主文 1 控訴人らの控訴をいずれも棄却する。 2 控訴費用は控訴人らの負担とする。 事実及び理由 第1 当事者の求めた裁判 1 控訴人ら(一) 平成3年10月18日付け監査請求を経た控訴人ら(別紙当事者目録番号1番から32番まで)(1) 被控訴人P1は,東京都に対し,2282万9350円及びうち334万2350円に対する平成2年12月13日から,うち2万円に対する平成3年1月1日から,うち1946万7000円に対する同月23日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 (2) 被控訴人P1及び同P2は,東京都に対し,連帯して,2801万8152円及びうち103万円に対する平成3年1月25日から,うち2698万8152円に対する同年3月30日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 (3) 被控訴人P1及び同P3は,東京都に対し,連帯して,26万7800円及びこれに対する平成3年1月23日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 (4) 被控訴人P1及び同P4は,東京都に対し,連帯して,6万7311円及びこれに対する平成2年12月22日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 (二) 平成3年11月11日付け監査請求を経た控訴人ら(別紙当事者目録番号33番から41番まで)(1) 被控訴人P1は,東京都に対し,2400万0886円及びうち334万2350円に対する平成2年12月13日から,うち6万7311円に対する同月22日から,うち2万円に対する平成3年1月1日から,うち1946万7000円に対する同月23日から,うち110万4225円に対する同年3月30日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 (2) 被控訴人P1及び同P2は,東京都に対し,連帯して,2691万392 に対する同月23日から,うち110万4225円に対する同年3月30日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 (2) 被控訴人P1及び同P2は,東京都に対し,連帯して,2691万3927円及びうち103万円に対する平成3年1月25日から,うち2588万3927円に対する同年3月30日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 (3) 前記(一)の(3)と同じ(三) 平成3年11月29日付け監査請求を経た控訴人ら(別紙当事者目録番号42番,43番まで)(1) 被控訴人P1は,東京都に対し,4889万5986円及びうち334万2350円に対する平成2年12月13日から,うち6万7311円に対する同月22日から,うち2万円に対する平成3年1月1日から,うち103万円に対する同月25日から,うち1946万7000円に対する同月23日から,うち2496万9325円に対する同年3月30日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 (2) 被控訴人P1及び同P2は,東京都に対し,連帯して,201万8827円及びこれに対する平成3年3月30日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 (3) 前記(一)の(3)と同じ(四) 平成4年(行ウ)第11号事件参加人ら(別紙当事者目録番号44番から48番まで)(1) 被控訴人P1は,東京都に対し,2359万4293円及びうち334万2350円に対する平成2年12月13日から,うち2万円に対する平成3年1月1日から,うち1946万7000円に対する同月23日から,うち76万4943円に対する同年3月30日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 (2) 被控訴人P1及び同P2は,東京都に対し,連帯して,2725万3209円及びうち103万円に対する平成3年1月25日 に対する同年3月30日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 (2) 被控訴人P1及び同P2は,東京都に対し,連帯して,2725万3209円及びうち103万円に対する平成3年1月25日から,うち2622万3209円に対する同年3月30日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 (3) 前記(一)の(3)及び(4)と同じ(五) 平成4年(行ウ)第35号事件参加人ら(別紙当事者目録番号49番及び50番)被控訴人P1は,東京都に対し,4749万7013円及びうち6万7311円に対する平成2年12月22日から,うち1973万4800円に対する平成3年1月23日から,うち103万円に対する同月25日から,うち2666万4902円に対する同年3月30日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 (六) 平成4年(行ウ)第95号事件参加人ら(別紙当事者目録番号51番から58番まで)被控訴人P1は,東京都に対し,2575万1339円及びこれに対する平成3年3月30日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 (七) 全控訴人ら(1) 訴訟費用は第1,第2審とも被控訴人らの負担とする。 (2) 上記各項につき仮執行宣言 2 被控訴人ら主文と同旨第2 事案の概要1(一) 平成2年1月23日,宮中において,「賢所に期日奉告の儀」及び「皇霊殿神殿に期日奉告の儀」が行われた。 (二) 平成2年11月12日,賢所において,「即位礼当日賢所大前の儀」が,皇霊殿及び神殿において,「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」が,宮殿において,「即位礼正殿の儀」が行われた。 (三) 同年11月13日,宮殿において,「饗宴の儀」が行われた。 (四) 同月22日,「大嘗宮の儀」である「悠紀殿供饌の儀」が大嘗宮内の悠紀殿において,同月23日 て,「即位礼正殿の儀」が行われた。 (三) 同年11月13日,宮殿において,「饗宴の儀」が行われた。 (四) 同月22日,「大嘗宮の儀」である「悠紀殿供饌の儀」が大嘗宮内の悠紀殿において,同月23日「主基殿供饌の儀」が大嘗宮内の主基殿においてそれぞれ行われたのち,「大饗の儀」が行われた。 (五) 被控訴人P1は,東京都知事又は都道府県知事の代表としてこれらに参列した。また,東京都(以下「都」という。)は,天皇の即位をお祝いするとして,後記の各種祝賀事業(以下「本件各祝賀事業」という。)を実施した。 (六) 都の住民である控訴人ら(原審各事件の参加人らを含む。)は,都知事であった被控訴人P1がこれらの即位の礼及び大嘗祭関連諸儀式に参列し拝礼等をしたこと及び都が天皇陛下御即位祝賀記念式典等の各祝賀事業を行ったことが政教分離原則,国民主権原理ないし象徴天皇制に違反するのみならず,思想・良心の自由を侵害する違憲・違法なものであると主張し,これに関連して支出された原判決別紙2記載の庁有自動車の運行に係る費用及び本件各祝賀事業に係る費用を都の公金から支出したのは違憲・違法であるなどと主張して,地方自治法(以下「法」という。)242条の2第1項4号前段に基づき,都に代位して,各費用相当額及び各支出の日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金につき,被控訴人P1及び上記各支出(庁有自動車の運行に係る費用を除く。)の支出負担行為者であった被控訴人P1を除くその余の被控訴人らに対し,損害賠償請求の住民訴訟を提起した。 (七) 原判決は,一部訴えを却下し,その余の請求を棄却したので,控訴人らが控訴提起した(平成4年(行ウ)第58号事件の参加人らは控訴提起しなかった。)。 2 前提となる事実(以下の事実のうち,証拠等を掲記したもの以外は,当事者間に争いのない 求を棄却したので,控訴人らが控訴提起した(平成4年(行ウ)第58号事件の参加人らは控訴提起しなかった。)。 2 前提となる事実(以下の事実のうち,証拠等を掲記したもの以外は,当事者間に争いのない事実である。)(一) 当事者(1) 控訴人らは,いずれも都内に住所を有する者である。 (2) 被控訴人P1は,後記(三)の支出当時,都知事の地位にあった者,被控訴人P2は,後記(三)(2)及び(3)の支出当時,都総務局長の地位にあった者,被控訴人P3は,後記(三)(5)の支出当時,都北部公園緑地事務所長の地位にあった者,被控訴人P4は,後記(三)(6)の支出当時,都西多摩経済事務所長の地位にあった者である。 (二) 即位の礼・大嘗祭関連諸儀式への都の関与(1) 被控訴人P1の諸儀式への参列① 原判決別紙3記載のとおり,「即位の礼委員会」(委員長・P5内閣総理大臣(当時。以下「P5首相」という。))及び「大礼委員会」(委員長・P6宮内庁長官(当時。))における決定に従い,即位の礼(以下「本件即位の礼」という。)及び大嘗祭(以下「本件大嘗祭」という。)の関連諸儀式(以下「本件諸儀式」という。)が行われた。 本件諸儀式のうち国事行為として行われたのは「即位礼正殿の儀」,「祝賀御列の儀」及び「饗宴の儀」であり,その他の諸儀式は皇室行事として行われた(皇室行事として行われた諸儀式のうち,被控訴人P1が参列した各議式を,「本件皇室行事」ということがある。),本件諸儀式に係る経費はすべて内廷費ではなく宮廷費から支出された。 ② 被控訴人P1は,平成2年1月23日午前10時30分から同日午前12時まで宮中において,「賢所に期日奉告の儀」及び「皇霊殿神殿に期日奉告の儀」に「都道府県の総代」として参列し,その式次第に従って拝礼した。 ③ 被控訴人P1は,平成 日午前10時30分から同日午前12時まで宮中において,「賢所に期日奉告の儀」及び「皇霊殿神殿に期日奉告の儀」に「都道府県の総代」として参列し,その式次第に従って拝礼した。 ③ 被控訴人P1は,平成2年11月12日午前9時から賢所において行われた「即位礼当日賢所大前の儀」並びに皇霊殿及び神殿において行われた「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」に「都道府県の総代」として参列し,その式次第に従って拝礼した。 ④ 被控訴人P1は,平成2年11月12日午後1時から宮殿で行われた「即位礼正殿の儀」に「都道府県知事の代表」として配偶者同伴で参列し,その式次第に従って敬礼をするとともに,P5首相の「ご即位を祝して,天皇陛下万歳」との発声に引き続き,万歳を三唱した。 ⑤ 被控訴人P1は,平成2年11月13日,宮殿で行われた「饗宴の儀」に「都道府県知事の代表」として参列した。 ⑥ 被控訴人P1は,平成2年11月22日及び23日,「大嘗宮の儀」である「悠紀殿供饌の儀」及び「主基殿供饌の儀」に「都道府県知事の代表」として夫婦同伴で参列し,それらの式次第に従って拝礼をした。なお,「悠紀殿供饌の儀」は同月22日午後6時30分から大嘗宮内の悠紀殿で,「主基殿供饌の儀」は同月23日午前零時ころから大嘗宮内の主基殿でそれぞれ行われ,被控訴人P1は「主基殿供饌の儀」の終了した同日午前3時過ぎころまでの間,参列していた。 ⑦ 被控訴人P1は,平成2年11月23日,「大饗の儀」に「都道府県知事の代表」として参列した(以下,前記②ないし⑦の各儀式への参列を「本件参列」という。)。 ⑧ 被控訴人P1は,前記③,④及び⑥の各儀式に参列するため,都の所有する乗用車を利用した。 (2) 都の各種祝賀事業の実施都は,天皇の即位をお祝いするためとして,以下の各種祝賀事業(以下「本件各祝賀事 訴人P1は,前記③,④及び⑥の各儀式に参列するため,都の所有する乗用車を利用した。 (2) 都の各種祝賀事業の実施都は,天皇の即位をお祝いするためとして,以下の各種祝賀事業(以下「本件各祝賀事業」という。)を実施した。 ① 天皇陛下御即位祝賀記念式典上記式典は,平成2年12月19日,α会館において,名誉都民,関係団体代表者等2千名を招待して開催され,被控訴人P1らが祝辞を述べ,天皇のお言葉があったほか,東京都交響楽団の記念演奏等が行われた。 ② 銀器の献上内閣は,憲法8条の規定による皇室に対する贈与を認める国会の議決に基づき,天皇の即位を祝するために贈与される物品の譲受けに関する基準を定め,上記基準に従い,都は,東京銀器「吉鶴」置物(時価100万円)の献上を決定し,上記置物を購入して皇室に献上した。 ③ 祝賀御列の沿道における菊花装飾都は,業者に対し,「祝賀御列の儀」が行われる皇居から赤坂御所までのうち都道部沿道に菊花装飾をし,植え付けた草花が,「祝賀御列の儀」当日の平成2年11月12日に最良の状態になるように委託した。 ④ β公園・γにおける植樹都は,業者に委託して,即位の礼の当日の平成2年11月12日ころ,β公園及びγにおいて,天皇の即位を記念する植樹を実施した。 ⑤ 都営地下鉄記念乗車券の発売都は,天皇の即位を記念して1日記念乗車券(以下「本件記念乗車券」という。)を発売した。 (三) 本件支出被控訴人P1の本件参列及び本件各祝賀事業に関し,原判決別紙2支出目録記載のとおり,都の公金が支出された(以下「本件支出」という。)。その手続は以下のとおりである。 (1) 被控訴人P1の前記(二)(1)③,④及び⑥の各儀式への参列のための庁有自動車の運行のための費用(以下「本件自動車運行費」という。)の支出① ガソリン代 )。その手続は以下のとおりである。 (1) 被控訴人P1の前記(二)(1)③,④及び⑥の各儀式への参列のための庁有自動車の運行のための費用(以下「本件自動車運行費」という。)の支出① ガソリン代前記(二)(1)⑧記載のとおり,平成2年11月12日,22日及び23日に,被控訴人P1が上記各儀式に参列するために都所有の自動車が皇居まで運行され,上記運行に係るガソリン代が都の公金から支出された。 都知事から権限の委任を受けた財務局経理部運送課長は,同月12日及び23日,上記ガソリン代に係る支出負担行為を行い,都知事から権限の委任を受けた財務局の予算事務を所管する課長は,上記同日,その支出命令を発出した。 (なお,控訴人らは,上記ガソリン代は1000円を下らない旨主張している。)② 運転手賃金上記①の庁有自動車の運行に伴い,当該自動車の運転手に対し,平成2年11月12日(当日は,「即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律」(平成2年法律第24号)により休日とされた。)の休日勤務4時間(午前11時40分から午後4時まで)に相当する休日給が支給され,また,同月22日から同月23日にかけての時間外勤務11時間(同月22日午後5時45分から同月23日午前5時まで)に相当する超過勤務手当が支給された(甲5の12ないし16及び弁論の全趣旨)。 都知事から権限の委任を受けた総務局人事部制度企画室人事システム担当課長は,平成2年11月30日,上記運転手賃金に係る支出命令を発出した。 (なお,控訴人らは,上記運転手賃金は2万円を下らない旨主張しているが,本件請求との関係では,上記①のガソリン代及び②の運転手賃金を合わせて2万円を下らないとして,合計2万円の請求をしている。)(2) 天皇陛下御即位祝賀記念式典の費用の支出 2698万8152円① α会 請求との関係では,上記①のガソリン代及び②の運転手賃金を合わせて2万円を下らないとして,合計2万円の請求をしている。)(2) 天皇陛下御即位祝賀記念式典の費用の支出 2698万8152円① α会館施設設備等使用料 32万3250円及び14万8620円都知事から権限の委任を受けた総務局長である被控訴人P2は,平成2年12月4日,同局総務部総務課長(以下「総務課長」という。)の補助執行により,上記使用料に係る支出負担行為を行い,都知事から権限の委任を受けた総務課長は,同月17日,上記使用料のうち32万3250円に係る支出命令を,同月18日,上記使用料のうち14万8620円に係る支出命令をそれぞれ発出した。 ② 招待状等印刷・あて名書き料 76万4943円都知事から権限の委任を受けた総務局長である被控訴人P2は,平成2年11月7日,総務課長の補助執行により,上記印刷等の料金に係る支出負担行為を行い,都知事から権限の委任を受けた総務課長は,平成3年1月8日,その支出命令を発出した。 ③ 記念品購入代金 592万2500円都知事から権限の委任を受けた総務局長である被控訴人P2は,平成2年11月21日,総務課長の補助執行により,上記購入代金に係る支出負担行為を行い,都知事から権限の委任を受けた総務課長は,平成3年3月22日,その支出命令を発出した。 ④ 色紙等印刷・作成料 154万6957円都知事から権限の委任を受けた総務局長である被控訴人P2は,平成2年12月12日,総務課長の補助執行により,上記印刷等の料金に係る支出負担行為を行い,都知事から権限の委任を受けた総務課長は,平成3年3月22日,その支出命令を発出した。 ⑤ 企画実施委託料 1794万2600円及び33万9282円都知事から権限の委任を受けた総務局長である被控訴人P2は ら権限の委任を受けた総務課長は,平成3年3月22日,その支出命令を発出した。 ⑤ 企画実施委託料 1794万2600円及び33万9282円都知事から権限の委任を受けた総務局長である被控訴人P2は,総務課長の補助執行により,平成2年11月15日,上記委託料のうち1794万2600円に係る支出負担行為を,同月8日,上記委託料のうち33万9282円に係る支出負担行為をそれぞれ行い,都知事から権限の委任を受けた総務課長は,平成3年3月22日,上記各委託料に係る支出命令を発出した。 (3) 献上銀器の購入代金の支出 100万円都知事から権限の委任を受けた総務局長である被控訴人P2は,平成2年11月16日,同局知事室副室長の補助執行により,上記購入代金に係る支出負担行為を行い,都知事から権限の委任を受けた総務課長は,平成3年1月18日,その支出命令を発出した。 (4) 祝賀御列における沿道の菊花装飾費用の支出 1946万7000円都知事である被控訴人P1は,財務局経理部長の補助執行により,上記費用に係る支出負担行為を行い,都知事から権限の委任を受けた都第1建設事務所の予算事務を主管する課長は,平成3年1月16日,その支出命令を発出した。 (5) β公園における植樹の請負等代金の支出 26万7800円都知事から権限の委任を受けた都北部公園緑地事務所長であった被控訴人P3は,平成2年11月29日,同事務所β公園管理事務所長の補助執行により,上記請負等代金に係る支出負担行為を行い,都知事から権限の委任を受けた都北部公園緑地事務所庶務課長は,平成3年1月25日,その支出命令を発出した。 (6) γにおける植樹の苗木等購入代金の支出 6万7311円都知事から権限の委任を受けた都西多摩経済事務所長であった被控訴人P4は,平成2年11月9日,同事務所商 5日,その支出命令を発出した。 (6) γにおける植樹の苗木等購入代金の支出 6万7311円都知事から権限の委任を受けた都西多摩経済事務所長であった被控訴人P4は,平成2年11月9日,同事務所商工課長の補助執行により,上記購入代金に係る支出負担行為を行い,都知事から権限の委任を受けた上記商工課長は,同年12月17日,その支出命令を発出した。 (7) 本件記念乗車券の発売費用の支出 334万2350円都交通局長は,同局総務部長の補助執行により,上記費用に係る支出負担行為を行い,都交通局長から権限の委任を受けた同局総務部財務課長は,平成2年12月1日,その支出命令を発出した。 (8) 上記(1)ないし(6)の各費用の支出は,いずれも出納長から権限の委任を受けた職員が行い,上記(7)の費用の支出は,交通局長から権限の委任を受けた企業出納員が行った。その日付けは原判決別紙4記載のとおりである。 (四) 監査請求(1) 控訴人らのうち,控訴人番号1番から32番までの者は,平成3年10月18日,同33番から41番までの者は,同年11月11日,同42番及び43番の者は,同月29日,それぞれ,法242条に基づき都監査委員に対し,監査請求を行った。これに対し,都監査委員は,同年12月17日付けで,上記監査請求を理由がないものとして棄却し,そのころ,上記監査結果を上記控訴人らに通知した。 (2) 平成4年(行ウ)第11号事件参加人ら(控訴人番号44番ないし48番)は,平成3年11月8日,本件支出は違憲・違法なものであるとして,法242条に基づき都監査委員に対し,監査請求を行った。これに対し,都監査委員は,同年12月25日付けで,上記監査請求を理由がないものといして棄却し,そのころ,上記監査結果を上記参加人らに通知した。 (3) 平成4年(行ウ)第35号 ,監査請求を行った。これに対し,都監査委員は,同年12月25日付けで,上記監査請求を理由がないものといして棄却し,そのころ,上記監査結果を上記参加人らに通知した。 (3) 平成4年(行ウ)第35号事件参加人ら(控訴人番号49番,50番)は,平成3年12月18日,本件支出は違憲・違法なものであるとして,法242条に基づき都監査委員に対し,監査請求を行った。これに対し,都監査委員は,平成4年2月4日,上記請求のうち,前記3(一),(二)(1),(七)の各費用の支出に係る部分については,監査請求期間徒過を理由に不適法としてこれを却下し,その余の部分については理由がないものとしてこれを棄却し,そのころ,上記監査結果を上記参加人らに通知した。 (4) 平成4年(行ウ)第95号事件参加人ら(控訴人番号51番ないし58番)は,平成4年3月27日,本件支出が違憲・違法なものであるとして,法242条に基づき都監査委員に対し,監査請求を行った。これに対し,都監査委員は,同年5月26日付けで,上記請求のうち,前記3(一),(二)(1)及び(2),(三)ないし(七)の各費用の支出に係る部分については,監査請求期間徒過を理由に不適法としてこれを却下し,その余の部分については理由がないものとしてこれを棄却し,そのころ,これを上記参加人らに通知した。 (5) 第1審原告らは,平成4年1月14日,法242条1項4号に基づき,本件訴えを提起した。平成4年(行ウ)第11号事件参加人らは,同月23日,平成4年(行ウ)第35号事件参加人らは,同年2月27日,平成4年(行ウ)第95号事件参加人らは,同年6月10日,それぞれ,平成8年法律第109号による改正前の民事訴訟法75条に基づき,共同訴訟人として本件訴訟に参加した。 (6) 本件訴訟において,控訴人らが問題としている支出及び 件参加人らは,同年6月10日,それぞれ,平成8年法律第109号による改正前の民事訴訟法75条に基づき,共同訴訟人として本件訴訟に参加した。 (6) 本件訴訟において,控訴人らが問題としている支出及びその支出に伴う財務会計上の行為は,原判決別紙5の表記載の財務会計行為及び同表記載の各費用に係る各支出行為(法232条の4所定のもの)であり(ただし,同表記載の財務会計行為で×印を付したものを除くほか,①平成3年11月29日付け監査請求を経た第1審原告らの請求に関しては,本件自動車運行費のうちガソリン代に係る支出行為を除き,②平成4年(行ウ)第35号事件参加人らの請求に関しては,本件自動車運行費に係る支出行為,α会館施設設備等使用料に係る平成2年12月17日付け支出行為及び本件記念乗車券の発売費用に係る支出行為を除き,④平成4年(行ウ)第95号事件参加人らの請求に関しては,本件自動車運行費,α会館施設設備等使用料,招待状等印刷・あて名書き料,献上銀器購入代金,祝賀御列における沿道の菊花装飾費用,β公園における植樹,γにおける植樹及び本件記念乗車券の発売費用に係る各支出行為を除く。),控訴人らは,いずれも,監査請求まで1年以内に行われた支出のみを本件訴訟の対象としている。 第3 争点及び争点に関する当事者の主張本件の争点は,以下のとおりである。 (一) 被控訴人P1が本件自動車運行費等(前記第2の2の(三)(1)ないし(6)の各費用)に係る支出(法232条の4所定のもの)につき財務会計上の行為を行う権限を有していたか否か(二) 被控訴人P1が,本件記念乗車券の発売費用に係る財務会計上の行為を行う権限を有していたか否か(三) 本件支出が違憲・違法なものであるか否か具体的争点として,本件支出が(1) 政教分離原則(憲法20条,89条)に違反する 車券の発売費用に係る財務会計上の行為を行う権限を有していたか否か(三) 本件支出が違憲・違法なものであるか否か具体的争点として,本件支出が(1) 政教分離原則(憲法20条,89条)に違反するか否か(2) 国民主権原理・象徴天皇制(憲法1条)に違反するか否か(3) 思想・良心の自由の保障を定めた憲法19条に違反するか否か(四) 被控訴人らの損害賠償責任の有無これらの争点に関する当事者双方の主張の要旨は,以下のとおり,控訴人らの当審における主張を付加するほか,原判決の「事実及び理由」の「第3 争点及び争点に関する当事者の主張」欄に記載のとおりであるから,これを引用する。 (控訴人らの当審における主張) 1 目的効果基準の適用の誤り(一) 愛媛玉串料訴訟最高裁大法廷判決(以下「愛媛最高裁判決」という。)は,目的効果基準の適用に当たって,いくつかの判断準則を示したが,原判決はこの準則に明らかに反する適用を行い,愛媛最高裁判決を無視したというにとどまらず,以下のとおり,同判決の多数意見の考え方に反する適用をもしている。 第一に,行為の主体の主観的目的を徹底して重視していることである。これは,愛媛最高裁判決の行為態様の客観的意味を重視する考え方に明らかに反している。 原判決は,「即位礼正殿の儀」(国事行為)に関し,「天皇が即位を公に宣明するとともに,その即位を内外の代表がことほぐという趣旨,目的で実施されたものであり,その意味では,世俗的な儀式である」との基本的認識を示し,儀式内容の宗教性に触れつつ,上記主観的目的を重視して合憲判断を導いている。また,原判決は,一般人の意識を論ずる際にも,政府の公式見解やP7官房副長官の言明という主観的目的を基礎に一般人の意識を論じており,愛媛最高裁判決が玉串料奉納という行為の客観的意味を基礎に一般人の また,原判決は,一般人の意識を論ずる際にも,政府の公式見解やP7官房副長官の言明という主観的目的を基礎に一般人の意識を論じており,愛媛最高裁判決が玉串料奉納という行為の客観的意味を基礎に一般人の意識を論じたのと対極をなす考え方を採っている。 また,原判決は,被控訴人P1の「大嘗宮の儀」等への参列に関し,「代替わりにおいて敬意と祝意を表す目的によるものと認めるのが相当である」とした上,「行為の態様としても,・・・・代替わりに対し敬意と祝意を表すること以上に,そこに何らかの宗教的要素が含まれているとみることはできない」と断じる。ここには,行為の態様を儀式内容の宗教性等から客観的に判断する眼はまったくなく,主観的目的のみから宗教的要素がないと断じており,愛媛最高裁判決の客観的判断を重視する考え方に反する適用がなされている。 第二に,原判決は,「一般人」イコール多数者と把えているが,これは,愛媛最高裁判決の考え方に明らかに反している。 原判決は,「即位礼正殿の儀」に関し,「国民の表に戦前の『即位礼当日紫宸殿の儀」を連想し,あるいはその古式蒼然とした様式をみて,皇室神道上の儀式を連想し,これに対し不快の念を抱いた者のいることは否定できないとしても,一般には,上記儀式については,政府見解のとおりの趣旨で行われるものであり,また,その様式については,戦前の様式を踏襲しているものの,それは皇位の継承という性格にかんがみ皇室の伝統を尊重する趣旨から採用されたものであり,あくまでも象徴天皇の即位にふさわしくこれを一定の格式と威儀を備えたものとするための形式にすぎないものであると理解されていたものと認めるのが相当であると述べ,多数者としての一般人の意識を想定して合憲判断を導いている。 また,「大嘗宮の儀」等への被控訴人P1の参列に関しても,「上記皇室 にすぎないものであると理解されていたものと認めるのが相当であると述べ,多数者としての一般人の意識を想定して合憲判断を導いている。 また,「大嘗宮の儀」等への被控訴人P1の参列に関しても,「上記皇室行事の挙行のため,国が財政的・事務的に相当の支援をしたことから,それがあたかも国が主催する儀式であるかのように感じた者のいることは否定できないが,・・・国又は地方公共団体が上記皇室行事に対し相応の配慮をし,社会的儀礼を尽くすことは一般には自然なことと受け止められたものと考えられる」と述べ,同様の論法を用いている。 このように,原判決は,少数者の上に多数者を置き,多数者の意識(実際には多数者の意識かどうか判然としない)を「一般には」という言葉に置きかえて一般人の意識を結論づけており,これは,愛媛最高裁判決の考え方に明らかに反する。 第三に,原判決は,代替手段が存在したか否かにつき,これをひどく軽んじている。 原判決は,「控訴人らは,①憲法制定の経緯に照らせば,国家神道の核心的な儀式であつた戦前の即位の礼・大嘗祭を現行の憲法の下で再現することが許されないことは論をまたないし,②天皇即位の祝典やセレモニーは特定の宗教とのかかわり合いを持つ形でなくても十分可能であつて,むしろ戦後世代が多数派となつた現在ではそれが多数者の意識にも合致する旨主張する。確かに,上記は一つの見識として検討の対象とされてしかるべきものと考えられる」として宗教的色彩を排除した儀式をとりえたことを認めながら,皇室の伝統を尊重して即位礼を挙行することを合理性を有するとして認めてしまうのである。 これは,代替手段の存否を一つの判断要素として重視する愛媛最高裁判決の考え方に明らかに反している。 第四に,原判決は,世俗的な目的が併存する場合に,事実上宗教的意義を認めない考え方を採 である。 これは,代替手段の存否を一つの判断要素として重視する愛媛最高裁判決の考え方に明らかに反している。 第四に,原判決は,世俗的な目的が併存する場合に,事実上宗教的意義を認めない考え方を採っている。 原判決は,例えば,神社神道にとつて最も重要な位置づけの与えられる天孫降臨神話に由来する高御座の使用につき,「皇位と密接に結び付いた古式ゆかしい調度品として伝承されてきたという文化的・伝統的な面を有しており,『即位礼正殿の儀』においては上記の文化的・伝統的な面に着目してこれが用いられたものと解するのが相当である」と述べ,文化的伝統的側面のあることを理由に宗教的意義を減殺し,「上記儀式の実施に当たっての国と神道とのかかわり合いの程度は極めて微弱であつたということができる」と結論づけている。かかる論法をとるならば,宗教色の強い儀式は伝統的なものがほとんどであるから,ほとんどが宗教色の薄いものとして扱われることになる。愛媛最高裁判決が世俗的目的が併存する場合も宗教的意義は失われないとしたのもこれを不合理と考えるからである。 第五に,原判決には,象徴的効果の考え方を採用しているように見受けられる記載があるが,剣と璽の置かれた高御座に天皇が登檀する儀式がなぜ「一般人に対して,神道への関心を高め,国が神道を特別に支援しており,神道が他の宗教とは異なる特別のものであるとの印象を与えたものとは認められない」ことになるのか明らかでなく,象徴的効果の考え方を形式的に記載したにすぎない。 (二) 以上のとおり,原判決は,本件諸儀式が,戦前の国家神道下の一連の諸儀式を踏襲し,各儀式の内容の宗教性を明確に認めたにもかかわらず,愛媛最高裁判決の判断過程において示された厳格適用の準則に反して,主観的目的を重視するなどの極めて緩やかな適用を行い,合憲判断を導く誤り 式を踏襲し,各儀式の内容の宗教性を明確に認めたにもかかわらず,愛媛最高裁判決の判断過程において示された厳格適用の準則に反して,主観的目的を重視するなどの極めて緩やかな適用を行い,合憲判断を導く誤りを犯している。 愛媛最高裁判決の判断過程に則して本件事案における適用をするとすれば,本件「大嘗宮の儀」等への被控訴人P1の参列に関し,本件諸儀式の明確な宗教性にかんがみると,本件参列は「社会的儀礼にすぎないものになつているとまでは到底いうことができず」,一般人が本件参列を「社会的儀礼の一つにすぎないと評価しているとは考え難い」ので,参列したP1東京都知事においても,「それが宗教的意義を有するものであるという意識を大なり小なり持たざるを得ないのであり」,「たとえ相当数のものが本件参列を望んでいるとしても,そのことのゆえ憲法上許されることになるとはいえ」ず,天皇即位を祝すということ自体は,本件参列によらなくてもこれを行うことができるのであるから,相当性の限度を超えていることになろう。 また,即位礼正殿の儀についても,神社神道の教義にとつて本質的意味を持つ剣と璽,高御座が使用されている以上,同様の論理・結論とならざをるを得ない。 本件で問題となつている儀式は,即位礼正殿の儀であれ大嘗宮の儀であれ,神社神道の儀式の頂点に立つ儀式であつて,愛媛最高裁判決で問題となつた玉串料奉納とは比べ物にならないほど,神社神道の位置付けの高い,宗教性の高い儀式である。したがつて,本件事実は,愛媛最高裁判決の判断過程において示された厳格適用の準則に従って厳格に判断すべき事案であり,決して目的効果基準の緩やかな適用をすることの許されない事案である。このことは,憲法において皇位が世襲制とされ,象徴天皇制をとつていることと矛盾しない。 皇位の世襲制と象徴天皇制は,本件諸儀 あり,決して目的効果基準の緩やかな適用をすることの許されない事案である。このことは,憲法において皇位が世襲制とされ,象徴天皇制をとつていることと矛盾しない。 皇位の世襲制と象徴天皇制は,本件諸儀式を戦前の登極令と同様の儀式内容とせず,宗教性を排した儀式内容にすることによっても当然維持できるはずであり,国家と宗教との関わりを緩やかに判断することを何ら要請しない。むしろ,天皇の地位は,明治憲法下における神格化された天皇から,主権の存する日本国民の総意に基づく日本国民統合の象徴としての天皇となつた(憲法第1条)のであるから,憲法が定める天皇(ないし皇位)は神道と厳格に分離されていると解すべきであり,天皇ないし皇室にかかわる儀式は宗教から分離されたものでなければならず,目的効果基準は,玉串料奉納の場合と同様ないしはそれ以上に厳格に適用されなければならないと考えるべきである。したがつて,事案の相違を理由に,本件において目的効果基準の緩やかな適用を正当化することは許されない。 以上のとおり,原判決は,目的効果基準の適用に関し,愛媛最高裁判決に明らかに反し,重大な誤りを犯している。 2 国家神道復活杞憂論について(一) 原判決の認定判断原判決は,戦前戦後の歴史の教訓について次のように認定した。 「明治維新以降国家と神道が密接に結び付き,国家神道に対し事実上国教的な地位が与えられ,時として,それに対する信仰が要請され,あるいは一部の宗教団体に対し厳しい迫害が加えられるなどの種々の弊害を生じたことにかんがみ,政教分離規定が設けられるに至った歴史的な背景は,宗教に関する我が国の社会的事情の一つとして,目的効果基準による判断に際して考慮されるべきである。(中略)現在においても,なお,かつての国家神道の復活を唱える勢力が存在すること及び戦後設立された ,宗教に関する我が国の社会的事情の一つとして,目的効果基準による判断に際して考慮されるべきである。(中略)現在においても,なお,かつての国家神道の復活を唱える勢力が存在すること及び戦後設立された宗教法人で,全国の大半の神社を擁する神社本庁が,天皇を神格化し,その繁栄を教義としていることも認められるのであつて,政教分離規定創設の歴史的背景に照らして,かかる現実の政治的,社会的動向がいかなる意味を持つかについても考慮を払いつつ,上記規定の適正な解釈適用を図ることも憲法上の今日的な課題であるといわなければならない。」(原判決241~242頁)。 しかし原判決は,次の通りこの教訓を生かす解釈を採らずに,「このような国家神道の復活を標榜し,あるいは天皇の神格化を唱える勢力の主張が違和感なく国民に受け入れられているとは認め難い。」などとして「大多数の国民にとつて国家神道の復活などは思いのほかのこと」で「国民の一部に国家神道の復活を目指す動きがあるという現実を考慮しても,国が神道的な色彩を一部残した『即位礼正殿の儀』を国事行為として挙行したことが,国と神道との結び付きを復活する動きを促進,助長するものと速断することはできない」(原判決242~244頁)とした。 (二) 原判決の誤り・その一(控訴人ら主張の歪曲)原判決は,原審における控訴人らの主張を,本件諸儀式が合憲とされれば明治憲法下と同様の国家神道が復活するとしているものと歪曲・矮小化し,「国家神道の復活を標榜し,あるいは天皇の神格化を唱える勢力の主張が違和感なく国民に受け入れられているとは認め難い」とか,「国家神道を復活するという考え方,動きが表にあるとしても,大多数の国民にとつて国家神道の復活などは思いのほかのことである」などとして本件諸儀式を合憲とした。 しかし,控訴人らは,本件諸儀 」とか,「国家神道を復活するという考え方,動きが表にあるとしても,大多数の国民にとつて国家神道の復活などは思いのほかのことである」などとして本件諸儀式を合憲とした。 しかし,控訴人らは,本件諸儀式が合憲とされれば,明治憲法下と同様の国家神道が復活するとか,天皇の神格化が復活するといった極端な主張は行っていない。 上記のような原判決の指摘は,ファシズム期の国家神道という極めて高度の人権抑圧状況を前提におき,ハードルを高くしておいて,そのような事態の復活は杞憂であるとする論法に立ったものであり,到底受け入れられるものではない。そもそも原判決は次に述べるとおり,原審において控訴人が強調した国家神道の認識を何ら理解しないものである。 (三) 原判決の誤り・その二(歴史の理解の誤り)原判決が正しく本件諸儀式の問題点を裁けなかつたのは,天皇制をめぐる歴史に対する理解が誤っていたところに一つの原因がある。 原判決は「明治維新以降」の時代を一様に「国家と神道が密接に結び付き,国家神道に対し事実上国教的な地位が与えられ,時として,それに対する信仰が要請され,あるいは一部の宗教団体に対し厳しい迫害が加えられるなどの種々の弊害を生じた」時代とし,「憲法の制定及びこれに伴う旧皇室典範関係法規の廃止,いわゆる神道指令の発出等」の後の時代を「国家神道は制度上消滅した」時代とする,きわめて単純な歴史認識に立つているために,「現在においても,なお,かつての国家神道の復活を唱える勢力」はごく一部であると総括している。 しかし,現実の歴史は原判決の認定のように単純なものではなかつたということは,原審でも控訴人らが主張し立証したところである。 すなわち,原判決が適切に控訴人ら主張を整理しているとおり,「国家神道は,神道を国家の祭祀として位置づけることによって絶対的神権 かつたということは,原審でも控訴人らが主張し立証したところである。 すなわち,原判決が適切に控訴人ら主張を整理しているとおり,「国家神道は,神道を国家の祭祀として位置づけることによって絶対的神権的な天皇の権威を根拠付け,一方,限定付きながら信教の自由を保障するという微妙なバランスをとつているところにその特質があつた」(原判決63頁)のであり,「そのバランスが崩れる中でファシズム期の国家神道へと変質していったのである」(同86頁)。原判決は,ファシズム期の国家神道の状況を前提に,そのような状況が明治維新以後,敗戦に至るまで一貫して継続していたといった歴史認識に立つているようであるが,上記のとおり,原判決の歴史認識は何ら控訴人らの主張,立証を踏まえていないばかりか,誤ったものである。 また,「戦後史の現実を率直に見れば,新憲法の趣旨は明白であつたにもかかわらず,戦後の天皇制も復古を求める勢力と憲法の原則を求める運動との力関係によって変動してきている」し,「戦後史の今後の展開の中でも,神社神道や上記派勢力の圧力によって,天皇制がさらに神道との結合を強めることはあり得るし,これによって政教分離原則と国民主権原理がないがしろにされていくことも決して『杞憂』ではない」のである。 このように,原審で控訴人らが主張,立証してきた歴史的知見について,被控訴人が全く争っていないにもかかわらず,これと異なる単純で誤った歴史の総括をした上でなされた原判決は,破棄を免れない。 (四) 原判決の誤り・その三(儀式をめぐる実際の経過の看過)原判決は,本件諸儀式をめぐる実際の経過についても,控訴人らが主張立証した重要な事実を看過している。 原判決は,本件諸儀式を「伝統的な様式を尊重しつつ,憲法理念との調和を図るため,その宗教的意義を払拭しようとした」ものと判 る実際の経過についても,控訴人らが主張立証した重要な事実を看過している。 原判決は,本件諸儀式を「伝統的な様式を尊重しつつ,憲法理念との調和を図るため,その宗教的意義を払拭しようとした」ものと判断し,これが一因となつて「その宗教とのかかわり合いの程度は微弱である」とする誤った判断に陥っている。 しかし,本件諸儀式は,実際には宗教的な色彩を取り除こうとする当初の政府の姿勢に対し,神社神道・政治家・知識人が猛烈な圧力を加え,ついに圧力を受け入れて,大喪の礼で鳥居を設置するなど宗教色が増し,これに勢いを得た神社神道等が一層猛烈な署名運動等を展開した結果として挙行されたものである。政府は原判決の判断のように「伝統と憲法を調和」したのではなく「憲法を尊重しようとしたが,神道等の圧力に屈して宗教色を強化」したのである。原判決は,この点でも原審控訴人が主張立証し被控訴人が争っていない事実に反する認定をしており,破棄を免れない。 3 政教分離原則違反―――――即位の礼について原判決は前記のとおり本件即位の礼が天孫降臨神話に由来する(皇室)神道儀式として宗教的意義を有すること認め,かつ,本件諸儀式が戦前の旧登極令・同附式に基づき諸儀式相互間に一定の連続性が認められると判示したにもかかわらず,政府見解を無批判に追認して国事行為を他の宗教儀式から切り離して検討したうえ,「即位礼正殿の儀」の神道とのかかわり合いの程度は極めて微弱であるとした。 しかし,次のとおり,こうした判決の論理は,本件の客観的歴史的検討を欠いた極めて皮相なものであり,はじめに結論ありきの不当判決である。 (一) 控訴人らの原審における主張控訴人らは原審においてこの点を次のとおり主張した。 本件即位の礼・大嘗祭諸儀式は全体として一つの神事をなしており,その意義は,皇祖天照大神を頂 当判決である。 (一) 控訴人らの原審における主張控訴人らは原審においてこの点を次のとおり主張した。 本件即位の礼・大嘗祭諸儀式は全体として一つの神事をなしており,その意義は,皇祖天照大神を頂点とする神々の存在を前提として神楽や神饌,幣帛等を奉納し,祝詞をあげて神々に奉告し守護を願うものであり,「即位礼正殿の儀」はその一連の諸儀式の頂点に位置するものである。 とりわけ,「即位礼正殿の儀」の直前に行われる「即位礼当日賢所大前の儀」は,皇祖天照大神の前に天皇が群臣を率いて即位を奉告する皇室祭祀であり,「即位礼正殿の儀」と不可分一体のものという皇室神道上の位置付けをもつている。 「即位礼正殿の儀」で天皇が登壇する高御座は,昭和の即位の礼で用いられたものと全く同一のものであつて,皇孫瓊瓊杵尊(ニニギノ尊)が皇祖天照大神から日本の統治を委ねられた際に就いた「皇祖の霊座」という高度の宗教的意義を付与された皇室神道の祭具である。 上記の高御座には三種の神器である剣と璽が置かれたが,これも皇祖天照大神が瓊瓊杵尊)に日本統治の象徴(レガリア)として授けたという宗教的意義を有する祭具である。 (二) 原判決の理由付けこれに対し,原判決は前記のとおり即位礼正殿の儀の宗教性を認めつつ,次のとおり判示して「国と神道とのかかわり合いの程度は極めて微弱であつた」とした。 本件諸儀式のうち「即位礼正殿の儀」は国事行為として挙行され,大嘗祭や「賢所大前の儀」等は皇室の私的な儀式として挙行され,両者は区別されている。 「即位礼正殿の儀」と「即位礼当日賢所大前の儀」・「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」はその趣旨・目的,時間及び場所,参列者の身分,規模からして,明確に区別されている。 高御座は,中世においては密教の「即位潅頂」の儀式も行われていたことをみれば,神 位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」はその趣旨・目的,時間及び場所,参列者の身分,規模からして,明確に区別されている。 高御座は,中世においては密教の「即位潅頂」の儀式も行われていたことをみれば,神道における祭具の性質しか有しないと断ずることはできず,むしろ「皇位と密接に結びついた古式ゆかしい調度品として伝承されてきたという文化的・伝統的な面」に着目して用いられたとみるのが相当である。 剣と璽は「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」という皇室経済法七条の規定に基づき高御座に置かれたと解することができる。 むしろ,大錦旛の八爬烏と鵄の文様が神話にちなむため菊の紋に代えられ,同様に萬歳旛の厳瓮(いつへ)と五匹の魚も消されている。 (三) 原判決に対する批判(1) 原判決の判示は,まずその基本的な判断枠組みが不当である。すなわち,上記判示は,「政府が伝統的な儀式を尊重しつつ,象徴天皇制,政教分離原則という憲法理念との調和を図るべく,上記宗教的色彩を弱める努力を払った」として政府の基本姿勢を追認しているが,そもそも象徴天皇制や政教分離原則という極めて重要な憲法理念と私人としての皇室の伝統(しかもその「伝統」は,天皇を絶対的神権的統治者とする明治憲法と国家神道の下で創設されたものであり,国民主権と政教分離を大原則とする現憲法の下では否定的評価を受けるべきものである)とを対等な関係で調和させ,憲法理念を後退させているからである。 しかも,この宗教的色彩を弱める努力自体が,次のとおりそれこそ「微弱」なものというべきであり,宗教的意義がかなりの程度弱められたなどとは到底いえないのである。 ① 国事行為と皇室行事の区別についてまず,本件においては大嘗祭等の「皇室行事」も即位の礼同様内閣と宮内庁の全面的関与のもと公費によって挙行されており,私的行事ではな とは到底いえないのである。 ① 国事行為と皇室行事の区別についてまず,本件においては大嘗祭等の「皇室行事」も即位の礼同様内閣と宮内庁の全面的関与のもと公費によって挙行されており,私的行事ではなく公的行事として挙行されたものと見るべきである。政府は本件諸儀式を「大礼関係者儀式」として一覧表にし官報に掲載しており(甲1の32・145頁),国事行為か皇室行事かは,単なる名目的形式的な区別にすぎないように扱われている。 原審で控訴人らが繰り返し述べたとおり,本件諸儀式は旧登極令及び同附式をほとんど完全に踏襲して実施されたものであり,歴史的経緯から見ても儀式の意味内容から見ても一体連続のものである。国事行為と皇室行事の名目的区別を過大評価するのは政府の狡猾な脱法行為を追認するものといわざるを得ない。 ② 「賢所大前の儀」との密接な関連性「即位礼正殿の儀」と「即位礼当日賢所大前の儀」,「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」についていえば,儀式が別のものである以上,趣旨・目的,時間及び場所,参列者の身分,規模がある程度異なるのは当然であり,問題はその関連性と一体性の評価である。 まず,その趣旨・目的についていえば,政府及び大礼委員会の説明によれば,前者は,「即位を公に宣明されるとともに,その即位を内外の代表がことほぐ儀式」であり,後者は「即位礼の当日,賢所に天皇が即位礼を行うことを奉告される儀式」,「即位礼の当日,皇霊殿,神殿に天皇が即位礼を行うことを奉告される儀式」とされている。この説明からも,両者が即位礼の一環の儀式であること,すなわち,天皇が即位の礼を行うことを賢所(皇祖天照大神)及び皇霊殿・神殿に奉告し,その後に即位を公に宣明するという密接な関連があることが明らかである。即位の礼委員会の決定した実施要綱別紙の進行予定には,「即位礼当日賢 の礼を行うことを賢所(皇祖天照大神)及び皇霊殿・神殿に奉告し,その後に即位を公に宣明するという密接な関連があることが明らかである。即位の礼委員会の決定した実施要綱別紙の進行予定には,「即位礼当日賢所大前の儀」,「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」が即位の礼の一環として組み入れられている(甲1の32・134頁)。 さらに,これを儀式内容に即して検討すれば,前者は原判決も認定したとおり,天皇が三種の神器である剣璽を置いた高御座に登壇する儀式で,「天津高御座」に就いていた皇孫が三種の材器を授けられて地上の統治をゆだねられたという天孫降臨神話に由来するものであり,一方,後者は賢所(皇祖天照大神)の前で天皇が剣璽を伴って拝礼をする儀式で,これも天孫降臨神話に由来する同趣旨の儀式なのである。両儀式ともに三種の神器である剣璽が用いられていること,即位礼正殿の儀においては皇祖の霊座とされる「高御座」が用いられたことは,両儀式の密接な関連性を客観的に裏付けるものといえる。 次に,時間については,「即位礼当日賢所大前の儀」は11月12日午前9時,「即位礼正殿の儀」は同日午後1時にそれぞれ開始されている。これは天皇が即位の礼を行うことを賢所及び皇霊殿・神殿に奉告しその後に即位を公に宣明するという上記に述べた趣旨によるものであつて,時間的前後関係に意味がある。ちなみに,昭和の即位の礼においては,賢所大前の儀は午前8時20分,紫宸殿の儀は午後1時20分にそれぞれ開始されており(甲1の6),本件の時間設定はこれをほぼ踏襲したものといえる。 参列者についていえば,その人数は儀式の趣旨から「即位礼正殿の儀」が多数の参列者であることは当然であるが,重要なことは,内閣総理大臣をはじめ三権の長,国務大臣等約60名の国家機関の要人が両儀式に共通して参列していることである 数は儀式の趣旨から「即位礼正殿の儀」が多数の参列者であることは当然であるが,重要なことは,内閣総理大臣をはじめ三権の長,国務大臣等約60名の国家機関の要人が両儀式に共通して参列していることである(甲1の32・178頁)。すなわち,これら要人らがすべて,前記のとおり儀式当日の午前中に「賢所大前の儀」に参列し,続いて午後に「即位礼正殿の儀」に参列することにより,両儀式が即位の礼を構成する密接不可分の連続する儀式として公的に位置付けられていることが誰の目にも明らかに示されるのである。 ③ 高御座の神道祭具としての意義高御座は天孫降臨神話に由来する皇祖の霊座であり,天皇が三種の神器である剣璽を伴ってこれに登壇するという即位礼の儀式の中核は古来一貫しており,高御座の性格自体に歴史的な変遷はない(甲1の22・15頁)。中世における「即位潅頂」は当時の神仏習合を背景として,この神道儀式に付加されたものであり,神道儀式である点に何ら変化はない。したがつて,高御座が神道(皇室神道)の祭具であることは明らかである。原判決は,「皇位と密接に結びついた古式ゆかしい調度品」というが,本件高御座は大正天皇の即位の際に近代天皇制と国家神道体制にふさわしい祭具として新たに造られたものであり,「文化的・伝統的な」継承物などではない。そもそも「古式ゆかしい調度品」や文化的・伝統的な側面をもつものが宗教的意義を色濃く帯びることは多いのであつて,原判決の理由は全く不当なものである。 ④ 剣璽が用いられたことについて三種の神器である剣と璽は天孫降臨神話に由来する明確な皇室神道の祭具である。皇室経済法7条の「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」という規定は,その継承について規定しているにすぎない。剣璽が国有財産ではなく天皇・皇室の私有財産であることは国会における政府答弁から 具である。皇室経済法7条の「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」という規定は,その継承について規定しているにすぎない。剣璽が国有財産ではなく天皇・皇室の私有財産であることは国会における政府答弁からも明らかであり(甲1の32・300頁),その点では宮中三殿と同じ性質のものである。したがつて,皇室経済法の規定が国事行為である即位礼正殿の儀に剣璽を用いることを正当化する理由には全くならないのである。 ⑤ 旛の文様の修正について大錦旛の八爬烏と鵄の文様等はいずれも記紀の神武東征神話に基づくものであり,天孫降臨神話本体のものではない。すなわち,八爬烏は神武天皇東征のとき熊野から大和に入る険路の先導となつたという大烏であり,鵄は神武天皇弓の先にとまり敵軍の目をくらませたという金色のトビのことである。また,厳瓶(「いつへ」,祭祀用の酒瓶)と五匹の魚は,神武天皇が国内平定を占つた神話に基づくものである。こうした神武東征神話に基づく要素が修正されたのは,戦前の軍国主義イデオロギーや侵略戦争を露骨に想起させるものであつたからであり,儀式の宗教色を緩和するためになされたものとはいえない。そのことは,三種の神器である剣璽を伴って高御座に登壇するという,天孫降臨神話本体にかかわる儀式がそのまま踏襲されたことから明らかである。したがつて,こうした修正がなされたからといって天孫降臨神話に基づく皇室神道儀式の宗教的意義は全く弱められていないのである。 以上のとおり,本件「即位礼正殿の儀」は天孫降臨神話に由来するその儀式内容,高御座と三種の神器という皇室神道祭具を用いた儀式の外形,「賢所大前の儀」等の皇室祭祀との密接不可分性のどれをとつても戦前の旧登極令下で行われた大正・昭和の即位の礼と同じ濃厚な神道儀式であり,他方,原判決の指摘する宗教色を弱める努力なるものは 式の外形,「賢所大前の儀」等の皇室祭祀との密接不可分性のどれをとつても戦前の旧登極令下で行われた大正・昭和の即位の礼と同じ濃厚な神道儀式であり,他方,原判決の指摘する宗教色を弱める努力なるものはこうした神道儀式そのものに何ら変更を加えるものでないことが明らかである。かかる「努力」なるもので神道とのかかわり合いの程度を「微弱」であるとした原判決のずさんな認定は厳しく非難されるべきである。 (2) 次に,原判決は目的効果基準の適用において,「即位礼正殿の儀」の目的を「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である天皇が即位を公に宣明するとともに,その即位を内外の代表がことほぐ儀式」という政府見解をそのまま引用し,これに何らの検討を加えていない。 しかし,宗教的目的が公言されることはありえないから,これでは目的審査の「基準」という意味は全くなくなつてしまう。この点,愛媛最高裁判決は,県が「戦没者の慰霊及び遺族の慰謝」という世俗的な目的を公言していたにもかかわらず,玉串料等の奉納を客観的側面から考察して目的が宗教的意義を持つことを免れないと認定したのである。そして,その際重視されたものは「慣習化した社会的儀礼」にすぎないものかどうかという点であり,これが肯定されなければ,一般人の評価においても行為の当事者の意識においても「宗教的意義を有するものであるという意識を大なり小なり持たざるを得ない」として,目的審査における厳格な立場を明確に示したのである。 本件「即位礼正殿の儀」についていえば,「慣習化した社会的儀礼」などといえるものではおよそありえない。これは,前記のとおり神道とのかかわりが「微弱」とはいえないことや,前天皇である昭和天皇の即位の礼まで歴代天皇の即位の礼がまさに神道の宗教儀式として挙行されてきたことを見ても明らかである。 なお,目的 は,前記のとおり神道とのかかわりが「微弱」とはいえないことや,前天皇である昭和天皇の即位の礼まで歴代天皇の即位の礼がまさに神道の宗教儀式として挙行されてきたことを見ても明らかである。 なお,目的審査における「宗教的意義」は宗教的意義があるかどうかかが問題なのであつて,愛媛最高裁判決が「大なり小なり」といみじくもいっているように,宗教的意義が認められる以上,その程度は問題とならない。神道に対する理解の程度に応じてその儀式内容の宗教的意義の理解の程度に差は出るにせよ,原判決も認定するとおり「神道が元来儀礼,祭祀を重視する宗教である」ことにかんがみれば,神道の宗教的意義の認められる儀式を国が挙行した以上,目的における宗教的意義は当然認められるべきである。 (3) 原判決は,一般人が儀式についていかなる理解,印象を持ったかという観点からの考察についても,「政府見解に照らして」,儀式の趣旨が前記のとおり世俗的なものであることを根拠に,政府見解に即した結論を導いている。これは明白な論点先取,循環論法であり,原判決は論理的誤謬を犯している。 また,原判決は「天皇の神性を基礎付ける儀式」では到底ありえないとか,「天皇が高御座に昇ることで神格をうるという意味はない」といったあえて儀式の意味内容に立ち入った高レベルの宗教的認識を挙げてこれを否定しているが,目的効果基準における一般人の理解,印象としては,単に宗教的意義のある儀式(本件では神道儀式)であることさえ理解され,印象づけられれば足りる。 さらに,愛媛最高裁判決が「一般人」の視点を単なる多数者ではなく合理的観察者の観点でとらえ,憲法制定の経緯もふまえて判断していることに照らせば,上記判決の認定はあまりにずさんというべきである。 本件の「即位礼正殿の儀」については,原判決が認めたとおり,「国民の一部 観察者の観点でとらえ,憲法制定の経緯もふまえて判断していることに照らせば,上記判決の認定はあまりにずさんというべきである。 本件の「即位礼正殿の儀」については,原判決が認めたとおり,「国民の一部に戦前の「即位礼当日紫宸殿の儀」を連想し,あるいはその古色蒼然とした様式を見て,これに対し不快の念を抱いた者のいることは否定できない」のであつて,そうであるならば,合理的観察者はもちろん,そこまでの認識をもたない多くの国民もまた,少なくとも本件諸儀式が神道儀式として宗教的意義を有することは理解し印象づけられたはずである。 したがつて,上記儀式が一般人に対して,神道への関心を高め,国が神道を特別に支援しており,神道が他の宗教とは異なる特別のものであるとの印象を与えたことは明らかである。原判決がこれを否定するのは全く非常識であり不可解としか言いようがない。 (4) 原判決は,244頁以下の部分で,国家神道の核心的な儀式である即位の礼,大嘗祭諸儀式を現行憲法下で再現することは許されず,また特定の宗教とのかかわり合いを持たない形でも十分可能である,という控訴人らの主張を「一つの見識として検討の対象とされてしかるべきものと考えられ」と一定の評価を行った。 しかし,原判決は原審控訴人の上記主張についてまともに検討せず,ただ単に政教分離原則より皇位の伝統を尊重するとした政府見解を引用し,これを何の説明もなく「それなりに合理性を有するもの」と結論づけるのみである。 また,原判決は「このような考えを肯定する国民が相当数いた」ことも合わせて上記の結論を肯定するもう一つの根拠としている。これらは国の裁量を大幅に認める,いわゆる「合理性の基準」にほかならない。 しかし,こうした「合理性の基準」は精神的自由を制限する基準としては相当なものではない。また,相当数の国民 根拠としている。これらは国の裁量を大幅に認める,いわゆる「合理性の基準」にほかならない。 しかし,こうした「合理性の基準」は精神的自由を制限する基準としては相当なものではない。また,相当数の国民の存在を政教分離原則より皇室の伝統を尊重するための根拠づけとして用いることも,愛媛最高裁判決の考え方と矛盾するものである。 ① 「相当数」の国民の存在愛媛最高裁判決は,「たとえ相当数の国民がそれを望んでいるとしても,そのことのゆえに,地方公共団体と特定の宗教とのかかわり合いが,相当とされる限度を超えないものとして憲法上許されることになるとはいえない。」と明言した。この考え方は,愛媛最高裁判決が前記のとおり「一般人」を近代的理性を有する人間(合理的観察者)と位置付け,そしてそのような意味での「一般人」を,多数者=一般国民より優位に位置づけていいることを意味している。このことは,言葉を換えて言えば愛媛最高裁判決は,憲法規範を多数者の意識より優位に置き,宗教的少数者の保護を重視しているということである。この意味で原判決は愛媛最高裁判決の判示に反するものである。 ② 「合理性の基準」についてそもそも原判決の採用した「合理性の基準」は経済的自由の規制のために適用されるもので,精神的自由の規制の基準としては妥当しない。精神的自由の規制には明白かつ現在の危険の基準や次に述べるLRAの基準等のより厳格な基準によって審査されなければならない。これは精神的自由の優越的地位,二重の基準論といわれるもので,学説において広く支持され,また判例にも取り入れられていることは常識である。愛媛最高裁判決は,この点でも原判決と異なつた論理を採用している。なぜならば,同判決は,「戦没者の慰霊及び遺族の慰謝ということ自体は,本件のように特定の宗教と特別のかかわり合いを持つ形で 常識である。愛媛最高裁判決は,この点でも原判決と異なつた論理を採用している。なぜならば,同判決は,「戦没者の慰霊及び遺族の慰謝ということ自体は,本件のように特定の宗教と特別のかかわり合いを持つ形でなくてもこれを行うことができると考えられる」と判示しているからである。この代替手段の存否に関しては,同判決の尾崎裁判官の意見が法廷意見を敷衍して次のとおり述べている。「したがつて,国は,その施策を実施するための行為が宗教とのかかわり合いを持つものであるときには,まず禁じられた活動に当たるとしてこれを避け,宗教性のない代替手段がないかどうかを検討すべきである。そして,当該施策を他の手段でも実施することができるならば,国は,宗教的活動に当たると疑われる行為をすべきではない。しかし,宗教とのかかわり合いを持たない方法では,当該施策を実施することができず,これを放棄すると,社会生活上不合理な結果を生ずるときは,更に進んで,当該施策の目的や施策に含まれる法的価値,利益はいかなるものか,この価値はその行為を行うことにより信教の自由に及ぼす影響と比べて優越するものか,その程度はどれほどかなどを考慮しなければならない。施策を実施しない場合に他の重要な価値,特に憲法的価値の侵害が生ずることも,著しい社会的不合理の一場合である。こうした検証を経た上,政教分離原則の除外例として特に許容するに値する高度な法的利益が明白に認められない限り,国は,疑義ある活動に関与すべきではない。このような解釈こそが,憲法が政教分離規定を設けた前述の経緯や趣旨に最もよく合致し,文言にも忠実なものである上,合憲性の判断基準としても明確で疑義の少ないものということができる。そして,上記の検討の結果,明確に例外的事情があるものと判断されない限り,その行為は禁止されると解するのが,制度の趣旨 のである上,合憲性の判断基準としても明確で疑義の少ないものということができる。そして,上記の検討の結果,明確に例外的事情があるものと判断されない限り,その行為は禁止されると解するのが,制度の趣旨に沿うものと考える。」上記の考え方は,近時の多くの学説が違憲審査の基準として掲げる「より制限的でない他の選びうる手段」(LRA)の基準と同一の発想に立つものである。 原判決は,LRAの考え方を評価しつつ,結論的には上記LRAの考え方に全く合致しない方法,つまり政府見解を援用するのみで合理性ありとして合憲性を導き出している。前記最高裁判決や学説の考え方からすれば,即位の礼が政教分離原則を犯す可能性があるのであれば,被控訴人の側でまず即位礼が宗教とのかかわりを持たないで実施することができない理由等々,具体的・実質的に立証すべきである。 4 政教分離原則違反―――――大嘗祭等の「皇室行事」について(一) 本件大嘗祭等の「皇室行事」が公的行事として挙行されたこと原判決は,大嘗宮の儀等の「皇室行事」を即位礼正殿の儀等の「国の儀式」と区別し,皇室行事は国が行ったものでなくあくまでも天皇あるいは皇室が主宰して私的な行事として行われたものであるから,「皇室行事」の挙行自体について政教分離原則違反の問題が生ずることはないとしたうえ,上記皇室行事への国の関与が政教分離原則に違反するかどうかということと被控訴人P1の皇室行事への参列等が政教分離原則に違反するかということとは相互に影響を与えることはないとする。 しかしながら,大嘗祭等の皇室行事が実際にも「私的な行事」として挙行されたことは控訴人被控訴人双方とも主張していないし,以下に述べるとおり,事実の客観的考察,政府見解の言明,マスコミや一般市民の理解は,いずれも原判決の上記認定と異なっている。 原判決の して挙行されたことは控訴人被控訴人双方とも主張していないし,以下に述べるとおり,事実の客観的考察,政府見解の言明,マスコミや一般市民の理解は,いずれも原判決の上記認定と異なっている。 原判決のかかる認定は,当為と存在を混同する明らかな論理的ミス(誤謬推論)を犯したものというほかない。すなわち,前記のとおり原判決は,大嘗祭等の皇室行事は「国事行為あるいは天皇の公的行為としてではなく天皇個人あるいは皇室の私的な信仰に基づき行われるべきもの」であると明確に判示した。これは,論理的帰結としては,「公的性格」を根拠に公費である宮廷費を支出するなど宗教儀式に全面的に関与した政府見解の立論を覆すべきはずの認定である。 にもかかわらず,原判決は上記の「天皇個人あるいは皇室の私的な信仰に基づき行われるべきもの」という原則論から一挙に,「本件皇室行事は国が行ったものではなく,あくまでも,天皇あるいは皇室が主宰して私的な行事として行われた」という事実を導き,そこから私的なものである皇室行事の挙行自体には政教分離原則違反の問題が生ずることはないとするのである(原判決264頁)。こうした論法は,為されるべき原則の存在をもつて実際に為された事実を立証するものであり,当為(ゾレン)と存在(ザイン)を混同した明白な誤謬推論である。 そもそも本件における大嘗祭等の皇室行事に関する最大の問題は,原判決のいうように憲法上は私的行事としか位置付けられないはずの皇室神道行事に対し,国が「公的性格」を認めて莫大な公費を支出するとともに人的物的に全面的に関与して諸儀式を挙行したこと,すなわち,皇室神道行事の公的行事としての挙行にあつたのであり,その点が当時から争われてきたのである。 (二) 「公的行事」である根拠本件大嘗祭等の皇室行事が天皇・皇室の公的行事として挙行され と,すなわち,皇室神道行事の公的行事としての挙行にあつたのであり,その点が当時から争われてきたのである。 (二) 「公的行事」である根拠本件大嘗祭等の皇室行事が天皇・皇室の公的行事として挙行されたと評価すべき主な理由は次の4つである。 ① 政府見解において「公的性格」が明言されたこと② 行事の規模が皇室の私的活動の規模をはるかに越え,国家的規模で挙行されたこと③ 財政的にも行事の予算が内廷費の額をはるかに越えていること及びその全額が公金である宮廷費によって賄われたこと④ 後記のとおり内閣及びその一員であり国家行政機関である宮内庁が行事の企画・立案,準備,案内,執行まですべてに関与して行ったこと以上の点についてはその具体的事実を次項以下で述べるが,公的行事か私的行事かの区別に関しては,従来私的行事であるとされてきている新嘗祭などの皇室祭祀と比較すればより明白になる。すなわち,新嘗祭などの皇室祭祀は,その宗教性から皇室の私的行事であると明言されており,その費用は全額皇室の私的費用(お手元金)である内廷費から支出され,規模も内廷費で挙行できる範囲内にとどまっている。また,行事を準備し,実際に執り行うのは私人(祭司)としての天皇と天皇の私的使用人である掌典職であり,儀式参列の案内も掌典長が行っているのである。 このように本件において大嘗祭等の皇室行事が私的行事ではなく公的行事として挙行されたことは明白であり,そうであるならば,内閣が挙行したのか,国家機関としての天皇・皇室が挙行したのかはともかく,国が宗教性の明らかな上記諸儀式を挙行したものとして政教分離原則違反の問題が生じるのである。そして,原判決が即位の礼に関する判示において認めたとおり,都知事が単に諸儀式に参列したのみであつても違法と評価され得ることになるのである。 (三) 本 として政教分離原則違反の問題が生じるのである。そして,原判決が即位の礼に関する判示において認めたとおり,都知事が単に諸儀式に参列したのみであつても違法と評価され得ることになるのである。 (三) 本件諸儀式への政府の関与本件諸儀式への政府(内閣及びその一員である宮内庁)の関与は,「国事行為」とされたものはもちろん,「皇室行事」とされたものも含め,次のとおり行事の企画,決定,準備,予算措置,実施のすべての面に及んでおり,他方,天皇及び皇室の私的な関与は全くない。したがつて,本件諸儀式は政府が行事を主催したと評価されるべきものである。 (1) 本件諸儀式の企画,決定本件諸儀式の企画決定に至る経過については控訴理由書別表のとおりであり,内閣における即位の礼の企画検討作業と宮内庁における大嘗祭等の企画検討作業は全く軌を一にして行われていたことが明らかである。しかも,宮内庁は内閣の一員として即位の礼の企画検討作業にも加わつており,即位の礼・大嘗祭関連の全儀式に関し宮内庁がその企画立案に深くかかわつていたことは明らかである。 まず,1989年7月,内閣はP7官房副長官を委員長とする事務レベルの「即位の礼検討委員会」の初会合を開き,組織づくりについての検討を開始した。これと同時期,宮内庁はP6宮内庁長官を委員長とする「大礼検討委員会」を設置し,日程,参列者の数,調度品の調達,大嘗宮の規模などの検討に入った。 すでにこのときまでに大嘗祭を皇居内で開催すること,旧登極令をほぼ踏襲して実施するという方針は固まっていたとされる(甲1の32・142頁)。 同年9月26日,内閣は「即位の礼準備委員会」の設置を閣議決定し,諸儀式全般の検討に入った。上記準備委員会はP8内閣官房長官を委員長とし,内閣法制局長官,内閣官房副長官(政務・事務),宮内庁長官を委員とす 月26日,内閣は「即位の礼準備委員会」の設置を閣議決定し,諸儀式全般の検討に入った。上記準備委員会はP8内閣官房長官を委員長とし,内閣法制局長官,内閣官房副長官(政務・事務),宮内庁長官を委員とする構成であった。同日,宮内庁はP6宮内庁長官を委員長とする「大礼準備委員会」を設置した。 同年12月21日,内閣は「即位の礼準備委員会」の検討結果に基づき,政府見解を発表した。政府見解は「即位礼正殿の儀」等を国事行為として総理府が担当することとする一方,大嘗祭については皇室行事としつつ公的性格があるとして宮廷費で支出するとした。同日,宮内庁は「大礼準備委員会」の検討結果を発表した。 この中では,即位の礼準備委員会の検討結果を引用したうえ,即位の礼に関しては総理府本庁の所掌事務だが宮内庁もその実施に当たり協力することとし,大嘗祭に関しては,その骨子を明らかにするとともに,執行体制は宮内庁がその事務をつかさどるとした。さらに「大礼準備委員会」の検討結果によれば,「即位の礼・大嘗祭に伴う一連の儀式として,期日奉告の儀(仮称)をはじめとする諸儀式を行うことが適当である」とされた。 このように本件諸儀式の企画立案段階では,内閣による「即位の礼」の検討と宮内庁による「大礼」(即位の礼・大嘗祭関連諸儀式全体)の検討が完全に並行して進められており,しかも宮内庁が内閣の一員として本件諸儀式の検討作業にも深く関与しているのであるから,本件諸儀式全体を一連の儀式として宮内庁を要とする内閣全体で企画・立案したことは明らかである。 (2) 本件諸儀式の準備上記の企画立案を受けた準備作業も,同様に内閣と宮内庁がほぼ完全に並行して,宮内庁が全体の要となる重要な役割を担って進められた。 1990年1月8日,内閣は「即位の礼に関する諸問題について協議し,総合的かつ円滑な対 けた準備作業も,同様に内閣と宮内庁がほぼ完全に並行して,宮内庁が全体の要となる重要な役割を担って進められた。 1990年1月8日,内閣は「即位の礼に関する諸問題について協議し,総合的かつ円滑な対応を図るため」,内閣総理大臣を委員長とする「即位の礼委員会」を設置したが,ここにも委員として宮内庁長官が加わつている。同日,宮内庁はP6宮内庁長官を委員長とする「大礼委員会」を設置した。大礼委員会は副委員長に宮内庁次長,侍従長,皇太后宮大夫,東宮大夫,式部官長を充てるなど,宮内庁全体が構成員として参加していた。 同年1月19日,内閣は関係行政機関すべてを含む「即位の礼実施連絡本部」を内閣官房長官を本部長として設置したが,宮内庁は宮内庁次長が本部長となったほか,本部の幹事として,宮内庁長官官房審議官,同官房宮務主管,同官房皇室経済主管,宮内庁管理部長,同式部職式部副長(儀式総括),同(外事総括)の6人もが名を連ねた。 同日,内閣は「即位礼正殿の儀」等を国事行為として行うことを閣議決定するとともに,即位の礼の実施大綱を発表した。同日,宮内庁は本件諸儀式全体(「大礼関係諸儀式等」)の儀式の予定とその概要を発表した。 その後,儀式の細目,進行予定,参列者等が公表されたのは,即位の礼については同年9月19日(即位の礼委員会決定),大嘗祭については同年2月2日(宮内庁)であった。このうち,大嘗祭については,政府見解において,宗教儀式であるから「国がその内容に立ち入ることにはなじまない」とされていたにもかかわらず,宮内庁は儀式の詳細な内容と式次第を決めてこれを官報に掲載したのである(甲1の32,148頁)。以上の準備過程に,天皇・皇室が関与した形跡は全く見られない。 (3) 本件諸儀式の実施本件諸儀式のうち国事行為とされた即位礼正殿の儀を国が主催して 報に掲載したのである(甲1の32,148頁)。以上の準備過程に,天皇・皇室が関与した形跡は全く見られない。 (3) 本件諸儀式の実施本件諸儀式のうち国事行為とされた即位礼正殿の儀を国が主催して実施したことはもちろんのことであるが,皇室行事とされた大嘗祭等の本件諸儀式も前記のとおり宮内庁の大礼委員会が準備し実施に当たつた。しかも次のとおり,神道(皇室神道)儀式であるこれらの儀式自体の実施にも国(宮内庁職員)が深く関与しているのである。 大嘗宮の儀についていえば,神道儀式の執行に宮内庁長官,侍従長,侍従,女官長,女官,式部官長,式部官らが重要な役割を担っている。 そして,これら宮内庁職員は,その服装も天皇・皇族及び掌典職らと同様の祭服を着用していた。すなわち,宮内庁長官,侍従長,侍従,式部官長及び式部官らは掌典長らと同じ「束帯・小忌衣」を着用し,女官長及び女官も「五衣・唐衣・裳・小忌衣,桂袴・小忌衣」を着用していたのである(甲1の32・149頁)。 いうまでもなく宮内庁職員はれっきとした公務員であり,皇室の私的使用人ではない。政教分離原則の下,皇室祭祀は皇室の私的行事以外のものではなく,その実施は皇室の私的使用人である掌典,内掌典,釆女らが奉仕し執り行うものとされている。本件において宮内庁長官以下の公務員が,皇室祭祀である「大嘗宮の儀」の進行に奉仕し,儀式を執り行ったことは全く異様というほかない。 こうした宮内庁職員の皇室祭祀への奉仕は,「大嘗宮の儀」のみでなく,「賢所に期日奉告の儀」や「即位礼当日賢所大前の儀」など本件諸儀式のうち皇室行事とされた神道行事全般にわたっており,国が神道行事の実施にあたり公務員である宮内庁職員に神道儀式執行を担当させることも含めて深く関与していたことが明らかである。 (4) 本件諸儀式の予算措置本 とされた神道行事全般にわたっており,国が神道行事の実施にあたり公務員である宮内庁職員に神道儀式執行を担当させることも含めて深く関与していたことが明らかである。 (4) 本件諸儀式の予算措置本件諸儀式の実施は原判決も認定するように全面的に公費(宮廷費)で行われ,皇室の私的活動費である内廷費からは全く支出されていない。このうち大嘗祭関係の予算は22億4900万円であり,その内訳は次のとおりである。 ・大嘗宮の儀 18億2700万円大嘗宮設営関係 14億5300万円儀式用品・装束 3億7400万円・大饗の儀・饗宴・風俗舞 3億4700万円・その他大嘗祭関連 7500万円これに対し,皇室の私的活動費である内廷費は1987年度が2億5700万円,現在(1999年度)は3億2400万円であり,大嘗祭等の予算はこれをはるかに上回つている。 また,こうした予算措置は,「すべて政府の責任において必要な経費を見積もり,またこれを支出する」のであり,天皇・皇室から援助要請があつて行われたわけではないと説明されていた(P7官房副長官の外国記者団への説明・甲1の32・139頁)。 このように大嘗祭等の皇室行事については,全額公費である宮廷費で賄われたことだけでなく,その予算規模が通常の天皇・皇室の私的活動費をはるかに上回っていること,天皇・皇室の意向と関わりなくすべて政府の責任において決定し支出されていることをみれば,天皇個人あるいは皇室の私的信仰に基づく私的行事を国が財政的に配慮したなどという次元の問題ではなく,まさに国がこれらの諸儀式を公的行事として挙行したものと評価されるべきである。 (5) 大嘗祭等の皇室行事についての当事者及び国民の認識① 当事者である国と都知事の認識本件諸儀式のうち国事行為である即位礼正殿の儀等はもちろんのことで して挙行したものと評価されるべきである。 (5) 大嘗祭等の皇室行事についての当事者及び国民の認識① 当事者である国と都知事の認識本件諸儀式のうち国事行為である即位礼正殿の儀等はもちろんのことであるが,皇室行事とされた大嘗祭等の諸儀式についても,国及び都はこれを「公的行事」として位置付けており,決して皇室の私的行事にすぎないものとは考えていなかつた。 国(内閣)は政府見解で大嘗祭を,「皇位が世襲であることに伴う,一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式」と位置付け,「大嘗祭は,公的性格があり,大嘗祭の費用を宮廷費から支出することが相当である」とした。さらに,これに対する記者説明において,即位の礼準備委員会委員長として政府見解をとりまとめたP7官房副長官は,上記の説明を繰り返したうえ,「宮廷費は天皇の公的な行為の支出にあてる」と明言した(甲1の32・129~130頁)。そして,このように大嘗祭を私的行事ではなく公的行事と位置付けたからこそ,前記のとおり通常の内廷費の規模をはるかに上回る宮廷費を大嘗祭関連の予算として計上し,宮内庁職員らの全面的な関与のもとに諸儀式を遂行したのである。したがつて,国が大嘗祭等の皇室行事を「天皇の公的行為」と認識して挙行したことは明らかである。 他方,都知事であつた被控訴人P1は,その主張によると,内閣の一員である宮内庁長官から大嘗祭の参列の案内を受け,大嘗祭を公的性格を有する皇室行事と位置付けた政府見解をふまえて参列したとのことであるから,やはり大嘗祭等の皇室行事を,単なる皇室の私的行事ではなく,公的性格を有する行事であると認識して参列したことが明らかである。 なお,政府見解については,国会答弁の中で,天皇の行為のうち国事行為,公的行為以外の行為についても「純粋に私的なものと公的性格ないし公的色彩があ る行事であると認識して参列したことが明らかである。 なお,政府見解については,国会答弁の中で,天皇の行為のうち国事行為,公的行為以外の行為についても「純粋に私的なものと公的性格ないし公的色彩があるものとに区分され」るなどという一見あいまいかつぬえ的な説明がなされている(P9内閣法制局第一部長・甲1の32・196頁)。しかし,公的行事か私的行事かは二者択一の問題であり,その中間は存在しない。そうすると,結局,「純粋に私的なもの」でなく「公的性格」のある行事とは公的行事以外の何ものでもない。そして,政府見解は,大嘗祭について,「その儀式について国としても深い関心を持ち,その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然と考えられる」と公言し,かつ,実際にも儀式の挙行を全額公費で賄うなど政府が全面的に挙行の手だてを請じたのであるから,事態の評価としてはまさに公的行事として挙行されたというべきである。 要するに,政府見解や上記国会答弁は,前記のとおり本来公的行事としては挙行できない大嘗祭等の皇室行事をあえて公的行事として挙行するために,ことさらにあいまいでまわりくどい表現を用いたものと考えられる(政府見解が宗教行事である大嘗祭に公的性格を付与するため腐心した結果のものであることは,当時の新聞報道からも明らかである。)。 ② 一般国民の理解こうした認識はマスコミや一般国民の認識とも共通している。すなわち,マスコミは政府見解を受けて大嘗祭が「皇室の公的行事」として挙行されると報道し,こうした報道を受けて一般国民もそのように認識していたのである。 こうしたマスコミや世論の受け止めは,大嘗祭に「公的性格」があるとして大規模な公費支出を決めた政府見解が公表された以上当然のことである。また,政府見解に対し野党や市民団体,宗教界から批判が加えられた点も, たマスコミや世論の受け止めは,大嘗祭に「公的性格」があるとして大規模な公費支出を決めた政府見解が公表された以上当然のことである。また,政府見解に対し野党や市民団体,宗教界から批判が加えられた点も,まさに大嘗祭を公的行事として挙行したことに最も強く向けられていたのであつて,大嘗祭が皇室の私的行事として挙行されたなどとは誰しも考えなかつたことである。 ③ 天皇・皇室の認識最後に,天皇・皇室の認識についてみると,天皇の即位後の記者会見(1989年8月4日)及び皇太子の1990年2月23日の誕生日の記者会見からは,即位の礼・大嘗祭の検討は内閣と宮内庁に完全に委ねられており,天皇と皇室の側で私的な行事として検討を加えた形跡が全く見られない。 5 当審における予備的主張―――――StateActionの理論以下のとおり,本件皇室行事は国家行為と同視されるべきである。 (一) 仮に,本件皇室行事が私的行事であったとしても,本件皇室行事の挙行自体について政教分離原則違反の問題が生じないとする原判決の立論は,憲法と財政立憲主義の根本原則に抵触する暴論である。 天皇あるいは皇室は私的団体としての面を持ち,本件皇室行事は形式上私的行事であるが,これに対する国又は公共団体の関与の程度が一定以上の程度に達すると,私的団体の行為であっても,これは国又は公共団体の行為と同視され,憲法諸規定の規制に服すると解されるべきものである。したがって,皇室の私的行事であっても,公金である宮廷費が注がれると,その私的団体である皇室の行為は憲法の規制に服するのである。この理は既に「StateAction」の理論としてアメリカでは確立している。 (二) この理論の類型私的団体の行為であっても,それに対し国家が①財政・免税措置等の援助,②特権の付与,③積極的な承認,④各種の tateAction」の理論としてアメリカでは確立している。 (二) この理論の類型私的団体の行為であっても,それに対し国家が①財政・免税措置等の援助,②特権の付与,③積極的な承認,④各種の規制を通じて当該私的団体が高度に公的な機能を行使する場合に,当該私的団体の行為を国家の行為と同視し,その私的団体の行為に憲法の規定が適用される。 この類型には次のようなものがある。 ア国有財産を賃借した私人がその施設で行った行為を国家行為と同視し,憲法の規定を適用するという「国家財産の理論」イ国から財政的援助その他の援助を受けている場合の私的団体の行為を国家行為と同視する「国家援助の理論」。その要件は,i国の援助が特別なものであること,ii事業の運営と政策に対する国の高度の又は直接のコントロールが存在することであり,更にiii当該団体の公共的性格が濃い場合は,国家行為化の可能性が強まることになる。 ウ国からある種の特権ないし特別の権限を与えられ,その限りで国の広範な規制」を受け,国との間に密接な関係がある場合の私的団体の行為を国家行為と同視する「特権付与の理論」。 (三) 本件は,「国家援助の理論」に該当する。 本件皇室行事において,諸儀式の企画決定は宮内庁がP6長官を委員長とする「大礼検討委員会」を設置して,日程,規模,場所,調度品,儀式内容を決め,また,宮内庁が設置した「大礼準備委員会」が諸儀式の企画・準備をした。本件皇室行事の実施においても公務員であった宮内庁長官,侍従長,侍従,女官長,女官,式部官長,式部官らが直接儀式の執行に当たった。また,大嘗祭の予算だけでも22億4900万円という年間の内定費を大幅に上回る公費が支出されていることは前記のとおりである。 以上の事実に照らせば,本件皇室行事については①国の特別な援助がされ,② また,大嘗祭の予算だけでも22億4900万円という年間の内定費を大幅に上回る公費が支出されていることは前記のとおりである。 以上の事実に照らせば,本件皇室行事については①国の特別な援助がされ,②事業の運営と政策に対する国の高度で直接的なコントロールが存在し,③皇室という団体の公共的性格が濃い場合に該当するのであるから,あらゆる角度からみて国家行為と同視されるべきものであり,憲法の政教分離原則の適用を受けるものであることは明らかである。 6 国民主権・象徴天皇制違反原判決は,象徴天皇制につき比較的丁寧な主張整理をしているが,この主張に対し,何らの判断をすることなく理由部分を判示している。控訴人ら主張を排斥する説得的な判断もされておらず,むしろ意図的に判断を回避しているように見受けられ,原判決の判断は,わずかに政教分離原則の争点部分で述べられた内容に集約されるといえる。したがって,当審では,象徴天皇制下における天皇の地位,天皇の世襲制の解釈,憲法88条と財政民主主義原則違反に関する控訴人ら主張につき説得的で論理的な判断がされなければならない。 7 本件諸儀式の服属儀礼性について現行憲法下における象徴としての天皇の地位は,憲法によって新たに創設された特別国家公務員の地位に過ぎないから,天皇の代替わり儀式の内容は,天皇が主権者たる国民よりも高い地位にあり,主権者たる国民が天皇よりも低い地位にあって,あたかも国民が天皇に支配され,服属する存在であるかのような印象を与えるものであってはならないのは当然である。まして,戦前の天皇制と象徴としての天皇とは連続したものではあり得ないのであるから,皇室の伝統を根拠として戦前の代替わり儀式をそのまま踏襲することはできないというべきである。 天皇の地位が前記のとおり変更されたのであれば,旧登極令等に定 とは連続したものではあり得ないのであるから,皇室の伝統を根拠として戦前の代替わり儀式をそのまま踏襲することはできないというべきである。 天皇の地位が前記のとおり変更されたのであれば,旧登極令等に定められた神聖天皇の代替わり儀式は,それにふさわしいものに変更されるべきである。今回の代替わり儀式は,挙行地その他旧登極令等に定められた神聖天皇の代替わり儀式と若干の変更があるが,実質的変更は,内閣総理大臣の位置を天皇と同じ殿上とした点に過ぎない。しかも,天皇と内閣総理大臣とは1・3mの高低差があり,これに服属儀礼性を求めているほか,万歳三唱という時代錯誤的文言を用いている。「天皇陛下万歳」は,新憲法下では27年間も総理大臣が唱えてはならない言葉でもあった。 以上のとおり,神聖天皇が日本を支配し,臣民がその統治に服するという意味を持つ天孫降臨神話を具象化した儀式は服属儀礼そのものであって,国民主権,象徴天皇制に反することは明らかである。 8 社会的儀礼論について「社会的儀礼」という言葉は,目的効果基準の実質的な骨抜きであり無意味であることは原審以来指摘してきたところであり,「社会的儀礼に該当する限り政教分離原則に違反しない」とする議論の建て方は,結論の先取りに過ぎず,判断基準として何らかの結論を導き出すものではない。 原判決は,大嘗祭は私的行事である,しかし,「公的な」即位と密接に結びつく,主宰者も「即位」する天皇個人である,として,これに対する祝意等の表明のための行為は「社会的儀礼」として許容されるとするものである。しかしながら「私的行事」である本件諸儀式と「公的」な即位が密接に結びつくことの法的な意味は何かという単純な疑問にぶつからざるを得ない。 原判決は,私的行為であっても,公的な地位にある同じ天皇が行うから公的性格がある,という る本件諸儀式と「公的」な即位が密接に結びつくことの法的な意味は何かという単純な疑問にぶつからざるを得ない。 原判決は,私的行為であっても,公的な地位にある同じ天皇が行うから公的性格がある,ということをいわんとするものと思われるが,曖昧なこの論理が社会的儀礼論の実質であるといわざるを得ないのである。 9 思想・良心の自由の侵害について憲法19条の保障の具体的内容は,第1に,個人が外的環境から各種の刺激又は記号を内的精神領域へと受容することにつき国家から強制,妨害を受けないこと,第2に,個人が受容した刺激,記号を人の精神的能力を用いて反復し,意味付けした所産を維持,保有することにつき国家から強制・妨害を受けないこと,第3に,憲法14条を介して,内的精神状態を理由として差別的取扱いを禁止することである。 強調しておきたいことは,内的精神領域の形成過程こそ特別に保護されなければならないことであり,思想良心の自由の現代における重大性,民主主義の基盤としての性格からすれば,人権制約の目的の正当性及び手段の正当性,国民の側で,どの程度の回避の余地を有するか等を個別具体的にケース毎に慎重に審査する必要がある。 本件の場合,天皇代替わりの諸儀式の必要性は憲法上全く存在せず,国や地方公共団体に対し,代替わりについての天皇奉祝を事実上強制する目的意図があったことは明白であり,一方,その制約手段としても莫大な予算及び人材をかけ,マスコミを通じての奉祝宣伝教化をし,批判の声を封殺し,国家が一体となって奉祝するよう事実上の強制行為を行っており,その手段も相当性を逸脱している。 国民の側からすれば,本件一連の代替わり儀式を奉祝したくないか,いずれとも考えていない国民とすれば,その日常生活全般において,家庭内と職場等とを問わず,欲すると欲しないとにかかわらず 脱している。 国民の側からすれば,本件一連の代替わり儀式を奉祝したくないか,いずれとも考えていない国民とすれば,その日常生活全般において,家庭内と職場等とを問わず,欲すると欲しないとにかかわらず必然的に奉祝宣伝の嵐に巻き込まれ,その内的精神領域において,代替わり奉祝の情報を連日の如く受け,その精神形成過程及び維持において重大な影響を与えられたものであり,思想・良心の自由を侵害されたことは明らかである。 第4 当裁判所の判断当裁判所も,控訴人らの訴えのうち,被控訴人P1に対し,地方自治法232条の4所定の支出の違法を理由として損害賠償を求める部分及び原判決別紙二支出目録7記載の支出に係る損害賠償を求める部分は不適法であり,その余の請求は理由がないものと判断する。 その理由は,原判決が「事実及び理由」の「第四争点等に対する判断」欄に述べるところと異なる点はなく,その記載を引用する。この判決においては,当審における控訴人らの主張等にかんがみ,原判決の判断を敷衍しつつ主要な問題点である政教分離原則違反の有無を中心として当裁判所の基本的な考え方を示すこととする。 1 本件事実関係について本件事実関係は,上記第2の2及び原判決の「事実及び理由」の「第四争点等に対する判断」のうち213頁6行目から232頁11行目までに認定のとおりである。再説すれば,以下のとおりである。 (一) 本件即位の礼の実施(1) 平成2年11月12日午前9時,原判決別紙9記載の進行予定に従い,皇居賢所において「即位礼当日賢所大前の儀」が,皇霊殿及び神殿において「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」が行われた。 上記各儀式には,皇族,P5首相を始め三権の長,国務大臣,認証官,事務次官,自治体首長の代表など約60名が参列した。 上記各儀式は,天皇が,即位の礼当日,宮中 日皇霊殿神殿に奉告の儀」が行われた。 上記各儀式には,皇族,P5首相を始め三権の長,国務大臣,認証官,事務次官,自治体首長の代表など約60名が参列した。 上記各儀式は,天皇が,即位の礼当日,宮中三殿といわれる賢所(三種の神器の1つである鏡が置かれ,天照大神を祀る殿舎),皇霊殿(歴代の天皇・皇族の霊を祀る殿舎),神殿(天神地祇を祀る殿舎)に即位の礼を行うことを奉告する儀式であり,神楽歌が奏され,神職である掌典長により祝詞が奏されたほか,神饌及び幣物が供され,参列者は拝礼を行った。上記各儀式は,同日午前10時30分ころ終了した。 (2) 平成2年11月12日午後1時,原判決別紙9記載の進行予定に従い,皇居正殿において「即位礼正殿の儀」が行われた。 上記儀式は,天皇が,即位を公に宣明するとともに,その即位を内外の代表が祝う儀式であり,皇族,外国使節,内閣総理大臣を始めとする三権の長,国務大臣,自治体代表ら約2500名が招待され,そのうち約2200名(国内が1749名,海外が158か国・2国際機関の474名)が参列した。 その式次第は,以下のとおりであった。 正殿前の中庭の左上記には,威儀の者や,太刀,弓,楯などの威儀物の捧持者が束帯姿で並び,旛,桙などが立ち並べられた。このうち,大錦旛の八咫烏と鵄の文様は,神話にちなむためとして菊の紋に代えられ,同様に萬歳旛の厳瓮と5匹の魚も消された。正殿松の間には,高御座(天皇の御座。3層の継壇の上に,大鳳,小鳳,鏡などで装飾した8角形の屋形を立て,その中に椅子を置いたもの。昭和天皇の「即位礼当日紫宸殿の儀」にも用いられた。)及び御帳台(皇后の御座。高御座とほぼ同様の構造ではあるが,ひとまわり小さい。)が置かれ,皇族及び三権の長が,松の間に立った。そして,束帯(黄櫨染御袍),立纓の冠を身に着け手に笏を にも用いられた。)及び御帳台(皇后の御座。高御座とほぼ同様の構造ではあるが,ひとまわり小さい。)が置かれ,皇族及び三権の長が,松の間に立った。そして,束帯(黄櫨染御袍),立纓の冠を身に着け手に笏を持った天皇が高御座に,五衣・唐衣・裳を身に着けた皇后が御帳台に昇り,三種の神器である剣と璽とともに,御璽と国璽が高御座内に置かれた。次いで,高御座,御帳台の帳が開けられ,参列者は,鉦の合図で起立し,鼓の合図で敬礼した。P5首相が高御座の前に進み出ると,天皇は,即位を内外に宣明し,日本国憲法を遵守し,日本国及び日本国民統合の象徴としての務めを果たすことを誓う旨の「お言葉」を述べた。引き続き,P5首相が,「私たち国民一同は,天皇陛下を日本国及び日本国民統合の象徴と仰ぎ,心を新たに,世界に開かれ,活力に満ち,文化の薫り豊かな日本の建設と,世界の平和,人類福祉の増進とを目指して,最善の努力を尽くすことをお誓い申し上げます。」などという寿詞を述べ,P5首相の「ご即位を祝して,天皇陛下万歳」という発声で,参列者が万歳を三唱した。その後,天皇及び皇后が退出し,同日午後1時30分ころ,上記儀式は終了した。 (3) 平成2年11月12日午後3時30分から午後4時ころまで,皇居から赤坂御所までの約4・7キロメートルの区間で「祝賀御列の儀」が行われた。この儀式は,天皇が広く国民に即位を披露し,祝福を受けるためのものである。 (4) 平成2年11月12日から同月15日にかけて,宮殿において「饗宴の儀」が行われた。この儀式は,天皇が即位を披露し祝福を受けるためのものであり,同月12日午後7時30分から第1回目の「饗宴の儀」が行われ,その後,同月15日までの間に合計して7回の「饗宴の儀」が行われた。 (二) 本件大嘗祭の実施(1) 平成2年11月22日午前7時30分,伊勢 12日午後7時30分から第1回目の「饗宴の儀」が行われ,その後,同月15日までの間に合計して7回の「饗宴の儀」が行われた。 (二) 本件大嘗祭の実施(1) 平成2年11月22日午前7時30分,伊勢神宮において「神宮に奉幣の儀」が行われ,同日午前10時,宮殿において「大嘗祭当日賢所大御饌供進の儀」が,引き続き,「大嘗祭当日皇霊殿神殿に奉告の儀」が行われた。 (2) 平成2年11月22日から同月23日にかけて,皇居東御苑に設営された大嘗宮において「大嘗宮の儀」が行われた。まず,「悠紀殿供饌の儀」が同月22日午後6時30分から大嘗宮内の悠紀殿において行われ,内閣総理大臣を始めとする三権の長,国務大臣,被控訴人P1ら自治体の代表ら約730名が参列し,次いで,「主基殿供饌の儀」が翌23日午前0時30分から午前3時過ぎまで大嘗宮内の主基殿において行われ,同じく三権の長,国務大臣,自治体の代表ら約460名が参列した。 悠紀殿と主基殿の内部配置は同一であり,それぞれ内陣と外陣の2室に分けられ,内陣には御座,神座,寝座が設けられ,外陣には剣璽が置かれ,悠紀殿・主基殿の南庭の帳殿には,全国各地から供納された特産品等が,「庭積机代物」として備えられた。 「悠紀殿供饌の儀」と「主基殿供饌の儀」の式次第も同様であり,その中心は,天皇が自ら神前に新穀を供え,拝礼の上,告文を読み,天皇自らも新穀を食するというものであるが,その詳細は必ずしも明らかではない。 (3) 平成2年11月24日から同月25日にかけ,宮殿において「大饗の儀」が行われ,内閣総理大臣を始めとする三権の長,国務大臣,国会議員,認証官,各省事務次官,被控訴人P1を始めとする自治体の長ら合計約730名が出席した。 上記儀式は,「大嘗宮の儀」の後,天皇が参列者に白酒,黒酒及び酒肴を供し,共に食する儀式で ,国務大臣,国会議員,認証官,各省事務次官,被控訴人P1を始めとする自治体の長ら合計約730名が出席した。 上記儀式は,「大嘗宮の儀」の後,天皇が参列者に白酒,黒酒及び酒肴を供し,共に食する儀式であり,同月24日正午,同日午後7時,同月25日正午の合計3回行われた。 (4) 本件諸儀式のうち,国事行為とされた「即位礼正殿の儀」,「祝賀御列の儀」及び「饗宴の儀」のみならず,皇室行事とされたその他の諸儀式についても,その費用はすべて宮廷費から支出された。 その予算は,123億2780万円に上った。その内訳は,原判決別紙8記載のとおりである。 (三) 被控訴人P1の参列等(1) 被控訴人P1は,P5首相及びP6宮内庁長官から本件諸儀式への招待状ないし案内状を受け,平成2年11月9日の第1回都議会臨時会において,「式典には私も都民を代表して参列するとともに,賀表を奉呈することといたしております。この喜びを都民とともに分かち合い,祝賀の意を広く表するために,都は記念式典並びに記念行事を開催することといたしました。天皇陛下及び皇室の御繁栄を祈念しつつ,1200万都民とともに,衷心より慶賀の意を表する次第であります。」と述べ,都知事として公式参列すること及び各種の祝賀記念行事を都が行うことを報告した。 同日の都議会では,「天皇陛下には,即位の礼を執り行われ,日本国及び日本国民統合の象徴として皇位を承継なされますことは誠に喜ばしいかぎりであります・・・都議会は,都民とともにここに謹んでお祝いを申し上げます。」という賀詞を採択した。 (2) 被控訴人P1は,P6宮内庁長官から案内を受け,平成2年1月23日午前10時30分から12時まで宮中において行われた「賢所に期日奉告の儀」及び「皇霊殿神殿に期日奉告の儀」に「都道府県の総代」として参列し,その式次第 P6宮内庁長官から案内を受け,平成2年1月23日午前10時30分から12時まで宮中において行われた「賢所に期日奉告の儀」及び「皇霊殿神殿に期日奉告の儀」に「都道府県の総代」として参列し,その式次第に従って拝礼した。 (3) 被控訴人P1は,P6宮内庁長官から案内を受け,平成2年11月12日午前9時より賢所において行われた「即位礼当日賢所大前の儀」及び皇霊殿及び神殿において行われた「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」に「都道府県の総代」として参列し,その式次第に従って拝礼した。 (4) 被控訴人P1は,P5首相から案内を受け,平成2年11月12日午後1時から宮殿で行われた「即位礼正殿の儀」に「都道府県知事の代表」として配偶者同伴で参列し,その式次第に従って敬礼をするとともに,P5首相の「ご即位を祝して,天皇陛下万歳」との発声に引き続き,万歳を三唱した。 (5) 被控訴人P1は,P5首相から案内を受け,平成2年11月13日正午から宮殿で行われた「饗宴の儀」の第2日第1回に「都道府県知事の代表」として参列した。 (6) 被控訴人P1は,P6宮内庁長官から案内を受け,平成2年11月22日及び23日,「大嘗宮の儀」である「悠紀殿供饌の儀」及び「主基殿供饌の儀」に「都道府県知事の代表」として配偶者同伴で参列し,それらの式次第に従って拝礼をした。なお,「悠紀殿供饌の儀」は同月22日午後6時30分から悠紀殿で,「主基殿供饌の儀」は同月23日午前零時ころから主基殿でそれぞれ行われ,被控訴人P1は「主基殿供饌の儀」の終了した同日午前3時過ぎころまでの間,参列していた。 (7) 被控訴人P1は,P6宮内庁長官から案内を受け,平成2年11月23日正午から行われた「大饗の儀」の第1日第1回に「都道府県知事の代表」として参列した。 (8) 被控訴人P1は,前記各儀式 。 (7) 被控訴人P1は,P6宮内庁長官から案内を受け,平成2年11月23日正午から行われた「大饗の儀」の第1日第1回に「都道府県知事の代表」として参列した。 (8) 被控訴人P1は,前記各儀式へ参列するため,都の所有する乗用車を利用し,その結果,都の公金から本件自動車運行費が支出された。 (四) 皇位継承儀式の歴史的沿革等(1) 天皇の即位の儀式は,古代においては三種の神器を承継して高御座に昇り,即位を宣言して臣下の寿詞・拝賀を受けることを内容とする1つの儀式であったが,8世紀から9世紀初頭の桓武・平城天皇以降,即位の儀式が,践祚(三種の神器の受け渡し)と即位の礼の2段階に分けて行われるようになった。また,7世紀の持統天皇のころから,収穫儀礼を主な内容とする新嘗祭を原型として大嘗祭儀式が始まった。大嘗祭には,神事に用いる新穀を調達する悠紀国,主基国が定められ,これに対応する悠紀殿,主基殿において,その2国から献上される新穀を用いて神事を行うというものであり,天皇の一代一度の就任儀式として行われた。こうして,桓武・平城天皇以降,践祚,即位の礼,大嘗祭という三つの天皇就任儀礼が行われるようになった。 中世においては,仏教(密教)による天皇の地位の基礎付けが図られ,即位礼において天皇が印を手に結んで真言を唱えて高御座に進むという「即位灌頂」の儀式が行われるようになり,1068年の後三条天皇以後,幕末の孝明天皇まで同儀式が行われた。 また,大嘗祭は,1466年の後土御門天皇の挙行以降中断し,1687年の東山天皇のときの一時復活まで9代221年間にわたり挙行されなかった時期があった。この時期を含め,歴代天皇のうち15天皇が大嘗祭を挙行しなかったが,1738年の桜町天皇以降は,昭和天皇に至るまで挙行されてきた。 (2) 王政復古後の明治天皇 にわたり挙行されなかった時期があった。この時期を含め,歴代天皇のうち15天皇が大嘗祭を挙行しなかったが,1738年の桜町天皇以降は,昭和天皇に至るまで挙行されてきた。 (2) 王政復古後の明治天皇の即位儀式は,旧来の弊風を一新するとして,①唐風の儀式及び衣裳の廃止,②装飾の国風化,③仏教儀式(「即位灌頂」)や陰陽道的要素の排除,④上代の儀式(寿詞)の復活,⑤国際的視点の取り入れ(地球儀の使用),⑥国民統合の機能を持たせるために,大嘗祭に当たり太政官が全国諸神社への告論を出したり,「庭積机代物」として一般国民からの献納を受けることなどの点において従来の儀式とは異なる形で行われた。 (3) 明治22年に裁定された皇室典範(旧皇室典範)は,天皇の即位に関して,践祚,即位の礼,大嘗祭の三つの儀式を行うことと,即位の礼,大嘗祭は京都で行うこと等の大綱を定めていた。明治42年に制定公布された登極令及び同附式は,旧来の伝統様式をも踏まえた上で,即位の礼,大嘗祭についての儀礼体系を原判決別紙7の「登極令・同附式の諸儀式」のとおり定め,大正天皇及び昭和天皇の即位の儀式は,登極令及び同附式に則って行われた。 (4) 第2次大戦後,旧皇室典範,登極令及び同附式は廃止され,昭和22年に新たに制定された皇室典範においては,24条に「皇位の継承があったときは,即位の礼を行う。」と規定してあるにすぎず,その細目については規定していない。 また,現行法令上,大嘗祭について定めた規定はない。 (5) 本件即位の礼・大嘗祭関連諸儀式(本件諸儀式)は,廃止された登極令及び同附式におおむね沿った形で実施された。 2 政教分離の原則等について憲法は,明治維新以降,国家と神道が密接に結び付き種々の弊害を生じたことにかんがみ,新たに信教の自由を無条件に保障することとし,更にその保障を ね沿った形で実施された。 2 政教分離の原則等について憲法は,明治維新以降,国家と神道が密接に結び付き種々の弊害を生じたことにかんがみ,新たに信教の自由を無条件に保障することとし,更にその保障を一層確実なものとするため,20条1項後段,3項,89条において,いわゆる政教分離の原則に基づく諸規定を設けた。政教分離規定は,いわゆる制度的保障の規定であって,信教の自由そのものを直接保障するものではなく,国家と宗教との分離を制度として保障することにより,間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものである。そして,憲法の政教分離規定の基礎となり,その解釈の指導原理となる政教分離原則は,国家が宗教的に中立であることを要求するものであるが,国家が宗教とのかかわり合いを持つことを全く許さないとするものではなく,宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ,そのかかわり合いが,我が国の社会的,文化的諸条件に照らし,信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものと解すべきである。 このような政教分離原則の意義に照らすと,憲法20条3項にいう宗教的活動とは,およそ国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いを持つすべての行為を指すものではなく,そのかかわり合いが上記にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであって,当該行為の目的が宗教的意義を持ち,その効果が宗教に対する援助,助長,促進又は圧迫,干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。そして,ある行為が上記にいう宗教的活動に該当するか否かを検討するに当たっては,当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく,当該行為の行われる場所,当該行為に対する一般人の宗教的評価,当該行為者が当該行為を行う 為が上記にいう宗教的活動に該当するか否かを検討するに当たっては,当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく,当該行為の行われる場所,当該行為に対する一般人の宗教的評価,当該行為者が当該行為を行うについての意図,目的及び宗教的意識の有無,程度,当該行為の一般人に与える効果,影響等,諸般の事情を考慮し,社会通念に従って,客観的に判断しなければならない。 また,憲法89条が禁止する公金その他の公の財産を宗教上の組織又は団体の使用,便益又は維持のために支出すること又はその利用に供することというのも,前記の政教分離原則の意義に照らして,公金支出行為における国家と宗教とのかかわり合いが前記の相当とされる限度を超えるものをいうと解すべきであり,これに該当するかどうかを検討するに当たっては,前記と同様の基準によって判断しなければならない(最高裁昭和52年7月13日大法廷判決,最高裁昭和63年6月1日大法廷判決,最高裁平成5年2月16日第3小法廷判決及び前掲最高裁平成9年4月2日大法廷判決,最高裁平成14年7月11日第1小法廷判決)。 3 被控訴人P1の本件参列のため都の公金を支出したことが政教分離原則(憲法20条,89条)に違反するか否かについて(一) 国事行為として「即位礼正殿の儀」を実施することが政教分離原則に違反するか否かについて(1) 被控訴人P1が参列した「即位礼正殿の儀」は,日本国の象徴であり,日本国民統合の象徴である天皇が即位を公に宣明するとともに,その即位を内外の代表がことほぐという趣旨,目的で,皇室典範の規定に基づく国事行為として実施されたものであり,その内容も,前記のとおり,天皇が皇居正殿の松の間に設置された高御座に登壇し,即位を内外に宣明する趣旨のお言葉を述べた後,内閣総理大臣が即位を祝う寿詞を述べ,万歳三唱を行うというも れたものであり,その内容も,前記のとおり,天皇が皇居正殿の松の間に設置された高御座に登壇し,即位を内外に宣明する趣旨のお言葉を述べた後,内閣総理大臣が即位を祝う寿詞を述べ,万歳三唱を行うというもので,上記趣旨,目的,内容にかんがみて,世俗的儀式であり,これを宗教的行事に当たるとすることはできないと考えられる。 もっとも,高御座に天皇が昇り,高御座内に皇位を象徴する三種の神器のうち剣と璽が置かれ,正殿前の中庭に大錦旛や萬歳旛が置かれるなど,ほぼ登極令及び同附式の規定に従って儀式が行われたこと,この儀式は,「天津高御座」に就いていた皇孫が三種の神器を授けられて地上の統治をゆだねられたという天孫降臨神話に由来するものであり,過去において,天皇の即位儀式として神道と密接なつながりを持った一世に一度の儀式として行われてきたものであること,神道が元来,儀礼,祭祀を重視する宗教であることを考えると,あらゆる観点からみて上記儀式から宗教的色彩が完全に払拭されているということはできない。 しかしながら,今回の即位は,現行憲法の象徴天皇制が採用されて初めてのもので前例がないこと,皇室典範における皇位の承継は明治憲法下と変更がないことなどを考慮し,政府は,過去の伝統を尊重しつつ,象徴天皇制という憲法における天皇の位置付け及び政教分離原則に配慮し,「国事行為たる『即位の礼』で,喪明け後に行われるものについては,次の儀式を行うのが相当である。」として,①即位を公に宣明されるとともに,その即位を内外の代表者がことほぐ儀式(「即位礼正殿の儀」)。②「即位礼正殿の儀」終了後,広く国民に即位を披露され,祝福を受けられるためのお列(「祝賀御列の儀」)。③即位を披露され,祝福を受けられる饗宴(「饗宴の儀」)の3つを掲げ,「即位礼正殿の儀」が世俗的な儀式として行われる 了後,広く国民に即位を披露され,祝福を受けられるためのお列(「祝賀御列の儀」)。③即位を披露され,祝福を受けられる饗宴(「饗宴の儀」)の3つを掲げ,「即位礼正殿の儀」が世俗的な儀式として行われるものであることを明らかにするとともに(甲1の32),上記儀式の様式は登極令の定める様式に則って行うものの,政教分離原則に抵触するということのないよう配慮し,上記儀式からできるだけ宗教的色彩を排除する方針で望んだことがうかがわれる。 その結果,大錦旛の八咫烏と鵄の文様は,神話にちなむためとして菊の紋に代えられ,同様に首相の自筆の萬歳旛の厳瓮と5匹の魚も消され,三権の長を始めとする参列者の前で,即位を宣明するお言葉に対し,内閣総理大臣が寿詞を述べるなど,憲法に即し,象徴天皇制,政教分離原則に配慮した形式,内容に変更されていることが認められる。 この形式,内容の変更では宗教的色彩が相当に残っており,不十分であるという考え方もあり得るところではあるが,他方,我が国の歴史の中で連綿として維持されてきた天皇制の伝統の重みは,神道という宗教的要素を取り除いて見た場合にも,我が国の精神文化の中に脈々と生き続けており,この点は戦後象徴天皇制への変革がされ,天皇の地位が法的には全く新しいものになったといっても,なお変化しないものがあるといってよい。この文化的伝統を重く見れば,宗教的色彩の残滓があるからといって「即位礼正殿の儀」の様式をこれ以上変更するのは相当ではない,とする意見も当然に成り立つ。この問題は,結局のところ,天皇制に伴う神道儀式のどの部分がどの程度の宗教的意味をもって理解されてきたかにかかっているということになろうが,本件にあっては,儀式の趣旨,目的を理解する上で最も重要な意味を持つというべき天皇の「お言葉」が上記のとおり単に即位を宣明するものと 意味をもって理解されてきたかにかかっているということになろうが,本件にあっては,儀式の趣旨,目的を理解する上で最も重要な意味を持つというべき天皇の「お言葉」が上記のとおり単に即位を宣明するものとなり,内閣総理大臣がこの即位を祝う寿詞を述べるという形式が採られている。そして,宗教的色彩を考える上で特別な意味があると説明されている高御座や剣や璽等が使われてはいるが,それらが使われたことで誰にでも外観上直ちに宗教的意義があることが理解されるともいえず,また,後記のとおり,皇室の文化的伝統が化体されたものという性格を持った調度品であることからすれば,宗教的意義ばかりを有するものでもない。このような点に照らし,当裁判所は,少なくとも上記の儀式内容の変更により「即位礼正殿の儀」は宗教的儀式の本質を喪失し,世俗化したものと考えるものである。 (2) また,「即位礼正殿の儀」は,宗教的色彩を有するものであることから皇室行事とされた「即位礼当日賢所大前の儀」及び「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」とは時間的にも場所的にも参列者の規模も明確に区別して実施されている。儀式には,剣と璽が用いられたが,それらは「皇位とともに伝わるべき由緒ある物は,皇位とともに,皇嗣が,これを受ける。」(皇室経済法7条)とされていることに基づき,高御座に置かれたものと解することもでき,むしろ,象徴としての天皇の公務に不可欠な御璽,国璽が高御座に置かれたことを「即位礼正殿の儀」の性格を判断する上で考慮に入れる必要もあろう。 高御座の使用についてみても,これが中世以来用いられ,皇位継承と密接に結び付いた古式ゆかしい調度品として伝承されてきたという文化的・伝統的な面を有しており,「即位礼正殿の儀」においては,即位の儀式としてその文化的・伝統的な面に着目してこれが用いられたものと解する に結び付いた古式ゆかしい調度品として伝承されてきたという文化的・伝統的な面を有しており,「即位礼正殿の儀」においては,即位の儀式としてその文化的・伝統的な面に着目してこれが用いられたものと解することができる。また,上記儀式の参列者が天皇に敬礼し,P5首相が「ご即位を祝して,天皇陛下万歳」との発声を行い,他の参列者がこれに引き続き万歳三唱を行ったことについても,日本国及び日本国民統合の象徴である天皇の即位に祝意を表すること以上に何らかの宗教的要素が含まれていたとみることはできない。 (3) 次に,一般人がこの儀式についていかなる理解,印象を持ったかという観点からみるに,この儀式が象徴としての天皇の即位にかかわる国事行為として位置づけられ,前記のような形式,内容で挙行されたことに照らせば,上記儀式の趣旨が,天皇が即位を公に宣明し内外の代表がこれを祝うことにあると理解され,主宰者側の意図するところがそのまま受け取られたと見るべきである。 確かに,国民の一部に戦前の「即位礼当日紫宸殿の儀」を連想し,その古式蒼然とした儀式や様式から,皇室神道上の儀式を連想し,これに対し不快の念を抱いた者,あるいは,様式の中に過度に宗教的色合いを見つけだした者があったことは否定できないところであろう。 しかしながら,一般には,上記儀式については,政府見解のとおりの趣旨で行われるものと理解され,その様式については,戦前の様式を踏襲しているものの,それは皇位の継承という憲法上の重要な儀式の性質にかんがみ,皇室の伝統を尊重する趣旨から採用されたものであり,象徴天皇の即位にふさわしい格式と威儀を備えたものとするためのものにすぎないものであると理解されたものと認めるのが相当である。 したがって,「即位礼正殿の儀」から宗教的色彩が完全に払拭されていなかったことをもって さわしい格式と威儀を備えたものとするためのものにすぎないものであると理解されたものと認めるのが相当である。 したがって,「即位礼正殿の儀」から宗教的色彩が完全に払拭されていなかったことをもって,それが,一般人に対して,神道への関心を高め,国が神道を特別に支援し,他の宗教とは異なる特別のものであるとの印象を与えたものとは認められない。 なお,国民の一部に国家神道の復活を目指す動きがあるという現実があるとしても,国が「即位礼正殿の儀」を国事行為として挙行したことが,国と神道との結び付きを復活する動きを促進,助長するものと評価し,その観点からこれを違法視するのが誤りであることは原判決の指摘するとおりである。 (4) 以上の諸事情を総合的して判断すれば,「即位礼正殿の儀」は,宗教的色彩が完全に払拭されているものとはいえず,微弱ながらも宗教とかかわり合いを持つものであることを否定し得ないが,その目的は,天皇が即位を公に宣明するとともに,その即位を内外の代表が祝うという専ら世俗的なものであり,その効果は神道を援助,助長,促進し又は他の宗教に圧迫,干渉等を加えるものとはいえない。 したがって,国が上記儀式を国事行為として実施することによってもたらされる国と神道とのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものとは認められない。 (二) 被控訴人P1が「即位礼正殿の儀」に参列し,敬礼及び万歳三唱を行ったことが政教分離原則に違反するか否かについて「即位礼正殿の儀」を国事行為として実施したことが政教分離原則に反するものでなく,憲法20条3項により禁止された宗教的活動に該当しないと解されることは,前示のとおりである。 そして,前記事実によれば,結局のところ,被控訴人P1は,日本国及び日本国民統合の象徴である天皇の皇位継 憲法20条3項により禁止された宗教的活動に該当しないと解されることは,前示のとおりである。 そして,前記事実によれば,結局のところ,被控訴人P1は,日本国及び日本国民統合の象徴である天皇の皇位継承に伴う儀式に際し,内閣総理大臣の招きに応じ,天皇の即位に祝意を表すという社会的儀礼を尽くす目的で上記儀式に参列したものと認められ,専ら世俗的目的で参列したものにすぎないと認められる。地方自治体の長として,このような世俗的,儀礼的な行為が許されることはいうまでもなく,都議会においても,都民の代表として参列することが表明され,都議会がこれに賛意を表明していると見られることも前記のとおりである。 被控訴人P1の行為は,何ら宗教的意義を持つものではなく,参列行為をもって憲法条項で禁止された宗教的活動に該当するということはできない。 そうであるとすれば,その参列のための支出が憲法89条に違反するとも認められない。 (三) 被控訴人P1の「即位礼当日賢所大前の儀」及び「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」への参列並びに「大嘗宮の儀」への参列(本件皇室行事への参列)等が政教分離原則に違反するか否かについて(1) 前記のとおり,「即位礼当日賢所大前の儀」及び「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」は,天皇が宮中三殿といわれる賢所,皇霊殿及び神殿に即位の礼を行うことを奉告する儀式であり,また,「大嘗宮の儀」を含む大嘗祭は,天皇が皇祖及び天神地祇に対し,安寧と五穀豊穣などを感謝するとともに,国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念する儀式であり,その内容も,天皇が自ら神前に新穀を供え,拝礼の上,告文を読み,自らも新穀を食するというものであって,これらは上記のような趣旨,内容から見て,いずれも象徴としての天皇が主宰するものではなく,天皇個人又は皇室の私的な信仰に基づき 穀を供え,拝礼の上,告文を読み,自らも新穀を食するというものであって,これらは上記のような趣旨,内容から見て,いずれも象徴としての天皇が主宰するものではなく,天皇個人又は皇室の私的な信仰に基づき行われたものであり,それゆえにこそ国事行為ではなく皇室行事として行われたものである。 被控訴人P1は,このような皇室の宗教上の儀式としての性格を有する本件皇室行事に都知事として参列し,それらの式次第に従って拝礼を行ったものであるから,これにより,都は宗教とかかわり合いを持ったことは明らかである。 (2) そこで,被控訴人P1の本件皇室行事への参列等が政教分離原則に違反するか否かについてみると,以下のとおりである。 ① 原判決が認定したとおり,政府は,本件大嘗祭等の皇室行事の費用を宮廷費から支出しているところ,大嘗祭については,その趣旨及び形式からして「宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは否定することができず,また,その態様においても,国家がその内容に立ち入ることにはなじまない性格の儀式であるから,大嘗祭を国事行為として行うことは困難である」としつつ,その費用については,「大嘗祭を皇室行事として行う場合,大嘗祭は,・・皇位が世襲であることに伴う,一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式であるから,皇位の世襲制をとる我が国の憲法の下においては,その儀式について国としても深い関心を持ち,その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然と考えられる。その意味において,大嘗祭は,公的性格があり,大嘗祭の費用を宮廷費から支出することが相当であると考える。」との見解に基づきこれを支出したことが認められる。 そして,控訴人ら主張のように,その計画から挙行まで,宮内庁職員等国の職員がこれに深く関与していることも明らかであり(甲1の32),政府の見解は, 」との見解に基づきこれを支出したことが認められる。 そして,控訴人ら主張のように,その計画から挙行まで,宮内庁職員等国の職員がこれに深く関与していることも明らかであり(甲1の32),政府の見解は,前記のように公的性格を否定できない儀式であることから,公費の支出とともに国の職員を儀式の挙行にも関与させるものとしたことが窺える。 しかしながら,本件皇室行事が上記(1)のようなものであるとすれば,本件皇室行事は,その性質上本来天皇又は皇室が主宰して行った私的な行事と見るほかはなく,挙行に関与し,その費用を宮廷費から支出しているなどの点で国が本件皇室行事にかかわっているからといって,それだけで国が主催したものと位置付けることはできない。 そうだとすると,本件皇室行事については,その挙行自体については,原判決もいうとおり,政教分離原則違反の問題が生じる余地はないというべきである。国が本件皇室行事にその費用を支出したこと等につき憲法89条との関係で検討されるべき問題があるにしても,そのことと被控訴人P1の本件皇室行事への参列等が政教分離原則に違反するかという問題とは,被控訴人P1が国の費用負担に積極的に加担するなど特段の事情が認められない限り,直接に結びつくものではなく,この参列等の違法性については国の費用負担等の是非の問題とは別個に判断されるべき事柄である。 ② 本件皇室行事の主宰者が日本国及び日本国民統合の象徴としての地位にある天皇個人であり,天皇家におけるいわゆる代替わりがそのままこの象徴としての地位の承継を意味することからすれば,国又は地方公共団体が,本件室行事に際し,その代表者等をこれに参列させ,社会的儀礼として敬意と祝意を表明させるなど,世俗的目的のもとに,公的に相応の配慮をすることは当然に許容されるべきものと考えられる。 そし 団体が,本件室行事に際し,その代表者等をこれに参列させ,社会的儀礼として敬意と祝意を表明させるなど,世俗的目的のもとに,公的に相応の配慮をすることは当然に許容されるべきものと考えられる。 そして,被控訴人P1が本件皇室行事に参列したのは,前記認定事実及び上記の皇室の代替わりに伴う諸儀式の性格にかんがみて,上記皇室行事が実施される首都東京の知事の地位にある者の社会的儀礼として,代替わりについて敬意と祝意を表す目的によるものと認められる。その行為の態様も,宮内庁長官の案内を受け,多数の参列者の1人として儀式に参列し,拝礼等をしたにとどまり,日本国及び日本国民統合の象徴である天皇の即位と密接な関係にある皇室における代替わりに対し敬意と祝意を表すること以上に,そこに何らかの宗教的要素が含まれているとみることはできない。 この点は,前記のとおり,被控訴人P1は,平成2年11月9日の第1回都議会臨時会において,「式典には私も都民を代表して参列するとともに,賀表を奉呈することといたしております。この喜びを都民とともに分かち合い,祝賀の意を広く表するために,都は記念式典並びに記念行事を開催することといたしました。天皇陛下及び皇室の御繁栄を祈念しつつ,1200万都民とともに,衷心より慶賀の意を表する次第であります。」と述べ,都知事として公式参列すること等を報告し,同日の都議会は,賀詞を採択してこれに賛意を表明していることからも窺うことができるところである。 以上によれば,被控訴人P1が本件皇室行事に参列したのは,上記の皇室の代替わりに伴う諸儀式の性格にかんがみて,公的な配慮から,上記皇室行事が実施される首都東京の知事の地位にある者の社会的儀礼として,天皇の代替わりについて敬意と祝意を表するという目的によるものであり,これをもって,被控訴人P1の参 んがみて,公的な配慮から,上記皇室行事が実施される首都東京の知事の地位にある者の社会的儀礼として,天皇の代替わりについて敬意と祝意を表するという目的によるものであり,これをもって,被控訴人P1の参列が,中世以来の天皇の即位におけるように,神聖天皇の支配の正当性を承認し,これに服従する被支配者の代表としての参列を意味し,本件皇室行事を完成させる不可欠の構成要素となっていたとか,日本国中がこぞって天皇に服従していることを象徴的に表現するものであったとかいうことはできず,そこに宗教的な意義を見出すことはできない。 ③ 次に,一般人が被控訴人P1の本件皇室行事への参列についていかなる理解,印象を持ったかという観点からみるに,前記のとおり,本件大嘗祭等の皇室行事が本来天皇ないし天皇家の私的な行事として行われるものであるが,それが象徴としての地位の承継にそのままつながっていることは,一般人からみても明らかであったものと認められる。 もっとも,前記認定事実によれば,国がこれに関与し,費用を支出したことが当時の新聞報道その他から一般に認識されていたものということができ,そのため,控訴人ら主張のように,本件皇室行事への国の関与をもって,国が主催する儀式であるかのように誤解した者や,前記の理解のもとに,国が財政的・事務的に相当の支援をしたことに疑義を抱いた者がいたことは否定できないところである。 しかし,本件皇室行事は前記のとおり公的な即位と密接な関係にあり,その主宰者が日本国及び日本国民統合の象徴としての地位にある天皇個人であることから,国又は地方公共団体が上記皇室行事に対し相応の配慮をし,社会的儀礼を尽くすことは一般には自然なことと受け止められたものと考えられる。 これらの事情を考慮すれば,一般人においては,都知事としての被控訴人P1の皇室行事へ 上記皇室行事に対し相応の配慮をし,社会的儀礼を尽くすことは一般には自然なことと受け止められたものと考えられる。 これらの事情を考慮すれば,一般人においては,都知事としての被控訴人P1の皇室行事への参列等は,神道儀式に関与する趣旨のものではなく,皇室における代替わりの儀式に敬意と祝意を表すべく,社会的儀礼として行われたものと理解されたものと認めるのが相当である。 したがって,上記本件皇室行事への参列等により,神道を援助,助長,促進し,又は他の宗教に圧迫,干渉を加える効果もまた持ち得なかったものといわなければならない。 ④ 以上によれば,被控訴人P1の本件皇室行事への参列等は,その目的は,天皇の皇位継承に伴って皇室において行われる諸儀式に際し,皇室における代替わりに対し敬意と祝意を表すという専ら世俗的なものであり,その効果も神道を援助,助長,促進し,又は他の宗教に圧迫,干渉等を加えるものとはいえず,これによってもたらされる都と神道とのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものとは認められないから,憲法20条3項により禁止される宗教的活動には当たらないと解するのが相当である。 よって,本件皇室行事への参列のための庁用自動車の運行等に係る費用の支出が政教分離原則に違反するものとすることはできない。 4 控訴人らの当審における主張について(一) 控訴人らは,原判決が愛媛最高裁大法廷判決に依拠していない,とりわけ,目的効果基準の厳格な適用という同判決の示した準則を無視したとして,るる主張する。 しかしながら,原判決は,愛媛最高裁判決に依拠し,判決中で説かれた準則に沿って,本件につき判断を加えていることは判決内容から明らかであって,その結果が控訴人らの意図するところと結論において隔たりがあるに過ぎない。 愛 は,愛媛最高裁判決に依拠し,判決中で説かれた準則に沿って,本件につき判断を加えていることは判決内容から明らかであって,その結果が控訴人らの意図するところと結論において隔たりがあるに過ぎない。 愛媛最高裁判決は,愛媛県の靖国神社及び愛媛県護国神社が挙行した恒例の宗教上の祭祀である例大祭等に際し,玉串料等を公金から支出して奉納した事案であり,公金支出の対象となった儀式は,宗教的行為そのものであり,客観的に見た場合,どの程度意識されるか見解に異なるところはあっても,宗教的意義以外は付与し難いものということができる。これに対し,本件で問題となる「即位礼正殿の儀」あるいは「大嘗祭」等の皇室行事はこれと性質が大きく異なる。即位の礼についていえば,前述のとおりその宗教的意義は希薄化されて本質が世俗的儀式といえるものとなっており,また,皇室行事は,宗教的儀式であっての意義を有すると同時に,そこに前述のような象徴としての地位の承継という公的性格に伴う世俗的意味が必然的に付与されているのである。このように事案がいわば本質的に異なるのであるから,目的効果基準の適用の結果に相違が生じるのは当然のことである。 例えば,控訴人らは,行為の主体の主観的目的を重視し,行為態様の客観的意味を無視しているというが,上記のとおり行為の客観的意味が異なることを理解していない立論である。また,「一般人」をどのような者として捉えるかにつき,愛媛最高裁判決が「たとえ相当数の者がそれを望んでいるとしても」当該行為が憲法上許されるものではないとする説示を根拠に,一般人=多数者ではなく,原判決は少数者の上に多数者を置いてその意識をもって一般人の意識としている誤りがある等と主張するが,これも誤解である。一般人として,理性的・合理的な通常人を想定した上での判断であって,単に多数者を問題と は少数者の上に多数者を置いてその意識をもって一般人の意識としている誤りがある等と主張するが,これも誤解である。一般人として,理性的・合理的な通常人を想定した上での判断であって,単に多数者を問題としているものではない。さらに,控訴人らは,愛媛最高裁判決が「宗教性のない代替手段がないかどうかを検討すべきであり,当該施策を他の手段でも実施することができるならば,国は,宗教的活動に当たると疑われる行為をすべきではない」としていることからすれば,「より制限的でない他の選びうる手段」(LRA)の基準を採用すべきであったのに,原判決が結論的にはこれを採用しなかったとして非難する。しかしながら,前述のような各儀式の意義や性格を考えると,代替手段自体容易に考えられるものではなく,被控訴人P1において儀式への参列に代えて,他の方法で天皇の皇位の継承に祝意を表することを選択しなかったとしても,やむを得ないというべきであって,何ら政教分離原則違反の問題を生じるものでもない。 目的効果基準の適用につき原判決を論難する控訴人らのその他の主張も,上記の行為の客観的性質を考えれば,いずれも根拠がなく採用の限りでない。 以上のとおり,控訴人らの目的効果基準に関する主張は採用することができない。この点については,最高裁平成14年7月11日第1小法廷判決が,大嘗祭に参列して神道の儀式にのっとって拝礼した鹿児島県知事の行為がいわゆる目的効果基準からみて政教分離原則規定に違反しないとしていることを付言しておく。 (二) 控訴人らは,その主張する歴史認識に立って政教分離原則等の憲法規定を忠実に解釈すれば,国家神道復活杞憂論は誤りであり,本件諸儀式の違憲性は明らかであることを主張する。この主張は,要するに本件諸儀式に被控訴人P1が参列したことの効果についての判断を非難することに を忠実に解釈すれば,国家神道復活杞憂論は誤りであり,本件諸儀式の違憲性は明らかであることを主張する。この主張は,要するに本件諸儀式に被控訴人P1が参列したことの効果についての判断を非難することに帰するが,原判決の現在における国家神道をめぐる状況についての認識に誤りがあるとは考えられないし,また,原判決は,国家神道の復活が杞憂と断じているわけでもなく(このような抽象論はあまり意味がない。),復活が考えにくいことだけから効果を論じているものでもないのであって,控訴人らのいうように国家神道復活杞憂論が誤りであれば違憲性が明らかになるというのは短絡的であると評するほかはない。 (三) 控訴人らは,原審以来,国事行為とされた「即位礼正殿の儀」,「祝賀御列の儀」及び「饗宴の儀」は,これに先行して行われた皇居賢所における「即位礼当日賢所大前の儀」並びに皇霊殿及び神殿における「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」と一連一体のものであり,先行する儀式の宗教行為該当性は明らかであるから,「即位礼正殿の儀」も違憲であることは明らかであると主張する。確かに,「即位礼当日賢所大前の儀」並びに「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」の趣旨及び態様は前記認定のとおり天皇の即位を天皇家の祖先又は神に奉告するものであり,「即位の礼正殿の儀」等は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である天皇が即位を公に宣明するとともに,その即位を内外の代表がことほぐ儀式であって,いずれも天皇の即位に関する儀式であり,時間的場所的に接着して行われている。しかしながら,「即位礼当日賢所大前の儀」並びに「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」は,専ら天皇又は天皇家の私的な儀式であり,公的な側面を持たないことに加え,政府が検討の結果,「即位の礼正殿の儀」等のみを国事行為と位置づけたのも両者の儀式の性格が根 位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」は,専ら天皇又は天皇家の私的な儀式であり,公的な側面を持たないことに加え,政府が検討の結果,「即位の礼正殿の儀」等のみを国事行為と位置づけたのも両者の儀式の性格が根本的に異なることによるものである。控訴人らの主張は,この区別から,国事行為とそうでない儀式との位置づけを区別した理由を軽視するものであって採用できない。 (四) 控訴人らは,本件大嘗祭等の本件皇室行事は,公金である宮廷費から賄われたこと等から,「公的行事」であると主張し,「StateAction」理論をも援用している。しかし,本件皇室行事の性格は前述のとおりであるというべきであり,その援用に係る理論も本件に適切なものではなく採用することができない。 (五) 控訴人らは,本件の儀式は国民主権,象徴天皇制に違反しており,服属儀礼性があった旨主張しているが,それが理由がないことも前記引用に係る原判決に述べるとおりである。 その他控訴人らの主張するところについては,前記引用に係る原判決及び本判決の説示により明らかなとおり採用することはできない。 なお,控訴人らは,その主張すべてに対する判断がないことを問題としているが,裁判所は,当該請求の当否の判断に必要な限りで主張につき判断を示せば足りることはいうまでもないことである。 第5 結語よって,これと同旨の原判決は相当であり,本件控訴は理由がないからこれを棄却することとして,主文のとおり判決する。 東京高等裁判所第12民事部裁判長裁判官相良朋紀裁判官三代川俊一郎裁判官野山宏
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