令和5(行コ)14 一時金申請却下処分取消請求控訴事件

裁判年月日・裁判所
令和6年5月10日 札幌高等裁判所 破棄自判 札幌地方裁判所 令和4(行ウ)28
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判決文本文17,755 文字)

主文 1 原判決を取り消す。 2 厚生労働大臣が平成31年2月25日付けで控訴人に対してした中国残留邦人等の円滑な帰国の促進並びに永住帰国した中国残留邦人等及び特定配偶者の自立の支援に関する法律13条3項に基づく一時金の支給の申請を却下する旨 の処分を取り消す。 3 訴訟費用は第1、2審とも被控訴人の負担とする。 事実及び理由 第1 控訴の趣旨主文同旨 第2 事案の概要 1 本件は、中国残留邦人等の円滑な帰国の促進並びに永住帰国した中国残留邦人等及び特定配偶者の自立の支援に関する法律(以下「支援法」という。)13条3項に基づく一時金(以下「一時金」という。)の支給の申請をした控訴人が、厚生労働大臣から同条2項に定める特定中国残留邦人等に該当しないことを理由に 申請を却下する旨の処分を受けたことから、同処分の取消しを求める事案である。 原審は、控訴人の請求を棄却したところ、控訴人がこれを不服として控訴した。 2 関係法令の定め等⑴ 目的支援法は、今次の大戦に起因して生じた混乱等により本邦に引き揚げること ができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされた中国残留邦人等及びそのような境遇にあった中国残留邦人等と長年にわたり労苦を共にしてきた特定配偶者の置かれている事情に鑑み、中国残留邦人等の円滑な帰国を促進するとともに、永住帰国した中国残留邦人等及び特定配偶者の自立の支援を行うことを目的とする(同法1条)。 ⑵ 中国残留邦人等 ア支援法は、中国残留邦人等について、次に掲げる者をいうと定めている。 中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住している者であって同日にお て、次に掲げる者をいうと定めている。 中国の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き中国の地域に居住している者であって同日において日本国民として本邦に本籍を有していたもの及びこれらの者を両親として同月3日以後中国の地域で出生し、 引き続き中国の地域に居住している者並びにこれらの者に準ずる事情にあるものとして厚生労働省令で定める者(同法2条1項1号)中国の地域以外の地域において前号に規定する者と同様の事情にあるものとして厚生労働省令で定める者(同項2号)イ中国残留邦人等の円滑な帰国の促進並びに永住帰国した中国残留邦人等 及び特定配偶者の自立の支援に関する法律施行規則(以下「支援規則」という。)は、支援法2条1項2号の「厚生労働省令で定める者」について、次のとおりとすると定められている。 樺太の地域における昭和20年8月9日以後の混乱等の状況の下で本邦に引き揚げることなく同年9月2日以前から引き続き樺太の地域に居 住している者であって同日において日本国民として本邦又は樺太に本籍を有していたもの(同規則2条1号)前号に掲げる者を両親として昭和20年9月3日以後樺太の地域で出生し、引き続き樺太の地域に居住している者(同条2号)中国の地域以外の地域において前2号に掲げる者と同様の事情にある ものとして厚生労働大臣が認める者(同条3号)⑶ 一時金の支給ア支援法は、一時金の支給について次のとおり定めている。 永住帰国した中国残留邦人等(明治44年4月2日以後に生まれた者であって、永住帰国した日から引き続き1年以上本邦に住所を有するものに 限る。以下この項及び第5項において同じ。)であって、昭和21年12 月31 等(明治44年4月2日以後に生まれた者であって、永住帰国した日から引き続き1年以上本邦に住所を有するものに 限る。以下この項及び第5項において同じ。)であって、昭和21年12 月31日以前に生まれたもの(同日後に生まれた者であって同日以前に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるものとして厚生労働省令で定める者を含む。)に係る昭和36年4月1日から初めて永住帰国した日の前日までの期間であって政令で定めるものについては、政令で定めるところにより、国民年金法等の一部を改正する法律(昭和60年 法律第34号。第3項において「昭和60年法律第34号」という。)第1条の規定による改正前の国民年金法(昭和34年法律第141号)(以下「旧国民年金法」という。)による被保険者期間(以下「旧被保険者期間」という。)又は国民年金法第7条第1項第1号に規定する第1号被保険者としての国民年金の被保険者期間(以下「新被保険者期間」という。) とみなす。(支援法13条1項)前項に規定する永住帰国した中国残留邦人等(60歳以上の者に限る。)であって昭和36年4月1日以後に初めて永住帰国したもの(以下「特定中国残留邦人等」という。)は、旧被保険者期間又は新被保険者期間(同項の規定により旧被保険者期間又は新被保険者期間とみなされた期間を 含み、旧国民年金法第5第3項に規定する保険料納付済期間、国民年金法第5条第1項に規定する保険料納付済期間その他の政令で定める期間を除く。第4項において同じ。)に係る保険料を納付することができる。(同条2項)国は、特定中国残留邦人等に対し、厚生労働省令で定めるところにより、 当該特定中国残留邦人等の旧被保険者期間(第1項の規定により旧被保険者期間とみなされた期間を含む。)及び (同条2項)国は、特定中国残留邦人等に対し、厚生労働省令で定めるところにより、 当該特定中国残留邦人等の旧被保険者期間(第1項の規定により旧被保険者期間とみなされた期間を含む。)及び昭和60年法律第34号附則第8条第2項に規定する厚生年金保険の被保険者期間(政令で定める期間に限る。)並びに国民年金法による被保険者期間(第1項の規定により新被保険者期間とみなされた期間を含み、政令で定める期間を除く。)に応じ、 政令で定める額の一時金を支給する。(同条3項) 国は、前項の一時金の支給に当たっては、特定中国残留邦人等が満額の老齢基礎年金等の支給を受けるために納付する旧被保険者期間又は新被保険者期間に係る保険料に相当する額として政令で定める額を当該一時金から控除し、当該特定中国残留邦人等に代わって当該保険料を納付するものとする。(同条4項) イ上記アの支援法の定めにより、特定中国残留邦人等は、国民年金制度が創設された昭和36年4月1日から永住帰国するまでの期間を国民年金の被保険者期間とみなし(支援法13条1項)、同期間に加え帰国後の期間についても保険料の納付が認められ(同条2項)、その納付に必要な保険料は全額国が負担することになり(同条3項及び4項)、満額の老齢基礎年金を受 給することができる。 ⑷ 特定中国残留邦人等ア前記⑵及び⑶によれば、特定中国残留邦人等とは、中国残留邦人等であって、①明治44年4月2日以後に生まれた者であって、永住帰国した日から引き続き1年以上本邦に住所を有するもの(支援法13条1項)、②昭和2 1年12月31日以前に生まれたもの、又は、同日後に生まれた者であって同日以前に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるものとして厚生労働省令で定め 支援法13条1項)、②昭和2 1年12月31日以前に生まれたもの、又は、同日後に生まれた者であって同日以前に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるものとして厚生労働省令で定める者(同項)、③60歳以上の者(同条2項)、④昭和36年4月1日以後に初めて永住帰国した者(同項)の全ての要件(以下①ないし④の各要件をそれぞれ「本件要件①」などという。)を満たした 者をいうこととなる。 イ支援規則13条の2は、本件要件②に係る支援法13条1項の「厚生労働省令で定める者」について、昭和22年1月1日以後に生まれた永住帰国した中国残留邦人等(永住帰国した日から引き続き1年以上本邦に住所を有するものに限る。以下この条において同じ。)であって、その生まれた日以後 中国の地域又は樺太の地域その他の中国の地域以外の地域においてその者 の置かれていた事情にかんがみ、明治44年4月2日から昭和21年12月31日までの間に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるものとして厚生労働大臣が認めるものとすると定めている。 ⑸ 厚生労働大臣による認定の指針等ア厚生労働省社会・援護局は、一時金の支給申請に係る事務処理方針(昭和 22年1月1日以後に生まれた永住帰国した中国残留邦人等による「中国残留邦人等の円滑な帰国の促進並びに永住帰国した中国残留邦人等及び特定配偶者の自立の支援に関する法律」第13条第3項の一時金の支給申請に係る事務処理方針。平成27年1月16日付け第3次改正後のもの。以下「事務処理方針」という。乙6の4)を定めているが、その内容は下記のとおり である。 記⑴から⑷までの各要件又は⑴から⑶まで及び⑸の要件を満たした者については、社会・援護局長 6の4)を定めているが、その内容は下記のとおり である。 記⑴から⑷までの各要件又は⑴から⑶まで及び⑸の要件を満たした者については、社会・援護局長の決裁のうえ、支給決定を行うものとし、それ以外の者については、申請を却下するものとする。 ⑴ 省令第13条の3に定める申請書類が提出されていること。 ⑵ 申請日において60歳以上であること。〔以下省略〕⑶ 永住帰国者証明書等を交付されていること。 ⑷ 昭和24年12月31日までに出生した者であること。 ⑸ 昭和25年以降に出生した者であって、ソ連参戦以後の引揚困難事由の 影響により、引き続き残留を余儀なくされたものと認められる者であること。 イ厚生労働省社会・援護局援護企画課中国残留邦人等支援室の各都道府県中国残留邦人等支援事業担当者宛ての平成27年2月18日付け「「満額の労働基礎年金等の支給」のための一時金の認定基準の見直しについて」(乙7) によると、「ソ連参戦以後の引揚困難事由」とは、「留用、中国内戦、中国政 府による帰国の不許可など」とされている。 3 前提事実(争いがない事実並びに後掲各証拠及び弁論の全趣旨により容易に認めることができる事実)⑴ 当事者等ア控訴人は、当時のソヴィエト社会主義共和国連邦(以下「ソ連」という。) 参戦の日の後である昭和△年△月△日(母から聞いた出生日)又は昭和▲年▲月▲日(出生登録上の出生日)、樺太(サハリン)において、いずれも日本人である父Aと母Bの子として出生した。控訴人は、支援法に定める「中国残留邦人等」に該当する。 イ Cは、父Aと母Bの子であり、控訴人の兄である。兄Cは、支援法に定め る「特定中国残留邦人等」に該当する。 ⑵ 控 して出生した。控訴人は、支援法に定める「中国残留邦人等」に該当する。 イ Cは、父Aと母Bの子であり、控訴人の兄である。兄Cは、支援法に定め る「特定中国残留邦人等」に該当する。 ⑵ 控訴人は、平成11年6月7日、兄Cらと共に、樺太から本邦に永住帰国した。 ⑶ 控訴人は、平成27年4月28日、厚生労働大臣に対し、一時金の支給を申請した(以下「本件申請」という。乙1)。 ⑷ 厚生労働大臣は、平成31年2月25日、本件申請について、控訴人が支援法13条に定める「特定中国残留邦人等」に該当しないとして、本件申請を却下する旨の処分(以下「本件処分」という。)をし、書面をもって原告に通知した(甲1)。 ⑸ 控訴人は、令和元年5月30日付けで、厚生労働大臣に対し、本件処分を不 服として審査請求をした(甲2)。 ⑹ 厚生労働大臣は、令和4年2月17日、上記審査請求を棄却する裁決をし、同裁決書は、同月21日、控訴人に送達された(甲3、弁論の全趣旨)。 ⑺ 控訴人は、令和4年8月17日、本件処分の取消しを求めて、本件訴訟を提起した(顕著な事実)。 4 争点及び争点に関する当事者の主張 本件の争点は、控訴人が「特定中国残留邦人等」に該当するか否かであるところ、より具体的には、前記前提事実によれば、控訴人が本件要件①、③及び④に該当すること並びに控訴人が昭和21年12月31日よりも後に生まれた者であることは明らかであるから、控訴人が、本件要件②に係る支援法13条1項の委任を受けた支援規則13条の2の「昭和22年1月1日以後に生まれた永住帰 国した中国残留邦人等であって、その生まれた日以後(中略)樺太の地域(中略)においてその者の置かれていた事情にかんがみ、明治44年4月2日から昭和21年12月31 1月1日以後に生まれた永住帰 国した中国残留邦人等であって、その生まれた日以後(中略)樺太の地域(中略)においてその者の置かれていた事情にかんがみ、明治44年4月2日から昭和21年12月31日までの間に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるもの」に該当するか否かが問題となる。 (被控訴人の主張) ⑴ 支援法が本件要件②のうち「昭和21年12月31日以前に生まれた者であること」と定める趣旨は、昭和22年以後に生まれた者と異なり、ソ連軍の参戦を直接の原因とする混乱又はソ連参戦以後に生じた事由の影響により帰国が極めて困難な状況に置かれたために本邦に引き揚げることができなかった者であることが強く推定されるから、これらの者に対して一律に特別の保護を 与えるのが適切であるとしたところにある。また、昭和21年12月31日後に生まれた者であっても、具体的な事情によっては、ソ連参戦以後に生じた事由の影響により、本邦への帰国が極めて困難な状況に置かれたために本邦に引き揚げることができず、引き続き中国等の地域に居住することを余儀なくされた者もいたと考えられるから、一時金の支給の対象者とする余地を認めた。厚 生労働大臣は、支援規則13条の2の認定を行うにあたり、このような元々の授権規定である支援法13条1項の趣旨に従って行う必要がある。 厚生労働大臣による認定の指針である事務処理方針は、昭和24年までに満州、大連及び中国本土並びに樺太において大規模な引揚げが実施されて合計約307万人の在外邦人が帰国したこと、昭和24年10月1日に中華人民共和 国が成立していることを踏まえると、昭和24年のうちはソ連の対日参戦以後 に生じた事由の影響がなおも続いており、そのさなかに出生した者の中には、その影響を受け、本邦 1日に中華人民共和 国が成立していることを踏まえると、昭和24年のうちはソ連の対日参戦以後 に生じた事由の影響がなおも続いており、そのさなかに出生した者の中には、その影響を受け、本邦に引き揚げることができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされた者がいる可能性があることから、昭和24年12月31日までに出生した者を一時金支給の対象者に含めた(要件⑷)。また、遅くとも昭和25年にはソ連軍の対日参戦を直接の原因とする混乱が続いて いたとはいえないものの、その者が置かれていた具体的な事情によっては、ソ連の対日参戦以後に生じた引揚困難事由の影響によって、本邦に帰国することができず引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされた場合もあることから、昭和25年以降に出生した者についても事案に応じて保護を与えるものとした(要件⑸)。このような取扱いは前述の支援法13条1項の趣旨 に反するものではない。したがって、「昭和21年12月31日までの間に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるもの」(支援規則13条の2)には、事務処理方針⑴ないし⑷の各要件又は⑴ないし⑶及び⑸の各要件を満たすものが含まれる。 ⑵ 一時金の支給に係る制度は、国として相応の財政的負担を伴うものであるか ら、その対象者について一定の制限を設ける必要があるのであって、ソ連軍の対日参戦を直接の原因とする混乱又はソ連参戦以後に生じた事由の影響により帰国が極めて困難な状況に置かれたために本邦に引き揚げることができなかったと強く推認される者に限定して特定中国残留邦人等と認め、それ以外は個別事情によって判断する手法をとることは合理的である。 ⑶ 父A及び母Bについて、父Aが過酷なノルマを課されて漁業に従事していたこと、母B 者に限定して特定中国残留邦人等と認め、それ以外は個別事情によって判断する手法をとることは合理的である。 ⑶ 父A及び母Bについて、父Aが過酷なノルマを課されて漁業に従事していたこと、母Bが緊急疎開時に船に乗れなかったこと、父A及び母Bが逮捕という身の危険を感じて逃亡して身を隠していたことなどに関する裏付け資料は存在せず、控訴人の両親がソ連参戦以後の引揚困難事由の影響により本邦に引き揚げることが出来ず、引き続き本邦以外の地域に居住することを余儀なくされ たとの事情あるいはこれをうかがわせる事情は見受けられない。他方で、複数 の帰還者からの情報提供や母Bに対する日本大使館からの調査等に対して返信がなかったことに照らすと、父A及び母Bがその意思によって引き続き樺太に残留することを選択したともうかがえる事情が認められる。そうすると、控訴人について事務処理方針の要件⑸を満たすということはできず、控訴人は特定中国残留邦人等に該当しない。 ⑷ 兄Cが特定中国残留邦人等に該当すると認定されたのは、本件要件②のうち、昭和21年12月31日以前に生まれたものとの要件を満たすからであって、個別具体的に引揚困難事由を有するかどうかを判断したのではないから、兄Cと同事情である旨の控訴人の主張は理由がない。 (控訴人の主張) ⑴ 特定中国残留邦人等の該当性判断は、一時金支給の制度趣旨からすれば、戦後日本で生活することのできた者とは異なる特別の苦難を受けた中国残留邦人等につきもれなく認められるべきであり、国のわずかな財政的負担を理由に殊更に対象者を絞り込むような解釈は不適切である。事務処理方針の取扱いによれば、昭和24年までに出生したものは、その他の要件を満たせば該当性が 認められるのに対し、昭和25年以降に出生した に殊更に対象者を絞り込むような解釈は不適切である。事務処理方針の取扱いによれば、昭和24年までに出生したものは、その他の要件を満たせば該当性が 認められるのに対し、昭和25年以降に出生したものについては、「ソ連参戦以後の引揚困難事由の影響により、引き続き残留を余儀なくされたものと認められる者」との要件が加重されることになる。昭和24年以前出生者については引揚困難事由について何らの立証を要さず、他方で、昭和25年以降出生者については、引揚困難事由について高度の立証を要するというのは余りに均衡 を欠く。 ⑵ 父A及び母Bは、ソ連が樺太を占領して日本本土への渡航を禁じたことにより帰国困難となった。父Aは、当初はソ連当局による漁業留用のため、後には身柄拘束された母Bを見捨てることができなかったため、前期集団引揚げの際に樺太に残留することを余儀なくされた。母Bは、帰国を望んでいたが、前期 集団引揚げの打切りが通告された際に収容所で身柄拘束されており、樺太に残 留することを余儀なくされた。その後、後期集団引揚げが行われていた時期に父Aは死亡し、母Bは生活の必要からソ連国籍を取得したが、ソ連国籍取得者は出国するために戸籍謄本と帰国嘆願書が必要になったところ、親族との音信不通と戸籍謄本の不存在が大きな壁となり、母Bは帰国が困難な状況に陥った。 このようなソ連参戦以降の引揚困難事由が継続する中で出生した控訴人も、両 親の引揚困難事由の影響を受けて長きにわたり自らの意思のみでは帰国することが出来なかったのであるから、やはりソ連参戦以降の引揚困難事由の影響により残留を余儀なくされたものである。したがって、控訴人は、支援規則13条の2の「準ずる事情にあるもの」に該当するというべきである。 ⑶ 兄Cは、昭和19年生まれであること 降の引揚困難事由の影響により残留を余儀なくされたものである。したがって、控訴人は、支援規則13条の2の「準ずる事情にあるもの」に該当するというべきである。 ⑶ 兄Cは、昭和19年生まれであることから当然に「特定中国残留邦人等」に 該当するとして、一時金の支給を受けているところ、兄Cと控訴人とは同じ両親に養育された兄弟であり、2人の間には樺太への残留を余儀なくされた事情に違いはない。したがって、控訴人についても、支援規則13条の2の「準ずる事情にあるもの」に該当するというべきである。 第3 当裁判所の判断 1 認定事実前記前提事実のほか、後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば、以下の各事実を認めることができる。 ⑴ 樺太における邦人の引揚げに関する事情ア第二次世界大戦終盤である昭和20年8月9日以後、対日参戦したソ連軍 は南樺太の主要都市を攻撃した。樺太庁長官は、老幼婦女子等を北海道へ避難させることとし、約7万6000人が避難(緊急疎開)したが、同年8月23日、ソ連軍は緊急疎開を禁止した。ソ連軍は、同年8月27日、樺太地域の軍政を開始し、日本人従業員の職場復帰を命令するとともに、日本への密航を禁止したが、同年8月から昭和21年3月頃までの間、約2万400 0人が密航により北海道に引き揚げた。 イその後、アメリカ合衆国とソ連との間で日本人送還に関する協定が締結されたことにより、昭和21年12月から昭和24年7月までの間、集団引揚げ(以下「前期集団引揚げ」という。)が行われ、約29万人(昭和21年まで約5600人、昭和22年約16万8000人、昭和23年約11万4000人、昭和24年約4700人)が日本に引き揚げた。前期集団引揚げは 昭和24年7月に打ち切られたが、その時点で樺太になお で約5600人、昭和22年約16万8000人、昭和23年約11万4000人、昭和24年約4700人)が日本に引き揚げた。前期集団引揚げは 昭和24年7月に打ち切られたが、その時点で樺太になお残留していた日本人は、国際結婚をした日本人女性、主要な産業に留用中の技術者、受刑者、少数の残留希望者等であり、その総数は千数百人と推定された。 ウ日本とソ連は、昭和31年12月に批准された日ソ共同宣言により、国交が正常化された。これに伴い、昭和32年8月から集団引揚げ(以下「後期 集団引揚げ」という。)が再開され、約760人が樺太から日本に引き揚げた。しかし、国籍等の変更及び帰国の手続は逐次厳重になり、ソ連は、昭和34年9月、集団引揚げ方式の終了を通告した。後期集団引揚げにおいてソ連国籍を取得した者が出国許可を得るには、日本から送付された戸籍謄本や肉親からの帰国嘆願書といった書類を提出する必要があるほか手数料が必 要であり、後期集団引揚げによる帰還者のうちソ連国籍を取得した者の割合はごく少数であった。 エその後の残留邦人の引揚げは個別引揚げによることになったが、配偶者の国籍、政治形態の違い等が障害になって、日本への帰国を希望している残留邦人の帰国がなかなか進まなかった。昭和35年から昭和51年までの個別 引揚者は合計約130人であり、昭和39年から昭和41年までを除き、年に数人程度であった。 オソ連では、昭和61年頃、私用による出入国が権利として認められた。このような中で、厚生省は、昭和63年12月、残留邦人を対象に、在日親族訪問及び墓参等を目的とした一時帰国援護制度を創設し、個別に残留邦人の 一時帰国が始まった。その後、民間団体が、種々の申請手続、連絡、手配等 の支援を行ったことにより、残留邦人は集 親族訪問及び墓参等を目的とした一時帰国援護制度を創設し、個別に残留邦人の 一時帰国が始まった。その後、民間団体が、種々の申請手続、連絡、手配等 の支援を行ったことにより、残留邦人は集団で一時帰国をすることが多くなった。この一時帰国支援制度は、平成6年に支援法が施行された後、同法に基づく一時帰国援護として実施されている。 (以上のアないしオにつき、甲2、12、13、15、17(枝番を含む。)、乙2、3、12) ⑵ 控訴人及びその家族の状況アソ連の対日参戦(昭和20年8月)まで父Aは、大正11年に日本人の両親の三男として北海道で生まれ、大正15年に両親や兄弟と共に樺太に渡った。父Aの実家(●●家)は本斗郡(住所省略)で漁業を営んでおり、樺太に渡った後の本籍地は樺太であった。 母Bは、大正10年に日本人の両親の三女として北海道に生まれ、昭和2年に一家で樺太に渡った。母Bの実家(〇〇家)は留多加郡(住所省略)で農業を営んでおり、樺太に渡った後の本籍地は樺太であった。 父Aと母Bは、昭和15年に婚姻し、父Aの実家のある本斗郡(住所省略)で共同生活を開始した。父Aは引き続き漁師をしており、昭和19年2月に は長男である兄Cをもうけた。 父Aは、昭和20年6月27日に現役兵として歩兵第306連隊第8中隊に入営した。 (甲2、3、17(枝番を含む。)乙8、9)イ前期集団引揚げ終了(昭和24年7月)まで 父Aは、歩兵第306連隊第8中隊が昭和20年8月25日に武装解除になったものの、ソ連軍の捕虜になったのか、その父及び兄が密航により日本に引き揚げた昭和20年11月までに、本斗郡(住所省略)に戻れなかった。 母Bと兄C(当時1歳)は、ソ連軍の対日参戦後の緊急疎開や密航によ の捕虜になったのか、その父及び兄が密航により日本に引き揚げた昭和20年11月までに、本斗郡(住所省略)に戻れなかった。 母Bと兄C(当時1歳)は、ソ連軍の対日参戦後の緊急疎開や密航によ り日本に引き揚げることなく、本斗郡(住所省略)に残っていた。 その後、父Aは、本斗郡(住所省略)に戻り母Bとの生活を再開したが、ソ連に漁業従事を命じられて、遅くとも昭和22年10月には漁業組合で働いていた。父Aと母Bは、昭和24年2月に二男のDをもうけた。 前期集団引揚げが終了する昭和24年7月頃、父Aは、漁夫(船頭)をしており、樺太に残留することを希望していた。他方で、母Bは、その期 間や理由は不明であるが、本斗町収容所に収容されていた。母Bは、その頃、日本に帰国することを希望していた。 ●●家の女子及び孫は、昭和20年8月の緊急疎開で北海道に引き揚げ、その後、父Aの父と兄は、同年11月に密航により北海道に引き揚げた。 ●●家のうち樺太に残ったのは、父Aとその弟のEのみである。 〇〇家は、昭和23年5月、前期集団引揚げにより北海道に引き揚げた。 (甲2、3、8、9、乙8、9)ウ父Aの死亡時(昭和32年11月又は12月)まで父Aと母Bは、正確な時期や理由は不明であるが、本斗郡(住所省略)を離れ、昭和27年春頃には敷香郡(住所省略)に移転した。そして、父Aと 母Bは、昭和27年又は昭和28年に長女の控訴人、昭和30年5月に三男のH、昭和32年8月に四男のFをそれぞれもうけた。 父Aは、ソ連国営漁業会社に勤めていたが、昭和32年11月又は12月に漁業中に氷中に転落して死亡した。 (甲2、3、10、乙8、9) エ控訴人の永住帰国(平成11年6月)まで母Bと5人の子らは、昭和33年にソ連国籍を取得し 昭和32年11月又は12月に漁業中に氷中に転落して死亡した。 (甲2、3、10、乙8、9) エ控訴人の永住帰国(平成11年6月)まで母Bと5人の子らは、昭和33年にソ連国籍を取得した。そして、母Bは、同年9月頃には子らと共に敷香郡(住所省略)に移り住み、漁業コンビナートの漁網縫製部門で働き始めた。母Bは、父Aの死亡に伴い、ソ連から扶助料を受給していた。 母Bは、●●家及び〇〇家が日本に引き揚げた後、その連絡先を知らず、 他方で、●●家及び〇〇家も、母Bの連絡先を知らなかった。そのような中で、母Bが昭和58年夏にサハリンを訪問していた引揚者に対して自分の親戚を探してほしいと頼んだことがきっかけとなり、昭和60年頃、自らの末弟であるGから手紙が届いた。その後、母BとGとは何度か手紙でのやり取りをし、昭和62年、母Bは、Gからの招待により一時帰国をして、自らの 姉や弟との再会を果たした。控訴人は、平成4年9月に集団での一時帰国支援制度により初めて日本を訪問し、●●家及び〇〇家の親戚と対面した。 母Bと控訴人は、平成5年、Gに対し、永住帰国を希望しているので、申請を出すのに必要な戸籍抄本が欲しい、母Bの父母の生年月日、姓名、死亡年月日、死因等を教えてほしいなどと手紙で連絡し、その後、Gやその妻と の間で手紙でのやり取りをしていた。この間、控訴人のほか兄Cや弟らは、複数回の一時帰国を果たした。このような中で、母Bや控訴人らは、永住帰国に向けた手続を開始したが、平成10年9月に母Bは死亡した。その後、控訴人家族及び兄C家族は、平成11年6月7日、永住帰国した。 (甲2、3、8、16、17(枝番を含む)、18の1及び2、乙1、9) ⑶ 帰還者からの聞き取り調査の結果等ア父Aの究明カード(厚生 及び兄C家族は、平成11年6月7日、永住帰国した。 (甲2、3、8、16、17(枝番を含む)、18の1及び2、乙1、9) ⑶ 帰還者からの聞き取り調査の結果等ア父Aの究明カード(厚生省援護局が作成した未引揚邦人である父Aに関する調査結果が記録されたもの)には、前期集団引揚げによる帰還者からの父A及び母Bに関する情報として、昭和24年7月頃、「最終引揚時兄弟共に希望残留で残る」、「漁夫(船頭)をして希望残留。妻は帰国希望している」 との記載がある。 (乙8・30頁、弁論の全趣旨)。 イ母Bの究明カード(厚生省援護局が作成した未引揚邦人である母Bに関する調査結果が記録されたもの)には、後期集団引揚げによる帰還者からの情報として、夫が死亡したので帰国を希望している旨(昭和33年1月15日) の記載がある。他方で、他の帰還者からの情報として、「パスポートソ連、 残留希望」(昭和33年1月20日)、ソ連パスポート、夫の扶助料を受けている、残留希望(昭和34年1月)との記載がある。 また、母Bの究明カードには、昭和33年12月に大使館から母B本人宛てに特別調査を実施したものの返答がなかったこと、昭和35年4月1日に母B本人宛ての通信照会による調査を実施したものの、返答がなかったこと が記載されている。 (乙9・10、12、14、16、18頁、弁論の全趣旨) 2 検討⑴ 前記認定事実によれば、前期集団引揚げが実施されていた時期、母Bが本斗町収容所に収容されたときがあったこと、父Aがソ連に命じられて漁業に従事 していたこと、父Aが前期集団引揚げの終了する時点で樺太残留を希望していたことが認められる。これらからすれば、母Bは、日本への帰国を希望していたものの、自らの置かれた境遇や父Aの事情が原因で していたこと、父Aが前期集団引揚げの終了する時点で樺太残留を希望していたことが認められる。これらからすれば、母Bは、日本への帰国を希望していたものの、自らの置かれた境遇や父Aの事情が原因で、日本に帰国することができなかったということができ、自らの意思で樺太での生活を継続するとの選択をしたとみることはできない。 後期集団引揚げが実施されていた時期に父Aは死亡したが、その時点で、〇〇家及び●●家はいずれも北海道に引き揚げていて、父Aの弟のEを除き、樺太に母Bの親族はいなかった。また、母Bは、両親ともに日本人であり幼少期は北海道で過ごしていて、日本や日本での生活習慣になじみがないわけではなかった。さらに、母Bは、樺太に渡った後、〇〇家のあった留多加郡(住所省 略)や●●家のあった本斗郡(住所省略)で約20年を過ごしたものの、父Aが死亡した時点で住んでいた敷香郡(住所省略)の居住期間は5年程度にすぎず、●●家や〇〇家があった地からも遠く離れていて子らも未だ幼かったことからすれば、地縁関係などを理由に敷香郡(住所省略)に留まりたいといった事情があったとは考えにくい。これらに加え、母Bは、晩年に一時帰国を果た すとともに、日本にいるGに対して戸籍抄本等の入手を依頼するなど、永年帰 国に向けた手続を行っている。以上の事情を踏まえると、母Bは、父Aが死亡した時点で日本に帰国することを望んでいたことを強く推認することができる。母Bの究明カードに記載された夫が死亡したので帰国を希望している旨の記載は、上記推認を裏付ける事情であるということができる。 その後、母Bは、昭和33年にソ連国籍を取得して父Aの死亡に係る扶助料 を受給するとともに、敷香郡(住所省略)に転居して漁業コンビナートで稼働し、生涯を通じて樺太で生活 るということができる。 その後、母Bは、昭和33年にソ連国籍を取得して父Aの死亡に係る扶助料 を受給するとともに、敷香郡(住所省略)に転居して漁業コンビナートで稼働し、生涯を通じて樺太で生活し、昭和34年9月まで続いた後期集団引揚げの機会やその後の個別引揚げにより日本に帰国することはしていない。しかし、母Bは、当時、当時0歳から13歳までの5人の子を一人で養っていく必要があったこと、ソ連国籍の者が出国許可を得るには日本から送付された戸籍謄本 や肉親からの帰国嘆願書といった書類が必要であったところ、母Bは、〇〇家や●●家の連絡先を知らず、いずれの本籍地も樺太であったことが認められる。 これらの事情を踏まえると、母Bは、ソ連国籍を取得して樺太において扶助料を受給しながら漁業コンビナートで働いて生計を維持していくことを自らの意思で選択したというよりも、日々の生活を維持するためにソ連国籍を取得し たものの、その結果として日本への出国許可を得ることができなくなり、後期集団引揚げやその後の個別引揚げによって日本に帰国することができなくなったものと推認することができる。 以上によれば、母Bが日本に引き揚げることなく、生涯を通じて樺太での生活を継続したのは、自らの意思で樺太での生活を継続するとの選択をしたから ではなく、ソ連参戦以後の引揚困難事由の影響によって引き続き残留を余儀なくされたからであるということができる。 ⑵ 以上に対し、被控訴人は、母Bの究明カードには、後期集団引揚げによる帰還者からの情報として、ソ連のパスポートを取得し夫の扶助料を受給しているから樺太での残留を希望している旨の2件の記載があることを指摘し、母Bは 自らの意思で樺太に残留することを選択したのであるから、ソ連参戦以後の引 揚困難事由の影 夫の扶助料を受給しているから樺太での残留を希望している旨の2件の記載があることを指摘し、母Bは 自らの意思で樺太に残留することを選択したのであるから、ソ連参戦以後の引 揚困難事由の影響により引き続き残留を余儀なくされたということはできない旨主張する。しかし、これらの記載のある資料は、帰還者から聞き取った内容を厚生省援護局等の係官が記載したものである可能性もあるところ、母Bがソ連のパスポートを取得したとの事実を聞きとった係官において、ソ連国籍を取得したとの事実をもって残留希望であると評価し、その旨記載した可能性が あることを否定することができない。また、前記⑴のとおり、父Aの死亡後も樺太に残留したい積極的な理由があったとは言い難い母Bにおいて、漁業コンビナートでの稼働や扶助料の受給が契機となって、日本への帰国希望を一転させて、樺太への残留を希望するようになったとは直ちには考えにくい。当時の母Bの家族状況やその仕事内容に鑑みると、たとえ扶助料を受給していたとし ても、母Bら一家の生活状況は厳しいものであったことが窺われる(甲18の1及び2)ところであり、被控訴人の上記主張は、前記⑴の当裁判所の認定判断を左右するものではない。 被控訴人は、母Bの究明カードには母B宛ての2度の通信調査に対して母Bが返答していないことが記載されている旨指摘し、母Bは自らの意思で樺太に 残留することを選択したのであるから、ソ連参戦以後の引揚困難事由の影響により引き続き残留を余儀なくされたということはできない旨主張する。しかし、このことは2度の通信調査に返信がなかったというだけであって、母Bから樺太に残留することを希望している旨の連絡があったというものではない。日本に引き揚げた〇〇家や●●家は、母Bの連絡先を知らなかったこと、母Bは 度の通信調査に返信がなかったというだけであって、母Bから樺太に残留することを希望している旨の連絡があったというものではない。日本に引き揚げた〇〇家や●●家は、母Bの連絡先を知らなかったこと、母Bは、 当時、●●家のあった本斗郡(住所省略)から遠く離れた地縁のない敷香郡に転居しており、昭和33年9月頃には敷香郡(住所省略)から敷香郡(住所省略)に転居していることといった事情を踏まえると、これらの通信調査が母Bに届かなかった可能性も十分に考えられる。そうすると、被控訴人の上記主張は、前記⑴の当裁判所の認定判断を左右するものではない。 被控訴人は、ソ連国籍取得者が帰国するために戸籍謄本等が必ず必要であっ たとは認められない旨主張する。しかし、厚生省引揚援護局の作成した文書にソ連国籍を取得したものが出国許可を得るための手続として戸籍謄本等を要するようである旨明記されていること(甲17の3の6)、後期集団引揚げによる帰還者のうちソ連国籍を取得した者の割合がごく少数であったこと(前記認定事実⑴ウ)といった事情を踏まえると、被控訴人の上記主張は、前記⑴の 当裁判所の認定判断を左右するものではない。 被控訴人は、父Aが漁業留用されていてソ連から帰国が許されていなかったこと、母Bが昭和24年7月の時点で収容所に受刑者として収容されていたことを裏付ける証拠はない旨主張する。しかし、前記1の認定事実のとおり、少なくとも、父Aがソ連から漁業従事を命じられていたことや、母Bが昭和24 年7月頃に本斗町収容所に収容されていたことは認められる。また、控訴人は、母Bが戸籍謄本や帰国嘆願書を入手しようとする行動をとっていたとは認められない旨主張するけれども、前記1の認定事実のとおり、日本に帰国した〇〇家及び●●家と母Bとは互いに連絡先 る。また、控訴人は、母Bが戸籍謄本や帰国嘆願書を入手しようとする行動をとっていたとは認められない旨主張するけれども、前記1の認定事実のとおり、日本に帰国した〇〇家及び●●家と母Bとは互いに連絡先を知らず、母Bが日本に引き揚げた〇〇家の末弟であるGと初めて連絡を取ることができたのは、昭和60年頃のこ とであるから、それまでの間に母Bが〇〇家や●●家と連絡を取っていないからといって、母Bが帰国のための戸籍謄本等の入手を試みていなかったということはできない。その他、被控訴人は種々の主張をするが、前記⑴の当裁判所の認定判断を左右するものではない。 ⑶ 母Bに関しては以上のとおりであるところ、控訴人は、父Aの死亡後、前記 ⑴のとおりソ連参戦以後の引揚困難事由の影響により引き続き残留を余儀なくされた母Bによって、成年に至るまで監護養育されていたことが認められる。 また、特別中国残留邦人等に該当する兄Cも、控訴人と同様、母Bによって監護養育されており、両者の生活状況に大きな違いはなかったことが認められる。 そうすると、厚生労働大臣が本件処分を行う際に認定の指針とした事務処理方 針に依るとしても、控訴人は、事務処理方針の要件⑸(昭和25年以降に出生 した者であって、ソ連参戦以後の引揚困難事由の影響により、引き続き残留を余儀なくされたものと認められる者であること)に該当すると認めるのが相当である。 すなわち、支援法13条1項所定の本件要件②が「永住帰国した中国残留邦人等(中略)であって、昭和21年12月31日以前に生まれたもの(同日後 に生まれた者であって同日以前に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるものとして厚生労働省令に定める者を含む。)」とする趣旨は、ソ連軍の参戦を直接の原因とする混乱などの影響に 後 に生まれた者であって同日以前に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるものとして厚生労働省令に定める者を含む。)」とする趣旨は、ソ連軍の参戦を直接の原因とする混乱などの影響により帰国が極めて困難な状況に置かれたことが強く推定される昭和21年12月31日以前に生まれた者に対しては一律に特別の保護を与えることとし、同日後に生まれた者につ いては、一律に保護を与えるものではないものの、具体的な事情によっては上記の一律に保護を与える者に準ずる者として保護の対象者とする余地を認めるものであることは、被控訴人の主張するところでもある。そして、厚生労働大臣は、支援規則13条の2の「昭和21年12月31日以前に生まれた永住帰国した中国残留邦人等に準ずる事情にあるものとして」の認定を行うにあた り、このような元々の授権規定である支援法13条1項の趣旨に従って行う必要があるのであって、かかる観点からすれば、これまで認定説示したような母Bに係る特有の事情を前提とし、かつ、そのような母Bを世帯主とする同一世帯として同人の手によって成年に至るまで養育看護されてきた兄Cと控訴人との関係性を始めとする本件諸事情の下では、出生年月日の違いだけで控訴人 と兄Cとを全く異なる処遇とすることは、支援法の目的や同法13条1項の趣旨に沿わないものといわざるを得ず、かえって、控訴人をして事務処理方針の要件⑸(昭和25年以降に出生した者であって、ソ連参戦以後の引揚困難事由の影響により、引き続き残留を余儀なくされたものと認められる者であること)に該当すると認めるのが上記支援法の趣旨に沿うものということができる。 したがって、控訴人は特定中国残留邦人等に該当するから、本件処分は、違 法なものであり取消しを免れない。 3 結論 当すると認めるのが上記支援法の趣旨に沿うものということができる。したがって、控訴人は特定中国残留邦人等に該当するから、本件処分は、違法なものであり取消しを免れない。 3 結論以上によれば、控訴人の請求は理由があるからこれを認容すべきところ、これと結論を異にする原判決は相当ではなく、本件控訴は理由があるから、原判決を取り消した上で、本件処分を取り消すこととして、主文のとおり判決する。 札幌高等裁判所第2民事部 裁判長裁判官 佐久間健吉 裁判官 力元慶雄 裁判官豊田哲也は、転補につき、署名押印することができない。 裁判長裁判官 佐久間健吉

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