平成11(行ウ)274等 休業補償給付不支給処分取消等(千葉労基署長休業補償給付等不支給処分取消)

裁判年月日・裁判所
平成15年9月24日 東京地方裁判所
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判決文本文46,490 文字)

主文 1 原告の請求をいずれも棄却する。 2 訴訟費用は原告の負担とする。 事実及び理由 第1 請求 1 甲事件(1) 被告千葉労働基準監督署長(以下「被告署長」という。)が,原告に対して平成3年9月12日付け,同年10月11日付け,平成4年1月14日付けでした労働者災害補償保険法による各休業補償給付を支給しない旨の各処分をいずれも取り消す。 (2) 被告労働保険審査会(以下「被告審査会」という。)が,原告に対して平成11年9月2日付けでした再審査請求を棄却する旨の裁決を取り消す。 2 乙事件(1) 被告署長が,原告に対して平成12年10月2日付けでした労働者災害補償保険法による障害補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。 (2) 被告審査会が,原告に対して平成14年10月3日付けでした再審査請求を棄却する旨の裁決を取り消す。 第2 事案の概要甲事件は,原告が,三井石油化学工業株式会社(以下「会社」という。)に雇用され,千葉高分子研究所の所長代理として勤務中,単純ヘルペス脳炎に罹患し休業したことが業務に起因するものである旨主張して,労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づき,被告署長に対し休業補償の給付を3回申し立てたが,いずれも支給しない旨の各処分(以下「本件休業補償不支給処分」という。)を受け,これらについて千葉労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが棄却され,さらに被告審査会に対し再審査請求をしたが,再審査請求を棄却する旨の裁決(以下「本件休業補償裁決」という。)を受けたため,本件休業補償不支給処分及び本件休業補償裁決の各取消しを求めたものである。 乙事件は,原告が,上記単純ヘルペス脳炎治癒後に障害が残存したことが業務に起因するものである旨主張して,労災保険法に基づき,被告署長に対し障害補償の給 件休業補償裁決の各取消しを求めたものである。 乙事件は,原告が,上記単純ヘルペス脳炎治癒後に障害が残存したことが業務に起因するものである旨主張して,労災保険法に基づき,被告署長に対し障害補償の給付を申し立てたが,これを支給しない旨の処分(以下「本件障害補償不支給処分」という。)を受け,これについて千葉労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが棄却され,さらに被告審査会に対し再審査請求をしたが,再審査請求を棄却する旨の裁決(以下「本件障害補償裁決」という。)を受けたため,本件障害補償不支給処分及び本件障害補償裁決の各取消しを求めたものである。 1 争いのない事実等(掲記した証拠により容易に認定できる事実を含む。)(1) 原告の地位原告(昭和○年○月○日生)は,昭和37年4月1日に会社に雇用され,昭和62年6月26日以降千葉高分子研究所(千葉県市原市所在。昭和62年6月24日組織改正前は「ポリマー応用研究所(千葉)」であるが,以下では,便宜上これも合わせて「千葉高分子研究所」,又は,単に「研究所」ということがある。)の所長代理の地位にあった(甲69)。 (2) 発症経過原告は,昭和63年1月8日,体調不良を理由に午後4時ころ早退し,午後6時ないし6時30分ころ帰宅した。その後,αクリニックを受診し,同クリニックの指示で,同日,津田沼中央病院へ入院した。原告は,単純ヘルペス脳炎に罹患しており,その療養のため休業した(以下これを「本件発症」という。)。なお,発症当時の年齢は49歳であった。 上記疾患により,原告には症状固定後,高度の健忘症により記銘力及び記憶再生能力の障害が高度であり,失語,視野障害の合併があり,またてんかん性脳波も生じる後遺障害,「ヘルペス脳炎後健忘症」が残存した(乙19の45,46丁)。 (3) 本件各処分の経緯ア 銘力及び記憶再生能力の障害が高度であり,失語,視野障害の合併があり,またてんかん性脳波も生じる後遺障害,「ヘルペス脳炎後健忘症」が残存した(乙19の45,46丁)。 (3) 本件各処分の経緯ア甲事件関係原告は,本件発症が業務に起因するものであるとして,平成元年3月27日(昭和63年1月9日ないし同年5月18日分),平成3年10月8日(同年7月1日ないし平成3年10月3日分)及び平成4年1月6日(平成3年10月4日ないし同月15日分),被告署長に対し,労災保険法に基づき休業補償給付の支給を請求したが,順次平成3年9月12日付け,同年10月11日付け,平成4年1月14日付けで本件休業補償不支給処分を受けた。 原告は,本件休業補償不支給処分を不服として,平成3年10月31日付け,同年11月19日付け,平成4年1月30日付けで,千葉労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたところ,同審査官は,3件を併合して審査の上,平成9年3月13日付けで審査請求を棄却する旨の決定をした。さらに,原告は,同年5月13日,同決定につき,被告審査会に対して再審査請求をしたところ,被告審査会は,平成11年9月3日付けで再審査請求を棄却する旨の本件休業補償裁決をし,同裁決書は同月17日原告に送達された。 原告は,同年12月10日,甲事件の訴えを提起した。 イ乙事件関係(甲133,134)原告は,本件発症が業務に起因するものであり,その治癒後に障害が残存した旨主張して,被告署長に対し,平成12年5月9日,労災保険法に基づき障害補償給付の支給を請求したが,平成12年10月2日付けでこれを支給しない旨の本件障害補償不支給処分を受けた。 原告は,本件障害補償不支給処分を不服として,千葉労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが,平成13年1月18日付けで同審査請 2日付けでこれを支給しない旨の本件障害補償不支給処分を受けた。 原告は,本件障害補償不支給処分を不服として,千葉労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが,平成13年1月18日付けで同審査請求を棄却する旨の決定を受け,さらに被告審査会に対し再審査請求をしたが,平成14年10月3日付けで再審査請求を棄却する旨の本件障害補償裁決がなされた。原告は,同年10月29日,乙事件の訴えを提起した。 2 争点(1) 本件発症の業務起因性(2) 本件各裁決固有の瑕疵 3 当事者の主張の骨子(1) 争点(1)(本件発症の業務起因性)について(原告の主張)原告が従事した労働は,同人の免疫機能を単純ヘルペス脳炎(以下,これを「HSV脳炎」といい,その原因となる単純ヘルペスウイルスを「HSV」という。)を発症させるに足るだけ低下させる過重労働であり,もって,HSV脳炎に罹患したものであるから,本件疾病は業務上のものである。 ア業務起因性の判断基準労災保険法にいう「業務上」の傷病とは,業務と疾病との間に合理的な関連性が認められることである(第1次的主張,合理的関連性説)。仮に相当因果関係が必要であるとしても,その判断基準は,業務が他の原因とともに共働原因であると認められれば足り(第2次的主張,共働原因説),または当該疾病の発症,病状の増悪の原因が複数存在する場合,業務が,その自然的経過を超えて発症させ病状を増悪させた場合には相当因果関係を肯定すべきである(第3次ページ(1)的主張,自然的経過超過発症増悪説)。仮にそうではないとしても,経験則・科学的知見に照らし,その傷病が当該業務に内在又は随伴する危険が現実化したと評価し得れば相当因果関係を肯定するのが相当であり,基礎疾患等を自然の経過を超えて有意に増悪させたと認められる場合には,その増悪は当該業務に し,その傷病が当該業務に内在又は随伴する危険が現実化したと評価し得れば相当因果関係を肯定するのが相当であり,基礎疾患等を自然の経過を超えて有意に増悪させたと認められる場合には,その増悪は当該業務に内在又は随伴する危険が現実化したものとして業務との相当因果関係を肯定するのが相当である(第4次的主張)。 イ過労・ストレスとHSV脳炎発症の関係以下の関係があることは医学的な知見に反しないから,過重労働とHSV脳炎発症との間には因果関係がある。 (ア) 過重労働によるストレスが免疫機能を低下させる場合がある。 (イ) 免疫機能の低下がHSV再活性化の原因となりうる。 (ウ) HSV再活性化がHSV脳炎発症の原因となりうる。 以上(ア)ないし(ウ)を否定する(よく分からないという意見ではない)意見は,証拠上は皆無である。 労働による過重ストレスにより,免疫機能が低下することがあることは,現時点では,確立された医学的知見である。 ウ本件発症は業務起因性を有すること(ア) 原告の過重労働の内容a 労働時間その具体的内容は別紙1「P11987年10月就労状況ないし1988年1月就労状況」(以下「就労状況表」という。)記載のとおりであり,その集計結果は別紙2「P1労働時間概括」記載のとおりである。 その認定根拠は,次のとおりである。 (a) 休日勤務原告は管理職であり,休日出勤をしても休日出勤手当が支給されるわけではなく,休日出勤をした場合でも基本的には勤務表(乙9)に出勤の記載をしない。休日出勤をした旨を記載するのは,宿直(休日のみ)及び休日に出張をした場合だけである。 原告は,業務上の必要があり,就労状況表の休日就労日の欄に記載したとおり休日労働を行った。なお,11月6日は年休を取得したものの午後から出勤した。11月30日は,前日からの宿直勤務 場合だけである。 原告は,業務上の必要があり,就労状況表の休日就労日の欄に記載したとおり休日労働を行った。なお,11月6日は年休を取得したものの午後から出勤した。11月30日は,前日からの宿直勤務で仮眠時間中も徹夜で就労した。12月6日は出張の前泊であるが就労した。 (b) 始業時刻① 会社において勤務をしている場合の始業時刻については,原告は,午前8時10分に研究所に到着後,作業着に着替え,午前8時15分ころにはすでに通常の業務を開始しているので,午前8時15分を業務開始時刻と推定すべきである。 ② 自宅から出張先に直行する場合の始業時刻については,原告は,出張する場合には,いったん会社に寄った上で出張する例が多く,自宅から直行で出張先に行くのは,午前中から東京・横浜などで会議がある場合である。東京・横浜での会議は,午前9時ころから開始されるので,原告の自宅からの移動時間を考慮すれば,少なくとも午前7時半ころには自宅を出ていたと推定すべきである。しかしながら,東京近郊の出張が午前中か否かは不明なので,①の場合と同様に,午前8時15分を業務開始時刻と推定すべきである。 ③ 出張による宿泊先から出張先へ行く場合の始業時刻については,午前9時ころから会議が開始されるので,ホテルをチェックアウトして移動する時間を考慮して始業時刻を推定することが合理的である。 ④ 休日出勤時には,遅くとも午前9時ころ自宅を自家用車で出て,午前10時ころに研究所に着くので,午前10時を始業時刻とすべきである。 (c) 終業時刻① 会社において勤務をしている場合で,接待のない場合,原告の退勤時刻は,概ね午後7時ころが多かったので午後7時と推定すべきである。接待のある場合,終了時刻は,1次会で終わるときには午後8時ころ,2次会までつきあうときには午後9時ないし午後10時ころ ,原告の退勤時刻は,概ね午後7時ころが多かったので午後7時と推定すべきである。接待のある場合,終了時刻は,1次会で終わるときには午後8時ころ,2次会までつきあうときには午後9時ないし午後10時ころであり,そのほとんどが2次会まで参加を要したので,平均して午後9時ころまで就労していたと判断すべきである。なお,ここでの接待とは,純粋な意味での接待ではなく,打ち合わせの延長としての内容を有するものである。 原告の妻P2が,原告の部下たちから聴取をした結果では,10月~12月の間はほとんど毎日接待・打ち合わせの予定が詰まっていた。前年度は,ともにポリマー研究第1部部長代理であったP3と原告とが分担をして対応をしたが,昭和62年12月は原告が1人で担当した。一晩で複数の接待を担当した。 ② 出張先での終業時刻は,出張先においても,会議や打ち合わせの席の後には,場所を替えて,打ち合わせの延長的な接待となる。また,出張先から帰宅する場合は,千葉高分子研究所で勤務している場合よりも帰宅時刻は遅めであった。なお,出張業務の場合は,少なくとも労災補償の適用の有無の視点からは,自宅を出てから帰宅をするまでの間が労働時間となることは,出張の往復途上の災害が通勤災害ではなく,業務災害となる一事をもってしても明らかである。これらの事情を考慮するならば,原告が出張先から帰宅する時の終業時刻は午後9時より早いことはない。 ③ 休日出勤における終業時刻は,休日出勤時には午後5時過ぎに研究所を自家用車で出て午後6~7時ころに自宅に着くので,午後5時を終業時刻とした。ただし,10月31日のように,接待が確認されている日は午後9時を終業時刻とした。 b 業務の質及び量昭和62年10月以降の各日に原告が従事した具体的な業務は別紙1「就労状況表」のとおりであるが,次に述べるとおり,昭和 うに,接待が確認されている日は午後9時を終業時刻とした。 b 業務の質及び量昭和62年10月以降の各日に原告が従事した具体的な業務は別紙1「就労状況表」のとおりであるが,次に述べるとおり,昭和62年以降,原告に与えられた業務は質及び量において過重であった。 (a) 千葉高分子研究所の業務量増大① 2RPプラント問題会社は,低圧下で製造する低密度ポリエチレンであるウルトゼックス(UZ)を開発し,昭和56年から,試験プラントである1RPを岩国工場に設置して製造をしていた。会社は,昭和60年末には,ウルトゼックスの本格的生産プラントである2RPを千葉工場内に建設することを決め,昭和62年4月ころからプラント建設工事を開始した。会社は,2RPの完成を急ぎ,昭和63年3月の完成予定を2か月繰り上げ,新規プラントは昭和63年1月完成した。その建設に伴い,昭和61年初めころから,ウルトゼックスを製品化するケースも増加した。製品化が増加すると,当然その前提としての試作作業は増加し,さらに製品化した商品に不具合があるとのクレームに対する対応作業が増加する。昭和61年10月からは,需要が拡大し,製品の製造作業も急増していたので,工場稼働率が高い中で試作品の製造を行うことは社内的にも調整が難しく,短時間で試作作業を行わざるを得なかった。試作作業の短縮は,製品化のための検討としては必ずしも十分でなく,製品化してからのクレームは,取り扱う種類,数量が増加しただけでなく,クレーム発生率も増加した。増加するクレームの対応策に追われることになり,繁忙の循環が続いた。 ② 生産量の急増昭和62年は,世界的な景気拡大により需要が急増し,千葉工場生産高も,昭和62年後半,別紙3「千葉工場生産高」のとおり急増した。増産に伴い製品化に関して技術的なサポートをしなければならない件 の急増昭和62年は,世界的な景気拡大により需要が急増し,千葉工場生産高も,昭和62年後半,別紙3「千葉工場生産高」のとおり急増した。増産に伴い製品化に関して技術的なサポートをしなければならない件数も飛躍的に増加した。 ③ 成形法加工方法の複雑化による業務量の増大ユーザーが必要とする成形法加工方法を開発することで,市場でのシェアが左右され,フィルムやシートだけでなく水道,ガスパイプ,大型ドラム缶などすべて成型が多層やブレンドになり接着,印刷も複雑化した。その結果,操作をページ(2)誤ると大事故に至る危険性の高いオゾンを使用したオゾン機を導入することになり,研究所内の保安課の承諾を得るためのさまざまな手続を要した。 ウルトゼックスは,加工性が悪く,溶融粘度が高く(ねばりがあって流動抵抗が大きいから),押出機のスクリューが動きにくい。昭和62年には,ウルトゼックス専用の押出機を機械メーカーと開発するために,溶融張力,押出量,モーター負荷,樹脂温度などをいろいろと調整をした。 ④ TK化問題昭和62年には,低圧下低密度ポリエチレンプラントである2RPの建設が進んでいる時であったので,低圧下低密度ポリエチレン製品であるウルトゼックスにおける無脱灰化(TK化),すなわち味覚や臭覚に影響を与えず,触媒の除去作業(脱灰化)を必要としない触媒の開発が重点となった。また,当時,ポリプロピレン製品の共押出コーティング(複数の素材を多層化したフィルム状製品の作成)が増加し,押出コーティングに使用するポリプロピレン製品の無脱灰化も急がれていた。 原告が担当する部署は,いろいろな触媒を利用した製品の安全性,並びに,臭いや味への影響を検査する作業を受け持っていた。 ⑤ 大型プロジェクトである大塚製薬向けの新規輸液容器開発プロジェクトの準備輸液容器にウルトゼック ,いろいろな触媒を利用した製品の安全性,並びに,臭いや味への影響を検査する作業を受け持っていた。 ⑤ 大型プロジェクトである大塚製薬向けの新規輸液容器開発プロジェクトの準備輸液容器にウルトゼックスを利用することを目的としたプロジェクトが始まり,樹脂,成型機を研究開発し,最初に100mlリンゲル輸液容器を実用化し,昭和62年6月には250mlリンゲル輸液容器が完成した。このプロジェクトの中で,輸液溶液に用いる添加物を加えた素材の試験機であるコールカウンターを購入するか否かについて,社内で意見が分かれた。原告は,これの調整にあたり,昭和62年10月には,最終的にコールカウンターの導入を決定し,昭和63年9月に設置された。その他ダイレクトブロー機や射出ブロー機等も導入する必要があり,昭和62年12月には,1億0200万円をかけて導入することを決定した。このように設備投資も高額なプロジェクトであり,失敗は許されないため,集中した対応が求められた。 昭和62年6月までは,P3と原告が協力して上記業務を担当した。同月にP3が異動した後はP4所長が担当をする予定であったが,大塚製薬の意向で従前の経過を良く把握していた原告が担当をするよう要望があり,実際には原告が1人で担当をした。 (b) 原告への業務集中昭和62年6月26日会社組織機構改正に伴い,次のとおり異動があった。 ⅰ) P3ポリマー研究第1部部長代理の本店企画課への異動ⅱ) P5エラストマー研究部部長の岩国高分子研究所所長への異動ⅲ) ポリマー研究第1部部長代理兼同部技術サービス研究第1課長であった原告の研究所所長代理への異動P3の後任は補充されず,この異動により,原告の業務は,従前のものに加えて,後記①以下の仕事が増加した。 また,原告が担当するミラソンは,昭和63年度は昭和59年度の計画 告の研究所所長代理への異動P3の後任は補充されず,この異動により,原告の業務は,従前のものに加えて,後記①以下の仕事が増加した。 また,原告が担当するミラソンは,昭和63年度は昭和59年度の計画数量の72・8%に減少を予定し,人員も昭和59年度の17人から昭和63年度14人に減員を予定していた。ところが,ミラソンの需要が強く,昭和63年度は計画に対して124・2%の生産を行ったが,人員は予定どおり17名から14名に減員された。 さらに,人間関係が異常で特異な性格のP4所長との関係で,原告自身多くのストレスを受けていた。また,P4所長のもとで皆働く意欲を失っていたため,皆の相談にのり,励ますのも原告の大切な仕事であった。なお,P4所長は,前任の出向先でトラブルを起こして会社に復帰したが,当初予定された移動先で受け入れ反対運動が起き,結局千葉高分子研究所に配属された経過があった。 ① 安全管理従前,研究所の安全管理はP3が担当していたが,同人の異動により,原告が研究所の安全管理の責任者となり,次の業務を行った。 ⅰ) 安全管理の責任者として研究所内にいるときには,毎日1回研究所内のパトロールをした。 ⅱ) 研究所内の新規設備の設置のため工場長及び工場の保安課の了解を得るための作業を行った。特に加工の表面処理に使うオゾン機は文書だけでなく度々打ち合わせが必要だった。 ⅲ) 健康管理,安全教育に気を配るほか,機器の選定,移設も所長代理の仕事で,岩国のタフマー,アドマーの機器を千葉に移す調整もあった。 ⅳ) P4所長は,労災事故を嫌い,労災事故が生じて従業員が労災扱いで病院に行くと,これをとがめるなどということもあったため,労災隠しはいけないと所長を説得する仕事もあった。 ② 管理業務の増加電源・排気・機器借用のルールなど,それまでP3が担当した業務 労災扱いで病院に行くと,これをとがめるなどということもあったため,労災隠しはいけないと所長を説得する仕事もあった。 ② 管理業務の増加電源・排気・機器借用のルールなど,それまでP3が担当した業務が,全て原告の担当業務となり,岩国からの機器の移動のみならずキャビネットの設置でさえ原告に許可申請が出されることになった。 所長代理として作成したりチェックする文書には,月報,出張報告書と来客報告書,会議議事録,連絡書各種,試験速報,試験報告,試作依頼書,製品規格書,岩国高分子・物性・チーグラー各研究所からの報告書,予算,研究報告及び調査報告〔技術サービス報告〕,汎用樹脂技術資料集,顧客の発表論文,顧客に関する文献,営業業務報告,顧客技術情報の収集,顧客への提出資料,顧客からの入手資料,カタログシステム化用,社内他部門への顧客訪問・面接資料作成,社内会議,クレーム処理表,供試報告書,顧客との契約書,顧客との共同特許,顧客の特許,競合他社の特許対策関係文書があった。 ③ クレーム対応従前はP3と分担していたクレーム処理が,原告1人の責任となった。原告が1人で対応することになると,原告が不在の間に研究所に入ったクレームを迅速に処理するために,原告の主張先まで電話があり,出張業務を中断して対応する必要があった。P4所長は,クレームを処理する権限はあるのだが,実際には,クレーム処理を担当させられなかった。 こうしたクレーム処理は,グループリーダー(以下「GL」ともいう。)クラスの対応で解決するものも多くあるが,そうした場合でもGL達は解決内容がそれでよいか原告に相談してくるので,P4所長対策を含めて相談に乗るのが常であった。原告が直接対応することになるケースもあった。 ④ 昭和63年予算作成に伴う業務「予算」の作成は,すでに立案されている会社の経営長期 相談してくるので,P4所長対策を含めて相談に乗るのが常であった。原告が直接対応することになるケースもあった。 ④ 昭和63年予算作成に伴う業務「予算」の作成は,すでに立案されている会社の経営長期ビジョンに基づき,各研究テーマ毎に研究の到達点を検討し,部門,事業部,事業所毎の中期計画として,資源及び人員の配分を見直し,翌年度の研究テーマ毎の投資額及び人員配置を決める作業である。昭和63年度予算作成の日程は,昭和62年10月中旬に常務会で長期ビジョンについて見直し,10月下旬に全社の部長を集めて会議を行い,11月4日に部門毎の中期計画案を立案し,11月13日に部門の中期計画を基に事業部毎の中期計画案を立案し,11月26日に全体調整をした上で中期計画案を決定し,12月~昭和63年1月に事業部及び事業所毎の予算を作成し,1月30日に全社の予算を決定するというものであった。 原告は,事業部毎の中期計画案が決まるまでの過程においても,これを担当するが,昭和62年11月末から翌年1月末までの間に,事業部毎の中期計画に基づいた研究所の設備投資計画及び人員計画をまとめることになる。具体的には,研究所全体の各課から提出された予算案をまとめて,その目的,投資額,設置場所などが中期計画と整合するかをチェックする。 ⑤ ポリエチレンパイプ工業会問題ページ(3)水道パイプにポリエチレンを使用するには,パイプの破裂,剥離,水泡の発生などの問題点があり,これを解決するために,昭和53年から三鷹水道局内でポリエチレン工業会が協力をして試験を始めた。実際にポリエチレン水道管を埋設して,2年後に掘り返して品質を確認し,剥離の原因が塩素とカーボンとの反応にあることも解明し,内側にナチュラルポリエチレンを使用した2層管の開発を進めた。また,2層管の製造については,すでに住友化学が して,2年後に掘り返して品質を確認し,剥離の原因が塩素とカーボンとの反応にあることも解明し,内側にナチュラルポリエチレンを使用した2層管の開発を進めた。また,2層管の製造については,すでに住友化学が特許を有していたため,水道管として使用するためには,日本水道協会の認可を受ける必要があった。製造メーカーが1社の水道管では,日本水道協会の認可を受けられないので,ポリエチレン工業会は住友化学に働きかけて,特許権を行使することなく,ポリエチレン工業会として2層の低密度樹脂水道管の製造,認可を進めることになった。原告は,昭和62年当時,ポリエチレンパイプ工業会樹脂小委員会の幹事を務めていた。原告は,この2層低密度樹脂水道管の認可のために,役所,同業者,パイプメーカー等との折衝を担当し,パイプ工業会の各社を回り水道協会への技術資料の作成や説明を行った。当時,水道管が全国的に不足して解決が急がれ,会社としても2RPのスタートに間に合わせるのが目標とされていたため,昭和62年12月中の解決を迫られていた。住友化学との特許権に関する折衝も原告が担当し,昭和62年11月4日には,正式に許諾を受ける回答を得た。 ⑥ TQC問題TQCとは,企業体質強化を目的とした顧客の信頼の向上と仕事の質の改善運動である。会社では,品質保証推進委員会(常務以上の役員)と品質保証推進室が設置され,全社的に品質管理態勢の見直しが行われた。Ⅲ期(昭和62年6月~昭和63年5月)では,「技術サービス情報管理のシステム作り」として顧客情報管理システム化が課題であった。作業は,①顧客技術情報の対象の決定,②コンピューター化のためのフォーマットの決定,③フォーマットに沿った情報の整理,④コンピューターへのインプット,⑤千葉高分子研究所内での試用,⑥関係部門よりのオンライン検索,という順序で行い, 定,②コンピューター化のためのフォーマットの決定,③フォーマットに沿った情報の整理,④コンピューターへのインプット,⑤千葉高分子研究所内での試用,⑥関係部門よりのオンライン検索,という順序で行い,会社の技術情報システムの確立に至る。原告は,ユーザーの情報の項目を整理し,各担当者に各項目についてデータを出させ,各担当者レベルでの評価だけでは,ばらつきが出るので,全体を見て統一的な評価ができるように最終的な調整をした。作業は,第Ⅲ期が終了する昭和63年5月には完成させなければならないが,全体に遅れており,導入するコンピューターの機種決定が遅れているため,ソフトの作成とデータ入力作業ができないという状態であった。原告が倒れた1月8日は,コンピューターメーカーの東芝とソフトの作成及びデータ入力の打ち合わせが予定されている段階であった。 ⑦ 出張業務出張業務は,1987年11月及び同年12月には,所定労働日の過半を占めており,尋常ではない。 出張業務の量的過重性は,出張業務自体もさることながら,出張することにより,千葉高分子研究所内で処理すべき業務を処理する時間を圧迫するという点でも影響を与える。 ⑧ 接待及び社内行事の忘年会など発症直前の12月は,出張が関係しない労働日は10日間しかない。その中で次のとおり接待及び社内行事の忘年会などに参加した。 ・12月1日豊田合成(三井クラブ)・12月9日三菱レーヨン(三井クラブ)・12月18日十條製紙(三井クラブ)・12月22日特殊ブローG忘年会・12月23日日産自動車(三井クラブ)/樹脂第2G・12月26日京都化成(グルメ)・12月28日本店忘年会さらに,新年を迎えても,・1月5日新年会・1月6日新年会と行事が続いていた。 接待,社内行事の量的過重性は 第2G・12月26日京都化成(グルメ)・12月28日本店忘年会さらに,新年を迎えても,・1月5日新年会・1月6日新年会と行事が続いていた。 接待,社内行事の量的過重性は,それに従事するために時間を費やすというだけでなく,千葉高分子研究所内で処理すべき業務を処理する時間を圧迫するという点でも影響を与える。 (イ) 上記(ア)の過重労働によるストレスと本件発症原告が従事した上記(ア)の労働は,a 労働時間という点で極めて長く過重であるだけでなく,b 原告に要求されている仕事の内容が高度かつ難度が高いという点で「要求度が高い」と評価でき,c 課題とされている仕事の量が大きく能力一杯の仕事をしなければならないという点で,「仕事の裁量自由度が低い」と評価でき,d 昭和62年6月26日会社組織機構改正に伴い,原告と仕事を分かち相互に援助しあっていたP3ポリマー研究第1部部長代理及びP5エラストマー研究部部長が共に転出し,同時に原告の所長代理への異動があり,かつP4所長の支援は当初から得られなかったことと相まって,「同僚や上司の支援がない」と評価でき,これによるストレスは,ストレスと免疫に関する最新の医学的知見に照らしても,疾病発症の危険が高度であると判断される。 原告が発症前1年間の間に従事した労働により受けた長期間の過労ストレスは,原告の免疫力を低下させ,とりわけ,昭和62年10月~昭和63年1月の年間労働時間に換算するならば3000時間を優に超える労働,昭和62年12月に至っては,年間労働時間換算3810時間という常軌を逸した長時間労働により免疫力の低下は決定的となり,昭和62年12月31日~昭和63年1月3日の休暇のみでは免疫力を回復させることはできないまま,原告が三叉神経節に潜伏感染して保有していたHSVが同ウィ た長時間労働により免疫力の低下は決定的となり,昭和62年12月31日~昭和63年1月3日の休暇のみでは免疫力を回復させることはできないまま,原告が三叉神経節に潜伏感染して保有していたHSVが同ウィルスに対する防御機構の障害により活性化して再燃させ本件発症に至ったものである。 (ウ) 原告には家庭上のストレスが存在しないこと原告の長男P6(昭和○年○月○日生)は,昭和62年春の大学受験に失敗し,浪人生として受験勉強をしていた。 ところが,昭和62年7月ころから,自宅の近くの鉄筋コンクリート造りの建物の解体工事が始まり,振動と騒音問題が生じ,長男の受験勉強に支障が生じたので,予備校への通学の関係も考慮して,原告が市川市にワンルームマンションを賃借し,ここで長男に受験勉強をさせたという事情があるが,家庭内に不和や問題はない。 長男は,受験勉強があまり順調に進んでおらず,悩んではいたが,一般的な受験生である。長男は,受験が終了した後である平成元年3月27日にマンションから自宅に戻った。 (エ) 合理的関連性合理的関連性説によれば,本件のごとき非災害性疾病(職業性疾病)であるHSV脳炎については,次の要件を充たせば,業務と合理的関連性があり,「業務上」ないし「公務上」の疾病ないし死亡と認定するのが相当というべきである。 aHSV脳炎の発症をもたらす免疫力低下をもたらす可能性のある業務に従事していた労働者であること。 b 当該労働者にHSV脳炎が発症したこと。 c 当該業務への従事とHSV脳炎(その基礎疾患を含む)の発症,増悪,軽快,再発などの推移の関連性が,一般経験則上推定されること(上記関連性が,医学的に証明される必要はない)。 ページ(4)本件を上記要件に照らすと,① 原告の過重労働によるストレスは,疾病発症の危険が高度であると認められ,② 般経験則上推定されること(上記関連性が,医学的に証明される必要はない)。 ページ(4)本件を上記要件に照らすと,① 原告の過重労働によるストレスは,疾病発症の危険が高度であると認められ,② 原告はHSV脳炎を発症し高度後遺障害を残したものと認められ,③ 原告のHSV脳炎の発症は,原告の上記ストレスによる個体側のHSVに対する防御機構の障害により,HSVの再活性化及び脳内侵入をもたらしたものと一般経験則上推定される。 したがって,原告の従事した業務と同人のHSV脳炎発症との間には合理的関連性が認められ,本件HSV脳炎による原告の死亡は,「業務上」の疾病に該当するというべきである。 (オ) 共働原因(エ)の①ないし③のとおり認められるから,本件発症は,原告が発症前に従事していた過重な業務と原告の三叉神経節に常在していたHSVとが共働原因となって発症したと認めるのが相当である。したがって,本件HSV脳炎による原告の疾病は,「業務上」の疾病に該当する。 (カ) 自然的経過を超えた発症増悪原告の従事した業務の性質と内容は,疾病発症の危険が高度であると認められ,かつ,原告の症状の推移と業務との対応関係は,原告の業務の過重性がもっとも増大した1988年12月末の直後に発症しており,対応関係が肯定されることから,自然経過を超えて発症増悪させうるものである。また,原告には,HSV脳炎を発症した昭和63年1月8日に近接した時期において,ストレス以外に発熱,紫外線曝露などのHSVの再燃要因はなく,かつ,過重労働以外にHSVの再燃要因となるストレス因子は存しない。 (キ) 自然的経過を超えて有意な発症増悪本件においては,発症前に従事していた原告の業務によるストレスが同人の免疫機能をその自然の経過を超えて有意に低下させ,HSVに対する防御機構の障害により, (キ) 自然的経過を超えて有意な発症増悪本件においては,発症前に従事していた原告の業務によるストレスが同人の免疫機能をその自然の経過を超えて有意に低下させ,HSVに対する防御機構の障害により,原告が保有していた同ウィルスを活性化して再燃させたと認められるから,原告の従事していた業務に内在又は随伴する危険が現実化したと評価され,同人が従事していた業務と本件発症との間には相当因果関係が肯定されるというべきである。 エ結論以上のとおりであるから,本件発症は業務起因性を有するものである。 (被告署長の主張)ア業務起因性(相当因果関係)の判断基準労災保険法適用のための「業務上」の傷病が肯定されるためには,業務と疾病との間に,まず,条件関係,すなわち業務に従事していなければ当該疾病を発症しなかったことが高度の蓋然性をもって認められること,次に,両者の間に法的にみて労災補償を認めることを相当とする関係,すなわち相当因果関係が必要であり,労災補償制度が危険責任の法理に基づくものであることから,業務起因性が認められるためには,その傷病が業務に内在又は随伴する危険が現実化したものと評価しうるものでなければならない。そして,この評価に当たっては,経験則及び科学的知見に照らし,業務に従事したことが,その傷病を招来したことの高度の蓋然性が証明されることを要し,その判定は,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信が持ちうるものであることが必要であり,かつ,その立証責任は原告にある。 イ過労・ストレスとHSV脳炎発症との関係成人のHSV脳炎の発生病理ないし機序は多くの点でほとんどあるいはごく不完全にしかわかっていない状況にある。 原告が主張する「過労ないしストレスにより免疫力が低下し,その結果,HSV脳炎を発症する」との発症機序については,①そもそも は多くの点でほとんどあるいはごく不完全にしかわかっていない状況にある。 原告が主張する「過労ないしストレスにより免疫力が低下し,その結果,HSV脳炎を発症する」との発症機序については,①そもそも,HSV脳炎自体の発症頻度が極めて低く(年間100万人に3人程度),疫学的な検証すら行い得ないほど稀であること,②過労ないしストレスによりHSV脳炎が発症するとした医学的報告は存在しないこと,③著しく免疫力が低下したAIDS患者においてすら,HSV脳炎の発症頻度は1割にも満たないことなどに照らすと,およそ,上記の機序を認めるに足りる高度の蓋然性も,通常人において疑いを持たない程度の真実性の確信も認められない。 ウ本件発症は業務起因性を有しないこと(ア) 原告の業務に危険性の要件が認められないことa 労働時間発症前6か月間について,原告に有利に解する余地のあるものは全て原告に有利に解して試算した場合の最大労働時間は,別紙4「労働時間集計表」記載のとおりである。これによれば,発症に近接した時期(発症前概ね1週間)においてはむろんのこと,長期間(発症前6か月)においても,労働時間上業務の過重性は認められない。 なお,上記「労働時間集計表」の算定根拠は,次のとおりである。 (a) 休日勤務休日勤務は,勤務表に記載のある昭和62年7月18日,11月29日,12月6日の3日である。会社においては,休日であっても,実働4時間以上の勤務をした場合には,出勤扱いとし,実働4時間未満の場合にも,超過勤務扱いとして,いずれも勤務表に記載することとされていた。したがって,勤務表に記載のない休日勤務が存在したとの原告の主張は,証拠に反し,認められない。 休日勤務のうち,11月29日は夕方からの宿直勤務であり,通常十分に睡眠を取れるものである。また,12月6日は翌日の 務表に記載のない休日勤務が存在したとの原告の主張は,証拠に反し,認められない。 休日勤務のうち,11月29日は夕方からの宿直勤務であり,通常十分に睡眠を取れるものである。また,12月6日は翌日の出張のための前泊であり,前泊日に会議の準備などをすることはない。 (b) 始業時刻① 会社において勤務をしている場合,就業規則による始業時刻は午前9時であり,早出残業の業務命令が出ているわけではなく,また実際に出社した時刻も特定できないから,始業時刻は午前9時と認定すべきであるが,原告の主張や関係証拠を考慮にいれ,この場合の始業時刻を午前8時15分として試算する。 ② 出張の場合,実際の会議の開始時刻は午前9時以降とされているところ,出張先までの移動時間は通勤時間と同様であり,労働時間に算入すべきではない。さらに,出張中の労働時間については,「労働時間を算定し難いときは所定労働時間就労したものとみなす」(労基法38条の2)ことになり,出張中の始業時刻も所定の午前9時となる。 (c) 終業時刻① 会社で勤務した場合で,接待のない場合,原告は,被告審査会の公開審理において,「通常は18時に会社を出るのが普通である」と述べているところから,終業時刻は18時とすべきであるが,関係証拠を考慮し,終業時刻を原告に有利な午後7時として試算する。 ② 接待のある場合の終業時刻も原告に有利な午後9時として試算する。 夜の接待の有無については,原告提出の証拠(甲111の9~15)によれば,「夜三井クラブ」と記載のある日は,10月に2日,11月に1日,12月に3日となっている。しかし,会社が被告審査会に提出した「お客様との会食出席状況」(乙41)では,10月6日,10月8日,10月12日,10月21日,11月13日,12月23日,12月29日(仕事納め)となっているので,原告 ,会社が被告審査会に提出した「お客様との会食出席状況」(乙41)では,10月6日,10月8日,10月12日,10月21日,11月13日,12月23日,12月29日(仕事納め)となっているので,原告に有利に解しこれらの日を接待のあった日とした。なお,12月29日については仕事納めなので,接待のあった日とはしない。また,単に懇親会的なものは業務とは関係がない。 ③ 出張先での終業時刻は,出張用務が所定労働時間外にまで及ぶことは少ないと思われること(乙36),出張先から自宅までの移動時間は通勤時間と同様であり,労働時間に算入すべきではないこと及び前記労基法38条の2の規定から所定労働時間のとおり午後5時半とする。 ページ(5)b 業務の質及び量労働時間以外の要因を見ても,原告が本件発症前に従事していた業務は,特段精神的緊張を伴うものではなく,負荷要因となるものではなかった。 以下,原告の主張に則して述べる。 (a) 千葉高分子研究所の業務量増大について① 2RPについて2RPプラントとは,既に岩国大竹工場で稼働している本プラントによる生産量を更に増強するために,新たに建設されることとなったプラントである。2RPについての千葉高分子研究所の課題は,ウルトゼックスの将来的な用途及びそれに必要な品質設計をすることであり,原告もこの作業に携わっていたが,既に1RPプラントの建設・稼働実績があり,2RPは同じプロセスをスケールアップしたものであることから,完成まではさしたる業務負担とはならず,むしろ,完成後の品質を安定させることの方が重要であった(原告発症後に2RPが完成したが,研究所は,完成後しばらくの間,品質評価や各種トラブルの対応に追われた。)。 また,ウルトゼックスと品質において競合する商品は当時存在せず,既に岩国大竹工場において安定した製品と 2RPが完成したが,研究所は,完成後しばらくの間,品質評価や各種トラブルの対応に追われた。)。 また,ウルトゼックスと品質において競合する商品は当時存在せず,既に岩国大竹工場において安定した製品として製造されており,出荷した商品にクレームがつくこともほとんどなかったし,そもそも,試作品の製造は工場の業務であって,高分子研究所の業務ではない(研究所は,試作品の性能評価を担当する。)。 そして,そもそも,原告が主張する記述の殆どは,GLの仕事であり,所長代理の仕事ではない。 ② 工場での増産について工場での増産と研究所の業務とは直接の関係はない。 研究所の業務は,新たな商品開発の顧客サポート(既に安定生産されている商品のサポートではない。)及び新銘柄の品質設計並びにその試作品の評価等であり,工場の生産業務とは直接の関連性はなく,需要の急増があっても,それが直ちに研究所の業務増大を意味しない。工場での増産は直接には工場の問題である。 ③ 成形法加工方法の複雑化について成形法加工方法の複雑化は,プラスチックのフィルムというごく一部の分野において生じた問題であり,また「危険性の高いオゾン機」は,研究所の中に1台あっただけであり,そもそも,研究所内に保安課は存在しない。また,手続の実務は所長代理である原告ではなく,その部下である課長以下が担当する。ウルトゼックスについて,開発当初(昭和50年代前半)に原告が指摘するような問題の一部が起きたことは事実であるが,昭和62年当時には解決済みであり,当時,ウルトゼックスは既に安定した商品として出荷されていた。その余の原告が発生したと主張する問題点については,研究所内において問題とされたことはない。 ④ TK化問題「無脱灰化が研究テーマとされていた」ことは間違いないが,これは岩国高分子研究所のテーマであり,原告が 告が発生したと主張する問題点については,研究所内において問題とされたことはない。 ④ TK化問題「無脱灰化が研究テーマとされていた」ことは間違いないが,これは岩国高分子研究所のテーマであり,原告が所属していた千葉高分子研究所の研究テーマではない(TKとはポリプロピレンの触媒の名前であり,ポリエチレンとは無関係である。)。 なお,上記のとおり,ウルトゼックスの無脱灰化は当時既に解決済みである。 ⑤ 大塚製薬向けプロジェクト「大型プロジェクトである大塚製薬向け新規輸液容器開発プロジェクト」が存在していたことは間違いないが,これは,P3の特命プロジェクトであり,樹脂研究課と加工技術グループの共同テーマであって,原告及び原告の担当業務とは何ら関係がない。昭和62年6月に組織改正がされた後は,所長が直轄する加工開発グループのプロジェクトとなったが,原告の担当外であったことは同じである。 (b) 原告への業務集中について昭和62年6月1日現在のポリマー応用研究所(千葉)は,所長代理(当時)のP4以下153名で構成され,その組織図は別紙5図Aに示すとおりである。 同研究所は,同月26日,組織改正により,千葉高分子研究所と名称を改め,P4が所長代理から所長に昇格し,原告が所長代理となった。 これにより,原告は,樹脂第1グループ(泰興,泰レを除く。),樹脂第2グループ(特殊フィルムを除く。),特殊ブローグループを統括することとなった。組織改正後の組織図は別紙5図Bのとおりである。 P3の異動は,同人が課長を兼務していた樹脂研究課担当テーマに一応の区切りがついたことから同課を廃したことに伴うものである。 原告は,原告の担当していたミラソン関係にのみ人員削減が行われた旨主張するが,これは,ミラソン事業が三井ポリケミカルから会社に移管された当初,組織になれる とから同課を廃したことに伴うものである。 原告は,原告の担当していたミラソン関係にのみ人員削減が行われた旨主張するが,これは,ミラソン事業が三井ポリケミカルから会社に移管された当初,組織になれるため,研究所においても独立のミラソン課を設けたが,その後,研究所の一員として円滑に業務を遂行することができるようになったので,発展的に同課を解消し,各部署に割り振ったにすぎない。 ① 安全管理工場内の安全管理は原告の担当業務外の問題であり,これに関与を求められることはなく,また,研究所内の安全管理は所長を最高責任者としてすべての管理職がその責任を負っていたものであり,原告1人が負担していたものではない上,実務作業は所長付の担当とされていたのであるから,原告の主張は何らの根拠のないものである。 ② 管理業務の増加原告が挙げる文書管理業務は,原告自ら作成するものではなく,業務はほとんどすべてGLが遂行し,原告は上級管理職として管理することが業務の内容である。そして,これらは極く普通の通常業務である。 ③ クレーム処理クレーム処理は,原告の管理するグループの業務であって,所長代理として負担する業務ではない。 ④ 予算の作成原告は,昭和63年度予算が過重な業務であったと主張するが,そもそも,当該予算は,原告の発症後である昭和63年2月から3月にかけて策定されたものであり,上記の主張は事実に反する。 ⑤ 業界団体幹事業務ポリエチレンパイプ工業会は業界団体であり,特段,住友化学が交渉に難色を示すことはなく,また,解決が急がれたのは,水泡剥離問題を解決しなければ,軟質ポリエチレンパイプ自体が欠陥品として市場から駆逐されるおそれがあったためであり,2RPとは何らの関係もないことであり,いずれにしても特に大きな問題はなかったのである。 ⑥ TQC問題TQC ,軟質ポリエチレンパイプ自体が欠陥品として市場から駆逐されるおそれがあったためであり,2RPとは何らの関係もないことであり,いずれにしても特に大きな問題はなかったのである。 ⑥ TQC問題TQCの問題は,組織として対応していたのであり,したがって昭和62年12月から昭和63年1月上旬にかけてTQC業務が原告1人の負担となって,原告が,特別に多忙であったということはできない。 ⑦ 出張出張の多い発症前2か月(12/8~11/9)の期間中の出張日数は16日間であるところ,その内訳を見ると,殆どが本支店や関連会社への会議,打合せ等の出張であり,外部の顧客先へ出張したのはわずか3日であり,その他工業会1日に過ぎない。また,東京への出張が殆どであり,自宅(習志野市)からにしろ研究所からにしろ,出張先が著しく遠いわけではない。名古屋,大阪方面への出張もあるが,宿泊を伴うものであり,時間的には余裕のあるものである。しかも,これらの出張の過半は単独ではなく,部下の同行する出張であり,資料作成,準備等は,大半はGL若しページ(6)くは実務担当者が作成し,同行者がいる場合には部下が用意するものである。 ⑧ 接待取引上必要な接待は別として,単に懇親的な宴会は業務とは関係がないものと考えるべきである。 (イ) 本件発症と業務とは関係がないこと以上のとおり,本件においては,原告がHSV脳炎に罹患した当時,業務上のストレス,過労があったとはいえないから,業務とは関係のない「非特異的な先行刺激」を原告が受け,その結果HSV脳炎を発症したと推測される。 (ウ) 原告の家庭問題によるストレス原告は,本件発症当時,大学受験に失敗し浪人中の長男が妻とうまく行かないことを心配し,妻に長男の居所を知らせずにマンションに住まわせ,会社の帰りや休日等に,当該マンションに立ち寄り, によるストレス原告は,本件発症当時,大学受験に失敗し浪人中の長男が妻とうまく行かないことを心配し,妻に長男の居所を知らせずにマンションに住まわせ,会社の帰りや休日等に,当該マンションに立ち寄り,食事等の面倒をみるなどしていた。 してみると,仮に,原告のHSV脳炎発症に何らかの精神的負荷が関わっていたことがあるとしても,その理由の過半は,原告の個人的な家庭問題による心労であったと考えられる。 (エ) 結論以上のとおりであるから,本件発症について業務起因性は存しない。 (2) 争点(2)(本件各裁決固有の瑕疵)について(原告)本件各裁決には,いずれも,被告審査会に提出された医学的知見によれば業務起因性を肯定すべきであるのに,これを否定する誤りを犯し判断を誤った固有の瑕疵が存するから,取り消されるべきである。 (被告審査会)裁決固有の瑕疵とは,原処分の違法以外の事由,すなわち,裁決の主体,裁決の手続,裁決の形式に関する瑕疵をいうところ,原告主張の点はこれらに該当せず,その主張自体失当である。 第3 当裁判所の判断 1 前提事実前記争いのない事実等,後掲証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められ,これを覆すに足りる的確な証拠は存在しない。 (1) HSV脳炎に関する医学的知見等(甲84,90,94,127,乙2ないし8,18,20ないし22)ア HSV脳炎は,HSVの初感染ないし再燃により,HSVが脳に侵入し,壊死性,出血性の重症脳炎を発症することで生じる。 発症は,多くは急性であり,発症から2週間以内の急性期には,発熱,髄膜刺激症状(頭痛,嘔吐,項部硬直など),意識障害,痙攣発作の症状がみられる。従来は,致死率が高い(60~80%)脳炎であったが,抗ヘルペスウィルス薬などの治療により致死率は減少した。ただし,生存例の多くに記銘 頭痛,嘔吐,項部硬直など),意識障害,痙攣発作の症状がみられる。従来は,致死率が高い(60~80%)脳炎であったが,抗ヘルペスウィルス薬などの治療により致死率は減少した。ただし,生存例の多くに記銘力障害・健忘などの健忘症候群,人格変化が認められる。 HSV脳炎の発病年齢は,幼少年期に小さなピークがあり,成人期に大きなピークがあるが,どの年代にも起こる(20代~50代の各年代で12~14%,60代以上でも10%程度との報告例がある。)。 HSV脳炎は,大多数の例では他疾患,免疫不全を伴わない健常人に発症しており,逆にHⅠⅤ(ヒト免疫不全ウィルス)感染によって重篤な細胞性免疫不全を起こし日和見感染症を併発したAⅠDS患者でもHSV脳炎の発症は希である。ただし,発症頻度をみると,免疫不全のない一般の健常人では年間100万人に1~3人とされるのに対し,AIDS患者の発症率は3%程度とする報告例がある。 イ HSV脳炎の原因ウイルスである「HSV」は,直径180nmで,莢膜を有し,DNAを含有する大型のウィルスである。抗原性の差異及び生化学的特徴から,1型と2型に分類される。初感染の後,HSVは,神経節細胞の細胞質内に不活性の状態で潜伏感染し,1型は三叉神経節に,2型は腰・仙髄神経節に潜伏することが知られている。1型は主に顔面に,2型は主に性器に感染症を引き起こす。 ウィルス性脳炎は,臨床病型としては,潜伏したHSV1型ウィルス(以下「HSV1」という。)が活性化して脳炎を引き起こすのが通例である。2型による脳炎として報告されている症例は極く希であり,1型によるヘルペス脳炎とは臨床像が異なる。なお,2型脳炎の病型としては,産道感染による新生児ヘルペス脳炎があり,また,AⅠDS患者の日和見感染として2型による急性脳炎等の報告が続いている。 ウ HSV1は るヘルペス脳炎とは臨床像が異なる。なお,2型脳炎の病型としては,産道感染による新生児ヘルペス脳炎があり,また,AⅠDS患者の日和見感染として2型による急性脳炎等の報告が続いている。 ウ HSV1は,広く全世界に分布,常在し,全人口の60ないし90%に感染を起こし,ヒトと共存し,無症状慢性感染といった状態で成人において存在している。日本においては,HSV1の抗体保有率は,年齢と共に上昇し,50歳においては抗体保有率は100%とされている。 エ初感染では,経気道ないし唾液を介しての伝播で,無症状に経過することもあるくらいで,症状が表れるとしても口内炎,咽頭炎,上気道感染症などが殆んどである。ただし,一部のHSV脳炎は初感染時に起こるといわれ,この時はHSV1が鼻粘膜・嗅神経・嗅球の経路を通り前頭葉下面及び側頭葉前部に至るものと予想されている。 オヘルペスの再発については,皮膚・粘膜系ヘルペスは,生涯,繰り返し発症し,1週間前後で治癒するごくありふれた病気である。その発生機序は,三叉神経節での潜伏感染状態から活性化されたウイルスが神経を経て皮膚に到達して増殖すると考えられている。皮膚・粘膜系ヘルペスの再発の誘因については,打撲,紫外線,寒冷曝露などの局所的要因と発熱,月経,薬剤の影響などの全身的要因があり,その全身的要因の中に精神的ストレスが挙げられているが,それらが全く不明な症例も少なくない。 HSV1の再活性化については,それにより口角炎などが出現すれば,ウィルスの活性化を疑うことは可能だが,HSV1の活性化があっても特異的な身体症状がみられず倦怠感等身体の不調など,非特異的なものにとどまったり,全く気付かれない場合もある。 身体症状が発現する場合,症状の完成までの期間は数日以内と考えられ(医学的には亜急性ないし急性発症と表現する。),脳炎発 身体の不調など,非特異的なものにとどまったり,全く気付かれない場合もある。 身体症状が発現する場合,症状の完成までの期間は数日以内と考えられ(医学的には亜急性ないし急性発症と表現する。),脳炎発症の場合,自覚症状出現から脳炎症状発現まで,亜急性の場合が多いが数時間以内の急性発症の例もみられるカ本件発症は,原告の発症時(昭和63年1月8日)の年齢(昭和○年○月○日生,49歳)を考慮するとHSV1の再燃によるものと考えるのが相当である。 (2) 原告の経歴等(甲23ないし27,甲69,証人P7)昭和37年4月1日の入社と同日付けで,デュポン社との合弁会社として昭和35年12月に設立された三井ポリケミカル株式会社(後に「三井デュポンポリケミカル株式会社」に社名変更。以下「三井ポリケミカル」という。)に出向となり,昭和45年10月1日会社に戻り,本店開発部勤務となった。その後昭和46年9月6日,再び三井ポリケミカルに出向し,技術サービス研究所の班長・課長,GL(この間三井ポリケミカル本店ハイミラン営業部課長,GLを履歴)等を歴任後,昭和60年1月1日,会社に復職し,ポリマー応用研究所ポリマー研究第1部ミラソン課長となり,同年6月28日からポリマー研究第1部部長代理として勤務し(昭和62年1月15日以降ポリマー研究部技術サービス課長を兼務),昭和62年6月26日の組織改正により,ポリマー応用研究所が千葉高分子研究所及び岩国高分子研究所に分離したこと伴い,千葉高分子研究所の所長代理となった(上記兼務は解消)。 同組織改正前の研究所(千葉)は,P4所長代理以下153名で構成され,その組織図は別紙5図Aのとおりであったところ,同組織改正後は,同人が所長代理から所長に昇格し,爾後の組織図は別紙5図Bのとおりである。 ページ(7)(3) 原告の業務内容(乙 下153名で構成され,その組織図は別紙5図Aのとおりであったところ,同組織改正後は,同人が所長代理から所長に昇格し,爾後の組織図は別紙5図Bのとおりである。 ページ(7)(3) 原告の業務内容(乙14,証人P7,証人P8,弁論の全趣旨)原告は,所長代理として,特定事項を除いた樹脂第1グループ,樹脂第2グループ及び特殊ブローグループ業務(他の樹脂グループを含む樹脂ごとの品質設計に関しての全体的調整業務を含む。)の統括(管理・指導)のほか,樹脂関係の総合調整的な立場での2RPプロジェクト準備委員としての業務,ポリマー工業会の会社委員としての社外業務,その他特定の総務関係業務(保安安全関係,TQC活動の推進GLやまとめ役としての業務等)を担当していた。 所長代理は,実務については概ね各GL,あるいはグループのメンバーに任せ,必ずしもいちいち決裁をするわけではなく,報告を受けて状況を把握し,問題が生じたときに相談に乗る,来客の職位が高くGLでは釣り合いがとれない場合にGLらとともに接客する,人事考課等内部的な事務についてGLが作成したものを所長の決裁前に点検するといった立場であり,出張の際も,同行者その他の部下が資料の作成等の準備を行う。 (4) 勤務状況ア就業時間及び休日(甲67,乙9,乙32)会社の就業規則(平成61年10月1日改正で本件発症当時適用されていたもの)によると,千葉高分子研究所勤務者の始業時刻は午前9時,終業時刻は午後5時30分で拘束時間は8時間30分であり,うち休憩時間は1時間であって,所定労働時間は7時間30分である。休日は,日曜日,国民の祝日及び年末年始(12月30日から翌年1月3日まで)等であり,土曜日は月3回程度は休日である。なお,原告は,管理職であることから労働時間の管理を受けていなかった。 イ発症前8日間の勤務 日,国民の祝日及び年末年始(12月30日から翌年1月3日まで)等であり,土曜日は月3回程度は休日である。なお,原告は,管理職であることから労働時間の管理を受けていなかった。 イ発症前8日間の勤務状況について(乙9,11)昭和63年1月1日から同月3日までは休日で,原告は出勤していない。同月4日から同月7日までの間において出張はなく,同月4日から同月6日までは通常どおり出勤し,通常業務に従事したほか,4日は午後3時15分から午後4時15分まで千葉工場新年互礼会に,5日は,午前10時30分から午前11時30分まで千葉高分子研究所新年挨拶会に,午後1時15分から午後2時30分までP9常務との会議に出席した。また,同月7日は,昼ころ出勤し,午後1時15分から予算関係の打合せに出席したほか,通常業務に従事した。なお,6日は終業後に樹脂第2グループの有志による新年会に参加した。 ウ原告の発症当日の勤務状況等について(甲68の6)昭和63年1月8日,原告は電車で通常に出社した。原告は出勤時から顔色が悪く,始業前に応接室で横になっていたが,午前9時10分ころ,P10主任と予算打合せを行った後,午前10時45分からGL会議に出席した。昼食後,午後1時10分ころから昭和63年度研究テーマ設定の打合せ会議に出席したが,原告は顔色が悪く,腹痛,吐き気がするとして,途中で退席した。その後原告は,午後3時からの東芝によるパソコンの説明会に出席したが,開始後30分が経過したころ途中退席し,体調不良を理由に午後4時ころ早退した。 エ発症前6か月間の休日出勤及び出張(乙9,34,弁論の全趣旨)会社は,従業員ごとの勤務表により各人の就労状況を把握している。発症前6か月間において,勤務表に記載されている原告の休日出勤は,正規の業務命令を受けた休日出勤である7月18日午前 4,弁論の全趣旨)会社は,従業員ごとの勤務表により各人の就労状況を把握している。発症前6か月間において,勤務表に記載されている原告の休日出勤は,正規の業務命令を受けた休日出勤である7月18日午前9時から午後5時30分まで(静岡出張),11月29日午後5時から翌30日の午前8時30分まで(宿直)及び12月6日午前9時から午後5時30分まで(出張の前泊)のみである。 また,同期間の原告の出張状況は,別紙6「P1出張一覧表(発症前6ヶ月)」記載のとおりである。 2 本件発症の業務起因性について(1) 業務起因性の判断基準についてア労災保険法に基づく保険給付は,労働者の「業務上」の疾病・障害等に対して行われるが(同法7条1項1号),労働者が業務上疾病にかかり,その療養のため労働することができず(労基法76条),また,治った場合において,身体に障害を遺した(同法77条)といえるためには,業務と疾病・障害との間に相当因果関係があることが必要である(最高裁第2小法廷昭和51年11月12日判決・判例時報837号34頁3照)。これと異なる原告の第1次的主張である合理的関連性説(前記第2の3(1)ア,以下同様。)は採用しがたい。また,相当因果関係の判断にあたっては,労災保険法に基づく保険給付が労基法上の危険責任の法理に基づく使用者の災害補償責任を担保する制度であることをふまえると,業務起因性が肯定されるためには,当該業務に内在する危険が現実化することによってその疾病が発症したと評価できる場合であることを要すると解すべきであり,このような観点から具体的事実関係に即して判断すべきである。 イところで,血管病変等の形成,進行及び増悪により発症する脳血管疾患及び虚血性心疾患等(外傷性のものを除く。)のように,疾病の発生機序や発症の基礎となる要因がある程度解明され, 判断すべきである。 イところで,血管病変等の形成,進行及び増悪により発症する脳血管疾患及び虚血性心疾患等(外傷性のものを除く。)のように,疾病の発生機序や発症の基礎となる要因がある程度解明され,かつ,発症に至る自然的経過の過程で,業務による過重な負荷が加わることにより,発症の基礎となる血管病変等の基礎疾患がその自然的経過を超えて著しく増悪し,発症に至る場合があることが医学的に認知されている疾病については,労働者個人に内在する基礎疾患の程度や他の個人的要因との関係をふまえ,その労働者が業務に従事したことにより,基礎疾患等を自然の経過を超えて有意に又は著しく増悪させたと認められる場合には,その増悪は当該業務に内在又は随伴する危険が現実化したものとして業務との相当因果関係を肯定するのが相当である(最高裁判所第3小法廷平成9年4月25日判決・判時1608号148頁,同裁判所第1小法廷平成12年7月17日判決・裁集198号461頁参照)。そして,上記脳心疾患に関しては,専門家による労災保険法上の業務起因性の認定基準に関する検討がなされ,これをふまえて,行政当局により業務による過重負荷について一定の認定基準が示されている(乙39,40)。 しかし,上記のような専門家による検討報告を欠くHSV脳炎に関しては,①まず,医学的知見に照らして過重な業務が発症の原因となることが肯定されるか,すなわち,業務による過重負荷が発症の危険性を増大させ,発症の引き金となりうるかを吟味する必要がある。さらに,HSV脳炎は,50歳以上のほぼ全員がその原因ウイルスであるHSVを保有していると考えられるにもかかわらず,その発症率は著しく低く,かつ成人においては発症の年代を問わない(前提事実(1))ことからすると,HSVの保有をもって基礎疾患と位置づけ,その形成,進行及び増悪という自 いると考えられるにもかかわらず,その発症率は著しく低く,かつ成人においては発症の年代を問わない(前提事実(1))ことからすると,HSVの保有をもって基礎疾患と位置づけ,その形成,進行及び増悪という自然的経過により発症する疾病とみることは困難であるから,上記①の点が肯定される場合であっても,負荷の過重性を考えるにあたって,脳心疾患における前記判断の枠組みないし基準をそのまま適用するのは相当ではなく,②HSV脳炎発症に影響するとみられる他の危険因子との関係をふまえて,いかなる形態程度の業務による過重負荷が,どのような経過を経て脳炎を発症させるのかを,医学的知見に照らし吟味する必要がある。 そして,この点に関する立証責任は,給付を請求する原告の側にあると解すべきところ,この証明とは,厳密な自然科学的証明ではなく,全証拠を総合検討し,経験則に照らして,特定の事実が特定の結果を招来したという関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり,その判定は,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし,かつ,それで足りるものである(最高裁昭和48年(オ)第517号同50年10月24日第2小法廷判決・民集29巻9号1417頁参照)。すなわち,業務が過重であることによってHSV脳炎が発症する詳細なメカニズムが解明されなくても,疫学的報告などに照らして,業務による過重負荷がHSV脳炎の発症に対し上記のような意味で原因となることが明らかになれば足りるものである。 なお,原告は,①過重労働によるストレスが免疫機能を低下させる場合があること,②免疫機能の低下がHSV再活性化の原因となりうること,③HSV再活性化がHSV脳炎発症の原因となりうること,以上の3点を否定する医学的見解が存しないとの理由により,過重労働とHSV脳炎発症との因果関係 疫機能の低下がHSV再活性化の原因となりうること,③HSV再活性化がHSV脳炎発症の原因となりうること,以上の3点を否定する医学的見解が存しないとの理由により,過重労働とHSV脳炎発症との因果関係を肯定すべきと主張するところ,①ないし③の各命題により,過重労働によりHSV脳炎が発症することは否定できないとの結論を導くことは可能であるが,前述ページ(8)のとおり,業務起因性を肯定するためには,単に否定できないというだけでは足りないから,上記主張は採用できない。 そこで,以下このような見地から検討する。 (2) HSV脳炎の業務起因性についてア業務による過重負荷がHSV脳炎を発症させる直接の原因となるか。 P11医師の意見書(甲127,甲84も同旨。以下一括して「P11意見書」という。)は,情動的なストレスがHSV脳炎の「発症要因として教科書にも記載されている」として,これを肯定するようである。しかし,その引用する文献(甲128の398頁)は,人体に潜在しているウイルスの再活性化要因として,体温変化,紫外線への曝露,アレルギー反応,内分泌異常とともに情動障害を挙げるのみで,情動障害が人間のHSV脳炎の直接の発症要因となるとしているものではない。同文献は,大部分の例では再活性化の場所は一定であるとし(即ち,脳への拡散はない。 ),例外的に,ウイルスの再活性化によって感染の拡大が起きたことを間接的な証拠が示唆する例もあると指摘するに止まり,人間のHSV脳炎の進行におけるこれらの一連の出来事の重要性はまだ明確にされていないとしている。したがって,P11意見書のこの部分は容易に採用しがたい。また,P12の意見書(乙18。以下「P12意見書」という。)によれば,過去15年間の研究報告例を検索しても,過労・ストレスによりHSV脳炎を発症したという症例の報 書のこの部分は容易に採用しがたい。また,P12の意見書(乙18。以下「P12意見書」という。)によれば,過去15年間の研究報告例を検索しても,過労・ストレスによりHSV脳炎を発症したという症例の報告はない(なお,上記甲128はこの症例の存在を肯定するものとはいえない。)。 そして,業務による過重負荷がHSV脳炎発症の直接の原因となることを肯定する医学的知見は,本件において他に存しない。 イ過重労働のストレスによる免疫機能の低下,免疫機能の低下によるHSVの再活性化,HSV再活性化によるHSV脳炎の発症というプロセスによって,業務による過重負荷がHSV脳炎発症の間接的な原因となることが医学的に確認されているか。 (ア) ストレスによる免疫機能の低下について中田光紀論文(甲92)は,職業性ストレスと血清免疫グロブリン及びCD4陽性リンパ球との相関関係を調査した日欧米での研究を紹介した上,仕事のストレスは免疫機能を低下させることが明らかになったとし,疾病の危険性が高くなるストレス因子として,①仕事の要求度が高いこと,②仕事の裁量自由度が低いこと,③同僚や上司の支援がないこと,を指摘している。このほか,多くの医学的文献等がストレスは免疫力を低下させることを肯定しており(甲85,91,92,114,115,122,132等),P12意見書も過労によるストレスが免疫力を低下させる可能性があることを肯定している。 しかし,さらに進んで,過労・ストレスにより具体的にどの程度免疫力を低下させるかについては,上記中田論文は,「仕事のストレスは免疫系に直接影響を及ぼす可能性があることが分かった」,「ワークストレスと睡眠,免疫システムと風邪の罹患は相互に影響し,密接に関連する可能性がある」,「今後はこれらの知見に基づき,疾病予防及び健康増進に役立てる方法論を確立 可能性があることが分かった」,「ワークストレスと睡眠,免疫システムと風邪の罹患は相互に影響し,密接に関連する可能性がある」,「今後はこれらの知見に基づき,疾病予防及び健康増進に役立てる方法論を確立する必要がある」と総括するのみで,これを具体的に明らかにするものではなく,他の医学的文献,意見をみても,断片的な報告はあっても,これを窺い知ることができる程度に具体的に報告するものはない。 (イ) 免疫機能の低下によるHSVの再活性化及びHSVの再活性化とHSV脳炎発症の関係についてa 本件に関する専門家の意見P11意見書は,①免疫不全患者にHSV脳炎の発症が多く,その発症率が免疫不全のない一般の健常人のそれの約1万倍であることから,免疫力低下は,HSV脳炎の発症の重要な要因の1つであるといえる,②ウイルスの再活性化による口唇ヘルペスの再燃に対しては情動的ストレスが重要な要因であること,高ストレス下ではCD4陽性リンパ球の減少が見られ,感染症に罹患しやすくなることから,脳炎についても,仕事のストレスが免疫力の低下を引き起こして感染症に罹患しやすくし,その結果ウイルスの再感染や再燃を惹起して発症するという可能性を想定することができる,とする。 また,P13医師の意見書(甲90。以下「P13意見書」という。)は,①HSV脳炎の発症機序については,医学的に完全に解明されていないが,神経節の神経細胞内に常在するウィルスが免疫機構の変化など宿主側の因子により活性化され,活性化したウィルスが増殖して細胞質内に移行し,さらに軸索流に乗って伝播し,ウィルスが脳内細胞に感染することにより脳炎が引き起こされると考えられている,②ウィルス活性化の機序としては,宿主側の防衛機転が障害されるという機序がもっとも受け入れやすい,としている。 これに対し,P12意見書は,HS 染することにより脳炎が引き起こされると考えられている,②ウィルス活性化の機序としては,宿主側の防衛機転が障害されるという機序がもっとも受け入れやすい,としている。 これに対し,P12意見書は,HSVの再活性化がHSV脳炎発症の原因となることを肯定しつつも,①皮膚・粘膜系ヘルペスは,40~50%の人が20歳台までに初感染を生じるありふれた病気で,生涯繰り返し発症し,1週間前後で治癒するものであり,再発の誘因となるものには発熱,紫外線,ストレス,疲労などが挙げられ,また免疫機能低下により発症するとされている,②しかし,HSV脳炎は皮膚・粘膜ヘルペスとは病態が全く異なること(発症頻度が極めて希な病気であり,10%が死亡し,再発は希で,重症である。),発症機序が異なると考えられること(ウィルスが脳内に侵入する機序について,皮膚・粘膜ヘルペスの再発と同様三叉神経節のなかに潜在したウィルスが側頭葉・辺縁系へ侵入すると推定されているが,三叉神経節と脳との間には血液脳関門が存在して脳を防御していることなどに鑑みると,三叉神経節から脳へのウィルス移動は皮膚・粘膜ヘルペスの再発と比べて困難であると考えられ,また脳内に潜伏していたウィルスが再燃して発症する可能性も考えられる。)から,誘因としては,皮膚・粘膜系ヘルペスと同様のものが候補として挙げられるが,これらをHSV脳炎の誘因と考えられるかは不明である,とする。 なお,同人の執筆する文献(乙20)では,HSV脳炎の発症機序ないし進入経路について,HSVの上気道感染に続いて嗅神経を経由し大脳周辺系を侵襲するという見解,中枢神経系(海馬,扁桃体)での潜伏・再燃機序の可能性が指摘されているが,三叉神経経由説も否定されてはいない。 b 検討以上の各意見を前提事実(1)に照らして検討すると,HSV脳炎の発症機序については, 経系(海馬,扁桃体)での潜伏・再燃機序の可能性が指摘されているが,三叉神経経由説も否定されてはいない。 b 検討以上の各意見を前提事実(1)に照らして検討すると,HSV脳炎の発症機序については,神経細胞内に潜伏するウィルスの再燃が発症の原因となることは一応医学的には肯定されていると考えられるものの,皮膚・粘膜ヘルペスと同様に,三叉神経に潜伏するヘルペスウィルスの再燃によるとは断定しがたく,したがって,発症の誘因を,皮膚・粘膜ヘルペスの場合と全く同一に考えることには疑問がある。両者は,発症部位が異なることから,少なくとも局所的誘因が異なることは十分考えられる。 ところで,一般の健常人に比べAIDS患者にHSV脳炎の発症率が高いことはP11意見書及びP12意見書がともに指摘するところである(甲127及び乙18によると,AⅠDS患者の場合にはHSV脳炎発症率は,全体統計と比較して1万倍になる。)。他方,CDリンパ球数が通常人500立方ミリメートル以上に対し同200以下と免疫力が著しく低下し,ヘルペスウィルス感染症を発症する頻度の非常に高いAⅠDS患者ですら,HSV脳炎を発症する者はまれであり(乙18,22,31),大多数の例では,他疾患や免疫不全を伴わない健常人に発生していると報告されている(乙21)。これらの事実は,免疫力の著しい低下は,HSV脳炎の発症の誘因となりうることを示すと同時に,その発症には,免疫力低下以外にも何らかの有力な誘因が存在することを疑わしめるものである。 結局,免疫機能の低下がHSVウィルス再燃の誘因となること,また,AⅠDS患者におけるような著しい免疫機能の低下がHSV脳炎発症の原因となりうることは一応医学的に肯定されているとみられるものの,HSVウイルスの再燃によるHSV脳炎について,どの程度の免疫力の低下により発症の におけるような著しい免疫機能の低下がHSV脳炎発症の原因となりうることは一応医学的に肯定されているとみられるものの,HSVウイルスの再燃によるHSV脳炎について,どの程度の免疫力の低下により発症の危険性が増大するのかについては,AⅠDS患者の場合の部分的な報告を除けば,全体としては不明であるといわざるを得ない。 ページ(9)(なお,原告は,P12意見書指摘の点から発生機序が両者で異なるという論理的帰結にはならないとし,また,従来はそのような意見を述べていなかったと指摘する。しかし,P12意見書は発生機序が異なる可能性を指摘しているものであり,また原告指摘の文献「成人ヘルペス脳炎」(乙20)は,「成人・高齢者ヘルペス脳炎」の発生機序について,「再燃機序が主役を果たしていると推論されているが,宿主側因子など多くは不明である。」と述べ,不明であると結論している。また,「皮膚・粘膜系での免疫抑制薬,プロスタグランジン,ドライアイスの皮膚刺激などの再燃系も参考になろう」とするが,他方,中枢神経系での潜伏・再燃機序も考えられると指摘している。また,「ウイルス群神経感染症と免疫」(乙23)は,「成人・高齢者の単純ヘルペス脳炎の発症については,三叉神経節,中枢神経系での潜伏・再燃機序,さらには免疫とのかかわりが重要であろう」として,マウスを用いた実験を紹介し,その結論として「かかる実験系は,ある種の免疫能の低下で単純ヘルペス脳炎が発症しうる事を示唆している点で興味深い」と論じているが,あくまで結論としては,「なお多くは不明である。今後の一層の追求が期待される。」と結んでおり,いずれもP12意見書と矛盾するものではない。)(ウ) 以上のとおり,医学的知見により,過重な業務によるストレスが免疫機能低下の原因となること,免疫機能低下がHSVの再活性化の原因となるこ でおり,いずれもP12意見書と矛盾するものではない。)(ウ) 以上のとおり,医学的知見により,過重な業務によるストレスが免疫機能低下の原因となること,免疫機能低下がHSVの再活性化の原因となること,HSVの再活性化がHSV脳炎の原因となることは,それぞれ肯定されるところであり,これを論理的に考えると,過重な業務がHSV脳炎発症の原因となる可能性は肯定されるが,どの程度過重な業務が免疫力をどの程度低下させるか,またどの程度の免疫力低下がHSV脳炎を発症させる原因となるのかは医学的に明らかにされてはおらず(P11意見書やP13意見書もこのような疑問に答えるものでない。),他方,通常想定される過剰業務に従事している者(20歳台以上では大半がHSVの潜伏感染が肯定される。)であってもHSV脳炎を発症する確率は極めて低いことを考慮すると,通常想定される業務による過重負荷が上記プロセスを経て間接的にHSV脳炎発症の原因となるとの命題は,医学的に解明されているものとはいえないし,疫学的見地からこれを裏付けるだけの報告もない。したがってそのことが医学的に確認されているとは到底いえない(なお,千葉労基局地方労災医員協議会座長P14医師の意見書(甲89)も「HSV脳炎の発症に対し,労務による疲労がどの程度の影響を与えるかという点については,その程度を過去の文献から求めることは困難である」とし,職業病相談員P15医師の意見書(甲88)も「脳内侵入が過労ストレスが原因であるか否か不明である」としている。)。 ウ本件発症についての業務起因性(結論)以上によると,通常の労働者において想定されうる業務による過重負荷がHSV脳炎の発症の直接的,間接的原因となることが,高度の蓋然性をもって医学的に確認されているということはできない。ましてや,いかなる形態程度の過重な業務に 者において想定されうる業務による過重負荷がHSV脳炎の発症の直接的,間接的原因となることが,高度の蓋然性をもって医学的に確認されているということはできない。ましてや,いかなる形態程度の過重な業務により,どの程度免疫力が低下するのか,どの程度免疫力が低下すると,どの程度の頻度でHSVが活性化し,活性化したHSVがどの程度の頻度で脳内侵入し,HSV脳炎を発症させるのか,他にいかなる危険因子が存在し,過重な業務との関係がどのようなものであるのかについては,医学上いずれも明らかではなく,脳炎発症に至る経過も把握することはできない。このことからすれば,本件発症について業務起因性を認めることは困難といわなければならない。 もっとも,著しく免疫の低下したAIDS患者において,HSV脳炎の発症率が一般健常人の発症率の1万倍という明らかな高水準を示していることに鑑みると,仮に原告が従事した業務が通常想定し得る域を超えて著しく過重・過酷なもので,生体が有する免疫力を著しく低下させるようなものであったとするならば,業務起因性を肯定する余地がないとはいえないので,次項において,このような観点から原告の就労状況等を検討することとする(なお,本件発症の業務起因性を肯定するP11意見書は,原告の具体的な勤務状況等を客観的に検討した結果に基づくものとは認められない。)。 3 原告の就労状況等について(1) 原告の労働時間数労働時間に関する原告の主張については,ア以下に述べるとおり,証拠上これを認めることができず,原告の労働時間は多くとも被告署長の試算結果(別紙4「労働時間集計表」)を超えることはないというべきである。 そして,この被告署長の試算によると,原告の時間外労働時間は,発症直前の1か月間で8時間であり,その前の1か月間(11月9日~12月8日)こそ34時間45分 」)を超えることはないというべきである。 そして,この被告署長の試算によると,原告の時間外労働時間は,発症直前の1か月間で8時間であり,その前の1か月間(11月9日~12月8日)こそ34時間45分と幾分多いものの,その前の1か月間は4時間45分にすぎない。ちなみに,ウイルス再燃の直前と見られる12月29日から11月30日までの1か月を見ると,就労日数24日で総労働時間208時間15分であり,時間外労働時間は35時間45分であるが,量的に見て特に過重なものではなく,この間休日も6日ある。 ア原告の陳述書(甲93,101,121)について原告の主張する労働時間は,基本的には原告の陳述書に依拠するものであるが,証人P2によると,この陳述書は,妻P2が原告の同僚らから事情を聴取するなどして得た情報を照合して作成したものにすぎないところ,その基礎資料も明らかではなく,これを吟味することもできない以上,直ちに採用できない。この点,同証人は,原告本人に内容を確認した旨供述するが,同人の証言による原告の後遺障害の状況に照らすと,そのような作業が容易に可能であるとは思われず,採用できない。 イ休日出勤及び自宅での作業について(ア) 勤務表に記載のある7月18日,11月29日及び12月6日以外に原告が休日就労したことを認めるに足りる的確な証拠はない。 原告は業務上出勤の必要があった旨種々主張し証拠を提出するが,証人P2の証言(44頁)によると,突き詰めていえば,同証人において,原告が土日続けて家にいることはなかったという記憶と,当時原告が関与していた業務から推測したにすぎないといわざるを得ない。 なお,勤務表は,休日管理のため記載を義務づけられていたもので(乙35),原告もこれを作成し休日出勤の記載をしていた(乙9)。原告と同様管理職であって時間外勤務手 したにすぎないといわざるを得ない。 なお,勤務表は,休日管理のため記載を義務づけられていたもので(乙35),原告もこれを作成し休日出勤の記載をしていた(乙9)。原告と同様管理職であって時間外勤務手当が支給されないP7(証人P7)も,短時間の出勤であれば記載しないこともあるが,少なくとも休日に全日出勤した場合には,勤務表への記載をしていたとする(乙14)。したがって,原告が主張するようにほぼ全日出勤した場合には,勤務表への記載をしていたはずである。 そして,会社の産業医が平成元年10月から11月にかけて実施した調査・面談の結果では,原告の同僚・部下で,原告が休日出勤をしていたと答えた者はおらず(甲68),これがなかったとする者がいる(甲68の38,40)。 さらにいえば,原告が主張する具体的な休日就労について,以下に述べるとおり,多々疑問があり,結局はP2による推測の域を出ない。 a 10月24日(土)について,原告は,「本店から『来週中に150の研究の進捗状況をもとに市場と技術の段階別区分けをするように』との指示があり,予算・研究開発計画策定のため休日出勤した」と主張する。しかしながら,原告の作業は各GLから担当するテーマの進捗状況を報告させた上で行うものと考えられるところ,作業指示ファックス(甲103の1)上部の送信記録によれば,上記作業指示は,10月23日午後5時以降に送付されたものであることが明らかであるから,原告が10月24日に休日出勤をし,作業をすることは時間的に無理がある(乙14,証人P7)。また,上記作業指示には「来週中頃迄にお願いします。」とあるから,10月24日の土曜出勤を必要とする裏付けにはならない。なお,原告は各GLからの報告を受けず,自ら調査作業を行ったかのようにも主張するが,それ自体不合理なことである上,主張の変遷もあ 。」とあるから,10月24日の土曜出勤を必要とする裏付けにはならない。なお,原告は各GLからの報告を受けず,自ら調査作業を行ったかのようにも主張するが,それ自体不合理なことである上,主張の変遷もあり,採用できない。 b 11月6日(金)は,勤務表では年休を取得したように記載されているところ,原告は午後から就労したと主張する。しかし,原告は,当初同日は就労していないと主張していたのであり,その主張が変遷した理由について合理的なページ(10)説明はない。また,原告は所長代理として,自己のものを含め勤務表の記載を確認し確認印を押印する立場にあった(乙35,36)から,勤務表の記載が誤っているのであれば,確認の際に訂正することが可能であり,かつそうすべきであったにもかかわらず,上記勤務表には,そのような訂正がされた形跡は存在しない。したがって,原告の主張は採用できない。 c 11月7日(土)について,原告は,中期経営計画に関し,同月10日に作成した「千葉高分子研究所樹脂関連研究人員推移表」(甲104)の基礎資料(甲105の1~3)作成などの作業を11月7日に行った旨主張する。しかし,関連する資料は,本店等から11月5日や11月9日に送信されるなどし(甲108),最終的に11月10日に作成されているから7日に休日出勤して作業する必要があったとは断じがたい。 d 11月29日(日)の宿直につき,原告は,MNPP16部長からの質問に対する回答を求められるなどの事情があり,仮眠することなく終夜仕事に従事したと主張するが,所長代理という統括的立場にある原告自身が自ら徹夜してまで処理しなければならない案件であったと認めるに足りる証拠はなく,採用できない。 e 12月5日(土)について,原告は,翌日以降に予定された出張資料を作成するため,休日出勤をしたと主張するが,所 てまで処理しなければならない案件であったと認めるに足りる証拠はなく,採用できない。 e 12月5日(土)について,原告は,翌日以降に予定された出張資料を作成するため,休日出勤をしたと主張するが,所長代理である原告が自ら資料を作成する必要があったのか疑問であり,また,甲111の15には,当日「家でワーク」との記載があることに照らし,採用できない。なお,翌6日(日)は,出張のため名古屋で前泊しているが,移動前に研究所に出勤をしたり,出張先で何らかの業務に従事したことを認めるに足りる証拠はない。 f 12月12日(土)について,原告は,前週に5日間出張が続いたことから,出張業務の整理,報告書作成のため出勤したと主張するが,12月9日の出張にはP17が同行しており(乙34),報告書の作成資料や報告書の作成は同人が行ったものと考えられ,また,原告は,12月10日(木)は「出張で確認された内容について,GLやグループに報告」した旨主張してもいる。 g 12月19日,27日,30日についても,原告は,試作評価,資料作成・資料検討,2RP始動前準備のため休日出勤をしたと主張するが,これらの日に休日出勤の必要があったと認めるに足りる証拠はない。 (イ) また,別紙1「就労状況表」において,原告は自宅でのデスクワークとして労働時間に算入している日があるが,その事実を認めるに足りる的確な証拠はない。 (ウ) さらに,原告は,別紙1「就労状況表」において,第4土曜日の11月28日及び12月26日を休日としてこれを時間外労働時間としているが,これらの日は所定労働日である(乙9,32)から時間外労働時間ではない。 ウ始業時刻について(ア) 会社において勤務する場合について見るに,所定の始業時刻は午前9時であるところ,証人P7によると,原告は毎日午前8時30分ころまでには出社し から時間外労働時間ではない。 ウ始業時刻について(ア) 会社において勤務する場合について見るに,所定の始業時刻は午前9時であるところ,証人P7によると,原告は毎日午前8時30分ころまでには出社していたことが認められるが,午前8時15分までに出社し,直ちに業務を開始していたことを認める的確な証拠はない。 業務上の必要があり,所定の始業時刻前に具体的に就労していたとしても,せいぜい午前8時30分ころからと見るべきである。 (イ) 出張の場合,実際の会議の開始時刻は午前9時以降とされている(乙37,弁論の全趣旨)。自宅から東京,横浜等の出張先に直行する場合及びホテルに前泊する場合,出張先までの移動時間は,業務の過重性を検討する上では,通勤時間と同様に考え,労働時間に算入すべきではないから,これらの場合の始業時刻は午前9時と見るべきである。 (ウ) なお,原告は,休日出勤の始業時刻を午前10時と主張しつつ,別表1,2においては午前8時15分として計算している日がある。 エ終業時刻について(ア) 会社で勤務した場合で,接待のない場合,前記産業医による調査・面談の結果では,原告の同僚・都下で原告が遅くまで残業をしていたとする者はおらず(甲68),これがなかったとする者がおり(甲68の12,22,23),証人P7も,「5時半から7時ぐらいまでの間には退社されていたと思います」と述べていることから,平均すると午後7時より早く退社していたと認められる。 (イ) 夜の接待のある日の終業時刻は,午後9時ころと認定できる(乙15)。 接待が行われた日について,原告が研究所を訪問した客を接待する場合,敷地内にある施設「三井クラブ」を利用するのが通例である(証人P7,弁論の全趣旨)ところ,甲111(P2が事後に同僚らから独自に聞き取り調査した結果を記載したノート)の 所を訪問した客を接待する場合,敷地内にある施設「三井クラブ」を利用するのが通例である(証人P7,弁論の全趣旨)ところ,甲111(P2が事後に同僚らから独自に聞き取り調査した結果を記載したノート)の9~15によれば,昭和62年10月以降で「夜三井クラブ」と記載のある日は,10月が2日,11月が1日,12月が3日,合計6日となっている。他方,会社が労働保険審査会に提出した昭和63年8月23日付けの「お客様等との会食出席状況」(乙41)によると,10月6日,10月8日,10月12日,10月21日,11月13日,12月23日,12月29日(仕事納め)の7日となっており,日数においてさほど差異がないため,乙41に従い,上記の日に接待が行われたと認める。ただし,12月29日については仕事納めなので(甲112),接待のあった日とはしない。なお,原告は,このほかにも,自己が統括する各グループの忘年会や新年会に参加したり,退勤後部下と飲食することが多くあったが(甲68,証人P7),これら懇親会的なものは業務とは関係がないから,労働時間とすべきではない。 上記の日以外に原告が業務として接待を行ったことを認めるに足りる証拠はない。 (ウ) 出張中の終業時刻は,出張先での終業時刻が所定労働時間外にまで及ぶことは少ないこと(乙36),前述したとおり,出張先から直接帰宅する場合の移動時間は,労働時間に算入すべきではないこと,出張の際午後5時15分以降業務として飲食の場に出席すべき機会がどの程度あったかは不明である上,出張先は本社あるいは東京近辺の顧客がほとんどであることから,所定終業時刻のとおり午後5時半と認めるべきである。 (2) 業務の質及び量ア高分子研究所の業務量増大について(ア) 2RPプラント千葉高分子研究所は,昭和62年5月ころから,1RPから2RPへの 終業時刻のとおり午後5時半と認めるべきである。 (2) 業務の質及び量ア高分子研究所の業務量増大について(ア) 2RPプラント千葉高分子研究所は,昭和62年5月ころから,1RPから2RPへの切り替えにつき品質評価等の業務を行い,原告がそのとりまとめを担当していた(甲30ないし33,甲68の38)。 しかし,他方,ウルトゼックスは,昭和56年から岩国工場にプラント(1RP)を建設して製造していること,試作品の製造は工場の業務であり,研究所は試作品の性能評価を担当するものであること,それも実務はGLの仕事であり,その関連の作業が原告にとって負担になるようなものとは考えられないこと(乙15,乙12,乙17,甲68の38),研究所にとって最も負担となるのは新規プラント(2RP)の完成後にそこで製造された製品に対するクレームへの対処であるところ,2RPの完成は原告の発病後であり,クレームも当然原告の発病後に発生したと考えられること(甲83,乙15,乙16,乙12)からすると,上記業務が原告にとって特に負担となるようなものであったとは認めがたい。 (イ) 増産別紙3「千葉工場生産高」をみると,昭和61年度下期(同年10月から昭和62年3月)こそ予算に対する実績が112.6%と予想を相当程度超えて増加したが,昭和62年度上期及び下期はほぼ予算の範囲内といえる。また,増産といっても,製品化されて継続して安定生産されている商品の増産であれば,直接影響があるのは工場であり,研究所の業務には直接の関係はない(乙12,乙16)。昭和62年ころ研究所への来訪者が多くなったことは事実であるが,主には見学者と思われる(甲83)。 ページ(11)(ウ) 成形法加工方法の複雑化オゾン機や押出機導入の直接の担当者はGLである(証人P7,乙12)。オゾン機設置の際は, ったことは事実であるが,主には見学者と思われる(甲83)。 ページ(11)(ウ) 成形法加工方法の複雑化オゾン機や押出機導入の直接の担当者はGLである(証人P7,乙12)。オゾン機設置の際は,保安会議が開かれて安全基準の検討がされたが,実務面の処理を行ったのはGLであった。また,ウルトゼックス製造上の問題点の多くは,1RP(岩国工場)において昭和50年代に発生し解決されたものである(乙12,乙15)。 (エ) TK化問題原告主張のTK化問題は数年来の課題であったが,これを担当していたのは樹脂研究課であり,担当部長代理は同課の課長を兼ねるP3であった。そして,組織改正が行われた昭和62年6月の時点では,TK化問題には一応の区切りがついており,若干の課題が残っていたにしても,同年末までには全て解決している(以上,甲29,乙16,証人P8)。 したがって,昭和62年当時TK化問題が原告の業務の質及び量に影響していたとは考えられない。 (オ) 大塚製薬向けプロジェクト大塚製薬向け新規輸液容器開発プロジェクトは,樹脂研究課と加工技術グループの共同テーマであって,P3の特命プロジェクトであり,昭和62年6月に組織改正がされた後は,所長が直轄する加工品開発グループのプロジェクトとなった(乙12の31項)。原告及び原告の担当業務とは直接関係がない。 イ原告への業務集中について昭和62年6月の組織改正の際,P3部長代理及びP5エラストマー研究部部長が千葉高分子研究所から転出し,P5の後任としてエラストマー第1ないし第3グループを統括するためP18部長代理が着任したが,P3の後任は配置されず,原告(樹脂第1,第2及び特殊ブロー)及びP18(エラストマー第1ないし第3)が統括する以外のグループは,P4所長の直轄となった(前提事実及び弁論の全趣旨)。 こ 任したが,P3の後任は配置されず,原告(樹脂第1,第2及び特殊ブロー)及びP18(エラストマー第1ないし第3)が統括する以外のグループは,P4所長の直轄となった(前提事実及び弁論の全趣旨)。 このP3の異動は,TK化問題など同人が課長を兼務していた樹脂研究課の担当テーマに一応の区切りがついたことから同課を廃したことに伴うもので,この異動により,原告がP3の担当していた業務を引き継いだわけではない(乙16)。もっとも,部長代理として,原告とP3が業務執行上適宜協力分担し合っていた部分では原告の負担が増加した可能性は否定できない。 また,P4所長は所員の人望が薄く反感を抱く者も少なくなく,他方,人望があって面倒見もよかった原告は,部下から相談を受けたり頼られたりすることが多かったため,所長と所員との調整に気を配ることもあり,部下に頼まれて接待の場に同席することも多かった(甲68の4,5,10,11,18,乙17,証人P7)。上記のようなP4所長との関係について,会社の産業医による前記調査・面談の際,所員の中には,原告がP4所長の人間性や仕事ぶりにかなりの不信感やストレスを感じており,本件発症はその結果であるように述べる者が複数いる(甲68の10,33,36)。 所長と所員との関係が上記のようなものであれば,間に立つ原告が所長との人間関係において一定のストレスを感じたであろうことは否定できないが,原告自身が直接P4所長と対立していたことを認めるに足りる証拠はない。また,同所長は,上記のとおりもともと部下から反感を持たれており,さらに,昭和63年の年末ころ,P2が本件に関し情報収集していることに対し協力しないよう所員に指示したことがあり,一層強い反発を受けていた(甲68の4,7,8,11,14,18,23)。これを考慮すると,P4所長に対する批判と ,P2が本件に関し情報収集していることに対し協力しないよう所員に指示したことがあり,一層強い反発を受けていた(甲68の4,7,8,11,14,18,23)。これを考慮すると,P4所長に対する批判と表裏の関係にある原告の精神的負担について上記所員が述べるところは,割り引いて受け取らなければならず,直ちに全部採用することはできない。 さらに,原告の部下でサブGLであったP7は,昭和62年当時午後11時,12時まで残業をしていた事実があり,また,同年10月のGL会議において,人員が逼迫しており,本店の研究企画部長が調整するので希望は早めに申し出るよう指示があったこともある(証人P7,甲83)。 しかし,GLを含む現場の担当者と原告のような上級管理職とでは仕事の内容も質も異なるから,現場が多忙であっても原告も同程度あるいはそれ以上に多忙であるということにはならない。 なお,昭和62年11月10日付けの「63年度中計共通人員配分67年度ガイドライン」(甲124)によると,所長,部長,部長代理及びスタッフ等の人員は,62年度下期の予算では7名であるのに対し11月1日在籍は5名となっている。しかし,全体でみると予算上の人員は121人,在籍人員は120人であってほぼ同数であり,各研究所,部署ごとに見ると,在籍数が予算人員の半数以下の研究所がある一方,予算を大幅に上回る人員が配置されている部署等もあり,各所管業務が予算策定時のままであるか疑問がある。そもそも同文書は,何らかの文書に添付された資料の一部であって,上記の人員(GLを含む現場担当者は含まれない。)を67年度までに総計120人から90人に削減する指針を示すものであるところ,その背景事情を説明する資料は一切ない。このような点からすると,配置数が予算上の数より少ないからといって,必ずしも部長代理の業務がそ までに総計120人から90人に削減する指針を示すものであるところ,その背景事情を説明する資料は一切ない。このような点からすると,配置数が予算上の数より少ないからといって,必ずしも部長代理の業務がその分過剰となったとの結論を導くことはできない。 さらに,原告の主張するミラソン課の減員については,同課は昭和60年1月にミラソン事業が三井ポリケミカルから会社に移管されたことに伴い,研究所においても,段階的措置として三井ポリケミカルから移籍した者を構成員とする独立の課として発足させたものであるが,半年余りを経て課員が研究所の一員として円滑に業務を遂行できるようになったことから,研究所では,発展的に同課を解消して課員を各部署に割り振り,一部の者は研究所外の部署でミラソンの業務を行うことになったことが認められるのであって(乙14,証人P7),一概に減員があったとは判断できない。 次に,原告の主張する個別の項目について検討する。 (ア) 安全管理従前,研究所の安全管理はP3が担当していたが,昭和62年6月のP3の異動により,原告が研究所の安全管理の責任者となった(証人P719,20頁)。そして,原告は研究所の見回りをするなど現にその業務に従事した(甲68の39,証人P7)。安全管理業務は直接は各GLが担当部門について責任を負い,全体についての実務作業は主に所長付のP19及びP10が担当した(乙16)。また,当時研究所において安全管理が問題となる労災事故が発生したことを示す証拠はない。 (イ) 管理業務の増加管理業務については,P3と適宜分担していた部分があり,その分負担が増加したであろうと推認できる。しかし,文書は基本的に各GLらが作成するもので,原告の業務は基本的にそのチェックである。 (ウ) クレーム処理クレーム処理についても,P3と適宜分担し ,その分負担が増加したであろうと推認できる。しかし,文書は基本的に各GLらが作成するもので,原告の業務は基本的にそのチェックである。 (ウ) クレーム処理クレーム処理についても,P3と適宜分担していた部分があり,その分負担が増加したであろうと推認できる。しかし,クレーム処理は,GLクラスの対応で解決するのが原則であること(乙12の14項,乙15の10項),自己の担当しない部署のクレームについて正式に対応することは例外であろうと推察されることからすると,この点も特に負担が重かったとは考えにくい。 (エ) 予算の作成昭和63年度予算は,原告の発症後である昭和63年2月から3月にかけて策定されたものであり(乙16の19項),原告はその前段としての中期計画の作成に関与したにすぎないもので,この点も特に負担が重かったとは考えにくい。 (オ) 業界団体幹事業務おおよそ原告主張のような状況にあり,原告が交渉等を担当していた(甲46ないし49)。しかし,資料等の準備を担当していたのは,委員として参加していたP20及びP21であり(証人P8),本件発症直前の時期には,交渉ページ(12)等は順調に推移していたことが窺える(甲29,46)。 (カ) TQC問題会社では,昭和62年6月から「企業体質強化を目的とした顧客の信頼の向上と仕事の質の改善運動」であるTQC活動の第Ⅲ期が実施されており,当時研究所においてもその一環として「顧客情報管理システムづくり」が行われ,原告もこれを担当していた。そして,アンケートを実施した上,同年12月21日のミーティングで,アンケート結果を基に意見交換が行われ,翌年1月までに顧客技術情報に関するデータを収集し,2月末までにデータを整理し,3月末までに印刷を完了し,4月1日実施の計画が立てられた(以上,甲41ないし45)。した ト結果を基に意見交換が行われ,翌年1月までに顧客技術情報に関するデータを収集し,2月末までにデータを整理し,3月末までに印刷を完了し,4月1日実施の計画が立てられた(以上,甲41ないし45)。したがって,本件発症直前に特に業務が集中したわけでもない。また,TQC活動のまとめ役の業務は一般にそれほど負担ではない(甲68)。 (キ) 出張別紙6「P1出張一覧表(発症前6ヶ月)」によると,11月と12月の出張回数は各10回であるが,他の月と比べ,この2か月間に出張が集中しているわけではない。月に10回という出張回数は一般の会社員と比べ多いともいえるが,出張先は,東京所在の本店,関連会社が12回,その他,東京,千葉及び川崎が5回,群馬が1回と日帰りできる先がほとんどで,泊付は11月と12月に各1回である。これからすると,11月及び12月の出張が原告の業務において,特に負担となるものであったとは考えられない。また,出張により千葉高分子研究所内で処理すべき業務を処理する時間を圧迫するか否かは,結局,当該業務の繁閑の問題に帰する。 (ク) 接待接待それ自体が質的に過重な業務であるとは考えられない。また,それにより千葉高分子研究所内で処理すべき業務を処理する時間を圧迫するか否かは,結局,当該業務の繁閑の問題に帰する。 (3) 以上検討したところに基づいて,本件において,原告の従事した業務が通常想定し得る域を超えて著しく過重な負荷となっていたか否かについて検討する。 前記(1)及び(2)によれば,原告の関与する業務は,広範囲で重要案件が多く,これにP4所長と部下との関係が円満でないことも加わり,精神的苦労が多かったと推察される。しかし,他方,原告の業務に対する関わりは,上級管理職として,GL等の部下の業務のチェック,接客・出張時に担当者と同席しての応接・交渉 関係が円満でないことも加わり,精神的苦労が多かったと推察される。しかし,他方,原告の業務に対する関わりは,上級管理職として,GL等の部下の業務のチェック,接客・出張時に担当者と同席しての応接・交渉,会議への出席などが主であり,自らが具体的作業を行って何らかの結果を出すというものではないから,肉体的にはさほど負担の重いものではなく,時間外労働時間が前記(1)の程度に止まったのもその結果であると考えられる。これを考慮すると,原告が従事していた業務が肉体的,精神的に著しく過重であったとはいえない。 さらに,出張や接待等についても,それ自体原告にとって負担となった様子は窺えない。原告は,これに時間を取られ,他の業務を処理する時間を圧迫したと主張するけれども,労働時間数が前記(1)の程度に止まっていること,原告は,つき合いがよく,終業後個人的に部下を誘って飲食することも多く,スポーツの催しにも積極的に参加していたことが窺える(甲68)ことに照らし採用できない。 他に原告の従事した業務が上記程度にまで過重な負荷となっていたことを認めるに足りる的確な証拠はない。 (4) 他の要因について甲121添付の資料1,甲140,証人P2,同P7及び弁論の全趣旨こよれば,次の事実が認められる。 昭和62年7月ころ,原告の自宅向いの鉄筋コンクリート造り建物の解体工事が始まったが,振動と騒音がひどかった上,1か月を経過しても解体工事が終わらず,原告の自宅建物にも振動による損傷被害が生じたことから,P2や近隣住民が市役所の公害課に苦情相談を行った。市は,業者に工事を中断させ,住民と協議するよう指導し,原告は,近隣住民から頼まれて世話役を引き受けることになった。同年10月以降,業者との話し合いは進まず,原告又はP2は,市に対し,頻繁に手紙や電話で督促や種々の申し入れを行い, と協議するよう指導し,原告は,近隣住民から頼まれて世話役を引き受けることになった。同年10月以降,業者との話し合いは進まず,原告又はP2は,市に対し,頻繁に手紙や電話で督促や種々の申し入れを行い,また,業者に対し,家屋被害の金銭的補償を申し入れるなどした。その後,12月23日に至ってようやく原告ら住民25名と業者との間に協定が締結され,昭和63年1月6日から解体工事が再開されることとなった。しかし,再開予定前日になって工事日程が1月11日に変更された上,P2は,その後も引き続き,工事による騒音,振動,廃材の一部を現場で焼却したことによる悪臭の発生,地下室の解体作業による被害発生のおそれ等について市役所に指導依頼を行わなければならず,結局解体工事は何度か中断しながら1月末ころに終了した。 ところで,原告の長男(昭和○年○月○日生)は,昭和62年春の大学受験に失敗し,同年3月に高校卒業後は浪人生として受験勉強中であったが,上記解体工事開始のため自宅で受験勉強を続けるのが困難であったので,原告が市川市内にワンルームマンションを借り,長男に一人暮らしをさせた。別居後,原告が長男の様子を見にここを訪れることがあったが,P2が訪れたことはなく,また,長男は,受験勉強が順調に進んでおらず,正月も自宅には戻らなかった。P2は,本件発症後の昭和63年2月ころ,見舞いに来たP7に対し,長男の所へ行き食事をさせるよう頼み,原告が倒れたので家に帰るように伝言も依頼した。P7がこれを承諾し長男の元を訪れたところ,長男が憔悴しきった様子であったので,知り合いの精神科医を紹介した。 以上認定の事実によると,原告が長男を別居させた直接の理由は,被告が示唆するような長男とP2との間の軋轢にあるというよりは,解体工事により受験勉強のための環境が悪化したことにあると推測される。し 。 以上認定の事実によると,原告が長男を別居させた直接の理由は,被告が示唆するような長男とP2との間の軋轢にあるというよりは,解体工事により受験勉強のための環境が悪化したことにあると推測される。しかし同時に,家庭内に浪人生がいたところに解体工事問題が生じて長男の受験勉強に支障を生じたこと,工事により自宅建物にも被害が出てその補償問題が生じた上,近隣住民の世話役を引受けざるを得ず,市役所や業者との度々の交渉を経て年末の協定締結に至るまで3か月近くも要したこと,この間,受験勉強中の長男に一人暮らしをさせることを余儀なくされたこと,以上の事情は,その間,原告及びP2にとって相当程度の心労となるものであったと推認される。むしろ,それが日常経験することのない突発的なトラブルないし異常事であるという点で,原告にとっての精神的負担は,日常業務遂行上感じる負担より強いものであった可能性もある(なお,頻度は不明ながらも,原告が帰宅途中や休日等に長男の様子を見に訪問することが希ではなかったと推認される。)。 (5) 以上検討したとおり,原告が本件発症前に従事していた業務は,それなりに多忙で精神的負荷のあるものであったといえるが,特に原告の免疫状態を著しく低下させるようなものであったとは認められず,仮に原告が強い精神的なストレスを受けていたとするならば,むしろ,家庭生活の場面にその主たる原因があったと見るほうが容易である。 4 被告署長に対する請求について以上によれば,原告の業務と本件発症との間には相当因果関係を認めることができず,本件発症には業務起因性が認められない。したがって,本件休業補償不支給処分及び本件障害補償不支給処分はいずれも適法であり,被告署長に対する請求はいずれも理由がない。 5 被告審査会に対する請求について行政事件訴訟法10条2項により,原告 たがって,本件休業補償不支給処分及び本件障害補償不支給処分はいずれも適法であり,被告署長に対する請求はいずれも理由がない。 5 被告審査会に対する請求について行政事件訴訟法10条2項により,原告が本訴において被告審査会に対し本件各裁決の取消しを求めることができるのは,裁決に固有の瑕疵がありこれが違法となる場合に限られると解すべきところ,原告の主張する点はこれに該当しないから,被告審査会に対する請求はいずれも理由がない。 第4 結論よって,原告の被告らに対する本訴請求はいずれも理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。 東京地方裁判所民事第11部裁判長裁判官三代川三千代裁判官多見谷寿郎裁判官鈴木昭洋ページ(13)

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