平成12(ネ)6145 損害賠償請求控訴

裁判年月日・裁判所
平成13年9月26日 東京高等裁判所
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判決文本文37,698 文字)

(原審・東京地方裁判所平成9年(ワ)第28102号損害賠償請求事件(原審言渡日平成12年11月24日)) 主文 1 原判決を次のとおり変更する。 (1) 控訴人は,被控訴人Aに対し,9138万1655円及びこれに対する平成7年2月12日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 (2) 控訴人は,被控訴人Bに対し,120万円及びこれに対する平成7年2月12日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 (3) 被控訴人A及び被控訴人Bのその余の請求並びに被控訴人Cの請求をいずれも棄却する。 (4) 上記(1),(2)は,仮に執行することができる。 2 控訴人のその余の控訴を棄却する。 3 訴訟費用は,第1,2審を通じてこれを3分し,その2を控訴人の負担とし,その余を被控訴人らの負担とする。 事実及び理由 第1 控訴の趣旨 1 原判決中の控訴人敗訴部分を取り消す。 2 被控訴人らの請求をいずれも棄却する。 3 訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人らの負担とする。 第2 事案の概要本件は,被控訴人Aが控訴人の設置,管理及び運営するD病院に入院し,当直担当のE医師から鎮静のためサイレース及びヒルナミンの投与を受けたところ,呼吸停止になるなど容体が急変し,救命治療を受けて蘇生したものの,蘇生後脳症(低酸素脳症)によりいわゆる植物状態になったため,被控訴人らが,E医師に上記サイレース等の投与後の経過観察を怠った過失がある旨主張し,民法715条に基づき,E医師の使用者である控訴人に対し,被控訴人Aについては,介護費用及び逸失利益等の損害金合計1億5730万5188円,被控訴人Aの母である被控訴人B及び被控訴人Aの兄である被控訴人Cについてはそれぞれ慰謝料等合計230万円並びにこれらの金員に対する民法所定の遅延損害 逸失利益等の損害金合計1億5730万5188円,被控訴人Aの母である被控訴人B及び被控訴人Aの兄である被控訴人Cについてはそれぞれ慰謝料等合計230万円並びにこれらの金員に対する民法所定の遅延損害金の支払を請求した事案である。 控訴人は,サイレース及びヒルナミンの投与と被控訴人Aの心停止等との間には因果関係がない,当時の医療水準からみてE医師には経過観察につき過失がないなどと主張して,被控訴人らの請求を争った。 原判決は,サイレース及びヒルナミンの投与と被控訴人Aの心停止等との間に因果関係があること及びE医師に経過観察につき過失があったことを認め,被控訴人Aにつき1億4545万6778円,被控訴人Bにつき120万円及び被控訴人Cにつき40万円の限度で被控訴人らの請求をいずれも認容したので,控訴人が控訴をした。 1 前提となる事実(当事者間に争いのない事実は証拠を掲記しない。)(1) 控訴人は,東京都墨田区ab丁目c番d号所在のD病院を設置,管理及び運営しており,E医師は,平成2年2月当時,控訴人に雇用され,D病院精神科に勤務する医師であった。 被控訴人Aは,昭和39年9月4日生まれの男性であり,被控訴人Bは,被控訴人Aの母である。 被控訴人Cは,被控訴人Aの兄である(甲6)。 被控訴人Aの父は,昭和53年ころ死亡しており,被控訴人らは3人家族である(記録上明らかである)。 (2) 被控訴人Aは,平成元年3月,F大学経済学部2部を卒業し,短期間アルバイトをした後,平成2年4月ころ,財団法人G協会に入社して平成5年7月ころまで同協会に勤務していたが,同月ころ,医学部を受験すると言って同社を退社した。被控訴人Aは,医学部の受験に失敗したため再就職を希望して求職活動をし,平成6年3月ころから2か月間,自動車会社に就職し,また,同年8月末こ いたが,同月ころ,医学部を受験すると言って同社を退社した。被控訴人Aは,医学部の受験に失敗したため再就職を希望して求職活動をし,平成6年3月ころから2か月間,自動車会社に就職し,また,同年8月末ころ10日間程ミシン会社に勤務するなどしたものの適当かつ安定的な就職先が決まらなかった(乙2,当審における被控訴人B本人尋問の結果)。 (3) 被控訴人Aは,家でいらいらしたり落ち着かなくなったりしたため,平成6年9月14日ころ,Hクリニックを受診し,その後,同年12月19日,D病院に入院し,躁うつ病(抑うつ型),境界性人格障害と診断されたが,1日でD病院を退院してしまった。その後,被控訴人Aは,同月26日,平成7年1月4日,同月18日及び同月25日にD病院に通院し,精神療法を受けた。また,同月28日,同年2月8日及び同月10日には,被控訴人BがD病院を訪れ,被控訴人Aの病状について相談をし,I病院への入院治療を希望するなどした(乙2)。 (4) 被控訴人Aは,平成7年2月12日午前3時20分ころ,被控訴人Bの同意により,D病院に医療保護入院した(乙3)。 (5) 被控訴人Aは,精神科の当直担当医師であるE医師の診察を受け,E医師から,鎮静のためサイレース(フルニトラゼパム製剤。以下特に断らない限り成分であるフルニトラゼパムを含めて「サイレース」という。)及びヒルナミン(塩酸レボメプロマジン製剤。以下特に断らない限り成分であるレボメプロマジンを含めて「ヒルナミン」という。)の投与を受けた(以下E医師の診察からサイレース等の投与までの行為を「本件診療行為」という。)ところ,午前6時ころ,呼吸停止になるなど容体が急変し,救命治療を受けて蘇生したものの,蘇生後脳症(低酸素脳症)によりいわゆる植物状態になった(以下「本件医療事故」という。)。被控訴人Aは, う。)ところ,午前6時ころ,呼吸停止になるなど容体が急変し,救命治療を受けて蘇生したものの,蘇生後脳症(低酸素脳症)によりいわゆる植物状態になった(以下「本件医療事故」という。)。被控訴人Aは,回復の見込みはなく,当審における口頭弁論終結時においてもD病院に入院したままである(甲31,乙2,3)。 (6) 被控訴人Aは,平成7年6月12日,身体障害者1級の認定を受けた。さらに,被控訴人Aは,平成9年11月21日確定した家庭裁判所の審判により禁治産宣告を受け,被控訴人Bが後見人に選任された(禁治産宣告に関する事実は記録上明らかである。)。 2 主たる争点及び主たる争点についての当事者の主張(1) E医師のサイレース及びヒルナミンの投与と本件医療事故との因果関係の有無ア被控訴人らの主張(ア) サイレースは,1アンプル中にフルニトラゼパム2ミリグラムを含有し,催眠作用,麻酔増強作用等を有していて,全身麻酔の導入等に用いられる薬剤である。サイレースは,全身麻酔の導入の場合,体重1キログラム当たりフルニトラゼパム換算で0・02ミリグラムから0・03ミリグラムを使用する。サイレースは,重大な副作用として,無呼吸,呼吸抑制,舌根沈下,血圧低下及び除脈等の症状が現れる。なお,フルニトラゼパムの血中濃度半減期は約7時間であり,その間は副作用発生の危険があるというべきである。 ヒルナミンは,1アンプル中に25ミリグラムのレボメプロマジンを含有し,精神分裂病及びうつ病等における不安・緊張を和らげる効果を有する薬剤である。ヒルナミンは,成人に対し1回1アンプル(レボメプロマジン換算で25ミリグラム)を投与する。ヒルナミンは,副作用として,血圧低下,頻脈,不整脈及び心疾患悪化等の症状が現れ,過量投与の場合には,傾眠から昏睡までの中枢神経の抑制及び血圧降下等が発 メプロマジン換算で25ミリグラム)を投与する。ヒルナミンは,副作用として,血圧低下,頻脈,不整脈及び心疾患悪化等の症状が現れ,過量投与の場合には,傾眠から昏睡までの中枢神経の抑制及び血圧降下等が発生する。なお,ヒルナミンの血中濃度半減期は,15時間ないし30時間であり,その間は副作用発生の危険があるというべきである。 サイレースとヒルナミンを併用した場合には,相互に作用を増強し,呼吸抑制出現の頻度が高まる。 (イ) 被控訴人A(体重54・6キログラム)は,5アンプルのサイレース(フルニトラゼパム10ミリグラム。体重1キログラム当たりフルニトラゼパム換算で0・18ミリグラム=通常の約6倍の量)と2アンプルのヒルナミン(レボメプロマジン50ミリグラム)を投与された後,呼吸停止及び心停止に陥ったものであり,上記(ア)のサイレース及びヒルナミンの副作用から考えれば,本件医療事故の原因は,サイレース及びヒルナミンの投与であることが明らかである。 イ控訴人の主張(ア) 被控訴人Aは,呼吸又は循環器系の機能障害を突然発症し,容体が急変したものであって,本件医療事故の原因は不明であるといわざるを得ない。 すなわち,サイレースは,極めて代謝の早い薬物であり,その血中濃度は速やかに消失する。サイレースの効果は,即効性であり注射開始より入眠するまでの時間が極めて短く,反対に薬剤の効果は速やかに消失するのであり,指摘される副作用が急性の症状であることを考慮すると,副作用の発生も即効性を有するというべきである。本件では,サイレースが複数回投与されているところ,最終回の投与から被控訴人Aの容体が急変するまで1時間15分程度が経過しており,容体が急変した時点ではサイレースの薬理効果はピーク時より大きく落ちているのみならず,被控訴人Aの午前5時20分ころの血圧が午 の投与から被控訴人Aの容体が急変するまで1時間15分程度が経過しており,容体が急変した時点ではサイレースの薬理効果はピーク時より大きく落ちているのみならず,被控訴人Aの午前5時20分ころの血圧が午前4時ころに比べて上昇しており,被控訴人Aは,安定期から回復期に向かい出すところにあったといえるから,サイレースのみの副作用,又はヒルナミンにより増強されたサイレースの副作用により被控訴人Aの容体が急変したとはいえない。 能書によれば,ヒルナミンの循環器系の副作用には,血圧降下がみられると記載されているが,容体急変前の被控訴人Aのバイタルチェックにおいて,被控訴人Aの血圧は正常であったから,被控訴人Aの容体急変はヒルナミンの副作用によるものではない。 サイレースとヒルナミンの併用は広く行われており,急性鎮静を要する場面では睡眠導入剤と抗精神病薬を併用することは不可欠であり,また,サイレースとヒルナミンの使用方法及び用量に問題はないので,両剤の併用も被控訴人Aの容体急変の原因ではない。 そして,被控訴人Aは,薬剤に対する耐性が極めて強い特異体質者であり,また,被控訴人Aの呼吸中枢に何らかの障害があった可能性も否定できないので,結局,本件医療事故の原因は不明といわざるを得ない。なお,仮に,サイレース及びヒルナミンの投与が原因となって本件医療事故が発生したとしても,被控訴人Aの容体急変には,被控訴人Aの上記特異体質,呼吸中枢に存在する何らかの障害が関係しているので,割合的に因果関係を認定すべきである。 (イ) そもそも能書上の用法・用例は,通常成人を対象とした基準にすぎないのであり,各症状に応じて薬理効果が期待される必要量がいわば標準投与量であると理解すべきである。能書によれば,サイレースは,必要に応じて初回量の半量ないし同量を追加投与する,患者の た基準にすぎないのであり,各症状に応じて薬理効果が期待される必要量がいわば標準投与量であると理解すべきである。能書によれば,サイレースは,必要に応じて初回量の半量ないし同量を追加投与する,患者の年齢,感受性,全身状態などに応じて適宜増減するとされていることを考慮すると,体重1キログラム当たりフルニトラゼパム換算で0・18ミリグラムを投与したことをもって,通常の6倍の量を投与したと問題視することには根拠がないのである。 また,サイレース及びヒルナミンによる副作用は,中枢神経系に血中濃度がどの程度残存しているかによって決定される上,個体差や状態像に依存するところが大きいので,血中濃度の推移のみをもって副作用の決定因子とはなり得ない。 (2) E医師の過失の存否ア被控訴人らの主張(ア) E医師は,本件診療行為をするに当たり,抑制帯を使用して被控訴人Aの身体を抑制しているところ,精神科救急医療の診療においては,抑制帯を使用して患者を抑制する措置は,医療行為の遂行にとって必要欠くべからざる状況がある場合に限って行われるべきであり,患者が特に抵抗なく医療行為を受ける状況にあるときは行うべきではない。また,抑制帯を使用する際には,たとえ混乱している患者であっても,患者に対して抑制の必要性や抑制が不要になった場合にはすぐに抑制をやめることなどを説明し,患者の理解を得る努力をすべきである。 E医師は,本件診療行為をするに当たり,被控訴人Aが納得の上D病院を受診し,E医師の指示に従ってストレッチャーに横になりサイレースの投与を受けていることからして,被控訴人Aが入眠する前に身体抑制をする必要がなかったにもかかわらず,被控訴人Aを挑発するような言動をして被控訴人Aの反発を買い,さらに,被控訴人Aの意識があるうちに,何らの説明もなく身体抑制を行ったため, Aが入眠する前に身体抑制をする必要がなかったにもかかわらず,被控訴人Aを挑発するような言動をして被控訴人Aの反発を買い,さらに,被控訴人Aの意識があるうちに,何らの説明もなく身体抑制を行ったため,被控訴人Aの反発と興奮を誘発し,抑制帯を外せと要求して暴れる被控訴人Aに対し,呼吸抑制等の起こる危険性の高いサイレース及びヒルナミンを多数回投与せざるを得ない事態を招き,その結果,被控訴人Aをサイレース及びヒルナミンの副作用による呼吸抑制と血圧低下に基づく心停止及び呼吸停止に陥らせたものである。 したがって,E医師には,本件医療事故につき,必要もなく,また何らの説明もなく入眠前に被控訴人Aを抑制し,被控訴人Aの反発と興奮を誘発しサイレース及びヒルナミンを多数回投与せざるを得ない事態を招いた点で,精神科救急医療の診療に当たる医師としての注意義務違反が存在する。 (イ) 前記2(1)ア(ア)のとおり,サイレース及びヒルナミンには生命に関わる重大な副作用があるから,医師がこれらを患者に単独又は併用投与した場合,当該医師には,自ら又は他の医師及び看護婦等に指示して,患者の経過観察を十分に行い,呼吸抑制や血圧低下などの異常な兆候があれば速やかにその兆候を発見して対応処置を講じるべき注意義務がある。 E医師は,過去にサイレースを投与した後,患者に無呼吸,呼吸抑制及び舌根沈下がしばしば発症したことを経験しており,またサイレースとヒルナミンの併用投与が重大な結果を引き起こす可能性について現に認識していながら,自らの判断で,被控訴人Aに対し,能書に定められた適応症外で,かつ,規定の投与量の約6倍ものサイレースを投与し,しかもサイレースの副作用を増強させる可能性があり,それ自体としても血圧降下及び頻脈等の循環器系の副作用があるヒルナミンを併用投与した。したがって ,かつ,規定の投与量の約6倍ものサイレースを投与し,しかもサイレースの副作用を増強させる可能性があり,それ自体としても血圧降下及び頻脈等の循環器系の副作用があるヒルナミンを併用投与した。したがって,E医師は,サイレース及びヒルナミンの投与後に,被控訴人Aに無呼吸及び呼吸抑制等の症状が発現することを予測し,自ら又は他の医師及び看護婦等に指示して,頻回の巡回を行い,又は当時D病院に備えられていた心電図モニター等の機械的モニターを使用するなどして経過観察を行うべき注意義務があったところ,その注意義務を怠り,平成7年2月12日午前4時45分(以下,平成7年2月12日については,時間のみを記載する。)に最後のサイレースを投与した後,午前5時20分ころから午前6時ころまでの間,被控訴人Aの経過観察を全く行わなかった過失が存する。 イ控訴人の主張(ア) 被控訴人Aは,本件診療行為を受けた当時,興奮・不穏状態が続くなど症状が悪化しており,当夜も,興奮・不穏,大声が続くため110番通報で警察に保護され,午前3時過ぎころ,警察官とともにD病院に来院したものである。被控訴人Aは,D病院来院時は,警察官がいたため比較的静穏であったが,E医師が治療意思を確認するため「こんな夜中に家族や警察に迷惑をかけて悪いとは思わないのか」と質問したところ,被控訴人Aは,怒声とともに今にも飛びかからんばかりに腰を浮かせ,E医師をにらみつけるなどした。E医師は,警察官が帰った後,被控訴人Aに再度激しい不穏が発現する可能性が高いので,職員が最少となる深夜帯にあって,病状の急変に対応するため適切な保護が必要であることなどから,サイレースを投与し,その後,傾眠状態となったため,覚醒時の興奮を予想し,抑制を行ったものであり,この間,被控訴人Aは,傾眠状態のまま静穏であった。以上の経過 め適切な保護が必要であることなどから,サイレースを投与し,その後,傾眠状態となったため,覚醒時の興奮を予想し,抑制を行ったものであり,この間,被控訴人Aは,傾眠状態のまま静穏であった。以上の経過に照らせば,E医師の対応は,精神科の医師として極めて合理的なものであり,E医師には,必要もなく,また何らの説明もなく入眠前に被控訴人Aを抑制し,被控訴人Aの反発と興奮を誘発したなどの被控訴人ら主張のような注意義務違反は存在しない。 (イ) 上記(1)イ(ア)及び(イ)のとおり,E医師が被控訴人Aに投与したサイレース及びヒルナミンの使用量並びにサイレース及びヒルナミンの使用方法には問題がなく,サイレースを通常の6倍も投与したとの被控訴人らの主張は理由がない。また,当時の医療水準においては,サイレースの副作用が投与直後に発生するとは限らないとの医学的知見及びサイレースの呼吸抑制作用がヒルナミンの併用投与に増強されるとの医学的知見はなかった。 E医師は,最後にサイレースを投与した後,午前5時ころまで保護室において経過観察をしながら被控訴人Aの鎮静を待ち,午前5時ころ,保護室を退室する際,被控訴人Aの呼吸及び脈拍とも整であることを確認した。また,J看護士は,午前5時20分ころ,被控訴人Aのバイタルサインを測定し,数値が正常値の範囲内であることを確認し,その旨E医師に報告した。以上のように,サイレース等の投与後の経過観察により,被控訴人Aの容体が急変するような兆候がなく,E医師には,被控訴人Aがサイレース等の副作用により突然重篤な状態に転ずるとの予見可能性がなかったから,E医師は,自身又は他の医師又は看護婦等に指示をして,巡回監視の頻度を高め又は機械的モニターによる監視を行うべき注意義務を負うものではない。 また,被控訴人Aの容体急変に伴う蘇生後脳症を防止 から,E医師は,自身又は他の医師又は看護婦等に指示をして,巡回監視の頻度を高め又は機械的モニターによる監視を行うべき注意義務を負うものではない。 また,被控訴人Aの容体急変に伴う蘇生後脳症を防止するためには,危篤患者に対してするのと同様の医師等による常時監視の実施又は機械式生命監視装置の装着による監視が必要であるところ,被控訴人Aには常時監視の必要性を予見させる兆候は存在せず,また,D病院精神科にはそのような監視を行う人的及び器械設備は当時存在しなかったから,被控訴人Aの容体急変に伴う蘇生後脳症を回避することは不可能であったものである。 E医師は,被控訴人Aに常時監視の必要性を予見させる兆候が存在しなかったことから,サイレースの即効性,安全性及び従前本件のような事例で何らの問題も生じなかったという実践的臨床知見を念頭におき,自ら又はJ看護士に指示して,30分から40分の間隔で巡回監視を行ったものであり,本件診療行為が,医師1名看護士1名の態勢により,夜間の緊急医療として行われていることを考慮すると,当時の医療水準及びE医師の知見に照らし,十分に医師としての経過観察義務を尽くしたというべきである。 (3) 被控訴人らの損害額ア被控訴人らの主張(ア) 被控訴人Aの損害a 介護費用 2304万2523円(a) 被控訴人Bらは被控訴人Aの介護を行っており,被控訴人Bら家族による介護費用は少なくとも1日当たり6000円が相当である。 本件医療事故発生の日である平成7年2月12日から平成9年11月30日まで(以下「過去分」という。)の1022日分の近親者の介護費用は613万2000円である。 (b) 被控訴人Aの余命は45年で,その間常に介護が必要であるが,その全部を通じて被控訴人Bら家族が介護を担うことは実際上困 」という。)の1022日分の近親者の介護費用は613万2000円である。 (b) 被控訴人Aの余命は45年で,その間常に介護が必要であるが,その全部を通じて被控訴人Bら家族が介護を担うことは実際上困難であるから,家族による平成9年12月1日以降の介護費用として10年間分(以下「将来分」という。)1691万0523円を請求する。 6000円×365日×ライプニッツ係数7・7217=1691万0523円(c) 被控訴人Bは,D病院において被控訴人Aが完全看護されているとはいうものの,24時間付き添って十分な介護をしてもらえる訳ではないため,毎日D病院に通って介護のための様々な作業を行っているのであり,介護費用がかかることは当然である。 b 入院雑費 499万2547円被控訴人Aの入院雑費は,1日当たり1300円が相当であり,過去分が132万8600円,将来分が366万3947円(1300円×365日×ライプニッツ係数7・7217)の合計499万2547円である。 c 通院交通費 153万6168円被控訴人BらがD病院へ通院するための交通費は1日当たり400円(バス)で,過去分が40万8800円,将来分が112万7368円(400円×365日×7・7217,ライプニッツ方式)の合計153万6168円である。 d 逸失利益 8121万5882円労働能力喪失率100パーセント,平成7年の賃金センサス中の産業計全労働者の年収513万9400円,67歳までのライプニッツ係数15・8026で被控訴人Aの逸失利益を計算すると,逸失利益は,8121万5882円(513万9400円×15・8026)である。 なお,境界性人格障害は,アイデンティティ障害の一種であり,適切な治療によ 8026で被控訴人Aの逸失利益を計算すると,逸失利益は,8121万5882円(513万9400円×15・8026)である。 なお,境界性人格障害は,アイデンティティ障害の一種であり,適切な治療により就労が可能である。また,被控訴人Aは,植物状態に陥っており,通常人と同様の生活費の必要はないとしても,現実に家族が出費を余儀なくされているのであり,死者とは事情が異なるので,生活費を控除することは相当でない。 e 後遺症慰謝料 2600万円被控訴人Aの後遺症慰謝料は,2600万円が相当である。 (イ) 被控訴人B及び被控訴人Cの損害各200万円被控訴人Aが本件医療事故により植物状態になったことについての被控訴人Bらの固有の慰謝料は,各200万円が相当である。 なお,被控訴人Cは,本件医療事故発生まで,被控訴人Aと同居をしていたものであり,弟である被控訴人Aが植物状態になったことにつき慰謝料が認められることは当然である。 (ウ) 被控訴人らの弁護士費用合計2111万8068円被控訴人らは,本件訴訟を被控訴人ら代理人に委任し,その報酬として,請求金額の15パーセントを支払う旨約し,これは控訴人の不法行為と相当因果関係に立つ損害として控訴人が賠償すべきであるところ,その額は,被控訴人Aが2051万8068円,被控訴人B及び同明人が各30万円である。 (エ) 過失相殺及び損益相殺についてa 被控訴人Aには,薬物耐性に関する体質的素因は存在しないので,過失相殺をすることは認められない。 b 被控訴人Aは,本件医療事故により植物状態になり,身体障害者1級の認定を受け,控訴人主張のとおりの額の障害基礎年金を受給しているが,これを損害から控除するとすれば,国が給付した障害基礎年金を控訴人から求償す Aは,本件医療事故により植物状態になり,身体障害者1級の認定を受け,控訴人主張のとおりの額の障害基礎年金を受給しているが,これを損害から控除するとすれば,国が給付した障害基礎年金を控訴人から求償する見込みが乏しいので,結果的に控訴人がこれを利得する可能性が高い。また,被控訴人Bは,自分だけでは被控訴人Aの介護が困難なので,妹に介護を依頼し,1か月10万円を支払っており,障害基礎年金は,この支払により消えてしまう計算である。したがって,衡平の理念に基づき,障害基礎年金を被控訴人Aの損害から控除することは相当でなく,少なくとも将来の給付分については控除すべきでない。 被控訴人Aは,東京都心身障害者福祉手当に関する条例に基づき,心身障害者福祉手当として1か月1万5500円を受給しているが,これは損害の填補に当たらないから,損益相殺の対象とはならない。 イ控訴人の主張(ア) 被控訴人らの損害の主張は争う。 a 介護費用について被控訴人Aは,D病院に入院して完全介護を受けており,被控訴人Bら家族の介護を受けることを必要としていない。 b 逸失利益について被控訴人Aは,躁うつ病(抑うつ型)の精神疾患を病み,投薬及び通院治療を繰り返していた上,境界性人格障害を有するので,稼働能力は健常者に比べて相当程度落ちることは不可避である。また,被控訴人Aは回復不能な植物状態にあるから,生活費控除を行うべきである。 c 被控訴人Cは,被控訴人Aの兄弟にすぎず,同居もしていないのであるから,慰謝料請求権は発生しない。 (イ) 過失相殺被控訴人B及び被控訴人Cは,境界性人格障害を有する被控訴人Aの不穏・興奮等の症状を鎮静させるため,被控訴人AをD病院に医療保護入院させるよう強く希望したこと,被控訴人Aの境界性人格障害に基づく医療保護入院がなければ,被控訴 ,境界性人格障害を有する被控訴人Aの不穏・興奮等の症状を鎮静させるため,被控訴人AをD病院に医療保護入院させるよう強く希望したこと,被控訴人Aの境界性人格障害に基づく医療保護入院がなければ,被控訴人Aが呼吸停止等の症状を発症しなかったこと及び被控訴人Aの薬物耐性に基づく体質的素因が薬剤投与の過程に影響を及ぼしていることを考慮すると,公平性の観点から,過失相殺の規定を類推適用して,損害の公平な分担を図るべきである。 (ウ) 損益相殺a 被控訴人Aは,本件医療事故により身体障害者1級の認定を受け,障害基礎年金として,平成7年9月から平成10年5月まで1か月8万1825円,同年6月から平成11年5月まで1か月8万3283円,同年6月から現在まで1か月8万3775円を受給しているので,これを被控訴人Aの損害から差し引くべきである。 b 被控訴人Aは,東京都心身障害者福祉手当に関する条例に基づき,心身障害者福祉手当として1か月1万5500円を受給しているので,これを被控訴人Aの損害から差し引くべきである。 第3 当裁判所の判断 1 当裁判所は,E医師には,本件医療事故につき,被控訴人Aに対する経過観察を怠った過失があると認められるから,被控訴人らの請求は,民法715条に基づき,E医師の使用者である控訴人に対し,被控訴人Aにつき損害金9138万1655円,被控訴人Bにつき損害金120万円及びこれらに対する本件医療事故の日である平成7年2月12日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を請求する限度で理由があり,被控訴人A及び被控訴人Bのその余の請求並びに被控訴人Cの請求は理由がないから棄却すべきであると判断する。その理由は,以下のとおりである。 (1) 各項中に掲記した各証拠,前記第2,1の事実及び弁論の全趣旨を総合すると,本件医 の余の請求並びに被控訴人Cの請求は理由がないから棄却すべきであると判断する。その理由は,以下のとおりである。 (1) 各項中に掲記した各証拠,前記第2,1の事実及び弁論の全趣旨を総合すると,本件医療事故の発生等につき次の事実を認めることができる。 ア D病院は,精神科診療を扱う精神科をはじめとして,診療科目20科を設置する総合病院である。また,診療科目の一つとして救命救急センターを設置し,生命危機を伴う重篤・重症救急患者に対する救急医療に当たっている(当事者間に争いがない)。 控訴人は,夜間(午後5時から翌日午前9時まで)及び休日(午前9時から午後5時まで)における精神科救急患者に対する診療事業を,都内全域を3ブロックに分けて実施しているところ,D病院は,その第1ブロック(東京都23区内の東部に位置する11区)を担当している(当事者間に争いがない)。 D病院精神科の深夜における救急診療は,当直医1名,看護士1名の2名体制で行っていた。当直医は,救急診療のほか,28床ある病床の入院患者に対する夜間対応をも兼務していた(原審証人K)。 イ被控訴人Aは,小学生のころから抑うつ傾向があり,中学校において不登校が見られ,高校においても欠席がちであった。被控訴人Aは,昭和58年3月に高校を卒業し,昭和60年4月,F大学経済学部2部に入学し,平成元年3月,同大学を卒業し,短期間アルバイトをした後,平成2年4月ころ,財団法人G協会に入社して平成5年7月ころまで同協会に勤務していたが,同月ころ,医学部を受験すると言って同社を退社した。被控訴人Aは,医学部の受験に失敗したため再就職を希望して求職活動をし,平成6年3月ころから2か月間,自動車会社に就職し,また,同年8月末ころ10日間程ミシン会社に勤務するなどしたものの適当かつ安定的な就職先が決まらなかった( 失敗したため再就職を希望して求職活動をし,平成6年3月ころから2か月間,自動車会社に就職し,また,同年8月末ころ10日間程ミシン会社に勤務するなどしたものの適当かつ安定的な就職先が決まらなかった(乙2,当審における被控訴人B本人尋問の結果)。 被控訴人Aは,平成6年6月ころから,就職について何かと干渉する被控訴人Bに対し,依存的かつ攻撃的な言動が目立ち,落ち着きなく自宅の1階と2階を行ったり来たりするなどの異常行動を示すようになったので,同年9月14日ころ,医療法人社団Hクリニックを受診したところ,希死念慮を訴えたため,うつ病との診断を受け,薬物療法を受けた結果一旦症状が落ち着いた。被控訴人Aは,同年11月ころ,就職したが,1週間で解雇されたため,就職が決まらない焦り,不安が増悪し,希死念慮が出現するなどした(乙2)。 ウ被控訴人Aは,被控訴人Bの希望もあり,平成6年12月19日,D病院精神科を受診し,躁うつ病(抑うつ型)との診断を受け,同日入院したが,翌日には自ら退院を申し出て,退院した。この時点で同被控訴人の診断名に境界性人格障害が追加された。被控訴人Aは,同月26日,平成7年1月4日,同月18日及び同月25日の3回D病院で通院治療を受けた。また,被控訴人Bは,同月28日及び同年2月8日,D病院を訪れ,医師に対し,被控訴人Aが被控訴人Bに暴力を振るうこと,殺してくれと被控訴人Bに迫ること及び一晩中大声を出しており,昼夜逆転していることなどを訴えた。さらに,被控訴人Bは,同月10日,D病院を訪れ,被控訴人AをI病院に入院させたいとの希望を述べ,紹介状(「診療情報提供書」)を書いてもらった(乙2)。 エ本件診療行為の状況は,次のとおりである(乙2,3,8,20,原審証人E医師の証言)。 (ア) 被控訴人Aは,平成7年2月11日深夜,自 ,紹介状(「診療情報提供書」)を書いてもらった(乙2)。 エ本件診療行為の状況は,次のとおりである(乙2,3,8,20,原審証人E医師の証言)。 (ア) 被控訴人Aは,平成7年2月11日深夜,自宅において,被控訴人Bに対し,「就職を決めてきたのにお前が反対したから取りやめにして,こうなってしまった。」などと暴言を浴びせ,物を投げつけるなどし,不穏,興奮状態が続いたため,被控訴人Bの110番通報により向島警察署の警察官3,4名が訪れ,保護及び事情聴取が行われ,翌日午前3時20分ころ,警察官3,4名,被控訴人B及び被控訴人Cに伴われて,D病院の精神科救急外来に来院した。 (イ) D病院精神科では,当直のE医師及びJ看護士が応対した。E医師は,午前3時30分ころから,警察官3,4名,被控訴人B及び被控訴人C並びにJ看護士同席のもと,被控訴人Aの診療を開始した。E医師は,被控訴人Bらから来院に至る状況を聞き,その際には被控訴人Aに著しい不穏状態が認められなかったことから,被控訴人Aらに対し入院を希望するかどうかを質問したところ,被控訴人Aが,「(被控訴人Bに)暴力を振るうかどうかは帰ってみなければわからない。」などと述べたため,被控訴人B及び被控訴人Cとも「家ではもうどうすることもできません。」と述べて入院を希望した。そこで,E医師は,被控訴人Aの病識を確認するため,被控訴人Aに対し,「こんな夜中に家族や警察に迷惑をかけて,悪いと思わないのか。」と問うたところ,被控訴人Aは,「てめえは大体気にくわねえんだ。」と怒声をあげ,今にも飛びかからんばかりに腰を浮かせてにらみつけるなどした。E医師は,以上のやりとりから,帰宅させれば来院前の不穏状態が容易に再現されるので入院の必要性があると判断し,被控訴人Bの同意を得て,医療保護入院させることとした。 ( 浮かせてにらみつけるなどした。E医師は,以上のやりとりから,帰宅させれば来院前の不穏状態が容易に再現されるので入院の必要性があると判断し,被控訴人Bの同意を得て,医療保護入院させることとした。 (ウ) E医師は,被控訴人Aに入院の必要性を告げ,検査及び処置のため,警察官及びJ看護士の助力を得て救急診療室内のストレッチャーに仰臥させた上,午前4時ころ,血圧及び脈拍を測定した。血圧は,収縮期血圧が110ミリグラム,拡張期血圧が70ミリグラムであり,脈拍は,1分間当たり102回であった(なお,被控訴人Aは,身長180センチメートル,体重54・6キログラムであり,血圧及び脈拍は,平成6年12月19日の計測で収縮期血圧132ミリグラム,拡張期血圧90ミリグラム,脈拍1分間当たり96回であり,同月20日の計測で収縮期血圧110ミリグラム,拡張期血圧70ミリグラム,脈拍1分間当たり110回であった。)。E医師は,その後,鎮静及び入眠を目的としてサイレース2アンプル(フルニトラゼパム4ミリグラム含有)を緩徐に静脈注射した。 しかし,被控訴人Aが全く入眠せず起きあがろうとしたりするので,E医師は,さらにサイレース1アンプル(フルニトラゼパム2ミリグラム含有)を緩徐に静脈注射した。 (エ) E医師は,被控訴人Aが傾眠状態になったので,午前4時10分ころ,保護室に入室させ,ベッド上で胴抑制,四肢抑制,ベストによる上半身抑制を行い,点滴を開始するなどした。E医師は,被控訴人Aが傾眠状態のままで静穏であったため,午前4時30分ころ,一旦保護室を退出しようとしたところ,被控訴人Aが興奮し始め,激しく体動してヴェストのストラップ右側を切る程であり,また,「ふざけるなよー,てめえらは大体気にくわねえんだよー,あー」などと大声で叫び,説明をしても納まる様子がないので,鎮静効 人Aが興奮し始め,激しく体動してヴェストのストラップ右側を切る程であり,また,「ふざけるなよー,てめえらは大体気にくわねえんだよー,あー」などと大声で叫び,説明をしても納まる様子がないので,鎮静効果のあるヒルナミン2アンプル(塩酸レボメプロマジン50ミリグラム含有)及びヒルナミン投与による副作用を防止するためのアキネトン1アンプルを筋肉注射した。 しかし,被控訴人Aは,なおも体動激しく怒声をあげていたため,E医師は,午前4時45分ころ,サイレース2アンプル(フルニトラゼパム4ミリグラム含有)を緩徐に静脈注射した。 E医師らは,被控訴人Aが,その後も点滴ラインが外れそうなくらい四肢を動かし,怒声をあげ続けたため,上肢等を素手で抑制していたところ,午前5時ころ,傾眠がちになってきたので,保護室を退室した。 (オ) J看護士は,午前5時20分ころ,再び保護室に入室し,被控訴人Aのバイタルサインを測定したところ,収縮期血圧が116ミリグラム,拡張期血圧が60ミリグラム,脈拍が1分間当たり126回,呼吸が整であることを確認した。 (カ) E医師は,午前6時ころ,被控訴人Aが覚せいし始めていないかどうか確認するため,保護室に入室し,被控訴人Aのバイタルサインをチェックしたところ,左とう骨動脈の拍動が触知できず,呼吸も感じられず,呼びかけにも答えない状態になっており,両眼とも対光反射は確認できなかったので,直ちにD病院内の救命救急センターに連絡し,心マッサージ,人工呼吸等の蘇生処置を施した結果,脈拍が触知可能になり,自発呼吸が認められ,午前6時25分に収縮期血圧が140ミリグラム,拡張期血圧が50ミリグラム,脈拍が1分間当たり120回となったので,被控訴人Aを上記救命救急センターに転棟させた。 被控訴人Aは,右救命救急センターで救命治療を受け,蘇生後脳 圧が140ミリグラム,拡張期血圧が50ミリグラム,脈拍が1分間当たり120回となったので,被控訴人Aを上記救命救急センターに転棟させた。 被控訴人Aは,右救命救急センターで救命治療を受け,蘇生後脳症(低酸素脳症)と診断された。 オ被控訴人Aは,本件医療事故以後,D病院に入院しているが,四肢運動機能全廃という状態で,現在に至るまで意識は回復せず,いわゆる植物状態にあり,生命維持のために常に人的介護を必要としており,今後も回復は困難である。 (2) サイレース及びヒルナミンの薬効等についてア能書(甲1)によれば,サイレースは,ベンゾジアゼピン系化合物に属するフルニトラゼパム製剤で,睡眠作用,麻酔増強作用,鎮痛増強作用を併せもち,全身麻酔の導入及び局所麻酔時の鎮静に有用性が確認されていること(なお,能書には,サイレースを躁うつ病等の患者の興奮を鎮静するための薬剤として使用する旨の記載はなく,このようなサイレースの使用方法は,承認外とされている。),サイレース1アンプル中にフルニトラゼパムが2ミリグラム含有されていること,その用量は,通常成人に対する全身麻酔の導入としてはフルニトラゼパムを体重1キログラム当たり0・02ないし0・03ミリグラム,局所麻酔時の鎮静としてはフルニトラゼパムを体重1キログラム当たり0・01ないし0・03ミリグラムとすること,麻酔導入薬としてフルニトラゼパムを体重1キログラム当たり0・013ミリグラムないし0・038ミリグラムを静脈注射したことにより手術患者357例中323例(90・5パーセント)が入眠したが,フルニトラゼパムを体重1キログラム当たり0・038ミリグラム投与することは承認外であること,一般的注意として,サイレースの使用に際しては,麻酔中は気道に注意して呼吸・循環に対する観察を怠らないこと,重大な副作用と を体重1キログラム当たり0・038ミリグラム投与することは承認外であること,一般的注意として,サイレースの使用に際しては,麻酔中は気道に注意して呼吸・循環に対する観察を怠らないこと,重大な副作用として,0・1ないし5パーセント未満の頻度で,無呼吸,呼吸抑制,舌根沈下が現れ,その他にも循環器の副作用として同じ割合で血圧低下,徐脈,頻脈等が現れることが認められる。また,呼吸抑制の存在については,一般にこれが承認されている(甲23,26,乙22,弁論の全趣旨)。 「NikkeiMedical平成9年5月号」(甲4)は,不眠症についての文献であるが,フルニトラゼパムの1日使用量を0・5ミリグラムないし2ミリグラム(高齢者では1ミリグラムまで)としている。これに対し,臨床例としてフルニトラゼパム12ミリグラムが投与された例が報告されているが,これは特殊な例とされ(乙10・文献二),これ以外に,10ミリグラムを超えるフルニトラゼパムの投与がされた報告例は提出されていない。 昭和61年6月10日発行の「新薬と臨牀」(乙6)によれば,合計36名の患者に述べ47回,フルニトラゼパムを静脈注射の方法で最低2ミリグラムから最大6ミリグラムを投与したところ,41例が注射開始後平均200秒で入眠したが,興奮の激しい者4例及び連日フルニトラゼパムの注射を受けた者2例については入眠せず,入眠した例の中では睡眠時間が3時間を超えた例が28例(59・6パーセント)あり,1例(投与量1ミリグラム)につき舌根沈下による呼吸抑制が生じたとされており,血圧については,フルニトラゼパム投与後は一般的には低下するものの,さほど変わらない者やかえって血圧が上昇した者もいた。 「精神科治療学」(平成9年2月。甲12)によれば,D病院の平成7年3月1日から同年4月30日までの入院患者に 与後は一般的には低下するものの,さほど変わらない者やかえって血圧が上昇した者もいた。 「精神科治療学」(平成9年2月。甲12)によれば,D病院の平成7年3月1日から同年4月30日までの入院患者につきサイレース投与の具体的影響を調査したところ,フルニトラゼパムの静脈内投与により72パーセントの患者に低酸素状態が認められ,この面からも呼吸抑制の存在が裏付けられている。 イ能書(甲2)によれば,ヒルナミンは,1アンプル中に塩酸レボメプロマジン27・77ミリグラム(レボメプロマジンに換算して25ミリグラム)を含有し,精神分裂病,躁病及びうつ病における不安,緊張に対して効果があるとされ,通常,成人にはレボメプロマジンに換算して1回25ミリグラムを筋肉注射すること,ヒルナミンは中枢神経抑制剤の作用を延長し増強させるため,麻酔剤等の中枢神経抑制剤の強い影響下にある患者に対しては投与してはならないこと,ヒルナミンを中枢神経抑制剤と併用すると,相互に作用を増強することがあるので,減量するなど慎重に投与すること,重大な副作用として,血圧の変動等の発現に引き続き高熱が持続し,意識障害,呼吸困難等へ移行し死亡する例もあること,循環器の副作用として,血圧降下,頻脈等がみられることがあるので観察を十分に行い慎重に投与すべきであること及び過量投与により傾眠から昏睡までの中枢神経系の抑制,血圧降下等の症状が現れることが明らかにされている。 なお,ヒルナミンは,精神分裂病,躁病及びうつ病における不安,緊張に対して効果があるため,分裂病患者や躁うつ病患者の興奮を鎮静させる薬物として使用される場合がある(乙10・文献九)。また,ヒルナミンの投与量も1回につき最高75ミリグラムまで許容されるとする文献が存在する(乙10・文献八)が,一般的には1回につき最高25ミリグラム以内 して使用される場合がある(乙10・文献九)。また,ヒルナミンの投与量も1回につき最高75ミリグラムまで許容されるとする文献が存在する(乙10・文献八)が,一般的には1回につき最高25ミリグラム以内の投与が相当とされている(乙10・文献七)。 ヒルナミンの血中濃度半減期は15時間ないし30時間とされている(甲25)。 ウ薬効の持続時間に基づく分類によれば,サイレースは,中間型から長時間型に分類される睡眠薬であり(甲23,24),「臨床薬理」(昭和53年9月号)中にある論文(甲8,15)及び1997年版日本医薬品集(乙5)並びに能書(乙22)によれば,フルニトラゼパム(その未変化体)の体内薬物濃度動態は,単回静脈内投与で3相性の変化を示し,各相の半減期はそれぞれ第1相(投与後30分ないし45分)で約8分,第2相(投与後1時間ないし4時間)で2時間,第3相(投与後4時間以降)で24時間であり,また,同じく単回静脈内投与試験の結果においては,2ミリグラムのフルニトラゼパムを静脈内投与した場合,投与後5分の血中濃度の割合を100とすると,投与後120分までの間でも約4割の血中濃度が維持されているとされる。そして,「NikkeiMedical平成9年5月号」(甲4)によれば,ベンゾジアゼピン系睡眠薬では,有効成分が肝臓で分解された後の代謝物に催眠作用があるため,効果が持続する場合があるので,フルニトラゼパム(その未変化体)の血中濃度の減少と効果の持続時間とは必ずしも一致しないとされる。なお,「精神科治療学」(平成9年2月。甲12)は,フルニトラゼパムの血中濃度半減期等を考慮すると,第2相半減期の2時間程度までは副作用発現の危険性があると考えた方が安全であるとする。 昭和61年6月10日発行の「新薬と臨牀」(乙6)に引用されている研究報告によれば, 中濃度半減期等を考慮すると,第2相半減期の2時間程度までは副作用発現の危険性があると考えた方が安全であるとする。 昭和61年6月10日発行の「新薬と臨牀」(乙6)に引用されている研究報告によれば,フルニトラゼパムを体重1キログラム当たり0・03ミリグラム投与した後に血圧が最も低下する時間等の調査の結果,収縮期血圧が15分後に約16ミリグラム,拡張期血圧が10分後に約7ミリグラム低下することが判明し,また,フルニトラゼパムを体重1キログラム当たり0・059ミリグラム注射した場合は血圧降下は40分後に最大となり,低下の程度も0・03ミリグラム投与した場合に比べて顕著に大きく,90分後もなお完全に回復していない例があったこと,フルニトラゼパム投与後120分後においても収縮期血圧が完全には回復していない例があったことが報告されている。 エサイレースとヒルナミンを併用投与した場合,サイレースの作用を延長,増強させることになり,併用するならば減量するなどの配慮が必要になるのみならず,現に精神科救急における鎮静処置の症例において,フルニトラゼパムの投与により血中の酸素飽和度が低下した後,経時的に酸素飽和度が上昇してきた患者にレボメプロマジンを併用投与したところ,併用投与から70分経過後の酸素飽和度が低下した事例が報告されており,現在では,フルニトラゼパムの呼吸抑制作用がレボメプロマジンの併用によって増強されることが承認されている(甲2,12,13,27,28及び弁論の全趣旨)。 (3) 争点1(本件医療事故の原因)についてア前記(1)及び(2)で認定した事実に基づき,本件医療事故の原因が,E医師のサイレース及びヒルナミンの投与にあるか否かを検討する。 E医師は,午前4時ころから午前4時45分ころまでの45分間に,被控訴人A(体重54・6キログラム 実に基づき,本件医療事故の原因が,E医師のサイレース及びヒルナミンの投与にあるか否かを検討する。 E医師は,午前4時ころから午前4時45分ころまでの45分間に,被控訴人A(体重54・6キログラム)に対し,まずサイレースを3アンプル(フルニトラゼパム6ミリグラム),引き続きヒルナミンを計2アンプル(レボメプロマジン換算で50ミリグラム),さらにサイレースを2アンプル(フルニトラゼパム4ミリグラム),それぞれ投与しており,被控訴人Aに投与されたサイレースの投与量は合計10ミリグラム(体重1キログラム当たり0・18ミリグラム)という能書記載の投与量の6倍にも相当する極めて多量なものであり,かつ,その間に併用されたヒルナミンの投与量も1回分としては相当量を上回っているところ,被控訴人Aは,サイレースの最終投与後の35分後から75分後までの間に呼吸停止等の急変を生じ,蘇生後脳症(低酸素脳症)に陥ったものである。そして,フルニトラゼパムの血中濃度半減期等を考慮すると,第2相半減期の2時間程度までは副作用発現の危険性があるとされている上,多量のサイレースが投与された患者にヒルナミンを併用投与する場合には,サイレースの薬効が増強され,呼吸停止等の重大な副作用をもたらす可能性があり,しかも,併用投与後70分程度経過してから発症する可能性もあること,加えて,本件全証拠によっても被控訴人Aにはサイレース及びヒルナミンの投与のほかに呼吸停止等の原因があるとは窺われないことなどに照らすと,被控訴人Aは,E医師により多量のサイレースを投与された上,ヒルナミンを併用投与されたことにより呼吸停止等の状態に陥ったものと認めることができる。 イ(ア) この原因の認定に関し,控訴人は,サイレースの副作用の発生も即効性を有するというべきところ,本件では,サイレースが最終に投与 たことにより呼吸停止等の状態に陥ったものと認めることができる。 イ(ア) この原因の認定に関し,控訴人は,サイレースの副作用の発生も即効性を有するというべきところ,本件では,サイレースが最終に投与されてから被控訴人Aの容体が急変するまで1時間15分程度が経過しており,容体が急変した時点ではサイレースの薬理効果はピーク時より大きく落ちているのみならず,被控訴人Aの午前5時20分ころの血圧が午前4時ころに比べて上昇しており,被控訴人Aは,安定期から回復期に向かい出すところにあったといえるから,サイレースのみの副作用,又はヒルナミンにより増強されたサイレースの副作用により被控訴人Aの容体が急変したとはいえない旨主張し,証拠(乙8,10,11,17,21,原審証人K,同L,同M及び当審証人Nの証言)中には控訴人の主張に沿う供述及び記載が存する。 しかし,前記(2)のとおり,サイレース投与後2時間程度までは副作用発現の危険性があると認められるから,上記供述及び記載はたやすく措信することができず,サイレースの副作用の発生も即効性を有するとの控訴人の主張は,その前提が認められないので採用することができない。加えて,被控訴人の血圧及び脈拍は,午前4時ころが収縮期血圧が110ミリグラム,拡張期血圧が70ミリグラムであり,脈拍は,1分間当たり102回であったのに対し,午前5時20分ころが,収縮期血圧が116ミリグラム,拡張期血圧が60ミリグラム,脈拍が1分間当たり126回であって,収縮期血圧の方は午前5時20分ころの方がやや上昇しているが,拡張期血圧は10ミリグラム低下しており,脈拍も相当に増加しているのみならず,そもそも血圧については,サイレース投与後は一般的には低下するものの,さほど変わらない者やかえって血圧が上昇した者もいたとの報告がされていることを ム低下しており,脈拍も相当に増加しているのみならず,そもそも血圧については,サイレース投与後は一般的には低下するものの,さほど変わらない者やかえって血圧が上昇した者もいたとの報告がされていることを考慮すると,本件における具体的な事実に基づく根拠としては午前4時ころと午前5時20分ころの血圧の比較を挙げるのみにより被控訴人Aの状態が安定期から回復期に向かい出すところにあったとの控訴人の推論についてはにわかに左袒しがたいところというべきである。 (イ) また,控訴人は,能書によれば,ヒルナミンの循環器系の副作用には,血圧降下がみられると記載されているが,容体急変前の被控訴人Aのバイタルチェックにおいて,被控訴人Aの血圧は正常であったから,被控訴人Aの容体急変はヒルナミンの副作用によるものではない旨主張し,証拠(乙21,当審証人Nの証言)中には,控訴人の主張に沿う陳述及び供述が存するが,上記のとおり,容体急変前の被控訴人Aの血圧が正常であったとの前提を認めることができないので,上記陳述及び供述はたやすく信用することができず,被控訴人Aの容体急変はヒルナミンの副作用によるものではない旨の上記控訴人の主張も採用の限りではない。 (ウ) さらに,控訴人は,サイレースとヒルナミンの併用は広く行われており,急性鎮静を要する場面では睡眠導入剤と抗精神病薬を併用することは不可欠であり,また,サイレースとヒルナミンの使用方法及び用量に問題はないので,両剤の併用も被控訴人Aの容体急変の原因ではない旨主張するが,現在では,多量のサイレースが投与された場合にヒルナミンを併用投与すればサイレースの呼吸抑制効果が増強されることは明らかであり,また,合計10ミリグラム(体重1キログラム当たり0・18ミリグラム)という能書記載の投与量の6倍にも相当する極めて多量なサイレース 投与すればサイレースの呼吸抑制効果が増強されることは明らかであり,また,合計10ミリグラム(体重1キログラム当たり0・18ミリグラム)という能書記載の投与量の6倍にも相当する極めて多量なサイレースが投与されることは異例といって良いなど前記(2)に見た能書,臨床例などに照らすと,本件におけるサイレースとヒルナミンの使用方法及び用量に問題はないとの控訴人の主張は,控訴人の一方的で既成事実の無批判的追認に終始する意見にすぎないものといわざるを得ず,到底採用することができない。 (エ) 控訴人は,上記(ア)から(ウ)までの主張にとどまらず,被控訴人Aが,薬剤に対する耐性が極めて強い特異体質者であり,また,被控訴人Aの呼吸中枢に何らかの障害があった可能性も否定できないので,結局,本件医療事故の原因は不明といわざるを得ず,仮に,サイレース及びヒルナミンの投与が原因となって本件医療事故が発生したとしても,被控訴人Aの容体急変には,被控訴人Aの上記特異体質,呼吸中枢に存在する何らかの障害も関係しているので,割合的に因果関係を認定すべきである旨主張するが,前示のとおり,他にも,興奮状態にある患者にサイレースを投与した場合には入眠しない患者がいた旨の実例が報告されているところであり,多量のサイレースを投与したにもかかわらず入眠しなかったという一事で,被控訴人Aが,薬剤に対する耐性が極めて強い特異体質者であるとか被控訴人Aの呼吸中枢に何らかの障害があったとかということは早計にすぎるというほかはないのであり,控訴人の主張に沿う乙17号証及び乙21号証の記載,当審証人Nの証言のみで被控訴人Aが特異体質者である等の控訴人の主張に沿う事実を認めることはできず,他に,被控訴人Aにこれらの事情が存在するとの証拠はないから,被控訴人Aが特異体質者であることなどを前提として割 証言のみで被控訴人Aが特異体質者である等の控訴人の主張に沿う事実を認めることはできず,他に,被控訴人Aにこれらの事情が存在するとの証拠はないから,被控訴人Aが特異体質者であることなどを前提として割合的に因果関係を認定すべきである旨の控訴人の主張は,採用することができない。 (4) 争点2(E医師の過失の存否)についてア被控訴人らは,E医師には,本件医療事故につき,必要もなく,また何らの説明もなく入眠前に被控訴人Aを抑制し,被控訴人Aの反発と興奮を誘発しサイレース及びヒルナミンを多数回投与せざるを得ない事態を招いた点で,精神科救急医療の診療に当たる医師としての注意義務違反が存在する旨主張する。 しかし,本件診療行為の経過は,前記(1)エのとおりであり,E医師は,午前3時20分ころ,警察官3,4名,被控訴人B及び被控訴人Cに伴われて,D病院の精神科救急外来に来院した被控訴人Aにつき,被控訴人Bらから来院に至る状況を聞き,被控訴人らに入院の希望につき質問したところ,被控訴人Aが,「(被控訴人Bに)暴力を振るうかどうかは帰ってみなければわからない。」などと述べ,また,被控訴人B及び被控訴人Cとも「家ではもうどうすることもできません。」と述べて入院を希望したので,被控訴人Aの病識を確認するため,被控訴人Aに対し,「こんな夜中に家族や警察に迷惑をかけて,悪いと思わないのか。」と問うたところ,被控訴人Aが,「てめえは大体気にくわねえんだ。」と怒声をあげ,今にも飛びかからんばかりに腰を浮かせてにらみつけるなどしたことから,被控訴人Aを帰宅させれば来院前の不穏状態が容易に再現されるので入院の必要性があると判断し,被控訴人Bの同意を得て,医療保護入院させることとしたのであり,被控訴人Aを医療保護入院させるまでの経過には何らの過失も存在しない。さらに,E医 状態が容易に再現されるので入院の必要性があると判断し,被控訴人Bの同意を得て,医療保護入院させることとしたのであり,被控訴人Aを医療保護入院させるまでの経過には何らの過失も存在しない。さらに,E医師は,被控訴人Aに入院の必要性を告げ,救急診療室内のストレッチャーに仰臥させ,血圧及び脈拍を測定した上,鎮静及び入眠を目的としてサイレース等を緩徐に静脈注射し,被控訴人Aが傾眠状態になったので,保護室に入室させ,ベッド上で胴抑制,四肢抑制,ベストによる上半身抑制を行い,点滴を開始するなどしたものであり,これらのE医師の一連の行為にも何ら責められるべき過失はないというべきである。確かに,その後,被控訴人Aが完全に眠っていなかったことから,四肢抑制等に気づいて興奮し始め,激しく体動するなどしたが,E医師は,被控訴人Aにサイレース3アンプルを静脈注射しており,被控訴人Aが傾眠傾向になったことを確認した上で四肢抑制等を行っており,その目的も,被控訴人Aが覚せい時に再度不穏状態に陥り暴れることなどがないようにするためであったから,結果として,被控訴人Aが四肢抑制等に気づいて興奮し始めたからと行って,E医師の四肢抑制等の措置に過失があったとは認められない。 当審における被控訴人B本人尋問の結果及び甲31号証(被控訴人Bの陳述書)中には,被控訴人Aではなく,E医師の方が興奮をし,四肢抑制をし,看護士と2人で被控訴人Aを押さえつけた上,サイレース等を注射した旨の供述及び陳述が存するが,当日の経過を記載したカルテ(乙2,3)及び原審証人Kの証言に照らし,上記被控訴人Bの供述及び陳述はたやすく信用することができない。 したがって,E医師には,被控訴人Aを抑制するにつき,精神科救急医療の診療に当たる医師としての注意義務違反が存在する旨の被控訴人らの主張は,これを採 供述及び陳述はたやすく信用することができない。 したがって,E医師には,被控訴人Aを抑制するにつき,精神科救急医療の診療に当たる医師としての注意義務違反が存在する旨の被控訴人らの主張は,これを採用することができない。 イ次に,被控訴人らは,E医師が,サイレース及びヒルナミンの投与後に,被控訴人Aに無呼吸,呼吸抑制等の症状が発現することを予測し,自ら又は他の医師及び看護婦等に指示して,頻回の巡回を行い,又は当時D病院に備えられていた心電図モニター等の機械的モニターを使用するなどして経過観察を行うべき注意義務があったのに,その注意義務を怠り,午前4時45分に最後のサイレースを投与した後,午前5時20分ころから午前6時ころまでの間,被控訴人Aの経過観察を全く行わなかった過失がある旨主張するので,以下この点について判断する。 (ア) まず,予見可能性の有無について検討する。 a 前示のとおり,サイレースの能書(甲1)によれば,サイレースは,睡眠作用,麻酔増強作用,鎮痛増強作用を併せもち,全身麻酔の導入及び局所麻酔時の鎮静に有用性が確認されているが,躁うつ病等の患者の興奮を鎮静するための薬剤としての用法は記載されておらず,また,その用量は,体重1キログラム当たり0・03ミリグラム程度が上限であるとされている。そして,重大な副作用として,無呼吸,呼吸抑制及び舌根沈下が現れ,その他にも循環器の副作用として同じ割合で血圧低下,徐脈,及び頻脈等が現れることが明らかにされている(なお,本件で提出されている能書〔甲1〕の「副作用」の項目は平成7年4月に改訂されているが,本件医療事故が発生した同年2月当時,既にフルニトラゼパムの投与により呼吸抑制及び血圧低下等の副作用が生じることが明らかにされていることからすれば,同年4月の改訂以前から能書には無呼吸,呼吸抑 るが,本件医療事故が発生した同年2月当時,既にフルニトラゼパムの投与により呼吸抑制及び血圧低下等の副作用が生じることが明らかにされていることからすれば,同年4月の改訂以前から能書には無呼吸,呼吸抑制及び舌根沈下等の副作用に関する記述があったと推認できる。)。また,昭和61年6月10日発行の「新薬と臨牀」(乙6)によれば,フルニトラゼパムを静脈注射の方法で最低2ミリグラムから最大6ミリグラムを投与したところ,1例につき舌根沈下による呼吸抑制が生じたとされており,さらに,同文献に引用されている研究報告によれば,フルニトラゼパムを体重1キログラム当たり0・03ミリグラム投与した後に血圧が最も低下する時間等の調査の結果,収縮期血圧が15分後に約16ミリグラム,拡張期血圧が10分後に約7ミリグラム低下することが判明し,また,フルニトラゼパムを体重1キログラム当たり0・059ミリグラム注射した場合は血圧降下は40分後に最大となり,低下の程度も0・03ミリグラム投与した場合に比べて顕著に大きく,90分後もなお完全に回復していない例があったこと,フルニトラゼパム投与後120分後においても収縮期血圧が完全には回復していない例があったことが報告されている。 次に,これまた前示したとおり,ヒルナミンの能書(甲2)によれば,ヒルナミンは,精神分裂病,躁病及びうつ病における不安,緊張に対して効果があるとされ,通常,成人にはレボメプロマジンに換算して1回25ミリグラムを筋肉注射すること,ヒルナミンを中枢神経抑制剤と併用すると,相互に作用を増強することがあるので,減量するなど慎重に投与すること,循環器の副作用として,血圧降下,頻脈等がみられることが明らかにされている。 また,同じく,「臨床薬理」(昭和53年9月号)中にある論文(甲8,15)及び能書(甲2)によれば ど慎重に投与すること,循環器の副作用として,血圧降下,頻脈等がみられることが明らかにされている。 また,同じく,「臨床薬理」(昭和53年9月号)中にある論文(甲8,15)及び能書(甲2)によれば,フルニトラゼパム(その未変化体)の体内薬物濃度動態は,単回静脈内投与で3相性の変化を示し,各相の半減期はそれぞれ第1相(投与後30分ないし45分)で約8分,第2相(投与後1時間ないし4時間)で2時間,第3相(投与後4時間以降)で24時間であり,また,同じく単回静脈内投与試験の結果においては,2ミリグラムのフルニトラゼパムを静脈内投与した場合,投与後5分の血中濃度の割合を100とすると,投与後120分までの間でも約4割の血中濃度が維持されているとされる。 b 上記aで改めて指摘したように,本件医療事故以前に,医学文献において,重大な副作用として,無呼吸,呼吸抑制及び舌根沈下が現れ,その他にも循環器の副作用として血圧低下,徐脈及び頻脈等が現れること,ヒルナミンを中枢神経抑制剤と併用すると,相互に作用を増強することがあること,サイレースの血中濃度の半減期は,第1相で約8分,第2相で2時間,第3相で24時間であり,サイレースの投与後120分くらいまでは比較的高濃度の血中濃度が維持されているとされており,サイレースの薬効による血圧降下等の症状はサイレース投与後70分ないし120分後まで持続することがあることが明らかにされていることに加えて,E医師が,サイレースの能書の記載を知っており,また,臨床の経験から,サイレースを投与した場合に,無呼吸,呼吸抑制及び舌根沈下並びに血圧低下及び頻脈が生じることをしばしば経験しているところ,本件医療事故当時,サイレースの投与による副作用は30分以内に発生すると思っていたが,一般論としては,薬理動態は予測がつかないので,サ びに血圧低下及び頻脈が生じることをしばしば経験しているところ,本件医療事故当時,サイレースの投与による副作用は30分以内に発生すると思っていたが,一般論としては,薬理動態は予測がつかないので,サイレースの投与直後でなくてもサイレースの副作用が発現する可能性は当然あり,また,サイレースとヒルナミンの併用投与はサイレースの単独投与よりも副作用の発現において危険であると考えられると供述している(原審証人K)こと並びにサイレース及びヒルナミンの投与量が多ければ,その薬理作用が増強することは見やすい道理であることを考慮すると,E医師は,本件のように多量のサイレースとヒルナミンを併用投与した場合には,併用投与後相当時間経過後においてもサイレースとヒルナミンの併用投与による副作用が発現することがあることを当然予見することができたというべきである。 c この点に対しても,控訴人は,E医師が被控訴人Aに投与したサイレース及びヒルナミンの使用量並びにサイレース及びヒルナミンの使用方法には問題がなく,サイレースを通常の6倍も投与したとの被控訴人らの主張は理由がない旨主張する。しかし,客観的にみてサイレース及びヒルナミンの使用量並びに使用方法に問題があったことは前記(3)イ(ウ)で認定したとおりであり,E医師が能書の記載を知っていたことからすれば,E医師が被控訴人Aに投与したサイレースの量が,能書に記載された使用量を遙かに超える問題のあるものであったことは,E医師にとっても当然認識し得たところというべきである。また,控訴人は,能書に記載したサイレースの使用量は健常人を標準とするものであり,躁うつ病等の患者の鎮静の場合には当てはまらず,通常の6倍の量を投与したというのは理由がない旨を主張するのであるが,そもそもサイレースを躁うつ病等の患者の鎮静に使用することは能 準とするものであり,躁うつ病等の患者の鎮静の場合には当てはまらず,通常の6倍の量を投与したというのは理由がない旨を主張するのであるが,そもそもサイレースを躁うつ病等の患者の鎮静に使用することは能書上予定されていない上,興奮状態にある患者の場合にはサイレースの投与による鎮静の効果が現れにくいことが認められるにしても,それ以外の躁うつ病等の患者については通常の投与量により催眠効果が生じるのであるから,躁うつ病等の患者の鎮静の場合にも,能書の記載を基準としてその使用量の多寡を判断し,投与後の措置を考えることは当然である。したがって,能書に記載したサイレースの使用量は,躁うつ病等の患者の鎮静の場合には当てはまらず,通常の6倍の量を投与したというのは問題がない旨の控訴人の前記主張は採用しがたい。 次に,控訴人は,サイレース等の投与後から午前5時20分までの経過観察により,被控訴人Aの容体が急変するような兆候がなかったので,E医師には,被控訴人Aがサイレース等の副作用により突然重篤な状態に転ずるとの予見可能性がなかった旨主張する。しかし,多量のサイレースとヒルナミンを併用投与した場合には,併用投与後相当時間経過後においても副作用が発現する可能性があることは上記イで認定したとおりであり,また,医薬品の能書の記載事項は,当該医薬品の危険性(副作用等)につき最も高度な情報を有している製造業者又は輸入販売業者が,投与を受ける患者の安全を確保するために,これを使用する医師等に対して必要な情報を提供する目的で記載するものであるから,医師が医薬品を使用するに当たって能書に記載された使用上の注意事項に従わないとするには,特段の合理的理由が必要であるというべきところ,被控訴人Aに対するサイレースの投与方法及び投与量が能書の注意事項に著しく違反していることは明らかで 書に記載された使用上の注意事項に従わないとするには,特段の合理的理由が必要であるというべきところ,被控訴人Aに対するサイレースの投与方法及び投与量が能書の注意事項に著しく違反していることは明らかであり,このような場合において,サイレースの投与直後から午前5時20分までの35分間に容態が急変する兆候がなかったからといって,35分後以降に呼吸停止等の異変が起こらないと即断する合理的根拠があるとは認められないので,仮に,D病院における臨床例及びE医師の臨床経験では,サイレースの投与による重大な副作用が生ずるのは投与後30分以内が多かったとしても,その一事をもって,E医師の予見可能性を否定することはできないというべきである。 (イ) 次に,E医師に予見可能性があったとの認定を踏まえて,E医師にサイレース投与後の経過観察義務違反が存在するか否かを検討する。 aE医師は,本来は全身麻酔の導入等に使用されるべきサイレースを,精神科救急医療における急速鎮静のためという能書には記載のない用途に使用し,しかも,能書に定められた上限を遙かに超える大量のサイレースを,しかもその作用を増強させる効果を有するヒルナミンと併用して(しかもその投与量は1回分の相当量を上回っていた。)使用したのであるから,人の生命及び健康を管理すべき業務にある者として,最善の注意を払ってサイレース投与による副作用の発現を予見し,副作用が発現した場合には速やかに対処できる監視態勢をとるべき注意義務が存したと認められる。 b 証拠(甲12,14,26ないし28,30,乙10)によれば,次のとおり,モニタリング等による経過観察の有効性について報告されていることが認められる。 すなわち,①「精神科治療学」(平成9年2月号)中の論文(甲12)によれば,フルニトラゼパムの静脈内投与を受けた患者は臨 ニタリング等による経過観察の有効性について報告されていることが認められる。 すなわち,①「精神科治療学」(平成9年2月号)中の論文(甲12)によれば,フルニトラゼパムの静脈内投与を受けた患者は臨床的には呼吸抑制症状が認められなくても,既に麻酔科領域で一般的になっている経皮的動脈血酸素飽和度測定器(パルス・オキシメーター)による計測では低酸素状態の存在が検出されているので,同測定器等による呼吸状態の監視の必要性が強く示唆されるとともに,フルニトラゼパム等のベンゾジアゼピン系薬物による急速鎮静は全身麻酔に準ずる医療行為であり,それをリスクの高い精神科救急入院患者にやむを得ず使用する以上は呼吸状態の監視を十分にすべきであるとされ,②「精神科救急医療」(平成10年8月号。甲14)中の論文によれば,鎮静処置後には十分な観察が必要であり,呼吸心拍監視装置などを利用してバイタルサインのモニタリングを行うことも方法の一つであるとされ,③「精神科処方ノート」(平成13年5月25日発行。甲26)によれば,睡眠薬の緊張病性興奮を鎮静させるため睡眠薬を静脈注射する場合には,睡眠薬の静脈注射が呼吸・循環抑制をきたしやすいので,鎮静の後は心拍監視モニターやパルスオキシメーターで,呼吸,循環動態その他全身状態の管理に努める必要があるとされ,④「精神科治療学」(平成10年5月29日発行。甲27)によれば,急速鎮静後の身体管理を安全確実に行うという観点からは点滴ラインを確保し各種モニター類を装着することが望ましく,モニター機器の装着をしないときは,患者を保護室に横たえ,モニター機器を用いる場合以上に細心の注意をもって観察に当たらなければならないとされ,⑤「精神科治療学」(平成10年5月29日発行。甲28)によれば,救急治療初期,少なくとも静脈注射による治療が行われる期 機器を用いる場合以上に細心の注意をもって観察に当たらなければならないとされ,⑤「精神科治療学」(平成10年5月29日発行。甲28)によれば,救急治療初期,少なくとも静脈注射による治療が行われる期間の身体管理は,人間の五感を補う各種モニターが必須であり,D病院精神科では,静脈内投与による鎮静が行われる期間は,動脈血酸素飽和度,心電図,心拍数,呼吸数をテレメトリーにより持続監視しているとされ,⑥「スタンダード精神科救急医療」(平成10年8月28日発行。甲30)によれば,フルニトラゼパムによる催眠導入後も患者の状態を継続的にモニターする必要があり,場合によってはパルスオキシメーターなどの装着を継続しておくとされ,⑦「精神科治療学」(平成10年9月号。乙10・文献2)によれば,救急症例の中には効く薬はないのではないかと思わせるほど効果の薄い症例が存在し,鎮静処置の際にやむを得ず大量の投薬を行うことがあるが,これは医師にとって薄氷を踏む思いであり,大きな負担となっているのであるから,従前は経過観察の方法としてモニターの使用すらされていなかったことは医療慣行として行われていたこととはいえ,改善が必要であったことは明らかであるとされている。 c しかも,証拠(甲5,11,原審証人K及び同Mの各証言)によると,D病院の精神科には当時からテレメーター方式の心電図モニターが備えられていたこと,心電図モニターは長時間にわたって心電図を監視し,異常が発生したらすぐにアラームで知らせる患者監視装置であること,被控訴人Aに心電図モニターを装着していれば脈拍等の異変をいち早く発見できた蓋然性が高いことが認められ,本件において,実際にも,心電図モニターにより経過観察を行うことが可能で,かつ,その経過観察により本件発症のような事態を防ぐことが可能な状況にあったものと認め 発見できた蓋然性が高いことが認められ,本件において,実際にも,心電図モニターにより経過観察を行うことが可能で,かつ,その経過観察により本件発症のような事態を防ぐことが可能な状況にあったものと認められる。また,上記bのとおり,パルスオキシメーター装着も本件医療事故のような事故の発生を防止する上で有用であるところ,証拠(甲12,原審証人K及び同M)によれば,D病院の他の科にはパルスオキシメーターが備え付けられており,D病院精神科にも本件医療事故発生後まもなくパルスオキシメーターが配備されたことが認められる。 d 以上のとおり,サイレースを投与した後,モニタリング等による経過観察を行うことは極めて有効であるから,E医師は,本件発症のような事態を防ぐため,テレメーター式心電図モニターを装着し,又は,他科からパルスオキシメーターを借用してこれを被控訴人Aに装着し,被控訴人Aについて投与後2時間程度はこれらのモニターを用いた経過観察を行う義務を有していたというべきであり,このような方法であれば,医師と看護士の2名による当直体制においても,経過観察を必要に応じて十分にすることができるものである。 e これに対し,控訴人は,本件発症当時,サイレース投与後,30分ないし40分の間隔で巡回し経過観察を行うという方法は当時の医療水準からみて合理的であり,モニタリングによる経過観察を行うことは医療水準として確立されていなかった旨主張し,証拠(甲8,10,11,乙13,21,原審証人K,同L,同M及び当審証人Nの各証言)中にも同旨の供述ないし供述記載部分がある。 人の生命及び健康を管理すべき義務(医業)に従事する者は,その業務の性質に照らし,危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるのであるが,具体的な個々の事案において,債務不履行又は不法行為 命及び健康を管理すべき義務(医業)に従事する者は,その業務の性質に照らし,危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるのであるが,具体的な個々の事案において,債務不履行又は不法行為をもって問われる医師の注意義務の基準となるべきものは,一般的には診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である。そして,この臨床医学の実践における医療水準は,全国一律に考えられるべきものではなく,診療に当たった当該医師の専門分野,所属する診療機関の性格,その所在する地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮して決せられるべきものであるが,医療水準は,医師の注意義務の基準(規範)となるものであるから,平均的医師が現に行っている医療慣行とは必ずしも一致するものではなく,医師が医療慣行に従った医療行為を行ったからといって,医療水準に従った注意義務を尽くしたと直ちにいうことはできない(最高裁平成8年1月23日第3小法廷判決参照)。 なるほど,控訴人の主張するとおり,本件発症当時は,サイレース投与後30分程度までは十分な監視を怠らないという程度の経過観察を行うことが精神科においては一般的慣行であったと窺われるが,本件医療事故以前の平成4年5月発行である千葉県精神科医療センター長の執筆した「精神救急ハンドブック」(甲10)の「鎮静マニュアル」においては,患者を鎮静させた後にモニターを装着し,鎮静後90分が経過するまでは,10分又は15分間隔でバイタルサインをチェックするものとされていること,また,「精神科治療学」(平成10年発行。乙10・文献2〔乙19で訂正された後のもの。〕)中の論文によれば,実際に精神科入院以後の措置として,平成7年1月から3月までの間に,D病院において6・1パーセント,府中病院で10・9パーセント,千葉県精神科医療センターにおい された後のもの。〕)中の論文によれば,実際に精神科入院以後の措置として,平成7年1月から3月までの間に,D病院において6・1パーセント,府中病院で10・9パーセント,千葉県精神科医療センターにおいて3パーセントの割合でモニターによる心肺監視等の措置が行われていたことが認められる。 以上のような,サイレース投与後の経過観察の方法についての精神救急ハンドブックにおける記述,D病院等におけるモニタリングによる経過観察の実施状況等に加えて,D病院が,控訴人において都内全域を3ブロックに分けて実施している精神科救急患者に対する診療事業のうち第1ブロック(東京都23区内の東部に位置する11区)を担当している基幹病院であることを考慮すると,本来は全身麻酔の導入等に使用されるべきサイレースを,精神科救急医療における急速鎮静のためという能書には記載のない用途に使用し,しかも,能書に定められた上限を遙かに超える大量のサイレースを,その作用を増強させる効果を有するヒルナミンと併用して使用した本件にあっては,E医師には,本件発症当時,モニタリングによる経過観察を行う注意義務が存在したと認めるのが相当であり,仮に,本件発症当時,サイレース投与後30分ないし40分の間隔で経過観察を行うという方法が精神科救急医療における一般的傾向であったとしても,それは平均的事例につき平均的医師が現に行っていた当時の医療慣行であるというにすぎず,本件の場合にその一般的傾向を当てはめることは相当でなく,かつ,上記のような極めて特異で危険な診療行為を実施しながらその副作用の発現のおそれに対しこのような平均的な医療慣行にとどまる対応で問題がなかったと主張するのは医療機関の在り方として基本的な姿勢を問われるものといわざるを得ず,そのような平均的慣行に従った医療行為を行ったというだけでは,本 のような平均的な医療慣行にとどまる対応で問題がなかったと主張するのは医療機関の在り方として基本的な姿勢を問われるものといわざるを得ず,そのような平均的慣行に従った医療行為を行ったというだけでは,本件のような事例において,精神科救急医療の中心的存在に位置づけられる病院の医師に要求される医療水準に基づいた注意義務を尽くしたものということはできない。 これに反する前掲証拠(甲8,10,11,乙13,21,原審証人K,同L,同M及び当審証人Nの各証言)中の供述ないし供述記載部分は,上記認定に照らしいずれも採用しない。 ウそうすると,E医師は,被控訴人Aに対するサイレース等の投与後,モニタリングによる経過観察,又は少なくともこれとほぼ同程度の頻回の監視による経過観察を行うべきであり,かつ,その経過観察により本件医療事故の発生を防ぐことが可能であったのに,これを怠ったものであるから,E医師には経過観察義務の違反があったと認められる。 (5) 争点3(損害)についてア被控訴人Aの損害(ア) 介護費用 2057万1765円前記第2,1(5)のとおり,被控訴人Aはいわゆる植物状態になり,回復の見通しがなく,本件医療事故発生から現在までD病院に入院しているところ,証拠(甲7,当審における被控訴人B本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば,被控訴人Bらは本件医療事故の日の翌日である平成7年2月13日から平成9年11月30日(1022日間)まで被控訴人Aの介護を行い,その後も本件口頭弁論終結日まで介護を継続していること,被控訴人Aはいわゆる植物状態にあり常時付き添い介護を必要とすることが認められる。そして,被控訴人Aは,回復の見通しがなく,終生にわたり常時介護を必要とする状態で,被控訴人Aは平成9年12月1日当時33歳であり いわゆる植物状態にあり常時付き添い介護を必要とすることが認められる。そして,被控訴人Aは,回復の見通しがなく,終生にわたり常時介護を必要とする状態で,被控訴人Aは平成9年12月1日当時33歳であり,その平均余命は平成9年簡易生命表男子33歳の該当数値である45・32年(被控訴人Aが境界性人格障害者であることを考慮しても,その余命が平均余命と有意に相違するとの証拠はない。)であり,被控訴人Aはそのうち少なくとも10年間分(平成19年11月30日までの分)の介護費用を請求することができるものであり,被控訴人Bらによる介護費用は1日当たり6000円が相当であるから,ライプニッツ方式により中間利息を控除して将来分の介護費用を算定すると,2057万1765円(6000円×365日×本件医療事故の日から平成19年11月30日まで13年間のライプニッツ計数9・3935)となる。 なお,控訴人は,被控訴人Aが,D病院に入院して完全介護を受けており,被控訴人Bら家族の介護を受けることを必要としていないので,介護費用の請求は相当でない旨主張するが,上記のとおり,被控訴人Bらは本件医療事故の日の翌日である平成7年2月13日から本件口頭弁論終結日まで介護を継続しており,完全介護といっても植物状態の被控訴人Aを十分介護するには身内である被控訴人Bらの介護が必要であると認められる(甲31,当審における被控訴人B本人尋問の結果)ことを考慮すると,介護費用が不要であるとの控訴人の前記主張は,採用することができない。 したがって,介護費用は,合計2057万1765円となる。 (イ) 入院雑費 445万7215円被控訴人Aは,本件発症からD病院に入院しており,入院雑費は1日当たり1300円とするのが相当である。 したがって,上記(ア)と イ) 入院雑費 445万7215円被控訴人Aは,本件発症からD病院に入院しており,入院雑費は1日当たり1300円とするのが相当である。 したがって,上記(ア)と同様に,平成7年2月13日から平成19年11月30日まで13年間分の介護費用をライプニッツ方式により中間利息を控除して算定すると合計445万7215円(1300円×365日×9・3935)となる。 (ウ) 通院交通費 137万1451円証拠(甲7)及び弁論の全趣旨によれば,被控訴人Bらは本件医療事故発生の日から被控訴人Aの介護を行うためにD病院に通院しており,そのバスによる往復の通院交通費は400円であることが認められる。したがって,上記(ア)と同様に,平成7年2月13日から平成19年11月30日までの13年間分の交通費をライプニッツ方式により中間利息を控除して算定すると合計137万1451円(400円×365日×9・3935)となる。 (エ) 逸失利益 4294万2770円前記1(1)ア認定の被控訴人Aの学歴,就労状況,求職状況,被控訴人Aが躁うつ病及び境界性人格障害と診断されていること及び証拠(甲17,18,乙13)によれば,境界性人格障害者の場合,完全就労する率は必ずしも高くないことを考慮すると,被控訴人Aは,本件医療事故がなければ30歳から67歳に達するまでの37年間就労可能であり,本件医療事故発生当時の平成7年の賃金センサス男子労働者・学歴計・30歳ないし34歳の年収513万9400円の5割の年収を得ることができたと推認されるので,右金額を基礎とし,労働能力喪失を100パーセントとしてライプニッツ方式により中間利息を控除して算定すると,逸失利益は,513万9400円×50パー 円の5割の年収を得ることができたと推認されるので,右金額を基礎とし,労働能力喪失を100パーセントとしてライプニッツ方式により中間利息を控除して算定すると,逸失利益は,513万9400円×50パーセント×100パーセント×16・7112で4294万2770円となる。 なお,控訴人は,被控訴人Aの逸失利益を算定する際に,被控訴人Aが植物状態になっていることにかんがみ,生活費を控除すべきである旨主張するが,被控訴人Aは,植物状態にあるとはいえ,現実に生存して生活しているのであるから,逸失利益の算定に当たり生活費を控除する理由はないというべきである。 (オ) 後遺症慰謝料 2000万円被控訴人Aの現在の後遺障害の程度,E医師の注意義務違反の程度等本件にあらわれた一切の事情を考慮すると,2000万円の後遺症慰謝料が相当と認められる。 (カ) 以上の(ア)ないし(オ)の損害額の合計は,8934万3201円である。 イ被控訴人B及び被控訴人Cの損害被控訴人Aの後遺障害の程度からして,被控訴人Bは,被控訴人Aの母として被控訴人Aの死亡の場合にも比すべき深刻な精神的苦痛を受けたものと認められ,これに対する慰謝料としては100万円が相当である。 被控訴人Cは,被控訴人Aの実兄であるが,現在別居しており,従前の被控訴人Aと被控訴人Cとの関係(乙2),生存している被控訴人Aが上記ア(オ)のとおり,後遺障害慰謝料を取得していること等を考慮すると,被控訴人C固有の慰謝料を認める余地はないというべきである。 ウ過失相殺の可否控訴人は,被控訴人B及び被控訴人Cが,境界性人格障害を有する被控訴人Aの不穏・興奮等の症状を鎮静させるため,被控訴人AをD病院に医療保護入院させるよう強く希望したこと,被控訴人Aの境界性人格障害に基づ 人は,被控訴人B及び被控訴人Cが,境界性人格障害を有する被控訴人Aの不穏・興奮等の症状を鎮静させるため,被控訴人AをD病院に医療保護入院させるよう強く希望したこと,被控訴人Aの境界性人格障害に基づく医療保護入院がなければ,被控訴人Aが呼吸停止等の症状を発症しなかったこと及び被控訴人Aの薬物耐性に基づく体質的素因が薬剤投与の過程に影響を及ぼしていることを考慮すると,公平性の観点から,過失相殺の規定を類推適用して,損害の公平な分担を図るべきである旨主張する。しかし,病気に悩む患者又はその親族が医療機関に治療を求め,入院等を希望することは当然のことであり,これを非難される謂われはないのであり,また,被控訴人Aの薬物耐性に基づく体質的素因が薬剤投与の過程に影響を及ぼし本件医療事故を発生させたことを認めるに足りる証拠はないから,本件において過失相殺をする余地はないというべきである。 エ損益相殺(ア) 被控訴人Aは,本件医療事故により身体障害者1級の認定を受け,障害基礎年金として,平成7年9月から平成10年5月までの33か月につき1か月8万1825円,同年6月から平成11年5月までの12か月につき1か月8万3283円,同年6月から現在(口頭弁論終結時である平成13年8月)まで27か月につき1か月8万3775円を受給している(当事者間に争いがない。)ので,これを被控訴人Aの損害から差し引くべきところ,その額は,596万1546円である被控訴人らは,被控訴人Aが受給している障害基礎年金を損害から控除するとすれば,国が給付した障害基礎年金を控訴人から求償する見込みが乏しいので,結果的に控訴人がこれを利得する可能性が高く,また,被控訴人Bは,自分だけでは被控訴人Aの介護が困難なので,妹に介護を依頼し,1か月10万円を支払っており,障害基礎年金は,この支 見込みが乏しいので,結果的に控訴人がこれを利得する可能性が高く,また,被控訴人Bは,自分だけでは被控訴人Aの介護が困難なので,妹に介護を依頼し,1か月10万円を支払っており,障害基礎年金は,この支払により消えてしまうので,衡平の理念に基づき,障害基礎年金を被控訴人Aの損害から控除することは相当でない旨主張するが,国が給付した障害基礎年金を控訴人から求償する見込みが乏しいとはいえないし,介護費用については別途被控訴人Aの損害として損害賠償請求が認められているのであるから,被控訴人らの主張は,採用することができない。 (イ) 控訴人は,被控訴人Aは,東京都心身障害者福祉手当に関する条例に基づき,心身障害者福祉手当として1か月1万5500円を受給しているので,これを被控訴人Aの損害から差し引くべきである旨主張するが,同条例に基づく給付は,心身障害者の福祉を増進するための給付であって,本件医療事故等についての損害を填補することを目的とするものではない(乙16の①,②)から,これを被控訴人Aの損害から控除することはできないというべきである。 オ被控訴人らの弁護士費用被控訴人らが本件訴訟の追行を被控訴人ら代理人に委任したことは,弁論の全趣旨から明らかであり,本件事案の性質,審理経過,損害の程度等の事情を考慮すれば,弁護士費用は,被控訴人A分として800万円,被控訴人B分として20万円を認めるのが相当である。 カ小括以上によれば,被控訴人Aの損害額は9138万1655円,被控訴人Bの損害額は120万円であり,被控訴人Cの損害は認めることができない。 2 よって,被控訴人らの請求は被控訴人Aにつき損害金9138万1655円,被控訴人Bにつき損害金120万円及びこれらに対する本件医療事故の日である平成7年2月12日から支払済みまで民法所定の年5 2 よって,被控訴人らの請求は被控訴人Aにつき損害金9138万1655円,被控訴人Bにつき損害金120万円及びこれらに対する本件医療事故の日である平成7年2月12日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を請求する限度で理由があるから,その限度で認容し,被控訴人A及び被控訴人Bのその余の請求並びに被控訴人Cの請求は理由がないから棄却すべきところ,これと一部結論を異にする原判決は一部不当であるから,原判決を上記のとおり変更し,控訴人らのその余の控訴を棄却することとし,訴訟費用の負担につき民事訴訟法67条2項,64条,65条1項を,仮執行宣言につき同法259条1項をそれぞれ適用して,主文のとおり判決する。 東京高等裁判所第9民事部裁判長裁判官雛形要松裁判官小林正裁判官萩原秀紀

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