主文 一被告が平成七年四月二〇日付でした原告に対する国民年金遺族基礎年金及び厚生年金保険遺族厚生年金の支給裁定を取り消す旨の処分を取り消す。 二訴訟費用のうち参加によって生じた部分は補助参加人の負担とし、その余は被告の負担とする。 事実及び理由 第一請求主文同旨第二事案の概要原告は、被保険者の死亡当時に同人と法律上婚姻関係にあり、被告から、国民年金法による遺族基礎年金(以下単に「遺族基礎年金」という。)及び厚生年金保険法による遺族厚生年金(以下単に「遺族厚生年金」という。)の支給裁定を受けて右各年金を受給していた者であるが、被告から、右支給裁定を取り消す旨の処分を受けた。 本件は、原告が、右取消処分は違法であるとして、その取消しを求めている事案であるが、本訴において、被告は、原告は国民年金法三七条の二にいう「妻」又は厚生年金保険法五九条にいう「配偶者」に当たらないと主張している。 一遺族基礎年金及び遺族厚生年金の受給権者に関する法律の定め 1 遺族基礎年金国民年金法(平成五年法律第八九号による改正前のもの。以下同じ)は、被保険者又は被保険者であった者が死亡したときには、その者の妻又は子に対し、遺族基礎年金を支給するものとし(同法三七条)、右の支給を受けることができる妻又は子は、被保険者又は被保険者であった者の妻又は子であって、被保険者又は被保険者であった者の死亡の当時その者によって生計を維持し、かつ、左記の各要件に該当したものとすると定めているが(同法三七条の二第一項)、同法においては、「妻」には、婚姻の届出をしていないが事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含むものとされている(同法五条四項)。 記ア妻については、被保険者又は被保険者であった者の死亡の当時その者によって生計を維持し 出をしていないが事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含むものとされている(同法五条四項)。 記ア妻については、被保険者又は被保険者であった者の死亡の当時その者によって生計を維持し、かつ、次号に掲げる要件に該当する子と生計を同じくすること。 イ子については、一八歳未満であるか又は二〇歳未満であって障害等級に該当する障害の状態にあり、かつ、現に婚姻をしていないこと。 2 遺族厚生年金厚生年金保険法は、被保険者又は被保険者であった者が死亡したときには、その者の遺族に対し、遺族厚生年金を支給するものとし(同法五八条一項)、右の支給を受けることができる遺族は、被保険者又は被保険者であった者の配偶者、子、父母、孫又は祖父母であって、被保険者又は被保険者であった者の死亡の当時その者によって生計を維持したものとすると定めているが(同法五九条一項)、同法においては、「配偶者」には、婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含むものとされている(同法三条二項)。 二争いのない事実 1 原告とA及び補助参加人とAの婚姻関係等(一) Aは、昭和二〇年○月○日、α町(現在のα市)で出生した者であるが、昭和四三年○月○日、Bと婚姻の届出を行い、昭和五二年○月○日、同人と協議離婚した。 なお、同人らの間には、長女C(昭和四二年○月○日生)及び長男D(昭和四四年○月○日生)がある。 また、Aは、右婚姻期間中、Eとの間に、F(昭和五一年○月○日生)をもうけ、昭和五三年○月○日、認知の届出をした。 (二) Aは、右離婚直後の昭和五二年八月一七日、補助参加人と婚姻し、補助参加人との間に長男G(昭和五二年○月○日生)及び長女H(昭和五四年○月○日生)をもうけたが、昭和五五年二月二一日、補助参加人と協議離婚した。 (三) Aは、右離 八月一七日、補助参加人と婚姻し、補助参加人との間に長男G(昭和五二年○月○日生)及び長女H(昭和五四年○月○日生)をもうけたが、昭和五五年二月二一日、補助参加人と協議離婚した。 (三) Aは、右離婚直後の同月二七日、原告と婚姻し、原告との間に長男I(昭和五五年○月○日生)をもうけた。 (四) Aは、平成四年○月○日、死亡したが、右死亡時に同人と法律上の婚姻関係にあった者は原告である。 (五) Aは、右死亡時において、国民年金及び厚生年金保険の被保険者であった。 2 原告の本訴提起に至る経緯(一) 原告は、平成四年三月一六日、被告に対し、Aの妻であるとして、遺族基礎年金及び遺族厚生年金(以下これらを併せて「本件遺族年金」という。)の裁定請求をした。 (二) 一方、補助参加人も、同年五月二七日、被告に対し、Aの内縁の妻であるとして、本件遺族年金の裁定請求をした。 (三) 被告は、平成五年二月二六日、補助参加人に対し、同人は国民年金法三七条の二の定めるところの妻又は厚生年金保険法五九条に定めるところの配偶者であるとは認められないとして同人に対しては本件遺族年金を支給しない旨の処分を行い、他方、同年三月四日には、原告に対し、本件遺族年金を支給する裁定をした。 (四) 補助参加人は、同人に対する前記不支給処分を不服として、平成五年四月二七日、広島県社会保険審査官に対し、審査請求をしたが、右審査請求は、同年六月三〇日、棄却された。 (五) そこで、補助参加人は、同年八月一三日、社会保険審査会(以下「審査会」という。)に対し、再審査請求をしたところ、右審査会は、平成七年一月三一日、補助参加人の請求を認容し、前記不支給処分を取り消す旨の裁決を行った。 被告は、審査会から右裁決の通知を受けて、同年五月一一日、補助参加人に対し、本件遺族年金を支給する裁定を 、平成七年一月三一日、補助参加人の請求を認容し、前記不支給処分を取り消す旨の裁決を行った。 被告は、審査会から右裁決の通知を受けて、同年五月一一日、補助参加人に対し、本件遺族年金を支給する裁定をした。 なお、原告は、その間の平成六年二月一八日には、審査会から右補助参加人の再審査請求の手続について、社会保険審査官及び社会保険審査会法(昭和二八年八月一四日法律第二〇六号)三四条に規定する利害関係ある第三者に指定され、代理人とともに、平成六年三月二四日開催された補助参加人の再審査請求の審理に出席し、意見を陳述し、平成七年二月二日には、右裁決書謄本の送達を受けた。 (六) その後、被告は、同年四月二〇日、原告に対し、平成五年三月四日にした支給裁定を取り消す処分(以下「本件処分」という。)を行った。 (七) 原告は、平成七年七月四日、広島県社会保険審査官に対し、審査請求をしたが、同年一〇月一一日、右請求は棄却され、さらに、平成八年七月三一日、再審査請求も棄却されたため、同年一〇月二四日、本訴を提起するに至った。 三当事者双方の主張(被告の主張) 1 前記一記載の各規定によれば、原告が、Aの死亡によって、本件遺族年金の支給を受けるためには、Aの死亡当時、Aの配偶者(妻)であること(配偶者要件)、Aによって生計を維持していたこと(生計維持要件)の各要件を満たしていることが必要である。 また、国民年金法及び厚生年金保険法には、いずれも、「この法律において、「配偶者」、「夫」及び「妻」には婚姻の届出をしていないが事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含むものとする。」旨の規定がおかれているが、これらは、形式的に婚姻の届出を行った者のみを「配偶者」として本件遺族年金を支給することによって実情に即さない結果が生じることを防ぎ、被保険者の死亡によって遺族の する。」旨の規定がおかれているが、これらは、形式的に婚姻の届出を行った者のみを「配偶者」として本件遺族年金を支給することによって実情に即さない結果が生じることを防ぎ、被保険者の死亡によって遺族の生活の安定が損なわれることを防止するという遺族年金支給の趣旨を実現するための規定であると解される。 そこで、右の趣旨に鑑みれば、届出による婚姻関係にある者が同時に他の者と内縁関係にあるいわゆる重婚的内縁関係が存在する場合には、原則として、届出による婚姻関係にある者を内縁関係にある者より優先すべきであるが、届出による婚姻関係がその実体を失ったものになっている場合に限っては、重婚的内縁関係にある者が本件遺族年金を受ける配偶者に該当すると解すべきである。 右の「届出による婚姻関係がその実体を失ったものになっている場合」とは、具体的事案について個々に認定するほかなく、別居の経緯、別居期間、婚姻関係を維持する意思の有無ないし婚姻関係を修復するための努力の有無、相互の経済的依存の状況、別居後の音信、訪問等の状況、重婚的内縁関係の固定性などを総合評価することによってなされるべきである。 なお、事実上婚姻関係の解消についての合意があるとか、事実上の離婚給付を受けているなど、当事者双方の離婚に向けての積極的な意思の合致がある場合には、事実上の離婚状態にあるとの認定を行うことは容易であるとはいえようが、必ずしもこのような合意の存在を要件とすべきものとは解されない。 2(一) Aは、補助参加人との婚姻中に原告と肉体関係を持ち、原告が懐妊した後、補助参加人と離婚して原告と婚姻したものであるが、補助参加人との離婚に当たっては、夫婦としての共同生活関係の清算がなされないまま、原告との婚姻届を提出するに至ったものであり、原告とAとの届出による婚姻関係は、その当初から前 婚姻したものであるが、補助参加人との離婚に当たっては、夫婦としての共同生活関係の清算がなされないまま、原告との婚姻届を提出するに至ったものであり、原告とAとの届出による婚姻関係は、その当初から前妻である補助参加人との内縁関係が同時に存在する重婚的内縁関係であったということができる。 そして、原告との婚姻からわずか一年後には、Aは原告と別居状態となるに至っている。 (二) Aが原告と実質的に夫婦として共同生活をもったのはIの誕生前後のわずか一年程度でしかない上、その間も、Aは無断外泊を含め外泊することがたびたびあったこと、原告及びIを健康保険の被扶養者としていなかったことなどの事実からすると、そもそも原告とAとの婚姻関係は当初から薄弱なものであったといわざるを得ない。 (三) 原告とAとが同居したのは、前記のとおり約一年間の短期間であるのに対し、その後の別居期間は一〇年以上の長期に及んでいる。 (四) 右の別居期間中、対社会的にAの妻として行動していたのは補助参加人であり、Aは補助参加人及びその子らとともに生活するための新居を購入したり、同人らのために生命保険に加入するなど、補助参加人との事実上の婚姻関係は固定性の高いものであったといえる。 (五) Aは、右別居期間中の昭和五七年ころからは、Jと親密な交際をするようになってはいたが、両者は夫婦というよりは気の合う仕事仲間といった関係であって、その生活には永続性が認められず、また、両者の交際は社会的認知を受けたものとはいえないから、実質上の配偶者はやはり補助参加人というべきである。 平成四年○月○日にAが死亡した際に、喪主として葬儀を執り行い、その費用を負担したのも、補助参加人である。 (六) 原告は、Aの所在にすら関心を払わず、別居状態を解消するなど婚姻関係の修復に向けた努力を行った形 ○日にAが死亡した際に、喪主として葬儀を執り行い、その費用を負担したのも、補助参加人である。 (六) 原告は、Aの所在にすら関心を払わず、別居状態を解消するなど婚姻関係の修復に向けた努力を行った形跡は見当たらない。 また、Aの遺言書の記載によれば、Aが原告と離婚する意思を有していたことは明らかであり、Aには婚姻関係を維持ないし修復する意思が全くなかったことは明白である。 (七) Aは、継続的に原告に対し金銭的給付をしていたが、Aは、婚姻外の子をもうけたEに対しても定期的に送金を行っていたことに照らすと、原告に対する送金は、原告との間にもうけた子であるIの養育費用であるとともに、原告との婚姻関係の破綻についての有責者として原告に対する慰謝の趣旨がこめられた金銭給付であったということができ、送金の事実をもって原告との婚姻関係が実体を持っていたと評価することはできない。 3 以上の点からすると、原告とAとの婚姻関係は、離婚に向けての積極的な合意はないものの、その実体を失って形骸化し、かつその状態が固定化して回復の見込みのない状態になっていたものと評価せざるを得ず、原告は本件遺族年金の受給要件である前記の配偶者要件を具備していないというべきである。 (補助参加人の主張)1(一) 補助参加人は、Aと婚姻中、たまたま原告との浮気が発覚したので、昭和五四年一〇月ころ、思い余ってAの本心を確かめるつもりで離婚届用紙に自署しAに見せたところ、同人から離婚はしないとしてこれをはねつけられたので、半ば安心して、右届出用紙を本箱の引出しにしまっておいた。ところが、Aは、原告が懐妊したことから、将来生まれて来る子供に嫡出子たる身分を与えたいと考え、やむなく補助参加人に無断で右の離婚届出用紙を持ち出し、昭和五五年○月○日、補助参加人との離婚届を提出し、そのわずか 、原告が懐妊したことから、将来生まれて来る子供に嫡出子たる身分を与えたいと考え、やむなく補助参加人に無断で右の離婚届出用紙を持ち出し、昭和五五年○月○日、補助参加人との離婚届を提出し、そのわずか六日後の同年○月○日に原告との婚姻届を出したものである。 このように、Aと補助参加人との婚姻関係は、破綻したり、その解消について何らかの話し合いがあったというわけではない。 Aが補助参加人方に帰宅しなかったのは、原告との婚姻の届出をした当座の一、二週間だけであって、その後は帰宅するようになり、とりあえずは行ったり来たりの状態が続いたものの、一年も経過しないうちに、ほとんど補助参加人方に帰宅するようになった。 (二) 他方、原告とAとの婚姻関係は、Aが補助参加人との婚姻関係を清算しないまま開始したため、夫婦としての共同生活は希薄なものにすぎず、Aには、当初より、原告との間で夫婦としての共同生活を送ろうという意思はなかった。現に、Aは、それまで補助参加人らと暮らしていた江戸川区β所在のλハイツから、自分の背広等の衣類など身の回りの物を全く持ち出さなかった。 そして、Aは、原告が葛飾区γ所在のマンションZハイツから同区δ所在のYハイツに転居した昭和五六年三月ころには、原告と別居したと明言して、補助参加人のもとに戻った。 その後少しの間は、Aは、原告との間の子供に会ったり、原告と正式な離婚手続の話し合いをしようとしたため、一か月に一回程度原告方を訪れたことがあったが、原告と離婚の話し合いをする都度、「あいつは、離婚話になると、気が狂ったようになる、全く話にならん。」と疲れ顔で帰って来た。そして、それが次第に面倒臭くなり、もはや離婚手続に関してはなるべく当たらず触らずと、あきらめにも似た気持ちになり、結局死亡するまで、原告の籍を抜くには至らなかった にならん。」と疲れ顔で帰って来た。そして、それが次第に面倒臭くなり、もはや離婚手続に関してはなるべく当たらず触らずと、あきらめにも似た気持ちになり、結局死亡するまで、原告の籍を抜くには至らなかった。 なお、Aが原告にしていた金銭給付は、婚姻費用の分担ではなく、Iに対する養育料及び原告に対する離婚後扶養料として支払ったものである。 (三) Aは、補助参加人に対しては、離婚届出後も、右届出とは関係なしに、K家の分家として、しっかり親戚付き合いをするように言っていたのに対し、原告に対しては、同人を、岡山県α市の実家(両親、兄弟、親族)に、妻として紹介したり、親戚として交際させたりしたことはない。 (四) Aは、自分の友人、知人、あるいは得意先及び勤務先のX社に対しても、補助参加人と別れて原告と婚姻したことを正式に伝えたことはない。 また、Aは、原告の当初の住所地であるZハイツやその後の転居先であるYハイツについては、これらをA自身の住所地として人に知らせたりしたことはなく、自宅として人を招いたりしたこともなかった。 2 このように、原告とAとの婚姻関係は、離婚に向けての積極的な合意はないものの、その実体を失って形骸化し、かつその状態が固定化して回復の見込みのない状態になっていたものであり、原告は本件遺族年金の配偶者要件を具備しないというべきである。 (原告の主張) 1 婚姻関係が実態を失って形骸化し、かつその状態が固定化していたと認められるか否かの判断に際しては、①戸籍上届出のある妻と夫が事実上婚姻関係を解消することを合意した(ないしは合意の存在と同等に評価されるような事実が存在する)上で別居を繰り返していること、②夫から離婚給付としての性格を有する金銭的給付がされていること、③戸籍上届出のある妻が、夫との共同生活を伴う婚姻関係を維持しよう 等に評価されるような事実が存在する)上で別居を繰り返していること、②夫から離婚給付としての性格を有する金銭的給付がされていること、③戸籍上届出のある妻が、夫との共同生活を伴う婚姻関係を維持しようとする意思がないことの三点が要件であると解すべきである。 2(一) しかし、原告は、昭和五五年二月二七日、Aとの婚姻届出後同人が死亡するまでの間に、Aとの間で婚姻の解消、すなわち、離婚の合意はもとより、離婚について話し合いをしたことさえもなく、婚姻を解消する意思など全くなかった。 また、原告は、Aにおいても同様であると信じていた。 (二) 原告とAは、婚姻当初はもとより、その後においても、ほぼ人並の夫婦生活を過ごしていた。Aは、その会社の仕事上の付合いや出張が多く、しばしば家を留守にして外泊することもあったが、数日留守にするときは必ず原告のもとに電話連絡するなどしていたので、原告は、Aが家をあけたり外泊したりするのは、すべて会社の仕事上のことと考えていた。 もっとも、Aは、原告と婚姻後も、前妻であった補助参加人ら母子との関係を全く断ち切ったわけではなく、同人らの生活費等はAが負担し面倒をみていることは、おおむね承知していたので、右の原告方を留守にし、外泊したりしたときには、Aは、あるいはLらのもとに行っているのではないかと考えたこともあるが、あえて自ら詮索するようなことはもちろん、Aに問い質すこともなかった。 しかし、その後昭和五九年か六〇年ころから、Aは、いつとはなく原告らの住居を留守にして、他に外泊したりすることが多くなり、昭和六〇年夏ころからはそれが一層ひどくなって、ついに六〇年一〇月か一一月ころからは、一か月のうちのほとんどを外泊し、原告方に帰ってくるのは、月に三、四回ないし一、二回くらいになってきた。 原告は、そのころ、Aの口から別 が一層ひどくなって、ついに六〇年一〇月か一一月ころからは、一か月のうちのほとんどを外泊し、原告方に帰ってくるのは、月に三、四回ないし一、二回くらいになってきた。 原告は、そのころ、Aの口から別に親しく交際している女性がいるようなことを耳にし、また、原告自身の直感から、Aに新たに親しい女性ができて深い仲になっていると感じ、次いで、その女性と同棲するようになったなと推測するようになった。しかし、原告は、Aの気嫌を損ねたくなかったので、強く問い質しもせず、また、あえて離婚を求めたり、殊更に別居を求めることもなかった。 そのような状況は、Aが突然自らその生命を断つに至るまで続いたが、Aは、原告との連絡等を途絶えることはなく、死亡する二、三か月前にも夜中原告方に電話をして、ぐちを混じえた苦衷を吐露するなどしていたのであり、さらに死亡する数日前の平成三年一二月二八日ころの昼ころには、原告をε町の喫茶店に呼び出して、「正月には原告のもとには行けない。そのころには死んでこの世にいないかも知れない。」などと悲観的なことまで話題にしながら、その月分の生活費として現金二五万円を原告に手渡した。 (三) Aは、経済的にも、その死亡時まで原告ら母子を支えていた。 すなわち、家賃、光熱費等は、婚姻当初から、A名義の銀行預金振替で支払っており、昭和五七年四月、Yハイツに移った後も、同人名義で、東日本銀行θ支店に普通預金口座を設けて、その管理一切を原告に任せるとともに、同口座に毎月おおむね二〇万円を振込んで、同口座からの振替で、家賃、電気代、水道代から電話代等まで支払わせており、その振込送金は、A死亡の前月、すなわち、平成三年一二月二六日まで継続していた。 また、日々の生活費については、当初は毎月約二〇万円から二五万円くらいの金員を原告に手渡していたほか、原告 せており、その振込送金は、A死亡の前月、すなわち、平成三年一二月二六日まで継続していた。 また、日々の生活費については、当初は毎月約二〇万円から二五万円くらいの金員を原告に手渡していたほか、原告宅への帰宅の足が遠のくようになってからは、原告名義の第一勧業銀行ι支店の普通預金口座に、おおむね右同額の金員を振込入金するなどしており、その振込入金は、平成三年一一月二七日まで続いた。そして、同年一二月二八日ころには、前記のとおり、原告をε町の喫茶店に呼び出して現金二五万円を手渡している。 原告は、Aと婚姻後は、子のIが幼稚園に入園した後のしばらくの間と小学校に入学した後Iに手がかからなくなったころ、それぞれほぼ一年ぐらいパートタイマーとして勤務したことがある。しかし、その実質は暇潰し的なもので、その給金もせいぜい一か月一〇万円ぐらいであり、もとより生活費には足りるようなものではなかった。 それ以外には、原告は、Aから、離婚や別居を前提とするようなまとまった金員を受け取ったりしたことはない。 (四) このように、原告は、Aの不貞から、不本意ながら外観上別居のような生活を余儀なくされていたものの、それは、あくまでもAの身勝手な恣意に基づく一時的な特異な状態とみるべきあって、実質的には、原告とAとの間の婚姻関係は、決して破綻したわけではなく、いわんやその婚姻関係が実体を失って形骸化したとか、事実上の離婚状態にあって、それが固定化して近い将来解消される見込みのない状態に至っていたなどとは到底いえない。 なお、補助参加人は、Aとの間で共同生活を営んでいたものではなく、その共同生活者はJであるから、補助参加人がAと重婚的内縁関係にあったとはいえないし、共同生活者であったJも、Aによって生計を維持していた者ではない。 3 以上のとおり、原告は本件遺族年 のではなく、その共同生活者はJであるから、補助参加人がAと重婚的内縁関係にあったとはいえないし、共同生活者であったJも、Aによって生計を維持していた者ではない。 3 以上のとおり、原告は本件遺族年金の受給要件をいずれも具備しているのであるから、被告が行った本件処分は違法である。 四争点したがって、本件の争点は、原告が国民年金法三七条の二第一項に定める「妻」及び厚生年金保険法五九条一項に定める「配偶者」に該当するのか否かであり、具体的には、Aが死亡した平成四年一月四日当時、原告とAとの婚姻関係が、その実体を失い、形骸化し、かつ、その状態が固定化したものになっていたか否かである。 第三争点に対する判断一本件遺族年金は、被保険者が死亡した場合における遺族の生活の安定と福祉の向上を図る社会保障的性格を有する公的給付であり、前記のとおり、その受給の対象となる「配偶者」及び「妻」には、「婚姻の届出をしていないが事実上婚姻関係と同様の事情にある者」も含まれ、これらの者もその給付の対象となり得るものとされている。 そこで、右の趣旨に鑑みれば、死亡した被保険者に戸籍上の届出をした配偶者のほかに重婚的内縁関係にある者がいた場合においては、我が国では法律婚主義が採られていることからして、原則として、戸籍上の届出をした配偶者が、国民年金法三七条の二第一項所定の「妻」及び厚生年金保険法五九条所定の「配偶者」に当たるものと解すべきであるけれども、婚姻当事者の別居の有無、別居の経緯、別居期間、婚姻関係を維持する意思、修復するための努力の有無、経済的依存の状況、婚姻当事者間の音信、訪問の有無等を総合的に考慮して、戸籍上の届出をした配偶者と被保険者との婚姻関係が、その実体を失って形骸化し、かつ、その状態が固定化して近い将来解消される見込がなく、いわば事実 姻当事者間の音信、訪問の有無等を総合的に考慮して、戸籍上の届出をした配偶者と被保険者との婚姻関係が、その実体を失って形骸化し、かつ、その状態が固定化して近い将来解消される見込がなく、いわば事実上の離婚状態にあると判断されるときには、戸籍上の届出をした配偶者は、右の「妻」又は「配偶者」には該当しないと解するのが相当である。 原告は、右の事実上の離婚状態といえるためには、婚姻当事者が事実上婚姻関係を解消することを合意していること、夫から離婚給付としての性格を有する金銭的給付がされていること、戸籍上届出のある妻が、夫との共同生活を伴う婚姻関係を維持しようとする意思がないことが、絶対的要件である旨主張するが、前記の遺族年金制度の趣旨に照らせば、右の各事情は、前記の総合的判断において斟酌されるべき要素ではあるものの、不可欠の要件とまでは解されない。 二そこで、次に、原告とAとの婚姻関係がその実体を失って形骸化し、かつ、その状態が固定化して近い将来解消される見込のない状態であったか否かを検討する。 1 証拠(甲七、同一〇、同一四、同一五の二、同一八、同一九、同二〇、乙六、丙一、同一一、同一二、同一四、同一七、同二〇の一、二、同四三、証人J、証人L、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。 (一) Aは、昭和五三年当時、補助参加人、G及びH(以下「補助参加人母子」という。)とλハイツに居住していたが、昭和五三年夏ころ、原告と交際をするようになり、昭和五四年の秋ころには、新たにZハイツを借りて、原告と同居するようになった。右同居に当たって、Aは、λハイツから自分の身の回りの物や家具などは持ち出すことはなかったが、原告との同居のために、新たに、洋服ダンス、ベッド、ソファー等の家具、電気製品及び衣類など ようになった。右同居に当たって、Aは、λハイツから自分の身の回りの物や家具などは持ち出すことはなかったが、原告との同居のために、新たに、洋服ダンス、ベッド、ソファー等の家具、電気製品及び衣類などを購入した。 また、その際、原告は、Aを原告の両親や叔父に引き合わせ、実家近くの寿司屋に原告の両親と二組の叔父夫婦を招いて内輪の結婚披露宴を行った。 (二) Aは、昭和五五年二月二一日、補助参加人との協議離婚を届け出、その直後の同月二七日には、原告との婚姻の届出を行った。 (三) 右結婚直後も、Aは、時々、λハイツの補助参加人母子を訪ねることがあったが、主な生活の本拠はZハイツであり、時には、ここに勤務先の同僚を連れてきたりしたこともある。 そして、同年七月二四日、原告とAとの間にIが生まれた。 また、Aは、昭和五六年三月三〇日、原告及びI(以下「原告母子」という。)とともにYハイツに転居した。 (四) ところが、Aは、右Yハイツに転居したころから、再び補助参加人母子とλハイツで暮らすことが多くなり、右Yハイツに戻ることは少なくなって、昭和五八年四月二六日には、原告に知らせないまま、自分の住民票の住所地を、Yハイツから右λハイツに移転した。 (五) その後、Aは、昭和六〇年五月ころ、千葉県浦安市ζ所在の新築分譲住宅(以下「κ居宅」という。)を購入し、補助参加人母子とともにここに転居した。 (六) しかし、Aは、昭和六〇年ころから、Jと親密な交際をするようになり、同年一一月ころ、同人が東京都江東区η所在のマンションを購入した後は、そこに泊まることが多くなり、次第に日常生活をここで送るようになった。 また、Aは、昭和六二年四月にはJと株式会社Pを設立して、共同で事業を行うようになり、普段の行動も同人と共にすることが増えた。 (七) 右のように、Aは り、次第に日常生活をここで送るようになった。 また、Aは、昭和六二年四月にはJと株式会社Pを設立して、共同で事業を行うようになり、普段の行動も同人と共にすることが増えた。 (七) 右のように、Aは、昭和五六年四月ころ以降は、原告ら母子とは別居するようになったが、別居後も、月に一回程度は原告方を訪れ、食事をしたり、泊ってゆくことがあり、また、月に二、三度は、原告に電話して、同人ら母子の様子を確認した。 そのほか、Aは、右別居後も、何度か、原告母子を連れて、伊豆などへ旅行に出かけたり、クリスマスには都内のホテルに出かけるなどした。 原告は、右のような別居状態になってからも、Aの機嫌を損ねることをおそれて、Aの居場所を詮索したり、原告宅に戻るようにAを説得したことはなく、必要のあるときにはAの職場に電話して連絡をとることとしていた。他方、Aにおいても、離婚調停を提起するなど、積極的に原告との婚姻関係解消のための手続をとったことはなかった。 (八) ところで、原告とAが同居するようになってからの生活費はAが負担していたが、Aは、右別居後も、同居当時から原告宅の電気代、ガス代、水道代、電話代及び家賃の引き落としに利用していた東日本銀行θ支店の同人名義の普通預金口座に、毎月二〇万円程度の金員を振込入金し、また、そのほかに、毎月二五万円程度の金員を、手渡し又は銀行振込の方法で、原告に交付していた。 なお、原告は、Aが死亡する一週間前の平成三年一二月二八日にも、Aから、ε町の喫茶店に呼び出されて、そこで生活費として二五万円を受け取っている。 原告は、右のAからの金銭給付以外には、一時期パートタイマーとして働いて月一〇万円程度の収入を得たことがあったことを除けば、他に収入を得たことはなく、原告母子は、Aの死亡に至るまで、専らAからの右の金銭給付に支 Aからの金銭給付以外には、一時期パートタイマーとして働いて月一〇万円程度の収入を得たことがあったことを除けば、他に収入を得たことはなく、原告母子は、Aの死亡に至るまで、専らAからの右の金銭給付に支えられて暮らしていた。 (九) 原告は、平成四年一月四日にAが死亡した際、Aの勤務先の社員から電話でAの死亡の事実を知らされ、同日、遺体の安置されていたQ病院に行ったが、自分が喪主となって葬儀を行うものと考えてYハイツに戻り、掃除等をして葬儀を行う準備をしていた。 しかし、実際には、補助参加人が喪主となってκ居宅において葬儀が行われることとなり、原告も、右葬儀に参列した。 2 ところで、Aが平成三年一二月三〇日に作成した遺言書(甲七)には、「Mとは十年もべっきょしていますので、妻としての請求はしないように離婚して下さい。離婚調停中」との記載があり、補助参加人も、Aが原告に離婚届を送付して離婚を求めたが拒否された旨の供述をする(証人L、丙一)。 しかし、Aが原告との離婚調停を申し立てた事実は証拠上認められず、また、補助参加人の右供述については、原告がこれを強く否定している(甲一八)ことからして、本件の証拠関係の下では、別居後、Aが、原告との離婚を望んで同人に対してそのような働きかけをしていたとの事実を認めることは困難である。 また、補助参加人は、Aが原告にしていた金銭給付は、婚姻費用の分担の趣旨で支払ったものではなく、Iに対する養育料及び原告に対する離婚後扶養料として支払ったものであると主張するが、右給付の内容は、同居していた当時と大きく異なるものではなく、電気代や家賃が引き落とされる口座への振り込みとその余の金員の支払とをわざわざ分けて振り込んでいることからしても、右主張は採用できない。 さらに、補助参加人は、同人とAとの離婚届は、補助参 はなく、電気代や家賃が引き落とされる口座への振り込みとその余の金員の支払とをわざわざ分けて振り込んでいることからしても、右主張は採用できない。 さらに、補助参加人は、同人とAとの離婚届は、補助参加人の意思に基づかないままAが勝手に届け出たものであると主張するが、補助参加人が、右届出の事実を知った後、Aに対して、そのことについて抗議したり、これを是正するための法的手続をとっていないことからすれば、右主張は認め難い。 3 以上のとおり、原告とAとの婚姻関係においては、Aの死亡時まで、一〇年余りにわたる別居生活が続いたものであるが、Aは、別居後も、自らの死亡時まで、一貫して、同居していたときと同様に、原告ら母子の経済的面倒を全面的にみていただけでなく、毎月のように原告方を訪れ、時には同所に泊まってゆくなどしたほか、月に数度は電話をして原告母子の安否を確認したり、ときどき原告母子を連れて泊まりがけの旅行に出かけるなど、原告母子に対して、夫ないし父親としての一定の配慮を続けていたことが認められる。 そこで、右のような事情が認められることからすれば、原告とAの婚姻関係は、いささか特異な形態をとりながらも、Aの死亡当時においても、かろうじてその実体が保たれていたというべきであり、被告らが主張するように、婚姻関係が実体を失って形骸化し、その状態が固定化して近い将来解消される見込のない状態にまで至っていたとまでは認められない。 したがって、補助参加人又はJがAの死亡当時同人と内縁関係にあったとしても、戸籍上の届出をした配偶者である原告は、国民年金法三七条の二第一項に定める「妻」及び厚生年金保険法五九条に定める「配偶者」に該当するというべきである。 三なお、右に認定した事実からすれば、原告が、本件遺族年金を受給するに必要なその他の要件を具備している 第一項に定める「妻」及び厚生年金保険法五九条に定める「配偶者」に該当するというべきである。 三なお、右に認定した事実からすれば、原告が、本件遺族年金を受給するに必要なその他の要件を具備していることは明らかである。 第四結論以上によれば、被告が行った本件処分は違法というべきであるから、原告の本訴請求は理由がある。 よって、主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第二部裁判長裁判官市村陽典裁判官阪本勝裁判官村松秀樹
▼ クリックして全文を表示