平成13(行コ)9 地公災基金岩手県支部長公務外認定処分取消

裁判年月日・裁判所
平成14年12月18日 仙台高等裁判所
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判決文本文32,138 文字)

平成14年12月18日判決言渡仙台高等裁判所平成13年(行コ)第9号公務外災害認定処分取消請求控訴事件(原審盛岡地方裁判所平成4年(行ウ)第2号)口頭弁論終結日平成14年10月7日 主文 1 原判決を取り消す。 2 被控訴人の請求を棄却する。 3 訴訟費用は、第1、2審とも被控訴人の負担とする。 事実及び理由 第1 当事者の求めた裁判 1 控訴の趣旨主文と同旨 2 控訴の趣旨に対する答弁(1) 本件控訴を棄却する。 (2) 控訴費用は控訴人の負担とする。 第2 事案の概要 1 本件は、被控訴人が同人の夫で小学校(岩手県釜石市立A小学校、以下「A小学校」という。)の教諭であった亡Cが、昭和58年1月24日ころ自殺していたところ、亡Cの自殺は、同人のA小学校における小学校教諭としての公務が過重となり、その精神的緊張及び重圧によってうつ病に罹患し、希死念慮発作によって引き起こされたものであるとして、控訴人に対し、地方公務員災害補償法に基づく公務上災害認定を請求したところ、控訴人が公務外災害の認定処分(以下「本件処分」という。)をしたため、同処分の取消しを求めて提訴したところ、原審が、亡Cは過重な公務により、うつ病に罹患し、その希死念慮発作によって自殺したもので、業務起因性が認められるとして、被控訴人の請求を認容する判決をしたので、控訴人が控訴したものである。 2 当事者の主張本件における「争いのない事実」及び「争点」は、原判決の「事実及び理由」欄の「第2 事案の概要」中の「1 争いのない事実」、「2 争点1」及び「3 争点2」(原判決2頁6行目から同10頁15行目まで)と同一 ない事実」及び「争点」は、原判決の「事実及び理由」欄の「第2 事案の概要」中の「1 争いのない事実」、「2 争点1」及び「3 争点2」(原判決2頁6行目から同10頁15行目まで)と同一であるから、これを引用する。 第3 当裁判所の判断 1 当裁判所は、被控訴人の本訴請求は、亡Cが軽症うつ病あるいは何らかの精神疾患に罹患していた可能性は否定できないが、その担当する職務は公務過重とは認められず、したがって亡Cの自殺は公務に起因したものとは認められないので、これを棄却すべきであると判断する。その理由は、次のとおり付加・訂正するほかは、原判決の「事実及び理由」欄の「第3 争点に対する判断」(原判決10頁16行目から同24頁24行目まで)と同一であるから、これを引用する。 (1) 原判決10頁18行目の「40,41」を「35、40、41」と、同じ行の「乙9ないし11」を「乙4、9ないし11、21、29、31、33、43ないし46、55」とそれぞれ改め、同19行目の「同D,」の次に「同E、同F、同G、同H」を加える。 (2) 原判決11頁16行目から同12頁3行目までを次のとおり改める。 「 イ 1学期(ア) 亡Cは、A小学校での1学期当時、教師になって7年目で初めて1年生の担任になり、1年2組を担当した。亡Cが担当したクラスの中には、家庭の事情で欠席がちであった女子児童がいたことから、その児童のことを気に掛けていたが、同児童は両親の離婚が成立したことに伴い、昭和57年10月2日に転校した。 (イ) 亡Cは、被控訴人に微熱が続き頭痛を訴え いたが、同児童は両親の離婚が成立したことに伴い、昭和57年10月2日に転校した。 (イ) 亡Cは、被控訴人に微熱が続き頭痛を訴えることがあったが、その原因や継続した期間については明確でない。また、亡Cは、被控訴人に対し、校長が授業中に突然入ってくるので、子供たちの気が散るし、自分が監視されているようで、とてもいやである旨話していたことが認められるが、当時のA小学校のG校長としては、当時のA小学校は、木造の老朽校舎であったことから、危険な個所がないかなどを確認するために週に1回程度校舎を回っていたことが認められ、亡Cや他の教師を監視するために(亡Cがそのように感じたことはあったとしても)教室を回っていたとは認められない。さらに、亡Cは、被控訴人に対し「A小学校ってすごいぞ。職員室の黒板に日程が書かれていて、休憩時間が取られない形で書いてあっても、それにみんな慣れているような形で動いてんだぞ。変だなって感じるのは俺だけかな。」などと話すこともあった。 しかしながら、亡Cの発言の趣旨は必ずしもはっきりしないうえ、休憩時間が黒板に記載されていなくとも、A小学校内細則(甲1)5条によれば、休憩時間、休息時間は校長が割り振ると規定されており、実際にもA小学校の他の教師は、その裁量の範囲内で適宜休憩、休息をとっていたことが認められる 、休憩時間、休息時間は校長が割り振ると規定されており、実際にもA小学校の他の教師は、その裁量の範囲内で適宜休憩、休息をとっていたことが認められるし、亡Cは、第1学年の担当であって、火曜日と水曜日以外は午後12時15分で授業は終了するのであるから、休憩時間が実際に取られていなかったということはできない。」(3) 原判決12頁5行目から8行目までを次のとおり改める。 「 (ア) 亡Cは、昭和57年7月25日から夏休みに入り、同人に割り当てられた各研究会の準備はあったものの、海水浴に1回と大船渡に花火を見に行ったりした。 同年8月21日が2学期の始業式であったところ亡Cの、夏休みに入ってからの出勤状況をみると、同年7月は7日間のうち30日(金)は自宅研修で、31日(土)に年次有給休暇(以下「年休」という。)を取得したのみであったが、8月は20日までの20日間で出勤したのは9日間のみであった。」(4) 原判決12頁14行目の「いわれたことがあった。」を「いわれたことがあったが、それ以上の具体的な話はなかった。」と改める。 (5) 原判決12頁18行目の「連続し,」から同20行目末尾までを「続いた。また、同月4日は、低学年だけの国語の低学団研究会があり、同月12日は道徳の全校研究会があった。しかし、全校研究会の日程は、年度当初の職員会議によって経験者から先に行うということで既にこの時期に亡Cが担当することに決定していたものであるし、学団研 の全校研究会があった。しかし、全校研究会の日程は、年度当初の職員会議によって経験者から先に行うということで既にこの時期に亡Cが担当することに決定していたものであるし、学団研究会の実施時期は、担当する職員の都合に合わせてその申し出に応じたかたちで決定されていたものである。そして、各研究会における亡C作成の指導案(甲4、6)はそれぞれ第1学年の学習指導書(甲4に対応するものとして乙13、甲6に対応するものとして乙14の1、2)を基礎にして作成されている。」と改める。 (6) 原判決12頁21行目の「平成7年度」を「昭和57年度」と、同23行目の「計画案の」を「計画案の備考欄の」と、同末行の「記載されていなかった。」を「記載されていないが、それ以前の日についても同計画案の備考欄に記載されていない日もあるほか、同月7日からは記載がなされるに至り、次第にその量も増え、同月20日以降は従前のように記載するようになった(亡Cは、同月17日の欄に「今日の道徳おもしろかったといってくれたのがとてもうれしい。」と記載している。)。なお、昭和58年2月4日に道徳の公開授業が行われることは、昭和57年4月の段階で決定されており、そのための資料決定は同年11月25日になされていたものであることは後記認定のとおりである。また、同年12月後半に、亡CがG校長に「僕の学級の図画を見てください。お陰でここまで書けるようになりました。」といって子供の図画を見せたことがあった。」とそれぞれ改める。 (7) 原判決13頁1行目から同5行目までを次のとおり改める。 「 (ウ) 亡Cの2学期 ようになりました。」といって子供の図画を見せたことがあった。」とそれぞれ改める。 (7) 原判決13頁1行目から同5行目までを次のとおり改める。 「 (ウ) 亡Cの2学期における年休の取得経過で同人の行動などをみると、昭和57年9月は、1日(水)には特免を取得し、8日(水)は、午後2時30分から、10日(金)は午後3時から、22日(水)は午後2時からそれぞれ午後5時まで年休を取得している。なお、21日(火)は授業参観日であり、16日(木)はE教諭が道徳の、H教諭が国語の全校研究会を担当している。同年10月は、1日(金)には午後3時から、14日(木)は、午後1時からそれぞれ午後5時まで年休を取得している。19日(火)は釜石まつりで休校となっている。なお、7日(木)はH教諭が道徳の学団研究会を担当している。 また、15日(金)は、I教諭とJ教諭が道徳の全校研究会を担当している。同年11月は、2日(火)には、学芸会の代休で休みである。4日(木)は、学団研究会で国語の、12日(金)は全校研究会で道徳の発表をしていることは前記のとおりである。14日(日)ころに亡Cの長男Kに高熱が続いたため釜石市民病院に入院したことから、亡Cは、16日(火)には午後2時30分から、18日(木)、19日(金)、22日(月)はいずれも午後1時から5時まで年休を取得している。Kは26日(金)に退院した。同年12月は、1日( 0分から、18日(木)、19日(金)、22日(月)はいずれも午後1時から5時まで年休を取得している。Kは26日(金)に退院した。同年12月は、1日(水)には、午後2時30分から午後3時10分まで、同月24日(金)は午後1時から、28日(火)は、午前8時15分からいずれも午後5時まで年休を取得している。 (エ) ところで、原審における本人の尋問の結果において、被控訴人は亡Cが、2学期に入ってから、連日のように自宅で午後11時ないし翌日の午前1時ころまで仕事をするようになり、同年12月に入ると、通知票作成などの学期末業務と翌年の公開授業に向けた本件指導案の作成を平行して行っていたため、深夜まで自宅で仕事をするようになっていた旨供述するが、この点は必ずしも被控訴人が実際に確認したものでないことは、同人も供述するところであるし、その具体的な仕事の内容についても明確ではない。確かに、昭和57年11月4日は、低学年だけの国語の低学団研究会があり、同月12日は道徳の全校研究会があったが、全校研究会の日程は既に同年4月の段階で決定していたものであるし、学団研究会の実施時期は、担当する職員の都合に合わせてその申し出に応じたかたちで決定されていたものであり、各研究会における亡C作成の指導案(甲4、6)はそれぞれ第1学年の学習指導書(甲4に対応するものとして乙13、甲6に対応す 定されていたものであり、各研究会における亡C作成の指導案(甲4、6)はそれぞれ第1学年の学習指導書(甲4に対応するものとして乙13、甲6に対応するものとして乙14の1、2)を基礎にして作成したことが認められることは前記のとおりであることからすると、被控訴人のこの点の供述から直ちに亡Cの公務が過重であったと即断することはできない。」(8) 原判決13頁6行目の「(エ)」を「(オ)」と改め、同11行目の「(オ)」を削り、同じ行の「亡C」を「また亡C」と改め、同14行目の「また」を「さらに」と改め、同18行目の次に行を変えて次のとおり加える。 「 なお、同月末ころには、学校内で風邪が流行し、亡CもG校長から病院に行くように勧められたが、「若いから大丈夫です。」と答え、G校長から薬をもらって飲んだりしたことがあった。」(9) 原判決14頁2行目の次に行を変えて次のとおり加える。 「 なお、亡Cは上記秋田市で開催された東北B青年教職員研究集会においてレポートを用意するなどして準備し、また、同集会においてメモをとっており、熱心に取り組んでいる姿勢が認められる。」(10) 原判決14頁12行目から13行目の「出席し,同月11日に指導助言教諭であるL小学校のM教諭に本件指導案を提出し,」を「出席して、午前8時40分ころから午後3時30分ころまで資料指導案を検討し、その際亡Cは、本件指導案の修正前の指導案を提出したが、亡Cの当該指導案の内容は、ほぼ完成に近いかたちであり、同月8日ころ、指導助 後3時30分ころまで資料指導案を検討し、その際亡Cは、本件指導案の修正前の指導案を提出したが、亡Cの当該指導案の内容は、ほぼ完成に近いかたちであり、同月8日ころ、指導助言教諭であるL小学校のM教諭のところに指導案を持っていき、構成などについて指導・助言を受け、さらに修正した本件指導案を同教諭に提出した。」と、それぞれ改め、同13行目から14行目の「その後も同指導案の修正を行っていたところ,」と、同20行目の「本件指導案の修正をするためという理由で,」をそれぞれ削り、同21行目の次に行を変えて次のとおり加える。 「 他方、亡Cは同月12、13日に年休を取得し、盛岡市で開催された日教組の教研集会に参加したが、その時の様子を同月17日にN教頭に語ったり、子供の育て方について生き生きとした様子で話していた。同月は、4日、5日、10日、14日、18日が自宅研修となっており、同月20日の3学期の始業式までに出勤したのは、6日から8日までの3日と11日、17日、19日の3日の合計6日であった。そして、亡Cは19日の社会主義青年同盟の新年会に出席し、同じ会に出席した者から、酒の席ではあったが、亡CのA小学校分会における活動について「やっぱりCさんもっと入っていかなきゃならないじゃないかな。・・・・Cさんもっと頑張ることでぎねのがなあ。」、「ずるいんじゃないか。もっと前に出なきゃ。」と指弾されていた。」(11) 原判決14頁25行目の次に行を変えて次のとおり加える。 「 亡Cは、同日の週学習指導計画案簿には「5 じゃないか。もっと前に出なきゃ。」と指弾されていた。」(11) 原判決14頁25行目の次に行を変えて次のとおり加える。 「 亡Cは、同日の週学習指導計画案簿には「50日という短かい3学期、がんばってほしいと思う。」と記載している。 (イ) 同月21日に前記M教諭から、同年2月の道徳の公開授業について亡Cが先に提出した本件指導案の返却を受けたが、同人の指導案には主題設定の最後の2行に朱書があるだけであったので一緒にいたH教諭から「C先生は良かったね。私の指導案はほらこんなに訂正があるよ。」といってH教諭の指導案を見せたられたところ、亡Cはにこっと笑っていた。」(12) 原判決14頁末行から同15頁7行目までを次のとおり改める。 「 (ウ) 同月22日、G校長は、N教頭や教務主任から亡Cの前記M教諭から返却された本件指導案がほぼ完成しているとの報告を受けた。 その後、亡Cは2階階段の踊り場付近に立っていたのをF教諭が見かけた(同人は、亡Cがぼおーっと立っているように見えた旨証言する。)が、少し話をしたのみであった。また、他の教諭に亡Cは話しかけ冗談も言っていた。同日亡Cは午後1時30分過ぎに実家の花巻に行き、花巻の病院に祖母を見舞ったうえ、午後10時30分ころ帰宅した(行き帰りの車中において、被控訴人に対し「うるさい。」などと怒鳴ったことがあった。)。同月23日は終日自宅で過ごし、本件指導案 分ころ帰宅した(行き帰りの車中において、被控訴人に対し「うるさい。」などと怒鳴ったことがあった。)。同月23日は終日自宅で過ごし、本件指導案を検討するなどしたが、夜には被控訴人が亡Cの姉と電話している際、電話のそばで、1歳4か月になるKの声を聞かせようとして、Kをくすぐったりした後、自分が42歳になったら自宅を建て替えたいなどと家族に話した。」(13) 原判決15頁8行目の「(ウ)」を「(エ)」と、13行目の「(エ)」を「(オ)」と改める。 (14) 原判決16頁15行目の次に行を変えて次のとおり加える。 「 なお、A小学校においては、昭和57年度は全校研が16回、学団研が6回の合計22回が予定されていたところ、実際に行われた回数は不明であるが、釜石市内の他の小学校においては年20回程度が行われていることからすると、A小学校が特別多いとはいえない。また、A小学校の昭和57年度の学校経営計画(甲1)では、全校授業研は年間一人1回とし、学団研も同様とし、学団研は、全校授業研の準備も行うものとし、略案程度で、気軽に取り組んでみようとされており、実際にも全校研でもB4サイズの用紙3枚程度の指導案を作成するものであり、その教材も国語、道徳の既存の学習指導書を基礎にしているものであることは前記のとおりである。」(15) 原判決16頁23行目の「あった(A方式)。」を「あったが、この方式を、被控訴人が主張するように特に「A方式」と呼称するとの共通認識 ものであることは前記のとおりである。」(15) 原判決16頁23行目の「あった(A方式)。」を「あったが、この方式を、被控訴人が主張するように特に「A方式」と呼称するとの共通認識があったことを認めるに足りる的確な証拠はない。」と改める。 (16) 原判決17頁2行目の「また,亡Cは」を「また、原審における被控訴人本人尋問の結果によれば、亡Cは」と、同17行目の「話していた。」を「話していた等と被控訴人は供述する。しかし、他方、週学習指導計画案簿(甲2)には亡CがA小学校における道徳教育や公開授業などについて悩んでいたことをうかがわせる記載はないし、同僚の教諭にもその悩みを相談したことはなかった。」とそれぞれ改める。 (17) 原判決18頁1行目の次に行を変えて次のとおり加える。 「 (なお、乙18、19によれば、O分校においても、亡Cは、道徳の授業研を担当したことがあり、いわゆる抽出方法についてもA小学校の方法に類似していることが認められる。)」(18) 原判決19頁6行目の次に行を変えて次のとおり加える。 「 (2) また、証拠(乙66)によれば、APA(アメリカ精神医学会)のDSMーIV診断基準では、2週間以上継続を基本としてその人自身が抑うつ気分の存在を、悲しみまたは、空虚感を感じていると表現すること、またはほとんど毎日の、すべて、またはほとんどすべての活動における興味、喜びの著しい減退が本人の言明、または他者の観察によって証明されることが原則であり、その 日の、すべて、またはほとんどすべての活動における興味、喜びの著しい減退が本人の言明、または他者の観察によって証明されることが原則であり、その他に体重減少(食欲減退)、不眠・睡眠過多、気力の減退・易疲労性、無価値感・罪責感、思考力や集中力の減退、死についての反復思考のうち3つが存在していることが証明されなければならないとされる。」(19) 原判決19頁7行目の「(2)」を「(3)」と改める。 (20) 原判決19頁14行目の「(3) 財団法人」を「(4) 亡Cの行動全般について専門家の見解をみると、財団法人」と改め、同20頁3行目の次に行を変えて次のとおり加える。 「 他方、P大学医学部精神神経医学研究室助教授Q(以下「Q医師」という。)は、R医師と同様に本件訴訟記録を検討した上で、その意見書など(乙66、67の1)において、結論において亡Cの自殺は公務が精神的に過重な負担となり、その結果精神疾患に罹り、正常な認識等が阻害され、自殺行為を思い止まる精神的な抑止力が阻害された結果のものであるとは認められず、公務外と判断し、R医師の見解とは正反対の結論を示している。」(21) 原判決20頁4行目から同21頁5行目を次のとおり改める。 「 (5) 前掲第3、1に掲げた証拠及びそこで認定した事実を前提に検討すると、被控訴人の主張及びR医師の見解では亡Cが抽出児の技法をもって道徳の授業計画をすすめる作業が同人の児童観、教育理念にそぐわず、同人に特別な精神的 控訴人の主張及びR医師の見解では亡Cが抽出児の技法をもって道徳の授業計画をすすめる作業が同人の児童観、教育理念にそぐわず、同人に特別な精神的負担を与えたとするが、週学習指導計画案簿(甲2)の内容からは道徳の授業について悩んでいたことはうかがわれず、周囲の教諭にも悩みをうち明けたり相談したような形跡はないこと、昭和57年10月18日から同年12月6日までの間は、週学習指導計画案簿(甲2)の備考欄に従来のような記載がないが、それ以前にも記載がない日があるうえ、これは、その間10月3日のPTA運動会、同月13日の遠足、同月16日のいもの子会、同月30日及び31日の学芸会、11月には6日のゲーム集会、20日のマラソン大会などの学校の行事が続いたこと、また11月中旬から下旬にかけて長男Kの入院による年休の取得などがその原因とも考えられること、同年12月7日からは記載がなされるようになり同月20日以降は従前のように記載がなされるようになっていること、同年10月18日の週以降にも備忘録(甲41)には記載がなされている箇所があり、その内容はそれぞれ明瞭であることからすると、亡Cにとって道徳の授業が特別な精神的な負担となっていたとまではいえないというべきである。また、同年11月4日の国語の学団研、同月12日の道徳の全校研究会も無事にこなし、 特別な精神的な負担となっていたとまではいえないというべきである。また、同年11月4日の国語の学団研、同月12日の道徳の全校研究会も無事にこなし、同年12月28日、29日の秋田市で開催された教職員組合の研究集会に泊まりがけで、レポートを用意して参加しており、昭和58年1月12、13日には年休を取得して、盛岡市で開催された日教組の教研集会に参加し、その時の話を教頭に熱っぽく語っており、同月19日には社会主義青年同盟の新年会に出席しているが、周囲の者も特におかしいと感じていないこと、同月22日には亡Cの実家である花巻に自家用車を運転して日帰りしていること、同月23日の夜には、長男Kの声を妻と電話をしている亡Cの姉に聞かせようとして、電話の脇でKに話かけたり、くすぐったりしていること、失踪当日の同月24日の出勤前に義父に坂道を滑らないよう気を付けるように声をかけていること、亡Cの遺書(乙9)には、その書体及び内容ともに乱れが認められないのであって、これらの事実によれば前記「うつ病エピソード」の各診断の基準に照らしても、うつ病エピソードにおける基本症状である当人自身が抑うつ気分の存在、悲しみまたは空虚感を感じていることを表現するか、全てまたはほとんど全ての活動における興味、喜びの著しい減退が当人の言明または他者の観察によって証明されてるとはいえ を感じていることを表現するか、全てまたはほとんど全ての活動における興味、喜びの著しい減退が当人の言明または他者の観察によって証明されてるとはいえず、亡Cが反応性うつ病を含む中等症ないし重症うつ病に罹患していたとまで断定することはできない。 もっとも、昭和57年12月2日、亡Cは、体重測定において以前から5キログラム減少した52キログラムであり、食欲も不振であったことが認められること、昭和57年10月18日から同年12月6日までの間は、週学習指導計画案簿(甲2)の備考欄に従来のような記載がないこと、昭和57年12月に疲労感を訴えていたこと、昭和58年1月20日には、被控訴人や同居の養父母が亡Cが疲れている様子であったことから病院に行くよう勧めていることなどを考慮すると、そのころ軽度のうつ病あるいは何らかの精神疾患を発症した可能性を全く否定することもできないと解するのが相当である。」(22) 原判決21頁6行目を「3 争点2(業務起因性)について」と改める。 (23) 原判決21頁14行目から同23頁10行目までを次のとおり改める。 「 (2) 公務との関連性について亡Cは1学年を初めて受け持ったものであり、1学年は高学年に比べて単元数においては少ないといえるが、他方1学年は他の学年よりも授業の準備に時間がかかることがあり、基本的な生活態度の習慣付けなどをする必 年に比べて単元数においては少ないといえるが、他方1学年は他の学年よりも授業の準備に時間がかかることがあり、基本的な生活態度の習慣付けなどをする必要がある点でそれだけ手間がかかることも否定しがたいところである。しかしながら、前記第3、1に掲げた証拠並びにそこで認定した事実によれば、A小学校における学団研究会及び全校研究会の回数につき、昭和57年度は全校研が16回、学団研が6回の合計22回が予定されていたところ、実際に行われた回数は不明であるが、釜石市内の他の小学校においても年20回程度が行われていることからすると、A小学校のみが特別多いということはできない。また、各上記各研究会の内容については、同小学校の昭和57年度の学校経営計画(甲1)によると、全校授業研は年間一人1回とし、学団研も同様とし、学団研は、全校授業研の準備も行うものとし、略案程度で、気軽に取り組んでみようとされていて、実際にも全校研でもB4サイズの用紙3枚程度の指導案を作成するものであり、指導案作成の負担についても、その教材は国語、道徳の既存の学習指導書を基礎にしているものであって、全く新しく作成しなければならないものではないこと、週学習指導計画案簿(甲2)には、亡CがA小学校における道徳教育や公開授業などについて悩んでいたことをうかがわせる記載はなく、 のではないこと、週学習指導計画案簿(甲2)には、亡CがA小学校における道徳教育や公開授業などについて悩んでいたことをうかがわせる記載はなく、同僚の教諭にもその悩みをうち明けたり相談したことは認められないこと、亡Cは、教師になって7年目であり、以前に勤務したO分校においても、亡Cは、道徳の授業研を担当したことがあり、いわゆる抽出方法についてもA小学校の方法に類似していること、指導案の作成についても全く経験のない教諭や教諭2年目の者も、臨時の講師さえも授業研究会をこなして、指導案を作成していることなどが認められるのであって、これらの事実を総合するとA小学校における亡Cの公務が特に過重であったため、これが原因となって亡Cに軽症うつ病が発症したとまで認めることはできない。」(24) 原判決23頁11行目から同24行目までを次のとおり改める。 「 (3) 公務以外の事情について前記第3、1に掲げた証拠並びにそこで認定した事実によれば、亡Cは、岩手県教職員組合に所属し、A小学校に転任前は、活発に活動したことが認められるが、A小学校に転任後は同組合釜石支部に所属し、泊まりがけで研修会に参加したりはしたものの、以前ほど活発ではなかったところ、昭和58年1月19日の社会主義青年同盟の新年会に出席し、同じ会に出席した者から、酒の席ではあったが、亡Cの のの、以前ほど活発ではなかったところ、昭和58年1月19日の社会主義青年同盟の新年会に出席し、同じ会に出席した者から、酒の席ではあったが、亡CのA小学校分会における活動について「やっぱりCさんもっと入っていかなきゃならないじゃないかな。・・・・Cさんもっと頑張ることでぎねのがなあ。」、「ずるいんじゃないか。もっと前に出なきゃ。」と言われたことが認められ、亡Cが組合活動について何らか悩みがあったのではないかとも推測され、その意味で、亡Cが軽症うつ病あるいは何らかの精神疾患を発症した可能性について、公務以外の事情による可能性も否定できない。 なお、亡Cは、A小学校に転任するに伴い、既に養子縁組をしていた被控訴人の両親とともに同居することになり、A小学校へはその同居先から自家用車で通勤していたことが認められるが、夫婦仲が悪かったとか、養親との折り合いが悪かった等の事情はなく、むしろ、被控訴人も両親も亡Cを気遣っていたことが認められるのであって、家庭内の事情が軽症うつ病等の発症可能性の心理的負荷となった事情は認められない。また、亡Cに精神障害を発病させる何らかの素因がなかったことは前記認定のとおりである。」(25) 原判決23頁25行目から同24頁24行目までを次のとおり改める。 「 (4) 亡Cは、前示のとおり、中等症ないし重症うつ病に罹患していたとはいえな 。」(25) 原判決23頁25行目から同24頁24行目までを次のとおり改める。 「 (4) 亡Cは、前示のとおり、中等症ないし重症うつ病に罹患していたとはいえないものの、軽症うつ病あるいは何らかの精神疾患を発症した可能性を全く否定することはできない。しかしながら、以上の説示に従うと、亡Cの軽症うつ病の原因が、亡Cの担当した公務が特に過重であった点にあるとまで認めることはできないというべきである。したがって、公務の過重が原因で亡Cが自殺したものであると認めることはできない。」 2 以上の次第で、被控訴人の本訴請求は理由がないから、これを棄却すべきであり、これと異なる原判決は失当として取消しを免れない。 よって、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法67条2項、61条を適用して、主文のとおり判決する。 仙台高等裁判所第三民事部裁判長裁判官喜多村治雄裁判官小林崇裁判官浦木厚利 【原審判決】平成13年2月23日判決言渡盛岡地方裁判所平成4年(行ウ)第2号公務外災害認定処分取消請求事件口頭弁論終結日平成12年11月2日 主文 1 被告が昭和63年11月22日付けでなした原告に対する公務外災害認定処分を取り消す。 2 訴訟費用は被告の負担とする。 事実及び理由 第1 請求主文と同旨第2 事案 付けでなした原告に対する公務外災害認定処分を取り消す。 2 訴訟費用は被告の負担とする。 事実及び理由 第1 請求主文と同旨第2 事案の概要本件は,原告の夫であり,岩手県釜石市立A小学校(以下「A小学校」という。)の教諭であった訴外亡Cが,昭和58年1月24日ころに自殺していたところ,同人の自殺は,小学校教諭としての公務が過重となり,その精神的緊張及び重圧によってうつ病に罹患し,自殺念慮発作から引き起こされたものであるとして,原告が被告に対し,地方公務員災害補償法に基づく公務上災害認定を請求したところ,被告が公務外災害の認定処分(以下「本件処分」という。)をしたため,同処分の取消しを求めた事案である。 1 争いのない事実(1)亡Cは,昭和51年4月に岩手県の職員として採用され,昭和57年4月からA小学校の教諭として勤務していたが,昭和58年1月24日午前7時40分ころに自宅を出た後行方が分からなくなり,同年2月6日,岩手県気仙郡 h" 町 i" j" 番地のk" の山中において,縊死の状態で発見され,検屍の結果,自殺(以下,この自殺を「本件被災」ともいう。)であると判断された。 (2)原告は,亡Cの妻であり,昭和62年8月15日,被告に対し,亡Cの本件被災について,公務災害認定を請求したところ,被告は,これを公務外災害と認定する本件処分を行い,昭和63年11月22日付けでその旨を原告に通知した。 原告は,本件処分を不服として,同年12月9日付けで地方公務員災害補償基金岩手支部審査会に審査請求をしたが,同支部審査会は,平成3年2月4日付けでこれを棄却する旨の裁決をした。 さらに 原告は,本件処分を不服として,同年12月9日付けで地方公務員災害補償基金岩手支部審査会に審査請求をしたが,同支部審査会は,平成3年2月4日付けでこれを棄却する旨の裁決をした。 さらに,原告は,同年3月20日,同裁決を不服として,地方公務員災害補償基金審査会に対し,再審査請求をしたが,同審査会は,同年12月4日付けでこれを棄却する裁決をし,同裁決書は,平成4年1月24日,原告に到達した。 2 争点1亡Cは,うつ病に罹患していたといえるのか。 (1)原告の主張ア亡Cは,A小学校の執務状況に関連して,以下の事情により,肉体的な疲労,精神的な緊張及び重圧を受けていた。 (ア)亡Cは,児童数25名程度,教員数4名の小規模校から,児童数262名,教職員数13名と比較的大規模なA小学校に転任してきて1年目であり,最も難しいといわれる第1学年児童の担任を初めて経験させられていた。 (イ)A小学校では,昭和53年度以来,道徳教育の研究を進めてきていたが,昭和55年度及び翌56年度において,釜石市教育委員会から道徳教育研究校の指定を受けていた。同小学校では,昭和57年度も道徳教育の研究を継続することとし,昭和58年2月4日には,同指定継続研究の一環として,釜石市教育長や他校の教諭らが参加する道徳授業公開研究会が予定されていたため,昭和57年4月に全校研究会や学団研究会という研究体制が組織された。学団研究会は,1ないし3学年の低学団と4ないし6学年の高学団とに分かれており,また,全校研究会は,授業研究会と資料研究会とがあり,担当教諭が指導案を作成し,資料研究会での資料の検討修正を経て,授 3学年の低学団と4ないし6学年の高学団とに分かれており,また,全校研究会は,授業研究会と資料研究会とがあり,担当教諭が指導案を作成し,資料研究会での資料の検討修正を経て,授業研究会で授業の実践をするというものであって,授業研究会の担当は,年間一人1回と決められていた。 昭和57年度には,亡 C の本件被災までの間に,全校研究会16回の予定が17回,学団研究会6回の予定が9回も行われていた。 亡Cは,同各研究会の準備に追われていただけでなく,同年11月4日の国語の授業研究会を担当したほか,同月12日の道徳の授業研究会をも担当し,年1回と決められているはずの授業研究会を2回も担当した。亡Cは,同各研究会のため,同年10月から,週学習指導計画案簿の記載量が極端に少なくなり,翌11月に入ると,帰宅後毎日午前1時まで,翌年2月の公開授業研究会の準備に追われ,週1回程度発行していた学級通信も月1回しか発行しなくなった。 (ウ)A小学校では,道徳の授業において,児童をいわゆる良い子,悪い子,普通の子の3グループに分け,各グループから抽出した児童を中心として,その問答によって授業を展開する方法(以下「A方式」という。)を採用していた。 亡Cは,小学1年生の全くあどけない児童を同3グループに分けること自体道徳的教育の原点に反するとの考えから,A方式に大きな疑問を持っていたが,転任1年目であったこと等からこれによらざるを得なかった。 (エ)A小学校の校長G(以下「G校長」という。)は,道徳教育で著名な人物であり,A方式を積極的に推進し,亡Cの授業中の教室 あったこと等からこれによらざるを得なかった。 (エ)A小学校の校長G(以下「G校長」という。)は,道徳教育で著名な人物であり,A方式を積極的に推進し,亡Cの授業中の教室に授業を見に来たりしていたほか,昭和57年12月のストに際し,教育長からの警告書を見せ,同ストへの参加を翻意するよう促すなどした。そのため,亡Cは,同校長に不信感を抱き,精神的な軋轢を生じさせていたところ,本件被災の2日前である昭和58年1月22日,同校長から,同年2月に担当する公開授業の指導案(以下「本件指導案」という。)の修正を求められたため,不本意ながらこれを修正することとした。 イ亡Cは,上記アのような過酷な環境の中において,昭和57年度の1学期から既に微熱が続く状態であったが,2学期に入ると,遠足,授業参観日などの行事に忙殺された上,上記した各授業研究会の担当としての準備もあって,深夜まで自宅で仕事をしなければならない状態であり,そのため,食欲不振となり,57キログラムあった体重も52キログラムと減少し,夜も眠れず,寝ても疲れが取れない状態となっていた。 さらに,亡Cは,冬休みに入っても,公開授業に向けた全校研究会があり,本件指導案の作成のため,自宅で午前0時,1時まで仕事をしており,昭和58年1月3日,原告に対し,「俺には正月はまだだよ。公開が終わらないうちは正月なんて来ないよ。何だかいつも背中にずっしりと重い荷物を背負って歩いてるような感じなんだよな。」などと漏らしていた。 亡Cは,同月20日から3学期が始まったのに,同月21日及び翌22日の週学習指導計画案簿には教科名しか記載せず, 物を背負って歩いてるような感じなんだよな。」などと漏らしていた。 亡Cは,同月20日から3学期が始まったのに,同月21日及び翌22日の週学習指導計画案簿には教科名しか記載せず,同日,G校長から,同月24日までに公開授業の本件指導案の修正を求められたため,同月22日及び翌23日には午前0時ころまでその作成に当たっており,翌24日の週学習指導計画案簿には全く記載していなかった。 ウ亡Cは,以上のとおり,特別の精神的負担を与えられ,昭和57年11月には過労とストレスの条件下で反応性うつ病ないし中等症うつ病エピソードに罹患し,年末年始にかけて,不眠,食欲の減退及び疲労感と共に,孤立感,無力感,感情疎隔感,喜びの喪失,公開授業への異常な集中及び固着など,同疾病の症状が進行した結果,自殺念慮発作により,自殺したものである。 (2)被告の主張アうつ病の症状(ア)うつ病とは,悲しみ,孤独,絶望,低い自己評価,責任感を特徴とする一時的な精神状態ないし慢性的な精神障害で,精神運動制止,頻回ではない焦燥,社会からの引きこもり,植物神経症状(食欲低下,不眠など)などの特徴を伴うものをいい,反応性うつ病とは,近親者の死亡などのある種の体験によって引き起こされたうつ病であり,倦怠感,頭痛,頭重,手足の異常感,肩凝り,胸内苦悶,明らかな食欲減退,体重減少(過去1ヶ月で5パーセント以上),便秘,明らかな性欲の減退,月経不順,味覚の低下,睡眠障害などの身体症状を伴うものである。 反応性うつ病に罹患した者は,自殺念慮を抱くことがあるが,必ず自殺念慮を抱くわけではない。 (イ 不順,味覚の低下,睡眠障害などの身体症状を伴うものである。 反応性うつ病に罹患した者は,自殺念慮を抱くことがあるが,必ず自殺念慮を抱くわけではない。 (イ)全ての典型的な抑うつのエピソードに共通するものとして,①抑うつ気分,②興味と喜びの喪失,③活力の減退による易疲労感の増大や活動性の減少に悩まされるということがあり,わずかに頑張ったあとでも,ひどく疲労感を感じることが普通である。この他の一般的な症状は,次のとおりである。 a 集中力と注意力の減退b 自己評価と自信の低下c 罪責感と無価値観(軽症エピソードであってもみられる)d 将来に対する希望のない悲観的な見方e 自傷あるいは自殺の観念や行為f 睡眠障害g 食欲不振(ウ)軽症うつ病の診断確定のためには,上記①ないし③のうちの少なくとも2つが存在し,aからgまでの症状の少なくとも2つが存在することが必要であり,また,中等症うつ病の確定診断のためには,同①ないし③のうちの少なくとも2つが存在し,aからgまでの症状の少なくとも3つ(4つが望ましい。)が存在することが必要であり,これらエピソード全体の最小の持続時間は約2週間である。 イ亡Cの業務内容(ア)亡CのA小学校への転任は,教諭となって7年目のことであり,職務内容にある程度習熟した後のことであるから,同小学校で1年の学級担任となったことも,特に緊張を要するほどのものとは思われない。 (イ)A小学校での全校研究会や学団研究会は,年間の授業計画に基づき,主に午後の授業のない木 で1年の学級担任となったことも,特に緊張を要するほどのものとは思われない。 (イ)A小学校での全校研究会や学団研究会は,年間の授業計画に基づき,主に午後の授業のない木曜日の勤務時間内に開催することとなっており,これら各研究会は,教諭全員が参加する共同作業であって,亡Cだけに過重な負担が掛かるものではなかった。A小学校では,亡Cが転任早々であったことを考慮し,授業研究会の担当予定を一番最後にする配慮などをしていた。 (ウ)亡Cは, 昭和57年11月12日,年1回の割当ての授業研究会である道徳の授業を行い,昭和58年2月4日,釜石市内を中心に60から70人が参加する道徳の公開授業を行う予定であった。同公開授業は,校長,教頭,教務主任,養護教諭を除く全ての教諭が担当することになっており,亡Cのみが過重な負担をしていたわけではない。 亡Cの公開授業に向けた本件指導案は,既に同年1月22日には完成しており,同指導案にG校長が修正を指示したことはない。 (エ)亡Cは,死亡当時の朝まで,自宅でも学校でも,いつもと変わらない日常生活を送っていた。 本件被災の直前に限って見ても,前々日の1月22日の土曜日には,勤務終了後,自動車を運転して妻子と共に花巻市の実家に赴き,入院中の祖母を見舞い,午後10時30分ころに帰宅している。本件被災当日も,義父に雪道で滑らないように声を掛けて送り出し,長男にも声を掛けて,午前7時40分ころに平常通り出勤している。また,亡Cには,積極的に本件指導案を作成するなど,うつ病特有の症状である仕事のミスの多発やぼんやりしている状態など,自発性の けて,午前7時40分ころに平常通り出勤している。また,亡Cには,積極的に本件指導案を作成するなど,うつ病特有の症状である仕事のミスの多発やぼんやりしている状態など,自発性の減退は全く認められていない。 ウこれらの状況からすれば,亡Cの業務がうつ病に罹患するようなものであったとはいえないし,同人がうつ病に罹患していたものと認めることもできない。 3 争点2亡Cの自殺と公務との間に業務起因性があるのか。 (1)原告の主張ア亡CのA小学校における公務の状況は,前記2(1)のとおりであり,その質,量ともに明らかに過重であった。 イ亡Cは,夫婦仲も良く,子供も元気で,円満な家庭生活を営んでおり,実父母,養父母とも健在であって,同居している養父母との関係も良く,私生活には何らの問題もなかった。また,遺伝,素質,体質,過去の生活環境にも問題がなく,精神障害の既往歴もなかったのであるから,うつ病罹患に至る個体的要因はなかった。 ウ亡Cは,うつ病の精神障害により,正常な認識,行為選択能力が阻害され,あるいは,自殺を思い止まる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺したものであって,そこに自由意思の介在は認められない。 エ労災保険法の「故意」(ア)労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)12条の2の2第1項は,「労働者が故意に負傷,疾病,障害若しくは死亡又はその直接の原因となった事故を生じさせたときは,政府は,保険給付を行わない。」と規定しているが,同規定は,当該負傷,疾病若しくは死亡がそもそも業務を原因とせず,業務と死亡の結果との間に条件関係すら存在し 生じさせたときは,政府は,保険給付を行わない。」と規定しているが,同規定は,当該負傷,疾病若しくは死亡がそもそも業務を原因とせず,業務と死亡の結果との間に条件関係すら存在しない場合に労災保険給付を行わないという当然の事理を確認的に規定しているものというべきである。 ところで,業務により,うつ病に罹患して自殺した場合には,主観的には自殺を念慮し企図して実行されるものであるが,その自殺念慮や企図は,客観的には本人の自由な選択に基づくものではなく,本人の選択を越えたうつ病の「症状」として現われるものである。したがって,自殺による死亡がうつ病に罹患した結果であると推認することができる場合には,本人に死亡の認識・認容があったとしても,それはうつ病の症状の結果であり,自らの死を主体的,理性的に「意図する」という意味での故意には当たらないと解すべきである。 よって,「うつ病等の精神障害により正常な認識,行為選択能力が著しく阻害され,あるいは,自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で」自殺したと認められる場合には,労災保険法12条の2の2第1項の「故意」には当たらないと解されるべきである。 (イ)亡Cは,前記2(1)のとおり,昭和57年11月ころにうつ病(反応性うつ病)を発症し,同うつ病の発症には業務起因性が認められるところ,同人の自殺は,うつ病の症状の支配下において必然的に引き起こされたものであるから,上記した労災保険法12条の2の2第1項の「故意」には当たらなというべきである。 オしたがって,亡Cのうつ病罹患及び自殺と同人の公務と おいて必然的に引き起こされたものであるから,上記した労災保険法12条の2の2第1項の「故意」には当たらなというべきである。 オしたがって,亡Cのうつ病罹患及び自殺と同人の公務との間には業務起因性が認められる。 (2)被告の主張ア亡CのA小学校における公務の状況は,前記2(2)のとおりであり,特に過重なものであったとはいえず,また,亡Cが昭和57年に取得した年次有給休暇は,合計12日と6時間であり,他の職員と比べて,決して少ない方ではなかった。 イ公務以外の事情仮に,亡Cの公務が過重なものであったとしても,同人には,以下のとおり,組合活動の中での人間関係や家庭関係などで心労があり,公務が精神的疾患にとって相対的に有力な原因になったとはいえない。 (ア)亡Cは,自他共に認める極めて熱心な組合活動家であり,同人にとって,組合活動は極めて重要な使命であり,時には家庭や健康よりも優先しなければならないものであって,ある意味で生き甲斐であったとさえいえる。しかしながら,釜石支部では,積極性がないと批判され,思うような組合活動ができなかったことの精神的負担は極めて大きいものと推測され,それまで打ち込んできた情熱を失い,人生における使命を見失ったと考えても決して考え過ぎではない。 (イ)義父母との同居,家庭内での育児,原告との性格の相違等,家庭内にも亡Cの精神的負担をもたらす原因となる何らかの問題のあったことが窺われる。 ウ 「労災保険法の故意」労災保険法12条の2の2第1項は,「労働者が故意に負傷,疾病,障害若しくは死亡又はその直接の原因となった 問題のあったことが窺われる。 ウ 「労災保険法の故意」労災保険法12条の2の2第1項は,「労働者が故意に負傷,疾病,障害若しくは死亡又はその直接の原因となった事故を生じさせたときは,政府は,保険給付を行わない。」と規定しており,同規定からすれば,自殺の場合,自殺を認識しない心神喪失の状態で死亡した場合にのみ,故意が認められず,相当因果関係が肯定されるというべきところ,亡Cの残した遺書の筆跡及びその内容からすれば,同人の精神状態は安定しており,正常な意識下で自殺したというべきであって,心神喪失の状態にあったとはいえない。 エ以上のとおり,亡Cは,精神疾患に罹患しておらず,かつ,心神喪失状態で自殺したものでもない(正常な意識下で自殺したものである。)から,同人の「疾病」と「死亡」との間の「相当因果関係」も到底認められない。したがって,亡Cの自殺と同人の公務との間には業務起因性が認められない。 第3 争点に対する判断 1 前記争いのない事実に証拠(甲1,2,3の1ないし8,4ないし9,23,40,41,43,46,50,乙9ないし11,証人F,同S,同D,原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば,以下の事実を認めることができる。 (1)亡Cの経歴等ア亡Cは,昭和51年3月にU大学教育学部を卒業し,岩手県の職員として採用され,教諭として,同年4月1日から,児童数約480名の宮古市立V小学校に勤務し,昭和54年4月1日から,児童数30数名のW町立X小学校O分校(以下「O分校」という。)に勤務し,昭和57年4月1日から,児童数262名の 数約480名の宮古市立V小学校に勤務し,昭和54年4月1日から,児童数30数名のW町立X小学校O分校(以下「O分校」という。)に勤務し,昭和57年4月1日から,児童数262名のA小学校に勤務した。 イ亡Cは,昭和54年2月に原告と結婚し,そのころ原告の両親と養子縁組をした。亡Cと原告との間には,昭和56年9月に長男が生まれている。また,亡Cは,A小学校への転勤に伴い,原告や長男と共に養父母である原告の両親と同居生活をするようになり,同小学校にはその同居先から通勤していた。 なお,原告は,同じ教諭として,亡Cと共に上記O分校で勤務した後,同人と一緒に転勤となり,A小学校の隣の釜石市立Y小学校に着任し,同人の本件被災当時,同校の教諭として勤務していた。 (2)亡Cの生活状況等ア亡Cは,A小学校に勤務するようになり,1年2組の担任となったほか,同校の校務として,教務部社会科担当,児童指導,児童会活動(広報),PTA厚生部,Z地区担当,学級指導を分掌することになった。 また,亡Cには,年間行事の一環として,昭和57年11月には道徳と国語の各授業研究会が,翌年2月には道徳の公開授業が,それぞれ予定されていた。 イ 1学期(ア)亡Cは,A小学校での1学期当時,初めて1年生の担任となり,担任した1年2組の児童の中には,両親の離婚問題に直面している児童(4月下旬ころから欠席が目立つようになり,10月初旬に両親の離婚とともに転校した。)や祖父母の下で養育されている児童等,家庭環境に恵まれない児童が比較的に多く,また,持ち帰りの仕事も,他に勤務した小学校当時よりも 0月初旬に両親の離婚とともに転校した。)や祖父母の下で養育されている児童等,家庭環境に恵まれない児童が比較的に多く,また,持ち帰りの仕事も,他に勤務した小学校当時よりも多かったが,学期末の忙しい時期を除き,午後11時ころまでには終わらせていた。 (イ)亡Cは,原告に対し,微熱や頭痛が続いている旨を訴えることがあり,また,校長が授業中に突然教室に入って来るので,子供たちの気が散るし,自分が監視されているようで,とても嫌だとか,「A小学校ってすごいぞ。職員室の黒板に日程が書かれて,休憩時間が取られない形で書いてあっても,それにみんな慣れているような形で動いてんだぞ。変だなって感じるのは俺だけなのかな。」などと話すこともあった。 ウ夏休み(ア)亡Cは,例年であれば夏休み中の一部をのんびりと休む時間に当てていたが,同年の夏休み中には,割当てられた各研究会の準備のためであるとして,海水浴には1回出掛けたものの,気持ちの上で余裕のある時間に当てられた日はなかった。 (イ)実姉のS(以下「S」という。)は,A" 町に居住し,亡Cとの姉弟仲も良かったところ,同年の夏休みころ,亡Cが尋ねてきて,同人との話の中で「女の校長先生って大変なんだよな。 参ったっちゃ」と話されたことがあり,また,同年のお盆に花巻市の実家で亡Cと会った際,少し痩せたと感じたため,「何たら痩せたな。」旨話したところ,「うん,今忙しい。」といわれたことがあったエ 2学期(ア)亡Cは,2学期に入ると,10月3日のPTA運動会,同月13日の遠足,同月16日の芋の子会,同月30日及び翌31日の学芸会, われたことがあったエ 2学期(ア)亡Cは,2学期に入ると,10月3日のPTA運動会,同月13日の遠足,同月16日の芋の子会,同月30日及び翌31日の学芸会,11月6日のゲーム集会,同月20日のマラソン大会と学校行事が連続し,さらに,本来一人年1回の担当である全校研究会を,同月4日には国語の,同月12日には道徳の,各授業研究会を連続して担当した。 (イ)亡Cの平成7年度の週学習指導計画案簿には,1学期から,毎日の学習指導計画案のほか,その日にあったことなどが詳細に記載されていたが,2学期に入り,同年10月ころから,毎日の学習指導計画案の記載はあるものの,その日にあったことなどの記載が全くされない日が続くようになっていた。殊に,同月18日から同年12月6日までの間は全く記載されていなかった。 (ウ)亡Cは,2学期に入ってから,連日のように自宅で午後11時ないし翌日の午前1時ころまで仕事をするようになり,同年12月に入ると,通知表作成などの学期末業務と翌年の公開授業に向けた本件指導案の作成を並行して行っていたため,深夜まで自宅で仕事をするようになっていた。 (エ)亡Cは,同年12月24日の2学期経営反省会を欠席して帰宅したため,原告が,大事な会なのに帰ってきたら変に思われるのではないかと問い質したところ,「そういう風に思われてもいい。考えてもらった方がいいんだ。」などと述べ,重ねて話し合いをすべきではないのかと問い質しても,「いや,話したって分からないから。」などと答えた。 (オ)亡Cは,食欲も減退して朝食を十分に取らなくなり,同月2日の体重測 べ,重ねて話し合いをすべきではないのかと問い質しても,「いや,話したって分からないから。」などと答えた。 (オ)亡Cは,食欲も減退して朝食を十分に取らなくなり,同月2日の体重測定では52キログラムと,以前から比べて5キログラムも減少しており,同月中旬ころ,ボーナスが出たため外食に出かけた際にも,あまり食べないなど,食欲不振は変わらなかった。 また,亡Cは,養父と毎夕食ごとにしていた晩酌もやめ,睡眠をとるために寝酒を飲むようになったが,原告に対し,「体の疲れなど,寝れば一発でとれるんだけれどもな。」などと漏らし,子供と遊びながら寝てしまうとか,入浴中に寝込んでしまうといったこともあった。 オ年末年始(ア)実姉のSは,亡Cが,同月28日から翌29日にかけて,秋田市で開催される東北B青年教職員研究集会に参加するため,釜石市から乗ってきた自動車をSの働いているA" 町の理容室に置いて行く際,亡Cの様子がお盆に会ったときに比べ,何となく疲れており,頬がこけ落ちていると感じたため,同人にその旨話したところ,「今,俺,仕事ちょっと忙しいんだ。」と言われ,また,翌日,秋田からの帰途,自動車を取りに寄った際にも,泊まって行くことを誘ったが,同人は「今,忙しいから,泊まってられないから,また来るから」などと宿泊の誘いを断り,釜石に帰って行った。 (イ)亡Cは,昭和58年1月1日,原告及び長男と共に花巻市の実家に帰省したが,1泊しかせず,翌2日には釜石市の自宅に戻り,本件指導案の作成をしていたところ,同月3日,原告の「正月も終わりだ」との言葉に対し,「俺には正月はまだだよ。公 実家に帰省したが,1泊しかせず,翌2日には釜石市の自宅に戻り,本件指導案の作成をしていたところ,同月3日,原告の「正月も終わりだ」との言葉に対し,「俺には正月はまだだよ。公開が終わらないうちは正月なんて来ないよ。何だかいつも背中にずっしりと重い荷物を背負って歩いてるような感じなんだよな。」などと漏らしていた。 実姉のSは,同月2日,花巻市の実家に行った帰途,亡Cの運転する自動車で送ってもらう車中で,同人から,「仕事も大変だし,校長先生って大変なんだよな。」などと話をされた。 (ウ)亡Cは,同月6日の全校研究会に出席し,同月11日に指導助言教諭であるL小学校のM教諭に本件指導案を提出し,その後も同指導案の修正を行っていたところ,同月中旬ころ,亡Cの大学時代の後輩でB" 中学校の教諭をしていたDから連絡を受け,勤務先が近くなったので久し振りに会おうとの誘いを受けたが,公開授業の準備を理由に同人の誘いを断り,同人に対しても,「ともかく,公開が終わらないと俺には正月がないんだよ。」などと漏らしていた。 亡Cは,そのころ,原告と宮古の小学校時代の同僚らに会いに行くことを約束していたが,本件指導案の修正をするためという理由で,同約束を断った。 カ 3学期(ア)A小学校の3学期は,同月20日に始まった。原告や養父母は,亡Cの疲労ぶりを案じて病院に行くように勧めたが,同人は,「公開が終わってから。」などとして,原告らの勧めを断った。 (イ)亡Cは,同月22日,G校長に本件指導案のことで呼び出され,その直後,F教諭が2階階段の踊り場付近で立ち尽くしている亡C ら。」などとして,原告らの勧めを断った。 (イ)亡Cは,同月22日,G校長に本件指導案のことで呼び出され,その直後,F教諭が2階階段の踊り場付近で立ち尽くしている亡Cを見掛けた。亡Cは,帰宅後,一家で花巻市の病院に入院中であった同人の祖母を見舞い,実家に1泊する予定であったところ,これを変更し,日帰りで釜石市の自宅に戻ってきたが,行き帰りの車中において,原告に「うるさい。」などと怒鳴る場面もあった。翌23日は,朝食後,すぐに自室にこもり,ほとんど1日中同指導案の検討に費やしていた。 (ウ)亡Cは,同月24日,養父に雪道が滑るから気を付けるように声を掛け,また長男にも声を掛け,普段どおり自動車で出勤するとして出掛けたが,その後行方が分からなくなり,同年2月6日,岩手県気仙郡 h"町i"j"番地のk" の山中において,縊死の状態で発見された。亡Cは,検屍の結果,自殺と判断された。 (エ)亡Cが乗っていた自動車内にあったファイルの中から発見されたファックスの原稿用紙には,同人の筆跡で,次のように記載されていた。 「C" ごめん学校の仕事にいささか疲れた,もっと楽しく生きたかった,K・・・元気に育てよ,強い子になれ! 1983,1,24 8:40」(3)A小学校の研修計画等ア A小学校においては,昭和57年度の学校経営計画が作成され,同計画の一環として道徳及び国語の研修計画が設けられた。 研修計画の研究組織としては,全校研究会,その下に推進委員会,その下に資料分析研究会,その下 経営計画が作成され,同計画の一環として道徳及び国語の研修計画が設けられた。 研修計画の研究組織としては,全校研究会,その下に推進委員会,その下に資料分析研究会,その下に学団研究会(1ないし3年生の低学団と4ないし6年生の高学団)が設けられ,同研究の体制としては,①個人研=担当者が指導案を作成する,②全体研=全校で担当者の資料分析にしたがって資料検討会を行う,③個人研=全校研で検討された資料分析をもとに担当者がさら吟味して学習指導案を作成する,④学団研=担当者の学習指導案を検討修正し,全校研の授業の準備をする,⑤授業研=授業する学団が主体になって提案し,助言者の指導の下に全員で討議し,内容を深める,という5段階により構成されていた。 イ A小学校における道徳の研修計画は,昭和53年度から道徳教育の実践に重点を置いた取組が行われていたが,昭和55年度及び翌56年度に釜石市教育委員会の指定による研究指定校となったこともあり,その研究成果を踏まえ,さらに研究を継続して推進するため,昭和57年度においても,自主研究としての公開授業をすることが決定されていた。そして,同年4月の段階で,昭和58年2月4日に公開授業を行うことが予定されており,そのために,昭和57年11月25日には資料を決定し,同年12月及び翌年1月の資料研究会,全校研究会の各検討会を経て,同月24日ころ,指導案を提出することが予定されていた。 ウ A小学校の道徳授業においては,学級内の全児童に対し,事前調査及び日常観察などから,価値意識の類型により,「a 規範意識が高く,考え方と行為が一致する。 b 考え方としては十分わかっ 小学校の道徳授業においては,学級内の全児童に対し,事前調査及び日常観察などから,価値意識の類型により,「a 規範意識が高く,考え方と行為が一致する。 b 考え方としては十分わかっているが,たてまえ的で,行為がともなわない。c 価値意識が低く,行為がともなわない。」の3グループに分け,各グループから特色のある児童を1名ずつ抽出し,同抽出児への問いかけを中心にして,同抽出児の価値意識の変容を図り,これに他の児童が関わることにより,各グループの児童個々の価値意識を高めるというものであった(A方式)。 (4)亡Cの道徳教育に対する考え方等亡Cは,「道徳は言うべきことではなく,行うべきものだ。」,「道徳は他人に命令されるものではなく,自分に命令するものだ。」という作家深代淳郎の言葉に共感していた。 また,亡Cは,原告に対し,「道徳というのは,人に言われるものじゃなくて,自分が行うものだから,授業の中でいいこと言ったといって教諭が喜ぶんじゃなくて,それが生活の中でその子に生きて働く力にならなくちゃいけない。」との道徳観を話すほどであった。 さらに,亡Cは,原告に対し,A方式について,「大変だな。A方式って言われてるけど,よく判らないな。」,「道徳的に見て,上中下と選ぶって,俺にはよく判らないな。難しいな。ランク付けをすることは,子供たちを差別することにつながると思わないか。」,「いったい,子供達の心育てるって,こういう授業でいいのかな。」などと話しつつも,「抽出児を選んでやることに疑問を感じないでやるのであれば,もっと楽にできるんだろうけど,Aの形に入っていかなければならないということが自分にはできないから大変なん などと話しつつも,「抽出児を選んでやることに疑問を感じないでやるのであれば,もっと楽にできるんだろうけど,Aの形に入っていかなければならないということが自分にはできないから大変なんだ。」などと話していた。 亡Cは,昭和57年11月12日の道徳の授業研究会の直後にも,原告に対し,「やらなければならないことがいっぱいある。」,「もう一度前年度や前々年度の分について読み返したりとか,そういうことをしていかないと俺はだめなんだな。」などと話していた。 (5)O分校当時の状況O分校では,教頭1名,教諭3名が勤務し,児童数が少ないため,1,2年生,3,4年生,5,6年生の3学級(各学級10名程度)の複式授業が行われており,亡Cは,初年度3,4年生,その後の2年間は5,6年生の担任であった。 O分校では,児童を中心とし,児童の手による学校行事が行われてきていたため,高学年を担任する教諭には全校の良きリーダーを育てることも要求されていた。亡Cは,高学年を担任し,児童会担当であったため,O分校の児童の活動を大事に受け継ぎ育てていこうとの考えから,職員会議でも児童の立場に立った発言や行動をしていた。 2 争点1(亡Cのうつ病)について(1)証拠(甲61)によれば,国際保健機関(WHO)の国際疾病分類第10版(ICDー10)F32には,「うつ病エピソード」として,以下のような記載がある。 ア軽症,中等症及び重症に共通する典型的な抑うつのエピソードでは,患者は,通常,抑うつ気分,興味と喜びの喪失,活力の減退による易疲労感の増大や活動性の減少に悩まされる。わずかに頑張った後でも,ひどく疲労を感じることが普通であり,また,他の一般的 者は,通常,抑うつ気分,興味と喜びの喪失,活力の減退による易疲労感の増大や活動性の減少に悩まされる。わずかに頑張った後でも,ひどく疲労を感じることが普通であり,また,他の一般的な症状としては,次のものがあるとされている。 a 集中力と注意力の減退b 自己評価と自信の低下c 罪責感と無価値観(軽症エピソードであってもみられる)d 将来に対する希望のない悲観的な見方e 自傷あるいは自殺の観念や行為f 睡眠障害g 食欲不振イ軽症うつ病エピソード及び中等症うつ病エピソードの各診断ガイドラインは,以下のとおりであるとされている。 (ア)軽症うつ病エピソード上記アの典型的な症状のうち少なくとも2つ,他の一般的症状のうち少なくとも2つが,診断を確定するために存在しなければならず,その程度が著しいものであってはならず,エピソード全体の最小の持続時間は約2週間である。 (イ)中等症うつ病エピソード上記アの典型的な症状のうち少なくとも2つ,他の一般的症状のうち少なくとも3つ(4つが望ましい)が,診断を確定するために存在しなければならず,いくつかの症状は著しい程度にまでなる傾向をもつが,もし全体的で広汎な症状が存在するならば,このことは必要事項ではなく,エピソード全体の最小の持続時間は約2週間である。 中等症うつ病エピソードの患者は,通常社会的,職業的あるいは家庭的な活動を続けていくのがかなり困難になるであろう。 (2)証拠(甲25,26,乙29,31,32,証人G,同H,同D,原告本人)及び弁論 ソードの患者は,通常社会的,職業的あるいは家庭的な活動を続けていくのがかなり困難になるであろう。 (2)証拠(甲25,26,乙29,31,32,証人G,同H,同D,原告本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば,亡Cには,精神疾患などの病歴はなく,近親者にもそのような病歴の者はいなかったこと,G校長や同僚教諭の亡Cに対する人物評価は,明るく,真面目,几帳面,責任感が強い,誠実,優しい,粘り強い,物静かなどというものであったこと,亡Cは,物事を綿密に徹底して行うといった性格の持主であったこと,以上の事実が認められる。 (3)財団法人E" 精神科神経科病院理事長R(以下「R医師」という。)は,本件訴訟記録を検討した上,その意見書(甲51)において,結論として,「被災職員は元来明朗で温和,誠実で忍耐強い教諭であり,児童が主人公という教育理念,学校観をもち,O分校でその教育実践を行ってきた。 A小学校への転任は,1年生の担任,自主公開授業の担当という役割と共に,整備された管理教育体制の中で業務を行うことを意味した。特に抽出児の技法をもって道徳の授業計画をすすめる作業は,被災職員にとっては彼の児童観,教育理念にそぐわないものであり,疑問と迷いを伴い,業務として遂行しなければいけないという圧力と葛藤をおこし,被災職員に特別な精神的負担を与えた。 2学期の多くの行事のあと,11月に入って,過労とストレスの条件下で明らかにうつ病の症状が発現し,年末正月にかけて公開授業案の作成の経過で反応性うつ病の症状が進展した。すなわち,不眠・食欲減退・疲労感と共に,孤立感・無力感・感情疎隔感・喜びの喪失,さらに公開授業の準備への異常な集中・固着などは,反応性 案の作成の経過で反応性うつ病の症状が進展した。すなわち,不眠・食欲減退・疲労感と共に,孤立感・無力感・感情疎隔感・喜びの喪失,さらに公開授業の準備への異常な集中・固着などは,反応性うつ病の症状であり,症状はさらに業務の負担を著しく大きなものとした。」と判断している。 (4)前記1認定事実によれば,亡Cは,少なくとも,昭和57年10月ころには,不眠,食欲減退,疲労感などを訴え,同年12月ころには,孤立感,無力感,感情疎隔感,喜びの喪失を窺わせる言動を示しているほか,A小学校における道徳教育の手法である児童を3グループに分けるA方式と自己の道徳教育に対する教育理念との乖離に悩みながらも,同小学校の一員として早くなじんでいこうという思いや教諭としての責任感から,A方式を理解し,遂行しようと努力を続け,その中で強い精神的葛藤を抱いていたことは明らかというべきであり,特に年末年始や冬休みの間,実家への帰省を1泊で切り上げたり,友人の誘いを断ったり,原告との約束を断るなどし,昭和58年2月に予定されていた道徳の公開授業に向けた準備に時間を割き,本件指導案の作成に異常なまでに集中し,固着していたことが窺えるのである。 亡Cの同状況に上記(1)ないし(3)を総合考慮すれば,亡Cは,昭和57年10月ころから翌11月ころの間に反応性うつ病を発症し,年末年始から冬休みにかけて同症状が増悪していった結果,自殺念慮発作により自殺したものと判断するのが相当である。 (5)被告は,亡Cは,うつ病に罹患しておらず,本件被災との間に因果関係はない旨主張し,T病院神経科医師兼務医学博士D" 作成の意見書(乙57・以下「D" 意見書」という。)は,これに沿 (5)被告は,亡Cは,うつ病に罹患しておらず,本件被災との間に因果関係はない旨主張し,T病院神経科医師兼務医学博士D" 作成の意見書(乙57・以下「D" 意見書」という。)は,これに沿うものである。 しかしながら,D" 意見書に対しては,これに反論を加えるR医師の補充意見書(甲52)や同医師の当法廷での証言に鑑みたとき,D" 意見書を直ちに採用することはできず,また,証拠(甲51,52,61)によれば,うつ病患者は,まず家庭生活におけるレベルでのみ変化が現れ,社会生活上は見過ごされることが多いうえ,症状の重症度は,個人的,社会的,文化的な影響により,社会的活動とは必ずしも平行しないことが認められるのであって,同事実をも考慮したとき,被告の同主張を採用することはできず,他に前記(4)の判断を左右するに足りる適切な証拠はない。 3 業務起因性について(1)地方公務員災害補償法にいう「公務上死亡した」というためには,死亡と公務との間に相当因果関係のあることが必要であるところ,死亡が精神障害に起因する場合には,客観的に見て,公務により,当該精神障害を発病させるおそれのある強度の心理的負荷が与えられ,かつ,公務以外による心理的負荷や当該職員の既往歴,性格傾向などの個体側要因により,当該精神障害が発病したとはいえない場合に,死亡と公務との間の相当因果関係が認められることになると解すべきである。 (2)公務との関連についてア証拠(甲11ないし13,66,証人E,同F)によれば,公開授業における指導案は,授業の出来不出来を左右する極めて重要なものであり,担当教諭は,その作成を始め,検討,修正にかなりの労力を注がざるを得ず,相当 ,証人E,同F)によれば,公開授業における指導案は,授業の出来不出来を左右する極めて重要なものであり,担当教諭は,その作成を始め,検討,修正にかなりの労力を注がざるを得ず,相当な負担となっていること,教諭という職業については,ストレスが多いことを調査研究した複数の論文も存在すること,以上の事実が認められ,同各事実に,前記1認定のとおり,亡Cは,O分校からA小学校への転任による執務環境の変化に伴い,その公務の内容において,前任校よりも質的・量的に負担の増加していることが窺えること,亡Cは,2学期に入り,運動会や学芸会等の学校行事が連続していた昭和57年11月には,年1回の担当と決められていた全校の授業研究会を2回,2週続けて担当したことにより,一時的に負荷が高まったものと考えられること,殊に,2学期に入ってからは,家に持ち帰った仕事を連日午後9時ころから同11時ないし翌日の午前1時ころまで行っており,同各授業研究会の準備に追われていたことが窺えること,亡Cには,O分校当時の児童を中心とした教育活動から,管理教育の側面が強いと感じていたA小学校の教育活動との間に違和感を持ち,殊に,同年11月の道徳の授業研究会及び翌年2月に予定されていた道徳の公開授業では,児童を3グループに分け,各グループから1名の児童を抽出し,同児童を中心に授業を進めるA方式に相当大きな心理的葛藤のあったことが窺えるのであって,自己の教育理念に合致しないという意味において,意に添わない公務に従事させられた面のあることは否定できないところであること,亡Cは,同小学校において,着任1年目でありながら,通常担当すべき公務に加え しないという意味において,意に添わない公務に従事させられた面のあることは否定できないところであること,亡Cは,同小学校において,着任1年目でありながら,通常担当すべき公務に加えて年間3回の授業研究会(うち1回は公開授業)をも担当することになっていたという公務の全体を併せ考慮すれば,亡Cの同公務は,客観的に見て,同人の疾病の発現,増悪の原因となるに足りる強度の心理的負荷を与えたものと認めるのが相当である。 イ被告は,亡Cの死亡と公務との間に相当因果関係がない旨主張し,その理由として,A小学校では,亡Cが転任1年目であったことを考慮し,校務分掌上過度の責任を負うことのないように配慮したこと,同小学校の1年生は,高学年に比べて児童数(亡Cが担任した1年2組は25名,4年生は42名),単元数(1年生は928教科,6年生1121教科)ともに少ないこと,亡Cは,同小学校において,1年1組担任のH教諭から助言を得られる態勢にあったことなどから,亡Cの教諭としての公務が他の教諭に比べて特に過重であったことはないとし,また,亡Cが自宅で連日仕事をしていたことを裏付ける証拠は原告の供述しかなく,原告は亡Cより早く就寝していたのであるから,その根拠が薄弱であるとする。 しかしながら,証拠(証人E,同H)によれば,1年生においては,授業の準備が他の学年より時間を要することがあること,正規の授業以外にも,授業に付いていけない子供に対する特別指導をする必要があること,基本的な生活態度の習慣付けなど特有の指導事項もあること,以上の事実が認められるのであって,同各事実によれば,1年生の担任の業務内容は,高学 に対する特別指導をする必要があること,基本的な生活態度の習慣付けなど特有の指導事項もあること,以上の事実が認められるのであって,同各事実によれば,1年生の担任の業務内容は,高学年に比べて過重性を否定することができないものであり,また,原告は,亡Cに対し,翌朝には前日の就寝時間を確認していた旨供述している上,前記1認定のとおり,亡Cの体重の減少,食欲不振,慢性的な疲労感など,これを裏付ける事実が存することに鑑みれば,原告の同供述は十分に信用するに値するものである。 被告の同主張は採用できない。 (3)公務以外の事情についてア前記2(2)認定事実によれば,亡Cには,精神的な既往歴や社会生活の適応に影響するような顕著な性格傾向等,その個体側に精神障害を発病させる何らかの要因があったことを窺わせるものはないから,公務以外に心理的負荷となり得る事情があり,これによって亡Cにうつ病が発症したということができないことは明らかである。 イ被告は,亡Cの自殺が組合活動や家族関係に起因している旨主張し,原告の供述によれば,亡CがA小学校に転任する以前,組合活動に従事していたことは認められるが,実姉のSや原告の各供述に照らしたとき,被告主張の諸事情をもって,亡Cを自殺に至らせるほどの心理的負荷であったとまで認めることはできないから,前記(1)に説示した公務による心理的負荷を超えて,うつ病の有力な原因となり得るだけの強度の心理的負荷が生じたものとは到底いえない。 被告の同主張は採用できない。 (4)労災保険法の「故意」について被告は,亡Cの自殺は,心神喪失の状態にあったとはいえないとして, 度の心理的負荷が生じたものとは到底いえない。 被告の同主張は採用できない。 (4)労災保険法の「故意」について被告は,亡Cの自殺は,心神喪失の状態にあったとはいえないとして,労災保険法12条の2の2第1項の「故意」にあたる旨主張し,その理由として,亡Cの残した遺書の内容,筆跡からすれば,同人の自殺直前の精神状態は安定しており,心神喪失の状態にあったとはいえないとする。 しかしながら,労働省の依頼に基づく精神障害等の労災認定に係る専門検討会の検討結果(甲57)をも考慮すれば,精神障害により,正常な認識や行為選択能力が著しく阻害され,あるいは,自殺行為を思い止まる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺したと認められる場合には,その状態が心神喪失に陥っているか否かにかかわらず,「故意」には該当しないものと解するのが相当であり,また,当該精神障害が一般的に強い自殺念慮を伴うものであることが知られている場合に,その精神障害に罹患している患者が自殺を図ったときには,当該精神障害により,正常な認識,行為選択能力及び抑制力が著しく阻害されていたものと推認するのが相当であるから,この場合にも上記「故意」には該当しないものと解するのが相当である。 ところで,証拠(甲57)によれば,うつ病患者の自殺率は,一般人口の自殺率と比較して36・1倍になるとの報告がされており,うつ病患者の自殺念慮,企図は同疾病の症状であることが認められるところ,前記2(4)に説示したとおり,亡Cは,昭和57年10月ころから翌11月ころにかけてうつ病に罹患し,昭和58年1月には同症状が増悪傾向にあったほか,前記1認定のとおり,発見された遺書が短 2(4)に説示したとおり,亡Cは,昭和57年10月ころから翌11月ころにかけてうつ病に罹患し,昭和58年1月には同症状が増悪傾向にあったほか,前記1認定のとおり,発見された遺書が短文の連続であったことに鑑みれば,亡Cは,本件被災当時,うつ病により,正常な認識,行為選択能力が著しく阻害され,あるいは,自殺を思い止まる精神的な抑制力が著しく阻害されていたものと推認するのが相当であり,これを左右するに足りる証拠はない。 そうすると,亡Cの自殺は,上記「故意」に該当しないものと解するのが相当であるから,被告の主張は理由がない。 4 以上のとおり,亡Cは,過重な公務により,うつ病に罹患し,その自殺念慮発作によって自殺したものというべきであるから,業務起因性を認めるのが相当である。したがって,その認定を誤った被告の本件処分は,違法であるから,取消しを免れない。 第4 結論よって,原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し,訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。 盛岡地方裁判所第2民事部

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