令和3年4月20日宣告広島高等裁判所令和2年(う)第152号過失運転致傷被告事件原審山口地方裁判所令和2年(わ)第28号 主文 本件控訴を棄却する。 理由 1 本件控訴の趣意は,弁護人作良昭夫作成の控訴趣意書に記載されているとおりであるからこれを引用するが,論旨は,要するに,被告人に過失は認められず,無罪であるにもかかわらず,これを認めて被告人を有罪とした原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある,というものと解される。 そこで,記録を調査して検討する。 2 原判決が認定した「罪となるべき事実」の要旨は,被告人が,普通乗用自動車(以下「被告人車両」という。)を運転し,片側一車線の道路を進行するに当たり,進路を適正に保持して進行すべき自動車運転上の注意義務があるのにこれを怠り,進路を適正に保持しないまま時速約60kmで進行した過失により,自車を対向車線に進出させ,折から対向進行してきたA運転の普通乗用自動車(以下「A車両」という。)右側面に自車右前部を衝突させ,さらに,A車両の後方を進行していたB運転の普通乗用自動車(以下「B車両」という。)左前部に自車左前部を衝突させた上,自車右側面前方を対向車線側のガードレールに衝突させ,よって,A,B及び自車同乗者1名にそれぞれ傷害を負わせたというものである。 3 本件は,第2次控訴審である。山口地方裁判所下関支部(差戻し前第1審)が,A,Bの各証言の信用性を否定するなどして被告人を無罪としたのに対し,検察官が控訴し,広島高等裁判所(第1次控訴審)はこれに理由があるものと認めた上で,記録上,本件捜査に関与したC警察官が一部内容虚偽の記載を含む実況見分調書を作成した疑いを否定できないことから,刑訴法435条の規定に鑑み, 判所(第1次控訴審)はこれに理由があるものと認めた上で,記録上,本件捜査に関与したC警察官が一部内容虚偽の記載を含む実況見分調書を作成した疑いを否定できないことから,刑訴法435条の規定に鑑み,本件を山口地方裁判所に差し戻した。 山口地方裁判所(差戻し後第1審)の有罪判決に対し,被告人が控訴したのが当審である。 4 原判決は,要旨,以下のとおり判示して,被告人の進路保持義務違反の過失を認定した。 ⑴ 本件事故現場付近は長門市方面と北九州市方面を結ぶ直線道路であり,本件事故当時,被告人車両は北九州市方面に,A車両は長門市方面に,それぞれ向かって進行していた。 ⑵ 本件事故後,長門市方面車線上には,同車線の中央付近から始まり,緩やかに右に向かい中央線に接近した後,中央線近くから緩やかに左に向かってA車両停止位置付近まで伸びる細い一筋のタイヤ痕(以下「本件タイヤ痕」という。)が残されていた。 ⑶ 本件事故の解析を行ったDは,①本件タイヤ痕は,タイヤがバーストし,路面とホイールの間に挟まったタイヤのゴムがこじれて印象されたと考えられるところ,A車両の右後輪がバーストしており,右後輪外側側面のほこりが取れた痕は地面とこすれた痕跡と認められることからすると,本件タイヤ痕はA車両の右後輪により印象されたものである,②タイヤはサスペンションのばねで下に押し付けられており,空気が抜けると地面に押し付けられるため,衝突した瞬間にタイヤがバーストした場合は,衝突地点とタイヤ痕の印象開始地点はほぼ同一地点となる旨証言している。 Dは,30年以上にわたりタイヤの力学や摩耗研究,タイヤ痕からの交通事故解析等を行っており,タイヤの構造力学研究で博士号を取得している者であって,学識,経歴,実績に照らして交通事故解析に関する十分な資質 ,30年以上にわたりタイヤの力学や摩耗研究,タイヤ痕からの交通事故解析等を行っており,タイヤの構造力学研究で博士号を取得している者であって,学識,経歴,実績に照らして交通事故解析に関する十分な資質を備えている。そして,証言内容はA車両の右後輪の状況等の客観的資料に基づくものであって,本件事故現場には本件タイヤ痕以外にはA車両の右後輪外側側面のほこりが取れた原因となる痕跡は見当たらないことなどの客観的状況とも符合しており,その信用性は高い。 他方,弁護人の依頼により本件事故を解析したEは,本件タイヤ痕は,衝突によりA車両の車体右側が浮き上がり,左後輪が横滑りしたことによって印象されたものであるなどと証言している。 しかし,Eは,物理学や工学の知見を有する人物ではない上,差戻し前第1審で取り調べられたD作成の鑑定書(差戻し後第1審では取り調べられていない。)のみを基礎資料としていることから,資質や基礎資料に疑義があり,上記証言の信用性については慎重に検討する必要がある。 そして,Eの見解によればA車両は衝突により車体右側が浮き上がるというのであるから,衝突直後は,車体左側に重心が移動し,車体は左方向に動くはずであり,タイヤ痕は左方向に弧を描いて始まるはずであって,本件タイヤ痕のように右方向へ向けて始まるタイヤ痕となるとは考え難い。また,A車両の左後輪は損傷しておらず一定幅の接地面があったと考えられることから,A車両の左後輪のタイヤ痕だとすれば一定の幅があるはずである。E証言は本件タイヤ痕の形状に照らして不自然,不合理であり,D証言の信用性を揺るがせるものではない。 ⑷ 長門市方面車線の中央付近から始まる本件タイヤ痕はA車両の右後輪により印象されたものであるから,A車両と被告人車両は長門市方面車線上で衝突し であり,D証言の信用性を揺るがせるものではない。 ⑷ 長門市方面車線の中央付近から始まる本件タイヤ痕はA車両の右後輪により印象されたものであるから,A車両と被告人車両は長門市方面車線上で衝突したと認められること,被告人車両とA車両の損傷部位や損傷状況に照らせば被告人車両はA車両に対して浅い角度で衝突したと認められること,被告人車両とB車両の損傷状況及び事故直後の停止状況に照らせば双方の車両の左前部同士が衝突したと認められることからすると,本件事故態様は,被告人車両が徐々に進行方向右側の長門市方面車線に進出していき,長門市方面車線上で同車線とおおむね平行に走るA車両の右側面と被告人車両右前部が衝突した上,そのまま被告人車両は右側に進行を続けて,A車両に後続するB車両の左前部と被告人車両の左前部が衝突し,その後,長門市方面車線のガードレールと被告人車両右側面前方が衝突したものと認められる。 5 以上の原判決の認定判断は,論理則,経験則等に照らして不合理なものではなく,当裁判所も正当として是認することができる。 6 所論について検討する。 ⑴ 所論は,原判決が,「本件タイヤ痕がA車両の右後輪によって印象された。」旨のDの原審証言(以下「D証言」という。)の信用性を認めた点を論難し,「原判決は,D証言が信用できる根拠としてA車両の右後輪外側側面にほこりが取れた痕があるという点を挙げているが,これは明らかに誤りである。A車両は,被告人車両と接触後,何十mも走行しているのであるから,タイヤの側面のほこりが取れるのは当然である。」と主張する。 しかしながら,証拠によれば,A車両の右後輪タイヤのほこりが取れた痕は,タイヤの側面に沿って円周を描く細い一筋の線状の痕跡となっている。このような痕跡の形状や,この形状が同様に細い一筋の る。 しかしながら,証拠によれば,A車両の右後輪タイヤのほこりが取れた痕は,タイヤの側面に沿って円周を描く細い一筋の線状の痕跡となっている。このような痕跡の形状や,この形状が同様に細い一筋の線状をなす本件タイヤ痕の形状と整合している点は,本件タイヤ痕がA車両の右後輪によって印象されたとのD証言をよく裏付けている。 加えて,D証言は,本件タイヤ痕がA車両の右後輪によって印象されたと考える根拠として,上記の点のみならず,本件タイヤ痕がS字型の形状をしており,この形状からして,タイヤがバーストにより路面とホイールの間に挟まり,こじれてじりじりと印象した痕跡であると認められることも挙げている。D証言は,専門的知見に裏付けられているのみならず,関係証拠によって認められる本件タイヤ痕の形状にも合致し,これをよく説明し得るものであって,十分な信用性が認められる。 所論は,「本件においては,本件タイヤ痕がバーストしたタイヤによって印象されたものであるとの証拠がない以上,右後輪がバーストしていることをもって本件タイヤ痕が右後輪によって印象されたと認定することはできない。」とも主張するが,A車両の右後輪タイヤのほこりが取れた痕や本件タイヤ痕のS字型の形状に裏付けられたD証言が,本件タイヤ痕がバーストしたタイヤに よって印象されたものであると認めるに足りる十分な証拠といえる。 ⑵ 所論は,「本件タイヤ痕とE作成の鑑定書に添付された『横滑り痕(ヨーイング痕)』の写真とが,実によく似ている。このことからすれば,本件タイヤ痕はバーストしたタイヤが印象するタイヤ痕ではない。」と主張する。 しかしながら,所論が指摘する横滑り痕の写真は,「捜査官のための交通事故解析【第3版】」と題する書籍の抜粋であるところ,この写真を,本件タイヤ痕の写真 印象するタイヤ痕ではない。」と主張する。 しかしながら,所論が指摘する横滑り痕の写真は,「捜査官のための交通事故解析【第3版】」と題する書籍の抜粋であるところ,この写真を,本件タイヤ痕の写真と対比してみても,所論がいうほど類似しているとは解されない。 また,所論が指摘する横滑り痕の写真の解説文には,「横滑り痕は弧を描いて印象される」との記載があり,S字型である本件タイヤ痕の形状とは異なっている。 加えて,Dは,本件タイヤ痕が横滑り痕である可能性がないことについても原審で明確に証言し,その根拠として,横滑り痕であれば一旦途切れるはずであるところ,本件タイヤ痕は細い線が連続して筋状に付いていることなどを挙げている。そして,この証言は,Dの学識,経験に加え,横滑りの際は,荷重の移動によって左右の車輪が交互にタイヤ痕を印象するため,タイヤ痕は途切れることになるとの合理的な説明を付していることからしても,十分な信用性が認められる。 所論の指摘を検討しても,原判決の認定に誤りは見いだせない。 ⑶ 所論は,原判決が,E証言の信用性を否定するに当たり,Eが鑑定書作成の際,差戻し前第1審において取り調べられたD作成の鑑定書しか参照していないと認定した点について,「Eは,鑑定に際して実況見分調書も参照しているからこの点は誤りである。」と主張する。 この点,Eは,原審において,鑑定書作成に当たり,資料として,D作成の上記鑑定書のみならず,実況見分調書1通も受け取ったと証言している。また,E作成の鑑定書には,「本件における判定の資料」として,文献とともに,D作成の上記鑑定書のほか,「実況見分調書」と記載されている。以上から,所 論の上記指摘は正当である。 しかしながら,上記のD作成の鑑定書と実況見分調書は,いずれも原審において ともに,D作成の上記鑑定書のほか,「実況見分調書」と記載されている。以上から,所 論の上記指摘は正当である。 しかしながら,上記のD作成の鑑定書と実況見分調書は,いずれも原審においては取り調べられていない証拠であり,鑑定の基礎資料として適切でも十分なものでもないから,鑑定に際し,上記実況見分調書を参照したからといって結論が左右されるものではない。 また,Eは,物理や工学については高校で習っただけで,専門的に学んだことはなく,検察庁や裁判所の嘱託による鑑定の経験もないことを自認している。 加えて,Eの証言する本件事故の機序においては,本件タイヤ痕が右方向に向けて始まっていることや,A車両の左後輪は損傷しておらず一定幅の接地面があるにもかかわらず,本件タイヤ痕が細い線状であることを的確に説明できないことは,原判決が適切に説示するとおりである。E証言がEの学識,経験のほか,本件タイヤ痕の形状等の客観的状況との整合性のいずれの観点においても,D証言と対比して到底信用できないことは明らかであり,所論の指摘を踏まえても,この結論は左右されない。 ⑷ いずれの所論も採用できず,論旨は理由がない。 7 なお,本件第1次控訴審裁判所は,差戻し前第1審において取り調べられた証拠のうち,C警察官作成の実況見分調書に,一部虚偽の内容が記載されている疑いがあり,この点について検察官も特段の立証をしていなかったことから,今後,C警察官等について証拠偽造・偽造証拠使用罪(刑法104条)ないし虚偽公文書作成・行使罪(刑法156条,158条)が成立する可能性を否定できず,刑訴法435条の規定に鑑み,C警察官に対する刑事処分が確定していない現時点で自判することが相当でないとして本件を山口地方裁判所に差し戻したものである。 本件記録上,いまだC警察官 定できず,刑訴法435条の規定に鑑み,C警察官に対する刑事処分が確定していない現時点で自判することが相当でないとして本件を山口地方裁判所に差し戻したものである。 本件記録上,いまだC警察官に対する刑事処分の帰すうは不明であるが,差戻し後第1審である原審は,公判手続の更新に際して,差戻し前第1審において取り調べられた証拠のうち,C警察官作成の上記実況見分調書のほか,公判調書中 のC警察官の尋問調書,さらにはこれらの証拠を基礎とした公判調書中のF警察官及びDの各尋問調書並びにD作成の鑑定書等について,いずれも取り調べない旨を決定しており,差戻し後第1審判決である原判決が基礎とした証拠の中には,偽造又は変造を疑われる証拠も,C警察官作成の証拠もC警察官の供述も含まれていない。そうすると,本件においては,原判決について,今後,刑訴法435条1号,7号等の事由が生ずる具体的なおそれは解消されたものといえる。 8 よって,刑訴法396条により本件控訴を棄却することとし,主文のとおり判決する。 令和3年4月21日広島高等裁判所第1部裁判長裁判官伊名波宏仁 裁判官廣瀬裕亮裁判官水落桃子は,転補のため署名押印することができない。 裁判長裁判官伊名波宏仁
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