昭和28(う)4148 示威運動取締に関する静岡県条例違反被告事件

裁判年月日・裁判所
昭和29年9月15日 東京高等裁判所 棄却
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【DRY-RUN】主    文      本件各控訴はいずれもこれを棄却する。          理    由  本件控訴の趣旨並びにこれに対する弁護人の答弁は、この判決の末尾に添附した 検事小山田覚直名義の各控訴趣意

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判決文本文7,965 文字)

主文 本件各控訴はいずれもこれを棄却する。 理由 本件控訴の趣旨並びにこれに対する弁護人の答弁は、この判決の末尾に添附した検事小山田覚直名義の各控訴趣意書竝びに弁護人大蔵敏彦名義の答弁書に記載する通りである。これに対して次のように判断する。 いわゆる示威行進その他公衆の集団的示威運動は、憲法第二十一条の保障する思想表現の自由に関する基本的人権の一種と解すべきものであるが、思想表現の自由といえども、絶対無制限のものではなく、公共の福祉に反しない限度においてのみ、これを保障せられるに過ぎないこと、従つて、地方公共団体は、その地方の公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、健康及び福祉を保持するためには、その区域内で行われる示威運動に対しても、ある程度の規制を加え得るものであることは、まことに検察官所論の通りである。けれども思想表現の自由は、わが憲法が保障する基本的人権のうちでも、最も重要なものの一つであるから、その規制は、真にやむを得ない場合に限り、しかもその規制の方法は、憲法の精神に背くことのないように、慎重になされなければならないことは、多く説明を要しないところである。 而して、現在、わが国大多数の都府県や一部の市や町において、集会、集団示威行進等について、それぞれ条例をもつて、ある程度の規制を加えていることは、当裁判所に顕著なところであるが、これ等の条例を通覧すると、各地方公共団体が、示威運動等を規制するため採用した方法は、大別して届出制と、許可制の二とすることができる。届出制とは、示威運動等の主催者に対し、運動開催の一定時間以前に、その運動の具体的内容を公安委員会に届出させようとするものであつて、公安委員会において検討の結果、その地方の公共の福祉に反するものと認めれば、その運動に対し 主催者に対し、運動開催の一定時間以前に、その運動の具体的内容を公安委員会に届出させようとするものであつて、公安委員会において検討の結果、その地方の公共の福祉に反するものと認めれば、その運動に対し制限を加えることができるという制度であるから、主催者に対し事前届出という制約を加えるとはいえ、それは、示威運動を行うについて実質上の抑制とはならない場合が多いと解し得られるから、大衆の集団運動を利用しようとする一部破壊分子活躍の懸念が絶無であるとはいえない現在の社会情勢の下にあつては、この程度の規制はやむを得ないものとして容認されなければならないものである。 次に、許可制とは、一言にしていえば、示威運動は公安委員会の許可がなければ行うことができないという趣旨のものであるが、かかる方式は示威運動に対する事前規制の方法として、果して許さるべきものであろうか。一般に、「許可」というときは、全面的禁止を前提とし、ある特定の場合に限つてその禁止を解除する意義に用いられるのが通例であるが、示威運動規制に関する条例が、もし叙上のような趣旨の下に、「許可」制を設けたとするならば、憲法において保障された重要な基本的人権を、一片の条例で、一般的に禁止はく奪するものであるから、かかることは到底許さるべきものではないのは論を俟たないところである。けれども、許可申請を受けた公安委員会は、原則として許可することが義務ずけられ、不許可の場合が極めて限定されているような場合には、名は許可と称するも、その実質は、申請に対して、示威運動を自由に行う権能を新たに附与するという趣旨ではなく、示威運動の申請に対し、公の権威を以て、その適否を確認する行為に過ぎないと解すべきものであるから、その本質に於て、さきに述べた届出制と大して差異は存しないものというべきである。従つて、その立法技術上 威運動の申請に対し、公の権威を以て、その適否を確認する行為に過ぎないと解すべきものであるから、その本質に於て、さきに述べた届出制と大して差異は存しないものというべきである。従つて、その立法技術上の巧拙は別として、いわゆる許可制を採用した条例は、総て違憲であると速断するのは早計であつて、その合憲なりや否やは、その条例の定めている、規制対象の範囲、許可手続の難易、許否決定基準の定め方等当該条例の全趣旨を勘按してこれを決定しなければならないのである。 そこで、本件で問題になつている昭和二十三年静岡県条例第七四号示威運動取締に関する条例(以下静岡県条例と略称する)をみると、同条例は、その第一条において、この条例は警察を維持する市町村の区域において行われる示威行進その他の公衆の集団的示威運動に対して公安を保持することによつて一般公衆の自由と権利を保障することを目的とする旨を明かにしたうえ、第二条で「示威運動にして道路を徒歩又は車馬をもつて行進又は占有しようとする者は、所轄の市町村の公安委員会の許可を得なければこれを行うことができない」と定めているから、事前規制の方法として、いわゆる許可制を採用していることが明らかである。従つて、その合憲なりや否やは、さきに説示したところに従い、同条例の採用した許可制の内容が、示威運動に対する事前規制の方法として、果して必要やむを得ないものであるかどうかによつて決定せらるべきものである。よつて以下順次検討してみるに、(一) 同条例は、まず規制の対象たる示威運動について、「示威運動にして道路を徒歩又は車馬をもつて行進又は占有しようとするもの」としている。換言すれば、取締の対象を、道路上における示威運動のみに限定し、その他の場所に及んでいないこと、(第一条、第二条)(二) その許可申請の手続は、主催者又は責任 は占有しようとするもの」としている。換言すれば、取締の対象を、道路上における示威運動のみに限定し、その他の場所に及んでいないこと、(第一条、第二条)(二) その許可申請の手続は、主催者又は責任者から示威運動を行う時刻の七十二時間前までに所轄の警察署を経由して当該公安委員会に書面をもつてなすべく、示威運動の行われる地域が二以上の市町村の区域にわたるときは、前項の許可申請は、主たる開催地の所轄の警察署を経由すれば足りる(第三条)とされ、その申請書記載事項も格別むずかしいことを要求しているものではない(第四条)から、その許可申請手続は、示威運動実施者に対し無理を強いているとは認められないこと(三) 公安委員会はその示威運動が公安を害する惧れがないと認める場合は許可を与えなければならない。(第五条第一項)としていること(四) もし、公安委員会が許可申請を却下した場合には、公安委員会は直ちにその旨及び理由を詳細に当該市町村議会の議長に報告しなければならない。議長はこれを次の会議において、議会に報告しなければならない。(第五条第二項)と定めているばかりでなく、(五) 「この条例は第二条に規定する示威運動を除き、公の集会を禁止もしくは制限し又は公安委員会、警察吏員若しくは地方公共団体の職員に対し、公衆の会合、政治活動、プラカード出版物その他の交書図画の監督、検閲の権限を与えるものではない」(第九条)旨を明かにして、同条例運用の万全を期していることなどを併せ考えると、本件静岡県条例は、検察官主張のように合憲としてその効力を認めるのが相当であるようにもみえるのである。 しかしながら、さきにも判示したように、思想表現の自由は憲法で保障された重要な基本的人権の一つであるから、その制限は、公共の福祉という見地から見て、真に必要かつやむを得ない うにもみえるのである。 しかしながら、さきにも判示したように、思想表現の自由は憲法で保障された重要な基本的人権の一つであるから、その制限は、公共の福祉という見地から見て、真に必要かつやむを得ないと認められる限度においてのみ容認せらるべきものであり、その制限を規定した条例の合憲なりや否やは、極めて慎重に決定されなければならないから、さらに一歩を進めて審究するに、(一) 静岡県条例が規制の対象としている示威運動の範囲は、さきにも一言したように「道路」上の示威運動に限られ、その他の公共の場所におけるものを包含していないから、一見、取締の対象たる示威運動は大いに限定されているようにみえるが、ひるがえつて考えると、それは、いやしくも道路上における示威運動である限り、一切これを包含し、特に除外例を設けていないことを注意しなければならない。換言すれば、道路上で行われる示威連動は、その性質如何を問わず一切公安委員会の許可がなければ実施することができないという趣旨であるところ、元来示威運動なるものは、道路を進行するのを常とることから考えると、その規制の対象は相当広汎にわたるものといわねばならない。検察官は、「静岡県条例は、他の条例のように、その条例自体の中に除外例を設けていないけれども、その第七条に基き、当該公安委員会の告示により除外例を設けることとし、現に静岡市公安委員会告示第九号第二条は(1)冠婚葬祭神社仏閣の例祭その他宗教的団体の行事(2)スボーツ競技その他体育運動(3)官公庁共団体によつて行われる行事(4)学校当局により実施される学生、生徒、児童の隊列(5)前各号の他示威的行動に亘らない行進及び集会は公安委員会の許可を必要としない旨を明かにしているから、同条例の規制の対象は無制限ではない。」と主張しているが、本件条例の対象は示威運動そのも 隊列(5)前各号の他示威的行動に亘らない行進及び集会は公安委員会の許可を必要としない旨を明かにしているから、同条例の規制の対象は無制限ではない。」と主張しているが、本件条例の対象は示威運動そのものであるところ、右に列挙された集会或は行進は、本件条例にいわゆる示威運動ではないから、これらは右のような規定をまつまでもなく、当然実施が自由なものであり、同条例とは全く関係のないものであることが明かである。従つて前記静岡市公安委員会告示第二条は、本件条例に関する限り、全く意味のない規定であつて、これをもつて、本条例の規制対象の範囲を限定した除外例であるとすることのできないのは勿論である。即ち、本件条例が規制しようとする示威運動は、道路上の総ての示威運動に及び、殆ど無制限であると断ぜざるを得ないのであるが、かように規制の対象が広汎であるということは、それだけ国民の示威運動に関する自由が一行政機関たる公安委員会の掌中に握られる範図が広くなることであつて、時に公共の福祉の名の下に、正当な示威運動までが禁止されるかもしれない可能性もしくは危険性が増大されることは理の当然である。 (二) 次に、静岡県条例所定の許可申請手続の当否について再検するに、さきにも明かにしたように、その許可申請手続は、比較的簡単であつて、「七十二時間前」という時間的制限も、警察当局の警備計画の立案、実施等に要する時間から考えると、またやむをえないものと認められるから、この点に関する規定は必ずしも不当とはいい難い。けれども、ここに看過できないのは、静岡県条例には、公安委員会が、その受理した許可申請に対して、いつまでに許否を決しなければならないかという点について、全然規定を欠いていることである。さきにも言及したように、ここにいわゆる「許可」は一般の行政処分のそれとは異り、一種の確認 た許可申請に対して、いつまでに許否を決しなければならないかという点について、全然規定を欠いていることである。さきにも言及したように、ここにいわゆる「許可」は一般の行政処分のそれとは異り、一種の確認行為とみるべきものであり、原則として許可が義務ずけられ、不許可は極めて例外的の場合にのみ限らるべきものであると解してこそはじめてその存在が許される性質のものであることを思えば、静岡県条例が一方に於て、その規制の対象を広く道路上の示威運動全部に及ぼして許可申請を要求しておきながら、他方に於てこれに対する公安委員会の許否決定について全然時間的拘束を設けていないのは、甚だ大きな欠陥といわねばならない。示威運動の主催者は、運動実施についてはある程度の準備瞬間を必要とすることは明白であるから、七十二時間前に公安委員会に提出した許可申請対し、同運動実施直前に許可されても、実施上実施不能に陥ることもあり得ようし、また極端な場合には、公安委員会は好ましからざる申請で、しかも不許可の理由に之しいものについては、実施予定当日までも許否を決しないで放置することさえ考えられ得るところである。例えば、かの新潟県、昭和二十四年第四号行列行進、集団示威運動に関する条例第四条は、公安委員会が許否を許すべき時限を、運動開始日時の二十四時間前までと限定し、それまでにその意思表示をしないときは、許可があつたものとして行動することができるを明白に規定しているが、静岡県条例がこの点について全然配慮を欠き、何等の規定を設けていないのは、いわゆる「許可制」の本質に関する考え方にも影響を及ぼし、同条例の合憲性を疑わしめる一つの資料となるものといわねばならない。 (三) さらに、進んで、示威運動の許否を決すべき基準の定め方の適否について検付してみるに、元来国民の基本的人権を制限しようとする 条例の合憲性を疑わしめる一つの資料となるものといわねばならない。 (三) さらに、進んで、示威運動の許否を決すべき基準の定め方の適否について検付してみるに、元来国民の基本的人権を制限しようとするいわゆる「公共の福祉」という理念は、その内容が一定せず、甚だ流動的な観念であるから、社会情勢の変化により、多少の変動を生ずることはやむを得ないが、国民の基本的人権の尊重ということは、民主政冶の基盤であるということから考えるとこれを制限しようとする「公共の福祉」という観念はなるべく厳格に解すべく、濫りにその内容を拡大してはならないのは当然である。かかる見地に立ち、現下の諸般の社会情勢を斟酌して考えると、いわゆる示威運動は、公共の福祉に反するときはこれを制限することができるが、ここに「公共の福祉に反する」とは、当該の運動の実施が、「公共にさし迫つた危険を及ぼすことが明かである」と認められる場合をいうものと解するのを相当とする。従つてこの程度に達しないもの、即ち単に漠然たる「公共に危険を及ぼす惧れ」があると思われるに過ぎないような場合においては、未だその示威運動を公共の福祉に反するものとして禁止することはできないものといわねばならない。検察官は「一部破壊的分子の煽動等により、当初から公安を害し、一般公衆に対し直接危害を及ぼす危険が合理的に判断して明かである場合においても事前にその禁止、制限をなし得ないのは不都合である。」と主張しているが、所論のような場合は、まさに「公共にさし迫つた危険を及ぼすことが明かである場合」に該当するから、公安委員会は事前に規制を加え得ることは勿論であつて、示威運動許否の基準について前叙のような見解をとつても、毫も所論のような不当の結果は発生しないのである。 然るところ、静岡県条例は、第五条第一項において、「公安委員会は示 え得ることは勿論であつて、示威運動許否の基準について前叙のような見解をとつても、毫も所論のような不当の結果は発生しないのである。 然るところ、静岡県条例は、第五条第一項において、「公安委員会は示威運動が公安害する惧れがないと認める場合は許可しなければならない」と定めているから、許否決定の基準は「公安を害する惧れ」の有無にあることが明かである。けれども「公安を害する惧れ」ということは甚だ漠然たる観念であるから、かかる事実の有無をもつて示威運動許否決定の基準とすることは、重要な基本的人権を制限する方式としてはあまりに概括的に過ぎ、原判決も指摘しているように、公安委員会の考え方によつては、本来許さるべき示威運動も許されないことになるおそれがあり、ひいては憲法上認められた思想表現の自由を不当に制限する結果を招来する危険性なしとしないのである。この点に関し他の地方公共団体の条例が、或は「公共の安寧を保持する上に直接の危険を及ぼすと明らかに認められる場合」(東京都、岩手、茨城、長野等の各県、及び弘前、神戸、福知山、宇治、広島、高松等の各市の例)、或は「公共の安全を危険ならしめるような事態をひき起すことが明瞭である場合」(愛知、石川、岐阜、三重等の各県及び、岡山、米子等の各市の例)、或は「公共の安全に差迫つた危険を及ぼすことが明かである場合」(滋賀県等及び大阪、堺、岸和田、布施、豊中、池田、吹田、泉、大洋、高槻、貝塚、守口、牧方、茨木、八尾、泉佐野、富田、林等の各市の例)、或は「公衆の生命、身体自由又は財産に対して直接の危険を及ぼすと明かに認められる場合」(京都市等の例)といずれも略々同趣旨の規定を設け不許可となるべき場合について、極めて厳格な制限を附しているのは決して故なしとはしないのである。検察官は、右に列挙した各条例の規定は、本件で問題に 」(京都市等の例)といずれも略々同趣旨の規定を設け不許可となるべき場合について、極めて厳格な制限を附しているのは決して故なしとはしないのである。検察官は、右に列挙した各条例の規定は、本件で問題になつている静岡県条例にいわゆる「公安を害する惧れある易合」というのと、修辞上の相違があるのみであつて、両者はその本質を異にするものではなく、原判決は用語の枝葉未節に把われたものであると批難しているが、単に漠然たる「公共を害する惧れ」というのと、さきに列挙した各条例の規定とは明らかにその趣旨内容を異にしているのであつて、これを目して単なる修辞上の相違に過ぎずとする所論は、まさに烏鷺同色の弁というも過言ではなく、到底これを採用することはできない。 <要旨>以上説示したところを綜合して考えると、静岡県条例は、示威運動規制の方法として、道路上で行われる示</要旨>威運動にはすべて公安委員会の許可を要求し、その許否の決定基準は漠然たる「公安を害する惧れ」の有無という点に置いて居るばかりでなく、公安委員会の許否決定については、何等時間的拘束を加えていないことが明かであつて、かくの如きは、憲法で認められた思想表現の自由を制限する方法としてはあまりに広汎かつ概括的に過ぎ、少くとも現下の社会情勢の下にあつては、公共の福祉を維持するために、必要やむを得ない限度を超えたものと断定せざるを得ず、従つて同条例がその第六条において、同第二条所定の公安委員会の許可なくして示威運動を行つたものを処罰する旨規定して居る限りにおいて、右条例は憲法に違反するものといわねばならない。検察官の援用する各高等裁判所の判決は、いずれも本件とその内容を異にする他の地方団体の条例に関するものであつて、本件には適切ではなく、その他所論に徴しても、原判決は所論のように、法令の解釈適用を誤つたと の援用する各高等裁判所の判決は、いずれも本件とその内容を異にする他の地方団体の条例に関するものであつて、本件には適切ではなく、その他所論に徴しても、原判決は所論のように、法令の解釈適用を誤つたところは認められない。 よつて検察官の本件控訴は、いずれもその理由がないものと認め、刑事訴訟法第三百九十六条に則り主文のように判決する。 (裁判長判事久礼田益喜判事武田軍治判事下関忠義)

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