が、朝鮮総連と共に、又は、朝鮮総連を通じて、北朝鮮の状況について事実と異なる宣伝による勧誘を行ったことにより、原告らが北朝鮮の状況について誤信し、北朝鮮に渡航するとの決断をしたという客観的事実関係が認められる。 そして、上記勧誘行為の行為地は、本邦であると認められることからすれば、原告らが、被告に対し、被告が上記勧誘行為に及んだことによって原告らの居住場所及びそれに伴う国家体制を自ら選択する権利を侵害したとして不法行為に基づき損害賠償金の支払を求める訴えについては、日本の裁判所が管轄権を有するということができる。 ウ次いで、留置行為について検討する。 証拠(甲 権利を侵害したとして不法行為に基づき損害賠償金の支払を求める訴えについては、日本の裁判所が管轄権を有するということができる。 ウ次いで、留置行為について検討する。 証拠(甲3の2・14頁、甲11・401、432頁)によれば、被告は、帰国事業によって帰国した在日朝鮮人の出国を一貫して禁止しており、これにより、原告らは、北朝鮮に帰国してから北朝鮮を脱出するまでの間、すなわち、原告Aについては約43年間(前提事実⑴ア)、原告Bについては約42年間(前提事実⑴イ)、原告Cについては約4 0年間(前提事実⑴ウ)、原告Dについては約40年間(前提事実⑴エ)、原告Eについては約29年間(前提事実⑴オ)、北朝鮮内に留置されていたことが認められる。 上記の留置行為は、それ自体の行為地及び結果発生地がいずれも北朝鮮であることは明らかである。そうすると、上記の留置行為を帰国事業 における勧誘行為と一連一体の不法行為とみるべき事情がある場合に限り、留置行為について、民訴法3条の3第8号に基づき日本の裁判所に管轄権が認められることになる。 そこで、検討するに、被告による留置行為は、本邦において行われた勧誘行為の終了後、北朝鮮において約29年ないし43年の長期にわた って継続して行われたものであることから、勧誘行為とは時期及び場所を異にし、その態様も、北朝鮮に帰国した原告らを継続的に北朝鮮内に留め置いて原告らの出国の自由に制限を加えるもので、原告らに対して帰国の意思決定を仕向ける行為である勧誘行為とは明らかに異なる。 また、証拠(甲3の2・10頁)並びに上記認定事実⑴キ及びクによ れば、被告は、帰国事業による帰国者に限らず、北朝鮮内において生活する国民一般の出国を原則として禁止していたことが認められるところ 、証拠(甲3の2・10頁)並びに上記認定事実⑴キ及びクによ れば、被告は、帰国事業による帰国者に限らず、北朝鮮内において生活する国民一般の出国を原則として禁止していたことが認められるところであり、原告らに対する留置行為がかかる被告の国民一般に対してとられていた措置とは異なる性質のものであったことをうかがわせる事情は見当たらない。加えて、帰国事業における被告の主要な目的は、社会主 義体制の優位性を誇示することや労働力の補充にあったものと認められ る(上記認定事実⑴ウ及びカ)ところ、帰国事業が遅くとも昭和59年には終了したこと(前記前提事実⑵)や、その後の北朝鮮国内外の情勢の変化等に照らすと、約29年ないし43年にわたる原告らに対する留置行為が、帰国事業による帰国を原因として開始したことを踏まえても、上記のような帰国事業の目的の下で継続的に行われたものと認める ことは困難である。 以上からすると、勧誘行為と留置行為とは、時期、場所、態様及び目的を異にしており、これらを一連一体の不法行為とみるべき事情があるということはできない。 以上によれば、留置行為については、民訴法3条の3第8号に基づき 日本の裁判所が管轄権を有するとは認められない。 エ原告らは、留置行為について、国際裁判管轄の消極的抵触から生じる裁判の拒絶を回避するために例外的に認められる、いわゆる緊急管轄により、日本の裁判所に管轄権が認められるべきである旨主張する。 しかしながら、我が国の民訴法上、上記のような場合について管轄権を 有する旨の規定は存在しない。当事者間の衡平等といった条理に従い管轄権の有無を検討するとしても、上記ウで説示したところによれば、留置行為は、勧誘行為とは別個の行為であって、被告が自国民一般に対して行った出国 規定は存在しない。当事者間の衡平等といった条理に従い管轄権の有無を検討するとしても、上記ウで説示したところによれば、留置行為は、勧誘行為とは別個の行為であって、被告が自国民一般に対して行った出国制限の一環であると認められ、かつ、留置行為がされた地及びその行為により結果が発生した地のいずれも北朝鮮であることからすれば、日 本の裁判所の管轄権を肯定しなければならない程度に上記行為と本邦との間に関連性があるということはできない。このことに加え、事実上、北朝鮮の裁判所において訴えを提起することができない旨の原告らの主張を前提としても、留置行為について、日本以外の裁判所が管轄権を有しないと認めるに足りる証拠もないことからすれば、同行為について、日本の裁判 所に管轄権を認めるべき事情があるということはできない。 したがって、この点に係る原告らの主張は採用できない。 オ以上によれば、原告らが、被告に対し、被告が原告らを被告国内に強制的に留置した行為によって原告らの居住場所及びそれに伴う国家体制を自ら選択する権利を侵害したとして不法行為に基づき損害賠償金の支払を求める訴えは、日本の裁判所が管轄権を有しないから、その余の点について 判断するまでもなく、不適法である。 ⑶ 本件不法行為2について証拠(甲3の2・10頁)によれば、被告は、平成25年当時、帰国した帰国事業による帰国者のみならず、北朝鮮内において生活する国民一般の出国を原則として禁止していたことが認められ、現時点においても、上記政策 を継続しているものとうかがわれる。 原告Aは、被告による上記禁止行為により、原告Aの子らと面会交流する権利が侵害されたのであるから、その結果発生地は、原告Aの所在地である本邦であると主張する。 しかしながら、民訴法3条の れる。 原告Aは、被告による上記禁止行為により、原告Aの子らと面会交流する権利が侵害されたのであるから、その結果発生地は、原告Aの所在地である本邦であると主張する。 しかしながら、民訴法3条の3第8号が、「不法行為があった地」を管轄 原因とする趣旨は、不法行為地には訴訟資料や証拠方法が所在している蓋然性が高く、また、不法行為地での提訴を認めることが被害者の便宜にかなうという点にあると解され、かかる法の趣旨に照らせば、同号における結果発生地とは、当該不法行為における直接の結果が発生した地をいうと解するのが相当である。当該不法行為における直接の結果のほか、同結果から派生し て生じた結果の発生地をも同号における結果発生地に当たると解することは、上記趣旨を逸脱するものであって相当でない。 これを本件についてみると、被告による上記禁止行為は、被告が、政策として、北朝鮮内で生活する自国民に対して出国の自由を制限するというものであって、これによって直接侵害されるのは、北朝鮮から出国することがで きない原告Aの子らの権利であると認められる。原告Aが、自身の子らが出 国の自由を制限されていることにより、同人らとの面会交流の機会が妨げられているとしても、被告による上記禁止行為の性質に照らせば、それは原告Aの子らが出国することができないという結果から派生して生じたものであるといわざるを得ない。 したがって、原告Aの所在地である本邦が民訴法3条の3第8号における 結果発生地に当たるということはできない。 以上に加え、上記⑵エで説示したとおり、いわゆる緊急管轄を肯定すべきとの主張も採用できないことからすれば、本件不法行為2に係る訴えは、日本の裁判所が管轄権を有しないから、その余の点について判断するまでもなく、不適法である。 したとおり、いわゆる緊急管轄を肯定すべきとの主張も採用できないことからすれば、本件不法行為2に係る訴えは、日本の裁判所が管轄権を有しないから、その余の点について判断するまでもなく、不適法である。 3 被告が我が国の民事裁判権から免除されるか否かについて対外国民事裁判権法4条は、「外国等」が原則として我が国の民事裁判権から免除される旨を規定する。そして、「外国等」には、日本国及び日本国に係るものを除く国及びその政府の機関が含まれる(同法2条1号)ところ、ここでいう「国」に被告が含まれるか否か、以下検討する。 そもそも、外国国家に対する民事裁判権の免除は、主権を有する国家は、法的に等しく国際法上の法人格を有するものとして取り扱われるものであり(主権平等の原則)、主権を有する対等な国家同士では相互に主権を尊重するとの考え方に基づき認められたものであるところ、このような原則は、承認した国家と承認された国家との間でのみ観念し得るものであると考えられる。また、 未承認国に対して、同国を承認していない国家において当然に民事裁判権からの免除を享受するとの国家実行が成立しているとは認められない。 これらのことからすれば、対外国民事裁判権法2条1号にいう「国」には、いわゆる未承認国を含まないと解するのが相当である。 よって、被告は、同法に基づき、我が国の民事裁判権から免除されることは なく、他に、本件について被告を我が国の民事裁判権から免除すべき事由があ るとは認められない。 したがって、本件不法行為1のうち勧誘行為に係る訴えについて、被告は、我が国の民事裁判権から免除されない。 4 本件不法行為1のうち勧誘行為の準拠法について前記2⑵イで説示したとおり、被告が、朝鮮総連と共に、又は、朝鮮総連 を通じ る訴えについて、被告は、我が国の民事裁判権から免除されない。 4 本件不法行為1のうち勧誘行為の準拠法について前記2⑵イで説示したとおり、被告が、朝鮮総連と共に、又は、朝鮮総連 を通じて、北朝鮮の状況について事実と異なる宣伝による勧誘を行ったことにより、原告らが北朝鮮の状況について誤信し、北朝鮮に帰国するとの決断をしたという客観的事実関係が認められる。そして、前記認定事実⑴オによれば、帰国意思の撤回は帰国船に乗る一定時間前までしか許されず、遅くとも帰国船に乗った後は、帰国意思を撤回することができなかったと認められる。 これらのことからすれば、勧誘行為の結果である原告らの主張に係る自己決定権の侵害は、遅くとも帰国船に乗った時点である昭和35年から昭和47年までに確定的に生じたということができる(前記認定事実⑵ないし⑹各ア)。 そうすると、法の適用に関する通則法附則3条4項により、勧誘行為の準拠法については法例11条1項により決すべきこととなる。 そして、同項は、不法行為によって生ずる債権の成立及び効力について、「其原因タル事実ノ発生シタル地」の法律によると規定する。そうであるところ、上述のとおり、原告らの主張に係る自己決定権の侵害という結果は、遅くとも帰国船に乗った時点で確定的に生じたといえることからすれば、その結果は本邦で発生したといえ、「其原因タル事実ノ発生シタル地」は本邦であると 認められる。 したがって、勧誘行為については、日本法を準拠法とすべきこととなる。 5 本件不法行為1のうち勧誘行為の不法行為による損害賠償請求の可否⑴ 改正前民法724条後段の規定は、不法行為による損害賠償請求権の除斥期間を定めたものであり、不法行為による損害賠償を求める訴えが除斥期間 の経過後に提起された場合 よる損害賠償請求の可否⑴ 改正前民法724条後段の規定は、不法行為による損害賠償請求権の除斥期間を定めたものであり、不法行為による損害賠償を求める訴えが除斥期間 の経過後に提起された場合には、裁判所は、当事者からの主張がなくても、 除斥期間の経過により上記請求権が消滅したものと判断すべきである(最高裁昭和59年(オ)第1477号平成元年12月21日第一小法廷判決・民集43巻12号2209頁参照)。改正前民法724条後段の規定が除斥期間ではなく消滅時効を定めたものであるとする原告らの主張は、独自の見解であって採用することができない。 もっとも、加害者の行為によって、被害者が20年を経過する前に不法行為に基づく損害賠償請求権をおよそ行使し得ない場合にあって、被害者において同請求権を行使し得ない事情が解消してから一定の合理的な期間内に同請求権を行使したなど特段の事情があるときは、民法158条1項、160条及び改正前民法161条の法意に照らし、改正前民法724条後段の効果 が生じない場合があると解される(最高裁平成5年(オ)第708号同10年6月12日第二小法廷判決・民集52巻4号1087頁、最高裁平成20年(受)第804号同21年4月28日第三小法廷判決・民集63巻4号853頁参照)。 ⑵ 前記認定事実⑵ア及びオ、⑶ア及びカ、⑷ア及びキ、⑸ア及びカ並びに⑹ ア及びオによれば、原告Aは、昭和35年に本邦を出国して平成17年頃に本邦に入国し、原告Bは、昭和36年に本邦を出国して遅くとも平成16年には本邦に入国し、原告Cは、昭和38年に本邦を出国して平成17年に本邦に入国し、原告Dは、昭和36年に本邦を出国して平成13年に本邦に入国し、原告Eは、昭和47年に本邦を出国して平成14年に本邦に入国した と 告Cは、昭和38年に本邦を出国して平成17年に本邦に入国し、原告Dは、昭和36年に本邦を出国して平成13年に本邦に入国し、原告Eは、昭和47年に本邦を出国して平成14年に本邦に入国した と各認められるところ、原告らが本件訴えを提起した日は平成30年8月20日(当裁判所に顕著な事実)である。 そうすると、被告による勧誘行為から本件訴えの提起までの間には、約46年ないし58年が経過しており、既に改正前民法724条後段所定の期間が経過していることになる。 上記の期間のうち、原告らが北朝鮮に帰国してから同所を脱出するまでの 期間においては、原告らの北朝鮮内の生活状況(前記認定事実⑵ないし⑹)からすれば、勧誘行為の不法行為による損害賠償請求権を行使し得ない状況にあったということができる。しかしながら、原告らが本邦に入国してから生活基盤を整えるために必要な期間が経過した後は、上記損害賠償請求権を行使し得ない状況は解消されたものといえるところ、原告らの本邦への入国 から本件訴えの提起までには約13年ないし17年が経過しており、その間に上記損害賠償請求権の行使の可否に影響を及ぼすような事情の変更があったことはうかがわれない。これらのことに照らすと、本件において、改正前民法724条後段の効果の発生を妨げる特段の事情があったとは認められない。 以上によれば、原告らの被告に対する勧誘行為の不法行為による損害賠償請求権は、改正前民法724条後段に規定する除斥期間の経過により当然に消滅したというべきである。 ⑶ よって、原告らの本件不法行為1のうち勧誘行為に係る請求は、理由がない。 第5 結論以上によれば、本件訴えのうち別紙却下目録記載に係る訴えは不適法であるからこれらをいずれも却下し、その余の原告らの請求 本件不法行為1のうち勧誘行為に係る請求は、理由がない。 第5 結論以上によれば、本件訴えのうち別紙却下目録記載に係る訴えは不適法であるからこれらをいずれも却下し、その余の原告らの請求はいずれも理由がないからこれらをいずれも棄却することとして、主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第5部 裁判長裁判官五十嵐章裕 裁判官崇島誠二 裁判官中根佑一朗 (別紙)訴え却下目録 1 原告らが、被告に対し、被告が原告らを被告国内に強制的に留置した行為によって原告らの居住場所及びそれに伴う国家体制を自ら選択する権利を侵害したとして不法行為に基づき損害賠償金の支払を求める訴え。 2 原告Aが、被告に対し、被告が原告Aの子らの出国を妨害したことによって原告Aが同人の子らと面会し交流する権利を侵害したとして不法行為に基づき損害賠償金の支払を求める訴え。 以上
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