昭和54(行ウ)34 障害児養育年金不支給決定取消請求事件

裁判年月日・裁判所
昭和56年11月9日 東京地方裁判所 警察関係
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【DRY-RUN】○ 主文 1 原告が昭和五二年六月一一日付けでなしたAに係る障害児養育年金の請求に対 し、被告が昭和五四年三月七日付けでなした不支給決定を取り消す。 2 訴訟費用は被告の負担とする。 ○ 事実 第一 

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判決文本文17,778 文字)

○ 主文 1 原告が昭和五二年六月一一日付けでなしたAに係る障害児養育年金の請求に対し、被告が昭和五四年三月七日付けでなした不支給決定を取り消す。 2 訴訟費用は被告の負担とする。 ○ 事実第一当事者の求めた判決一原告主文同旨二被告 1 原告の請求を棄却する。 2 訴訟費用は原告の負担とする。 第二当事者の主張一原告の請求原因 1 原告は、訴外A(昭和三六年一一月二三日生。)の父親であり、同人を養育する者である。 2 Aは、昭和三七年六月二日、東京都杉並東保健所で、予防接種法一〇条一項一号(昭和五一年法律第六九号による改正前のもの)の規定による痘そうの定期(第一期)予防接種(以下「本件種痘」という。)を受け、同月九日の検診で善感とされた。 3 Aは、本件種痘によつて、種痘後脳炎(以下「種痘後脳症」も含む意味で用いる。)を発病し、その後遺症として重度精神薄弱、脳性麻痺、てんかんの障害が残り、今なお発語がなく、両親を認知することも不可能で、食事、衣服の着脱、入浴等の日常生活につきすべて介助を必要とし、一人で対人関係をもつことは不可能であり、労働能力も皆無であつて、予防接種法一七条二号及び同法施行令六条一項別表第一に定める廃疾の状態にある(以下Aの現在の症状をまとめて「本症」という。)。 4 そこで、原告は、昭和五二年六月一一日付けで(同月一三日受理)被告に対し、予防接種法及び結核予防法の一部を改正する法律(昭和五一年法律第六九号。 以下「予防接種法等一部改正法」という。)附則三条一項、昭和五二年政令第一七号附則二条並びに予防接種法一六条一項及び一七条二号の規定に基づき、Aに係る障害児養育年金の請求をした。 ところが、被告は、本症と本件種痘との因果関係は認められないので予防接種法等一部改正法附則三条一項の認定(廃疾又は疾病が予防接 一項及び一七条二号の規定に基づき、Aに係る障害児養育年金の請求をした。 ところが、被告は、本症と本件種痘との因果関係は認められないので予防接種法等一部改正法附則三条一項の認定(廃疾又は疾病が予防接種を受けたことによるとの認定)をすることができない旨の厚生大臣の昭和五四年二月五日付けの通知に基づき、右請求について、同年三月七日付けで障害児養育年金の不支給決定(以下「本件決定」という。)をした。 5 しかしながら、Aは、本件種痘の副作用により種痘後脳炎に罹り、そのため本症が後遺症として残存したものであるから、本症と本件種痘との因果関係は明らかである。 (一) すなわち、種痘後脳炎の一般的症状としては、発熱、けいれん及び髄膜刺激症状があるが、Aの場合も右症状が発現している。 先ず、Aは、本件種痘後九日目である昭和三七年六月一〇日午後一二時ごろ急に両眼が紫色に腫れ塞がり、四〇度以上の高熱を出し、一週間位も発熱が続いた(ただし、四〇度以上の高熱は当初の二日程度である。)。ところで、Aは、本件種痘の一週間位前から目脂が出る程度の極めて軽微な結膜炎に罹つたが、平沢眼科医院で目の洗浄等の治療を受けて本件種痘時にはほとんど治癒しており、その間発熱もなく、本件種痘後も九日目までは何ら異常はなく、健康状態も良好であつたし、しかも、種痘による通常の反応熱であれば、接種後一日又は二日目位に発熱が起こるはずであるから、同人の右発熱は、種痘後脳炎によるものというべきである。 1 次に、Aは、右発熱のころ、四肢に力がなく、ぐつたりしている状態であつたが、その後間もなく、両手を強く握りしめて腕を曲げ、胸の前で固定する症状が現れた。これは、種痘後脳炎の症状であるけいれんの一種である。 更に、Aは、同月下旬ころ、足の関節等に触れられるとひどく痛がるという症状が発見され、野口医 く握りしめて腕を曲げ、胸の前で固定する症状が現れた。これは、種痘後脳炎の症状であるけいれんの一種である。 更に、Aは、同月下旬ころ、足の関節等に触れられるとひどく痛がるという症状が発見され、野口医院で治療を受けているが、これは種痘後脳炎の症状である髄膜刺激症状の一つである。 してみれば、Aは、昭和三七年六月一〇日午後一二時ころ、種痘後脳炎を発病したとみるべきである。 (二) また、出生前又は出生周辺期に原因のある脳性麻痺及び精神薄弱であるならば、初期から発育ないし運動機能の発達が遅れるはずである。ところが、Aの場合は、父原告、母Bの次男として、正常分娩により出生し、その後も、生後三か月で腹這いで首を持ち上げる動作を行うようになり、四か月で頸定(首の座ゎること)し、五か月で人見知りをするようになり、昭和三七年四月一二日及び同年五月一七日に受けた東京都杉並東保健所での検診においても全く異常が認められず、かえつて健康優良児大会の出場者に推薦したい旨の通知を受けたほどであり、本件種痘のころには、もう少しで寝返りができる状態で、あやすと声を出して笑うまでに発育していた。両親から見ても、Aの発育経過は、兄である訴外Cと比較して何の変わりもなかつた。しかるに、前記発熱後は、眼部の治療を終了した後も、ぐつたりと元気のない状態が続き、寝返りも全くできなくなり、空ろな目をして、あやしても全く笑わなくなつた。それで、Aの身体の異常を心配したBは、同年七月初旬ころ、東京都杉並東保健所を訪れて相談したが、何ら適切な回答を得ることができず、更に、同年八月二一日からは、松田小児科医院で診察を受け、一年間近くガンマロンを服用したものの、発育の停まつたままであつた。すなわち、前記発熱までは、同人の発育状態はすべて正常であり、健康状態も前記の眼疾を除き良好であつたのに、 小児科医院で診察を受け、一年間近くガンマロンを服用したものの、発育の停まつたままであつた。すなわち、前記発熱までは、同人の発育状態はすべて正常であり、健康状態も前記の眼疾を除き良好であつたのに、本件種痘後間もなくして突然重度の精神及び運動機能の発育遅滞か現われたものである。そして、その後間断なく幾多の医療機関で診療を受けてきたが、本症に至つているのである。 してみると、本症の原因としては、種痘後脳炎しか考えられないのであるから、本症と本件種痘との因果関係が認められるべきである。 (三) Aは、既に複数の医師から本症は種痘後脳炎の後遺症である旨の診断を受けている。 すなわち、Aは、昭和三八年二月一九日東京女子医科大学附属病院小児科(以下「東京女子医大小児科」という。)でD医師の検査を受けてAの発育遅滞が遺伝性のものでもポリオでもないことが判明し、昭和三九年九月二八日には、整肢療護園のE医師の診察を受けて初めて種痘後脳炎後遺症であると教えられた。その後、昭和四五年一二月一日に同園のF医師により、種痘後脳炎後遺症と診断され、更に、東京厚生年金病院及び同月一五日に東京大学医学部附属病院(以下「東大病院」という。)分院でも種痘後脳炎が原因と考えられる精神薄弱と診断された。更に、Aは、現在東京都東村山福祉園に入園中であるが、同園の医師により種痘後脳炎後遺症による精神発達遅滞、脳性麻痺及びてんかんという診断名が付与されている。以上の診断からも、本症が本件種痘に起因することは明らかである。 6 よつて、原告の請求を認容しなかつた本件決定は違法であるから、その取消しを求める。 二原告の請求原因に対する被告の認否 1 請求原因1の事実は認める。 2 同2の事実は認める。 3 同3の事実のうち、Aが種痘後脳炎を発病したことは否認し、Aが現在本症の状態にあるこ しを求める。 二原告の請求原因に対する被告の認否 1 請求原因1の事実は認める。 2 同2の事実は認める。 3 同3の事実のうち、Aが種痘後脳炎を発病したことは否認し、Aが現在本症の状態にあることは認める。 4 同4の事実は認める。 5 同5の冒頭部分は争う。 5 (一)のうち、Aが野口医院で診療を受けたことは認めるが、昭和三六年七月一〇日に発熱し、引き続きけいれん、髄膜刺激症状を発現したことは否認し、その余の事実は不知、主張の趣旨は争う。 5 (二)のうち、Aが父原告、母Bの次男として正常分娩により出生したことは認め、四か月で頸定したことは否認し、その余の事実は不知、主張の趣旨は争う。 5 (三)のうち、Aが昭和三八年二月一九日に東京女子医大小児科で診察を受けたこと、昭和三九年九月二八日に整肢療護園でE医師の診察を受けたこと、昭和四五年一二月一日に同園のF医師により、同月一五日に東大病院分院の医師により、また、現在入園中の東京都東村山福祉園の医師により、それぞれ主張のとおりの診断を受けたことは認め、その余の事実は不知、主張の趣旨は争う。 6 同6は争う。 三被告の主張予防接種法等一部改正法附則三条一項、昭和五二年政令第一七号附則二条並びに予防接種法一六条一項及び一七条二号の規定に基づきAの廃疾に関し障害児養育年金を支給するためには、右廃疾が予防接種法の規定により行われた予防接種に起因すると認められることが必要であるところ、本症は、次に述べるとおり本件種痘に起因するものとは認められないので、本件決定は適法である。 1 種痘後脳炎の一般的な発症時期(以下「好発期」という。)は、種痘後四日目から一八日目とされているところ、Aには、右期間中種痘後脳炎の症状が何ら発現していない。 すなわち、種痘後脳炎の急性期の症状は、他の感染性の脳炎と変わらない (以下「好発期」という。)は、種痘後四日目から一八日目とされているところ、Aには、右期間中種痘後脳炎の症状が何ら発現していない。 すなわち、種痘後脳炎の急性期の症状は、他の感染性の脳炎と変わらないとされ、脳炎型では、典型的には、発熱、嘔吐、頭痛、食欲不振等で始まり、意識障害、傾眠、昏睡、不穏、健忘、けいれん等の神経症状、頸部強直及びケルニツヒ症候等の髄膜刺激症状を呈し、尿閉、便秘等も伴い、麻痺もしばしば見られる。また、脳症型では、経過がしばしば電撃的であり、発熱に伴つてけいれんが頻発し、片麻痺も認められ、約半数は症状出現後一日以内に死亡する。このように、種痘後脳炎の場合は、脳炎・脳症特有の多種多様な症状が現われるのであり、更に、種痘後脳炎を疑わせる所見があつた場合には、医師は髄液検査を行うはずである。 ところが、Aは、前記好発期間にかかる昭和三七年六月一一日ないし一六日、一八日ないし二〇日、二二日及び二五日に慶応義塾大学医学部附属病院眼科(以下「慶応病院眼科」という。)に各外来受診しているところ、慶応病院眼科のAに係る診療録には、Aが前記好発期間中に発熱した旨の記載がないし、小児科等への院内紹介もなされていない。してみれば、前記好発期間中Aに発熱があつたとは考えられない。Aに本件種痘後初めて明らかな神経症状が現われたのは、本件種痘後八か月を経過してからの歩行障害であつて、その間種痘後脳炎を疑わせる諸症状は何ら認められず、髄液検査もなされていない。 以上のように、種痘後脳炎の好発期間中、Aには種痘後脳炎を疑わせる症状が何も現われておらず、Aは種痘後脳炎に罹患していないものといわざるを得ない。そして、仮に右の発熱があつたとしても、神経症状、髄膜刺激症状の発現が認められず、脳炎を疑わせる所見があつた場合には行われるはずの髄液検査も行われていな 後脳炎に罹患していないものといわざるを得ない。そして、仮に右の発熱があつたとしても、神経症状、髄膜刺激症状の発現が認められず、脳炎を疑わせる所見があつた場合には行われるはずの髄液検査も行われていないのであるから、右発熱が種痘後脳炎によるものとは考えられない。 2 本症は、種痘とは無関係な原因による脳性麻痺及び精神薄弱にてんかんを伴つたものと認められる。 すなわち、小児の脳性麻痺及び精神薄弱の原因は、種痘後脳炎以外にも、出生前の胎内感染症、子宮内無酸素症、代謝異常、脳奇形、遺伝因子等、出生周辺期の障害、出生後の外傷、各種の脳炎、髄膜炎、中毒、血管障害等多様である。これらの乳児期における診断は困難であるが、頭の固定不能、大腿の外転制限、大泉門の早期閉鎖、四肢の運動障害、精神機能の発達遅滞等が診断の手がかりになるとされている。これを本件についてみるに、正常な小児の頸定は満三か月ないし四か月であるところ、Aの場合生後九か月になつても頸定していないのであるから、Aは、本件種痘以前から既に神経機能の発達の遅れがあり、軽症ながら脳性麻痺の発症が認められるのである。その後、Aは、昭和三八年二月一九日には歩行障害を、同年七月一〇日には精神薄弱を、昭和三九年九月二八日には発語障害を、医師によりそれぞれ指摘され、昭和四三年八月にはけいれん発作を起こすなど、成長するにつれて症状が顕著となり、精神及び運動機能の発達遅延がはつきり見出されるようになつたものである。 してみると、Aの成長歴は、通常の脳性麻痺及び精神薄弱の発症の定型的な経過といえるのであつて、これを説明するのに種痘後脳炎の関与を必要としないものである。 四被告の主張に対する原告の認否 1 被告の主張1のうち、種痘後脳炎の症状として、発熱、けいれん及び髄膜刺激症状が認められること、Aが慶応病院眼科で被 に種痘後脳炎の関与を必要としないものである。 四被告の主張に対する原告の認否 1 被告の主張1のうち、種痘後脳炎の症状として、発熱、けいれん及び髄膜刺激症状が認められること、Aが慶応病院眼科で被告主張のとおり外来受診したこと、その間の診療録に発熱の記載がないことは認めるが、その余の事実は不知、主張の趣旨は争う。 2 同2のうち、昭和三八年二月一九日、同年七月一〇日、昭和三九年九月二八日に被告主張のとおりの指摘があつたこと及び昭和四三年八月にけいれん発作があつたことは認めるが、その余の事実は不知、主張の趣旨は争う。 第三証拠(省略)○ 理由一原告がA(昭和三六年一一月二三日生)を養育する父親であること、Aが昭和三七年六月二日東京都杉並東保健所で本件種痘を受けたこと、Aが現在本症(重度精神薄弱、脳性麻痺、てんかん)により廃疾の状態にあること、及び、原告がAの本症は本件種痘に起因するものであるとして被告に対し障害児養育年金の請求をしたところ、被告がAの本症と本件種痘との間には因果関係が認められないとした厚生大臣の通知に基づき右障害児養育年金を支給しない旨の本件決定をしたことについては、当事者間に争いがない。 そこで、Aの本症と本件種痘との間の因果関係について検討する。 1 成立に争いのない甲第三号証、同第四号証の一及び三、同第六号証、乙第一、第二及び第一四号証、同第一五号証の一ないし三、原本の存在及び成立に争いのない甲第一号証、同第四号証の二、同第五号証の一及び二、同第七ないし第九号証、乙第三ないし第一二号証、同第一三号証の一ないし三、証人B、同F、同G及び同Hの各証言並びに原告本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。 (一) Aは、父原告、母Bの次男として、昭和三六年一一月二三日正常分娩により出生した 同F、同G及び同Hの各証言並びに原告本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。 (一) Aは、父原告、母Bの次男として、昭和三六年一一月二三日正常分娩により出生した(この事実は当事者間に争いがない。)。母親が二九歳のときの分娩であつて、在胎月数は一〇か月であり、出血も少量で外科手術はなされず、胎児の位置も正常であつて、新生児仮死等もなかつた。出生時の体重は約三七〇〇グラムであり、新生児黄疸も普通であつた。原告とBとの間には、昭和三五年一月七日出生の長男のほか、三男と四男がおり、右三名は普通に成育した。以上のAの父母兄弟はもとより、父母の兄弟姉妹、祖父母にも運動障害、精神薄弱、脳性麻痺又はてんかんの症状を呈する者はいない。 (二) Aの本件種痘までの発育状況はほぼ正常であり、東京都杉並東保健所において昭和三七年四月一二日及び同年五月一七日に検診を、同月一二日にジフテリア・百日咳混合の予防接種を、同年六月二日に本件種痘を、同月九日に種痘後の検診を、それぞれ受けた時も特段の異常は指摘されず、右の四月一二日の検診の際は体重六七一〇グラム身長六二・二センチメートル、五月一七日の検診の際は体重七八九〇グラム身長六四・八センチメートルを示し、種痘後検診の成績も善感で、五月一七日の検診の後には、同保健所から、健康優良児大会の出場者に推薦するので検査に来るようにという通知を受けた(種痘後検診の成績は当事者間に争いがない。)。 (三) ところが、Aは、本件種痘後九日目である六月一〇日午後一二時ころになり、高熱を発し、両眼とも紫色に腫れ塞がつて目が開かない状態となり、手や足を突つぱつて身体をそらせたり、のけぞらせたりして暴れ、明け方近くまで泣き続けた。Bは、Aの両眼を水で冷やしたりしながら、一晩中介抱した。 翌一一日明け方ころ れ塞がつて目が開かない状態となり、手や足を突つぱつて身体をそらせたり、のけぞらせたりして暴れ、明け方近くまで泣き続けた。Bは、Aの両眼を水で冷やしたりしながら、一晩中介抱した。 翌一一日明け方ころには、Aはぐつたりとして静かになつたが、両眼の腫れは良くならなかつたため、Bは、朝八時ころAを平沢眼科医院へ連れて行つて治療を受けた。しかし、同医院では簡単な治療しか受けられなかつたため、心配したBは、引き続き松本眼科医院へAを連れて行き診察を受けたところ、症状が重大だから慶応病院眼科へ連れて行くよう勧められた。そこで、Bは、同日午前一一時ころAを慶応病院眼科へ連れて行き、眼部の診察を受けたが、両眼とも眼瞼が浮腫状に腫脹し、結膜のうがびまん性に腫大して、充血状態で混濁があり、左眼角膜下方の上皮が欠損している状態であり、両急性結膜炎及び左角膜糜爛と診断され、数種類の薬の点眼、注射等の治療を受け、両眼に包帯を巻いてもらい、点眼薬を渡されて帰宅した。Aの発熱は、その後約一週間続いた(ただし、相当の高熱は最初の二日間だけであつた。)。また、Aは、慶応病院眼科に同月の一二、一三、一四、一五、一六、一八、一九、二〇、二二、二五日と通院して両眼の治療を受け、同月一九日には目が開くようになり、症状が軽快したため同月二五日を最後に慶応病院眼科での治療を終えた。なお、慶応病院眼科の右治療期間中の診療録には、体温に関する記事や眼部以外についての所見は記載されておらず、他科への院内紹介等もされていない(Aが以上の日に慶応病院眼科で通院治療を受けたこと及びその診療録に発熱の記載がないことは当事者間に争いがない。)。 (四) Aは、同月一一日慶応病院眼科で眼部の治療を受けた後、ぐつたりとしたままその日はよく眠り、その後も両手をだらりとしてただおとなしく眠る日が続き、ミル 載がないことは当事者間に争いがない。)。 (四) Aは、同月一一日慶応病院眼科で眼部の治療を受けた後、ぐつたりとしたままその日はよく眠り、その後も両手をだらりとしてただおとなしく眠る日が続き、ミルクはあまりよく飲まなかつた。慶応病院眼科への通院開始後しばらくしてから、Aは、両手を固く握りしめて腕を曲げ、胸の前で固定する姿勢をとるようになり、両手を開かせにくい状態になつた。また、慶応病院眼科への通院の末期又は終了直後ころ、Aは、四肢の関節等に触れられると激しく泣き出す症状を呈し、そのころからしばらくの間野口医院に通院し、四肢関節痛ということで治療を受けたところ、右関節痛は軽快した(野口医院に通院したことは当事者間に争いがない。)。 (五) Bは、Aが慶応病院眼科で治療を終えた後も動作が鈍く不活発なので心配となり、同年八月二一日には松田小児科医院を訪ねて診察を受けた。同医院では、当初食欲不振症という病名でビタミン剤の注射を受けたが、同年九月ころ脳性小児麻痺と診断され、ガンマロンの投与を受けるようになつた。なお、同医院の同年八月二一日の診療録には「九か月になるが座らない。頭が座らない。あやせば笑う。 病的の反射はない。」旨の記載がなされている。 (六) 更に、Bは、昭和三八年二月一九日Aを東京女子医大小児科へ連れて行き、歩行障害等を訴えてD医師の診察を受け、腰椎穿刺、髄液検査及び頭部X線撮影も受けたが、脊髄性小児麻痺ではないと言われただけで原因は分からず、脚をけること、手をつくこと、つかむことのけいこをしてガンマロンの服用も続けるようにとの指示を受けた。なお、同病院の右日付の診療録には、Bの説明として「四か月の時、結膜炎で通院中に角膜に傷がつき、三九度ないし四〇度の熱が二日間続き、慶応病院で診察を受けた。けいれんはなかつた。その後物を握ろうとし 。なお、同病院の右日付の診療録には、Bの説明として「四か月の時、結膜炎で通院中に角膜に傷がつき、三九度ないし四〇度の熱が二日間続き、慶応病院で診察を受けた。けいれんはなかつた。その後物を握ろうとしない。 九か月ころよりお座りはするが、その後つかまり立ちはしない。」旨の記載がある(同日、東京女子医大小児科で診察を受けたことは当事者間に争いがない。)。 (七) また、Bは、同年四月二六日、Aが風邪のため伊藤小児科医院で治療を受けた際、G医師に対しAの発育遅延について相談した。 同医院の右日付の診療録には、Bの説明として「五か月ころ種痘と混合ワクチンを行い、左眼瞼腫脹あり、四〇度発熱、嘔吐あり、ウンウンうなつていた。その後、座りもせず、少し発育が遅れた感があつた。」旨の記載がある(同日、同医院で診察を受けたことは当事者間に争いがない。)。 (八) Aは、同年七月一〇日、日本心身障害児協会診療所の診察を受け、精神薄弱で発達年齢は満六か月半位と診断された。当時、Aは、お座りはできるものの、つかまり立ちはできず、歩行不能で発語もない状態であつた。右日付の同診療所の診療録には、Bの説明として「頭位保定期五か月」と記載されている。また、Bは、右診察の際同診療所に提出した質問用紙に「五か月の時、右目の黒いところに傷をつけて顔が腫れ、その時、種痘の熱と目の熱で四〇度の熱が一週間位続いた。 六か月のころ関節を痛がつた。」旨記載した。 (九) Aは、昭和三九年九月二九日、整肢療護園のE医師の診察を受け、脳炎後遺症と診断された。当時、Aは、頸定しており、お座り、つかまり立ちはできるものの、一人歩きはできず、上肢を余り用いようとせず、発語は全くないという状態であつた。また、同園の右日付の診療録には、Bの説明として「生後五か月で種痘をした少し後に右眼に傷を受け、四〇度位の きるものの、一人歩きはできず、上肢を余り用いようとせず、発語は全くないという状態であつた。また、同園の右日付の診療録には、Bの説明として「生後五か月で種痘をした少し後に右眼に傷を受け、四〇度位の熱が続き、ただおとなしく寝ていた。 両手は、だらりとしていたが、両下肢の方は良く分からない。這い始めは一年五か月。お座りは九か月。五か月には優良児として表彰された。」旨の記載がある(同園で診察を受けたことは当事者間に争いがない。)。 (一〇) Aは、昭和四〇年ころから、東京厚生年金病院で運動機能の訓練を受け、昭和四二年六月、同病院の指示により国立聴力言語障害センターにおいて、聴力、心理及び言語についての検査を受け、精神薄弱(重度)に伴う言語発達遅滞、運動機能は満一年三か月程度と診断された。なお、同センターから同病院への同月二日付けの報告書には、右検査の際のBの説明として「Aは、生後六か月までは正常であつたが、六か月目、種痘接種後眼病をわずらい、発熱して意識不明となつた後、著しい発達遅滞と運動障害がみられた。」旨の記載がある。 (一一) Aは、昭和四三年八月ころ、布団にうつ伏せになつているときに意識がなくなり、救急病院に運ばれ酸素吸入中にけいれんを起こしたりしたため、同年九月二四日、東大病院神経科の診察を受け、精神薄弱(重度)と診断された。なお、同病院の右日付の診療録には、右診察の際のBの説明として「Aは、六か月のとき瞳に傷を受けて紫色に腫れあがり、その後一年半位両眼ともあきめくらの状態であつた。五か月で種痘を受け、その後一週間高熱が続き昏睡状態だつた。手足がぶらんとして、眼がすわつていた。頸定は三歳、お座りは四歳、歩行は四歳一〇月である。五か月までは笑いかけもあり、家族と他人の区別もつけており、健康優良児大会の予選までいつた。」旨の記載がある。 がぶらんとして、眼がすわつていた。頸定は三歳、お座りは四歳、歩行は四歳一〇月である。五か月までは笑いかけもあり、家族と他人の区別もつけており、健康優良児大会の予選までいつた。」旨の記載がある。 (一二) 昭和四五年に入り、我が国において種痘禍事件が発生し、種痘後脳炎が社会的関心を呼ぶようになり、同年七月三一日、予防接種事故に対する応急の行政措置を実施することが閣議において了解された。原告は、同年一二月、整肢療護園F医師の同月一日付け作成に係る病名を種痘後脳炎後遺症とするAの診断書及び東大病院分院I医師の同月一五日付け作成に係る病名を種痘後脳炎による精神薄弱とするAの診断書を得、同日付けで東京都知事に対し、右閣議了解に基づく救済措置の一つである後遺症一時金の支給申請を行つたが、予防接種事故審査委員会からAの後遺症は本件種痘に起因したものとは認められない旨の意見が出され、昭和四九年五月九日付けで右支給申請を拒否された。なお、原告は、昭和四五年一二月七日付けで東京都知事に対し、「予防接種による健康障害者に対する見舞金等の支給に関する条例」に基づく障害見舞金の支給申請を行い、昭和四六年五月一一日付けで見舞金二〇〇万円の支給決定を受けた。そして、原告は、予防接種法等一部改正法の施行に伴い、昭和五二年六月一一日付けで被告に対し本件の障害児養育年金の支給申請に及んだ(この事実は当事者間に争いがない。)。 (一三) Aの本症は、非進行性の広範な脳障害によるもので、Aは、現在も重度精神薄弱、脳性麻痺、てんかんの病名で東京都東村山福祉園に入園しており、その精神年齢は九か月であり、発語、そしやく力等を欠いている。 (一四) 脳性麻痺とは、発達期の脳に生じた非進行性の病変に起因する永続的な、しかし変容し得る運動及び姿勢の異常をいい、原因としては、出生前の脳奇 齢は九か月であり、発語、そしやく力等を欠いている。 (一四) 脳性麻痺とは、発達期の脳に生じた非進行性の病変に起因する永続的な、しかし変容し得る運動及び姿勢の異常をいい、原因としては、出生前の脳奇形、胎内感染症、子宮内無酸素症、代謝異常、遺伝子病等、出生周辺期の無酸素症、異常分娩、核黄疸、脳外傷、脳出血等、出生後の各種脳炎、外傷等があり、症状は多様で、時に精神薄弱を伴うこともある。乳児期では診断が困難であるが、頸定不能、四肢の運動障害、精神機能の発達遅延等が診断の手がかりとなる。 精神薄弱の原因は、出生前の脳奇形、染色体異常、代謝異常、内分泌異常、母体内感染、遺伝子病等、出生周辺期及び出生後の無酸素症、脳出血、外傷、感染、中毒等である。最も多いのは、家族性精神薄弱であるが、この型では、身体的、生化学的又は神経学的異常は見られず、知能は魯鈍程度が多い。乳児期では診断が困難であるが、精神的及び身体的発育の遅れ、周囲への無関心等が診断の手がかりとなる。 (一五) 種痘後脳炎は、種痘によるアレルギー性の副反応を基盤として起こる脳炎又は脳症であるが、その典型的な臨床像は、脳炎の場合、発熱、嘔吐、頭痛、食欲不振などで始まり、意識障害、傾眠、昏睡、不穏、けいれん、健忘などの症状を示し、髄膜刺激症状、尿閉、便秘なども伴い、麻痺もしばしばみられる。脳症の場合は、多くは急激な経過をたどり、通常、発熱に伴つてけいれんが頻発し、片麻痺、言語障害もしばしば認められる。最も典型的な場合には、発熱、けいれん、意識障害がほぼ同時期に発生するが、種痘後脳炎の急性期の症状には症例によつて大きな差があり、けいれんや意識障害もはつきりしないことがある。種痘後脳炎の致命率は三分の一位であり、治つても、脳の不可逆的変化を生じさせることが多く、しばしば、脳性麻痺、精神薄弱、てんかん よつて大きな差があり、けいれんや意識障害もはつきりしないことがある。種痘後脳炎の致命率は三分の一位であり、治つても、脳の不可逆的変化を生じさせることが多く、しばしば、脳性麻痺、精神薄弱、てんかん等の後遺症を残すが、特に脳症型のときに重大な後遺症が残りやすい。好発期は、種痘後四日目から一八日目までである。 発熱は、一週間位続くものや、上昇と下熱を繰り返すもの等、その現われ方は症例により非常に異なる。けいれんも、両眼を上に向けて白目を出すか又は両眼を斜め上に向けて、四肢を強直させるか多少曲げて固定するか又は強直したままガクガク動かす型が典型的であるが、乳児の場合は瞬間的に息を詰めて顔色、顔付きが変わる程度で終つてしまう場合もあり、発見しにくいことが多い。更に、意識障害の程度も差が大きく、数時間の例もあれば、数日間続くこともあり得る。 2 被告は、正常な小児の頸定は満三か月ないし四か月であるところ、Aの場合、生後九か月目になつても頸定しておらず、本件種痘以前から既に発育遅滞がみられる旨主張する。 確かに、1の(五)で指摘したとおり、松田小児科医院の診療録(甲第七号証)の昭和三七年八月二一日の欄には「九か月になるが座らない。頭が座らない。」旨の記載がある。右記載は、医師が右時点でAを診察したうえで行つたものと考えられるから、もとより軽視することはできないが、「九か月になるが座らない。」との記述が先行していることからすれば、右は座位の安定に重点を置いた記載と考えられ、また、右診察時の病名「食欲不振症」からすれば、診察当時にAが衰弱状態にあつたことが推察されるのである。そして、1の(五)でみたとおり、Aは当時既に動作が鈍く不活発になつていたことをも考慮すると、右の記載のみを根拠として、Aが本件種痘前から頸定していなかつたものと認めることは相当でない れるのである。そして、1の(五)でみたとおり、Aは当時既に動作が鈍く不活発になつていたことをも考慮すると、右の記載のみを根拠として、Aが本件種痘前から頸定していなかつたものと認めることは相当でないというべきである。かえつて、1の(六)のとおり、昭和三八年二月一九日の東京女子医大小児科の診察の際には、Aは既にお座りをし、その診療録にも「九か月ころよりお座りはするが、つかまり立ちはしない。」旨のBの説明が記載されており、1の(八)のとおり、同年七月一〇日の日本心身障害児協会診療所の診療録にもBの説明として「頭位保定期五か月」と記載されていること、更に、1の(二)のとおり、昭和三七年の四月一二日、五月一二日、同月一七日、六月二日及び同月九日の東京都杉並東保健所における検診等の際何ら異常を指摘されず、体重増加も順調で、かえつて同保健所から健康優良児大会の出場者に推薦するので検査を受けるようにとの通知を受けたこと、既に一児の親である原告及びBが本件種痘以前にはAの発育遅滞について医師等に相談した形跡のないことに照らせば、Aは五か月ころには頸定していたものであり、本件種痘までの発育はほぼ正常であつたと認めるのが相当である。 3 次に、被告は、Aが昭和三七年六月一〇日午後一二時ころに発熱し、右発熱が約一週間続いたという事実はなかつた旨主張する。 確かに、Aは同月一一日から同月二五日まで慶応病院眼科で眼の治療を受けているにもかかわらず、1の(三)のとおりその診療録(乙第七号証)には発熱の記載がなく、他科への院内紹介等もなされていない。しかしながら、そのことから慶応病院眼科における右治療期間中Aに発熱の事実がなかつたと断ずるのは早計である。 すなわち、証人Bの証言から明らかなとおり、Bは同月一〇日夜半からAの眼の重篤な異常に動転し、失明することを非常に心 慶応病院眼科における右治療期間中Aに発熱の事実がなかつたと断ずるのは早計である。 すなわち、証人Bの証言から明らかなとおり、Bは同月一〇日夜半からAの眼の重篤な異常に動転し、失明することを非常に心配していたもので、種痘後には発熱することがあると思つており、Aも明方には静かになつたというのであるから、慶応病院眼科での初診の際には発熱のことについてはつきり告げなかつたということも十分あり得ること、診療したのは眼科の医師であつて他科の医師に比べれば発熱についての留意程度が低いと考えられること、同眼科ではAの疾病を両急性結膜炎、左角膜糜爛と結論づけており、原因究明のため積極的に検温した形跡のないこと、証人Fの証言によれば、種痘後脳炎による発熱の場合には一週間の発熱といつてもその間常に高温を持続するというのではなく、いつたん下熱し再度高熱になることの繰り返しが続くときもあることからすれば、慶応病院眼科の診療録に発熱の記載がないことのみをもつて発熱の事実を否定するのは相当でない。そして、1の(六)のとおり、慶応病院眼科での受診からそれほど間がない昭和三八年二月一九日の東京女子医大小児科の診療録にBの説明として「四か月の時、結膜炎で通院中に角膜に傷がつき、三九度ないし四〇度の熱が二日間続き、慶応病院で診察を受けた。」旨記載されていること、1の(七)のとおり、同年四月二六日の伊藤小児科医院の診療録にBの説明として「五か月ころ種痘と混合ワクチンを行い、左眼瞼腫脹あり、四〇度発熱、嘔吐あり、ウンウンうなつていた。」旨記載されていること、1の(八)のとおり、同年七月一〇日に日本心身障害児協会診療所に提出されたB作成の質問用紙に「五か月の時、右目の黒いところに傷をつけて顔が腫れ、その時、種痘の熱と目の熱で四〇度の熱が一週間位続いた。」旨記載されていること、 月一〇日に日本心身障害児協会診療所に提出されたB作成の質問用紙に「五か月の時、右目の黒いところに傷をつけて顔が腫れ、その時、種痘の熱と目の熱で四〇度の熱が一週間位続いた。」旨記載されていること、1の(九)のとおり、昭和三九年九月二九日の整肢療護園の診療録にBの説明として「生後五か月で種痘をした少し後に右眼に傷を受け、四〇度位の熱が続き、ただおとなしく寝ていた。」旨記載されていること、1の(一〇)のとおり、昭和四二年六月二日の国立聴力言語障害センターの報告書にBの説明として「六か月目、種痘接種後眼病をわずらい、発熱して意識不明となつた後、著しい発達遅滞と運動障害がみられた。」旨記載されていること、1の(一一)のとおり、昭和四三年九月二四日の東大病院の診療録にBの説明として「五か月で種痘を受け、その後一週間高熱が続き昏睡状態だつた。」旨記載されていること、以上のBの医師に対する説明は、種痘後脳炎が未だ社会的関心を呼ぶ前のものであり、Aの疾病を殊更種痘後脳炎に結びつけようとする意図の下になされたものではなく、Aの治療のためできるだけ記憶に忠実になされたものと考えられることに照らせば、1の(一二)のとおり、Aは昭和三七年六月一〇日午後一二時ころから一週間発熱し、最初の二日間は相当の高熱であつたと認めるのが相当である。 4 その他、1の認定を覆すに足りる証拠はない。 5 そこで、以上の認定の事実に基づいて本症の原因を考える。 (一) まず、重度精神薄弱、脳性麻痺、てんかんというAの本症につき、出生前及び出生周辺期の原因がうかがえるかを検討するに、Aの父母兄弟、父母の兄弟姉妹、祖父母にはAと同種の症状を呈する者はおらず、遺伝因子の関与をうかがうことはできない。更に、Aは、はつきりした発育異常が現れて間もないころから現在に至るまで何度も各種医療機関で 弟、父母の兄弟姉妹、祖父母にはAと同種の症状を呈する者はおらず、遺伝因子の関与をうかがうことはできない。更に、Aは、はつきりした発育異常が現れて間もないころから現在に至るまで何度も各種医療機関で診療や検査を繰り返しているにもかかわらず、医師からはその原因につき不明と言われるか、脳炎後遺症又は種痘後脳炎後遺症と言われているだけなのであるから、Aの身体には、出生前の特殊な原因を推測させるような奇型的要素はないと推認される。また、Aの出産には何らの異常も認められず、新生児仮死、重症黄疸等もなかつたのであるから、出生周辺期には脳障害を引き起こすような原因はなかつたものと推断すべきである。 ところで、小児神経学を専門とする医師である証人Fは、出生前又は出生周辺期に原因のある精神薄弱・脳性麻痺の発症の仕方について、「脳性麻痺では最初から運動機能の発育の遅れがあり、精神薄弱も、脳性麻痺ほどではないが、初期から運動・精神機能の発育が遅れることが多い。また、進行性の原因がある特別な場合を除き、成長後に重度の症状が存在する場合には脳障害も重度なのであるから、一般的には最初からその発症の仕方も強かつたはずである。そして、乳児期における診断が一般に困難であるにしても、満五か月ごろには運動・精神機能の発育の遅れがかなりはつきりする。」旨証言している。Aの場合も、非進行性の広範な脳障害が存し、極めて重症の精神薄弱・脳性麻痺等として発現しているのであるから、それが出生前又は出生周辺期の原因によるものであれば、遅くとも本件種痘のころには運動・精神機能の発育の遅れや四肢の運動障害等が発現していたはずである。しかるところ、前叙のとおり、Aは、昭和三七年六月九日までの東京都杉並東保健所における数次にわたる検診において何ら異常を指摘されることなく、健康優良児大会の出場候補 障害等が発現していたはずである。しかるところ、前叙のとおり、Aは、昭和三七年六月九日までの東京都杉並東保健所における数次にわたる検診において何ら異常を指摘されることなく、健康優良児大会の出場候補にもなつたくらいで、本件種痘前の発育はほぼ正常であつたと考えられ、本症の発現を認めることができないのである。したがつて、出生前又は出生周辺期に本症の原因があつたとは考えにくいといわなければならない。 (二) ところが、Aは、前叙のとおり、本件種痘のすぐ後に顕著な発育遅滞を示し始め、昭和三七年九月ころには松田小児科病院において脳性小児麻痺と診断されるに至るのである。 そこで、本件種痘後において種痘後脳炎の急性期の症状が現われているかを検討するに、Aは同年六月二日に本件種痘を受け、同月一〇日午後一二時ごろ発熱し、約一週間発熱状態が続いているのであるが、右の時期は種痘後脳炎の通常の好発期に当たり、発熱は種痘後脳炎の急性期の典型的症状の一つであるから、右発熱は種痘後脳炎による可能性が強いといえるのである。更に、1の(四)のとおり、Aは右の発熱のすぐ後に野口医院において四肢関節痛の病名で治療を受けているが、証人Fの証言によると、右は種痘後脳炎の急性期の症状の一である髄膜刺激症状とみることが可能である。種痘後脳炎の急性期のその他の典型的症状であるけいれん、意識障害については、Aに発生したか否か明らかでないが、幼児の場合発見しにくいことが多いことを考えると、その発生を否定することはできず、ミルクをあまり飲まず、ぐつたり眠つていることが多かつたことからすれば、意識障害が発生したとみる余地はあり、少なくとも傾眠は肯認できると考えられる。更に、食欲不振が発生していることは、1の(五)で指摘した同年八月二一日の松田小児科医院の食欲不振症の診断で明らかであり、嘔吐につ 発生したとみる余地はあり、少なくとも傾眠は肯認できると考えられる。更に、食欲不振が発生していることは、1の(五)で指摘した同年八月二一日の松田小児科医院の食欲不振症の診断で明らかであり、嘔吐についても、1の(七)で指摘した昭和三八年四月二六日の伊藤小児科医院の診療録に記載された「嘔吐あり」とのBの説明により発生を疑えるのである。もともと、種痘後脳炎の急性期の症状には症例によりかなりの差があり、発熱、けいれん、意識障害等が常に同時期に発生するとは限らないのであつて、Aの場合、けいれん、意識障害の発生が必ずしも明らかでなく、典型的な種痘後脳炎とはいえないまでも、右のように種痘後脳炎の好発期に発熱があり、引き続き髄膜刺激症状とみれる症状が現われ、傾眠、食欲不振も発症していることからすれば、種痘後脳炎を罹患した可能性が極めて強いというべきである。 一方、本件種痘以外には、出生から右のとおり松田小児科医院で初めて脳性小児麻痺と診断されるまでの間において、Aが本症の原因となるべき各種脳炎、外傷、その他の疾病に罹患したことをうかがわせる証拠は何ら存しないのである。 (三) 以上のとおり、Aの本症につき出生前及び出生周辺期の原因をうかがうことができないこと、本件種痘までのAの発育はほぼ正常であつたこと、ところが本件種痘のすぐ後に発育遅滞を示し始め脳性小児麻痺と診断されるに至つたが、出生から右診断までの間において、本件種痘以外に本症の原因となるべき疾病の罹患を認めることができないこと、そして、種痘後脳炎の好発期において、Aは発熱し、引き続と髄膜刺激症状、食欲不振、傾眠の症状を呈しており、これらは種痘後脳炎の急性期の症状の一つであることを総合し、かつ、前掲甲第四号証の一及び二並びに証人Fの証言に照らせば、Aの本症は本件種痘に起因するものと認めるのが相当で 、傾眠の症状を呈しており、これらは種痘後脳炎の急性期の症状の一つであることを総合し、かつ、前掲甲第四号証の一及び二並びに証人Fの証言に照らせば、Aの本症は本件種痘に起因するものと認めるのが相当である。 二したがつて、Aの本症と本件種痘との因果関係が認められないので予防接種法等一部改正法附則三条一項の認定をすることができないとした昭和五四年二月五日付け厚生大臣通知は、判断を誤まつたものというべきである(厚生大臣の右判断は公衆衛生審議会の意見を聴いたうえで行われるものであるところ、証人Hの証言によれば、本件の審査に当たつた同審議会の予防接種健康被害認定部会の中の特別委員会では、原告から提出された給付請求書に添村されていた慶応病院眼科の診療録にAの発熱、けいれん、その他の神経症状の記載がないことを主たる根拠として前記因果関係を否定すべきものと判定したことが認められるが、右診療録の記載のみで発熱等の事実を否定できないことは前認定のとおりである。)。そうすると、右通知に基づいて行われた本件決定も違法といわざるを得ず、本件決定の取消しを求める原告の本訴請求は理由がある。 三よつて、原告の請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。 (裁判官佐藤繁泉徳治菅野博之)

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